蒐集した音楽を興じて綴る頁
2024.12.30以前のCD評
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大変良く知られた1枚。モーツァルトはパリで活動中にフルート、オーボエ、ホルン、ファゴットの為のシンフォニア・コンチェルタンテを作曲したが、陰謀によつて楽譜を奪はれて仕舞つた幻の曲だ。20世紀になつてそれらしき譜面が発見され、名品であることから人口に膾炙したが、偽作のレッテルが剥がされることはなかつた。1974年に音楽学者ロバート・レヴィンがコンピューター解析で真贋を鑑定し、復元作業を施したのが当盤、通称レヴィン版だ。今日のAI技術ならだうだらうか。実に一長一短、クラリネットの採用はハルモニームジークへの開眼があつてのことと思ふ。さて、演奏は今もつてレヴィン版での決定盤だ。史上最高の奏者が揃つてをり他盤を寄せ付けない。第一にトゥーネマンが尋常でなく巧い。レヴィン版はファゴットの使用法が魅惑的で完全に主役である。さう感じるのもトゥーネマンが全部場を掻つ攫つて行くからだ。次いでバウマンが良く、肝心のニコレの存在感が薄いのだ。ホリガーが吹き振りでK.314を心行く迄気持ち良く演奏してゐる。(2025.7.9)
DG録音全集第1巻45枚組。未完成交響曲は堅実で真面目で立派な演奏である。現代的な解釈を先取りした感はあるが、面白味は少なく今日的な意義は乏しい。シューマンが名演だ。構成美を意識した交響楽的な演奏でコーダの盛り上げなどが効いてゐる。第4楽章も快速で終曲としての位置付けがあつて見事だ。不恰好な演奏が多い中、隠れた名演として特筆してをきたい。ヴェーバーの協奏曲は肝心のゴイザーの独奏に然程魅力を感じないが、管弦楽の伴奏の立派さに感心する。(2025.7.6)
オリジナル・ジャケット・コレクション10枚組。プラド音楽祭には様々な奏者が結集したが、指揮者オーマンディもそのひとりであつた。カサルスによるシューマンの協奏曲が残されたのは大きな収穫と云へよう。盛大な唸り声を伴ふ老カサルスの剛毅な演奏はシューマンには強く厳し過ぎる嫌ひがあるが、歌の呼吸が深く、他の奏者の淡い演奏とは次元が異なり感銘深いのだ。何時しか惹き込まれるのは流石だ。オーマンディの付け方が滅法巧い。当盤の目玉は鳥の歌だ。カサルスには何種も記録が残るが管弦楽伴奏はこれだけで、かつカサルスが衰へる前の1950年の演奏で決まつてゐる。最晩年の演奏も感動出来るが、心技揃つた演奏はこれだ。カサルスに棒よるカニグーの聖マルタン祭も野性味があつて楽しい。イストミンとのバッハのレチタティーヴォ、ハイドンのアダージョ、ファリャ「ナナ」は古色蒼然とした武道師範のやうな佇まひが聴ける。(2025.7.3)
ブッシュの復刻はGuild Historicalが精力的に行つたが、これらのハイドン録音は漏れてゐた。最晩年1950年にウィーン交響楽団と制作した録音の幾つかは仏Danteから3枚組で入手出来て、時計交響曲だけは収録されてゐた。これは既に別項で述べたので割愛する。それ以外の演目は当盤でしか聴くことが出来ず、蒐集家には重要な1枚だらう。大変珍しいニ長調序曲が聴ける。実に爽快で楽しい。音源自体少ないので決定盤と云つて良い。協奏曲はウィーン・フィルの首席を務めたホラーの威勢の良い独奏が素晴らしい。技巧は申し分なく覇気漲り立派だ。ブッシュの伴奏も壮大で熱気があり盛り上げてくる。第3楽章はおつとりした緩めのテンポで大人の演奏だ。ただ、全体としては野暮つたく古めかしさを感じさせる内容だ。軍隊交響曲が素晴らしい。ブッシュはべたつかない古典的な颯爽とした演奏に定評があり、活気溢れる熱の籠つた演奏をした。きりりとしつつ次第に圧倒するやうな情熱的な展開を聴かせ見事だ。(2025.6.30)
英APRは3巻6枚の復刻をしてゐたが補遺をし7枚組で再発。4枚目。最高難度の曲のひとつとして知られるブラームスのパガニーニ変奏曲を果敢に挑む。ペトリは技巧偏重の先入観がある曲を見直すことに誇りを感じてゐたに違ひない。さて、当盤はブゾーニの高弟ペトリの真価を伝へる神聖なる1枚で、収録された9曲のブゾーニの作品でこれ以上の演奏を望むことは不遜な考へだ。ブゾーニの作品はバッハ、モーツァルト、ビゼーなどの引用からなる作品が多いのが特徴だ。特に敬虔なバッハのコラールが殊勝なファンタジアと、華麗な技巧が鮮やかな「カルメン」からなるソナティナが極上の名演だ。そして、妖気漂ふインディアン日誌が素晴らしい。ミトロプーロスと共演したスペイン狂詩曲からは渡米後の米コロムビアへの録音である。ミトロプーロスにとつては初のスタジオ録音で、ブゾーニに所縁があるからだけでなく、ペトリの指名もあつたのかもしれぬ。(2025.6.27)
DeccaとPhilipsだけでなくEMIの音源まで収録した愛好家必携の全盛期録音集成14枚組。2枚目。シューマンの録音を纏めた1枚。協奏曲は何と2種類が収録されてゐる。ひとつは良く知られた1953年のアンセルメとのモノーラル録音、ふたつめは1962年のドホナーニとのステレオ録音だ。ジャンドロンはどちらも素晴らしく甲乙付け難い出来映えだ。フランス流の典雅な演奏はフルニエよりも小粋で、繊細な表情が心憎い。新旧の比較では録音の良し悪しを超えて旧盤が断然良く、この曲の屈指の名演である。アンセルメの柔和で詩情豊かな表現がシューマンに合つてゐるのだ。比べるとドホナーニの指揮は楽譜以上を引き出したものではない。さて、協奏曲よりも室内楽曲の方が琴線に触れる名演だ。ジャンドロンは作曲家フランセの薫陶を受け、二重奏は高雅な趣があつて名物であつた。幻想小曲集での香り立つ気品は如何許りだらうか。そして、ロマンスの甘酸つぱい情緒は夢幻だ。特に第2番はクライスラー以来の美しさだ。(2025.6.24)
ドイツ占領下に発足した連合国軍管制下の放送局RIASに保管されてゐたベルリンにおける全ライヴ録音を原テープからリマスタリングした12枚組。6枚目。ヴァーグナーは1949年12月19日の録音で、DGから繰り返し発売されてきた音源だ。演奏は凄まじい威圧を感じる物々しさがある。細部の表情は幾分雑に感じる。ヘンデル、ブラームス、ヒンデミットは1950年6月20日の録音で、当日はこの後にベートーヴェンのエロイカが演奏された―7枚目に収録されてゐる。ヘンデルとブラームスもDGから発売されたことのある音源だ。ヘンデルは前時代的な重厚感で押し潰されさうだが、高貴さを秘めた一種特別な名演で記憶に刻まれる。ブラームスの変奏曲は他にも録音があるが、当盤の演奏が最も仕上がりが良い。矢張りベルリン・フィルとの演奏は別格だ。さて、ヒンデミットは殆ど商品化されたことのない音源で目玉のひとつだ。手探りの感が強い演奏で完成度は低いが気魄には溢れてゐる。(2025.6.21)
やうやう集成されたコロムビア録音全集17枚組。2枚目。1941年から1946年にかけての小品録音集だ。重要な録音は作曲者ストラヴィンスキーとの共演だ。特にデュオ・コンチェルタンテは余人の及ばぬ境地を聴かせる。どの演奏にも驚嘆すべき深みがあり、ストラヴィンスキーの作品がかくも美しく演奏されたのを知らない。パストラールは作曲者指揮での木管楽器との演奏で乙だ。同郷の盟友フォルデシュとの小品はムソルグスキー「ゴパック」、ドヴォジャークのスラヴ舞曲を2曲、フバイ「マロシュ・ヴィゼ」、コダーイ「ハーリ・ヤーノシュ」間奏曲、ブラームスのハンガリー舞曲第5番、とジプシー要素満点の曲ばかりでシゲティの掠れた音色と濃厚な歌が決まつてゐる。大曲ではドビュッシーのソナタもあるが、個性的過ぎて本流からは程遠い。これらは英Biddulphから既に復刻があったが、カウフマンとの録音は初復刻だらう。フバイ「そよ風」、チャイコフスキー「感傷的なワルツ」、フランソワ・シューベルト「蜜蜂」、ストラヴィンスキー「パストラール」で、シゲティ特有の物々しさがあり惹き込まれる。(2025.6.18)
クリップスの英デッカ録音集成第1巻22枚組。1950年のモノーラル録音。当盤の特徴はウィーン流儀に尽きる。続くフリッチャイ、ヨッフム、ベームらの録音が甘さを抑へ堅実な仕上がりを重視し、トルコ趣味を幾分無骨さを持つて融合させてゐたのに対し、クリップスはウィーン・フィルのとろけるやうな優美さを存分に利用する。流麗で軽妙な反面、アンサンブルは甘めで締まりがなく隙だらけだ。合唱もばらけて薄く頼りない。他盤と明瞭な違ひがあり個性が際立つ。素晴らしいのはリップのコンスタンツェとローゼのブロンデだ。リップは夜の女王で名を轟かかせただけあり、軽やかで華があり愛らしいコンスタンツェを聴かせる。ローゼも劣らず可憐で、女性陣の番号では至福のモーツァルトを堪能出来る。ルードヴィヒとクラインも柔和で甘い歌唱で和合する。問題はオスミンを歌ふコレーだ。瀟洒で軽いだけでない。裏声混じりですかすのだ。聴かせ所の低音も逃げて仕舞ふ。オスミン出番の番号が良くない。クリップス盤は全体として甘く軽いモーツァルトを極めたと云へよう。余白にヘルベック編曲のトルコ行進曲が収録されてゐる。乙な企画だ。アリア集はマリア・ライニングとの「フィガロの結婚」の2曲だけがクリップス指揮で、他はベームらが指揮をした別日の録音だ。デラ・カーザ、デルモータ、シェフラーらの名唱が楽しめる。(2025.6.15)
没後50年記念54枚組。3度目となる大全集で遂にオリジナル・アルバムによる決定的復刻となつた。11枚目。1955年から1956年にかけてのモノーラル録音。斑ッ気のあるフランソワにシューマンは打つて付けなのだが、録音はさう多くない。フランソワのシューマンは内省的なロマンティシズムは皆無で夢想する詩人の音楽ではない。何処となく気障で洒脱で垢抜けた小粋さがある。絶品はパピヨンで、特に終盤の名残惜しい情趣は美しく、コルトー以来の名盤と讃へたい。謝肉祭も洒落たコントのやうで素晴らしい。スフィンクスでの妖しさや大見得を切つた終曲など個性が溢れてをり楽しい。煌びやかなタッチが曲想と合致してゐる。交響的練習曲はドイツ・ロマン主義の要素が強い曲だからか感銘が劣る。(2025.6.12)
アンドレ・エディション第1巻6枚組。1枚目。バロックから古典までの主だつた協奏曲が聴けるが、矢張り真の名曲はハイドンだ。アンドレにはそれこそ7種類以上もの録音が残るが、当盤は1971年の絶頂期に録音された決定的名盤と目されるものだ。グシュルバウアー指揮のバンベルク交響楽団による伴奏も上等である。アンドレの傑出した奏法は黄金のやうな美音に尽きる。弱音を駆使した柔和な発音からのディミヌエンドで甘くとろけるやうなヴィブラートを間断なく掛ける。力技は不要とばかり上品なフランス流儀が特徴だ。この完成度に敵ふのは容易ではない。レオポルト作の2楽章の協奏曲も聴き応へがある。ハイドン作とされるハ長調のオーボエ協奏曲の編曲は原曲の印象がないからか十分楽しめる。モーツァルトのK.314のオーボエ協奏曲の編曲は見事だが、原曲を超えるまではいかない。(2025.6.9)
愛好家を驚愕させたmelo CLASSIC。マヒュラは戦中はベルリン・フィルの首席、戦後はアムステルダム・コンセルトヘボウの首席奏者として名を馳せた。だから、ソロイストとしての認知度は低い。渋く底光りする演奏は玄人好みで、知る人ぞ知る名手と云へるが、このドイツ放送局に残した協奏曲録音はマヒュラが第一級のチェリストであつたことを立証する。マヒュラの名はフルトヴェングラーとのシューマンの戦中ライヴで知られてゐるやも知れぬ。巨匠の伴奏の妙もあつて今もつて決定的名演だ。1945年録音の当盤は同じくベルリン・フィルとで指揮はベームだ。マヒュラの演奏はフルトヴェングラー盤同様内省的で素晴らしい。ベームの伴奏も悪くないが、霊感豊かで伸縮自在なフルトヴェングラーの音楽に比べると凡庸に映じる。ボッケリーニの最も有名な変ロ長調協奏曲はピエール・レイネルスとの1944年の録音。滋味溢れる高貴な演奏で美しい。1952年録音、ロスバウトとのサン=サーンスが名演だ。マヒュラの音色は輝きがなく渋くくすむ。派手さと熱気で押し切られることが多い曲で、品格と峻厳さで聴かせる。新鮮な発見があるのだ。1952年録音、ミュラー=クライとのチャイコフスキーもしつとり落ち着いてをり熟練の名演だ。(2025.6.6)
1953年3月17日、シャンゼリゼ劇場におけるライヴ録音。クレジットには8月31日の記載があるが、これは放送された日の誤記らしい。恐らく当盤の音源もエア・チェックかと思はれる。これは数少ないナットの実演記録で、慈善事業支援の為のチャリティー・コンサートであり、何と20年振りのステージだつたさうだ。当日のプログラムは前半が幻想曲とアパッショナータ、後半が子供の情景とショパンの葬送ソナタであつた―ショパンは仏Tahraが商品化したが、アンコールも含めてオリジナル・テープからのコンサートの完全なる商品化は一度もされてゐないので待望される。さて、演奏だが、全て正規セッション録音があるけれども実演の感興を楽しみたい。シューマンでは仄かな幻影が立ち上る幻想曲が素晴らしい。ベートーヴェンは盛大なミスタッチや縺れ、弾き飛ばしなどがある。だが、感情を爆発させた実演のナットの姿に圧倒される。これが賢人ナットの本性なのか。小手先の巧さを超えたところにある音楽。振り切つた激情的な表現に聴衆も熱狂してゐる。(2025.6.3)
ベームの歌劇と声楽作品録音を集成した70枚組。1973年の録音で条件の整つた名盤として知られる。ベームはモーツァルトの歌劇をシュターツカペレ・ドレスデンを起用して多く録音し成功してゐる。特に後宮からの逃走はジングシュピールとしての強みに繋がつてゐる。独唱では堅実で玄人振りを発揮したシュライアーのベルモンテが光る。しかし、ヴンダーリヒの魅惑には僅かに及ばない。愛らしいグリストのブロンデも良い。だが、これもシュトライヒの可憐さに及ばない。モルのオスミンは健闘してゐるが薄口だ。オジェーのコンスタンツェは水準程度だらう。管弦楽と合唱がドイツらしさを表出してをり見事だ。ベームの指揮は流石の巧さだが、時に熱量に不足し音楽が沸き立たない。当盤は総じて減点の少ない優れた録音なのだが、抜きん出た点もなく面白みに欠ける。(2025.5.30)
RCA録音―米國での録音―全集40枚組。7枚目。1945年4月と12月の録音。ミヨーは膨大な楽曲を作曲してをり、作品57の交響組曲はこのモントゥー盤がなければ聴く機会がなかつたであらう。復刻もこれまでなかつた筈だ。騒々しい近代曲で特殊楽器の珍奇な響きを楽しめるが音楽としては五月蝿いだけだ。ハイフェッツとの録音は取り合はせが関心を引く。さて、ショーソンは長らく未発売で、2001年に英TESTAMENTが蔵出ししたのが初出であつた音源だ。ハイフェッツの音が美し過ぎて唖然とする。しかし、内容は薄く相性は良くない。グリューエンバーグは別項で述べたので割愛する。競合盤など存在しない絶対的演奏。(2025.5.27)
ジーリの復刻は最初Romophoneが敢行したが頓挫し、Naxos Historicalが引き継ぐ形で完結させた。Romophoneの事業が不透明な頃にTESTAMENTが戦後録音集を4枚発売した。実はこれらを避けるやうにその後のNaxos Historicalの復刻は行はれてをり、全集はNaxos HistoricalとTESTAMENTを揃へる必要がある。ジャケットには1952年の表記があるが、当盤に収録された録音は1949年から1951年までだ。演目だが、全てイタリアの民謡ばかりだ。引退直前の録音で歌劇のアリアは少なくなり、歌曲が増える。しかし、誰が引退間近の声であると見破れるだらうか。甘く張りのある優美な声に衰へはない。泣き節もファルセットも自由自在、これは誰も敵はぬ。贅を尽くした管弦楽伴奏で至福のひととき。特に有名な「サンタ・ルチア」に痺れる。収録曲20曲が似たやうな曲調なので、一般的な聴き手は関心が持てぬだらう。(2025.5.24)
新装プリムローズSQ録音集3枚組。2枚目。BiddulphはかつてプリムローズSQの復刻を行なつてをり、LAB 052-053の品番で2枚組であつた。新装盤は追加音源を加へ3枚組になつた。名ヴィオラ奏者プリムローズ主導の四重奏団の特徴は何と云つても、第一ヴァイオリンにオスカー・シュムスキー、第二ヴァイオリンにヨーゼフ・ギンゴールド、チェロにハーヴェイ・シャピロ、と一流のソロイストが4名揃つたことにある。弦楽四重奏では普通はないことで、三重奏までだらう。個々人の実力が遥かに上でも単純な足し算にはならない。専門の団体が凌ぎを削る世界なので生半可に関はつても食ひ込めない。しかし、プリムローズSQはソロイストたちの饗宴らしく、派手で聴き映えのする演奏で効果を上げてゐる。アンサンブルの統一感もあり、見事な成果を残したと云へよう。さて、ヴィルティオーゾ集団のプリムローズSQが何故ハイドンを録音したのかには疑問を抱ひて仕舞ふ。終曲を除いて全て緩徐楽章といふ異例の作品で、技巧的な見せ場は皆無、表現は贅を尽くした見事なものだが、力が余つてゐる気がしてならない。古典的な清楚感が薄く感銘も弱いのだ。さて、チャイコフスキーの楽章断片が初復刻だ。軽やかな名演だ。(2025.5.21)
驚天動地の偉業と絶讃したいミトロプーロス録音全集69枚組。ミトロプーロスでは珍品の部類に属するドイツの王道演目。ブラームスは気乗りのしない演奏かと思ひきや、第6変奏が倍速近い猛烈なテンポで魂消るが、それ以外は大して面白くはない。当盤の目玉はヴェーバーだ。そもそも演奏される機会の少ない曲に取り組んだミトロプーロスには目論見があつたのだらう。主部に入つてからの疾風のやうなテンポが目覚ましい。ミネアポリス交響楽団は喰らひ付くのに精一杯でしつかり弾けてゐない。しかし、実に愉快痛快だ。かくも魅惑的な曲であつたのか。音楽に生命を吹き込んだ瞬間を味はへる。他の演奏が聴けなくなる逸品。一転、ベートーヴェンの名曲は全く面白くない。常套的な演奏で、唯仕上がりが悪いだけの演奏なのだ。(2025.5.18)
14枚組。シャフランの録音がこれほどまでに集成されたことはなく愛好家は必携だ。シャフランは常に驚きと畏れを与へて呉れるが、シューマンの協奏曲はその最たるものだつた。冒頭の音からウォッカに浸かつたやうな酔狂極まりない異常な歌ひ出しで、シューマンの憂鬱で詩的な躊躇ひは微塵もない。徹頭徹尾シャフランの独自の藝風を貫く。押し付けたやうな運弓と不規則なヴィブラートによる奏法はまるで狂詩曲宛らの仕上がり。第3楽章への入りでは盛大に弓をぶつけて闘争的だ。正統的な解釈とは程遠いのだが、次第にシャフランの世界に呑み込まれる。雄弁なカデンツァではすつかり魅了されてゐるのだ。1974年のライヴ録音。ドヴォジャークはシャフランに打つて付けで聴き応へ満点の名演だ。好敵手ロストロポーヴィチが涼しい顔で完璧な演奏をするのに対し、シャフランは一所懸命組み合つて挌闘する。全く正反対の名演なのだ。1980年のライヴ録音だ。(2025.5.15)
ヴンダーリヒDG録音全集32枚組。何と云つても翌年に急逝して仕舞ふヴンダーリヒのベルモンテが素晴らしい嵌り役だ。甘い美声と豊かな表情で貴公子然とした見事な歌唱なのだ。これ以上は考へられないほど決まつてゐる。ベーメのオスミンも良い。グラインドルほどの威厳はないが、悪役振りでは上手で盛り上げて呉れる。フリードリヒ・レンツのペドリッロも手堅く男性陣は最上級だらう。問題は女性陣だ。ブロンデ役のシェードレは健闘してゐるが、この作品の華だけに小振りで物足りない。コンスタンツェ役のケートが全く良くない。声がか細く弱々しい。表現も薄くて冴えない。ヴンダーリヒと共に当盤の価値を高めてゐるのはヨッフムの棒だ。特にセリムが登場するトルコ音楽の場面の盛大な鳴らし物の楽しさは格別。合唱も勇壮で最高だ。要所が締まり小躍りしたくなる名演なのだ。(2025.5.12)
2枚組2枚目。ベートーヴェンは1922年から1923年にかけてのアコースティック録音。ヴァルトシュタイン・ソナタとアパッショナータは記念すべき意欲的な全曲録音であつたが、電気録音での再録音があり蒐集家以外の関心は低からう。しかし、年齢的にもこの旧録音の方が覇気と技巧に輝きがあり内容は上だ。猛烈で情熱的な演奏こそラモンドの本領だ。第18番の断片にも同じことが云へる。さて、1941年の未発表録音のショパンが貴重だ。ラモンドの録音はベートーヴェンとリストが殆どで、朴訥で枯れたショパンには独特の味はひがある。本当に重要なのは1945年のBBC放送録音に残されたリストの2曲だ。無骨で詠嘆が滲んだ演奏が素晴らしい。演奏の前に「リストとの初めての出会ひ」と「リストの伝説について」を語つてをり付加価値があらう。(2025.5.9)
新生Biddulphのアウアー門下生の復刻シリーズ。女流では筆頭格であつたメンゲスの登場だ。2枚組。1枚目。バッハとベートーヴェンで正統派解釈による驚異的な精度の名演を堪能出来る。バッハでは権威とされたサミュエルとのホ長調ソナタが良い。高貴で純度の高い音色に驚かされる。メンゲスは男勝りの技巧だけではないのだ。エアも同世代の奏者らのべたついた頽廃的な演奏とは一線を画し、爽やかなロマンティシズムが特徴だ。無伴奏曲はパルティータ第3番ガヴォット、ソナタ第1番フーガ、パルティータ第2番シャコンヌと名曲を吹き込んでゐる。どれも精緻な技巧と求道的なひたむきさで天晴だ。さて、1923年の世界初の完全全曲録音であつたベートーヴェンの協奏曲がやうやく復刻された。管弦楽の音は極めて貧弱で問題外だが、メンゲスの完璧なヴァイオリンには圧倒される。アウアー門下を刻印する力強いボウイングは圧巻で、スケールやアルペジオの精妙さに舌を巻く。古い録音なので鑑賞には適さないが、メンゲスの凄みが良く分かる演奏なのだ。(2025.5.6)
オリジナル仕様によるDG及びARCHIVへの録音全集14枚組。9枚目。マイナルディは派手さとは無縁の滋味溢れる音楽を奏でる玄人好みのチェリストで、この2曲には打つて付けだ。2曲とも全体的にのんびりしたテンポで焦り煽るやうな箇所は皆無だ。緩徐楽章の夢見るやうな陶酔は滅多に聴けるものではない。技巧の切れを聴かせる積りはさらさら無く、盛り上がりに欠けるのは難点だが、弛緩したやうに聴こえないのがマイナルディの至藝である。とは云へ、朗々と歌ひ丁寧に仕上げた演奏以上ではなく、強い印象を刻印する訳ではない。レーマンの伴奏が等質度が高く、気品溢れる素晴らしい出来栄えだ。(2025.5.3)
フリッチャイのDG録音全集第2巻37枚組。後宮からの逃走の古典的名盤として忘れ難き録音だ。これだけの名歌手で嵌まり役を揃へた録音は他になく、独唱陣に関しては頭ひとつ抜けた名盤なのだ。最も異彩を放つのはグラインドルのオスミンで圧倒的存在感と安定感だ。低音の聴かせ方も巧い。次いでシュトライヒのブロンデが可憐で流石だ。個性が際立つ。シュターダーのコンスタンツェは幾分大人しさを感じないでもないが、凛とした伸びのある歌声は絶品で決まつてゐる。意外とコンスタンツェ役には満足すべき名唱がなく、シュターダーは規範と云へる。ヘフリガーのベルモンテは次第点だ。問題はマルティン・ヴァンティンの歌ふペドリッロで聴き劣りする。さて、フリッチャイの棒はここでも見事だ。派手さはないが活気がある。真面目過ぎる嫌ひはあるが、細部まで神経が通つてをり弛緩がない。余白にシュターダーとの名唱集が収録されてゐる。「エクスルターテ・ユビラーテ」の1954年旧録音、「フィガロの結婚」から1曲、「ドン・ジョヴァンニ」から2曲で、清明な歌唱が心洗ふ。(2025.4.30)
20世紀初頭に活躍した大物バリトン、ルッフォの録音集成第3巻。2枚組の2枚目。ここから電気録音だ。プリマ・ウォーモとして世界を席巻した若武者ジーリを相手に対等に渡り合へたのは老執政官ルッフォのみだらう。「運命の力」「ボエーム」「ジョコンダ」の3曲で火花を散らす。これは聴きものだ。繰り返し吹き込んできた得意の演目もそれぞれ素晴らしいが、古雅なビッリ「ティチィアネッロ」や瀟洒なマスネ「パニュルジュ」を歌つたのが貴重だ。イタリア歌曲の録音が約半数を占める。古武士のやうな苦味のある歌が沁みるのだ。「帰れソレントへ」は特に感銘深い。最後の歌曲録音集のピアノ伴奏を務めたのはジェラルド・ムーアだ。尚、2面分、歌ではなく語りの録音がある。ひとつはシャリアピンへの挨拶、もうひとつはシェイクスピア「ハムレット」の朗読だ。(2025.4.27)
RCA録音全集。これらは1947年の78回転時代にSP録音されたジャニス最初の正規録音だ。当盤が初復刻だらう。兎にも角にもバッハが珍しい。他に一切録音がなかつた筈だ。グレインジャーのやうな妖気はないし、ルフェビュールのやうな厳しさもないが、技巧の確かさは良くわかる。ショパンはどれも颯爽として良い。エチュード3曲といふ選曲でジャニスがその技巧で注目されてゐたことが知れる。特典盤扱ひで再発時の廉価盤では割愛されてゐたので、蒐集家には貴重な1枚だ。(2025.4.24)
コロムビア録音全集77枚組。1951年と1953年に録音されたニューヨーク・フィルとのブラームス交響曲全集と管弦楽曲集のモノーラル旧盤。世評では分厚く性能の優れたニューヨーク・フィルとの演奏がコロムビア交響楽団との新盤よりも高く評価されるが、丁寧に聴くと考へを変へた。コロムビア交響楽団との演奏の方が唯一無二の個性が聴けて面白いのだ。変奏曲と序曲の旧盤は良くも悪くも常套的で、類似する演奏を探すことが可能だ。そして実はヴァルターの意思が然程盛り込まれてをらず、雑な箇所が散見される。ハンガリー舞曲が素晴らしい。情熱的に煽り、妖しく翳る。第17番、第1番、第3番、第10番の4曲で、どれも最高の演奏だ。ハンガリー舞曲はステレオ再録音がないので重宝される。(2025.4.21)
DG録音全集24枚組。第28番は最も成功した名演と云へるだらう。硬質のタッチが生み出す玲瓏たる音色。侘しさが孤高の趣を添へて極上のピアニズムを現出させるのだ。祈りと愛が昇華された幻想的な音楽が紡がれる。この曲の最も素晴らしい演奏のひとつだらう。ハンマークラヴィーア・ソナタは威容のある堂々たる名演だが、晩年のギレリスからは全曲を通しての神通力を感じることは出来ない。深々とした第3楽章だが音楽が掌から零れていく。第4楽章は息切れしてゐる。この曲ではソロモンとシュナーベルが到達した境地を聴くことは稀だ。(2025.4.18)
「パリのモーツァルト」と題された高名なLP7枚のアルバムを未収録1曲のみでCD4枚に再構成した麗しきディスク。4枚目。大家たちの悠然たる名演を楽しめる。華麗な技巧家ダルレによる変奏曲と前奏曲は実に典雅で艶めかしく語り口が鮮やかだ。ヴァイオリン・ソナタはシャルミーの堅実な演奏が面白くないが、ペルルミュテールの宝石のやうなタッチが合奏の質を高めてゐる。ハ長調ソナタを弾くバレンツェン女史の孤高の演奏は規範と云へる見事なものだ。シャンピの弾くトルコ行進曲付きソナタは個性が弱く印象に残らない。ペンヴェヌッティが弾くヘ長調ソナタも特徴がある訳ではないが、優美な良さがある。デカーヴの弾く変奏曲が情緒に溢れた名演だ。なお、未収録の1曲はフランソワ=ジュリアン・ブランが吹くフルートと管弦楽のためのアンダンテK.315だ。(2025.4.15)
加ドレミによるプレスティ&ラゴヤの第2弾。戦前の録音でプレスティによる独奏7曲分が重要だ。1937年もしくは1938年の録音とされるアルベニス、マラツ、トローバ、パガニーニの復刻は伊IDISからもあつたが、1942年録音のポンセ「メキシコ民謡」第2番と第3番、グラナドス「アンダルーサ」は初めてだらう。天才少女の忘れ難き記録だ。プレスティ亡き後、1969年にカナダでラゴヤが残した興味深い録音が聴ける。独奏ではスカルラッティのソナタの編曲とカルカッシの練習曲で、見事な演奏だ。ドーズと組んだパガニーニのデュオが極上の名演だ。そのドーズが率いるオーフォードSQとのボッケリーニが滅法楽しい。そして、最後にプレスティ&ラゴヤでカステルヌオーヴォ=テデスコの協奏曲の世界初演録音といふ目玉がある。1962年の貴重な記録だ。これ以上はあるまい。(2025.4.12)
34枚組。ソフロニツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく偉業と云へよう。3枚目。1958年6月8日、モスクワ音楽院における伝説的なリサイタルで、ソナタが4曲も聴ける。スクリャービン弾き以外にもよく演奏される第3番も味はひが違ふ。ソフロニツキーの演奏は明滅する霊感の迸りである。神秘的な呪文のやうな世界を現出させ、伝統的なピアニズムとは掛け離れてくる。前奏曲は作品74から3曲、練習曲は作品42から3曲が選ばれてゐる。ソナタの第8番や第9番や前奏曲など後期の作品になればなるほど、異教的で刹那的な美が光つては消え燦爛する。誠に他の奏者の出る幕がない突き抜けた体験が出来るひとときだ。(2025.4.9)
開拓者シェルヘンが残したマーラー録音集第2巻5枚組。1950年のライヴ録音。シェルヘンには何と4種も第7交響曲の録音が存在する。比肩する者がない一過言持つ権威と云へよう。シェルヘンにはトロント交響楽団との決定的名演があり、比べると当盤は多くの点で及ばない。何よりもウィーン交響楽団の機能面での問題があり瑕が多い。弦楽器は一部で巧さを感じさせるが、管楽器はかなり精度が悪い。シェルヘンの解釈もトロント交響楽団との情念が爆発した演奏と比べると散漫な箇所が目立つ。音質も優れず蒐集家以外には不要だらう。(2025.4.6)
デュボワの復刻はマースとのデュオ録音がかつてBiddulphから2枚出たきり久しくなかつた。協奏曲2曲の大曲を含むマーストンによる新復刻は愛好家必携の1枚と云へよう。早期にエック作の偽作と喝破され人気凋落した第6番はティボーの決定的名盤で知られるのが関の山だ。さて、デュボワが驚くほどティボーに似た音を出す。ティボーよりかは甘く豊かに歌ひ相当良い演奏だが、凛としたティボーには矢張り及ばない。フランコ=ベルジュ派の系譜はヴュータン、イザイ、デュボワ、グリュミォーと繋がる。その意味でもヴュータンの協奏曲が聴ける意義は強い。この曲はハイフェッツのものだが、むず痒いロマンティシズムを感じさせるデュボワの演奏も捨て難い。同様にイザイの無伴奏曲も価値ある記録だ。確かな技巧と美音を保持してゐるのは見事だ。古典の小品が良い。ムーアの伴奏によるヘンデルのホ長調ソナタの典雅な情趣は如何許りであらう。ナルディーニ「アリア」のしつとりとした美しさも良いが、ルクレール「タンブーラン」の品のある陽気さは絶品だ。モーツァルト「メヌエット」も優美だ。(2025.4.3)
ICONシリーズ。フルニエは様々なレーベルに録音をしたが、これは活動最初期の記録を多く含むEMIへの録音全集7枚組だ。シューマンとチャイコフスキーは1956年の録音でサージェントの伴奏だ。シューマンが絶品だ。この曲はマヒュラとフルトヴェングラーによるライヴ録音が奥深く、他に良い演奏がないのだが、若きフルニエの詩情漂ふ上品な演奏は琴線に触れる。後年の演奏にはないしなやかで繊細な音色が最良の状態なのだ。第3楽章のカデンツァはフルニエ作である。チャイコフスキーは散漫で良くない。品が良すぎて追求が弱いのだ。同じく1956年の録音でガリエラ指揮、オイストラフとの共演でのブラームスは数ある同曲の録音では影が薄い。オイストラフもフルニエの絶頂期の演奏で滴るやうな美音の応酬なのだが、お互い音楽への踏み込みが弱く、心に響かない。(2025.3.30)
新発見の放送録音集4枚組。ほぼ新演目ばかりといふ御宝音源だ。1枚目。フリッチャイには後期の代表的な交響曲しか録音がなかつたが、何と偽作の第2番と第3番を省く番号1桁台の交響曲全部を1952年に集中的に行はれた録音で聴くことが出来る。モーツァルトを敬愛したフリッチャイだからこそ、細部に至る迄血を通はせ躍動する音楽が連続する。含蓄ある転調の妙も美しく、初期交響曲がかくも充実して聴こえるのは流石である。これらの作品はイタリアのシンフォニア風に演奏されることが殆どだが、このフリッチャイ盤の著しい特徴はドイツ的な堅固で思弁的な演奏にある。音符の捉へ方が古典派の手法で処理されるので格調高く仕上がつてゐる。(2025.3.27)
DG録音全集121枚組。1985年のライヴ録音。この再録音は旧盤と同じくニューヨーク・フィルを起用してゐる。その為か、新旧両盤の決定的な差を見出すことが難しい。この新盤の方が演奏時間が伸びて、細部の表現が凝つてゐる。旧盤はテンポが速めで見通しが良かつた。響きも派手でアメリカの映画音楽のやうな趣すらあつた。この新盤では侘びたオーストリアの田舎の風景を髣髴とさせるマーラーの響きが堪能出来るので、僅差ではあるが矢張りこの再録音に軍配を上げよう。一方で細部の素晴らしさに反比例して間延びしてゐる箇所も散見される。(2025.3.24)
ミュールは1954年から1956年にかけてDeccaに6枚の"Le Saxophone"といふアルバムを残した。この2枚組はそれらからの復刻盤だ。2枚目。第6巻の残り全て、ランティエ「エスカルディナク」、マッシス「4つの無伴奏エチュード・カプリース」、第2巻よりシュミットのサクソフォーン四重奏曲、第5巻よりグラズノフのサクソフォーン四重奏曲、ボルサリの四重奏曲「前奏曲とコラール・ヴァリエ」、"La Trompette"第3巻から「トランペットとアルト・サクソフォーンとピアノの為の協奏曲」が収録されてゐる。1枚目と合はせると第6巻が全部復刻されてをり、特に無伴奏でのマッシアの作品は聴き応へがある。四重奏曲は大作曲家らが名作を残してをり、サクソフォーンの可能性を感じ取ることが出来る。特にグラズノフが傑作だ。さて、トランペットのアルバムに特別出演した珍しい録音が収録されてゐるのが貴重だ。トランペットとサクソフォーンによる二重協奏曲とは珍奇で面白い。(2025.3.21)
英APRは3巻6枚の復刻をしてゐたが補遺をし7枚組で再発。2枚目。英コロムビアへはベートーヴェンのソナタを4曲録音したが、どれも散漫で凝縮度は低い。シューベルトが深い詠嘆をさり気なく紡いだ名演である。さて、分量が多いリストが面白い。ペトリはリストのトランスクリプションを大変得意とし、生涯を通じて拘泥はり続けた。演目はシューベルトでは「菩提樹」「糸を紡ぐグレートヒェン」「ウィーンの夜会第6番」、ヴェルディからの編曲で最高傑作とも云へる「リゴレット・パラフレーズ」、グノーの「ファウストのワルツ」だ。原曲への理解も試される編曲作品で示した含蓄あるペトリの語り口は玄人好みだ。ベートーヴェンによる幻想曲はレスリー・ヘワードの伴奏。かういう曲での巧さは無双だ。練習曲集も無論名演揃ひだ。(2025.3.18)
ゼッキのルーマニア・エレクトレコードへの録音全集3枚組。1枚目。ゼッキはピアニストとしての経歴を早々と捨て、音楽活動の大半を指揮者として過ごした。ルーマニアのオーケストラを振つて屈託無く満足気にモーツァルトを演奏してゐる。どの演奏も特段優れた訳ではなく全く問題にもならぬ。但し、珍しい演目が並ぶので、競合盤も少なく多少は価値があらう。第1番は覇気があつてなかなか良い。偽作として今や全く等閑されてゐる第42番も貴重で面白からう。内容が充実してきた第27番は流石に聴き応へがある。一番良いのはK.251のディヴェルティメントだ。残念乍ら全曲ではなく第1楽章、第3楽章、第4楽章、第5楽章だけだ。しかし、優美さと素朴さが調和した名演で惹かれる。(2025.3.15)
1965年4月25日のライヴ録音。識者には大変よく知られたこの曲の決定的名演だ。この演奏を超えるのは絶対考へられない。強い説得力にぐうの音も出ないのだ。演奏時間70分弱。世界最速の記録は未だに破られてゐない。対極にある名演であるクレンペラー盤が100分強なのだから、何と30分も差が出るのは驚きを超える。第1楽章から煽り立てるやうな速さで楽器が鳴り切つてゐない箇所もあるが、次々に音響世界が交錯するので興奮が止まらない。濃厚な味付けで緩急も自在だ。猛り狂ふかと思ふと夢想に耽る。矢張りシェルヘンは怪物だ。この難解な曲を余人の及ばぬ次元で完全に手中に収めて仕舞つた。どの瞬間を取つてもマーラーの最上の表現が聴ける。クレンペラー盤も躊躇なく捨てることが出来る。第7番に関してはシェルヘンのトロント盤一択だ。(2025.3.12)
新生Biddulphが英國の名手サモンズの復刻に乗り出した。これ迄はNaxos HistoricalとDuttonによる復刻があつた程度なので歓迎したい。サモンズの切り札であるエルガーには無論復刻があつたが、1916年にアコースティック録音で吹き込まれた短縮録音である旧盤の復刻は実に貴重だ。大胆なカットが施されてゐるが要点は押さえてゐる。旧版も完全版の新盤でも伴奏はウッドである。エルガーの協奏曲はメニューインが良いとかハイフェッツが良いとか議論があるが、間違へてはいけない。サモンズが込めた含蓄に勝るものはない。盟友マードックとのソナタも次元が違ふ。地盤が違ふのだ。(2025.3.9)
没後50年記念54枚組。3度目となる大全集で遂にオリジナル・アルバムによる決定的復刻となつた。10枚目。デビュー盤以来のショパン・リサイタル・アルバムだ。軸は暗き情熱が迸る葬送ソナタだ。1956年9月の録音で、前年にも同曲を録音してゐたのに録り直しをした。比較をしてみたが、古い1955年の方がフランソワらしい名演だ。再録音盤は幾分散漫に感じた。さて、1955年12月に録音された他の演目に注目したい。フランソワは網羅的全集録音を遂行したので、これら散発の録音を聴く機会は容易ではなかつた。だが、拘泥はりの選曲だけに全集録音よりも魂が吹き込まれてゐる。何と云つても「革命のエチュード」の噴流のやうな激情には圧倒される。ノンシャランなノクターンやワルツも絶品だ。(2025.3.6)
ロス・アンヘレス全集59枚組。1959年のステレオ新盤の録音だ。僅か5年での再録音は勿論ステレオでの録音といふ意義が大きい。だが、モノーラルでも最上級の音質だつたので下手なステレオ方式が単純に優れてゐるとは云へぬものだ。さて、忌憚なく申して、この新盤は全く良くない。否、旧盤が良過ぎたのだ。第一、ロス・アンヘレスが落ち目になつてゐるのを感じて仕舞ふ。残念だ。ディ=ステファノに比べるとビョルリンクは色気が足りない。翳がある声はピンカートン向きではない。マリオ・セレーニは良く歌つてゐるが、ゴッビには太刀打ち出来る筈もない。サンティーニの指揮は申し分ないが、ガヴァッツェーニの方が断然良かつた。旧盤が名盤だつただけに安易にステレオで決定盤を製作しようと企画したのだらうが不発であつた。(2025.3.3)
EMI録音全集22枚組。3度目の全集でオリジナル仕様になり決定的復刻になつたと云へよう。10枚目。1968年、夫バレンボイムの献身的な伴奏による代表的録音。サン=サーンスの方が名演だ。情熱的なデュ=プレの炎と化した演奏は聴く者に緊張感を強いる。両端楽章は特に見事だ。とは云へ、フランス風の優美さには欠け、上等な演奏とは云ひ兼ねる。大人の風格にはまだ遠いのだ。これはシューマンにも当て嵌まる。達者に弾いてゐるが、元気が良過ぎてシューマンの音楽には届いてゐない。バレンボイムの指揮は悪くないが、含蓄はまだない。(2025.2.27)
管弦楽と協奏曲の録音全集95枚組。1968年の大変有名な録音だ。平均演奏時間が80分の曲が100分も掛かり、世界最長の記録を保持してゐるからだ。どの楽章も遅く、難解とされる楽曲が解剖学的もしくは細密画的な演奏をされるので、実に全体が明晰になつてをり究極の名演とされる。余りの遅さに退屈するとか違和感があるとかいふ危惧はない。確信を持つて演奏されるからマーラーの交響楽にどつぷりと浸かれる。これは別物なのだ。摩訶不思議な演奏で、これぞクレンペラーの凄みと云へる。マンドリンやカウベルなど特殊楽器の聴かせ方も見事で比類なき極上の名盤なのだ。(2025.2.24)
ジーリのオペラ全曲録音はどれもジーリが突出して素晴らしく、均衡を欠くものばかりだが、唯一蝶々夫人だけはダル・モンテといふ人気と知名度で引けを取らない大歌手との共演で聴き応へがある。ここでもジーリのピンカートンが抜きん出てゐる。第1幕前半の意気揚々とした張りに対して、蝶々さんと歌ふ後半では甘く優しい声音に変化させた妙技を聴くがよい。斯様にも老巧な表現をしたテノールはゐない。テトラツィーニ、ガリ=クルチの衣鉢を継ぎコロラチューラ歌手として絶大な支持を得たダル・モンテであつたが、本質はリリコ・レッジェーロであり、装飾技巧では先輩らには及ばなかつた。だから、蝶々さんは絶妙な適役であつた。戦前のコロラチューラ歌手の特徴である清明で凛と張つた発声はプッチーニ作品では空疎に聴こえる一方で、抒情的な要素が加はり一種特別な良さがある。現代では聴くことのない癖のある歌唱だが、かくも可憐な蝶々さんは得難い。ファブリティスの棒が絶品で特筆したい。柔軟性のある指揮で推進力が抜群、抒情的な色付けも見事なのだ。余白にダル・モンテの名唱集が収録されてゐる。ドニゼッティやベッリーニなどで本領を聴ける。サデーロ「アムーリ、アムーリ」の物悲しい美しさにも個性が出てゐる。(2025.2.21)
カサドシュ全集65枚組。1962年の録音で2曲とも再録音だ。K.467の旧盤はミュンシュとの録音であり、最も相性が良いセルとの待望の新盤なのだ。冒頭から品格のある古典的な演奏でモーツァルトの旨味が凝縮してゐる。応へるカサドシュのピアノは珠玉のやうに高貴だ。転調における色調の変化にカサドシュとセルの手腕が表れる。第1楽章のカデンツァはカサドシュ自作であり、長大かつ劇的で大変な傑作だ。K.491の旧盤は同じセルとだつたが、手兵クリーヴランド管弦楽団ではなかつた。これまた期待大の新盤なのだが、こちらは幾分遜色がある。旧盤の方が覇気と情熱があり、新盤は丁寧で古典的な風格がある。曲想を考へると旧盤の方が相応しく、実際感銘は強い。新盤も悪くはないが何処か物足りない。(2025.2.18)
テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1958年のステレオによる再録音。蝶々夫人の代表的な名盤として名高い。勿論黄金時代のテバルディが素晴らしく、セラフィンの棒による管弦楽は万全で絶対的な美しさだ。第1幕後半の夢幻の美しさは別格だ。特筆したいのは合唱の精度が高いことで絶妙な加減なのだ。ハミング・コーラスは本当に素晴らしい。だが、個人的な好みはエレーデとの旧盤にある。テバルディは歌ひ上げ過ぎて貫禄が前面に出て仕舞ひ動きが少ない。ベルゴンツィは硬く重い。真面目で巧くて感心して仕舞ふのだが、だうも嵌つてゐない。セラフィンの統治下の下、コッソットら脇を固める歌手らも見事だが、だうも薄口だ。丁寧なセラフィンの仕上げは一線を踏み外すことなく面白みに欠ける。理想的な完成度なのだが、予定調和だと評すのは難癖だらうか。(2025.2.15)
ライナーの米コロムビア録音全集14枚組。モノーラル時代のライナーの録音を聴く機会は殆どなかつたので愛好家は必携だ。ハンガリー出身のライナーによる8曲のハンガリー舞曲は興味深い。強面の印象が先行するライナーにはしては軽食の感覚で、安つぽい音楽を目指してゐるのが愉快だ。但し、困つたことにジプシー要素を全面に出してゐるのは良いのだが、詫びた東欧の趣はなくアメリカ的な響きがする。豪奢でポップ過ぎるのだ。シュトラウスのワルツ3曲が名演だ。趣向はブラームスと同じなのだが見事に嵌つてゐる。甘く情感たつぷりで、取り澄ました貴族趣味は皆無、通俗音楽に徹したのが大成功してゐる。上を行くのがロジャースのブロードウェイ・ミジューカル「回転木馬」で、ウィンナ・ワルツをアメリカナイズしたやうな音楽は実に決まつてゐる。ライナーを侮るべからず。(2025.2.12)
名手カーゾンのデッカ録音全集23枚組。10枚目。シューベルトは1954年の録音。カーゾンは即興曲D935の4曲を2年前に録音してをり全8曲が揃ふ。この箱物はオリジナル仕様ではないので、纏めて呉れた方が良いのに解せない。演奏は大層素晴らしい。暗い詩情に憂ひを帯びて高貴なロマンティシズムが味はひ深い。ドイツの巨匠らの演奏に並ぶ出来だ。モーツァルトは1953年のモノーラル録音で、高名なステレオでの再録音であるケルテスとの共演盤との比較が重要だ。カーゾンは後年に成るほど深みを増して行く。この旧盤は流した印象が強く、悪くはないがカーゾンの本領が十全に出た演奏とは云へない。クリップスの柔和で温かみがある甘めの伴奏はモーツァルトらしさを演出してゐるが、ケルテスと比べると一世代前の様式だ。これも悪くないが在り来たりではある。(2025.2.9)
第1回目の交響曲全集。1965年の録音だ。DGへの再録音もニューヨーク・フィルとの演奏であり、新旧の違ひが感じにくい。一般的には受容が遅れてゐた第7番で当盤の果たした役割は大きい。自信に溢れた快活な演奏で、分裂症的な要素は見当たらない。マーラーが企てた表現の集大成を漏れなく聴かせて呉れた演奏なのだ。この曲は小細工などせず雑多な音響世界を繰り広げれば良いことが諒解出来るだらう。グロテスクな解釈の異常な演奏と比べると分が悪いが、当盤は標準となる名演であることを述べてをきたい。(2025.2.6)
ロス・アンヘレス全集59枚組。1958年の録音でこの愉快な作品の決定的名盤だ。何と云つてもゴッビのジャンニ・スキッキが秀逸だ。悪党振りから父性愛までの振り幅は千両役者ゴッビだけの凄みだ。これでは全員が騙されて仕舞ふ。この役作りの前にはどの歌手も持つて来ても顔色を失ふ。「さらばフィレンツェ」での情感たつぷりの表現を聴くがよい。圧倒的な巧さのだ。そして、ロス=アンヘレスのラウレッタが可憐だ。テバルディでは貫禄が有り過ぎた。以上の点だけでも、当盤が頭ひとつ抜けた名盤であることが諒解出来るだらう。他の歌手は小粒だが見事なアンサンブルを聴かせる。サンティーニの伴奏は存在感がないが献身的で心憎い。(2025.2.3)
ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。第72番はホルン4本にフルートとティンパニが加はり、一般的な4楽章制であることから誤つて採番がされたが、最初期の作品である。ホルン4本による競合が際立つ祝祭的な第1楽章、フルートと独奏ヴァイオリンによる第2楽章、内容がバロック音楽やコンチェルト・グロッソに近い。そして極め付けは第4楽章で、フルート、チェロ、ヴァイオリン、コントラバスとソロで変奏をするのは交響曲の概念ではない。特に長大なコントラバスのソロは珍しい。最後は楽器が増え急速に終はる。第73番は理想的な名演だ。躊躇ひ勝ちな第2楽章が美しく、優美な第3楽章も良い。一転、歌劇からの転用で狩の音楽、第4楽章で爆発する。第74番は平易な作品でイタリア風の明るさが特徴だ。モーツァルトの初期交響曲に通じる。ドラティの演奏は常に音楽的に取り組むので適切だ。(2025.1.30)
ルフェビュール大全集24枚組。1枚目。ルフェビュール女史の最も知られた録音はフルトヴェングラーと共演したモーツァルトのニ短調協奏曲だ。巨匠共々魔神のやうな演奏をしたことで絶讃されてきた。だが、忌憚なく申せば本当に素晴らしいのはこのカサルスとの共演盤の方だ。これはCBSソニーから発売された音源のライセンス取得盤で、1951年6月17日のライヴ録音である―プラド音楽祭は1951年だけペルピニャンで開催された。カサルスの濃厚な指揮に厳格なルフェビュールの演奏が合致する。フルトヴェングラー盤での崩れがなく一体感がある。ハ短調協奏曲は未発表で初出となる1962年11月13日の記録だ。こちらは著しく感銘が落ちる。原因はウーブラドゥが指揮する管弦楽が余りにもお粗末過ぎるからだ。そこいらのアマチュア楽団よりも下手なのだ。ルフェビュールの演奏が素晴らしいだけに残念だ。ハ短調ソナタは1971年の放送録音。寂寥感に貫かれたベートーヴェン風の格調高い名演である。(2025.1.27)
通称新百万ドル・トリオの録音は3者のRCA録音全集それぞれで聴ける。ラヴェルが素晴らしい。新百万ドル・トリオの録音ではこれが一番良かろう。妖しい輝き、乾いて王者然とした品格、個性を矯めることなく丁々発止で高め合ふ強かさ、全てが眩く決まつてゐる。フランス派奏者の演奏にはない豪奢な華があるのだ。メンデスルゾーンでも3者の特徴が発揮され、特に第3楽章の魔術的なスケルツォの凄みには唖然とする。この軽みと悪戯ぽい趣は空恐ろしい。しかし、この演奏にも超えられない壁がある。カサルス・トリオの香り高い詩情が注がれた優美な名盤には一歩足りないのだ。(2025.1.24)
ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。16枚目。バッハ、スカルラッティ、ラモーを弾くメイエからはストラヴィンスキーを斯様に録音することは想像し難いが、フランス6人組に愛されたメイエならではの同時代の息吹を感じる1枚だ。ペトリューシュカは腕の立つ奏者がやる技巧の切れで聴かせる演奏ではなく、場面ごとの語り口の巧さで魅せる。とは云へ、幾分歯痒い演奏だ。ラグ音楽は興が乗つてゐる演奏ではなく寧ろ気怠い趣なのが面白い。セレナードやソナタも鋭角的な要素は薄く、フランス流儀のエスプリを効かせた演奏でプーランク作品のやうにも聴こえる。エスプラは西イスパボックスへの録音で、作曲者自身の指揮による自作自演だ。南のソナタといふ題だが実質的なピアノ協奏曲で、スペイン南部の音楽を表す。ドビュッシーとファリャを結ぶ作風だ。競合盤が見当たらない決定盤だ。(2025.1.21)
英バルビローリ協会全面協力の下、遂に出た渾身の全集109枚組。英國の名指揮者ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビローリはイタリア系の血を引いてをり、イタリア・オペラの録音ではトゥーランドットやオテロなど重量級の作品を手掛けてゐる。中でもこの蝶々夫人は名盤として賞讃される。兎に角バルビローリの甘く耽美的な音楽が作品に合つてをり、カラヤンと双璧であらう。幕切れの悲劇的な情感は殊の外素晴らしい。歌に寄り添つた伴奏は絶品で、管弦楽だけで云へば最高峰だ。バルビローリは歌劇場での研鑽を長く積んだので得意中の得意なのだ。スコットの蝶々さんは嵌り役とされ最高の歌唱として当盤の価値を高めてゐる。だが、それ以外の歌手がだうも決まらない。ベルゴンツィのピンカートンは硬く、パネライのシャープレスも存在感が薄い。スコットとバルビローリによる屈指の名盤だが、総合点としては然程でもないのだ。(2025.1.18)
ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。1953年のモノーラル録音とは思へない情報量で迫真の演奏を鑑賞出来る。往時、この秘匿の大曲を好んで取り上げ、マーラーの伝道師として次元の異なる活動をしたシェルヘンの正規録音だ。ライヴ録音ではより刺激的な凄みを聴くことが出来るが、異常さに気を取られ勝ちだ。最も正統的な解釈による当盤の演奏でも穏健さとは無縁の抉りが聴ける。特殊楽器の際立つ聴かせ方や、噎せ返るやうな情念の表出は流石で、作品の特異性を余すところなく表現して呉れた名演なのだ。何より現代的感覚での解釈による演奏が多い中、最も強くウィーン情緒を感じさせるのは当盤なのだ。レントラーやワルツがさり気無く刻印されてをり、他にはない味だ。(2025.1.15)
ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。ホルンを4本使用する第13番はこの中では一番後に作曲されたと考へられる充実した傑作だ。祝典的な第1楽章から素晴らしく、チェロ独奏が主役で完全にチェロ協奏曲と云へる第2楽章が印象的だ。そして、ジュピター音型が登場することで知られる第4楽章。演奏も最高だ。第14番でも意匠が凝らされてをり、主題を動機まで解体し積み重ねて行く交響曲の誕生を感じさせる。対位法的な第4楽章が見事だ。第15番は初期の作品だが、実験的でバロック様式からの脱却が試みられてゐる。第1楽章が序奏から主部を経て再び序奏が戻り静かに終はる形式は類例がなく面白い。緩徐楽章が第3楽章なのもこの為だらう。第16番は3楽章制だが、器楽的な創意が見られる。第1楽章はフーガとオブリガードの要素が凝縮して交響楽の醍醐味がある。歌に徹した第2楽章も良く、軽妙な第3楽章も爽やかだ。(2025.1.12)
コンプリート・アルバム・コレクション142枚組。ルービンシュタインはモーツァルト弾きではない。ピアノ・ソナタの録音はひとつもない。お気に入りの協奏曲の録音が数曲あるだけで、短調の2曲が含まれる。ルービンシュタインのモーツァルトは極めてロマンティックで甘たるい。古典的な締まつた音ではなく、幻影のやうな趣だ。だから、明暗の妙は弱く醍醐味は薄い。反面、歌心に溢れフレーズの呼吸が巧い。グランド・マナーのモーツァルトとして面白からう。クリップスの棒も同種でルービンシュタインと一体感がある。見事な取り合はせである。ロンドK.511は名演だ。寂寥感を込めた浪漫が後髪を引くやうで美しい。(2025.1.9)
ステレオ録音全集88枚組。アンセルメのレペルトワールで重要なのは断然ストラヴィンスキーだが、バルトークにも一家言持つ。親交深く共演記録も残る。アンセルメが振るバルトークはハンガリーの民族要素は皆無で、音楽理論への拘泥はりでの共鳴を強く感じる。だが、スイス・ロマンド管弦楽団の技量が及ばず、会心の演奏とは云ひ難いのは残念だ。それでも先鋭的過ぎず無機質ではない、中庸で穏健な演奏は独自の価値がある。管弦楽の為の協奏曲は聴き映えしないが表情豊かな演奏だ。舞踏組曲も同様だが、演奏のキレよりも根底にあるリズム感の良さが際立つ。2つの肖像が良い。第1番ではローランド・フェニヴェスの独奏ヴァイオリンが健闘してゐる。第2番が沸き立つてをり名演だ。ルーマニア民俗舞曲は鄙びた雰囲気で味はひ深い。腕が立たないスイス・ロマンド管弦楽団ならではの味なのだ。存外良い演奏がない有名曲の、却つて得難い名演と云へる。(2025.1.6)
生誕100年記念グリュミォーPhilips録音全集74枚組。モーツァルトを得意としたグリュミォーだけあつてハイドンも無論良いに決まつてゐる。寧ろ競合盤が少ないので王座は揺るぎない。全ハイドン録音がこの1枚に集約されてゐる。有り余る美音を贅沢に振り撒きヴァイオリン藝術の極限を聴かせて呉れる。一般的興味は協奏曲に向き勝ちだらうが、本当に素晴らしいのは弦楽三重奏曲だ。作品53の3曲をヴァイオリン主導の極上のアンサンブルで楽しめる。これぞ音楽の愉悦。全てが詰まつた決定的名演だ。ミヒャエル作を含めた3曲の協奏曲もグリュミォーの演奏だけを述べれば決定的と云へる。しかし、オーケストラ伴奏を込みで鑑賞するとだうも感銘が落ちる。勿論悪い部分などないのだが、グリュミォーが持つ説得力との差があり過ぎるのだ。(2025.1.3) |
2024.12.30以前のCD評
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