楽興撰録

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カレル・アンチェル


モーツァルト:交響曲第36番「リンツ」、同第38番「プラハ」
プロコフィエフ:古典交響曲
ドレスデン・シュターツカペレ
キリル・コンドラシン(cond.)
[BERLIN Classics 0090512BC]

 モーツァルトの2曲は1959年録音のアンチェル指揮、プロコフィエフは1955年録音のコンドラシン指揮で、何れもオーケストラは名門ドレスデン・シュターツカペレによる。アンチェルとドレスデン・シュターツカペレの録音は確か唯一で、モーツァルトといふ演目も近代楽曲をレパートリーの中心とするアンチェルにとつては珍しく、認知度の低い録音だ。管弦楽の渋みのある木質の響きとアンチェルの実直な音楽性が解け合ひ、古色蒼然たる幽玄なモーツァルトを聴かせる。内声が充実してをり、音楽が常に語り出す名演で、華美なだけのモーツァルトとは一線を画す。全体的に暗い色調で標準的な演奏ではないが味はひは深く、特に朴訥としたリンツ交響曲が素晴らしい。コンドラシンによるプロコフィエフも管弦楽の素朴な響きが特徴であるが、その分面白みに欠ける。コンドラシンの棒は生命に溢れてをり見事だ。


ベートーヴェン:交響曲第1番、同第5番、「レオノーレ」序曲第3番
チェコ・フィル
[SUPRAPHON SU 1937-2 001]

 これらの音源は新しくゴールド・エディションでも発売されてゐるが、旧規格で記事にする。アンチェルは新古典主義の演奏様式を具現したやうな指揮者で、ドヴォジャークなどの御國物を除けばロマン派時代の曲の録音は少なめだ。古典作品の録音も少ないが、廉直で端正な音楽造りには一目置きたい。第1番の爽やかな躍動感は心地良い。序曲も同様の好演だ。しかし、第5番は形骸だけの演奏で良くない。意図的だらうが感情の発露を拒絶した反浪漫主義の演奏で聴くに堪へない。だが、1953年といふ録音年を鑑みれば反逆的な天の邪鬼の演奏として驚きを覚える。


ブラームス:交響曲第2番、二重協奏曲
ヨゼフ・スーク(vn)/アンドレ・ナヴァラ(vc)
チェコ・フィル
[SUPRAPHON 11 1942-2 011]

 これらの音源は新しくゴールド・エディションでも発売されてゐるが、旧規格で記事にする。アンチェルはドイツ音楽を多くは録音しなかつたが、ブラームスは格別の出来栄えを聴かせる。廉直の士アンチェルならではの清楚かつ真摯な演奏で、徒に激情に委ねることがないので食傷することがない。簡素な抒情美と隙がない造型が素晴らしく、ホルンの伸びやかな歌は特に見事だ。スークとナヴァラの独奏が管弦楽に融合し、混然となつて燃焼する二重協奏曲が名演だ。片手落ちの録音が多い曲だが、アンチェル盤は最も完成度の高い演奏である。交響曲も協奏曲も派手さはないが、外連がないだけに新鮮な響きがする。得難いことだ。


ムソルグスキー:展覧会の絵、禿げ山の一夜
リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲
チャイコフスキー:イタリア奇想曲
チェコ・フィル
[SUPRAPHON 11 1943-2 011]

 これらの音源は新しくゴールド・エディションでも発売されてゐるが、旧規格で記事にする。アンチェルの振るロシア音楽は、引き締まつたリズムと響きで大味になるのを避け、清楚で快活な音楽運びが魅力だ。当盤の白眉はチャイコフスキーで、中間部の爽やかな躍動感が素敵だ。タランテラも熱がこもつてをり、一分の隙もない格調高い演奏に仕上がつてゐる。「イタリア奇想曲」の名演をお求めなら躊躇なくアンチェル盤を薦める。次いで派手な趣向を避けたリムスキー=コルサコフが良い。硬派な情熱はアンチェル特有の美質だ。ムソルグスキーの2曲も大変立派だが、少し泥臭さが恋しくなる。「展覧会の絵」はTahraから出てゐたライヴ盤の方を採りたい。


管弦楽曲集
ベルリオーズ/リスト/シュトラウス/ウェーバー/グリンカ/ボロディン/チャイコフスキー
チェコ・フィル
[SUPRAPHON SU1938-2 011]

 これらの音源は新しくゴールド・エディションでも発売されてゐるが、旧規格で記事にする。当盤ではロシアの音楽、中でもチャイコフスキーの「1812年」が絶品である。ナポレオン軍来襲の場面での畳み掛けるやうなテンポと鋭い響きによる緊張感、特に楔の如く打ち込まれたティンパニの彫りの深さは如何ばかりであらう。この曲は一般的に節操無く―派手な大砲を打つたり―演奏されることが多いが、アンチェルの真剣で引き締まつた音楽を聴けば、印象を新たにするはずだ。ボロディン「中央アジアの草原にて」は爽やかな詩情と詫びた哀愁で深い感銘を残す。その他の曲目も水準以上の演奏だが、取り立てて贔屓にする程の演奏ではない。


マーラー:交響曲第1番
チェコ・フィル
[SUPRAPHON SU 1953-2 011]

 新しくゴールド・エディションでも発売されてゐるが、旧規格で記事にする。今日チェコ・フィルはマーラーを重要な演目としてゐるが、その礎を築いたのがアンチェルである。チェコ・スプラフォンには2つのニ長調交響曲―即ち第1番と第9番の録音しか残らないが、アンチェルが如何に深くマーラーを理解してゐたかを瞭然とする名演ばかりだ。特に第1番はアンチェルの音楽性に合致した曲だけに得難い記録となつた。木質の感触を大切にした響きはボヘミアの森の神秘的なざわめきを伝へる。ホルンは狩りを告げ、木管は鳥のさへずりを、ヴァイオリンは夜霧となる。アンチェルは耽美的な後期ロマン派の表現を避け、新古典的な簡素さと廉直な佇まいを旨とする。だから、さすらふ若人の交響曲が清々しく響くのだ。濃密なマーラーを求める向きには物足りなからうが、音楽の本質はここにある。真摯この上ない第4楽章が殊更感慨深い。


マーラー:交響曲第9番
チェコ・フィル
[SUPRAPHON SU 1954-2 011]

 新しくゴールド・エディションでも発売されてゐるが、旧規格で記事にする。マーラーの第9番では、ブルーノ・ヴァルターとウィーン・フィルによる伝説の名演を別格にすれば、バルビローリがベルリン・フィルを振つたものと、このアンチェル盤に特別な良さを感じる。この時期チェコ・フィルは黄金期にあり、特にマーラー演奏の極意とも云へるホルン・セクションの巧さが格別なのだ。アンチェルの指揮は常ながら外連のない実直なもので、大袈裟な表情を伴はないからマーラーでは不満を感じる方もゐるだらう。しかし、虚勢を張ることなく真摯に内面を掘り下げる姿勢が貴く、何よりも隙のない音楽運びが素晴らしい。殊に第1楽章の清廉な美しさが感慨深い。


メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
ベルク:ヴァイオリン協奏曲
ヨゼフ・スーク(vn)
チェコ・フィル
[SUPRAPHON 11 1939-2 011]

 これらの音源は新しくゴールド・エディションでも発売されてゐるが、旧規格で記事にする。スークとの共演はドヴォジャーク、スーク、ブラームスなど名演ばかりだ。当盤も大変充実してをり、最も素晴らしいのはメンデルスゾーンである。スークの奏法は小粒のオイストラフのやうだが、オイストラフほど豊満ではなく脂粉も少ない。知的で清涼感のある廉直な音色とアーティキュレーションが美しく、楽曲に見事に合致してをり、密度の高い指揮も相まつて屈指の名演と云へる。ブルッフはスークが薄口で面白くない。アンチェルが第1楽章後半のトゥッティで聴かせるアゴーギクには激しい情熱を感じる。ベルクは名盤で、現代音楽を得意としたアンチェルの面目躍如だ。独奏及び管弦楽とも貧血気味の細身の音楽だが、研ぎ澄まされた切り口は真に迫る。クラスナーとヴェーベルンによる伝説の演奏を凌ぐことはないが、この曲の最も重要な録音には違ひない。


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番
ベートーヴェン:ロマンス第2番
ラロ:スペイン交響曲
ラヴェル:ツィガーヌ
ダヴィド・オイストラフ(vn)
イダ・ヘンデル(vn)
チェコ・フィル
[SUPRAPHON 11 1943-2 011]

 これらの音源は新しくゴールド・エディションでも発売されてゐるが、旧規格で記事にする。丁寧に古典作品を弾くオイストラフは全盛期直中にあり、密度の濃い美しい音には惚れ惚れする。アンチェルの指揮も各声部への周到な配慮が窺へて心憎い。しかし、聴き手を陶酔に導くやうな魔力を持つた演奏ではない。全体に健康的過ぎるのだ。ジプシー音楽調のラロとラヴェルの作品を弾くヘンデルは線が細く求心力に欠ける。アンチェルの指揮も外連がなく面白くない。


モーツァルト:「魔笛」序曲、ピアノ協奏曲第23番、ファゴット協奏曲、ホルン協奏曲第3番
ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ(p)
カレル・ビドロ(fg)
ミロスラフ・シュテフェック(hn)
チェコ・フィル
[SUPRAPHON SU 1935-2 001]

 これらの音源は新しくゴールド・エディションでも発売されてゐるが、旧規格で記事にする。アンチェルのモーツァルト録音は非常に少なく、しかも協奏曲録音が大半を占める。名手チェルニー=ステファンスカのピアノ協奏曲は情感豊かな名演で、真珠のやうにひとつひとつの音に光沢のあるタッチが美しい。肉厚な音で聴かせるビドロのファゴット協奏曲も素晴らしい。確かな技巧は鮮明なタンギングで確認出来る。アラール盤を別格として、この曲の代表的名盤と云へる。最も素晴らしいのは伝説的なチェコ・フィルの首席奏者シュテフェックによるホルン協奏曲だ。アンチェル時代のチェコ・フィルの素晴らしさは偏にシュテフェックに依るところが大きい―その伝統はティルシャルに引き継がれた。ホルンの魅力を余すところなく伝へた名演で、テヴェの録音と共に最高峰だ。


チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番
スビャトスラフ・リヒテル(p)
ダグマル・バロゴーワ(p)
チェコ・フィル
[SUPRAPHON 11 1944-2 011]

 これらの音源は新しくゴールド・エディションでも発売されてゐるが、旧規格で記事にする。リヒテルと共演したチャイコフスキーは隙のない水準以上の演奏だが、感興に乏しく数多ある名演を凌ぐ録音ではない。名曲プロコフィエフの第2協奏曲が聴き応へがある。悲劇的な情念を醸し出す第1楽章から辛口の演奏が展開されるが、特に素晴らしいのがトッカータ風のスケルツォと激しい鬩ぎ合ひを聴かせるフィナーレで、凄まじい求心力がある。バロゴーワの技巧も申し分ない。


バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番、ヴィオラ協奏曲
エンドレ・ゲルトレル(vn)
ヤロスラフ・カルロフスキー(va)
チェコ・フィル
[SUPRAPHON 11 1956-2 001]

 これらの音源は新しくゴールド・エディションでも発売されてゐるが、旧規格で記事にする。アンチェルはバルトークを得意とし、幾つも録音がある。当盤は伴奏であるが、大変立派で主役と云つてもよい。ヴァイオリン協奏曲が名演だ。作曲者とも親交があつたハンガリー人ゲルトレルはバルトークの権威である。弾き込んだ自信が窺はれる極上の演奏である。アンチェルの絶妙な伴奏と相まり決定的名演のひとつとして推奨したい。ヴィオラ協奏曲は幾分遜色がある。カルロフスキーの独奏がやや物足りない。高音の張りなど強さに欠ける。一方で第3楽章は速過ぎるやうに感じる。技量はあるが音楽が軽いのだ。矢張り初演者プリムローズの演奏を超えるものは見当たらない。


シューマン:チェロ協奏曲
ブロッホ:シェロモ
レスピーギ:アダージョと変奏曲
アンドレ・ナヴァラ(vc)
チェコ・フィル
[SUPRAPHON 11 1940-2 011]

 これらの音源は新しくゴールド・エディションでも発売されてゐるが、旧規格で記事にする。シューマンは冒頭から表情が木目細かく、心打たれる。シューマンの協奏曲ではフルトヴェングラーの指揮が最高で、他の演奏など必要ないと思つてゐたが、廉直な抒情を聴かせるアンチェルの姿勢には大変感銘を受けた。ナヴァラの内省的な歌が素晴らしく、ヴィブラートの妙技による繊細な音の移ろひが美しい。上っ面だけの演奏が多く、名演に恵まれない霊感豊かな名曲の屈指の名盤だ。ブロッホは全体に濃厚さに欠け面白くない。この曲ならフォイアマンの極彩色の名盤が良からう。レスピーギの秘曲が重要だ。澄んだ詩情と風雅な趣がナヴァラの美質に合致してゐる。侘びた郷愁が聴く者の心を慰める。万人に薦めたい。(2008.8.8)


プロコフィエフ:交響的協奏曲
ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番
アンドレ・ナヴァラ(vc)
ミロシュ・サードロ(vc)
チェコ・フィル
[SUPRAPHON SU 1950-2 011]

 これらの音源は新しくゴールド・エディションでも発売されてゐるが、旧規格で記事にする。両作曲家を得意としたアンチェルの伴奏は申し分がなく、極上と云ひたい。しかし、これらの曲でロストロポーヴィチ以上の名演を成し遂げることは容易ではない。プロコフィエフの難曲はナヴァラによる演奏で、過剰なヴィブラートと濃密でロマンティックな情緒の為に曲想との齟齬を感じずにはゐられない。特異な面白さはあるが一般的ではない。一方、チェコの名手サードロによるショスタコーヴィチの録音はロストロポーヴィチの牙城に迫る名演だ。華はないが真摯な演奏がアンチェルの棒と一体となり大言壮語を排す。


ハルトマン:葬送協奏曲
ヒンデミット:ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲
アンドレ・ジェルトレル(vn)
ポール・トルトゥリエ(vc)
チェコ・フィル
[SUPRAPHON 11 1955-2 011]

 これらの音源は新しくゴールド・エディションでも発売されてゐるが、旧規格で記事にする。現代音楽の旗手アンチェルだけに管弦楽の伴奏はこれ以上は求め難いほど仕上がりは見事だ。ハルトマンの名曲が決定的名盤と云へる素晴らしい出来だ。深刻で緊迫感のある弦楽合奏の響きは肺腑を抉るやうで、第2楽章は正しく死の舞踏だ。独奏のジェルトレルが唯一無二の名演を繰り広げる。奏法や音色はオイストラフに酷似してをり、真摯な歌が高貴に奏でられる。ヒンデミットの協奏曲でもジェルトレルの安定したボウイングが立派だ。これも屈指の名演と云へる。大変珍しいチェロ協奏曲は曲が散漫で余り面白くないが、名手トルトゥリエの泰然とした演奏が特徴だ。


ブラームス:ピアノ協奏曲第1番、悲劇的序曲
エリク・テン=ベルク(p)
チェコ・フィル
[SUPRAPHON SU 3675-2 001]

 アンチェル・ゴールドエディションの1枚。旧規格ではテン=ベルクとの協奏曲は復刻されてゐなかつたので有難い。もし知名度でこの演奏を看過して仕舞つたのなら残念だ。確かに特徴は薄いかもしれないが、内容は最高のひとつだ。チェコ・フィルは絶頂期のアンサンブルを聴かせ、底光りする美しさを放つてゐる。テン=ベルクが燃えてをり、若きブラームスの想ひを代弁してゐる。技巧も万全だ。ピアノと管弦楽との一体感が強く、総合点で当盤は屈指の名盤だと断言出来る。悲劇的序曲は旧規格でも出てゐた。素晴らしい演奏だ。しかし、堅実だが魔力には乏しく贔屓にする程でもないだらう。


序曲集
ヴェーバー/ショスタコーヴィチ/モーツァルト/ベートーヴェン/ヴァーグナー/スメタナ/グリンカ/ベルリオーズ/ロッシーニ
チェコ・フィル
[SUPRAPHON SU 3689-2 011]

 アンチェル・ゴールドエディションの1枚。旧規格でも大半の音源は商品化されてゐたが、やうやく正規CD化された曲目もあるので歓迎したい。ショスタコーヴィチ「祝典序曲」、ヴァーグナー「ローエングリン」第1幕前奏曲、スメタナ「売られた花嫁」序曲、ロッシーニ「ウィリアム・テル」序曲は旧規格になかつた。演奏は矢張りスラヴ系の楽曲が良い。ショスタコーヴィチはこの曲の決定的名盤だらう。リズムの切れ味が抜群で、軽快なテンポと重厚な響きが両立した稀代の名演だ。御国物でありアンチェル唯一のオペラ全曲録音も残るスメタナが素晴らしいのは当然だ。ライナー盤と共に別格の名演で、沸立つリズムが滅法楽しい。アンチェルによるヴァーグナーは珍しい。繊細な合奏による名演で、透徹した美しさが際立つてゐる。とは云へ、雰囲気は乏しく、畑違ひの感は残る。ロッシーニにも同様のことが云へ、合奏は完璧だが、アンチェルの音楽性やチェコ・フィルの独特な音色を聴く意味が大きい。その他、旧規格で出てゐた音源のことは割愛する。


ノヴァーク:タトラ山にて
スラヴィツキー:モラヴィア舞踏幻想曲、狂詩的変奏曲
チェコ・フィル
[SUPRAPHON SU 3688-2 001]

 アンチェル・ゴールドエディションの1枚。旧規格ではこれらのチェコ近現代作曲家作品の録音は復刻されなかつたので重宝する。新古典主義の洗礼を受けたアンチェルは近現代の作品を得意とし、緻密なアンサンブルと清廉な音楽設計で高い評価を得た。しかもそれが同郷のチェコの作品ともなれば、競合者もなく絶対的な録音として余人の出る幕などない。作品の内容ならノヴァーク「タトラ山にて」が特上だ。仄暗い抒情に彩られた可憐な美しさに胸打たれる名曲だ。これに比べると社会主義リアリズムに則つたやうなスラヴィツキーの2曲は三流と云はざるを得ない。しかし、アンチェルの躍動感溢れる棒により生命力を吹き込まれてをり聴き栄えがする。真摯なトゥッティの統率振りには頭が下がる。


クレイチー:管弦楽の為のセレナーデ、交響曲第2番
パウエル:ファゴット協奏曲
カレル・ビドロ(fg)
チェコ・フィル
[SUPRAPHON SU 3697-2 001]

 アンチェル・ゴールドエディションの1枚。クレイチーは新古典主義の作曲家で、現代的な手法を纏つてゐるが、作品は大変聴き易い。3楽章形式のセレナードが名作で、第1楽章は無窮動で軽快なディヴェルティメント、第2楽章は静寂なノクターン、第3楽章は疾駆するギャロップ。アンチェルとの相性も抜群だ。随所に独奏パートの難解なパッセージがあるが、黄金期のチェコ・フィルの技量は絶頂にある。交響曲は幾分遜色がある。重厚な響きや主題の展開に手塩を掛けた分、作風が折衷的になり感銘が劣る。演奏は申し分無く、哀感を帯びたトランペットが美しい。パウエルの珍しい協奏曲が良い。雄大かつ悲劇的情感を軋ませた第1楽章、ベートーヴェンの第4交響曲第4楽章のソロを無限に続けるやうな難曲である第3楽章など、ファゴットの作品でも屈指の名作と云へる。安定感のある職人藝を聴かせるビドロの独奏も見事で、鮮烈なアンチェルの指揮共々素晴らしい名盤だ。


ブルクハウザー:大オーケストラのための7つのレリーフ
ドビアーシュ:交響曲第2番
チェコ・フィル
[SUPRAPHON SU 3700-2 001]

 アンチェル・ゴールドエディションの1枚。20世紀チェコの作曲家の作品で、一般的な興味は皆無であらう。アンチェルの熱狂的な聴き手以外には無用の代物だ。勿論、演奏は他を寄せ付けない絶対的な価値を誇る。ブルクハウザーの作品は極めて前衛的な手法によつて書かれてをり、フラッターやグリッサンドなど特殊奏法が刺激的である反面、空虚で五月蝿いと感じるのも事実だ。比べるとドビアーシュの交響曲は正攻法の作品で、ロシア系の作曲家に連なる重厚な響きと伝統的なチェコの管弦楽法―スメタナやスークやヤナーチェクなど―を融合させた演奏時間50分以上を要する大曲だ。引き締まつたアンサンブルは驚異的で、アンチェル時代のチェコ・フィルが黄金期であつたことを立証する。


ハヌシュ:バレエ音楽「塩は金に勝る」第1組曲、交響曲第2番
チェコ・フィル
[SUPRAPHON SU 3701-2 001]

 アンチェル・ゴールドエディションの1枚。2004年まで存命だつた現代チェコを代表する作曲家ハヌシュの作品には前衛的な要素は少なく、どちらかと云ふと保守的で聴き易い。チェコの深い森と実りある大地から生まれた抒情を大事にした音楽は、スメタナ、スーク、ノヴァークの系統に連なる。一方、管弦楽法はヤナーチェクやマルティヌーと並んで色彩的で技巧的なので、耳に楽しい。バレエ音楽から編んだ組曲が実に美しい。冒頭から清涼感ある旋律が流れ、必ずや心を奪ふだらう。躍動感ある舞踏も明朗で心地良い。チェコ音楽の精髄のやうな名曲だ。比べると交響曲はやや野心的で手管が煩はしく、遜色がある。とは云へ、明るく朗らかな曲想は大変親しみ易い。但し、交響的な密度の濃さは感じられず、旋律の素材や管弦楽法の巧妙さで聴かせる作品だ。作品への慈しみに充ちたアンチェルとチェコ・フィルの愛が注ぎ込まれた録音。


スメタナ:我が祖国
チェコ・フィル
[SUPRAPHON SU 4308]

 チェコ放送局蔵出しの愛好家必携初出音源満載ライヴ録音集15枚組。1枚目。1968年5月12日プラハの春音楽祭における「我が祖国」の演奏記録である。少し前にチェコRadio Servisレーベルが商品化して世間を騒がせた音源と同一である。この年ドゥプチェク第一書記による急速な改革路線をソ連が軍事介入で薙ぎ倒したチェコ事件が起こる。この事件がアンチェルを亡命へと駆り立てる直接的原因となつた。チェコ・フィル黄金時代の終焉である。この演奏記録は最後の輝きを伝へる掛け替へのない録音なのだ。アンチェルが指揮した「我が祖国」全曲は、スプラフォンへの記念碑とも云へるセッション録音とTahraから発売された1967年のライヴ録音があり、当盤で3種目となる。当盤も手兵チェコ・フィルとの演奏なので悪からう筈がない。分離の悪い録音状態の為セッション録音にこそ及ばないが、ライヴとは思へない程完成度の高い演奏だ。磨き抜かれたアンサンブルと作品への真摯な献身には頭が下がる。自然な呼吸と熱い昂揚が感動を誘ふ一期一会の名演。


ムソルグスキー:「ホヴァンシチーナ」前奏曲
モーツァルト:交響曲第39番
スメタナ:「売られた花嫁」序曲
プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」より抜粋(5曲)
レニングラード・フィル/アレクサンドル・ガウク(cond.)
チェコ・フィル
[UNIVERSAL CLASSICS TYGE-60004]

 TBS VINTAGE CLASSICSの1枚。名演奏家の来日録音を復刻するシリーズだ。注目は1959年10月19日のチェコ・フィル初来日初日の日比谷公会堂におけるライヴ録音である。チェコ・フィル黄金時代を築いたアンチェルの世界ツアーの一環であつた。名刺代はりである御家藝スメタナは文句無く絶品であるし、矢張り十八番としたプロコフィエフも極上の演奏で、同時期に来日して愛好家を魅了したカラヤンとウィーン・フィル以上と云はしめたのも過言ではない。決して裕福とは云へないのに、同年9月末に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風への義援金を提供したアンチェルとチェコ・フィルの義侠心は美談として伝はる。余白には1958年4月16日のレニングラード・フィルの初来日の記録が収録されてゐる。しかし、首席指揮者であるムラヴィンスキーは病弱の為に帯同せず、御大ガウクが率ゐることになつた。詩情豊かな美しいムソルグスキーが良い。ムラヴィンスキーが得意としたモーツァルトは、ガウク指揮下だとドイツ風の堅牢な演奏になるのが面白い。チャイコフスキーの第4交響曲も演奏されたが収録時間の都合で割愛されてゐる。


ドヴォジャーク:ヴァイオリン協奏曲、交響曲第9番「新世界より」
スメタナ:「売られた花嫁」序曲
ヨゼフ・スーク(vn)
チェコ・フィル
[Orfeo C 395 951 B]

 1963年7月30日、ザルツブルク音楽祭における公演記録。アンチェルとチェコ・フィルはこれらの曲全てをセッション録音してゐる。協奏曲は同じくスークとの組み合はせでの決定的名盤があるので、このライヴ録音の価値は殆どないが、新世界交響曲のセッション録音は生気が乏しいので、当盤を聴いて収穫がある。セッション録音を名盤とする巷間の評価には同意出来ない。精緻だが、線が細く感興に乏しいからだ。ライヴの瑕はあるが、当盤の方が断然素晴らしい。しかし、この名曲には名演が犇めいてゐるので、アンチェル盤を特に推薦はしない。アンコールで演奏されたスメタナは流石の出来だ。しかし、出来は完璧なセッション録音に軍配を上げよう。


カレル・アンチェル生涯を語る
[Tahra ANC 001(TAH 160)]

 愛好家垂涎の手兵チェコ・フィルと残した貴重なライヴ録音7枚組。6枚目。放送録音の一部分を間に挟みながら、最晩年のアンチェルが生涯を語つたものであり、インタヴューとは異なる。使用された録音は殆どがTahraから発売されてゐるものの、マーラーの交響曲第4番など興味深い音源が含まれてゐるし、ジャズ・オーケストラを振つたJezec?の作品の怪しげな録音も含まれてゐる。


マーラー:亡き児を偲ぶ歌
ヤナーチェク:タラス・ブーリバ
プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」抜粋
チェコ・フィル
[Tahra ANC 001(TAH 161)]

 愛好家垂涎の手兵チェコ・フィルと残した貴重なライヴ録音7枚組。7枚目。アンチェルが指揮したマーラーは定評があるが、この演奏は懐深くに入り込み、忘れ難い感動を刻印する。アンチェルの伴奏は奇を衒はず、慟哭を静かに堪へる。御家藝となるヤナーチェクの素晴らしさは云ふまでもない。スプラフォンへのセッション録音と比較して、細部の失敗はあるが、ライヴ特有の感興が箔を付けてゐる。十八番のプロコフィエフは、若干の曲目変更はあるが、最後に「タイボルトの死」を配置する抜粋が3種類残されてをり、当録音も抒情美と端正な造形が心憎い名演だ。


モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」序曲、ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第31番「パリ」、他
イルムガルト・ゼーフリート(S)/ヴォルフガング・シュナイダーハン(vn)/ヨゼフ・スーク(vn)
プラハ・フィル合唱団/チェコ・フィル
[PRAGA PR 254 005]

 LE CHANT DU MONDEのPRAGAレーベルのアンチェル・エディション第4巻。アンチェルが残したモーツァルトの録音は決して多くないが、質は極上だ。この1枚も珠玉の名演揃ひで愛好家は必携だ。協奏曲以外は1966年11月11日のライヴ録音。序曲の真摯で格調高い響きからして引き込まれて仕舞ふ。続く4曲のソプラノの為の音楽も秀逸だ。演目はレチタティーヴォとアリア「故に大切なことは、高きを求め」、「証聖者の荘厳晩課」から5曲目「主よほめたたへよ」、「戴冠ミサ」から「アニュス・デイ」、祝典劇「羊飼の王」からアミンタのアリア「あの人を愛するのだ」、と心憎い選曲だ。ゼーフリートの清廉な歌唱は勿論素晴らしいが、プラハ・フィル合唱団、チェコ・フィルの見事な伴奏にも耳を傾けたい。「羊飼の王」はシュナイダーハンの助奏付きで微笑ましき夫婦共演が聴ける。パリ交響曲はこの曲屈指の名演。爽快なテンポで贅肉はなく、細部の表情も抜群である。特に第2楽章の美しさは琴線に触れる。ヴァイオリン協奏曲のみ1968年5月24日のライヴ録音。スークとの共演だ。聡明さと含蓄を感じさせる理想的な名演だ。


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、交響曲第5番
ヘンリク・シェリング(vn)
チェコ・フィル
[PRAGA PR 254 007]

 LE CHANT DU MONDEのPRAGAレーベルのアンチェル・エディション第6巻。協奏曲は1966年5月プラハの春音楽祭での実況録音であり、映像でも残されてゐる―チェコ・スプラフォンから発売された。ベートーヴェンの協奏曲の理想的奏者にシェリングを挙げる人は多い。幾つも名盤とされる録音が残るし、何よりも堂に入つた演奏は比類のない安定感だ。ヴァイオリン協奏曲の王とされるこの曲の演奏に相応しい。だが、難癖を付けるならオイストラフ同様寂寥感が足りない。立派で感心させることは出来るが、泣かせることは出来ない。とは云へ、文句の付けやうがない極上の名演だ。ところで、この演奏の本当の素晴らしさはアンチェルにある。斯様に細部まで生命を通はせ過不足なく音にした指揮は他にない。フルトヴェングラー、ヴァルター、クリュイタンスらと同格かそれ以上で総合点でも当盤は屈指の名演だ。交響曲は1958年6月の記録。5年前のスプラフォンへのセッション録音と印象は然程変はらない。格調高く堅実な演奏だが、地味で盛り上がりに欠ける演奏だ。


スーク:アスラエル交響曲
クレイチー:管弦楽の為のセレナーデ
南西ドイツ放送交響楽団(バーデン=バーデン)
[SWR CLASSIC SWR19055CD]

 アンチェルはスーク畢生の大作、アスラエル交響曲をスプラフォンへの正規セッション録音で残さなかつたので、この1967年5月にバーデン=バーデンで行はれた放送録音は極めて重要だ。南西ドイツ放送の原テープからのCD化で音質は極上で生々しい。客演であり乍ら、南西ドイツ放送交響楽団の渾身の演奏で、稀有な名演を繰り広げる。雄大で玄妙なタリフの名盤もあつたが、アンチェルは細部まで知情意を行き届かせてをり表現の幅が只者ではない。時に聴かせる爆発的な火花は壮絶極まりない。深刻で壮大な演奏は圧巻で、これ以上が考へられない決定的名演だ。アンチェルお気に入りのクレイチーのセレナーデは他にも録音があるが、南西ドイツ放送交響楽団は厚みのある響きを全力で聴かせ、洗練されたチェコ・フィル盤を上回る感銘を受けた。


モーツァルト:レクィエム
ギーベル(S)/ソウクボヴァー(A)/イェルデン(T)/レーフス(Bs)
プラハ・フィルハーモニー管弦楽団/チェコ合唱団
[Tahra TAH 660]

 アンチェルの知られざる録音を発掘し続けてきた仏Tahraがアンチェル生誕100年に当たる2008年に大物を世に送り出した。アンチェルが特別な曲と愛してゐたモーツァルトのレクィエムで、これ迄他に音源がなかつたから貴重この上ない。1966年9月14日、モントルー音楽際に出演した際の記録だ。手兵チェコ・フィルとではなくプラハ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮しての演奏であることは痛恨の極みだ。チェコのオーケストラの伝統でクラリネット―本来ならバセットホルンでなければならないのだが―がジャズ・バンド風のヴィブラートを終始かけてをり、曲想にそぐはない珍妙な印象を受ける。オーケストラの仕上がりは残念ながら何時ものチェコ・フィルのやうにはいかないが、アンチェルの颯爽とした棒は変はらず素晴らしい。早めのテンポで楽曲に新風を送り込んでをり、憂ひと悲しみを前面に出した浪漫的な演奏とは一線を画してゐる。思はせ振りのない真摯かつ格調高き演奏で、凄まじい緊張感に彩られたゲネラル・パウゼやフェルマータの効果は天晴だ。渾身の演奏と云つてよい。独唱では清廉なギーベルが良い。


ハイドン:交響曲第104番
ブラームス:交響曲第2番
オランダ放送フィル/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[Tahra TAH 405-406]

 アンチェルのライヴ録音を積極的に掘り起こしてゐる仏Tahraによる名演集2枚組。1枚目。ハイドンが稀少価値を持つ。アンチェルのハイドンに失望したことは一度もなく、ライヴで残された第92番と第93番は極上の名演である。1970年録音のオランダ放送フィルとの第104番も大編成の重厚な響きによる演奏様式ながら、爽やかで気品のある音楽を常に聴かせてくれる。きりりと粒が立つた音は緊張感と生命力を維持してゐる。名門コンセルトヘボウを振つた1969年録音のブラームスも見事である。淡いロマンを漂はせながら大味になることなく、弛緩のない音楽を奏でる処はアンチェルの美質である。


スメタナ:「わが祖国」よりボヘミアの森と草原より、ターボル、ブラニーク、「売られた花嫁」序曲
ヴォルジーク:交響曲ニ短調
チェコ・フィル
[Tahra TAH 405-406]

 アンチェルのライヴ録音を積極的に掘り起こしてゐる仏Tahraによる名演集2枚組。2枚目。「わが祖国」はスプラフォンへの名盤の他、ライヴが2種確認されてをり、各交響詩の録音も少なからず残つてゐる。チェコ・フィルとの3曲抜粋は、隙のない緊密な音楽が見事で、特に雄渾なターボルが素晴らしい。しかし、アンチェルの「わが祖国」はあの比類ないスプラフォンへのセッション録音を採りたい。躍動感溢れる序曲も流石だ。畳み掛ける気魄でライナー盤に匹敵する名演を繰り広げてゐる。チェコの作曲家ヴォルジークの4楽章制の交響曲はアンチェルの好んだ曲で、スプラフォンへも録音を残してゐる。これは1966年のライヴ録音だ。古典的な造形美を湛へた佳曲で、疾風怒濤期の情熱と初期ロマン派の香気とが融合してゐる。アンチェルの指揮は音楽に生命を吹き込んだ極上とも云へるもので、他の演奏を聴く必要を感じさせない。


ブラームス:交響曲第1番、ハイドンの主題による変奏曲
チェコ・フィル/ケルン放送交響楽団
[Tahra TAH 222/223]

 ブラームス作品ライヴ録音集2枚組。1枚目。交響曲は1966年6月26日のザルツブルク音楽祭におけるライヴ録音。手兵チェコ・フィルとの手堅い演奏で、貧血気味だつたスプラフォンへのセッション録音に比べて豊麗かつ重厚な音楽を奏でる名演だ。エスプレッシーヴォなホルン・パートの素晴らしさにチェコ・フィルならではの醍醐味がある。落ち着いたテンポで細部まで神経を通はした職人気質の演奏だが、夥しくあるこの名曲の録音の中で特別な位置は占めることはない。変奏曲はアンチェル亡命後の記録で、1970年2月20日、ケルン放送交響楽団を振つてのライヴ録音だ。これも特別な演奏ではない。


ブラームス:交響曲第3番、ヴァイオリン協奏曲
アイザック・スターン(vn)
トロント交響楽団
[Tahra TAH 222/223]

 ブラームス作品ライヴ録音集2枚組。2枚目。1970年のライヴ録音である第3交響曲はアンチェルにとつて唯一の録音となるので貴重だが、トロント交響楽団の技量が余りにも酷く、アンサンブルが崩れてゐる箇所も散見される。チェコを亡命して、低迷するトロント交響楽団に就任したアンチェルだが、名誉となる記録は残せなかつた。1969年のライヴ録音である協奏曲が素晴らしい。スターンが得意とするブラームスを重厚かつ情熱的に弾き切つてをり天晴だ。アンチェルの伴奏も申し分ない。広く名演として推奨したいが、この名曲には夥しい名盤が存在する。当盤はその一角に過ぎない。


ドヴォジャーク:ピアノ協奏曲、交響曲第7番
フランティシェック・マキシアン(p)
ヘッセン放送交響楽団
[Tahra TAH 136-137]

 ドヴォジャーク作品ライヴ録音集2枚組。1枚目。第7交響曲はブラームスを意識して作曲された―就中第3番の影響が顕著な作品で、リズムが複雑であるのと、主題の展開が凝つてゐるのとで、演奏効果の上がらない難曲である。これまで中々名演に巡り遇へなかつたが、アンチェルのこの録音はオーケストラが手兵チェコ・フィルでないと云ふ恨みはあるが、知る限り最も満足出来るものだ。途絶えることのない緊張感が漲つてをり、特に真摯にして雄渾なる終楽章が白眉である。ピアノ協奏曲は、この曲を看板としてタリフとも録音を残してゐるマキシアンの堂に入つた演奏で大いに楽しめる。アンチェルの伴奏は衒ひのない実直なもので、弛緩のない瑞々しい音楽が彼処から溢れ出る。


ドヴォジャーク:チェロ協奏曲、スラヴ舞曲集作品72(全8曲)
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(p)
トロント交響楽団/チェコ・フィル
[Tahra TAH 136-137]

 ドヴォジャーク作品ライヴ録音集2枚組。2枚目。ロストロポーヴィチによる協奏曲はタリフやカラヤンと録音したものが世評名高いが、当演奏も見事だ。思ひ詰めたやうにテンポを落とし、フラウタンドで囁くピアニッシモの表現はあざといが、無類の技巧家だけに絶大な効果を生んでゐる。土俗的な野性味と感傷的な郷愁を同時に表現し、かつ崩れを見せない藝には賛嘆の念を禁じ得ない。常に血の通つた音を失はないアンチェルの伴奏も上等である。スラヴ舞曲集は同じくTahraからベルリン放送交響楽団を指揮した全16曲が出てゐるが、当盤は手兵チェコ・フィルとの演奏だけに柔軟さと白熱の度合ひが違ふ。アンチェルの振る御國物は研ぎ澄まされた響きの間から、内燃する祖国愛を覘かせる気高いものばかりだ。第15番ハ長調が燃え立つてゐる。


マーラー:交響曲第5番
トロント交響楽団
[Tahra TAH 242]

 1969年11月4日の放送録音。前年のプラハの春事件が原因でチェコを亡命したアンチェルは、予てより要請を受けてゐたトロント交響楽団の音楽監督に就任した。アンチェルが残したマーラーの録音はチェコ・スプラフォンへの第1番と第9番の名盤のみであつたので、この音源は歓迎出来る。無論、当時低迷してゐたトロント交響楽団にチェコ・フィルのやうな響きを期待することは出来ないが、懸念するほど技量の拙さを感じさせない。寧ろアンチェルの指導力が優れてゐることを立証した好演と云つてもよい。隅々まで血を通はせた合奏には熱気が溢れてゐる。内省的なアダージェットの美しさは名残惜しい。


モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、同第8番
メンデルスゾーン:宗教改革交響曲
シューマン:交響曲第4番
スメタナ:「モルダウ」(リハーサルと本番)
トロント交響楽団
[Tahra TAH 121-123]

 アンチェルは1968年の「プラハの春」に伴ふソ連軍侵攻でチェコを離れ、トロント交響楽団のシェフに治まつたが、間もなく死去した。この時期トロント交響楽団は低迷してをり、アンチェルの名誉となるやうな録音はない。アンチェルは近・現代曲を得意にした人だが、鉄の音ではなく、木の温もりを感じさせる音作りで聴かせた、腕の良い親方であつた。ドイツ音楽では持ち味を存分に出せてゐないが、メンデルスゾーンの宗教改革交響曲を好ましく聴くことが出来た。50分近くもスメタナのリハーサルが聴けるのは愛好家にとつて大変興味深いことだ。


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
ヘルマン・クレバース(vn)
ダニエル・ワイエンベルク(p)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[Tahra TAH 155]

 協奏曲の伴奏で主役ではないが、聴くべき内容は矢張りアンチェルにあると断言出来る1枚。ベートーヴェンは1970年1月28日、ラフマニノフは1970年1月21日の実況録音。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の名コンサート・マスターとして、またソロイストとしても高名なクレバースが好演してゐる。細身の音で外連味がなく誠実に楽曲を構築して行く。往年のクーレンカンプを想起させる朴訥さも好感が持てる。アンチェルの指揮が包容力があり細部まで完璧だ。名演と絶讃したいが、競合盤が多い曲だ。正直クレバースの演奏は巨匠の壁を超えてはゐない。アンチェル唯一のラフマニノフ録音ではワイエンベルクが素晴らしく、弩級の名演で掘り出し物だ。澄み切つたピアニズムは高度な境地にある。アンチェルの伴奏も絶品。この曲屈指の名演だと云ひたい。


ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス
トロント・メンデルスゾーン合唱団/トロント交響楽団、他
[Tahra TAH 220/221]

 1970年11月11日の放送録音で、渡米後のアンチェルによる貴重な記録。アンチェルはトロント交響楽団との短い活動の間、大規模な声楽作品を中心に演目を組んだ。録音で残されたのはこの荘厳ミサ曲のみのやうだ。アンチェルによるベートーヴェン作品の録音は少ないが、真摯で実直なアンチェルの棒と荘厳ミサ曲との相性は頗る良い。アンチェルの振るベートーヴェンの交響曲は線の細い貧血気味の演奏が多いが、ミサ曲における壮麗な響きは大変素晴らしい。録音状態が水準以下なのと、声楽陣に多少の不満は残るが、全体的に格調の高い佳演と云へるだらう。



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