遁走曲風

 今日は久しぶりにそわそわしている。ようやくツキが回ってきたかもしれないのだ。七時から恵比寿の焼肉屋を予約している。今年入ってきた新人で俺好みの色白で小顔の小池留美をようやくのことで誘えたからだ。新人といっても中途採用で三十路に近いが。
 うちの会社の仕事は過酷で、新人も続々と辞めて行く。ブラック企業の取材も沢山したが、我が社こそがそれだと思っている。小池留美は珍しく弱音を吐かずに黙々と仕事をし、しかも要領よく片付ける優秀な女という評判だ。もう少し笑顔があればいいのだが。お洒落をしないので損をしているが、かなりかわいい。少なくとも俺はそう思っている。噂では彼氏はいないとのことになっており、入社後は何人かの男から誘いを受けているようだが、誰とも進展がなさそうで全くその気はないみたいだ。実は俺もそのひとりだったが、先日仕事で困っていたのを助けてやったので、そのお礼という訳でもないだろうが、食事に誘ったら今度は良い返事をくれた。こういった積み重ねが何事も大事なのだ。
 夕方に入っていたワーキングプアの取材を手際よく終らせて、いち早く会社を出ることに成功した。後は彼女が来るのを待つばかりだ。何度かメールが送られてきて、もうすぐ到着するとのことだ。こういうやりとりが一番楽しい。
 職場で着ていたのと同じグレーのスーツとパンツで現れた小池留美だが、会社で見せる顔とは全然違うのだ。よく笑うし、よくしゃべる。近くで見ると目が澄んでいて大きく表情豊かだ。職業柄多いのだが、煙草を遠慮なくふかすのと、目の下にできたクマを除けば全て俺の好みだ。何よりも白くてきめ細かな肌と服の上からでもわかる形の良い大きめな胸が魅惑的だ。まったく化粧っ気がないのも良い。つまり、伸び代がたっぷりある。高級黒毛和牛をわざとらしいほど感激しながら平らげてくれるのも好感が持てる。俺は気取った女よりこういう庶民的な女の方が気が合う。俺はすっかりその気になってきた。もしかすると彼女もと気が逸る。頃合いも良いだろうと探りを入れることにした。
「小池さんは今付き合っている人はいるの?」
「いいえ、もう二年くらいいませんよ」
 屈託なく即答する彼女に出方を悩む。
「そうなんだ、かわいいのに信じられないな」
「かわいくなんかないですよ。それにあたし当分誰とも付き合いたくないんです」
 それきなさった。難しい物件だが、常套的とも言える。
「へえ、どうして?」
 ここは無難に興味本位程度の返しをしてみると、急にしんみりした顔で答えた。
「こりごりなんです」
「え? 元カレと何かあったの?」
「ええ、だからしばらくはいいかなと」
 ここは親身に相談にのるのが得策だ。
「よかったら話してみない? すっきりするかもよ。誰にも言わないから」
 こういう場合、はぐらかされることも多いのだが、今日はかなり打ち解けることができていたので存外気を許してくれた。
「実は元カレは変わっていたというか、ちょっと怖くて」
「暴力?」
「いえ、そういうんじゃないんです。逆にすごく優しい人でした。そうではなく、隠し事ができないというか、盗撮や盗聴をされているんじゃないかって思うくらい何でも見透かされてしまって、息苦しかったんです」
 何だか猟奇的な趣になってきた。元カレにも興味が湧いて来た。詳しく話して欲しいと懇願した。
「嘘が何故か絶対にばれたの。でも、あの人は怒り出すようなことはなく、あたしが嘘をつくと急に暗い顔になって不機嫌になって、あたしとの会話を避け、切り上げようとしたんです。最初は気付かず、あたしの方が彼の態度に怒っていたのが、最後はあたしの嘘が原因だとなってきて、もうそれは地獄だった。特に会社の男友達たちとこっそり飲みに行った時は大変だった。嫉妬はしなかったかもしれないけど、嘘が駄目だったの」
「それはストーカーだね。尾行されていたのかな?」
「いいえ、そんなことではないの。心を読まれているというか、怖かったわ」
 俺は好奇心を抑えることができなくなってきた。
「その人は何をやっている人だったの?」
「それが無職でフリーターなの。昔は知らないけど、ちゃんとした仕事に就いたことないんじゃないかな。人と接する仕事は耐えられないとも言っていた。そうそう、人間嫌いだって言ったこともあったっけ」
 これは相当な変人だ。そして、彼女も変人ということになる。
「そんな人とどこで知り合ったの?」
「偶然助けてもらったんです。あたし詐欺にあやうく引っかかるところだったみたいで。ある日、友達との約束がキャンセルになっちゃって当ても無くぶらぶらしていたら、男の人に声をかけられて街頭アンケートに協力して欲しいと頼まれたので答えていたんです。あ、普段はそんなの無視するんですよ。その時は暇だったし口も上手だったから。で、そのうち場所を変えて落ち着いた環境でもう少し詳しいアンケートに協力してくれたら謝礼を出すという話になって迷っていたんです。そこに彼が知り合いの振りをして割って入ってきたんです。訳がわからなかったけれど、行ってはいけないって囁いてくれて、それに従いました。実はアンケートが何だか変な感じだったし、彼の方が何だか信用できそうだったので。あとで、アンケートをしていた男の目的を知らされて怖くなりました」
「何だかさっきから不思議な話ばかりだ。彼は何者なんだろう」
「そう、不思議な人でした。お礼がしたくて後日連絡を取ったのだけど、すごく親切な人で、真面目で誠実で、何回か会ううちにあたしから付き合って欲しいとお願いしたんです」
「へえ、悪い人ではないんだね」
「ええ、真逆でした。良い人過ぎて、あたしが耐えられなかったんです」
「聖人君子といったところか」
「うーん、彼は何というか、人にない不思議な霊感があるというか、さっきも言いましたけれど、心が読めているようでした。結局半年しかもたなかった。あたしから逃げだしてしまったの。でも彼も既にわかっていたようで、責めもしないし、怒りもしなかった」
 彼女の話を聞いていて俺は過去を思い出していた。知人に似たような不思議な能力を持った男がひとりいたからだ。
「そいつの名前は何て言うの?」
「風間くん。風間雄一って言うの」

 

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