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楽興撰録

蒐集した音楽を興じて綴る頁


2024.9.30以前のCD評
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モーツァルト:交響曲第1番、同第4番、同第5番、同第6番、同第7番、同第8番、同第9番
ベルリンRIAS交響楽団
フェレンツ・フリッチャイ(cond.)
[DG 00289 479 8275]

 新発見の放送録音集4枚組。ほぼ新演目ばかりといふ御宝音源だ。1枚目。フリッチャイには後期の代表的な交響曲しか録音がなかつたが、何と偽作の第2番と第3番を省く番号1桁台の交響曲全部を1952年に集中的に行はれた録音で聴くことが出来る。モーツァルトを敬愛したフリッチャイだからこそ、細部に至る迄血を通はせ躍動する音楽が連続する。含蓄ある転調の妙も美しく、初期交響曲がかくも充実して聴こえるのは流石である。これらの作品はイタリアのシンフォニア風に演奏されることが殆どだが、このフリッチャイ盤の著しい特徴はドイツ的な堅固で思弁的な演奏にある。音符の捉へ方が古典派の手法で処理されるので格調高く仕上がつてゐる。(2025.3.27)


マーラー:交響曲第7番
ニューヨーク・フィル
レナード・バーンスタイン(cond.)
[DG 4798418]

 DG録音全集121枚組。1985年のライヴ録音。この再録音は旧盤と同じくニューヨーク・フィルを起用してゐる。その為か、新旧両盤の決定的な差を見出すことが難しい。この新盤の方が演奏時間が伸びて、細部の表現が凝つてゐる。旧盤はテンポが速めで見通しが良かつた。響きも派手でアメリカの映画音楽のやうな趣すらあつた。この新盤では侘びたオーストリアの田舎の風景を髣髴とさせるマーラーの響きが堪能出来るので、僅差ではあるが矢張りこの再録音に軍配を上げよう。一方で細部の素晴らしさに反比例して間延びしてゐる箇所も散見される。(2025.3.24)


"Le Saxophone"
ランティエ/マッシス/フローラン・シュミット/グラズノフ/ボルサリ/リヴィエール
ルイ・メナルディ(tp)/アニー・ダルコ(p)
マルセル・ミュール(sax)/マルセル・ミュール・サクソフォーン四重奏団
[OSSIA 1005/2]

 ミュールは1954年から1956年にかけてDeccaに6枚の"Le Saxophone"といふアルバムを残した。この2枚組はそれらからの復刻盤だ。2枚目。第6巻の残り全て、ランティエ「エスカルディナク」、マッシス「4つの無伴奏エチュード・カプリース」、第2巻よりシュミットのサクソフォーン四重奏曲、第5巻よりグラズノフのサクソフォーン四重奏曲、ボルサリの四重奏曲「前奏曲とコラール・ヴァリエ」、"La Trompette"第3巻から「トランペットとアルト・サクソフォーンとピアノの為の協奏曲」が収録されてゐる。1枚目と合はせると第6巻が全部復刻されてをり、特に無伴奏でのマッシアの作品は聴き応へがある。四重奏曲は大作曲家らが名作を残してをり、サクソフォーンの可能性を感じ取ることが出来る。特にグラズノフが傑作だ。さて、トランペットのアルバムに特別出演した珍しい録音が収録されてゐるのが貴重だ。トランペットとサクソフォーンによる二重協奏曲とは珍奇で面白い。(2025.3.21)


エゴン・ペトリ(p)
英コロムビア録音(1935〜38年)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」
シューベルト(タウヒジ編):アンダンティーノと変奏曲
リスト:トランスクリプション(シューベルト3曲/ヴェルディ/グノー)、演奏会用練習曲より「ため息」、超絶技巧練習曲より「回想」「マゼッパ」、「アテネの廃墟」の主題による幻想曲
[APR 7701]

 英APRは3巻6枚の復刻をしてゐたが補遺をし7枚組で再発。2枚目。英コロムビアへはベートーヴェンのソナタを4曲録音したが、どれも散漫で凝縮度は低い。シューベルトが深い詠嘆をさり気なく紡いだ名演である。さて、分量が多いリストが面白い。ペトリはリストのトランスクリプションを大変得意とし、生涯を通じて拘泥はり続けた。演目はシューベルトでは「菩提樹」「糸を紡ぐグレートヒェン」「ウィーンの夜会第6番」、ヴェルディからの編曲で最高傑作とも云へる「リゴレット・パラフレーズ」、グノーの「ファウストのワルツ」だ。原曲への理解も試される編曲作品で示した含蓄あるペトリの語り口は玄人好みだ。ベートーヴェンによる幻想曲はレスリー・ヘワードの伴奏。かういう曲での巧さは無双だ。練習曲集も無論名演揃ひだ。(2025.3.18)


モーツァルト:交響曲第1番、同第42番、同第27番、ディヴェルティメント第11番
ルーマニア国立放送交響楽団
カルロ・ゼッキ(cond.)
[ELECTRECORD ERT1010/1012-2]

 ゼッキのルーマニア・エレクトレコードへの録音全集3枚組。1枚目。ゼッキはピアニストとしての経歴を早々と捨て、音楽活動の大半を指揮者として過ごした。ルーマニアのオーケストラを振つて屈託無く満足気にモーツァルトを演奏してゐる。どの演奏も特段優れた訳ではなく全く問題にもならぬ。但し、珍しい演目が並ぶので、競合盤も少なく多少は価値があらう。第1番は覇気があつてなかなか良い。偽作として今や全く等閑されてゐる第42番も貴重で面白からう。内容が充実してきた第27番は流石に聴き応へがある。一番良いのはK.251のディヴェルティメントだ。残念乍ら全曲ではなく第1楽章、第3楽章、第4楽章、第5楽章だけだ。しかし、優美さと素朴さが調和した名演で惹かれる。(2025.3.15)


マーラー:交響曲第7番
トロント交響楽団
ヘルマン・シェルヘン(cond.)
[Music&Arts CD-695]

 1965年4月25日のライヴ録音。識者には大変よく知られたこの曲の決定的名演だ。この演奏を超えるのは絶対考へられない。強い説得力にぐうの音も出ないのだ。演奏時間70分弱。世界最速の記録は未だに破られてゐない。対極にある名演であるクレンペラー盤が100分強なのだから、何と30分も差が出るのは驚きを超える。第1楽章から煽り立てるやうな速さで楽器が鳴り切つてゐない箇所もあるが、次々に音響世界が交錯するので興奮が止まらない。濃厚な味付けで緩急も自在だ。猛り狂ふかと思ふと夢想に耽る。矢張りシェルヘンは怪物だ。この難解な曲を余人の及ばぬ次元で完全に手中に収めて仕舞つた。どの瞬間を取つてもマーラーの最上の表現が聴ける。クレンペラー盤も躊躇なく捨てることが出来る。第7番に関してはシェルヘンのトロント盤一択だ。(2025.3.12)


エルガー:ヴァイオリン協奏曲(2種)、ヴァイオリン・ソナタ
サー・ヘンリー・ウッド(cond.)
ウィリアム・マードック(p)
アルバート・サモンズ(vn)
[Biddulph 85054-2]

 新生Biddulphが英國の名手サモンズの復刻に乗り出した。これ迄はNaxos HistoricalとDuttonによる復刻があつた程度なので歓迎したい。サモンズの切り札であるエルガーには無論復刻があつたが、1916年にアコースティック録音で吹き込まれた短縮録音である旧盤の復刻は実に貴重だ。大胆なカットが施されてゐるが要点は押さえてゐる。旧版も完全版の新盤でも伴奏はウッドである。エルガーの協奏曲はメニューインが良いとかハイフェッツが良いとか議論があるが、間違へてはいけない。サモンズが込めた含蓄に勝るものはない。盟友マードックとのソナタも次元が違ふ。地盤が違ふのだ。(2025.3.9)


ショパン:ピアノ・ソナタ第2番「葬送」、ノクターン第4番、エチュードOp.25-2、同Op.10-12「革命」、ワルツ第13番、同第7番、華麗なる大ポロネーズ
サンソン・フランソワ(p)
[ERATO 9029526186]

 没後50年記念54枚組。3度目となる大全集で遂にオリジナル・アルバムによる決定的復刻となつた。10枚目。デビュー盤以来のショパン・リサイタル・アルバムだ。軸は暗き情熱が迸る葬送ソナタだ。1956年9月の録音で、前年にも同曲を録音してゐたのに録り直しをした。比較をしてみたが、古い1955年の方がフランソワらしい名演だ。再録音盤は幾分散漫に感じた。さて、1955年12月に録音された他の演目に注目したい。フランソワは網羅的全集録音を遂行したので、これら散発の録音を聴く機会は容易ではなかつた。だが、拘泥はりの選曲だけに全集録音よりも魂が吹き込まれてゐる。何と云つても「革命のエチュード」の噴流のやうな激情には圧倒される。ノンシャランなノクターンやワルツも絶品だ。(2025.3.6)


プッチーニ:蝶々夫人
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(S)/ユッシ・ビョルリンク(T)、他
ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/ガブリエーレ・サンティーニ(cond.)
[Warner Classics 50541952928]

 ロス・アンヘレス全集59枚組。1959年のステレオ新盤の録音だ。僅か5年での再録音は勿論ステレオでの録音といふ意義が大きい。だが、モノーラルでも最上級の音質だつたので下手なステレオ方式が単純に優れてゐるとは云へぬものだ。さて、忌憚なく申して、この新盤は全く良くない。否、旧盤が良過ぎたのだ。第一、ロス・アンヘレスが落ち目になつてゐるのを感じて仕舞ふ。残念だ。ディ=ステファノに比べるとビョルリンクは色気が足りない。翳がある声はピンカートン向きではない。マリオ・セレーニは良く歌つてゐるが、ゴッビには太刀打ち出来る筈もない。サンティーニの指揮は申し分ないが、ガヴァッツェーニの方が断然良かつた。旧盤が名盤だつただけに安易にステレオで決定盤を製作しようと企画したのだらうが不発であつた。(2025.3.3)


シューマン:チェロ協奏曲
サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団/ダニエル・バレンボイム(cond.)
ジャクリーヌ・デュ=プレ(vc)
[Warner Classics 9029661138]

 EMI録音全集22枚組。3度目の全集でオリジナル仕様になり決定的復刻になつたと云へよう。10枚目。1968年、夫バレンボイムの献身的な伴奏による代表的録音。サン=サーンスの方が名演だ。情熱的なデュ=プレの炎と化した演奏は聴く者に緊張感を強いる。両端楽章は特に見事だ。とは云へ、フランス風の優美さには欠け、上等な演奏とは云ひ兼ねる。大人の風格にはまだ遠いのだ。これはシューマンにも当て嵌まる。達者に弾いてゐるが、元気が良過ぎてシューマンの音楽には届いてゐない。バレンボイムの指揮は悪くないが、含蓄はまだない。(2025.2.27)


マーラー:交響曲第7番
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
オットー・クレンペラー(cond.)
[Warner Classics 5 055197 257049]

 管弦楽と協奏曲の録音全集95枚組。1968年の大変有名な録音だ。平均演奏時間が80分の曲が100分も掛かり、世界最長の記録を保持してゐるからだ。どの楽章も遅く、難解とされる楽曲が解剖学的もしくは細密画的な演奏をされるので、実に全体が明晰になつてをり究極の名演とされる。余りの遅さに退屈するとか違和感があるとかいふ危惧はない。確信を持つて演奏されるからマーラーの交響楽にどつぷりと浸かれる。これは別物なのだ。摩訶不思議な演奏で、これぞクレンペラーの凄みと云へる。マンドリンやカウベルなど特殊楽器の聴かせ方も見事で比類なき極上の名盤なのだ。(2025.2.24)


プッチーニ:蝶々夫人
トティ・ダル・モンテ(S)/ベニャミーノ・ジーリ(T)、他
ローマ王室歌劇場管弦楽団と合唱団/オリヴィエロ・デ・ファブリティス(cond.)
[Naxos Historical 8.110083-84]

 ジーリのオペラ全曲録音はどれもジーリが突出して素晴らしく、均衡を欠くものばかりだが、唯一蝶々夫人だけはダル・モンテといふ人気と知名度で引けを取らない大歌手との共演で聴き応へがある。ここでもジーリのピンカートンが抜きん出てゐる。第1幕前半の意気揚々とした張りに対して、蝶々さんと歌ふ後半では甘く優しい声音に変化させた妙技を聴くがよい。斯様にも老巧な表現をしたテノールはゐない。テトラツィーニ、ガリ=クルチの衣鉢を継ぎコロラチューラ歌手として絶大な支持を得たダル・モンテであつたが、本質はリリコ・レッジェーロであり、装飾技巧では先輩らには及ばなかつた。だから、蝶々さんは絶妙な適役であつた。戦前のコロラチューラ歌手の特徴である清明で凛と張つた発声はプッチーニ作品では空疎に聴こえる一方で、抒情的な要素が加はり一種特別な良さがある。現代では聴くことのない癖のある歌唱だが、かくも可憐な蝶々さんは得難い。ファブリティスの棒が絶品で特筆したい。柔軟性のある指揮で推進力が抜群、抒情的な色付けも見事なのだ。余白にダル・モンテの名唱集が収録されてゐる。ドニゼッティやベッリーニなどで本領を聴ける。サデーロ「アムーリ、アムーリ」の物悲しい美しさにも個性が出てゐる。(2025.2.21)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番、同第24番
クリーヴランド管弦楽団/ジョージ・セル(cond.)
ロベール・カサドシュ(p)
[SONY CLASSICAL 19075853652]

 カサドシュ全集65枚組。1962年の録音で2曲とも再録音だ。K.467の旧盤はミュンシュとの録音であり、最も相性が良いセルとの待望の新盤なのだ。冒頭から品格のある古典的な演奏でモーツァルトの旨味が凝縮してゐる。応へるカサドシュのピアノは珠玉のやうに高貴だ。転調における色調の変化にカサドシュとセルの手腕が表れる。第1楽章のカデンツァはカサドシュ自作であり、長大かつ劇的で大変な傑作だ。K.491の旧盤は同じセルとだつたが、手兵クリーヴランド管弦楽団ではなかつた。これまた期待大の新盤なのだが、こちらは幾分遜色がある。旧盤の方が覇気と情熱があり、新盤は丁寧で古典的な風格がある。曲想を考へると旧盤の方が相応しく、実際感銘は強い。新盤も悪くはないが何処か物足りない。(2025.2.18)


プッチーニ:蝶々夫人
レナータ・テバルディ(S)/カルロ・ベルゴンツィ(T)/フィオレンツァ・コッソット(Ms)、他
ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団/トゥリオ・セラフィン(cond.)
[DECCA 4781535]

 テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1958年のステレオによる再録音。蝶々夫人の代表的な名盤として名高い。勿論黄金時代のテバルディが素晴らしく、セラフィンの棒による管弦楽は万全で絶対的な美しさだ。第1幕後半の夢幻の美しさは別格だ。特筆したいのは合唱の精度が高いことで絶妙な加減なのだ。ハミング・コーラスは本当に素晴らしい。だが、個人的な好みはエレーデとの旧盤にある。テバルディは歌ひ上げ過ぎて貫禄が前面に出て仕舞ひ動きが少ない。ベルゴンツィは硬く重い。真面目で巧くて感心して仕舞ふのだが、だうも嵌つてゐない。セラフィンの統治下の下、コッソットら脇を固める歌手らも見事だが、だうも薄口だ。丁寧なセラフィンの仕上げは一線を踏み外すことなく面白みに欠ける。理想的な完成度なのだが、予定調和だと評すのは難癖だらうか。(2025.2.15)


ブラームス:ハンガリー舞曲(第5番、第7番、第12番、第13番、第6番、第21番、第19番、第1番)
シュトラウス:南国のバラ、宝のワルツ、ウィーン気質
リチャード・ロジャース:ミュージカル「回転木馬」よりワルツ
ピッツバーグ交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 190759367728]

 ライナーの米コロムビア録音全集14枚組。モノーラル時代のライナーの録音を聴く機会は殆どなかつたので愛好家は必携だ。ハンガリー出身のライナーによる8曲のハンガリー舞曲は興味深い。強面の印象が先行するライナーにはしては軽食の感覚で、安つぽい音楽を目指してゐるのが愉快だ。但し、困つたことにジプシー要素を全面に出してゐるのは良いのだが、詫びた東欧の趣はなくアメリカ的な響きがする。豪奢でポップ過ぎるのだ。シュトラウスのワルツ3曲が名演だ。趣向はブラームスと同じなのだが見事に嵌つてゐる。甘く情感たつぷりで、取り澄ました貴族趣味は皆無、通俗音楽に徹したのが大成功してゐる。上を行くのがロジャースのブロードウェイ・ミジューカル「回転木馬」で、ウィンナ・ワルツをアメリカナイズしたやうな音楽は実に決まつてゐる。ライナーを侮るべからず。(2025.2.12)


シューベルト:4つの即興曲D899
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番、同第24番
ロンドン交響楽団/ヨーゼフ・クリップス(cond.)
クリフォード・カーゾン(p)
[DECCA 478 4389]

 名手カーゾンのデッカ録音全集23枚組。10枚目。シューベルトは1954年の録音。カーゾンは即興曲D935の4曲を2年前に録音してをり全8曲が揃ふ。この箱物はオリジナル仕様ではないので、纏めて呉れた方が良いのに解せない。演奏は大層素晴らしい。暗い詩情に憂ひを帯びて高貴なロマンティシズムが味はひ深い。ドイツの巨匠らの演奏に並ぶ出来だ。モーツァルトは1953年のモノーラル録音で、高名なステレオでの再録音であるケルテスとの共演盤との比較が重要だ。カーゾンは後年に成るほど深みを増して行く。この旧盤は流した印象が強く、悪くはないがカーゾンの本領が十全に出た演奏とは云へない。クリップスの柔和で温かみがある甘めの伴奏はモーツァルトらしさを演出してゐるが、ケルテスと比べると一世代前の様式だ。これも悪くないが在り来たりではある。(2025.2.9)


マーラー:交響曲第7番
ニューヨーク・フィル
レナード・バーンスタイン(cond.)
[SONY 88697943332]

 第1回目の交響曲全集。1965年の録音だ。DGへの再録音もニューヨーク・フィルとの演奏であり、新旧の違ひが感じにくい。一般的には受容が遅れてゐた第7番で当盤の果たした役割は大きい。自信に溢れた快活な演奏で、分裂症的な要素は見当たらない。マーラーが企てた表現の集大成を漏れなく聴かせて呉れた演奏なのだ。この曲は小細工などせず雑多な音響世界を繰り広げれば良いことが諒解出来るだらう。グロテスクな解釈の異常な演奏と比べると分が悪いが、当盤は標準となる名演であることを述べてをきたい。(2025.2.6)


プッチーニ:ジャンニ・スキッキ
ティート・ゴッビ(Br)/ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(S)/カルロ・デル・モンテ(T)、他
ローマ歌劇場管弦楽団/ガブリエーレ・サンティーニ(cond.)
[Warner Classics 50541952928]

 ロス・アンヘレス全集59枚組。1958年の録音でこの愉快な作品の決定的名盤だ。何と云つてもゴッビのジャンニ・スキッキが秀逸だ。悪党振りから父性愛までの振り幅は千両役者ゴッビだけの凄みだ。これでは全員が騙されて仕舞ふ。この役作りの前にはどの歌手も持つて来ても顔色を失ふ。「さらばフィレンツェ」での情感たつぷりの表現を聴くがよい。圧倒的な巧さのだ。そして、ロス=アンヘレスのラウレッタが可憐だ。テバルディでは貫禄が有り過ぎた。以上の点だけでも、当盤が頭ひとつ抜けた名盤であることが諒解出来るだらう。他の歌手は小粒だが見事なアンサンブルを聴かせる。サンティーニの伴奏は存在感がないが献身的で心憎い。(2025.2.3)


ハイドン:交響曲第72番、同第73番「狩」、同第74番
フィルハーモニア・フンガリカ
アンタル・ドラティ(cond.)
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。第72番はホルン4本にフルートとティンパニが加はり、一般的な4楽章制であることから誤つて採番がされたが、最初期の作品である。ホルン4本による競合が際立つ祝祭的な第1楽章、フルートと独奏ヴァイオリンによる第2楽章、内容がバロック音楽やコンチェルト・グロッソに近い。そして極め付けは第4楽章で、フルート、チェロ、ヴァイオリン、コントラバスとソロで変奏をするのは交響曲の概念ではない。特に長大なコントラバスのソロは珍しい。最後は楽器が増え急速に終はる。第73番は理想的な名演だ。躊躇ひ勝ちな第2楽章が美しく、優美な第3楽章も良い。一転、歌劇からの転用で狩の音楽、第4楽章で爆発する。第74番は平易な作品でイタリア風の明るさが特徴だ。モーツァルトの初期交響曲に通じる。ドラティの演奏は常に音楽的に取り組むので適切だ。(2025.1.30)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、同第24番、ピアノ・ソナタ第14番
ペルピニャン音楽祭管弦楽団/パブロ・カサルス(cond.)
パリ室内管弦楽団/フェルナンド・ウーブラドゥ(cond.)
イヴォンヌ・ルフェビュール(p)
[SOLSTICE SOCD 321]

 ルフェビュール大全集24枚組。1枚目。ルフェビュール女史の最も知られた録音はフルトヴェングラーと共演したモーツァルトのニ短調協奏曲だ。巨匠共々魔神のやうな演奏をしたことで絶讃されてきた。だが、忌憚なく申せば本当に素晴らしいのはこのカサルスとの共演盤の方だ。これはCBSソニーから発売された音源のライセンス取得盤で、1951年6月17日のライヴ録音である―プラド音楽祭は1951年だけペルピニャンで開催された。カサルスの濃厚な指揮に厳格なルフェビュールの演奏が合致する。フルトヴェングラー盤での崩れがなく一体感がある。ハ短調協奏曲は未発表で初出となる1962年11月13日の記録だ。こちらは著しく感銘が落ちる。原因はウーブラドゥが指揮する管弦楽が余りにもお粗末過ぎるからだ。そこいらのアマチュア楽団よりも下手なのだ。ルフェビュールの演奏が素晴らしいだけに残念だ。ハ短調ソナタは1971年の放送録音。寂寥感に貫かれたベートーヴェン風の格調高い名演である。(2025.1.27)


ラヴェル:ピアノ三重奏曲
メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番
ヤッシャ・ハイフェッツ(vn)/グレゴール・ピアティゴルスキー(vc)/アルトゥール・ルービンシュタイン(p)
[RCA 88697700502][RCA 19075832132][RCA 88697911362]

 通称新百万ドル・トリオの録音は3者のRCA録音全集それぞれで聴ける。ラヴェルが素晴らしい。新百万ドル・トリオの録音ではこれが一番良かろう。妖しい輝き、乾いて王者然とした品格、個性を矯めることなく丁々発止で高め合ふ強かさ、全てが眩く決まつてゐる。フランス派奏者の演奏にはない豪奢な華があるのだ。メンデスルゾーンでも3者の特徴が発揮され、特に第3楽章の魔術的なスケルツォの凄みには唖然とする。この軽みと悪戯ぽい趣は空恐ろしい。しかし、この演奏にも超えられない壁がある。カサルス・トリオの香り高い詩情が注がれた優美な名盤には一歩足りないのだ。(2025.1.24)


ストラヴィンスキー:ペトリューシュカより3楽章、ラグライム、ピアノ・ラグ・ミュージック、セレナード、ピアノの為のソナタ
エスプラ:南のソナタ
スペイン国立管弦楽団/オスカー・エスプラ(cond.)
マルセル・メイエ(p)
[EMI 0946 384699 2 6]

 ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。16枚目。バッハ、スカルラッティ、ラモーを弾くメイエからはストラヴィンスキーを斯様に録音することは想像し難いが、フランス6人組に愛されたメイエならではの同時代の息吹を感じる1枚だ。ペトリューシュカは腕の立つ奏者がやる技巧の切れで聴かせる演奏ではなく、場面ごとの語り口の巧さで魅せる。とは云へ、幾分歯痒い演奏だ。ラグ音楽は興が乗つてゐる演奏ではなく寧ろ気怠い趣なのが面白い。セレナードやソナタも鋭角的な要素は薄く、フランス流儀のエスプリを効かせた演奏でプーランク作品のやうにも聴こえる。エスプラは西イスパボックスへの録音で、作曲者自身の指揮による自作自演だ。南のソナタといふ題だが実質的なピアノ協奏曲で、スペイン南部の音楽を表す。ドビュッシーとファリャを結ぶ作風だ。競合盤が見当たらない決定盤だ。(2025.1.21)


プッチーニ:蝶々夫人
レナータ・スコット(S)/カルロ・ベルゴンツィ(T)/ローランド・パネライ(Br))、他
ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/サー・ジョン・バルビローリ(cond.)
[Warner Classics 9029538608]

 英バルビローリ協会全面協力の下、遂に出た渾身の全集109枚組。英國の名指揮者ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビローリはイタリア系の血を引いてをり、イタリア・オペラの録音ではトゥーランドットやオテロなど重量級の作品を手掛けてゐる。中でもこの蝶々夫人は名盤として賞讃される。兎に角バルビローリの甘く耽美的な音楽が作品に合つてをり、カラヤンと双璧であらう。幕切れの悲劇的な情感は殊の外素晴らしい。歌に寄り添つた伴奏は絶品で、管弦楽だけで云へば最高峰だ。バルビローリは歌劇場での研鑽を長く積んだので得意中の得意なのだ。スコットの蝶々さんは嵌り役とされ最高の歌唱として当盤の価値を高めてゐる。だが、それ以外の歌手がだうも決まらない。ベルゴンツィのピンカートンは硬く、パネライのシャープレスも存在感が薄い。スコットとバルビローリによる屈指の名盤だが、総合点としては然程でもないのだ。(2025.1.18)


マーラー:交響曲第7番
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ヘルマン・シェルヘン(cond.)
[Universal Korea DG 40030]

 ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。1953年のモノーラル録音とは思へない情報量で迫真の演奏を鑑賞出来る。往時、この秘匿の大曲を好んで取り上げ、マーラーの伝道師として次元の異なる活動をしたシェルヘンの正規録音だ。ライヴ録音ではより刺激的な凄みを聴くことが出来るが、異常さに気を取られ勝ちだ。最も正統的な解釈による当盤の演奏でも穏健さとは無縁の抉りが聴ける。特殊楽器の際立つ聴かせ方や、噎せ返るやうな情念の表出は流石で、作品の特異性を余すところなく表現して呉れた名演なのだ。(2025.1.15)


ハイドン:交響曲第13番、同第14番、同第15番、同第16番
フィルハーモニア・フンガリカ
アンタル・ドラティ(cond.)
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。ホルンを4本使用する第13番はこの中では一番後に作曲されたと考へられる充実した傑作だ。祝典的な第1楽章から素晴らしく、チェロ独奏が主役で完全にチェロ協奏曲と云へる第2楽章が印象的だ。そして、ジュピター音型が登場することで知られる第4楽章。演奏も最高だ。第14番でも意匠が凝らされてをり、主題を動機まで解体し積み重ねて行く交響曲の誕生を感じさせる。対位法的な第4楽章が見事だ。第15番は初期の作品だが、実験的でバロック様式からの脱却が試みられてゐる。第1楽章が序奏から主部を経て再び序奏が戻り静かに終はる形式は類例がなく面白い。緩徐楽章が第3楽章なのもこの為だらう。第16番は3楽章制だが、器楽的な創意が見られる。第1楽章はフーガとオブリガードの要素が凝縮して交響楽の醍醐味がある。歌に徹した第2楽章も良く、軽妙な第3楽章も爽やかだ。(2025.1.12)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番、ロンドイ短調
RCAヴィクター交響楽団/ヨーゼフ・クリップス(cond.)
アルトゥール・ルービンシュタイン(p)
[RCA 88697911362]

 コンプリート・アルバム・コレクション142枚組。ルービンシュタインはモーツァルト弾きではない。ピアノ・ソナタの録音はひとつもない。お気に入りの協奏曲の録音が数曲あるだけで、短調の2曲が含まれる。ルービンシュタインのモーツァルトは極めてロマンティックで甘たるい。古典的な締まつた音ではなく、幻影のやうな趣だ。だから、明暗の妙は弱く醍醐味は薄い。反面、歌心に溢れフレーズの呼吸が巧い。グランド・マナーのモーツァルトとして面白からう。クリップスの棒も同種でルービンシュタインと一体感がある。見事な取り合はせである。ロンドK.511は名演だ。寂寥感を込めた浪漫が後髪を引くやうで美しい。(2025.1.9)


バルトーク:管弦楽の為の協奏曲、舞踏組曲、2つの肖像、ルーマニア民俗舞曲
スイス・ロマンド管弦楽団
エルネスト・アンセルメ(cond.)
[DECCA 485 1583]

 ステレオ録音全集88枚組。アンセルメのレペルトワールで重要なのは断然ストラヴィンスキーだが、バルトークにも一家言持つ。親交深く共演記録も残る。アンセルメが振るバルトークはハンガリーの民族要素は皆無で、音楽理論への拘泥はりでの共鳴を強く感じる。だが、スイス・ロマンド管弦楽団の技量が及ばず、会心の演奏とは云ひ難いのは残念だ。それでも先鋭的過ぎず無機質ではない、中庸で穏健な演奏は独自の価値がある。管弦楽の為の協奏曲は聴き映えしないが表情豊かな演奏だ。舞踏組曲も同様だが、演奏のキレよりも根底にあるリズム感の良さが際立つ。2つの肖像が良い。第1番ではローランド・フェニヴェスの独奏ヴァイオリンが健闘してゐる。第2番が沸き立つてをり名演だ。ルーマニア民俗舞曲は鄙びた雰囲気で味はひ深い。腕が立たないスイス・ロマンド管弦楽団ならではの味なのだ。存外良い演奏がない有名曲の、却つて得難い名演と云へる。(2025.1.6)


ハイドン:弦楽三重奏曲第1番ト長調、同第2番変ロ長調、同第3番ニ長調、ヴァイオリン協奏曲第1番ハ長調、同第4番ト長調
ミヒャエル・ハイドン:ヴァイオリン協奏曲イ長調
グリュミォー・トリオ
レイモンド・レッパード(cond.)/エド・デ・ワールト(cond.)、他
アルテュール・グリュミォー(vn)
[Decca/Philips 4851160]

 生誕100年記念グリュミォーPhilips録音全集74枚組。モーツァルトを得意としたグリュミォーだけあつてハイドンも無論良いに来まつてゐる。寧ろ競合盤が少ないので王座は揺るぎない。全ハイドン録音がこの1枚に集約されてゐる。有り余る美音を贅沢に振り撒きヴァイオリン藝術の極限を聴かせて呉れる。一般的興味は協奏曲に向き勝ちだらうが、本当に素晴らしいのは弦楽三重奏曲だ。作品53の3曲をヴァイオリン主導の極上のアンサンブルで楽しめる。これぞ音楽の愉悦。全てが詰まつた決定的名演だ。ミヒャエル作を含めた3曲の協奏曲もグリュミォーの演奏だけを述べれば決定的と云へる。しかし、オーケストラ伴奏を込みで鑑賞するとだうも感銘が落ちる。勿論悪い部分などないのだが、グリュミォーが持つ説得力との差があり過ぎるのだ。(2025.1.3)


プッチーニ:蝶々夫人
マリア・カラス(S)/ニコライ・ゲッダ(T)/ルチア・ダニエリ(Ms)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/ヘルベルト・フォン・カラヤン(cond.)
[Warner Classics 5054197473951]

 セッション録音とライヴ録音とを集成したカラス大全集in all her roles131枚組。実はカラスは蝶々さんを公演では1度しか歌つてゐない。リリックが求められるミミ同様レパートリーではなかつたのだ。公演はこの録音の3ヶ月後で、まだ役が残つてゐる状態だからこそ実現したと思はれる。さて、当盤は総じて素晴らしく、上出来である。カラスの蝶々さんには無限大の表現力と可能性を感じる。第一幕では可憐な抒情美に徹してをり全くカラスらしくないのに驚く。それが終盤に向けて絶唱へと転じ、絶命の場面までの振り絞るやうな悲嘆を表出したのはカラスだけだらう。嵌り役ではないが、カラスの蝶々さんには特別なものを感じる。覇気漲り贅を尽くして美を追求したカラヤンの指揮が見事だ。モノーラル録音だが色彩豊かな管弦楽の妙が流石だ。カラヤンは取り分け蝶々夫人を得意としたがミラノ・スカラ座の伝統の力を得て、異国情緒とイタリア・オペラの融合を実現した。これは最高の演奏のひとつだらう。さて、当盤はだうも決め手に欠ける。それぞれがあと一歩なのだ。カラヤン抜擢のゲッダによるピンカートンも巧いが嵌り役とは云ひ難く、他の歌手も小粒だ。(2024.12.30)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番、同第21番
パリ音楽院管弦楽団/アンドレ・ヴァンデルノート(cond.)
エリック・ハイドシェック(p)
[Warner Classics 0190295187590]

 エラート&HMV録音全集27枚組。デヴュー間も無い少壮20歳頃の録音で、将来を嘱目された才気溢れる演奏が聴ける。1957年と1958年の録音なのにモノーラルなのが残念だ。その後ハイドシェックは野心がなかつたからか大成することがなかつたが、若き日に残したモーツァルトの協奏曲は驚くほど素敵な名演ばかりである。宝石のやうに輝くピアニズムと香り高い気品を感じさせる語り口、コルトーの薫陶を受けた天才の仕業である。黄金のシャンパンのやうな音楽が流れ、酔ひ痴れて仕舞ふのだ。ヴァンデルノートの伴奏も同調し華麗な演奏を繰り広げる。K.467第2楽章の甘い歌は蕩けるやうだ。K.491終楽章の焦燥感も凛とした美しさがある。カデンツァは全てハイドシェックの自作で、長々と見栄を切らず凝縮し決然とした傑作ばかり。これらの曲の屈指の名演だ。(2024.12.27)


シューマン:チェロ協奏曲
ラロ:チェロ協奏曲
ロンドン交響楽団/スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
(cond.)
ヤーノシュ・シュタルケル(vc)
[MERCURY 478 6754]

 マーキュリー録音集成10枚組。オリジナル仕様による決定的復刻だ。全盛期の溌溂とした名演を楽しめる。力強いラロが名演だ。特に第2楽章の中間部や第3楽章の躍動感が素晴らしい。派手過ぎずバスクの舞踏を野卑に奏でてをり痛快だ。しかし、詩情の表出は稀薄で、総じてフルニエ盤には及ばない。シューマンも堅牢な演奏だが肝心なロマンティシズムが感じられない。終楽章のカデンツァがシュタルケルによる野心的な取り組みで聴き応へがある。スクロヴァチェフスキとロンドン交響楽団による伴奏は立派であるが踏み込みが弱く次第点程度だ。(2024.12.24)


プッチーニ:ジャンニ・スキッキ
フェルディナンド・コレナ(Bs)/レナータ・テバルディ(S)、他
フィレンツェ五月祭管弦楽団と合唱団/ランベルト・ガルデッリ(cond.)
[DECCA 4781535]

 テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1961年から1962年にかけて行はれたDECCAレーベルによるプッチーニの三部作の録音は、テバルディを軸とした極め付けの名盤とされてゐる。アリアの美しさは幾分貫禄があり過ぎるような気もするが流石である。何と云つても表題役を担ふコレナの役者振りが素晴らしく、喜劇的な表情付けが見事だ。他の配役は小粒だが、アンサンブルは上々で申し分ない。ガルデッリの指揮が極上で、多彩な表現で明暗を付けるのが巧い。管弦楽は手練で難曲を感じさせぬ天晴な演奏である。デッカの優秀録音でこの作品の代表的な名盤のひとつだ。(2024.12.21)


ジュゼッペ・デ=ルーカ(Br)
録音全集第1巻
フォノティピア録音(1907年)
ヴィクター録音選集(1917年〜1930年)
[Pearl GEMM CDS 9159]

 全集録音第1巻3枚組。3枚目。フォノティピア録音全集は3トラック分で完結となり、残りはヴィクター録音からの抜き出しだ。フォノティピア録音では得意とした「ドン・パスクワァーレ」からアイーダ・ゴンツァーガらとのアンサンブル、「ジョコンダ」ではエウジェニア・ブルツィオとの二重唱が聴ける。この3枚目に収録されたヴィクター録音には実は1曲も独唱録音がなく、全て超一流歌手らとの重唱である。ガリ=クルチ、カルーゾ、ジュールネ、マルティネッリ、マルドネス、ホーマー、ジーリ、ポンス、レートベルク、ラウリ=ヴォルピ、と弥速デ=ルーカが如何に重用されたかが一見で諒解出来よう。これらの復刻はそれぞれあるので馴染みのものだ。(2024.12.18)


モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番、同第15番
ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団
[Universal Korea DG 40020]

 ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。ウエストミンスター・レーベルは「ハイドン・セット」の録音をアマデウスSQとコンツェルトハウスSQに先に割り振つて仕舞つた手前、残りの曲をバリリSQが補完するに止まり、同一団体での全集は完成出来なかつた。さて、コンツェルトハウスSQはモーツァルトの録音は少なめで、四重奏曲はこの2曲だけだ。そして、これは愛好家には堪らない一種特別な録音でもある。コンツェルトハウスSQの個性が全開で、かつて聴いたことのない音楽が展開する。しつとりと内気で耽美的な演奏なのだ。古典派の要素は皆無、テンポは全体に遅めで常に後ろ向き、嫋やかなポルタメントをかけてアントン・カンパーが泣き節を連綿と紡ぐ。何たる美しさ。全体は締まりがなく愉悦が少ない、丸でモーツァルトらしくない演奏なのだが、様式美に縛られた平凡な演奏なぞ比べ物にならない価値がある録音だと絶讃したい。(2024.12.15)


マネン:シャンソンやエチュード、ヴァイオリン協奏曲第2番「ダ・カメラ」、イベリア舞曲第1番、同第3番
バッハ/モーツァルト/シューベルト/フバイ/パガニーニ/フランソワ・シューベルト
フアン・マネン(vn)
[la mà de guido HISTORICAL LMG2170]

 スペインの名手マネンの1914年から1954年まで40年に及ぶ記録が聴けるお宝音源2枚組。2枚目。1950年の自作自演ライヴ録音集が一種特別な価値があらう。一部テープの歪みがあるが、鑑賞に妨げにはならない。弦楽オーケストラ伴奏による「シャンソンやエチュード」での水際だつた早弾きの技巧はマネン健在を立証する。弦楽オーケストラとの協奏曲第2番は現代的な要素も取り入れつつ色彩豊かな幻想曲として聴かせて呉れる。第2楽章は軽妙なサルダーナだ。イベリア舞曲ではスペイン情緒が楽しめる―イベリア舞曲の第2番は1枚目に収録されてゐた。それにしても正確無比な技巧には驚愕する。反面感情表出は薄いのだが。他には端正なモーツァルトのヴァイオリン・ソナタK.454の第1楽章、奇天烈なマネン編曲のパガニーニ「魔女たちの踊り」などが面白からう。そして、フランソワ・シューベルト「蜜蜂」をかくも血相を変へて真剣に弾くのを聴いたことはない。(2024.12.12)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番、同第26番
コロムビア交響楽団/ジョージ・セル(cond.)
ロベール・カサドシュ(p)
[SONY CLASSICAL 19075853652]

 カサドシュ全集65枚組。1954年のモノーラル録音。カサドシュには両曲に再録音があり、しかも同じセルとの共演なのだ。となるとどちらが優れてゐるのか気になるが、この旧盤の方に軍配を上げる。解釈はほぼ同じなのだが、新盤は精緻さや静謐さを増した反面、覇気や愉悦が削がれてゐる。ハ短調協奏曲は第1楽章のサン=サーンス作カデンツァが悪鬼のやうで魅入られる。オーケストラへの受け渡しに向かふ白熱した演奏は天晴だ。戴冠式協奏曲はこの曲の最上の演奏のひとつだ。特に第3楽章の躍動感が素晴らしく、疾駆するテンポと華麗なタッチに胸踊る。さり気無い弱音への移ろひも絶品だ。さて、オーケストラがクリーヴランド管弦楽団ではない。実態はニューヨーク・フィルと思はれるコロムビア交響楽団で、理由は契約の都合だらう。(2024.12.9)


ベートーヴェン:序曲集(レオノーレ序曲第3番、同第2番、献堂式、コリオラン、エグモント、プロメテウスの創造物)、弦楽四重奏第16番(弦楽合奏版)より第3楽章と第2楽章
NBC交響楽団
アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.)
[RCA 88697916312]

 トスカニーニRCA録音全集84枚組。かういふ序曲集でトスカニーニの威力は存分に発揮される。究極は「献堂式」で決定的名演だ。これ以上は一寸想像付かない。序奏から精力的で、ファゴットの熱演には喝采を送りたい。フーガになつてからの疾走感は尋常ではなく圧巻だ。祝祭的な気分も素晴らしい。次なる名演は2つの「レオノーレ」と「エグモント」だ。「レオノーレ第2番」と「エグモント」は絶頂期の1939年ツィクルスの際の演奏。「レオノーレ第3番」も克己心に圧倒される極上の名演。「プロメテウスの創造物」も引き締まつた名演だ。「コリオラン」は微妙だ。快速で突つ走るかと思ひきや、何度も停滞するからだ。弦楽四重奏曲を弦楽合奏で演奏したのは下手物だが見事な統率力で流石だ。(2024.12.6)


ソロミア・クルシェルニツカ(S)/全録音
G&T録音(1902年)/フォノティピア録音(1906年〜1912年)
[Marston 52052-2]

 クルシェルニツカは世紀の変はり目において最も偉大な歌手として激賞された美形ソプラノで歌劇場の華であつた。カルーゾやルッフォが惚れ込んだ歌唱がある。美声だけではない、強靭なヴィブラートを駆使した、溢れ出る感情表現は同時代の歌手には見られない先駆的な歌手であつた。2枚組の1枚目。ワルシャワでのG&T録音は30歳、絶頂期の記録だ。ポーランド作品が多めでモニューシュコ「ハルカ」「伯爵夫人」、パデレフスキ「笛吹きの歌」やムィナルスキ「子守歌」は珍しからう。得意とした「アドリアーナ・ルクヴナール」「ワリー」は絶対的な名唱だ。クルシェルニツカの真価がわかるのは「運命の力」「アイーダ」「トスカ」などで、情熱的な表現と抑制された造型美が融合してをり格が違ふ。初演が失敗した「蝶々夫人」を救つたのはクルシェルニツカであつた。「ある晴れた日に」が聴けるのは値千金である。今もつて範とすべき名唱の連続だ。「ペール・ギュント」のソルヴェイグの歌の哀切たる声音も絶品。(2024.12.3)


サン=サーンス:チェロ・ソナタ第1番、ピアノ協奏曲第2番、同第5番
モーリス・マレシャル(vc)
ボストン交響楽団/シャルル・ミュンシュ(cond.)
ニューヨーク・フィル/トーマス・シッパーズ(cond.)
ジャンヌ=マリー・ダルレ(p)
[SOLSTICE SOCD 363]

 愛好家感涙の初出音源集。2枚組の2枚目は名演が目白押しだ。これで3種目となる第2協奏曲だが、共演がミュンシュ指揮ボストン交響楽団となると興奮を禁じ得ない。ダルレもセッション録音とは打つて変はつて煽情的な気魄を押し出した演奏で負けじと燃えてゐる。細部の荒れは気になるが、音楽の魅惑は当盤が第一だらう。第5番も米國でのライヴ録音で、何とニューヨーク・フィルとの共演である。シッパーズの棒も冴えてゐる。ダルレが絶好調で乗りに乗つてゐる。終楽章のコーダにおける飛翔する様は胸が空く。極上の名演だ。さて、珍しいチェロ・ソナタが聴けるが、何と共演者がマレシャルなのだ。マレシャルとは決定盤と絶讃したいブラームスのソナタの録音を残してをり、このデュオへの期待は弥が上にも高まる。激情的なマレシャルの演奏に、等しく火花を散らすのはダルレだけだ。決定的名演だらう。(2024.11.30)


ドビュッシー:弦楽四重奏曲
ミヨー:弦楽四重奏曲第12番
イタリア弦楽四重奏団
[Warner Classics 0190296739200]

 コロムビア録音全集14枚組。4枚目。最初のテレフンケン録音でも取り上げたドビュッシーの再録音だ。印象は然程変はらないが、旧盤の方が個性があつたやうな気がする。この新盤は尖りがなくなり穏やかな印象を受ける。珍しいミヨーの作品が面白からう。18曲も弦楽四重奏曲を残したミヨーは強くドビュッシーの弦楽四重奏曲の影響を受けてをり、興味深いアルバムなのだ。演奏は清明で純度が高い。ミヨーの特徴であるプロヴァンスの風が吹く。夢想するやうな詩情も美しく、イタリアSQの代表的な名演として記憶してをきたい。(2024.11.27)


ダンディ:「フェルヴァル」第1幕への序奏
リムスキー=コルサコフ:「サトコ」より5場面
ブラームス:アルト・ラプソディ
ストラヴィンスキー:春の祭典
マリアン・アンダーソン(A)
サンフランシスコ交響楽団
ピエール・モントゥー(cond.)
[RCA 88843073482]

 モントゥーのRCA録音―米國での録音―全集40枚組。5枚目。1945年1月と3月の録音。モントゥーはダンディを積極的に取り上げて来た。今もつて質と量において凌駕されることなき偉業だ。そして、これを最後に録音がない。やり尽くしたと云ふことなのだらう。幽玄な趣の「フェルヴァル」も感銘深い名演だ。リムスキー=コルサコフもモントゥーが得意とした作曲家で「サトコ」は噴流のやうな熱演。東洋的な野卑さもあつて充実の名演だ。アルト・ラプソディは屈指の名演だ。絶頂期にあつたアンダーソンは何度もこの曲を録音してゐる。ブラームスを取り分け得意としたモントゥーの情感豊かな伴奏もあつて極上の出来栄えだ。慈愛に溢れるアンダーソンの歌声には胸打たれる。さて、初演を担つた春の祭典には正規録音だけでも沢山あるが、サンフランシスコ交響楽団とは当盤の1種のみだ。正直に申すとサンフランシスコ交響楽団が如何に下手であつたかを晒した録音だ。アマチュア楽団でももつと上手に演奏するだらう。但し、モントゥーの棒に熱気があり、勢ひで多くを補つてゐる。(2024.11.24)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番、同第26番
ウィーン音楽祭管弦楽団/スティーヴン・サイモン(cond.)
リリー・クラウス(p)
[SONY CLASSICAL 88985302582]

 モーツァルト独奏用協奏曲全集12枚組。モーツァルトを得意としたクラウス女史の代表的名盤だ。ピアノ・ソナタ全集は決定的名盤として語り継がれてゐるが、協奏曲全集の方は殆ど話題にならない。理由は簡単だ。サイモンの指揮が音楽的ではなく、魅力が半減してをり邪魔をして仕舞つてゐるからだ。特に競合盤が多い後期作品で如実だ。クラウスのピアノはうつとりするほど素晴らしい。勝気で華があり、美しさと活力が溢れて来る。表情を様々に変へ、感情の揺れが多く音楽の起伏が絶品だ。だから、サイモンの単調な棒が詰まらなく聴こえるのだ。それでもハ短調協奏曲は作品の力もあつて聴かせる。戴冠式協奏曲は感銘が劣る。(2024.11.21)


プッチーニ:蝶々夫人
レオンタイン・プライス(S)/リチャード・タッカー(T)、他
RCAイタリア・オペラ管弦楽団と合唱団/エーリヒ・ラインスドルフ(cond.)
[RCA LIVING STEREO 88697720602]

 RCAリヴィング・ステレオ60枚組。1962年の録音。ラインスドルフは僅か5年前の1957年にも蝶々夫人を録音してをり再録音に当たる。オーケストラがRCAイタリア・オペラ管弦楽団と表記されてゐるが、実態はローマ歌劇場管弦楽団らしい。詰まり、旧盤と同じで歌手が変はつただけなのだ。実のところ、旧盤のモッフォとヴァレッティの方が断然魅力的でこの新盤に勝ち目はない。無論、全盛期のプライスと威勢の良いタッカーを起用して成功はしてゐる。だが、耳は歌よりも優秀な録音による豊穣たる管弦楽の響きに惹き込まれる。ラインスドルフの棒も素晴らしく、全体としては仕上がりの良い理想的な出来ではある。(2024.11.18)


カスリーン・パーロウ(vn)
米コロムビア録音(1912年〜1916年)
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第2番より第1楽章
バッハ:無伴奏パルティータ第2番、同ソナタ第2番より第3楽章
[Biddulph 85036-2]

 2枚組の2枚目。米コロムビア録音の続き6曲が収録されてゐるが、サラサーテ「カルメン幻想曲」を除いて全て1度録音済みの演目で新鮮味がなく、演奏内容も然程異なることもなく大して価値はない。さて、この度のBiddulphの商品の真価はパーロウ晩年の放送録音を収録してゐることにある。1941年、パーロウ50歳を超えた記録では、メンデルスゾーンの協奏曲が聴けるのだから愛好家なら随喜するだらう。非常に情熱的な演奏で第2楽章の迸るやうな歌には圧倒される。技巧も研ぎ澄まされてをり力強い演奏だ。グリーグのソナタも胆力があり素晴らしい。それ以上に驚くのが、1957年、パーロウ70歳間近の記録で、バッハのシャコンヌばかりか、パルティータ第2番が丸ごと聴けるのだ。技巧も情熱も全く衰へがない。これがアウアー門下印だ。20歳頃の生硬な小品録音からは聴き取れなかつた求道精神に胸打たれる。これを聴かずにパーロウを語る資格なし。(2024.11.15)


サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番
シューマン:チェロ協奏曲
グラズノフ:吟遊詩人の歌
グレゴリー・ストリャロフ(cond.)/サムイル・サスモード(cond.)/キリル・コンドラシン(cond.)、他
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(vc)
[DG 00289 479 6789]

 37枚組。サン=サーンスは1953年、シューマンは1957年、グラズノフが1954年、ソヴィエト時代のメロディアへの録音。戦後最高の奏者として駆け上がる若武者の記録だ。サン=サーンスが凄まじい。舌を巻くほど巧いのだ。颯爽として胆力のある演奏で楽器が鳴り切つてゐる。フランス風の上品な趣はないが、情熱的な楽曲なので呑み込まれて仕舞ふ。シューマンでも詩情や瞑想は皆無だが、表現の幅が広いので説得力がある。グラズノフが演目としても貴重だ。ロシアの美しき歌が聴ける。1950年代にしては音質が優秀だ。当時のメロディアが優良であつたことを認識出来る。管弦楽伴奏がどれも充実してゐる。(2024.11.12)


エンリーコ・カルーゾ(T)
録音全集第4巻/ヴィクター録音(1908年〜1910年)
ルイーゼ・ホーマー(Ms)/ヨハンナ・ガドスキー(S)/フランセス・アルダ(S)/マルセル・ジュールネ(Bs)、他
[RCA 82876-60396-2/Naxos Historical 8.110719]

 レコード史上最初の輝ける星カルーゾの録音全集4枚目。原盤からのRCA復刻とマーストンの究極のリマスタリングによるNaxos Historical盤で聴く。カルーゾは1909年に咽頭癌の手術を受けた。当盤はその境目がわかるのだ。1908年の歌唱は正しく黄金の歌声でTenore di graziaの絶頂期を聴くことが出来る。「リゴレット」「トロヴァトーレ」「アイーダ」と今もつて最高の歌唱ばかり、カルーゾの頂点がある。復帰後1909年末の録音では明らかに輝かしさと優美さが失はれてゐる。勿論、往時並ぶ者なき絶対的な歌唱なのであるが、同じカルーゾとしては下降が始まつてゐるのを気付く1枚なのだ。否、声質の変化と捉へるのがよからう。寧ろスピントで歌ふ「運命の力」が見事に決まつてゐる。(2024.11.9)


チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な藝術家の思ひ出に」
ヤッシャ・ハイフェッツ(vn)/グレゴール・ピアティゴルスキー(vc)/アルトゥール・ルービンシュタイン(p)
[RCA 88697700502][RCA 19075832132][RCA 88697911362]

 通称新百万ドル・トリオの録音は3者のRCA録音全集それぞれで聴ける。馬力のある辛口の名演だ。悲歌的小品と題された第1楽章が極めて情熱的で煽り立てる快速テンポだ。3者に共通するラプソディ調の歌ひ回しが見事に決まつてをり、速めのテンポでも違和感がない。豪快に鳴らすルービンシュタインのピアノにハイフェッツとピアティゴルスキーも負けてはゐない。第2楽章の主題と変奏は緩急の対比が絶妙で千変万化する表情は流石だ。何と云つてもルービンシュタインの輝かしいピアニズムが素晴らしい。代表的な名盤と云ひたいが、この曲の持つ悲痛な葬送調の趣は吹き飛んでをり、万人にお薦め出来る演奏ではない。(2024.11.6)


フリッツ・クライスラー(p-r&vn)
アムピコ社ピアノ・ロール全再生
ルーズヴェルト大統領御前コンサート(1940年11月9日)
NBC交響楽団/フランク・ブラック(cond.)
[Rhine classics RH-028]

 台湾発の稀少音源復刻レーベルRhine classicsの驚愕すべきリリース。クライスラーの録音を全て蒐集した積りであつたが、ヴァイオリンではなくピアノ・ロールの記録があつた。クライスラーはドヴォジャーク「ユモレスク」のピアノでの録音も残してゐるので余技ではない。ラフマニノフと同様、アムピコ社に1919年から1927年の期間で14ものロール記録をした。最初の演目は1919年に米國ブロードウェイで当たりを取つた「リンゴの花」の2曲だ。他に「愛の喜び」「美しきロスマリン」「オールド・リフレイン」「ウィーン奇想曲」「おもちゃの兵隊の行進曲」「ウィーンのメロディー」「マリオネット人形」「小さなワルツ」が聴ける。ヴァイオリンで聴き慣れた名曲がピアノで弾かれるのは新鮮だ。他にもクラカウアー、ヴィンターニッツ、クラマー、ホイベルガーらの作品の編曲もある。特筆すべきはウィーン流儀の崩しで、人懐こい甘い雰囲気を醸し出してゐる。ピアノ演奏でも抜群の魅惑を放つのだ。さて、更に重要な音源が聴ける。こちらはヴァイオリン演奏で、1940年11月9日、ルーズヴェルト大統領の前での演奏で、クライスラーのスピーチ、「ジプシー女」「ウィーン奇想曲」「美しきロスマリン」が聴けるのだ。腕前は落ちてゐるが、蒐集家は見落としてはならぬ。(2024.11.3)


ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第3番、同第6番
ヘンリク・シェリング(vn)/ピエール・フルニエ(vc)/ヴィルヘルム・ケンプ(p)
[DG 00289 479 6909]

 フルニエDG/Decca/Philips全集25枚組。8枚目。ベートーヴェンのピアノ三重奏曲の録音全集は多くは提供されてはゐない。名手3名が揃つた当盤は代表的な名盤として君臨してゐる。この2曲では、仕上がりは申し分ないが、出来栄えは特別突き抜けた要素はない。ハイドンが脅威を感じた第3番も品良く纏めた感は否めない。第6番は高貴な音楽性が嵌つて美しい。特に第3楽章は悠然たる歌が見事だ。とは云へ、全体としては踏み込みが弱い。(2024.10.30)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番
シューマン:ピアノ協奏曲
フィルハーモニア管弦楽団/ヘルベルト・フォン・カラヤン(cond.)
ヴァルター・ギーゼキング(p)
[Warner Classics 0190296245596]

 ギーゼキング全集48枚組。1953年の録音。ギーゼキングは同時期にモーツァルト独奏曲全集といふ偉業を進行してをり精力的であつた。第1楽章は若きカラヤンの熱気ある音楽に対して、無駄な成分を排除した透徹したピアニズムで格上を見せ付ける。なのに音楽の中身は非常に劇的、極め付きは創作カデンツァで、天晴見事。一転して第2楽章は慈しむやうなゆつたりしたテンポで情感豊かに紡ぐ。再現部は一段と声を潜め、宝石のやうな光沢のあるタッチで幻想的だ。大して話題にならないが、これは孤高の名演として重視したい。シューマンも上出来だ。ギーゼキングはフルトヴェングラーとの怒涛の名演があり、当盤は別人のやうに大人しいが、作品の美しさを良く引き出してゐる。カラヤンは5年前にリパッティとの録音があつたが、この再録音の方がフィルハーモニア管弦楽団の指導が行き届いてをり万全だ。特別な要素はないが、名匠二人による絶妙な名演なのだ。(2024.10.27)


プッチーニ:蝶々夫人
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(S)/ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)/ティート・ゴッビ(Br)、他
ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/ジャナンドレア・ガヴァツェーニ(cond.)
[Warner Classics 50541952928]

 ロス・アンヘレス全集59枚組。1954年のモノーラル旧盤の録音だ。蝶々夫人の録音は数多いが、最高峰にあるのは当盤だらう。何と云つても適役の豪華布陣に溜飲が下がる。蝶々さんは激唱されても困る。密やかな情感が美質となる。若く絶頂期にあつたロス・アンヘレスは可憐で嵌まり役だ。テバルディも良いが、大人びてゐるのだ。ピンカートンは色男ディ=ステファノで、これ以上は望めまい。そして、シャープレスにゴッビが贅沢に起用されてをり、役者が揃つてゐる。勘ぐつて仕舞ふが、この取り合はせならカラスも候補だつたらう。翌年のカラヤンとミラノ・スカラ座で組まれた録音がだう影響したかは不明だ。だが、結果は当盤が誕生したことで大正解であつた。ガヴァツェーニの正鵠を射た伴奏も見事で実に美しい。モノーラル最後期の極上の音質で減点は少ない。(2024.10.24)


ヤナーチェク:ピアノと室内管弦楽の為のコンチェルティーノ、ドゥムカ、ヴァイオリン・ソナタ
マルティヌー:弦楽四重奏と管弦楽の為の協奏曲
バリリ・アンサンブル
ヴァルター・バリリ(vn)/フランツ・ホレチェク(p)
ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団/ウィーン国立歌劇場管弦楽団/ヘンリー・スウォボダ(cond.)
[Universal Korea DG 40020]

 ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。チェコ音楽を堪能出来る1枚だ。最も感銘深いのはバリリの独奏によるドゥムカだ。ヤナーチェクの初期作品で民族色が強い。それだけに直截的なのだ。普段は鷹揚で溌溂としたバリリが、陰影深く妖しげな音色で官能的に歌ひ込む。決定的名演だ。次いで、矢張りバリリの弾くソナタが良い。こちらは独自の書法が確立した名作で、楽章構成も一風変はつてをり楽しめる。コンチェルティーノも作品としては更に実験的かつ刺激的な名曲で、ピアノが主導し乍らホルンやクラリネットが活躍する。だが、演奏は幾分散漫だ。マルティヌーの協奏曲は面白いが、コンツェルトハウスSQの良さが出たとは云ひ難く、然して印象に残らない。(2024.10.21)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第26番「告別」、同第27番、同第30番、同第31番
エミール・ギレリス(p)
[DG 4794651]

 DG録音全集24枚組。晩年のギレリスが到達した静謐で荘厳なピアニズムは後期ソナタで比類ない昇華を遂げる。それだけに最後の第32番が残されなかつたのは痛恨事だ。最も成功したのは第27番だらう。厳しさと美しさが融合した理想的な名演だ。他も神々しい一種特別な名演であるが、実のところもう少し甘いロマンティックな詩情や熱が欲しい。人間味が薄いのだ。(2024.10.18)


コダーイ:「ハーリ・ヤーノシュ」組曲、マロシュセーク舞曲、ガランタ舞曲
バルトーク:ハンガリアン・スケッチ、ルーマニア民俗舞曲
ミネアポリス交響楽団/フィルハーモニア・フンガリカ
アンタル・ドラティ(cond.)
[MERCURY 00289 480 5233]

 マーキュリー・リヴィング・プレゼンス50枚組第1弾。ドラティが祖国ハンガリーの音楽を得意としたのは当然で、マーキュリーへの録音の中でも最も優れたもののひとつだ。コダーイが全て屈指の名演だ。これらの演目ではフリッチャイの決定的とも云へる名盤があるが、ドラティの演奏も肉薄する出来栄えだ。「ハーリ・ヤーノシュ」ではトーニ・コーヴェスのツィンバロンも面白く聴ける。本当に素晴らしいのは2つの舞曲で、郷愁豊かなフィルハーモニア・フンガリカとの演奏が決まつてゐるのだ。さて、バルトークは如何なる訳か感銘が落ちる。ハンガリアン・スケッチは線が細く弱々しい。ライナーの激辛の演奏とは比べものにならぬ。ルーマニア民俗舞曲も熱量がなく価値がない。(2024.10.15)


ショパン:ピアノ協奏曲ヘ短調、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ
シンフォニー・オブ・ジ・エアー/アルフレッド・ウォーレンスタイン(cond.)
アルトゥール・ルービンシュタイン(p)
[RCA 88697911362]

 コンプリート・アルバム・コレクション142枚組。1958年の録音で絶頂期のルービンシュタインの至藝を楽しめる。協奏曲は後にオーマンディと再録音をしたので、そちらの方がよく聴かれるが、当盤は良くも悪くもアメリカ的な豪奢で絢爛たる演奏で気持ちが晴れる。ルービンシュタインの美しいピアニズムが堪能出来るが、憂ひや深みを求める向きには鼻持ちならぬ演奏だらう。ポロネーズはルービンシュタインが得意とし、何種類も録音が残るが、管弦楽伴奏付きはこの演奏だけだ。ルービンシュタイン以上に華麗にこの曲を演奏した奏者はなからう。王者の風格漂ふ決定的名演だ。(2024.10.12)


マーラー:交響曲第9番
ベルリン・フィル
レナード・バーンスタイン(cond.)
[DG 4798418]

 DG録音全集121枚組。大変有名な1979年のライヴ録音。バーンスタインがベルリン・フィルと共演したのはこのマーラーの第9番の公演のみだ。カラヤンの聖域であつたベルリン・フィルに最大のライヴァルと目されたバーンスタインが踏み込むことは只事ではない。様々な思惑が交錯した異常な公演となつた。録音が残されてゐたが、バーンスタイン死後の1992年までお蔵入りであつた。賛否両論あるが、私見ではこのベルリン・フィル盤こそ最高の名演だと感じる。一期一会の客演の為、随所で瑕があり、完成度や仕上がりではアムステルダム盤の方が断然上なのだが、情念や緊張感が尋常ではなく引き込まれて仕舞ふのだ。但し、それも第3楽章までで、第4楽章は良くない。バーンスタインの没入する唸り声が至る処で入り、ベルリン・フィルを焚き付けるが、これが逆効果だつたやうだ。音楽が零れて行くのだ。そして、頂点に向けて崩壊が始まり、トロンボーン総落ちで旋律不在、トランペットが虚空を貫く事態が発生する。非常に残念だが、大局的にはアムステルダム盤を凌ぐ迫真性のある名演だ。第1楽章でのsul ponticello奏法には驚く。(2024.10.9)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、同第24番
コンセール・ラムルー/イーゴリ・マルケヴィッチ(cond.)
クララ・ハスキル(p)
[PHILIPS 484 1744]

 マルケヴィッチのPHILIPS録音集26枚組。語り尽くされた不朽の名盤だ。これらの曲の最高の演奏とまでは云はないが、屈指の名演であることは今だに変はらない。ハスキル最晩年の録音であるマルケヴィッチとの共演はどれも感銘深いが、矢張りこのモーツァルトに尽きるだらう。ニ短調協奏曲はモノーラルのパウムガルトナーとの共演盤を僅かに上位にしたいが、当盤の演奏も純度が高く美しい。ハ短調協奏曲はマルケヴィッチの鋭利な伴奏も相まつて総合点が高い。確かにハスキルのピアノは高潔で無垢だが、単調で情感に乏しいかも知れぬし、マルケヴィッチの指揮が精悍過ぎて悪目立ちしてゐるのは否めない。しかし、当盤を超える演奏が多くないのも事実だ。(2024.10.6)


ショパン:チェロ・ソナタ
プロコフィエフ:チェロ・ソナタ
ルドルフ・フィルクシュニー(p)
グレゴール・ピアティゴルスキー(vc)
[RCA 19075832132]

 米コロムビアとRCAへの録音全集36枚組。再録音となるプロコフィエフが重要な録音だ。この曲は勿論ロストロポーヴィチとリヒテルによる伝説的な録音の存在を抜きには語れないが、往時規範として君臨したピアティゴルスキー盤は逸することが出来ない。脱力した飄然たる演奏は晩年のプロコフィエフの虚無感を炙り出す。随一の技巧故の余裕が生み出す面持ちが見事に楽曲に合致した稀代の名演だ。一方同じく再録音ではあるがショパンは低調だ。チェロもピアノも内気過ぎる細身の演奏で、芯を欠き殆ど印象に残らない。スラヴの郷愁を表現しようとした演奏かも知れぬが成功してゐない。この曲はフルニエの物心捧げた演奏が頭ひとつ抜きん出てゐる。(2024.10.3)



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