楽興撰録

管弦楽のCD評

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リムスキー=コルサコフ:シェヘラザード、「金鶏」組曲/パリ音楽院管弦楽団/スイス・ロマンド管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(cond.) [DECCA ELOQUENCE 480 0081]
アンセルメはシェヘラザードを3回録音してゐるやうだが、これはコンセールヴァトワールを振つてDECCAに録音した1954年の第2回目録音で、ステレオ録音初期の名盤だ。一般的には手兵スイス・ロマンド管弦楽団との1960年盤が高名だが、名門オーケストラを指揮しての緊張感ある新鮮さが聴かれる当盤も捨て難い。絢爛たる響きが絶品で、代表的な名演のひとつと云へる。「金鶏」は唯一の録音。残念なことに1952年のモノーラル録音であるが、極めて色彩的な演奏で不満を感じない。組曲としての録音は音源としても貴重で、重要な名盤と云へるだらう。スラヴの土俗さを感じさせないのはアンセルメの特徴で、華麗さが前面に出てゐる。手兵スイス・ロマンド管弦楽団の鮮やかな響きが充溢した名演だ。(2012.1.5)

ボロディン:交響曲第2番、同第3番、「イーゴリ公」より序曲、韃靼人の娘たちの踊り、韃靼人の踊り、中央アジアの草原にて/スイス・ロマンド管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(cond.)、他 [DECCA ELOQUENCE 480 0048]
アンセルメはロシアの楽曲を大変得意とした。チャイコフスキーとリムスキー=コルサコフは特に素晴らしい。だが、それ以上に良いのがボロディンだ。代表作、交響曲第2番にはロシア系の指揮者による豪快で熱気ある録音が幾つもあり、アンセルメの演奏は生温く感じるかも知れぬが、第3楽章の悠遠な旋律の美しさを筆頭に東洋的な響きを醸し出す色彩感が見事で捨て難い。DECCA最初期の優秀なステレオ録音で迫力も充分、名盤のひとつとして記憶したい。さて、本当に素晴らしいのはここからだ。未完の第3番は数少ない貴重な録音で決定盤として名高い。グラズノフのオーケストレーションも絶妙で、取り分け5拍子と2拍子が交錯するスケルツォの魅力には完全に降参だ。アンセルメの洒脱な演奏が活きてゐる。イーゴリ公からの3曲が最高だ。颯爽とした序曲が絶品。中間部のホルンから始まる憂ひを帯びた旋律の美しさは当盤の白眉だ。有名曲、韃靼人の踊りは合唱を加へた演奏で色彩豊か、熱気ある躍動感にも不足がない。無数にあるこの曲の録音の中でも極上の演奏として絶讃したい。そして、存外名演のない中央アジアの草原にてが無類の名演だ。淡い抒情を演出し、寂寥感溢れる歌が混じり合つて行く様に吐息が出る。(2013.4.28)

ムソルグスキー:展覧会の絵、禿げ山の一夜、「ホヴァンシチナ」より前奏曲とペルシア奴隷の踊り、「ソロチンスクの市」よりゴパック、バラキレフ:タマーラ/スイス・ロマンド管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(cond.) [DECCA ELOQUENCE 480 0047]
アンセルメは展覧会の絵を4回録音してをり、当盤は1959年にステレオ録音された最後の録音で、総決算とも云ふべき演奏だ。アンセルメはフランス音楽とロシア音楽をレペルトワールの両輪としてゐたが、ロシア音楽はスラヴ系の力強さを聴かせるではなく、色彩的なフランス風の演奏で洒落たまろやかな雰囲気を特徴とした。だからムソルグスキーは最もアンセルメに相応しくない作曲家かも知れぬ。しかし、実際は全て他の作曲家によるオーケストレーションだから一向に気にならない。ラヴェル編曲の展覧会の絵はラヴェルを得意にしたアンセルメの面目躍如たる演奏だ。もう少し重厚感や輪郭の硬さが欲しくなるが、華麗なアンセルメの個性を評価したい。最後のオルガンを追加した壮麗さは特筆したい。禿げ山の一夜は迫力や怪奇性が不足して詰まらない。ホヴァンシチナの前奏曲は美しいが、少々甘たるい。ペルシア奴隷の踊りが鮮やかで良い。リャードフがオーケストレーションをしたゴパックの明るい躍動も楽しい。当盤の最高傑作はバラキレフだ。この魅惑的な名曲を東洋的な情趣と色彩豊かな響きで聴かせるアンセルメ盤は最右翼の名演だらう。(2012.3.3)

ストラヴィンスキー:プルチネッラ、ミューズを率ゐるアポロ/マリリン・タイラー(S)/カルロ・フランツィーニ(T)/ボリス・カルメリ(Bs)/スイス・ロマンド管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(cond.) [DECCA 0289 482 0377 2]
アンセルメが録音したロシア音楽を集成した33枚組。17枚目を聴く。1965年に録音されたプルチネッラはバレエ音楽全曲版である。興行師ディアギレフ率ゐるバレエ・リュス、マシーン、ピカソらが結集し大当たりを取つたプルチネッラは1920年にアンセルメによつて初演された。個性的な楽器編成、ソプラノ、テノール、バスの独唱を伴ふ為、初演時のバレエ音楽全曲版の録音は少なく、後に作曲者自身で編曲された歌手なしの組曲版の方が一般的になつて仕舞つた。だが、組曲に含まれない楽曲に沢山の魅力があり、取り分けソプラノによつて歌はれる"Se tu m'ami"―ペルゴレージ作とされるがパリゾッティ作説もある―はどの曲よりも素晴らしいのだ。初演者アンセルメの演奏は軽く明るい。これぞ原点とも云へる解釈でバレエ音楽の神様の真価を伝へる。より機能的な演奏はあるが、初演当時の雰囲気を感じさせる瀟酒な演奏は決定的名盤と云ひたい。ミューズを率ゐるアポロも名演だ。スイス・ロマンド管弦楽団の弦楽器は精鋭で見事だ。しかし、今日では特色が薄く印象に残る演奏ではない。(2014.7.7)

ストラヴィンスキー:「兵士の物語」組曲、「プルチネッラ」組曲/ミシェル・シュヴァルベ(vn)/スイス・ロマンド管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(cond.) [DECCA 0289 482 0377 2]
アンセルメが録音したロシア音楽を集成した33枚組。19枚目を聴く。両曲ともアンセルメが初演を果たした。貫禄充分の名盤である。但し、1961年録音の「兵士の物語」は1918年舞台初演時の録読付き全曲版ではなく、器楽だけによる演奏時間を半分程度に短縮した組曲版での録音である―アンセルメは1952年に全曲版での実況録音を残してゐる。当盤での注目は大戦末期にスイス・ロマンド管弦楽団のコンサートマスターを務めたシュヴァルベが、古巣での録音に賛助出演してゐることだ。妙技が光る。全7名精鋭揃ひで極上の名演だ。1956年録音のプルチネッラは組曲版。曲を手中に収めた爽快な名演であるが、やや特徴が薄い嫌ひはある。アンセルメであれば9年後のバレエ全曲版での録音を聴くべきだ。(2014.7.11)

ベートーヴェン:交響曲第1番、同第3番「英雄」/スイス・ロマンド管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(cond.) [DECCA 0289 482 1235 4]
アンセルメのDECCA録音よりフランス音楽とロシア音楽以外、即ちドイツ音楽を中心に集成をした31枚組。3枚目を聴く。英DECCAの優秀録音で残されたアンセルメのベートーヴェン交響曲全集録音は顕著な特徴がないことから声高に語られることはないが、音楽の喜びが伝はる名演揃ひだ。演奏は兎に角明るい。楽器が良く鳴つてをり心地良い。その背景にあるのは絶妙なテンポ設定で、オーケストラに自然な息吹を与へてゐる。モントゥーに似てをり、弱音で深刻振らないのも共通点だ。柔和なスイス・ロマンド管弦楽団が熱気溢れる演奏をしてゐる。特にエロイカでは燃えてゐる。2曲とも情感が豊かで悪い点はひとつもない。だが、印象に残るやうな踏み外しがなく、伝統的なベートーヴェン演奏のいいとこ取りしただけに過ぎない優等生の穏当な演奏とも云へる。(2015.9.4)

ベートーヴェン:交響曲第2番、同第4番、序曲「コリオラン」/スイス・ロマンド管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(cond.) [DECCA 0289 482 1235 4]
アンセルメのDECCA録音よりフランス音楽とロシア音楽以外、即ちドイツ音楽を中心に集成をした31枚組。4枚目を聴く。アンセルメが振るベートーヴェンは明る過ぎることを除けば優れた全集録音だと賞讃したい。第2番は明朗で熱気がある名演だ。特に冒頭のアウフタクトを強調かつ離す解釈を楽章全体を通じて徹底させてゐるのは、序奏と主部の関連性も強化され好感が持てる。クレッシェンドを効果的にする為のスビトピアノの多用も特徴的だ。第4番も情緒豊かで美しい。中庸なテンポと豊満な響きによる壮麗な演奏だ。曲想との齟齬はない。コリオランはアンセルメが燃えてゐる。煽り気味のテンポで各声部を鳴らした名演だ。敢へて云ふが、クリュイタンスの全集よりアンセルメの全集の方が断然優れてゐる。(2016.4.9)

ヴェーバー:序曲集(魔弾の射手、プレチオーザ、精霊の王、オベロン、オイリアンテ、アブ・ハッサン)、祝典序曲「歓呼」、ファゴット協奏曲/アンリ・エレール(fg)/スイス・ロマンド管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(cond.) [DECCA 0289 482 1235 4]
アンセルメのDECCA録音よりフランス音楽とロシア音楽以外、即ちドイツ音楽を中心に集成をした31枚組。31枚目を聴く。ドイツの指揮者でもヴェーバーの作品をこんなに録音することは稀だ。有名な「魔弾の射手」「オベロン」「オイリアンテ」以外にも「アブ・ハッサン」と「精霊の王」―別名「リューベツァール」―の他、劇付随音楽の序曲「プレチオーザ」、祝典序曲として書かれた「歓呼」の6曲が聴ける。何れも小綺麗に纏まつた演奏で爽快だ。名演だが「魔弾の射手」はもう少し毒が欲しい。「オベロン」は幾分退屈だが、輝かしい「オイリアンテ」は良い出来だ。軽快な「プレチオーザ」はアンセルメ向きで良い。疾走する「精霊の王」も見事だ。「アブ・ハッサン」が色彩豊かで楽しい。アンセルメの魔術が活かされた。祝典序曲は明るく晴れやかな名演。ファゴット協奏曲は代表的な名演だらう。(2015.2.14)

チャイコフスキー:胡桃割り人形、レスピーギ:風変はりな店、ドリーブ:コッペリア、アダン:ジゼル/コヴェントガーデン・ ロイヤルオペラハウス管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(cond.) [DECCA ELOQUENCE 442 9986]
「ロイヤルバレエ・ガラ・コンサート」と題されたアルバムの復刻。1959年にRCAのリヴィング・ステレオ・シリーズで録音されたアンセルメの比較的珍しい音源で、音質は最高級である。オーケストラが手兵スイス・ロマンド管弦楽団ではなく、英國コヴェントガーデン歌劇場の管弦楽団だといふのも大変興味深い。客演のオーケストラからもアンセルメ特有の柔和で色彩的な響きを引き出してゐる。スイス・ロマンド管弦楽団よりも木管楽器の技量が優れてゐるので、愛好家には是非聴いて欲しいアルバムだ。2枚組の1枚目を聴く。十八番である「胡桃割り人形」組曲では、花のワルツの最後で激情的な締めくくりが聴かれる。アンセルメの生気に溢れた一面が知れて愉快だ。「風変はりな店」からは3曲、「コッペリア」からは4曲、「ジゼル」からは2曲が選曲されてゐる。躍動するリズムが見事で、色彩豊かで繊細な表情付けも素晴らしい。バレエの神様と崇められたアンセルメの実力を感じる録音ばかりで、幸福感に充ちてゐる。(2011.1.19)

チャイコフスキー:白鳥の湖、眠れる森の美女、シューマン:謝肉祭、ショパン:レ・シルフィード/コヴェントガーデン・ ロイヤルオペラハウス管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(cond.) [DECCA ELOQUENCE 442 9986]
再びアンセルメを聴く。2枚組の2枚目。白鳥の湖より4曲、眠れる森の美女より3曲、グラズノフやリムスキー=コルサコフがオーケストレーションを施した謝肉祭より4曲、ダグラスのオーケストレーションによるレ・シルフィードより3曲が演奏されてゐる。矢張りチャイコフスキーが聴き応へがある。アンセルメには高名なバレエ全曲演奏の録音があり―白鳥の湖は短縮版での録音だが―、当盤は抜粋演奏といふ位置付けをされて仕舞ひ勝ちだらうが、演奏内容は断然素晴らしく、看過するのは惜しい。スイス・ロマンド管弦楽団よりも技量があり、客演といふことから適度の緊張感もあるのだらう、生彩に富んだ演奏が展開される。シューマンとショパンの曲は邪道かも知れぬが、バレエの神様アンセルメの卓越した棒で極上の仕上がりとなつてゐる。特にショパンのプレリュード第7番とワルツ第1番は出色だ。録音の魔術だと不当に評価されることもあるアンセルメだが、当盤には真価を伝へる名演が詰まつてゐる。(2011.4.4)

ファリャ:「三角帽子」第2組曲、アルベニス「イベリア」(アルボス編)、アルボス「アラビアの夜」、他/マドリッド交響楽団/エンリケ・フェルナンデス・アルボス(cond.) [DUTTON LABORATORIES CDBP 9782]
アルボスはアルベニスやフャリャらと親交が深かつた作曲家で、アルベニスの「イベリア」を見事にオーケストレーションした功績がある。また、ヨアヒムの薫陶を受けた程ヴァイオリンの腕前は確かで、ベルリン・フィルのコンサート・マスターも務めたさうだ。そんなものだから、指揮も余技だらうが滅法巧い。当時の本職指揮者を見渡してもこれ程要領の良い指揮者は少ないだらう。1928年4月の数日間でこれだけの曲を一気に手際良く録音をしたのも驚異的だ。収録曲はファリャ「三角帽子」第2組曲、アルベニス「イベリア」から3曲と「ナバーラ」、グラナドス「スペイン舞曲第6番」と「ゴイェスカス」の間奏曲、トゥリーナ「ロシオの行列」「幻想舞曲集」から夢想と饗宴、ブレトン「ポロ・ヒターノ」「アルハンブラにて」、自作「アラビアの夜」だ。何れも整つたアンサンブルと色彩豊かな響きの名演ばかり。マドリッド交響楽団も良く訓練されてをり、同時期のイギリスやフランスの楽団よりも巧い。ただ、精緻さが勝り、スペインの指揮者だけに期待する迸る情熱は感じられない。一方で美しい色気があり、現代の耳にも新鮮さを与へて呉れるだらう。VAIからも復刻があつて数曲補完し合ふ。愛好家は両方所持してをくとよい。(2016.12.4)

ディーリアス:「春、かっこうの初音を聞きて」、「川辺の夏の夜」、「お伽噺」、「コアンガ」終幕の情景、「ハッサン」より、「パリ」/サー・トーマス・ビーチャム(cond.) [Naxos Historical 8.110904]
ディーリアスの持つ独特な詩情をビーチャムは心憎いほどよく分かつてゐる。他の指揮者の録音と比べると情緒が淡く、全体の起伏が平板である代はりに細部が繊細極まりない。正しくこれがディーリアスの美学であり、ビーチャム卿の音楽性との幸福な出会ひである。和声の霊妙な程よさは取り分け感銘深い。ビーチャムは快活な演奏も一面行つたが、英国紳士ならではの落ち着いた趣味にこそ本分が発揮させてゐると思ふ。「春、かっこうの初音を聞きて」の冒頭から清涼なる霧が立ち込め、幻想的な世界へ誘つてくれる。「ハッサン」のセレナードにおける可憐さも心に染み渡る。大曲「パリ」や「お伽話」も充実した名演だ。(2005.6.22)

ディーリアス:「海流」、「夏の庭で」、「丘を越えて遥かに」、他/サー・トーマス・ビーチャム(cond.) [Naxos Historical 8.110905]
ディーリアスと云へばビーチャム卿に止めを刺す。Naxosレーベルはビーチャム指揮によるディーリアス管弦楽集を3枚出してゐるが、これは第2巻で、1927年から36年の間に録音された初期の録音である。ビーチャムは多様な表現を持ち合はせてゐるが、根底に流れるのはスノビズムであらう。淡い色彩、郷愁豊かな音色、節度ある情感、上品な語り口。ビーチャムの特質がこれほど適合した作曲家は珍しい。但し、「楽園への道」だけは情愛目眩くやうなバルビローリの録音が忘れられない。(2004.10.12)

ハイドン:交響曲第102番、ミサ曲第7番「太鼓ミサ(戦時のミサ)」/ウィーン・フィル/バイエルン放送交響楽団と合唱団/レナード・バーンスタイン(cond.)、他 [DG 4791047]
バーンスタインのDG録音全集第1巻59枚組。交響曲は1992年にウィーン・フィルの創設150年記念盤でDGより初出発売された1971年2月21日のライヴ録音だ―同日にラヴェルのピアノ協奏曲も弾き振りで演奏されてゐる。ウィーン・フィルの豊麗な響きと活気のあるバーンスタインの棒が相乗効果を生んだ名演だ。第2楽章では響きの調整を念入りに行つてをり、聡明さも兼ね備へてゐる。装飾音をゆっくりと入れるのは個性的で面白い。ジャケット・デザインはDG盤ではなく、ミサ曲のPhilips盤である。バイエルン放送交響楽団との1984年の録音で、独唱者はブレゲン、ファスベンダー、アーンシェ、ゾーティンだ。太鼓が活躍し、戦時のミサの通称で知られる曲だが、劇的なバーンスタインの音楽性で一層情熱的な演奏となつてゐる。この位精力的な方が好ましい。(2016.11.18)

フォーレ:レクィエム、モンテヴェルディ:マドリガル集(9曲)/ナディア・ブーランジェ(cond.)、他 [EMI CDH 7 61025 2]
フォーレは1948年のセッション録音。ブーランジェには20年後の1968年に残されたライヴ録音もあつた。フォーレのレクィエムにはクリュイタンスに2種類の素晴らしい録音があり、アンセルメやアンゲルブレシュトにも名盤がある。だが、ブーランジェの録音はひと味違ふ。ブーランジェが指揮をすると一種特別な敬虔さが醸し出される。冒頭からして威圧するやうな響きとは無縁だ。張り切ることはなく、弱音だけで音楽を作り、ひたすら内面に向ふ。独唱も合唱も管弦楽も巧く奏でようといふ色気を出してゐない。技量が優れてゐる訳ではないのに、無心に美しいと感じる演奏である。テンポもじっくり慈しむやうにディミュヌエンドを伴つて歩んで行く。この曲の最も崇高な演奏であると云へる。モンテヴェルディは1937年のセッション録音で、ブーランジェの代表的な録音でもある。真摯な演奏で様式美を備へた先駆的な業績だ。(2012.9.26)

リリー・ブーランジェ:詩篇第24番、ピエ・イェズ、詩篇第130番「暗き淵より」、フォーレ:レクィエム/BBC交響楽団と合唱団/ナディア・ブーランジェ(cond.)、他 [BBC LEGENDS BBCL 4026-2]
1968年10月30日の放送録音。偉大な教師として名を残すナディア・ブーランジェの妹で作曲家のリリー・ブーランジェは1918年に24歳で夭折した。没後50年にリリーの代表的な作品と、ナディアが最も敬愛する作曲家フォーレのレクィエムで追悼した感慨深い演奏会の記録だ。激しいオルガンの響きで始まる劇的な詩篇第24番は新古典主義の代表的な傑作で、古代世界へと誘ふ原始的な響きが魅力だ。絶筆となつたピエ・イェズの透明で崇高な音楽は暗示に充ちてをり、更に感銘深い。詩篇第130番は大作で、沈鬱かつ荘重な楽想が素晴らしい。名作フォーレのレクィエムの美しさは如何ばかりだらう。ソット・ヴォーチェでテンポを緩める内省的な瞬間は殊に琴線に触れる。合唱・独唱陣も見事で清廉な歌唱を聴かせる。何よりもブーランジェの指揮が敬虔さに包まれてをり、演奏者全員が一体となつた稀有な名演を成し遂げてゐる。(2009.4.1)

ホルスト:「惑星」/ロンドン・フィル/サー・エイドリアン・ボールト(cond.) [EMI CDM 7 69045 2]
1978年に録音された余りにも有名な名盤。繰り返し発売されてゐるが、これは初期の英國盤である。この曲の初演者で、SP時代から困難な録音を敢行してきた守護神とも云へるボールトの5回目にして最後の録音が悪からう筈がない。だが、当盤に刺激的な音響や、完璧な合奏を期待すると肩透かしを喰らふだらう。最新の録音から聴かれる鮮烈な演奏と対極にあるのがボールト盤だ。悠然とした構へで野心なく音楽を運んで行く。この曲と共に生きてきた男の自信と愛情が充填された演奏なのだ。第1曲目「火星」の終結部の和音を聴くが良い。堂々として気品のある響きは、激しく渾身で鳴らした数多の演奏とは一味違ふ。神秘的な天体への畏敬が漂ふ演奏は嫌味がなく、格別だ。(2009.10.7)

フリッツ・ブッシュ(cond.)/シュターツカペレ・ドレスデンとの全録音集(1923年〜1932年) [Profil PH07032]
ブッシュがシュターツカペレ・ドレスデンと残した全録音を集成したCD3枚組とDVD1枚からなる箱物。独Profilの最良の仕事だ。ブッシュは1922年からドレスデン国立歌劇場の音楽総監督に就任し、1933年ナチス政権成立を受けて祖国ドイツを離れる迄その地位にあつた。1枚目は就任直後となる1923年のアコースティック録音で、まともに復刻されたのは初めてであらう。残念ながら機械吹込み時代の管弦楽の録音は鑑賞用とならない。だが、トスカニーニやメンゲルベルクと並んで、内容の充実したブッシュの録音は数少ない鑑賞に堪へ得る録音だと云へる。得意としたモーツァルト「フィガロの結婚」序曲の力強い推進力、スメタナ「売られた花嫁」序曲の精妙なアンサンブル、シュトラウス「こうもり」序曲の燃え立つリズム。フルトヴェングラーが真のライヴァルとして意識したとされるブッシュの美質が聴き取れる。最高傑作はスッペ「美しきガラテア」序曲で音楽に生命が宿つてゐる。モーツァルト「魔笛」の僧侶の行進や、シュトラウス「町人貴族」の2つのメヌエットも面白からう。(2012.4.18)

フリッツ・ブッシュ(cond.)/シュターツカペレ・ドレスデンとの全録音集(1923年〜1932年) [Profil PH07032]
ブッシュがシュターツカペレ・ドレスデンと残した全録音を集成したCD3枚組とDVD1枚からなる箱物。電気録音を集成した2枚目と、当時最新鋭の機材によつて録音されたブラームスの交響曲第2番のライヴ録音を収めた3枚目を聴く。1926年に行はれた電気録音はプッチーニ「トゥーランドット」より4曲とヴェルディ「運命の力」より3曲だ。初演から間もない「トゥーランドット」を録音してゐることに驚く。ピン・ポン・パンの三重唱も良いが、アンネ・ローゼレによるトゥーランドットのアリア2曲が極上だ。「運命の力」は序曲、戦ひの音楽、タランテラと管弦楽のみによる選曲で、精緻な演奏にブッシュの実力が垣間見れる。もう1曲、当箱物のDVDで鑑賞が出来る1932年秋に映像で残されたヴァーグナー「タンホイザー」序曲が音のみで収録されてゐる。これはブッシュとシュターツカペレ・ドレスデンの最高の遺産であり、凄まじい熱情に導かれた名演である―折角なので映像で鑑賞した方が良いが。更に、シュターツカペレ・ベルリンとの演奏だが、シュトラウス「エジプトのヘレナ」から4曲の録音が収められてゐる。ローゼ・パウリー・ドレーゼンの歌唱が素晴らしい。ブラームスの第2交響曲は1931年2月の記録で、繰り返し商品化されてきたブッシュの代表的な録音だ。録音年を考へると驚異的な音質である。Profilの復刻技術にも感心したい。演奏については別の機会に記す。(2012.10.25)

ベートーヴェン:レオノーレ序曲第2番、モーツァルト:交響曲第36番「リンツ」、メンデルスゾーン:イタリア交響曲、ブラームス:悲劇的序曲/デンマーク国立放送交響楽団/フリッツ・ブッシュ(cond.) [EMI 7243 5 75103 2 5]
GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURYシリーズの1つ。ブッシュは戦前のドレスデンで活躍した黄金期の録音が殆ど残らない為、一流のオーケストラを指揮した記録がなく真価が伝はらないが、この1949年と1950年の放送録音はその渇を癒す名演揃ひだ。ベートーヴェンは雄渾な情熱が漲る一方、気位の高さで毅然とした音楽を聴かせる極上の名演だ。弱音の思索的な語り口も見事。ブッシュは1934年にリンツ交響曲をBBC交響楽団とセッション録音してゐるが、面白みに欠けた凡庸なものだつた。しかし、当盤は生気に充ちながら格調高さを融合した名演で、稀代のモーツァルト指揮者の重要な遺産となつた。渋みのある手堅い色合ひが美しい。イタリア交響曲は勇壮な解釈で明朗さとは無縁だが、ドイツ気質の無骨さが好ましい熱演だ。ブラームスの内から燃焼する音楽の素晴らしさはまた格別で、虚勢を張らないから深い処から霊感が湧くのだ。存外名演の少ないこの曲の隠れた名演だ。(2006.5.27)

ヴェーバー:「魔弾の射手」序曲、ハイドン:協奏交響曲、ブラームス:交響曲第2番、シュトラウス:「ドン・ファン」/デンマーク国立放送交響楽団/ロンドン・フィル/フリッツ・ブッシュ(cond.) [EMI 7243 5 75103 2 5]
GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURYシリーズの1つ。シュトラウスだけがロンドン・フィルを指揮した戦前のSP録音で、当時は名盤として君臨したが、競合盤が出揃つた現在では別段価値を見出せない。その他の曲は1947年から1950年にかけてデンマークでセッション録音されたブッシュ晩年の遺産だ。ヴェーバーは手堅い燻し銀の響きでドイツの森を想起させる名演。暗い熱情を秘めた焦燥感が見事だが、管弦楽の技量が水準程度なのが玉に瑕。ハイドンはモーツァルトを得意としたブッシュだけに面白く聴ける。しかし、4名の独奏者が要となる曲だけに、首席奏者らの技量では不満を覚えて仕舞ふ。ブラームスは夕映えのロマンティシズムを漂はせた名演であるが、幾分特徴の薄い嫌ひがあり、長く記憶に刻まれる類ひの演奏ではない。(2006.6.24)

ハイドン:交響曲第88番、協奏曲交響曲、モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク、交響曲第36番「リンツ」/デンマーク放送交響楽団/フリッツ・ブッシュ(cond.) [Guild Historical GHCD 2339]
ブッシュの復刻を勢力的に行ふGuild Historicalによるデンマーク放送交響楽団との録音集。この内、協奏交響的とリンツ交響曲はEMIのGREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURYシリーズにも収録されてをり、そちらで述べたので割愛する。ハイドンの交響曲は1949年の録音。アレグロ楽章の疾走感と昂揚感が素晴らしいものの、冒頭の序奏や第2楽章などが締まらず低調だ。名匠が名演奏を残してゐる曲なので、ブッシュ盤は旗色が悪い。ブッシュはハイドンの交響曲を他にも録音してゐるので引き続き復刻して欲しいものだ。アイネ・クライネ・ナハトムジークは戦前にもセッション録音があつた。当盤は1948年の録音だ。演奏は特色が薄く面白くない。(2015.4.19)

シュトラウス:ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯、ドン・ファン、モーツァルト:交響曲第36番「リンツ」、他/BBC交響楽団/ロンドン・フィル/フリッツ・ブッシュ(cond.)、他 [Guild Historical GHCD 2356]
ブッシュの復刻を勢力的に行ふGuild Historical。1934年から1936年にかけての戦前録音集で、BBC交響楽団とのティルは大変貴重。手際の良い名演だ。ロンドン・フィルとのドン・ファンは絢爛たる名演で、独奏ヴァイオリンの艶かしい表現は忘れ難い。モーツァルトのリンツ交響曲は英Biddulphからも復刻があつた。これは余り良くなく、戦後のデンマークでの演奏の方が数段素晴らしい。余白にブッシュの代表的録音であるグライドボーンにおけるダ・ポンテ三部作全曲録音から序曲のみが抜粋収録されてゐる。歌劇全曲盤を所持してゐる方には無用だが、改めて聴いて生命力溢れた演奏に感動した。(2016.4.3)

モーツァルト:セレナード第7番「ハフナー」、シューベルト:交響曲第5番/ペーター・リバール(vn)/ヴィンタートゥール交響楽団/フリッツ・ブッシュ(cond.) [Guild Historical GHCD 2352]
Guild Historicalはブッシュの網羅的復刻を敢行してゐる。1949年、スイスのヴィンタートゥール交響楽団との録音を復刻した1枚は音質も極上だ。規模の大きなハフナー・セレナードの初録音として知られるブッシュ盤だが、第2楽章から第4楽章における重要なヴァイオリン独奏を名手リバールが担つてゐるのが特記される。リバールも会心の録音だつたと自負してをり、取り分けアンダンテにおける可憐なカデンツァと、快速のテンポで駆け抜けるロンドは最高の出来だ。全曲においてもブッシュの覇気ある棒が生気を注入してゐる。特に両端楽章の力感は素晴らしい。代表的名盤だ。シューベルトも剛毅な名演だ。引き締まつた音楽が素晴らしく、同傾向のクライバーの演奏よりもしなやかな弾力があり表情に生彩がある。しかし、ヴァルターの名盤に比べると粗雑な感じがして仕舞ふ。(2012.11.23)

ベートーヴェン:交響曲第9番、レオノーレ序曲第2番/デンマーク放送交響楽団と合唱団/フリッツ・ブッシュ(cond.)、他 [Guild Historical GHCD 2343]
Guild Historicalによる不遇の指揮者ブッシュの貴重な遺産の復刻シリーズ。第9交響曲は1950年9月7日の放送録音で、全曲としてはブッシュ唯一の記録だ―第4楽章だけだが同じデンマーク放送交響楽団との1934年ライヴ録音があつた。第1楽章は謹厳な悲劇性に貫かれた名演で、ブッシュの良さが存分に出ており最も上出来だ。第2楽章は特別な印象こそないものの引き締まつた名演で、現代の耳で聴いても古さを感じさせない。第3楽章も瑕はあるが敬虔な名演だと云へる。第4楽章も管弦楽は良い。問題は独唱と合唱だ。独唱陣はリンドベリ=トルリンド、イェーナ、ショーベリ、ビルディン、何れもデンマーク出と思しき小粒の歌手たちで、声量がなく声も張れない三流歌手らである。合唱も同様で感銘が薄い。前3楽章との落差が大きく残念だ。余白には序曲第2番が収録されてゐる―クレジットや解説には第3番と記載があり、お粗末な編集だ。従つて、1949年10月24日の記録と表記があるが正確かだうかは怪しい。ブッシュには1950年9月14日にも第2番の録音があつたが、聴衆ノイズが異なるので当盤とは別物だ。尚、比べると当盤の演奏は感興に乏しく出来が良くない。(2014.5.25)

ブラームス:アルト・ラプソディー、ショパン:ピアノ協奏曲へ短調、ベートーヴェン:交響曲第5番、他/マリアン・アンダーソン(A)/クラウディオ・アラウ(p)/ニューヨーク・フィル/フリッツ・ブッシュ(cond.)、他 [Guild Historical GHCD 2354]
1950年12月10日「人権の日」の為のコンサートのライヴ録音である。翌年没したブッシュ晩年の貴重な記録だが、大変残念なことに音質が悪く、時代の水準を大きく下回る。リマスタリングにも苦労の痕が窺へる。プログラムの最初にベルリオーズ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」が演奏されたが、収録されてゐないといふことは録音は残つてゐないのだらう。アンダーソンを迎へてのブラームスが素晴らしい。アンダーソンは絶頂期にあり神々しい名唱だ。しかし、後半の合唱が非道く台無しにしてゐる。アラウとのショパンは全体的に散漫で雑な演奏だ。感興も乏しく良くない。ベートーヴェンは王道を貫いた名演だが、特別な価値はない。余白には1950年8月26日、英国エディンバラ音楽祭にデンマーク放送交響楽団を率ゐて出演した際の録音とされるドヴォジャーク「謝肉祭」が収録されてゐる。熱気溢れる演奏だが、これも音が悪く鑑賞用には適さない。蒐集家用の1枚だ。(2013.12.2)

ベートーヴェン:交響曲第1番、同第3番「英雄」/ベルリン・フィル/アンドレ・クリュイタンス(cond.) [VENIAS VN-004]
クリュイタンスの主要録音を編んだ15枚組。沢山録音を残したのにEMIレーベルからは冷遇されてをり、これだけ纏まつた復刻は現在見当たらないので大歓迎だ。そんな中でこのベートーヴェン交響曲全集だけは繰り返し形を変へて発売されてきた。まず何よりもベルリン・フィルから華麗な音を引き出してゐるのが特徴的だ。1950年代後半のベルリン・フィルは黒光りする重厚な響きを持つてゐたが、クリュイタンスが指揮すると羽ばたくやうに軽く眩い黄金の音色がする。だからだらうか、奇数番号の演奏は正直良くない。ベートーヴェンらしさがなく、かと云つて伝統を破壊するやうな個性もない。解釈は王道で、同じ保守でもコンヴィチュニーの方が断然格上だ。エロイカは流麗なだけで曲の魅力からは乖離してゐる。第1番は悪いところもないが良いところもない。(2015.10.27)

ベートーヴェン:交響曲第2番、同第4番/ベルリン・フィル/アンドレ・クリュイタンス(cond.) [VENIAS VN-004]
クリュイタンスの主要録音を編んだ15枚組。クリュイタンスのベートーヴェン交響曲全集では偶数番号が良いとされてきたのは本当だ。ベルリン・フィルから爽快な響きを引き出し、流麗な歌を紡がせた。力瘤の入つたベートーヴェンではない。中でも第2交響曲は最も成功した演奏だらう。第1楽章は特に覇気もあり、非常に立派な名演だ。だが、第2楽章以降は幾分凡庸に聴こえる。終楽章は予定調和に充たされた温い演奏だ。第4交響曲では圧倒的な合奏力を聴かせた終楽章が優れてゐる。だが、他の楽章は豊麗な演奏で一見理想的だが、刺激がなく正直退屈だ。2曲とも殆ど注目されることのないアンセルメの全集録音の方が新鮮で創意に溢れてゐた。クリュイタンス盤は洗練され過ぎ、新たな工夫もなく、感興に乏しいのだ。悪くはなくとも、上手に纏まつただけのベートーヴェンは不要だ。(2016.5.16)

リスト:前奏曲、シューベルト:未完成交響曲、シューマン:交響曲第3番「ライン」/ベルリン・フィル/アンドレ・クリュイタンス(cond.) [EMI 7243 5 85213 2] 画像はジャケット裏です
"LES RARISSIMES"シリーズの1枚。ベルギーの至宝クリュイタンスはフランスの指揮者よりもフランスの感覚美を具へてゐた。クリュイタンスが残したフランスの楽曲―就中歌劇作品の素晴らしさは特筆したい。一方でベルリン・フィルと録音したベートーヴェンの交響曲全集に定評があり、数は多くないがドイツ系の楽曲でも見事なものがある。全体は淡い水彩画を観るやうに美しく爽やかなのだが、細部には情熱の迸りが滲み出てをり、音楽が常に語りかけてくる。但し、夢想する詩情や浪漫的な思索とは無縁で、シューベルトやシューマンの音楽が持つ喪失感を描き尽くす迄には至つてゐない。リストが壮麗な名演であり、シューマンの第1楽章と第2楽章が次いでよい。(2005.7.6)

アンドレ・クリュイタンス(cond.)/ウィーン・フィル/交響曲への誘ひ(全7曲)/スメタナ:モルダウ、ボヘミアの森と草原より [EMI 7243 5 85213 2] 画像はジャケット裏です
"LES RARISSIMES"シリーズの1枚。交響曲の有名な楽章のみを集めたLP時代の企画物である「交響曲の誘ひ」は、堅物には見向きもされない類ひのものであつたが、演奏の素晴らしさ故に目利きの愛好家には垂涎の的であつた。ベートーヴェンの第5番第1楽章と第8番第2楽章、モーツァルトの第40番第1楽章、メンデルスゾーンの第4番第4楽章、チャイコフスキーの第4番第3楽章と第6番第3楽章、ドヴォジャークの第9番第2楽章の7曲で構成される。クリュイタンスの指揮は決して汚くならない上品な音楽を目指し、ウィーン・フィルがそれを助長する。幾分円満な演奏が繰り広げられる為、藝術的な感興は乏しく、特にモーツァルトは肌合ひが悪い。しかし、ベートーヴェンの第5番が同様の傾向ながら、音楽に生命が吹き込まれた名演で特別な価値がある。抱合はせのスメタナの2曲は美しいがそれ以上のものではない。(2005.8.6)

ドビュッシー:放蕩息子、オネゲル:交響曲第3番「典礼風」/ジャニーヌ・ミショー(S)/トリノ放送交響楽団と合唱団/アンドレ・クリュイタンス(cond.)、他 [ARTS ARCHIVES 43059-2]
1962年にクリュイタンスがイタリアのオーケストラを指揮した大変珍しい演奏記録。レペルトワールからしても稀少価値がある。ドビュッシーのカンタータが極上の出来栄えで、アンゲルブレシュトの録音と並びこの曲の決定盤として推奨したい。客演とは思へぬ程、冒頭から繊細な音楽が紡がれ、次第に噎せ返るやうな色気すら漂はせる。クリュイタンスならでは魔術である。フランス生粋の名歌手を揃へてをり、至福の一時が約束された耽美的な名演である。オネゲルも美しい名演だが、クリュイタンスの棒は官能に傾き勝ちだ。作品が持つ鬩ぎ合ひの情念が薄味で生温い。(2007.1.6)

ベルリオーズ:幻想交響曲、ムソルグスキー:古い城、ビゼー:ファランドール/パリ音楽院管弦楽団/アンドレ・クリュイタンス(cond.) [Altus 003]
1964年5月10日、東京文化会館における伝説的な演奏の記録。クリュイタンスは幻想交響曲のセッション録音を2種残してゐるが、何れも手兵コンセールヴァトワールとの録音ではなく、演奏内容も凡庸で退屈なものだつた。当盤は同じ指揮者とは思へないほど劇的で、高雅な官能美も具へた特上の名演である。陰影に富む第3楽章や冒頭のティンパニの強打から鬼気迫る第4楽章も名演だが、煽りが凄まじく狂気すら感じさせる第5楽章が最高だ。調子外れな鐘が絶大な効果をあげ、魔女のロンドに入つてからも荒れ狂ふ速いテンポで不気味に盛り上げ、コーダで異常な興奮に達する。クリュイタンスはこの公演の3年後に急逝した。コンセールヴァトワールはパリ管弦楽団に改編され、ミュンシュと幻想交響曲の名盤を残したが、指揮者の資質の違ひこそあれ、管弦楽の合奏や奏法などに一脈相通ずる処がある。敢て云ふ。その時まだクリュイタンスの音楽が息づいてゐたと。(2005.6.10)

ラヴェル:スペイン狂詩曲、「マ・メール・ロア」組曲、ラ・ヴァルス、クープランの墓、亡き王女の為のパヴァーヌ、「ダフニスとクロエ」第2組曲、ベルリオーズ:ラコッツィ行進曲/パリ音楽院管弦楽団/アンドレ・クリュイタンス(cond.) [Altus 004〜5]
1964年5月7日、東京文化会館にて行はれた伝説の名演で、日本の聴衆の度肝を抜いたクリュイタンスとコンセールヴァトワールによるラヴェル・プログラムである。ラヴェルの管弦楽集の名盤を挙ぐるに、40年以上もクリュイタンスのEMI盤を第1とするのは日本人のみらしいが、此の時の衝撃が一役買つてゐるのは大いに考えられることである。しかし、日本人の感性は間違つてゐない。ラヴェルの演奏はクリュイタンスとコンセールヴァトワールが最高だと加へて一票を投じやう。来日公演の演奏はセッション録音ほどの完成度を持たないが、官能的で貴族的な情熱は健在である。そは美女が残していく香水のやうにむず痒い感覚を醒ます。(2005.2.16)

シベリウス:交響曲第1番、同第2番/ロンドン交響楽団/アンソニー・コリンズ(cond.) [Decca 442 9490]
シベリウス交響曲全集録音の雄。特に第1番は全7曲中最も優れた出来で、この曲の最高の演奏のひとつである。第1楽章が無上に素晴らしく、なべての演奏に冠絶する。ヴァイオリンのトレモロに導かれて主題が現れる箇所の壮麗さは、フィンランドの冬に差す太陽の光のやうで目眩がする。ティンパニの決然とした打ち込みが壮絶極まりなく圧巻だ。生命の息吹が躍動する音楽に、鬱屈した気分も晴れよう。他の楽章も見事で、終楽章の激しい闘争感は聴き応へがある。情感溢れる歌ではバルビローリ指揮ハレ管弦楽団の旧録音には及ばないが、コリンズ盤の豪快さは唯一バルビローリ盤を忘れさせる凄みがある。それに比して、第2番は凡庸な出来だ。テンポの設定は常套的で、表情の加減にも特に個性的な刻印がない。第1番で聴かせた荒々しさがあればさぞかし素晴らしかつたであらうに、何とも残念である。(2009.3.23)

シベリウス:交響曲第3番、同第4番/ロンドン交響楽団/アンソニー・コリンズ(cond.) [Decca 442 9490]
再びコリンズを聴く。2枚組の2枚目。第3番は第1番と並ぶコリンズの最高傑作だ。冒頭から音が弾んでをり、活気が漲つてゐる。豪快で粗野な音楽運びは雄渾極まりなく、小振りと軽視され勝ちな第3交響曲の印象を払拭する。第1楽章と第3楽章の躍動感は絶品で、特にざわめくやうなヴィオラの鼓動が生きてゐる。カヤヌス盤やバルビローリ盤と並んで、この曲の最高の名演のひとつである。第4番も素晴らしい。晦渋で陰鬱な曲想を意に介しない逞しさでぐいぐいと引つ張つて行く。音楽の輪郭が明快で、楽想の描き分けも見事だ。暗く鬱屈した演奏を求めるならコリンズの演奏は鼻持ちならないだらうが、徒に内向的になることなく愚直な演奏を貫いたコリンズの男気に惹かれる。(2009.5.16)

シベリウス:交響曲第5番、同第6番、同第7番/ロンドン交響楽団/アンソニー・コリンズ(cond.) [Decca 442 9493]
シベリウス交響曲全集録音の雄。2枚組の1枚目は後期交響曲の傑作を3曲詰め込んでをり、充実の一時を堪能出来る。色気のない無骨なコリンズの指揮はシベリウスの核心に迫る。シベリウスの後期作品は極限まで細分化された繊細な響きが特徴なのだが、コリンズの演奏は弱音の箇所でも極めて芯が強く、音楽が生命を失はない。第5番は第1楽章が秀逸で、弱音の安定感が見事だ。一転、コーダで豪快な昂揚を築いて行くのは圧巻だ。終楽章も素晴らしいが、壮麗さでバルビローリの新盤に軍配を上げたい。第6番は透明な抒情が美しく、第3楽章や終楽章の躍動感も素晴らしいが、コリンズの個性が存分に発揮された演奏とは云へない。第7番は全体的に散漫で、余り良さを感じられない。とは云へ、ロンドン交響楽団の抜群の技量、デッカの優秀録音と条件の揃つた名盤で、全てが屈指の名演だ。(2009.8.23)

シベリウス:ポヒョラの娘、夜の騎行と日の出、ペレアスとメリザンド(4曲)、「カレリア」序曲/ロンドン交響楽団/アンソニー・コリンズ(cond.)、他 [Decca 442 9493]
再びコリンズを聴く。2枚組の2枚目。交響詩や劇音楽の録音である。荒ぶれた豪快な演奏はこれらの曲でも見事だ。余り演奏されない「夜の騎行と日の出」が重要な名演だ。「ペレアスとメリザンド」からは「メリザンド」「糸を紡ぐメリザンド」「間奏曲」「メリザンドの死」が演奏されてゐる。当盤の白眉は「カレリア」序曲で、豪放磊落な極上の名演である。余白にトマス・イェンセン指揮、デンマーク放送交響楽団による「カレリア」組曲の録音が収録されてゐる。名演だが特別な価値はない。バルビローリの情感豊かな録音があるし、何よりも伝道師カヤヌスの録音を超える演奏はないからだ。(2009.11.23)

バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全6曲)他/パリ・エコール・ノルマル管弦楽団/アルフレッド・コルトー(cond.&p)、他 [EMI 7243 5 67211 28]
これは非道い演奏だ。第1番は、ホルンの音がひつくり返るなど、音程が終始揺れてゐる。正しい音の方が少ないくらいだ。第2番のトランペットは水準程度。第4番は、終曲での聴かせ所となるヴァイオリン・ソロによる32分音符の刻みを、16音符でさぼつて弾いてゐる。おまけに重音の音程が滅茶苦茶だ。そんな中で第5番だけはソロイストに、垢抜けたティボーと浪漫的なカデンツァを聴かせるコルトーを揃へて、水際立つた名演となつてゐる。当盤を蒐集した真の目的は、コルトー編曲によるオルガン協奏曲BWV.596を聴く為であつたが、何のことはない、ヴィヴァルディ「コンチェルト・ダ・カメラ」として認知されてゐる録音と同一だつた。迂闊千万。蓋しブランデンブルク協奏曲とは格が違ふ名演であり、改めて感銘を受けた。(2004.12.3)

レスピーギ:リュートの為の古風な舞曲とアリア全曲(組曲第1番、同第2番、同第3番)/フィルハーモニア・フンガリカ/アンタル・ドラティ(cond.) [MERCURY 470 637-2]
管弦楽法の大家レスピーギの作品は「ローマ三部作」ばかりが有名だが、編曲とは云へ「リュートの為の古風な舞曲とアリア」全曲は書法の見事さ、原曲の持つ古雅な趣などで聴く者の心を捕へる重要な作品だ。しかし、録音は極端に少ない。人気のある第3組曲は幾つか単独であつても、全曲の録音は限られる。雰囲気だけの薄口の演奏とは違ひ、ドラティ盤は隙のない手堅い演奏で代表的な名盤と云へるだらう。名トレーナーとしてオーケストラの統率力が抜群で、細部まで行き届いた丁寧な仕上げは流石だ。実直過ぎる嫌ひはあるが、派手さがなく、素朴な抒情を重んじた演奏は好感が持てる。MERCURYの優秀録音も素晴らしい。(2008.8.24)

ハイドン:交響曲第60番「迂闊者」、同第61番、同第62番/フィルハーモニア・フンガリカ/アンタル・ドラティ(cond.) [DECCA 478 1221]
ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。疾風怒濤期後、60番台のハイドンの交響曲はオペラ作曲の合間に行はれをり流用も多い。作風は歌謡的要素が増え、和声も常套的で聴き易いが、刺激はない。ドラティの演奏はハイドンの様式美を的確に捉へてをり、全集企画を通しての一貫性があるので、60番台の作品でも質を維持してをり高く評価出来る。第60番は同名の「迂闊者(”Der Zerstreute”)」といふ劇付随音楽からの流用作品で6楽章から成る。従つて全104曲中、最も交響曲としての体裁を為してゐない曲である。だが、楽想は秀逸でバロック音楽の面白みを継承してをり急速な楽章には感興がある。第4楽章は取り分け鮮烈だ。そして、矢張り最終楽章の調弦やり直しといふ斬新な演出にハイドンのユーモアが凝縮されてゐる。第61番は第1楽章と第4楽章が軽快な名曲だ。第2楽章は短調箇所に美しさがあり、第3楽章にも仕掛けがあり面白い。比べると第62番は個性が薄い。まるでモーツァルトのやうな第1楽章が最も充実してゐる。第2楽章は全く面白くない。第3楽章トリオのファゴットが良い。第4楽章はハイドンらしい屈折した曲で面白からう。(2016.11.14)

ハイドン:交響曲第101番「時計」、同第102番、交響曲「A」(第107番)/フィルハーモニア・フンガリカ/アンタル・ドラティ(cond.) [DECCA 478 1221]
ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。第101番は第1楽章、第4楽章で落ち着いたテンポを採用してゐる。その為、刺激が少なく全体としてまろやかで鈍い演奏に聴こえる。第2楽章は風格があり見事だ。全体を通じて安定感のある名演なのだが、面白い演奏ではなく、敢へてドラティ盤を推すことはない。比べて、第102番は一際優れてゐる。第1楽章と第4楽章は前進する快活なテンポが心地良く、一方で堂々たる響きも保持してゐる。恰幅が良く立派で雄大な演奏だ。流麗な第2楽章も素晴らしい。ドラティの安定感が特に成功した名演だ。最初期の習作交響曲、変ロ長調曲「A」がしっかり収録されてゐるのもドラティ盤全集の味噌である。現在では第107番とされるやうだ。3楽章から成る初期様式の軽快で爽やかな曲だ。演奏は申し分ない。(2016.10.21)

チャイコフスキー:交響曲第4番、エネスク:ヴァイオリン・ソナタ第3番「ルーマニア民俗風」/ソヴィエト交響楽団/ディヌ・リパッティ(p)/ジョルジェ・エネスク(vn&cond.) [VENEZIA CDVE 04262]
エネスクはルーマニア音楽の父であり、偉大な作曲家であつた。演奏家としても比類なく、ヴァイオリンは神懸かつた腕前であり、愛好家であれば、エネスクの録音を全て蒐集することは見識として欠くべからざるものだ。エネスクは指揮者としても有能で、自作以外にも数々の名演を残した。とは云へ、エネスクの指揮の録音を全部蒐集するのは一筋縄ではいかない。当盤のチャイコフスキーはソヴィエトに楽旅した際に残された貴重な録音で、1946年4月21日の記録だ。客演なので精度には問題あるが、随所に粘りを多用する凝つたフレージングが聴かれ個性的な面白みがある。蒐集家以外には価値はないが、詰まらない演奏ではない。余白にヴァイオリン・ソナタの自作自演が収録されてゐる。リパッティとの戦中録音の方だ。名盤であるが、同日の演奏に自作「ルーマニア狂詩曲第1番」を指揮した録音があるのだから、そちらを収録すべきではなかつたか。(2011.10.26)

シューマン:交響曲第1番、同第2番/ロンドン・フィル/ピエロ・コッポラ(cond.)/ジョルジェ・エネスク(cond.)、他 [DUTTON LABORATORIES CDK 1209]
当盤を蒐集した理由は勿論エネスクが指揮した第2交響曲を聴く為である。ヴァイオリニスト・エネスクにはソナタ第2番の録音といふ空前絶後の偉業があり、指揮にも期待が募る。バッハのロ短調ミサ曲で示したやうにエネスクは指揮者としても軽視出来ない。第1楽章展開部がこれほど悲劇的に鳴つた演奏はさうあるまい。逡巡と諦観に苛まれながらも這ひ上がらうとする意志を聴くやうで胸に迫る。常に内面を見詰める響きがエネスクたる所以なのだ。沈思し憧憬に焦がれる第3楽章然り。エネスクは音楽から精神を想起させることの出来る稀有な人物である。惜しむらくは終楽章に閃きがないことだが、総じて名演と云へるだらう。コッポラとナショナル交響楽団による第1番は、個性に乏しく記憶に刻まれるやうな演奏ではないが、爽やかな響きと淡い詩情で彩られた名演だ。若々しい第1楽章と清楚な第2楽章が素晴らしい。両録音ともDecca原盤。秘められた名盤を復活させたのはDuttonの慧眼だ。(2005.4.14)

グラズノフ:四季、プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」第2組曲/グラズノフ(cond.)/プロコフィエフ(cond.)、他 [DUTTON LABORATORIES CDBP 9754]
グラズノフの自作自演は1929年にロンドンで行はれた録音で、名手を揃へた臨時編成の管弦楽団による演奏だ。冬から始まり秋で終はるグラズノフの四季は録音の多くない曲だけに重宝されるだらう。オーケストラの技量が抜群に優秀で、繊細な色彩感が素晴らしく、表情も豊かだ。美しいメルヒェンを奏でる冬からいじらしい情感が漂ふ。幸福な予感に彩られた春、喜びに充ちた夏、祝祭的な秋と表現が多彩だ。録音は古いが名盤として広く推奨したい。プロコフィエフの自作自演はピアノを弾いたものが有名で、これ迄幾度となく復刻が成されてきたが、指揮は珍しい。1943年の録音でモスクワ・フィルを振つてをり、演奏の質は水準程度だが、全体に覇気がなく些とも面白くない。名盤犇めく名曲だけに残念ながら自作自演といふ資料的価値しかない。(2007.1.8)

モーツァルト:レクィエム/モスクワ放送交響楽団と合唱団/ニコライ・ゴロヴァノフ(cond.)、他 [VENEZIA CDVE00508]
怪物指揮者ゴロヴァノフの録音を集成した16枚組。全ての演奏が異常で想像を超えてゐる。ゴロヴァノフの特徴を一言で云へば、楽譜の無視であらう。いち早く楽譜から離れ、感性を重視する。今日の演奏を聴き慣れた耳には異次元の音楽だらう。御国物である筈のロシア音楽でも独自の音楽観が全開で、必然性を感じる演奏の方が少ない。モーツァルトとなるとそれらしさは皆無だ。テンポの緩急が大胆で、倍以上の変化を付けることもしばしばだ。キリエは荒れ狂ひ爆走する。独唱陣が大見得を切るトゥーバ・ミルムやレコルダーレはロシアのオペラのやうだ。コンフターティスの女性合唱は絶え絶えである。頂点はラクリモーサで、これ以上感情的に演奏されたことはないだらう。だが、ここ迄やれば寧ろ天晴。途中で効果的に使はれるオルガンは天上の光ではなく、地獄の劫火のやうに聴こえる。天下の珍演。(2015.7.16)

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、夜想曲、スコットランド風行進曲、遊戯、選ばれし乙女/フランス国立管弦楽団/デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(cond.)、他 [TESTAMENT SBT 1212]
アンゲルブレシュトの指揮したドビュッシーは今後も揺るがぬ指標となるだらう。このデュクレテ=トムソンへの録音は曲数が豊富で録音状態もよい。これらの演奏の特徴は、仄暗い淵より湧き出る詩情である。全体が冷たい音色と高貴なアンニュイに覆はれてゐる。奇遇なことにフランスの大指揮者らは皆、アメリカのオーケストラに就任してドビュッシーを録音した。アンゲルブレシュトのみが自国のオーケストラを導いて、フランスの響き―就中パリの香りを今に残し得た。創設時より深い関係を結んだフランス国立管弦楽団から何と云ふ神妙な響きを引き出したことだらう。アンゲルブレシュトは和声の構造にこだはる。それは楽器のバランスに配慮することと同義である。明るく華やかで享楽的な響きを決して持ち込まない。余人からは聴くことの出来ない雨の音楽。(2004.11.17)

ドビュッシー:海、映像、シャルル・ドルレアンの3つの歌、家のない子たちのクリスマス/フランス国立管弦楽団/デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(cond.)、他 [TESTAMENT SBT 1213]
アンゲルブレシュトによるドビュッシーの録音では、「ペレアスとメリザンド」と「聖セバスティアンの殉教」が絶対的な名演奏であるが、次いで感銘深いのが「海」だ。3曲目の半ばで、ヴァイオリンのフラジオレットに導かれて奏される木管の主題が長く延ばされ、ブレスを大きくとつて旋律性を失ふ様は、光の届かぬ海底に引き摺り込まれる如き神秘的な静寂さを醸し出す。デュクレテ=トムソンへ録音した当盤は、後年のライヴ録音ほど大胆ではないが、抗し難い魅力がある。声楽を伴ふ2曲は秘曲に近いが、ドビュッシーの権威が残した貴重な遺産で、パリのエスプリを堪能出来る。(2005.5.28)

ドビュッシー:「聖セバスティアンの殉教」、フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード/アンドレ・ファルコン(語り)/ベルナール・プランテ(Br)/フランス国立管弦楽団/デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(cond.)、他 [TESTAMENT SBT 1214]
ドビュッシーの知遇を得たアンゲルブレシュトは、1911年の「聖セバスティアンの殉教」初演において合唱指揮を託され、翌年には全曲の指揮も行つてゐる。当盤は、4時間近く要するオリジナル・テクストを、音楽と語りによる1時間程の演奏会版に独自に編んだもので、アンゲルブレシュトの切り札とも云へる録音。管弦楽の濡れそぼつた響きは神韻たるもので、ドビュッシーの和声がこれほど美しく奏でられたことはさうあるまい。重役を担ふアンドレ・ファルコンの悲壮な朗詠が果たした感興は、真に迫つてをり、聴き手の正体を失はしめる程に強烈だ。このセッション録音の5年後に、同じくファルコンの語りによるライヴ録音もあるが、出来は甲乙付け難い。ヴィヨンの詩に付けた歌曲はえも云はれぬ中世の香りが漂ふ名品である。(2005.3.24)

ラヴェル:「ダフニスとクロエ」(全曲)、「マ・メール・ロワ」(組曲)/フランス国立管弦楽団と合唱団/デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(cond.) [TESTAMENT SBT 1264]
アンゲルブレシュトによるラヴェルの演奏は詩情漂ふメランコリーが特徴で、ラヴェルの持つ知的な上品さを巧まずして奏でた逸品である。華麗な響きに誘惑されることもなく、取り澄ました冷たいよそよそしさで詰らなくして仕舞ふこともない。典雅で節度ある表現は何時しか哀惜の情を湛へた音楽を生み出す。両曲が持つメルヒェンの色合ひは薄れ、大人の憂鬱がそよと覆ふ玄人好みの演奏である。アンゲルブレシュトが振つたドビュッシーに共通する生粋のパリの音がこのラヴェルの演奏にも通つてゐる。フランス国立管弦楽団の技量に些か不満な点もあるが、価値を減ずるものではない。「ダフニスとクロエ」における暗い淵から彷徨ひ出た低音の響きには身震ひする。(2006.8.31)

ベルリオーズ:「ローマの謝肉祭」、「ファウストの劫罰」より3曲、ビゼー:「カルメン」(抜粋)、ドリーブ:「ラクメ」(抜粋)、ラヴェル:海原の小舟、スペイン狂詩曲/フランス国立管弦楽団/デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(cond.) [TESTAMENT SBT 1265]
アンゲルブレシュトがデュクレテ=トムソンへ残した録音はこれまで限られたものしか発売されてこなかつたので、当盤の復刻は何れも価値が高い。演奏も感情に溺れない高雅な気位があり、全体的にメランコリックな表情が漂ふ素晴らしいものばかりだ。ドリーブ「ラクメ」導入曲の格調高い響きが印象的で、合唱を伴ふ舞曲の昂揚も見事だ。「カルメン」からの抜粋はオペラコミークの伝統藝を感じさせる名演で、前奏曲の低弦や第1幕導入曲のティンパニにおける響きが意味深い。歌劇全曲録音と併せて聴きたい。その他、ベルリオーズ「鬼火のメヌエット」の幻想的な趣や、ラヴェル「海原の小舟」の儚い詫びた詩情が美しい。英TESTAMENTからは、ドビュッシー「放蕩息子」、グノー「ファウスト」よりバレエ音楽、ラロのスペイン交響曲などの録音も何れ復刻されることを祈りたい。(2005.11.2)

フォーレ:シャイロック、ペレアスとメリザンド、ラシーヌ頌歌、レクィエム/フランス国立管弦楽団/デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(cond.)、他 [TESTAMENT SBT 1266]
ドビュッシー作品と並ぶアンゲルブレシュトの代表的名盤。フォーレの作品はこの上もなく繊細だ。雑で無神経な演奏は困る。だが洒落てゐるだけの演奏は尚困る。アンゲルブレシュトの感傷に陥らない清廉なフォーレは、えも言はれぬ高貴な香りを漂はせてゐる。シャイロックとラシーヌ頌歌は競合盤も殆ど見当たらないので、躊躇なくアンゲルブレシュト盤を最上として推す。ペレアスとメリザンドも内に秘めた仄暗い情熱が素晴らしく、淡い色彩で魅了するアンセルメ盤と双璧を成す。レクィエムは目利きからは不動の支持を得て来た名盤で、禁欲的でありながら抹香臭さのない詩情を湛へてをり、肉感的なクリュイタンスのモノーラル旧盤よりも上位に置きたい。純粋さにおいてフォーレとアンゲルブレシュトの世界は通じ合ふ。(2006.12.15)

ブルックナー:ミサ曲第1番ニ短調、同第2番ホ短調、同第3番へ短調/バイエルン放送交響楽団/オイゲン・ヨッフム(cond.)、他 [DG 447 409-2]
交響曲の作曲家として人気のあるブルックナーの知られざる一面を聴くことの出来る1枚だ。宗教曲が書かれなくなつた19世紀において極めて正攻法で作曲されたこれらの作品は、時に交響曲を彷彿とさせる劇的な箇所はあるが、全体としては厳粛な気分を醸す名作と云へるだらう。第1番と第3番は4声部の独唱、合唱、オルガンと管弦楽から成る標準的な編成による作品だが、第2番は8つのパートに分かれた合唱と管楽器のみのオーケストラによる変則的な作品である。ブルックナーの交響曲全集を2度も残したヨッフムによる指揮は作曲家の懐に入り込んだ申し分のない演奏だ。第3番ではシュターダーのソプラノが美しい。(2008.3.20)

シベリウス:交響曲第3番、同第5番、フィンランド狙撃兵行進曲/ロンドン交響楽団/ヘルシンキ・フィル/ロベルト・カヤヌス(cond.) [KOCH LEGACY 3-7133-2 H1]
シベリウスの伝道師カヤヌスの復刻はFINLANDIAといふレーベルから3枚組で出てゐたのを所持してゐたが、ヘルシンキ・フィルを指揮して録音したフィンランド狙撃兵行進曲は含まれてゐなかつた。この録音は1928年に吹き込まれたもので、一連の英國のオーケストラを振つての1930年と1932年の録音より前に行はれたカヤヌスの初録音といふことになる。3分弱の素朴な曲でだうといふこともないが蒐集家には看過出来ないものだ。KOCH盤はこの小品を含み、かつオバート=ソンによる優れた復刻で珍重されるものであつたが、この度目出度くNaxos Historicalからカヤヌスの全録音がCD3枚で復活した。入手し易くなつたことを歓迎したい。カヤヌスの録音は現在聴いても啓示を受けることが多く、意気揚々とした「カレリア」からの2曲は今もつて最高だ。交響曲第3番も最上のひとつ。爽快な交響曲第2番の演奏は類例がなく別格の録音だ。(2013.5.20)

モーツァルト:「フィガロの結婚」序曲、セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、クラリネット協奏曲、交響曲第39番/レオポルト・ウラッハ(cl)/ウィーン・フィル/ヘルベルト・フォン・カラヤン(cond.) [EMI 7243 5 66388 2 2]
カラヤンには大変申し訳ないが、当盤を入手した目的はウラッハが吹く協奏曲にある。ウラッハにはロジンスキーの指揮によるウエストミンスター録音が知られてゐるが、忌憚なく云へば不味い演奏であつた。録音状態も悪く、ロジンスキーの指揮も雑で、管弦楽も粗い。何よりも肝心のウラッハに生気がなく、のっぺりとした感興のない演奏で、聴き通すのが苦しいくらゐであつた。このカラヤンとの演奏は遥かに良く、音域による音色の差が全くないウラッハ特有の至藝を楽しめる。牧歌的でおっとりした演奏は好ましい。カラヤンの伴奏も流麗でウラッハとの相性が良く、透明な響きも流石だ。実は協奏曲よりも序曲、セレナード、交響曲の方が更に素晴らしい。後年のカラヤンはレガート奏法に固執した珍妙なモーツァルトを録音したが、1940年代後半のこれらの録音ではウィーン・フィルの流儀に委せる部分が多く、躍動と優美さが融合した特上の名演となつてゐる。(2010.3.10)

シューマン:交響曲第1番、ドヴォジャーク:交響曲第9番「新世界より」/ベルリン・フィル/ルドルフ・ケンペ(cond.) [TESTAMENT SBT 1269]
シューマンは1955年、ドヴォジャークは1957年のHMVへの録音。フルトヴェングラー没後、ベルリン・フィルはカラヤンの手中に落ちたが、暫くはクナッパーツブッシュを筆頭に錚錚たる客演指揮者が棒を振つた。ケンペも重厚なベルリン・フィルの威厳を引き出したひとりである。一般的には認知されてゐないが、シューマンの第1交響曲はこの曲の屈指の名盤だ。快調な第4楽章が特に素晴らしく、コーダの情熱的な煽りは天晴だ。第1楽章コーダの昂揚感も熱く、セル盤とともに最も推薦したい録音だ。得意としたドヴォジャークも見事だ。オーボエ奏者出身のケンペだけに、当盤のオーボエ群は出色だ。しかし、標題を意識しない堅牢なドイツ風の演奏なので、色気に欠ける嫌ひがあり特別な演奏とは云ひ難い。(2009.1.31)

ベートーヴェン:交響曲第5番、ドヴォジャーク:交響曲第9番「新世界より」/チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団/ルドルフ・ケンペ(cond.) [SCRIBENDUM SC001]
ケンペはチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の常任指揮者になり、それ迄目立つて優れてゐるとは云へなかつたオーケストラを育成し、黄金期を築き上げた。2曲ともケンペ退任直前の1971年に録音され、充実した響きが楽しめる。ベートーヴェンの第5交響曲は重厚で堅牢な演奏で、鈍重なテンポ設定から強い意志が感じられる。競合盤が無数にある曲故に当盤に価値を見出すことは出来ないが、立派な演奏である。新世界交響曲が素晴らしい。細部まで意匠を凝らしつつ、隅々まで温かい情感が流れてゐる。第1楽章後半の情熱的な昂揚は天晴だ。終楽章の興奮も素晴らしい。(2010.5.31)

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティッシュ」/ミュンヘン・フィル/ルドルフ・ケンペ(cond.) [SCRIBENDUM SC003]
1976年1月の録音。最初に聴いた時は、実直で流れの良い演奏とは感じたが、然して強い印象を受けた訳ではなかつた。しかし、聴き込むと良さがしみじみと感じられる名演だ。ブルックナーの意図に最も近いとされる1878/1880年版の楽譜を使用してゐることは特筆したい。外連のない響きと自然なフレーズの受け渡しは見事で、これほど流麗な演奏は滅多にない。それでゐて重厚さと渋みを失はないのは流石だ。第3楽章主部のコーダで壮大なクレッシェンドを築くのは殊の外素晴らしく、第4楽章におけるユニゾンの美しさも格別だ。懐の深い名盤。(2008.1.8)

ブルックナー:交響曲第5番/ミュンヘン・フィル/ルドルフ・ケンペ(cond.) [SCRIBENDUM SC003]
1975年3月の録音。第1楽章の最初に出現する壮麗なフォルテのテヌートには少なからず驚いた。均等な響きは正しくオルガン・トーンであり、神々しい雰囲気に充たされる。ケンペが指揮するブルックナーの最大の特徴は弦楽器のみならず、金管楽器による重厚なテヌート奏法であり、特にオルゲルプンクトの偉大さには頭を垂れる。音楽の運びが流麗で、厳ついブルックナーの演奏とは一線を画す極めて個性的な演奏でありながら、細部まで手作りの職人藝を感じさせる真摯な合奏はブルックナーの楽曲に相応しい。名演が多い曲だけに、ケンペ盤を最上とすることは出来ないが、オーケストラがオルガンの響きを奏でる稀有な例として推奨したい名盤だ。(2008.2.3)

ドヴォジャーク:交響曲第9番「新世界より」、序曲「謝肉祭」、スケルツォ・カプリチオーソ、序曲「わが故郷」/ロンドン交響楽団/イシュトヴァーン・ケルテス(cond.) [Decca 430 046-2]
ケルテスの代表的名盤、ドヴォジャーク交響曲全集、6枚組の6枚目。ケルテスがデヴュー録音でウィーン・フィルと鮮烈な新世界交響曲を録音したことは有名である。だが、ウィーン・フィルの美質を引き出した旧盤と比較しても、当盤は遜色のない出来である。交響曲全集録音といふ重要な使命を帯びた再録音では、より深みのある表現が練られてゐる。細部まで彫琢された演奏で、第1楽章の繰り返しも忠実に履行されてゐる。とは云へ、新世界交響曲には個性的な名演が多く、ケルテスの新旧両盤を第一等にはしない。余白に収録された管弦楽曲も良い。ロンドン交響楽団の充実した合奏が素晴らしい。(2010.7.17)

シューベルト:交響曲第1番、同第2番、「悪魔の別荘」序曲/ウィーン・フィル/イシュトヴァーン・ケルテス(cond.) [Decca 430 773-2]
シューベルトの交響曲を全集録音した指揮者は多くはゐない。特に第1番は個別に取り上げて録音される機会が滅多にないので重宝する。加へてシューベルトといふ作曲家と血の繋がりを感じさせるウィーン・フィルの演奏が理想的だ。習作と見なされ勝ちな第1番を堂々たる押し出しで仕上げたケルテスの指揮も見事で、第1楽章や第4楽章のコーダにおける壮大な全奏の響きは聴き応へがある。この曲の首席を占めるべき録音と云へよう。第2番も同様に立派な演奏だが、この曲にはトスカニーニの驚嘆すべき名演があるので、遜色を感じるのは止むを得ない。隠れた名曲である「悪魔の別荘」序曲も充実した名演だ。管楽器だけで奏される中間部―特にトロンボーンの合奏が印象的である。(2006.10.4)

シューベルト:交響曲第4番「悲劇的」、同第5番、「フィエラブラス」序曲/ウィーン・フィル/イシュトヴァーン・ケルテス(cond.) [Decca 430 773-2]
再びケルテスのシューベルトの交響曲全集録音を聴く。ウィーン・フィルの美しい響きとケルテスの快活でありながら堂々とした風格のある音楽が見事に融合した名演ばかりで、語り落としてはならない全集録音である。特にハ短調といふ劇的な調性でベートーヴェンを強く意識した第4番は屈指の名演だらう。第2楽章の素朴な歌謡とシューベルトには珍しく凝つたヘミオラのリズムを多用した第3楽章を両立出来る指揮者は少ない。それに、悲劇的といふ名に従ひ刺激的な演奏は多いが、貧血気味の演奏が多い。豊麗さと気品も備へたケルテス盤は最も優れた演奏と云へる。第5番も立派だ。しかし、この華奢な曲はウィーン情緒に溺れたヴァルター盤のことがどうしても忘れられないのだ。シューベルトの完成された最後の歌劇作品である「フィエラブラス」の序曲は魅力的な曲だ。壮麗な響きによる極上の名演だ。(2011.5.6)

シューベルト:交響曲第6番、未完成交響曲、序曲ハ長調/ウィーン・フィル/イシュトヴァーン・ケルテス(cond.) [Decca 430 773-2]
再びケルテスのシューベルトの交響曲全集録音を聴く。第6番は爽快かつ流麗な演奏で仕上がりは上々だが、穏当過ぎる嫌ひがあり、全集録音の中では感銘が弱い。特に第2楽章や第3楽章中間部などは薄口で、もう少し侘びた情感が欲しい。軽快な第4楽章の躍動感は見事であり、コーダではグレイト交響曲を確と予感させて呉れる。この曲の録音ではシェルヘン盤が突出してゐる。未完成交響曲は常套的な演奏で個性的な箇所はないが、ヴァイオリンやオーボエの哀愁を帯びた節回しが大変美しい。流石はウィーン・フィルだ。序曲が素晴らしい。イタリア風の陽気さが全開だ。同じ調性の第6番―作曲時期もほぼ同じだ―と並べて聴くと瓜二つで実に愉快だ。この曲には鮮烈なマルケヴィッチ盤があつたが、ケルテス盤はその上を行く名演だ。(2013.7.7)

シューベルト:交響曲第3番、グレイト交響曲/ウィーン・フィル/イシュトヴァーン・ケルテス(cond.) [Decca 430 773-2]
再びケルテスのシューベルトの交響曲全集録音を聴く。当初、名曲である未完成交響曲とグレイト交響曲、及び3つの序曲が1963年に録音された。その後、1970年になつてから交響曲全曲録音へと発展し、翌年に全集が完成した。最も優れた全集が誕生する契機となつたのはグレイト交響曲の名演があつたからに他ならない。巨匠らの名演に引けを取らない威風堂々たる演奏で、悠然とした歌心、転調における哀感、情熱的な強奏、屈指の名演である。この名曲には名盤が多いのでケルテス盤が埋もれて仕舞ひ勝ちだが、忘れてはならない録音である。最後の音をアクセントではなく、ディミュヌエンドとしてゐるのも面白い。第3番も優れた名演である。少々穏当過ぎる嫌ひがあるが、優美なウィーン・フィルの美質を引き出してをり素晴らしい。クライバー親子らのやうな強い個性はないが、完成度が高い名盤なのだ。特に第4楽章の躍動は天晴痛快だ。(2010.4.10)

モールァルト:交響曲第25番、同第29番、同第35番「ハフナー」/ウィーン・フィル/イシュトヴァーン・ケルテス(cond.) [Decca 476 7401]
ケルテスはウィーン・フィルと良好な関係を築き上げた。ケルテスは良くも悪くも正統派で、外連めいたことはしない。王道の音楽を響かせるからウィーン・フィルと良い仕事が出来たのだらう。反面、特色には乏しいから五月蝿い聴き手には物足りない。モーツァルトの交響曲の録音だが、実に保守的でウィーン・フィルに任せたやうな演奏だ。中では第29番が白眉だ。この曲には過度な味付けは不要であり、作為が過ぎると煩はしい。ケルテスの指揮は品格があり、覇気があり、優美さを兼ね備へてゐる。これ以上ない理想的な演奏で、かつ退屈さのない絶妙な中庸さなのだ。ホルンの盛り上げも良く、美しい弦の躍動も栄えてゐる。第35番も素晴らしい。これといつた特色はないが、祝典的な美しさが天晴だ。第25番は良くない。緊張感が不足してゐる。疾風怒濤の楽想だけに劇的な要素が欲しい。(2012.11.7)

モーツァルト:レクィエム、カンタータ「フリーメーソンの喜び」、小カンタータ「我らが喜びを高らかに告げよ」、フリーメーソンの為の葬送音楽/エリー・アメリンク(S)/ウィーン国立歌劇場合唱団/ウィーン・フィル/ロンドン交響楽団/イシュトヴァーン・ケルテス(cond.)、他 [Decca 476 9781]
熱い演奏だ。兎に角合唱団が素晴らしい。冒頭のバスの合唱から圧倒される。男性合唱の威厳と壮麗さは比類がない。初めて聴いた時は鎮魂や祈りとは程遠く、歌劇を聴いてゐるやうに感じ、レクィエムへの先入観から戸惑ひを覚えたことを告白しよう。その印象は変はらないが、男性合唱の抗し難い魔力に完全に屈した。女性合唱は清らかで力みの無い自然な歌唱で美しい。男性合唱との対比が見事だ。独唱陣も同じくらゐ素晴らしい。四重唱のアンサンブルは奇蹟的な美しさで、特にアメリンクは天使のやうだ。オーケストラも熱く明るい。自然な呼吸があり生命力に溢れてゐる。従つて件のやうに唯一難癖を付ければ暑苦しく、陰鬱な鎮魂曲らしくないことだ。この曲は往々にして文学的な解釈で演奏されて来た。ケルテスは徹頭徹尾音楽的に演奏した。その姿勢が気持ち良い。余白にはロンドン交響楽団とのフリーメーソンの為の音楽が3曲収録されてゐる。これはケルテスの偉業である全10曲の全集録音から選曲されたものなので、別の機会に述べよう。(2015.5.14)

ハイドン:交響曲第88番、同第98番、同第101番「時計」/フィルハーモニア&ニューフィルハーモニア管弦楽団/オットー・クレンペラー(cond.) [EMI CMS 763667 2]
クレンペラーがセッション録音で残したハイドンの交響曲を集成した3枚組。1枚目を聴く。云はずもがなクレンペラーによるハイドンは大編成の重厚な演奏で、往年の巨匠によるハイドン演奏でも一際重い。丁寧で立体的で生真面目な演奏は立派だが、ハイドンのユーモアは一寸聴こえてこない。さうではあつても己の姿勢を変へないクレンペラーの頑固さは一種特別な訴へ掛けがあるのだ。第88番の冒頭から格調高い響きに圧倒されて仕舞ふ。揺るがない音楽、真摯な取り組みは素朴なハイドンの音楽の純粋さを際立たさせ、聴く者を唸らせる。第88番は大指揮者たちの名演が揃ひ踏みしてゐるが、クレンペラーの録音もそのひとつとして推奨出来る―絶対的な演奏はアーベントロートだが。第101番は大編成でも栄える曲だ。実に立派な演奏だが、モントゥーや更に古くはトスカニーニの名盤があり、それらを凌ぐほどの感銘は受けなかつた。寧ろ第98番が良いだらう。曲は少々地味だが、精緻なクレンペラーの表情付けが素晴らしい。もう少し活気があると決定的名盤と推せるのだが。(2012.4.3)

ハイドン:交響曲第95番、同第100番「軍隊」、同第102番/ニューフィルハーモニア管弦楽団/オットー・クレンペラー(cond.) [EMI CMS 763667 2]
クレンペラーがセッション録音で残したハイドンの交響曲を集成した3枚組。2枚目を聴く。大編成による堂々たる交響楽を楽しめる。素晴らしいのは第102番だ。トゥッティの鳴りが立派で心地良く、掛け合ひの絶妙さは神々しさすら感じる。テンポは決して遅くなく、躍動感溢れるアーティキュレーションが聴ける。ハイドンが随所に仕掛けたリズムの薬味を存分に味はへる。次いで第100番が良い。第1楽章は軽快で実に快適だ。細部まで神経が通つてをり、全ての楽器が邪魔することなくお喋りをしてゐる。カデンツを丁寧に聴かせるのも良い。軍楽隊風の箇所における打楽器の扱ひも外連がなく揺るぎのない音響が素晴らしい。第95番は3曲の中では幾分感銘が落ちる。丁寧過ぎる嫌ひがあり、暫し音楽が弛緩する箇所がある。楽曲が短調を主張し過ぎない為もあるのだらう、散漫の気が生じて仕舞つた。弦楽器の独奏が繊細で素晴らしい。(2012.5.25)

ハイドン:交響曲第92番、同第104番/ニューフィルハーモニア管弦楽団/オットー・クレンペラー(cond.) [EMI CMS 763667 2]
クレンペラーがセッション録音で残したハイドンの交響曲を集成した3枚組。3枚目を聴く。堂々たる第104番が名演だ。ハイドン最後の大交響曲は古楽器による軽快で爽やかな演奏よりも、巨匠らの重厚な演奏の方がしっくりくる。クレンペラーはその最たるものだが、決してテンポが遅い訳ではない。フル・オーケストラが鳴り切つた表情豊かな演奏で、細部まで立派に彫琢がなされていることに感銘を受ける。即興的なシューリヒトの演奏ほどの面白味はないが、不動の名盤だらう。第92番も素敵な演奏だが、躍動的な第4楽章を除けば印象が薄い。全8曲の録音の中でも低調な演奏に属する。曲がもう少し軽やかさを求めるからだらうか、もたついた感じがある。この曲ではアンチェルがコンセルトヘボウに客演した際のライヴ録音が忘れられない。(2012.7.24)

ベートーヴェン:交響曲第1番、同第6番「田園」/フィルハーモニア管弦楽団/オットー・クレンペラー(cond.) [EMI 50999 4 04275 2 2]
クレンペラーのEMI録音大全集中、ベートーヴェンの交響曲と序曲の録音を網羅した10枚組。ステレオ録音初期に集中的に行はれた全集録音はクレンペラーの代表的名演であり、揺るぎのない名盤である。第1交響曲は堂々たる威容で聴かせる。遅めのテンポで細部まで神経を通はせたクレンペラー流儀の名演だ。弱音での丁寧な表情と強音での重厚な音響は流石だ。とはいへ、第1交響曲にしては荘重過ぎるかもしれぬ。第3楽章などに鈍さを感じる。田園交響曲も立派この上ない。標題を意識しない演奏で、第1楽章の立体的なアンサンブル、第2楽章の雄大な広がり、第5楽章の格調高い昂揚と寂寥感すら感じさせる弱音の対比など実に素晴らしい。しかし、第3楽章は土臭さや楽しさに欠け、嵐も表面的だ。一長一短だが、良さが断然勝る。(2015.7.5)

ベートーヴェン:交響曲第2番、同第5番/フィルハーモニア管弦楽団/オットー・クレンペラー(cond.) [EMI 50999 4 04275 2 2]
クレンペラーのEMI録音大全集中、ベートーヴェンの交響曲と序曲の録音を網羅した10枚組。第2交響曲は大変立派な演奏だ。細部まで神経を行き届かせ、全ての音符を堂々と鳴らす。だが、クレンペラーにしてはテンポが遅くなく中庸で、云つて仕舞へば毒にも薬にもならない演奏だ。どの部分と取つても穏当な演奏でこの曲の名盤として挙げる要素が特にない。第5交響曲は如何にもクレンペラー流儀のどっしりとした構への演奏で謹厳かつ格調高い名演だ。だが、心に訴へ掛ける類ひの演奏かと問はれると困る。ベートーヴェンの全作品の中でも魂を揺さぶる曲だけにクレンペラーの解釈は戴けない。細部は素晴らしいが、全体ではときめかないからだ。(2015.12.23)

シューベルト:未完成交響曲、グレイト交響曲/フィルハーモニア管弦楽団/オットー・クレンペラー(cond.) [EMI 50999 4 04309 2 8]
クレンペラーのEMI録音大全集中、ロマン派音楽で編纂された10枚組。私見ではベートーヴェン交響曲全集に次ぐ充実した重要な箱物だ。1枚目のシューベルトを聴く。出来は未完成交響曲の方が圧倒的に良い。細部まで神経を通はせ、重厚かつ暗い響きで曲の深淵を抉る。ただ、クレンペラーには1968年にウィーン芸術週間に客演した際のウィーン・フィルとのライヴ録音が別格の名演だつたから、このセッション録音も霞む。ウィーン盤は未完成交響曲随一の名演なのだ。グレイト交響曲は然程感銘を受けなかつた。第2楽章の深みは流石だが、全体を通じての特別な感興は薄い。第3楽章トリオでは弦が終始ピッツィカートで演奏してゐるのは大胆な改変であるが、成功してゐるかだうかは甚だ疑問だ。第4楽章の最後はデクレッシェンドを採用してゐるやうだが、中途半端なので気付かないくらゐだ。(2016.5.10)

ヴェーバー:「魔弾の射手」「オイリアンテ」「オベロン」序曲、シューマン:「ゲノヴェーヴァ」「マンフレッド」序曲、シュトラウス:「こうもり」序曲、ウィーン気質、皇帝円舞曲/フィルハーモニア管弦楽団/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団/オットー・クレンペラー(cond.) [EMI 50999 4 04309 2 8]
クレンペラーのEMI録音大全集中、ロマン派音楽で編纂された10枚組。私見ではベートーヴェン交響曲全集に次ぐ充実した重要な箱物だ。6枚目の序曲集を聴く。ヴェーバーでは重厚な魔弾の射手が好演だ。しかし、保守的で面白い演奏と迄は云へない。オイリアンテとオベロンの序曲は鈍重過ぎて良くも悪くもクレンペラー節だ。響きは立派だが感興には乏しいのだ。シューマンがどちらも名演だ。特にマンフレッドが格調高い。ゲノヴェーヴァも仄暗いロマンが充溢してをり良い。シュトラウスが個性的で流石はクレンペラーだ。こうもりの序曲は遅いテンポが立派さを付与し、細部の正確さが軽佻さを払拭してゐる。一方で、活力と官能もあり実に魅惑的な名演なのだ。ウィーン気質も哀愁が漂ひ素晴らしい。圧巻は皇帝円舞曲だ。堂々たる威容に圧倒される。(2015.3.22)

ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲、「プルチネッラ」組曲、ヴァイル:小さな三文音楽/フィルハーモニア管弦楽団/オットー・クレンペラー(cond.) [EMI 50999 4 04401 2]
クレンペラーのEMI録音大全集中、20世紀の音楽で編纂された4枚組。1枚目はストラヴィンスキーとヴァイルだ。ヴァイマール期のクレンペラーは現代音楽の旗手としてクロール劇場を拠点に物議を醸してゐた。小さな三文音楽はヴァイルに委嘱し、初演をしてゐる―録音も行つた。だが、クレンペラーはその後大いなる変遷を経て、20世紀音楽の刺激的な推進者といふ面影を潜めた。否、クレンペラーは前衛の精神を失つたのではなく、結果として保守的な王道の楽曲で評価され成功したに過ぎない。ストラヴィンスキーの交響曲は第1楽章が重厚で揺るぎない弩級の名演で聴き応へがある。丁寧な第2楽章も良い。但し、第3楽章はテンポが遅過ぎて形を失ひ良くない。プルチネッラは解剖学的な名演で細部に面白みがあり、普通は聴こえてこない声部が浮き上がつてくる。オーケストラも巧く、精緻で素晴らしい。難点を挙げれば、無骨で融通が利かず感情的な揺れがないので、本来の楽想―明るく軽く楽しい音楽―とは齟齬があるといふことだ。ヴァイルもまた晩年のクレンペラーの演奏様式による堅固で格超高い名演だ。サクソフォンの巧さも光り、雰囲気たっぷりの音楽を楽しめる。だが、これは古典となつたヴァイルの演奏であり、作曲当時の前衛を伝へる演奏ではない。(2014.7.5)

マーラー:大地の歌/クリスタ・ルードヴィヒ(Ms)/フリッツ・ヴンダーリヒ(T)/フィルハーモニア&ニューフィルハーモニア管弦楽団/オットー・クレンペラー(cond.) [EMI CDC 7 47231 2]
大地の歌の最高の名盤はヴァルターのDECCA盤であるといふ思ひは変はらない。だが、肉迫する特別な名盤としてこのクレンペラー盤のことを語らずにはをれない。ヴァルターと同じくマーラーの弟子として第一線を切り開いてきたクレンペラーは、耽美的で親しみ易さを残してきたヴァルターとは異なる立場でマーラーを取り上げてきた。当盤の演奏も甘美な趣に溺れることなく、細部に神経を通はせた明晰な演奏となつてゐる。交響的な構築の立派さは無類で、オーケストラの訴へかけは深い感銘を与へて呉れる。テノールのヴンダーリヒが素晴らしい。若々しさがある甘い歌声は威勢が良く、官能的な薫りも漂はせてをり絶品だ。ヴァルター盤の作為的なパツァークの歌唱も魅力的だが、自然体で思ひの丈を歌つたヴンダーリヒの名唱も並び賞したい。ルードヴィヒも良いのだが、大地の歌はアルトの為の楽曲でメゾソプラノのルードヴィヒでは重みに欠ける。遅めのテンポによる第4楽章も存外軽く感じて仕舞ふ。(2012.2.13)

メンデルスゾーン:真夏の夜の夢/エディット・マティス(S)/ブリジッテ・ファスベンダー(Ms)/バイエルン放送交響楽団と合唱団/オットー・クレンペラー(cond.) [GOLDEN Melodram GM 4.0069]
1969年5月23日の演奏会記録で、11曲の抜粋で演奏されてゐる。クレンペラーにはフィルハーモニアとのEMIへの正規セッション録音がある。それはスケルツォやノクターンの凡庸な演奏を含むが、間奏曲や結婚行進曲が特上の名演で、それにも増して独唱と合唱団のメルヒェン豊かな歌唱―英語歌唱による「ララバイ」の美しさは忘れ難い―で古今無双の位置を占めるクレンペラーの代表的名盤であつた。当盤はフィルハーモニア盤にはない間奏曲を1曲含むのと、ドイツ語歌唱といふことで独自の価値がある。全体にクレンペラー流儀の遅いテンポで、序曲やノクターンの仄暗い雰囲気は特に素晴らしい。しかし、他の曲はフィルハーモニア盤には及ばない。結婚行進曲然り、妖精の歌然り。声楽陣は立派だが、幻想的な妙味は余り感じられない。(2007.2.3)

メンデルスゾーン:フィンガルの洞窟、ハイドン:交響曲第101番「時計」/バイエルン放送交響楽団/オットー・クレンペラー(cond.) [GOLDEN Melodram GM 4.0069]
メンデルスゾーンは真夏の夜の夢と同日の演奏。クレンペラーの特徴的な重いテンポによる演奏で巨大な威容を聴かせる。弱音における荘厳さは素晴らしいものの、音楽が激してきても微動だにしないので物足りない。方向性を求める音楽を好む向きには凡庸に聴こえて仕舞ふ。1956年10月19日の演奏会記録であるハイドンは、昨今の古楽器による演奏とは対極にある堂々たる恰幅で聴き応へがある。鈍いと感じる箇所も散見されるが、総じて名演と云へる。(2007.3.7)

ベートーヴェン:交響曲第1番、同第2番、「プロメテウスの創造物」序曲/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団/フランツ・コンヴィチュニー(cond.) [Corona Cl.collection 0002172CCC]
名匠コンヴィチュニーの録音を集成した箱物の第1巻11枚組より。高名なベートーヴェン交響曲全集録音だ。ピリオド楽器への指向が浸透した現代においては忘却の一途を辿つてゐるが、かつては伝統保守の牙城として声高に賞讃されてきた名盤である。改めて聴いて、粗探しをする気をなくさせる名演と感じた。重厚な響きが特徴だが、各楽器の輪郭を際立たせるよりも渾然となつた合奏の厚みに良さがある。解剖学的な演奏よりも、楽想を鷲掴みした豪快さの方がベートーヴェンには相応しいといふことか。新鮮さとは無縁で、刺激的な演奏ではない。予定調和の安定感は退屈さと隣り合はせだ。しかし、野暮なのが良いのだ。第1交響曲は堂々としてをり立派だ。第2交響曲では終楽章の燃焼が特に素晴らしい。序曲も名演だ。(2015.10.17)

メンデルスゾーン:スコットランド交響曲、ヴァイオリン協奏曲/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団/イーゴリ・オイストラフ(vn)/フランツ・コンヴィチュニー(cond.) [Corona Cl.collection 0002322CCC]
名匠コンヴィチュニーの録音を集成した箱物の第2巻11枚組。7枚目はメンデルスゾーン作品であるが、この1枚は少々特別な価値を持つ。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団はメンデルスゾーン所縁の楽団であるからで、楽団の良さを引き出してゐた楽長コンヴィチュニーの演奏となれば興味深い。スコットランド交響曲の冒頭や第3楽章の古色蒼然とした渋い響きには滅多に聴けない風格があり、楽曲の神髄を極めてゐる。外連の全くない実直そのものの演奏は、効果ばかり狙ふ音楽家からは得られない熟成された味はひがある。しかし、全体的には鈍重で、情動的な興奮がなく、アンサンブルも大雑把で輪郭がぼやけてをり、のっぺりした演奏に感じて仕舞ふ。また同種の演奏にクレンペラーの名盤があるのも苦しい。協奏曲は大オイストラフではなく、息子のイーゴリの演奏だ。艶と線の太さはないが、父と瓜二つの奏法で中々の名演だ。とは云へ、数多あるこの曲の録音の中で特別な価値がある演奏ではない。(2011.12.25)

モーツァルト:交響曲第39番、同第40番、同第41番「ジュピター」/ロンドン交響楽団/イスラエル・フィル/ヨーゼフ・クリップス(cond.) [DECCA 473 122-2]
これら三大交響曲の演奏は、優美でおつとりした歌が特徴であり、ブルーノ・ヴァルターやベームの指揮したモーツァルトの録音を愛する人には推薦出来る。急がず騒がず平穏安泰な演奏であるが、クリップスだけの個性も彼処に聴ける。レガート奏法を多用してをり、特にアウフタクトでアクセントを伴はないテヌートを指示するところは好き嫌ひが分かれるだらう。昨今の古楽器楽団による演奏を聴き慣れた耳にとつては、平板なリズムが退屈で、古めかしい演奏に聴こえるのは確かである。(2004.12.19)

ブラームス:交響曲第4番、ドヴォジャーク:チェロ協奏曲/ロンドン交響楽団/ザラ・ネルソヴァ(vc)/ヨーゼフ・クリップス(cond.) [DECCA 473 124-2]
ブラームスの交響曲は、オーケストラが立派でよく鳴つてをり、アンサンブルは上等で隙がなく、誠実で美しい演奏である。しかし、魅力に乏しく水準程度の演奏であると云はざるを得ない。まろやかで当り障りのない演奏あることが最大の原因であらう。名曲だけに懐に一歩踏み込んだ告白が聴きたい。ドヴォジャークの協奏曲にも同様のことが云へ、音楽が停滞してゐる箇所も散見される。ネルソヴァの独奏は見事だが、一頭抜きん出た魔性を秘めてゐるとは思へない。(2007.8.26)

モーツァルト:交響曲第31番「パリ」、シューベルト:未完成交響曲、シューマン:交響曲第4番/ロンドン交響楽団/ヨーゼフ・クリップス(cond.) [DECCA 473 124-2]
モーツァルトの交響曲が抜群に素晴らしい演奏。往時によく見受けられた豊麗で上品なロココ調のモーツァルトであるが、音が躍動してをり、颯爽とした印象が好ましい。第1楽章ではクリップスの端正な美質を堪能出来る。終楽章中間部のフガートも流麗で、縦の構造よりも横の歌が勝つてゐる。シューベルトとシューマンは薄口の演奏で物足りない。特に、未完成交響曲における第2楽章中間部の歌が余所事のやうで閉口した。この天国的な旋律に呑まれてしまうほどの浪漫的な演奏をしてくれないと困る。(2004.9.19)

チャイコフスキー:交響曲第5番、R・シュトラウス:「サロメ」終幕、ベートーヴェン:「ああ不実なる者よ」/ウィーン・フィル/インゲ・ボルク(S)/ヨーゼフ・クリップス(cond.) [DECCA 473 125-2]
チャイコフスキーはクリップスの最もよく知られた名演であり、ウィーン・フィルの上品で芳醇な響きを堪能出来る。雅なオーボエやホルン、甘く豊かな弦楽器群、節度ある金管・打楽器。これはウィーンのチャイコフスキーだ、と難癖を付けるのは意地が悪い。これだけ上等な演奏はさうはあるまい。全体的に豊麗で平穏な印象だが、終楽章の半ばでアジタート気味の表情を見せるのが愉快だ。抱合はせの2曲は、サロメとエレクトラでは随一の歌唱を聴かせたボルクの貴重な録音。緊張感を醸し出す暗めの声が、劇的な曲想に相応しい。「サロメ」はライナーとの録音がある為幾分遜色があるが、ベートーヴェンが格調高い名唱として価値がある。(2004.8.12)

ハイドン:交響曲第94番・交響曲第99番、メンデルスゾーン:イタリア交響曲/ウィーン・フィル他/ヨーゼフ・クリップス(cond.) [DECCA 473 126-2]
クリップスは通好みの指揮者と云へるが、ウィーン・フィルと録音した2曲のハイドンは世評遍く知れ渡る名演である。第94番「驚愕」は名曲だけに、他の指揮者の名演が揃ひ踏みしてゐるが、第99番となるとクリップスの独擅場だ。ウィーン・フィルから流麗で爽快な音を引き出し、愉悦に充ちたハイドンを聴かせてくれる。第1楽章では目まぐるしく変化する長調と短調が手際良く捌かれ、ハイドンの企んだ仕掛けを堪能出来る。ロンドン交響楽団とのメンデルスゾーンは同傾向の名演であるが、長く記憶に刻まれる類ひのものではない。(2004.7.17)

ヘンデル:水上の音楽、王宮の花火の音楽/ベルリン・フィル/フリッツ・レーマン(cond.) [ARCHIV 457 758-2]
1951年から1952年にかけての録音。1947年にアルヒーフ・レーベルが設立された当初、中心的な指揮者のひとりがレーマンであつた。バッハの録音が知られるが、このヘンデルも重要な遺産だ。それ迄ハミルトン・ハーティ編曲版で人口に膾炙してゐた水上の音楽だが、後に主流となるグリュザンダー版での演奏はこのレーマン盤が最初だらう。使用楽譜だけではない、19世紀ロマン主義音楽観の影響下からの脱却を計り、古楽復興の先鞭を付けた録音として高く評価出来る。フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルを振り、黒光りのする重厚な響きを特徴とし乍らも、凭れることなく壮麗で絢爛たるヘンデルの音響世界を颯爽と創出した手腕は唯事ではない。モダン楽器による現代奏法ではあるが、今日の耳で聴いても古めかしく感じないどころか、学究的な演奏が陥る色気の無さからも遠く、生気に溢れた音楽を聴かせるのは絶妙この上ない。王宮の花火の音楽の序曲に聴かれる覇気漲る威光も最高。(2013.11.19)

ベートーヴェン:交響曲第1番、同第2番、「レオノーレ」序曲第3番/ロイヤル・フィル/ルネ・レイボヴィッツ(cond.) [SCRIBENDUM SC041]
1961年にリーダーズ・ダイジェストなる会員頒布方式のレーベルに録音されたベートーヴェン交響曲全集の隠れた名盤。俊足のテンポで押し通すが雑にならず、因習から解き放たれた明晰さを全9曲で徹頭徹尾貫いた稀代の名演の連続で、録音状態が良く、忌憚なく云へば最高の全集盤だ。第1番は爽快極まりなく、あらゆる声部を鮮明に聴かせた名演で、全9曲中でも最上の出来と云へる。躍動と刺激が途切れることがない。第2番は予てより名盤と誉れ高い。アンサンブルの難曲を巧みな手綱で引き締め、澱みなく邁進する極上の名演。細部の仕上がりも見事だ。ベートーヴェンが盛り込んだ夥しいスフォルツァンドも電光のやうな閃きで捌いて行く。トスカニーニの1939年のツィクルス・ライヴの覇気には及ばないが、音質を考慮してレイボヴィッツ盤を並べて讃へたい。序曲は如何なる訳か凡庸な演奏で、些とも面白くない。(2008.11.10)

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、同第4番/ロイヤル・フィル/ルネ・レイボヴィッツ(cond.) [SCRIBENDUM SC041]
1961年にリーダーズ・ダイジェストなる会員頒布方式のレーベルに録音されたベートーヴェン交響曲全集の隠れた名盤。兎に角テンポが速めで、現代の古楽器による演奏様式を先取りした驚異の演奏である。エロイカ交響曲は今もつて刺激的な演奏だ。戦前の巨匠神話が健在であつた時代は、この曲の偉大さを表出することで鎬を削つたが、近年は作曲当時の演奏様式に則つたと称する皮相で軽薄な演奏ばかりが増えた。レイボヴィッツ盤は似て非なる演奏で、自己の信念で新しい音楽を創造しようとする気概が凄まじく、音楽の歴史に革命を起こした交響曲に相応しい。特に3拍子と2拍子が拮抗しながら燃焼する第3楽章は秀逸だ。第4番も爽快この上ない。第1楽章序奏から抜けた主部の若々しい前進性、第3楽章の躍動するヘミオラ、超特急で驀進する第4楽章。しかも全体の勢ひだけでなく、細部の動きをも際立たせた名演なのだ。第2楽章が淡白なのが惜しい。(2008.12.17)

ベートーヴェン:交響曲第5番、同第6番「田園」/ロイヤル・フィル/ルネ・レイボヴィッツ(cond.) [SCRIBENDUM SC041]
1961年にリーダーズ・ダイジェストなる会員頒布方式のレーベルに録音されたベートーヴェン交響曲全集の隠れた名盤。きりりと引き締まつたテンポ、鋭いアーティキュレーション、全声部を偏重なく鳴らすレイボヴィッツの刺激的なベートーヴェン解釈は中期傑作の森の名曲でも遺憾なく発揮されてゐる。しかし、如何なる訳か他の番号の曲ほど面白くない。レイボヴィッツの演奏は因習を脱却し、総譜から読み取れる音楽を純粋に、しかも十二音音楽を経験した現代的な感覚で再構築したものなのだが、恐らくこの2つの交響曲が単純な動機を繰り返して積み上げて行く曲だから、逆に音符の背後にある色彩や内面の緊張などが肝要なのだ。感情や心象を投影することを音楽に求めたベートーヴェンの音楽の方が偉大であつたといふことか。(2009.12.5)

ベートーヴェン:交響曲第9番/インゲ・ボルク(S)/リチャード・ルイス(T)/ルートヴィヒ・ヴェーバー(Bs)/ビーチャム合唱協会/ロイヤル・フィル/ルネ・レイボヴィッツ(cond.)、他 [SCRIBENDUM SC041]
1961年にリーダーズ・ダイジェストなる会員頒布方式のレーベルに録音されたベートーヴェン交響曲全集の隠れた名盤。第9交響曲も刺激的な演奏だ。ベートーヴェンのメトロノーム記号を遵守する試みを初めて断行したレイボヴィッツの演奏は、現代の古楽器団体と指揮者が行ふ演奏の全てを先取りしてをり、特に12分半で駆け抜ける第3楽章は今日でも最速の演奏のひとつだ。第2楽章のトリオや第4楽章冒頭のレチタティーヴォも容赦なく快速調だ。第1楽章再現部の爆発も凄まじい。全9曲の中でも特にレイボヴィッツの良い面が出た演奏だ。歌手はボルク、ジーヴェルト、ルイス、ヴェーバーと重量級を揃へてゐる。先陣を切るヴェーバーはやや時代がかつた歌唱で感興を殺ぐが、女性陣が加はると音楽が発火する。独唱陣ではボルクが図抜けて良い出来だ。また、合唱団の燃焼は圧巻で終盤は呑み込まれて仕舞ふ。余白や間合ひのない演奏には好き嫌ひが分かれるだらうが、全く古びることのない慧眼に充ちた演奏である。(2014.5.1)

ムソルグスキー:禿げ山の一夜、展覧会の絵/ロイヤル・フィル/ルネ・レイボヴィッツ(cond.) [Analogue Productions CAPC 2659 SA]
奇才レイボヴィッツの代表的な録音で優秀録音でも知られる1枚だ。特に禿げ山の一夜は大胆な編曲で下手物好きには堪へられない魅惑を備へてゐる。冒頭の明滅する瞬発的なクレッシェンドとディミュヌエンドからして通常の演奏と異なることが察知出来るが、小太鼓、シロフォン、ウインドマシーンなどを動員して奇々怪々な百鬼夜行を描写する様は実に痛快だ。レイボヴィッツ盤の最大の特徴はリムスキー=コルサコフ編曲版に凡そ準拠してゐると思ひきや、夜明けの悪霊退散では終らず、不気味な末法感を刻印して後味悪く終ることだ。原典版が認知された昨今では改変の刺激も薄れ、演奏におけるグロテスクな表現ではストコフスキー盤が一頭抜きん出てゐるとは云へ、色彩的かつ猟奇的な面白みで広くお薦めしたい録音だ。展覧会の絵は幾つかの効果音の追加はあるが、基本的にはラヴェルの編曲に沿つてゐる。禿げ山の一夜の印象が強烈なので、レイボヴィッツによる独自の編曲を期待すると肩透かしを食らう。だが、演奏は描き分けが克明で大変素晴らしい。管楽器独奏も名手が揃つてをり見事だ。寧ろ正攻法の名演と云へる。(2013.6.14)

モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」、シューベルト:グレイト交響曲/ロイヤル・フィル/ルネ・レイボヴィッツ(cond.) [SCRIBENDUM SC510]
奇才レイボヴィッツのリーダーズ・ダイジェスト録音集13枚組。米Cheskyから復刻があつたが、入手困難だつたので愛好家は狂喜乱舞したであらう。ふたりの早世した作曲家が最後に書いた交響曲、それも明晰なハ長調で書かれた交響曲がひとつに収まつた1枚だ。現代音楽の旗手が分析的な指揮で明朗快活に演奏をし、快速調のテンポ、淀みない音響、整つたアンサンブルで貫かれてゐる。ジュピター交響曲はシューリヒトを想起させる颯爽とした演奏だが、時にたゆたふシューリヒトとは一線を画す理知的な演奏だ。浮遊感のある第1楽章、疾走する第3楽章も素晴らしいが、薄手の室内楽的な響きで透徹した音楽を奏でた第4楽章が良い。グレイト交響曲も室内楽的な演奏を追求してをり、録音された時代を考へれば前衛的な演奏だ。浪漫の発露とは無縁で、歌謡性の面では物足りない箇所もあるが、全ての声部が鮮明に聴こえ、シューベルトが願つた音楽が再現されてゐる。2曲とも隠れた名演だ。(2016.6.13)

メシアン:トゥーランガリーラ交響曲/フランス国立放送管弦楽団/イヴォンヌ・ロリオ(p)/ジャンヌ・ロリオ(oM)/モーリス・ルルー(cond.) [ACCORD 465 802-2]
1961年にメシアン監修の下で行はれたトゥーランガリーラ交響曲の記念碑的な初セッション録音。20世紀を代表する交響曲だけに優秀な最新録音で聴きたい曲ではあるが、メシアンの薫陶を受けた精鋭で固められた初録音を凌駕する演奏が少ないのも事実である。ピアノがメシアンの奥方にして伝道師イヴォンヌ・ロリオ、その妹でオンド=マルトノの伝説的な名手ジャンヌ・ロリオの組み合はせは絶対的だ。そして、前衛音楽の旗手であるルルーの指揮も天晴だ。当盤よりも部分的に優れた録音はある。特に音響では当盤は分が悪いし、表現も中庸で大人しい。だが、新境地を切り開くべくこの録音に懸けた意気込みは唯事ではない。異教的な愛と死の音楽が閃光の如く明滅する。(2009.8.11)

ベルワルド:交響曲第3番「風変はりな交響曲」、同第4番、シューベルト:交響曲第4番/ベルリン・フィル/イーゴル・マルケヴィッチ(cond.) [DG 457 705-2]
19世紀スウェーデンの作曲家ベルワルドは玄人好みの作曲家だ。生前は全く評価されなかつたが、北欧の作曲家が活躍し出した19世紀末になつて独創性と先駆性が注目されるやうになつた。現在でも作品を聴く機会は少ないが、なかなか魅力的な交響曲がある。大胆なリズムで躍動するサンギュリエール交響曲の第3楽章が鮮烈だ。ナイーヴと当初は標題を付けられてゐた第4番終楽章の明るい昂揚も印象的だ。全般的に穏やかな抒情が美しく、北欧の作曲家に共通する爽やかな雰囲気が良い。ドイツの作曲家のやうな構築性を持たないが、奇想的なリズムと旋律、新鮮な和音進行で面白く聴ける。多分にベルリオーズの影響を受けてゐると感じる。かうした珍奇な曲を振らせてマルケヴィッチほど見事な裁量を示せる人はゐない。1950年代後半、鋼の合奏を聴かせたベルリン・フィルを従へて、決定的録音を残しベルワルド啓蒙を意気込む気魄が窺へる。シューベルトも極上の名演だ。ベルリン・フィルの鉄壁の演奏が圧倒的だ。第1楽章第2主題や第2楽章の悩ましい歌はせ方が素晴らしい。細部のパッセージも雄弁で、鋭いリズム処理が活きてゐる。疾走する第4楽章の熱気を帯びた様は最高だ。首位を占める名盤だ。(2011.9.20)

ストラヴィンスキー:兵士の物語、詩篇交響曲/ジャン・コクトー(語り)/モーリス・アンドレ(tp)/マヌーグ・パリアキン(vn)/イーゴル・マルケヴィッチ(cond.)、他 [PHILIPS 438 973-2]
兵士の物語は決定的とも云へる名盤で、これを凌駕する録音は一寸考へられない。作品の要である語り手は何と20世紀を代表する詩人のコクトーである。軽業師と評され、あらゆる藝術分野に偉才を発揮したコクトーはここでも名俳優振りを示し、聴き手を陋猥たる世界へと誘ふ。奇才マルケヴィッチの指揮の下7名の名手が妙技を繰り広げる。特に最も重要なパートであるトランペットに若き日のアンドレ、ヴァイオリンにパリアキンを得るといふ豪華さだ。この名盤の価値は演奏の素晴らしさだけに止まらない。ディアギレフによつて才能を開花したストラヴィンスキー、コクトー、マルケヴィッチの3者が、伝説的な興行師に精神的なオマージュを捧げた記念碑といふ意義を強調したい。詩篇交響曲も見事で、屈指の名演と云へるだらう。合唱に生気が足りないのが残念だが、管弦楽は素晴らしい出来栄えだ。(2007.2.16)

ストラヴィンスキー:ミューズの神を率いるアポロ、組曲第1番、組曲第2番、ノルウェーの抒情、サーカス・ポルカ/ロンドン交響楽団/イーゴル・マルケヴィッチ(cond.) [PHILIPS 438 973-2]
ストラヴィンスキーを得意とした奇才マルケヴィッチの名盤。特に2つの組曲は飛び切り生きのいい名演だ。第2番のギャロップの陽気な羽目の外しやうに心躍らぬ者はゐないであらう。次いでサーカス・ポルカが素晴らしく、安つぽい曲藝の危ふさが出色だ。4つのエピソードからなるノルウェーの抒情はグリーグを想起させる秘曲。各曲の描き分けが見事で充実した名演だ。これらの曲の録音を聴くとなると自作自演盤に頼ることになるのだが、満足出来る録音がないので、マルケヴィッチ盤の価値は極めて高い。演奏機会の多いミューズの神を率いるアポロは、精緻に磨き抜かれた名演だが、些か線の細い嫌ひがあり、ムラヴィンスキーの彫りの深い壮絶な演奏には及ばない。(2007.3.19)

メンデルスゾーン:イタリア交響曲、チャイコフスキー:1812年、「胡桃割り人形」組曲、シューベルト:イタリア風序曲、「アルフォンソとエストレッラ」序曲/日本フィル/イーゴル・マルケヴィッチ(cond.)他 [SCRIBENDUM SC014]
日本フィルとのイタリア交響曲が期待以上の素晴らしい出来だ。第1楽章の颯爽たる推進力は見事で、終楽章も鮮烈な名演だ。代表的な名盤として推奨したい。更に感銘深いのが、余り演奏されることのないシューベルトの2つの序曲で、恐らく最高の名演のひとつであらう。特にイタリア風序曲の若やいだ響きと爽やかなテンポには心躍る。モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団を振つたチャイコフスキーはオーケストラの力量が冴えず明らかな傷も散見される。デュナーミクの扱ひなどにマルケヴィッチならではの閃きがあるが、特別な価値のある録音ではない。(2007.5.6)

シューベルト:序曲ホ短調、プーランク:牝鹿、オーリック:うるさ方/モンテ・カルロ歌劇場管弦楽団/イーゴル・マルケヴィッチ(cond.)他 [SCRIBENDUM SC014]
ディアギレフ生誕100年の1972年7月、伝説の興行師の薫陶を受けたマルケヴィッチがオマージュを捧げるべく5曲の近代フランスのバレエ曲を録音した。ディアギレフはモンテ・カルロを活動の拠点としたこともあり、当地のオーケストラによる録音は大変意義深い。演奏は管弦楽の実力不足や録音状態への不満が吹き飛ぶほど、熱気と生命力に充ちてをり、比類のない決定的名演となつてゐる。プーランクの牝鹿は合唱を伴ふ大変珍しい初演版での演奏だ。ディアギレフにオマージュを捧げたマルケヴィッチならではの拘泥はりと云へる。雄渾な曲想が大半を占めるが、プーランクならではの健康的な憂愁が洒脱極まりない。オーリックの躍動的な曲も痛快だ。日本フィルとのシューベルトは1枚目のCDに収録されてゐた2曲の序曲と同様見事な出来で、最高の名演と云つて差し支へない。(2007.7.16)

サティ:びっくり箱、ミヨー:青列車、ソーゲ:牝猫/モンテ・カルロ歌劇場管弦楽団/イーゴル・マルケヴィッチ(cond.) [SCRIBENDUM SC014]
ディアギレフ生誕100年の1972年7月、伝説の興行師の薫陶を受けたマルケヴィッチがオマージュを捧げるべく5曲の近代フランスのバレエ曲を録音した。その全てをCD化したこの箱物は大変価値が高い。演奏は何れも申し分なく最高だ。特にサティ「びっくり箱」の乱痴気騒ぎは滅法痛快だ。コクトー、ピカソ、シャネルが関わつたバレエ・リュスの至宝であるミヨー「青列車」の演奏も豊麗なエスプリが溢れてゐる。曲・演奏共に最も充実した録音で、舞台の踊りまでもが髣髴とされる躍動感は見事だ。ソーゲ「牝猫」も軽快な舞踏と物憂い歌が交錯する多彩な表情を聴かせながら熱い昂揚を奏でる名演。(2007.8.21)

ミヨー:フランス組曲(管弦楽編曲版)、ピアノ協奏曲、春のコンチェルティーノ、ヴァイオリン協奏曲第2番、スカラムーシュ/ダリウス・ミヨー(cond.)、他 [DUTTON LABORATORIES CDBP 9711]
多作家であつたミヨーの自作自演集。ニューヨーク・フィルを振つたフランス組曲が粋な名演だ。元来は吹奏楽の為の曲だが、管弦楽版として演奏されてゐる。全5曲にはフランス各地の名が付いてをり、地方色豊かな音楽が楽しい。ミヨーの棒は愉悦に充ちた活気が漲つてをり大変素晴らしい。マルグリット・ロンの独奏によるピアノ協奏曲とルイス・カウフマンの独奏による春のコンチェルティーノとヴァイオリン協奏曲第2番といふ重要な録音のことは別項に譲る。尚、カウフマンとは別に、イヴォンヌ・アストリュックによる春のコンチェルティーノが収められてゐる。濃密で妖艶なカウフマンに比べ、洒脱なアウトリュックの方が曲想に添つてゐるが、やや芯の弱い嫌ひがある。自作自演ではないが、ピアノ連弾によるスカラムーシュの軽妙な感興は印象深い。聴く者を愉快な気分にさせる1枚だ。(2006.10.29)

ミヨー:屋根の上の牡牛、世界の創造/シャンゼリゼ劇場管弦楽団/ダリウス・ミヨー(cond.) [Charlin SLC17]
名録音技師と謳はれたアンドレ・シャルランが興したシャルラン・レーベルは玄人好みの録音ばかりだが、絶対に聴いてをきたい録音がある。ミヨーが自作自演をした当盤だ。自作自演は器楽の領域においては啓示に充ちてゐるが、管弦楽作品を指揮した録音では大概失望感を味はふ。理由は簡単だ。録音の為に客演したオーケストラに対して作曲家の意図を伝へ切れる時間と指揮技術を持ち合はせてゐないからだ。しかし、ミヨーは指揮者として有能であつた。実体はフランス国立管弦楽団かと思はれるシャンゼリゼ劇場管弦楽団を指揮して最高の演奏を繰り広げてゐる。屋根の上の牡牛は絶対的な名演だ。冒頭からお祭り騒ぎで、これを聴いて心動かぬ者などゐないに違ひない。何たる生命力を吹き込んだことだらう。踊りの輪に誘はれて気付けば仕舞までで誰よりも楽しく踊り切つたやうに最後まで夢中で聴ける。奇蹟的な名演で当盤を聴かずにこの曲は語れまい。比較して、世界の創造はやや感銘が落ちるが決定盤のひとつだらう。(2015.4.29)

メンデルスゾーン:スコットランド交響曲、宗教改革交響曲、クープラン:序奏とアレグロ(ミヨー編曲)/ケルン放送交響楽団/ディミトリ・ミトロプーロス(cond.) [medici arts MM014-2]
ミトロプーロスの指揮するメンデルスゾーンは淡い抒情など薬にしたくもないと云はむばかりの剛直な演奏で、心積りがないと面食らふが、信念の通つた説得力のある名演ばかりだ。余情を排した速めの謹厳なテンポで駆け抜けるスコットランド交響曲は、忌憚なく云へばこの曲屈指の名演だ。ベルリン・フィルとの演奏とは甲乙付け難い。より凄まじいのはベルリン・フィル盤で、第2楽章は当盤など非ではなく、第1楽章の危ふい情念もさうだ。だが、第4楽章の鬼気迫る追ひ込みは当盤の方が凄い。宗教改革交響曲もトスカニーニ盤と並ぶ最高の演奏のひとつだ。終楽章コーダの派手な改変は乱暴だが、全曲通じて熱気が尋常ではなく、一気呵成に聴かせる覇気が唯事ではない。魔神が宿つた激烈な名演だ。クラヴザン曲の「スルタンの妃」からミヨーが編曲した序奏とアレグロは、擬古典的な趣向と絢爛たる響きが融合してをり、面白く聴ける。(2009.5.11)

シューマン:交響曲第2番、プロコフィエフ:交響曲第5番/ウィーン・フィル/ディミトリ・ミトロプーロス(cond.) [Orfeo C 627 041 B]
1954年8月21日、ザルツブルク音楽祭における実況録音。シューマンが凄い。序奏部の後半から第2ヴァイオリンによる渾身の胸騒ぎを皮切りに爆発的な感情の表出があり、主部に入つてからも突発的なクレッシェンドと激しいアクセントを組み合はせて、情緒不安定な雰囲気を醸す。この曲にシューマンの狂気の萌芽を見出さうとする向きには格好の演奏と云へさうだ。荒々しい第2楽章では何と云つてもコーダに入つた途端に始まる見境のない加速が異常だ。修道僧ミトロプーロスの悪魔的な一面が解き放たれた箇所で、全曲を通じて最も激烈な印象を残す。傷口を抉られるやうな第3楽章の訴へ、快速のテンポで勝どきを上げる第4楽章、どの部分を取つても凄まじい。詩情に導かれたシューマンの世界からは遠いが、表現主義的な解釈で深層を突いた名演。よりミトロプーロスの音楽性に近く、切り札とされる筈のプロコフィエフはどうも良くない。原因はウィーン・フィルにある。明らかに慣れてをらず、曲への理解が薄いのがわかる。第4楽章冒頭のチェロはかなり非道い。全曲通じてアンサンブルも揃はず、トゥッティに切れ味がない。煽り立てるミトロプーロスの棒に付いて行けず空中分解気味の演奏だ。(2011.8.4)

ベルリオーズ:レクィエム/ウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場合唱団/レオポルド・シモノー(T)/ディミトリ・ミトロプーロス(cond.) [Orfeo C 457 971 B]
1956年8月15日、ザルツブルク音楽祭における演奏記録。ミトロプーロスは最晩年にウィーン・フィルと伝説的な名演を繰り広げた。当盤もそのひとつ。ベルリオーズの複雑なスコアを軋ませ乍ら、緊迫感のある音楽を邁進させる。地鳴りのやうな大太鼓に、最後の審判のラッパが絶望的に鳴り渡る様には背筋が凍る。この曲にはミュンシュの決定的な名盤があるが、壮絶さで上を行くミトロプーロス盤は録音が良ければミュンシュ盤に肉迫する名盤足り得たであらう。合唱の崇高さも素晴らしい。(2009.3.17)

R・シュトラウス:アルプス交響曲、ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲/ウィーン・フィル/ロベルト・カサドシュ(p)/ディミトリ・ミトロプーロス(cond.) [Orfeo C 586 021 B]
最晩年のミトロプーロスはウィーン・フィルとの関係を良好なものにした。ミトロプーロスは古典派やロマン派の音楽では神経質な面ばかり目立つ奇怪な演奏が多いが、近現代の楽曲では大向かふを唸らす名匠である。シュトラウスのアルペンは屈指の名演であり、その様人間の存在を押し潰すが如きに猛威を振るふと云つた恐ろしき音楽になつてゐる。雄大と云ふよりも厳然としてをり、頂上に至つても晴れやかな気分にはさせてくれない。無慈悲な音色と捩れるやうな響きによる辛口の演奏。ラヴェルはカサドシュの健闘にも拘らず何処かしら陰鬱で、フランソワとクリュイタンスによる官能的な名演の域には遥かに及ばない。(2005.1.25)

マーラー:交響曲第1番、同第10番アダージョ/ニューヨーク・フィル/ディミトリ・ミトロプーロス(cond.) [Music&Arts CD-1021]
マーラー受容史が本格化したバーンスタイン時代を先導したのはミトロプーロスである。現在の耳には不安定にも聴こえるが、感覚が尖つてをり、何よりも情念が凄まじい。マーラーの核心に最も迫り得た指揮者だ。また、マーラーの第1交響曲を最初に録音したのはミトロプーロスで、1940年にミネアポリス交響楽団を指揮したコロムビア盤だつた。当盤はマーラー生誕100年でミトロプーロスが集中的に名演を残した1960年1月の実況記録である。第1楽章から抉りが深く、長い夜から光明が差す転換の巧さに魅惑される。次第にテンポを上げ快速で進む第2楽章も啓示に充ちてゐる。素晴らしいのは第3楽章で、物悲しい葬送と闖入する流しの音響を心憎いほど自然に処理してをり、耽美的な郷愁を漂はせた最高級の名演である。第4楽章も壺を心得た起伏の豊かな名演だ。だが、比べ物にならないくらゐ第10交響曲が素晴らしい。特にフィルハーモニックの弦楽器が奏でる頽廃的な音色が狂ほしく、強弱も表情も振り切つてゐる。魂を破壊されさうになる演奏だ。恐るべしミトロプーロス。(2015.11.3)

メンデルスゾーン:スコットランド交響曲、シェーンベルク:管弦楽の為の変奏曲、ドビュッシー:海/ベルリン・フィル/ディミトリ・ミトロプーロス(cond.) [Orfeo C 488 981 B]
1960年8月21日の演奏会記録。無慈悲なまでの快速テンポで駆け抜けるメンデルスゾーンが物凄い。軽妙さを演出するのではなく、淡い感傷を吹き飛ばした丸で百鬼夜行のやうな趣である。冒頭の序奏から唯ならぬ気配を漂はせ、噎せ返るやうな第2主題の嗚咽には思はず鳥肌が立つ。凄まじいのは第2楽章で、異常なテンポで全力疾走する様は悪鬼に取り憑かれたかのやうだ。ヴィルティオーゾ軍団のベルリン・フィルも真剣勝負で臨んでをり、手に汗握る興奮なしには聴けない。同様に終楽章の主部も荒ぶれてをり凄まじいの一言だ。シェーンベルクは現代音楽を得意としたミトロプーロスの慧眼が光る名演で、生命を通はせた響きを聴かせる手腕には感服する。ドビュッシーは微かな光すら差さない深海の音楽だ。求道者ミトロプーロスと威圧的なベルリン・フィルとが生み出す強面の異色な演奏。(2007.10.19)

グリーグ:「ペール・ギュント」第1組曲、アルヴェーン:スウェーデン狂詩曲第1番「夏至の徹夜祭」、シベリウス:悲しきワルツ、フィンランディア、トゥオネラの白鳥、エン・サガ/モルモン会堂聖歌隊/フィラデルフィア管弦楽団/ユージン・オーマンディ(cond.) [SONY Classical 88697689752]
北欧音楽を得意としたオーマンディの良さが存分に出た1枚。この中、グリーグ、アルヴェーン、及びシベリウスの悲しきワルツとフィンランディアは1959年に録音された。近年やうやく録音の増えてきたスウェーデンの作曲家アルヴェーンの代表作が楽しめる。冒頭の旋律は一度聴いたら忘れられない。後半の色彩的な昂揚はフィラデルフィア管弦楽団の持ち味が出てゐる。決定的名演だらう。もうひとつ重要な録音がある。フィンランディアがマシューズ編曲の合唱付演奏なのだ。フィンランディア讃歌に合唱が入つてからの熱気は感動的で、オーマンディの演奏にシベリウスがお墨付きを与へたのも頷ける。異色の録音ではあるが、この名曲の決定的名演のひとつだ。グリーグの雄弁さも比類ない。抱き合はせで収録されたトゥオネラの白鳥とエン・サガは後日の録音。雰囲気満点で屈指の名演である。人気凋落の一途を辿るオーマンディだが、再評価の一助となる名盤だ。(2016.12.27)

ベルリオーズ:幻想交響曲、ファウストの劫罰(3曲)、「トロヤ人」より行進曲、ローマの謝肉祭/ベルリン・フィル/ラムルー管弦楽団/ヴィレム・ヴァン・オッテルロー(cond.) [RETROSPECTIVE RET 037]
オランダの名指揮者オッテルローの名盤。1951年録音の幻想交響曲は全盛期のベルリン・フィルの漆黒の響きが神々しく、威圧するやうな硬派の演奏である。華美な色彩を排し、強靭な意志を貫き、畳み掛ける気魄が凄まじく一分の隙もない。低音の鳴りはベルリン・フィルならではの凄まじさだ。音楽が生きてをり、数多いこの曲の録音中屈指の名盤である。余白に収録された管弦楽曲はラムルー管弦楽団との録音。交響曲同様、覇気漲る豪快な演奏ばかりで、トロヤ人の行進曲やローマの謝肉祭においてこれ以上の演奏を求めるのは難しいくらゐだ。情熱を外に発散するミュンシュとは正反対で、オッテルローは厳しい統率力で固めた情念を塊で叩き付ける。極上の1枚。(2007.7.20)

ストラヴィンスキー:「兵士の物語」/ジャン・マルシェ(語り)/フェルナン・ウーブラドゥ(cond.)、他 [EMI 7243 5 85234 2 3] 画像はジャケット裏です
"LES RARISSIMES"シリーズの1枚。バソン奏者としても高名なウーブラドゥは寧ろ指揮者として名を成した。2枚組の1枚目には名盤「兵士の物語」が収録されてゐる。この曲には語りに魔術師コクトーといふ大物を擁したマルケヴィッチによる決定的とも云へる名盤があるのだが、拮抗出来る名盤としてウーブラドゥ盤を語り落としてはゐけない。マルケヴィッチ盤が野性味のあるロシア風の演奏とするなら、ウーブラドゥ盤は華麗なフランス風の演奏と云へる。全体に音が輝かしく、鮮烈なストラヴィンスキーの管弦楽法の色彩美を際立たせてゐる。軟弱な演奏ではない。激しい音楽を奏で乍らも、決して品格を失はない粋な姿勢が素晴らしいのだ。(2010.4.19)

モーツァルト:ホルン協奏曲第2番、同第3番、クラリネット協奏曲、グレトリー:フルート協奏曲/フェルナン・ウーブラドゥ(cond.)、他 [EMI 7243 5 85234 2 3] 画像はジャケット裏です
"LES RARISSIMES"シリーズの1枚。2枚組の2枚目を聴く。ウーブラドゥは何よりもモーツァルトを得意とし、「パリのモーツァルト」といふアルバムの監修をしたのは殊に有名だ。2曲のホルン協奏曲とクラリネット協奏曲の伴奏は躍動感に満ち溢れ、陰影が濃く、学究的な詰まらなさは皆無で、声楽のやうな歌心が無上に美しい。当盤の管弦楽伴奏は全て最高なのだ。独奏者も名人が極上の名演を繰り広げてゐる。最高はリュシアン・テヴェによるホルン協奏曲第3番だ。フレンチ・ホルン―コルの丸みのある甘い音色に心を溶かされる。まろやかなヴィブラート・トーンの美しさは天下無双である。ブレインによる名盤を忘れさせてくれる特別な演奏だ。これに比べるとピエール・デル・ヴェスコーヴォによる第2番は幾分荒削りで感銘が劣るが、名演であることに違ひはない。ギャルドの名手ユリス・ドレクリューズよるクラリネット協奏曲が素晴らしい。明るいフランス流儀の音色で、軽快で朗らかな表情はモーツァルトの天衣無縫と形容したい最高傑作の理想的な名演である。ウーブラドゥの指揮と合はせて鑑みると第一に推したい名盤だ。巨匠ランパルによる珍しいグレトリーの協奏曲も良い。初期古典派の作品で典雅な趣が美しい。(2010.2.13)

ドヴォジャーク:交響曲第9番「新世界より」、シベリウス:交響曲第2番/デトロイト交響楽団/ポール・パレー(cond.) [MERCURY 434 317-2]
他流試合を決して行はないパレーは極端に好みの分かれる指揮者であらう。カラリと晴れた青天のやうな乾いた響きでフランス近代音楽を軽快に奏でるパレーに共感を覚える人でも、国民学派のドヴォジャークとシベリウスの名曲にボヘミアとフィンランドの匂ひを全く持ち込まない棒には反感を抱くかも知れぬ。その徹底振りはかのトスカニーニですら及ばない。従つてパレー崇拝者以外が当盤を買ひ求めることは血迷ひ沙汰だ。一方、食傷気味でこれらの名曲を通俗に感じ始めてゐる方には眼から鱗が落ちる演奏となるであらう。表題性や民族主義には目もくれず、快速のテンポで純粋に己の音楽性を要求する姿は豪胆な男気を感じさせる。勘違ひしてはならない。パレーの音楽は無味乾燥なのではなく、情熱的で一本気な男の信念の表象なのである。化粧を落とした名曲が瑞々しく蘇る得難い1枚。(2005.12.19)

メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」組曲、宗教改革交響曲、ハイドン:交響曲第96番/デトロイト交響楽団/ポール・パレー(cond.) [MERCURY 289 434 396-2]
パレーの残した録音の大半はフランス近代音楽である。ドイツ・オーストリア音楽の録音はベートーヴェンとシューマンが僅かにある位で珍品に属する。当盤の演奏も正統的なものを求める人には不向きであるが、純粋に音楽を楽しみたい方には是非ともお薦めしたい。最高の名演は「真夏の夜の夢」の序曲である。冒頭の弱音による澱みのない明るく軽快な弦のアンサンブルは妖精の飛び交ふ情景を想起させる。強音になつてもリズムが明るく、響きが軽い。これぞ正しくパレーの比類のない藝当で余人の及ぶ処ではない。スケルツォも同様の名演。夜想曲と結婚行進曲は肉感に乏しく全然面白くない。元へ曲想で姿勢を変へないパレーは男の中の男である。宗教改革交響曲は幾分感銘が劣るが、快速調の終楽章で聴かせる躍動感は流石だ。ハイドンは爽快な響きで心地良く聴ける。常に個性を刻印する数少ない指揮者だ。(2006.6.15)

ヴァーグナー:「マイスタージンガー」組曲、「さまよへるオランダ人」序曲、「リエンツィ」序曲、ジークフリート牧歌、他/デトロイト交響楽団/ポール・パレー(cond.) [MERCURY 289 434 383-2]
予想通りパレーが振るヴァーグナーは異色の極みだ。ドイツ系の指揮者が奏でるゲルマン神話の官能や神秘などは毛程もなく、辛気臭さもない。風通しの良い音楽に抵抗を感じる向きもあるだらうが、潔い合奏の素晴らしさで一種特別な名演を聴くことが出来る。最も素晴らしいのは「ヴァルキューレ」よりヴォータンの告別と魔の炎の音楽で、輝かしいトゥッティに圧倒される。次いで「マイスタージンガー」組曲が見事で爽快極まりない。豪快な「リエンツィ」の序曲も凄まじい。意外にも「トリスタンとイゾルデ」第3幕への前奏曲が深々として神妙な名演だ。「さまよへるオランダ人」序曲、「ラインへの旅」、ジークフリート牧歌も総じて見事な演奏だが、やや一本調子で面白いとは云へない。(2007.7.22)

リスト:メフィスト・ワルツ第1番、前奏曲、マゼッパ、サン=サーンス:死の舞踏、オンファールの糸車、デュカ:魔法使ひの弟子/モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団/ポール・パレー(cond.) [SCRIBENDUM SC017]
SCRIBENDUMによるコンサート・ホール録音の一連のCD化で、鶴首してゐたのはパレー最晩年の矍鑠たる録音である。齢なんと90歳を越してからの録音も含まれる。パレーの偉大さはSP録音時代から最晩年の録音まで徹頭徹尾信念を歪めず、己の音楽を貫いてきたことにある。余韻嫋々たる音楽を好む方はパレーを聴いてはならぬ。憂鬱を排した明るい響き、低徊しない硬質で快速調子のテンポは、類例を見ない異端の輝きを放つ。リストの3曲は何れも度肝を抜かれる豪快な演奏で、特に唯一の録音となる「マゼッパ」が激烈だ。気取りのない無骨な男の音楽で、進軍喇叭鳴り渡る様はいと物凄し。サン=サーンスとデュカも幻想には見向きもしない正面切つた潔い名演ばかりである。「死の舞踏」はデトロイト交響楽団との旧盤よりもヴァイオリン独奏が魅惑的で上出来だ。(2006.9.14)

ビゼー:「カルメン」第1組曲&第2組曲、ラヴェル:ラ・ヴァルス/モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団/ポール・パレー(cond.) [SCRIBENDUM SC017]
豪傑パレー晩年の記録。「カルメン」からは10曲演奏されてゐる。デトロイト交響楽団時代にも「カルメン」から合計7曲録音してゐたが、残る3曲、密輸業者の行進、ハバネラ、夜想曲―ミカエラのアリア―はパレー唯一の録音となり貴重である。とは云へ、ジプシーの踊りを比較しても瞭然とするやうにMercuryの優秀録音による黄金時代のデトロイト交響楽団との壮絶な演奏には総じて及ばない。ラ・ヴァルスにも同じことが云へる。当盤には道化師の朝の歌が収録されてゐるが、これはモーリス・ルルーの指揮による録音とのことである。購入者をペテンにかけた許され難き詐欺行為だ。シャブリエ作品やリスト「オルフェウス」などを含めたパレーのコンサートホール録音全集として何故発売しなかつたのか。(2006.10.18)

シューマン:交響曲第2番、同第3番「ライン」/イスラエル・フィル/ポール・パレー(cond.) [Helicon classics IPO 02-9640]
イスラエル・フィルが保有する公演記録から弩級の名演が蔵出しされた。一時期イスラエル・フィルの音楽監督を務めたことのあるパレーの貴重なライヴ録音である。パレーがマーキュリーに残したシューマンの交響曲全集は屈指の名盤で、中でも第2番と第3番が素晴らしかつた―ライン交響曲の第5楽章はパレーが古今最高だ。1976年の記録である第2番がマーキュリー盤を凌駕する名演だ。第1楽章呈示部が最後の力強い響きは如何ばかりであらう。分厚い音を捻出する中声部の楽器群の意気込みが凄まじい。第4楽章でも第2ヴァイオリンの雄弁な絡みが活きてゐる。全曲を通じて勇壮な音楽が驀進してをり圧巻だ。晩年の客演とは思へない白熱の名演である。比べると1971年の記録である第3番は感銘が数段劣る。まずは音質に差がある。僅か5年の違ひだが、広がりに欠けるモノーラル録音で迫力に不足する。また、男気のある豪快なマーキュリー盤の演奏に比べても、テンポは遅めで響きも細い。(2012.7.4)

ムソルグスキー:展覧会の絵、禿げ山の一夜、チャイコフスキー、ボロディン、カバレフスキー、グリンカ/シカゴ交響楽団/フリッツ・ライナー(cond.) [RCA LIVING STEREO 88697720602]
RCAリヴィング・ステレオ60枚組より。ライナーによるロシア音楽集。野暮つたく土臭い重厚な演奏を求める向きには、明るく洗練された当盤の演奏を物足りなく思ふかも知れない。アメリカのオーケストラの音だと毛嫌ひする方もゐるだらう。しかし、完璧な金管セクションを筆頭に第1期黄金時代にあつたシカゴ交響楽団の水準の高さには圧倒されずにをれまい。圧巻は禿げ山の一夜だ。快速のテンポで勢い良く飛ばし、魑魅魍魎が一陣の風となつて疾駆する。奇怪なストコフスキー盤を別格としてこの曲の最も刺激的な録音だ。次いでカバレフスキー「コラ・ブルニョン」序曲が素晴らしい。リズムの明晰さが絶品である。ボロディン「韃靼人の行進」も同様に歯切れの良い名演だ。グリンカ「ルスランとリュドミラ」序曲とチャイコフスキー「スラヴ行進曲」は精緻な名演だが、少々特色が薄い。チャイコフスキー「小行進曲」は録音が少ないので貴重だ。肝心の展覧会の絵は非常に丁寧な演奏だ。遅めのテンポで精緻な合奏を聴かせる。洗練された細身の都会派の演奏で、感銘度では熱いトスカニーニの名盤には及ばない。しかし、この録音の価値は金管奏者らの妙技にある。ハーセスのトランペットは冒頭から一際輝いてをり、随所で機関銃のやうなタンギングの妙技を堪能出来る。テューバやホルンも最高だ。(2012.5.11)

ファリャ:恋は魔術師、三角帽子より第2組曲、はかなき人生(2曲)、アルベニス:「イベリア」(2曲)、ナバーラ、他/レオンタイン・プライス(S)/シカゴ交響楽団/フリッツ・ライナー(cond.) [RCA LIVING STEREO 88697720602]
RCAリヴィング・ステレオ60枚組より。ライナーのラテン系作曲家の録音は少数で、このスペイン音楽集も珍しさが勝る。どの曲も精密で丁寧な演奏だ。色彩は豊かだし、アンサンブルも決まつてゐる。独奏での妙技も申し分ない。反面、情熱的なスペイン情緒は希薄だ。そもそもライナーに感情優先型の演奏を求めるのはお門違ひで、異色の演奏を楽しむのが筋だらう。ファリャでは切れ味の良い「三角帽子」が名演だ。カスタネットが強く聴こえるのもリヴィング・ステレオならではの面白さだらう。「恋は魔術師」は全体的に冷静過ぎて詰まらない。プライスの重く暗い声は気怠くて雰囲気は良いが、発声がイタリア歌劇のやうでいただけない。「はかなき人生」から間奏曲と舞曲が演奏されてゐる。細身の響きながら鋭さがあり、特に舞曲は生気があつて名演だ。アルベニスが全て素晴らしい。「イベリア」からトゥリアーナとセヴィーリャの聖体祭が演奏されてゐる。極彩色の乾いた響きと鮮烈で強靭なリズムが効いてをり天晴だ。祝祭的なナバーラも爽快な名演だ。グラナドス「ゴイェスカス」間奏曲は繊細な美しさが印象的な佳演である。(2012.8.2)

シュトラウス:ワルツ「朝刊」「皇帝円舞曲」「美しく青きドナウ」「オーストリアの村つばめ」、ヴェーバー:舞踏への勧誘、シュトラウス:「ばらの騎士」よりワルツ/シカゴ交響楽団/フリッツ・ライナー(cond.) [RCA 88883701982]
ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。1957年録音の「ウィーン」と題されたアルバムは、20世紀を代表するソプラノであるシュヴァルツコップが「無人島へ持つて行く1枚」に選んだとして頓に有名だ。EMI切つての敏腕プロデューサーであるレッグの奥方が選んだとなれば重みも格別だ。だが、それほどでもないと感じる方も多いのではないか。冷静に分析すれば、ライナーが編曲した「ばらの騎士」ワルツが選出の理由だと思ふ。シュヴァルツコップ最愛の作品の理想的演奏であり、万人を唸らせる極上の逸品だ。確かにこれ以上は考へられない。一方、4曲のウィンナ・ワルツは精緻で完璧な演奏であつても、粋ではなく最高と絶賛するには躊躇する。とは云へ、慈しむやうに弱音で悠然と音楽を作る箇所は本当に美しい。ドナウの最後でハーセスが吹くトランペットの郷愁の感は絶妙だ。(2016.6.5)

マーラー:大地の歌、ハイドン:交響曲第88番/モーリン・フォレスター(Ms)/リチャード・ルイス(T)/シカゴ交響楽団/フリッツ・ライナー(cond.) [RCA 88883701982]
ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。ライナーはマーラー作品をレパートリーとはしてをらず、録音自体少ないのだが、精緻なオーケストラの合奏は天晴だ。特に第1楽章で聴かれる輝かしいハーセスのトランペットは非の打ち所がない。独唱も良い。フォレスターとルイスはヴァルターとも大地の歌を共演してをり、人選に間違ひはない。ルイスは大地の歌を得意としてをり、享楽的な歌唱が見事だ。それ以上にフォレスターの落ち着きのある深い声が素晴らしい。含蓄のある歌唱は理想的だ。しかし、ライナーは常に冷静で情緒に溺れることがない。同傾向のクレンペラー盤ほど交響的な追求がなく、何処か中途半端な印象は拭ひ去れない。完成度の高い演奏だが、強い訴へ掛けに欠ける。余白にはハイドンの第88番が収録されてゐる。これはこの曲の最高の名演のひとつで、常に賞讃の的となつてきた。第1楽章は完璧な演奏で、鮮烈さでは群を抜く。かのトスカニーニも及ばない。見通しの良い第2楽章の品格ある抒情美も最高だ。だが、後半の楽章は精緻ではあるが活気がなくなり画竜点睛を欠く。(2012.3.20)

シューベルト:未完成交響曲、交響曲第5番/シカゴ交響楽団/フリッツ・ライナー(cond.) [RCA 88883701982] 
ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。バルトークやシュトラウスで追随を許さない名演をするライナーとシカゴ交響楽団が、抒情的なシューベルトを演奏したら手に余らないかと心配するも、奇蹟的な名演で予想を覆して呉れた。未完成交響曲は精緻な演奏で、じわりと緊迫して行く。弱音の美しさも細部まで神経が通つてをり驚嘆に値する。単に完璧な演奏といふだけでなく、音に血が流れるまでを追求した壮絶な演奏だ。第5交響曲は更に素晴らしい。ひとつひとつの音が珠玉のやうに輝き連なつて行く。第2楽章や第3楽章トリオではたゆたふやうな間合ひもあり、余裕と気品を感じさせる。本気を出した第4楽章のアンサンブルは第一級の仕上がりだ。感服した。恐るべしライナー。(2015.2.16)

ベートーヴェン:交響曲第9番、同第1番/シカゴ交響楽団と合唱団/フリッツ・ライナー(cond.)、他 [RCA 88883701982]
ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。発売当時から現在に至る迄ライナーによるベートーヴェンは殆ど問題にされなかつた。理由は簡単だ。トスカニーニの二番煎じと思はれたからだ。だが、果たしてさうだろうか。第9交響曲は遊びのない解釈と筋肉質なアンサンブルによる演奏かと思ひきや、非常にロマンティックで劇場的な演出のある演奏で驚かされる。特に第1楽章は呈示部及び再現部の終盤で大胆なアゴーギクがあり―和声的に理に適つてゐるが極めて激しいブレーキなのだ―、コーダ付近でもイン・テンポとは程遠い揺れ動きがある。強い統率力もあつて最上級の名演と絶讃したい。第2楽章は切れのあるリズム、取り分け鮮烈なティンパニが理想的で古今最高の演奏と断言出来る。一転、内省的な歌に充ちた第3楽章は美しい。祝祭的な盛り上げに成功した第4楽章では合唱も健闘してゐる。コーダでの馬力ある昂揚は感動的だ。唯一の不満は小粒な独唱陣の印象が薄いことで画竜点睛を欠く。第1番も完璧な名演だ。古典的な均整の取れた見事なアンサンブル。幅の広いデュナミークと切れのあるリズム。しかし、こぢんまりとせず爆発的な力強さを発散する。非の打ち所のない名演で特に第4楽章コーダの燃焼は最高だ。(2015.9.30)

モーツァルト:レクィエム/マリア・シュターダー(S)/ヘルタ・テッパー(T)/ミュンヘン・バッハ管弦楽団と合唱団/カール・リヒター(cond.)、他 [Profil PH15006]
1960年、テレフンケンに録音された名盤。リヒターの初期録音復刻を行つてゐる独ProfilによるLP盤からのCD化だ。バッハの伝道師リヒターはモーツァルトを数曲しか録音してゐない。モーツァルトの絶筆レクィエムは感傷的でロマンティックに演奏されてきたが、リヒターは死者の為のミサ曲を一宗教曲として厳粛に演奏する。揺らぎのない硬めの造型、きびきびしたテンポ、情緒に溺れない意志が特徴で、まるでバッハのやうだと評されてきた。謹厳な取り組みは曲想に相応しく傾聴に値する。何よりも最大の美点は澄んでゐて透明感があることだ。合唱も管弦楽も夾雑物がなく清廉かつ敬虔だ。女性独唱陣が素晴らしい。シュターダーは勿論だが、テッパーの清らかさも特筆したい。男性独唱陣も健闘してゐる。特にレコルダーレの美しさには心洗はれる。(2015.6.30)

バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全6曲)、オーボエ・ダモーレ協奏曲、オーボエとヴァイオリンのための協奏曲/ミュンヘン・バッハ管弦楽団/カール・リヒター(cemb&cond.)、他 [ARCHIV 482 0959]
チェンバロ及びオルガン奏者としてのバッハ演奏家リヒターの録音を主に編んだARCHIV18枚組。6枚目と7枚目を聴く。ブランデンブルク協奏曲集は今更述べることもない決定的名盤であり、受難曲やカンタータと並んでリヒターの代表的録音として語り継がれてきた。リヒター盤の特徴は推進力のあるテンポにあり、強靭な通奏低音の動きが圧巻だ。鋼のやうに峻厳で確信に充ちてゐる。一方で、余情がなく一本調子で軽妙さはない。第5番は独奏者らの魅力にも欠け幾分単調である。リヒターが弾くカデンツァも正直面白くない。この曲は瀟洒な趣を追求した演奏に分があるだらう。最も素晴らしいのは第1番で、絶妙なテンポによる勇壮かつ壮麗な演奏だ。古今通じてこの曲に関してはリヒター盤が一番優れてゐるだらう。次いで第3番が勢ひもあり良い。第6番第1楽章の活気も比類がない。第4番は独奏者が弱く歯痒い仕上がりだ。第2番は総じて素晴らしいが、華やかさが足らず若干不満も残る。また、全6曲を通じて緩徐楽章での歌謡性が乏しく息苦しい。とは云へ、一時代を築いたバッハの殿堂とも云ふべきリヒター盤の価値は、皮相な古楽器演奏の諸録音の前に揺るがない。オーボエ・ダモーレ協奏曲は別項で述べたので割愛する。オーボエとヴァイオリンのための協奏曲BWV.1060aはリヒターの特色が前面に出た力強い名演。厳しく機敏なTuttiの響きが良い。(2016.12.11)

J.S.バッハ:フルート・ヴァイオリン・チェンバロのための三重協奏曲、オーボエ・ダモーレ協奏曲、C.P.E.バッハ:シンフォニアWq.183(4曲)/オーレル・ニコレ(fl)/ゲルハルト・ヘッツェル(vn)/ミュンヘン・バッハ管弦楽団/カール・リヒター(cond.)、他 [DG 00289 477 6210]
バッハの伝道師リヒターの変はり種音源を集成した8枚組。3枚目を聴く。バッハの協奏曲2曲とC.P.E.バッハのシンフォニア4曲だ。1980年、リヒター最晩年に録音された協奏曲は音質も極上で感動的な記録だ。三重協奏曲イ短調BWV.1044ではフルートを盟友ニコレ、ヴァイオリンをヘッツェル、チェンバロをリヒターが担当した豪華な演奏だ。冒頭から真剣勝負の意気込みが充溢してをり圧倒される。決定的な名演だ。イ長調協奏曲BWV.1055はチェンバロ協奏曲第4番の原曲とされる失はれたオーボエ・ダモーレ協奏曲での復元演奏だ。独奏のクレメントが好演してをり良い。リヒターの真摯な取り組みには頭が下がる。C.P.E.バッハのシンフォニアWq.183の全4曲は録音黎明期を飾る名盤だ。凝縮された熱気を結晶させ乍ら疾走する。大バッハを演奏するリヒターの心意気そのままだ。今日の古楽器演奏による爽やかさとは次元が違ふが、先鋭的なカール・フィリップ・エマヌエルの作風を鑑みると衝撃の度合ひが伝はる演奏だ。特に砲弾のやうな低音パートの迫力は流石だ。(2015.3.30)

ヴィクトル・デ・サバタ(cond.)/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団/ストラヴィンスキー、モソロフ、グラズノフ、デ・サバタ、ベートーヴェン [Naxos Historical 8.110859]
1947年のHMV録音となるベートーヴェンの田園交響曲以外は、全て1933年のParlophon録音でデ・サバタの最も古い記録である。一種の珍品で、トスカニーニと並び称されるイタリアの巨匠が、ロシアの近代曲を如何様に振るのであらうかと云ふ物珍しさが勝る。ストラヴィンスキーの「花火」やモソロフの「鉄工場」と云ふアヴァンギャルドな作品の演奏は、録音の貧しさで音響的な楽しみが得られず、演奏内容も特徴のない平凡なもの。グラズノフの「吟遊詩人のセレナード」がロマンティクな響きに酔へる名品で懐かしき詩情が溢れてゐる。自作自演「つわものども」は大作で相当聴き応へがあり、演奏も雄渾で立派なものだ。ベートーヴェンは生真面目で禁欲的な演奏だ。爽やかな音の運びが心地よいが、数有る田園交響曲の録音中、特別な地位を占める程に訴える力のある演奏ではない。(2005.3.5)

ブラームス:交響曲第4番、レスピーギ:ローマの祭/ベルリン・フィル/ヴィクトル・デ=サバタ(cond.) [ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 6406/07]
伊IDISはデ=サバタの復刻を精力的に行つてゐるが、当盤は1939年のポリドール録音の全復刻といふことで大変価値があり、音質も優れてゐる。独伊枢軸の政治的背景からであらうか、イタリアの巨匠がベルリン・フィルを指揮した極めて意外な取り合はせである。2枚組の1枚目では、御家藝であるレスピーギの方が立派だらうといふ予想を裏切り、ブラームスが実に格調高い名演である。フルトヴェングラーが得意とした曲だけに音が染み付いてゐるのだらう、全盛期のベルリン・フィルが奏でる内省的な翳りと情念が吹き出した嗚咽は真に迫る。成熟したロマンの発露が屈指の名演を生み出した。肝心のレスピーギも描写力豊かな名演だが、トスカニーニの結晶された完成度には及ばない。特に最後の酒宴に歴然たる差が出て仕舞つた。(2007.11.27)

コダーイ:ガランタ舞曲、ヴェルディ:「アイーダ」前奏曲、ヴァーグナー:「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、シュトラウス:死と変容/ベルリン・フィル/ヴィクトル・デ=サバタ(cond.) [ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 6406/07]
再びデ=サバタを聴く。2枚組の2枚目。1939年のポリドール録音の中でも最も印象深いのが、一見畑違ひと思はれるコダーイ「ガランタ舞曲」で、畳み掛けるやうな快速テンポで聴き手を虜にする。後半は相当な難曲なのだが、黄金期のベルリン・フィルが鉄壁のアンサンブルで見事に応へ、噎せ返るやうな情熱を発散する。フリッチャイの格調高い名盤が凡庸に思へて仕舞ふほどの名演で圧巻である。神韻としたヴェルディ「アイーダ」前奏曲も第一級の名演だ。そして、ヴァーグナーとシュトラウスの耽美的な余情は如何ばかりであらう。フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルが紡ぐ憂いを帯びた響きが美しく、極上の名演を繰り広げる。このポリドール全録音はデ=サバタの残した最も素晴らしい記録として永く記憶に留めたい。(2007.12.25)

ベートーヴェン:、ベルリオーズ:ローマの謝肉祭、シベリウス:悲しきワルツ、ヴァーグナー:ヴァルキューレの騎行/ロンドン・フィル/ヴィクトル・デ=サバタ(cond.) [DECCA 425 971-2]
1946年5月に行はれたDECCAへのセッション録音。録音が多くないデ=サバタの貴重な記録だが、ベートーヴェンは覇気がなく良くない。第1楽章はゆつたりとしたテンポで始まる丁寧な演奏だが全く面白くない。展開部から次第に前進するが挽回は出来ない。第2楽章にも同様のことが云へる。第3楽章になると俄然生気を帯びて音楽に血が通ふ。フィナーレは間然する所のない名演だ。だが、全曲で考へると凡演であると云はざるを得ない。余白の3曲がサバタの本領を伝へる名演だ。ベルリオーズはサバタ最後の演奏会記録であるザルツブルク音楽祭ライヴの熱演には及ばないが、極めて充実した名演だ。シベリウスが当盤の白眉で、殊更沈鬱な表情付けをせずに侘しい詩情を聴かせてをり素敵だ。この曲の最高の演奏のひとつだらう。密度の濃いヴァーグナーも名演だ。(2014.1.6)

モーツァルト:レクィエム/タッシナーリ(S)/タリアヴィーニ(T)/ターヨ(Bs)/トリノEIAR管弦楽団と合唱団他/ヴィクトル・デ・サバタ(cond.)、他 [WARNER FONIT 5050466-3301-2-3]
伝統ある伊チェトラ・レーベルが制作した記念すべき最初の録音で、マトリックス番号にCETRA,SS1001/08が与へられてゐた。しかし、演奏自体はイタリアの歌手が気侭に歌ひ、下手な管弦楽が出鱈目に合はせたといふ甚だ不味いものだ。一人サバタのみが深刻な音楽を抉り出そうと腐心してゐるやうだが、ヴァルターやベームといつた独墺系の指揮者が持つてゐる厳格さや敬虔さに乏しく、所詮畑違ひだ。独唱陣ではタリアヴィーニの甘い伊達男振りが光る。(2005.5.21)

ヴェルディ:レクィエム、他/シュヴァルツコップ(S)/ディ・ステファノ(T)/シエピ(Bs)/ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/ヴィクトル・デ・サバタ(cond.)、他 [EMI 7243 5 65506 2 9]
ヴェルディのレクィエムの他に、「トラヴィアータ」前奏曲と「シチリアの晩鐘」序曲、レスピーギ「ローマの噴水」、ロッシーニ「ウィリアム・テル」序曲などが収められてゐる。何れも相当な名演揃ひなのだが、絶賛するには躊躇ひを覚える。理由はトスカニーニだ。同じイタリア生まれの指揮者として比較せずには済まされまい。ヴォルフ=フェラーリの「4人の田舎者」間奏曲を除く全ての曲にトスカニーニの録音があり、デ・サバタによる管弦楽曲の録音はその足下にも及ばない。だが、トスカニーニの録音を息苦しく感じる方には、大変な価値があるだらう。レクィエムは、独唱陣と合唱団が優秀でトスカニーニ盤に水をあけてをり、一矢報いてゐる。イタリア勢の中でシュヴァルツコップが浮いてゐると云ふのは難癖で、暗めの含蓄ある声が曲想を引き締めてゐる。これは壮麗な歌心溢れる当曲屈指の名盤だ。(2004.12.26)

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲、ベートーヴェン:交響曲第5番/ナタン・ミルシテイン(vn)/ニューヨーク・フィル/ヴィクトル・デ=サバタ(cond.) [Tahra TAH 449]
1950年3月16日、カーネギーホールにおける実況録音。ミルシテインとの協奏曲が取り分け素晴らしい。ミルシテインは洗練された技巧と音色でライヴとは思へない完璧な演奏を繰り広げる。当時はハイフェッツが君臨する米國で二番煎じの如く低く評価されたミルシテインだが、気品あるアーティキュレーションの美しさは程なく築き上げる名声を予感させる。デ=サバタによる伴奏も立派だ。ベートーヴェンは密度の濃いアンサンブルで集中力を切らさずに隙なく演奏された名演と云へるが、全体的に特徴が薄い。往時はこの曲で聴衆を泣かせることが出来た巨匠が存在した訳で、この演奏に特別な価値を見出すことは難しい。(2008.4.17)

ヴェルディ:「シチリアの晩鐘」序曲、ベルリオーズ:ローマの謝肉祭、シュトラウス:死と変容、ラヴェル:ラ・ヴァルス/ウィーン・フィル/ヴィクトル・デ=サバタ(cond.) [ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 6416]
伝説的と形容しても過ぎたことではない1953年8月1日ザルツブルク音楽祭のオープニング・コンサートの記録。まず申し上げたいのが、これがウィーン・フィルの音だと俄には信じ難いことだ。熱い。灼熱の演奏だ。野蛮で凶暴とすら云つてよい。ヴェルディでは畳み掛ける熱血振りが凄まじく、長く引き延ばした終結音も異常だ。ベルリオーズは最初こそ軽快だが次第に熱気を帯び、最後の方は狂乱の如く暴れ回る。興奮の絶頂で見せる一瞬の溜めを伴ふパウゼは千両役者の藝当だ。シュトラウスでも振り絞るやうな金管の絶叫を要求してゐる。弦楽器も血飛沫を浴び乍ら壮絶な合奏を繰り広げる。ラヴェルも乱舞が止まない。限界状態でも更に煽り、ミュンシュが大人しく聴こえるほど常軌を逸したコーダを築く。こんな演奏をしてゐては身が持たない。実はこのコンサートの後、程なくして致命的な心臓発作に見舞はれ指揮者活動の続行を断念、この年に引退を表明してゐる。これがデ=サバタの最後の演奏会となつた。音質も混濁はあるが上等な部類だらう。熱血漢の永代語り継がれる伝説の公演。(2013.5.24)

シューベルト:ミサ曲第5番変イ長調、ミサ曲第4番ハ長調/ヘレン・ドナート(S)/ルチア・ポップ(S)/ブリギッテ・ファスベンダー(A)/ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)/バイエルン放送交響楽団と合唱団/ヴォルフガング・サヴァリッシュ(cond.)、他 [EMI 50999 0 28474 2 9]
シューベルトの宗教作品7枚分に世俗的合唱作品4枚分を加へた11枚組。サヴァリッシュの偉業である。これだけ体系的に録音されたものはなく、決定的な存在と云へる。歌曲王シューベルトのこれらの作品は全く聴かれることがないが、隠れた宝庫である。ミサ曲の第6番及び第5番だけは演奏機会が多い。第5番変イ長調は初期習作からの脱皮を刻印した記念すべき名曲である。サヴァリッシュはPHILIPSレーベルにも録音を残してをり、新盤となる当盤は曲を手中に収めた感のある名演だ。合唱、管弦楽ともに極上の演奏で、独唱陣も高次元の歌唱を聴かせる。特にドナートとファスベンダーが素晴らしい。第4番ハ長調はモーツァルトの影響が強く感じられる作品だが、非常に完成度は高い。演奏は万全だ。独唱ではポップが光つてゐる。(2015.1.15)

シューベルト:交響曲第5番、同第6番/ウィーン交響楽団/ウィーン国立歌劇場管弦楽団/ヘルマン・シェルヘン(cond.) [Tahra TAH 599-600]
シェルヘンの実娘が社長である仏Tahraだからこそ出せる貴重な録音集2枚組。1枚目はウルトラフォン・レーベルへセッション録音されたシューベルトだ。ウィーンのオーケストラを振つてをり雰囲気はとても良い。歌謡性の強いシューベルトで素朴で鄙びた情感を基調としつつ、個性的な表現を聴かせて呉れる。第6番がシェルヘンらしい刺激的な演奏だ。第1楽章主部に入つてからの粗雑ながらも生命感を重視したアクセントの数々、そしてコーダになつてからの凶暴な迫力は圧巻だ。第2楽章では禁欲と相克する危ふい官能を漂わせた歌が絶品だ。第4楽章は軽快な音楽と豪快な音楽が交錯して怪物的な演奏となつてゐるのがシェルヘンの面目躍如。第5番は古典的な演奏であるが、優美な曲だけにシェルヘンの特色を出せないまま不完全燃焼で終つて仕舞つた感のある演奏だ。(2012.9.16)

パーセル:「妖精の女王」より(4曲)、モーツァルト:交響曲第29番、ヴァレーズ:砂漠/放送交響楽団/フランス国立管弦楽団/ヘルマン・シェルヘン(cond.) [Tahra TAH 599-600]
再びシェルヘンを聴く。2枚組の2枚目はバロックから現代までの曲を指揮するシェルヘンの多才さを楽しめる。パーセルとモーツァルトは1954年1月20日の録音、解説を交へての演奏である。パーセルは浪漫的な合奏による演奏であるが、躍動感があり良い。モーツァルトは凡庸な演奏で退屈だ。何と云つてもこの2枚組最大の目玉はヴァレーズの世界初演ライヴである。今日では前衛の響きは当たり前となつたし、この作品のやうな響きは今日の映画音楽が多用する音響と何ら変はらない。だが、初演が当時の聴衆を挑発し嫌悪させたの確実だ。これは従来の音楽ではなく効果音の連続であつた。否、タイトルが示すやうに不毛な砂漠の恐怖感を音にした音画とも云へる。1954年12月2日のパリにおける初演は、かの「春の祭典」の初演の事件を想起させる。途中堪へきれなくなつた聴衆が本気の怒号と抗議と野次を浴びせる。犬の鳴き声に失笑が起こり、暴風のやうな音に親派が喝采を放ち、終演後は拍手とブーイング合戦となる。作品を聴くよりもドキュメントを聴く感はあるが、最高に面白い。(2012.10.16)

ハイドン:交響曲第49番、同第55番、同第80番、同第88番/ウィーン国立歌劇場管弦楽団/ウィーン交響楽団/ヘルマン・シェルヘン(cond.) [DG 471 256-2]
ウエストミンスター・レーベルに1950年代に録音されたハイドン作品を集成した6枚組。2枚目を聴く。第49番と第88番はウィーン歌劇場管弦楽団と、第55番と第80番はウィーン交響楽団との演奏だ。シェルヘンのハイドンでは疾風怒濤期の作品が断然良い。当盤に収録された受難交響曲は決定的名演だ。深い詠嘆が聴こえてくる濃厚な第1楽章から素晴らしいが、怒りの日のやうな殺戮的な第2楽章の演奏に圧倒されぬ者はないだらう。これぞ疾風怒濤。第4楽章も荒ぶれてゐる。流石シェルヘン、聴くべし。第49番に比べると他は感銘が大分落ちる。校長先生は凡庸な印象しか受けない。第80番は疾走感があり面白く聴ける。特に第4楽章の活気は良い。第88番は全体的には良い部分が多いのだが、第2楽章ラルゴが恐ろしく遅くて完全な失敗だ。一転、第3楽章が速く、突撃する第4楽章中間部の熱気など大変素晴らしい。(2015.7.20)

ハイドン:交響曲第100番「軍隊」、同第101番「時計」、同第102番/ウィーン交響楽団/ウィーン国立歌劇場管弦楽団/ヘルマン・シェルヘン(cond.) [DG 471 256-2]
ウエストミンスター・レーベルに1950年代に録音されたハイドン作品を集成した6枚組。6枚目を聴く。軍隊交響曲は代表的録音として繰り返し発売されてきた1958年ステレオ録音盤ではなくて、ウィーン交響楽団との1951年のモノーラル録音盤だ。再録音に比べて全体的に一回り遅いテンポで推進力がなく面白くない。終楽章での軍楽調打楽器の炸裂が痛快なのは良い。ウィーン国立歌劇場管弦楽団との時計交響曲は不調だ。第4楽章がのんびりしたテンポで感興を削がれる。他の楽章も快活さがない。第2楽章の終盤でシェルヘンと思しき男の哄笑が混入してゐるのが気になる。ウィーン交響楽団との第102番が熱気があり秀逸だ。格調高さや遠大さは感じられないが、常に雄弁たるべく奮闘してゐる。この曲は大振りな演奏が多いので、先鋭的に仕上げたシェルヘン盤は清涼剤としても重宝されるだらう。(2016.9.16)

バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全6曲)/ヴィリー・ボスコフスキー(vn)/ジョージ・マルコム(cemb)/ウィーン国立歌劇場管弦楽団団員/ヘルマン・シェルヘン(cond.)、他 [Universal Korea DG 40030]
ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。韓国製だがオリジナル仕様重視で大変立派な商品だ。近現代音楽とバロック音楽の開拓者もしくは先駆者としてのシェルヘンの評価は高い。ブランデンブルク協奏曲集で今日の常識からは想像の出来ないどんなに刺激的な演奏がされたことかと期待を膨らませていざ聴くと、肩透かしどころではない、極めて保守的な演奏だつた。全ての曲で兎に角テンポが遅い。戦前の巨匠指揮者らよりも鈍重な歩みなのだ。一方で、楽器はチェンバロ、リコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバなどを用ゐてをり開明的な響きがする。残念だが意図が中途半端で、その結果、今日的な価値は殆どない。中では第4番だけが面白い。リコーダーに過激な表現を要求してをり、音を割るほどのクレッシェンドや音跳ねをさせるなどシェルヘンの本領発揮だ。こんなリコーダーの演奏は聴いたことがなく、新しい発見があるだらう。第1番も管楽器を目立たせる工夫があり面白いが、テンポの遅さで手放しで賞讃は出来ない。第5番は独奏者の表現が素晴らしくなかなかの名演だが、突き抜けた良さはない。第6番もテンポが遅く刺激はないが、典雅な演奏で好ましい。第3番は特徴が薄く遅いだけの退屈な演奏だ。第2番は工夫は感じられるが成功はしてゐない。(2016.12.22)

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、同第1番/ウィーン国立歌劇場管弦楽団/ヘルマン・シェルヘン(cond.) [Universal Korea DG 40030]
ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。韓国製だがオリジナル仕様重視で大変立派な商品だ。モノーラルでセッション録音された交響曲全集録音は特徴が薄く、余り注目されないのは事実だ。しかし、丁寧に聴くとシェルヘンならではの音楽が充満してをり看過出来ない。何よりも音に熱気がある。瞬発力のある発火するやうなアーティキュレーションが素晴らしい。ざらりとした感触の響きもベートーヴェンには打つてつけだ。特にエロイカは闘争心を煽る名演だ。第1楽章コーダの大詰めトランペットの主題の前では、闘魂を注入するやうなシェルヘンの一喝が聴かれる。フィナーレでスクラッチ・ノイズを伴つた内声部の刻みも凄い。第1交響曲も良い。溌溂とした第4楽章の昂揚は見事だ。ベートーヴェンの精神に切り込んだ名盤だ。(2015.8.11)

ベートーヴェン:交響曲第2番、同第8番/ロイヤル・フィル/ヘルマン・シェルヘン(cond.) [Universal Korea DG 40030]
ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。韓国製だがオリジナル仕様重視で大変立派な商品だ。シェルヘンが個性を刻印し得意としたベートーヴェンの交響曲は何番だらうか。思ふに第2番と第8番は特にシェルヘン向きだ。当盤は全集中最高の1枚だらう。第2交響曲は第1楽章主部に入つてからの推進力が素晴らしい。特にコーダからの煽りが異常で、スクラッチ・ノイズを伴つたヴィオラとチェロの激しいアタックにはぞくりとする。これぞ若きベートーヴェンの魂の鼓動だ。そして、快速調の終楽章に魅惑されぬ者がゐるだらうか。歯切れの良い弦楽器の刻みが理想的だ。第8交響曲では熱気ある第1楽章も素晴らしいが、終楽章の躍動こそ真骨頂だ。弛緩なく燃焼し乍ら軽さを失はない驚異的な名演だ。(2016.2.10)

リスト:ハンガリー狂詩曲(管弦楽版全6曲)/ヘルマン・シェルヘン(cond.) [UNIVERSAL DG-WESTMINSTER 289 471 237-2]
シュルヘンにとつてリストは重要な作曲だつたやうだ。現在でもハンガリー狂詩曲を真剣に取り上げる指揮者は少ないのだが、このシェルヘンの指揮する録音は傾聴に値する素晴らしいものである。真摯な音楽を目指してをり、軽薄な部分は微塵もない。一般的な認知度が低い作品に、驚くべき生命力を吹き込むことにかけてはシェルヘンの右に出るものはゐない。理知的な審美眼が先行する人だから指揮者としての評価は区々だが、かういつた録音を聴けば、その存在意義の大きさに気付くことだらう。(2004.8.3)

リスト:交響詩「前奏曲」「マゼッパ」「フン族の戦い」、メフィスト・ワルツ第1番/ヘルマン・シェルヘン(cond.) [UNIVERSAL DG-WESTMINSTER 289 471 237-2]
交響詩第6番「マゼッパ」が気力の充溢した名演。トゥッティでの剛毅な響きが心を捕へる。隅々に至るまで音楽が躍動し、この曲の真価を伝へる。交響詩第11番「フン族の戦い」は知名度が低いが、オルガンを伴ふ壮麗な曲である。比較する音源を所持してゐないが、この録音は極上の演奏と云へるだらう。交響詩第3番「レ・プレリュード」とメフィスト・ワルツ第1番も大層見事な演奏なのだが、有名な曲だけに名演数多あり、特にシェルヘンを持ち上げはしない。「レ・プレリュード」なら第一にフルトヴェングラーの録音を薦めやう。(2004.9.3)

ベートーヴェン:交響曲第1番、同第3番「英雄」/ルガーノ放送管弦楽団/ヘルマン・シェルヘン(cond.) [MEMORIES REVERENCE MR2412/2417]
奇才シェルヘンの名を一躍知らしめたルガーノ放送管弦楽団とのベートーヴェン・ツィクルス。第1番から一切の手抜きなしで、全力で血潮を注ぐ。第1楽章再現部からコーダにかけての巨大さには腰を抜かす。終結部の暴れ振りは空前絶後だ。第2楽章も曲想を抉るので安寧しない。終楽章は血飛沫が舞ふやうな壮絶さ。コーダではアッチェレランドが暴走気味にかかる。第1交響曲が斯様に大交響曲として聴こえたことはなかつた。瑕も多いが別格の名演だ。勿論エロイカも灼熱の演奏だ。弦楽器はスクラッチ・ノイズを軋ませ乍ら全力で演奏する。しかし、難曲故にルガーノ放送管弦楽団はシェルヘンの棒に付いて行くのが精一杯だと感じる箇所も散見される。印象的なのは終楽章終盤で、笞打つやうなシェルヘンの激励の掛け声が何度も入り最後まで手を抜くことが許されないまま、大熱演が幕を閉じる。ただ、エロイカは激しいだけではなく雄大さも聴きたいのだが、それが欠けてゐる。(2015.10.22)

ベートーヴェン:交響曲第2番、同第7番/ルガーノ放送管弦楽団/ヘルマン・シェルヘン(cond.) [MEMORIES REVERENCE MR2412/2417]
奇才シェルヘンの名を一躍知らしめたルガーノ放送管弦楽団とのベートーヴェン・ツィクルス。第2交響曲は冒頭から凄まじい気魄だ。主部に入つてからの燃焼も圧倒的だが、本音を申せば細部での雑然さが気になる。この曲は繊細さも併せ持つ必要があり、勢ひに委せると綻びが目立つ。セッション録音したウエストミンスター盤の方が精度が良く、普段聴こえない声部も刺激的に目立ち、推進力もあるのでそちらを採らう。第7交響曲はだう演奏しても興奮の坩堝と化すが、シェルヘンの演奏は終始熱い。第2楽章も煽りの掛け声が尋常でない。しかし、ルガーノ放送管弦楽団は要求に応へて全力で演奏してゐるが、残念乍ら精度が悪く、十分な効果が出てゐないのは事実だ。余り感銘を受けない演奏であつた。(2016.5.22)

ドヴォジャーク:交響曲第5番、スラヴ狂詩曲/チェコ・フィル/カレル・シェイナ(cond.) [SUPRAPHON SU 3852-2]
交響曲の5番ともなると全集録音以外で取り上げてゐる指揮者は限られてくる。矢張りチェコ・フィルの合奏で鑑賞したいと探せば、名匠シェイナの録音があつた。タリフとアンチェルの間にあつて目立たぬ存在ながら、幾たりかの名盤がある。当盤は洗練された演奏とは異なり、御國訛りを聴かせる演奏として最右翼に位置する名演と云へる。郷愁豊かな歌と土俗的な舞踏がチェコ・フィルのくすんだ木質の音色で奏でられる。第3楽章で聴かせる民族色が素晴らしい。第4楽章の野暮つたい昂揚も見事だ。スラヴ狂詩曲も同様の名演で、物悲しい情感を引き出してをり御家藝の面目躍如と云へる。(2008.2.19)

ドヴォジャーク:交響曲第9番「新世界より」、リスト:ハンガリー狂詩曲第2番、ショパン:マズルカ(2曲)と前奏曲、ボロディン:「イーゴリ公」組曲/フィラデルフィア管弦楽団/レオポルト・ストコフスキー(cond.) [Biddulph WHL027]
電気録音初期に精力的に管弦楽の録音を敢行したストコフスキーの記念碑的な名盤。1927年に録音されたドヴォジャークとリストが素晴らしい。新世界交響曲は自在な緩急を付けた名人藝で、統率力と説得力には舌を巻く。主題ごとに性格を描き分け、最も速く、最も粘り、最も官能的に、最も郷愁豊かに、最も鮮烈に、最も勇壮に表情を付けて行く。当時、黄金期にあつたフィラデルフィア管弦楽団の合奏も天下一品で、低弦の雄弁さは特筆したい。下品な演奏と一蹴することは容易いが、「シェヘラザード」と同様に理屈を超えた魔術により感覚を麻痺させられる。録音は古いが、演奏だけを云々するならストコフスキー盤を最上位に置きたいくらゐだ。ストコフスキーがピアノを弾いて新世界交響曲を解説した録音も併録されてをり興味深い。派手なリストも融通無碍な名演。ボロディンはやや感銘が落ちるが、表情が千変万化する名演だ。ショパンの編曲3曲は些か趣味が悪い。(2008.11.28)

ストコフスキー:バッハのトランスクリプション集/フィラデルフィア管弦楽団/レオポルト・ストコフスキー(cond.) [Pearl GEMM CD 9098]
ストコフスキーの偉大な業績としてバッハのオルガン曲等を管弦楽に編曲して演奏したことを第一に挙げねばなるまい。ストコフスキーは他の作曲家のピアノ作品などを編曲することもあつたが、手放しで称賛できるほどは成功してゐない。だが、バッハの作品では原曲を凌ぐ感銘すら受ける演奏すらある。普遍的で伸展性を備へてゐるバッハの音楽と、オルガン奏者であつたストコフスキーの見事な音響感覚が融合して、壮麗な世界が誕生した。電気録音初期の1927年から1940年まで、フィラデルフィア管弦楽団との録音を録音を集成した2枚組の1枚目を聴く。収録曲はパッサカリアとフーガハ短調、コラールから3曲、クリスマス・オラトリオより1曲、平均律クラヴィーア曲集より3曲、イギリス組曲より2曲、無伴奏ヴァイオリン曲から2曲、ヴァイオリン・ソナタから1曲だ。大曲パッサカリアとフーガには圧倒されるだらう。(2016.10.3)

コダーイ:「ハーリ・ヤーノシュ」組曲、ブダヴァリ・テ・デウム、ファリャ:スペインの庭の夜/ウィリアム・カペル(p)/ブダペシュト交響楽団/ニューヨーク・フィル/レオポルド・ストコフスキー(cond.)、他 [Music&Arts CD-771]
ストコフスキーの珍しい演目を編んだ1枚だ。実は当盤を求めた理由はストコフスキーではなく、ファリャの独奏を担つたカペルの蒐集の為であつた。勿論カペルにとつて唯一の録音記録で大変貴重だ。近代ロシアの勇壮な楽曲を得意とする一方、ドイツ古典での怜悧な佇まいを見事に弾き分けたカペルは、スペインの情熱と官能も巧みに表現する。なかなかの名演だが、録音状態がやや古いのが残念だ。当盤の主役たるストコフスキーは豪華絢爛、魔術師たる面目を発揮してゐる。コダーイはどちらも名演だ。ハーリ・ヤーノシュは元々スペクタクルの要素が強く、ストコフスキーには打つて付けで決まつた感がある。時に大見得を切りつつも違和感がなく、ツィンバロンの効果も抜群だ。ブダヴァリ・テ・デウムは非常に珍しい。合唱、管弦楽、オルガンを掌握した雄渾な演奏に思はず呑み込まれる。特上の名演だ。(2015.12.18)

リムスキー=コルサコフ:シェヘラザード、チャイコフスキー:スラヴ行進曲/ロンドン交響楽団/レオポルト・ストコフスキー(cond.) [CALA CACD0536]
ストコフスキーの復刻を使命感をもつて敢行するCALAによる極上の1枚だ。シェヘラザードは魔術師ストコフスキーの代表盤で、デッカ・フェイズ4録音の劈頭を飾つた記念碑的な録音だ。冒頭の音から生命が宿つてゐる。ヴァイオリン独奏のグリューエンバーグは振り絞るやうなヴィブラートで誘惑する。全楽器が煽情的な音を奏で、それぞれの任務を見事に果たしてゐる。かうでなくてはならないといふ思ひが十二分に出し尽くされてゐる。私見ではシェヘラザードはこのデッカ・フェイズ4盤があれば充分だ。他の演奏では物足りない。ストコフスキーの演奏は楽譜をかなり変更してゐるが、怪しからんほど効果的なので大いに支持したい。さて、当盤には初出となるリハーサル風景が収録されてゐる。ストコフスキーの愉快で一途な人柄が伝はる、和やかかつ真摯な稽古だ。さらに、ストコフスキー90歳の誕生日を祝ふ演奏会でのスラヴ行進曲のライヴ録音が聴ける。非常に完成度の高い名演だ。熱気とストコフスキーらしさではセッション録音のデッカ盤を上位に置きたいが、音響と音楽の運びが自然な当盤の演奏も同じくらゐ素晴らしい。(2014.5.9)

スメタナ:我が祖国、ドヴォジャーク:スラヴ舞曲第2集(全8曲)/チェコ・フィル/ヴァーツラフ・タリフ(cond.) [SUPRAPHON SU 4065-2]
1939年6月、プラハにおける演奏会の放送用録音が奇蹟的にノルウェー放送局に保管されてをり、チェコ・フィル自主制作盤として限定発売された音源が、スプラフォンのタリフ復刻の補遺巻として発売されたことは大歓迎だ。放送用のアナウンスも完全収録された2枚組だ。この記録は第二次世界大戦開戦前夜、ナチス・ドイツによるチェコスロヴァキア解体の予感に覆はれてゐた切迫した雰囲気を伝へる歴史的意義を持つ。弥が上にも祖国愛を駆り立てる曲だけに、演奏は凄まじい熱気に溢れてゐる。曲ごとに熱烈な拍手が送られる。異様な愛国精神に包まれた会場が一体となつて名演を生み出してゐるのだ。あいや! 真に感動的なのは演奏後だ。感極まつた聴衆たちが自発的にチェコ国歌を斉唱し始める! 結局この数ヶ月後、スメタナの曲の如く歴史は繰り返されるが、チェコ国民の反骨精神には胸打たれる。1週間後のドヴォジャークのスラヴ舞曲は初出音源。民族的な旨味が出た熱烈な演奏だ。最後にチェコ・フィルによるチェコ国歌の録音も収録されてゐる。(2016.10.17)

ベンダ:シンフォニア変ロ長調、ドヴォジャーク:弦楽セレナード、スーク:弦楽セレナード、チャイコフスキー:アンダンテ・カンタービレ、無言歌/チェコ・フィル/ヴァーツラフ・タリフ(cond.)、他 [SUPRAPHON SU 3836-2]
これはタリフ最良の遺産である。なのに、旧規格で商品化されたのはスークのみだつた。愛好家なら当盤を看過出来ない筈だ。タリフはヴァイオリニストとして出発し、シェフチーク―教本『セヴシック』で有名―に習ひ、ニキシュに認められベルリン・フィルのコンサート・マスターも務めた。その後、指揮者として大成し、チェコ・フィルの礎を築いたのだが、室内管弦楽団を立ち上げるなど、弦楽合奏への想ひが強かつた。弦楽特有の呼吸による発音とアンサンブルから生まれる温かく気品のある響きは桃源郷のやうだ。スークはSP時代にも録音を残してゐる切り札の演目だ。この再録音でも郷愁を掻き立てる懐かしい音色を引き出し、唯一無二の名演を成し遂げた。プラハ・ソロイスツ管弦楽団とのドヴォジャークも絶対的な名演だ。木目細かく表情を付け、そよ風の如く心地良い旋律の揺らぎがある。ビロードのやうな合奏の響きは機能美を追求した演奏とは対極にある。愛の溜息が聴こえてくる極上の演奏。6分弱のチェコの古典派作曲家ベンダの趣味の良い作品で聴かせる高貴な気品も見事。チャイコフスキーの弦楽四重奏曲や「ハープサルの思ひ出」を編曲した録音は非常に珍しい。甘く歌はれる雰囲気満点の演奏だ。古き良き時代の音がある1枚だ。(2016.12.18)

ヴィラ=ロボス:「ブラジルの発見」組曲第1番、同第2番、同第3番、同第4番、「祖国防衛の祈り」/マリア・カレスカ(S)/フランス国立放送管弦楽団/エイトル・ヴィラ=ロボス(cond.)、他 [EMI CZS 7 67229 2]
ブラジルの国民的作曲家ヴィラ=ロボスが晩年の1950年代にフランス国立放送管弦楽団を指揮して記録を残した自作自演6枚組。これは初期盤だが新装盤も出てゐる。1枚目を聴く。ブラジルの発見は映画音楽であるが、4種の組曲版での演奏だ。性格が異なる短めの3曲から成る第2番が最も面白いだらう。同じく第3番も素敵だ。第1番は幾分纏まりに欠けるが、元が映画音楽なのが原因だらう。長大な第4番は後半で合唱が入るが、効果的ではなく散漫な曲だ。祖国防衛の祈りは受難曲のやうな趣で、カレスカのひたむきな歌唱が胸を打つ。名曲の名演だ。それぞれの演奏は色彩溢れるフランス国立放送管弦楽団の素晴らしさもあるが、ヴィラ=ロボスの統率力ある棒の力を誉め讃へたい。現在に至る迄、最高の演奏と云つてよいだらう。(2016.3.29)

ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第1番、同第2番、同第3番/マノエル・ブラウネ(p)/フランス国立放送管弦楽団/エイトル・ヴィラ=ロボス(cond.) [EMI CZS 7 67229 2]
ブラジルの国民的作曲家ヴィラ=ロボスが晩年の1950年代にフランス国立放送管弦楽団を指揮して記録を残した自作自演6枚組。これは初期盤だが新装盤も出てゐる。2枚目を聴く。代表作ブラジル風バッハだ。この曲集は全9曲の編成が特殊なので、全集録音は限られる。従つて、自作自演は外せない名盤である。チェロ8本による第1番はチェロ・アンサンブルによる名盤が数多あるので、自作自演を特別持ち上げることはないが、雰囲気が絶妙だ。第2番は室内管弦楽作品。ジャズの要素も取り入れた実験精神溢れる曲で全4楽章に表題がある名曲だ。サクソフォーンが活躍するのも特徴だ。第4楽章「カイピラの小さな汽車」は誠に楽しい。演奏は整頓されてゐない野暮さが寧ろ良い。自作自演ならではの醍醐味か。名演は第3番だらう。実質ピアノ協奏曲で、色彩豊かな響きと叙情的な趣が交錯する。フランスのオーケストラが妙味を発揮した美しい演奏で申し分ない。(2016.7.14)

ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第4番、同第5番、同第6番、同第7番/ヴィクトリア・ロス=アンヘルス(S)/フェルナン・デュフレーヌ(fl)/ルネ・プレシーヌ(fg)/フランス国立放送管弦楽団/エイトル・ヴィラ=ロボス(cond.) [EMI CZS 7 67229 2]
ブラジルの国民的作曲家ヴィラ=ロボスが晩年の1950年代にフランス国立放送管弦楽団を指揮して記録を残した自作自演6枚組。これは初期盤だが新装盤も出てゐる。3枚目を聴く。第4番は元来はピアノ独奏曲で、当盤では管弦楽での演奏だ。第1楽章と第3楽章は連綿と哀歌が紡がれ、第4楽章のみ民族的な舞踏で昂揚するが、全体的には弦楽の物悲しい趣が美しい作品だ。演奏は上品で良い。最も有名な第5番はソプラノとチェロ8本といふ編成の曲で、名花ロス=アンヘルスが歌つてゐるのが大注目な筈だが、正直申せば印象が弱い。表現が平板なのだ。この曲ならモッフォ盤を推さう。第6番はフルートとファゴットの二重奏曲。デュフレーヌの名演が堪能出来る。ブラジル風バッハ全9曲の中で最も地味な曲なのだが、この録音は看過出来ない逸品だ。最も規模が大きい管弦楽作品である第7番はフランス管弦楽団の色彩的な演奏が映える。第4楽章フーガは最もバッハ風の楽想で大変な傑作。充実の名演だ。(2016.12.17)

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、「レオノーレ」序曲第3番、他/ウィーン・フィル/ブルーノ・ヴァルター(cond.)、他 [Naxos Historical 8.110032]
ベルリンやウィーンで絶大な人気を謳歌した頃のヴァルターの代表的な名盤をオバート=ソンによる極上の復刻で堪能する。1930年代のヴァルターは優美な気品と情熱的な覇気を調和させた自身の藝術を開花させてをり、渡米後に失つて仕舞つた風雅な趣を聴くことが出来る。1936年にウィーン・フィルと吹き込んだ田園交響曲と「レオノーレ」序曲が取り分け素晴らしく、潤ひのある歌と凛とした情感の絶妙な融合はヴァルター藝術の結晶だ。後年の録音に散見される音楽の弛緩も一切なく、屈指の名盤として推挙したい。得意とした「フィデリオ」序曲はBBC交響楽団との録音だが、ウィーン・フィルと比べても遜色ない演奏だ。ブリティッシュ交響楽団との「プロメテウスの創造物」序曲も生命力溢れる名演だ。ロンドン交響楽団との「コリオラン」序曲も優れてゐるが、特色のある演奏ではない。(2008.3.2)

ベートーヴェン:交響曲第9番/キャスリーン・フェリアー(A)/ロンドン・フィルと合唱団/ブルーノ・ヴァルター(cond.)、他 [Music&Arts CD-12343]
1947年11月13日、ヴァルターが英國に客演した際の貴重な記録だ。この年の9月、ヴァルターは記念すべき第1回エディンバラ音楽祭でウィーン・フィルを指揮してマーラーの大地の歌を演奏した。その時の独唱者はピアーズとフェリアーであつた。この企画の為にヴァルターは前年フェリアーと巡り会ひ、以後フェリアーの玉の緒が燃え尽きる迄の6年間を緊密に過ごした。音楽祭の2ヶ月後、ロンドン公演に登場したヴァルターは第9交響曲でもフェリアーを起用した。フェリアーにとつては唯一の記録だ。演奏は第1楽章が大変素晴らしい。情熱的で激しいアクセントを伴つたトスカニーニ流儀の名演で間然する所が無い。第2楽章も劇的で良いが、やや一本調子だ。第3楽章が美しい。耽美的な歌が聴ける極上の名演だ。第4楽章の出来は並程度で残念だ。フェリアー以外の独唱陣はベイリー、ナッシュ、パーソンズで栄えない。合唱は健闘してゐる。(2014.7.9)

マーラー:大地の歌/キャスリーン・フェリアー(A)/セット・スヴァンホルム(T)/ニューヨーク・フィル/ブルーノ・ヴァルター(cond.) [Naxos Historical 8.110029]
1948年1月18日、カーネギー・ホールにおけるライヴ録音。ヴァルターとフェリアーの共演による大地の歌は、当盤、ウィーン・フィルとパツァークとの高名なDecca録音、その直後に同じ組み合はせで行はれたライヴ録音の3種がある―但し断片録音を除く。アセテート盤からの復刻で、残念乍ら音質は年代としては水準以下なのだが、演奏は大変素晴らしい。大地の歌は矢張り初演者ヴァルターの指揮に限る。耽美的なヴァイオリンの陶酔的な詠嘆は甘く儚い。一定の楽器が突出することなく、絶妙の色合ひを作つてゐる。ニューヨーク・フィルが極上の音を奏でてゐる。表現の幅が大きく、部分的にはウィーン・フィル盤を凌ぐ。フェリアーの含蓄のある歌唱が感動的だ。琴線に触れる深い声は一方で若々しさを失つてゐない。問題はスヴァンホルムだ。ヘルデン・テナーとして声質は申し分ないが、表現は皮相で奥行きが感じられない。管弦楽と比べると浮いてゐるのがわかる。(2012.5.17)

マーラー:大地の歌/ユリウス・パツァーク(T)/キャスリーン・フェリアー(A)/ウィーン・フィル/ブルーノ・ヴァルター(cond.) [Tahra TAH 482]
1952年5月17日の演奏会記録とされるものだが、18日説もあるやうだ。かつてアンダンテなるレーベルがDecca録音を加工した紛ひ物を発売し物議を醸したことは記憶に新しいが、当盤は正真正銘のライヴである。5月15日から16日にかけて同じ顔触れでDeccaにセッション録音された名盤のことは万人よく知る処であり、当盤との比較は大変意義深い。Decca盤は第一にパツァークが素晴らしく、第二にウィーン・フィルが素晴らしかつた。否、現在に至る迄最高である。ところが当演奏会ではパツァークが不調で失敗も明らかだ。ウィーン・フィルにもライヴに付き物の傷がある。この演奏会ではフェリアーが輝いてゐる。深い含蓄のある声は不可思議な神々しさを放ち、彼岸からの啓示のやうだ。諦観と陶酔を漂はせたヴァルターの棒は、この曲と共に生きてきた初演者だけの慈愛に充ちてゐる。総合としてDecca盤には及ばないが、フェリアーの絶唱には魂を奪はれる。(2006.7.7)

モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」、ヴァーグナー:ジークフリート牧歌、ブラームス:交響曲第2番/フランス国立管弦楽団/ブルーノ・ヴァルター(cond.) [Tahra TAH 587-589]
ヴァルターは1955年にパリに客演して、十八番の演目で臨み特上の名演を残した。仏Tahraが集成した3枚組の1枚目と2枚目より、1955年5月5日の演奏会の記録を聴く。3曲ともヴァルターの最も得意とする曲で、録音も数種取り揃ふ。プラハ交響曲は豊麗な歌心に溢れた名演で、耽美的なたゆたひにヴァルターの個性が出てゐる。時に音楽の流れが制御される箇所もあり、全体的な設計に難を感じるが、細部の美しさに心奪はれる演奏だ。往時の巨匠が奏でる芳しきモーツァルト。ジークフリート牧歌も惑溺するやうな名演。ブラームスが絶品だ。力強い歌が漲つてをり、実演ならではの感興がある。ニューヨーク・フィルとの名盤を超えることはないが、熱気のある名演で忘れ難い。ヴァルターの嗜好する耽美的な音楽に共鳴するフランス国立管弦楽団の力量も素晴らしい。余白にヴァルターがフランス語で語るインタヴューの模様が収録されてゐる。(2010.12.5)

ハイドン:交響曲第96番、シュトラウス:ドン・ファン、マーラー:交響曲第4番/マリア・シュターダー(S)/フランス国立管弦楽団/ブルーノ・ヴァルター(cond.) [Tahra TAH 587-589]
ヴァルターは1955年にパリに客演して、十八番の演目で臨み特上の名演を残した。仏Tahraが集成した3枚組の2枚目と3枚目より、1955年5月12日の演奏会の記録を聴く。ハイドンが活力に溢れてをり素晴らしい。ヴァルターは戦前にウィーン・フィルと、渡米後にニューヨーク・フィルと第96番をセッション録音をしてをり、大のお気に入りなのだ。しなやかで麗しい歌を奏で乍ら、リズムが凛として弾んでゐるのは流石だ。往時のハイドン演奏の鑑である。シュトラウスはやや特徴に乏しいが、香り立つ色気がある。沢山録音が残るマーラーの4番が矢張り素晴らしい。解釈の難しい第2楽章での熟れた指揮にヴァルターの貫禄が聴き取れる。あざとい表現を避け、温かい歌で包み込んで行く第3楽章はヴァルターの神髄だらう。清らかなシュターダーの独唱も素晴らしい。実演の傷も散見されるが、フランス国立管弦楽団の瑞々しい弦楽器の歌が美しい。(2011.2.7)

モーツァルト:交響曲第25番、レクィエム/デラ=カーザ(S)/マラニウク(Ms)/デルモータ(T)/シエピ(Bs)/ウィーン・フィルと合唱団/ブルーノ・ヴァルター(cond.) [Orfeo C 430 961 B]
1956年7月26日、モーツァルト生誕200年のザルツブルク音楽祭に巨匠ヴァルターが登場した貴重な記録だ。この日の演目を続けて鑑賞出来るので価値が高い。ト短調交響曲ではヴァルターが燃えてゐる。激しいテンポの変動はセッション録音とは比較にならない。狂つたやうに加速するかと思ふと、異常な粘りで踏ん張る。その為、細部の完成度は低く全体設計も恣意的だが、この曲の最も印象深い特別な名演である。ヴァルターはウィーン・フィルとは約1ヶ月前にも学友協会でレクィエムを演奏したが、豪奢過ぎる演奏だつた。当盤の方が真摯で曲想により近い。独唱陣に名歌手を揃へての渾身の演奏で、取り分けコンフターティスでの激情は天晴だ。しかし、全体を通じて集中力が持続せず交響曲ほどの感銘はない。(2015.2.28)

ハイドン:交響曲第88番、同第100番、同第102番/コロムビア交響楽団/ニューヨーク・フィル/ブルーノ・ヴァルター(cond.) [Sony Classical 88765489522]
渡米後のセッション録音集39枚組。ヴァルターが振るハイドンは、リズム処理が極めて正確で、アーティキュレーションに通はせた神経は随一である。デュナミークも楽譜にはない深い読みがあり、新しい気付きを与へて呉れる。モーツァルトの演奏で示した歌心が溢れてをり、優美で気品があり流麗でなのも良い。唯一の弱みはテンポが穏健で刺激に欠けることだらうか。とは云へ、屈指の名演ばかりでヴァルター盤を最上位に置いても贔屓ではなからう。第88番はきびきびして品格のある序奏から素晴らしい。第3楽章のアウフタクトの装飾音に対する拘泥はりは類例がない。軍隊交響曲はウィーン・フィルとの個性的な名盤もあつたが、堅実な当盤も名演だ。最も素晴らしいのは第102番だ。クレンペラー盤と並ぶこの曲最高の名盤である。この曲はニューヨーク・フィルとの演奏であり合奏に厚みがある。第1楽章主部の生命力は抜群だ。深々とした第2楽章の歌も流石だ。第4楽章も躍動してゐる。(2015.7.10)

ブルックナー:テ・デウム、モーツァルト:レクィエム/イルムガルト・ゼーフリート(S)/レオポルド・シモノー(T)/ウェストミンスター合唱団/ニューヨーク・フィル/ブルーノ・ヴァルター(cond.)、他 [Sony Classical 88765489522]
渡米後のセッション録音集39枚組。2曲ともニューヨーク・フィルとの演奏なので充実してをり、ヴァルターの意図が充分に伝はる名演と成つた。レクィエムはモーツァルト生誕200年の1956年3月の録音―この年に2種類のライヴ録音も残してゐる。安定感と完成度でこのセッション録音を最も好む。管弦楽、合唱団、独唱陣、全てがヴァルターの棒に結集してゐる。冒頭曲のオルガンの響きから荘重な趣がある。怒りの日の燃焼も見事だ。ラクリモーサの真摯さ、オスティアスの敬虔さなど理想的だ。他のライヴ録音は感情こそ出てゐるが、反面卑俗な音がする。ヴァルターならこの高貴なセッション録音が一番良い。1953年録音のブルックナーが名演だ。熱気が溢れてをり一気呵成に聴ける。独唱陣はイーンド、リプトン、ロイド、ハレルだが粒が揃つてをり申し分ない。この曲の代表的な名盤だらう。(2015.7.24)

シューベルト:グレイト交響曲、劇音楽「ロザムンデ」より序曲・バレエ音楽・間奏曲/コロムビア交響楽団/ブルーノ・ヴァルター(cond.) [Sony Classical 88765489522]
渡米後のセッション録音集39枚組。ヴァルターはウィーン音楽を得意とし、取り分けシューベルトには定評があつた。未完成交響曲や交響曲第5番ではヴァルターの演奏が忘れられない。グレイト交響曲も名盤で、古来よりフルトヴェングラー盤と並び称された。柔和で美しい歌心に溢れてゐるのが特徴だ。一方できびきびしたリズム処理もあり、ヴァルターの音楽性と作品が合致した得難い演奏なのだ。だが、惜しい哉、小編成のコロムビア交響楽団の響きが時に薄く、楽器のバランスが悪い箇所も散見され感興を殺がれる。手放しでは賞賛出来ないのが残念だ。寧ろロザムンデの3曲の方を推奨したい。美しい歌があり、細部の表情にまで息遣ひがある。理想的な演奏であり、決定的名演だらう。(2016.3.27)

シュトラウス:ワルツ(4曲)、「ジプシー男爵」序曲、「こうもり」序曲、ブラームス:ハンガリー舞曲(4曲)、スメタナ:モルダウ/コロムビア交響楽団/ニューヨーク・フィル/ブルーノ・ヴァルター(cond.) [Sony Classical 88765489522]
渡米後のセッション録音集39枚組。大曲の録音も良いが、ヴァルターの愛した小品の巧さが光る1枚だ。シュトラウスの録音を聴くとヴァルターがウィーンを離れたことが返す返すも不運であつたと悔やまれる。ワルツは名曲4曲で「美しく青きドナウ」「ウィーンの森の物語」「皇帝円舞曲」「ウィーン気質」だ。音の処理が見事で、色気のある節回しやリズムの崩しなど実に決まつてをり、クラウスの録音が不要と思はれるほど正気に充ちてゐる。これらの有名曲の決定的名演と云つても過言ではない。2つの序曲も素晴らしいが、ワルツに比べると散漫に感じる箇所もある。コロムビア交響楽団はヴァルターの要求に良く応へてゐる。ブラームスのハンガリー舞曲が素晴らしい。情熱的に煽り、妖しく翳る。ニューヨーク・フィルの厚みも素晴らしい。1番、3番、10番、17番の4曲で、どれも最高の演奏だ。スメタナも良いが、特徴は弱い。(2016.6.15)

ウォルトン:ペルシャザールの饗宴、交響曲第1番/BBC交響楽団/ロイヤル・フィル/サー・ウィリアム・ウォルトン(cond.)、他 [BBC LEGENDS BBCL 4097-2]
ウォルトンの自作自演。ペルシャザールの饗宴は1965年のBBC交響楽団との演奏、交響曲は1959年のロイヤル・フィルとの演奏。ウォルトンはブリテン同様、指揮者としての才能が高く、自作自演は決定的な名演が多い。これら2曲にもセッション録音の名盤があるので、当盤はライヴの感興を楽しむべき1枚だ。交響曲は楽曲自体が極めて劇的かつ緊密に書かれてをり、ライヴ特有の細部のしくじりが緊張感を殺ぐ。しかし、第1楽章は曲が素晴らしいこともあり、聴き応へがある。一方、ペルシャザールの饗宴は感情の起伏による昂揚があり、バリトン独唱のマッキンタイヤーが素晴らしく、録音年が比較的新しく音質が鮮明なので、価値が高い。(2008.5.31)

ベートーヴェン:交響曲第1番、同第2番、「レオノーレ」序曲第2番、「フィデリオ」序曲、「アテネの廃墟」序曲、「プロメテウスの創造物」序曲/ウィーン・フィル/ロンドン交響楽団/フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.)、他 [Naxos Historical 8.110856]
SP時代に2度も交響曲全集録音を残したヴァインガルトナーは泣く子も黙るベートーヴェンの権威であつたが、トスカニーニらの全集録音が揃ふに及んで、中庸美を重んじる道学者風の覇気のない演奏と一蹴された。現在でもヴァインガルトナーの録音に特別な価値を見出す人は少ないが、いやどうして昨今の古楽器によるベートーヴェンに慣らされた耳には古さを感じさせない意外な新鮮味がある。浪漫的な解釈が全盛の時代でも頑に古典的な美を求めたヴァインガルトナーは、時代様式に捕はれることない偉大な演奏を貫いてゐたのだ。特に第2交響曲と「フィデリオ」序曲が範を垂れる名演。但し所詮は生温い演奏だから劇的なものを求める方は止した方がよい。(2005.2.1)

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、同第4番/ウィーン・フィル/ロンドン・フィル/フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.) [Naxos Historical 8.110956]
ヴァインガルトナーが録音したベートーヴェンの交響曲では矢張りウィーン・フィルを指揮した5曲に良さが集約される。巷間では第8番が最も評判が高いのだらうか、第9番も定評がある。だが、余り声高に語られることのないエロイカこそがヴァインガルトナーの最上の名演かと思つてゐる。悲劇的なフルトヴェングラーや雄々しいトスカニーニの録音の前に優美なヴァインガルトナー盤が霞むのは致し方ない。しかし、格調高いフレージング、流麗な音楽の進行は名匠の真価を伝へる。ウィーン・フィルの弦楽器が極上の音を出してゐる。品格の中に覇気ある音楽を聴かせる名演だ。第4番も劣らず名演だ。決して特徴の強い演奏ではなく、これ見よがしの外連などは何処にもない。生き生きとした音楽を作ることに腐心した老練な演奏で、70年近く前の演奏だが古びて聴こえないから流石だ。(2012.6.23)

ベートーヴェン:交響曲第5番、同第6番「田園」、11のウィーン舞曲「メートリング舞曲」/ブリティッシュ交響楽団/ロイヤル・フィル/ロンドン・フィル/フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.) [Naxos Historical 8.110861]
20世紀前半において名実共に最も権威のあつた名指揮者ヴァインガルトナーのベートーヴェンでは、ウィーン・フィルとの録音が良く、英國のオーケストラとの録音は遜色があるのは仕方がない。何度も録音してゐるくせに第5番と第6番にウィーン・フィルとの録音がないのは遺憾だ。5番は1932年のブリティッシュ交響楽団との録音。翌年にロンドン・フィルとの録音がある。実に無駄だ。出来は当然ロンドン・フィルとの方が良い。田園交響曲は1927年のロイヤル・フィルとの録音。端正だが感興に乏しく、後世に残る録音ではない。1938年録音のメートリング舞曲が大変珍しい。曲自体は些とも面白くないが、演奏は乙だ。(2010.2.14)

ベートーヴェン:「エグモント」の音楽(3曲)、交響曲第7番、同第8番/ウィーン・フィル/ロンドン・フィル/フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.) [Naxos Historical 8.110862]
ヴァインガルトナーの録音では矢張りウィーン・フィルとの演奏が美しい。英國のオーケストラを振つた録音でも覇気漲る名演を聴かせたが、響きの潤ひといふ点において遜色がある。当時のウィーン・フィルはロゼー率いるヴァイオリン・パートが主導してをり、凛とした格調高い音楽は次元が違ふ。確かに金管楽器や打楽器の迫力には欠け、穏健なヴァインガルトナー像を助長してゐる嫌ひはある。しかし、所詮はSP録音であり、全体的な音響の優劣に目を向けるよりも、ヴァインガルトナーとウィーン・フィルによる気高い名演を味はひたい。交響曲おける弦楽器群の瑞々しい発音は格別だ。巷間誉れが高い第8番よりも第7番の見事なリズム感に惹かれる。ロンドン・フィルとの「エグモント」は序曲こそ平凡だが、間奏曲などが良い出来だ。(2008.9.16)

ベートーヴェン:「献堂式」序曲、交響曲第9番/リヒャルト・マイヤー(Bs)/ウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場合唱団/ロンドン・フィル/フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.)、他 [Naxos Historical 8.110863]
戦後にトスカニーニやフルトヴェングラーによる第9交響曲の録音が発売される迄、決定盤とされた録音である。演奏は現在聴いても古さを感じさせない王道を極めた名演だ。ベートーヴェンの権威ヴァインガルトナーが今日の原典主義的な解釈に近い演奏をしてゐたことには注目すべきだ。とは云へ、1935年の録音で迫力に欠け、穏健なヴァインガルトナーとウィーン・フィルの奏でる演奏は生温く、第9交響曲から特別な感動を求める聴き手には何も得るものはないだらう。何度も語られてきたことだが、名オックス男爵歌ひであつたマイヤーの第一声がまろやかで、その風格ある歌声に心奪はれる。曲想との齟齬はあるが、貴族的な歌唱は別格の域にある。ロンドン・フィルとの序曲の演奏は面白くない。(2014.3.16)

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番(ヴァインガルトナー編)、「プロメテウスの創造物」序曲、交響曲第5番/ロイヤル・フィル/ロンドン・フィル/フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.) [Naxos Historical 8.110913]
史上初の交響曲全集録音を行つたベートーヴェンの権威ヴァインガルトナーは楽譜の校訂にも威勢を振るつた。ハンマークラヴィーア・ソナタは難儀な技巧と長大な演奏時間を乗り切る体力が必要故にピアニストの中で満足に弾ける者は少ない。ヴァインガルトナーの編曲はこの交響楽的な構想を持つ楽曲を理想的に再現する為の試みである。しかし、編成を拡大した編曲が陥る失敗を完全には免れてはゐない。とは云へ原曲に拘泥しなければ、なかなか乙なオーケストレーションである。寧ろ足取りの重い鈍重な演奏に問題があり、編曲の価値を貶めてゐる。第5交響曲は1933年のロンドン・フィルとの録音。穏当だと往時は評価は低かつたが、隙のない端正な演奏は立派であり無下にしたくはない。当盤では1933年録音の覇気漲る「プロメテウスの創造物」序曲が極上の名演である。(2008.5.23)


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