蒐集した音楽を興じて綴る頁
2024.6.30以前のCD評
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最近の記事フリッツ・クライスラー(p-r&vn) 台湾発の稀少音源復刻レーベルRhine classicsの驚愕すべきリリース。クライスラーの録音を全て蒐集した積りであつたが、ヴァイオリンではなくピアノ・ロールの記録があつた。クライスラーはドヴォジャーク「ユモレスク」のピアノでの録音も残してゐるので余技ではない。ラフマニノフと同様、アムピコ社に1919年から1927年の期間で14ものロール記録をした。最初の演目は1919年に米國ブロードウェイで当たりを取つた「リンゴの花」の2曲だ。他に「愛の喜び」「美しきロスマリン」「オールド・リフレイン」「ウィーン奇想曲」「おもちゃの兵隊の行進曲」「ウィーンのメロディー」「マリオネット人形」「小さなワルツ」が聴ける。ヴァイオリンで聴き慣れた名曲がピアノで弾かれるのは新鮮だ。他にもクラカウアー、ヴィンターニッツ、クラマー、ホイベルガーらの作品の編曲もある。特筆すべきはウィーン流儀の崩しで、人懐こい甘い雰囲気を醸し出してゐる。ピアノ演奏でも抜群の魅惑を放つのだ。さて、更に重要な音源が聴ける。こちらはヴァイオリン演奏で、1940年11月9日、ルーズヴェルト大統領の前での演奏で、クライスラーのスピーチ、「ジプシー女」「ウィーン奇想曲」「美しきロスマリン」が聴けるのだ。腕前は落ちてゐるが、蒐集家は見落としてはならぬ。(2024.11.3) ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第3番、同第6番 フルニエDG/Decca/Philips全集25枚組。8枚目。ベートーヴェンのピアノ三重奏曲の録音全集は多くは提供されてはゐない。名手3名が揃つた当盤は代表的な名盤として君臨してゐる。この2曲では、仕上がりは申し分ないが、出来栄えは特別突き抜けた要素はない。ハイドンが脅威を感じた第3番も品良く纏めた感は否めない。第6番は高貴な音楽性が嵌つて美しい。特に第3楽章は悠然たる歌が見事だ。とは云へ、全体としては踏み込みが弱い。(2024.10.30) モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 ギーゼキング全集48枚組。1953年の録音。ギーゼキングは同時期にモーツァルト独奏曲全集といふ偉業を進行してをり精力的であつた。第1楽章は若きカラヤンの熱気ある音楽に対して、無駄な成分を排除した透徹したピアニズムで格上を見せ付ける。なのに音楽の中身は非常に劇的、極め付きは創作カデンツァで、天晴見事。一転して第2楽章は慈しむやうなゆつたりしたテンポで情感豊かに紡ぐ。再現部は一段と声を潜め、宝石のやうな光沢のあるタッチで幻想的だ。大して話題にならないが、これは孤高の名演として重視したい。シューマンも上出来だ。ギーゼキングはフルトヴェングラーとの怒涛の名演があり、当盤は別人のやうに大人しいが、作品の美しさを良く引き出してゐる。カラヤンは5年前にリパッティとの録音があつたが、この再録音の方がフィルハーモニア管弦楽団の指導が行き届いてをり万全だ。特別な要素はないが、名匠二人による絶妙な名演なのだ。(2024.10.27) プッチーニ:「蝶々夫人」 ロス・アンヘレス全集59枚組。1954年のモノーラル旧盤の録音だ。蝶々夫人の録音は数多いが、最高峰にあるのは当盤だらう。何と云つても適役の豪華布陣に溜飲が下がる。蝶々さんは激唱されても困る。密やかな情感が美質となる。若く絶頂期にあつたロス・アンヘレスは可憐で嵌まり役だ。テバルディも良いが、大人びてゐるのだ。ピンカートンは色男ディ=ステファノで、これ以上は望めまい。そして、シャープレスにゴッビが贅沢に起用されてをり、役者が揃つてゐる。勘ぐつて仕舞ふが、この取り合はせならカラスも候補だつたらう。翌年のカラヤンとミラノ・スカラ座で組まれた録音がだう影響したかは不明だ。だが、結果は当盤が誕生したことで大正解であつた。ガヴァツェーニの正鵠を射た伴奏も見事で実に美しい。モノーラル最後期の極上の音質で減点は少ない。(2024.10.24) ヤナーチェク:ピアノと室内管弦楽の為のコンチェルティーノ、ドゥムカ、ヴァイオリン・ソナタ ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。チェコ音楽を堪能出来る1枚だ。最も感銘深いのはバリリの独奏によるドゥムカだ。ヤナーチェクの初期作品で民族色が強い。それだけに直截的なのだ。普段は鷹揚で溌溂としたバリリが、陰影深く妖しげな音色で官能的に歌ひ込む。決定的名演だ。次いで、矢張りバリリの弾くソナタが良い。こちらは独自の書法が確立した名作で、楽章構成も一風変はつてをり楽しめる。コンチェルティーノも作品としては更に実験的かつ刺激的な名曲で、ピアノが主導し乍らホルンやクラリネットが活躍する。だが、演奏は幾分散漫だ。マルティヌーの協奏曲は面白いが、コンツェルトハウスSQの良さが出たとは云ひ難く、然して印象に残らない。(2024.10.21) ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第26番「告別」、同第27番、同第30番、同第31番 DG録音全集24枚組。晩年のギレリスが到達した静謐で荘厳なピアニズムは後期ソナタで比類ない昇華を遂げる。それだけに最後の第32番が残されなかつたのは痛恨事だ。最も成功したのは第27番だらう。厳しさと美しさが融合した理想的な名演だ。他も神々しい一種特別な名演であるが、実のところもう少し甘いロマンティックな詩情や熱が欲しい。人間味が薄いのだ。(2024.10.18) コダーイ:「ハーリ・ヤーノシュ」組曲、マロシュセーク舞曲、ガランタ舞曲 マーキュリー・リヴィング・プレゼンス50枚組第1弾。ドラティが祖国ハンガリーの音楽を得意としたのは当然で、マーキュリーへの録音の中でも最も優れたもののひとつだ。コダーイが全て屈指の名演だ。これらの演目ではフリッチャイの決定的とも云へる名盤があるが、ドラティの演奏も肉薄する出来栄えだ。「ハーリ・ヤーノシュ」ではトーニ・コーヴェスのツィンバロンも面白く聴ける。本当に素晴らしいのは2つの舞曲で、郷愁豊かなフィルハーモニア・フンガリカとの演奏が決まつてゐるのだ。さて、バルトークは如何なる訳か感銘が落ちる。ハンガリアン・スケッチは線が細く弱々しい。ライナーの激辛の演奏とは比べものにならぬ。ルーマニア民俗舞曲も熱量がなく価値がない。(2024.10.15) ショパン:ピアノ協奏曲ヘ短調、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ コンプリート・アルバム・コレクション142枚組。1958年の録音で絶頂期のルービンシュタインの至藝を楽しめる。協奏曲は後にオーマンディと再録音をしたので、そちらの方がよく聴かれるが、当盤は良くも悪くもアメリカ的な豪奢で絢爛たる演奏で気持ちが晴れる。ルービンシュタインの美しいピアニズムが堪能出来るが、憂ひや深みを求める向きには鼻持ちならぬ演奏だらう。ポロネーズはルービンシュタインが得意とし、何種類も録音が残るが、管弦楽伴奏付きはこの演奏だけだ。ルービンシュタイン以上に華麗にこの曲を演奏した奏者はなからう。王者の風格漂ふ決定的名演だ。(2024.10.12) マーラー:交響曲第9番 DG録音全集121枚組。大変有名な1979年のライヴ録音。バーンスタインがベルリン・フィルと共演したのはこのマーラーの第9番の公演のみだ。カラヤンの聖域であつたベルリン・フィルに最大のライヴァルと目されたバーンスタインが踏み込むことは只事ではない。様々な思惑が交錯した異常な公演となつた。録音が残されてゐたが、バーンスタイン死後の1992年までお蔵入りであつた。賛否両論あるが、私見ではこのベルリン・フィル盤こそ最高の名演だと感じる。一期一会の客演の為、随所で瑕があり、完成度や仕上がりではアムステルダム盤の方が断然上なのだが、情念や緊張感が尋常ではなく引き込まれて仕舞ふのだ。但し、それも第3楽章までで、第4楽章は良くない。バーンスタインの没入する唸り声が至る処で入り、ベルリン・フィルを焚き付けるが、これが逆効果だつたやうだ。音楽が零れて行くのだ。そして、頂点に向けて崩壊が始まり、トロンボーン総落ちで旋律不在、トランペットが虚空を貫く事態が発生する。非常に残念だが、大局的にはアムステルダム盤を凌ぐ迫真性のある名演だ。第1楽章でのsul ponticello奏法には驚く。(2024.10.9) モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、同第24番 マルケヴィッチのPHILIPS録音集26枚組。語り尽くされた不朽の名盤だ。これらの曲の最高の演奏とまでは云はないが、屈指の名演であることは今だに変はらない。ハスキル最晩年の録音であるマルケヴィッチとの共演はどれも感銘深いが、矢張りこのモーツァルトに尽きるだらう。ニ短調協奏曲はモノーラルのパウムガルトナーとの共演盤を僅かに上位にしたいが、当盤の演奏も純度が高く美しい。ハ短調協奏曲はマルケヴィッチの鋭利な伴奏も相まつて総合点が高い。確かにハスキルのピアノは高潔で無垢だが、単調で情感に乏しいかも知れぬし、マルケヴィッチの指揮が精悍過ぎて悪目立ちしてゐるのは否めない。しかし、当盤を超える演奏が多くないのも事実だ。(2024.10.6) ショパン:チェロ・ソナタ 米コロムビアとRCAへの録音全集36枚組。再録音となるプロコフィエフが重要な録音だ。この曲は勿論ロストロポーヴィチとリヒテルによる伝説的な録音の存在を抜きには語れないが、往時規範として君臨したピアティゴルスキー盤は逸することが出来ない。脱力した飄然たる演奏は晩年のプロコフィエフの虚無感を炙り出す。随一の技巧故の余裕が生み出す面持ちが見事に楽曲に合致した稀代の名演だ。一方同じく再録音ではあるがショパンは低調だ。チェロもピアノも内気過ぎる細身の演奏で、芯を欠き殆ど印象に残らない。スラヴの郷愁を表現しようとした演奏かも知れぬが成功してゐない。この曲はフルニエの物心捧げた演奏が頭ひとつ抜きん出てゐる。(2024.10.3) マーラー:交響曲第9番 1968年、晩年のクレンペラーがウィーン藝術週間に登場した。その5公演を収録した8枚組。5枚目と6枚目。マーラーは6月9日の公演記録でウィーン藝術週間の頂点であつた。極上の名演である。クレンペラーは手兵ニュー・フィルハーモニア管弦楽団との叙事詩的と形容される荘重な名盤を残してをり、個性的といふ点では正規録音盤を上位に置きたいが、演奏内容は断然ウィーン・フィル盤の方が優れてゐるのだ。では何故歯痒い表現をするかといふと、これは大半がウィーン・フィルが作り上げた音楽なのであり、指揮者にクレンペラーを得て究極の第9交響曲が仕上がつたからだ。クレンペラーは細部の彫琢に心を砕いてをり立体的な響きがするのは個性が表出された点だ。また、弱音を基調にしてゐるのだが、音楽が最高潮に達した時の振り幅が尋常でなく、偉大さに圧倒される。これらを除いては豊かな情緒と艶で魅了するのはウィーン・フィルの力だらう。兎に角屈指の名演だ。5月19日の公演記録であるバッハも素晴らしい。大編成による旧時代の様式だが、鷹揚に朗々と演奏された美音の洪水だ。特に遅めのテンポでしみじみ演奏される終楽章は一種特別な美しさだ。(2024.9.30) プッチーニ:「蝶々夫人」 テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1951年のモノーラル録音でテバルディにとつては旧録音だ。「蝶々夫人」ではセラフィンと録音したステレオ再録音が世評高く、この作品の代表的録音と見做されて、当盤が顧みられることは少ない。だがしかしだ、敢へて世評に抗ひ、私見ではこのエレーデとの旧盤の方が優れてゐることを主張したい。セラフィン盤は勿論見事だが、仕上がり重視で、情緒や色気に欠けると感じる。テバルディはプッチーニを最も得意とし、就中蝶々さんが最も嵌まり役であつた。セラフィン盤では立派に歌ふが、このエレーデ盤では表情の変化が豊かで自由だ。若き日の艶やかな声を採りたい。エレーデの棒は刹那的で楽想に相応しい。テバルディ以外の歌手が小粒に見えるやうで、実は光彩を放つてゐる。カンポーラのピンカートンは重く生真面目なベルゴンツィよりもしつくりくる。モノーラル録音であることを除いてこの旧盤の方を推す。(2024.9.27) モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第1番、同第2番、同第5番 生誕100年記念グリュミォーPhilips録音全集74枚組。グリュミオーは2度モーツァルトの協奏曲全集を作成した。これは旧録音に当たるパウムガルトナーとの1950年代半ばのモノーラル録音だ。新旧の比較は実は甲乙付け難く、オーケストラの伴奏なら圧倒的にデイヴィスとロンドン交響楽団の新盤の方が精彩があつて良い。旧盤は情緒があつて美しいが、反面べたついてゐるのだ。グリュミオーは新盤での完熟した演奏も素晴らしいが、旧盤の自由奔放に駆け回る様には胸がすく。不恰好な箇所もあるが、ヴァイオリンの魅力はこちらが上だ。曲想的にも第1番が良い。第5番は締まりが悪く旧盤は採らない。(2024.9.24) マーラー:交響曲第9番 コロムビア録音全集77枚組。最晩年1961年の録音。ヴァルターには有名な戦前ウィーン・フィルとの録音があり、決定的名演として名高い。しかし、ヴァルター本人は本意の演奏とは考へてゐなかつた。ナチス侵攻の危機が迫る中での演奏に集中出来なかつたことを認めてゐる。となると引退公演となつたアルノルト・ロゼーの神通力による名演だつたのか。兎も角、このコロムビア交響楽団の録音こそがヴァルターの理想的な演奏といふことになる。だが、世評通りウィーン・フィル盤を超えるやうな感銘はない。当盤は大変立派な演奏で生々しい音楽が躍動してゐる。その意味では名盤と云へるし、屈指の名演に違ひない。しかし、特別な個性が刻印されてゐる訳ではなく、第9番の録音中で際立つた位置にはない。その点、ウィーン・フィル盤は美しさで別格なのだ。(2024.9.21) モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番、同第24番 名手カーゾンのデッカ録音全集23枚組。15枚目。深みを一層増した晩年1967年の録音。カーゾンのモーツァルト演奏は定評があるが、何とイ長調協奏曲はデッカに4回も録音してゐる。録音嫌ひで知られるカーゾンとしては異常事態だ。ハ短調協奏曲も2種の録音がある。ケルテスの上質な伴奏も相まつて両曲屈指の名盤だ。カーゾンの研ぎ澄まされた美音には含蓄があり迷ひがなく天上の境地に達してゐる。ハ短調協奏曲ではもう少し突き詰めた深刻さが欲しいとは思ふが、イ長調協奏曲は存外満足出来る名演が少なく、カーゾン盤の完成度に比肩する演奏は多くはない。(2024.9.18) モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 オリジナル・ジャケット・コレクション全集103枚組。室内楽演奏に専念するやうになり始めた1963年の録音。得意としたモーツァルトの協奏曲は弾き振り演奏で、闊達自在な名人藝を楽しめる。仕上がりとしてはサージェントとの録音が第一だが、当盤も力みがなく飄然たる演奏に感服して仕舞ふ。珍しいトゥリーナのトリオではハイフェッツの本領を存分に堪能出来る。marvelousな音色で艶やかに歌ふヴァイオリンに魅惑される。相棒ピアティゴルスキーも包み込むやうな広がりと妖艶な歌で仕掛ける。決定的名盤だ。(2024.9.15) マーラー:交響曲第9番 DG録音全集121枚組。バーンスタイン2度目の全集録音で、1985年のライヴ録音。バーンスタインは他にも第9交響曲の録音を多数残してゐるが、当盤が一番決まつてをり、申し分ない仕上がりだ。マーラーを得意とするアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の精緻で上質な演奏により、非の打ち所のない名演と云へる。取り分け第1楽章と第3楽章が良い。悠久の彼岸から波が寄せては引くやうな第1楽章は泰然とした趣があり崇高さすら感じさせる。第3楽章は焦燥感を維持し狂奔の結末まで緊張感が持続する。ライヴとは思へない完成度にも脱帽だ。一方、第2楽章と第4楽章では遅さに伴ふ集中力の弛緩を指摘するのは難癖だらうか。バーンスタインならではの濃厚で起伏のあるマーラー演奏は細部における表現の凄まじさと相反して、全体の見晴らしが濁る。否、音楽のカロリーが高過ぎて聴き手が疲れるのだ。バーンスタインの良さでもあり弱点でもある。(2024.9.12) リスト:ピアノ協奏曲第2番 英APRは3巻6枚の復刻をしてゐたが補遺をし7枚組で再発。3枚目。ペトリの協奏曲録音はこの2曲だけである。リストが良い。ペトリはリストを得意とし編曲作品も隔てなく取り上げてゐた。第2協奏曲では常套的な夢想する浪漫を聴かせるのではなく、宗教的な祈りに似た浄化であつたり内なる苦悩と闘争に昇華させた枯れて抹香臭い演奏が個性的だ。核心に迫つた隠れた名演である。チャイコフスキーは全く良くない。挑戦的な取り組みだつたとは思ふが、知性派で鷹揚なペトリには不向きな演目だ。通り一遍弾いた以上の印象は受けなかつた。オーケストラ伴奏もお粗末だ。ブラームスは意欲的で見事だが、イヴ・ナットの峻厳な演奏には太刀打ち出来る類ひの演奏ではない。(2024.9.9) モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番、同第4番、同第5番 DG録音全集34枚組。1967年の弾き振り全集録音。シュナイダーハンはモーツァルトを最も得意として多くの名盤が残るが、この協奏曲全集こそが最良の遺産であらう。天下のベルリン・フィルの極上の伴奏を得て、天衣無縫かくの如しと妙なる名人藝を披露する。シュナイダーハンはこれ迄にも第4番や第5番を録音してきたが、だうも遠慮があると云ふか、伝統的な枠内に収まつてきた。だが、最後のこの手前味噌の場において独擅場を築き上げる。やりたい放題、自由に弾きまくるのだ。カデンツァは全て自作でこれが滅法面白い。カデンツァ以外でも遊びが豊富で痛快だ。同じベルリン・フィルを起用したオイストラフの弾き振り全集など問題にならない。シュナイダーハンの圧勝でグリュミオーの全集と双璧を成す。(2024.9.6) パラディス:シチリエンヌ(2種) EMI録音全集22枚組。3度目の全集でオリジナル仕様になり決定的復刻になつたと云へよう。4枚目。デュ=プレのEMI正規初録音は1962年に始まり小品録音からであつた。3枚目に収録されてゐた5演目と、この4枚目にあるパラディス、シューマン、メンデルスゾーンだ。これらは「リサイタル」アルバムとして纏められた。そして、経緯は謎だが翌年1963年にもパラディスとシューマンを再録音した。フォレのみ1969年の録音。これは"A tribute to GERALD MOORE"といふアルバムに収録された音源だ。この箱物はオリジナル仕様だが、小品集だけは初出のアルバム3つを寄せ集めてゐる。演奏はどれも素敵だが、デュ=プレは大曲を得意とし、小品では往年の名手らを超える味はひはない。(2024.9.3) マーラー:交響曲第9番 英バルビローリ協会全面協力の下、遂に出た渾身の全集109枚組。大変名高い名盤だ。バルビローリは戦後間もない頃からベルリン・フィルと良好な関係を築き上げ定期的に客演をしてきた。1963年1月、マーラーの第9交響曲の演奏は大成功で、かのベルリン・フィルからレコーディングの申し出があり、翌1964年の当録音が誕生したといふ曰く付きだ。バルビローリとベルリン・フィルの正規録音はこれが唯一だが、英TESTMENTがマーラーの第2番、第3番、第6番のライヴ録音を公表し、活動記録を補完した。この演奏への称賛は尽きない。第9番の名演は多いが、バルビローリ盤は群を抜いて良い。上質なオーケストラ、一期一会の緊張感、過度に前衛的に陥らない品位、全てが理想的な状態にある。第3楽章はもう少し発奮しても良かつたとは感じるが、全霊を傾けて歌ひ上げた第4楽章には跪拝せずにをれない。(2024.8.30) モーツァルト:交響曲第1番変ホ長調K.16、同第4番ニ長調K.19、同第5番変ロ長調K.22、同ヘ長調K.76(42a)、同第6番ヘ長調K.43、同第7番ニ長調K.45、同ト長調K.Anh.221(45a)「旧ランバッハ」 ベームの代表的名盤であるモーツァルト交響曲全集。この全集の価値は真作の可能性がある曲を悉く収録した点である。録音当時、番号が振られたことがあつても偽作と判定されてゐた作品は収録されてゐない。従つて第2番と第3番はない。尚、唯一K.76(42a)は第43番が振られてゐたが研究の結果、偽作と断定されて仕舞つた。記念すべき第1番はイタリア風シンフォニア様式による爽やかな逸品だ。早くもジュピター音型が登場する。とは云へ、第4番から第7番及び旧ランバッハまでは同じ傾向の作品と云つてよく、第2主題と云へるほどの異なつた副主題もなく、展開部も僅か、コーダもあつさりし、単調で交響曲の発展には寄与してゐない。飽くまでシンフォニアの範疇の明るい素朴な音楽に止まる。(2024.8.27) モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 クーレンカンプの復刻は独Podiumの15枚分が一番纏まつてゐたが、それでも抜けがあつた。英Duttonの復刻はその穴を埋める。モーツァルトは他に復刻がなかつたので重要だ。幽玄な音色でおつとりと歌ふクーレンカンプは真に個性的で類例がない。ポルタメントを多用した歌ひ回し、気張ることなく瞑想的な弱音に誘ふ趣は極めて浪漫的であり、戦後輩出されたモーツァルト弾きたちとは系統が全く異なる。イッセルシュテットとのシュポア、カイルベルトとのブルッフは他に復刻があり、別項でも述べたので割愛する。(2024.8.24) モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番、同第27番 DGエディション80枚組。ケンプの復刻はベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスが中心で、モーツァルトが全て聴けるやうになつたのは歓迎したい。ライトナーの伴奏でドイツ王道の演奏を楽しめる。第24番ではケンプ作のカデンツァが興味深い。珠玉のタッチで高貴なモーツァルト演奏なのだが、それ以上の特徴を述べるのが難しい。おつとりして夢想するやうな良さはあるが、聴き手に強い印象を残す演奏ではない。残念乍ら現代では殆ど価値を認めることが出来ない演奏なのだ。(2024.8.21) マーラー:交響曲第9番 開拓者シェルヘンが残したマーラー録音集第2巻5枚組。この第9番は墺Orfeoから発売された1950年のライヴ録音で、演奏時間70分弱といふ未だに破られることのない世界最速演奏だ。煽り立てるシェルヘンの棒にウィーン交響楽団が必死に食らひ付き鬼の形相で演奏する。雑な演奏だが、情念が凄まじく振り切れた表情で焔を燃やす。遠慮会釈なく多用されたポルタメントは頽廃的な異様さだ。死生観を漂はせる解釈が多い中、生に固執するマーラーの核心に迫つた熱演と絶讃したい。第1楽章が21分とは異常な速さだ。もがき苦しみ阿鼻叫喚の様相に深刻さを感じる。斯様な絶望感は他の演奏からは得られない。一方、緩急は激しく、沈み込んだ時やコーダでは絶え入るやうに静寂だ。第2楽章も前のめりで躍動する。野卑な趣が良い。第3楽章も同様でコーダでの猛進は大興奮だ。第4楽章も快速だが、殺伐とした趣と静謐な美しさが同居する一種特別な名演だ。(2024.8.18) シュトラウス:「こうもり」 知る人ぞ知る1963年にRCAに録音された名盤で、かのクライバー盤を凌ぐ。歌手陣は明らかに格上だ。そればかりではない。ダノンの指揮は威勢が良く、楽しくて仕方ない。序曲から沸き立つてゐる。ロザリンデ役リーやアイゼンシュタイン役ヴェヒターも素晴らしいが、ファルケ役ロンドンが存在感を示す。アルフレード役のコーンヤは「女心の歌」を交へ朗々と美声を披露する。ブリント役のエーリヒ・マイクートの珍妙な声作りには抱腹絶倒だ。第2幕冒頭は省略なしで豪快な音楽に心躍る。オルロフスキー役のスティーヴンスは貫禄十分。頽廃的な趣も醸し出してをり、かうでなくてはならぬ。チャールダッシュ前にはツィンバロン風の導入音も入り雰囲気満点だ。ワルツ前の挿入曲は2つも用意されてゐる。かつての定番曲「春の声」ではアデーレ役ローテンベルガーが独唱を担ふ。当盤の最大の主役はローテンベルガーで、2つのアリアも決まつてゐる。最高だ。面白いのはその後に、フランク役クンツとヘルベルト・プリコパによるウィーン情緒たつぷりのランナームジークが挿入されるのだ。名手クンツの贅沢な起用だ。当盤を聴かずして「こうもり」は語れない。余白にダノン指揮による抜粋録音も収録されてゐるが、別項で述べたので割愛する。(2024.8.15) モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番、同第5番 コーガンのEMI録音を集成した15枚組。第3番はアッカーマンとの共演で1955年の録音、第5番がヴァンデルノートとの共演で1957年の録音だ。第5番はステレオ切り替へに出遅れたEMIのモノーラル録音であつた為、発売機会を逸し長らくお蔵入りになり、後に既出の第3番と組み合はせて発売された。演奏は第3番が極上の名演だ。繊細な表情で木目細かく色とりどりの変化を楽しめる。コーガンの腕力は必要とせず軽妙洒脱で爽快感がある。気負ひのない絶好調の名演と云へる。第5番も瀟洒な演奏であるが、曲想の違ひもあり幾分感銘が落ちる。第2楽章ではたつぷりと歌ひ込んでゐるが、瞑想する表情ではなく表現が浅く物足りない。(2024.8.12) ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番、子守歌 奇才グレインジャーのSP時代独奏録音全集5枚組。5枚目。ブラームスのソナタは幾分散漫な気はあるが、無骨でラプソディックな音楽が常に語り出して来る名演だ。それよりもグレインジャーが編曲した子守歌が味はひ深い。バッハ「羊は安らかに草を食み」の編曲が慰みのある音楽で素敵だ。一方、「ばらの騎士」のパラフレーズ「取り止めもない愛」は淫靡で面白い。自作自演はどれも見事だが「ユトランド民謡メドレー」はグレインジャーの本領を聴ける。最後に9曲、1945年に米デッカに録音した独奏録音が収録されてをり重要だ。自作自演では「ロンドンデリー」の独自編曲が情感溢れてをり良い。デットとスコットの選曲はグレインジャーならではで、雰囲気満点だ。(2024.8.9) ハイドン:交響曲第95番、同第96番 遂に集成されたセル大全集106枚組。1969年の録音で、第96番はEPICレーベルへの最後の録音である。精緻を極めた演奏で、これらの曲の代表的名演に挙げられる。第95番第1楽章では贅肉を削ぎ落とした筋肉質な響きに圧倒される。弾丸のやうな第4楽章も見事だ。第96番でも躍動する両端楽章は古典音楽演奏の御手本と云へる出来栄えだ。メヌエットでの可憐な愛らしさの演出も美しい。とは云へ、他のザロモン・セットの曲と同じく個性や主張が強く出た演奏かと問はれると、否だ。綺麗に合奏を披露した絶妙な演奏以上ではなく、第一に推挙すべき録音とまではならない。(2024.8.6) マーラー:交響曲第9番 管弦楽と協奏曲の録音全集95枚組。1967年の録音。マーラーの弟子格クレンペラー渾身の名演だ。第9交響曲を振る殆どの指揮者は、持てる限りの情念を注入し断末魔が聴こえて来るやうな演奏をする。しかし、クレンペラーは感情の流れに身を任せることはなく、重厚で壮麗な交響楽として立派に響きを聴かせる。クレンペラーの個性が強く出た演奏なのだ。だからと云つて、無骨で無機質で表面的な演奏なのではない。作品の持つ破格の力だけで演出は不要なのだ。どの演奏よりも正攻法による圧巻の名演で、形容するなら神話的な力強さと美しさがある。取り分け悲劇的な威容に圧倒される第1楽章は凄みがある。荘重なテンポによる第2楽章と第3楽章も風格が只事ではない。腹の底から切々と訴へる第4楽章は魂を揺さぶる。(2024.8.3) モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番、同第5番、アダージョK.261、ロンドK.269、ロンドK.373 EMI録音全集17枚組。最晩年の1970年から1972年にかけてベルリン・フィルと完成させた弾き振りモーツァルト全集だ。演奏内容は申し分ないが、感興に乏しく表面的な美しさに終始してゐる感がある。特に緩徐楽章での単調さが戴けない。楽器が鳴り過ぎてゐるのだらう。この全集はヴァイオリンと管弦楽の為の曲を網羅してゐるので有り難い。しかし、同じベルリン・フィルの弾き振りであつてもシュナイダーハンの全集の方がモーツァルトの本懐に近い。アダージョの法悦やロンドの軽快さの点で水を開けられてゐる。(2024.7.30) モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 オリジナル・ジャケット・シリーズの先駆けとなつたグールド全集80枚組。1961年の録音。モーツァルトとシェーンベルクの組み合はせは奇異に感じられるだらうが、グールド自身により「ピアノと管弦楽の為の音楽の実質的な始発点と終着点」と定義されて制作されてゐる。グールドはモーツァルトのピアノ・ソナタを全曲録音したが、協奏曲はこのハ短調曲しか残してゐない。実はこの曲の第1楽章の冒頭主題数小節で12音全てが使用されてゐる。その意味で終着点シェーンベルクに対しての始発点なのだ。演奏はソナタのやうに珍奇ではなく正統的な名演である。特に弱音への繊細な拘泥はりは見事で、モーツァルトの最も前衛的な作品の美しさを引き出した。グールドが最も重要視したシェーンベルクはCBC交響楽団の演奏に不満が残るが、総じて名演と云つてよい。演奏内容は両曲とも突き抜けてゐる訳ではないが、グールドの意図を汲み取りたい。(2024.7.27) シュトラウス:「こうもり」 クライバーのDG録音全集12枚組オリジナル・ジャケット仕様の愛蔵盤。「こうもり」の決定的名盤とされる。何と云つてもクライバーの躍動する棒が天下無双だ。序曲の若々しさに惹き込まれ完全にクライバーの魔法に捕らはれて仕舞ふ。幕が開いてもリズムが跳ね優美に舞ふ。バイエルン国立管弦楽団も見事に応へた威勢の良い音楽で楽しませて呉れる。特筆すべきは挿入された「雷鳴と稲妻」で、他が聴けなくなる絶対的な名演なのだ。「雷鳴と稲妻」が定番となつたのもクライバーの快演の影響が大きいだらう。豪華歌手陣も粒揃ひだが、幾分ドイツ色が強く、軽さや抜け感が少ないと感じるのは難癖か。さて、1点だけクライバー盤で受け入れ難く、減点になるのがオルロフスキー公爵にレブロフを起用したことだ。ロシア人といふ設定を重視したからであらうが全編ファルセットで歌はせ、何とも異様な仕上がりだ。意図は理解するが、もう少し安定した巧さが欲しいのだ。レブロフは期待には応へてゐるが、冗談が受けなかつたといふ落ちだ。(2024.7.24) マーラー:交響曲第9番 第1回目の交響曲全集。1965年の録音だ。第9交響曲はおいそれとは演奏出来ない曲でマーラー指揮者が威信を掛けて取り上げる作品だ。だから、悪い演奏はなく、何れも迫真の説得力がある。バーンスタインも幾つも録音が残るが乾坤一擲の名演ばかりだ。このニューヨーク・フィル盤は後年の演奏に比べるとのめり込みは薄く、バーンスタインらしさが弱く注目されないのだが、流れや構造に関しては見通しが良く破綻がない。晩年の演奏は部分の表現力は凄まじいものの全体としては崩れがあるし、カロリーが多過ぎる。当盤は完成度の点では一等だ。ただ、個性の強さはなく、ミトロプーロスの演奏を継承した程度に過ぎないとも云へる。(2024.7.21) ティッタ・ルッフォ(Br) 20世紀初頭に活躍した大物バリトン、ルッフォの録音集成第3巻。2枚組の1枚目。全盛期の烈火の如く咆哮する姿勢は鳴りを潜め、威厳ある執政官のやうな藝風に変容して来た。安心して聴ける反面、ルッフォだけの異常さは薄れ、少々寂しい。ヴェルディでは「エルナーニ」と「ファルスタッフ」が聴ける。これらは無論見事だ。ベルリオーズ「ファウストの劫罰」は一種特別な野卑な趣があり面白い。盛期を過ぎたからか歌曲録音が増える。朴訥な「サンタ・ルチア」は手管がなくて却つて良い。パディッラ"El relicario"やデ=テヤダ"Perjura"などスペイン歌曲が力強くて映える。(2024.7.18) モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番、同第5番 生誕100年記念グリュミォーPhilips録音全集74枚組。モーツァルト弾きグリュミオーの代表的名盤。ヴァイオリン協奏曲全集をモノーラルとステレオで2度も録音してをり、このデイヴィスとのステレオ録音全集は決定盤として君臨してゐる。天性の相性の良さと、デイヴィスの指揮によるロンドン交響楽団の最上の伴奏で他者を突き放してゐるのだ。特に第4番は古今を通じても超える演奏があるとは思へない仕上がりだ。冒頭のロンドン交響楽団の絶妙な合奏の素晴らしさから隔絶してゐる。そして、天衣無縫の如く華やかで明るい歌を振りまくグリュミオーの美音。最高だ。第5番も良いが、翳りが乏しく美しいだけの部分もあり、この曲はグリュミオー以外にも聴くべき演奏は多い。だが、グリュミオー盤の完成度は抜きん出てゐる。(2024.7.15) ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第11番、同第12番、同第13番 露VENEZIAレーベルが復刻したベートーヴェンSQによるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集6枚組。5枚目。第11番は作曲の前年に亡くなつたベートーヴェンSQの第2ヴァイオリン奏者ヴァシリー・シリンスキー追悼の曲である。短い7つの標題付き楽章が切れ目なく繋がる極めて個性的な作品だ。晦渋さは無く、虚無的な詩情が明滅する。演奏はベートーヴェンSQの持ち味である草書体の妙味が出た含蓄ある決定的名演である。第12番は前奏的な第1楽章に続く長大で多重的な第2楽章が圧巻で、ショスタコーヴィチの音楽的実験が詰め込まれてゐる。後期作品におけるベートーヴェンSQの表現力は見事だ。第13番は単一楽章でアダージョといふ凡そ弦楽四重奏曲の中で最も特異で難解な作品と云へる。奏法も奇怪さを増し、類例がない。終はり方も謎めいて、解釈が困難な曲だ。かういふ曲こそベートーヴェンSQの得意とする処で、神秘的な異世界を垣間見させて呉れる。(2024.7.12) L・モーツァルト(伝):交響曲ト長調「新ランバッハ」 ベームの代表的名盤であるモーツァルト交響曲全集。この全集の価値は真作の可能性がある曲を悉く収録した点である。番号付きのだけの全集が多い中、ベーム盤で聴ける珍曲は大いに資料的価値がある。特にレオポルト作なのかアマデウス作なのか論争中であつた「新ランバッハ」交響曲が聴けるのは重要だ。作曲様式からするに矢張りアマデウス作とは思へない。しかし、両端楽章は雑踏のやうで面白い。演奏も見事だ。番号のない変ロ長調とニ長調は一応それぞれ第55番、第44番が振られてゐる。内容は初期の範疇を出ない。第8番から第10番も紋切り型で少々退屈だが、第9番第4楽章は祝祭的で良いし、第10番終楽章も愉悦が素晴らしい。演奏はどれもベルリン・フィルの申し分ない合奏で非の打ち所がない。(2024.7.9) マーラー:交響曲第9番 1960年1月23日カーネギー・ホールでのライヴ録音。マーラー生誕100年に相応しい感動的な名演だ。ミトロプーロスのマーラーは感情が爆発してをり真剣そのものだ。そして、ニューヨーク・フィルが重厚で全霊を傾けた演奏で応へる。トスカニーニ時代にはなかつた暗い響きと思索的な音色を獲得してゐる。これはバルビローリやヴァルターではなく明らかにミトロプーロスの功績だ。美しさでは戦前にヴァルターがウィーン・フィルと残した奇蹟的な演奏には及ばないが、比肩する深さがある。情念がのたうち回る第1楽章、血を流し乍ら行進する第3楽章、贖罪の告白のやうな赤裸々な第4楽章、ぐいと引き込まれる。第2楽章はやや軽佻であつた。第9番には名演が多いが、ミトロプーロス盤は最上位のひとつだ。(2024.7.3) |
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