遁走曲風

 幼い頃、言葉を話し出してすぐに母や祖母は僕の様子がおかしいことに気付き、不思議な子供だと感じたようだ。最初は言葉を話すことを嬉しがり、間違った遣い方を可愛いと笑っていた。だが、保育園に入った頃には会話能力に難ありと疑われた。僕はいろいろな大人から言い含められ、説教され、叱られては言葉の間違いを矯正された。だから、僕は次第にしゃべらなくなった。大人に対しては無口で、強いられるまで話すことをしなかったそうだ。子供同士では普通に話していたから、事情を知らない人には人見知りという言葉で説明されることも多かった。
 やがて、小学生になった頃だったと思うが、僕は相手の隠れた本心と対話していることに気が付き始めた。そんな時、大人は驚くか不快の表情で僕を憎悪したものだ。ある時など「そんなこと一言も言っていないぞ!」と怒りに充ちた形相で責められたことがある。確かに一言も使っていない言葉を僕は用いていたようだ。だが、つまりはそう言っているように感じたのだ。でも幼い僕はそう感じたことを言葉で説明することなんてできなかった。ただ、その行為が危険だということは相手の剣幕を見ればわかった。その点、子供同士は本心しか言わないので、何の軋轢も生じなかった。だから、子供の頃は特殊な能力を持っているなんて思わなかったのだ。
 僕は幼い頃、発達障害、特に学習障害を持っていると思われたそうだ。今になってみればそれもうまく説明できる。建前で使われる言葉に関しては表の意味の方をなかなか理解できなかった。その言葉は一般的にいう裏の意味で用いるのが正しいと思い込んでいた。僕は言葉の遣い方がおかしい子だと言われ続けてきた。文字がわかり、本が読めるようになって本当の意味を認知した言葉もたくさんあった。中学校に入ってからのことだが、敬語でも苦労した。文法上敬語を用いているのに、敬うどころか侮蔑までしている場面に数多く遭遇し、敬語とは慇懃無礼に遣うものだと最初は錯覚したものだ。
 僕は誤って憶えた言葉を正すのに苦労した。人より回り道をしたので学習は遅れがちとなった。しかし、それは直に回収できた。寧ろ、文字に馴染めなかった方が僕には問題だった。文字は上っ面だけで何も訴えかけてこなかった。本が好きになれなかった。特に小説の類い、中でも会話文を楽しめなかった。僕にとって本とは揺るぎのない真実だけを学ぶものでなくてはならなかった。
 中学生になって自分を客観視できるようになった頃、自分の耳が特殊な性質を具えていることに確証を持った。それから永続的な自己解剖が始まった。自分の異能にはっきりと気付いたのは、クラスでいじめがあったときだ。僕は同級生らの嘘に気分を悪くしていた。いじめられている方も臆病で真実を隠そうとしていた。いじめは巧妙に隠蔽されるものだが、しばしば露見する。先生が見咎めて問題視し、授業をひとつ潰して話し合いの場が開かれた。だが、徒党を組み公然と虚偽が大声で叫ばれ、いじめの事実は揉み消された。いじめられている本人も脅されていじめなんかではないと言っていた。次のいじめの対象となることを恐れ、反論者はひとりも出なかった。そして、僕も真実を公に語ることが出来なかった。証拠がないからだ。嘘付きを告発するには裏付けが必要であった。先生は見事に騙された。統制され組織された悪は大人の介入をも許さなかったのだ。僕はそのときの敗北感をずっと忘れなかった。それと同時に僕ひとりが真実と虚偽を見抜いていることを悟った。僕は自分の秘密を分析し出した。言葉、すなわち声の受け取り方以外、人と変わったところがないことを導き出すところまでは容易だった。その後は幾つかの仮説を立てたが、立証は困難だった。最も有力な仮説は声の波長や振動で心の状態を感じることが出来るのではないかと考えだった。言葉の意味と異なる感情を話し手が隠し持っていることはわかったが、何を考えているかまではわからなかった。
 高校生になり、生活が楽ではなかったので親には歓迎されなかったが、大学で心理学を学んでみたいと望んだ。専門家なら僕の能力を解明することが出来るかもしれないと思ったのと、探求することで自分の謎に近付けるに違いないと考えたからだ。高校時代は大学に行くために勉強とアルバイトに励んだ。

 

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