楽興撰録

声楽 | 歌劇 | 管弦楽 | ピアノ | ヴァイオリン | 室内楽その他



ピエール・モントゥー


ラヴェル:ラ・ヴァルス
リムスキー=コルサコフ:「金鶏」より「婚礼の行列」
ダンディ:フランス山人の歌による交響曲
フランク:交響曲
マキシム・シャピロ(p)
サンフランシスコ交響楽団
[RCA 88843073482]

 モントゥーのRCA録音―米國での録音―全集40枚組。1枚目。モントゥーはボストン交響楽団のシェフも務めたこともあり、米國で評判が高かつたのだらう、請はれてサンフランシスコ交響楽団のシェフとなりRCAヴィクター専属になつた。1941年4月の記念すべき最初の録音集で、モントゥーの十八番の演目ばかりだ。サンフランシスコ交響楽団は技量に問題があり音が整はず粗雑である。しかし、熱量で補つてゐるので人間味のある音楽が楽しめる。最初に行つた録音がラ・ヴァルスで、最高潮までの豪快な乱舞が初々しく一種特別な良さがある。得意とした金鶏も粗野な趣が決まつてゐる。ダンディの交響曲は剛毅で素朴、熱気が素晴らしい。引き締まつて精悍なパレー盤と今もつて双璧を成す決定的名盤だ。フランクの交響曲は恐らく初復刻だ。何とモントゥーはRCAに3度も録音した。最初の録音がやうやく聴けた。荒削りだが音楽の息吹がある。捨て難い実直な名演。


フランク(オコンネル編):英雄的小品
ドビュッシー:映像より「ジーグ」「春のロンド」
ダンディ:交響曲第2番
リムスキー=コルサコフ:「サルタン皇帝の物語」より行進曲
ラロ:「イースの王」序曲
サンフランシスコ交響楽団
[RCA 88843073482]

 モントゥーのRCA録音―米國での録音―全集40枚組。2枚目。最初のセッション録音である1941年4月の続きと1942年3月の録音で―この他には「シェヘラザード」が録音された―、この後は戦争が激化したので1945年まで録音はない。フランクのオルガン曲をオコンネルが編曲したのは極めて稀少価値がある。崇高な趣で美しい演奏だ。再録音のないダンディの秘匿の交響曲は今もつて決定的名盤と云へよう。ヴァグネリアンであつたダンディの一面が伝はる。RCA契約直後におけるダンディへの入れ込み様は興味深い。血が騒ぐ熱演であるラロの序曲はパレー盤に次ぐ出来栄えだ。抒情的な旋律が情感豊かに歌はれてをり美しい。以上はBMGから復刻があつた。ドビュッシーは後に全曲で録音を制作したこともあり、復刻機会のなかつた音源だ。再録音があるので一般的な価値はない。リムスキー=コルサコフの行進曲も初めて聴くが、何とも朗らかで陽気な名演である。


ラロ:スペイン交響曲
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
イェフディ・メニューイン(vn)
サンフランシスコ交響楽団
[RCA 88843073482]

 モントゥーのRCA録音―米國での録音―全集40枚組。3枚目。1945年1月の録音で、メニューインは短期間だがヴィクターにも録音を残した。2曲ともメニューインは大得意としてをり、これが2回目の録音に当たる。ラロが素晴らしい。脂つこい濃密な演奏で火山が爆発したやうな情熱が圧倒的だ。特に異教的な雰囲気満点の第3楽章間奏曲が絶品で、これを超える演奏はなからう。この楽章の復権に尽力したメニューインの面目躍如たる名演。全曲としては一長一短だがエネスクとの旧録音より僅かに良いだらう。欠点は感情優先で誤魔化しが多いことか。モントゥーの指揮は情感たつぷりで流石だ。ブルッフも同様の名演だが、勢ひで聴かせようとしてをり、ロナルドとの旧録音の方が藝術的であつた。モントゥーの伴奏は粗いが手加減なしの厚みがあつて音楽が野太い。


ラヴェル:「ダスニスとクロエ」第1組曲、高雅で感傷的なワルツ、道化師の朝の歌、ラ・ヴァルス
ラロ:「イースの王様」序曲
イベール:寄港地
サンフランシスコ交響楽団
[BMG 09026-61895-2]

 サンフランシスコ交響楽団時代のモントゥーの特徴は、幾分粗雑だが、骨太で意気軒昂な音楽を創り上げてゐることである。モントゥーは晩年に、「ダフニスとクロエ」全曲をロンドン交響楽団と録音してゐるから、第1組曲だけの価値は特にないが、初演者として他には譲れない貫禄がある。「ラ・ヴァルス」も晩年に再録音があるが、当録音こそモントゥーがサンフランシスコ交響楽団と最初に行つた録音で、最高潮までの豪快な乱舞が初々しく、捨て難い魅力がある。「高雅で感傷的なワルツ」と「道化師の朝の歌」には再録音がない筈だから重要なのだが、細部にもう少し優雅な表情が欲しい。ラロとイベールは迸るやうに発散される熱気が聴き手を虜にする磊落な名演。特に抒情的な旋律が情感豊かに歌はれたラロが素晴らしい。しかし、両曲ともパレーによる天下御免の決定盤があるので、モントゥー盤は次点扱ひにせざるを得ない。(2005.4.28)


ベルリオーズ:幻想交響曲、「ベンヴェヌート・チェッリーニ」序曲、「トロイ人」第2幕序曲、ラコッツィ行進曲
サンフランシスコ交響楽団
[BMG 09026-61894-2]

 パリ楽壇で一仕事を為したモントゥーは乞はれて渡米し、サンフランシスコ交響楽団を指導した。しかし、モントゥー自身は楽団の能力に限界を感じてゐた節があり、録音したレペルトワールを見てもドビュッシー、ストラヴィンスキーなどの難曲が欠けてゐる。微細な表現を奏でられる楽団ではなく、雑な部分を勢ひで覆ふ傾向が強いが、ベルリオーズでは却つて好都合だつたやうで、2つの序曲が素晴らしい演奏だ。「ベンヴェヌート・チェッリーニ」はミュンシュ盤の牙城に迫る堂々たる名演。「トロイ人」の哀切感に満ちた喘ぎは強い感銘を残す。1945年録音の幻想交響曲は、後年の録音よりも荒ぶれて血気盛んだが、如何せん下手な演奏だ。(2005.1.20)


バッハ:パッサカリアとフーガ(レスピーギ編)
ベートーヴェン:「アテネの廃墟」序曲、交響曲第4番、同第8番
サンフランシスコ交響楽団
[BMG 09026-61892-2]

 サンフランシスコ交響楽団時代のモントゥーはベートーヴェンの交響曲を3曲―第2番、第4番、第8番―RCAに録音してゐる。後年、北ドイツ放送交響楽団を指揮して第2番と第4番を録音してゐるから余程愛着があるのだらう。第4番は恰幅よく若々しさを漲らせた見事な出来だ。それ以上に第8番が名演で凝縮された緊張感が素敵だ。各声部は燃焼し尽くしてをり、全楽章が蠢動するやうな活力に充たされた屈指の名盤である。併録された序曲も申し分ない名演。BMGは第2交響曲をCD化しなかつたので、PREISERあたりが復刻をしてくれることを期待したい。さて、実のところ当盤の価値はレスピーギが豪華絢爛たる編曲を施した珍しいバッハにあると断言したい。ストコフスキー張りの邪道の所業と云ふなかれ。新しい生命を吹き込まれた音符が鳴動し、噴流の如く聴き手の魂を奪ひ去る尋常ならざる名演である。編曲を軽んずる現代が忘却して仕舞つた貴重な遺産。(2006.9.20)


シュトラウス:英雄の生涯、死と変容
サンフランシスコ交響楽団
[BMG 09026-61889-2]

 英雄の生涯は1947年、死と変容は1960年の録音。モントゥーはシュトラウス作品を定期的に取り上げてをり、放送録音等は幾つか残るが、正規録音となると少なく、当盤が全てであらう。英雄の生涯では、特に名コンサート・マスターと讃へられたナウム・ブリンダーの独奏ヴァイオリンが秀逸で、多彩な表現力には死角がない。これだけ見事なソロは滅多に聴けないだらう。しかし、この曲には名演が犇めいてをり、モントゥー盤は録音が古く、管弦楽全体の技量が万全と云へないので、殆ど価値はない。死と変容にも同じことが云へるが、フルトヴェングラーやクラウスやカラヤンの名盤があるだけに、より分が悪い。サンフランシスコ交響楽団の金管楽器の精度が劣るのは致命傷だ。(2008.12.13)


ベートーヴェン:交響曲第2番
サンフランシスコ交響楽団
[RCA 88843073482]

 モントゥーのRCA録音―米國での録音―全集40枚組。モントゥーのRCA録音は本家以外も含めて大方復刻されてゐたが、サンフランシスコ交響楽団とのベートーヴェンの第2番は漏れてをり長年の渇が癒えた。1949年の録音で音質も優秀だ。野卑と形容したいほど荒々しい生命力に溢れてをり、若きベートーヴェンの鼓動を感得出来る名演だ。サンフランシスコ交響楽団は細部で技量の至らなさを露呈するが、然程気にならない。強弱の差を付けず、全ての声部を主役にして交響的に構築するモントゥーの様式が良く出てをり、後年の録音ほど洗練されてはゐないが、熱気で押し通したのが特徴だ。第2楽章も情感たつぷりで幾分暑苦しい。(2016.5.26)


ベートーヴェン:交響曲第4番
シューマン:交響曲第4番
サンフランシスコ交響楽団
[RCA 88843073482]

 モントゥーのRCA録音―米國での録音―全集40枚組。モントゥーはベートーヴェンの第4交響曲を特に好んでをり、晩年も頻繁に取り上げてゐた。サンフランシスコ交響楽団とは偶数番号しか録音を残してゐないのが面白い。演奏は恰幅よく若々しさを漲らせた見事な出来栄えだ。嫌味がなく中庸の美を具現したやうな名演だ。それ以上にシューマンが素晴らしいのだ。モントゥーは正規録音では第4交響曲しか残さなかつた。雄渾かつ情熱的な演奏だが、派手にならず格調高い。フルトヴェングラー盤は別格として、この曲屈指の名演と云へる。


フランク:交響曲
ドビュッシー:映像
サンフランシスコ交響楽団
[PREISER RECORDS 90563]

 モントゥーが指揮したフランクの交響曲と云へばシカゴ交響楽団とのステレオ録音が天下無双の名盤として有名で、この曲の代表盤として筆頭に挙げられるのみならず、モントゥーの遺産としても随一と讃へられるものだ。モントゥーとシカゴ交響楽団との結びつきは薄いにも関らず、旧知の間柄のやうな表現の細やかさがあり、とても客演とは思へない名演であつた。その為、手兵サンフランシスコ交響楽団との旧盤はモノラル録音と云ふこともあり閑却されてきたのだが、墺PREISERが良い仕事をしてくれた。この旧盤は新盤に匹敵する弩級の名演である。全楽章に亘つて繰り広げられる怒濤のやうな熱気は如何ばかりだらう。サンフランシスコ交響楽団を振るモントゥーは勢ひで押し切る粗雑さが目立つ嫌ひがあるが、管弦楽が全身全霊を注ぎ込んだこの演奏には圧倒され通しだ。ドビュッシーも同傾向の熱演で、最晩年にロンドン交響楽団との名盤があるが、この演奏の価値は充分に評価すべきだ。復刻が真に素晴らしく音に力が漲つてゐる。(2006.6.5)


ベルリオーズ:幻想交響曲
シューマン:交響曲第4番
サンフランシスコ交響楽団
[PREISER RECORDS 90661]

 モントゥーが残した幻想交響曲の録音は7種か8種ある。その中で世評高いのが、1950年にサンフランシスコ交響楽団と録音した当盤だ。僅か5年前の1945年にもモントゥーは録音を残してゐるのだが、サンフランシスコ交響楽団の育成が未だ行き届いてをらず、勢ひだけの雑な演奏であつた。その後、目覚ましく成長を遂げた楽団は覇気をそのままに精緻な演奏を聴かせるやうになつた。戦後のモントゥーが残した幻想交響曲の録音は、立派だが何れも生温い。だから、最も条件の整つた名演は当盤だ。モントゥーはシューマンの交響曲を第4番しか録音しなかつた。雄渾かつ情熱的な演奏だが、派手にならず格調高い。フルトヴェングラー盤は別格として、屈指の名演と云へる。(2009.11.19)


ベートーヴェン:交響曲第5番、序曲「献堂式」、「プロメテウスの創造物」よりアダージョ、序曲「エグモント」、「フィデリオ」序曲、序曲「レオノーレ」第3番
サンフランシスコ交響楽団
[Music&Arts CD-978]

 1941年から52年にかけてモントゥーと手兵サンフランシスコ交響楽団が行つた「日曜の夕べ」なる放送番組の記録を10枚のCDにした愛好家垂涎の好企画盤。1枚目は得意のベートーヴェンであるが、残念ながら第5交響曲はモントゥーの名誉とはならない演奏だ。トスカニーニ張りの猛り立つやうなテンポで激情的な音楽を造るモントゥーの意図を管弦楽団が表現しきれてゐない。特に管楽器の水準が低く、音符を追ふのに精一杯で音が上滑りする箇所が散見される。序曲は何れも名演揃ひだ。威風堂々たる「献堂式」が強奏部でも騒がず豊かな響きを保つ一方、音楽は弛緩することなく気魄も充分で素晴らしい。「エグモント」も荘厳な趣を漂はせた格調高い名演で、弦楽器群の血が通つた響きが見事だ。「フィデリオ」と「レオノーレ」の豪放磊落な昂揚も良い。チェロ独奏が滋味豊かなアダージョも牧歌的情緒の麗しい名演だ。(2006.3.19)


モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」、ピアノ協奏曲第12番より、他
グルック:「オーリードのイフィジェニー」序曲
ハイドン:交響曲第88番
ウィリアム・カペル(p)
サンフランシスコ交響楽団
[Music&Arts CD-978]

 1941年から52年にかけてモントゥーと手兵サンフランシスコ交響楽団が行つた「日曜の夕べ」なる放送番組の記録を10枚のCDにした愛好家垂涎の好企画盤。古典派作品を集めた1枚は、優雅さや節度ある様式美とは無縁で、健康的な情感溢れる堂々たる音楽を展開してをり、モントゥーの個性が良く出てゐる。モーツァルトでは3つの序曲―ドン・ジョヴァンニ、魔笛、後宮への逃走―が噴流のやうな情熱で畳み掛けた名演揃ひで、大いに楽しめる。序曲の演奏とはかくあるべきだ。真摯なカペルの独奏によるピアノ協奏曲第12番は第1楽章の録音を欠いてゐるが、稀少価値が高く演奏も極上なのだ。特に緩徐楽章の詠嘆は胸に迫る。ハフナー交響曲の出来は全般的にモントゥー晩年の再録音の方を採る。グルックは生命力に溢れた名演で、劇的な昂揚が素晴らしい。ハイドンも同様の傾向だが、木管の響きが繊細さを欠いてをり、感銘が殺がれる。(2006.7.2)


シュトラウス:ドン・ファン、死と変容、ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯、「ばらの騎士」組曲
サンフランシスコ交響楽団
[Music&Arts CD-978]

 1941年から52年にかけてモントゥーと手兵サンフランシスコ交響楽団が行つた「日曜の夕べ」なる放送番組の記録を10枚のCDにした愛好家垂涎の好企画盤。モントゥーはシュトラウスの楽曲を好んで指揮したが、録音となるとRCAヴィクターに2曲の正規録音が残る他には晩年のライヴが幾つかあるに過ぎない。当盤では唯一の音源となる「ばらの騎士」組曲が特に貴重だ。演奏は何れもアメリカ西海岸のオーケストラに共通する雰囲気―ハリウッド映画の音楽に通ずる―を持つてをり、雑ながらも絢爛たる響きが楽しめる。しかし、娯楽的過ぎて嫌ひだと云ふ方もゐるだらう。(2006.12.21)


ヴァーグナー:「パルジファル」前奏曲と聖金曜日の音楽、「マイスタージンガー」前奏曲と組曲、他
サンフランシスコ交響楽団
[Music&Arts CD-978]

 1941年から52年にかけてモントゥーと手兵サンフランシスコ交響楽団が行つた「日曜の夕べ」なる放送番組の記録を10枚のCDにした愛好家垂涎の好企画盤。モントゥーによるヴァーグナー作品の録音は多くないので重宝する。しかし、当盤は管弦楽の技量が足りないのと、アメリカ西海岸のオーケストラに特有のハリウッド映画を聴くやうな豪奢で楽天的な響きがする為、一般的には推奨出来ない。世俗的な官能美に満ち溢れたパルジファルが一種特別な面白みがある。(2007.4.14)


ヴァーグナー:「ニーベルングの指環」より3曲、「リエンツィ」序曲
リスト:前奏曲、ハンガリー狂詩曲第2番
サンフランシスコ交響楽団
[Music&Arts CD-978]

 1941年から52年にかけてモントゥーと手兵サンフランシスコ交響楽団が行つた「日曜の夕べ」なる放送番組の記録を10枚のCDにした愛好家垂涎の好企画盤。ヴァーグナーの演奏は映画音楽のやうな調子だが、情念が爆発してをり聴き応へがある。特に劇的な「ヴォータンの告別」が素晴らしい。だが、「リエンツィ」は一本調子で低俗な演奏だ。モントゥーのレペルトワールとして貴重な部類に属するリスト作品の演奏が良い。アメリカ西海岸のオーケストラに特有なハリウッド映画を思はせる甘さと雄渾さを備へた響きが面白い。ストコフスキー張りの豪奢なハンガリー狂詩曲が秀逸だ。(2007.6.4)


ベルリオーズ:ローマの謝肉祭、「ファウストの劫罰」より、「ロメオとジュリエット」より、他
サンフランシスコ交響楽団
[Music&Arts CD-978]

 1941年から52年にかけてモントゥーと手兵サンフランシスコ交響楽団が行つた「日曜の夕べ」なる放送番組の記録を10枚のCDにした愛好家垂涎の好企画盤。モントゥーが得意とするベルリオーズだけに不出来な演奏がひとつもなく、悉く傾聴に値する名演ばかりと云つて差し支へない。「トロヤ人」前奏曲の悲劇的な昂揚は特に素晴らしい。モントゥーにとり唯一の音源となる「キリストの幼時」からの2曲が絶品で、敬虔で秘めやかな歌の美しさには陶然となる。「ローマの謝肉祭」と「海賊」序曲もミュンシュ盤に匹敵する雄渾な名演。「ファウストの劫罰」と「ロメオとジュリエット」からの抜粋は、噎せ返るやうな色気と幾分荒つぽい熱気を発散させるサンフランシスコ交響楽団の良さが出てをり、後年の英國とのオーケストラによる全曲録音よりも演奏内容は優れてゐる。(2007.8.19)


メンデルスゾーン:イタリア交響曲
チャイコフスキー:「ロメオとジュリエット」
ブラームス:ワルツ集、他
サンフランシスコ交響楽団
[Music&Arts CD-978]

 1941年から52年にかけてモントゥーと手兵サンフランシスコ交響楽団が行つた「日曜の夕べ」なる放送番組の記録を10枚のCDにした愛好家垂涎の好企画盤。モントゥーは幅広いレペルトワールを誇つたが、メンデルスゾーンの録音は少ない。熱気に溢れたイタリア交響曲、フィンガルの洞窟、ルイ・ブラスが聴けるのは価値があるが、雑然とした合奏は一寸いただけない。得意としたチャイコフスキーはサンフランシスコ交響楽団特有の映画音楽のやうな響きが心地よい名演で、後年の録音よりも面白く聴ける。ブラームスの作品39のワルツから5曲をヘルツが派手にオーケストレーションした珍曲は、原曲と懸け離れてゐるが、色彩豊かで妙味があり、演奏も雰囲気満点で大いに楽しめる。古き良き時代の懐かしさが漂ふ逸品。(2007.12.3)


メシアン:キリストの昇天より3つの瞑想
デュカ:魔法使ひの弟子
シベリウス:悲しきワルツ
ブラームス:悲劇的序曲、他
サンフランシスコ交響楽団
[Music&Arts CD-978]

 1941年から52年にかけてモントゥーと手兵サンフランシスコ交響楽団が行つた「日曜の夕べ」なる放送番組の記録を10枚のCDにした愛好家垂涎の好企画盤。雑多な曲目で構成された1枚だが、メシアン作品など驚愕の演目が含まれてをり重要な1枚だ。メシアンは世俗的な感情を剥き出しにした演奏だが、生命力に溢れてをり説得力がある。次いで珍しいのはスーザ「星条旗を永遠なれ」で、羽目を外した楽しい演奏だ。シベリウスの悲しきワルツは北欧情緒とは無縁だが情感豊かな名演。トーマ「ミニョン」やデュカ「魔法使ひの弟子」は流石に巧い。得意にしたブラームスは矢張り絶品だ。若干崩れがあるが悲劇的序曲の壮絶な情熱は忘れ難い。抜粋だが第1交響曲の第2楽章も浪漫が滴り落ちるやうな極上の名演である。ロッシーニ「アルジェのイタリア女」とヴェーバーの「オイリアンテ」の序曲は威勢の良い豪快な演奏だが、もう少し繊細さも欲しくなる。(2008.1.12)


リムスキー=コルサコフ:クリスマス・イヴ、ロシアの復活祭、スペイン奇想曲
グラズノフ:バレエの情景
ラフマニノフ:交響曲第2番より、他
サンフランシスコ交響楽団
[Music&Arts CD-978]

 1941年から52年にかけてモントゥーと手兵サンフランシスコ交響楽団が行つた「日曜の夕べ」なる放送番組の記録を10枚のCDにした愛好家垂涎の好企画盤。モントゥーはロシアの管弦楽曲をレペルトワールの柱としてをり、特にリムスキー=コルサコフの録音量は多い。当盤に収録された3曲は充実した名演で、サンフランシスコ時代の覇気漲るモントゥーの良さが存分に出てゐる。演目として珍しい「クリスマス・イヴ」は特に重宝する。比べるとグラズノフの曲は感興が劣るが、これも名演と云へる。驚きの演目はラフマニノフの第2交響曲より第2楽章と第3楽章で、サンフランシスコ交響楽団の奏でる映画音楽宛らの雰囲気が味はひ深い。得意のボロディン「韃靼人の踊り」も威勢の良い名演であるが、これはコンサートホールへの再録音に軍配を上げよう。(2008.2.11)


フランク:前奏曲・コラールとフーガ(ピエルネ編)、贖罪、プシュケとエロス、交響曲
サンフランシスコ交響楽団
[Music&Arts CD-978]

 1941年から52年にかけてモントゥーと手兵サンフランシスコ交響楽団が行つた「日曜の夕べ」なる放送番組の記録を10枚のCDにした愛好家垂涎の好企画盤。モントゥーが最も得意としたフランク作品が纏めて聴ける特上の1枚。ピエルネがオーケストレーションをした前奏曲・コラールとフーガは相当な珍品であるが、演奏は情感豊かで何時しか原曲を忘れるほど素敵だ。些か品のない編曲なのだが、熱く官能的な演奏には思はず魅せられる。贖罪も妖艶な名演だ。クリュイタンスの名盤と共に忘れ難い印象を与へて呉れる。プシュケとエロスにおけるうねりを伴つた情愛も見事だ。妖しきメンゲルベルク盤の次席を占める名演だらう。モントゥーによる交響曲の録音はシカゴ交響楽団との録音が有名だが、当盤は噎せ返るやうなエロスを漂はせた生命力が宿つてをり無下に出来ない。下品な演奏かもしれないが、感銘は後年の録音に匹敵する。(2008.4.19)


グレトリー:「セファールとクロシス」、マスネ:「フェードル」、ロッシーニ:「ウィリアム・テル」序曲、ヴァーグナー:「タンホイザー」序曲、レスピーギ「ローマの噴水」、他
サンフランシスコ交響楽団
[Music&Arts CD-1192]

 1941年から52年にかけてモントゥーと手兵サンフランシスコ交響楽団が行つた「日曜の夕べ」なる放送番組の記録を集成した10枚組箱物に3枚分曲目を追加した新規格盤。10枚は重複だが、3枚の為に購入。13枚組の11枚目は様々な作品を堪能出来る。ファリャ「三角帽子」第2組曲だけはロンドン交響楽団とのライヴがあつたが、他は全て唯一の音源であらう。グレトリーの作品は曲自体が珍しい。軽く爽やかな古典音楽で、演奏も楽しい。ニコライ「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲も軽快な演奏だが、アメリカ西海岸の派手な雰囲気が出てウィーン情緒は微塵も無い。マスネが印象深い。演奏は大変拙く下手なのだが、濃厚な色付けにモントゥーの意気込みが感じられる。この曲にはパレーの絶対的な演奏があつた。ロッシーニとヴァーグナーの序曲、及びファリャは極めて充実した名演である。盛り上げが巧く些細な傷が気にならない。レスピーギも大変貴重な記録だが、演奏は大して面白くない。(2010.7.14)


シューベルト:さすらひ人幻想曲(リスト編曲)、他
ソロモン・カットナー(p)/リリー・クラウス(p)/シェーラ・チェルカスキー(p)、他
サンフランシスコ交響楽団
[Music&Arts CD-1192]

 1941年から52年にかけてモントゥーと手兵サンフランシスコ交響楽団が行つた「日曜の夕べ」なる放送番組の記録を集成した10枚組箱物に3枚分曲目を追加した新規格盤。10枚は重複だが、3枚の為に購入。13枚組の12枚目は伴奏者としてのモントゥーを聴く1枚。目玉は何と云つてもクラウスとの「さすらひ人幻想曲」だ。リストが御丁寧にピアノと管弦楽による編曲を施した珍版である。クラウスには原曲での録音も残るので比較も面白からう。ソロモンとのベートーヴェンの第3協奏曲やチェルカスキーとのチャイコフスキーの第1協奏曲は、第1楽章だけの演奏なので物足りない。演奏内容も特に面白いものではない。コンサート・マスターであるナウム・ブリンダーとボリス・ブリンダーによるブラームスの二重協奏曲も第1楽章だけだが、なかなかの名演である。(2010.10.9)


ウォルトン:「ファサード」組曲
シューマン:交響曲第4番
モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」
シベリウス:「ポヒョラの娘」、他
サンフランシスコ交響楽団
[Music&Arts CD-1192]

 1941年から52年にかけてモントゥーと手兵サンフランシスコ交響楽団が行つた「日曜の夕べ」なる放送番組の記録を集成した10枚組箱物に3枚分曲目を追加した新規格盤。10枚は重複だが、3枚の為に購入。13枚組の13枚目は極めて充実した内容だ。シューマンの第4番には同時期に行はれたセッション録音があるが、当盤は雑とは云へ熱気があり、なかなかの好演だ。重要なのは初レペルトワールとなるジュピター交響曲だ。明るく健康的なモントゥーの演奏はハ長調交響曲で良い作用を生み、力強い名演となつてゐる。繊細さはないが、新発見音源の目玉だ。シベリウスは大変興味深いが、大味な演奏で感興が殺がれる。また、終結部に珍妙な編曲があるのも良くない。ウォルトンは大変珍しい。活気に充ちた名演だ。余白にアルファノの歌劇「復活」からアリアとチャドウィックの「ジュビリー」が収録されてゐる。(2010.1.10)


ドビュッシー:夜想曲より祭
シューベルト:グレイト交響曲
ニューヨーク・フィル/ボストン交響楽団
[Tahra TAH 659]

 モントゥーの稀少録音だ。ドビュッシーは1944年のニューヨーク・フィルとの実況録音だが、Vディスクといふ第二次世界大戦中に軍に配布された珍品への記録で、かなり貴重だ。残響のない録音だが、演奏は熱気があり、一気呵成に運んだモントゥーらしい名演だ。シューベルトは良好な関係を継続してきた古巣ボストン交響楽団との演奏で、1956年のモスクワ遠征ライヴだ。グレイト交響曲はモントゥー唯一の録音で大変貴重だ。しかし、モントゥーが振るシューベルトは概して良くない。健康的過ぎるのだ。特に第2楽章はシューベルトの病的な悲観や諦観が聴こえてこない。歌も芳醇過ぎる。第1楽章序奏から主部への移行も熟れてゐない。第3楽章以降は勢ひもあり、安心して聴けた。(2016.6.17)


ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
ストラヴィンスキー:「火の鳥」組曲
ヴィルヘルム・バックハウス(p)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[Tahra TAH 541-542]

 初出となる1950年10月19日のモントゥーとコンセルトヘボウとの共演記録を収録した2枚組。残念乍ら音質が悪く水準以下だ。音像が遠くノイズも多い。正直申して蒐集家以外にはお薦め出来ない。1枚目を聴く。注目はバックハウスとのブラームスだらう。バックハウスにはボールトとベームと共演した2種があり、モントゥーにはカッチェンとの名盤がある。ブラームスを得意とした両者の組み合はせが悪からう筈がない。演奏内容は抜群で、硬質で揺るぎのないバックハウスのピアノが作品の世界と一致してゐる。下手に耽美的にならないから僅かな浪漫の発露が活きてくるのだ。モントゥーも素晴らしい伴奏を付けてゐる。しかし、繰り返し述べるが音が悪く、名演が届かない。ストラヴィンスキーにも同じことが云へる。名演だと思ふがこの音では鑑賞するのが辛い。(2015.2.18)


ベルリオーズ:ローマの謝肉祭、幻想交響曲
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[Tahra TAH 541-542]

 再びモントゥーを聴く。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との共演記録を収録した2枚組。ローマの謝肉祭は1枚目の1950年10月19日の公演、ブラームスの協奏曲とストラヴィンスキーの火の鳥の前座として演奏された。演奏は乙だが録音状態が悪く楽しめない。一方、1962年6月4日のウィーン公演における幻想交響曲は音質が水準並みで鑑賞に耐え得る。これも初出となる貴重な音源である。色気のあるオーケストラの力量もありモントゥーの残した幻想交響曲の中でも上々の出来だ。標題を意識せぬ絶対音楽としての演奏は常乍らも色彩と官能が豊かで聴き応へがある。情感豊かな第3楽章は名演だ。(2015.6.14)


ストラヴィンスキー:ペトリューシュカ、春の祭典
リムスキー=コルサコフ:「金鶏」より序奏と結婚の行進
フランス国立放送管弦楽団
[Music&Arts CD-1182]

 1952年から58年の期間におけるフランス国立放送管弦楽団との公演記録を8枚のCDにした多数の初出音源を含む愛好家垂涎の好企画盤。1枚目は主要なレペルトワールであつたストラヴィンスキーとリムスキー=コルサコフの作品だ。ペトリューシュカは1958年の演奏で、一部1955年の音源で欠落を補つてゐる。初演者モントゥーの演奏に期待が掛かるが、残念ながらフランス国立放送管弦楽団の技量がお粗末で、全く価値がない録音だ。これに比べると1955年に演奏された春の祭典の出来は幾分良いが、当盤を含め、初演者モントゥーの録音は何れも面白くない。1958年の演奏であるリムスキー=コルサコフは名演であるが、ミュンシュのコンサートホール盤に比べると詰まらない。(2010.5.4)


ベートーヴェン:交響曲第9番
マリア・シュターダー(S)/ヨーゼフ・グラインドル(Bs)、他
フランス国立放送管弦楽団と合唱団
[Music&Arts CD-1182]

 1952年から58年の期間におけるフランス国立放送管弦楽団との公演記録を8枚のCDにした多数の初出音源を含む愛好家垂涎の好企画盤。2枚目は1958年11月6日のシャンゼリゼ劇場における第9交響曲の演奏記録だ―仏Tahraからも発売されてゐる。当日はクープラン/ミヨー編曲の「サルタン」から序曲とアレグロ及びヒンデミット「気高き幻想」も演奏された―4枚目と5枚目に収録されてゐる。モントゥーが残した第9交響曲ではウエストミンスターへのセッション録音が有名だが、当盤の演奏も劣らず実に立派な名演である。殊更深刻ぶらずに分厚い響きと豊かな情感で聴かせ、常に音楽が活きてゐるのがモントゥーの特徴だ。明るい合奏で祝典的に盛り上げた終楽章も素晴らしく独唱陣も立派だ。神妙さには欠ける嫌ひがあるが、風格ある一流の名演だ。(2014.4.3)


ベートーヴェン:交響曲第2番
モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番
プロコフィエフ:古典交響曲
ロベール・カサドシュ(p)
フランス国立放送管弦楽団
[Music&Arts CD-1182]

 1952年から58年の期間におけるフランス国立放送管弦楽団との公演記録を8枚のCDにした多数の初出音源を含む愛好家垂涎の好企画盤。3枚目を聴く。それぞれ演奏日時が異なり、日付ごとに編集をして欲しかつた。ベートーヴェンはモントゥーの得意とした曲だけに確かな手応へを感じるが、ロンドン交響楽団や北ドイツ交響楽団との見事なセッション録音と比べると細部の詰めが雑で精度が劣る。モーツァルトは管弦楽の伴奏が無粋で陰影がなく大味で、アンサンブルも乱れてをり良くない。独奏のカサドゥシュの演奏が大変素晴らしく、ベートーヴェン張りのカデンツァが天晴れなだけに残念だ。モントゥーによるプロコフィエフは珍しい。勢ひはあるが取り立てて高評価となる特徴はない。(2016.3.20)


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番
ベートーヴェン:交響曲第8番
ヒンデミット:気高き幻想
アニー・ジョドリー(vn)
フランス国立放送管弦楽団
[Music&Arts CD-1182]

 1952年から58年の期間におけるフランス国立放送管弦楽団との公演記録を8枚のCDにした多数の初出音源を含む愛好家垂涎の好企画盤。4枚目はドイツ作品で構成されてゐる。モーツァルトの独奏者ジョドリーはモントゥーの温かい棒の下、思ふ存分弾いてをり、時に奔放さも見せてなかなかの名演である。ライヴ録音ならではの瑕もあるが、総じて素晴らしい。モントゥーの伴奏は堂々として健康的で明るく立派なのだが、翳りがなく、第2楽章などで物足りなさを感じる。ベートーヴェンはモントゥーの得意とした番号であり安定の名演だ。冒頭から抜群の推進力で音楽に力が漲つてゐる。最も印象的なのは第2楽章で、快速テンポで力強いリズムを刻んで始まり、愛くるしさは皆無だ。豪快さが前面に出て愉快この上ない。大交響曲の盛り上がりを見せる第4楽章も最高。正規録音こそないが、モントゥーはヒンデミット作品で名演を残してゐる。正攻法で立派に演奏するものだから、純粋に仕上がりが良い。中世風の荘厳な響きを見事に表現してゐる。名演だ。(2018.10.18)


ドビュッシー:映像、遊戯
ラヴェル:シェヘラザード
クープラン:「スルタン妃」より序曲とアレグロ(ミヨー編)
モイサン(S)
フランス国立放送管弦楽団
[Music&Arts CD-1182]

 1952年から58年の期間におけるフランス国立放送管弦楽団との公演記録を8枚のCDにした多数の初出音源を含む愛好家垂涎の好企画盤。5枚目は得意としたフランス音楽の作品が収録されてゐる。サンフランシスコ交響楽団時代には故意に録音を避けたほど、モントゥーのドビュッシーへの思ひ入れには格別の趣がある。1956年の録音である映像にはロンドン交響楽団を指揮したフィリップス盤の極上の名盤があるので当盤の価値は下がるが、遊戯は重要だ。何と云つてもモントゥーは遊戯の初演者である。この曲がこれほどの命を吹き込まれて演奏されたのを知らない。決定的な名演と云へるだらう。モイサンの独唱によるラヴェルは1952年の録音。モントゥーにはロス=アンヘルスとの録音もあつた。情感溢れる佳演だ。ミヨー編曲によるクープランが掘り出し物だ。極彩色のオーケストレーションで浪漫的な感情を注入した演奏は、様式を超えて心に響く。(2011.3.23)


レスピーギ:ローマの松
シュトラウス:死と変容
ベートーヴェン:交響曲第7番
フランス国立放送管弦楽団
[Music&Arts CD-1182]

 1952年から58年の期間におけるフランス国立放送管弦楽団との公演記録を8枚のCDにした多数の初出音源を含む愛好家垂涎の好企画盤。6枚目はレペルトワールの多様さを確認出来る内容だ。レスピーギとシュトラウスは1956年5月3日のパリ公演の記録で、他にベートーヴェンの第2交響曲が演奏された―3枚目に収録されてをり、何故この6枚目に纏めなかつたのか理解に苦しむ。レスピーギが豊麗な名演。多くの指揮者が雰囲気を重視し、繊細な弱音で聴かせる箇所でも―特に3曲目―楽器を鳴らし切り、レスピーギの色彩的な管弦楽法を前面に押し出してゐる。トスカニーニの凝縮した演奏とは正反対で、開放的で官能的だ。洪水のやうな響きに呑まれさうになる圧倒的な名演。シュトラウスは随所にしくじりが見られ良くない。ベートーヴェンの第7交響曲は1952年6月13日のストラスブール公演の記録。特別な価値はないが、王道を行く正攻法の名演には違ひない。(2011.12.4)


チャイコフスキー:交響曲第5番
エルガー:エニグマ変奏曲
フランス国立放送管弦楽団
[Music&Arts CD-1182]

 1952年から58年の期間におけるフランス国立放送管弦楽団との公演記録を8枚のCDにした多数の初出音源を含む愛好家垂涎の好企画盤。7枚目を聴く。得意としたチャイコフスキーが好演だ。モントゥーによる第5交響曲の録音ではボストン交響楽団とのセッション録音を第一に推したいが、当盤の演奏も肉迫する素晴らしさだ。各楽器が鳴り切つてをり、通常は聴こえてこない声部も浮き上がつてくる。テンポは速過ぎず遅過ぎず絶妙だ。何よりも素晴らしいのは情感豊かな表情だ。特にチェロ・パートの甘い歌心は天晴である。壮麗で享楽的な演奏であり、謹厳なムラヴィンスキーの演奏とは系統が異なるが、第2楽章などは最上級の演奏である。モントゥーの十八番であるエルガーも良いが、大変優れたセッション録音があるし、コンセルトヘボウ管弦楽団との名演やトスカニーニ追悼公演での極上の名演があるので、特別な価値は見出せない。(2013.3.21)


ヴァーグナー:「さまよへるオランダ人」序曲
フランク:交響曲
フランス国立放送管弦楽団
[Music&Arts CD-1182]

 1952年から58年の期間におけるフランス国立放送管弦楽団との公演記録を8枚のCDにした多数の初出音源を含む愛好家垂涎の好企画盤。8枚目を聴く。ヴァーグナーは雄渾かつ野太い音楽が充溢してをり、聴き応へがある。響きは明るく健康的なので、往年のドイツの巨匠らが奏でた呪はしくも官能が疼く演奏とは異なる。蓋し立派な演奏だ。モントゥーが振るフランクは常に素晴らしい。有名なシカゴ交響楽団との録音も、手兵であつたサンフランシスコ交響楽団との録音も極上の名演であつた。当盤も同じくらゐ感銘深い出来だ。思はせ振りな弱音はなく、楽器が鳴り切つた渾身の演奏で、幻想的な瞑想に耽つたりせず、弛緩なく猛烈に前進する。隙のない合奏、情感溢れる響きはモントゥーの棒が生み出す特徴だ。フランス国立放送管弦楽団は流石に曲を手中に修めてをり、壮麗な名演を聴かせる。(2012.6.3)


メンデルスゾーン:イタリア交響曲、ピアノ協奏曲第1番
シューマン:「マンフレッド」序曲、序奏とアレグロ・アパッショナート
ルドルフ・ゼルキン(p)
ボストン交響楽団
[West Hill Radio WHRA 6034]

 1958年から1959年のシーズンにモントゥーが古巣ボストン交響楽団に客演した記録11枚組。1959年8月1日の公演で、独奏者にゼルキンを迎へてのメンデルスゾーンとシューマンといふプログラムだ。イタリア交響曲にはサンフランシスコ交響楽団との放送録音もあつたが、ボストン交響楽団との演奏は格別で、技量と表現力の差が顕著だ。爆発的な推進力と熱気を孕んだ明るく健康的な演奏だ。特に第1楽章は絶品で拍手喝采を送りたい。だが、難癖かも知れぬが、メンデルスゾーン特有の優美さと憂愁が抜け落ちてをり、幾分能天気な演奏に聴こえる。情感豊かに鳴つた立派な演奏だが、クーセヴィツキーの演奏の方が一段上だ。マンフレッドにも同じことが云へる。最大の聴き物はピアノ協奏曲だ。ゼルキンのピアノも良いのだが、モントゥーの棒が熱く、音楽の主導権を握つてゐる。白熱した追ひ込み、疾駆する熱情に圧倒される。ゼルキンも玲瓏たるピアニズムを聴かせ曲想と一体化した名演を繰り広げる。但し、ピアノ独奏に関して云へば、古いモイセイヴィッチの録音には及ばない。滅多に聴かれないシューマンの晩年の作品も真摯な取り組みで見事だが、完全に曲を掌握した演奏とは云ひ難い。(2018.5.14)

ドビュッシー:海、夜想曲
ボストン交響楽団
[RCA 88843073482]

 モントゥーのRCA録音―米國での録音―全集40枚組。モントゥーはドビュッシーを得意として素晴らしい録音を幾つも残したが、最も重要な作品である海は唯一の録音。明晰かつ健康的な解釈で、力強い演奏には一種特別な良さがある。雰囲気には乏しいが、細部まで輪郭を際立たせた代表的名盤である。実はこの演奏では3曲目において改訂の過程で削除された音符が復活及び変更がされた稀有な録音でもある。聴き慣れない音が数箇所あり面白からう。この録音の復刻は勿論出てゐたが、この全集では1曲目の一部分だけだが初出となる未発売別テイクが丁寧に収録されてゐる。蒐集家には嬉しいことだ。夜想曲は後年にもシレーヌを除いての再録音があるが、全曲録音はこれだけだ。海と同じく標題から離れ、絶対音楽を追求した個性的な名演。(2016.11.4)


ドリーブ:「シルヴィア」組曲、「コッペリア」組曲
ボストン交響楽団団員
[RCA 88843073482]

 モントゥーのRCA録音―米國での録音―全集40枚組。1919年から1924年までモントゥーはボストン交響楽団のシェフであつた。サンフランシスコ交響楽団の技量に不満を持つてゐたモントゥーは1951年以降、古巣の名門ボストン交響楽団を起用することが多くなり、傑作レコードを続々と製作した。このドリーブはそのひとつで、組曲版の録音では今日でも最上位に置かれる名盤だらう。交響的な充実は比類がなく、バレエ云々を超えて音楽の愉悦がある。さて、この録音の復刻は勿論出てゐたが、この全集ではコッペリアから「プレリュードとマズルカ」の初出となる未発売別テイクが丁寧に収録されてゐる。蒐集家には嬉しいことだ。(2016.9.3)


ベートーヴェン:交響曲第1番、同第2番、「フィデリオ」序曲、「エグモント」序曲、「シュテファン王」序曲
ウィーン・フィル/ロンドン交響楽団
[DECCA 480 8895]

 レーベルやオーケストラの統一性がないが、曲りなりにもモントゥーによる交響曲全集である。第1交響曲はウィーン・フィルとの録音。第1楽章は凡庸で盛り上がりもなく退屈な演奏だ。第2楽章の気品ある丁寧さには好感が持てる。第3楽章になると一変し俄然燃え立つ。テンポも速い。第4楽章も序奏から気合ひ充分、主部も推進力が素晴らしい。前半楽章が面白くないだけに惜しい。第2交響曲と序曲3曲はロンドン交響楽団との録音。交響曲は覇気が漲り細部まで立派だ。弱音に捕はれず内声部を厚く鳴らすのはモントゥーの何時もの手法で成功してゐる。名演と云へよう。特に第2楽章の美しさは印象的だ。序曲では「シュテファン王」序曲が決定的名演だ。明るく堂々と鳴らし格調高い。「フィデリオ」序曲も同様で素晴らしい。「エグモント」序曲は終結部が安定しないので感銘が落ちる。(2015.10.31)


ベートーヴェン:交響曲第3番、同第8番
ウィーン・フィル
[DECCA 480 8895]

 レーベルやオーケストラの統一性がないが、曲りなりにもモントゥーによる交響曲全集である。2曲ともモントゥーが得意とした曲で、録音も多数残る。名門ウィーン・フィルとの組み合はせの結果は如何に。結論から申すと残念さが勝る。まず、モントゥーの外連のない格調高い音楽観、内声部を鳴らした立派な響きの良さは常乍ら素晴らしい。だが、ウィーン・フィルは本来優美で柔和な音によつて一種特別な存在感を示し、個々の色気のある音色で魅せるオーケストラなのだ。両者が見出した中間地点は綺麗で中庸で他人事な演奏であつた。2曲とも聴こえにくい中声部がよく聴こえて面白いが、肝心の減り張りが弱く、踏み込みも弱い。他団体との録音を聴く方が良い。(2019.7.1)


ベートーヴェン:交響曲第4番、同第7番
ロンドン交響楽団
[DECCA 480 8895]

 レーベルやオーケストラの統一性がないが、曲りなりにもモントゥーによる交響曲全集である。第4交響曲はモントゥーが得意とし、正規セッション録音だけでも当盤の他にサンフランシスコ交響楽団と北ドイツ放送交響楽団との録音が残る。当盤の演奏は音質を含めて申し分ない出来栄えだが、特段突き抜けた特色がなく、無難な印象を受ける。穏当で安心して聴けるが長く記憶に残らない。第7交響曲の方が優れた演奏だ。第1楽章から格調高い響きが豊かに広がり熱気も素晴らしい。但し、ヴェーバーが酷評したやうなデモーニッシュな狂気は見受けられず、極めて健康的な演奏で幾分物足りない。しかし、終楽章だけは文句なく素晴らしい。快速テンポによる凄まじい推進力が持続する。弱音指定も気にせず小細工なしの真つ向勝負で、聴き手を興奮の坩堝へと導く。(2017.10.23)


ドヴォジャーク:交響曲第7番
エルガー:エニグマ変奏曲
ロンドン交響楽団
[DECCA 480 5019]

 晩年のモントゥーが米RCA―英DECCAと提携―に残した極上の名演。ドヴォジャークは私見ではこの曲の最も優れた演奏である。冒頭から確信に充ちた音が拡がり、説得力が尋常ではない。情感豊かな響き、雄弁なテンポ、熱気ある推進力、全体と細部の有機的な融合、全てにおいて文句の付け所のない立派な仕上がりだ。第7交響曲は最もブラームス風の交響曲だ。モントゥーはブラームスを非常に得意とした。渋みのある格調高い重厚な演奏は幸福な出会ひであつた。書かれた音符を寸分漏らさず立体的に鳴らした手腕は流石だ。込み入つたリズム処理でもアンサンブルの手綱が見事だ。唯一難癖を付けるならチェコの指揮者らが注入した土俗的な民族色がないことだ。だが、モントゥーの普遍的な名演はそれら民族色に頼つた演奏の数段上に位置する。エルガーは決定的名演だ。モントゥーには幾つか録音が残るが、ロンドン交響楽団の自負もあり、この正規録音が断然最高だ。何といふ濃密な情感が漂ひ、高貴な響きがすることだらう。あらゆる英國の指揮者の名演を押し退けて君臨する神々しき名演だ。(2017.6.24)


ロッシーニ:「アルジェのイタリア女」序曲
ブラームス:交響曲第3番
シューマン:交響曲第4番
BBCノーザン交響楽団/BBC交響楽団
[BBC LEGENDS BBCL 4058-2]

 ロッシーニとブラームスがBBCノーザン交響楽団との演奏、シューマンがBBC交響楽団との演奏。モントゥーが最も共感を寄せてゐたブラームスの第2交響曲には名盤が何種も残されたのだが、他の曲は正規の録音がなく愛好家の関心の的であつた。この第3番の録音は重宝されるべきものだが、名門アムステルダム・コンセルトヘボウとの極上のライヴ録音が登場したことで価値を失つた。一言で片付けて仕舞へば、BBCノーザン交響楽団が余りにも下手なのだ。管楽器のピッチが揃はないのは酷い。BBC交響楽団とのシューマンは安心して聴けるが、この曲にはRCAに素晴らしい正規録音があるので、大して価値はない。(2008.8.1)


ケルビーニ:「アナクレオン」序曲
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
シュトラウス:「ドン・ファン」
ベルリオーズ:ラコッツィ行進曲
ロイヤル・フィル/ロンドン交響楽団、他
[BBC LEGENDS BBCL 4112-2]

 一見演奏会プログラムのやうだが、音源は寄せ集めでオーケストラも様々である。モントゥーのレペルトワールは驚く程広く、独仏露の作曲家を取り混ぜて組むのを好んでゐたので、このやうな演奏会もあつたに違ひない。当盤の注目は何と云つても「エロイカ」であらう。名盤と謳はれるコンセルトヘボウを振つた蘭PHILIPS録音の2年前の演奏で、比較の興味も湧く。各オーケストラから持ち得る最良の音楽を引き出すことこそモントゥー藝術の奥義であり、名門オーケストラが挙つてモントゥーに敬意を表した所以である。このロイヤル・フィル盤がコンセルトヘボウ盤に劣るのは止むを得ないが、演奏自体は立派なものだから愛好家には推薦出来る。その他の曲目では、「アナクレオン」序曲が威風辺りを払ふ堂々たる名演である。「ドン・ファン」は活気があり豪快だが、色気や侘しさに欠ける平板な演奏で、健康的なモントゥー藝術の弱みが出たと云へるだらう。(2005.4.5)


ベルリオーズ:ファウストの劫罰
レジーヌ・クレスパン(S)/アンドレ・タープ(T)/ミシェル・ルー(Br)、他
ロンドン交響楽団と合唱団
[BBC LEGENDS BBCL 4006-7]

 モントゥーにとつてベルリオーズは重要なレペルトワールであるが、名曲「ファウストの劫罰」の全曲録音は1962年の当ライヴ盤のみとなり、大変価値のある記録だ。独唱陣と合唱は申し分なく立派だが、これは歌手に自然な呼吸をさせるモントゥーの棒に依るところが大きい。特に最終部の女声合唱は崇高な美しさに溢れてゐる。だが、モントゥーが振るベルリオーズ全般に云へるのだが、堂々たる響きの立派さや威厳を持つて崩れない音楽の流れに敬服するものの、曲想が持つ狂つたやうな情熱の迸りに欠けるので、退屈で凡庸に感じる箇所があるのも事実だ。特に地獄への騎行などは生温く、ミュンシュの名盤には遥かに及ばない。(2006.2.25)


ベートーヴェン:交響曲第2番、同第4番
北ドイツ放送交響楽団
[SCRIBENDUM SC013]

 モントゥーが、サンフランシスコ交響楽団時代から録音を繰り返してゐるお得意の2曲であり、出来栄えは文句の付けやうがない。モントゥーは概して大見得を切つたりしない。表現の幅が大きくない為、主張が弱いやうにも聴こえるが、管弦楽から豊かな情感を導き出す点において稀代の指揮者である。常に気品を失はず、実によくオーケストラを鳴らす。妥当なテンポをとり、極端な強弱を指示せず、楽器のバランスをとるから可能な術なのだ。第2番のアレグロ楽章は老人の棒とは思えない覇気漲る名演。(2004.7.5)


ベルリオーズ:幻想交響曲
ボロディン:韃靼人の踊り
北ドイツ放送交響楽団
[SCRIBENDUM SC013]

 モントゥーが残した幻想交響曲の録音は7種か8種ある。この最晩年の演奏は中でも優れたものと云えるが、正直なところモントゥーが指揮した幻想交響曲にはどれも大して感心しない。この曲には気違ひじみた情熱が不可欠だ。狂へるだけ狂つた演奏の方がいい。モントゥーは格式が高く、分別があり過ぎる。さておき、組み合はされたボロディンが滅法痛快な名演なのだ。ヴァイオリンが冒頭主題を滔々と歌ふ部分が情感の豊かさで聴かせる。コーダでは後打ちパートの気概が凄まじく、オーケストラが血湧き肉踊り、存分に鳴り切つてゐる。こんなに面白い曲だつたのか。(2004.8.9)


ヴァーグナー
リムスキー=コルサコフ
ムソルグスキー
北ドイツ放送交響楽団
[SCRIBENDUM SC013]

 リムスキー=コルサコフ「スペイン綺想曲」が恰幅のよい名演であり、コーダの熱烈な興奮が印象的だ。モントゥーの指揮した演奏を聴くと、何時も木管楽器に耳が傾く。多彩な情感、自然な呼吸による歌を引き出してゐる。演奏の現場に関はる方ほど、モントゥーの偉大さを理解出来るだらう。ムソルグスキー「禿げ山の一夜」も同様の秀演だが、曲想を考慮すれば一寸上品過ぎる。ストコフスキーのオカルト趣味を知る者には物足りない。モントゥーのヴァーグナーには予てより感心するものがない。「さまよえるオランダ人」序曲も「トリスタンとイゾルデ」前奏曲も堂々として情感豊かだが、陶酔がない。ヴァーグナーはロマネスクよりもゴシックが相応しい。(2004.9.2)


モーツァルト:交響曲第35番、同第39番
チャイコフスキー:「ロメオとジュリエット」
北ドイツ放送交響楽団
[SCRIBENDUM SC013]

 第35番「ハフナー」の第1楽章が一気呵成に運んだ豪快にして祝典的な演奏であり、小躍りしたくなるやうな音楽に仕上がつてゐる。終楽章も同様の秀演。大変聴き栄えのする名演と云ひたいのだが、より繊細で華奢で陰影のあるモーツァルトが恋しい。モントゥーの指揮するモーツァルトは健康的過ぎるのだ。第39番など深遠なるムラヴィンスキー盤と比べると分が悪い。チャイコフスキーは当盤の他にロンドン響とのライヴもあるが、印象は殆ど同じだ。豊かな情感が溢れ出た演奏である。(2004.9.30)


ベートーヴェン:交響曲第9番、リハーサル風景、ラ・マルエイエーズ
エリザベート・ゼーダーシュトーム(S)/ジョン・ヴィッカーズ(T)
ロンドン・バッハ合唱団/ロンドン交響楽団、他
[Universal Korea DG 40030]

 ウエストミンスター・レーベルの管弦楽録音を集成した65枚組。韓国製だがオリジナル仕様重視で大変立派な商品だ。モントゥーはベートーヴェンの交響曲の第1番から第8番までをDECCAと提携したRCAレーベルへ一気に録音したのだが、第9番のみはほぼ同時期の録音なのにウエストミンスターに録音した。その為、全集としての箔が付かず冷や飯を食はされてゐる。演奏は管弦楽奏者なら思はず唸つて仕舞ふやうな立派な指揮だ。スコアを丁寧に読み込んでをり、細部に神が宿つた演奏だ。第1楽章展開部での第2ヴァイオリンの活躍などはお手本と云へ、立体的で明晰な響きはモントゥーの独擅場だ。第2楽章も密度が濃い。音の長さ、速さ、強さ、徹底的に指示が行き渡つた演奏なのだ。素晴らしいのが第3楽章で、豊かな情感と意味深い和声進行は流石だ。しかし、第4楽章で著しく感銘が落ちる。独唱陣が脆弱でウォードの出だしから力瘤が入らない。合唱も綺麗に纏まつた感があり詰まらない。最後で覇気も失ひ、竜頭蛇尾の演奏となつて仕舞つた。有名なリハーサル録音風景の録音がある。第1楽章から第3楽章までで、80歳近くとは思へない若々しく通る美声と疲れを知らない歌による的確な指示で、終始和やかで充足した最高の稽古なのだ。最後にはラ・マルセイエーズの即興演奏があり実に気持ち良くリハーサルを打ち上げる。(2014.6.30)


チャイコフスキー:「ロメオとジュリエット」、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第5番
ロンドン交響楽団
ジョン・オグドン(p)
[VANGUARD CLASSICS OVC 8031/2]

 1963年5月31日ウィーン音楽祭におけるライヴ録音。モントゥーは1960年よりロンドン交響楽団の首席指揮者を勤め、藝歴の絶頂を極めた。ロンドン交響楽団を指揮した録音に不味いものはなく、全ての声部を無理なく鳴らすと云ふモントゥー藝術の神髄が、良き録音を通じて初めて諒解出来るものばかりである。当盤は実況録音故に音の鮮明度には欠けるが、当時88歳のモントゥーが翌年大往生するとは到底思へない若々しい覇気に充ちた演奏を繰り広げてゐる。「ロメオとジュリエット」は強奏部での堂々たる威厳、弱音部での情感豊かな仕上げが見事。オーケストラ奏者には新しい発見がある演奏に違ひない。協奏曲はモントゥー唯一の録音として重要。オグドンは当演奏の前年、第2回チャイコフスキー・コンクールの王冠をアシュケナージと分かち合つた時の人で、腕達者で気概に富んだ演奏を披露してゐる。哀愁漂ふ旋律を慰めるやうに歌はせるモントゥーの伴奏が魅力的だ。得意の演目である交響曲も終楽章のトランペットに傷があるが、総じて立派なものだ。(2005.3.12)


ベートーヴェン:交響曲第4番
エルガー:エニグマ変奏曲
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲
イスラエル・フィル
[Helicon classics IPO 02-9641]

 何と晩年のモントゥーがイスラエル・フィルに客演した記録が残つてゐた。1964年3月7日テル=アヴィヴでの演奏だ。モントゥーが得意とした演目だけで構成されてをり興味深い。だが、所詮は客演で、モントゥーが残した神々しいセッション録音と比較すると殆ど価値は見出せないのが実感だ。ベートーヴェンは実演ならではの昂揚があり、イスラエル・フィルの技量も気にならないので安心して聴ける。だが、情感豊かに立体的な響きで聴かせたセッション録音を凌ぐほどではない。演奏自体はエルガーが感情が溢れて威勢が良く、最も聴き応へがある。とは云へ、セッション録音の高貴で妖艶な美しさはない。ラヴェルは繊細さに欠け良くない。どの演奏もライヴならではの瑕があり、楽器間のバランスが悪いところが散見される。蒐集家以外にはお薦めしかねる。(2017.2.28)



声楽 | 歌劇 | 管弦楽 | ピアノ | ヴァイオリン | 室内楽その他


BACK