楽興撰録

蒐集した音楽を興じて綴る頁

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2017.8.30以前のCD評
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最近の記事

サン=サーンス:ピアノ協奏曲第4番、同第5番、七重奏曲/フランス国立放送局管弦楽団/ルイ・フレスティエ(cond.)/パスカル四重奏団/ジャンヌ=マリー・ダルレ(p)、他 [EMI 7243 5 69470 2 3]
再びダルレを聴く。2枚組の2枚目。第4番ハ短調はサン=サーンスの個性を刻印した名曲で、第2番と並ぶ傑作とされる。構成が特徴的で全2楽章だが、それぞれが2部に分かれ実質4楽章制なのだ。即ち有名なオルガン交響曲と同じで、実験的な先駆作品と云へる―調性が同じであるのは面白い符合だ。また、循環形式を試みてゐる点でも共通する。演奏は万全で代表的な名演だ。コルトーの名演と比しても硬派の名演として引けを取らない。「エジプト風」の愛称で親しまれる第5番へ長調のみが晩年の作品だ。だが、非常に実験精神旺盛な作品で描写的もしくは絵画的な作品だ。主に和声の面で東洋的な要素が取り入れられてをり、異国情緒が満載なのだ。演奏は第3楽章の技巧が見事で素晴らしいが、第2楽章は幾分物足りない。タリアフェロが聴かせた恍惚たるエロスはなく、描写の面白みも薄い。七重奏曲は第4番と第5番の中間に作曲された作品で、ピアノ、トランペット、弦5部といふ類例のない編成の曲だ。洒脱でフランスのエスプリを感じる佳作。演奏はパスカルSQが妙味を出してゐるが、肝心のデルモットのトランペットが物足りない。(2017.12.12)

レハール:「メリー・ウィドウ」/エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)/ニコライ・ゲッダ(T)/フィルハーモニア管弦楽団/ロヴロ・フォン・マタチッチ(cond.)、他 [EMI CDS7 47178 8]
シュヴァルツコップはハンナ役を得意とし、モノーラル録音時代の1953年にもアッカーマンの指揮で名唱を残した。当盤は決定的名盤の誉れ高い1962年のステレオによる再録音で、カミーユ役は旧盤と同じくゲッダが務める。ダニロ役はエベアハルト・ヴェヒター、ヴァランシェンヌ役はハンニー・シュテフェックで、理想的な歌唱が聴ける。予想に反して素晴らしいのがマタチッチの指揮だ。ブルックナーやスラヴ音楽で聴かせる余人にはない無骨さが持ち味な指揮者だが、レハールでは軽快で婀娜な演奏を披露して呉れた。とは云へ、よく聴くと非常に安定感のある揺るぎのない造形が最大の特徴で、恣意的な崩しがなく面白みは少ないのだが、醸し出す艶つぽさは熟成された匠の仕業だ。シュヴァルツコップの含蓄のある聡明な歌唱は最高のハンナ歌ひで、華美で奔放に歌はれたハンナとは一線を画す。総合点で主席を占める名盤。(2017.12.9)

モーツァルト:交響曲第40番、同第41番「ジュピター」、アイネ・クライネ・ナハトムジーク/ウィーン交響楽団/ベルリン・フィル/フェレンツ・フリッチャイ(cond.) [DG 00289 479 2691]
フリッチャイのDG録音全集第1巻45枚組。フリッチャイが特別な想ひを込めて演奏に取り組んだモーツァルトの傑作群。これらの録音は活動の最後期にあたり、内容に深みが感じられる。第40番は1959年の録音。遅めのテンポで情感豊かな音楽が造られる。ひとつひとつの音が意味深く、流石と感心する箇所も多いが、ドイツの巨匠らの演奏と大差はなく、このフリッチャイの録音が特別な意義を持つてゐるとは云ひ難い。指揮活動を断念する1961年に録音されたジュピター交響曲が素晴らしい。再録音となるが、細部まで息遣ひが感じられる一段上の演奏になつてゐる。特色が薄い嫌ひはあるが、真摯この上ない名演である。1958年に名門ベルリン・フィルと録音したセレナードが極上だ。一寸威勢が良過ぎるかもしれぬが、完璧な演奏だ。それでも第3楽章までは優良な演奏と云ふに止めたいが、喜びに満ち溢れた推進力抜群の第4楽章は古今最高だ。ヴィオラの活躍が滅法楽しい。(2017.12.7)

シューベルト:美しき水車小屋の娘/フーベルト・ギーゼン(p)/フリッツ・ヴンダーリヒ(T) [hanssler SWR music CD.93.180]
1964年2月5日の放送用と思しきスタジオ録音の未発表音源。モノーラル録音だが音質は上等で鑑賞に不都合はない。それにしてもヴンダーリヒの歌ふ「詩人の恋」と「美しき水車小屋の娘」は特別だ。他の歌手がどんなに趣向を凝らしてもヴンダーリヒが到達した境地には追ひ付けない。名盤として名高いDGへの正規セッション録音が1966年に行はれたが、ウンダーリヒの歌唱そのもので云へばこの2年前の録音の方が優れてゐる。冒頭の第一声から屈託なく情感が溢れてをり、美声が伸びやかで表現は魔法のやうに変化する。何曲かでウンダーリヒは節にカットを施し短縮して歌つてをり、全曲で55分弱と短い。そのためか冗長さは回避されてをり一長一短だ。ギーゼンの伴奏は水準程度だが、ウンダーリヒとの格差があり過ぎて格好が付かない。残念だ。(2017.12.4)

ベートーヴェン:交響曲第9番/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団/ヴィレム・メンゲルベルク(cond.)、他 [ARCHIVE DOCUMENTS ADCD.113]
メンゲルベルクの稀少録音を発掘してきた英アーガイヴ・ドキュメンツの第7巻。メンゲルベルクには2種類の第9交響曲のライヴ録音が存在する。蘭PHILIPSから繰り返し発売されてきた1940年5月の有名なライヴ・ツィクルスの録音と、この1938年5月の録音だ。米Music&ArtsからもCD化されてゐた。だうでもよいことだが、米Music&Arts盤では省かれた曲間の様子もそのまま収録されてゐる。音質は2年の差で確実に旧盤の方が落ちる。演奏の印象はほぼ同じだ。これだけ特異な解釈であるのにだ。メンゲルベルクの演奏が様式化されてゐた証拠となる記録だ。とは云へ、細部の感銘は一長一短。旧盤は燃焼的でアーティキュレーションが硬質だ。ポルタメントも濃厚な箇所もある。甲乙付け難いが、大局的には新盤の方が優れてゐると云つてよいだらう。新旧どちらも一世一代の類例なき名演であることに違ひはない。聴かぬは損と心得よ。(2017.11.30)

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」、同第26番「告別」、同第32番、シューベルト、シューマン、リスト、ブラームス/ヴィルヘルム・バックハウス(p) [Profil PH10006]
独Profilによるバックハウスのカーネギー・ホールでのライヴ録音集2枚組。2枚目を聴く。1954年3月30日のライヴ録音だ。この日のプログラムはベートーヴェンのソナタ5曲で、当盤に収録された演目の他に1枚目に収録されてゐた第8番「悲愴」と第25番で全体を成す。さて、演奏はテンペストが最も素晴らしい。厳つく重厚で神秘的な演奏はバックハウスの妙味が発揮された名演で感銘深い。比べると告別ソナタは並の演奏で、特段印象に残らない。第32番も同様で、立派な演奏なのだが、特別な価値を見出すことほどの点はない。寧ろアンコールが絶品だ。シューベルトの即興曲変イ長調、シューマンの「何故に」、リストの「ウィーンの夜会第6番」、ブラームスの間奏曲作品119-3の4曲。バックハウスの常で演奏前に音出しをする。探るやうに幾つかの和音を鳴らす。次に何を弾くかを霊感で決めるやうに、気分次第、趣く侭に辿り着いた調性の曲を弾いたやうに聴かせる。至福のひととき。(2017.11.27)

ストコフスキー:バッハのトランスクリプション集/フィラデルフィア管弦楽団/レオポルト・ストコフスキー(cond.) [Pearl GEMM CD 9098]
再びストコフスキーのバッハ・トランスクリプション集を聴く。2枚組の2枚目。収録曲は、大フーガト短調、トッカータ・アダージョとフーガハ長調からアダージョ、小フーガニ長調、管弦楽組曲第3番よりエア、シェメッリ歌曲集より2曲、マタイ受難曲より1曲、ヨハネ受難曲より1曲、コラール前奏曲より3曲、カンタータ第4番より1曲、トリオ・ソナタより1曲、前奏曲とフーガ第3番ホ短調、トッカータとフーガニ短調だ。これら一連の曲を聴いて感じるのは、バッハの音楽が人口に膾炙されたのはストコフスキーの貢献によるところが大きいといふことだ。トッカータとフーガニ短調が1オルガン曲から斯様に有名になつたのはストコフスキーの影響であることは否定出来まい。宗教曲における重厚な響きは胸に迫る。管弦楽組曲のエアは官能と崇高が織り交ざつた一種特別な名演である。(2017.11.24)

ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第8番、同第9番、ショーロ第2番、同第5番、同第10番、2つのショーロ[追加]/フェルナン・デュフレーヌ(fl)/アリーヌ・ヴァン・バレンツェン(p)/フランス国立放送管弦楽団/エイトル・ヴィラ=ロボス(cond.)、他 [EMI CZS 7 67229 2]
ブラジルの国民的作曲家ヴィラ=ロボスが晩年の1950年代にフランス国立放送管弦楽団を指揮して記録を残した自作自演6枚組。これは初期盤だが新装盤も出てゐる。4枚目を聴く。ブラジル風バッハの第8番は第7番と並ぶ大規模編成の管弦楽曲で、取り分け色彩豊かな第3楽章トッカータは聴き応へ満点、第4楽章フーガも充実してゐる。演奏は幾分主張が足りないかも知れぬ。第9番は元来合唱曲として作曲されたが、弦楽合奏曲で演奏されるのが一般的だ。壮麗かつ哀愁を帯びたフーガはヴィラ=ロボスの真骨頂で、演奏も素晴らしい。ブラジル風バッハ以上に重要とされるショーロの録音も充実してゐる。第2番はフルートとクリネットの二重奏で、デュフレーヌの活躍がここでも際立つ。第5番「ブラジルの魂」はピアノ独奏曲でバレンツェンによる極上の名演。中間部の民族舞曲が印象的だ。第10番「愛情の破れ」は合唱と管弦楽の為の作品で実にprimitiveだ。補遺作品2つのショーロはヴァイオリンとチェロの二重奏だ。演奏はどれも決まつてゐる。(2017.11.21)

ヨーゼフ・ホフマン(p)/全集第9巻(補遺録音集&ホフマン関連インタヴュー集) [Marston 52058-2]
鶴首してゐたマーストンによるホフマン全集録音の完結となる第9巻が遂に発売された。第8巻の記事の書いたのが2006年で、その頃には発売予告もあつたと記憶するから10年近く待つたことになる。最初に申し上げてをくが、第9巻2枚組は蒐集家の為にあり、一般的な聴き手には不要だ。内容だが、まずユリウス・ブロック博士が1895年から1896年頃にモスクワで機材を持ち込んで行つたシリンダー録音4曲が収録されてゐる。ブロック博士のシリンダー録音集は3枚組でマーストンより発売されてをり、そこに含まれていたホフマンの録音だけが抜き出されたといふ訳だ。次にVAIから第3巻と第4巻として復刻されてゐた1911年のコロムビア録音が2曲、1923年のブランズヴィック録音が2曲が収録されてゐるのだが、これらは別テイク録音であり一応別録音と云へる。次に1936年のキャディラック・アワーの放送録音がアナウンス付きで収録されてゐる。これは第6巻に収録されてゐた内容と同じだが、より状態の良い音源が見付かつたといふことで再収録されたとのことだ。最後に1945年7月30日のベル・テレフォン・アワーの映画サウンドトラックとして録音された音源で、ラフマニノフの前奏曲嬰ハ短調とベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第3楽章ロンドが収録されてゐる。さて、ホフマンの演奏録音は以上で、約60分程度。演奏自体は驚異的かつ最高だが、所詮補遺録音ばかり。残り90分はホフマンに関する発言集で、ボレットやグールドなどが登場するが、聞くこともないだらう。(2017.11.19)

パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番、同第2番、サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン、ハバネラ、マラゲーニャ、ノヴァーチェク:常動曲/リカルド・オドノポゾフ(vn)、他 [DOREMI DHR-7874-9]
名手オドノポゾフの大曲録音を復刻した6枚組。2枚目を聴く。パガニーニの第1番とサラサーテのツィゴイネルワイゼンはMUSICAL MASTERPIECE SOCIETYへの録音、パガニーニの第2番はConcert Hallへの録音、サラサーテのハバネラとマラゲーニャ、ノヴァーチェクはRCAヴィクターへの録音だ。オドノポゾフは大技巧家で濃厚な表現主義的演奏を指向した。王道や正統が重んじられる曲だと窮屈な演奏か逸脱した演奏で五月蝿い聴き手からは低く見られたが、パガニーニとサラサーテといふ二大ヴィルティオーゾの作品では真価を遺憾なく発揮した。パガニーニの協奏曲では誤魔化しは一切なく、重厚かつ濃密な歌と技巧で圧倒する。軽佻浮薄な表現がなく色気と哀愁が交錯する。重苦しいパガニーニは異色だが、説得力が上回る。取り分け第2番の終楽章「ラ・カンパネッラ」の俊敏で挑みかかるやうな躍動感は絶品だ。どちらの曲もカデンツァの絢爛たる技巧が圧巻。パガニーニ以上にサラサーテが素晴らしい。ツィゴイネルワイゼンは極上の名演で、技巧の冴えも見事だが中間部のポルタメントで泣き節を伴つた歌に幻惑させられる。この曲屈指の名演だ。RCAヴィクターへの3曲はBAYER盤でも聴けた。既に記事にしたので割愛するが、代表的な名演である。(2017.11.16)

オシップ・ガブリロヴィッチ(p&cond.)/全録音(1923年〜1929年)/ハロルド・バウアー(p)/フロンザリーSQ/デロトイト交響楽団 [Dante HPC051/52]
ガブリロヴィッチはアントン・ルビンシテインの卓越した弟子であり、リャードフ、グラズノフ、メットネルに学んだ作曲家でもある。名教師レシェティツキにも師事し、同門バウアーとは気の合ふ共演者であつた。マーク・トウェインの娘クララ・クレメンズと結婚をし、アメリカを拠点に活躍した。指揮者としても有能で、デトロイト交響楽団の音楽監督を1918年から亡くなる1936年まで務めた。これはデトロイト交響楽団にとつて最長記録である。ピアノ、室内楽、指揮の全録音を収めた仏Dante盤2枚組は愛好家必携だ。1枚目はVAIレーベルの復刻盤と内容が重複する。ピアノ独奏及びバウアーとの連弾は網羅されてゐるし、フロンザリーSQとのシューマンのピアノ五重奏曲の短縮版アコースティック録音も含まれる。既に記事にしたので割愛する。2枚目には英Biddulph盤のフロンザリーSQの復刻盤で聴けたシューマンの完全版電気録音が収録されてゐるが、何と云つてもこのDante盤の強みはデトロイト交響楽団を振つた指揮者としての録音である。全て1928年の録音で、演目はブラームスの大学祝典序曲とセレナード第1番からメヌエット、アルトシュラーのロシア兵士の歌、チャイコフスキーの組曲第1番から小行進曲と弦楽セレナードからワルツ、グルックの精霊の踊り、シャブリエのスペインだ。演奏は水際立つた名演揃ひである。アンサンブルも上等で絶妙なルバートも決まつてをり、当時最高水準の演奏をしてゐたことに驚きを禁じ得ない。特にシャブリエの光彩は見事。とは云へ、電気録音初期の記録で音は貧しく、蒐集家以外の興味を引くことはなからう。(2017.11.13)

イヴォンヌ・プランタン(vo)/名唱集(1929年〜1940年)/ウィルメッツ、メサジェ、オッフェンバック、アーン、オーリック、プーランク、マルティーニ、ポーター、他 [Pearl GEMM CD 9158]
プーランクの傑作「愛の小径」の創唱者で名を知られるプランタンの復刻盤。プランタンは歌手といふ前に、何よりもまず女優であつた。舞台に映画に大活躍し一世を風靡したベル・エポックの花である。だが、女優の余技と侮るなかれ、甘いヴィブラートたつぷりの美声で聴く者を陶然とさせて呉れる。繊細な表情と多彩な声音を駆使する技巧も持ち合はせてをり、歌手としても第一級だ。声量はないのかも知れぬが録音で聴く分には不都合はない。収録された曲は舞台や映画作品の一場面で歌ふ挿入歌が殆どだ。アーン「モーツァルト」からの2曲は重要だ。作詞はプランタンの夫ギトリが担つた作品も多い。一方で、オッフェンバック「ジェロルスタン大公妃殿下」なども歌つてゐる。また、バリトンのジャック・ジャンセンとの二重唱録音などもある。どれも雰囲気満点で古き良き時代のパリに誘つて呉れる歌唱ばかりだが、強く胸に残るのは矢張りプーランク「愛の小径」を筆頭に、オーリック「プランタン」、マルティーニ「愛の喜び」、ポーター"Goodbye,Little Dream,Goodbye"あたりだらうか。(2017.11.9)

モーツァルト:交響曲第40番、同第41番「ジュピター」、「劇場支配人」序曲/クリーヴランド管弦楽団/ジョージ・セル(cond.) [SONY&BMG 8 2876-86793-2]
セルが得意としたモーツァルトを指揮とピアノで演奏したオリジナル・ジャケット・コレクション10枚組。第40番は1967年、セル晩年の録音。1950年のモノーラル録音と比べて甲乙付け難い出来だが、剛毅さと哀感が高度に融合した名演であるといふ点では一貫してゐる。この名曲の録音では屈指の名盤だ。ジュピター交響曲は1963年の録音。申し分のない立派な演奏である。細部への彫琢も見事だ。だが、特別な名演かと問はれると困る。全体的な感銘は妙に薄い。王道を行く盤石の演奏である反面、何か突き抜けた表現がある訳ではなく、在り来たりの演奏となつて仕舞つた。序曲が素晴らしい。格調高くアンサンブルも上等。ヴァルターの名演と比肩出来る逸品だ。(2017.11.7)

バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番、同第2番、同第3番/リリアン・フックス(va) [DOREMI DHR-7801/2]
気品高い名奏者フックス―高名なヴァイオリン奏者ジョゼフ・フックスは実の兄である―は室内楽で極上の名演を残したが、無伴奏チェロ組曲全6曲をヴィオラで弾いた録音は、フックスの代表的名盤であるだけでなく、この曲集では語り落としてはならぬ極上の名盤なのだ。ヴィオラで弾いた邪道の録音と侮るなかれ、チェロにはない華やかさと軽さを前面に打ち出した独自の境地を示してをり、上品な歌心が琴線に触れる。技巧は最上級で楽器が曇りなく鳴る。何よりもバッハの音楽と完全に一体化してをり、表情が千変万化する様は圧巻。1枚目は第1番から第3番が収録されてゐる。第1番の第1曲目から清廉な音楽が溢れ、引き込まれて仕舞ふ。第2番が大変素晴らしい。含蓄のある歌が流麗で、音色が意味深く変化する。原曲のチェロで弾いた演奏でフックス盤を超える演奏は極僅かしかない。(2017.11.3)

エルヴィン・ニレジハージ(p)/ライヴ録音集(1972年〜1982年)/リスト、ブラームス、スクリャービン、グリーグ [Music&Arts CD-1202]
ニレジハージの名演だけを集めた2枚組を聴く機会を持てた。ニレジハージの数奇な人生に興味を覚えない人などゐまい。演奏も破天荒で、聴いてゐて精神が崩壊しさうになる。「もしも」は虚しいが、ニレジハージがキャリアを順調に積めば、ホロヴィッツが霞んで仕舞つただらう。1枚目を聴く。ニレジハージの演奏ではリストが絶対だ。他の作曲家には出来不出来があるが、故国を同じくすることもありニレジハージはリストの化身と申しても過言ではない。最も凄いのは再発見の契機ともなつた1973年5月6日に演奏された「2つの伝説」だ。こんなに美しい神秘的なピアノの音は聴いたことがないし、こんなに凶暴な荒れ狂ふ打鍵を聴いたことはない。常人の出せる最強音はニレジハージにとつては4割程度であり、そこから頂点までが長い。誇張ではなく、オーケストラよりもピアノ1台での表現力が超えた、それがニレジハージであり、リストの化身と云つた所以である。この「2つの伝説」はニレジハージの頂点でもある。その他の曲、「聖エリーザベトの物語」「森のざわめき」「ペトラルカ・ソネット第123番」「エステ荘の糸杉に寄せて」「ヴァレンシュタット湖畔で」もそれぞれ良い。リスト以外はブラームスの間奏曲Op.118-6、スクリャービンのピアノ・ソナタ第4番、グリーグの夜想曲で、全て感銘深い演奏だ。葛藤、憑依、慰め、とてつもない表現が聴ける。(2017.10.31)

ベートーヴェン:序曲「コリオラン」、交響曲第4番、シューベルト:未完成交響曲/ウィーン・フィル/オットー・クレンペラー(cond.) [TESTAMENT SBT8 1365]
1968年、晩年のクレンペラーがウィーン藝術週間に登場した。その5公演を収録した8枚組。2枚目を聴く。ベートーヴェンの2曲は5月26日の公演記録―この後に交響曲第5番が演奏された。シューベルトは6月16日の公演記録。ベートーヴェンはだうあつても承服出来ない演奏だ。コリオランは堂々とした響きだが、音楽が動かない。和声感が乏しく、実に詰まらない演奏だ。ウィーン・フィルが堪らず前のめりになる箇所もある。第4交響曲も序奏は速いのに主部は遅く、旋律は流れず和声は動かない。提示部の繰り返しが苦痛だ。クレンペラーを矢鱈褒める人々がゐるが、このベートーヴェン2曲はうどの大木、愚鈍で非道い演奏だ。一方、シューベルトは極上の名演だ。神話の世界のやうな遠大な音楽を創り出す。矮小な人間の感情を超えた音楽が現出する。このやうな突き抜けた特上の演奏をするのがクレンペラーだ。尚、DG盤には聴かれたシューベルトの演奏終了直後に"schön"と発せられた声が編集でカットされてをり戴けない。(2017.10.27)

ベートーヴェン:交響曲第4番、同第7番/ロンドン交響楽団/ピエール・モントゥー(cond.) [DECCA 480 8895]
レーベルやオーケストラの統一性がないが、曲りなりにもモントゥーによる交響曲全集である。第4交響曲はモントゥーが得意とし、正規セッション録音だけでも当盤の他にサンフランシスコ交響楽団と北ドイツ放送交響楽団との録音が残る。当盤の演奏は音質を含めて申し分ない出来栄えだが、特段突き抜けた特色がなく、無難な印象を受ける。穏当で安心して聴けるが長く記憶に残らない。第7交響曲の方が優れた演奏だ。第1楽章から格調高い響きが豊かに広がり熱気も素晴らしい。但し、ヴェーバーが酷評したやうなデモーニッシュな狂気は見受けられず、極めて健康的な演奏で幾分物足りない。しかし、終楽章だけは文句なく素晴らしい。快速テンポによる凄まじい推進力が持続する。弱音指定も気にせず小細工なしの真つ向勝負で、聴き手を興奮の坩堝へと導く。(2017.10.23)

アレクサンダー・ブライロフスキー(p)/初期録音(1928年〜1934年)/スカルラッティ、ヴェーバー、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リスト、ドビュッシー、スクリャービン [Pearl GEMM CD 9132]
電気録音初期、ポリドールやグラモフォンへの録音の復刻。副題に「レシェティツキの伝統」とあるが、正にレシェティツキの教へを受け継いだひとりであることが如実に伝はる1枚だ。何よりも収録された演目が物語る。タウヒジ編曲スカルラッティ「パストラーレとカプリッチョ」、ヴェーバーのピアノ・ソナタより「無窮動」、シューベルト「軍隊行進曲」、メンデルスゾーン「スケルツォ」は門下一同が得意とした演目だ。端正で底光りするピアニズム、和声に含蓄を持たせるタッチ、上品さを失はないルバート、実に素晴らしい。ただ、キエフ出身のブライロフスキーとオデッサ出身のモイセイヴィッチは藝風が被る。演目でもリスト編曲ヴァーグナー「タンホイザー」序曲は食ひ合つてゐる。ショパンの演奏では特性の違ひが出る。装飾過多なサロン風で、深刻にならない洒脱さを指向したブライロフスキーはモイセイヴィッチよりも一層繊細でsnobbismが強い。若い頃にパリで絶大な人気を誇つたブライロフスキーが渡米して名声を保てなかつたのは活動の場を間違へたからだ。この初期録音はレシェティツキ門下の優等生が刻んだ輝かしき記録だ。(2017.10.15)

ベートーヴェン:交響曲第4番、同第8番/ルガーノ放送管弦楽団/ヘルマン・シェルヘン(cond.) [MEMORIES REVERENCE MR2412/2417]
奇才シェルヘンの名を一躍知らしめたルガーノ放送管弦楽団とのベートーヴェン・ツィクルス。この2曲は特に衝撃的だ。第4番は序奏から主部に移行する直前のフォルテに入つた途端、シェルヘンの激しい一喝を合図に猛烈なアクセルがかかる。序奏のテンポとの連関性はなく、鬼軍曹の号令と共に強制的に全力疾走を強いられた格好だ。聴き手は一様に興奮させられるだらう。コーダでも手抜き厳禁の一喝が入る。第3楽章や第4楽章も激烈だ。第8番はこのツィクルス中で最も刺激的な演奏だ。第1楽章冒頭から空前絶後の爆走テンポで暴れまくる。ルガーノ放送管弦楽団が音楽を咀嚼出来ないまま、強制的に行軍させられる。危険な熱気を孕み、聴き手を一瞬たりとも安心させない。激しいスクラッチ・ノイズを鳴らす第3楽章も凄い。そして、第4楽章、最初のフォルテでお馴染みの一喝があり、音楽が発火する。機関銃のやうな音形が連続し、凶暴な演奏が持続する。野人ベートーヴェンの極限的な演奏を示したシェルヘン恐るべし。(2017.10.12)

ドヴォジャーク:スラヴ舞曲第1集&第2集(全16曲)、謝肉祭/チェコ・フィル/ヴァーツラフ・タリフ(cond.) [Naxos Historical 8.111331]
スラヴ舞曲が1935年11月27日、謝肉祭は翌日28日の録音。ロンドンのアビー・ロード第1スタジオにおける英HMVレーベルへの録音。タリフは戦後にチェコ・スプラフォンに再録音をしてゐるが、この戦前の録音の価値が減じることはない。オバート=ソンによる復刻で音質も上等で比較しても遜色ない。まず、この旧盤と新盤との明確な違ひはテンポが全ての曲で速いことだ。覇気があり、推進力があり、舞踏に熱気がある。アンサンブルも引き締まつてゐる。それだけではない。音色全体に艶があり、陰影が深い。土俗的な粘りと哀愁を帯びた陰りは余人の追随を許さない御國物の強みだ。チェコ・フィルの強い自信も感じる。謝肉祭も威勢が良い名演。(2017.10.9)

ドヴォジャーク:交響曲第7番、同第8番/ハレ管弦楽団/サー・ジョン・バルビローリ(cond.) [The Barbirolli Society SJB 1071-72]
英バルビローリ協会による決定的な新リマスタリング盤。1957年から1959年にかけてPYEレーベルに録音されたドヴォジャーク作品集2枚組。1枚目は交響曲第7番と第8番だ。第7番は違ふ曲かと思ふほど異常な演奏だ。熱い。異常に熱く、むらむらした官能、あけすけな情欲、南国ラテンの血が騒いだ畑違ひの熱演なのだ。第7番の楽想は暗く、晦渋、重厚、鬱屈した印象があるが、バルビローリの演奏には微塵もそんな要素を感じない。第1楽章冒頭からクラリネットの明るい音色、ヴァイオリンのぎらついた歌が全開だ。快速テンポで全楽器が激しいアクセントを付け、脂ぎつたヴィブラートを伴ひながら歌ひに歌ひまくる。第1楽章頂点の追ひ込みは破滅寸前の沸騰、第4楽章最後の興奮も凄まじい。細部の精度を犠牲にした箇所もあるが、勢ひが断然上回り気にならない。異形の演奏だが、ここまでやると清々しい。中途半端な演奏が多い曲なので、バルビローリ盤は別枠で特薦したい。第8番も同様の演奏で熱気と歌が溢れる。ただ、米國ではとうに派手な演奏が横行してゐたから、第7番ほどの異常さは感じない。否、一点、特筆したいのは第3楽章の第1トリオのヴァイオリンによるポルタメント指定だ。とろけるやうに甘い。(2017.10.7)

ミヨー:序奏と葬送行進曲、ダッラピッコラ:「マルシア」組曲、ヴェルディ:「シチリアの晩鐘」序曲、ハイドン:交響曲第93番/NBC交響楽団/グィード・カンテッリ(cond.) [TESTAMENT SBT4 1317]
英TESTAMENTによるカンテッリがNBC交響楽団と行つた放送用演奏会の商品化で、その日の放送ごとに纏めた好企画盤。第2巻の2枚目を聴く。1950年12月11日の放送だ。カンテッリの才能を弥が上にも思ひ知る名演の連続だ。統率力が尋常ではなく、演奏の集中力も天晴。前半の2曲は珍しい演目と云へる。ミヨーの曲はフランスの7人の作曲家らによる合作「7月14日」の中の1曲。演奏は威勢が良く多彩な表情で聴かせる。見通しが良くて五月蝿くならないのも見事だ。ダッラピッコラは故国の作曲家への敬意が溢れてゐる。十二音技法の作曲家による最後の調性音楽である「マルシア」は、現代的な響きの中に叙情性があり、カンテッリの冴えた棒で聴き応へがある。偉大なヴェルディの序曲も燃えてゐる。トスカニーニの臨界点に達した演奏には僅かに及ばないが大変な名演だ。NBC交響楽団デヴュー公演の演目であつたハイドンはカンテッリの十八番だ。当盤の演奏も文句なく素晴らしいが、完成度はセッション録音に譲らう。(2017.10.3)

モーツァルト:大序曲、フルートとハープの為の協奏曲、交響曲第31番「パリ」、「テッサリアの人々」/フランソワ=ジュリアン・ブラン(fl)/リリー・ラスキーヌ(hp)/アニック・シモン(S)/フェルナン・ウーブラドゥ(cond.)、他 [EMI 7243 5 73590 2 3]
「パリのモーツァルト」と題された高名なLP7枚のアルバムを未収録1曲のみでCD4枚に再構成した麗しきディスク。2枚目を聴く。大序曲変ロ長調K.311aは他では聴いたことのない珍しい曲だ。幾分要素が雑多に感じる曲ではあるが、華やかで威勢の良い曲なのでもつと演奏されてもよからう。有名な協奏曲だが、冒頭から鈍重なテンポで気分が滅入る。ブランのフルートもいただけない。技巧も弱く、音が頼りない。ラスキーヌが大変素晴らしい。ゆつたりしたテンポにより表情はespressivoを極め、ハープの美しさを堪能出来る。ラスキーヌは幾人ものフルーティストと録音を残してゐるが、ハープに関しては当盤の演奏が最上だらう。パリ交響曲は大変珍しい4楽章制による録音。モーツァルトの意図は判然としてゐないのだが、初演後に新たに作曲された楽章を挿入しての演奏で貴重だ。ウーブラドゥの指揮はもつたりしたテンポで大味かつ雑然としてをり、余り感心出来ない。レチタティーヴォとアリア「テッサリアの人々」K.316が美しい。可憐なシモンの歌声も良いが、名手だけを揃へた室内楽的な伴奏が実に巧い。(2017.9.30)

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、同第4番/NBC交響楽団/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.) [RCA 88697916312]
トスカニーニRCA録音全集84枚組。3枚目を聴く。田園交響曲は1952年、第4交響曲は1951年の録音。録音状態がモノーラル録音としては完成の域に達してをり、録音会場も8Hスタジオからカーネギー・ホールを使ふやうになつて、トスカニーニの藝術を求め得る最上の状態で鑑賞することが出来る。演奏は晩年の特徴で、筋肉質で厳しい鉄壁のアンサンブルと磨き抜かれた音色による高次元の完成度だ。だが、激賞される一方で、米國の機械文明そのものと嫌厭する聴き手も増えたのも事実だ。正直申せば、たとへ録音が古くても1930年代の演奏の方がしなやかで、色気と情熱があり、噎せ返るカンタービレがあつた。massiveを要求される演目では晩年の方が絶対的な録音を残したが、田園や第4番では整然とした力強い演奏といふ以上の感銘は受けなかつた。(2017.9.27)

ドヴォジャーク:スラヴ舞曲第1集&第2集(全16曲)/チェコ・フィル/ヴァーツラフ・タリフ(cond.) [SUPRAPHON 11 1897-2 001]
新規格盤でも出てゐるが、旧規格盤で取り上げる。タリフの戦後スプラフォン録音は角が取れて温かみのある演奏が特徴だが、機能美といふ点では締まりがなく、細部の精度がかなり落ちるといふのが正直な印象だ。戦前のHMVへの録音の方が熱気や合奏の迫力があつたやうに思ふ。とは云へ、侘び寂びとも形容すべき大人の味はひが出て捨て難い魅力もある。タリフによるスラヴ舞曲集は正に本場の伝統芸能を伝へた、洗練されてゐない訛りがあり、それが掛け替へのない特色である。だが、件に述べたやうに演奏に切れ味が感じられず、舞曲としてもたついた印象も受ける。最右翼に位置する個性的名盤であるが、演奏そのものには満足出来ない。(2017.9.24)

ドヴォジャーク:交響曲第7番、同第8番/ロンドン交響楽団/イシュトヴァーン・ケルテス(cond.) [Decca 430 046-2]
ケルテスの代表的名盤、ドヴォジャーク交響曲全集、6枚組の5枚目。ケルテスの録音で交響曲を第1番から第6番まで聴いて、第7番に到達した時に思ふのは集大成であるのと同時に転換点の曲だといふことだ。土俗的な重厚さは継承しつつ、民族色や旋律に頼らない技法の習得があるが、一皮剥けた第8番及び第9番との間にはまだ開きがある。ケルテスの演奏で特筆したいのは、第6番までの語法をしつかり踏まえての演奏であり、くすんだ土臭い響きで都会的な洗練の誘惑に溺れてゐない。ブラームスの影響を指摘されるが衒学的なブラームス風の演奏でもない。やや一本調子な嫌ひがあるが、粗野な力に満ち溢れてをり屈指の名演として推薦出来る。第8番もドヴォジャーク節を貫いた保守王道的な演奏だ。垢抜けない愚鈍さは予定調和そのもの、面白みはない。それだけに頂点における迫力は見事だ。名曲だけに個性的名演が犇めいてをり、中庸を行くケルテス盤は今一つ埋もれて仕舞ふ。(2017.9.21)

ハイドン:交響曲第93番、同第94番「驚愕」、同第95番/フィルハーモニア・フンガリカ/アンタル・ドラティ(cond.) [DECCA 478 1221]
ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。ザロモン・セットともなると突然多くの録音が存在するやうになり、競合盤が溢れる。それでもドラティの録音は一定の価値を保つてをり流石だ。第93番は一分の隙もない濃厚な第1楽章と素朴さと推進力を備へた第2楽章が上出来なのだが、後半の2つ楽章が落ち着いたテンポで今一つ盛り上がらない。残念だ。この曲はアンチェルの演奏が決定盤で、カンテッリの録音も推薦したい。ハイドンの交響曲中で首席を占める驚愕交響曲は見事な演奏だが、他を押し除ける特徴は見当たらない。多くの指揮者による名盤が犇めいてゐるが、私見ではトスカニーニの録音が頭一つ抜きん出てゐる。第3楽章が刺激的だからだ。ザロモン・セット唯一の短調作品第95番が最も聴き応へがあるだらう。この曲には満足出来る録音がなく、ドラティ盤も同様なのだが、ハイドンを熟知してゐるだけあり、殊更外連に走らず正攻法で演奏して成果を上げてゐる。(2017.9.18)

イベール:フルート協奏曲、ジョリヴェ:フルート協奏曲、リヴィエ:フルート協奏曲、シェーヌ:翡翠の笛による挿絵/コンセール・ラムルー管弦楽団/ルイ・ド=フロマン(cond.)/アンドレ・ジョリヴェ(cond.)/ジャン=ピエール・ランパル(fl)、他 [ERATO 0825646190430]
ランパルのエラート録音全集第2巻20枚組。2枚目を聴く。近現代フランスの作曲家らによるフルート協奏曲作品集で、ランパルの録音の中でも有名で重要なものだ。2つのアルバムから成り、イベール、ジョリヴェ、リヴィエのフルート協奏曲がひとつのアルバムである。フルート協奏曲の傑作とされるイベールが興味深い。フランス奏者ならではの華麗な音色と技巧、気怠く官能的な趣、瀟洒な節回しが心憎い。理想的な演奏だ。ド=フロマンの伴奏も見事で、初演者モイーズの録音の完成度が低かつただけにランパル盤は代表的名盤として推奨出来る。リヴィエの作品も素晴らしい。第3楽章は特に傑作だ。ジョリヴェは作曲者の指揮による自作自演の価値もある。短い作品だが内容は大変優れた名曲だ。別のアルバムから抱き合はせられたシャルル・シェーヌのことはよく知らないが、フルートは主役とは云へ実質は現代的な響きによる管弦楽曲である。殺伐として悲劇的な音響による現代音楽で、前半のフルート協奏曲のやうには楽しめなかつた。シェーヌはド=フロマン指揮ルクセンブルク放送室内管弦楽団の演奏だ。(2017.9.15)

ベートーヴェン:交響曲第4番、ブラームス:交響曲第2番/レニングラード・フィル/エフゲニー・ムラヴィンスキー(cond.) [MELODIYA MEL CD 10 00801]
本家メロディアによる真打ちとも云へるディスク。ベートーヴェンは1973年4月29日のライヴ録音で、この1ヶ月後に初来日して東京での公演でも取り上げた演目である。印象はほぼ変はらない。激烈な快速テンポを採用し乍ら軽さはなく重量感が溢れる。一方で叙情的な弱音は静謐の極み、かつ最強音との差は尋常ではない。官能的な第2楽章は特に絶品で、矢張りこの曲はムラヴィンスキーの演奏が最高であるといふ思ひを強くした。ブラームスは1978年4月29日のライヴ録音。この1ヶ月半後にウィーンでの有名な公演でも取り上げた演目である。だが、ウィーン盤の録音状態が優れない為、圧倒的に当盤の方が感銘深い。ムラヴィンスキーの真摯な音楽への取り組みがそのまま音になつた演奏で、内省的で秘めやかな寂寥感が漂ふ音色、弱音の美しさは淫靡さすらも感じさせる。強奏箇所は引き締まつてをり鋭利だ。浪漫や幻想は一切ないが、現世的な苦悩と欲望を詰め込んだ個性的なブラームス。ムラヴィンスキーの天才が光る。(2017.9.12)

チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」(抜粋)、「スペードの女王」(抜粋)/マインハルト・フォン・ツァリンガー(cond.)/バイエルン国立管弦楽団/ヘルマン・プライ(Br)/ゴットロープ・フリック(Bs)/メリッタ・ムゼリー(S)/フリッツ・ヴンダーリヒ(T)、他 [EMI 50999 6 78836 2 2]
かつて独エレクトローラ・レーベルにLP両面1枚でオペラのハイライトをドイツ語歌唱で鑑賞出来るDie Electrola Querschnitteといふシリーズが存在した。これはヴンダーリヒが参加した録音を集成した7枚組。チャイコフスキーは畑違ひの感のある結果で、最も感銘が落ちる。ヴンダーリヒの甘く叙情的な歌唱は青春の輝きを伝へるが、楽想からすると違和感ばかり感じる。憂鬱さがないのだ。ムゼリーもまた綺麗に収まり過ぎた。プライとフリックは善戦してゐると云へるが、総じて下手物の域を出ない。ツァリンガー指揮バイエルン国立管弦楽団の伴奏は堅牢なドイツの音がするとは云へ、大変素晴らしい演奏を聴かせて呉れる。尚、「エフゲニー・オネーギン」の手紙の場面と続く場面の2曲の録音はエリーザベト・リンデンマイアーとマルセル・コルデスの歌唱、ヴィルヘルム・シュヒター指揮ベルリン・フィルの伴奏によるおまけである。(2017.9.1)


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