楽興撰録

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フェレンツ・フリッチャイ


ハイドン:交響曲第44番「悲しみ」、同第95番、同第98番
ベルリンRIAS交響楽団
[DG 00289 479 2691]

 DG録音全集第1巻45枚組。フリッチャイは往時ハイドンを積極的に取り上げた数少ない指揮者のひとりだ。第44番と第95番といふ短調作品のアルバムは意欲的な取り組みである。特に「悲しみ」は疾風怒濤期の録音としては最初期のもので特筆される。演奏は極めて浪漫的で時代を感じるが、全体的には木目細かく楽曲に切り込んでをり流石だ。肝心の第1楽章がべたついてをり面白くないが、疾駆する第4楽章の劇的昂揚は絶品だ。ハ短調交響曲は軽妙さを演出した演奏で短調作品としては物足りないのだが、第1楽章第2主題や第3楽章トリオの晴れやかさは見事だ。抱き合はせの第98番が名演だ。第2楽章の滋味豊かな音楽は風格がある。躍動する第4楽章は弛緩することなく多彩な表情を聴かせて呉れる。


モーツァルト:交響曲第29番、同第35番「ハフナー」、同第41番「ジュピター」
ベルリンRIAS交響楽団
[DG 00289 479 2691]

 DG録音全集第1巻45枚組。敬愛し得意としたモーツァルト作品だが、交響曲の録音は意外と少なく、第29番とジュピターには再録音があるから演目で云ふと5曲しか正規録音を残してゐない。1952年から1955年にかけての録音で推進力漲るのが特徴だ。矢張り曲の力もありジュピターが聴き応へがある。しかし、細部は雑然としてをりこの曲の決定盤とするには程遠い。ハフナー交響曲も同様だ。第1楽章の祝祭的な熱狂は見事だが、荒々しく品位に欠ける。メヌエットなどは面白くない。一気に駆け抜ける最終楽章は爽快で素晴らしい。イ長調交響曲だが、第1楽章はゆつくりしたテンポで表情も浪漫的だ。第4楽章で聴かせる官能的なポルタメントもフリッチャイの藝風とは一致しない。3曲とも完成度が低く印象に残る演奏ではない。


モーツァルト:交響曲第29番、同第39番、フリーメイソンの為の葬送音楽、アダージョとフーガ
ウィーン交響楽団/ベルリン放送交響楽団
[DG 00289 479 2691]

 DG録音全集第1巻45枚組。フリッチャイは最晩年にウィーン交響楽団とモーツァルト後期三大交響曲と第29番を録音した。1961年録音の第29番は再録音になる。表情豊かでひとつひとつの音を大事にした演奏だが、遊びや軽快さがなく、ドイツ的な生真面目な演奏と云へよう。RIAS交響楽団との旧録音よりも素晴らしいと感じるが、抜きん出た録音とは云ひ難い。1959年録音の第39番は堂々たる堅牢な演奏で、第40番や第41番の録音と共通する総決算とも云へる仕上がりだ。とは云へ、最上級とまでは云へない。酷なことだが、これはウィーン交響楽団の実力に起因する限界なのだ。1960年に録音されたベルリン放送交響楽団との2曲が傑作だ。フリーメイソンの為の葬送音楽は真摯極まりなく、胸に惻々と迫る圧倒的名演で、フリッチャイが残したモーツァルト録音の白眉だらう。アダージョとフーガも良い。この曲は大物指揮者による録音がなく、物足りなさを感じてゐたが、この録音こそは理想的で、厳格を極めた名演である。


モーツァルト:交響曲第40番、同第41番「ジュピター」、アイネ・クライネ・ナハトムジーク
ウィーン交響楽団/ベルリン・フィル
[DG 00289 479 2691]

 DG録音全集第1巻45枚組。フリッチャイが特別な想ひを込めて演奏に取り組んだモーツァルトの傑作群。これらの録音は活動の最後期にあたり、内容に深みが感じられる。第40番は1959年の録音。遅めのテンポで情感豊かな音楽が造られる。ひとつひとつの音が意味深く、流石と感心する箇所も多いが、ドイツの巨匠らの演奏と大差はなく、このフリッチャイの録音が特別な意義を持つてゐるとは云ひ難い。指揮活動を断念する1961年に録音されたジュピター交響曲が素晴らしい。再録音となるが、細部まで息遣ひが感じられる一段上の演奏になつてゐる。特色が薄い嫌ひはあるが、真摯この上ない名演である。1958年に名門ベルリン・フィルと録音したセレナードが極上だ。一寸威勢が良過ぎるかもしれぬが、完璧な演奏だ。それでも第3楽章までは優良な演奏と云ふに止めたいが、喜びに満ち溢れた推進力抜群の第4楽章は古今最高だ。ヴィオラの活躍が滅法楽しい。


ベートーヴェン:交響曲第1番、同第8番
ベルリン・フィル
[DG 00289 479 2691]

 DG録音全集第1巻45枚組。フリッチャイは王道とも云ふべきベートーヴェンの交響曲の録音を積極的に行はず、半分程度しか聴くことが出来ないのだが、この1枚こそはフリッチャイの残した録音でも最高位に値する弩級の名盤で、この2曲の最高の演奏のひとつとして挙げたい。実の話、フリッチャイの残したベートーヴェン録音は然程成功してゐないものが多いのだが、当盤だけが突き抜けて素晴らしい理由はベルリン・フィルを起用してゐることに因る処が大きい。圧倒的な音楽性、技術、合奏力で、煩型をも黙らせる最高級の演奏を繰り広げる。2曲とも若々しく前進する爽快なテンポで、情的的な表情で猛烈に突き進む。低音が良く鳴り、軽薄さはなく、意味深な響きを常に失はない。細部まで血が通ひ、緊張感が持続する。理想的な名演であらう。


ベートーヴェン:交響曲第5番、同第7番
ベルリン・フィル
[DG 00289 479 2691]

 DG録音全集第1巻45枚組。フリッチャイはモーツァルトに深く傾倒してゐたが、ベートーヴェンには熱心ではなかつたやうだ。第5交響曲は活動を停止する1961年に録音された。それを踏まえて聴くと辞世の句のやうな枯淡の境地を窺はせる演奏とも取れるが、忌憚なく申せば覇気がなく感情の欠片も感じられない演奏なのだ。余命僅かのフリッチャイには第5の燃焼を身を焦がすことは出来なかつたのだらう。第7交響曲は1960年の録音でまだ生命力が漲つてをり良い。面白みは少ないが正攻法の名演と云へる。


ロッシーニ:序曲集(8曲)
ビゼー:カルメン(前奏曲とバレエ音楽、8曲)
ベルリン・フィル/ベルリンRIAS交響楽団/ベルリン放送交響楽団
[DG 00289 477 5908]

 DG録音全集第1巻45枚組。フリッチャイはロッシーニを大変好み、「スターバト・マーテル」などの録音もある。当盤は俊敏な演奏様式でリトル・トスカニーニと称されてゐた頃の録音である。ベルリンのオーケストラを振つて明るく乾いた音楽を繰り広げてゐるのは痛快この上ない。有名な「セビーリャの理髪師」「アルジェのイタリア女」「泥棒かささぎ」などは大して面白くないが、「絹のはしご」「セミラーミデ」「ブルスキーノ氏」「タンクレディ」「ランスへの旅」は指折りの名演だ。小振りな「絹のはしご」「ブルスキーノ氏」での精妙かつ小気味良いアンサンブルは天晴。ロッシーニの序曲を並べると爽快過ぎて単調になつて仕舞ふことが往々にしてあるが、減り張りを存分に付けた「タンクレディ」「ランスへの旅」は最高の出来映えと云へるだらう。「セミラーミデ」はトスカニーニに次ぐ名演。一方、ビゼーは特徴がなく、些とも面白くない。


シュトラウス一家のワルツ・ポルカ集
「こうもり」序曲、「ジプシー男爵」序曲、常動曲、ピッツカート・ポルカ、春の声、南国のばら、アンネン・ポルカ、他
ベルリン放送交響楽団
[DG 00289 479 2691]

 DG録音全集第1巻45枚組。フリッチャイが指揮したシュトラウス一家の作品は、決して正道を行く名演とは云へまい。ウィーン情緒とか軽いリズムとかを期待してはいけない。往年のエーリヒ・クライバーの録音を思はせるきつめの輪郭で無骨な演奏である。愁ひを含んだルバートや急所に用ひられる強めのアクセントなどに面白みがあり、傾聴に値する録音も多い。堂々たる「美しき青きドナウ」では大見得が決まつてゐる。「ウィーン気質」では躊躇ひ勝ちで優美なルバートが息を飲むほど美しい。「トリッチ・トラッチ・ポルカ」の鋭利なリズムや「ラデツキー行進曲」の出しやばつたトランペットが上機嫌で楽しい。


ドヴォジャーク:交響曲第9番「新世界より」
スメタナ:モルダウ
リスト:前奏曲
ベルリン・フィル/ベルリン放送交響楽団
[DG 00289 479 2691]

 DG録音全集第1巻45枚組。夥しい新世界交響曲の録音で名盤とされるのは、トスカニーニ、カラヤン、ケルテスの旧盤、それに本場チェコの指揮者タリフやアンチェルなどであらうか。古いエーリヒ・クライバーやストコフスキーの録音も忘れ難い。だが、最高の1枚はこのフリッチャイ盤だと断言したい。全ての音に血が通つてをり、情熱的な音楽が溢れてゐる。忌憚なく云へばベルリン・フィルからこれほどまでに重厚で熱い合奏を引き出すことは、帝王カラヤンも出来なかつた。雄弁で思い切つた表現もあざとくなく聴かせ、ベルリン・フィルが音楽に熱中する喜びを謳歌してゐる。特筆すべきは音質で、生々しい音に実演を聴いてゐる感動を味はへる。比べると同じベルリン・フィルによるスメタナは大分感銘が落ちる。更にベルリン放送交響楽団によるリストは丁寧だが何とも凡庸な演奏だ。


レスピーギ:風変はりな店
リムスキー=コルサコフ:シェヘラザード
ベルリン放送交響楽団
[DG 00289 479 2691]

 DG録音全集第1巻45枚組。バレエ音楽「風変はりな店」はロッシーニの「老いのあやまち」をレスピーギの魔術的な管弦楽法で衣替へをした全9曲からなる実に愉快な曲だ。コロラチューラの為のアリアなどが斯様な管弦楽曲となつて耳を喜ばせるとは痛快である。フリッチャイの指揮は冒頭から愉悦に充ちてをり、各曲の描き分けが見事だ。音楽に興が乗つてをり間然する所がない名演だ。シェヘラザードはドイツ風の生真面目な演奏で、悲哀のある暗い表情が印象的だ。しかし、全体にも部分にも華がなく、ストコフスキーのやうな絢爛たる演奏を知るものとしては余り面白くない。


チャイコフスキー:弦楽セレナード、交響曲第6番「悲愴」
RIAS交響楽団/ベルリン放送交響楽団
[DG 00289 479 2691]

 DG録音全集第1巻45枚組。弦楽セレナードは感傷を排した、堅固なドイツ風の演奏で、見事な合奏だが、直線的で情緒に乏しく詰まらない演奏だ。悲愴交響曲はフリッチャイの生前には発売されず、本邦が世界に先駆けてCD化したのが初出である。この時識者たちが挙つて絶賛し、一躍名盤として遍く知られるやうになつたのは記憶に新しい。悲愴交響曲にはメンゲルベルク、アーベントロート、ムラヴィンスキー、フルトヴェングラーなどの名盤があり、この録音がそれらを抑へて君臨出来るほどのものとは思はないが、並び称される優れた演奏であることは確かだ。特に全身全霊を傾けた第1楽章が破格の名演である。有名な第2主題呈示部の頂点を弱音から悲しみを振り絞るやうに歌ひ上げる様は入魂の出来と云へる。展開部は肺腑を抉る壮絶さを劇的な見得が助長し、第2主題再現前の弦と管が織り成す慟哭は万感胸に迫る。残りの楽章も趣は同じだが、感銘はそれ程でもない。


ベートーヴェン:交響曲第1番
メンデルスゾーン:真夏の夜の夢(9曲)
プロコフィエフ:古典交響曲
リタ・シュトライヒ(S)
ベルリン・フィル/ベルリンRIAS交響楽団、他
[DG 474 383-2]

 フリッチャイはモーツァルトとバルトークを殊更得意として録音も多数残るが、比較してベートーヴェンの録音が少ないのは特徴的だ。だが、この第1交響曲こそは世に隠れた名演として記憶に留めておきたい。弾んだリズムと颯爽たる響きで若々しい生命の愉悦に満ち溢れてゐる。メンデルスゾーンでは可憐なシュトライヒの歌声が素晴らしい。しかし、演奏全体はフレージングに心憎い配慮があるものの、陰影が乏しく味はひに欠ける。近現代音楽を得意としたフリッチャイだが、唯一の記録であるプロコフィエフは水準程度で特別な演奏と云へるものではない。


チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
マーラー:リュッケルトの詩による5つの歌
モーリーン・フォレスター(A)
ベルリン放送交響楽団
[DG 474 383-2]

 悲愴交響曲はフリッチャイの生前には発売されず、本邦が世界に先駆けてCD化したのが初出である。この時識者たちが挙つて絶賛し、一躍名盤として遍く知られるやうになつたのは記憶に新しい。悲愴交響曲にはメンゲルベルク、アーベントロート、ムラヴィンスキー、フルトヴェングラーなどの名盤があり、フリッチャイの録音がそれらを抑へて君臨出来るほどのものとは思はないが、並び称される優れた演奏であることは確かだ。特に全身全霊を傾けた第1楽章が破格の名演である。有名な第2主題呈示部の頂点を弱音から悲しみを振り絞るやうに歌ひ上げる様は入魂の出来と云へる。展開部は肺腑を抉る壮絶さを劇的な見得が助長し、第2主題再現前の弦と管が織り成す慟哭は万感胸に迫る。残りの楽章も趣は同じだが、感銘はそれ程でもない。フリッチャイ唯一の録音となるマーラーも心のこもつた演奏だが、特別な価値を持つものではない。


ファリャ:スペインの庭の夜、フランセ:コンチェルティーノ、オネゲル:コンチェルティーノ、フランク:交響的変奏曲、ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
ベルリン放送交響楽団
マルグリット・ヴェーバー(p)
[DG 474 383-2]

 主役はヴェーバーのピアノといふ1枚だが、魅力はフリッチャイの方にある。乙な選曲で、特にファリャ、フランセ、オネゲルの演奏に心惹かれる。ファリャは冒頭から色彩豊かな音楽が溢れ出してをり、むず痒い官能美を漂はせてゐる。フランセとオネゲルのコンチェルティーノは10分に満たない簡素な曲だが、極上のエスプリが効いた名演である。フランクにはコルトーの官能的な名演があり、ヴェーバーの淡白な演奏では不満が残る。ラフマニノフも他の並居る名演どもには及ばないが、有名な第18変奏で旋律にディミュヌエンドをかけるフリッチャイの感傷的な解釈が、忘れ難い印象を残したことだけは一言述べておきたい。


アイネム:「ダントンの死」より駆足行進曲、ヒンデミット:交響的舞曲、ハルトマン:交響曲第6番、マルタン:小協奏交響曲
ベルリン放送交響楽団
[DG 474 383-2]

 フリッチャイの隠れた名演を集成した箱物9枚組中最高の1枚。ドイツ系の現代音楽にフリッチャイほど生気を注入出来た指揮者はゐまい。大戦が落とした暗い影を根底に漂はせ、押し殺した情念を瞬時に表出する音楽には背筋が凍る。まずはクレンペラーの代役として初演を大成功させ、一躍名指揮者の誉を得たアイネム「ダントンの死」が貴重だ。全曲の伝説的なライヴ録音も残るが、記念としてセッション録音された僅か3分にも充たない行進曲は愛好家垂涎の逸品である。ヒンデミットは音に生彩があり、決して無機的な音楽にならない稀有な名演である。諧謔的な第2楽章が特に見事だ。ハルトマンの交響曲はバルトークの作品以上に研ぎ澄まされた興奮を聴くことが出来る偉大な演奏だ。第1楽章の沈鬱な表情の深みも然る事乍ら、第2楽章の鬩ぎ合ふ音の凄まじさは当盤の白眉で、絶対的な高みにあると云へる。多彩な音響を聴かせるマルタンでもフリッチャイの棒は冴えてをり、古典的で瀟洒な感興が極上だ。


モーツァルト:ハ短調ミサ曲、モテット「踊れ喜べ幸ひなる魂よ」、他
マリア・シュターダー(S)/エルンスト・ヘフリガー(T)、他
ベルリン放送交響楽団
[DG 463 612-2]

 DG録音全集第2巻37枚組。ハ短調ミサ曲を語るときに逸することの出来ない決定的名盤である。何よりもシュターダーの清廉でひたむきな声が胸を打つ。宗教音楽でいみじくも美しい歌唱を聴かせたシュターダーは、リヒターが指揮したバッハ作品でもこの人ありと謳はれた名ソプラノである。加へてフリッチャイの真摯で求心的な音楽運びが無上の価値を誇る。フリッチャイはモーツァルトに特別な敬意を抱いてゐたが、作品から翳りのある美しさを引き出し、審美眼を見事に示した。抱き合はせはシュターダーの独唱による名曲「踊れ喜べ幸ひなる魂よ」で、可憐さと敬虔さが融合した極上の歌唱が聴ける。エリーザベト・シューマン以来の名唱だらう。もう1曲、シュターダーの独唱で「証聖者の荘厳晩課」K.399から「主よほめ讃へよ」が収録されてゐる。一層の輪をかけた清廉さに胸打たれる名唱だ。


ハイドン:四季、テ・デウム
マリア・シュターダー(S)/エルンスト・ヘフリガー(T)/ヨーゼフ・グラインドル(Bs)、他
ベルリン放送交響楽団
[DG 474 383-2]

 1961年11月11日の実況録音。フリッチャイ最晩年の記録だ。ライヴ録音とは思へない完成度で、長大な演奏時間を見事な集中力で聴かせる屈指の名演だ。3名の独唱者に最高の顔触れを揃へ、合唱団も一丸となつた迫真の歌唱を聴かせる。取り分け素晴らしいのは管弦楽の生命力で、劇的で重厚な響きは圧巻だ。後に主流となつた古楽器団体による演奏と同列に語ることは出来ないが、大編成による録音では最上だらう。特に短調の劇的な響きの雄弁さには一日の長がある。勿論、献身的な棒と真摯な気魄で一同を統率したフリッチャイの指揮こそ最大の立役者である。余白に収録されたテ・デウムも充実の名演で、交響曲以上に密度の濃い逸品の真価を伝へるものだ。


生涯を語る
[DG 474 383-2]

 DG録音全集第2巻37枚組。フリッチャイは1961年を最後に録音を残してゐない。これは余命僅かを悟つたフリッチャイが死の前年の1962年に行つた語りで、1時間近くをかけて生涯を振り返る。正しく遺言のやうな感慨深さがある。合間にフリッチャイが録音した楽曲が挿入される。リスト、ベルリオーズ、バルトーク、ベートーヴェン、ヴェルディ、コダーイ、ブラームス、モーツァルトとフリッチャイの根幹を成すレパートリーで構成されてゐるが、目新しい音源がある訳ではなく、残念ながら価値は全くない。斯様な語りだけの企画なら、商品化には至らなかつたやうな録音断片や試し録りリハーサル風景などを鏤めて欲しいものだ。


モーツァルト:交響曲第23番、同第27番、ファゴット協奏曲、管楽器の為の協奏交響曲
ベルリンRIAS交響楽団、他
[DG 00289 479 8275]

 新発見の放送録音集4枚組。ほぼ新演目ばかりといふ御宝音源だ。2枚目を聴く。ふたつの交響曲が極上の出来栄えだ。フリッチャイは第29番より前の番号の録音記録がなかつたので貴重だ。後期作品の演奏よりも熱量が多く、意欲的な推進力や厚みがあつて見事だ。取り分け第27番終楽章フーガの音楽的昂揚は圧倒的だ。ヨハネス・ツターの独奏によるファゴット協奏曲も大変優れた演奏だ。ツターは浮ついたところがなく、中身の濃い音で好感が持てる。ドイツの職人藝が光つた名演と云へよう。協奏交響曲はツターのほか、ヘルマン・テットヒャー、ハインリヒ・ゴイザー、クルト・ブランクによる演奏で、即ちベルリンRIAS交響楽団の首席奏者らによる気心知れたアンサンブルが楽しめる。中ではゴイザーとツターの力量が光る。フリッチャイの指揮も牽引力があり、全体の完成度が高い。華がないのは事実だが、目立つた減点要素がないので、この曲の屈指の名演だらう。


チャイコフスキー:交響曲第5番
シューマン:ピアノ協奏曲
アルフレッド・コルトー(p)
ベルリン放送交響楽団/RIAS交響楽団
[audite 95.498]

 チャイコフスキーは1957年1月24日、シューマンは1951年3月15日の実況録音。チャイコフスキーが素晴らしい出来だ。この曲は甘い旋律や勇壮な響きを強調され、ともすると空疎な印象を残す演奏が多いが、フリッチャイは派手な身振りを抑へ、内容重視の音楽に仕上げてゐる。しかし、詰まらない音楽にはなつてゐないから流石だ。コルトーとの協奏曲は幾つかのレーベルより発売されてきた有名な音源だ。世評では晩年のコルトーのみが達し得た別格の名演とされるが、老いの醜態を晒した演奏だ。極端に遅いテンポは著しい技巧の衰へ故で、管弦楽の音楽が生命を維持出来る限界を超えて仕舞つてゐる。部分的にコルトーの良さを認めることは出来るが、所詮贔屓の域を出ない。


コダーイ:ガランタ舞曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第9番
デュカ、ヒンデミット、シュトラウス
ウィーン・フィル、他
[EMI 7243 5 75109 2 9]

 GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURYシリーズの1つで、この企画で最も価値のある1枚である。それといふのも全て初出となるライヴ音源で構成されてゐるからで、フリッチャイの貴重な宝がぎっしり詰まつてゐる。特に注目されるのはフリッチャイ十八番の演目であるコダーイ「ガランタ舞曲」をウィーン・フィルの極上の美音で聴けることだ。正規録音盤と甲乙付け難い名演である。その他の曲目も近現代曲を得意としたフリッチャイの面目躍如たる名演ばかりだ。取り分け初音源となるショスタコーヴィチの第9交響曲とヒンデミット「ウェーバーの主題による交響的変容」は価値が高い。デュカ「魔法使ひの弟子」とシュトラウス「藝術家の生活」も名演だ。


ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番、交響曲第3番「英雄」
モーツァルト:「コジ・ファン・トゥッテ」序曲
ベルリン放送交響楽団
[EMI 7243 5 75109 2 9]

 GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURYシリーズの1つ。全て初出となる貴重なライヴ録音ばかりで、ベートーヴェンは1961年2月5日、モーツァルトは1951年1月18日の演奏記録だ。ベートーヴェンの序曲は特色が薄いが、エロイカ交響曲は晩年のフリッチャイの藝風を如実に伝へる。それは極端に遅いテンポで有名な第5交響曲の演奏と傾向を同じくする。だが、正直に申せば成功してゐるとは云へない。このやうな神妙なテンポにはフルトヴェングラーのやうな意義深い抉りが伴はれなければならない。この演奏にそれが欠けてゐるとは断じないが、かの域には達してゐない。得意としたモーツァルトの序曲が良い。躍動する快速調のテンポにフリッチャイの神髄を聴いた。



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