蒐集した音楽を興じて綴る頁
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コーガンのソヴィエト録音を編んだ16枚組。ブラームスは1953年、メンデルスゾーンは1960年のライヴ録音だ。精力的な演奏で表現の幅が広くて圧倒的だ。技巧も鮮烈極まりないが、ライヴ故の瑕もあるので万全な録音とは云へない。管弦楽の伴奏は雑で粗いが、鑑賞の上で然程気にはならない。カデンツァにおける切れ味鋭いコーガンの演奏に仰天すると同時にドイツ・ロマンティシズムの発露は乏しく、何となく風味に欠ける。巧いがしつくりこない。(2023.1.30)
APRが進行する「フレンチ・ピアノ・スクール」シリーズに本命ロンが登場した。その第2巻2枚組はショパン、ドビュッシー、ラヴェル、ミヨーで編まれてゐる。戦前録音の復刻は仏CASCAVELLE盤4枚組が最も充実してをり、仏EMIの戦後録音の復刻と併せるとほぼ全録音が揃つた。2枚目のドビュッシー、ラヴェル、ミヨーは既出盤でも聴けた。1枚目のショパンが重要だ。仏CASCAVELLE盤にはゴーベールの指揮で1929年に録音されたショパンのヘ短調協奏曲が未収録で、復刻がない状態が続いてゐた。遂に当盤の登場で渇きを癒すこととなつた。また、1937年録音の子守歌と幻想即興曲もこれ迄良い復刻がなく、蒐集家は看過出来ない。ロンの弾くショパンは外連がなく優美で琴線に触れる。(2023.1.27)
EMI録音全集22枚組。3度目の全集でオリジナル仕様になり決定的復刻になつたと云へよう。1枚目。EMIへの正規録音開始前、BBC放送局での演奏記録である。ファリャがデュ=プレ最古の、1961年の記録だ。バッハは1962年の記録。これ以外にバッハの録音は残されてゐないので貴重だが、10代の少女が弾くバッハには完成された解釈はまだ聴かれない。抜粋だがブリテンのソナタが自由闊達で一番面白く聴けた。全曲でないのが惜しい。(2023.1.24)
コロムビア録音全集77枚組。1958年から1959年にかけてステレオで再録音されたベートーヴェン交響曲全集。第7交響曲は明るく壮麗な演奏だ。酔つ払ひの要素はなく、健全で陽気な舞踏なのだ。詰まり優等生の演奏であり、力不足、役不足を感じる。一方、第8交響曲は不足のない名演で成功してゐる。明るく抜けの良い響き、情感溢れる歌と品格を失はないリズム処理、ヴァルターの美質が全開だ。但し、ひとつ難癖を付ければ、クレッシェンドを開始する際に一旦音量を落としてから始める処理は薄手のオーケストラには有効とは云へ、曲の醍醐味からは遠ざかる。ヴァルターは他の曲でも同様の処理を採用してゐるからひとつの様式美ではあるのだが。(2023.1.21)
DG/Decca/Philips全集22枚組。コンドラシンとの共演によるメンデルスゾーンが1949年、グラズノフが1948年の録音で、メロディア原盤である。メンデルスゾーン冒頭の光沢ある絹のやうな感触は如何許りだらう。何よりもテンポを木目細かく揺らした感興豊かな音楽が素晴らしい。ぐいと遅くして歌ひ込むかと思ひきや、捲し立てて颯爽と運ぶなど全体の見通しも抜群だ。オイストラフの真髄はモノーラル録音期にあるのだ。グラズノフの憂愁は格別だ。見せ場を多く作るハイフェッツとは異なり、風格で聴かせる。ブルッフはDG録音で、1961年にロイヤル・フィルを振り、イーゴリが独奏を担ふ。そつくりな音を出すが線の細さで親父には敵はない。悪くはないが特別なものではないのだ。(2023.1.18)
ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。第57番ニ長調は神妙な序奏から一転、湧き立つやうな主部に転じる第1楽章が素晴らしい。次いで無窮動曲の第4楽章が絶品だ。第58番ヘ長調は前半2楽章が凡庸なのだが、不規則なリズムによるalla zoppaの第3楽章が面白い。同じく強拍をずらした第4楽章の仕掛けも痛快だ。火事の愛称がある第59番イ長調は愉悦に満ちた名曲だ。奇想天外な第1楽章は滅法楽しい。ホルンの高音に導かれてはしゃぐ第4楽章は理屈抜きに良い。ドラティの演奏は要所を押さえた名演ばかりで、弦楽で奏でる憂ひた歌は特に見事なのだ。(2023.1.15)
演奏家としての経歴を十分に楽しめなかつた幻の名手ブンダヴォエのフランス・デッカへの録音LP3枚分を復刻した2枚組。即ち1955年録音のリスト、1956年のブラームス、1957年のシューマンから成る。2枚目はブラームスの3曲のラプソディー、作品79-1と2、作品119-4、シューマンの6つの間奏曲、トッカータ、幻想小曲集だ。ブラームスは見事なピアニズムだが、後期作品特有の幻想と渋みが感じられず凡庸だ。シューマンが鮮やかで良い。作品4の間奏曲集は音源としても珍しく、価値ある録音だ。幻想小曲集は幾分詩情に欠ける。(2023.1.12)
遂に集成されたセル大全集106枚組。1959年の録音。この曲を得意とし要所で披露してきただけあつて完成度の高い極上の仕上がりだ。筋肉質の演奏で贅肉は削ぎ落とされ、隆々とした硬さが特徴だ。熱気もあり推進力も見事だ。理想的な名演と絶讃したいところだが、一本調子で個性的な表情がない。音楽的には素晴らしいが、詩情には欠ける。(2023.1.9)
米Music&Artsによるゴールドベルク復刻第1巻。1950年から1970年にかけての非商業録音、ライヴ音源を集成した8枚組。4枚目。メンデルスゾーンは1957年エディンバラ音楽祭におけるライヴ録音で、ベイヌム指揮コンセルトヘボウ管弦楽団との共演だ。この日のゴールドベルクは絶好調で滴るやうな歌で魅了する。流麗で華やかで理想的な演奏を展開してゐる。伴奏も万全で、これは掘り出し物の逸品だ。得意としたモーツァルトは演奏日時詳細不詳のオランダ室内管弦楽団による弾き振りだ。音質が優れず、アンサンブルにも綻びが目立つのだが、緩急自在なゴールドベルクが抜群に良い。流石だ。ベルクは大変興味深い録音だ。1952年、スタインバーグとピッツバーク交響楽団との共演である。クラスナーの演奏にこそ及ばないが掘りの深い名演で、ゴールドベルクの力量を知れる貴重な記録である。(2023.1.6)
没後50年記念54枚組。3度目となる大全集で遂にオリジナル・アルバムによる決定的復刻となつた。5枚目。フランソワが残した最も重要な録音であるが看過され勝ちだ。燦然たる技巧と妖艶な節回しに引き摺り回される。確かに直球勝負の演奏ではなく、媚態を振り撒いた曲球が多いが、それが魅力だ。才気溢れてゐた時期の記念碑的録音。(2023.1.3)
DG/Decca/Philips全集25枚組。12枚目。ハ長調ソナタの冒頭から高貴な音色と歌に引き込まれる。フルニエ最良の美質が詰まつてゐる。この曲の最上位に置いても良い名演だ。ニ長調ソナタはフーガの表情が柔和で緊張感に欠けて面白くない。フルニエらしい演奏ではあるのだが。変奏曲が滅法素晴らしい。最も良いのは「マカベウスのユダ」変奏曲で、活気あるグルダの音楽が生命を吹き込んでをり、貴公子フルニエとの絶妙な丁々発止が聴ける。両者の共演での白眉はこれだ。比較すると幾分遜色はあるが、2つの「魔笛」変奏曲も同様に見事だ。(2022.12.30)
DG録音全集第1巻45枚組。フリッチャイはモーツァルトに深く傾倒してゐたが、ベートーヴェンには熱心ではなかつたやうだ。第5交響曲は活動を停止する1961年に録音された。それを踏まえて聴くと辞世の句のやうな枯淡の境地を窺はせる演奏とも取れるが、忌憚なく申せば覇気がなく感情の欠片も感じられない演奏なのだ。余命僅かのフリッチャイには第5の燃焼を身を焦がすことは出来なかつたのだらう。第7交響曲は1960年の録音でまだ生命力が漲つてをり良い。面白みは少ないが正攻法の名演と云へる。(2022.12.27)
RCAとSONYのオリジナル・ジャケット・コレクション70枚組。1955年、雲隠れ時代の録音だ。往時スクリャービンを真つ向から取り上げたのはホロヴィッツだけで、コンサートでもここ一番でプログラムに乗せる切り札であつた。後にソフロニツキーの録音が知られるやうになつてホロヴィッツの演奏は色褪せたが、開拓者として別格の存在感がある。悪魔的と評されたホロヴィッツのピアニズムとスクリャービンの神秘的な作風が見事に結合し呪術的な世界を聴かせて呉れる。(2022.12.21)
生誕100年記念グリュミォーPhilips録音全集74枚組。1954年の録音でグリュミォーの最初期の記録のひとつだ。メンデルスゾーンはPhilipsへの正規録音だけでも3種あるが、この最初のに惹かれる。グリュミォー最大の持ち味である艶のある美音が全開で、フランコ=ベルジュ派の新星の登場を刻印した名演だからだ。だが、モラルト指揮ウィーン交響楽団の伴奏が粗悪なのが残念だ。さて、パガニーニが重要だ。楽譜蒐集家ナターレ・ガッリーニによつて発見された第4協奏曲の蘇演はガッリーニの息子が指揮するコンセール・ラムルーとグリュミォーによつて1954年の11月7日に行はれた。勿論、この曲の初録音であり、決定的名盤として君臨するのだ。(2022.12.18)
DG録音全集24枚組。作品27の2つの幻想曲風ソナタはベートーヴェンの革新性を刻印した傑作である。2曲とも冒頭の幻想的で神秘的な音響はロマン派音楽を先取りしてゐる。ギレリスの演奏はこの深淵を見事に表現してをり、荘重かつ高貴な趣が素晴らしい。だが、終楽章へ向けての昂揚が弱く、全体的な感銘は薄い。残念だ。田園の愛称で知られる第15番だが、ギレリスの演奏は愉悦と温か味が足りず魅力に欠ける。(2022.12.15)
ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。韓国製だがオリジナル仕様重視で大変立派な商品だ。ウィーン・コンツェルトハウスSQは非常に個性的な色合ひを持つ団体で、ハイドンとシューベルトにおいては見事に嵌つた演奏をした。次いでブラームスに適正を示した。民族学派の作品を演奏した当盤は極めて異色の珍品と云へる。楽想に迎合することなく、ウィーン情緒溢れる小粋な演奏を貫くから愛好家には堪らない。王道ではないが馥郁たる香り漂ふ一種特別な良さが楽しめる。(2022.12.12)
ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。12枚目を聴く。1954年から1955年にかけて制作された計32曲から成るアルバムの続きはメイエの最良の遺産である。特に短調作品における寂寥感はピアノによる演奏の優位性を示した好例である。気品と詩情において尊い高みにあるのだ。アルバムA30で括られる1948年から1949年の録音14曲とアルバムA15で括られる1946年の録音から6曲は、旧録音で演目も殆ど重複する。だが、K.8には再録音がなく、K.29とK.466は旧盤にはなかつた。(2022.12.9)
往年のイタリア人バリトンでこよなく愛されたのはデ=ルーカであつた。巧みで柔軟、合はせ上手で邪魔はしない。大歌手との共演にこの人ありで、長い藝歴を第一線で謳歌した。カヴァリエ・バリトンとして気品ある佇まいを武器とし乍ら性格的歌手として様々な役を器用にこなした。全集録音第1巻3枚組。1枚目は何と黎明期1902年から始まる。カルーゾと同じくガイスバーグの手による伝説の録音だ。最初の録音は何と作曲者チレアのピアノ伴奏で「アドリアーナ・ルクヴルール」を歌つてゐる。ロッシーニ、ドニゼッティ、ヴェルディは無論、モーツァルト、マイアベーア、トーマ、マスネなども巧い。変はり種としてはベルリオーズ「ファウストの劫罰」からの3曲がある。新作であつたジョルダーノ「シベリア」からの3曲は貴重な記録と云へる。どれも巧いがドニゼッティが一番だらう。特に「ドン・パスクァーレ」は絶品だ。(2022.12.6)
メニューイン大全集91枚組。第2巻の6枚目。師エネスクとの共演集だ。20歳頃の青年メニューインの記念碑的な演奏ばかりである。メンデルスゾーンは躊躇ひなく堂々と歌ひ上げ、濃厚な第2楽章も説得力がある。全楽章が生命力と熱量が溢れてゐる。ただ、若いと云へば若い。ラロは脂つこさが楽想に打つて付けなのだが、情趣は薄く、熱量と粘りで聴かせるのでスペインよりもシプシーを感じさせて仕舞ふ。5楽章制での録音だ。ショーソンは伴奏をするエネスクが絶対的な名演を残してゐる。メニューインは師直伝のヴィブラートの奥義で情感豊かに演奏してゐるが、師の侘び寂びを極めた演奏とは比べるべくもない。(2022.12.3)
最終巻となる独PROFILのムラヴィンスキー・エディション第4巻10枚組は初出音源満載で愛好家必携だ。3枚目。田園交響曲は1962年3月20日のライヴ録音。ムラヴィンスキーのベートーヴェンでは第4番に次いで田園が素晴らしい。第1楽章から第2楽章にかけての抒情的な繊細さは聴く者に慰めを与へる。崇高な美しさと云ふべきか。他の指揮者からは感じられない神々しさがあるのだ。ムラヴィンスキーは晩年に更なる名演を残してゐるが、この絶頂期の演奏は細部まで表現が吟味されてをり捨て難い。第7交響曲は1958年のセッション録音。こちらは特徴が薄く感銘も落ちる。だが、細部の楽譜の読みが鋭く、因習に拠らず独力で到達した解釈が随所で聴ける。(2022.11.30)
Naxos Historicalによるセッション録音の復刻第13巻。晩年の歌唱とは思へないほど生彩に溢れた歌唱ばかりだ。選曲が古いイタリアの楽曲を中心に行はれてゐることも理由だらう。モンテヴェルディ「アリアンア」、A・スカルラッティ「ポンペオ」「愛のまこと」、チェスティ「オロンテア」、ヘンデル「アタランタ」と柔和で典雅が歌唱が続く。sotto voceの魔法は究極だ。情感豊かで泣き節の効いたイタリア歌曲はどれも最高だ。当盤の白眉はマスカーニ「友人フリッツ」で実に決まつてゐる。得意としたジョルダーニの「カロ・ミオ・ベン」やゴダール「ジョスランの子守歌」でこれ以上を求めるのは難しい。モーツァルトの「菫」をイタリア語で歌つてゐるが、原曲の印象がわからなくなるほど突き抜けたジーリ節が聴ける。(2022.11.24)
2022年になつてクライスラーの新音源が聴けるとは想像だにしなかつた。再興Biddulphの快挙が止まらない。クライスラーが1944年から1950年にかけて出演したラジオ番組ベル・テレフォン・アワーでの録音の発掘だ。クライスラーの全盛期は1920年代であつて、これらの演奏が感銘においては数段落ちるとは云へ、愛好家には値千金だ。第1巻ではモーツァルトの協奏曲第4番第1楽章、メンデルスゾーンの協奏曲第1楽章、ヴィオッティの協奏曲第22番の第2楽章と第3楽章は過去に商品化されたことがあるが、他は恐らく初登場だらう。まず、モーツァルトの協奏曲第3番第1楽章は演目として唯一となり貴重だ。そして、別日の演奏で、ヴィオッティの協奏曲第22番の第1楽章が登場した。これで曲がりなりにも全曲の録音が揃つたことになる。クライスラーはこのイ短調協奏曲の復権に情熱を傾けてをり、オーケストラ譜面も編曲し用意したさうだ。演奏内容も大変優れてをり甘い滴るやうな音色と歌が絶品だ。ところで、第2楽章と第3楽章の演奏日表記が既出盤と当盤では異なる。同一録音だと思ふのでこのBiddulph盤の日にちが正しいのだらう。ブラームスの協奏曲第2楽章も素晴らしい。ブルッフの協奏曲の第1楽章と第2楽章も良い。第1楽章は都合でTuttiにカットがあるが、第2楽章の情感溢れる歌ではクライスラーの奥義が聴ける。(2022.11.21)
米國でのヴィクター録音全集5枚組。4枚目。恐慌前の録音はルビンシテイン「ヴァルツ・カプリース」とシューマンの夜想曲Op.23-4を除いて全てショパンで、「別れの曲」「雨だれ」「革命」「葬送行進曲」などを吹き込んでゐる。この頃から技巧の衰へが感じられ、タッチが粗暴になりつつあるが、パデレフスキだけの予感めいた雰囲気の表出は健在で、神秘的で思はせ振りな音楽は無二だ。恐慌後の1930年の録音ではドビュッシーが重要だ。本流の演奏ではないが、独自の印象主義的な空気感に引き込まれる。ラフマニノフの嬰ハ短調と嬰ト短調の前奏曲が畳み掛けるやうな情熱的な演奏で見事。狂ほしい「トリスタンとイゾルデ」第1幕前奏曲も魅せる。(2022.11.18)
ミュンヒンガーのバロック音楽録音を集成した8枚組。ミュンヒンガーは四季を3回録音した。これは最後の1972年の録音だ。活動初期に驚嘆をもつて歓迎されたミュンヒンガーとシュトゥットガルト室内管弦楽団であつたが、後続する追撃者たちにより存在感を失つて行つた。保守的とさえ見做された始末だ。3度目の四季では特徴であつた打ち込まれるやうなリズム、四角張つた途切れ勝ちのフレーズが鳴りを潜め、流麗で明るいイタリア風の演奏に接近してゐる。文句の付けようのない名演だが、在り来たり過ぎて詰まらない。丸くなつたとするのか、実に評価の難しい演奏だ。余白に全盛期の1961年に録音されたバッハが時間の都合で第4番だけ収録されてゐる。(2022.11.15)
20世紀初頭に活躍した大物バリトン、ルッフォの録音集成第2巻。2枚組の1枚目。この時期がルッフォの全盛期だらう。10年前のがなり立てる歌唱から強靭さはそのままで恰幅が良くなり、英雄的な昂揚感を帯びるやうになつた。「道化師」プロローグの生々しさは絶品で悲劇感に胸打たれる。同じくレオンカヴァッロの「ザザ」が良い。2曲吹き込んでをり感情移入が見事だ。さて、最高傑作はカルーゾとの「オテロ」だらう。当時最高の大物による共演で偉大さに圧倒される絶唱なのだ。イタリア歌曲も押し出し良く歌つてをり良い。風変はりな録音としてはシェイクスピア「ハムレット」を朗読した2トラックがある。劇的な演技力を聴かせたかつたのだらうが、一般的な興味は薄い。(2022.11.12)
ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。韓国製だがオリジナル仕様重視で大変立派な商品だ。モーツァルトの初期作品、所謂6曲のミラノ四重奏曲集より4作品だ。バリリSQの最高傑作とも云ひたい出来栄えで、歌がぎつしりと詰まつてをり、湯水のやうに溢れてゐる。特に第3番から第5番における短調に転じた緩徐楽章の切々たる語り口は絶品だ。小粋に纏めた演奏は多いが、このくらひ音楽を広げて呉れた方が聴き応へがある。(2022.11.9)
露VENEZIAレーベルが復刻したベートーヴェンSQによるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集6枚組。3枚目。第5番は幽玄な名演で、死の舞踏が輪舞となつて一種特別な妖しさを聴かせる。第8番に先行する第3楽章の苦悩も印象深い。諧謔味が強い第6番でも雄弁で起伏のある名演を楽しめる。凝縮された傑作第7番が良い。旋風のやうな第2楽章を挟む両端楽章の無重力感が素晴らしい。(2022.11.6)
RCAリヴィング・ステレオ・ボックス第3弾60枚組。この第3弾は落ち穂拾ひ的な心憎い選出で、蒐集家にとつてはお宝とされてゐる。初復刻となるソチエタ・コレッリ合奏団の四季は1959年の録音で、かの四季ブームを巻き起こしたイ・ムジチ合奏団のステレオ盤と同年の録音なのだ。結成はイ・ムジチよりも1年早く、コレッリの演奏を主軸に鮮烈な活動をした。イ・ムジチが柔和で甘口、歌謡性を重視した演奏なのに対し、ソチエタ・コレッリは剛直で辛口、リズムや強弱の対比を重視した。同じイタリアの団体とは思へないほど味はひが異なる。古さを感じさせない演奏であり、エマヌエルの独奏も見事。チェロの伴奏が雄弁で素晴らしい。必聴の名盤だ。(2022.11.3)
本邦のWINGレーベルの復刻音源には未だに再発の機会のないものも含み、蒐集家には重宝される。エルマンもそのひとつで、ミュンシュとの1956年のメンデルスゾーン、モントゥーとの1950年のラロは当盤でしか聴けない筈だ。得意としたメンデルスゾーンの自由奔放な崩しに、ミュンシュも負けじと即興的な演奏を繰り広げる。エルマンが第3楽章に入る前にチューニングで一旦音楽を止める時間は何とも鷹揚だ。濃厚なモントゥーとのラロも素晴らしい。この頃のエルマンは独自の路線を確立することに成功し名演を残した。エルマンの残したラロではこれが一等だらう。余白に歌手らとの録音が収録されてゐる。ジャン・ピアーズとリーゼ・スティーヴンスとの共演録音は他では聴けない音源だ。内容は大したことないが、エルマンの巧さが却つて際立つ。(2022.10.30)
奇才グレインジャーのSP時代独奏録音全集5枚組。1枚目。アコースティック録音集で、特に戦前のグラモフォンやHMVへの録音6曲はこれ迄聴くことが出来なかつたので蒐集家にはお宝である。演目は親交厚かつたグリーグの協奏曲や自作自演などで、貧しい音なのに爆発するやうな生命力を感じさせる。戦後グレインジャーは米コロムビア専属となり旺盛に録音をした。これら機械吹き込み時代の復刻は殆どなかつたので大変貴重だ。ショパンを5曲分録音してゐるが、グリーグやドビュッシーを弾くグレインジャーとは同一人物とは思へぬほど気が抜け技巧も散漫で全く良くない。一転してリストのハンガリー狂詩曲やポロネーズで聴かせるムラッ気にこそ本領が発揮されてゐる。(2022.10.27)
ドラティ最高の偉業であるハイドン交響曲全集33枚組。疾風怒濤期の作品群だ。第42番ニ長調は極めて平明で牧歌的な作品である。快活な両端楽章が良いが、緩徐楽章は単調で面白くない。第43番変ホ長調はマーキュリーといふ呼称が付いてゐるが、由来は不明で然程際立つた特徴のない曲である。疾風怒濤期を代表する第44番ホ短調「悲しみ」は異例ずくしの名曲で、張り詰めた緊張感ではハイドンの作品中で第一等だ。ドラティの演奏は重厚で音楽の弛緩がないのが素晴らしい。カノンを用ゐた第2楽章を舞曲とせず悲哀の歌を聴かせる。トリオの美しさも見事。感傷的な演奏が多く、存外名演が少ないのだが、ドラティの録音は最高位に置きたい。(2022.10.24)
ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。1958年の録音。ブームを牽引したイ・ムジチのステレオ盤よりも1年早い録音なのだ。先駆者シェルヘンの驚くべき独奏的な解釈に唖然とする。オレフスキーもシェルヘンの要求に応へ一体となった演奏を聴かせて呉れる。他の演奏からは聴かれない推進力と熱量に喝采したいのは秋の第3楽章と夏の第3楽章でこれぞ最高なのだ。伴奏のピッツィカートが主張する冬の第2楽章も唯一無二だ。とんでもなく遅くて仰天するのが春の第2楽章でまどろみの表現としてはこの上ない。夏の第1楽章のテンポの激変は肝を冷やすだらう。絶対に聴いてをきたい1枚である。(2022.10.21)
英TESTAMENTによるカンテッリがNBC交響楽団と行つた放送用演奏会の商品化で、その日の放送ごとに纏めた好企画盤。第1巻の4枚目を聴く。1950年1月14日の放送だ。何と云つても、ゲディーニがオーケストレーションを施したフレスコバルディの珍品が注目を引く。イタリアの栄光とも形容すべき取り組みで、極彩色の現代的管弦楽法で荘厳で雅な音楽が蘇る。カンテッリのプログラミングは刺激に充ちてをり、事故死が悔やまれる。セッション録音も残るベートーヴェンも熱量が凄まじい演奏だ。だが、この演奏はやや一本調子で若さを感じさせる。(2022.10.18)
クーレンカンプは戦後Decca専属となり録音を開始したが、元来病弱で程なく早逝して仕舞つた。これは最晩年の1947年の記録だ。矢張りDeccaに移籍したシューリヒトによる伴奏で大変面白く聴ける。ブラームスはトリオを組んだ盟友マイナルディとの共演。両者おつとりした滋味豊かな演奏で、外連味は一切ない。シューリヒトの伴奏も両者に合はせて押し出しを控へ、連綿とした歌を基調とする。時に大胆な崩しを用ゐるのはシューリヒトならではの妙技と云へる。ブルッフはテレフンケンにカイルベルトの指揮で録音があつた。この再録音でも解釈に変はりはなく神秘的な美しさを湛へたカンティレーナは唯一無二の境地にある。高潔なシューリヒトの伴奏が絶品だ。(2022.10.15)
2枚組1枚目。リストの高弟ラモンドに放送録音があるとは驚いた。1939年と1937年の記録で、初となる協奏曲、ラモンドの両輪とも云へるベートーヴェンとリストが聴けるのだ。2曲とも伴奏はベイヌムとコンセルトヘボウと豪華この上ない。ベートーヴェンは技巧がもたつく箇所こそあるが、弱音の美しさと朴訥とした語り口はベートーヴェンの本質を探り当ててゐる。クララ・シューマン作のカデンツァを採用。一聴の価値ありだ。リストは剛毅で思はせ振りな様子は一切ない。野暮なリストは妙に聴き手を掴んで離さず一気呵成に聴かせる。玄人好みの名演なのだ。アンコールで演奏された小人の踊りの語り口も絶品。余白には1920年代初頭のアコースティック録音によるベートーヴェンのソナタ第6番の断片と第14番が収録されてゐる。英APRが復刻した電気録音による再録音があるので、これらの旧盤には大した価値はないとは云へ、蒐集家にはお宝だ。流石はマーストン。(2022.10.12)
APRが進行する「フレンチ・ピアノ・スクール」シリーズに本命ロンが登場した。その第1巻2枚組はフォレとダンディで編まれてゐる。これらの音源の中、戦前録音の復刻は英Biddulph盤や仏CASCAVELLE盤で出てゐたので目新しさはない。戦後の録音は本家EMIの復刻盤で幾つか聴けた。パスキエ・トリオとのハ短調四重奏曲、クリュイタンスとのバラードは聴けたのだが、1957年録音の舟歌第2番、同第6番、即興曲第2番は復刻がなかつたと思ふ。有難い。長年弾き込んだ熟成の味はひに舌鼓を打ちたい。(2022.10.9)
メンゲルベルクの稀少録音を発掘してきた英アーガイヴ・ドキュメンツの第8巻。ピアノ協奏曲録音集だ。デル・パスとのショパンは1943年のライヴ録音。第3楽章に欠落がある。蘭Qディスク盤で完全版が聴けるので当盤は価値がない。フリプセとのリストは1944年のライヴ録音で当盤でしか聴けない貴重な音源だ。音は貧しいが情熱的な演奏で充実してゐる。メンゲルベルクが作る雄渾な音楽にフリプセが良く応へてゐる。ギーゼキングとのフランクは1940年のライヴ録音。大物同士の共演は絶対的な高みにある。音さえ良ければ最上位に置かれるべき名演だらう。さて、録音年不明のシューベルトが重要で、ロザムンデよりバレエ音楽第1番、間奏曲第3番、バレエ音楽第2番が演奏されてゐる。耽溺するやうな名演の連続だが、取り分け珍しいバレエ音楽第1番は貴重だ。(2022.10.6)
コロムビア録音全集77枚組。シゲティとのベートーヴェンの協奏曲は1947年の録音。別項で述べたのでここでは割愛する。メンデルスゾーンは1945年の録音。協奏曲はミルシテインが絶好調で、快速のテンポの中で濃厚な味付けがあり、色気が素晴らしい。強気のハイフェッツのやうな行き過ぎがなく、爽快な抒情を奏で乍らも物足りなさなどなく、その絶妙さを絶讃したい。ヴァルターの伴奏も天晴れだ。同日に録音された真夏の夜の夢は取り立てて述べるやうな演奏ではない。(2022.10.3) |
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