遁走曲風


 僕は待っていた。僕の天使が来るのを待っていた。紅葉の時期に突如として現れ、僕の心をかっさらっていった須藤亜希子さんが訪ねてくることを。年の瀬に何度も僕の部屋にあがっては、本当に大学に戻るつもりがないのかと問うては、目的もなく希望もない今の僕の生活を心配し、将来のことを一緒に考えてくれた。僕はあやうく自分の超能力のことを、そして秘めた気持ちを告白しようかとぐらついた。次に来たときには全てを話そうかとまで思い詰めていた。彼女が受け入れてくれる確信もあった。ためらったのは臆病だったからだ。
 だが、あの人はまたすぐに来ると言い残したまま年内はやって来なかった。冬休みで帰省したのだろうと推察したが、強い喪失感に襲われ本気で須藤さんを求めていたんだということに気が付いた。年が明け、二月になっても彼女は来なかった。終わりが予想以上に早かっただけで、深みに陥らずに寧ろよかったと考えることにした。お陰で諦めは容易についた。
 大学を辞め、隠者として暮らそうかなんて考えたが、立ち行かなくなることは明白だった。自分の能力を活かせる仕事はないかと考えた。刑事や探偵はどうだろうか。この案は性分に合わないので自分でも可笑しかった。そして結局は現実に制限された。お金がなかったのだ。何かをしたくても出来なかった。仕方なくひたすら働いた。僕の能力の利点は空気を読めるということだ。面接でもどこに力を入れれば良いかわかるし、仕事場でも何をすれば良いかを理解するのに時間はいらなかった。その代わり、居辛くなってきたらすぐに職場を去った。僕のような何を考えているのかわからない不気味な人間を嫌う人は多かった。僕もまた嘘付きたちの間で迎合するのには堪えられなかった。追従や格付けの中に巻き込まれるのを忌避し続けたので、僕は一箇所に長く居ることは出来なかった。
 そんな時起きたのがあの大地震だ。人々の良心が昂揚したことに僕は少し救いを得た気がした。だが、それも間もなく消え去った。体よくこしらえた偽善しか目に付かなくなった。僕は東京を離れ、被災地に飛び込んだ。そこでも僕は絶望を味わった。被災者の求めているのは唯ひとつ、震災前の状態に戻ることだった。それが不可能な以上、復興という名で美化されたまやかしを行うことが公然と許された。被災者の発言権は津波と共に海に流されてしまっていた。復興が善なのか悪なのかを決める場に被災者の想いは届かないまま、支援者の思惑が横行していたのに嫌気が差した。僕はフクシマにも身を投げた。だが、僕は卑怯なことにすぐに保身に回った。ここに長く居ることは賢明ではないと察するまでに時間がかからなかった。
 その時だ、藤井さんに出会ったのは。彼はフクシマの真実を調べるために取材をしていた。現場の声を聞くためにあらゆる手段を使っていたようだ。僕も取材を受けた。藤井さんの真摯な想いを汲み取ることが出来たので、彼の求めていることを話してやった。彼の驚きようは尋常ではなかった。僕が話したことは本当なのか、どうやって知り得たのかを知りたがった。そう簡単に僕の秘密を話すことはできなかったが、彼は真剣に僕を必要とした。彼が真実の闘志であることを知るのに時間はかからなかった。僕の能力のことは誰にも話さないという約束で全てを話した。彼は驚嘆しつつ、冷静に僕を値踏みした。僕の力が本物だと確信を得ると僕と契約を交わした。僕も社会のために力を使えることに前途を感じた。

 

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