楽興撰録

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ハンス・クナッパーツブッシュ


ハイドン:交響曲第92番、フランケンシュタイン:マイアベーアの主題による変奏曲、ロッシーニ:「ウィリアム・テル」序曲、ヴェーバー:「魔弾の射手」序曲、モーツァルト:交響曲第39番
[VENIAS VN025]

 怪物クナッパーツブッシュの管弦楽曲録音を可能な限り集成した70枚組。1枚目。最初期録音だ。ベルリン国立歌劇場管弦楽団を振つたハイドンのオックスフォード交響曲はクナ最初の録音で墺プライザーからも復刻があつた。唯一の演目だから一応貴重なのだが、1925年の機会吹き込みで貧相な音な為、愛好家以外は楽しめまい。何より、テンポが一定せず、表現にも拘泥はりが感じられず、やる気が感じられる仕事ではない。クナにとつては小遣ひ稼ぎ程度の録音だつたのだらう。同時に録音された珍曲フランケンシュタインが面白からう。とは云へ、要素が雑多な曲でクナが本気を出したとは思へない。バイエルン国立歌劇場管弦楽団を振つたロッシーニとヴェーバーは1928年の電気録音で多少聴き易くなるが、演奏は雑で、録音豊富な有名曲でもあるので価値を見出せない。モーツァルトは1929年の録音で再びベルリン国立歌劇場管弦楽団との演奏。特に特徴もなく、正直なところ、この時代のクナに録音の需要があつたことが不思議でならない。しかし、後に大化けするのだからわからないものだ。


シュトラウス一家のワルツ・ポルカ、「こうもり」序曲
ツィーラー:ウィーン娘/コムツァーク:バーデン娘
ベルリン国立歌劇場管弦楽団/ウィーン・フィル、他
[PREISER RECORDS 90236]

 怪物クナッパーツブッシュは極めてレパートリーの狭い指揮者だが、ヴァグネリアンの末裔とは思へぬ程、不思議とウィンナ・ワルツを愛玩した。当盤は戦前の録音を集成したもので、1928年のベルリン国立歌劇場管弦楽団とのHMV録音4曲、1933年のベルリン交響楽団とのオデオン録音3曲、1940年のウィーン・フィルと1941年のベルリン・フィルとのHMV録音4曲だ。えげつないポルタメントや大胆なルフト・パウゼが醍醐味で、灰汁の強い崩しは病み付きになるだらう。クナッパーツブッシュ自身楽しんでゐるのだ、御巫山戯を分かち合ほうではないか。度肝の抜くのがツィーラー「ウィーン娘」で、主旋律をウィーン・フィルの楽団員らの口笛で演出するといふのは前代未聞だ。妖し気な雰囲気に呆気にとられること請け合ひだ。他にシュトラウス2世の「ドナウの乙女」「人生を楽しめ」「加速度」「ウィーンの森の物語」でクナッパーツブッシュだけの隠し藝が楽しめる。


モーツァルト:交響曲第40番、同第41番「ジュピター」
リスト:前奏曲
ウィーン・フィル/ベルリン・フィル
[VENIAS VN025]

 怪物クナッパーツブッシュの管弦楽曲録音を可能な限り集成した70枚組。モーツァルトは2曲とも恐らく唯一の録音。1941年、ウィーン・フィルとのセッション録音だ。随所にクナッパーツブッシュならではの個性的な解釈が聴けるが、実のところ、ウィーン・フィルに任せて好き勝手に弾かせた感が強い。ト短調交響曲は冒頭の旋律にヴァルター風のポルタメントが聴かれるが、これはヴァルターの趣向といふよりもウィーン・フィルの流儀であつた可能性が高いといふ仮説を生む。第4楽章の展開部入りの箇所における粘りはクナの面目躍如。ジュピター交響曲には思ひ入れが感じられず、ウィーン・フィルに仕事を任せてさぼつた印象を受ける。リストはベルリン・フィルとの録音で、同じ1941年の録音である。ベルリン・フィルの精度が高く、官能的な表現は流石だなと感心した。終結部に向かつて恐ろしくテンポが遅くなつて行くのはクナッパーツブッシュらしくて良い。


モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番、管弦楽組曲第3番、ヴァイオリン協奏曲第1番
ヴォルフガング・シュナイダーハン(vn)
ウィーン・フィル
[Tahra TAH 320-322]

 戦中録音集3枚組。1枚目。何と云つてもアイネ・クライネ・ナハトムジークが楽しい。これを聴いて怒り出してはゐけない。最初は余りにも珍妙な演奏で腰を抜かしたが、ロココ調のセレナードといふ固定観念に捕はれずに聴けば、中々どうして愉快痛快な演奏ではないか。ブレーズごとに耽美的なディミュヌエンドをかけ、各声部の動きにあざといアクセントをかけ、ロマンティックなカデンツを聴かせるのは乙な趣向だ。第2楽章の最後をソロ・ヴァイオリンで弾かせたり、第4楽章のテンポが通常の倍遅かつたりと羽茶滅茶だが、邪道もここ迄極めると彼岸の法悦が待つてゐるのだ。バッハも同様の仕儀だが、邪道に徹することが出来ず、鈍重な演奏にしか聴こえない。


ブルックナー:交響曲第4番
ベルリン・フィル
[Tahra TAH 320-322]

 戦中録音集3枚組。2枚目。1944年バーデン・バーデンでの演奏記録。クナッパーツブッシュの常で改訂版を使用しての演奏である。戦時中の録音だが、当時最先端を誇つたドイツ帝国の磁気テープによる驚異的な音質で名演を堪能出来る。クナッパーツブッシュによる第4交響曲の録音では、ウィーン・フィルを指揮したDecca録音が最高の出来だが、このベルリン・フィル盤も遜色のない見事な演奏である。フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルから劇的で動的な機能美を存分に引き出してをり、音楽が弛緩するやうなことは一切ない。暗い情熱を秘めた弦楽合奏の神秘的な美しさは実に素晴らしい。


ブラームス:交響曲第2番、同第3番
ベルリン・フィル
[Tahra TAH 320-322]

 戦中録音集3枚組。3枚目。両曲とも1944年の演奏記録。クナッパーツブッシュは極端にレパートリーが偏つてをり、お気に入りの曲ばかりを繰り返し取り上げた。ヴァーグナーとブルックナーが支柱であり、シュトラウス一家のワルツとブラームスを加へるとディスコグラフィーがほぼ完成する。戦時中のベルリン・フィルが奏でる滴るやうな音色が素晴らしい当盤は、表現こそ中庸だが、哀感漂ふ響きが心憎い名演である。第2番第1楽章のコーダでテンポを落としてしみじみと歌ひ上げる箇所は殊の外美しい。第3番は戦後の録音に聴かれる異形振りを好む向きには物足りないかも知れぬが、秘めた情熱が燃え上がる良き演奏だ。音質も戦時中とは思へぬ程良い。


ブルックナー:交響曲第7番
ウィーン・フィル
[VENIAS VN025]

 怪物クナッパーツブッシュの管弦楽曲録音を可能な限り集成した70枚組。1949年8月30日の演奏記録。クナッパーツブッシュは第7交響曲の正規録音を残してをらず、ライヴ録音も確か2種類しかない筈だ―どちらも墺オルフェオから発売された。特別話題になることもなかつたが、矢張りクナらしい巨大な構への演奏には抗し難い魅力がある。それにウィーン・フィルの艶のある音色が重なり、壮麗な名演が現出した。第1楽章の悠久の彼方へと広がるやうな音楽の運びが素晴らしい。時に踏みしめる重い足取りも個性的で良い。素晴らしいのが第2楽章だ。強い抉りと伴ふ濃厚な演奏で、真のヴァグネリアンが奏でる偉大な音楽を聴いた心地になる。重量級の第3楽章はトリオが充実してゐる。大型の第4楽章も成功してゐる。特選するほどの決め手はないが、名演には違ひない。


ブルックナー:交響曲第9番
ベルリン・フィル
[Tahra TAH 207/208]

 2枚組。1枚目。1950年1月28日の録音で、3種あるクナッパーツブッシュの第9交響曲の録音の中で最も古い記録だ。戦後バイロイトの守護神が振るブルックナーはヴァグネリアンの末裔だけが響かせることの出来る神々しさに溢れてをり、第8番を筆頭に第3番や第4番などの演奏は実に感動的なのだが、どうした訳だらう第9番に関してはしつくりこないのだ。豪放磊落こそクナッパーツブッシュの魅力なのだが、この演奏はテンポの変動がせせこましく、表情付けも濃密で人間界の煩悩に苛まれてゐる観がある。かてて加へて改訂版を使用してゐる為に第3楽章終結部の感銘が著しく落ちる。第3楽章の金管の主題を一旦ピアノに落としてからクレッシェンドするのは些か品がない。


ブルックナー:交響曲第8番
ベルリン・フィル
[Tahra TAH 207/208]

 2枚組。2枚目。1951年1月8日の録音で、クナッパーツブッシュが残した第8番の録音では当盤が一番古いが、Tahraの生々しい復刻により水準以上の音質で名演を堪能出来る。意味深長な第1楽章、深い呼吸に吸い込まれさうになる第3楽章、豪放磊落な第4楽章。何処をとつてもクナッパーツブッシュの振る第8番は絶対的に良い。当盤の尽きることのないもうひとつの魅力はオーケストラにある。ベルリン・フィルは折しもフルトヴェングラー時代の荘重で黒光りする響きを放つてをり、時に見せる思索的な音楽は、ブルックナーの交響曲たるものがドイツ精神を離れては理解出来ないことをそれとなく示してくれる。第1楽章の肺腑を抉るやうな低弦の響きや、第3楽章の万感こもつた弱音の美しさなどはミュンヘン・フィル盤よりも上等だ。


RIAS録音集(1950年〜1952年)
ブルックナー/シューベルト/ベートーヴェン/ハイドン/チャイコフスキー/ニコライ/シュトラウス/コムツァーク
ベルリン・フィル
[audite 21.405]

 クナッパーツブッシュは1956年までベルリン・フィルに度々客演してゐたさうで、これはRIASに残された1950年から1952年までの録音を原テープからリマスタリングした5枚組だ。全て仏Tahraより発売済みの音源ばかりで目新しさはないのだが、音質が特上なので愛好家は是非揃へてをきたい箱物だ。最も素晴らしいのはセッション録音によるブルックナーの第8交響曲だ。別項でも述べたので詳細は割愛する。比べると第9交響曲は大分感銘が落ちる。1950年1月28日のセッション録音と1月30日のライヴ録音があるが、落ち着きがなく随所に傷があるライヴ録音は更に良くない。同じ録音日でシューベルトの未完成交響曲にもセッション録音とライヴ録音があるが、巨大な造型でどす黒い深淵を聴かせるセッション録音は感銘深いが、ライヴ録音の方はテンポが更に遅くなり流れが非常に悪い。ハイドンやチャイコフスキーは余り面白くなく、ベートーヴェンは邪道だ。他方で、十八番のニコライ、シュトラウス、コムツァークは常乍ら豪放磊落、天晴な演奏で実に楽しい。当箱物ではフルトヴェングラー時代の重厚なベルリン・フィルの響きが堪能出来ることも述べてをこう。


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番、交響曲第7番
ヴィルヘルム・バックハウス(p)
ウィーン・フィル
[Orfeo C 901 162 B]

 2枚組。1954年1月17日の実況録音。プログラムの最初に序曲「コリオラン」が演奏された―2枚目に収録されてゐる。晩年共演することの多かつたバックハウスとのト長調協奏曲は両者調子が良く中々の出来栄えだ。バックハウスは玲瓏たるピアニズムで最愛の曲を格調高く紡ぐ。独自のカデンツァも味はひ深い。クナッパーツブッシュは存外大人しく邪魔をしない。全体としては特徴は薄く、大して記憶に残らない演奏とも云へる。さて、第7交響曲がクナ節全開の強烈な演奏だ。兎に角トランペットへの指示が尋常ではなく、第1楽章展開部における楽譜にはない強烈なクレッシェンドには思はず仰け反る。コーダでも猛烈なクレッシェンドが聴かれる。第3楽章では弦楽器による瞬発的なクレッシェンドが特徴的だ。第4楽章もコーダでのトランペットの煽りにしてやられる。真つ当な演奏ではないが、食傷気味の方には劇薬としてお薦めしたい。


ベートーヴェン:序曲「コリオラン」、交響曲第3番
ウィーン・フィル
[Orfeo C 901 162 B]

 2枚組。2枚目。序曲は1954年1月17日の実況録音で、続いて1枚目に収録されてゐたピアノ協奏曲と第7交響曲が演奏された。拍手が止まない内に始めるのはクナ流。演奏は覇気が弱く、今一つ感興が乗らない凡庸な出来と云へる。エロイカは1962年2月17日にライヴ録音である。これまた拍手が鳴り止まない内に開始される。気品があり雄大な演奏と云へるが、正直なところこれはクナのエロイカといふよりはウィーン・フィルのエロイカである。クナならではの踏み外しは皆無で、第3楽章のトリオに入る時の間が印象的なくらゐである。テンポは基本的に遅めでフレーズの終はりを大事にした丁寧な演奏だ。しかし、覇気が感じられず、どことなく集中力を欠く。エロイカの演奏としては致命的だ。


ヴァーグナー:ジークフリート牧歌
ブラームス:交響曲第4番
ケルン放送交響楽団
[Tahra TAH 606-609]

 仏Tahraによる名演集4枚組。1枚目。1953年5月8日の放送録音だ。なお、Orfeoからも同じ内容で商品化されてをり入手も容易だ。得意としたヴァーグナーは前半は気分が乗らないが、後半からオーケストラが呑み込まれるやうに感動的な音を奏でてゐる。滴るやうな美音のウィーン・フィル盤や渋く温かみのあるミュンヘン・フィル盤と比べると特色を感じられないが、なかなかの名演だ。ブラームスが個性的だ。クナッパーツブッシュが残した第4交響曲の録音は2種類しかない。第1楽章は低音が唸つてをり、うねるやうな音楽の運びに圧倒される。第2楽章に最も強く個性が出てをり、第1主題の変奏部で急激に加速するのは矮小な感じがするが、劇的な再現部での重厚感が凄まじく、第2主題再現部における巨大な威容はクナッパーツブッシュだけの世界だ。豪快な第3楽章も圧巻だ。とは云へ、ブラームスの音楽とは掛離れてをり、怪物指揮者の我流を興じる為の録音である。


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
シューマン:交響曲第4番
ヴィルヘルム・バックハウス(p)
ウィーン・フィル/ドレスデン・シュターツカペレ
[Tahra TAH 606-609]

 仏Tahraによる名演集4枚組。3枚目。ベートーヴェンの協奏曲が1954年1月17日の記録で、バックハウスの玲瓏たる独奏が極上だ。バックハウスは特にこの曲を好み、様々な演奏記録が残るが、当盤が一番美しい。音楽の運びが自然で余計な飾り気がなく、静寂と抒情に徹してゐる。それ以上に伴奏が素晴らしい。クナッパーツブッシュは悠然とウィーン・フィルの自発性に任せてをり、邪魔をすることがない。バックハウスに対する敬意に溢れたウィーン・フィルの慈愛に胸打たれる名演だ。シューマンは1956年11月4日の記録で、ドレスデン・シュターツカペレの古色蒼然とした響きが作品との相性の良さを示すが、重厚なクナッパーツブッシュの指揮が時折不自然な動きをする為、感興が殺がれる。残念なことだ。


ブルックナー:交響曲第3番
ウィーン・フィル
[DECCA ELOQUENCE 484 1824]

  Decca/Westminster/Polydor録音管弦楽編18枚組。1954年のモノーラル録音。例の如くシャルク改訂版での演奏だが、幸ひ一般的なノヴァーク版第3稿と小節数も同じで、目立つた違ひもなく気に障ることはないだらう。野人的な楽想を多分に持つ曲なのに、荒削りな演奏で良い演奏はない。モノーラル録音といふ重大な減点があるが、それでも今もつて当盤が最高の演奏ではないか。ウィーン・フィルの弦主体とした響きが素晴らしい。流麗で風格のある合奏、木管楽器の瑞々しい音色と潤ひのある弦楽器の歌心が心地良い。


ブルックナー:交響曲第4番
ヴァーグナー:ジークフリート牧歌
ウィーン・フィル
[DECCA ELOQUENCE 484 1824]

 Decca/Westminster/Polydor録音管弦楽編18枚組。1955年のモノーラル録音。演奏については改めて讃辞を繰り返すだけになる。何よりも黄金期のウィーン・フィルが奏でる滴るやうな音色が美しい。優美なウィンナ・ホルン、可憐なオーボエ、後ろ髪を引かれるやうなヴァイオリンの余韻。そして、聴く者を悠久の彼方へと誘ふクナッパーツブッシュの指揮が最高だ。拘泥はりの改訂版を使用してゐるが、演奏が素晴らしくて版の問題などは瑣末事に思へる。強弱の改変も寧ろ効果的に感じる。第1楽章、ブルックナー開始から第1主題が強奏される直前でヴァイオリンがレガート奏法で歌ひ抜く美しさは、深い森の中に差す朝日のやうに眩しく神々しい。ヴァーグナーもウィーン・フィルの魅力が全開となつた美しい演奏だ。しかし、どうしたことかクナッパーツブッシュの棒に求心力がなく、散漫な演奏で最上の名演とは云ひ難い。


ブルックナー:交響曲第8番
バイエルン国立管弦楽団
[VENIAS VN025]

 怪物クナッパーツブッシュの管弦楽曲録音を可能な限り集成した70枚組。1955年12月5日のライヴ録音。墺Orfeoから正規盤が出てゐた。往時のブルックナー指揮者でクナッパーツブッシュの名は外せない。改悪版の楽譜を使用してゐたことを差し引きしても、特に第8交響曲での威容は他の指揮者を大きく突き放す。5種類以上の録音が残るが、矢張り後年の方が構へが大きくなり圧倒的だ。従つて、このバイエルン国立管弦楽団盤は小振りな演奏と云へる。無造作な速めのテンポで、全体で70分弱とかなり快速だ。緩急の差も取らず、揺るぎのない堂々たる音楽を創る。第1楽章が特に立派で重厚な悲劇を演出してゐる。渋い第3楽章もブルックナーの本質を突いてをり美しい。最も素晴らしいのが第4楽章コーダで、凄まじくテンポを落としての神々しい終結は圧巻だ。バイエルン国立管弦楽団だが、実演とは云へ肝心な箇所で管楽器のしくじりが散見され、褒められた演奏ではない。


フランツ・シュミット:軽騎兵の歌による変奏曲
シューベルト:グレイト交響曲
ウィーン・フィル
[DG 435 328-2]

 1957年10月27日の実況録音。ウィーン・フィル創設150年記念として発売された1枚だが、後に本邦のAltusからも出た。珍曲シュミットの変奏曲は、導入部分はレーガー風の後期ロマン派音楽なのだが、途中から低俗な主題を捏ねくり回してをり、はつきり申せば三流の曲だ。演奏もだうと云ふこともなく、些とも面白くない。シューベルトは拍手が終らないうちに演奏が無造作に開始されることで有名な演奏だ。時に踏み締めるやうなクナ節が聴かれ、シューベルトの叙情性は薄い。第1楽章コーダでの大見得、第2楽章の後半ぐっとテンポを落としてからの抉り、第3楽章のトリオから主部に戻る時のパウゼ、第4楽章コーダでの大ブレーキなどは異常だ。珍演奏であり推薦はしない。


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番、交響曲第8番
ヴィルヘルム・バックハウス(p)
バイエルン国立管弦楽団
[Orfeo C 385 961 B]

 1959年12月14日の実況録音。バックハウスとクナッパーツブッシュの競演記録は第4番の協奏曲もあつた。「皇帝」は嘸かし豪放磊落な名演が聴けるのではと期待が高まる。が、見事に裏切られた。これは非道い。冒頭のカデンツァでオーケストラが入らないのは有り得ない。クナの悪戯にしてはたちが悪い。バックハウスもびつくり仰天し、調子が崩れ、らしくないミスタッチが誘発される。その後は終始やる気のない管弦楽伴奏にバックハウスも切れを見せず、一切面白みのない演奏で終はる。バックハウスにとつては不名誉な記録となつた。一転、クナお気に入りの第8交響曲は気合ひの入つた豪快な演奏でなかなか良い。後の北ドイツ放送交響楽団の演奏ほど重くなく、抵抗なく聴ける。録音は抜けが悪く、水準以下であるが鑑賞には不都合ない。


ハイドン:交響曲第88番
ベートーヴェン:交響曲第5番
ヘッセン放送交響楽団
[VENIAS VN025]

 怪物クナッパーツブッシュの管弦楽曲録音を可能な限り集成した70枚組。1960年3月20日フランクフルトでの放送録音。クナはハイドンの第88番を好んで取り上げてをり、録音も4種残る。解釈はどれも同じなのだが、最後の記録である当盤が最も強烈だ。遅い。兎に角遅い。第1楽章主部と第4楽章が通常の指揮者の倍くらいのテンポだ。特に第4楽章の遅さは当盤が際立つてゐる。これはクナの御巫山戯であつて真似の出来ない藝当だ。ともあれ、クナの最も有名な演奏のひとつである。ベートーヴェンも大変遅い。だがこちらは演奏内容において成功してゐるとは云ひ難く、ハイドンほどの価値は見出せない。


ブルックナー:交響曲第8番
ウィーン・フィル
[VENIAS VN025]

 怪物クナッパーツブッシュの管弦楽曲録音を可能な限り集成した70枚組。1961年10月29日のライヴ録音。Altusからも発売されてゐた。クナの第8交響曲の録音の中では、特異な位置付けとなる演奏だ。他の演奏は特徴が似通つてをり、違ひはオーケストラの技量や特性にあつた。勿論、晩年になるに従つて深みを増し、巨大な威容で圧倒的な名演を聴かせて呉れたが、クナの取り組み自体は大きく変はつてはゐなかつた。ところが、このウィーン・フィル盤にはクナの通底する主張が影を潜めてゐるので戸惑ふ。これは主従関係で云へば、ウィーン・フィルのブルックナーであり、クナのブルックナーではない。オーケストラの自主性に任せて仕舞つた演奏なのだ。テンポやパウゼはクナが握つてゐるが、細部の表情はウィーン・フィルのものだ。対極的なシューリヒトとの演奏でも聴かれた節回しや響きも散見される。では、この演奏が良くない演奏かと云ふと、さうではない。クナらしさはないが、ウィーン・フィルが耽美的な音を披露して呉れ、取り分けヴァイオリンの嘆息は痺れるほど素晴らしい。第3楽章コーダのこの世ならぬ美しさは只事ではない。無心に聴いて欲しい弩級の名演。


ブルックナー:交響曲第8番
ヴァーグナー:ジークフリート牧歌
ミュンヘン・フィル
[VENIAS VN025]

 怪物クナッパーツブッシュの管弦楽曲録音を可能な限り集成した70枚組。最晩年、1963年1月24日のミュンヘン・フィルとの公演記録。ドリームライフからも商品化されてゐた。この直前に第8交響曲の決定的名盤であるウエストミンスター録音が行はれてゐる。従つて、このライヴ録音はセッション録音並みの完成度で、感興豊かな至高の名演が聴ける得難い宝物である。随所にクナのふんばりと思はれる足踏みが聴かれる。何と荘厳な演奏であらう。テンポの構へが大きいが、それは深みであり、遅いと感じることはない。改めて第8交響曲はクナが最高だと認識させられる。枯れた味はひのrallentandoによる詠嘆と渋い音響が惻々と胸に迫る。フィナーレでの渾身のパウゼは呼吸を忘れるほど凄まじい。圧巻のコーダまで間然する所がない名演中の名演だ。終演後、会場の空気に拍手が控へられ、静寂の間がある。やがて、嵐のような喝采が送られるが、神々しい演奏であつたことが伝はる。余白に収録されたジークフリート牧歌はウエストミンスター録音。この曲の理想的な名演で、侘びた美しさに思はず涙腺が緩む。


ヴァーグナー:「トリスタンとイゾルデ」〜前奏曲と愛の死、「神々の黄昏」〜ブリュンヒルデの自己犠牲、他
クリスタ・ルードヴィヒ(Ms)
北ドイツ放送交響楽団
[Tahra TAH 132-135]

 北ドイツ放送交響楽団との録音4枚組。1枚目。1963年3月24日の放送録音。1日の演奏会を収録した記録で、音質が生々しく流石はTahraのリマスタリングである。北ドイツ放送交響楽団との録音は色々あるが、矢張りヴァーグナー作品でクナッパーツブッシュの本領が発揮されてゐることは当然のことだ。注目は若き日のルードヴィヒとの共演で、愛の死と自己犠牲の偉大な歌唱は数多ある名演の中でも光彩を放つ出色の記録だ。全霊を込めた打ち込みやうには胸打たれる。クナッパーツブッシュの棒も壮大な世界を築き上げる。管弦楽だけの演奏ではジークフリート牧歌が感銘深い。「マイスタージンガー」第1幕前奏曲はしくじりが目立ち不味い。


ブルックナー:交響曲第3番
北ドイツ放送交響楽団
[Tahra TAH 132-135]

 北ドイツ放送交響楽団との録音4枚組。2枚目。1962年1月15日の放送録音。クナッパーツブッシュにはウィーン・フィルとのセッション録音があり、モノーラルであつてもDeccaの優れた録音により今日に至るまで決定的名盤と誉れが高い。当盤は北ドイツ放送交響楽団の質実剛健な響きが野人ブルックナーの趣を伝へて呉れるとは云へ、アンサンブルの乱れや各奏者のピッチの狂ひなどが随所に聴かれ、正規録音を補完する役割を果たしては呉れない。音楽の進行も方向性が見えづらく、野暮つたい二流の曲に聴こえて仕舞ふ。北ドイツ放送局の音源からリマスタリングを施したTahraの音質は極上で、生々しい臨場感がある。


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番、交響曲第8番
パウル・バドゥラ=スコダ(p)
北ドイツ放送交響楽団
[Tahra TAH 132-135]

 北ドイツ放送交響楽団との録音4枚組。3枚目。1960年3月14日の放送録音だ。エロイカなど幾つか感銘深い例外はあるが、正直申してクナッパーツブッシュによるベートーヴェンは何れも良くない。同時代の指揮者のやうにベートーヴェン崇拝の情熱がなく、音楽が方向性を持たない為、散漫な印象を受ける。鈍重甚だしい第8交響曲は、豪快な響きに一種特別な面白みはあるが、異色過ぎて辟易する。バドゥラ=スコダは真摯で献身的な演奏を展開してをり予想以上に上出来だ。しかし、クナッパーツブッシュが我が道を行くので、ちぐはぐな演奏に聴こえる箇所が多々あり総じて良くない。


ベートーヴェン:序曲「コリオラン」、ピアノ協奏曲第3番
アンドール・フォルデシュ(p)
北ドイツ放送交響楽団
[Tahra TAH 132-135]

 北ドイツ放送交響楽団との録音4枚組。4枚目。序曲は1960年3月14日の放送録音で、3枚目の演目の前に演奏された。内容は大したことない。フォルデシュとの第3協奏曲は1962年1月15日の放送録音で、ブルックナーの第3交響曲の前に演奏された。フォルデシュは良い演奏をしてゐるが、クナッパーツブッシュ共々求心力を持たず、散漫な演奏だ。この曲には名演が犇いてゐるので価値はない。



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