楽興撰録

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シャルル・ミュンシュ


ベルリオーズ:幻想交響曲、ドビュッシー:海、ルイ・オーベール:ハバネラ
フランス国立放送管弦楽団/パリ音楽院管弦楽団
[A Classical Record ACR 40/41]

 ミュンシュがコンセールヴァトワールを指揮してゐた時代の最初期録音を復刻した第1巻目。2枚組の1枚目を聴く。フルトヴェングラー麾下のゲヴァントハウスでコンサートマスターを務め、やがて指揮者に転向したミュンシュは「美男のシャルル」と持て囃され、瞬く間に人気者となつた。1937年には遂にパリ音楽院管弦楽団の主席指揮者に就任し、戦時の困難な中を耐へ、1946年迄その位にあつた。フランス国立放送管弦楽団を振つたベルリオーズはミュンシュにとつて最初の幻想交響曲の録音である。1945年の録音とは思へない情報量の多さに驚く。演奏は既に完成の域にあり、ボストン交響楽団やパリ管弦楽団との録音と比べても遜色ない。噴流のやうな情熱を余す所無く出し切つた極上の名演である。楽章間で出来に斑がないのも良い。ドビュッシーも熱い名演だ。特に終曲コーダの興奮は比類がない。艶やかなコンセールヴァトワールの響きも素晴らしく、後年の録音よりも寧ろ優れてゐるだらう。オーベールは有名なフランソワではなく、20世紀前半に活躍したルイの方だ。ハバネラは倦怠感に充ちた曲。


オネゲル:交響曲第2番、ジョリヴェ:兵士の3つの訴へ、ルイ・オーベール:魅せらせし夜、ラヴェル:亡き王女の為のパヴァーヌ、ラ・ヴァルス
ピエール・ベルナック(Br)
パリ音楽院管弦楽団
[A Classical Record ACR 40/41]

 ミュンシュがコンセールヴァトワールを指揮してゐた時代の最初期録音を復刻した第1巻目。2枚組の2枚目を聴く。オネゲルの第2交響曲はベルリオーズ作品と並ぶほどミュンシュが自家薬籠中とした曲で、活動期間全般に亘つて録音を残してゐる。当盤は勿論最初の録音で、闘魂を注入した演奏だ。特にトランペットが加はつてからの昂揚は流石だ。しかし、肝心の弦楽合奏は難曲を征服してをらず、綻びが散見される。ジョリヴェの作品は作風の転換点となつた傑作。朗々たるベルナックの歌声が素晴らしい。珍しいオーベールの作品はショパンのピアノ曲にオーケストレーションを施した2巻から成る曲である。プレリュード、エチュード、マズルカを中心にノクターン、ロンド、ワルツ、即興曲、果ては葬送ソナタの第2楽章などを見事に編曲してゐる。恐らく選曲が適切なのだらう、無理がなく、原曲を貶めることなく編曲に成功してをり、「レ・シルフィード」よりも優れてゐるのだ。演奏も雰囲気満点で「別れの曲」などは絶品だ。ラヴェルが素晴らしい。気怠いパリの情感を表出した稀有な演奏で、妖しき色気を発散させてゐるラ・ヴァルスは特に良い。パヴァーヌの冒頭のホルンの美しさは古今最高であらう。


バッハ(偽作):カンタータ第189番「わが魂はほめ讃ふ」、ハイドン:協奏交響曲、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
ピエール・ベルナック(Br)/マルグリット・ロン(p)
パリ音楽院管弦楽団、他
[A Classical Record ACR 42/43]

 ミュンシュがコンセールヴァトワールを指揮してゐた時代の最初期録音を復刻した第2巻目。2枚組の1枚目を聴く。ロンとのベートーヴェンは大変有名で、他にも復刻があつた。別項でも記したので割愛する。ホフマンが作曲したとされるカンタータをバッハの作品でないからと差別してはいけない。ベルナックの高貴で献身的な歌に胸打たれる極上の名演なのだ。ミュンシュの指揮は浪漫的な音楽に立脚しつつ、典雅さを添へた情緒豊かなもので、ベルナックの歌唱と等質性があり素晴らしい。ハイドンが忘れ難い名演。ヴァイオリンにローランド・ シャルミー、チェロにアンドレ・ナヴァラ、オーボエにミルティル・モレル、バソンに何とフェルナン・ウーブラドゥと豪華な名手を揃へてゐる。独奏だけでなく、管弦楽も含めフランスの瀟酒な演奏に陶然となる至福の名盤である。特にウーブラドゥのバソンは貴重な記録だ。趣向を違へた古典的な演奏が他にもあるだらうが、艶のある藝術的な価値で当盤を超える演奏はない。


モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、ドラノワ:セレナード・コンチェルタンテ、毛皮の履き物、ハルフテル:ポルトガル狂詩曲、サマズィーユ:夜
アンリ・メルケル(vn)
パリ音楽院管弦楽団、他
[A Classical Record ACR 42/43]

 ミュンシュがコンセールヴァトワールを指揮してゐた時代の最初期録音を復刻した第2巻目。2枚組の2枚目を聴く。サマズィーユの作品以外は伴奏である。夜はドビュッシーの亜流のやうな作品である。モーツァルトのニ短調協奏曲はジャン・ドワイヤンのピアノ独奏だ。フランスを代表する名手による瀟酒な演奏が心憎い。独創的で洒落たカデンツァが良い。しかし、別段贔屓にするほどの演奏でもなからう。当盤で興味を惹くのはアンリ・メリケルのヴァイオリンが聴けるドラノワの2曲だ。セレナーデ・コンチェルタンテは3楽章の野趣溢れる曲で、毛皮の履物は2曲から成る組曲であるが、ヴァイオリン独奏は1曲だけだ。濃密で表情的なヴィブラートを駆使するメルケルの熱い音が楽しめる。マルグリット・ロンが弾くハルフテルの大曲のことは別項で書いたので割愛する。


ビゼー:交響曲、ルーセル:蜘蛛の饗宴、ヘ調の組曲、小組曲、サン=サーンス:死の舞踏
ロンドン・フィル、他
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9809]

 ミュンシュの非常に珍しい初期録音を復刻した1枚。1946年から1948年の録音だ。小組曲がコンセールヴァトワールと、ビゼーとルーセルの2曲が1947年6月にロンドン・フィルと、サン=サーンスがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と行つた録音だ。恐らく初録音であつたビゼーの交響曲に注目だ。この曲はヴァインガルトナーが発掘初演を行ひ、すぐ後に続いてミュンシュがフランス初演を果たした。ミュンシュはロイヤル・フィル、フランス国立管弦楽団との再録音をして評判が良いが、このロンドン・フィル盤が断然良い。テンポは史上最速で衝撃的だ。響きは贅肉がなく躍動感がある。前衛的な演奏で、ビーチャムやクリュイタンスの名盤も保守的で退屈に聴こえる。伝道師としての気迫を示した決定的名盤だ。ルーセルは洗練された響きで、才気煥発な若きミュンシュの良さが出てゐる。パレー盤と双璧の名演だ。


ベートーヴェン:交響曲第8番
メンデルスゾーン:宗教改革交響曲
パリ音楽院管弦楽団
[DECCA 484 0219]

 デッカ録音全集14枚組。ミュンシュはモノーラル時代にコンセール・ヴァトワールやロンドン・フィルなどを振つて相当数の録音を残したが、殆ど聴くことが出来なかつたので愛好家感涙の復刻だ。このベートーヴェンとメンデルスゾーンは1947年の録音。ボストン交響楽団就任後に優れた再録音があるので、取り立てて価値がある訳ではないが、若々しくテンポも速めなのが特徴的で捨て難い魅力がある。一方で音楽が軽く上滑りしてゐる感がある。仕上がりも良い名演なのだが、感銘は乏しいと云はざるを得ない。特に宗教改革交響曲の終楽章の速さは落ち着きがなさ過ぎる。


ベートーヴェン:交響曲第7番、祝賀メヌエット変ホ長調WoO.3
シューベルト:交響曲第2番
ボストン交響楽団
[RCA 88875169792]

 RCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。1949年12月の録音で、この年にクーセヴィツキーの後を襲ひボストン交響楽団のシェフとなつたばかり。ミュンシュとボストン交響楽団の最も古い記録なのだ。第7交響曲は意表外にも正規録音では再録音してをらず、この古いモノーラル録音しかない。ライヴ録音宛らの熱気溢れる演奏で上出来だ。珍品中の珍品と云へるメヌエットは滅法楽しい。さて、お気に入りのシューベルトが良い。この曲はステレオでも再録音してをり愛着の度合ひが感じられる。曲に若々しい息吹が宿つた屈指の名演だ。


ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
シューマン:交響曲第1番
イェフディ・メニューイン(vn)
ボストン交響楽団
[RCA 88875169792]

 RCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。1951年、最初期のモノーラル録音。メニューインとの共演記録はこれが唯一だ。メニューインはブルッフを大変得意にしてゐて、最初の協奏曲録音もこの曲であつた。何種類も録音してゐるが、粘度が高い名演ばかりで、当盤でも熱量が高い名演を繰り広げて呉れる。だが矢張り最初のロナルド共演盤が一番良い。さて、ミュンシュはシューマンの第1交響曲をRCAヴィクターに2回も録音した。この旧録音は音質の面で価値が落ちるが、内容は優れてゐる。新盤の特徴であつた派手な明るさはなく、正統的な力強いロマンティシズムが聴ける。よりシューマンの音楽に近いのは旧盤なのだが、その分、没個性の嫌ひがある。


ベートーヴェン:交響曲第5番
シューベルト:未完成交響曲
ボストン交響楽団
[RCA 88875169792]

 RCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。LP時代の定番カップリングだ。ベートーヴェンは第1楽章でも繰り返しを行はず片面に入れ込んだ。第5がこんなに朗らかで明るく演奏されるのも珍しいだらう。悪いところはひとつもないが、曲の醍醐味からは程遠い。寧ろミュンシュ流に不真面目に極彩色で仕上げた方が良かつただらう。シューベルトも溌溂として明るい。沈鬱にならずに哀愁と憧憬が織り交ざり、美しい歌が流麗に流れる。強奏もきつくならずに節度があり好ましい。弱音の繊細な表現も良い。とは云へ、無難で詰まらない。夥しく録音がある曲なので特徴が薄いのは致命的だ。


ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
ボストン交響楽団
[RCA 88875169792]

 RCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。ミュンシュとボストン交響楽団は華麗かつ色彩的な演奏が特徴だが、ベートーヴェンでも兎に角明るい。だから、深刻さや闘争心が不足し、表面的な盛り上がりだけで空虚な演奏に聴こえて仕舞ふ。だが、田園交響曲だけは伸び伸びとした屈託のない牧歌的な情景を描くことに成功してをり好ましい。嵐が幾分食ひ足りないが、楽しく美しい田園交響楽を求めるならミュンシュ盤が最適なのだ。


チャイコフスキー:弦楽セレナード
バーバー:弦楽の為のアダージョ
エルガー:序奏とアレグロ
ボストン交響楽団
[RCA 88875169792]

 RCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。弦楽合奏曲のアルバムだ。ミュンシュはフルトヴェングラー麾下ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンツェルトマイスターといふ経歴の持ち主で、弦楽器の特性を知り抜き、アンサンブルの何たるかを歴戦の経験で習得した人物である。音楽がどれだけ自由に動けるかを余裕をもつて楽しむことが出来た数少ない指揮者であつた。3曲とも自在で一瞬たりとも気の抜けた処がない名演揃ひである。中ではバーバーが頭一つ出た名演だ。甘さや感傷はなく、トスカニーニのやうな癖もない。静寂さと沈鬱さが美しく、内に秘めた熱情が垣間見れる極上の名演である。チャイコフスキーも熱気があつてロマンティックで良い。しかし、憂愁や悲哀が薄く、幾分騒がしい印象があり居心地が悪い。エルガーは良い部分もあるが、熱量だけで推し進めた感があり、バルビローリと比べると高貴さが足りない。


メンデルスゾーン:イタリア交響曲、宗教改革交響曲
スミス:星条旗
ボストン交響楽団
[RCA 88875169792]

 RCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。ベルリオーズや近代フランス音楽の華麗な音響でこそミュンシュとボストン交響楽団の真価は発揮されたが、メンデルスゾーンの録音でもその魅力は存分に堪能出来る。兎に角素晴らしい録音で、ハイファイ・ステレオの威力を味はへる。ミュンシュはドイツ音楽でも数々の名演を残したが、メンデルスゾーンには特に相性の良さを感じる。演奏は一言で云へば偉大なるトスカニーニに酷似してをり、宗教改革交響曲の両端楽章のテンポ設定に顕著に認められる。トスカニーニほどリズムの弾み方に鋭さがない反面、管楽器の色彩的な響きには分がある。何よりも僅か数年の違ひなのに録音技術に格段の差があり、音の生命力を考慮に入れればミュンシュ盤は互角に立てる。イタリア交響曲第1楽章冒頭の弾ける躍動感、宗教改革交響曲第1楽章コーダの熱い昂揚感、これらはトスカニーニ以上だ。浪漫的で大らかなミュンシュの棒が鮮やかな名盤である。余白に収録されたスミスは珍品だ。


ベートーヴェン:交響曲第3番
ボストン交響楽団
[RCA 88875169792]

 RCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。1957年の録音。ミュンシュにとつてベートーヴェンは中心的なレペルトワールとは云へず、演奏内容も取り立てて特筆すべき箇所が見当たらない。エロイカも特徴は兎角に明るいことだ。開放的な響きで、テンポも浮ついて、終始楽しげである。第3楽章や第4楽章はそれなりに聴けるが、深刻なベートーヴェンはどこ吹く風、能天気な演奏で困る。拘泥はりの解釈があればよいのだが、全体を通して特に冒険もなく、熱気はあるが、元気が良くだけで悩みの少ないエロイカなのだ。


バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全6曲)
ボストン交響楽団
[RCA 88875169792]

 RCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。1957年、ミュンシュはタングルウッド音楽祭でブランデンブルク協奏曲を取り上げ、勢ひで録音もした。豪快で色彩的なミュンシュの演奏がバッハの型に嵌るとは到底思へず、時代錯誤甚だしい下手物録音が産み落とされたと早とちりしてはいけない。なかなかだうして面白い演奏なのだ。当時目覚ましく研究が進んだバッハ解釈には一切頓着せず、モダン楽器で純粋に音楽を奏でることに徹してゐる。第1番の第1楽章は傑作だ。快活なテンポでホルンは遠慮なく強奏する。威勢が良く気に入つた。第2番のトランペットも華やかだ。かうでなくてはならぬ。アンドレが吹くシューリヒト盤には及ばないが素敵な演奏だ。第3番と第4番は凡庸な出来だ。興味深いのは第5番だ。他の曲ではチェンバロを入れてゐるのに第5番の独奏楽器としてはピアノを選択してゐるのだ。様式美ではなく機能美を追求してをり潔い。実は第6番が予想外の名演だ。良い演奏の少ない曲なのだが、思ひ切つた解釈が際立つてゐる。第2楽章では何とcon sordinoで淫靡な美しさを聴かせる。一方、第1楽章と第3楽章は爽快なテンポで楽器を鳴らし、畳み掛けるやうに歌ひ抜き、曲を我が物にしてゐる。第6番は臆せずにミュンシュ盤を推さう。


ベートーヴェン:交響曲第9番、同第8番
レオンティン・プライス(S)/モーリン・フォレスター(A)/ジョルジョ・トッツィ(Bs)、他
ボストン交響楽団
[RCA 88875169792]

 RCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。リヴィング・ステレオの威力が発揮された名盤である。第9交響曲は第1楽章が物凄い。終始熱量が凄まじく圧倒される。ドイツの指揮者らが奏でた霊妙で深淵な表情は一切なく、能天気に音を鳴らし切るのだが、極上の録音により抗ふことの出来ない快楽に溺れる。天晴だ。第2楽章も痛快で、情愛ある第3楽章もミュンシュならではだ。豪華歌手陣を配した第4楽章は壮麗極まりない。この曲に精神性を求める方には暴挙に近い演奏だが、祝典的な音楽としては圧倒的な成果を上げてゐる名演だ。第8交響曲はミュンシュには打つて付けの楽想で、底抜けに明るく豪快な笑ひを撒き散らして行く。小さく纏めることはなく、振り切つた極上の名演だ。この曲は両端楽章の緊密な書法が特徴で、細部の表情まで分離よく聴き取れる録音でこそ真価を発揮する。内声部が分厚い響きを保ち沸き立ち乍ら、高音と低音の声部が凌ぎを削るのだ。


シューベルト:グレイト交響曲
ボストン交響楽団
[RCA 88875169792]

 RCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。グレイト交響曲は溌溂として明るく、ミュンシュの良さが出た名演だ。ボストン交響楽団の肉感豊かな明るい音色を臆せず前面に押し出し、朗らかな歌が充溢してゐる。ゲヴァントハウス時代にフルトヴェングラーから徹底的に仕込まれたと思はれ、全体の見通しと流れが良いのも特筆したい。第2楽章もトスカニーニのように軽率ではなく安心して聴ける。爽快な第4楽章は取り分け名演だ。


シューマン:交響曲第1番、「マンフレッド」序曲
ボストン交響楽団
[RCA 88875169792]

 RCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。ミュンシュはフランス音楽とドイツ音楽を両輪として生命力溢れる演奏を繰り広げた。シューベルト、メンデルスゾーン、シューマンら初期ロマン派の作品では、底抜けに明るい躍動感ある演奏が魅力でもあるし、豪快過ぎて繊細な詩情の欠片もない嫌ひがある。第1交響曲は若やいだ曲想との相性が良く、邁進する演奏が清々しい。この曲の名演のひとつとして推奨出来る。序曲は鬱屈さが不足し直線的で物足りない。


メンデルスゾーン:スコットランド交響曲、八重奏曲よりスケルツォ
ボストン交響楽団
[RCA 88875169792]

 RCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。スコットランド交響曲はイタリア交響曲や宗教改革交響曲と同様に豪快で明るく力感に溢れてゐる。第1楽章からティンパニの荒れ狂ふ乱打が特徴的だ。明るく若々しい第2楽章終は決まつてゐる。楽章の猛然たる進撃は湧き立つてゐる。壮麗なコーダも見事だ。とは云へ、曲想との齟齬は如何ともしがたい。この曲は雰囲気を重視しただけの軟弱な演奏も良くないのだが、どうもミュンシュ盤は明る過ぎて困る。八重奏曲のスケルツォは天晴れな名演で、トスカニーニ盤に比肩する出来だ。


ベルリオーズ:幻想交響曲
ボストン交響楽団
[RCA 88875169792]

 ミュンシュのRCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。1962年の録音。RCAヴィクター・レーベルにボストン交響楽団と残した最後の録音である。国際ベルリオーズ協会会長としての威信を賭けた置き土産と云へよう。さて、ミュンシュにはリヴィング・ステレオ最初期、1954年にも録音がある。録音が人工的で生々しく、派手で明るい管楽器の音色が前面に出、テンポが速く、煽りも暴走気味で良くも悪くも個性全開であつた。第5楽章は賛否あらうが破茶滅茶で最高であつた。さて、8年の時を経て再録音された当盤はだうかと云ふと、どこもかしこも完成度が高い一方、安全運転なのだ。録音は自然で好感が持てるが、刳味が恋しくなるのはだうしたことだらう。響きも程よく調和され、安つぽさと尖つた面白みが減退した。テンポもやり過ぎたところがなく仕上がりが上品になつた。必ずしも再録音が旧録音を上回る訳ではない好例だ。軈てミュンシュはパリ管弦楽団との録音で思ひの丈を打ちまける。


サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番
ラロ:チェロ協奏曲
アンドレ・ナヴァラ(vc)
ラムルー管弦楽団
[Warner Classics 0190295611989]

 EMIとERATOへの録音集13枚組。1965年のエラート録音だ。ナヴァラが主役だが、情熱的な音の塊を投げつけるミュンシュの八面六臂の活躍にも面白みがある。爆発したやうなtuttiの衝撃、扇情的なクレッシェンドが凄まじく、ナヴァラを呑込んでゐる。ナヴァラはフルニエと共に戦後フランスを代表する名手だが、ナヴァラは感情の振幅が大きく、音程の揺れを伴ふ程の濃密なヴィブラートで音色に変化を付け、振り絞るやうに歌ふ熱血漢であり、貴公子フルニエとは毛色が異なる。総じて劇的なサン=サーンスの方が出来がよいが、両曲ともにフルニエの名盤に及ぶものではない。


オネゲル:交響曲第4番「バーゼルの喜び」
デュティーユ:メタボール
フランス国立管弦楽団
[ERATO 2292-45689-2]

 ミュンシュはボストン交響楽団を勇退後、故国に戻りフランス国立管弦楽団と一期一会の名演を繰り広げた。この時期の記録は主にライヴで残されてゐるが、ERATOにも多くセッション録音を行つた。両曲とも唯一の録音であり、ミュンシュが自家薬籠中としたレペルトワールだけに重宝する。オネゲルはライヴのやうな激烈さはないものの、牧歌的な曲想だけに好都合で申し分のない出来である。躍動的な第3楽章が痛快だ。ディティーユは難解な現代曲だが、神秘的な音色で荘厳に聴かせる。


ルーセル:交響曲第3番、同第4番
ラムルー管弦楽団
[ERATO 2292-45687-2]

 1965年4月の録音で、ミュンシュ晩年の名録音のひとつ。両曲とも1両年中にフランス国立管弦楽団とライヴ録音を残してゐるので、比較への興味が湧く。ミュンシュの特徴は興奮と狂奔であるから、節制されたセッション録音よりも実演の方に真価が顕はれることが多いが、当盤に関する限りそのやうな懸念は全くない。全曲に亘り猛り狂つた情熱が音の塊となり飛び掛かつて来る。音質もスタジオでの収録だから申し分なく素晴らしく、最早ライヴ録音などは比ではない。第3番第1楽章冒頭を聴いただけでこの録音が尋常ならざる代物であることが諒解出来る。第3番第3楽章、第4番第1楽章や第4楽章などの熱気―取り分け刺激的なトランペットによる煽情を冷静に聴くのは容易なことではない。激烈な怒号で畳み掛ける雄渾なミュンシュ盤は、肉感溢れたクリュイタンス盤の絢爛たる音の洪水と双璧を成す究極の演奏である。


ベートーヴェン:序曲「献堂式」、交響曲第7番、同第4番
フランス国立管弦楽団
[AUVIDIS VALOIS V4825]

 ミュンシュが振るベートーヴェンは大味で雑な嫌ひがあるものの、全身を打ち込んだ真剣勝負が聴ける。他人行儀で綺麗事を並べたベートーヴェンなぞ願ひ下げだ。曲想としても第7番が好調で、ティンパニの雄弁さを筆頭に低音部が生き生きとしてゐる。テンポも堂々たるもので、フルトヴェングラーを彷彿とさせるデュオニュソスの狂乱が楽しめる劇的な演奏だ。第1楽章と第4楽章における気違ひじみた昂揚は滅多に聴けるものではない。但し、元気が良過ぎるのか、第2楽章は些か感銘が落ちる。第4交響曲も重厚かつ勇壮な名演で、第1楽章の爆音を轟かせながら疾駆する様は圧巻である。しかし、第2楽章以降はやや単調で大したことはない。序曲も同傾向の演奏だが、音楽の緊密度が薄いからか騒々しくて品がなく聴こえて仕舞ふ。


ベルリオーズ:幻想交響曲、「海賊」序曲、「ベンヴェヌート・チェッリーニ」序曲
フランス国立管弦楽団
[AUVIDIS VALOIS V4826]

 ベルリオーズ協会会長を務め、主要作品を殆ど録音したミュンシュ晩年の名演集。何れの曲もセッション録音での決定盤があるので、ライヴならではの気魄を味はふのが当盤の役目とは云へ、凡百の指揮者とは次元の違ふ激しいストレッタに、ベルリオーズはかうでなければならぬと云ふ思ひを新たにさせられる。ミュンシュの唸り声が飛び交ひ、正気の沙汰とは思へぬ荒ぶれ方は作品の核心を突く。第3楽章の切迫した狂ほしい熱情は殊更胸に迫る。それ以上に2つの序曲の出来が優れてゐる。両曲とも熱い血潮が噴き出た名演だ。愛好家は是非聴いてをきたい。


ブラームス:交響曲第2番
シューマン:交響曲第4番
フランス国立管弦楽団
[AUVIDIS VALOIS V4827]

 ミュンシュが得意としたドイツ・ロマン派の名曲。聴きものは矢張りブラームスで、尋常でない熱の籠りやうは辟易するほど凄まじく、造型が崩れて仕舞つてゐるとは云へ、壮絶な感情移入を求める向きには歓迎されよう。何度となく混入されるミュンシュの唸りや叫びや足踏みが音楽を煽りに煽り、オーケストラも火を吹くやうに燃えてゐるが、フレーズの流れや和声感を無視した嗜虐的な情熱がアンサンブルの乱れを招いてゐるのも事実だ。恐ろしいほど引き延ばされたニ長調の終結和音も狂気の沙汰で、面白さはあるが真つ当な演奏ではない。比べてシューマンは目立つた特徴のない平凡な出来。


ドビュッシー:映像より「イベリア」、ピアノと管弦楽の為の幻想曲、海
ニコル・アンリオ=シュヴァイツァー(p)
フランス国立管弦楽団
[AUVIDIS VALOIS V4828]

 1962年5月8日ドビュッシー・フェスティヴァルでの実況録音。「イベリア」と「海」は米RCAにもボストン交響楽団と録音を残してゐるが、矢張り同じフランス国立管弦楽団と行つた1966年のコンサート・ホール・ソサイエティ録音との比較が興味深い。瞬間における激昂に良さが見出せるものの、結論から云へばこのライヴ録音の価値は殆どない。ミュンシュは実演で燃え上がり真価を発揮したが、ドビュッシーのやうな繊細な作曲家の作品では粗雑さばかりが目立つて仕舞ふ。煽りの激しい情熱的な棒の為、アンサンブルが常に動揺し、響きが濁る。セッション録音の方が数段良い出来だ。盟友アンリオとの幻想曲も同様のことが云へる。この曲には他にもう1種録音があつた筈だが未聴である。


フランク:交響曲
フォーレ:「ペレアスとメリザンド」組曲
フランス国立管弦楽団
[AUVIDIS VALOIS V4829]

 ミュンシュがフランクの交響曲に稽古を付けてゐる映像を見たことがあるが、この曲に狂気を見出すことを表明してゐたと記憶してゐる。それは勿論曲解であらうが、如何にもミュンシュらしい言葉だと思ふ。当盤は正しくその信念を通した激烈なる演奏で、弦楽器が第1楽章主部から全霊を打ち込むやうに熱い旋律を奏でる。展開部でもピッツィカートを手始めにテンポを煽り、次第に熱を帯びた音楽が発火し狂乱に至る。緩急の振幅を伴ひながら形が崩れてゐないのは流石だ。細部の仕上げが雑に感じるのは否めないが、フランクから燃え盛る情熱を聴かせた名演として感慨深い。第2楽章は凡庸だが、第3楽章は気力が漲り、加速著しいコーダで爆発する。一方、嫋やかな抒情が息衝くフォーレの作品だと、ミュンシュが情熱の遣り場に困つてゐるやうで一寸気の毒だ。出来は悪くないが取り立てて良い箇所もない。


オネゲル:交響曲第1番
ディティーユ:交響曲第2番
フランス国立管弦楽団
[AUVIDIS VALOIS V4830]

 ミュンシュの残した録音の中でも飛び切り壮絶な名演。オネゲルの第1番は唯でさへ密度の濃い劇的な曲だが、ミュンシュが振ると生死を賭けた音楽になる。冒頭から何事が起こつたのかと腰を抜かす怒号のやうな音楽。叫び呻く金管の訴へに鳥肌が立つ。ミュンシュはオネゲルの交響曲全5曲の録音を残してをり、ベルリオーズに次ぐ重要なレペルトワールであつたと云へるが、この第1番の演奏こそ最高傑作ではないか。無論、他の指揮者の入り込む余地などない。ディティーユは幾らか感銘が落ちるが、難解な曲想を一気に聴かせる緊張感は、熱血漢ミュンシュの面目躍如だ。


オネゲル:ニガモンの歌、夏の牧歌、交響曲第2番、同第5番「3つのレ」
フランス国立管弦楽団
[AUVIDIS VALOIS V4831]

 ベルリオーズと並んでミュンシュが自家薬籠中としたオネゲルの名演集。ニガモンの歌と夏の牧歌はこれが唯一の録音となるので貴重この上ない。冒頭から鬼気迫る緊張感を漂はせたニガモンの歌が佳演だ。夏の牧歌は何処か落ち着きがなく、期待した程の出来ではない。ミュンシュが使命感をもつて取り上げた第2交響曲は、ボストン交響楽団やパリ管弦楽団とも録音を残してをり仕上がりではそれらを採りたいが、当盤はライヴならではの感興が素晴らしく第3楽章の興奮振りは聴き応へがある。第5交響曲はそれ以上の出来で当盤の白眉と云へる。オネゲルはミュンシュとボストン交響楽団にこの曲を献呈した。このコンビによるRCA録音は他を寄付けない圧倒的な演奏だが、当演奏に比べると派手で楽天的な響きがする。このライヴは第1楽章や第3楽章でトランペットが暗き淵より不気味な呻きをあげる様が楽曲の本質を突いてををり、間然するところのない名演となつてゐる。


ルーセル:交響曲第3番、同第4番、「バッカスとアリアーヌ」組曲第2番
フランス国立管弦楽団
[AUVIDIS VALOIS V4832]

 ミュンシュがオネゲルと共に得意とした演目。全ての曲をセッション録音で残してゐるが、当盤はライヴ録音故の些細な失敗もあり、何よりも音質での比較では分が悪い。ミュンシュは実演で燃え上がる指揮者で、常軌を逸した興奮を聴かせてセッション録音よりも魅力が大きいのが恒であるが、2つの交響曲に関してはラムルー管弦楽団とのより燃焼度の高いエラート録音がある為に価値が劣る。それ程までエラート盤の演奏が傑出してゐるのだ。「バッカスとアリアーヌ」はボストン交響楽団を振つた録音と甲乙付け難い出来だ。当盤は官能的なリビドーを漂はせた情念が素晴らしく、幕切れのバッカナールは殊更凄まじい。


シベリウス:トゥオネラの白鳥、レンミンカイネンの帰郷
フランス国立管弦楽団
[AUVIDIS VALOIS Q 869]

 これはAUVIDIS VALOISが集成したミュンシュとフランス国立管弦楽団とのライヴ録音集「シャルル・ミュンシュ頌」の特典盤であり、単品では入手出来ないものである。ミュンシュがシベリウスを振つた極めて珍しい音源であり、愛好家には特別な興味を惹く1枚に違ひない。通常は澄んだ物悲しい階調で奏でられるトゥオネラの白鳥だが、不気味な予感を漂はせた劇的な表現はミュンシュならではだ。闘争心に充ちたレンミンカイネンの帰郷も見事。決して異端の演奏ではない。


ベルリオーズ:幻想交響曲
ハンガリー放送管弦楽団
[DECCA 484 0219]

 デッカ録音全集14枚組。これは蘭フィリップスが商品化した1966年の放送録音だ。ミュンシュがハンガリーに赴いた際に行はれた録音で、極めて珍しい組み合はせに興味が湧く。堅実な管弦楽のアンサンブルが聴けるのが魅力だが、ミュンシュの振る幻想交響曲は情念の沸騰で羽茶滅茶な世界を築くのが醍醐味であり、正直申して当盤の演奏は生温く聴こえる。第3楽章など翳りのある管楽器の独奏が美しく、精緻な合奏は派手で明るいボストン交響楽団やパリ管弦楽団の録音からは得られない特徴であるのだが、激しいトッティの煽り立てが行はれる箇所では物足りなさを感じるのだ。第1楽章はパリ管弦楽団との録音、第5楽章はボストン交響楽団との旧録音が最高であり、他のあらゆる演奏を顔色なからしめる。


ベルリオーズ:幻想交響曲
ストラヴィンスキー:レクィエム・カンティクルス
ドビュッシー:海
パリ管弦楽団、他
[Altus ALT229/30]

 Altusレーベルによる快挙である。1967年11月14日、新生パリ管弦楽団と初代音楽監督ミュンシュによるお披露目公演の録音が残つてゐた! この年の6月に支柱であつたクリュイタンスが急逝し、パリ音楽院管弦楽団は存続を危ぶまれたが、文化相大臣マルローの肝入りによる国策として、パリ管弦楽団へと改編されることになつた。シェフには老ミュンシュが招聘された。結成時にEMIにベルリオーズ、ブラームス、ラヴェル、オネゲルの不滅の名盤が録音されたが、燃え尽きたミュンシュは翌年には大往生して仕舞ふ。まさかパリ管弦楽団の初公演が聴けるとは。凄まじい名演であり、これ迄日の目を見なかつたのが解せない。ミュンシュの気がえらく入つてをり、常以上の煽りで演奏は確かに粗い。藝術的な仕上がりといふ点で疑問符を付けることは可能だが、聴衆を興奮の坩堝に巻き込む命懸けの棒に魅せられる。真似が出来るものではない。ミュンシュの切り札である幻想交響曲から公演は始まる。熱気と色気が凄まじく、気合ひが猛烈で嵐のやうに荒れ狂ふ。掛け声が随所に入るが、第5楽章では一段と増し、狂気を最大限に引き出した圧巻の名演だ。前年に作曲されたばかりのストラヴィンスキーの最後の作品は十二音技法を取り入れた前衛的な曲で独唱と合唱を伴ふ。鋭い切り口で会心の名演だらう。ドビュッシーが凄い。煽り立てて大時化の荒海と化す。やり過ぎではあるが、これぞミュンシュである。



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