楽興撰録

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2019.3.29以前のCD評
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サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番、グリーグ:ピアノ協奏曲、他/ランドン・ロナルド(cond.)/アルテュール・デ=グレーフ(p)、他 [APR 7401]
リストの高弟でベルギーの至宝級ピアニスト、デ=グレーフの録音集成4枚組。4枚目では1928年録音のサン=サーンスと1927年録音のグリーグの協奏曲といふ大曲が聴ける。ロナルド指揮の管弦楽団の演奏が拙いが、渋い光沢を放つデ=グレ=フの独奏は最上級だ。骨太で英雄的なピアニズムに惚れ惚れする。余白には小品で、グリーグが6曲「アリエッタ」「春に寄す」「アルバムの綴り」「蝶々」「ノルウェーの婚礼行列」「トロルドハウゲンの婚礼の日」、プロコフィエフ「ガヴォット」、グレトリー「村人の踊り第3番」が収録されてゐる。グリーグが極上の名演の連続だ。さて、この4枚組は残念なことにデ=グレーフの録音全集ではない。機械録音時代のリストのハンガリー幻想曲、サン=サーンスの第2協奏曲の短縮録音、グリーグの協奏曲の短縮録音の3つが割愛されてゐる。電気録音での再録音があるので実際は不要だが、蒐集家としては無念である。更に、イゾルデ・メンゲスとのシューベルトのソナティネ第3番とベートーヴェンのクロイツェル・ソナタも含まれてゐない。5枚組にしてもよかつたのではないか。(2019.6.21)

ブルックナー:交響曲第7番/コロムビア交響楽団/ブルーノ・ヴァルター(cond.) [Sony Classical 88765489522]
渡米後のセッション録音集39枚組。かつて名盤と謳はれた録音で、ヴァルター最晩年の記録である。小編成の薄手の演奏ではあるが、不思議と物足りなさは感じさせず、透明感のある室内楽的な響きと良く調和されたアンサンブルで至高の名演を奏でる。ベッケンも鳴らず、金管楽器も五月蝿くなく、終始慈愛に満ち溢れた音楽に包まれ、仕合はせなひと時に浸れる。冒頭から旋律が伸びやかに広がり、ヴァルターの歌の魔法に魅せられる。これは相当な稽古があり、細かい抑揚まで指示を実践したことの証である。第1楽章と第2楽章は楽想がヴァルター向きで最高の名演のひとつである。瞠目すべきは第3楽章の中間部で、斯様にゆつたりとしたテンポの演奏は空前絶後である。歌心が充溢してをり他の演奏では満足出来なくなる白眉だ。第4楽章も立派に収める。これは一周して再認識したい屈指の名演だ。(2019.7.18)

シューベルト:未完成交響曲、ブラームス:交響曲第1番第4楽章/ベルリン・フィル/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.) [King International KKC5952]
録音に極度に神経質だつたフルトヴェングラーが絶大な信頼を寄せた戦中マグネトフォン録音―RRG録音―で現存する全ての音源を理想的な音質で復刻したベルリン・フィル自主制作盤22枚組―本邦キング・インターナショナルによる代理販売。持つてをらぬは潜りである。22枚目を聴く。大戦末期の録音は戦況の影響で欠落が甚だしい。シューベルトは1944年12月12日の記録で、これ迄第1楽章のみが商品化されてをり、第2楽章は存在こそ確認されてゐたが、遂に日の目を見た。久々の巨匠の初出音源に、愛好家は興奮を抑へられぬだらう。音質も演奏内容も特段冴えないが、有り難く拝聴しよう。1945年1月22日もしくは23日の記録で、ベルリン・フィルとの戦時中最後の演奏記録であるブラームスの第1交響曲は第4楽章しか録音が残つてゐない。重要な録音で、復刻は数種あつた。余白にはシュナップ技師がフルトヴェングラーを語るインタヴューが収録されてゐる。(2019.7.16)

プッチーニ:「トゥーランドット」/ビルギット・ニルソン(S)/ユッシ・ビョルリンク(T)/レナータ・テバルディ(S)/ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/エーリヒ・ラインスドルフ(cond.)、他 [RCA LIVING STEREO 88697720602]
RCAリヴィング・ステレオ60枚組より。1959年録音。トゥーランドット役を自家薬籠中としたニルソンのもうひとつのセッション録音だ。ニルソンに関して云へば、後年のモリナーリ=プラデッリ盤との差異を指摘することは難しい。どちらも最高の歌唱だ。リュウを歌ふテバルディが聴き物だ。テバルディはデル=モナコとのDecca盤の録音もあるが、当盤の歌唱こそが最も可憐で美しい。第3幕の痛切さは他を寄せ付けない。カラフ役のビョルリンクも巧く万全である。但し、ビョルリンクには向かう見ずな情熱はなく、高貴な王子といふ印象を受ける。多少荒くともコレッリの方を好む。総合で主役3名が揃つた録音となると、このラインスドルフ盤が一番だらうが、指揮が流れず小手先の巧さばかり目立つのが問題だ。リヴィング・ステレオの威力は抜群で、煌びやかな打楽器の音響効果が最高な反面、弦楽器や管楽器が安つぽく聴こえる。これはラインスドルフの趣向だらう。木を見て森を見ず。その為だうも具合が悪い。当盤ではピエロ・デ・パルマがパンを歌つてゐる。見事だ。(2019.7.12)

ベルリオーズ:幻想交響曲/ボストン交響楽団/シャルル・ミュンシュ(cond.) [RCA 88875169792]
ミュンシュのRCA録音とコロムビア録音を集大成した86枚組。1962年の録音。RCAヴィクター・レーベルにボストン交響楽団と残した最後の録音である。国際ベルリオーズ協会会長としての威信を賭けた置き土産と云へよう。さて、ミュンシュにはリヴィング・ステレオ最初期、1954年にも録音がある。録音が人工的で生々しく、派手で明るい管楽器の音色が前面に出、テンポが速く、煽りも暴走気味で良くも悪くも個性全開であつた。第5楽章は賛否あらうが破茶滅茶で最高であつた。さて、8年の時を経て再録音された当盤はだうかと云ふと、どこもかしこも完成度が高い一方、安全運転なのだ。録音は自然で好感が持てるが、刳味が恋しくなるのはだうしたことだらう。響きも程よく調和され、安つぽさと尖つた面白みが減退した。テンポもやり過ぎたところがなく仕上がりが上品になつた。必ずしも再録音が旧録音を上回る訳ではない好例だ。軈てミュンシュはパリ管弦楽団との録音で思ひの丈を打ちまける。(2019.7.10)

シューベルト:未完成交響曲、グレイト交響曲/ライプツィヒ放送交響楽団/ヘルマン・アーベントロート(cond.) [BERLIN Classics BC2051-2]
往年のドイツに巨匠は沢山ゐたが、シューベルトの未完成交響曲やグレイト交響曲で聴き手を虜に出来たのは、フルトヴェングラー、ヴァルター、クライバーとアーベントロートくらゐだらう。特にアーベントロートのロマンティシズムは情熱と憧憬が込められてをり、シューベルトの本懐に近い。取り分け未完成交響曲は第1楽章の仄暗い熱情、儚い諦観が素晴らしい。第2主題の後ろ髪を引かれるやうな表情、長く引き摺る終結音など古き良き解釈が見事に結晶する。第2楽章のいじらしい憧れの想ひは滅多に聴けない表情だ。比較して幾分感銘が劣るが、グレイト交響曲でも木目細かくアゴーギクを使用して絶妙な表現をする。グレイト交響曲は一本調子の演奏が多い中で、アーベントロートの多様な表情付けに理解の深さを感じるだらう。(2019.7.7)

モーツァルト:交響曲第34番、同第38番、同第35番/ベルリン・フィル/コンセール・ラムルー/イーゴリ・マルケヴィチ(cond.) [VENIAS VN-014]
マルケヴィッチの様々な録音を編んだ33枚組。3曲ともDGへの録音で、第34番と第38番は1954年の録音でベルリン・フィルを指揮、第35番は1957年の録音でコンセール・ラムルーとの演奏だ。この中では第34番が図抜けた名演だ。冒頭からベルリン・フィルの圧倒的な合奏力で聴き手を打ちのめす。しかし、重さや暗さは皆無で、俊足で馬力のある音楽が一気呵成に流れる。セルやシューリヒトの名盤があつたが、マルケヴィチ盤は上回る極上の名演だ。メヌエットを加へた4楽章制での録音は珍しいだらう。プラハ交響曲も同様の名演だ。軽快なリズム処理、明暗の絶妙な変化、理想的な演奏で屈指の名演なのだ。魔法のやうなシューリヒト盤には及ばないが完成度は尋常なく高い。これらベルリン・フィルに比べるとコンセール・ラムルーとのハフナー交響曲は俄然魅力を感じなくなる。悪い演奏ではない。マルケヴィチの魅惑の棒に見事に付けるが、隙間があり、ときめかない。(2019.7.4)

ベートーヴェン:交響曲第3番、同第8番/ウィーン・フィル/ピエール・モントゥー(cond.) [DECCA 480 8895]
レーベルやオーケストラの統一性がないが、曲りなりにもモントゥーによる交響曲全集である。2曲ともモントゥーが得意とした曲で、録音も多数残る。名門ウィーン・フィルとの組み合はせの結果は如何に。結論から申すと残念さが勝る。まず、モントゥーの外連のない格調高い音楽観、内声部を鳴らした立派な響きの良さは常乍ら素晴らしい。だが、ウィーン・フィルは本来優美で柔和な音によつて一種特別な存在感を示し、個々の色気のある音色で魅せるオーケストラなのだ。両者が見出した中間地点は綺麗で中庸で他人事な演奏であつた。2曲とも聴こえにくい中声部がよく聴こえて面白いが、肝心の減り張りが弱く、踏み込みも弱い。他団体との録音を聴く方が良い。(2019.7.1)

ハイドン:交響曲第96番「奇蹟」、同第97番、同第103番「太鼓連打」/ウィーン国立歌劇場管弦楽団/ウィーン交響楽団/ヘルマン・シェルヘン(cond.) [DG 471 256-2]
ウエストミンスター・レーベルに1950年代に録音されたハイドン作品を集成した6枚組。5枚目を聴く。第96番ではウィーン国立歌劇場管弦楽団、第97番と第103番ではウィーン交響楽団を振つてゐる。第96番が優れた名演だ。快活に飛び跳ねる第1楽章から楽しい。第2楽章は無難だがツボを押さへてをり申し分ない。押し出しの良い第3楽章、軽妙洒脱な第4楽章も素晴らしい。第97番は悪くはないが凡庸な出来だ。両端楽章はハイドンの自信作であつたらうに今ひとつ盛り上がりに欠ける。中間の2つの楽章も退屈だ。太鼓連打は屈指の傑作だが、このシェルヘンの演奏はだうも気が入つてをらず、全く良くない。特に第1楽章はシェルヘンらしからぬ抜けやうで、聴くのを止めて仕舞ひさうになる。後半の楽章は幾分持ち直すが、面白くはない。(2019.6.29)

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番/ボストン交響楽団/シャルル・ミュンシュ(cond.)/バイロン・ジャニス(p) [RCA 88725484402]
ジャニスのRCA録音全集。オリジナル・ジャケット仕様で愛好家は必携だ。1957年に録音された至高の名盤。演奏、録音ともに申し分ない。ホロヴィッツの薫陶を受けたジャニスは師の十八番であつたラフマニノフの第3協奏曲を弾かせては並ぶ者がない存在だつた。私見ではホロヴィッツよりも作曲家の本懐に近い。と云ふのも、超人的なラフマニノフ本人の演奏に食らひ付いてゐるのがジャニスだけなのだ。猿真似と云ふなかれ、ラフマニノフの音楽を再現することは至難であり、出発点に立てぬ奏者がごまんとゐるのだから。ジャニスは見事反芻し、唯一無二の演奏を成し遂げた。ミュンシュの華麗な伴奏も絶妙で非の打ち所がない。とは云ふものの、ジャニスは僅か4年後にマーキュリーへもドラティと組んで録音を残してをり、新録音の方がより個性が強く、当盤はだうも中途半端に位置付けになつて仕舞つた。(2019.6.26)

ベルリオーズ:幻想交響曲/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団/レオポルト・ストコフスキー(cond.) [Decca 4832504]
デッカ録音全集23枚組。1968年、フェイズ4で録音されたストコフスキーならではの魅力を味はへる名盤だ。曲自体が怪奇趣味満載なので、ストコフスキーは個性の出し所に幾分苦慮してゐるやうにも思はれ、第1楽章と第3楽章ではほぼ正攻法で演奏をしてゐる。第2楽章も音楽自体は特段風変はりなことはしてゐないが、兎に角ハープに拘泥はつた演奏だ。序盤ではハープを聴かせる為にそれ以外の楽器を弱音で弾かせるので、どきりとする。ハープを主役にした演奏はストコフスキーだけだ。お待ちかね、第4楽章以降はストコフスキー節が全開となる。第4楽章は管楽器を遠慮なく吹かせ、音を割り乍ら恐怖を煽る。当然だが、第5楽章が最も凄まじい。重量感のある鐘の低い音はベルリオーズの望んだ音だらう。テンポの緩急も自在で「禿げ山の一夜」宛ら奇怪な情景を演出する。弓が傷付きさうな渾身のcol legno奏法には背筋が凍る。最終音はストコフスキーお得意の爆音処理で締め括る。(2019.6.23)

ブルックナー:交響曲第7番/コンセール・コロンヌ/カール・シューリヒト(cond.) [Altus ALT169]
1956年5月14日、ボルドー音楽祭でのライヴ録音。フランスで名声を高めてゐたシューリヒトが名門私設オーケストラを振り、得意のブルックナーで聴衆を唸らせる。コンセール・コロンヌがブルックナーを取り上げることはまずなかつたと思はれるが、シューリヒトに導かれて尋常ならざる名演を繰り広げる。神秘的で高貴な冒頭の導入から官能が浄化されるやうな第1楽章が素晴らしい。全体的に音色が明るいのも良い。第2楽章は幾分深みに欠けるが十分美しい。第3楽章は低調でやや一本調子だ。第4楽章が堂々としてをり感銘深いが、オーケストラの弱さも散見される。終演後、鳴り止まない拍手が印象的だ。シューリヒトの演奏記録では、ベルリン・フィルとの演奏が最も良く、当盤はそれには及ばないものの録音状態も良く、無下にすることは出来ない。(2019.6.20)

プッチーニ:「トゥーランドット」/ビルギット・ニルソン(S)/フランコ・コレッリ(T)/レナータ・スコット(S)/ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/フランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ(cond.)、他 [EMI CMS 7 69327 2]
1965年に録音された名盤。結論から申せば、当盤を総合点で最上位にしたい。ニルソンはトゥーランドット姫を最高の当たり役とした。ヴァーグナー作品以外でもニルソンは存在感を示したが、ことトゥーランドット姫においては別格であつた。冷厳とした威容、劇的な昂揚が素晴らしいが、それ以上に品格と余裕を残した点が良いのだ。他の歌手は懸命過ぎて弱さを感じる。ヴァーグナー歌ひの貫禄がニルソンの強みだ。そのニルソンと最高の取り合はせがコレッリで、この二人による「トゥーランドット」は名物であつた。情熱的で覇気漲るコレッリは野性味があり、最上のカラフである。スコットのリュウは幾分感銘が落ちるが素敵だ。ティムール役のボナルド・ジャイオッティが良い味を出してゐる。極上はピン、パン、ポンのアンサンブルだ。特にポン役のピエロ・デ・パルマは最高であらう。モリナーリ=プラデッリの指揮も要所を押さえてをり大変素晴らしい。歌手の活かし方が見事で裏方に徹した手腕はもつと評価されて良い。結果、総合点の最も高い名盤を生む功労者となつた。(2019.6.17)

イヴァン・コズロフスキー(T)/ロシア歌劇・ロシア歌曲 [Pearl GEM 0221]
スターリン時代ソヴィエトのボリショイ歌劇場に君臨した立役者コズロフスキーのロシア音楽を集成した愛好家垂涎の1枚。1947年から1953年にかけての録音で歌劇全曲録音からの抜粋も含む。コズロフスキーはスターリンのお気に入りでもあつた。スターリンの死の直後、絶頂期に謎の引退をした。ソヴィエト・テノール界はレメシェフと人気を二分し、派閥を生んだといふ。容姿も声も柔弱なレメシェフと対照的に、精悍な容姿と技巧を尽くした色気のある声で聴き手を籠絡したコズロフスキーはレパートリーも広大で、実質的に王者であつた。矢張りロシア音楽で他の追随を許さない価値を持つ。収録曲は歌劇で「ルスランとリュドミラ」、「イーゴリ公」、「ボリス・ゴドゥノフ」2曲、「エヴゲニー・オネーギン」2曲、リムスキー=コルサコフで「五月の夜」「雪娘」「サトコ」、ルビンシテイン「悪魔」、ダルゴムイシスキー「ルサルカ」、チェコの指揮者で作曲家ナープラヴニーク「ドゥブロフスキー」、ラフマニノフの歌曲「歌ふな、美しき乙女よ、我が前で」の13演目だ。全曲、手練手管を用ゐた甘い歌で聴き手を虜にして離さない。個性も際立つ。今日までコズロフスキーを超えたロシアのテノールはゐない。(2019.6.12)

シベリウス:交響曲第2番、グリーグ:過ぎし春、シューベルト:未完成交響曲/ボストン交響楽団/セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.) [ARTIS AT020]
40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。クーセヴィツキーは1951年に大往生した。シベリウスとグリーグは1950年11月29日、RCAヴィクターへの録音で、クーセヴィツキー生涯最後の録音である。正しく白鳥の歌、総決算とも云へる記録なのだ。クーセヴィツキーはシベリウスを得意とし、第2交響曲は1935年にも録音を残してをり、大変立派な名演であつた。しかし、この再録音は比べ物にならないほど素晴らしい。音質も格段に良いが、壮大な構へ、渾身の歌、英雄的な情感、聴く者を圧倒する迫真の名演。シベリウスの正統的な解釈云々などだうでもよくなり、怒涛の音楽に流され、かうも偉大な曲であつたかと、感動的なひとときに誘つて呉れる。五月蝿いことを云はなければ、音楽としては最高の演奏である。グリーグ「2つの悲しき旋律」より「過ぎし春」もまた胸が熱くなる極上の名演だ。最後の録音で衰へぬ音楽への情熱を示したクーセヴィツキーに敬服だ。シューベルトは1936年の録音で雄渾な名演だが、個性は弱く然程価値はない。(2019.6.10)

シューベルト:ウィーンの夜会第6番、ショパン:ピアノ・ソナタ第2番、ノクターン第5番、ワルツ(4曲)、ラフ:糸を紡ぐ女、モシュコフスキ:セレナータ、エチュード、ワルツ/アルテュール・デ=グレーフ(p) [APR 7401]
リストの高弟でベルギーの至宝級ピアニスト、デ=グレーフの録音集成4枚組。3枚目は電気録音の独奏曲だ。大曲ではショパンの葬送ソナタが聴ける。デ=グレーフは骨太の音楽で輪郭を重視した雄渾な演奏をする。往時、葬送行進曲を感傷的にならず厳粛に弾いたのはデ=グレーフとバックハウスくらゐだらう。再録音となるノクターンは甘さを抑へ凛とした表情の名演。ワルツが大変素晴らしい。第1番、第5番、第11番、第6番の4曲で、サロン風に弾かれることの多かつた時代に骨太で芯の強い演奏をしてをり見事だ。リスト編曲シューベルト「ウィーンの夜会第6番」はスケールの大きな華麗なる演奏。極上の逸品だ。ラフは確かな技巧で聴かせる。モシュコフスキも素晴らしい。グランドマナーによる壮麗な名演が楽しめる。セレナータとエチュードは再録音である。(2019.6.6)

ブラームス:弦楽六重奏曲第1番、ピアノ五重奏曲/イェルク・デムス(p)/ウィーン・コンツェルトハウスSQ、他 [Universal Korea DG 40020]
ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。韓国製だがオリジナル仕様重視で大変立派な商品だ。コンツェルトハウスSQは甘く熟れた音色で暖かく愛撫するやうな合奏をする四重奏団だ。ブラームスとは相性が良く、北ドイツ風の厳しい音楽ではなく、世紀末ウィーンの蕩けるやうな美しさで聴かせる。六重奏曲はヴィオラにフェルディナンド・シュタングラー、チェロにギュンター・ヴァイスを加へての演奏。第1楽章が良い。爽やかな青春の歌に憂ひを帯びた色合ひを織り交ぜるのは見事だ。有名な第2楽章も非常に美しいが、甘過ぎる嫌ひがある。もう少し厳粛な悲劇感があつた方が楽想に近い。後半の楽章は締まりが悪くなり、退屈して仕舞ふ。名曲、五重奏曲は渋い幻想が沁みる名演で、特に弦楽の侘びた美しさが良い。デムスのピアノは追求が弱く物足りない。軽いのだ。ブッシュSQの名盤には及ばないが、豊穣たるコンツェルトハウスSQの美質が詰め込まれてゐる。(2019.6.2)

シューベルト:未完成交響曲、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番/ガブリエル・タッキーノ(p)/ベルリン・フィル/アンドレ・クリュイタンス(cond.) [WARNER ERATO 9029588669 ]
没後50年を記念して集成された管弦楽と協奏曲録音全集65枚組。51枚目はベルリン・フィルとの録音で、1960年録音の未完成交響曲が収録されてゐる。オリジナルではリスト「前奏曲」との組み合はせであつた。丁度ベルリン・フィルとは高名なベートーヴェンの交響曲全集を仕上げて良好な関係にあつた。未完成交響曲はベルリン・フィルの重厚で壮大な演奏が前面に出た名盤として知られる。一分の隙もない堅牢な演奏で、ベートーヴェン風の筋肉質な音響で仕上げてゐる。文句の付けやうのない立派な演奏だが、却つて魅力には乏しい。クリュイタンスの個性も影を潜め、上手いだけの演奏なのだ。抱き合はせは1962年録音の協奏曲、プーランク弾きタッキーノをベルリン・フィルが盛り立てる。タッキーノは明るい音色で闊達に弾き進める。クリュイタンスは絶妙の伴奏を付け、ベルリン・フィルは肉厚な響きを奏でる。だが、調和を重んじる余り、全てが表面的で内容空疎な演奏となつて仕舞つた。(2019.5.30)

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番、交響曲第8番/ヴィルヘルム・バックハウス(p)/バイエルン国立管弦楽団/ハンス・クナッパーツブッシュ(cond.) [Orfeo C 385 961 B]
1959年12月14日の実況録音。バックハウスとクナッパーツブッシュの競演記録は第4番の協奏曲もあつた。「皇帝」は嘸かし豪放磊落な名演が聴けるのではと期待が高まる。が、見事に裏切られた。これは非道い。冒頭のカデンツァでオーケストラが入らないのは有り得ない。クナの悪戯にしてはたちが悪い。バックハウスもびつくり仰天し、調子が崩れ、らしくないミスタッチが誘発される。その後は終始やる気のない管弦楽伴奏にバックハウスも切れを見せず、一切面白みのない演奏で終はる。バックハウスにとつては不名誉な記録となつた。一転、クナお気に入りの第8交響曲は気合ひの入つた豪快な演奏でなかなか良い。後の北ドイツ放送交響楽団の演奏ほど重くなく、抵抗なく聴ける。録音は抜けが悪く、水準以下であるが鑑賞には不都合ない。(2019.5.24)

ハイドン:交響曲第97番、同第98番/クリーヴランド管弦楽団/ジョージ・セル(cond.) [SONY 88985471852]
遂に集成されたセル大全集106枚組。2曲とも1969年10月の録音。このハイドン第1ザロモン・セットの録音がEPICレーベルへの最後の録音であり、セルとクリーヴランド管弦楽団の総括とも云へる重要な遺産だ。演奏は精緻の極みで、古典的な佇まひを保持しつつ、近代的な機能美でこれ以上注文の出しやうがない究極の名演を聴かせて呉れる。細部をよく聴くと、古典の作法が全て丁寧に実演されてをり、音楽学習者には格好のお手本だ。和声進行やカデンツの処理、音の向かふ先で強弱の増減を微細に表現してゐる。敬服せよ。更には、第97番第2楽章におけるsul ponticello奏法を斯様に追求出来た演奏も珍しく、第98番第4楽章のチェンバロが斯様に可憐で効果的に入つた演奏も珍しい。これらの曲の代表的な名演であるのは疑ひないが、第一等かとなると留保する。難癖だが、余りにも模範的で教科書的で、セルの主張は薄い。往々にしてハイドンの演奏では唯一無二の自己主張を盛り込んだ方が印象に残るのだ。(2019.5.21)

ベルリオーズ:幻想交響曲、ビゼー:「子供の遊び」、オーベール:「ポルティチの娘(マサニエッロ)」序曲/コンセール・ラムルー/イーゴリ・マルケヴィチ(cond.) [VENIAS VN-014]
マルケヴィチの様々な録音を編んだ33枚組。本来であれば、本家のDG盤で聴くべきところだが、この箱物で代用する。幻想交響曲は名盤として高名だ。鬼才マルケヴィチの趣向を凝らした棒も素晴らしいのだが、この演奏の特徴は偏にコンセール・ラムルーが培つた伝統的なベルリオーズ演奏を存分に発揮した点にある。名門私設オーケストラがフランスの音色を刻印する。輝かしく色彩豊かでフランス固有の楽器の魅力もあり、純度の高い演奏なのだ。特に第2楽章の典雅な響きは惚れ惚れとする美しさだ。第3楽章も情景が豊かに展開する雄弁この上ない名演。一方で、瞬発的な極彩色をもつて聴く者を魅惑するものの、全体的な合奏では熱狂はある一線で止まり、醒めた印象が残る。抱き合はせのビゼーとオーベールがより素晴らしい。ビゼーは各曲の描き分けが鮮明で、明るく躍動感溢れ、優雅で瀟洒な旋律美が決まつてゐる。オーベールの振り切れた清々しい演奏は爽快この上ない。パレー盤と並ぶ決定的名演だ。(2019.5.18)

モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」序曲、ブルックナー:交響曲第7番/レニングラード・フィル/エフゲニー・ムラヴィンスキー(cond.) [EMI 7243 5 75953 2 2]
GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURYシリーズの1つ。モーツァルトが1968年11月29日、ブルックナーが1967年2月25日のライヴ録音。「フィガロの結婚」の序曲も凄かつたが「ドン・ジョヴァンニ」序曲も凄い。超速かつ重厚に荒ぶれた演奏で、ムラヴィンスキーの個性が全開だ。模範的ではないが、衝撃的な印象を与へる忘れ難い演奏と云へる。ブルックナーは確か本家MELODIYAからは発売されたことがない音源だ。ムラヴィンスキーには後期三大交響曲の録音が残り、何れも峻厳な演奏で個性的だが、この第7番も同様だ。金管が強く出過ぎて、音を割り盛大に外す箇所もあり、興醒めの場面もあるが、弦楽器の厳粛な合奏は美しく、特に第2楽章の荘厳な趣は琴線に触れる。痛切な響きが楽想と見事に沿ふことも多いが、ロシアの攻撃的な音色が散見されるので、矢張り一般的には畑違ひの演奏の位置付けだらう。(2019.5.15)

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番、同第2番、同第3番/エルンスト・フォン・ドホナーニ(p)/アルバート・スポールディング(vn) [WING WCD 32]
1949年にレミントン・レーベルに録音された玄人好みの名盤の復刻だ。米レミントンの原盤が消失してをり、識者が褒め讃へる名演であり乍ら、海外での復刻は恐らくなく、本邦の状態の良い板起こし盤は愛好家なら手元に置いてをくべきだ。さて、この両老大家の演奏、決して上手な演奏ではない。それぞれ老境に入つてからの演奏で、ドホナーニは時折冷やつとするやうなミスタッチを犯し、スポールディングは難所になると正確に音を出すのが精一杯で音が途切れて流れない。かう述べると、非道い演奏のやうに思はれるだらうが、全3曲とも若造には出せない渋味が充満してゐてブラームスの真髄を聴くことが出来るのだ。第一、流麗で輝かしく艶のあるブラームスの演奏で本懐が掴めるだらうか。両老大家が最も得意としたブラームス、自らを投影することの出来たブラームスを思ひの丈を出して総決算とした。晩秋の趣を渋い情熱と深い幻想で表現した特別な名演。瑕があらうが別格の味はひなのだ。(2019.5.13)

モーツァルト:ホルン協奏曲第2番、ディヴェルティメント第11番、交響曲第38番/デニス・ブレイン(hr)/ハンス・シュミット=イッセルシュテット(cond.)/ハンス・ロスバウト(cond.)、他 [Tahra TAH 595-598]
モーツァルトの稀少録音集4枚組。2枚目を聴く。まず、注目を惹くのは名手ブレインの稀少録音だ。第2番の録音は恐らく5種類が確認出来る。1954年5月の記録で、イッセルシュテット指揮、北ドイツ放送交響楽団の伴奏だ。残念乍ら音質も冴えず、他の録音と比べると特段優れた点を述べることは出来ない内容だが、蒐集家にとつては重要な音源なのだ。ディヴェルティメントはイッセルシュテット指揮、北ドイツ放送交響楽団の演奏で1954年11月の録音。堅固な演奏乍ら、快活な音楽が展開してをり、雰囲気だけで内容空虚な演奏とは一線を画す。なかなかの名演であつた。プラハ交響曲はロスバウトの指揮で、フランス国立管弦楽団による1954年12月のライヴ録音。鮮明な音でロスバウトの近代的なモーツァルト解釈を楽しめる。繊細な表情は殺がれ、鋭い音で交響的な絡みを聴かせる。リズムは湧き立ち、俊足のテンポで聴く者を興奮させる。しかし、幾分表面的で絶讃はし辛い。第3楽章では繰り返し指示を度忘れした低弦奏者がフォルテで勢ひよく突入して仕舞ひ、吹き出しさうになる。終演後、小言を云はれたに違ひない。(2019.5.9)

ユリウス・パツァーク(T)/グラモフォン録音(1929年〜1938年) [PREISER RECORDS 89233]
再びパツァークを聴く。2枚組の2枚目。一世一代と云つてよい個性的な歌唱が堪能出来る。演目はアリアが、珍しい曲でキーンツル「福音の人」の他、「愛の妙薬」「マルタ」「ミニョン」「ウインザーの陽気な女房たち」と、「ドン・ジョヴァンニ」から2曲、「後宮への逃走」から2曲、「リゴレット」から2曲、「ウェルテル」から2曲、「トスカ」から2曲、ゲルトルート・リューゲルとの二重唱で「トロヴァトーレ」から2曲、エレナ・ベルガーとの二重唱で「リゴレット」と「トラヴィアータ」、更にバッハ「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」からのアリアも聴ける。パツァークの力強い高音は鼻から抜けるやうな発声法に変はる為、張つてゐるにも拘はらず、不真面目な脱力感を伴ふ。その一種特別な頽廃感が持ち味だ。(2019.5.6)

バッハ:半音階的幻想曲とフーガ、コラール前奏曲、前奏曲とフーガ、幻想曲とフーガ、他/サムエル・フェインベルク(p) [Classical Records CR-088]
露Classical Recordsはフェインベルクの復刻を行ふ頼もしいレーベルだ。第3巻はバッハのトランスクリプション集で、フェインベルクの全録音でも絶対に語り落としてはいけない真骨頂なのだ―米Arbiterからも幾つか復刻があつた。フェインベルクが弾くバッハと云へば、平均律クラヴィーア曲集第1巻と第2巻が高名で―Classical Recordsからも復刻済―、ピアノで弾いた録音ではフィッシャー盤と並び最高峰であつた。そして、忌憚なく申せば、このトランスクリプションの数々は平均律クラヴィーア曲集をも凌駕する感銘を与へて呉れる至高の名演ばかりなのだ。演目はオルガン・ソナタBWV529からラルゴ、トッカータBWV912、半音階的幻想曲とフーガBWV903、コラール前奏曲を4曲―「いと高きにある神にのみ栄光あれ」BWV662とBWV663とBWV711、「ただ神の摂理に任す者」BWV647―、前奏曲とフーガBWV548、イタリア風アリアと変奏曲BWV989、幻想曲とフーガBWV904の計10曲。有名曲もあれば、拘泥はりの作品もある。フェインベルクによる編曲で思ひ入れの丈が違ふ。俗気のない崇高で献身的なバッハ。滅多に聴けない音楽がある。(2019.5.3)

ヴァーグナー:「トリスタンとイゾルデ」/ラウリッツ・メルヒオール(T)/キルステン・フラグスタート(S)/メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/アルトゥール・ボダンツキー(cond.)、他 [Sony Classical 88765427172]
Met歴史的公演集25枚組より。今回、正規盤初発売となつた1938年4月16日の公演で、この箱物の最大の目玉である。結論から申せば、録音の古さは如何ともし難いが、タイトルロール2名に関しては決定的で、これ以上は1936年のコヴェントガーデンでの両者の共演盤のみが比較されるだけだ。何といつてもメルヒオールのトリスタンが素晴らしく、柔らかく広大で英雄的な声量と慈しむやうな甘い声音を縦横に駆使し、他の歌手を大きく突き放す。フラグスタートのイゾルデは勿論決定的で、後年のフルトヴェングラー盤が問題にならないくらゐ素晴らしい。そして、この両者の歌唱を著しく高めてゐるのがボダンツキーの動的な棒だ。フルトヴェングラーの神韻縹渺とした世界とは全く方向性を異として、躍動的で情念的で起伏が大きい。基本のテンポは速く、煽るやうな時もあるが、歌手の呼吸を汲み取り、緩急の差が見事だ。雄渾なヴァーグナーを聴かせた巨匠の至藝に圧倒される。コヴェントガーデンでのライナーも比ではない。その他の歌手も粒揃ひで全体としては最上級の名演である。唯ひとつ、音質が古く万人に薦められないのが玉に瑕だ。(2019.4.30)

ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲、レーニン追悼の頌歌/レオニード・コーガン(vn)/スヴィヤトスラフ・クヌシェヴィツキー(vc)/アレクサンドル・ガウク(cond.)/アラム・ハチャトゥリアン(cond.)、他 [SUPRAPHON SU 4100-2]
チェコの放送局に眠つてゐた貴重な音源をスプラフォンが蔵出しした。ハチャトゥリアンの自作自演2枚組で、1枚目の目玉は矢張りコーガンとのヴァイオリン協奏曲だ。モスクワ放送交響楽団を振つての1959年、プラハでのライヴ録音。この曲でハチャトゥリアンの自作自演と云へば、オイストラフとの録音が有名で決定盤とされるが、豊麗で妖艶なオイストラフに対して、峻烈で鋭敏で野性味満点のコーガンの演奏の方が曲想との親近性がある。線は細いので濃厚な歌ではオイストラフに引けを取るが、勇壮さではコーガンの勝利だ。ハチャトゥリアンの指揮は万全である。名手クヌシェヴィツキーによるチェロ協奏曲はガウク指揮ソヴィエト連邦国立交響楽団の伴奏で、自作自演ではないのだが、演奏は決定盤とも云へる極上の名演だ。恰幅の良い独奏が素晴らしい。珍しい「レーニン追悼の頌歌」は1955年、プラハ放送交響楽団との演奏だ。体制に迎合した作品だが、非常に立派な格調高い名曲だ。自作自演は見事な出来栄えである。(2019.4.27)

モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」、シューベルト:未完成交響曲、シューマン:「マンフレッド」序曲/ウィーン・フィル/ロンドン・フィル/カール・シューリヒト(cond.) [DECCA 483 1643]
スイスでの黎明期音源も含めたDECCA録音全集10枚組。持つてをらぬは潜りと云へよう。ウィーン・フィルとのモーツァルトとシューベルトはこの10枚組で唯一のステレオ録音で1956年の録音だ。この年の1月、シューリヒトはウィーン・フィルとの公演でハフナー交響曲を取り上げ、個性的な解釈によつて大いに世間を騒がせた。その時の録音はCD化されてをり、恐ろしく刺激的な名演であることを確認出来る。この新風を巻き起こした名演があつて、この直後、急逝したクライバーの代役として米國演奏旅行の指揮者に抜擢されたのだ。セッション録音はライヴ録音ほどの感銘はないが上出来の部類に属する。処で、このハフナー交響曲はモノーラル盤でしか発売されず、つい最近まで、ステレオ録音では商品化されなかつたといふ曰く付きの録音である。未完成交響曲はシューリヒトとウィーン・フィルの美質が最高度に発揮された特別な名演。余白に、1948年録音でロンドン・フィルとのシューマンが収録されてゐる。大変稀少価値があり蒐集家にとつては有難い。(2019.4.24)

ヒンデミット:ヴァイオリン協奏曲、ストラヴィンスキー、他/イーゴリ・ストラヴィンスキー(cond.)/フェルディナンド・ヘルマン(vn)/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団/ヴィレム・メンゲルベルク(cond.)、他 [ARCHIVE DOCUMENTS ADCD.110]
メンゲルベルクの稀少録音を発掘してきた英アーガイヴ・ドキュメンツの第4巻。へんてこな1枚だ。まず、重要なのはメンゲルベルクが委嘱したヒンデミットのヴァイオリン協奏曲の初演記録で、独奏はコンセルトヘボウのコンサートマスターであるヘルマンが担ふ。1940年3月14日のライヴ録音で、現代音楽の初演魔であつたメンゲルベルクの面目躍如たる精彩ある名演である。管弦楽が盛大に鳴る箇所は情念が籠められてをり、生命を吹き込まれた音楽を展開してゐる。ヘルマンの独奏は健闘してをり、メンゲルベルク好みのポルタメント奏法で要望に応へてゐる。流石に巨匠ヴァイオリニストのやうな貫禄はないが、この曲を面白く聴かせた演奏として看過出来ない。さて、へんてこなのは50分近くはストラヴィンスキーの自作自演が収録されてをり、メンゲルベルクがオマケのような扱ひなのだ。収録されてゐるのは、ボストン交響楽団に客演しての「妖精の口づけ」のリハーサル風景、バッハの「高き天より我は来たり」をストラヴィンスキーが編曲したカーネギー・ホールでのライヴ録音、「ペルセポネー」をヴェーラ・ゾリーナと演奏した抜粋録音だ。(2019.4.21)

ベートーヴェン:交響曲第7番、同第8番/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団/フランツ・コンヴィチュニー(cond.) [Corona Cl.collection 0002172CCC]
名匠コンヴィチュニーの録音を集成した箱物の第1巻11枚組より。最近は話題にならないが、数あるベートーヴェン交響曲録音全集の中でも最右翼にあるのがコンヴィチュニー盤だ。どの曲も伝統的で王道を行く、ベートーヴェンそのものの音がする名演ばかりだ。特に第7番と第8番では雑踏のやうな細かい刻みが特徴的なオーケストレーションを重要視した演奏を実践してをり、理想的な音がするのだ。全集の中でも上出来な番号である。繰り返し指定を遵守してゐるのも録音当時としては珍しく、繰り返しをしても聴き手を退屈させないのだから天晴れだ。コンヴィチュニーはこれ見よがしの外連はなく、煽るやうな表情は付けず、実直に音楽を運ぶ。意外性や憑依的な要素はないが、揺るぎなさは格別だ。(2019.4.18)

ベニャミーノ・ジーリ(T)/1954年ベルリン・リサイタル/RIAS交響楽団/ゾルターン・フェケテ(cond.)/エンリーコ・シヴィエーリ(p) [MYTO 00146]
我が最愛のテノール、ジーリが引退直前に残したベルリンでのリサイタルの記録。聴き逃す訳にはゐかぬ。ジーリは1955年に引退した。その前年の歌唱だ。得意の曲だけでプログラムを組む。流石に全盛期と比べると柔らかさが落ちて自在さが影を潜めたが、全盛期が凄すぎたのだ。まだまだ歌へる。65歳頃の歌声とは思へない。そこらの歌手が足元にも及ばないほど上手い。プリマ・ウォーモの貫禄で、多少のお巫山戯もあり、聴衆も茶目つ気を喜んでゐる。盛大な拍手が続く。当然であらう。演目はアリアでは「アフリカーナ」「セルセ」「ドン・ジョヴァンニ」「カルメン」「アイーダ」「リゴレット」「マノン」「ボエーム」「トスカ」「道化師」、楽器編成の都合でピアノ伴奏での演奏もある。歌曲ではブラームス「子守歌」、ガスタルドン「禁じられた音楽」、メリヒャル「ヴェネツィアの月夜」、グノー「アヴェ・マリア」、チェッコーニ「わずかな言葉」、カルディッロ「つれない心」、レオンカヴァッロ「マッティナータ」、クレッセンツォ「悲しき五月」、カプア「マリア・マリ」。どれもこれも絶品だ。(2019.4.15)

ベルリオーズ:幻想交響曲、海賊、ローマの謝肉祭、「ベアトリスとベネディクト」序曲/スイス・ロマンド管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(cond.) [DECCA 0289 480 7898 1]
アンセルメが録音したフランス音楽を集成した32枚組。14枚目を聴く。アンセルメはフランス音楽を支柱にしたが、淡い色彩と柔らかい響きを絶妙に聴かせる印象主義音楽で真価を発揮し、破天荒な着想に原色のどぎついオーケストレーションが特徴のベルリオーズの音楽とは相性が然程良くない。全体的には音楽に活気は漲つてゐるが、方向性のずれから矢張り畑違ひの感は否めない。熱狂が弱く、狂気がないので物足りないのだ。幻想交響曲は古典的な名演で、流麗なワルツは美しい。だが、件で述べたやうに、この曲の本懐からは遠い。鐘は低い荘厳な音色を採用し不気味で宗教的な趣を醸す。海賊は熱があり、アンセルメの棒が極上だ。但し、如何せん木管楽器の弱さが目立ち、感興が殺がれる。弦楽器と金管楽器は素晴らしい。ローマの謝肉祭も後半の乱舞よりも前半の侘しい歌に魅力がある。最も美しいのは「ベアトリスとベネディクト」序曲だらう。明るく軽快な喜劇的情景はアンセルメに打つて付けだ。(2019.4.12)

ブルックナー:交響曲第7番/ベルリン・フィル/オイゲン・ヨッフム(cond.) [DG 469 810-2]
権威ヨッフム第1回目の全集録音より。1964年の録音。威力的なベルリン・フィルによる分厚い響きの演奏だ。この曲はテンポの変動を伴ふ楽想が少なく、特殊な解釈の演奏は少ない。処が、このヨッフムの演奏は情動的な表情が随所にあり、精力的な演奏と云へる。金管楽器が派手に鳴るベルリン・フィルの―華やかなカラヤン流儀の―響きによつて一層印象が強くなる。結論を述べて仕舞ふと、空疎な演奏に感じられ、合奏の見事さとは比例せず、存外良くない。実は後年の第2回目全集、シュターツカペレ・ドレスデンとの演奏との新旧の解釈の違ひが最も大きいのはこの第7番だ。流麗で静謐、一種特別な境地に到達した新盤との落差があり、当盤は特記することがない凡庸な演奏に聴こえる。特に第2楽章は流れが悪く退屈だ。(2019.4.9)

カルロ・ゼッキ(p)/チェトラへの独奏全録音(1937年〜1942年)/ウルトラフォン録音(1934年)/マストラスト録音(1930年) [APR 6024]
ゼッキの伊チェトラへの録音は本家より2枚組の復刻があつた。本家の復刻は指揮者ゼッキの録音も多数含まれてゐたが、英APR2枚組の復刻ではピアノ独奏録音だけに特化してゐる。独奏録音に関しては全く同じ内容であるが、チェトラ盤が入手困難なので歓迎されよう。ジョコンダ・デ=ヴィートとのバッハのブランデンブルク協奏曲第5番の録音も含まれる。さて、重要なのは、チェトラ録音以前、1930年代前半に録音されたゼッキ最初期の録音が収録されてゐることだ。パリでのウルトラフォン録音からはスカルラッティのソナタイ長調、ショパンのエチュード作品10の5と8、華麗なる大ポロネーズ、ラヴェル「道化師の朝の歌」、モスクワでのマストラスト録音からはリスト「軽やかさ」、ショパンのバラード第1番だ。ゼッキは当時並ぶ者なき絶頂期にあり、録音の全てが神品である。選曲も高雅で、玲瓏たるタッチが冴え渡る。これを聴かずしてピアノ演奏は語れぬほどだ。程なく、この水準が保てぬと判断してか、ゼッキは室内楽と指揮活動へと転じ、独奏は滅多に聴けなくなつた。(2019.4.7)

ベートーヴェン:交響曲第1番、同第8番/ベルリン・フィル/フェレンツ・フリッチャイ(cond.) [DG 00289 479 2691]
フリッチャイのDG録音全集第1巻45枚組。フリッチャイは王道とも云ふべきベートーヴェンの交響曲の録音を積極的に行はず、半分程度しか聴くことが出来ないのだが、この1枚こそはフリッチャイの残した録音でも最高位に値する弩級の名盤で、この2曲の最高の演奏のひとつとして挙げたい。実の話、フリッチャイの残したベートーヴェン録音は然程成功してゐないものが多いのだが、当盤だけが突き抜けて素晴らしい理由はベルリン・フィルを起用してゐることに因る処が大きい。圧倒的な音楽性、技術、合奏力で、煩型をも黙らせる最高級の演奏を繰り広げる。2曲とも若々しく前進する爽快なテンポで、情的的な表情で猛烈に突き進む。低音が良く鳴り、軽薄さはなく、意味深な響きを常に失はない。細部まで血が通ひ、緊張感が持続する。理想的な名演であらう。(2019.4.5)

ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番、ベート−ヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番、バッハ:エア、ロンド形式のガヴォット、エスペーホ:ジプシーの歌/ジョゼフ・セイガー(p)/ミッシャ・エルマン(vn) [TESTAMENT SBT2 1475]
本家を差し置いてエルマンのDECCA録音全集を復刻した英TESTAMENTが未発表放送録音を蔵出しした。快挙である。1961年、BBC放送用のリサイタルなのだが、エルマンは商品化の為にスタジオでのセッション録音を積極的に行ふ反面、消費されるだけの放送録音には消極的だつたので、大変貴重な記録なのださうだ。公式リサイタルの前に特別出演をし、腕慣らしをした態だ。2枚組の1枚目を聴く。ヘンデルもベートーヴェンもDECCAにセイガーと録音を残してゐるが、当盤の演奏は感興が豊かでより素晴らしい。晩年のエルマンの衰へを知らぬ見事な演奏には讃嘆の念を禁じえない。腰の強い胆力ある音色を聴かせるヘンデル、柔和で温かいベートーヴェン、老人の演奏とは思へない瑞々しい名演だ。バッハのエアでは濃厚な歌を楽しめる。ロンド形式のガヴォットは何と初演目となる。これが絶品なのだ。ヴァイオリンの魅力が直截的に伝はる名演である。得意としたエスペーホは絶対的な演奏で決まつてゐる。敵なしだ。(2019.4.1)


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