楽興撰録

蒐集した音楽を興じて綴る頁

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2017.6.30以前のCD評
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最近の記事

ユリウス・パツァーク(T)/グラモフォン録音(1929年〜1938年) [PREISER RECORDS 89233]
パツァークの最初期録音集2枚組。墺プライザーの驚異的な復刻技術で生々しい声が聴ける。パツァークは今日の耳だけでなく当時も奇異な存在であつたと思ふ。こんな奇天烈な声の歌手は他にゐない。抜けの悪い鼻詰まりのやうな声、時に音程が振らつく技術のなさに驚く。だが、個性的な歌唱は存在感抜群で、退廃的なウィーン流儀が一旦嵌ると印象が強すぎて他の歌手が霞むといふ困つたテノールなのだ。2枚組の1枚目は1929年から1931年にかけての録音で、マンフレート・グルリット、ヘルマン・ヴァイゲルト、アロイス・メリヒャルの指揮によるオーケストラ伴奏だ。収録曲は「ラ・トラヴィアータ」2曲、「仮面舞踏会」2曲、「マノン」2曲、「ホフマン物語」2曲、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」2曲、「コジ・ファン・トゥッテ」「魔笛」「カルメン」「アイーダ」「ラ・ボエーム」「蝶々夫人」「西部の娘」「カヴァレリア・ルスティカーナ」「マルタ」「売られた花嫁」「エヴゲニー・オネーギン」からそれぞれ1曲だ。全てドイツ語による歌唱で、「魔笛」や「マイスタージンガー」は安心して聴ける。最古録音の「ラ・トラヴィアータ」を聴き始めて拒絶反応を起こしてゐけない。下手物として聴き進めるのだ。「ホフマン物語」のクラインザックの伝説では虜になつてゐるだらう。ヴェルディもプッチーニもヴェーヌスベルクで歌はれる。ヴァーグナーは官能の極みだ。(2018.11.13)

ウラディミール・ホロヴィッツ(p)/最後の録音(1989年)/ハイドン、ショパン、リスト [RCA&SONY 88697575002]
RCAとSONYへのオリジナル・ジャケット・コレクション70枚組。鬼才ホロヴィッツの余りにも有名な生涯最後の録音。1989年、死の4日前の自宅録音も含まれる。収録曲はハイドンのピアノ・ソナタ第49番、ショパンのマズルカOp.53-3、ノクターン第16番と第17番、幻想即興曲、エチュードOp.25-1と25-5、リスト編曲のバッハ「泣き、嘆き、悲しみ、慄き」による前奏曲とヴァーグナーの「イゾルデの愛の死」だ。高齢を感じさせない瑞々しい演奏は驚異的で、ハイドンの浪漫的でありながら清明な表現はホロヴィッツの感性が未だ潤つてゐる証だ。第2楽章の歌は温かくも美しい。決定的名演だ。ショパンは総決算であると共に挑戦であつた。遂に録音されたノクターン第16番は、イグナツ・フリードマンの名盤を超える確信を得るまでは録音しないと公言した幻の演目で、遺言とも云へる破格の名演となつた。幻想即興曲の自在な軽妙さは死を間近に控へてゐるとは思へない天衣無縫さ。エオリアン・ハープの淀みない清々しいそよ風は如何ばかりだらう。ノクターンの第17番の痛切な詩情は流石だ。ショパンでは適宜音を加へたりしてゐるが、ピアノの音が澄み渡り説得力が強い。そして「イゾルデの愛の死」の青白く燃え上がる焔こそはホロヴィッツの真髄を伝へる最後にして最高の演奏であつた。(2018.11.9)

ラフマニノフ:交響的舞曲/ニューヨーク・フィル/ディミトリ・ミトロプーロス(cond.)/セルゲイ・ラフマニノフ(p) [Marston 53022-2]
またまた米Mastonから驚天動地のリリースがあつた。ラフマニノフ自身による交響的舞曲を試奏した私的録音の登場だ。交響的舞曲はラフマニノフ最後の作品である。亡命後は作曲家としての活動は捗々しくなく、僅か6作品しか生み出してゐない。1940年、突如として創作の霊感に捉はれ、交響的舞曲は誕生した。まずは2台のピアノでスケッチが完成し、作曲者とホロヴィッツによつて私的に演奏された。次いでオーケストレーションが完成。共演機会も多く信頼絶大であつたオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団に初演を依頼。1941年1月に初演されたが、この録音は直前の1940年12月20日に行はれ、オーマンディ宅のライブラリーに残つてゐたものだ。初演に先立ち、オーマンディに演奏解釈の示唆を与へた資料に違ひない。ラフマニノフが適宜指示を語り乍ら演奏してゐる。3枚組の1枚目は試奏の重複を取り除いて曲になるやうに編集しなおしたもので、断片ではあるが27分も聴ける。ラフマニノフの演奏記録が登場しただけでも興奮に値する。抱き合はせは管弦楽による演奏で、初出となる1942年12月20日のミトロプーロスとニューヨーク・フィルによる実況録音。噎せ返るやうな第1楽章の妖艶な弦楽器の歌、第3楽章の終盤の激しい追ひ込み、ミトロプーロスの真価が発揮された極上の名演だ。(2018.11.6)

マーラー:交響曲第4番、若き日の歌(8曲)/デジ・ハルバン(S)/ニューヨーク・フィル/ブルーノ・ヴァルター(p&cond.) [Sony Classical 88765489522]
渡米後のセッション録音集39枚組。マーラーの弟子でありながら一部の曲を偏愛したヴァルターは殊の外第4交響曲を取り上げ、録音も多く残るが、これは唯一のセッション録音だ。ヴァルターはマーラーの録音にはニューヨーク・フィルとの共演を所望したさうで、オーケストラの機能美と壮大さも手伝つて見事な演奏だ。但し、他のライヴ録音と比べて感興が乏しく、記憶には残らない。寧ろ大きな問題点があり、終楽章のハルバンの独唱がだうも良くないのだ。固苦しく強張つて、ざらついた声で天上の生活を歌ふには相応しくない。暗く抜けの悪い歌唱で起用が理解出来ない。残念だ。同じくハルバンの歌にヴァルターがピアノ伴奏をした若き日の歌は全14曲中8曲を録音してゐる。交響曲と異なりハルバンの歌声は幾分生気があり、繊細な表情も聴き取れる。とは云へ、硬さは変はらず、魅力的かと問はれると困る。矢張りヴァルターのピアノを聴くべき録音だらう。輪郭をはつきり作り、色彩豊かで交響的な広がりがあり、可憐な表情との差も見事だ。(2018.11.3)

ハチャトゥリアン:「仮面舞踏会」組曲、「ガイーヌ」組曲、ピアノ協奏曲、他/アントニン・イェメリーク(p)/チェコ・フィル/プラハ放送交響楽団/アラム・ハチャトゥリアン(p&vo&cond.)、他 [SUPRAPHON SU 4100-2]
チェコの放送局に眠つてゐた貴重な音源をスプラフォンが蔵出しした。ハチャトゥリアンの自作自演2枚組で、2枚目には自作自演に関心のある方にとり震へが止まらない衝撃の音源を含む。1950年4月27日にプラハで行はれたセッション録音で、まずは「剣の舞」を自らピアノで弾いた録音がある。なかなか達者なピアノで、無造作に弾いてゐるが生命力が抜群で示唆に富む。さて、垂涎の音源は同時に録音された弾き語り2曲「エレヴァンの春」「祝杯」だ。勿論、ハチャトゥリアンは歌手ではない。自作の歌曲を気の趣く侭に地声で素朴に歌つてゐる。しかも、アルメニア語で強い訛りを交へて歌ふ。上手下手を超えたこの誰にも真似の出来ない作曲家の自己表現は言葉に出来ない価値がある。この音源は絶対に入手すべきだ。ハチャトゥリアンが自作を見事に指揮したことは大変有名で、録音が沢山残る。「仮面舞踏会」も「ガイーヌ」も録音があつたが、野性的な良さのあるこのチェコ録音も聴いてをきたい。プラハ放送交響楽団を振つた「仮面舞踏会」の仕上がりが素晴らしく、カルロヴィ・ヴァリ交響楽団を振つた「ガイーヌ」は性能が劣り雑な仕上がりだ。イェメリークの独奏によるピアノ協奏曲は自作自演ではなく、アイロス・クリーマの指揮だ。チェコ・フィルが流石の演奏で、独奏共々実に完成度の高い名演だ。だが、自作自演を聴いた後では精巧さが仇となり、毒気のない詰まらない演奏に聴こえて仕舞ふから困つたものだ。(2018.10.30)

ヴァーグナー:マイスタージンガー、ローエングリン、タンホイザー、トリスタンとイゾルデ、神々の黄昏、ヴァルキューレ/レニングラード・フィル/エフゲニー・ムラヴィンスキー(cond.) [MELODIYA MEL CD 10 00758]
本家メロディアによる真打ちとも云へるディスク。ムラヴィンスキーはヴァーグナーを好んで取り上げたが、ヴァーグナーだけの演奏会は行はなかつたと思はれる。その為、ディスクは寄せ集めとなり、他盤と重複するが、マイスタージンガーだけは当盤だけで聴ける音源かと思ふ。収録されてゐるのは、1965年録音の「ローエングリン」第3幕への前奏曲とヴァルキューレの騎行、1978年録音の「ローエングリン」第1幕への前奏曲、「タンホイザー」序曲、「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲と愛の死、ジークフリートの葬送行進曲、1982年録音の「マイスタージンガー」第1幕への前奏曲だ。外面は禁欲的な演奏だが、内面から滲み出るリビドーが凄まじく、禁断のヴァーグナーと云へる。深淵を臨くやうな弱音の冷たさにはぞつとする。(2018.10.27)

リスト:ピアノ協奏曲第1番、同第2番、ハンガリー民謡旋律による幻想曲、ポロネーズ第2番、ハンガリー狂詩曲第12番/ランドン・ロナルド(cond.)/アルテュール・デ=グレーフ(p)、他 [APR 7401]
リストの高弟でベルギーの至宝級ピアニスト、デ=グレーフの録音集成4枚組。2枚目は師のリスト作品で編まれてゐる。無論、2つの協奏曲が重要な意味を持つ録音である。他に弟子では高名なザウアーが録音を残してをり、録音が良いのとヴァインガルトナーによる伴奏が立派であり、その点でデ=グレーフ盤は分が悪い。特に第1番はアコースティック録音なので音の貧しさは如何ともしがたい。だが、優美で上品さを貫くザウアーとは異なり、覇気と壮大さでリストの音楽に近いのはデ=グレーフだ。輝かしく硬質なタッチが見事で、演奏の素晴らしさは確と伝はる。第2番は1930年の電気録音なので条件が格段に良い。瞑想と闘争を融合させた名演で、ザウアー盤を凌ぐ名演だ。1927年録音の幻想曲も破格の名演だ。特に後半の昂揚は見事で、技巧の切れも抜群。尚、デ=グレーフはアコースティック録音でも幻想曲を録音してゐるが、旧録音は残念なことに割愛されてをり完全な録音全集ではないのだ。協奏作品は全てロナルドの堅実な伴奏で素晴らしい仕上がりだ。独奏曲2曲、ポロネーズは燦然たる名演、狂詩曲も規範となる名演。低音の重量感あるタッチと輪郭のくつきりしたフレージングは別格で、デ=グレーフはピアニズムの泰斗なのだ。(2018.10.21)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番、ベートーヴェン:交響曲第8番、ヒンデミット:気高き幻想/アニー・ジョドリー(vn)/フランス国立放送管弦楽団/ピエール・モントゥー(cond.) [Music&Arts CD-1182]
1952年から58年の期間におけるフランス国立放送管弦楽団との公演記録を8枚のCDにした多数の初出音源を含む愛好家垂涎の好企画盤。4枚目はドイツ作品で構成されてゐる。モーツァルトの独奏者ジョドリーはモントゥーの温かい棒の下、思ふ存分弾いてをり、時に奔放さも見せてなかなかの名演である。ライヴ録音ならではの瑕もあるが、総じて素晴らしい。モントゥーの伴奏は堂々として健康的で明るく立派なのだが、翳りがなく、第2楽章などで物足りなさを感じる。ベートーヴェンはモントゥーの得意とした番号であり安定の名演だ。冒頭から抜群の推進力で音楽に力が漲つてゐる。最も印象的なのは第2楽章で、快速テンポで力強いリズムを刻んで始まり、愛くるしさは皆無だ。豪快さが前面に出て愉快この上ない。大交響曲の盛り上がりを見せる第4楽章も最高。正規録音こそないが、モントゥーはヒンデミット作品で名演を残してゐる。正攻法で立派に演奏するものだから、純粋に仕上がりが良い。中世風の荘厳な響きを見事に表現してゐる。名演だ。(2018.10.18)

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)/ポリドール録音集 [KOCH LEGACY 3-7073-2 K2]
マーストンによる復刻でNaxos Historicalからも復刻があるが、纏まりが良いKoch盤で取り上げる。「1930年代のフルトヴェングラー」といふ表現があるほど、オーケストラ藝術の頂点を築いた時代がある。第3代目常任指揮者に就任して10年、多くのユダヤ人名奏者を抱へたベルリン・フィルの合奏力はフルトヴェングラーの神秘的で憑依的な音楽性と相乗効果を齎し、トスカニーニとニューヨーク・フィル、メンゲルベルクとアムステルダム・コンセルトヘボウを凌いだ。残念ながらナチス政権の誕生で、ベルリン・フィルの性能は次第に落ち、決死の覚悟で臨んだ戦中の演奏が最後の残照であつた。電気録音初期で音こそ貧しいが、このポリドール録音に聴かれる演奏の素晴らしさは絶対である。2枚組の収録曲はヴェーバー「魔弾の射手」序曲の1935年再録音盤と導入曲、舞踏への勧誘、メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」序曲と「フィンガルの洞窟」、ベルリオーズ「ラコッツィ行進曲」、ヴァーグナー「ローエングリン」第1幕への前奏曲、「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、「ジークフリートの葬送行進曲」、ブラームスのハンガリー舞曲第1番と第3番、J・シュトラウス「こうもり」序曲、R・シュトラウスの「ティル」。この中で古今を通じても絶対的な演奏として、フィンガルの洞窟とハンガリー舞曲第1番を挙げる。誰を持つて来ようとこれ以上はない。次点ではローエングリンで、後年の録音よりも優れてゐる。(2018.10.16)

マーラー:交響曲第4番/レリ・グリスト(S)/ニューヨーク・フィル/レナード・バーンスタイン(cond.) [SONY 88697943332]
第1回目の交響曲全集で最初に録音された第4番だ。メンゲルベルクやヴァルターらマーラーを直接知る指揮者らの演奏は、この曲の持つメルヒェンを最大限に引き出し、陶酔的な表現を行つてきた。次なる世代で旗手となつたバーンスタインはマーラーの書いた音符を全部拾ひ出し、メルヒェンと表裏一体にあるグロテスクをも表現した。素朴な歌や頽廃的な甘さに溺れることなく、速めのテンポで明暗や強弱をくっきり付ける。しかし、バーンスタインの後の世代にような解剖学的で分析的な演奏ではなく、情念を優先させ、濃厚で熱気ある音楽を推進させるのが特徴だ。つまり、前の世代のような後期ロマン主義の演奏でもなく、後の世代の学究的な演奏でもなく、理想的なマーラーの演奏であり、長らく規範とされた。特に輝かしく発散する最強音の箇所は見事だ。一方、耽溺がないので物足りない箇所もある。第4楽章でのグリストの歌唱はイヴォーギュンやシュトライヒに通じる女学生風の清廉で無垢な声質に特徴があり、宛ら天使のやうだ。(2018.10.13)

シュトラウス:美しき青きドナウ、ブラームス:ワルツ集、ショパン:ワルツ、リスト/バイロン・ジャニス(p) [RCA 88725484402]
ジャニスのRCA録音全集。オリジナル・ジャケット仕様で愛好家は必携だ。ワルツ音楽集はこの箱物の中でも取り分け評判高いアルバムで、LP番号はLK-2098だ。収録曲はシュトラウスの美しき青きドナウをアンドレイ・シュルツ=エヴラーが編曲した珍品、ブラームスのワルツ集を独奏で4曲(第15番、第1番、第2番、第6番)、ショパンのワルツ第3番イ短調と第14番ホ短調、バラード第1番、エチュードOp.10-8、リスト「愛の夢」第3番、ハンガリー狂詩曲第6番だ。驚くべき名演の連続で、ホロヴィッツの後継者として将来を嘱目された期待の名手の栄光がぎつしり詰まつてゐる。シュトラウスのサロン的味はひは絶妙で、技巧の華麗さに圧倒される。ブラームスの豪華さも見事だ。ショパンとリストも全て素晴らしいが、難癖を付けるならば、毒気がなく印象が薄口なので、折角の技巧が活かされてゐない点か。(2018.10.10)

ブルックナー:交響曲第8番、ヴァーグナー:ジークフリート牧歌/ミュンヘン・フィル/ハンス・クナッパーツブッシュ(cond.) [VENIAS VN025]
怪物クナッパーツブッシュの管弦楽曲録音を可能な限り集成した70枚組。最晩年、1963年1月24日のミュンヘン・フィルとの公演記録。ドリームライフからも商品化されてゐた。この直前に第8交響曲の決定的名盤であるウエストミンスター録音が行はれてゐる。従つて、このライヴ録音はセッション録音並みの完成度で、感興豊かな至高の名演が聴ける得難い宝物である。随所にクナのふんばりと思はれる足踏みが聴かれる。何と荘厳な演奏であらう。テンポの構へが大きいが、それは深みであり、遅いと感じることはない。改めて第8交響曲はクナが最高だと認識させられる。枯れた味はひのrallentandoによる詠嘆と渋い音響が惻々と胸に迫る。フィナーレでの渾身のパウゼは呼吸を忘れるほど凄まじい。圧巻のコーダまで間然する所がない名演中の名演だ。終演後、会場の空気に拍手が控へられ、静寂の間がある。やがて、嵐のような喝采が送られるが、神々しい演奏であつたことが伝はる。余白に収録されたジークフリート牧歌はウエストミンスター録音。この曲の理想的な名演で、侘びた美しさに思はず涙腺が緩む。(2018.10.3)

ガーシュウィン:ヘ調の協奏曲、ラプソディー・イン・ブルー、エネスク:ルーマニア狂詩曲第1番、プロコフィエフ:「3つのオレンジへの恋」組曲/レイモンド・レーヴェンタール(p)/RCAヴィクター交響楽団/メトロポリタン交響楽団/ロイヤル・フィル/オスカー・ダノン(cond.) [CHESKY RECORDS CHESKY CD56]
知名度に反して万人を唸らせる弩級の名盤だ。全て1962年のロンドンでの録音だ。米CHESKYによる高音質復刻で録音年代を超えた最上級の音で聴ける。寧ろ最新録音よりも音響は理想的かも知れぬ。ガーシュウィンは決定的名盤に挙げられることも多い。米國の名手レーヴェンタールの活きの良い演奏も良いが、サラエヴォ出身、旧ユーゴスラヴィアの巨匠ダノンの指揮が圧倒的だ。若き頃、ジャズ・オーケストラを結成しただけに軽快で明るい響きの決まり具合は尋常ではない。当盤を聴かずに協奏曲もラプソディー・イン・ブルーも語れぬ。エネスクが物凄い。クラウスの官能的な名演に肉薄する熱演だ。弛緩なく乱舞する棒は圧巻。オーケストラの統率力も見事だ。プロコフィエフは組曲とクレジットされてゐるが、行進曲から始まり演奏時間約10分の抜粋録音である。剛毅な演奏で聴き応へがある。ダノンの実力を認知出来る極上の1枚だ。(2018.10.1)

ブゾーニ:ヴァイオリン・ソナタ第2番、ヴァイオリン協奏曲/ミエチスラフ・ホルショフスキ(p)/リトル・オーケストラ・ソサイエティ/トーマス・シェルマン(cond.)/ヨーゼフ・シゲティ(vn) [SONY Classical MPK 52537]
ブゾーニの薫陶を受けたシゲティの真の音楽的な師に対する想ひは特別だ。ブゾーニ作品は今日でも人気があるとは云へないが、シゲティの演奏は別格である。ソナタ第2番は大変な名曲だ。長大な第3楽章でバッハ風のコラールが奏でられる箇所は感動的だ。シゲティはハスキルともライヴ録音を残してゐる。その演奏はシゲティの最高の名演であり、ハスキルの最高の演奏であつた。絶対に聴くべき録音なのだ。比べるとこの正規セッション録音は聴き劣りがする。何よりホルショフスキのピアノが詰まらない。霊感豊かなハスキルには遥かに及ばない。だが、当盤の演奏は決して悪いわけではない。協奏曲が重要だ。形振り構はぬシゲティの奏法に圧倒される。常になく雄弁で表現力の幅が大きい。歌ふ時の濃厚な音色は次元が異なる。この協奏曲にはブッシュとヴァルターによる弩級のライヴ録音があり、唯一の競合盤になる。伴奏の管弦楽に若干の不満が残るが、録音状態も考へるとシゲティ盤の方が総じて有利だらう。決定的名盤だ。(2018.9.27)

ブルックナー:交響曲第8番/ボストン交響楽団/セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.) [ARTIS AT020]
40枚組。クーセヴィツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく、大歓迎の好企画だ。この箱物で最も目を引くのがブルックナーの第8交響曲だらう。かつてAs discから発売されて話題になつた世紀の珍演奏だ。1947年12月30日のライヴ録音で、ブルックナーの受容が進んでゐなかつた米國でクーセヴィツキーが紹介の為に、大胆なカットを施した演奏である。何と全曲で50分強。第1楽章と第2楽章はほぼ楽譜通り。凄まじい快速テンポで、リズムも厳しめに取り、輪郭がくっきりしてゐる。極めて男性的な剛腕の演奏だ。特に第2楽章の推進力が凄く、なかなか聴かせる。第3楽章は16分で相当短い。浪漫的に歌つてをり、演奏自体は悪くない。さて、最大の問題は第4楽章で11分と意味不明なほど短い。ブルックナー休止の度にカットで先に飛び、半分程度しか演奏してゐない。第4楽章の冒頭では金管楽器の不調もあり、不満が残る。下手物だが、クーセヴィツキーに悪気はない。(2018.9.24)

モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」、交響曲第39番、運命は恋する者に、どうか詮索しないで/ピーター・ピアーズ(T)/イギリス室内管弦楽団/ベンジャミン・ブリテン(cond.) [Decca 478 5672]
作曲家ブリテンは卓越した指揮者かつピアニストであり大量の自作自演が残るが、生誕100年を記念して何と自作以外での演奏記録を集成した27枚組が出た。ジュピター交響曲は1967年のライヴ録音。セッション録音でのブリテンは独自の解釈を徹底し個性を刻印したが、ライヴ録音では変はつたことはせず、王道の演奏に終始してゐる。音楽的な処理が為されてをり安心して聴けるが、何か特別な良さを挙げることが出来ない。1962年のライヴ録音である第39番の方が面白みがある。ティンパニの主張が強く、冒頭から王様の音楽を奏でてゐる。堂々たる威厳を具へた名演だが、突き抜けた特別さはなく、常套的な範疇に止まつてゐる。同日の演奏記録で、盟友ピアーズの伴奏をしたアリアK.209とK.420も収録されてゐる。野太く無粋なピアーズの声質はモーツァルトの音楽を一時代前の格式ばつた音楽に聴かせる。色気や瀟洒な趣には欠けるが、真摯さは伝はる。(2018.9.22)

ブルックナー:交響曲第8番/ウィーン・フィル/ハンス・クナッパーツブッシュ(cond.) [VENIAS VN025]
怪物クナッパーツブッシュの管弦楽曲録音を可能な限り集成した70枚組。1961年10月29日のライヴ録音。Altusからも発売されてゐた。クナの第8交響曲の録音の中では、特異な位置付けとなる演奏だ。他の演奏は特徴が似通つてをり、違ひはオーケストラの技量や特性にあつた。勿論、晩年になるに従つて深みを増し、巨大な威容で圧倒的な名演を聴かせて呉れたが、クナの取り組み自体は大きく変はつてはゐなかつた。ところが、このウィーン・フィル盤にはクナの通底する主張が影を潜めてゐるので戸惑ふ。これは主従関係で云へば、ウィーン・フィルのブルックナーであり、クナのブルックナーではない。オーケストラの自主性に任せて仕舞つた演奏なのだ。テンポやパウゼはクナが握つてゐるが、細部の表情はウィーン・フィルのものだ。対極的なシューリヒトとの演奏でも聴かれた節回しや響きも散見される。では、この演奏が良くない演奏かと云ふと、さうではない。クナらしさはないが、ウィーン・フィルが耽美的な音を披露して呉れ、取り分けヴァイオリンの嘆息は痺れるほど素晴らしい。第3楽章コーダのこの世ならぬ美しさは只事ではない。無心に聴いて欲しい弩級の名演。(2018.9.19)

エネスク:チェロ・ソナタ第2番、ヴィオラの為の演奏会用小品、管弦楽の為の組曲第1番、バッハ:2つのヴァイオリンの為の協奏曲/テオドール・ルプー(vc)/アレクサンドル・ラドゥレスク(va)/ブカレスト・フィルハーモニー管弦楽団/キリル・コンドラシン(cond.)/ダヴィド・オイストラフ(vn)/ソヴィエト国立交響楽団/ジョルジェ・エネスク(vn&p&cond.) [Editura Casa Radio 348 ECR]
エネスクを敬愛する方は是が非でも入手すべき1枚。1943年に故国ルーマニアで行はれた一連の録音はELECTRECORDもしくは仏Danteから復刻があり、管弦楽の為の組曲第1番ハ長調Op.9は聴く機会が多々あつたのでここでは割愛しよう。ラドゥレスクのヴィオラにエネスクがピアノ伴奏したヴィオラの為の演奏会用小品は仏Danteの復刻のみで聴けたので貴重だ。シューマンのやうな夢みる音楽と情熱的な音楽が交錯する名曲だ。エネスクならではの詫びた哀愁が美しい。さて、当盤でしか聴けない音源がある。ルプーのチェロにエネスクがピアノ伴奏したチェロ・ソナタ第2番ハ長調Op.26だ。4楽章から成る晦渋な作品で、ルーマニアの民族様式と後期ロマン派の要素が融合した曲だ。レーガーやプフィッツナーの作品に近い。終楽章は民族色が強い舞曲で、エネスクのピアノが光彩を放つ。もう1点、バッハの協奏曲が貴重だ。何と1946年4月のソヴィエト楽旅時に録音された、オイストラフとコンドラシンと組んでの豪華録音だ。豊麗な美音を響かせるオイストラフと渋く深いヴィブラートで切り込むエネスクによる高次元の名演が聴ける。(2018.9.16)

モーツァルト、スカルラッティ、アルベニス、グラナドス、他/ロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団/アンパーロ・イトゥルビ(p)/ホセ・イトゥルビ(p&cond.) [Pearl GEMM CD 9103]
イトゥルビの戦前録音を復刻した1枚。イトゥルビは器用過ぎて何でも卒なく水準以上の結果を残す。それが禍してか軽率な印象を受け、損をしてゐる。収録曲を古い順に記すと、1933年のHMV録音より、パラディス「トッカータ」、ベートーヴェン「アンダンテ・ファヴォリ」、アルベニス「セビーリャ」、グラナドス「嘆き、またはマハと夜鶯」、1933年のヴィクター録音より、スカルラッティのソナタK.27とK159、ナヴァロ「スペイン舞曲」、1938年のヴィクター録音より、モーツァルトのピアノ・ソナタ第12番、アルベニス「コルドバ」、ラザール「葬送行進曲」が聴ける。だが、これら全てが先般、英APRより復刻されたので、詳細は他日に譲ろう。唯一、この英Pearl盤で聴けるのが、1941年のヴィクター録音で、妹アンパーロと組んでのモーツァルトの2台のピアノの為の協奏曲(第10番)だ。しかも、イトゥルビが常任指揮者として手塩にかけてきたロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団を弾き振りしての録音だ。手前味噌を遥かに超えた本格的な名演で、才気煥発が感じられて大変楽しめる。(2018.9.13)

ヴァーグナー:「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲と愛の死、「神々の黄昏」より夜明けとラインへの旅〜ジークフリートの死と葬送行進曲/パリ音楽院管弦楽団/カール・シューリヒト(cond.) [DECCA 483 1643]
スイスでの黎明期音源も含めたDECCA録音全集10枚組。持つてをらぬは潜りと云へよう。コンセール・ヴァトワールと吹き込んだヴァーグナーは過去のDECCA録音集成盤には含まれず、晴れて正規発売となつた。歓迎したい。演奏が大変個性的でシューリヒトらしい。まず、トリスタンとイゾルデだが、同時代のドイツの指揮者とは一線を画した演奏で、良く云へば手垢が取れて清潔な、悪く云へば淡白で小ざっぱりした印象だ。頂点に向けて情欲を滾らせる演奏ではなく、昇華された美しさがある。異端だが、これがシューリヒトたる所以である。神々の黄昏はシューリヒト独自の編曲が為されてゐる。夜明けからラインへの旅は楽譜通りだが、その後がジークフリート殺害の場面へと飛び、適宜楽劇からの抜き出しで葬送行進曲へと接続される。強い思ひ入れが感じられ、演奏にも熱が入つてをり良い出来だ。(2018.9.11)

モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」、ディヴェルティメント第7番、セレナード第8番「ノットゥルノ」/ライプツィヒ放送交響楽団/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団/ベルリン放送交響楽団/ヘルマン・アーベントロート(cond.) [BERLIN Classics 0092712BC]
モーツァルト録音集2枚組。2枚目を聴く。ジュピター交響曲は古き良き時代のドイツの楽長による名演である。戦後に聴かれるやうになつた洗練された透明感のある響きではなく、渾然としてゐるのだが、人肌の温もりが感じられる響きが特徴だ。特別なことは何もしてゐないやうで、伝統に裏打ちされた音楽的な処理が常に行はれてゐる。アーベントロートのモーツァルトは動的な良さがあり、第3楽章の軽やかな舞は天晴れだ。当盤の白眉はディヴェルティメントだ。5楽章から成る第7番ニ長調は全集録音でもないと聴く機会がない目立たない曲だが、アーベントロートの演奏で聴くととても魅力的な曲に様変はる。冒頭のラルゴのしつとりと泣き濡れたやうな美しい響きに心奪はれる。第3楽章アダージョも同様だ。フィナーレの軽快さも小気味良い。古巣ゲヴァントハウス管弦楽団を振つた最上級の演奏による決定的名盤である。4群のオーケストラに分かれて演奏されるノットゥルノと呼称されるセレナードは、ベルリン放送交響楽団による演奏で、曲、演奏ともに感銘が落ちる。(2018.9.5)

ヴィラ=ロボス:モモ・プレコーチェ(ブラジルの子供の謝肉祭による幻想曲)、ピアノ協奏曲第5番、交響曲第4番「勝利」/マグダ・タリアフェロ(p)/フェリシア・ブルメンタール(p)/フランス国立放送管弦楽団/エイトル・ヴィラ=ロボス(cond.) [EMI CZS 7 67229 2]
ブラジルの国民的作曲家ヴィラ=ロボスが晩年の1950年代にフランス国立放送管弦楽団を指揮して記録を残した自作自演6枚組。これは初期盤だが新装盤も出てゐる。6枚目を聴く。幻想曲はブラジル出身の名女流奏者タリアフェロと組んでの究極の名演である。原曲のピアノ独奏曲を素材とした民族色豊かな曲で、騒乱を極めた雑多な楽想に凝縮されたブラジルの魂を聴くことが出来るだらう。これ以上の名演は求められまい。ピアノ協奏曲の独奏者ブルメンタールはポーランド人で迫害を逃れてブラジルに移住し、多大な貢献を果たした名女流奏者だ。第5番は献呈作品であり、決定的名盤だ。特に第2楽章の荘重な趣は絶品である。余り聴かれることのない交響曲の中から録音された第4番は、途中「ラ・マルセイエーズ」が混入したり、戦闘場面の描写が多い曲だ。内容は乏しいと感じるが、貴重な自作自演で有難く拝聴したい。(2018.8.30)

ヴェルディ:アリア集第1巻(マクベス、ナブッコ、エルナーニ、ドン・カルロ)/ニコラ・レッシーニョ(cond.)/フィルハーモニア管弦楽団/マリア・カラス(S) [Warner Classics 2564633991]
愛好家必携のオリジナル・ジャケットによるスタジオ録音リマスター・エディション69枚組。1958年11月の録音で、マクベスより3曲、ナブッコ、エルナーニ、ドン・カルロよりそれぞれ1曲だ。主要な歌劇全曲録音を終へ、アリア集の録音を手掛け始めた時期の録音だ。盛期を過ぎてはゐるが声は健在だ。威圧的な伸びは聴かれないが、ムラのない彫琢の痕跡が如実に現れ、安心して聴ける。相性の良いレッシーニョの伴奏が申し分なく、フィルハーモニア管弦楽団の上質な演奏で極上の仕上がりである。「マクベス」全曲はサバタとの究極のライヴ録音があつたが、音が悪かつたので補完する役割を担ふ。カラスの歌ふレディーは別格で畏怖さえ覚える。「ナブッコ」にも同様のことが云へ、グイとの全曲ライヴ録音は猛烈に音が悪く、この録音は有難い。見事なアビガイッレで古今無双だ。「エルナーニ」は他に録音がないので、名曲シェーナとカヴァティーナ「一緒に逃げて」が聴けるのは嬉しい。素晴らしい歌唱である。注目は全曲録音のない「ドン・カルロ」だ。エリザベッタのアリア「世の虚しさを知る神」の美しさは当盤の白眉である。(2018.8.24)

ブルックナー:交響曲第8番/シュターツカペレ・ドレスデン/オイゲン・ヨッフム(cond.) [EMI 5 73905 2]
権威ヨッフム第2回目の全集録音より。1976年の録音。ヨッフムの全録音の中でも代表盤としてよく聴かれる名盤中の名盤である。ブルックナーの核心に迫つた別格の名演であり広く推奨したい。とは云へ、好みの問題であるが、ベルリン・フィルとの旧盤の方がより優れてゐると感じる。理由は、第一にEMIの録音が新しいにも関はらず抜けが悪く、音質がDG盤よりも良くないこと、第二にオーケストラの力量においてシュターツカペレ・ドレスデンには不満があること―特に金管楽器のしくじりが目立ち、そのまま商品化したことにも疑問を感じる―、が挙げられる。楽器の調和もDG盤の方が優れてをり、EMI盤は金管の咆哮が五月蝿く感じるが、野人ブルックナーの意図には近いとも云へる。但し、ヨッフムらしさはこのシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏の方が出てゐるだらう。旧盤はベルリン・フィル主導の演奏であつた。演奏時間は大差なく、若干新盤の方が長い。以上、旧盤の方が良いと述べたが、この演奏も屈指の名盤だ。(2018.8.21)

ヴェルディ:「ナブッコ」/コーネル・マックニール(Br)/レオニー・リザネク(S)/チェーザレ・シエピ(Bs)/メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/トーマス・シッパース(cond.)、他 [Sony Classical 88883721202]
Met歴史的公演集20枚組より。1960年12月3日、Metにとつて初めてとなる「ナブッコ」上演であつた。カットが多い短縮版での上演だ。最初に苦言を呈す。編集ミスがあり、第3幕の第1場と第2場の順序が入れ違つてをり、2枚組の2枚目がいきなり"Va pensiero"から始まるのだ。順番を入れ替へて聴かねばならぬ。欠陥商品である。標題役のマックニールは健闘してゐるが、上品過ぎて表情が平板であり、正直申して物足りない。アビガイッレ役のリザネクも同様で、カラスやスリオティスの攻撃的な激情に比べると影が薄い。ザッカーリア役のシエピが流石の貫禄を示してゐるが、癖がなく良くも悪くも目立たない。さて、最大の問題点は合唱が薄手で、しかも揃つてをらず、お粗末なことだ。ヴェルディの醍醐味がこれでは味はへない。この中で最も上質なのはシッパースの指揮と管弦楽団と云へる。しかし、熱量に欠け、無難な演奏に止まつてゐる。詰まり、総じて良い処のない上演記録である。(2018.8.18)

シューマン:交響曲第2番、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」/ルドルフ・ゼルキン(p)/ニューヨーク・フィル/ジョルジェ・エネスク(cond.) [オーパス蔵 OPK 2112/3]
再びエネスクを聴く。2枚組の2枚目。1937年1月31日の演奏会の後半はシューマンの第2交響曲だ。この曲は指揮者エネスクが自作自演以外でセッション録音をした数少ない演目で、大曲では唯一であらう。ロンドン交響楽団とのDecca録音であつた。当盤の演奏も印象はスタジオ録音と変はらない。放送局によるアセテート録音なので音質は劣るが、鑑賞には耐へ得る。一方、ニューヨーク・フィルの情感豊かな演奏は大変魅力的で、セッション録音を上回る。従つて甲乙付け難く、愛好家ならどちらも聴いてをきたい。軽薄さは一切なく、第3楽章までは最上級の演奏だが、セッション録音と同じく第4楽章が遅めのテンポで緊張感を欠き、著しく感興が落ちるのが残念だ。真摯さの裏返しで、愉悦を失つたのだ。ベートーヴェンはディスコグラフィーになかつた驚愕の初出音源で、かのマーストンが所持してゐた秘蔵音源からの復刻だ。1938年2月10日の演奏会のエア・チェックのラッカー盤ださうで、流石に音質は苦しい。エネスクは急遽の代役指揮者として登板、米国でデビューを果たして勢ひに乗る若武者ゼルキンの独奏だ。演奏は両者大変素晴らしく、音さえ良ければ秘匿の名演と推せる。(2018.8.16)

バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番、バッハ:無伴奏パルティータ第2番/ラファエル・クベリーク(cond.)/ジョコンダ・デ=ヴィート(vn)、他 [ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 6564]
伊IDISによるデ=ヴィート復刻盤第6巻は、HMVへの最後の録音で締めくくる。クベリーク伴奏によるバッハとモーツァルトの協奏曲で、1959年のステレオ録音だ。デ=ヴィートは10年前の1949年にこの2曲を録音してゐるので再録音となる。従つて比較が重要だ。まず、良い点はステレオ録音で申し分ない音質であることが挙げられる。一方、肝心の演奏自体は正直申して旧録音の方が素晴らしかつた。生命力があり、艶があつた。テンポも颯爽としてゐた。この再録音は重心の低い慎重な演奏で、丁寧で思慮深い演奏だ。含蓄があり、デ=ヴィートの意図を完全に反映した演奏と云へる。だが、聴く側としては旧録音の方が音楽的には成功してゐたと感じるのだ。クベリークの指揮は献身的で見事だ。バッハはロンドン交響楽団、モーツァルトはロイヤル・フィルを振つてゐる。余白に無伴奏パルティータが収録されてゐる。これは最初にシャコンヌのみが1947年に単独録音され、後に全曲とすべく残りの曲を1950年に録音して合体させたものだ。シャコンヌはデ=ヴィートの最初のHMV録音であつた―第1巻にも収録されてゐた。つまり、当盤は最初と最後のHMV録音が聴ける乙な構成になつてゐるのだ。全曲の演奏だが、歌謡的に流してをり、余り印象に残らない。(2018.8.12)

ヴェルディ:「ナブッコ」/ジーノ・ベッキ(Br)/マリア・カラス(S)/ナポリ・サン・カルロ歌劇場管弦楽団と合唱団/ヴィットーリオ・グイ(cond.)、他 [WARNER CLASSICS 0190295844462]
カラスのライヴ録音を集成した42枚組。装丁が豪華で蒐集家は必携だ。1949年12月20日の公演記録。減量前のカラスが歌ふ圧倒的なアビガイッレが聴ける伝説的な記録だ。勿論この役に関しては決定的な歌唱だ。カラスだけでなく、ベッキのナブッコも威厳があり理想的だ。ザッカーリア役のネローニも良い。グイの指揮が素晴らしく、熱血で推進力ある音楽を作りつつ、緩急自在の至藝を聴かせる。ナポリの管弦楽団と合唱団から実力以上の音を見事引き出す。実のところ、演奏そのもので云へば最上だ。ただ、猛烈に音が悪く鑑賞には適さない。愛好家向けの音源だ。カラスのことだけが語られる録音だが、その他にも聴き処がある。ナポリの聴衆は極めて情熱的で―ジーリの公演でも異様な盛況だつた―"Va pensiero"の終盤になると愛国心抑へ難く、狂乱状態に陥り演奏が聴こえなくほどの歓声で埋め尽くされる。グイの提案でもう一度"Va pensiero"がアンコール演奏される。演奏が終はると"Viva! Italia!"と掛け声と共に盛大な拍手が鳴り止まぬ。最終幕の幕切れでは編曲が為され、序曲冒頭の主題が堂々と斉奏されて終はる。イタリア人にとつて「ナブッコ」が特別な曲であることを教へて呉れる貴重な記録なのだ。もう一度繰り返すが、音が悪いのが残念だ。(2018.8.9)

ブルックナー:交響曲第8番/ウィーン・フィル/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.) [Orfeo C 834 118 Y]
ウィーンにおける演奏会の録音を集成した18枚組。稀少録音を多数含む重要な箱物だが、ゴットフリート・クラウスによるリマスタリングが悪く、玉に瑕だ。1954年4月10日、巨匠が没する年の最後のブルックナー録音で、入手が容易ではなかつたので歓迎したい。まず、興味を引くのはブルックナー協会の会長を務めてゐたフルトヴェングラーはこれ迄の演奏ではハース版を用ゐてきたが、出版前のノヴァーク版の校訂刷りを用ゐて―真偽は定かではないのだが―演奏したとされる唯一の録音なのだ。重要なのはどの版を使用したかの特定ではなく、フルトヴェングラーが常に新しい研究にも反応を示してゐたといふことだ。演奏は最晩年の枯れた様相を呈し、猛烈なアッチェレランドは聴かれない。だから違和感がなく、万人に薦めたい名演だ。低弦の力強い主張は他の演奏からは聴けない威容だ。共演したオーケストラはフルトヴェングラーの特質を「神秘的」と形容したが、的を射てゐる。パウゼが生み出す深淵は比類がない。そこから湧き上がる、ぞくりとする秘匿めいた音像はフルトヴェングラーだけの世界なのだ。(2018.8.6)

モーツァルト:交響曲第29番、同第39番、フリーメイソンの為の葬送音楽、アダージョとフーガ/ウィーン交響楽団/ベルリン放送交響楽団/フェレンツ・フリッチャイ(cond.) [DG 00289 479 2691]
フリッチャイのDG録音全集第1巻45枚組。フリッチャイは最晩年にウィーン交響楽団とモーツァルト後期三大交響曲と第29番を録音した。1961年録音の第29番は再録音になる。表情豊かでひとつひとつの音を大事にした演奏だが、遊びや軽快さがなく、ドイツ的な生真面目な演奏と云へよう。RIAS交響楽団との旧録音よりも素晴らしいと感じるが、抜きん出た録音とは云ひ難い。1959年録音の第39番は堂々たる堅牢な演奏で、第40番や第41番の録音と共通する総決算とも云へる仕上がりだ。とは云へ、最上級とまでは云へない。酷なことだが、これはウィーン交響楽団の実力に起因する限界なのだ。1960年に録音されたベルリン放送交響楽団との2曲が傑作だ。フリーメイソンの為の葬送音楽は真摯極まりなく、胸に惻々と迫る圧倒的名演で、フリッチャイが残したモーツァルト録音の白眉だらう。アダージョとフーガも良い。この曲は大物指揮者による録音がなく、物足りなさを感じてゐたが、この録音こそは理想的で、厳格を極めた名演である。(2018.8.3)

ウィリアム・カペル(p)/1947年3月21日リサイタル/1945年2月28日リサイタル/シュトラウス:ブルレスケ/ピッツバーグ交響楽団/フリッツ・ライナー(cond.) [Marston 53021-2]
Marstonからの宝物である。カペルの初出音源を多数含む放送録音集3枚組。1枚目を聴く。1947年3月21日のリサイタルの演目はバッハの組曲イ短調BWV.818、モーツァルトのピアノ・ソナタ第10番、ショパンのマズルカヘ短調Op.63-2、ブラームスの間奏曲変イ長調Op.76-3だ。バッハとショパンにはセッション録音もあつたが、当盤の演奏も上質だ。モーツァルトのソナタの純度の高い美しさには惚れ惚れとする。大変貴重な音源だ。ブラームスも初演目となる。秘めやかな告白が素晴らしい。1945年2月28日のリサイタルはショパンのノクターン第1番、シューマンのロマンス第2番、ドビュッシーのグラナダの夕暮れ、ショスタコーヴィチの前奏曲より3曲、ナポレターノ「猫」、パルマー「トッカータ・オスティナータ」だ。ショパンとパルマーはRCA盤でも採用され聴けたが、他は初出だ。シューマンとショスタコーヴィチにはセッション録音があつた。貴重なのはスペイン情緒溢れるドビュッシーと軽妙なナポレターナで、カペルの多彩振りを味はへる。シュトラウス「ブルレスケ」がライナーとの共演で聴ける。1948年2月1日の記録だ。技巧が抜群で、実に演奏の幅が広い。惜しい天才を失つたものだ。(2018.7.31)

モーツァルト:セレナード第12番、交響曲第41番/ウィーン・フィル/オットー・クレンペラー(cond.) [TESTAMENT SBT8 1365]
1968年、晩年のクレンペラーがウィーン藝術週間に登場した。その5公演を収録した8枚組。1枚目を聴く。5月19日の公演記録で、最初にバッハのブランデンブルク協奏曲第1番が演奏されてゐる。モーツァルトのセレナードはクレンペラー流儀の遅めのテンポだが、その実、ウィーン・フィルの管楽器奏者らの自発性に任せた演奏で、オーボエの可憐な美しさは取り分け絶妙だ。重心の低い音楽はクレンペラーの個性で、全体として威風堂々たる趣を獲得し、芯の強い音楽として感銘深く聴ける名演となつた。ジュピター交響曲はクレンペラーの意思が十分に発揮された名演だ。第1楽章冒頭の威圧するやうな重苦しいテンポは想定通りだが、第2主題の歌が何とも気高く流れるから侮れない。滔々たる大河のやうな第2楽章も表情豊かで素晴らしい。予想を裏切り第4楽章は一般的なテンポで、かつ重厚さを併呑した荘重な演奏だ。逞しいホルンから始まるコーダの立派さは滅多に聴けないだらう。(2018.7.27)

ブルックナー:交響曲第8番/バイエルン国立管弦楽団/ハンス・クナッパーツブッシュ(cond.) [VENIAS VN025]
怪物クナッパーツブッシュの管弦楽曲録音を可能な限り集成した70枚組。1955年12月5日のライヴ録音。墺Orfeoから正規盤が出てゐた。往時のブルックナー指揮者でクナッパーツブッシュの名は外せない。改悪版の楽譜を使用してゐたことを差し引きしても、特に第8交響曲での威容は他の指揮者を大きく突き放す。5種類以上の録音が残るが、矢張り後年の方が構へが大きくなり圧倒的だ。従つて、このバイエルン国立管弦楽団盤は小振りな演奏と云へる。無造作な速めのテンポで、全体で70分弱とかなり快速だ。緩急の差も取らず、揺るぎのない堂々たる音楽を創る。第1楽章が特に立派で重厚な悲劇を演出してゐる。渋い第3楽章もブルックナーの本質を突いてをり美しい。最も素晴らしいのが第4楽章コーダで、凄まじくテンポを落としての神々しい終結は圧巻だ。バイエルン国立管弦楽団だが、実演とは云へ肝心な箇所で管楽器のしくじりが散見され、褒められた演奏ではない。(2018.7.24)

ガスパール・カサド(vc)/原智恵子(p)/1963年ソヴィエト録音 [DENON COCO-85301]
11963年、ソヴィエトに楽旅した際に残された録音の板起こし復刻である。演目はフレスコバルディ「トッカータ」、ベートーヴェンのWoO.46の方の魔笛の主題による7つの変奏曲、シューベルトのアレグレット・グラツィオーソ、グラナドス「ゴイェスカス」間奏曲、フォレー「エレジー」、ラヴェル「ハバネラ形式の小品」、自作自演「親愛の言葉」の7曲だ。晩年、原智恵子と組んだデュオは絶対的な自信に裏付けされた演奏が繰り広げられてをり、技巧的にも感性においても最高の名演ばかりだ。カサドは衰へを見せなかつた稀有な奏者で、それどころか瑞々しさを増して行くやうだ。フレスコバルディの素朴な音楽から高貴な感情が湧き上がる。ベートーヴェンの明るく屈託のない歌と舞踏は極上で、カサルスの演奏を顔色なからしめる。シューベルトはSP時代より取り上げてきたカサドによる編曲作品。仕上がりとしては当盤中最高だらう。グラナドス、フォレー、ラヴェルの3曲は前年の日本録音でも録音してゐる得意の演目で、申し分ない。自作自演が夫婦共演の聴けるのは有難い。勿論、決定的名演である。原智恵子のピアノも美しい。フォレーでの香り立つタッチは絶品である。(2018.7.21)

ヴェルディ:「ナブッコ」/ティート・ゴッビ(Br)/エレナ・スリオティス(S)/ウィーン国立歌劇場管弦楽団と合唱団/ランベルト・ガルデッリ(cond.)、他 [Decca 478 1717]
1965年に行はれた「ナブッコ」初めてのセッション録音。規範として聴かれてきた名盤であるが、「ナブッコ」の理想的演奏として挙げる人はゐないだらう。全般的に物足りないのだ。総合点では申し分のない名盤なのだが、それ以上がない困つた録音なのだ。この録音は晩年のゴッビの為に組まれた録音だと云へる。千両役者ゴッビの多彩な表現が聴け、最大の武器であるnihilなファルセットは唯一無二だ。印象的なのはアビガイッレを歌ふスリオティスだ。高音から低音まで驚異的な歌唱を駆使し圧倒される。第2のマリア・カラスと称されたスリオティスは本当にカラスそつくりの歌ひ方をする。ザッカーリア役のカルロ・カーヴァも見事だ。最も心憎い活躍をしてゐるのは指揮者ガルデッリだらう。要所を押さえた棒で満点と云へる。ウィーン国立歌劇場管弦楽団と合唱団が非常に美しい音楽を紡いで行く。アンサンブルも響きの調和も抜群で、"Va pensiero"の清廉で宗教的な美しさは一種特別だ。だが、難癖になるが、初期ヴェルディの荒々しい熱さを伴つてゐない。上品に整つたウィーン流儀の音楽になつて仕舞つた。上手いのだが失つたものの方が大きい。心ないことを申せば、ミラノ・スカラ座を起用してイタリア勢だけ―スリオティスを除いて―の録音なら最高の1枚になつたかも知れぬ。(2018.7.18)

ブルックナー:交響曲第8番/ウィーン・フィル/カール・シューリヒト(cond.) [Altus ALT085]
1963年12月7日の実況録音。名盤として大変高名なEMIへのセッション録音の直前に行はれた演奏会だ。結論から云ふと矢張りセッション録音の方が、音響や楽器のバランスの調整や、細部の発音やアゴーギクの処理にも神経が行き届いてをり、圧倒的に完成度が高い。商品として仕上げたのだから当然である。一方、このライヴ録音では一発勝負の綻びは然程気にならないのだが、矢張り音響で偏りが出て仕舞ひ不恰好な箇所が散見される。しかし、シューリヒトだけの即興的な演奏が繰り広げられる点では流石だ。しかも緩急の差が大きく、超速で飛ばして行く箇所は凄まじく目紛しいのだが、全曲で71分強と標準なので、如何に減り張りが強いかがわかるだらう。もう1点、この演奏を際立たせる特徴としてはウィーン・フィルの音色―取り分け婀なヴァイオリンの歌が琴線に触れる。線が細く厚みがないが、官能的な表現を随所に撒き散らし、この演奏を個性的に仕立ててゐる。(2018.7.15)

クープラン:クラヴザン曲集(9曲)、バッハ:パルティータ第1番、同第3番、同第2番、幻想曲ハ短調BWV.906/マルセル・メイエ(p) [EMI 0946 384699 2 6]
ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。6枚目を聴く。クープランの9曲は1946年に録音されたメイエの傑作で、ピアノで弾かれたものでは最高のひとつだ。溢れ出る幻想的な描写力が素敵で、音楽と絵画が結婚した詩的な情景が聴き手を包み込むだらう。外連は一切なく、品格ある佇まいがえも云はれぬ感興へと誘ふのだ。メイエがレペルトワールの中心としたのがバッハ、スカルラッティ、ラモーである。メイエのバッハは謹厳な様式ではなく、フランス流儀の角が取れた流麗で抒情美が優先する演奏様式だ。パルティータの第1番の力みのない端正な表現は如何ばかりであらう。清らかで停滞のない音楽に心洗はれる。リパッティの名演と共に究極の美しさだ。第3番や第2番でも構築美ではなく、舞曲としての性格が強く、その中から内省的な祈りの音楽が聴こえてくる。幻想曲は劇的かつ求心的な演奏ではなく、詠嘆に傾いたメイエらしい演奏で印象深い。(2018.7.12)

ハイドン: 交響曲第22番、同第90番、トランペット協奏曲、フンメル:トランペット協奏曲/パオロ・ロンジノッティ(tp)/ミシェル・クヴィット(tp)/スイス・ロマンド管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(cond.) [DECCA 0289 482 1235 4]
アンセルメのDECCA録音よりフランス音楽とロシア音楽以外、即ちドイツ音楽を中心に集成をした31枚組。17枚目を聞く。アンセルメによるハイドンはパリ・セット6曲の録音が残る。フランス音楽を主戦場としたアンセルメだからパリ・セットを選んだ理由はわかる。当盤の第22番と第90番はそれこそ玄人好みの選曲であり、純粋にアンセルメが愛し、得意としたといふ理由以外はなささうだ。「哲学者」の第1楽章のまつたりとした雰囲気は絶妙で、ハイドンの意図したアイロニーを表現することに成功した得難い演奏である。第2楽章以降は風格ある穏当な演奏で、刺激はないが万全だ。第90番が一際抜きん出た名曲であることを伝道する名演だ。堂々たる構へで情熱と生命力が漲る。独奏楽器の情感も豊か。第4楽章のパウゼが素敵だ。この2曲は屈指の名演として必聴である。有名曲トランペット協奏曲だが、アンセルメとスイス・ロマンド管弦楽団は素晴らしいのだが、独奏者ロンジノッティが戴けない。無遠慮に吹き、細かい音の処理が出来てゐない。繊細さがなく大味だ。技巧も怪しく、現代の学生の方が上手に吹くだらう。一方、フンメルの独奏者クヴィットは数倍上手で安心して聴ける。(2018.7.9)

ヴィヴァルディ:調和の霊感Op.3-10、同Op.3-3、バッハ:4つのチェンバロの為の協奏曲BWV.1065、協奏曲第7番BWV.978/クラウディオ・アッバード(cemb)/ミラノ・アンジェリクム管弦楽団/アルベルト・ゼッダ(cond.)、他 [Charlin SLC2-2]
ワン・ポイント録音で知られるフランスの名技師アンドレ・シャルランによる録音レーベルの中で、とても興味深い1枚だ。まず、企画が良い。大バッハの4つのチェンバロの為の協奏曲イ短調BWV.1065の原曲であるヴァヴァルディの「調和の霊感」作品3-10、大バッハのチェンバロ独奏による協奏曲第7番へ長調BWV.978の原曲であるヴィヴァルディの「調和の霊感」作品3-3を並べて聴くといふ趣向だ。楽器が異なると印象が大分異なるから面白い。演奏のせいもあるが、ヴィヴァルディの原曲の方が感興豊かと感じる。さて、興味深いのは演奏者で、バッハの4つのチェンバロの為の協奏曲では3番奏者が若き日のアッバードなのだ。指揮者として頭角を現して行く時期にこのやうな録音を残してゐた。(2018.7.6)

モーツァルト:協奏交響曲、セレナータ・ノットゥルノ、交響曲第41番「ジュピター」/アルテュール・グリュミォー(vn)/ウィリアム・プリムローズ(va)/ヘルマン・シェルヘン(cond.)/カレル・アンチェル(cond.)、他 [Tahra TAH 595-598]
モーツァルトの稀少録音集4枚組。3枚目を聴く。目玉は初演目となるアンチェルのジュピター交響曲だ。亡命先でシェフとなつたトロント交響楽団との1970年、最晩年の録音。残念だが音像が遠く、もどかしい音質だ。とは云へ、鑑賞には不自由はない。演奏は衒ひのない王道を貫いた格調高き名演。第2ヴァイオリンの内声部が極めて雄弁で啓示多き内容だ。思はず引き込まれる第2楽章の演奏は少ない。流石はアンチェルだ。セレナータ・ノットゥルノもトロント交響楽団の演奏で、シェルヘンの指揮による1965年の録音だ。シェルヘンらしい斜に構へた奇異な演奏で面白い。テンポは非常に遅めで気怠い演奏だが、随所に抉りがあり個性を刻印する。第3楽章が秀逸で、コーダでの煽りは仕掛けが多く面目躍如。協奏交響曲はモーツァルトの名手グリュミォーとヴィルティオーゾのプリムローズといふ豪華な取り合はせで、指揮はオットー・アッカーマン、ケルン放送交響楽団の伴奏だ。1955年の録音だが、最も音質は良く、活き活きとしてゐる。まず、オーケストラの演奏が素晴らしく最上級だ。グリュミォーは適性を示し、芳醇に歌ひ回る。プリムローズは決して埋もれることなく、主役の存在感を見せるが、音楽は淡白でグリュミォーとは方向性が異なる。演奏は部分においては高品質だが、全体としての感銘は今一つ残らないのが残念。(2018.7.3)


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