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楽興撰録

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弦楽四重奏団


モーツァルト:弦楽四重奏曲第1番K.80、同K.136、同K.137、同K.138、弦楽五重奏曲K.46[偽作]
ヴィルヘルム・ヒューブナー(va)
バリリ弦楽四重奏団
[Universal Korea DG 40020]

 ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。バリリSQはベートーヴェンよりもモーツァルトに適正があつたやうに感じる。芳醇な歌が溢れてをり、流麗で音楽に精彩があるのだ。ロディと称される素朴な第1番もバリリSQの爛熟の演奏で雄弁さを獲得する。ザルツブルク・シンフォニー3曲でも中庸のテンポで細部の音まで歌ひ抜くことで全声部が語り掛け、曇りのない美しさを聴かせる。見事だ。偽作扱ひの五重奏曲は貴重だ。優美で陰影がある素晴らしい演奏だ。(2022.2.24)


モーツァルト:弦楽四重奏曲第2番K.155、同第3番K.156、同第4番K.157、同第5番K.158
バリリ弦楽四重奏団
[Universal Korea DG 40020]

 ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。モーツァルトの初期作品、所謂6曲のミラノ四重奏曲集より4作品だ。バリリSQの最高傑作とも云ひたい出来栄えで、歌がぎつしりと詰まつてをり、湯水のやうに溢れてゐる。特に第3番から第5番における短調に転じた緩徐楽章の切々たる語り口は絶品だ。小粋に纏めた演奏は多いが、このくらひ音楽を広げて呉れた方が聴き応へがある。(2022.11.9)


モーツァルト:弦楽四重奏曲第6番K.159、同第7番K.160、同第8番K.168、同第9番K.169
バリリ弦楽四重奏団
[Universal Korea DG 40020]

 ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。バリリSQが最も良い相性を示したのは、これらモーツァルトの初期作品と云へよう。それだけに全集録音が行はれなかつたことが悔やまれる。豊麗な弦楽の響きの中でバリリが熟れた歌を奏でる。極上だ。ミラノ四重奏曲第5番と第6番では矢張り前者の第2楽章、ト短調に転じた深みが印象的だ。ウィーン四重奏曲第1番と第2番は、ハイドンの影響を如実に受け4楽章制への取り組みが聴ける。フガートを多用するなど随所に試みがある。(2023.5.30)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第1番、同第2番、同第3番
バリリ弦楽四重奏団
[Universal Korea DG 40020]

 ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。バリリSQによるベートーヴェン弦楽四重奏曲全集はウィーン流儀の名盤と云はれる。バリリの流暢な語り口を筆頭に、発音が優しげで、伸び伸びと歌ひ、最後の音の処理が美しく、響きを重視し、ソノーラスで楽器の鳴りが良い。何よりも、ウィーン・フィルの首席奏者による最高度のアンサンブル、各奏者の技量が均一で、特に内声部2名の安定感が抜群であり、音楽が充実してゐるのが特徴だ。第3番が最も成功してをり、極上の名演だ。反対に、ベートーヴェンならではの闘争心溢れる切り込みや、鋭いスフォルツァンドが弱い。展開部の盛り上がりは豊麗な響きで築かれ、温和な音楽のままだ。第1番の第2楽章は悲劇的な痛切さがなく戴けない。第3楽章のやうなスケルツァンド風の楽曲は締まりが悪い。第2番の第1楽章はだらりと歌ふので意外と詰まらない。一方で交響的な昂揚のある第1番の第4楽章や、第2番の第4楽章などは重層的な広がりがあり、最上の出来栄えだ。(2018.12.24)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第4番、同第5番、同第6番
バリリ弦楽四重奏団
[Universal Korea DG 40020]

 ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。ウィーン・フィルの首席奏者で組まれたバリリSQは豊麗に歌ふウィーン流儀の演奏で、アンサンブルの見事さが相まつて至高の名演を繰り広げる。ベートーヴェンの初期弦楽四重奏曲はバリリSQには打つてつけで、仕上がりも上々だ。第4番は冒頭主題でバリリの歌ひ込みに魅せられる。だが、展開部に入ると音楽が歌ふ一辺倒なので、緊迫感が変はらない。実はこれがバリリSQの限界であり、美しく立派であるが、深刻な闘争心は見当たらない。明るく豊穣な第4番で、ベートーヴェンのハ短調作品らしくない演奏なのだ。第5番が白眉で、同曲最上位に置かれるべき名演だ。格調高い美しさは勿論だが、厚みのある合奏が素晴らしく、音楽が充実してゐる。全奏者の力量が高いのも得難い結果を生んだ。第6番も同様に素晴らしい。屈指の名演だ。但し、先輩格のシュナイダーハンSQの雄弁な名演に比較するともう一歩踏み込みが足りないか。(2019.3.23)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番、弦楽五重奏曲
ヴィルヘルム・ヒュプナー(va)
バリリ弦楽四重奏団
[Universal Korea DG 40020]

 ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。ラズモフスキー第1番は非常に流麗かつ豊満な演奏で、伸びやかに歌が広がる。奏者らの力量も抜群で、丁々発止のアンサンブルの中に彩りが繊細に変化する極上の名演だ。だが、難癖を付けると、平和な演奏過ぎ、予定調和の音楽であり、闘争心は眠つたままだ。ウィーン流儀の美しい演奏だが、ブッシュSQやハンガリーSQの厳しく鋭い演奏を超えることが出来ない。もう1曲、珍曲が聴ける。否、歴とした作品番号29のハ長調弦楽五重奏曲なのだが、四重奏全集から漏れ、鑑賞の機会が少ない。曲はベートーヴェン初期の屈託のない歌と威勢の良さが同居してゐる。シューベルトに多分に影響を与へた要素が詰まつてゐる。このバリリSQの名盤は存分に魅力が伝はる逸品だ。(2019.9.23)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第8番、同第9番
バリリ弦楽四重奏団
[Universal Korea DG 40020]

 ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。名曲ラズモフスキー第2番と第3番だが、バリリSQにとつて中期作品はだうしても感銘が落ちる。大変素晴らしい演奏なのだが、ここぞといふ場面での決めが弱い。熱くなつて欲しいところで優美に流れるので力瘤が入らない。例へば、作品59-2の第3楽章の主部が歌ひ過ぎで切迫感がない、作品59-3では第1楽章での掛け合ひで守りに入り過ぎた嫌ひがある、特に第4楽章はその傾向が強く一向に盛り上がらない。一方でバリリSQならではの美しい箇所も多い。作品59-2の第1楽章と第2楽章の秘めやかな歌は絶品である。作品59-3の柔和な第3楽章も美しい。(2020.4.5)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第10番、同第12番
バリリ弦楽四重奏団
[Universal Korea DG 40020]

 ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。どちらも変ホ長調といふ理想の組み合はせだ。バリリSQは中期作品の演奏には不向きだ。アンサンブルの見事さ、ソノーラスな響きの豊かさは最上位なのだが、音楽が求める丁々発止のぶつかり合ひとなると弱く、平穏で波風のない演奏に聴こえる。「ハープ」の第1楽章が盛り上がらず、後の楽章も美しいが求心力に欠ける。第12番は曲の壮麗さと相まつてバリリSQの良さが出てゐる。広がりを感じさせ、気品の良さで王者然とした名演と成し遂げてゐる。バリリSQは放送録音も残してをり、得意としてゐたのだらう、バリリSQのベートーヴェン録音の中でも最上位の出来栄えだ。(2020.7.22)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番、同第15番
バリリ弦楽四重奏団
[Universal Korea DG 40020]

 ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。セリオーソが素晴らしい。バリリSQの中期作品は優美さが勝り熱量に不満が残つたが、第11番では同じ団体とは思へぬほどの集中力を聴かせる。冒頭から一丸となつた結束で、全員の実力が伯仲してゐることから生まれる充実した響きに圧倒される。丁々発止のアンサンブルが展開された第1楽章は屈指の名演だ。第2楽章の鬱屈した歌も極上で、終楽章のもがき苦しむ様も見事だ。セリオーソはバリリSQの録音中でも最上位の演奏である。第15番も総じて名演だが、幾分緊張感を欠く。特に第3楽章の俗つぽい表現は大きな減点だ。両端楽章の連綿たる吐露は美しく、良い仕上がりだ。(2020.11.12)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番、大フーガ
バリリ弦楽四重奏団
[Universal Korea DG 40020]

 ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。第13番と大フーガを1枚に収めた理想的な組み合はせだ。ベートーヴェンはガリツィン公爵から委嘱された3曲分の作品を、第12番変ホ長調、第15番イ短調、第13番変ロ長調の順で作曲をした。楽章数が1つずつ増えて行くのが興味深い。さて、本来この第13番こそ弦楽四重奏曲の極限を示す筈であつた。崇高なカヴァティーナの後に難解極まりない大フーガで締め括る筈であつたから。これはピアノ・ソナタにおける「ハンマークラヴィーア・ソナタ」に相当する。変ロ長調といふ調性の符号も看過出来ない。楽章が更に1つ増え連続して演奏される第14番が最高傑作と目されるが大フーガが終楽章ならだうだらうか。バリリSQの演奏は伸びやかで第1楽章は最上の出来栄えだ。しかし、第2楽章や第6楽章の諧謔が薄く、カヴァティーナも甘めで、第1楽章以外は物足りない。大フーガは大変見事で首席奏者による渾身のアンサンブルが壮麗極まりない。(2021.5.9)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番、同第16番
バリリ弦楽四重奏団
[Universal Korea DG 40020]

 ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。第14番は非常に成功した名演だ。この最高峰とも云へる難曲にはカペーやブッシュの究極の名演が残るが、バリリSQはウィーン流儀のふくよかで哀愁を帯びた歌で仕上げる。先人たちの求道的な演奏とは異なるから一段劣ると思ひきや、意表外に充実した名演なのだ。この曲は楷書体の厳格な演奏だと貧血気味になる。バリリSQのやうな草書体の連綿と流れる演奏でこそ妙味を発揮する。全7楽章一繋がりのやうで、優美な細部を慈しむやうに堪能出来る。第16番は全体的に優美で甘い表情が哲学的な曲想と相容れず、皮相な演奏に終始した感が出て仕舞つた。第3楽章は甘美過ぎて深みがない。謎めいた両端楽章も含蓄を感じない。バリリSQの全集では第5番、第11番、第12番、第14番、大フーガの出来が傑出してゐる。(2021.9.21)


ホフシュテッター:弦楽四重奏曲ヘ長調「セレナード」
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番、同第4番
バリリ弦楽四重奏団
[UNIVERSAL CLASSICS TYGE-60010]

 TBS VINTAGE CLASSICSの1枚。1957年12月の来日時におけるライヴ録音で、録音が限られるバリリSQの貴重な記録だ。特に「ハイドンのセレナード」として有名なホフシュテッターの作品は、バリリSQ唯一の音源として重要であるのみならず、当盤の白眉として高く評価したい。優美で典雅な趣はウィーンの団体だけが奏でられる美質だ。悠としたフレージングから気品ある音楽が漂ふ。ブッシュSQやレナーSQの名演に比しても遜色ない名演だ。ベートーヴェンの2曲にはセッション録音があり、第16番には他に放送用録音もある。全体的に優雅で落ち着いたテンポの美しいアンサンブルが特徴だが、ベートーヴェンの劇的な性格が欠如してゐる。ウィーン・フィルの主席たちが奏でる秀麗な音楽に一定の良さはあるが、特別に記憶に刻まれる演奏ではない。余白に来日時のバリリの挨拶とレッスン風景が収録されてをり、これ迄に発売された商品よりも付加価値がある。(2010.5.22)


ショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲、弦楽四重奏曲第1番、同第2番
ドミートリー・ショスタコーヴィチ(p)
ベートーヴェン弦楽四重奏団
[VENEZIA CDVE 04328-1]

 露VENEZIAレーベルが復刻したベートーヴェンSQによるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集6枚組。1枚目。ショスタコーヴィチはツィガノフ率ゐるベートーヴェンSQに絶大な信頼を寄せた。その結晶がピアノ五重奏曲での共演だらう。これはとても有名な録音で、自作自演盤には必ず含まれ復刻は多い。絶望的な悲しみを湛へたショスタコーヴィチのピアノと世界を同じくするベートーヴェンSQの無上の取り合はせによる決定的名演である。特に諧謔味は他の演奏からは聴き取れない凄みである。弦楽四重奏曲の第1番も第2番も弾き込んだ自信が伝はる別格の名演だ。第1番集結の熱気溢れる合奏は鬼神が乗り移つたかのやうだ。神妙な歌も素晴らしく、特にツィガノフが奏でる第2番第2楽章の奥深い詠嘆は琴線に触れる。(2021.1.19)


ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第3番、同第4番
ベートーヴェン弦楽四重奏団
[VENEZIA CDVE 04328-1]

 露VENEZIAレーベルが復刻したベートーヴェンSQによるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集6枚組。2枚目。ベートーヴェンSQはショスタコーヴィチの絶大な信頼を獲得し、第2番から第14番の初演の栄誉を担つた。作曲家の語法を完全に手中にしてをり、音価の絶妙さに脱帽だ。演奏は人肌の温もりが伝はり、無機質な音楽に終始しないのが特徴だ。ツィガノフのヴァイオリンが苦悩を訴へる。合奏での死の舞踏はショスタコーヴィチの真髄だ。第3番へ長調は5楽章制で楽章ごとの性格が際立つてをり、諧謔、諦め、苦悶などが交錯する名曲だ。第4番ニ長調もその延長にあり、凝縮された鬱屈が聴ける。(2021.8.30)


ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第5番、同第6番、同第7番
ベートーヴェン弦楽四重奏団
[VENEZIA CDVE 04328-2]

 露VENEZIAレーベルが復刻したベートーヴェンSQによるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集6枚組。3枚目。第5番は幽玄な名演で、死の舞踏が輪舞となつて一種特別な妖しさを聴かせる。第8番に先行する第3楽章の苦悩も印象深い。諧謔味が強い第6番でも雄弁で起伏のある名演を楽しめる。凝縮された傑作第7番が良い。旋風のやうな第2楽章を挟む両端楽章の無重力感が素晴らしい。(2022.11.6)


ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第8番、同第9番、同第10番
ベートーヴェン弦楽四重奏団
[VENEZIA CDVE 04328-2]

 露VENEZIAレーベルが復刻したベートーヴェンSQによるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集6枚組。4枚目。中核を為す傑作群。代表作第8番は情念が籠つた名演だ。ボロディンSQのやうな力強い荘厳さではなく、悪鬼に取り憑かれたやうな無頼さがベートーヴェンSQの演奏にはある。第4楽章での苦悩は素晴らしい。演奏においては第8番よりも第9番の方が一層凄まじい。荒ぶれたピッツィカートの応酬は綺麗事ではない感情の昂ぶりを感じさせる。これぞショスタコーヴィチだ。第10番も名演だ。第2楽章での容赦無く激突する不協和音の痛切さは取り分け衝撃的だ。ベートーヴェンSQの演奏は余りにも人間的なのだ。(2023.4.12)


チャイコフスキー:弦楽四重奏断章変ロ長調、弦楽四重奏曲第1番、同第2番
ボロディン弦楽四重奏団
[CHANDOS CHAN 9871(2)]

 第1次ボロディンSQの代表的名盤であるチャイコフスキーの弦楽四重奏曲全集。この全集を凌駕する録音は一寸思ひ当たらない。ボロディンSQはユニゾンや和声を演奏する際にはノン・ヴィブラート・トーンを用ゐて灰色の荘厳な響きを醸し、凍てついたロシアの情景へと誘つて呉れる。有名な第1番のアンダンテ・カンタービレ冒頭におけるオルガン・トーンの美しさは祈りのやうに厳かだ。一方で旋律を弾く楽器のみがヴィブラートをかけたりと周到な合奏を展開する。重量感のある精緻な合奏は、滅多に演奏されないこれらの曲に迫真の生命を注ぎ込んでをり、特に第1番の第1楽章と第3楽章、第2番の第4楽章が素晴らしい。当盤は作品番号のない断章作品を収録してをり大変価値が高い。習作と侮つてはならない充実した作品である。(2007.12.7)


チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第3番、フィレンツェの思ひ出
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(vc)、他
ボロディン弦楽四重奏団
[CHANDOS CHAN 9871(2)]

 第1次ボロディンSQの代表的名盤であるチャイコフスキーの弦楽四重奏曲全集。第3番はチャイコフスキー特有の哀愁が滲み出た佳曲であるが、滅多に聴く機会がないので重宝されるだらう。ドゥビンスキーの重厚かつ磨き抜かれたプラチナのやうな音色が見事で、第1楽章や第3楽章の息の長い歌は殊の外聴き応へがある。名曲「フィレンツェの思ひ出」は大物ロストロポーヴィチを加へての名演だ。野卑な独奏を聴かせたハイフェッツらの荒々しい演奏にも面白みがあつたが、藝術的に高みにあるのは当盤の方で、精緻さと情熱を併せ持つた合奏に溜飲が下がる思ひだ。特に素晴らしいのが第2楽章で、ヴィブラートを控えたオルガン・トーンで祈りのやうに奏でられるユニゾンには荘厳な感情が宿つてゐる。(2008.1.6)


ショスタコーヴィッチ:弦楽四重奏曲第1番ハ長調、同第3番ヘ長調、同第12番変ニ長調
ボロディン弦楽四重奏団
[CHANDOS 10064]

 第1次ボロディンSQによるショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲の録音は、第1ヴァイオリンのドゥビンスキーの亡命により、第13番までで頓挫した。しかし、作曲家存命中の録音のため当時は歴とした全集であつた。技巧とアンサンブルの精度が非人間的な高みにあり、ソ連最高の弦楽四重奏団として圧倒的な存在である。諧謔的な初期作品から、思索的な晩年の作品まで、一貫して剛直な音楽を聴かせ、特にドゥビンスキーはオイストラフを想起させる音作りで作品の神髄に切り込む。これほど熱く楽器が鳴り切つた名演は滅多にあるまい。(2004.9.5)


ショスタコーヴィッチ:弦楽四重奏曲第4番ニ長調、同第5番変ロ長調、同第6番ト長調
ボロディン弦楽四重奏団
[CHANDOS 10064]

 第1次ボロディンSQによるショスタコーヴィッチを再び聴く。旋律はヴィブラートを広くかけ、伴奏はノン・ヴィブラートによるオルガン・トーンで支へる。その響きは作曲家の願つたものと寸分違はぬものだ。一方、力強く反復されるリズムの威圧感は、ソヴィエトのクァルテットでなければ出せないものだ。何れの曲も白熱の名演だが、曲想も相まつて第5番が素晴らしい。次いで第6番の諧謔が心に残る。第4番は演奏に傷があり上出来とは云へない。(2004.10.15)


ショスタコーヴィッチ:弦楽四重奏曲第7番嬰ヘ短調、同第8番ハ短調、同第9番変ホ長調、同第11番ヘ短調
ボロディン弦楽四重奏団
[CHANDOS 10064]

 第1次ボロディンSQによるショスタコーヴィッチ録音の頂点を成す1枚だ。様々な語法を取り入れた後期作品も魅力的だが、やはりショスタコーヴィッチが持つ一種特別なせめぎ合ひと反骨心は、この中期作品群―中でも代表作第8番―に凝縮されてゐる。第8番は驚くほど振幅の広い表現で、仮借なきスタッカートと絶望的なレガート、無慈悲なノン・ヴィブラート、音が潰れるのも辞さない強いボウイング、これらが隅々まで使い別けられてゐる。曲と演奏の偉大さにおいて紛うことのない藝術がここにある。次いで、第7番が充実した名演である。第2楽章の凄まじい旋風は第8番以上の感銘を与へてくれる。(2004.11.5)


ショスタコーヴィッチ:弦楽四重奏曲第2番イ長調、同第10番変イ長調、同第13番変ロ短調
ボロディン弦楽四重奏団
[CHANDOS 10064]

 第1次ボロディンSQのショスタコーヴィッチ、最後の1枚を聴く。ショスタコーヴィッチもまたベートーヴェンと同じく、伝統的な手法による初期作品から、気概のこもる楷書体の中期作品を経て、草書体で思索的な後期作品へ作風を転じてゐる。ボロディンSQは密度の濃い重量級の音楽を築き上げる団体であり、意味深長な後期作品では何処か感銘が薄い。従つて当盤では、第10番―取り分け第2楽章が有無を云はせぬ名演―が最も成功してゐる。次いで、大作第2番における合奏の分厚い響きが印象に残つた。(2004.12.8)


ショスタコーヴィッチ:弦楽四重奏曲第8番
ボロディン:弦楽四重奏曲第2番
ラヴェル:弦楽四重奏曲
ボロディン弦楽四重奏団
[BBC LEGENDS BBCL 4063-2]

 ドゥビンスキーが統率してゐた時期、第1次ボロディンSQの貴重なライヴ録音。1962年、エディンバラ音楽祭における白熱の記録だ。だが、収録された3曲全てにセッション録音があり、僅かな発音の濁りなど完成度の点でこれらライヴ録音の価値が幾分劣るのは仕方がない。とは云へ、実演でも鉄壁のアンサンブルを作るボロディンSQの実力は揺るぎもしない。何よりもライヴならではの気魄が凄まじく、特に切り札としたショスタコーヴィチ至高の名曲における壮絶な演奏は圧倒的で引き込まれる。名刺代はりであつたボロディンの郷愁豊かな演奏が最も感銘深い。最初から最後まで音に血が通つてをり、ロシアの深い溜め息が聴こえてくる桁違ひの演奏だ。難曲ラヴェルは機能美で聴かせる。研ぎ澄まされた感性がひやりとした印象を生み出す。所詮畑違ひの演奏だが、面白みはある。(2010.8.5)


ヴォルフ:イタリアのセレナード
グリーグ:弦楽四重奏曲ト短調
シベリウス:弦楽四重奏曲ニ短調「親しき声」
ブダペスト弦楽四重奏団
[Biddulph LAB 098]

 第1次世界大戦末期に結成されたブダペストSQは近代的弦楽四重奏団の先駆的存在である。ほぼ同時期に旗揚げしたレナーSQやブッシュSQが第1ヴァイオリン主導の団体であつたのに対し、アンサンブル重視型で均整のとれたブダペストSQは各奏者の能力が高く、現在聴いても古さを感じさせない理知的な音楽を展開してゐるのが特徴だ。また、これらの録音時には構成員がロシア人中心となつてをり、極めて野性的で情熱的な合奏をする。ブダペストSQの賢明な点は、グリーグやシベリウスの余り注目されない曲を録音して株を上げたことだ。特にグリーグの激情的な合奏は熱い。ヴォルフの難曲は立派な演奏だが、情緒豊かなレナーSQの方に良さを感じる。(2009.12.23)


EMI録音全集
アドルフ・ブッシュ(vn)とブッシュ弦楽四重奏団
[WARNER CLASSICS 0825646019311]

 WARNER録音全集とされてゐるが、エレクロトーラとHMVへの録音、即ちEMIへの録音を集成した16枚組。これらの神品録音は繰り返し聴き込んできたもので、アドルフ・ブッシュを敬愛する者としては当然全て所持済みだ。なのに敢へて購入した理由とは別テイク録音が丁寧に収められてゐるからである。別テイクがあるのは、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第3番の終楽章、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番の第1楽章の部分、バッハの無伴奏パルティータ第2番のサラバンドとジーグ、バッハのヴァイオリン・ソナタト長調の第3楽章と第4楽章である。蒐集家以外にはだうでもいいことだらう。(2016.7.21)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番、同「大フーガ」(ヴァインガルトナー編曲版)
ブッシュ室内合奏団
ブッシュ弦楽四重奏団
[WARNER CLASSICS 0825646019311]

 WARNER録音全集とされてゐるが、エレクロトーラとHMVへの録音、即ちEMIへの録音を集成した16枚組。しかし、何故か渡米後のコロムビア録音であるベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番と合奏版による大フーガも収録されてゐる。これは英Biddulph盤からのコピーのやうな気がする。第13番はかつてCBSソニーから復刻があつたが、弦楽合奏による大フーガの復刻はBiddulph盤だけだつた。ヴァインガルトナーが編曲した由緒正しきもので、壮麗な音楽が展開する。第13番は盛期を過ぎた頃の演奏だが、第2楽章や第6楽章の真摯な合奏には頭が下がる。端倪すべからざるはブッシュが見せた第5楽章カヴァティーナの深淵さで、それはもう禅定の境地と喩へるしかない。


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番、同第8番
ブッシュ弦楽四重奏団
[Biddulph BID 80208-2]

 ブッシュSQは不世出の四重奏団である。ドイツの伝統ある弦楽四重奏の守護神として取つて替へることの出来ない存在である。半世紀以上も前の録音を聴いて思ふのは、現代の団体による楽器を鳴り切らした響きの単調さとは異なる、霊的な魔力を秘めた音の特異性である。アドルフ・ブッシュの深みのあるヴィブラートと真摯なボウイングが生み出す幽玄なるヴァイオリンの音は如何ばかりであらう。特に両曲の緩徐楽章に湧き出る霊感の泉は惻々と心に染み渡る。大戦を避けて渡米した頃のブッシュは、心身ともに疲れ果て、粗雑な演奏が多くなるが、ラズモフスキー四重奏曲にはこのくらいの荒々しさが寧ろ曲想に合ふ。全ての楽章から強い信念が伝はつてくる最高の1枚。(2005.6.16)


ブラームス:弦楽四重奏曲第1番
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番
ブッシュ弦楽四重奏団
[melo CLASSIC MC 4000]

 愛好家を驚愕させたmelo CLASSIC。神々しきブッシュSQの記録とあれば愛好家は看過出来ない。1951年1月25日、フランクフルトにおけるライヴ録音で最後期の演奏記録だ。最も得意とした演目の2種類目の音源を有り難く拝聴しよう。ブッシュSQは2曲とも全盛期に決定的な名盤を残してゐる。だから、それ以上の感銘を求めることは出来ない。しかし、活動を重ねた末の枯れた侘び寂びの境地はまた別の味はひがあるものだ。ブラームスの第2楽章やベートーヴェンの長大な変奏曲は精悍な旧録音からは得られない深みがある。(2022.4.6)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第1番、同第9番
ブッシュ弦楽四重奏団
[新星堂/東芝EMI SGR-8518]

 1951年2月10日、ルートヴィヒスビルク宮殿での公開演奏会の記録。ラズモフスキーはかつて米Arbiterからも発売されたが、当盤はブッシュ協会の認可を得た正規盤で、シュトゥットガルトの南ドイツ放送局に残されたテープを使用してをり音質が特上である。第1番は初出となる。臨場感のある録音でブッシュの息遣ひまで聴き取れる。楽曲の精髄に迫る激しい情念が聴く者を圧倒する。しかしながら、2曲とも全盛期のメンバーで決定的な名盤を残してをり、比較するとブッシュの衰へが如実に感じられ、寂しい想ひに駆られるのは致し方ない。技巧的な冴えは勿論だが、ブッシュの奥義とも云へる玄妙たるカンティレーナの聴かせ処―第1番第2楽章など―で差が歴然とする。だが、残照であつても目が眩むほど神々しい。偉大なりしブッシュSQ。(2008.7.1)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番
ブッシュ弦楽四重奏団
[新星堂/東芝EMI SGR-8519]

 1951年2月10日、ルートヴィヒスビルク宮殿での公開演奏会の記録。かつて米Arbiterからも発売されたが、当盤はブッシュ協会の認可を得た正規盤で、シュトゥットガルトの南ドイツ放送局に残されたテープを使用してをり音質が特上である。ブッシュSQはベートーヴェン後期弦楽四重奏曲の中で第13番のみを大戦以前のヨーロッパ録音で残さなかつた。それは第13番には決定的な名盤が存在しないことを意味する。渡米後、程なくしてコロムビアに録音を果たしたが、それ迄の名盤とは同列に語れない。否、HMVへの録音が余りにも神々し過ぎたのだ。正規録音から10年後のライヴ録音である当盤も、全盛期の演奏には遠く及ばないが、カヴァティーナで聴かせる霊感は、往年のブッシュだけが奏でた奇蹟の片鱗である。(2008.10.20)


レーガー:弦楽四重奏曲第4番
メンデルスゾーン:弦楽四重奏の為の4つの小品よりカプリッチョ
ブッシュ弦楽四重奏団
[新星堂/東芝EMI SGR-8520]

 ブッシュSQは楽旅中の1951年2月15日、ミュンヘンの放送スタジオに入り、レーガーとメンデルスゾーンを放送用に録音した。かつてブッシュ協会からレコードが出ただけといふ秘宝である。メンデルスゾーンは当録音の3ヶ月後にHMVに正規セッション録音―ブッシュ最後の商業録音だ―をしてゐるが、レーガーは唯一の録音である。5曲あるレーガーの弦楽四重奏曲の中でも名作の誉れ高い第4番変ホ長調は、晦渋な諧謔と抒情的なロマンティシズムとを絡ませた後期ロマン派の精髄だ。激しく奏されるユニゾンでのブッシュの覇気には圧倒される。第3楽章の高貴な瞑想は室内楽愛好家の宝とならう。終楽章のフーガも厳格で真摯。作曲家としての成功を目指したブッシュが深い敬愛の念を持つて親交を結び、絶大な影響を受けたレーガーへのオマージュでもあり、云はば血の繋がりを感じさせる桁違ひの演奏。メンデルスゾーンはHMV録音と甲乙付け難い名演で、序奏の侘びた憂愁、フガートの張詰めた疾走感が素晴らしい。(2008.12.10)


ハイドン:弦楽四重奏曲Op.64-5「ひばり」
モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番K.421、同第21番K.575、他
フロンザリー弦楽四重奏団
[Biddulph LAB 089-090]

 正直に申してフロンザリーSQに然程魅力を感じてゐる訳ではない。ロマン派楽曲を復刻したCD2枚組が思ひの他、情感溢れた名演揃ひだつたので、古典派楽曲を復刻した当盤も入手した次第である。だが、あらえびすが一蹴したやうに聴いておくべき演奏はここにはない。大富豪のパトロンの下に活躍したフロンザリーSQは、世俗的な感情表現でロマン派音楽を面白く聴かせたが、古典派楽曲では勢ひが矯められて仕舞ひ、カペーSQやブッシュSQが到達した高貴で気品ある合奏の足元にも及んでゐない。中では短調の悲劇的な妙味を聴かせたK.421や、メヌエットでチェロが朗らかな歌を聴かせるK.575などモーツァルト作品が上出来だ。(2006.11.6)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第2番、同第12番、同第16番
フロンザリー弦楽四重奏団
[Biddulph LAB 089-090]

 何れの曲も良い出来を示すが、生気のある派手な演奏を特徴とするフロンザリーSQにとり自己との対話のやうな渋くて深いベートーヴェンの四重奏曲では、聴く者を唸らすやうな演奏をする迄に至つてゐない。特に第12番と第16番にはブッシュSQの名盤があるので価値は殆どない。第16番の第2楽章は無惨で、第3楽章もブッシュSQの奥義には及びもつかない。第12番は悪くないがこの曲の持つ荘厳な美しさを表現し尽くしたとは申しにくい。第2番も飛び抜けて優れた演奏と云ふ訳ではないが、浪漫的な歌ひ回しに面白みがあり、活力に充ちた名演と云へる。フロンザリーSQが古典楽曲を弾いた当盤は蒐集家向けで、一般の愛好家は聴かない方がよい。(2006.12.12)


シューベルト:弦楽四重奏曲第15番
シューマン:弦楽四重奏曲第1番、ピアノ五重奏曲
ブラームス:ピアノ五重奏曲、弦楽四重奏曲第3番、他
オシップ・ガブリロヴィッチ(p)/ハロルド・バウアー(p)
フロンザリー弦楽四重奏団
[Biddulph LAB 072-073]

 当盤を蒐集した理由はバウアーが弾くブラームスの五重奏曲を聴く為であるが、目当ての演奏は期待外れであつた。フロンザリーSQはあらえびすの名著『名曲決定盤』で酷評されてゐたので興味を抱けなかつたが、ロマン派楽曲に関する限り中々良い演奏をする団体である。程よい情感とロマンティックな歌ひ回しで、全体に派手で活気のある演奏を展開してをり面白く聴ける。しかし、惜しいかな、これらドイツの正統的な名室内楽の録音にはブッシュSQの絶品がある。フロンザリーSQにはブッシュSQが聴かせたシューベルトの霊感灼かな精神の彷徨はなく、ブラームスの五重奏曲の鬱屈とした情念の鬩ぎ合ひもない。ブラームスの四重奏曲はブッシュSQがやや低調な演奏をしてゐるが、フロンザリーSQがそれを超える演奏をしてゐる訳ではない。シューマンの五重奏はブッシュSQやバリリSQの名演があるから分が悪い。残るシューマンの四重奏曲は相当良い演奏をしてゐるが、カペーSQの神品があるので霞んで仕舞ふ。(2006.5.21)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第1番、同第2番、同第3番
ハンガリー弦楽四重奏団
[ERATO 0190295869274]

 名手セーケイが率ゐるハンガリーSQはベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を2回録音したが、これは評価の高い旧全集の方だ。1953年のモノーラル録音で、音質には多少もどかしさがあるが、弦楽四重奏曲を鑑賞する上では差し障りない。ハンガリーSQの演奏は緊密感が特徴で、外に発散する音楽ではなく、内に向つて燃焼する音楽を創る。表面は細身で色気がなく飾らない。米国で活躍した団体と比べても機能美で劣ることはなく、アンサンブルは精緻この上ない。しかし、それを前面には出さない。徹底的に硬派に拘泥はつた四重奏団で、ベートーヴェンには打つてつけなのだ。全体的な出来は第2番が最も良い。優美に偏ることなく清楚な歌を聴かせる。禁欲的な音色は深層で熱情を秘めてをり、神聖な火花を明滅させてゐる。第1番も名演だ。引き締まつたアンサンブルを聴かせる第3楽章と、悲劇的な情感を格超高く紡いだ第2楽章は絶品だ。だが、この曲にはブッシュSQの神々しい名盤があるので次点とせざるを得ない。第3番は本来は牧歌的な楽想だと思ふが、ハンガリーSQの演奏は内省的で生真面目な取り組みが特徴だ。渋味のある名演で聴き応へがある。(2013.12.12)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第4番、同第5番、同第6番
ハンガリー弦楽四重奏団
[ERATO 0190295869274]

 名手セーケイが率ゐるハンガリーSQ、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の第1回目録音。高次元の名演が連続する。強い緊張感を持続し、崇高な感情へと昇華させる技は唯事ではなく、同時期のブダペストSQの全集録音の出来映えを遥かに凌ぐ。第4番が極上だ。疾走する第1楽章の緊迫感が素晴らしい。殊更劇的に荒ぶれることなく内面での闘争を聴かせる。転調の色合ひとテンポの変化が絶妙で素晴らしいのだ。第2楽章の精緻なアンサンブルも見事。第3楽章主部の疾風も峻厳で中間部の軽妙さとの対比も巧い。第4楽章も良いのだがコーダではもつと興奮して欲しかつた。それだけが物足りない。第5番は辛口の名演だ。初期作品では最も優美な曲をセーケイの禁欲的な音色が厳格で暗い情熱を秘めた曲に仕上げてゐる。第2楽章では悲愴感すら漂はせ、第3楽章変奏曲では喪失の情感を表出してをり美しい。第4楽章における快速調の乱舞する劇的な合奏が圧巻でハンガリーSQの機能美に脱帽する。交響的な第6番も優れたアンサンブルで充実した名演だ。静寂な第2楽章の真面目さが印象的だ。白眉は第3楽章で疾駆する主部、セーケイが軽快な技巧を聴かせる中間部ともに高い完成度だ。表現が難しい終楽章も風格ある大人の演奏で天晴。(2014.10.13)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番、同第8番
ハンガリー弦楽四重奏団
[ERATO 0190295869274]

 名手セーケイが率ゐるハンガリーSQ、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の第1回目録音。中期作品ラズモフスキー第1番と第2番を聴く。作品59-1が特別な名演だ。第1楽章が圧巻で、鋭いテンポで切り込むやうに剛毅な合奏が続く。細身の音だが芯は強靭だ。自信の程が窺へる熱演で内なる焔が燃え盛つてゐる。第2楽章も切れ味の良い名刀で仕上げられた名演。第3楽章のひりひりと痛む寂寥感も格別だ。雄渾さと高貴さを併せ持つた終楽章も良い。この曲の屈指の名演だ。作品59-2も素晴らしい。尻上がりに良くなり、第3楽章、第4楽章と次第に熱気を帯び引き締まつたアンサンブルを聴かせる。千変万化する音色の表情を豊富に持つセーケイの技巧が演奏を一際引き立たせてゐる。(2015.4.1)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第9番、同第10番
ハンガリー弦楽四重奏団
[ERATO 0190295869274]

 名手セーケイが率ゐるハンガリーSQ、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の第1回目録音。中期作品ラズモフスキー第3番とハープを聴く。作品59-3は細身だが研ぎ澄まされた音で切り込んだ雄渾な名演だ。燃焼度が高く特に両端楽章は非の打ちどころがない。また、幽玄さや優美さも備へてをり全楽章通じてに素晴らしい。だが、全盛期のブッシュSQの偉大さには惜しくも一歩譲るだらう。ハープも名演だ。第1楽章の尋常ならざる熱き内声部パートの刻みなど瞠目させられる。優美なアンサンブルも格調高さを弥増してゐる。この曲屈指の名演と云へるだらう。(2015.5.2)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番、同第12番、大フーガ
ハンガリー弦楽四重奏団
[ERATO 0190295869274]

 名手セーケイが率ゐるハンガリーSQ、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の第1回目録音。セリオーソが極上の名演である。冒頭から名刀一振りの如く鋭い切り込みで、空気をきりりと引き締める。快速のテンポによる緊張感あるアンサンブルが終楽章まで持続する。一気呵成に運んだ辛口の名演で男気が溢れてゐる。ブッシュSQの名盤に匹敵する数少ない名演だ。第12番も同様の切り口である。だが、この曲はベートーヴェンの四重奏作品中でも全4楽章が等分に充実した格調高き大曲で、古来よりオルガン・トーンを意識した壮麗な響きによる演奏が為されてきた。ハンガリーSQの演奏は細身の鋭角的な奏法の為、荘厳さが感じられず気のせいか感銘が薄い。大フーガにも同様のことが云へる。大変見事な演奏なのだが、巨大さを感じさせない。弦楽合奏による演奏のやうな重厚さがないと物足りない恐ろしい曲だ。(2016.3.13)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番、同第14番
ハンガリー弦楽四重奏団
[ERATO 0190295869274]

 名手セーケイが率ゐるハンガリーSQ、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の第1回目録音。第13番が極上の名演だ。性格の異なる短い6つの楽章から成る難曲である。前半4つの楽章は諧謔的な要素が強く、深遠なカヴァティーナと本来想定された大フーガへと続く訳だが、最終楽章は一層諧謔的なロンドに差し替へられ、よりスケルツォ要素が多い曲となつた。ハンガリーSQは鋭い音楽で見事に性格を描き分ける。切れ味のある第2楽章は特に良い。最も強い印象を刻印したのは快速で疾走する第6楽章だ。最速だらう。カヴァティーナは燻し銀だが、ブッシュSQの境地には及ばない。最高峰の曲である第14番も優れた演奏だ。接続曲である第3楽章や第6楽章が見事なのは特筆したい。上等なアンサンブルで魅了する第5楽章も最高だ。全楽章を通じて色気を排し、豊かさを捨て、辛口の哲学的な響きを追求した演奏で、この曲屈指の名演だ。ただ、最終楽章で興が今ひとつ乗つてゐないのが残念で締めが悪い。一気呵成に疾走すれば最高の演奏だつたと思ふ。(2016.8.2)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第15番、同第16番
ハンガリー弦楽四重奏団
[ERATO 0190295869274]

 名手セーケイが率ゐるハンガリーSQ、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の第1回目録音。第15番は引き締まつたアンサンブルと清廉な響きが特徴であるハンガリーSQの持ち味が発揮された名演だ。全体的に速いテンポで颯爽としてをり、嘆くことなく寂寥感を表出させた極上の演奏だ。特に第3楽章冒頭は徹底したノン・ヴィブラート奏法と駒寄りの運弓で一種特別なオルガン・トーンを生み出した神品である。余計な脂味は排除し精髄だけを残した理想的な演奏で、かのカペーSQの決定的名盤に唯一迫つた名演なのだ。第16番も快速だ。第1楽章は余りにも淡白なので含蓄がない嫌ひがある。第2楽章は古今を通じても満足が出来る数少ない完璧な演奏だ。第4楽章の諧謔も見事。全集といふことなら忌憚なく申してこのハンガリーSQの旧録音が最上である。各曲でも第4番、第7番、第11番、第13番は取り分け優れてゐる。(2016.12.3)


シューベルト:弦楽四重奏曲第15番、同第14番
ハンガリー弦楽四重奏団
[Music&Arts CD-1181]

 ゾルターン・セーケイとハンガリーSQの録音集8枚組。2枚目。ハンガリーSQはベートーヴェンとバルトークで名を成した名門であるが、それに次いで一家言を持つてゐたのがシューベルトだらう。セーケイの下、一本の銀糸のやうに精錬されたアンサンブルを聴かせ、哀愁を帯びた音色と歌ひ回しを旨とするハンガリーSQにとりシューベルトは近親性のある作曲家であつた。1958年7月22日、マントン音楽祭における実況録音のト長調が素晴らしい。冒頭から詩情漂ひ、第1楽章展開部で熱つぽく昂揚する様に惹き込まれる。郷愁たつぷりの第2楽章、強弱の対比が見事な第4楽章、全てが堂に入つてをり感銘深い。ライヴとは思へない完成度も特筆したい。音質も生々しく、ブッシュSQの名盤と並べて絶賛したい。同日に死と乙女も演奏されたが、ここに収録されてゐるのは1952年のコンサート・ホール・レーベルへのセッション録音だ。音質はこのセッション録音の方が抜けが悪くもどかしい。演奏も生硬で感興に乏しく面白くない。勿論、仕上がりは極上で、悪い演奏ではない。(2020.7.3)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番
バルトーク:弦楽四重奏曲第3番
ハイドン:弦楽四重奏曲Op.64-5「ひばり」
ハンガリー弦楽四重奏団
[Music&Arts CD-1181]

 ゾルターン・セーケイとハンガリーSQの録音集8枚組。5枚目。ベートーヴェンとバルトークは1968年12月20日、ブダペシュト音楽院でのライヴ録音。活動後期の演奏だが、非常に卓越し充実した名演の連続で頭が下がる。ベートーヴェンの第1楽章と第2楽章の疾風のやうな切り込み、曲を手中に納めてゐるからこそ可能な緩急自在の表現に舌を巻く。セッション録音でも鮮烈な名演であつた。ラズモフスキー第1番ではハンガリーSQを第一等に推す。バルトークは切り札と云へるレパートリーで血肉と化した演奏は他の追随を許さない。ライヴ録音で斯様に振り切れた抉りを聴かせるのは並大抵ではない。ハイドンは1946年のHMVへのセッション録音。セーケイの妙技が冴える逸品である。余白にメンバーによる語らひが収録されてゐる。(2023.9.15)


ブラームス:弦楽四重奏曲第2番
モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番
ポルポラ:ヴァイオリン・ソナタ
ゲザ・フリード(p)
ハンガリー弦楽四重奏団
[Music&Arts CD-1181]

 ゾルターン・セーケイとハンガリーSQの録音集8枚組。6枚目。ブラームスは1968年12月20日のブタペシュトにおける記録。哀愁と溜息で彩られた細身の繊細な表現が琴線に触れる。感情が漏れ出た屈指の名演だ。1946年、HMVへの正規録音であるモーツァルトのニ短調は、引き締まつた造形美に惻々と迫る哀切な歌が高度に融合した名演で、古典的美学を斯様に表現出来た演奏も稀だ。さて、最大の掘り出し物と云ひたいのが1937年録音のニコラ・ポルポラのソナタだ。初めて聴く18世紀に活躍した作曲家で、華麗な技巧を駆使した典雅な楽曲はイタリアの栄光を具現する。何よりもセーケイの趣味の良さに感服する。余白にインタビューを収録。(2023.3.3)


チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番
ドヴォジャーク:弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」
グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲
ラロ:ギター
レジデンティ管弦楽団/ヴィレム・ヴァン・オッテルロー(cond.)/ジャン・アントニエッティ(p)
ハンガリー弦楽四重奏団
[Music&Arts CD-1181]

 ゾルターン・セーケイとハンガリーSQの録音集8枚組。7枚目。ハンガリーSQにとりチャイコフスキーとドヴォジャークの有名曲の録音は大変珍しい。1952年のコンサート・ホールへの録音で復刻を歓迎したい。チャイコフスキーが名演だ。引き締まつたアンサンブルと硬質の音色とでスラヴの音楽を美しく歌ひ上げてゐる。有名なアンダンテ・カンタービレもセーケイの渋い歌ひ回しで感銘深い。ドヴォジャークは戸惑ふ。第1楽章が特異な遅さで驚く。しかし、聴き進むと土俗的な粘りを聴かせた信念の強さを感じる。第2楽章も含蓄深い歌が聴ける。終楽章は一転快調で軽い。描き分けが見事だ。さて、後半はセーケイの独奏が楽しめる。セーケイと云へば、メンゲルベルクとのバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番の初演ライヴがとても有名だが、独奏者としての認知度は低い。グラズノフの協奏曲では確かな技巧が楽しめる。しかし、第3楽章のピッツィカートなどで迫力が欠けるのも事実だ。オッテルローとの共演、1942年のオランダ・デッカへの録音だ。ラロの小品も同時に録音されたものだ。余白にインタビューを収録。(2021.3.15)


グラズノフ:5つのノヴェレッテ
シューマン:弦楽四重奏曲第1番
ドビュッシー:弦楽四重奏曲
ハンガリー弦楽四重奏団
[Music&Arts CD-1181]

 ゾルターン・セーケイとハンガリーSQの録音集8枚組。8枚目。名演揃ひだ。グラズノフは1952年のコンサート・ホール・レーベルへの録音。多彩な性格を持つ初期の傑作を鮮やかに弾いてをり、堂に入つた名演と云へる。更には懐かしさと色付けが見事に決まつてをり比類がない。シューマンとドビュッシーは1951年夏、ロサンジェルスの南カリフォルニア大学でのライヴ録音である。軟弱に弾かれることの多いシューマンを辛口硬派の演奏で貫き通す。濃厚なボウイングで腰の強い合奏が展開される。情熱的な推進力もあつて隠れた名演として推奨したい。ドビュッシーも同様で輪郭のはつきりした淡麗な演奏である。しかし、現代の団体のやうに機能美が追求された演奏とは一線を画し、人肌の温もりが伝はる感触がある。幻想的な情緒が根底にある名演なのだ。余白にコダーイの弦楽四重奏曲第2番について語つたインタヴューを収録。(2021.12.18)


クリングラー弦楽四重奏団
録音集(1912年〜1936年)
グスタヴ・シェック(fl)
[TESTAMENT SBT 2136]

 クリングラーSQの復刻がテスタメントから出るとは意外であつた。復刻は申し分ないが、残念なことにクリングラーSQの全録音集成ではない。CD3枚組の全集にして箔を付けて欲しかつた。かのヨアヒムと弦楽四重奏を組んだクリングラー―当時はヴィオラを担当―はヨアヒムSQの伝統を継承する生き証人であり、19世紀の弦楽四重奏団の姿を伝へる貴重な記録なのだ。録音は3種類に分類出来る。1912年と13年のオデオン録音と1922年と23年のヴォックス録音は、全て楽章単位の録音である。真摯なメンデルスゾーンやシューマンの演奏には聴くべきものがある。侘びたモーツァルトやケルビーニにも面白みがある。しかし、録音としての価値は電気録音である1935年と36年のエレクトローラ録音にある。ベートーヴェンとレーガーのセレナードの全曲録音で、両曲ともフルートを伴ふ三重奏だ。滋味豊かで気品のある演奏はドイツ・ロマンティシズムの粋を聴かせる。(2008.4.11)


クリングラー弦楽四重奏団
録音集(1912年〜1936年)
[TESTAMENT SBT 2136]

 再びクリングラーSQを聴く。2枚組の2枚目。最後期の録音であるエレクロトーラへの録音より、レーガーの弦楽三重奏曲とベートーヴェンの弦楽四重奏曲第12番が聴け、クリングラーSQの真価を確認出来る。クリングラーSQはスラー・ボウイングを用ゐず短いブレーズによるアンサンブルを優先してゐるのが特徴だ。トーンの均一性を重視し、高貴なロマンティシズムを醸し出すヴィブラートは練り込むやうにゆるりとした速度で掛けられ、ブッシュSQとの類似点を感じさせる。レーガーは晦渋さと幻想性を融合させた極上の名演で、渋みのある語り口が見事だ。大曲ベートーヴェンにおける老巧で深みのある表現はブッシュSQと比べても遜色ない。余白に収録されたハイドンのラルゴはクリングラーSQの禅定の境地を聴かせて呉れる絶品だ。(2008.5.17)


ハイドン:弦楽四重奏曲ハ長調Op.74-1
シューベルト:弦楽四重奏曲第12番「四重奏断章」
レーガー:弦楽四重奏曲第5番
ケッケルト弦楽四重奏団
[ORFEO C 318 931 B]

 ルドルフ・ケッケルト率ゐるケッケルトSQはベートーヴェンの全集が代表的録音の名門だが、復刻が少なく貴重な1枚。名演揃ひだ。ハイドンはドイツの正統的解釈による極上の名演だ。颯爽たるテンポ、磨き抜かれたアンサンブル、活気ある音色、実に音楽的な演奏だ。特に終楽章の爽快感は天晴れ。当盤の白眉はシューベルトの四重奏断章だ。疾走する情念、儚き憧憬と夢想の歌、焦燥と苛立ちが交錯する。明暗の見事な対比、甘い切ない表情と劇的な一撃が瞬時に切り替はる。なかなかしつくりする演奏が少ない曲なのだが、理想的な名演と云へよう。レーガーの最後の弦楽四重奏曲嬰へ短調は恐ろしく晦渋な曲で、主題を云ひ当てることが困難だ。次々と曲想が変じ、通り過ぎて行く。難解な曲を真心込めて演奏するケッケルトSQには敬服する。(2020.9.3)


メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第1番
シューマン:弦楽四重奏曲第2番
スメタナ:弦楽四重奏曲第1番「我が生涯」
ケッケルト弦楽四重奏団
[ORFEO C 318 931 B]

 ルドルフ・ケッケルト率ゐるケッケルトSQはベートーヴェンの全集が代表的録音の名門だが、復刻が少なく貴重な1枚。ケッケルトSQはドイツの玲瓏たる古典的な美しさを表現することに長けてゐた。浪漫的な歌で聴かせる魅力は然程でもないが、端正で気品あるアンサンブルが特徴だ。それにしても渋い選曲だ。メンデルスゾーンの第1番は第2楽章のカンツォネッタが大変有名だが、取り上げられる機会は少なめだ。ケッケルトSQに最も合つてゐるのはメンデルスゾーンだらう。上出来だ。シューマンの第2番には名演が少なく、ケッケルトSQの録音は有難い。だが、全体に渋い演奏で夢想する逃避感や情熱的な一途さがなく、薄口の演奏に終始してゐる。残念だ。スメタナはDGへの録音で、許可を得て収録したものだ。セッション録音の為、アンサンブルの精度が高く、仕上がりは最上だ。だが、チェコの団体のやうな献身性はなく、ドイツ的な堅牢な演奏で畑違ひの感が強い。だが、聴き応へのある密度の高い演奏であることは確かだ。(2018.4.24)


シェーンベルク:弦楽四重奏曲第3番
ベルク:抒情組曲
ルドルフ・コーリッシュ(vn)率いるプロ・アルテSQ
[Music&Arts CD-1056]

 無調音楽とか十二音音楽に興味がある方には特に重要な録音だ。シェーンベルクの信頼篤く、コーリッシュは作曲家立ち会ひのもと弦楽四重奏曲全4曲の録音を完成してゐる。この第3番は全曲録音の14年後に行はれたもので、音の状態が明解なのが嬉しい。コーリッシュやクラスナーなどの戦前の奏者たちは極めて情念的で、まるでキルヒナーやノルデの表現主義絵画のやうだ。現代の奏者たちが、抽象絵画の如く無機的な演奏で効果を挙げてゐるのと大違ひである。ベルクも危ふい火花が散る名演。(2004.8.7)


バルトーク:弦楽四重奏曲第5番
シェーンベルク:幻想曲、弦楽四重奏曲ニ長調
ルドルフ・コーリッシュ(vn)率いるプロ・アルテSQ
[Music&Arts CD-1056]

 シェーンベルクの2曲が強い感銘を残す名演。特に幻想曲は、シェーンベルクの器楽曲における到達点とも云へ、前衛的な作品ながらその完成美故に傑作と云へる。演奏は虚飾を排し真一文字に核心に迫る。音に共感が宿る破格の名演。19世紀末に作曲された習作の弦楽四重奏曲ニ長調は、未公刊と云ふこともあり大変貴重な録音。ブラームスの作品と偽つて聴かせれば、欺けること請け合ひの作品であるが、渋い幻想に霊感があり軽視できない。演奏も秀逸で、一聴をお薦めする。コーリッシュはバルトークの弦楽四重奏曲の第5番と第6番を初演してゐる。従つてこの録音も価値が高い訳だが、演奏は常設クァルテットでないからか、現代の完璧な演奏に耳慣れてゐるからか、特に優れたものとは思へない。(2004.10.24)


ヴェーベルン:5つの楽章、6つのバガテル
シューベルト:八重奏曲
ルドルフ・コーリッシュ(vn)率いるプロ・アルテSQ。他
[Music&Arts CD-1056]

 ヴェーベルンの前衛音楽に、鮮烈な火花を散らした当盤の演奏には畏敬の念を覚える。上手い演奏ではない。しかし、技術的に完璧で、表意に趣向を凝らしても、この種の音楽は情念を込めねば無機的な音響の連続にしかならない。所々唸り声まで聴こえる気概ある演奏には戦慄すら感じる。このM&A6枚組箱物では唯一の古典的作品になるシューベルトは、現代音楽の後に聴いても不思議と古さを感じない。それどころか、新ヴィーン学派とされるシェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンがウィーンの音楽―特にシューベルトの血統を根底で継いでゐることに気付かされた。コーリッシュの細く暗い色調のヴァイオリンが、危ふい感情のよろめきを抉つてゐる。但し、全体で評価すると、録音が古く、合奏は平凡で雑だ。(2004.11.20)


レナー弦楽四重奏団
小品録音集(1922年〜1935年)
[アート・ユニオン ARBD-1040-41]

 レナーSQは不当に評価されてゐる。室内楽愛好家は厳格さを求めるから詰まらない。レナーSQの甘く浪漫的な歌は一世一代の個性である。アンコール・アルバムと題された当盤2枚組はレナーSQの神髄を伝へる。2枚組の1枚目は様々な弦楽四重奏曲の楽章だけを集めたものだが、実は大変価値がある。それと云ふのもこれらは全曲録音からの抜き出しではなく、録音時間に制約のあつたSPの都合で元々楽章のみで録音されたもので、かつてROCKPORTといふレーベルが敢行した全復刻が頓挫した為、これらの音源を聴ける機会は当分ないと思はれるから貴重なのだ。全曲録音された曲も多数あるが、黄金期の演奏は艶と確信が満ち溢れる逸品ばかりで捨て難い。レナーの官能的なポルタメントは至高の藝術で、歌心はエルマンに匹敵する。特に全曲録音のないチャイコフスキー「アンダンテ・カンタービレ」、シューベルト「死と乙女」第2楽章は掛け替へのない名演。(2009.7.19)


レナー弦楽四重奏団
小品録音集(1922年〜1935年)
[アート・ユニオン ARBD-1040-41]

 再びレナーSQを聴く。2枚組の2枚目。原典主義が幅を利かせる現代では、編曲は一段低く見なされてゐる。ピアノ曲などを弦楽四重奏に編曲して録音したレナーSQの行為はそれだけで忌み嫌はれるかも知れぬ。だが、レナーSQの最上の演奏はここにあると云つても過言ではない。これらの演奏をひとつを捨てるのなら、最近の四重奏団が録音した全集録音を捨てる方が増しだ。甘く切ない歌が見事な編曲で奏でられる。ショパンの前奏曲や練習曲、チャイコフスキーの舟歌の哀感を聴くが良い。ポルタメントの妙とたゆたふフレージングが至藝の域に達してゐる。バッハのアダージョ、グルックのガヴォットも極上だ。陰影深いレナーの節回しに陶然となる。ディッタースドルフやメンデルスゾーンの四重奏曲の演奏も勿論素晴らしく、ヴォルフ「イタリアのセレナード」も名盤だ。だが、当盤の白眉は名演の誉れ高いボロディンの弦楽四重奏曲第2番の夜想曲に尽きる。切々と琴線に触れる最高の演奏だ。(2009.10.19)


サラサーテ、ナルディーニ、ベートーヴェン、他
ウィーン・フィル/カール・アルヴィン(cond.)
アルノルト・ロゼー(vn)/ロゼー弦楽四重奏団
[PODIUM POL-1011-2]

 プシホダの妻がロゼーの娘アルマであつたからだらう、独PODIUMはロゼーの復刻も手掛けてゐる。本格的なソロイストとして活動しなかつたから、決して録音は多くない。当盤の収録曲で、ゴルトマルク、メンデルスゾーン、ポッパー、ナルディーニの2曲、ベートーヴェンのロマンス第2番は米Arbiter盤と重複するので割愛する。サラサーテ「ファウストの主題による幻想曲」は何故か断片で、英SYMPOSIUMから復刻があるので価値がない。重要なのは1902年録音の「ツィゴイネルワイゼン」だ。断片だが、唯一の復刻の筈だ。弦楽四重奏ではケルビーニのスケルツォとベートーヴェンの第4番は他に復刻があつたので割愛するが、ホフシュテッター「ハイドンのセレナード」とベートーヴェンの第5番第3楽章が貴重だ。1931年録音のシュトラウス「ばらの騎士」が収録されてゐる。アルヴィンの指揮、ウィーン・フィルの演奏だが、途中ヴァイオリンの独奏をコンツェルトマイスターであるロゼーが弾いてゐる。密度の濃いアーティキュレーションにロゼーの個性が刻印されてゐる。(2010.3.8)


バッハ:無伴奏ソナタ第1番よりアダージョ、2つのヴァイオリンの為の協奏曲、エア
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第4番、同第10番、同第14番
アルノルト・ロゼー(vn)、他
ロゼー弦楽四重奏団
[Biddulph LAB 056-057]

 ウィーン楽壇の首領ロゼーの1927年から1929年にかけての電気録音を集成した英Biddulph盤だ。ベートーヴェンの作品131がドイツHMV即ちエレクトローラへの録音なのを除き、チェコHMVへの録音である。愛娘アルマとの協奏曲とアダージョは同日の録音だ。協奏曲では第3楽章にヘルメスベルガー作の淫靡なカデンツァを用ゐてをり興味深い。アダージョはロゼーの本領を聴ける逸品だ。エアも独自の藝術境が聴ける名演。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第10番と第14番は他に復刻盤がなかつた筈なので貴重だ。ロゼーSQは正直申してロゼー以外の奏者に魅力がなく、弦楽四重奏団としての纏まりに欠ける。しかし、後発のレナーやブッシュなどの団体に対して、ノン・ヴィブラートによるアンサンブルを追及した旧派の代表格としての資料的価値はある。第4番の終楽章、ハープの第1楽章や第3楽章、第14番の終楽章は情熱的な演奏で、勢ひに圧倒される。それもこれも今日では絶滅したロゼーの独特なアーティキュレーションによる奏法の特異性への驚きから生じる。(2016.4.17)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番、同第14番
シュナイダーハン弦楽四重奏団
[Orfeo C 315 931 B]

 伝統的にウィーン・フィルの弦トップは弦楽四重奏を組んできた。ロゼーの後を襲つてコンツェルトマイスターに就任したシュナイダーハンもまた四重奏を結成した。メンバーはシュトラッサー、モラヴェッツ、クロチャックである。しかし、シュナイダーハンSQの録音は僅かしか残らない。シュナイダーハンがソロイストとして独立しウィーン・フィルを退団して仕舞ふ迄の約10年間の大半は戦中の困難な時期で、録音に恵まれなかつたのだ。第14番が1944年9月、第7番が1945年3月、録音が残されたこと自体が有難い貴重な記録である。演奏はウィーン風の優美さを備へつつ、風格のある威厳を保つた名演である。何よりもシュナイダーハンが巧い。銀糸のやうな光沢のある音色が美しく、表面は優雅でよく歌ふが、力強い音楽の構築は立派で、全体の設計まで見通されてゐる。比べたら後を襲つたバリリなど柔和なだけで問題にならない。多彩な表情の変化を聴かせるシュナイダーハンの妙技が冴えるが、殊に幽玄な趣―ラズモフスキーの第3楽章や第14番の全て―は琴線に触れる。カペーSQやブッシュSQに比べるとやや甘美な印象はあるが、ウィーン流儀の名演として記憶に留めたい。(2011.11.20)


モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩」
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第6番
ラヴェル:弦楽四重奏曲
シュナイダーハン弦楽四重奏団
[Orfeo C 402 951 B]

 ウィーン・フィルの主席奏者で組んだシュナイダーハンSQの録音は貴重だ。当盤の録音時期はモーツァルトとベートーヴェンが1949年、ラヴェルが1950年で、正しくシュナイダーハンがウィーン・フィルのコンツェルトマイスターを辞任、退団し、本格的にソロイストとして活動を開始した時期である。メンバーはシュトラッサー、モラヴェッツ、クロチャックで、ラヴェルではヴィオラがシュトレンクに交替してゐる。モーツァルトは幾分特徴が薄く、取り立てて惹かれる演奏ではないが、正統的な演奏で申し分ない。ベートーヴェンが素晴らしい。何よりもシュナイダーハンの巧さが引き立つ。第3楽章の見事なアンサンブルも特筆したい。全体的に品位と潤ひがあり、この曲の屈指の名演だらう。ラヴェルは矢張り畑違ひの感がある。気怠い官能とは無縁で、典雅なウィーン風の演奏である。(2012.2.18)


ハイドン:弦楽四重奏曲ニ長調Op.76-5
モーツァルト:弦楽四重奏曲第16番
ブラームス:弦楽四重奏曲第1番
シュナイダーハン弦楽四重奏団
[amadeo 431 346-2]

 シュナイダーハンの多彩な活動記録を編んだ6枚組。3枚目はシュナイダーハンSQとしての活動記録だ。シュナイダーハンは神のやうなロゼーの正統なる後継者として上り詰めたが、約10年でソロイストへ転向し、ロゼーと同じ道を歩むことはしなかつた。それを吉と見るか凶と見るかは好みだが、このシュナイダーハンSQの演奏を聴くと私見では勿体無いことをしたと感じてゐる。ソロイストの録音には素晴らしいものが多いが、ロゼーやクライスラーを超える行跡を残したとは云へない。だが、数少ない四重奏団の録音は全て高次元で驚くべき内容ばかりだ。後継のバリリSQと比較すると一目瞭然で、きりりと引き締まつた音楽、陰影や抑揚の多彩なパレット、何よりもいざと云ふ時の生命力の注入が無類で、音の立ち上がりの鮮烈さはバリリなぞ問題にならない。ハイドンとモーツァルトは1950年、ブラームスは1951年の記録。ラルゴ四重奏曲の第1楽章の展開部の昂揚、終楽章の飛翔する軽やかさ、モーツァルトの第3楽章でのしなやかな歌の妙、ブラームスの連綿と押し寄せる波の素晴らしさ。四人の実力が伯仲してゐることもあり、どの瞬間を取つても弦楽四重奏の最高の演奏を聴ける。(2020.7.28)


ハイドン:弦楽四重奏曲ハ長調Op.76-3「皇帝」
ブラームス:弦楽四重奏曲第1番
シューマン:弦楽四重奏曲第3番
シュナイダーハン弦楽四重奏団
[melo CLASSIC mc-4001]

 愛好家を驚愕させたmelo CLASSIC。貴重なシュナイダーハンSQの録音が登場した。全て1944年の録音で、ウィーン・フィルの首席奏者による全盛期のアンサンブルを堪能出来る。音質も戦中とは思へないほど驚異的に良い。何よりもシュナイダーハンの演奏が花咲き誇り神々しい。ハイドンでその真価を確認出来る。第2楽章の夕映えは至高の藝術と云へよう。ブラームスは1950年にも録音があり、音質も鮮明で全体的に円熟味がある新盤を採りたいが、この旧盤も演奏自体は大変優れてゐる。特にシュナイダーハンの妖艶な節回しが絶品なのだ。重要なのは初演目となるシューマンだらう。ロマンティシズムに耽溺し、とことん艶やかに仕上げてゐる。斯様に甘く弾き込んだ演奏は滅多になく、この曲の屈指の名演として特筆してをきたい。特に第3楽章の哀愁を帯びた歌の美しさは比類がない。(2021.3.30)


シューベルト:弦楽五重奏曲
ヴェスターマン:弦楽四重奏曲Op.8-2
シュトループ弦楽四重奏団
[melo CLASSIC mc-4002]

 マックス・シュトループ率ゐるシュトループSQは往年のドイツの特徴を色濃く持つ団体で、幽玄で思索的な楽想で妙味を発揮する。一方で軽快な楽想の時は幾分もつさり聴こえるし、勇壮な楽想の際は派手さがなく地味に聴こえる。録音は非常に少なく、当盤は貴重な記録と云へる。シューベルトは1941年、ヴェスターマンは1943年の戦中録音である。シューベルトはハンス・シュレーダーを加へての演奏で、第2楽章の渋みのある悲歌は大変美しい。また、第3楽章のトリオで音楽が止まつて仕舞ふのではないかと思ふほど深淵に踏み込み、内なる声へと向かふ。しかし、両端楽章は交響的な厚みに不満が残る。シューベルトの仄暗さに焦点を当てた演奏として聴きたい。さて、音源としても貴重なゲルヘルト・フォン・ヴェスターマンの四重奏が重要だ。諧謔さが特徴的で音楽を見事に消化した名演だらう。但し、掴み処のない曲で呆気なく終はるので然程楽しめないかも知れぬ。(2021.7.18)


スメタナ:弦楽四重奏曲第1番「我が生涯より」、同第2番
ドヴォジャーク:弦楽四重奏曲第10番
スメタナ弦楽四重奏団/パノパ弦楽四重奏団
[SUPRAPHON SU 4003 2]

 チェコ弦楽四重奏の名曲名演集3枚組。1枚目。ひつそりと発売され、特段注目を集めなかつたかと思はれるが、重要な1枚なのだ。スメタナの2曲の弦楽四重奏曲をスメタナSQによる究極の演奏で鑑賞する喜びに勝るものはないのだが、どの録音を最上とするかは愛好家の関心の的である。一般的にはDENONレーベルで聴くデジタル録音盤が人口に膾炙する録音であらう。しかし、玄人筋はステレオ初期、スメタナSQ黄金期の1962年スプラフォン録音を決定盤と推してをり、是非とも聴きたいものだと思つてゐたが、なかなか機会を得なかつた。1950年前半に続く2度目の録音であり、演奏は期待以上の神々しい出来栄えであつた。第1番は冒頭の和音から綺麗事には済ませない激しい感情がぶつけられてゐる。全楽章、圧巻の燃焼度、情感の豊かさで説得力が違ふ。第2番は浮ついた他団体を大きく引き離す本家本元の貫禄。どちらも第一に挙げるべき決定盤だ。これと比べて仕舞ふとパノパSQが1985年に録音したドヴォジャークは立つ瀬がない。(2021.1.27)


ノヴァーク:弦楽四重奏曲第2番
ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」、同第2番「内緒の手紙」
スメタナ弦楽四重奏団/シュカンパ弦楽四重奏団

[SUPRAPHON SU 4003 2]

 チェコ弦楽四重奏の名曲名演集3枚組。3枚目。何と云つても1973年に録音されたスメタナSQによるノヴァークが重要だ。2楽章から成る曲で30分強かかる大曲だ。第1楽章フーガは秘めやかで構築的なフーガではなく、連綿と絹糸が重なり合ふやうな抒情的な楽想で4つの楽器の織り成す歌が美しい。第2楽章ファンタジアでは主題が次々と変容し激情から沈思へと導く。独創的な作品で聴き込むと味が出る名品だ。スメタナSQの包み込むような合奏、慈愛に溢れた歌は完成度が高く、この曲の決定的名演として推薦出来る。2001年にシュカンパSQによつて録音されたヤナーチェクの2曲は意欲的なスルポンティチェロ奏法が刺激的で、第1番は大変な名演と云へる。しかし、第2番はやや緊密さと芳醇さを欠き面白くない。(2020.8.6)



三重奏


ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第5番「幽霊」
ブラームス:ピアノ三重奏曲第2番
アドルフ・ブッシュ(vn)/ヘルマン・ブッシュ(vc)/ルドルフ・ゼルキン(p)
[CBS SONY MPK 46447]

 ベートーヴェンが録音年不明だが、ブラームスが1951年の録音でブッシュ最晩年の演奏といふことになる。ブッシュ兄弟とゼルキンによるトリオ演奏は恐らくドイツ音楽のレパートリーにおいて史上最高のものであつたと推測されるが、ブッシュの全盛期に残されたのがシューベルトの変ホ長調トリオだけなのは誠に残念でならない。渡米後のブッシュは衰へが著しく、当盤の演奏には往時の神々しさはないが、ドイツ・ロマンティシズムの権化のやうな焦がれる憧憬と渋い瞑想、暗く燃焼的な情念は健在だ。ベートーヴェンは畳み掛けるやうな覇気が漲つてをり圧倒的だ。緩徐楽章の詠嘆にはより良さがある。ブラームスが名品で、特にゼルキンの玲瓏たる音色から紡がれる馥郁たる浪漫の香りが素晴らしい。ブッシュ一家が為した霊妙な音楽はその後絶えて聴くことが出来ない。(2005.8.25)


ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第5番、同第7番
モーツァルト:ピアノ三重奏曲第5番
シューマン:ピアノ三重奏曲第1番
エトヴィン・フィッシャー(p)/ヴォルフガング・シュナイダーハン(vn)/エンリーコ・マイナルディ(vc)
[Music&Arts CD-840]

 フィッシャー・トリオは正規セッション録音がないので幻のトリオと云へる。少ないライヴ録音から名手3名の妙技が聴けるのは掛け替へがないことだ。この2枚組は1952年8月9日と1953年8月8日のザルツブルク音楽祭での記録で、前者がモーツァルトと大公、後者が幽霊とシューマンといふ演目である。ベートーヴェンの2曲は墺オルフェオから商品化されてゐた。実は当盤の音が猛烈に悪く、幽霊にはテープヒスのやうなものが混入してをり、より音質の良いオルフェオ盤で聴けるので全く価値はない。従つてモーツァルトとシューマンが重要だ。モーツァルトも音は良くないのだが、なんとか鑑賞は出来る。霊感が持ち味の奏者の集まりだけに陰影が深く、高貴なモーツァルトが聴ける。シューマンが最も素晴らしい。カサルス・トリオの色気満点で華やかな録音に比すると、渋みのある夢想する内気な演奏で好感が持てる。この曲の屈指の名演だらう。余白に1954年とされるルツェルンでのリハーサル風景が収録されてゐる。曲はシューベルトの第2番だ。第1楽章と第2楽章の稽古で、主にフィッシャーが弦楽器2名を指導している。声の主の大半はフィッシャーだらう。(2018.5.28)


ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番、同第2番
ヴォルフガング・シュナイダーハン(vn)/エンリーコ・マイナルディ(vc)/エトヴィン・フィッシャー(p)
[amadeo 431 347-2]

 シュナイダーハンの多彩な活動記録を編んだ6枚組。4枚目はフィッシャー・トリオでの録音だ。フィッシャー・トリオには商業用録音がなく、幾つかライヴ録音があるだけだ。このブラームスは放送用録音で最も条件が良く、音質・演奏ともにトリオの代表盤である。米M&Aからも商品化されてゐた。第1番が1953年11月30日、第2番は1951年12月2日の録音。トリオの支柱はフィッシャーで音楽が頭一つ抜きん出てゐる。フィッシャーはブラームスを得意とし、芳醇な浪漫が溢れるピアニズムは極上である。第1番の冒頭のマイナルディのせせらぎのやうな歌の素晴らしさは特筆したい。シュナイダーハンの安定感のある美音も見事だ。第1番は元祖百万ドル・トリオ、第2番はブッシュ・トリオ、シゲティ/ヘスの名盤と並ぶ出来栄えである。シュナイダーハンは病死したクーレンカンプの後釜で、技巧は上だがウィーン風の華やかさがあり、実はトリオでは浮いて聴こえる。クーレンカンプ時代は想像するに幽玄で個性的なトリオであつたらう。(2020.5.19)


ヘンデル(ハルヴォルセン編):パッサカリア
モーツァルト:二重奏曲K.423、ディヴェルティメントK.563
ドホナーニ:セレナード
ヤッシャ・ハイフェッツ(vn)/ウィリアム・プリムローズ(va)/エマヌエル・フォイアマン(vc)
[Biddulph LAB 074]

 名代のヴィルティオーゾ3人の組み合はせによる豪華絢爛たる共演。最大の聴きものはドホナーニのセレナードで、技巧の切れと恰幅のよい音創りに尋常ならざる感銘を受けるだらう。取り分けジプシー情緒を妖しく奏でるハイフェッツの旋律には抗し難い魅力がある。ヘンデルやモーツァルトは演奏様式でみると豪奢過ぎるきらいがあるが、これだけ完成された演奏であれば自然と納得させられる。ハイフェッツのモーツァルトは強靭で華麗なるエスプレッシーヴォで押し通すロココに陥らない新鮮な爽快さがあり相性が良い。ハイフェッツとプリムローズの音楽は等質性が高く、二重奏は奇蹟の連続である。アンサンブルの要をフォイアマンが押さえたディヴェルティメントも極上の名演で、表現の豊かさが驚異的だ。ヘンデルは古雅な趣は皆無で、ロマンティックな自在さで独自の世界を築く。(2005.8.21)


モーツァルト:前奏曲とフーガ第1番、同第2番、同第3番、同第6番、ディヴェルティメント
パスキエ・トリオ
[Music&Arts CD-1233]

 ジャン、ピエール、エティエンヌの3兄弟が結成した弦楽三重奏団パスキエ・トリオのディスコフィル・フランセへの録音を復刻した1枚。戦後、急速に失はれて仕舞つた人間味のあるアンサンブルで、声のやうに3つの楽器が絡み合ふ。音色の変化に注力され、器楽の機能美は追求されてゐない。懐かしく温かい演奏だ。また、モーツァルトの様式美には捕らはれず、伸び伸びと弾いてゐるのも清々しい。バッハのフーガを編曲し前奏曲を付けた全6曲の前奏曲とフーガK.404aからは4曲が録音されてゐる。素晴らしい演奏だが、極め付けはディヴェルティメント変ホ長調K.563だ。この曲にはハイフェッツ、プリムローズ、フォイアマンによる脂分の多いギラギラした名盤があつたが、程よく爽やかなパスキエ・トリオの録音こそ最上級だと太鼓判を押さう。音楽の喜びが詰まつてゐる。(2016.10.23)



ヴィオラ/チェロ/コントラバス


バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番、同第2番、同第3番、同第4番
リリアン・フックス(va)
[Biddulph 85002-2]

 新生Biddulphによる至宝級の復刻、ヴィオラの名手リリアン・フックスの米デッカ録音LP4枚分が出た。2枚組1枚目。気品高い名奏者フックス―高名なヴァイオリン奏者ジョゼフ・フックスは実の兄である―は室内楽で極上の名演を残したが、無伴奏チェロ組曲全6曲をヴィオラで弾いた録音は、フックスの代表的名盤であるだけでなく、この曲集では語り落としてはならぬ極上の名盤なのだ。ヴィオラで弾いた邪道の録音と侮るなかれ、チェロにはない華やかさと軽さを前面に打ち出した独自の境地を示してをり、上品な歌心が琴線に触れる。技巧は最上級で楽器が曇りなく鳴る。何よりもバッハの音楽と完全に一体化してをり、表情が千変万化する様は圧巻。第1番の第1曲目から清廉な音楽が溢れ、引き込まれて仕舞ふ。第2番が大変素晴らしい。含蓄のある歌が流麗で、音色が意味深く変化する。忌憚なく申して、原曲のチェロで弾いた演奏ですらフックス盤を超える演奏は極僅かしかない。特に素晴らしいのが第4番だ。技巧的にも難曲で原曲での演奏でも満足すべきものが少ない。晴れやかなヴィオラの音色で颯爽と弾かれた良さもあるが、見通しが良いのが素晴らしい。舞曲としての面白みも表現されてをり見事なのだ。


バッハ:無伴奏チェロ組曲第5番、同第6番
モーツァルト:二重奏曲第2番
マルティヌー:3つのマドリガル
ジョゼフ・フックス(vn)
リリアン・フックス(va)
[Biddulph 85002-2]

 新生Biddulphによる至宝級の復刻、ヴィオラの名手リリアン・フックスの米デッカ録音LP4枚分が出た。2枚組2枚目。バッハの無伴奏チェロ組曲をヴィオラで弾いた挑戦的な試みで、チェロでの演奏を差し置いてでも推薦したい名盤だ。第5番は連綿たる歌が美しいが、原曲のチェロの深い音色と比較して仕舞ふと遜色がある。ヴィオラでは軽く印象も薄くなるのは仕方なく、特に独白めいた旋律で顕著に感じる。しかし、フックスの表現は極めて真摯で格調高い。第6番が瞠目に値する名演だ。原曲では気魄溢れるカサルスの演奏が今尚絶対的な存在なのだが、フックスは健闘してをり、全く異なる良さを提供して呉れた。ヴィオラによる演奏では頭一つ抜けた極上の名盤だ。さて、余白に収録された兄ジョゼフのヴァイオリンとの二重奏は極めて重要だ。モーツァルトの名作は驚異的な名演だが、リリアンが仕掛けてジョゼフを圧倒して行くのが堪らなく面白い。マルティヌーは兄妹の演奏に触発されて書かれた作品だ。かつ初演者であり絶対的な名盤だ。


ヒンデミット:交響曲「画家マティス」、白鳥を焼く男、ヴァイオリン協奏曲
ロジェ・デゾルミエール(cond.)/アーサー・フィードラー(cond.)
アンリ・メルケル(vn)、他
パウル・ヒンデミット(va&cond.)
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9767]

 ヒンデミットは様々な楽器を弾きこなした才人であつたが、特にヴィオラの腕前は相当であつた。四重奏団を結成したり、ゴールドベルクやフォイヤマンとの弦楽トリオの録音は愛好家に珍重された。ヒンデミットにはヴィオラの曲が沢山あるが、事実上のヴィオラ協奏曲である「白鳥を焼く男」の録音が残されてゐる。ヒンデミットの自作自演は指揮による録音が多いので特に貴重な逸品だ。もうひとつ、ヒンデミットが指揮した「画家マティス」は繰り返し復刻されてゐる有名なテレフンケン録音である。大変復刻の状態が良く、音質が極上だ。1934年の録音だから、かのヒンデミット事件の前夜の記録で、フルトヴェングラー率ゐる黄金期のベルリン・フィルによる神秘的で荘厳な音が聴く者を圧倒する。メルケルの独奏、デゾルミエールの指揮によるヴァイオリン協奏曲も充実してゐる。間断なく掛けられたヴィブラートによるエスプレッシーヴォ極まりない名演。(2009.6.19)


パブロ・カサルス(vc)
ヴィクター録音(1925年〜1928年)
エドゥアルド・ジャンドロン(p)/ニコライ・メドニコフ(p)
[Naxos Historical 8.110972]

 戦前の小品録音全集全5巻。1枚目。名声高まるカサルスが遂にヴィクター赤盤の演奏家として録音を始める。1925年から1928年にかけて録音された23曲は、断言するが、カサルス絶頂期の記録であり、如何なるチェリストが束になつても超えることの出来ない藝術である。断じてだ。しなやかな歌ひ回しと人間の声かと錯覚する温かい音色は器楽の最終到達点である。編曲が大半だが原曲を超える音楽が聴ける。シューマン、ショパン、ヴァーグナーの美しさは如何ばかりだらう。しかし、カサルスは1930年代以降急速に衰へて気魄で演奏するようになり、チェロ奏者としての魅力は失はれて行く。さて、オバート=ソンが復刻したNaxos Historical盤は録音順に収録し、78回転盤では未発売であつたマクドウェルとブルッフが完全収録されてゐるのも嬉しい。これ迄、本家RCAと英Biddulphからも復刻があつたが、CD1枚には収まらないので数曲揃はない状態であつた。蒐集家にとつてNaxos Historical盤は必携だ。(2020.9.12)


パブロ・カサルス(vc)
ヴィクター録音(1928年)/HMV録音(1929年〜1930年)
ニコライ・メドニコフ(p)/ブラス・ネ(p)/オットー・シュルホフ(p)、他
[Naxos Historical 8.110976]

 戦前の小品録音全集全5巻。2枚目。ヴィクター録音の続きで残り4曲が収録されてゐる。凛としたバッハ、闊達なポッパーは至高の藝術である。次いで、1929年バルセロナでの12曲13トラック、1930年ロンドンでの3曲のHMV録音が収録されてゐる。これらは本家EMIからは勿論、英Pearlからも復刻があつた。演目が編曲物こそ多いが、正統的な古典作品が多くなり格調高さが増したが、自然と艶が後退したやうに感じる。とは云へ、謹厳なバッハ、壮麗たるタルティーニやボッケリーニの出来栄えは絶品である。ドヴォジャーク「我が母の教え給ひし歌」とベートーヴェンのメヌエットでカサルスの演奏を超えるものは多くはなからう。余白に指揮者カサルスの最初期の録音、1927年にロンドン交響楽団を振つたベートーヴェンの序曲「コリオラン」が収録されてゐるが、渾身の演奏で期待以上の出来栄えであつた。(2020.12.6)


パブロ・カサルス(vc)
アコースティック録音全集/米コロムビア録音(1916年&1920年)
[Naxos Historical 8.110986]

 戦前の小品録音全集全5巻。4枚目。第3巻から第5巻はアコースティック録音を集成したもので、かつて英Biddulphから発売された3枚と同じ内容、復刻も同じマーストンだ。だが、実は1曲だけ収録曲が増えてゐることに気が付いた。蒐集家は見落としてはいけない。モーツァルトのクラリネット五重奏曲K.581の第2楽章ラルゲットが2種類あるのだ。1日違ひの録音で、最初の方は英コロムビアのみで発売された珍品なのだ。電気録音前で音こそ貧しいが、カサルスは演奏家としてまさに黄金期にあつた。1930年代になるとボウイングの硬さが目立つやうになるが、若きカサルスの自在な弓捌きは別格で弦楽器奏者としては古今無双であつたことを伝へて呉れる。(2021.5.12)


サルダーナ集
パブロ・カサルス(監修)
[EMI CLASSICS 6 94932 2]

 大カサルスのHMV録音を集成した9枚組の箱物。但しハイドンの協奏曲など未発表録音は含まない。また、指揮者カサルスの録音も含んでゐない。これ迄繰り返し発売されてきた音源ばかりだが、9枚目の後半には1955年に録音されたサルダーナ集が収録されてゐる。初めて聴く有難い復刻だ。サルダーナ集の為にこの箱物を購入された方も多いと思ふ。サルダーナとは輪になつて大勢で踊るカタルーニャの民族舞踊で、パイプ、ベース、ショームなどの楽器で編成されたコブラと呼ばれる吹奏楽団が音楽を奏でるものださうだ。カサルス自身、カサルスの弟エンリケ・カサルス、ガレタ、セデラによる作品計7曲がカサルスが監修の下、プリンシパル・デ・ヘロナといふコブラによる演奏で収録されてゐる。民族楽器の素朴で鄙びた音に味がある。基本的には陽気な舞曲だが、そこはかとない哀愁が漂ふのも良い。カサルスの故國に対する熱い愛が結晶された貴重な記録で、魅了されること請け合ひだ。(2012.6.7)


バッハ:無伴奏チェロ組曲(全6曲)
カタルーニャ民謡:鳥の歌
マルタ・モンターニェス・マルティネス(p)
パブロ・カサルス(vc)
[la mà de guido HISTORICAL LMG 2095]

 スペインのレーベルによるカサルス至高の名盤の復刻である。演奏に関しては改めて述べることは何もない。カサルスの録音を聴かずにバッハの無伴奏組曲を語ることなど許されない。カサルスの演奏が絶対的に最高だと云ふ積もりはないが、カサルス盤は規範であり無視することは不見識極まりないことだ。さて、無伴奏チェロ組曲の復刻は本家EMI以外からも夥しく発売されてをり、敢へて当盤2枚組を購入する理由はない。当盤の価値は余白に収録された録音年不詳の鳥の歌にある。音色とカサルスの唸り声などから晩年の演奏だと思はれるが、クレジットタイトルがない為に特定が出来ない。前奏が欠落してをり後奏のみピアノ伴奏がある。尚、有名な1961年のホワイトハウスでの演奏ではないことは確かで、1956年のプラド音楽祭での演奏でもない。情報を求む。[後日、識者の方から情報を戴いた。1956年プエルト=リコの自宅と思しき場所での演奏で―映像での記録だ―、伴奏は妻となるマルタ―後のマルタ・カサルス・イストミン―であつた。また、前奏の欠落は映像においてナレーターによるアナウンスが被つてゐたからであつた。この場を借りて謝辞を述べたい。](2014.4.10)


バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番
ミエチスラフ・ホルショフスキ(p)/シャーンドル・ヴェーグ(vn)/パブロ・カサルス(vc)
[Philips 109 277-2]

 カサルスは1955年にボンにあるベートーヴェン・ハウスを訪れた。その際にベートーヴェンが所有してゐた弦楽四重奏用のチェロを弾く機会を得た。曲は日課のやうに弾いてゐたバッハの無伴奏チェロ組曲で、何と奇蹟的に録音が残されてゐたのだ。当盤はボン・ベートーヴェン・ハウスによる特別盤として初発売された愛好家感涙の1枚である。楽器が異なる為もあらう、細部に拘泥はらず、感触を楽しむやうに気負ひのない自由闊達な演奏をしてをり面白い。但し鑑賞用の録音ではないことを承知してをくべきだ。大公トリオは1958年のベートーヴェン・ハウスでの特別演奏会の記録で、繰り返しPhilipsから発売されてきた録音である。カサルスは衰へてゐるが、矍鑠たる演奏を披露して呉れる。寧ろヴェーグやホルショフスキの乱れが酷い。勿論、美しい瞬間もあるが、ライヴとは云へ傷が多過ぎて残念だ。(2008.4.21)


ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第2番、同第5番
ソナタへ長調(ホルン・ソナタ)
ミエチスラフ・ホルショフスキ(p)
パブロ・カサルス(vc)
[Philips 109 277-2]

 再びカサルスを聴く。2枚組の2枚目。1958年9月18日のベートーヴェン・ハウスでの特別演奏会の記録。翌日はヴェーグを加へてのピアノ・トリオ演奏会を行つた。蘭フィリップスから度々発売されてきた音源である。カサルスの演奏は老いてはゐるが、弱音時には情感籠るヴィブラートで感動的な諧調を奏でるから平伏する。しかし、強音では総じて硬く、カサルスの難点である押しの強過ぎるアクセントの為に、悉く擦過音が制御出来ずに老残の身を晒すことになつてゐる。しかし、問題はホルショフスキだ。恐らくベートーヴェン・ハウスの楽器が年代もので相当弾き難ひのだらう、音楽に生気がなく良いところが丸でなく、老カサルスよりも酷い出来だ。(2008.5.21)

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第3番、同第5番、同第7番
チェロ・ソナタ第1番、同第2番、同第5番、ソナタヘ長調(ホルン・ソナタ)
ヴィルヘルム・ケンプ(p)/カール・エンゲル(p)/ミエチスラフ・ホルショフスキ(p)/シャーンドル・ヴェーグ(vn)
パブロ・カサルス(vc)
[Philips 438 520-2]

 カサルスのベートーヴェン演奏を編んだ3枚組。1958年9月に行はれたボンのベートーヴェン・ハウスでの特別演奏会での演目は、ピアノ三重奏曲第3番と第7番、チェロ・ソナタ第2番、第5番、ホルン・ソナタの編曲だ。ハ短調トリオ作品1-3以外は既に記事にしたので割愛する。ハイドンの反対を押し切つてベートーヴェンが最初に出版を決めた野心的なハ短調作品では、強烈なアクセントで情熱をぶつけるカサルスの演奏が曲想とも合致し、大変聴き応へがある。ホルショフスキとヴェーグも健闘してゐる。ピアノ三重奏曲第5番とチェロ・ソナタ第1番は1961年7月のプラド音楽祭での演奏。三重奏曲は珍しくエンゲルがピアノを受け持つ。演奏自体は瑕が多いものの感情が爆発してをり、今日的な室内楽演奏とは一線を画す。劇的な表現にカサルスらの意気込みを感じるが、巧い演奏ではない。ソナタはケンプとの演奏で、非常に相性が良い。技術的には両者心許ないのだが、音楽的な一体感があり良い出来だ。(2019.9.2)


バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番、同第2番、同第3番
ガスパール・カサド(vc)
[VOX CDX2 5522]

 1957年に録音されたカサドの代表盤。大先輩カサルスの歴史的名盤があるので、分が悪いと思はれるが、情緒豊かで大変素晴らしい名演である。自信に裏付けされた一本気なカサルス盤、格調高いフルニエ盤と伍して、カサド盤は人肌の温もりを感じさせる独自の境地を切り開いてゐる。技術面で甘い箇所を指摘することも可能だが、古雅な雰囲気を重視し、楽想に起伏を持たせてゐるのはカサドだ。歌謡性を前面に押し出し、木目細かい音楽を聴かせる。滋味豊かなボウイング、訥々としたヴィブラートは機能一辺倒な戦後の奏法とは一線を画す。素朴な楽曲にカサドの良さがあり、第3番、次いで第1番が美しい。第2番は幾分感銘が劣るが、伸びやかな名演である。(2010.1.23)


バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番、同第5番、同第6番
ガスパール・カサド(vc)
[VOX CDX2 5522]

 1957年に録音されたカサドの代表盤。2枚組の2枚目を聴く。落ち着いた雰囲気で、丁寧な音楽を仕上げて行く。聴き手を圧倒する威容はないが、温かく包み込むやうな人間味がカサドの良さである。伸び伸びとした歌、明るく典雅な音色から生まれるバッハは謹厳なだけではなく、悠然とした趣があり、聴いてゐて疲れを感じさせることはない。総じてアルマンドとサラバンドに名演が多い。最も素晴らしいのは第4番で、歌心が溢れた名演である。実はカサドは原調の変ホ長調を1音移調してヘ長調に編曲して弾いてゐる。その為、より開放的で楽観的に聴こえるのだ。最も面白く聴ける。第5番は悲哀に欠けるのか、やや低調である。第6番のプレリュードが柔和で物足りないのは確かだが、全体としては美しい名演である。(2010.4.4)


シューベルト:アルペジョーネ協奏曲(カサド編)
シューマン:チェロ協奏曲
チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲
バンベルク交響楽団/ヨネル・ペルレア(cond.)、他
ガスパール・カサド(vc)
[VOX CDX2 5502]

 1950年代に録音された協奏曲作品集。アルペジョーネ協奏曲はチェリストからは作曲家としても認知されてゐるカサドの良く知られた編曲だ。カサドはアルペジョーネ・ソナタが好きで堪らなかつたのだらう。オーケストレーションを施し、自身の看板曲として頻繁に演奏した。録音はハーティとのSP録音、メンゲルベルクとのライヴ録音、当盤、と3種も残る。有名なメンゲルベルク盤は演奏の出来が悪く、真価が伝はらないが、ペルレア盤はカサドの温かみのある音色が美しく、木目細かく表情を付けた歌心には惚れ惚れする。編曲の意義には疑問も残るが、直向きなカサドの演奏には心打たれる。シューマンは名曲であり乍ら良い演奏のないこの曲の隠れた名盤だ。カサドのチェロは滋味豊かで、人肌の温もりを感じさせ、内面に向ふ音楽が楽想に相応しい。チャイコフスキーも典雅な演奏で美しいが、野性味が少し欲しい。ペルレアの伴奏は丁寧にカサドの音楽に寄添つてをり、誠に素晴らしい。(2009.3.21)


ドヴォジャーク:チェロ協奏曲、ロンド、森の静けさ
レスピーギ:アダージョと変奏曲
ウィーン・プロ・ムジカ管弦楽団/ヨネル・ペルレア(cond.)
ガスパール・カサド(vc)
[VOX CDX2 5502]

 再びカサドを聴く。2枚組の2枚目。ドヴォジャークの協奏曲をカサドはSP期に録音してをり、当盤は再録音となる。名手が挙つて録音する名曲だが、カサドは己の持ち味を活かして聴かせる。なべてのチェリストは第1楽章の主題の旋律を強く張つて歌ふが、カサドは肩の力を抜いて弾く。だから、野性味はなく小粋な演奏である。情味を込めた丁寧で温かい音色こそカサドの美質で、他流試合をしない賢明さを感じる。郷愁を誘ふ名盤だ。ドヴォジャークの2つの小品も情緒豊かで繊細だが、フォイアマンの剛胆な演奏があるから分が悪い。レスピーギはカサドと相性が良く、美しい名演だ。VOXには他にサン=サーンス、ラロ、ボッケリーニ、ハイドン、ヴィヴァルディなどの協奏曲録音があつた筈だ。切に復刻を望む。(2009.5.14)


ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」
マルチェロ:ソナタ第1番
シューベルト(カサド編曲):アルペジョーネ・ソナタ
ミッシャ・エルマン(vn)
ガスパール・カサド(vc)
[UNIVERSAL CLASSICS TYGE-60020]

 TBS VINTAGE CLASSICSの1枚。名演奏家の来日録音を復刻するシリーズだ。エルマンは1955年大阪での録音で、ライヴならではの瑕もあるがボウイングの確かさはエルマンの凄みである。伴奏は勿論勝手知つたるジョセフ・セイガーが務めるが、この日の演奏ではエルマンよりも興が乗つてをり天晴痛快なる活躍振りだ。エルマンは同年にDECCAにも同曲を録音したから内容は似通つてをり、蒐集家以外には価値はなからう。演目としてもカサドの録音に惹かれる。1958年大阪でのライヴ録音で、伴奏はヘルムート・バルトだ。マルチェロのチェンバロと通奏低音の為のへ長調ソナタをピアッティが編曲したものは典雅な趣でチェロの魅力を味はへる佳品だ。さて、問題はカサドが愛して止まないアルペジョーネ・ソナタだ。よく知られたやうにカサドはオーケストラ伴奏に編曲を施し協奏曲形式でこの曲を取り上げてきた。やうやくピアノ伴奏で聴けると思ひきや、カサドが隈なく編曲し原曲の楽想と輪郭しか残つてゐない別物を聴く羽目になる。経過句や繋ぎが全く異なることもあり、戸惑ふ。珍品中の珍品と云へよう。演奏自体は素晴らしいので寛容に聴くべし。(2021.6.24)


ガスパール・カサド(vc)
1962年日本録音
原智恵子(p)
[DENON COCO-80744]

 カサドは小カサルスとも云ふべき活躍をし、その衣鉢を継ぐ存在であつたが、1966年に師匠よりも先に没した。カサドの奥方は原智恵子で晩年の1959年に結婚した。当盤は1962年来日時の録音で30分弱と収録時間は短いが、夫婦共演による大変意義のある1枚だ。否、それ以上の価値があり、カサド第一の名盤と太鼓判を押さう。聴かぬは大損と心得よ。演目はサン=サーンス「白鳥」、チャイコフスキー「感傷的なワルツ」、ラヴェル「ハバネラ形式の小品」、フォレー「夢の後に」「エレジー」、グラナドス「ゴイェスカス」間奏曲とスペイン舞曲第5番「アンダルーサ」、リムスキー=コルサコフ「熊蜂の飛行」、シューマン「トロイメライ」の9曲だ。最晩年の演奏だが、技巧の衰へを気魄で感じさせず風合ひへと昇華させ、長年弾いてきた総決算とも云ふべき自信に充ち、感情を出し切つてゐる。全ての曲が最高の演奏であるが、特にチャイコフスキーで示した熱情は感動的だ。サン=サーンスと2曲のフォレー作品も見事な歌ひ回しで決定的名演だ。勿論御國物のグラナドスも素晴らしい。「ゴイェスカス」では原智恵子も感情を剥き出しにして自由奔放に演奏してゐる。(2015.11.19)


ガスパール・カサド(vc)
1963年ソヴィエト録音
原智恵子(p)
[DENON COCO-85301]

 1963年、ソヴィエトに楽旅した際に残された録音の板起こし復刻である。演目はフレスコバルディ「トッカータ」、ベートーヴェンのWoO.46の方の魔笛の主題による7つの変奏曲、シューベルトのアレグレット・グラツィオーソ、グラナドス「ゴイェスカス」間奏曲、フォレー「エレジー」、ラヴェル「ハバネラ形式の小品」、自作自演「親愛の言葉」の7曲だ。晩年、原智恵子と組んだデュオは絶対的な自信に裏付けされた演奏が繰り広げられてをり、技巧的にも感性においても最高の名演ばかりだ。カサドは衰へを見せなかつた稀有な奏者で、それどころか瑞々しさを増して行くやうだ。フレスコバルディの素朴な音楽から高貴な感情が湧き上がる。ベートーヴェンの明るく屈託のない歌と舞踏は極上で、カサルスの演奏を顔色なからしめる。シューベルトはSP時代より取り上げてきたカサドによる編曲作品。仕上がりとしては当盤中最高だらう。グラナドス、フォレー、ラヴェルの3曲は前年の日本録音でも録音してゐる得意の演目で、申し分ない。自作自演が夫婦共演の聴けるのは有難い。勿論、決定的名演である。原智恵子のピアノも美しい。フォレーでの香り立つタッチは絶品である。(2018.7.21)


エマヌエル・フォイアマン(vc)
パーロフォン・アコースティック録音全集(1921年〜1926年)
[West Hill Radio WHRA 6042]

 米West Hill Radioが4枚組で発売したフォイアマンの復刻は蒐集家必携の逸品で、持つてをらぬは潜りと云へよう。1枚目を聴く。フォイアマンの録音は4つに大別出来、ドイツでパーロフォン、英國でコロムビア、渡米後はヴィクターへの録音と、ライヴ録音を幾つか残した。コロムビア録音は英Pearlが復刻してゐたが、パーロフォン録音は英Pearlがドヴォジャークの協奏曲と幾つかを復刻してゐたのみで霧に包まれてゐた。それが全て登場したのだから歓喜感涙である。初CD化されたのは、ショパンのノクターン、サラサーテのツィゴイネルワイゼンの前半、シューマンのトロイメライと夕べの歌がそれぞれ2種、バッハのエア、グノーのアヴェ・マリア、ドヴォジャークのロンドと協奏曲の第2楽章、キュイのカンタービレ、ポッパーのセレナード、作者不明の古いイタリアの愛の歌だ。機械録音なので音が貧しく緩やかな小品ばかりなので、フォイアマンの凄みを感得出来るほどではないが感銘深い内容だ。(2016.2.6)


ドヴォジャーク:チェロ協奏曲、森の静けさ、ロンド
ブロッホ:シェロモ
ハンス・ランゲ(cond.)/レオン・バージン(cond.)、他
エマヌエル・フォイアマン(vc)
[West Hill Radio WHRA 6042]

 米West Hill Radioが4枚組で発売したフォイアマンの復刻は蒐集家必携の逸品で、持つてをらぬは潜りと云へよう。2枚目を聴く。何と初出となるドヴォジャークの協奏曲といふ大物録音がある。1941年1月9日、ランゲ指揮シカゴ交響楽団との共演だ。フォイアマンには前年にバージンとのライヴ録音があり、よく知られてゐるが、新たな音源の登場に喝采を送りたい。バージン盤と比較しても伴奏の精度が良く、協奏曲の醍醐味を味はへる。フォイアマンも絶好調だ。抱き合はせは既出音源で、1940年11月10日のバージン指揮ナショナル・オーケストラル・アソシエーションの伴奏によるドヴォジャークの森の静けさとロンド及びブロッホのシェロモだ。これらの曲の最高の演奏のひとつであり、改めてフォイアマンの名人藝に酔ひ痴れることが出来た。(2016.5.24)


ポッパー:ハンガリー狂詩曲
ダルベーア:チェロ協奏曲
ライヒャ:チェロ協奏曲、他
パウル・クレツキ(cond.)/レオン・バージン(cond.)、他
エマヌエル・フォイアマン(vc)
[West Hill Radio WHRA 6042]

 米West Hill Radioが4枚組で発売したフォイアマンの復刻は蒐集家必携の逸品で、持つてをらぬは潜りと云へよう。3枚目を聴く。初出、初復刻が目白押しだ。1932年のテレフンケンへの録音でクレツキ指揮ベルリン・フィルの伴奏でのポッパーが初復刻だ。演奏は妖艶たる名演で、技巧の切れが抜群だ。その他は全て米國でのライヴ録音だ。1940年2月25日、フランク・ブラック指揮NBC交響楽団とのドヴォジャークの協奏曲の第2楽章、及び1940年のレオン・バージン指揮ナショナル・オーケストラル・アソシエーションの伴奏でのダルベーアとライヒャの協奏曲だ。これらは初復刻ではないが、恐ろしく入手困難な音源であつたので歓迎されるだらう。目玉と云へるのが、初出となる1941年録音、アルベルト・ヒルシュのピアノ伴奏でベートーヴェンのチェロ・ソナタの第3楽章だ―第2楽章の最後から録音は始まつてゐる。斯様に情念を込めて弾かれたフーガは聴いたことがない。全曲で鑑賞したかつた特級品。1940年録音、テオドーレ・ザイデンベルクのピアノ伴奏でショパンのノクターン第2番とフャリャ「ホタ」も初出だ。ハイフェッツが嫉妬しさうな程の艶やかな名演だ。(2016.11.28)


ドヴォジャーク:チェロ協奏曲
シュトラウス:ドン=キホーテ
ナショナル・オーケストラル・アソシエーション/レオン・バージン(cond.)
NBC交響楽団/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.)
エマヌエル・フォイアマン(vc)
[West Hill Radio WHRA 6042]

 米West Hill Radioが4枚組で発売したフォイアマンの復刻は蒐集家必携の逸品で、持つてをらぬは潜りと云へよう。4枚目を聴く。ドヴォジャークは有名な1940年1月17日の放送録音。管弦楽の伴奏がお粗末だが、豪快なフォイアマンの独奏で聴く者らを魅了し続けてきた名演である。特に第1楽章のアルペジオ音型で弓を弾ませる箇所は個性的だ。ヴァイオリンではパガニーニの曲などで一般的な奏法だが、チェロではフォイアマンが第一人者であらう。シュトラウスも繰り返し発売されてきた1938年10月22日の放送録音で、別項で述べたので割愛するが、豪放磊落で異常な熱気に包まれた演奏だ。兎に角トスカニーニが凄まじい。(2017.1.4)


エマヌエル・フォイアマン(vc)
1934年&1936年日本コロムビア全録音
フリッツ・キッツィンガー(P)/ヴォルフガング・レブナー(P)
[Green Door GDCS-0009]

 1934年と36年、名手フォイアマンが来日した折に行つた録音を全て復刻したもの。実は2000年にMusic&Artsからも日本コロムビアへの録音を復刻した「Lost Feuermann」なるCDが発売されてゐた。しかし、これには2曲の復刻漏れがあり、それだけのためにGreen Door盤を購入したといふ次第である。フォイアマンは無類の技巧家であり、男気のある演奏をした。強靭なヴィブラートは豪奢と哀愁を兼ね備へてゐた。日本の歌を弾いたものに特別な興味があるとは云へ、小品では概ね茶目つ気のない演奏ので面白みは少ない。フォイアマンのディスコグラフィーは何時か製作したいと思つてゐる。(2004.8.24)


メンデルスゾーン:チェロ・ソナタ第2番
ベートーヴェン:魔笛の主題による変奏曲
ヘンデル:アダージョとアレグロ
ショパン:序奏と華麗なるポロネーズ、他
フランツ・ルップ(p)、他
エマヌエル・フォイアマン(vc)
[Biddulph LAB 048]

 戦火を避けて渡米したフォイアマンは自らの技巧に磨きをかけるべく、こともあらうにハイフェッツを相手取り研鑽を積んだ。当盤は、ハイフェッツに出来ることなら俺にも出来ると豪語した男の全盛期の記録である。白眉はメンデルスゾーンのソナタだ。特に強靭なヴィブラートがかけられたピッツィカートで始まる第2楽章が出色で、中間部における白熱した高揚感には武者振るひすら覚える。野性味のある第1楽章コーダにも同じことが云へるだらう。深みのある第3楽章の音色も素敵だ。その他では、ベートーヴェンが躍動感溢れる逸品。ヘンデルの快活で豪奢な味はいも印象深い。剛毅なリズムで聴かせるショパンはフルニエの高貴な録音と共に推奨出来る名盤だ。ダヴィドフの小品に聴かれる鮮やかな技巧には改めて感服させられる。ラシャンスカ、エルマン、ゼルキンと合奏したヘンデルとシューベルトなど珍品も併録。長年探して奇蹟的に掘り出した入手困難の1枚。(2005.5.8)


R・シュトラウス:ドン=キホーテ
ブロッホ:シェロモ
フィラデルフィア管弦楽団/ユージン・オーマンディ(cond.)/レオポルド・ストコフスキー(cond.)
エマヌエル・フォイアマン(vc)
[Biddulph LAB 042]

 1940年の2月と3月、ヴィクターに録音された両曲はそれぞれ1日で収録されてをり、フォイアマンの技巧が取り直しなど一切不要な完璧の域に達してゐたことを裏付けてくれる。ブロッホが極上の名演。フォイアマンの強靭なヴィブラートとストコフスキーが引き出した極彩色のトゥッティはユダヤの情念を濃密に表出してゐる。シュトラウスにおけるフォイアマンの独奏は録音史上最も胆力のあるドン=キホーテ像を描き出してをり大変聴き応へがある。両曲ともフォイアマンは同時期にライヴ録音を残してをり、特にトスカニーニと共演した「ドン=キホーテ」は豪快極まりない破格の名演であつたが、録音状態を考へれば万全とは云ひ難い。黄金期のフィラデルフィア管弦楽団による色彩豊かな表情が楽しめる当盤の価値は高く、屈指の名盤と云へる。(2006.5.19)


サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番
バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番より、アダージョ、他
アルトゥール・スマーレンス(cond.)/フランツ・ルップ(p)、他
エマヌエル・フォイアマン(vc)
[Cello Classics CC1013]

 >チェロ・クラシックスといふレーベルが20世紀最高のチェロ奏者フォイアマンの稀少録音第2弾を発掘した。その内容たるや愛好家感涙のお宝ばかりである。何と云つても初出ライヴ音源となるサン=サーンスの協奏曲が貴重この上ない。強靭なボウイングとヴィブラートが烈火の如く燃え上がる劇的な演奏で手に汗握る。特に最後の弾き納めの異常な興奮は悪鬼に取り憑かれたかのやうだ。惜しいことに管弦楽の伴奏がお粗末を超えて最低である。次いで、アンコールとして演奏されたバッハだが、フォイアマン唯一の無伴奏組曲の録音として感銘深い。ヴィクター録音のバッハ「アダージョ」は3テイク収録されてゐる。全て表情を変へて弾いてをり、何れも琴線に触れる名演であるのは偉大だ。フォーレ「夢のあとに」やテレフンケン録音のポッパー「胡蝶」も見事。更に、このCDはエンハンストCD仕様になつてをり、PCでフォイアマンの演奏姿を映像で観れる。涼しい顔をして事も無げにエスプレッシーヴォを奏でるドヴォジャーク「ロンド」。人間業を超えたポッパー「紡ぎ歌」。敢て云ほう。これは奇蹟の技だ。(2007.8.17)


ブラームス:チェロ・ソナタ第1番、同第2番
ヴィヴァルディ:チェロ・ソナタ第3番イ短調RV.43
マルチェロ:チェロ・ソナタへ長調
カルロ・ゼッキ(p)
エンリーコ・マイナルディ(vc)
[DOREMI DHR-7926-8]

 名手マイナルディの全盛期の録音を編んだ3枚組。1枚目は1952年頃のイタリアRCAレーベルへの録音で、これまでまともな復刻がなかつた貴重な音源である。ピアノは盟友ゼッキで、こちらも大変貴重な記録である。マイナルディは内省的な渋い歌と侘びた音色が魅力で、派手な技巧とは無縁、古色蒼然とした趣がある。クーレンカンプやフィッシャーと気心合つたトリオを組んだのも頷ける。ブラームスのソナタで聴ける枯れた歌の味はひは特筆すべきだが、無難なテンポ設定にも拘らず技巧的な綻びがあるのは残念でならない。気魄は充分だが、どこか頼りないのだ。第1番はもどかしいが、明朗な第2番の伸びやかな歌は良い。ゼッキのピアノも意表外に冴えない。本当に素晴らしいのはヴィヴァルディとマルチェロのソナタである。イタリアの栄光を伝承する名演だと絶讃したい。古雅で侘び寂びを心得た音は琴線に触れる。簡素なゼッキのピアノも美しい。(2011.12.12)


ボッケリーニ:チェロ・ソナタ第6番、同第1番
ヒンデミット:チェロ協奏曲
マリピエロ:チェロ協奏曲
カルロ・ゼッキ(p&cond.)/エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム(cond.)、他
エンリーコ・マイナルディ(vc)
[DOREMI DHR-7926-8]

 再びマイナルディを聴く。3枚組の2枚目。1952年頃のイタリアRCAレーベルへの録音であるボッケリーニのソナタ2曲は、盟友ゼッキの伴奏による名盤。名曲第6番には録音も多いが、滋味豊かなマイナルディの演奏は格別だ。哀愁を込めた仄暗い音色で弾かれる歌は絶品で、高貴な気品が漂ふ。同じイ長調の第1番もマイナルディは決して派手に弾かない。熟成されたワインを嗜むやうな大人の演奏であり、古きイタリアの伝統を誇らかに謳つた別格の名演なのだ。ゼッキのピアノ伴奏も格調高い。そのゼッキが棒を振つたトリノRAI管弦楽団の伴奏による1958年ライヴ録音のヒンデミットが極上の名演だ。何よりもゼッキの伴奏が熱い。晦渋な楽曲を一気に聴かせる気魄に圧倒される。マイナルディの独奏も力強い。第一等の名演だらう。マイナルディに献呈されたマリピエロの協奏曲は1941年のライヴ録音で、ベイヌム指揮コンセルトヘボウの伴奏である。ヒンデミットに比べると親しみ易い作品だ。自信に溢れたマイナルディの闊達な演奏は、競合盤を探す必要のない決定的名演と云つて差し支へない。(2012.2.8)


ピツェッティ:チェロ協奏曲
シュトラウス:ドン=キホーテ
カルロ・マリア・ジュリーニ(cond.)/リヒャルト・シュトラウス(cond.)、他
エンリーコ・マイナルディ(vc)
[DOREMI DHR-7926-8]

 再びマイナルディを聴く。3枚組の3枚目。ピツェッティの協奏曲はマイナルディ独奏、作曲家自身の指揮によつて初演された。当盤は1962年のライヴ録音で、初演者の貫禄を伝へる極めて価値の高い録音だ。マイナルディの力強い独奏は緊張感があり素敵だが、40分弱の長大な作品乍ら心惹かれる楽想に乏しく、晦渋かつ散漫な曲に感じる。素晴らしいのはドン=キホーテだ。これは1933年に作曲家シュトラウスの達ての所望で実現した録音で、当時マイナルディはベルリン国立歌劇場に在籍、ベルリン音楽院のチェロ科教授に就任して、ベルリン楽壇に気鋭の奏者として名を馳せてゐた頃で、シュトラウスに見初められてドン=キホーテを担つた。マイナルディの独奏は勿論見事なのだが、シュトラウス指揮のベルリン国立歌劇場管弦楽団が実に良い。熱気に溢れ、表情豊かで、これほど充実した演奏は古今を通じても少ない。(2012.3.17)


バッハ:ソナタニ長調BWV.1028
レーガー:チェロ・ソナタ第4番イ短調
カルロ・ゼッキ(p)/カール・ゼーマン(p)
エンリーコ・マイナルディ(vc)
[ORFEO C 418 971 B]

 盟友ゼッキとのバッハのヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの為のソナタ第2番が何といつても素晴らしい。1956年の演奏で、マイナルディ絶頂期の記録である。滋味溢れる音楽はマイナルディとゼッキの組み合はせから生成した結晶作用である。ゼーマンの伴奏によるレーガーは滅多に聴くことのない秘曲だ。近現代曲を得意としたマイナルディの面目躍如たる名演で、連綿と夢想する第3楽章は特に美しい。1973年の演奏だが、含蓄のあるマイナルディの音色を充分に味はへる。とは云へ、晦渋で冗漫の気がある40分弱の全曲に常に魅力を感じることは難しく、観賞後の印象が薄いことは致し方ない。余白にレーガーとの出会ひについて語つた肉声が収録されてゐる。(2012.6.30)


ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第4番
シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ
ブラームス:チェロ・ソナタ第1番
カルロ・ゼッキ(p)
エンリーコ・マイナルディ(vc)
[ORFEO C 822 101 B]

 1959年8月13日のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音。盟友ゼッキとの貴重な音源である。全てセッション録音が残る演目なので比較が主となる。最も聴き応へがあるのがベートーヴェンだ。冒頭の渋い歌はマイナルディならではのカンティレーナが聴ける。主部に入つてからの闘争心も素晴らしい。ただ、後半の楽章は幾分集中力が切れた感がある。セッション録音の名盤には及ばない。シューベルトは歌心こそ良さはあるが、弛緩してをり流れない。構成力が欠如した演奏で寧ろ良くない演奏と云へる。セッション録音の比ではない。ブラームスの印象はセッション録音と大差ない。ブラームスを征服するだけの熱情がなく、だらりと歌ひ込んだだけの演奏に聴こえた。ゼッキのピアノも古典ほど妙味を発揮し、ロマンティックな演目では薄味に感じる。(2018.3.21)


ヴィヴァルディ:協奏曲Op.3-9
J.C.バッハ(カサドシュによる偽作):協奏曲
ラロ:チェロ協奏曲
オネゲル:チェロ協奏曲
マスネ:「復讐の3女神」より
ビゴー(cond.)/ゴーベール(cond.)/オネゲル(cond.)、他
モーリス・マレシャル(vc)
[山野楽器 YMCD-1008-9]

 感性と音色においてフランスの至宝とも云へるマレシャルの復刻は山野楽器が集成した5枚組が最も充実してゐる。1枚目は協奏曲録音で構成。バロック作品における高雅な気品はエスプリの精華であり、マレシャルの美質が堪能出来る。ヴィヴァルディはヴァイオリンの為の、カサドシュの偽作はヴィオラの為の作品だが、音色の美しさにより遜色のない魅力を引き出してゐる。フランス近代の作品においてマレシャルの真価は遺憾なく発揮される。ラロはフルニエの優れた録音があるから分が悪いが、情熱的な入魂の演奏で聴き応へがある。作曲者自らが棒を振つたオネゲルはマレシャルの独擅場とも云へる名演で、マレシャルによるカデンツァは特に価値が高い。多彩な表情とエスプリ溢れる情感が秀逸だ。マスネにおける憂ひを帯びた溜息はフルニエと雖も及びのつかないパリの音だ。繊細さと陰影の深さでマレシャルは独自の世界を奏でた名手である。(2006.6.13)


ブラームス:チェロ・ソナタ第1番、同第2番
ジャンヌ=マリー・ダルレ(p)
モーリス・マレシャル(vc)
[山野楽器 YMCD-1008-9]

 マレシャルは1953年に仏パテ・マルコーニにダルレ女史とブラームスのソナタ2曲を録音したが、これがマレシャル最後の録音となつた。フランス近代音楽をレペルトワールとするマレシャルのブラームスに奇異な印象を抱くかもしれぬが、これは曲想の陰陰滅滅たる印象を拭ひ去り、且つ高貴な幻想を迸らせた稀代の名演なのだ。第1番はフォイアマンと並ぶ特別な名演だ。低音部はフォイアマンほど引締まつてゐないが、美酒の如き高音には張り詰めた情熱が宿る。含蓄あるダルレのピアノが極上で、滅多に聴くことの出来ない二重奏の至藝を展開し、終楽章のコーダの昇華には陶然となる。第2番も切々たるヴィブラートから熱情が溢れ出し、余韻嫋嫋と鳴るピッツィカートには馥郁たる香りが漂ふ。芯の強いダルレ共々熟爛の浪漫を奏でてをり、美しさと強さが融合した名演として絶賛したい。当盤を聴かずしてマレシャルの真価を知ること能はず。(2006.7.17)


ドビュッシー:チェロ・ソナタ
フェルー:チェロ・ソナタ
イベール/ファリャ/フォレ/ボエルマン/ブーランジェ
モーリス・フォール(p)/ロベール・カサドゥシュ(p)、他
モーリス・マレシャル(vc)
[山野楽器 YMCD-1010-11]

 近代のフランス音楽を弾かせてマレシャル以上の適任者を見出すことは難しい。パリの物憂いエスプリを漂はせた音色を持つマレシャルの録音は絶対的な価値がある。過剰にかけられるヴィブラートは技巧の匂ひを感じさせない玄妙たる藝術である。名手カサドゥシュと吹き込んだドビュッシーのソナタは神秘のヴェールから誘惑する美女の吐息のやうだ。第2楽章のピッツィカートやフラジオレットの妖し気な艶は絶品だ。簡素なフェルーのソナタでは東洋的な音階から醸し出される情緒が見事だ。ファリャやイベールの編曲作品でも、全ての音ばかりか音の合間に込められた詩情に、マレシャルの真摯で気高き藝術が立ち顕はれてゐる。イベールの「金の亀使い」の縹渺たる弱音は殊更絶品である。余白に収録されたフォレのエレジー、ボエルマンの交響的変奏曲における哀切極まりない歌も胸に迫る。(2006.10.9)


モーリス・マレシャル(vc)
小品集
モーリス・フォール(p)、他
[山野楽器 YMCD-1010-11]

 カザルス同様、マレシャルの良さは大曲よりも小品で発揮された。ラテンの古典作品とフランス音楽におけるエスプリの発露はティボーと好一対成す至藝だ。1曲1曲に対する集中力は恐るべきもので、不出来なものはひとつとしてない。貴族的な音色は現代の奏者が失つた個性の勝利で、幅の広い過剰なヴィブラートが下品にならないのはマレシャルの音楽性の賜物だ。ケスク=デルヴロア「前奏曲、嘆きとラ・ナポリテーヌ」「サラバンド、メヌエットとガボット」やラモー「エグレの行列」「愛の嘆き」の典雅な味はひは比類がない。バッハ作品での真摯な祈りも素晴らしい。フランクールやボッケリーニの快活な弓捌きも愉快で、単なる技術の優劣などは問題でなくなる。ショパン、シューマン、リスト、サン=サーンス、グリーグなどの聴き古した曲がマレシャルの切々とした歌により琴線に触れる音楽に一新される。これは万人に聴いて欲しい1枚である。(2006.11.16)


モーリス・マレシャル(vc)
小品集
モーリス・フォール(p)/ルネ・エルバン(p)、他
[山野楽器 YMCD-1012]

 マレシャルが吹き込んだ小品は全てが絶品である。しかもフランス近代の作品ともなれば、カザルスの録音も少なく正に独擅場の感がある。フルニエの名演があつてもマレシャルの狂ほしい官能を漂はせた歌は色を失はない。フォーレ「夢のあとに」、ピエルネ「セレナード」、ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」「ハバネラ形式の小品」は特別な藝術に仕上がつてゐる。英国の民謡を編曲した4曲も万感胸に迫る感動的な名演ばかりだ。この山野楽器のCD5枚組は来日時の録音の全てを含んでゐる―日本録音全集は他にグリーンドアからも発売された。日本の歌を編曲した6曲の録音は特に感慨深い。幾つかの曲にはフォイアマンの無骨な録音もあるが、我が国の心を侘び寂びを入れて歌ふマレシャルに軍配を上げたい。繊細なソット・ヴォーチェはもののあはれを音に表したかのやうだ。琴線に触れる名演ここにあり。(2007.1.13)


ドビュッシー:チェロ・ソナタ
タルティーニ:グラーヴェ
サンマルティーニ:チェロ・ソナタ
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第2番
ブラ=ムス:チェロ・ソナタ第1番
モーリス・マレシャル(vc)、他
[melo CLASSIC MC 3006]

 マレシャルの録音は本邦の山野楽器が復刻した5枚が最も充実してゐた。それ以外では見かけない。知られざるチェリストと云へよう。melo CLASSICの発掘は偉業なのだ。マレシャルの演奏は極めて没入的で感情の起伏が激しい。ひとつひとつの音を熱を込めて出す。過剰なヴィブラートに託された想ひがひしと伝はる。1948年録音、リリ・ビアンヴニュの伴奏によるドビュッシーは絶品だ。戦前のカサドシュとの典雅な名盤もあつたが、尋常でない色気が漏れ出す当盤を上位に置きたい。重要なのは1957年録音、オデット・ピゴーの伴奏によるタルティーニとサンマルティーニだ。協奏曲の楽章演奏であるグラーヴェの入魂の演奏は楽器が嗚咽するやうな名演。優美なサンマルティーニも情感豊かだ。ベートーヴェンとブラームスはセシル・ウーセの伴奏で1958年と1959年の記録。ベートーヴェンは唯一の音源で貴重だが、演奏は瑕が目立ち幾分遜色がある。ブラームスが極上の熱演で思はず引き込まれる。この曲にはダルレ女史との究極の名演があつたが甲乙付け難い仕上がりだ。(2020.10.21)


日本の名旋律集
ショパン:チェロ・ソナタ
アニー・ダルコ(p)
アンドレ・ナヴァラ(vc)
[Calliope CAL 1963]

 カリオペ・レーベルが1979年に制作した「日本の名旋律集」は本邦で爆発的に売れたといふ。新装版で登場したのを歓迎したい。収録曲は「さくらさくら」、多忠亮「宵待草」、成田為三「浜辺の歌」、杉山長谷夫「出船」、山田耕筰「この道」「赤とんぼ」、滝廉太郎「荒城の月」、梁田貞「城ヶ島の雨」、岡野貞一「故郷」、弘田竜太郎「浜千鳥」「叱られて」、中田喜直「夏の思い出」、中山晋平「砂山」、小山作之助「夏は来ぬ」の14曲。人の声に最も近いチェロは日本の歌によく合ふ。かつてフォイアマンやマレシャルも吹き込みをしてきた歴史がある。ナヴァラの演奏は最も陰影が深く、詠嘆が深い。ダルコのピアノも日本の風情を理解してをり、前奏の編曲から決つてゐる。だうしてフランス人が琴線に触れる演奏を為し得たのかは説明が出来ぬ。多言はゐらぬ。これは絶対的に良い1枚だ。余白にショパンのソナタが収録されてゐる。名演だが、日本のメロディーの方が素晴らしくて霞んで仕舞ふ。(2020.2.18)


サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番
シューマン:チェロ協奏曲
エルガー:チェロ協奏曲
サー・ジョン・バルビローリ(cond.)、他
グレゴール・ピアティゴルスキー(vc)
[West Hill Radio WHRA 6032]

 M&A系列のWest Hill Radioによるピアティゴルスキー稀少録音集6枚組。1枚目。得意としたサン=サーンスの協奏曲は1949年4月10日のコロムビア録音なのだが、未発表初出音源である。マトリックス番号XCO-41145-50が与へられてゐた。ピアティゴルスキーのRCA/コロムビア録音集成にも含まれてゐない貴重な復刻である。伴奏はアレクサンドル・ヒルスベルク指揮フィラデルフィア管弦楽団である。颯爽とした闊達な演奏で、録音も状態も良くなかなかの名演である。愛好家は必聴だ。欧州時代のSP録音でも名盤を残したシューマンの協奏曲は1943年4月4日、ライナー指揮ニューヨーク・フィルとのライヴ録音だ。ライナーの伴奏が厳ついのが減点だが、ピアティゴルスキーの瞑想するやうなロマンティシズムが美しい。重要なのは正規録音はなく、これが唯一の音源であるだらうエルガーの協奏曲だ。伴奏は何とバルビローリとニューヨーク・フィルである。1940年11月10日のライヴ録音でこれぞ渾身の名演だ。デュ=プレ以外に感心出来る演奏が少ないのだが、当盤は非常に感銘深い。(2020.6.27)


シュトラウス:ドン=キホーテ
ブロッホ:シェロモ
ロサンジェルス・フィル/アルフレッド・ウォーレンスタイン(cond.)
グレゴール・ピアティゴルスキー(vc)
[West Hill Radio WHRA 6032]

 M&A系列のWest Hill Radioによるピアティゴルスキー稀少録音集6枚組。2枚目。1955年1月13日のNBC放送用の録音。ピアティゴルスキーを主役とした特別演奏会と思はれ、ロス・フィルも相当気合の入つた合奏を聴かせる。特にTuttiでの噴火するやうな熱気と圧力には恐れ入る。だが、それ以上に驚異的なのはピアティゴルスキーだ。両曲とも手中に納めてゐるとは云へ、放送録音で完璧以上の演奏を展開するのには舌を巻く。屈指の名演としてお薦めしたい。(2023.5.6)


ヒンデミット:チェロ協奏曲
サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番、アレグロ・アパッショナート、白鳥
ピアティゴルスキー:パガニーニの主題による変奏曲、他
パウル・ヒンデミット(cond.)/ドナルド・ヴォーヒーズ(cond.)、他
グレゴール・ピアティゴルスキー(vc)
[West Hill Radio WHRA 6032]

 M&A系列のWest Hill Radioによるピアティゴルスキー稀少録音集6枚組。3枚目。まず、1943年12月15日に作曲者自身がCBS交響楽団を指揮したヒンデミットの協奏曲が桁違ひの名演だ。冒頭からぎつちり精魂を込めたTuttiの音に腰を抜かす。これぞ自作自演の醍醐味だ。ピアティゴルスキーも難所を物ともせず渾身の技巧を披露する。競合盤は少ないが、これは決定的名演と云つてよい。続いて、1943年4月4日、1945年5月11日、1951年6月18日の3種のライヴ音源が収録されてをり全て管弦楽伴奏である。最も重要なのは自作の変奏曲で、パガニーニのカプリース第24番の主題を変幻自在に演奏したものだ。圧倒的な技巧と朗々たる音色に脱帽だ。大曲ではサン=サーンスの協奏曲第1番がある。これも素晴らしい。アレグロ・アパッショナートや白鳥もピアノ伴奏とは異なつた妖艶さが聴ける充実した名演だ。ルビンシテイン「メロディー」、ラヴェル「ハバネラ形式の小品」、得意としたヴェーバー「アダージョとロンド」も豪華な名演。トゥーレルの歌に助奏をしたマスネ「エレジー」、ピアーズの歌に助奏したラフマニノフ「歌ふなかれ美しき人よ」が素敵だ。この1枚はピアティゴルスキーの絶頂が聴け、良くない演奏などひとつもない。(2022.2.3)


グレゴール・ピアティゴルスキー(vc)
小品録音集(1924年〜1950年)
[West Hill Radio WHRA 6032]

 M&A系列のWest Hill Radioによるピアティゴルスキー稀少録音集6枚組。6枚目。これ迄聴くことの出来なかつた音源が満載で、最も価値が高い1枚だ。1924年から始まるパーロフォン、ヴォックス、ポリドール、ポリフォン等へのアコースティク録音では、ポッパー、ダヴィドフなどの技巧曲が中心で、サラサーテ「サパテアード」をヴァイオリンかと紛ふほど達者に弾くのには舌を巻く。ベルリン時代のピアティゴルスキーはフォイアマンを圧するほどの名手であつたのだ。「コーカサスの風景」で聴かせる妖艶な音色も見事だ。ヴォルフシュタールとクロイツァーと演奏した三重奏といふ稀少録音もある。電気録音になつてからも魅力が全開で、非の打ち所がない。鮮烈なポッパー、郷愁に胸打たれるチャイコフスキー、格調高いフランクール、痛切なるショパンなど感銘深い。余談だが「タイースの瞑想曲」で共演したベラ・ダヨスは良い奏者だ。1940年代の録音では独自性のある趣向を打ち出すやうになつたことがわかる。自作自演「前奏曲」「行列」は前衛的な作風で驚く。ブロッホ「祈り」の全霊を込めた歌は白眉だらう。プロコフィエフの3曲での諧謔、スクリャービン「ロマンス」での情熱的な歌、フォス「カプリッチョ」での離れ業、ヴィルティオーゾと呼ぶに相応しい演奏の連続だ。全24曲、至高の藝術が堪能出来る。(2021.2.6)


グレゴール・ピアティゴルスキー(vc)
コロムビア録音(1940〜1941年)/Vディスク録音(1943年)
ボッケリーニ/ハイドン/シューマン/ショパン/ショスタコーヴィチ、他
[Biddulph LAB 117]

 名手ピアティゴルスキーのコロムビアへの録音を復刻した重要な1枚。ロシアを離れ、ベルリンで頭角を現し、渡米後はフォイアマンの後を襲ひ、米國随一のチェリストとして君臨したピアティゴルスキーは大らかな歌を持ち味とし、剛毅な協奏曲よりも小品や室内楽に良さを示した。ボッケリーニのソナタ第2番やハイドンのディヴェルティメントの編曲で聴かせる華美な趣、シューマン「幻想小曲集」やショパン「序奏と華麗なるポロネーズ」での融通無礙な浪漫の発露は天下一品である。圧倒的な技巧をさらりと聴かせるショパンは特に見事だ。作曲後間もないショスタコーヴィチのチェロ・ソナタでの抒情的な共感の豊かさにはピアティゴルスキーの藝の広さを感じる。その他、フォーレ「タランテラ」、サン=サーンス「白鳥」、ドビュッシー「ロマンス」、ラヴェル「ハバネラ形式の小品」、グラナドス「オリエンタル」、プロコフィエフ「マスク」、ルビンシテイン「メロディー」が収録されてゐる。玄人好みの選曲と繊細な歌に舌を巻くだらう。取り分けドビュッシーとグラナドスの儚い詩情は逸品だ。(2011.1.11)


シューマン:チェロ協奏曲
サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番
ブロッホ:シェロモ
サー・ジョン・バルビローリ(cond.)/フリッツ・ライナー(cond.)/シャルル・ミュンシュ(cond.)、他
グレゴール・ピアティゴルスキー(vc)
[TESTAMENT SBT 1371]

 名人ピアティゴルスキーの協奏曲録音を編んだ1枚。バルビローリの伴奏によるシューマンは欧州時代唯一の協奏曲録音であり、繰り返し復刻されてきたこの曲随一の名盤であつた。滋味豊かな詩情と表現力溢れる技巧が調和した畢生の名演であり、バルビローリの指揮も申し分ない。この名盤を超えるのはフルトヴェングラーの魔神的な指揮の下で崇高な演奏をしたマヒュラのライヴ録音があるだけだ。最後のトゥッティの音に混じつて「ブラヴォー」の声が入つてゐるのにお気付きだらうか。共演者たちも感じ入つたのだらう、一説ではオーボエ奏者のレオン・グーセンスの声ださうだ。ライナー指揮、RCAヴィクター交響楽団の伴奏によるサン=サーンスでは名人藝が堪能出来る。何より切れ味のあるライナーの指揮が素晴らしい。文句の付けやうのない完璧な名演だが、几帳面過ぎて息苦しく、情感の揺らめきが欲しい。ブロッホが凄まじい。それといふのも、ミュンシュが指揮するボストン交響楽団が噴流のやうな演奏を展開してゐるからだ。主役であるピアティゴルスキーが完全に食はれてゐる。それに独奏なら古いフォイアマンの方が良いだらう。(2013.1.12)


シューマン:チェロ協奏曲、サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番
小品集(1945年&1946年コロムビア録音、1950年ヴィクター録音)
サー・ジョン・バルビローリ(cond.)/フリッツ・ライナー(cond.)/ラルフ・ベルコヴィッツ(p)、他
グレゴール・ピアティゴルスキー(vc)
[Naxos Historical 8.111069]

 バルビローリ指揮によるシューマンの協奏曲とライナー指揮によるサン=サーンスの協奏曲は英TESTAMENT盤でも商品化されてをり、記事が重複するので割愛する。ピアティゴルスキーの本領は室内楽にあつたが、次に協奏曲向きの演奏家と看做され勝ちで、小品で妙味を発揮したと語られることは少ない。ピアティゴルスキーが弾く大曲の演奏は何処か鷹揚過ぎ、技巧を誇示するでもなく、肩透かしが多い。一方で、小品で聴かせる繊細な抒情と温かい語り口は絶品で、小品で鎬を削つてきた戦前の名手らのひとりであることが分かる。殊にロシアの楽曲で聴かせる郷愁に充ちた歌は甘く切なく、溜息が胸中に惻々と迫る名演ばかりなのだ。ルビンシテイン「メロディー」「ロマンス」、ラフマニノフ「ヴォカリーズ」、リムスキー=コルサコフ「インドの歌」、キュイ「オリエンタル」、チャイコフスキー「悲しき歌」「ただ憧れを知る者が」「感傷的なワルツ」、全てが決まつてゐる。得意としたサン=サーンス「白鳥」やヴェーバー「ロンド」も素晴らしい。(2013.4.25)


ベートーヴェン:チェロ・ソナタ(全5曲)
ブラームス:チェロ・ソナタ第1番、ヴェーバー:ソナタイ長調、アダージョとロンド
ソロモン・カットナー(p)/アルトゥール・ルービンシュタイン(p)、他
グレゴール・ピアティゴルスキー(vc)
[TESTAMENT SBT 2158]

 名手ピアティゴルスキーの録音は米RCAヴィクターにも多いが、英HMVにも戦前戦後にわたり録音を残した。この2枚組で重要なのは、1954年10月に録音されたソロモンとのベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集である。両者にとつても大仕事となつた唯一の全集だ。だが、何とも評価が難しい微妙な録音である。名代のベートーヴェン弾きソロモンと組むのに、ピアティゴルスキーが選ばれたのは何故だらう。ソロモンのピアノは冷静沈着、堅牢で深遠だ。詩的な瞑想と湧き上がる闘争心も欠いてゐない。一方のピアティゴルスキーは自由奔放、鷹揚で恰幅が良い。甘いロマンティシズムを基調にし乍ら情熱的な昂揚がある。つまり、剛と柔、冷と温、対照的な音楽性で、アンサンブルも温度が異なるから微妙に合つてゐない。ベートーヴェンに近いのはソロモンだが、ピアティゴルスキーの個性も得難い。それぞれ良きパートナーを付ければ相乗効果で名盤が誕生したと思はれるが、お互ひ足を引つ張つた感じだ。それでも後期作品2曲はなかなかの名演と云へる。ブラームスとヴェーバーは1930年代のHMV録音で復刻もあつた。ブラームス弾きルービンシュタインとの録音は屈指の名演。それ以上にヴェーバーは全てピアティゴルスキーの自家薬籠中で最高の名演だ。(2016.10.14)


メンデルスゾーン:チェロ・ソナタ第2番
ショパン:チェロ・ソナタ
シュトラウス:チェロ・ソナタ
レナード・ペナリオ(p)/ルドルフ・フィルクシュニー(p)
グレゴール・ピアティゴルスキー(vc)
[TESTAMENT SBT 1419]

 RCA録音の復刻。英TESTAMENTの心憎い仕事だ。3曲ともチェリストにとつては重要な演目だと思ふが、一般的には秘曲扱ひと云つても差し支へないだらう。名手ピアティゴルスキーによる掛け替へのない録音だ。1965年と1966年の録音で盛期を過ぎてゐるが、闊達とした演奏は健在だ。メンデルスゾーンが決定的名演で、先達フォイアマンの名盤をも凌ぐ。ピアティゴルスキーはヴェーバーやシューマンを得意とし、初期ロマン派の楽曲とは相性が良い。颯爽と飛翔する歌と品のある陰影こそはメンデルゾーンの精髄で蘊奥を極めてゐる。両端楽章コーダでの熱気をもつて昂揚する様も圧巻だ。シュトラウスのソナタが大変珍しい。作品番号6といふ若書きの作品で幾分亜流散漫の気があるが、豪華絢爛たるピアティゴルスキーの演奏は無類で、盟友ハイフェッツのソナタ演奏と相通ずる極め付きの名演と云へる。第3楽章の水際立つた技巧は絶品だ。メンデルスゾーンとシュトラウスはペナリオの見事な伴奏で理想的な二重奏が聴ける。フィルクシュニーの伴奏によるショパンは低調だ。チェロもピアノも内気過ぎる細身の演奏で、芯を欠き殆ど印象に残らない。この曲はフルニエの物心捧げた演奏が頭ひとつ抜きん出てゐる。(2013.12.27)


バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番、同第2番
ブリテン:チェロ・ソナタより第2楽章と第4楽章
ファリャ(マレシャル編):スペイン民謡組曲
ジャクリーヌ・デュ=プレ(vc)、他
[Warner Classics 9029661138]

 EMI録音全集22枚組。3度目の全集でオリジナル仕様になり決定的復刻になつたと云へよう。1枚目。EMIへの正規録音開始前、BBC放送局での演奏記録である。ファリャがデュ=プレ最古の、1961年の記録だ。バッハは1962年の記録。これ以外にバッハの録音は残されてゐないので貴重だが、10代の少女が弾くバッハには完成された解釈はまだ聴かれない。抜粋だがブリテンのソナタが自由闊達で一番面白く聴けた。全曲でないのが惜しい。(2023.1.24)


ブラームス:チェロ・ソナタ第2番
クープラン:コンセール第13番
ヘンデル(スラッター編):ソナタト短調HWV.287
ジャクリーヌ・デュ=プレ(vc)、他
[Warner Classics 9029661138]

 EMI録音全集22枚組。3度目の全集でオリジナル仕様になり決定的復刻になつたと云へよう。2枚目。EMIへの正規録音開始前、BBC放送局での演奏記録である。ヘンデルのソナタはオーボエ協奏曲第3番を編曲したもので、1961年、デュ=プレの最古の記録である。クープランはチェロの二重奏で、恩師ウィリアム・プリースとの共演だ。これらは演目としても貴重だ。さて、デュ=プレが特別な思ひ入れをもつて演奏したブラームスのソナタが興味深い。エディンバラ音楽祭におけるライヴ録音で、10代のデュ=プレのひたむきな演奏が鮮烈だ。(2023.7.12)


シューマン:チェロ協奏曲
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
ベルリン放送交響楽団/ゲルト・アルブレヒト(cond.)
ブルーノ=レオナルド・ゲルバー(p)
ジャクリーヌ・デュ=プレ(vc)
[audite 95.622]

 1963年3月5日の公演記録。残念乍らモノーラル録音であるが鑑賞に不都合はない。二人の若者を独奏者に迎へてベルリンの聴衆に合同お披露目をした演奏会で、取り分けデュ=プレはこの時18歳であり、貴重な最初期の演奏記録なのだ。壮絶な体当たりの演奏で弓をぶつける激しい奏法、管弦楽を圧倒する野太い音量は尋常ではない。5年後に同曲をバレンボイムの指揮でセッション録音してゐるが、当盤の方がデュ=プレらしさが出てゐる。但しライヴ故の瑕もあり一長一短だ。アルブレヒトの伴奏はデュ=プレに負けじと情熱的に躍動してゐる。この曲に求める情緒との齟齬はあるが、不世出のチェリストの掛け替へのない記録として何としても聴いてをきたい名演だ。22歳のゲルバーによるブラームスも素晴らしい。第1楽章の展開部に突入する際の劇的な昂揚は特に感銘深い。技巧も楽曲の設計も万全で、アルブレヒトの指揮も申し分なく大変な名演である。しかし、まだ余裕がなく貫禄に欠けるのは仕方あるまい。(2014.10.19)


エルガー:チェロ協奏曲
レーニエ:チェロ協奏曲
ラッブラ:チェロ・ソナタ
BBC交響楽団/サー・マルコム・サージェント(cond.)/ノーマン・デル・マー(cond.)/アイリス・デュ=プレ(p)
ジャクリーヌ・デュ=プレ(vc)
[BBC LEGENDS BBCL 4244-2]

 エルガーとレーニエの協奏曲は1964年9月3日プロムスにおけるライヴ録音。指揮はエルガーを名匠サージェントが、レーニエをデル・マーが担当した。エルガーはデュプレにとり4種目の音源となるが、有名なセッション録音の前年の記録で最も古い録音といふことになる。演奏は賞讃以外の言葉しか出てこない最上級の出来映えである。オーケストラにたつたひとりで組み合ひ尚も凌駕するチェロの轟音は尋常ではない。弓の木が当たる音が随所に聴こえる体当たりの演奏だ。サージェントの指揮も万全で、バルビローリと同格の素晴らしさだ。曲の最終部分での緊張感ある音楽の作りは流石といふ他ない。世界初演のプリオー・レーニエの作品は晦渋な現代音楽で、演奏効果も栄えなく面白い音楽ではない。貴重な記録といふ程度の音源だ。ラッブラのソナタが良い。何とピアノ伴奏は母親のアイリスが受け持つてゐる。物悲しいト短調の楽曲で、終楽章が長大な変奏曲とフーガであるのも荘重で充実してゐる。激しい嘆き節を聴かせるデュ=プレの歌心が胸に迫る名演だ。(2013.3.5)


エルガー:チェロ協奏曲
バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番、同第2番
BBC交響楽団/サー・ジョン・バルビローリ(cond.)
ジャクリーヌ・デュ=プレ(vc)
[TESTAMENT SBT 1388]

 エルガーの協奏曲は1967年1月3日のプラハにおける実況録音で、当盤が初出となる蔵出し音源だ。この日はマーラーの第4交響曲も演奏されてをり、既にBBCレジェンドから発売されてゐる。これでこの奇蹟的な公演の全貌が明らかになつたことになる。何といふ幸福な聴衆だらう! バルビローリの最高の演奏と云つても過言ではないマーラーの交響曲と、デュ=プレによるエルガーを聴けたとは。両者の組み合はせでセッション録音されたEMI盤は改めて申す迄もない決定的な名盤であるが、このライヴ盤の登場を大いに歓迎したい。冒頭から情念の籠つた音が野太く鳴り、デュ=プレの弾くエルガーが別格であることを思ひ知らされる。ライヴ故の軋みもあるが、余りの熱に圧倒されて仕舞ふ。情動的なバルビローリの伴奏も唯一無二で、絶対に聴いておきたい録音だ。余白にBBC放送局に残されたバッハ2曲を収録。これは繰り返し発売されてきた音源である。(2009.2.12)


サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番
ドヴォジャーク:チェロ協奏曲
フィラデルフィア管弦楽団/スウェーデン放送交響楽団/ダニエル・バレンボイム(cond.)/セルジゥ・チェリビダッケ(cond.)
ジャクリーヌ・デュ=プレ(vc)
[TELDEC 8573-85340-2]

 伝説的な天才チェリスト、デュ=プレの貴重なライヴ録音。その演奏は常に体当たりで、全ての音が炎と化し異常な興奮に充ちてゐる。激情による表現が先行するので表情に潤ひの欠けるきらひはあるが、音楽に力強く若い息吹を与へる姿勢に胸を打たれるであらう。ライブ故に音程の乱れやボウイングの乱れ―特に豪快な運弓による音の擦れ―が散見されるが、感興の高まりが補つてゐる。数年後には襲ひかかる病魔の兆候を微塵も感じさせない燃焼し尽くした演奏である。サン=サーンスは夫バレンボイムの伴奏も沸き立つてをり好演だ。ドヴォジャークは独奏の呼吸を蔑ろにしたチェリビダッケの指揮が演奏を損ねてをり、管弦楽団の技量も劣ることから感銘が薄い。誠に残念なことである。(2006.3.4)


ドヴォジャーク:チェロ協奏曲
イベール:チェロと木管楽器の為の協奏曲
ロイヤル・リヴァプール・フィル/サー・チャールズ・グローヴス(cond.)/マイケル・クライン(cond.)、他
ジャクリーヌ・デュ=プレ(vc)
[BBC LEGENDS BBCL 4156-2]

 ドヴォジャークは1969年7月25日、プロムスにおけるライヴ録音。デュ=プレ絶頂期の演奏だ。マイクの位置が遠く、肝心のデュ=プレの独奏が埋もれ気味なのだが、実演の自然な音響には近い。サービス精神旺盛なグローヴスの伴奏が天晴だ。終演時、聴衆が沸騰してゐる様は気持ちがよい。デュ=プレが弾くドヴォジャークは3種類目の音源となるが、当盤は繊細な表情が聴けて感銘深い。実演には付きものの傷や録音状態の点から鑑みて、セッション録音を超える価値はないが、音楽的には最も成熟した名演だ。イベールは1962年の録音でデュ=プレの最初期の録音のひとつである。クラインが率ゐる管弦楽団の洒落た好演が光るが、野卑なデュ=プレの音が溶け合つてゐるとは云ひ難い。演目としては大変貴重だが、演奏は別段価値があるとは云へない。(2011.10.18)


ハチャトゥリアン:コンチェルト・ラプソディー
シュスタコーヴィッチ:チェロ協奏曲第2番
チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲
ロンドン交響楽団/サー・コリン・デイヴィス(cond.)、他
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(vc)
[BBC LEGENDS BBCL 4073-2]

 ロストロポーヴィッチにとつて御国ものを集めた当盤は期待に違はぬ名演揃ひだ。何れもライヴとは信じられぬ完成度を誇り、3曲とも他に録音を残してゐるが、感興の素晴らしさを考慮すれば屈指の名演と云へるだらう。強靭なボウイングは、ロシア・ソヴィエトの音楽において十二分に威力を発揮し、他のチェリストでは及びの付かない境地に達してゐる。最も感銘を受けるのが威勢のいいハチャトゥリアンで、管弦楽の昂揚も相まつて聴き手を興奮の坩堝へと導いてくれる。ショスタコーヴィッチも初演者の貫禄を示す。晦渋な作品を効果を狙はず真摯に掘り下げた高次元の演奏である。チャイコフスキーはソット・ヴォーチェの繊細な表情から芯の強いエスプレッシーヴォのカンタービレまで多彩な表情で魅せる。(2005.10.21)


フェリックス・サモンド(vc)
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番、「魔笛」の主題による7つの変奏曲
グリーグ:チェロ・ソナタ、春に寄す
バッハ/シューマン/ショパン
[Biddulph 85009-2]

 新生Biddulphの瞠目すべき復刻。戦前のチェリストにはカサルス以外にも聴くべき名手は多い。フォイアマン、カサド、マレシャル、そしてサモンドだ。あらゑびすの著作で僅かに記載があるばかりで看過してゐたが、この復刻で再評価に繋がるに違ひない。サモンドは室内楽奏者として絶大な成功を遂げ、バウアー、フーベルマン、ターティスとの四重奏や、パデレフスキ、ジンバリストとの三重奏など豪華絢爛な取り合わせに歎息が出る。2枚組の1枚目。注目はグリーグのソナタだ。雄渾さと抒情美が交錯した絶品なのだ。夢見るやうな「春に寄す」も美しい。気品溢れるベートーヴェンのソナタも良いが、魔笛変奏曲の朗々たる余裕が素晴らしい。ショパンのソナタから第3楽章ラルゴを演奏してゐるが幻想的で見事。小品が全て良い。バッハのアリオーソの人肌の温もり、シューマン「トロイメライ」「夕べの歌」の訥々とした語り口はヴァイオリンのクーレンカンプの藝術と一対を成す。(2023.6.21)


メンデルスゾーン:協奏的変奏曲
マルティヌー:ロッシーニの主題による変奏曲
ショパン:序奏と華麗なるポロネーズ
ドビュッシー:チェロ・ソナタ
バルトーク:ラプソディ第1番
ヴェイネル:ハンガリーの婚礼の踊り
シェベーク・ジェルジ(p)
ヤーノシュ・シュタルケル(vc)
[MERCURY 478 6754]

 マーキュリー録音集成10枚組。オリジナル仕様による決定的復刻だ。内容が最も優れてゐるのはこの1枚だらう。マルティヌーの変奏曲が圧巻で、究極の名演である。鮮やかな切れの技巧、粘つた濃い表現、躍動するボウイングの確かさは驚異的だ。バルトークも血肉と化した決定的名演。この作品を取り上げる奏者は稀で競合盤は見当たらない。師ヴェイネルの作品は稀少価値もあるが、民族色豊かな表現は他の奏者の及ぶ処ではない。メンデルスゾーンとショパンでも燦然たる技巧が冴える。これら初期ロマン派作品にしては音色が強靭で楽器の生音が臆面もなく強調されるが、これだけ巧ければ抒情性が足りないなどと難癖を付けるのは野暮の骨頂だ。ドビュッシーのソナタも異色の明晰な演奏だが、原初的な力強さに魅了される名演だ。(2023.9.9)


セルゲイ・クーセヴィツキー(cb&cond.)
コントラバス独奏全録音
エックレス/ベートーヴェン/クーセヴィツキー、他
ボストン交響楽団との最初期録音
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、他
[Biddulph WHL 019]

 クーセヴィツキーは最初コントラバス奏者として名を轟かせた男である。独奏者としての全記録が収録された当盤は、自作自演となるOp.1、Op.2、協奏曲Op.3の3曲を含み、コントラバス学習者やクーセヴィツキーに関心のある方なら是非とも所持したいものだが、現在では入手困難だらう。演奏は気宇壮大で感情の打ち込みが尋常ではなく、指揮にも共通する大河のやうなうねりがある。現在の水準から聴くと技術は相当怪しいものだが、ヴィブラートの妙技による独自の音色と表現の起伏は決して価値を減ずることはない。濃厚なポルタメントは往時の弦楽器奏者が凌ぎを削つた表現手法だが、クーセヴィツキーのそれはクライスラーやカザルスのやうな藝術的な洗練はない。同時期に録音されたボストン交響楽団との演奏は手堅いがまるで面白くない。ベートーヴェンの田園交響曲は剛毅だが、素つ気なく凡庸だ。(2005.2.28)


ギター


ロドリーゴ:音楽を夢見た少年、アンダルシア協奏曲、アランフェス協奏曲
アタウルフォ・アルヘンタ(cond.)、他
レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ(g)
[Universal Music Spain 0028947610946]

 音楽を夢見た少年はロドリーゴの生涯の思ひ出を綴つた心温まる物語である。ロドリーゴの曲を中心に様々な音源を寄せ集めて構成されてをり、大いに楽しめる。さて、重要な語りなのだが、各国語でそれぞれ発売されてゐる。矢張りスペイン語で聴きたいと願ひ、特別な伝で入手した。感慨もひとしほである。余白は有名なギターの為の協奏曲が2曲収録されてゐる。注目はアランフェス協奏曲で、この名曲の最初の録音であり、初演者のデ・ラ・マーサとスペインの名指揮者アルヘンタの共演といふことで価値がある。但し、1948年頃の録音で音も冴えず、伴奏をするスペイン国立管弦楽団の技量はかなり怪しい。アンダルシア協奏曲はロメロの独奏とマリナーの指揮による録音で、やや薄口な嫌ひはあるが抒情的な名演である。(2007.10.25)


イダ・プレスティ(g)
初期独奏録音(1938年〜1956年)
ヴィゼー/バッハ/パガニーニ/アルベニス/マラツ/フォルテア/トローバ/ヴィラ=ロボス/ソル/プジョル/ラゴヤ
[ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO IDIS 6642]

 天才少女プレスティの大変貴重な最初期録音である。プレスティは1950年にアレクサンドル・ラゴヤと出会ひ、伝説のギター・デュオ「プレスティ&ラゴヤ」を結成、1955年にはラゴヤと結婚、プレスティが42歳の若さで亡くなるまで活動はデュオが主たるものだつた。だが、それ以前には独奏録音も存在する。1938年の録音はプレスティ10代後半の記録だ。ヴィゼーのメヌエット-ブーレ-メヌエット-ガボット、バッハの無伴奏チェロ組曲からのクーラント、パガニーニのグランド・ソナタからロマンス、アルベニス「カレタのざわめき」、マラツ「スペインのセレナード」、フォルテア「アンダルーサ」、トローバのソナティネからアレグロの7曲で、天衣無縫な技巧と若々しく爽やかな感性に脱帽だ。ギター愛好家の秘宝と云へる録音だ。特にマラツは琴線に触れる至高の名演。1950年のテレビ録音で残されたヴィラ=ロボスの前奏曲第1番は映像でも確認出来る。残りは1956年の録音で夫ラゴヤの作品「夢」「綺想」なども含まれる。音楽はより洗練され貫禄が付いた。極上の名演ばかりだ。ソル「アンダンテ・ラルゴ」の素晴らしさは如何ばかりだらう。(2017.4.14)


PHILIPS全録音(1962年〜1966年)
イダ・プレスティ(g)&アレクサンドル・ラゴヤ(g)
[PHILIPS 438 959-2]

 "The Early Years"シリーズの1枚。伝説的なギター・デュオ、プレスティ&ラゴヤのPHILIPS録音全集3枚組。1枚目を聴く。収録目はスカルラッティの有名なホ長調のソナタ、バッハのイギリス組曲第3番より3曲、マレッラの組曲第1番、ソレルのソナタより2曲、ガレスのロ短調ソナタ、ソルの二重奏「励まし」、グラナドスのオリエンタルとゴイェスカスの間奏曲、アルベニスの舞曲とタンゴ、ファリャのスペイン舞曲第1番、ロドリーゴのトナディーリャだ。この中でギター二重奏曲はソルとロドリーゴの作品のみで、他は全てラゴヤの編曲による演奏だ。プレスティ&ラゴヤの素晴らしさの大半はラゴヤの編曲の才能による。古の鍵盤楽曲を見事にギター二重奏に置き換へ、丸でチェンバロを聴いてゐるかの趣を再現してゐる。更にヴィブラートの妙、音色の変化が加はり、全く新しい音楽を聴いた喜びを与へて呉れる。編曲よりも高次の創造行為だと強く申し上げたい。従つて古典以前の楽曲では成功してゐるが、近代スペインの楽曲では編曲の壁は超えてゐない。原曲であるソルとロドリーゴは勿論名演で、特に後者は聴き応へがある。(2015.9.15)


PHILIPS全録音(1962年〜1966年)
ハイドン、ヴァヴァルディ、マルチェロ、ヘンデル
クルト・レーデル(cond.)、他
イダ・プレスティ(g)&アレクサンドル・ラゴヤ(g)
[PHILIPS 438 959-2]

 "The Early Years"シリーズの1枚。伝説的なギター・デュオ、プレスティ&ラゴヤのPHILIPS録音全集3枚組。2枚目を聴く。重要な協奏曲録音集で、伴奏はレーデル指揮ミュンヘン・プロ・アルテ室内管弦楽団。全てラゴヤによるギター二重奏への編曲だ。収録曲はハイドンの2つのリラ・オルガニザータの為の協奏曲第2番ト長調、ヴィヴァルディの有名なマンドリン協奏曲ハ長調RV425と2つのマンドリンの為の協奏曲ト長調RV532、これまた高名なマルチェロのオーボエ協奏曲ニ短調だ。マルチェロの作品は敢へて編曲を試みた意義を感じないが、ヴィヴァルディは大変刺激的だ。マンドリンとギターとの近親性もあり、原曲を忘れさせる出来映えだ。特に両曲とも緩徐楽章の美しさに惹かれる。プレスティの歌心に感じ入る。ハイドンの珍楽器の為の作品も編曲に成功してゐる。余白にはヘンデルのシャコンヌ、フーガ、アレグロが収録されてゐる。大曲シャコンヌは聴き応へがある。(2015.11.13)


PHILIPS全録音(1962年〜1966年)
イダ・プレスティ(g)&アレクサンドル・ラゴヤ(g)
[PHILIPS 438 959-2]

 "The Early Years"シリーズの1枚。伝説的なギター・デュオ、プレスティ&ラゴヤのPHILIPS録音全集3枚組。3枚目を聴く。収録曲はスカルラッティ「ロ短調ソナタ」、アルビノーニのアダージョ、パスクィーニのカンツォーネ、マルチェロのアンダンテ、ドビュッシー「月の光」、プーランク「即興曲第12番」、ファリャ「火祭りの踊り」、大曲ではパガニーニ「ソナタ・コンチェルタンテ」、以上はラゴヤの編曲で、真正のギター二重奏ではプティ「トッカータ」「タランテラ」、カステルヌオーヴォ=テデスコ「前奏曲とフーガ」、自作自演となるプレスティ「幻想的エチュード」、大曲のカルッリ「セレナードOp.96-3」だ。藝術的には後者を採るべきだが、耳に馴染んだ前者の方が面白く聴ける。ラテンの古典作品の風雅な趣、近代フランスやスペインの楽曲の色彩感、何れも素晴らしい。プレスティの作品が聴けるのも興味深い。究極のギター二重奏が堪能出来る1枚だ。(2016.6.28)


カナダ・オルフォール山でのライヴ録音集(1962年&1963年)
ラウフェンシュタイナー/ルシュール/ヴィヴァルディ/ソル/ヘンデル/アルベニス/プーランク
イダ・プレスティ(g)&アレクサンドル・ラゴヤ(g)
[DOREMI DHR-8059]

 加ドレミが商品化したプレスティ&ラゴヤのカナダでのライヴ録音集だ。1962年の録音では、ラウフェンシュタイナーのソナタイ長調、ダニエル=ルシュールのエレジー、ヴィヴァルディの協奏曲Op.3-9の編曲版、1963年の録音では、ソル「アンクラージュマン」、ヘンデルのシャコンヌHWV.435、アルベニスのタンゴOp.65-2、プーランクの即興曲第12番が聴ける。演目としては1962年の方が唯一の音源が並び重要だ。古典的な美しさを備へたラウフェンシュタイナーのソナタ、幻想的で日本的な趣すら感じさせるルシュールのエレジーは取り分け感銘深い。聴衆の熱烈な反応も頷ける名演ばかりだ。(2021.9.12)


米デッカ録音集第1巻
アンドレス・セゴビア(g)
[DG 477 8133]

 セゴビアの米デッカ録音復刻第1巻6枚組。LP時の収録を忠実に再現したオリジナル・ジャケット仕様で、蒐集家にとつては決定的復刻だと云へる。第2巻の発売が待たれる。1枚目は1944年に録音されたSP盤からの復刻だ。「アルベニスとグラナドスの音楽」と「ギター・リサイタル第2集」といふ2つのアルバムから成る。前半のアルベニスとグラナドスの作品6曲が楽曲自体の力もあり充実してゐる。アルベニスはグラナダ、セビーリャ、朱色の塔、グラナドスはゴヤのマハ、アンダルーサ、メランコリカで、輪郭のはっきりした奏法とヴィブラートの奥義に陶然となる名演ばかり。後半はミラン、サンス、トローバ、リョベート、タレガ、ヴィゼなど、繰り返し録音された得意の演目ばかりだ。嫋々たる余韻が豊かに鳴るセゴビア・トーンが堪能出来る。当盤はまだナイロン弦を使用する前の録音で、ガット弦の繊細な音色が聴けるのも貴重である。(2012.4.30)


米デッカ録音集第1巻
アンドレス・セゴビア(g)
[DG 477 8133]

 セゴビアの米デッカ録音復刻第1巻6枚組。LP時の収録を忠実に再現したオリジナル・ジャケット仕様で、蒐集家にとつては決定的復刻だと云へる。2枚目は「セゴビア・リサイタル」といふアルバムで、1952年3月から4月にかけての録音である。収録曲はポンセが3曲、バッハが2曲、ムダーラ、ソル、メンデルスゾーン、シューベルト、トローバ、アルベニスの作品だ。ポンセとトローバが秀逸だ。ポンセは「プレリュード」「バレ」「ジーグ」で、特にプレリュードの古典的な爽やかさは比類がない。トローバ「ソナティネ」では色気のある技巧が楽しめる。セゴビアの重要な業績であるバッハの演奏も勿論素晴らしい。無伴奏チェロ組曲からで、編曲以上の再創造された藝術として高められてゐる。ソル"allegro non troppo"の覇気ある技巧も楽しい。アルベニス「アストゥリアス」の情熱も見事だ。この頃は既にオーガスチン社のナイロン弦を使用しての演奏だと思はれる。明快な音、デュナーミクの幅に躍進がある。ガット弦の侘びた趣も捨て難いが、表現や音色の幅が増してをりそれぞれに良さがある。(2012.9.6)


米デッカ録音集第1巻
アンドレス・セゴビア(g)
[DG 477 8133]

 セゴビアの米デッカ録音復刻第1巻6枚組。LP時の収録を忠実に再現したオリジナル・ジャケット仕様で、蒐集家にとつては決定的復刻だと云へる。3枚目は「セゴビア・コンサート」といふアルバムで、1952年3月から4月にかけての録音である。収録曲はヘンデルが2曲、バッハが2曲、ミラン、ヴィゼー、ソル、ジュリアーニ、ファリャ、ヴィラ=ロボスだ。情緒的な演目が並び、侘びた音色を生み出すヴィブラートの至藝に酔へる。古典的な情趣のヴィゼーの組曲が感慨深い演奏だ。優美なソル「モーツァルトの主題による変奏曲」も魔術的な音色の変化を楽しめる。明朗で軽快なジュリアーニのハ長調ソナタの第1楽章"Allegro spiritoso"は当盤の白眉で、展開部の劇的な表情も素敵だ。セゴビアはバッハの編曲と演奏で名を成したが、ヘンデルでも同様の素晴らしい成果を残してゐる。ヴィラ=ロボス「エチュード第7番」での音楽的な表情も聴き応へがある。(2013.3.10)


米デッカ録音集第1巻
アンドレス・セゴビア(g)
[DG 477 8133]

 セゴビアの米デッカ録音復刻第1巻6枚組。LP時の収録を忠実に再現したオリジナル・ジャケット仕様で、蒐集家にとつては決定的復刻だと云へる。4枚目は「セゴビア・プログラム」といふアルバムで、1952年3月と4月の録音集だ。ソル、ポンセ、トローバ、ヴィラ=ロボスの4曲のみが原曲で、特にポンセ「パガニーニの主題によるアンダンティーノ・ヴァリアート」が大曲で聴き応へがある。その他はセゴビアによる魅惑的な編曲で、大変有名なヘンデルの組曲第11番ニ短調「サラバンド」を筆頭に極上の名演が楽しめる。グルック「精霊の踊り」の主部、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番のシチリアーノ、ショパンの雨だれのプレリュード、シューマン「春の挨拶」における余韻嫋々たる歌にはギター藝術の粋が込められてゐる。(2014.2.13)


米デッカ録音集第1巻
アンドレス・セゴビア(g)
[DG 477 8133]

 セゴビアの米デッカ録音復刻第1巻6枚組。LP時の収録を忠実に再現したオリジナル・ジャケット仕様で、蒐集家にとつては決定的復刻だと云へる。5枚目は「セゴビアとの夕べ」と題された重要な1枚で、フレスコバルディのアリアとクーラント及びラモーのメヌエットの3曲のみが編曲で、他は全て原曲である。カステルヌオーヴォ=テデスコの悪魔的奇想曲「パガニーニへのオマージュ」、ポンスの24の前奏曲集より6曲、タンスマンの組曲「カヴァティーナ」、トローバのノットゥルノで、全て1954年4月の録音だ。大曲カステルヌオーヴォ=テデスコの作品が最も聴き応へがある。ショパンの24の前奏曲集と同じ技法で作曲されたポンセの作品も色があり興味深い。全曲を聴いてみたいものだ。1950年代初頭にセゴビアに献呈された技巧的なタンスマンの5曲の組曲は絶対的な演奏だらう。(2014.10.5)


米デッカ録音集第1巻
アンドレス・セゴビア(g)
[DG 477 8133]

 セゴビアの米デッカ録音復刻第1巻6枚組。LP時の収録を忠実に再現したオリジナル・ジャケット仕様で、蒐集家にとつては決定的復刻だと云へる。一向に出ない第2巻の発売を切望する。6枚目は"Andrés Segovia plays…"と題された1枚で円熟の極みを鑑賞出来る。原曲はポンセの4曲分、トローバ、ペドレルの作品で、特にポンセの大曲「主題、変奏と終曲」が素晴らしい。同じく「ラ・ヴァレンティーナ」も印象深い。残りはセゴビアによる編曲で、クープラン、ハイドン、グリーグ、C.P.E.バッハ、フランク、デ=アギーレ、マラツの作品が演奏されてゐる。ハイドンの交響曲第96番第3楽章やグリーグの抒情組曲は心に残る見事な編曲だ。フランクのオルガン曲を編曲するのも心憎い創意だ。印象深いのはクープラン「パッサカリア」で雅な名演だ。マラツ「スペインのセレナード」は至高の名演だが、儚い最初のSP録音盤が忘れられない。(2015.3.21)


ロドリーゴ:ある貴紳のための幻想曲
ポンセ:南の協奏曲
ボッケリーニ:協奏曲ホ長調(原曲:チェロ協奏曲第6番ニ長調)
シンフォニー・オブ・ジ・エアー/エンリケ・ホルダ(cond.)
アンドレス・セゴビア(g)
[DG 474 425-2]

 協奏曲作品を集めた1枚で、ギターの神様セゴビアの至藝を堪能出来る。セゴビアに献呈されたロドリーゴが絶品。ギターの名手は数多ゐるが、情感の深みにおいてセゴビアの域に達した者はなく、温もりと懐かしさを感じさせる音色は真似事では迫れまい。哀愁そそるヴィブラートの表情も涙を誘ふ。第2楽章の主部は全ての音が詩と化し、美しき回想を紡ぐ。第1楽章のフガートが、バッハの楽曲をギターにより再創造したセゴビアだけに、格調高く雅な趣で心憎いばかりだ。ポンセの技巧的で聴き応へのある情熱的な大曲でも、セゴビアの美質は存分に発揮されてゐる。第1楽章の劇的な昂揚と内省的な侘び寂びの妙が特に素晴らしい。チェリストのカサドが編曲したボッケリーニの協奏曲は幾分感銘が劣るものの、古典的で清楚な室内楽を聴くかのやうな趣味のよい演奏に仕上がつてゐる。殊に緩徐楽章の美しさにはしみじみと惚れる。ホルダの伴奏も全曲においてラテンの情感を巧みに滲ませた素晴らしい出来だ。(2006.2.4)


エディンバラ音楽祭におけるリサイタル
アンドレス・セゴビア(g)
[BBC LEGENDS BBCL 4108-2]

 1955年8月28日、円熟期のセゴビアがエディンバラ音楽祭に出演した際の記録である。演目はガリレイ「6つの小品」、ヴィセーの組曲第9番と第12番より6曲、バッハの編曲でフーガとガヴォット、シューベルトのピアノ・ソナタの編曲、タンスマン「カヴァティーナ」、ヴィラ=ロボスの前奏曲第1番と第3番、カステルヌオーヴォ=テデスコ「トナディーリャ」「タランテラ」、グラナドス「スペイン舞曲第10番」だ。古典の曲で聴かせる侘びたエスプレッシーヴォ、殊に虚空に余韻を残すヴィブラートの美しさには心奪はれる。セゴビアの最も重要な業績であるバッハの編曲が素晴らしい。シューベルト作品の編曲も同様で、別世界が広がり始めるのはセゴビアの藝術の深さである。大曲タンスマンでの多彩な表情も見事。得意としたヴィラ=ロボスやカステルヌオーヴォ=テデスコは勿論だが、グラナドスの名曲における情愛に至福のひとときを感じる。(2010.6.2)


1959年来日公演
バッハ、ラモー、ソル、ヴィラ=ロボス、グラナドス、アラール、アルベニス、クレスポ
アンドレス・セゴビア(g)
[fontec FOCD9758]

 愛好家必携の1枚。ギターの神様セゴビアの二度目の来日公演で、1959年、九段会館における公演記録である。モノーラル録音だが非常に音が良く有難い。セゴビアの絶妙なヴィブラート、艶かしいフィンガリングが鮮明に聴き取れる。どれも弾き込まれたお得意の演目で、ギターの為の名曲と編曲作品が半々である。バッハのガボット、ラモーのメヌエットと古典の編曲作品から典雅な世界に誘ひ、スペイン、ラテンの名曲で魅了する。この日の最大の大曲はソル「グランソロ」よりアレグロで聴き応へがある。全ての曲が円熟の極みで陶然となる。幾度も丁寧にアンコールに応へた後、「アリガト」と礼の述べ、「モウオソイデス」とお開きを告げる。微笑ましき貴重な記録である。(2020.10.30)


グルック、シューマン、アセンシオ、カステルヌオーヴォ=テデスコ、トローバ
アンドレス・セゴビア(g)
[RCA 8883788192]

 1977年6月にスペインのRCAレーベルに録音されたギターの神様セゴビア最後の録音である。アルバムには”Reveries”―「夢想」と題が付けられた。レコードA面にはセゴビアによる編曲で、グルック「精霊の踊り」の主部、シューマン「子供の為のアルバム」から8曲―曲番は26、1、16、5、2、9、6、10だ―、有名な「トロイメライ」と「ロマンスOp.79-4」が収録され、B面には原曲作品でアセンシオ「神秘の組曲」、カステルヌオーヴォ=テデスコ「ロンサール」、トローバ「カスティーリャ」が収録されてゐた。賢明なるかなセゴビア、平易な曲を選曲し高齢の衰へを露呈せず、長年弾き尽くした演目で若造には出せない極みの音色を聴かせる。取り分け感銘深いのは「子供の為のアルバム」だ。聴く者なべての琴線に触れる至高の演奏。セゴビアは最後まで神であつた。(2018.1.30)



オルガン


ヴィドール:オルガン交響曲第6番よりアレグロ、サルヴェ・レジーナ
フランク:英雄的小品、コラール第1番、同第2番、同第3番
マルセル・デュプレ(org)
[MERCURY 434 311-2]

 フランスの偉大なオルガン奏者、作曲家、教育者であつたデュプレの名盤。1957年10月、ニューヨークの聖トーマス教会のオルガンを使用しての録音。フランスはオルガンの偉人を沢山輩出したが、世界的な活躍をした大物となるとデュプレの名を真つ先に挙げねばなるまい。デュプレの録音は電気録音初期から始まつてゐるが、優秀なマーキュリーのリヴィング・プレゼンスでステレオ録音されたことは大変有難い。デュプレの特徴は荘厳かつ重厚だといふことだ。膨大な作品を作曲し、数多の名手を教へてきたデュプレはオルガンの生理を知り尽くしてをり、軽薄な音がオルガンに相応しくないことを知つてゐる。他の奏者からは聴くことの出来ない荘厳な響きに威圧される。デュプレの師ヴィドールへの思ひに充ちた演奏、フランクの厳粛な演奏、特にフランク最後の作品となつた3つのコラールの崇高さは比類がない。(2011.9.13)


20世紀前半のフランスのオルガニスト
シャルル・トゥルミヌール(org)
ルイ・ヴィエルヌ(org)
[EMI CLASSICS 7243 574866 2 0]

 愛好家必携の「20世紀前半のフランスのオルガニスト」5枚組。1枚目。この5枚組に収録されたオルガニストらはそれぞれに特徴があるが、ひとり比類のない個性を備へた奏者がゐる。トゥルミヌールだ。即興演奏の名手と讃へられたトゥルミヌールの演奏は、形容し難い神秘的な様相を示し、霊感が湧き上がるような期待に満ちてゐる。他の奏者はオルガンを如何に鳴らすかに終始してゐるが、トゥルミヌールは楽器を超えた境地で演奏をしてゐるのだ。演目は全て自作で、「小即興狂詩曲」「神秘的オルガン」「3つの即興曲」でどれも絶品だ。盲目で困難な人生を送つたヴィエルヌは作曲家としても高名で、その自作自演が聴けるだけで価値がある。ヴィエルヌの演奏は極めて荘厳で格式高い。隙はなく完成度が高い。即興技術が高いのに即興性を感じさせない。演目は自作自演では「儀式」「アンダンティーノ」「司教の行進」「瞑想」があるが、その実、バッハの演奏に自然と惹き付けられる。前奏曲とフーガBWV.533、幻想曲BWV.542、コラールからBWV.727、637、625、615を演奏してゐる。真つ向から取り組み、揺るぎのない建造物のやうな演奏で圧倒されるだらう。(2020.6.21)


20世紀前半のフランスのオルガニスト
シャルル=マリー・ヴィドール(org)
ジョルジェ・ジャコブ(org)
ウジェーヌ・ジグー(org)
レオン・ボエルマン(org)
エドゥアル・コメット(org)
[EMI CLASSICS 7243 574866 2 0]

 愛好家必携の「20世紀前半のフランスのオルガニスト」5枚組。2枚目。コンポーザーオルガニスト達の自作自演が多く、一般的な楽しみは少ない。高名な作曲家ヴィドールの自作自演でオルガン交響曲第9番「ゴシック」と第5番のトッカータが聴ける。1932年の録音で重要な記録である。詳細が不明のジャコブの演奏はかなり貴重で、1930年の録音から1曲だけヴィドールの第5番第2楽章を披露してゐる。ジグーは自作自演3曲と弟子のボエルマンの作品を録音。これらは1912年と1913年といふ太古の録音だ。ボエルマンは自作自演の他、師ジグーの作品、ピエルネ、メンデルスゾーンの作品を吹き込んでゐる。1930年代の録音だ。コメットはバッハとクレランボーの作品を演奏してをり、バッハの前奏曲は感銘深い。(2022.4.21)



管楽器


偉大なるフルーティスト第1巻
マルセル・モイーズ(fl)/フィリップ・ゴーベール(fl)/ルネ・ル=ロワ(fl)/ジョルジュ・バレール(fl)、他
[Pearl GEMM CD 9284]

 英Pearlが復刻したフランスの高名なフルート奏者の録音集。筆頭格であるモイーズではドビュッシー「フルート、ヴィオラとハープの為のソナタ」が復刻されてゐる。モイーズはこの曲を2回録音してをり、当盤には第1回目録音が収録されてゐる。ヴィオラがウージェーヌ・ギノーで、ハープがリリー・ラスキーヌだ。録音が古いので感興が劣るのは致し方ないが、晦渋で玄妙な楽曲の雰囲気は良く出てゐる。名演だらう。モイーズの師であり、多彩な活動をしたゴーベールではバッハ「管弦楽組曲からポロネーズとバディネリ」、ドップラー「ハンガリー田園狂詩曲」が収録されてゐる。明るい音色と華麗な技巧が見事だ。ル=ロワはキャスリーン・ロングのピアノ伴奏でバッハのフルート・ソナタBWV.1031全曲が収録されてゐる。柔らかく優美な音色はモイーズと対極にあり、情感豊かな演奏は当盤の白眉である。ロングのピアノが躍動的で美しい。バレールの復刻は小品4曲だ。古いアコースティック録音ではあるが、愛らしい丸みを帯びた音色が聴ける。ネヴィン「ゴンドラの船頭」が楽しい。(2010.9.23)


偉大なるフルーティスト第2巻
マルセル・モイーズ(fl)/フィリップ・ゴーベール(fl)/アドルフ・エネバン(fl)/ルネ・ル=ロワ(fl)、他
[Pearl GEMM CD 9284]

 英Pearlが復刻したフランスの高名なフルート奏者の録音集の第2集。モイーズではベートーヴェンのセレナードが収録されてゐる。これは全曲ではなく1、2、4、6楽章のみの録音だ。ヴァイオリンはマルセル・ダリュー、ヴィオラがピエール・パスキエで、ヴィオラとフルートの生命感溢れる躍動が大変素晴らしい演奏だ。ゴーベールはドビュッシー「小さな羊飼ひ」、サン=サーンス「アスカニオ変奏曲」、ショパンのノクターン第5番が収録されてゐる。安定した技巧、格調高い音色、別格の奏者である。特にサン=サーンスは絶品だ。エネバンはショパンのノクターンとワルツ、ペッサールのロマンスの3曲が聴ける。細かいヴィブラートを駆使した柔らかい音色が特色だが、モイーズやゴーベールと比べて仕舞ふと感銘が落ちる。ル=ロワはダンディの組曲が選曲されてゐる。弦楽三重奏とハープとの五重奏で、典雅な演奏を堪能出来る。ベル・エポックのパリの情緒を伝へて呉れる当盤の白眉である。(2011.1.24)


モーツァルト:フルート協奏曲第1番、同第2番、フルートとハープの為の協奏曲
バッハ:フルート、ヴァイオリンと通奏低音の為のソナタBWV.1038(偽作)
コッポラ(cond.)/ビゴー(cond.)/ラスキーヌ(hp)、他
マルセル・モイーズ(fl)
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9734]

 モイーズによるモーツァルトのフルート協奏曲は、既に復刻が数種ある天下周知の名盤であるが、英DUTTONからも優れた復刻が出た。何より当盤の価値を高めてゐるのが併録されてゐるバッハ(偽作)のソナタで、滋味豊かで深い感銘を残す名演であり愛好者には必聴物だ。通奏低音はピアノで、息子のルイ・モイーズが担当してゐる。モーツァルトでは、ラスキーヌと共演したK.299は生気が乏しく感銘が著しく劣るが、2つのフルート協奏曲が無双の出来栄えである。モイーズの音は強靭で、歌ふ表現の幅が格段に違ふ。世の笛吹きを猫と喩へるならモイーズは虎だ。K.313での大胆な歌ひ出しが好例である。但し管弦楽の伴奏は水準以下で、特にコッポラの指揮したK.314は非道い。独奏だけをとれば、現在でも最上位に置かれる演奏だ。(2005.2.22)


ドビュッシー、ドップラー、グルック、ビゼー、ゴーベール、タッファネル、ノブロ、セシェ、ライヘェルト、ベネディクト、ヴェッツィガー、ヒュー、他
ルイ・モイーズ(p)。他
マルセル・モイーズ(fl)
[Pearl GEM 0206]

 モイーズの小品の復刻は本邦の山野楽器によるCD2枚の他に纏まつたものがなかつただけに当盤の登場は有難い。戦後になり優れた管楽器奏者が独奏者として名乗りを上げたが、フルートに関してはモイーズを超える奏者は出てゐないと確信してゐる。硬く冷たい音色でありながら、音に込められた感情の振幅や芯の強い歌は余人の及ばぬもので、辛口のフレージングはフルートに対する軟弱な印象を払拭するほど強烈だ。編曲作品も見事だが、矢張りフルートの為の作品における凄みは尋常ではない。ベネディクト「ヴェネツィアの謝肉祭」を筆頭にセシェ、ヴェッツィガー、ヒューの作品におけるタンギングの鮮やかさは時代を超えた妙技である。技巧だけではない。ドップラー「ハンガリー田園幻想曲」やドビュッシー「シランクス」の幽玄な趣、バッハ「ポロネーズ」やグルック「精霊の踊り」の格式高さを聴けばモイーズの偉大さは確と分る。(2006.1.3)


小品集
ヒュー、クープラン、セゲール、フェルー、ヴェッツィガー、ライヒェルト、ラロ、他
マルセル・モイーズ(fl)
[DUTTON LABORATORIES CDLX 7041]

 英Duttonによるモイーズの小品の復刻集。1927年から1938年にかけての録音だ。ドリゴ「セレナード」、ドップラー「ハンガリー田園幻想曲」、ビゼー「アルルの女」よりメヌエット、イベール「無伴奏フルートの為の小品」、ドヴォジャーク「ユモレスク」、技巧的なジュナンの2曲など繰り返し発売されてきた有名な録音もあるが、珍しい音源も多数含む。ヒュー「幻想曲」、クープラン「愛の夜鳴き鶯」、セゲール「ガンの思ひ出」、フェルー「3つの小品」、ヴェッツィガー「小川のほとり」、ライヒェルト「幻想曲」、テレマン「トリオ・ソナタ」などだが、復刻がない訳ではなかつた。コッポラ指揮のラロ「ナムーナ」第1組曲より市場の行列はコッポラの復刻を当たらないと聴けない貴重な録音だ。表現の幅が広い演奏は他の追随を許さない絶対的な名演ばかりだ。(2015.5.31)


イベール:フルート協奏曲、間奏曲
ドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープの為のソナタ、他
ウージェーヌ・ビゴー(cond.)/ルイ・モイーズ(fl)、他
マルセル・モイーズ(fl)
[DANTE LYS 352]

 仏DANTEによるモイーズ復刻第2巻は極めて重要だ。モイーズが初演を行ひ、初録音をした代表盤であるイベールの協奏曲を完全版で聴ける数少ない盤だからだ。何故か第1楽章のみの復刻が出回り、第1楽章しか録音をしてゐないとまで誤解されたほどだ。現代の耳からするとビゴー指揮の伴奏オーケストラが余りにも頼りない演奏で、モイーズの独奏も贔屓にするほど傑出してゐないのだが、第2楽章のソノリティは流石だ。同じイベールの間奏曲が絶品だ。ジャン・ラフォンのギターとの二重奏でスペイン情緒を堪能出来る。ドビュッシーも重要だ。モイーズはこの曲を2回録音してをり、当盤は新盤の方で、ハープのラスキーヌは同じだがヴィオラがアリス・メルケルである。録音状態も良く、曲を手中に収めた自在感があり決定的名演として推奨したい。その他の収録曲だが、偽作であるバッハのBWV.1038のソナタとテレマンのトリオ・ソナタには英Duttonの優れた復刻があつたが、息子ルイとのヘンデル「2つのフルートの為のソナタ」と、ブランシュ・オネゲルのヴィオラとの二重奏でノイバウアー「アダージョ」は他に復刻がなかった筈だ。演奏は規範となる極上の質だ。(2012.12.22)


小品集
グルック、ヘンデル、バッハ、タファネル、ヒュー、ルーセル、クープラン、ドヴォジャーク、ヴェッツィガー、サン=サーンス、ドップラー、ボルヌ、セゲール
マルセル・モイーズ(fl)
[山野楽器 YMCD-1045]

 本邦の山野楽器によるモイーズ復刻第2巻。1927年から1935年にかけての録音。当盤に収録された曲の殆どが英Pearlか英Duttonの復刻にも収録されてゐるが、恐らく当盤でしか聴けない録音が3つある。ヘンデルのソナタト長調のメヌエットとアレグロ、ルーセルの笛吹きたち、ドップラーのハンガリー田園幻想曲の冒頭部分だけを録音したモイーズの第1回目録音だ。ドップラーはこの録音が好評だつたので後に全曲録音が実現した経緯がある。技巧曲から簡素な旋律の曲までフルートの表現の幅を実感出来る1枚だ。枯れた音色は一種特別だが、矢張り旋律の頂点での張り具合はモイーズが無双だ。(2016.7.28)


1953年ハーヴァード音楽協会音楽室コンサート(バッハ/シュルツェ/ハイドン/イベール、他)
チマローザ:2つのフルートの為の協奏曲
イベール:フルート協奏曲、他
ウージェーヌ・ビゴー(cond.)
ルイ・モイーズ(fl&p)/ブランシュ・オネゲル=モイーズ(vn&va)、他
マルセル・モイーズ(fl)
[PARNASSUS PACD 96069]

 名手モイーズの貴重なライヴ録音とセッション録音を編んだ蒐集家必携の1枚。1953年2月22日―クレジットには1952年とも表記があり錯綜してゐる―、ボストン、ハーヴァード音楽協会音楽室でのライヴ録音が大変重要だ。モイーズ一家3名による親密な演奏の数々で、演目は偽作とされるバッハのトリオ・ソナタBWV.1038―セッション録音もあつた―、かつてヘンデル作とされたシュルツェのフルート二重奏、ハイドンの三重奏―チェロのところをヴィオラに編曲して演奏―、イベール「色事師」組曲、ドビュッシー「シランクス」、ジェナーロ「シャンソン」、ルイ・モイーズ「セレナード」、アンコールにラボーのスケルツォだ。素晴らしいのはハイドンのトリオとイベールだ。典雅なハイドンと怪しげな色気を放つイベールの対比が絶妙だ。ルイはフルートで父と絡む一方、ピアノで伴奏を務め、ブランシュはヴァイオリンとヴィオラを持ち替へて大忙しだ。どの演奏も愉悦に溢れてをり宝物である。さて、重要なのは鶴首されたチマローザの協奏曲がやうやく復刻されたことだ。1948年のHMVへの録音で、ビゴーの指揮ラムルー管弦楽団の伴奏だ。極上の名演で第3楽章は取り分け楽しい。(2021.11.15)


オペラ・パラフレーズ(メサジェ、マスネ、ブリュノー、ヴェーバー、ヴェルディ)/ライヒェルト、トゥルー、ビゼー、ベートーヴェン、バッハ、ヘンデル
マルセル・モイーズ(fl)
[村松楽器 MGCD-1002]

 本邦の村松フルート製作所/村松楽器が制作した巨匠モイーズ大全集5枚組。2枚目。この2枚目は海外でも復刻がない音源ばかりで蒐集家にとつては必携の内容である。演目の大半がオペラのパラフレーズで玄人好みと云へよう。ヴェーバー「オベロン」から2曲、マスネ「サッフォー」から2曲、マスネ「ウェルテル」、メサジュ「フォルトゥーニオ」、ブリュノー「水車場の襲撃」、ヴェルディ「トロヴァトーレ」からの編曲で、極めて渋い選曲と云へる。だが、歌劇をフルート一本で情熱的に表現しようといふモイーズの気概を聴く録音なのだ。何と云つても「トロヴァトーレ」の情念を楽器の限界を超えて表現する姿勢に圧倒される。フルートの可能性を広げた名演揃ひである。ビゼー「アルルの女」も良い。残りはフルートの為の曲だが、ライヒェルト「ファンタジー・メランコリック」、トゥルー「ファンタジー・ブリランテ」、ベートーヴェンの変ロ長調ソナタ、バッハのBWV.1039、ヘンデルの作品2-1aで、当盤以外に復刻はなかつた筈だ。(2021.4.12)


イベール:フルート協奏曲、ジョリヴェ:フルート協奏曲、リヴィエ:フルート協奏曲、シェーヌ:翡翠の笛による挿絵
コンセール・ラムルー管弦楽団/ルイ・ド=フロマン(cond.)/アンドレ・ジョリヴェ(cond.)、他
ジャン=ピエール・ランパル(fl)
[ERATO 0825646190430]

 ランパルのエラート録音全集第2巻20枚組。2枚目を聴く。近現代フランスの作曲家らによるフルート協奏曲作品集で、ランパルの録音の中でも有名で重要なものだ。2つのアルバムから成り、イベール、ジョリヴェ、リヴィエのフルート協奏曲がひとつのアルバムである。フルート協奏曲の傑作とされるイベールが興味深い。フランス奏者ならではの華麗な音色と技巧、気怠く官能的な趣、瀟洒な節回しが心憎い。理想的な演奏だ。ド=フロマンの伴奏も見事で、初演者モイーズの録音の完成度が低かつただけにランパル盤は代表的名盤として推奨出来る。リヴィエの作品も素晴らしい。第3楽章は特に傑作だ。ジョリヴェは作曲者の指揮による自作自演の価値もある。短い作品だが内容は大変優れた名曲だ。別のアルバムから抱き合はせられたシャルル・シェーヌのことはよく知らないが、フルートは主役とは云へ実質は現代的な響きによる管弦楽曲である。殺伐として悲劇的な音響による現代音楽で、前半のフルート協奏曲のやうには楽しめなかつた。シェーヌはド=フロマン指揮ルクセンブルク放送室内管弦楽団の演奏だ。(2017.9.15)


稀少録音集(1920〜47年)
マルチェロ、スカルラッティ、バックス、コリン、フォーレ、ピエルネ、他
レオン・グーセンス(ob)
[Oboe classics CC2005]

 オーボエに関心がある方には重要なもの。人肌の暖かい温もりを感じさせる音が懐かしい。戦後、ホリガーをはじめとする名手が現れたので、戦前のオーボエ奏者が顧みられることは少ない。グーセンスのよく知られた録音は、R・シュトラウスの協奏曲、シューマンの小品、レナーSQと共演したモーツァルトくらいで、このCDに収められた音源は宝の山である。マルチェロの協奏曲やバックスの五重奏曲などの名曲が聴けるのが嬉しい。派手な技巧はないが、滋味豊かな音作りで、オーボエの魅力を満喫出来る。入手は容易ではないが、ファン必携だ。(2004.8.15)


シュトラウス:ホルン協奏曲第1番、オーボエ協奏曲
ヴェーバー:ファゴット協奏曲
アルチェオ・ガリエラ(cond.)/サー・マルコム・サージェント(cond.)、他
デニス・ブレイン(hr)/レオン・グーセンス(ob)/グィディオン・ブローク(fg)
[TESTAMENT SBT 1009]

 英國が生んだ管楽器の名手による名盤を復刻した1枚。彗星のやうな人生を駆け抜けた天才ホルン奏者ブレインの代表的な名盤であるシュトラウスの第1番は、独奏に関しては今もつて最高の演奏であらう。サヴァリッシュとの再録音にはない野性味があり、若々しい活力があるのが魅力だ。ガリエラの生気ある情熱的な指揮も素晴らしいのだが、フィルハーモニア管弦楽団の技量が並程度なのが残念だ。同じガリエラとフィルハーモニア管弦楽団の伴奏で、シュトラウス晩年の名作オーボエ協奏曲を吹くのは名手グーセンスだ。丸みを帯びた愛らしい音色は人間味がある。現代の奏者に比べると技巧の歯切れが良くないと感じるかもしれぬが、懐かしい語り口と人肌の温もりのある音色は掛け替へがない。ブロークによるヴェーバーが絶品だ。安定感のある技巧、表情豊かな音色、格調高い音楽が素晴らしい。何よりもサージェントの伴奏が見事で、終楽章ロンドの躍動が天晴だ。(2010.11.24)


バッハ:協奏曲ニ短調BWV.1063
ヘンデル:オーボエ協奏曲第1番、同第2番、同第3番
モーツァルト:オーボエ協奏曲、オーボエ四重奏曲
レナーSQ/イェフディ・メニューイン(vn&cond.)、他
レオン・グーセンス(ob)
[TESTAMENT SBT 1130]

 協奏曲は名手グーセンス晩年の遺産として重宝される。メニューインとの共演によるバッハとヘンデルは求心的な演奏として永く語り継がれるべき名演だ。特に峻厳なバッハはメニューインの思ひ入れもあり深く心に迫る。第2楽章のオーボエとヴァイオリンの交感は真摯な祈りにまで昇華されてゐる。ヘンデルの壮麗な演奏も素晴らしい。取り分け第3番ト短調の連綿たる情緒が印象深い。モーツァルトの協奏曲は朴訥な表現で、愛らしい愉悦に充ちてゐる。木目細やかな表現はグーセンスの美質である。四重奏曲はSP期からの決定的名盤。レナーの溌剌としたアーティキュレーションと瑞々しい美音が極上だ。全盛期のグーセンスのまろやかな音色は人肌の温もりを感じさせ、今日においても全く価値を減じない。(2007.1.17)


モーツァルト:管楽器の為の協奏交響曲、ピアノと管楽器の為の五重奏曲、オーボエ協奏曲、「暗く寂しい森の中で」「クローエに」「ひめごと」
フェルナン・ウーブラドゥ(cond.)/モーリス・アラール(bn)/イレーヌ・ジョアシャン(S)、他
ピエール・ピエルロ(ob)
[Alpha Alpha 800]

 アルファなるレーベルのモーツァルト作品歴史的録音集は稀少音源の宝庫であり、愛好家は必携だ。当盤の主役はオーボエのピエルロである。1946年録音VSMレーベルに録音された協奏交響曲はウーブラドゥとその室内管弦楽団による伴奏。ウーブラドゥとは後に「パリのモーツァルト」のアルバムでも共演してゐるが、ピエルロ以外は顔触れが異なり、こちらはクラリネットがルフェビュール、コルがドヴェミ、バソンがアラールだ。肝心のピエルロは華奢だが特徴が薄く、ルフェビュールも平板で良くない。ドヴェミは安定感に欠け問題ありだが、今日では聴かれない音色に惹かれる。アラールのバソンが全楽器と見事に溶け合ひ心憎い。ウーブラドゥの指揮は軽快で新盤よりも良く、総合点ではこの旧盤に軍配を挙げたい。五重奏曲は1948年の録音で、クラリネットを名手ドリュクレーズに変へて魅力が増した。ピアノはイヴ・グリモーで水準程度だが、フランスの名手らによる艶やかな演奏が楽しめる。オーボエ協奏曲は1951年のパテへの録音、ゴールドシュミット指揮コンセール・ラムルーの伴奏だ。ピエルロの愛くるしい音色が美しい極上の名演である。さて、ピエルロの録音は以上で、余白はジョアシャンの歌曲3曲だ。1938年と1947年、グラモフォンとBAMへの録音、ベルクマンとジェルマンのピアノ伴奏だ。フランス語による何とも高雅な趣。歌声の美しさだけで天上の世界に誘はれる至高の録音である。(2020.1.7)


モーツァルト:クラリネット五重奏曲
シュトロスSQ
レオポルト・ウラッハ(cl)
[Green Door GDFS-0029]

 名手ウラッハによるモーツァルトはウィーン・コンツェルトハウスSQとのウエストミンスター録音が有名だが、当盤はベルテルスマンといふレーベルから発売されたシュトロスSQとの録音の復刻である。認知度は低いが、演奏はコンツェルトハウスSQ盤が比較にならないくらゐ素晴らしい。歌に溺れ音楽が弛緩するからだらうか、コンツェルトハウスSQはモーツァルトとの相性が悪い。シュトロスSQは思索するやうな渋みのある音色で、心悲しい詠嘆を織り交ぜた音楽を聴かせる。第3楽章トリオでリズムをよゝと泣き崩すシュトロスのヴァイオリンは絶品だ。終楽章の変奏で各奏者が聴かせる哀愁と愉悦は極上だ。シュトロスSQはドイツが生んだ伝統的な四重奏の藝術を格調高く継承した名団体である。ウラッハの上品でまろやかなアーティキュレーションは限りなく等質で、音域による音色の変化がないのは流石だ。当盤は2種類のリマスタリングを施してあり、音質の比較が出来るが、収録曲を増やして呉れた方が有難い。(2008.5.29)


モーツァルト:クラリネット協奏曲、ファゴット協奏曲
/ウィーン国立歌劇場管弦楽団/アルトゥール・ロジンスキー(cond.)
レオポルト・ウラッハ(cl)/カール・エールベルガー(fg)
[Universal Korea DG 40030]

 ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。韓国製だがオリジナル仕様重視で大変立派な商品だ。本邦ではクラリネット協奏曲の決定的名盤として認知されてゐるウラッハの演奏については多言を要しないだらう。音域による音色の変化を感じさせないノン・ヴィブラート奏法の泰斗ウラッハの穏やかな演奏は一種特別だ。しかし、編成の少ない薄めの伴奏は精度も欠き雑な印象を受ける。ウラッハも生彩があるとは云ひ難く、カラヤンとの流麗で精緻な演奏の方を高く評価したい。抱き合はせのウィーン・フィルの主席奏者エールベルガーによるファゴット協奏曲は感心の出来ない演奏だ。ノン・ヴィブラート奏法で表情の抑揚が少ない。技術的にも歯切れが悪く、調子が外れてゐる箇所も散見され、端的に云へば聴き込む価値はない。(2013.11.4)


グリンカ:悲愴三重奏曲
リムスキー=コルサコフ:ピアノと管楽の為の五重奏曲
シュトラウス:13管楽器の為の組曲、同セレナード
パウル・バドゥラ=スコダ(p)/カール・エールベルガー(fg)、他
レオポルト・ウラッハ(cl)
[Universal Korea DG 40020]

 ウエストミンスター・レーベルの室内楽録音を集成した59枚組。韓国製だがオリジナル仕様重視で大変立派な商品だ。ウラッハが主役のグリンカとリムスキー=コルサコフは競合盤が見当たらない決定的名演と云へるだらう。グリンカの悲愴三重奏曲はピアノとクラリネットとファゴットといふ組み合はせで、情熱的に疾走する第1楽章と第4楽章が取り分け魅力的だ。リムスキー=コルサコフの五重奏曲はピアノ、フルート、クラリネット、ファゴット、ホルンといふ編成の大曲で、オーボエが入らないのは前代未聞と云へよう。軽妙で明るい楽想の充実した内容の名作で、もつと聴かれても良い。シュトラウスの出世作となつたセレナードと組曲がウィーン・フィル奏者らの柔和で豪奢な演奏で楽しめる。これも屈指の名演として真つ先に推薦したい録音だ。(2022.4.27)


サン=サーンス:オーボエ・ソナタ、バソン・ソナタ、クラリネット・ソナタ、ロマンス、カヴァティーナ
グノー:小交響曲、ダンディ:舞曲
モーリス・ブルグ(ob)/モーリス・アラール(fg)/モーリス・ガベイ(cl)、他
[CALLIOPE CAL 4819]

 世にも美しい1枚だ。最晩年のサン=サーンスは器楽の為のソナタを6曲書くことを計画したが、結局3曲を残した時点で力尽きて仕舞つた。オーボエ、クラリネット、バソンの為のソナタ作品166、167、168でサン=サーンスの白鳥の歌と云はれる。簡素で繊細な音楽はこれらの楽器の宝となつた。冒頭の可憐なブルグのオーボエから陶然とさせられる。当盤を蒐集した目的はアラールであつたが、期待に違はぬ名演だ。この曲は矢張りバソンでなくては話にならない。繊細なガベイのクラリネット・ソナタも素晴らしい。曲者ケル盤と双璧だ。他にコル奏者グルベール・クルジエによるロマンス作品36、テナー・トロンボーン奏者ジャック・トゥーロンによるカヴァティーナ作品114が聴ける。フランスの名手による妙技を楽しめる。更にブルグが主導するアンサンブルでグノーの小交響曲とダンディーの舞曲が収録されてゐる。グノーの作品は管楽器奏者にとつては馴染みの名曲である。フランスの一流の奏者たちによる演奏は理想的だ。(2015.11.8)


ヴェローヌ、ピエルネ、リヴィエ、ディロン、他
ギャルド・レピュブリケーヌ・サクソフォン四重奏団、他
マルセル・ミュール(sax)
[Saxophone Classics CC0021]

 ミュールの1930年から1940年にかけての初期録音集は愛好家必携だ。取り分けギャルド・レピュブリケーヌ・サクソフォン四重奏団のソプラノ・サクソフォンとしての活躍がたつぷり聴ける。演目はヴェローヌ「ラプソディー」「ル・ドーフィン」「コロムビアの為の2つの小品」、ピエルネ「お祖母さんの歌」「民謡風ロンドの主題による序奏と変奏」、リヴィエのグラーヴェとプレスト、ボッケリーニのメヌエット、ハイドンの弦楽四重奏曲Op.33-5から第3楽章、メンデルスゾーンの無言歌から2曲、シューマンの弦楽四重奏曲第1番の第2楽章、ラフ「エクスピケーション」と多岐に亘る。特にハイドンやシューマンの弦楽四重奏をサクソフォン四重奏で見事に聴かせるのは刺激的だ。勿論、ソロイストとしてヴィブラート奏法を心行く迄楽しめる録音は絶品中の絶品だ。マリー「金婚式」、リムスキー=コルサコフ「インドの歌」、サン=サーンス「白鳥」、ドヴォジャーク「ユモレスク」での表現力は他の器楽奏者を顔色なからしめる音楽性と技巧の素晴らしさだ。ディロンのサクソフォン・ソナタは本格的な大曲で楽しめる。2曲だけポール・ロンビによるアルト・サクソフォンの録音が混じつてゐる。(2020.8.9)


小品集
ギャルド・レピュブリケーヌ・サクソフォン四重奏団、他
フランソワ・コンベル(sax)/マルセル・ミュール(sax)
[Clarinet classics CC 0013]

 クラリネット・クラシックスといふレーベルが復刻したサクソフォンの神様ミュールの小品集。とは云へ、フィリップ・ゴーベールの指揮でイベールの室内小協奏曲や、ウージェーヌ・ボザの指揮で自作自演となるコンチェルティーノといふ大物も含まれる。その他の曲は、ラモーのガボット、ローレン「パヴァーヌと快活なメヌエット」、フォンス「三角旗」、フォレ「牧人たち」、ジュナン「マールボロ変奏曲」、ヴェローヌの協奏曲と半音階的ワルツ、グラズノフの四重奏、ボルツォーニのメヌエット、フランセのセレナード、ピエルネのカンツォネッタ、ラヴェル「ハバネラ形式の小品」、ドリゴのセレナード、コンベル「スケッチ」、アルベニス「セヴィーリャ」、クレリス「かくれんぼ」、ボザのスケルツォだ。独奏でも四重奏でも艶のある音色は別格だ。全ての演奏が神品であるが、古典的もしくは歌謡的で素朴な曲での巧さはあらゆる管楽器奏者の中でも群を抜く。特にラモー、ローレン、ラヴェル、ドリゴの美しさが印象的だ。尚、ミュールの先輩格コンベルの独奏があり、デメルスマン「ヴェネツィアの謝肉祭」を1曲だけ吹いてゐる。(2017.2.25)


クレストン:サクソフォーン・ソナタ
モーリス:プロヴァンスの風景
デュボア:ディヴェルティスマン
フローラン・シュミット:サクソフォーン四重奏曲、他
マルセル・ミュール(sax)、他
[A.SAX 98]

 これはフランス・サクソフォーン協会が制作したサクソフォーンの父ミュールの貴重な音源集だ。サクソフォーンはミュールによつてヴィブラート奏法を開拓され、偉大な表現力を獲得した。また、サクソフォーン四重奏といふアンサンブルを確立したのもミュールである。間断なく掛けられる振幅の広いヴィブラートは光沢と気品があり、ビロードのやうな音色は至高の藝術と呼ぶに相応しい。2枚組の1枚目はサクソフォーンの代表的な名作が詰まつてゐる。白眉は循環形式による名曲クレストンのソナタで、冒頭からミュールの甘美な音色に惚れ込んで仕舞ふ。モーリスの作品はミュールに献呈された名作で、闊達な演奏は決定的な価値を持つ。グラズノフの四重奏曲は断章の演奏だが大変美しい。全曲の録音でないのが残念だ。シュミットの四重奏曲も名演で、終楽章の緊密なアンサンブルが見事だ。ボノー「カプリース」やボザ「奇想的練習曲」における確かな技巧も素晴らしい。(2009.4.12)


ランティエ:サクソフォーン・ソナタ
ボルサリ:サクソフォーン四重奏曲
イベール:サクソフォーン室内小協奏曲、他
フィリップ・ゴーベール(cond.)、他
マルセル・ミュール(sax)
[A.SAX 98]

 再びミュールを聴く。2枚組の2枚目ではバッハのフルート・ソナタからの編曲2曲が素晴らしい。スピーチの後に徐に楽器を試し吹きをしてから演奏が始まるのだが、艶やかな音色が会場全体に広がり、別世界に誘はれる奇蹟の瞬間だ。同様に素晴らしいのがグラナドス「ゴイェスカス」間奏曲で、輝かしいヴィブラートの奥義に幻惑される。この曲の演奏ではカサルスの録音と並ぶ至宝で、器楽を超えた表現の偉大さに甚く感動させられる。楽器の魅力を存分に引き出したランティエのソナタ、極上のアンサンブルを聴かせるボルサリの四重奏曲も大変聴き応へがあるが、矢張りレペルトワールとして重要なのはイベールの小協奏曲だ。サクソフォーンの楽曲では欠かすことの出来ない名曲をミュールの演奏で聴けるのは有難い。難曲だが、ゴーベールの指揮が見事に支へてゐる。(2009.6.9)


モーツァルト:ホルン協奏曲第4番、同第2番
シュトラウス:ホルン協奏曲第1番
ベートーヴェン:ホルン・ソナタ、他
アルチェオ・ガリエラ(cond.)、他
デニス・ブレイン(hr)
[EMI 2 06010 2]

 不世出のホルン奏者ブレインの録音を編んだICONシリーズの1枚。4枚組の1枚目は最初期の録音集だ。モーツァルトの協奏曲2曲とシュトラウスの協奏曲は全集で再録音が残されてゐる。モーツァルトは流麗な美を極めたカラヤンの指揮で録音された全集盤が次元の異なる名盤であり、ブレインの独奏もmellowの極みであつた。比べると当盤はススキンドらの指揮が雑然と聴こえて仕舞ふのだ。ブレインの独奏も磨きが足りない。シュトラウスの協奏曲、ベートーヴェンのソナタ、シューマンのアダージョとアレグロは英テスタメントからも復刻があつた。余白に収録されてゐるヴァーグナー「ジークフリートのホルン・コール」とメンデルスゾーン「真夏の夜の夢」の夜想曲は、ブレインの天才を味はへる名品である。(2010.10.16)


モーツァルト:音楽の冗談、ディヴェルティメント第14番、同第16番
イベール:3つの小品、ジェイコブ:管楽六重奏曲、デュカ:ヴィラネル、他
グィド・カンテッリ(cond.)、他
デニス・ブレイン(hr)
[EMI 2 06010 2]

 不世出のホルン奏者ブレインの録音を編んだICONシリーズの1枚。4枚組の4枚目を聴く。ソロ、アンサンブル、オーケストラ奏者、多様なブレインの魅力に迫れる1枚。セッション録音は、モーツァルト「音楽の冗談」とディヴェルティメント第16番よりメヌエットとアダージョ、ディッタースドルフのパルティータ、ハイドンのホルン信号交響曲、デュカ「ヴィラネル」で、音質も良い。ソロの妙技では得意としたデュカが悠然として圧倒的だが、ハイドンでの独奏で聴かせる明朗さも素晴らしい。音楽の冗談では見事な音のぶつけ方を披露する。また、この演奏はカンテッリの統率力が素晴らしく、この曲の名演として推薦出来る。ブレインが主導したアンサンブル曲も見事だ。放送音源ではモーツァルトのディヴェルティメント第14番、イベールの3つの小品、ジェイコブの管楽六重奏曲、レオポルト・モーツァルトのホースパイプ協奏曲で、BBCレジェンドなどからも発売されてきた音源だ。名演はイベールとジェイコブだが、抱腹絶倒のホースパイプを忘れてはいけない。(2011.3.31)


モーツァルト:ホルン協奏曲第2番
ヒンデミット:ホルン・ソナタ
ダンツィ:ホルン協奏曲
シェック:ホルン協奏曲
デニス・ブレイン(hr)、他
[PIZKA EDITION HPE-CD 02]

 Hans Pizka Editionの第2巻とされるブレインの稀少放送録音集は蒐集家感涙の1枚だ。単発で入手するのも困難な音源が4つも纏まつてゐるのだから。モーツァルトの協奏曲は1948年の録音で、南西ドイツ放送交響楽団の伴奏だが、何と指揮がヒンデミットなのだ。ブレインには条件の整つたセッション録音があるので内容では譲るが、快活な演奏は一聴に値する。1951年に録音されたヒンデミットのソナタのピアノ伴奏は名手コンラート・ハンゼンといふ豪華さだ。楽曲は晦渋な現代曲だが、ホルン奏者には重要なレパートリーだらう。ブレインの技巧が冴える。1955年録音、ボダート指揮、室内管弦楽団の伴奏によるダンツィの協奏曲も非常に珍しい。ハイドン風の明朗な楽想の名曲だ。原調はホ長調の作品だが、ブレインは半音下げて変ホ長調で演奏してゐる。曲も演奏も優れてゐる。オトマール・シェックの協奏曲は後期ロマン派様式の曲で聴き易い。伴奏は現代音楽の達人パウル・ザッハー率いる室内管弦楽団で1956年の録音だ。高音を美しく鳴らすブレインの妙技に陶然となる名演だ。(2016.11.26)


ベートーヴェン:五重奏曲
ジェイコブ:六重奏曲
ヒンデミット:ホルン・ソナタ
ヴィンター:ハンターズ・ムーン
ベンジャミン・ブリテン(p)、他
デニス・ブレイン(hr)
[BBC LEGENDS BBCL 4164-2]

 不世出のホルン奏者ブレインの貴重なライヴ録音集。ヴィンター「ハンターズ・ムーン」が物凄い。ゲシュトップの絶妙な奏法には脱帽だ。卓越した技巧に驚愕の念を抑へられない名演。次いでジェイコブの六重奏曲が素晴らしい。神秘的な響きで幻想へと誘ふ5楽章からなる名曲で、循環主題を巧みに取り込んでゐる。演奏も見事で、隠れた管楽アンサンブルの名曲を堪能出来る。ヒンデミットのソナタは曲自体大して面白くはないが、ブレインの妙技には惚れ惚れする。ベートーヴェンの五重奏曲の録音は他にも沢山残るが、当盤は作曲家ブリテンがピアノを弾いてゐることに価値があり、凛とした音色とカデンツを重視した歌ひ口が素晴らしい。しかし、ブレイン以外の奏者が冴えないのが残念だ。(2007.4.30)


モーツァルト:ホルン協奏曲第3番
ブリテン:セレナード
シューマン:アダージョとアレグロ
フリッカー:管楽五重奏曲、他
サー・マルコム・サージェント(cond.)/ピーター・ピアーズ(T)/ベンジャミン・ブリテン(p)、他
デニス・ブレイン(hr)
[BBC LEGENDS BBCL 4192-2]

 不世出のホルン奏者ブレインの貴重なライヴ録音集。1953年録音のモーツァルトの協奏曲とブリテンのセレナードが初出となる愛好家感涙の1枚だ。モーツァルトが素晴らしい。ブレインの独奏は常乍ら見事だが、サージェントの伴奏が絶妙なのだ。情感豊かで繊細なカデンツを木目細かく聴かせて呉れる。音楽を聴く喜びが詰まつた名演だ。ブリテンのセレナードはピアーズと2度もセッション録音をしてゐるブレインお得意の曲で絶品である。そのブリテンのピアノ伴奏でシューマンのアダージョとアレグロを吹いてゐる。アレグロでブリテンのピアノがやや浮ついて聴こえるが、ブレインが絶好調で全体としては名演だらう。その他はデニス・ブレイン管楽五重奏団による合奏。フリッカーの五重奏が充実してゐる。技巧的なフルートのパッセージが印象的だ。他にモーツァルトのディヴェルティメント第14番から第1楽章と第4楽章、ミヨー「ルネ王の暖炉」第6曲目を収録。(2012.4.21)



古楽器/合奏団


中世の楽器
ロンドン古楽コンソート
デイヴィット・マンロウ(cond.)
[Virgin Veritas×2 0946 3 85811 2 3]

 古楽の開拓者マンロウの重要な名盤。2枚組の1枚目は「中世の楽器」と云ふ題名で製作された録音が収録されてゐる。中世の楽器を復元し、音楽として復活させたマンロウの情熱には頭を垂れる。冒頭のショームといふ楽器を中心にしたサルタレロの原初的な生命力の爆発から引き摺り込まれる。木管楽器ではリード・パイプやバク・パイプやパンパイプ、リコーダーやゲムスホルン、鍵盤楽器ではポジティブ・オルガン、ハーディガーディ、クラヴィコード、金管楽器ではクラリオン、ビュイジーヌ、カウ・ホルン、スライド・トランペット、弦楽器ではライア、リュート、マンドーラ、ギターン、シトール、フィドル、などなど、様々な楽器の音色と演奏が楽しめる。作曲家ではマショー、カンジェ、パウマンなどの作品が聴ける。音質も優秀で、素朴な楽曲から古の素朴な音色が続々と楽しめて刺激的ですらある。遥か中世ヨーロッパに想ひを馳せられる名盤だ。(2010.7.6)


ルネサンスの楽器
ロンドン古楽コンソート
デイヴィット・マンロウ(cond.)
[Virgin Veritas×2 0946 3 85811 2 3]

 古楽の開拓者マンロウの重要な名盤。2枚組の2枚目は「ルネサンスの楽器」と云ふ題名で製作された録音が収録されてゐる。中世の楽器と比較して格段に華やかになつてゐるのがわかる。楽器の名前も馴染み深くなる。木管楽器ではショーム、ラケット、リコーダー、鍵盤楽器ではルネサンス・オルガン、チェンバロ、ヴァージナル、シロフォン、金管楽器ではコルネット、セルバン、弦楽器ではバンドール、ヴィオール、などなど、様々な楽器の音色と演奏が楽しめる。作曲家ではスザート、プレトリウス、ホルボーン、バウマン、モンテヴェルディ、ビーバー、フレスコバルディ、ダウランド、バードと有名どころが並ぶ。音楽の幅が広がつてきたのが瞭然とし、退屈することなく楽しめる1枚である。(2010.11.13)


「2つのルネサンス舞曲集」
「モンテヴェルディの時代」
ロンドン古楽コンソート/モーリー・コンソート
デイヴィット・マンロウ(cond.)
[TESTAMENT SBT 1080]

 古楽の開拓者マンロウが作つた2つのアルバムを復刻したもの。ひとつは1971年の録音「2つのルネサンス舞曲集」でティルマン・スザートの12の舞曲集「ダンスリー」とトマス・モーリーのブロークン・コンソートの為の舞曲集「コンソート用レッスン第1巻」だ。モーリーの曲はモーリー・コンソートとの演奏である。マンロウは楽器への拘泥はりを最重視する一方、音楽の生命力を絶対に忘れない。どの曲も活き活きとしてゐて新鮮な息吹を感じられる。堂々たる曲や嘆き節が印象的なスザート、多様な編成で色彩が次々と変はるモーリーと違ひを楽しめる。1975年の録音「モンテヴェルディの時代」は改革者モンテヴェルディの同時代の作品を楽しめる。演目はマイネイオの5つの舞曲集「舞曲集第1巻」が2種類、ラッピ「ラ・ネグローナ」、プリウーリの12声のカンツォーナ第1番だ。ルネサンス音楽からバロック音楽への過渡期の雑多な音楽が興味深い。(2020.10.6)


ヴィヴァルディ:四季
ヴィットーリオ・エマヌエル(vn)
ソチエタ・コレッリ合奏団
[RCA LIVING STEREO 88985321742]

 RCAリヴィング・ステレオ・ボックス第3弾60枚組。この第3弾は落ち穂拾ひ的な心憎い選出で、蒐集家にとつてはお宝とされてゐる。初復刻となるソチエタ・コレッリ合奏団の四季は1959年の録音で、かの四季ブームを巻き起こしたイ・ムジチ合奏団のステレオ盤と同年の録音なのだ。結成はイ・ムジチよりも1年早く、コレッリの演奏を主軸に鮮烈な活動をした。イ・ムジチが柔和で甘口、歌謡性を重視した演奏なのに対し、ソチエタ・コレッリは剛直で辛口、リズムや強弱の対比を重視した。同じイタリアの団体とは思へないほど味はひが異なる。古さを感じさせない演奏であり、エマヌエルの独奏も見事。チェロの伴奏が雄弁で素晴らしい。必聴の名盤だ。(2022.11.3)


ヴィヴァルディ:調和の霊感Op.3-10、同Op.3-3
バッハ:4つのチェンバロの為の協奏曲BWV.1065、協奏曲第7番BWV.978
クラウディオ・アッバード(cemb)、他
ミラノ・アンジェリクム管弦楽団
アルベルト・ゼッダ(cond.)
[Charlin SLC2-2]

 ワン・ポイント録音で知られるフランスの名技師アンドレ・シャルランによる録音レーベルの中で、とても興味深い1枚だ。まず、企画が良い。大バッハの4つのチェンバロの為の協奏曲イ短調BWV.1065の原曲であるヴァヴァルディの「調和の霊感」作品3-10、大バッハのチェンバロ独奏による協奏曲第7番へ長調BWV.978の原曲であるヴィヴァルディの「調和の霊感」作品3-3を並べて聴くといふ趣向だ。楽器が異なると印象が大分異なるから面白い。演奏のせいもあるが、ヴィヴァルディの原曲の方が感興豊かと感じる。さて、興味深いのは演奏者で、バッハの4つのチェンバロの為の協奏曲では3番奏者が若き日のアッバードなのだ。指揮者として頭角を現して行く時期にこのやうな録音を残してゐた。(2018.7.6)



日本作曲家選輯


山田耕筰:序曲ニ長調、交響曲ヘ長調「勝どきと平和」、交響詩「暗い扉」、同「曼荼羅の華」
アルスター管弦楽団/ニュージーランド交響楽団、他
湯浅卓雄(cond.)
[Naxos 8.555350J]

 珍しくデジタル録音を聴く。Naxosの好企画「日本作曲家選輯」の1枚。本邦楽壇の父である山田耕筰によつて生み出された日本人初の管弦楽曲や交響曲を収録した当盤は、時代考証の上で重要な1枚である。序曲と交響曲が1912年、2つの交響詩が1913年の作曲である。序曲はドイツの古典派と初期ロマン派の作風を忠実に模倣した堅実な作品で、メンデルスゾーン周辺の作曲家の作品だと騙れば信じて仕舞ふだらう。所詮は習作で大して面白くはない。大らかで朗らかな交響曲もドイツ・ロマン派の趣を色濃く引き摺つた作品だが、完成度は高い。とは云へ、後の長唄交響曲のやうな衝撃を求める訳には行かず、ドイツ作曲家の亜流にしか聴こえないのが少々寂しい。2つの交響詩は当時楽壇を席巻してゐたシュトラウスの作風に近く、面白みはあるが感銘は薄い。(2009.6.12)


山田耕筰:長唄交響曲第3番「鶴亀」、交響曲「明治頌歌」、舞踊交響曲「マグダラのマリア」
東京都交響楽団、他
湯浅卓雄(cond.)
[Naxos 8.557971J]

 珍しくデジタル録音を聴く。本邦楽壇の礎を築いた山田耕筰の傑作を聴く。長唄交響曲を初めて聴いた時の衝撃は忘れない。筆舌に尽くし難いとはその時のことを云ふのだらう。解説によると「鶴亀」といふ長唄に管弦楽を足しただけとあるが、発想の独創性に天晴と叫びたい。大物を揃へた演奏はこれ以上ない見事なものだ。「明治頌歌」は神秘的な導入部に続き西洋伝統音楽の書法による壮麗な楽曲となるが、やがて粛々たる趣になり篳篥が鳴る。雅楽の高貴な調べに自然に引き摺り込む心憎い手法。沈痛な葬送の調子に忘れ難い印象を残して閉じる名曲だ。「マグダラのマリア」は作曲年が最も早い為、作風も後期ロマン派の亜流であるが、聴き応へがある名作と云へる。山田耕筰は西洋音楽を紹介した先駆者でありながら、常に日本古来の音楽に根を持ち続けた。さうであらねばならぬ。でなければ単なる西洋音楽の模倣ではないか。会心の1枚。(2008.6.2)


大澤壽人:ピアノ協奏曲第3番「神風」、交響曲第3番
ドミトリー・ヤブロンスキー(cond.)、他
[Naxos 8.557416J]

 珍しくデジタル録音を聴く。Naxosの好企画「日本作曲家選輯」の1枚で、忘却されてゐた大澤の名作を堪能する。大澤は欧米で前衛的な手法を自己のものとした逸材であつたが、帰国してからは戦渦に翻弄され実力を発揮すること能はず、戦後間もなく時の利を得ることなく不遇のまま没した。知名度に反して作品は実に素晴らしい。特に勇壮なピアノ協奏曲はプロコフィエフの作品群に匹敵する。サクソフォーンが印象的に主題を呈示する第2楽章はジャズの要素を取り入れてをり、ラヴェルを想起させる名品である。この楽章を聴くだけでも価値のある1枚だ。比べて交響曲は幾分保守的で刺激が足りない。(2007.4.22)


伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ(1979年改訂版)、リトミカ・オスティナータ、交響ファンタジー第1番
ドミトリー・ヤブロンスキー(cond.)、他
[Naxos 8.557587J]

 珍しくデジタル録音を聴く。Naxosの好企画「日本作曲家選輯」で待望の伊福部が昨年末に発売された。当盤は伊福部昭の熱烈な信者やうるさ方には不満があらう。洗練された響きで表情も薄口であるのは事実だが、無下に切り捨てるやうな駄盤ではない。これまで気合ひばかりが先行してきた伊福部作品の演奏とは違ひ、息切れしない金管群の底力や団子状にならない合奏で作品本来の魅力を伝へる。取り分け「ゴジラ(交響ファンタジー)」の後半や、タプカーラの第3楽章コーダの奮闘振りは見事。しかし、タプカーラの第1楽章中間部における雄大な主題などは淡白過ぎて興醒めだ。本質的な理解からは遠い演奏と云へる。リトミカ・オスティナータではピアノ奏者の冴えた技巧が聴きもの。(2005.1.2)


芥川也寸志:管弦楽の為のラプソディ、エローラ交響曲、交響三章
ニュージーランド交響楽団
湯浅卓雄(cond.)
[Naxos 8.555975J]

 珍しくデジタル録音を聴く。Naxosの好企画「日本作曲家選輯」の1枚。この選輯の主な意義は未知の名作に出会へる喜びが大分であるのだが、矢張り日本楽壇の重鎮の曲は格が違ふことを思ひ知らされた。天才の作品は埋もれることなく生き残り、現代に感動を与へるのだ。当盤は録音や演奏も素晴らしく万人に薦めたい。芥川の音楽はカバレフスキーなどの社会主義リアリズムへの共感が強く、平明であるから国際的にも受け入れ易い為だらう、当盤の演奏も自然で迷ひがない。狭い音域で執拗にリズムを繰り返す箇所は、機能的なオーケストラだから発揮出来る興奮に充ちてゐる。初期、中期、後期の名作が収録されてをり、満遍なく楽しめる。ラプソディとエローラ交響曲は大変見事な名演だ。交響三章の子守唄では物悲しい侘びた五音音階をもう少し生かして欲しかつた。(2008.4.13)


黛敏郎:シンフォニック・ムード、舞楽、曼荼羅交響曲、ルンバ・ラプソディー
ニュージーランド交響楽団
湯浅卓雄(cond.)
[Naxos 8.557693J]

 珍しくデジタル録音を聴く。Naxosの好企画「日本作曲家選輯」の1枚。才人黛の代表的な名作を収録。この内、最初期の作品ルンバ・ラプソディーは初演の機会を逸し、お蔵入りになつてゐた曲で、当盤で初登場となる。2つの楽章から成るシンフォニック・ムードは傑作で、第1部冒頭はドビュッシー「シレーヌ」のやうだが、やがて熱狂的なガムラン音楽の要素による忘我の境地へと達する。第2部はストラヴィンスキー「春の祭典」にサンバを混ぜたやうな異国情緒満載の曲だ。印象主義と原始主義で駆動する音楽こそ黛作品の神髄である。舞楽は雅楽の響きを模した神秘的な楽想とお囃子のやうな舞ひの楽想を融合させた名曲。曼荼羅交響曲は摩訶不思議な音響世界を明滅させる現代音楽で、晦渋なだけに感銘が劣る。演奏は大変見事で、雑多な黛作品を手際良く捌いてゐる。(2009.4.25)


武満徹:「そして、それが風であることを知つた」、「雨の樹」、「海へ」、「雨の呪文」、他
ロバート・エイトケン(fl)、他
[Naxos 8.555859J]

 珍しくデジタル録音を聴く。Naxosの好企画「日本作曲家選輯」の1枚。ニコレとも親交の深かつた武満はフルートの作品を沢山書いた。ドビュッシーやメシアンの音楽の延長にある武満の曲がフルートといふ楽器に親近性を持つのは当然のことであつたのだらう。様々な編成による楽曲が収録されてゐるが、特徴はドビュッシーを想起させる武満ならでは和声と、尺八の音色を模倣したフルートの奏法であらう。繊細で陰影の深い響きが呪術的な音の世界を紡ぐ。フルートの合間に掛け声が入る「ヴォイス」は能を聴くやうで刺激的だ。(2008.2.23)


別宮貞雄:交響曲第1番、同第2番
アイルランド国立交響楽団
湯浅卓雄(cond.)
[Naxos 8.557763J]

 Naxosの好企画「日本作曲家選輯」の1枚。近年まで存命だつた別宮の名作が聴ける。前衛派とは距離を取りつつもミヨーやメシアンら近代フランス音楽の洗礼を受けた別宮の作品は繊細で洒脱、淡めだが多彩な色合ひの移ろひを聴かせる。刺激的な驚きはなく、模倣の域を出ることはないのが弱点だが、貴族的な節度が心地良く、隠れた名品であることに気付くであらう。第1番は映画音楽も多く手掛けた別宮の強みが出てゐる。第2楽章と第4楽章に登場する行進曲の主題は印象的だ。第2番は内省的な晦渋さがあるが、和声の妙があり見事だ。(2023.7.24)



オムニバス


ファリャ歴史的録音集
7つのスペイン民謡、クラヴザン協奏曲、恋は魔術師、他
マリア・バリエントス(S)/マルセル・モイーズ(fl)/マヌエル・デ・ファリャ(p&cemb)、他
[ALMAVIVA DS-0121]

 スペインのレーベルが復刻したファリャ作品の歴史的録音集4枚組。1枚目はファリャの自作自演を多数含んでおり、最も資料的価値が高い。有名なのはコロムビア録音のクラヴザン協奏曲だらう。ランドフスカの委嘱で作曲された作品をファリャ自身のクラヴザンで聴ける。しかも、モイーズ、ボノー、ゴドー、ダリュー、クリュクといつた名手らが参加してをり刺激的な演奏が繰り広げられる。これは名盤だ。それ以上にバリエントスの歌にピアノで伴奏を付けた自作自演が重要だ。曲は7つのスペイン民謡、コルドバへのソネット、「恋は魔術師」より鬼火の歌だ。気品のあるソプラノで、魅惑的な色気も備へてゐる。ファリャのピアノは啓示に溢れてをり聴き応へがある。「恋は魔術師」からスペルヴィアとヴァランの録音が収録されてゐる。流石に野性的なスペルヴィアは別格だ。ヴァランも官能的で美しいが、並べて聴くとフランスの香りが強い。その他で印象に残つたのは、エルビラ・デ・イダルゴの歌ふ「お前の黒い瞳」のどぎつい官能と、レオポルド・ケロルがピアノによる4つのスペインの小品での繊細な色彩感だ。(2012.8.4)


ファリャ歴史的録音集
恋は魔術師、スペインの夜の庭、7つのスペイン民謡
コンチータ・ベラスケス(Ms)/マヌエル・ナバロ(p)/エルネスト・ハルフテル(cond.)/コンチータ・スペルヴィア(Ms)、他
[ALMAVIVA DS-0121]

 スペインのレーベルが復刻したファリャ作品の歴史的録音集4枚組。2枚目はファリャの代表的な作品3曲が聴ける。「恋は魔術師」と「スペインの夜の庭」は作曲家としても知られるハルフテルが指揮してゐるが、管弦楽団の技量が三流で鑑賞するには寛容さが要される。ナバロのピアノはソリアーノなどと比べて魅力に欠け、「スペインの夜の庭」は殆ど価値のない録音だが、「恋は魔術師」を歌ふベラスケスが大変素晴らしく看過出来ない。地声を使つた野太い歌で、暗い怨念を奔放に噴き上げてをり、かのスペルヴィアが録音の印象を吹き飛ばす。歌に関しては最高の録音だ。7つのスペイン民謡はスペルヴィアの絶対的な名盤が収録されてゐる。途中、有名な「ホタ」だけガルシア、バディア、フレタ、ボリの録音が並べて編集されてゐる。中では矢張り可憐なボリが別格だ。それにしてもスペルヴィアの全曲録音の間にこれらの音源を挿入するとは非道い編集だ。(2012.8.6)


ニューヨーク・フィル創設150年記念盤(1917年〜1939年録音)
ヨーゼフ・ストランスキー(cond.)
ヴィレム・メンゲルベルク(cond.)
アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.)
[Pearl GEMM CDS 9922]

 1992年に発売されたニューヨーク・フィル創設150年記念盤3枚組には指揮者6名の稀少録音が満載だ。1枚目を聴く。当盤を蒐集した理由なのだが、メンゲルベルクのブランズヴィック録音が収録されてゐるからだ。メンゲルベルクがニューヨーク・フィルと残したヴィクター録音は英Biddulphと英Pearlから復刻があつたが、ブランズヴィック録音は漏れてゐた。即ち、チャイコフスキー「スラヴ行進曲」、ヴァーグナー「ヴァルキューレの騎行」、シュトラウス「藝術家の生涯」と「ウィーンの森の物語」で演目としても貴重だ。音質もオバート=ソンの復刻なので極上だ。さて、メンゲルベルクの前任者ストランスキーはえらく評判の悪い人物だが、録音も大したことはない。収録されたのはサリヴァン「ミカド」序曲とベートーヴェンの第5交響曲第2楽章だが酷いものだ。そして、黄金時代を築いたトスカニーニの録音がある。ブラームスのハイドンの主題による変奏曲だが、有名な1936年ヴィクター録音かと思ひきや、何と未発表の1927年のブランズヴィック録音だといふではないか。貴重この上ない。第2変奏の異常な速さは驚きで最速記録だらう。(2017.7.18)


「パリのモーツァルト」
ヴァイリンとクラヴザンの為の協奏曲断片、ヴァイリンとクラヴザンの為のソナタ(4曲)、キリエ、管楽器の為の協奏交響曲
ジャック・デュモン(vn)/ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(cemb)/フェルナン・ウーブラドゥ(cond.)、他
[EMI 7243 5 73590 2 3]

 「パリのモーツァルト」と題された高名なLP7枚のアルバムを未収録1曲のみでCD4枚に再構成した麗しきディスク。1枚目。前半の主役はデュモンとヴェイロン=ラクロワによるソナタで、K.6からK.9までの4曲が聴ける。フランスの優美な合奏が楽しめる。しかし、印象に残るやうな演奏ではない。貴重なのは未完の協奏曲K.315fで、4分弱で突如途切れて仕舞ふので一寸吃驚する。ウーブラドゥの伴奏も華麗で魅惑的なので心残りである。キリエK.33は佳品。協奏交響曲はウーヴラドゥにとり2回目の録音。独奏者はオーボエのピエルロだけ同じで、クラリネットがランスロ、コルがヴェスコーヴォ、バソンがオンニュだ。ピエルロは不調で旧盤の方が活気があつた。ランスロが良く当盤の立役者だ。ヴェスコーヴォは水準並み。オンニュは上手いが旧盤のアラール比べると劣る。ウーブラドゥと室内管弦楽団の伴奏は豪勢だが大味で、雑でも洒脱さがあつた旧盤の方に惹かれる。新盤は矢鱈と音質が良いが、内容が伴つてゐない。(2020.5.25)


「パリのモーツァルト」
大序曲、フルートとハープの為の協奏曲、交響曲第31番「パリ」、「テッサリアの人々」
フランソワ=ジュリアン・ブラン(fl)/リリー・ラスキーヌ(hp)/アニック・シモン(S)/フェルナン・ウーブラドゥ(cond.)、他
[EMI 7243 5 73590 2 3]

 「パリのモーツァルト」と題された高名なLP7枚のアルバムを未収録1曲のみでCD4枚に再構成した麗しきディスク。2枚目。大序曲変ロ長調K.311aは他では聴いたことのない珍しい曲だ。幾分要素が雑多に感じる曲ではあるが、華やかで威勢の良い曲なのでもつと演奏されてもよからう。有名な協奏曲だが、冒頭から鈍重なテンポで気分が滅入る。ブランのフルートもいただけない。技巧も弱く、音が頼りない。ラスキーヌが大変素晴らしい。ゆつたりしたテンポにより表情はespressivoを極め、ハープの美しさを堪能出来る。ラスキーヌは幾人ものフルーティストと録音を残してゐるが、ハープに関しては当盤の演奏が最上だらう。パリ交響曲は大変珍しい4楽章制による録音。モーツァルトの意図は判然としてゐないのだが、初演後に新たに作曲された楽章を挿入しての演奏で貴重だ。ウーブラドゥの指揮はもつたりしたテンポで大味かつ雑然としてをり、余り感心出来ない。レチタティーヴォとアリア「テッサリアの人々」K.316が美しい。可憐なシモンの歌声も良いが、名手だけを揃へた室内楽的な伴奏が実に巧い。(2017.9.30)


「パリのモーツァルト」
レ・プティ・リアン、弦楽四重奏曲K.Anh.212、「ああ、ママに云ふわ」による変奏曲、ヴァイオリン・ソナタK.306、ピアノ・ソナタ第8番、「美しきフランソワーズ」による変奏曲
パスカル弦楽四重奏団/サンソン・フランソワ(p)/ルネ・ベネデッティ(vn)/ヴラド・ペルルミュテール(p)/ラザール・レヴィ(p)/ジャン・ドワイアン(p)/フェルナン・ウーブラドゥ(cond.)、他
[EMI 7243 5 73590 2 3]

 「パリのモーツァルト」と題された高名なLP7枚のアルバムを未収録1曲のみでCD4枚に再構成した麗しきディスク。3枚目。バレエ音楽「レ・プティ・リアン」は14曲を演奏。ウーブラドゥによる壮麗な演奏で細部まで楽しめる。重要な録音だ。パスカルSQによる抒情馥郁たる四重奏曲は美音の洪水だ。当盤の白眉と云へよう。名手ベネディッティとペルルミュテールによるヴァイオリン・ソナタは感興に乏しいとは云へ、典雅の極みで冷たき気品を感じさせる。ドワイアンが弾く「美しきフワンソワーズ」による変奏曲は優美で大変素晴らしい。フランソワの弾く「ああ、ママに云ふわ」による変奏曲と、レヴィが弾くイ短調ソナタの録音は別に発売されてをり、別項で述べるのでここでは割愛する。(2022.6.21)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、レ・プティ・リアン、交響曲第39番
ベルリン・フィル
ミーチャ・ニキシュ(p)/ヘルマン・シェルヘン(cond.)/レオポルト・ルートヴィヒ(cond.)、他
[Tahra TAH 595-598]

 モーツァルトの稀少録音集4枚組。1枚目。かなりの珍品揃ひだ。まず、ピアノ協奏曲の独奏者ミーチャ・ニキシュとはかの伝説的な大指揮者アルトゥール・ニキシュの息子で、大ニキシュが君臨したベルリン・フィルが伴奏を行ふといふのが何とも曰く付きだ。1934年のテレフンケンへの録音。演奏内容だが指揮のルドルフ・シュルツ=ドルンブルクが冴えなくもたついた雑然とした伴奏が残念だ。だが、流石はベルリン・フィルで感情が表出した深い音色が聴ける。ニキシュのピアノは取り立てて凄みはないが、第1楽章の幻想的なカデンツァは素晴らしく一聴の価値がある。シェルヘン指揮ヴィンタートゥール州立管弦楽団によるレ・プティ・リアンは8曲を演奏してゐる。1941年HMVへの録音で、選曲も良く演奏も起伏があつて流石だ。ルートヴィヒ指揮ベルリン・フィルによる交響曲は1941年ポリドールへの録音。これは水準程度の良くも悪くもない特徴の薄い演奏である。(2022.6.30)


モーツァルト:ホルン協奏曲第2番、ディヴェルティメント第11番、交響曲第38番
デニス・ブレイン(hr)/ハンス・シュミット=イッセルシュテット(cond.)/ハンス・ロスバウト(cond.)、他
[Tahra TAH 595-598]

 モーツァルトの稀少録音集4枚組。2枚目。まず、注目を惹くのは名手ブレインの録音だ。第2番の録音は恐らく5種類が確認出来る。1954年5月の記録で、イッセルシュテット指揮北ドイツ放送交響楽団の伴奏だ。残念乍ら音質も冴えず、他の録音と比べると特段優れた点を述べることは出来ない内容だが、蒐集家にとつては重要な音源だ。ディヴェルティメントはイッセルシュテット指揮、北ドイツ放送交響楽団の演奏で1954年11月の録音。堅固な演奏乍ら、快活な音楽が展開してをり、雰囲気だけで内容空虚な演奏とは一線を画す。なかなかの名演であつた。プラハ交響曲はロスバウトの指揮で、フランス国立管弦楽団による1954年12月のライヴ録音。鮮明な音でロスバウトの近代的なモーツァルト解釈を楽しめる。繊細な表情は殺がれ、鋭い音で交響的な絡みを聴かせる。リズムは湧き立ち、俊足のテンポで聴く者を興奮させる。しかし、幾分表面的で絶讃はし辛い。第3楽章では繰り返し指示を度忘れした低弦奏者がフォルテで勢ひよく突入して仕舞ひ、吹き出しさうになる。終演後、小言を云はれたに違ひない。(2019.5.9)


モーツァルト:協奏交響曲、セレナータ・ノットゥルノ、交響曲第41番「ジュピター」
アルテュール・グリュミォー(vn)/ウィリアム・プリムローズ(va)/ヘルマン・シェルヘン(cond.)/カレル・アンチェル(cond.)、他
[Tahra TAH 595-598]

 モーツァルトの稀少録音集4枚組。3枚目。目玉は初演目となるアンチェルのジュピター交響曲だ。亡命先でシェフとなつたトロント交響楽団との1970年、最晩年の録音。残念だが音像が遠く、もどかしい音質だ。とは云へ、鑑賞には不自由はない。演奏は衒ひのない王道を貫いた格調高き名演。第2ヴァイオリンの内声部が極めて雄弁で啓示多き内容だ。思はず引き込まれる第2楽章の演奏は少ない。流石はアンチェルだ。セレナータ・ノットゥルノもトロント交響楽団の演奏で、シェルヘンの指揮による1965年の録音だ。シェルヘンらしい斜に構へた奇異な演奏で面白い。テンポは非常に遅めで気怠い演奏だが、随所に抉りがあり個性を刻印する。第3楽章が秀逸で、コーダでの煽りは仕掛けが多く面目躍如。協奏交響曲はモーツァルトの名手グリュミォーとヴィルティオーゾのプリムローズといふ豪華な取り合はせで、指揮はオットー・アッカーマン、ケルン放送交響楽団の伴奏だ。1955年の録音だが、最も音質は良く、活き活きとしてゐる。まず、オーケストラの演奏が素晴らしく最上級だ。グリュミォーは適性を示し、芳醇に歌ひ回る。プリムローズは決して埋もれることなく、主役の存在感を見せるが、音楽は淡白でグリュミォーとは方向性が異なる。演奏は部分においては高品質だが、全体としての感銘は今一つ残らないのが残念。(2018.7.3)



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