遁走曲風

 五月だというのにひどい真夏日だ。まあ、もうすぐ憂鬱な梅雨の季節が来るまでの仮初めの陽気だ。でもって俺の気分はその梅雨を一足先取りしている。編集長はやたらと追い込みやがる。最近の俺が持って来る記事が腑抜けているからだ。言訳をさせてもらえば、ある記事が書けそうで書けないからだ。今度こそ書けると思っていたのに二度も逃した。差し替えの記事は所詮緊急用のストックだ。そう何度も通用する代物ではない。だから、今度こそものにしたい。こんな風に言うと、相当熱が入っているように思われるだろうが、俺は矢張り気乗りがしないのだ。それが相手にも伝播してしまっているのだろうか、リスケもキャンセルになってしまった。以前の俺ならこちらからお断りしてやったところだが、この数ヶ月はツキに見放されたのか、不調の連続だ。かてて加えて編集長の圧迫面談に精神を病みそうなのだ。性分には合わないが、今はそんな悠長なことを言っている場合ではない。この原発の記事だけはどうしても書かねばならない。
 二度目の約束も当日にすっぽかされた。その後、しばらくは連絡が取れなかったが、ようやくアポに成功した。今度こそ現れて欲しい。カフェで待っていると、約束の時間の少し前に先方から電話があった。正直嫌な予感がし、またかと諦めの調子で電話に出た。するとどうだろう、場所を変えたいという申し出だった。すぐさま先方の指定する湾岸沿いの公園に向った。
 時間通りに着いた。なるほど人気のない場所を選んでいる。電話でも人の多いところは避けたいからと言っていた。背後が海でこれなら会話を聞かれる心配もなさそうだ。潮風が心地良い。そう思っていると眼鏡をかけた浅黒い男が近寄ってきた。服装は特徴のない一般的なサラリーマン風であるが、スーツを着こなした感じがなかったので一種異様に見えた。
「岸川さんですね」
 素っ頓狂な声で非常に小さく囁くように発せられたからだろう、強い警戒心を抱いてしまった。
「そうです。藤井さんですね。よかった。ようやくお話が聞けます」
 俺は丁寧に名刺を差し出したが、無造作に受け取られた。藤井は回りを見渡しながら脇にぴったり身を寄せてきたので不安に駆られた。
「岸川さん、私はまだあなたのことを全面的に信用している訳ではありません。私のことを良く思わず、はめようとする人間が沢山いるのです。少しでも不審な点を感じたら、すぐにここを去ります」
 この藤井という男は噂では原発に関する秘密を国家レベルで知り得ている人物だと言われている。ここ最近思い出したように告発される原発記事をリークしているのはこの男だとも囁かれている。この男の身の安全は保証されていないのかもしれないという考えが湧いてきた。そんな男と接触している俺もまた何者かに後を付けられるかもしれないと考えるとぞっとしてきた。
「わかりました。場所も変えた方がいいですか?」
「いいえ、この場所は安全です。話を聞かれることはまずない。おっと、きょろきょろしないで。我々の目につかないところから見張られている場合もあります。大丈夫、命の危険なんてありませんよ。ただ、例の法律が公布されてから、私が何者かの監視下にあるってことは最初に忠告しておきます」
 こんなことなら、自腹とはいえ風俗店の潜入レポートを引き受けているんだったと後悔した。
「物騒ですね。わかりました。おっしゃる通りにいたしましょう。ではお話はできるだけ短い方がいいということですね」
「あなたは飲み込みが早い。助かります。手短に済ませましょう」
 どんな話が聞けるのか半信半疑だし、これまで二度もすっぽかされたのだから、この男を簡単に信じることはできない。一方、この男も俺のことを全く信用していない。
「岸川さん、あなたのことは調べさせてもらいました。お気を悪くなさらないで。雑誌社の人間だと偽って、当局の人間が私の尻尾を掴もうとすることもあるので、充分に身元を確かめないといけないことはおわかりください」
「それで、私に怪しいところはありませんでしたか?」
 藤井はすぐに答えなかった。右側から歩いて来た痩せて歯の出たサラリーマンが目の前を過ぎるのを我々は黙ってやり過ごした。その間、和やかに笑っている態を装い続けていた。
「ええ、実は二度あなたが待ち合わせ場所に来ていることも確認させていただきました」
 驚いて顔を覗き込んでしまった。藤井は笑いながら自然な態度を崩さなかった。
「残念そうに立ち去るあなたを見て、純粋に記者さんだなとひとまず安心しました。岸川さん、あなたはどこで私のことを知りました?」
「記者仲間です。何でも原発関連の黒い話はほとんどあなたが提供しているとも聞きました」
 藤井は引き攣るように笑った。
「ほとんどではないですよ。黒いかどうかは置いておくとして、何度も雑誌社に情報を提供したのは本当です。私も生活しなくてはいけないので、ネタの提供料で定期的に稼がないと苦しいのです」
 しゃくるような笑いは俺を苛立たせた。
「そうですか。私にはどんな情報を提供していただけるのでしょうか?」
 さっさと仕事を済ませてこの場を立ち去りたく思った。
「ええ、何でも。どんなのがよろしいですか?」
「私が聞いているのです」少しむっとして答えた。
「政府が隠蔽している事実、健康被害に関すること、復興に携わる奴らの欺瞞、それらを告発する側の薄っぺらい事情、両方の偽善をお話することができますよ」
 そもそもこの男のことが信用ができなかった。
「失礼ですが、それらの話はどのくらい信用することができるのでしょうか? 確証がある話だと言えるんですか?」
 藤井は落ち着いた調子で答えた。
「もっともな質問です。確証はあります。しかし、それを信じていただくのはちょっと難しいかもしれません」
 またしても藤井の顔をまじまじと見た。今度は多少の憤りをもって。
「どういうことです? 私も仕事でやって来ています。真実を話していただけないのなら帰ります」
 藤井は落ち着いた態度を崩さない。
「あなたの言うことは尤もだ。では、かいつまんで話しましょう。私には助手がいます。特殊な能力をもった助手がね。これから話すことをあなたが信じるか信じないかはあなた次第です。私の助手が持っている特殊な能力とは読心術なんです」
「何ですって?」
 我々はしばらく沈黙した。今度も右手から三十代の男女が仲良さそうに手を繋いでやって来て、我々の前をゆっくりと過ぎていった。
「読心術は科学的にも研究されていますが、私の助手は言葉ではなく、声の波長で相手の心を感じ取ることができるのです。私も最初は信じ難かったが、相手が嘘をついているかどうかを見破ることは完璧だった。書記として私の取材に同行してもらっています。行政の人間や学者に接触し、インタヴューを試みる。嘘や隠し事ははっきりわかる。私がありとあらゆる誘導的な質問を繰り出せば、あとで助手と答え合わせをして、真実を導き出すことは容易だ。それを文章にして読む人に伝えるのが私の役目です。政府関係者が公式発表するはずもないことばかりだから所詮は風評記事という位置付けですが、世間に問いかける力は持っています。さあ、信じますか? 私もあなたと同じように真実のみを追求しています。私は当局がひた隠しにすることを幾つも握っています。だが、それらを公表するのはかなり難しいのです。大分揉み消されましたよ。何せ根拠が示せませんからね。それでも、私はフクシマの真実を包み隠そうとする人間らを糾弾することに生涯を捧げるつもりです」
 頭が混乱してきた。途中から助手の話の方が気になって仕方なかったのだ。そして、藤井の話の鍵もこの助手が握っている。
「その助手という人間ですが、どんな男ですか?」
 藤井は怪訝そうにこちらを見やった。
「男とは一言も言っていないがね。確かにあなたと同い年くらいの男だよ」
「名前は何と言いますか?」
「それをあなたに教える必要はない」
「風間という名前ではないですか?」
 風間の名を聞いた途端、自ら警告していたのに驚き飛び退いて辺りを見回し狼狽の態を曝け出した。明らかに動揺している。ビンゴのようだ。小池留美と出会わなかったら風間雄一の名前を思い出すことはなかっただろう。これでまた彼女と話すネタができたことを真っ先に思ったのは我ながら不真面目だと思う。
 しかし、藤井は取り乱し、自分がはめられたと思い込んだようだ。
「失敬する」そう言い捨てて早足で藤井は立ち去ってしまった。
 後に残された俺は呆然としてしまった。とぼとぼ帰途についたが、折角の記事を棒に振ったこと以上の出来事が頭を疲労させていた。俺の住むマンションの近くは人通りが少ないのだが、何だか跡を付けられている気もして寒気がした。

 

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