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楽興撰録

ヴァイオリンのCD評


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アウアーの遺産第1巻
レオポルド・アウアー(vn)
カスリーン・パーロウ(vn)
セシリア・ハンセン(vn)
イゾルデ・メンゲス(vn)
[APR 7015]

 ヴァイオリン流派の中で巨人たちを最も多く輩出した名教師アウアーとその弟子たちによる録音集全3巻。第1巻2枚組の1枚目では御当人の伝説的な録音が聴ける。弟子の為に残した2曲だけのプライヴェート録音は、1920年の記録だから何と75歳の時の演奏である。チャイコフスキー「メロディー」とブラームス「ハンガリー舞曲第1番」で、野太いG線の力感、激しいアタック、挑戦的なハイ・ポジションのスケール、エルマンやハイフェッツが継承した生命力が宿つてをり、とても老人の演奏とは思へない。大胆不敵なフレーズ感は老齢故だらうが、圧倒的な個性が楽しめる。3名の女流奏者たちの録音は、師に比べると洗練された趣があり物足りない。中では知名度が低いハンセンの録音が一番良い。技巧の安定感が抜群であり、深々とした音色が素晴らしい。ブラームス「ハンガリー舞曲第4番」、フバイ「ハイレ・カティ」は極上の名演だ。当時人気のあつたパーロウやメンゲスの録音は何れも生硬で詰まらない。メンゲスが弾くシューベルトのソナティネ第3番の伴奏を大家デ=グリーフが担つてゐるのは大変貴重だ。(2008.2.17)


アウアーの遺産第1巻
ミッシャ・エルマン(vn)
ヤッシャ・ハイフェッツ(vn)
[APR 7015]

 アウアー門下の稀少録音集第1巻2枚組。2枚目。アウアーの弟子の二大巨人エルマンとハイフェッツの初期録音である。エルマンの初期ヴィクター録音は英Biddulphからも復刻されてゐたので特別な価値はないが、重要なのはG&Tへの録音の復刻だ。1906年から1908年の録音から6曲が収録されてゐる。人気絶頂期の神童エルマンはG&Tに相当数吹き込んでゐたが、復刻は全くと云つてよいほどなかつた。全復刻を聴いてみたいものだ。ハイフェッツでも驚愕の稀少録音が収録されてゐる。1917年から始まつたヴィクター録音はRCAから繰り返し発売されてゐるので割愛するが、驚くことに1911年―ハイフェッツが10歳頃―の録音2曲が収録されてゐる。最初の録音が1917年といふのが通念なのでこれには腰を抜かした。ドヴォジャーク「ユモレスク」とシューベルト「蜜蜂」を弾く神童ハイフェッツの貴重な記録だ。更に1932年にベル・テレフォンへテスト録音された3曲も兎に角珍しい。演奏は全てハイフェッツならではの磨き抜かれた造形美に圧倒される特級品ばかりだ。(2008.3.18)


アウアーの遺産第2巻
エフレム・ジンバリスト(vn)
フランシス・マクミラン(vn)
ナタン・ミルシテイン(vn)
[APR 7016]

 アウアー門下の稀少録音集第2巻2枚組。1枚目。四天王の兄貴分ジンバリストのヴィクター録音10曲分が重要だ。最も脂が乗つてゐた時期の録音で、丁寧かつ緻密過ぎ感情が稀薄な嫌ひはあるが、白銀の音色が美しい。サン=サーンス「ノアの洪水」「白鳥」、ショパンのワルツ2曲に精緻なジンバリストの特色が聴き取れる。それ以上にキュイ「オリエンタル」、グリンカ「雲雀」「ペルシアの歌」、自作自演2曲から滲むロシアの郷愁に良さを見出すことが出来るだらう。貴重なのはマクミランの1909年と1910年の録音5曲だ。演奏様式は古い世代に属するが、表現力は大きく、激情型の奏者として瞠目に価する。自作、ランデッガーが2曲、アンリ、レデラーと有名曲はないが、面白く聴ける。特に沸騰しきつた熱演のランデッガー「ボヘミアン・ダンス」とレデラー「ハンガリーの詩」が滅法痛快だ。ランデッガー「サルタレッロ・カプリース」の超絶技巧も凄まじい。高名なミルシテインは最初期録音―1932年HMV録音3曲と1936年及び1937年のヴィクター録音6曲である。マクミランの後で聴くと演奏様式の違ひに隔世の感がある。都会的な洗練された技巧と解釈、粒が揃つた発音と清潔な音楽造り、現代奏法の先駆として重要と云へるのだが、些とも面白くない。初期のミルシテインは生硬だと貶されてゐたのも頷ける。(2011.3.25)


アウアーの遺産第2巻
トーシャ・ザイデル(vn)
エディ・ブラウン(vn)
[APR 7016]

 アウアー門下の稀少録音集第2巻2枚組。2枚目。ザイデルとブラウンの録音だ。美音家ザイデルはハイフェッツが最大のライヴァルと目した名手である。濃厚な肉汁が滴るやうなヴィブラートを全ての音に掛け、一種特別な雰囲気を醸し出してゐる。ブラームスのソナタなどは品がなく聴こえたが、小品の数々は官能的な美の喜びに満ち溢れてゐる。ダンブロージオ「カンツォネッタ」の憧憬に充ちた歌心、ヴァーグナー「アルバムフラット」の官能に溺れる喘ぎ声、ブラームス「ハンガリー舞曲第1番」の奔放なジプシー感情、何れも他の奏者からは聴けない魔術的なヴァイオリンの音色を堪能出来る。最高傑作は「シェヘラザード」の第3楽章を独奏で弾いたもので、異教的な趣と妖艶な誘惑に悶絶しさうになる。米國の奏者ブラウンの録音は大変珍しい。グリーグのヴァイオリン・ソナタ第2番とヘンデルのパッサカリアといふ真面目な大曲の録音があるが、然程面白くない。それ以外の、清教徒的な聴き手からは唾棄されさうな通俗的な小品の録音がブラウンの良さを伝へて呉れる。「藁の中の七面鳥(オクラホマ・ミキサー)」を編曲したのは痛快だ。ブラウンが音頭を取つたアンサンブル録音はどれも異常な甘美さで、特にユベール・レオナール「セレナード」では合奏にも音程が上ずる程の過剰なヴィブラートを要求してをり、耽美の極みである。低俗だが面白いことこの上ない。(2011.5.23)


アウアーの遺産第3巻
アレクサンダー・ペチュニコフ(vn)
メイ・ハリソン(vn)
ミシェル・ピアストロ(vn)
サミュエル・ドゥシュキン(vn)
[APR 7017]

 アウアー門下の稀少録音集第3巻2枚組。1枚目。1914年コロシアム/スカラ録音よりペチュニコフの5曲は貧しいアコーステック録音といふこともあり大したことはない。演奏も演目も覇気が感じられない。ハリソンのHMVへの唯一の商業録音とされるディーリアスのヴァイオリン・ソナタ第1番が貴重だ。ピアノは何と作曲家アーノルド・バックスである。ハリソンの復刻は他に英SYMPOSIUMからあつた程度で、矢張りバックスの伴奏によるソナタ第3番が聴けた。さて、第1ソナタだが、だうにも捉へ所のない曲で演奏云々ではなく晦渋さに辟易して仕舞つた。当盤で光彩を一際放つのがピアストロだ。1926年から1931年にかけてのブランズヴィック録音より8曲が収録されてゐるが何も感銘深い名演だ。作者不詳の「ロマネスカ」やビゼー「真珠採り」の切々たる歌の奥深さ、サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」の燦然たる技巧、ヴェニャフスキ「ロシアの謝肉祭」のsul ponticello奏法やトレモロ奏法の妙、エルマンやハイフェッツに匹敵する実力の持ち主だ。ドゥシュキンのHMV録音4曲は小粋な名品だが、それ以上ではない。(2021.1.21)


アウアーの遺産第3巻
ダヴィド・ホッホシュタイン(vn)
ミロン・ポリアキン(vn)
マックス・ローゼン(vn)
ミッシャ・ヴァイスボード(vn)
[APR 7017]

 アウアー門下の稀少録音集第3巻2枚組。2枚目。ブラームスのワルツを編曲して人口に膾炙させたホッホシュタインは1916年の録音2曲が収録されてゐる。音が古いのと演奏に覇気がないので感銘は皆無だが、ブラームスのワルツが聴けるのは一種特別な価値がある。若くして没した名手ポリアキンの録音が白眉だ。晩年の記録だが、大曲「クロイツェル・ソナタ」が聴ける。フラジオレットとポルタメントを融合して演奏する個性的な演奏で面白く聴ける。それ以上に、シューベルトのドイツ舞曲D783-3を侘しい泣き節で歌つたのは絶品だ。ローゼンは有名曲ばかりを5曲、在り来たりな解釈で演奏してをり詰まらない。選曲、演奏ともに独創性に欠ける。一方、認知度の極めて低いヴァイスボードはリースの珍曲やサラサーテとフバイの技巧曲を挑戦的に演奏してをり天晴れだ。(2022.4.15)


モーツァルト:協奏交響曲K.364、協奏交響曲K.297b
バリリ(vn)/ドクトール(va)
カメシュ(ob)/ウラッハ(cl)/フライベルク(hr)/エールベルガー(fg)
ウィーン国立歌劇場管弦楽団/フェリックス・プロハスカ(cond.)/ヘンリー・スウォボダ(cond.)
[Universal Korea DG 40030]

 ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。韓国製だがオリジナル仕様重視で大変立派な商品だ。弦と管の協奏交響曲が聴ける素晴らしき1枚だ。まず、バリリとドクトールが独奏を担ふK.364が極上の名盤である。何と云つても滴るやうなバリリのヴァイオリンが最高だ。どの部分を取つても美しく、思はず溜息が出て仕舞ふ。だうしても比較するとドクトールの魅力が劣るが、バリリが素晴らし過ぎるのだ。この曲には古いサモンズとターティスの録音も良かつたが、当盤を並べて激賞しよう。ハイフェッツとプリムローズ盤を優に凌ぐ。プロハスカの指揮がこれまた見事で、冒頭から音楽が躍動してゐる。K.297bは比べると小粒で幾分感銘が落ちるが、この曲の忘れ難き名盤のひとつだ。ウィーン流儀の、ウィーン・フィルの魅力が詰まつてをり抗し難いのだ。矢張りウラッハの存在感が絶大だ。牧歌的な歌も良いが、職人的な伴奏に回つた時のクラリネットが斯様に魅惑的に聴こえることは少ない。エールベルガーのファゴットがアンサンブルの要を果たしてをり心憎い。カメシュの愛らしいオーボエも美しく、まろやかなフライベルクのホルンも絶妙だ。スウォボダのウィーン情緒に徹した指揮も高く評価したい。(2019.12.7)


ルネ・ベネデッティ(vn)/録音集(8曲)
ハリー・ソロウェイ(vn)/録音集(9曲)
[SYMPOSIUM 1330]

 ベネデッティはSP期に大技巧家として名を馳せた名手である。貴族的に磨かれた音は線こそ細いがプラチナのやうな輝きがある。何と云つても左手ピッツィカート、フラジオレット、ダブルストップなどの超絶技巧の淀みのない鮮やかさはあらゆるヴァイオリストの中でも頂点に位置する。しかし、業師クーベリック同様、感情が稀薄で、どの曲も醒めてをり、技巧への執着ばかりが目立つ。洗練された細工品のやうで感心はするが、感動は与へてくれない。比べてソロウェイは表情こそ豊かだが、ハイフェッツのやうに技巧や表現に圧倒的な気魄がなく、余り面白くない。己の美学に徹したベネデッティの方が寧ろ価値があり、ヴァイオリン愛好家の興味を惹くに違ひない。(2007.5.17)


フランツ・オンドリチェク(vn)/1912年録音(2曲)
ジュール・ブシュリ(vn)/ゾノフォン録音(7曲)
ジャック・ティボー(vn)/フォノティピア公刊全録音、他(7曲)
ヨーゼフ・シゲティ(vn)/G&T録音(6曲)
[SYMPOSIUM 1349]

 英SYMPOSIUMレーベルのヴァイオリニスト復刻23巻目。ドヴォジャークのヴァイオリン協奏曲の初演などチェコ・ヴァイオリン史に偉大な名を残すオンドリチェクの復刻は大変貴重である。収録曲はラフ「カヴァティーナ」とバッハ「エア」で、どちらもsul-Gの濃厚な歌を聴かせる曲であるのも興味深い。弓を押し付けた平坦なボウイングは19世紀に活躍した旧派の典型的な奏法で、記録としては重要だが、演奏内容は遺物だ。パリ音楽院の偉大なる教師として名が残るブシュリの録音が重要だ。ピアノ伴奏はパリ音楽院の重鎮ルイ・ディエメとされてゐる。大変豪華な録音だ。収録曲はルクレール「古風なガヴォット」、フバイ「ハイレ・カチ」、フォーレ「子守歌」、マスネ「タイースの瞑想曲」、ディエメ「カプリース・スケルツァンド」、バッハ「エア」、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番より第3楽章で、ブシュリの全録音ではないのが惜しまれる。モーツァルトが素晴らしい。軽やかなボウイング、高貴な気品は鮮やかである。その他も極上の名演ばかりで、多彩な表情と躍動する生命力を聴かせる。レコード黎明期の最も重要な録音のひとつと絶讃しよう。ティボーの復刻は日レキシントンから出てゐた程度なので貴重だ。初録音であるフォノティピア録音が全部復刻されてゐるのは嬉しい。シゲティの復刻は英Biddulphから全て出てゐた。(2010.7.5)


メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
パウエル:ソナタ・ヴァージニアネスク
フリーダー・ヴァイスマン(cond.)/ジョン・パウエル(p)、他
エディ・ブラウン(vn)
[SYMPOSIUM 1373]

 アウアー門下の逸材ブラウンの代表的な録音が復刻されたことを歓迎したい。2つの協奏曲は1924年の録音で、SP盤片面の収録時間の制約もあり随所にカットがあることが残念だが、太古の機械吹込みによる録音なので致し方あるまい。しかも、メンデルスゾーンの協奏曲は第1楽章と第3楽章のみの録音で、第2楽章はエディス・ローランドによる演奏で補完されてゐる。だが、演奏は颯爽としてをり、技巧も切れ味が抜群だ。チャイコフスキーはかつて指揮者がフルトヴェングラーとされたこともあり愛好家を騒然とさせた録音だが、メンデルスゾーン同様ヴァイスマンの指揮だ。演奏はメンデルスゾーン以上、稀代の名演なのだ。フーベルマンの録音が登場する迄はブラウン盤が最も纏まつたものだらう。第1楽章の大Tuttiの前、スピッカート奏法に続くトリルのパッセージはアウアー門下が必ず行ふ技巧的な装飾が施されてゐる。アウアーは弟子らに見せ場として課題を与へたのだと想像出来る。完璧な技巧で一点の曇りもなく、濃厚な表情と深い歌があり、後のハイフェッツ以上の名演だ。斯様な大曲録音を任されたブラウンは当時絶頂にあり、向ふ所敵なしの大家であつたことがわかる。パウエルのソナタは作曲者のピアノ伴奏による貴重な演奏だ。3楽章から成る親しみ易い郷愁溢れる作品で、通俗的な楽曲で良さを発揮したブラウンには打つてつけの録音だ。(2014.3.7)


ヴィリー・ブルメスター(vn)
録音全集
[レコード社/富士レコード社 F78-2]

 意表外のところからとんでもない価値を持つ商品が登場した。大物ヴァイオリン奏者ブルメスターの史上初の全集盤なのだ。ハルトナックらの書籍に親しんだ愛好家を除けば、ブルメスターは今日完全に忘却されてをり、復刻の望みなど絶望的であつた。それが、創業88年を記念して神田神保町にあるレコード社が全集復刻を敢行した。ブルメスターは1923年に来日し、ニットー・レコードに2曲の録音を残した。これが世界的に珍品であり、本邦で復刻盤を出す意義があるのだ。収録曲は1909年にフランスのグラモフォンに残した、バッハのエアとガヴォット、ラモーのガヴォット、ドュセックのメヌエット、ヘンデルからの編曲3曲、シンディングの悲歌小品、1923年のニットー・レコードにフンメルのワルツと自作のロココ、初復刻となる1932年のデンマークのエディソン・ベルへの録音から、シューマンのトロイメライ、ラモーのガヴォットの再録音、メンデルスゾーンの協奏曲の第2楽章だ。古典作品は全てブルメスターがヴァイオリン演奏用に編曲を施してゐる。ブルメスターは19世紀末にパガニーニ演奏家として一時代を築いたが、飽きられると古典作品で勝負したが人気が出ず、パガニーニに戻つたが時代遅れとして顧みられなかつた。経歴は散々だつたが、録音は古典作品に取り組んでゐた頃のもので、立派な演奏ばかり、不人気が信じ難い。バッハのガヴォットでブルメスター以上の演奏があるだらうか。ラモーのガヴォットの鮮やかさも第一級だ。技巧が確かで、ヴァイオリンの音が白銀に輝いてゐる。愛好家は絶対に聴くべきだ。少量限定生産故、世界的にお宝盤になるに違ひない。(2018.12.20)


グラモフォン録音(1921年〜1922年)
エレクトローラ録音(1928年〜1929年)
ブルーノ・ザイドラー=ヴィンクラー(p)、他
アドルフ・ブッシュ(vn)
[Guild Historical GHCD 2406/7]

 フリッツ・ブッシュの復刻を精力的に行つてきたGuild Historicalがアドルフ・ブッシュの復刻にも乗り出した。期待を裏切らず、早速重要な復刻が行はれた。ベルリンでの最初期録音集2枚組だ。1921年と1922年に吹き込まれたグラモフォン録音は特に貴重で、英SYMPOSIUMのグレート・ヴァイオリニスト・シリーズの第5巻でしか聴けなかつた。当盤はSYMPOSIUM盤にもなかつた初収録の曲を多く含んでゐる。グラモフォン録音ではドヴォジャークのスラヴ舞曲第3番と2テイクある第8番、4つのロマンティックな小品からラルゲット、ユモレスク、シューマンのトロイメライ、ポルポラのアリア、クライスラーのコレッリの主題による変奏曲、独エレクトローラ録音ではバッハのパルティータ第2番のサラバンドが初復刻の筈だ。ポルポラは珍しいし面白く聴ける。ブッシュ、アンドレアソン、ドクトール、グリュンマーによる第1次ブッシュ弦楽四重奏団の全録音も勿論収録されてゐる。中でもホフシュテッターのセレナードは奇蹟的な名演であり、愛好家必携だ。(2015.7.29)


バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ短調
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番、ホルン・トリオ
オーブリー・ブレイン(hr)/ルドルフ・ゼルキン(p)
アドルフ・ブッシュ(vn)
[APR 5528]

 バッハとブラームスのソナタが初出となる貴重な音源。バッハが1939年米國での、ブラームスが1936年英國でのライヴ録音で、アセテート盤からのCD化だ。その為、音質は甚だ宜しくないが、黄金期のブッシュとゼルキンによるデュオを聴ける喜びには代へ難い。バッハは冒頭から訥々した語り口で幽玄な世界へと引き摺り込まれる。華美な虚飾とは無縁の求道精神に貫かれた晦渋さこそブッシュの藝術だ。浪漫を迸らせた高邁な音色は、今日の学究的な演奏からは得られない至宝である。心して聴くが良い。ブラームスのソナタにはHMVへの決定的な名盤があり、音の状態が良くない当盤に特別な価値を見出すことは出来ないが、セッション録音を補完する記録として有難く拝聴しよう。ホルン・トリオはHMVへの高名なセッション録音に未使用の別テイクを組み込んで編集されてゐる。熱心な愛好家には歓迎されようが、一般の聴き手には不要だ。(2009.4.3)


バッハ:無伴奏ソナタ第3番
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ニューヨーク・フィル/フリッツ・ブッシュ(cond.)
アドルフ・ブッシュ(vn)
[Biddulph BID 80211-2]

 ブッシュの渡米後の貴重な記録。バッハの無伴奏作品ではパルティータ第2番をHMVに録音した以外は断片がある位なので、この米コロムビア録音は盛期の記録ではなくとも有難い。しかし、正直に告白するとこのソナタも全盛期のパルティータにも感銘を受けない。瞑想するやうな沈思は流石だが、重音奏法が鈍く、バッハの多声構造への試みが生きてゐないのだ。生涯200回以上演奏したベートーヴェンの協奏曲の録音はこれが唯一。自作のカデンツァを用ゐてゐる。ブッシュ兄弟による呼吸の合つた演奏と賞讃したいところだが、アドルフの独奏が全体に低調で、あの霊感に導かれたカンティレーナを聴くことが出来ない。第2楽章の高貴な歌、第3楽章の躍動感は見事だが、総じて落ち着きのない荒れ目の演奏だ。出来の芳しくない当盤を聴いて直ちにブッシュを評価してはならない。(2006.7.30)


1939年〜1950年録音
バッハ/モーツァルト/ベートーヴェン/シューベルト/シューマン/ブラームス/ブッシュ
ルドルフ・ゼルキン(p)
アドルフ・ブッシュ(vn)
[Music&Arts CD-1244]

 以前Music&ArtsからCD-877の品番で発売されてゐた3枚組に未発表音源を追加し、4枚組で装ひを新たにした商品だ。既出の音源については割愛するが、ドイツ音楽の守護神ブッシュによる貴重な演奏をそれこそ拝んで聴き込んだもので、愛好家ならこの録音集を所持してゐないことなど考へられぬことだ。さて、未発表音源について述べよう。5つ追加されてゐる。バッハの無伴奏ソナタ第1番、モーツァルトのソナタト長調K.379、ベートーヴェンのソナタ第10番、シューベルトのソナチネ第2番と幻想曲だ。バッハは厳密に云ふとアダージョだけが1948年の初出音源で、残りの3楽章分は1934年のデンマーク放送局の音源を使用してゐる。アダージョは衰へが明らかだが求心力はある。モーツァルトは1950年11月3日の録音で、些細な瑕はあるものの概ね名演だ。ブッシュによるモーツァルトのソナタで不出来な演奏はない。同日に演奏されたベートーヴェンは神妙なブッシュの長所が存分に出た名演だ。シューベルトのソナチネも同日の演奏である。そして、初出音源の中でも随一の出来だ。仄暗き浪漫を表出してをり、弱音のカンティレーナが美しい。幻想曲は1946年の演奏だ。ブッシュは全盛期にセッション録音で神々しい決定的名演を残した。それと比べるのは酷だが、当盤の演奏は荒れ気味で良くない。残念なことだ。(2014.4.28)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、ロマンス第1番、同第2番
デンマーク国立放送交響楽団/ラウニー・グレンダール(cond.)/アルフレッド・ウォーレンスタイン(cond.)、他
アドルフ・ブッシュ(vn)
[Guild Historical GHCD 2395]

 協奏曲は一般的に知られてゐる兄フリッツ・ブッシュ指揮ニューヨーク・フィルの伴奏による録音ではない。7年後の1949年3月17日、コペンハーゲンでの放送録音が登場した。世評名高い兄弟共演盤はアドルフが不調で余裕がなく、一本調子に聴こえて個人的には感心しなかつた。当盤は解釈こそ似てゐるが、活気があり闊達な演奏を味はへる。晩年の演奏故に音色が硬く艶がないものの、出来は当盤の方を上位に置きたい。ブッシュ自作のカデンツァも聴き応へ充分だ。だが、敬愛するブッシュには申し訳ないが、ベートーヴェンの協奏曲では理想的な録音を残し得なかつたのは事実だ。グレンダールの伴奏は繊細さがなく単調で面白くないが、熱気は伝はる。ウォーレンスタインとの2曲のロマンスは繰り返し発売されてきた音源。ブッシュにはアメリカの水は合はないらしく、霊妙さが感じられない。(2016.2.12)


ブラームス:ヴァイオリンとチェロの為の二重協奏曲、ヴァイオリン協奏曲
パウル・クレツキ(cond.)/ハンス・ミュンヒ(cond.)、他
ヘルマン・ブッシュ(vc)
アドルフ・ブッシュ(vn)
[Guild Historical GHCD 2418]

 二重協奏曲が1949年6月21日、ヴァイオリン協奏曲が1951年12月18日のライヴ録音で、どちらも米Music&Artsから商品化されてゐた。ブッシュ兄弟共演による二重協奏曲は間合ひが少なく気持ちの余裕の感じられない演奏だ。弟ヘルマンのチェロは健闘してゐる。アドルフの技巧が落ち目であるが、時折往時を彷彿とさせる崇高なカンティレーナが聴かれるのが救ひだ。クレツキ指揮フランス国立放送管弦楽団の伴奏は雑で良くない。ヴァイオリン協奏曲の伴奏はシャルル・ミュンシュの従兄弟であるミュンヒ指揮バーゼル音楽協会管弦楽団だ。恐らくブッシュ最後の演奏記録で半年後に他界して仕舞ふのだが、気力の衰へはなく思ひの丈を出し切つた気魄には圧倒される。とは云へ音色に艶はなく、1943年のスタインバーグ共演盤の方を推奨したい。(2015.4.4)


ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第1番、同第5番、同第10番
ルドルフ・ゼルキン(p)
アドルフ・ブッシュ(vn)
[Biddulph 85004-2]

 1990年代に歴史的弦楽器奏者の録音の聖殿であつた英Biddulphレーベルは2005年頃から一旦は息を吹き返したが、2010年頃には消滅したかに見えた。それが突然の復活宣言。再始動の劈頭を飾るのがブッシュの初出音源とは流石で、健在感を示した。これらは1951年10月に米國のブッシュ自邸で行はれたブッシュ生涯最後の録音の復刻である。何と第5番が未発売で当盤が初出音源となる。奇蹟的に残されてゐたテスト・プレスからの商品化である。そして、第1番も第10番もCDでは復刻がなく鶴首してゐた音源なのだ。演奏は渡米後の疲労が窺はれ、全盛期の輝きとは比べものにならない。しかし、求道的な姿勢で掘り下げて行く様には額突きたくなる。第10番の第2楽章は数多のヴァイオリニストらには近付くことの出来ぬ境地がある。第1番の第2楽章も見事だ。第5番も明るさはなく、武士然とした厳つい演奏なのだが、細部まで生命を吹き込まうとする気魄が伝はる。(2021.8.21)


シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番より第1楽章
サラサーテ/ファリャ/スーク/メンデルスゾーン/ショパン/ドヴォジャーク
グィラ・ブスターボ(vn)、他
[A Classical Record ACR 371/2]

 天才美少女ヴァイオリニストとして第2次世界大戦前に爆発的な人気を誇つたブスターボの主要な録音を集成した稀少盤。1935年から1941年までのコロムビア全録音が復刻されてをり、2枚組の1枚目はツァウン指揮のベルリン州立管弦楽団とのシベリウスとパガニーニの協奏曲と小品7曲が収録されてゐる。シベリウスが凄まじい。濃密なボウイングとヴィブラートを用ゐ、燃え尽きて仕舞ひさうなエスプレッシーヴォで一気呵成に弾き切る。激しいアタック、自在なリズム、妖艶な音色は神童メニューインと好一対を成す。シベリウスの抒情とは無縁だが、魔術的なヌヴー盤と並ぶ不世出の名演だ。パガニーニはウィルヘルミ編曲版による演奏で感興が落ちる。ブスターボも冴えない。小品は全て感情が閃光のやうに煌めく情熱的な演奏ばかりだ。スークではヌヴー盤を凌ぐ強烈な乱舞を聴かせて呉れる。サラサーテにおける曲藝の面白みやメンデルスゾーンやドヴォジャークで聴かせるむず痒い官能の疼きは、悉くヴァイオリンの悪魔的な魅力を引き出してゐる。迷ひがなく自信に充ちた演奏からは妖気が漂ひ、聴く者をセイレーンの如く幻惑する。(2008.5.3)


ヴォルフ=フェラーリ:ヴァイオリン協奏曲
ヌッシオ:ヴァイオリン協奏曲
ルビンシテイン/ドビュッシー/クライスラー/ノヴァーチェク/パガニーニ
グィラ・ブスターボ(vn)、他
[A Classical Record ACR 371/2]

 再びブスターボを聴く。2枚組の2枚目。ブスターボのSP録音全復刻とライヴ録音による協奏曲2曲を収録した当盤は、1200枚の限定生産でそれぞれにスタンパーが押してある稀少品だ。戦前のブスターボが放つ魅力は汲めども尽きない。濃密なルビンシテイン、蠱惑的なクライスラー、燃え尽きて仕舞ひさうなノヴァーチェク、情熱的な焔を燃やし、挑発的な媚態を振り撒く演奏には魂を抜かれさうになる。ブスターボに献呈、初演されたヴォルフ=フェラーリの協奏曲は名刺代はりと云へる十八番で決定的な名演である。抒情的な第1楽章と第2楽章で聴かせる身を焦すやうなエスプレッシーヴォ、渾身の舞踏を聴かせる第3楽章の生命力と閃き、ブスターボの録音があれば他は一切不要だ。楽曲が宝石のやうに輝いて聴こえるのだから。名匠ケンペの指揮も万全だ。作曲者の指揮によるヌッシオの協奏曲はプロコフィエフを想起させる手堅い曲だ。これも激しい集中力で聴く者を圧倒する名演だ。(2008.6.6)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ドヴォジャーク:ヴァイオリン協奏曲
ヴィレム・メンゲルベルク(cond.)/ハンス・シュミット=イッセルシュテット(cond.)、他
グィラ・ブスターボ(vn)
[Tahra TAH 640]

 天才美少女ヴァイオリニストとして一世を風靡したブスターボは親ナチスの咎で戦後の活動枠を台無しにして仕舞ひ、演奏家として最も重要な時期を謳歌出来なかつた人だ。メンゲルベルクの伴奏によるベートーヴェンは1943年の記録。メンゲルベルクとは他にもブルッフの第1協奏曲の録音があつた。戦前にブスターボが録音した小品やシベリウスの協奏曲は聴く者を妖しくも虜にする魔性の名演であつたが、このベートーヴェンは表情過多で品位がなく、作品との相性を考へさせられる。これほど感情移入の強いベートーヴェンは珍しいが、成功してゐない。寧ろ堂々たるメンゲルベルクの指揮に興味が傾く。戦後のブスターボの消息は殆ど伝はらないから、1955年のドヴォジャークは恐ろしく貴重だ。ひとつひとつの音に全身全霊を込めるブスターボにとつてドヴォジャークとの相性は良い。心労や衰へなどもなく情熱的な演奏だ。シュミット=イッセルシュテットの伴奏も素晴らしい。だが、プシホダを筆頭にこの曲には思ひの他名演が多く、当盤に特別な価値を見出すことは出来ない。余白には最晩年のインタビューが収録されてゐる。(2011.8.16)


バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第4番、同第5番、同第6番、同第2番よりアンダンテ、他
マルセル・マース(p)
アルフレッド・デュボワ(vn)
[Biddulph BID 80171]

 ベルギーの名手デュボワの隠れた名盤。第4番の第1楽章を聴くがよい。緩やかで幅の広いヴィブラートが紡ぎ出す滋味豊かで渋く慎み深い音に、祈りにも似た敬虔な心持ちを覚えるだらう。まことマタイ受難曲に思ひ入れのある方なら尚深い感銘を受けるはずだ。フランコ=ベルジュ派としてイザイほどの激情を持たず、グリュミョーほどの華美を具へてゐないが、常に内面への沈着を見せるデュボワにバッハほど相応しい作曲家はないだらう。殊に緩徐楽章が、節度、気品、情操において比類なき高みにあり、音自体に霊感が溢れてゐる。古楽器に依らないものとしてはメニューインやシェリングの録音と並ぶ最も素晴らしい演奏。余白に伴奏者マースによるトッカータBWV.911、フーガとトッカータBWV.914を併録。これも高貴な名演だ。(2005.7.2)


ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番
フランク:ヴァイオリン・ソナタ
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ
フォーグラー:アリア、シャッセとメヌエット
マルセル・マース(p)
アルフレッド・デュボワ(vn)
[Biddulph BID 80172]

 フランコ=ベルジュ派の名手デュボワの弾くフランクともなれば悪からう筈がない。情緒連綿たるヴィブラートで玄妙な音楽に没入してをり、ティボーとコルトーの名盤を忘れさせてくれる唯一の演奏だ。第3楽章の素晴らしさは如何ばかりだらう。とは云へ、表現の幅ではティボー盤には一歩及ばない。フランク以上にドビュッシーが素晴らしい。優しい語り口で高雅な雰囲気を醸し出してゐる。マースの神韻たるタッチも極上だ。意表外にもベートーヴェンが内面の劇的緊張を漲らせた熱演だ。音色こそ柔らかいものの、繊細なヴィブラートが情熱的に鼓動し音楽に隙がない。シゲティに次ぐ名演として推したい隠れた名演である。フォーグラーの典雅な曲は、バッハを得意としたデュボワの趣味の良さが出た感銘深い名演だ。(2005.11.4)


エネスク:チェロ・ソナタ第2番、ヴィオラの為の演奏会用小品、管弦楽の為の組曲第1番
バッハ:2つのヴァイオリンの為の協奏曲
テオドール・ルプー(vc)/アレクサンドル・ラドゥレスク(va)/ダヴィド・オイストラフ(vn)
ブカレスト・フィルハーモニー管弦楽団/ソヴィエト国立交響楽団/キリル・コンドラシン(cond.)
ジョルジェ・エネスク(vn&p&cond.)
[Editura Casa Radio 348 ECR]

 エネスクを敬愛する方は是が非でも入手すべき1枚。1943年に故国ルーマニアで行はれた一連の録音はELECTRECORDもしくは仏Danteから復刻があり、管弦楽の為の組曲第1番ハ長調Op.9は聴く機会が多々あつたのでここでは割愛しよう。ラドゥレスクのヴィオラにエネスクがピアノ伴奏したヴィオラの為の演奏会用小品は仏Danteの復刻のみで聴けたので貴重だ。シューマンのやうな夢みる音楽と情熱的な音楽が交錯する名曲だ。エネスクならではの詫びた哀愁が美しい。さて、当盤でしか聴けない音源がある。ルプーのチェロにエネスクがピアノ伴奏したチェロ・ソナタ第2番ハ長調Op.26だ。4楽章から成る晦渋な作品で、ルーマニアの民族様式と後期ロマン派の要素が融合した曲だ。レーガーやプフィッツナーの作品に近い。終楽章は民族色が強い舞曲で、エネスクのピアノが光彩を放つ。もう1点、バッハの協奏曲が貴重だ。何と1946年4月のソヴィエト楽旅時に録音された、オイストラフとコンドラシンと組んでの豪華録音だ。豊麗な美音を響かせるオイストラフと渋く深いヴィブラートで切り込むエネスクによる高次元の名演が聴ける。(2018.9.16)


バッハ:無伴奏パルティータ第1番
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第2番
エネスク:ヴァイオリン・ソナタ第2番
セリニー・シャイエ=リシェ(p)
ジョルジェ・エネスク(vn)
[Delta CLASSICS DCCA-0045]

 エネスクの晩年のヴァイオリン演奏を記録した録音は何れも希少価値があるが、レミントン・レーベルへの録音は幻のと云つても過言ではない。原盤は既に失はれてゐるからだ。当盤はレミントン録音を状態の良い初期盤から復刻し集成した待望の1枚で、愛好家は絶対に所持しておきたい。しかも、3枚のLPのオリジナル・ジャケットが全て復刻されてをり、それらを代はる代はるケースに収めることが出来て楽しめる。画像はシューマンのジャケットである。蒐集家にとつては垂涎の1枚なのだ。尚、バッハのジャケットはオリジナルに誤記があり、ソナタ第2番と表記がある。この為、蒐集家に混乱を生じさせたが、実際はパルティータ第1番で、有名なコンチネンタル・レーベルの全集録音と同一である。レミントンがコンチネンタル録音をもとに商品化したといふ経緯による。シューマンが神品である。上手な演奏は幾らでもある。しかし、エネスク以上の詩的な詠嘆は聴いたことがない。忌憚なく云へば第3楽章には神が宿つてゐる。自作自演は素晴らしいが、約10年前の戦中にルーマニアでリパッティと録音したエレクトレコード盤の方が遥かに良い。(2011.6.21)


ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番、七重奏曲
ラヴェル:序奏とアレグロ
ジョルジュ・ド・ロスネ(p)/ユリス・ドレクリューズ(cl)/フェルナン・ウーブラドゥ(bn)/ジャン・ドヴェミ(Hr)、他
ジョルジェ・エネスク(vn)
[melo CLASSIC MC 2022]

 愛好家を驚愕させたmelo CLASSIC。初出音源の洪水だが、これがエネスクとなると価値の次元が異なつてくる。1948年録音のベートーヴェンのソナタの音源が増えたことに震へが止まらない。ド・ロスネの伴奏で第1楽章の冒頭に欠落があるが、エネスクのヴァイオリンを聴く上で何の支障もない。ジプシー調の奔放な演奏で、リズムの崩しが尋常でない。音色は正しく感情が爆発したエネスクの音で、内面の燃焼が凄まじい。終楽章の演奏は宛らツィガーヌのやうだ。正統派の演奏と真つ向から決別した異端の演奏だ。1951年録音の七重奏曲とラヴェルはパリの名だたる名手らとの演奏。クラリネットのドリュクレーズ、バソンのウーブラドゥ、コルのドヴェミらとの貴重なアンサンブルだ。顔触れと曲想からラヴェルの方が素敵な演奏だ。さて、ラヴェルはエネスクが参加してゐるのが聴き取れるのだが、ベートーヴェンの七重奏曲に関してはヴァイオリンはエネスクではないと直感で感じた。疑義を呈してをく。(2020.6.24)


バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第4番、第2番
シューベルト:八重奏曲
セリニ・シャイエ=リシェ(p)/ユリス・ドレクリューズ(cl)/フェルナン・ウーブラドゥ(bn)/ジャン・ドヴェミ(Hr)、他
ジョルジェ・エネスク(vn)
[melo CLASSIC MC 2028]

 愛好家を驚愕させたmelo CLASSIC。何とエネスク初出音源に第2弾が出た。放送用の録音でバッハのソナタといふ掘り出し物がある。エネスクと云へば代名詞になつてゐるバッハの無伴奏曲の名盤があるが、シェイエ=リシェの伴奏でソナタが聴けるのは愛好家にとつて値千金だ。無伴奏曲の録音を知る者にとり、このソナタは正しくエネスクのバッハである。広いヴィブラートによる詫びた音色で枯葉の散るやうな演奏である。これが理想とは云はない。だが、異次元の演奏であることは確かだ。第4番のシチリアーナの味はひは一種特別だ。シューベルトは1951年3月1日のライヴ録音でベートーヴェンの七重奏曲とラヴェルの序奏とアレグロと共に演奏された。残念ながら第4楽章と第5楽章が欠落してゐる。さて、このシューベルト、全く異常な演奏である。強烈なジプシー臭のする演奏でハンガリー風どころではなく、ロマ音楽のやうだ。偏にエネスクの歌ひ回しの癖が凄まじい。ルバートや音の処理が独特で、不格好だが面白く聴けること請け合ひだ。(2022.8.9)


バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番、同パルティータ第1番、ソナタ第2番
ドヴィ・エルリ(vn)
[ACCORD 476 9685]

 1969年にDisques Adèsといふレーベルに録音されたドヴィ・エルリのバッハの無伴奏ソナタとパルティータのLPは愛好家垂涎の名盤とされてゐた。廉価盤でひょっこりとCD化されたことは大いに歓迎したい。忌憚なく云へば、エルリ盤は無伴奏ソナタとパルティータを語る時に絶対に忘れてはいけない録音である。どの曲を聴いても生々しい息遣ひが聴こえてくる。当時主流であつたハイフェッツやミルシテインのやうな難曲を制覇し、ヴァイオリン1本による多声構造の試みを聴かせようとした演奏ではない。また、シゲティのやうに求道精神でバッハに迫つた演奏でもない。エネスクやメニューインの第1回目の録音のやうに感情面を肥大させた草書体の演奏なのだ。エルリの演奏は殆ど何も書かれてゐない楽譜から目の覚めるやうな生命の息吹を引き出してゐる。フレーズの起伏を果敢に描き、ソナタのフーガにおいても劇的で自在な感情表現を注入してゐることは驚愕に値する。パルティータが更に素晴らしい。曲想の描き分けが尋常ではなく、パガニーニの曲のやうな速弾きもあれば、大胆に崩した歌の浪漫もあり、単調さの微塵もない。天晴痛快な名盤。(2009.9.15)


バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番、同ソナタ第3番、同パルティータ第3番
ドヴィ・エルリ(vn)
[ACCORD 476 9686]

 1969年にDisques Adèsといふレーベルに録音されたドヴィ・エルリのバッハの無伴奏ソナタとパルティータのLPは愛好家垂涎の名盤とされてゐた。廉価盤でひょっこりとCD化されたことは大いに歓迎したい。装丁は味も素つ気もないが、音質は優秀で愛好家なら是が非とも聴いてをきたい1枚だ。エルリが弾くバッハの特徴は人間の感情が生々しく溢れ出てゐることに尽きる。学究的で神妙なバッハは沢山あるが、エルリのやうな奔放さは滅多に聴けない。だから、形式が勝るソナタよりも舞踏するパルティータが良い。深淵であるシャコンヌが物足りないのは残念だが、致し方あるまい。しかし、それ以外は熱い血が通ふ飛び切りの名演ばかりだ。特にパルティータ第3番での表情が千変万化する様は絶品だ。(2009.11.11)


パガニーニ:24のカプリース
ドヴィ・エルリ(vn)
[DOREMI DHR-8071/2]

 2枚組の1枚目。エルリは弩級の実力を持つ奏者乍ら何故か認知度が低い。何と云つてもバッハの無伴奏ソナタとパルティータ全曲の録音が驚嘆すべき名盤であつた。DOREMIは有難いことに久々にバッハの録音を復刻して呉れた。そして、第2弾として1973年にDisques Adèsに録音されたパガニーニのカプリース全曲を復刻した。存在すら知らなかつたのだが、とんでもない録音に出会ふこととなつた。パガニーニのカプリースに多くの技巧派奏者が挑戦してきたが、技巧の痕跡を成る可く残さぬやう、随分と洗練された工藝品のやうな演奏が多かつた。エルリの録音は全く趣向が異なる。凄まじい気魄と情熱的な音楽で、押し出しが強い。技巧は危なつかしさを残し、軋むやうな音を出し乍ら落下寸前のサーカスのやうな演奏を繰り広げてゐる。電光石火のやうな弓のアタックは鬼神の如し。多少粗くとも熱量と勢ひで征服しようといふ姿勢なのだ。こんなカプリースは聴いたことがない。手に汗握る演奏に、あっと言う間に24曲聴き通して仕舞ふ。精巧なだけの巷間聴かれてゐる録音など問題にならない。これはカプリースの決定的名盤であり、話題にならないのがおかしい。(2021.4.6)


バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ
ジョリヴェ:ラプソディ風組曲
ストラヴィンスキー:エレジー
ドヴィ・エルリ(vn)
[DOREMI DHR-8071/2]

 2枚組の2枚目。1973年にDisques Adèsへ録音した近現代の無伴奏ヴァイオリンの為の作品集だ。とてつもない名演の連続で、ぎらついたエルリのヴァイオリンが鋭く楽曲に切り込んで行く様は痛快天晴だ。バルトークはメニューインの熱い演奏を寒からしめる熱量だ。とは云へ、サーカスの曲芸のやうな演奏で、土俗的な重みも欲しい気がする。5楽章から成るジョリヴェの組曲はイスラエルの音楽に霊感を得て作曲されたとあり、妖しい雰囲気を漂はせた逸品である。現代フランスを代表する作曲家の作品だけにエルリの演奏も親和性を示してをり求心力が強い。ストラヴィンスキーは静寂さが沁み渡る。美しい名演だ。(2021.9.3)


ロドリーゴ:夏の協奏曲
セメノフ:ピアノとヴァイオリンの為の二重協奏曲
エリサルデ:ヴァイオリン協奏曲
ジョルジェ・エネスク(cond.)/イヴァン・セメノフ(cond.)、他
クリスティアン・フェラス(vn)
[TESTAMENT SBT 1307]

 当盤を入手した理由はエネスクの指揮した録音を蒐集する為であつたが、若き日のフェラスの藝術性に心打たれる名演揃ひであることを最初に述べてをきたい。後のカラヤンとの共演の印象が強いが、技巧と気品、そして知性と感情が溢れる名奏者であつた。ロドリーゴの協奏曲が極上だ。水際立つた技巧、情熱的な歌が聴く者を虜にする。エネスクの指揮が真に素晴らしい。第1楽章の異教めいた妖艶な情念の表出は胸に迫る。セメノフの秘曲は作曲者の指揮、ピエール・バルビゼのピアノとの共演で、単一楽章の土俗的な曲だ。音源として貴重であるが、感銘は薄い。フェデリコ・エリサルデの協奏曲は大戦中にヌヴーによつて初演された曲である。残念ながらヌヴーの録音は残らない。神秘的な情熱を秘めた楽想で、フェラスとの相性が良い。この録音はフェラスが14歳の時のもので、天才が光る名演だ。全てDECCAへの録音。(2010.1.17)


ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ、他
イヴォンヌ・ルフェビュール(p)、他
ジャンヌ・ゴーティエ(vn)
[Green Door GDCS-0026]

 フランスの女流奏者ゴーティエは復刻も殆どない玄人好みのヴァイオリニストだが、その魅力たるやティボーやクライスラーにも劣らないと断言したい。柔らかい含み声で語りかける繊細な音色と情熱的な深い歌ひ込みを特徴とし、楽曲に人肌の温もりを与へる名手である。オデオンやコロムビアへのSP録音の復刻20曲は全て琴線に触れる名演ばかりだ。特に作曲家自身の伴奏によるニン「スペイン民謡集」の4曲はスペイン情緒が溢れ出た絶品である。その他、マスネ「タイースの瞑想曲」、チャイコフスキー「無言歌」、フォーレ「子守歌」、F・シューベルト「蜜蜂」、クライスラー「前奏曲とアレグロ」、ドビュッシー「レントより遅く」、プーランク「常動曲」、ガーシュウィン「短い話」など、情操豊かにしてエスプリ芳しき名演には恍惚となる。そして、大物ルフェビュールと録音したラヴェルのソナタは決定盤として名高いが、加へて1票を投じよう。藝術の薫り漂ふ最高の1枚である。(2007.10.29)


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番、同第4番、同第5番
フィルハーモニア管弦楽団/ヴァルター・ススキンド(cond.)
シモン・ゴールトベルク(vn)
[TESTAMENT SBT 1028]

 カール・フレッシュの衣鉢を継ぐ知性派ヴァイオリニストとしてゴールトベルクは将来を嘱目されてゐたが、野心がなく華がなかつた為に、幾つかの優れた録音を残して表舞台から退いて仕舞つた。当盤はクラウスとのデュオ録音と共にゴールトベルクの代表的な録音とされるものだが、意外にも第5協奏曲はこのCDが初お目見えとなつた蔵出し録音。モーツァルトといふ作曲家が本当に理解されるやうになつたのは新古典主義による演奏が主流を占めてからだ。諄い感情表現を避けた気品ある音色による清廉なモーツァルト像の典型をゴールトベルクは創り上げてゐる。テンポ設定は速くないのだが、颯爽とした趣が心憎い。どの曲でも美しい瞬間を持つてゐるが、第3番が特に麗しき名演だ。(2005.7.13)


バッハ:ブランデンブルク協奏曲第4番
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番
ハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番
ホフシュテッター:弦楽四重奏曲「セレナード」
シモン・ゴールトベルク(vn)、他
[Music&Arts CD-1225]

 米Music&Artsによるゴールドベルク復刻第2巻。1932年から1951年にかけての商業録音を集成した8枚組。2枚目。随一の名盤は1947年のパーロフォンに録音されたハイドンの協奏曲だ。指揮はヴァルター・ススキンド、フィルハーモニア管弦楽団の伴奏でチェンバロの通奏低音を伴つてをり本格的だ。何よりも気品を備へたゴールドベルクの独奏が絶品だ。競合盤も少なく決定盤だ。次いでヘンデルのニ長調ソナタが良い。同じく1947年のパーロフォン録音で、ジェラルド・ムーアの伴奏である。高貴で古典的な佇まいが美しい。ホフシュテッターは1932年のBerlin Clangorといふレーベルへの録音で、ベルリン・フィル四重奏団といふ団体名での演奏だ。これは恐らくベルリン・フィルのコンツェルト・マイスターであつたゴールドベルクと首席奏者らによる弦楽四重奏であらう。高水準の演奏だが、録音の古さは否めない。ゴールドベルクの陰影を付けた表現が見事だ。バッハは1933年のポリドール録音。ベルリン・フィルを振るアロイス・メリヒャルの指揮が鈍重で時代がかつてをり、清廉なゴールドベルクの独奏も良い味が出せないままだ。(2017.1.25)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ブラームス:ヴァイオリンとチェロの為の二重協奏曲
ザラ・ネルソヴァ(vc)
ディミトリ・ミトロプーロス(cond.)、他
シモン・ゴールトベルク(vn)
[Music&Arts CD-1223]

 米Music&Artsによるゴールドベルク復刻第1巻。1950年から1970年にかけての非商業録音、ライヴ音源を集成した8枚組。3枚目。1950年にミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィルの伴奏で演奏したベートーヴェンが非常に興味深い。不用意に第1楽章を聴くと腰を抜かすであらう。独奏の音形が至る箇所で一般的な演奏とは異なるからだ。何とこれはウィーン国立図書館所蔵の自筆草稿による演奏なのだ。この曲は1806年に初演されたが、直前迄完成せず、初演者クレメントは初見で弾いたといふ。1808年の出版に際してベートーヴェンは改訂を施す。それが通常聴かれる版だ。これは初演版楽譜による恐らく最初の録音だらう。主に経過句で音形が異なり、一例を挙げれば展開部末尾、再現部に入る直前の8小節間の3連符が全て16分音符になつてゐたりする。資料的に価値ある録音でもあるが、演奏が大変素晴らしい。ゴールドベルク絶頂期の演奏で、貴族的な白銀の音色が輝いてをり、寧ろ普通の版での演奏で聴きたかつたと思はせる名演だ。音質も極上。1967年、ネルソヴァとのブラームスの方が音質が劣る。演奏は独奏は見事だが、管弦楽が冴えない。特別語るべき録音ではない。(2017.2.10)


メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番
ベルク:ヴァイオリン協奏曲
エドゥアルト・ファン・ベイヌム(cond.)/ウィリアム・スタインバーグ(cond.)、他
シモン・ゴールトベルク(vn)
[Music&Arts CD-1223]

 米Music&Artsによるゴールドベルク復刻第1巻。1950年から1970年にかけての非商業録音、ライヴ音源を集成した8枚組。4枚目。メンデルスゾーンは1957年エディンバラ音楽祭におけるライヴ録音で、ベイヌム指揮コンセルトヘボウ管弦楽団との共演だ。この日のゴールドベルクは絶好調で滴るやうな歌で魅了する。流麗で華やかで理想的な演奏を展開してゐる。伴奏も万全で、これは掘り出し物の逸品だ。得意としたモーツァルトは演奏日時詳細不詳のオランダ室内管弦楽団による弾き振りだ。音質が優れず、アンサンブルにも綻びが目立つのだが、緩急自在なゴールドベルクが抜群に良い。流石だ。ベルクは大変興味深い録音だ。1952年、スタインバーグとピッツバーク交響楽団との共演である。クラスナーの演奏にこそ及ばないが掘りの深い名演で、ゴールドベルクの力量を知れる貴重な記録である。(2023.1.6)


バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全6曲)
ハイドン:ヴァイオリンとチェンバロの為の協奏曲
リッター:カンタータ"O amantissime sponse Jesu"
オランダ室内管弦楽団、他
シモン・ゴールドベルク(vn&cond.)
[Retrospective RET93407]

 ゴールドベルクのフィリップス録音の殆どを集成した8枚組。2枚目と3枚目。1958年に録音されたブランデンブルク協奏曲集はステレオ録音初期を飾つた名盤である。ゴールドベルクは若い頃からバッハに真摯に取り組んでをり、この録音はその集大成とも云へる成果である。何と云つてもゴールドベルクのヴァイオリン独奏が素晴らしい。特に第1番や第2番での独奏は比類のない見事さだ。勿論、第4番や第5番も素晴らしいが、古の名手アドルフ・ブッシュなどと比べると無難な印象を受ける。第6番ではヴィオラを弾いてをり、一人だけ艶があるのが判る。合奏に関してはどの曲からも清廉な響きがし、非常に聡明な演奏である。確かに古楽器演奏ほどの徹底さはないし、モダン楽器での個性的な挑戦もなく、現代の耳からすると中途半端な嫌ひはある。だが、中庸で気品を重んじた演奏は古びることはなく、今日においても代表的名盤として推薦出来る。余白に収録されたハイドンが極上の名演だ。珍曲だが、ゴールドベルクの高貴なヴァイオリンに心洗はれる。決定的名演だ。大変珍しいリッターのカンタータはコントラルト独唱曲で詠嘆に彩られた美しい作品である。オルガンが効果的に使用されてをり荘厳だ。(2016.12.29)


ヴィヴァルディ:四季、ヴァイオリン協奏曲イ短調Op.9-5
オランダ室内管弦楽団
シモン・ゴールドベルク(vn&cond.)
[Retrospective RET93407]

 ゴールドベルクのフィリップス録音の殆どを集成した8枚組。4枚目。1973年の録音で盛期を過ぎた頃の演奏だ。ゴールドベルクはバッハ、ハイドン、モーツァルトに定評があるが、ヴィヴァルディへの取り組みは興味深い。一聴してドイツ風の落ち着いた清廉な演奏であることが感じられる。全体的に穏健だが、オランダ室内管弦楽団の清楚で上質な合奏の素晴らしさに惹かれる。ゴールドベルクの白銀のやうな高貴な音色も素晴らしい。だが、数多ある「四季」の録音の中で特別な個性を感じ取れる演奏ではない。同傾向の演奏だが、イ短調協奏曲の方が面白からう。ヴィオッティの名作に継承される荘重さを備へた典雅な名演だ。(2022.7.6)


ハイドン:交響曲第39番、同第44番「悲しみ」
モーツァルト:交響曲第21番、アイネ・クライネ・ナハトムジーク
オランダ室内管弦楽団
シモン・ゴールドベルク(cond.)
[Retrospective RET93407]

 ゴールドベルクのフィリップス録音の殆どを集成した8枚組。7枚目。この箱物の後半ではゴールドベルクは指揮者として活動を専念してゐる。オランダ室内管弦楽団の編成に合つた選曲で、見事なアンサンブルを聴かせて呉れる。ハイドンでは疾風怒濤期の傑作短調作品を清廉かつ情熱的に聴かせる。2曲とも両端楽章における劇的な切り口は滅多に聴けない見事な演奏だ。特に第44番が演奏内容に関しては第一等にしたいほど高みにある決まつた名演なのだが、ひとつ痛恨の汚点がある。第2楽章と第3楽章を入れ替へて演奏してゐるのだ。極めて珍しい先駆的な楽章構成なので楽曲解釈において台無しにした感がある。誠に遺憾だ。モーツァルト2曲は撫でるやうな爽やかな演奏。だが、印象に残ることはない。(2022.9.18)


メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
パガニーニ::ヴァイオリン協奏曲第4番
ルドルフ・モラルト(cond.)/フランコ・ガッリーニ(cond.)、他
アルテュール・グリュミォー(vn)
[Decca/Philips 4851160]

 生誕100年記念グリュミォーPhilips録音全集74枚組。1954年の録音でグリュミォーの最初期の記録のひとつだ。メンデルスゾーンはPhilipsへの正規録音だけでも3種あるが、この最初のに惹かれる。グリュミォー最大の持ち味である艶のある美音が全開で、フランコ=ベルジュ派の新星の登場を刻印した名演だからだ。だが、モラルト指揮ウィーン交響楽団の伴奏が粗悪なのが残念だ。さて、パガニーニが重要だ。楽譜蒐集家ナターレ・ガッリーニによつて発見された第4協奏曲の蘇演はガッリーニの息子が指揮するコンセール・ラムルーとグリュミォーによつて1954年の11月7日に行はれた。勿論、この曲の初録音であり、決定的名盤として君臨するのだ。(2022.12.18)


メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調、同ニ短調
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団/ヤン・クレンツ(cond.)
アルテュール・グリュミォー(vn)
[Decca/Philips 4851160]

 生誕100年記念グリュミォーPhilips録音全集74枚組。1972年の録音。得意としたメンデルスゾーンの協奏曲は正規で3度目の録音で、これが最後の記録だ。徹底的に弾き込んだ味はひ深さがある。旋律の見事な歌ひ方は絶品だ。一方で技巧的な箇所で衰へが感じられ、出来栄えは一長一短だ。珍しい習作のニ短調協奏曲が貴重だ。しかし、蘇演者メニューインと比べると信念が弱く感銘が劣る。とは云へ、熱気と勢ひで押し切つたメニューインにはない洒脱さと優美さを聴かせるグリュミォーの方が作品の本質に近い。(2023.2.24)


ヴィヴァルディ:四季、「調和の霊感」より第6番イ短調
アルパド・ゲレッツ(cond.)/エド・デ=ワールト(cond.)、他
アルテュール・グリュミォー(vn)
[Decca/Philips 4851160]

 生誕100年記念グリュミォーPhilips録音全集74枚組。グリュミォーは晩年になるとバロック音楽を好んで弾いた。ヴィヴァルディもそのひとつだが「四季」は1978年と最後期の録音だ。この頃は古楽器演奏が台頭して来て、グリュミォーの録音は大して注目されなかつたと思ふ。だが、「四季」は一義的にヴァイオリン協奏曲である。独奏が魅惑的でないと面白くない。その点、悦楽に充ちた美音家グリュミォーの典雅で流麗な演奏は抗し難い説得力がある。反面、これはグリュミォーの為の録音で、綺麗なだけの薄口な伴奏が詰まらない。作品3-6には存外名演がなかつた。美音の洪水で虜にする代表的名盤だ。(2022.8.30)


ディーリアス:ヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリン・ソナタ第3番
バックス:ヴァイオリン・ソナタ第3番
モーラン:ヴァイオリン・ソナタ、他
メイ・ハリソン(vn)、他
[SYMPOSIUM 1075]

 アウアーに師事したこともある英國の女傑ハリソンの録音を集成した1枚。ハリソン姉妹は英國楽壇に大いなる貢献をしてをり、メイはヴァイオリニスト、妹ベアトリスはチェリスト、末の妹マーガレットも優れた音楽家として知られた。ディーリアスの協奏曲はアセテート盤による記録なので、度々録音が途切れて仕舞ひ、音の状態も悪い。演奏は極めて濃厚である。ディーリアスのソナタの伴奏者は作曲家バックスであるとも伝へられる貴重な録音。演奏には情念がこもつてゐる。だが、これらの曲には高貴なサモンズの録音が残つてをり、音の状態の悪いハリソン盤の価値は劣る。従つてバックスとモーランのソナタが重要だ。しかし、バックスの方は遺憾ながら録音に欠落がある。モーランが気魄漲る名演だ。ハリソンの代表的な録音だらう。ウォーロックの2つの歌に伴奏を付けてゐる録音も貴重だ。余白にハリソンが作曲した歌曲「5月の歌」が収録されてゐる。当盤は特別な愛好家の為のもので、一般にはお薦め出来ない。(2011.1.7)


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番
バッハ:無伴奏パルティータ第2番
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第6番より第2楽章
ブルーノ・ヴァルター(cond.)、他
ブロニスラフ・フーベルマン(vn)
[OPUS蔵 OPK 7019]

 ベートーヴェンの第6ソナタの第2楽章は拙サイトのフーベルマン・ディスコグラフィーでも紹介してきたが、フーベルマン蒐集家Patrick Harris氏が入手された未発表の音源である。これまでもHarris氏のサイトHuberman.infoでDownLoadして聴くことが出来たが、斯うして市販されたことを喜びたい。Harris氏は頻りにOPUS蔵のことを評価してゐたので、この度のCD化における経緯も自然なことに思へる。演奏は音色と休止の取り方が正真正銘フーベルマンのもので、楽曲から深刻な表情を抉り出した稀代の名演である。復刻も生々しく愛好家は是非揃へておくべきだ。モーツァルトは米Music&Arts、バッハは米Arbiterから既出のCDの方が生気に溢れ音が前に出てくる。OPUS蔵盤はレンジの狭い引き隠つた音質で、かてて加へてノイズが多い。(2006.4.9)


シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
ニールセン:ヴァイオリン協奏曲
アルマス・イェルネフェルト(cond.)、他
アニヤ・イグナティウス(vn)/エミール・テルマニー(vn)
[SYMPOSIUM 1310]

 不思議な符合だがシベリウスの協奏曲は女流奏者に名演が多い。フィンランド生まれのイグナティウスによる名盤は血統からしても最上位を競ふ感動的な名演だ。ブリザードのやうなヌヴーの演奏と比べると、線の細い冷ややかな音色と繊細で高貴な音楽運びが北欧の抒情を醸し出してをり、作曲家の精神により近い演奏だ。イェルネフェルトの伴奏も巧くはないが、シベリウスへの敬愛が感じられ好感が持てる。圧倒的な説得力を持つ演奏ではないが、総じて作品との齟齬が少なく、代表的な名盤としてお薦めしたい。余り聴く機会のないニールセンの協奏曲だが、テルマニー以上の演奏を求めることは不可能だらう。ニールセンと昵懇の間柄で、作曲家の娘と結婚したテルマニーの演奏から溢れる愛情と自信は唯事ではない。曲は散漫な感じが否めないが、手練手管を尽くしたテルマニーの傾倒振りは見事だ。(2006.8.10)


パウル・コハンスキ(vn)/録音全集
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番、他
アルトゥール・ルービンシュタイン(p)、他
[OTAKEN RECORDS TK-5037]

 ポーランドの名手コハンスキはフーベルマンに次ぐ大家として挙げられるべき人であるが、1934年、47歳で没して仕舞つた。録音は同郷の盟友ルービンシュタインと組んだブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番と10曲の小品だけで半ば忘れられた存在だ。ソナタの復刻はBiddulphなどから出てゐたが、英ヴォカリオンへの録音を含めた全録音が揃つたことを歓迎したい。ソナタは今もつて最上位に置かれるべき名演で、第2楽章の濃密な告白や、第4楽章の熱情的な合奏は見事だ。小品も全て素晴らしく、ラフ「カヴァティーナ」、サラサーテ「マラゲーニャ」は特に凄い。安定した技巧と振幅の大きい感情表現がコハニスキの魅力で、深いヴィブラートによるエスプレッシーヴォで低めに音を変化し侘びた妙味を醸す手法は特筆したい。sul-Gでこれほど魔術的な音色を響かせた人はゐまい。録音データ等も記載がないCD-R盤であるが、ヴァイオリン愛好家なら是非とも入手すべきだらう。(2007.10.17)


チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ソヴィエト国立交響楽団/ヴァシリー・ネボルシン(cond.)
モスクワ・フィル/キリル・コンドラシン(cond.)
レオニード・コーガン(vn)
[Venezia CDVE 00510]

 コーガンのソヴィエト録音を編んだ16枚組。チャイコフスキーが驚異的な名演だ。コーガンにはEMIにシルヴェストリの伴奏で録音した名盤がある。独奏良し、管弦楽良し、録音良し、総合点では最高の演奏のひとつだ。だが、この1950年のソヴィエト録音―セッション録音である―は独奏に関して云へば、シルヴェストリ盤が吹き飛ぶほど異常な感銘を齎すとんでもない演奏なのだ。骨まで断つ切れ味、息苦しい音の連続、痛々しいまでの緊張感、難曲として有名な曲が完全に征服されてゐる。痛快を通り越して狂気すら感じて仕舞ふ。印象ではフーベルマン、プシホダの個性的名演と同格の突き抜けた存在だ。録音も優れてをり、ヴァイオリンは生々しく聴こえる。惜しむらくはネボルシンの伴奏がコーガンの次元に達してをらず、物足りないことだ。但し、格差があるだけで悪くはない。必聴の名演だ。コンドラシンとのベートーヴェンは1962年のライヴ録音。寧ろこちらの方が録音が冴えない。演奏は申し分のない立派な名演だ。しかし、シルヴェストリとのセッション録音が余りにも素晴らしいので、全ての点で当盤の価値は劣つて仕舞ふ。(2017.1.16)


ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ソヴィエト国立交響楽団
カール・エリアスベルク(cond.)/エフゲニー・スヴェトラーノフ(cond.)
レオニード・コーガン(vn)
[Venezia CDVE 00510]

 コーガンのソヴィエト録音を編んだ16枚組。ブラームスは1953年、メンデルスゾーンは1960年のライヴ録音だ。精力的な演奏で表現の幅が広くて圧倒的だ。技巧も鮮烈極まりないが、ライヴ故の瑕もあるので万全な録音とは云へない。管弦楽の伴奏は雑で粗いが、鑑賞の上で然程気にはならない。カデンツァにおける切れ味鋭いコーガンの演奏に仰天すると同時にドイツ・ロマンティシズムの発露は乏しく、何となく風味に欠ける。巧いがしつくりこない。(2023.1.30)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
パリ音楽院管弦楽団/アンドレ・ヴァンデルノート(cond.)
レオニード・コーガン(vn)
[Warner Music Korea PWC15-D-0012]

 コーガンのEMI録音を集成した15枚組。韓国製だが、オリジナル仕様に拘泥はつた極めて商品価値の高い箱物だ。コーガンの生前には発売されず、お蔵入りとなつた1957年のモノーラル録音である。理由は明白で、たつた2年の後、1959年にシルヴェストリの指揮、同じコンセールヴァトワールの伴奏でステレオ録音が行はれたからだ。この録音は英TESTAMENTが蔵出し復刻をして漸く日の目を見た。さて、演奏はと云ふとコーガンに関してはシルヴェストリ盤と同等、違ひを指摘するのが困難なくらゐだ。艶といふ点では寧ろヴァンデルノート盤に分がある。差が出るのは管弦楽伴奏か。シルヴェストリの伴奏が主張の強い、かつ余りにも立派な演奏だつたので、統率力で劣るヴァンデルノートは弱い。だが、これだけは云つてをきたいが、決して拙い演奏ではなく、シルヴェストリを聴かなければ申し分なく素晴らしい壮麗な演奏だ。眉睫とはこのことを云ふ。(2016.4.23)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
パリ音楽院管弦楽団/コンスタンティン・シルヴェストリ(cond.)
レオニード・コーガン(vn)
[Warner Music Korea PWC15-D-0012]

 コーガンのEMI録音を集成した15枚組。韓国製だが、オリジナル仕様に拘泥はつた極めて商品価値の高い箱物だ。コーガンは1959年に相性の良いシルヴェストリと幾つか録音を残したが、全てが最良の記録となつた。このベートーヴェンは特級の名盤として万人に推奨したい。古典を弾くコーガンは密度の濃さはそのままであるが、細部を丁寧に演奏し品格を重要視する。音の仕舞ひ方には細心の注意が払はれてゐる。禁欲的な音色と溢れる情熱が交錯して多彩な表情を聴かせるのだ。オイストラフの後塵を拝すことの多かつたコーガンだが、ベートーヴェンでは数倍上手だ。シルヴェストリは仕掛人で、常に刺激材を提供する。推進力あるトゥッティでの燃焼は見事だ。コーガンとシルヴェストリ、奇才同士の共演は絶妙な丁々発止が相乗効果を生んでゐる。(2015.12.15)


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
パリ音楽院管弦楽団/コンスタンティン・シルヴェストリ(cond.)
レオニード・コーガン(vn)
[Warner Music Korea PWC15-D-0012]

 コーガンのEMI録音を集成した15枚組。韓国製だが、オリジナル仕様に拘泥はつた極めて商品価値の高い箱物だ。コーガンは1959年に相性抜群のシルヴェストリとチャイコフスキーやベートーヴェンで名演を残してゐるが、このモーツァルトとメンデルスゾーンも絶頂期のコーガンが聴ける名盤だ。颯爽としたテンポ、芯の強い音色だが、表情は優美で可憐、技巧にも余裕が窺へて力技の箇所は皆無。白銀のやうに煌めくヴァイオリン藝術を存分に楽しめる。メンデルスゾーンの第2楽章における緊密で深みのある美しさは特筆したい。シルヴェストリの起伏のある伴奏が音楽を弛緩させない。万全の伴奏だ。(2022.8.21)


シェーンベルク:ヴァイオリン協奏曲
バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ
ルネ・レイボヴィッツ(cond.)、他
ルドルフ・コーリッシュ(vn)
[Music&Arts CD-1056]

 コーリッシュの独奏、レイボヴィッツの指揮でシェーンベルクを聴くとなれば俄然食指が動く。両者ともシェーンベルクとは昵懇の間柄で、新ヴィーン楽派の伝道者として真打とも云へる存在だ。しかし、この演奏は大したことはない。管弦楽の技術が十分とは云へず、コーリッシュも歳をとり過ぎてゐる。音楽への没入は凄まじいが、仕上げが頼りない。バルトークは鋭い情念の爆発があり、前衛的な奏法を惜しみなく披露した激烈な演奏だ。しかし、線が細く、メニューインが弾いたやうな立派な音楽には聴こえない。(2004.9.1)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲、他
フリッツ・クライスラー(vn)
[Biddulph LAB 001-003]

 弦奏者の歴史的録音を愛好する者にとつて英Biddulphは最も重要なレーベルである。そのBiddulphが最初のCDとして1988年に発売したのが、このクライスラーの名演集3枚組である。その後、形を変へて分売されてきたし、現在はNaxos Historicalからも同じ音源で発売されてゐるので、当盤でなくても良い訳で、一寸した蒐集の拘泥りだと思つて頂きたい。収録曲はラフマニノフとの3曲のソナタ録音―ラフマニノフの要望で録り直しされたベートーヴェンのソナタの未発表別テイクが収められてゐるのが貴重、ラウハイゼンのピアノ伴奏による1930年の小品集、クライスラー弦楽四重奏団による録音、バルビローリの指揮で録音されたベートーヴェンとブラームスの協奏曲。協奏曲は矢張り約10年前に録音したブレッヒとの旧盤の方が良い。滴るやうな甘い音が減退してゐるし、音量が落ちてきてゐるのがわかる。それ以上に感じるのが、管弦楽伴奏の質で、ブレッヒの創造的で刺激的な指揮と比べて仕舞ふと、バルビローリの棒は常套で面白くはない。(2010.1.6)


ヴィクター録音集(1921〜25年)
HMV録音集(1924年)
ジョン・マッコーマック(T)/カール・ラムソン(p)、他
フリッツ・クライスラー(vn)
[Biddulph LAB 068-069]

 BMGから出てゐた11枚組のクライスラーのヴィクター全録音集は所持してゐるのだが、それでも当盤を蒐集した理由は、マッコーマックの甘い歌声に助奏をした僅か5曲の1924年HMV録音の為である。1910年代にクライスラーとマッコーマックはヴィクターへ沢山の名盤を残したが、HMVへの録音は看過され勝ちだ。マーストンの素晴らしい復刻で、懐かしき美声が蘇る。ラフマニノフは特に感動的な名唱だ。ヴィクターへの録音は42曲が収録されてゐるが、自作自演は勿論として、ヘンデル、バッハ、ハイドン、ドルドラ、リムスキー=コルサコフ、ドヴォジャーク、フリードベルク、グレインジャー、ザイツと名演が揃つてゐる。この時期クライスラーに比肩する奏者は一寸見当たらない。(2007.2.13)


ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第1番、同第2番、同第3番、同第10番
フランツ・ルップ(p)
フリッツ・クライスラー(vn)
[Biddulph BID 80200]

 このソナタ全集録音がクライスラーの真価を伝へてゐないことは正直に述べてをきたい。1930年代になりクライスラーは急速に衰へた。気高く張つたテヌートを支えるボウイングに震へが見られ、秘伝のヴィブラートでは覆ひ隠せないほど音程の甘さが見られる。とは云へ、ベートーヴェンの最初期のソナタ群における爽やかな旋律にクライスラーほど適性を示した奏者がゐないのも確かである。第1番の第2楽章における変奏曲主題の歌い口などは、クライスラーでしか出せない温かな情味がある。第2番では第2楽章の若々しく美しいフレージングが印象に残る。しかし、第3番の演奏はシゲティと比較すると、展開部やコーダなどで闘争心と野性味が足りず低調だ。滋味豊かな第10番などクライスラーに打つて付けかと思ふのだが、甘く上品なだけで大したことはない。(2005.4.22)


ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第4番、同第6番、同第7番、同第8番
フランツ・ルップ(p)
フリッツ・クライスラー(vn)
[Biddulph BID 80200]

 クライスラーの美質は快活なアーティキュレーションにこそある。ボウイングは強く張つてゐながら、発音の角を丸くしてゐるので、気高い中に暖かみが感じられるのだ。上品で趣味がよいクライスラーのヴァイオリンは、反面、深刻さや反骨を突き詰めようとはしない。だから第7番のやうな劇的な曲だと、穏健過ぎて物足らない。ルップの腑抜けたピアノが不味さを増長する。第8番はラフマニノフとの旧盤の方が断然よい。名演は第4番と第6番であるが、感傷的な第4番の絶妙な陰影が心憎い。クライスラーのソナタ全集では第5番、第4番、第2番の順で良さを覚える。(2005.5.17)


ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、同第9番「クロイツェル」
フランツ・ルップ(p)
フリッツ・クライスラー(vn)
[Biddulph BID 80200]

 余りにも有名なクライスラーによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集録音には既に数種の復刻があるが、このBiddulph盤に拘泥する理由は、当盤の余白にクライスラーの75歳誕生祝賀会におけるスピーチが収められてゐるからである。音楽とは関係のないことだが、クライスラー藝術を愛する者としては是非とも蒐集しておきたいものなのだ。まずブルーノ・ヴァルターが祝辞を述べ、次いでクライスラーが語り始めるのだが、会場来賓を大爆笑に誘ふユーモアの連続で、クライスラーの人柄が窺はれて興味が尽きない。スプリング・ソナタは音程の甘い部分があるが、何よりも瑞々しい音に惹かれる。一種独特なアーティキュレーションには気品が漂ひ、若やいだ音楽が流れ出す名演だ。クロイツェル・ソナタは流石に穏健過ぎ、クライスラー独自の世界を味はふ類ひのもの。ルップのピアノは平凡極まりない。(2005.3.30)


フリッツ・クライスラー(vn)
ベル・テレフォン・アワー録音集第1巻
ベル・テレフォン・アワー管弦楽団/ドナルド・ヴォーヒーズ(cond.)
[Biddulph 85019-2]

 2022年になつてクライスラーの新音源が聴けるとは想像だにしなかつた。再興Biddulphの快挙が止まらない。クライスラーが1944年から1950年にかけて出演したラジオ番組ベル・テレフォン・アワーでの録音の発掘だ。クライスラーの全盛期は1920年代であつて、これらの演奏が感銘においては数段落ちるとは云へ、愛好家には値千金だ。第1巻ではモーツァルトの協奏曲第4番第1楽章、メンデルスゾーンの協奏曲第1楽章、ヴィオッティの協奏曲第22番の第2楽章と第3楽章は過去に商品化されたことがあるが、他は恐らく初登場だらう。まず、モーツァルトの協奏曲第3番第1楽章は演目として唯一となり貴重だ。そして、別日の演奏で、ヴィオッティの協奏曲第22番の第1楽章が登場した。これで曲がりなりにも全曲の録音が揃つたことになる。クライスラーはこのイ短調協奏曲の復権に情熱を傾けてをり、オーケストラ譜面も編曲し用意したさうだ。演奏内容も大変優れてをり甘い滴るやうな音色と歌が絶品だ。ところで、第2楽章と第3楽章の演奏日表記が既出盤と当盤では異なる。同一録音だと思ふのでこのBiddulph盤の日にちが正しいのだらう。ブラームスの協奏曲第2楽章も素晴らしい。ブルッフの協奏曲の第1楽章と第2楽章も良い。第1楽章は都合でTuttiにカットがあるが、第2楽章の情感溢れる歌ではクライスラーの奥義が聴ける。(2022.11.21)


フリッツ・クライスラー(vn)
ベル・テレフォン・アワー録音集第2巻
ベル・テレフォン・アワー管弦楽団/ドナルド・ヴォーヒーズ(cond.)
[Biddulph 85019-2]

 ラジオ番組ベル・テレフォン・アワーでの録音の発掘第2巻。クライスラーが最も得意とした小品集で、その多くがクライスラーの編曲による。ドヴォジャーク「我が母の教へ給ひし歌」「ユモレスク」、チャイコフスキー「ユモレスク」「アンダンテ・カンタービレ」、リムスキー=コルサコフ「太陽への讃歌」、マスネ「タイースの瞑想曲」、ネヴィン「ロザリオの祈り」、アルベニス「タンゴ」、ファリャ「ホタ」、ラヴェル「ハバネラ形式の小品」には全盛期の正規録音が残るので、この晩年の実況録音にそれらを上回る価値はないのだが、このベル・テレフォン・アワー録音にしかない演目が5つある。コレッリ「ラ・フォリア」はエーリヒ・クライバーの伴奏として発売された音源と同じと思はれる。他にもクライバー共演とされてゐた録音があるが全て誤記だらう。演奏は情感たつぷりの壮麗たる名演だ。リムスキー=コルサコフ「ロシアの主題による幻想曲」も名演で、演目としても貴重だ。そして、何と云つても盟友ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第2楽章と前奏曲ト短調の編曲演奏が興味深い。演奏も甘美で良いが、編曲の妙が堪らない。ショーソンのポエムは1992年にBiddulphがFK1として特別発売した音源で再収録となる。愛好家感涙の名演であつた。(2023.5.18)


ビーバー:ロザリオのソナタ(第1番〜第9番)
ルドルフ・エヴェルハルト(cemb)/ヨハネス・コッホ(gamba)
ズザンネ・ラウテンバッハー(vn)
[VOX BOX CDX 5171]

 名曲ロザリオのソナタの最初の全曲録音で規範となる名盤2枚組。ラウテンバッハーのレパートリーは幅広かつたが、矢張り真骨頂はバロック音楽にあると云へる。バッハも良いが、ロカテッリや特にこのビーバーとなると今以て不朽の存在だ。ロザリオのソナタは1674年頃に作曲されたが、当時としては異例の極めて高度な技巧を要求される。ラウテンバッハーの技巧は確かで隙がなく、渋い音色に模範的なアーティキュレーションでヴァイオリン学習者を唸らせる。何よりも生真面目過ぎるほど求道的で敬虔な演奏をする。伴奏も素晴らしく申し分ない。1枚目は第1番から第9番まで、「受胎告知」「訪問」「降誕」「拝謁」「神殿における12歳のイエス」「オリーブ山での苦しみ」「鞭打ち」「荊の冠」「十字架を背負う」を奏でる。曲想が次々と変化し魅惑的だ。(2020.7.25)


ビーバー:ロザリオのソナタ(第10番〜第15番、パッサカリア)
ルドルフ・エヴェルハルト(cemb)/ヨハネス・コッホ(gamba)
ズザンネ・ラウテンバッハー(vn)
[VOX BOX CDX 5171]

 名曲ロザリオのソナタの最初の全曲録音で規範となる名盤2枚組。2枚目は第10番から第15番、「イエスの磔と死」「復活」「昇天」「聖霊降臨」「聖母マリアの被昇天」「聖母マリアの戴冠」と、終曲としてのパッサカリア「守護天使」が収録されてゐる。楽想は場面ごとに情景が想起されるやうに作曲されてゐる。どの曲も様式美を堅守するよりも自由な展開をした幻想曲としての傾向が強い。1674年当時、世界最高峰のヴァイオリン奏者であつたビーバーは持てる技巧を駆使して大伽藍を打ち立てやうとした。その精髄が終曲に置かれたト短調のパッサカリアである。この曲がバッハのシャコンヌに直裁的な霊感を与へたことは容易に想像出来る。世界初録音であつたラウテンバッハーの演奏は装飾的な虚勢を排除し、実直で伝道師としての使命を献身的に果たしてゐる。伴奏も出しゃばらず、ヴァイオリン藝術を堪能出来る。愛好家必携の歴史的名盤。(2021.3.3)


エドゥアルド・トルドラ(vn)
フアン・マッシア(vn)
フアン・マネン(vn)
[la mà de guido HISTORICAL LMG 3061]

 当盤はスペインのレーベルによるスペインのヴァイオリニストの歴史的録音を復刻した稀少なる1枚である。トルドラは自作自演4曲と長大なヴァイオリン・ソロがある為だらうベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」のベネディクトゥス―これのみライヴ録音で著しく録音状態が悪い、マッシアはベートーヴェン「スプリング・ソナタ」とバッハのアダージョ、マネンは自作の「歌」、サラサーテ「ホタ・アラゴネーサ」「アンダルシアのセレナーデ」、シューベルト「蜜蜂」が収録されてゐる。マッシアはセルヴァの復刻で出てゐたので割愛する。トルドラの自作は郷愁漂ふ名作ばかりで、侘びた音色が曲想に彩りを添へる。当盤の目玉はマネンの1954年の録音で、最晩年の記録ながら大技巧家の昔取つた杵柄を見事に聴かせる。端正な技巧は全盛期と変はらず凄みを帯びてゐる。(2008.4.5)


メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェン:ロマンス第1番、同第2番
フィルハーモニア管弦楽団
パウル・クレツキ(cond.)
ヨハンナ・マルツィ(vn)
[Warner Music Korea DN0010]

 韓国製だがEMIとDGへの全録音をオリジナル仕様で復刻したマルツィの完全なる全集13枚組。1955年12月のEMIへの録音だ。メンデルスゾーンはマルツィに打つて付けの曲で、全身全霊を込めた表現に胸打たれる名演である。古典的な抒情と上品な情熱は理想的で、クレツキの伴奏も良く全体的に仕上がつてゐる。但し、マルツィの技量に余裕がなく、些細な瑕もあり万全ではない。夥しく録音がある曲なので、当盤に特別な魔力は感じなかつた。ロマンスはどちらもマルツィの美質が活かされた屈指の名演だ。ト長調は取り分け美しい。(2022.7.27)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番
スイス・イタリア語放送管弦楽団/オトマール・ヌッシオ(cond.)
ジャン・アントニエッティ(p)
ヨハンナ・マルツィ(vn)
[DOREMI DHR-7778]

 名女流マルツィは録音数自体少ないが、ベートーヴェンの協奏曲はこの1954年のライヴ録音が唯一の音源であり、大変貴重な記録。演奏は異常とも云へる程、エスプレッシーヴォの極みだ。一音一音に扇情的なヴィブラートを掛けて、全ての音型に全霊を傾けた表情付けを行つてゐる。解釈はデ=ヴィートと通づるものがあるが、歌に溺れて凭れることはなく、颯爽として潔い演奏は数段上等である。この曲を語る時に逸してならない極上の名演なのだ。もう1点、特筆したいことがある。マルツィ自作と思はれるカデンツァが滅法素晴らしいのだ。交響的な拡がりを感じさせる名カデンツァであり、これを聴く意味でも価値ある1枚だ。オーケストラに面白みはないが、ヌッシオは見事に伴奏を付けてゐる。余白にはベルリンにおける1955年11月4日の放送用録音で、モーツァルトの変ロ長調ソナタが収録されてゐる。表情たつぷりなのに清楚な趣を失はない名演だ。(2016.11.22)


ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番、同第3番
アルテユール・デ=グレーフ(p)/ハロルド・サミュエル(p)
イゾルデ・メンゲス(vn)
[Biddulph LAB 076]

 20世紀初頭、男勝りの演奏で一世を風靡したメンゲスは名教師アウアーの下で研鑽を積んだことでも知られる。電気録音初期に吹き込まれた3曲のソナタはメンゲスの代表的な遺産である。クロイツェル・ソナタはリストの弟子として高名なデ=グリーフの伴奏である。夥しく録音がある名曲だけに古いメンゲス盤に殆ど価値はないが、激しい情熱を聴かせるデ=グレーフのピアノには捨て難い魅力がある。しくじりも散見されるが、気宇壮大で興が乗つてくると炎のやうな演奏をする。特に第3楽章は凄まじい。メンゲスはベートーヴェンよりもブラームスの方が相性が良い。濃厚な歌心と渋みのある音色は作曲家の懐に入り込んでゐる。ブッシュと比べても遜色のない名演で、ヴァイオリン愛好家なら聴いてをきたい1枚だ。(2009.1.27)


バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番、同第2番、2つのヴァイオリンの為の協奏曲、無伴奏パルティータ第2番よりシャコンヌ
ジョルジェ・エネスク(vn&cond.)/ピエール・モントゥー(cond.)、他
イェフディ・メニューイン(vn)
[EMI CDH 7 610182 2]

 メニューインはエネスクとブッシュといふ大家を師に持つ20世紀を代表するバッハ弾きである。様式からバッハを捉へるのではなく、感情の投影をバッハに見出し、音に精神を吹き込む。当盤はメニューイン神童時代の輝ける記録であり、ヴァイオリン協奏曲の第1番と第2番は師エネスクの指揮のもと、2つのヴァイオリンの為の協奏曲では、エネスクのヴァイオリンを交へての師弟共演となつてゐる。メニューインの特徴は強いアクセントと粘つた感情表現であり、熱のこもつたバッハ像を打ち立ててゐる。これに対し、渋く詫びた音楽を奏でるエネスクは老巧で、第2楽章の内面追求は流石である。(2005.8.16)


パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番、24のカプリースより6曲、他
ジョルジェ・エネスク(p)
ピエール・モントゥー(cond.)、他
イェフディ・メニューイン(vn)
[EMI CDH 7243 5 65959 2 7]

 本家EMIによるメニューインのパガニーニ録音を集成した復刻盤だ。収録曲はモントゥー指揮でパリ交響楽団の伴奏による協奏曲第1番、「エジプトのモーセ」の主題による序奏と変奏、ラ・カンパネッラ、無窮動、24のカプリースより9番、23番、24番、クライスラー編曲で13番と20番、エネスク編曲でピアノ伴奏による6番だ。メニューインには申し訳ないが、このエネスクのピアノ伴奏を聴く為に購入した。師弟の貴重な共演だ。メニューインはパガニーニを積極的に演奏したが、濃厚な情念を詰め込んだメニューインの奏法は湿り気が過多で、明るく乾いたイタリアのカンタービレからは遠く、所詮畑違ひ、異色のパガニーニだ。また、技巧の切れが必ずしも冴えてゐるとは云へず、突き抜けた説得力もない。特に有名な協奏曲とカプリースはさうだ。「エジプトのモーセ」が感情が爆発してをり最も楽しめた。(2016.1.19)


フランク:ヴァイオリン・ソナタ
ルクー:ヴァイオリン・ソナタ
ショーソン:詩曲
パリ交響楽団/ジョルジェ・エネスク(cond.)
ヘプツィバー・メニューイン(p)
イェフディ・メニューイン(vn)
[Biddulph LAB 058]

 少年メニューインはエネスクを師と仰ぎ拝して教へを乞ふた。そして、ヴィブラートの奥義を譲り受けた。師が得意とした近代フランスの楽曲からは、時にエネスクかと錯覚するくらゐ似た音が聴こえてくる。特にショーソンは瓜二つである。だが、所詮は真似事で、楽器を超越したエネスクの侘び寂びを知つた感情表現を求めることは出来ない。エネスクの録音が残らないフランクとルクーは価値がある。しかし、フランクのソナタはティボーやデュボアらの御家藝と並べると音楽が脂ぎつてゐて困る。増してや、妹ヘプツィバーをコルトーやマースと比べるのは酷であらう。聴くべきは名曲ルクーのソナタだ。グリュミォーと並ぶ名盤として知られた録音で、情熱的なメニューインの直向きな演奏が犇と迫る。(2009.4.17)


シューベルト:華麗なるロンド
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第2番
ピツェッティ:ヴァイオリン・ソナタ
ヘプツィバー・メニューイン(p)
イェフディ・メニューイン(vn)
[Biddulph LAB 067]

 少年期のメニューインを代表する録音集で、最も輝かしい名演はシューベルトである。冒頭から感情が溢れんばかりに投入されてをり圧倒される。師エネスクと見紛ふばかりの振幅の大きいヴィブラートは偉大なエスプレッシーヴォの音楽を奏でる。主部に入つてからの熱気は尋常ではなく、強いアタックと躍動するリズムが終止途切れることなく炎上する様は鬼気迫る。この激情がシューベルトの音楽に相応しいかを云々することは最早下らぬことにすら思へる。シューマンも同様の名演だが、この曲には彼岸に到達したエネスクの神にも等しい名演がある為、比較すると力尽くの情熱で押し切つた青二才の演奏に聴こえて仕舞ふ。ピツェッティのソナタはエネスクの第2ソナタを想起させる玄妙で内省的な作品だ。妹ヘプツィバーの神秘的なピアノが魅力的で、異教的な官能美を振りまくヴァイオリン共々深い感銘を残す逸品だ。(2006.9.7)


メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
シューマン:ヴァイオリン協奏曲
ランドン・ロナルド(cond.)/サー・ジョン・バルビローリ(cond.)、他
フリッツ・クライスラー(vn)
イェフディ・メニューイン(vn)
[Biddulph LAB 047]

 どちらも大変有名な録音である。クライスラーによるメンデルスゾーンの協奏曲は再録音の方で、指揮はロナルドである。周知の通りクライスラーの代表的な録音はブレッヒとの三大協奏曲の録音で、約10年後の再録音は愛好家の間で熱心に優劣を論じられたが、盛期を過ぎてゐた新盤の評価は概ね低かつたやうだ。だが、メンデルスゾーンはベートーヴェンやブラームスの演奏ほど顕著に衰へを感じさせない。クライスラーだけの甘く懐かしい歌ひ回しに聴き惚れる。メニューインによるシューマンの協奏曲はクーレンカンプ及びナチス・ドイツと初演を廻つて大いに話題になつた。憧憬に彩られた青白い詩情で聴かせるオイゼビウスを重んじたクーレンカンプ盤と比較して、メニューイン盤はフロレスタンを重んじ、熱に浮かされたやうな情念で聴き手に迫る。クーレンカンプ盤と並ぶ名盤として推挙したい。(2009.6.5)


メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ラロ:スペイン交響曲
ショーソン:詩曲
パリ交響楽団/ジョルジェ・エネスク(cond.)
イェフディ・メニューイン(vn)
[Warner Classics 2564678274]

 メニューイン大全集91枚組。第2巻の6枚目。師エネスクとの共演集だ。20歳頃の青年メニューインの記念碑的な演奏ばかりである。メンデルスゾーンは躊躇ひなく堂々と歌ひ上げ、濃厚な第2楽章も説得力がある。全楽章が生命力と熱量が溢れてゐる。ただ、若いと云へば若い。ラロは脂つこさが楽想に打つて付けなのだが、情趣は薄く、熱量と粘りで聴かせるのでスペインよりもシプシーを感じさせて仕舞ふ。5楽章制での録音だ。ショーソンは伴奏をするエネスクが絶対的な名演を残してゐる。メニューインは師直伝のヴィブラートの奥義で情感豊かに演奏してゐるが、師の侘び寂びを極めた演奏とは比べるべくもない。(2022.12.3)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ルツェルン祝祭管弦楽団/ベルリン・フィル
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
イェフディ・メニューイン(vn)
[Warner Classics 2564678274]

 メニューイン大全集91枚組。第2巻の9枚目。戦犯疑惑で苦境に立たされた巨匠を擁護する為、身を挺して共演を申し出た高潔の士メニューインの感動的な記録のひとつだ。尤もメニューインとフルトヴェングラーによる録音は両者会心の出来とは云へず、寧ろ歯痒いものばかりなのだが、1947年に残された2種類のベートーヴェンの協奏曲―8月のセッション録音と9月のライヴ録音―には美しい瞬間が沢山ある。フルトヴェングラーの音楽性が際立つてをり、うち震へるやうな弦の囁きはドイツ・ロマンティシズムの奥義の一端だ。大河のうねりのやうな巨匠の棒にメニューインが真摯に構へ過ぎて個性を矯めた嫌ひがあるが、結果は上々だつたと云へよう。メンデルスゾーンはメニューインが主導した熱い浪漫的な名演だ。もう少し憂ひがあれば更に美しかつたらう。但し、両者大人しく、全体的には感銘が弱いと云はざるを得ない。


ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番
ルツェルン祝祭管弦楽団/フィルハーモニア管弦楽団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
イェフディ・メニューイン(vn)
[Warner Classics 2564678274]

 メニューイン大全集91枚組。第2巻の10枚目。ブラームスは1949年の録音でルツェルン祝祭管弦楽団との共演だ。メニューインは情熱的な演奏を繰り広げるが、翳りのある響きで内省的な美しさを引き出したフルトヴェングラーの棒と比べると皮相に感じるのは仕方あるまい。両者の共演では最も魅力が乏しい内容だ。1953年録音のバルトークはメニューインが所望したのだらう。音楽が沸騰してをり素晴らしい。一方のフルトヴェングラーは多彩な表情を聴かせるが、全体的にもたついてをり、この共演も成功には至つてない。


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、ロマンス第1番、同第2番
フィルハーモニア管弦楽団/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
イェフディ・メニューイン(vn)
[Warner Classics 2564678274]

 メニューイン大全集91枚組。第2巻の11枚目。メニューインとフルトヴェングラーによる録音は悪くはないが、取り立てて良くもないといふのが巷間の評価だらう。同感である。これ迄その原因について取り沙汰されてきたが、単に両者の音楽に親近性がないといふことなのだと思ふ。高貴かつ荘重なフルトヴェングラーの伴奏が素晴らしいベートーヴェンは1953年の再録音の方で完成度は高いが、メニューインの独奏が脂粉が多過ぎて、瞑想し沈思するカンティレーナの安らぎがない。ドイツの王道とも云へる楽曲に生々しい感情表現を不断に聴かせるメニューインの藝風は窮屈さうだ。2つのロマンスもメニューイン特有の多血質な音楽運びが爽やかな楽曲とは相容れず食傷気味だ。


バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)、他
イェフディ・メニューイン(vn)
[EMI CDH 7 69804 2]

 メニューイン壮年期の代表的な録音である。特に無伴奏ヴァイオリン・ソナタは、委嘱者にして初演者と云ふこともあり、堂に入つた名演である。熱のこもつた没入には聴いてゐて圧倒される。この曲は、バッハを想起させる求心的な曲想と、ロマ音楽の奔放な曲想が融合してをり、メニューインの持つ音楽性にうつてつけである。これは1947年の録音だが、未聴である1957年の再録音はこれを上回る演奏と云ふので、是非聴いてみたい。巨匠と共演した協奏曲は、多彩な表情が聴き取れるが、余り感銘を受けなかつた。(2004.7.15)


サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番、死の舞踏
ラロ:スペイン交響曲、ロシア協奏曲より第3楽章
ピエロ・コッポラ(cond.)、他
アンリ・メルケル(vn)
[Music&Arts CD-1178]

 フランスのヴァイオリン奏者メルケルの代表的録音で、ラロのスペイン交響曲は間奏曲を含めた5楽章制での最初の録音であつた。メルケルは小刻みなヴィブラートを駆使し、ボウイングは堅実で浮ついた音を出さない。技巧にも切れ味があり、濃密な歌心が素晴らしい。しかし、ティボーのやうな詩情と幻想的な膨らみはなく、小さく纏まり過ぎた嫌ひがある。サン=サーンスの協奏曲は屈指の名演で当盤の白眉である。第3楽章の昂揚は殊の外見事だ。死の舞踏も独奏に焦点を当てた代表的な名演である。ラロのスペイン交響曲は競合盤が多いので物足りなく感じるが、秘曲と云へるロシア協奏曲の間奏曲は躍動感に充ちてをり聴き応へがある。(2007.8.8)


ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第2番、他
トゥールーズ・シンフォニー・コンサート協会/パリ放送交響楽団
ジャン・フルネ(cond.)/マニュエル・ロザンタール(cond.)
アンリ・メルケル(vn)
[melo CLASSIC mc-2011]

 愛好家を驚愕させたmelo CLASSIC。戦前の忘れ難き名盤サン=サーンスの協奏曲第3番で知られるフランスの名手メルケルだが、録音は少なく、かうして大曲の演奏記録が登場したことを頓に歓迎したい。メルケルによるブラームスなぞは想像しなかつただけに嬉しくもあり恐ろしくもある。だが、心配はゐらない。上等な名演で胸踊るだらう。輝かしく色気のある音色と張りのある瑞々しさに目が覚める。官能的な運指で閃光を放つ。第2楽章の可憐な美しさには陶然となる。1953年の記録、フルネの伴奏だが、管弦楽が生彩を欠き足を引つ張つた感があり残念だ。アンコールにバッハの無伴奏パルティータ第3番のガヴォットを弾いてゐる。典雅で煌びやかな極上の名演だ。さて、得意としたパガニーニの協奏曲が悪からう筈がない。メルケルは噎せ返るやうな媚態を振り撒く音色で奔放華麗に弾き、パガニーニに打つてつけである。1958年の記録、豪奢なロザンタールの伴奏がこれまた良い。艶美さで魅了する一種特別な名演なのだ。愛好家必聴の1枚だ。(2021.12.6)


バッハ:無伴奏パルティータ第2番
ヴィターリ:シャコンヌ
タルティーニ:悪魔のトリル、他
レオポルト・ミットマン(p)
ナタン・ミルシテイン(vn)
[Biddulph LAB 055]

 1935年から1938年にかけて録音された最初期の録音集。バッハとラテンの古典作品を真摯な姿勢で弾いてをり、ミルシテインが生涯貫いた清廉さと高貴さを確認出来る。バッハでは無伴奏ソナタ第1番のアダージョとパルティータ第2番の全曲が聴けるが、後年の全集録音の方が断然良い。若き日のミルシテインは生硬だと叩かれたが、さうした面が出て仕舞つた。イタリアの古典作品が良い出来だ。ヴィターリとタルティーニの他に、ヴィヴァルディのソナタイ長調とニ長調、ペルゴレージのソナタ第12番ホ長調、ナルディーニのソナタニ長調よりラルゲットが収録されてゐる。ヴィターリ、タルティーニ、ヴィヴァルディのイ長調、ペルゴレージの4曲には再録音があるのだが、当盤の方が好ましい。再録音はより洗練され透明に磨き抜かれたが、古雅な趣が消し飛んで仕舞つた。ミルシテインらしさは新盤にあるのだが、往年の名手らの作法に則つた浪漫的な情味が残つてゐる当盤の方を採りたい。ヴィターリにはティボー、タルティーニにはメニューインの極め付きの名盤があるので遜色あるが、ヴィヴァルティ、ペルゴレージ、ナルディーニでの気品ある快活さは絶品だ。(2012.5.21)


チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタK.296
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第8番、他
フレデリック・ストック(cond.)/アルトゥール・バルサム(p)、他
ナタン・ミルシテイン(vn)
[Biddulph LAB 063]

 最初期の録音集。チャイコフスキーの協奏曲は大変聴き応へがある。何と密度の濃いヴァイオリンであらうか。息苦しい程、全ての音符に神経を尖らせてゐる。演奏の完璧さではハイフェッツをも凌駕してをり、第3楽章の切れ味は凄まじい。ストック指揮によるシカゴ交響楽団の伴奏も立派で、屈指の名盤と云ひたいが、SP録音の時間の都合であらう第3楽章の最後に強引なカットがあり、瑕のある録音となつて仕舞つた。あと1面増やすべきであつた。打つて変はつて古典を弾くミルシテインは軽いボウイングで気品ある演奏をする。だが、モーツァルトもベートーヴェンも何となく生硬で窮屈だ。巧いが些とも面白くない。この頃のミルシテインは余裕が感じられない。ピアノ伴奏で、しかも第2楽章と第3楽章のみの録音であるが、シュターミッツの変ロ長調協奏曲が素晴らしい。特にロンドの切れの良さは天晴だ。スークのブルレスカが凄まじい。圧倒的な速弾きと濃厚な歌ひ込みで聴かせる。(2011.1.27)


ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
小品録音(1935年〜1938年コロムビア録音)
ニューヨーク・フィル/サー・ジョン・バルビローリ(cond.)
レオポルト・ミットマン(p)
ナタン・ミルシテイン(vn)
[Biddulph LAB 096]

 最初期の録音集。ブルッフの協奏曲はミルシテインにとつて何の造作もない曲で完璧な演奏と云へるが、聴き手を引き摺り回すやうな妖気はなく淡々とした演奏である。一方で、バルビローリ指揮のニューヨーク・フィルの伴奏が抜群に巧く、細部で魅せる粋なオブリガードの表情、情感豊かなトゥッティの響き、滅多に聴けない見事な演奏だ。1942年としては水準以上の録音と復刻技術により聴き応へがあり、総合的に大変充実した名盤のひとつである。余白は1935年から1938年にかけて録音された小品集だ。ヴェニャフスキの作品は先輩ハイフェッツの疾風のやうな演奏と比べると些とも面白くないし、スメタナやブロッホの作品などにも良さを感じないが、それ以外は品格あるミルシテインの良さが出てゐる。リスト「コンソレーション第3番」、チャイコフスキー「スケルツォ」は極上の名演である。ショパン「ノクターン嬰ハ短調」、シマノフスキ「タランテラ」、ファリャ「アストゥリアーナ」、ピツェッティ「アフェトゥオーソ」、パガニーニ「ラ・カンパネッラ」も好調だ。(2013.5.8)


バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(全6曲)
ナタン・ミルシテイン(vn)
[DG 457 701-2]

 ミルシテインによる第2回目の全曲録音。これはあらゆる録音に冠絶する最高の全集である。気品あるソノリティが高次元で保持されてをり、覇気が漲りながら享楽的な楽器演奏に陥らない凛とした姿勢が素晴らしい。部分的にはエネスク、メニューイン、シゲティらの人間臭ひ演奏にも惹かれるが、透徹した技巧の凄みと端正で格調高い様式美は抗し難い魅力に充ちてをり、真摯にバッハの音楽に迫つた演奏には額突きたくなる。2枚組の1枚目はソナタ第1番、パルティータ第1番、ソナタ第2番で、この中ではソナタ第1番に取り分け良さを感じる。(2007.11.29)


バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(全6曲)
ナタン・ミルシテイン(vn)
[DG 457 701-2]

 ミルシテインによる第2回目の全曲録音。2枚組の2枚目はパルティータ第2番、ソナタ第3番、パルティータ第3番で、充実したシャコンヌやフーガを筆頭に、非の打ち所のない完成度で聴く者に迫る名盤中の名盤だ。卓越した技巧と格調高い音楽性が融合した演奏は驚嘆すべき境地にあり、特に安定したボウイングは単に楽器から発せられる音色の純度を均質にしてゐるだけでなく、禁欲的かつ貴族的な品格を獲得してをり、この全集の価値を一際高くしてゐる。パルティータ第2番就中シャコンヌは無論素晴らしい名演だが、他にも求心力の強い録音が沢山あるので、取り立ててミルシテインを特別視しないが、散漫な印象が勝り名演の少ないパルティータ第3番での精緻な隙のなさは特筆してをきたい。(2008.1.20)


1986年最後のリサイタル
ジョルジュ・プルデルマシュール(p)
ナタン・ミルシテイン(vn)
[TELDEC 4509-95998-2]

 晩年、絶大な名声に包まれてゐたミルシテインにとつて最後となつたリサイタルの記録である。1986年6月16日と17日にストックホルムで行はれたリサイタル初日の朝、ミルシテインは左手人差し指の異変を感じたといふ。2日目のリサイタルではフィンガリングを急遽変更して演奏に臨んだといふ。82歳といふ高齢であることも驚異だが、指の故障を抱へての演奏とは思へない超人的な名演の連続である。元よりミルシテインは全く衰へを感じさせない奏者であり、晩年増々威光に充ちてゐたが、この日の演奏は一寸様子が違ふ。ミルシテインは完璧主義者である反面、冷めた演奏をすることがある。だが、この日は故障を気魄で補ふ如く音楽が熱い。実際、ミルシテインにしては技巧的な乱れが散見されるのだが、熱情的な演奏の為に気にならなくなつて仕舞ふ。冒頭のベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」から凄まじい闘争心が溢れてゐる。研ぎ澄まされた音で唯事ではない緊張感が漲る。プルデルマシュールのピアノも応へてをり、第1楽章は特に素晴らしい。これは屈指の名演だ。バッハの2曲の無伴奏曲も高次元の名演である。取り分けシャコンヌには頭が下がる。ヘンデルのヴァイオリン・ソナタ第3番の気品ある仕上がりは絶品だ。小品も全て最高だ。サラサーテ「助奏とタランテラ」、プロコフィエフ「年老いた祖母の物語」、チャイコフスキー「マゼッパ」、パガニーニのカプリース第13番、リストのコンソレーション第3番、どれも極上である。珍しく能弁なサラサーテが印象深い。(2011.10.8)


ヨーゼフ・ハシッド(vn)/全録音(9曲)
フィリップ・ニューマン(vn)/全録音(6曲)
[SYMPOSIUM 1327]

 英SYMPOSIUMレーベルのヴァイオリニスト復刻20巻目。夭逝の天才少年ハシッドの復刻は英Pearlや英TESTAMENTからもあつたので、ここでは割愛するが、改めて素晴らしき才能に感銘を受けた。さて、当盤を入手した理由は幻の中の幻と云つてよいニューマンの録音だ。英国出身のニューマンはイザイに私淑し、病床の巨匠に演奏を聴かせたといふ逸話が残る。その後、ベルギー女王エリーザベトの寵愛を受け、イザイ国際コンクール―後のエリーザベト王妃国際音楽コンクールの創設に尽力があつた人物だ。同業者からも尊敬を集めるほど実力のあつたニューマンだが、信念に基づき録音を一切拒絶した。この6曲の録音は死の前年1965年3月に行はれた弟子の為の演奏会での恐らく隠し撮りである。曲はクライスラー「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース」、イザイの無伴奏ソナタ第4番の第1楽章、ロカテッリの大カプリース、タレガ「トレモロ」、カタロニア民謡「鳥の歌」、自作「スペインの印象」だ。イザイに聴かせたとされる第4番が聴けるのは値千金だ。演奏は恐ろしいほどの緊張感が漲つてをり、楽器の鳴りが尋常ではない。かくも憑依的なヴァイオリンは聴いたことがなく、威容に圧倒されるだらう。最晩年の演奏といふこともあり、ピッチに不安定な箇所が散見されるのが残念だが、楽器が軋むやうな情念が凄まじい。「鳥の歌」は楽器の音を超越した世界が拓けてくる。ヴァイオリン愛好家は是非とも聴いてをくべきだ。余白にインタビュー3種が収録されてゐる。(2015.11.29)


ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
フランス国立放送管弦楽団/ロジェ・デゾルミエール(cond.)
南西ドイツ放送交響楽団/ハンス・ロスバウト(cond.)
ジネット・ヌヴー(vn)
[SWR music SWR19018CD]

 ドイツ放送局SWRに保管されてゐた原テープからのCD化で、音質改善が期待される2枚組。また、初めてお目にかかるジャケット写真に惹かれて入手をした次第だ。どちらも既出盤では仏Tahra盤が最高の音質であつたので、比較をしてみたが大差なかつた。寧ろ人工的に広がりを付加したTahra盤の方が生き生きしてゐるかも知れぬ。当盤は素直な音なので好みが分かれるところだらう。演奏に関することはヌヴー・ディスコグラフィーをご覧いただきたい。ブラームスは構へ過ぎない演奏が成功してをり、イッセルシュテット共演盤と共に聴いてをきたい録音だ。ベートーヴェンはヌヴー以上にロスバウトの指揮が素晴らしい。(2016.12.28)


リカルド・オドノポゾフ(vn)
小品集
クライスラー/タルティーニ/パガニーニ/ガーシュウィン、他
[BAYER DACAPO BR 200 004]

 オドノポゾフは南米ブエノスアイレス出のヴァイオリニストで、欧州で頭角を現し1930年代にはウィーン・フィルのコンツェルトマイスターを務めた。しかし、生粋のウィーン子シュナイダーハンに襲はれて、憤然とウィーンを去つた。その後は米国で名声を上げたが、一般的な認知度は低いだらう。だが、この1枚はオドノポゾフが往年の名手のひとりであり、魅惑的な奏者であることを伝へて呉れる。オドノポゾフの音色は色気があり、派手で華やかだ。技巧はハイフェッツ級で大胆な表情を好む。ウィーンで長く地位を楽しめなかつたのは取り澄ました上品さとは無縁だからだ。印象深いのはパガニーニの「ラ・カンパネッラ」で、挑戦的な超絶技巧の誇示は聴く者に衝撃を与へて呉れる。ハイフェッツ編曲のガーシュウィン「ポーギーとベス」が絶品だ。野卑な情感とスウィングはハイフェッツの録音を凌ぐほどだ。当盤はクライスラー作品が最も多く、クライスラーによる編曲を含めると13曲中10曲を占める。「前奏曲とアレグロ」「叙唱とスケルツォ・カプリース」「コレッリの主題による変奏曲」は最上級の名演。華美な「ウィーン奇想曲」も極上だ。ファリャ「スペイン舞曲」やアルベニス「セヴィーリャ」の情熱的な演奏も良い。一転、モーツァルト「ハフナー・ロンド」の水際立つた軽快さは驚異的だ。濃厚な耽美との対比が天晴で舌を巻く。タルティーニ「悪魔のトリル」はかのメニューイン盤に匹敵する集中力だ。全てが次元の高い名演であり、オドノポゾフの真価が聴ける1枚だ。(2012.9.30)


リカルド・オドノポゾフ(vn)
小品集
サラサーテ/ヴィラ=ロボス/イザイ/スメタナ/ショパン/モンポウ/ファリャ、他
[BAYER DACAPO BR 200 008]

 小品集第2巻だ。オドノポゾフはあらゆる流派の奏法を貪欲に吸収した人で、それらが表現主義的な個性に統一されてをり、フーベルマンに比せられよう。レパートリーも幅広い。だが、これらが仇となり実力に見合ふ名声を得られなかつたのだらう。当盤にはスペイン系の楽曲が多く収録されてゐるが、アルゼンチン出身だけに血の通つた演奏である。サラサーテ「マラゲーニャ」「ハバネラ」やファリャ「ホタ」はアウアー派からは聴かれない思ひ切つた濃密な表情付けがある。傑作はヴィラ=ロボス「黒鳥の歌」だ。深々とした歌に魅了されるだらう。モンポウ「庭の乙女たち」の神秘的な表情も巧みだ。ノヴァーチェク「常動曲」やフランソワ・シューベルト「蜜蜂」の確かな技巧も見事だ。スメタナ「我が故郷より」全2曲の侘びた感傷も素晴らしい。共感に充ちてをり、この曲の代表盤に推したい。イザイ「子供の夢」「遠い過去」の繊細の表情も美しい。ショパンのワルツを編曲して弾くのはフーベルマン以来だらう。非常に野心的な演奏であり、原曲から離れた自由さを勝ち得てゐる。忘れ難いのがプロコフィエフ「ピーターと狼」の編曲で、大胆なグリッサンドの効果に中毒になりさうになる。フオン「アルヴァ」とネストロフ「夜想曲」は珍品だ。(2012.12.29)


ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ、他
リカルド・オドノポゾフ(vn)、他
[DOREMI DHR-7874-9]

 名手オドノポゾフの大曲録音を復刻した6枚組。1枚目。ブラームスは1954年のMMSレーベルへの録音で、カール・バムベルガー指揮フランクフルト歌劇場管弦楽団の伴奏だ。独奏は圧倒的な技巧と晴れやかな音色、濃密なロマンティシズムで聴かせる。深刻さや憂ひなどは弱いが壮麗な名演で、王道の曲でもオドノポゾフは実力を示してゐる。伴奏の質が水準以下なのが残念だ。ブルッフはブラームス以上にオドノポゾフの個性が映えた名演である。1953年のMMS録音で、ヴァルター・ゲール指揮オランダ・フィルの伴奏だ。時折抉るやうな歌ひ込みがあり、挑戦的な野心が窺へる。痛恨事は管弦楽の伴奏がオドノポゾフの音楽と別次元で、停滞やら安易な音楽が挿入され台無しにしてゐる。1952年のアレグロ・レーベル録音、ドビュッシーのソナタは脂分の多い演奏だ。洒脱さは皆無だが、閃光鋭い前衛的な解釈で成功してゐる。もう1曲、極上の名演、パガニーニ/コハニスキ編曲「ラ・カンパネッラ」が収録されてゐる。これはBAYER盤でも聴けたので割愛する。(2020.10.15)


パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番、同第2番
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン、ハバネラ、マラゲーニャ
ノヴァーチェク:常動曲
リカルド・オドノポゾフ(vn)、他
[DOREMI DHR-7874-9]

 名手オドノポゾフの大曲録音を復刻した6枚組。2枚目。パガニーニの第1番とサラサーテのツィゴイネルワイゼンはMUSICAL MASTERPIECE SOCIETYへの録音、パガニーニの第2番はConcert Hallへの録音、サラサーテのハバネラとマラゲーニャ、ノヴァーチェクはRCAヴィクターへの録音だ。オドノポゾフは大技巧家で濃厚な表現主義的演奏を指向した。王道や正統が重んじられる曲だと窮屈な演奏か逸脱した演奏で五月蝿い聴き手からは低く見られたが、パガニーニとサラサーテといふ二大ヴィルティオーゾの作品では真価を遺憾なく発揮した。パガニーニの協奏曲では誤魔化しは一切なく、重厚かつ濃密な歌と技巧で圧倒する。軽佻浮薄な表現がなく色気と哀愁が交錯する。重苦しいパガニーニは異色だが、説得力が上回る。取り分け第2番の終楽章「ラ・カンパネッラ」の俊敏で挑みかかるやうな躍動感は絶品だ。どちらの曲もカデンツァの絢爛たる技巧が圧巻。パガニーニ以上にサラサーテが素晴らしい。ツィゴイネルワイゼンは極上の名演で、技巧の冴えも見事だが中間部のポルタメントで泣き節を伴つた歌に幻惑させられる。この曲屈指の名演だ。RCAヴィクターへの3曲はBAYER盤でも聴けた。既に記事にしたので割愛するが、代表的な名演である。(2017.11.16)


サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ、ハバネラ
グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲
ドヴォジャーク:ヴァイオリン協奏曲
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番、他
リカルド・オドノポゾフ(vn)、他
[DOREMI DHR-7874-9]

 名手オドノポゾフの大曲録音を復刻した6枚組。3枚目。サン=サーンスの名曲2曲は1955年のMMSレーベルへの録音で、伴奏はジァンフランコ・リヴォリの指揮だ。濃厚な味付けだが、無難な演奏に終始してをり然して面白くもない。素晴らしいのはグラズノフとドヴォジャークだ。1953年のMMSレーベルへの録音で、ワルター・ゲールの指揮だ。オドノポゾフの魅力が全開で、明るく華美に歌ひ、輝かしい技巧が決まる。グラズノフは噎せ返るやうな色気に陶然となる極上の名演で、ハイフェッツらの録音と並べたい。ドヴォジャークも首位を狙へる名盤なのだ。揺るぎのない自信で歌ひに歌ひ抜く。民族色は皆無だが、後期ロマン派の傑作協奏曲として聴き応へのある名演に変容してゐる。イザイの無伴奏ソナタ「バラード」は1951年のコンサート・ホール録音。妖艶な演奏で技巧が映え、オドノポゾフの個性が出てゐる。RCA録音のプロコフィエフ「ピーターと狼」はBAYER盤でも聴けた。特上の名演である。(2020.6.19)


メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
ショーソン:詩曲
ヴィラ=ロボス:黒鳥の歌
リカルド・オドノポゾフ(vn)、他
[DOREMI DHR-7874-9]

 名手オドノポゾフの大曲録音を復刻した6枚組。4枚目。ヴィラ=ロボスのみRCAヴィクターへの録音で、BAYERから復刻があり別項で述べたので割愛する。他はMUSICAL MASTERPIECE SOCIETYへの1950年代前半の録音だ。メンデルスゾーンが隠れた名演である。流麗で濃厚な歌が充溢してゐる。技巧は完璧で余裕に溢れ、力感にも欠けることがなく音楽の運びに説得力がある。時にかけられるポルタメントの色気が蠱惑的だ。第2楽章でのダブルストップの歌の豊満さ、華麗に輝く第3楽章の鮮やかさ、この曲屈指の名演だ。オドノポゾフにはチャイコフスキーの方が相性が良ささうだが、仕上がりはメンデルスゾーンほどではなかつた。濃密な奏法は同じだが、ラテン的な明るさが深みを阻害し、時に線が細くなり、音楽が掌から零れて行くやうな感覚があつた。巧いがしつくりこない演奏なのだ。単調なワルター・ゲールの指揮のせいもあるだらう。ショーソンが滅多に聴けない上質の名演だ。全身全霊を傾けた歌が琴線に触れる。すすり泣くやうなヴァイオリンの音色が胸を締め付ける。エネスク、クライスラー、ティボーの名演に並ぶ名盤。(2018.3.9)


ヴィターリ:シャコンヌ
バッハ:シャコンヌ、ヴァイオリン協奏曲第2番
ベートーヴェン:三重協奏曲
ウィーン・フィル/フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.)、他
リカルド・オドノポゾフ(vn)
[DOREMI DHR-7874-9]

 名手オドノポゾフの大曲録音を復刻した6枚組。5枚目。ふたつのシャコンヌがとんでもない名演だ。ヴィターリはChamber Music Societyレーベルへの録音、ハインツ・ヴェールレのオルガン伴奏が何とも高雅な趣を添へる。とは云へ、時代考証とは無縁の楽器の魅力を存分に引き出した浪漫的演奏で、美音と歌ひ回しに痺れる。ティボー、デ=ヴィートの名演に伍する名盤と推薦したい。バッハも精神性を追求した演奏ではなく、ヴァイオリンの喜びを堪能出来る極上の名演だ。この難曲を痛快無比に征服するが、ハイフェッツのやうな違和感はなく、神々しく聴かせる。最終音を聴いて思はず溜息が出るほどの極上の演奏である。ゲール指揮による協奏曲も華麗なる演奏だが、流石に豪奢過ぎて良さは感じられない。バッハは2曲ともMMSレーベルへの録音だ。ベートーヴェンは戦前の有名な録音で、ヴァインガルトナーとウィーン・フィルの復刻企画で数種聴くことが出来た。独奏はオドノポゾフひとりが輝いてをり、ピアノとチェロが頼りない。(2021.4.30)


ヴィヴァルディ:ヴァイオリン・ソナタイ長調RV31、同へ短調RV21
ラロ:スペイン交響曲
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
ヴィラ=ロボス:ヴァイオリン・ソナタ第3番
リカルド・オドノポゾフ(vn)、他
[DOREMI DHR-7874-9]

 名手オドノポゾフの大曲録音を復刻した6枚組。6枚目。意外に思へるレパートリーのヴィヴァルディが良い。レオ・ロスタルのチェロによる通奏低音、ベンジャミン・オーレンのハープシコード、ハインツ・ヴェールレのオルガンが雰囲気良く伴奏をする。オドノポゾフは持ち前の妖艶な美音で脂粉たつぷりに弾く。現代の耳には時代考証を無視した取り組みに聴こえるだらうが、音楽としては魅力満点、最高の演奏だ。2曲ともChamber Music Societyレーベルへの録音。ラロは4楽章制での演奏。ゲール指揮、ユトレヒト交響楽団の伴奏でMMSレーベルへの録音。曲との相性が良く。申し分ない出来だ。しかし、本当に素晴らしいのはプロコフィエフで、シゲティに肉薄する見事な演奏を披露して呉れた。美音から野蛮な音色への振れ幅が大きく、sul ponticello奏法で本懐を伝へるのはシゲティとオドノポゾフだけだ。ホルライザー指揮チューリヒ放送交響楽団の伴奏でMMSレーベルへの録音だ。最も価値があるのはヴィラ=ロボスで、匹敵する録音はなからう。ハンブロのピアノ、アレグロ・レーベルへの録音だ。(2020.2.25)


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番
レニングラード・フィル/エフゲニー・ムラヴィンスキー(cond.)
ダヴィド・オイストラフ(vn)
[Orfeo C 736 081 B]

 オイストラフ全盛期の1956年6月、ウィーン芸術週間に登場した際のライヴ録音。オイストラフはモーツァルトの協奏曲を複数回録音してゐるが、ムラヴィンスキーにとつては唯一の録音だ。しかし、残念なことに演奏は些とも面白くない。オイストラフの独奏は安定した発音とフレージング、豊かな音量と音色で申し分ないのだが、表現が単調で予定調和そのもの、新鮮な喜びを与へて呉れない。何度聴いても印象に残らない。ムラヴィンスキーの伴奏も特徴が薄い。一方で当盤が初出となるショスタコーヴィチはこの二大巨匠が初演をした切り札とも云へる作品で、しかも初演から半年後の演奏記録なのだ。終楽章の昂揚は取り分け熱い。とは云へ、演奏の集中力ではミトロプーロスとのセッション録音を上位に置きたい。オルフェオのリマスタリングは常乍ら音像が遠く、折角の名演が伝はつて来ないもどかしさがある。(2015.5.27)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、ロマンス第1番、同第2番
モスクワ放送交響楽団/モスクワ・フィル/ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(cond.)
ダヴィド・オイストラフ(vn)
[Brilliant Classics BRL9056]

 オイストラフ生誕100年を記念して協奏曲録音集10枚と室内楽録音集10枚を集成した20枚組。4枚目。協奏曲はオイストラフ全盛期の1962年の実況録音だ。ライヴとは思へない完璧な演奏で美しいプラチナ・トーンが堪能出来る。音量も盛大でヴァイオリン1本でモスクワ放送交響楽団と互角に競つてゐる。豊麗に広がる歌は流石だ。だが、オイストラフの演奏は健康的過ぎる。美しさを追求する余り危険を犯さない。予定調和の安定感しかない。音色や強弱の変化はあるが感情の変化を呼び覚ましはしない。第2楽章になると退屈してくる。第3楽章も相変わらずだ。カデンツァでも全ての音をソノーラスに鳴らす。詰まらない。1968年のライヴ録音であるロマンス2曲でも同じ傾向で、エロスや疼きのやうなものがない。かてて加へて技巧もやや衰へてきてをり良くない。(2015.9.20)


メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
ソヴィエト国立交響楽団/キリル・コンドラシン(cond.)、他
イーゴリ・オイストラフ(vn)/ダヴィド・オイストラフ(vn&cond.)
[DG 479 6580]

 DG/Decca/Philips全集22枚組。コンドラシンとの共演によるメンデルスゾーンが1949年、グラズノフが1948年の録音で、メロディア原盤である。メンデルスゾーン冒頭の光沢ある絹のやうな感触は如何許りだらう。何よりもテンポを木目細かく揺らした感興豊かな音楽が素晴らしい。ぐいと遅くして歌ひ込むかと思ひきや、捲し立てて颯爽と運ぶなど全体の見通しも抜群だ。オイストラフの真髄はモノーラル録音期にあるのだ。グラズノフの憂愁は格別だ。見せ場を多く作るハイフェッツとは異なり、風格で聴かせる。ブルッフはDG録音で、1961年にロイヤル・フィルを振り、イーゴリが独奏を担ふ。そつくりな音を出すが線の細さで親父には敵はない。悪くはないが特別なものではないのだ。(2023.1.18)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
ストックホルム祝祭管弦楽団/シクステン・エールリンク(cond.)
ダヴィド・オイストラフ(vn)
[EMI 50999 2 14712 2 3]

 EMI録音全集17枚組。かつて英テスタメント・レーベルからも復刻されたことのある1954年のモノーラル録音である。ベートーヴェンはオイストラフに関して云へば、僅か4年後に作られた名盤とされるクリュイタンス盤よりも良い。クリュイタンス盤は安全運転で楽器を鳴らしただけで、当盤で聴かれる精気はない。だが、管弦楽はクリュイタンスの指揮が素晴らしかつた。エールリンクの指揮は雑然としてをり男性的な良さはあるが、もう少し繊細さがあると良かつた。一方、自家薬籠中としてゐたシベリウスの指揮振りは大層素晴らしい。雄渾で無造作な響きが楽想と一致してゐる。理想的な最上級の演奏だ。だが、オイストラフの独奏が脂身が多過ぎ、楽天的な明るい音色も曲想との齟齬を感じさせる。歌ひ回しも作曲家の理念からは遠い。あちらを立てればこちらが立たず。(2017.2.4)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」
フランス放送国立管弦楽団/アンドレ・クリュイタンス(cond.)
レフ・オボーリン(p)
ダヴィド・オイストラフ(vn)
[EMI 50999 2 14712 2 3]

 >EMI録音全集17枚組。協奏曲は天下の名盤として第一位に挙げる方が多い有名な録音だ。最新のリマスタリングが施されてをり、1958年の録音とは思へない極上の音質で鑑賞出来る。何よりもクリュイタンスの伴奏が豊麗で力強い。堂々たる格式で管弦楽に関しては最上級だ。オイストラフのヴァイオリンは豊満で滑らか、実に美しい。音量も凄まじく管弦楽に一歩も譲らない。だが、単調なのだ。ソノリティを犠牲にしても訴へたい感情を聴き取ることは出来なかつた。当盤を絶讃する方には申し訳ないが、木を見て森を見ず、一音一音は美しいが、全体の音楽は停滞気味だ。だが、クリュイタンスの名伴奏もあつて、王者の風格を持つた名演であることに違ひはない。盟友オボーリンとのクロイツェル・ソナタは一層単調で、剥き出しの感情は聴かれない。心に残らない演奏だ。(2016.9.6)


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第1番、同第2番、協奏交響曲
ベルリン・フィル
イーゴリ・オイストラフ(vn)
ダヴィド・オイストラフ(vn&va&cond.)
[EMI 50999 2 14712 2 3]

 EMI録音全集17枚組。最晩年の1970年から1972年にかけてベルリン・フィルと完成させた弾き振りモーツァルト全集だ。オイフトラフは機会あれば若い頃から指揮も手掛け精通してゐた。弾き振りも御手の物で、それが名器ベルリン・フィルとなれば何の問題もなく、これほど素晴らしい伴奏は滅多に聴けない逸品なのだ。録音の少ない第1番と第2番は、悠然と豊満に弾いたオイストラフ流儀の名演で極めて完成度が高く名演としてお薦めしたい。協奏交響曲は凡庸だ。息子イーゴリにヴァイオリンは譲り、ダヴィドがヴィオラで万全の演奏を聴かせるが、全く面白くない。イーゴリも守りに入つてをり、ただ息の合つた上手いだけの演奏なのだ。この曲では丁々発止が聴きたい。(2022.9.6)


録音全集第2集(1904〜17年)
バッハ/シューベルト/ヴュータン/ヴェニャフスキ、他
モード・パウエル(vn)
[Naxos Historical 8.110962]

 電気録音が導入される以前の旧吹込み時代の録音は、19世紀の様式を色濃く伝へる大家―サラサーテやクーベリックなどの盛期を過ぎた老人の演奏が主で、イザイと雖もこの範疇に入る。瑞々しい感情を歌心に託したクライスラーやエルマンの若き日の録音を除けば、愛好家以外が旧吹込みの録音を漁ることは血迷ひ事に違ひない。そのやうな中でパウエルの録音が放つ光彩は女流と云ふことも相まり眩しい限りだ。奏法も音楽様式も19世紀の古いものでありながら、火山のやうな激情で噴き上がる生命力が強烈だ。ヴュータンのポロネーズにおける終盤での追ひ込みは尋常ではない。濃密な味はひのヴェニャフスキのロマンスもよい。邪道とは云へ、モーツァルトやボッケリーニの有名なメヌエットが大胆極まりないポルタメントやルバートで新たな生命を吹き込まれてゐるのは滅法愉快。バッハもアメリカ民謡もパウエルにとつては同じ音楽なのだ。(2005.11.28)


録音全集第3集(1904〜17年)
ルクレール/メンデルスゾーン/ドヴォジャーク/フバイ/シベリウス/プッチーニ、他
モード・パウエル(vn)
[Naxos Historical 8.110963]

 パウエルは初めて聴いた時からお気に入りの奏者である。何れはディスコグラフィーを創りたい。アメリカの女流で、伝統的な流派とは無縁ながら、1917年以前にこれほど大量の録音を残せたのだがら、実力は推して知るべし。演奏は兎に角威勢がよく、弓のアタックは大胆極まりない。低俗なのではなく、徹頭徹尾ヤンキー気質なのだ。古い奏法と表現だが、強い信念で弾かれてゐるので感銘を残す。メンデルスゾーンの協奏曲フィナーレは、イザイの録音こそ最高だと思つてゐたが、激情だけならパウエルの方が数段上だ。ルクレール「タンブーラン」やシベリウス「悲しきワルツ」での、崩したリズムが醸し出すスイング感が天晴痛快。(2004.12.10)


録音全集第4集(1904〜17年)
ボロヴスキ/グルック/ヴェニャフスキ/ネルーダ/ドルドラ、他
モード・パウエル(vn)
[Naxos Historical 8.110993]

 贔屓にしてゐる個性的な女流奏者パウエルの全集録音最終巻が出た。これまでパウエルの纏まつた復刻はモード・パウエル財団が出した3枚のCDが最多であつたから、名復刻技術者マーストンによる決定版となつたこのNaxos Historical盤も3枚で完結かと思ひ込んでゐた。そこに4枚目の登場である。一見すると第1巻から第3巻までに含まれてゐた曲目ばかりなのだが、別テイクを網羅したといふ究極の拘泥り振りで蒐集家を感涙させる。カタログ番号は同じであるが、マトリクス番号と録音日時が違ひ、演奏も当然微妙に異なる。かうしたデータの完備もNaxos Historicalの素晴らしいところである。この第4巻だけに収録された曲目は、未発表でテストプレスしか残らない稀少盤のボロヴスキ「あこがれ」のみである。これはパウエルの全録音中でも特に感動的な昂揚に充たされた名演だ。(2006.5.1)


マヌエル・キロガ(vn)
キロガ/サラサーテ/クライスラー/バッツィーニ/タルティーニ、他
[SYMPOSIUM 1131]

 今日キロガの名を伝へるのはイザイより無伴奏ソナタ第6番を献呈された人物といふことくらいだらう。だが、流石はイザイである。シゲティ、ティボー、エネスク、クライスラーに伍するヴァイオリニストとしてのキロガを見出したのだから。スペイン出身でサラサーテの後を襲つたキロガだが、極度のあがり症で舞台では真価が伝はらず、また、全盛期に交通事故で引退を余儀なくされた。録音が少ないキロガにとつて当盤は実力を伝へる貴重な資料となる。あいや! タルティーニ「悪魔のトリル」のカデンツァを聴くがよい。驚くべき集中力と感情の漲りにたぢろがずにはゐられまい。キロガの演奏は何れも激情的であり、全ての音に綺麗事ではない感情の爆発が見られる。その為、音が揺れ弓が乱れ、アンサンブルも揃はないことが散見されるが、洗練された様式とは対極にある燃え滾るスペインの血が貴い演奏家である。「悪魔のトリル」の他には、サラサーテの諸作品とバッツィーニに凄みを感じる。崩れる限界迄熱情を湧かせた演奏はさうはあるまい。キロガは作曲家として作品を残してをり、キャムデンへ録音した自作自演4曲は貴重だ。濃厚な歌ひ回しに幻惑される。(2005.7.23)


1909年&1912年グラモフォン録音
1928年ヴィクター録音
マルタ・レマン(p)
マヌエル・キロガ(vn)
[OUVIRMOS VR0106]

 これはスペインで発売された書籍扱ひの商品である。特別な経路で入手した。2冊あり、こちらはグラモフォンへのアコースティック録音8曲と電気録音でのキャムデン・ヴィクター録音4曲から構成される。キロガの復刻は英SYMPOSIUMによつて殆ど行はれてゐたのだが、当盤では初復刻と思はれる2つの音源があり、蒐集家には看過出来ない1枚である。1909年の録音と思はれるホセ・デル・イエロ「カプリッチョ・ホタ」と1912年のサラサーテ「ホタ・ナバラ」だ。サラサーテは2種収録されてゐるので、一方が初出音源である。グラモフォン録音は音が貧しいので飽くまで蒐集家向けである。キロガのディスコグラフィーは不明点が多く、まだまだ商品化されてゐない音源もありさうだ。或いは完全に失はなれて仕舞つたかも知れぬ。(2022.3.6)


パテ録音(1928年〜1929年)
マルタ・レマン(p)
マヌエル・キロガ(vn)
[OUVIRMOS VR0109]

 これはスペインで発売された書籍扱ひの商品である。特別な経路で入手した。2冊あり、これは1928年から1929年にかけてパテに吹き込まれた電気録音14曲である。ピアノ伴奏は奥方のマルタ・レマン。キロガの復刻は英SYMPOSIUMにもあり、実はこの14曲は全て重複する。破格の名演、タルティーニ「悪魔のトリル」のカデンツァも収録されてゐる。他ではサラサーテが「アンダルシアのロマンス」「ホタ・アラゴネーサ」「サパテアード」「タランテラ」と多く、名演ばかりだ。これ以上激情的なサラサーテは聴けないだらう。キロガは最もスペイン的な奏者だ。情熱的で感情を爆発させた演奏は比類がなく、機械的な要素は皆無で、どこまでも人間的な演奏をする。バッツィーニの演奏は精密な技巧の追求ではなく、奇怪さを見事に演出してゐる。クライスラー「ジプシーの女」での濃密な表現もまた素晴らしい。(2018.4.30)


パガニーニ:24のカプリース
ワルター・ロバート(p)
オッシ・レナルディ(vn)
[Biddulph LAB 061-062]

 事故死の為33歳で早世して仕舞つたレナルディの数少ない貴重な録音集。1940年にヴィクターに録音された24のカプリースはダーヴィット編曲のピアノ伴奏付き版での演奏であるが、その点を留保しても全曲の初録音といふ大きな価値がある。将来を嘱目された天才肌のレナルディが聴かせる水際立つた技巧の鮮やかさは、現在でも生彩を持つ。軽快な音楽はパガニーニの神髄に触れてをり、一方で憂ひを帯びた歌の哀愁も抜群だ。全24曲を颯爽と聴かせる手腕は唯事ではない。曲の性格を描き分け、単なる超絶技巧の羅列としない資質に瞠目したい。ピアノ伴奏は飽くまで補足であり、邪魔には感じない。寧ろ和音進行を呈示する役割を果たし、無伴奏では解りにくい音楽的な面を明らかにして呉れる。(2010.2.22)


サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第1番
パガニーニ/エルンスト/モーツァルト/ブラームス/ドヴォジャーク/ザジツキ
ワルター・ロバート(p)
オッシ・レナルディ(vn)
[Biddulph LAB 061-062]

 1940年と1941年のヴィクター録音を復刻した2枚組の2枚目。レナルディは夭折したが、将来を嘱目されてゐたその実力を知るのに格好の1枚である。往時の名手たちは小品で聴く者を唸らせた。パガニーニのイ長調ソナタ、エルンストのハンガリー風アリア、モーツァルトのアダージョ、ブラームスのスケルツォ、ドヴォジャークのバラード、ザジツキのマズルカ、これら6曲の小品から聴かれる澱みのない端正な技巧、繊細なヴィブラートによる表情的な音色、快活で豊麗な音楽には舌を巻く。特にパガニーニとエルンストが物凄い。これほどまでに超絶技巧を軽快かつ蠱惑的に弾いたのはプシホダくらゐである。一方で、モーツァルトやドヴォジャークに聴かれる哀感に充ちた歌心も欠けてゐない。情熱的なブラームスやザジツキも見事。ザジツキはフーベルマンの名演に次ぐ。大曲ではサン=サーンスの第1協奏曲がある。但しピアノ伴奏による演奏だ。この曲には官能的なティボーの演奏が忘れ難いが、端正で若々しいレナルディの演奏にも惹かれる。(2010.5.9)


サラサーテ/ナルディーニ/ショパン/ポッパー/エルンスト/バッハ/ベートーヴェン/ゴルトマルク、他
ウィーン・フィル
ロゼー弦楽四重奏団
アルノルト・ロゼー(vn&cond.)
[ARBITER 148]

 20世紀前半にウィーン・フィルのコンツェルトマイスターとしてウィーン楽壇を牛耳つたロゼーの独奏、四重奏、指揮が聴ける愛好家垂涎の1枚。多忙故、ソロイストとしての活動が制限されたことは、同業者からは救ひとされたほどだ。ノン・ヴィブラートを基調とし、等質で緊密なボウイングを特徴とする旧派の奏法では、疑ひなく頂点に立つ大物である。独奏が1909年と1910年の録音を中心に15曲も収録されてゐる。技巧の切れは凄みがあり、サラサーテのツィゴイネルワイゼンやスペイン舞曲、ゴルトマルクの協奏曲は圧巻だ。一方、懐の大きい気品あるフレージングもロゼーの美質で、ショパンのホ短調協奏曲、スヴェンセン「ロマンス」、バッハ「アダージョ」、ベートーヴェン「ロマンス」、シモネッティ「マドリガル」は桁違ひに素晴らしい。四重奏は楽章単位だが6曲収録されてをり、テヌートを多用した旧式の演奏だが、何れも傑出した出来だ。ボッケリーニ、モーツァルト、ベートーヴェンの第13番は当盤でしか聴けない。ウィーン・フィルを指揮した「アテネの廃墟」序曲は本来ヴァインガルトナーが指揮する筈だつたが、高齢と疲労で降板した為に代理録音したといふ珍品である。(2008.8.4)


サラサーテ/エルンスト/スヴェンセン/バッハ/ブラームス/ショパン/シモネッティ/ヴェニャフスキ/ポッパー/ゴルトマルク/メンデルスゾーン
アルマ・ロゼー(vn)
アルノルト・ロゼー(vn)
[SYMPOSIUM 1371]

 英SYMPOSIUMのThe Great Violinistsシリーズの第24巻―CDで発売された最後の巻だ―は別格の大物ロゼーの独奏を編んだ極上の1枚だ。よく知られた電気録音の愛娘アルマとのバッハのニ短調協奏曲なども含まれるが、中心は1909年と1910年のアコースティック録音だ。当盤でしか聴けない音源は大変貴重な最初の録音と思しき1902年録音のサラサーテ「スペイン舞曲」とエルンスト「オテロ幻想曲」―両方とも録音技術の制約上短縮版での演奏だ―、1909年録音のバッハ「エア」、ブラームス「ハンガリー舞曲第5番」、ゴルトマルクの協奏曲の第2楽章だ。1902年録音の2曲は1909年にも再録音してゐるから十八番であつたのだらう。ブラームスの激しい情熱も理想的だ。ゴルトマルクは第1楽章の復刻は幾つかあつたが、第2楽章が揃つて復刻されたことを歓迎したい。ロゼーの演奏は辺りを払ふ唯我独尊の境地を感じさせる。(2014.5.20)


ディーリアス:ヴァイオリン・ソナタ第1番、同第2番、同第3番
ラッブラ:ヴァイオリン・ソナタ第2番
キャスリーン・ロング(p)、他
アルバート・サモンズ(vn)
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9768]

 ディーリアスのソナタは英國の名手サモンズの代表的な録音でありながら、楽曲の知名度が低い故に復刻は到底期待出来ないと諦めてゐたのだが、流石は英DUTTONで、自國の音楽を大事にする良い仕事をして呉れた。しかも、ディーリアスの第1番は如何なる理由か、お蔵入りになつて仕舞つた音源で、何と当盤で初出となり、サモンズによるソナタ全集が揃ふといふ快挙まで成し遂げてゐるのだ。第2番は1924年の旧吹き込みで音の貧しさから感銘が劣るのが残念だが、第1番は1929年の電気録音で、ディーリアスの淡い抒情美にどっぷりと浸かれる。伴奏のエヴリン・ハワード=ジョーンズも美しい詩情を添へる。第3番は晩年の録音でロングの伴奏である。楽曲も演奏も渋みを加へて、一種特別な境地に達してゐる。ラッブラのソナタは掴み所がないディーリアスの曲とは異なり、英國情緒溢れる旋律が印象的な名曲だ。特に終曲の野卑なリズムの饗宴は鮮烈だ。ジェラルド・ムーアの伴奏も生命力に溢れてをり、感銘の度合ひではラッブラの録音が最上だ。愛好家向けだが、郷愁豊かな音楽と高貴な浪漫を聴かせるヴァイオリンの音を約束して呉れる得難い1枚だ。(2008.9.19)


E.J.モーラン:ヴァイオリン協奏曲、幻想四重奏曲、セレナード
レオン・グーセンス(ob)
サー・エードリアン・ボールト(cond.)、他
アルバート・サモンズ(vn)
[SYMPOSIUM 1201]

 英國音楽愛好家には垂涎の1枚。E.J.モーランは知名度こそ低いが郷愁豊かな抒情美を聴かせる作品を残した。演奏は英國を代表する名手らによる名演揃ひだ。ディーリアスの作品を想起させるヴァイオリン協奏曲はサモンズとボールトによる演奏でこれ以上は望めまい。渋みのある実直な音色で語りかけるヴァイオリンが素晴らしい。オーボエと弦楽による幻想四重奏曲はバックスのオーボエ五重奏曲をも凌駕する単一楽章の名曲で、多彩な表情と響きを聴かせる。名手グーセンスによる温かみのある演奏が感動的だ。曲、演奏ともに当盤の白眉である。管弦楽の為のセレナードは英國情緒満載の8つの性格的な小曲より成る。エアとギャロップが印象的だ。(2007.4.20)


パブロ・デ・サラサーテ(vn)/1904年G&T全録音(全9曲)
フワン・マネン(vn)/1915年パーロフォン録音(7曲)/1912年アンカー録音(2曲)
カウフマン(S)
[SYMPOSIUM 1328]

 現在では「ツィゴイネルワイゼン」などの作曲家として音楽史に名を連ねるサラサーテだが、パガニーニ以後最大のヴィルティオーゾ・ヴァイオリニストとしての伝説を看過してはならない。自作自演は老齢の為だらう、ハイフェッツ、エルマン、キロガらの感情を投影した演奏とは異なる醒めた表現であるが、「機械仕掛け」と諷された精緻な技巧と楽器の特性に飽くまで執着する様式美は時代の偉大な証言である。バッハの「前奏曲」が物凄い。2分40秒といふ猛烈なテンポで一気呵成に楽曲を征服した演奏は、移弦の練習曲に貶めることなく聴く者を圧倒する。当盤には同じスペインで活躍したマネンの貴重な復刻9曲が収録されてゐる。個性や情感に乏しい嫌ひがあり時代様式の範囲に止まつてゐるが、驚く程端正な技巧と磨き抜かれた美音を誇るヴィルティオーゾだ。パガニーニ、パラディス、サラサーテ、ヴィニャフスキ、ダカンなどの技巧曲の完成度には平伏する。(2006.8.22)


チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
最初期小品録音集(1927年&1929年)
ヴィリー・クラーゼン(p)/オットー・シュルホフ(p)
チェコ・フィル/ヴァーツラフ・タリフ(cond.)
ヴォルフガング・シュナイダーハン(vn)
[amadeo 431 344-2]

 シュナイダーハンの多彩な活動記録を編んだ6枚組。1枚目は大変貴重な初期録音集で、何とシュナイダーハン12歳頃の録音が聴けるのだ。メニューインに匹敵する神童振りに驚愕を禁じ得ない。1927年の録音はヴィリー・クラーゼンのマズルカと子守歌を作曲者のピアノ伴奏で弾いたものだ。妖しげなマズルカと後期ロマン派的な安らぎのある子守歌を見事に聴かせる。シュルホフのピアノ伴奏で吹き込んだ1929年の録音は、ブラームス「ハンガリー舞曲第5番」やサン=サーンス「白鳥」といつた有名曲も含むが、ナッシュ「メヌエット」、フィビヒ「詩曲」、ダンブロージオ「セレナータ」、リーズ「常動曲」と渋い選曲が続く。演奏も落ち着いた雰囲気の滋味豊かな絶妙さがある。これらは当盤でしか聴けない幻の録音なのだ。さて、10代後半からウィーン交響楽団のコンツェルトマイスターを務め、20代でウィーン・フィルの顔になる天才の恐らく最初の協奏曲録音が収録されてゐる。1940年録音のチャイコフスキーで、何とタリフとチェコ・フィルによる伴奏である。これは殆ど知られてゐない録音ではないか。演奏自体は独奏も伴奏も非常に巧く完成度が極めて高い。しかし、熱量や情感には不足し、面白い演奏ではない。(2021.7.30)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
フェレンツ・フリッチャイ(cond.)、他
ヴォルフガング・シュナイダーハン(vn)
[amadeo 431 345-2]

 シュナイダーハンの多彩な活動記録を編んだ6枚組。2枚目。大指揮者との協奏曲録音で、稀少価値は最も少ない。大変有名なフルトヴェングラーとのベートーヴェンは様々なレーベルから発売されてゐる。演奏は総じて素晴らしくシュナイダーハンの安定感は抜群だ。高貴で美しい音色を持続してをり、巨匠の伴奏にも引けを取らない恰幅の良さだ。第1楽章カデンツァはじつくり弾き上げてをり高次元の出来栄えだ。とは云へ、個性的な味はひがある訳ではなく、上手いが特別な演奏ではない。矢張りフルトヴェングラーの指揮に耳が傾く。藝格の高さをまざまざと示す。絶妙な間合ひ、繊細な響き、減り張りの巧みさなど語り出すと尽きない。フリッチャイとのメンデルスゾーンはドイツ・グラモフォンヘの正規セッション録音である。極上の名盤で、流麗なシュナイダーハンの独奏と堅実なフリッチャイの伴奏が融合してゐる。浪漫的な歌が充溢した屈指の名演。感銘度は断然メンデルスゾーンの方が上だ。(2016.5.19)


モーツァルト:「牧人の王」「イドメネオ」よりアリア
ヘンツェ:タッソーの詩によるアリオーソ
マルタン:マリア三部作
リーバーマン:カプリッチョ
フェルディナンド・ライトナー(cond.)/ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(cond.)、他
イルムガルト・ゼーフリート(S)
ヴォルフガング・シュナイダーハン(vn)
[amadeo 431 348-2]

 シュナイダーハンの多彩な活動記録を編んだ6枚組。5枚目。衆知のことだが、シュナイダーハンの奥方はゼーフリートで、これは夫婦共演記録を編んだ麗しき1枚だ。一味違ふのは、どちらも超一流であり実に刺激的な丁々発止が聴けることだ。DG録音のモーツァルトの2曲は神品で、ゼーフリートの歌唱も見事だが、斯様に巧いヴァイオリンの助奏は他にない。さて、当盤の真価はそれ以外の現代曲にある。一般的な興味からは遠いが、神秘的なゼーフリートの歌唱と鮮烈なシュナイダーハンの妙技で唯一無二の演奏を聴かせる。ヘンツェの作品では作曲者自ら指揮棒を振つてをり価値が高い。(2023.3.24)


モーツァルト:ディヴェルティメントK.138、ヴァイオリン協奏曲第5番、アダージョK.261、ロンドK.373、ロンドK.269、アイネ・クライネ・ナハトムジーク
ウィーン・フィル
ヴォルフガング・シュナイダーハン(vn&comd.)
[amadeo 431 349-2]

 シュナイダーハンの多彩な活動記録を編んだ6枚組。6枚目は1973年8月4日、ザルツブルク音楽祭の演奏会記録で、シュナイダーハンがウィーン・フィルを指揮したオール・モーツァルト・プログラムである。ヴァイオリン独奏も兼ねた弾き振りが催しの目玉ではあるが、コンツェルトマイスターを務めた名門ウィーン・フィルとの信頼厚きアンサンブルも楽しまう。特徴こそないが、ディヴェルティメントやセレナードはとても美しい演奏である。さて、得意とした協奏曲は安定の名演で、独自のカデンツァは聴きものだ。他に3曲もヴァイオリンとオーケストラの小品を披露してをり重要だ。協奏曲の別稿であつたK.261を併せて演奏するのは乙な趣向だ。(2021.10.27)


ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番、同第2番
グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第3番
アーサー・レッサー(p)
トーシャ・ザイデル(vn)
[Biddulph LAB 013]

 アウアー門下の逸材として一時はハイフェッツ最大の好敵手と目されたザイデルだが、現在では忘れられた感がある。理由が無い訳ではない。サイデルはエルマンやクライスラーやプシホダを凌ぐ美音を持ち主である。アルベジオでも重音でも豊麗なヴィブラートを間断なく掛ける奥義は唯事ではない。だが、ザイデルは音に溺れて仕舞つてゐる。音を聴かせて音楽を聴かせることを置き去りにしてゐる。淫靡な艶のあるブラームスは異端の面白みはあるが、陰影が乏しく単調だ。晦渋で内省的なブッシュ盤と比べて何といふ違ひだらう。グリーグが名演だ。この曲にはクライスラーとラフマニノフの有名な録音があるが、耽美的な情熱を滾らせたザイデル盤に軍配を上げたい。名手レッサーの伴奏が秀逸だ。(2007.2.24)


RCAヴィクター録音(1938年〜1941年)
フランク:ヴァイオリン・ソナタ
エーリヒ・コルンゴルト(p)/ミリツァ・コルユス(S)、他
トーシャ・ザイデル(vn)
[Biddulph LAB 138]

 美音家ザイデルは大成しなかつた人だ。妖しくも美しいヴァイオリンの音色は古き良き時代を彩つたが、大曲で名を残すことが出来なかつた。1950年初頭にハリー・カウフマンの伴奏で録音されたフランクのソナタは美音に溺れるだけの享楽的な演奏で、良くも悪くもザイデルの特徴を表してゐる。フランクの崇高な瞑想は何処にもない。しかし、壮年期のザイデルがRCAヴィクターに時代遅れのやうに吹き込んだ小品の数々は捨て難い魅力を放つてゐる。バカレイニコフ「ブラームシアーナ」はハンガリー舞曲の接続曲であるが、濃厚なジプシー情緒によるこれ以上ない決まつた極上の名演である。モーツァルトのガヴォットやメヌエットにおける悦楽のやうな演奏も抗し難い。当盤の目玉は作曲家のピアノ伴奏によるコルンゴルト「空騒ぎ」組曲とハリウッドでも活躍した美形ソプラノであるコルユスの助奏をした録音だ。コルンゴルトの熟爛の音楽を作曲者のピアノで聴けるのだからそれだけでも価値のあることだが、ザイデルの妖艶なヴァイオリンが栄えてゐるのが良い。コルユスを主役に、シュトラウスのワルツをハリウッド映画風に編曲した3曲の録音は雰囲気満点だ。コルユスの華やかで輝かしいコロラチューラは狂乱の極みである。(2011.9.4)


エディソン録音/ブランズヴィック録音
ブラームス/ドヴォジャーク/ショパン/ヴェニャフスキ、他
アンドレ・ブノワ(p)
アルバート・スポールディング(vn)
[mrf recording MRF-S-01]

 米国の名手スポールディングは長い録音歴を誇るが、エディソンやブランズヴィックへの初期録音の復刻は殆どない。mrfといふレーベルが復刻した大変貴重な2枚のCDより1巻目を聴く。スポールディングは顫動するヴィブラートが特徴で、渋くくすんだ音色だが、表情的な音を出す。派手で享楽的な奏者とは距離を置く、玄人好みの名手である。メンデルスゾーン「歌の翼に」、ショパン「ノクターン第2番」、マスネ「タイースの瞑想曲」で聴かせる、甘さを抑へた燻し銀と形容したい内向的な歌に一種特別な良さがある。ヴィニャフスキが5曲と最も多いが、技巧を前面に出さず光沢を抑制した歌を聴かせる異色の演奏ばかりだ。次いで得意としたブラームスのハンガリー舞曲を1番、5番、6番、7番と4曲吹き込んでゐる。後年の再録音と印象は然程変はらない。技巧的な編曲を施した老巧な演奏だ。ドヴォジャークの「スラヴ舞曲第10番ホ短調」にも同じことが云へる。ゴダールの協奏曲第1番のカンツォネッタ、ケッテン「スペイン奇想曲」は大変珍しく重宝する。その他では十八番のシューベルト「聴け、聴け、ひばり」の洒脱さが印象深い。(2010.7.28)


エディソン録音/ブランズヴィック録音/ヴィクター録音
サラサーテ/クライスラー、他
アンドレ・ブノワ(p)
アルバート・スポールディング(vn)
[mrf recording MRF-S-02]

 米国の名手スポールディングは長い録音歴を誇るが、エディソンやブランズヴィックへの初期録音の復刻は殆どない。mrfといふレーベルが復刻した大変貴重な2枚のCDより2巻目を聴く。ヴィクター録音のタルティーニ「悪魔のトリル」とヘンデルのホ長調ソナタのことは別項に述べたので割愛する。また、同じくヴィクター録音の自作「とんぼ」とシューベルト「聴け、聴け、ひばり」は英Biddulphからも復刻があつたので割愛する。矢張り重要なのはエディソンとブランズヴィックへ録音したサラサーテとクライスラーだ。サラサーテでは「カルメン幻想曲」「ハバネラ」「アンダルシアのロマンス」「サパデアード」「スペイン舞曲」「序奏とタランテラ」「ツィゴイネルワイゼン」、クライスラーでは「ウィーン奇想曲」「愛の喜び」「愛の悲しみ」「美しきロスマリン」が録音されてゐる。細かいヴィブラートによるダブル・ストップ奏法に妙味があり、色気を抜いた細密画のやうな演奏には渋みがあり、華美を嫌ふ聴き手には重宝されよう。(2010.10.27)


ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第6番
タルティーニ:悪魔のトリル
フランク:ヴァイオリン・ソナタ
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番、他
アンドレ・ブノワ(p)
アルバート・スポールディング(vn)
[A Classical Record ACR 42]

 アメリカの名奏者スポールディングによる1934年と1935年のヴィクター録音で全盛期の記録だ。スポールディングの特徴は間断なく掛けられる細かいヴィブラートで、幅が狭く速めである。その為、音色の変化が乏しいが、外連がなく実直な印象を与へる。一方、ボウイングは訥々としてをり、ハイフェッツやカウフマンのやうな華麗で妖艶な演奏とは対照的に渋く内省的なのだ。ソナタの名曲で聴かせる晦渋は実に老巧だ。最も素晴らしいのはヘンデルとブラームスのソナタだ。録音の少ないヘンデルのホ長調ソナタで聴かせる滋味豊かにして品格のある佇まいは極上で、この曲の決定的名盤であらう。得意としたブラームスは奥底から滲む浪漫が見事だ。フランクはブラームス風の解釈で幻想的、タルティーニも高雅な演奏で心惹かれるが、幾分特色が薄い。(2008.8.26)


ブラームス:ヴァイオリン協奏曲、ハンガリー舞曲集(15曲)
ウィリアム・ロイブナー(cond.)、他
アルバート・スポールディング(vn)
[Pearl GEMM 0224]

 スポールディングはクライスラーやハイフェッツの活躍の陰で正当に評価されることはなかつたが、電気録音以前から吹込み経歴を持つアメリカの名奏者である。ブラームスを切り札とし、ドホナーニとのソナタ集は天下の名盤と誉高い。協奏曲もレミントンといふマイナー・レーベルへの録音にも拘らず愛好家には特別な名演として持て囃されてきた。1952年の録音なので技巧の衰へが散見されるが、渋みのある灰色がかつた音色と内から燃え上がる情熱が瑣事を忘れさせる。自作のカデンツァも見事で、屈指の名演として激賞したい。ヨアヒムが編曲した15曲のハンガリー舞曲もスポールディングの傾倒振りが聴く者の胸に響く名演ばかりだ。ヴァイオリン独奏向きに移調された曲も多いが、重音奏法を駆使した聴き応へのあるものばかりだ。2番、4番、6番、9番、16番、17番、20番の演奏には甚く感動した。(2007.5.31)


ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番、同第2番、同第3番
エルンスト・フォン・ドホナーニ(p)
アルバート・スポールディング(vn)
[WING WCD 32]

 1949年にレミントン・レーベルに録音された玄人好みの名盤の復刻だ。米レミントンの原盤が消失してをり、識者が褒め讃へる名演であり乍ら、海外での復刻は恐らくなく、本邦の状態の良い板起こし盤は愛好家なら手元に置いてをくべきだ。さて、この両老大家の演奏、決して上手な演奏ではない。それぞれ老境に入つてからの演奏で、ドホナーニは時折冷やつとするやうなミスタッチを犯し、スポールディングは難所になると正確に音を出すのが精一杯で音が途切れて流れない。かう述べると、非道い演奏のやうに思はれるだらうが、全3曲とも若造には出せない渋味が充満してゐてブラームスの真髄を聴くことが出来るのだ。第一、流麗で輝かしく艶のあるブラームスの演奏で本懐が掴めるだらうか。両老大家が最も得意としたブラームス、自らを投影することの出来たブラームスを思ひの丈を出して総決算とした。晩秋の趣を渋い情熱と深い幻想で表現した特別な名演。瑕があらうが別格の味はひなのだ。(2019.5.13)


パーロフォン録音(1935年〜1939年)
プニャーニ/シューマン/ヴェニャフスキ/サラサーテ/シマノフスキ/ブリッジ、他
アンリ・テミアンカ(vn)
[Biddulph LAB 059-60]

 当盤は1992年、テミアンカが亡くなる年に発売され、奇しくも追悼盤になつて仕舞つた。ライナーノートにはこのパーロフォン録音の思ひ出を綴つた文が記されてをり、テミアンカのサインが付されてゐる。テミアンカは1935年に第1回ヴェニャフスキ国際コンクールで、ヌヴー、オイストラフに次ぐ第3位で入賞したことで知られる。当盤には記念として直後に録音されたヴェニャフスキ「ポロネーズ」が収録されてゐる。テミアンカの最初の颯爽たる録音である。その後はパガニーニ四重奏団を結成してルービンシュタインと合奏で録音を残すなど、独奏よりも室内楽で良さを発揮した。戦前の奏者らが持つ特徴を色濃く備へた古い世代の人で、玄人好みの名手だと云へよう。2枚組の1枚目。小品集で、小粒だが繊細な表情の演奏が楽しめる。プニャーニのホ長調ソナタが可憐で美しい。バッハやヘンデルも同様に瀟酒だ。シューマンの2曲のロマンスの淡い詩情も絶品だ。シマノフスキ「ロマンス」「ロクサーヌの歌」の神妙な雰囲気も良い。だが、ヴェニャフスキ、サラサーテ、サン=サーンスなどの技巧曲は派手さがなく、小さく纏まり過ぎて面白くない。(2011.4.8)


パーロフォン録音(1935年〜1939年)
アレンスキー:ピアノ三重奏曲第1番
シベリウス/シューベルト/ヴェニャフスキ
アンリ・テミアンカ(vn)
[Biddulph LAB 059-60]

 2枚組の2枚目。哀愁漂ふ名曲アレンスキーの三重奏曲が聴ける。チェロがアントーニオ・ザラ、ピアノがアイリーン・ジョイスだ。テミアンカは室内楽を得意とし、味はひ深いアンサンブルを奏でる。但し、この曲にはハイフェッツとピアティゴルスキーのより主張の強い演奏がある。淡く抒情的なテミアンカ盤は美しいが、穏健な印象を受ける。スラヴの濃厚な哀愁を聴くならハイフェッツ盤、サロン的憂愁を聴くならテミアンカ盤といつた具合だらう。余白にはシベリウス「ユモレスク」、シューベルト「序奏とロンド」、ヴェニャフスキ国際コンクール入賞後にモスクワで録音したもう1種の「ポロネーズ」が収録されてゐる。何れも小粒だが、上品で優美な演奏ばかりだ。(2011.6.5)


フランク:ヴァイオリン・ソナタ
フォレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番、子守歌
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ、ミンストレル
アルフレッド・コルトー(p)、他
ジャック・ティボー(vn)
[EMI CDH 7 63032 2]

 ティボーに関してはディスコグラフィーを作製する計画なので、ここでは深く立ち入らないことにしやう。当盤は、藝術を愛する人なら是非蒐集の1枚に加へて欲しいと思ふ録音である。フランスとは何か、エスプリとは何かを教へてくれる極め付けの名盤である。可憐な弱さに秘められた詩情の美しさは如何ばかりであらう。特にフォレのソナタが不世出の名演。ティボーの弓の震へや音程の乱れ、コルトーの盛大なミス・タッチを数へ上げたい人は数へればよい。(2004.11.22)


ラロ:スペイン交響曲
ショーソン:詩曲
サン=サーンス:ハバネラ、序奏とロンド・カプリチオーソ
アンセルメ(cond.)/ビゴー(cond.)/モントゥー(cond.)、他
タッソ・ヤノポーロ(p)
ジャック・ティボー(vn)
[OPUS蔵 OPK 2082]

 本邦のオーパス蔵が復刻したティボーの初出音源を含むフランス音楽集。初出は序奏とロンド・カプリチオーソで、1939年3月20日に英國BBCが放送した演奏をエア・チェックしたアセテート盤からの復刻である。この曲には1916年の機械吹込み録音と最晩年1953年のフランクフルトでのライヴ録音があるが、録音が貧し過ぎたり、演奏が衰へてゐたりと万全なものがなかつた。この初出音源もやや瑕はあるが、全盛期の輝きを保つてゐる演奏として推奨出来る。他の曲目についてはティボー・ディスコグラフィーで述べてある。アンセルメとのラロは良くない。ビゴーとのショーソンは悪くないがアンセルメとの演奏には劣る。モントゥーとのハバネラはこの曲の最高の名演であらう。(2015.1.26)


ラロ:スペイン交響曲、他
アタウルフォ・アルヘンタ(cond.)、他
ジャック・ティボー(vn)
[CASCAVELLE Vel3068]

 ティボーの没後50年に当たる2003年暮、CASCAVELLEより4枚組の名演集が発売された。当組物の最大の目玉は完全初出音源となるアルヘンタとのスペイン交響曲である。これでティボーのラロは5種目となる―他にモントゥーとのSP録音断片も存在するらしいが。1951年の演奏となるアルヘンタ共演盤は音質こそ貧しいが、噎せ返るやうな色気を振りまく絶好調のティボーが聴ける重要な記録である。晩年の実演は概して運弓の衰へが目立つが、当盤は往時の潤ひを感じさせる感興豊かな音に満ちてゐる。アルヘンタの情熱的な指揮は曲想を大いに引き立ててゐるが、自在なティボーの揺れには苦心してゐるやうだ。その他の収録音源は既出のものばかりだが、暫く入手困難であつた次の2点を含むことで価値のあるものである。ひとつは1947年のポリドール録音―パレーとのモーツァルトとビゴーとのショーソン、もうひとつは1944年の全録音―シューベルトのソナチネ他―が収録されてゐることである。(2005.2.7)


ラロ:スペイン交響曲
サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第1番、序奏とロンド・カプチリオーソ
ショーソン:詩曲
ジャン・マルティノン(cond.)/アルチェオ・ガリエラ(cond.)/エルネスト・アンセルメ(cond.)、他
ジャック・ティボー(vn)
[APR 5644]

 比較的珍しい音源の集成。演奏は何れもティボーだけにしか為し得ない官能美に溢れたもので、これらの曲の最高の演奏と云つても過言ではない。ティボーによるラロの録音は5種あるが、当盤は運弓に躍動感があり感興が強い。マルティノンとの相性も良く、全体の完成度が高い。惜しむらくは録音が隠つて優れないことだ。曲自体珍しいサン=サーンスの協奏曲は重要な記録だ。驚くべき官能に身を委ねた名演で、冒頭から噎せ返るやうな音で聴くものを別世界へ誘ふ。特に第2楽章のポルタメントの妖艶さは類例がなく、音楽から斯様な色気を出した名手は他にゐない。録音年代が古いショーソンは技巧に潤ひがあり、晩年のビゴーとの録音に見られた不安定さがない。音そのものが儚い詩と化してをり、エネスクと並ぶ別格の名演と云へる。(2005.6.12)


Vox録音(1925年)/ポリドール録音(1933年〜1934年)
グィド・アゴスティ(p)
フランツ・フォン・ヴェッチェイ(vn)
[Pearl GEMM CD 9498]

 1935年に急逝して仕舞つたフバイ門下の逸材ヴェッチェイの纏まつた復刻はこのPearl盤は以外は見当たらない。ヴェッチェイの本当に素晴らしい録音は1910年頃のフォノティピア録音にあるとされるので復刻が待たれる。電気録音を復刻した当盤では、残念乍ら伝説的なヴィルティオーゾとしての名声を確認することは出来なかつた。演目も歌謡的な落ち着いた曲が多く拍子抜けだ。とは云へ、ヴェッチェイの音は野太く強靭だ。歌ひ込む時のどす黒い血が噴き出すやうな音色は類例がない。収録曲はVox録音が4曲で、シューベルト「アヴェ・マリア」、シューマン「トロイメライ」、クライスラー「グラーヴェ」「前奏曲とアレグロ」、ポリドール録音は9曲で、ドビュッシー「小舟にて」、自作自演「カスケード」「郷愁的な歌」、パガニーニのカプリース第13番、シベリウス「夜想曲」、パルムグレン「カンツォネッタ」、バッハ「エア」、レーガー「子守歌」、大曲でベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第3番だ。感銘深いのは自作自演の「カスケード」の鮮やかさだ。パガニーニも秀逸だ。シベリウス、パルムグレン、レーガーでは暗い歌を連綿と奏でてをり、思はず魅せられる。肝心のベートーヴェンは盛期を終へた衰へを感じさせる。(2018.2.9)


バッハ:シャコンヌ、ヴァイオリン協奏曲第2番
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番
ベートーヴェン:ロマンス第2番
サー・トーマス・ビーチャム(cond.)、他
ジョコンダ・デ=ヴィート(vn)
[ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 333]

 かつて本邦で発売された全集を除けば、デ=ヴィートのHMV録音の復刻は散発的で冷遇されてゐた。伊IDISによるデ=ヴィート復刻は網羅的で頼もしい。音も優れてゐる。復刻第1弾は初期録音集だ。最初の録音として1947年にバッハのシャコンヌだけが吹き込まれた。冒頭から噴流のやうな情感が滾つてをり圧倒される。感情爆発型の演奏であり、濃厚なヴィブラートによる歌謡的かつ浪漫的なフレージングの個性豊かなバッハが聴ける。異端だが、自信に充ちてをり強い説得力がある。1948年録音、エレーデの伴奏によるベートーヴェンもたっぷりとしたヴィブラートを掛け、歌ひ抜く。ベル・カントの手法による名演だ。1949年録音のバッハとモーツァルトの協奏曲はデ=ヴィート第1回目の録音の方で、バッハはバーナードの指揮、モーツァルトはビーチャムの指揮だ。音質を除いてあらゆる点でこの旧盤の方を採りたい。豊麗な歌が特徴だが、憂ひを帯びた繊細な陰影を木目細かく付けた格調高い名演だ。両端楽章では、颯爽としたテンポの中で楽器が鳴り切つたSonorousなヴァイオリンの美しい響きに酔ひ痴れることが出来る。緩徐楽章の没入的な歌にも深みがある。管弦楽の伴奏も良く、特にモーツァルトは絶品だ。(2012.7.20)


メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ブラームス:ヴァイオリンとチェロの為の二重協奏曲
アメデオ・バルドヴィーノ(vc)、他
ジョコンダ・デ=ヴィート(vn)
[ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 6443-4]

 伊IDISによるデ=ヴィート復刻盤第2弾には、1951年録音のメンデルスゾーンと1952年録音のブラームスが収録されてゐる。メンデルスゾーンは賛否両論、意見が分かれる演奏だらう。冒頭から徹底的に歌に拘泥はるデ=ヴィートは過剰なヴィブラートと抑揚で臨む。その為、流れずに浮き沈みが激しく聴いてゐて船酔ひしさうになる。この曲に可憐な抒情美を求めたい聴き手はうんざりするかもしれぬ。だが、不思議なもので聴いてゐるとベル・カントの魔力に捕はれ、余韻嫋々と歌ひ抜いた第2楽章、プリマ・ドンナの如く奔放にじゃじゃ馬振りを発揮した第3楽章に至つては降参するしかあるまい。ブラームスは古来随一の名盤として語られてきた名盤。気の合ふ名手二人を揃へても何故か相乗効果が出ない曲なのだが、派手さを好まないデ=ヴィートとバルドヴィーノの組み合はせは絶妙な渋みを醸し出してゐる。殊に神秘的な弱音の美しさと違和感なく絡み合ふヴァイオリンとチェロの音色が傑出してゐる。これでボリス・シュヴァルツ指揮のフィルハーモニア管弦楽団がもう少し精妙で情念豊かな伴奏をしてゐれば決定的名盤となり得ただらうに。(2012.11.29)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
バッハ:2つのヴァイオリンの為の協奏曲
ヘンデル:トリオ・ソナタ第2番
イェフディ・メニューイン(vn)、他
ジョコンダ・デ=ヴィート(vn)
[ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 6443-4]

 伊IDISによるデ=ヴィート復刻盤第3弾には驚愕すべき初出ライヴが含まれてゐる。何とレパートリー初となるベートーヴェンの協奏曲で、愛好家の長年の念願が叶つた訳だ。指揮者不明、録音年不明といふ怪しき音源で疑惑は残るが、過剰なヴィブラートを用ゐた演奏はデ=ヴィートの個性と合致するので有難く拝聴しよう。全ての音をモルト・エスプレッシーヴォで奏でる為に音楽が停滞気味で、全体の出来に及第点を付けることが出来ないのが残念だが、細部まで感情を注入した演奏は一種特別な妙味がある。特に短調への移行時に込められた哀愁が美しい。独創的なカデンツァも素敵だ。バッハとヘンデルはメニューインと組んだ有名なHMV録音。多血質なメニューインとメランコリーに沈むデ=ヴィートの取り合はせからは人間臭い音楽が溢れ出る。(2006.11.27)


ヴィオッティ:ヴァイオリン協奏曲第22番
ヴィターリ:シャコンヌ
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番
ヴィットーリオ・グイ(cond.)/アルベルト・エレーデ(cond.)、他
ジョコンダ・デ=ヴィート(vn)
[ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 6443-4]

 デ=ヴィートはイタリア最高の女流奏者であるが、陽気で明るい南イタリアの音楽とは一線を画し、北イタリア―ロンバルディの血統を色濃く聴かせた奏者で、その想ひはアルプスを越えたブラームスにあつた。濃密にかけられる情動的なヴィブラート、暗めの音程と音色、重厚で粘り気のあるボウイングを特徴とした。悲愴感溢れるヴィオッティのイ短調協奏曲で示した共感は唯事ではなく、仄暗い哀愁が漂ふ歌の情感は深く胸に迫る。技巧的なパッセージでも華美にならず内省的な音楽を失はない。グイの伴奏も悲劇的で素晴らしい。ヴィターリのシャコンヌは、レスピーギが編曲したオルガン付き管弦楽伴奏版での演奏である。メランコリーを基調とした哭き節の大きい独奏を、慈愛に充ちた伴奏が包み込んで悲哀感を高める。受難曲を想起させる一種特別な名演で、高雅で官能的なティボーの名盤と対極を成す。ヘンデルのソナタも歌に徹した演奏だが、情緒過多で凭れ気味だ。(2006.10.20)


パーセル:トリオ・ソナタ第9番ヘ長調「黄金のソナタ」、ヘンデル:トリオ・ソナタト短調Op.2-8、ヴィオッティ:二重奏曲ト長調、シュポア:二重奏曲より
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番
ティート・アプレア(p)/レイモンド・レッパード(cemb)/イフェディ・メニューイン(vn)
ジョコンダ・デ=ヴィート(vn)
[ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 6488/89]

 伊IDISによるデ=ヴィート復刻盤第4巻2枚組。1枚目。1955年12月のメニューインとの合奏録音だ。パーセルとヘンデルのトリオ・ソナタはレッパードの通奏低音に乗つてヴァイオリン二重奏が楽しめる。パーセルは5楽章で典雅な趣、ヘンデルは4楽章の短調作品で陰翳が特徴だ。デ=ヴィートが第1ヴァイオリンでメニューインが第2なのだが、絶頂期のデ=ヴィートの芳醇な音色と安定感に対して、メニューインは旺盛な活動をしてゐた時期だが荒れ目でボウイングの返しが雑で、同じフレーズを弾く際に悪目立ちしてゐる。無伴奏での純粋なヴァイオリン二重奏曲であるヴィオッティは古典的な枠を超えるので気にはならない。シュポアの二重奏曲は第3番から2曲、第2番から1曲を抜き出して弾いてゐる。ロンドは滅法楽しい。アプレアとのベートーヴェンが白眉だ。美音を捨てシゲティ張りの熱情を込めて弾いてゐる。この曲の代表的な名盤として推奨したい。(2020.9.9)


ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番
フランク:ヴァイオリン・ソナタ
ティート・アプレア(p)
ジョコンダ・デ=ヴィート(vn)
[ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 6488/89]

 伊IDISによるデ=ヴィート復刻盤第4巻2枚組。2枚目。クロイツェル・ソナタが名演だ。情熱的な音色とくすんだ渋い節回しが見事だ。煽るやうな表現はないが、内燃する炎が感じられる両端楽章も良いが、細部を重んじ丁寧に耽溺するやうな第2楽章の変奏にデ=ヴィートの最良の姿がある。比べるとフランクは一長一短で全体的には推薦しかねる。第1楽章や第3楽章の瞑想は美しく、含蓄のある歌は素晴らしいのだが、第2楽章はもたついてをり低調、第4楽章も爽やかさがなく歌ひ回しがしつこい。デ=ヴィートらしい演奏ではあるが、曲の良さを引き出したとは云へない。(2021.2.9)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番
ヴィターリ:シャコンヌ
RIAS交響楽団/ゲオルグ・ルートヴィヒ・ヨッフム(cond.)
ミヒャエル・ラウハイゼン(p)
ジョコンダ・デ=ヴィート(vn)
[audite 95.621]

 独auditeレーベルの快挙である。ベートーヴェンはデ=ヴィートには音源がないとされてきた演目だ。実は近年になつて1950年代の記録で指揮者及び管弦楽団が不明といふ極めて怪しい録音が伊IDISから発売されたのだが、真偽が定かではなかつた。それが遂に1954年10月3日、大ヨッフムの弟の指揮によるベルリンでのライヴ録音とクレジットが明確になり発掘されたことは喜ばしい。信じ難いほど音が良く、運弓の軋みまで鮮明に聴こえる。さて、伊IDIS盤と同一音源なのかがとても気になる。比較をしてみたが、目立つた印がなく、当盤では確認出来る聴衆ノイズやヴァイオリンのスクラッチ・ノイズが、伊IDIS盤では音質が余りにも悪過ぎて判別不能だつた。デ=ヴィート作とされるカデンツァは全く同じに聴こえる。演奏時間も同じと考へてよい。私見では同一音源だと思ふが、確定的な要素がないので断定は避けよう。さて、更に1951年10月7日の放送用セッション録音で伴奏者がラウハイゼンといふ有難い録音も収録されてゐる。残念ながらブラームスはアプレーアとの正規録音同様、低調に感じた。ヴィターリが素晴らしい。正規録音は管弦楽伴奏の壮麗な演奏であつたが、当盤は感情が爆発してをり圧倒される。この曲の名演のひとつだ。(2017.1.7)


ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
ルドルフ・シュヴァルツ(cond.)/マリオ・ロッシ(cond.)、他
ジョコンダ・デ=ヴィート(vn)
[Archipel Records ARPCD 0249]

 デ=ヴィートは活動期間も短く録音も少ない。 自重して大成するまで世に出ず、醜態を晒すことなく潔く表舞台を去つたからだ。ライヴ録音は極端に少なく、かつて伊メロドラムから発売されたことのあるチャイコフスキーは演目としても貴重で、デ=ヴィートの知られざる一面を窺はせて興味が尽きない。技巧の切れで圧倒するやうな演奏ではなく、デ=ヴィートの持ち味である濃密な歌が縦横無尽に溢れてをり、ロシアの憂愁とは無縁ながらスラヴ系の奏者も顔色を失ふほどの土俗的な粘りを聴かせる。終楽章コーダにおける崩しは類例のない大胆さだ。ブラームスはHMVへのセッション録音で定評ある名盤であるが、ケンペンが指揮をしたポリドール録音の方が技巧や個性の発露の点で一層素晴らしく、数多い同曲の録音の中でも屈指の名演であつた。(2007.7.11)


ブラームス:ヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリン・ソナタ第3番
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番
バイエルン放送管弦楽団/オイゲン・ヨッフム(cond.)
ティート・アプレーア(p)/トゥリオ・マコッジ(p)
ジョコンダ・デ=ヴィート(vn)
[ANDROMEDA ANDRCD 9090]

 デ=ヴィートの貴重な実演録音集2枚組。1枚目を聴く。デ=ヴィートの代名詞であり十八番であつたブラームスの協奏曲は5種類もあり突出してゐる。ヨッフム共演盤は仏Tahraからも発売されてゐた1956年の放送録音だ。音質は水準程度だ。演奏は悪からう筈はないが、特徴は薄く面白くない。ヨッフムの伴奏も無難で平凡だ。5種の中では瑞々しさで最も古いケンペン盤を筆頭に挙げたい。ソナタには屈指の名盤として知られる大変有名なエトヴィン・フィッシャーとのセッション録音があつた。これは1957年のアプレーアとの共演盤である。アプレーアはフィッシャーとは比べものにならず総合的に感銘は劣るが、デ=ヴィートに艶があり素晴らしい。ライヴならではの瑕はあるが、情念が流れ出す振幅の大きいヴィブラートが圧倒的で、本領を聴かせて呉れた名演だ。ヘンデルのソナタもセッション録音があつたが、ジョージ・マルコムのハープシコードによる伴奏であつた。これはピアノ伴奏による1959年のライヴ録音だ。様式に捕らはれず豪華絢爛で浪漫的な歌が充溢してゐる。自由で颯爽としてをり気持ちが良い。セッション録音を優に凌ぐ名演だ。(2016.11.11)


バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番よりシャコンヌ
コレッリ:ラ・フォリア
ルクレール:ヴァイオリン・ソナタ「トンボー」
アントニオ・ベルトラミ(p)/トゥリオ・マコッジ(p)
ジョコンダ・デ=ヴィート(vn)
[ANDROMEDA ANDRCD 9090]

 デ=ヴィートの貴重な実演録音集2枚組。2枚目を聴く。初演目となる音源が3つもあり、蒐集家感涙の1枚だ。デ=ヴィートには無伴奏パルティータ第2番の録音しかなかつたが、ソナタ第2番の登場だ。グラーヴェから情熱的で濃密な演奏だ。浪漫的と云つてよい。炎のやうに燃え盛るフーガも渾身の演奏だ。シャコンヌは単体での演奏で―ブラームスのニ短調ソナタと同日の演奏―、雄渾な名演である。コレッリは重要な録音だ。イタリアの名手が弾くラ・フォリアの奥義を聴くことが出来る。振幅の大きいヴィブラートを用ゐた歌謡的かつ激情的な演奏で圧倒される。特に最後のカデンツァの玄妙な味はひは絶品だ。ルクレールも浪漫的な歌心に充ちてをり、ヴァイオリンの華麗な音色を堪能出来る。ルクレールはヘンデルのソナタとバッハの無伴奏ソナタと同日の演奏である。(2017.4.2)


バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番
バッハ:無伴奏パルティータ第2番
ラファエル・クベリーク(cond.)、他
ジョコンダ・デ=ヴィート(vn)
[ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 6564]

 伊IDISによるデ=ヴィート復刻盤第6巻は、HMVへの最後の録音で締めくくる。クベリーク伴奏によるバッハとモーツァルトの協奏曲で、1959年のステレオ録音だ。デ=ヴィートは10年前の1949年にこの2曲を録音してゐるので再録音となる。従つて比較が重要だ。まず、良い点はステレオ録音で申し分ない音質であることが挙げられる。一方、肝心の演奏自体は正直申して旧録音の方が素晴らしかつた。生命力があり、艶があつた。テンポも颯爽としてゐた。この再録音は重心の低い慎重な演奏で、丁寧で思慮深い演奏だ。含蓄があり、デ=ヴィートの意図を完全に反映した演奏と云へる。だが、聴く側としては旧録音の方が音楽的には成功してゐたと感じるのだ。クベリークの指揮は献身的で見事だ。バッハはロンドン交響楽団、モーツァルトはロイヤル・フィルを振つてゐる。余白に無伴奏パルティータが収録されてゐる。これは最初にシャコンヌのみが1947年に単独録音され、後に全曲とすべく残りの曲を1950年に録音して合体させたものだ。シャコンヌはデ=ヴィートの最初のHMV録音であつた―第1巻にも収録されてゐた。つまり、当盤は最初と最後のHMV録音が聴ける乙な構成になつてゐるのだ。全曲の演奏だが、歌謡的に流してをり、余り印象に残らない。(2018.8.12)


チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(2種)
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
トリノRAI交響楽団/マリオ・ロッシ(cond.)/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
ジョコンダ・デ=ヴィート(vn)
[MEMORIES REVERENCE MR2577/2578]

 好企画。デ=ヴィートがトリノRAI交響楽団の伴奏で弾いた協奏曲ライヴ録音の全てを集成した2枚組。2枚目は大変有名なフルトヴェングラーとの共演によるメンデルスゾーンとブラームスで、繰り返し発売されてきた音源なので割愛する。さて、1枚目に収録されてゐるロッシの指揮での演奏が大変稀少で、愛好家なら揃へてをきたい。チャイコフスキーは唯一の音源で、別項でも記載したが、極めて大胆で揺れが大きい演奏だ。重心は軽いが表情は濃厚で、船酔ひしさうな異色の演奏。さて、初出で6種類目となるブラームスの演奏が重要だ。1960年12月16日の演奏記録で、デ=ヴィートの記録では恐らく最後のものだ。総決算ともいふべき劇的な演奏で、思ひの丈をぶちまけてゐる。生々しい音質も有難い。これ迄の同曲の演奏が大人しく聴こえる驚愕の名演だ。聴くべし。(2020.2.15)


シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
ヴァーレン:ヴァイオリン協奏曲、他
シクステン・エールリンク(cond.&p)/エイヴィン・フィエルスタート(cond.)、他
カミラ・ウィックス(vn)
[Biddulph 80218-2]

 シベリウスの協奏曲の名盤はブスターボ、イグナティウス、ヌヴー、そしてウィックスと女流奏者ばかりで、男で挙げるならハイフェッツくらゐであらう。これらの中ではウィックス盤が録音状態が最も良く、何よりもエールリンクが指揮による管弦楽伴奏が立派だ。その他の演奏は指揮者が良くないことが致命的で、管弦楽伴奏が非常に拙かつた。ウィックスは北欧やロシアの作曲家を得意としてをり、作曲家自身から絶讃されたシベリウスは十八番である。曲想との齟齬がなく、総合的に推薦出来るのはウィックス盤だ。ウィックスのヴァイオリンは技巧に頼らず、情緒的で激しい感情と濃厚な歌心が特徴である。エールリンクがピアノ伴奏をした小品8曲も絶品だ。取り分けプロコフィエフの行進曲や、ショスタコーヴィチのポルカと4曲の前奏曲が鮮烈かつ繊細な名演だ。ノルウェーの作曲家ヴァーレンの現代的な協奏曲は面白くないが、演奏は見事である。更に5曲の未発表録音の小品も収録されてをり、録音の少ないウィックスにとつて貴重な1枚だ。(2008.10.25)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ブロッホ:ニグン
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲より第3楽章
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲より第1楽章
ニューヨーク・フィル/ブルーノ・ヴァルター(cond.)、他
カミラ・ウィックス(vn)
[Music&Arts CD-1160]

 録音が極端に少ないウィックスは幻の奏者と形容しても過言ではない。当盤は1950年と1953年の放送音源で、20歳を僅かに過ぎたウィックスが最も輝いてゐた時期の記録ばかりだ。その価値は計り知れない。当盤の演奏を聴いてウィックスの才能を疑ふ者はゐないだらう。ベートーヴェンの協奏曲が天晴な出来だ。楽器が鳴り切つてをり、音楽の豊かな表情は巨匠の風格すら漂はせてゐる。若く溌剌とした娘から斯くも深みのあるベートーヴェンが聴けるとは。この演奏の素晴らしさはウィックスだけではない、温かい情感を滔々と奏でるヴァルターの指揮とニューヨーク・フィルの何と立派なこと、滅多に聴くことが出来ない極上の名演だ。ブロッホはかのシゲティ盤をも動揺させるほどの激情的な演奏だ。シベリウスの協奏曲の全曲録音はウィックスの代表盤であつた。当盤は放送用の音源で第3楽章が収録されてゐる。演奏は当然最高で、実演ならではの感興が素晴らしい。この2曲はバーネットの指揮だ。フィードラーの指揮によるチャイコフスキーは大変貴重だ。峻烈な名演で、全曲録音でないのが惜しまれる。愛好家必携の1枚。(2010.6.23)


メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲、歌の翼に
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲、ハンガリー舞曲第7番
パラディス:シシリエンヌ
フリッツ・ブッシュ(cond.)/アリ・ラシライネン(cond.)、他
カミラ・ウィックス(vn)
[Music&Arts CD-1282]

 絶頂期に活動を中断して仕舞つたウィックスの貴重な記録6枚組。1枚目。メンデルスゾーンの協奏曲は1949年9月22日、コペンハーゲンでのライヴ録音で、指揮は巨匠フリッツ・ブッシュが務める。天才少女と謳はれた21歳の時の演奏で、芯のあるボウイング、情感豊かな歌ひ回し、天衣無縫の技巧の閃き、特に第1楽章コーダの熱狂は舌を巻くほど巧い。この曲の最高の名演と絶賛したいが、録音が冴えないのと、伴奏のデンマーク国立交響楽団がもたついてをり水を差してゐる。ブラームスの協奏曲は活動再開後の1990年代の記録で、ラシライネン指揮ノルウェー放送管弦楽団との共演だ。盛期に比べると艶が落ち覇気も減じたが、演奏内容は衰へなど感じさせない見事な演奏である。小品3曲ではテンポと声を落として惹き付ける歌ひ回しが印象的だ。どれも名演だ。(2022.9.12)


ブルスタード:ヴァイオリン協奏曲第4番
ウォルトン:ヴァイオリン協奏曲
オスロ・フィル/ヘルベルト・ブロムシュテット(cond)/ユーリ・シモノフ(cond.)
カミラ・ウィックス(vn)
[SIMAX PSC 1185]

 ノルウェーのレーベルであるSIMAXがウィックスのライヴ録音を世に送り出したのは快挙である。ウィックスは戦後に活躍した奏者でありながら、録音が極端に少なく、シベリウスの協奏曲の伝説的な名盤で知られてゐたに過ぎない。米国生まれながらノルウェー人の血を受け継ぐウィックスは北欧の音楽に共鳴し、英國やロシアの曲に親和した。ノルウェーの作曲家ブルスタードの協奏曲は二流の曲だが、ウィックスの熱く献身的な演奏が作品の魅力を引き出してゐる。無窮動調の第3楽章の諧謔が取り分け聴き応へがある。比べて知名度の高いウォルトンの協奏曲は更に充実した名演で、シモノフの伴奏も万全だ。ライヴとは思へない完成度で、かのハイフェッツ盤に対抗出来る数少ない名演だ。(2009.3.13)


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ヨーゼフ・ヴォルフシュタール(vn)、他
[Biddulph LAB 095]

 ヴォルフシュタールはカール・フレッシュ第1の弟子で、清廉にして知性を感じさせる音楽性を持ち、同門のゴールドベルクの上座を占める大物ヴァイオリニストである。その実力は1925年と28年の2度に渡りベートーヴェンの協奏曲を吹き込んでゐることからも窺へよう。当盤は旧録音の方で、全ての点に於いて新録音には劣るので価値は低いが、その新録音こそはクライスラーの録音と並んで最上位に置かれる演奏と固く信じてゐる。メンデルスゾーンの協奏曲は残念ながらピアノ伴奏によるものである。だが、演奏は高貴な感情が滴り落ちる逸品で、颯爽としたテンポから、淡い愁ひといじらしい夢想が紡ぎ出される。かくも可憐で清楚な美しさを他に聴いたことがない。この名曲録音数多あるが、当盤は別格の名演である。ヴォルフシュタールは1930年に32歳といふ若さで急逝した。惜しい逸材を失つたものだ。(2004.9.24)


ウージェーヌ・イザイ(vn&cond.)独奏全録音(1912〜14年)
リムスキー=コルサコフ:「シェヘラザード」抜粋
シンシナティ交響楽団
[SYMPOSIUM 1045]

 フランコ=ベルジュ派のゼニスとして、世紀の変り目にヴァイオリンに霊感を吹き込んだイザイの伝説的な全録音である。これと同じものは以前SONYのMASTERWORKS HERITAGEで出てゐた。但しSONY盤にはイザイの指揮による1919年の4曲の管弦楽録音があり、当盤ではイザイの指揮による「シェヘラザード」の第1楽章と第3楽章の抜粋が収められてゐるといふ違ひがある。電気録音以前のものだから殆ど資料としての価値しかないが、「シェヘラザード」だけにソロがイザイ自身のものかが問題となる。私はイザイの音ではないと判断するが、断定は避ける。独奏全録音の素晴らしさについては何をか況んや。詩的衝動とリズムを演奏の神髄とした巨人の情熱が聴くものを慄然とさせる。盛期を過ぎた録音だけにイザイの奇蹟が充分に伝はらないのが恨めしいが、メンデルスゾーンの協奏曲のフィナーレこそイザイ神話の秘密を宿した至高の名演である。ヴェニャフスキのマズルカやシャブリエのスケルツォ・ヴァルスも凄い。(2005.7.31)


エフレム・ジンバリスト(vn)
ジンバリスト:ポーランド舞曲、ヘブライの歌と踊り、日本の旋律による即興曲、他
[Biddulph 85018-2]

 新生Biddulphがアウアー門下生の復刻を手掛けることを発表した。第1弾は兄弟子格ジンバリストだ。端正な貴族趣味は他の門下生の野性味とは一線を画す。ジンバリストの正規録音の復刻は英Pearlと英APRの2種があつたが、実は今回のBiddulphの復刻でどちらにも含まれてゐない音源は山田耕筰が編曲した日本古謡「来るか来るか」しかない。それだけの為に入手するのは酔狂と云へよう。(2023.2.6)


ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番
サラサーテ:カルメン幻想曲、ツィゴイネルワイゼン、サパテアード、他
エフレム・ジンバリスト(vn)、他
[Pearl GEM 0032]

 アウアー門下四天王のひとりで兄貴分であつたジンバリストは20世紀初頭に名を轟かせたが、次第に生硬で情の薄い演奏をするやうになつた為、エルマンが人気者になり、ハイフェッツが伝説を創らうとしてゐた時分には影を薄くした。しかし、ジンバリストは抜け目の無い実務家で、カーティス音楽院院長の座を射止め楽壇に影響力を保持した。復刻が少ないジンバリストの最も充実した演奏が聴ける当盤は大変価値がある。特に来日時の録音が収録されてゐるのが貴重だ。サラサーテ「カルメン幻想曲」「ツィゴイネルワイゼン」と、管弦楽伴奏でベートーヴェン「ロマンス第1番」だ。何れも端正でヴァイオリンが淀みなく鳴つてゐる。情感に乏しい点を指摘することは出来るが、音楽的にも技巧的にも隙のない見事な演奏だ。自作「日本の旋律による即興曲」も面白からう。注目は珍しいイザイだ。技巧曲を取り直しなしの1テイクで弾いてゐる。ジンバリストが紛れも無くアウアー派の優等生であつたことを証明する逸品だ。フバイ「そよ風」やサラサーテ「サパテアード」でも丁寧でお手本のやうな演奏が聴ける。ブラームスのソナタも几帳面な演奏で立派だが、燃えたつ感情が稀薄であることは否めない。(2010.9.21)


シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
レーガー:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番より
フバイ:ヴァイオリン協奏曲第3番より
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番
エフレム・ジンバリスト(vn)、他
[WING WCD 45]

 アウアー門下四天王の兄貴分ジンバリストが近代曲を演奏したものを編んだ1枚で、イザイ以外は当盤でしか聴けない音源ばかりで大変貴重だ。賢明なるジンバリストは演奏家としての凌ぎ合ひからいち早く抜け、カーティス音楽院院長の座を射止め盤石の余生を送ることとなつた。しかし、後半生でもブラームスの協奏曲で示したやうに演奏家としての実力は抜きん出てゐた。1944年1月9日のライヴ録音であるシベリウスもブラームスに匹敵する極上の名演を残した。非常に癖の強い演奏であるが、ジンバリストの技巧が見事なので魅了される。アウアー派の中でもジンバリストのボウイングは堅固で音が抜けない。発音が完璧で、音が掠れるやうなアクセントは用ゐない。密度の濃い音が最後まで保持される。だから、のつぺりして感情表出が稀薄な演奏にも聴こえる。しかし、全体的に熱く、ヴァイオリンが鳴り切つた凄まじい演奏なのだ。他の誰とも似てゐない個性的な演奏を楽しみたい。ルドルフ・リングウォール指揮クリーヴランド管弦楽団の伴奏も重厚で良い。レーガーは第2楽章アンダンティーノだけの演奏で、後期ロマン派の爛熟さを楽しめる。フバイの協奏曲はエマニュエル・ベイのピアノ伴奏での演奏で、第2楽章スケルツォと第3楽章アダージョだけの録音だ。スケルツォが圧巻の名人藝で、ジンバリストの実力を確認出来る。イザイは1939年の録音で、英Pearlから復刻されてゐるものと同音源だと思はれるので割愛する。(2021.10.3)


フランスの名ヴァイオリニスト
ジャンヌ・ゴーティエ(vn)
ルネ・ベネデッティ(vn)
ルネ・シュメー(vn)
ジャック・ティボー(vn)
ミゲル・カンデラ(vn)、他
[melo CLASSIC mc-2016]

 愛好家を驚愕させたmelo CLASSIC。中でもお宝とも云へる1枚。当盤を入手した最大の理由はティボーの初出録音が2つも収録されてゐることだ。現時点でも当盤でしか聴けない。フランクフルトでのティボー最後の録音で、ルクレールのタンブーランとサン=サーンスのハバネラだ。モーツァルトのソナタは仏Malibranから先に商品化されてゐた。この日の演奏は絶好調で、ティボーの素晴らしさが全開だ。詳しくは「ティボー・ディスコグラフィー」をご覧いただきたい。次いで注目はゴーティエが弾く大変貴重なラヴェルのツィガーヌだ。ゴーティエと云へば、ルフェビュールとのラヴェルのソナタの決定的名盤が有名だが、劣らぬ名演で、ツィガーヌに語り落としてはならぬ演奏が加はつた。当盤最大のお宝は宮城道雄との共演で有名なシュメーの大曲録音だ。珍品ラロのヴァイオリン・ソナタで、実に風雅な名演だ。技巧家として名が通つたベネデッティの本懐とも云へるパガニーニの協奏曲第1番も聴けるが、他の録音でも感じた機械的な印象がそのままで、このパガニーニも皮相な詰まらない演奏だ。これなら寧ろカンデラの弾くパガニーニ「パルピティ」の方が好感が持てる。(2019.1.15)



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