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楽興撰録

蒐集した音楽を興じて綴る頁


2024.3.30以前のCD評
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最近の記事


リスト:ピアノ協奏曲第2番
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
ブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ
ロンドン・フィル/レスリー・ヘワード(cond.)/ワルター・ゲール(cond.)
エゴン・ペトリ(p)
[APR 7701]

 英APRは3巻6枚の復刻をしてゐたが補遺をし7枚組で再発。3枚目。ペトリの協奏曲録音はこの2曲だけである。リストが良い。ペトリはリストを得意とし編曲作品も隔てなく取り上げてゐた。第2協奏曲では常套的な夢想する浪漫を聴かせるのではなく、宗教的な祈りに似た浄化であつたり内なる苦悩と闘争に昇華させた枯れて抹香臭い演奏が個性的だ。核心に迫つた隠れた名演である。チャイコフスキーは全く良くない。挑戦的な取り組みだつたとは思ふが、知性派で鷹揚なペトリには不向きな演目だ。通り一遍弾いた以上の印象は受けなかつた。オーケストラ伴奏もお粗末だ。ブラームスは意欲的で見事だが、イヴ・ナットの峻厳な演奏には太刀打ち出来る類ひの演奏ではない。(2024.9.9)


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番、同第4番、同第5番
ベルリン・フィル
ヴォルフガング・シュナイダーハン(vn&cond.)
[DG 028948637898]

 DG録音全集34枚組。1967年の弾き振り全集録音。シュナイダーハンはモーツァルトを最も得意として多くの名盤が残るが、この協奏曲全集こそが最良の遺産であらう。天下のベルリン・フィルの極上の伴奏を得て、天衣無縫かくの如しと妙なる名人藝を披露する。シュナイダーハンはこれ迄にも第4番や第5番を録音してきたが、だうも遠慮があると云ふか、伝統的な枠内に収まつてきた。だが、最後のこの手前味噌の場において独擅場を築き上げる。やりたい放題、自由に弾きまくるのだ。カデンツァは全て自作でこれが滅法面白い。カデンツァ以外でも遊びが豊富で痛快だ。同じベルリン・フィルを起用したオイストラフの弾き振り全集など問題にならない。シュナイダーハンの圧勝でグリュミオーの全集と双璧を成す。(2024.9.6)


パラディス:シチリエンヌ(2種)
シューマン:幻想小曲集(2種)
メンデルスゾーン:無言歌Op.109
フォレ:エレジー
ジェラルド・ムーア(p)
ジャクリーヌ・デュ=プレ(vc)
[Warner Classics 9029661138]

 EMI録音全集22枚組。3度目の全集でオリジナル仕様になり決定的復刻になつたと云へよう。4枚目。デュ=プレのEMI正規初録音は1962年に始まり小品録音からであつた。3枚目に収録されてゐた5演目と、この4枚目にあるパラディス、シューマン、メンデルスゾーンだ。これらは「リサイタル」アルバムとして纏められた。そして、経緯は謎だが翌年1963年にもパラディスとシューマンを再録音した。フォレのみ1969年の録音。これは"A tribute to GERALD MOORE"といふアルバムに収録された音源だ。この箱物はオリジナル仕様だが、小品集だけは初出のアルバム3つを寄せ集めてゐる。演奏はどれも素敵だが、デュ=プレは大曲を得意とし、小品では往年の名手らを超える味はひはない。(2024.9.3)


マーラー:交響曲第9番
ベルリン・フィル
サー・ジョン・バルビローリ(cond.)
[Warner Classics 9029538608]

 英バルビローリ協会全面協力の下、遂に出た渾身の全集109枚組。大変名高い名盤だ。バルビローリは戦後間もない頃からベルリン・フィルと良好な関係を築き上げ定期的に客演をしてきた。1963年1月、マーラーの第9交響曲の演奏は大成功で、かのベルリン・フィルからレコーディングの申し出があり、翌1964年の当録音が誕生したといふ曰く付きだ。バルビローリとベルリン・フィルの正規録音はこれが唯一だが、英TESTMENTがマーラーの第2番、第3番、第6番のライヴ録音を公表し、活動記録を補完した。この演奏への称賛は尽きない。第9番の名演は多いが、バルビローリ盤は群を抜いて良い。上質なオーケストラ、一期一会の緊張感、過度に前衛的に陥らない品位、全てが理想的な状態にある。第3楽章はもう少し発奮しても良かつたとは感じるが、全霊を傾けて歌ひ上げた第4楽章には跪拝せずにをれない。(2024.8.30)


モーツァルト:交響曲第1番変ホ長調K.16、同第4番ニ長調K.19、同第5番変ロ長調K.22、同ヘ長調K.76(42a)、同第6番ヘ長調K.43、同第7番ニ長調K.45、同ト長調K.Anh.221(45a)「旧ランバッハ」
ベルリン・フィル
カール・ベーム(cond.)
[DG 00289 483 5171]

 ベームの代表的名盤であるモーツァルト交響曲全集。この全集の価値は真作の可能性がある曲を悉く収録した点である。録音当時、番号が振られたことがあつても偽作と判定されてゐた作品は収録されてゐない。従つて第2番と第3番はない。尚、唯一K.76(42a)は第43番が振られてゐたが研究の結果、偽作と断定されて仕舞つた。記念すべき第1番はイタリア風シンフォニア様式による爽やかな逸品だ。早くもジュピター音型が登場する。とは云へ、第4番から第7番及び旧ランバッハまでは同じ傾向の作品と云つてよく、第2主題と云へるほどの異なつた副主題もなく、展開部も僅か、コーダもあつさりし、単調で交響曲の発展には寄与してゐない。飽くまでシンフォニアの範疇の明るい素朴な音楽に止まる。(2024.8.27)


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番
シュポア:ヴァイオリン協奏曲第8番
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
ベルリン・ドイツ歌劇場管弦楽団/ベルリン・フィル
アルトゥール・ローター(cond.)/ハンス・シュミット=イッセルシュテット(cond.)/ヨーゼフ・カイルベルト(cond.)
ゲオルグ・クーレンカンプ(vn)
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9804]

 クーレンカンプの復刻は独Podiumの15枚分が一番纏まつてゐたが、それでも抜けがあつた。英Duttonの復刻はその穴を埋める。モーツァルトは他に復刻がなかつたので重要だ。幽玄な音色でおつとりと歌ふクーレンカンプは真に個性的で類例がない。ポルタメントを多用した歌ひ回し、気張ることなく瞑想的な弱音に誘ふ趣は極めて浪漫的であり、戦後輩出されたモーツァルト弾きたちとは系統が全く異なる。イッセルシュテットとのシュポア、カイルベルトとのブルッフは他に復刻があり、別項でも述べたので割愛する。(2024.8.24)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番、同第27番
バンベルク交響楽団/ベルリン・フィル/フェルディナンド・ライトナー(cond.)
ヴィルヘルム・ケンプ(p)
[DG 00289 483 9075]

 DGエディション80枚組。ケンプの復刻はベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスが中心で、モーツァルトが全て聴けるやうになつたのは歓迎したい。ライトナーの伴奏でドイツ王道の演奏を楽しめる。第24番ではケンプ作のカデンツァが興味深い。珠玉のタッチで高貴なモーツァルト演奏なのだが、それ以上の特徴を述べるのが難しい。おつとりして夢想するやうな良さはあるが、聴き手に強い印象を残す演奏ではない。残念乍ら現代では殆ど価値を認めることが出来ない演奏なのだ。(2024.8.21)


マーラー:交響曲第9番
ウィーン交響楽団
ヘルマン・シェルヘン(cond.)
[MEMORIES REVERENCE MR2418/2422]

 開拓者シェルヘンが残したマーラー録音集第2巻5枚組。この第9番は墺Orfeoから発売された1950年のライヴ録音で、演奏時間70分弱といふ未だに破られることのない世界最速演奏だ。煽り立てるシェルヘンの棒にウィーン交響楽団が必死に食らひ付き鬼の形相で演奏する。雑な演奏だが、情念が凄まじく振り切れた表情で焔を燃やす。遠慮会釈なく多用されたポルタメントは頽廃的な異様さだ。死生観を漂はせる解釈が多い中、生に固執するマーラーの核心に迫つた熱演と絶讃したい。第1楽章が21分とは異常な速さだ。もがき苦しみ阿鼻叫喚の様相に深刻さを感じる。斯様な絶望感は他の演奏からは得られない。一方、緩急は激しく、沈み込んだ時やコーダでは絶え入るやうに静寂だ。第2楽章も前のめりで躍動する。野卑な趣が良い。第3楽章も同様でコーダでの猛進は大興奮だ。第4楽章も快速だが、殺伐とした趣と静謐な美しさが同居する一種特別な名演だ。(2024.8.18)


シュトラウス:「こうもり」
アデール・リー(S)/エバーハルト・ヴェヒター(Br)/アンネリーゼ・ローテンベルガー(S)/ジョージ・ロンドン(Br)/シャーンドル・コーンヤ(T)/リゼ・スティーヴンス(Ms)/エーリヒ・クンツ(Br)
ウィーン国立歌劇場管弦楽団と合唱団/オスカー・ダノン(cond.)
[SONY Music 88697 46984 2]

 知る人ぞ知る1963年にRCAに録音された名盤で、かのクライバー盤を凌ぐ。歌手陣は明らかに格上だ。そればかりではない。ダノンの指揮は威勢が良く、楽しくて仕方ない。序曲から沸き立つてゐる。ロザリンデ役リーやアイゼンシュタイン役ヴェヒターも素晴らしいが、ファルケ役ロンドンが存在感を示す。アルフレード役のコーンヤは「女心の歌」を交へ朗々と美声を披露する。ブリント役のエーリヒ・マイクートの珍妙な声作りには抱腹絶倒だ。第2幕冒頭は省略なしで豪快な音楽に心躍る。オルロフスキー役のスティーヴンスは貫禄十分。頽廃的な趣も醸し出してをり、かうでなくてはならぬ。チャールダッシュ前にはツィンバロン風の導入音も入り雰囲気満点だ。ワルツ前の挿入曲は2つも用意されてゐる。かつての定番曲「春の声」ではアデーレ役ローテンベルガーが独唱を担ふ。当盤の最大の主役はローテンベルガーで、2つのアリアも決まつてゐる。最高だ。面白いのはその後に、フランク役クンツとヘルベルト・プリコパによるウィーン情緒たつぷりのランナームジークが挿入されるのだ。名手クンツの贅沢な起用だ。当盤を聴かずして「こうもり」は語れない。余白にダノン指揮による抜粋録音も収録されてゐるが、別項で述べたので割愛する。(2024.8.15)


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番、同第5番
フィルハーモニア管弦楽団/オットー・アッカーマン(cond.)
パリ音楽院管弦楽団/アンドレ・ヴァンデルノート(cond.)
レオニード・コーガン(vn)
[Warner Music Korea PWC15-D-0012]

 コーガンのEMI録音を集成した15枚組。第3番はアッカーマンとの共演で1955年の録音、第5番がヴァンデルノートとの共演で1957年の録音だ。第5番はステレオ切り替へに出遅れたEMIのモノーラル録音であつた為、発売機会を逸し長らくお蔵入りになり、後に既出の第3番と組み合はせて発売された。演奏は第3番が極上の名演だ。繊細な表情で木目細かく色とりどりの変化を楽しめる。コーガンの腕力は必要とせず軽妙洒脱で爽快感がある。気負ひのない絶好調の名演と云へる。第5番は曲想の違ひもあり、幾分感銘が落ちる。瀟洒な演奏であるが、第2楽章では歌ひ込みが浅く物足りない。(2024.8.12)


ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番、子守歌
グレインジャー:岸辺のモリー、カントリー・ガーデン、シェパーズ・ヘイ、他
デット:イン・ザ・ボトムス
スコット:悲しいピエロ、黒人の踊り、チェリー・ライプ
パーシー・グレインジャー(p)
[APR 7501]

 奇才グレインジャーのSP時代独奏録音全集5枚組。5枚目。ブラームスのソナタは幾分散漫な気はあるが、無骨でラプソディックな音楽が常に語り出して来る名演だ。それよりもグレインジャーが編曲した子守歌が味はひ深い。バッハ「羊は安らかに草を食み」の編曲が慰みのある音楽で素敵だ。一方、「ばらの騎士」のパラフレーズ「取り止めもない愛」は淫靡で面白い。自作自演はどれも見事だが「ユトランド民謡メドレー」はグレインジャーの本領を聴ける。最後に9曲、1945年に米デッカに録音した独奏録音が収録されてをり重要だ。自作自演では「ロンドンデリー」の独自編曲が情感溢れてをり良い。デットとスコットの選曲はグレインジャーならではで、雰囲気満点だ。(2024.8.9)


ハイドン:交響曲第95番、同第96番
クリーヴランド管弦楽団
ジョージ・セル(cond.)
[SONY 88985471852]

 遂に集成されたセル大全集106枚組。1969年の録音で、第96番はEPICレーベルへの最後の録音である。精緻を極めた演奏で、これらの曲の代表的名演に挙げられる。第95番第1楽章では贅肉を削ぎ落とした筋肉質な響きに圧倒される。弾丸のやうな第4楽章も見事だ。第96番でも躍動する両端楽章は古典音楽演奏の御手本と云へる出来栄えだ。メヌエットでの可憐な愛らしさの演出も美しい。とは云へ、他のザロモン・セットの曲と同じく個性や主張が強く出た演奏かと問はれると、否だ。綺麗に合奏を披露した絶妙な演奏以上ではなく、第一に推挙すべき録音とまではならない。(2024.8.6)


マーラー:交響曲第9番
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
オットー・クレンペラー(cond.)
[Warner Classics 5 055197 257049]

 管弦楽と協奏曲の録音全集95枚組。1967年の録音。マーラーの弟子格クレンペラー渾身の名演だ。第9交響曲を振る殆どの指揮者は、持てる限りの情念を注入し断末魔が聴こえて来るやうな演奏をする。しかし、クレンペラーは感情の流れに身を任せることはなく、重厚で壮麗な交響楽として立派に響きを聴かせる。クレンペラーの個性が強く出た演奏なのだ。だからと云つて、無骨で無機質で表面的な演奏なのではない。作品の持つ破格の力だけで演出は不要なのだ。どの演奏よりも正攻法による圧巻の名演で、形容するなら神話的な力強さと美しさがある。取り分け悲劇的な威容に圧倒される第1楽章は凄みがある。荘重なテンポによる第2楽章と第3楽章も風格が只事ではない。腹の底から切々と訴へる第4楽章は魂を揺さぶる。(2024.8.3)


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番、同第5番、アダージョK.261、ロンドK.269、ロンドK.373
ベルリン・フィル
ダヴィド・オイストラフ(vn&cond.)
[EMI 50999 2 14712 2 3]

 EMI録音全集17枚組。最晩年の1970年から1972年にかけてベルリン・フィルと完成させた弾き振りモーツァルト全集だ。演奏内容は申し分ないが、感興に乏しく表面的な美しさに終始してゐる感がある。特に緩徐楽章での単調さが戴けない。楽器が鳴り過ぎてゐるのだらう。この全集はヴァイオリンと管弦楽の為の曲を網羅してゐるので有り難い。しかし、同じベルリン・フィルの弾き振りであつてもシュナイダーハンの全集の方がモーツァルトの本懐に近い。アダージョの法悦やロンドの軽快さの点で水を開けられてゐる。(2024.7.30)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番
シェーンベルク:ピアノ協奏曲
CBC交響楽団/ワルター・ススキンド(cond.)/ロバート・クラフト(cond.)
グレン・グールド(p)
[SONY 88697130942]

 オリジナル・ジャケット・シリーズの先駆けとなつたグールド全集80枚組。1961年の録音。モーツァルトとシェーンベルクの組み合はせは奇異に感じられるだらうが、グールド自身により「ピアノと管弦楽の為の音楽の実質的な始発点と終着点」と定義されて制作されてゐる。グールドはモーツァルトのピアノ・ソナタを全曲録音したが、協奏曲はこのハ短調曲しか残してゐない。実はこの曲の第1楽章の冒頭主題数小節で12音全てが使用されてゐる。その意味で終着点シェーンベルクに対しての始発点なのだ。演奏はソナタのやうに珍奇ではなく正統的な名演である。特に弱音への繊細な拘泥はりは見事で、モーツァルトの最も前衛的な作品の美しさを引き出した。グールドが最も重要視したシェーンベルクはCBC交響楽団の演奏に不満が残るが、総じて名演と云つてよい。演奏内容は両曲とも突き抜けてゐる訳ではないが、グールドの意図を汲み取りたい。(2024.7.27)


シュトラウス:「こうもり」
ヘルマン・プライ(Br)/ユリア・ヴァラディ(S)/ルチア・ポップ(S)/ルネ・コロ(T)/イヴァン・レブロフ(Bo)、他
バイエルン国立管弦楽団と歌劇場合唱団/カルロス・クライバー(cond.)
[DG 00289 483 5498]

 クライバーのDG録音全集12枚組オリジナル・ジャケット仕様の愛蔵盤。「こうもり」の決定的名盤とされる。何と云つてもクライバーの躍動する棒が天下無双だ。序曲の若々しさに惹き込まれ完全にクライバーの魔法に捕らはれて仕舞ふ。幕が開いてもリズムが跳ね優美に舞ふ。バイエルン国立管弦楽団も見事に応へた威勢の良い音楽で楽しませて呉れる。特筆すべきは挿入された「雷鳴と稲妻」で、他が聴けなくなる絶対的な名演なのだ。「雷鳴と稲妻」が定番となつたのもクライバーの快演の影響が大きいだらう。豪華歌手陣も粒揃ひだが、幾分ドイツ色が強く、軽さや抜け感が少ないと感じるのは難癖か。さて、1点だけクライバー盤で受け入れ難く、減点になるのがオルロフスキー公爵にレブロフを起用したことだ。ロシア人といふ設定を重視したからであらうが全編ファルセットで歌はせ、何とも異様な仕上がりだ。意図は理解するが、もう少し安定した巧さが欲しいのだ。レブロフは期待には応へてゐるが、冗談が受けなかつたといふ落ちだ。(2024.7.24)


マーラー:交響曲第9番
ニューヨーク・フィル
レナード・バーンスタイン(cond.)
[SONY 88697943332]

 第1回目の交響曲全集。1965年の録音だ。第9交響曲はおいそれとは演奏出来ない曲でマーラー指揮者が威信を掛けて取り上げる作品だ。だから、悪い演奏はなく、何れも迫真の説得力がある。バーンスタインも幾つも録音が残るが乾坤一擲の名演ばかりだ。このニューヨーク・フィル盤は後年の演奏に比べるとのめり込みは薄く、バーンスタインらしさが弱く注目されないのだが、流れや構造に関しては見通しが良く破綻がない。晩年の演奏は部分の表現力は凄まじいものの全体としては崩れがあるし、カロリーが多過ぎる。当盤は完成度の点では一等だ。ただ、個性の強さはなく、ミトロプーロスの演奏を継承した程度に過ぎないとも云へる。(2024.7.21)


ティッタ・ルッフォ(Br)
録音全集第3巻(1920年〜25年)
ジョルダーノ/マスネ/ヴェルディ/フランケッティ/ルビンシテイン/フロトー/ベルリオーズ/グノー/ドリーブ/トスティ、他
[Pearl GEMM CDS 9214]

 20世紀初頭に活躍した大物バリトン、ルッフォの録音集成第3巻。2枚組の1枚目。全盛期の烈火の如く咆哮する姿勢は鳴りを潜め、威厳ある執政官のやうな藝風に変容して来た。安心して聴ける反面、ルッフォだけの異常さは薄れ、少々寂しい。ヴェルディでは「エルナーニ」と「ファルスタッフ」が聴ける。これらは無論見事だ。ベルリオーズ「ファウストの劫罰」は一種特別な野卑な趣があり面白い。盛期を過ぎたからか歌曲録音が増える。朴訥な「サンタ・ルチア」は手管がなくて却つて良い。パディッラ"El relicario"やデ=テヤダ"Perjura"などスペイン歌曲が力強くて映える。(2024.7.18)


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番、同第5番
ロンドン交響楽団/サー・コリン・デイヴィス(cond.)
アルテュール・グリュミォー(vn)
[Decca/Philips 4851160]

 生誕100年記念グリュミォーPhilips録音全集74枚組。モーツァルト弾きグリュミオーの代表的名盤。ヴァイオリン協奏曲全集をモノーラルとステレオで2度も録音してをり、このデイヴィスとのステレオ録音全集は決定盤として君臨してゐる。天性の相性の良さと、デイヴィスの指揮によるロンドン交響楽団の最上の伴奏で他者を突き放してゐるのだ。特に第4番は古今を通じても超える演奏があるとは思へない仕上がりだ。冒頭のロンドン交響楽団の絶妙な合奏の素晴らしさから隔絶してゐる。そして、天衣無縫の如く華やかで明るい歌を振りまくグリュミオーの美音。最高だ。第5番も良いが、翳りが乏しく美しいだけの部分もあり、この曲はグリュミオー以外にも聴くべき演奏は多い。だが、グリュミオー盤の完成度は抜きん出てゐる。(2024.7.15)


ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第11番、同第12番、同第13番
ベートーヴェン弦楽四重奏団
[VENEZIA CDVE 04328-3]

 露VENEZIAレーベルが復刻したベートーヴェンSQによるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集6枚組。5枚目。第11番は作曲の前年に亡くなつたベートーヴェンSQの第2ヴァイオリン奏者ヴァシリー・シリンスキー追悼の曲である。短い7つの標題付き楽章が切れ目なく繋がる極めて個性的な作品だ。晦渋さは無く、虚無的な詩情が明滅する。演奏はベートーヴェンSQの持ち味である草書体の妙味が出た含蓄ある決定的名演である。第12番は前奏的な第1楽章に続く長大で多重的な第2楽章が圧巻で、ショスタコーヴィチの音楽的実験が詰め込まれてゐる。後期作品におけるベートーヴェンSQの表現力は見事だ。第13番は単一楽章でアダージョといふ凡そ弦楽四重奏曲の中で最も特異で難解な作品と云へる。奏法も奇怪さを増し、類例がない。終はり方も謎めいて、解釈が困難な曲だ。かういふ曲こそベートーヴェンSQの得意とする処で、神秘的な異世界を垣間見させて呉れる。(2024.7.12)


L・モーツァルト(伝):交響曲ト長調「新ランバッハ」
モーツァルト:交響曲変ロ長調K.Anh.214(45b)、同第8番ニ長調K.48、同第9番ハ長調K.73(75a)、同第10番ト長調K.74、同ニ長調K.81(73I)
ベルリン・フィル
カール・ベーム(cond.)
[DG 00289 483 5171]

 ベームの代表的名盤であるモーツァルト交響曲全集。この全集の価値は真作の可能性がある曲を悉く収録した点である。番号付きのだけの全集が多い中、ベーム盤で聴ける珍曲は大いに資料的価値がある。特にレオポルト作なのかアマデウス作なのか論争中であつた「新ランバッハ」交響曲が聴けるのは重要だ。作曲様式からするに矢張りアマデウス作とは思へない。しかし、両端楽章は雑踏のやうで面白い。演奏も見事だ。番号のない変ロ長調とニ長調は一応それぞれ第55番、第44番が振られてゐる。内容は初期の範疇を出ない。第8番から第10番も紋切り型で少々退屈だが、第9番第4楽章は祝祭的で良いし、第10番終楽章も愉悦が素晴らしい。演奏はどれもベルリン・フィルの申し分ない合奏で非の打ち所がない。(2024.7.9)


マーラー:交響曲第9番
ニューヨーク・フィル
ディミトリス・ミトロプーロス(cond.)
[Music&Arts CD-1021]

 1960年1月23日カーネギー・ホールでのライヴ録音。マーラー生誕100年に相応しい感動的な名演だ。ミトロプーロスのマーラーは感情が爆発してをり真剣そのものだ。そして、ニューヨーク・フィルが重厚で全霊を傾けた演奏で応へる。トスカニーニ時代にはなかつた暗い響きと思索的な音色を獲得してゐる。これはバルビローリやヴァルターではなく明らかにミトロプーロスの功績だ。美しさでは戦前にヴァルターがウィーン・フィルと残した奇蹟的な演奏には及ばないが、比肩する深さがある。情念がのたうち回る第1楽章、血を流し乍ら行進する第3楽章、贖罪の告白のやうな赤裸々な第4楽章、ぐいと引き込まれる。第2楽章はやや軽佻であつた。第9番には名演が多いが、ミトロプーロス盤は最上位のひとつだ。(2024.7.3)


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番
ベートーヴェン:ロマンス第1番、同第2番
ロンドン交響楽団/サー・マルコム・サージェント(cond.)
RCAヴィクター交響楽団/ウィリアム・スタインバーグ(cond.)
ヤッシャ・ハイフェッツ(vn)
[RCA 88697700502]

 オリジナル・ジャケット・コレクション全集103枚組。1951年の録音。ハイフェッツはこの頃、英國と米國を行き来し積極的に録音活動をした。米ヴィクターの看板奏者である一方、恐慌の際は英EMIとの関係を強めてゐた。モーツァルトはサージェントとロンドン交響楽団の伴奏での録音だ。ハイフェッツはトルコ風を愛好してをり矢鱈と録音が多いが、当盤が総決算とも云ふべき仕上がりである。快速テンポで弾き飛ばしてゐるやうで、強弱緩急の変化が老巧で唖然とする。力で捩じ伏せる必要もなく、表情の変化をこれでもかと聴かせる。これは特別な名演として絶讃したい。ハイフェッツの巧さが存分に出た。カデンツァも良い。ベートーヴェンは米國での録音。こちらも同様に余裕があり表情が多彩だ。第1番が屈指の名演だ。第2番は癖玉が通用しにくい曲なので幾分感銘は落ちる。(2024.6.30)


"Le Saxophone"
デュクラック/ボザ/チェレプニン/ボノー/トマジ/デュボア/グラナドス/ランティエ/ラザルス/クレストン/モーリス
マルセル・ミュール(sax)
[OSSIA 1005/2]

 ミュールは1954年から1956年にかけてDeccaに6枚の"Le Saxophone"といふアルバムを残した。この2枚組はそれらからの復刻盤だ。1枚目。第1巻より、デュクラック「アンダンテと紡ぎ歌」、ボザ「即興曲と奇想曲」、チェレプニンの競技的ソナティネ、ボノー「ワルツ形式のカプリース」、トマジ「ジラシオン」―パスカルのソナタのみ未収録―、第3巻の全て、デュボア「ディヴェルティスマン」、グラナドス「ゴイェスカス」、ランティエ「シチリエンヌ」、ラザルスのソナタ、第6巻よりクレストンのソナタ、モーリス「プロヴァンスの風景」が収録されてゐる。幾つかは仏サクソフォーン協会盤にも復刻があつた。正にサクソフォーン藝術の頂点であり、美しいヴィブラートは弦楽器を聴いてゐるかのやうだ。技巧ではミュールを超える奏者はゐるだらうが、超え難い指標であり続ける。(2024.6.27)


ハイドン:交響曲第26番「ラメンタチオーネ」、同第27番、同第28番、同第29番
フィルハーモニア・フンガリカ
アンタル・ドラティ(cond.)
[DECCA 478 1221]

 ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。3楽章しかない為に作曲年が古いと採番されたが、疾風怒濤期初期の作品と見做される第26番ニ短調は、グレゴリオ聖歌から受難と哀歌のコラールを引用した特殊な曲である。3楽章制なのも教会音楽を意識してだ。性質上、交響曲としての演奏が難しいのだが、流石はドラティでコラールを情感たつぷりに演奏し安定感を獲得してゐる。第27番ト長調も3楽章制だが、この曲こそ完全に最初期の作品で、単純素朴な仕上がりだ。第2楽章シチリアーナは多様な色合ひと情趣が織り混ざる名品だ。第28番イ長調は恐らく初期の最後の方に位置する野心作で、4分の3と8分の6の複合的なリズムを重ねた第1楽章の刺激はモーツァルトにはないハイドンだけの実験精神を見出せる。第3楽章ではバリオラージュ奏法で用ゐて作曲。ベートーヴェンを先駆する。第29番ホ長調は主題や展開に面白みがないが、調性に試みがあり全体的に包み込むやうな情感に貫かれてゐる。(2024.6.24)


ショパン:4つのスケルツォ、ピアノ・ソナタ第2番「葬送」
サンソン・フランソワ(p)
[ERATO 9029526186]

 没後50年記念54枚組。3度目となる大全集で遂にオリジナル・アルバムによる決定的復刻となつた。9枚目。フランソワはショパンの主要な演目を網羅録音した。再録音も多いが、モノーラル録音しかない曲集がある。1955年録音のスケルツォ全4曲もさうだ。フランソワの音楽性と合致してをり、全集としては最高位に置きたい。中間部の夢想するやうな詩情は殊更美しい。第4番は特に比類ない。第3番も見事だ。同じく1955年6月に録音された葬送ソナタは何度も録音したが、これが最古だ。実は翌1956年9月に再録音をしてゐる。事情は知らない。謎だ。愛好家なら周知のことだらうが、フランソワは若い時ほど才気煥発でモノーラル期の方が優れてゐる。葬送ソナタもさうで、しかも僅か1年の違ひだが当盤の方が断然良い。熱に浮かされたやうな暗い喘ぎが弛緩なく流れる。この曲の最高の名演のひとつである。(2024.6.21)


ブラームス:交響曲第1番、同第3番
シュトゥットガルト放送交響楽団
カール・シューリヒト(cond.)
[hänssler CLASSIC CD93.292]

 シュトゥットガルト放送交響楽団との放送録音集第2巻10枚組。シューリヒトは清涼感のあるそよ風のやうなブラームスを聴かせ、同時代の指揮者の中では一種特別な存在であつた。当盤の演奏も個性的なのだが正直申して感銘は薄い。シューリヒトは第1番のみ正規録音を残してゐない。スイス・ロマンド管弦楽団との素晴らしいライヴ録音があつたが、手兵シュトゥットガルト放送交響楽団との演奏は薄口で物足りない。オーケストラの表現の踏み込みが足りないのだ。第3番にも同じ事が云へる。第1楽章はアンサンブルが乱れる箇所が散見され、この難曲に梃子摺つてゐるやうだ。コンサートホールへの正規録音には及ばない。(2024.6.18)


ロッシーニ:「老いの過ち」より5曲
シューベルト:12の高雅なワルツ集D969(2種)、感傷的なワルツ集D779(2種)、16のドイツ舞曲集D783、17のレントラーD366より8曲、12のドイツ舞曲D790より8曲
マルセル・メイエ(p)
[EMI 0946 384699 2 6]

 ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。15枚目。近代フランス音楽と古典楽派以前の音楽を二大柱としたメイエのレペルトワールでロッシーニとシューベルトは添へ物扱ひされ易いが、高雅で含蓄ある演奏は唸らせるものがあり、メイエの絶大な評価を裏付ける。ロッシーニは第8集「館のアルバム」から第5番「大袈裟な前奏曲」と第3番「悲嘆と希望」、第9集第3番「愛しきサヴォア」、第5集「幼い子供たちの為のアルバム」より第11番「ソテー」と第10番「おや、小さな豌豆よ」の5曲だ。どれも絶品である。シューベルトも即興曲やソナタではなく、レントラーやドイツ舞曲集ばかりを録音してゐるのがメイエの賢明さを物語る。追憶であつたり昔語りであつたり、側々と紡がれる音楽に癒される。D969とD779は得意とし1953年に再録音してゐる。他は全て1940年代の記録だ。(2024.6.15)


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番、同第5番、「牧人の王」より「彼女を愛さう生涯変はらずに」、「イドメネオ」より「心配しないで愛する人よ」
ベルリン・フィル/ウィーン交響楽団
ハンス・ロスバウト(cond.)/フェルディナンド・ライトナー(cond.)
イルムガルト・ゼーフリート(S)
ヴォルフガング・シュナイダーハン(vn)
[DG 028948637898]

 DG録音全集34枚組。モーツァルトを得意としたシュナイダーハンは、これらの協奏曲をDGに都合3回も録音した。これは最初のモノーラル録音で、協奏曲第5番は1952年の活動初期の記録である。伴奏はライトナーとウィーン交響楽団で水準程度だ。独奏も特徴は薄い。カデンツァはヨアヒム作を使用。同時に録音された奥方ゼーフリートとのアリアが良い。これらはamadeo盤にも収録されてゐた。シュナイダーハンの助奏が絶品である。協奏曲第4番は1956年、ロスバウトとベルリン・フィルとの共演で、こちらの方が幾分出来が良い。カデンツァがシュナイダーハン自作で興味深い。長大かつ技巧を凝らした派手な第1楽章のカデンツァは圧巻だ。(2024.6.12)


ブラームス:交響曲第1番、ハイドンの主題による変奏曲
ライプツィヒ放送交響楽団
ヘルマン・アーベントロート(cond.)
[BERLIN Classics 0092432BC]

 アーベントロートの録音記録最多演目はベートーヴェンの第9番とブラームスの第1番である。この1949年盤は商品化されて聴く機会が多く、アーベントロートのブラームスでは代表的存在だつた。しかし、バイエルン国立歌劇場管弦楽団との劇的な録音が登場して価値を失つた。当盤は音質が今ひとつ優れず、演奏内容は比較的大人しい。第4楽章コーダでのテンポ激変はアーベントロート印の刻印だ。変奏曲が良い。情感豊かで盛り上げが上手い。細部の音は混濁し不正確だが、全体の流れを重視した古き良き時代の演奏なのだ。(2024.6.9)


ハイドン:交響曲第101番「時計」、同第95番
交響楽団
フリッツ・ライナー(cond.)
[RCA 88883701982]

 ライナーとシカゴ交響楽団のRCA録音全集63枚組。これは1963年9月に行はれたライナー生涯最後の録音で、11月にライナーは鬼籍に入る。実は、この録音は厳密にはシカゴ交響楽団との演奏ではない。場所もニューヨークで行はれてゐる。かつてライナーと名演を繰り広げた、ニューヨーク・フィル、メトロポリタン歌劇場管弦楽団、NBC交響楽団―即ちシンフォニー・オブ・ジ・エアー―の有志たち、勿論シカゴ交響楽団の有志も参加して編成された臨時オーケストラによる演奏なのだ。ライナーは1953年より10年契約でシカゴ交響楽団音楽監督に就任したのだが、その契約が切れたのが背景がある。さて演奏内容だが、ハイドンでは先に第88番での超人的な名演を残してをり、この2曲でも凡人では及びのつかない境地を示して呉れる。特に芯まで届くアクセントの狂ひ無さには敬服する。細部まで音楽の息吹を通はせたこの2曲の代表的の名盤である。(2024.5.24)


ドニゼッティ:「ドン・パスクァーレ」
フェルナンド・コレナ(Bs)/グラツィエッラ・シュッティ(S)/トム・クラウセ(Br)/フアン・オンシーナ(T)、他
ウィーン国立歌劇場管弦楽団と合唱団/イシュトヴァーン・ケルテス(cond.)
[DECCA 483 4710]

 ウィーン・フィルとの録音集20枚組。1964年に録音された名盤だ。標題役のコレナの巧さが光る。シュッティのノリーナがコケティッシュで良い。リリックなコロラチューラを聴かせて呉れる理想的なノリーナだ。オンシーナのエルネストは水準程度だ。歌手陣は粒揃ひで素晴らしいのだが、当盤を上回る名唱は幾つも存在する。当盤の特徴は何と云つても合唱と管弦楽の素晴らしさである。第3幕の見事な合唱はさうは聴けまい。管弦楽とケルテスの音楽運びも格調高くて天晴だ。とは云へ、イタリア・オペラの醍醐味とは毛色が異なり、モーツァルトを聴いてゐるやうだ。Metでジェンナーロ・パピが奏でたやうな軽やかで陽気な音楽こそ本流だと感じるが、存外仕上がりの良い録音が少ないので重宝されるだらう。(2024.5.21)


ドビュッシー:弦楽四重奏曲
ヴィンチ(グエッリーニ編曲):ガボット
ボッケリーニ:弦楽四重奏曲Op.39-8、同Op.58-2
新イタリア弦楽四重奏団/イタリア弦楽四重奏団
[Warner Classics 0190296739200]

 コロムビア録音全集14枚組。1枚目にはイタリアSQの最初の録音―この時は新イタリア弦楽四重奏団といふ名称だつた―1946年のテレフンケンへの録音、ドビュッシーの四重奏曲を収録してゐる。繊細さと官能美を極限まで追求した都会的な演奏で脱ロマンティシズムを刻印した恐るべき名演だ。イタリアSQはついでデッカ専属を経てコロムビアへ録音を行ふ。ヴィオラがリオネッロ・フォルツァンティからピエロ・ファルッリに交代してをり、団体名から新を外した。最初のコロムビア録音はイタリアの作曲家の作品で、何といつても自家薬籠中としたボッケリーニの2曲が絶品だ。溌剌として屈託がない。イタリアの爽快な風が吹く決定的名演だ。編曲だがヴィンチの小品も気が利いてをり麗しい。(2024.5.18)


ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス
マーガレット・プライス(S)/クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)、他
ウィーン国立歌劇場合唱団/ウィーン・フィル
カール・ベーム(cond.)
[DG 4798358]

 歌劇及び声楽作品録音を集成した70枚組。ベームはミサ・ソレムニスを2回録音してをり、こちらは新盤となるウィーン・フィルとの1974年録音盤だ。全体として印象を述べるならベルリン・フィルとの旧盤は引き締まつた演奏で歌手たちも精鋭揃ひ、この新盤は品位と鷹揚さで温かみのある演奏で細部まで丁寧だ。歌手は旧盤に比べると物足りないが、大事に歌つてゐて精度は高い。さう、この新盤は悪い箇所はひとつもないのだ。ウィーン・フィルと合唱団の黄金の音楽はベームとの相性の良さを伝へる。だが、多くの人が感じるであらう、踏み込みの弱さ、主張の乏しさを指摘するのは難癖だらうか。晩年のベームを具現する演奏なのだ。(2024.5.15)


ブラームス:交響曲第1番、同第3番
レニングラード・フィル
エフゲニー・ムラヴィンスキー(cond.)
[Venezia CDVE 00509]

 この箱物は寄せ集めに過ぎないが音質は良い。ムラヴィンスキーの録音情報は正確性を欠くので、同一音源が別日で表記されることも屡々だ。さて、ムラヴィンスキーにはブラームスの第1交響曲の録音記録はひとつしかない。この1949年頃のセッション録音だ。1950年説もあるが瑣末事だ。ムラヴィンスキーが振るブラームスは何れも個性的な解釈が特徴だが、第1交響曲は常套的な範疇だ。しかし、流石はレニングラード・フィルで、しなやかで息の長いフレーズを見事に聴かせる技量に驚かされる。緩急や強弱を独自の視点で細かく付けてをり目から鱗が落ちる。これぞムラヴィンスキーの醍醐味だ。第3交響曲は1972年1月26日と表記されてゐるが27日の説もある。これもだうでもいいことだ。この演奏のことは別項で述べたので割愛する。(2024.5.12)


グルック:「オーリードのイフィジェニー」序曲
ブルックナー:交響曲第7番
ニューヨーク・フィル
ブルーノ・ヴァルター(cond.)
[Sony Classical 190759232422]

 コロムビア録音全集77枚組。1954年12月23日、カーネギー・ホールでのライヴ録音で、英TESTMENTが蔵出し初発売した音源だ。この全集に組み込まれたことを歓迎したい。ヴァルターにとつてグルックは珍しい演目だ。良く鳴らした威厳ある演奏で、流麗な歌も備へた浪漫的な名演だ。ブルックナーは実演における瑕が気になり、正規セッション録音の方を上位に置きたい。このニューヨーク・フィル盤はオーケストラの力量こそ感じられるものの、細部の仕上がりで精度が落ち、テンポや間合ひも掛け違ひを感じる。絶妙に嵌らない演奏だ。第3楽章トリオの濃厚な歌は良かつた。(2024.5.9)



ドニゼッティ:「ドン・パスクァーレ」
エルネスト・バディーニ(Br)/アデライーデ・サラチェーニ(S)/ティート・スキーパ(T)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/カルロ・サバイーノ(cond.)
[Nireo 2010-1/31]

 スキーパの故郷レッチェが総力を上げてオマージュ制作した完全大全集31枚組。好事家しか所持してゐないだらう稀少盤だ。9枚目と10枚目はスキーパ唯一の歌劇全曲録音である「ドン・パスクァーレ」だ。スキーパにはライヴ録音での断片記録は残るが、全曲で残るのはこれのみだ。1932年の録音でこの作品の最古の録音だ。正にスキーパを主役として残された企画であらう。表題役のバディーニはとても良い。マラテスタ医師を歌ふアフロ・ポリも見事だ。だが、肝心のノリーナ役サラチェーニがアジリタを歌ひ過ぎで相応しくなく邪魔だ。ガリ=クルチのやうなコロラチューラこそノリーナに打つて付けなのだが。さて、スキーパのエルネストが嵌り役で、他の歌手とは次元が違ふ。第2幕冒頭のアリアや第3幕のセレナードのリリコ・レッジェーロの魅惑は唯一無二だ。他は聴けまい。サバイーノの巧みな棒によるミラノ・スカラ座の絶妙な管弦楽と見事な合唱は近年の演奏と比較しても遜色ない。名盤だ。(2024.5.6)


バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番、同第2番
エンリーコ・マイナルディ(vc)
[DG 40036]

 オリジナル仕様によるDG及びARCHIVへの録音全集14枚組。1枚目。ARCHIV録音のバッハ無伴奏チェロ組曲全集だ。これは名手マイナルディの個性が存分に発揮された驚くべき名演である。マイナルディは派手さを嫌ひ、滋味豊かな音楽を追求した人で、曲によつては物足りないのだが、格調高い古典音楽では比類のない相性の良さを感じる。バッハの無伴奏組曲は兎に角丁寧で俗気がない。高貴な美しさといふ点ならフルニエの演奏も同種なのだが、もつと歌があり感情の揺れがあつた。マイナルディの演奏は色気を抜き訥々と弾く。流れが途切れるやうでさうではない。長めに伸ばした音に込められた含蓄に敬服する。(2024.5.3)


スクリャービン:前奏曲集(20曲)、詩曲集(8曲)、ピアノ・ソナタ第9番「黒ミサ」、同第10番「トリル・ソナタ」、舞曲、小品、練習曲、マズルカ
ヴラディーミル・ソフロニツキー(p)
[SCRIBENDUM SC817]

 34枚組。ソフロニツキーの復刻がこれほど纏まつたことはかつてなく偉業と云へよう。2枚目。1960年2月2日、モスクワ音楽院における伝説的なスクリャービン・リサイタルだ。演目の前半は前奏曲集で、ショパンの24の前奏曲を模してハ長調から調性を明暗反転したら、調号を1つずつ増やし乍らニ短調までの環を作る試みを行つてゐる。流石に全部揃はず20曲分だが、ソフロニツキーだけが取り組めた至藝である。この演奏は一段階も二段階も次元が違ふのだ。次に詩曲集で編む。その6曲目は悪魔的詩曲、そして黒ミサのソナタで頂点を描く。再び詩曲、次いで舞曲からトリル・ソナタへと繋げる。最後はアンコール風に小品を幾許か。最後は情熱的なエチュードで結ぶ。讃辞が見当たらぬ程の絶対的な内容だ。(2024.4.30)


シューマン:交響曲第4番
ブラームス:交響曲第1番
フィルハーモニア管弦楽団
グィード・カンテッリ(cond.)
[Warner Classics 0190295383039]

 生誕100年記念EMI録音全集10枚組。4枚目。1953年のモノーラル録音。シューマンが名演で、フルトヴェングラー盤に匹敵する極上の出来だ。熱情的な推進力、重厚さと切れ味が同居するアーティキュレーション、どす黒い血潮のやうな音色をフィルハーモニア管弦楽団より引き出してをり、カラヤンなど問題にならない。シューマンのロマンティシズムを見事に昇華してをり天晴。ブラームスも素晴らしい。若武者のやうな演奏を期待するが真逆で、高貴な感情が支配する大人の演奏だ。ドイツ系指揮者やうなの粘りはなく音色も颯爽としてゐる。情感は豊かでまろやかだ。個性は弱いかも知れぬが非常に完成度の高い名演で嫌味がない。(2024.4.27)


ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス
エリーザベト・シュヴァルツコップ(p)/ハインツ・レーフス(Br)、他
アムステルダム・トーンクンスト合唱団/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
オットー・クレンペラー(cond.)
[archiphon KKC4258]

 1947年から1961年に及ぶコンセルトヘボウへの客演記録の集成24枚組。クレンペラーはミサ・ソレムニスを大変得意としてをり、幾つも録音があり、特にフィルハーモニア管弦楽団との正規録音は名盤中の名盤であつた。この初出となる1957年の公演記録も大層な名演であり流石だ。実演だけあつてセッション録音よりも生気に溢れてをり、巨大さと豊かな感興が均衡した名演なのだ。シュヴァルツコップらの独唱陣も良く、ヤン・ダーメンのヴァイオリン独奏も美しい。管弦楽と合唱も実力はこちらが上だが、実演なのでバランスや精緻さには欠ける。一長一短だが驚くべき名演だ。曲間の様子もそのまま商品化してをり生々しい。(2024.4.24)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」
シューベルト:即興曲D899-2
バイロン・ジャニス(p)
[RCA 88725484402]

 RCA録音全集。1950年に録音された新星ジャニスのデビュー・アルバムだ。選ばれた演目はベートーヴェンとシューベルトといふ王道で驚異的な名演を披露してゐる。ベートーヴェンでは確かな打鍵による強靭なピアニズムで、殊更幻想的に表現される曲が情熱的に変容する。新しい解釈とそれを成功される技巧の裏付けがある。見事だ。シューベルトも同様だが、こちらはまだまだ成熟さが足りない。(2024.4.21)


ジュゼッペ・デ=ルーカ(Br)
録音全集第1巻
フォノティピア録音(1907年)
[Pearl GEMM CDS 9159]

 全集録音第1巻3枚組。2枚目。1907年1月、デ=ルーカはフォノティピアに大量録音を行つた。演目は得意としたドニゼッティやヴェルディが中心だが、定番と云へるモーツァルト、ロッシーニ、ポンキエッリ、レオンカヴァッロ、フランケッティなど多岐に渡り幅広い表現を楽しめる。どれも柔和で高貴な美しさが光る名唱ばかりだ。フランス・オペラも少なからず残しており「ディノーラ」「アムレ」はG&Tにも録音したが、マスネ「ラオールの王」「エロディアード」は珍しいだらう。目を引くのは「タンホイザー」で本流ではないが面白からう。歌曲も7曲吹き込んでをり、自作の「優しき聖母」は貴重だ。さて、最も気になつたのはバリトンのフェルッチョ・コッラデッティとの二重唱によるルッジなる作曲家の「二人の靴屋」で、曲がヴェルディ「ラ・トラヴィアータ」のヴィオレッタの終幕のアリアのパロディー、否ほぼそのままを巫山戯て茶化し乍ら歌つた問題作なのだ。(2024.4.18)


モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番
シューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」
ハイドン:弦楽四重奏曲Op.74-1
ハンガリー弦楽四重奏団
[Music&Arts CD-1181]

 ゾルターン・セーケイとハンガリーSQの録音集8枚組。1枚目。モーツァルトとシューベルトは1958年7月22日のマントン音楽祭での記録で、この後にシューベルトの第15番が演奏されてゐる。モーツァルトの不協和音が絶品だ。冒頭から密度の濃い響きで別世界に誘ふ。主部は快速の研ぎ澄まされた辛口の音楽が展開される。緊張感が途切れることなく、甘めのモーツァルト演奏とは一線を画す。濃密な第2楽章、明暗の対比が鋭い第3楽章、疾風のやうな第4楽章と一分の隙もなく、思ひ起こす限り最高の演奏で、決定的名演と絶讃したい。一般的な鷹揚で上品なモーツァルト演奏とは真逆で、凛々しく熱情的な解釈が清々しい。死と乙女は細部まで丁寧かつ厳格な演奏で、内部に秘めた浪漫的な情感も素晴らしいが、難曲だけに綻びもあり幾分感銘は落ちる。第2楽章コーダではノン・ヴィブラート奏法による俗気を抜いた響きを作つてをり美しい。ハイドンが名演。1950年7月5日のライヴ録音で、完成度の高い極上の合奏を聴かせて呉れる。古典的な様式美の中に潤ひのある奏法が光る。(2024.4.15)


ブラームス:交響曲第1番
シンフォニー・オブ・ジ・エアー
イーゴル・マルケヴィッチ(cond.)
[DG 484 1659]

 DG録音集21枚組。1956年のモノーラル録音。マルケヴィッチが米國で、再出発して程ないシンフォニー・オブ・ジ・エアーを指揮してゐるのは実に珍奇だ。RCAの後ろ盾を失つたとは云へ、DGによる録音なのも何とも奇異である。録音した演目もマルケヴィッチらしくない超有名曲ばかりで商業的な関係性を感じ取つて仕舞ふ。とは云へ、マルケヴィッチはこのオーケストラを高く評価してをり、演奏内容は申し分ない。但し、威力は抜群なのだが、どこもかしこも常套的で特別な面白さはない。(2024.4.12)


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
ニューヨーク・スタジアム交響楽団/ヨーゼフ・クリップス(cond.)
BBC交響楽団/サー・エイドリアン・ボールト(cond.)
ベンノ・モイセイヴィッチ(p)
[TESTAMENT SBT 1509]

 英TESTAMENTはモイセイヴィッチの復刻に力を入れてゐたが、最後に初出となる貴重な未発表ライヴ録音集を出した。3枚組2枚目。ベートーヴェンは3種目となる音源で、クリップスとの共演である。1961年の米國での記録だ。晩年の演奏だが、得意としただけあり美しさと力強さに磨きがかかつてゐる。問題はクリップスとニューヨーク・スタジアム交響楽団による伴奏で、良い処を探すのが難しい程にお粗末だ。取り柄は元気が良いだけか。その為、モイセイヴィッチも調子を狂はされて本領発揮とは云ひ難い。2年後のサージェントとの実演が素晴らしいだけに、この録音は価値がない。一方、1946年のボールトとのラフマニノフは極上の名演だ。これも3種目となる音源となる。音質は優れないが、繊細で表情豊かなタッチは十分聴き取れる。噎せ返るやうな妖艶さが漂ふ浪漫的な名演が展開される。(2024.4.9)


グリーグ:チェロ・ソナタ
ドビュッシー:チェロ・ソナタ
バーバー:チェロ・ソナタ
プロコフィエフ:チェロ・ソナタ
ラルフ・バーコヴィッツ(p)
グレゴール・ピアティゴルスキー(vc)
[West Hill Radio WHRA 6032]

 M&A系列のWest Hill Radioによるピアティゴルスキー稀少録音集6枚組。5枚目。バーコヴィッツの伴奏によるソナタ録音で、プロコフィエフ以外は初出となる御宝音源だ。グリーグには正規録音がなく演目としても重要だ。ピアティゴルスキーとも相性が良く、伸びやかな歌と滋味溢れる詩情、苛責なきリズムによるアンサンブルの技巧、決まつてゐる。1945年のコロムビアへの正規録音なのだが、何故か未発表で御蔵入りだつた。ドビュッシーとバーバーのソナタも1947年のコロムビアへの正規録音なのだが未発売で、RCA&コロムビア・コンプリートアルバムコレクションにも含まれてゐない幻の音源である。ドビュッシーは1958年に、バーバーは1956年にも録音したので見落とさぬよう。演奏は全盛期の輝きと安定感があり申し分ない。プロコフィエフのみRCA録音なので、ここでは割愛する。(2024.4.6)


マギー・テイト(S)
ライヴ録音(1938年/1945年/1946年/1947年/1948年)
マスネ/モーツァルト/オッフェンバック/プッチーニ/チャイコフスキー/ドビュッシー/ジョルダーニ、他
[Pearl GEMM CD 9326]

 英國の名歌手テイトの稀少ライヴ録音集。音は乏しいが、テイトは録音自体少なく貴重だ。何と云つても「マノン」のハイライト音源が聴けることが驚きだ。テイトにはオペラ・アリア録音はあつても、実演での記録はなかつた筈だ。残念乍ら英語歌唱だが、雰囲気は満点でマスネの世界を見事に表現してゐる。デ=グリュー役はヘドル・ナッシュが担ひ好演してゐる。4トラック分聴けるが、実は2種類の音源から成り立つてゐる。さて、それ以外は米國での放送音源で、様々な作品を楽しめる。アリアでは「フィガロの結婚」「ペリコール」「ラ・ボエーム」「オルレアンの乙女」が聴ける。可憐なミミは印象的だ。得意としたドビュッシーは3曲分あるが、コルトーとの素晴らしき正規録音があるので不要だらう。ジョルダーノ「カロ・ミオ・ベン」、英國民謡、メサジェやルーセルのメロディーでもテイトの高雅な詩情に胸打たれる。(2024.4.3)



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