楽興撰録

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アンタル・ドラティ


レスピーギ:リュートの為の古風な舞曲とアリア全曲(組曲第1番、同第2番、同第3番)
フィルハーモニア・フンガリカ
[MERCURY 470 637-2]

 管弦楽法の大家レスピーギの作品は「ローマ三部作」ばかりが有名だが、編曲とは云へ「リュートの為の古風な舞曲とアリア」全曲は書法の見事さ、原曲の持つ古雅な趣などで聴く者の心を捕へる重要な作品だ。しかし、録音は極端に少ない。人気のある第3組曲は幾つか単独であつても、全曲の録音は限られる。雰囲気だけの薄口の演奏とは違ひ、ドラティ盤は隙のない手堅い演奏で代表的な名盤と云へるだらう。名トレーナーとしてオーケストラの統率力が抜群で、細部まで行き届いた丁寧な仕上げは流石だ。実直過ぎる嫌ひはあるが、派手さがなく、素朴な抒情を重んじた演奏は好感が持てる。MERCURYの優秀録音も素晴らしい。


チャイコフスキー:胡桃割り人形、弦楽セレナード
ロンドン交響楽団/フィルハーモニア・フンガリカ
[MERCURY 00289 480 5233]

 マーキュリー・リヴィング・プレゼンス50枚組第1弾。マーキュリー・レーベルの顔とも云へるドラティの残した優秀録音の中でも優れた偉業のひとつ。ドラティは後にフィリップスにも胡桃割り人形の全曲を録音してゐるのだが、驚くべきは1962年の録音とは思へないリヴィング・プレゼンスの極上録音で、臨場感が只事ではない。ドラティの幅広いレパートリーの中でもバレエ音楽は間違ひがなく、躍動感と描き分けが抜群だ。繊細な表情も美しく、ロンドン交響楽団が見事な演奏で応へる。第1幕の昂揚感は取り分け見事だ。第2幕はメルヒェンに乏しいといふのは難癖で、楽曲ごとの色合ひの工夫が素晴らしい。弦楽セレナードは非常に精緻な演奏で名トレーナーとしての実力を伝へる。だが、情緒には乏しく第3楽章などは詰まらない。


ハイドン:交響曲第9番、同第10番、同第11番、同第12番
フィルハーモニア・フンガリカ
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。ドラティの全集の真価は通常聴かれない作品を、有名曲と同じ意気込みと出来栄えで聴けることにある。初期交響曲を充足感をもつて鑑賞出来るのは強みである。第9番ハ長調は平明な3楽章制の曲だが、メヌエットで終はるのは異例で面白い。無窮動で快活な第1楽章も爽快だ。第10番ニ長調も3楽章制で、華麗な終楽章が痛快だ。流麗な第2楽章も美しい。第11番変ホ長調は緩-急-舞-急の4楽章制で、様相は調性的が同じ第22番「哲学者」に酷似してゐる。トリオ・ソナタ風の第1楽章に個性がある。第12番は大変珍しいホ長調による3楽章制の作品だ。ホ短調に転じたシチリアーナ調の第2楽章の荘重さは初期交響曲の中でも特別な深みがある。演奏はどれも見事の一言に尽きる。


ハイドン:交響曲第22番「哲学者」、同第23番、同第24番、同第25番
フィルハーモニア・フンガリカ
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。ハイドンの交響曲をドラティ盤で1番から順番に聴いて、哲学者といふニックネームで知られる第22番に至つた時は少なからず衝撃を受けた。第1楽章の独創的な雰囲気と響きはそれ迄の作品と一線を画す斬新さがあつたからだ。オーボエなしのコールアングレ2本といふ編成は古今東西を通じてこの曲だけだらう。躍動的で壮麗な第2楽章は楽想と展開が見事で聴き応へがある。第3楽章と第4楽章は響きの面白さはあるが、楽想に目新しさはない。第23番では特に第1楽章が様々な仕掛けが目紛しく施された前衛的な傑作だ。反面、それ以降の楽章が不釣合ひに凡庸だ。第4楽章の最後がピッツィカートで呆気なく終はるのは面白いが。第24番が充実した名曲だ。転調の展開が緊張感に充ちた第1楽章、フルート協奏曲のやうな第2楽章は特に傑作だ。第25番は3楽章制で最初期の作品とされる。第1楽章が異形で、長大なアダージョの序奏の後にアレグロ・モルトの快活な楽想が続く。この急速な楽曲が爽快で良い。ジュピター音型に似たフガートの第3楽章も良い。


ハイドン:交響曲第42番、同第43番「マーキュリー」、同第44番「悲しみ」
フィルハーモニア・フンガリカ
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。疾風怒濤期の作品群だ。第42番ニ長調は極めて平明で牧歌的な作品である。快活な両端楽章が良いが、緩徐楽章は単調で面白くない。第43番変ホ長調はマーキュリーといふ呼称が付いてゐるが、由来は不明で然程際立つた特徴のない曲である。疾風怒濤期を代表する第44番ホ短調「悲しみ」は異例ずくしの名曲で、張り詰めた緊張感ではハイドンの作品中で第一等だ。ドラティの演奏は重厚で音楽の弛緩がないのが素晴らしい。カノンを用ゐた第2楽章を舞曲とせず悲哀の歌を聴かせる。トリオの美しさも見事。感傷的な演奏が多く、存外名演が少ないのだが、ドラティの録音は最高位に置きたい。


ハイドン:交響曲第51番、同第52番、同第53番「帝国」
フィルハーモニア・フンガリカ
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。疾風怒濤期後期の名作群。第51番の第1楽章は目紛しく曲想が変はり、次の展開が読めないので退屈しない。特に終はり方は意外中の意外でハイドンのユーモアが極まる。高音ホルンと低音ホルンの応答からオーボエと継がれる第2楽章も名作だ。第3楽章メヌエットと第4楽章変奏曲もホルンの高音が印象的。前衛的な傑作だ。ハ短調の第52番は暗い情熱で疾走する第4楽章が極上の名曲。次いで第1楽章の劇的な第1主題が素晴らしい。中間部での深刻さは聴き応へがある。しかし、優美な第2主題への変はり身が早く気分が落ち着かない。第2楽章は凡庸、第3楽章も特徴が薄い。ハイドンの生前に人気曲であつた第53番は疾風怒涛期よりも後の作品だ。拡張高い第1楽章が傑作で、空間の広がりを感じさせる。主題動機が変容する展開部の冴えは見事。素朴な主題の明暗を切り替へて行く変奏曲の第2楽章も名曲だ。第4楽章は版が複数あり、ドラティは直線的に爆発するヴァージョンBを採用して大興奮で締め括る。


ハイドン:交響曲第57番、同第58番、同第59番「火事」
フィルハーモニア・フンガリカ
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。第57番ニ長調は神妙な序奏から一転、湧き立つやうな主部に転じる第1楽章が素晴らしい。次いで無窮動曲の第4楽章が絶品だ。第58番ヘ長調は前半2楽章が凡庸なのだが、不規則なリズムによるalla zoppaの第3楽章が面白い。同じく強拍をずらした第4楽章の仕掛けも痛快だ。火事の愛称がある第59番イ長調は愉悦に満ちた名曲だ。奇想天外な第1楽章は滅法楽しい。ホルンの高音に導かれてはしゃぐ第4楽章は理屈抜きに良い。ドラティの演奏は要所を押さえた名演ばかりで、弦楽で奏でる憂ひた歌は特に見事なのだ。


ハイドン:交響曲第60番「迂闊者」、同第61番、同第62番
フィルハーモニア・フンガリカ
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。疾風怒濤期後、60番台のハイドンの交響曲はオペラ作曲の合間に行はれをり流用も多い。作風は歌謡的要素が増え、和声も常套的で聴き易いが、刺激はない。ドラティの演奏はハイドンの様式美を的確に捉へてをり、全集企画を通しての一貫性があるので、60番台の作品でも質を維持してをり高く評価出来る。第60番は同名の「迂闊者(”Der Zerstreute”)」といふ劇付随音楽からの流用作品で6楽章から成る。従つて全104曲中、最も交響曲としての体裁を為してゐない曲である。だが、楽想は秀逸でバロック音楽の面白みを継承してをり急速な楽章には感興がある。第4楽章は取り分け鮮烈だ。そして、矢張り最終楽章の調弦やり直しといふ斬新な演出にハイドンのユーモアが凝縮されてゐる。第61番は第1楽章と第4楽章が軽快な名曲だ。第2楽章は短調箇所に美しさがあり、第3楽章にも仕掛けがあり面白い。比べると第62番は個性が薄い。まるでモーツァルトのやうな第1楽章が最も充実してゐる。第2楽章は全く面白くない。第3楽章トリオのファゴットが良い。第4楽章はハイドンらしい屈折した曲で面白からう。


ハイドン:交響曲第78番、同第79番、同第80番
フィルハーモニア・フンガリカ
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。第78番ハ短調は実に10年振りの短調作品。しかし、すぐに長調へと傾き、短調は頻繁に顔を出すものの劇的とは云へず、響きが安定せず中途半端に混じつた調子外れの作品に聴こえる。数少ない短調作品乍ら性格が弱い。第79番ヘ長調はゆつたりした気分の牧歌的な作品で印象に残らない。第2楽章がへんてこで、変奏曲様式の緩徐楽章と思ひきや、途中から速度が上がつて全く別の楽想になる。これは都合5楽章ある作品と云つてよからう。第80番ニ短調は荘厳な楽想が前面に出た作品なので注目だ。とは云へ、3楽章までは然程目新しさがない。第4楽章がニ長調でこれまでの楽章と全く気分が異なるが、落ち着かないシンコペーションで創作した斬新さで図抜けてゐる。ドラティの特徴を掴んだ演奏で性格を理解出来ながら鑑賞が出来る。


ハイドン:交響曲第84番、同第85番「王妃」、同第86番
フィルハーモニア・フンガリカ
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。充実のパリ・セットだ。第84番は中では目立たぬ曲だが、第1楽章の目紛しい転調は大変素晴らしい。上品な第2楽章と第3楽章も美しい。颯爽と駆け抜ける終楽章も良い。厚みのあるドラティの演奏は格調高く見事だ。王妃の愛称で知られる第85番では第1楽章の熱気を帯びた推進力が素晴らしい。ドラティの演奏は決まつてゐる。フランスの古いロマンスを主題にした第2楽章の変奏曲では実に多彩な表情を聴かせて呉れる。フルートが洒落てゐる。優美なメヌエットと可憐なトリオも美しい。終楽章でドラティは快速のテンポを採用し躍動感抜群だ。傑作第86番はシューリヒトの決定的名演にこそ及ばないもののドラティ盤も天晴な名演だ。特に前半2楽章の推進力と語り口の雄弁さは素晴らしい。洒脱な第4楽章も理想的な名演だ。


ハイドン:交響曲第87番、同第88番、同第89番
フィルハーモニア・フンガリカ
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。パリ・セットの1曲である第87番はアンセルメの名演を凌駕する内容で、流石は全集を手掛けたドラティだけあつて土台が違ふのだ。愉悦溢れる第1楽章、高貴な美しさがある第2楽章、トリオでオーボエが可憐な表情を聴かせる第3楽章と特上の出来栄えだ。名曲第88番には夥しく録音があり、ドラティ盤の存在感が薄くなるのは仕方ないが、お手本とも云へる非の打ち所がない名演であることは保証する。第89番はドラティの真価が発揮された決定的名演だ。終楽章のstrascinandoの指示を引き延ばすのではなく、グリッサンドを伴ふ華麗な解釈で聴かせて呉くれるのはドラティだけだ。


ハイドン:交響曲第90番、同第91番、同第92番「オックスフォード」
フィルハーモニア・フンガリカ
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。この3曲はドーニ・セットとも呼称され、パリ・セットとザロモン・セットの中間に位置する円熟期の傑作交響曲群だ。最高傑作は第90番だらう。第1楽章から主題の扱ひが絶妙で交響的な熱気が溢れ出し、展開部の昂揚はハイドン最良の音楽のひとつである。第2楽章の中間で劇的な短調に転ずるのも意欲的だ。軽快さと諧謔を織り交ぜた終楽章も素晴らしい。ドラティの演奏は立体的で緊密、推進力に溢れてゐる。両端楽章の出来栄えは最高だらう。第91番はハイドンならではの新機軸を目指した発想重視の曲だが、音楽の覇気が薄めで弛緩した印象が否めない曲だ。特に第2楽章の変奏は退屈する。ドラティの演奏は勿論水準以上だが、勢ひで聴かせられない楽想に苦慮し、特段感銘を残すやうな出来ではない。人気曲であるオックスフォード交響曲はわかりやすい素朴さで料理のしやすい名曲であるが、ドラティの演奏は殊更に過多な表現を持ち込まず、穏当な解釈で詰まらない。但し、終楽章だけは爽快極まりないテンポを採用し、前進する生命力が抜群だ。かうでなければならぬ。


ハイドン:交響曲第93番、同第94番「驚愕」、同第95番
フィルハーモニア・フンガリカ
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。ザロモン・セットともなると突然多くの録音が存在するやうになり、競合盤が溢れる。それでもドラティの録音は一定の価値を保つてをり流石だ。第93番は一分の隙もない濃厚な第1楽章と素朴さと推進力を備へた第2楽章が上出来なのだが、後半の2つ楽章が落ち着いたテンポで今一つ盛り上がらない。残念だ。この曲はアンチェルの演奏が決定盤で、カンテッリの録音も推薦したい。ハイドンの交響曲中で首席を占める驚愕交響曲は見事な演奏だが、他を押し除ける特徴は見当たらない。多くの指揮者による名盤が犇めいてゐるが、私見ではトスカニーニの録音が頭一つ抜きん出てゐる。第3楽章が刺激的だからだ。ザロモン・セット唯一の短調作品第95番が最も聴き応へがあるだらう。この曲には満足出来る録音がなく、ドラティ盤も同様なのだが、ハイドンを熟知してゐるだけあり、殊更外連に走らず正攻法で演奏して成果を上げてゐる。


ハイドン:交響曲第96番「奇蹟」、同第97番、同第98番
フィルハーモニア・フンガリカ
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。ザロモン・セットともなると突然多くの録音が存在するやうになり、競合盤が溢れる。それでもドラティの録音は一定の価値を保つてをり流石だ。第96番はドラティの全集の中でも特に優れた演奏である。非常に安定感のある演奏で、立派な響きに包まれ、品格を兼ね備へてゐる。特に第1楽章と第2楽章は申し分なく、最高の出来栄えだ。だが、後半楽章はやや刺激に欠け、価値を減じて仕舞つた。第97番は同曲のあらゆる録音の最上位に置かれるべき名演だ。第1楽章のコーダの圧倒的な威容はハ長調の勝利を告げる。第2楽章のsul ponticello奏法を完全に聴かせてゐるのは古今東西ドラティだけだ。全104曲の個性を把握したドラティだからこそ為せる拘泥はり抜いた追求だ。第3楽章の独奏ヴァイオリンの目立たせ方も上手い。第98番でも終楽章のチェンバロ独奏へのスポットライトの当て方にドラティの拘泥はりを感じる。だが、丁寧に聴かせやうとして、テンポも落とし過ぎて仕舞ひ解説風で口説い。


ハイドン:交響曲第99番、同第100番「軍隊」、協奏交響曲
フィルハーモニア・フンガリカ
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。第99番では立体的な音楽を聴かせる第1楽章、情感豊かな第2楽章が絶品だ。この曲の屈指の名演として記憶したい。軍隊交響曲が秀逸の出来栄えだ。標題性に捕らはれずにハイドンの意匠を実直に表現する。全楽章揺るぎのない気品ある音楽が聴く者を魅惑する。刺激は少ないが、ドラティの録音の中でも特に優れた名演だらう。さて、第105番ともされるシンフォニア・コンチェルタンテが最も素晴らしいのだ。この曲の録音には名手を適宜揃へたものや、首席奏者らを抜擢したものがあるのだが、不慣れなこともあり正直申して完成度が低いものばかりであつた。その点、ドラティ盤の仕上がりは完璧である。4名のハンガリー人による首席奏者らはハイドン全曲を演奏してきた達人たちであり、ドラティの棒の下で一丸となつた演奏を聴かせる。これこそが決定的名演であらう。


ハイドン:交響曲第101番「時計」、同第102番、交響曲「A」(第107番)
フィルハーモニア・フンガリカ
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。第101番は第1楽章、第4楽章で落ち着いたテンポを採用してゐる。その為、刺激が少なく全体としてまろやかで鈍い演奏に聴こえる。第2楽章は風格があり見事だ。全体を通じて安定感のある名演なのだが、面白い演奏ではなく、敢へてドラティ盤を推すことはない。比べて、第102番は一際優れてゐる。第1楽章と第4楽章は前進する快活なテンポが心地良く、一方で堂々たる響きも保持してゐる。恰幅が良く立派で雄大な演奏だ。流麗な第2楽章も素晴らしい。ドラティの安定感が特に成功した名演だ。最初期の習作交響曲、変ロ長調曲「A」がしっかり収録されてゐるのもドラティ盤全集の味噌である。現在では第107番とされるやうだ。3楽章から成る初期様式の軽快で爽やかな曲だ。演奏は申し分ない。


ハイドン:交響曲第22番「哲学者」[第2稿]、同第53番「帝国」フィナーレ異稿[ヴァージョンA&C&D]、同第63番「ラ・ロクスラーヌ」[第1稿]、同第103番「太鼓連打」フィナーレ異稿
フィルハーモニア・フンガリカ
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。ドラティの全集が今もつて価値が高いのは他でもない、最後に置かれたこの補遺集があるからだ。異稿を余さず徹底して録音した全集は他にない。まず、第22番の第2稿であるが、初稿がオーボエではなくコールアングレが2本といふ類例のない編成であつた為、一般的な楽器編成で演奏出来るように改編した異稿であり、オーボエ2本に変へフルートも追加された。だが、あの斬新な第1楽章アダージョが削除されてをり魅力が激減、殆ど価値のない曲になつて仕舞つた。メヌエットが廃止され、優美なアンダンテに変更されてゐる。第53番は第4楽章の別ヴァージョンが何と3種類も収録されてゐる。通し録音で採用されたのは威勢の良いver.Bであつたが、音楽的にはver.Aが最も優れてゐる。ver.Cは偽作らしい。ver.Dは序曲からの転用とされる。第63番は第3楽章と第4楽章が全く異なる。元来オペラからの転用や書きかけの楽章を継ぎ接ぎして仕上げた交響曲であり、それがこの初稿なのだが、ハイドンは雑な仕事を反省して通常聴かれる決定稿にしたといふ訳だ。第103番フィナーレ異稿は後半の終結部が異なり、小節数が多く少し長い。決定稿はより洗練させた訳だが異稿も捨て難い。



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