遁走曲風

 風間のことを知っているとわかって会話は思わぬ広がりを見せた。大学時代の友人であったことを話すといろいろと昔のことを聞きたがった。そして、風間が急に大学に来なくなってしまって、中退してしまったことを話した。根掘り葉掘り聞こうとするので正直うんざりしたが、一方で共通の話題ができたことで彼女との距離を縮めた事実は否めない。職場で親しげな視線を交わすことが最近の唯一の楽しみになった。
 最近またひとり彼女の後に入った編集者が辞めてしまった。そのせいで食事に誘っても余裕がないと断られ延ばし延ばしになった。焼肉デートから一ヶ月が経とうとし、やんわり断られているのかと疑い出した頃、突然彼女の方から誘いがあった。それも唐突で、理由はたまたま仕事がなくなったからだった─実情は仕事に穴が空いて、むしゃくしゃした勢いで飲みに誘ってくれたのだ。俺は取材のデータ起こしがあって身動きがとれる状態ではなかったが、明日の朝にやればよいと即断した。この好機を逃せば次はないかもしれないのだ。
 仕事を投げ捨てて退社し、彼女が待っている居酒屋に入った。薄暗い店内を通り案内された個室には煙が充満しており、既にビールのジョッキが空けられていた。Tシャツにジーパンというラフな格好で疲れ切った表情をし、背筋が曲がった彼女へ挨拶もそこそこに仕事のことを尋ねると、怒濤の如く愚痴をぶちまけ始めた。ページに穴を空けたへまな担当者のことを痛罵し、スケジュール調整に追われたことを嘆いた。そして、穴を埋める原稿が明日確保できるところまで漕ぎ着け、今日は関係者一同解散となったそうだ。明日は明日で別の仕事が詰まっているので、迷惑千万だと愚痴は止まることを知らなかった。勿論俺は共感し、同調し、慰め、励ました。気持ちよく話をさせることに腐心したという訳だ。おかげで彼女の空けたビールジョッキは三つ目を数えた。吸い殻の数は二乗せねばならない。彼女との距離はぐっと縮まったと感じた。雰囲気はやさぐれているが、ひょっとすると一線を越えることがあるかもしれないと期待した。
 彼女は一くさり話し終えると満足気で、俺に話を振ってきた。
「で、岸川さんの方はどうなの? 忙しい?」
 最近のツキのなさをやや誇張しながら面白おかしく語って存分に笑ってもらった後、話したくてならない本題に切り込んだ。
「実はさ、フクシマのことで記事が書けそうだったんだけどね」
「へえ、岸川さんはそっちもやるんだ」
「いや、たまたまだよ。記事を提供してくれる人物とコンタクトが取れそうだったんだ」
「ふうん、そうなんだ。でもその口ぶりだとうまくいかなかったのね?」
「うん、まあそうなんだけど。実はねその情報提供者に会うことは会えたんだ」
「あ、そうなの? インチキだったとか?」
「いや、その筋では確かな人物らしい。だけどね、その情報の入手ルートなんだけど」少しずつ声を自然と落とし、呼吸が感じられるほど顔を近付けて話すようにした。
「情報提供者は助手をひとり雇っていて、読心術で嘘を見抜ける能力を持っているらしい」
「まさか」驚きというか恐怖の顔で彼女は仰け反った。
「そう、きみのよく知っている人だ」
「本当に風間くんなの?」
「ああ、風間の名前を出したら血相を変えやがった」
 藤井以上に顔色を変えたのは彼女の方だった。しかし、ここで話をやめるわけにはいかない。
「小池さん、お願いがあるんだ。風間の連絡先を教えてくれないか? 記事のことはもうどうでもいいんだ。どうもあいつとは縁があるらしい。心配とは違うんだけど、今どうしているのか気になるんだ」
 彼女はうつむいてしばらく黙っていた。俄に顔を上げて、俺を見つめると頷いた。
「わかった。でも今はわからないの。スマホに変えた時に連絡先を移行しなかったの。家に帰ったら古い携帯に入っているから探してみるね」
「ありがとう。ごめんね。あんまり思い出したくないんでしょう?」
「ううん、そうじゃないの。あの、もし風間くんに会えたら、どうしているかこっそり教えてね」そう言ってジョッキを手に取り飲み干した。
 まだ動揺から明るさを取り戻せていない伏し目がちな表情は蒼白なこともありピエタ像を想起させた。薄暗い照明が一種特別な色気、かよわき女性美に彩られた隙が醸し出す色気を垣間見せた。
「風間のこと、まだ好きなんじゃないの?」
 思い出に浸っているのは何となく癪に障ったので思い切って探ってみたのだが、すぐに否定された。
「ううん、ちょっと気になっただけ。元気なのがわかったらいいの」
 物思いに耽る彼女にかける言葉が見当たらなかった。気まずい思いで時計を見るともう終電間近であることに気付いた。
「どうする? 飲み足りないならまだ付き合うよ」
「ううん、今日は帰るよ。明日早いから」
 経験と勘から今日は引き下がることにした。強引に口説かない方がよい。彼女との距離は確実に縮めることはできた。一応の前進と評価しておこう、一応の。

 

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