楽興撰録

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2017.12.30以前のCD評
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アルテュール・デ=グレーフ(p)/録音集成/アコースティック独奏録音/ランドン・ロナルド(cond.)、他 [APR 7401]
リストの高弟でベルギーの至宝級ピアニスト、デ=グレーフの録音集成4枚組。完全全集でないのが玉に瑕だが、これほどデ=グレーフの録音が纏まつたことはなく愛好家は必携だらう。ローゼンタール、ザウアーと並ぶ破格の奏者であり、グリーグやサン=サーンスからも一目置かれてた存在であつた。1枚目はこれまで復刻が殆どなかつた1917年から1923年にかけての機械吹き込みの独奏録音の全てを収録してをり非常に重要だ。全15曲で、グレトリー/グレーフ編曲の「村人の踊り」第3番と第5番、シューマン「アラベスク」と「ウィーンの謝肉祭の道化」の終曲、ショパンのノクターン第5番、リストのハンガリー狂詩曲第12番、ルビンシテインのヘ調のメロディー、グリーグ「アルバムの綴り」「小人の行進」「メヌエットのテンポで」「パック」、モシュコフスキ「セレナータ」とエチュードト長調、アルベニス「セギディーリャ」、ロナルド「ポン・ムジカーレ」だ。気品と威厳があり、古い録音乍ら芯の強い音楽が伝はる。取り分けグリーグとリストは絶品だ。更に1922年の録音で、ロナルドの指揮によるフランクの交響的変奏曲も収録されてゐる。同郷の作曲家への敬意に満ちた極上の名演だが、流石に音が貧しいので鑑賞用としては適さない。(2018.5.22)

ヴェーバー:「オベロン」序曲、モーツァルト:交響曲第40番、シベリウス:交響曲第2番、ベルリオーズ:ラコッツィ行進曲/クリーヴランド管弦楽団/ジョージ・セル(cond.) [TCO-10603]
1970年、大阪万博の記念企画として多くの名門オーケストラと指揮者が招致された。セルが初来日し、大阪公演の後、東京でも上野文化会館にて公演があり、5月22日の公演は録音されたが、これがセルの最後の録音になつたのだ。2ヶ月後にセルは急逝。実は死の病が進行してをり、来日にはブーレーズを伴つて公演を分担したが、体調を考慮してのことであつた。伝説的な来日公演がクリーヴランド管弦楽団協会盤として登場し、殊更本邦の愛好家の感涙を誘つた。公演は尻上がりに良くなる。ヴェーバーは冒頭の静寂にただならぬ凄みがある。この音響は超一流の証である。主部に入つてからは完璧に合奏に圧倒されるが、整い過ぎて面白みはなく、音楽としては肩慣らしに感じた。モーツァルトが素晴らしい。精緻な合奏と格調高いフレージングが徹底されてをり、大オーケストラから室内楽的な緊密さを引き出してゐる。幾分生真面目過ぎる点を除けば最上級の演奏だ。シベリウスが更に素晴らしい。この曲屈指の名演だらう。透徹した合奏は勿論だが、感興が乗つてきてをり、音に潤ひがある。整つただけの演奏だけではない、シベリウスの音楽観を最高度に表現した名演だ。アンコールのベルリオーズも見事な追ひ上げで魅せる。余白にブーレーズへのインタヴューが収録されてをり、来日の思ひ出が語られる。ブックレットには来日時の貴重な写真が幾つも掲載されてゐる。必携の1枚。(2018.5.19)

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティシェ」/シュターツカペレ・ドレスデン/オイゲン・ヨッフム(cond.) [EMI 5 73905 2]
権威ヨッフム第2回目の全集録音より。1975年の録音。この新盤の方が良く聴かれるが、旧盤との比較は気になる。音質だが、新しいにも拘はらずEMIの録音は抜けが良くない。教会で収録したDG盤の方が10年といふ年月を超えて優れてゐる。演奏は正直申して第4番に関しては際立つ差異を指摘するのが難しく、印象も演奏時間もほぼ同じだ。だが、技量の安定感、楽器の鳴りや合奏の力強さは断然ベルリン・フィルが上だ。となると、DG盤の方が優れてゐることになるが、EMI盤の方が流れが自然で、よりブルックナーらしさを感じ取れる。DG盤の方がテンポの変動が意志的で、嫌ふ向きもあらう。違ひが顕著なのは音色だらう。大雑把な表現をすれば、ベルリン・フィルが重く暗い北ドイツ風とすれば、シュターツカペレ・ドレスデンは明るく伸びやかな南ドイツ風と云へるかも知れぬ。特にホルンの音色はベルリン・フィルが甲高く違和感があり、シュターツカペレ・ドレスデンの方が美しい。つまり、甲乙付け難い。(2018.5.16)

メンデルスゾーン:イタリア交響曲、ピアノ協奏曲第1番、シューマン:「マンフレッド」序曲、序奏とアレグロ・アパッショナート/ルドルフ・ゼルキン(p)/ボストン交響楽団/ピエール・モントゥー(cond.) [West Hill Radio WHRA 6034]
1958年から1959年のシーズンにモントゥーが古巣ボストン交響楽団に客演した記録11枚組。1959年8月1日の公演で、独奏者にゼルキンを迎へてのメンデルスゾーンとシューマンといふプログラムだ。イタリア交響曲にはサンフランシスコ交響楽団との放送録音もあつたが、ボストン交響楽団との演奏は格別で、技量と表現力の差が顕著だ。爆発的な推進力と熱気を孕んだ明るく健康的な演奏だ。特に第1楽章は絶品で拍手喝采を送りたい。だが、難癖かも知れぬが、メンデルスゾーン特有の優美さと憂愁が抜け落ちてをり、幾分能天気な演奏に聴こえる。情感豊かに鳴つた立派な演奏だが、クーセヴィツキーの演奏の方が一段上だ。マンフレッドにも同じことが云へる。最大の聴き物はピアノ協奏曲だ。ゼルキンのピアノも良いのだが、モントゥーの棒が熱く、音楽の主導権を握つてゐる。白熱した追ひ込み、疾駆する熱情に圧倒される。ゼルキンも玲瓏たるピアニズムを聴かせ曲想と一体化した名演を繰り広げる。但し、ピアノ独奏に関して云へば、古いモイセイヴィッチの録音には及ばない。滅多に聴かれないシューマンの晩年の作品も真摯な取り組みで見事だが、完全に曲を掌握した演奏とは云ひ難い。(2018.5.14)

"Landmarks of Recorded Pianism"/未発表録音集/リパッティ、ラボール、エリンソン、ローゼンタール、デイヴィス、フンメル、プイシュノフ、コルトー、ニレジハージ [Marston 52073-2]
米Marstonからとんでもないリリースがあつた。"Landmarks of Recorded Pianism"といふ2枚組のアルバムで、未発表、新発見の音源ばかりで構成されてゐるのだ。その中でも1枚目が凄い。リパッティのプライヴェート録音が5曲も、うち初演目が3曲! コルトーがストラヴィンスキーのペトリューシュカを弾いた録音が! 興奮を禁じ得ない。本物なのか? と疑つて仕舞ふほどの衝撃だ。リパッティの録音は1945年から1946年の録音とされる。スカルラッティが3曲、ブラームスが2曲、詳しくはリパッティ・ディスコグラフィーで記したが、音も良く演奏は神品。コルトーの録音は1927年のグラモフォン録音とのことだ。ローゼンタールの新発見録音もある。APR5枚組の録音集成にも含まれてゐない最晩年の1939年録音で、ショパンのワルツ第14番だ。優美にグランドマナーを聴かせ流石だ。ニレジハージが何とシェーンベルクの3つのピアノ小品の第2番を弾いてゐる。何といふ美しいピアノの音だらう。大曲では英國で絶大な支持を得たレフ・プイシュノフがボールト指揮ロンドン交響楽団の伴奏でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を弾いた録音がある。ロシア人としての憂愁と英國好みの高貴な演奏様式が融合した感銘深い名演。掘り出し物だ。盲目のピアニストでヴィトゲンシュタインの師でもあつたヨーゼフ・ラボールがベートーヴェンのピアノ・ソナタ第7番第2楽章を自由気儘に弾いた1921年の録音は相当稀少だ。録音が少ないイソ・エリンソンの弾くショパンのマズルカOp.33-1及びエチュードOp.25-6は1932年のコロムビア録音だ。米國のイヴァン・デイヴィスがシエナのピアノフォルテで弾くリスト「ラ・カンパネッラ」はテレビ放送で、残響なしの環境で指の技巧だけで魅せる。レヴィーンの弟子スタンリー・フンメルが弾くグリンカ/バラキレフ編曲の「ひばり」は切ない感情を表出した特上の名演。(2018.5.12)

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティシェ」/ライプツィヒ放送交響楽団/ヘルマン・アーベントロート(cond.) [BERLIN Classics 0092772BC]
アーベントロートはブルックナーを積極的に取り上げ得意としてゐた。録音も第4番、第5番、第7番、第8番、第9番が残る。アーベントロートのブルックナーは非常に特徴的で一種特別な趣があり、今日的な感覚とは違ふが名演ばかりだ。一言で申せば後期ロマン派としてのブルックナー演奏であり、フルトヴェングラーの流儀に近い。楽器のせいだらうかオーケストラの鳴りは悪く、くぐもつた響きだ。細部に生命を与へるよりも全体を鷲掴みにして、一気呵成に聴かせる。テンポの変動は随所に見られるが強引さは余り感じさせず、ブルックナー休止を活かして、場面ごとでテンポ設定を変へてゐる。これが非常に適切で、神韻縹渺とした美しい弱音はドイツの指揮者ならではの霊感溢れる瞬間だ。逆に派手に金管が鳴る強音ではテンポを煽り、勇壮かつ劇的な効果を上げるが、フルトヴェングラーほど暴れることはなく、自然なのも良い。部分を論つて旧時代の下手な演奏と一蹴することなかれ、全体像においては類ひ稀な名演と心得よ。(2018.5.9)

メンデルスゾーン:イタリア交響曲、シューマン:交響曲第1番、ハリス:交響曲第3番/ボストン交響楽団/セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.) [ARTIS AT020]
40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。クーセヴィツキーは幅広いレパートリーを誇つたが、メンデルスゾーンとシューマンは他に録音がなく、得意とした節もないが、仕上がりは期待以上で上出来だ。特にイタリア交響曲は屈指の名演で、知らぬは損である。軽やかで推進力があり、精緻なアンサンブルを実現し、一筆書きのやうな達筆の演奏なのだ。これ以上の演奏は数少ない。戦前の米國ではトスカニーニのニューヨーク・フィル、ストコフスキーのフィラデルフィア管弦楽団と凌ぎを削つた三大巨頭であり、オーケストラ藝術の頂を聴くことが出来る。シューマンも浪漫的で素晴らしい。緩急や陰影の自然さや美しさは見事で理解が深い。ドイツの指揮者と比較すると幾分詩情に欠ける弱みがあるが、完成度は高い。さて、議論の余地なく良いのは、1939年に作曲、クーセヴィツキーにより初演され、同年録音されたロイ・ハリスの交響曲第3番だ。単一楽章の作品だが5つの部分に分けられる作品で、シベリウスの第7番と様式は近い。荘重でもあり叙情的でもあり、アメリカの要素もある。完全に咀嚼した比類なき極上の名演。(2018.5.6)

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティシェ」/ベルリン・フィル/オイゲン・ヨッフム(cond.) [DG 469 810-2]
権威ヨッフム第1回目の全集録音より。1965年の録音。ヨッフムのブルックナーは極めて動的で浪漫的である。前時代のフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュらの伝統の中から生まれた演奏なのだ。テンポの細かい変動が随所に見られ、デュナミークの変更も巨匠らの演奏に通じるものがある。ノヴァーク版を使用してゐるが、原典重視の姿勢は弱く、顕著な点では第4楽章序盤にベッケンが派手に鳴らされ、レーヴェ改訂版が採用された箇所もある。一言で申せば折衷的な演奏であり、確固たる信念は見られない。だからこそ効果的であり説得力は強い。巨匠らの録音で時に受ける違和感はなく、ブルックナーの音が鳴つてゐるから流石だ。特に全ての声部を偏重なく響かせてをり、滅多に聴こえない音の動きも捉へられるのが嬉しい。訓練と統率力の手腕を誉め讃へやう。イエス・キリスト教会での優秀録音。ベルリン・フィルの荘重な響きがずしりと伝はる名盤。(2018.5.3)

マヌエル・キロガ(vn)/マルタ・レマン(p)/1928年〜1929年パテ録音(14曲) [OUVIRMOS VR0109]
これはスペインで発売された書籍扱ひの商品である。特別な経路で入手した。2冊あり、これは1928年から1929年にかけてパテに吹き込まれた電気録音14曲である。ピアノ伴奏は奥方のマルタ・レマン。キロガの復刻は英SYMPOSIUMにもあり、実はこの14曲は全て重複する。破格の名演、タルティーニ「悪魔のトリル」のカデンツァも収録されてゐる。他ではサラサーテが「アンダルシアのロマンス」「ホタ・アラゴネーサ」「サパテアード」「タランテラ」と多く、名演ばかりだ。これ以上激情的なサラサーテは聴けないだらう。キロガは最もスペイン的な奏者だ。情熱的で感情を爆発させた演奏は比類がなく、機械的な要素は皆無で、どこまでも人間的な演奏をする。バッツィーニの演奏は精密な技巧の追求ではなく、奇怪さを見事に演出してゐる。クライスラー「ジプシーの女」での濃密な表現もまた素晴らしい。(2018.4.30)

メンデルスゾーン:イタリア交響曲、シューマン:交響曲第4番、カゼッラ:パガニーニアーナ/フィルハーモニア管弦楽団/ローマ聖チェリーリア国立音楽院管弦楽団/グィード・カンテッリ(cond.) [EMI 50999 6 79043 2 7]
EMI系列の録音を集成した9枚組だが、録音全集ではなく中途半端だ。あと数枚増やせば全集が収まると思ふのに残念だ。3枚目を聴く。メンデルスゾーンはカンテッリの十八番であり、悪からう筈がない。颯爽として瀟洒で、鮮度が高く、理想的な演奏と云へる。だが、忌憚なく申せば、突つ込みが弱く、優等生の無難な演奏でもある。トスカニーニのやうな説得力には欠けるのだ。当盤に収録されたのは1955年の録音で、カンテッリには未発表の1951年旧録音がある。実はシューマンの方が名演で、フルトヴェングラー盤に匹敵する極上の出来だ。熱情的な推進力、重厚さと切れ味が同居するアーティキュレーション、どす黒い血潮のやうな音色をフィルハーモニア管弦楽団より引き出してをり、カラヤンなど問題にならない。シューマンのロマンティシズムを見事に昇華してをり天晴。カゼッラの曲はパガニーニの諸作品から本歌取りした4楽章制の現代曲でかなりの難曲と感じるが、ローマ聖チェリーリア国立管弦楽団が実に良く訓練されてをり鮮烈な演奏を聴かせる。カンテッリは近現代曲で手腕を発揮したが、実力の程を示す好例だ。ただ、カゼッラの作品自体には面白みはないので伝はり難いかも知れぬが。(2018.4.27)

メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第1番、シューマン:弦楽四重奏曲第2番、スメタナ:弦楽四重奏曲第1番「我が生涯」/ケッケルト弦楽四重奏団 [ORFEO C 318 931 B]
ルドルフ・ケッケルト率ゐるケッケルトSQはベートーヴェンの全集が代表的録音の名門だが、復刻が少なく貴重な1枚。ケッケルトSQはドイツの玲瓏たる古典的な美しさを表現することに長けてゐた。浪漫的な歌で聴かせる魅力は然程でもないが、端正で気品あるアンサンブルが特徴だ。それにしても渋い選曲だ。メンデルスゾーンの第1番は第2楽章のカンツォネッタが大変有名だが、取り上げられる機会は少なめだ。ケッケルトSQに最も合つてゐるのはメンデルスゾーンだらう。上出来だ。シューマンの第2番には名演が少なく、ケッケルトSQの録音は有難い。だが、全体に渋い演奏で夢想する逃避感や情熱的な一途さがなく、薄口の演奏に終始してゐる。残念だ。スメタナはDGへの録音で、許可を得て収録したものだ。セッション録音の為、アンサンブルの精度が高く、仕上がりは最上だ。だが、チェコの団体のやうな献身性はなく、ドイツ的な堅牢な演奏で畑違ひの感が強い。だが、聴き応へのある密度の高い演奏であることは確かだ。(2018.4.24)

シベリウス:交響曲第2番、同第5番/ボストン交響楽団/セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.) [ARTIS AT020]
40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。クーセヴィツキーはシベリウスを得意とした。カヤヌスら本場の指揮者と並んで積極的にシベリウスの録音を敢行したのはクーセヴィツキーである。当時は評判も上々だつたと思はれるが、シベリウスの需要が変容するにつれて浪漫的なクーセヴィツキーの演奏様式は見向きもされなくなつた。ロシア的な解釈で、大きな構へ、重厚な音色、憂鬱な歌、悠然たる運びが特徴なのだが、繰り返し取り上げ咀嚼し切つた自信と発見が聴ける稀代の名演である。孤高のシベリウスの世界を求める向きには怪しからん過去の遺物かも知れぬが、他の巨匠指揮者らの中途半端な演奏から受ける違和感がない。第2交響曲は気宇壮大で英雄的な詩情が素晴らしい。重さは感じず、呑み込まれるやうな激流が押し寄せる名演だ。第5交響曲は精緻さも兼ね備へてをり、豪放磊落なだけではないクーセヴィツキーの良さが知れる。説得力がある理解の深い演奏なのだ。(2018.4.21)

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティシェ」/コロムビア交響楽団/ブルーノ・ヴァルター(cond.) [Sony Classical 88765489522]
渡米後のセッション録音集39枚組。かつてはヴァルターのブルックナー、特にロマンティシェは屈指の名盤として推す人が多かつた。昨今ではヴァルターのブルックナーは見向きもされないといふのが実情だらう。ブルックナー演奏は進化を遂げ、黎明期に名盤として君臨したヴァルター盤は、現在聴くと確かに方向性が異なり、隔世の感がある。だが、一周して却つて新鮮な喜びを与へて呉れる良き演奏だといふことを述べたい。最小編成に近い薄手のオーケストラでの演奏は、重厚な演奏の反動として歓迎される。最大の特徴は音色が明るいことだ。これはヴァルター盤の際立つた特徴で、他では聴けない幸福感が溢れてゐる。そして、歌謡力が素晴らしく、特にチェロの歌心は琴線に触れる。第2楽章の上品で鬱屈のない歌は極上だ。ヴァルターの棒は流麗で見通しが良く、ロマンティックでわかりやすい演奏に仕上がつてゐる。ブルックナーらしさは薄いが、名盤とされた理由は確かにある。飲みやすいワインのやうで一気に飲み干せる。(2018.4.18)

モーツァルト:「フィガロの結婚」序曲、交響曲第40番、オテスク:”De la Matei citire”より2曲/ニューヨーク・フィル/ジョルジェ・エネスク(cond.) [オーパス蔵 OPK 2112/3]
作曲家としてヴァイオリニストとして高名なエネスクの指揮者での稀少な演奏記録。ニューヨーク・フィルに1937年と1938年に客演した際の記録を集成した2枚組。トスカニーニ勇退後、支柱を失ひ迷走を続けたニューヨーク・フィルはチャベス、ストラヴィンスキー、エネスクといつた作曲家を招聘した。指揮台に敬意を求めたのだ。どの指揮者をもつてきてもトスカニーニには劣る為の奇策であつたが、1937年1月31日のエネスクの演奏会は大成功であつた。1枚目にはプログラム前半が収録されてゐる。放送用のアナウンス付き。モーツァルトは序曲も充実の名演だが、悲しみが疾走する交響曲が稀代の名演である。ニューヨーク・フィルの濃厚な合奏と相まつて得難い感銘を齎す。同郷のオテスクの作品は他では聴くこともないから貴重だ。歌劇「デ・ラ・マタイ・シタイア」からの2曲で、湖のシンフォニーと第2幕への前奏曲だ。湖のシンフォニーはプッチーニを想起させる旋律美が特徴で、終盤にはピアノが加はり色彩感が鮮やかだ。第2幕への前奏曲はエネスクのルーマニア狂詩曲第1番を髣髴とさせる民族的な舞曲で、恐らくツィンバロンと思しき郷愁を誘ふ楽器の音色が印象的。(2018.4.15)

ロッシーニ:序曲集(6曲)、メンデルスゾーン:イタリア交響曲/フランス国立管弦楽団/イーゴル・マルケヴィッチ(cond.) [EMI/ERATO 0825646154937]
マルケヴィッチのEMI系列の全録音を集成した18枚組。ロッシーニは「セビーリャの理髪師」「絹のはしご」「ギョーム・テル」「泥棒かささぎ」「アルジェのイタリア女」「チェネレントラ」の6曲で、切れ味のある爽快な名演揃ひだ。軽さや明るさを追求した演奏ではなく、管弦楽曲としての手応へを聴かせた演奏なのだが、軽さと明るさを兼ね備へてゐるから全くもつて死角がない極上の演奏なのだ。特に「セビーリャの理髪師」「ギョーム・テル」「チェネレントラ」の3曲は鳴りが立派で、聴き手を奮ひ立たせる昂揚感もあつて素晴らしい。残りの3曲は幾分優美さに欠けて感銘が劣る。メンデルスゾーンも良い。颯爽として凛々しいマルケヴィッチの美質が存分に発揮された名演だ。惜しむらくは1955年のモノーラル録音の為に広がりに欠けるのと、復刻のせいなのか、存在感が乏しい。後年に日本フィルとの名盤があり、比べると当盤の演奏はかなり感銘が弱い。(2018.4.12)

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第4番、同第11番、同第30番/サムエル・フェインベルク(p) [Classical Records CR-076]
露Classical Recordsはフェインベルクの復刻を行ふ頼もしいレーベルだ。第2巻はベートーヴェンのソナタ集だ。フェインベルクのベートーヴェンは因習に捕らはれない非常に個性的な演奏である。丁度指揮界におけるムラヴィンスキーと好一対だ。ドイツ的な堅苦しさや生真面目さはなく、泥臭ひ様子もない。清明といふのとはまた違ふ、達観した演奏が面白い。バッハを得意としたフェインベルクならではの高尚で形而上学的なベートーヴェンである。選曲も実に渋い。高齢故に技術は時に頼りないこともあるが、一風変はつた節回しで乗り切る。フェインベルクが妙味を発揮するのは緩徐楽章で、奇しくもcon gran espressioneとかcon molta espressione、或いはespressivoと表記された楽章の深淵さは一寸次元が異なり、含蓄がある。フェインベルクの選曲の所以は此処にあつたのだらうか。(2018.4.9)

ハイドン:交響曲第22番「哲学者」、同第23番、同第24番、同第25番/フィルハーモニア・フンガリカ/アンタル・ドラティ(cond.) [DECCA 478 1221]
ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。ハイドンの交響曲をドラティ盤で1番から順番に聴いて、哲学者といふニックネームで知られる第22番に至つた時は少なからず衝撃を受けた。第1楽章の独創的な雰囲気と響きはそれ迄の作品と一線を画す斬新さがあつたからだ。オーボエなしのコールアングレ2本といふ編成は古今東西を通じてこの曲だけだらう。躍動的で壮麗な第2楽章は楽想と展開が見事で聴き応へがある。第3楽章と第4楽章は響きの面白さはあるが、楽想に目新しさはない。第23番では特に第1楽章が様々な仕掛けが目紛しく施された前衛的な傑作だ。反面、それ以降の楽章が不釣合ひに凡庸だ。第4楽章の最後がピッツィカートで呆気なく終はるのは面白いが。第24番が充実した名曲だ。転調の展開が緊張感に充ちた第1楽章、フルート協奏曲のやうな第2楽章は特に傑作だ。第25番は3楽章制で最初期の作品とされる。第1楽章が異形で、長大なアダージョの序奏の後にアレグロ・モルトの快活な楽想が続く。この急速な楽曲が爽快で良い。ジュピター音型に似たフガートの第3楽章も良い。(2018.4.6)

ヴィラ=ロボス:ショーロ第11番/アリーヌ・ヴァン・バレンツェン(p)/フランス国立放送管弦楽団/エイトル・ヴィラ=ロボス(cond.) [EMI CZS 7 67229 2]
ブラジルの国民的作曲家ヴィラ=ロボスが晩年の1950年代にフランス国立放送管弦楽団を指揮して記録を残した自作自演6枚組。これは初期盤だが新装盤も出てゐる。5枚目を聴く。ピアノと管弦楽のための大規模な作品、ショーロ第11番は演奏時間1時間の大曲だ。ピアノ協奏曲といふ定義には当て嵌らず、ピアノの音響を主軸にした壮大な交響詩のやうな作品だ。ピアノはバレンツェンで大活躍だ。管弦楽は幾分混沌としてゐるが雰囲気は良い。楽想が次々と変はるので印象には残らない曲だが、映画音楽のやうな楽しみ方をすれば色彩的な音画に浸れる。兎に角極彩色の派手な曲だ。余白にヴィラ=ロボスへのインタヴュー「ショーロとは何か」が収録されてゐる。(2018.4.3)

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」/ライプツィヒ放送交響楽団/ヘルマン・アーベントロート(cond.) [BERLIN Classics BC 2054-2]
アーベントロートの録音の中でも最も優れた演奏であり、これを聴かずに悲愴交響曲は語れない。第1楽章から表情豊かで沈鬱さと諦観が見事に体現されてゐる。第2楽章中間部の憂鬱な趣も良い。だが、何と云つても第3楽章だ。アーベントロートの演奏を聴いて仕舞ふと他の演奏が物足りなくなるほどの困つた名演なのだ。前半は何の変哲もない演奏で、ティンパニの活躍が目立つ程度だ。処がコーダ前の絶望的な短調に転じてからのアゴーギクが腰が抜けるほど凄い。主調に戻る時にリタルダンドが始まり、一回り遅いテンポで主題が再現される。ティンパニの行進は鉄槌のやうだ。更にテンポが重量級に遅くなりコーダに至ると、一転、猛烈なアッチェレランドで焦燥的に勝利の行進を足早に強制される。異常な説得力。劇薬の演奏。泥を吐くやうな第4楽章の慟哭も振り切れてゐる。(2018.3.29)

ブルックナー:交響曲第8番/チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団/ルドルフ・ケンペ(cond.) [SOMM RECORDINGS SOMMCD 016-2]
1971年に録音された名盤。ハース版での演奏。ケンペはブルックナーでも素晴らしい名演を数々残したが、最も素晴らしいのはこの第8番だらう。堂々たる演奏乍ら颯爽としてをり、神々しい響きが持続するが抹香臭さは皆無なのだ。重量感が素晴らしく、頂点に向かつての高揚が見事だ。チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団はケンペを首席指揮者として迎へ、ブルックナーの音楽に精通するやうになつた。金管楽器の咆哮も太鼓や低弦の響きに支へられ、正しくオルガンのやうで、五月蝿く聴こえない。弦楽器の渋い曇つた合奏も美しく、理想的なブルックナーの響きを奏でてゐる。取り分け第3楽章の神聖な趣は琴線に触れる。ケンペは細部で表現的な効果を加へてをり、起伏ある演奏となつてゐる。録音も良く、万人に推奨したい名盤中の名盤だ。(2018.3.27)

エルヴィン・ニレジハージ(p)/ライヴ録音集(1972年〜1982年)/チャイコフスキー、ドビュッシー、ショパン、ラフマニノフ、シューベルト、他 [Music&Arts CD-1202]
再びニレジハージを聴く。2枚組の2枚目。ニレジハージ研究家のゲヴィン・バザーナが選り抜いた名演集である。ショパンの前奏曲1曲とマズルカ3曲は、1972年のセンチュリー・クラブでの演奏記録で、先般、当盤よりも状態の良い復刻が日の目を見たので、詳細はそちらに譲らう。ショパンのノクターン第15番は1973年オールド・ファースト教会での記録で、青白く病的な演奏が印象深い。1973年のフォレスト・ヒルでの演奏記録では、チャイコフスキーのワルツ作品40-8とドビュッシー「パゴタ」「レントより遅く」が聴ける。恐ろしく透き通る突き抜けたタッチはニレジハージだけの神業で天使と悪魔の表現を併せ持つのが凄みだ。最晩年には本邦で歓迎され、来日演奏記録が残る。チャイコフスキーのロマンス、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第2楽章を独奏用に編曲したもの、シューベルト「さすらひ人」「野ばら」の編曲だ。諦観がずしりと伝はるラフマニノフが強く感銘に残る。どれもリストの演奏に比べると遜色はあるが、ニレジハージの類例のないピアニズムには衝撃を受けるに違ひない。余白に1936年に録音された連邦音楽事業を音源とするサウンド・トラックで、マフファーソン「見捨てられた庭」から「夜明け前」が収録されてゐる。これは生計を立てる為に引き受けた仕事の記録であり、何とも物悲しい気分に誘はれる記録なのだ。(2018.3.24)

ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第4番、シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ、ブラームス:チェロ・ソナタ第1番/カルロ・ゼッキ(p)/エンリーコ・マイナルディ(vc) [ORFEO C 822 101 B]
1959年8月13日のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音。盟友ゼッキとの貴重な音源である。全てセッション録音が残る演目なので比較が主となる。最も聴き応へがあるのがベートーヴェンだ。冒頭の渋い歌はマイナルディならではのカンティレーナが聴ける。主部に入つてからの闘争心も素晴らしい。ただ、後半の楽章は幾分集中力が切れた感がある。セッション録音の名盤には及ばない。シューベルトは歌心こそ良さはあるが、弛緩してをり流れない。構成力が欠如した演奏で寧ろ良くない演奏と云へる。セッション録音の比ではない。ブラームスの印象はセッション録音と大差ない。ブラームスを征服するだけの熱情がなく、だらりと歌ひ込んだだけの演奏に聴こえた。ゼッキのピアノも古典ほど妙味を発揮し、ロマンティックな演目では薄味に感じる。(2018.3.21)

モーツァルト:交響曲第40番、同第38番/イギリス室内管弦楽団/ベンジャミン・ブリテン(cond.) [Decca 478 5672]
作曲家ブリテンは卓越した指揮者かつピアニストであり大量の自作自演が残るが、生誕100年を記念して何と自作以外での演奏記録を集成した27枚組が出た。晩年に録音されたモーツァルトの交響曲集は個性的な演奏が揃ひ、ブリテンならではの意義ある録音だ。第40番は出来としても素晴らしく広く推奨したい名盤だ。まず、第2楽章や第4楽章の後半の繰り返しも遵守してゐる珍しい演奏で、全楽章で40分弱もかかる。内容はバロックを意識した解釈で、第1楽章は強弱の差を明確に付け、旋律の誘惑に溺れない。第3楽章主部が非常に個性的で、クレッシェンド指示は極めてバロック的だ。第4楽章展開部からの意志的な終止感の演出や、間合ひの妙も一種特別だ。他方でプラハ交響曲は恐ろしく遅く、ロマンティックな演奏だ。オペラを意識したヴィブラートたつぷりの歌心が充溢した演奏だ。だが、繰り返し遵守で演奏時間は33分、終始まつたりした演奏で角がなく退屈極まりない。(2018.3.18)

シベリウス:交響曲第1番、同第5番、ポヒョラの娘/BBC交響楽団/サー・マルコム・サージェント(cond.) [Warner Icon 2564 63412-1]
プロムス中興の祖サージェントの選り抜きのEMI名録音集18枚組。英國の指揮者はおしなべてシベリウスを得意としたが、サージェントもそのひとりだ。とは云へ、コリンズやバルビローリと比較すると幾分小手先の表現が目立つて仕舞ひ、感銘が劣るのは致し方ない。第1交響曲は雄渾な名盤が犇めいてゐる中で、サージェントの繊細さと情熱を融合させた職人技が、いいとこ取りをした絶妙な名演を生み出してゐる。ポヒョラの娘にも同様のことが云へるだらう。この2曲は劇的かつ叙情的な名演だ。第5交響曲も全体的には見事な名演だが、孤高の作曲家シベリウスへの最後の詰めが足りない気がする、と云へば難癖になるだらうか。演奏自体は大変立派で、テンポやアンサンブルは申し分ないのだが、どこか雰囲気に欠け、器用貧乏な結果の演奏と感じた。(2018.3.15)

ケルビーニ:「アナクレオン」序曲、ドヴォジャーク:チェロ協奏曲、フランク:交響曲/パリ放送大管弦楽団/ポール・トルトゥリエ(vc)/ヴィレム・メンゲルベルク(cond.) [Malibran CDRG 188]
極めて良質な仕事で識者を喜ばせてきた仏Malibranによる渾身の初出リリース。1944年1月16日、占領下のパリ、シャンゼリゼ劇場での放送用録音の復刻だ。アセテート盤からの復刻なので状態の悪い箇所もあるが、鑑賞には堪へ得る。さて、実はドヴォジャークのみ初出ではない。米Music&Arts盤で、独奏者がモーリス・ジャンドロンでクレジットされて出回つてゐた録音と同一である。これには疑惑が付き纏つてきたが、Malibran盤の登場で終止符が打たれた。アナウンスにもトルトゥリエの名が確認出来る。若きトルトゥリエが火の粉となつて没入する演奏には唯圧倒される。瑕も多いが、音色の変化の繊細さに思はず息を飲む。メンゲルベルクの棒が尋常ではない。斯様に終止形に拘泥し、テンポを揺らした演奏は他にない。大見得が随所に聴かれるメンゲルベルク独擅場の名演。フランクはこれで3種類目となる。他の曲と異なりパリの楽団が熟れた演奏をしてをり、メンゲルベルクの独創的な解釈にも喰らひ付いて行く。着火する際の金管が放つ閃光、弦楽器の頽廃的なポルタメント、渾身のラレンタンドが見事に決まる。客演とは思へない反応の良さでメンゲルベルクの理想の音が鳴つてゐる。忌憚なく申せば、実演ならではの振り切つた表現が聴かれる当盤こそ3種中で最も感動的な名演だ。ケルビーニはメンゲルベルクが得意とした曲で、ここでも他の追随を許さない極上の仕上がりを聴かせる。(2018.3.12)

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲、チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲、ショーソン:詩曲、ヴィラ=ロボス:黒鳥の歌/リカルド・オドノポゾフ(vn)、他 [DOREMI DHR-7874-9]
名手オドノポゾフの大曲録音を復刻した6枚組。4枚目を聴く。ヴィラ=ロボスのみRCAヴィクターへの録音で、BAYERから復刻があり別項で述べたので割愛する。他はMUSICAL MASTERPIECE SOCIETYへの1950年代前半の録音だ。メンデルスゾーンが隠れた名演である。流麗で濃厚な歌が充溢してゐる。技巧は完璧で余裕に溢れ、力感にも欠けることがなく音楽の運びに説得力がある。時にかけられるポルタメントの色気が蠱惑的だ。第2楽章でのダブルストップの歌の豊満さ、華麗に輝く第3楽章の鮮やかさ、この曲屈指の名演だ。オドノポゾフにはチャイコフスキーの方が相性が良ささうだが、仕上がりはメンデルスゾーンほどではなかつた。濃密な奏法は同じだが、ラテン的な明るさが深みを阻害し、時に線が細くなり、音楽が掌から零れて行くやうな感覚があつた。巧いがしつくりこない演奏なのだ。単調なワルター・ゲールの指揮のせいもあるだらう。ショーソンが滅多に聴けない上質の名演だ。全身全霊を傾けた歌が琴線に触れる。すすり泣くやうなヴァイオリンの音色が胸を締め付ける。エネスク、クライスラー、ティボーの名演に並ぶ名盤。(2018.3.9)

ヴァーグナー:ジークフリートの葬送行進曲、「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、ヴァルキューレの騎行、「タンホイザー」序曲、「ローエングリン」第1幕への前奏曲/レニングラード・フィル/エフゲニー・ムラヴィンスキー(cond.) [ビクター VDC-25029]
本邦のビクターが発売した一連のムラヴィンスキーの音源はERATO盤もあるが、この頁ではビクター盤で記事にする。ムラヴィンスキーはヴァーグナーを好んで取り上げ、録音記録も複数残るが、研ぎ澄まされた感触はあるものの極めて官能的で、抑圧されたリビドーを感じさせる一種特別な趣がある。レニングラード・フィルの渾身の演奏も常軌を逸した凄まじさだ。当盤は1973年から1982年にかけての録音で、1960年代の即物的な凄みが後退し、情感を重視した演奏になつてゐる。悪く云へば、金管楽器に好き勝手に吹かせてゐる感もなくはない。どれも高次元の名演ばかりだが、ムラヴィンスキーで味はふ醍醐味は弱い。テンポも穏当で印象には残りにくいだらう。(2018.3.3)

ブルックナー:交響曲第8番/ベルリン・フィル/オイゲン・ヨッフム(cond.) [DG 469 810-2]
権威ヨッフム第1回目の全集録音より。1964年の録音。ヨッフムは後にシュターツカペレ・ドレスデンとEMIへ2度目の全集録音を残してをり、第8番は代表的名盤として名高い。一方、 このDGへの全集の第8番については語られることは少ない。だが、忌憚なく申せば、断然このDG盤の方が勝つてゐる。まずは天下のベルリン・フィルが放つ黒光りする響きに痺れて仕舞ふ。低弦の分厚い響きに支へられた壮麗な合奏が圧巻だ。ベルリンのイエス・キリスト教会での録音も極上だ。EMI盤はオーケストラの実力で歴然たる差があり、管楽器で気に障るしくじりが散見され、音質も12年後の進歩を感じさせない。だが、新旧の最大の違ひはテンポの変動だ。ヨッフムは職人気質の指揮者ではなく、テンペラメントに左右される指揮者なのだ。当盤は緩急の差が大きく、時に煽り立てるやうな演奏をしてゐる。所詮好みの問題だが、雄弁で起伏があるDG盤に多く魅了された。当時のベルリン・フィルにフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュの音楽が脈々と流れてゐたからかも知れない。この曲屈指の名盤と云ひたい。(2018.2.28)

シモン・バレル(p)&ボリス・バレル(p)/リスト:ピアノ協奏曲第1番、他/フリーダー・ヴァイスマン(cond.)、他 [Cembal d'amour CD/DVD 124]
贔屓のピアニスト、バレルの稀少録音が聴ける蒐集家垂涎の1枚。ヴァイスマンの指揮、音楽家連合交響楽団の伴奏によるリストの協奏曲は1948年のブルックリン美術館でのライヴ録音だ。バレルにはニューヨーク・フィルとのカーネギー・ホールでのライヴ録音もあつた。音質には難があるが、稀代のリスト弾きバレルの真価を伝へる名演が繰り広げられる。破格の技巧と煌めく音色に幻惑される。更に1949年のクリスマスにマーシャル家のホーム・パーティーでの録音でリスト、スクリャービン、ショパンを弾いてゐる。楽曲の断片を気の向く侭に弾き散らした感じだが、それだけに感興が乗つてをり鮮烈だ。ここでもリストのピアノ協奏曲第1番を弾いてゐるが、歌ひ語りながら壮絶なピアニズムを聴かせて呉れる。ショパンの華麗なるポロネーズも凄まじい。残りは息子ボリス・バレルの録音でシューマンの交響的練習曲とチャイコフスキーの胡桃割り人形から4曲の編曲だ。1957年と1954年の録音で父の演奏とは比ぶべくもないが、選曲の妙でチャイコフスキーが面白からう。尚、DVDも付いてをり、ボリスが主に父シモンの思ひ出を語る50分のインタヴュー映像だ。終盤にはボリスによるレッスン風景も収めてゐる。(2018.2.25)

モーツァルト:交響曲第39番、同第40番、同第41番「ジュピター」、「魔笛」序曲/シュターツカペレ・ベルリン/リヒャルト・シュトラウス(cond.) [DG 479 2703]
大作曲家シュトラウスは指揮者としても栄達し、主要な歌劇場や楽団の要職を歴任した。DGへの録音を集成した7枚組。自作自演以外の代表的録音であるモーツァルトの録音は電気録音初期に行はれた。録音年は第39番と第41番が1926年、第40番が1927年、序曲が1928年だ。演奏は兎に角速い。類例がない速さなので、古来より話題多き録音である。「魔笛」序曲の主部の速さは尋常ではない。一方、速過ぎて雑然としてをり、アンサンブルは乱れてゐる。何よりも前のめりになる箇所が多い。オーケストラのせいではなく、シュトラウスの棒が急くので端折らざるを得ないのだ。だが、速いだけの演奏ではない。動きのあるフレーズはテンポを煽り、歌ふような落ち着いたフレーズではテンポをぐつと落とし、緩急をあざとく付けてゐる。戦後のモーツァルト演奏はイン・テンポが基調となつたが、シュトラウスの指揮は極めてロマンティックでアゴーギグが顕著なのだ。特にジュピター交響曲のフーガで大胆な緩急を付けるのは豪毅だ。音が貧しく、仕上がりも全然良くないが、底に流れる音楽は非凡だ。(2018.2.22)

コンチータ・スペルヴィア(Ms)/全録音集成第5巻/補遺録音(4曲)/別テイク録音(12トラック)、他 [Marston 51010-2]
名復刻者マーストンによるスペルヴィアの全復刻第5巻。全4巻CD8枚で完結の予定であつたが、新発見の4曲が収録されてをり蒐集家は当然持つてゐなくてはなるまい。追加曲はロンガス”Canço de traginers”、グラナドス”Boires Baixes”、チャピ”EL MILAGRO DE LA VIRGEN”、セラーノ”LA REINA MORA”だ。残りは別テイク録音であり、違ひを指摘するのは難しいが厳密には別録音だから有難く拝聴しよう。改めてカルメンの素晴らしい歌唱には圧倒された。本当に惜しい歌手を若くして失つた。スペルヴィアの歌唱は時代を超えた生命力がある。余白にマリア・バリエントスと作曲者自らがピアノ伴奏をしたファリャ「7つのスペイン民謡」全曲、「恋は魔術師」、「コルドバへのソネット」が収録されてゐる。コロムビアへの大変有名な録音で復刻は他にもあつた。自作自演の価値もあり決定的な名盤である。(2018.2.18)

ラヴェル:スペイン狂詩曲、亡き王女の為のパヴァーヌ、ラ・ヴァルス、道化師の朝の歌、ボレロ、シェーンベルク:「グレの歌」より2曲/ルネ・レイボヴィッツ(cond.)、他 [PREISER RECORDS 90601]
ラヴェルは1952年にパリ放送交響管弦楽団を指揮したVoxへの録音。作曲家としても有能だつたレイボヴィッツは管弦楽法をラヴェルに師事してをり、作品の再現者としては実に相応しい。魔術師と呼ばれた師への敬意を存分に感じる録音だ。最も素晴らしいのはラ・ヴァルスで、頽廃的で奇怪な踊りを嬉々として演奏してゐる。細部まで抉りが深く見事だ。スペイン狂詩曲も妖艶さがあり、聴き応へがある。だが、この2曲以外は然程感銘を受けない。道化師の朝の歌は特に生気を欠き散漫だ。ボレロはオーケストの技量が至らず平凡な演奏だ。パヴァーヌは丁寧だが、特記すべき美点はない。余白に収録されたシェーンベルクは1953年にパリ新交響楽協会管弦楽団を指揮したコンサート・ホールへの録音だが、全曲録音からの抜き出しなのここでは割愛しよう。ラヴェルの数倍も素晴らしい出来栄えだ。(2018.2.15)

モーツァルト:「魔笛」序曲、ピアノ協奏曲第23番、ファゴット協奏曲、ホルン協奏曲/ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ(p)/カレル・ビドロ(fg)/ミロスラフ・シュテフェック(hn)/チェコ・フィル/カレル・アンチェル(cond.) [SUPRAPHON SU 1935-2 001]
これらの音源は新しくゴールド・エディションでも発売されてゐるが、以前から蒐集をしてゐた都合で旧規格を求めてゐる。アンチェルのモーツァルト録音は非常に少なく、しかも協奏曲録音が大半を占める。名手チェルニー=ステファンスカのピアノ協奏曲は情感豊かな名演で、真珠のやうにひとつひとつの音に光沢のあるタッチが美しい。肉厚な音で聴かせるビドロのファゴット協奏曲も素晴らしい。確かな技巧は鮮明なタンギングで確認出来る。アラール盤を別格として、この曲の代表的名盤と云へる。最も素晴らしいのは伝説的なチェコ・フィルの首席奏者シュテフェックによるホルン協奏曲だ。アンチェル時代のチェコ・フィルの素晴らしさは偏にシュテフェックに依るところが大きい―その伝統はティルシャルに引き継がれた。ホルンの魅力を余すところなく伝へた名演で、テヴェの録音と共に最高峰だ。(2018.2.12)

フランツ・フォン・ヴェッチェイ(vn)/Vox録音(1925年)/ポリドール録音(1933年〜1934年)/グィド・アゴスティ(p) [Pearl GEMM CD 9498]
1935年に急逝して仕舞つたフバイ門下の逸材ヴェッチェイの纏まつた復刻はこのPearl盤は以外は見当たらない。ヴェッチェイの本当に素晴らしい録音は1910年頃のフォノティピア録音にあるとされるので復刻が待たれる。電気録音を復刻した当盤では、残念乍ら伝説的なヴィルティオーゾとしての名声を確認することは出来なかつた。演目も歌謡的な落ち着いた曲が多く拍子抜けだ。とは云へ、ヴェッチェイの音は野太く強靭だ。歌ひ込む時のどす黒い血が噴き出すやうな音色は類例がない。収録曲はVox録音が4曲で、シューベルト「アヴェ・マリア」、シューマン「トロイメライ」、クライスラー「グラーヴェ」「前奏曲とアレグロ」、ポリドール録音は9曲で、ドビュッシー「小舟にて」、自作自演「カスケード」「郷愁的な歌」、パガニーニのカプリース第13番、シベリウス「夜想曲」、パルムグレン「カンツォネッタ」、バッハ「エア」、レーガー「子守歌」、大曲でベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第3番だ。感銘深いのは自作自演の「カスケード」の鮮やかさだ。パガニーニも秀逸だ。シベリウス、パルムグレン、レーガーでは暗い歌を連綿と奏でてをり、思はず魅せられる。肝心のベートーヴェンは盛期を終へた衰へを感じさせる。(2018.2.9)

ブラームス:18の愛の歌とワルツ、歌曲(4曲)、4手の為のワルツ集より、シューベルト:月の光、フランセ:ピアノ協奏曲、リリー・ブーランジェ:序奏と行列、夜想曲/ディヌ・リパッティ(p)/ジャン・フランセ(p)/イヴォンヌ・アストリュク(vn)/ナディア・ブーランジェ(p&cond.)、他 [CASCAVELLE VEL 3081]
再びブーランジェを聴く。2枚組の2枚目。1930年から1938年にかけての録音だ。最も有名な録音は弟子のリパッティと連弾したブラームスの作品39のワルツ集で、EMIから繰り返し復刻されてきた。実はこの復刻は非常に重要で、EMI盤は番号順に7曲並べて仕舞つてゐるが、本当は6-15-2-1-14-10-5-6の配列で演奏され、6番が2回演奏されてゐる。その数少ない忠実な復刻なのだ。同じくリパッティと連弾した「愛の歌とワルツ」作品52の全曲録音の方は復刻が少なく稀少価値がある。他にブラームスではブーランジェのピアノ伴奏で歌曲が4曲録音されてゐる。「恋人のところへ」「姉妹」「響き2」「海」だ。シューベルトの歌曲も1曲録音されてゐる。歌手らはワルツ作品52でも共演してゐたが、残念ながら二流と云はざるを得ない。歌曲録音は価値なしだ。ブーランジェの指揮、フランセ自身のピアノ独奏による自作自演が興味深い。4楽章制の軽妙洒脱な曲だが、演奏の精度が低く楽しめない。当盤の白眉は夭折の妹リリー・ブーランジェの「行列」「夜想曲」をアストリュックのヴァイオリンにナディアがピアノ伴奏をした録音だ。亡き妹に対する思ひ入れは如何ばかりだらう。アストリュックも「行列」を献呈されてをり、これは特別な録音なのだ。(2018.2.6)

マギー・テイト(S)/マスネ、フォレ、ドビュッシー、アーン/ジェラルド・ムーア(p) [EMI CHS 7243 5 65198 2 4]
テイトのフランス・メロディー録音を集成した2枚組。2枚目は1940年から1948年にかけての録音で、全てムーアのピアノ伴奏による。演目はマスネ「悲歌」、フォレ「修道院の廃墟にて」「リディア」「ゐなくなつた人」「夢のあとに」「この世」「ネル」「秘密」「イスパファンの薔薇」「月の光」「夕暮れ」と「優れた歌」から3番、5番、9番、ドビュッシー「グリーン」「ロマンス」「美しき夕べ」「噴水」「夢」「花」「夕暮れ」、アーン「我が詩に翼があれば」「恍惚の時」「捧げ物」「ひそやかに」「ラテン礼賛第4番」だ。テイトの知的に抑制された含蓄のある歌唱はメロディーの理想的なあり方であり、淡く繊細な趣は絶品だ。ディクションも申し分なく、可憐な声質は天性の美しさが備はつてゐる。全て名唱だが、より近代的な作品ほど素晴らしく、ドビュッシーとアーンは最高だ。ムーアの伴奏が美しく比類がない。(2018.2.3)

ベートーヴェン:交響曲第9番/ルートヴィヒ・ズートハウス(T)/カール・パウル(Bs)/ライプツィヒ放送交響楽団と合唱団/ヘルマン・アーベントロート(cond.)、他 [BERLIN Classics 0183502BC]
1951年6月29日の録音。ロシア語やチェコ語での珍品録音を含め8種類以上もあるアーベントロートの第九交響曲の中では最も広く聴かれてゐる録音だらう。代表的な名盤だ。否、不思議な演奏だ。細部は混濁して雑然としてゐる。楽器の鳴りは悪く、古色蒼然とした響きだ。だが、これが良いのだ。各々が目立たず一丸となり、ほどよく混合され幽玄な趣に昇華された演奏は、ドイツの古き良き楽長だけが引き出せる音楽だ。洗練された読みの深い演奏からは得られない、伝統の為せる藝術が立ち上る。歌手らは気焔を吐いてをり、激しい歌合戦を披露する。ラクウスとオイストラティの女性陣の張り合ひは異常。アーベントロートが手綱を握り、時に紅蓮の炎を上げる。とは云へ、大変優れた演奏であることを認めつつ、アーベントロートの中では音質も最上である1950年12月31日録音の仏Tahra盤を第一に推さう。(2018.1.31)

アンドレス・セゴビア(g)/グルック、シューマン、アセンシオ、カステルヌオーヴォ=テデスコ、トローバ [RCA 8883788192]
1977年6月にスペインのRCAレーベルに録音されたギターの神様セゴビア最後の録音である。アルバムには”Reveries”―「夢想」と題が付けられた。レコードA面にはセゴビアによる編曲で、グルック「精霊の踊り」の主部、シューマン「子供の為のアルバム」から8曲―曲番は26、1、16、5、2、9、6、10だ―、有名な「トロイメライ」と「ロマンスOp.79-4」が収録され、B面には原曲作品でアセンシオ「神秘の組曲」、カステルヌオーヴォ=テデスコ「ロンサール」、トローバ「カスティーリャ」が収録されてゐた。賢明なるかなセゴビア、平易な曲を選曲し高齢の衰へを露呈せず、長年弾き尽くした演目で若造には出せない極みの音色を聴かせる。取り分け感銘深いのは「子供の為のアルバム」だ。聴く者なべての琴線に触れる至高の演奏。セゴビアは最後まで神であつた。(2018.1.30)

モーツァルト:交響曲第39番、同第40番、同第41番「ジュピター」/NBC交響楽団/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.) [RCA 88697916312]
トスカニーニRCA録音全集84枚組。11枚目を聴く。トスカニーニによるモーツァルト演奏の評判は頗る芳しくないが、三大交響曲を通して聴けるこの1枚には毀誉褒貶あるだらう。最も良くないのは第39番だ。冒頭から落ち着きのないテンポと響きで強引に押し捲る無慈悲な演奏だ。第2楽章は気品の欠片もない。第3楽章と第4楽章も余裕がなく、即物的で感興は皆無だ。第40番は幾分控えめに演奏され、悲劇的な情感を漂はせることに成功してゐる。疾風のやうなトスカニーニの流儀は聴かれるが、間合ひもあり悪くはない。とは云へ、名演と称賛するのは憚られる。ジュピター交響曲だけが良い。これは壮麗極まりない名演だ。力感が申し分なく明朗さも備へてをり、実に神々しいのだ。構へ過ぎない第2楽章の淡白さも好感が持てた。フーガの圧倒的な合奏力は品格云々を超えて迫る説得力がある。正統的な演奏ではないが、トスカニーニのジュピター交響曲の演奏は特記すべき名演である。(2018.1.25)

ラヴェル:夜のガスパール、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番、ドビュッシー:映像第1巻、バッハ/アニュエル・ブンダヴォエ(p)/イヴォンヌ・ルフェビュール(p) [Spectrum Sound CDSMBA017]
フランス国立視聴研究所からの発掘音源で、ブンダヴォエとルフェビュールの録音を収録した2枚組。2枚目はブンダヴォエによる「夜のガスパール」と、1973年6月28日、ルフェビュール最後の独奏リサイタルの録音だ。まず、1959年の放送録音、ブンダヴォエのラヴェルが素晴らしい。確かな技巧から底光りする妖気が感じられる名演だ。さて、何よりもルフェビュール最後の録音が重要だ。演目はバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻より第8番変ホ短調、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番、ドビュッシーの映像第1巻、バッハのオルガン協奏曲ニ短調BWV.596、アンコールに前奏曲とフーガイ短調BWV543からフーガだ。ベートーヴェンは全盛期の録音があり、比べるとフーガでは年齢による衰へを感じるが、嘆きの歌のしみじみとした味はひを聴くべきであらう。ドビュッシーも同様のことが云へ、技巧に解れがあるが色彩の妙に年輪を感じる。バッハは全て幻想的で霊感豊かな演奏ばかりだ。生涯をかけて弾き続けてきて血となり肉となつたバッハ演奏がある。感情を揺さぶる最高級のバッハだ。(2018.1.22)

レハール:「メリー・ウィドウ」、「ルクセンブルク伯爵」/ヒルデ・ギューデン(S)/ウィーン国立歌劇場管弦楽団と合唱団/ロベルト・シュトルツ(cond.)、他 [DECCA 458 549-2]
「メリー・ウィドウ」初演はレハール自身が指揮したが、副指揮者として関はつたのがシュトルツだ。この録音は「ウィーン・オペレッタ銀の時代」の息吹を伝へる重要な記録と云へる。面白いのは全曲の前にシュトルツが編曲した序曲が演奏されてゐることだ。ハイライトの接続曲で、レハール自身によるハイライト曲との類似点も興味深い。詰まり、シュトルツほどレハールに近い音楽性を持つた人はゐないと云へる。第2幕冒頭の踊りではステップの音を盛大に入れたり、随所に編曲―或いは上演史上の慣習的な変更かも知れぬ―を加へ効果を上げてゐるのが印象的。また、純然たるウィーンの音楽の再現に拘泥つた録音で、歌手も国立歌劇場のウィーン勢で固めてある。その為、優美で軽快、絢爛たる豪華さが前面に出た演奏だが、腰の強いアクセントはなく、「ヴィリアの歌」などに聴かれる異国情緒は薄い。甘く美しい反面、取り澄ました表現が物足りない。ギューデン以外の歌手は小粒で皮相に感じる。特色もあるが、踏み込みは弱い演奏だ。余白にギューデンとワルデマール・クメントによる「ルクセンブルク伯爵」から4曲だけの抜粋録音がある。指揮者はマックス・シェーンヘルで、フォルクスオーパーによる演奏だ。これもウィーン様式満載の正統的な演奏である。(2018.1.13)

バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番、同第5番、同第6番/リリアン・フックス(va) [DOREMI DHR-7801/2]
再びフックスを聴く。2枚組の2枚目。ヴィオラによる演奏では頭一つ抜けた極上の名盤だ。第4番が特に素晴らしい。技巧的にも難曲で原曲での演奏でも満足すべきものが少ない。晴れやかなヴィオラの音色で颯爽と弾かれた良さもあるが、見通しが良いのが素晴らしい。舞曲としての面白みも表現されてをり見事だ。第5番も連綿たる歌が美しいが、原曲のチェロの深い音色と比較して仕舞ふと遜色がある。ヴィオラでは軽く印象も薄くなる。特に独白めいた旋律で顕著に感じる。しかし、フックスの表現は極めて真摯で格調高い。第6番が瞠目に値する名演だ。原曲では気魄溢れるカサルスの演奏が今尚絶対的な存在なのだが、フックスは健闘してをり、全く異なる良さを提供して呉れた。繰り返して述べるが、チェロでの演奏を差し置いてでも推薦したい名盤だ。(2018.1.10)

モーツァルト:ピアノ協奏曲第13番、同第22番/アルトゥール・ロジンスキー(cond.)/ニューヨーク・フィル/ワンダ・ランドフスカ(p) [Music&Arts CD-821]
戦火を逃れて渡米したランドフスカの貴重なライヴ録音集第1巻2枚組。2枚目を聴く。2曲とも唯一の演目となり貴重だ。モーツァルトではチェンバロではなくピアノでの演奏だ。端正な演奏であるが、内面から湧き出る浪漫があり陰影が深い。決して過大な表現をしてゐる訳ではなく、そこはかとなく繊細な玄人好みの演奏なのだ。とは云へ、往時では常套的な演奏の範疇であり、ランドフスカの演奏に特別さはない。減り張りのあるロジンスキーの棒と豊麗な響きで包み込むニューヨーク・フィルの伴奏はロマンティックではあるが極めて見事。K.482の第2楽章の美しさは印象深い。録音状態が良ければ屈指の名演と数へられただらう。K.415も総じて素晴らしく大変な名演なのだが、この曲にはハスキルの絶対的な名盤があり、他の演奏は影が薄くなる。(2018.1.8) 

ベートーヴェン:交響曲第9番/エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)/エルンスト・ヘフリガー(T)/オットー・エーデルマン(Bs)/ルツェルン祝祭管弦楽団/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)、他 [audite 92.641]
巨匠最後の第九の録音として知られる「ルツェルンの第九」はかつて仏Tahraから驚異のリマスタリング盤が出て一躍注目を浴びた。それから約20年が経ち、独auditeが原テープからの復刻を謳ひ新リマスタリング盤を世に問ふた。1954年のライヴ録音としては極上の音質である。問題はTahra盤よりも良いかだうかだが、Tahra盤を捨てようとは思はない。正直申せばかつてTahra盤で感じたあの感動と興奮をこのaudite盤から得ることはなかつた。詰まり大差ないといふことだ。優劣はない。さて、演奏自体だが、覇気が感じられず特段良くはない。オーケストラも巨匠の棒に慣れてゐないからだらう。安全運転の無難な演奏であり、醍醐味である憑依的体験は得られない。枯淡の境地と評する向きもあるが、単に客演の手探りかつ新鮮な演奏であつたに過ぎない。フルトヴェングラー特有の魔神のやうな響きがなく、整つた部類の演奏だが、斯様な演奏なら幾らでもある。掛け替へのない演奏ではないのだ。(2018.1.4)


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