楽興撰録

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2016.12.26以前のCD評
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ベートーヴェン:交響曲第4番、同第7番/フィルハーモニア管弦楽団/オットー・クレンペラー(cond.) [EMI 50999 4 04275 2 2]
クレンペラーのEMI録音大全集中、ベートーヴェンの交響曲と序曲の録音を網羅した10枚組。第4交響曲は鈍重で爽快さの欠片もない。実にクレンペラーらしい演奏で、堅実な第4楽章は立派で好感が持てる。だが、第1楽章主部が重くて晴れない。第3楽章も弛緩してをり刺激がない。全体にゆつくりなので肝心の第2楽章が埋もれて仕舞ひ、表情も硬く低調な仕上がりだ。第7交響曲は1960年の第2回目録音である。私見を申せば1955年の第1回目録音が妥当なテンポかつ重厚な演奏で好もしい。1968年の第3回目録音は異常な演奏なので敬遠したい。この第2回目録音はその中間で中途半端な位置付けだ。テンポは遅いだけ。なのに細部の精度も少々甘く感じる。リズムの饗宴が核心の曲なのに沸き立たない。両曲とも楽譜に忠実とは云へず、改変や独自の解釈も散見される。正統的王道とは程遠い個性的演奏だ。(2017.5.22)

C.P.E.バッハ:チェンバロ協奏曲ニ長調、ヘンデル:協奏曲変ロ長調Op.4-6、プーランク:田園のコンセール/レオポルト・ストコフスキー(cond.)/ワンダ・ランドフスカ(cemb)、他 [Music&Arts CD-821]
戦火を逃れて渡米したランドフスカの貴重なライヴ録音集第1巻2枚組。1枚目を聴く。ヘンデルとプーランクは何とストコフスキー指揮ニューヨーク・フィルとの共演で、1949年11月19日の演奏会記録だ。ヘンデルは有名なオルガン協奏曲の編曲で、戦前欧州時代にもセッション録音を残してゐる。音質等も考慮するとこのライヴ録音は鑑賞向きではないが、生気のある演奏に惹かれる。演奏終了時に鮮明に発せられた「ブラヴォ!」はストコフスキーの声だらう。ランドスフカが委嘱し作曲されたプーランク作品には正規セッション録音が残されてゐないので、この録音は値千金だ。プーランクの語法が満載の愉快な曲で、何と云つてもストコフスキーの色彩的な指揮が魅惑的だ。特に第2楽章が素晴らしい。カール・フィリップ・エマニュエルの協奏曲はアドルフ・コルドフスキー指揮、トロントのCBC室内管弦楽団の伴奏による1943年の演奏記録。ランドフスカ唯一の音源で貴重だ。まずはこの名曲を取り上げたことを称賛したい。傑作は疾風の如く駆け抜ける第3楽章で、これぞ古典派、音楽の喜びが詰まつてゐる。(2017.5.20)

ブラームス:交響曲第2番、ハイドンの主題による変奏曲、悲劇的序曲/NBC交響楽団/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.) [RCA 88697916312]
トスカニーニRCA録音全集84枚組。7枚目を聴く。交響曲は1952年の録音。一分の隙もない堂々たる演奏で、マエストロが残したこの曲の録音ではフィルハーモニア盤と双璧となる名演だ。総じて明るく、情感豊かなカンタービレ―取り分けヴァイオリン―が煽情的なのが特徴的だ。反面、瞑想するやうな沈思はなく、彷徨ふような幻想の趣はない。だが、トスカニーニの棒で聴くならイタリア風の明朗な田園交響曲として第2交響曲を鑑賞するのが通と云ふものだ。変奏曲も1952年の録音。ニューヨーク・フィル時代から録音を繰り返してきたお得意の曲だ。全体的に推進力のあるテンポを採用し活気に充ちてゐる。一方で、第3変奏ではホルンが先導して揺蕩ふようなルバートを用ゐるなど情感たつぷりな場面もあり素敵だ。悲劇的序曲は1953年の録音。この序曲でも数々の名演を残してきたが、当盤の演奏が最上だらう。第2主題の前後で絶妙なルバートがあり、情感を込めたカンタービレで聴かせるのは実に感動的だ。中間部も遅めのテンポで神秘的な響きを作つてをり絶品だ。(2017.5.17)

モーツァルト:交響曲第39番、オーボエ協奏曲、4つのドイツ舞曲、交響曲第36番/ローター・ファーバー(ob)/ケルン放送交響楽団/シュトゥットガルト放送交響楽団/エーリヒ・クライバー(cond.) [medici arts MM011-2]
リンツ交響曲のみシュトゥットガルト放送交響楽団との1955年12月31日の演奏記録で、残りは全てモーツァルト生誕200年記念演奏会として行はれたケルンにおける1956年1月20日の演奏記録だ。このうち交響曲第39番と4つのドイツ舞曲はDeccaから商品化されて広く聴かれるやうになつた。別項でも述べたので割愛するが、この2曲は非常にクライバーらしい硬質で緊張感のある名演で、特にドイツ舞曲の尋常ならざる気魄には圧倒される。オーボエ協奏曲は初めて正規発売された音源だ。ファーバーの独奏は技巧は堅実だが、華がなく特別面白い演奏ではない。伴奏も自然と精気がない。当盤の目玉は初出となるリンツ交響曲だが、第39番と比べると精度が著しく落ちる。クライバーの特徴である引き締まつた音楽が聴かれず、角がなく鈍い凡庸な演奏だ。余白に交響曲第39番第4楽章冒頭のリハーサル風景が収録されてゐる。細かく厳しい稽古であることが窺はれた。(2017.5.15)

ディヌ・リパッティ(p)/録音全集(1936年〜1950年) [Profil PH17011]
2017年、リパッティの生誕100年を記念して独Profilが録音全集を12枚組で発売した。1936年録音のブラームスの間奏曲Op.118-6の断片はCDでは初出の筈で、archiphon盤にも収録されてゐなかつた音源だ。この他、これ迄に商品化された音源は全て収録されてゐる。これ以外に確認出来る音源はmp3での配信のみだが、1947年3月24日、チューリッヒでの録音で、アントニオ・ヤニグロの伴奏をしたベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番の第1楽章と、バッハのアンダンテBWV.528aだ。詳しくはリパッティ・ディスコグラフィーをご覧いただきたい。さて、この商品について述べて行かう。まず、入手困難な音源も全部収録されてゐるので、蒐集漏れのあつた方は迷はず入手されたい。これ迄はEMI以外にルーマニア録音や、APRとarchiphonの復刻を丁寧に揃へる必要があつた。特にブーランジェとのブラームスの「愛の歌のワルツ」は久々に入手可能になつたので歓迎したい。12枚が録音年代順に編集されてゐるのが良い。また、感心したいのがブーランジェとのブラームスの四手のワルツで、曲順が番号順ではなく録音時の配列になつてゐることだ。EMIでの復刻では番号順であつたが、本当は6-15-2-1-14-10-5-6といふ配列で第6番が2種類あるのだ―この配列で復刻してゐたのは仏CASCAVELLEくらゐだつた。それと、エネスクのピアノ・ソナタ第3番を正しいピッチで初めて復刻したと謳つてゐる―これ迄の復刻は半音高いさうだ。このやうにお薦め出来る点が沢山あるのだが、一方で痛恨の編集がある。ショパンの14のワルツが番号順なのだ。配列に拘泥はつたリパッティの意図を無視してゐる―確信犯だらうが極めて残念だ。愛好家の購入意欲を相殺するほどの悪質な編集である。音質だが、恐らく既出音源からのデジタル・コピーで、良くも悪くもないと云へよう。EMI盤は捨てずに所持してをくと良いだらう。(2017.5.12)

ミヨー:屋根の上の牡牛、打楽器協奏曲、ヴィオラ協奏曲第1番、エクスの謝肉祭、家庭のミューズ/グラント・ヨハネセン(p)/ルクセンブルク放送管弦楽団/ルイ・ド=フロマン(cond.)/ダリウス・ミヨー(cond.)、他 [VOX CDX 5109]
ミヨーの自作自演が楽しめる2枚組。2枚目を聴く。まず最も有名な「屋根の上の牡牛」だが、自作自演ではなくド=フロマンの指揮である。この曲にはシャルラン・レーベルに自作自演の決定的名盤があるので、他の演奏は不要だ。とは云へ、曲が滅法楽しいこともあり、当盤の演奏も悪くない。打楽器協奏曲、ヴィオラ協奏曲、エクスの謝肉祭がミヨーの自作自演だ。ミヨーによつてジャンルが切り開かれた打楽器協奏曲は、ひとりで手足を駆使しバチを持ち替へて様々な打楽器を同時に叩く超絶技巧曲だ。独奏はフォーレ・ダニエルだ。ウルリヒ・コッホの独奏によるヴィオラ協奏曲も原始主義の荒々しい響きがする作品だ。小編成の伴奏で反ロマン主義を印象付ける作品群だ。カール・ゼーマンのピアノ独奏による「エクスの謝肉祭」も痛快だ。実に色彩豊かな名曲だ。自作自演も非常に優れてゐる。余白に収録された、ヨハネセンのピアノ独奏で「家庭のミューズ」も聴ける。妻の為に書いた1日の家庭の印象を綴つた全15曲からなる小品集である。フランス近代の作曲家の系譜に連なる作品とも云へるが、シューマンとの相関を感じた。ミヨーらしからぬ美しい名曲、極上の逸品だ。(2017.5.8)

ハイドン:交響曲第93番、フランク:交響曲/NBC交響楽団/グィード・カンテッリ(cond.) [TESTAMENT SBT 2194]
夭折の天才指揮者カンテッリのNBC交響楽団との正規セッション録音の全てを集成した2枚組。1枚目を聴く。1949年3月2日録音のハイドンはカンテッリ最初の正規セッション録音である。トスカニーニに将来を嘱目されNBC交響楽団の公演に招聘され、1949年1月15日にハイドンの交響曲第93番とヒンデミットの画家マティスといふ演目で鮮烈なデヴューを飾り、すぐさま米RCAにより録音が企画された。恐るべき才能だ。事故死しなければ20世紀後半の楽壇に頂点にゐたのはカラヤンではなくカンテッリであつただらう。明朗快活なハイドンは音が生きてゐる。第3楽章の切れ味が抜群で印象的だ。絶対的なアンチェルの名盤がなければこの曲はカンテッリの録音が一等である。1954年4月6日録音のフランクは米RCAからではなく英HMVからの発売となつた―この頃は活動の拠点が米國から欧州に移行してゐたからだらう。トスカニーニ引退2日後の録音で、実験的に行はれたステレオ録音が適用されてゐる。最も古いステレオ録音のひとつであるが、素晴らしい音質だ。演奏も艶があり名演の誉れ高い。貫禄も充分でこの曲屈指の名盤だ。(2017.5.5)

モールァルト:交響曲第33番、同第39番、同第40番/ウィーン・フィル/イシュトヴァーン・ケルテス(cond.) [Decca 476 7402]
ケルテスがウィーン・フィルの美質を見事に引き出したモーツァルトの名盤。白眉は第33番だ。流麗で艶があり、王道的なロココ様式の名演である。作為を施さずにウィーン・フィルの自発性に任せたからこその結果だらう。この曲の屈指の名盤として推奨出来る。これと対局にあるのがムラヴィンスキーの録音で、豊麗さと色気を抜き、研ぎ澄ました感性で聴かせてをり、次元が違ふ演奏だつた。比べるとケルテスの演奏は保守的ではある。第39番にも同様のことが云へる。自然で極めて音楽的な演奏で、流れが良く美しい。但し、この名曲ともなると名盤が犇めいてゐるので、ケルテスの録音は個性が薄く聴こえる。第40番も手練れた極上の名演なのだが、目新しい驚きを求める聴き手の要望には充分応へることがない演奏だ。だが、3曲とも理想的なモーツァルトの演奏であることは強調したい。(2017.4.29)

ベートーヴェン:アンダンテ・ファヴォリ、ショパン:エチュード(5曲)、ピアノ・ソナタ第3番、舟歌、幻想即興曲、ムソルグスキー:展覧会の絵/ベンノ・モイセイヴィッチ(p) [Pearl GEMM CDS 9192]
当盤が全て初出となる大変貴重なモイセイヴィッチの1961年1月から2月にかけてのライヴ音源集2枚組。最晩年の記録だ。アンダンテ・ファヴォリはモイセイヴィッチが得意とした演目で録音も3種類以上ある。セッション録音を超える出来ではないが格調高い名演だ。ショパンのエチュードは作品10から3曲、作品25から2曲で、ヘ長調Op.10-8、ヘ短調Op.10-9、ヘ短調Op.25-2は唯一の演目で貴重だ。だが、モイセイヴィッチはエチュードの録音自体少なく、得意としてゐなかつたのか、しくじりが多い演奏ばかりだ。ライヴとは云へ完成度が低く満足出来る内容ではない。唯一の音源となる大曲ロ短調ソナタが重要だ。エチュードとは違ひ曲を手中に収めてをり、グランド・マナーを聴かせて呉れる名演だ。無造作に弾いてゐるやうだが、深い詠嘆が聴こえてくる。渋い美しいがを秘めた名演なのだ。舟歌と幻想即興曲は素晴らしいセンション録音があるが、緩急の差が大きい当盤も見事だ。ムソルグスキーにもセッション録音があるが、当盤の演奏は極めて自由自在、多彩な表情で聴かせる。ライヴ故の細部に綻びはあるが、全体としては起伏の大きい刺激の多い名演と云へる。(2017.4.27)

ウィリアム・プリムローズ(va)/小品集/クライスラー、ドヴォジャーク、チャイコフスキー、ベンジャミン、他/フランツ・ルップ(p)、他 [Naxos Historical 8.111382]
Naxos Historicalによるプリムローズの小品録音集。興味深いことに、最初期の録音である1927年吹き込みの2曲、ショパンのノクターン第2番とバッハの無伴奏パルティータ第3番のガヴォットが、ヴィオラではなくヴァイオリンでの演奏なのだ。プリムローズはヴァイオリニストとして出発した経歴があり、ヴィオラに転向してからもヴァイオリンの技巧と表現力を活かしたのが特徴だ。個性的なターティスのヴィオラを愛する人にはプリムローズは器用で軽過ぎるかも知れぬが、ヴィルティオーゾとしてヴィオラの地位を高めた功績がある。さて、演奏だがヴァイオリンにしてはボウイングが強く硬い。だが、これこそがヴィオラで開花する特性であつた。その他の録音だが、1930年代のコロムビア録音、1940年代のヴィクター録音は英Biddulphから復刻があつたが、ドヴォジャーク「我が母が教へ給ひし歌」「新世界交響曲のラルゴ」、クライスラー「プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ」は当盤でしか聴けない。貴重なのは1939年ヴィクター録音3曲で、エマニュエル・バッハ「ソルフェジョット」の早弾き、典雅なラモー「タンブーラン」、端正なクライスラー「ボッケリーニの様式によるアレグレット」、何も素晴らしい。(2017.4.23)

マギー・テイト(S)/ベルリオーズ、ショーソン、デュパルク、ラヴェル/ジェラルド・ムーア(p)、他 [EMI CHS 7243 5 65198 2 4]
テイトのフランス・メロディー録音を集成した2枚組。1940年から1948年にかけての録音。管弦楽伴奏を主とした1枚目を聴く。テイトはイギリスの歌手であるが、最も得意としたのはフランスのメロディーである。収録曲はベルリオーズ「夏の夜」から2曲、ショーソン「7つのメロディー」から2曲、「愛と海の詩」、「果てしなき歌」、デュパルク「旅への誘ひ」「フィディレ」「悲しき歌」「恍惚」、ラヴェル「クレマン・マロの2つのエピグラム」、「博物誌」より1曲、「シェヘラザード」全曲と、メロディーの名曲が詰まつてをり精髄と云へる。テイトの歌唱は妖艶なヴァランと高踏的なバトリの中間で、上品さと甘さが融合した理想的な歌を聴かせて呉れる。特にショーソンとデュパルクはテイト向きで素晴らしい。管弦楽伴奏が下手で困るが、ムーアのピアノ伴奏曲は実に美しい。流石だ。(2017.4.17)

イダ・プレスティ(g)/初期独奏録音(1938年〜1956年)/ヴィゼー、バッハ、パガニーニ、アルベニス、マラツ、フォルテア、トローバ、ヴィラ=ロボス、ソル、プジョル、ラゴヤ [ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 6642]
天才少女プレスティの大変貴重な最初期録音である。プレスティは1950年にアレクサンドル・ラゴヤと出会ひ、伝説のギター・デュオ「プレスティ&ラゴヤ」を結成、1955年にはラゴヤと結婚、プレスティが42歳の若さで亡くなるまで活動はデュオが主たるものだつた。だが、それ以前には独奏録音も存在する。1938年の録音はプレスティ10代後半の記録だ。ヴィゼーのメヌエット-ブーレ-メヌエット-ガボット、バッハの無伴奏チェロ組曲からのクーラント、パガニーニのグランド・ソナタからロマンス、アルベニス「カレタのざわめき」、マラツ「スペインのセレナード」、フォルテア「アンダルーサ」、トローバのソナティネからアレグロの7曲で、天衣無縫な技巧と若々しく爽やかな感性に脱帽だ。ギター愛好家の秘宝と云へる録音だ。特にマラツは琴線に触れる至高の名演。1950年のテレビ録音で残されたヴィラ=ロボスの前奏曲第1番は映像でも確認出来る。残りは1956年の録音で夫ラゴヤの作品「夢」「綺想」なども含まれる。音楽はより洗練され貫禄が付いた。極上の名演ばかりだ。ソル「アンダンテ・ラルゴ」の素晴らしさは如何ばかりだらう。(2017.4.14)

ベートーヴェン:交響曲第5番、同第4番/ロイヤル・フィル/ヘルマン・シェルヘン(cond.) [Universal Korea DG 40030]
ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。韓国製だがオリジナル仕様重視で大変立派な商品だ。第5交響曲は極めて古典的な演奏として今こそ再評価したい演奏だ。巨匠的浪漫主義の演奏へのアンチテーゼとして、楽譜への忠誠心を固く貫いた演奏なのだ。過度な表情付けを排した新古典主義の旗手シェルヘンの面目躍如たる名演。だが、裏を返せば個性的な特徴が全くない、シェルヘンにしては刺激が皆無で物足りない演奏とも云へる。だが、音は正しくベートーヴェンで、内なる闘争心が聴ける。古楽器演奏が主流となつた現代においては理想的な解釈を先駆的に実現してゐた名演だつたと云へる。感銘としては第4交響曲が更に素晴らしい。特に第1楽章の主部に入つた時の爽快感はおいそれとは真似出来ぬ絶妙な演奏だ。第4楽章も同様で疾走する清涼感と真剣に打ち込む熱気が両立された最高のベートーヴェンが聴ける。(2017.4.12)

ラモー:ガヴォットと6つの変奏曲、バルトーク:ブルガリアのリズムによる6つの舞曲、シューベルト:ピアノ・ソナタ第19番より第2楽章と第3楽章、ハイドン:変奏曲、ブラームス:間奏曲作品119-1、同作品118-6、リスト:バラード、悲しみのゴンドラ、紡ぎ歌/イヴォンヌ・ルフェビュール(p) [SOLSTICE SOCD 959]
仏SOLSTICEのルフェビュールの未発表録音集第2巻。これらは全て大全集24枚組に含まれたが、初出盤で記事にする。全てINA音源の1971年録音である。どの演目もルフェビュールにとつては唯一の音源で、尚且つシューベルト以外の作曲家は当盤に収録された以外には録音がなく、非常に希少価値のある1枚なのだ。ラモーやハイドンにおける格調高い音楽作りはルフェビュールが得意としたバッハの延長として位置付けが出来るだらう。真摯な名演である。バルトークは意外な演目だが、生真面目な演奏乍ら面白く聴ける。ブラームスは重厚で良いが、幻想的な面が欠けるのか特別な感銘は受けなかつた。リストも珍しい。極めてドイツ的なタッチの荘重なリストだが、情熱も感じられ素晴らしい。特に気宇壮大なバラードが絶品だ。さまよへるオランダ人からの紡ぎ歌も壮麗だ。(2017.4.8)

モーツァルト:交響曲第35番、同第39番、同第40番/クリーヴランド管弦楽団/ジョージ・セル(cond.) [SONY&BMG 8 2876-86793-2]
セルが得意としたモーツァルトを指揮とピアノで演奏したオリジナル・ジャケット・コレクション10枚組。ハフナー交響曲は1960年の録音。セルならではの筋肉質で引き締まつた演奏だ。軽い上つ面だけの空虚な演奏が多い曲なので、真剣勝負をしたセルの演奏は有難い。テンポも快調で絶妙だ。第39番も1960年の録音。陶磁器のやうなと評された精緻なアンサンブルから生まれる透明な響きが曲想と合致した名演だ。特に第2楽章の美しさは見事だ。両端楽章はもう少し流麗な歌心も欲しいが、古典的な佇まいは高次元の演奏を実現してゐる。第40番は1955年のモノーラル録音だ。セルはこの曲を好んでをり、何種類も録音が残る。感銘もこのト短調交響曲が最も深い。外連のない実直かつ悲愴感漂ふ演奏で、モーツァルトの懐を掴んだ揺るぎのない名演だ。特に疾走する終楽章の真摯さは絶品だ。(2017.4.5)

バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番よりシャコンヌ、コレッリ:ラ・フォリア、ルクレール:ヴァイオリン・ソナタ「トンボー」/アントニオ・ベルトラミ(p)/トゥリオ・マコッジ(p)/ジョコンダ・デ=ヴィート(vn) [ANDROMEDA ANDRCD 9090]
デ=ヴィートの貴重な実演録音集2枚組。2枚目を聴く。初演目となる音源が3つもあり、蒐集家感涙の1枚だ。デ=ヴィートには無伴奏パルティータ第2番の録音しかなかつたが、ソナタ第2番の登場だ。グラーヴェから情熱的で濃密な演奏だ。浪漫的と云つてよい。炎のやうに燃え盛るフーガも渾身の演奏だ。シャコンヌは単体での演奏で―ブラームスのニ短調ソナタと同日の演奏―、雄渾な名演である。コレッリは重要な録音だ。イタリアの名手が弾くラ・フォリアの奥義を聴くことが出来る。振幅の大きいヴィブラートを用ゐた歌謡的かつ激情的な演奏で圧倒される。特に最後のカデンツァの玄妙な味はひは絶品だ。ルクレールも浪漫的な歌心に充ちてをり、ヴァイオリンの華麗な音色を堪能出来る。ルクレールはヘンデルのソナタとバッハの無伴奏ソナタと同日の演奏である。(2017.4.2)

シュトラウス:ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯、死と変容、「町人貴族」組曲/ミラノ・スカラ座管弦楽団/ロンドン・フィル/ウィーン・フィル/クレメンス・クラウス(cond.) [DUTTON LABORATORIES CDBP 9816]
流石は英Duttonで、在り来たりではないクラウスのシュトラウス録音の復刻だ。クラウスは戦後にウィーン・フィルを振つて英Deccaにシュトラウスの主だつた作品を録音したが、当盤の復刻は全てDecca録音とは違ふものなのだ。まず、ティルがミラノ・スカラ座管弦楽団との演奏といふのが珍しい。重厚なドイツ風の演奏とは様子が違ふが、劇的な描写力はオペラを本領とするオーケストラの持ち味が成せる技だ。死と変容はロンドン・フィルとの録音で、墺プライザーからも復刻はあつたが、非常に珍しい録音である。唯一の演目でもあり貴重だ。クラウスが指揮するとどんなオーケストラからもウィーン・フィルのやうな妖艶な音を引き出すから摩訶不思議だ。さて、町人貴族はウィーン・フィルとの演奏だが、戦後の録音ではなく1929年10月31日、クラウス最初期の録音なのだ。演奏自体は戦後のDecca録音を採るべきだが、ヴァイオリン独奏が重鎮アルノルト・ロゼーであり興味深い―個性的な奏法なので間違ひない。(2017.3.21)

シュトラウス:「こうもり」ハイライト/ウィーン国立歌劇場管弦楽団/オスカー・ダノン(cond.)/リチャード・ルイス(T)/アンナ・モッフォ(S)、他 [RCA 88875032232]
美形ソプラノ、モッフォのRCA録音よりオペラ全曲録音以外のリサイタル・アルバム全てを収録した12枚組。「こうもり」のハイライト盤だ。これはもともとLP両面に収まるやうに企画された抜粋録音で、約半分のナンバーが演奏されてゐる。もう1点問題があつて、英語歌唱なのだ。恐らく人気絶頂のモッフォのロザリンデ目当ての録音だらう。本格的な内容を求める方には邪道録音に違ひないが、演奏自体は大変素晴らしく捨て難い。モッフォのロザリンデも素晴らしいが、ルイスのアイゼンシュタインも良い。ファルケに大物ジョージ・ロンドン、オルロフスキーはリーゼ・スティーヴンスが歌つてゐる。その他ではアデーレのジャネッテ・スコヴォッティが華があつて素晴らしい。そして、何よりもダノンと本場ウィーン国立歌劇場管弦楽団の伴奏が滅法良い。序曲から生命力の塊で、最上級の名演を繰り広げて呉れる。実はこの録音の数日前に、ダノンは同じウィーン国立歌劇場管弦楽団を指揮してRCAに全曲録音を仕上げてをり、極上の名盤として知られる。ロンドンとスティーヴンスは同じ配役で出演してゐる。この英語ハイライト盤はついでの仕事の感はあるが、大変充実してゐる。(2017.3.18)

ファリャ:「三角帽子」第2組曲、アルベニス「イベリア」(アルボス編)、アルボス「アラビアの夜」、他/マドリッド交響楽団/エンリケ・フェルナンデス・アルボス(cond.) [VAI VAIA 1046]
アルボスの復刻を米VAI盤で聴く。復刻は英Duttonからも出たが、それまではこの米VAI盤が唯一の存在であつた。収録曲はファリャ「三角帽子」第2組曲、グラナドス「スペイン舞曲第6番」と「ゴイェスカス」の間奏曲、自作「アラビアの夜」、ブレトン「ラ・ドローレス」よりホタ、トゥリーナ「ロシオの行列」と「幻想舞曲集」から夢想と饗宴、アルベニス「イベリア」から4曲と「ナバーラ」だ。つまり、英Dutton盤との違ひは「イベリア」が1曲多く収録されてゐることと、ブレトンのホタが聴けることで、あとは重複する。ブレトンの作品はサルスエラらしく掛け声が付いてをり楽しい。アルボスが編曲した「イベリア」管弦楽版組曲は「ナバーラ」を含めて全部で6曲だが、第5番「エル・アルバイシン」だけは録音しなかつたやうだ。(2017.3.16)

イレーヌ・シャーラー(p)/コロムビア録音(1930年〜1933年)/HMV録音(1912年〜1924年) [APR 6010]
英APRによる英國の名教師トバイアス・マッセイ門下のピアニスト復刻シリーズ。シャーラーの電気録音全集と機械録音からの選集2枚組だ。2枚目はコロムビア録音の続きで、ショパンのエチュード作品25から5曲と、3つの新エチュードより第1番と第2番、スケルツォ第2番、電気録音で唯一の管弦楽伴奏録音であるリトルフの交響的協奏曲第4番のスケルツォである―ヘンリー・ウッド指揮ロンドン交響楽団の伴奏。エチュードが極上の名演の連続。特に「木枯らし」と「大洋」は壮大な感情が波打つ絶品。残りはアコースティック録音からの選集で、完全な全集でないのが残念だ。注目はランドン・ロナルド指揮の管弦楽伴奏でリスト「ハンガリー民謡の主題による幻想曲」とサン=サーンスのピアノ協奏曲第2番の短縮録音が聴けることだ。情熱的で鮮烈な演奏は取り澄ました他の女流奏者とは一線を画す。品格あるスカルラッティやバッハ、情感豊かなショパンとシューマン、爽やかなドビュッシー、洒脱なスコットやゴッドハルトの小品など、幅広いピアニズムを堪能出来る。尚、ブックレットの巻末には収録されなかつたアコースティック録音19曲が掲載してある。1曲を除いて全て再録音があり、演目としては不足はないさうだ。ただ、1曲のみ、リスト「愛の夢第3番」が復刻不能で幻の演目となつて仕舞つたことが記載されてゐる。(2017.3.13)

ドヴォジャーク:交響曲第7番、同第8番/チェコ・フィル/ヴァーツラフ・タリフ(cond.) [Naxos Historical 8.111045]
第7番は1938年、第8番は1935年、両曲とも世界初録音であつた。チェコ・フィルを引き連れて、英國のアビー・ロード・スタジオで収録され、英HMVレーベルより発売された。勿論、戦前は決定盤扱ひであつた。後にタリフはスプラフォンに第8番を再録音したので、この旧盤の価値は半減したが、第7番は再録音がないので重宝される。ブラームスの技法を意識して作曲された第7番は破綻なく演奏することに重きが置かれることが多く、ドヴォジャーク特有の哀愁を帯びた旋律の美しさを存分に引き出した演奏は少ない。タリフ盤は最もチェコ的な演奏として現代でも一聴の価値がある。アンサンブルの機能美の点では弱いが、第2楽章での彷徨ふ詩情の玄妙さは他の演奏が見出せなかつた秘宝である。第8番は流石に音が古く、録音も薄手に聴こえる。だが、演奏そのものは今日でも示唆に富む。第2楽章や第3楽章のさり気無い叙情的な美しさには民族色だけでは云ひ表せないタリフの藝術の結晶が宿つてゐる。(2017.3.9)

モーツァルト:交響曲第39番、グラズノフ:「ライモンダ」組曲、ヴァーグナー:「ローエングリン」第3幕への前奏曲/レニングラード・フィル/エフゲニー・ムラヴィンスキー(cond.) [ビクター VDC-25031]
本邦のビクターが発売した一連のムラヴィンスキーの音源はERATO盤もあるが、この頁ではビクター盤で記事にする。モーツァルトは1972年の演奏記録。ムラヴィンスキーが最も得意としたモーツァルト作品であり、恐ろしく澄み切つた孤高の演奏が展開される。他の指揮者を寄せ付けない極上の名演であるが、1965年の演奏は更に徹底して凄かつた。グラズノフが別格の決定的名演だ。バレエ音楽から8曲で構成される組曲としての演奏だ。矢張りロシア音楽でのムラヴィンスキーの切れ味は尋常ではない。特に序曲の壮麗たる演奏は最高だ。1973年の演奏記録であるヴァーグナーもムラヴィンスキーの十八番曲だ。当盤の演奏も素晴らしいのだが、1965年の猛烈な演奏と比べると遜色がある。(2017.3.6)

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番、ピアノ・ソナタ第5番、同第8番「悲愴」、同第25番/ニューヨーク・フィル/グィード・カンテッリ(cond.)/ヴィルヘルム・バックハウス(p) [Profil PH10006]
独Profilによるバックハウスのカーネギー・ホールでのライヴ録音集2枚組。1枚目を聴く。協奏曲は1956年3月18日の記録。カンテッリはこの年の11月に飛行機事故で急逝して仕舞ふ。録音が幾分冴えないが、演奏は素晴らしい。この曲を得意としたバックハウスは融通無碍に曲を手中に収めてゐる感がある。取り分け自在な自作カデンツァが聴き応へがある。それ以上にカンテッリの伴奏が見事だ。呼吸が素晴らしく音楽に精彩がある。ソナタ第5番は1956年4月11日の記録。先に独ProfilからPH07006として発売されたCDには含まれてゐなかつた演目だ―残りの曲は月光ソナタ、ハンマークラヴィーア・ソナタ、アンコール集だつた。これでこの日の演目が揃つたことになる。録音も鮮明、演奏も抜群に素晴らしい。セッション録音でもこの曲は名演であつた。残りは1954年3月30日の記録だ。重厚な悲愴ソナタも申し分ないが、清楚な美しさが魅力の第25番が名演だ。(2017.3.4)

レハール:金と銀、ルクセンブルク伯爵、エヴァ、ジプシーの恋、メリー・ウィドウ、ウィーンの女たち、微笑みの國/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団/ウィーン・フィル/フランツ・レハール(cond.) [DUTTON LABORATORIES CDBP 9721]
レハールには複数の自作自演録音が残るが、これはデッカ・レーベルに1947年6月17日から25日にかけてチューリヒにて録音されたレハール生涯最後の録音である―翌年1948年10月にレハールは没する。演目は有名な「メリー・ウィドウ」序曲、「微笑みの國」序曲、ワルツ「金と銀」の他、「ジプシーの恋」序曲、「ウィーンの女たち」序曲、「ルクセンブルク伯爵」よりワルツとバレエ間奏曲、「エヴァ」よりワルツ・アリアと『それはただの幸福の夢』だ。レハールは指揮者としても有能で、理想的な自作の解釈を披露して呉れた。スイスのオーケストラからウィーン・オペレッタの精髄を引き出してゐる。きらびやかで情感豊かな表現による決定的名演の連続だ。「金と銀」はバルビローリやケンペらの絢爛たる官能的な表現こそないが、上品でしみじみした歌ひ回しの巧さに思はず唸つて仕舞ふ。潤ひのあるデッカの優秀録音も一役買つてゐる。余白にエレクトローラ・レーベルへの1940年録音でウィーン・フィルとの「メリー・ウィドウ」序曲が収録されてゐる。少し短縮しての演奏だ。録音のせいもあるが、意外にもチューリヒ盤の方が色気で勝る。(2017.3.3)

ベートーヴェン:交響曲第4番、エルガー:エニグマ変奏曲、ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲/イスラエル・フィル/ピエール・モントゥー(cond.) [Helicon classics IPO 02-9641]
何と晩年のモントゥーがイスラエル・フィルに客演した記録が残つてゐた。1964年3月7日テル=アヴィヴでの演奏だ。モントゥーが得意とした演目だけで構成されてをり興味深い。だが、所詮は客演で、モントゥーが残した神々しいセッション録音と比較すると殆ど価値は見出せないのが実感だ。ベートーヴェンは実演ならではの昂揚があり、イスラエル・フィルの技量も気にならないので安心して聴ける。だが、情感豊かに立体的な響きで聴かせたセッション録音を凌ぐほどではない。演奏自体はエルガーが感情が溢れて威勢が良く、最も聴き応へがある。とは云へ、セッション録音の高貴で妖艶な美しさはない。ラヴェルは繊細さに欠け良くない。どの演奏もライヴならではの瑕があり、楽器間のバランスが悪いところが散見される。蒐集家以外にはお薦めしかねる。(2017.2.28)

シュトラウス:「こうもり」、春の声/アニー・シュレム(S)/ペーター・アンデルス(T)/リタ・シュトライヒ(S)/RIAS交響楽団とRIAS室内合唱団/フェレンツ・フリッチャイ(cond.)、他 [DG 00289 479 4641]
フリッチャイのDG録音全集第2巻37枚組。こうもりは1949年に録音された名盤。DG以外にも放送局秘蔵テープからCD化した独audite盤も出てゐた。音質はaudite盤の方が良く、臨場感に違ひがあるが、DG盤でも鑑賞に不足はない。演奏については既に述べたので割愛するが、シュトライヒのアデーレが最高であることは繰り返し記してをかう。当盤には余白に1曲ワルツが収録されてゐる。ベルリン・フィルを振つての「春の声」で、ヴィルマ・リップの独唱付き録音である。ベルリン・フィルと録音したシュトラウスは入手が困難であり歓迎されよう。リップの歌声が可憐でシュトライヒと双璧だらう。正確なディクションも見事だ。(2017.2.26)

マルセル・ミュール(sax)/フランソワ・コンベル(sax)/ギャルド・レピュブリケーヌ・サクソフォン四重奏団、他 [Clarinet classics CC 0013]
クラリネット・クラシックスといふレーベルが復刻したサクソフォンの神様ミュールの小品集。とは云へ、フィリップ・ゴーベールの指揮でイベールの室内小協奏曲や、ウージェーヌ・ボザの指揮で自作自演となるコンチェルティーノといふ大物も含まれる。その他の曲は、ラモーのガボット、ローレン「パヴァーヌと快活なメヌエット」、フォンス「三角旗」、フォレ「牧人たち」、ジュナン「マールボロ変奏曲」、ヴェローヌの協奏曲と半音階的ワルツ、グラズノフの四重奏、ボルツォーニのメヌエット、フランセのセレナード、ピエルネのカンツォネッタ、ラヴェル「ハバネラ形式の小品」、ドリゴのセレナード、コンベル「スケッチ」、アルベニス「セヴィーリャ」、クレリス「かくれんぼ」、ボザのスケルツォだ。独奏でも四重奏でも艶のある音色は別格だ。全ての演奏が神品であるが、古典的もしくは歌謡的で素朴な曲での巧さはあらゆる管楽器奏者の中でも群を抜く。特にラモー、ローレン、ラヴェル、ドリゴの美しさが印象的だ。尚、ミュールの先輩格コンベルの独奏があり、デメルスマン「ヴェネツィアの謝肉祭」を1曲だけ吹いてゐる。(2017.2.25)

ミヨー:6つの室内交響曲、男とその欲望、ピアノ協奏曲第2番、キサルピナ組曲/ルクセンブルク放送管弦楽団/ベルナルト・コンタルスキー(cond.)/ダリウス・ミヨー(cond.)、他 [VOX CDX 5109]
ミヨーの自作自演が楽しめる2枚組。1枚目では6つの室内交響曲の全てが聴ける。最初の3曲には題名が付けられてをり、第1番「春」、第2番「田園」、第3番「セレナード」で演奏時間はそれぞれ4分前後、第4番が10の弦楽器の為、第5番が10の管楽器の為、第6番が4重唱とオーボエとチェロの為の作品で演奏時間が6分前後である。印象主義的な作品もあり、原始的なリズムを聴かせる曲もあり、ミヨーの多彩さが楽しめる。初期のバレエ音楽「男とその欲望」は4重唱と管弦楽の為の作品で、原初的な野蛮さにミヨーの特徴が前面に出てゐる。ヴォカリーズと打楽器の狂乱的な使用方法が良い。ここまでが1968年録音のミヨー自作自演で、ピアノ協奏曲とキサルピア組曲はコンタルスキーの指揮だ。オーケストラは同じルクセンブルク放送管弦楽団だが、こちらの方が上手に聴こえる。名作ピアノ協奏曲はグラント・ヨハネセンの独奏でなかなかの名演だ。ピエモント民謡によるキサルピナ組曲は実質チェロ協奏曲である。トーマス・ブリースの独奏が見事で大変聴き応へがあつた。(2017.2.20)

ショパン:ピアノ・ソナタ第3番、即興曲(全4曲)、マズルカ第15番ハ長調、ポロネーズ第1番、ノクターン第5番、同第8番、ワルツ第2番/マグダ・タリアフェロ(p) [DOREMI DHR-7961-3]
CD2枚とDVD1枚のタリアフェロ名演集。1枚目は1972年にリオ・デ・ジャネイロで録音され、Angelレーベルより発売されたショパンだ。晩年の録音だが往年の輝きを全く失つてゐない驚異的な名演ばかりだ。技巧に切れはないのだが、衰へは一切感じさせないのが凄い。優雅な節回しで色を出してをり、一種特別な情趣を演出してゐるのだ。難所も自然にテンポを落として美しい音楽に変容させる。婀娜っぽい演奏の魔術には心底驚く。ソナタの冒頭から色気のある美しい音に心奪はれる。飄然とした4つの即興曲も素敵だ。マズルカやポロネーズは遅めのテンポでじっくり歌ひ、民族的舞曲としてではなくショパン特有の憂ひを帯びた詩情で聴かせる。2曲のノクターンが絶品で、滅多に聴けない美がある。ワルツも品を作つた瀟洒な名演だ。(2017.2.16)

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、ブラームス:ヴァイオリンとチェロの為の二重協奏曲/ディミトリ・ミトロプーロス(cond.)/ザラ・ネルソヴァ(vc)/シモン・ゴールトベルク(vn)、他 [Music&Arts CD-1223]
米Music&Artsによるゴールドベルク復刻第1巻。1950年から1970年にかけての非商業録音、ライヴ音源を集成した8枚組。3枚目を聴く。1950年にミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィルの伴奏で演奏したベートーヴェンが非常に興味深い。不用意に第1楽章を聴くと腰を抜かすであらう。独奏の音形が至る箇所で一般的な演奏とは異なるからだ。何とこれはウィーン国立図書館所蔵の自筆草稿による演奏なのだ。この曲は1806年に初演されたが、直前迄完成せず、初演者クレメントは初見で弾いたといふ。1808年の出版に際してベートーヴェンは改訂を施す。それが通常聴かれる版だ。これは初演版楽譜による恐らく最初の録音だらう。主に経過句で音形が異なり、一例を挙げれば展開部末尾、再現部に入る直前の8小節間の3連符が全て16分音符になつてゐたりする。資料的に価値ある録音でもあるが、演奏が大変素晴らしい。ゴールドベルク絶頂期の演奏で、貴族的な白銀の音色が輝いてをり、寧ろ普通の版での演奏で聴きたかつたと思はせる名演だ。音質も極上。1967年、ネルソヴァとのブラームスの方が音質が劣る。演奏は独奏は見事だが、管弦楽が冴えない。特別語るべき録音ではない。(2017.2.10)

ベートーヴェン:序曲集(レオノーレ第3番、命名祝日、コリオラン、フィデリオ、エグモント、献堂式)/ラムルー管弦楽団/イーゴリ・マルケヴィッチ(cond.) [VENIAS VN-014]
マルケヴィッチの様々な録音を編んだ33枚組。1958年にDGに録音したベートーヴェンの序曲集だ。マルケヴィッチはベートーヴェンの交響曲もラムルー管弦楽団と録音を残してゐる。どの曲も鋭い切れ味があり、燃え盛る情熱を滾らせた演奏で、ベートーヴェンの理想的な音を追求した名演揃ひだ。最も成功してゐるのはコリオランだらう。密度の高い渾身のTutti、緊張感を高めるテンポ設定、強弱の劇的な対比、これぞベートーヴェンで、凡百の生温い演奏とは一線を画す。ついでエグモントが素晴らしい。遅めのテンポで重厚な演出をする。なかなか出来る藝当ではない。レオノーレ第3番も名演だ。冒頭の鋭い響きは鮮烈だ。録音が極端に少ない命名祝日は重宝されるだらう。引き締まつた響きの理想的な演奏と云へる。余白に1957年に録音されたインタヴューを収録。これもDGへの録音である。(2017.2.7)

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲/ストックホルム祝祭管弦楽団/シクステン・エールリンク(cond.)/ダヴィド・オイストラフ(vn) [EMI 50999 2 14712 2 3]
EMI録音全集17枚組。かつて英テスタメント・レーベルからも復刻されたことのある1954年のモノーラル録音である。ベートーヴェンはオイストラフに関して云へば、僅か4年後に作られた名盤とされるクリュイタンス盤よりも良い。クリュイタンス盤は安全運転で楽器を鳴らしただけで、当盤で聴かれる精気はない。だが、管弦楽はクリュイタンスの指揮が素晴らしかつた。エールリンクの指揮は雑然としてをり男性的な良さはあるが、もう少し繊細さがあると良かつた。一方、自家薬籠中としてゐたシベリウスの指揮振りは大層素晴らしい。雄渾で無造作な響きが楽想と一致してゐる。理想的な最上級の演奏だ。だが、オイストラフの独奏が脂身が多過ぎ、楽天的な明るい音色も曲想との齟齬を感じさせる。歌ひ回しも作曲家の理念からは遠い。あちらを立てればこちらが立たず。(2017.2.4)

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲第3番/ヤッシャ・ハイフェッツ(vn)/アルトゥール・ルービンシュタイン(p)/NBC交響楽団/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.) [RCA 88697916312]
トスカニーニRCA録音全集84枚組より。20世紀に君臨したマエストロとヴィルティオーゾ2名が共演した大変有名な録音だ。ハイフェッツとの共演は1940年3月11日のライヴ録音。だうしたことか演奏は大人しく、ちつとも面白くない。何よりもトスカニーニが硬く、音楽に精彩がない。ハイフェッツも引き摺られて窮屈な演奏だ。後の録音で聴かれる妖艶で奔放な色気がない。録音も古く楽しめない演奏だ。ルービンシュタインとの共演は1944年10月29日のライヴ録音。こちらの方が聴き応へがある。ルービンシュタインが情熱的で華麗なピアニズムで魅惑する。トスカニーニも弾力のある棒で劇的な音楽で応酬する。但し、両者気合ひが先行して混濁してゐる箇所もあり絶賛は出来ない。(2017.2.2)

バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全6曲)/ボストン交響楽団/シャルル・ミュンシュ(cond.) [RCA 88875169792]
ミュンシュのRCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。1957年、ミュンシュはタングルウッド音楽祭でブランデンブルク協奏曲を取り上げ、勢ひで録音もした。豪快で色彩的なミュンシュの演奏がバッハの型に嵌るとは到底思へず、時代錯誤甚だしい下手物録音が産み落とされたと早とちりしてはいけない。なかなかだうして面白い演奏なのだ。当時目覚ましく研究が進んだバッハ解釈には一切頓着せず、モダン楽器で純粋に音楽を奏でることに徹してゐる。第1番の第1楽章は傑作だ。快活なテンポでホルンは遠慮なく強奏する。威勢が良く気に入つた。第2番のトランペットも華やかだ。かうでなくてはならぬ。アンドレが吹くシューリヒト盤には及ばないが素敵な演奏だ。第3番と第4番は凡庸な出来だ。興味深いのは第5番だ。他の曲ではチェンバロを入れてゐるのに第5番の独奏楽器としてはピアノを選択してゐるのだ。様式美ではなく機能美を追求してをり潔い。実は第6番が予想外の名演だ。良い演奏の少ない曲なのだが、思ひ切つた解釈が際立つてゐる。第2楽章では何とcon sordinoで淫靡な美しさを聴かせる。一方、第1楽章と第3楽章は爽快なテンポで楽器を鳴らし、畳み掛けるやうに歌ひ抜き、曲を我が物にしてゐる。第6番は臆せずにミュンシュ盤を推さう。(2017.1.27)

バッハ:ブランデンブルク協奏曲第4番、ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番、ハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番、ホフシュテッター:弦楽四重奏曲「セレナード」/シモン・ゴールトベルク(vn)、他 [Music&Arts CD-1225]
米Music&Artsによるゴールドベルク復刻第2巻。1932年から1951年にかけての商業録音を集成した8枚組。2枚目を聴く。随一の名盤は1947年のパーロフォンに録音されたハイドンの協奏曲だ。指揮はヴァルター・ススキンド、フィルハーモニア管弦楽団の伴奏でチェンバロの通奏低音を伴つてをり本格的だ。何よりも気品を備へたゴールドベルクの独奏が絶品だ。競合盤も少なく決定盤だ。次いでヘンデルのニ長調ソナタが良い。同じく1947年のパーロフォン録音で、ジェラルド・ムーアの伴奏である。高貴で古典的な佇まいが美しい。ホフシュテッターは1932年のBerlin Clangorといふレーベルへの録音で、ベルリン・フィル四重奏団といふ団体名での演奏だ。これは恐らくベルリン・フィルのコンツェルト・マイスターであつたゴールドベルクと首席奏者らによる弦楽四重奏であらう。高水準の演奏だが、録音の古さは否めない。ゴールドベルクの陰影を付けた表現が見事だ。バッハは1933年のポリドール録音。ベルリン・フィルを振るアロイス・メリヒャルの指揮が鈍重で時代がかつてをり、清廉なゴールドベルクの独奏も良い味が出せないままだ。(2017.1.25)

ベートーヴェン:交響曲第1番、同第2番、序曲「コリオラン」/コロムビア交響楽団/ブルーノ・ヴァルター(cond.) [Sony Classical 88765489522]
渡米後のセッション録音集39枚組。ヴァルターが残したベートーヴェンの録音に往年の威光はない。このステレオ録音による全集は王道を踏み外すことのない風格ある演奏とも云へるが、悪い事の出来ない真面目な性格の詰まらない演奏とも云へる。ヴァルターの持つ色合ひが温かみのある響きなのも原因だらう。第1交響曲は余りにも刺激がなさ過ぎて退屈極まりない演奏だ。第2交響曲はこのヴァルター盤を決定盤とする向きもある。確かに全楽章を通じて理想的な仕上がりだが、額付きたくなるやうな魅力を感じるほどでもない。鷹揚に歌つた第2楽章も温かいが穏当だ。コリオランは無難で面白くない。(2017.1.23)

バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全6曲)/カール・リヒター室内管弦楽団/カール・リヒター(cemb&cond.) [Profil PH13053]
独Profilはリヒターの初期録音の復刻を積極的に行つてきたが、それらを集成した31枚組。1枚目と2枚目を聴く。リヒターのブランデンブルク協奏曲と云ふと1967年録音のARCHIV盤が巷間良く聴かれるが、これは1956年から1957年にかけてステレオ最初期にTELEFUNKENに録音された第1回目の全集だ。定評ある独Profilの復刻は大成功で、ステレオ黎明期の音とは思へないほど素晴らしい。さて、肝心の演奏であるが、ARCHIV盤に比べると特徴が薄いと云はざるを得ない。ARCHIV盤はリヒターが担ふ通奏低音チェンバロの支配力が圧倒的で、きびきびした推進力が何と云つても鮮烈であつた。この旧盤は全ての曲においてテンポが一回り遅く、響きもまろやかだ。有り体に申せばこの時代においては常套的な演奏の域を出てゐない。勿論、悪い部分は何処を探してもなく、新しい時代のバッハを予感させる名演だ。ただ、個性は弱いのだ。驀進する新盤を凌駕する感銘はなかつた。ARCHIV盤と目立つて異なるのは第4番がリコーダーではなく、フルートによる演奏であることだ。(2017.1.19)

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲/ソヴィエト国立交響楽団/ヴァシリー・ネボルシン(cond.)/モスクワ・フィル/キリル・コンドラシン(cond.)/レオニード・コーガン(vn) [Venezia CDVE 00510]
コーガンのソヴィエト録音を編んだ16枚組。チャイコフスキーが驚異的な名演だ。コーガンにはEMIにシルヴェストリの伴奏で録音した名盤がある。独奏良し、管弦楽良し、録音良し、総合点では最高の演奏のひとつだ。だが、この1950年のソヴィエト録音―セッション録音である―は独奏に関して云へば、シルヴェストリ盤が吹き飛ぶほど異常な感銘を齎すとんでもない演奏なのだ。骨まで断つ切れ味、息苦しい音の連続、痛々しいまでの緊張感、難曲として有名な曲が完全に征服されてゐる。痛快を通り越して狂気すら感じて仕舞ふ。印象ではフーベルマン、プシホダの個性的名演と同格の突き抜けた存在だ。録音も優れてをり、ヴァイオリンは生々しく聴こえる。惜しむらくはネボルシンの伴奏がコーガンの次元に達してをらず、物足りないことだ。但し、格差があるだけで悪くはない。必聴の名演だ。コンドラシンとのベートーヴェンは1962年のライヴ録音。寧ろこちらの方が録音が冴えない。演奏は申し分のない立派な名演だ。しかし、シルヴェストリとのセッション録音が余りにも素晴らしいので、全ての点で当盤の価値は劣つて仕舞ふ。(2017.1.16)

プロコフィエフ:ヘブライの主題による序曲、ヴァイオリン協奏曲第1番、「ロメオとジュリエット」第2組曲/ベートーヴェン四重奏団/アレクサンドル・ヴォロディン(cl)/ダヴィド・オイストラフ(vn)/モスクワ・フィル/セルゲイ・プロコフィエフ(p&cond.) [DANTE LYS 278]
1937年から1938年にかけてモスクワで行はれた自作自演録音だ。最も注目したいのは六重奏曲であるヘブライの主題による序曲だ。プロコフィエフのピアノに、ベートーヴェンSQとの共演で貴重この上ない。演奏は肩肘の張らない洒脱な趣でパリでの録音と共通する。名曲ヴァイオリン協奏曲第1番は若き日のオイストラフが独奏を担つた大変重要な録音である。矢張りオイストラフは若い頃の方が素晴らしい。音色やフレージングに張りがある。この最初期の録音には悶えるやうな美しさがある。だが、形振り構はぬ伝道師シゲティの説得力には及ばない。プロコフィエフの指揮が素晴らしい。第2楽章中間部での金管楽器のおどろおどろしい鳴らし方には喝采を送りたい。「ロメオとジュリエット」は5年後の1943年にもDecca録音があつた。Decca盤は気の抜けた演奏だつたが、当盤は表現の幅が大きく感情移入が激しい。断然この旧録音の方が素晴らしい出来だ。(2017.1.14)

バッハ:カンタータ第151番「甘き慰めなるかな、わがイエスは来ませり」、同第102番「主よ、汝の目は信仰を顧みるにあらずや」、ブランデンブルク協奏曲(全6曲)/ジャネット・ベイカー(Ms)/ピーター・ピアーズ(T)/ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)/イギリス室内管弦楽団/ベンジャミン・ブリテン(cond.)、他 [Decca 478 5672]
作曲家ブリテンは卓越した指揮者かつピアニストであり大量の自作自演が残るが、生誕100年を記念して何と自作以外での演奏記録を集成した27枚組が出た。1968年に録音されたブランデンブルク協奏曲は名盤として有名だ。モダン楽器による演奏では、リヒター、シューリヒト、ブリテンが3大名盤であらう。ブリテン盤の特徴は矢張り作曲家の目を通して細部まで音に意味を持たせた再創造であらうか。装飾音の入れ方ひとつ取つても新鮮な発見があるだらう。第3番はブリテン盤が古今を通じても最高の演奏ではないか。強弱やフレーズの取り方など実に木目細かく指示がなされてをり、目から鱗が落ちるやうな演奏なのだ。第2楽章の2つの和音ではヴァイオリン、次いでヴィオラによる素敵なカデンツァが作曲されてをり、思はず唸つて仕舞ふ創意工夫だ。幾分遜色はあるが、第6番も同様の名演だ。第1番は屈指の名演。ホルンの強調など心憎い。第4番はフルートでの演奏だ。ヴァイオリンがやや弱いのを除けば大変な名演だ。第2番は華やかさが足りない。第5番は合奏部分こそ素晴らしいが、他の曲と比べると求心力に欠ける。余白には1965年のライヴ録音であるカンタータが2曲収録されてゐる。真摯な演奏だが、徹底さを感じることは出来なかつた。歌手ではディーウカウの巧みさが目立つ。(2017.1.11)

シューマン:詩人の恋、ベートーヴェン:アデライーデ、諦め、くちづけ、シューベルト:歌曲(6曲)/フーベルト・ギーゼン(p)/フリッツ・ヴンダーリヒ(T) [hanssler SWR music CD.93.701]
シュヴェツィンゲン音楽祭エディションの1枚。1965年5月19日の記録だ。ヴンダーリヒが得意とした演目で、同年夏のザルツブルク音楽祭でもこれら全ての曲を含めたリートの夕べを開いてゐるし、翌年の最後のリサイタルになつたエディンバラ音楽祭でもほぼ同じだ。ヴンダーリヒの絶対的な演目である詩人の恋では、安定した歌声を聴かせて呉れる。正規録音や他のライヴと比べても優劣付け難いのだが、やや保守的な嫌ひがあるかも知れぬ。問題なのはギーゼンの伴奏で、調子が良いとは云へない内容だ。特に終曲の魅力のなさは致命的だ。ベートーヴェンが良い。取り分け「アデライーデ」は屈指の名唱だらう。シューベルトでも美声が堪能出来るが、特別な出来だと感じるほどではなかつた。(2017.1.9)

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番、ヴィターリ:シャコンヌ/RIAS交響楽団/ゲオルグ・ルートヴィヒ・ヨッフム(cond.)/ミヒャエル・ラウハイゼン(p)/ジョコンダ・デ=ヴィート(vn) [audite 95.621]
独auditeレーベルの快挙である。ベートーヴェンはデ=ヴィートには音源がないとされてきた演目だ。実は近年になつて1950年代の記録で指揮者及び管弦楽団が不明といふ極めて怪しい録音が伊IDISから発売されたのだが、真偽が定かではなかつた。それが遂に1954年10月3日、大ヨッフムの弟の指揮によるベルリンでのライヴ録音とクレジットが明確になり発掘されたことは喜ばしい。信じ難いほど音が良く、運弓の軋みまで鮮明に聴こえる。さて、伊IDIS盤と同一音源なのかがとても気になる。比較をしてみたが、目立つた印がなく、当盤では確認出来る聴衆ノイズやヴァイオリンのスクラッチ・ノイズが、伊IDIS盤では音質が余りにも悪過ぎて判別不能だつた。デ=ヴィート作とされるカデンツァは全く同じに聴こえる。演奏時間も同じと考へてよい。私見では同一音源だと思ふが、確定的な要素がないので断定は避けよう。さて、更に1951年10月7日の放送用セッション録音で伴奏者がラウハイゼンといふ有難い録音も収録されてゐる。残念ながらブラームスはアプレーアとの正規録音同様、低調に感じた。ヴィターリが素晴らしい。正規録音は管弦楽伴奏の壮麗な演奏であつたが、当盤は感情が爆発してをり圧倒される。この曲の名演のひとつだ。(2017.1.7)

ドヴォジャーク:チェロ協奏曲、シュトラウス:ドン=キホーテ/ナショナル・オーケストラル・アソシエーション/レオン・バージン(cond.)/NBC交響楽団/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.)/エマヌエル・フォイアマン(vc) [West Hill Radio WHRA 6042]
米West Hill Radioが4枚組で発売したフォイアマンの復刻は蒐集家必携の逸品で、持つてをらぬは潜りと云へよう。4枚目を聴く。ドヴォジャークは有名な1940年1月17日の放送録音。管弦楽の伴奏がお粗末だが、豪快なフォイアマンの独奏で聴く者らを魅了し続けてきた名演である。特に第1楽章のアルペジオ音型で弓を弾ませる箇所は個性的だ。ヴァイオリンではパガニーニの曲などで一般的な奏法だが、チェロではフォイアマンが第一人者であらう。シュトラウスも繰り返し発売されてきた1938年10月22日の放送録音で、別項で述べたので割愛するが、豪放磊落で異常な熱気に包まれた演奏だ。兎に角トスカニーニが凄まじい。(2017.1.4)


2016.12.29以前のCD評
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