楽興撰録

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2017.4.29以前のCD評
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アレクサンダー・ブライロフスキー(p)/初期録音(1928年〜1934年)/スカルラッティ、ヴェーバー、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リスト、ドビュッシー、スクリャービン [Pearl GEMM CD 9132]
電気録音初期、ポリドールやグラモフォンへの録音の復刻。副題に「レシェティツキの伝統」とあるが、正にレシェティツキの教へを受け継いだひとりであることが如実に伝はる1枚だ。何よりも収録された演目が物語る。タウヒジ編曲スカルラッティ「パストラーレとカプリッチョ」、ヴェーバーのピアノ・ソナタより「無窮動」、シューベルト「軍隊行進曲」、メンデルスゾーン「スケルツォ」は門下一同が得意とした演目だ。端正で底光りするピアニズム、和声に含蓄を持たせるタッチ、上品さを失はないルバート、実に素晴らしい。ただ、キエフ出身のブライロフスキーとオデッサ出身のモイセイヴィッチは藝風が被る。演目でもリスト編曲ヴァーグナー「タンホイザー」序曲は食ひ合つてゐる。ショパンの演奏では特性の違ひが出る。装飾過多なサロン風で、深刻にならない洒脱さを指向したブライロフスキーはモイセイヴィッチよりも一層繊細でsnobbismが強い。若い頃にパリで絶大な人気を誇つたブライロフスキーが渡米して名声を保てなかつたのは活動の場を間違へたからだ。この初期録音はレシェティツキ門下の優等生が刻んだ輝かしき記録だ。(2017.10.15)

ベートーヴェン:交響曲第4番、同第8番/ルガーノ放送管弦楽団/ヘルマン・シェルヘン(cond.) [MEMORIES REVERENCE MR2412/2417]
奇才シェルヘンの名を一躍知らしめたルガーノ放送管弦楽団とのベートーヴェン・ツィクルス。この2曲は特に衝撃的だ。第4番は序奏から主部に移行する直前のフォルテに入つた途端、シェルヘンの激しい一喝を合図に猛烈なアクセルがかかる。序奏のテンポとの連関性はなく、鬼軍曹の号令と共に強制的に全力疾走を強いられた格好だ。聴き手は一様に興奮させられるだらう。コーダでも手抜き厳禁の一喝が入る。第3楽章や第4楽章も激烈だ。第8番はこのツィクルス中で最も刺激的な演奏だ。第1楽章冒頭から空前絶後の爆走テンポで暴れまくる。ルガーノ放送管弦楽団が音楽を咀嚼出来ないまま、強制的に行軍させられる。危険な熱気を孕み、聴き手を一瞬たりとも安心させない。激しいスクラッチ・ノイズを鳴らす第3楽章も凄い。そして、第4楽章、最初のフォルテでお馴染みの一喝があり、音楽が発火する。機関銃のやうな音形が連続し、凶暴な演奏が持続する。野人ベートーヴェンの極限的な演奏を示したシェルヘン恐るべし。(2017.10.12)

ドヴォジャーク:スラヴ舞曲第1集&第2集(全16曲)、謝肉祭/チェコ・フィル/ヴァーツラフ・タリフ(cond.) [Naxos Historical 8.111331]
スラヴ舞曲が1935年11月27日、謝肉祭は翌日28日の録音。ロンドンのアビー・ロード第1スタジオにおける英HMVレーベルへの録音。タリフは戦後にチェコ・スプラフォンに再録音をしてゐるが、この戦前の録音の価値が減じることはない。オバート=ソンによる復刻で音質も上等で比較しても遜色ない。まず、この旧盤と新盤との明確な違ひはテンポが全ての曲で速いことだ。覇気があり、推進力があり、舞踏に熱気がある。アンサンブルも引き締まつてゐる。それだけではない。音色全体に艶があり、陰影が深い。土俗的な粘りと哀愁を帯びた陰りは余人の追随を許さない御國物の強みだ。チェコ・フィルの強い自信も感じる。謝肉祭も威勢が良い名演。(2017.10.9)

ドヴォジャーク:交響曲第7番、同第8番/ハレ管弦楽団/サー・ジョン・バルビローリ(cond.) [The Barbirolli Society SJB 1071-72]
英バルビローリ協会による決定的な新リマスタリング盤。1957年から1959年にかけてPYEレーベルに録音されたドヴォジャーク作品集2枚組。1枚目は交響曲第7番と第8番だ。第7番は違ふ曲かと思ふほど異常な演奏だ。熱い。異常に熱く、むらむらした官能、あけすけな情欲、南国ラテンの血が騒いだ畑違ひの熱演なのだ。第7番の楽想は暗く、晦渋、重厚、鬱屈した印象があるが、バルビローリの演奏には微塵もそんな要素を感じない。第1楽章冒頭からクラリネットの明るい音色、ヴァイオリンのぎらついた歌が全開だ。快速テンポで全楽器が激しいアクセントを付け、脂ぎつたヴィブラートを伴ひながら歌ひに歌ひまくる。第1楽章頂点の追ひ込みは破滅寸前の沸騰、第4楽章最後の興奮も凄まじい。細部の精度を犠牲にした箇所もあるが、勢ひが断然上回り気にならない。異形の演奏だが、ここまでやると清々しい。中途半端な演奏が多い曲なので、バルビローリ盤は別枠で特薦したい。第8番も同様の演奏で熱気と歌が溢れる。ただ、米國ではとうに派手な演奏が横行してゐたから、第7番ほどの異常さは感じない。否、一点、特筆したいのは第3楽章の第1トリオのヴァイオリンによるポルタメント指定だ。とろけるやうに甘い。(2017.10.7)

ミヨー:序奏と葬送行進曲、ダッラピッコラ:「マルシア」組曲、ヴェルディ:「シチリアの晩鐘」序曲、ハイドン:交響曲第93番/NBC交響楽団/グィード・カンテッリ(cond.) [TESTAMENT SBT4 1317]
英TESTAMENTによるカンテッリがNBC交響楽団と行つた放送用演奏会の商品化で、その日の放送ごとに纏めた好企画盤。第2巻の2枚目を聴く。1950年12月11日の放送だ。カンテッリの才能を弥が上にも思ひ知る名演の連続だ。統率力が尋常ではなく、演奏の集中力も天晴。前半の2曲は珍しい演目と云へる。ミヨーの曲はフランスの7人の作曲家らによる合作「7月14日」の中の1曲。演奏は威勢が良く多彩な表情で聴かせる。見通しが良くて五月蝿くならないのも見事だ。ダッラピッコラは故国の作曲家への敬意が溢れてゐる。十二音技法の作曲家による最後の調性音楽である「マルシア」は、現代的な響きの中に叙情性があり、カンテッリの冴えた棒で聴き応へがある。偉大なヴェルディの序曲も燃えてゐる。トスカニーニの臨界点に達した演奏には僅かに及ばないが大変な名演だ。NBC交響楽団デヴュー公演の演目であつたハイドンはカンテッリの十八番だ。当盤の演奏も文句なく素晴らしいが、完成度はセッション録音に譲らう。(2017.10.3)

モーツァルト:大序曲、フルートとハープの為の協奏曲、交響曲第31番「パリ」、「テッサリアの人々」/フランソワ=ジュリアン・ブラン(fl)/リリー・ラスキーヌ(hp)/アニック・シモン(S)/フェルナン・ウーブラドゥ(cond.)、他 [EMI 7243 5 73590 2 3]
「パリのモーツァルト」と題された高名なLP7枚のアルバムを未収録1曲のみでCD4枚に再構成した麗しきディスク。2枚目を聴く。大序曲変ロ長調K.311aは他では聴いたことのない珍しい曲だ。幾分要素が雑多に感じる曲ではあるが、華やかで威勢の良い曲なのでもつと演奏されてもよからう。有名な協奏曲だが、冒頭から鈍重なテンポで気分が滅入る。ブランのフルートもいただけない。技巧も弱く、音が頼りない。ラスキーヌが大変素晴らしい。ゆつたりしたテンポにより表情はespressivoを極め、ハープの美しさを堪能出来る。ラスキーヌは幾人ものフルーティストと録音を残してゐるが、ハープに関しては当盤の演奏が最上だらう。パリ交響曲は大変珍しい4楽章制による録音。モーツァルトの意図は判然としてゐないのだが、初演後に新たに作曲された楽章を挿入しての演奏で貴重だ。ウーブラドゥの指揮はもつたりしたテンポで大味かつ雑然としてをり、余り感心出来ない。レチタティーヴォとアリア「テッサリアの人々」K.316が美しい。可憐なシモンの歌声も良いが、名手だけを揃へた室内楽的な伴奏が実に巧い。(2017.9.30)

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、同第4番/NBC交響楽団/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.) [RCA 88697916312]
トスカニーニRCA録音全集84枚組。3枚目を聴く。田園交響曲は1952年、第4交響曲は1951年の録音。録音状態がモノーラル録音としては完成の域に達してをり、録音会場も8Hスタジオからカーネギー・ホールを使ふやうになつて、トスカニーニの藝術を求め得る最上の状態で鑑賞することが出来る。演奏は晩年の特徴で、筋肉質で厳しい鉄壁のアンサンブルと磨き抜かれた音色による高次元の完成度だ。だが、激賞される一方で、米國の機械文明そのものと嫌厭する聴き手も増えたのも事実だ。正直申せば、たとへ録音が古くても1930年代の演奏の方がしなやかで、色気と情熱があり、噎せ返るカンタービレがあつた。massiveを要求される演目では晩年の方が絶対的な録音を残したが、田園や第4番では整然とした力強い演奏といふ以上の感銘は受けなかつた。(2017.9.27)

ドヴォジャーク:スラヴ舞曲第1集&第2集(全16曲)/チェコ・フィル/ヴァーツラフ・タリフ(cond.) [SUPRAPHON 11 1897-2 001]
新規格盤でも出てゐるが、旧規格盤で取り上げる。タリフの戦後スプラフォン録音は角が取れて温かみのある演奏が特徴だが、機能美といふ点では締まりがなく、細部の精度がかなり落ちるといふのが正直な印象だ。戦前のHMVへの録音の方が熱気や合奏の迫力があつたやうに思ふ。とは云へ、侘び寂びとも形容すべき大人の味はひが出て捨て難い魅力もある。タリフによるスラヴ舞曲集は正に本場の伝統芸能を伝へた、洗練されてゐない訛りがあり、それが掛け替へのない特色である。だが、件に述べたやうに演奏に切れ味が感じられず、舞曲としてもたついた印象も受ける。最右翼に位置する個性的名盤であるが、演奏そのものには満足出来ない。(2017.9.24)

ドヴォジャーク:交響曲第7番、同第8番/ロンドン交響楽団/イシュトヴァーン・ケルテス(cond.) [Decca 430 046-2]
ケルテスの代表的名盤、ドヴォジャーク交響曲全集、6枚組の5枚目。ケルテスの録音で交響曲を第1番から第6番まで聴いて、第7番に到達した時に思ふのは集大成であるのと同時に転換点の曲だといふことだ。土俗的な重厚さは継承しつつ、民族色や旋律に頼らない技法の習得があるが、一皮剥けた第8番及び第9番との間にはまだ開きがある。ケルテスの演奏で特筆したいのは、第6番までの語法をしつかり踏まえての演奏であり、くすんだ土臭い響きで都会的な洗練の誘惑に溺れてゐない。ブラームスの影響を指摘されるが衒学的なブラームス風の演奏でもない。やや一本調子な嫌ひがあるが、粗野な力に満ち溢れてをり屈指の名演として推薦出来る。第8番もドヴォジャーク節を貫いた保守王道的な演奏だ。垢抜けない愚鈍さは予定調和そのもの、面白みはない。それだけに頂点における迫力は見事だ。名曲だけに個性的名演が犇めいてをり、中庸を行くケルテス盤は今一つ埋もれて仕舞ふ。(2017.9.21)

ハイドン:交響曲第93番、同第94番「驚愕」、同第95番/フィルハーモニア・フンガリカ/アンタル・ドラティ(cond.) [DECCA 478 1221]
ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。ザロモン・セットともなると突然多くの録音が存在するやうになり、競合盤が溢れる。それでもドラティの録音は一定の価値を保つてをり流石だ。第93番は一分の隙もない濃厚な第1楽章と素朴さと推進力を備へた第2楽章が上出来なのだが、後半の2つ楽章が落ち着いたテンポで今一つ盛り上がらない。残念だ。この曲はアンチェルの演奏が決定盤で、カンテッリの録音も推薦したい。ハイドンの交響曲中で首席を占める驚愕交響曲は見事な演奏だが、他を押し除ける特徴は見当たらない。多くの指揮者による名盤が犇めいてゐるが、私見ではトスカニーニの録音が頭一つ抜きん出てゐる。第3楽章が刺激的だからだ。ザロモン・セット唯一の短調作品第95番が最も聴き応へがあるだらう。この曲には満足出来る録音がなく、ドラティ盤も同様なのだが、ハイドンを熟知してゐるだけあり、殊更外連に走らず正攻法で演奏して成果を上げてゐる。(2017.9.18)

イベール:フルート協奏曲、ジョリヴェ:フルート協奏曲、リヴィエ:フルート協奏曲、シェーヌ:翡翠の笛による挿絵/コンセール・ラムルー管弦楽団/ルイ・ド=フロマン(cond.)/アンドレ・ジョリヴェ(cond.)/ジャン=ピエール・ランパル(fl)、他 [ERATO 0825646190430]
ランパルのエラート録音全集第2巻20枚組。2枚目を聴く。近現代フランスの作曲家らによるフルート協奏曲作品集で、ランパルの録音の中でも有名で重要なものだ。2つのアルバムから成り、イベール、ジョリヴェ、リヴィエのフルート協奏曲がひとつのアルバムである。フルート協奏曲の傑作とされるイベールが興味深い。フランス奏者ならではの華麗な音色と技巧、気怠く官能的な趣、瀟洒な節回しが心憎い。理想的な演奏だ。ド=フロマンの伴奏も見事で、初演者モイーズの録音の完成度が低かつただけにランパル盤は代表的名盤として推奨出来る。リヴィエの作品も素晴らしい。第3楽章は特に傑作だ。ジョリヴェは作曲者の指揮による自作自演の価値もある。短い作品だが内容は大変優れた名曲だ。別のアルバムから抱き合はせられたシャルル・シェーヌのことはよく知らないが、フルートは主役とは云へ実質は現代的な響きによる管弦楽曲である。殺伐として悲劇的な音響による現代音楽で、前半のフルート協奏曲のやうには楽しめなかつた。シェーヌはド=フロマン指揮ルクセンブルク放送室内管弦楽団の演奏だ。(2017.9.15)

ベートーヴェン:交響曲第4番、ブラームス:交響曲第2番/レニングラード・フィル/エフゲニー・ムラヴィンスキー(cond.) [MELODIYA MEL CD 10 00801]
本家メロディアによる真打ちとも云へるディスク。ベートーヴェンは1973年4月29日のライヴ録音で、この1ヶ月後に初来日して東京での公演でも取り上げた演目である。印象はほぼ変はらない。激烈な快速テンポを採用し乍ら軽さはなく重量感が溢れる。一方で叙情的な弱音は静謐の極み、かつ最強音との差は尋常ではない。官能的な第2楽章は特に絶品で、矢張りこの曲はムラヴィンスキーの演奏が最高であるといふ思ひを強くした。ブラームスは1978年4月29日のライヴ録音。この1ヶ月半後にウィーンでの有名な公演でも取り上げた演目である。だが、ウィーン盤の録音状態が優れない為、圧倒的に当盤の方が感銘深い。ムラヴィンスキーの真摯な音楽への取り組みがそのまま音になつた演奏で、内省的で秘めやかな寂寥感が漂ふ音色、弱音の美しさは淫靡さすらも感じさせる。強奏箇所は引き締まつてをり鋭利だ。浪漫や幻想は一切ないが、現世的な苦悩と欲望を詰め込んだ個性的なブラームス。ムラヴィンスキーの天才が光る。(2017.9.12)

チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」(抜粋)、「スペードの女王」(抜粋)/マインハルト・フォン・ツァリンガー(cond.)/バイエルン国立管弦楽団/ヘルマン・プライ(Br)/ゴットロープ・フリック(Bs)/メリッタ・ムゼリー(S)/フリッツ・ヴンダーリヒ(T)、他 [EMI 50999 6 78836 2 2]
かつて独エレクトローラ・レーベルにLP両面1枚でオペラのハイライトをドイツ語歌唱で鑑賞出来るDie Electrola Querschnitteといふシリーズが存在した。これはヴンダーリヒが参加した録音を集成した7枚組。チャイコフスキーは畑違ひの感のある結果で、最も感銘が落ちる。ヴンダーリヒの甘く叙情的な歌唱は青春の輝きを伝へるが、楽想からすると違和感ばかり感じる。憂鬱さがないのだ。ムゼリーもまた綺麗に収まり過ぎた。プライとフリックは善戦してゐると云へるが、総じて下手物の域を出ない。ツァリンガー指揮バイエルン国立管弦楽団の伴奏は堅牢なドイツの音がするとは云へ、大変素晴らしい演奏を聴かせて呉れる。尚、「エフゲニー・オネーギン」の手紙の場面と続く場面の2曲の録音はエリーザベト・リンデンマイアーとマルセル・コルデスの歌唱、ヴィルヘルム・シュヒター指揮ベルリン・フィルの伴奏によるおまけである。(2017.9.1)

グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第3番、フランク:ヴァイオリン・ソナタ、ステファン:ヴァイオリンと管弦楽の為の音楽/ジークフリート・シュルツェ(p)/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団/エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム(cond.)/ゲオルグ・クーレンカンプ(vn) [Podium POL-1025-2]
独Podiumによるクーレンカンプ復刻第8巻。グリーグとフランクはスウェーデンのALTA NOVAから復刻があり、既に別項で述べたので演奏内容については割愛するが、入手困難であつただけにPodiumでの商品化は嬉しい。余白には大変珍しいルディ・ステファンのヴァイオリンと管弦楽の為の音楽が収録されてゐる。1940年1月4日のライヴ録音である。ヒンデミットに近い近代的な作風だが、根底は後期ロマン主義の音楽である。ヴァイオリンは濃厚な浪漫を奏で、クーレンカンプに打つて付けの楽想だ。メンゲルベルクに訓練されたコンセルトヘボウの近代音楽に対する理解の深さも秀逸だ。(2017.8.30)

ベートーヴェン:交響曲第4番、同第6番「田園」/コロムビア交響楽団/ブルーノ・ヴァルター(cond.) [Sony Classical 88765489522]
渡米後のセッション録音集39枚組。ヴァルターのベートーヴェンは偶数番号が良いとされる。正に当盤はそのことを実感出来る組み合はせだ。薄手のオーケストラで輪郭をくつきり示した響きと、ひとりひとりの奏者から表情豊な歌を導き出した演奏は、爽やかで共感豊かな音楽を奏でる。第4交響曲は前半2楽章が理想的な名演で、青春の美しいひとときを回顧させる。だが、後半2楽章は立派だが安定志向でやや感銘が落ちる。田園交響曲は発売以来、決定的名演として語り継がれてきた名盤である。第1楽章や第3楽章は今もつて最高だらう。他の楽章も申し分ないがヴァルター盤よりも優れた演奏も多い。総合点で最上位にすることはないが、ヴァルターのベートーヴェンで最も素晴らしいのは矢張り田園交響曲だ。(2017.8.27)

チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」/アンドレイ・イヴァノフ(Br)/エレナ・クルグリコヴァ(S)/イヴァン・コズロフスキー(T)/マルク・レイゼン(Bs)/ボリショイ歌劇場管弦楽団と合唱団/アレクサンドル・オルロフ(cond.)、他 [PREISER RECORDS 20025]
1948年の録音。墺プライザーの優秀な復刻。水準以上の音質で鑑賞出来るのが有難い。当盤は隠れたる名盤で、ハイキン盤と同格の価値がある。世界初録音盤の項で述べたが、1936年の初録音を追ふやうに1937年にも録音が行はれた。この時のタチアーナ役がクルグリコヴァであり、レンスキー役がコズロフスキーであつた。この約10年後の録音でより深い歌唱を残すことに成功したのだが、何と云つても素晴らしいのはコズロフスキーだ。良き好敵手レメシェフと共にソヴィエト最高のテノールとして君臨したコズロフスキーによる手練手管を尽くした絶唱には完全に脱帽だ。表現の幅が広く、部分的にはレメシェフを凌ぐ。クルグリコヴァは可憐な歌声で繊細な表情だ。手紙の場面は踏み込みが足りないが、終幕の駆け引きの心理描写は見事。さて、オネーギンのイヴァノフが最高だ。存在感があり、巧みな表情付けは理想的だ。グレーミン公を大物レイゼンが歌ふが、英雄のやうに威厳があり過ぎて困る。オリガ役のマリア・マクサコヴァも良く、歌手陣に穴がないのが当盤の強みだ。オルロフの指揮は全体的に落ち着いたテンポを採用し、弦楽器主体の響きで聴かせる。歌手を引き立る手腕では随一だらう。ただ、迫力や推進力に欠けて物足りない箇所もあり締まらない。(2017.8.24)

モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」序曲、ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第31番「パリ」、他/イルムガルト・ゼーフリート(S)/ヴォルフガング・シュナイダーハン(vn)/ヨゼフ・スーク(vn)/プラハ・フィル合唱団/チェコ・フィル/カレル・アンチェル(cond.) [PRAGA PR 254 005]
LE CHANT DU MONDEのPRAGAレーベルのアンチェル・エディション第4巻。アンチェルが残したモーツァルトの録音は決して多くないが、質は極上だ。この1枚も珠玉の名演揃ひで愛好家は必携だ。協奏曲以外は1966年11月11日のライヴ録音。序曲の真摯で格調高い響きからして引き込まれて仕舞ふ。続く4曲のソプラノの為の音楽も秀逸だ。演目はレチタティーヴォとアリア「故に大切なことは、高きを求め」、「証聖者の荘厳晩課」から5曲目「主よほめたたへよ」、「戴冠ミサ」から「アニュス・デイ」、祝典劇「羊飼の王」からアミンタのアリア「あの人を愛するのだ」、と心憎い選曲だ。ゼーフリートの清廉な歌唱は勿論素晴らしいが、プラハ・フィル合唱団、チェコ・フィルの見事な伴奏にも耳を傾けたい。「羊飼の王」はシュナイダーハンの助奏付きで微笑ましき夫婦共演が聴ける。パリ交響曲はこの曲屈指の名演。爽快なテンポで贅肉はなく、細部の表情も抜群である。特に第2楽章の美しさは琴線に触れる。ヴァイオリン協奏曲のみ1968年5月24日のライヴ録音。スークとの共演だ。聡明さと含蓄を感じさせる理想的な名演だ。(2017.8.21)

ドヴォジャーク:交響曲第7番、謝肉祭、スラヴ舞曲第1番、同第2番、ブラームス:ハンガリー舞曲第5番、同第6番/ウィーン・フィル/ロンドン・フィル/コンセール・ヴァトワール/コンスタンティン・シルヴェストリ(cond.) [EMI 50999 7 23347 2 0]
シルヴェストリEMI録音全集17枚組―協奏曲の伴奏録音は除く。チャイコフスキーとドヴォジャークの後期三大交響曲の録音は異才シルヴェストリの代表盤だ。だが、前者と異なり、ドヴォジャークは3曲ごとにオーケストラが異なる。残念ながら名門ウィーン・フィルとの第7交響曲は良い結果に繋がつたとは云ひ難い。シルヴェストリの棒は木目細かく揺らし、絶妙な間合ひで曲に生命を吹き込んでゐる。煽り立てるやうな熱気が凄まじく、楽器の強調も冴えてゐる。だが、ウィーン・フィルが熟れてをらず、第1楽章のコーダで音楽が最高潮になつた時にアンサンブルが崩壊し、音が薄くなるのは致命傷だ。一方で、色気のある音色は強みである。第3楽章や第4楽章は名演だ。ロンドン・フィルとの謝肉祭が絶品だ。畳み掛ける情熱が爆発してゐる。火を噴く決定的名演だ。コンセール・ヴァトワールとのスラヴ舞曲とハンガリー舞曲は熱気が素晴らしく勢ひは好ましい。ただ、スラヴ舞曲第1番ではシンバル奏者が繰り返しを間違へたのか冷やりとする瞬間があるし、ドヴォジャークは本場チェコの指揮者に譲りたい。ブラームスのジプシー的情熱が面白からう。斯様に思ひ切つた演奏も少ない。痛快だ。(2017.8.16)

チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」/エフゲニー・ベロフ(Br)/ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(S)/セルゲイ・レメシェフ(T)/イヴァン・ペトロフ(Bs)/ボリショイ歌劇場管弦楽団と合唱団/ボリス・ハイキン(cond.)、他 [MELODIYA MEL CD 10 01945]
1955年の上質なモノーラル録音。何と云つても若きヴィシネフスカヤが初めてタチアーナ役で存在感を示した記念碑的な録音である。近代的な聡明さとひたむきな献身性を融合させた最高のタチアーナが聴ける。大人しい印象も受けるがタチアーナといふ役柄を考へると劇的に歌ひ過ぎてゐないのが絶妙なのだ。後年、夫ロストロポーヴィチと円熟の録音を残してゐるが、この凛とした若き歌唱を超えることは出来てゐない。世界初録音でもレンスキー役を務めたレメシェフが再登場だ。約20年が経つてゐるが声の若々しさを保つてゐる。驚くべき柔和な歌唱で絶対的な高みにある。アリアでのsotto voceは絶望的な美しさ、正にレンスキー役を極めたと絶賛したい。ペトロフが歌ふグレーミン公も立派この上ない。主役オネーギンを歌ふベロフも申し分ない。録音の良さと指揮の良さが相まつて、ボリショイ歌劇場管弦楽団の演奏が過去最高の出来栄えだ。殊更ヴィブラートをたつぷりかけたホルンの黄金の音色は極上だ。総合点において最上位の名盤だ。(2017.8.13)

ハイドン:交響曲第93番、同第94番「驚愕」、同第104番/ウィーン国立歌劇場管弦楽団/ウィーン交響楽団/ヘルマン・シェルヘン(cond.) [DG 471 256-2]
ウエストミンスター・レーベルに1950年代に録音されたハイドン作品を集成した6枚組。3枚目を聴く。ザロモン・セット全12曲を世界で初めて録音したのはシェルヘンだ。その偉業は燦然と輝く。第93番と第94番はウィーン国立歌劇場管弦楽団、第104番はウィーン交響楽団を振つてゐる。最も素晴らしいのは第93番だらう。熱気溢れる響きで生命力が漲つた名演。取り分け第3楽章のトリオは勇壮で好ましい。全楽章通じて強弱の差が見事だ。ただ、第2楽章が異様に遅いテンポで退屈なのが玉に瑕だ。驚愕交響曲も同様の名演なのだが、競合盤も多いからシェルヘン盤に特別な趣向は見出せなかつた。この曲でも第2楽章がのんびりしてをり退屈に聴こえて仕舞ふ。第104番は薄手のオーケストラの利点を活かした浪漫主義的解釈とは一線を画した名演で、強弱と緩急の差が効いてをり現代でも古びない。この曲では第2楽章が格調高く気品があり素晴らしかつた。(2017.8.11)

ベートーヴェン:交響曲第4番、同第5番/シュトゥットガルト放送交響楽団/カール・シューリヒト(cond.) [hänssler CLASSIC CD93.292]
独ヘンスラーによるシューリヒトのシュトゥットガルト放送交響楽団との録音第2集。10枚組の2枚目を聴く。第4交響曲は1959年4月8日のライヴ録音。第1楽章主部に入つてからの軽快な音楽は流石シューリヒト、滅多に聴けない活気ある名演だ。しかし、第2楽章以降は悪くはないが、感銘を受けるほどの演奏ではなかつた。第4楽章で荒々しい響きがして時折興味深いが、シューリヒトならではの閃きは感じられなかつた。第5交響曲は当盤で初出となる1953年4月10日のライヴ録音。だが、演奏は余り良くない。録音が古く冴えないのも一因だ。全体的にすつきりした淡い色調の演奏なのだが、精度不足で集中力が切れ、単に胆力のない演奏に聴こえる。矢張りシューリヒトのベートーヴェンはコンセール・ヴァトワールとのセッション録音全集が断然優れてゐる。(2017.8.7)

ヴァーシャ・プシホダ(vn)/ポリドール録音集/シャルル・セルネ(p) [Podium POL-1017-2]
Podiumのプシホダ復刻第13巻はセルネのピアノ伴奏によるポリドール録音第2集だが、録音年の詳細が記載されてをらず大変困る。ブックレットにはセルネとの録音一覧が掲載されてゐるのに残念だ。もしかすると本当に不明なのかも知れぬ。1920年代後半から1930年代の録音だ。実は第1集に比べて復刻状態も優れない。板起こしなのだが、音が揺れたり歪んだりする箇所もあり、鑑賞にも差し障りがあるほど酷いものもある。敗戦後のドイツが制作したポリドール盤は盤質が劣悪なことで知られる。再生出来ただけでも幸運と考へよう。演目では珍しいもので、ブッフビンダー「プシホダ・セレナード」、ポロヴァズニーク「女のカプリース」、ヴァルデス「ツィガーヌによるセレナード」、プロハスカ「アリエッタ」、セルネ「セレナード」、自作自演で「カプリース」があり、非常に興味深い。有名な曲ではマスネ「タイースの瞑想曲」、シューマン「トロイメライ」、ゴダール「ジョスランの子守歌」、シューベルト「ロザムンデのバレエ音楽」などが絶品。どれも類例を見ない妖艶さだ。印象深いのはゴルトマルクの協奏曲からアンダンテで、胸を締め付けられるやうな疼きを聴き手に与へるプシホダの魔法がかけられてゐる。(2017.8.3)

チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」/パンテレイモン・ノルツォフ(Br)/グラフィーラ・ジュコフスカヤ(S)/セルゲイ・レメシェフ(T)/アレクサンドル・ピロゴフ(Bs)/ボリショイ歌劇場管弦楽団と合唱団/ヴァシリー・ネボルシン(cond.)、他 [Dante LYS 0010]
1936年に行はれた記念すべきエフゲニー・オネーギンの初録音である。実は翌年の1937年にもボリショイ歌劇場による録音が行はれてゐる。「ボリス・ゴドゥノフ」と並びロシア・オペラで最も人気のある作品だけに、当時を代表する歌手らが競ひ合つて録音をしたのだらう。要は初録音で選出されなかつた歌手らの対抗録音だ。ここで重要なのはどちらの録音でも主役オネーギンを歌ふのがノルツォフであり、唯一絶対的な存在であつたことを窺はせる。だが、ノルツォフの歌唱は一種特別であつて、普通ではない。厭世的で倦怠感に覆はれてゐる。表情豊かな他の歌手に比べると何といふ覇気のなさであらう。だが、これこそオネーギンの特性である「余計者」を具現してゐるとも云へる。最終場面での諦観を塗り込めた一声は技巧を超えた境地にある。タチアーナ役のジュコフスカヤは古臭い歌唱で感心出来ないのだが、情熱的な憑依に圧倒される。一途な想ひの結晶が時代の様式美を超えた好例だ。レメシェフのレンスキーが文句なく素晴らしい。後年にも決定的な名唱を残してゐるとは云へ当盤の白眉だ。グレーミンを大物ピロゴフで押さへてゐるのも良い。指揮のネボルシンが絶妙だ。快速テンポを採用し乍ら緩急自在で歌心がある。それだけに音が貧しいのが残念だ。戦後の国際的な録音からは得られない純然たるロシアの気魄が伝はつて来る名盤。(2017.7.31)

モーツァルト:「イドメネオ」序曲、交響曲第38番、同第39番、7つのドイツ舞曲/ベルリン・フィル/ウィーン・フィル/ベルリン国立歌劇場管弦楽団/エーリヒ・クライバー(cond.) [VENIAS VN-026]
クライバーの管弦楽録音をほぼ網羅した34枚組。34枚目を聴く。1927年から1929年にかけて録音されたクライバー最初期の記録で、入手困難な音源ばかりなので蒐集家にとつては有難い。往時、モーツァルト指揮者としてヴァルターやブッシュと並んでクライバーは権威であつた。輪郭がはつきりしてをり、減り張りが効いてゐる。今聴いても様式美が通用するのだから恐れ入る。だが、流石に音が古く鑑賞用としては不向きだ。とは云へ、ドイツ舞曲は唯一の演目もあり重要だ。K.509から1曲。K.571から2曲、K.600から3曲、K.605から2曲が演奏されてゐる。イドネメオの序曲だけを吹き込んだのも珍しからう。ウィーン・フィルとのプラハ交響曲は墺プライザーなどで復刻があつたが、第39番は稀少価値がある。後期ロマン主義から脱却した、律儀で渋い古典美の追求は天晴。(2017.7.25)

バッハ:ピアノ協奏曲第1番、ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲、ドビュッシー:映像第1巻/フランス国立放送管弦楽団/ヤーノシュ・コミヴェシュ(cond.)/アニュエル・ブンダヴォエ(p&cond.) [Spectrum Sound CDSMBA017]
フランス国立視聴研究所からの発掘音源で、ブンダヴォエとルフェビュールの録音を収録した2枚組。愛好家は看過してはならない。1枚目はブンダヴォエだ。バッハのニ短調協奏曲はブンダヴォエの最も有名な録音であるブゾーニ編曲バッハのシャコンヌに通ずる激情的な名演だ。真摯で悲劇的な昂揚は素晴らしい。古典的ではないが甘くならず峻厳さで聴かせる。ピアノは古今を見渡しても最上級の演奏だが、鈍重な管弦楽伴奏が良くない。ソロとも全然合つてゐない、と思つたら弾き振りであつた。従つて総合的な感銘はかなり落ち、一般には推奨出来ない。残念だ。ハチャトゥリアンはビゴー伴奏の録音もあり、得意とした演目なのだらう。技巧は抜群で熱気に溢れてゐる。だが、この曲の代名詞であるカペルの名演を超える感銘は受けなかつた。一転、ドビュッシーは感情を抑制し、音画の世界に徹底してゐる。細密画のやうでもあり、静的な時間が訪れる個性的名演。(2017.7.21)

ニューヨーク・フィル創設150年記念盤(1917年〜1939年録音)/ヨーゼフ・ストランスキー(cond.)/ヴィレム・メンゲルベルク(cond.)/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.) [Pearl GEMM CDS 9922]
1992年に発売されたニューヨーク・フィル創設150年記念盤3枚組には指揮者6名の稀少録音が満載だ。1枚目を聴く。当盤を蒐集した理由なのだが、メンゲルベルクのブランズヴィック録音が収録されてゐるからだ。メンゲルベルクがニューヨーク・フィルと残したヴィクター録音は英Biddulphと英Pearlから復刻があつたが、ブランズヴィック録音は漏れてゐた。即ち、チャイコフスキー「スラヴ行進曲」、ヴァーグナー「ヴァルキューレの騎行」、シュトラウス「藝術家の生涯」と「ウィーンの森の物語」で演目としても貴重だ。音質もオバート=ソンの復刻なので極上だ。さて、メンゲルベルクの前任者ストランスキーはえらく評判の悪い人物だが、録音も大したことはない。収録されたのはサリヴァン「ミカド」序曲とベートーヴェンの第5交響曲第2楽章だが酷いものだ。そして、黄金時代を築いたトスカニーニの録音がある。ブラームスのハイドンの主題による変奏曲だが、有名な1936年ヴィクター録音かと思ひきや、何と未発表の1927年のブランズヴィック録音だといふではないか。貴重この上ない。第2変奏の異常な速さは驚きで最速記録だらう。(2017.7.18)

ハイドン:交響曲第22番「哲学者」[第2稿]、同第53番「帝国」フィナーレ異稿[ヴァージョンA&C&D]、同第63番「ラ・ロクスラーヌ」[第1稿]、同第103番「太鼓連打」フィナーレ異稿/フィルハーモニア・フンガリカ/アンタル・ドラティ(cond.) [DECCA 478 1221]
ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。ドラティの全集が今もつて価値が高いのは他でもない、最後に置かれたこの補遺集があるからだ。異稿を余さず徹底して録音した全集は他にない。まず、第22番の第2稿であるが、初稿がオーボエではなくコールアングレが2本といふ類例のない編成であつた為、一般的な楽器編成で演奏出来るように改編した異稿であり、オーボエ2本に変へフルートも追加された。だが、あの斬新な第1楽章アダージョが削除されてをり魅力が激減、殆ど価値のない曲になつて仕舞つた。残りの楽章の楽想はほぼそのままだが、コールアングレの魅惑的な音色が恋しい。第53番は第4楽章の別ヴァージョンが何と3種類も収録されてゐる。通し録音で採用されたのは威勢の良いver.Bであつたが、音楽的にはver.Aが最も優れてゐる。ver.Cは偽作らしい。ver.Dは序曲からの転用とされる。第63番は第3楽章と第4楽章が全く異なる。元来オペラからの転用や書きかけの楽章を継ぎ接ぎして仕上げた交響曲であり、それがこの初稿なのだが、ハイドンは雑な仕事を反省して通常聴かれる決定稿にしたといふ訳だ。第103番フィナーレ異稿は後半の終結部が異なり、小節数が多く少し長い。決定稿はより洗練させた訳だが異稿も捨て難い。(2017.7.14)

サン=サーンス:ピアノ協奏曲第1番、同第2番、同第3番/フランス国立放送局管弦楽団/ルイ・フレスティエ(cond.)/ジャンヌ=マリー・ダルレ(p) [EMI 7243 5 69470 2 3]
フランスEMIによるピアニスト復刻集は大概"LES RARISSIMES"シリーズで再発売されたが、ダルレは漏れて仕舞つた。だが、このサン=サーンスの協奏曲全集は作曲家直伝とされる別格の決定盤なのだ。1枚目を聴く。ダルレの演奏は何処を取つても音に精彩があり、自身の血肉となつて自由自在、即興風の境地に達してゐる。フレスティエの指揮が良く付けてをり万全だ。サン=サーンスの5つの協奏曲は性格が各々全く異なる。極めて偉大な創造力に溢れてゐる。第1番ニ長調はフォンテーヌブローの森に着想を得た作品で、ホルンが奏す狩の主題が颯爽としてをり痛快だ。宝石のやうなピアノとの対話もサン=サーンスの醍醐味だ。ドイツ風の古典的な構成でヴェーバーを思はせる。フランス初の協奏曲作品と称される所以だ。第2番ト短調は全5曲で最も有名な作品。最も独創的だからだ。冒頭は長大かつ厳粛なバッハ風のピアノ独奏から始まり、僅かな管弦楽伴奏を伴ふだけの第1楽章。続く第2楽章は軽妙なショパン風のスケルツォ、第3楽章は悪魔的なタランテラのロンドで、序破急の構成を採る類例のない斬新な曲だ。第3番変ホ長調は管弦楽が主題を奏する中、ピアノは暫く分散和音のみを担当し交響的な試みがある。主題の変奏も凝つてをり、和声法と管弦楽法が大胆で協奏曲としての厚みが増した。作曲技法はドヴォジャークを思はせる。演奏機会の少ない第1番と第3番はダルレの録音で真価を知るであらう。(2017.7.12)

モーツァルト:交響曲第39番、チャイコフスキー:交響曲第5番/レニングラード・フィル/エフゲニー・ムラヴィンスキー(cond.) [Altus 058]
ムラヴィンスキーは1973年に初来日した後、2年おきに来朝して神通力を見せつけた。当盤は1975年の演奏会の記録で、モーツァルトが6月7日、チャイコフスキーが5月13日の演奏記録だ。まず、音質が一連の来日ライヴ録音集では最も冴えない。といふのも、1973年の初来日時こそ幸ひにもホールのマイクから録音されたが、1975年以降は所謂隠し録りだからだ。回数を経るごとに隠し録りの音質も良くなるとは云へ、条件が悪いことを諒解して聴かねばならない。音が遠かつたり揺れたりするが、分離が悪い響きは却つて自然でムラヴィンスキーの妙味が理解出来る。もどかしい音でも演奏の凄みは良く伝はる。モーツァルトは1965年のモスクワ音楽院ライヴを超す出来ではないが、洗練された極上の名演。チャイコフスキーは更に音質に難があり、細部に瑕もあるが、演奏自体は大変素晴らしい。蒐集家以外にはお薦め出来ないが、音楽は突き抜けてゐる。(2017.7.10)

ナディア・ブーランジェ讃/モンテヴェルディ:マドリガル集(9曲)、他/ナディア・ブーランジェ(p&cond.)、他 [CASCAVELLE VEL 3081]
偉大なる教育者ブーランジェが残した録音は知る人ぞ知る秘宝である。スイスのCASCAVELLEが復刻した2枚組は蒐集家感涙の逸品だ。1枚目を聴く。1937年、Disques Gramophoneに録音したモンテヴェルディの9曲分のマドリガル集はEMIからも正規復刻があり、別項で述べたので割愛するが、先駆的な演奏として、敬虔な演奏として瞠目したい録音だ。残り30分強は1949年、Boite a Musiqueといふ小さなレーベルに録音した「小音楽会」と題された稀少録音だ。独唱から四重唱などの多様な形態で、伴奏もブーランジェのピアノもしくはブーランジェが指揮する数本の器楽伴奏と粋だ。演目は多岐は亘り、作曲者不詳の古の歌から、妹リリー・ブーランジェの作品までが入り乱れて18曲も聴ける。バロック作曲家ではクープラン、リュリなどの有名どころ、コンセイル、コストレ、セルミジ、グロートと珍しい名があり、近代作曲家ではフォレ、ドビュッシー、フランセの他、プレジェ、マンジャルリと初めて知る名も並ぶ。矢張りリリーの「ピエ・イェズ」が感銘深い。(2017.7.6)

ブラームス:交響曲第2番、ハイドンの主題による変奏曲、悲劇的序曲/スイス・ロマンド管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(cond.) [DECCA 0289 482 1235 4]
アンセルメのDECCA録音よりフランス音楽とロシア音楽以外、即ちドイツ音楽を中心に集成をした31枚組。11枚目を聞く。先入観でアンセルメとブラームスは相性が悪いと思ひ込むのは浅薄だ。勿論、重厚な北ドイツ風のブラームスではない。真逆で、明るく沈み込まず優しく慈しむやうな演奏である。どこかフォレを想起させる。亜流と云へば亜流だ。アンセルメは殆どブラームスの癖を意識せず、温かい音楽で中庸の美を聴かせる。第2交響曲は懐の深い穏やかな演奏だ。強奏する箇所もきついアクセントや低音の唸りを抑へ、沈鬱な痛々しさは皆無だ。だから、音楽の流れは良く軽妙で爽快だ。第1楽章後半の美しさは滅多に聴けない。第1楽章は非常に珍しい繰り返し指定を守つてゐるがしつこくない。比べて、変奏曲と序曲は感銘では劣るが、流れの良いテンポで明るい響きを保ち乍ら、明朗な音楽を奏でる。異色だが捨て難い。(2017.7.3)

ローレンス・ティベット(Br)/ヴィクター録音集(1927年〜1936年)/ガーシュウィン、グリューエンバーグ、ハンソン、グレイ&ストサート、他 [Nimbus Records NI 7881]
米國が生んだ20世紀前半最高のバリトン歌手ティベットのヴィクター録音からミュージカルと映画音楽の名唱を編んだ1枚。人気絶頂期のティベットは優れた演技力が評価されハリウッドでミュージカル映画に多数出演、アカデミー賞主演男優賞にもノミネートされる活躍振りだつた。当盤は多彩なティベットの才能が駆使された他を寄せ付けない絶対的な歌唱を楽しめる1枚だ。最も有名なガーシュウィン「ポーギーとベス」からの8曲は幾度も復刻されてきた名盤である。ソプラノのヘレン・イェプソンとの共演で、作曲者が監修に参画した肝入りの録音である。グリューエンバーグ「皇帝ジョーンズ」、最初のアメリカ・オペラと称されるハンソン「メリー・マウント」の録音も重要だ。映画音楽ではクリフォード・グレイとハーバート・ストサートによる「悪漢の唄」からの4曲がティベットの代表作として名高い。その他、「南方の放浪者」からも2曲が聴ける。また、フォスター「オールド・ブラック・ジョー」やドヴォジャークの新世界交響曲第2楽章を編曲した「家路」も感銘深い。どの録音も壮大な声量、朗々たる美声に圧倒されるが、表情的なsotto voceには男性的な色気があり、無抵抗で口説かれて仕舞ふ魔力を秘めてゐる。(2017.6.30)

モーツァルト:協奏交響曲、エクスルラーテ・ユビラーテ、交響曲第39番/クリーヴランド管弦楽団/ジョージ・セル(cond.)、他 [SONY&BMG 8 2876-86793-2]
セルが得意としたモーツァルトを指揮とピアノで演奏したオリジナル・ジャケット・コレクション10枚組。協奏交響曲はクリーヴランド管弦楽団の首席奏者ドルイアンとスカーニックを独奏者に据ゑての精密な演奏だ。それにしても最初の前奏部分の完璧さは如何ばかりだらう。流石セル。これだけでも満足だ。セルの意図を忠実に再現したソロも素晴らしい。特にドルイアンのヴァイオリンは見事だ。この曲は名手2名を揃へての録音が多く、当盤の演奏は華やかさでは劣るが、最高級の管弦楽との融合という点で手堅い。但し、第2楽章は大家らの歌心と比べると物足りない。ジュディス・ラスキンのソプラノ独唱によるエクスラーテ・ユビラーテは極めて器楽的な演奏で清廉な美しさが際立つ。交響曲は1947年録音のモノーラル旧盤で、セルの録音でもかなり古い部類だ。再録音と印象は然程変はらず、余計な色味を排した純白の雑味のない演奏だ。セルの統率力には敬意を覚える。(2017.6.27)

ドヴォジャーク:交響曲第7番、エルガー:エニグマ変奏曲/ロンドン交響楽団/ピエール・モントゥー(cond.) [DECCA 480 5019]
晩年のモントゥーが米RCA―英DECCAと提携―に残した極上の名演。ドヴォジャークは私見ではこの曲の最も優れた演奏である。冒頭から確信に充ちた音が拡がり、説得力が尋常ではない。情感豊かな響き、雄弁なテンポ、熱気ある推進力、全体と細部の有機的な融合、全てにおいて文句の付け所のない立派な仕上がりだ。第7交響曲は最もブラームス風の交響曲だ。モントゥーはブラームスを非常に得意とした。渋みのある格調高い重厚な演奏は幸福な出会ひであつた。書かれた音符を寸分漏らさず立体的に鳴らした手腕は流石だ。込み入つたリズム処理でもアンサンブルの手綱が見事だ。唯一難癖を付けるならチェコの指揮者らが注入した土俗的な民族色がないことだ。だが、モントゥーの普遍的な名演はそれら民族色に頼つた演奏の数段上に位置する。エルガーは決定的名演だ。モントゥーには幾つか録音が残るが、ロンドン交響楽団の自負もあり、この正規録音が断然最高だ。何といふ濃密な情感が漂ひ、高貴な響きがすることだらう。あらゆる英國の指揮者の名演を押し退けて君臨する神々しき名演だ。(2017.6.24)

ベートーヴェン:交響曲第4番、同第5番/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団/フランツ・コンヴィチュニー(cond.) [Corona Cl.collection 0002172CCC]
名匠コンヴィチュニーの録音を集成した箱物の第1巻11枚組より。これぞベートーヴェン、と太鼓判を押せる保守王道の名演だ。これ見よがしの外連味は一切なく、愚鈍とも形容出来る実直な演奏だ。第4交響曲の全体を覆ふ渋い響きは如何ばかりだらう。旋律の誘惑が多い曲だけにベートーヴェンらしさから離れ易いのだが、揺ぎない支柱があるコンヴィチュニーは頑固にベートーヴェンの音を守る。テンポも慌てず効果を狙はない。一歩間違へたら退屈な演奏になるのだが、見事な中庸を行く。突き抜けた特別さはないが、滅多に得られない手応へを感じられる名演だ。第5交響曲も殊更劇的な効果を忌避し、質実剛健、色味の少ない演奏に終始する。浮ついたところがないから真摯そのもの。第4楽章の繰り返しを忠実に遂行してゐるのは録音された時代からすると珍しからう。最後の力強い終結音は地に足が着いてをり、その豪放磊落な趣にはいたく感動する。(2017.6.21)

ブラームス:交響曲第1番、ハイドンの主題による変奏曲、大学祝典序曲/コロムビア交響楽団/ブルーノ・ヴァルター(cond.) [Sony Classical 88765489522]
渡米後のセッション録音集39枚組。ステレオ録音によるコロムビア交響楽団との全集録音だ。ヴァルターのブラームス交響曲全集はモノーラル録音とは云へ覇気漲るニューヨーク・フィルとの旧録音の方が定評がある。だが、昨今古楽器演奏が主流となつて室内楽的な編成による演奏に耳が慣れたせいか、この編成の小さい薄手のオーケストラによる再録音の良さがわかるやうになつた。明るい響きで芳醇な歌が溢れる演奏。貴腐ワインのやうな口当たり。これはこれで良いではないか。ハイドン変奏曲は今ひとつ特色に欠ける。音楽的な処理は為されてゐるが、色彩の幅に乏しい。大学祝典序曲が最も良い。コロムビア交響楽団の明るく軽い響きが曲想に合つてゐる。熱気と推進力もあり、ヴァルターの豊麗な歌心と気品あるフレージングで理想的な名演となつた。他の指揮者の録音は大概五月蝿い。(2017.6.18)

ドビュッシー:映像第1巻、同第2巻、仮面、クープラン:クラヴザン曲集(5曲)、他/マルセル・メイエ(p) [EMI 0946 384699 2 6]
ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。5枚目を聴く。1957年録音の映像第1巻と第2巻は高雅な趣の極上の名演。メイエは初演者ヴィーニェスから教へを受けてをり最も正統的な演奏家と云へる。印象の再現から入つた演奏であり、楽譜の再現を目指した演奏とは一線を画す。得も云はれぬ神秘的な音響からドビュッシーの革新的な作曲技法がひしひしと伝はる。他に1947年の旧録音が丁寧に収録されてゐる。映像第2巻から2曲、前奏曲集第2巻から3曲、映像第1巻からラモー讃歌は1947年録音と1953年の録音も漏らさず収録されてゐる。蒐集家にとつては嬉しい。残りは1953年から1954年にかけて録音されたクープランのクラヴザン曲集から5曲が収録されてゐる。実はメイエは1946年にこれら5曲を含む9曲を録音してをり再録音といふことになる。ラテン古典作品を得意としたメイエの良さが如実に発揮された名演ばかり。簡素なタッチから物悲しい気品が漂ふ。(2017.6.15)

モーツァルト:交響曲第36番、同第39番/シカゴ交響楽団/フリッツ・ライナー(cond.) [RCA 88883701982]
ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。モーツァルトの交響曲を聴くのにライナーを選ぶのは物好きだと思つて仕舞ふひとりだつた。不明を恥じる。ライナーはハイドンで極上の演奏をした。モーツァルトが素晴らしいのは当然であつた。リンツ交響曲はそれこそ決定的名演だと思ふ。これ迄シューリヒトの演奏が最も優れてゐると考へてゐた。ヴァルター盤も世評通り素晴らしいが、歌ひ過ぎで弛緩するのが気になる。ライナーの演奏は細部に至る迄音が生きてゐる。楽器間の音響も完璧、表情付けも絶妙だ。第1楽章主部における行進曲風の箇所での中低音弦楽器らの鮮烈な主張には喝采を送りたい。最高傑作は第4楽章だ。最速と思はれる爆走テンポを採用し乍ら繊細な表情で魅せる。内声部弦楽器の松脂が弾け飛ぶやうな刻みは決まつてゐる。音楽は勢ひを増し、熱気に包まれたコーダでは常軌を逸した感動を与へて呉れる。他の演奏は不要となつた。第39番も素晴らしい。特に堂々たる変ホ長調の音楽を一気呵成に奏でる第1楽章が絶品だ。そして、猛烈な快速テンポが圧巻の第4楽章には頭を垂れる。展開部では木管楽器を際立たせてをり見事。ただ、第2楽章が素つ気なく深みに欠け、第3楽章も凡庸なのが残念だ。(2017.6.12)

ベルリオーズ:ローマの謝肉祭、ショパン:ピアノ協奏曲ヘ短調、チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」/パリ放送大管弦楽団/アルフレッド・コルトー(p)/ヴィレム・メンゲルベルク(cond.) [Malibran CDRG 189]
極めて良質な仕事で識者を喜ばせてきた仏Malibranによる渾身の初出リリース。1944年1月20日、占領下のパリ、シャンゼリゼ劇場での放送用録音の復刻だ。アセテート盤からの復刻なので状態の悪い箇所もあるが、鑑賞には堪へ得る。メンゲルベルクには3曲ともアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との録音が存在するとは云へ、新しい音源の登場は感慨深い。ベルリオーズは全体的に締りのない仕上がりで価値は見出せなかつた。終結音で大見得を切らうとして却つて失敗したのか、珍妙な音が鳴る。最大の聴きものはコルトーとのショパンだ。ナチス協力者同士の共演といふのが実にきな臭いが、世紀の怪物の取り合はせに興奮しない者はゐまい。コルトーの精度に冷やりとするのも最初のうち、細部の瑕は瑣末事となる。随所で音を変更するなど自由奔放なロマンの発露に圧倒されるだらう。1940年代になり、コルトーは技術の衰へと引き換へに音楽の深みを増した。第2楽章での歌心には胸打たれる。メンゲルベルクは常乍ら燃焼的な音造りでTuttiでの発火する響きは鮮烈だ。少なからず楽譜に手を入れてをり、金管楽器の刺激的な音も加はつて骨太な音楽を聴かせる。兎も角、歴史に残る異常な演奏である。メンゲルベルクの代名詞である悲愴交響曲だが伝統工藝品のやうな2種のセッション録音と基本的な解釈こそ変はりはないが、当盤の演奏はライヴならではの情感が直截的に出てをり感情の振幅が大きい。反面、大味で雑な仕上がりで相殺される。第1楽章第2主題の極限まで甘く感傷的な演奏は一世一代の藝術だ。(2017.6.9)

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番、同第5番、ピアノ・ソナタ第30番、同第32番、シューベルト:4つの即興曲D899/シカゴ交響楽団/フレデリック・ストック(cond.)/アルトゥール・シュナーベル(p) [RCA 88985389712]
戦火を逃れて渡米したシュナーベルには少なくないライヴ録音での名演が残された。一方、正規セッション録音は1942年の6月と7月に、RCAヴィクターへ数曲の録音を残しただけである。ベートーヴェンの復刻は全てArtistes Repertoiresシリーズで入手出来たが、当盤では初出となるシューベルトの即興曲が追加された。これ迄ディスコグラフィーにも載つてゐなかつたのだから驚天動地の音源の登場だ。シュナーベルは戦後にHMVへ即興曲全8曲を録音した。それはエトヴィン・フィッシャーの録音と双璧を成す決定的名盤であつた。それよりも前の戦中録音があつた訳で、有り難く拝聴しよう。正直な感想を述べれば、後の録音と然程印象は変はらない。少しでも録音の良いHMV盤を上位に置こう。ベートーヴェンのソナタ2曲は贔屓目に見ても心技体充実した1930年代の全集録音を超えるものではない。協奏曲2曲だが、皇帝協奏曲は3回目となる戦後の録音が一番良い。第4協奏曲は戦前と戦後の録音の両方とも如何なる訳かしつくりこない。当盤の演奏が最も完成度の高い演奏として推薦出来る。(2017.6.4)

モーツァルト:交響曲第39番、フルートとハープの為の協奏曲、ヴァーグナー:葬送行進曲、グラズノフ:交響曲第4番より第2楽章/レニングラード・フィル/ソヴィエト国立交響楽団/エフゲニー・ムラヴィンスキー(cond.)、他 [BMG BVCX-8020-23]
未発表録音集第1巻4枚組の3枚組を聴く。ムラヴィンスキーが最も得意としたモーツァルトの交響曲第39番は4種類以上の録音が確認出来るが、これは最も古い1947年録音で唯一のセッション録音だ。1965年のモスクワ音楽院ライヴが至高の名演として知られ、この古い録音は露メロディアの復刻から漏れてきた。だが、内容は大変優れてをり、細身で凛とした表情は完成されてゐる。瞬発力と力強さも抜群だ。第2楽章の寂寥感、疾駆する第4楽章の鮮烈さは他の指揮者の録音を一切寄せ付けない凄みがある。トリズノとシニツィーナの独奏による協奏曲は意外な演目で無論唯一の録音。ロココ趣味は排除され、現代的な研ぎ澄まされた感覚で演奏されてゐる。輪郭のくつきりした細身の美人といつた風情で好感が持てる。涼しい眼差しが美しい名演なのだ。ヴァーグナーは1947年のセッション録音で重厚な金管楽器が洪水のやうに押し寄せるロシア風の演奏。ムラヴィンスキーにしては情感が強く出た演奏だ。グラズノフはソヴィエト国立交響楽団との1950年の録音。狩の情景によるスケルツォ楽章だけだが、これ以上は考へられない決まつた名演だ。(2017.5.28)

ハイドン:交響曲第51番、同第52番、同第53番「帝国」/フィルハーモニア・フンガリカ/アンタル・ドラティ(cond.) [DECCA 478 1221]
ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。疾風怒濤期後期の名作群。第51番の第1楽章は目紛しく曲想が変はり、次の展開が読めないので退屈しない。特に終はり方は意外中の意外でハイドンのユーモアが極まる。高音ホルンと低音ホルンの応答からオーボエと継がれる第2楽章も名作だ。第3楽章メヌエットと第4楽章変奏曲もホルンの高音が印象的。前衛的な傑作だ。ハ短調の第52番は暗い情熱で疾走する第4楽章が極上の名曲。次いで第1楽章の劇的な第1主題が素晴らしい。中間部での深刻さは聴き応へがある。しかし、優美な第2主題への変はり身が早く気分が落ち着かない。第2楽章は凡庸、第3楽章も特徴が薄い。ハイドンの生前に人気曲であつた第53番は疾風怒涛期よりも後の作品だ。拡張高い第1楽章が傑作で、空間の広がりを感じさせる。主題動機が変容する展開部の冴えは見事。素朴な主題の明暗を切り替へて行く変奏曲の第2楽章も名曲だ。第4楽章は版が複数あり、ドラティは直線的に爆発するヴァージョンBを採用して大興奮で締め括る。(2017.5.25)

ベートーヴェン:交響曲第4番、同第7番/フィルハーモニア管弦楽団/オットー・クレンペラー(cond.) [EMI 50999 4 04275 2 2]
クレンペラーのEMI録音大全集中、ベートーヴェンの交響曲と序曲の録音を網羅した10枚組。第4交響曲は鈍重で爽快さの欠片もない。実にクレンペラーらしい演奏で、堅実な第4楽章は立派で好感が持てる。だが、第1楽章主部が重くて晴れない。第3楽章も弛緩してをり刺激がない。全体にゆつくりなので肝心の第2楽章が埋もれて仕舞ひ、表情も硬く低調な仕上がりだ。第7交響曲は1960年の第2回目録音である。私見を申せば1955年の第1回目録音が妥当なテンポかつ重厚な演奏で好もしい。1968年の第3回目録音は異常な演奏なので敬遠したい。この第2回目録音はその中間で中途半端な位置付けだ。テンポは遅いだけ。なのに細部の精度も少々甘く感じる。リズムの饗宴が核心の曲なのに沸き立たない。両曲とも楽譜に忠実とは云へず、改変や独自の解釈も散見される。正統的王道とは程遠い個性的演奏だ。(2017.5.22)

C.P.E.バッハ:チェンバロ協奏曲ニ長調、ヘンデル:協奏曲変ロ長調Op.4-6、プーランク:田園のコンセール/レオポルト・ストコフスキー(cond.)/ワンダ・ランドフスカ(cemb)、他 [Music&Arts CD-821]
戦火を逃れて渡米したランドフスカの貴重なライヴ録音集第1巻2枚組。1枚目を聴く。ヘンデルとプーランクは何とストコフスキー指揮ニューヨーク・フィルとの共演で、1949年11月19日の演奏会記録だ。ヘンデルは有名なオルガン協奏曲の編曲で、戦前欧州時代にもセッション録音を残してゐる。音質等も考慮するとこのライヴ録音は鑑賞向きではないが、生気のある演奏に惹かれる。演奏終了時に鮮明に発せられた「ブラヴォ!」はストコフスキーの声だらう。ランドスフカが委嘱し作曲されたプーランク作品には正規セッション録音が残されてゐないので、この録音は値千金だ。プーランクの語法が満載の愉快な曲で、何と云つてもストコフスキーの色彩的な指揮が魅惑的だ。特に第2楽章が素晴らしい。カール・フィリップ・エマニュエルの協奏曲はアドルフ・コルドフスキー指揮、トロントのCBC室内管弦楽団の伴奏による1943年の演奏記録。ランドフスカ唯一の音源で貴重だ。まずはこの名曲を取り上げたことを称賛したい。傑作は疾風の如く駆け抜ける第3楽章で、これぞ古典派、音楽の喜びが詰まつてゐる。(2017.5.20)

ブラームス:交響曲第2番、ハイドンの主題による変奏曲、悲劇的序曲/NBC交響楽団/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.) [RCA 88697916312]
トスカニーニRCA録音全集84枚組。7枚目を聴く。交響曲は1952年の録音。一分の隙もない堂々たる演奏で、マエストロが残したこの曲の録音ではフィルハーモニア盤と双璧となる名演だ。総じて明るく、情感豊かなカンタービレ―取り分けヴァイオリン―が煽情的なのが特徴的だ。反面、瞑想するやうな沈思はなく、彷徨ふような幻想の趣はない。だが、トスカニーニの棒で聴くならイタリア風の明朗な田園交響曲として第2交響曲を鑑賞するのが通と云ふものだ。変奏曲も1952年の録音。ニューヨーク・フィル時代から録音を繰り返してきたお得意の曲だ。全体的に推進力のあるテンポを採用し活気に充ちてゐる。一方で、第3変奏ではホルンが先導して揺蕩ふようなルバートを用ゐるなど情感たつぷりな場面もあり素敵だ。悲劇的序曲は1953年の録音。この序曲でも数々の名演を残してきたが、当盤の演奏が最上だ。第2主題の前後で絶妙なルバートがあり、ポルタメントを伴ふ情感を込めたカンタービレで聴かせるのは実に感動的だ。中間部も遅めのテンポで神秘的な響きを作つてをり絶品だ。決定的名演。(2017.5.17)

モーツァルト:交響曲第39番、オーボエ協奏曲、4つのドイツ舞曲、交響曲第36番/ローター・ファーバー(ob)/ケルン放送交響楽団/シュトゥットガルト放送交響楽団/エーリヒ・クライバー(cond.) [medici arts MM011-2]
リンツ交響曲のみシュトゥットガルト放送交響楽団との1955年12月31日の演奏記録で、残りは全てモーツァルト生誕200年記念演奏会として行はれたケルンにおける1956年1月20日の演奏記録だ。このうち交響曲第39番と4つのドイツ舞曲はDeccaから商品化されて広く聴かれるやうになつた。別項でも述べたので割愛するが、この2曲は非常にクライバーらしい硬質で緊張感のある名演で、特にドイツ舞曲の尋常ならざる気魄には圧倒される。オーボエ協奏曲は初めて正規発売された音源だ。ファーバーの独奏は技巧は堅実だが、華がなく特別面白い演奏ではない。伴奏も自然と精気がない。当盤の目玉は初出となるリンツ交響曲だが、第39番と比べると精度が著しく落ちる。クライバーの特徴である引き締まつた音楽が聴かれず、角がなく鈍い凡庸な演奏だ。余白に交響曲第39番第4楽章冒頭のリハーサル風景が収録されてゐる。細かく厳しい稽古であることが窺はれた。(2017.5.15)

ディヌ・リパッティ(p)/録音全集(1936年〜1950年) [Profil PH17011]
2017年、リパッティの生誕100年を記念して独Profilが録音全集を12枚組で発売した。1936年録音のブラームスの間奏曲Op.118-6の断片はCDでは初出の筈で、archiphon盤にも収録されてゐなかつた音源だ。この他、これ迄に商品化された音源は全て収録されてゐる。これ以外に確認出来る音源はmp3での配信のみだが、1947年3月24日、チューリッヒでの録音で、アントニオ・ヤニグロの伴奏をしたベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番の第1楽章と、バッハのアンダンテBWV.528aだ。詳しくはリパッティ・ディスコグラフィーをご覧いただきたい。さて、この商品について述べて行かう。まず、入手困難な音源も全部収録されてゐるので、蒐集漏れのあつた方は迷はず入手されたい。これ迄はEMI以外にルーマニア録音や、APRとarchiphonの復刻を丁寧に揃へる必要があつた。特にブーランジェとのブラームスの「愛の歌のワルツ」は久々に入手可能になつたので歓迎したい。12枚が録音年代順に編集されてゐるのが良い。また、感心したいのがブーランジェとのブラームスの四手のワルツで、曲順が番号順ではなく録音時の配列になつてゐることだ。EMIでの復刻では番号順であつたが、本当は6-15-2-1-14-10-5-6といふ配列で第6番が2種類あるのだ―この配列で復刻してゐたのは仏CASCAVELLEくらゐだつた。それと、エネスクのピアノ・ソナタ第3番を正しいピッチで初めて復刻したと謳つてゐる―これ迄の復刻は半音高いさうだ。このやうにお薦め出来る点が沢山あるのだが、一方で痛恨の編集がある。ショパンの14のワルツが番号順なのだ。配列に拘泥はつたリパッティの意図を無視してゐる―確信犯だらうが極めて残念だ。愛好家の購入意欲を相殺するほどの悪質な編集である。音質だが、恐らく既出音源からのデジタル・コピーで、良くも悪くもないと云へよう。EMI盤は捨てずに所持してをくと良いだらう。(2017.5.12)

ミヨー:屋根の上の牡牛、打楽器協奏曲、ヴィオラ協奏曲第1番、エクスの謝肉祭、家庭のミューズ/グラント・ヨハネセン(p)/ルクセンブルク放送管弦楽団/ルイ・ド=フロマン(cond.)/ダリウス・ミヨー(cond.)、他 [VOX CDX 5109]
ミヨーの自作自演が楽しめる2枚組。2枚目を聴く。まず最も有名な「屋根の上の牡牛」だが、自作自演ではなくド=フロマンの指揮である。この曲にはシャルラン・レーベルに自作自演の決定的名盤があるので、他の演奏は不要だ。とは云へ、曲が滅法楽しいこともあり、当盤の演奏も悪くない。打楽器協奏曲、ヴィオラ協奏曲、エクスの謝肉祭がミヨーの自作自演だ。ミヨーによつてジャンルが切り開かれた打楽器協奏曲は、ひとりで手足を駆使しバチを持ち替へて様々な打楽器を同時に叩く超絶技巧曲だ。独奏はフォーレ・ダニエルだ。ウルリヒ・コッホの独奏によるヴィオラ協奏曲も原始主義の荒々しい響きがする作品だ。小編成の伴奏で反ロマン主義を印象付ける作品群だ。カール・ゼーマンのピアノ独奏による「エクスの謝肉祭」も痛快だ。実に色彩豊かな名曲だ。自作自演も非常に優れてゐる。余白に収録された、ヨハネセンのピアノ独奏で「家庭のミューズ」も聴ける。妻の為に書いた1日の家庭の印象を綴つた全15曲からなる小品集である。フランス近代の作曲家の系譜に連なる作品とも云へるが、シューマンとの相関を感じた。ミヨーらしからぬ美しい名曲、極上の逸品だ。(2017.5.8)

ハイドン:交響曲第93番、フランク:交響曲/NBC交響楽団/グィード・カンテッリ(cond.) [TESTAMENT SBT 2194]
夭折の天才指揮者カンテッリのNBC交響楽団との正規セッション録音の全てを集成した2枚組。1枚目を聴く。1949年3月2日録音のハイドンはカンテッリ最初の正規セッション録音である。トスカニーニに将来を嘱目されNBC交響楽団の公演に招聘され、1949年1月15日にハイドンの交響曲第93番とヒンデミットの画家マティスといふ演目で鮮烈なデヴューを飾り、すぐさま米RCAにより録音が企画された。恐るべき才能だ。事故死しなければ20世紀後半の楽壇に頂点にゐたのはカラヤンではなくカンテッリであつただらう。明朗快活なハイドンは音が生きてゐる。第3楽章の切れ味が抜群で印象的だ。絶対的なアンチェルの名盤がなければこの曲はカンテッリの録音が一等である。1954年4月6日録音のフランクは米RCAからではなく英HMVからの発売となつた―この頃は活動の拠点が米國から欧州に移行してゐたからだらう。トスカニーニ引退2日後の録音で、実験的に行はれたステレオ録音が適用されてゐる。最も古いステレオ録音のひとつであるが、素晴らしい音質だ。演奏も艶があり名演の誉れ高い。貫禄も充分でこの曲屈指の名盤だ。(2017.5.5)


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