楽興撰録

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ヘルマン・シェルヘン


シューベルト:交響曲第5番、同第6番
ウィーン交響楽団/ウィーン国立歌劇場管弦楽団
[Tahra TAH 599-600]

 シェルヘンの実娘が社長である仏Tahraだからこそ出せる貴重な録音集2枚組。1枚目。ウルトラフォン・レーベルへセッション録音されたシューベルトだ。ウィーンのオーケストラを振つてをり雰囲気はとても良い。歌謡性の強いシューベルトで素朴で鄙びた情感を基調としつつ、個性的な表現を聴かせて呉れる。第6番がシェルヘンらしい刺激的な演奏だ。第1楽章主部に入つてからの粗雑ながらも生命感を重視したアクセントの数々、そしてコーダになつてからの凶暴な迫力は圧巻だ。第2楽章では禁欲と相克する危ふい官能を漂わせた歌が絶品だ。第4楽章は軽快な音楽と豪快な音楽が交錯して怪物的な演奏となつてゐるのがシェルヘンの面目躍如。第5番は古典的な演奏であるが、優美な曲だけにシェルヘンの特色を出せないまま不完全燃焼で終つて仕舞つた感のある演奏だ。


パーセル:「妖精の女王」より(4曲)
モーツァルト:交響曲第29番
ヴァレーズ:砂漠
放送交響楽団/フランス国立管弦楽団
[Tahra TAH 599-600]

 2枚目。バロックから現代までの曲を指揮するシェルヘンの多才さを楽しめる。パーセルとモーツァルトは1954年1月20日の録音、解説を交へての演奏である。パーセルは浪漫的な合奏による演奏であるが、躍動感があり良い。モーツァルトは凡庸な演奏で退屈だ。何と云つてもこの2枚組最大の目玉はヴァレーズの世界初演ライヴである。今日では前衛の響きは当たり前となつたし、この作品のやうな響きは今日の映画音楽が多用する音響と何ら変はらない。だが、初演が当時の聴衆を挑発し嫌悪させたの確実だ。これは従来の音楽ではなく効果音の連続であつた。否、タイトルが示すやうに不毛な砂漠の恐怖感を音にした音画とも云へる。1954年12月2日のパリにおける初演は、かの「春の祭典」の初演の事件を想起させる。途中堪へきれなくなつた聴衆が本気の怒号と抗議と野次を浴びせる。犬の鳴き声に失笑が起こり、暴風のやうな音に親派が喝采を放ち、終演後は拍手とブーイング合戦となる。作品を聴くよりもドキュメントを聴く感はあるが、最高に面白い。


ハイドン:交響曲第44番「悲しみ」、同第92番「オックスフォード」、同第45番「告別」
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
[DG 471 256-2]

 ウエストミンスター・レーベルに1950年代に録音されたハイドン作品を集成した6枚組。1枚目。ザロモン・セットでは腑に落ちない気の抜けた演奏をすることもあつたが、疾風怒濤期の作品はどれも尋常でない闘魂が注入されてをり圧倒される。短調の3曲、「悲しみ」「告別」「受難」はシェルヘンが最高である。他の演奏など聴けたものではない。「告別」は終楽章の声入りだけで語られては詰まらない。第1楽章冒頭の灼熱の合奏は怒髪天を衝くやうだ。この曲は人気があり、様々な指揮者が録音したが、シェルヘンの前では一溜まりもない。低音や中声部が全力で合奏する凄まじさに、比較する気も失せる。「悲しみ」も訴へ掛ける力が段違ひの決定盤。第92番も大変な名演だ。第1楽章の弛緩なく発する熱気、第2楽章中間部の劇的な表情、最高である。惜しむらくは終楽章がシェルヘンにしては大人しいことだ。


ハイドン:交響曲第49番「受難」、同第55番「校長先生」、同第80番、同第88番
ウィーン国立歌劇場管弦楽団/ウィーン交響楽団
[DG 471 256-2]

 2枚目。第49番と第88番はウィーン歌劇場管弦楽団と、第55番と第80番はウィーン交響楽団との演奏だ。シェルヘンのハイドンでは疾風怒濤期の作品が断然良い。当盤に収録された受難交響曲は決定的名演だ。深い詠嘆が聴こえてくる濃厚な第1楽章から素晴らしいが、怒りの日のやうな殺戮的な第2楽章の演奏に圧倒されぬ者はないだらう。これぞ疾風怒濤。第4楽章も荒ぶれてゐる。流石シェルヘン、聴くべし。第49番に比べると他は感銘が大分落ちる。校長先生は凡庸な印象しか受けない。第80番は疾走感があり面白く聴ける。特に第4楽章の活気は良い。第88番は全体的には良い部分が多いのだが、第2楽章ラルゴが恐ろしく遅くて完全な失敗だ。一転、第3楽章が速く、突撃する第4楽章中間部の熱気など大変素晴らしい。


ハイドン:交響曲第93番、同第94番「驚愕」、同第104番
ウィーン国立歌劇場管弦楽団/ウィーン交響楽団
[DG 471 256-2]

 3枚目。ザロモン・セット全12曲を世界で初めて録音したのはシェルヘンだ。その偉業は燦然と輝く。第93番と第94番はウィーン国立歌劇場管弦楽団、第104番はウィーン交響楽団を振つてゐる。最も素晴らしいのは第93番だらう。熱気溢れる響きで生命力が漲つた名演。取り分け第3楽章のトリオは勇壮で好ましい。全楽章通じて強弱の差が見事だ。ただ、第2楽章が異様に遅いテンポで退屈なのが玉に瑕だ。驚愕交響曲も同様の名演なのだが、競合盤も多いからシェルヘン盤に特別な趣向は見出せなかつた。この曲でも第2楽章がのんびりしてをり退屈に聴こえて仕舞ふ。第104番は薄手のオーケストラの利点を活かした浪漫主義的解釈とは一線を画した名演で、強弱と緩急の差が効いてをり現代でも古びない。この曲では第2楽章が格調高く気品があり素晴らしかつた。


ハイドン:交響曲第95番、同第98番、同第99番
ウィーン交響楽団/ウィーン国立歌劇場管弦楽団
[DG 471 256-2]

 4枚目。第95番だけがウィーン交響楽団との演奏だ。シェルヘンのザロモン・セット録音集でこの第95番が取り分け成功してゐる。第1楽章冒頭から力強いティンパニの響きに圧倒される。緊張感が持続する第3楽章も見事。終楽章後半でもティンパニが響きを支配し、地鳴りのやうな音楽を聴かせる。この曲は名演が少なく、シェルヘン盤を第一に推さう。第98番は気の抜けた演奏で全く良くない。第99番は情緒ある佳演であるが、取り立てて特記するほどの特徴は感じれない。


ハイドン:交響曲第96番「奇蹟」、同第97番、同第103番「太鼓連打」
ウィーン国立歌劇場管弦楽団/ウィーン交響楽団
[DG 471 256-2]

 5枚目。第96番ではウィーン国立歌劇場管弦楽団、第97番と第103番ではウィーン交響楽団を振つてゐる。第96番が優れた名演だ。快活に飛び跳ねる第1楽章から楽しい。第2楽章は無難だがツボを押さへてをり申し分ない。押し出しの良い第3楽章、軽妙洒脱な第4楽章も素晴らしい。第97番は悪くはないが凡庸な出来だ。両端楽章はハイドンの自信作であつたらうに今ひとつ盛り上がりに欠ける。中間の2つの楽章も退屈だ。太鼓連打は屈指の傑作だが、このシェルヘンの演奏はだうも気が入つてをらず、全く良くない。特に第1楽章はシェルヘンらしからぬ抜けやうで、聴くのを止めて仕舞ひさうになる。後半の楽章は幾分持ち直すが、面白くはない。


ハイドン:交響曲第100番「軍隊」、同第101番「時計」、同第102番
ウィーン交響楽団/ウィーン国立歌劇場管弦楽団
[DG 471 256-2]

 6枚目。軍隊交響曲は代表的録音として繰り返し発売されてきた1958年ステレオ録音盤ではなくて、ウィーン交響楽団との1951年のモノーラル録音盤だ。再録音に比べて全体的に一回り遅いテンポで推進力がなく面白くない。終楽章での軍楽調打楽器の炸裂が痛快なのは良い。ウィーン国立歌劇場管弦楽団との時計交響曲は不調だ。第4楽章がのんびりしたテンポで感興を削がれる。他の楽章も快活さがない。第2楽章の終盤でシェルヘンと思しき男の哄笑が混入してゐるのが気になる。ウィーン交響楽団との第102番が熱気があり秀逸だ。格調高さや遠大さは感じられないが、常に雄弁たるべく奮闘してゐる。この曲は大振りな演奏が多いので、先鋭的に仕上げたシェルヘン盤は清涼剤としても重宝されるだらう。


ヴィヴァルディ:四季
ユリアン・オレフスキー(vn)
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ヘルマン・シェルヘン(cond.)
[Universal Korea DG 40030]

 ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。1958年の録音。ブームを牽引したイ・ムジチのステレオ盤よりも1年早い録音なのだ。先駆者シェルヘンの驚くべき独奏的な解釈に唖然とする。オレフスキーもシェルヘンの要求に応へ一体となった演奏を聴かせて呉れる。他の演奏からは聴かれない推進力と熱量に喝采したいのは秋の第3楽章と夏の第3楽章でこれぞ最高なのだ。伴奏のピッツィカートが主張する冬の第2楽章も唯一無二だ。とんでもなく遅くて仰天するのが春の第2楽章でまどろみの表現としてはこの上ない。夏の第1楽章のテンポの激変は肝を冷やすだらう。絶対に聴いてをきたい1枚である。


バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全6曲)
ヴィリー・ボスコフスキー(vn)/ジョージ・マルコム(cemb)
ウィーン国立歌劇場管弦楽団団員、他
[Universal Korea DG 40030]

 ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。近現代音楽とバロック音楽の開拓者もしくは先駆者としてのシェルヘンの評価は高い。ブランデンブルク協奏曲集で今日の常識からは想像の出来ないどんなに刺激的な演奏がされたことかと期待を膨らませていざ聴くと、肩透かしどころではない、極めて保守的な演奏だつた。全ての曲で兎に角テンポが遅い。戦前の巨匠指揮者らよりも鈍重な歩みなのだ。一方で、楽器はチェンバロ、リコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバなどを用ゐてをり開明的な響きがする。残念だが意図が中途半端で、その結果、今日的な価値は殆どない。中では第4番だけが面白い。リコーダーに過激な表現を要求してをり、音を割るほどのクレッシェンドや音跳ねをさせるなどシェルヘンの本領発揮だ。こんなリコーダーの演奏は聴いたことがなく、新しい発見があるだらう。第1番も管楽器を目立たせる工夫があり面白いが、テンポの遅さで手放しで賞讃は出来ない。第5番は独奏者の表現が素晴らしくなかなかの名演だが、突き抜けた良さはない。第6番もテンポが遅く刺激はないが、典雅な演奏で好ましい。第3番は特徴が薄く遅いだけの退屈な演奏だ。第2番は工夫は感じられるが成功はしてゐない。


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、同第1番
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
[Universal Korea DG 40030]

 ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。モノーラルでセッション録音された交響曲全集録音は特徴が薄く、余り注目されないのは事実だ。しかし、丁寧に聴くとシェルヘンならではの音楽が充満してをり看過出来ない。何よりも音に熱気がある。瞬発力のある発火するやうなアーティキュレーションが素晴らしい。ざらりとした感触の響きもベートーヴェンには打つてつけだ。特にエロイカは闘争心を煽る名演だ。第1楽章コーダの大詰めトランペットの主題の前では、闘魂を注入するやうなシェルヘンの一喝が聴かれる。フィナーレでスクラッチ・ノイズを伴つた内声部の刻みも凄い。第1交響曲も良い。溌溂とした第4楽章の昂揚は見事だ。ベートーヴェンの精神に切り込んだ名盤だ。


ベートーヴェン:交響曲第2番、同第8番
ロイヤル・フィル
[Universal Korea DG 40030]

 ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。シェルヘンが個性を刻印し得意としたベートーヴェンの交響曲は何番だらうか。思ふに第2番と第8番は特にシェルヘン向きだ。当盤は全集中最高の1枚だらう。第2交響曲は第1楽章主部に入つてからの推進力が素晴らしい。特にコーダからの煽りが異常で、スクラッチ・ノイズを伴つたヴィオラとチェロの激しいアタックにはぞくりとする。これぞ若きベートーヴェンの魂の鼓動だ。そして、快速調の終楽章に魅惑されぬ者がゐるだらうか。歯切れの良い弦楽器の刻みが理想的だ。第8交響曲では熱気ある第1楽章も素晴らしいが、終楽章の躍動こそ真骨頂だ。弛緩なく燃焼し乍ら軽さを失はない驚異的な名演だ。


ベートーヴェン:交響曲第5番、同第4番
ロイヤル・フィル
[Universal Korea DG 40030]

 ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。第5交響曲は極めて古典的な演奏として今こそ再評価したい演奏だ。巨匠的浪漫主義の演奏へのアンチテーゼとして、楽譜への忠誠心を固く貫いた演奏なのだ。過度な表情付けを排した新古典主義の旗手シェルヘンの面目躍如たる名演。だが、裏を返せば個性的な特徴が全くない、シェルヘンにしては刺激が皆無で物足りない演奏とも云へる。だが、音は正しくベートーヴェンで、内なる闘争心が聴ける。古楽器演奏が主流となつた現代においては理想的な解釈を先駆的に実現してゐた名演だつたと云へる。感銘としては第4交響曲が更に素晴らしい。特に第1楽章の主部に入つた時の爽快感はおいそれとは真似出来ぬ絶妙な演奏だ。第4楽章も同様で疾走する清涼感と真剣に打ち込む熱気が両立された最高のベートーヴェンが聴ける。


ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、同第7番
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
[Universal Korea DG 40030]

 ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。シェルヘンはウエストミンスターで田園交響曲を2回も録音してゐる。これは旧録音の1951年盤の方だ。田園交響曲は常套の域を出ない。シェルヘンには珍しく、第1楽章コーダの慈しむような優しげな表情が聴かれる。第2楽章コーダでも名残惜しいリタルダンドを伴つた愛しい表現が美しい。反対にそれ以外の特徴を述べることが出来ず、シェルヘンへの期待が空回りする。第7番にも同じことが云へる。意外にも第2楽章が良く、終結部の意味深長な内省的表現に惹かれる。各楽章でテンポの変動による表情付けが聴かれるが、シェルヘンが行ふと因習的な印象を受けるので損だ。(2020.6.15)


リスト:ハンガリー狂詩曲(管弦楽版全6曲)
[Universal Korea DG 40030]

 ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。シュルヘンにとつてリストは重要な作曲だつたやうだ。現在でもハンガリー狂詩曲を真剣に取り上げる指揮者は少ないのだが、このシェルヘンの指揮する録音は傾聴に値する素晴らしいものである。真摯な音楽を目指してをり、軽薄な部分は微塵もない。一般的な認知度が低い作品に、驚くべき生命力を吹き込むことにかけてはシェルヘンの右に出るものはゐない。理知的な審美眼が先行する人だから指揮者としての評価は区々だが、かういつた録音を聴けば、その存在意義の大きさに気付くことだらう。


リスト:交響詩「前奏曲」「マゼッパ」「フン族の戦い」、メフィスト・ワルツ第1番
[Universal Korea DG 40030]

 ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。交響詩第6番「マゼッパ」が気力の充溢した名演。トゥッティでの剛毅な響きが心を捕へる。隅々に至るまで音楽が躍動し、この曲の真価を伝へる。交響詩第11番「フン族の戦い」は知名度が低いが、オルガンを伴ふ壮麗な曲である。比較する音源を所持してゐないが、この録音は極上の演奏と云へるだらう。交響詩第3番「レ・プレリュード」とメフィスト・ワルツ第1番も大層見事な演奏なのだが、有名な曲だけに名演数多あり、特にシェルヘンを持ち上げはしない。「レ・プレリュード」なら第一にフルトヴェングラーの録音を薦めやう。


マーラー:交響曲第5番
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
[Universal Korea DG 40030]

 ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。先駆的なマーラー指揮者として名を馳せたシェルヘンの最も古い1953年の録音で唯一のセッション録音でもある。シェルヘンの第5と云へば、侮辱的な刈り込みをした短縮版で悪名高い。後のライヴ録音で聴くことが出来るが、このセッション録音は改竄なし、楽譜通りで安心して聴けるのだ。実はこの演奏のみ解釈が異なり、アダージェットが快速で玲瓏たる情念を湧き上がらせた演奏であつたりと様子が違ふ。となると、シェルヘンの本意とは異なる御仕事演奏かと思はれるかもしれぬが、皮肉なことに曲解がないマーラーの真髄に迫つた名演なのだ。純粋に聴き直したい録音である。


オネゲル:交響的断章第1番「パシフィック231」、同第2番「ラグビー」、同第3番、「テンペスト」の為の前奏曲、夏の牧歌、喜びの歌
ロイヤル・フィル
[Universal Korea DG 40030]

 ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。オネゲルの交響的断章全3曲の代表的名盤である。有名な作品群であるが、目ぼしい録音は少ないと思はれる。熱気を注入したシェルヘンの運動性溢れる音楽に圧倒される。前衛的な切れ味で騒音のやうな音楽でも明確な意思と方向性が感じられ流石である。珍しい「テンペスト」前奏曲は一陣の嵐のやうな作品で、これまた素晴らしい。抒情的な夏の牧歌の気怠い雰囲気も良い。フランス的な気取りはなく、前衛と情念を表出したシェルヘン特有の名演ばかりだ。


バッハ:フーガの技法より第14コントラプンクトゥス
バリフ:角笛と猟犬
マーラー:交響曲第5番
フランス国立放送管弦楽団
[Tahra ALT339]

 1965年11月30日、シャンゼリゼ劇場におけるライヴ録音。大問題の演奏会の全貌が聴ける。まず、未完の第14コントラプンクトゥスをシェルヘンが補完編曲したバッハが大変興味深い。現代音楽に接近した響きを聴くことも出来、シェルヘンの思惑を楽しみたい。超調性を掲げたバリフの作品は今日においても難解な現代音楽だ。さて、マーラーの第5は大変有名な演奏で、終演後のブラヴォーとブーイングの応酬が凄まじい。第1楽章展開部からのテンポ激変は序の口で、傍若無人以外の何物でもない第3楽章のカットに唖然とする。僅か6分弱で簡素な3部形式に縮まつてゐるのだ。これなら丸ごとカットした方が潔よからう。第5楽章でも凄まじいカットがあり、猛烈な快速テンポによつて10分以内に終はるのだ。だが、中でも異様なのは第4楽章だ。13分もかかる遅さで、表情付けも嫌らしく停滞し、うんざりして仕舞ふ。兎にも角にも、演奏史に残る問題作。下手物好きなら必聴だらう。


ベートーヴェン:交響曲第1番、同第3番「英雄」
ルガーノ放送管弦楽団
[MEMORIES REVERENCE MR2412/2417]

 奇才シェルヘンの名を一躍知らしめたルガーノ放送管弦楽団とのベートーヴェン・ツィクルス。第1番から一切の手抜きなしで、全力で血潮を注ぐ。第1楽章再現部からコーダにかけての巨大さには腰を抜かす。終結部の暴れ振りは空前絶後だ。第2楽章も曲想を抉るので安寧しない。終楽章は血飛沫が舞ふやうな壮絶さ。コーダではアッチェレランドが暴走気味にかかる。第1交響曲が斯様に大交響曲として聴こえたことはなかつた。瑕も多いが別格の名演だ。勿論エロイカも灼熱の演奏だ。弦楽器はスクラッチ・ノイズを軋ませ乍ら全力で演奏する。しかし、難曲故にルガーノ放送管弦楽団はシェルヘンの棒に付いて行くのが精一杯だと感じる箇所も散見される。印象的なのは終楽章終盤で、笞打つやうなシェルヘンの激励の掛け声が何度も入り最後まで手を抜くことが許されないまま、大熱演が幕を閉じる。ただ、エロイカは激しいだけではなく雄大さも聴きたいのだが、それが欠けてゐる。


ベートーヴェン:交響曲第2番、同第7番
ルガーノ放送管弦楽団
[MEMORIES REVERENCE MR2412/2417]

 奇才シェルヘンの名を一躍知らしめたルガーノ放送管弦楽団とのベートーヴェン・ツィクルス。第2交響曲は冒頭から凄まじい気魄だ。主部に入つてからの燃焼も圧倒的だが、本音を申せば細部での雑然さが気になる。この曲は繊細さも併せ持つ必要があり、勢ひに委せると綻びが目立つ。セッション録音したウエストミンスター盤の方が精度が良く、普段聴こえない声部も刺激的に目立ち、推進力もあるのでそちらを採らう。第7交響曲はだう演奏しても興奮の坩堝と化すが、シェルヘンの演奏は終始熱い。第2楽章も煽りの掛け声が尋常でない。しかし、ルガーノ放送管弦楽団は要求に応へて全力で演奏してゐるが、残念乍ら精度が悪く、十分な効果が出てゐないのは事実だ。余り感銘を受けない演奏であつた。


ベートーヴェン:交響曲第4番、同第8番
ルガーノ放送管弦楽団
[MEMORIES REVERENCE MR2412/2417]

 奇才シェルヘンの名を一躍知らしめたルガーノ放送管弦楽団とのベートーヴェン・ツィクルス。この2曲は特に衝撃的だ。第4番は序奏から主部に移行する直前のフォルテに入つた途端、シェルヘンの激しい一喝を合図に猛烈なアクセルがかかる。序奏のテンポとの連関性はなく、鬼軍曹の号令と共に強制的に全力疾走を強いられた格好だ。聴き手は一様に興奮させられるだらう。コーダでも手抜き厳禁の一喝が入る。第3楽章や第4楽章も激烈だ。第8番はこのツィクルス中で最も刺激的な演奏だ。第1楽章冒頭から空前絶後の爆走テンポで暴れまくる。ルガーノ放送管弦楽団が音楽を咀嚼出来ないまま、強制的に行軍させられる。危険な熱気を孕み、聴き手を一瞬たりとも安心させない。激しいスクラッチ・ノイズを鳴らす第3楽章も凄い。そして、第4楽章、最初のフォルテでお馴染みの一喝があり、音楽が発火する。機関銃のやうな音形が連続し、凶暴な演奏が持続する。野人ベートーヴェンの極限的な演奏を示したシェルヘン恐るべし。



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