楽興撰録

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ヴィレム・メンゲルベルク


稀少録音集
グルック/ベートーヴェン/シューベルト/ヴェーバー/ベルリオーズ/ヴァーグナー/マーラー/チャイコフスキー
[SYMPOSIUM 1078]

 グルック「アルチェステ」序曲の復刻はこの英SYMPOSIUM盤が唯一で大変稀少価値がある。これだけの為に蒐集したやうなものだ。メンゲルベルクは1935年に英DECCAに2曲の録音をした。それがこのグルックと既に復刻があるバッハ「2つのヴァイオリンの為の協奏曲」である。グルックは縦と横が揃つた精緻な弦の合奏から悲劇的な情感が滲む名演だ。メンゲルベルク特有のリタルダンドは頽廃的な美しさに充ちてをり忘れ難い印象を残す。当盤に収録された他の音源も比較的稀少価値のあるものばかりと云へるが、復刻がない訳ではなかつた。


英コロムビア録音全集
ベートーヴェン/ヴェーバー/ベルリオーズ/リスト
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[Pearl GEMM CDS 9018]

 英コロムビア録音全集第1巻3枚組。2枚目。コロムビア録音時代、即ち1930年前後こそメンゲルベルクの絶頂期であつた。録音こそ古いものの直裁的で燃焼的な響きを聴かせるコロムビア録音期からは指揮台のナポレオンを確と認めることが出来る。ヴェーバーの「オベロン」序曲は今もつてこの演奏を第1に挙げたい。大見得を切つた急ブレーキの衝撃は一度聴いたら呪縛を解けまい。「魔弾の射手」「オイリアンテ」の序曲及びベートーヴェン「レオノーレ」序曲第3番も、引き締まつたスタッカートと陶酔的なレガートによりロマンティシズムが内燃する一種特別な名演となつてゐる。リスト「前奏曲」は曲想を大胆に強調した稀代の名演である。愛の主題をヴァイオリンが変奏する際のこの世ならぬ官能美は尋常ではない。音を割つた勇壮な金管の響きやフレーズごとにかけられるリタルダンドの効果は絶大だ。


英コロムビア録音全集
ヴァーグナー/ブラームス
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[Pearl GEMM CDS 9018]

 英コロムビア録音全集第1巻3枚組。3枚目。当盤に収録されたヴァーグナーとブラームスは、1930年前後のメンゲルベルクでしか為し得ない燃焼的で雄渾な演奏を繰り広げてをり、録音の古さを超えて独自の価値を誇る。「ローエングリン」におけるヴァイオリン・パートの官能的な味はひは美酒を飲むやうだ。「タンホイザー」が極上の演奏で、終盤の英雄的な昂揚は無類であり、フルトヴェングラー盤とともに王座を与へたい。ブラームスの第3交響曲は大胆な曲想の強調で異端の演奏となつてゐるが、冒頭から燃え滾る熱情が凄まじく、不屈の意志が貫徹された名演だ。大学祝典序曲における真摯な合奏と浪漫的な旋律の節回しは忘れ難い感銘を残す。名演に恵まれないこの曲の録音の中で、最も耳を奪ふ演奏である。


ベートーヴェン:交響曲第2番、交響曲第6番「田園」
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[Tahra TAH 420-421]

 未発表録音2枚組。1枚目。メンゲルベルクが残した第2番の録音は全部で3種類あり、何れもライヴ録音である。テレフンケンへの録音は水害だか戦災だかで失はれてしまつたさうだ。当盤は最も古い1936年の録音であるが、流石はTahraで音質は申し分ない。演奏は後のものより燃焼的な覇気が漲り、瑞々しい肉感がある。アーティキュレーションへの異常なこだわり、フレーズへの周到な配慮は、メンゲルベルクの美質であり、当曲に於いては見事な効果をあげてゐる。「田園」も3種の録音があるが、楽譜からの逸脱が甚だしく、常に問題となる演奏だ。窮屈で捻くれてゐるが、表題に捕はれなければ、創意に充ちた味わい深い演奏である。嵐では、弦のスルポンティチェロ奏法やトランペットへのミュート附加などで度肝を抜く。


ベートーヴェン:交響曲第7番、ヴァイオリン協奏曲
ルイス・ツィマーマン(vn)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[Tahra TAH 420-421]

 未発表録音2枚組。2枚目。第7交響曲は1936年のライヴで、音質は上等。曲想故にメンゲルベルク特有の小細工は一切なく、リズムの響宴に徹した王道を行く雄渾な演奏。特に発火するやうな音の立ち上がりは、メンゲルベルクだけの至藝であり、ロマン的燃焼を聴かせる。殊に終楽章の熱狂が見事。有名な1940年のベートーヴェン・ツィクルス時の録音であるヴァイオリン協奏曲は珍演中の珍演。ツィマーマンの独奏は、メンゲルベルクの伝説的とも云へる総譜への執拗な書き込みを忠実に再現したやうな演奏なのだ。フレージングの力点が置かれる音を長めのテヌートで強調、強めのアタックと不断のポルタメントで一種異様な演奏となつてゐる。ティボーもフーベルマンもここまではやらなかつた。しかし、大家のやうに技巧が十分でない為、下手な演奏にしか聴こえない。カデンツァも独特で面白い。


ベートーヴェン:交響曲第1番、同第3番「英雄」
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[Pearl GEMS 0074]

 テレフンケン・レーベルに行つたベートーヴェンの交響曲録音を集成した3枚組。オバート=ソーンによる復刻で音質は極上だ。1枚目。第1番は何故か復刻盤が少なかつたので、このPearl盤は大変重宝される。頻繁なカデンツ処理を用ゐてゐるのが特徴で、第1楽章の浮遊するやうな管楽器のテヌートなど見事に決まつた解釈もある。だが、余りにも作為が多く、素朴な第1交響曲にしては煩はしく聴こえる。1940年のライヴ全集盤の方が自然体で良く、代表的な名演であつた。エロイカはPHILIPS盤の交響曲全集に代用として含まれ、広く聴かれてきた―1940年ライヴ・ツィクルスでの録音が第1楽章に欠落があつた為だ。内燃する音楽とは裏腹にこれまた作為が多く、広がりに欠ける演奏である。幾つかあるライヴ録音や古いニューヨーク・フィル盤の方が優れてゐる。


ベートーヴェン:交響曲第4番、同第5番
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[Pearl GEMS 0074]

 2枚目。1937年より始まつたテレフンケン録音の劈頭を飾つたのは第5交響曲で意気込みが窺へる。1942年にも再録音があるのだが、音楽の流れが良い旧盤にも若干の価値がある。第4交響曲は唯一のセッション録音で、他に1940年のライヴ・ツィクルスの録音があるだけだ。浪漫的な第2楽章がメンゲルベルクだけの音楽で、主題に装飾を加へた箇所におけるヴァイオリンの歌の甘味さは異常だ。リズムを強調した第3楽章や、ソノリティを重んじた第4楽章も個性的。フレーズごとにかけられるラレンタンドの効果は麻薬のやうで、旋律主体の交響曲だけにメンゲルベルクの凄みが存分に聴ける名演。


ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、同第8番
プロメテウスの創造物より3曲
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[Pearl GEMS 0074]

 3枚目。田園交響曲はメンゲルベルクの個性が強烈に際どく発揮された演奏で、賛否両論、いや嫌悪を示す聴き手の方が多いだらう。性格的な硬いスタッカートと甘たるいレガートを紋切り型に用ゐた、田園情緒には一切捕はれない純粋な器楽作品としての交響的演奏である。標題に依らないのは良いとしても、些か型に嵌つた解釈が気に障る。第8番は緊密に凝縮された合奏と、爆発的な力を秘めた情熱が塊となつた名演で、この曲の屈指の名盤である。メンゲルベルクにはライヴ録音にも素晴らしい演奏があるが、甲乙付け難い出来だ。バレエ音楽「プロメテウスの創造物」から序曲、アレグレット、終曲の3曲が収録されてゐる。精緻な合奏が楽しめる名演だ。


ベートーヴェン:序曲集
シューベルト:軍隊行進曲、「ロザムンデ」序曲
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[Naxos Historical 8.110864]

 Naxos Historicalのメンゲルベルク復刻は多いが、編集が散漫なので困る。とは云へ、復刻をオバート=ソンが担当してゐるので音質は最高だ。英コロムビア録音からは交響曲第8番の第2楽章、「レオノーレ」序曲第3番、「コリオラン」序曲、「レオノーレ」序曲第1番、「エグモント」序曲が収録されてゐる。これらはオバート=ソンの復刻で英Pearlからも出てゐた。重要なのはテレフンケン録音からの復刻で、「プロメテウスの創造物」より3曲、トルコ行進曲、シューベルトの軍隊行進曲と「ロザムンデ」序曲が収録されてゐることだ。「プロメテウスの創造物」は英Pearl、軍隊行進曲は英Biddulphから復刻があつたが、「ロザムンデ」には良い復刻がなかつたのと、トルコ行進曲がコロムビア録音ではなくテレフンケン録音から採用されてゐるのが見落とされ勝ちだ。このテレフンケン盤は入手し易い復刻がなく、僅か3分の音源の為に当盤を蒐集した次第である。


チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、弦楽セレナード
コンラート・ハンゼン(p)
ベルリン・フィル/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[TELDEC 243 726-2]

 1940年5月に電撃戦を受けてオランダはナチスの占領下に置かれたが、好条件に惹かれてメンゲルベルクはナチスとの協力関係を結んだ。それが7月のベルリン・フィル客演に象徴される。この際、得意としたチャイコフスキーの第5交響曲とピアノ協奏曲第1番を録音した。協奏曲はエトヴィン・フィッシャーの高弟ハンゼンとの共演だ。ハンゼンはドイツの格調高い古典音楽で妙味を発揮したが、チャイコフスキーでは良いところがない。地味で華やかさがなく、かと云つて重厚さや泥臭さもなく、主役は格上のメンゲルベルクに奪はれてゐる。緩急、強弱、剛柔の対比を付けたメンゲルベルクの指示をベルリン・フィルが応答する。手兵コンセルトヘボウとの1938年11月録音の弦楽セレナードはメンゲルベルク節が随所に聴かれる名盤。小まめにカデンツを聴かせる第1楽章、入りの溜めが尋常でない第2楽章も良いが、最高傑作は矢張り第3楽章だらう。甘く切ない旋律を手練手管を弄した表情付けで魅せる。収録時間の都合だらう、第4楽章にカットがあるのが残念だ。


ブラームス:交響曲第1番
シューベルト:劇付随音楽「ロザムンデ」より序曲、間奏曲第3番、バレエ音楽第2番
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[DECCA 0289 480 7636 9]

 PHILIPSより繰り返し発売されてきた1939年から1940年にかけてのライヴ録音の集成。全15枚組。吸収統合の為、レーベルがDECCAに変へらえてゐるのは少々残念だが、偉大な指揮者メンゲルベルクの遺産を纏めて聴けるやうになつたことは歓迎したい。特にバルトークのヴァイオリン協奏曲の初演ライヴを含んでゐるのは有難い。その他の音源は蘭Dutch Mastersなどから商品化されてゐたが、何故かブラームスの交響曲とシューベルトのロザムンデの音楽だけは単独での入手が海外では困難であつた。メンゲルベルクがブラームスの交響曲で唯一セッション録音を残してゐないのが第1番で、2種あるライヴでのみ鑑賞出来る。第2楽章でのヴァイオリン独奏のポルタメントや第4楽章主部の有名な旋律での執拗な終止形など個性が際立つてゐる。爛熟の浪漫を嫋々と奏でた演奏でメンゲルベルクの録音中でも屈指の名演だ。シューベルトの出来はブラームス以上だ。雄渾で活気溢れる序曲の演奏は滅多に聴けるものではない。間奏曲の陶酔的な歌は一種特別な藝術境である。


チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
ボロディン:中央アジアの草原にて
グリーグ:「ペール・ギュント」第1組曲
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[ARCHIVE DOCUMENTS ADCD.108]

 メンゲルベルクの稀少録音を発掘してきた英アーガイヴ・ドキュメンツの第2巻。チャイコフスキーは有名な1941年のテレフンケン録音で本家TELDECからも復刻があつた。当盤は恐らく板起こしで、音質は本家盤の足元にも及ばず、殆ど価値はない。演奏は唯一無二、マタイ受難曲と共にメンゲルベルクの代名詞であり、好き嫌ひを問はず見識を広める為には必聴盤だ。ボロディンとグリーグは本家からのCDがなく重宝される―ボロディンは英Pearl、グリーグは蘭Qディスクからも復刻があつた。ボロディンは後期ロマン派の響きで仕上げられた名演。ライヴ録音のグリーグが個性的だ。特にオーゼの死はメンゲルベルク特有のフレージングとポルタメントで別世界を堪能出来る。


バッハ:マタイ受難曲(部分)
プッチーニ/シューベルト/モーツァルト/ヴェーバー
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、他
[ARCHIVE DOCUMENTS ADCD.109]

 メンゲルベルクの稀少録音を発掘してきた英アーガイヴ・ドキュメンツの第3巻。メンゲルベルクが歌の伴奏を務めた記録を編んだ1枚で、蘭AUDIOPHILEからも同じ内容で発売されてゐた。ただ、当盤には1938年に行はれたメンゲルベルクの2つの饒舌なスピーチが収録されてをり、蒐集家には興味深いだらう。演奏で印象深いのはプッチーニで、グレース・ムーアが歌ふ「マダム・バタフライ」のアリアの伴奏だが、ポルタメントを多用した管弦楽の後奏は異常な美しさだ。シューベルトはベティ・ファン・デン・ボッシュへの伴奏。この日はシューベルト・プログラムで、グレイト交響曲などが演奏された。モーツァルトはリア・ギンスターへの伴奏、ヴェーバーはルース・ホルナへの伴奏だ。


ヒンデミット:ヴァイオリン協奏曲
ストラヴィンスキー、他
イーゴリ・ストラヴィンスキー(cond.)
フェルディナンド・ヘルマン(vn)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[ARCHIVE DOCUMENTS ADCD.110]

 メンゲルベルクの稀少録音を発掘してきた英アーガイヴ・ドキュメンツの第4巻。へんてこな1枚だ。まず、重要なのはメンゲルベルクが委嘱したヒンデミットのヴァイオリン協奏曲の初演記録で、独奏はコンセルトヘボウのコンサートマスターであるヘルマンが担ふ。1940年3月14日のライヴ録音で、現代音楽の初演魔であつたメンゲルベルクの面目躍如たる精彩ある名演である。管弦楽が盛大に鳴る箇所は情念が籠められてをり、生命を吹き込まれた音楽を展開してゐる。ヘルマンの独奏は健闘してをり、メンゲルベルク好みのポルタメント奏法で要望に応へてゐる。流石に巨匠ヴァイオリニストのやうな貫禄はないが、この曲を面白く聴かせた演奏として看過出来ない。さて、へんてこなのは50分近くはストラヴィンスキーの自作自演が収録されてをり、メンゲルベルクがオマケのような扱ひなのだ。収録されてゐるのは、ボストン交響楽団に客演しての「妖精の口づけ」のリハーサル風景、バッハの「高き天より我は来たり」をストラヴィンスキーが編曲したカーネギー・ホールでのライヴ録音、「ペルセポネー」をヴェーラ・ゾリーナと演奏した抜粋録音だ。


メンデルスゾーン:真夏の夜の夢より3曲
ケルビーニ:「アナクレオン」序曲
ベートーヴェン:交響曲第7番
BBC交響楽団/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団/ベルリン放送交響楽団
[ARCHIVE DOCUMENTS ADCD.111]

 メンゲルベルクの稀少録音を発掘してきた英アーガイヴ・ドキュメンツの第5巻。メンゲルベルクがコンセルトヘボウとニューヨーク・フィル以外のオーケストラを振つた数少ない演奏が聴ける1枚。BBC交響楽団とのメンデルスゾーン「真夏の夜の夢」は演目としても貴重だ。序曲、夜想曲、スケルツォが演奏されてをり、スケルツォ以外は唯一の音源だ。1938年1月の録音だが、録音状態が悪く残念だ。序曲は熊ん蜂の飛行の如く騒々しい。攻撃的で燃え盛る炎のやうな演奏で、メンゲルベルクの個性が全開だ。得意としたケルビーニが極上の名演。1943年4月のコンセルトヘボウとの演奏で円熟の極みだ。序奏の終結部でティンパニがロールの強音で長く残り、主部に繋げる処理は印象的だ。ベートーヴェンは珍しいベルリン放送交響楽団との演奏。これも熱の入つたメンゲルベルク節が楽しめる名演。木目細かくテンポを変へて楽想を大胆に描き分ける。強いアクセントを伴ふ第2楽章の主題を筆頭に、新鮮な驚きを与へて呉れる意味で畏怖すべき演奏なのだ。


バッハ:管弦楽組曲第2番、ピアノ協奏曲第5番
ヴィヴァルディ:合奏協奏曲作品8-3
J.C.バッハ:ピアノ協奏曲作品13-4
モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[ARCHIVE DOCUMENTS ADCD.112]

 メンゲルベルクの稀少録音を発掘してきた英アーガイヴ・ドキュメンツの第6巻。ヴァヴァルディとモーツァルトはテレフンケン録音であり、英Biddulph等から復刻があつたので割愛する。大バッハの組曲と協奏曲は1939年4月17日のライヴ録音。この日は結婚カンタータも演奏されたバッハ・プログラムであつた。往時、真剣にバッハに取り組んだ先駆者はメンゲルベルクであり、その精髄はマタイ受難曲であつた訳だが、伝統にまで昇華された様式美に胸打たれる。組曲はコロムビアへの正規録音もあつたが、当盤も秘めやかな美しさがあり品格がある名演だ。協奏曲はアギー・ジャンボールがピアノ独奏の唯一の音源だ。有名な第2楽章の美しさも然ること乍ら、全楽章崇高で格調ある演奏が繰り広げられる。クリスティアン・バッハの協奏曲は1943年3月21日のライヴ録音で、独奏はマリヌス・フリプセだ。唯一の音源で古典的愉悦に満ちた堂々たる名演で、メンゲルベルクの美質が全開だ。


ベートーヴェン:交響曲第9番
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、他
[ARCHIVE DOCUMENTS ADCD.113]

 メンゲルベルクの稀少録音を発掘してきた英アーガイヴ・ドキュメンツの第7巻。メンゲルベルクには2種類の第9交響曲のライヴ録音が存在する。蘭PHILIPSから繰り返し発売されてきた1940年5月の有名なライヴ・ツィクルスの録音と、この1938年5月の録音だ。米Music&ArtsからもCD化されてゐた。だうでもよいことだが、米Music&Arts盤では省かれた曲間の様子もそのまま収録されてゐる。音質は2年の差で確実に旧盤の方が落ちる。演奏の印象はほぼ同じだ。これだけ特異な解釈であるのにだ。メンゲルベルクの演奏が様式化されてゐた証拠となる記録だ。とは云へ、細部の感銘は一長一短。旧盤は燃焼的でアーティキュレーションが硬質だ。ポルタメントも濃厚な箇所もある。甲乙付け難いが、大局的には1940年盤の方が優れてゐると云つてよいだらう。新旧どちらも一世一代の類例なき名演であることに違ひはない。聴かぬは損と心得よ。


ショパン:ピアノ協奏曲へ短調
リスト:ピアノ協奏曲第1番
フランク:交響的変奏曲
シューベルト:「ロザムンデ」より3曲
テオ・ヴァン・デル・パス(p)/マリヌス・フリプセ(p)/ヴァルター・ギーゼキング(p)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[ARCHIVE DOCUMENTS ADCD.114]

 メンゲルベルクの稀少録音を発掘してきた英アーガイヴ・ドキュメンツの第8巻。ピアノ協奏曲録音集だ。デル・パスとのショパンは1943年のライヴ録音。第3楽章に欠落がある。蘭Qディスク盤で完全版が聴けるので当盤は価値がない。フリプセとのリストは1944年のライヴ録音で当盤でしか聴けない貴重な音源だ。音は貧しいが情熱的な演奏で充実してゐる。メンゲルベルクが作る雄渾な音楽にフリプセが良く応へてゐる。ギーゼキングとのフランクは1940年のライヴ録音。大物同士の共演は絶対的な高みにある。音さえ良ければ最上位に置かれるべき名演だらう。さて、録音年不明のシューベルトが重要で、ロザムンデよりバレエ音楽第1番、間奏曲第3番、バレエ音楽第2番が演奏されてゐる。耽溺するやうな名演の連続だが、取り分け珍しいバレエ音楽第1番は貴重だ。


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
グィラ・ブスターボ(vn)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[ARCHIVE DOCUMENTS ADCD.117]

 メンゲルベルクの稀少録音を発掘してきた英アーガイヴ・ドキュメンツの第11巻。録音が少ない天才少女ブスターボとの全共演記録が1枚に収まつてゐる。復刻は他にもあつたが、2曲が揃つてゐるのは当盤だけだらう。ベートーヴェンは1943年、ブルッフは1940年のライヴ録音である。ベートーヴェンは別項でも述べたが、ブスターボの独奏が忙しなく青さを露呈してゐる。濃厚な表情付けをするブスターボにはブルッフの方が成功してゐる。メンゲルベルクの伴奏もベートーヴェンは窮屈さうだが、ブルッフでは爛熟の浪漫を発散してをり、燃焼度の高い演奏に仕上がつてゐる。特に第1楽章の頂点へ向けての劇的な昂揚はブスターボ、メンゲルベルク共々見事だ。両者、戦後はナチス協力者として不遇を被つた。


ブラームス:交響曲第2番、同4番
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[Biddulph WHL 057]

 メンゲルベルクが指揮したブラームスの交響曲の録音は全4曲揃つてゐるが、第2番と第4番は当盤に収録されたテレフンケンへのセッション録音しかない。その為、音質が優れ、演奏内容にも傷がなく、メンゲルベルクの意志が徹底されてゐると云ふ長所がある反面、晩年著しくなつた細部への拘泥により、奇抜で作為的な表現が目に余ると云ふ短所がある。特に第4番の第1楽章第2主題で用ゐられるさくり上げたルフト・パウゼの異常さは聴いてゐて息が止まりさうになる。また、短く固めに奏されるスタッカートはブラームスには軽過ぎ、ルバートとポルタメントが効いた旋律はブラームスには官能的過ぎるきらいがある。だが、メンゲルベルクの熱情的で耽美的なロマンティシズムはブラームスの音楽を核心を突いてをり、これらが稀有な名演であることに違ひはない。他では代へられない美しい瞬間がある。


シューベルト:未完成交響曲、グレイト交響曲、軍隊行進曲
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[Biddulph WHL 039]

 2つの交響曲は1943年6月16日と17日に行はれたテレフンケンへの録音で、メンゲルベルクの最後のセッション録音となる。戦争の激化によりこの後は幾つかのライヴ録音が残るに過ぎない。最晩年のメンゲルベルクはフレーズごとのリタルダンドを筆頭に、細部への手練手管がいや増して自然な音楽の流れは減退してをり、この数年前に記録された実況録音の方が生気がある。特にグレイト交響曲は線が細く、神経衰弱気味の演奏だ。第2楽章などシューベルトの歌心からは程遠い。未完成交響曲は男性的な浪漫が溢れた独特の色合ひで、大交響曲の名はこちらに相応しいくらいだ。軍隊行進曲は硬質で直線的な表現を自在に創り出すメンゲルベルクの妙味が出た佳演。CDは何種か出てゐるが、オバート=ソーンが復刻したBiddulph盤はTuttiにおける燃焼的な響きをよく再現してゐる。


ケルビーニ:「アナクレオン」序曲
ドヴォジャーク:チェロ協奏曲
フランク:交響曲
ポール・トルトゥリエ(vc)
パリ放送大管弦楽団
[Malibran CDRG 188]

 極めて良質な仕事で識者を喜ばせてきた仏Malibranによる渾身の初出リリース。1944年1月16日、占領下のパリ、シャンゼリゼ劇場での放送用録音の復刻だ。アセテート盤からの復刻なので状態の悪い箇所もあるが、鑑賞には堪へ得る。さて、実はドヴォジャークのみ初出ではない。米Music&Arts盤で、独奏者がモーリス・ジャンドロンでクレジットされて出回つてゐた録音と同一である。これには疑惑が付き纏つてきたが、Malibran盤の登場で終止符が打たれた。アナウンスにもトルトゥリエの名が確認出来る。若きトルトゥリエが火の粉となつて没入する演奏には唯圧倒される。瑕も多いが、音色の変化の繊細さに思はず息を飲む。メンゲルベルクの棒が尋常ではない。斯様に終止形に拘泥し、テンポを揺らした演奏は他にない。大見得が随所に聴かれるメンゲルベルク独擅場の名演。フランクはこれで3種類目となる。他の曲と異なりパリの楽団が熟れた演奏をしてをり、メンゲルベルクの独創的な解釈にも喰らひ付いて行く。着火する際の金管が放つ閃光、弦楽器の頽廃的なポルタメント、渾身のラレンタンドが見事に決まる。客演とは思へない反応の良さでメンゲルベルクの理想の音が鳴つてゐる。忌憚なく申せば、実演ならではの振り切つた表現が聴かれる当盤こそ3種中で最も感動的な名演だ。ケルビーニはメンゲルベルクが得意とした曲で、ここでも他の追随を許さない極上の仕上がりを聴かせる。


ベルリオーズ:ローマの謝肉祭
ショパン:ピアノ協奏曲ヘ短調
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
アルフレッド・コルトー(p)
パリ放送大管弦楽団
[Malibran CDRG 189]

 極めて良質な仕事で識者を喜ばせてきた仏Malibranによる渾身の初出リリース。1944年1月20日、占領下のパリ、シャンゼリゼ劇場での放送用録音の復刻だ。アセテート盤からの復刻なので状態の悪い箇所もあるが、鑑賞には堪へ得る。メンゲルベルクには3曲ともアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との録音が存在するとは云へ、新しい音源の登場は感慨深い。ベルリオーズは全体的に締りのない仕上がりで価値は見出せなかつた。終結音で大見得を切らうとして却つて失敗したのか、珍妙な音が鳴る。最大の聴きものはコルトーとのショパンだ。ナチス協力者同士の共演といふのが実にきな臭いが、世紀の怪物の取り合はせに興奮しない者はゐまい。コルトーの精度に冷やりとするのも最初のうち、細部の瑕は瑣末事となる。随所で音を変更するなど自由奔放なロマンの発露に圧倒されるだらう。1940年代になり、コルトーは技術の衰へと引き換へに音楽の深みを増した。第2楽章での歌心には胸打たれる。メンゲルベルクは常乍ら燃焼的な音造りでTuttiでの発火する響きは鮮烈だ。少なからず楽譜に手を入れてをり、金管楽器の刺激的な音も加はつて骨太な音楽を聴かせる。兎も角、歴史に残る異常な演奏である。メンゲルベルクの代名詞である悲愴交響曲だが伝統工藝品のやうな2種のセッション録音と基本的な解釈こそ変はりはないが、当盤の演奏はライヴならではの情感が直截的に出てをり感情の振幅が大きい。反面、大味で雑な仕上がりで相殺される。第1楽章第2主題の極限まで甘く感傷的な演奏は一世一代の藝術だ。



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