楽興撰録

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オットー・クレンペラー


ハイドン:交響曲第88番、同第98番、同第101番「時計」
フィルハーモニア&ニューフィルハーモニア管弦楽団
[EMI CMS 763667 2]

 ハイドン交響曲集成3枚組。1枚目。云はずもがなクレンペラーによるハイドンは大編成の重厚な演奏で、往年の巨匠によるハイドン演奏でも一際重い。丁寧で立体的で生真面目な演奏は立派だが、ハイドンのユーモアは一寸聴こえてこない。さうではあつても己の姿勢を変へないクレンペラーの頑固さは一種特別な訴へ掛けがあるのだ。第88番の冒頭から格調高い響きに圧倒されて仕舞ふ。揺るがない音楽、真摯な取り組みは素朴なハイドンの音楽の純粋さを際立たさせ、聴く者を唸らせる。第88番は大指揮者たちの名演が揃ひ踏みしてゐるが、クレンペラーの録音もそのひとつとして推奨出来る―絶対的な演奏はアーベントロートだが。第101番は大編成でも栄える曲だ。実に立派な演奏だが、モントゥーや更に古くはトスカニーニの名盤があり、それらを凌ぐほどの感銘は受けなかつた。寧ろ第98番が良いだらう。曲は少々地味だが、精緻なクレンペラーの表情付けが素晴らしい。もう少し活気があると決定的名盤と推せるのだが。


ハイドン:交響曲第95番、同第100番「軍隊」、同第102番
ニューフィルハーモニア管弦楽団
[EMI CMS 763667 2]

 ハイドン交響曲集成3枚組。2枚目。大編成による堂々たる交響楽を楽しめる。素晴らしいのは第102番だ。トゥッティの鳴りが立派で心地良く、掛け合ひの絶妙さは神々しさすら感じる。テンポは決して遅くなく、躍動感溢れるアーティキュレーションが聴ける。ハイドンが随所に仕掛けたリズムの薬味を存分に味はへる。次いで第100番が良い。第1楽章は軽快で実に快適だ。細部まで神経が通つてをり、全ての楽器が邪魔することなくお喋りをしてゐる。カデンツを丁寧に聴かせるのも良い。軍楽隊風の箇所における打楽器の扱ひも外連がなく揺るぎのない音響が素晴らしい。第95番は3曲の中では幾分感銘が落ちる。丁寧過ぎる嫌ひがあり、暫し音楽が弛緩する箇所がある。楽曲が短調を主張し過ぎない為もあるのだらう、散漫の気が生じて仕舞つた。弦楽器の独奏が繊細で素晴らしい。


ハイドン:交響曲第92番、同第104番
ニューフィルハーモニア管弦楽団
[EMI CMS 763667 2]

 ハイドン交響曲集成3枚組。3枚目。堂々たる第104番が名演だ。ハイドン最後の大交響曲は古楽器による軽快で爽やかな演奏よりも、巨匠らの重厚な演奏の方がしっくりくる。クレンペラーはその最たるものだが、決してテンポが遅い訳ではない。フル・オーケストラが鳴り切つた表情豊かな演奏で、細部まで立派に彫琢がなされていることに感銘を受ける。即興的なシューリヒトの演奏ほどの面白味はないが、不動の名盤だらう。第92番も素敵な演奏だが、躍動的な第4楽章を除けば印象が薄い。全8曲の録音の中でも低調な演奏に属する。曲がもう少し軽やかさを求めるからだらうか、もたついた感じがある。この曲ではアンチェルがコンセルトヘボウに客演した際のライヴ録音が忘れられない。


ブラームス:ドイツ・レクィエム
エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)/ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
フィルハーモニア管弦楽団
[EMI CLASSICS CDC 7 47238 2]

 1961年に録音された代表的名盤。若きブラームスの想ひが詰まつた随所に美しい箇所がある名曲だが、全体を見通すと統べるのが難しく、総合点で満足出来る演奏が少ない難曲とも云へる。クレンペラーはこの曲を得意としてをり、他にライヴ録音が2種も残る。だが、このセッション録音にこそ本懐がある。静謐と述べたい精緻な取り組みで、オーケストラは渋く沈み込む。合唱は慈雨のやうに沁み渡る。当盤において掛け替へのないのが二人の独唱だ。シュヴァルツコップの消えてなくなりさうな繊細な表情は如何ばかりだらう。そして、ドイツ・レクィエムにこの人ありきと云ひたいディースカウの絶対的な名唱については多言を要しまい。ほぼ決定的な名盤と云ひたいところだが、クレンペラーの棒に神秘的な幻想と情熱的な発露がないので、時に物足りなさを感じるのは難癖か。


ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス、合唱幻想曲
エリーザベト・ゼーダーシュトレーム(S)、他
ダニエル・バレンボイム(p)
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
[EMI 7 69538 2]

 クレンペラーの膨大な録音の中で本当に素晴らしいのは、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」とこの「ミサ・ソレムニス」だ。群を抜いた決定的名盤であり、古のトスカニーニ盤を顔色無からしめる破格の名演なのだ。冒頭の音から正しく荘厳、管弦楽、合唱、独唱、全てが厳かで立派だ。クレンペラーの堂々として揺るぎのない音楽の運びで、全部の音が意味を持つことが出来てゐる。難癖を付ければ、多少劇的に動いても良いと感じる箇所はあるし、人間的な色気を醸し出しても良いと感じる箇所はあるが、矮小な音楽になることを避け、徹頭徹尾荘厳を貫いたクレンペラーは最終的に勝利した。この難曲を一分の隙もなく聴かせることが出来たのは当盤だけなのだから。余白には合唱幻想曲が収録されてゐる。この曲は録音機会に恵まれず、古いトスカニーニのライヴ録音を第一にしたいが、音が良く、表情豊かなバレンボイムのピアノが素晴らしいクレンペラー盤を次いで推さう。後半、合唱が入つてから音楽が動かず、盛り上がらないのが残念だ。


ベートーヴェン:交響曲第5番、同第7番
フィルハーモニア管弦楽団
[EMI 50999 4 04275 2 2]

 クレンペラーのEMI録音大全集中、ベートーヴェンの交響曲と序曲の録音を網羅した10枚組。クレンペラーはステレオ録音初期の1957年頃にベートーヴェン交響曲全集を録音したが、これらは1955年の旧録音の方で、出回ることが少ない音源だ。実は内容は断然この旧盤の方が良い。生気があり音楽的だからだ。再録音は個性は感じられるが忌憚なく云つて失敗作ばかりだと思ふ。処で、第5番はモノーラル録音なのだが、第7番はステレオ録音なのだ。これは出遅れてゐたEMIによる実験的なステレオ録音であつた。しかし、消極的なEMIは結局モノーラルでの発売をし、後にお蔵入りにしたステレオ・ヴァージョンが復活したといふ曰く付きである。


ベートーヴェン:交響曲第1番、同第6番「田園」
フィルハーモニア管弦楽団
[EMI 50999 4 04275 2 2]

 クレンペラーのEMI録音大全集中、ベートーヴェンの交響曲と序曲の録音を網羅した10枚組。ステレオ録音初期に集中的に行はれた全集録音はクレンペラーの代表的名演であり、揺るぎのない名盤である。第1交響曲は堂々たる威容で聴かせる。遅めのテンポで細部まで神経を通はせたクレンペラー流儀の名演だ。弱音での丁寧な表情と強音での重厚な音響は流石だ。とはいへ、第1交響曲にしては荘重過ぎるかもしれぬ。第3楽章などに鈍さを感じる。田園交響曲も立派この上ない。標題を意識しない演奏で、第1楽章の立体的なアンサンブル、第2楽章の雄大な広がり、第5楽章の格調高い昂揚と寂寥感すら感じさせる弱音の対比など実に素晴らしい。しかし、第3楽章は土臭さや楽しさに欠け、嵐も表面的だ。一長一短だが、良さが断然勝る。


ベートーヴェン:交響曲第2番、同第5番
フィルハーモニア管弦楽団
[EMI 50999 4 04275 2 2]

 クレンペラーのEMI録音大全集中、ベートーヴェンの交響曲と序曲の録音を網羅した10枚組。第2交響曲は大変立派な演奏だ。細部まで神経を行き届かせ、全ての音符を堂々と鳴らす。だが、クレンペラーにしてはテンポが遅くなく中庸で、云つて仕舞へば毒にも薬にもならない演奏だ。どの部分と取つても穏当な演奏でこの曲の名盤として挙げる要素が特にない。第5交響曲は如何にもクレンペラー流儀のどっしりとした構への演奏で謹厳かつ格調高い名演だ。だが、心に訴へ掛ける類ひの演奏かと問はれると困る。ベートーヴェンの全作品の中でも魂を揺さぶる曲だけにクレンペラーの解釈は戴けない。細部は素晴らしいが、全体ではときめかないからだ。


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
「レオノーレ」序曲第1番、同第2番
フィルハーモニア管弦楽団
[EMI 50999 4 04275 2 2]

 クレンペラーのEMI録音大全集中、ベートーヴェンの交響曲と序曲の録音を網羅した10枚組。エロイカは1955年のモノーラル旧録音の方で、4年しか違はないが内容は新盤よりも優れてゐる。ステレオ時代になつて作成した全集録音は構築美に徹したクレンペラーの個性が表出した演奏ばかりだが、第5交響曲も第7交響曲もそしてこのエロイカも音楽的には血が通つてゐる旧盤の方が魅力的だ。巨大な構へと昂揚する精神が合体した名演が繰り広げられる。音質も上質のモノーラルで一向問題にならない。1954年録音の序曲もステレオ再録音とは雲泥の差で断然良い。起伏があり堂々たる響きに呑まれる。比べたら新盤は木偶の坊と云へよう。


ベートーヴェン:交響曲第4番、同第7番
フィルハーモニア管弦楽団
[EMI 50999 4 04275 2 2]

 クレンペラーのEMI録音大全集中、ベートーヴェンの交響曲と序曲の録音を網羅した10枚組。第4交響曲は鈍重で爽快さの欠片もない。実にクレンペラーらしい演奏で、堅実な第4楽章は立派で好感が持てる。だが、第1楽章主部が重くて晴れない。第3楽章も弛緩してをり刺激がない。全体にゆつくりなので肝心の第2楽章が埋もれて仕舞ひ、表情も硬く低調な仕上がりだ。第7交響曲は1960年の第2回目録音である。私見を申せば1955年の第1回目録音が妥当なテンポかつ重厚な演奏で好もしい。1968年の第3回目録音は異常な演奏なので敬遠したい。この第2回目録音はその中間で中途半端な位置付けだ。テンポは遅いだけ。なのに細部の精度も少々甘く感じる。リズムの饗宴が核心の曲なのに沸き立たない。両曲とも楽譜に忠実とは云へず、改変や独自の解釈も散見される。正統的王道とは程遠い個性的演奏だ。


ベートーヴェン:交響曲第8番
「レオノーレ」序曲第1番、同第2番、同第3番
序曲「コリオラン」
フィルハーモニア管弦楽団
[EMI 50999 4 04275 2 2]

 クレンペラーのEMI録音大全集中、ベートーヴェンの交響曲と序曲の録音を網羅した10枚組。第8交響曲は思ひの外、在り来たりの演奏で拍子抜けだ。クナッパーツブッシュ並みの異常な構へを期待したが、テンポは常套的、表現も凝つた箇所はなく、特徴と云ふと全ての声部を立体的に響かせた堂々たるアンサンブルが見事だと云ふことだ。従つて、一般にもお薦め出来る名演なのだが、凡庸と紙一重で、特にクレンペラーで聴く醍醐味はない。序曲は全てクレンペラー流の遅めのテンポでどつしりした演奏ばかりだ。総じて述べると、盛り上がりに欠け、立派に演奏しただけの演奏だ。「レオノーレ」では第1番が最も成功してゐる。だうしたことか「コリオラン」が整つてをらず、良いところがない。


ベートーヴェン:「フィデリオ」序曲、交響曲第7番、「プロメテウスの創造物」より
フィルハーモニア管弦楽団/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
[EMI 50999 4 04275 2 2]

 クレンペラーのEMI録音大全集中、ベートーヴェンの交響曲と序曲の録音を網羅した10枚組。「フィデリオ」序曲は1962年の再録音。1954年にも録音をしてゐた。特徴的にテンポが遅くなり、音楽的に効果を上げたとは云ひ難い。さて、1970年、晩年に録音された第7交響曲は兎に角問題作だ。最初に聴いた時は生理的に受け付けなかつた。否、繰り返し聴いた今でも摩訶不思議な珍演といふ思ひが募る。恐ろしく遅く重い。では、巨大で圧倒的かと云ふと、寧ろ空疎で弱々しいくらゐなのだ。多分、余りの遅さに奏者が音楽を出来ず、呼吸困難を起こした演奏なのだ。だから、クレンペラーが誇る揺るぎのないテンポではなく、フレーズの方向性も見えず、致命的なのはディナミークに差が付いてゐない。第2楽章はクライバー流のピッツィカート終止だ。クレンペラーは楽譜を無視することが多かつたが極まつた感がある。「プロメテウスの創造物」は1969年の録音で、序曲、第5曲アダージョ、第16曲フィナーレの3曲を演奏。アダージョが美しく成功してゐる。


シューベルト:未完成交響曲、グレイト交響曲
フィルハーモニア管弦楽団
[EMI 50999 4 04309 2 8]

 ロマン派音楽で編纂された10枚組。シューベルトでは未完成交響曲の方が圧倒的に出来が良い。細部まで神経を通はせ、重厚かつ暗い響きで曲の深淵を抉る。ただ、クレンペラーには1968年にウィーン芸術週間に客演した際のウィーン・フィルとのライヴ録音が別格の名演だつたから、このセッション録音も霞む。ウィーン盤は未完成交響曲随一の名演なのだ。グレイト交響曲は然程感銘を受けなかつた。第2楽章の深みは流石だが、全体を通じての特別な感興は薄い。第3楽章トリオでは弦が終始ピッツィカートで演奏してゐるのは大胆な改変であるが、成功してゐるかだうかは甚だ疑問だ。第4楽章の最後はデクレッシェンドを採用してゐるやうだが、中途半端なので気付かないくらゐだ。


ヴェーバー:「魔弾の射手」「オイリアンテ」「オベロン」序曲
シューマン:「ゲノヴェーヴァ」「マンフレッド」序曲
シュトラウス:「こうもり」序曲、ウィーン気質、皇帝円舞曲
フィルハーモニア管弦楽団/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
[EMI 50999 4 04309 2 8]

 ロマン派音楽で編纂された10枚組。序曲集を聴く。ヴェーバーでは重厚な魔弾の射手が好演だ。しかし、保守的で面白い演奏と迄は云へない。オイリアンテとオベロンの序曲は鈍重過ぎて良くも悪くもクレンペラー節だ。響きは立派だが感興には乏しいのだ。シューマンがどちらも名演だ。特にマンフレッドが格調高い。ゲノヴェーヴァも仄暗いロマンが充溢してをり良い。シュトラウスが個性的で流石はクレンペラーだ。こうもりの序曲は遅いテンポが立派さを付与し、細部の正確さが軽佻さを払拭してゐる。一方で、活力と官能もあり実に魅惑的な名演なのだ。ウィーン気質も哀愁が漂ひ素晴らしい。圧巻は皇帝円舞曲だ。堂々たる威容に圧倒される。


シューマン:交響曲第1番、同第2番
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
[EMI 50999 4 04309 2 8]

 ロマン派音楽で編纂された10枚組。パレー、セル、コンヴィチュニーらに続いて交響曲全集を制作したクレンペラーだが、シューマンとの相性は何とも微妙で手放しで称讃が出来ないのが正直な見解だ。晩年のクレンペラーの特徴で鈍重で動きのない音楽はシューマンのロマンティシズムとは相入れない。全体的な印象は詰まらない演奏なのだ。だが、揺るぎのない堂々とした音楽は細部においては立体的で立派な合奏を聴かせて呉れる。第1番第1楽章や第4楽章、第2番第4楽章は爽やかさの欠片もないが、嫌気を感じたのも束の間、他の指揮者からは聴かれない荘重な響きに魅せられる。しかし、第2番第1楽章では表情の変化に乏しい。第2楽章が思ひの外テンポが速く、第3楽章が恐ろしく速い。第2番は全楽章を通じて起伏と減り張りがなく良くない。


ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲、「プルチネッラ」組曲
ヴァイル:小さな三文音楽
フィルハーモニア管弦楽団
[EMI 50999 4 04401 2]

 EMI録音大全集中、20世紀の音楽で編纂された4枚組。1枚目。ストラヴィンスキーとヴァイルだ。ヴァイマール期のクレンペラーは現代音楽の旗手としてクロール劇場を拠点に物議を醸してゐた。小さな三文音楽はヴァイルに委嘱し、初演をしてゐる―録音も行つた。だが、クレンペラーはその後大いなる変遷を経て、20世紀音楽の刺激的な推進者といふ面影を潜めた。否、クレンペラーは前衛の精神を失つたのではなく、結果として保守的な王道の楽曲で評価され成功したに過ぎない。ストラヴィンスキーの交響曲は第1楽章が重厚で揺るぎない弩級の名演で聴き応へがある。丁寧な第2楽章も良い。但し、第3楽章はテンポが遅過ぎて形を失ひ良くない。プルチネッラは解剖学的な名演で細部に面白みがあり、普通は聴こえてこない声部が浮き上がつてくる。オーケストラも巧く、精緻で素晴らしい。難点を挙げれば、無骨で融通が利かず感情的な揺れがないので、本来の楽想―明るく軽く楽しい音楽―とは齟齬があるといふことだ。ヴァイルもまた晩年のクレンペラーの演奏様式による堅固で格超高い名演だ。サクソフォンの巧さも光り、雰囲気たっぷりの音楽を楽しめる。だが、これは古典となつたヴァイルの演奏であり、作曲当時の前衛を伝へる演奏ではない。


マーラー:大地の歌
クリスタ・ルードヴィヒ(Ms)/フリッツ・ヴンダーリヒ(T)
フィルハーモニア&ニューフィルハーモニア管弦楽団
[EMI CDC 7 47231 2]

 大地の歌の最高の名盤はヴァルターのDECCA盤であるといふ思ひは変はらない。だが、肉迫する特別な名盤としてこのクレンペラー盤のことを語らずにはをれない。ヴァルターと同じくマーラーの弟子として第一線を切り開いてきたクレンペラーは、耽美的で親しみ易さを残してきたヴァルターとは異なる立場でマーラーを取り上げてきた。当盤の演奏も甘美な趣に溺れることなく、細部に神経を通はせた明晰な演奏となつてゐる。交響的な構築の立派さは無類で、オーケストラの訴へかけは深い感銘を与へて呉れる。テノールのヴンダーリヒが素晴らしい。若々しさがある甘い歌声は威勢が良く、官能的な薫りも漂はせてをり絶品だ。ヴァルター盤の作為的なパツァークの歌唱も魅力的だが、自然体で思ひの丈を歌つたヴンダーリヒの名唱も並び賞したい。ルードヴィヒも良いのだが、大地の歌はアルトの為の楽曲でメゾソプラノのルードヴィヒでは重みに欠ける。遅めのテンポによる第4楽章も存外軽く感じて仕舞ふ。


モーツァルト:交響曲第29番、同第41番
フィルハーモニア管弦楽団
オットー・クレンペラー(cond.)
[Warner Classics 5 055197 257049]

 管弦楽と協奏曲の録音全集95枚組。3枚目。1954年10月5日からスタジオ録音を開始したジュピター交響曲こそは、クレンペラーがフィルハーモニア管弦楽団に就任して最初の記念すべき演目であつた。非常に力強い演奏で、嫋やかな表情は皆無だ。細部は雑だが、熱情があり自信と説得力に溢れてゐる。そは北欧神話オーディンと形容出来よう。同時に録音された第29番は感銘が落ちる。優美に演奏されることが多い曲だが、クレンペラーは北ドイツ風の硬く威張つた演奏で我が道を貫く。個性的で良いのだが、フィルハーモニア管弦楽団の精度がまだ低く、無骨で素つ気なく雑然とした演奏でしかない。細部の仕上げに粗が見える。再録音が素晴らしいので、この旧盤は価値が薄い。(2023.8.18)


ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス
エリーザベト・ゼーダーシュトレーム(S)、他
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団と合唱団
[Warner Classics 5 054197 528996]

 歌劇と宗教曲の録音全集29枚組。クレンペラーの膨大な録音の中で本当に素晴らしいのは、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」とこの「ミサ・ソレムニス」だ。群を抜いた決定的名盤であり、古のトスカニーニ盤を顔色無からしめる破格の名演なのだ。冒頭の音から正しく荘厳、管弦楽、合唱、独唱、全てが厳かで立派だ。クレンペラーの堂々として揺るぎのない音楽の運びで、全部の音が意味を持つことが出来てゐる。難癖を付ければ、多少劇的に動いても良いと感じる箇所はあるし、人間的な色気を醸し出しても良いと感じる箇所はあるが、矮小な音楽になることを避け、徹頭徹尾荘厳を貫いたクレンペラーは最終的に勝利した。この難曲を一分の隙もなく聴かせることが出来たのは当盤だけなのだから。


シューマン:交響曲第1番、「マンフレッド」序曲
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
オットー・クレンペラー(cond.)
[Warner Classics 5 055197 257049]

 管弦楽と協奏曲の録音全集95枚組。パレー、セル、コンヴィチュニーらに続いて交響曲全集を制作したクレンペラーだが、シューマンとの相性は何とも微妙で手放しで称讃が出来ないのが正直な見解だ。鈍重で動きの少ない音楽はシューマンのロマンティシズムとは相入れない。だが、揺るぎのない堂々とした音楽は細部においては立体的で立派な合奏を聴かせて呉れる。第1楽章や第4楽章は爽やかさの欠片もないが、他の指揮者からは聴かれない荘重な響きに魅せられるのだ。マンフレッドにも同様のことが云へる。格調高い一方で、鈍い箇所が散見される。


モーツァルト:セレナード第12番、交響曲第41番
ウィーン・フィル
[TESTAMENT SBT8 1365]

 1968年、晩年のクレンペラーがウィーン藝術週間に登場した。その5公演を収録した8枚組。1枚目。5月19日の公演記録で、最初にバッハのブランデンブルク協奏曲第1番が演奏されてゐる。モーツァルトのセレナードはクレンペラー流儀の遅めのテンポだが、その実、ウィーン・フィルの管楽器奏者らの自発性に任せた演奏で、オーボエの可憐な美しさは取り分け絶妙だ。重心の低い音楽はクレンペラーの個性で、全体として威風堂々たる趣を獲得し、芯の強い音楽として感銘深く聴ける名演となつた。ジュピター交響曲はクレンペラーの意思が十分に発揮された名演だ。第1楽章冒頭の威圧するやうな重苦しいテンポは想定通りだが、第2主題の歌が何とも気高く流れるから侮れない。滔々たる大河のやうな第2楽章も表情豊かで素晴らしい。予想を裏切り第4楽章は一般的なテンポで、かつ重厚さを併呑した荘重な演奏だ。逞しいホルンから始まるコーダの立派さは滅多に聴けないだらう。


ベートーヴェン:序曲「コリオラン」、交響曲第4番
シューベルト:未完成交響曲
ウィーン・フィル
[TESTAMENT SBT8 1365]

 2枚目。ベートーヴェンの2曲は5月26日の公演記録―この後に交響曲第5番が演奏された。シューベルトは6月16日の公演記録。ベートーヴェンはだうあつても承服出来ない演奏だ。コリオランは堂々とした響きだが、音楽が動かない。和声感が乏しく、実に詰まらない演奏だ。ウィーン・フィルが堪らず前のめりになる箇所もある。第4交響曲も序奏は速いのに主部は遅く、旋律は流れず和声は動かない。提示部の繰り返しが苦痛だ。クレンペラーを矢鱈褒める人々がゐるが、このベートーヴェン2曲はうどの大木、愚鈍で非道い演奏だ。一方、シューベルトは極上の名演だ。神話の世界のやうな遠大な音楽を創り出す。矮小な人間の感情を超えた音楽が現出する。このやうな突き抜けた特上の演奏をするのがクレンペラーだ。尚、DG盤には聴かれたシューベルトの演奏終了直後に"schön"と発せられた声が編集でカットされてをり戴けない。


シュトラウス:ドン・ファン
ヴァーグナー:ジークフリート牧歌、「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
ウィーン・フィル
[TESTAMENT SBT8 1365]

 7枚目。最終公演日6月16日の記録で、最初に公演中最高の名演となつたシューベルトの未完成交響曲が演奏されてゐる。この日は演奏は絶好調で、どの曲も美しさが際立つ。ドン・ファンは耽美的なフレーズでの美しさに胸打たれる。最も素晴らしいのがジークフリート牧歌で、クレンペラーは弦楽器を各1本に絞り初演時に近い最小編成での演奏を行ふ。何といつてもウィーン・フィルの各奏者の音が美しい。ヴァイオリンは恐らくボスコフスキーだらう。いじらしく愛情豊かな歌ひ回しがこの演奏の魅力で、ほぼ独り占めしてゐる。室内楽的演奏で当盤を凌駕するものはない。「トリスタンとイゾルデ」は問題ありだ。演奏は素晴らしいのだが、前奏曲終結部から編曲が行はれ、クレンペラーの創作となり、愛の死の最終音へと繋がれる。メンデルスゾーンのスコットランド交響曲と似たやり口なのだが、ヴァーグナーに関して云へば、普通に愛の死を演奏すべきであつたと思ふ。「マイスタージンガー」はやや凡庸だ。


メンデルスゾーン:真夏の夜の夢
エディット・マティス(S)/ブリジッテ・ファスベンダー(Ms)
バイエルン放送交響楽団と合唱団
[GOLDEN Melodram GM 4.0069]

 1969年5月23日の演奏会記録で、11曲の抜粋で演奏されてゐる。クレンペラーにはフィルハーモニアとのEMIへの正規セッション録音がある。それはスケルツォやノクターンの凡庸な演奏を含むが、間奏曲や結婚行進曲が特上の名演で、それにも増して独唱と合唱団のメルヒェン豊かな歌唱―英語歌唱による「ララバイ」の美しさは忘れ難い―で古今無双の位置を占めるクレンペラーの代表的名盤であつた。当盤はフィルハーモニア盤にはない間奏曲を1曲含むのと、ドイツ語歌唱といふことで独自の価値がある。全体にクレンペラー流儀の遅いテンポで、序曲やノクターンの仄暗い雰囲気は特に素晴らしい。しかし、他の曲はフィルハーモニア盤には及ばない。結婚行進曲然り、妖精の歌然り。声楽陣は立派だが、幻想的な妙味は余り感じられない。


メンデルスゾーン:フィンガルの洞窟
ハイドン:交響曲第101番「時計」
バイエルン放送交響楽団
[GOLDEN Melodram GM 4.0069]

 メンデルスゾーンは真夏の夜の夢と同日の演奏。クレンペラーの特徴的な重いテンポによる演奏で巨大な威容を聴かせる。弱音における荘厳さは素晴らしいものの、音楽が激してきても微動だにしないので物足りない。方向性を求める音楽を好む向きには凡庸に聴こえて仕舞ふ。1956年10月19日の演奏会記録であるハイドンは、昨今の古楽器による演奏とは対極にある堂々たる恰幅で聴き応へがある。鈍いと感じる箇所も散見されるが、総じて名演と云へる。



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