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楽興撰録

管弦楽のCD評


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ベルリオーズ:幻想交響曲、海賊、ローマの謝肉祭、「ベアトリスとベネディクト」序曲
スイス・ロマンド管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 0289 480 7898 1]

 アンセルメが録音したフランス音楽を集成した32枚組。アンセルメはフランス音楽を支柱にしたが、淡い色彩と柔らかい響きを絶妙に聴かせる印象主義音楽で真価を発揮し、破天荒な着想に原色のどぎついオーケストレーションが特徴のベルリオーズの音楽とは相性が然程良くない。全体的には音楽に活気は漲つてゐるが、方向性のずれから矢張り畑違ひの感は否めない。熱狂が弱く、狂気がないので物足りないのだ。幻想交響曲は古典的な名演で、流麗なワルツは美しい。だが、件で述べたやうに、この曲の本懐からは遠い。鐘は低い荘厳な音色を採用し不気味で宗教的な趣を醸す。海賊は熱があり、アンセルメの棒が極上だ。但し、如何せん木管楽器の弱さが目立ち、感興が殺がれる。弦楽器と金管楽器は素晴らしい。ローマの謝肉祭も後半の乱舞よりも前半の侘しい歌に魅力がある。最も美しいのは「ベアトリスとベネディクト」序曲だらう。明るく軽快な喜劇的情景はアンセルメに打つて付けだ。(2019.4.12)


シャブリエ:スペイン、田園組曲、楽しき行進曲、「いやいやながらの王様」より2曲、トマ:「ミニョン」序曲、「レーモン」序曲、オーベール:「黒いドミノ」序曲、「フラ・ディアヴォロ」序曲
スイス・ロマンド管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 0289 480 7898 1]

 アンセルメが録音したフランス音楽を集成した32枚組。色彩的な演奏を得意とするアンセルメにはシャブリエは打つて付けだ。どの曲も演奏効果が高く、申し分ない出来栄えだ。狂詩曲「スペイン」や「楽しき行進曲」のやうな絢爛たる曲も巧いが、中間色を使用した詩情溢れる「田園組曲」の方に良さがある。また、バレエの神様であるアンセルメにとり「いやいやながらの王様」からの2曲、スラヴ舞曲とポーランドの祭りのやうな曲は相性が良く、見事な演奏だ。この2曲は決定的名演と云へる。トマが素晴らしい。抒情的な「ミニョン」も巧いが、「レーモン」は楽想の描き分けが天晴れで決まつてゐる。美しさと軽快さが同居したこの曲随一の名演として推奨したい。オーベールも同様の名演なのだが、パレーの別格の名演があるので次席にならざるを得ない。辛口のパレーに対して、アンセルメは幾分温いのだ。(2019.10.15)


リムスキー=コルサコフ:シェヘラザード、「金鶏」組曲
パリ音楽院管弦楽団/スイス・ロマンド管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 0289 482 0377 2]

 アンセルメが録音したロシア音楽を集成した33枚組。アンセルメはシェヘラザードを3回録音してゐるやうだが、これはコンセールヴァトワールを振つてDECCAに録音した1954年の第2回目録音で、ステレオ録音初期の名盤だ。一般的には手兵スイス・ロマンド管弦楽団との1960年盤が高名だが、名門オーケストラを指揮しての緊張感ある新鮮さが聴かれる当盤も捨て難い。絢爛たる響きが絶品で、代表的な名演のひとつと云へる。「金鶏」は唯一の録音。残念なことに1952年のモノーラル録音であるが、極めて色彩的な演奏で不満を感じない。組曲としての録音は音源としても貴重で、重要な名盤と云へるだらう。スラヴの土俗さを感じさせないのはアンセルメの特徴で、華麗さが前面に出てゐる。手兵スイス・ロマンド管弦楽団の鮮やかな響きが充溢した名演だ。(2012.1.5)


ボロディン:交響曲第2番、同第3番、「イーゴリ公」より序曲、韃靼人の娘たちの踊り、韃靼人の踊り、中央アジアの草原にて
スイス・ロマンド管弦楽団、他
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 0289 482 0377 2]

 アンセルメが録音したロシア音楽を集成した33枚組。アンセルメはロシアの楽曲を大変得意とした。チャイコフスキーとリムスキー=コルサコフは特に素晴らしい。だが、それ以上に良いのがボロディンだ。代表作、交響曲第2番にはロシア系の指揮者による豪快で熱気ある録音が幾つもあり、アンセルメの演奏は生温く感じるかも知れぬが、第3楽章の悠遠な旋律の美しさを筆頭に東洋的な響きを醸し出す色彩感が見事で捨て難い。DECCA最初期の優秀なステレオ録音で迫力も充分、名盤のひとつとして記憶したい。さて、本当に素晴らしいのはここからだ。未完の第3番は数少ない貴重な録音で決定盤として名高い。グラズノフのオーケストレーションも絶妙で、取り分け5拍子と2拍子が交錯するスケルツォの魅力には完全に降参だ。アンセルメの洒脱な演奏が活きてゐる。イーゴリ公からの3曲が最高だ。颯爽とした序曲が絶品。中間部のホルンから始まる憂ひを帯びた旋律の美しさは当盤の白眉だ。有名曲、韃靼人の踊りは合唱を加へた演奏で色彩豊か、熱気ある躍動感にも不足がない。無数にあるこの曲の録音の中でも極上の演奏として絶讃したい。そして、存外名演のない中央アジアの草原にてが無類の名演だ。淡い抒情を演出し、寂寥感溢れる歌が混じり合つて行く様に吐息が出る。(2013.4.28)


ムソルグスキー:展覧会の絵、禿げ山の一夜、「ホヴァンシチナ」より前奏曲とペルシア奴隷の踊り、「ソロチンスクの市」よりゴパック、バラキレフ:タマーラ/スイス・ロマンド管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 0289 482 0377 2]

 アンセルメが録音したロシア音楽を集成した33枚組。アンセルメは展覧会の絵を4回録音してをり、当盤は1959年にステレオ録音された最後の録音で、総決算とも云ふべき演奏だ。アンセルメはフランス音楽とロシア音楽をレペルトワールの両輪としてゐたが、ロシア音楽はスラヴ系の力強さを聴かせるではなく、色彩的なフランス風の演奏で洒落たまろやかな雰囲気を特徴とした。だからムソルグスキーは最もアンセルメに相応しくない作曲家かも知れぬ。しかし、実際は全て他の作曲家によるオーケストレーションだから一向に気にならない。ラヴェル編曲の展覧会の絵はラヴェルを得意にしたアンセルメの面目躍如たる演奏だ。もう少し重厚感や輪郭の硬さが欲しくなるが、華麗なアンセルメの個性を評価したい。最後のオルガンを追加した壮麗さは特筆したい。禿げ山の一夜は迫力や怪奇性が不足して詰まらない。ホヴァンシチナの前奏曲は美しいが、少々甘たるい。ペルシア奴隷の踊りが鮮やかで良い。リャードフがオーケストレーションをしたゴパックの明るい躍動も楽しい。当盤の最高傑作はバラキレフだ。この魅惑的な名曲を東洋的な情趣と色彩豊かな響きで聴かせるアンセルメ盤は最右翼の名演だらう。(2012.3.3)


ストラヴィンスキー:プルチネッラ、ミューズを率ゐるアポロ
マリリン・タイラー(S)/カルロ・フランツィーニ(T)/ボリス・カルメリ(Bs)
スイス・ロマンド管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 0289 482 0377 2]

 アンセルメが録音したロシア音楽を集成した33枚組。1965年に録音されたプルチネッラはバレエ音楽全曲版である。興行師ディアギレフ率ゐるバレエ・リュス、マシーン、ピカソらが結集し大当たりを取つたプルチネッラは1920年にアンセルメによつて初演された。個性的な楽器編成、ソプラノ、テノール、バスの独唱を伴ふ為、初演時のバレエ音楽全曲版の録音は少なく、後に作曲者自身で編曲された歌手なしの組曲版の方が一般的になつて仕舞つた。だが、組曲に含まれない楽曲に沢山の魅力があり、取り分けソプラノによつて歌はれる"Se tu m'ami"―ペルゴレージ作とされるがパリゾッティ作説もある―はどの曲よりも素晴らしいのだ。初演者アンセルメの演奏は軽く明るい。これぞ原点とも云へる解釈でバレエ音楽の神様の真価を伝へる。より機能的な演奏はあるが、初演当時の雰囲気を感じさせる瀟酒な演奏は決定的名盤と云ひたい。ミューズを率ゐるアポロも名演だ。スイス・ロマンド管弦楽団の弦楽器は精鋭で見事だ。しかし、今日では特色が薄く印象に残る演奏ではない。(2014.7.7)


ストラヴィンスキー:「兵士の物語」組曲、「プルチネッラ」組曲
ミシェル・シュヴァルベ(vn)
スイス・ロマンド管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 0289 482 0377 2]

 アンセルメが録音したロシア音楽を集成した33枚組。両曲ともアンセルメが初演を果たした。貫禄充分の名盤である。但し、1961年録音の「兵士の物語」は1918年舞台初演時の録読付き全曲版ではなく、器楽だけによる演奏時間を半分程度に短縮した組曲版での録音である―アンセルメは1952年に全曲版での実況録音を残してゐる。当盤での注目は大戦末期にスイス・ロマンド管弦楽団のコンサートマスターを務めたシュヴァルベが、古巣での録音に賛助出演してゐることだ。妙技が光る。全7名精鋭揃ひで極上の名演だ。1956年録音のプルチネッラは組曲版。曲を手中に収めた爽快な名演であるが、やや特徴が薄い嫌ひはある。アンセルメであれば9年後のバレエ全曲版での録音を聴くべきだ。(2014.7.11)


ベートーヴェン:交響曲第1番、同第3番「英雄」
スイス・ロマンド管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 0289 482 1235 4]

 アンセルメのDECCA録音よりフランス音楽とロシア音楽以外、即ちドイツ音楽を中心に集成をした31枚組。英DECCAの優秀録音で残されたアンセルメのベートーヴェン交響曲全集録音は顕著な特徴がないことから声高に語られることはないが、音楽の喜びが伝はる名演揃ひだ。演奏は兎に角明るい。楽器が良く鳴つてをり心地良い。その背景にあるのは絶妙なテンポ設定で、オーケストラに自然な息吹を与へてゐる。モントゥーに似てをり、弱音で深刻振らないのも共通点だ。柔和なスイス・ロマンド管弦楽団が熱気溢れる演奏をしてゐる。特にエロイカでは燃えてゐる。2曲とも情感が豊かで悪い点はひとつもない。だが、印象に残るやうな踏み外しがなく、伝統的なベートーヴェン演奏のいいとこ取りしただけに過ぎない優等生の穏当な演奏とも云へる。(2015.9.4)


ベートーヴェン:交響曲第2番、同第4番、序曲「コリオラン」
スイス・ロマンド管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 0289 482 1235 4]

 アンセルメのDECCA録音よりフランス音楽とロシア音楽以外、即ちドイツ音楽を中心に集成をした31枚組。アンセルメが振るベートーヴェンは明る過ぎることを除けば優れた全集録音だと賞讃したい。第2番は明朗で熱気がある名演だ。特に冒頭のアウフタクトを強調かつ離す解釈を楽章全体を通じて徹底させてゐるのは、序奏と主部の関連性も強化され好感が持てる。クレッシェンドを効果的にする為のスビトピアノの多用も特徴的だ。第4番も情緒豊かで美しい。中庸なテンポと豊満な響きによる壮麗な演奏だ。曲想との齟齬はない。コリオランはアンセルメが燃えてゐる。煽り気味のテンポで各声部を鳴らした名演だ。敢へて云ふが、クリュイタンスの全集よりアンセルメの全集の方が断然優れてゐる。(2016.4.9)


ベートーヴェン:交響曲第7番、同第8番、「エグモント」序曲
スイス・ロマンド管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 0289 482 1235 4]

 アンセルメのDECCA録音よりフランス音楽とロシア音楽以外、即ちドイツ音楽を中心に集成をした31枚組。アンセルメのベートーヴェン全集は粒揃ひの大変優れた名演ばかりであり、中庸美といふ表現がぴたりと嵌る。だから、特別な感銘を求めることは出来ぬ。しかし、王道の仕上がりでベートーヴェンに不可欠な熱量と強さは充分備はつてゐる。第7番は豊麗な響きで殊更五月蝿くならずに聴かせる趣味の良い演奏だ。全ての繰り返しを遵守してゐるが、しつこく感じないのは演奏の質が良いからだ。第8番も同様の名演と云へる。序曲は燃えてをり、推進力が見事だ。深刻振らないのも好感が持てる。(2022.6.15)


ブラームス:交響曲第2番、ハイドンの主題による変奏曲、悲劇的序曲
スイス・ロマンド管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 0289 482 1235 4]

 アンセルメのDECCA録音よりフランス音楽とロシア音楽以外、即ちドイツ音楽を中心に集成をした31枚組。先入観でアンセルメとブラームスは相性が悪いと思ひ込むのは浅薄だ。勿論、重厚な北ドイツ風のブラームスではない。真逆で、明るく沈み込まず優しく慈しむやうな演奏である。どこかフォレを想起させる。亜流と云へば亜流だ。アンセルメは殆どブラームスの癖を意識せず、温かい音楽で中庸の美を聴かせる。第2交響曲は懐の深い穏やかな演奏だ。強奏する箇所もきついアクセントや低音の唸りを抑へ、沈鬱な痛々しさは皆無だ。だから、音楽の流れは良く軽妙で爽快だ。第1楽章後半の美しさは滅多に聴けない。第1楽章は非常に珍しい繰り返し指定を守つてゐるがしつこくない。比べて、変奏曲と序曲は感銘では劣るが、流れの良いテンポで明るい響きを保ち乍ら、明朗な音楽を奏でる。異色だが捨て難い。(2017.7.3)

ハイドン:交響曲第22番、同第90番、トランペット協奏曲、フンメル:トランペット協奏曲
パオロ・ロンジノッティ(tp)/ミシェル・クヴィット(tp)
スイス・ロマンド管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 0289 482 1235 4]

 アンセルメのDECCA録音よりフランス音楽とロシア音楽以外、即ちドイツ音楽を中心に集成をした31枚組。アンセルメによるハイドンはパリ・セット6曲の録音が残る。フランス音楽を主戦場としたアンセルメだからパリ・セットを選んだ理由はわかる。当盤の第22番と第90番はそれこそ玄人好みの選曲であり、純粋にアンセルメが愛し、得意としたといふ理由以外はなささうだ。「哲学者」の第1楽章のまつたりとした雰囲気は絶妙で、ハイドンの意図したアイロニーを表現することに成功した得難い演奏である。第2楽章以降は風格ある穏当な演奏で、刺激はないが万全だ。第90番が一際抜きん出た名曲であることを伝道する名演だ。堂々たる構へで情熱と生命力が漲る。独奏楽器の情感も豊か。第4楽章のパウゼが素敵だ。この2曲は屈指の名演として必聴である。有名曲トランペット協奏曲だが、アンセルメとスイス・ロマンド管弦楽団は素晴らしいのだが、独奏者ロンジノッティが戴けない。無遠慮に吹き、細かい音の処理が出来てゐない。繊細さがなく大味だ。技巧も怪しく、現代の学生の方が上手に吹くだらう。一方、フンメルの独奏者クヴィットは数倍上手で安心して聴ける。(2018.7.9)


ハイドン:交響曲第85番「王妃」、同第86番 、同第87番
スイス・ロマンド管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 0289 482 1235 4]

 アンセルメのDECCA録音よりフランス音楽とロシア音楽以外、即ちドイツ音楽を中心に集成をした31枚組。パリ・セットの重要な名盤である。上品な中間色を用ゐた穏健な仕上げだが、仄かな色気があるのが良い。「王妃」と呼称される第85番は優美さと愛らしさが随所にありこの曲の屈指の名演だ。表情豊かな第2楽章が殊の外美しい。第86番も華美だが、肝心の第1楽章に推進力がなく良くない。次第に調子が良くなり、瀟洒な第4楽章は見事な出来だ。第87番が最も素晴らしい。第1楽章から活気に満ちてをり魅了される。終楽章も熱気と華やかさが溢れた極上の名演だ。(2022.2.9)


ヴェーバー:序曲集(魔弾の射手、プレチオーザ、精霊の王、オベロン、オイリアンテ、アブ・ハッサン)、祝典序曲「歓呼」、ファゴット協奏曲
アンリ・エレール(fg)
スイス・ロマンド管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 0289 482 1235 4]

 アンセルメのDECCA録音よりフランス音楽とロシア音楽以外、即ちドイツ音楽を中心に集成をした31枚組。ドイツの指揮者でもヴェーバーの作品をこんなに録音することは稀だ。有名な「魔弾の射手」「オベロン」「オイリアンテ」以外にも「アブ・ハッサン」と「精霊の王」―別名「リューベツァール」―の他、劇付随音楽の序曲「プレチオーザ」、祝典序曲として書かれた「歓呼」の6曲が聴ける。何れも小綺麗に纏まつた演奏で爽快だ。名演だが「魔弾の射手」はもう少し毒が欲しい。「オベロン」は幾分退屈だが、輝かしい「オイリアンテ」は良い出来だ。軽快な「プレチオーザ」はアンセルメ向きで良い。疾走する「精霊の王」も見事だ。「アブ・ハッサン」が色彩豊かで楽しい。アンセルメの魔術が活かされた。祝典序曲は明るく晴れやかな名演。ファゴット協奏曲は代表的な名演だらう。(2015.2.14)


チャイコフスキー:胡桃割り人形
レスピーギ:風変はりな店
ドリーブ:コッペリア
アダン:ジゼル
コヴェントガーデン・ロイヤルオペラハウス管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 485 1583]

 ステレオ録音全集88枚組。「ロイヤルバレエ・ガラ・コンサート」と題されたアルバムの復刻。1959年にRCAのリヴィング・ステレオ・シリーズで録音されたアンセルメの比較的珍しい音源で、音質は最高級である。オーケストラが手兵スイス・ロマンド管弦楽団ではなく、英國コヴェントガーデン歌劇場の管弦楽団だといふのも大変興味深い。客演のオーケストラからもアンセルメ特有の柔和で色彩的な響きを引き出してゐる。スイス・ロマンド管弦楽団よりも木管楽器の技量が優れてゐるので、愛好家には是非聴いて欲しいアルバムだ。2枚組1枚目。十八番である「胡桃割り人形」組曲では、花のワルツの最後で激情的な締めくくりが聴かれる。アンセルメの生気に溢れた一面が知れて愉快だ。「風変はりな店」からは3曲、「コッペリア」からは4曲、「ジゼル」からは2曲が選曲されてゐる。躍動するリズムが見事で、色彩豊かで繊細な表情付けも素晴らしい。バレエの神様と崇められたアンセルメの実力を感じる録音ばかりで、幸福感に充ちてゐる。(2011.1.19)


チャイコフスキー:白鳥の湖、眠れる森の美女
シューマン:謝肉祭
ショパン:レ・シルフィード
コヴェントガーデン・ロイヤルオペラハウス管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 485 1583]

 ステレオ録音全集88枚組。「ロイヤルバレエ・ガラ・コンサート」2枚組2枚目。「白鳥の湖」より4曲、「眠れる森の美女」より3曲、グラズノフやリムスキー=コルサコフがオーケストレーションを施した「謝肉祭」より4曲、ダグラスのオーケストレーションによる「レ・シルフィード」より3曲が演奏されてゐる。矢張りチャイコフスキーが聴き応へがある。アンセルメには高名なバレエ全曲演奏の録音があり―白鳥の湖は短縮版での録音だが―、当盤は抜粋演奏といふ位置付けをされて仕舞ひ勝ちだらうが、演奏内容は断然素晴らしく、看過するのは惜しい。スイス・ロマンド管弦楽団よりも技量があり、客演といふことから適度の緊張感もあるのだらう、生彩に富んだ演奏が展開される。シューマンとショパンの曲は邪道かも知れぬが、バレエの神様アンセルメの卓越した棒で極上の仕上がりとなつてゐる。特にショパンのプレリュード第7番とワルツ第1番は出色だ。録音の魔術だと不当に評価されることもあるアンセルメだが、当盤には真価を伝へる名演が詰まつてゐる。(2011.4.4)


ファリャ:「三角帽子」第2組曲
アルベニス「イベリア」(アルボス編)
アルボス「アラビアの夜」、他
マドリッド交響楽団
エンリケ・フェルナンデス・アルボス(cond.)
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9782]

 アルボスはアルベニスやフャリャらと親交が深かつた作曲家で、アルベニスの「イベリア」を見事にオーケストレーションした功績がある。また、ヨアヒムの薫陶を受けた程ヴァイオリンの腕前は確かで、ベルリン・フィルのコンサート・マスターも務めたさうだ。そんなものだから、指揮も余技だらうが滅法巧い。当時の本職指揮者を見渡してもこれ程要領の良い指揮者は少ないだらう。1928年4月の数日間でこれだけの曲を一気に手際良く録音をしたのも驚異的だ。収録曲はファリャ「三角帽子」第2組曲、アルベニス「イベリア」から3曲と「ナバーラ」、グラナドス「スペイン舞曲第6番」と「ゴイェスカス」の間奏曲、トゥリーナ「ロシオの行列」「幻想舞曲集」から夢想と饗宴、ブレトン「ポロ・ヒターノ」「アルハンブラにて」、自作「アラビアの夜」だ。何れも整つたアンサンブルと色彩豊かな響きの名演ばかり。マドリッド交響楽団も良く訓練されてをり、同時期のイギリスやフランスの楽団よりも巧い。ただ、精緻さが勝り、スペインの指揮者だけに期待する迸る情熱は感じられない。一方で美しい色気があり、現代の耳にも新鮮さを与へて呉れるだらう。VAIからも復刻があつて数曲補完し合ふ。愛好家は両方所持してをくとよい。(2016.12.4)


ファリャ:「三角帽子」第2組曲
アルベニス「イベリア」(アルボス編)
アルボス「アラビアの夜」、他
マドリッド交響楽団
エンリケ・フェルナンデス・アルボス(cond.)
[VAI VAIA 1046]

 アルボスの復刻を米VAI盤で聴く。復刻は英Duttonからも出たが、それまではこの米VAI盤が唯一の存在であつた。収録曲はファリャ「三角帽子」第2組曲、グラナドス「スペイン舞曲第6番」と「ゴイェスカス」の間奏曲、自作「アラビアの夜」、ブレトン「ラ・ドローレス」よりホタ、トゥリーナ「ロシオの行列」と「幻想舞曲集」から夢想と饗宴、アルベニス「イベリア」から4曲と「ナバーラ」だ。つまり、英Dutton盤との違ひは「イベリア」が1曲多く収録されてゐることと、ブレトンのホタが聴けることで、あとは重複する。ブレトンの作品はサルスエラらしく掛け声が付いてをり楽しい。アルボスが編曲した「イベリア」管弦楽版組曲は「ナバーラ」を含めて全部で6曲だが、第5番「エル・アルバイシン」だけは録音しなかつたやうだ。(2017.3.16)


ディーリアス:春かっこうの初音を聞きて、川辺の夏の夜、お伽噺、「コアンガ」終幕の情景、「ハッサン」より、「パリ」
サー・トーマス・ビーチャム(cond.)
[Naxos Historical 8.110904]

 ディーリアスの持つ独特な詩情をビーチャムは心憎いほどよく分かつてゐる。他の指揮者の録音と比べると情緒が淡く、全体の起伏が平板である代はりに細部が繊細極まりない。正しくこれがディーリアスの美学であり、ビーチャム卿の音楽性との幸福な出会ひである。和声の霊妙な程よさは取り分け感銘深い。ビーチャムは快活な演奏も一面行つたが、英国紳士ならではの落ち着いた趣味にこそ本分が発揮させてゐると思ふ。「春、かっこうの初音を聞きて」の冒頭から清涼なる霧が立ち込め、幻想的な世界へ誘つてくれる。「ハッサン」のセレナードにおける可憐さも心に染み渡る。大曲「パリ」や「お伽話」も充実した名演だ。(2005.6.22)


ディーリアス:海流、夏の庭で、丘を越えて遥かに、他
サー・トーマス・ビーチャム(cond.)
[Naxos Historical 8.110905]

 ディーリアスと云へばビーチャム卿に止めを刺す。Naxosレーベルはビーチャム指揮によるディーリアス管弦楽集を3枚出してゐるが、これは第2巻で、1927年から36年の間に録音された初期の録音である。ビーチャムは多様な表現を持ち合はせてゐるが、根底に流れるのはスノビズムであらう。淡い色彩、郷愁豊かな音色、節度ある情感、上品な語り口。ビーチャムの特質がこれほど適合した作曲家は珍しい。但し、「楽園への道」だけは情愛目眩くやうなバルビローリの録音が忘れられない。(2004.10.12)


ベルリオーズ:幻想交響曲、序曲「海賊」、「トロイア人」よりトロイア人の行進・王の狩と嵐
フランス放送国立管弦楽団
ロイヤル・フィル、他
サー・トーマス・ビーチャム(cond.)
[EMI 50999 9 09932 2 0]

 ビーチャム卿によるフランス音楽集6枚組。1枚目を聴く。ビーチャムはフランス音楽を得意としたが、その中でもベルリオーズは特別であつた。大曲「トロイア人」を録音したのは大きな業績である。フランス放送国立管弦楽団を振つた幻想交響曲は大変優れた出来であるが、ビーチャム特有のスノビズムが邪魔をし、この曲が内含する狂気を表現したとは云ひ難い。ここぞといふ場面で締まりがなく物足りない。寧ろ、余白に収録されたロイヤル・フィルを振つて録音した曲が素晴らしい。海賊は颯爽として淀みがなく、かつ情熱的な名演で、この曲の屈指の出来栄えだ。自家薬籠中とした「トロイア人」からの2曲は絶対的な名演だ。特に王の狩と嵐ではビーチャム合唱協会を動員し、絢爛たる情景を描き出した。(2019.3.20)


マーラー:交響曲第4番
レリ・グリスト(S)
ニューヨーク・フィル
レナード・バーンスタイン(cond.)
[SONY 88697943332]

 第1回目の交響曲全集で最初に録音された第4番だ。メンゲルベルクやヴァルターらマーラーを直接知る指揮者らの演奏は、この曲の持つメルヒェンを最大限に引き出し、陶酔的な表現を行つてきた。次なる世代で旗手となつたバーンスタインはマーラーの書いた音符を全部拾ひ出し、メルヒェンと表裏一体にあるグロテスクをも表現した。素朴な歌や頽廃的な甘さに溺れることなく、速めのテンポで明暗や強弱をくっきり付ける。しかし、バーンスタインの後の世代にような解剖学的で分析的な演奏ではなく、情念を優先させ、濃厚で熱気ある音楽を推進させるのが特徴だ。つまり、前の世代のような後期ロマン主義の演奏でもなく、後の世代の学究的な演奏でもなく、理想的なマーラーの演奏であり、長らく規範とされた。特に輝かしく発散する最強音の箇所は見事だ。一方、耽溺がないので物足りない箇所もある。第4楽章でのグリストの歌唱はイヴォーギュンやシュトライヒに通じる女学生風の清廉で無垢な声質に特徴があり、宛ら天使のやうだ。(2018.10.13)


マーラー:交響曲第5番
ニューヨーク・フィル
レナード・バーンスタイン(cond.)
[SONY 88697943332]

 第1回目の交響曲全集。1963年の録音だ。バーンスタインの第5番ではライヴ録音によるDG全集盤が爛熟の名盤として知られてゐるが、この旧盤も表現の幅が大人しいもののマーラーの本懐に迫つた名演に違ひない。七転八倒するやうなウィーン・フィル盤の濃さとは違ひ、荒削り乍らも疾風のやうに聴き手を飲み込んで仕舞ふ熱気が素晴らしい。全体の流れは良いので、このニューヨーク・フィルとの旧盤の方を好む向きもあらう。(2023.3.30)


コープランド:アパラチアの春
ウィリアム・シューマン:アメリカ祝典序曲
バーバー:弦楽の為のアダージョ
バーンスタイン:「キャンディード」序曲
ロサンジェルス・フィル
レナード・バーンスタイン(cond.)
[DG 4798418]

 DG録音全集121枚組。1982年のライヴ録音だ。自家薬籠中としたアメリカ物で組んだプログラムが悪からう筈がないのだが、有名なコープランドとバーバーの演奏はだうも踏み込みが弱く、感情が稀薄で然程感銘を受けない。勿論、安定感のある高水準の演奏なのだが、古典となつたかのやうなルーティン志向の演奏で面白くないのだ。その点、W・シューマンと自作自演の序曲は活きが良く絶品だ。本領発揮の名演と云へる。(2023.6.15)


シューマン:交響曲第1番、同第4番
ウィーン・フィル
レナード・バーンスタイン(cond.)
[DG 4798418]

 DG録音全集121枚組。1984年のライヴ録音。ウィーン・フィルの優美さとバーンスタインの溌剌さが程良く混じつた絶妙な演奏だ。特に第1番が良い。跳ねるリズムや輝かしい響きはバーンスタインが引き出した音だ。屈託のない力強さがあり、この曲の名演のひとつだらう。第4番は感銘が落ちる。軽過ぎるのだ。前進する推進力は良いのだが、憂ひがなく詰まらない。(2023.8.21)


ハイドン:交響曲第102番、ミサ曲第7番「太鼓ミサ(戦時のミサ)」
ウィーン・フィル/バイエルン放送交響楽団と合唱団、他
レナード・バーンスタイン(cond.)
[DG 4798418]

 DG録音全集121枚組。交響曲は1992年にウィーン・フィルの創設150年記念盤でDGより初出発売された1971年2月21日のライヴ録音だ―同日にラヴェルのピアノ協奏曲も弾き振りで演奏されてゐる。ウィーン・フィルの豊麗な響きと活気のあるバーンスタインの棒が相乗効果を生んだ名演だ。第2楽章では響きの調整を念入りに行つてをり、聡明さも兼ね備へてゐる。装飾音をゆっくりと入れるのは個性的で面白い。ジャケット・デザインはDG盤ではなく、ミサ曲のPhilips盤である。バイエルン放送交響楽団との1984年の録音で、独唱者はブレゲン、ファスベンダー、アーンシェ、ゾーティンだ。太鼓が活躍し、戦時のミサの通称で知られる曲だが、劇的なバーンスタインの音楽性で一層情熱的な演奏となつてゐる。この位精力的な方が好ましい。(2016.11.18)


マーラー:交響曲第4番
ヘルムート・ヴィテック(B-S)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
レナード・バーンスタイン(cond.)
[DG 4798418]

 DG録音全集121枚組。バーンスタイン2度目の全集録音で、1987年録音だ。新録音で次々とマーラーの決定的名演を残したバーンスタインだが、残念なことに第4番に関して云へば、旧録音を超えられなかつた。マーラー演奏で古い伝統を継承するアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を起用し、耽溺するやうな演奏を繰り広げる。オーケストラの音色や細部の表情は大変素晴らしい。当時、コンセルトヘボウの顔であつたヤープ・ファン・ズヴェーデンの濃厚な独奏ヴァイオリンも魅惑的だ。しかし、ライヴ録音であることもあり、音楽に隙間風が入り込む瞬間が時としてあり、元気溢れて個性が爆発してゐた旧盤の完成度がない。全体に大人しく停滞感がある。さて、最大の問題はバーンスタインの拘泥はりで起用されたボーイ・ソプラノのヴィテックだ。天使の歌声に天国の音楽を歌はせる意図はよくわかる。しかし、人の声が持つ力には隠せぬ魔法が込められてゐる。人生や音楽の経験が浅い少年の表現が物足りないのは当然で、行間が面白くない。声は美しい。無垢な純粋さが表現されてゐる箇所も良い。だが、歌は弱い。悪い演奏ではないが、音楽的には旧盤の方が成功してゐる。特にレリ・グリストが最高であつただけに、その差は大きい。(2019.1.21)


マーラー:交響曲第5番
ウィーン・フィル
レナード・バーンスタイン(cond.)
[DG 4798418]

 DG録音全集121枚組。1987年のライヴ録音で、この曲の決定的名演と謳はれる有名な録音だ。マーラーの伝道師として質・量ともに先頭を走つてゐたバーンスタイン渾身の演奏で、ウィーン・フィルの耽美的な表現が作品の本質を抉る。細部までマーラーの指示を汲み取り、ライヴとは思へぬほど精緻な演奏を貫いてゐる。それなのに、感興も乗つてをり緩急も自在、欠けることのない無敵の演奏なのだ。この曲の第一選択として同じく一票を投じよう。ただ、個人的にはバーンスタインの才気煥発で開放的な性質がマーラーの鬱屈さを襞まで表現しきれてゐない気がする。粗くてもミトロプーロスが聴かせた真剣勝負を上位に置きたい。(2023.9.27)


ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス
マリア・シュターダー(S)/アントン・デルモータ(T)/ヨーゼフ・グラインドル(Bs)、他
聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊/ベルリン・フィル
カール・ベーム(cond.)
[DG 4798358]

 ベームの歌劇と声楽作品録音を集成した70枚組。ベームはミサ・ソレムニスを2回録音してをり、こちらは旧盤となるベルリン・フィルとの1955年録音盤だ。1974年にウィーン・フィル盤と再録音したが、結論から述べると、この旧盤の方があらゆる点で優れてゐる。ベームは往々にしてベルリン・フィルとの旧録音の方が正気があつて評判が高い。否、唯一劣るのは旧盤がモノーラル録音であるといふ点であらう。それから、メッゾ・ソプラノのマリアンナ・ラデフの声質がアンサンブルに溶け込んでをらず、気になる点か。ラデフといふ人、マリア・カラスにそつくりの声を出す。独唱陣は清楚な歌唱で宗教曲では並ぶ者がないシュターダーを筆頭に、デルモータやグラインドルと大物が名唱を聴かせる。ベームの棒は引き締まつたテンポで精力的に音楽を運ぶ。重厚なベルリン・フィルの合奏も良く、合唱も見事だ。この曲の名盤のひとつだが、幾分求心力を欠き、トスカニーニやクレンペラーの名盤と並べると遜色がある。(2020.2.12)


モーツァルト:交響曲第26番、同第28番、同第29番、同第30番
ベルリン・フィル
カール・ベーム(cond.)
[DG 00289 483 5171]

 ベームの代表的名盤であるモーツァルト交響曲全集。1773年から1774年にかけて作曲された交響曲群で、イタリア風序曲に近い単調で一本調子な作風から、4楽章制の古典派交響曲への変遷が聴ける。ハイドンの影響が窺はれるが、展開にまだ深みがなく、明るく予定調和的な作品が多い。その中で第29番は上品な歌に満ちたウィーン楽派の名曲に仕上がつてをり格別だ。次いで第28番が充実してゐる。演奏内容はベームの落ち着いた嗜みのある棒が面白くも何ともないが、モーツァルトの音楽を損ねてゐないのは流石だ。ベルリン・フィルの堅牢な演奏は満点以上である。(2023.3.18)


モーツァルト:交響曲第39番、同第40番、同第41番
ベルリン・フィル
カール・ベーム(cond.)
[DG 00289 483 5171]

 ベームの代表的名盤であるモーツァルト交響曲全集。三大交響曲ともなると名演が揃ひ踏みしてゐるので、ベーム盤を敢へて推すことはない。ベルリン・フィルの極上の演奏は比類ないが、ベームの棒に閃きはなく、安心して聴けるが何度も食指を動かされるやうな演奏ではない。但し、第40番は極めて珍しいクラリネット・パート加筆前の第1稿での演奏なので重宝される。ベームは第1稿での演奏を常としてゐた。木管楽器の個々の音色が粒立つて聴こえる面白さがあるのだ。(2023.9.3)


ナディア・ブーランジェ讃
モンテヴェルディ:マドリガル集(9曲)、他
ナディア・ブーランジェ(p&cond.)、他
[CASCAVELLE VEL 3081]

 偉大なる教育者ブーランジェが残した録音は知る人ぞ知る秘宝である。スイスのCASCAVELLEが復刻した2枚組は蒐集家感涙の逸品だ。1枚目を聴く。1937年、Disques Gramophoneに録音したモンテヴェルディの9曲分のマドリガル集はEMIからも正規復刻があり、別項で述べたので割愛するが、先駆的な演奏として、敬虔な演奏として瞠目したい録音だ。残り30分強は1949年、Boite a Musiqueといふ小さなレーベルに録音した「小音楽会」と題された稀少録音だ。独唱から四重唱などの多様な形態で、伴奏もブーランジェのピアノもしくはブーランジェが指揮する数本の器楽伴奏と粋だ。演目は多岐は亘り、作曲者不詳の古の歌から、妹リリー・ブーランジェの作品までが入り乱れて18曲も聴ける。バロック作曲家ではクープラン、リュリなどの有名どころ、コンセイル、コストレ、セルミジ、グロートと珍しい名があり、近代作曲家ではフォレ、ドビュッシー、フランセの他、プレジェ、マンジャルリと初めて知る名も並ぶ。矢張りリリーの「ピエ・イェズ」が感銘深い。(2017.7.6)


ブラームス:18の愛の歌とワルツ、歌曲(4曲)、4手の為のワルツ集より
シューベルト:月の光
フランセ:ピアノ協奏曲
リリー・ブーランジェ:序奏と行列、夜想曲
ディヌ・リパッティ(p)/ジャン・フランセ(p)/イヴォンヌ・アストリュク(vn)、他
ナディア・ブーランジェ(p&cond.)
[CASCAVELLE VEL 3081]

 再びブーランジェを聴く。2枚組の2枚目。1930年から1938年にかけての録音だ。最も有名な録音は弟子のリパッティと連弾したブラームスの作品39のワルツ集で、EMIから繰り返し復刻されてきた。実はこの復刻は非常に重要で、EMI盤は番号順に7曲並べて仕舞つてゐるが、本当は6-15-2-1-14-10-5-6の配列で演奏され、6番が2回演奏されてゐる。その数少ない忠実な復刻なのだ。同じくリパッティと連弾した「愛の歌とワルツ」作品52の全曲録音の方は復刻が少なく稀少価値がある。他にブラームスではブーランジェのピアノ伴奏で歌曲が4曲録音されてゐる。「恋人のところへ」「姉妹」「響き2」「海」だ。シューベルトの歌曲も1曲録音されてゐる。歌手らはワルツ作品52でも共演してゐたが、残念ながら二流と云はざるを得ない。歌曲録音は価値なしだ。ブーランジェの指揮、フランセ自身のピアノ独奏による自作自演が興味深い。4楽章制の軽妙洒脱な曲だが、演奏の精度が低く楽しめない。当盤の白眉は夭折の妹リリー・ブーランジェの「行列」「夜想曲」をアストリュックのヴァイオリンにナディアがピアノ伴奏をした録音だ。亡き妹に対する思ひ入れは如何ばかりだらう。アストリュックも「行列」を献呈されてをり、これは特別な録音なのだ。(2018.2.6)


フォレ:レクィエム
モンテヴェルディ:マドリガル集(9曲)
ナディア・ブーランジェ(cond.)、他
[EMI CDH 7 61025 2]

 フォレは1948年のセッション録音。ブーランジェには20年後の1968年に残されたライヴ録音もあつた。フォレのレクィエムにはクリュイタンスに2種類の素晴らしい録音があり、アンセルメやアンゲルブレシュトにも名盤がある。だが、ブーランジェの録音はひと味違ふ。ブーランジェが指揮をすると一種特別な敬虔さが醸し出される。冒頭からして威圧するやうな響きとは無縁だ。張り切ることはなく、弱音だけで音楽を作り、ひたすら内面に向ふ。独唱も合唱も管弦楽も巧く奏でようといふ色気を出してゐない。技量が優れてゐる訳ではないのに、無心に美しいと感じる演奏である。テンポもじっくり慈しむやうにディミュヌエンドを伴つて歩んで行く。この曲の最も崇高な演奏であると云へる。モンテヴェルディは1937年のセッション録音で、ブーランジェの代表的な録音でもある。真摯な演奏で様式美を備へた先駆的な業績だ。(2012.9.26)


リリー・ブーランジェ:詩篇第24番、ピエ・イェズ、詩篇第130番「暗き淵より」
フォレ:レクィエム
BBC交響楽団と合唱団、他
ナディア・ブーランジェ(cond.)
[BBC LEGENDS BBCL 4026-2]

 1968年10月30日の放送録音。偉大な教師として名を残すナディア・ブーランジェの妹で作曲家のリリー・ブーランジェは1918年に24歳で夭折した。没後50年にリリーの代表的な作品と、ナディアが最も敬愛する作曲家フォレのレクィエムで追悼した感慨深い演奏会の記録だ。激しいオルガンの響きで始まる劇的な詩篇第24番は新古典主義の代表的な傑作で、古代世界へと誘ふ原始的な響きが魅力だ。絶筆となつたピエ・イェズの透明で崇高な音楽は暗示に充ちてをり、更に感銘深い。詩篇第130番は大作で、沈鬱かつ荘重な楽想が素晴らしい。名作フォレのレクィエムの美しさは如何ばかりだらう。ソット・ヴォーチェでテンポを緩める内省的な瞬間は殊に琴線に触れる。合唱・独唱陣も見事で清廉な歌唱を聴かせる。何よりもブーランジェの指揮が敬虔さに包まれてをり、演奏者全員が一体となつた稀有な名演を成し遂げてゐる。(2009.4.1)


ホルスト:「惑星」
ロンドン・フィル
サー・エイドリアン・ボールト(cond.)
[EMI CDM 7 69045 2]

 1978年に録音された余りにも有名な名盤。繰り返し発売されてゐるが、これは初期の英國盤である。この曲の初演者で、SP時代から困難な録音を敢行してきた守護神とも云へるボールトの5回目にして最後の録音が悪からう筈がない。だが、当盤に刺激的な音響や、完璧な合奏を期待すると肩透かしを喰らふだらう。最新の録音から聴かれる鮮烈な演奏と対極にあるのがボールト盤だ。悠然とした構へで野心なく音楽を運んで行く。この曲と共に生きてきた男の自信と愛情が充填された演奏なのだ。第1曲目「火星」の終結部の和音を聴くが良い。堂々として気品のある響きは、激しく渾身で鳴らした数多の演奏とは一味違ふ。神秘的な天体への畏敬が漂ふ演奏は嫌味がなく、格別だ。(2009.10.7)


バッハ:カンタータ第151番「甘き慰めなるかな、わがイエスは来ませり」、同第102番「主よ、汝の目は信仰を顧みるにあらずや」、ブランデンブルク協奏曲(全6曲)
ジャネット・ベイカー(Ms)/ピーター・ピアーズ(T)/ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)、他
イギリス室内管弦楽団
ベンジャミン・ブリテン(cond.)
[Decca 478 5672]

 作曲家ブリテンは卓越した指揮者かつピアニストであり大量の自作自演が残るが、生誕100年を記念して何と自作以外での演奏記録を集成した27枚組が出た。1968年に録音されたブランデンブルク協奏曲は名盤として有名だ。モダン楽器による演奏では、リヒター、シューリヒト、ブリテンが3大名盤であらう。ブリテン盤の特徴は矢張り作曲家の目を通して細部まで音に意味を持たせた再創造であらうか。装飾音の入れ方ひとつ取つても新鮮な発見があるだらう。第3番はブリテン盤が古今を通じても最高の演奏ではないか。強弱やフレーズの取り方など実に木目細かく指示がなされてをり、目から鱗が落ちるやうな演奏なのだ。第2楽章の2つの和音ではヴァイオリン、次いでヴィオラによる素敵なカデンツァが作曲されてをり、思はず唸つて仕舞ふ創意工夫だ。幾分遜色はあるが、第6番も同様の名演だ。第1番は屈指の名演。ホルンの強調など心憎い。第4番はフルートでの演奏だ。ヴァイオリンがやや弱いのを除けば大変な名演だ。第2番は華やかさが足りない。第5番は合奏部分こそ素晴らしいが、他の曲と比べると求心力に欠ける。余白には1965年のライヴ録音であるカンタータが2曲収録されてゐる。真摯な演奏だが、徹底さを感じることは出来なかつた。歌手ではディースカウの巧みさが目立つ。(2017.1.11)


モーツァルト:交響曲第25番、同第29番、セレナータ・ノットゥルナ
イギリス室内管弦楽団
ベンジャミン・ブリテン(cond.)
[Decca 478 5672]

 作曲家ブリテンは卓越した指揮者かつピアニストであり大量の自作自演が残るが、生誕100年を記念して何と自作以外での演奏記録を集成した27枚組が出た。モーツァルトの演奏は正しく英國紳士による格式を重んじた中庸美を聴かせる。従つて、ト短調交響曲は穏健で情緒面では非常に物足りなく感じるだらうが、合奏自体は充実してゐる。イ長調交響曲が気品と余裕があり理想的な名演だ。色気が幾分足りないが、細部まで上質さを追求した屈指の名演と云へる。セレナードも格調高いが、特殊な編成が意図する無骨さも欲しい。上手いが感銘が薄いのだ。(2023.6.6)


モーツァルト:交響曲第40番、同第38番
イギリス室内管弦楽団
ベンジャミン・ブリテン(cond.)
[Decca 478 5672]

 作曲家ブリテンは卓越した指揮者かつピアニストであり大量の自作自演が残るが、生誕100年を記念して何と自作以外での演奏記録を集成した27枚組が出た。晩年に録音されたモーツァルトの交響曲集は個性的な演奏が揃ひ、ブリテンならではの意義ある録音だ。第40番は出来としても素晴らしく広く推奨したい名盤だ。まず、第2楽章や第4楽章の後半の繰り返しも遵守してゐる珍しい演奏で、全楽章で40分弱もかかる。内容はバロックを意識した解釈で、第1楽章は強弱の差を明確に付け、旋律の誘惑に溺れない。第3楽章主部が非常に個性的で、クレッシェンド指示は極めてバロック的だ。第4楽章展開部からの意志的な終止感の演出や、間合ひの妙も一種特別だ。他方でプラハ交響曲は恐ろしく遅く、ロマンティックな演奏だ。オペラを意識したヴィブラートたつぷりの歌心が充溢した演奏だ。だが、繰り返し遵守で演奏時間は33分、終始まつたりした演奏で角がなく退屈極まりない。(2018.3.18)


モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」、交響曲第39番、運命は恋する者に、どうか詮索しないで
ピーター・ピアーズ(T)
イギリス室内管弦楽団
ベンジャミン・ブリテン(cond.)
[Decca 478 5672]

 作曲家ブリテンは卓越した指揮者かつピアニストであり大量の自作自演が残るが、生誕100年を記念して何と自作以外での演奏記録を集成した27枚組が出た。ジュピター交響曲は1967年のライヴ録音。セッション録音でのブリテンは独自の解釈を徹底し個性を刻印したが、ライヴ録音では変はつたことはせず、王道の演奏に終始してゐる。音楽的な処理が為されてをり安心して聴けるが、何か特別な良さを挙げることが出来ない。1962年のライヴ録音である第39番の方が面白みがある。ティンパニの主張が強く、冒頭から王様の音楽を奏でてゐる。堂々たる威厳を具へた名演だが、突き抜けた特別さはなく、常套的な範疇に止まつてゐる。同日の演奏記録で、盟友ピアーズの伴奏をしたアリアK.209とK.420も収録されてゐる。野太く無粋なピアーズの声質はモーツァルトの音楽を一時代前の格式ばつた音楽に聴かせる。色気や瀟洒な趣には欠けるが、真摯さは伝はる。(2018.9.22)


シューベルト:未完成交響曲、アルペジョーネ・ソナタ、ハンガリー風ディヴェルティメント
ドビュッシー:白と黒で
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(vc)/スビャトスラフ・リヒテル(p)、他
イギリス室内管弦楽団
ベンジャミン・ブリテン(p&cond.)
[Decca 478 5672]

 作曲家ブリテンは卓越した指揮者かつピアニストであり大量の自作自演が残るが、生誕100年を記念して何と自作以外での演奏記録を集成した27枚組が出た。ブリテンの指揮者としての活動は自作以外となるとモーツァルトとバッハが要であり、その周辺の作曲家が幾つか残る程度で、そこから外れる作曲家の作品はまずないと云つて仕舞つて差し支へない。だから、未完成交響曲の録音があること自体が瞠目すべきことなのだ。ブリテンが自負して臨んだ演奏に違ひない。秘匿の名演、屈指の名演なのだ。抑制された表情の中から切々とした感情が溢れ出てくる。これほど深い感動へと誘ふ演奏は滅多にない。騙されたと思つて聴いていただきたい。アルペジョーネ・ソナタは高名な名盤だが、正直申して余り感心しない。ピアーズとの歌曲録音に取り組んだブリテンのピアノは含蓄があつて素晴らしい。問題はロストロポーヴィチのチェロで、抒情に焦点を合はせやうとして、軟弱で覇気のない演奏に終始する。至高の名曲が、減り張りのない退屈な曲になつて仕舞つた。盟友リヒテルとの連弾が感銘深い。ハンガリー風ディヴェルティメントも哀愁たつぷりで見事だが、ドビュッシー晩年の大曲が素晴らしい。(2019.7.31)


ヘンデル:聖セシリアの日の為の頌歌
モーツァルト:フリーメイソンの為の葬送音楽、交響曲第40番、他
ピーター・ピアーズ(T)/ヘザー・ハーパー(S)、他
イギリス室内管弦楽団
ベンジャミン・ブリテン(cond.)
[Decca 478 5672]

 作曲家ブリテンは卓越した指揮者かつピアニストであり大量の自作自演が残るが、生誕100年を記念して何と自作以外での演奏記録を集成した27枚組が出た。ボーナスCDとしての27枚目は初CD化となる貴重な音源である。ヘンデルは1967年6月のライヴ録音だ。「セシリア讃歌」を作曲したブリテンだけに興味深い。堂々たる名演で、独唱、合唱ともに優れてをり、楽器を浮き立たせた管弦楽の演奏は殊更見事だ。モーツァルトは1963年12月のセッション録音で、アルバムとして完成された録音なのに、何故かお蔵入りになつた幻の録音と云へる。演目は「コジ・ファン・トゥッテ」序曲、相棒ピアーズの伴奏でコンサート・アリアを2曲「運命は恋する者に」「だうか詮索しないでください」、フリーメイソンの為の葬送音楽と交響曲第40番だ。まず、序曲が極上の名演。楽器を際立たせた立派な響きだ。アリアも良いが、白眉は葬送音楽だ。荘厳さと格調高さに溢れた稀代の名演。交響曲は旧録音といふことになる。5年後の高名な録音は非常に個性的であつたが、当盤の演奏はごく普通、特色のない演奏である。だが、非常に難しいのだが、音楽自体はこの旧録音の方が自然で好ましい。(2018.6.18)


1919年録音集/ベートーヴェン/モーツァルト/レーガー
ブラームス:交響曲第2番
ヴュルテンベルク州立歌劇場管弦楽団/シュターツカペレ・ドレスデン/デンマーク放送交響楽団
フリッツ・ブッシュ(cond.)
[Guild Historical GHCD 2371]

 Guild Historicalはブッシュの網羅的復刻を敢行してゐる。初めて聴くことの出来た1919年のブッシュ最初の録音が貴重この上ない。新進気鋭の若手指揮者が録音で登場したことに期待の度合ひが窺はれる。演目はベートーヴェン「エロイカ」第3楽章、弾丸のやうなモーツァルト「フィガロの結婚」序曲、ドイツ舞曲K.600から4曲、K.602から第3番、K.605から2曲、レーガーがモーツァルトのピアノ・ソナタ第11番第1楽章の主題から作曲した「モーツァルトの主題による変奏曲」だ。最も収録数が多いドイツ舞曲が楽しめる。レーガーは主題と変奏曲が3曲分だけだが、この時代に10分弱の録音を残したことは瞠目に値する。だが、ヴュルテンベルク州立歌劇場管弦楽団の技量が拙過ぎるのと、音質も含めて観賞用ではない。ブラームスの第2交響曲は1931年の記録で他にも復刻が出てゐるが、当盤のは放送時のアナウンス付きの完全録音なのだ。放送された音源の為かノイズが多く、音質は他盤の方が良い。余白にデンマーク放送交響楽団との1948年と1951年の録音で、モーツァルトのドイツ舞曲K.571から3曲とコントルダンスK.609から3曲が収録されてゐる。円熟の極みで見事な演奏である。(2021.3.21)


シュターツカペレ・ドレスデンとの全録音集(1923年〜1932年)
フリッツ・ブッシュ(cond.)
[Profil PH07032]

 ブッシュがシュターツカペレ・ドレスデンと残した全録音を集成したCD3枚組とDVD1枚からなる箱物。独Profilの最良の仕事だ。ブッシュは1922年からドレスデン国立歌劇場の音楽総監督に就任し、1933年ナチス政権成立を受けて祖国ドイツを離れる迄その地位にあつた。1枚目は就任直後となる1923年のアコースティック録音で、まともに復刻されたのは初めてであらう。残念ながら機械吹込み時代の管弦楽の録音は鑑賞用とならない。だが、トスカニーニやメンゲルベルクと並んで、内容の充実したブッシュの録音は数少ない鑑賞に堪へ得る録音だと云へる。得意としたモーツァルト「フィガロの結婚」序曲の力強い推進力、スメタナ「売られた花嫁」序曲の精妙なアンサンブル、シュトラウス「こうもり」序曲の燃え立つリズム。フルトヴェングラーが真のライヴァルとして意識したとされるブッシュの美質が聴き取れる。最高傑作はスッペ「美しきガラテア」序曲で音楽に生命が宿つてゐる。モーツァルト「魔笛」の僧侶の行進や、シュトラウス「町人貴族」の2つのメヌエットも面白からう。(2012.4.18)


シュターツカペレ・ドレスデンとの全録音集(1923年〜1932年)
フリッツ・ブッシュ(cond.)
[Profil PH07032]

 ブッシュがシュターツカペレ・ドレスデンと残した全録音を集成したCD3枚組とDVD1枚からなる箱物。電気録音を集成した2枚目と、当時最新鋭の機材によつて録音されたブラームスの交響曲第2番のライヴ録音を収めた3枚目を聴く。1926年に行はれた電気録音はプッチーニ「トゥーランドット」より4曲とヴェルディ「運命の力」より3曲だ。初演から間もない「トゥーランドット」を録音してゐることに驚く。ピン・パン・ポンの三重唱も良いが、アンネ・ローゼレによるトゥーランドットのアリア2曲が極上だ。「運命の力」は序曲、戦ひの音楽、タランテラと管弦楽のみによる選曲で、精緻な演奏にブッシュの実力が垣間見れる。もう1曲、当箱物のDVDで鑑賞が出来る1932年秋に映像で残されたヴァーグナー「タンホイザー」序曲が音のみで収録されてゐる。これはブッシュとシュターツカペレ・ドレスデンの最高の遺産であり、凄まじい熱情に導かれた名演である―折角なので映像で鑑賞した方が良いが。更に、シュターツカペレ・ベルリンとの演奏だが、シュトラウス「エジプトのヘレナ」から4曲の録音が収められてゐる。ローゼ・パウリー・ドレーゼンの歌唱が素晴らしい。ブラームスの第2交響曲は1931年2月の記録で、繰り返し商品化されてきたブッシュの代表的な録音だ。録音年を考へると驚異的な音質である。Profilの復刻技術にも感心したい。演奏については別の機会に記す。(2012.10.25)


ベートーヴェン:レオノーレ序曲第2番
モーツァルト:交響曲第36番「リンツ」
メンデルスゾーン:イタリア交響曲
ブラームス:悲劇的序曲
デンマーク国立放送交響楽団
フリッツ・ブッシュ(cond.)
[EMI 7243 5 75103 2 5]

 GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURYシリーズの1つ。ブッシュは戦前のドレスデンで活躍した黄金期の録音が殆ど残らない為、一流のオーケストラを指揮した記録がなく真価が伝はらないが、この1949年と1950年の放送録音はその渇を癒す名演揃ひだ。ベートーヴェンは雄渾な情熱が漲る一方、気位の高さで毅然とした音楽を聴かせる極上の名演だ。弱音の思索的な語り口も見事。ブッシュは1934年にリンツ交響曲をBBC交響楽団とセッション録音してゐるが、面白みに欠けた凡庸なものだつた。しかし、当盤は生気に充ちながら格調高さを融合した名演で、稀代のモーツァルト指揮者の重要な遺産となつた。渋みのある手堅い色合ひが美しい。イタリア交響曲は勇壮な解釈で明朗さとは無縁だが、ドイツ気質の無骨さが好ましい熱演だ。ブラームスの内から燃焼する音楽の素晴らしさはまた格別で、虚勢を張らないから深い処から霊感が湧くのだ。存外名演の少ないこの曲の隠れた名演だ。(2006.5.27)


ヴェーバー:「魔弾の射手」序曲
ハイドン:協奏交響曲
ブラームス:交響曲第2番
シュトラウス:「ドン・ファン」
デンマーク国立放送交響楽団/ロンドン・フィル
フリッツ・ブッシュ(cond.)
[EMI 7243 5 75103 2 5]

 GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURYシリーズの1つ。シュトラウスだけがロンドン・フィルを指揮した戦前のSP録音で、当時は名盤として君臨したが、競合盤が出揃つた現在では別段価値を見出せない。その他の曲は1947年から1950年にかけてデンマークでセッション録音されたブッシュ晩年の遺産だ。ヴェーバーは手堅い燻し銀の響きでドイツの森を想起させる名演。暗い熱情を秘めた焦燥感が見事だが、管弦楽の技量が水準程度なのが玉に瑕。ハイドンはモーツァルトを得意としたブッシュだけに面白く聴ける。しかし、4名の独奏者が要となる曲だけに、首席奏者らの技量では不満を覚えて仕舞ふ。ブラームスは夕映えのロマンティシズムを漂はせた名演であるが、幾分特徴の薄い嫌ひがあり、長く記憶に刻まれる類ひの演奏ではない。(2006.6.24)


ハイドン:交響曲第88番、協奏曲交響曲
モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク、交響曲第36番「リンツ」
デンマーク放送交響楽団
フリッツ・ブッシュ(cond.)
[Guild Historical GHCD 2339]

 ブッシュの復刻を勢力的に行ふGuild Historicalによるデンマーク放送交響楽団との録音集。この内、協奏交響的とリンツ交響曲はEMIのGREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURYシリーズにも収録されてをり、そちらで述べたので割愛する。ハイドンの交響曲は1949年の録音。アレグロ楽章の疾走感と昂揚感が素晴らしいものの、冒頭の序奏や第2楽章などが締まらず低調だ。名匠が名演奏を残してゐる曲なので、ブッシュ盤は旗色が悪い。ブッシュはハイドンの交響曲を他にも録音してゐるので引き続き復刻して欲しいものだ。アイネ・クライネ・ナハトムジークは戦前にもセッション録音があつた。当盤は1948年の録音だ。演奏は特色が薄く面白くない。(2015.4.19)


シュトラウス:ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯、ドン・ファン
モーツァルト:交響曲第36番「リンツ」、他
BBC交響楽団/ロンドン・フィル、他
フリッツ・ブッシュ(cond.)
[Guild Historical GHCD 2356]

 ブッシュの復刻を勢力的に行ふGuild Historical。1934年から1936年にかけての戦前録音集で、BBC交響楽団とのティルは大変貴重。手際の良い名演だ。ロンドン・フィルとのドン・ファンは絢爛たる名演で、独奏ヴァイオリンの艶かしい表現は忘れ難い。モーツァルトのリンツ交響曲は英Biddulphからも復刻があつた。これは余り良くなく、戦後のデンマークでの演奏の方が数段素晴らしい。余白にブッシュの代表的録音であるグライドボーンにおけるダ・ポンテ三部作全曲録音から序曲のみが抜粋収録されてゐる。歌劇全曲盤を所持してゐる方には無用だが、改めて聴いて生命力溢れた演奏に感動した。(2016.4.3)


モーツァルト:セレナード第7番「ハフナー」
シューベルト:交響曲第5番
ペーター・リバール(vn)
ヴィンタートゥール交響楽団
フリッツ・ブッシュ(cond.)
[Guild Historical GHCD 2352]

 Guild Historicalはブッシュの網羅的復刻を敢行してゐる。1949年、スイスのヴィンタートゥール交響楽団との録音を復刻した1枚は音質も極上だ。規模の大きなハフナー・セレナードの初録音として知られるブッシュ盤だが、第2楽章から第4楽章における重要なヴァイオリン独奏を名手リバールが担つてゐるのが特記される。リバールも会心の録音だつたと自負してをり、取り分けアンダンテにおける可憐なカデンツァと、快速のテンポで駆け抜けるロンドは最高の出来だ。全曲においてもブッシュの覇気ある棒が生気を注入してゐる。特に両端楽章の力感は素晴らしい。代表的名盤だ。シューベルトも剛毅な名演だ。引き締まつた音楽が素晴らしく、同傾向のクライバーの演奏よりもしなやかな弾力があり表情に生彩がある。しかし、ヴァルターの名盤に比べると粗雑な感じがして仕舞ふ。(2012.11.23)


メンデルスゾーン/ベートーヴェン/シューベルト/ヴァーグナー/アルヴェーン
ヴィンタートゥール交響楽団/ロサンジェルス・フィル/マルメ・コンサートホール管弦楽団
フリッツ・ブッシュ(cond.)
[Guild Historical GHCD 2366]

 Guild Historicalによる名匠ブッシュの3つの音源から成る名演集。1つ目は1949年にヴィンタートゥール交響楽団とのセッション録音でメンデルスゾーンの「美しきメルジーネの物語」と八重奏曲のスケルツォだ。香り高い序曲が極上の名演で、颯爽として浪漫が漂ふ。この曲の屈指の名演だ。スケルツォはオーケストラの技量の問題があり楽しめない。2つ目は1946年3月10日にロス・フィルを振つた記録で、演目はベートーヴェン「エグモント」序曲、シューベルトの舞曲集、ヴァーグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、及び「マイスタージンガー」第3幕前奏曲と導入曲だ。白眉はブッシュが編曲したシューベルトだ。4種の舞曲を接続した楽しきもので、演奏も味はひ深い。ベートーヴェンもヴァーグナーもドイツの楽長風の名演を堪能出来る。特に「トリスタンとイゾルデ」は情熱的な名演だ。3つ目は1949年10月30日、スウェーデンのマルメのオーケストラを振つたアルヴェーン「夏至の徹夜祭」だ。これは自信に溢れた見事な名演である。(2021.12.3)


ベートーヴェン:交響曲第9番、レオノーレ序曲第2番
デンマーク放送交響楽団と合唱団、他
フリッツ・ブッシュ(cond.)
[Guild Historical GHCD 2343]

 Guild Historicalによる不遇の指揮者ブッシュの貴重な遺産の復刻シリーズ。第9交響曲は1950年9月7日の放送録音で、全曲としてはブッシュ唯一の記録だ―第4楽章だけだが同じデンマーク放送交響楽団との1934年ライヴ録音があつた。第1楽章は謹厳な悲劇性に貫かれた名演で、ブッシュの良さが存分に出ており最も上出来だ。第2楽章は特別な印象こそないものの引き締まつた名演で、現代の耳で聴いても古さを感じさせない。第3楽章も瑕はあるが敬虔な名演だと云へる。第4楽章も管弦楽は良い。問題は独唱と合唱だ。独唱陣はリンドベリ=トルリンド、イェーナ、ショーベリ、ビルディン、何れもデンマーク出と思しき小粒の歌手たちで、声量がなく声も張れない三流歌手らである。合唱も同様で感銘が薄い。前3楽章との落差が大きく残念だ。余白には序曲第2番が収録されてゐる―クレジットや解説には第3番と記載があり、お粗末な編集だ。従つて、1949年10月24日の記録と表記があるが正確かだうかは怪しい。ブッシュには1950年9月14日にも第2番の録音があつたが、聴衆ノイズが異なるので当盤とは別物だ。尚、比べると当盤の演奏は感興に乏しく出来が良くない。(2014.5.25)


ブラームス:アルト・ラプソディー
ショパン:ピアノ協奏曲へ短調
ベートーヴェン:交響曲第5番、他
マリアン・アンダーソン(A)/クラウディオ・アラウ(p)、他
ニューヨーク・フィル
フリッツ・ブッシュ(cond.)
[Guild Historical GHCD 2354]

 1950年12月10日「人権の日」の為のコンサートのライヴ録音である。翌年没したブッシュ晩年の貴重な記録だが、大変残念なことに音質が悪く、時代の水準を大きく下回る。リマスタリングにも苦労の痕が窺へる。プログラムの最初にベルリオーズ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」が演奏されたが、収録されてゐないといふことは録音は残つてゐないのだらう。アンダーソンを迎へてのブラームスが素晴らしい。アンダーソンは絶頂期にあり神々しい名唱だ。しかし、後半の合唱が非道く台無しにしてゐる。アラウとのショパンは全体的に散漫で雑な演奏だ。感興も乏しく良くない。ベートーヴェンは王道を貫いた名演だが、特別な価値はない。余白には1950年8月26日、英国エディンバラ音楽祭にデンマーク放送交響楽団を率ゐて出演した際の録音とされるドヴォジャーク「謝肉祭」が収録されてゐる。熱気溢れる演奏だが、これも音が悪く鑑賞用には適さない。蒐集家用の1枚だ。(2013.12.2)


ヒンデミット:ヴェーバーの主題による交響的変容
ベルク:ヴァイオリン協奏曲
ラーション:交響曲第2番よりオスティナート
レーガー:コラール幻想曲第1番
ベルワルド:「ソリアのエストレッラ」序曲、他
ストックホルム・フィル、他
フリッツ・ブッシュ(cond.)
[Guild Historical GHCD 2372]

 Guild Historicalによる録音が極めて少ない指揮者ブッシュの貴重な遺産の復刻シリーズで、ストックホルムでの記録を集成した1枚だ。ブッシュは一時期ストックホルム・フィルの首席指揮者を務めてをり縁がある。ストックホルム王立歌劇場管弦楽団とのモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」序曲を除いては唯一の演目ばかりで貴重な1枚である。ヒンデミット、ラーション、レーガーは1949年12月4日の公演記録である。ヒンデミットは雑然としてゐるが精力的で面白く聴ける。ラーションの作品は情動的で良い。ブッシュがオーケストレーションを施したレーガーの作品が晦渋だが意欲的だ。演奏として最も感銘深いのはルイス・クラスナーとのベルクだらう。ベルワルドの序曲はシューベルト風で新奇な点はないが、音楽は躍動してゐる。(2023.7.18)


ハイドン:交響曲第101番「時計」
ブラームス:交響曲第4番
ウィーン交響楽団
フリッツ・ブッシュ(cond.)
[Dante LYS 594-596]

 1950年にブッシュがウィーン交響楽団と残した録音を集成した3枚組。1枚目を聴く。ハイドンが素晴らしい。古典的な佇まいと爽快な音楽性が相乗効果を生み、理想的な名演を成し遂げてゐるのだ。第1楽章の気品ある構成美、陰影を付け単調に陥らない第2楽章が取り分け見事だ。ウィーン交響楽団も要望に応へてをり、申し分ない。一方、ブラームスはオーケストラの力量が追ひ付いてゐないと感じる箇所もあり、薄手の響きが物足りないのは事実だ。ブッシュは過剰に表現することなく即物的な解釈乍ら音楽に惻々と入り込んで行くが、鳴つてゐる音が伴つてこないのだ。数多名演があるのでブッシュ盤は埋もれて仕舞ふ。(2020.2.21)


ベートーヴェン:交響曲第7番、同第8番
ウィーン交響楽団
フリッツ・ブッシュ(cond.)
[Dante LYS 594-596]

 1950年にブッシュがウィーン交響楽団と残した録音を集成した3枚組。2枚目を聴く。ベートーヴェンの第7交響曲はブラームスの第4交響曲と同日の10月15日の録音だ。録音の定位が安定せず、音質は水準以下だが、録音が少ないブッシュなので存在だけで価値がある。演奏は質実剛健と形容したい極めて正攻法で、ブッシュがドイツを代表する巨匠であつたことを改めて認識させて呉れる。きりりと引き締まつた第3楽章の見事さは特筆したい。第8交響曲は録音日が特定出来ないが、1950年の記録で音質は大変良い。中間の楽章は幾分感銘が落ちるが、両端楽章の凝縮された燃焼が素晴らしい。凛とした音楽の運びがブッシュの美質で、冴えないオーケストラであつても一丸となつた集中力を聴かせるのだ。(2019.3.10)


ベートーヴェン:交響曲第3番
ウィーン交響楽団
フリッツ・ブッシュ(cond.)
[Dante LYS 594-596]

 1950年にブッシュがウィーン交響楽団と残した録音を集成した3枚組。3枚目を聴く。客演なので、細部は雑然とした印象だが、全体は往年の名指揮者のみが引き出せる雄渾で格調高い音楽を聴かせて呉れる。特に第2楽章の荘重な趣は厳粛この上ない。他の楽章も英雄的な広がりを感じさせるなかなかの名演である。ブッシュは同時期の独墺系の指揮者の浪漫的で重厚な解釈とは一線を画し、理知的で聡明な音楽を志向する。だが、最初に述べたやうに客演であることと、ウィーン交響楽団の技量が心許ないこと、録音が優れず水準以下といふこともあり、夥しく存在するエロイカの録音の中で残念乍ら記憶に残る演奏ではない。(2019.11.26)


ハイドン:交響曲第93番
フランク:交響曲
NBC交響楽団
グィード・カンテッリ(cond.)
[TESTAMENT SBT 2194]

 夭折の天才指揮者カンテッリのNBC交響楽団との正規セッション録音の全てを集成した2枚組。1枚目を聴く。1949年3月2日録音のハイドンはカンテッリ最初の正規セッション録音である。トスカニーニに将来を嘱目されNBC交響楽団の公演に招聘され、1949年1月15日にハイドンの交響曲第93番とヒンデミットの画家マティスといふ演目で鮮烈なデヴューを飾り、すぐさま米RCAにより録音が企画された。恐るべき才能だ。事故死しなければ20世紀後半の楽壇に頂点にゐたのはカラヤンではなくカンテッリであつただらう。明朗快活なハイドンは音が生きてゐる。第3楽章の切れ味が抜群で印象的だ。絶対的なアンチェルの名盤がなければこの曲はカンテッリの録音が一等である。1954年4月6日録音のフランクは米RCAからではなく英HMVからの発売となつた―この頃は活動の拠点が米國から欧州に移行してゐたからだらう。トスカニーニ引退2日後の録音で、実験的に行はれたステレオ録音が適用されてゐる。最も古いステレオ録音のひとつであるが、素晴らしい音質だ。演奏も艶があり名演の誉れ高い。貫禄も充分でこの曲屈指の名盤だ。(2017.5.5)


ムソルグスキー:展覧会の絵
ヒンデミット:交響曲「画家マティス」
NBC交響楽団
グィード・カンテッリ(cond.)
[TESTAMENT SBT 2194]

 夭折の天才指揮者カンテッリのNBC交響楽団との正規セッション録音の全てを集成した2枚組。2枚目を聴く。ムソルグスキーは1951年から1952年にかけて、ヒンデミットは1950年の録音。どちらもNBC交響楽団との度重なる演奏会で取り上げ絶讃を勝ち取つてきたカンテッリにとつて切り札とも云へる演目だ。ムソルグスキーはトスカニーニの名盤に肉迫する特上の名演。トスカニーニに徹底的に扱かれたNBC交響楽団だけに完全に手中に収めた安定感があるのは当然だが、カンテッリが指揮をすると色合ひが全然異なるから面白い。トスカニーニの蒸せ返る熱気と切迫した響きはなく、輝かしい閃きと躍動する呼吸がカンテッリの持ち味だ。木目細かい繊細な揺らぎと潤ひある響きがあり、完璧かつ琴線に触れる名演。但し、個性が強烈なトスカニーニ盤の方が記憶には残る。ヒンデミットも荘厳な法悦を体験出来る最高の名演だ。核心を抉ると同時に見事な統率力で一分の隙もない。カンテッリ盤を超えるのは唯一ベルリン・フィルとの自作自演盤のみ。(2017.12.22)


フレスコバルディ(ゲディーニ編):4つの小品
ベートーヴェン:交響曲第7番
NBC交響楽団
グィード・カンテッリ(cond.)
[TESTAMENT SBT4 1306]

 英TESTAMENTによるカンテッリがNBC交響楽団と行つた放送用演奏会の商品化で、その日の放送ごとに纏めた好企画盤。第1巻の4枚目を聴く。1950年1月14日の放送だ。何と云つても、ゲディーニがオーケストレーションを施したフレスコバルディの珍品が注目を引く。イタリアの栄光とも形容すべき取り組みで、極彩色の現代的管弦楽法で荘厳で雅な音楽が蘇る。カンテッリのプログラミングは刺激に充ちてをり、事故死が悔やまれる。セッション録音も残るベートーヴェンも熱量が凄まじい演奏だ。だが、この演奏はやや一本調子で若さを感じさせる。(2022.10.18)


ミヨー:序奏と葬送行進曲
ダッラピッコラ:「マルシア」組曲
ヴェルディ:「シチリアの晩鐘」序曲
ハイドン:交響曲第93番
NBC交響楽団
グィード・カンテッリ(cond.)
[TESTAMENT SBT4 1317]

 英TESTAMENTによるカンテッリがNBC交響楽団と行つた放送用演奏会の商品化で、その日の放送ごとに纏めた好企画盤。第2巻の2枚目を聴く。1950年12月11日の放送だ。カンテッリの才能を弥が上にも思ひ知る名演の連続だ。統率力が尋常ではなく、演奏の集中力も天晴。前半の2曲は珍しい演目と云へる。ミヨーの曲はフランスの7人の作曲家らによる合作「7月14日」の中の1曲。演奏は威勢が良く多彩な表情で聴かせる。見通しが良くて五月蝿くならないのも見事だ。ダッラピッコラは故国の作曲家への敬意が溢れてゐる。十二音技法の作曲家による最後の調性音楽である「マルシア」は、現代的な響きの中に叙情性があり、カンテッリの冴えた棒で聴き応へがある。偉大なヴェルディの序曲も燃えてゐる。トスカニーニの臨界点に達した演奏には僅かに及ばないが大変な名演だ。NBC交響楽団デヴュー公演の演目であつたハイドンはカンテッリの十八番だ。当盤の演奏も文句なく素晴らしいが、完成度はセッション録音に譲らう。(2017.10.3)


ヴィヴァルディ:調和の霊感Op.3-8
ブラームス:悲劇的序曲
ドビュッシー:「聖セバスティアンの殉教」交響的断章
ストラヴィンスキー:花火
モーツァルト:交響曲第29番
ドン・ギリス:プレイリーの日没
NBC交響楽団
グィード・カンテッリ(cond.)
[TESTAMENT SBT4 1317]

 英TESTAMENTによるカンテッリがNBC交響楽団と行つた放送用演奏会の商品化で、その日の放送ごとに纏めた好企画盤。第3巻の3枚目を聴く。ヴィヴァルディからストラヴィンスキーまでが1951年1月15日の放送だ。ヴィヴァルディは浪漫的にべたついた演奏で良くない。ブラームスは好演だ。聴き物はドビュッシーである。情念と神秘的な崇高さが表出された名演で見事だ。ストラヴィンスキーは流石NBC交響楽団で、天晴れな出来栄えだ。モーツァルトとドン・ギリスは1951年1月22日の放送だ。得意としたイ長調交響曲は極上の名演で、NBC交響楽団の巧さが際立つ。第2楽章の優美な寂寥感は絶品だ。ドン・ギリスの作品は印象主義的な美しい名品だ。演奏も情感があり素晴らしい。(2023.7.3)


シューベルト:未完成交響曲
メンデルスゾーン:イタリア交響曲
フィルハーモニア管弦楽団
グィード・カンテッリ(cond.)
[Warner Classics 0190295383039]

 生誕100年記念EMI録音全集10枚組。7枚目。1955年8月の録音で、僅か数日の違ひであるが、メンデルスゾーンはモノーラル録音なのに対し、シューベルトは幸ひなことに実験的にステレオ録音で残された。EMIは他社に大幅な遅れをもつてステレオ録音への移行を開始したのだ。未完成交響曲は無難な演奏で特記することはないが、水準以上の優れた演奏であることに違ひはない。メンデルスゾーンはカンテッリの十八番であり、悪からう筈がない。颯爽として瀟洒で、鮮度が高く、理想的な演奏と云へる。だが、忌憚なく申せば、突つ込みが弱く、優等生の無難な演奏でもある。トスカニーニのやうな説得力には欠ける。


ブラームス:交響曲第3番
モーツァルト:音楽の冗談、交響曲第29番
フィルハーモニア管弦楽団
グィード・カンテッリ(cond.)
[Warner Classics 0190295383039]

 生誕100年記念EMI録音全集10枚組。8枚目。ブラームスは1955年の録音。これは大してカンテッリの栄誉に寄与しない記録だ。フィルハーモニア管弦楽団の実力不足で、両端楽章の難所が腰砕けになつてゐる。一方で中間の2楽章はしつとりと美しい。同時に録音された「音楽の冗談」は決定的名盤として第一に推したい。何よりもデニス・ブレインのホルンが光る。1956年、最後の録音のひとつとなつたモーツァルトの第29番はカンテッリの代表的名盤である。完璧主義者カンテッリの見事な統率力が示されてゐる。(2023.4.3)


メンデルスゾーン:イタリア交響曲、シューマン:交響曲第4番、カゼッラ:パガニーニアーナ
フィルハーモニア管弦楽団/ローマ聖チェリーリア国立音楽院管弦楽団
グィード・カンテッリ(cond.)
[EMI 50999 6 79043 2 7]

 EMI系列の録音を集成した9枚組だが、録音全集ではなく中途半端だ。あと数枚増やせば全集が収まると思ふのに残念だ。3枚目を聴く。メンデルスゾーンはカンテッリの十八番であり、悪からう筈がない。颯爽として瀟洒で、鮮度が高く、理想的な演奏と云へる。だが、忌憚なく申せば、突つ込みが弱く、優等生の無難な演奏でもある。トスカニーニのやうな説得力には欠けるのだ。当盤に収録されたのは1955年の録音で、カンテッリには未発表の1951年旧録音がある。実はシューマンの方が名演で、フルトヴェングラー盤に匹敵する極上の出来だ。熱情的な推進力、重厚さと切れ味が同居するアーティキュレーション、どす黒い血潮のやうな音色をフィルハーモニア管弦楽団より引き出してをり、カラヤンなど問題にならない。シューマンのロマンティシズムを見事に昇華してをり天晴。カゼッラの曲はパガニーニの諸作品から本歌取りした4楽章制の現代曲でかなりの難曲と感じるが、ローマ聖チェリーリア国立管弦楽団が実に良く訓練されてをり鮮烈な演奏を聴かせる。カンテッリは近現代曲で手腕を発揮したが、実力の程を示す好例だ。ただ、カゼッラの作品自体には面白みはないので伝はり難いかも知れぬが。(2018.4.27)


ベートーヴェン:交響曲第7番、シューベルト:未完成交響曲、ロッシーニ:「泥棒かささぎ」序曲、「コリントの包囲」序曲
フィルハーモニア管弦楽団/ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団
グィード・カンテッリ(cond.)
[EMI 50999 6 79043 2 7]

 EMI系列の録音を集成した9枚組だが、録音全集ではなく中途半端だ。あと数枚増やせば全集が収まると思ふのに残念だ。2枚目を聴く。ベートーヴェンの第7交響曲は1956年5月、カンテッリ最後期のステレオ録音で、この後に続けて、ベートーヴェンの第5交響曲の録音を開始したが、完成しないまま事故死して仕舞つた。才気煥発で颯爽とした名演だ。カンテッリがカラヤンよりも格上の扱ひを受けてゐたことが諒解出来る演奏。シューベルトは1955年8月の録音で、幸ひなことに初期のステレオ録音で残された。無難な演奏で特記することはないが、水準以上の優れた演奏であることに違ひはない。ロッシーニが素晴らしい。トスカニーニのやうに暑苦しくなく、乾燥した明るさが決まつてゐる。「コリントの包囲」のみローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団との演奏で、1949年とカンテッリの最も古い録音のひとつだが、強い自信を感じさせる見事な演奏なのだ。(2019.11.12)


チャベス:交響曲第2番「インディオ」、同第1番「アンティゴナ」、同第4番「ロマンティカ」
ニューヨーク・スタジアム交響楽団
カルロス・チャベス(cond.)
[EVEREST EVC 9041]

 メキシコの大作曲家チャベスの自作自演だ。侮るなかれ、不慣れな作曲家の棒とは違ふ。チャベスはエネスクらと共にトスカニーニ勇退後のニューヨーク・フィルに招聘されるほど指揮者としての能力を買はれてゐたのだ。クレジットではニューヨーク・スタジアム交響楽団となつてゐるが、実態はニューヨーク・フィルであるとされる。これはEVERESTレーベル用の変名なのだ。音質、演奏ともに決定的な録音である。チャベスの交響曲の特徴は湧き立つやうなリズムや極彩色の和声だけではない。最大の特徴は同時進行する複数の楽想が生む不規則な拍子感だらう。マーラーもここまでは手が込んでゐない。祭りの雑踏の中に放り込まれたやうな面白さがあるのだ。(2023.3.12)


リスト:前奏曲、シューベルト:未完成交響曲、シューマン:交響曲第3番「ライン」
ベルリン・フィル
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[EMI 7243 5 85213 2] 画像はジャケット裏です

 "LES RARISSIMES"シリーズの1枚。ベルギーの至宝クリュイタンスはフランスの指揮者よりもフランスの感覚美を具へてゐた。クリュイタンスが残したフランスの楽曲―就中歌劇作品の素晴らしさは特筆したい。一方でベルリン・フィルと録音したベートーヴェンの交響曲全集に定評があり、数は多くないがドイツ系の楽曲でも見事なものがある。全体は淡い水彩画を観るやうに美しく爽やかなのだが、細部には情熱の迸りが滲み出てをり、音楽が常に語りかけてくる。但し、夢想する詩情や浪漫的な思索とは無縁で、シューベルトやシューマンの音楽が持つ喪失感を描き尽くす迄には至つてゐない。リストが壮麗な名演であり、シューマンの第1楽章と第2楽章が次いでよい。(2005.7.6)


交響曲への誘ひ(全7曲)
スメタナ:モルダウ、ボヘミアの森と草原より
ウィーン・フィル
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[EMI 7243 5 85213 2] 画像はジャケット裏です

 "LES RARISSIMES"シリーズの1枚。交響曲の有名な楽章のみを集めたLP時代の企画物である「交響曲の誘ひ」は、堅物には見向きもされない類ひのものであつたが、演奏の素晴らしさ故に目利きの愛好家には垂涎の的であつた。ベートーヴェンの第5番第1楽章と第8番第2楽章、モーツァルトの第40番第1楽章、メンデルスゾーンの第4番第4楽章、チャイコフスキーの第4番第3楽章と第6番第3楽章、ドヴォジャークの第9番第2楽章の7曲で構成される。クリュイタンスの指揮は決して汚くならない上品な音楽を目指し、ウィーン・フィルがそれを助長する。幾分円満な演奏が繰り広げられる為、藝術的な感興は乏しく、特にモーツァルトは肌合ひが悪い。しかし、ベートーヴェンの第5番が同様の傾向ながら、音楽に生命が吹き込まれた名演で特別な価値がある。抱合はせのスメタナの2曲は美しいがそれ以上のものではない。(2005.8.6)


ラヴェル:クープランの墓、ボレロ、道化師の朝の歌、ダフニスとクロエ第1組曲、同第2組曲
フランス国立管弦楽団
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[WARNER ERATO 9029588669]

 没後50年を記念して集成された管弦楽と協奏曲録音全集65枚組。クリュイタンスの十八番ラヴェルだが、これらは1953年のフランス国立管弦楽団とのモノーラル旧録音である。ボレロを除いて英テスタメントから素晴らしい復刻があつた。結論から申すと、矢張りコンセール・ヴァトワールとのステレオ新録音が全ての点で良く、蒐集家以外には不要だらう。とは云へ、この旧盤は管楽器の音色が不揃ひで精度が低いが、各奏者らに人間味があつて色気があり、一種不思議な魅力があるので面白く聴ける。(2023.6.18)


ベルリオーズ:幻想交響曲、他
フィルハーモニア管弦楽団、他
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[WARNER ERATO 9029588669]

 没後50年を記念して集成された管弦楽と協奏曲録音全集65枚組。クリュイタンスによる幻想交響曲の正規録音は2種類あり、フランス国立管弦楽団とのモノーラル録音と、このフィルハーモニア管弦楽団とのステレオ録音だ。僅か3年しか間隔が空いてをらず、存在意義としては甚だ微妙である。この新盤は録音が鮮明以外に取り柄がなく、英國のよりもフランスのオーケストラの方が当然相性が良い。内容は優等生宛ら、良く鳴り良く揃つた次第点の演奏であり、悪い箇所はないのだが物足りない。これは旧盤にも当て嵌まり、幻想交響曲の録音でクリュイタンスは功名を立ててはゐない。否、我らは知つてゐる。来日公演での手兵コンセール・ヴァトワールとの演奏を。幻想交響曲の決定的名演であり、これらセッション録音は云ふなれば社交辞令だ。余白にウィーン・フィルとの「交響曲への誘ひ」から3曲、チャイコフスキーの第4番第3楽章と第6番第3楽章、ドヴォジャークの第9番第2楽章が収録されてゐるが、別項で既に述べたので割愛する。(2019.9.26)


ベートーヴェン:交響曲第1番、「フィデリオ」序曲、「アテネの廃墟」序曲
ベルリン・フィル
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[WARNER ERATO 9029588669]

 没後50年を記念して集成された管弦楽と協奏曲録音全集65枚組。代表的録音であるベルリン・フィルとの交響曲全集だが、第1番は悪いところもないが良いところもない。重厚さが特徴のベルリン・フィルが瀟洒で軽やかな音色を出して流麗な演奏を披露する。第1番はこのくらゐ気負ひがなくて丁度良いかも知れぬが、覇気も薄いので手応へと感銘が弱いのだ。抱き合はせの序曲も同様だ。「フィデリオ」は悠然と取り澄ましてをり曲想に合はない。「アテネの廃墟」は序奏こそ雰囲気たつぷりで良いが、主部がのんびり温和なので拍子抜けだ。


ベートーヴェン:交響曲第2番、「プロメテウウスの創造物」序曲
ベルリン・フィル
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[WARNER ERATO 9029588669]

 没後50年を記念して集成された管弦楽と協奏曲録音全集65枚組。クリュイタンスのベートーヴェン交響曲全集では偶数番号が良いとされてきたのは本当だ。ベルリン・フィルから爽快な響きを引き出し、流麗な歌を紡がせた。力瘤の入つたベートーヴェンではないから偶数番号で妙味を発揮した。中でも第2交響曲は成功した演奏だらう。特に第1楽章は覇気があり、非常に立派な名演だ。だが、第2楽章以降は幾分凡庸に聴こえる。終楽章は予定調和に充たされた温い演奏だ。序曲も刺激はないが、颯爽として心地が良い。


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
ベルリン・フィル
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[WARNER ERATO 9029588669]

 没後50年を記念して集成された管弦楽と協奏曲録音全集65枚組。1950年代後半のベルリン・フィルは黒光りする重厚な響きを持つてゐたが、クリュイタンスが指揮すると羽ばたくやうに眩い黄金の音色がする。それでも、軽過ぎず明る過ぎない颯爽たるエロイカを聴かせる。第1楽章は惚れ惚れする聴き応へがある。しかし、充実度は続かない。クリュイタンスが振る奇数番号の演奏は正直良くない。流麗なだけで曲の魅力からは乖離してゐる。ベートーヴェンらしさがなく、かと云つて伝統を破壊するやうな個性もない。同じ保守でもコンヴィチュニーの方が断然格上だ。


ベートーヴェン:交響曲第4番、序曲「コリオラン」
ベルリン・フィル
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[WARNER ERATO 9029588669]

 没後50年を記念して集成された管弦楽と協奏曲録音全集65枚組。第4交響曲は圧倒的な合奏力を聴かせた終楽章が優れてゐる。だが、他の楽章は豊麗な演奏で一見理想的だが、刺激がなく正直退屈だ。機能美で優位にあるベルリン・フィルとのクリュイタンス盤だが、大して注目されることのないアンセルメの全集録音の方が新鮮で創意に溢れてゐると感じる。クリュイタンス盤は洗練され過ぎ、新たな工夫もなく、感興に乏しいのだ。悪くはなくとも、上手に纏まつただけのベートーヴェンは不要だ。コリオランが上出来だ。ベルリン・フィルの分厚い響きが立派この上ない。小細工なしで真つ向勝負の演奏に圧倒される。天晴。


ベートーヴェン:交響曲第7番、「エグモント」序曲
ベルリン・フィル
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[WARNER ERATO 9029588669]

 没後50年を記念して集成された管弦楽と協奏曲録音全集65枚組。ステレオ録音で完成されたベルリン・フィルとのベートーヴェン交響曲全集の1枚だ。クリュイタンスは偶数番号が良いとされるが、この第7番は斟酌なしに全く良くない。綺麗なだけで極めて退屈な演奏なのだ。勢ひに頼る演奏が多いので、美しい演奏は貴重なのだが、内的な面が後ろ向きで聴き古した曲だけに面白みが皆無なのだ。序曲も同様で目新しさが何もない。(2022.8.24)


ベートーヴェン:交響曲第8番
リスト:前奏曲
ベルリン・フィル
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[WARNER ERATO 9029588669]

 没後50年を記念して集成された管弦楽と協奏曲録音全集65枚組。49枚目はベルリン・フィルとのベートーヴェン交響曲全集より第8番だ。オリジナルでは第9交響曲の余白に収録されてゐた。クリュイタンスは偶数番号が良いとされてきたが、第8番は薬にも毒にもならない存在意義が薄い演奏だ。まろやかで牧歌的、流麗で美しく軽快、悪い箇所を指摘するのは難しいが、この曲を斯様に平和で予定調和な演奏に終始してよいものだらうか。ベートーヴェンの野心を感じることが出来ない。物足りなく、何度も手に取りたくなる録音ではない。リストはシューベルトの未完成交響曲との組み合はせであつた。こちらは華麗さと重厚さが融合した名演だ。だが、フルトヴェングラーやメンゲルベルクらの一種異様な高みには及ばない。(2019.12.18)


シューベルト:未完成交響曲
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番
ガブリエル・タッキーノ(p)
ベルリン・フィル
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[WARNER ERATO 9029588669]

 没後50年を記念して集成された管弦楽と協奏曲録音全集65枚組。51枚目はベルリン・フィルとの録音で、1960年録音の未完成交響曲が収録されてゐる。オリジナルではリスト「前奏曲」との組み合はせであつた。丁度ベルリン・フィルとは高名なベートーヴェンの交響曲全集を仕上げて良好な関係にあつた。未完成交響曲はベルリン・フィルの重厚で壮大な演奏が前面に出た名盤として知られる。一分の隙もない堅牢な演奏で、ベートーヴェン風の筋肉質な音響で仕上げてゐる。文句の付けやうのない立派な演奏だが、却つて魅力には乏しい。クリュイタンスの個性も影を潜め、上手いだけの演奏なのだ。抱き合はせは1962年録音の協奏曲、プーランク弾きタッキーノをベルリン・フィルが盛り立てる。タッキーノは明るい音色で闊達に弾き進める。クリュイタンスは絶妙の伴奏を付け、ベルリン・フィルは肉厚な響きを奏でる。だが、調和を重んじる余り、全てが表面的で内容空疎な演奏となつて仕舞つた。(2019.5.30)


ドビュッシー:放蕩息子
オネゲル:交響曲第3番「典礼風」
ジャニーヌ・ミショー(S)
トリノ放送交響楽団と合唱団、他
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[ARTS ARCHIVES 43059-2]

 1962年にクリュイタンスがイタリアのオーケストラを指揮した大変珍しい演奏記録。レペルトワールからしても稀少価値がある。ドビュッシーのカンタータが極上の出来栄えで、アンゲルブレシュトの録音と並びこの曲の決定盤として推奨したい。客演とは思へぬ程、冒頭から繊細な音楽が紡がれ、次第に噎せ返るやうな色気すら漂はせる。クリュイタンスならでは魔術である。フランス生粋の名歌手を揃へてをり、至福の一時が約束された耽美的な名演である。オネゲルも美しい名演だが、クリュイタンスの棒は官能に傾き勝ちだ。作品が持つ鬩ぎ合ひの情念が薄味で生温い。(2007.1.6)


ベルリオーズ:幻想交響曲
ムソルグスキー:古い城
ビゼー:ファランドール
パリ音楽院管弦楽団
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[Altus 003]

 1964年5月10日、東京文化会館における伝説的な演奏の記録。クリュイタンスは幻想交響曲のセッション録音を2種残してゐるが、何れも手兵コンセールヴァトワールとの録音ではなく、演奏内容も凡庸で退屈なものだつた。当盤は同じ指揮者とは思へないほど劇的で、高雅な官能美も具へた特上の名演である。陰影に富む第3楽章や冒頭のティンパニの強打から鬼気迫る第4楽章も名演だが、煽りが凄まじく狂気すら感じさせる第5楽章が最高だ。調子外れな鐘が絶大な効果をあげ、魔女のロンドに入つてからも荒れ狂ふ速いテンポで不気味に盛り上げ、コーダで異常な興奮に達する。クリュイタンスはこの公演の3年後に急逝した。コンセールヴァトワールはパリ管弦楽団に改編され、ミュンシュと幻想交響曲の名盤を残したが、指揮者の資質の違ひこそあれ、管弦楽の合奏や奏法などに一脈相通ずる処がある。敢て云ふ。その時まだクリュイタンスの音楽が息づいてゐたと。(2005.6.10)


ラヴェル:スペイン狂詩曲、「マ・メール・ロア」組曲、ラ・ヴァルス、クープランの墓、亡き王女の為のパヴァーヌ、「ダフニスとクロエ」第2組曲
ベルリオーズ:ラコッツィ行進曲
パリ音楽院管弦楽団
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[Altus 004〜5]

 1964年5月7日、東京文化会館にて行はれた伝説の名演で、日本の聴衆の度肝を抜いたクリュイタンスとコンセールヴァトワールによるラヴェル・プログラムである。ラヴェルの管弦楽集の名盤を挙ぐるに、40年以上もクリュイタンスのEMI盤を第1とするのは日本人のみらしいが、此の時の衝撃が一役買つてゐるのは大いに考えられることである。しかし、日本人の感性は間違つてゐない。ラヴェルの演奏はクリュイタンスとコンセールヴァトワールが最高だと加へて一票を投じやう。来日公演の演奏はセッション録音ほどの完成度を持たないが、官能的で貴族的な情熱は健在である。そは美女が残していく香水のやうにむず痒い感覚を醒ます。(2005.2.16)


シベリウス:「カレリア」序曲、交響曲第1番、同第7番
ロンドン交響楽団
アンソニー・コリンズ(cond.)
[Decca 442 9490]

 コリンズのDECCA録音全集14枚組。代表的名盤シベリウス交響曲全集だ。「カレリア」序曲は豪放磊落な極上の名演である。第1番は全7曲中最も優れた出来で、この曲の最高の演奏のひとつである。第1楽章が無上に素晴らしく、なべての演奏に冠絶する。ヴァイオリンのトレモロに導かれて主題が現れる箇所の壮麗さは、フィンランドの冬に差す太陽の光のやうで目眩がする。ティンパニの決然とした打ち込みが壮絶極まりなく圧巻だ。生命の息吹が躍動する音楽に、鬱屈した気分も晴れよう。他の楽章も見事で、終楽章の激しい闘争感は聴き応へがある。情感溢れる歌ではバルビローリ指揮ハレ管弦楽団の旧録音には及ばないが、コリンズ盤の豪快さは唯一バルビローリ盤を忘れさせる凄みがある。第7番は全体的に散漫で低調だ。


シベリウス:交響曲第2番、同第3番
ロンドン交響楽団
アンソニー・コリンズ(cond.)
[Decca 442 9490]

 コリンズのDECCA録音全集14枚組。代表的名盤シベリウス交響曲全集だ。第3番が第1番と並ぶコリンズの最高傑作だ。冒頭から音が弾んでをり、活気が漲つてゐる。豪快で粗野な音楽運びは雄渾極まりなく、小振りと軽視され勝ちな第3交響曲の印象を払拭する。第1楽章と第3楽章の躍動感は絶品で、特にざわめくやうなヴィオラの鼓動が生きてゐる。カヤヌス盤やバルビローリ盤と並んで、この曲の最高の名演のひとつである。それに比して、第2番は凡庸な出来だ。厳しいティンパニの打ち込みは素晴らしいが、テンポの設定は常套的で、表情の加減にも特段個性的な刻印がない。悪い演奏では決してないが、第1番で聴かせた荒々しさがあればさぞかし素晴らしかつたであらうにと悔やまれる。


シベリウス:交響曲第4番、同第5番
ロンドン交響楽団
アンソニー・コリンズ(cond.)
[Decca 442 9493]

 コリンズのDECCA録音全集14枚組。代表的名盤シベリウス交響曲全集だ。第4番は晦渋で陰鬱な曲想を意に介しない逞しさでぐいぐいと引つ張つて行く。音楽の輪郭が明快で、楽想の描き分けも見事だ。暗く鬱屈した演奏を求めるならコリンズの演奏は鼻持ちならないだらうが、徒に内向的になることなく愚直な演奏を貫いたコリンズの男気に惹かれる。個性が充分に発揮された名演である。第5番は第1楽章が秀逸で、弱音の安定感が見事だ。一転、コーダで豪快な昂揚を築いて行くのは圧巻だ。終楽章も素晴らしいが、壮麗さでバルビローリの新盤に軍配を上げたい。


シベリウス:交響曲第6番、ポヒョラの娘、ペレアスとメリザンド(5曲)、夜の騎行と日の出
ロンドン交響楽団
アンソニー・コリンズ(cond.)
[Decca 442 9493]

 コリンズのDECCA録音全集14枚組。代表的名盤シベリウス交響曲全集だ。第6番は透明な抒情が美しく、第3楽章や終楽章の躍動感も素晴らしいが、コリンズの個性が存分に発揮された演奏とは云へない。交響詩や劇音楽での荒ぶれた豪快な演奏はコリンズの真骨頂だ。特に余り演奏されない「夜の騎行と日の出」が重要な名演だ。「ペレアスとメリザンド」からは「メリザンド」「パストラーレ」「糸を紡ぐメリザンド」「間奏曲」「メリザンドの死」の5曲が演奏されてゐる。兎にも角にも、ロンドン交響楽団の抜群の技量、デッカの優秀録音と条件の揃つた名盤で、全てが屈指の名演だ。


ガーシュウィン:ヘ調の協奏曲、ラプソディー・イン・ブルー
エネスク:ルーマニア狂詩曲第1番
プロコフィエフ:「3つのオレンジへの恋」組曲
レイモンド・レーヴェンタール(p)
RCAヴィクター交響楽団/メトロポリタン交響楽団/ロイヤル・フィル
オスカー・ダノン(cond.)
[CHESKY RECORDS CHESKY CD56]

 知名度に反して万人を唸らせる弩級の名盤だ。全て1962年のロンドンでの録音だ。米CHESKYによる高音質復刻で録音年代を超えた最上級の音で聴ける。寧ろ最新録音よりも音響は理想的かも知れぬ。ガーシュウィンは決定的名盤に挙げられることも多い。米國の名手レーヴェンタールの活きの良い演奏も良いが、サラエヴォ出身、旧ユーゴスラヴィアの巨匠ダノンの指揮が圧倒的だ。若き頃、ジャズ・オーケストラを結成しただけに軽快で明るい響きの決まり具合は尋常ではない。当盤を聴かずに協奏曲もラプソディー・イン・ブルーも語れぬ。エネスクが物凄い。クラウスの官能的な名演に肉薄する熱演だ。弛緩なく乱舞する棒は圧巻。オーケストラの統率力も見事だ。プロコフィエフは組曲とクレジットされてゐるが、行進曲から始まり演奏時間約10分の抜粋録音である。剛毅な演奏で聴き応へがある。ダノンの実力を認知出来る極上の1枚だ。(2018.10.1)


モーツァルト:「フィガロの結婚」序曲、交響曲第40番
オテスク:”De la Matei citire”より2曲
ニューヨーク・フィル
ジョルジェ・エネスク(cond.)
[オーパス蔵 OPK 2112/3]

 作曲家としてヴァイオリニストとして高名なエネスクの指揮者での稀少な演奏記録。ニューヨーク・フィルに1937年と1938年に客演した際の記録を集成した2枚組。トスカニーニ勇退後、支柱を失ひ迷走を続けたニューヨーク・フィルはチャベス、ストラヴィンスキー、エネスクといつた作曲家を招聘した。指揮台に敬意を求めたのだ。どの指揮者をもつてきてもトスカニーニには劣る為の奇策であつたが、1937年1月31日のエネスクの演奏会は大成功であつた。1枚目にはプログラム前半が収録されてゐる。放送用のアナウンス付き。モーツァルトは序曲も充実の名演だが、悲しみが疾走する交響曲が稀代の名演である。ニューヨーク・フィルの濃厚な合奏と相まつて得難い感銘を齎す。同郷のオテスクの作品は他では聴くこともないから貴重だ。歌劇「デ・ラ・マタイ・シタイア」からの2曲で、湖のシンフォニーと第2幕への前奏曲だ。湖のシンフォニーはプッチーニを想起させる旋律美が特徴で、終盤にはピアノが加はり色彩感が鮮やかだ。第2幕への前奏曲はエネスクのルーマニア狂詩曲第1番を髣髴とさせる民族的な舞曲で、恐らくツィンバロンと思しき郷愁を誘ふ楽器の音色が印象的。(2018.4.15)


シューマン:交響曲第2番
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
ルドルフ・ゼルキン(p)
ニューヨーク・フィル
ジョルジェ・エネスク(cond.)
[オーパス蔵 OPK 2112/3]

 再びエネスクを聴く。2枚組の2枚目。1937年1月31日の演奏会の後半はシューマンの第2交響曲だ。この曲は指揮者エネスクが自作自演以外でセッション録音をした数少ない演目で、大曲では唯一であらう。ロンドン交響楽団とのDecca録音であつた。当盤の演奏も印象はスタジオ録音と変はらない。放送局によるアセテート録音なので音質は劣るが、鑑賞には耐へ得る。一方、ニューヨーク・フィルの情感豊かな演奏は大変魅力的で、セッション録音を上回る。従つて甲乙付け難く、愛好家ならどちらも聴いてをきたい。軽薄さは一切なく、第3楽章までは最上級の演奏だが、セッション録音と同じく第4楽章が遅めのテンポで緊張感を欠き、著しく感興が落ちるのが残念だ。真摯さの裏返しで、愉悦を失つたのだ。ベートーヴェンはディスコグラフィーになかつた驚愕の初出音源で、かのマーストンが所持してゐた秘蔵音源からの復刻だ。1938年2月10日の演奏会のエア・チェックのラッカー盤ださうで、流石に音質は苦しい。エネスクは急遽の代役指揮者として登板、米国でデビューを果たして勢ひに乗る若武者ゼルキンの独奏だ。演奏は両者大変素晴らしく、音さえ良ければ秘匿の名演と推せる。(2018.8.16)


チャイコフスキー:交響曲第4番
エネスク:ルーマニア狂詩曲第1番
ソヴィエト交響楽団
ジョルジェ・エネスク(cond.)
[Dante LYS312]

 エネスクはルーマニア音楽の父であり偉大な作曲家であつた。演奏家としても比類なく、ヴァイオリンは神懸かつた腕前であり、愛好家であればエネスクの録音を全て蒐集することは見識として欠くべからざるものだ。エネスクは指揮者としても有能で自作以外にも数々の名演を残した。とは云へ、エネスクの指揮の録音を全部蒐集するのは一筋縄ではいかない。当盤は1946年4月21日、ソヴィエト楽旅の際に残された貴重な録音だ。チャイコフスキーはソヴィエト交響楽団の自負もあり、客演とは云へ充実した名演だ。随所に粘りを多用する凝つたフレージングが聴かれ個性的な面白みがある。自作自演はチェイコフスキーに比べるとオーケストラの響きが幾分細くて物足りないが、作曲者の燃え盛る情熱が伝はる演奏だ。(2017.12.23)


シューマン:交響曲第1番、同第2番
ナショナル交響楽団/ロンドン・フィル
ピエロ・コッポラ(cond.)
ジョルジェ・エネスク(cond.)
[DUTTON LABORATORIES CDK 1209]

 当盤を蒐集した理由は勿論エネスクが指揮した第2交響曲を聴く為である。ヴァイオリニスト・エネスクにはソナタ第2番の録音といふ空前絶後の偉業があり、指揮にも期待が募る。バッハのロ短調ミサ曲で示したやうにエネスクは指揮者としても軽視出来ない。第1楽章展開部がこれほど悲劇的に鳴つた演奏はさうあるまい。逡巡と諦観に苛まれながらも這ひ上がらうとする意志を聴くやうで胸に迫る。常に内面を見詰める響きがエネスクたる所以なのだ。沈思し憧憬に焦がれる第3楽章然り。エネスクは音楽から精神を想起させることの出来る稀有な人物である。惜しむらくは終楽章に閃きがないことだが、総じて名演と云へるだらう。コッポラとナショナル交響楽団による第1番は、個性に乏しく記憶に刻まれるやうな演奏ではないが、爽やかな響きと淡い詩情で彩られた名演だ。若々しい第1楽章と清楚な第2楽章が素晴らしい。両録音ともDecca原盤。秘められた名盤を復活させたのはDuttonの慧眼だ。(2005.4.14)


ベルリオーズ:幻想交響曲
デュカ:魔法使いの弟子
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲
チェント・ソリ管弦楽団/パリ国立歌劇場管弦楽団
マニュエル・ロザンタール(cond.)
ルイ・フレスティエ(cond.)
[ACCORD 476 8963]

 秘匿の名盤といふのはまだまだ存在するものだ。1957年にクラブ・フランセ・デュ・ディスクといふ通販専門のマイナー・レーベルに録音されたフレスティエ/チェント・ソリ管弦楽団による幻想交響曲は破格の名演として識者には知られてゐたが、一般的には盲点とも云へよう。兎に角、個性的な演奏で、滅法速く、滅法明るい。物理的にも速いが、響きが軽いので体感としてはミュンシュ盤やパレー盤を上回る。何よりチェント・ソリ管弦楽団から引き出した憂ひのない楽天的な音色が振り切れてをり、それはもう安つぽい品のない音とも形容してよかろう。圧巻が第5楽章で、大詰めに向かつて尋常でない巻きがあり、狂乱の謝肉祭のやうな雰囲気で終結し唖然となる。巧い演奏とは云ひ難いが、この曲の根底にある薬物中毒を最も体現したとも云つてよい。余白にディスク・ヴェガへの録音で、ロザンタール指揮、パリ国立歌劇場管弦楽団によるデュカとラヴェルが収録されてゐる。洒脱な演奏で、デュカは色彩的な純然たるフランスの栄光を示した名演だ。ラヴェルは組曲なのに薄手の合唱付きの録音で、踏み込みも中途半端で著しく感銘が落ちる。(2019.10.12)


グラズノフ:四季
プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」第2組曲
グラズノフ(cond.)
プロコフィエフ(cond.)、他
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9754]

 グラズノフの自作自演は1929年にロンドンで行はれた録音で、名手を揃へた臨時編成の管弦楽団による演奏だ。冬から始まり秋で終はるグラズノフの四季は録音の多くない曲だけに重宝されるだらう。オーケストラの技量が抜群に優秀で、繊細な色彩感が素晴らしく、表情も豊かだ。美しいメルヒェンを奏でる冬からいじらしい情感が漂ふ。幸福な予感に彩られた春、喜びに充ちた夏、祝祭的な秋と表現が多彩だ。録音は古いが名盤として広く推奨したい。プロコフィエフの自作自演はピアノを弾いたものが有名で、これ迄幾度となく復刻が成されてきたが、指揮は珍しい。1943年の録音でモスクワ・フィルを振つてをり、演奏の質は水準程度だが、全体に覇気がなく些とも面白くない。名盤犇めく名曲だけに残念ながら自作自演といふ資料的価値しかない。(2007.1.8)


モーツァルト:レクィエム
モスクワ放送交響楽団と合唱団、他
ニコライ・ゴロヴァノフ(cond.)
[VENEZIA CDVE00508]

 怪物指揮者ゴロヴァノフの録音を集成した16枚組。全ての演奏が異常で想像を超えてゐる。ゴロヴァノフの特徴を一言で云へば、楽譜の無視であらう。いち早く楽譜から離れ、感性を重視する。今日の演奏を聴き慣れた耳には異次元の音楽だらう。御国物である筈のロシア音楽でも独自の音楽観が全開で、必然性を感じる演奏の方が少ない。モーツァルトとなるとそれらしさは皆無だ。テンポの緩急が大胆で、倍以上の変化を付けることもしばしばだ。キリエは荒れ狂ひ爆走する。独唱陣が大見得を切るトゥーバ・ミルムやレコルダーレはロシアのオペラのやうだ。コンフターティスの女性合唱は絶え絶えである。頂点はラクリモーサで、これ以上感情的に演奏されたことはないだらう。だが、ここ迄やれば寧ろ天晴。途中で効果的に使はれるオルガンは天上の光ではなく、地獄の劫火のやうに聴こえる。天下の珍演。(2015.7.16)


ハーマン:サイコ、マーニー、北北西に進路を取れ、めまい、ハリーの災難
ロンドン・フィル
バーナード・ハーマン(cond.)
[DECCA 485 1585]

 映画音楽の巨匠ハーマンのデッカ・フェイズ4録音7枚組。愛好家必携のオリジナル・アルバムでの復刻だ。1枚目。1968年に録音された”The Great Movie Thrillers”と題されたアルバムで、ヒッチコックの恐怖映画音楽集だ。ハーマンは指揮者としても有能で、自作自演という意義を超えた演奏を聴かせる。ロンドン・フィルが恐ろしく巧い。嬉々として情感豊かな音楽に溺れてゐる。「マーニー」前奏曲の目眩くやうな音の洪水は抗し難い快楽だ。「めまい」の愛の場面も尋常でない情感の深さだ。そして、何よりも「サイコ」での不協和音の効能は後世に絶大な影響を及ぼした。これを聴かずには始まらない究極の名盤だ。(2022.3.30)


オネゲル:夏の牧歌、チェロ協奏曲
プーランク:3つの無窮動、三重奏曲、ノヴェレット(2曲)、夜想曲(3曲)、即興曲(4曲)、オーバード
アルテュール・オネゲル(cond.)
フランシス・プーランク(p)、他
[EMI CLASSICS 50999 2 17575 2 5]

 作曲家自作自演集22枚組。フランス六人組の雄たちの録音だ。オネゲルは少なからず自作自演の記録を残してをり、英Duttonからも復刻があつた。正体不明の「大交響楽団」を指揮して1930年に幾つかの演目を録音してゐるが、当盤では夏の牧歌のみが収録されてゐる。取り立てて面白い演奏ではない。マレシャルと吹き込んだチェロ協奏曲は別項で述べたので割愛するが、これは決定的な名演と云へる。プーランクがピアノで独奏やアンサンブルに参加した録音も全て英Pearlからの復刻があり、既に記事にしたので割愛する。(2021.10.15)


イベール:寄港地、ジュピターの恋、「ドン=キホーテ」より4つの歌
フョードル・シャリアピン(Bs)
パリ・オペラ座管弦楽団
ジャック・イベール(cond.)
[EMI CDM 7 63416 2]

 イベールの自作自演だ。1933年に吹き込まれた映画音楽「ドン=キホーテ」はシャリアピンとの共演でよく知られた録音であり、ここでは割愛する。重要なのは戦後1954年に録音された、代表作「寄港地」とバレエ音楽「ジュピターの恋」だ。寄港地には初演者パレーの決定的名盤があるので、自作自演と云へ敵はない。しかし、大変立派な指揮振りで愛好家は必聴だ。さて、珍しい「ジュピターの恋」が素晴らしい。演奏時間34分で完全版での録音ではないが、曲はイベールの妙味が詰まつた逸品だ。演奏も極めて精彩に富んだ見事なものだ。(2022.3.18)


ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、夜想曲、スコットランド風行進曲、遊戯、選ばれし乙女
フランス国立管弦楽団、他
デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(cond.)
[TESTAMENT SBT 1212]

 アンゲルブレシュトの指揮したドビュッシーは今後も揺るがぬ指標となるだらう。このデュクレテ=トムソンへの録音は曲数が豊富で録音状態もよい。これらの演奏の特徴は、仄暗い淵より湧き出る詩情である。全体が冷たい音色と高貴なアンニュイに覆はれてゐる。奇遇なことにフランスの大指揮者らは皆、アメリカのオーケストラに就任してドビュッシーを録音した。アンゲルブレシュトのみが自国のオーケストラを導いて、フランスの響き―就中パリの香りを今に残し得た。創設時より深い関係を結んだフランス国立管弦楽団から何と云ふ神妙な響きを引き出したことだらう。アンゲルブレシュトは和声の構造にこだはる。それは楽器のバランスに配慮することと同義である。明るく華やかで享楽的な響きを決して持ち込まない。余人からは聴くことの出来ない雨の音楽。(2004.11.17)

ドビュッシー:海、映像、シャルル・ドルレアンの3つの歌、家のない子たちのクリスマス
フランス国立管弦楽団、他
デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(cond.)
[TESTAMENT SBT 1213]

 アンゲルブレシュトによるドビュッシーの録音では、「ペレアスとメリザンド」と「聖セバスティアンの殉教」が絶対的な名演奏であるが、次いで感銘深いのが「海」だ。3曲目の半ばで、ヴァイオリンのフラジオレットに導かれて奏される木管の主題が長く延ばされ、ブレスを大きくとつて旋律性を失ふ様は、光の届かぬ海底に引き摺り込まれる如き神秘的な静寂さを醸し出す。デュクレテ=トムソンへ録音した当盤は、後年のライヴ録音ほど大胆ではないが、抗し難い魅力がある。声楽を伴ふ2曲は秘曲に近いが、ドビュッシーの権威が残した貴重な遺産で、パリのエスプリを堪能出来る。(2005.5.28)


ドビュッシー:「聖セバスティアンの殉教」、フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード
アンドレ・ファルコン(語り)/ベルナール・プランテ(Br)、他
フランス国立管弦楽団
デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(cond.)
[TESTAMENT SBT 1214]

 ドビュッシーの知遇を得たアンゲルブレシュトは、1911年の「聖セバスティアンの殉教」初演において合唱指揮を託され、翌年には全曲の指揮も行つてゐる。当盤は、4時間近く要するオリジナル・テクストを、音楽と語りによる1時間程の演奏会版に独自に編んだもので、アンゲルブレシュトの切り札とも云へる録音。管弦楽の濡れそぼつた響きは神韻たるもので、ドビュッシーの和声がこれほど美しく奏でられたことはさうあるまい。重役を担ふアンドレ・ファルコンの悲壮な朗詠が果たした感興は、真に迫つてをり、聴き手の正体を失はしめる程に強烈だ。このセッション録音の5年後に、同じくファルコンの語りによるライヴ録音もあるが、出来は甲乙付け難い。ヴィヨンの詩に付けた歌曲はえも云はれぬ中世の香りが漂ふ名品である。(2005.3.24)


ラヴェル:「ダフニスとクロエ」(全曲)、「マ・メール・ロワ」(組曲)
フランス国立管弦楽団と合唱団
デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(cond.)
[TESTAMENT SBT 1264]

 アンゲルブレシュトによるラヴェルの演奏は詩情漂ふメランコリーが特徴で、ラヴェルの持つ知的な上品さを巧まずして奏でた逸品である。華麗な響きに誘惑されることもなく、取り澄ました冷たいよそよそしさで詰らなくして仕舞ふこともない。典雅で節度ある表現は何時しか哀惜の情を湛へた音楽を生み出す。両曲が持つメルヒェンの色合ひは薄れ、大人の憂鬱がそよと覆ふ玄人好みの演奏である。アンゲルブレシュトが振つたドビュッシーに共通する生粋のパリの音がこのラヴェルの演奏にも通つてゐる。フランス国立管弦楽団の技量に些か不満な点もあるが、価値を減ずるものではない。「ダフニスとクロエ」における暗い淵から彷徨ひ出た低音の響きには身震ひする。(2006.8.31)


ベルリオーズ:「ローマの謝肉祭」、「ファウストの劫罰」より3曲
ビゼー:「カルメン」(抜粋)
ドリーブ:「ラクメ」(抜粋)
ラヴェル:海原の小舟、スペイン狂詩曲
フランス国立管弦楽団
デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(cond.)
[TESTAMENT SBT 1265]

 アンゲルブレシュトがデュクレテ=トムソンへ残した録音はこれまで限られたものしか発売されてこなかつたので、当盤の復刻は何れも価値が高い。演奏も感情に溺れない高雅な気位があり、全体的にメランコリックな表情が漂ふ素晴らしいものばかりだ。ドリーブ「ラクメ」導入曲の格調高い響きが印象的で、合唱を伴ふ舞曲の昂揚も見事だ。「カルメン」からの抜粋はオペラコミークの伝統藝を感じさせる名演で、前奏曲の低弦や第1幕導入曲のティンパニにおける響きが意味深い。歌劇全曲録音と併せて聴きたい。その他、ベルリオーズ「鬼火のメヌエット」の幻想的な趣や、ラヴェル「海原の小舟」の儚い詫びた詩情が美しい。英TESTAMENTからは、ドビュッシー「放蕩息子」、グノー「ファウスト」よりバレエ音楽、ラロのスペイン交響曲などの録音も何れ復刻されることを祈りたい。(2005.11.2)


フォレ:シャイロック、ペレアスとメリザンド、ラシーヌ頌歌、レクィエム
フランス国立管弦楽団、他
デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(cond.)
[TESTAMENT SBT 1266]

 ドビュッシー作品と並ぶアンゲルブレシュトの代表的名盤。フォレの作品はこの上もなく繊細だ。雑で無神経な演奏は困る。だが洒落てゐるだけの演奏は尚困る。アンゲルブレシュトの感傷に陥らない清廉なフォレは、えも言はれぬ高貴な香りを漂はせてゐる。シャイロックとラシーヌ頌歌は競合盤も殆ど見当たらないので、躊躇なくアンゲルブレシュト盤を最上として推す。ペレアスとメリザンドも内に秘めた仄暗い情熱が素晴らしく、淡い色彩で魅了するアンセルメ盤と双璧を成す。レクィエムは目利きからは不動の支持を得て来た名盤で、禁欲的でありながら抹香臭さのない詩情を湛へてをり、肉感的なクリュイタンスのモノーラル旧盤よりも上位に置きたい。純粋さにおいてフォレとアンゲルブレシュトの世界は通じ合ふ。(2006.12.15)


モーツァルト:交響曲第36番、同第33番、同第39番
バイエルン放送交響楽団
オイゲン・ヨッフム(cond.)
[DG 469 810-2]

 ”The Mono Era”と題された1948年から1957年にかけてのDGモノーラル録音集51枚組。1954年と1955年の録音で、モノーラルとしては音質が極上で、演奏内容も細部まで仕上がりが美しい名演揃ひだ。音の処理が申し分なく、流麗で芳醇な演奏はモーツァルトとしては理想的だ。しかし、音の厚みや浪漫的な響きは往時の解釈で、これといつた特徴が薄いのも事実だ。多少様式を外れても聴き手を揺り動かす印象深さは重要だ。ヨッフムのモーツァルトは3曲ともお手本のやうな美しい演奏だが、それ以上ではないのだ。(2021.11.7)


モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
ベートーヴェン:交響曲第4番
ブルックナー:テ・デウム
バイエルン放送交響楽団/ベルリン・フィル、他
オイゲン・ヨッフム(cond.)
[DG 469 810-2]

 ”The Mono Era”と題された1948年から1957年にかけてのDGモノーラル録音集51枚組。当盤で初CD化となつた1950年録音、バイエルン放送交響楽団とのブルックナーに刮目したい。ヨッフムは同じくDGにベルリン・フィルと1965年に再録音をしてをり、これは旧盤といふことになる。凄まじい熱量で一気呵成に聴かせる名演で新盤を凌ぐ感銘を与へる、この曲の決定的名盤とも云ふべき録音なのだ。歌手も合唱も真摯で熱い。更に、同じく1950年録音のモーツァルトが出色の出来だ。非常に良く訓練されたバイエルン放送交響楽団の演奏はかのベルリン・フィル以上の表現力があると云つても過言ではない。艶があり、情緒があり、繊細さがある。隠れた名演として最上位に推薦したい。一方、名器ベルリン・フィルとのベートーヴェンは悪くはないが、特段良い点もない常套的な演奏である。第3楽章など活力に乏しく魅力が薄い。(2021.10.18)


ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティシェ」
ベルリン・フィル
オイゲン・ヨッフム(cond.)
[DG 469 810-2]

 権威ヨッフム第1回目の全集録音より。1965年の録音。ヨッフムのブルックナーは極めて動的で浪漫的である。前時代のフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュらの伝統の中から生まれた演奏なのだ。テンポの細かい変動が随所に見られ、デュナミークの変更も巨匠らの演奏に通じるものがある。ノヴァーク版を使用してゐるが、原典重視の姿勢は弱く、顕著な点では第4楽章序盤にベッケンが派手に鳴らされ、レーヴェ改訂版が採用された箇所もある。一言で申せば折衷的な演奏であり、確固たる信念は見られない。だからこそ効果的であり説得力は強い。巨匠らの録音で時に受ける違和感はなく、ブルックナーの音が鳴つてゐるから流石だ。特に全ての声部を偏重なく響かせてをり、滅多に聴こえない音の動きも捉へられるのが嬉しい。訓練と統率力の手腕を誉め讃へやう。イエス・キリスト教会での優秀録音。ベルリン・フィルの荘重な響きがずしりと伝はる名盤。(2018.5.3)


ブルックナー:交響曲第7番
ベルリン・フィル
オイゲン・ヨッフム(cond.)
[DG 469 810-2]

 権威ヨッフム第1回目の全集録音より。1964年の録音。威力的なベルリン・フィルによる分厚い響きの演奏だ。この曲はテンポの変動を伴ふ楽想が少なく、特殊な解釈の演奏は少ない。処が、このヨッフムの演奏は情動的な表情が随所にあり、精力的な演奏と云へる。金管楽器が派手に鳴るベルリン・フィルの―華やかなカラヤン流儀の―響きによつて一層印象が強くなる。結論を述べて仕舞ふと、空疎な演奏に感じられ、合奏の見事さとは比例せず、存外良くない。実は後年の第2回目全集、シュターツカペレ・ドレスデンとの演奏との新旧の解釈の違ひが最も大きいのはこの第7番だ。流麗で静謐、一種特別な境地に到達した新盤との落差があり、当盤は特記することがない凡庸な演奏に聴こえる。特に第2楽章は流れが悪く退屈だ。(2019.4.9)


ブルックナー:交響曲第8番
ベルリン・フィル
オイゲン・ヨッフム(cond.)
[DG 469 810-2]

 権威ヨッフム第1回目の全集録音より。1964年の録音。ヨッフムは後にシュターツカペレ・ドレスデンとEMIへ2度目の全集録音を残してをり、第8番は代表的名盤として名高い。一方、このDGへの全集の第8番については語られることは少ない。だが、忌憚なく申せば、断然このDG盤の方が勝つてゐる。まずは天下のベルリン・フィルが放つ黒光りする響きに痺れて仕舞ふ。低弦の分厚い響きに支へられた壮麗な合奏が圧巻だ。ベルリンのイエス・キリスト教会での録音も極上だ。EMI盤はオーケストラの実力で歴然たる差があり、管楽器で気に障るしくじりが散見され、音質も12年後の進歩を感じさせない。だが、新旧の最大の違ひはテンポの変動だ。ヨッフムは職人気質の指揮者ではなく、テンペラメントに左右される指揮者なのだ。当盤は緩急の差が大きく、時に煽り立てるやうな演奏をしてゐる。所詮好みの問題だが、雄弁で起伏があるDG盤に多く魅了された。当時のベルリン・フィルにフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュの音楽が脈々と流れてゐたからかも知れない。この曲屈指の名盤と云ひたい。(2018.2.28)


ブルックナー:交響曲第9番
ベルリン・フィル
オイゲン・ヨッフム(cond.)
[DG 469 810-2]

 権威ヨッフム第1回目の全集録音より。1964年の録音。ノヴァーク版での演奏だ。ベルリン・フィルの低い重心の響きが尊い名演で、物々しい威容に圧倒される。再録音よりも総合的に素晴らしい。何と云つても可憐でいじらしいオーボエの音色が厳しい音楽の中で一縷の救済を齎すのには胸打たれる。ヨッフムの棒は精力的で前のめりだ。緩急を伴ふがブルックナーの威厳を損なふことはない。第1楽章楽章第1主題の頂点でルフト・パウゼを入れるのは趣味が良いとは云はない。第2楽章もう少し厳格さが欲しく、幾分燥ぎ過ぎだ。最も素晴らしいのが第3楽章で大変成功してゐる。落ち着いたテンポで深々とした音楽を紡いで行く。第3楽章に関して申せば最上位の演奏だ。前2楽章は優良だがシューリヒト盤と比べると遜色がある。(2021.6.15)


ブルックナー:ミサ曲第1番ニ短調、同第2番ホ短調、同第3番へ短調
バイエルン放送交響楽団、他
オイゲン・ヨッフム(cond.)
[DG 447 409-2]

 交響曲の作曲家として人気のあるブルックナーの知られざる一面を聴くことの出来る1枚だ。宗教曲が書かれなくなつた19世紀において極めて正攻法で作曲されたこれらの作品は、時に交響曲を彷彿とさせる劇的な箇所はあるが、全体としては厳粛な気分を醸す名作と云へるだらう。第1番と第3番は4声部の独唱、合唱、オルガンと管弦楽から成る標準的な編成による作品だが、第2番は8つのパートに分かれた合唱と管楽器のみのオーケストラによる変則的な作品である。ブルックナーの交響曲全集を2度も残したヨッフムによる指揮は作曲家の懐に入り込んだ申し分のない演奏だ。第3番ではシュターダーのソプラノが美しい。(2008.3.20)


ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティシェ」
シュターツカペレ・ドレスデン
オイゲン・ヨッフム(cond.)
[EMI 5 73905 2]

 権威ヨッフム第2回目の全集録音より。1975年の録音。この新盤の方が良く聴かれるが、旧盤との比較は気になる。音質だが、新しいにも拘はらずEMIの録音は抜けが良くない。教会で収録したDG盤の方が10年といふ年月を超えて優れてゐる。演奏は正直申して第4番に関しては際立つ差異を指摘するのが難しく、印象も演奏時間もほぼ同じだ。だが、技量の安定感、楽器の鳴りや合奏の力強さは断然ベルリン・フィルが上だ。となると、DG盤の方が優れてゐることになるが、EMI盤の方が流れが自然で、よりブルックナーらしさを感じ取れる。DG盤の方がテンポの変動が意志的で、嫌ふ向きもあらう。違ひが顕著なのは音色だらう。大雑把な表現をすれば、ベルリン・フィルが重く暗い北ドイツ風とすれば、シュターツカペレ・ドレスデンは明るく伸びやかな南ドイツ風と云へるかも知れぬ。特にホルンの音色はベルリン・フィルが甲高く違和感があり、シュターツカペレ・ドレスデンの方が美しい。つまり、甲乙付け難い。(2018.5.16)


ブルックナー:交響曲第7番
シュターツカペレ・ドレスデン
オイゲン・ヨッフム(cond.)
[Warner Classics/EMI 9029531746]

 権威ヨッフム第2回目の全集録音より。1976年の録音。ベルリン・フィルとの旧録音と比較して最も印象が異なるのが第7番だ。旧盤は圧倒的なベルリン・フィルの合奏力、黒光りする重量感のある響き、肉感もあり栄養満点の音色が特徴で、音の張り出しが強く、テンポも煽るやうな箇所も聴けた。反面、ヨッフムの個性や解釈が出し尽くされたかは疑問で、オーケストラ主導の演奏だつたかも知れぬ。だから、この新盤はヨッフムの意図が完全に反映された演奏として聴くことが出来る。物理的な演奏時間の違ひは目立たないが、響きの印象が大分異なる。発音に丸みがあり、勢ひが良い旧盤とは大違ひなのだ。その為、流麗でフレーズが大きく、連綿とした演奏だ。勿論、野人ブルックナーの無骨さは残しつつ、旋律重視の箇所は悠久この上ない。特に第2ヴァイオリンの表情豊かな歌は見事。一方、各奏者の力量は旧盤には劣り、些細な瑕があるが気にはならない。(2019.10.6)


ブルックナー:交響曲第8番
シュターツカペレ・ドレスデン
オイゲン・ヨッフム(cond.)
[EMI 5 73905 2]

 権威ヨッフム第2回目の全集録音より。1976年の録音。ヨッフムの全録音の中でも代表盤としてよく聴かれる名盤中の名盤である。ブルックナーの核心に迫つた別格の名演であり広く推奨したい。とは云へ、好みの問題であるが、ベルリン・フィルとの旧盤の方がより優れてゐると感じる。理由は、第一にEMIの録音が新しいにも関はらず抜けが悪く、音質がDG盤よりも良くないこと、第二にオーケストラの力量においてシュターツカペレ・ドレスデンには不満があること―特に金管楽器のしくじりが目立ち、そのまま商品化したことにも疑問を感じる―、が挙げられる。楽器の調和もDG盤の方が優れてをり、EMI盤は金管の咆哮が五月蝿く感じるが、野人ブルックナーの意図には近いとも云へる。但し、ヨッフムらしさはこのシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏の方が出てゐるだらう。旧盤はベルリン・フィル主導の演奏であつた。演奏時間は大差なく、若干新盤の方が長い。以上、旧盤の方が良いと述べたが、この演奏も屈指の名盤だ。(2018.8.21)


ブルックナー:交響曲第9番
シュターツカペレ・ドレスデン
オイゲン・ヨッフム(cond.)
[Warner Classics/EMI 9029531746]

 権威ヨッフム第2回目の全集録音より。1978年の録音。ノヴァーク版を使用してゐる。第9番はベルリン・フィルとの旧盤と比較して、解釈において差異を感じさせない。テンポ感や間合ひなどは同じ印象を受ける。旧盤の方が精力的で流れは良かつたが、ブルックナーの持つ野卑な一途さといふ点ではこの新盤の方がしつくりくる。とは云へ、結論だけ申せば、断然旧盤の方が良いのだ。理由は金管楽器の精度にあり、シュターツカペレ・ドレスデンはここぞと云ふ箇所で大外しをする。音量も五月蝿いだけで、金管楽器同士での響きも作れてゐない。一方、流石はベルリン・フィルで、抑制された響きでずしりと神々しく鳴り、弦と混じり合ふのだ。(2021.9.24)


シベリウス:交響曲第3番、同第5番、フィンランド狙撃兵行進曲
ロンドン交響楽団/ヘルシンキ・フィル
ロベルト・カヤヌス(cond.)
[Naxos Historical 8.111395]

 シベリウスの伝道師カヤヌスの復刻はFINLANDIAといふレーベルから3枚組で出てゐたのを所持してゐたが、ヘルシンキ・フィルを指揮して録音したフィンランド狙撃兵行進曲は含まれてゐなかつた。この録音は1928年に吹き込まれたもので、一連の英國のオーケストラを振つての1930年と1932年の録音より前に行はれたカヤヌスの初録音といふことになる。3分弱の素朴な曲でだうといふこともないが蒐集家には看過出来ないものだ。この度目出度くNaxos Historicalからオバート=ソンによる優れた復刻が出た。カヤヌスの録音は現在聴いても啓示を受けることが多く、交響曲第3番も今もつて最上の演奏なのだ。(2013.5.20)


>モーツァルト:「フィガロの結婚」序曲、セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、クラリネット協奏曲、交響曲第39番
レオポルト・ウラッハ(cl)
ウィーン・フィル
ヘルベルト・フォン・カラヤン(cond.)
[EMI 7243 5 66388 2 2]

 カラヤンには大変申し訳ないが、当盤を入手した目的はウラッハが吹く協奏曲にある。ウラッハにはロジンスキーの指揮によるウエストミンスター録音が知られてゐるが、忌憚なく云へば不味い演奏であつた。録音状態も悪く、ロジンスキーの指揮も雑で、管弦楽も粗い。何よりも肝心のウラッハに生気がなく、のっぺりとした感興のない演奏で、聴き通すのが苦しいくらゐであつた。このカラヤンとの演奏は遥かに良く、音域による音色の差が全くないウラッハ特有の至藝を楽しめる。牧歌的でおっとりした演奏は好ましい。カラヤンの伴奏も流麗でウラッハとの相性が良く、透明な響きも流石だ。実は協奏曲よりも序曲、セレナード、交響曲の方が更に素晴らしい。後年のカラヤンはレガート奏法に固執した珍妙なモーツァルトを録音したが、1940年代後半のこれらの録音ではウィーン・フィルの流儀に委せる部分が多く、躍動と優美さが融合した特上の名演となつてゐる。(2010.3.10)


シューマン:交響曲第1番
ドヴォジャーク:交響曲第9番「新世界より」
ベルリン・フィル
ルドルフ・ケンペ(cond.)
[TESTAMENT SBT 1269]

 シューマンは1955年、ドヴォジャークは1957年のHMVへの録音。フルトヴェングラー没後、ベルリン・フィルはカラヤンの手中に落ちたが、暫くはクナッパーツブッシュを筆頭に錚錚たる客演指揮者が棒を振つた。ケンペも重厚なベルリン・フィルの威厳を引き出したひとりである。一般的には認知されてゐないが、シューマンの第1交響曲はこの曲の屈指の名盤だ。快調な第4楽章が特に素晴らしく、コーダの情熱的な煽りは天晴だ。第1楽章コーダの昂揚感も熱く、セル盤とともに最も推薦したい録音だ。得意としたドヴォジャークも見事だ。オーボエ奏者出身のケンペだけに、当盤のオーボエ群は出色だ。しかし、標題を意識しない堅牢なドイツ風の演奏なので、色気に欠ける嫌ひがあり特別な演奏とは云ひ難い。(2009.1.31)


ベートーヴェン:交響曲第5番
ドヴォジャーク:交響曲第9番「新世界より」
チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
ルドルフ・ケンペ(cond.)
[SCRIBENDUM SC001]

 ケンペはチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の常任指揮者になり、それ迄目立つて優れてゐるとは云へなかつたオーケストラを育成し、黄金期を築き上げた。2曲ともケンペ退任直前の1971年に録音され、充実した響きが楽しめる。ベートーヴェンの第5交響曲は重厚で堅牢な演奏で、鈍重なテンポ設定から強い意志が感じられる。競合盤が無数にある曲故に当盤に価値を見出すことは出来ないが、立派な演奏である。新世界交響曲が素晴らしい。細部まで意匠を凝らしつつ、隅々まで温かい情感が流れてゐる。第1楽章後半の情熱的な昂揚は天晴だ。終楽章の興奮も素晴らしい。(2010.5.31)


ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティッシュ」
ミュンヘン・フィル
ルドルフ・ケンペ(cond.)
[SCRIBENDUM SC003]

 1976年1月の録音。最初に聴いた時は、実直で流れの良い演奏とは感じたが、然して強い印象を受けた訳ではなかつた。しかし、聴き込むと良さがしみじみと感じられる名演だ。ブルックナーの意図に最も近いとされる1878/1880年版の楽譜を使用してゐることは特筆したい。外連のない響きと自然なフレーズの受け渡しは見事で、これほど流麗な演奏は滅多にない。それでゐて重厚さと渋みを失はないのは流石だ。第3楽章主部のコーダで壮大なクレッシェンドを築くのは殊の外素晴らしく、第4楽章におけるユニゾンの美しさも格別だ。懐の深い名盤。(2008.1.8)


ブルックナー:交響曲第5番
ミュンヘン・フィル
ルドルフ・ケンペ(cond.)
[SCRIBENDUM SC003]

 1975年3月の録音。第1楽章の最初に出現する壮麗なフォルテのテヌートには少なからず驚いた。均等な響きは正しくオルガン・トーンであり、神々しい雰囲気に充たされる。ケンペが指揮するブルックナーの最大の特徴は弦楽器のみならず、金管楽器による重厚なテヌート奏法であり、特にオルゲルプンクトの偉大さには頭を垂れる。音楽の運びが流麗で、厳ついブルックナーの演奏とは一線を画す極めて個性的な演奏でありながら、細部まで手作りの職人藝を感じさせる真摯な合奏はブルックナーの楽曲に相応しい。名演が多い曲だけに、ケンペ盤を最上とすることは出来ないが、オーケストラがオルガンの響きを奏でる稀有な例として推奨したい名盤だ。(2008.2.3)


ブルックナー:交響曲第8番
チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
ルドルフ・ケンペ(cond.)
[SOMM RECORDINGS SOMMCD 016-2]

 1971年に録音された名盤。ハース版での演奏。ケンペはブルックナーでも素晴らしい名演を数々残したが、最も素晴らしいのはこの第8番だらう。堂々たる演奏乍ら颯爽としてをり、神々しい響きが持続するが抹香臭さは皆無なのだ。重量感が素晴らしく、頂点に向かつての高揚が見事だ。チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団はケンペを首席指揮者として迎へ、ブルックナーの音楽に精通するやうになつた。金管楽器の咆哮も太鼓や低弦の響きに支へられ、正しくオルガンのやうで、五月蝿く聴こえない。弦楽器の渋い曇つた合奏も美しく、理想的なブルックナーの響きを奏でてゐる。取り分け第3楽章の神聖な趣は琴線に触れる。ケンペは細部で表現的な効果を加へてをり、起伏ある演奏となつてゐる。録音も良く、万人に推奨したい名盤中の名盤だ。(2018.3.27)


ドヴォジャーク:交響曲第7番、同第8番
ロンドン交響楽団
イシュトヴァーン・ケルテス(cond.)
[Decca 430 046-2]

 ケルテスの代表的名盤、ドヴォジャーク交響曲全集、6枚組の5枚目。ケルテスの録音で交響曲を第1番から第6番まで聴いて、第7番に到達した時に思ふのは集大成であるのと同時に転換点の曲だといふことだ。土俗的な重厚さは継承しつつ、民族色や旋律に頼らない技法の習得があるが、一皮剥けた第8番及び第9番との間にはまだ開きがある。ケルテスの演奏で特筆したいのは、第6番までの語法をしつかり踏まえての演奏であり、くすんだ土臭い響きで都会的な洗練の誘惑に溺れてゐない。ブラームスの影響を指摘されるが衒学的なブラームス風の演奏でもない。やや一本調子な嫌ひがあるが、粗野な力に満ち溢れてをり屈指の名演として推薦出来る。第8番もドヴォジャーク節を貫いた保守王道的な演奏だ。垢抜けない愚鈍さは予定調和そのもの、面白みはない。それだけに頂点における迫力は見事だ。名曲だけに個性的名演が犇めいてをり、中庸を行くケルテス盤は今一つ埋もれて仕舞ふ。(2017.9.21)


ドヴォジャーク:交響曲第9番「新世界より」、序曲「謝肉祭」、スケルツォ・カプリチオーソ、序曲「わが故郷」
ロンドン交響楽団
イシュトヴァーン・ケルテス(cond.)
[Decca 430 046-2]

 ケルテスの代表的名盤、ドヴォジャーク交響曲全集、6枚組の6枚目。ケルテスがデヴュー録音でウィーン・フィルと鮮烈な新世界交響曲を録音したことは有名である。だが、ウィーン・フィルの美質を引き出した旧盤と比較しても、当盤は遜色のない出来である。交響曲全集録音といふ重要な使命を帯びた再録音では、より深みのある表現が練られてゐる。細部まで彫琢された演奏で、第1楽章の繰り返しも忠実に履行されてゐる。とは云へ、新世界交響曲には個性的な名演が多く、ケルテスの新旧両盤を第一等にはしない。余白に収録された管弦楽曲も良い。ロンドン交響楽団の充実した合奏が素晴らしい。(2010.7.17)


モールァルト:交響曲第25番、同第40番
ウィーン・フィル
イシュトヴァーン・ケルテス(cond.)
[DECCA 483 4710]

 ウィーン・フィルとの録音集20枚組。ケルテスはウィーン・フィルと良好な関係を築き上げた。ケルテスは良くも悪くも正統派で、外連めいたことはしない。王道の音楽を響かせるからウィーン・フィルと良い仕事が出来たのだらう。反面、特色には乏しいから五月蝿い聴き手には物足りない。第40番は手練れた名演なのだが、目新しい驚きを求める聴き手の要望には応へることがない演奏だ。第25番は良くない。緊張感が不足してゐる。疾風怒濤の楽想だけに劇的な要素が欲しい。退屈な凡演だ。


モールァルト:同第29番、同第35番「ハフナー」
ウィーン・フィル
イシュトヴァーン・ケルテス(cond.)
[DECCA 483 4710]

 ウィーン・フィルとの録音集20枚組。保守的でウィーン・フィルに任せたやうな演奏だが、モーツァルトの交響曲では成功の秘訣かもしれぬ。第29番が白眉だ。この曲には過度な味付けは不要であり、作為が過ぎると煩はしい。ケルテスの指揮は品格があり、覇気があり、優美さを兼ね備へてゐる。これ以上ない理想的な演奏で、かつ退屈さのない絶妙な中庸さなのだ。ホルンの盛り上げも良く、美しい弦の躍動も栄えてゐる。第35番も素晴らしい。これといつた特色はないが、祝典的な美しさが天晴だ。


モールァルト:交響曲第33番、同第39番
ウィーン・フィル
イシュトヴァーン・ケルテス(cond.)
[DECCA 483 4710]

 ウィーン・フィルとの録音集20枚組。ウィーン・フィルの美質を見事に引き出したモーツァルトの名盤だ。第33番が見事だ。流麗で艶があり、王道的なロココ様式の名演である。作為を施さずにウィーン・フィルの自発性に任せたからこその結果だらう。この曲の屈指の名盤として推奨出来る。これと対極にあるのがムラヴィンスキーの録音で、豊麗さと色気を抜き、研ぎ澄ました感性で聴かせてをり、次元が違ふ演奏だつた。比べるとケルテスの演奏は保守的ではある。第39番にも同様のことが云へる。自然で極めて音楽的な演奏で、流れが良く美しい。但し、この名曲ともなると名盤が犇めいてゐるので、個性が薄く物足りない。


モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク、行進曲第1番ハ長調、交響曲第36番
ウィーン・フィル
イシュトヴァーン・ケルテス(cond.)
[DECCA 483 4710]

 ウィーン・フィルとの録音集20枚組。一連のモーツァルト録音の中でも特に優れた1枚だ。まず、アイネ・クライネ・ナハトムジークの安定感が良い。内容は保守的で何も新しさはないが、ウィーン・フィルの弦楽合奏の美しさを堪能出来る逸品だ。ケルテスが主張をせず、ウィーン・フィルに全てを委ねた信頼感が名演に繋がつた。白眉は行進曲K.408だ。品良く大らかで美感を保つた名演である。リンツ交響曲は堂々とした趣で、終楽章の熱量は取り分け素晴らしい。


モーツァルト:レクィエム
エリー・アメリンク(S)、他
ウィーン国立歌劇場合唱団/ウィーン・フィル
イシュトヴァーン・ケルテス(cond.)
[DECCA 483 4710]

 ウィーン・フィルとの録音集20枚組。熱い演奏だ。兎に角合唱団が素晴らしい。冒頭のバスの合唱から圧倒される。男性合唱の威厳と壮麗さは比類がない。初めて聴いた時は鎮魂や祈りとは程遠く、歌劇を聴いてゐるやうに感じ、レクィエムへの先入観から戸惑ひを覚えたことを告白しよう。その印象は変はらないが、男性合唱の抗し難い魔力に完全に屈した。女性合唱は清らかで力みの無い自然な歌唱で美しい。男性合唱との対比が見事だ。独唱陣も同じくらゐ素晴らしい。四重唱のアンサンブルは奇蹟的な美しさで、特にアメリンクは天使のやうだ。オーケストラも熱く明るい。自然な呼吸があり生命力に溢れてゐる。従つて件のやうに唯一難癖を付ければ暑苦しく、陰鬱な鎮魂曲らしくないことだ。この曲は往々にして文学的な解釈で演奏されて来た。ケルテスは徹頭徹尾音楽的に演奏した。その姿勢が気持ち良い。(2015.5.14)


シューベルト:交響曲第1番、同第2番
ウィーン・フィル
イシュトヴァーン・ケルテス(cond.)
[DECCA 483 4710]

 ウィーン・フィルとの録音集20枚組。シューベルトの交響曲を全集録音した指揮者は多くはゐない。特に第1番は個別に取り上げて録音される機会が滅多にないので重宝する。加へてシューベルトといふ作曲家と血の繋がりを感じさせるウィーン・フィルの演奏が理想的だ。習作と見なされ勝ちな第1番を堂々たる押し出しで仕上げたケルテスの指揮も見事で、第1楽章や第4楽章のコーダにおける壮大な全奏の響きは聴き応へがある。この曲の首席を占めるべき録音と云へよう。第2番も同様に立派な演奏だが、この曲にはトスカニーニの驚嘆すべき名演があるので、遜色を感じるのは止むを得ない。


シューベルト:交響曲第3番、同第6番
ウィーン・フィル
イシュトヴァーン・ケルテス(cond.)
[DECCA 483 4710]

 ウィーン・フィルとの録音集20枚組。第3番は少々穏当過ぎる嫌ひがあるが、優美なウィーン・フィルの美質を引き出してをり素晴らしい。クライバー親子らのやうな強い個性はないが、完成度が高い名盤なのだ。特に第4楽章の躍動は天晴痛快だ。第6番は爽快かつ流麗な演奏で仕上がりは上々だが、穏当過ぎる嫌ひがあり、全集録音の中では感銘が弱い。特に第2楽章や第3楽章中間部などは薄口で、もう少し侘びた情感が欲しい。軽快な第4楽章の躍動感は見事であり、コーダではグレイト交響曲を確と予感させて呉れる。この曲の録音ではシェルヘン盤が突出してゐる。


シューベルト:交響曲第4番「悲劇的」、同第5番
ウィーン・フィル
イシュトヴァーン・ケルテス(cond.)
[DECCA 483 4710]

 ウィーン・フィルとの録音集20枚組。ウィーン・フィルの美しい響きとケルテスの快活でありながら堂々とした風格のある音楽が見事に融合した名演ばかりで、語り落としてはならない全集録音である。特にハ短調といふ劇的な調性でベートーヴェンを強く意識した第4番は屈指の名演だらう。第2楽章の素朴な歌謡とシューベルトには珍しく凝つたヘミオラのリズムを多用した第3楽章を両立出来る指揮者は少ない。それに、悲劇的といふ名に従ひ刺激的な演奏は多いが、貧血気味の演奏が多い。豊麗さと気品も備へたケルテス盤は最も優れた演奏と云へる。第5番も立派だ。しかし、この華奢な曲はウィーン情緒に溺れたヴァルター盤のことがどうしても忘れられないのだ。


シューベルト:未完成交響曲、「悪魔の別荘」序曲、イタリア風序曲ハ長調、「フィエラブラス」序曲
ウィーン・フィル
イシュトヴァーン・ケルテス(cond.)
[DECCA 483 4710]

 ウィーン・フィルとの録音集20枚組。未完成交響曲は常套的な演奏で個性的な箇所はないが、ヴァイオリンやオーボエの哀愁を帯びた節回しが大変美しい。流石はウィーン・フィルだ。序曲が全て素晴らしい。隠れた名曲である「悪魔の別荘」序曲は充実した名演だ。管楽器だけで奏される中間部―特にトロンボーンの合奏が印象的である。イタリア風序曲は陽気さが全開だ。この曲には鮮烈なマルケヴィッチ盤があつたが、ケルテス盤はその上を行く名演なのだ。シューベルトの完成された最後の歌劇作品である「フィエラブラス」の序曲は魅力的な曲だ。壮麗な響きによる極上の名演だ。


シューベルト:グレイト交響曲
ウィーン・フィル
イシュトヴァーン・ケルテス(cond.)
[DECCA 483 4710]

 ウィーン・フィルとの録音集20枚組。当初、名曲である未完成交響曲とグレイト交響曲、及び3つの序曲が1963年に録音された。その後、1970年になつてから交響曲全曲録音へと発展し、翌年に全集が完成した。最も優れた全集が誕生する契機となつたのはグレイト交響曲の名演があつたからに他ならない。巨匠らの名演に引けを取らない威風堂々たる演奏で、悠然とした歌心、転調における哀感、情熱的な強奏、屈指の名演である。この名曲には名盤が多いのでケルテス盤が埋もれて仕舞ひ勝ちだが、忘れてはならない録音である。最後の音をアクセントではなく、ディミュヌエンドとしてゐるのも面白い。


ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲、レーニン追悼の頌歌
レオニード・コーガン(vn)/スヴィヤトスラフ・クヌシェヴィツキー(vc)/アレクサンドル・ガウク(cond.)、他
アラム・ハチャトゥリアン(cond.)
[SUPRAPHON SU 4100-2]

 チェコの放送局に眠つてゐた貴重な音源をスプラフォンが蔵出しした。ハチャトゥリアンの自作自演2枚組で、1枚目の目玉は矢張りコーガンとのヴァイオリン協奏曲だ。モスクワ放送交響楽団を振つての1959年、プラハでのライヴ録音。この曲でハチャトゥリアンの自作自演と云へば、オイストラフとの録音が有名で決定盤とされるが、豊麗で妖艶なオイストラフに対して、峻烈で鋭敏で野性味満点のコーガンの演奏の方が曲想との親近性がある。線は細いので濃厚な歌ではオイストラフに引けを取るが、勇壮さではコーガンの勝利だ。ハチャトゥリアンの指揮は万全である。名手クヌシェヴィツキーによるチェロ協奏曲はガウク指揮ソヴィエト連邦国立交響楽団の伴奏で、自作自演ではないのだが、演奏は決定盤とも云へる極上の名演だ。恰幅の良い独奏が素晴らしい。珍しい「レーニン追悼の頌歌」は1955年、プラハ放送交響楽団との演奏だ。体制に迎合した作品だが、非常に立派な格調高い名曲だ。自作自演は見事な出来栄えである。(2019.4.27)


ハチャトゥリアン:「仮面舞踏会」組曲、「ガイーヌ」組曲、ピアノ協奏曲、他
アントニン・イェメリーク(p)/チェコ・フィル/プラハ放送交響楽団、他
アラム・ハチャトゥリアン(p&vo&cond.)
[SUPRAPHON SU 4100-2]

 チェコの放送局に眠つてゐた貴重な音源をスプラフォンが蔵出しした。ハチャトゥリアンの自作自演2枚組で、2枚目には自作自演に関心のある方にとり震へが止まらない衝撃の音源を含む。1950年4月27日にプラハで行はれたセッション録音で、まずは「剣の舞」を自らピアノで弾いた録音がある。なかなか達者なピアノで、無造作に弾いてゐるが生命力が抜群で示唆に富む。さて、垂涎の音源は同時に録音された弾き語り2曲「エレヴァンの春」「祝杯」だ。勿論、ハチャトゥリアンは歌手ではない。自作の歌曲を気の趣く侭に地声で素朴に歌つてゐる。しかも、アルメニア語で強い訛りを交へて歌ふ。上手下手を超えたこの誰にも真似の出来ない作曲家の自己表現は言葉に出来ない価値がある。この音源は絶対に入手すべきだ。ハチャトゥリアンが自作を見事に指揮したことは大変有名で、録音が沢山残る。「仮面舞踏会」も「ガイーヌ」も録音があつたが、野性的な良さのあるこのチェコ録音も聴いてをきたい。プラハ放送交響楽団を振つた「仮面舞踏会」の仕上がりが素晴らしく、カルロヴィ・ヴァリ交響楽団を振つた「ガイーヌ」は性能が劣り雑な仕上がりだ。イェメリークの独奏によるピアノ協奏曲は自作自演ではなく、アイロス・クリーマの指揮だ。チェコ・フィルが流石の演奏で、独奏共々実に完成度の高い名演だ。だが、自作自演を聴いた後では精巧さが仇となり、毒気のない詰まらない演奏に聴こえて仕舞ふから困つたものだ。(2018.10.30)


ベートーヴェン:交響曲第5番、同第7番
ウィーン・フィル
カルロス・クライバー(cond.)
[DG 00289 483 5498]

 クライバーのDG録音全集12枚組オリジナル・ジャケット仕様の愛蔵盤―このベートーヴェン2曲はLPでは別々に発売された為、残念乍らジャケット・デザインはCD時代のものだ。登場当時から絶讃されてきた名盤中の名盤だ。ウィーン・フィルの美麗な合奏も一役買つてゐる。繰り返し記号を遵守してゐるのも良い。細部まで仕上がりが整つてをり、録音も優秀で万全だ。だが、私見ではこの録音はクライバーの記録の中で上位に位置するものではない。完璧とも云へる出来だが、感銘がそれほどでもない。若々しく健康的で爽快なクライバーの音楽性が結晶してゐるが、良くも悪くも格好が好いだけの演奏なのだ。心地良く聴き流して仕舞ふ。強く引つ掛かる箇所が思ひ返せない。多少不恰好でも強い拘泥はりと頑固さを印象付けた親父エーリヒの演奏に惹かれる。とは云へ、減点法で申せば、当盤は歴代最上位に置かれる名盤である。(2020.5.15)


ブラームス:交響曲第4番
ウィーン・フィル
カルロス・クライバー(cond.)
[DG 00289 483 5498]

 クライバーのDG録音全集12枚組オリジナル・ジャケット仕様の愛蔵盤。高名な名盤で、クライバーのDG録音中でも1、2を争ふ価値高き出来映えだと思ふ。ウィーン・フィルから情感豊かな音楽を自然に引き出し、飄然として淡く颯爽たる音楽運びで嫌味がない。これはシューリヒトに通じる至藝と云へよう。更にシューリヒトにはない濃厚で沈着するやうな要素も交錯させるので、録音の素晴らしさも総合すると常に最上位に置かれる名盤とされるのも頷ける。父エーリヒはブラームスの交響曲の録音を全く残してをらず、カルロスの意気込みを感じる。一方で、細部の完成度で精度の落ちる箇所が散見される。ムラっ気が強いカルロスの弱点だが、完璧を目指し生気を失ふよりも好ましい。(2020.3.3)


バッハ:2つのヴァイオリンの為の協奏曲、ヴァイオリン協奏曲第2番、協奏曲ニ短調BWV.1052
ヴィヴァルディ:調和の霊感第8番
ダヴィド・オイストラフ(vn)/イーゴリ・オイストラフ(vn)
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団/シュターツカペレ・ベルリン
フランツ・コンヴィチュニー(cond.)
[Corona Cl.collection 0002172CCC]

 名匠コンヴィチュニーの録音集第1巻11枚組。共演機会の多かつたオイストラフとの協奏曲録音だ。1956年から1958年にかけての録音で、オイストラフ絶頂期の記録であり、プラチナ・トーンがこの上なく神々しい。重厚堅固なコンヴィチュニーの伴奏は時代を感じるが、通奏低音を入れてをり、決して浪漫的ではなくドイツ魂を示した一種特別な演奏なのだ。イーゴリとはBWV.1043を何度も録音してゐるが当盤が最高だらう。兎に角巧い。但し、独奏も管弦楽も異常に濃く分厚いので、贅沢さが居心地が悪い。同じくイーゴリとのヴィヴァルディも傾向は同じだが、壮麗さで曲想との齟齬が少なく感銘は上だ。ダヴィドの魅力が全開のBWV.1042は様式を考慮しなければ、最上級の演奏だらう。後年の気の抜けた演奏とは一味違ふ。しかし、理想的な名演かと問はれると躊躇ふ。チェンバロ協奏曲第1番BWV.1052をヴァイオリンで弾いたものはシゲティ以来の名演だ。但し、求心力でシゲティには及ばない。(2021.5.15)


ベートーヴェン:交響曲第1番、同第2番、「プロメテウスの創造物」序曲
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
フランツ・コンヴィチュニー(cond.)
[Corona Cl.collection 0002172CCC]

 名匠コンヴィチュニーの録音を集成した箱物の第1巻11枚組より。高名なベートーヴェン交響曲全集録音だ。ピリオド楽器への指向が浸透した現代においては忘却の一途を辿つてゐるが、かつては伝統保守の牙城として声高に賞讃されてきた名盤である。改めて聴いて、粗探しをする気をなくさせる名演と感じた。重厚な響きが特徴だが、各楽器の輪郭を際立たせるよりも渾然となつた合奏の厚みに良さがある。解剖学的な演奏よりも、楽想を鷲掴みした豪快さの方がベートーヴェンには相応しいといふことか。新鮮さとは無縁で、刺激的な演奏ではない。予定調和の安定感は退屈さと隣り合はせだ。しかし、野暮なのが良いのだ。第1交響曲は堂々としてをり立派だ。第2交響曲では終楽章の燃焼が特に素晴らしい。序曲も名演だ。(2015.10.17)


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、レオノーレ序曲第1番、同第2番
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
フランツ・コンヴィチュニー(cond.)
[Corona Cl.collection 0002172CCC]

 名匠コンヴィチュニーの録音を集成した箱物の第1巻11枚組より。王道の交響曲全集で、繰り返しも遵守、演奏は正攻法で攻めるが、第1楽章が成功してゐない。エロイカは難曲だ。動機が短めなのに楽曲が長く、細部と全体像への気配りがないと空疎になる。尚且つ情熱や闘志がないと詰まらない。コンヴィチュニーの演奏は揺るぎはないが単調、気迫はあるが持続はしないのだ。しかし、楽章を重ねるごとに充実してきて、第4楽章は最上級だ。引き締まつたテンポで畳み掛けるやうに変奏を聴かせる。poco andanteも衒はず颯爽として気高い。オーボエ奏者の素朴で愛くるしい音色は古き良き時代の遺産だ。2つの序曲は堂々たる名演だが、劇的な起伏が少ないコンヴィチュニーの限界を感じさせる演奏でもある。(2020.3.27)


ベートーヴェン:交響曲第4番、同第5番
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
フランツ・コンヴィチュニー(cond.)
[Corona Cl.collection 0002172CCC]

 名匠コンヴィチュニーの録音を集成した箱物の第1巻11枚組より。これぞベートーヴェン、と太鼓判を押せる保守王道の名演だ。これ見よがしの外連味は一切なく、愚鈍とも形容出来る実直な演奏だ。第4交響曲の全体を覆ふ渋い響きは如何ばかりだらう。旋律の誘惑が多い曲だけにベートーヴェンらしさから離れ易いのだが、揺ぎない支柱があるコンヴィチュニーは頑固にベートーヴェンの音を守る。テンポも慌てず効果を狙はない。一歩間違へたら退屈な演奏になるのだが、見事な中庸を行く。突き抜けた特別さはないが、滅多に得られない手応へを感じられる名演だ。第5交響曲も殊更劇的な効果を忌避し、質実剛健、色味の少ない演奏に終始する。浮ついたところがないから真摯そのもの。第4楽章の繰り返しを忠実に遂行してゐるのは録音された時代からすると珍しからう。最後の力強い終結音は地に足が着いてをり、その豪放磊落な趣にはいたく感動する。(2017.6.21)


ベートーヴェン:交響曲第7番、同第8番
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
フランツ・コンヴィチュニー(cond.)
[Corona Cl.collection 0002172CCC]

 名匠コンヴィチュニーの録音を集成した箱物の第1巻11枚組より。最近は話題にならないが、数あるベートーヴェン交響曲録音全集の中でも最右翼にあるのがコンヴィチュニー盤だ。どの曲も伝統的で王道を行く、ベートーヴェンそのものの音がする名演ばかりだ。特に第7番と第8番では雑踏のやうな細かい刻みが特徴的なオーケストレーションを重要視した演奏を実践してをり、理想的な音がするのだ。全集の中でも上出来な番号である。繰り返し指定を遵守してゐるのも録音当時としては珍しく、繰り返しをしても聴き手を退屈させないのだから天晴れだ。コンヴィチュニーはこれ見よがしの外連はなく、煽るやうな表情は付けず、実直に音楽を運ぶ。意外性や憑依的な要素はないが、揺るぎなさは格別だ。(2019.4.18)


メンデルスゾーン:スコットランド交響曲、ヴァイオリン協奏曲
イーゴリ・オイストラフ(vn)
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
フランツ・コンヴィチュニー(cond.)
[Corona Cl.collection 0002322CCC]

 名匠コンヴィチュニーの録音を集成した箱物の第2巻11枚組。7枚目はメンデルスゾーン作品であるが、この1枚は少々特別な価値を持つ。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団はメンデルスゾーン所縁の楽団であるからで、楽団の良さを引き出してゐた楽長コンヴィチュニーの演奏となれば興味深い。スコットランド交響曲の冒頭や第3楽章の古色蒼然とした渋い響きには滅多に聴けない風格があり、楽曲の神髄を極めてゐる。外連の全くない実直そのものの演奏は、効果ばかり狙ふ音楽家からは得られない熟成された味はひがある。しかし、全体的には鈍重で、情動的な興奮がなく、アンサンブルも大雑把で輪郭がぼやけてをり、のっぺりした演奏に感じて仕舞ふ。また同種の演奏にクレンペラーの名盤があるのも苦しい。協奏曲は大オイストラフではなく、息子のイーゴリの演奏だ。艶と線の太さはないが、父と瓜二つの奏法で中々の名演だ。とは云へ、数多あるこの曲の録音の中で特別な価値がある演奏ではない。(2011.12.25)


ブルックナー:交響曲第7番
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
フランツ・コンヴィチュニー(cond.)
[Corona Cl.collection 0002322CCC]

 名匠コンヴィチュニーの録音を集成した箱物の第2巻11枚組。1961年の録音。ブルックナーの生涯で最も成功した作品の初演を担つたのがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団であつた―指揮者はニキシュ。そのオーケストラによる録音は大変な意義があるものだ。コンヴィチュニーはブルックナーを得意とし、主要曲は記録が残る。コンヴィチュニーの他の演奏同様、飛び抜けた個性的な表現は特段見られないといふ恨みはあるが、古風なドイツの幽玄な響きに満たされる王道的な演奏が聴ける。湧き上がるやうな第1楽章は重心の低さが良い。情感が篭る第2楽章、ひたすら無骨な第3楽章も見事だが、特筆すべきは第4楽章で実直で浮ついたところがなく全曲をどしりと締め括る。簡単には真似出来ない伝統の重みを感じる名演なのだ。(2019.8.30)


ベートーヴェン:交響曲第5番、同第8番
ボストン交響楽団
セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.)
[ARTIS AT020]

 40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。第5交響曲は1944年のセッション録音。重要なクーセヴィツキーの遺産だ。冒頭から破滅的な運命の動機が炸裂する。持続する緊迫感、切れば血の吹き出るやうな熱い音、第1楽章の壮大な悲劇は古き良き時代の演奏だ。かうでなければならぬ。安らぎと不安が交錯する第2楽章、相剋から勝利へと進撃する後半楽章までこの偉大な名曲を偉大に演奏した理想的な名演である。トスカニーニ、メンゲルベルク、フルトヴェングラーの残した録音に匹敵する極上の演奏。中でもクーセヴィツキーの演奏は男臭く骨太だ。第8交響曲は1936年のセッション録音で、俊足のテンポに圧縮された絶妙な音響が共存した名演だ。発火するやうなスフォルツァンドが見事で、両端楽章の燃焼は凄まじい。快速で痛快な第2楽章、テンポを落として大らかに歌ふ第3楽章トリオも大変素晴らしい。往時、メンゲルベルクやヴァインガルトナーの名盤と伍した逸品と云へる。(2019.9.29)


ハイドン:交響曲第92番、同第94番、同第102番、同第88番第4楽章
ボストン交響楽団/ロンドン・フィル
セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.)
[ARTIS AT020]

 40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。クーセヴィツキーのハイドンはヴァルターの演奏と共通する端正なロマンティシズムが特徴で、優美なロココ様式と大型編成の立派な響きは良くも悪くも往年の巨匠演奏である。しかし、自らの音楽性を凝縮した精髄でもあり、指揮者の実力が聴けるのだ。最も素晴らしいのは第92番だ。最晩年の1950年8月14日の録音で完成度が高く、音質も極上だ。快速調で表現の幅も広くとつた第1楽章主部から生命力に魅せられる。一転、高貴な浪漫を漂はせる第2楽章、再び前進し跳躍するメヌエット、爽快に駆け抜ける終楽章、緩急明暗強弱が見事であり、この曲の屈指の名演なのだ。驚愕交響曲は1929年の録音で、音が貧しいせいで感銘が一段劣る。表現も温いので特徴が薄い。第102番は1936年の録音。クーセヴィツキーには打つてつけの曲で両端楽章の堂々たる音楽と手抜きなしの熱量は圧巻だ。たゆたふやうな第2楽章の歌も格別で、この曲の代表的名演と云へる。名曲第88番は終楽章だけの録音で、ロンドン・フィルとの1934年の録音である。曲半ばで聴かせる失速と回復は天晴れ。(2020.11.15)


モーツァルト:交響曲第26番、同第29番、同第40番
ボストン交響楽団/ロンドン・フィル
セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.)
[ARTIS AT020]

 40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。モーツァルトは大編成のロマンティックな演奏ではあるが、カデンツを重視した正統派の解釈で、寧ろ戦前の指揮者では最も理解が深い演奏と感じた。第26番変ホ長調を録音すること自体が通好みであらう。華やかな王宮風の音楽である第1楽章や第3楽章も素晴らしいが、しみじみと歌ひ込んだ官能的な第2楽章が素敵だ。1946年の録音で状態も良く、じつくりと鑑賞出来る。名曲第29番は全楽章恐ろしく速い演奏で―特に第1楽章―、個性が際立つた解釈だが、信念が強い演奏なので違和感がない。1937年の録音でボストン交響楽団の脂が乗つた時期の演奏であり、推進力と優美さが融合した名演となつた。第40番のみ1934年のロンドン・フィルとの録音。オーケストラの違ひは然程感じさせず、クーセヴィツキーの統率力を立証する。全体的にはロマンティックな解釈だが、ト短調の表現には相応しく安心して聴ける。特徴的なのは有名な冒頭主題を連綿たる遅めのテンポで始めるが、遅いのは冒頭旋律だけですぐに加速する。再現の度にテンポを落とすのは徹底してをり、拘泥はりを感じる。(2018.6.9)


モーツァルト:交響曲第34番、同第36番、同第39番
ボストン交響楽団
セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.)
[ARTIS AT020]

 40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。時代を感じさせる大編成のモーツァルトだが、艶があり音楽が潤つてをり捨て難い魅力を放つ演奏ばかりだ。1940年のセッション録音である第34番が素晴らしい。祝祭的な雰囲気も抜群で、気品ある歌が美しい。セル盤と並ぶ名盤とひとつとして記憶してをきたい。リンツ交響曲は残念乍ら録音状態が悪く、冒頭から歪みがあり、観賞用には適さない。1946年と録音年は最も新しいのだが、ライヴ録音もしくはエア・チェックの条件が悪かったか、テープに起因する劣化かで音揺れが甚だしい。演奏自体は見事なだけに惜しい。第39番は1943年のライヴ録音で音質は申し分ない。ボストン交響楽団の力量を伝へる燦然たる名演で、特に終楽章の推進力は聴き応へがある。但し、特段印象深さのある程ではない。(2021.5.21)


メンデルスゾーン:イタリア交響曲
シューマン:交響曲第1番
ハリス:交響曲第3番
ボストン交響楽団
セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.)
[ARTIS AT020]

 40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。クーセヴィツキーは幅広いレパートリーを誇つたが、メンデルスゾーンとシューマンは他に録音がなく、得意とした節もないが、仕上がりは期待以上で上出来だ。特にイタリア交響曲は屈指の名演で、知らぬは損である。軽やかで推進力があり、精緻なアンサンブルを実現し、一筆書きのやうな達筆の演奏なのだ。これ以上の演奏は数少ない。戦前の米國ではトスカニーニのニューヨーク・フィル、ストコフスキーのフィラデルフィア管弦楽団と凌ぎを削つた三大巨頭であり、オーケストラ藝術の頂を聴くことが出来る。シューマンも浪漫的で素晴らしい。緩急や陰影の自然さや美しさは見事で理解が深い。ドイツの指揮者と比較すると幾分詩情に欠ける弱みがあるが、完成度は高い。さて、議論の余地なく良いのは、1939年に作曲、クーセヴィツキーにより初演され、同年録音されたロイ・ハリスの交響曲第3番だ。単一楽章の作品だが5つの部分に分けられる作品で、シベリウスの第7番と様式は近い。荘重でもあり叙情的でもあり、アメリカの要素もある。完全に咀嚼した比類なき極上の名演。(2018.5.6)


ブルックナー:交響曲第8番
ボストン交響楽団
セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.)
[ARTIS AT020]

 40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。この箱物で最も目を引くのがブルックナーの第8交響曲だらう。かつてAs discから発売されて話題になつた世紀の珍演奏だ。1947年12月30日のライヴ録音で、ブルックナーの受容が進んでゐなかつた米國でクーセヴィツキーが紹介の為に、大胆なカットを施した演奏である。何と全曲で50分強。第1楽章と第2楽章はほぼ楽譜通り。凄まじい快速テンポで、リズムも厳しめに取り、輪郭がくっきりしてゐる。極めて男性的な剛腕の演奏だ。特に第2楽章の推進力が凄く、なかなか聴かせる。第3楽章は16分で相当短い。浪漫的に歌つてをり、演奏自体は悪くない。さて、最大の問題は第4楽章で11分と意味不明なほど短い。ブルックナー休止の度にカットで先に飛び、半分程度しか演奏してゐない。第4楽章の冒頭では金管楽器の不調もあり、不満が残る。下手物だが、クーセヴィツキーに悪気はない。(2018.9.24)


シベリウス:交響曲第2番、同第5番
ボストン交響楽団
セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.)
[ARTIS AT020]

 40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。クーセヴィツキーはシベリウスを得意とした。カヤヌスら本場の指揮者と並んで積極的にシベリウスの録音を敢行したのはクーセヴィツキーである。当時は評判も上々だつたと思はれるが、シベリウスの需要が変容するにつれて浪漫的なクーセヴィツキーの演奏様式は見向きもされなくなつた。ロシア的な解釈で、大きな構へ、重厚な音色、憂鬱な歌、悠然たる運びが特徴なのだが、繰り返し取り上げ咀嚼し切つた自信と発見が聴ける稀代の名演である。孤高のシベリウスの世界を求める向きには怪しからん過去の遺物かも知れぬが、他の巨匠指揮者らの中途半端な演奏から受ける違和感がない。第2交響曲は気宇壮大で英雄的な詩情が素晴らしい。重さは感じず、呑み込まれるやうな激流が押し寄せる名演だ。第5交響曲は精緻さも兼ね備へてをり、豪放磊落なだけではないクーセヴィツキーの良さが知れる。説得力がある理解の深い演奏なのだ。(2018.4.21)


シベリウス:交響曲第2番
グリーグ:過ぎし春
シューベルト:未完成交響曲
ボストン交響楽団
セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.)
[ARTIS AT020]

 40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。クーセヴィツキーは1951年に大往生した。シベリウスとグリーグは1950年11月29日、RCAヴィクターへの録音で、クーセヴィツキー生涯最後の録音である。正しく白鳥の歌、総決算とも云へる記録なのだ。クーセヴィツキーはシベリウスを得意とし、第2交響曲は1935年にも録音を残してをり、大変立派な名演であつた。しかし、この再録音は比べ物にならないほど素晴らしい。音質も格段に良いが、壮大な構へ、渾身の歌、英雄的な情感、聴く者を圧倒する迫真の名演。シベリウスの正統的な解釈云々などだうでもよくなり、怒涛の音楽に流され、かうも偉大な曲であつたかと、感動的なひとときに誘つて呉れる。五月蝿いことを云はなければ、音楽としては最高の演奏である。グリーグ「2つの悲しき旋律」より「過ぎし春」もまた胸が熱くなる極上の名演だ。最後の録音で衰へぬ音楽への情熱を示したクーセヴィツキーに敬服だ。シューベルトは1936年の録音で雄渾な名演だが、個性は弱く然程価値はない。(2019.6.10)


ベートーヴェン:交響曲第3番、「エグモント」序曲、ミサ・ソレムニス
ボストン交響楽団、他
セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.)
[ARTIS AT020]

 40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。エロイカは1934年の録音。後年にも再録音があるが、演奏自体はこちらの方が僅かに優れてゐる。但し、録音が古いので全体的に感銘は今ひとつだ。演奏はクーセヴィツキーらしい雄渾で熱の入つた浪漫的な音楽が楽しめる。問題は第4楽章で、冒頭から非常にゆつたりとしたテンポで、中盤も急くことなく、前3楽章の気迫はどこへやら、だうにも退屈な演奏なのだ。最後が締らず、推薦出来ない。さて、1947年4月2日に録音された「エグモント」序曲が素晴らしい。音質も良く、大編成での重厚な演奏が迫り来る。悲劇的感情を盛り上げ、壮大な音楽に呑み込まれる。大曲ミサ・ソレムニスは1938年の録音。独唱はヴリーランド、カスカス、プリーヴ、コードンで魅力を感じない。合唱は健闘してゐるが水準程度だらう。クーセヴィツキーの真摯な演奏だが、グローリアが想定外に遅めで求心力を欠く。また、アニュス・デイ後半も足取りが重く、従つて全曲を通じてだらりと緩い。深みのある表現が聴けるだけに、減り張りがないのが痛恨だ。これもお薦めし難い内容だ。(2020.2.23)


モーツァルト:交響曲第39番、同第40番、同第41番「ジュピター」
ロンドン交響楽団/イスラエル・フィル
ヨーゼフ・クリップス(cond.)
[DECCA 473 122-2]

 これら三大交響曲の演奏は、優美でおつとりした歌が特徴であり、ブルーノ・ヴァルターやベームの指揮したモーツァルトの録音を愛する人には推薦出来る。急がず騒がず平穏安泰な演奏であるが、クリップスだけの個性も彼処に聴ける。レガート奏法を多用してをり、特にアウフタクトでアクセントを伴はないテヌートを指示するところは好き嫌ひが分かれるだらう。昨今の古楽器楽団による演奏を聴き慣れた耳にとつては、平板なリズムが退屈で、古めかしい演奏に聴こえるのは確かである。(2004.12.19)


ブラームス:交響曲第4番
ドヴォジャーク:チェロ協奏曲
ザラ・ネルソヴァ(vc)
ロンドン交響楽団
ヨーゼフ・クリップス(cond.)
[DECCA 473 124-2]

 ブラームスの交響曲は、オーケストラが立派でよく鳴つてをり、アンサンブルは上等で隙がなく、誠実で美しい演奏である。しかし、魅力に乏しく水準程度の演奏であると云はざるを得ない。まろやかで当り障りのない演奏あることが最大の原因であらう。名曲だけに懐に一歩踏み込んだ告白が聴きたい。ドヴォジャークの協奏曲にも同様のことが云へ、音楽が停滞してゐる箇所も散見される。ネルソヴァの独奏は見事だが、一頭抜きん出た魔性を秘めてゐるとは思へない。(2007.8.26)


モーツァルト:交響曲第31番「パリ」
シューベルト:未完成交響曲
シューマン:交響曲第4番
ロンドン交響楽団
ヨーゼフ・クリップス(cond.)
[DECCA 473 124-2]

 モーツァルトの交響曲が抜群に素晴らしい演奏。往時によく見受けられた豊麗で上品なロココ調のモーツァルトであるが、音が躍動してをり、颯爽とした印象が好ましい。第1楽章ではクリップスの端正な美質を堪能出来る。終楽章中間部のフガートも流麗で、縦の構造よりも横の歌が勝つてゐる。シューベルトとシューマンは薄口の演奏で物足りない。特に、未完成交響曲における第2楽章中間部の歌が余所事のやうで閉口した。この天国的な旋律に呑まれてしまうほどの浪漫的な演奏をしてくれないと困る。(2004.9.19)


チャイコフスキー:交響曲第5番
シュトラウス:「サロメ」より
ベートーヴェン:「ああ不実なる者よ」
インゲ・ボルク(S)
ウィーン・フィル
ヨーゼフ・クリップス(cond.)
[DECCA 473 125-2]

 チャイコフスキーはクリップスの最もよく知られた名演であり、ウィーン・フィルの上品で芳醇な響きを堪能出来る。雅なオーボエやホルン、甘く豊かな弦楽器群、節度ある金管・打楽器。これはウィーンのチャイコフスキーだ、と難癖を付けるのは意地が悪い。これだけ上等な演奏はさうはあるまい。全体的に豊麗で平穏な印象だが、終楽章の半ばでアジタート気味の表情を見せるのが愉快だ。抱合はせの2曲は、サロメとエレクトラでは随一の歌唱を聴かせたボルクの貴重な録音。緊張感を醸し出す暗めの声が、劇的な曲想に相応しい。「サロメ」はライナーとの録音がある為幾分遜色があるが、ベートーヴェンが格調高い名唱として価値がある。(2004.8.12)


ハイドン:交響曲第94番、同第99番
メンデルスゾーン:イタリア交響曲
ウィーン・フィル/ロンドン交響楽団
ヨーゼフ・クリップス(cond.)
[DECCA 473 126-2]

 クリップスは通好みの指揮者と云へるが、ウィーン・フィルと録音した2曲のハイドンは世評遍く知れ渡る名演である。第94番「驚愕」は名曲だけに、他の指揮者の名演が揃ひ踏みしてゐるが、第99番となるとクリップスの独擅場だ。ウィーン・フィルから流麗で爽快な音を引き出し、愉悦に充ちたハイドンを聴かせてくれる。第1楽章では目まぐるしく変化する長調と短調が手際良く捌かれ、ハイドンの企んだ仕掛けを堪能出来る。ロンドン交響楽団とのメンデルスゾーンは同傾向の名演であるが、長く記憶に刻まれる類ひのものではない。(2004.7.17)


レハール:金と銀、ルクセンブルク伯爵、エヴァ、ジプシーの恋、メリー・ウィドウ、ウィーンの女たち、微笑みの國
チューリヒ・トーンハレ管弦楽団/ウィーン・フィル
フランツ・レハール(cond.)
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9721]

 レハールには複数の自作自演録音が残るが、これはデッカ・レーベルに1947年6月17日から25日にかけてチューリヒにて録音されたレハール生涯最後の録音である―翌年1948年10月にレハールは没する。演目はワルツ「金と銀」、「メリー・ウィドウ」「微笑みの國」「ジプシーの恋」「ウィーンの女たち」を自ら編曲したハイライト管弦楽曲、「ルクセンブルク伯爵」よりワルツとバレエ間奏曲、「エヴァ」よりワルツ・アリアと『それはただの幸福の夢』だ。レハールは指揮者としても有能で、理想的な自作の解釈を披露して呉れた。スイスのオーケストラからウィーン・オペレッタの精髄を引き出してゐる。きらびやかで情感豊かな表現による決定的名演の連続だ。「金と銀」はバルビローリやケンペらの絢爛たる官能的な表現こそないが、上品でしみじみした歌ひ回しの巧さに思はず唸つて仕舞ふ。潤ひのあるデッカの優秀録音も一役買つてゐる。余白にエレクトローラ・レーベルへの1940年録音でウィーン・フィルとの「メリー・ウィドウ」ハイライトが収録されてゐる。半分に短縮しての演奏だ。録音のせいもあるが、意外にもチューリヒ盤の方が色気で勝る。(2017.3.3)


ヘンデル:水上の音楽、王宮の花火の音楽
ベルリン・フィル
フリッツ・レーマン(cond.)
[ARCHIV 457 758-2]

 1951年から1952年にかけての録音。1947年にアルヒーフ・レーベルが設立された当初、中心的な指揮者のひとりがレーマンであつた。バッハの録音が知られるが、このヘンデルも重要な遺産だ。それ迄ハミルトン・ハーティ編曲版で人口に膾炙してゐた水上の音楽だが、後に主流となるグリュザンダー版での演奏はこのレーマン盤が最初だらう。使用楽譜だけではない、19世紀ロマン主義音楽観の影響下からの脱却を計り、古楽復興の先鞭を付けた録音として高く評価出来る。フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルを振り、黒光りのする重厚な響きを特徴とし乍らも、凭れることなく壮麗で絢爛たるヘンデルの音響世界を颯爽と創出した手腕は唯事ではない。モダン楽器による現代奏法ではあるが、今日の耳で聴いても古めかしく感じないどころか、学究的な演奏が陥る色気の無さからも遠く、生気に溢れた音楽を聴かせるのは絶妙この上ない。王宮の花火の音楽の序曲に聴かれる覇気漲る威光も最高。(2013.11.19)


サティ:貧者のミサ、ソクラテス、他
フランシス・プーランク(p)
マリリン・メイソン(org)/デイヴィッド・ランドルフ(cond.)、他
パリ・フィルハーモニー管弦楽団
ルネ・レイボヴィッツ(cond.)
[CHERRY RED RECORDS ACMEM130CD]

 1950年代前半に行はれたサティの先駆的な録音集。まず、最初にプーランクによるピアノ作品集13曲分が収録されてゐる。これは1950年の米コロムビアへの録音で、既に仏ACCORDから復刻が出てをり別項で述べたので割愛する。当盤の目当ては米國のEsotericといふレーベルが録音した貧者のミサとソクラテスの復刻で、あらゆる点で稀少価値がある1枚と云へる。貧者のミサは1951年の録音で、ランドルフ指揮、メイソンのオルガンによる演奏だ。合唱よりもオルガンが主役の楽曲である。中世的な趣が強く、サティらしさやフランスのエスプリは影を潜めてゐるのが面白い。交響的ドラマと銘打たれたソクラテスは鬼才レイボヴィッツによる1952年の世界初録音だ。サティ最大の大作に取り組んだ記念碑的な録音であり、愛好家は看過出来ない。(2022.3.27)


ラヴェル:スペイン狂詩曲、亡き王女の為のパヴァーヌ、ラ・ヴァルス、道化師の朝の歌、ボレロ
シェーンベルク:「グレの歌」より2曲
ルネ・レイボヴィッツ(cond.)、他
[PREISER RECORDS 90601]

 ラヴェルは1952年にパリ放送交響管弦楽団を指揮したVoxへの録音。作曲家としても有能だつたレイボヴィッツは管弦楽法をラヴェルに師事してをり、作品の再現者としては実に相応しい。魔術師と呼ばれた師への敬意を存分に感じる録音だ。最も素晴らしいのはラ・ヴァルスで、頽廃的で奇怪な踊りを嬉々として演奏してゐる。細部まで抉りが深く見事だ。スペイン狂詩曲も妖艶さがあり、聴き応へがある。だが、この2曲以外は然程感銘を受けない。道化師の朝の歌は特に生気を欠き散漫だ。ボレロはオーケストの技量が至らず平凡な演奏だ。パヴァーヌは丁寧だが、特記すべき美点はない。余白に収録されたシェーンベルクは1953年にパリ新交響楽協会管弦楽団を指揮したコンサート・ホールへの録音だが、全曲録音からの抜き出しなのここでは割愛しよう。ラヴェルの数倍も素晴らしい出来栄えだ。(2018.2.15)


ベートーヴェン:交響曲第1番、同第2番、「レオノーレ」序曲第3番
ロイヤル・フィル
ルネ・レイボヴィッツ(cond.)
[SCRIBENDUM SC041]

 1961年にリーダーズ・ダイジェストなる会員頒布方式のレーベルに録音されたベートーヴェン交響曲全集の隠れた名盤。俊足のテンポで押し通すが雑にならず、因習から解き放たれた明晰さを全9曲で徹頭徹尾貫いた稀代の名演の連続で、録音状態が良く、忌憚なく云へば最高の全集盤だ。第1番は爽快極まりなく、あらゆる声部を鮮明に聴かせた名演で、全9曲中でも最上の出来と云へる。躍動と刺激が途切れることがない。第2番は予てより名盤と誉れ高い。アンサンブルの難曲を巧みな手綱で引き締め、澱みなく邁進する極上の名演。細部の仕上がりも見事だ。ベートーヴェンが盛り込んだ夥しいスフォルツァンドも電光のやうな閃きで捌いて行く。トスカニーニの1939年のツィクルス・ライヴの覇気には及ばないが、音質を考慮してレイボヴィッツ盤を並べて讃へたい。序曲は如何なる訳か凡庸な演奏で、些とも面白くない。(2008.11.10)


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、同第4番
ロイヤル・フィル
ルネ・レイボヴィッツ(cond.)
[SCRIBENDUM SC041]

 1961年にリーダーズ・ダイジェストなる会員頒布方式のレーベルに録音されたベートーヴェン交響曲全集の隠れた名盤。兎に角テンポが速めで、現代の古楽器による演奏様式を先取りした驚異の演奏である。エロイカ交響曲は今もつて刺激的な演奏だ。戦前の巨匠神話が健在であつた時代は、この曲の偉大さを表出することで鎬を削つたが、近年は作曲当時の演奏様式に則つたと称する皮相で軽薄な演奏ばかりが増えた。レイボヴィッツ盤は似て非なる演奏で、自己の信念で新しい音楽を創造しようとする気概が凄まじく、音楽の歴史に革命を起こした交響曲に相応しい。特に3拍子と2拍子が拮抗しながら燃焼する第3楽章は秀逸だ。第4番も爽快この上ない。第1楽章序奏から抜けた主部の若々しい前進性、第3楽章の躍動するヘミオラ、超特急で驀進する第4楽章。しかも全体の勢ひだけでなく、細部の動きをも際立たせた名演なのだ。第2楽章が淡白なのが惜しい。(2008.12.17)


ベートーヴェン:交響曲第5番、同第6番「田園」
ロイヤル・フィル
ルネ・レイボヴィッツ(cond.)
[SCRIBENDUM SC041]

 1961年にリーダーズ・ダイジェストなる会員頒布方式のレーベルに録音されたベートーヴェン交響曲全集の隠れた名盤。きりりと引き締まつたテンポ、鋭いアーティキュレーション、全声部を偏重なく鳴らすレイボヴィッツの刺激的なベートーヴェン解釈は中期傑作の森の名曲でも遺憾なく発揮されてゐる。しかし、如何なる訳か他の番号の曲ほど面白くない。レイボヴィッツの演奏は因習を脱却し、総譜から読み取れる音楽を純粋に、しかも十二音音楽を経験した現代的な感覚で再構築したものなのだが、恐らくこの2つの交響曲が単純な動機を繰り返して積み上げて行く曲だから、逆に音符の背後にある色彩や内面の緊張などが肝要なのだ。感情や心象を投影することを音楽に求めたベートーヴェンの音楽の方が偉大であつたといふことか。(2009.12.5)


ベートーヴェン:交響曲第7番、同第8番、トルコ行進曲、「エグモント」序曲
ロイヤル・フィル
ルネ・レイボヴィッツ(cond.)
[SCRIBENDUM SC041]

 1961年にリーダーズ・ダイジェストなる会員頒布方式のレーベルに録音されたベートーヴェン交響曲全集の隠れた名盤。第7番は切れ味が強く、爽快感溢れる演奏だが、独自の解釈を発揮しにくい曲でもあり、至つて普通の演奏に聴こえる。快速調の演奏になるとだうしてもリズムの強調に終始して仕舞ふのだ。第8番の方が良い。爽快感は同様だが、凝縮された瞬発力が見事で、一陣の風が吹き荒れる。トルコ行進曲が滅法楽しい。音響効果が抜群であり、頂点に向けて賑やかな隊列が迫り来る。エグモントは粘りの少ない推進力に充ちたレイボヴィッツの特色が出た演奏。きりりと引き締まつてをり闘争心が溢れてゐるが、悲劇性が後退し大して感銘が残らない。(2018.11.18)


ベートーヴェン:交響曲第9番
インゲ・ボルク(S)/リチャード・ルイス(T)/ルートヴィヒ・ヴェーバー(Bs)、他
ビーチャム合唱協会/ロイヤル・フィル
ルネ・レイボヴィッツ(cond.)
[SCRIBENDUM SC041]

 1961年にリーダーズ・ダイジェストなる会員頒布方式のレーベルに録音されたベートーヴェン交響曲全集の隠れた名盤。第9交響曲も刺激的な演奏だ。ベートーヴェンのメトロノーム記号を遵守する試みを初めて断行したレイボヴィッツの演奏は、現代の古楽器団体と指揮者が行ふ演奏の全てを先取りしてをり、特に12分半で駆け抜ける第3楽章は今日でも最速の演奏のひとつだ。第2楽章のトリオや第4楽章冒頭のレチタティーヴォも容赦なく快速調だ。第1楽章再現部の爆発も凄まじい。全9曲の中でも特にレイボヴィッツの良い面が出た演奏だ。歌手はボルク、ジーヴェルト、ルイス、ヴェーバーと重量級を揃へてゐる。先陣を切るヴェーバーはやや時代がかつた歌唱で感興を殺ぐが、女性陣が加はると音楽が発火する。独唱陣ではボルクが図抜けて良い出来だ。また、合唱団の燃焼は圧巻で終盤は呑み込まれて仕舞ふ。余白や間合ひのない演奏には好き嫌ひが分かれるだらうが、全く古びることのない慧眼に充ちた演奏である。(2014.5.1)


ムソルグスキー:禿げ山の一夜、展覧会の絵
ロイヤル・フィル
ルネ・レイボヴィッツ(cond.)
[Analogue Productions CAPC 2659 SA]

 奇才レイボヴィッツの代表的な録音で優秀録音でも知られる1枚だ。特に禿げ山の一夜は大胆な編曲で下手物好きには堪へられない魅惑を備へてゐる。冒頭の明滅する瞬発的なクレッシェンドとディミュヌエンドからして通常の演奏と異なることが察知出来るが、小太鼓、シロフォン、ウインドマシーンなどを動員して奇々怪々な百鬼夜行を描写する様は実に痛快だ。レイボヴィッツ盤の最大の特徴はリムスキー=コルサコフ編曲版に凡そ準拠してゐると思ひきや、夜明けの悪霊退散では終らず、不気味な末法感を刻印して後味悪く終ることだ。原典版が認知された昨今では改変の刺激も薄れ、演奏におけるグロテスクな表現ではストコフスキー盤が一頭抜きん出てゐるとは云へ、色彩的かつ猟奇的な面白みで広くお薦めしたい録音だ。展覧会の絵は幾つかの効果音の追加はあるが、基本的にはラヴェルの編曲に沿つてゐる。禿げ山の一夜の印象が強烈なので、レイボヴィッツによる独自の編曲を期待すると肩透かしを食らう。だが、演奏は描き分けが克明で大変素晴らしい。管楽器独奏も名手が揃つてをり見事だ。寧ろ正攻法の名演と云へる。(2013.6.14)


モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」
シューベルト:グレイト交響曲
ロイヤル・フィル
ルネ・レイボヴィッツ(cond.)
[SCRIBENDUM SC510]

 奇才レイボヴィッツのリーダーズ・ダイジェスト録音集13枚組。米Cheskyから復刻があつたが、入手困難だつたので愛好家は狂喜乱舞したであらう。ふたりの早世した作曲家が最後に書いた交響曲、それも明晰なハ長調で書かれた交響曲がひとつに収まつた1枚だ。現代音楽の旗手が分析的な指揮で明朗快活に演奏をし、快速調のテンポ、淀みない音響、整つたアンサンブルで貫かれてゐる。ジュピター交響曲はシューリヒトを想起させる颯爽とした演奏だが、時にたゆたふシューリヒトとは一線を画す理知的な演奏だ。浮遊感のある第1楽章、疾走する第3楽章も素晴らしいが、薄手の室内楽的な響きで透徹した音楽を奏でた第4楽章が良い。グレイト交響曲も室内楽的な演奏を追求してをり、録音された時代を考へれば前衛的な演奏だ。浪漫の発露とは無縁で、歌謡性の面では物足りない箇所もあるが、全ての声部が鮮明に聴こえ、シューベルトが願つた音楽が再現されてゐる。2曲とも隠れた名演だ。(2016.6.13)


小品集
ロンドン新交響楽団/ RCAイタリア管弦楽団/ローマ・フィルハーモニー管弦楽団
ルネ・レイボヴィッツ(cond.)
[SCRIBENDUM SC510]

 奇才レイボヴィッツのリーダーズ・ダイジェスト録音集13枚組。小品録音は商業的な建前とレイボヴィッツの野心が拮抗してをり聴いてゐて戸惑ふ。シェーンベルクやヴェーベルンの薫陶を受けたレイボヴィッツが通俗名曲を嬉々として録音する筈もなく、以下、玉石混淆の録音たちを分類して述べる。まず、自ら編曲をし魅力を伝へようとした演奏が面目躍如で、ディニーク「ホラ・スタッカート」、グノー「アヴェ・マリア」は聴き応へがある。特にディニークは必聴だ。次いで、意外な選曲だが思ひ入れがあるのか琴線に触れる名演、ゲーゼ「タンゴ・ジェラシー」、グリーグ「ソルヴェイグの歌」に注目。ゲーゼは全演目中の白眉だ。そして、レイボヴィッツの真価が遺憾無く発揮されたのが、当盤唯一の大曲、イベール「寄港地」、それから、シャブリエ「楽しき行進曲」、マイアベーア「預言者」戴冠式行進曲、ファリャ「恋は魔術師」火祭りの踊り、ドリーブ「泉」間奏曲だ。とは云へ、どれも突き抜けた良さはない。最後に、一般的な人気があるからだらうが商業的な録音をしたに過ぎないと思はれる不出来な演奏、サリヴァン「軍艦ピナフォア」序曲、ワルトトイフェル「スケートをする人々」、リムスキー=コルサコフ「熊ん蜂の飛行」、ボッケリーニ「メヌエット」で、だうにも気の抜けた演奏であつた。(2019.10.18)


メシアン:トゥーランガリーラ交響曲
イヴォンヌ・ロリオ(p)/ジャンヌ・ロリオ(oM)
フランス国立放送管弦楽団
モーリス・ルルー(cond.)
[ACCORD 465 802-2]

 1961年にメシアン監修の下で行はれたトゥーランガリーラ交響曲の記念碑的な初セッション録音。20世紀を代表する交響曲だけに優秀な最新録音で聴きたい曲ではあるが、メシアンの薫陶を受けた精鋭で固められた初録音を凌駕する演奏が少ないのも事実である。ピアノがメシアンの奥方にして伝道師イヴォンヌ・ロリオ、その妹でオンド=マルトノの伝説的な名手ジャンヌ・ロリオの組み合はせは絶対的だ。そして、前衛音楽の旗手であるルルーの指揮も天晴だ。当盤よりも部分的に優れた録音はある。特に音響では当盤は分が悪いし、表現も中庸で大人しい。だが、新境地を切り開くべくこの録音に懸けた意気込みは唯事ではない。異教的な愛と死の音楽が閃光の如く明滅する。(2009.8.11)


ロッシーニ:序曲集(6曲)
メンデルスゾーン:イタリア交響曲
フランス国立管弦楽団
イーゴル・マルケヴィッチ(cond.)
[EMI/ERATO 0825646154937]

 マルケヴィッチのEMI系列の全録音を集成した18枚組。ロッシーニは「セビーリャの理髪師」「絹のはしご」「ギョーム・テル」「泥棒かささぎ」「アルジェのイタリア女」「チェネレントラ」の6曲で、切れ味のある爽快な名演揃ひだ。軽さや明るさを追求した演奏ではなく、管弦楽曲としての手応へを聴かせた演奏なのだが、軽さと明るさを兼ね備へてゐるから全くもつて死角がない極上の演奏なのだ。特に「セビーリャの理髪師」「ギョーム・テル」「チェネレントラ」の3曲は鳴りが立派で、聴き手を奮ひ立たせる昂揚感もあつて素晴らしい。残りの3曲は幾分優美さに欠けて感銘が劣る。メンデルスゾーンも良い。颯爽として凛々しいマルケヴィッチの美質が存分に発揮された名演だ。惜しむらくは1955年のモノーラル録音の為に広がりに欠けるのと、復刻のせいなのか、存在感が乏しい。後年に日本フィルとの名盤があり、比べると当盤の演奏はかなり感銘が弱い。(2018.4.12)


ハイドン:交響曲第101番、同第102番
シューベルト:未完成交響曲
フランス国立管弦楽団
イーゴル・マルケヴィッチ(cond.)
[EMI/ERATO 0825646154937]

 マルケヴィッチのEMI系列の全録音を集成した18枚組。1955年の録音だ。ハイドンでは時計交響曲が切れ味鋭く極上の仕上がりである。躍動感が素晴らしく、強弱の差も鮮やかだ。一本調子になり易い第2楽章の絶妙な見通しは天晴れで、構へ過ぎないのが良い。全体的に洒脱で小粋な表現が決まつてゐる。第102番はやや感銘が落ちる。この曲も瀟洒な解釈で上品な仕上がりだが、ハイドンの交響曲の中でも雄大な広がりを感じさせる曲だけに小ぢんまり纏まつた恨みがある。シューベルトが期待以上の名演であつた。特別なことはしてゐないのだが、深刻な演奏で、救済のない絶望的な音楽を感じさせるのだ。表現は抑制され、響きは内面へと向かふ。マルケヴィッチ特有の鋭い感覚で甘さを持ち込まず、辛口に仕上げた秘匿の名演。(2019.8.26)


モーツァルト:バソン協奏曲
ハイドン:協奏交響曲
チマローザ:2つのフルートの為の協奏曲
シューベルト:交響曲第3番
モーリス・アラール(fg)/オーレル・ニコレ(fl)、他
コンセール・ラムルー/ベルリン・フィル
イーゴル・マルケヴィッチ(cond.)
[DG 484 1659]

 DG録音集21枚組。寄せ集めの編集だが、破格の名演揃ひだ。モーツァルトのファゴット協奏曲をバソンで楽しむのは邪道かも知れぬが、色気のある高音が甘く艶やかに鳴る誘惑には抗し難い。発音の機動性で一歩譲るし愛らしさに欠けるが、バソンの音色には明るく雅、かつ婀な趣があり、epicureanな演奏に暫し酔ひ痴れることが出来る。コンセール・ラムルーの伴奏にもフランス流儀の音楽が充溢してゐる。名手アラールによる録音は他のファゴット奏者らの録音に冠絶する決定的名演。ハイドンはコンセール・ラムルーの首席奏者らの瀟洒な演奏が見事。管弦楽の伴奏も色気があるフランス風の名演でドラティ盤と双璧を成す完成度なのだ。見落とされてゐる方も多いだらう。チマローザはニコレとデムラーによる決定的名盤。独奏が最高なのは勿論だが、マルケヴィッチの棒とベルリン・フィルの伴奏が決まつてゐるのだ。冒頭から愉悦が溢れ出してをり、小躍りしたくなる。シューベルトはベルリン・フィルの圧倒的な実力が冴える。黒光りする重厚な音色と、高貴で格調高きフレージングを引き出し、一際次元の高い名演を成し遂げた。生命力を迸らせた両端楽章は随一の名演だ。第2楽章や第3楽章トリオの情感溢れる表現も絶品。(2023.5.27)


モーツァルト:交響曲第34番、同第38番、同第35番
グルック(ガル編曲):シンフォニア
ベルリン・フィル/コンセール・ラムルー
イーゴリ・マルケヴィチ(cond.)
[DG 484 1659]

 DG録音集21枚組。第34番と第38番は1954年の録音でベルリン・フィルを指揮、第35番は1957年の録音でコンセール・ラムルーとの演奏だ。この中では第34番が図抜けた名演だ。冒頭からベルリン・フィルの圧倒的な合奏力で聴き手を打ちのめす。しかし、重さや暗さは皆無で、俊足で馬力のある音楽が一気呵成に流れる。セルやシューリヒトの名盤があつたが、マルケヴィチ盤は上回る極上の名演だ。メヌエットを加へた4楽章制での録音は珍しいだらう。プラハ交響曲も同様の名演だ。軽快なリズム処理、明暗の絶妙な変化、理想的な演奏で屈指の名演なのだ。魔法のやうなシューリヒト盤には及ばないが完成度は尋常なく高い。これらベルリン・フィルに比べるとコンセール・ラムルーとのハフナー交響曲は俄然魅力を感じなくなる。悪い演奏ではない。マルケヴィチの魅惑の棒に見事に付けるが、隙間があり、ときめかない。グルックのト長調のシンフォニアは1958年、コンセール・ラムルーとの録音。急緩急の3楽章で7分に満たない曲だが、華麗で愉悦に充ちてをり洒落てゐる。


ベートーヴェン:「エグモント」序曲、「レオノーレ」序曲第3番、「フィデリオ」序曲、序曲「コリオラン」、序曲「命名祝日」、序曲「献堂式」
ラムルー管弦楽団
イーゴリ・マルケヴィッチ(cond.)
[DG 484 1659]

 DG録音集21枚組。1958年録音のベートーヴェンの序曲集。マルケヴィッチはベートーヴェンの交響曲もラムルー管弦楽団と5曲録音してゐるが、明るい派手目の音色でフランス流儀を押し切り清々しい名演揃ひであつた。序曲集でも鋭い切れ味があり、燃え盛る情熱を滾らせた演奏で、ベートーヴェンの理想的な音を追求した名演揃ひだ。最も成功してゐるのはコリオランだらう。密度の高い渾身のTutti、緊張感を高めるテンポ設定、強弱の劇的な対比、これぞベートーヴェンで凡百の生温い演奏とは一線を画す。次いでエグモントが素晴らしい。遅めのテンポで重厚な演出をする。容易に出来る藝当ではない。レオノーレ第3番も熱量のある名演で冒頭の鋭い響きは鮮烈だ。躍動感あるフィデリオ、祝祭的な献堂式も見事。録音が極端に少ない命名祝日は重宝されるだらう。引き締まつた響きの理想的な演奏と云へる。(2017.2.7)


ベルリオーズ:幻想交響曲
ゲルビーニ:「アナクレオン」序曲
オーベール:「ポルティチの娘(マサニエッロ)」序曲
コンセール・ラムルー
イーゴリ・マルケヴィチ(cond.)
[DG 484 1659]

 DG録音集21枚組。1961年録音。幻想交響曲は名盤として高名だ。鬼才マルケヴィチの趣向を凝らした棒も素晴らしいのだが、この演奏の特徴は偏にコンセール・ラムルーが培つた伝統的なベルリオーズ演奏を存分に発揮した点にある。名門私設オーケストラがフランスの音色を刻印する。輝かしく色彩豊かでフランス固有の楽器の魅力もあり、純度の高い演奏なのだ。特に第2楽章の典雅な響きは惚れ惚れとする美しさだ。第3楽章も情景が豊かに展開する雄弁この上ない名演。一方で、瞬発的な極彩色をもつて聴く者を魅惑するものの、全体的な合奏では熱狂はある一線で止まり、醒めた印象が残る。抱き合はせのケルビーニとオーベールがより素晴らしい。ケルビーニは湧き上がる躍動感が見事。オーベールの振り切れた清々しい演奏は爽快この上ない。パレー盤と並ぶ決定的名演だ。


ベルワルド:交響曲第3番「風変はりな交響曲」、同第4番
シューベルト:交響曲第4番
ベルリン・フィル
イーゴル・マルケヴィッチ(cond.)
[DG 484 1659]

 DG録音集21枚組。19世紀スウェーデンの作曲家ベルワルドは玄人好みの作曲家だ。生前は全く評価されなかつたが、北欧の作曲家が活躍し出した19世紀末になつて独創性と先駆性が注目されるやうになつた。現在でも作品を聴く機会は少ないが、なかなか魅力的な交響曲がある。大胆なリズムで躍動するサンギュリエール交響曲の第3楽章が鮮烈だ。ナイーヴと当初は標題を付けられてゐた第4番終楽章の明るい昂揚も印象的だ。全般的に穏やかな抒情が美しく、北欧の作曲家に共通する爽やかな雰囲気が良い。ドイツの作曲家のやうな構築性を持たないが、奇想的なリズムと旋律、新鮮な和音進行で面白く聴ける。多分にベルリオーズの影響を受けてゐると感じる。かうした珍奇な曲を振らせてマルケヴィッチほど見事な裁量を示せる人はゐない。1950年代後半、鋼の合奏を聴かせたベルリン・フィルを従へて、決定的録音を残しベルワルド啓蒙を意気込む気魄が窺へる。シューベルトも極上の名演だ。ベルリン・フィルの鉄壁の演奏が圧倒的だ。第1楽章第2主題や第2楽章の悩ましい歌はせ方が素晴らしい。細部のパッセージも雄弁で、鋭いリズム処理が活きてゐる。疾走する第4楽章の熱気を帯びた様は最高だ。首位を占める名盤だ。(2011.9.20)


ストラヴィンスキー:ミューズの神を率いるアポロ、組曲第1番、組曲第2番、ノルウェーの抒情、サーカス・ポルカ
ロンドン交響楽団
イーゴリ・マルケヴィッチ(cond.)
[PHILIPS 484 1744]

 PHILIPS録音集26枚組。ストラヴィンスキーを得意とした真打マルケヴィッチの名盤。特に2つの組曲は飛び切り生きのいい名演だ。第2番のギャロップの陽気な羽目の外しやうに心躍らぬ者はゐないであらう。次いでサーカス・ポルカが素晴らしく、安つぽい曲藝の危ふさが出色だ。4つのエピソードからなるノルウェーの抒情はグリーグを想起させる秘曲。各曲の描き分けが見事で充実した名演だ。これらの曲の録音を聴くとなると自作自演盤に頼ることになるのだが、満足出来る録音ではないので、マルケヴィッチ盤の価値は極めて高い。演奏機会の多いミューズの神を率いるアポロは、精緻に磨き抜かれた神秘的な名演だが、些か線の細い嫌ひがあり、ムラヴィンスキーの彫りの深い壮絶な演奏には及ばない。(2007.3.19)


ストラヴィンスキー:兵士の物語、詩篇交響曲
ジャン・コクトー(語り)/モーリス・アンドレ(tp)/マヌーグ・パリアキン(vn)、他
イーゴリ・マルケヴィッチ(cond.)
[PHILIPS 484 1744]

 PHILIPS録音集26枚組。兵士の物語は決定的とも云へる名盤で、これを凌駕する録音は一寸考へられない。作品の要である語り手は何と20世紀を代表する詩人のコクトーである。軽業師と評され、あらゆる藝術分野に偉才を発揮したコクトーはここでも名俳優振りを示し、聴き手を陋猥たる世界へと誘ふ。奇才マルケヴィッチの指揮の下7名の名手が妙技を繰り広げる。特に最も重要なパートであるトランペットに若き日のアンドレ、ヴァイオリンにパリアキンを得るといふ豪華さだ。この名盤の価値は演奏の素晴らしさだけに止まらない。ディアギレフによつて才能を開花したストラヴィンスキー、コクトー、マルケヴィッチの3者が、伝説的な興行師に精神的なオマージュを捧げた記念碑といふ意義を強調したい。詩篇交響曲も見事で、屈指の名演と云へるだらう。合唱に生気が足りないのが残念だが、管弦楽は素晴らしい出来栄えだ。(2007.2.16)


ベートーヴェン:交響曲第8番、シューベルト:交響曲第3番、同第4番「悲劇的」
コンセール・ラムルー/ベルリン・フィル
イーゴリ・マルケヴィチ(cond.)
[VENIAS VN-014]

 マルケヴィチの様々な録音を編んだ33枚組。コンセール・ラムルーとのベートーヴェンが1959年へのPHILIPS録音、ベルリン・フィルとのシューベルトが1954年のDG録音だ。ステレオで音質も上々のベートーヴェンが素晴らしい。威勢が良く、屈託がない。フランスのオーケストラらしく明るい音色で愉悦が弾ける。マルケヴィチの棒は締まつてをり、颯爽としたテンポで弛緩なく音楽を運ぶ。特筆したいのは第3楽章のトリオで、ヴィブラートたつぷりのコルの音色が異色の個性だ。シューベルトは名盤とされる録音だ。ベルリン・フィルの圧倒的な実力が冴える。第3番では黒光りする重厚な音色と、高貴で格調高きフレージングを引き出し、一際次元の高い名演を成し遂げた。随一の名演だ。第2楽章や第3楽章トリオの情感溢れる表現は絶品だ。第4番は別項で述べたので割愛するが、矢張りこの曲の第一等を占める名演だ。(2020.5.4)


ベルリオーズ:幻想交響曲、ビゼー:「子供の遊び」、オーベール:「ポルティチの娘(マサニエッロ)」序曲
コンセール・ラムルー
イーゴリ・マルケヴィチ(cond.)
[VENIAS VN-014]

 マルケヴィチの様々な録音を編んだ33枚組。本来であれば、本家のDG盤で聴くべきところだが、この箱物で代用する。幻想交響曲は名盤として高名だ。鬼才マルケヴィチの趣向を凝らした棒も素晴らしいのだが、この演奏の特徴は偏にコンセール・ラムルーが培つた伝統的なベルリオーズ演奏を存分に発揮した点にある。名門私設オーケストラがフランスの音色を刻印する。輝かしく色彩豊かでフランス固有の楽器の魅力もあり、純度の高い演奏なのだ。特に第2楽章の典雅な響きは惚れ惚れとする美しさだ。第3楽章も情景が豊かに展開する雄弁この上ない名演。一方で、瞬発的な極彩色をもつて聴く者を魅惑するものの、全体的な合奏では熱狂はある一線で止まり、醒めた印象が残る。抱き合はせのビゼーとオーベールがより素晴らしい。ビゼーは各曲の描き分けが鮮明で、明るく躍動感溢れ、優雅で瀟洒な旋律美が決まつてゐる。オーベールの振り切れた清々しい演奏は爽快この上ない。パレー盤と並ぶ決定的名演だ。(2019.5.18)


メンデルスゾーン:イタリア交響曲
チャイコフスキー:1812年、「胡桃割り人形」組曲
シューベルト:イタリア風序曲、「アルフォンソとエストレッラ」序曲
日本フィル、他
イーゴル・マルケヴィッチ(cond.)
[SCRIBENDUM SC014]

 日本フィルとのイタリア交響曲が期待以上の素晴らしい出来だ。第1楽章の颯爽たる推進力は見事で、終楽章も鮮烈な名演だ。代表的な名盤として推奨したい。更に感銘深いのが、余り演奏されることのないシューベルトの2つの序曲で、恐らく最高の名演のひとつであらう。特にイタリア風序曲の若やいだ響きと爽やかなテンポには心躍る。モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団を振つたチャイコフスキーはオーケストラの力量が冴えず明らかな傷も散見される。デュナーミクの扱ひなどにマルケヴィッチならではの閃きがあるが、特別な価値のある録音ではない。(2007.5.6)


シューベルト:序曲ホ短調
プーランク:牝鹿
オーリック:うるさ方
モンテ・カルロ歌劇場管弦楽団、他
イーゴル・マルケヴィッチ(cond.)
[SCRIBENDUM SC014]

 ディアギレフ生誕100年の1972年7月、伝説の興行師の薫陶を受けたマルケヴィッチがオマージュを捧げるべく5曲の近代フランスのバレエ曲を録音した。ディアギレフはモンテ・カルロを活動の拠点としたこともあり、当地のオーケストラによる録音は大変意義深い。演奏は管弦楽の実力不足や録音状態への不満が吹き飛ぶほど、熱気と生命力に充ちてをり、比類のない決定的名演となつてゐる。プーランクの牝鹿は合唱を伴ふ大変珍しい初演版での演奏だ。ディアギレフにオマージュを捧げたマルケヴィッチならではの拘泥はりと云へる。雄渾な曲想が大半を占めるが、プーランクならではの健康的な憂愁が洒脱極まりない。オーリックの躍動的な曲も痛快だ。日本フィルとのシューベルトは1枚目のCDに収録されてゐた2曲の序曲と同様見事な出来で、最高の名演と云つて差し支へない。(2007.7.16)


サティ:びっくり箱
ミヨー:青列車
ソーゲ:牝猫
モンテ・カルロ歌劇場管弦楽団
イーゴル・マルケヴィッチ(cond.)
[SCRIBENDUM SC014]

 ディアギレフ生誕100年の1972年7月、伝説の興行師の薫陶を受けたマルケヴィッチがオマージュを捧げるべく5曲の近代フランスのバレエ曲を録音した。その全てをCD化したこの箱物は大変価値が高い。演奏は何れも申し分なく最高だ。特にサティ「びっくり箱」の乱痴気騒ぎは滅法痛快だ。コクトー、ピカソ、シャネルが関わつたバレエ・リュスの至宝であるミヨー「青列車」の演奏も豊麗なエスプリが溢れてゐる。曲・演奏共に最も充実した録音で、舞台の踊りまでもが髣髴とされる躍動感は見事だ。ソーゲ「牝猫」も軽快な舞踏と物憂い歌が交錯する多彩な表情を聴かせながら熱い昂揚を奏でる名演。(2007.8.21)


ミヨー:フランス組曲(管弦楽編曲版)、ピアノ協奏曲、春のコンチェルティーノ、ヴァイオリン協奏曲第2番、スカラムーシュ
ダリウス・ミヨー(cond.)、他
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9711]

 多作家であつたミヨーの自作自演集。ニューヨーク・フィルを振つたフランス組曲が粋な名演だ。元来は吹奏楽の為の曲だが、管弦楽版として演奏されてゐる。全5曲にはフランス各地の名が付いてをり、地方色豊かな音楽が楽しい。ミヨーの棒は愉悦に充ちた活気が漲つてをり大変素晴らしい。マルグリット・ロンの独奏によるピアノ協奏曲とルイス・カウフマンの独奏による春のコンチェルティーノとヴァイオリン協奏曲第2番といふ重要な録音のことは別項に譲る。尚、カウフマンとは別に、イヴォンヌ・アストリュックによる春のコンチェルティーノが収められてゐる。濃密で妖艶なカウフマンに比べ、洒脱なアウトリュックの方が曲想に添つてゐるが、やや芯の弱い嫌ひがある。自作自演ではないが、ピアノ連弾によるスカラムーシュの軽妙な感興は印象深い。聴く者を愉快な気分にさせる1枚だ。(2006.10.29)


ミヨー:屋根の上の牡牛、世界の創造
シャンゼリゼ劇場管弦楽団
ダリウス・ミヨー(cond.)
[Charlin SLC17]

 名録音技師と謳はれたアンドレ・シャルランが興したシャルラン・レーベルは玄人好みの録音ばかりだが、絶対に聴いてをきたい録音がある。ミヨーが自作自演をした当盤だ。自作自演は器楽の領域においては啓示に充ちてゐるが、管弦楽作品を指揮した録音では大概失望感を味はふ。理由は簡単だ。録音の為に客演したオーケストラに対して作曲家の意図を伝へ切れる時間と指揮技術を持ち合はせてゐないからだ。しかし、ミヨーは指揮者として有能であつた。実体はフランス国立管弦楽団かと思はれるシャンゼリゼ劇場管弦楽団を指揮して最高の演奏を繰り広げてゐる。屋根の上の牡牛は絶対的な名演だ。冒頭からお祭り騒ぎで、これを聴いて心動かぬ者などゐないに違ひない。何たる生命力を吹き込んだことだらう。踊りの輪に誘はれて気付けば仕舞までで誰よりも楽しく踊り切つたやうに最後まで夢中で聴ける。奇蹟的な名演で当盤を聴かずにこの曲は語れまい。比較して、世界の創造はやや感銘が落ちるが決定盤のひとつだらう。(2015.4.29)


ミヨー:6つの室内交響曲、男とその欲望、ピアノ協奏曲第2番、キサルピナ組曲
ルクセンブルク放送管弦楽団
ベルナルト・コンタルスキー(cond.)、他
ダリウス・ミヨー(cond.) [VOX CDX 5109]

 ミヨーの自作自演が楽しめる2枚組。1枚目では6つの室内交響曲の全てが聴ける。最初の3曲には題名が付けられてをり、第1番「春」、第2番「田園」、第3番「セレナード」で演奏時間はそれぞれ4分前後、第4番が10の弦楽器の為、第5番が10の管楽器の為、第6番が4重唱とオーボエとチェロの為の作品で演奏時間が6分前後である。印象主義的な作品もあり、原始的なリズムを聴かせる曲もあり、ミヨーの多彩さが楽しめる。初期のバレエ音楽「男とその欲望」は4重唱と管弦楽の為の作品で、原初的な野蛮さにミヨーの特徴が前面に出てゐる。ヴォカリーズと打楽器の狂乱的な使用方法が良い。ここまでが1968年録音のミヨー自作自演で、ピアノ協奏曲とキサルピア組曲はコンタルスキーの指揮だ。オーケストラは同じルクセンブルク放送管弦楽団だが、こちらの方が上手に聴こえる。名作ピアノ協奏曲はグラント・ヨハネセンの独奏でなかなかの名演だ。ピエモント民謡によるキサルピナ組曲は実質チェロ協奏曲である。トーマス・ブリースの独奏が見事で大変聴き応へがあつた。(2017.2.20)


ミヨー:屋根の上の牡牛、打楽器協奏曲、ヴィオラ協奏曲第1番、エクスの謝肉祭、家庭のミューズ
グラント・ヨハネセン(p)
ルクセンブルク放送管弦楽団
ルイ・ド=フロマン(cond.)、他
ダリウス・ミヨー(cond.)
[VOX CDX 5109]

 ミヨーの自作自演が楽しめる2枚組。2枚目を聴く。まず最も有名な「屋根の上の牡牛」だが、自作自演ではなくド=フロマンの指揮である。この曲にはシャルラン・レーベルに自作自演の決定的名盤があるので、他の演奏は不要だ。とは云へ、曲が滅法楽しいこともあり、当盤の演奏も悪くない。打楽器協奏曲、ヴィオラ協奏曲、エクスの謝肉祭がミヨーの自作自演だ。ミヨーによつてジャンルが切り開かれた打楽器協奏曲は、ひとりで手足を駆使しバチを持ち替へて様々な打楽器を同時に叩く超絶技巧曲だ。独奏はフォーレ・ダニエルだ。ウルリヒ・コッホの独奏によるヴィオラ協奏曲も原始主義の荒々しい響きがする作品だ。小編成の伴奏で反ロマン主義を印象付ける作品群だ。カール・ゼーマンのピアノ独奏による「エクスの謝肉祭」も痛快だ。実に色彩豊かな名曲だ。自作自演も非常に優れてゐる。余白に収録された、ヨハネセンのピアノ独奏で「家庭のミューズ」も聴ける。妻の為に書いた1日の家庭の印象を綴つた全15曲からなる小品集である。フランス近代の作曲家の系譜に連なる作品とも云へるが、シューマンとの相関を感じた。ミヨーらしからぬ美しい名曲、極上の逸品だ。(2017.5.8)


シューマン:交響曲第2番
リムスキー=コルサコフ:「金鶏」より
ミネアポリス交響楽団
ディミトリス・ミトロプーロス(cond.)
[RCA&SONY 194398882529]

 驚天動地の偉業と絶讃したいミトロプーロス録音全集69枚組。1940年の録音。ミトロプーロスはシューマンを積極的に取り上げてゐた。第2番は後年のウィーン・フィルとのザルツブルク音楽祭ライヴでも聴けたが印象は同じで、手兵ミネアポリス交響楽団が表現主義的な解釈を共犯して行く。作為的な弱音からの突発的なクレッシェンドを頻繁に掛け、頂点に達したかと思ふと、鋭いアクセントでフォルテピアノを掛ける。宛ら笞刑のやうだ。第2楽章コーダの狂気の加速は尋常ではない。ひりひりと痛みが伝はる第3楽章も深刻だ。異常な解釈だが、これぞミトロプーロスである。「金鶏」からの4つの音楽的絵画より第4曲「婚礼の祝宴とドドン王の哀れな末路と死」はロシア音楽を得意としたミトロプーロスならではの剛毅な名演だ。(2022.6.24)


ヴェルディ:「仮面舞踏会」抜粋
ジャン・ピアース(T)/レナード・ウォーレン(Br)/ジンカ・ミラノフ(S)/マリアン・アンダーソン(A)/ロバータ・ピーターズ(S)
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
ディミトリス・ミトロプーロス(cond.)
[RCA&SONY 194398882529]

 驚天動地の偉業と絶讃したいミトロプーロス録音全集69枚組。この全集には全曲のライヴ録音も収録されてをり、てつきり公演の成功を記念して制作されたのかと想像してゐたら、何とこのセッション録音が先であつた。これは1955年1月の録音で、 Metの公演は同年12月10日である。キャストもウォーレンがメリルに変更になつただけで連動してゐる。この抜粋はほぼアリア集だ。目玉は大変珍しいアンダーソンの歌劇録音だ。神秘的なウルリカが聴ける。次いでウォーレンが素晴らしい。流石だ。一方、ピアースは野暮つたいし、ミラノフは盛期を過ぎてをりパニッツァ盤とは比べられない。さて、前奏曲が聴けるのだが、これが無上に素晴らしい。ミトロプーロスの細部に心血を注いだ表現には頭を垂れる。(2022.8.15)


マリピエロ:交響曲第7番「カンツォーネ風」
カゼッラ:シャコンヌ(バッハ原曲)
トリノRAI交響楽団
ディミトリ・ミトロプーロス(cond.)
[WARNER FONIT 5050466-3127-2-3]

 2枚組2枚目。超が付く珍音源。ミトロプーロスにこのやうな録音があつたとは驚きで、知らない方も多からう。トリノRAI交響楽団を振つた1950年6月2日のライヴ録音で、現代イタリア音楽を嬉々として聴かせて呉れる。マリピエロの交響曲は各楽章が突然終はるのが特徴で、オネゲルのやうな響きの前衛的な部分もあればショスタコーヴィチのやうな痛切な歌もあり、ミトロプーロスのやうな適切な解釈者に掛かると面白く聴ける。歌謡性のある第2楽章と第4楽章が良い。さて、カゼッラがバッハのシャコンヌを色彩豊かに編曲した作品が抜群に面白い。ブゾーニやレスピーギの伝統を継承した試みで、如何にバッハの名曲が交響的であるかを原曲を貶めることなく立証した。ミトロプーロスの演奏も見事の一言に尽きる。(2022.1.12)


ベルク:ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番
ヨーゼフ・シゲティ(vn)/ジャン・カサドシュ(p)
NBC交響楽団/ニューヨーク・フィル
ディミトリス・ミトロプーロス(cond.)
[Music&Arts CD-1213]

 ミトロプーロスの放送録音集第1巻4枚組。1枚目。協奏曲の伴奏だ。シゲティをソロイストに迎へてのベルクはよく知られた録音で、1945年12月11日のNBC交響楽団との共演だ。現代音楽を得意としたシゲティにとつてこの名曲の唯一の録音で重要である。演奏は圧倒的で素晴らしい。シゲティは音だけで世界を創れる一握りの奏者である。不安、慰め、怒り、恐れ、夢想、様々な表情を聴かせて呉れる。ミトロプーロスの先鋭的な棒も刺激的だ。この曲の屈指の名演であるが、クラスナーとヴェーベルンによる迫真の演奏には一歩及ばない。ベートーヴェンは名匠ロベールでなく息子のジャンによる演奏である。これが期待以上の出来で、輝かしいピアノと熱血のオーケストラによる絢爛たる名演であつた。第1楽章カデンツァの眩いばかりの技巧には感心した。正統的な演奏ではないが、面白く聴けるだらう。(2020.12.24)


ヴォーン=ウィリアムズ:トーマス・タリスの主題による幻想曲
ショーソン:交響曲
ストラヴィンスキー:「火の鳥」組曲
ニューヨーク・フィル
ディミトリス・ミトロプーロス(cond.)
[Music&Arts CD-1213]

 ミトロプーロスの放送録音集第1巻4枚組。2枚目。1943年8月29日の公演記録。音質は低音がぼやけてゐたりと芳しくないが、演奏内容が素晴らしいので引き込まれて仕舞ふ。最も素晴らしいのは、RVWの幻想曲である。霧に包まれたかのやうな神妙な弦楽合奏の響きに濃厚な歌が明滅する。バルビローリ仕込みであらうか、極上の高貴な合奏に唖然とする名演だ。次いでショーソンに食指が動く。冒頭の厭世観漂ふ響きに魅せられる。両端楽章の主部は幾分脂分が多く、後期ロマン派の重厚な響きに凭れ気味だ。オーケストレーションが分厚い曲なのだが、楽想は瀟洒なので演奏が難しい作品なのだ。パレーが示した颯爽さには及ばない。しかし、極めて表情豊かな名演である。ストラヴィンスキーは音質が影響してか感銘が劣る。ミトロプーロスならではの特徴も弱く。在り来たりな内容に終始してゐる。(2021.8.3)


シューマン:交響曲第1番
シュトラウス:アルプス交響曲
ニューヨーク・フィル
ディミトリス・ミトロプーロス(cond.)
[Music&Arts CD-1213]

 ミトロプーロスの放送録音集第1巻4枚組。3枚目。シューマンは1953年11月15日の放送録音、シュトラウスは1947年11月23日の放送録音だ。シューマンは重厚な響きと衝動的な推進力による名演だ。音楽に熱気が帯びて来るとテンポも自在に変動し、ロマン派音楽の精髄を楽しめる。第3楽章コーダの崩れ落ちるやうな表情は名人藝だ。アルペンを得意としたミトロプーロスはウィーン・フィルとも名演を残したが、当盤の演奏も圧巻だ。底力のある壮大さが素晴らしい。ニューヨーク・フィルの威力を発揮した名演だ。(2023.7.9)


モーツァルト(ブゾーニ編):「イドメネオ」序曲
ブゾーニ:インディアン幻想曲、ファウストゥス博士の為の2つのスケッチ〜サラバンドとコテージ、ヴァイオリン協奏曲
ニューヨーク・フィル
エゴン・ペトリ(p)/ヨーゼフ・シゲティ(vn) ディミトリス・ミトロプーロス(cond.)
[Music&Arts CD-1213]

 ミトロプーロスの放送録音集第1巻4枚組。4枚目。これは品番1052で既出の音源である。1941年12月28日に行はれた亡きブゾーニを誉め称へる記念演奏会の記録だ。馳せ参じた面々はブゾーニの高弟ペトリとブゾーニの盟友シゲティ、そして現代音楽の使徒ミトロプーロス。これ以上は望めまい。開幕の演目はモーツァルトの「イドメネオ」序曲をブゾーニが編曲したものといふ乙な趣向だ。ペトリが弾くインディアン幻想曲は火を吹くやうな名演で、重厚な聴き応へがある。シゲティの弾くヴァイオリン協奏曲も迸る霊感が素晴らしく感動的な名演だ。ミトロプーロスが指揮した管弦楽曲は余り面白い出来とは云へない。余白に収められたシゲティがブゾーニの思ひ出を語つた講演記録も貴重だ。


メンデルスゾーン:スコットランド交響曲、宗教改革交響曲
クープラン:序奏とアレグロ(ミヨー編曲)
ケルン放送交響楽団
ディミトリス・ミトロプーロス(cond.)
[medici arts MM014-2]

 ミトロプーロスの指揮するメンデルスゾーンは淡い抒情など薬にしたくもないと云はむばかりの剛直な演奏で、心積りがないと面食らふが、信念の通つた説得力のある名演ばかりだ。余情を排した速めの謹厳なテンポで駆け抜けるスコットランド交響曲は、忌憚なく云へばこの曲屈指の名演だ。ベルリン・フィルとの演奏とは甲乙付け難い。より凄まじいのはベルリン・フィル盤で、第2楽章は当盤など非ではなく、第1楽章の危ふい情念もさうだ。だが、第4楽章の鬼気迫る追ひ込みは当盤の方が凄い。宗教改革交響曲もトスカニーニ盤と並ぶ最高の演奏のひとつだ。終楽章コーダの派手な改変は乱暴だが、全曲通じて熱気が尋常ではなく、一気呵成に聴かせる覇気が唯事ではない。魔神が宿つた激烈な名演だ。クラヴザン曲の「スルタンの妃」からミヨーが編曲した序奏とアレグロは、擬古典的な趣向と絢爛たる響きが融合してをり、面白く聴ける。(2009.5.11)


シューマン:交響曲第2番
プロコフィエフ:交響曲第5番
ウィーン・フィル
ディミトリス・ミトロプーロス(cond.)
[Orfeo C 627 041 B]

 1954年8月21日、ザルツブルク音楽祭における実況録音。シューマンが凄い。序奏部の後半から第2ヴァイオリンによる渾身の胸騒ぎを皮切りに爆発的な感情の表出があり、主部に入つてからも突発的なクレッシェンドと激しいアクセントを組み合はせて、情緒不安定な雰囲気を醸す。この曲にシューマンの狂気の萌芽を見出さうとする向きには格好の演奏と云へさうだ。荒々しい第2楽章では何と云つてもコーダに入つた途端に始まる見境のない加速が異常だ。修道僧ミトロプーロスの悪魔的な一面が解き放たれた箇所で、全曲を通じて最も激烈な印象を残す。傷口を抉られるやうな第3楽章の訴へ、快速のテンポで勝どきを上げる第4楽章、どの部分を取つても凄まじい。詩情に導かれたシューマンの世界からは遠いが、表現主義的な解釈で深層を突いた名演。よりミトロプーロスの音楽性に近く、切り札とされる筈のプロコフィエフはどうも良くない。原因はウィーン・フィルにある。明らかに慣れてをらず、曲への理解が薄いのがわかる。第4楽章冒頭のチェロはかなり非道い。全曲通じてアンサンブルも揃はず、トゥッティに切れ味がない。煽り立てるミトロプーロスの棒に付いて行けず空中分解気味の演奏だ。(2011.8.4)


ベルリオーズ:レクィエム
レオポルド・シモノー(T)
ウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場合唱団
ディミトリス・ミトロプーロス(cond.)
[Orfeo C 457 971 B]

 1956年8月15日、ザルツブルク音楽祭における演奏記録。ミトロプーロスは最晩年にウィーン・フィルと伝説的な名演を繰り広げた。当盤もそのひとつ。ベルリオーズの複雑なスコアを軋ませ乍ら、緊迫感のある音楽を邁進させる。地鳴りのやうな大太鼓に、最後の審判のラッパが絶望的に鳴り渡る様には背筋が凍る。この曲にはミュンシュの決定的な名盤があるが、壮絶さで上を行くミトロプーロス盤は録音が良ければミュンシュ盤に肉迫する名盤足り得たであらう。合唱の崇高さも素晴らしい。(2009.3.17)


R・シュトラウス:アルプス交響曲
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲
ロベール・カサドシュ(p)
ウィーン・フィル
ディミトリス・ミトロプーロス(cond.)
[Orfeo C 586 021 B]

 最晩年のミトロプーロスはウィーン・フィルとの関係を良好なものにした。ミトロプーロスは古典派やロマン派の音楽では神経質な面ばかり目立つ奇怪な演奏が多いが、近現代の楽曲では大向かふを唸らす名匠である。シュトラウスのアルペンは屈指の名演であり、その様人間の存在を押し潰すが如きに猛威を振るふと云つた恐ろしき音楽になつてゐる。雄大と云ふよりも厳然としてをり、頂上に至つても晴れやかな気分にはさせてくれない。無慈悲な音色と捩れるやうな響きによる辛口の演奏。ラヴェルはカサドシュの健闘にも拘らず何処かしら陰鬱で、フランソワとクリュイタンスによる官能的な名演の域には遥かに及ばない。(2005.1.25)

マーラー:交響曲第1番、同第10番アダージョ
ニューヨーク・フィル
ディミトリス・ミトロプーロス(cond.)
[Music&Arts CD-1021]

 マーラー受容史が本格化したバーンスタイン時代を先導したのはミトロプーロスである。現在の耳には不安定にも聴こえるが、感覚が尖つてをり、何よりも情念が凄まじい。マーラーの核心に最も迫り得た指揮者だ。また、マーラーの第1交響曲を最初に録音したのはミトロプーロスで、1940年にミネアポリス交響楽団を指揮したコロムビア盤だつた。当盤はマーラー生誕100年でミトロプーロスが集中的に名演を残した1960年1月の実況記録である。第1楽章から抉りが深く、長い夜から光明が差す転換の巧さに魅惑される。次第にテンポを上げ快速で進む第2楽章も啓示に充ちてゐる。素晴らしいのは第3楽章で、物悲しい葬送と闖入する流しの音響を心憎いほど自然に処理してをり、耽美的な郷愁を漂はせた最高級の名演である。第4楽章も壺を心得た起伏の豊かな名演だ。だが、比べ物にならないくらゐ第10交響曲が素晴らしい。特にフィルハーモニックの弦楽器が奏でる頽廃的な音色が狂ほしく、強弱も表情も振り切つてゐる。魂を破壊されさうになる演奏だ。恐るべしミトロプーロス。(2015.11.3)


マーラー:交響曲第5番
ニューヨーク・フィル
ディミトリス・ミトロプーロス(cond.)
[Music&Arts CD-1021]

 1960年1月2日カーネギー・ホールでのライヴ録音。マーラー生誕100年の劈頭を飾る渾身の名演だ。もがき苦しむ第1楽章の抉りからして、この演奏が只事でないことを示す。七転八倒する第2楽章の闘争も凄まじい。明滅する第3楽章の狂気めいた対比も見事。第5交響曲では衣鉢を継いだバーンスタインの演奏が赤裸々と評価が高いが、ミトロプーロスの本気度に比べると皮相に感じるほどだ。第5楽章は起伏が大きく個性的だが、浮つかず力強い運びに好感が持てる。アダージェットは止まりさうなくらゐ遅い。これはマーラーの意図とは異なると感じるが、官能的な溜息となり美しい。かなり深刻で聴き手を否応なく呑み込む破格の演奏だ。(2023.6.3)


メンデルスゾーン:スコットランド交響曲
シェーンベルク:管弦楽の為の変奏曲
ドビュッシー:海
ベルリン・フィル
ディミトリス・ミトロプーロス(cond.)
[Orfeo C 488 981 B]

 1960年8月21日の演奏会記録。無慈悲なまでの快速テンポで駆け抜けるメンデルスゾーンが物凄い。軽妙さを演出するのではなく、淡い感傷を吹き飛ばした丸で百鬼夜行のやうな趣である。冒頭の序奏から唯ならぬ気配を漂はせ、噎せ返るやうな第2主題の嗚咽には思はず鳥肌が立つ。凄まじいのは第2楽章で、異常なテンポで全力疾走する様は悪鬼に取り憑かれたかのやうだ。ヴィルティオーゾ軍団のベルリン・フィルも真剣勝負で臨んでをり、手に汗握る興奮なしには聴けない。同様に終楽章の主部も荒ぶれてをり凄まじいの一言だ。シェーンベルクは現代音楽を得意としたミトロプーロスの慧眼が光る名演で、生命を通はせた響きを聴かせる手腕には感服する。ドビュッシーは微かな光すら差さない深海の音楽だ。求道者ミトロプーロスと威圧的なベルリン・フィルとが生み出す強面の異色な演奏。(2007.10.19)


ヴィヴァルディ:四季、チェロ協奏曲ホ短調
クープラン:演奏会用小品集
ラインホルト・バルヒェット(vn)/ピエール・フルニエ(vc)
シュトゥットガルト室内管弦楽団
カール・ミュンヒンガー(cond.)
[Decca 484 0160]

 ミュンヒンガーのバロック音楽録音を集成した8枚組。ミュンヒンガーは往時真つ向からバロック音楽に取り組んだ数少ない音楽家であつた。ヴィヴァルディ「四季」のブーム火付け役はイ・ムジチであるが、それよりも早く録音を行つてゐたミュンヒンガー盤も双璧として広く聴かれた。3度も録音を行つてゐるが、これは第1回目、1951年の記念碑的な録音である。爽やかで流麗なイ・ムジチとは対照的に角張つたドイツ的な演奏で面食らふが、流石はバロック録音を研究した先駆者だけあり、聴く程に味が出る名演なのだ。しかし、何と云つても当盤の魅力は名手バルヒェットの独奏にあると断言出来る。派手さはなく黒光りする古雅なヴァイオリンの音色に惹き込まれる。フルニエとの協奏曲とクープランは別項で述べるので割愛する。(2022.6.6)


ヴィヴァルディ:四季
ペルゴレージ:フルート協奏曲第1番ト長調、同第2番ニ長調
ヴェルナー・クロツィンガー(vn)
ジャン=ピエール・ランパル(fl)
シュトゥットガルト室内管弦楽団
カール・ミュンヒンガー(cond.)
[Decca 484 0160]

 ミュンヒンガーのバロック音楽録音を集成した8枚組。ミュンヒンガーはイ・ムジチよりも早く「四季」を録音し、バロック音楽ブームを牽引した立役者だ。最初の録音は1951年、独奏は名手バルヒェットであった。これは1958年のステレオでの再録音で、独奏はシュトゥットガルト室内管弦楽団のコンツェルトマイスター、クロツィンガーである。その為、最初の録音がバルヒェット主体の音楽だつたのが、当盤ではミュンヒンガーの意志が隅々まで浸透してゐる。踏み締めるやうな四角張つた音楽は相変はらずだが、癖がなく聴き易い。詰まりは個性が減退し面白味は薄まつたとも云へる。大家ランパルとの珍しいペルゴレージの協奏曲は流石の仕上がりだ。ミュンヒンガーの適切な伴奏が美しい。これは決定的名盤だ。(2022.9.24)


バッハ:管弦楽組曲第4番
ヴィヴァルディ:四季
コンスタンティ・クルカ(vn)
シュトゥットガルト室内管弦楽団
カール・ミュンヒンガー(cond.)
[Decca 484 0160]

 ミュンヒンガーのバロック音楽録音を集成した8枚組。ミュンヒンガーは四季を3回録音した。これは最後の1972年の録音だ。活動初期に驚嘆をもつて歓迎されたミュンヒンガーとシュトゥットガルト室内管弦楽団であつたが、後続する追撃者たちにより存在感を失つて行つた。保守的とさえ見做された始末だ。3度目の四季では特徴であつた打ち込まれるやうなリズム、四角張つた途切れ勝ちのフレーズが鳴りを潜め、流麗で明るいイタリア風の演奏に接近してゐる。文句の付けようのない名演だが、在り来たり過ぎて詰まらない。丸くなつたとするのか、実に評価の難しい演奏だ。余白に全盛期の1961年に録音されたバッハが時間の都合で第4番だけ収録されてゐる。(2022.11.15)


グリーグ:「ペール・ギュント」第1組曲
アルヴェーン:スウェーデン狂詩曲第1番「夏至の徹夜祭」
シベリウス:悲しきワルツ、フィンランディア、トゥオネラの白鳥、エン・サガ
モルモン会堂聖歌隊/フィラデルフィア管弦楽団
ユージン・オーマンディ(cond.)
[SONY Classical 88697689752]

 北欧音楽を得意としたオーマンディの良さが存分に出た1枚。この中、グリーグ、アルヴェーン、及びシベリウスの悲しきワルツとフィンランディアは1959年に録音された。近年やうやく録音の増えてきたスウェーデンの作曲家アルヴェーンの代表作が楽しめる。冒頭の旋律は一度聴いたら忘れられない。後半の色彩的な昂揚はフィラデルフィア管弦楽団の持ち味が出てゐる。決定的名演だらう。もうひとつ重要な録音がある。フィンランディアがマシューズ編曲の合唱付演奏なのだ。フィンランディア讃歌に合唱が入つてからの熱気は感動的で、オーマンディの演奏にシベリウスがお墨付きを与へたのも頷ける。異色の録音ではあるが、この名曲の決定的名演のひとつだ。グリーグの雄弁さも比類ない。抱き合はせで収録されたトゥオネラの白鳥とエン・サガは後日の録音。雰囲気満点で屈指の名演である。人気凋落の一途を辿るオーマンディだが、再評価の一助となる名盤だ。(2016.12.27)


メンデルスゾーン:最初のヴァルプルギスの夜、フィンガルの洞窟、「真夏の夜の夢」組曲
フィラデルフィア管弦楽団、他
ユージン・オーマンディ(cond.)
[TOWEW RECORDS TWCL-4001]

 オーマンディが斯様な曲を録音してゐたとは。さうは云へ、オーマンディには膨大な録音があり、レパートリーの開拓にも積極的で、初録音や珍録音など偉業が多い。音楽性においては卓越してをり、どの演奏も水準以上、華麗な曲ほど妙味があつたが、王道の曲では持ち味が出せずに後塵を拝した。オーマンディは「エリヤ」も録音してをり、メンデルスゾーンには相性の良さを窺はせる。ゲーテの詩に基づく大規模なカンタータの録音を、本邦タワーレコードが初復刻した。演奏は芳醇で熱気に溢れてをり素晴らしい。特に序曲の暴風は惹き付ける情趣がある。だが、独唱と合唱に魅力があるとは云ひ難く、弛緩する箇所も否めない。フィラデルフィア管弦楽団の推進力が見事なだけに残念だ。それにしても機を同じくして「ヴァルプルギスの夜」を音楽にしたベルリオーズもまたハ長調で作曲したのは驚くべき符合だ。フィンガルの洞窟も雰囲気が満点で良い。しかし、幾分締まりがなく絶賛は出来ない。真夏の夜の夢からの4曲は性格的で色彩豊か、屈指の名演だ。(2019.7.25)


ベルリオーズ:幻想交響曲、ファウストの劫罰(3曲)、「トロヤ人」より行進曲、ローマの謝肉祭
ベルリン・フィル/ラムルー管弦楽団
ヴィレム・ヴァン・オッテルロー(cond.)
[RETROSPECTIVE RET 037]

 オランダの名指揮者オッテルローの名盤。1951年録音の幻想交響曲は全盛期のベルリン・フィルの漆黒の響きが神々しく、威圧するやうな硬派の演奏である。華美な色彩を排し、強靭な意志を貫き、畳み掛ける気魄が凄まじく一分の隙もない。低音の鳴りはベルリン・フィルならではの凄まじさだ。音楽が生きてをり、数多いこの曲の録音中屈指の名盤である。余白に収録された管弦楽曲はラムルー管弦楽団との録音。交響曲同様、覇気漲る豪快な演奏ばかりで、トロヤ人の行進曲やローマの謝肉祭においてこれ以上の演奏を求めるのは難しいくらゐだ。情熱を外に発散するミュンシュとは正反対で、オッテルローは厳しい統率力で固めた情念を塊で叩き付ける。極上の1枚。(2007.7.20)


マーラー:交響曲第4番、亡き児を偲ぶ歌
テレーザ・シュティヒ=ランダル(S)/ヘルマン・シャイ(Bs)
レジデンティ管弦楽団
ヴィレム・ファン・オッテルロー(cond.)
[ARTIS AT025]

 24枚組。オッテルローの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。大成はしなかつたがオッテルローの多才には驚かされる。ブルックナーでもマーラーでも名演を聴かせるのだから。この第4番は知る人ぞ知る名演で、情熱の人オッテルローの噴流のやうな音楽が溢れて来る。濃厚な色付けに、楽想ごとの描き分けが見事で、屈指の名演と絶賛したい。この曲を得意としたシュティヒ=ランダルの独唱も絶妙で、価値を高めてゐる。更に素晴らしいのが歌曲だ。バスのシャイが万感迫る歌唱を聴かせ、オッテルローが傷口を抉るやうな生々しい音で煽る。圧倒的な名演なのだ。(2022.9.9)


ストラヴィンスキー:「兵士の物語」
ジャン・マルシェ(語り)、他
フェルナン・ウーブラドゥ(cond.)
[EMI 7243 5 85234 2 3] 画像はジャケット裏です

 "LES RARISSIMES"シリーズの1枚。バソン奏者としても高名なウーブラドゥは寧ろ指揮者として名を成した。2枚組の1枚目には名盤「兵士の物語」が収録されてゐる。この曲には語りに魔術師コクトーといふ大物を擁したマルケヴィッチによる決定的とも云へる名盤があるのだが、拮抗出来る名盤としてウーブラドゥ盤を語り落としてはゐけない。マルケヴィッチ盤が野性味のあるロシア風の演奏とするなら、ウーブラドゥ盤は華麗なフランス風の演奏と云へる。全体に音が輝かしく、鮮烈なストラヴィンスキーの管弦楽法の色彩美を際立たせてゐる。軟弱な演奏ではない。激しい音楽を奏で乍らも、決して品格を失はない粋な姿勢が素晴らしいのだ。(2010.4.19)


モーツァルト:ホルン協奏曲第2番、同第3番、クラリネット協奏曲
グレトリー:フルート協奏曲
フェルナン・ウーブラドゥ(cond.)、他
[EMI 7243 5 85234 2 3] 画像はジャケット裏です

 "LES RARISSIMES"シリーズの1枚。2枚組の2枚目を聴く。ウーブラドゥは何よりもモーツァルトを得意とし、「パリのモーツァルト」といふアルバムの監修をしたのは殊に有名だ。2曲のホルン協奏曲とクラリネット協奏曲の伴奏は躍動感に満ち溢れ、陰影が濃く、学究的な詰まらなさは皆無で、声楽のやうな歌心が無上に美しい。当盤の管弦楽伴奏は全て最高なのだ。独奏者も名人が極上の名演を繰り広げてゐる。最高はリュシアン・テヴェによるホルン協奏曲第3番だ。フレンチ・ホルン―コルの丸みのある甘い音色に心を溶かされる。まろやかなヴィブラート・トーンの美しさは天下無双である。ブレインによる名盤を忘れさせてくれる特別な演奏だ。これに比べるとピエール・デル・ヴェスコーヴォによる第2番は幾分荒削りで感銘が劣るが、名演であることに違ひはない。ギャルドの名手ユリス・ドレクリューズよるクラリネット協奏曲が素晴らしい。明るいフランス流儀の音色で、軽快で朗らかな表情はモーツァルトの天衣無縫と形容したい最高傑作の理想的な名演である。ウーブラドゥの指揮と合はせて鑑みると第一に推したい名盤だ。巨匠ランパルによる珍しいグレトリーの協奏曲も良い。初期古典派の作品で典雅な趣が美しい。(2010.2.13)


ベートーヴェン:交響曲第7番
デトロイト交響楽団
ポール・パレー(cond.)
[ELOQUENCE/MERCURY 484 2318]

 マーキュリー録音全集第1巻23枚組。このベートーヴェンは1953年2月、最初のパレーとデトロイト交響楽団による最初のマーキュリー録音のひとつなのだ。モノーラル録音だが、圧倒的な音像で個性を刻印する。冒頭の和音から乾いてをり、粘りや堀りはなく、明るく軽く何処までも乾燥してゐる。ビート感が生き生きした第4楽章は一気呵成に聴かせる。ディオニュソス的要素は微塵もなく、究極のアポロ的演奏だ。


ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
デトロイト交響楽団
ポール・パレー(cond.)
[ELOQUENCE/MERCURY 484 2318]

 マーキュリー録音全集第1巻23枚組。この田園交響曲は識者では非常に有名な1954年のモノーラル録音である。パレーはどんな曲を振つても個性を刻印する稀有な指揮者だが、伝統や因習をかくも打ち破れるものかと驚かされる。古いコンセール・コロンヌとの録音でも速かつたが、演奏時間が35分半、デトロイト盤は超速だ。第1楽章が仰天するやうな解釈で万人が呆気に取られるだらう。後半の楽章は現在でこそ衝撃度は薄れるが、録音当時は物理的にも体感的にも最速演奏であつた。喩へるなら、特急列車から垣間見た田園風景、そんな趣か。パレーは何を聴いても面白い。


メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」組曲、宗教改革交響曲
デトロイト交響楽団
ポール・パレー(cond.)
[ELOQUENCE/MERCURY 484 3318]

 マーキュリー録音全集第2巻22枚組。パレーの残した録音の大半はフランス近代音楽である。ドイツ・オーストリア音楽の録音はベートーヴェンとシューマンが僅かにある位で珍品に属する。当盤の演奏も正統的なものを求める人には不向きであるが、純粋に音楽を楽しみたい方には是非ともお薦めしたい。最高の名演は「真夏の夜の夢」の序曲である。冒頭の弱音による澱みのない明るく軽快な弦のアンサンブルは妖精の飛び交ふ情景を想起させる。強音になつてもリズムが明るく、響きが軽い。これぞ正しくパレーの比類のない藝当で余人の及ぶ処ではない。スケルツォも同様の名演。一転、夜想曲と結婚行進曲は肉感に乏しく全然面白くない。元へ曲想で姿勢を変へないパレーは男の中の男である。宗教改革交響曲は幾分感銘が劣るが、快速調の終楽章で聴かせる躍動感は流石だ。


シベリウス:交響曲第2番
デトロイト交響楽団
ポール・パレー(cond.)
[ELOQUENCE/MERCURY 484 3318]

 マーキュリー録音全集第2巻22枚組。パレーの手に掛かるとシベリウスにもフィンランドの風は吹かない。明朗で乾いた力強い音楽に度肝を抜かれるだらう。だが、この剛毅で荒ぶれた音楽は意外と北欧神話やシベリウスの世界観に通じてゐるのかも知れぬ。民族性や北欧といふ風土には目もくれず、一切の迎合や妥協を許さずに己の信じた音楽をパレーは貫く。勘違ひしてはならない。パレーの音楽は無味乾燥なのではなく、情熱的で一本気な男の信念の表象なのである。


ヴァーグナー:「さまよへるオランダ人」序曲、「マイスタージンガー」組曲、「ヴァルキューレ」より「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」、「リエンツィ」序曲
デトロイト交響楽団
ポール・パレー(cond.)
[ELOQUENCE/MERCURY 484 3318]

 マーキュリー録音全集第2巻22枚組。予想通りパレーが振るヴァーグナーは異色の極みだ。ドイツ系の指揮者が奏でるゲルマン神話の官能や神秘などは毛程もなく、辛気臭さもない。風通しの良い音楽に抵抗を感じる向きもあるだらうが、潔い合奏の素晴らしさで一種特別な名演を聴くことが出来る。「さまよへるオランダ人」序曲からして閃光のやうな電撃の演奏が楽しめる。「マイスタージンガー」組曲も力強く爽快極まりない。最も素晴らしいのは「ヴァルキューレ」で、器楽だけでヴァーグナーの世界を再構築する。そこはかとなく漂ふ大人の色気も素敵だ。豪快な「リエンツィ」の序曲も凄まじい。


ドヴォジャーク:交響曲第9番「新世界より」
デトロイト交響楽団
ポール・パレー(cond.)
[ELOQUENCE/MERCURY 484 3318]

 マーキュリー録音全集第2巻22枚組。他流試合を決して行はないパレーは極端に好みの分かれる指揮者であらう。カラリと晴れた青天のやうな乾いた響きでフランス近代音楽を軽快に奏でるパレーに共感を覚える人でも、ドヴォジャークにボヘミアの土臭さを全く持ち込まないのには反感を抱くかも知れぬ。その徹底振りはかのトスカニーニですら及ばない。食傷気味でこの名曲を通俗に感じ始めてゐる方には眼から鱗が落ちる演奏となるであらう。快速のテンポで純粋に己の音楽性を要求する姿は豪胆な男気を感じさせる。化粧を落とした名曲が瑞々しく蘇る得難い1枚。


メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」組曲、宗教改革交響曲、ハイドン:交響曲第96番
デトロイト交響楽団
ポール・パレー(cond.)
[MERCURY 289 434 396-2]

 パレーの残した録音の大半はフランス近代音楽である。ドイツ・オーストリア音楽の録音はベートーヴェンとシューマンが僅かにある位で珍品に属する。当盤の演奏も正統的なものを求める人には不向きであるが、純粋に音楽を楽しみたい方には是非ともお薦めしたい。最高の名演は「真夏の夜の夢」の序曲である。冒頭の弱音による澱みのない明るく軽快な弦のアンサンブルは妖精の飛び交ふ情景を想起させる。強音になつてもリズムが明るく、響きが軽い。これぞ正しくパレーの比類のない藝当で余人の及ぶ処ではない。スケルツォも同様の名演。夜想曲と結婚行進曲は肉感に乏しく全然面白くない。元へ曲想で姿勢を変へないパレーは男の中の男である。宗教改革交響曲は幾分感銘が劣るが、快速調の終楽章で聴かせる躍動感は流石だ。ハイドンは爽快な響きで心地良く聴ける。常に個性を刻印する数少ない指揮者だ。(2006.6.15)


ヴァーグナー:「マイスタージンガー」組曲、「さまよへるオランダ人」序曲、「リエンツィ」序曲、ジークフリート牧歌、他
デトロイト交響楽団
ポール・パレー(cond.)
[MERCURY 289 434 383-2]

 予想通りパレーが振るヴァーグナーは異色の極みだ。ドイツ系の指揮者が奏でるゲルマン神話の官能や神秘などは毛程もなく、辛気臭さもない。風通しの良い音楽に抵抗を感じる向きもあるだらうが、潔い合奏の素晴らしさで一種特別な名演を聴くことが出来る。最も素晴らしいのは「ヴァルキューレ」よりヴォータンの告別と魔の炎の音楽で、輝かしいトゥッティに圧倒される。次いで「マイスタージンガー」組曲が見事で爽快極まりない。豪快な「リエンツィ」の序曲も凄まじい。意外にも「トリスタンとイゾルデ」第3幕への前奏曲が深々として神妙な名演だ。「さまよへるオランダ人」序曲、「ラインへの旅」、ジークフリート牧歌も総じて見事な演奏だが、やや一本調子で面白いとは云へない。(2007.7.22)


ラヴェル:ピアノ協奏曲、左手の為のピアノ協奏曲
モニク・アース(p)
フランス国立放送管弦楽団
ポール・パレー(cond.)
[ELOQUENCE/MERCURY 484 3318]

 マーキュリー録音全集第2巻22枚組。22枚目には特別に1965年のDGへの録音であるアースとのラヴェルの協奏曲が収録された。パレーはDG専属のアースの伴奏として登場してゐるから、余程のパレー愛好家でないと見落とし易く、収録されたことは有難い。演奏は贔屓の引き倒しになつて仕舞ふが、引き締まつた音楽を前進させる管弦楽の伴奏が素晴らしく、軟弱な雰囲気は一欠片もない。管楽器の独奏は決して巧い訳ではないが、パレーの棒に牽引されて生命感溢れる音楽を奏でてゐる。ラザール・レヴィ門下の秀逸アースのピアノも見事で、色気はないが才気走る名演を展開してゐる。2つの協奏曲はフランソワ盤と共に特上品として推奨出来る。


マーラー:交響曲第5番
デトロイト交響楽団
ポール・パレー(cond.)
[Tahra Tah 721-722]

 稀少価値が高いデトロイト交響楽団時代のライヴ録音2枚組。2枚目。1959年11月12日の公演記録で、まさかのマーラーだ。全く想像がつかない。怖くもあり、楽しみでもある。第1楽章は何とも気乗りのしない散漫な演奏で、アンサンブルも緩い。所詮畑違ひでこの程度だらうと高を括つてゐるとしてやられる。第2楽章からの音圧の激変に腰を抜かす。演奏自体は豪快に荒ぶれたパレー流儀なのだが、デトロイト交響楽団が猛然と応へるのが凄まじい。特に主旋律以外を担当してゐる楽器たちが遠慮なく音楽を盛り立てて行くのでマーラーらしからぬ音響に唖然とするのだ。第3楽章でも勢ひが止まらない。弛緩することなく暴れ回る。第4楽章は濃厚な歌ひ込みでパレーの唸り声も入る。第5楽章は総仕上げと云はんばかりに力走する。矢張りパレーは面白い。(2023.8.9)


バッハ:ピアノ協奏曲第1番
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
モニク・アース(p)
ロベール・カサドゥシュ(p)
デロトイト交響楽団
ポール・パレー(cond.)
[Tahra Tah 710-711]

 パレーがピアニストと共演した貴重な記録である。バッハのニ短調協奏曲はアースとの共演で、1960年12月8日のライヴ録音だ。パレーとアースはラヴェルで共演記録があつたが、バッハは両者共に珍しい演目だ。アースのピアノは誠実で、パレーの伴奏は謙虚である。結果は上々であるが、面白い演奏かと問はれると困る。無難の域を出ないのだ。ブラームスはカサドュシュとの共演で、1960年11月11日のライヴ録音である。フランスの二大名匠がドイツのロマンティシズムを模索する。ドイツ系の演奏家による瞑想やしめやかな翳りはなく、健全で力強い演奏だ。悪くはないが、本流とは遠い。(2021.9.27)


ベートーヴェン:交響曲第1番、同第8番
フランス国立管弦楽団
ポール・パレー(cond.)
[Spectrum Sound CDSMBA071]

 デトロイト交響楽団勇退後のフランスにおけるライヴ録音集2枚組。2枚目。パレーが振るベートーヴェンは我流の大変個性的な解釈で成功失敗に関係なく面白く聴ける。兎にも角にも明るく軽く逞しいのだ。第1番は1966年11月8日のライヴ録音で、快活な終楽章を筆頭に健全なベートーヴェンを楽しめる。晩年の1973年11月14日の記録である第8番では第1楽章展開部の白熱した追ひ込みがパレーならではの力強さだ。終演後の喝采も頷ける豪放磊落な名演の連続である。(2022.2.27)


リスト:メフィスト・ワルツ第1番、前奏曲、マゼッパ
サン=サーンス:死の舞踏、オンファールの糸車
デュカ:魔法使ひの弟子
モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団
ポール・パレー(cond.)
[SCRIBENDUM SC017]

 SCRIBENDUMによるコンサート・ホール録音の一連のCD化で、鶴首してゐたのはパレー最晩年の矍鑠たる録音である。齢なんと90歳を越してからの録音も含まれる。パレーの偉大さはSP録音時代から最晩年の録音まで徹頭徹尾信念を歪めず、己の音楽を貫いてきたことにある。余韻嫋々たる音楽を好む方はパレーを聴いてはならぬ。憂鬱を排した明るい響き、低徊しない硬質で快速調子のテンポは、類例を見ない異端の輝きを放つ。リストの3曲は何れも度肝を抜かれる豪快な演奏で、特に唯一の録音となる「マゼッパ」が激烈だ。気取りのない無骨な男の音楽で、進軍喇叭鳴り渡る様はいと物凄し。サン=サーンスとデュカも幻想には見向きもしない正面切つた潔い名演ばかりである。「死の舞踏」はデトロイト交響楽団との旧盤よりもヴァイオリン独奏が魅惑的で上出来だ。(2006.9.14)


ビゼー:「カルメン」第1組曲&第2組曲
ラヴェル:ラ・ヴァルス
モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団
ポール・パレー(cond.)
[SCRIBENDUM SC017]

 豪傑パレー晩年の記録。「カルメン」からは10曲演奏されてゐる。デトロイト交響楽団時代にも「カルメン」から合計7曲録音してゐたが、残る3曲、密輸業者の行進、ハバネラ、夜想曲―ミカエラのアリア―はパレー唯一の録音となり貴重である。とは云へ、ジプシーの踊りを比較しても瞭然とするやうにMercuryの優秀録音による黄金時代のデトロイト交響楽団との壮絶な演奏には総じて及ばない。ラ・ヴァルスにも同じことが云へる。当盤には道化師の朝の歌が収録されてゐるが、これはモーリス・ルルーの指揮による録音とのことである。購入者をペテンにかけた許され難き詐欺行為だ。シャブリエ作品やリスト「オルフェウス」などを含めたパレーのコンサートホール録音全集として何故発売しなかつたのか。(2006.10.18)


シューマン:交響曲第2番、同第3番「ライン」
イスラエル・フィル
ポール・パレー(cond.)
[Helicon classics IPO 02-9640]

 イスラエル・フィルが保有する公演記録から弩級の名演が蔵出しされた。一時期イスラエル・フィルの音楽監督を務めたことのあるパレーの貴重なライヴ録音である。パレーがマーキュリーに残したシューマンの交響曲全集は屈指の名盤で、中でも第2番と第3番が素晴らしかつた―ライン交響曲の第5楽章はパレーが古今最高だ。1976年の記録である第2番がマーキュリー盤を凌駕する名演だ。第1楽章呈示部が最後の力強い響きは如何ばかりであらう。分厚い音を捻出する中声部の楽器群の意気込みが凄まじい。第4楽章でも第2ヴァイオリンの雄弁な絡みが活きてゐる。全曲を通じて勇壮な音楽が驀進してをり圧巻だ。晩年の客演とは思へない白熱の名演である。比べると1971年の記録である第3番は感銘が数段劣る。まずは音質に差がある。僅か5年の違ひだが、広がりに欠けるモノーラル録音で迫力に不足する。また、男気のある豪快なマーキュリー盤の演奏に比べても、テンポは遅めで響きも細い。(2012.7.4)


シューマン:交響曲第2番、同第4番
ベルリン国立歌劇場管弦楽団/ベルリン新交響楽団
ハンス・プフィッツナー(cond.)
[KOCH INTERNATIONAL CLASSICS 3-7039-2 H1]

 作曲家プフィッツナーは指揮者として大変有能で、電気録音初期にポリドールにベートーヴェンの交響曲を相当数録音してをり重用されてゐたのだ。ロマン派の末裔であるプフィッツナーがシューマンを録音してゐる。何とライン交響曲以外の3曲を吹き込んでをり、全て世界初録音といふ偉業であつた―ライン交響曲の初録音はコッポラが担つた。しかも驚くことに当盤に収録された第2番と第4番は再録音であるのだ。演奏内容は管弦楽の精度に難があり、現在の水準からは全く問題にならないのだが、解釈は極めてロマンティックで草書体のアゴーギグを伴ひ、慧眼に充ちてゐる。構成美があり音楽が起伏を持つて流れる。和声を重視した含蓄あるテンポの変動には古き良き時代の音楽が息衝く。貧しい録音乍らマーストンの復刻で鑑賞に耐へ得る。唯一残念なのは繰り返すが、管弦楽がもう少し巧ければと悔やまれることだ。(2022.6.12)


プロコフィエフ:ヘブライの主題による序曲、ヴァイオリン協奏曲第1番、「ロメオとジュリエット」第2組曲
ベートーヴェン四重奏団/アレクサンドル・ヴォロディン(cl)/ダヴィド・オイストラフ(vn)
モスクワ・フィル
セルゲイ・プロコフィエフ(p&cond.)
[DANTE LYS 278]

 1937年から1938年にかけてモスクワで行はれた自作自演録音だ。最も注目したいのは六重奏曲であるヘブライの主題による序曲だ。プロコフィエフのピアノに、ベートーヴェンSQとの共演で貴重この上ない。演奏は肩肘の張らない洒脱な趣でパリでの録音と共通する。名曲ヴァイオリン協奏曲第1番は若き日のオイストラフが独奏を担つた大変重要な録音である。矢張りオイストラフは若い頃の方が素晴らしい。音色やフレージングに張りがある。この最初期の録音には悶えるやうな美しさがある。だが、形振り構はぬ伝道師シゲティの説得力には及ばない。プロコフィエフの指揮が素晴らしい。第2楽章中間部での金管楽器のおどろおどろしい鳴らし方には喝采を送りたい。「ロメオとジュリエット」は5年後の1943年にもDecca録音があつた。Decca盤は気の抜けた演奏だつたが、当盤は表現の幅が大きく感情移入が激しい。断然この旧録音の方が素晴らしい出来だ。(2017.1.14)


シュトラウス:英雄の生涯
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。記念すべき録音である。ライナーとシカゴ交響楽団の記録は1954年3月に録音された「英雄の生涯」から始まつた。これはリヴィング・ステレオの始まりでもあつた。全てが驚異の連続で黄金時代とはこのことを云ふのだらう。間合ひの少ない直截的な演奏で爽快極まりない。起伏ある演奏を好まれる向きには物足りぬのかも知れぬが、ライナーの個性が強く出たこの曲屈指の名盤であることに異議はあるまい。天晴。(2023.8.28)


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。ライナー渾身のエロイカだ。贅肉のない筋肉質なプロポーション、思はせ振りな表現は皆無で、畳み掛けるやうに音楽を前のめりに動かす。一見、トスカニーニ風の演奏とも云へるが、緊縛度と熱量はトスカニーニほどではなく、熱苦しさや重苦しさはない。また、ミュンシュのやうな明るい爽快さとも異なる真摯な音を追求してゐる。第1楽章が名演で、颯爽たる英雄像が浮かび上がる。次いで第3楽章に瞠目したい。アンサンブルの見事さは勿論だが、音形を意識し瞬時にヘミオラを挟む。ベートーヴェンが意図した野心的な挑戦を聴かせて呉れる数少ない演奏だ。一気呵成に聴かせる終楽章も良い。(2020.5.1)


ベートーヴェン:交響曲第7番、「フィデリオ」序曲
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。ライナーの全録音の中で特に瞠目したい名盤だ。精緻でmassiveな演奏は沸き立つリズムを生命力とする第7交響曲において最大限の効果を発揮してゐる。現代のオーケストラも同水準の演奏は可能だらうが、指揮官が睨みを利かせた鬼軍曹でなければ斯様な演奏は出来まい。この曲は気の緩みや余計な色付けを行ふと、綻びが出て失敗することがあるが、ライナーの演奏は天晴れ完璧である。特に両端楽章での燃え盛る紅蓮の炎は只事ではない。内声部が漏らさず聴こえて来るのは滅多にない凄みだ。もつと評価されて良い名盤だ。さて、フィデリオの序曲が更に上を行く名演ときてるから恐れ入る。何といふ凝縮力、渾身のスフォルツァンドも壮絶、これ以上の演奏を探すのは徒労だらう。(2019.12.27)


シュトラウス:ワルツ「朝刊」「皇帝円舞曲」「美しく青きドナウ」「オーストリアの村つばめ」
ヴェーバー:舞踏への勧誘
シュトラウス:「ばらの騎士」よりワルツ
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。1957年録音の「ウィーン」と題されたアルバムは、20世紀を代表するソプラノであるシュヴァルツコップが「無人島へ持つて行く1枚」に選んだとして頓に有名だ。EMI切つての敏腕プロデューサーであるレッグの奥方が選んだとなれば重みも格別だ。だが、それほどでもないと感じる方も多いのではないか。冷静に分析すれば、ライナーが編曲した「ばらの騎士」ワルツが選出の理由だと思ふ。シュヴァルツコップ最愛の作品の理想的演奏であり、万人を唸らせる極上の逸品だ。確かにこれ以上は考へられない。一方、4曲のウィンナ・ワルツは精緻で完璧な演奏であつても、粋ではなく最高と絶賛するには躊躇する。とは云へ、慈しむやうに弱音で悠然と音楽を作る箇所は本当に美しい。ドナウの最後でハーセスが吹くトランペットの郷愁の感は絶妙だ。(2016.6.5)


モーツァルト:交響曲第36番、同第39番
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。モーツァルトの交響曲を聴くのにライナーを選ぶのは物好きだと思つて仕舞ふひとりだつた。不明を恥じる。ライナーはハイドンで極上の演奏をした。モーツァルトが素晴らしいのは当然であつた。リンツ交響曲はそれこそ決定的名演だと思ふ。これ迄シューリヒトの演奏が最も優れてゐると考へてゐた。ヴァルター盤も世評通り素晴らしいが、歌ひ過ぎで弛緩するのが気になる。ライナーの演奏は細部に至る迄音が生きてゐる。楽器間の音響も完璧、表情付けも絶妙だ。第1楽章主部における行進曲風の箇所での中低音弦楽器らの鮮烈な主張には喝采を送りたい。最高傑作は第4楽章だ。最速と思はれる爆走テンポを採用し乍ら繊細な表情で魅せる。内声部弦楽器の松脂が弾け飛ぶやうな刻みは決まつてゐる。音楽は勢ひを増し、熱気に包まれたコーダでは常軌を逸した感動を与へて呉れる。他の演奏は不要となつた。第39番も素晴らしい。特に堂々たる変ホ長調の音楽を一気呵成に奏でる第1楽章が絶品だ。そして、猛烈な快速テンポが圧巻の第4楽章には頭を垂れる。展開部では木管楽器を際立たせてをり見事。ただ、第2楽章が素つ気なく深みに欠け、第3楽章も凡庸なのが残念だ。(2017.6.12)


モーツァルト:交響曲第40番、同第41番「ジュピター」
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。ライナーが残したモーツァルトの録音ではリンツ交響曲が付け入る隙のない極上の決定的名演であつた。三大交響曲の演奏も素晴らしい演奏なのだが、リンツ交響曲の域には達してゐない。ト短調交響曲は両端楽章が見事だ。ライナーならではのmassiveな仕上げで緊張感が持続する。細部の職人的なアンサンブルの彫琢は流石だ。歌心に欠ける嫌ひはあるが、音楽は気高く古典的品格を貫いてをり申し分ない。中間2楽章の踏み込みが足りず感銘が劣るのは残念だ。ジュピター交響曲はライナーにとつて腕が鳴る演目だと思ふが、なかなか慧眼に充ちた演奏なのだ。力ずくではなく、この曲が持つ特有の軽みに焦点を当ててゐる。テンポは快速、カデンツは軽く処理し、フレージングは浮遊感に腐心する。第1楽章や第3楽章は小振りな構へで偉丈夫な要素はない。第4楽章もコーダ以外は空中遊泳をする如く天衣無縫さが際立つ。総じてあつさりしてゐるので残念ながら胸に残らないのだが、最も高度な演奏を繰り広げてゐるのだ。この至難の解釈を実現させたライナーとシカゴ交響楽団は矢張り只者ではない。(2017.12.28)


グラナドス:「ゴイェスカス」間奏曲
ファリャ:「はかなき人生」間奏曲と舞曲、「三角帽子」第2組曲
アルベニス(アルボス編):ナバーラ、「イベリア」よりセビーリャの聖体祭とトゥリアーナ
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。ライナーのラテン系作曲家の録音は少数で、このスペイン音楽集も珍しさが勝る。どの曲も精密で丁寧な演奏だ。色彩は豊かだし、アンサンブルも決まつてゐる。独奏での妙技も申し分ない。反面、情熱的なスペイン情緒は希薄だ。そもそもライナーに感情優先型の演奏を求めるのはお門違ひで、異色の演奏を楽しむのが筋だらう。ファリャでは切れ味の良い「三角帽子」が名演だ。カスタネットが強く聴こえるのもリヴィング・ステレオならではの面白さだらう。「はかなき人生」は細身の響きながら鋭さがあり、特に舞曲は生気があつて名演だ。アルベニスが全て素晴らしい。「イベリア」からの2曲は極彩色の乾いた響きと鮮烈で強靭なリズムが効いてをり天晴だ。祝祭的なナバーラも爽快な名演だ。グラナドス「ゴイェスカス」間奏曲は繊細な美しさが印象的な佳演である。


ムソルグスキー:展覧会の絵
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。非常に丁寧な演奏だ。遅めのテンポで精緻な合奏を聴かせる。洗練された細身の都会派の演奏で、感銘度では熱いトスカニーニの名盤には及ばない。しかし、この録音の価値は金管奏者らの妙技にある。ハーセスのトランペットは冒頭から一際輝いてをり、随所で機関銃のやうなタンギングの妙技を堪能出来る。テューバやホルンも最高だ。完璧な金管セクションを筆頭に第1期黄金時代にあつたシカゴ交響楽団の水準の高さには圧倒されずにをれまい。


ロッシーニ:序曲集(6曲)
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。名盤中の名盤。演目は「ギョーム・テル」「絹のはしご」「ブルスキーノ氏」「セビーリャの理髪師」「泥棒かささぎ」「チェネレントラ」の6曲だ。大概ロッシーニの序曲集録音は腑抜けた演奏ばかりで大したものがなく、満足出来る演奏を探すとトスカニーニ盤に行き着く。ロッシーニの序曲は難しいのだ。軽やかに沸き立つ表現が要求されるが、技術的に実現出来た演奏は少ない。楽譜にも問題があり、歴史的に自由裁量が横行してきたので踏み込みが弱い。その点、説得力でトスカニーニが抜きん出てゐる。だが、トスカニーニ盤に比肩し、一部凌駕する演奏がある。ライナー盤だ。リヴィング・ステレオの優秀録音、小粋に纏まり軽快さを獲得してゐる点ではトスカニーニ盤を超える。打楽器隊の激しい追ひ込みは最高で、特に「ギョーム・テル」の嵐の場面における大太鼓の切迫感、行進曲の大詰めでの興奮は物凄いの一言に尽きる。弦楽器群の一糸乱れぬアンサンブル、奏者一人ひとりの表現の幅が異常に広い管楽器陣、これ以上は求められない完璧な演奏の連続だ。もし、難癖を付けるなら気が張り過ぎてゐて、息苦しいことか。これはトスカニーニも同様。兎に角、演奏そのものは真剣勝負で、心構へと到達度合ひが凡百の演奏とは異なる至高の名演。(2018.5.31)


マーラー:交響曲第4番
リーザ・デラ=カーザ(S)
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。1958年、マーラーの本格的受容が始まる頃の録音とは云へ、精緻の限りを尽くした透明感が尋常でない演奏は今日においても異彩を放つ。ライナーの指向を具現した演奏であり、マーラーの解釈としては畑違ひの感があるやも知れぬ。しかし、一周して寛容の耳で聴くと、手垢のない清涼な演奏に心惹かれる。ライナーは拘泥しない。さらりと進める。悪どさはなく、美しい響きを純然に楽しむ。シカゴ交響楽団の圧倒的な力量がライナーの要求を易々と仕上げた。無駄に発散せず、古典的にちんまりと纏めた。だからこそ第1楽章の頂点で聴かせる開放感は天井がない。ハーセスのトランペットが牽引するやうに燦然たる響きが鳴る。天晴れだ。アラベラ歌ひデラ=カーザの浪漫的な絢爛さと古典的な清明さが融合した歌唱はこの曲に相応しい。リヴィング・ステレオの優秀録音で端正な仕上がりの名盤だ。(2018.11.29)


マーラー:大地の歌
ハイドン:交響曲第88番
モーリン・フォレスター(Ms)/リチャード・ルイス(T)
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。ライナーはマーラー作品をレパートリーとはしてをらず、録音自体少ないのだが、精緻なオーケストラの合奏は天晴だ。特に第1楽章で聴かれる輝かしいハーセスのトランペットは非の打ち所がない。独唱も良い。フォレスターとルイスはヴァルターとも大地の歌を共演してをり、人選に間違ひはない。ルイスは大地の歌を得意としてをり、享楽的な歌唱が見事だ。それ以上にフォレスターの落ち着きのある深い声が素晴らしい。含蓄のある歌唱は理想的だ。しかし、ライナーは常に冷静で情緒に溺れることがない。同傾向のクレンペラー盤ほど交響的な追求がなく、何処か中途半端な印象は拭ひ去れない。完成度の高い演奏だが、強い訴へ掛けに欠ける。余白にはハイドンの第88番が収録されてゐる。これはこの曲の最高の名演のひとつで、常に賞讃の的となつてきた。第1楽章は完璧な演奏で、鮮烈さでは群を抜く。かのトスカニーニも及ばない。見通しの良い第2楽章の品格ある抒情美も最高だ。だが、後半の楽章は精緻ではあるが活気がなくなり画竜点睛を欠く。(2012.3.20)


カバレフスキー:「コラ・ブルニョン」序曲
チャイコフスキー:スラヴ行進曲、組曲第1番より小行進曲
ムソルグスキー:禿げ山の一夜
ボロディン:韃靼人の行進
グリンカ:「ルスランとリュドミラ」序曲
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。FESTIVALと題されたロシア音楽アルバム。野暮つたく土臭い重厚な演奏を求める向きには、明るく洗練された当盤の演奏を物足りなく思ふかも知れない。アメリカのオーケストラの音だと毛嫌ひする方もゐるだらう。圧巻は禿げ山の一夜だ。快速のテンポで勢い良く飛ばし、魑魅魍魎が一陣の風となつて疾駆する。奇怪なストコフスキー盤を別格としてこの曲の最も刺激的な録音だ。次いでカバレフスキー「コラ・ブルニョン」序曲が素晴らしい。リズムの明晰さが絶品である。ボロディン「韃靼人の行進」も同様に歯切れの良い名演だ。グリンカ「ルスランとリュドミラ」序曲とチャイコフスキー「スラヴ行進曲」は精緻な名演だが、少々特色が薄い。チャイコフスキー「小行進曲」は録音が少ないので重宝する。


ヴァーグナー:「マイスタージンガー」より、「神々の黄昏」より
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。ライナーは晩年のシカゴ交響楽団との精緻でmassive、オーケストラを完全に制御した演奏をする指揮者の印象が強いが、高く評価されてゐたのは劇場での手腕であり、ヴァーグナー指揮者としてMetでも活躍した側面を見落としてはいけない。収録曲は、取り分け得意とした「マイスタージンガー」から第1幕前奏曲、第3幕前奏曲から接続で徒弟たちの踊りとマイスタージンガーたちの行進へと独自編曲したもの、「神々の黄昏」のラインへの旅と葬送行進曲の録音である。特に「マイスタージンガー」第3幕の音楽は、手際の良さも相まつて破格の名演として識者からも瞠目される内容だ。勿論、第1幕前奏曲も爽快極まりない圧倒的な名演。「神々の黄昏」の頻繁に演奏される2曲も細部まで神経の通つた完璧な演奏であり、ライナーの慧眼に感服する名演である。(2019.1.8)


シューベルト:未完成交響曲、交響曲第5番
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。バルトークやシュトラウスで追随を許さない名演をするライナーとシカゴ交響楽団が、抒情的なシューベルトを演奏したら手に余らないかと心配するも、奇蹟的な名演で予想を覆して呉れた。未完成交響曲は精緻な演奏で、じわりと緊迫して行く。弱音の美しさも細部まで神経が通つてをり驚嘆に値する。単に完璧な演奏といふだけでなく、音に血が流れるまでを追求した壮絶な演奏だ。第5交響曲は更に素晴らしい。ひとつひとつの音が珠玉のやうに輝き連なつて行く。第2楽章や第3楽章トリオではたゆたふやうな間合ひもあり、余裕と気品を感じさせる。本気を出した第4楽章のアンサンブルは第一級の仕上がりだ。感服した。恐るべしライナー。(2015.2.16)


ベートーヴェン:交響曲第9番、同第1番
シカゴ交響楽団と合唱団、他
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。発売当時から現在に至る迄ライナーによるベートーヴェンは殆ど問題にされなかつた。理由は簡単だ。トスカニーニの二番煎じと思はれたからだ。だが、果たしてさうだろうか。第9交響曲は遊びのない解釈と筋肉質なアンサンブルによる演奏かと思ひきや、非常にロマンティックで劇場的な演出のある演奏で驚かされる。特に第1楽章は呈示部及び再現部の終盤で大胆なアゴーギクがあり―和声的に理に適つてゐるが極めて激しいブレーキなのだ―、コーダ付近でもイン・テンポとは程遠い揺れ動きがある。強い統率力もあつて最上級の名演と絶讃したい。第2楽章は切れのあるリズム、取り分け鮮烈なティンパニが理想的で古今最高の演奏と断言出来る。一転、内省的な歌に充ちた第3楽章は美しい。祝祭的な盛り上げに成功した第4楽章では合唱も健闘してゐる。コーダでの馬力ある昂揚は感動的だ。唯一の不満は小粒な独唱陣の印象が薄いことで画竜点睛を欠く。第1番も完璧な名演だ。古典的な均整の取れた見事なアンサンブル。幅の広いデュナミークと切れのあるリズム。しかし、こぢんまりとせず爆発的な力強さを発散する。非の打ち所のない名演で特に第4楽章コーダの燃焼は最高だ。(2015.9.30)


ベルリオーズ:夏の夜
ファリャ:恋は魔術師
レオンティン・プライス(S)
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。ライナーの録音には思つてゐる以上に合はせ物が多い。ハイフェッツやホロヴィッツなど豪華極まる。プライスとの共演でも非の打ち所のない伴奏を聴かせる。プライスの歌声はソノーラスで安定感があり天晴れな歌唱と絶讃したいが、ベルリオーズでは何とも違和感しか感じない。巧いが雰囲気が出ない。だうもイタリア歌劇のやうなのだ。ファリャでは野太く野性味のある地声を使つて、重く暗い気怠い雰囲気を醸し出すが、手練手管を感じ感銘は薄い。ライナーの精妙な音楽はスペイン音楽では幾分冷たさを感じて仕舞ふ。(2023.4.24)


バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全6曲)
カール・リヒター室内管弦楽団
カール・リヒター(cemb&cond.)
[Profil PH13053]

 独Profilはリヒターの初期録音の復刻を積極的に行つてきたが、それらを集成した31枚組。1枚目と2枚目を聴く。リヒターのブランデンブルク協奏曲と云ふと1967年録音のARCHIV盤が巷間良く聴かれるが、これは1956年から1957年にかけてステレオ最初期にTELEFUNKENに録音された第1回目の全集だ。定評ある独Profilの復刻は大成功で、ステレオ黎明期の音とは思へないほど素晴らしい。さて、肝心の演奏であるが、ARCHIV盤に比べると特徴が薄いと云はざるを得ない。ARCHIV盤はリヒターが担ふ通奏低音チェンバロの支配力が圧倒的で、きびきびした推進力が何と云つても鮮烈であつた。この旧盤は全ての曲においてテンポが一回り遅く、響きもまろやかだ。有り体に申せばこの時代においては常套的な演奏の域を出てゐない。勿論、悪い部分は何処を探してもなく、新しい時代のバッハを予感させる名演だ。ただ、個性は弱いのだ。驀進する新盤を凌駕する感銘はなかつた。ARCHIV盤と目立つて異なるのは第4番がリコーダーではなく、フルートによる演奏であることだ。(2017.1.19)


バッハ:チェンバロ協奏曲第1番、2台のチェンバロの為の協奏曲第2番、3台のチェンバロの為の協奏曲第2番、4台のチェンバロの為の協奏曲
エドゥアルト・ミュラー(cemb)/ゲルハルト・エッシュバッハー(cemb)/ハインリヒ・グルトナー(cemb)/アンスバッハ・バッハ週間管弦楽団
カール・リヒター(cemb&cond.)
[Profil PH13053]

 独Profilはリヒターの初期録音の復刻を積極的に行つてきたが、それらを集成した31枚組。5枚目。リヒターはバッハのチェンバロ協奏曲全集をARCHIVに録音してゐるが、これはその前の1955年、TELEFUNKENへのモノーラル旧録音だ。藝術監督に就任したばかりのアンスバッハ・バッハ週間管弦楽団との演奏なのだが、オーケストラの響きが未だ浪漫的な因習に中にあり、非常に達者な演奏ではあるがリヒターらしさは薄い。リヒターの独奏に注目が集まるニ短調協奏曲BWV.1052だが、淡白で腑抜けた演奏で面白みは皆無だ。推進力はあり爽やかな演奏で、曲想との齟齬を感じる。複数台の協奏曲は次第に感銘が増す。ハ長調協奏曲BWV.1061は壮麗な名演と云つた程度だが、ハ長調協奏曲BWV.1064の絢爛たる華のある音楽は大変素晴らしい。緩徐楽章の思索も見事だ。傑作はイ短調協奏曲BWV.1065で、チェンバロの響きが渋滞せず、立体的なアンサンブルに感嘆する。流れも素晴らしく極上の名演と云へるだらう。(2021.6.18)


モーツァルト:レクィエム
マリア・シュターダー(S)/ヘルタ・テッパー(T)、他
ミュンヘン・バッハ管弦楽団と合唱団
カール・リヒター(cond.)
[Profil PH15006]

 独Profilはリヒターの初期録音の復刻を積極的に行つてきたが、それらを集成した31枚組。19枚目。1960年、TELEFUNKENに録音された名盤で、LP盤からの板起こしだ。バッハの伝道師リヒターはモーツァルトを数曲しか録音してゐない。モーツァルトの絶筆レクィエムは感傷的でロマンティックに演奏されてきたが、リヒターは死者の為のミサ曲を一宗教曲として厳粛に演奏する。揺らぎのない硬めの造型、きびきびしたテンポ、情緒に溺れない意志が特徴で、まるでバッハのやうだと評されてきた。謹厳な取り組みは曲想に相応しく傾聴に値する。何よりも最大の美点は澄んでゐて透明感があることだ。合唱も管弦楽も夾雑物がなく清廉かつ敬虔だ。女性独唱陣が素晴らしい。シュターダーは勿論だが、テッパーの清らかさも特筆したい。男性独唱陣も健闘してゐる。特にレコルダーレの美しさには心洗はれる。(2015.6.30)


バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全6曲)、オーボエ・ダモーレ協奏曲、オーボエとヴァイオリンのための協奏曲
ミュンヘン・バッハ管弦楽団、他
カール・リヒター(cemb&cond.)
[ARCHIV 482 0959]

 チェンバロ及びオルガン奏者としてのバッハ演奏家リヒターの録音を主に編んだARCHIV18枚組。6枚目と7枚目を聴く。ブランデンブルク協奏曲集は今更述べることもない決定的名盤であり、受難曲やカンタータと並んでリヒターの代表的録音として語り継がれてきた。リヒター盤の特徴は推進力のあるテンポにあり、強靭な通奏低音の動きが圧巻だ。鋼のやうに峻厳で確信に充ちてゐる。一方で、余情がなく一本調子で軽妙さはない。第5番は独奏者らの魅力にも欠け幾分単調である。リヒターが弾くカデンツァも正直面白くない。この曲は瀟洒な趣を追求した演奏に分があるだらう。最も素晴らしいのは第1番で、絶妙なテンポによる勇壮かつ壮麗な演奏だ。古今通じてこの曲に関してはリヒター盤が一番優れてゐるだらう。次いで第3番が勢ひもあり良い。第6番第1楽章の活気も比類がない。第4番は独奏者が弱く歯痒い仕上がりだ。第2番は総じて素晴らしいが、華やかさが足らず若干不満も残る。また、全6曲を通じて緩徐楽章での歌謡性が乏しく息苦しい。とは云へ、一時代を築いたバッハの殿堂とも云ふべきリヒター盤の価値は、皮相な古楽器演奏の諸録音の前に揺るがない。オーボエ・ダモーレ協奏曲は別項で述べたので割愛する。オーボエとヴァイオリンのための協奏曲BWV.1060aはリヒターの特色が前面に出た力強い名演。厳しく機敏なTuttiの響きが良い。(2016.12.11)


J.S.バッハ:フルート・ヴァイオリン・チェンバロのための三重協奏曲、オーボエ・ダモーレ協奏曲、C.P.E.バッハ:シンフォニアWq.183(4曲)
オーレル・ニコレ(fl)/ゲルハルト・ヘッツェル(vn)、他
ミュンヘン・バッハ管弦楽団
カール・リヒター(cond.)
[DG 00289 477 6210]

 バッハの伝道師リヒターの変はり種音源を集成した8枚組。3枚目を聴く。バッハの協奏曲2曲とC.P.E.バッハのシンフォニア4曲だ。1980年、リヒター最晩年に録音された協奏曲は音質も極上で感動的な記録だ。三重協奏曲イ短調BWV.1044ではフルートを盟友ニコレ、ヴァイオリンをヘッツェル、チェンバロをリヒターが担当した豪華な演奏だ。冒頭から真剣勝負の意気込みが充溢してをり圧倒される。決定的な名演だ。イ長調協奏曲BWV.1055はチェンバロ協奏曲第4番の原曲とされる失はれたオーボエ・ダモーレ協奏曲での復元演奏だ。独奏のクレメントが好演してをり良い。リヒターの真摯な取り組みには頭が下がる。C.P.E.バッハのシンフォニアWq.183の全4曲は録音黎明期を飾る名盤だ。凝縮された熱気を結晶させ乍ら疾走する。大バッハを演奏するリヒターの心意気そのままだ。今日の古楽器演奏による爽やかさとは次元が違ふが、先鋭的なカール・フィリップ・エマヌエルの作風を鑑みると衝撃の度合ひが伝はる演奏だ。特に砲弾のやうな低音パートの迫力は流石だ。(2015.3.30)


バッハ:チェンバロ協奏曲第1番、同第2番、同第3番、同第4番
ミュンヘン・バッハ管弦楽団
カール・リヒター(cemb&cond.)
[DG 4839068]

 遂に登場したARCHIV及びDG録音全集97枚組。1971年から1972年にかけて録音されたチェンバロ協奏曲全集だ。オルガンもチェンバロも事も無げに弾き熟すリヒターの腕前には恐れ入る。長年のリヒターの感化により理想的な音を奏でることが出来るやうに仕上がつたミュンヘン・バッハ管弦楽団の伴奏で、弾き振りであつても一体感の強い演奏を鑑賞出来る。第1番はリヒターの真摯さが表出された名演であるが、もう少し峻厳でも良かつただらう。幾分緩さを感じる瞬間があるのだ。壮麗な第2番は散漫になりやすい曲だが、流石はリヒターで引き締まつた名演を聴かせて呉れる。一気呵成に疾走する第3番が白眉だらう。音楽が躍動してゐる。情緒豊かな第4番は流麗で非常に美しい出来だ。(2021.10.24)


C.P.E.バッハ:シンフォニアWq.183(4曲)
ミュンヘン・バッハ管弦楽団
カール・リヒター(cond.)
[DG 4839068]

 遂に登場したARCHIV及びDG録音全集97枚組。C.P.E.バッハのシンフォニアWq.183の全4曲は1969年の録音で、これらの曲の代表的な名盤だ。凝縮された熱気を結晶させ乍ら疾走する。大バッハを演奏するリヒターの心意気そのままだ。今日の古楽器演奏による爽やかさとは次元が違ふが、先鋭的なカール・フィリップ・エマヌエルの作風を鑑みると衝撃の度合ひが伝はる演奏だ。特に砲弾のやうな低音パートの迫力は流石だ。


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番
ハイドン:交響曲第92番、同第104番
ヴォルフガング・シュナイダーハン(vn)
ベルリン・フィル
ハンス・ロスバウト(cond.)
[DG 469 810-2]

 ”The Mono Era”と題された1948年から1957年にかけてのDGモノーラル録音集51枚組。近現代音楽に精通し、学究肌で多方面に亘つて活躍したロスバウトによる古典作品の録音だ。ベルリン・フィルといふ名器に遠慮してか、ロスバウトに期待する慧眼を聴くことが出来ない。ハイドンの交響曲において強い個性の刻印を期待したのだが、保守的で大味な演奏であつた。特に第104番では新しい面白みが一切ない。第92番においても浪漫的な要素を排した爽快さが評価出来るが、特段優れてゐるとは云へない。ベルリン・フィルの巧さが際立つてゐるが総じて平凡である。抱き合はせはシュナイダーハンとの協奏曲なのだが、これも然程面白くはない。極めて常套的で刺激がなく、美しい演奏ではあるが、音楽としては退屈だ。しかし、カデンツァがシュナイダーハンの創作であり、これだけは大層聴き応へがある。長大かつ技巧を凝らした派手な第1楽章のカデンツァは圧巻だ。(2021.6.21)


ストラヴィンスキー:花火
モソロフ:鉄工場
グラズノフ:吟遊詩人のセレナード
デ・サバタ:つわものども
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団
ヴィクトル・デ・サバタ(cond.)
[Naxos Historical 8.110859]

 1947年のHMV録音となるベートーヴェンの田園交響曲以外は、全て1933年のParlophon録音でデ・サバタの最も古い記録である。一種の珍品で、トスカニーニと並び称されるイタリアの巨匠が、ロシアの近代曲を如何様に振るのであらうかと云ふ物珍しさが勝る。ストラヴィンスキーの「花火」やモソロフの「鉄工場」と云ふアヴァンギャルドな作品の演奏は、録音の貧しさで音響的な楽しみが得られず、演奏内容も特徴のない平凡なもの。グラズノフの「吟遊詩人のセレナード」がロマンティクな響きに酔へる名品で懐かしき詩情が溢れてゐる。自作自演「つわものども」は大作で相当聴き応へがあり、演奏も雄渾で立派なものだ。ベートーヴェンは生真面目で禁欲的な演奏だ。爽やかな音の運びが心地よいが、数有る田園交響曲の録音中、特別な地位を占める程に訴える力のある演奏ではない。(2005.3.5)


ブラームス:交響曲第4番
レスピーギ:ローマの祭
ベルリン・フィル
ヴィクトル・デ=サバタ(cond.)
[ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 6406/07]

 伊IDISはデ=サバタの復刻を精力的に行つてゐるが、当盤は1939年のポリドール録音の全復刻といふことで大変価値があり、音質も優れてゐる。独伊枢軸の政治的背景からであらうか、イタリアの巨匠がベルリン・フィルを指揮した極めて意外な取り合はせである。2枚組の1枚目では、御家藝であるレスピーギの方が立派だらうといふ予想を裏切り、ブラームスが実に格調高い名演である。フルトヴェングラーが得意とした曲だけに音が染み付いてゐるのだらう、全盛期のベルリン・フィルが奏でる内省的な翳りと情念が吹き出した嗚咽は真に迫る。成熟したロマンの発露が屈指の名演を生み出した。肝心のレスピーギも描写力豊かな名演だが、トスカニーニの結晶された完成度には及ばない。特に最後の酒宴に歴然たる差が出て仕舞つた。(2007.11.27)


コダーイ:ガランタ舞曲
ヴェルディ:「アイーダ」前奏曲
ヴァーグナー:「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
シュトラウス:死と変容
ベルリン・フィル
ヴィクトル・デ=サバタ(cond.)
[ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 6406/07]

 再びデ=サバタを聴く。2枚組の2枚目。1939年のポリドール録音の中でも最も印象深いのが、一見畑違ひと思はれるコダーイ「ガランタ舞曲」で、畳み掛けるやうな快速テンポで聴き手を虜にする。後半は相当な難曲なのだが、黄金期のベルリン・フィルが鉄壁のアンサンブルで見事に応へ、噎せ返るやうな情熱を発散する。フリッチャイの格調高い名盤が凡庸に思へて仕舞ふほどの名演で圧巻である。神韻としたヴェルディ「アイーダ」前奏曲も第一級の名演だ。そして、ヴァーグナーとシュトラウスの耽美的な余情は如何ばかりであらう。フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルが紡ぐ憂いを帯びた響きが美しく、極上の名演を繰り広げる。このポリドール全録音はデ=サバタの残した最も素晴らしい記録として永く記憶に留めたい。(2007.12.25)


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、ベルリオーズ:ローマの謝肉祭、シベリウス:悲しきワルツ、ヴァーグナー:ヴァルキューレの騎行
ロンドン・フィル
ヴィクトル・デ=サバタ(cond.)
[DECCA 425 971-2]

 1946年5月に行はれたDECCAへのセッション録音。録音が多くないデ=サバタの貴重な記録だが、ベートーヴェンは覇気がなく良くない。第1楽章はゆつたりとしたテンポで始まる丁寧な演奏だが全く面白くない。展開部から次第に前進するが挽回は出来ない。第2楽章にも同様のことが云へる。第3楽章になると俄然生気を帯びて音楽に血が通ふ。フィナーレは間然する所のない名演だ。だが、全曲で考へると凡演であると云はざるを得ない。余白の3曲がサバタの本領を伝へる名演だ。ベルリオーズはサバタ最後の演奏会記録であるザルツブルク音楽祭ライヴの熱演には及ばないが、極めて充実した名演だ。シベリウスが当盤の白眉で、殊更沈鬱な表情付けをせずに侘しい詩情を聴かせてをり素敵だ。この曲の最高の演奏のひとつだらう。密度の濃いヴァーグナーも名演だ。(2014.1.6)


モーツァルト:レクィエム
タッシナーリ(S)/タリアヴィーニ(T)/ターヨ(Bs)、他
トリノEIAR管弦楽団と合唱団
ヴィクトル・デ・サバタ(cond.)
[WARNER FONIT 5050466-3301-2-3]

 伝統ある伊チェトラ・レーベルが制作した記念すべき最初の録音で、マトリックス番号にCETRA,SS1001/08が与へられてゐた。しかし、演奏自体はイタリアの歌手が気侭に歌ひ、下手な管弦楽が出鱈目に合はせたといふ甚だ不味いものだ。一人サバタのみが深刻な音楽を抉り出そうと腐心してゐるやうだが、ヴァルターやベームといつた独墺系の指揮者が持つてゐる厳格さや敬虔さに乏しく、所詮畑違ひだ。独唱陣ではタリアヴィーニの甘い伊達男振りが光る。(2005.5.21)


ヴェルディ:レクィエム、他
シュヴァルツコップ(S)/ディ・ステファノ(T)/シエピ(Bs)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団
ヴィクトル・デ・サバタ(cond.)
[EMI 7243 5 65506 2 9]

 ヴェルディのレクィエムの他に、「トラヴィアータ」前奏曲と「シチリアの晩鐘」序曲、レスピーギ「ローマの噴水」、ロッシーニ「ウィリアム・テル」序曲などが収められてゐる。何れも相当な名演揃ひなのだが、絶賛するには躊躇ひを覚える。理由はトスカニーニだ。同じイタリア生まれの指揮者として比較せずには済まされまい。ヴォルフ=フェラーリの「4人の田舎者」間奏曲を除く全ての曲にトスカニーニの録音があり、デ・サバタによる管弦楽曲の録音はその足下にも及ばない。だが、トスカニーニの録音を息苦しく感じる方には、大変な価値があるだらう。レクィエムは、独唱陣と合唱団が優秀でトスカニーニ盤に水をあけてをり、一矢報いてゐる。イタリア勢の中でシュヴァルツコップが浮いてゐると云ふのは難癖で、暗めの含蓄ある声が曲想を引き締めてゐる。これは壮麗な歌心溢れる当曲屈指の名盤だ。(2004.12.26)


ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第5番
ナタン・ミルシテイン(vn)
ニューヨーク・フィル
ヴィクトル・デ=サバタ(cond.)
[Tahra TAH 449]

 1950年3月16日、カーネギーホールにおける実況録音。ミルシテインとの協奏曲が取り分け素晴らしい。ミルシテインは洗練された技巧と音色でライヴとは思へない完璧な演奏を繰り広げる。当時はハイフェッツが君臨する米國で二番煎じの如く低く評価されたミルシテインだが、気品あるアーティキュレーションの美しさは程なく築き上げる名声を予感させる。デ=サバタによる伴奏も立派だ。ベートーヴェンは密度の濃いアンサンブルで集中力を切らさずに隙なく演奏された名演と云へるが、全体的に特徴が薄い。往時はこの曲で聴衆を泣かせることが出来た巨匠が存在した訳で、この演奏に特別な価値を見出すことは難しい。(2008.4.17)


ヴェルディ:「シチリアの晩鐘」序曲
ベルリオーズ:ローマの謝肉祭
シュトラウス:死と変容
ラヴェル:ラ・ヴァルス
ウィーン・フィル
ヴィクトル・デ=サバタ(cond.)
[ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 6416]

 伝説的と形容しても過ぎたことではない1953年8月1日ザルツブルク音楽祭のオープニング・コンサートの記録。まず申し上げたいのが、これがウィーン・フィルの音だと俄には信じ難いことだ。熱い。灼熱の演奏だ。野蛮で凶暴とすら云つてよい。ヴェルディでは畳み掛ける熱血振りが凄まじく、長く引き延ばした終結音も異常だ。ベルリオーズは最初こそ軽快だが次第に熱気を帯び、最後の方は狂乱の如く暴れ回る。興奮の絶頂で見せる一瞬の溜めを伴ふパウゼは千両役者の藝当だ。シュトラウスでも振り絞るやうな金管の絶叫を要求してゐる。弦楽器も血飛沫を浴び乍ら壮絶な合奏を繰り広げる。ラヴェルも乱舞が止まない。限界状態でも更に煽り、ミュンシュが大人しく聴こえるほど常軌を逸したコーダを築く。こんな演奏をしてゐては身が持たない。実はこのコンサートの後、程なくして致命的な心臓発作に見舞はれ指揮者活動の続行を断念、この年に引退を表明してゐる。これがデ=サバタの最後の演奏会となつた。音質も混濁はあるが上等な部類だらう。熱血漢の永代語り継がれる伝説の公演。(2013.5.24)


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
シューベルト:未完成交響曲
BBC交響楽団
サー・マルコム・サージェント(cond.)
[Warner Icon 2564 63412-1]

 プロムス中興の祖サージェントの選り抜きのEMI名録音集18枚組。サージェントのエロイカなんて、と迂闊に軽視せぬが良い。なかなかだうして立派で内容の濃い演奏だ。手垢塗れの独墺系指揮者が残した気の抜けた演奏より、真摯な取り組みが好もしい。テンポや表情こそ常套的な範疇を超えないが、楽器の扱ひが絶妙だ。多くの演奏で埋もれ勝ちな声部を丁寧に聴かせて呉れ、新鮮な発見がある名演と云へる。取り分け第1楽章の悠然たる構へが良い。シューベルトの演奏は特徴がない。生真面目に演奏をしたが、雰囲気に乏しいので詰まらない。(2020.5.30)


シベリウス:交響曲第1番、同第5番、ポヒョラの娘
BBC交響楽団
サー・マルコム・サージェント(cond.)
[Warner Icon 2564 63412-1]

 プロムス中興の祖サージェントの選り抜きのEMI名録音集18枚組。英國の指揮者はおしなべてシベリウスを得意としたが、サージェントもそのひとりだ。とは云へ、コリンズやバルビローリと比較すると幾分小手先の表現が目立つて仕舞ひ、感銘が劣るのは致し方ない。第1交響曲は雄渾な名盤が犇めいてゐる中で、サージェントの繊細さと情熱を融合させた職人技が、いいとこ取りをした絶妙な名演を生み出してゐる。ポヒョラの娘にも同様のことが云へるだらう。この2曲は劇的かつ叙情的な名演だ。第5交響曲も全体的には見事な名演だが、孤高の作曲家シベリウスへの最後の詰めが足りない気がする、と云へば難癖になるだらうか。演奏自体は大変立派で、テンポやアンサンブルは申し分ないのだが、どこか雰囲気に欠け、器用貧乏な結果の演奏と感じた。(2018.3.15)


コールリッジ=テイラー:ハイアワサの婚礼の宴
ジャーマン:劇付随音楽「ヘンリー8世」、同「ネル・グィン」
ウォーロック:カプリオール組曲
ブリテン:シンプル・シンフォニー
フィルハーモニア管弦楽団/ロイヤル・フィル、他
サー・マルコム・サージェント(cond.)
[Warner Icon 2564 63412-1]

 プロムス中興の祖サージェントの選り抜きのEMI名録音集18枚組。サージェントが自國の音楽を得意としたのは云ふまでもないが、殊に合唱曲では他の追随を許さなかつた。アフリカ系英國作曲家サミュエル・コールリッジ=テイラーの「ハイアワサの婚礼の宴」はロングフェローのインディアン英雄叙事詩『ハイアワサの歌』―新世界交響曲にも霊感を与へた―を題材にしたカンタータ三部作の第1作。明るく素朴でメルヒェン漂ふ名曲。華麗なオーケストレーションも聴き物だ。使命感をもつて布教活動をしたサージェントの代表的な名盤で、この箱物の目玉である。リチャード・ルイスの独唱も最高だ。エドワード・ジャーマンの劇付随音楽は描写力が抜群で実に上手い。ヘンリー8世からは3曲で、モリスダンス、羊飼ひの踊り、松明の踊り、ネル・グィンからも3曲の踊りで、田舎、田園、浮かれ騒ぐ人の踊りを演奏してゐる。サージェントの手腕が発揮された名演だ。評論家と二足草鞋のウォーロックのカプリオール組曲は読みの深い演奏で、舞曲の性格を見事に捉へ細部まで仕上げが行き届いた決定的名演だ。原曲の陰気さにバルトーク風の仕掛けも決まつた名演だ。ブリテンは自作自演盤の大いなる壁があるが、肉薄する名演であらう。ロイヤル・フィルも好演してゐる。(2019.8.6)


シューベルト:ミサ曲第5番変イ長調、ミサ曲第4番ハ長調
ヘレン・ドナート(S)/ルチア・ポップ(S)/ブリギッテ・ファスベンダー(A)/ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)、他
バイエルン放送交響楽団と合唱団
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(cond.)
[EMI 50999 0 28474 2 9]

 シューベルトの宗教作品7枚分に世俗的合唱作品4枚分を加へた11枚組。サヴァリッシュの偉業である。これだけ体系的に録音されたものはなく、決定的な存在と云へる。歌曲王シューベルトのこれらの作品は全く聴かれることがないが、隠れた宝庫である。ミサ曲の第6番及び第5番だけは演奏機会が多い。第5番変イ長調は初期習作からの脱皮を刻印した記念すべき名曲である。サヴァリッシュはPHILIPSレーベルにも録音を残してをり、新盤となる当盤は曲を手中に収めた感のある名演だ。合唱、管弦楽ともに極上の演奏で、独唱陣も高次元の歌唱を聴かせる。特にドナートとファスベンダーが素晴らしい。第4番ハ長調はモーツァルトの影響が強く感じられる作品だが、非常に完成度は高い。演奏は万全だ。独唱ではポップが光つてゐる。(2015.1.15)


ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、同第8番
ウィーン・フィル
フランツ・シャルク(cond.)
[Dante LYS 236-237]

 シャルク録音全集2枚組。2枚目。1928年4月に録音されたベートーヴェンは非常に興味深い内容だ。マーラーが指揮者といふ存在を押し上げ「指揮者の時代」の先鞭を付けたが、ウィーン・フィルは自主独立の気風を強く持ち続けた数少ないオーケストラである。歌劇場付きであることも理由のひとつだらう。確認出来る最初期の録音からその独特な性格を聴くことが出来るのだ。何と云つてもヴァイオリンの奏法が後のウィーン・フィルと全く違ふ。コンツェルトマイスターのロゼーの支配力が如何に絶大であつたかを示すのだ。ノン・ヴィブラートによるテヌート奏法が全体を貫く。シャルクの颯爽とした棒と純度の高いロゼーのボウイングが融合した一種特別な演奏で、歴史的にも意義のある録音なのだ。(2022.1.18)


ドヴォジャーク:交響曲第5番、スラヴ狂詩曲
チェコ・フィル
カレル・シェイナ(cond.)
[SUPRAPHON SU 3852-2]

 交響曲の5番ともなると全集録音以外で取り上げてゐる指揮者は限られてくる。矢張りチェコ・フィルの合奏で鑑賞したいと探せば、名匠シェイナの録音があつた。タリフとアンチェルの間にあつて目立たぬ存在ながら、幾たりかの名盤がある。当盤は洗練された演奏とは異なり、御國訛りを聴かせる演奏として最右翼に位置する名演と云へる。郷愁豊かな歌と土俗的な舞踏がチェコ・フィルのくすんだ木質の音色で奏でられる。第3楽章で聴かせる民族色が素晴らしい。第4楽章の野暮つたい昂揚も見事だ。スラヴ狂詩曲も同様の名演で、物悲しい情感を引き出してをり御家藝の面目躍如と云へる。(2008.2.19)


ドヴォジャーク:交響曲第7番、謝肉祭、スラヴ舞曲第1番、同第2番
ブラームス:ハンガリー舞曲第5番、同第6番
ウィーン・フィル/ロンドン・フィル/コンセール・ヴァトワール
コンスタンティン・シルヴェストリ(cond.)
[EMI 50999 7 23347 2 0]

 シルヴェストリEMI録音全集17枚組―協奏曲の伴奏録音は除く。チャイコフスキーとドヴォジャークの後期三大交響曲の録音は異才シルヴェストリの代表盤だ。だが、前者と異なり、ドヴォジャークは3曲ごとにオーケストラが異なる。残念ながら名門ウィーン・フィルとの第7交響曲は良い結果に繋がつたとは云ひ難い。シルヴェストリの棒は木目細かく揺らし、絶妙な間合ひで曲に生命を吹き込んでゐる。煽り立てるやうな熱気が凄まじく、楽器の強調も冴えてゐる。だが、ウィーン・フィルが熟れてをらず、第1楽章のコーダで音楽が最高潮になつた時にアンサンブルが崩壊し、音が薄くなるのは致命傷だ。一方で、色気のある音色は強みである。第3楽章や第4楽章は名演だ。ロンドン・フィルとの謝肉祭が絶品だ。畳み掛ける情熱が爆発してゐる。火を噴く決定的名演だ。コンセール・ヴァトワールとのスラヴ舞曲とハンガリー舞曲は熱気が素晴らしく勢ひは好ましい。ただ、スラヴ舞曲第1番ではシンバル奏者が繰り返しを間違へたのか冷やりとする瞬間があるし、ドヴォジャークは本場チェコの指揮者に譲りたい。ブラームスのジプシー的情熱が面白からう。斯様に思ひ切つた演奏も少ない。痛快だ。(2017.8.16)


ベルリオーズ:幻想交響曲
ファリャ:「恋は魔術師」「はかなき人生」より
コンセール・ヴァトワール
コンスタンティン・シルヴェストリ(cond.)
[EMI 50999 7 23347 2 0]

 シルヴェストリEMI録音全集17枚組―協奏曲の伴奏録音は除く。ベルリオーズはシルヴェストリ向きの曲である。刺激的な仕掛けが随所にあり、面白く聴ける。幾分小手先の表現も散見されるが、全体の見通しは良く、なかなかの名演なのだ。コンセール・ヴァトワールを起用してゐるのも大きい。血肉と化した名曲を斬新な解釈で演奏する喜びに溢れてゐるやうだ。後半2楽章の鮮烈な表現は当然素晴らしいが、濃厚な情熱を秘めた第1楽章に看過出来ない個性を感じ取れる。ファリャの2曲は全曲を聴きたくなる白熱の名演である。「恋は魔術師」から火祭りの踊り、「はかなき人生」より間奏曲とスペイン舞曲で、色彩豊かなオーケストラの醍醐味を堪能出来る。(2019.8.19)


ドヴォジャーク:交響曲第9番「新世界より」
リスト:ハンガリー狂詩曲第2番
ショパン:マズルカ(2曲)と前奏曲
ボロディン:「イーゴリ公」組曲
フィラデルフィア管弦楽団
レオポルト・ストコフスキー(cond.)
[Biddulph WHL027]

 電気録音初期に精力的に管弦楽の録音を敢行したストコフスキーの記念碑的な名盤。1927年に録音されたドヴォジャークとリストが素晴らしい。新世界交響曲は自在な緩急を付けた名人藝で、統率力と説得力には舌を巻く。主題ごとに性格を描き分け、最も速く、最も粘り、最も官能的に、最も郷愁豊かに、最も鮮烈に、最も勇壮に表情を付けて行く。当時、黄金期にあつたフィラデルフィア管弦楽団の合奏も天下一品で、低弦の雄弁さは特筆したい。下品な演奏と一蹴することは容易いが、「シェヘラザード」と同様に理屈を超えた魔術により感覚を麻痺させられる。録音は古いが、演奏だけを云々するならストコフスキー盤を最上位に置きたいくらゐだ。ストコフスキーがピアノを弾いて新世界交響曲を解説した録音も併録されてをり興味深い。派手なリストも融通無碍な名演。ボロディンはやや感銘が落ちるが、表情が千変万化する名演だ。ショパンの編曲3曲は些か趣味が悪い。(2008.11.28)


ストコフスキー:バッハのトランスクリプション集
フィラデルフィア管弦楽団
レオポルト・ストコフスキー(cond.)
[Pearl GEMM CD 9098]

 ストコフスキーの偉大な業績としてバッハのオルガン曲等を管弦楽に編曲して演奏したことを第一に挙げねばなるまい。ストコフスキーは他の作曲家のピアノ作品などを編曲することもあつたが、手放しで称賛できるほどは成功してゐない。だが、バッハの作品では原曲を凌ぐ感銘すら受ける演奏すらある。普遍的で伸展性を備へてゐるバッハの音楽と、オルガン奏者であつたストコフスキーの見事な音響感覚が融合して、壮麗な世界が誕生した。電気録音初期の1927年から1940年まで、フィラデルフィア管弦楽団との録音を録音を集成した2枚組の1枚目を聴く。収録曲はパッサカリアとフーガハ短調、コラールから3曲、クリスマス・オラトリオより1曲、平均律クラヴィーア曲集より3曲、イギリス組曲より2曲、無伴奏ヴァイオリン曲から2曲、ヴァイオリン・ソナタから1曲だ。大曲パッサカリアとフーガには圧倒されるだらう。(2016.10.3)


ストコフスキー:バッハのトランスクリプション集
フィラデルフィア管弦楽団
レオポルト・ストコフスキー(cond.)
[Pearl GEMM CD 9098]

 再びストコフスキーのバッハ・トランスクリプション集を聴く。2枚組の2枚目。収録曲は、大フーガト短調、トッカータ・アダージョとフーガハ長調からアダージョ、小フーガニ長調、管弦楽組曲第3番よりエア、シェメッリ歌曲集より2曲、マタイ受難曲より1曲、ヨハネ受難曲より1曲、コラール前奏曲より3曲、カンタータ第4番より1曲、トリオ・ソナタより1曲、前奏曲とフーガ第3番ホ短調、トッカータとフーガニ短調だ。これら一連の曲を聴いて感じるのは、バッハの音楽が人口に膾炙されたのはストコフスキーの貢献によるところが大きいといふことだ。トッカータとフーガニ短調が1オルガン曲から斯様に有名になつたのはストコフスキーの影響であることは否定出来まい。宗教曲における重厚な響きは胸に迫る。管弦楽組曲のエアは官能と崇高が織り交ざつた一種特別な名演である。(2017.11.24)


アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.)
サー・エドワード・エルガー(cond.)
サー・ヘンリー・ウッド(cond.)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
レオポルト・ストコフスキー(cond.)
ニコラウス・スロニンスキー(cond.)
[SYMPOSIUM 1253]

 英SYMPOSIUMによる管弦楽の稀少音源集。当盤でしか聴けない音源多数なのだが、本当に価値があるのは、後半に収録されたフレイハンのテルミン協奏曲とヴァレーズのイオニザシオンだ。まず、テルミンを独奏楽器とし、オーケストラ伴奏による協奏曲があつたことに驚きを禁じ得ない。1945年2月、クララ・ロックモアのテルミン、ストコフスキー指揮、ニューヨーク・フィルによる演奏である。13分弱の曲で、ハリウッド映画音楽風の派手な楽想で親しみ易い。ヴィブラートを強大にしたヴィオラのような音色のテルミンが奏でる妖艶な旋律だけでなく、技巧的なパッセージも疾駆するのが聴き処だ。音楽的にも大変素晴らしいので必聴だ。次に1933年3月、初演直後に録音された世界初の打楽器アンサンブル音楽、ヴァレーズ「イオニザシオン」に衝撃を覚える。その他の収録曲だが、1938年、トスカニーニがBBC交響楽団を指揮した英國国歌、1927年、エルガー自作自演で交響曲第2番第3楽章のリハーサル風景の断片、1942年、フルトヴェングラーとウィーン・フィルによるベートーヴェンの交響曲第9番第3楽章の断片録音は大層貴重で、蒐集家にとつては重要だらう。1936年、ウッド指揮BBC交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第8番のブツ切れだがほぼ全曲の記録と第4番のほんの一部分の記録は、演奏も凡庸で鑑賞に適さない。これは不要だ。もう1曲、シベリウス唯一の自作自演とされるアンダンテ・フェスティーヴォが収録されてゐるが、これは偽物の方である―ONDINEとBISから発売されたのが本物だ。しかし、皮肉なことに、本物よりもこの正体不明の偽物録音の方が感動的な名演なのだ。(2019.10.26)


コダーイ:「ハーリ・ヤーノシュ」組曲、ブダヴァリ・テ・デウム
ファリャ:スペインの庭の夜
ウィリアム・カペル(p)
ブダペシュト交響楽団/ニューヨーク・フィル、他
レオポルト・ストコフスキー(cond.)
[Music&Arts CD-771]

 ストコフスキーの珍しい演目を編んだ1枚だ。実は当盤を求めた理由はストコフスキーではなく、ファリャの独奏を担つたカペルの蒐集の為であつた。勿論カペルにとつて唯一の録音記録で大変貴重だ。近代ロシアの勇壮な楽曲を得意とする一方、ドイツ古典での怜悧な佇まいを見事に弾き分けたカペルは、スペインの情熱と官能も巧みに表現する。なかなかの名演だが、録音状態がやや古いのが残念だ。当盤の主役たるストコフスキーは豪華絢爛、魔術師たる面目を発揮してゐる。コダーイはどちらも名演だ。ハーリ・ヤーノシュは元々スペクタクルの要素が強く、ストコフスキーには打つて付けで決まつた感がある。時に大見得を切りつつも違和感がなく、ツィンバロンの効果も抜群だ。ブダヴァリ・テ・デウムは非常に珍しい。合唱、管弦楽、オルガンを掌握した雄渾な演奏に思はず呑み込まれる。特上の名演だ。(2015.12.18)


リムスキー=コルサコフ:シェヘラザード
チャイコフスキー:スラヴ行進曲
ロンドン交響楽団
レオポルト・ストコフスキー(cond.)
[CALA CACD0536]

 ストコフスキーの復刻を使命感をもつて敢行するCALAによる極上の1枚だ。シェヘラザードは魔術師ストコフスキーの代表盤で、デッカ・フェイズ4録音の劈頭を飾つた記念碑的な録音だ。冒頭の音から生命が宿つてゐる。ヴァイオリン独奏のグリューエンバーグは振り絞るやうなヴィブラートで誘惑する。全楽器が煽情的な音を奏で、それぞれの任務を見事に果たしてゐる。かうでなくてはならないといふ思ひが十二分に出し尽くされてゐる。私見ではシェヘラザードはこのデッカ・フェイズ4盤があれば充分だ。他の演奏では物足りない。ストコフスキーの演奏は楽譜をかなり変更してゐるが、怪しからんほど効果的なので大いに支持したい。さて、当盤には初出となるリハーサル風景が収録されてゐる。ストコフスキーの愉快で一途な人柄が伝はる、和やかかつ真摯な稽古だ。さらに、ストコフスキー90歳の誕生日を祝ふ演奏会でのスラヴ行進曲のライヴ録音が聴ける。非常に完成度の高い名演だ。熱気とストコフスキーらしさではセッション録音のデッカ盤を上位に置きたいが、音響と音楽の運びが自然な当盤の演奏も同じくらゐ素晴らしい。(2014.5.9)


ヴィヴァルディ:四季
ヒュー・ビーン(vn)
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
レオポルト・ストコフスキー(cond.)
[Decca 4832504]

 デッカ録音全集23枚組。1966年の録音。デッカの粋を集めたフェイズ4録音はストコフスキー藝術の魅力を増幅させ、スペクタクルな音響世界は唯一無二であつた。そんなフェイズ4録音にいくら人気曲だからと云つてヴィヴァルディ「四季」を録音するのはもつたいない。さう云ふことなかれ。演奏自体は良く、ストコフスキー節も随所に現れて面白く聴ける。特に終結音前のリタルダンドを数小節もかけて行ふのはストコフスキーだけで、終結音の長い伸ばしもストコフスキーだけだ。全体に色気があり趣向が凝らされ迫力もある。管弦楽主体の演奏なのだが、独奏のビーンも申し分ない出来栄えだ。フィルハーモニア管弦楽団のコンサート・マスターで実力は抜群、素晴らしい。(2022.7.15)


ベルリオーズ:幻想交響曲
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
レオポルト・ストコフスキー(cond.)
[Decca 4832504]

 デッカ録音全集23枚組。1968年、フェイズ4で録音されたストコフスキーならではの魅力を味はへる名盤だ。曲自体が怪奇趣味満載なので、ストコフスキーは個性の出し所に幾分苦慮してゐるやうにも思はれ、第1楽章と第3楽章ではほぼ正攻法で演奏をしてゐる。第2楽章も音楽自体は特段風変はりなことはしてゐないが、兎に角ハープに拘泥はつた演奏だ。序盤ではハープを聴かせる為にそれ以外の楽器を弱音で弾かせるので、どきりとする。ハープを主役にした演奏はストコフスキーだけだ。お待ちかね、第4楽章以降はストコフスキー節が全開となる。第4楽章は管楽器を遠慮なく吹かせ、音を割り乍ら恐怖を煽る。当然だが、第5楽章が最も凄まじい。重量感のある鐘の低い音はベルリオーズの望んだ音だらう。テンポの緩急も自在で「禿げ山の一夜」宛ら奇怪な情景を演出する。弓が傷付きさうな渾身のcol legno奏法には背筋が凍る。最終音はストコフスキーお得意の爆音処理で締め括る。(2019.6.23)


ベートーヴェン:交響曲第7番、「エグモント」序曲
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
レオポルト・ストコフスキー(cond.)
[Decca 4832504]

 デッカ録音全集23枚組。序曲が1973年、交響曲が1975年の録音で、1977年に95歳で大往生する怪物の最後期の記録である。90歳を越えた人間の音楽とは思へない程、生気に溢れてゐる。とは云へ、ロシア音楽を振る時の鬼才ストコフスキーを期待してはゐけない。ストコフスキーのベートーヴェンはどれも正統的なのだ。禁忌と云へるやうな逸脱はなく、拍子抜けするくらゐだ。だから、ストコフスキーのベートーヴェンは薬にも毒にもならない。(2023.2.18)


モーツァルト:交響曲第39番、同第40番、同第41番「ジュピター」、「魔笛」序曲
シュターツカペレ・ベルリン
リヒャルト・シュトラウス(cond.)
[DG 479 2703]

 大作曲家シュトラウスは指揮者としても栄達し、主要な歌劇場や楽団の要職を歴任した。DGへの録音を集成した7枚組。自作自演以外の代表的録音であるモーツァルトの録音は電気録音初期に行はれた。録音年は第39番と第41番が1926年、第40番が1927年、序曲が1928年だ。演奏は兎に角速い。類例がない速さなので、古来より話題多き録音である。「魔笛」序曲の主部の速さは尋常ではない。一方、速過ぎて雑然としてをり、アンサンブルは乱れてゐる。何よりも前のめりになる箇所が多い。オーケストラのせいではなく、シュトラウスの棒が急くので端折らざるを得ないのだ。だが、速いだけの演奏ではない。動きのあるフレーズはテンポを煽り、歌ふような落ち着いたフレーズではテンポをぐつと落とし、緩急をあざとく付けてゐる。戦後のモーツァルト演奏はイン・テンポが基調となつたが、シュトラウスの指揮は極めてロマンティックでアゴーギグが顕著なのだ。特にジュピター交響曲のフーガで大胆な緩急を付けるのは豪毅だ。音が貧しく、仕上がりも全然良くないが、底に流れる音楽は非凡だ。(2018.2.22)


ベートーヴェン:交響曲第5番、同第7番
シュターツカペレ・ベルリン
リヒャルト・シュトラウス(cond.)
[DG 479 2703]

 大作曲家シュトラウスは指揮者としても栄達し、主要な歌劇場や楽団の要職を歴任した。DGへの録音を集成した7枚組。電気録音初期の吹き込みで余程の酔狂でないとお薦めし兼ねる録音だ。第5番は1928年の録音。ドイツの指揮者だけが醸し出せる雄渾で力強い演奏ではあるが、他に聴くべき録音が夥しくあるので好き好んで聴くこともなからう。第7番は1926年の録音で更に貧しい音だ。演奏は快速調で悪くないのだが、ひとつ不愉快なことがある。盤面時間の都合だらうが、第4楽章で再現部がカットされていきなりコーダに飛んで仕舞ふのだ。演奏時間僅か4分半。これは非道い。(2022.9.21)


ドヴォジャーク:スラヴ舞曲第1集&第2集(全16曲)、謝肉祭
チェコ・フィル
ヴァーツラフ・タリフ(cond.)
[Naxos Historical 8.111331]

 スラヴ舞曲が1935年11月27日、謝肉祭は翌日28日の録音。ロンドンのアビー・ロード第1スタジオにおける英HMVレーベルへの録音。タリフは戦後にチェコ・スプラフォンに再録音をしてゐるが、この戦前の録音の価値が減じることはない。オバート=ソンによる復刻で音質も上等で比較しても遜色ない。まず、この旧盤と新盤との明確な違ひはテンポが全ての曲で速いことだ。覇気があり、推進力があり、舞踏に熱気がある。アンサンブルも引き締まつてゐる。それだけではない。音色全体に艶があり、陰影が深い。土俗的な粘りと哀愁を帯びた陰りは余人の追随を許さない御國物の強みだ。チェコ・フィルの強い自信も感じる。謝肉祭も威勢が良い名演。(2017.10.9)


ドヴォジャーク:交響曲第7番、同第8番
チェコ・フィル
ヴァーツラフ・タリフ(cond.)
[Naxos Historical 8.111045]

 第7番は1938年、第8番は1935年、両曲とも世界初録音であつた。チェコ・フィルを引き連れて、英國のアビー・ロード・スタジオで収録され、英HMVレーベルより発売された。勿論、戦前は決定盤扱ひであつた。後にタリフはスプラフォンに第8番を再録音したので、この旧盤の価値は半減したが、第7番は再録音がないので重宝される。ブラームスの技法を意識して作曲された第7番は破綻なく演奏することに重きが置かれることが多く、ドヴォジャーク特有の哀愁を帯びた旋律の美しさを存分に引き出した演奏は少ない。タリフ盤は最もチェコ的な演奏として現代でも一聴の価値がある。アンサンブルの機能美の点では弱いが、第2楽章での彷徨ふ詩情の玄妙さは他の演奏が見出せなかつた秘宝である。第8番は流石に音が古く、録音も薄手に聴こえる。だが、演奏そのものは今日でも示唆に富む。第2楽章や第3楽章のさり気無い叙情的な美しさには民族色だけでは云ひ表せないタリフの藝術の結晶が宿つてゐる。(2017.3.9)


スメタナ:我が祖国
ドヴォジャーク:スラヴ舞曲第2集(全8曲)
チェコ・フィル
ヴァーツラフ・タリフ(cond.)
[SUPRAPHON SU 4065-2]

 1939年6月、プラハにおける演奏会の放送用録音が奇蹟的にノルウェー放送局に保管されてをり、チェコ・フィル自主制作盤として限定発売された音源が、スプラフォンのタリフ復刻の補遺巻として発売されたことは大歓迎だ。放送用のアナウンスも完全収録された2枚組だ。この記録は第二次世界大戦開戦前夜、ナチス・ドイツによるチェコスロヴァキア解体の予感に覆はれてゐた切迫した雰囲気を伝へる歴史的意義を持つ。弥が上にも祖国愛を駆り立てる曲だけに、演奏は凄まじい熱気に溢れてゐる。曲ごとに熱烈な拍手が送られる。異様な愛国精神に包まれた会場が一体となつて名演を生み出してゐるのだ。あいや! 真に感動的なのは演奏後だ。感極まつた聴衆たちが自発的にチェコ国歌を斉唱し始める! 結局この数ヶ月後、スメタナの曲の如く歴史は繰り返されるが、チェコ国民の反骨精神には胸打たれる。1週間後のドヴォジャークのスラヴ舞曲は初出音源。民族的な旨味が出た熱烈な演奏だ。最後にチェコ・フィルによるチェコ国歌の録音も収録されてゐる。(2016.10.17)

バッハ:ピアノ協奏曲第1番
ヘンデル:オーボエ協奏曲第3番
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番
スヴャトスラフ・リヒテル(p)/フランティシェク・ハンターク(ob)/イルジー・ノヴァーク(vn)
チェコ・フィル
ヴァーツラフ・タリフ(cond.)
[SUPRAPHON 11 1906-2 001]

 新規格盤でも出てゐるが、旧規格盤で取り上げる。タリフの協奏曲伴奏録音で、1954年から1955年の録音だ。最大の大物との共演は漸くソヴィエトから東欧へと活動を広げることが出来たリヒテルとのバッハだ。非常に整つた精緻な名演であるが、皮相さが気になる。緊張感が持続せず、空疎な演奏に聴こえるのだ。特にタリフの伴奏は巧いが面白味がない。次いで、スメタナ弦楽四重奏団を率ゐたノヴァークが独奏を披露したモーツァルトに注目だ。技量は申し分なく名演を繰り広げる。特にカデンツァは魅惑的だ。タリフの伴奏も見事。しかし、数多ある録音の中で光彩を放つほどの個性と主張は感じられなかつた。知名度とは裏腹に最も内容が優れてゐるのがチェコの名手ハンタークによるヘンデルだ。表情豊かで、よく伸びるオーボエに聴き惚れる。タリフの指揮は小回りが利かないが情味があり絶妙である。(2021.7.24)


ドヴォジャーク:スラヴ舞曲第1集&第2集(全16曲)
チェコ・フィル
ヴァーツラフ・タリフ(cond.)
[SUPRAPHON 11 1897-2 001]

 新規格盤でも出てゐるが、旧規格盤で取り上げる。タリフの戦後スプラフォン録音は角が取れて温かみのある演奏が特徴だが、機能美といふ点では締まりがなく、細部の精度がかなり落ちるといふのが正直な印象だ。戦前のHMVへの録音の方が熱気や合奏の迫力があつたやうに思ふ。とは云へ、侘び寂びとも形容すべき大人の味はひが出て捨て難い魅力もある。タリフによるスラヴ舞曲集は正に本場の伝統芸能を伝へた、洗練されてゐない訛りがあり、それが掛け替へのない特色である。だが、件に述べたやうに演奏に切れ味が感じられず、舞曲としてもたついた印象も受ける。最右翼に位置する個性的名盤であるが、演奏そのものには満足出来ない。(2017.9.24)


ベンダ:シンフォニア変ロ長調
ドヴォジャーク:弦楽セレナード
スーク:弦楽セレナード
チャイコフスキー:アンダンテ・カンタービレ、無言歌
チェコ・フィル、他
ヴァーツラフ・タリフ(cond.)
[SUPRAPHON SU 3836-2]

 これはタリフ最良の遺産である。なのに、旧規格で商品化されたのはスークのみだつた。愛好家なら当盤を看過出来ない筈だ。タリフはヴァイオリニストとして出発し、シェフチーク―教本『セヴシック』で有名―に習ひ、ニキシュに認められベルリン・フィルのコンサート・マスターも務めた。その後、指揮者として大成し、チェコ・フィルの礎を築いたのだが、室内管弦楽団を立ち上げるなど、弦楽合奏への想ひが強かつた。弦楽特有の呼吸による発音とアンサンブルから生まれる温かく気品のある響きは桃源郷のやうだ。スークはSP時代にも録音を残してゐる切り札の演目だ。この再録音でも郷愁を掻き立てる懐かしい音色を引き出し、唯一無二の名演を成し遂げた。プラハ・ソロイスツ管弦楽団とのドヴォジャークも絶対的な名演だ。木目細かく表情を付け、そよ風の如く心地良い旋律の揺らぎがある。ビロードのやうな合奏の響きは機能美を追求した演奏とは対極にある。愛の溜息が聴こえてくる極上の演奏。6分弱のチェコの古典派作曲家ベンダの趣味の良い作品で聴かせる高貴な気品も見事。チャイコフスキーの弦楽四重奏曲や「ハープサルの思ひ出」を編曲した録音は非常に珍しい。甘く歌はれる雰囲気満点の演奏だ。古き良き時代の音がある1枚だ。(2016.12.18)


モーツァルト:「フィガロの結婚」序曲、「魔笛」序曲、交響曲第33番、管楽器の為の協奏交響曲
スロヴァキア・フィル/チェコ・フィル
ヴァーツラフ・タリフ(cond.)
[ARTIS AT026]

 タリフの主要録音集22枚組。戦前のHMVと戦後のスプラフォン両録音を集成したのは初だらう。「フィガロの結婚」序曲のみ1950年のスロヴァキア・フィルとの演奏で、以前仏Tahraから発売されてゐた音源だ。出来は水準程度だ。チェコ・フィルとの「魔笛」序曲は1954年6月9日の録音で、音質も演奏内容も断然良い。当盤の中でも図抜けて素晴らしく、熱気と情感が溢れた屈指の名演なのだ。見逃してゐる方も多いだらう。変ロ長調交響曲は「魔笛」序曲と同日の録音。実はタリフにはスロヴァキア・フィルとの旧録音があり、矢張り仏Tahra盤で聴ける。お気に入りだつたのだらう再録音の出来も素晴らしい。温かみのある弦楽器のアンサンブルが心地よい。協奏交響曲K.297bは1949年の録音で、チェコ・フィルの首席奏者らによる演奏だ。オーボエはヨゼフ・シェイバル、クラリネットがアイロス・ルィビン、ホルンがミロスラフ・シュテフェク、ファゴットがカレル・ヴァセクだ。これは伝説の名手シュテフェクのホルンを聴くべき録音であり、惚れ惚れとする。タリフは奏者らを立てる為に落ち着いたテンポで伴奏に徹する。派手さは皆無、味はひ深い玄人好みの名演だ。(2020.3.1)


モーツァルト:交響曲第38番、第39番
チェコ・フィル
ヴァーツラフ・タリフ(cond.)
[ARTIS AT026]

 タリフの主要録音集22枚組。戦前のHMVと戦後のスプラフォン両録音を集成したのは初だらう。タリフの録音は御國物が殆どで、それ以外の作曲家はチャイコフスキーかモーツァルトが僅かにあるだけで、特にモーツァルトは大のお気に入りなのか多様な作品を録音した。ヴァイオリン弾きであつたタリフは弦楽の指導者として有能であり、モーツァルトへの理解の深さを感じさせる演奏ばかりだ。取り分け所縁のプラハ交響曲に良さを感じた。1954年のライヴ録音と思しき演奏で、全体は雑然としてゐるものの、特に第1楽章での求心力が素晴らしく、細部よりも全体の設計の上手さに魅惑された。1955年のスプラフォンへの録音である第39番は幾分綻びが気になるが、水準以上の演奏だ。チェコ・フィルの伝統でクラリネットがかけるヴィブラートは特徴的だ。(2019.10.29)


ヴィラ=ロボス:「ブラジルの発見」組曲第1番、同第2番、同第3番、同第4番、「祖国防衛の祈り」
マリア・カレスカ(S)
フランス国立放送管弦楽団、他
エイトル・ヴィラ=ロボス(cond.)
[EMI CZS 7 67229 2]

 ブラジルの国民的作曲家ヴィラ=ロボスが晩年の1950年代にフランス国立放送管弦楽団を指揮して記録を残した自作自演6枚組。これは初期盤だが新装盤も出てゐる。1枚目。ブラジルの発見は映画音楽であるが、4種の組曲版での演奏だ。性格が異なる短めの3曲から成る第2番が最も面白いだらう。同じく第3番も素敵だ。第1番は幾分纏まりに欠けるが、元が映画音楽なのが原因だらう。長大な第4番は後半で合唱が入るが、効果的ではなく散漫な曲だ。祖国防衛の祈りは受難曲のやうな趣で、カレスカのひたむきな歌唱が胸を打つ。名曲の名演だ。それぞれの演奏は色彩溢れるフランス国立放送管弦楽団の素晴らしさもあるが、ヴィラ=ロボスの統率力ある棒の力を誉め讃へたい。現在に至る迄、最高の演奏と云つてよいだらう。(2016.3.29)


ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第1番、同第2番、同第3番
マノエル・ブラウネ(p)
フランス国立放送管弦楽団
エイトル・ヴィラ=ロボス(cond.)
[EMI CZS 7 67229 2]

 ブラジルの国民的作曲家ヴィラ=ロボスが晩年の1950年代にフランス国立放送管弦楽団を指揮して記録を残した自作自演6枚組。これは初期盤だが新装盤も出てゐる。2枚目。代表作ブラジル風バッハだ。この曲集は全9曲の編成が特殊なので、全集録音は限られる。従つて、自作自演は外せない名盤である。チェロ8本による第1番はチェロ・アンサンブルによる名盤が数多あるので、自作自演を特別持ち上げることはないが、雰囲気が絶妙だ。第2番は室内管弦楽作品。ジャズの要素も取り入れた実験精神溢れる曲で全4楽章に表題がある名曲だ。サクソフォーンが活躍するのも特徴だ。第4楽章「カイピラの小さな汽車」は誠に楽しい。演奏は整頓されてゐない野暮さが寧ろ良い。自作自演ならではの醍醐味か。名演は第3番だらう。実質ピアノ協奏曲で、色彩豊かな響きと叙情的な趣が交錯する。フランスのオーケストラが妙味を発揮した美しい演奏で申し分ない。(2016.7.14)


ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第4番、同第5番、同第6番、同第7番
ヴィクトリア・ロス=アンヘルス(S)/フェルナン・デュフレーヌ(fl)/ルネ・プレシーヌ(fg)
フランス国立放送管弦楽団
エイトル・ヴィラ=ロボス(cond.)
[EMI CZS 7 67229 2]

 ブラジルの国民的作曲家ヴィラ=ロボスが晩年の1950年代にフランス国立放送管弦楽団を指揮して記録を残した自作自演6枚組。これは初期盤だが新装盤も出てゐる。3枚目。第4番は元来はピアノ独奏曲で、当盤では管弦楽での演奏だ。第1楽章と第3楽章は連綿と哀歌が紡がれ、第4楽章のみ民族的な舞踏で昂揚するが、全体的には弦楽の物悲しい趣が美しい作品だ。演奏は上品で良い。最も有名な第5番はソプラノとチェロ8本といふ編成の曲で、名花ロス=アンヘルスが歌つてゐるのが大注目な筈だが、正直申せば印象が弱い。表現が平板なのだ。この曲ならモッフォ盤を推さう。第6番はフルートとファゴットの二重奏曲。デュフレーヌの名演が堪能出来る。ブラジル風バッハ全9曲の中で最も地味な曲なのだが、この録音は看過出来ない逸品だ。最も規模が大きい管弦楽作品である第7番はフランス管弦楽団の色彩的な演奏が映える。第4楽章フーガは最もバッハ風の楽想で大変な傑作。充実の名演だ。(2016.12.17)


ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第8番、同第9番、ショーロ第2番、同第5番、同第10番、2つのショーロ[追加]
フェルナン・デュフレーヌ(fl)/アリーヌ・ヴァン・バレンツェン(p)
フランス国立放送管弦楽団、他
エイトル・ヴィラ=ロボス(cond.)
[EMI CZS 7 67229 2]

 ブラジルの国民的作曲家ヴィラ=ロボスが晩年の1950年代にフランス国立放送管弦楽団を指揮して記録を残した自作自演6枚組。これは初期盤だが新装盤も出てゐる。4枚目。ブラジル風バッハの第8番は第7番と並ぶ大規模編成の管弦楽曲で、取り分け色彩豊かな第3楽章トッカータは聴き応へ満点、第4楽章フーガも充実してゐる。演奏は幾分主張が足りないかも知れぬ。第9番は元来合唱曲として作曲されたが、弦楽合奏曲で演奏されるのが一般的だ。壮麗かつ哀愁を帯びたフーガはヴィラ=ロボスの真骨頂で、演奏も素晴らしい。ブラジル風バッハ以上に重要とされるショーロの録音も充実してゐる。第2番はフルートとクリネットの二重奏で、デュフレーヌの活躍がここでも際立つ。第5番「ブラジルの魂」はピアノ独奏曲でバレンツェンによる極上の名演。中間部の民族舞曲が印象的だ。第10番「愛情の破れ」は合唱と管弦楽の為の作品で実にprimitiveだ。補遺作品2つのショーロはヴァイオリンとチェロの二重奏だ。演奏はどれも決まつてゐる。(2017.11.21)


ヴィラ=ロボス:ショーロ第11番
アリーヌ・ヴァン・バレンツェン(p)
フランス国立放送管弦楽団
エイトル・ヴィラ=ロボス(cond.)
[EMI CZS 7 67229 2]

 ブラジルの国民的作曲家ヴィラ=ロボスが晩年の1950年代にフランス国立放送管弦楽団を指揮して記録を残した自作自演6枚組。これは初期盤だが新装盤も出てゐる。5枚目。ピアノと管弦楽のための大規模な作品、ショーロ第11番は演奏時間1時間の大曲だ。ピアノ協奏曲といふ定義には当て嵌らず、ピアノの音響を主軸にした壮大な交響詩のやうな作品だ。ピアノはバレンツェンで大活躍だ。管弦楽は幾分混沌としてゐるが雰囲気は良い。楽想が次々と変はるので印象には残らない曲だが、映画音楽のやうな楽しみ方をすれば色彩的な音画に浸れる。兎に角極彩色の派手な曲だ。余白にヴィラ=ロボスへのインタヴュー「ショーロとは何か」が収録されてゐる。(2018.4.3)


ヴィラ=ロボス:モモ・プレコーチェ(ブラジルの子供の謝肉祭による幻想曲)、ピアノ協奏曲第5番、交響曲第4番「勝利」
マグダ・タリアフェロ(p)/フェリシア・ブルメンタール(p)
フランス国立放送管弦楽団
エイトル・ヴィラ=ロボス(cond.)
[EMI CZS 7 67229 2]

 ブラジルの国民的作曲家ヴィラ=ロボスが晩年の1950年代にフランス国立放送管弦楽団を指揮して記録を残した自作自演6枚組。これは初期盤だが新装盤も出てゐる。6枚目。幻想曲はブラジル出身の名女流奏者タリアフェロと組んでの究極の名演である。原曲のピアノ独奏曲を素材とした民族色豊かな曲で、騒乱を極めた雑多な楽想に凝縮されたブラジルの魂を聴くことが出来るだらう。これ以上の名演は求められまい。ピアノ協奏曲の独奏者ブルメンタールはポーランド人で迫害を逃れてブラジルに移住し、多大な貢献を果たした名女流奏者だ。第5番は献呈作品であり、決定的名盤だ。特に第2楽章の荘重な趣は絶品である。余り聴かれることのない交響曲の中から録音された第4番は、途中「ラ・マルセイエーズ」が混入したり、戦闘場面の描写が多い曲だ。内容は乏しいと感じるが、貴重な自作自演で有難く拝聴したい。(2018.8.30)


ウォルトン:ペルシャザールの饗宴、交響曲第1番
BBC交響楽団/ロイヤル・フィル、他
サー・ウィリアム・ウォルトン(cond.)
[BBC LEGENDS BBCL 4097-2]

 ウォルトンの自作自演。ペルシャザールの饗宴は1965年のBBC交響楽団との演奏、交響曲は1959年のロイヤル・フィルとの演奏。ウォルトンはブリテン同様、指揮者としての才能が高く、自作自演は決定的な名演が多い。これら2曲にもセッション録音の名盤があるので、当盤はライヴの感興を楽しむべき1枚だ。交響曲は楽曲自体が極めて劇的かつ緊密に書かれてをり、ライヴ特有の細部のしくじりが緊張感を殺ぐ。しかし、第1楽章は曲が素晴らしいこともあり、聴き応へがある。一方、ペルシャザールの饗宴は感情の起伏による昂揚があり、バリトン独唱のマッキンタイヤーが素晴らしく、録音年が比較的新しく音質が鮮明なので、価値が高い。(2008.5.31)


ベートーヴェン:交響曲第1番、同第2番、「レオノーレ」序曲第2番、「フィデリオ」序曲、「アテネの廃墟」序曲、「プロメテウスの創造物」序曲
ウィーン・フィル/ロンドン交響楽団、他
フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.)
[Naxos Historical 8.110856]

 SP時代に2度も交響曲全集録音を残したヴァインガルトナーは泣く子も黙るベートーヴェンの権威であつたが、トスカニーニらの全集録音が揃ふに及んで、中庸美を重んじる道学者風の覇気のない演奏と一蹴された。現在でもヴァインガルトナーの録音に特別な価値を見出す人は少ないが、いやどうして昨今の古楽器によるベートーヴェンに慣らされた耳には古さを感じさせない意外な新鮮味がある。浪漫的な解釈が全盛の時代でも頑に古典的な美を求めたヴァインガルトナーは、時代様式に捕はれることない偉大な演奏を貫いてゐたのだ。特に第2交響曲と「フィデリオ」序曲が範を垂れる名演。但し所詮は生温い演奏だから劇的なものを求める方は止した方がよい。(2005.2.1)


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、同第4番
ウィーン・フィル/ロンドン・フィル
フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.)
[Naxos Historical 8.110956]

 ヴァインガルトナーが録音したベートーヴェンの交響曲では矢張りウィーン・フィルを指揮した5曲に良さが集約される。巷間では第8番が最も評判が高いのだらうか、第9番も定評がある。だが、余り声高に語られることのないエロイカこそがヴァインガルトナーの最上の名演かと思つてゐる。悲劇的なフルトヴェングラーや雄々しいトスカニーニの録音の前に優美なヴァインガルトナー盤が霞むのは致し方ない。しかし、格調高いフレージング、流麗な音楽の進行は名匠の真価を伝へる。ウィーン・フィルの弦楽器が極上の音を出してゐる。品格の中に覇気ある音楽を聴かせる名演だ。第4番も劣らず名演だ。決して特徴の強い演奏ではなく、これ見よがしの外連などは何処にもない。生き生きとした音楽を作ることに腐心した老練な演奏で、70年近く前の演奏だが古びて聴こえないから流石だ。(2012.6.23)


ベートーヴェン:交響曲第5番、同第6番「田園」、11のウィーン舞曲「メートリング舞曲」
ブリティッシュ交響楽団/ロイヤル・フィル/ロンドン・フィル
フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.)
[Naxos Historical 8.110861]

 20世紀前半において名実共に最も権威のあつた名指揮者ヴァインガルトナーのベートーヴェンでは、ウィーン・フィルとの録音が良く、英國のオーケストラとの録音は遜色があるのは仕方がない。何度も録音してゐるくせに第5番と第6番にウィーン・フィルとの録音がないのは遺憾だ。5番は1932年のブリティッシュ交響楽団との録音。翌年にロンドン・フィルとの録音がある。実に無駄だ。出来は当然ロンドン・フィルとの方が良い。田園交響曲は1927年のロイヤル・フィルとの録音。端正だが感興に乏しく、後世に残る録音ではない。1938年録音のメートリング舞曲が大変珍しい。曲自体は些とも面白くないが、演奏は乙だ。(2010.2.14)


ベートーヴェン:「エグモント」の音楽(3曲)、交響曲第7番、同第8番
ウィーン・フィル/ロンドン・フィル
フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.)
[Naxos Historical 8.110862]

 ヴァインガルトナーの録音では矢張りウィーン・フィルとの演奏が美しい。英國のオーケストラを振つた録音でも覇気漲る名演を聴かせたが、響きの潤ひといふ点において遜色がある。当時のウィーン・フィルはロゼー率いるヴァイオリン・パートが主導してをり、凛とした格調高い音楽は次元が違ふ。確かに金管楽器や打楽器の迫力には欠け、穏健なヴァインガルトナー像を助長してゐる嫌ひはある。しかし、所詮はSP録音であり、全体的な音響の優劣に目を向けるよりも、ヴァインガルトナーとウィーン・フィルによる気高い名演を味はひたい。交響曲おける弦楽器群の瑞々しい発音は格別だ。巷間誉れが高い第8番よりも第7番の見事なリズム感に惹かれる。ロンドン・フィルとの「エグモント」は序曲こそ平凡だが、間奏曲などが良い出来だ。(2008.9.16)


ベートーヴェン:「献堂式」序曲、交響曲第9番
リヒャルト・マイヤー(Bs)、他
ウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場合唱団/ロンドン・フィル
フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.)
[Naxos Historical 8.110863]

 戦後にトスカニーニやフルトヴェングラーによる第9交響曲の録音が発売される迄、決定盤とされた録音である。演奏は現在聴いても古さを感じさせない王道を極めた名演だ。ベートーヴェンの権威ヴァインガルトナーが今日の原典主義的な解釈に近い演奏をしてゐたことには注目すべきだ。とは云へ、1935年の録音で迫力に欠け、穏健なヴァインガルトナーとウィーン・フィルの奏でる演奏は生温く、第9交響曲から特別な感動を求める聴き手には何も得るものはないだらう。何度も語られてきたことだが、名オックス男爵歌ひであつたマイヤーの第一声がまろやかで、その風格ある歌声に心奪はれる。曲想との齟齬はあるが、貴族的な歌唱は別格の域にある。ロンドン・フィルとの序曲の演奏は面白くない。(2014.3.16)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番(ヴァインガルトナー編)、「プロメテウスの創造物」序曲、交響曲第5番
ロイヤル・フィル/ロンドン・フィル
フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.)
[Naxos Historical 8.110913]

 史上初の交響曲全集録音を行つたベートーヴェンの権威ヴァインガルトナーは楽譜の校訂にも威勢を振るつた。ハンマークラヴィーア・ソナタは難儀な技巧と長大な演奏時間を乗り切る体力が必要故にピアニストの中で満足に弾ける者は少ない。ヴァインガルトナーの編曲はこの交響楽的な構想を持つ楽曲を理想的に再現する為の試みである。しかし、編成を拡大した編曲が陥る失敗を完全には免れてはゐない。とは云へ原曲に拘泥しなければ、なかなか乙なオーケストレーションである。寧ろ足取りの重い鈍重な演奏に問題があり、編曲の価値を貶めてゐる。第5交響曲は1933年のロンドン・フィルとの録音。穏当だと往時は評価は低かつたが、隙のない端正な演奏は立派であり無下にしたくはない。当盤では1933年録音の覇気漲る「プロメテウスの創造物」序曲が極上の名演である。(2008.5.23)


モーツァルト:交響曲第39番
ブラームス:交響曲第1番
シューベルト:「ロザムンデ」間奏曲第3番
ロンドン交響楽団/バーゼル管弦楽団
フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.)
[ARTIS AT012]

 主要録音を集成した22枚組。あと2枚か3枚で全録音を網羅出来るので中途半端だ。ヴァインガルトナーはモーツァルトの交響曲第39番を3回も録音したが、この箱物では2種類しか収録されてをらず不徹底なのだ。これは最も古い1923年の録音で、機械吹き込みだから音は相当に貧しい。鑑賞用には適さないが、管弦楽録音黎明期の偉大な記録として拝聴しやう。ブラームスの第1交響曲も録音が3種類も残る。クレジットによると、これは最も新しい1939年の録音とあるが、寧ろ1936年盤の方が音が良く、疑問が残る。最も古い録音が1923年なので、間隔としては電気録音初期の1920年代後半の間違ひなのではないか。音が貧しいのでこれも鑑賞用としては不向きで、内容も特筆すべきことはない。奇妙なことにヴァインガルトナーはシューベルトには関心が薄かつたやうで、このロザムンデの間奏曲が唯一の記録である。不自然な緩急の付いた珍妙な演奏であつた。(2021.10.12)


モーツァルト:交響曲第39番、アイネ・クライネ・ナハトムジーク
L・モーツァルト:おもちゃの交響曲
ロンドン・フィル、他
フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.)
[ARTIS AT012]

 主要録音を集成した22枚組。あと2枚か3枚で全録音を網羅出来るので中途半端だ。ヴァインガルトナーはモールァルトの第39番を大変愛好してをり、何と3種類も録音を残した。これは最後の録音、1940年、ロンドン・フィルとの総決算とも云へる吹き込みだ。非常に完成度の高い安定した演奏で、気品と威厳が融合した極上の名演である。とは云へ、戦前の録音であるし、解釈も穏当であるので、今日の聴き手に何かを訴へかける力は少ない。アイネ・クライネ・ナハトムジークは1939年のロンドン交響楽団との絵録音。これも品格ある名演ではあるが、中庸が過ぎて面白みはない。レオポルト・モーツァルトのおもちゃのシンフォニーが良い。優美さと茶目つ気があり、おもちゃの楽器の扱ひ方も絶妙である。遊びの少ない演奏かも知れぬが絶妙な味がある名演だらう。(2020.11.3)



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