遁走曲風


 ええ、本当に変わった子でした。薄気味悪いというか、何を考えているのかわからない不気味さがありました。あの子が二歳になる前に両親が離婚したんです。父親は仕事が長続きしない頼りない人でした。何でも作家志望だとかで。夢みたいなことばかり言うので、仕事にも本気になれなかったのでしょう。結局中途半端な生き方しかできず、娘に愛想を付かされたのですよ。娘もあんな男に惚れなくてもよかったものを。顔はよかったのですよ、顔はね。背も高かったし、学歴もいい大学を出ていましたし、インテリというのですかね。まあ、私どものことを馬鹿にしたような目で見ていて、何だか冷たいお高くとまった男でしたよ。どうせ娘のことも見下していたんだと思います。まあ、娘もいけないのですよ。あんな男に近寄るなんて。遊びならよかったんですが、子供ができちゃったからおかしなことになったんです。あの男は煮え切らない態度で全く責任を取る素振りもない。娘が堕ろそうかと言い出した時は非情にも後押ししようとしていました。だけど、娘も急にお腹の子が愛おしくなったのでしょうね、産むことを決意するとようやく年貢を収めましたよ。しかし、そんなことがあったので、もう娘に愛情はなかったのです。産まれてしばらくはあの男も子供のことを心底かわいいと思っていたのでしょうが、二年も経つと子育てには非協力的になり、娘の泣き言恨み言は日に日に増していきました。可愛かったはずの子供もあの男の血を受け継いでいるとなると無性に憎くなり出したのだと思います。虐待こそしませんでしたが、愛情を注いだようには見えませんでした。私は初孫ですし、それはそれは可愛がりましたよ。女手ひとつで育てなくてはいけなくなった娘は仕事で遅くなりますし、私が雄一の面倒を見ました。
 でも、いつの頃からか雄一への愛情は消えていきました。私の顔をじっと見るのです。責めるようにじっと見るのです。そういうときは大抵大人の事情を雄一に隠しているときです。何故そういう時に限ってこの子は嫌な目でこちらを見返すのだろうって腹立たしく思うのでした。素直に従ってくれればいいものを、余計にきつく当たってしまい増々感情がこじれるのでした。娘も同じことを感じていたと思います。だから、この子を可愛がらないのだと思うこともありました。
 その頃、私は娘ともうまくいっていませんでした。あんなクズ男の子供を産むかと思ったら、次は会社の上司と不倫を始めたようで、週に一度はその上司と遅くまで飲み歩く始末。私は不倫をやめさせようとしましたし、雄一のために早く帰ってきてやってくれと何度も口論しましたよ。でも娘は「稼がなくてはいけない。会社で有利な立場を維持するにはこれしかないんだ」と言うのです。私の夫は三年前から中国での新事業のために長期単身赴任中でした。娘の離婚にも心を痛めていましたが、あの男のことは好きではなく寧ろほっとしていたようでした。だから、不倫のことなんて話し出せませんよ。
 まあ、私の身になってもくださいよ。愚痴を言うにも幼い雄一に向ってひとりごと。可愛いはずの孫からは慕われず、やりきれませんよ。そう、何もかもあの男がいけないのです。今はどこで何をしているのか知りませんが、この子を引き取りに来るなんてことはまずありませんね。この子に罪がないのはわかっています。だけど、こうも薄気味悪い子だと疲れるんです。はやく小学生になって手を放れてくれないかとひたすら願った数年間でした。

 

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