楽興撰録

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ジョージ・セル


ベートーヴェン:交響曲第7番
スメタナ:モルダウ/ヴァーグナー:「タンホイザー」序曲/スーザ:星条旗よ永遠なれ
ニューヨーク・フィル
[West Hill Radio WHRA 6018]

 セルの実況録音集第1巻4枚組。1枚目。1943年7月4日、セルのニューヨーク・デヴュー・コンサートの記録である。セルは大戦前夜、欧州で指揮者として頭角を顕しつつあつたが、戦火を避け米國に定住した。米國でもその実力を発揮し、当時黄金期にあつたニューヨーク・フィルにも登場を果たした。アメリカ国歌の斉唱から始め、聴衆の気持ちを掴んだ後、王道のベートーヴェンで真価を問ふ。絶対者トスカニーニの十八番の演目であつた第7交響曲を選ぶあたり強かだ。強靭に躍動する演奏でトスカニーニ仕込みの合奏が炸裂する。理想的な名演だ。次いで、セルの得意とするスメタナが見事だ。後のセッション録音ほどではないが、精緻さと情感が高次元で融合した名演に魅了される。ヴァーグナーの雄渾な演奏も絶品。最後にスーザの曲で締めるところにセルの戦略を窺はせる。全き成功を刻印した伝説的な公演記録である。


ハイドン:交響曲第97番
モーツァルト:「フィガロの結婚」序曲
シューベルト:グレイト交響曲
クリーヴランド管弦楽団
[West Hill Radio WHRA 6019]

 セルの実況録音集第2巻4枚組。3枚目。1957年12月の実況録音でハイドンは14日、モーツァルトとシューベルトは21日の記録だ。ハイドンが素晴らしい。セッション録音でも名演を残してゐるが、雑然としてゐても断然このライヴの方が活きが良い。猛然と進む両端楽章の活力、第2楽章の心憎い表情の変化、この曲の第一等の名演と讃へたい。モーツァルトも威力があつて良い。セルは実演でこそ本領を発揮する。シューベルトに溢れる歌心は堅苦しいセッション録音にはない生気がある。これが本当のセルなのだ。


ドヴォジャーク:スラヴ舞曲第1番、同第3番、同第8番、同第10番、同第15番
スメタナ(セル編):弦楽四重奏曲第1番「我が生涯より」
クリーヴランド管弦楽団
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。5曲のスラヴ舞曲は記念すべきクリーヴランド管弦楽団との初セッション録音である。相当な自信をもつて取り組まれたと感じる究極の名演揃ひである。同世代の指揮者とは全く異なる近代的な合奏を実現してをり驚かされる。くつきりした輪郭の響きと爽快なリズムはセルとクリーヴランド管弦楽団が既に完成してゐることを示す。有名曲だけの選曲も良く、後年の全曲録音よりも気楽に楽しめる。弦楽四重奏曲をセルがオーケストレーションした珍しい録音は興味を惹くが、編曲は管楽器が添へ物のやうで原曲を厚化粧した感が強く釈然としない。クリーヴランドへのデヴューを果たした際の記念すべき演目であり、特別な意味を持つとは云へ、下手物の域を出ない。蓋し演奏そのものは熱気があり素晴らしい。


モーツァルト:交響曲第39番
ハイドン:交響曲第92番
クリーヴランド管弦楽団
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。モーツァルトは1947年4月22日のモノーラル録音で、クリーヴランド管弦楽団と行つた最初の録音のひとつである。セルにとつて最も自信のある演目で真価を問ふたと考へられる。ロマンティックな巨匠らの演奏が主流だつた時代、この即物的な解釈はセルの特徴を伝へるには充分な出来栄えであつたと云へる。勿論、先駆者トスカニーニがゐたが、セルは暑苦しくなく、清廉で生真面目な響きで聴かせる。今となつては何の面白みのない演奏かも知れぬが、当時は新鮮な録音だつたと想像出来る。1949年に録音されたハイドンはセル最初のハイドン録音で、既にクリーヴランド管弦楽団が一流であつたことを証明する。精緻で小綺麗に纏まつた演奏は薄口乍ら好感が持てる。


シューマン:交響曲第2番
クリーヴランド管弦楽団
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。セルはシューマンを得意としてをり、交響曲全集録音をいち早く完成させたひとりである。全集録音の約8年前の1952年にモノーラルで録音された第2番はセルの強い思ひ入れが感じられる名演で、全集録音よりも良い部分があり、愛好家は看過してはならぬ。第1楽章主部に入つてからの湧き立つやうな若々しさは如何ばかりだらう。コーダへ向けての熱量も素晴らしい。全力疾走の第2楽章が凄い。手兵クリーヴランド管弦楽団を徹底的に訓練して手落ちのない立体的な合奏を実現した。特にコーダの疾駆には脱帽だ。適宜オーケストレーションを変更してゐるが洗練されて決まつてゐる。


ハイドン:交響曲第88番、同第104番
クリーヴランド管弦楽団
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。1954年の優秀なモノーラル録音で鑑賞に何の差し支へもない。セルはハイドンを得意とし、不出来な演奏はひとつもないが、これら2大名曲を再録音してゐないので貴重だ。演奏内容は満点以上で、骨太かつ硬派な名演を楽しめる。時代掛かつた甘つたるさはなく、反動的な理屈つぽさもない。クリーヴランド管弦楽団の精妙な合奏で、純粋に音楽的な昂揚を追求して行く。これぞ永遠に古びない理想的な演奏と云へるだらう。唯一、洒落つ気がなく、生真面目過ぎるのが弱点で、強い印象が残りにくいのだ。


ドヴォジャーク:交響曲第8番
クリーヴランド管弦楽団
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。1958年の録音。セルはドヴォジャークを大変得意とした。第8番には複数録音が残るが、最晩年に残したEMI盤が総決算とも云へる名盤であつた。室内楽的なアンサンブルで内省的な抒情を奏で、最後だけ手綱を外して発散させるといふ藝当であつた。比べて当盤は筋肉質な演奏だが、間合ひが少なく、線も細い嫌ひがある。浪漫色濃い第3楽章は名演だが、EMI盤の儚さと比較すると通俗的に聴こえる。


ドヴォジャーク:交響曲第9番「新世界より」
クリーヴランド管弦楽団
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。1959年の録音。クリーヴランド管弦楽団とは1952年のモノーラル録音に続き、2回目の新世界交響曲の録音だ。このステレオ録音ではセルの意図が貫徹されてをり、洗練された合奏と引き締まつた響きを堪能出来る。しかし、如何せん有名な曲だけあつて名盤が犇めく故、セルの誠実な録音は薄口で特色が薄いと云はざるを得ない。とは云へ、爽快極まりない第4楽章の推進力は大変素晴らしい。夕映えのやうな第2楽章のコーダも流石である。


ドヴォジャーク:交響曲第7番
クリーヴランド管弦楽団
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。1960年の録音。これでEPICレーベルに得意としたドヴォジャークの後期3大交響曲を録音したことになつた。磨き抜かれたアンサンブルによる隙のない名演で、特に第1楽章の白熱振りが素晴らしく、コーダの燃え盛る合奏は聴く者を興奮させるであらう。第2楽章もセルには珍しくたゆたふやうな情感が溢れてをり、万感極まつたルバートすら聴かれる。前半2楽章はセル盤こそが最高と断言したい。しかし、後半2楽章はゆとりの少ない硬く線の細い演奏で不満が残る。竜頭蛇尾の演奏なのだ。


シューマン:交響曲第1番、同第2番、「マンフレッド」序曲
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。シューマンの交響曲全集にはコンヴィチュニーやパレーの素晴らしい全集もあるが、セルを上位に置きたい。マーラーによるオーケストレーションの改編を適宜採用してをり、明晰にして精緻かつ筋肉質な響きを獲得した特上の名演ばかりである。特に第1番はセル盤を最も高く評価したい。終楽章の性格設定が難しいからか、飛び抜けた名演がない曲である。濃厚な浪漫を聴かせるフルトヴェングラー盤は見事だが、ライヴ録音故の傷と録音状態の貧しさで一般には推薦出来ない。セル盤は若々しい前進性と細部まで統制の効いた繊細さが両立した名演で、何よりも派手にならず、清楚で生真面目な音楽が好ましい。第1楽章主部の躍動感は特に素晴らしい。第2番はシューリヒト盤に継ぐ名演だ。終楽章が堅牢過ぎる嫌ひがあるが、第1楽章や第2楽章の隙のない重厚さは天晴で、コーダの昂揚は圧巻である。セルと同様に磨き上げたアンサンブルを聴かせる演奏は多いが、緩徐楽章の味はひ深い抒情に格の違ひが出る。序曲も引き締まつた緊張感が漲る名演。


シューマン:交響曲第3番、同第4番
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。シューマンの交響曲全集録音の雄。1959年から1960年にかけて録音された。出来は第1番が最も素晴らしく、次いで第2番と第3番が良く、第4番に関しては手放しで賞讃出来ない。何故なら、セルはマーラーによるオーケストレーションの改編を適宜採用してをり、特に第4番の派手なトランペットの追加がシューマンの趣向とは相容れないからだ。演奏内容が立派なだけに残念だ。しかし、この曲にはフルトヴェングラーの絶対的な名盤があり、なべての録音は無意味に帰す。従つて、セルの全集録音の評価を下げる要因にはならないのだ。荘重さと繊細さが両立したライン交響曲は、シューリヒトの名盤にこそ及ばないが、屈指の名演だ。


ベートーヴェン:交響曲第7番
クリーヴランド管弦楽団
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。1959年の録音。この曲を得意とし要所で披露してきただけあつて完成度の高い極上の仕上がりだ。筋肉質の演奏で贅肉は削ぎ落とされ、隆々とした硬さが特徴だ。熱気もあり推進力も見事だ。理想的な名演と絶讃したいところだが、一本調子で個性的な表情がない。音楽的には素晴らしいが、詩情には欠ける。


ハイドン:交響曲第97番、同第99番
クリーヴランド管弦楽団
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。1957年10月に録音された名盤。セルはハイドンを得意としたが、録音初期に選曲された拘泥はりの曲だけに自負を感じ取れる。第97番は旧録音になる。最晩年に録音した新盤と比較した結論から述べると、この旧盤の方が断然優れてゐる。まず、意図が明確でセルの表現したかつたことが出尽くしてゐる。新盤はより高次の繊細さを追求したのかもしれないが伝はらない恨みがある。その点、この旧録音は実に痛快、減り張りが効いてゐる。この曲にはアーベントロートの浪漫的な名盤もあつたが、楽譜の改変もあり、一般的にはこのセル盤の方が推奨出来る。第99番には再録音がなく、確か唯一の音源。だが、これが堂々たる貫禄の名演なのだ。この曲にはクリップスによる優美な名盤もあるが、筋肉質で明暗の堀りの差が深いのはセル盤の強みで、併せて推奨したい。


シューベルト:未完成交響曲
ハイドン:交響曲第92番
クリーヴランド管弦楽団
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。シューベルトは1960年、ハイドンは1961年の録音で、セルとクリーヴランド管弦楽団がビッグ5と称されて絶頂期にあつた頃の録音である。2曲ともモノーラルでも録音があり、再録音といふことになる。未完成交響曲は精緻な仕上がりであるが面白みはない。この曲は綺麗に演奏しても映えないのだ。浪漫を如何に聴かせるかが鍵であり、セルとは相性が悪い。矢張り古典的なハイドンの完成度がセルの本領である。完璧無比な演奏なのだが、余りにも涼しい顔で容易に演奏されるので熱がなく、音楽としての起伏を味はへない。上手過ぎるのも問題だ。


モーツァルト:交響曲第35番、同第39番、同第40番/クリーヴランド管弦楽団/ジョージ・セル(cond.) [SONY&BMG 8 2876-86793-2]

 セルが得意としたモーツァルトを指揮とピアノで演奏したオリジナル・ジャケット・コレクション10枚組。ハフナー交響曲は1960年の録音。セルならではの筋肉質で引き締まつた演奏だ。軽い上つ面だけの空虚な演奏が多い曲なので、真剣勝負をしたセルの演奏は有難い。テンポも快調で絶妙だ。第39番も1960年の録音。陶磁器のやうなと評された精緻なアンサンブルから生まれる透明な響きが曲想と合致した名演だ。特に第2楽章の美しさは見事だ。両端楽章はもう少し流麗な歌心も欲しいが、古典的な佇まいは高次元の演奏を実現してゐる。第40番は1955年のモノーラル録音だ。セルはこの曲を好んでをり、何種類も録音が残る。感銘もこのト短調交響曲が最も深い。外連のない実直かつ悲愴感漂ふ演奏で、モーツァルトの懐を掴んだ揺るぎのない名演だ。特に疾走する終楽章の真摯さは絶品だ。


モーツァルト:交響曲第40番、同第41番「ジュピター」、「劇場支配人」序曲/クリーヴランド管弦楽団/ジョージ・セル(cond.) [SONY&BMG 8 2876-86793-2]

 セルが得意としたモーツァルトを指揮とピアノで演奏したオリジナル・ジャケット・コレクション10枚組。第40番は1967年、セル晩年の録音。1950年のモノーラル録音と比べて甲乙付け難い出来だが、剛毅さと哀感が高度に融合した名演であるといふ点では一貫してゐる。この名曲の録音では屈指の名盤だ。ジュピター交響曲は1963年の録音。申し分のない立派な演奏である。細部への彫琢も見事だ。だが、特別な名演かと問はれると困る。全体的な感銘は妙に薄い。王道を行く盤石の演奏である反面、何か突き抜けた表現がある訳ではなく、在り来たりの演奏となつて仕舞つた。序曲が素晴らしい。格調高くアンサンブルも上等。ヴァルターの名演と比肩出来る逸品だ。


モーツァルト:クラリネット協奏曲、ピアノ協奏曲第25番/ロバート・マルセリウス(cl)/レオン・フライシャー(p)
クリーヴランド管弦楽団
[SONY&BMG 8 2876-86793-2]

 セルが得意としたモーツァルトを指揮とピアノで演奏したオリジナル・ジャケット・コレクション10枚組。8枚目を聴く。セルの音楽性とは相性が抜群と思はれるクラリネット協奏曲だ。この最も協奏曲風ではない曲を室内楽的な緻密さで聴かせるセルの録音は期待に違はぬ見事な出来映えだ。白磁・青磁にも比せられる繊細で透明感のある合奏がモーツァルトの最高傑作をこの上なく美しく錬成する。セルが信頼して指名したマルセリウスのクラリネットは万全であり、個の色を抑へて献身的に管弦楽と解け合ひ、一体となつた音楽を聴かせる。抱き合はせは本来シュトラウスのホルン協奏曲であつたが、フライシャーとのピアノ協奏曲に変へられてゐる。セルはカサドシュと組んだ録音が沢山あり有名だが、後期作品群ではK.503だけ録音がなくフライシャーとの組み合はせで穴を埋めてゐる格好だ。こちらもセルが音楽を主導し、清明で不純のない合奏を聴かせる。強い主張がなく物足りなさもあるが、これだけ次元の高い演奏も滅多に聴けない。


ベートーヴェン:交響曲第9番、同第8番
リチャード・ルイス(T)
クリーヴランド管弦楽団&合唱団
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。ベートーヴェン交響曲全集としての録音で、2曲とも1961年4月に収録された。第9番は忌憚なく申せば残念な仕上がりである。第2楽章は文句なく素晴らしい。峻厳なティンパニが支配する見事な演奏だ。第1楽章と第3楽章は幾分生真面目過ぎて広がりと面白みに欠けるが、セルらしい万全な演奏だ。第4楽章序盤の昂揚は圧倒的なのだが、問題は声楽が入つてからだ。ドナルド・ベルの歌唱には失望しかない。他の独唱陣にも同じ感情を抱く。合唱にも正直首を傾げて仕舞ふ。米國の歌手だからとはいへ、ディクションに違和感しか覚えない。そればかりではない。パッサッジョやアクートの未熟さが目立つ。クリーヴランド管弦楽団の演奏が素晴らしいだけに、声楽との落差が目立つ。不出来な演奏と云つても過言ではない。第8番は全集録音の中でも特に評価が高く、代表的名演として語られてきた。冒頭から完璧な合奏で、緊密な響き、熱気ある推進力、これぞ理想的な音楽だ。唯一戴けないのが、第1楽章の頂点で低弦楽器の主題を聴かせる為に他の楽器を抑制したことだ。理知的に制御した点、セルの限界があると云へよう。優等生の名演だが、魔力を欠く。


モーツァルト:協奏交響曲、エクスルラーテ・ユビラーテ
ジュディス・ラスキン(S)、他
クリーヴランド管弦楽団
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。協奏交響曲はクリーヴランド管弦楽団の首席奏者ドルイアンとスカーニックを独奏者に据ゑての精密な演奏だ。それにしても最初の前奏部分の完璧さは如何ばかりだらう。流石セル。これだけでも満足だ。セルの意図を忠実に再現したソロも素晴らしい。特にドルイアンのヴァイオリンは見事だ。この曲は名手2名を揃へての録音が多く、当盤の演奏は華やかさでは劣るが、最高級の管弦楽との融合という点で手堅い。但し、第2楽章となると大家らの歌心と比べると物足りない。ジュディス・ラスキンのソプラノ独唱によるエクスラーテ・ユビラーテは極めて器楽的な演奏で清廉な美しさが際立つ。


モーツァルト:セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、同第9番「ポストホルン」
クリーヴランド管弦楽団
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。1968年と1969年の録音。これらのセレナードは小さな室内楽編成で演奏されることが多いが、フル・オーケストラでも精緻なアンサンブルで小編成の透明な響きを可能たらしめたヴィルティオーゾ集団クリーヴランド管弦楽団の驚くべき妙技が聴ける。「ポストホルン」が堂々たる出来映えだが、鈍重さはなく、細部まで磨き上げられた名演だ。木管楽器の表現の幅が豊かで、特に短調の悲哀が心に残る。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」も弦楽合奏曲として聴けば至高のアンサンブルだ。もう少しセレナードの艶やかな趣も欲しいが、厳格なセルにそれを求めるのはお門違ひと云ふものだらう。


マーラー:交響曲第4番
ジュディス・ラスキン(S)
クリーヴランド管弦楽団
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。セルはブルックナーもマーラーも満遍なく演奏したが、人を唸らせる程の出来栄えではなかつた。勿論、名器クリーヴランド管弦楽団の精緻な演奏は抜群に巧く、室内楽的なと形容したい雑味のないアンサンブルを聴かせて呉れるのだが、マーラーの本懐に踏み込んだ演奏かだうかとなると、何とも薄口で綺麗事のやうに聴こえて仕舞ふ。一方で澄み切つた美しさは特筆すべきで、部分的には天上の音楽を奏でて呉れる。ラスキンの独唱は大変美しく清廉で良い。


ハイドン:交響曲第97番、同第98番
クリーヴランド管弦楽団
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。2曲とも1969年10月の録音。このハイドン第1ザロモン・セットの録音がEPICレーベルへの最後の録音であり、セルとクリーヴランド管弦楽団の総括とも云へる重要な遺産だ。演奏は精緻の極みで、古典的な佇まひを保持しつつ、近代的な機能美でこれ以上注文の出しやうがない究極の名演を聴かせて呉れる。細部をよく聴くと、古典の作法が全て丁寧に実演されてをり、音楽学習者には格好のお手本だ。和声進行やカデンツの処理、音の向かふ先で強弱の増減を微細に表現してゐる。敬服せよ。更には、第97番第2楽章におけるsul ponticello奏法を斯様に追求出来た演奏も珍しく、第98番第4楽章のチェンバロが斯様に可憐で効果的に入つた演奏も珍しい。これらの曲の代表的な名演であるのは疑ひないが、第一等かとなると留保する。難癖だが、余りにも模範的で教科書的で、セルの主張は薄い。往々にしてハイドンの演奏では唯一無二の自己主張を盛り込んだ方が印象に残るのだ。


ヘンデル:「水上の音楽」組曲、「王宮の花火の音楽」組曲、「忠実な羊飼ひ」よりメヌエット、「セルセ」よりラルゴ
モーツァルト:交響曲第34番
ロンドン交響楽団/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[DECCA 475 6780]

 セルのDECCA録音とPhilips録音を集成した5枚組。4枚目。ロンドン交響楽団とのヘンデルが1961年のDECCA録音。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団とのモーツァルトが1966年のPhilips録音だ。ヘンデルはセルの代表的録音でこれらの曲の名盤として必ず挙げられる。大編成による演奏でも引き締まつたセルの音楽は決して鈍重さを感じさせず、澄んだ透明感すら聴かせる。また、素朴さが空疎に陥ることなく音楽の緊密さを欠いてゐない点も流石だ。水上の音楽は草分けであつたハーティ版に手を加へたセル編曲版による壮麗な名演。王宮の花火の音楽はハーティ版、忠実な羊飼ひはビーチャムの編曲、セルセはラインハルトの編曲で、取り分けセルセの清明な美しさは琴線に触れる。ヘンデル以上にモーツァルトが良い。筋肉質であり乍ら軽快さと優美さを失はず、刻々と変化する音色と表情が天晴だ。シューリヒト盤と並ぶこの曲の決定的名盤だ。


ブラームス:悲劇的序曲
シュトラウス:ドン・ファン
シューマン:交響曲第2番
ベルリン・フィル
[TESTAMENT SBT 1378]

 1969年6月26日、セル最晩年のライヴ録音。セルは米國でクリーヴランド管弦楽団をビッグ5に押し上げ、功成り名遂げた。欧州でもザルツブルク音楽祭の常連としてウィーン・フィル相手に特上の名演を繰り広げてきた。帝王カラヤンも年長のセルには敬意を払つてゐたといふ。そのカラヤンの手兵ベルリン・フィルに乗り込んでの一期一会の記録である。演目はセルの最も得意とする作品ばかりで、滅多に聴けない名演が並んだ。ブラームスは幾分大人しく特色は薄いが、堅牢で集中力を保持した名演だ。木目細かい揺らぎの妙に感じゐつた。シュトラウスが細部まで堂に入つた演奏で素晴らしい。古色蒼然とした渋い演奏だが嫌味がない。シューマンが極上だ。ライヴならでは傷があるが、シューマンならではの逡巡と熱狂の描き分けが見事で、外連や力技でない老巧な味はひが心憎い。終楽章の昂揚が素晴らしく、丁寧過ぎたクリーヴランド管弦楽団とのセッション録音を上回る名演だ。ひとつ残念なことに全3曲とも金管楽器の精度が非常に悪い。勇み足が多く粗暴な音を出してをり、統制の利いたセルの音楽を台無しにしてゐる。天下のベルリン・フィルの汚点だ。


ベートーヴェン:「エグモント」序曲、ピアノ協奏曲第3番、交響曲第5番
エミール・ギレリス(p)
ウィーン・フィル
[Orfeo C 484 981 B]

 1969年8月24日、ザルツブルク音楽祭におけるセル最晩年のライヴ録音。ベートーヴェンの劇的な名曲3曲を並べた圧倒的なプログラムだ。何度聴いてもこれがウィーン・フィルの音なのかと疑つて仕舞ふほどの、骨太で筋肉質な演奏だ。堅固な構築美で一分の隙もない。低音部はよく鳴り、中声部が常に雄弁に聴こえ、高音部は情熱的だ。全曲、これぞベートーヴェンといふ名演ばかり。冒頭の「エグモント」から圧巻だ。この名演が契機となつて急遽ウィーン・フィルとの「エグモント」全曲の記念碑的なセッション録音に繋がつたといふ。セルとは相性抜群のギレリスとの共演も素晴らしい。この前年にギレリスとセルは一気呵成に最高級のピアノ協奏曲全集録音を完成させてゐる。当盤の演奏はライヴならでは感興を楽しみたい。剛毅なだけでなく、抒情的な美しさが漂ふ名演だ。第5交響曲が物凄い。全ての楽器が鳴り切つたトゥッティの熱い合奏に圧倒される。一方で、各パートが適切な役割を果たしてをり、聴いてゐてライヴであることを忘れて仕舞ふほど完璧に統制された演奏なのだ。ウィーン・フィルが繰り返し弾いて来たこの名曲を新たな感動を持つて演奏してゐることに驚く。ウィーン・フィルと聴衆にとつては特別な日となつたに違ひない。冷たいと評されるセルだが、とんでもない謬見だ。第4楽章の祝典的な勝鬨を聴くがよい。万人に薦めたい特上の1枚。


ヴェーバー:「オベロン」序曲
モーツァルト:交響曲第40番
シベリウス:交響曲第2番
ベルリオーズ:ラコッツィ行進曲
クリーヴランド管弦楽団
[TCO-10603]

 1970年、大阪万博の記念企画として多くの名門オーケストラと指揮者が招致された。セルが初来日し、大阪公演の後、東京でも上野文化会館にて公演があり、5月22日の公演は録音されたが、これがセルの最後の録音になつたのだ。2ヶ月後にセルは急逝。実は死の病が進行してをり、来日にはブーレーズを伴つて公演を分担したが、体調を考慮してのことであつた。伝説的な来日公演がクリーヴランド管弦楽団協会盤として登場し、殊更本邦の愛好家の感涙を誘つた。公演は尻上がりに良くなる。ヴェーバーは冒頭の静寂にただならぬ凄みがある。この音響は超一流の証である。主部に入つてからは完璧に合奏に圧倒されるが、整い過ぎて面白みはなく、音楽としては肩慣らしに感じた。モーツァルトが素晴らしい。精緻な合奏と格調高いフレージングが徹底されてをり、大オーケストラから室内楽的な緊密さを引き出してゐる。幾分生真面目過ぎる点を除けば最上級の演奏だ。シベリウスが更に素晴らしい。この曲屈指の名演だらう。透徹した合奏は勿論だが、感興が乗つてきてをり、音に潤ひがある。整つただけの演奏だけではない、シベリウスの音楽観を最高度に表現した名演だ。アンコールのベルリオーズも見事な追ひ上げで魅せる。余白にブーレーズへのインタヴューが収録されてをり、来日の思ひ出が語られる。ブックレットには来日時の貴重な写真が幾つも掲載されてゐる。必携の1枚。



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