楽興撰録

声楽 | 歌劇 | 管弦楽 | ピアノ | ヴァイオリン | 室内楽その他



カール・シューリヒト



マーラー:大地の歌
ケルステン・トルボルイ(Ms)/カール=マルティン・エーマン(T)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[archiphon ARCH-3.1]

 第二次世界大戦勃発の約1ヶ月後、1939年10月5日の実況録音。終楽章の半ば、管弦楽だけで奏でられる厭世観が感極まつた大詰めの箇所で、客席の御婦人から発せられた"Deutschland über alles, Herr Schuricht!"といふ野次が入ることで有名な録音である。僅かに客席はざわめくが、音楽は更なる慟哭を深めて行く。反ユダヤか反ナチスか、どちらとも取ることは可能で、投げられた言葉の真意は薮の中だが、妨害行為であつたことには違ひがない。この時のシューリヒトの登場は急病のメンゲルベルクの代役であつた。管弦楽の響きは完全にメンゲルベルクの音で、耽美を極めたヴァイオリンのポルタメントには陶然となる。録音状態が良ければ、最も美しい演奏として特別に推したい。トルボルイはヴァルターとの共演もあり、戦前では最上の歌ひ手だらう。当盤の方が深刻かつ甘美な歌唱でヴァルター盤を凌ぐ。エーマンも声質、表情ともに楽想に合つてをり、特に第5楽章は素晴らしい。シューリヒトの個性を感じることは少ない演奏だが、貴重な記録として忘れ難い録音だ。


ベートーヴェン:交響曲第1番、同第2番
ウィーン・フィル/スイス・ロマンド管弦楽団
[DECCA 483 1643]

 スイスでの黎明期音源も含めたDECCA録音全集10枚組。ウィーン・フィルとの第1番は特上の名演として推薦出来る。上品なフレージングはオーケストラの持ち味だが、微細に分け入つた表情付けはシューリヒトの才覚で、コンセールヴァトワールを振つた躍動感溢れる新盤と甲乙付け難い出来だ。スイス・ロマンド管弦楽団との第2番は初復刻となる1947年録音だ。シューリヒトにはウィーン・フィルとの名盤があるが、この演奏は粗さがあるものの生気に溢れてをり内容的には上回る。しかし、残念なことに盤の切り替へ場所に不備があつたのか、第2楽章の再現部で接続が切れ、トラックが代はつてから続きが始まる。編集作業における失態だらう。痛恨の極みだ。


ベートーヴェン:交響曲第5番、序曲「コリオラン」
パリ音楽院管弦楽団/ロンドン・フィル
[DECCA 483 1643]

 スイスでの黎明期音源も含めたDECCA録音全集10枚組。シューリヒトはコンセールヴァトワールとEMIにベートーヴェンの交響曲全集を残してをり、この第5交響曲のDECCA録音は旧盤となる。EMI全集の8年前、1949年の録音だがDECCAの優秀録音で遜色はない。明朗で清々しい音を鳴らし、引き締まつた輪郭で辛口の演奏を展開するシューリヒトの特質が出た逸品で看過出来ない。余白に収録されたコリオランは大変貴重なロンドン・フィルとの記録。切れ味鋭い名演だ。


ベートーヴェン:交響曲第2番
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
ヴィルヘルム・バックハウス(p)
ウィーン・フィル
[DECCA 483 1643]

 スイスでの黎明期音源も含めたDECCA録音全集10枚組。ベートーヴェンの第2交響曲はウィーン・フィルならではの優美な演奏であり、第2楽章の淡い抒情美が出色であるが、両端楽章はシューリヒトにしては保守的であり何処か元気がない。バックハウスの真骨頂とも云へるブラームスが無上に素晴らしい。バックハウスは最晩年にベームと熟爛の名盤を残したが、当盤は最盛期の冴えた技巧と怜悧なタッチで傲然と難所を制覇する様が壮観であり、優劣付け難い。また、第2楽章の冒頭に付けられたスフォルツァンドを筆頭に、シューリヒトが随所で見せる閃きが心憎い。透徹した第3楽章も美しく、ベーム盤をウィーン風と評すなら、シューリヒト盤は北ドイツ風であると譬へられるだらう。


ブラームス:交響曲第2番、二重協奏曲
ゲオルク・クーレンカンプ(vn)/エンリーコ・マイナルディ(vc)
ウィーン・フィル/スイス・ロマンド管弦楽団
[DECCA 483 1643]

 スイスでの黎明期音源も含めたDECCA録音全集10枚組。屈指の名演として語り継がれる第2交響曲が兎にも角にも素晴らしい。冒頭のヴァイオリンの瑞々しさは、ウィーン・フィルとシューヒリトの組み合はせでしか生まれなかつた抒情美の結晶だ。終楽章コーダにおけるトランペットの爽快なアウフタクトも印象的。軽快なテンポとはしゃいだリズムを好むシューリヒトだが、ブラームスでは浪漫の発露をしっとりと聴かせる。それと同時に、陰鬱さと鈍重さからブラームスを救ひ出し、淡い詩情と内燃する情熱が見事に融合し風通しのよい音楽になつてゐる点、流石はシューリヒトだ。二重協奏曲はクーレンカンプとマイナルディとの共演。両者おつとりした滋味豊かな演奏で外連味は一切ない。シューリヒトの伴奏も両者に合はせて押し出しを控へ、連綿とした歌を基調とする。時に大胆な崩しを用ゐるのはシューリヒトならではの妙技と云へる。


ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
クリスティアン・フェラス(vn)/ゲオルク・クーレンカンプ(vn)
ウィーン・フィル/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
[DECCA 483 1643]

 スイスでの黎明期音源も含めたDECCA録音全集10枚組。ブラームスはレガートを基調とした真摯なフェラスの独奏が揺るぎなく、シューリヒトとの音楽性も近い。総じて佳演と云へるが、全体的に淡く毒がないので、記憶に刻み込まれる類ひの演奏ではない。ブルッフはクーレンカンプとの共演。この曲を得意としたクーレンカンプの神秘的な美しさを湛へたカンティレーナは唯一無二の境地にある。粘り気を基調とした演奏が多い中で異色を放つのだ。シューリヒトの伴奏も高潔さを表出しており絶品だ。


メンデルスゾーン:フィンガルの洞窟、美しきメルジーネの物語、リュイ=ブラース、静かな海と楽しい航海
ヴェーバー:「アブ・ハッサン」序曲
ウィーン・フィル/ロンドン・フィル
[DECCA 483 1643]

 スイスでの黎明期音源も含めたDECCA録音全集10枚組。優美、哀愁、情熱を兼ね備へたメンデルスゾーンが絶対的な高みにある。後年にも再録音があるが、ウィーン・フィルの滴り落ちるやうな美音の前に色を失ふ。殊に「静かな海と楽しい航海」の瑞々しい抒情美は感動的だ。ウィーン・フィルの弦楽器の滴るやうなエスプレッシーヴォと颯爽たるアンサンブルが絶対的で、他の録音を求める必要などない。「美しきメルジーネの物語」では淡い詩情ときりりとした颯爽さが格調高さを醸し出す。「リュイ=ブラース」の飛翔するやうなコーダは絶品である。「フィンガルの洞窟」もメランコリックで繊細な詩情が美しい特別な名演となつてゐる。余白にロンドン・フィルとのヴェーバーが収録されてゐる。小躍りしたくなるやうな活気のある名演で、シューリヒトの卓越した棒が冴える。


シューマン:序曲・スケルツォと終曲、交響曲第2番、同第3番「ライン」
パリ音楽院管弦楽団
[DECCA 483 1643]

 スイスでの黎明期音源も含めたDECCA録音全集10枚組。シューリヒトの残した名盤の中でも殊に秀でたもの。何れも甲乙付け難いが、矢張り世評名高いライン交響曲が極上の出来だ。全楽章疾駆する快速調であるが、驚くほど細部の表情を変化させてをり、至藝の域に達してゐる。第1楽章途中で大胆なレガートを挟むのはその一例であり、また、第2楽章が野暮にならないのはシューリヒト盤だけだ。淡い詩情と切ない憧憬を湛へた第3楽章は絶対的な高みにある。壮絶な第4楽章の解釈は感傷を排した格調高さを獲得してゐる。第2交響曲は終楽章が前楽章までの迷妄を脱する如くに情感を疾走させた稀代の名演で、特にコーダからの焦燥感に充ちた煽りは、幸福を逃すまいとするやうでいぢらしく感動的だ。3楽章までは淡白な音楽運びで鬱屈とした表現を求める向きには物足りないかもしれぬ。「序曲・スケルツォと終曲」も非凡な名演だ。飛翔するロマンティシズムと颯爽とした響きはシューマンの本質と違はぬ得難きものだ。


モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」
シューベルト:未完成交響曲
シューマン:「マンフレッド」序曲
ウィーン・フィル/ロンドン・フィル
[DECCA 483 1643]

 スイスでの黎明期音源も含めたDECCA録音全集10枚組。ウィーン・フィルとのモーツァルトとシューベルトはこの10枚組で唯一のステレオ録音で1956年の録音だ。この年の1月、シューリヒトはウィーン・フィルとの公演でハフナー交響曲を取り上げ、個性的な解釈によつて大いに世間を騒がせた。その時の録音はCD化されてをり、恐ろしく刺激的な名演であることを確認出来る。この新風を巻き起こした名演があつて、この直後、急逝したクライバーの代役として米國演奏旅行の指揮者に抜擢されたのだ。セッション録音はライヴ録音ほどの感銘はないが上出来の部類に属する。処で、このハフナー交響曲はモノーラル盤でしか発売されず、つい最近まで、ステレオ録音では商品化されなかつたといふ曰く付きの録音である。未完成交響曲はシューリヒトとウィーン・フィルの美質が最高度に発揮された特別な名演。余白に1948年録音でロンドン・フィルとのシューマンが収録されてゐる。大変稀少価値があり蒐集家にとつては有難い。


チャイコフスキー:イタリア奇想曲、組曲第3番より主題と変奏
パリ音楽院管弦楽団
[DECCA 483 1643]

 スイスでの黎明期音源も含めたDECCA録音全集10枚組。シューリヒトにとつては数少ない独墺系以外の演目である。イタリア奇想曲は時に無造作な印象が目立つが、快活で羽目を外した陽気さが楽しい。冒頭からコンセールヴァトワールの色気のある金管楽器の音色に魅せられる。底抜けに明るい名演だ。それ以上に組曲が爽快で表情豊かな名演で、コーダでの祝典的な昂揚はシューリヒトの魅力が全開だ。腰は軽いが、閃きに満ちた極上の名演だ。


ヴァーグナー:「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲と愛の死、「神々の黄昏」より夜明けとラインへの旅〜ジークフリートの死と葬送行進曲
パリ音楽院管弦楽団
[DECCA 483 1643]

 スイスでの黎明期音源も含めたDECCA録音全集10枚組。コンセール・ヴァトワールと吹き込んだヴァーグナーは過去のDECCA録音集成盤には含まれず、晴れて正規発売となつた。歓迎したい。演奏が大変個性的でシューリヒトらしい。まず、トリスタンとイゾルデだが、同時代のドイツの指揮者とは一線を画した演奏で、良く云へば手垢が取れて清潔な、悪く云へば淡白で小ざっぱりした印象だ。頂点に向けて情欲を滾らせる演奏ではなく、昇華された美しさがある。異端だが、これがシューリヒトたる所以である。神々の黄昏はシューリヒト独自の編曲が為されてゐる。夜明けからラインへの旅は楽譜通りだが、その後がジークフリート殺害の場面へと飛び、適宜楽劇からの抜き出しで葬送行進曲へと接続される。強い思ひ入れが感じられ、演奏にも熱が入つてをり良い出来だ。


ベートーヴェン:交響曲第9番
マリア・シュターダー(S)、他
フランス国立管弦楽団
[Music&Arts CD-1166]

 1954年9月12日、モントルー音楽祭におけるライヴ録音で、当盤が初出である。シューリヒトとフランス国立管弦楽団による第9交響曲の録音にはステレオ録音による1965年の記録があつたが、それに対して当盤はモノーラルの旧盤といふことになる。しかし、大変状態が良く、リマスタリングも大成功で音の情報量が多い。冒頭から迫力満点だ。演奏は凄まじく熱情的で、第1楽章、第2楽章とも冷める瞬間がなく、速めのテンポで駆け抜ける。常に全力で臨んでをり圧倒的な集中力だ。反面、一本調子に聴こえる。やはり後年の録音の方が藝格が上だ。第3楽章も良いが特徴は薄い。第4楽章は非常に個性的だ。特に歌が加はつてからがテンポが落ち着かず―シューリヒトが煽つてゐると思はれる―、破茶滅茶な演奏になつてゐる。ご愛嬌だ。全曲を通じて云へることは、雑だが大変勢ひのある演奏といふことだ。


ブルックナー:交響曲第7番
北ドイツ放送交響楽団
[Music&Arts CD-1172]

 1954年10月4日の放送録音。シューリヒトによる第7交響曲の録音は数種類残るが、ウィーン・フィルとの録音がない為決定打に欠ける。非常に残念なことだ。最も定評あるのが、ハーグ・フィルとのコンサートホール盤だが、録音状態が然程良くないのと管弦楽の技量が劣ることで不満を感じない訳ではない―勿論飛び抜けて素晴らしい演奏ではあるのだが。この北ドイツ放送交響楽団との演奏は管弦楽の質が良く、古色蒼然とした音色が美しい。しかし、不思議なもので演奏の内容はハーグ・フィル盤の方に魅力を感じる。一長一短、甲乙付け難く、要はどちらも満点ではないといふことだ。


ブルックナー:交響曲第8番
レーガー:希望に寄す
クリスタ・ルードヴィヒ(Ms)
北ドイツ放送交響楽団
[Music&Arts CD-1172]

 1955年10月23日或いは24日に行はれた放送録音。既出盤は一部編集で短縮されてゐたが、当盤は完全な状態での商品化ださうだ。シューリヒトの指揮した第8交響曲にはウィーン・フィルとの決定的なセッション録音があるので当演奏の価値は相対的に下がるとは云へ、シューリヒトの覇気漲る弛緩のない指揮が大変素晴らしく、推進力ある第4楽章は殊の外名演だ。渋みのある管弦楽の響きも美しい。当盤が初の正規発売となるレーガーの大変珍しい作品が聴けるのが嬉しい。後期ロマン派特有の耽美的な作風で、気高い憧憬に彩られた抒情がたゆたふ。若きルードヴィヒの外連のない清廉な歌声が神々しい。


ブラームス:悲劇的序曲
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
クリスティアン・フェラス(vn)
フランス国立管弦楽団
[Altus ALT170/1]

 1955年2月5日の演奏会の全プログラムを収録した2枚組。モノーラル録音だが、驚異的な高音質である。さて、この日の演奏はシューリヒトが絶好調で全曲決定的な名演に挙げても良い極上の出来栄えなのだ。ブラームスから最上級の讃辞を捧げたい。テンポの揺らしが細かくシューリヒトの至藝を如実に体験出来る。何と云つても第2主題でぐつとテンポを落とすのは理想的な解釈なのだが、他の指揮者ではまず聴けない。基調のテンポが俊足であるから出来る大胆なアゴーギクなのだ。コーダ前の大詰めでも強大なpesanteで圧倒する。惜しむらくはライヴ故の瑕があり、テンポを巻き返す時にアンサンブルが乱れて仕舞つたことだ。フェラスとのモーツァルトも絶品だ。淀みない表情豊かな伴奏は滅多に聴けない。フェラスは一瞬たりともespressivoを緩めず情熱的で完璧な演奏をし輝いてゐる。至る箇所で装飾を加へるなど神懸かつた演奏であり、フェラス最上の録音のひとつである。エロイカはセッション録音同様の完成度で、フランス国立管弦楽団も渾身の演奏を繰り広げる。特に第4楽章の各声部の丁々発止の仕掛け合ひには思はず唸る。シューリヒトのエロイカではセッション録音と並ぶ双璧の出来で、数あるエロイカの録音の中でも光彩を放つ名演であつた。聴くべし。


ブルックナー:交響曲第9番
ウィーン・フィル
[Altus ALT080]

 1955年3月17日のライヴ録音。ブルックナーの第9番には絶対的な名盤がある。EMIのシューリヒトとウィーン・フィルによる1961年のセッション録音だ。第3楽章は他にも良い演奏を探すことは可能だが、第1楽章と第2楽章で超える演奏を知らない。特に第2楽章主部の決まり具合は比類がない。さて、当盤はそれに先立つ共演で、同じく感銘深い名演である。だが、勿論セッション録音のやうな完成度はない訳で、飽く迄蒐集家の為の音源だと云へる。ライヴ録音のしくじりは目立たず、テンポの自然な変動もあり音楽的には優れてゐるのだが、何分即興的な要素もあり、体裁が整はなかつたり、響きが薄くなつたりとブルックナーで重視される仕上がりで劣るのだ。総じて名演だが、一般にはセッション録音だけで充分だと云ふことは忌憚なく申してをきたい。


ハイドン:交響曲第104番
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
シューマン:交響曲第2番
ヘンリク・シェリング(vn)
フランス国立管弦楽団
[Altus ALT172/3]

 フランス国立視聴覚研究所所蔵の音源でシューリヒトの真価を問ふ本邦Altusレーベルの好企画。1955年9月のモントルー音楽祭でのライヴ録音で、ハイドンとシューマンはかつて仏DISQUES REFRAINから発売されてゐたが入手は相当困難であつたので有難い。さて、この日のシューリヒトは絶好調なのだ。ハイドンは識者にはよく知られた名演で、この曲の最高峰とも云ふべき存在だ。細部の問題点を指摘することは可能だが、ハイドンにおいては音楽が活きてゐるかが最も重要で、これ程までに魅惑的な演奏はない。即興の極みでテンポと表情が大胆に変化する。これは真似出来ない唯一無二の名演だ。ブラームスは何と云つてもシェリングが素晴らしい。シューリヒトにはフェラスとのDecca正規録音があるが、断然こちらの演奏が良い。堅固で情熱的で雄渾さがある。この曲の忘れがたき名演と絶讃したい。得意としたシューマンも緩急自在で極上の名演だ。Deccaへの正規録音は淡白に感じたが、このライヴ録音は浪漫的な広がりがあり素晴らしい。特に前半2楽章の昂揚が良く、甲乙付け難い。


ブルックナー:交響曲第7番
コンセール・コロンヌ
[Altus ALT169]

 1956年5月14日、ボルドー音楽祭でのライヴ録音。フランスで名声を高めてゐたシューリヒトが名門私設オーケストラを振り、得意のブルックナーで聴衆を唸らせる。コンセール・コロンヌがブルックナーを取り上げることはまずなかつたと思はれるが、シューリヒトに導かれて尋常ならざる名演を繰り広げる。神秘的で高貴な冒頭の導入から官能が浄化されるやうな第1楽章が素晴らしい。全体的に音色が明るいのも良い。第2楽章は幾分深みに欠けるが十分美しい。第3楽章は低調でやや一本調子だ。第4楽章が堂々としてをり感銘深いが、オーケストラの弱さも散見される。終演後、鳴り止まない拍手が印象的だ。シューリヒトの演奏記録では、ベルリン・フィルとの演奏が最も良く、当盤はそれには及ばないものの録音状態も良く、無下にすることは出来ない。


ベートーヴェン:「エグモント」序曲
モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」
ベートーヴェン:交響曲第7番
メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」よりスケルツォ
ウィーン・フィル
[archiphon ARC-4.0]

 シューリヒトにとつては栄光に包まれた晩年への転換点となつた重要な演奏記録だ。1956年12月10日「人権の日」の為の記念コンサートで、ニューヨークにある国連の総会議場において催された。前年ウィーン・フィルに初めて登場し、遅ればせながら「発見」されたシューリヒトは以後ウィーン・フィルと密接な関係を築き上げて行く。ウィーン・フィルはモーツァルト生誕200年の1956年に計画した演奏旅行の指揮者にエーリヒ・クライバーを選出してゐたが、急逝して仕舞つた為に代打としてシューリヒトを主席指揮者に指名した―副指揮者にクリュイタンスが帯同した。アメリカ演奏旅行で12回の演奏会を開き、無名に近かつたシューリヒトが国際的な大成功を収めたのだ。全曲比類のない名演が繰り広げられるが、特に爽快なハフナー交響曲は上等で、溌溂とした演奏にシューリヒトの個性が刻印されてゐる。


ヴァーグナー:「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
マーラー:さすらふ若人の歌
ベートーヴェン:交響曲第7番
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
フランス国立放送管弦楽団
[Altus ALT178]

 1957年9月9日のブザンソン音楽祭での公演記録。ヴァーグナーは他にDECCAへのセッション録音、シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音があり、シューリヒトらしい水彩画のやうな淡い儚い演奏だつた。当盤の演奏は他と比べると表情が幾分濃厚で脂分が多い。曲想には相応しいが、フランス国立放送管弦楽団の木管楽器のピッチが揃はず感興が殺がれる。マーラーは貴重な演目で、この曲を得意中の得意としたディースカウとの共演だ。爽やかなシューリヒトの音楽創りにディースカウも詩情豊かに歌ひ上げる。sotto voceの耽美的な美しさは余人の及ぶところではない。フルトヴェングラー共演盤には並ばないが、愛好家は必聴の名演だ。ベートーヴェンは矢張り木管楽器のピッチが気になる。10種近く存在する録音記録の中では価値は殆どないだらう。


ハイドン:交響曲第100番「軍隊」、同第95番、チェロ協奏曲第2番
エンリーコ・マイナルディ(vc)
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。シューリヒトはモーツァルト同様ハイドンも得意とした。爽快で澱みのない響きと聡明なリズムはシューリヒトの藝当で、ハイドンの精髄を聴かせて呉れる。1958年録音の軍隊交響曲は屈指の名演で、第1楽章の清廉な音楽には心が洗はれる。木管楽器の明快なアンサンブルが素晴らしい。シェルヘン盤に比べると第2楽章コーダの軍楽隊調の箇所や終楽章での落ち着いた指揮に物足りなさを感じるが、凛とした気品こそがシューリヒトの良さである。1955年録音のハ短調交響曲も劇的な面よりも格調高さが勝る名演だ。1950年録音の名手マイナルディとの協奏曲は大らかな歌を基調とした滋味豊かな演奏だ。しっとりとした情味に徹し、細部まで歌ひ込むマイナルディの美質が生きた個性的な名演。


モーツァルト:交響曲第35番、同第38番、同第40番、アリア「いえ、いえ、あなたには無理なこと」K.419、他
エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)/フリッツ・ヴンダーリヒ(T)
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。得意とするモーツァルト作品で編まれた充実の1枚で、1956年から1961年にかけての録音だ。古典の曲だけに管楽器の綻びもなく、手兵シュトゥットガルト放送交響楽団がシューリヒトの意図に痛く感応して、爽やかな呼吸と聡明なリズムと閃く感興の輝きが心憎い。自家薬籠中としたハフナー交響曲にはウィーン・フィルとの名演―ライヴ録音の方がより素晴らしい―があつたが、当盤も申し分のない出来だ。プラハ交響曲とト短調交響曲にも優れたライヴ録音の他、コンサート・ホール・ソサイエティへの奇蹟的な名盤があつた。当盤の演奏をそれらより上位に置く訳ではないが、愛好家は是非蒐集しておくべきだ。余白に併録された3曲のアリアでは、ピュッツが歌ふK.419の可憐なコロラチューラが断然素晴らしい。ヴンダーリヒによる「魔笛」も朗々たる美声が流石だ。シュヴァルツコップの歌ふ「フィガロの結婚」は面白くない。


モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番、同第19番
クララ・ハスキル(p)
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。K.271が1952年、K.459が1956年の録音。世評名高いモーツァルト弾きと指揮者による共演。冒頭より正しくモーツァルトの音が奏でられ、心地よく聴くことが出来る。ところが、最後まで何度聴いてみても、感銘を残さない。これはだうしたわけだらう。恐らくこの演奏には―特にハスキルに―生気がないのだ。ハスキルは時に暗い霊感を迸らせることがあるが、概して協奏曲の場合は平板な演奏をする。滋味なところに良さを持つ人だから、独奏や室内楽の方が向いてゐるのだらう。シューリヒトの伴奏は淡く爽やかで適切だが、常日頃聴かせてくれる閃きには不足してをり物足りない。


ベートーヴェン:交響曲第7番
シューマン:交響曲第2番
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。ベートーヴェンは1952年、シューマンは1959の録音、両曲ともセッション録音の他にライヴ録音もあるので比較が主になる。第7交響曲ははしゃいだ明るさが特徴で、閃光のやうなアクセントを伴ひ、和声の終止感を軽快に流しながら雑然とした音楽を造る。当時の浪漫的な指揮者群において、沈鬱とならないシューリヒトの指揮をアポロ的と形容するのは云ひ得て妙だ。当盤は管弦楽の精度が劣り、ウィーン・フィルとのライヴ録音のやうな感興はない。十八番のシューマンにはコンセールヴァトワールを指揮したDecca録音といふ天下の名盤があり、フランス国立管弦楽団との名演もあつた。当盤は管弦楽の力量からか求心力に欠けるので出来は芳しくない。


ベートーヴェン:交響曲第9番、序曲「コリオラン」
マリア・シュターダー(S)、他
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。第9交響曲は録音された1961年といふ時代に鑑みると非常に個性的な演奏であり、今日の感覚で聴いても新鮮さを覚える。巨大な造型を意図的に避け、フレーズの終止も粘らない。シューリヒトは神話に包まれた偉大な交響曲像を打ち破る。それはブルックナーをヴァーグナーの呪縛から解き放つ手法と同じだ。第1楽章の冒頭から颯爽たる音楽が展開し、鮮烈なアクセントが随所に閃く。飄々としたスケルツォ。カンタータのやうな合唱。現在のベートーヴェン演奏を先取りしたシューリヒトの驚くべき慧眼。1952年録音の「コリオラン」は上辺は爽快だが、実に周到な演奏である。


シューマン:「マンフレッド」序曲、序曲・スケルツォと終曲
メンデルスゾーン:静かな海と楽しい航海、フィンガルの洞窟、「真夏の夜の夢」より(3曲)
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。シューリヒトの感性が光る名演ばかり。爽やかな響きと凛としたフレーズはドイツ・ロマン主義の精髄であり、シューリヒト以上の演奏を探すのは野暮の骨頂だ。シューマンの序曲・スケルツォと終曲はコンセールヴァトワールとの名盤があり、当盤は幾分遜色があるが、極上の名演であることに違ひはない。「マンフレッド」にはコンサートホール盤があるが、手兵シュトゥットガルト放送交響楽団との熟れた演奏とは甲乙付け難い。メンデルスゾーンも全て名演だ。静かな海と楽しい航海とフィンガルの洞窟はウィーン・フィルとの絶対的な演奏があるが、当盤の価値は然程劣らない。「真夏の夜の夢」からは序曲、スケルツォ、ノクターンの3曲が収録されてゐる。序曲とノクターンが取り分け素晴らしい。


ブラームス:交響曲第2番、運命の歌、悲歌
シュトゥットガルト放送交響楽団、他
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。交響曲は1966年、南ドイツ放送での最後の録音だ。ステレオ録音であることも価値が高い。名盤として名高いウィーン・フィルとのセッション録音に比べるとあらゆる点で劣るのは詮方ないが、シューリヒト独特の淡い清流のやうな力みのない響きの魅力は生きてゐる。淀みのない音楽は流石だ。合唱団を伴つた余白の2曲が美しい。特に録音の少ない悲歌が感銘深く、敬虔で清楚な音楽に心洗はれる。運命の歌も名演だが、モントゥー盤―英語歌唱であることを差し引いても―の方が素晴らしかつた。


ブラームス:ドイツ・レクィエム
マリア・シュターダー(S)/ヘルマン・プライ(Br)
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。1959年の録音。何と清廉な演奏だらう。細部まで行き届いてゐるアーティキュレーションの指示には叡智が宿つてをり、弾き摺ることのない潔いフレーズの切り上げが隅々まで徹底してゐる。鎮魂歌に付き纏ふ鈍重な重苦しさがなく、管弦楽も合唱もカンタータのやうな清らかさを聴かせて呉れる。シューリヒトとの相性が良いシュターダーの澄み渡る歌唱は勿論見事だが、それ以上にプライの甘く感傷的な朗唱が素晴らしい。重厚さや劇的な要素はないが、随所に他の演奏とは一線を画する美しい瞬間があり、総合的に鑑みてドイツ・レクィエムの最上の演奏のひとつであらう。


ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティシェ」
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。1955年の録音。シューリヒトの功績は、ブルックナーをヴァーグナーの傍流として解釈することなく、西洋音楽史におけて最も孤立した真摯な作曲家として認め、本質に迫つた演奏を成し遂げたことである。シューリヒトが指揮するブルックナーは淡々としてゐるやうだが、凛とした詩情が閃くのが特徴だ。速いテンポで旋律の繰り返しを惰性から救ひ、明朗なリズムと淡く軽やかな響きで清楚な美しさを引き出してゐる。全ての音に徹底した意志が働いてゐるが、それを感じさせないのがシューリヒトの一頭地を抜く至藝なのだ。これがウィーン・フィルとの録音であればと願ふのは無いもの強請りだが、第4交響曲の名演のひとつとして推奨したい。


ブルックナー:交響曲第5番
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。1962年の録音。シューリヒトによる第5交響曲の録音はもう1種、ウィーン・フィルとのライヴ録音がDGから出てゐた。弦楽器群の美しさでウィーン・フィル盤に惹かれるが、手兵シュトゥットガルト放送交響楽団は流石にシューリヒトの意図を掴んでをり、全体的な音楽の進行は当盤の方が良い。シューリヒトが指揮したブルックナーは後期ロマン派音楽特有の厚化粧から解放されてをり、飄然とした造型感覚と細部まで意匠を凝らしたリズムの爽快さが素晴らしい。試行錯誤を繰り返してきた往時のブルックナー演奏に比べると、シューリヒトの解釈に驚かされる。薄口の表現乍ら心に深く残る第2楽章、厳つさを感じさせない神々しい第4楽章が名演だ。


ブルックナー:交響曲第7番
ヴァーグナー:「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲と愛の死
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。ブルックナーは1953年の録音。シューリヒトが残したブルックナーの第7交響曲の録音は5種類が確認されてゐるが、手兵シュトゥットガルト放送交響楽団との当盤は細部まで気心の知れた演奏となつてをり、極めて完成度が高い。細部に拘泥はる一方、全体は飄然とした仕上がりの求めるので、入念な練習を重ねた演奏ほど出来が良いのだ。1950年録音のヴァーグナーも素晴らしい。若干瑕があるが、内に秘めた官能が漏れ出した名演だ。


ブルックナー:交響曲第8番
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。1954年の録音。シューリヒトの音楽性が遺憾なく発揮された作曲家はブルックナーである。フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュがヴァーグナーの匂ひを消すことが出来なかつたのに対し、シューリヒトのみがブルックナーの本質を見据ゑた。ウィーン・フィルと録音した第8交響曲は知らぬ者なき名演として語り継がれてゐるが、当盤は残念ながら管弦楽団の技量の差で感銘が劣る。管楽器の音程が不安定な箇所が散見され、弦楽器群も潤ひの点でウィーン・フィルには遠く及ばない。しかし、音楽の流れは颯爽として美しく、特に第4楽章の真摯な運びは素晴らしい。


ブルックナー:交響曲第9番
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。1951年の録音。シューリヒトが残した5種の第9交響曲の録音中、ウィーン・フィルとのセッション録音こそは、憚ることなく云へば現在に至る迄超えるもののない最高の名盤である。特に第1楽章と第2楽章はシューリヒトの意図が徹底され、ウィーン・フィルの美しき響きが結晶されてをり、当盤を含めたその他の録音の感銘が劣るのは致し方がない。しかし、管弦楽の技量から生じる物足りなさは微々たるもので、なべてシューリヒトが振るブルックナーには別格の良さがある。どの瞬間を取つても音楽が溌剌としてをり、爽やかな抒情美が流れてゐる。当盤は明朗で前進する生気が素晴らしく、壮年期のシューリヒトの藝風を伝へる名演だ。


グリーグ:演奏会用序曲「秋に」
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
ゲッツ:ヴァイオリン協奏曲
フォルクマン:序曲「リチャード3世」
シュトゥットガルト放送交響楽団、他
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。シューリヒトにとり極めて珍しいレパートリーで構成された1枚。作品11といふグリーグ若書きの珍曲は、ロシアの冴えない管弦楽曲のやうな主部に続いて現はれる抒情的な旋律が早くもグリーグの個性を垣間見せて面白い。雄渾な演奏で興味深く聴かせる。名曲ブルッフの協奏曲はハンスハインツ・シュネーベルガーの独奏が好演で、飄然としたシューリヒトの伴奏とも相性が良い。強い個性の出た演奏ではないが、爽やかな名演と云へる。ゲッツの作品は終止独奏が音楽を先導するドイツ後期ロマン派の協奏曲の典型のやうな曲。ロマン・シマーの独奏は細部まで神経の通つた名演で聴き応へ充分だ。フォルクマンの作品は然して印象に残らない凡庸な作品だ。


レズニチェク:シャミッソーの詩「悲劇的な物語」に基づくバリトン独唱と大管弦楽の為の主題と変奏
シュトラウス:「グントラム」第1幕前奏曲
プフィッツナー:「ハイルブロンのケートヒェン」序曲
レーガー:モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ
バリー・マクダニエル(Br)
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。滅多に聴くことのないドイツ後期ロマン派音楽の作品ばかり。崇高なロマンに昇華された熟爛の管弦楽法をシューリヒトの颯爽とした指揮で嫌味なく聴ける。曲の最後にバリトン独唱を伴ふレズニチェクの秘曲は雑多な楽想を抱へ乍ら、劇的で魅惑的な旋律を持つてをり、当盤に収録された4曲の中では最も聴き応へのある名曲だと思ふ。シュトラウスが書いた最初のオペラの前奏曲はヴァーグナーの影響を脱してゐないが、神秘的な雰囲気が美しい佳曲だ。闘争的な楽想と抒情的な楽想の対比が素晴らしいプフィッツナーの序曲も勇壮で素晴らしい。しかし、モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番K.331の第一楽章の主題を変奏したレーガーの大曲は冗漫さを否めない。シューリヒトの演奏が珍しく生彩を欠くからだらうか。


マーラー:交響曲第2番「復活」
ハイドン:交響曲第86番
シュトゥットガルト放送交響楽団、他
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。マーラーが1958年、ハイドンが1954年の録音。名ブルックナー指揮者として知られるシューリヒトはマーラーでも忘れ難い名演を残したが、「復活」は何と3種類も録音が残つてゐる。引き締まつた響きで音楽を牽引して行く屈指の名演で、精悍な棒の下、閃光を散らし乍ら長大な楽章においても集中力を持続してゐる。濃厚な表情はないが、細部に拘泥して末端肥大になる演奏ではなく、全体の見通しが良い。第4楽章でのヘルタ・テッパーの深々とした歌唱も素晴らしい。粘着力のない異色の演奏であるが、それがシューリヒトを聴く醍醐味である。食傷気味の方には清涼剤としてお薦めしたい。ハイドンが究極の名演である。予てより最高級の名演として知られてきた録音で、達人の域にある一筆書きのやうな至藝なのだ。細部に雑な箇所もあるが、素朴なハイドンの音楽が斯様に生命力をもつて、現代の我々に訴へかけてくるのは唯事ではない。


マーラー:交響曲第3番
シュトラウス:アルプス交響曲
シュトゥットガルト放送交響楽団、他
[hänssler CLASSIC CD93.140]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第1巻20枚組。マーラーは1960年、シュトラウスは1955年の録音。ブルックナーの名指揮者として認知されてゐるシューリヒトが偉大なマーラー指揮者でもあつたことは少なからず語られてきた。事実、シューリヒトが残したマーラー作品の録音―全て声楽を含んだ楽曲であるのが面白い―の演奏は何れも天晴だ。表現は微細まで徹底してをり、あらゆる点でマーラーへの理解が深い。しかし、響きが下品にならず、優美さと洒脱さがあるのがシューリヒトならではの妙技である。前半3楽章の筋の通つた演奏は見事で、マーラーの交響世界を築き上げることに成功してゐる。親しみ易い後半3楽章でより耽美的な表情があると良いのだが、端正な音楽はシューリヒトの美質だから難癖であらう。シュトラウスがマーラーの数倍素晴らしい。こんなに明るく神々しい夜明けの光を浴びたアルペンはない。勿体振つた重厚な威容などはなく、爽快な風と光に包まれたアポロン的藝術の粋を聴かせる。晴れやかな愉悦に溢れた音楽に自然と引き込まれる。これぞシューリヒトのみが成し得る神通力なのだ。アルペン屈指の名演と誉め讃へたい。


ベートーヴェン:交響曲第1番、同第3番「英雄」
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.292]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第2巻10枚組。第1番が1961年、第3番は1952年の録音。第1番が素晴らしい。冒頭から音が躍動し、若々しい推進力がある。第1楽章コーダの熱い合奏は特に聴き応へがある。シューリヒトによる同曲の演奏には格調高いウィーン・フィル盤、鮮烈なコンセールヴァトワール盤と特級品が揃つてゐるが、活き活きとした当盤の演奏は比肩する極上の出来、否それら以上の名演である。比べてエロイカは良くない。冒頭から集中力を欠いた散漫な演奏で第1楽章は乱れが多く惨憺たる出来だ。第2楽章からは気を入れ替へ、心の籠つた名演が聴ける。シューリヒトによるエロイカはコンセールヴァトワール盤が飛び抜けて良いので、当盤の価値は殆どない。


ベートーヴェン:交響曲第4番、同第5番
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.292]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第2巻10枚組。第4交響曲は1959年の録音。第1楽章主部に入つてからの軽快な音楽は流石シューリヒト、滅多に聴けない活気ある名演だ。しかし、第2楽章以降は悪くはないが、感銘を受けるほどの演奏ではなかつた。第4楽章で荒々しい響きがして時折興味深いが、シューリヒトならではの閃きは感じられなかつた。第5交響曲は当盤で初出となる1953年の録音。だが、演奏は余り良くない。録音が古く冴えないのも一因だ。全体的にすつきりした淡い色調の演奏なのだが、精度不足で集中力が切れ、単に胆力のない演奏に聴こえる。矢張りシューリヒトのベートーヴェンはコンセール・ヴァトワールとのセッション録音全集が断然優れてゐる。


ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
シューベルト:交響曲第5番
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.292]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第2巻10枚組。ベートーヴェンは1957年、シューベルトは1960年の録音。田園交響曲は基本的にコンセール・ヴァトワールとのセッション録音の解釈と同じであるが、手兵シュトゥットガルト放送交響楽団はシューリヒトの要求に良く応へてをり、改めて名人藝に感服出来る。とは云へ、当盤はライヴ録音故の瑕や雑味があり、セッション録音を超える価値はない。シューベルトにはセッション録音がないので重宝する。演奏はベートーヴェンを凌ぐ見事な仕上がりだ。この曲はleggieroを意識して軽快に速いテンポで演奏され勝ちだが、シューリヒトは決して急かない。この曲の随一の名演ヴァルター盤に近いテンポ感で、爽快さも失つてゐない。ヴァルターでなければ、このシューリヒト盤を推薦する。


ブラームス:交響曲第4番、アルト・ラプソディ、悲劇的序曲
ルクレティア・ウェスト(A)、他
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.292]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第2巻10枚組。注目は当盤で初出となつたアルト・ラプソディと悲劇的序曲だ。特に前者はシューリヒト初の演目として歓迎される。1964年の録音で、脂粉の少ないシューリヒトならではの名演だ。この曲は陰鬱な耽溺と逃避的な陶酔による泥臭い演奏が多いのだが、シューリヒト盤は周到に鬱屈さを避けてをり好感が持てる。しかし、重量感がないから概して印象は薄めだ。この翌日にライヴ録音された交響曲も大変素晴らしい。基本的にはバイエルン放送交響楽団とのセッション録音に似てゐるが、緊張感は途切れ勝ちで抒情豊かな傾向だ。セッション録音を超える演奏ではない。1954年の録音である悲劇的序曲が内容では最上だらう。峻烈だが軽い嫌ひのあつたバイエルン放送交響楽団盤と比較して浪漫的な重厚さがあり、かつシューリヒトならではの快活さも併せ持つた名演と云へる。


ヴェーバー:「オイリアンテ」序曲、「オベロン」序曲
ヴォルフ:「イタリア風セレナード」
チャイコフスキー:「ハムレット」
レズニチェク:「ドンナ・ディアナ」序曲
ブラッハー:管弦楽のための協奏的音楽
シュトゥットガルト放送交響楽団
[hänssler CLASSIC CD93.292]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第2巻10枚組。1952年から1960年にかけての録音で、序曲集と管弦楽曲で構成されてゐる。ヴェーバーは「オイリアンテ」と「オベロン」の序曲で、閃きに充ちたテヌートやルバートなどが用ゐられてをり楽しめる。ヴォルフ「イタリア風セレナード」は溌溂としてをりシューリヒトならではの明るい演奏だ。チャイコフスキーの滅多に演奏されない鬱屈とした幻想序曲「ハムレット」が珍しい。渾身の演奏で充実してゐる。レズニチェク「ドンナ・ディアナ」序曲が軽快で極上の名演だ。ブラッハー「管弦楽のための協奏的音楽」はフルトヴェングラーにも録音があるので少しは知られてゐるかもしれない。シューリヒトによる明晰な演奏で魅力が増してゐる。どれも名演ばかりだが、特にヴォルフとレズニチェクが良い出来だ。


モーツァルト:レクィエム
マリア・シュターダー(S)/ニコライ・ゲッダ(T)、他
ウィーン・フィル
[archiphon ARC-4.1]

 1962年6月19日、ウィーンのシュテファン大聖堂における実況録音。シューリヒトならではの一工夫が効いた演奏で個性が際立つてゐる。印象的なのは、涙の日のアーメン終止を足場が失はれたやうな弱音で歌ひ、絶大な効果を上げてゐる箇所だ。また、賛否両論あるだらうが、ベネディクトゥスの冒頭箇所暫くをトゥッティではなく、弦楽四重奏で演奏させてゐる。独創的だがこれはやり過ぎだ。全体的には浄められた美しさを秘めた演奏であると感じた。細部までオーケストラの表情が雄弁で、主役である歌への配慮も心憎い。特にウィーン・フィルのヴァイオリン・パートの美しさは絶品だ。しかし、良くない点も多い。オーケストラの監督が行き届いてゐるのに対し、独唱や合唱への指示は踏み込みが足りないのだ。歌には乱れが散見される。シューリヒトは宗教曲の録音がないに等しく、歌劇の録音もひとつだけと得意な領域ではなかつたと思はれる。散漫な怒りの日は特に良くない。


シューマン:「マンフレッド」序曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
アルテュール・グリュミォー(vn)
フランス国立管弦楽団
[Altus ALT234/5]

 1963年5月14日の演奏会の全プログラムを収録した2枚組。シューマンが最も素晴らしい。憂ひを帯びた音色、諦観に沈み込む情趣、虚しい闘争、全てが理想的な演奏だ。メンデルスゾーンはシューリヒトにとつて唯一の音源となり大変貴重だが、崩れが多く良くない。美音で聴く者を虜にするグリュミォーの魅力が全開だが、管弦楽伴奏―特に管楽器―が独奏に付け切れてゐない。シューリヒトの棒が悪かつたのだらうか? グリュミォーは官能的な自由奔放さをもつてカプリッチョ風に弾いてゐるが恣意的な感じは受けない。第2楽章で絶え入るやうなディミュヌエンドを聴かせるのは実に美しい。独奏が魅惑的なだけに、伴奏が足を引つ張つたのは残念だ。エロイカは名演だがコンセールヴァトワール盤を凌ぐものではない。第1楽章は冒頭から集中力を欠き取り立てて良い演奏ではない。第2楽章から次第に調子が良くなり、第3楽章に至つて絶好調となる。音形に伴ふアクセントを強調しリズムに新鮮味を加へるのはシューリヒトの面目躍如だ。第4楽章が古今を通じて最高の名演だ。普段は聴こえてこない楽器の動きを際立たせたり、アクセントを効かせたりと滅法面白い。音楽が多彩な表情を見せて躍動し常に新生する。フィナーレだけで述べれば掛け値なしの名演で聴衆の感激も頷ける。


ブルックナー:交響曲第7番
フランス国立放送管弦楽団
[Altus ALT238]

 1963年9月11日、ブザンソン音楽祭でのライヴ録音。近年続々とシューリヒトのライヴ録音が発表され、ブルックナーの第7交響曲はいつの間にやら8種類を数へることが出来る。最早名盤とされた正規録音のハーグ・フィル盤も影が薄い。さて、フランス国立放送管弦楽団との演奏だが、不出来な部類に属する。躍動感に溢れた第3楽章は常乍ら素晴らしく、手応へ十分だが、それ以外の楽章は感銘が落ちる。第2楽章は流麗で神々しく美しき瞬間もあるが、ドイツ風の敬虔な響きはない。冒頭は管と弦が合はず、冷やりとする。第1楽章は瑕こそ少ないが、何とも軽薄で明るく、オーケストラの理解が足りないことが一目瞭然だ。第4楽章は纏まりが悪く締まらない。志向性もてんでばらばら、音も盛大に外す。良くない。


ブルックナー:交響曲第8番
ウィーン・フィル
[Altus ALT085]

 1963年12月7日の実況録音。名盤として大変高名なEMIへのセッション録音の直前に行はれた演奏会だ。結論から云ふと矢張りセッション録音の方が、音響や楽器のバランスの調整や、細部の発音やアゴーギクの処理にも神経が行き届いてをり、圧倒的に完成度が高い。商品として仕上げたのだから当然である。一方、このライヴ録音では一発勝負の綻びは然程気にならないのだが、矢張り音響で偏りが出て仕舞ひ不恰好な箇所が散見される。しかし、シューリヒトだけの即興的な演奏が繰り広げられる点では流石だ。しかも緩急の差が大きく、超速で飛ばして行く箇所は凄まじく目紛しいのだが、全曲で71分強と標準なので、如何に減り張りが強いかがわかるだらう。もう1点、この演奏を際立たせる特徴としてはウィーン・フィルの音色―取り分け婀なヴァイオリンの歌が琴線に触れる。線が細く厚みがないが、官能的な表現を随所に撒き散らし、この演奏を個性的に仕立ててゐる。


ブラームス:悲劇的序曲
レーガー:ヒラーの主題による変奏曲とフーガ
ベートーヴェン:大フーガ
ロンドン交響楽団
サー・エイドリアン・ボールト(cond.)、他
[BBC LEGENDS BBCL 4213-2]

 1964年1月31日、シューリヒトがロンドン交響楽団を振つた稀少価値のある記録だ。ブラームスの序曲は後半動き出すが、総じて堅実な演奏で詰まらない。コンサートホール盤の方がシューリヒトらしい閃きある即興性が聴かれて好ましい。シューリヒトが得意としたレーガーに関心は集まるだらう。しかし、楽曲の魅力が乏しく、約40分の演奏時間で美しい瞬間はあるが、興がそそられない。演奏も取り立てて面白くない。余白にボールトがニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮したベートーヴェンの大フーガの録音が収録されてゐる。1968年8月19日のライヴ録音だ。暫くは凡庸な感じだが、後半尻上がりに良くなり、オーケストラが全霊を込めて感じ入つてゐる。シューリヒトが主役の当盤だが、演奏は大フーガが一番だ。


モーツァルト:交響曲第38番
ブルックナー:交響曲第7番
ベルリン・フィル
[TESTAMENT SBT2 1498]

 1964年8月5日、ザルツブルク音楽祭での記録で、シューリヒトがベルリン・フィルを魅惑の棒で率ゐる。何と未発表初出音源、これほどの名演が埋もれてゐたとは。2曲ともシューリヒトの十八番で安定の名演で、既出録音との比較だが、首位を争ふ完成度なのだ。まず、プラハ交響曲だが、流石に奇蹟的な仕上がりのコンサートホール盤には及ばないものの、ウィーン・フィルとのライヴ盤とは甲乙付け難い出来栄え。麝香のやうなオーボエの音色、低弦の厚み、ベルリン・フィルの美質が存分に活かされた極上の名演だ。同年10月にもベルリン・フィルとは同曲を演奏してゐるが、当盤の方が録音も良く内容も優れてゐる。さて、ブルックナーの第7番は第一等にしてもよい完成度だ。シューリヒトのブルックナーで最も多く録音が残るのは第7番だが、オーケストラの実力や適合性、録音状態などで不満が残り、決め手に欠けてゐた。当盤こそ荘厳にして遠大な名演で、音質も極上、他盤を圧倒する出来だ。軽くなり過ぎず堂々とした第4楽章は古今を通じても最高だ。


シューマン:「マンフレッド」序曲
モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
ベルリン・フィル
[TESTAMENT SBT 1403]

 1964年10月8日のライヴ録音。ステレオ録音の表記があるが、広がりに欠け、実質はモノーラル録音と云つてよいだらう。シューリヒトはベルリン・フィルとは旧知の仲で、気心知れた妙味のある演奏を楽しめる。演目はシューリヒトの最も得意とした曲ばかりだ。中では恐らくシューマンが最も重要な録音と云へる。他に2種の録音があつたが、力量のあるベルリン・フィルとの演奏だけに聴き応へがある。プラハ交響曲は他に3種の録音があつた筈だ。何と云つてもコンサートホール・レーベルへの奇蹟的な名盤があり、比肩する演奏はひとつもないと断言しよう。当盤はかなり恣意的な揺らぎが多用されてをり、一発藝の面白みがある。エロイカはやや低調な演奏と感じた。特に第1楽章は調子が上がらず散漫だ。楽章を重ねるにつれシューリヒトらしい颯爽とした即興的な演奏となる。矢張りエロイカはコンセールヴァトワールとのセッション録音が1番良い。


シューベルト:交響曲第5番
ブラームス:交響曲第4番
ウィーン・フィル
[Altus ALT070]

 1965年4月24日の実演記録。ウィーン・フィルと良好な関係を築き上げたシューリヒト晩年の貴重な録音だ。セッション録音がないシューベルトは重要で、実に優美な名演だ。丸みを帯びたウィーン・フィルの演奏は繊細この上なく、この曲の理想的な演奏である。しかし、曇つて幾分遠めに感じるマスタリングのせいか、総じて覇気がなく内気な印象が勝つて聴こえる。綺麗なだけで詰まらないと感じる向きもあるだらう。ブラームスは退行的な演奏で全体的に良くない。アンサンブルも随所で後ろ髪を引かれるやうな瞬間があり、既の所で締まつてゐる感じだ。細部は申し分なく美しく、ウィーン・フィルが抒情的な音楽を奏でるが、鈍重で懐古的な趣はシューリヒトの指向ではない。木を見て森を見ず。オーケストラ主導の保守的な印象を受けた1枚だ。


ベートーヴェン:交響曲第1番、同第9番
アグネス・ギーベル(S)、他
フランス国立管弦楽団と合唱団
[Altus ALT239/40]

 1965年6月15日の演奏会の全プログラムを収録した2枚組。臨場感に溢れた情報量の多い優秀録音でシューリヒトが晩年に到達した境地を鑑賞出来る。第1交響曲は常乍ら素晴らしい。若々しい活気があり生命力に溢れてゐる。特に第4楽章の溌剌とした音楽は極上だ。シューリヒトには個性的なコンセールヴァトワールとのセッション全集録音の名盤があり、ウィーン・フィルとの優雅な録音や手兵シュトュットガルト放送交響楽団との生気に充ちた名演もある。それらを超える感銘は当盤にはないが申し分のない名演である。さて、第9交響曲が素晴らしいのだ。これはシューリヒトが残した第9交響曲の中でも群を抜いてをり、代表的なセッション全集録音も、個性的名演と誉れ高い1954年のフランス国立管弦楽団との演奏も問題にならない桁違ひの名演である。冒頭から厳しい緊張感が漲り雄渾な合奏には一分の隙もない。木管楽器を主体とした響きで全ての声部が浮き上がつてくる。闘争心を煽り立てる渾身の内声部が活きてをり、限界を超えたチェロの熱演も凄い。第2楽章はのっけから挑発的なティンパニが攻めに攻める。管楽器が常に主張し多重的な響きを創る。これぞ交響曲の醍醐味だ。激烈なティンパニの独奏、猛烈な応答を交はすホルンは最高だ。木管楽器が芯の強い音楽を主導する第3楽章も良い。警告音に続く第2ヴァイオリンの入魂はかうでなければならない。第4楽章の開始は劇的極まりない。歓喜主題が興奮する箇所の感動は滅多に聴けまい。独唱陣も熱気が凄まじく絶唱を繰り広げる。最後まで弛緩することなくシューリヒトのアポロ藝術が爆発した名演だ。趣向が異なるフルトヴェングラーの演奏と並べられる数少ない名演と激賞したい。



声楽 | 歌劇 | 管弦楽 | ピアノ | ヴァイオリン | 室内楽その他


BACK