遁走曲風

 サークル勧誘で賑わっている日でした。探していた映画部のコーナーを見付けて近付くと熱烈な歓迎を受けました。説明を始めた二人組の上級生は学生らしくない業界人のような態度でした。ひとりは口髭をたくわえて、丸い黒ぶち眼鏡にジャケットを着こなして格好をつけていましたし、もうひとりはもの凄く背が高く、油で髪をオールバックに決め、十字架のネックレスを下げた黒シャツの男でした。もったいぶった話し振りの口髭は私をちやほやし、来週行われる湘南合宿に来ると正式入部となるから連絡先を書いておいてと説明しました。
 湘南合宿では海岸で映画のミニ撮影会をするのだそうです。私のことを誉めちぎって是非撮らせて欲しいと口説いてくるのですが、正直悪い気はしませんでした。ちょっと女優の気持ちを味わいたくなったのです。
 記帳し終わると、「須藤さんね、心理学科か。学科の先輩もいますよ」と優しく教えてくれました。すると、「あ、僕も心理です。一緒ですね」と隣で記帳をしていた人から突然声を掛けられました。勧誘の話が長く熱心だったこともあり、入れ替わり記帳に来ている隣の席には注意を払っていなかったので、不意を打たれました。
 それが風間くんとの出会いです。入学式の時に見かけているはずなのですが、認識したのはそれが初めてだったのです。同じ学科の人が同じサークルを希望したことが嬉しくて話をしたくなったのと、なかなか放してくれなさそうな勧誘が一旦途切れたのを潮に二人で席を立ちました。
 雑踏の中で私たちは自己紹介をしました。
「風間さんも映画好きなんですか?」人込みを避けながらの会話でした。
「変わっていると思われるんだけどサイレント映画が好きなんだ」
「私も好きです! 通なんですね!」まさかの答えに思わず歓喜しました。
「いや、そんなに映画には詳しくないんですよ」
「どんな映画が好きなんですか?」
「やっぱりチャップリンですね。「黄金狂」、「モダンタイムス」、諷刺が効いている。でも僕が好きなのは「サーカス」と「犬の生活」。可笑しいのに悲しいのは凄いと思って」
「「街の灯」は好き?」
「勿論。サイレント映画の優位を証明しました。チャップリンの映画はパントマイム芸術の結晶ですね。そうそう、パントマイムと言えば「天上桟敷の人々」も忘れられないな、ジャン=ルイ・バロー」
 こんな会話ができるなんて大学って素晴らしいと興奮したのを今でもはっきり憶えています。強く共感していることを伝えようとはしゃぎ過ぎたかもしれません。
 しばらく歩いて人が少なくなった辺りで、ふいに風間くんは意味深長なことを囁きました。
「ところでね、あの映画部には入らない方がいいよ。僕はたまたま通りがかっただけなんだけど、あの眼鏡と髭の男の話し方が気になってね。実は入学式で見かけた須藤さんに気付いて心配になったから映画部に入る振りをして隣に座ったんだ。憶測で言っているから間違っているかもしれないけれど、あの映画部には僕らのような映画好きはあんまりいないよ。どちらかというと撮影がしたいんだ。だけどお金も機材もやる気もない。信じるか信じないかは任せるけど、あの二人組は撮影と称して少しずつ過激な映像を撮ろうとしているな。手始めに合宿でもキスシーンを狙っていたと思うよ。それくらいならいいけど、多分裏ではもっとひどいことを考えているよ」
「ひどいことって?」不安で声が震えてきました。
「一部の部員らは弱みを握られているみたいだった。髭に勧誘されている須藤さんを見る目が何と言うか後ろ暗い感じがしたんだ。」
「どうしてそんなことがわかったの?」息が詰まって最後まで言葉が続かなかった。
「何となく健全な感じがしなかったでしょう? 観察と勘だよ」
 先ほどまでの風間くんとの会話で感じた幸福が残っていました。だから、この人の言葉を信じようと決めました。それにあのいかがわしい映画部の二人組には良い印象を受けませんでした。もっと話したかったけれど、風間くんは図書館に用事があると言ってそこで別れたのでした。その後、映画部から合宿勧誘の電話がありましたが、逃げ続けることにしました。
 もしかしたらご存知かもしれませんね。映画部はその年に事件を起こしてニュースになったのを。盗撮が発覚して警察沙汰になったのです。代々、裏ビデオの業者と提携して盗撮画を提供していたそうです。部員の一部は弱みを握られていて、組織的に犯罪に加担させられていたそうです。ぞっとしました。恐らく私も被害者になっていただろうと思いましたし、ゆすられて次の犯罪に手を貸してしていたらと考えると風間くんに感謝してもしきれませんでした。
 風間くんとは選択している講義が合わなくて、あれ以来接点がなくなってしまいました。私も当時付き合っていた人の束縛が強く、学科の人との交流は薄くなりがちでした。それでも私はいつか風間くんに恩返しをしようと機会を待っていたのです。そして、あの日のシーンの続きを少し期待していたのかもしれません。

 

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