楽興撰録

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2017.3.29以前のCD評
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ヴェルディ:「ナブッコ」/ティート・ゴッビ(Br)/エレナ・スリオティス(S)/ウィーン国立歌劇場管弦楽団と合唱団/ランベルト・ガルデッリ(cond.)、他 [Decca 478 1717]
1965年に行はれた「ナブッコ」初めてのセッション録音。規範として聴かれてきた名盤であるが、「ナブッコ」の理想的演奏として挙げる人はゐないだらう。全般的に物足りないのだ。総合点では申し分のない名盤なのだが、それ以上がない困つた録音なのだ。この録音は晩年のゴッビの為に組まれた録音だと云へる。千両役者ゴッビの多彩な表現が聴け、最大の武器であるnihilなファルセットは唯一無二だ。印象的なのはアビガイッレを歌ふスリオティスだ。高音から低音まで驚異的な歌唱を駆使し圧倒される。第2のマリア・カラスと称されたスリオティスは本当にカラスそつくりの歌ひ方をする。ザッカーリア役のカルロ・カーヴァも見事だ。最も心憎い活躍をしてゐるのは指揮者ガルデッリだらう。要所を押さえた棒で満点と云へる。ウィーン国立歌劇場管弦楽団と合唱団が非常に美しい音楽を紡いで行く。アンサンブルも響きの調和も抜群で、"Va pensiero"の清廉で宗教的な美しさは一種特別だ。だが、難癖になるが、初期ヴェルディの荒々しい熱さを伴つゐいない。上品に整つたウィーン流儀の音楽になつて仕舞つた。上手いのだが失つたものの方が大きい。心ないことを申せば、ミラノ・スカラ座を起用してイタリア勢だけ―スリオティスを除いて―の録音なら最高の1枚になつたかも知れぬ。(2018.7.18)

ブルックナー:交響曲第8番/ウィーン・フィル/カール・シューリヒト(cond.) [Altus ALT085]
1963年12月7日の実況録音。名盤として大変高名なEMIへのセッション録音の直前に行はれた演奏会だ。結論から云ふと矢張りセッション録音の方が、音響や楽器のバランスの調整や、細部の発音やアゴーギクの処理にも神経が行き届いてをり、圧倒的に完成度が高い。商品として仕上げたのだから当然である。一方、このライヴ録音では一発勝負の綻びは然程気にならないのだが、矢張り音響で偏りが出て仕舞ひ不恰好な箇所が散見される。しかし、シューリヒトだけの即興的な演奏が繰り広げられる点では流石だ。しかも緩急の差が大きく、超速で飛ばして行く箇所は凄まじく目紛しいのだが、全曲で71分強と標準なので、如何に減り張りが強いかがわかるだらう。もう1点、この演奏を際立たせる特徴としてはウィーン・フィルの音色―取り分け婀なヴァイオリンの歌が琴線に触れる。線が細く厚みがないが、官能的な表現を随所に撒き散らし、この演奏を個性的に仕立ててゐる。(2018.7.15)

クープラン:クラヴザン曲集(9曲)、バッハ:パルティータ第1番、同第3番、同第2番、幻想曲ハ短調BWV.906/マルセル・メイエ(p) [EMI 0946 384699 2 6]
ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。6枚目を聴く。クープランの9曲は1946年に録音されたメイエの傑作で、ピアノで弾かれたものでは最高のひとつだ。溢れ出る幻想的な描写力が素敵で、音楽と絵画が結婚した詩的な情景が聴き手を包み込むだらう。外連は一切なく、品格ある佇まいがえも云はれぬ感興へと誘ふのだ。メイエがレペルトワールの中心としたのがバッハ、スカルラッティ、ラモーである。メイエのバッハは謹厳な様式ではなく、フランス流儀の角が取れた流麗で抒情美が優先する演奏様式だ。パルティータの第1番の力みのない端正な表現は如何ばかりであらう。清らかで停滞のない音楽に心洗はれる。リパッティの名演と共に究極の美しさだ。第3番や第2番でも構築美ではなく、舞曲としての性格が強く、その中から内省的な祈りの音楽が聴こえてくる。幻想曲は劇的かつ求心的な演奏ではなく、詠嘆に傾いたメイエらしい演奏で印象深い。(2018.7.12)

ハイドン: 交響曲第22番、同第90番、トランペット協奏曲、フンメル:トランペット協奏曲/パオロ・ロンジノッティ(tp)/ミシェル・クヴィット(tp)/スイス・ロマンド管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(cond.) [DECCA 0289 482 1235 4]
アンセルメのDECCA録音よりフランス音楽とロシア音楽以外、即ちドイツ音楽を中心に集成をした31枚組。17枚目を聞く。アンセルメによるハイドンはパリ・セット6曲の録音が残る。フランス音楽を主戦場としたアンセルメだからパリ・セットを選んだ理由はわかる。当盤の第22番と第90番はそれこそ玄人好みの選曲であり、純粋にアンセルメが愛し、得意としたといふ理由以外はなささうだ。「哲学者」の第1楽章のまつたりとした雰囲気は絶妙で、ハイドンの意図したアイロニーを表現することに成功した得難い演奏である。第2楽章以降は風格ある穏当な演奏で、刺激はないが万全だ。第90番が一際抜きん出た名曲であることを伝道する名演だ。堂々たる構へで情熱と生命力が漲る。独奏楽器の情感も豊か。第4楽章のパウゼが素敵だ。この2曲は屈指の名演として必聴である。有名曲トランペット協奏曲だが、アンセルメとスイス・ロマンド管弦楽団は素晴らしいのだが、独奏者ロンジノッティが戴けない。無遠慮に吹き、細かい音の処理が出来てゐない。繊細さがなく大味だ。技巧も怪しく、現代の学生の方が上手に吹くだらう。一方、フンメルの独奏者クヴィットは数倍上手で安心して聴ける。(2018.7.9)

ヴィヴァルディ:調和の霊感Op.3-10、同Op.3-3、バッハ:4つのチェンバロの為の協奏曲BWV.1065、協奏曲第7番BWV.978/クラウディオ・アッバード(cemb)/ミラノ・アンジェリクム管弦楽団/アルベルト・ゼッダ(cond.)、他 [Charlin SLC2-2]
ワン・ポイント録音で知られるフランスの名技師アンドレ・シャルランによる録音レーベルの中で、とても興味深い1枚だ。まず、企画が良い。大バッハの4つのチェンバロの為の協奏曲イ短調BWV.1065の原曲であるヴァヴァルディの「調和の霊感」作品3-10、大バッハのチェンバロ独奏による協奏曲第7番へ長調BWV.978の原曲であるヴィヴァルディの「調和の霊感」作品3-3を並べて聴くといふ趣向だ。楽器が異なると印象が大分異なるから面白い。演奏のせいもあるが、ヴィヴァルディの原曲の方が感興豊かと感じる。さて、興味深いのは演奏者で、バッハの4つのチェンバロの為の協奏曲では3番奏者が若き日のアッバードなのだ。指揮者として頭角を現して行く時期にこのやうな録音を残してゐた。(2018.7.6)

モーツァルト:協奏交響曲、セレナータ・ノットゥルノ、交響曲第41番「ジュピター」/アルテュール・グリュミォー(vn)/ウィリアム・プリムローズ(va)/ヘルマン・シェルヘン(cond.)/カレル・アンチェル(cond.)、他 [Tahra TAH 595-598]
モーツァルトの稀少録音集4枚組。3枚目を聴く。目玉は初演目となるアンチェルのジュピター交響曲だ。亡命先でシェフとなつたトロント交響楽団との1970年、最晩年の録音。残念だが音像が遠く、もどかしい音質だ。とは云へ、鑑賞には不自由はない。演奏は衒ひのない王道を貫いた格調高き名演。第2ヴァイオリンの内声部が極めて雄弁で啓示多き内容だ。思はず引き込まれる第2楽章の演奏は少ない。流石はアンチェルだ。セレナータ・ノットゥルノもトロント交響楽団の演奏で、シェルヘンの指揮による1965年の録音だ。シェルヘンらしい斜に構へた奇異な演奏で面白い。テンポは非常に遅めで気怠い演奏だが、随所に抉りがあり個性を刻印する。第3楽章が秀逸で、コーダでの煽りは仕掛けが多く面目躍如。協奏交響曲はモーツァルトの名手グリュミォーとヴィルティオーゾのプリムローズといふ豪華な取り合はせで、指揮はオットー・アッカーマン、ケルン放送交響楽団の伴奏だ。1955年の録音だが、最も音質は良く、活き活きとしてゐる。まず、オーケストラの演奏が素晴らしく最上級だ。グリュミォーは適性を示し、芳醇に歌ひ回る。プリムローズは決して埋もれることなく、主役の存在感を見せるが、音楽は淡白でグリュミォーとは方向性が異なる。演奏は部分においては高品質だが、全体としての感銘は今一つ残らないのが残念。(2018.7.3)

ヴァシリー・サペルニコフ(p)/全録音(1924年〜1927年)/チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、他 [APR 6016]
ピアニストの復刻では他の追随を許さない英APRならではの稀少価値のある2枚組だ。サペルニコフの全録音―英エオリアン・ヴォカリオンへの吹き込みで、チャイコフスキーの協奏曲の世界初録音といふ重要大曲録音もある。サペルニコフはチャイコフスキーの愛人であり、欧州楽旅を共にし、ピアノ協奏曲を披露して回つた。作曲者の指揮でお墨付きを得た男の録音が聴けるのだから値千金だ。とは云へ、電気録音初期の記録で音質に限界があり、スタンリー・チャップル指揮エオリアン管弦楽団の拙い伴奏で感興が殺がれ、グランド・マナーで悠然と弾くサペルニコフの録音は記録といふ価値しかない。チャイコフスキーでは他に「ユモレスク」が聴ける。これが感銘深い名演で、語り口が見事だ。ロシア音楽は同様に憂ひを帯びた旋律美の表現が巧みで聴き応へがある。演目はグリンカ「ひばり」、バラキレフのマズルカ第4番、ルビンシテイン「スタッカート練習曲」、リャードフ「音楽の玉手箱」だ。サペルニコフが大ピアニストであることはドイツ音楽の演奏を聴くと諒解出来る。演目はヴェーバー「舞踏への勧誘」、メンデルスゾーンのスケルツォ、シューマン「夢のもつれ」「春の夜」、ヴァーグナー「紡ぎ歌」「入場行進曲」、ブラームス「ハンガリー舞曲第6番」で、同時代に残された録音と比しても貫禄の点で抜きん出てをり、覇気のある技巧、推進力のあるリズム感、気品を失はない凜としたタッチが素晴らしい。(2018.6.30)

ドビュッシー:玩具箱、バッハ:前奏曲とフーガ嬰ハ短調BWV.848、ピアノ協奏曲第1番/ピエール・ベルタン(語り)/フェルナン・ウーブラドゥ(cond.)/イヴォンヌ・ルフェビュール(p) [SOLSTICE SOCD 258]
愛好家必携の1枚だ。何と云つてもマルセル・メイエの殿方でもある名優ベルタンの語り付きの玩具箱は他では味はへないエスプリの結晶である。1957年の仏ポリドールへの録音でルフェビュール全盛期の水も滴る名演が聴ける。玩具箱はバレエ音楽であるが、ベルタンの創意による語りで一種特別な鑑賞が楽しめる。とても息の合つたセッションで、唯一無二の名演と云へよう。バッハのニ短調協奏曲はこれまた貴重な取り合はせ、ウーブラドゥと率ゐる室内管弦楽団の伴奏である。1957年のライヴ録音で、後年の演奏よりもタッチが柔らかく流麗さが特徴だ。だが、忌憚なく申せば、ウーブラドゥの指揮は音楽的ではあつても様式美は捉へてをらず、ルフェビュールも厳しさのある晩年の厳しい演奏の方がバッハでは真実を突いてゐた。前奏曲とフーガのみ1971年の録音である。心洗はれる極上の名演である。(2018.6.27)

モーツァルト:交響曲第41番、ブラームス:交響曲第1番/ブレーメン州立フィルハーモニー管弦楽団/クレメンス・クラウス(cond.) [Tahra TAH 455]
1952年3月13日の客演ライヴ録音。音質は流石に仏Tahraで水準以上、潤ひに溢れた音だ。クラウスには相性の良ささうなモーツァルトの録音は思ひの外少なく、興味深い録音だ。だが、ブレーメン・フィルの技量が怪しく、客演といふこともあり、お粗末な内容である。とは云へ、クラウスの魔法とも云へる色気のある颯爽としたフレージングが随所に聴ける。テンポの変動も大きく、結果ブレーメン・フィルがついてこれず、崩れる箇所もあるが、クラウスの意図は伝はる。第4楽章フーガは情熱的で表現の幅も大きくなり、聴き手を魅了する。ブラームスは唯一の音源だ。クラウスらしく重厚さはなく、絢爛たる浪漫を聴かせる。後ろ髪を引かれるやうな熟れた旋律処理は特徴的だ。だが、ここでもブレーメン・フィルの技量が追ひ付かず、細部の解れが頻発する。第3楽章冒頭のクラリネットの旋律が一瞬消える箇所はひやりとする。一転、第4楽章は煽情的で猛烈に熱い。(2018.6.21)

ヘンデル:聖セシリアの日の為の頌歌、モーツァルト:フリーメイソンの為の葬送音楽、交響曲第40番、他/ピーター・ピアーズ(T)/ヘザー・ハーパー(S)/イギリス室内管弦楽団/ベンジャミン・ブリテン(cond.)、他 [Decca 478 5672]
作曲家ブリテンは卓越した指揮者かつピアニストであり大量の自作自演が残るが、生誕100年を記念して何と自作以外での演奏記録を集成した27枚組が出た。ボーナスCDとしての27枚目は初CD化となる貴重な音源である。ヘンデルは1967年6月のライヴ録音だ。「セシリア讃歌」を作曲したブリテンだけに興味深い。堂々たる名演で、独唱、合唱ともに優れてをり、楽器を浮き立たせた管弦楽の演奏は殊更見事だ。モーツァルトは1963年12月のセッション録音で、アルバムとして完成された録音なのに、何故かお蔵入りになつた幻の録音と云へる。演目は「コジ・ファン・トゥッテ」序曲、相棒ピアーズの伴奏でコンサート・アリアを2曲「運命は恋する者に」「だうか詮索しないでください」、フリーメイソンの為の葬送音楽と交響曲第40番だ。まず、序曲が極上の名演。楽器を際立たせた立派な響きだ。アリアも良いが、白眉は葬送音楽だ。荘厳さと格調高さに溢れた稀代の名演。交響曲は旧録音といふことになる。5年後の高名な録音は非常に個性的であつたが、当盤の演奏はごく普通、特色のない演奏である。だが、非常に難しいのだが、音楽自体はこの旧録音の方が自然で好ましい。(2018.6.18)

ブルックナー:交響曲第8番/レニングラード・フィル/エフゲニー・ムラヴィンスキー(cond.) [MELODIYA MEL CD 10 00803]
ムラヴィンスキーにはマーラーの録音は残らないが、ブルックナーの交響曲は有難いことに第7番、第8番、第9番と名曲が残る。第8交響曲は1959年のモノーラル録音で条件としては決して良いとは云へないが、音質は水準以上で鑑賞に差し支へはない。ムラヴィンスキーならではの辛口の峻厳な演奏、74分弱、全体的に即物的な凄みを備へた演奏である。勿論、ドイツの指揮者とは取り組みが異なり、幽玄なロマンティシズムは皆無で、第3楽章冒頭の竹を割つたやうな解釈は少なからず驚く。異様さを感じるのは第1楽章で、頂点での絶望的な阿鼻叫喚は恐ろしい限りだ。だが、これが名演かだうかは甚だ疑問だ。特に金管楽器の音色が無遠慮で弦楽器との溶け合ひがなく、第3楽章では辟易する。また、しくじりも散見され、雰囲気不足は否めない。下手物の部類だが、ムラヴィンスキーの特色は出てゐる。(2018.6.15)

ロッシーニ:「ラ・チェネレントラ」/テレサ・ベルガンサ(Ms)/ロンドン交響楽団/クラウディオ・アッバード(cond.)、他 [DG 423 861-2]
「ラ・チェネレントラ」は「セビーリャの理髪師」の翌年に3週間で作曲されたロッシーニ絶頂期の作品で、童話「シンデレラ」を題材にした親しみやすさでロンドンやニューヨークでも当たりを取つたロッシーニ生前では一二を争ふ人気曲であつた。滅法楽しい曲で全編早口でまくしたて、アジリタとフィオリトゥーラの百貨店の様相を示す。ところが、次第にこの作品は上演機会を失ふ。タイトル・ロールのチェネレントラがメッゾ・ソプラノ或はコントラルトの低音域でコロラトゥーラを要求されるのと、ヴェリズモ全盛の時代に押されてロッシーニ歌ひが激減、この作品のまともな上演の条件が揃はなくなつたのだ。だが、近年理想的な上演が可能になり、復権著しい。その契機に一役買つたのが1971年録音のアッバード盤だ。アッバード初のオペラ録音であつたが、チェネレントラに大御所ベルガンサを起用し、ルイージ・アルヴァ、レナート・カペッキなどを揃へた、今持つて決定的な名盤なのだ。何よりもアッバードの棒の下、ロンドン交響楽団の演奏が最高だ。第2幕の嵐の場面は見事。思へば、アッバードはロンドン交響楽団時代が最も幸福であつたかも知れぬ。(2018.6.12)

モーツァルト:交響曲第26番、同第29番、同第40番/ボストン交響楽団/ロンドン・フィル/セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.) [ARTIS AT020]
40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。モーツァルトは大編成のロマンティックな演奏ではあるが、カデンツを重視した正統派の解釈で、寧ろ戦前の指揮者では最も理解が深い演奏と感じた。第26番変ホ長調を録音すること自体が通好みであらう。華やかな王宮風の音楽である第1楽章や第3楽章も素晴らしいが、しみじみと歌ひ込んだ官能的な第2楽章が素敵だ。1946年の録音で状態も良く、じつくりと鑑賞出来る。名曲第29番は全楽章恐ろしく速い演奏で―特に第1楽章―、個性が際立つた解釈だが、信念が強い演奏なので違和感がない。1937年の録音でボストン交響楽団の脂が乗つた時期の演奏であり、推進力と優美さが融合した名演となつた。第40番のみ1934年のロンドン・フィルとの録音。オーケストラの違ひは然程感じさせず、クーセヴィツキーの統率力を立証する。全体的にはロマンティックな解釈だが、ト短調の表現には相応しく安心して聴ける。特徴的なのは有名な冒頭主題を連綿たる遅めのテンポで始めるが、遅いのは冒頭旋律だけですぐに加速する。再現の度にテンポを落とすのは徹底してをり、拘泥はりを感じる。(2018.6.9)

モーツァルト:交響曲第40番、同第41番「ジュピター」、リスト:前奏曲/ウィーン・フィル/ベルリン・フィル/ハンス・クナッパーツブッシュ(cond.) [VENIAS VN025] 
怪物クナッパーツブッシュの管弦楽曲録音を可能な限り集成した70枚組。モーツァルトは2曲とも恐らく唯一の録音。1941年、ウィーン・フィルとのセッション録音だ。随所にクナッパーツブッシュならではの個性的な解釈が聴けるが、実のところ、ウィーン・フィルに任せて好き勝手に弾かせた感が強い。ト短調交響曲は冒頭の旋律にヴァルター風のポルタメントが聴かれるが、これはヴァルターの趣向といふよりもウィーン・フィルの流儀であつた可能性が高いといふ仮説を生む。第4楽章の展開部入りの箇所における粘りはクナの面目躍如。ジュピター交響曲には思ひ入れが感じられず、ウィーン・フィルに仕事を任せてさぼつた印象を受ける。リストはベルリン・フィルとの録音で、同じ1941年の録音である。ベルリン・フィルの精度が高く、官能的な表現は流石だなと感心した。終結部に向かつて恐ろしくテンポが遅くなつて行くのはクナッパーツブッシュらしくて良い。(2018.6.6)

モーツァルト:交響曲第40番、マーラー:大地の歌/ウィーン・フィル/ユリウス・パツァーク(T)/キャスリーン・フェリアー(A)/ブルーノ・ヴァルター(cond.) [Tahra TALT-033/4] 
AltusレーベルがTahraの名盤を再販する好企画盤。1952年5月17日の公演のライヴ録音が遂に纏めて聴けるやうになつた。マーラーはかの高名なDeccaへのセッション録音直後の公演記録で、仏Tahraが発掘して初発売した貴重な音源だ。その初出盤のことは既に述べたので割愛する。さて、この2枚組には前半プログラムであつたモーツァルトが収録されてゐる。実際に聴く迄は、この曲の決定的名演であるCBSソニーから発売されてゐたライヴ録音と同じだと思つてゐた。だが、間違ひなくCBSソニー盤とは別演奏だ。CBSソニー盤が5月18日とクレジットされてをり1日違ひの演奏であることがわかる。印象は大差ないが17日の当盤の方が精力的で細部が雑な箇所がある一方で訴へかける力がある。18日の方が細部まで完成度が高く素晴らしいが、部分的には17日の演奏も捨て難く、愛好家は両方揃へてをきたい。となると、疑惑が残る。マーラーにも18日の録音が存在するのではないかと。(2018.6.3)

ロッシーニ:序曲集(6曲)/シカゴ交響楽団/フリッツ・ライナー(cond.) [RCA 88883701982] 
ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。名盤中の名盤。演目は「ギョーム・テル」「絹のはしご」「ブルスキーノ氏」「セビーリャの理髪師」「泥棒かささぎ」「チェネレントラ」の6曲だ。大概ロッシーニの序曲集録音は腑抜けた演奏ばかりで大したものがなく、満足出来る演奏を探すとトスカニーニ盤に行き着く。ロッシーニの序曲は難しいのだ。軽やかに沸き立つ表現が要求されるが、技術的に実現出来た演奏は少ない。楽譜にも問題があり、歴史的に自由裁量が横行してきたので踏み込みが弱い。その点、説得力でトスカニーニが抜きん出てゐる。だが、トスカニーニ盤に比肩し、一部凌駕する演奏がある。ライナー盤だ。リヴィング・ステレオの優秀録音、小粋に纏まり軽快さを獲得してゐる点ではトスカニーニ盤を超える。打楽器隊の激しい追ひ込みは最高で、特に「ギョーム・テル」の嵐の場面における大太鼓の切迫感、行進曲の大詰めでの興奮は物凄いの一言に尽きる。弦楽器群の一糸乱れぬアンサンブル、奏者一人ひとりの表現の幅が異常に広い管楽器陣、これ以上は求められない完璧な演奏の連続だ。もし、難癖を付けるなら気が張り過ぎてゐて、息苦しいことか。これはトスカニーニも同様。兎に角、演奏そのものは真剣勝負で、心構へと到達度合ひが凡百の演奏とは異なる至高の名演。(2018.5.31)

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第5番、同第7番、モーツァルト:ピアノ三重奏曲第5番、シューマン:ピアノ三重奏曲第1番/エトヴィン・フィッシャー(p)/ヴォルフガング・シュナイダーハン(vn)/エンリーコ・マイナルディ(vc) [Music&Arts CD-840]
フィッシャー・トリオは正規セッション録音がないので幻のトリオと云へる。少ないライヴ録音から名手3名の妙技が聴けるのは掛け替へがないことだ。この2枚組は1952年8月9日と1953年8月8日のザルツブルク音楽祭での記録で、前者がモーツァルトと大公、後者が幽霊とシューマンといふ演目である。ベートーヴェンの2曲は墺オルフェオから商品化されてゐた。実は当盤の音が猛烈に悪く、幽霊にはテープヒスのやうなものが混入してをり、より音質の良いオルフェオ盤で聴けるので全く価値はない。従つてモーツァルトとシューマンが重要だ。モーツァルトも音は良くないのだが、なんとか鑑賞は出来る。霊感が持ち味の奏者の集まりだけに陰影が深く、高貴なモーツァルトが聴ける。シューマンが最も素晴らしい。カサルス・トリオの色気満点で華やかな録音に比すると、渋みのある夢想する内気な演奏で好感が持てる。この曲の屈指の名演だらう。余白に1954年とされるルツェルンでのリハーサル風景が収録されてゐる。曲はシューベルトの第2番だ。第1楽章と第2楽章の稽古で、主にフィッシャーが弦楽器2名を指導している。声の主の大半はフィッシャーだらう。(2018.5.28)

モーツァルト:交響曲第40番、ベートーヴェン:交響曲第7番/ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団/ヘルマン・アーベントロート(cond.) [Tahra TAH 763-764]
アーベントロートの音源発掘を精力的に行つてきた仏Tahraがまたもや快挙を成し遂げた。ポーランド放送局からの蔵出し初出音源で、1953年と1954年にアーベントロートがワルシャワ国立フィルに客演した記録である。2枚組の2枚目が蒐集家驚愕の大発見録音で、録音演目として欠けてゐたモーツァルトの第40番とベートーヴェンの第7番といふ有名曲が登場した。1954年5月16日の記録であり、音質は申し分ない。アーベントロートは古典音楽を非常に得意とし、端正な造形で和声の進行を重視した正統的な演奏を聴かせる。ロマン派音楽で聴かれる激情に音楽の流れを委ねることはない。モーツァルトは木目細かく表情を織り込み、陰影と強弱は示唆に富む。カデンツの聴かせ方も見事だ。客演といふこともあり細部は雑な箇所もあるが、端麗な名演である。ベートーヴェンも引き締まつた古典的様式の範囲内で、ベートーヴェンが起こした革命を情熱で再現する。楽器を突出させず響きを融合させ、雑踏のやうな音楽乍ら核心を残した名演が聴ける。(2018.5.25)

アルテュール・デ=グレーフ(p)/録音集成/アコースティック独奏録音/ランドン・ロナルド(cond.)、他 [APR 7401]
リストの高弟でベルギーの至宝級ピアニスト、デ=グレーフの録音集成4枚組。完全全集でないのが玉に瑕だが、これほどデ=グレーフの録音が纏まつたことはなく愛好家は必携だらう。ローゼンタール、ザウアーと並ぶ破格の奏者であり、グリーグやサン=サーンスからも一目置かれてた存在であつた。1枚目はこれまで復刻が殆どなかつた1917年から1923年にかけての機械吹き込みの独奏録音の全てを収録してをり非常に重要だ。全15曲で、グレトリー/グレーフ編曲の「村人の踊り」第3番と第5番、シューマン「アラベスク」と「ウィーンの謝肉祭の道化」の終曲、ショパンのノクターン第5番、リストのハンガリー狂詩曲第12番、ルビンシテインのヘ調のメロディー、グリーグ「アルバムの綴り」「小人の行進」「メヌエットのテンポで」「パック」、モシュコフスキ「セレナータ」とエチュードト長調、アルベニス「セギディーリャ」、ロナルド「ポン・ムジカーレ」だ。気品と威厳があり、古い録音乍ら芯の強い音楽が伝はる。取り分けグリーグとリストは絶品だ。更に1922年の録音で、ロナルドの指揮によるフランクの交響的変奏曲も収録されてゐる。同郷の作曲家への敬意に満ちた極上の名演だが、流石に音が貧しいので鑑賞用としては適さない。(2018.5.22)

ヴェーバー:「オベロン」序曲、モーツァルト:交響曲第40番、シベリウス:交響曲第2番、ベルリオーズ:ラコッツィ行進曲/クリーヴランド管弦楽団/ジョージ・セル(cond.) [TCO-10603]
1970年、大阪万博の記念企画として多くの名門オーケストラと指揮者が招致された。セルが初来日し、大阪公演の後、東京でも上野文化会館にて公演があり、5月22日の公演は録音されたが、これがセルの最後の録音になつたのだ。2ヶ月後にセルは急逝。実は死の病が進行してをり、来日にはブーレーズを伴つて公演を分担したが、体調を考慮してのことであつた。伝説的な来日公演がクリーヴランド管弦楽団協会盤として登場し、殊更本邦の愛好家の感涙を誘つた。公演は尻上がりに良くなる。ヴェーバーは冒頭の静寂にただならぬ凄みがある。この音響は超一流の証である。主部に入つてからは完璧に合奏に圧倒されるが、整い過ぎて面白みはなく、音楽としては肩慣らしに感じた。モーツァルトが素晴らしい。精緻な合奏と格調高いフレージングが徹底されてをり、大オーケストラから室内楽的な緊密さを引き出してゐる。幾分生真面目過ぎる点を除けば最上級の演奏だ。シベリウスが更に素晴らしい。この曲屈指の名演だらう。透徹した合奏は勿論だが、感興が乗つてきてをり、音に潤ひがある。整つただけの演奏だけではない、シベリウスの音楽観を最高度に表現した名演だ。アンコールのベルリオーズも見事な追ひ上げで魅せる。余白にブーレーズへのインタヴューが収録されてをり、来日の思ひ出が語られる。ブックレットには来日時の貴重な写真が幾つも掲載されてゐる。必携の1枚。(2018.5.19)

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティシェ」/シュターツカペレ・ドレスデン/オイゲン・ヨッフム(cond.) [EMI 5 73905 2]
権威ヨッフム第2回目の全集録音より。1975年の録音。この新盤の方が良く聴かれるが、旧盤との比較は気になる。音質だが、新しいにも拘はらずEMIの録音は抜けが良くない。教会で収録したDG盤の方が10年といふ年月を超えて優れてゐる。演奏は正直申して第4番に関しては際立つ差異を指摘するのが難しく、印象も演奏時間もほぼ同じだ。だが、技量の安定感、楽器の鳴りや合奏の力強さは断然ベルリン・フィルが上だ。となると、DG盤の方が優れてゐることになるが、EMI盤の方が流れが自然で、よりブルックナーらしさを感じ取れる。DG盤の方がテンポの変動が意志的で、嫌ふ向きもあらう。違ひが顕著なのは音色だらう。大雑把な表現をすれば、ベルリン・フィルが重く暗い北ドイツ風とすれば、シュターツカペレ・ドレスデンは明るく伸びやかな南ドイツ風と云へるかも知れぬ。特にホルンの音色はベルリン・フィルが甲高く違和感があり、シュターツカペレ・ドレスデンの方が美しい。つまり、甲乙付け難い。(2018.5.16)

メンデルスゾーン:イタリア交響曲、ピアノ協奏曲第1番、シューマン:「マンフレッド」序曲、序奏とアレグロ・アパッショナート/ルドルフ・ゼルキン(p)/ボストン交響楽団/ピエール・モントゥー(cond.) [West Hill Radio WHRA 6034]
1958年から1959年のシーズンにモントゥーが古巣ボストン交響楽団に客演した記録11枚組。1959年8月1日の公演で、独奏者にゼルキンを迎へてのメンデルスゾーンとシューマンといふプログラムだ。イタリア交響曲にはサンフランシスコ交響楽団との放送録音もあつたが、ボストン交響楽団との演奏は格別で、技量と表現力の差が顕著だ。爆発的な推進力と熱気を孕んだ明るく健康的な演奏だ。特に第1楽章は絶品で拍手喝采を送りたい。だが、難癖かも知れぬが、メンデルスゾーン特有の優美さと憂愁が抜け落ちてをり、幾分能天気な演奏に聴こえる。情感豊かに鳴つた立派な演奏だが、クーセヴィツキーの演奏の方が一段上だ。マンフレッドにも同じことが云へる。最大の聴き物はピアノ協奏曲だ。ゼルキンのピアノも良いのだが、モントゥーの棒が熱く、音楽の主導権を握つてゐる。白熱した追ひ込み、疾駆する熱情に圧倒される。ゼルキンも玲瓏たるピアニズムを聴かせ曲想と一体化した名演を繰り広げる。但し、ピアノ独奏に関して云へば、古いモイセイヴィッチの録音には及ばない。滅多に聴かれないシューマンの晩年の作品も真摯な取り組みで見事だが、完全に曲を掌握した演奏とは云ひ難い。(2018.5.14)

"Landmarks of Recorded Pianism"/未発表録音集/リパッティ、ラボール、エリンソン、ローゼンタール、デイヴィス、フンメル、プイシュノフ、コルトー、ニレジハージ [Marston 52073-2]
米Marstonからとんでもないリリースがあつた。"Landmarks of Recorded Pianism"といふ2枚組のアルバムで、未発表、新発見の音源ばかりで構成されてゐるのだ。その中でも1枚目が凄い。リパッティのプライヴェート録音が5曲も、うち初演目が3曲! コルトーがストラヴィンスキーのペトリューシュカを弾いた録音が! 興奮を禁じ得ない。本物なのか? と疑つて仕舞ふほどの衝撃だ。リパッティの録音は1945年から1946年の録音とされる。スカルラッティが3曲、ブラームスが2曲、詳しくはリパッティ・ディスコグラフィーで記したが、音も良く演奏は神品。コルトーの録音は1927年のグラモフォン録音とのことだ。ローゼンタールの新発見録音もある。APR5枚組の録音集成にも含まれてゐない最晩年の1939年録音で、ショパンのワルツ第14番だ。優美にグランドマナーを聴かせ流石だ。ニレジハージが何とシェーンベルクの3つのピアノ小品の第2番を弾いてゐる。何といふ美しいピアノの音だらう。大曲では英國で絶大な支持を得たレフ・プイシュノフがボールト指揮ロンドン交響楽団の伴奏でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を弾いた録音がある。ロシア人としての憂愁と英國好みの高貴な演奏様式が融合した感銘深い名演。掘り出し物だ。盲目のピアニストでヴィトゲンシュタインの師でもあつたヨーゼフ・ラボールがベートーヴェンのピアノ・ソナタ第7番第2楽章を自由気儘に弾いた1921年の録音は相当稀少だ。録音が少ないイソ・エリンソンの弾くショパンのマズルカOp.33-1及びエチュードOp.25-6は1932年のコロムビア録音だ。米國のイヴァン・デイヴィスがシエナのピアノフォルテで弾くリスト「ラ・カンパネッラ」はテレビ放送で、残響なしの環境で指の技巧だけで魅せる。レヴィーンの弟子スタンリー・フンメルが弾くグリンカ/バラキレフ編曲の「ひばり」は切ない感情を表出した特上の名演。(2018.5.12)

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティシェ」/ライプツィヒ放送交響楽団/ヘルマン・アーベントロート(cond.) [BERLIN Classics 0092772BC]
アーベントロートはブルックナーを積極的に取り上げ得意としてゐた。録音も第4番、第5番、第7番、第8番、第9番が残る。アーベントロートのブルックナーは非常に特徴的で一種特別な趣があり、今日的な感覚とは違ふが名演ばかりだ。一言で申せば後期ロマン派としてのブルックナー演奏であり、フルトヴェングラーの流儀に近い。楽器のせいだらうかオーケストラの鳴りは悪く、くぐもつた響きだ。細部に生命を与へるよりも全体を鷲掴みにして、一気呵成に聴かせる。テンポの変動は随所に見られるが強引さは余り感じさせず、ブルックナー休止を活かして、場面ごとでテンポ設定を変へてゐる。これが非常に適切で、神韻縹渺とした美しい弱音はドイツの指揮者ならではの霊感溢れる瞬間だ。逆に派手に金管が鳴る強音ではテンポを煽り、勇壮かつ劇的な効果を上げるが、フルトヴェングラーほど暴れることはなく、自然なのも良い。部分を論つて旧時代の下手な演奏と一蹴することなかれ、全体像においては類ひ稀な名演と心得よ。(2018.5.9)

メンデルスゾーン:イタリア交響曲、シューマン:交響曲第1番、ハリス:交響曲第3番/ボストン交響楽団/セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.) [ARTIS AT020]
40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。クーセヴィツキーは幅広いレパートリーを誇つたが、メンデルスゾーンとシューマンは他に録音がなく、得意とした節もないが、仕上がりは期待以上で上出来だ。特にイタリア交響曲は屈指の名演で、知らぬは損である。軽やかで推進力があり、精緻なアンサンブルを実現し、一筆書きのやうな達筆の演奏なのだ。これ以上の演奏は数少ない。戦前の米國ではトスカニーニのニューヨーク・フィル、ストコフスキーのフィラデルフィア管弦楽団と凌ぎを削つた三大巨頭であり、オーケストラ藝術の頂を聴くことが出来る。シューマンも浪漫的で素晴らしい。緩急や陰影の自然さや美しさは見事で理解が深い。ドイツの指揮者と比較すると幾分詩情に欠ける弱みがあるが、完成度は高い。さて、議論の余地なく良いのは、1939年に作曲、クーセヴィツキーにより初演され、同年録音されたロイ・ハリスの交響曲第3番だ。単一楽章の作品だが5つの部分に分けられる作品で、シベリウスの第7番と様式は近い。荘重でもあり叙情的でもあり、アメリカの要素もある。完全に咀嚼した比類なき極上の名演。(2018.5.6)

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティシェ」/ベルリン・フィル/オイゲン・ヨッフム(cond.) [DG 469 810-2]
権威ヨッフム第1回目の全集録音より。1965年の録音。ヨッフムのブルックナーは極めて動的で浪漫的である。前時代のフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュらの伝統の中から生まれた演奏なのだ。テンポの細かい変動が随所に見られ、デュナミークの変更も巨匠らの演奏に通じるものがある。ノヴァーク版を使用してゐるが、原典重視の姿勢は弱く、顕著な点では第4楽章序盤にベッケンが派手に鳴らされ、レーヴェ改訂版が採用された箇所もある。一言で申せば折衷的な演奏であり、確固たる信念は見られない。だからこそ効果的であり説得力は強い。巨匠らの録音で時に受ける違和感はなく、ブルックナーの音が鳴つてゐるから流石だ。特に全ての声部を偏重なく響かせてをり、滅多に聴こえない音の動きも捉へられるのが嬉しい。訓練と統率力の手腕を誉め讃へやう。イエス・キリスト教会での優秀録音。ベルリン・フィルの荘重な響きがずしりと伝はる名盤。(2018.5.3)

マヌエル・キロガ(vn)/マルタ・レマン(p)/1928年〜1929年パテ録音(14曲) [OUVIRMOS VR0109]
これはスペインで発売された書籍扱ひの商品である。特別な経路で入手した。2冊あり、これは1928年から1929年にかけてパテに吹き込まれた電気録音14曲である。ピアノ伴奏は奥方のマルタ・レマン。キロガの復刻は英SYMPOSIUMにもあり、実はこの14曲は全て重複する。破格の名演、タルティーニ「悪魔のトリル」のカデンツァも収録されてゐる。他ではサラサーテが「アンダルシアのロマンス」「ホタ・アラゴネーサ」「サパテアード」「タランテラ」と多く、名演ばかりだ。これ以上激情的なサラサーテは聴けないだらう。キロガは最もスペイン的な奏者だ。情熱的で感情を爆発させた演奏は比類がなく、機械的な要素は皆無で、どこまでも人間的な演奏をする。バッツィーニの演奏は精密な技巧の追求ではなく、奇怪さを見事に演出してゐる。クライスラー「ジプシーの女」での濃密な表現もまた素晴らしい。(2018.4.30)

メンデルスゾーン:イタリア交響曲、シューマン:交響曲第4番、カゼッラ:パガニーニアーナ/フィルハーモニア管弦楽団/ローマ聖チェリーリア国立音楽院管弦楽団/グィード・カンテッリ(cond.) [EMI 50999 6 79043 2 7]
EMI系列の録音を集成した9枚組だが、録音全集ではなく中途半端だ。あと数枚増やせば全集が収まると思ふのに残念だ。3枚目を聴く。メンデルスゾーンはカンテッリの十八番であり、悪からう筈がない。颯爽として瀟洒で、鮮度が高く、理想的な演奏と云へる。だが、忌憚なく申せば、突つ込みが弱く、優等生の無難な演奏でもある。トスカニーニのやうな説得力には欠けるのだ。当盤に収録されたのは1955年の録音で、カンテッリには未発表の1951年旧録音がある。実はシューマンの方が名演で、フルトヴェングラー盤に匹敵する極上の出来だ。熱情的な推進力、重厚さと切れ味が同居するアーティキュレーション、どす黒い血潮のやうな音色をフィルハーモニア管弦楽団より引き出してをり、カラヤンなど問題にならない。シューマンのロマンティシズムを見事に昇華してをり天晴。カゼッラの曲はパガニーニの諸作品から本歌取りした4楽章制の現代曲でかなりの難曲と感じるが、ローマ聖チェリーリア国立管弦楽団が実に良く訓練されてをり鮮烈な演奏を聴かせる。カンテッリは近現代曲で手腕を発揮したが、実力の程を示す好例だ。ただ、カゼッラの作品自体には面白みはないので伝はり難いかも知れぬが。(2018.4.27)

メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第1番、シューマン:弦楽四重奏曲第2番、スメタナ:弦楽四重奏曲第1番「我が生涯」/ケッケルト弦楽四重奏団 [ORFEO C 318 931 B]
ルドルフ・ケッケルト率ゐるケッケルトSQはベートーヴェンの全集が代表的録音の名門だが、復刻が少なく貴重な1枚。ケッケルトSQはドイツの玲瓏たる古典的な美しさを表現することに長けてゐた。浪漫的な歌で聴かせる魅力は然程でもないが、端正で気品あるアンサンブルが特徴だ。それにしても渋い選曲だ。メンデルスゾーンの第1番は第2楽章のカンツォネッタが大変有名だが、取り上げられる機会は少なめだ。ケッケルトSQに最も合つてゐるのはメンデルスゾーンだらう。上出来だ。シューマンの第2番には名演が少なく、ケッケルトSQの録音は有難い。だが、全体に渋い演奏で夢想する逃避感や情熱的な一途さがなく、薄口の演奏に終始してゐる。残念だ。スメタナはDGへの録音で、許可を得て収録したものだ。セッション録音の為、アンサンブルの精度が高く、仕上がりは最上だ。だが、チェコの団体のやうな献身性はなく、ドイツ的な堅牢な演奏で畑違ひの感が強い。だが、聴き応へのある密度の高い演奏であることは確かだ。(2018.4.24)

シベリウス:交響曲第2番、同第5番/ボストン交響楽団/セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.) [ARTIS AT020]
40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。クーセヴィツキーはシベリウスを得意とした。カヤヌスら本場の指揮者と並んで積極的にシベリウスの録音を敢行したのはクーセヴィツキーである。当時は評判も上々だつたと思はれるが、シベリウスの需要が変容するにつれて浪漫的なクーセヴィツキーの演奏様式は見向きもされなくなつた。ロシア的な解釈で、大きな構へ、重厚な音色、憂鬱な歌、悠然たる運びが特徴なのだが、繰り返し取り上げ咀嚼し切つた自信と発見が聴ける稀代の名演である。孤高のシベリウスの世界を求める向きには怪しからん過去の遺物かも知れぬが、他の巨匠指揮者らの中途半端な演奏から受ける違和感がない。第2交響曲は気宇壮大で英雄的な詩情が素晴らしい。重さは感じず、呑み込まれるやうな激流が押し寄せる名演だ。第5交響曲は精緻さも兼ね備へてをり、豪放磊落なだけではないクーセヴィツキーの良さが知れる。説得力がある理解の深い演奏なのだ。(2018.4.21)

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティシェ」/コロムビア交響楽団/ブルーノ・ヴァルター(cond.) [Sony Classical 88765489522]
渡米後のセッション録音集39枚組。かつてはヴァルターのブルックナー、特にロマンティシェは屈指の名盤として推す人が多かつた。昨今ではヴァルターのブルックナーは見向きもされないといふのが実情だらう。ブルックナー演奏は進化を遂げ、黎明期に名盤として君臨したヴァルター盤は、現在聴くと確かに方向性が異なり、隔世の感がある。だが、一周して却つて新鮮な喜びを与へて呉れる良き演奏だといふことを述べたい。最小編成に近い薄手のオーケストラでの演奏は、重厚な演奏の反動として歓迎される。最大の特徴は音色が明るいことだ。これはヴァルター盤の際立つた特徴で、他では聴けない幸福感が溢れてゐる。そして、歌謡力が素晴らしく、特にチェロの歌心は琴線に触れる。第2楽章の上品で鬱屈のない歌は極上だ。ヴァルターの棒は流麗で見通しが良く、ロマンティックでわかりやすい演奏に仕上がつてゐる。ブルックナーらしさは薄いが、名盤とされた理由は確かにある。飲みやすいワインのやうで一気に飲み干せる。(2018.4.18)

モーツァルト:「フィガロの結婚」序曲、交響曲第40番、オテスク:”De la Matei citire”より2曲/ニューヨーク・フィル/ジョルジェ・エネスク(cond.) [オーパス蔵 OPK 2112/3]
作曲家としてヴァイオリニストとして高名なエネスクの指揮者での稀少な演奏記録。ニューヨーク・フィルに1937年と1938年に客演した際の記録を集成した2枚組。トスカニーニ勇退後、支柱を失ひ迷走を続けたニューヨーク・フィルはチャベス、ストラヴィンスキー、エネスクといつた作曲家を招聘した。指揮台に敬意を求めたのだ。どの指揮者をもつてきてもトスカニーニには劣る為の奇策であつたが、1937年1月31日のエネスクの演奏会は大成功であつた。1枚目にはプログラム前半が収録されてゐる。放送用のアナウンス付き。モーツァルトは序曲も充実の名演だが、悲しみが疾走する交響曲が稀代の名演である。ニューヨーク・フィルの濃厚な合奏と相まつて得難い感銘を齎す。同郷のオテスクの作品は他では聴くこともないから貴重だ。歌劇「デ・ラ・マタイ・シタイア」からの2曲で、湖のシンフォニーと第2幕への前奏曲だ。湖のシンフォニーはプッチーニを想起させる旋律美が特徴で、終盤にはピアノが加はり色彩感が鮮やかだ。第2幕への前奏曲はエネスクのルーマニア狂詩曲第1番を髣髴とさせる民族的な舞曲で、恐らくツィンバロンと思しき郷愁を誘ふ楽器の音色が印象的。(2018.4.15)

ロッシーニ:序曲集(6曲)、メンデルスゾーン:イタリア交響曲/フランス国立管弦楽団/イーゴル・マルケヴィッチ(cond.) [EMI/ERATO 0825646154937]
マルケヴィッチのEMI系列の全録音を集成した18枚組。ロッシーニは「セビーリャの理髪師」「絹のはしご」「ギョーム・テル」「泥棒かささぎ」「アルジェのイタリア女」「チェネレントラ」の6曲で、切れ味のある爽快な名演揃ひだ。軽さや明るさを追求した演奏ではなく、管弦楽曲としての手応へを聴かせた演奏なのだが、軽さと明るさを兼ね備へてゐるから全くもつて死角がない極上の演奏なのだ。特に「セビーリャの理髪師」「ギョーム・テル」「チェネレントラ」の3曲は鳴りが立派で、聴き手を奮ひ立たせる昂揚感もあつて素晴らしい。残りの3曲は幾分優美さに欠けて感銘が劣る。メンデルスゾーンも良い。颯爽として凛々しいマルケヴィッチの美質が存分に発揮された名演だ。惜しむらくは1955年のモノーラル録音の為に広がりに欠けるのと、復刻のせいなのか、存在感が乏しい。後年に日本フィルとの名盤があり、比べると当盤の演奏はかなり感銘が弱い。(2018.4.12)

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第4番、同第11番、同第30番/サムエル・フェインベルク(p) [Classical Records CR-076]
露Classical Recordsはフェインベルクの復刻を行ふ頼もしいレーベルだ。第2巻はベートーヴェンのソナタ集だ。フェインベルクのベートーヴェンは因習に捕らはれない非常に個性的な演奏である。丁度指揮界におけるムラヴィンスキーと好一対だ。ドイツ的な堅苦しさや生真面目さはなく、泥臭ひ様子もない。清明といふのとはまた違ふ、達観した演奏が面白い。バッハを得意としたフェインベルクならではの高尚で形而上学的なベートーヴェンである。選曲も実に渋い。高齢故に技術は時に頼りないこともあるが、一風変はつた節回しで乗り切る。フェインベルクが妙味を発揮するのは緩徐楽章で、奇しくもcon gran espressioneとかcon molta espressione、或いはespressivoと表記された楽章の深淵さは一寸次元が異なり、含蓄がある。フェインベルクの選曲の所以は此処にあつたのだらうか。(2018.4.9)

ハイドン:交響曲第22番「哲学者」、同第23番、同第24番、同第25番/フィルハーモニア・フンガリカ/アンタル・ドラティ(cond.) [DECCA 478 1221]
ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。ハイドンの交響曲をドラティ盤で1番から順番に聴いて、哲学者といふニックネームで知られる第22番に至つた時は少なからず衝撃を受けた。第1楽章の独創的な雰囲気と響きはそれ迄の作品と一線を画す斬新さがあつたからだ。オーボエなしのコールアングレ2本といふ編成は古今東西を通じてこの曲だけだらう。躍動的で壮麗な第2楽章は楽想と展開が見事で聴き応へがある。第3楽章と第4楽章は響きの面白さはあるが、楽想に目新しさはない。第23番では特に第1楽章が様々な仕掛けが目紛しく施された前衛的な傑作だ。反面、それ以降の楽章が不釣合ひに凡庸だ。第4楽章の最後がピッツィカートで呆気なく終はるのは面白いが。第24番が充実した名曲だ。転調の展開が緊張感に充ちた第1楽章、フルート協奏曲のやうな第2楽章は特に傑作だ。第25番は3楽章制で最初期の作品とされる。第1楽章が異形で、長大なアダージョの序奏の後にアレグロ・モルトの快活な楽想が続く。この急速な楽曲が爽快で良い。ジュピター音型に似たフガートの第3楽章も良い。(2018.4.6)

ヴィラ=ロボス:ショーロ第11番/アリーヌ・ヴァン・バレンツェン(p)/フランス国立放送管弦楽団/エイトル・ヴィラ=ロボス(cond.) [EMI CZS 7 67229 2]
ブラジルの国民的作曲家ヴィラ=ロボスが晩年の1950年代にフランス国立放送管弦楽団を指揮して記録を残した自作自演6枚組。これは初期盤だが新装盤も出てゐる。5枚目を聴く。ピアノと管弦楽のための大規模な作品、ショーロ第11番は演奏時間1時間の大曲だ。ピアノ協奏曲といふ定義には当て嵌らず、ピアノの音響を主軸にした壮大な交響詩のやうな作品だ。ピアノはバレンツェンで大活躍だ。管弦楽は幾分混沌としてゐるが雰囲気は良い。楽想が次々と変はるので印象には残らない曲だが、映画音楽のやうな楽しみ方をすれば色彩的な音画に浸れる。兎に角極彩色の派手な曲だ。余白にヴィラ=ロボスへのインタヴュー「ショーロとは何か」が収録されてゐる。(2018.4.3)


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