蒐集した音楽を興じて綴る頁
2023.3.30以前のCD評
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DG録音全集121枚組。1987年のライヴ録音で、この曲の決定的名演と謳はれる有名な録音だ。マーラーの伝道師として質・量ともに先頭を走つてゐたバーンスタイン渾身の演奏で、ウィーン・フィルの耽美的な表現が作品の本質を抉る。細部までマーラーの指示を汲み取り、ライヴとは思へぬほど精緻な演奏を貫いてゐる。それなのに、感興も乗つてをり緩急も自在、欠けることのない無敵の演奏なのだ。この曲の第一選択として同じく一票を投じよう。ただ、個人的にはバーンスタインの才気煥発で開放的な性質がマーラーの鬱屈さを襞まで表現しきれてゐない気がする。粗くてもミトロプーロスが聴かせた真剣勝負を上位に置きたい。(2023.9.27)
RCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。1951年、最初期のモノーラル録音。メニューインとの共演記録はこれが唯一だ。メニューインはブルッフを大変得意にしてゐて、最初の協奏曲録音もこの曲であつた。何種類も録音してゐるが、粘度が高い名演ばかりで、当盤でも熱量が高い名演を繰り広げて呉れる。だが矢張り最初のロナルド共演盤が一番良い。さて、ミュンシュはシューマンの第1交響曲をRCAヴィクターに2回も録音した。この旧録音は音質の面で価値が落ちるが、内容は優れてゐる。新盤の特徴であつた派手な明るさはなく、正統的な力強いロマンティシズムが聴ける。よりシューマンの音楽に近いのは旧盤なのだが、その分、没個性の嫌ひがある。(2023.9.24)
コロムビア録音全集77枚組。1954年のモノーラル録音。コロムビア交響楽団とクレジッットされてゐるが、ニューヨークでの録音なので実体はニューヨーク・フィルだと思はれる。これら3曲はステレオでの再録音がなく貴重だ。ト短調交響曲はウィーン・フィルとの狂乱のライヴ録音があり、比べると大人しい善人の演奏と云へる。とは云へ、第1楽章の緩急を伴つた解釈は他の指揮者からは聴けない内なる炎である。後半楽章が温く退屈なのが残念だ。第28番が珍しい演目で注目だ。上品で風格のある演奏はこの曲の決定盤である。第29番もこの曲の第一等に挙げられる名演だ。特に第2楽章の秘めやかな歌の美しさはヴァルターの至藝である。快活で颯爽とした両端楽章も軽さが良い。(2023.9.21)
1950年に30歳といふ若さで病死した幻の才女タマルキナの録音集成3枚組2枚目。独奏では大変珍しいシューマンの作品111を取り上げてゐる。美しいが何処か落ち着きのない難解な曲集を溢れ出る情感で見事に表現してゐる。絶品だ。フランクのソナタはコソルポワのヴァイオリンに色気があり、かつ力強さも兼ね備へた名演を披露してゐる。タマルキナのピアノは情熱的で第2楽章コーダの昂揚は尋常ではない。ブラームスが極上の名演だ。ボリショイSQも素晴らしいが、タマルキナの熱く重厚なピアニズムが主導する。密度の高いスラヴ流儀の名演なのだ。(2023.9.18)
ゾルターン・セーケイとハンガリーSQの録音集8枚組。5枚目。ベートーヴェンとバルトークは1968年12月20日、ブダペシュト音楽院でのライヴ録音。活動後期の演奏だが、非常に卓越し充実した名演の連続で頭が下がる。ベートーヴェンの第1楽章と第2楽章の疾風のやうな切り込み、曲を手中に納めてゐるからこそ可能な緩急自在の表現に舌を巻く。セッション録音でも鮮烈な名演であつた。ラズモフスキー第1番ではハンガリーSQを第一等に推す。バルトークは切り札と云へるレパートリーで血肉と化した演奏は他の追随を許さない。ライヴ録音で斯様に振り切れた抉りを聴かせるのは並大抵ではない。ハイドンは1946年のHMVへのセッション録音。セーケイの妙技が冴える逸品である。余白にメンバーによる語らひが収録されてゐる。(2023.9.15)
英バルビローリ協会全面協力の下、遂に出た渾身の全集109枚組。バルビローリのレパートリーで、英國音楽、北欧音楽と並んで支柱と云へたのがマーラーだ。1969年、最後期のセッション録音のひとつで、ハレ管弦楽団ではなく格上のニュー・フィルハーモニア管弦楽団を起用したのも、この録音への意気込みが感じられる。しかし、結果は芳しくない。最晩年の録音といふこともあり、落ち着いた情緒豊かな演奏であり、静謐と形容しても良い。反面失つたものも多い。覇気が薄くテンポも遅いままで起伏を感じられない。アダージェットも耽美的で美しいが訴へ掛ける力は弱めだ。室内楽的なマーラーで部分的には世紀末藝術の美を堪能出来るが、総じて感銘が薄いと云はざるを得ない。(2023.9.12)
マーキュリー録音集成10枚組。オリジナル仕様による決定的復刻だ。内容が最も優れてゐるのはこの1枚だらう。マルティヌーの変奏曲が圧巻で、究極の名演である。鮮やかな切れの技巧、粘つた濃い表現、躍動するボウイングの確かさは驚異的だ。バルトークも血肉と化した決定的名演。この作品を取り上げる奏者は稀で競合盤は見当たらない。師ヴェイネルの作品は稀少価値もあるが、民族色豊かな表現は他の奏者の及ぶ処ではない。メンデルスゾーンとショパンでも燦然たる技巧が冴える。これら初期ロマン派作品にしては音色が強靭で楽器の生音が臆面もなく強調されるが、これだけ巧ければ抒情性が足りないなどと難癖を付けるのは野暮の骨頂だ。ドビュッシーのソナタも異色の明晰な演奏だが、原初的な力強さに魅了される名演だ。(2023.9.9)
RCA録音全集。ジャニスはラフマニノフやリストなどの華麗な技巧を聴かせる曲で凄みを発揮した。ショパンも勿論水際立つた素晴らしさだが、一頭抜きん出た個性や詩情で玄人を唸らせるほどではなかつたと感じる。葬送ソナタは構成力の優れた名演で暗い語り口が良い。次いでスケルツォ第3番も勇壮さで傑出してゐる。マズルカの憂ひも美しい。但し、繰り返して云ふが記憶の刻まれるやうな個性には欠ける。(2023.9.6)
ベームの代表的名盤であるモーツァルト交響曲全集。三大交響曲ともなると名演が揃ひ踏みしてゐるので、ベーム盤を敢へて推すことはない。ベルリン・フィルの極上の演奏は比類ないが、ベームの棒に閃きはなく、安心して聴けるが何度も食指を動かされるやうな演奏ではない。但し、第40番は極めて珍しいクラリネット・パート加筆前の第1稿での演奏なので重宝される。ベームは第1稿での演奏を常としてゐた。木管楽器の個々の音色が粒立つて聴こえる面白さがあるのだ。(2023.9.3)
DG/Decca/Philips全集25枚組。22枚目。1952年のDeccaへのモノーラル録音。これは2つのアルバムから成る。前半のバウムガルトナーとのボッケリーニ、ヴィヴァルディ、クープランは後にDGにも同じくバウムガルトナーと再録音をしてゐる。フルニエは常に安定した出来を聴かせるので、優劣は付けにくいのだが、この旧盤の方が表現に熱量があつて好ましい。新盤は高貴であり格調高い。好き好きだが大差はない。後半はラッシュとの小品集。演目はバッハ「我心より焦がれ望む」、ブロッホ「ニグン」、クライスラー「クープランの様式によるルイ13世の歌とパヴァーヌ」、ドビュッシー「美しき夕暮れ」、フォレ「糸を紡ぐ女」、ガーシュウィン「3つの前奏曲」より2曲目、ニン「グラナディーナ」。ブロッホは薄口で、珍しいガーシュウィンも洒落過ぎて良くないが、それ以外は貴族的な美しさが滲み出た名演である。(2023.8.31)
ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。記念すべき録音である。ライナーとシカゴ交響楽団の記録は1954年3月に録音された「英雄の生涯」から始まつた。これはリヴィング・ステレオの始まりでもあつた。全てが驚異の連続で黄金時代とはこのことを云ふのだらう。間合ひの少ない直截的な演奏で爽快極まりない。起伏ある演奏を好まれる向きには物足りぬのかも知れぬが、ライナーの個性が強く出たこの曲屈指の名盤であることに異議はあるまい。天晴。(2023.8.28)
ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。ウエストミンスター・レーベルは全集録音の企画に優れてゐたが、モーツァルトの弦楽四重奏曲や五重奏曲は複数の団体に振り分けて仕舞つた。頭角を現してきたアマデウスSQに名曲第4番を吹き込ませたが、忌憚無く申すと残念に思ふ。颯爽とした近代的な奏法と表現主義的な解釈を融合させた団体だが、個性が定着せず、このモーツァルトも常套的な演奏の域を出ない。一方、コンツェルトハウスSQによる第6番は個性が全開で、唯一無二の仕上がりなのだ。最晩年のモーツァルトが書いた簡素極まりない刺激の薄い曲を、甘美な音色と蠱惑的な歌ひ回しだけで料理して仕舞ふのだからおいそれと真似なぞ出来ない。熟成された味はひに舌鼓が止まらない。(2023.8.24)
DG録音全集121枚組。1984年のライヴ録音。ウィーン・フィルの優美さとバーンスタインの溌剌さが程良く混じつた絶妙な演奏だ。特に第1番が良い。跳ねるリズムや輝かしい響きはバーンスタインが引き出した音だ。屈託のない力強さがあり、この曲の名演のひとつだらう。第4番は感銘が落ちる。軽過ぎるのだ。前進する推進力は良いのだが、憂ひがなく詰まらない。(2023.8.21)
管弦楽と協奏曲の録音全集95枚組。3枚目。1954年10月5日からスタジオ録音を開始したジュピター交響曲こそは、クレンペラーがフィルハーモニア管弦楽団に就任して最初の記念すべき演目であつた。非常に力強い演奏で、嫋やかな表情は皆無だ。細部は雑だが、熱情があり自信と説得力に溢れてゐる。そは北欧神話オーディンと形容出来よう。同時に録音された第29番は感銘が落ちる。優美に演奏されることが多い曲だが、クレンペラーは北ドイツ風の硬く威張つた演奏で我が道を貫く。個性的で良いのだが、フィルハーモニア管弦楽団の精度がまだ低く、無骨で素つ気なく雑然とした演奏でしかない。細部の仕上げに粗が見える。再録音が素晴らしいので、この旧盤は価値が薄い。(2023.8.18)
やうやう集成されたコロムビア録音全集17枚組。盛期を過ぎた頃の録音で何とも不格好な演奏だ。スプリング・ソナタは重く暗い異形の演奏だ。悲劇的なシゲティの個性が存分に出てゐるが、音楽が流れず良くない。ホルショフスキも迎合し過ぎだ。幾つかある録音の中で本当に素晴らしいのは、シュナーベルとのライヴ録音だ。イ長調ソナタも爽快な抜け感はなく訥々と語る。流れが悪く途切れ勝ちだが、一方で深みを発見出来るのがシゲティの極意なのだ。両曲とも緩徐楽章で聴かせる寂寥感は他の奏者では出せない味だ。(2023.8.15)
34枚組。ソフロニツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく偉業と云へよう。生前は幻のピアニストであり、21世紀になつてからやうやく全貌が知れた。それにしてもこんなにも録音があるとは驚きだ。1枚目。究極とされたスクリャービンだ。死の前年1960年1月8日と5月13日に行はれた状態の良いセッション録音で、ソフロニツキーの霊妙なタッチが聴き取れる。全36曲分が収録されてゐるが、大曲ではピアノ・ソナタ第4番、悪魔的詩曲と悲劇的詩曲、ワルツOp.39くらゐで、他は1分前後の短い小品ばかりだ。明滅するテンペラメント、夢見るやうな詩情、暗い情熱に憑かれた焦燥感、別格の世界へと誘ふ。秘教の儀式と云へよう。他の奏者のは比べ物にならない。(2023.8.12)
稀少価値が高いデトロイト交響楽団時代のライヴ録音2枚組。2枚目。1959年11月12日の公演記録で、まさかのマーラーだ。全く想像がつかない。怖くもあり、楽しみでもある。第1楽章は何とも気乗りのしない散漫な演奏で、アンサンブルも緩い。所詮畑違ひでこの程度だらうと高を括つてゐるとしてやられる。第2楽章からの音圧の激変に腰を抜かす。演奏自体は豪快に荒ぶれたパレー流儀なのだが、デトロイト交響楽団が猛然と応へるのが凄まじい。特に主旋律以外を担当してゐる楽器たちが遠慮なく音楽を盛り立てて行くのでマーラーらしからぬ音響に唖然とするのだ。第3楽章でも勢ひが止まらない。弛緩することなく暴れ回る。第4楽章は濃厚な歌ひ込みでパレーの唸り声も入る。第5楽章は総仕上げと云はんばかりに力走する。矢張りパレーは面白い。(2023.8.9)
1959年2月にMetで「マクベス」が初めて上演されることになつた。様々なアクシデントがあつたやうだが、無事に公演に漕ぎ着けた。準備中に歴史に残る名演になることが予想されたのだらう、中核となるキャストは全く同じ顔ぶれでセッション録音が組まれ、公演と前後する形で仕上がつた。さて、問題はライヴ録音と比べて何方が優れてゐるかといふことだが、断然ライヴ盤の方が良く、このセッション録音は音質以外に勝ち目はない。同じ演者による録音とは思へないほど、大人しく交通整理に徹した演奏なのだ。偏にラインスドルフが守りに回つたからだらう。悪い癖が出た。(2023.8.6)
20世紀初頭に活躍した大物バリトン、ルッフォの録音集成第2巻。2枚組の2枚目。12曲分が絶頂期1915年までの録音で、残りの11曲分は戦後の1920年の録音だ。ヴェルディでは「オテロ」から2曲、「ナブッコ」「運命の力」「仮面舞踏会」「リゴレット」を吹き込んでゐる。呪詛のやうな「オテロ」、切々と歌ひ上げた「仮面舞踏会」が取り分け絶品だ。フランス物では「ファウスト」「アフリカの女」を2曲ずつと「ハムレット」を吹き込んでゐるが領分ではない。歌曲ではシューマン「二人の擲弾兵」が最高だ。雄々しい武人振りはルッフォだけの持ち味で底力に圧倒される。1920年の録音は幾分覇気が落ち説得力の強引さはなくなつた。ルッフォは朗々と歌ふより豪快な方が光る。(2023.8.3)
没後50年記念54枚組。3度目となる大全集で遂にオリジナル・アルバムによる決定的復刻となつた。7枚目。活動初期に極めて異色と云へるバッハ・アルバムを制作してゐるのは興味深い。以降、正規録音でバッハは取り上げてゐないので貴重だ。BWV.564、BWV.639、BWV.734がブゾーニ編曲、BWV.543のみリスト編曲だ。オルガン曲のトランスクリプションとしては定番の有名曲ばかりだが、フランソワらしい個性が聴けるので面白からう。生々しいピアニズムで、色気と生気が溢れ出てゐる。硬めの粒が立つた派手なタッチで敬虔な祈りの感情などは微塵もない。美しい抒情的な旋律も何処か洒脱だ。バッハ弾きの演奏とは同列に比べられないが、個性を楽しめるのだ。(2023.7.30)
モントゥーのRCA録音―米國での録音―全集40枚組。2枚目。最初のセッション録音である1941年4月の続きと1942年3月の録音で―この他には「シェヘラザード」が録音された―、この後は戦争が激化したので1945年まで録音はない。フランクのオルガン曲をオコンネルが編曲したのは極めて稀少価値がある。崇高な趣で美しい演奏だ。再録音のないダンディの秘匿の交響曲は今もつて決定的名盤と云へよう。ヴァグネリアンであつたダンディの一面が伝はる。RCA契約直後におけるダンディへの入れ込み様は興味深い。血が騒ぐ熱演であるラロの序曲はパレー盤に次ぐ出来栄えだ。抒情的な旋律が情感豊かに歌はれてをり美しい。以上はBMGから復刻があつた。ドビュッシーは後に全曲で録音を制作したこともあり、復刻機会のなかつた音源だ。再録音があるので一般的な価値はない。リムスキー=コルサコフの行進曲も初めて聴くが、何とも朗らかで陽気な名演である。(2023.7.27)
Naxosの好企画「日本作曲家選輯」の1枚。近年まで存命だつた別宮の名作が聴ける。前衛派とは距離を取りつつもミヨーやメシアンら近代フランス音楽の洗礼を受けた別宮の作品は繊細で洒脱、淡めだが多彩な色合ひの移ろひを聴かせる。刺激的な驚きはなく、模倣の域を出ることはないのが弱点だが、貴族的な節度が心地良く、隠れた名品であることに気付くであらう。第1番は映画音楽も多く手掛けた別宮の強みが出てゐる。第2楽章と第4楽章に登場する行進曲の主題は印象的だ。第2番は内省的な晦渋さがあるが、和声の妙があり見事だ。(2023.7.24)
愛好家を驚愕させたmelo CLASSIC。バックハウスは生涯を演奏活動に捧げたが、それにしてはライヴ録音が多くは残らないし、演目も変はり映えしない。ベートーヴェンのソナタ3曲は1953年5月19日の記録で、パリのサル・ガヴォーでの公演だ。得意とした3曲だけに他にもライヴ録音が残り、この日の演奏が格別優れてゐるとは云へない。1953年8月14日の記録であるブラームスの五重奏が大変貴重だ。バックハウスの室内楽は極めて少なく、シューベルト「ます」とフルニエとのブラームスのソナタしかなかつた筈だ。さて、内容は散漫で然して良くない。残念なことだ。アマデウスSQとの相性もあるが、バックハウスが面白くないのもあるだらう。(2023.7.21)
Guild Historicalによる録音が極めて少ない指揮者ブッシュの貴重な遺産の復刻シリーズで、ストックホルムでの記録を集成した1枚だ。ブッシュは一時期ストックホルム・フィルの首席指揮者を務めてをり縁がある。ストックホルム王立歌劇場管弦楽団とのモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」序曲を除いては唯一の演目ばかりで貴重な1枚である。ヒンデミット、ラーション、レーガーは1949年12月4日の公演記録である。ヒンデミットは雑然としてゐるが精力的で面白く聴ける。ラーションの作品は情動的で良い。ブッシュがオーケストレーションを施したレーガーの作品が晦渋だが意欲的だ。演奏として最も感銘深いのはルイス・クラスナーとのベルクだらう。ベルワルドの序曲はシューベルト風で新奇な点はないが、音楽は躍動してゐる。(2023.7.18)
ヴィヴァルディ「四季」の先駆的な録音を行つたカウフマンは、今日においても秘曲と思はれるテレマンの作品を果敢に録音をした。尊敬すべきことだ。コンサート・ホール・レーベルへの録音で、デニス・スティーヴンス指揮コンサート・ホール室内管弦楽団の伴奏だ。ヴァイオリン協奏曲と云つてもコンチェルト・グロッソのやうな趣で、独り舞台ではなく様々な楽器との掛け合ひが楽しい。組曲は正にコンチェルト・グロッソで、華麗で優美な楽想を堪能出来る。どちらも6楽章から7楽章もある。さて、かつてモーツァルトのアデライーデ協奏曲とされたカサドシュによる偽作ではカウフマンの妖艶な音色に酔ひ痴れることが出来る。伴奏のアッカーマンも良く、様式美を超えて演奏は抜群なのだ。(2023.7.15)
EMI録音全集22枚組。3度目の全集でオリジナル仕様になり決定的復刻になつたと云へよう。2枚目。EMIへの正規録音開始前、BBC放送局での演奏記録である。ヘンデルのソナタはオーボエ協奏曲第3番を編曲したもので、1961年、デュ=プレの最古の記録である。クープランはチェロの二重奏で、恩師ウィリアム・プリースとの共演だ。これらは演目としても貴重だ。さて、デュ=プレが特別な思ひ入れをもつて演奏したブラームスのソナタが興味深い。エディンバラ音楽祭におけるライヴ録音で、10代のデュ=プレのひたむきな演奏が鮮烈だ。(2023.7.12)
ミトロプーロスの放送録音集第1巻4枚組。3枚目。シューマンは1953年11月15日の放送録音、シュトラウスは1947年11月23日の放送録音だ。シューマンは重厚な響きと衝動的な推進力による名演だ。音楽に熱気が帯びて来るとテンポも自在に変動し、ロマン派音楽の精髄を楽しめる。第3楽章コーダの崩れ落ちるやうな表情は名人藝だ。アルペンを得意としたミトロプーロスはウィーン・フィルとも名演を残したが、当盤の演奏も圧巻だ。底力のある壮大さが素晴らしい。ニューヨーク・フィルの威力を発揮した名演だ。(2023.7.9)
DG録音全集24枚組。作品31の3曲を纏めたアルバムだ。中期傑作の森の前夜、初期作品の最後を飾る名品揃ひを、晩年のギレリスが滋味豊かな丁寧さで紡ぐ。幻想的で暗い情熱が漂ふテンペストのやうな楽曲だと物足りなさを感じる。軽快な第18番は打つて付けだが、愉悦が足りないので小粋さだけが際立つ。上品に仕上げた第16番は個性的な名演だらう。どの曲でも緩徐楽章の成熟した語り口が兎に角聴き応へがある。(2023.7.6)
英TESTAMENTによるカンテッリがNBC交響楽団と行つた放送用演奏会の商品化で、その日の放送ごとに纏めた好企画盤。第3巻の3枚目を聴く。ヴィヴァルディからストラヴィンスキーまでが1951年1月15日の放送だ。ヴィヴァルディは浪漫的にべたついた演奏で良くない。ブラームスは好演だ。聴き物はドビュッシーである。情念と神秘的な崇高さが表出された名演で見事だ。ストラヴィンスキーは流石NBC交響楽団で、天晴れな出来栄えだ。モーツァルトとドン・ギリスは1951年1月22日の放送だ。得意としたイ長調交響曲は極上の名演で、NBC交響楽団の巧さが際立つ。第2楽章の優美な寂寥感は絶品だ。ドン・ギリスの作品は印象主義的な美しい名品だ。演奏も情感があり素晴らしい。(2023.7.3)
1965年11月30日、シャンゼリゼ劇場におけるライヴ録音。大問題の演奏会の全貌が聴ける。まず、未完の第14コントラプンクトゥスをシェルヘンが補完編曲したバッハが大変興味深い。現代音楽に接近した響きを聴くことも出来、シェルヘンの思惑を楽しみたい。超調性を掲げたバリフの作品は今日においても難解な現代音楽だ。さて、マーラーの第5は大変有名な演奏で、終演後のブラヴォーとブーイングの応酬が凄まじい。第1楽章展開部からのテンポ激変は序の口で、傍若無人以外の何物でもない第3楽章のカットに唖然とする。僅か6分弱で簡素な3部形式に縮まつてゐるのだ。これなら丸ごとカットした方が潔よからう。第5楽章でも凄まじいカットがあり、猛烈な快速テンポによつて10分以内に終はるのだ。だが、中でも異様なのは第4楽章だ。13分もかかる遅さで、表情付けも嫌らしく停滞し、うんざりして仕舞ふ。兎にも角にも、演奏史に残る問題作。下手物好きなら必聴だらう。(2023.6.30)
オリジナル・ジャケット・コレクション全集103枚組。ハイフェッツの本領はロマンティックな楽曲で発揮され、古典音楽だとだうも据はりが悪い。ベートーヴェンのソナタ全曲録音は申し分のない演奏ばかりだが、特筆するほど良い点はない。表現は微細に至るまで極め尽くされてゐるが、内面的な要求が弱く感じる。第1番は同時期に録音されたシゲティの猛然とした取り組みの方が様式美を壊してゐるのに心に残る。逆にハイフェッツの方が守りに入つたやうな印象すら受ける。ベイの伴奏に主張がないのも良くない原因だらう。(2023.6.27)
ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。13枚目。スカルラッティはアルバムA15で括られる1946年の録音で、7曲分収録されてゐる。全ての曲で再録音があるが演奏は無論最高である。さて、モーツァルトの録音なのだが、だうも良くない。メイエはラモー、クープラン、スカルラッティ、そしてバッハで清楚さと古雅を織り交ぜた稀有な名演を残したが、根底は官能的な寂寥感にあつたと感じる。処がモーツァルトの演奏では情感に足を取られ、音楽の輪郭が滲んでゐる。細部は美しいが音楽が逃げて仕舞つたやうに感じる。輝きの少ないモーツァルトなのだ。(2023.6.24)
新生Biddulphの瞠目すべき復刻。戦前のチェリストにはカサルス以外にも聴くべき名手は多い。フォイアマン、カサド、マレシャル、そしてサモンドだ。あらゑびすの著作で僅かに記載があるばかりで看過してゐたが、この復刻で再評価に繋がるに違ひない。サモンドは室内楽奏者として絶大な成功を遂げ、バウアー、フーベルマン、ターティスとの四重奏や、パデレフスキ、ジンバリストとの三重奏など豪華絢爛な取り合わせに歎息が出る。2枚組の1枚目。注目はグリーグのソナタだ。雄渾さと抒情美が交錯した絶品なのだ。夢見るやうな「春に寄す」も美しい。気品溢れるベートーヴェンのソナタも良いが、魔笛変奏曲の朗々たる余裕が素晴らしい。ショパンのソナタから第3楽章ラルゴを演奏してゐるが幻想的で見事。小品が全て良い。バッハのアリオーソの人肌の温もり、シューマン「トロイメライ」「夕べの歌」の訥々とした語り口はヴァイオリンのクーレンカンプの藝術と一対を成す。(2023.6.21)
没後50年を記念して集成された管弦楽と協奏曲録音全集65枚組。クリュイタンスの十八番ラヴェルだが、これらは1953年のフランス国立管弦楽団とのモノーラル旧録音である。ボレロを除いて英テスタメントから素晴らしい復刻があつた。結論から申すと、矢張りコンセール・ヴァトワールとのステレオ新録音が全ての点で良く、蒐集家以外には不要だらう。とは云へ、この旧盤は管楽器の音色が不揃ひで精度が低いが、各奏者らに人間味があつて色気があり、一種不思議な魅力があるので面白く聴ける。(2023.6.18)
DG録音全集121枚組。1982年のライヴ録音だ。自家薬籠中としたアメリカ物で組んだプログラムが悪からう筈がないのだが、有名なコープランドとバーバーの演奏はだうも踏み込みが弱く、感情が稀薄で然程感銘を受けない。勿論、安定感のある高水準の演奏なのだが、古典となつたかのやうなルーティン志向の演奏で面白くないのだ。その点、W・シューマンと自作自演の序曲は活きが良く絶品だ。本領発揮の名演と云へる。(2023.6.15)
コロムビア録音全集77枚組。1953年の上質なモノーラル録音。後のステレオ録音と比較しても音質面で歴然たる差があるとは感じない。寧ろヴァルターの精気や、何よりもニューヨーク・フィルの力量の差で、この旧盤の方が圧倒的に良いと感じる。モーツァルトにしては威圧的かも知れぬし、浪漫的過ぎるかも知れぬ。だが、歌心溢れ、推進力があり、優美さをも兼ね備へた演奏には桁違ひの説得力がある。特に壮麗なハフナー交響曲は屈指の名演だ。(2023.6.12)
奇才グレインジャーのSP時代独奏録音全集5枚組。2枚目。復刻が少なかつたアコースティック録音集だ。小品ばかりだが、リストの「ハンガリー民謡の主題による幻想曲」を管弦楽伴奏で録音もしてゐる。とは云へ、粗末な吹き込みで大して価値はない。矢張り何度も録音してゐるグリーグがどれも素晴らしい。また、マグダウェル「水連に寄す」やシャルヴェンカ「ポーランド舞曲」などを吹き込んでゐるのはグレインジャーらしい。それ以上にデット「ジュバ・ダンス」、ギオン編曲「オクラホマミキサー」は他では聴けない一種特別な選曲だ。そして、自作自演が滅法面白い。「チャイコフスキーの花のワルツ・パラフレーズ」は実に聴き応へがある。「浜辺のモリー」他は後年に再録音があるので、これら機械録音は蒐集家以外には不要だ。(2023.6.9)
作曲家ブリテンは卓越した指揮者かつピアニストであり大量の自作自演が残るが、生誕100年を記念して何と自作以外での演奏記録を集成した27枚組が出た。モーツァルトの演奏は正しく英國紳士による格式を重んじた中庸美を聴かせる。従つて、ト短調交響曲は穏健で情緒面では非常に物足りなく感じるだらうが、合奏自体は充実してゐる。イ長調交響曲が気品と余裕があり理想的な名演だ。色気が幾分足りないが、細部まで上質さを追求した屈指の名演と云へる。セレナードも格調高いが、特殊な編成が意図する無骨さも欲しい。上手いが感銘が薄いのだ。(2023.6.6)
1960年1月2日カーネギー・ホールでのライヴ録音。マーラー生誕100年の劈頭を飾る渾身の名演だ。もがき苦しむ第1楽章の抉りからして、この演奏が只事でないことを示す。七転八倒する第2楽章の闘争も凄まじい。明滅する第3楽章の狂気めいた対比も見事。第5交響曲では衣鉢を継いだバーンスタインの演奏が赤裸々と評価が高いが、ミトロプーロスの本気度に比べると皮相に感じるほどだ。第5楽章は起伏が大きく個性的だが、浮つかず力強い運びに好感が持てる。アダージェットは止まりさうなくらゐ遅い。これはマーラーの意図とは異なると感じるが、官能的な溜息となり美しい。かなり深刻で聴き手を否応なく呑み込む破格の演奏だ。(2023.6.3)
ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。バリリSQが最も良い相性を示したのは、これらモーツァルトの初期作品と云へよう。それだけに全集録音が行はれなかつたことが悔やまれる。豊麗な弦楽の響きの中でバリリが熟れた歌を奏でる。極上だ。ミラノ四重奏曲第5番と第6番では矢張り前者の第2楽章、ト短調に転じた深みが印象的だ。ウィーン四重奏曲第1番と第2番は、ハイドンの影響を如実に受け4楽章制への取り組みが聴ける。フガートを多用するなど随所に試みがある。(2023.5.30)
DG録音集21枚組。寄せ集めの編集だが、破格の名演揃ひだ。モーツァルトのファゴット協奏曲をバソンで楽しむのは邪道かも知れぬが、色気のある高音が甘く艶やかに鳴る誘惑には抗し難い。発音の機動性で一歩譲るし愛らしさに欠けるが、バソンの音色には明るく雅、かつ婀な趣があり、epicureanな演奏に暫し酔ひ痴れることが出来る。コンセール・ラムルーの伴奏にもフランス流儀の音楽が充溢してゐる。名手アラールによる録音は他のファゴット奏者らの録音に冠絶する決定的名演。ハイドンはコンセール・ラムルーの首席奏者らの瀟洒な演奏が見事。管弦楽の伴奏も色気があるフランス風の名演でドラティ盤と双璧を成す完成度なのだ。見落とされてゐる方も多いだらう。チマローザはニコレとデムラーによる決定的名盤。独奏が最高なのは勿論だが、マルケヴィッチの棒とベルリン・フィルの伴奏が決まつてゐるのだ。冒頭から愉悦が溢れ出してをり、小躍りしたくなる。シューベルトはベルリン・フィルの圧倒的な実力が冴える。黒光りする重厚な音色と、高貴で格調高きフレージングを引き出し、一際次元の高い名演を成し遂げた。生命力を迸らせた両端楽章は随一の名演だ。第2楽章や第3楽章トリオの情感溢れる表現も絶品。(2023.5.27)
米國でのヴィクター録音全集5枚組。5枚目。絶大な人気を誇つたパデレフスキの実質引退直前の録音である。全盛期は疾うに過ぎてゐたが、聴き手を魅了する力は不思議と衰へなかつた。ショパンのポロネーズ第2番の呪術的な陰鬱さは見事で、空気を変へる力がある。ノクターン第2番の枯れた美しさも良い。得意としたドビュッシーも実に味はひ深い。2種類吹き込んだシュトラウス「人生は一度だけ」は表情豊かな名演だ。ブラームスのハンガリー舞曲第6番と第7番は磊落な交響的演奏で面白く聴ける。米國での最後の録音、シューベルトの楽興の時第2番が何ともしんみりした寂寥感があり、不思議な魔力がある。余白に没年1941年に残されたスピーチが収録されてゐる。(2023.5.24)
RCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。ミュンシュはフランス音楽とドイツ音楽を両輪として生命力溢れる演奏を繰り広げた。シューベルト、メンデルスゾーン、シューマンら初期ロマン派の作品では、底抜けに明るい躍動感ある演奏が魅力でもあるし、豪快過ぎて繊細な詩情の欠片もない嫌ひがある。第1交響曲は若やいだ曲想との相性が良く、邁進する演奏が清々しい。この曲の名演のひとつとして推奨出来る。序曲は鬱屈さが不足し直線的で物足りない。(2023.5.21)
ラジオ番組ベル・テレフォン・アワーでの録音の発掘第2巻。クライスラーが最も得意とした小品集で、その多くがクライスラーの編曲による。ドヴォジャーク「我が母の教へ給ひし歌」「ユモレスク」、チャイコフスキー「ユモレスク」「アンダンテ・カンタービレ」、リムスキー=コルサコフ「太陽への讃歌」、マスネ「タイースの瞑想曲」、ネヴィン「ロザリオの祈り」、アルベニス「タンゴ」、ファリャ「ホタ」、ラヴェル「ハバネラ形式の小品」には全盛期の正規録音が残るので、この晩年の実況録音にそれらを上回る価値はないのだが、このベル・テレフォン・アワー録音にしかない演目が5つある。コレッリ「ラ・フォリア」はエーリヒ・クライバーの伴奏として発売された音源と同じと思はれる。他にもクライバー共演とされてゐた録音があるが全て誤記だらう。演奏は情感たつぷりの壮麗たる名演だ。リムスキー=コルサコフ「ロシアの主題による幻想曲」も名演で、演目としても貴重だ。そして、何と云つても盟友ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第2楽章と前奏曲ト短調の編曲演奏が興味深い。演奏も甘美で良いが、編曲の妙が堪らない。ショーソンのポエムは1992年にBiddulphがFK1として特別発売した音源で再収録となる。愛好家感涙の名演であつた。(2023.5.18)
RCAとSONYのオリジナル・ジャケット・コレクション70枚組。ホロヴィッツはベートーヴェンのソナタの幾つかを得意として録音も残るが、皇帝協奏曲は唯一の録音記録であるし、そもそもベートーヴェンの協奏曲も他に残らない。冒頭のカデンツァからホロヴィッツの個性が全開で、強靭な打鍵の速弾きに呆気に取られる。全編この調子でドイツのロマンティシズムや気品とは無縁だ。ライナーの棒も筋肉質で音楽に等質感がある。さて、衝撃は強いのだが感銘は薄い。抉りと共感が弱いのだらう。同じ路線の演奏で個性全開かつ深い感銘を残して呉れたヨーゼフ・ホフマンには遠く及ばない。(2023.5.15)
1959年2月21日、Metにとつて初めてとなる「マクベス」上演であつた。しかし、この不気味な歌劇は順風には上演出来ず、当初レディーは当たり役であつたカラスが歌ふ予定であつたが降板、シュトラウスやヴァーグナーを得意としたリザネクが鮮烈なMetデヴューを飾ることになつた。また、当初指揮者はミトロプーロスであつたが、ラインスドルフに交替してゐる。さて、出来栄えは上々で、重鎮ウォーレンのマクベスの見事な歌唱と圧倒的な力強さを発揮したリザネクによつて大成功となつた。ラインスドルフの指揮も良く、劇的緊張感が漲つてゐる。特に魔女の場面での疾風迅雷のやうな荒ぶれは見事。同時にセッション録音も行はれたのだが、全く問題にならない。この公演で聴ける嵐のやうな疾走感こそ実演の醍醐味なのだ。(2023.5.12)
Marstonによる録音全集第2巻3枚組。1枚目。1930年のホモコード録音は珍しいからう。多くはオデオンから発売された。バッハのイギリス組曲第3番からガヴォットとモーツァルトのドイツ舞曲から2曲が演目としても興味深い。特にバッハの滋味溢れる気品が心に残る。これ以外は全てショパンで演目は散漫だが、同時代のショパン弾きと並べても遜色のない絶妙な演奏が楽しめる。否、コチャルスキの演奏は王道過ぎて当時は良さを見落とされてゐたのだ。古色蒼然とした葬送行進曲、訥々とした子守歌、色気が抜けた燻し銀のノクターンなど一種特別な風味を噛み締めることが出来る。(2023.5.9)
M&A系列のWest Hill Radioによるピアティゴルスキー稀少録音集6枚組。2枚目。1955年1月13日のNBC放送用の録音。ピアティゴルスキーを主役とした特別演奏会と思はれ、ロス・フィルも相当気合の入つた合奏を聴かせる。特にTuttiでの噴火するやうな熱気と圧力には恐れ入る。だが、それ以上に驚異的なのはピアティゴルスキーだ。両曲とも手中に納めてゐるとは云へ、放送録音で完璧以上の演奏を展開するのには舌を巻く。屈指の名演としてお薦めしたい。(2023.5.6)
APRが進行する「フレンチ・ピアノ・スクール」シリーズ第1弾として登場したのが最古のドビュッシー弾きガイヤールのドビュッシー録音の全てだ。1928年から1930年にかけての録音で、ガイヤール30歳前後の録音だ。以後、ガイヤールは作曲家として比重を移し、映画音楽などを手掛けた為、演奏家としての録音がほぼ残らない。ドビュッシー作品だけで演奏会を行なつたガイヤールの解釈は規範となるものばかりで、思はせ振りな表現はなく、艶やかな色彩と活気あるピアニズムで生命感に溢れてゐる。全音階の原初的かつ清明な力強さが聴けるのだ。演目は気儘に選ばれてをり、前奏曲集や映像などをもう少し纏めて吹き込んでくれたらと悔やまれる。オバート=ソンによる極上の復刻で音質も万全だ。(2023.5.3)
新生Biddulphによる至宝級の復刻、ヴィオラの名手リリアン・フックスの米デッカ録音LP4枚分が出た。2枚組2枚目。バッハの無伴奏チェロ組曲をヴィオラで弾いた挑戦的な試みで、チェロでの演奏を差し置いてでも推薦したい名盤だ。第5番は連綿たる歌が美しいが、原曲のチェロの深い音色と比較して仕舞ふと遜色がある。ヴィオラでは軽く印象も薄くなるのは仕方なく、特に独白めいた旋律で顕著に感じる。しかし、フックスの表現は極めて真摯で格調高い。第6番が瞠目に値する名演だ。原曲では気魄溢れるカサルスの演奏が今尚絶対的な存在なのだが、フックスは健闘してをり、全く異なる良さを提供して呉れた。ヴィオラによる演奏では頭一つ抜けた極上の名盤だ。さて、余白に収録された兄ジョゼフのヴァイオリンとの二重奏は極めて重要だ。モーツァルトの名作は驚異的な名演だが、リリアンが仕掛けてジョゼフを圧倒して行くのが堪らなく面白い。マルティヌーは兄妹の演奏に触発されて書かれた作品だ。かつ初演者であり絶対的な名盤だ。(2023.4.30)
英バルビローリ協会全面協力の下、遂に出た渾身の全集109枚組。バルビローリはモーツァルト指揮者ではなく、交響曲の正規録音もこれ以外にはない筈だが、演奏は個性が刻印されてをり中々良い。特に第2楽章で聴かせる浪漫的な歌心は弦楽の美しさと相まつて見事だ。また、メヌエットのトリオにおける可憐な美しさにバルビローリならではの良さが聴ける。とは云へ、全体的には記憶の残るほどの演奏ではない。メンデルスゾーンが聴き応へがある名演だ。緩急を付けた情熱的で激的な解釈で圧倒される。峻厳な雰囲気を重んじる演奏が多い中で、南国の風が吹き荒れるバルビローリの演奏は異端乍ら滅法面白い。(2023.4.27)
ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。ライナーの録音には思つてゐる以上に合はせ物が多い。ハイフェッツやホロヴィッツなど豪華極まる。プライスとの共演でも非の打ち所のない伴奏を聴かせる。プライスの歌声はソノーラスで安定感があり天晴れな歌唱と絶讃したいが、ベルリオーズでは何とも違和感しか感じない。巧いが雰囲気が出ない。だうもイタリア歌劇のやうなのだ。ファリャでは野太く野性味のある地声を使つて、重く暗い気怠い雰囲気を醸し出すが、手練手管を感じ感銘は薄い。ライナーの精妙な音楽はスペイン音楽では幾分冷たさを感じて仕舞ふ。(2023.4.24)
モントゥーのRCA録音―米國での録音―全集40枚組。1枚目。モントゥーはボストン交響楽団のシェフも務めたこともあり、米國で評判が高かつたのだらう、請はれてサンフランシスコ交響楽団のシェフとなりRCAヴィクター専属になつた。1941年4月の記念すべき最初の録音集で、モントゥーの十八番の演目ばかりだ。サンフランシスコ交響楽団は技量に問題があり音が整はず粗雑である。しかし、熱量で補つてゐるので人間味のある音楽が楽しめる。最初に行つた録音がラ・ヴァルスで、最高潮までの豪快な乱舞が初々しく一種特別な良さがある。得意とした金鶏も粗野な趣が決まつてゐる。ダンディの交響曲は剛毅で素朴、熱気が素晴らしい。引き締まつて精悍なパレー盤と今もつて双璧を成す決定的名盤だ。フランクの交響曲は恐らく初復刻だ。何とモントゥーはRCAに3度も録音した。最初の録音がやうやく聴けた。荒削りだが音楽の息吹がある。捨て難い実直な名演。(2023.4.21)
ゼッキのルーマニア・エレクトレコードへの録音全集3枚組。3枚目。1961年の録音でゼッキのピアノが楽しめる本命の1枚だ。ゼッキと云へばマイナルディとの共演が高名で勿論これらの曲の録音も残つてゐるが、ルーマニアの名手アルドゥレスクは腕も確かでゼッキとの相性も良く遜色ない名演を楽しめる。燻し銀の含蓄のあるチェロは大層素晴らしいものの、矢張り主役はゼッキの雄弁なピアノにある。第2番は特に美しい。第3番は穏健で両者もう少し闘争心が欲しい。(2023.4.18)
コロムビア録音全集77枚組。交響曲第5番はこの曲の全曲初録音だ。とは云へ、ヴァルターは第5番を頻繁には取り上げず、これが唯一の録音であつたりする。演奏は非常に口当たりが良く、前衛的な要素は皆無、最早古典になつたのかと錯覚するやうな穏健さだ。しかし、温いのではなく、悪戯に刺激的に陥らないだけだ。特に第3楽章はウィーン情緒溢れた優美さが見事で、規範となる名演だ。アダージェットもメンゲルベルクと同様に速めで、作曲者の意図に近い。第4交響曲でも共演したハルバンとの若き日の歌は全14曲中8曲を録音してゐる。ハルバンの歌声はここでも生硬で抜けが悪い。これはヴァルターのピアノを聴くべき録音だらう。輪郭をはつきり作り、色彩豊かで交響的な広がりがあり、可憐な表情との差も見事だ。(2023.4.15)
露VENEZIAレーベルが復刻したベートーヴェンSQによるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集6枚組。4枚目。中核を為す傑作群。代表作第8番は情念が籠つた名演だ。ボロディンSQのやうな力強い荘厳さではなく、悪鬼に取り憑かれたやうな無頼さがベートーヴェンSQの演奏にはある。第4楽章での苦悩は素晴らしい。演奏においては第8番よりも第9番の方が一層凄まじい。荒ぶれたピッツィカートの応酬は綺麗事ではない感情の昂ぶりを感じさせる。これぞショスタコーヴィチだ。第10番も名演だ。第2楽章での容赦無く激突する不協和音の痛切さは取り分け衝撃的だ。ベートーヴェンSQの演奏は余りにも人間的なのだ。(2023.4.12)
やうやう集成されたコロムビア録音全集17枚組。待望の未復刻音源が聴けるようになつた。ハ短調ソナタだ。この闘争的な作品の理想的な名盤として誉れ高き録音を聴く念願が遂に叶つた。突発的な情念を感じさせるクレッシェンド、ガリガリと削るやうなアタック。他の奏者とは世界が違ふ。第4楽章コーダの燃焼には溜飲が下がる。シゲティだけではない。ホルショフスキも丁々発止と闘志を燃やし、丸で協奏曲を弾くやうなタッチで応酬する。断言する。正に決定的名盤だ。実は第1番も劣らず名演だ。冒頭から力量が段違ひだ。一転フラウタンド奏法での情感の変化は魔術で、この曲もシゲティ盤を決定盤に推挙したい。シューベルトのソナティネでも鋼のようなモノクロームの音色だが、決してシューベルトの音楽を壊さない。特筆すべきは第2楽章で、美しいカンティレーナが始まるとがらりと世界が変はる。何といふ寂寥感。フレーズの見事な終始を聴かせる運弓の絶妙さ。これぞシゲティの究極の至藝で、何人も及ばない。ピアノ・ソナタの編曲でも転調における色彩の変化には恐れ入る。(2023.4.9)
1950年に30歳といふ若さで病死した幻の才女タマルキナの録音集成3枚組1枚目。強気の豪腕ピアニストの演奏に圧倒される。ショパンでは病的な憂愁や諦観に充ちた幻想など微塵もなく、熱波の如く曲を制圧して行く。深みには欠ける嫌ひはあるが、胸がすくやうな達者な演奏に平伏する。ラフマニノフは相性が抜群で、憂鬱さを感じさせず美しいピアニズムに酔へる。協奏曲はライヴ録音とは思へない完璧な仕上がりだ。冒頭からオーケストラを支配し主導する豪胆さを披露する。細部まで血を通はせる力強さは異常である。さて、タマルキナは戦争の為に活動が出来ず、残された録音は1946年から1948年に限定されるのだが、3曲だけ1937年頃の記録がある。ショパンのエチュードとマズルカだ。音質が悪く、鑑賞用ではないが貴重な記録と云へる。(2023.4.6)
生誕100年記念EMI録音全集10枚組。8枚目。ブラームスは1955年の録音。これは大してカンテッリの栄誉に寄与しない記録だ。フィルハーモニア管弦楽団の実力不足で、両端楽章の難所が腰砕けになつてゐる。一方で中間の2楽章はしつとりと美しい。同時に録音された「音楽の冗談」は決定的名盤として第一に推したい。何よりもデニス・ブレインのホルンが光る。1956年、最後の録音のひとつとなつたモーツァルトの第29番はカンテッリの代表的名盤である。完璧主義者カンテッリの見事な統率力が示されてゐる。(2023.4.3) |
2023.3.30以前のCD評
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