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楽興撰録

歌劇のCD評


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ベートーヴェン:「フィデリオ」
キルステン・フラグスタート(S)/アレクサンダー・キプニス(Bs)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/ブルーノ・ヴァルター(cond.)
[Naxos Historical 8.110054-55]

 1941年2月22日の伝説的な放送音源。「フィデリオ」の名盤と云へば、フルトヴェングラーやトスカニーニによる録音を挙げることも出来るが、些か録音状態の優れないヴァルターのMet公演を最上にしたい。全ての部分といふ訳にはいかないが、少なくとも第1幕で当盤を凌ぐ演奏はない。冒頭の序曲から唯事ではない気魄が漲つてをり、ヴァルターの激情が最高潮に達してゐることを窺はせる。続く二重唱も畳み掛けるやうなテンポで生気に満ち溢れてゐる。フィデリオを当り役としたフラグスタートとロッコを歌ふキプニスの存在感は圧倒的で、これ以上を望むべくもない。惜しむらくは、第2幕前半―地下牢の場面の感銘が劣ることだ。これはフロレスタン役ルネ・メゾンの力量不足に因る。暫し緊張感が途切れるが、挿入された「レオノーレ」序曲第3番でヴァルターが渾身の音楽を聴かせ、再び燃え上がる。その勢ひは沸騰寸前の熱いフィナーレへと感動的に続く。第2幕後半でもヴァルター盤を凌ぐ演奏を聴いたことがない。(2008.3.13)


ベートーヴェン:「フィデリオ」
リーザ・デラ=カーザ(S)/ユリウス・パツァーク(T)/ルドルフ・ショック(T)/フェルナンド・フランツ(Br)/オットー・エーデルマン(Bs)、他
ウィーン・フィル/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
[Tahra FURT 1047-1048]

 1948年8月3日のザルツブルク音楽祭における上演記録で、残念ながら第1幕の第5曲目から第8曲目に欠落があるが、音質は水準以上である。フルトヴェングラーの指揮した「フィデリオ」は正規録音の他に4種のライヴが残り、当盤は最も古い記録である。シュリュターが歌ふレオノーレが幾分役不足の感を否めないが、他の歌手は大物が揃つてをり、特に第1幕は聴き応へがある。パツァークが歌ふフロレスタン、フランツが歌ふドン・ピツァロは取り分け見事だ。第1曲目から猛然とストレッタをかけるフルトヴェングラーの指揮もデモーニッシュこの上ない。レオノーレ序曲第3番も一際抜きん出た名演だ。(2006.12.23)


ベートーヴェン:「フィデリオ」
マルタ・メードル(S)/ヴォルフガング・ヴィントガッセン(T)/オットー・エーデルマン(Bs)、他
ウィーン・フィルと合唱団/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
[EMI CHS 7 64496 2]

 フルトヴェングラーがセッションで残したオペラ全曲録音は3つだけである。伝説的な「トリスタンとイゾルデ」と巨匠最後の録音活動となつた「ヴァルキューレ」、そしてこの「フィデリオ」だ。自家薬籠中としたフィデリオの録音はライヴでも4種類を数へ、この1953年のセッション録音を始める前日のライヴ―当盤と同じ布陣で―もあるが、現在復刻盤はないやうだ。最初の序曲から決定的名盤を作らうといふ巨匠の意気込みがひしひしと伝はつて来る。ユリナッチのマルツェリーネが可憐で素晴らしい。フリックが歌ふロッコも名唱だ。第1幕は非常に充実してをり主席に置いても良いだらう。しかしだ、レオノーレ役のメードルは実に良く歌つているが、フラグスタートと比べて仕舞ふと遜色がある。更に好き嫌ひはあるだらうが、フロレスタンはヴィントガッセンよりもパツァークの方が嵌つてゐる。つまり、1950年のライヴ盤を超える演奏ではない。特に第2幕の求心力の欠如は歌手の力によると思はれる。管弦楽の高貴さは比類なく、フルトヴェングラーの魔力が随所に感じられるが、残念ながら主役2名の歌唱は次第点程度であり、画竜点睛を欠く録音と云へる。(2013.1.4)


ビゼー:「カルメン」
エミー・デスティン(S)/カール・イェルン(T)/ヘルマン・バッハマン(Br)、他
ベルリン・グラモフォン管弦楽団/ブルーノ・ザイドラー=ヴィンクラー(cond.)
[Supraphon 11 213-2 600]

 ボヘミアの生んだプリマ・ドンナ、デスティンの全録音をチェコ・ウルトラフォン・レーベルが使命感をもつて復刻した12枚組の箱物。流通はスプラフォンが代行してゐるものと思はれる。7枚目と8枚目はデスティンが標題役を歌つた「カルメン」である。デスティンの名はこの録音によつて今日に伝はると云つても過言ではない。これは録音史上最初の「カルメン」だからだ。G&Tレーベルへ1908年に録音された太古の記録だが、かなり本格的な企画で驚嘆を禁じ得ない。録音技術上、大きな困難を伴つた管弦楽だけの前奏部や後奏部などは悉くカットが施されてゐるとは云へ、ギロー版即ちグランド・オペラ版でほぼ全曲を曲り形にも吹き込んだ労作なのだ。但し、ひとつ問題がある。ドイツ語歌唱なのだ。最初の「カルメン」がフランス語ではなく、ドイツ語の録音であつたといふのは第一次世界大戦前の情勢を鑑みれば何とも皮肉に映る。歌手では主役のデスティンが光彩を放つ。デスティンはソプラノであり必ずしも適役ではないのだが―実際2曲ばかり代役が歌つてゐる―歌唱力、表現の点において傑出してをり、第2幕終曲での奔放な振る舞ひは天晴だ。だが、その他の歌手は凡庸だ。デスティン以上に労ひたいのが指揮者のザイドラー=ヴィンクラーだ。今日においては最早、この「カルメン」は最初の録音といふ記録的な意味しかないのだが、レコード黎明期に金字塔を打ち立てた手際の良さには賞讃を惜しまない。(2011.8.1)


ビゼー:「カルメン」
ベニャミーノ・ジーリ(T)/エベ・スティニャーニ(S)/リーナ・ジーリ(S)/ジーノ・ベッキ(Br)、他
ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/ヴェンチェンツォ・ベレッツァ(cond.)
[URANIA URN 22.103]

 我が最愛のテノール、ジーリは大量の歌劇全曲録音を残して呉れた。セッション録音ではプッチーニが3曲、ヴェルディが2曲、ヴェリズモ作品が3曲、そして「カルメン」である。「カルメン」を除いてNaxos Historicalから優れた復刻があつた。当盤はイタリア語歌唱といふこともあり、また、全てのジーリの録音に云へることだが、ジーリだけが突出してをり、殆ど独り舞台の様を呈してゐることから、今日では殆ど価値を見出せない録音だといふことは否めない。だがしかし、ジーリの歌ふドン・ホセの魅力には抗し難い。特有の泣き節が随所に聴かれるジーリ独自の世界が築かれてをり、嗚咽のやうな泣きで幕切れを締めくくるのは好みが分かれるだらうが、「花の歌」の切ない歌唱は魔法のやうに心に溶け込んでくる。当盤は丁寧に聴くと、他にも面白みが幾つかある。スティニャーニのカルメンは申し分無く充実してをり、ベッキのエスカミーリョも立派だ。注目はミカエラを歌ふジーリの愛娘リーナで、燃え尽きて仕舞ひさうな情熱的な歌唱を披露する。雄弁な父娘の二重唱は微笑ましき共演を超えた、聴き手に迫る見事な歌唱なのだ。(2011.8.24)


ビゼー:「カルメン」
ソランジュ・ミシェル(Ms)/マルタ・アンジェリカ(S)/ラウル・ジョバン(T)/ミシェル・ダンス(Br)、他
オペラ・コミーク国民劇場管弦楽団と合唱団/アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[EMI CMS 5 65318 2]

 夥しい「カルメン」全曲の録音の中で度々推挙されて来た名盤である。それは当盤が初演の版、即ちオペラ・コミーク版での数少ない録音だからだ―原典重視の昨今、レチタティーヴォを排した台詞入りでの上演が主流となつたが、実際は折衷版が多い。そればかりではない、正に初演と同じオペラ・コミーク劇場の人員による演奏で、純然たるフランス人歌手を揃へ、ベルギー出身だがフランス人以上にフランス音楽を得意としたクリュイタンスの指揮で本場の伝統藝を味はへることはそれだけで価値のあることだ。演奏は風雅かつ小粋で、殊にフランス語の発声の美しさといふ点で当盤を超えるものはひとつもない。しかし、当盤をもつて決定盤とするには躊躇ひがある。最大の問題点はカルメン役ミシェルの役作りが弱いといふことだ。歌唱は見事なのだが、如何せん小粒で綺麗に纏め過ぎたといふ嫌ひがある。魔性の女カルメンの魅惑こそがこのオペラの生命線であるから、致命的なことなのだ。他の歌手にも同様のことが云へるが差して難癖を付ける謂れはない。もうひとつは肝心のオペラ・コミーク管弦楽団と合唱団の技量が並程度で、薄手な感じを否めない。クリュイタンスの華やかな指揮が素晴らしいだけに画竜点睛を欠く。彼方を立てれば此方が立たず。(2011.6.29)


ビゼー:「カルメン」
マリア・カラス(S)/ニコライ・ゲッダ(T)、他
パリ国立歌劇場管弦楽団/ルネ・デュクロ合唱団/ジョルジュ・プレートル(cond.)
[EMI 3 95918 2]

 20世紀において最も高名なディーヴァであつたカラスの全スタジオ録音を集成した69枚の箱物より。カラスは舞台でカルメンを歌つたことは一度もなかつた。カルメンはメッゾ・ソプラノの役であり、カラスが歌はなかつたのは当然と云へば当然なのだが。しかし、カラスのカルメンは驚くほど見事な嵌り役である。奔放で阿婆擦れな魔性の女として、カラスほど大胆な表情を付けた歌手はゐない。威嚇するやうな声質もカルメンに打つてつけである。カラスは既に全盛期を過ぎてゐた筈だが、衰へを全く感じさせない。数々のフランス・オペラで名唱を残したゲッダのホセも素晴らしい。その他の配役は幾分小粒とは云へ不足はない。アンドレア・ギオーの可憐なミカエラはカラスのカルメンと絶好の対比を作つてゐる。カラスと並んでプレートルの指揮が極上だ。冒頭の前奏曲から音楽が吹つ切れてをり天晴だ。眩い色彩感と鮮烈なリズム感を備へつつ、歌と一体となつた呼吸が自然で間然するところがない。優秀なステレオ録音で、カラスの録音の中では特上である。夥しく録音があるカルメンだが、ギロー版即ちグランド・オペラ版のカルメンではこのカラス盤が最高だらう。(2011.4.20)


シャルパンティエ:「ルイーズ」
ニノン・ヴァラン(S)/ジョルジュ・ティル(T)、他
ウージェーヌ・ビゴー(cond.)
[Naxos Historical 8.110675]

 シャルパンティエはこの「ルイーズ」以外の作品は殆ど顧みられることのない作曲家である。この歌劇の中でルイーズが歌ふアリア"Depuis le jour"は往年の名歌手が挙つて吹き込んだ名曲であり、特にボリとガーデンの名唱が忘れ難い。勿論、ヴァランの歌唱もそれに劣らぬ優れたもので、フランス語のイントネーションと云ふことなら最高位に置かれるものだ。唯、少々色気があり過ぎて、この田園情緒爽やかな作品にはむず痒い。ティルの恰幅のよいジュリアンは理想的な名唱。当盤は録音に当たり作曲家自らが改訂を施した短縮版であり、単なる抜粋ではない。全曲版ではないことを据へ置きにしなくとも、ヴァランとティルと云ふ当時最高の歌手を取り揃へたこの録音を凌駕したものはこれまでない。さう断言出来る不滅の名盤である。(2004.11.7)


ドニゼッティ:「連隊の娘」
リリー・ポンス(S)/サルヴァトーレ・バッカローニ(Br)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/ジェンナーロ・パピ(cond.)
[Naxos Historical 8.110018-19]

 1940年12月28日の放送音源。ボダンツキーやパニッツァと共に黄金期のメットを支へたパピは、軽快なイタリア・オペラで本分を発揮し、ドニゼッティとの相性は格別だつた。冒頭の序曲から勢ひに溢れた前のめりの音楽が展開し、胸がわくわくする。合唱に対しても煽るだけ煽り、音楽が沈滞することなど一切ない。弾けるやうなリズムは天下一品だ。オペラ・コミークで上演するべくフランス語で書かれたこの歌劇は、後にイタリア語版も作られたが、当盤はフランス語による上演だ。歌手も巧者を取り揃へてゐるが、何と云つても主役マリー役を歌ふポンスが素晴らしい。典型的なベル・カント風の超絶技巧がふんだんに盛り込まれたアリアの華麗さは圧倒的だ。筋は軽妙で抱腹絶倒、羽目を外した御巫山戯も飛び交ひ、聴衆の爆笑も聴かれる。最後は「ラ・マイセイエーズ」が高らかに奏され熱狂の内に幕を降ろす。(2008.7.7)


ドニゼッティ:「ランメルモールのルチア」
マリア・カラス(S)/ジュゼッペ・ディ・ステファノ(T)/ティト・ゴッビ(Br)、他
フィレンツェ五月祭管弦楽団と合唱団/トゥリオ・セラフィン(cond.)
[EMI CMS 7 69980 2]

 「ルチア」の決定的名盤として君臨する1953年に行はれた伝説の録音。カラスの業績はベル・カント・オペラを伝統的なコロラチューラの軽やかで装飾的な歌唱法から解き放ち、ドラマティコによる劇的な音楽の再創造を敢行したことである。情念の昂揚と技巧的な高音の要求を同時に満たしたカラスの表現力は驚異的であつた。だからこそ狂乱の場における迫真の歌唱が胸を打つのだ。カラスは僅か6年後に再録音を残してゐるが、布陣の見事さで当盤が一頭抜きん出てゐる。何よりも役者ゴッビが歌ふエンリーコが別格だ。熱血漢ステファノはカラスとの相性が抜群で理想的なエドガルドを演じてゐる。更に緊張感漲るセラフィンの棒が卓越してをり、後年の録音よりも良い。アリアや有名な六重唱などは他にも優れた録音を挙げることが出来るが、全体として当盤を凌ぐ「ルチア」はないだらう。(2008.1.4)


ジョルダーノ:「アンドレア・シェニエ」
ベニャミーノ・ジーリ(T)/マリア・カリーニャ(S)/ジーノ・ベッキ(Br)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/オリヴィエーロ・デ=ファブリティース(cond.)
[Naxos Historical 8.110275-76]

 我が最愛のテノール、ジーリが残したオペラ全曲録音で最高傑作と云へるのが「アンドレア・シェニエ」だ。この歌劇はプリモ・ウォーモ・オペラと称されるほどシェニエ役のテノールが活躍する。4幕全てにアリアがあり、特に第1幕と第4幕の長大なアリアは絶好の見せ場だ。祖国の詩人といふシェニエの役柄はリリコ・スピントのジーリに打つてつけだ。「ある日、青空を眺めて」の情熱的な昂揚の快感、「五月の晴れた日のやうに」の甘く柔らかいソット・ヴォーチェの美しさは他の如何なるテノールが束にならうが足下にも及ばない。特有の泣き節も決まつてをり、これぞ最高のシェニエと断言出来る。マッダレーナ役のカリーニャも、ジェラール役のベッキも健闘してをり、ミラノ・スカラ座管弦楽団は流石の安定感で、総合的にも名盤と云へるだらう。1941年といふ録音年の古さだけが引け目だ。余白に様々な歌手によるアリアを収録してゐるが、クラウディア・ムツィオの録音だけが別格の出来だ。(2015.8.5)


ジョルダーノ:「アンドレア・シェニエ」
エットーレ・バスティアニーニ(Br)/レナータ・テバルディ(S)/マリオ・デル・モナコ(T)、他
ローマ聖チェリーリア国立音楽院管弦楽団/ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ(cond.)
[DECCA 4781535]

 テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1957年の優秀なステレオ録音で古さを感じない「アンドレア・シェニエ」の最右翼に位置する名盤だ。主役であるシェニエにデル・モナコ、マッダレーナにテバルディ、ジェラールにかのバスティアニーニを配し、最も理想的な歌手を揃へた完璧な録音だと云へる。デル・モナコは力強さは勿論、柔らかさも兼ね備へた歌唱で申し分のないシェニエを聴かせてて呉れる。毅然としたテバルディのマッダレーナが一際優れてゐる。当たり役と云へよう。芯では高邁な理想主義者ジェラールを歌はせてバスティアニーニの右に出る者はなからう。端役たちも充実してゐる。指揮も管弦楽も万全だ。シェニエ役に関してはジーリを最上としたいが、総合点で云へば弱点がない当盤が疑ひなく最高だ。(2015.8.27)


フンパーディンク:「ヘンゼルとグレーテル」
ギーゼラ・リッツ(Ms)/リタ・シュトライヒ(S)、他
ミュンヘン・フィル/フリッツ・レーマン(cond.)
[DG 435 461-2]

 当盤の一押しは何と云つてもシュトライヒが歌ふグレーテルだ。斯様に愛くるしいグレーテルは余所では聴けない。上手な歌手たちの録音は幾つもあるが、どれもこれも幼きグレーテルにしては老巧だと云はざるを得ない。シュトライヒ以上に嵌り役の歌手を見付けようとするのは無益なことだ。リッツのヘンゼルも見事に唱和してをり、主役ふたりに関して云へば最高の録音だらう。レス・フィッシャーの歌ふ魔女も雰囲気満点で理想的だ。次いで香り高いレーマンの指揮とミュンヘン・フィルの素晴らしさを述べよう。この録音の数年後に急逝して仕舞つたが、レーマンはかの偉大なロッテ・レーマンの弟であり、宗教音楽では一家言を持つた人物であつた。派手さはなく実直で謹厳な姿勢が好ましく、歌手に献身的な奉仕をしてゐる。そして、後期ドイツ・ロマン派音楽の演奏では由緒あるミュンヘン・フィルが奏でる森の囁きが美しく、哀感湛へた黄昏の響きがメルヒェン・オペラの神髄を伝へる。声高に語られることはないが、レーマン盤こそ最右翼に位置する名盤だ。(2013.10.31)


フンパーディンク:「ヘンゼルとグレーテル」
バーバラ・シェルラー(Ms)/ギーゼラ・ポール(S)、他
北ドイツ放送交響楽団/カール・シューリヒト(cond.)
[ARCHIPEL ARPCD 0538]

 1956年12月の放送用録音で、シューリヒトにとつて唯一のオペラ全曲録音である。シューリヒトはオペラ・アリアの録音も極端に少なく、劇場での経験が乏しかつたとは云へ、オペラとの関はりが薄かつたことは特徴的だ。もう1点付加価値がある。シューリヒトは若き時分に作曲をフンパーディンクに学んだ。正統的解釈の演奏と考へて良いし、師の作品を録音したことは云ふなれば恩返しの意味合ひを帯びる。前奏曲から凛とした抒情が美しく、辛口のフレージングなのに淡いロマンティシズムが漂ふのはシューリヒトならではの至藝だ。間奏部分も同様に美しく、管弦楽演奏に関しては古今最高の神品と評したい。最後の少年少女合唱団も効果的だ。だが、肝心要の独唱陣が物足りない。ヘンゼル役のシェルラーと魔女役のリリアン・ベニグセンは良いのだが、グレーテル役のポールは水準程度だらう。父親役のマルセル・コルデスが品がなく歌ひ崩しも嫌らしい。余白に1929年、ヘルマン・ヴァイゲルト指揮ベルリン国立管弦楽団の短縮録音が収録されてをり、歌手はこちらの方が優れてゐるのだが、詰め込み過ぎで主役のシューリヒトの録音が幕間でなく曲の途中でCDの入れ替へをする編集になつてゐるのは迷惑千万だ。(2013.11.27)


フンパーディンク:「ヘンゼルとグレーテル」
イルムガルト・ゼーフリート(S)/アンネリーゼ・ローテンベルガー(S)/エリーザベト・ヘンゲン(A)/ヴァルター・ベリー(Br)、他
ウィーン・フィル/アンドレ・クリュイタンス(cond.)
[EMI 7243 5 65661 2 5]

 1964年のセッション録音。ヘンゼルにゼーフリート、グレーテルにローテンベルガー、魔女にヘンゲン、父親にベリーと豪華配役、更にはクリュイタンスにウィーン・フィルと全く穴のない布陣で非の打ち所の無い名盤と云へる。細部迄美しく、メルヒェン・オペラの醍醐味を存分に楽しめる。しかし、クリュイタンス盤をもつて最高とするのには躊躇する。まず、最も重要な要素、幼きヘンゼルとグレーテルの歌唱が大人びて聴こえないかだが、レーマン盤のシュトライヒと比較すると苦しいと云はざるを得ない。だが、ヘンゲンの魔女とベリーの父親は文句無く素晴らしく最上位に置いてよい。管弦楽は艶かしく万全だが、閃きに充ちたシューリヒト盤のやうな感銘には乏しい。とは云へ、これは難癖だらう。こんなにも素敵な宝石のやうな演奏は稀だ。竃が大爆発する箇所は大砲を使つてをり愉快だ。(2013.12.5)


レハール:「メリー・ウィドウ」、「ルクセンブルク伯爵」(抜粋)
ヒルデ・ギューデン(S)、他
ウィーン国立歌劇場管弦楽団と合唱団/ロベルト・シュトルツ(cond.)
[DECCA 458 549-2]

 「メリー・ウィドウ」初演はレハール自身が指揮したが、副指揮者として関はつたのがシュトルツだ。この録音は「ウィーン・オペレッタ銀の時代」の息吹を伝へる重要な記録と云へる。面白いのは全曲の前にシュトルツが編曲した序曲が演奏されてゐることだ。ハイライトの接続曲で、レハール自身によるハイライト曲との類似点も興味深い。詰まり、シュトルツほどレハールに近い音楽性を持つた人はゐないと云へる。第2幕冒頭の踊りではステップの音を盛大に入れたり、随所に編曲―或いは上演史上の慣習的な変更かも知れぬ―を加へ効果を上げてゐるのが印象的。また、純然たるウィーンの音楽の再現に拘泥つた録音で、歌手も国立歌劇場のウィーン勢で固めてある。その為、優美で軽快、絢爛たる豪華さが前面に出た演奏だが、腰の強いアクセントはなく、「ヴィリアの歌」などに聴かれる異国情緒は薄い。甘く美しい反面、取り澄ました表現が物足りない。ギューデン以外の歌手は小粒で皮相に感じる。特色もあるが、踏み込みは弱い演奏だ。余白にギューデンとワルデマール・クメントによる「ルクセンブルク伯爵」から4曲だけの抜粋録音がある。指揮者はマックス・シェーンヘルで、フォルクスオーパーによる演奏だ。これもウィーン様式満載の正統的な演奏である。(2018.1.13)


レハール:「メリー・ウィドウ」
エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)/ニコライ・ゲッダ(T)、他
フィルハーモニア管弦楽団/ロヴロ・フォン・マタチッチ(cond.)
[EMI CDS7 47178 8]

 シュヴァルツコップはハンナ役を得意とし、モノーラル録音時代の1953年にもアッカーマンの指揮で名唱を残した。当盤は決定的名盤の誉れ高い1962年のステレオによる再録音で、カミーユ役は旧盤と同じくゲッダが務める。ダニロ役はエベアハルト・ヴェヒター、ヴァランシェンヌ役はハンニー・シュテフェックで、理想的な歌唱が聴ける。予想に反して素晴らしいのがマタチッチの指揮だ。ブルックナーやスラヴ音楽で聴かせる余人にはない無骨さが持ち味な指揮者だが、レハールでは軽快で婀娜な演奏を披露して呉れた。とは云へ、よく聴くと非常に安定感のある揺るぎのない造形が最大の特徴で、恣意的な崩しがなく面白みは少ないのだが、醸し出す艶つぽさは熟成された匠の仕業だ。シュヴァルツコップの含蓄のある聡明な歌唱は、華美で奔放に歌はれたハンナとは一線を画す。ゲッダのカミーユは最高だらう。最も素晴らしいのはヴェヒターのダニロで千両役者と形容したい表現の多彩さだ。総合点で主席を占める名盤。(2017.12.9)


レハール:「メリー・ウィドウ」
アンネリーゼ・ローテンベルガー(S)/ニコライ・ゲッダ(T)/エリカ・ケート(S)、他
グラウンケ交響楽団/ヴィリー・マッテス(cond.)
[EMI CDM 7 69090 2]

 マッテスはオペレッタを得意とし、レハールでは「ロシアの皇太子」「ルクセンブルク伯爵」「微笑みの國」を録音した。それらはゲッダ、ローテンベルガー、シュトライヒ、ポップなどの名歌手を揃へての決定的名盤ばかりだ。何故か「メリー・ウィドウ」は全曲ではなく、6割程度の抜粋録音しか残らないのだが、秘宝とも云へる極上の名演なのだ。何よりもマッテスの指揮が素晴らしく、あのマタチッチ盤すら問題にならないほどレハールの妙味を引き出してゐる。何と云ふ自在さだらう。歌手に寄り添ふ木目細かい揺らぎは絶品だ。仄かに香る色気、軽やかなワルツの魅惑は古今最高だ。勿論歌手も極上だ。ハンナ役のローテンベルガーが美しく愛らしい。若々しく可憐な歌唱に魅了されずにはゐられない。理知的なシュヴァルツコップを抑へて歌の力で聴かせる。マタチッチ盤ではカミーユ役だつたゲッダがダニロを歌つてゐる。どちらも歌へるとは器用だ。語るやうな役者振りで天晴。流石だ。ヴァランシエンヌを歌ふケートの軽妙さも最高だ。カミーユ役のロベルト・イロスファルヴィも実に巧い。全曲録音だつたら、間違ひなく決定盤となつてゐた。(2017.12.30)


レオンカヴァッロ:「道化師」
ベニャミーノ・ジーリ(T)、他
フランコ・パターネ(cond.)
[BONGIOVANNI HOC 062/63]

 贔屓にしてゐるテノール、ジーリに晩年のライヴ録音があることを知り、直ちに入手した。ジーリには1934年に企画されたセッション録音があり―ジーリにとつて最初のオペラ全曲録音だ―、全盛期の美声が聴けるが、当盤は引退期の1952年のライヴといふことで多少の不安があつた。しかし、衰へを知らない大変精力的な絶唱で感銘を受けた。但し、録音状態が水準以下で、歪みが大きくピッチが狂つてゐる箇所が多々有る。愛好家以外には不要であらう。それにしてもジーリへの崇拝が極まつた物凄い記録だ。ナポリでの公演記録だが、「衣装をつけろ」を歌ひ終るや否や、嵐のやうな拍手。それが止まない。それどころか何やら大声で喚き続ける聴衆たちによつて管弦楽は後奏の演奏を断念、騒ぎが静まると「衣装をつけろ」がアンコールされるのだ。ジーリは更なる名唱で応へ、フェルマータも長く長く引き延ばす。いと物凄し。今度は拍手を制する静けさの中で後奏が感動的に演奏され、ジーリが勝鬨をあげ乍ら退場する。英雄の舞台に興奮し感動してゐる聴衆の空気が伝はる。全体的には管弦楽の乱れが気になるが、歌手らは良く、全員が熱演だ。(2012.7.30)


レオンカヴァッロ:「道化師」
ティート・ゴッビ(Br)/マリア・カラス(S)/ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/トゥリオ・セラフィン(cond.)
[EMI 3 95918 2]

 20世紀において最も高名なディーヴァであつたカラスの全スタジオ録音を集成した69枚の箱物より。ヴェリズモ・オペラの最高峰「道化師」の名盤のひとつ。何よりもイタリア・オペラの神様セラフィンの統率力が素晴らしい。指折りの難曲を細部まで丁寧に仕上げつつも、躍動的な生命を注入してゐる。悲劇的な面から安つぽい面まで自在に表現する幅が見事だ。間奏曲の劇的な情念も素晴らしい。歌手ではトニオ役のゴッビが頭一つ抜きん出てゐる。屈折した性格をも見事に表現してをり、千両役者の歌唱だ。プロローグは録音史上最高と云つて良い。次いでネッダ役のカラスが素晴らしい。カラスは「道化師」をレパートリーとはせず、舞台では一度も歌つてゐない。なのに狂ほしく欲望を剥き出しにした迫真の歌唱を展開してゐる。主役のディ=ステファノも劣らず名唱を聴かせるが、カニオにしては凄みに欠ける嫌ひがある。しかし、カラスらとの相性でディ=ステファノ以上を歌手はゐないのだから難癖にならう。(2012.6.14)


マスカーニ:「カヴァレリア・ルスティカーナ」
リーナ・ブルーナ・ラーザ(S)、他
オランダ・イタリア・オペラ管弦楽団と合唱団/ピエトロ・マスカーニ(cond.)
[Guild Historical GHCD 2241]

 1938年11月7日、ハーグのオランダ王立歌劇場における実況録音。ヴェリズモ・オペラの金字塔を作曲家自身の指揮で聴ける貴重な録音だ。マスカーニの自作自演と云へばミラノ・スカラ座を振つた1940年のセッション録音が有名だ。自作自演といふ理由もあるがトゥリッドゥを天下の伊達男ジーリが歌つてゐるからで、この役柄に関しては今もつてジーリが最高だと太鼓判を押したい。当盤のトゥリッドゥを歌ふのはアントニオ・メランドリで、格が違ひ過ぎるのは仕方ない。だが、何とも鈍重な声で感興を殺がれる。また、手前勝手に歌ひ崩すので良くない。アルフィオを歌ふアフロ・ポーリも同様で全く冴えない。合唱も薄つぺらく、管弦楽も散漫で、指揮も統率が甘く、要はひとつも良いところがないのだ。何よりも興醒めなのは、プロンプターの声が盛大に入つてゐることだ。曲が手中に入つてをらず、練習不足の感が否めない。そんな中で、セッション録音でもサントゥッツァを歌つてゐたブルーナ・ラーザだけが輝いてゐる。激情の趣く侭、没我的な歌唱を聴かせる。迫真の絶唱だ。(2012.8.18)


マスカーニ:「カヴァレリア・ルスティカーナ」
マリア・カラス(S)/ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)/ローランド・パネライ(Br)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/トゥリオ・セラフィン(cond.)
[Warner Classics 0825646340903]

 愛好家必携のオリジナル・ジャケットによるスタジオ録音リマスター・エディション69枚組。カラスの初期録音のひとつ。激情的なサントゥッツァが聴ける。絶大な声量と表現力で他を圧倒し、独擅場の感がある。しかし、些か情念過多で曲の抒情を破壊してゐる箇所がある。飽くまでカラスの個人技を聴く積りでゐた方が良い。ディ=ステファノのトゥリッドゥ役は嵌り役かと思ひきや、意表外に魅惑に欠け、存外印象に残らない。最も好演してゐるのはアルフィオ役のパネライだらう。さて、決まり文句のやうにセラフィンとスカラ座が素晴らしいと云ひたいところだが、だうにも精彩を欠く。垢抜けない趣を目指したのだらうが、音楽が終始詰まらなくなつて仕舞つた。(2012.7.15)


マスカーニ:「カヴァレリア・ルスティカーナ」
レナータ・テバルディ(S)/ユッシ・ビョルリンク(T)/エットーレ・バスティアニーニ(Br)、他
フィレンツェ五月祭管弦楽団/アルベルト・エレーデ(cond.)
[DECCA 4781535]

 テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1957年の優秀なステレオ録音で、この曲の重要な名盤のひとつと云へる。兎にも角にもサントゥッツァを歌ふテバルディが素晴らしい。情念と技巧が結び付いた見事な歌唱で結晶された美しさがある。古のムツィオを別格としてサントゥッツァ役としては第一としても良からう。次いで良いのがエレーデの指揮だ。冒頭から抒情美が滴り、切なく甘い情感がこれほど活きた演奏はあるまい。間奏曲然り。劇的昂揚も見事で、緩急自在な棒は天晴れ。重過ぎないのも良い。ビョルリンクのトゥリッドゥは重く硬い。これは人選違ひだ。問題はバスティアニーニのアルフィオだ。難所では崩壊寸前になつてをり、ヴェルディで聴かせる高貴な威厳は武器にならず作品に嵌らない。(2022.1.6)


マスネ:「マノン」
ヴィクトリア・デ・ロス=アンヘルス(S)/アンリ・ルゲイ(T)、他
パリ・オペラ・コミーク管弦楽団と合唱団/ピエール・モントゥー(cond.)
[TESTAMENT SBT 3203]

 名曲「マノン」の録音において最右翼と目される名盤であり、モントゥーの残した数少ない歌劇録音のうち最良の出来栄えを誇る。マノンに名花ロス=アンヘルスを、デ=グリューには絶頂期のルゲイを揃へ、フランス・オペラの精髄を聴かせてくれる。ロス=アンヘルスの可憐な声は蠱惑的な小悪魔マノンに相応しく申し分ない。それ以上に、一途な青年の恋心を迸らせるルゲイのデ=グリューが素晴らしく、品格あるリリック・テノールの愁ひを帯びた声が貴いことこの上ない。また、合唱団が特に充実してをり、ディクションの豊かさは特筆すべきだ。モントゥーの棒は堂々たる音楽を築いてをり、響きが実にシンフォニックだ。反面、全曲に亘り健全過ぎて、妙なる恋の神秘を語るには妖しくもか弱き様を綾なす陰影が不足するきらひがあるが、巨匠の示したかくも格調高き音楽の推進力と包括力には心底敬服する。(2005.9.8)


マスネ:「ウェルテル」
ジョルジュ・ティル(T)/ニノン・ヴァラン(S)、他
エリー・コーエン(cond.)
[Naxos Historical 8.110061-62]

 ベル・エポックと呼ばれる時代の香気を放つ録音。クレーマンを別格とすれば、ウェルテルを歌ふジョルジュ・ティルこそフランス最高のテノールと云ふに相応しい。憂ひを帯びた声で、情熱に欠けることもなく伊達だ。シャルロッテを歌ふニノン・ヴァランもまた戦前のフランスにおける最高のソプラノであり、貴婦人の色気が香水のやうに芳しく婀娜だ。この2人の共演による録音は少なからずあるが、このマスネが一番良いと思ふ。何よりもフランス語の美しさに惚れ惚れする。現在では聴くことの出来ない歌唱である。指揮と管弦楽も切々と音楽を紡いでをり、申し分ない。そして、この歌劇の素晴らしさにおいては何をか況んや。ゲーテの情熱とエスプリとが結合し、至福のひとときを与へてくれる。(2004.7.13)


マスネ:「サンドリヨン」
フレデリカ・フォン・シュターデ(Ms)/ニコライ・ゲッダ(T)、他
フィルハーモニア管弦楽団/ユリウス・ルーデル(cond.)
[CBS M2K 79323]

 マスネはフランス・オペラで最も重要な作曲家であり、生前は人気があつたが、21世紀の現在凋落してゐる。「ウェルテル」と「マノン」が二大傑作で、次いで「タイース」と「ドン・キショット」が有名だらう。しかし、それ以外となると「ル・シッド」「エクスラルモンド」「エロディアード」などが候補だらうが最早珍曲に等しい。ペローの童話を元に台本が作られた「サンドリヨン」の知名度もこの辺りだらうか。1978年に録音された当盤はこのオペラの世界初録音であり、カットなしの完全全曲版として現在に至るまで決定的名盤として君臨してゐる。最高の栄誉は標題役のシュターデに与へられる。舞踏会へ向ふシンデレラの幸福感に溢れた第1幕後半の長大なアリアは全曲の白眉で胸躍る。盛期は過ぎてゐるが、王子役のゲッダが文句無く素晴らしい。第2幕のアリア、第3幕でのシュターデとの二重唱は最高だ。全ての歌手が粒揃ひで、ルーデルの指揮も巧く、当分当盤を凌駕する録音は出現しさうにない。(2015.1.4)


モーツァルト:「バスティアンとバスティエンヌ」、アリア集(9曲)
リヒャルト・ホルム(T)/トニ・ブランケンハイム(Bs)/リタ・シュトライヒ(S)、他
クリストフ・ステップ(cond.)
[DG 474 738-2]

 ウィーンのナイチンゲールと称されたシュトライヒの名唱を集成した箱物。8枚組の1枚目には少年モーツァルトが書いた1幕7場のジングシュピール「バスティアンとバスティエンヌ」全曲の名盤が収録されてゐる。意外にもこれが初CD化であつた。可憐なシュトライヒのバスティエンヌに心奪はれぬ者があらうか。ホルムのバスティアン、ブランケンハイムのコラも名唱だ。ステップが指揮するミュンヘン室内管弦楽団の瑞々しい合奏も満点だ。この隠れた傑作の録音で当盤を超える録音があるのだらうか。余白にはモーツァルトの歌劇よりアリアが全部で9曲収められてゐる。「ツァイーデ」「イドメネオ」「コジ・ファン・トゥッテ」から1曲、「後宮からの逃走」「魔笛」「ドン・ジョヴァンニ」からそれぞれ2曲だ。ツァイーデと「後宮への逃走」のブロンデは当り役だ。夜の女王やツェルリーナも素晴らしいのだが、幾分女学生めく。(2010.11.11)


モーツァルト:「フィガロの結婚」
グライドボーン音楽祭管弦楽団と合唱団/フリッツ・ブッシュ(cond.)、他
[Naxos Historical 8.110286-87]

 1934年から35年にかけてセッション録音された最古の「フィガロの結婚」全曲だ。但し、セッコは全て省略されてをり、番号の付いてゐる楽曲のみの録音で―しかも何曲かカットされてゐる―、CD2枚内で収まつて仕舞ふ。だが、録音で聴くのならこの形式でも良いかも知れぬ。歌手は小粒で、有名曲のアリアは物足りないとは云へ、非常に良く訓練されてをり、重唱の見事さは特筆したい。何よりもオーケストラが古典的な簡素さで音楽を牽引してゐる。往時、鈍重なモーツァルト演奏から逸早く脱却し、斯様に軽快な演奏を聴かせることに成功し、ダ・ポンテ三部作を録音するといふ大業績を成し遂げたブッシュの栄誉を称へたい。(2009.11.29)


モーツァルト:「フィガロの結婚」
エーリヒ・クンツ(Br)/イルマ・バイルケ(S)/ハンス・ホッター(Br)/ヘレナ・ブラウン(S)、他
ウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場合唱団/クレメンス・クラウス(cond.)
[PREISER RECORDS 90203]

 1942年8月、ザルツブルク音楽祭での上演記録。戦中の困難な時期の録音であるが、最新鋭のマグネトフォンで記録された為、音質が驚くほど良く生々しい。クラウスは前年からナチスによりザルツブルク音楽祭の総監督に任命されてゐた。モーツァルトとの相性が良いクラウスだけに「フィガロの結婚」も軽やかで優美な演奏が期待出来る。結論から述べればドイツ語による上演といふ僅かな減点はあるものの実に素晴らしい名演である。クラウスにしては雑な仕上がりだが、中弛みし勝ちな後半の幕でも音楽の流れが良く、途切れることのない生命力に良さがある。歌手では矢張りクンツのフィガロが光つてゐる。屈託の無い陽気さと喜劇的性格の描写は真の当たり役と云へる。また、ホッターを筆頭に名歌手が揃つてをり、まずは穴のない布陣と云へるだらう。セッコも省略なしで臨場感のある舞台が繰り広げられてゐる。だが、件に述べたやうにこの録音の聴き所はクラウスとウィーン・フィルにある。序曲は驚くべき速さだ。発火するやうな音の立ち上がりからも唯ならぬ意気込みが感じられる。第2幕や第4幕のフィナーレで持続する推進力は古今を通じても最高だらう。特に最後の大団円での昂揚は天晴。(2013.7.3)


モーツァルト:「フィガロの結婚」
エツィオ・ピンツァ(Bs)/ビドゥ・サヤン(S)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/ブルーノ・ヴァルター(cond.)
[West Hill Radio WHRA 6045]

 1944年の実況録音。フィガロ歌ひとしても高名なピンツァを軸に可憐なサヤンのスザンナ、グライドボーンで「ドン・ジョヴァンニ」を歌つてゐたジョン・ブラウンリーが伯爵、サルヴァトーレ・バッカローニがバルトロを受け持つといふ充実した布陣だ。殊にエリナー・スティーバーの伯爵夫人が魅惑的だ。しかし、演奏全体は散漫で粗雑な印象を受ける。ヴァルターの指揮に求心力が感じられない。Metでは1942年の「ドン・ジョヴァンニ」、1956年の「魔笛」の名演があつたが、この「フィガロの結婚」は感銘が随分劣る。線が細く、乾いた響きが残念だ。ヴァルターには1937年のザルツブルク音楽祭におけるウィーン・フィルとの芳醇な演奏があるから、そちらを採るべきだらう。(2013.8.27)


モーツァルト:「フィガロの結婚」
エーリヒ・クンツ(Br)/エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)/イルムガルト・ゼーフリート(S)/ヒルデ・ギューデン(S)/パウル・シェフラー(Bs)、他
ウィーン・フィルと合唱団/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
[EMI 7243 5 66080 2 3]

 ザルツブルク音楽祭における1953年8月7日の公演記録。フルトヴェングラーは戦後のザルツブルク音楽祭の中心人物として八面六臂の活躍をし、ほぼ毎年モーツァルトの歌劇を上演してきた。お気に入りは「魔笛」と「ドン・ジョヴァンニ」であつたが、1953年に「フィガロの結婚」を取り上げた。「ドン・ジョヴァンニ」ではイタリア語上演に拘泥はつたのに対し、「フィガロの結婚」はドイツ語歌唱である。フルトヴェングラーの音楽はリズムの軽快さがなく、弾力の無い発音を特徴とする故にモーツァルト作品とは相性が悪い。節々で鈍重な響きが出現し感興を損なつてゐるのは事実だが、テンポは歌手のものであり、全体としては違和感は少ない。豪華な歌手を揃へ相当気合ひの入つた演奏となつた。特にゼーフリートのスザンナが絶品だ。勿論クンツのフィガロも素晴らしい。シュヴァルツコップの伯爵夫人やギューデンのケルビーノも良いが、特記するほどではないだらう。寧ろ伯爵役のシェフラーが心憎い巧さだ。(2013.9.19)


モーツァルト:「フィガロの結婚」
レナート・カペッキ(Br)/イルムガルト・ゼーフリート(S)/ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)/マリア・シュターダー(S)/ヘルタ・テッパー(Ms)、他
RIAS室内合唱団/ベルリン放送交響楽団/フェレンツ・フリッチャイ(cond.)
[DG 00289 479 4641]

 フリッチャイのDG録音全集第2巻37枚組。昨今注目されてゐないが「フィガロの結婚」の最上位に置かれるべき録音で、ウィーン風の優美なクライバー盤と双璧を成す。1960年のステレオ録音で、実はフリッチャイ最後の歌劇録音でもある。フリッチャイはモーツァルトに特別な敬愛の念を抱ひてをり、当盤はその結晶とも云ふべき総決算なのだ。病状が進行し死期が迫りつつある時の録音とは思へない精悍な指揮振りで圧巻だ。音符全てに生命が吹き込まれてをり、経過句の扱ひをひとつとつても感心して仕舞ふ。因習に依らず爽快な古典派の風を送り込み、脈動と呼吸の感覚が最高だ。さて、歌手は同程度素晴らしいとはいかないが、全員大変見事な歌唱を聴かせる。カペッキのフィガロは演出過多だが、実によく盛り上げて呉れる。ゼーフリートのスザンナは色気が無さ過ぎる気がするが巧みだ。シュターダーの伯爵夫人も嵌り役ではないが美しい。ディースカウの伯爵は他にベーム盤でも聴けるが、断然このフリッチャイ盤が良い。フィナーレでの高貴な佇まひは流石だ。歌手に関しては他に良い嵌り役が幾らでもゐるだらうが、全体を統率したフリッチャイに絶讃を惜しまない名盤だ。(2021.3.12)


モーツァルト:「フィガロの結婚」
ヘルマン・プライ(Br)/エディト・マティス(S)/ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)/グンドゥラ・ヤノヴィッツ(S)/タティアナ・トロヤヌス(Ms)、他
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団と合唱団/カール・ベーム(cond.)
[DG 4798358]

 ベームの歌劇と声楽作品録音を集成した70枚組。1968年に録音された「フィガロの結婚」名盤中の名盤であり、最上位に挙げられることも多い。減点法で採点すれば、このベーム盤こそ第一等だ。何処を取つても水準以上で隙がなく、これぞモーツァルトの精髄といつた軽快な歌心に溢れてゐる。これだけの名歌手を揃へられたのも驚くべきことだ。だが、このベーム盤を積極的に推すには至らない。全体的に生真面目で湧き立つ愉悦や御巫山戯がなく、オペラ・ブッファとしての性格が弱い。色気も薄く、優等生のモーツァルトなのだ。中ではプライのフィガロが全体を盛り上げやうと奮闘してゐる。ディースカウの伯爵は勿論素晴らしいが、フリッチャイ盤の方が良さが出てゐた。当盤では器用さばかりが目立つ。マティスのスザンナは美しいが埋没して仕舞つた。ヤノヴィッツの伯爵夫人も同じ傾向だ。この歌劇を得意としたベームの指揮は極上だ。理想的なテンポと小気味良い表情が見事である。難癖を付ければ、常套的で心奪はれれる驚きがない。悪い点がない代はりに、爪痕を残さない録音なのだ。(2021.3.27)


モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」
グライドボーン音楽祭管弦楽団と合唱団/フリッツ・ブッシュ(cond.)、他
[Naxos Historical 8.110135-37]

 1936年にセッション録音された最古の「ドン・ジョヴァンニ」全曲だ。ブッシュによるダ・ポンテ三部作の録音は「フィガロの結婚」と「コジ・ファン・トゥッテ」が先んじて行はれ、この「ドン・ジョヴァンニ」だけが後発であつた。その結果、録音に関して大きな変化が見られる。セッコも全て収録した省略なしの演奏で、大変価値のある録音となつた―残念乍ら「フィガロの結婚」ではセッコが全て省略されてゐた。また、軽快さやユーモアが自然と求められる2作と違ひ、「ドン・ジョヴァンニ」は地獄落ちを軸にしたデモーニッシュな解釈が横行してゐたのだが、ブッシュは古典的な様式で演奏をしてをり、当時から新風を吹き込んだと評価が高かつた。現在の耳でも颯爽とした音楽は魅力的で全く古びてゐない。歌手は小粒とは云へ健闘してをり、ブラウンリーの標題役、バッカローニのレポレッロは申し分ない。何よりもブッシュの因習に捕はれない含蓄のある指揮が素晴らしい。余白に往年の名歌手らの録音が収録されてゐるが、シャリアピンの「カタログの歌」は別格で世界が違ふことだけは特記してをきたい。(2013.2.5)


モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」
エツィオ・ピンツァ(Bs)/ビドゥ・サヤン(S)/アレグザンダー・キプニス(Bs)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/ブルーノ・ヴァルター(cond.)
[West Hill Radio WHRA 6045]

 以前Naxos Historicalからも発売されてゐた至高の名演がマーストンによる新リマスタリングで登場した。1942年Metにおける実況録音。「ドン・ジョヴァンニ」の録音は数多あるが、これが最上であらう。ヴァルターのオペラ録音は少ないが、歌劇場で真価を発揮した名指揮者の実力を思ひ知らされる。序曲から起伏が激しく、沸立つリズム、渾身のルフト・パウゼに気魄が漲つてゐる。管弦楽も威力があり、地獄落ちの壮絶さはフルトヴェングラー盤を優に凌ぐ。モーツァルトを得意としたヴァルターだけに、躍動感あるテンポは活力に充ち、優美さとの対比が絶品だ。標題役はシエピと共に最高のドン・ジョヴァンニ役と讃へられたピンツァが貫禄ある歌唱を聴かせる。貴族的な色気はシエピに及ばないが、威厳が備はつてをり風格が素晴らしい。最も評価したいのがレポレッロ役のキプニスだ。歌も勿論だが、観客の笑ひを独り占めする演出が最高だ。giocosoとしての性格を具現して呉れた数少ない「ドン・ジョヴァンニ」上演の立役者なのだ。最高のレポレッロはこのキプニスであると断言したい。全ての配役が充実してゐるが、ツェルリーナ役のサヤンは流石だ。当盤を超える「ドン・ジョヴァンニ」はない。(2013.1.28)


モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」
ティート・ゴッビ(Br)/エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)/リューバ・ヴェリッチ(S)/アントン・デルモータ(T)/イルムガルト・ゼーフリート(S)/エーリヒ・クンツ(Br)/ヨーゼフ・グラインドル(Bs)、他
ウィーン・フィルと合唱団/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
[EMI 7243 5 66567 2 7]

 ザルツブルク音楽祭における1950年7月27日の公演記録。フルトヴェングラーによる「ドン・ジョヴァンニ」は都合4種類あるが、当盤が最も古い録音だ。他の3種で標題役を歌つてゐたのはシエピであつたが、当盤ではゴッビを据ゑてゐるのが特徴である。ゴッビ以外は全てドイツ系の歌手で、シュヴァルツコップやデルモータなどは後の録音でも起用されてゐるが、当盤ではレポレッロを当たり役としたクンツが光つてゐる。さて、名ドン・ジョヴァンニ役としてシエピばかりが語られる為、当盤が脚光を浴びることは殆どない。だが、ゴッビの歌唱では悪党振りが増幅してをり、実に刺激的なのだ。気品のある色好みの貴族といふよりは、スカルピアの如く淫靡さが漂ふ。特にツェルリーナとの二重唱におけるsotto voceの危険な香りは絶品で、ゴッビの恐ろしさを思ひ知るだらう。(2012.12.15)


モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」
チェーザレ・シエピ(Bs)/エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)/エリーザベト・グリュンマー(S)/アントン・デルモータ(T)/エレナ・ベルガー(S)/ヴァルター・ベリー(Br)/オットー・エーデルマン(Bs)、他
ウィーン・フィルと合唱団/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
[Orfeo C 624 043 D]

 名演の誉れ高い1953年7月27日の公演記録。フルトヴェングラーはザルツブルク音楽祭で積極的に「ドン・ジョヴァンニ」を上演した。1950年、1953年、1954年、全てに録音が残り、1954年は映像での収録も行はれて計4種類を数へるが、当盤こそは最高の出来とされる渾身の演奏だ。当盤の凄さは何と云つても豪華な歌手陣にある。色好みの貴族ドン・ジョヴァンニを具現したシエピは風貌、気品、表情の全てが申し分ない当たり役で、数々の名盤を残したが、当盤での存在感も圧倒的だ。ドンナ・エルヴィーラを才気を振りまいた若き日のシュヴァルツコップ、ドンナ・アンナを名花グリュンマー、そして、ツェルリーナを稀代のコロラチューラであるベルガーが歌ひ、死角がない。男性陣もエーデルマン、デルモータ、ベリーと隙がない。当盤を決定盤としたいところだが、ヴァルターのMetライヴの方を上位に置きたい。フルトヴェングラーの指揮は地獄落ちに焦点を置いた深刻な音楽を展開してをり素晴らしいのだが、ブッファとしての要素がない。リズムの弾力性がなく、全体的に沈鬱でしっとりした音楽になつてゐるのだ。もう1点、歌手陣はドイツ人ばかりで、イタリア語の発声とは異なる暗く厳つい歌唱であることは否めない。悲劇を前面に打ち出した湿つぽいセリアのやうで、悲喜入り交じるヴァルター盤の方がモーツァルトの音楽に近い。(2011.1.5)


モーツァルト:「コジ・ファン・トゥッテ」
グライドボーン音楽祭管弦楽団と合唱団/フリッツ・ブッシュ(cond.)、他
[Naxos Historical 8.110280-81]

 1934年から35年にかけてセッション録音された最古の「コジ・ファン・トゥッテ」全曲―慣習的なカットはあるが―で、ダ・ポンテ三部作を録音するといふ金字塔を打ち立てたブッシュの代表的な名演だ。ブッシュはこの歌劇を偏愛してをり、非常に録音の少ない指揮者なのに他に2種のライヴ盤が残る。一番勝負にこのオペラを上演してきた証である。戦前の指揮者によるモーツァルトの解釈は出鱈目なロココ趣味で歪曲されたものばかりであつたが、新即物主義の旗手としてフルトヴェングラーの真のライヴァルと目されたブッシュによるモーツァルトは現代の耳にも新鮮だ。不見識にも独唱陣は名も知らぬ歌手ばかりだが、決して歌が弱い訳ではない。それどころか、因習に依存して手前勝手に振る舞ふ名歌手なぞより、聡明な名指揮者の下で一丸となつた当盤の歌ひ手の方が上等だ。独唱、合唱、管弦楽の何れにおいても規範と云へる録音で、アンサンブルの見事さでは今日迄凌駕する録音が見当たらない名盤なのだ。(2006.4.29)


モーツァルト:「コジ・ファン・トゥッテ」(抜粋)
セーナ・ユリナッチ(S)/リチャード・ルイス(T)/エーリヒ・クンツ(T)、他
グライドボーン音楽祭管弦楽団と合唱団/フリッツ・ブッシュ(cond.)
[TESTAMENT SBT 1040]

 1950年のグライドボーン音楽祭での録音。巨匠と認知されながらブッシュは極端に録音の少ない指揮者である。グライドボーン音楽祭管弦楽団と築いた幸福な関係は長く続かなかつたが、1930年代中葉に行はれたモーツァルトのダ・ポンテ三部作の録音はレコード史上に燦然と輝く偉業である。特に「コジ・ファン・トゥッテ」は最も成功したものとして今尚語り継がれる名盤である。戦後、再建されたグライドボーン音楽祭にブッシュは得意の演目で再び登場してゐる。全曲の録音は残らず、当盤のやうな抜粋であるが、貴重この上ない。歌手陣が充実してをり、特にユリナッチの可憐さが印象に残る。ブッシュは翌年にも同曲を指揮してゐる。そちらも録音が残つてをり、Guild HistoricalがCD化済だ。(2005.8.11)


モーツァルト:「コジ・ファン・トゥッテ」
セーナ・ユリナッチ(S)/リチャード・ルイス(T)、他
グライドボーン音楽祭合唱団/ロイヤル・フィル/フリッツ・ブッシュ(cond.)
[Guild Historical GHCD 2303/4]

 ブッシュが指揮した「コジ・ファン・トゥッテ」は、1930年代中葉のHMVへの正規録音と、1950年のグライドボーン音楽祭における実況録音の一部―Testamentから発売された―が知られてゐたが、当盤は1951年7月5日の実況録音で初出音源である。録音の少ないブッシュに3種もの比較が出来る演目が揃つたことになる。完成度は無論正規録音で、実は音質も一番良い。1950年盤は全曲ではないので価値が劣る。当盤は音質が優れないが、歌手の魅力では抜群だ。歌手は1950年盤と多少共通してをり、当盤でもフィオルディリージを歌ふユリナッチが素晴らしい。(2008.11.4)


モーツァルト:「魔笛」
ヘルゲ・ロスヴェンゲ(T)/エレナ・ベルガー(S)/ゲルハルト・ヒュッシュ(Br)、他
ベルリン・フィル/サー・トーマス・ビーチャム(cond.)
[Naxos Historical 8.110127-28]

 敏腕プロデューサーのレッグが企てた「魔笛」の史上初全曲―但し台詞は省かれてゐる―録音である。ジングシュピールと云ふドイツ語の台詞が不可欠な作品故、かつては演奏機会が少なかつたと聞く。この録音は指揮者を除いて全てドイツ勢で固めた理想的なもの。ビーチャムの才気走る棒にフルトヴェングラー時代のベルリン・フィルが見事に応へてゐる。リートで不動の名声を誇つたヒュッシュが生真面目なパパゲーノを歌つてゐるのも興味深い。そして、何よりも素晴らしいのが夜の女王を歌ふベルガーで、これ以上魅力的な夜の女王を私は知らない。コロラチューラのパッセージも巧いには違ひないが、きらびやかで可憐な声に心を捧げたくなる。(2004.8.21)


モーツァルト:「魔笛」
ヴィルマ・リップ(S)/ヨーゼフ・グラインドル(Bs)/イルムガルト・ゼーフリート(S)、他
ウィーン・フィル/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
[Tahra FURT 1049-1051]

 1949年7月27日、ザルツブルク音楽祭での上演記録で、省略なしの記録としては最も古い録音のひとつだ。序曲はフルトヴェングラー流儀による手探りの音楽造りで鈍重な印象を受け、一抹の不安を覚えるが、劇が進むにつれ彫りの深い音楽が展開する様は流石だ。巨匠の棒は何時しか仄暗いメルヒェンへと誘つてくれる。幾分タミーノ役に弱さを感じるが、端役まで名歌手を揃へた布陣は申し分なく、中でもパパゲーノ、ザラストロ、夜の女王は出色だ。特にシュミット=ヴァルターが歌ふ藝達者なパパゲーノの巧みな台詞と表現の豊かさは痛快である。リップが歌ふ夜の女王のアリアは劇的な巨匠の指揮も相まり迫真の出来だ。グラインドルが歌ふザラストロの威厳は大したもので類例を見ない。ゼーフリートが歌ふ真摯なパミーナも理想的だ。(2007.3.23)


モーツァルト:「魔笛」
ヴィルマ・リップ(S)/ヨーゼフ・グラインドル(Bs)/アントン・デルモータ(T)/イルムガルト・ゼーフリート(S)/エーリヒ・クンツ(Bs)、他
ウィーン・フィル/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
[EMI 7243 5 65356 2 6]

 1951年8月6日、ザルツブルク音楽祭での上演記録。フルトヴェングラーは1949年、1950年、1951年と3年連続で魔笛を上演した。残念ながら1950年の録音は第2幕の断片しか存在せず、蒐集家以外には殆ど知られてゐない。従つて2種の全曲録音での比較が可能だが、1949年盤の方が劇的で流れが良い。当盤は巨匠ならではの鈍重さが支配的で感心出来ない。但し、全体的に神秘劇のやうな荘重さに貫かれた仄暗い趣には一種特別な美しさを見出せる。1949年盤に比べるとゼーフリートが更に良くなつてゐる。タミーノをデルモータが歌ひ申し分ない。当盤ではパパゲーノをクンツが歌つてゐるが、やや生真面目過ぎて詰まらない。第1侍女をゴルツが歌つてゐるのは豪華だ。(2016.1.12)


モーツァルト:「魔笛」
エルンスト・ヘフリガー(T)/マリア・シュターダー(S)/ディートヒリ・フィッシャー=ディースカウ(Br)/ヨーゼフ・グラインドル(Bs)/リタ・シュトライヒ(S)、他
ベルリンRIAS交響楽団/フェレンツ・フリッチャイ(cond.)
[DG 00289 479 4641]

 フリッチャイのDG録音全集第2巻37枚組。一際優れた名盤だ。特にフリッチャイの指揮が天晴で、理想的なモーツァルトの響きがする。ライヴ録音で聴けるフルトヴェングラーやヴァルターの演奏は、数年前後するだけなのだが隔世の感がある。フリッチャイが如何にモーツァルトを愛し理解してゐたかが了解出来る。管弦楽に関して評せば決定的名演だが、歌手に関しては留保せざるを得ない。まず、フィッシャー=ディースカウのパパゲーノが技巧的で理知的とも云へる繊細な表情が煩はしく、野生児パパゲーノにしては甘く巧過ぎる。可憐なシュトライヒの夜の女王は女学生めいて物足りない。フルトヴェングラー盤で威厳を聴かせたグラインドルのザラストロは当盤では妙に大人しい。ヴァンティンのモノスタトスが良くない。アリアを囁くやうに歌ふのは如何なものだらう。一方、素晴らしいのはヘフリガーのタミーノとシュターダーのパミーナ。誠実で品がある主役2名が光つてゐる。尚、台詞は役者による別録音で歌手らとの声質の差があり違和感がある。残念だ。(2016.1.21)


モーツァルト:「魔笛」
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/ブルーノ・ヴァルター(cond.)、他
[West Hill Radio WHRA 6007]

 1956年3月3日、Metにおける公演記録。ヴァルターは歌劇場から身を立てた人で、モーツァルトを得意とし、「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」の名演を残した。この「魔笛」は愛好家には良く知られた名演であるが、常にある大きな問題が付き纏つて来た。ドイツ語ではなく、英語での上演であることだ。その為かアンサンブルに難がある。このヴァルター盤を強く推す識者も多いが、矢張り英語上演であることの減点は甚大だ。弁者役のジョージ・ロンドンを除けば歌手は小粒で、取り立てて良いとは思へない。当盤は何と云つてもヴァルターが格別だ。序曲から生命を吹き込んでをり、鮮烈極まりない。全曲を通じて管弦楽の雄弁さなら随一だ。表情が豊かで喜怒哀楽をこれほど巧みに表現した演奏はない。それだけに歌手らには不満が募る。しかし、「魔笛」には癖のあるキャストを全て揃へた理想的な名盤がなく、ヴァルター盤の魅力は健在だ。(2015.12.11)


ペルゴレージ:「リヴィエッタとトラコッロ」、「奥様女中」
ラ・プティット・バンド/シギスヴァルト・クイケン(cond.)、他
[ACCENT ACC 10123]

 珍しく古楽を聴く。1996年11月にライヴ録音されたペルゴレージの代表作の名演だ。「奥様女中」ではセルピーナをパトリチア・ビッチーレが、ウベルトをドナート・ディ=スティファノが歌ひ、「リヴィエッタとトラコッロ」ではリヴェエッタをナンシー・アージェンタが、トラコッロをヴェルナー・ファン・メヒェレンが歌ひ、クイケンがコンサートマスターとして、ラ・プティット・バンドを率いてゐる。「奥様女中」は「誇り高き囚人」の、「リヴィエッタとトラコッロ」は「シリアのアドリアーノ」の幕間劇として上演されたが、2曲とも本歌劇より人気を勝ち得たブッファ作品である。演奏は精緻を極めた理想的なもので、ライヴとは思へない完成度だ。歌手も万全で申し分ない。反面、踏み外しがなく無難な演奏に終始した感は否めない。抜きん出た名演とは云ひ難いが、有名な割に録音の少ないこれらの曲の代表的な演奏であることに違ひはなく、堅実な1枚と云へる。(2014.3.30)


ポンキエッリ:「ラ・ジョコンダ」
ジョヴァンニ・マルティネッリ(T)/ジンカ・ミラノフ(S)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/エットーレ・パニッツァ(cond.)
[MYTO 042.H085]

 1939年12月30日、Metにおける公演の記録。往時ジョコンダを当り役としたのはカラスとミラノフである。トスカニーニの薫陶を受けたミラノフの「ジョコンダ」は当盤の他に何と3種も確認出来る。全ての点においてカラスの旧盤に匹敵する見事なジョコンダを聴かせてくれる。特に第1幕の中盤でロザリオの動機を振り絞るやうに歌つた後に感極まつた聴衆の拍手がふつふつと湧き上がる様は感動的である。当盤の魅力はミラノフだけではない。エンツォを歌ふ熱き男マルティネッリの昂揚感溢れる歌唱の情熱は最高のひとつで、第1幕や第2幕における一途さは他の名歌手らの録音を圧倒する。カスターニャの歌ふラウラ、モレッリの歌ふバルナバ、モスコーナの歌ふアルヴィーゼ、あらゆる役に大物が揃ふ。そして、当盤の最高の立役者はMetを熱く燃え立たせるパニッツァの指揮である。特に合唱曲における尋常ならざる煽りは音楽を火だるまにしてをり、各幕各場のフィナーレが壮絶な様相を呈す。有名な「時の踊り」のコーダも異常な興奮だ。長大なオペラを弛緩することなく一気呵成に聴かせ、生命力を爆発させたパニッツァの棒には畏怖すら覚える。役者が揃ひ、かつ一丸となつた名演で、カラス盤が色を失ふ「ジョコンダ」の決定的名盤である。(2010.7.10)


ポンキエッリ:「ラ・ジョコンダ」
ジアーニ・ポッジ(T)/マリア・カラス(S)、他
RAIトリノ管弦楽団と合唱団/アントニーノ・ヴォットー(cond.)
[EMI 3 95918 2]

 20世紀において最も高名なディーヴァであつたカラスの全スタジオ録音を集成した69枚の箱物より。世紀の歌姫にとつて記念すべき最初の歌劇全曲のセッション録音は、1952年に行はれたチェトラ・レーベルへの「ジョコンダ」であつた。EMIへの録音は繰り返し商品化されてきたが、最初期のチェトラ録音は稀少価値があり歓迎されよう。これにより全スタジオ録音集成といふ箔が付いた訳だ。カラスは「ジョコンダ」への強い思ひ入れがあつたやうで、7年後に同じくヴォットーの指揮で再録音を行つてゐる。往時、ジョコンダを持ち役としたのはカラスとミラノフくらゐである。カラスの切り札であつた、ノルマ、トスカ、メディア、ルチア以上にこのジョコンダの歌唱は圧倒的だ。特にこれから名実共にプリマ・ドンナにならうとする時期の声は底が見えないほどの力を持つて聴き手に迫る。カラスの歌声はこの旧盤の方が凄まじく、それに呼応する如く他の歌手や管弦楽も渾身の音楽をぶつけてくる。あらゆる点で新盤を凌いでおり、第一に挙げたい名盤だ。(2010.4.23)


ポンキエッリ:「ラ・ジョコンダ」
フィオレンツァ・コッソット(Ms)/ピエロ・カプッチッリ(Br)/マリア・カラス(S)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/アントニーノ・ヴォットー(cond.)
[EMI 3 95918 2]

 20世紀において最も高名なディーヴァであつたカラスの全スタジオ録音を集成した69枚の箱物より。この「ジョコンダ」はEMIへの1959年再録音の方だ。カラスがセッション録音で再録音を残したのは「ノルマ」「トスカ」「ルチア」とこの「ジョコンダ」だけだから、如何にジョコンダが嵌り役だつたかを示す。7年前の旧盤と同じヴォットーの指揮だが、管弦楽と合唱に名門スカラ座を起用してゐるのが違ひで、脇を固める歌手にコッソットやカプッチッリなどの大物が揃つてゐるのも重要な違ひだ。カラスの歌唱はまだ衰へを見せない立派なものだが、旧盤の圧倒的な魔力はない。結論から云ふと旧盤の方が魅力的で、新盤は精緻で完成度こそ高いが、生命力の点で減退が感じられる。荒削りでも音楽が怒濤のやうに迫り来るチェトラ盤を上位に置きたい。管弦楽は上質だが、当盤は自然な流れが弱く、ヴォットーの指揮も弾力に欠ける。「ジョコンダ」の代表的な名盤ではあるが、当盤を最高とはしない。(2010.8.24)


プーランク:「ティレジアスの乳房」、「仮面舞踏会」
ドゥニーズ・デュヴァル(S)、他
オペラ・コミーク国民劇場管弦楽団と合唱団/アンドレ・クリュイタンス(cond.)
パリ音楽院管弦楽団/ジョルジュ・プレートル(cond.)
[EMI CDM 7 63154 2]

 プーランクの傑作オペラ「ティレジアスの乳房」の不朽の名盤クリュイタンス盤である。お話は荒唐無稽、滅茶苦茶で何とも云へないが、古代ギリシアの預言者テイレシアスのパロディーと考へると奥が深い。筋は受け流すしかないが、音楽は魅力的で、プーランクの美質が全開だ。瀟酒なエスプリ、下卑た騒々しさ、甘い軽薄さ、神妙な思はせ振りが混在し融合してゐる。ドゥニーズ・デュヴァルやジャン・ジロドーらの名唱も雰囲気満点だ。何と云つても名匠クリュイタンスと洒脱なオペラ・コミーク国民劇場管弦楽団の演奏が抜群に良い。当盤を聴かずして「ティレジアスの乳房」は語れない名盤中の名盤だ。抱き合はせは、プレートル指揮、パリ音楽院管弦楽団の奏者らによる世俗カンタータ「仮面舞踏会」で、バリトン独唱はジャン=クリストフ・ブノワだ。大変闊達な名演だが、ベルナックとプーランクによる天衣無縫な自作自演盤には遥かに及ばない。(2013.3.25)


プッチーニ:「ラ・ボエーム」
リチア・アルバネーゼ(S)/ベニャミーノ・ジーリ(T)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/ウンベルト・ベレットーニ(cond.)
[Naxos Historical 8.110072-73]

 ジーリが好きだ。惚れ込んでゐると云つても過言ではない。Naxos Historicalはジーリの正規独唱録音全集を復刻して呉れた。有難い。オペラ全曲録音もほぼ揃ふ―「カルメン」だけがCD化されてゐない。ジーリの声質はヴェルディ2曲、プッチーニ3曲、ヴェリズモ作品3曲の中では、矢張り「ボエーム」のロドルフォが嵌り役だ。ミミはトスカニーニ盤で抜擢されたアルバネーゼだ。その為か、だうしてもトスカニーニ盤と比較をして仕舞ふ。当盤のベレットーニが悪い訳ではないが、世紀のマエストロの記念碑的名盤と並べるなど恐れ多くて出来ない。アルバネーゼも当盤では愛くるしさを欠き、抜けの悪い声がミミに相応しくない。ムゼッタ役のメノッティも役不足だ。しかし、当盤は男性歌手のアンサンブルが素晴らしく、総じて優れた録音と云へる。余白にアルバネーゼの独唱録音10曲が収録されてゐる。それらを聴くとアルバネーゼがドラマティコのソプラノであることがわかる。「トゥーランドット」などが素晴らしい。(2009.3.28)


プッチーニ:「ラ・ボエーム」
ヴェルディ:「ファルスタッフ」(断片)
トルーデ・アイッパーレ(S)/カール・クローネンベルク(Br)/ゲオルク・ハン(Br)、他
バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/ウィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/クレメンス・クラウス(cond.)
[Venias VN-033]

 クラウスのほぼ全ての録音を集成した97枚組。耽美的な作品を好んだクラウスはプッチーニもレパートリーに入れてゐた。「ラ・ボエーム」は何と2種類も残る。これは古い戦前の方で、1940年12月4日の公演記録だ。ドイツ語歌唱で、残念乍ら第3幕に一部欠落がある。この音源はかつて墺プライザーからも商品化されてゐた。何と云つてもアイッパーレが歌ふミミが可憐で美しい。ムゼッタ役のヒルデガルト・ランチャクも名唱だ。一方、ロドルフォ役のアルフォンス・フューゲルは賛否両論分かれるだらう。クラウスが好みさうな甘たるい歌唱だが、適役かはだうかは請け負ひ兼ねる。マルチェロ役にクローネンベルク、ショナール役にハンが脇を固めてをり心強い。クラウスの棒は第2幕の冒頭などでべたつく嫌ひはあるが、情緒豊かな世界を表出してをり、ヴァーグナーに接近してゐるとは云へ見事な指揮だ。さうとは云へ、畑違ひの下手物であつて、蒐集家には不要だらう。余白にはたつぷり43分も「ファルスタッフ」の断片録音が収録されてゐる。1941年の録音で、ドイツ語歌唱であり、全部でもなく音も優れないので、蒐集家以外に価値はない。ファルスタッフがハン、フォードがクローネンベルクで内容は見事なのだが。(2019.12.4)


プッチーニ:「ラ・ボエーム」
トルーデ・アイッパーレ(S)/ヴィルマ・リップ(S)/カール・テルカル(T)/アルフレート・ペル(Br)、他
バイエルン放送交響楽団&合唱団/クレメンス・クラウス(cond.)
[Venias VN-033]

 クラウスのほぼ全ての録音を集成した97枚組。1951年の放送用セッション録音。クラウスにとつて2種類目の新盤だ。戦前の旧盤はバイエルン国立歌劇場での演奏であり、両方ともバイエルンでの録音であるのが面白い。さて、11年を経ての演奏は欠落もなく、音質も良く、細部まで仕上がりが良く、歌手も粒揃ひで、断然素晴らしい。クラウスの意図が徹頭徹尾浸透してをり、管弦楽の美しさは独自の境地にある。ドイツ語歌唱といふ減点を帳消しにするほどの魔力がある。ミミは旧盤と同じくアイッパーレで可憐で儚い趣は絶品だ。しかし、流石に衰へを感じずにはゐられない。アリアも声が持たないのか淡々と処理してをり、唯一旧盤と比較して物足りない点だ。他の歌手は穴のない布陣だ。ムゼッタをリップが歌ふ。如何にもドイツのコロラチューラ・ソプラノの発声だが、在り来たりでない面白味が勝る。テルカルのロドルフォが嵌り役で全体を締めてゐる。この新盤は感銘深く、イタリア勢の録音にも伍する出来なので一聴をお薦めしたい。(2020.1.23)


プッチーニ:「ラ・ボエーム」
レナータ・テバルディ(S)/ヒルデ・ギューデン(S)/ジャチント・プランデルッリ(T)、他
ローマ聖チェリーリア国立音楽院管弦楽団/アルベルト・エレーデ(cond.)
[DECCA 4781535]

 テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1951年の録音。テバルディのDeccaにおける最初の歌劇全曲録音だ。テバルディは後年、達人セラフィンの指揮で再録音をした。決定的名盤とされる1959年の録音だ。好みの問題だが、セラフィン盤にはだうも魅力を感じない。万全ではあるが、難癖を付ければ立派過ぎて「ラ・ボエーム」の世界にはしつくりこない。テバルディに関しても新盤は堂々と歌ひ過ぎてをり、ミミにしては強靭な印象を受ける。一方、この旧盤は瑞々しい可憐さがあり、儚さがあり、理想的なミミだと思ふ。ムゼッタに何とギューデンが起用されてゐる。役柄としては不似合ひなのだが、清明な声質には抗し難い魅惑がある。第2幕ワルツの歌唱は吹つ切れてをり美しく華麗だ。プランデルッリのロドルフォが期待以上に素晴らしい。抒情的で威張らず包み込むやうな歌唱が心憎い。巧さだけならジーリだが、「ラ・ボエーム」の世界に浸るなら絶妙な丁度良さだ。他の男性陣も小粒だが、アンサンブルの絶妙な仕上がりでは当盤が頭一つ抜けてゐる。エレーデの指揮が最高で、全体も細部もこれ以上の演奏はなからう。さり気ない表情だが、歌手の呼吸に完全に付けてをり、場面ごとの雰囲気を大事にしてゐる。Deccaの技術と工夫を注ぎ込んだ録音も素晴らしく効果的だ。セラフィン盤の陰に隠れてゐるが、「ラ・ボエーム」で泣ける真の名盤はこちらだ。(2019.11.21)


プッチーニ:「ラ・ボエーム」
マリア・カラス(S)/ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)/ローランド・パネライ(Br)/アンナ・モッフォ(S)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/アントニーノ・ヴォットー(cond.)
[Warner Classics 0825646341078]

 愛好家必携のオリジナル・ジャケットによるスタジオ録音リマスター・エディション69枚組。カラスは流石にミミをレパートリーとはせず、舞台で演じることはなかつた。セッション録音として企画に挑戦したに過ぎない。だが、非常に献身的な取り組みで結果は上々だと思ふ。第一声の愛らしさはカラスとは気付かない。だが、アリアが始まると深掘りする激情的な声でミミらしさは消し飛んで仕舞ふ。歌唱としては大変素晴らしいが、所詮カラスはカラスであり、役柄との乖離は詮方ない。しかしだ、そのこと以外を述べると他盤を押し退けて最上位に食ひ込む要素が満載の名盤なのだ。ディ=ステファノのロドルフォの見事なこと。多少繊細な詩情が欠ける嫌ひはあるが、感情が偽りなく表出されてをり絶品だ。パネライのマルチェロも万全、流石だ。ムゼッタ役のモッフォが最高だ。5年後のRCA盤ではミミで極上の名唱を聴かせたが、嵌り役はもしかしてムゼッタの方であつたか。色気があり何とも魅惑的なのだ。ヴォットーの指揮が突出して良い。DECCAのエレーデを上回る巧さなのだが、何と云つてもミラノ・スカラ座の巧さに因る処が大きいのだらう。細部まで行き届いた音楽で非の打ち所が無い。総じて満足出来る名盤と云へよう。(2019.12.30)


プッチーニ:「ラ・ボエーム」
レナータ・テバルディ(S)/カルロ・ベルゴンツィ(T)/エットーレ・バスティアニーニ(Br)/チェーザレ・シエピ(Bs)、他
ローマ聖チェリーリア国立音楽院管弦楽団/トゥリオ・セラフィン(cond.)
[DECCA 4781535]

 テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1959年、テバルディにとつては再録音。「ラ・ボエーム」は初演者にして初録音を担つたトスカニーニの録音が別格である。その次となると、このセラフィン盤が巷間では決定的名盤との誉れ高い。大変優れた録音であることは違ひないのだが、難癖との非難を恐れずに申せば、立派過ぎて座りが悪いのだ。ヴェルディでは比類なき歌唱を聴かせたバスティアニーニだが、マルチェロ役は威厳があり過ぎる。幕切れの”coraggio!”は芝居がかつてをり興醒めする。コッリーネはシエピが担ひ、これまた全体に手管が過ぎ、アリアも技巧的に感じる。男性陣が強靭で、ショナールをレナート・チェーザリ、ブノアとアルチンドロをフェルディナンド・コレナ、バルビニョールをピエロ・デ・パルマが固めてゐる。豪華な布陣だが、調和の魅力はなく、各々が堂々とし過ぎる。一方、ジャンナ・ダンジェロのムゼッタが弱く浮いて仕舞つた。テバルディは素晴らしいが、旧盤に比べると重く立派過ぎる。ミミらしさは旧盤にある。文句無く見事なのはベルゴンツィのロドルフォだ。等身大の嵌まり役と絶賛したい。セラフィンの棒は卓越してをり、全体を良く纏めてゐるが、幕切れの演出などは過剰で却つて泣けない。これは大人たちの金満家の「ラ・ボエーム」であり、貧乏と愛に捧げた青春の投影が薄い。座りが悪いのこの為だらう。(2020.1.10)


プッチーニ:「ラ・ボエーム」
リチャード・タッカー(T)/アンナ・モッフォ(S)/ロバート・メリル(Br)、他
ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/エーリヒ・ラインスドルフ(cond.)
[RCA LIVING STEREO 88697720602]

 RCAリヴィング・ステレオ60枚組より。1961年の録音。米RCAによる「ラ・ボエーム」は配役が豪華で申し分ない。ロドルフォ役は実力者タッカーで表現力は抜群だ。全曲を通じてプッチーニの世界を見事に演出してをり心憎ひ。しかし、絶讃したくなるやうな声の魔力を持つてをらず、アリアは何とも地味で印象に残らないのが惜しい。マルチェロ役のメリルが見事だ。包み込むやうな歌唱は当盤随一だ。ジョルジョ・トッツィのコッリーネが極上で、アリアは絶品。ミミ役のモッフォはさぞかし美しかつたらう。可憐で色気もある。派手過ぎないのも良く、理想的なミミの歌唱だと云へよう。メアリー・コスタのムゼッタは抜けが悪く、幾分存在感が薄い。問題はラインスドルフの指揮で、細部の見事さが光るが詩情に欠け方向性が見えない。器用だが、音楽への共感が見えてこないのだ。応へる管弦楽は万全、録音は最優秀、効果音も絶妙で、全て水準以上を達成してゐるのだが、突出した美点がなく、どこか醒めてをり感情移入を拒む。何故か泣けない「ラ・ボエーム」であり、残念である。(2019.12.21)


プッチーニ:「トスカ」
マリア・カニーリャ(S)/ベニャミーノ・ジーリ(T)、他
ローマ王室歌劇場管弦楽団と合唱団/オリヴィエロ・デ・ファブリティス(cond.)
[Naxos Historical 8.110096-97]

 ジーリのカヴァラドッシを聴く為の録音である。ブエノスアイレスでのリサイタルを筆頭にジーリの歌ふ「星は光りぬ」は天下一品であり、何種類も録音が残る。張つた時の爽快に伸びる声、泣き節での柔らかい声、そのどれもが絶品である。当然、全曲でも鑑賞したい。1938年に実現した有難い録音である。カヴァラドッシに関しては古今最高だらう。だが、ジーリだけが素晴らし過ぎて、他が追ひ付いてゐない感が否めない。とは云へ、全体としては可成り健闘してをり、当時のイタリアの精鋭が集つてゐる。カニーリャのトスカ、アルマンド・ボルジョーリのスカルピアは名唱と云へる。ファブリティスの指揮も要領良く仕上げてゐる。だが、ジーリを除いて特段光るところがないのだ。余白に1931年録音、ギュスターヴ・クロエ指揮、ニノン・ヴァランがトスカを歌つた抜粋録音が収録されてゐる。フランス語歌唱だ。品があり美しいヴァランのトスカが聴き物だが、首を絞められたやうな声を出すカヴァラドッシや善人のやうなスカルピアの歌唱が酷い。下手物としては面白からう。(2019.1.24)


プッチーニ:「トスカ」
レナータ・テバルディ(S)/ジュゼッペ・カンポーラ(T)/エンツォ・マスケリーニ(Br)、他
ローマ聖チェリーリア国立音楽院管弦楽団/アルベルト・エレーデ(cond.)
[DECCA 4781535]

 テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1952年のモノーラル録音でテバルディにとつては旧録音だ。僅か7年しか経たずに行はれた再録音との比較が興味深いが、結論から申せばこの旧盤に価値は全くない。まず、新盤はDeccaの粋を結集させた優秀録音が特筆され、このモノーラル録音は水準以上だが物足りなく聴こえて仕舞ふ。カンポーラのカヴァラドッシは情感豊かで見事だが、デル=モナコの存在感を前にしては光彩を失ふのは仕方あるまい。マスケリーニのスカルピアは面白くなく、愚鈍な印象すら受ける。オーケストラは新盤と同じで差異を見出すことは難しい。エレーデの指揮は流石で王道を行く万全の棒だ。テバルディは瑞々しさがあり、甲乙付け難い名唱だ。特にアリア「歌に生き、愛に生き」の切実たる歌唱は絶品で、美しさと情念が結晶した得難い出来栄えだ。カラスも及ばない究極の絶唱。但し、全体の劇的進行となるとテバルディでは弱すぎる。(2019.2.22)


プッチーニ:「トスカ」
マリア・カラス(S)/ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)/ピエロ・カンポロンギ(Br)、他
ベラス・アルテス歌劇場管弦楽団と合唱団/グィード・ピッコ(cond.)
[Profile PH 17058]

 カラス没後40年を記念して独Profilが拘泥はりをもつて厳選した稀少録音集12枚組。「トスカ」は最も古い記録で1952年7月1日のメキシコ・シティでのライヴ録音。この音源を選んだのは慧眼である。減量前のカラスの凄まじい声が聴ける録音で、翌年1953年に制作された名盤デ=サバタ盤をも凌ぐ箇所が随所にある。山猫のやうと評されたカラスの最高のトスカが聴けるのは当盤だ。それ以上に絶好調なのがディ=ステファノで、どの幕でも最高でカラスをも圧倒し主役を奪ふ。何よりも「星は光ぬ」の絶唱は圧巻。聴衆も興奮の坩堝で、アンコールも当然だ。更なる名唱で再び拍手が鳴り止まぬ。この公演の絶頂の瞬間だ。スカルピア役のカンポロンギも見事な歌唱を聴かせるが、何かが物足りないのは単にゴッビの罪であり、打ち立てたスカルピア像の破格さに唖然とする。さて、良くない点だが、まずは管弦楽の伴奏で、主に指揮者ピッコの統率力に問題があると思はれる。冒頭の崩れやアリアでの乱れはお粗末だ。次にプロンプターの声が録音に盛大に入つてをり感興が殺がれる。メキシコ公演では「トラヴィアータ」でもプロンプターが五月蝿かつた。音質も然程良くはないが、他の問題点に比べると気にならない。(2019.2.28)


プッチーニ:「トスカ」
マリア・カラス(S)/ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)/ティート・ゴッビ(Br)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/ヴィクトル・デ=サバタ(cond.)
[Warner Classics 825646341030]

 愛好家必携のオリジナル・ジャケットによるスタジオ録音リマスター・エディション69枚組。今更語るも烏滸がましい名盤中の名盤。完成度において別格であり、あらゆる歌劇の録音の中でも第一に挙げるべき金字塔で、1953年のモノーラル録音であることを除けば、今日でも凌駕する要素がない。トスカはカラスにとつて最高の当たり役であり、他のどの歌手を持つてきても温過ぎて不満が残る。アリアだけで云へばカラスよりも美しく見事な歌唱はあるが、劇的なスカルピアとの駆け引きはカラスだけの世界であらう。そして、衆目の意見が一致するのはゴッビのスカルピアが唯一無二の創唱で、聴く者に猟奇的な性格を刻印し、他の歌手の存在を亡き者にして仕舞つたアクの強さがある。後のライヴ録音の方が迫力があるが、より狡猾で深刻な表現はこの抑制されたセッション録音でこそ味はへる。ディ=ステファノのカヴァラドッシも血気があり見事。第2幕での雄叫びは決まつてゐる。さて、この名盤の真の功労者はデ=サバタとスカラ座であらう。録音数多あれど、この演奏ほど切迫した感情を聴かせはしない。(2018.11.17)


プッチーニ:「トスカ」
レナータ・テバルディ(S)/マリオ・デル・モナコ(T)/ジョージ・ロンドン(Br)、他
ローマ聖チェリーリア国立音楽院管弦楽団/フランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ(cond.)
[DECCA 4781535]

 テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1959年の優秀なステレオ録音。テバルディはエレーデの指揮で1952年にもモノーラル録音を残してゐた。僅か7年であるが、デッカの総力を注ぎ込んだ名盤制作への意欲が伝はる。だが、残念乍ら「トスカ」に関してはカラス、ディ=ステファノ、ゴッビ、デ=サバタによるEMI盤を超えることはなく、次点扱ひをせざるを得ないのだ。弁護すれば、デバルディは文句なく素晴らしく、劇的で貫禄もある。デル・モナコは輝かしく、意気軒昂として見事だ。ロンドンも存在感を示してゐる。だが、カラス盤のやうな振り切れ方がないのだ。弱みを見せ、強みを最大限引き出したカラス盤の歌手らには及ばないのだ。一方で優れてゐる点はデッカの優秀録音に尽きる。良く考へられた音響も抜群だ。モリナーリ=プラデッリの指揮は表情豊かで良く歌ひ流麗だ。だが、緊迫感と統率力でデ=サバタに敵ふ指揮者は未だに現れない。(2018.12.6)


プッチーニ:「トスカ」
マリア・カラス(S)/レナート・チオーニ(T)/ティート・ゴッビ(Br)、他
コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団と合唱団/カルロ・フェリーチェ・チラーリオ(cond.)
[WARNER CLASSICS 0190295844493]

 カラスのライヴ録音を集成した42枚組。装丁が豪華で蒐集家は必携だ。1964年1月24日の大変高名な公演記録。カラスと云へばトスカ、トスカと云へばカラスであり、デ=サバタとの名盤の他にも別格の名唱が残る。このロンドン公演も重要だ。カラスは流石に盛期の輝きと強さはないが、第2幕終盤の迫真の表現は鬼気迫り、他の追随を許さない。ゴッビのスカルピアが最高だ。カラスとは正反対に、セッション録音から10年以上経つて、丁度脂の乗つた時期で表現を深め声量も出て、この公演の事実上の主役である。悪役振りを極め天晴だ。チオーニのカヴァラドッシは好みが分かれるかも知れぬが、アリアではジーリ張りの泣き節豊かな名唱を聴かせて呉れる。第2幕では絶叫に近い感情剥き出しの猟奇的な声も出してカラスとゴッビの世界に踏み込まうとしてゐる。チラーリオの指揮は実に劇的で素晴らしく、万全の演出だ。オーケストラも絶品でデ=サバタ盤と遜色ない名演なのだ。(2018.12.29)


プッチーニ:「トスカ」
マリア・カラス(S)/カルロ・ベルゴンツィ(T)/ティート・ゴッビ(Br)、他
パリ音楽院管弦楽団/ジョルジュ・プレートル(cond.)
[Warner Classics 0825646340798]

 愛好家必携のオリジナル・ジャケットによるスタジオ録音リマスター・エディション69枚組。カラスの数少ないセッションによる再録音。1964年から1965年にかけてのステレオ録音で、程なくしてカラスはオペラからの引退を表明したので最後期の全曲録音だ。さて、天下の名盤デ=サバタ盤との比較だが、旧盤の唯一の難点であつた録音の古さが格段に良くなつてゐるのは当然だが、効果音にも凝つてをり、舞台を彷彿とさせる臨場感溢れる演出が為されてゐる。特にテ=デウムの音響効果は抜群だ。だが、物音が五月蝿いと感じる方もゐるかも知れぬ。カラスは絶頂期の声と比べるのは酷だが、当たり役だけあり、深みのある表現で経験の豊かさを示し、衰へを感じさせない。従つてカラスについては旧盤には及ばぬが差は僅かと云へる。ゴッビも甲乙付け難い完成度で、悪役振りを更に極めている点で唯一無二だ。ベルゴンツィは素晴らしいが、抜け感がなく硬い。ディ=ステファノには及ばないか。プレートルの指揮は大変良い。全体に情熱的で歌に満ち音楽性が抜群だ。だが、ひとつだけ難癖を付ければ、音色が明る過ぎて軽い。どす黒い血が吹き出さうなデ=サバタとの違ひだ。矢張り旧盤の地位は変はらぬが、新盤も遜色ない名盤だ。(2019.2.9)


プッチーニ:「外套」
ティート・ゴッビ(Br)/マルガレット・マス(S)/ジャチント・プランデッリ(T)、他
ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/ヴェンチェンツォ・ベレッツァ(cond.)
[EMI 7 64165 2]

 1950年代後半、EMIレーベルにゴッビとロス=アンヘルスを軸として録音されたプッチーニの三部作を纏めた3枚組。中でも「外套」は三部作3曲の中でも極めて重要な録音だ。この作品の主人公は勿論ミケーレだが、前半から圧倒的な存在感を示すものの歌の出番は殆どなく、終盤に設けられた迫真のアリアが聴かせ処となる。だから「外套」の総合的に優れた録音となると、中盤の出番が多いルイージ役のテノールとジョルジェッタ役のソプラノを揃へる必要がある。当盤でも見事な歌唱が聴けるが、それでは最高なのかと問はれると詰まる。だが、先に述べたやうに最も重要なミケーレ役に関しては当盤が最高なのだ。ゴッビの絶唱を聴くための録音であり、これ以上は望めない。幕切れの身につまされるやうなやり切れない情念は唯事ではない。管弦楽も立派で、端役も万全だ。「外套」で何はともあれ聴いてをくべき極上の1枚。(2011.11.7)


プッチーニ:「外套」
ロバート・メリル(Br)/レナータ・テバルディ(S)/マリオ・デル・モナコ(T)、他
フィレンツェ五月祭管弦楽団と合唱団/ランベルト・ガルデッリ(cond.)
[DECCA 4781535]

 テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1961年から1962年にかけて行はれたDECCAレーベルによるプッチーニの三部作の録音は、テバルディを軸とした極め付けの名盤とされてゐる。3作品ともガルデッリ指揮、フィレンツェ五月祭管弦楽団と合唱団の演奏で統一されてゐるのも良い。「外套」ではジョルジェッタをテバルディが、ルイージをデル・モナコが、ミケーレをメリルが歌ふといふ豪華な布陣である。トスカニーニの薫陶を受けたメリルは見事な歌唱を聴かせるが、千両役者ゴッビの性格的な名唱と比べてしまふと型に嵌つた歌に溺れてゐるやうに感じる。難癖だが、ゴッビが余りにも素晴らし過ぎるといふことを云ひたいのだ。だが、中盤のテバルディとデル・モナコの二重唱は圧倒的で、これ以上は望めない。行き場のない遣る瀬なさを情感豊かに歌ひ上げてゐる。ガルデッリの指揮は色彩鮮やかで天晴だが、時に派手過ぎ、幕切れの響きは少々いただけない。とは云へ、総合的に鑑みて最上位に置かれるべき名盤である。特にデル・モナコが文句なしに最高だ。余白にミケーレのアリアの別稿が収録してあり、資料としても価値が高い。(2011.12.10)


プッチーニ:「修道女アンジェリカ」
ヴィクトリア・デ・ロス=アンヘルス(S)/フェドーラ・バルビエーリ(Ms)、他
ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/トゥリオ・セラフィン(cond.)
[EMI 7 64165 2]

 1950年代後半、EMIレーベルにゴッビとロス=アンヘルスを軸として録音されたプッチーニの三部作を纏めた3枚組。「修道女アンジェリカ」の名盤はテバルディとこのロス=アンヘルスの録音が双璧で、他を突き放してゐる。両者それぞれに良さがあり優劣は付け難い。名花ロス=アンヘルスの清楚で敬虔な歌唱は嵌り役で、後半の惻々と迫る厭世観は小手先の表現力では出せない没入感がある。声を張り上げることなく、内面に向かひ、色気を削ぎ落とし、真摯に歌ひ込む。深い感動があるのはロス=アンヘルス盤だ。公爵夫人を歌ふバルビエーリも素晴らしい。さらに当盤の価値を高めてゐるのがセラフィンの指揮で、細部まで立派で高潔な音楽を奏でてゐる。描写も見事で作品の真価を伝へる第一に推したい演奏だ。(2019.12.9)


プッチーニ:「修道女アンジェリカ」
レナータ・テバルディ(S)/ジュリエッタ・シミオナート(Ms)、他
フィレンツェ五月祭管弦楽団と合唱団/ランベルト・ガルデッリ(cond.)
[DECCA 4781535]

 テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1961年から1962年にかけて行はれたDECCAレーベルによるプッチーニの三部作の録音は、テバルディを軸とした極め付けの名盤とされてゐる。3作品ともガルデッリ指揮、フィレンツェ五月祭管弦楽団と合唱団の演奏で統一されてゐるのも良い。主役のテバルディは勿論素晴らしいのだが、盛期を過ぎた感があり、やや重く苦しい歌唱で、後半で浄化されるやうな透明感が弱い。意外にも手放しで称讃したくなる出来にはならなかつた。当盤ではシミオナートの公爵夫人が存在感抜群だ。ガルデッリの指揮は申し分なく、歌手の呼吸に寄り添つてゐる。しかし、セラフィンに比べると世俗的で終盤に向けての崇高な昂揚を聴くことが出来ない。中盤まではガルデッリ盤が良く、終盤はセラフィン盤が良い。双璧の名盤だが、感銘深いのは後者だ。(2020.1.5)


プッチーニ:「トゥーランドット」
インゲ・ボルク(S)/レナータ・テバルディ(S)/マリオ・デル・モナコ(T)、他
ローマ聖チェリーリア国立音楽院管弦楽団/アルベルト・エレーデ(cond.)
[DECCA 4781535]

 テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1955年の録音。優秀なステレオ録音で、当時最先端の技術が注がれた年代を感じさせない驚異的な音質だ。特に打楽器の臨場感は聴きものだ。テバルディにとつては旧盤になる。リュウは当たり役で、匹敵する歌ひ手を探すのは容易ではない。ただ、ラインスドルフとのRCA盤に比べると、気負ひからか歌ひ過ぎてをり、押し付けがましい。RCA盤こそが決定的名唱であつた。当盤の絶対的な主役はデル=モナコのカラフだ。”Nessun dorma”の輝かしさは滅多に聴けない見事さ。全体においても仕上がりが完璧で、他のテノールらが束になつても敵はぬだらう。一方、完成度が高く、無謀さがないので、コレッリのやうな荒い役作りの要素も欲しいといふのは難癖だらうか。エレクトラ歌ひボルクのトゥーランドットはだうも収まりが悪い。威厳ある歌唱だが存在感が薄い。抜けが悪く、役所に掛け違ひがあるやうなもどかしさを感じる。また、ピン、パン、ポンのアンサンブルに魅力が感じられず、息抜きが出来ぬ。エレーデの指揮が凡庸で流れが悪く、歌手の邪魔をしてゐる。管弦楽が健闘してゐるだけに残念だ。デル=モナコとテバルディが殊勲賞で、全体としては映えない。(2019.7.28)


プッチーニ:「トゥーランドット」
マリア・カラス(S)/エウジェニオ・フェルナンディ(T)/エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/トゥリオ・セラフィン(cond.)
[Warner Classics 0825646341009]

 愛好家必携のオリジナル・ジャケットによるスタジオ録音リマスター・エディション69枚組。カラスはプッチーニの主要な作品の録音に関はつたが、トスカが別格で、次はトゥーランドット、他の役柄は正直申して嵌まり役とは云ひ難い。トゥーランドット姫での満を持して登場した時の圧倒的な存在感は流石カラス、一瞬にして空気を変へる力を持つてゐる。個性が強過ぎ好き嫌ひが分かれるだらうが、主役としての貫禄は突き抜けてゐる。当盤の最大の立役者はセラフィンとミラノ・スカラ座だ。「トゥーランドット」の録音は指揮者と管弦楽団で満足出来るものが少なく、セラフィンの棒が卓越してゐる。細部の統率力も驚異的で、音楽の運びも抜群だ。残念乍ら1957年の録音なのにモノーラル録音なのが悔やまれる。巷間酷評されるシュヴァルツコップのリュウは悪くない。役柄を考へれば声質は相応しいと云へる。子音の発音が煩はしいのだけが問題で、表現は実に巧い。フェルナンディのカラフは健闘はしてゐる。全体としては素晴らしいのだが、一人だけ力不足の感は否めない。時にヴィブラートたつぷり柔弱に歌ふので興醒めすることがある。この作品はカラフを得るか得ないかが鍵であり、画竜点睛を欠く、といふ表現が当て嵌まる。ピエロ・デ・パルマがここでもポン役で名唱を聴かせる。(2019.8.9)


プッチーニ:「トゥーランドット」
ビルギット・ニルソン(S)/ユッシ・ビョルリンク(T)/レナータ・テバルディ(S)、他
ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/エーリヒ・ラインスドルフ(cond.)
[RCA LIVING STEREO 88697720602]

 RCAリヴィング・ステレオ60枚組より。1959年録音。トゥーランドット役を自家薬籠中としたニルソンのもうひとつのセッション録音だ。ニルソンに関して云へば、後年のモリナーリ=プラデッリ盤との差異を指摘することは難しい。どちらも最高の歌唱だ。リュウを歌ふテバルディが聴き物だ。テバルディはデル=モナコとのDecca盤の録音もあるが、当盤の歌唱こそが最も可憐で美しい。第3幕の痛切さは他を寄せ付けない。カラフ役のビョルリンクも巧く万全である。但し、ビョルリンクには向かう見ずな情熱はなく、高貴な王子といふ印象を受ける。多少荒くともコレッリの方を好む。総合で主役3名が揃つた録音となると、このラインスドルフ盤が一番だらうが、指揮が流れず小手先の巧さばかり目立つのが問題だ。リヴィング・ステレオの威力は抜群で、煌びやかな打楽器の音響効果が最高な反面、弦楽器や管楽器が安つぽく聴こえる。これはラインスドルフの趣向だらう。木を見て森を見ず。その為だうも具合が悪い。当盤ではピエロ・デ・パルマがパンを歌つてゐる。見事だ。(2019.7.12)


プッチーニ:「トゥーランドット」
ビルギット・ニルソン(S)/フランコ・コレッリ(T)/レナータ・スコット(S)、他
ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/フランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ(cond.)
[EMI CMS 7 69327 2]

 1965年に録音された名盤。結論から申せば、当盤を総合点で最上位にしたい。ニルソンはトゥーランドット姫を最高の当たり役とした。ヴァーグナー作品以外でもニルソンは存在感を示したが、ことトゥーランドット姫においては別格であつた。冷厳とした威容、劇的な昂揚が素晴らしいが、それ以上に品格と余裕を残した点が良いのだ。他の歌手は懸命過ぎて弱さを感じる。ヴァーグナー歌ひの貫禄がニルソンの強みだ。そのニルソンと最高の取り合はせがコレッリで、この二人による「トゥーランドット」は名物であつた。情熱的で覇気漲るコレッリは野性味があり、最上のカラフである。スコットのリュウは幾分感銘が落ちるが素敵だ。ティムール役のボナルド・ジャイオッティが良い味を出してゐる。極上はピン、パン、ポンのアンサンブルだ。特にポン役のピエロ・デ・パルマは最高であらう。モリナーリ=プラデッリの指揮も要所を押さえてをり大変素晴らしい。歌手の活かし方が見事で裏方に徹した手腕はもつと評価されて良い。結果、総合点の最も高い名盤を生む功労者となつた。(2019.6.17)


リムスキー=コルサコフ:「サトコ」
ゲオルギ・ネレップ(T)/エリザヴェータ・シュムスカヤ(S)、他
ボリショイ劇場管弦楽団と合唱団/ニコライ・ゴロヴァノフ(cond.)
[PREISER RECORDS 90655]

 1950年の録音。7つのtableaux―タブロー―からなるリムスキー=コルサコフの代表的な傑作歌劇。ノブゴロド出身の美声の持ち主サトコが大海原で遭遇する雄大かつ幻想的な冒険譚で、宛ら絵巻物と譬へたい趣を持つ。アリア「インドの歌」は殊に有名だ―単独の録音ならジーリ盤が最高だ。「シェヘラザード」同様、東洋的な音調が随所の用ゐられてをり、冒頭の前奏曲「青海原」から悠久の海に漕ぎ出したかのやうな情景が広がる。ロシア語の力強い歌唱がオリエント風の雰囲気を助長する。曲者ゴロヴァノフの雄渾な指揮は、尋常ならざる気魄で全曲を覆ひ尽くす。デュナーミクの幅が凄まじく、終止圧倒される。正規録音で、音質も良く、復刻も素晴らしい。歌手、合唱、管弦楽ともにこれ以上はなく、濃厚な音楽を展開するゴロヴァノフの思ふ壷にはまること必定の決定的な名盤。(2008.7.28)


ロッシーニ:「ラ・チェネレントラ」
テレサ・ベルガンサ(Ms)、他
ロンドン交響楽団/クラウディオ・アッバード(cond.)
[DG 423 861-2]

 「ラ・チェネレントラ」は「セビーリャの理髪師」の翌年に3週間で作曲されたロッシーニ絶頂期の作品で、童話「シンデレラ」を題材にした親しみやすさでロンドンやニューヨークでも当たりを取つたロッシーニ生前では一二を争ふ人気曲であつた。滅法楽しい曲で全編早口でまくしたて、アジリタとフィオリトゥーラの百貨店の様相を示す。ところが、次第にこの作品は上演機会を失ふ。タイトル・ロールのチェネレントラがメッゾ・ソプラノ或はコントラルトの低音域でコロラトゥーラを要求されるのと、ヴェリズモ全盛の時代に押されてロッシーニ歌ひが激減、この作品のまともな上演の条件が揃はなくなつたのだ。だが、近年理想的な上演が可能になり、復権著しい。その契機に一役買つたのが1971年録音のアッバード盤だ。アッバード初のオペラ録音であつたが、チェネレントラに大御所ベルガンサを起用し、ルイージ・アルヴァ、レナート・カペッキなどを揃へた、今持つて決定的な名盤なのだ。何よりもアッバードの棒の下、ロンドン交響楽団の演奏が最高だ。第2幕の嵐の場面は見事。思へば、アッバードはロンドン交響楽団時代が最も幸福であつたかも知れぬ。(2018.6.12)


シュトラウス:「こうもり」
ペーター・アンデルス(T)/アニー・シュレム(S)/リタ・シュトライヒ(S)、他
RIAS交響楽団とRIAS室内合唱団/フェレンツ・フリッチャイ(cond.)
[audite 23.411]

 1949年に録音された「こうもり」の名盤。放送局が秘蔵するテープを使用してゐるので、驚異的な音質で聴ける。台詞付き、更にアドリブを豊富に取り入れた充実の録音で、舞台を彷彿とさせる臨場感がある。第3幕冒頭では収監されたアルフレートが「リゴレット」の「女心の歌」を延々と歌つてゐるのが乙だ。当盤の良さは音楽を牽引するフリッチャイの生気溢れる棒にある。クラウスのウィーン情緒たっぷりの録音と比較すると、野性味のある覇気があり、少々荒い。弦楽器に潤ひが不足してゐるのが残念だが、ハンガリー音楽の要素を色濃く持つてゐるシュトラウスの一面を引き出してをり、フリッチャイの面目躍如たる演奏である。舞踏会での挿入曲は「美しく青きドナウ」が演奏されてゐるが、強いアクセントで聴かせる野趣からも傾向が明らかだ。歌手ではアイゼンシュタイン役のアンデルスとアデーレ役のシュトライヒが光つてゐる。威勢の良いアンデルスがフリッチャイの要求に良く応へてゐる。愛くるしいシュトライヒが最高で、声質も表情も、これ以上のアデーレは望めまい。(2011.12.16)


シュトラウス:「こうもり」、春の声
ペーター・アンデルス(T)/アニー・シュレム(S)/リタ・シュトライヒ(S)、他
RIAS交響楽団とRIAS室内合唱団/フェレンツ・フリッチャイ(cond.)
[DG 00289 479 4641]

 フリッチャイのDG録音全集第2巻37枚組。こうもりは1949年に録音された名盤。DG以外にも放送局秘蔵テープからCD化した独audite盤も出てゐた。音質はaudite盤の方が良く、臨場感に違ひがあるが、DG盤でも鑑賞に不足はない。演奏については既に述べたので割愛するが、シュトライヒのアデーレが最高であることは繰り返し記してをかう。当盤には余白に1曲ワルツが収録されてゐる。ベルリン・フィルを振つての「春の声」で、ヴィルマ・リップの独唱付き録音である。ベルリン・フィルと録音したシュトラウスは入手が困難であり歓迎されよう。リップの歌声が可憐でシュトライヒと双璧だらう。正確なディクションも見事だ。(2017.2.26)


シュトラウス:「こうもり」
ヒルデ・ギューデン(S)/ユリウス・パツァーク(T)/ヴィルマ・リップ(S)、他
ウィーン・フィルと合唱団/クレメンス・クラウス(cond.)
[PREISER RECORDS 90491]

 1950年の高名なDecca録音。台詞やアドリブを全て省略した音楽部分のみの録音なのだが、鑑賞には寧ろ有難い。録音以来、特別な扱ひを受けて来た名盤である。その訳は名匠クラウスとウィーン・フィルによる音作りを聴けば諒解出来るだらう。どの部分を取つても生粋のウィーンの音が聴こえて来る。軽快で柔和な表情は代へ難く、躊躇ひ勝ちに寄り添ふ伴奏や侘びた音色でエスプレッシーヴォを奏でる情緒は他の録音からは絶対に聴くことの出来ないものだ。歌手もクラウスの薫陶を受けた豪華な布陣である。アルフレートにデルモータ、ファルケにペル、オルロフスキーにヴァーグナーと贅沢この上ない。だが、当盤の素晴らしさはアイゼンシュタインのパツァーク、アデーレのリップ、ロザリンデのギューデンに尽きるだらう。パツァークの軟弱さを問題視する向きもあるが、役柄に見事に嵌つた名唱だと思ふ。癖のある鼻声は実に個性的だ。それ以上にリップとギューデンが素晴らしい。可憐なリップはシュトライヒと双璧で、愛らしい表情は絶品だ。最高はギューデンのロザリンデだ。華やかで色気のある歌唱に惚れ惚れする。当盤はウィーン訛りが強く、締まりの悪い演奏かも知れぬが、管弦楽とソプラノふたりの美しさで語り継ぎたい特別な名盤である。舞踏会での挿入曲は「春の声」が演奏されてゐる。復刻はいくつも出てゐるが、墺プライザー盤で聴く。(2011.11.25)


シュトラウス:「ザロメ」
クリステル・ゴルツ(S)/ユリウス・パツァーク(T)、他
ウィーン・フィル/クレメンス・クラウス(cond.)
[Decca 478 6493]

 クラウスのDeccaへのシュトラウス録音全集5枚組より。シュトラウスの楽劇こそはクラウスの真骨頂と云へる演目で録音も多数残るが、何れもライヴ音源であり、正規のセッション録音はこの「ザロメ」のみとなる。ザロメ歌ひとしてヴェーリッチと並び称されるゴルツの名唱に注目するのが当然であるが、ザロメの声としてはやや渋く官能に欠ける。素晴らしいのはヘロデス王を歌ふパツァークで、独特の鼻にかかつたやうな発声が頽廃の極みであり、世紀末藝術の頂点ともされる楽劇の核心を貫く。クラウスの耽美的な指揮は云ふまでもなく絶品で、7つのヴェールの踊りだけでなく全曲に振り撒かれた妖しきエロスの美しさは最高であらう。(2007.6.30)


ストラヴィンスキー:歌劇「夜鳴うぐいす」
ドラージュ:4つのインドの歌、オットセイの子守唄
フランス国立管弦楽団/アンドレ・クリュイタンス(cond.)、他
[TESTAMENT SBT 1135]

 他の録音を聴いたことがないのだが、これは文句のない名盤だと太鼓判を押したい。オリジナル・テクストはロシア語なのだが、当盤はフランス語による歌唱である。クリュイタンスの歌劇の録音ではお馴染みのキャストが名を連ね、フランスの光栄ある純血を楽しめる。現在では得難い歌唱だ。尚、クリュイタンスはこの録音の2ヶ月後にライヴ録音を残してをり、Disques Montaigneより出てゐたやうだが未聴。ストラヴィンスキーの声楽作品は、プリミティブな要素とモダニズムの要素が渾然一体となつた一種特別なもので、異教的な響きが魅力である。アンジェリチのソプラノによるドラージュの歌曲は、異国の雰囲気が濃密な佳作。(2004.11.24)


チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」
パンテレイモン・ノルツォフ(Br)/グラフィーラ・ジュコフスカヤ(S)/セルゲイ・レメシェフ(T)/アレクサンドル・ピロゴフ(Bs)、他
ボリショイ歌劇場管弦楽団と合唱団/ヴァシリー・ネボルシン(cond.)
[Dante LYS 0010]

 1936年に行はれた記念すべきエフゲニー・オネーギンの初録音である。実は翌年の1937年にもボリショイ歌劇場による録音が行はれてゐる。「ボリス・ゴドゥノフ」と並びロシア・オペラで最も人気のある作品だけに、当時を代表する歌手らが競ひ合つて録音をしたのだらう。要は初録音で選出されなかつた歌手らの対抗録音だ。ここで重要なのはどちらの録音でも主役オネーギンを歌ふのがノルツォフであり、唯一絶対的な存在であつたことを窺はせる。だが、ノルツォフの歌唱は一種特別であつて、普通ではない。厭世的で倦怠感に覆はれてゐる。表情豊かな他の歌手に比べると何といふ覇気のなさであらう。だが、これこそオネーギンの特性である「余計者」を具現してゐるとも云へる。最終場面での諦観を塗り込めた一声は技巧を超えた境地にある。タチアーナ役のジュコフスカヤは古臭い歌唱で感心出来ないのだが、情熱的な憑依に圧倒される。一途な想ひの結晶が時代の様式美を超えた好例だ。レメシェフのレンスキーが文句なく素晴らしい。後年にも決定的な名唱を残してゐるとは云へ当盤の白眉だ。グレーミンを大物ピロゴフで押さへてゐるのも良い。指揮のネボルシンが絶妙だ。快速テンポを採用し乍ら緩急自在で歌心がある。それだけに音が貧しいのが残念だ。戦後の国際的な録音からは得られない純然たるロシアの気魄が伝はつて来る名盤。(2017.7.31)


チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」
アンドレイ・イヴァノフ(Br)/エレナ・クルグリコヴァ(S)/イヴァン・コズロフスキー(T)/マルク・レイゼン(Bs)、他
ボリショイ歌劇場管弦楽団と合唱団/アレクサンドル・オルロフ(cond.)
[PREISER RECORDS 20025]

 1948年の録音。墺プライザーの優秀な復刻。水準以上の音質で鑑賞出来るのが有難い。当盤は隠れたる名盤で、ハイキン盤と同格の価値がある。世界初録音盤の項で述べたが、1936年の初録音を追ふやうに1937年にも録音が行はれた。この時のタチアーナ役がクルグリコヴァであり、レンスキー役がコズロフスキーであつた。この約10年後の録音でより深い歌唱を残すことに成功したのだが、何と云つても素晴らしいのはコズロフスキーだ。良き好敵手レメシェフと共にソヴィエト最高のテノールとして君臨したコズロフスキーによる手練手管を尽くした絶唱には完全に脱帽だ。表現の幅が広く、部分的にはレメシェフを凌ぐ。クルグリコヴァは可憐な歌声で繊細な表情だ。手紙の場面は踏み込みが足りないが、終幕の駆け引きの心理描写は見事。さて、オネーギンのイヴァノフが最高だ。存在感があり、巧みな表情付けは理想的だ。グレーミン公を大物レイゼンが歌ふが、英雄のやうに威厳があり過ぎて困る。オリガ役のマリア・マクサコヴァも良く、歌手陣に穴がないのが当盤の強みだ。オルロフの指揮は全体的に落ち着いたテンポを採用し、弦楽器主体の響きで聴かせる。歌手を引き立る手腕では随一だらう。ただ、迫力や推進力に欠けて物足りない箇所もあり締まらない。(2017.8.24)


チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」
エフゲニー・ベロフ(Br)/ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(S)/セルゲイ・レメシェフ(T)/イヴァン・ペトロフ(Bs)、他
ボリショイ歌劇場管弦楽団と合唱団/ボリス・ハイキン(cond.)
[MELODIYA MEL CD 10 01945]

 1955年の上質なモノーラル録音。何と云つても若きヴィシネフスカヤが初めてタチアーナ役で存在感を示した記念碑的な録音である。近代的な聡明さとひたむきな献身性を融合させた最高のタチアーナが聴ける。大人しい印象も受けるがタチアーナといふ役柄を考へると劇的に歌ひ過ぎてゐないのが絶妙なのだ。後年、夫ロストロポーヴィチと円熟の録音を残してゐるが、この凛とした若き歌唱を超えることは出来てゐない。世界初録音でもレンスキー役を務めたレメシェフが再登場だ。約20年が経つてゐるが声の若々しさを保つてゐる。驚くべき柔和な歌唱で絶対的な高みにある。アリアでのsotto voceは絶望的な美しさ、正にレンスキー役を極めたと絶賛したい。ペトロフが歌ふグレーミン公も立派この上ない。主役オネーギンを歌ふベロフも申し分ない。録音の良さと指揮の良さが相まつて、ボリショイ歌劇場管弦楽団の演奏が過去最高の出来栄えだ。殊更ヴィブラートをたつぷりかけたホルンの黄金の音色は極上だ。総合点において最上位の名盤だ。(2017.8.13)


チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」(抜粋)、「スペードの女王」(抜粋)
ヘルマン・プライ(Br)/ゴットロープ・フリック(Bs)/メリッタ・ムゼリー(S)/フリッツ・ヴンダーリヒ(T)、他
バイエルン国立管弦楽団/マインハルト・フォン・ツァリンガー(cond.)
[EMI 50999 6 78836 2 2]

 かつて独エレクトローラ・レーベルにLP両面1枚でオペラのハイライトをドイツ語歌唱で鑑賞出来るDie Electrola Querschnitteといふシリーズが存在した。これはヴンダーリヒが参加した録音を集成した7枚組。チャイコフスキーは畑違ひの感のある結果で、最も感銘が落ちる。ヴンダーリヒの甘く叙情的な歌唱は青春の輝きを伝へるが、楽想からすると違和感ばかり感じる。憂鬱さがないのだ。ムゼリーもまた綺麗に収まり過ぎた。プライとフリックは善戦してゐると云へるが、総じて下手物の域を出ない。ツァリンガー指揮バイエルン国立管弦楽団の伴奏は堅牢なドイツの音がするとは云へ、大変素晴らしい演奏を聴かせて呉れる。尚、「エフゲニー・オネーギン」の手紙の場面と続く場面の2曲の録音はエリーザベト・リンデンマイアーとマルセル・コルデスの歌唱、ヴィルヘルム・シュヒター指揮ベルリン・フィルの伴奏によるおまけである。(2017.9.1)


チャイコフスキー:「イオランタ」、「ロメオとジュリエットの二重唱」(タネーエフ補筆)、他
グラフィーラ・ジュコフスカヤ(S)/パンテレイモン・ノルツォフ(Br)/ボリス・ブガイスキー(Bs)、他
ボリショイ歌劇場管弦楽団と合唱団/サムイル・サスモード(cond.)
[Profile PH 17053]

 ボリショイ劇場の黄金時代を飾つた大物らによるチャイコフスキー歌劇全集22枚組。チャイコフスキー最後のオペラ「イオランタ」の録音は1940年に敢行され、「オネーギン」「スペードの女王」の二大傑作の録音に続く。タチアーナを歌つたジュコフスカヤがイオランタを歌ひ、オネーギン歌ひノルツォフがロベルト役、レネ王にブガイスキー、ヴォーデモン役にグリゴーリー・ボリシャコフが名を連ねる。肝心のジュコフスカヤが歌ひ過ぎで役柄に合つてゐないが、他の男性歌手らは究極の名唱で、ロシア人特有の声質を披露する。最高なのはブガイスキーで、厚みのある朗々たる歌は比類がなく、これぞボリショイの底力と云へよう。指揮も管弦楽も素晴らしく、情念豊か、最もロシア的な演奏だ。録音さえ良ければ、今日でも最上位に推薦したい名演だ。余白にはタネーエフが補完させた「ロメオとジュリエットの二重唱」が聴ける。最晩年のチャイコフスキーは幻想序曲の楽想を転用し「ロメオとジュリエット」のオペラ化を計画してゐた。死によつて二重唱の断片しか残されなかつたが、タネーエフが完成させた。これをコズロフスキーとシュムスカヤが歌ひゴロヴァノフが指揮するといふ至宝級の録音が存在する。他が必要ない決定的名演で、コズロフスキーの甘い歌声が秀逸だ。もう1種アンラントフ、イゾートフ、グリクロフによる録音も収録されてゐるのだが、全く比べ物にならない。更にペチコフスキーがゲルマンを歌ふ「スペードの女王」のアリア2曲も聴ける。1937年の録音で大変素晴らしい。(2019.2.19)


チャイコフスキー:「イオランタ」
ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(S)/ニコライ・ゲッダ(T)/ディミトリ・ペトコフ(Bs)、他
パリ管弦楽団/ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(cond.)
[ERATO 2292-45973-2]

 1984年のライヴ録音。ロストロポーヴィチとヴィシネフスカヤの夫婦共演が微笑ましい。兎も角ヴィシネフスカヤを聴くべき録音で、凛とした気高さのある極上のイオランタだ。ヴォーデモン役のゲッダは勿論素晴らしいが、盛期を過ぎた感があり、手放しでは賞讃出来ないのが残念だ。ヴィシネフスカヤも盛期はとうに過ぎてゐるのだが、イオランタに賭ける情熱が勝り、可憐な乙女の歌が美しく表現されてゐる。レネ王役のペトコフは全く存在感がなく、完全な起用失敗だ。ロストロポーヴィチの伴奏は無難で破綻がなくライヴ録音であることも考慮して次第点と云へるが、推進力がなく詩情にも欠けるので凡庸だ。パリ管弦楽団は音色が軽く、チャイコフスキーの陰影ある響きを十全に表現出来てゐるとは云ひ難い。(2019.1.12)


ヴェルディ:「ナブッコ」
ジーノ・ベッキ(Br)/マリア・カラス(S)、他
ナポリ・サン・カルロ歌劇場管弦楽団と合唱団/ヴィットーリオ・グイ(cond.)
[WARNER CLASSICS 0190295844462]

 カラスのライヴ録音を集成した42枚組。装丁が豪華で蒐集家は必携だ。1949年12月20日の公演記録。減量前のカラスが歌ふ圧倒的なアビガイッレが聴ける伝説的な記録だ。勿論この役に関しては決定的な歌唱だ。カラスだけでなく、ベッキのナブッコも威厳があり理想的だ。ザッカーリア役のネローニも良い。グイの指揮が素晴らしく、熱血で推進力ある音楽を作りつつ、緩急自在の至藝を聴かせる。ナポリの管弦楽団と合唱団から実力以上の音を見事引き出す。実のところ、演奏そのもので云へば最上だ。ただ、猛烈に音が悪く鑑賞には適さない。愛好家向けの音源だ。カラスのことだけが語られる録音だが、その他にも聴き処がある。ナポリの聴衆は極めて情熱的で―ジーリの公演でも異様な盛況だつた―"Va pensiero"の終盤になると愛国心抑へ難く、狂乱状態に陥り演奏が聴こえなくほどの歓声で埋め尽くされる。グイの提案でもう一度"Va pensiero"がアンコール演奏される。演奏が終はると"Viva! Italia!"と掛け声と共に盛大な拍手が鳴り止まぬ。最終幕の幕切れでは編曲が為され、序曲冒頭の主題が堂々と斉奏されて終はる。イタリア人にとつて「ナブッコ」が特別な曲であることを教へて呉れる貴重な記録なのだ。もう一度繰り返すが、音が悪いのが残念だ。(2018.8.9)


ヴェルディ:「ナブッコ」
コーネル・マックニール(Br)/レオニー・リザネク(S)/チェーザレ・シエピ(Bs)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/トーマス・シッパース(cond.)
[Sony Classical 88883721202]

 Met歴史的公演集20枚組より。1960年12月3日、Metにとつて初めてとなる「ナブッコ」上演であつた。カットが多い短縮版での上演だ。最初に苦言を呈す。編集ミスがあり、第3幕の第1場と第2場の順序が入れ違つてをり、2枚組の2枚目がいきなり"Va pensiero"から始まるのだ。順番を入れ替へて聴かねばならぬ。欠陥商品である。標題役のマックニールは健闘してゐるが、上品過ぎて表情が平板であり、正直申して物足りない。アビガイッレ役のリザネクも同様で、カラスやスリオティスの攻撃的な激情に比べると影が薄い。ザッカーリア役のシエピが流石の貫禄を示してゐるが、癖がなく良くも悪くも目立たない。さて、最大の問題点は合唱が薄手で、しかも揃つてをらず、お粗末なことだ。ヴェルディの醍醐味がこれでは味はへない。この中で最も上質なのはシッパースの指揮と管弦楽団と云へる。しかし、熱量に欠け、無難な演奏に止まつてゐる。詰まり、総じて良い処のない上演記録である。(2018.8.18)


ヴェルディ:「ナブッコ」
ティート・ゴッビ(Br)/エレナ・スリオティス(S)、他
ウィーン国立歌劇場管弦楽団と合唱団/ランベルト・ガルデッリ(cond.)
[Decca 478 1717]

 1965年に行はれた「ナブッコ」初めてのセッション録音。規範として聴かれてきた名盤であるが、「ナブッコ」の理想的演奏として挙げる人はゐないだらう。全般的に物足りないのだ。総合点では申し分のない名盤なのだが、それ以上がない困つた録音なのだ。この録音は晩年のゴッビの為に組まれた録音だと云へる。千両役者ゴッビの多彩な表現が聴け、最大の武器であるnihilなファルセットは唯一無二だ。印象的なのはアビガイッレを歌ふスリオティスだ。高音から低音まで驚異的な歌唱を駆使し圧倒される。第2のマリア・カラスと称されたスリオティスは本当にカラスそつくりの歌ひ方をする。ザッカーリア役のカルロ・カーヴァも見事だ。最も心憎い活躍をしてゐるのは指揮者ガルデッリだらう。要所を押さえた棒で満点と云へる。ウィーン国立歌劇場管弦楽団と合唱団が非常に美しい音楽を紡いで行く。アンサンブルも響きの調和も抜群で、"Va pensiero"の清廉で宗教的な美しさは一種特別だ。だが、難癖になるが、初期ヴェルディの荒々しい熱さを伴つてゐない。上品に整つたウィーン流儀の音楽になつて仕舞つた。上手いのだが失つたものの方が大きい。心ないことを申せば、ミラノ・スカラ座を起用してイタリア勢だけ―スリオティスを除いて―の録音なら最高の1枚になつたかも知れぬ。(2018.7.18)


ヴェルディ:「マクベス」
マリア・カラス(S)/エンツォ・マスケリーニ(Br)/イタロ・ターヨ(Bs)、他
ミラノ・スカラ座歌劇場管弦楽団と合唱団/ヴィクトル・デ=サバタ(cond.)
[WARNER CLASSICS 0190295844479]

 カラスのライヴ録音を集成した42枚組。装丁が豪華で蒐集家は必携だ。カラスと「トスカ」で不滅の名盤を残したデ=サバタは、病弱の為に程なく引退して仕舞つた。この両者による共演はもうひとつ「マクベス」が残された。貴重な遺産である。1952年12月7日のライヴ録音で、商業用に記録された訳ではないので音質は相当悪い。魔女たちのアンサンブルも出鱈目だし、マクベスら男性歌手陣には大物がをらず、平凡である。しかし、カラスのマクベス夫人こそは比類のない歌唱であり、トスカやノルマなどと並ぶ当り役なのだ。カラスが満を持して登場すると、音楽が俄に血の気を帯びる。魔女の予言でぐらつくマクベスを叱咤鼓舞して恐るべき暗殺へと駆り立てる呪はれたレディーを、カラスは鬼気迫る表現をもつて聴衆を騒然とさせる。狂ほしい夢遊病の場面まで、この上演はカラスの独擅場と化してゐる。録音が籠り気味なのが残念だが、管弦楽と合唱団も見事で、劇的な音楽を終止牽引するデ=サバタの指揮が素晴らしい。不吉なシェイクスピアの原作を真摯な崇拝の念で再構築した初期ヴェルディの傑作は、レディーの役割を肥大させてをり、天下の悪女を歌ひ熟せる歌手を必要とする。傷も多いが、この点で当盤は語り継がれるべき名演なのだ。(2008.8.30)


ヴェルディ:「マクベス」
レナード・ウォーレン(Br)/レオニー・リザネク(S)/ジェローム・ハインズ(Bs)/カルロ・ベルゴンツィ(T)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/エーリヒ・ラインスドルフ(cond.)
[Sony Classical 88883721202]

 1959年2月21日、Metにとつて初めてとなる「マクベス」上演であつた。しかし、この不気味な歌劇は順風には上演出来ず、当初レディーは当たり役であつたカラスが歌ふ予定であつたが降板、シュトラウスやヴァーグナーを得意としたリザネクが鮮烈なMetデヴューを飾ることになつた。また、当初指揮者はミトロプーロスであつたが、ラインスドルフに交替してゐる。さて、出来栄えは上々で、重鎮ウォーレンのマクベスの見事な歌唱と圧倒的な力強さを発揮したリザネクによつて大成功となつた。ラインスドルフの指揮も良く、劇的緊張感が漲つてゐる。特に魔女の場面での疾風迅雷のやうな荒ぶれは見事。同時にセッション録音も行はれたのだが、全く問題にならない。この公演で聴ける嵐のやうな疾走感こそ実演の醍醐味なのだ。(2023.5.12)


ヴェルディ:「マクベス」
レナード・ウォーレン(Br)/レオニー・リザネク(S)/ジェローム・ハインズ(Bs)/カルロ・ベルゴンツィ(T)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/エーリヒ・ラインスドルフ(cond.)
[RCA GD84516(2)]

 1959年2月にMetで「マクベス」が初めて上演されることになつた。様々なアクシデントがあつたやうだが、無事に公演に漕ぎ着けた。準備中に歴史に残る名演になることが予想されたのだらう、中核となるキャストは全く同じ顔ぶれでセッション録音が組まれ、公演と前後する形で仕上がつた。さて、問題はライヴ録音と比べて何方が優れてゐるかといふことだが、断然ライヴ盤の方が良く、このセッション録音は音質以外に勝ち目はない。同じ演者による録音とは思へないほど、大人しく交通整理に徹した演奏なのだ。偏にラインスドルフが守りに回つたからだらう。悪い癖が出た。(2023.8.6)


ヴェルディ:「リゴレット」
ローレンス・ティベット(Br)/リリー・ポンス(S)/フレデリック・ヤーゲル(T)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/エットーレ・パニッツァ(cond.)
[Naxos Historical 8.110020-21]

 1935年12月28日の公演記録。主役リゴレット役を歌ふのはMetの最も偉大なバリトン、ティベットである。リゴレットの歌唱においてティベットに匹敵するのはゴッビのみだらう。温かい慈愛と厳しい憤怒を織り交ぜた息の長いフレーズには感嘆する。全盛期の圧倒的な名唱で、第2幕の歌唱は鬼気迫る。重要なジルダ役は華奢で幼女のやうな声を出すポンスで、見事な当り役だ。ポンスも最盛期の頃で申し分ない。比べて公爵役のヤーゲルはやや劣るだらう。指揮はトスカニーニの片腕として活躍し、イタリア・オペラで空前絶後の名演を数多残したMetの重鎮パニッツァだ。第3幕、嵐の場面は常軌を逸した凄まじさだ。ライヴ録音黎明期の記録で音質は当然乏しいのだが、この録音は一際状態が悪い。第1幕第2場は傷みが激しいので1939年録音のジェンナーロ・パピ指揮の音源に差し替へとなつてゐる。幸ひ公爵役がヤン・キープラになる以外はパニッツァ盤と同じ配役である。当盤はティベットのリゴレットとパニッツァの指揮を楽しむ玄人好みの1枚で、鑑賞用には適さないことをお断りしてをく。(2011.2.16)


ヴェルディ:「リゴレット」
ハインリヒ・シュルスヌス(Br)/エレナ・ベルガー(S)/ヘルゲ・ロスヴェンゲ(T)、他
ベルリン国立歌劇場管弦楽団と合唱団/ロベルト・ヘーガー(cond.)
[PREISER RECORDS 90036]

 ドイツ語歌唱による「リゴレット」である。実はフリッチャイ盤などドイツ語歌唱での名盤が多い。複雑な心理を歌ふリゴレット役のバリトンと可憐で純真なジルダを歌ふソプラノは、紋切り型のイタリアの歌手よりもドイツ・リートの名手の方が巧みに表現出来るからではなからうか。当盤の価値の大半はリゴレットを歌ふシュルスヌスとジルダを歌ふベルガーにある。シュルスヌスのオペラ全曲録音は他に「タンホイザー」と「シチリアの晩鐘」だけの筈で、堂に入つた名唱が聴ける。惚れ惚れする美声の連続で、朗々たる歌の魔力に逆らへない。ベルガーは理想的なジルダだ。ガリ=クルチの全曲録音が望めないのだから、ベルガーのやうな清廉なコロラチューラの歌唱は掛け替へが無い。ロスヴェンゲが歌ふ公爵はやや暗く重い声だが、気品があり立派だ。スパラフチーレにグラインドル、マッダレーナにクローゼ、モンテローネにハンと大物を揃へてゐるのも豪華だ。ヘーガーはドイツ系の指揮者らしく幾分湿つぽいが、情緒豊かで繊細なアンサンブルを聴かせ見事だ。ドイツ語歌唱といふ根本的な問題を除けば最上位に置かれてよい名盤だ。余白にシュルスヌスとロスヴェンゲによる「ドン・カルロ」「運命の力」からの二重唱を3曲収録。(2010.9.15)


ヴェルディ:「リゴレット」
レナード・ウォーレン(Br)/ビドゥ・サヤン(S)/ユッシ・ビョルリンク(T)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/チェーザレ・ソデーロ(cond.)
[Naxos Historical 8.110051-52]

 1945年12月29日の公演記録。「リゴレット」全曲の録音記録は夥しくあるが、実は決定的な演奏は見当たらない。古来、名曲故にアリアから重唱まで素晴らしい歌手たちの録音が揃ひ踏みしてゐることも原因だらう。全曲となつたときにそれらを超える歌手が居並ぶことは滅多にない。また、合唱を用ゐた爆発力がないのも演奏上の難しさである。ゴッビとセラフィンによる録音は最も優れたものだが、ヒステリックなカラスのジルダがいただけない。当盤はウォーレンのリゴレット、ビョルリンクの公爵、名花サヤンのジルダと過不足がない。但し、何れも最高とは云へないのだが。中では矢張り威勢の良いビョルリンクが輝いてゐる。ノーマン・コルドンのスパラフチーレが最高の出来映えだ。全体としては良い演奏だが、当盤もまた特別な価値のある録音ではないのだ。(2011.3.4)


ヴェルディ:「リゴレット」
ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)/マリア・カラス(S)/ティート・ゴッビ(Br)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/トゥリオ・セラフィン(cond.)
[EMI 3 95918 2]

 20世紀において最も高名なディーヴァであつたカラスの全スタジオ録音を集成した69枚の箱物より。「リゴレット」屈指の名盤だ。作品の規模の都合だらう、SP録音初期から夥しい全曲録音が行はれたが、意外と決定的な録音が見当たらない。その中で筆頭に位置するのがこのセラフィン盤である。この演奏の素晴らしさを語るに、主役リゴレットを歌ふゴッビから始めなくては礼を失する。悲しき道化の性格を余すところなく表現した役者ゴッビの凄み。様々に声と表情を変へる深い読みと確かな技巧は、他のリゴレット歌手を大きく引き離してゐる。千両役者とはゴッビのことだ。次いでセラフィンとスカラ座の万全な管弦楽伴奏を誉め讃へよう。伝統あるイタリア歌劇の精髄を聴かせて呉れる。ディ=ステファノが歌ふ公爵の享楽的な持ち味も役柄に見事嵌つてゐる。実は唯一の不満はジルダ役のカラスにある。健気なおぼこ娘ジルダにしてはカラスの声は重たく劇的な性質を帯び過ぎてゐる。勿論、カラスは軽やかなコロラチューラに徹して無垢な乙女の演出を試みてゐるのだが、声質の違ひを乗り越えることは出来ていない。だが、全体で見れば当盤以上の「リゴレット」全曲を探すのは困難だらう。(2010.6.21)


ヴェルディ:「イル・トロヴァトーレ」
ユッシ・ビョルリンク(T)/ジンカ・ミラノフ(S)/フェドーラ・バルビエーリ(Ms)/レナード・ウォーレン(Br)、他
RCAヴィクター管弦楽団/ロバート・ショウ合唱団/レナート・チェッリーニ(cond.)
[Naxos Historical 8.110240-41]

 RCAヴィクター勢による「トロヴァトーレ」だ。1952年のモノーラル録音であり音の輝きに幾分不満はあらう。さて、歌手はRCA専属、Metのスターを揃へた豪華布陣だ。マンリーコにビョルリンク、レオノーラにミラノフ、ルーナ伯爵にウォーレン、アズチェーナにバルビエーリ、更にフェランド役にニコラ・モスコーナと穴がない。結果はと云ふと、然程面白くない。ビョルリンクは「見よ、恐ろしき炎を」では強靭で圧倒的な名唱を聴かせるものの、全体的には知的かつ抒情的で歌が素直でない。明るさが不足するのだ。ミラノフが完全に嵌つてをらず、重く暗い声がレオノーラにそぐはない。ウォーレンは構へが良過ぎて畏まり過ぎだ。ヴェルディ後期作品の名唱とは異なり、ルーナでは重たいのだ。唯一人バルビエーリが素晴らしい。シミオナートを凌ぐ妖気を漂はせたアズチェーナ像は最高だ。バルビエーリが入ると俄然重唱も締まる。ロバート・ショウ合唱団が見事だ。しかし、オーケストラは全体的に小さく纏まり見せ場がない。余白にミラノフがユーゴスラヴィア民謡を歌つた録音が6曲収録されてをり、これが大変良い。ピアノとヴァイリンの助奏付きで、雰囲気満点、琴線に触れる名唱ばかりなのだ。(2021.8.6)


ヴェルディ:「イル・トロヴァトーレ」
ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)/マリア・カラス(S)/フェドーラ・バルビエーリ(Ms)/ローランド・パネライ(Br)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/ヘルベルト・フォン・カラヤン(cond.)
[Warner Classics 0825646340941]

 愛好家必携のオリジナル・ジャケットによるカラス・スタジオ録音リマスター・エディション69枚組。1956年で残念乍らモノーラル録音ではあるが、豪華布陣によるEMI渾身の「トロヴァトーレ」である。しかし、結果は振るはない。注目のカラスのレオノーラが違和感が強い。レオノーラやジルダではだうも座りが悪いのだ。コロラチューラは見事なのだが、醸し出す雰囲気が良くも悪くもカラスで、トスカやヴィオレッタになつて仕舞ふのだ。ディ=ステファノは柔和で甘過ぎてマンリーコでは物足りない。パネライのルーナ伯爵は貫禄があるが次第点といつた程度だらう。ここでもバルビエーリのアズチェーナが気焔を吐く。完全に主役はアズチェーナが掻つ攫ひ、ヴェルディの意図を図らずも具現する。スカラ座の演奏は勿論素晴らしいが、セラフィン盤ほどの良さは見出せない。我を随所に出したカラヤンの支配が邪魔をしてゐるやうに感じる。嵌つてないのだ。役者が揃つてゐるのに、この録音が大して話題にのぼらないのも頷ける。(2021.8.18)


ヴェルディ:「イル・トロヴァトーレ」
マリオ・デル=モナコ(T)/レナータ・テバルディ(S)/ジュリエッタ・シミオナート(Ms)/ウーゴ・サヴァレーゼ(Br)
ジュネーヴ大劇場管弦楽団/アルベルト・エレーデ(cond.)、他
[DECCA 4781535]

 テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1956年の初期ステレオ録音。デッカの誇る歌手を起用した理想的な配役の名盤だ。中で特筆すべきはシミオナートが歌ふアズチェーナで最高とされるものだ。情念豊かで聴く者を引き込む。但し、シミオナートは代表的な名盤として語られるEMIのシッパース盤でもアズチェーナを歌つてをり、優劣は付け難い。次いでテバルディのレオノーラが素晴らしい。申し分ない歌唱の連続で、特に第4幕の二重奏「おお、この喜び」の躍動は絶品だ。デル=モナコのマンリーコも勿論見事だ。実はこの録音は慣習的なカットを極力行はず、アリアの2番まで歌ふことが多い。セッション録音とは云へ、輝かしく強靭な黄金の声を聴かせるデル=モナコに感心するものの、繰り返しが多いとだれるのと、疲労配分が感じられ楽しめない。歌合戦がトロヴァトーレの醍醐味であり、カットをしないことよりも重要なのだ。コレッリのやうな熱さが欲しいのだ。ルーナ伯爵のサヴァレーゼはやや小粒だが健闘してゐる。エレーデの指揮は流れが良く理想的だ。この録音は丁寧に仕上られた優等生盤で特徴を欠いてをり影が薄い。(2021.5.30)


ヴェルディ:「イル・トロヴァトーレ」
カルロ・ベルゴンツィ(T)/アントニエッタ・ステッラ(S)/フィオレンツァ・コッソット(Ms)/エットーレ・バスティアニーニ(Br)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/トゥリオ・セラフィン(cond.)
[DG 00289 477 5662]

 1962年に録音された「トロヴァトーレ」随一の名盤として知られるセラフィン盤だ。世評に違はず総合点では疑ひなく最上位だ。偏にルーナ伯爵を歌ふバスティアニーニの素晴らしさを筆頭に挙げたい。これぞヴェルディのバリトン、気品があり、恰幅があり、情味がある。どのバリトンを持つてきてもこれ以上はあるまい。取り分けルーナ伯爵といふ人物像にも見事に嵌つてをり、バスティアニーニの歌唱の中でも第一等であらう。次いで名門ミラノ・スカラ座を率ゐたセラフィンの統率力を褒め称へよう。「トロヴァトーレ」の録音ではオーケストラの起用が重視されることが少なく、管弦楽に最も満足出来る録音はこのセラフィン盤なのだ。管弦楽が主導権を持つた数少ない演奏とも云へる。更に他の主役3歌手も素晴らしいのだ。まずはアズチェーナを歌ふコッソットの表現の幅が大きく、シミオナートに匹敵する名唱を聴かせる。レオノーラ役のステッラの清明な声が心地良い。コロラチューラが節度あり浮き足立たない。ベルゴンツィが幾分渋いが内燃するマンリーコを演出する。High-Cも見事に決まり圧巻だ。端役たちも粒揃ひで、合唱もスカラ座の格式の違ひを聴かせて呉れる。以上、穴がなく減点要素がない飛び切りの名盤なのだが、唯一、燃へ立つ歌合戦を聴くことが出来ないのが不満だ。形振り構はず燃焼したコレッリとそれを煽つたシッパース盤の方に心奪はれたことを告白しよう。(2021.7.12)


ヴェルディ:「イル・トロヴァトーレ」
フランコ・コレッリ(T)/ガブリエッラ・トゥッチ(S)/ジュリエッタ・シミオナート(Ms)/ロバート・メリル(Br)、他
ローマ国立歌劇場管弦楽団と合唱団/トーマス・シッパース(cond.)
[EMI CMS 7 63640 2]

 代表的名盤として語り継がれる1964年の録音。その理由は他でもない、コレッリのマンリーコだ。熱い血潮が迸り、向かふ見ずな猛々しさを備へたマンリーコは絶対的な境地にあり、どの歌手の歌唱をもつてしても満足出来なくなるほどの嵌り役なのだ。更には「見よ、恐ろしき炎を」のHigh-Cを力強き雄叫びで締め括れる技量も圧巻で、これ以上に決まつた歌唱は古今東西ない。マンリーコに関して云へばこのコレッリが最高であり、他は必要ない。さて、実は他にも素晴らしい点が幾つもある名盤なのだ。アズチェーナを得意としたシミオナートが最高の出来栄えだ。シミオナートはDECCAにも録音してゐたが、このEMI盤の方がより成熟した深い抉りがあり上位に置きたい。次いでメリルの恰幅の良い気品あるルーナ伯爵が見事。これら名歌手に囲まれ、レオノーラ役のトゥッチだけが聴き劣りするのは仕方あるまい。名匠シッパースの棒が情熱的で運びが良く、歌手らの昂揚と一体となり燃えてゐる。慣習的なカットがあるが、音楽が最良の姿で表現されることを優先してをり、絶大な効果を上げてゐる。曲も歌も、これぞオペラといふ醍醐味が溢れた一種特別な名盤なのだ。(2021.6.27)


ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」
ローザ・ポンセル(S)/フレデリック・ヤーゲル(T)/ローレンス・ティベット(Bs)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/エットーレ・パニッツァ(cond.)
[Sony Classical 88883721202]

 Met歴史的公演集20枚組より。高名な1935年1月5日Metライヴ―実況での歌劇全曲録音では最初期の記録である。繰り返し商品化されてきた録音で―Naxos Historical盤は放送時のジェラルディン・ファーラーによる休憩中の解説も聴けるといふ豪華盤であつたが当盤は公演の録音のみだ―、音質を度外視すれば古今最高の「トラヴィアータ」の録音と評しても過言ではない。ジェルモン役ティベットが究極で、「プロヴァンスの海と大地を」はこれ以上ない名唱だ。20世紀最高のソプラノのひとりと称されるポンセルによるヴィオレッタも桁違ひに素晴らしい。表情や声音の繊細な変化はカラスと並ぶ。ポンセルとティベットの二重唱は歌劇藝術のゼニスであり、至福のひとときを与へて呉れる。アルフレード役ヤーゲルも良いが比べると見劣りがする。重鎮パニッツァの熱気溢れる指揮も毎度乍ら最高だ。リズムが生き、歌に翼が付いて飛翔する。ヴェルディ振りとしてパニッツァ以上の指揮者はゐない。第3幕前奏曲の迫真の嘆きは取り分け琴線に触れる。(2014.8.15)


ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」〜ドレス・リハーサル
リチア・アルバネーゼ(S)/ジャン・ピアース(T)/ロバート・メリル(Bs)、他
NBC交響楽団と合唱団/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.)
[Music&Arts CD-4271(2)]

 トスカニーニが完璧主義者であつたことは名高く、それ故に思ひ入れのある作品の録音となると慎重になり、厳格な態度で望んだが、RCAヴィクターに残した「トラヴィアータ」全曲録音ではそれが裏目に出て仕舞ひ、トスカニーニの代表的名盤とは成り得なかつた。当盤は正規録音に先達て行はれたドレス・リハーサル―英米ではゲネラルプローベに当たる通し稽古を衣装合はせ練習から転じて斯様に呼ぶ―として愛好家に特別視されてきたものである。リハーサルとは云へ、通し稽古の為、支障なく全曲演奏が楽しめる。緊張で硬くなつてしまつた本番とは違ひ、噴流のやうな感情が自然に溢れ出した演奏で、これぞトスカニーニの本領発揮と云へる逸品である。何よりも稽古中に発つせられるトスカニーニの声が緊張感を煽り立てる。基本的には「レガート」「クレッシェンド」と云つた簡単な指示だが、叱咤するやうな掛声で檄を飛ばしたり、うち震える濁声でカンタービレを要求したりする場面が盛り沢山で、特にジェルモンが登場する第2幕への打ち込みやうは唯事ではない。指揮者、管弦楽、歌手が完全燃焼する様には畏敬の念を禁じ得ない。(2005.4.10)


ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」
リチア・アルバネーゼ(S)/ジャン・ピアース(T)/ロバート・メリル(Bs)、他
NBC交響楽団と合唱団/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.)
[RCA 88697916312]

 トスカニーニRCA録音全集84枚組。トスカニーニ渾身の演奏として高名な一方、構へ過ぎで硬いと低く評価をされる録音でもある。まず感じるのは大変トスカニーニらしい特徴の出た演奏で好ましいといふことだ。テンポは快速調だが、リズムはやや生硬な印象を受ける。これはトスカニーニの晩年に共通した特徴でもある。一方、「花から花へ」ではトスカニーニの唸り声とも云へる歌声が混入してをり、興が乗つてゐることがわかる。歌手も健闘してをり、マエストロの要求に見事に応へてゐる。上等なのはメリルだが、アルバネーゼも劣らず素晴らしい。次に、カットが意表外に多いことを述べておきたい。当時は常套的であつたかも知れぬが原典重視とされるトスカニーニにしては多めで、第2幕のカバレッタを悉くカットしてゐる他、随所に変更がある。接続の為に追加された箇所もあり、トスカニーニの楽譜に対する姿勢が窺へて興味深い。実はトスカニーニはベル・カントの最終形であるヴェルディの中期三部作をあまり取り上げて来なかつたとも云はれる。トスカニーニの本領はヴェルディ後期の作品で発揮され、特に最後の「オテロ」「ファルスタッフ」で成功した。強靭で熱いカンタービレを「トラヴィアータ」では持て余してゐるのと、結局は歌手主導のベル・カント・オペラで締め付けをし過ぎたのが主な敗因だらう。(2014.7.27)


ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」
マリア・カラス(S)/チェーザレ・ヴァレッティ(T)/ジュゼッペ・タッデイ(Br)、他
ベラス・アルテス歌劇場管弦楽団と合唱団/オリヴィエーロ・デ=ファブリティース(cond.)
[MYTO HISTORICAL LINE 00134]

 カラスによる「トラヴィアータ」全曲録音はライヴ録音でも6種類残る。当盤は最も古い1951年7月17日、メキシコにおける録音だ。残念だが音質は水準以下、劣悪と云つてよい。歪みも多く、音像の遠近が揺れるのは辛い。それでもこのMYTO盤は最も丁寧にリマスタリングされてゐる方だ。減量前のカラスの歌唱は文句なく素晴らしい。翌年の録音の方が吹つ切れてゐるが、当盤の方が美しさを保つてをり好ましく聴けた。ただ、熟れてゐないと感じる場面もあり一長一短だ。ヴァレッティのアルフレードが傑出してゐる。若くて情熱的かつ甘くて陶酔的で、最高の当り役だと云へる。ジェルモン役タッデイは見事だが余り存在感を示せてゐない。指揮者ファブリティースは躍動するリズムと活力あるテンポが流石で、入魂の歌唱が繰り広げられると見事に反応し、素晴らしい伴奏を付けてゐる。しかし、問題はメキシコの管弦楽と合唱だ。管弦楽の技量は水準以下で、何でもない合奏箇所での崩れが目立つがまだ許容範囲だ。一番の害悪は合唱だらう。管弦楽に乗らず出鱈目に喚くから邪魔だ。蒐集家以外には無用な1枚だ。(2014.8.23)


ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」
マリア・カラス(S)/ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)/ピエロ・カンポロンギ(Br)、他
ベラス・アルテス歌劇場管弦楽団と合唱団/ウンベルト・ムニャーイ(cond.)
[MYTO HISTORICAL LINE 00218]

 1952年6月3日のライヴ録音。約1年前と同じメキシコ・シティでの公演だ。まず前年の公演との比較をせねばなるまい。僅か1年の違ひであるが、音質が格段に良い。後年の諸録音よりも優れてゐると感じる箇所すらある。カラスの歌唱は間違ひなく当盤が最高だらう。前年の録音や翌年のチェトラ盤の方が声そのものは美しいが、山猫と形容されたカラスの凄みが最も凝縮されてゐるのは当盤だ。これに比べると後年の歌唱は衰へを感じて仕舞ふ。各幕での性格の描き分けも完璧で、忌憚なく申せば古今最高のヴィオレッタだ。ディ=ステファノのアルフレードは奔放過ぎる嫌ひはあるが申し分ない。カンポロンギのジェルモンは勿体振つてをり良くない。音楽が停滞してゐる。前年同様メキシコの管弦楽と合唱は水準を大きく下回り酷い。ムニャーイの指揮が良くない。前年のファブリティースとの格の差は一目瞭然だ。1点大きな問題がある。プロンプターの声を煩はしいほどマイクが拾つてをり、鑑賞に支障があるほどだ。致命傷である。しかし、カラスの歌唱を聴く為に当盤を広く薦めたい。(2014.8.28)


ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」
マリア・カラス(S)、他
RAIトリノ管弦楽団/ガブリエーレ・サンティーニ(cond.)
[EMI 3 95918 2]

 20世紀において最も高名なディーヴァであつたカラスの全スタジオ録音を集成した69枚の箱物より。カラスにとつて唯一の「トラヴィアータ」セッション正規録音である。カラスの当たり役はノルマ、トスカ、ルチアの他に幾つのベル・カント・オペラの役があつたが、認知度で云へばヴィオレッタ役を真つ先に挙げねばなるまい。ヴィオレッタは難役である。理想的に歌へたのは全盛期のカラスだけと云つても過言ではない。しかし、歌劇録音の難しさで、全ての配役や管弦楽が万全な録音はない。敢へて云へば当盤ほど悪名高い録音もないだらう。カラスは1953年にこの伊チェトラ・レーベルの「トラヴィアータ」録音に参加した為、契約上他社での再録音の機会を阻まれた。盛期を過ぎたカラスはスタジオでの再録音をしないままヴィオレッタを歌はなくなつた。カラスに関して述べれば大変素晴らしい。圧倒的な歌唱だ。しかし、他の歌手が小粒の三流歌手ばかりでカラスの独擅場だ。余りにもバランスが悪い。サンティーニの指揮は悪くないが面白みはない。セッション録音なので音質は当然良いのだが、音の悪いライヴ録音の方がカラスの凄さが出てゐるといふ意見にも賛成だ。カラスにとつては運の悪い、足枷のやうな録音であつた。しかし、繰り返して云ふが、カラスの歌唱は圧巻である。(2014.6.5)


ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」
マリア・カラス(S)//ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)/エットーレ・バスティアニーニ(Br)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/カルロ・マリア・ジュリーニ(cond.)
[EMI CMS 7 63628 2]

 余りにも有名な1955年5月28日の伝説的な公演の記録。ヴィオレッタ役として絶対的な高みにあつたカラスの絶唱が聴ける。第1幕、第2幕、第3幕と全く異なる表現で演じ切れたのはカラスだけである。一面的に見ればカラス以上の上手な歌手は沢山ゐるが、この難役を手中に収めてゐるのはカラスの他にはゐない。ところでカラスは何種類もの録音を残してをり、正直申せばこの公演が最高の歌唱であつたとは云へないのだが、総合点で矢張りこのジュリーニ盤は外せない。アルフレード役に相性の良いディ=ステファノ、ジェルモン役に偉大なるバスティアニーニを配してをり、「トラヴィアータ」でこれ以上の布陣はないからだ。しかし、一方で不満も多い。まずジュリーニの指揮は切れが悪く次第点程度だ。合唱は調子外れで、入りは滅茶苦茶。最悪である。録音は水準以下で歪みも大きい。聴衆の質も悪く音楽を妨害するやうな時もある。但し、録音とは関係のないことだが、演出をルキノ・ヴィスコンティが担ひ、カラスの容姿も一番輝いてゐた時期で、この公演が特別に語り種となつたのは故なきことではない。瑕は諸々と多いのだが、重要な3人の主役が揃つた点では当盤を超えるものはない。(2014.4.24)


ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」
マリア・カラス(S)/アルフレード・クラウス(T)/マリオ・セレーニ(Br)、他
リスボン・サン・カルロ歌劇場管弦楽団と合唱団/フランコ・ギオーネ(cond.)
[MYTO HISTORICAL LINE 00147]

 1958年3月27日のリスボンにおけるライヴ録音。EMIからも発売された音源だが、原テープからの復刻を謳ふ当盤はかなり音が鮮明だ。また、冒頭には放送用に収録されたカラスからのメッセージも入つてをり貴重だ。1950年後半になると酷使されたカラスの声は急激に不安定になつたが、ヴィオレッタでは流石に追随を許さない名唱を聴かせて呉れる。絶頂期の神々しさはないが、この公演では2幕以降の表現が深みを増してをり、高い評価を受けてゐるのも故なきことではない。若きクラウスの威勢の良い歌唱も素晴らしいが、やや直線的で硬く手放しでは称賛出来ない。ジェルモンのセレーニも健闘してゐる。ギオーネの指揮も管弦楽も水準が高く、総合的にも欠点が少なく、コヴェント・ガーデン盤と並んで一般に広く推奨出来る名演だ。(2016.2.11)


ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」
ロザンナ・カルテッリ(S)/チェーザレ・ヴァレッティ(T)/レナード・ウォーレン(Bs)、他
ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/ピエール・モントゥー(cond.)
[TESTAMENT SBT2 1369]

 1956年のRCA録音。モントゥーの数少ない歌劇録音なのだが、レペルトワールにヴェルディはなかつた筈で、このセッションに起用された経緯もよくわからない。しかし、結果は大変素晴らしい録音となつた。無論、イタリア・オペラの常套的な作法と異なる箇所もあり、総じて丁寧な指揮で物足りない箇所があるのは事実だ。管弦楽曲を振る時と同様、強弱の差は少なく堂々と立派に響かせることに砕心されてをり、テンポも穏健だ。だが、充実した仕上がりに感心させられて仕舞ふ。常套的なカットがあるが、概ね楽譜を遵守した演奏で誠実さが伝はる。何よりも歌手が歌ひ易いやうに献身的な伴奏が付けられてゐる。伴奏が良いからか歌手が活き活きと歌つてをり、夥しくある録音の中でも最も満足出来る歌唱の連続だ。大物ウォーレンのジェルモンが素晴らしいのは云ふ迄もないが、ヴァレッティのアルフレードが印象深い。万人を唸らせるのが難しい役だが、理想的な歌唱だと賞讃したい。勿論カルテッリも申し分ない名唱を聴かせて呉れる。初めて聴いた時は乗りの悪い演奏に感じるが、その実奥深い演奏だ。余白にウォーレンによる「トロヴァトーレ」「シモン・ボッカネグラ」「運命の力」のアリアが収録されてゐる。名唱だが蛇足だ。(2014.8.7)


ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」
アンナ・モッフォ(S)/リチャード・タッカー(T)/ロバート・メリル(Bs)、他
ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/フェルナンド・プレヴィターリ(cond.)
[RCA LIVING STEREO 88697720602]

 RCAリヴィング・ステレオ60枚組より。1960年の録音。当盤で最も高く評価したいのがプレヴィターリの指揮だ。上品かつ透明感のある響きで悲しみが惻々と胸に迫り理想的だ。精緻なアンサンブルも良い。テンポも妥当で、表情を様々に変へるリズム処理は名人藝だ。繊細な伴奏は完璧だと絶讃したい。だが、トラヴィアータの成否は主役歌手3人に懸かつてゐる。トスカニーニ盤でも名唱を聴かせたメリルのジェルモンは当盤でも素晴らしく最高級だ。モッフォとタッカーは演技力の観点から聴けば理想的だ。特に第3幕におけるモッフォの手紙を読む場面の巧さは別格で、第3幕のヴィオレッタに関して云へば最上のひとつだ。しかし、第1幕と第2幕で要求される声質を充たしてゐるとは云へない。録音のせいなのか全体的に声が細く小さいのも問題だ―分離の良いステレオ録音に拘泥はつた弊害か。総じて美しく整つた上品なトラヴィアータだが、歌としての魔力には欠ける録音なのだ。だが、忘れてはならない。モッフォのヴィオレッタと云へば、歌劇の進行そのままに映画として撮つた1968年製作の映像作品を指す。映画女優としても活躍した美貌で今もつて最も美しいヴィオレッタの記録を永遠に残して呉れた。モッフォにしか成し得なかつた傑作だ。(2014.8.18)


ヴェルディ:「シモン・ボッカネグラ」
ローレンス・ティベット(Br)/エリーザベト・レートベルク(S)/ジョヴァンニ・マルティネッリ(T)/エツィオ・ピンツァ(Bs)/レナード・ウォーレン(Br)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/エットーレ・パニッツァ(cond.)
[MYTO 981.H006]

 1939年1月29日、Metにおける公演の記録。偉大なるローレンス・ティベットのシモンが聴ける。実はティベットは己の為に録音を積極的に行つてをり、かうして記録が有難くも残つた訳だ。自在な表現と存在感ある歌唱は申し分ない。さて、ティベットも素晴らしいが、これだけ完璧な配役はまずあるまい。Met黄金期だけが成せる奇蹟的な布陣だ。フィエスコにエツィオ・ピンツァ、アメーリアにエリザーベト・レートベルク、ガブリエーレにジョヴァンニ・マルティネッリ、パオロにこの日がMet初登場だつたレナード・ウォーレンが名を連ねてゐる。マルティネッリが絶好調で、これ以上のガブリエーレは聴けまい。若武者ウォーレンが光つてをり、ティベットはかつてデヴューで主役アントニオ・スコッティを食つて一時代を築いたのを思ひ出し、世代交代の波をウォーレンに感じて、以後共演を避けたといふ。パニッツァの指揮は考へられる最上で、曲の息遣ひを具現化してゐる。出来に関して云へば絶対的な名演だ。だが、音が悪い。同時期の記録と比べても水準以下で一般には推薦出来ない。秘匿の1枚だ。余白に1935年のMetの記録でティベット、レートベルク、マルティネッリ、パニッツァはそのままで、第1幕フィナーレの録音が収録されてゐる。録音が更に劣るが内容は非常に良い。特にパニッツァの統率力が圧巻だ。(2016.7.24)


ヴェルディ:「シモン・ボッカネグラ」
レナード・ウォーレン(Br)/アストリッド・ヴァルナイ(S)/リチャード・タッカー(T)/ジュゼッペ・ヴァルデンゴ(Br)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/フリッツ・シュティードリー(cond.)
[Sony Classical 88883721202]

 1950年1月28日、Metにおける公演の記録。ティベットが事実上引退して、1940年代後半から1960年に舞台上で急死するまでウォーレンの時代となつた。Metの初舞台を鮮烈なパオロ役で踏んだウォーレンが、遂にシモンで錦を飾つた。朗々たる美声で聴かせるが、表情付けに幾分外連があり、構へ過ぎた嫌ひがある。素晴らしい歌唱だが、最上ではない。アメーリア役はヴァーグナー歌ひのアストリッド・ヴァルナイで、他の歌手を圧倒する強靭な歌唱を聴かせる。当盤の真の主役と云へる。リチャード・タッカーのガブリエーレも見事だが、かのマルティネッリの名唱には遠く及ばない。ファルスタッフ役で名を残したジュゼッペ・ヴァルデンゴのパオロはいま一つ存在感がない。ドイツ音楽を振ることが多かつたシュティードリーが、この公演で初めてヴェルディを振つた。無難な棒で面白みはない。Metのシモン・ボッカネグラは音こそ古いがティベットとパニッツァによる録音に尽きる。(2016.8.12)


ヴェルディ:「シモン・ボッカネグラ」
ティート・ゴッビ(Br)/ヴィクトリア・ロス=アンヘルス(S)/ボリス・クリストフ(Bs)、他
ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/ガブリエーレ・サンティーニ(cond.)
[EMI CMS 7 63513 2]

 稀代のバリトン、ゴッビが拘泥はつた役柄はシモン・ボッカネグラであつたさうだ。録音も複数残るが、これは条件の揃つたセッション録音で、必聴盤と云へる。役者ゴッビの名人藝が随所に聴け、声音を千変万化させる技量には陶然となる。取り分け悩ましげなsotto voceの老巧さは古今最高だ。しかし、だからと云つて当盤が決定盤かと問はれると、否と答へざるを得ない。豪華な配役にも関はらず、当たり役かだうか微妙な歌手ばかりで疑問が残る。まずは義兄弟での共演となつたクリストフによるフィエスコなのだが、メフィストやボリス・ゴドゥノフのやうに聴こえて仕舞ひ、時にはゴッビを食つて支配的になり困る。アメーリア役のロス=アンヘルスも清楚で美しいが、役柄の強さを欠いてゐる。サンティーニ指揮ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団は水準以上でよく纏まつてゐるが面白さはない。当盤はゴッビのシモンに酔ふ為にある。(2016.7.9)


ヴェルディ:「シモン・ボッカネグラ」
ティート・ゴッビ(Br)/ローランド・パネライ(Br)/ジョルジョ・トッツィ(Bs)、他
ウィーン・フィルと合唱団/ジャナンドレア・ガッヴァツェーニ(cond.)
[Gala GL 100.508]

 シモン・ボッカネグラに強く拘泥はつたゴッビには幾つか上演記録が残る。当盤は1961年のザルツブルク音楽祭での実況録音だ。ゴッビに関して云へば、セッション録音盤と同等、万全の歌唱を聴かせて呉れる。そして、総合的にはこのライヴ盤の方が断然感銘深い。理由はふたつある。第一にウィーン・フィルが素晴らしく、弦楽器主体の表情豊かな音楽は劇的さと美しさを両立させた極上の伴奏と云ひたい。第二は共演者が粒揃ひで、悪目立ちする歌手がなく主役ゴッビを引き立ててゐることだ。特に見事なのはフィエスコ役のジョルジョ・トッツィとパオロ役のローランド・パネライだ。アメーリア役のレイラ・ジェンチェルも嵌まり役で理想的な歌唱を聴かせて呉れる。もう少し声自体に魅力があれば申し分なかつただらう。ガブリエーレ役のジュゼッペ・ザンピエッリは健闘してゐるが魅力には乏しい。ガッヴァツェーニの指揮は満点だが、これはウィーン・フィルが主導した結果だと聴いた。屈指の名演だ。余白に1957年、カラヤン指揮の「ファルスタッフ」の一部が収録されてゐる。(2016.8.25)


ヴェルディ:「仮面舞踏会」
ユッシ・ビョルリンク(T)/アレクサンドル・スヴェト(Br)/ジンカ・ミラノフ(S)/ブルーナ・カスターニャ(Ms)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/エットーレ・パニッツァ(cond.)
[Sony Classical 88883721202]

 Met歴史的公演集20枚組より。1940年12月14日の記録。本命とも思はれるパニッツァ指揮による「仮面舞踏会」だが、歌手陣に光彩がなく成果は芳しくない。前奏曲での緩急付けて歌ひ込むパニッツァの棒は絶品で期待が高まるのだが、堅物で鈍重なビョルリンクと暗く覇気がないスヴェトの歌唱ではだうにも音楽が沸き立たない。オスカル役のステッラ・アンドレーヴァも華を添へるに至らない。カスターニャのウルリカは健闘してゐる。素晴らしいのはミラノフだ。強さと清らかさが融合した歌唱で気焔を吐く。合唱と管弦楽はパニッツァの統率の下、空前絶後の燃焼を聴かせて呉れる。だが、パニッツァの実力はこの程度ではないのだ。Tutti以外では飛び跳ねるやうな音楽の息吹を感じられらないのが残念である。(2022.7.3)


ヴェルディ:「仮面舞踏会」
ベニャミーノ・ジーリ(T)/ジーノ・ベッキ(Br)/マリア・カリーニャ(S)/フェドーラ・バルビエーリ(Ms)、他
ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/トゥリオ・セラフィン(cond.)
[Naxos Historical 8.110178-79]

 戦中1943年に録音された名盤。「仮面舞踏会」の初録音である。ジーリはヴェルディでの全曲録音は少なく、成程リッカルドはジーリ向きの役だ。堅苦しくなく大胆で、清明さがある一方で色気がある歌唱は他の歌手にはない一種特別な持ち味だ。一般的な歌唱との違ひから最初は戸惑ふかも知れぬが、ジーリの妙技にやがて感服することだらう。ジーリと組んで名盤を幾つも制作したベッキのレナートとカリーニャのアメーリアも次第点だ。バルビエーリが歌ふウルリカが極上だ。エルダ・リベッティのオスカルが愛らしく、華がある。特筆したい。さて、この録音ではセラフィンが起用されてをり、非常に上質な音楽が保証されてゐる。柔軟に歌ふ管弦楽の呼吸の巧さに舌を巻く。ジーリとセラフィンは「レクィエム」「仮面舞踏会」「アイーダ」と忘れ難き傑作名盤を残した。音質もマーストンの最上級の復刻で古さを感じさせない。余白に様々な歌手の録音が収録されてゐるが、ひとつとしてセラフィン盤の魅力に敵ふものはない。(2022.5.27)


ヴェルディ:「仮面舞踏会」
ジャン・ピアース(T)/ヘルヴァ・メッリ(S)/ロバート・メリル(Bs)、他
NBC交響楽団と合唱団/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.)
[RCA 88697916312]

 トスカニーニRCA録音全集84枚組。1954年1月の録音で、この年に引退するトスカニーニにとり最後の歌劇録音であつた。トスカニーニは4歳の時に劇場で「仮面舞踏会」を聴いて音楽家人生が始まったといふ。そして、引退直前にやり残した仕事があると云つて「仮面舞踏会」上演に最後の情熱を捧げた。これが最後のオペラの指揮であることを示唆してゐたさうだ。正しくトスカニーニ伝説を飾る演目といふ訳だ。演奏は贔屓目なしに最高で、音質も良く細部まで拘泥はつて演奏されてゐるのがわかる。特にオーケストラの精度は満点で、これ以上はあるまい。合唱も素晴らしい。音楽の流れも良く、トスカニーニ晩年の硬さもない。詰まり、この作品の理想的な演奏と云つても良いのだが、矢張りオペラの良し悪しを決定するのは主役歌手らなのだ。ネッリのアメーリアが素晴らしく、特に第3幕アリアは見事だ。メリルのレナートも良からう。だが、ピアーズが何とも野暮つたくリッカルド向きではない。他の役も小粒で大人しい。歌手は二の次でマエストロの藝術が中心なのは他の録音と変はらない。(2022.7.21)


ヴェルディ:「仮面舞踏会」
ジャン・ピアース(T)/ロバート・メリル(Br)/ジンカ・ミラノフ(S)/マリアン・アンダーソン(A)/ロバータ・ピーターズ(S)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/ディミトリス・ミトロプーロス(cond.)
[RCA&SONY 194398882529]

 驚天動地の偉業と絶讃したいミトロプーロス録音全集69枚組。この全集に特別に収録されたライヴ録音だ。ミトロプーロスはライヴ録音を他にも沢山残してゐるが、これは以前SONY CLASSICALがMetオペラ・シリーズでCD化して版権を持つた経緯でここに併録されたものと思はれる。1955年12月10日、Metの公演記録でアンダーソンのウルリカが評判を呼んだ。ピアースとメリルの組み合はせはトスカニーニ盤と同じで、メリルは素晴らしいが、ピアースには感心しない。ミラノフは当たり役だが衰へを感じずにはゐられない。さて、本当に見事なのはミトロプーロスの棒である。細部まで表情豊かに仕上げてをり、音楽の流れも絶品だ。歌手たちも自然に呼吸出来てゐる。とんでもない才能だ。(2022.8.18)


ヴェルディ:「仮面舞踏会」
ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)/ティト・ゴッビ(Br)/マリア・カラス(S)/フェドーラ・バルビエーリ(Ms)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/アントニーノ・ヴォットー(cond.)
[Warner Classics 0825646340873]

 愛好家必携のオリジナル・ジャケットによるスタジオ録音リマスター・エディション69枚組。1956年のモノーラル録音。数々の名盤を残したカラス、ディ=ステファノ、ゴッビの黄金の布陣はこれが最後となつた。内容は全てが水準以上の満足し得る出来栄え乍ら、何故か嵌つた感が薄い。切々と歌ひ上げるカラスのアメーリアは勿論見事だ。しかし、どことなく厳し過ぎる。ディ=ステファノのリッカルドは陽気過ぎて恰幅が足りない。ゴッビのレナートは後半の心理描写が流石の巧さで、第2幕の「アメーリア!」の表現は千両役者と讃へたい。しかし、悪人ではないレナート役としては全体に陰が有り過ぎるのだ。当盤でもバルビエーリのウルリカが決定的名唱を聴かせる。唯一の嵌り役だ。オスカル役のラッティは物足りない。スカラ座の演奏は最上級だ。しかし、ヴォットーの指揮にはこれと云つた閃きはなく、良くも悪くもない。(2022.6.9)


ヴェルディ:「仮面舞踏会」
ルチアーノ・パヴァロッティ(T)/レナータ・テバルディ(S)/シェリル・ミルンズ(Bs)、他
ローマ聖チェリーリア国立音楽院管弦楽団と合唱団/ブルーノ・バルトレッティ(cond.)
[DECCA 4781535]

 テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1970年の録音でテバルディが参加した最後の歌劇全曲録音である。その為、テバルディのアメーリアに関しては往年の輝きを求めることは出来ない。非常に巧みに歌つてをり気になる衰へなどは感じられない。だがしかし、潤ひや活気は確実に失はれてをり、共演者らに比べると物足りなさがあるのだ。一方、若きパヴァロッティこそが立役者で、斯様に嵌つたリッカルドはジーリ以来だ。巧みさではジーリには及ばないものの理想的な歌唱で一般的には第一に推したい。ヘレン・ドーナトが歌ふオスカルが愛らしくて良い。だが、ミルンズのレナートが埋もれてをり魅力がない。バルトレッティの指揮が見事で管弦楽と合唱の見事さは特筆したい。デッカの優秀録音で全体的には欠点が少なく最上位に置かれて良いだらう。(2022.8.3)


ヴェルディ:「ドン・カルロ」
エットーレ・バスティアニーニ(Br)/ボリス・クリストフ(Bs)/アントニエッタ・ステッラ(S)/フィオレンツァ・コッソット(Ms)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/ガブリエーレ・サンティーニ(cond.)
[DG 437 730-2]

 後期作品中でも充実した深みのある作品なのだが、ヴェルディが改訂を重ねた為にフランス語初演版、イタリア語改訂版、5幕版、4幕版、多様な選択肢があり、決定的なものがないことで不遇をかこつてきた作品だ。更に上演時間が長大で、重要な配役が多く理想的な上演が難しいことも挙げられよう。残された録音も版が様々で単純な比較が難しく、決定盤を選出するのが不可能だ。そんな中で1961年に録音された当盤は歌手が揃つてをり最上位に置かれてよい名盤である―イタリア語による5幕版だ。「ドン・カルロ」の最も重要な配役は標題役よりもポーサ侯爵ロドリーゴであり、フィリッポ2世であり、楽曲の魅力においてエボリ公女にある。ロドリーゴ役はヴェルディ作品で次々と金字塔を打ち立てた比類なきバスティアニーニで、これ以上の格調高いロドリーゴは望めまい。当盤の立役者だ。クリストフのフィリッポも風格満点で特にアリアは絶唱だ。コッソットのエボリが素晴らしい。嗜虐的にならない歌唱は品位があり理想的だ。イヴォ・ヴィンコの大審問官も見事。エリザベッタを歌ふステッラも良く、ドン・カルロ役のフラヴィアーノ・ラボーも健闘してゐる。これだけ嵌り役を揃へ不足の少ない録音はない。サンティーニの指揮は特色が薄く面白みはないが、歌合戦の献身的な演出に徹してをり寧ろ理想的と云へる―サンティーニには7年前にも録音がある。ミラノ・スカラ座管弦楽団の引き摺らない絶妙な音響はヴェルディの神髄で流石だ。(2013.8.24)


ヴェルディ:「オテロ」
ラモン・ヴィナイ(T)/ヘルヴァ・ネッリ(S)/ジュゼッペ・ヴァルデンゴ(Br)、他
NBC交響楽団/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.)
[Guild Historical GHCD 2275/7]

 「オテロ」の決定的名盤としてRCAより繰り返し発売されて来た余りにも有名な録音と全く同一の演奏である。このGuild盤と本家RCA盤との違ひは2つある。この録音はSPからLPへの過渡期に行はれた為、マスターテープ作製時に試行錯誤があつた。結果として市販されたLPは度重なるマスター複製の為に音質が劣化してゐたさうだ。それと云ふのも、実は先行してSPによるテスト・プレスがあり、そちらは極上の音であつたからだ。当盤はそのSPからの復刻で、音質が改善されてゐる。放送用のアナウンスと聴衆の拍手も完全収録されてをり、臨場感溢れる決定的な復刻と云へる。もうひとつの違ひは公開演奏の前日と前々日のリハーサル―第3幕―がCD1枚分に亘つて収録されてゐることだ。演奏の素晴らしさは述べるまでもない。オテロ歌ひとして一世を風靡したヴィナイの堂々たる名唱、千両役者ヴァルデンゴの名唱、そしてマエストロ・トスカニーニの精巧かつ圧倒的な統率力。全てが最高だ。(2009.7.5)


ヴェルディ:「オテロ」
ジョヴァンニ・マルティネッリ(T)/エリーザベト・レートベルク(S)/ローレンス・ティベット(Br)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/エットーレ・パニッツァ(cond.)
[Naxos Historical 8.111018-19]

 1938年2月12日のメトロポリタン歌劇場の上演記録。溜息が出るやうな豪華な布陣。Metが誇るドラマティコ、マルティネッリはこの記録の前々年、満を持してオテロを歌ひ絶賛を浴びた。冒頭から漲る雄々しい情感。斯様に輝けるオテロの歌唱を聴くことは滅多になく、タマーニョ以来と云つてよい。SP盤で絶対的な名唱を残したレートベルクのデズデモーナを聴くことは愛好家の念願である。含蓄ある歌唱には頭が下がる。役者ティベットのイアーゴも老巧で見事だ。特に素晴らしいのはパニッツァの指揮だ。トスカニーニの薫陶を受けたMetの重鎮が畳み掛けるやうな推進力で聴く者を圧倒する。合唱における噴流のやうな荒々しい生命力は極上だ。当盤は数多いオテロの録音の中で役者が揃つた最も感銘深い録音である。録音状態を度外視すれば、トスカニーニ盤を凌駕する決定的演奏だ。(2007.8.30)


ヴェルディ:「オテロ」
ラモン・ヴィナイ(T)/リチア・アルバネーゼ(S)/レナード・ウォーレン(Br)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/フリッツ・ブッシュ(cond.)
[PREISER RECORDS 90377]

 トスカニーニとフルトヴェングラーの両巨匠の指揮でオテロを歌つた大物ヴィナイには、名指揮者ブッシュとの1948年の上演記録もある―他にビーチャムとの記録もあるさうだ。フルトヴェングラーとの録音は他の歌手が小粒で全く面白くない。矢張りトスカニーニとの記念碑的な演奏が別格だ。さて、ブッシュ盤だがトスカニーニ盤に肉迫する一期一会の名演なのだ。ヴィナイの歌唱は甲乙付け難い。ウォーレンのイアーゴは見事だが、ヴァルデンゴの方がより性格描写の深みがあつた。素晴らしいのはトスカニーニから贔屓にされたアルバネーゼだ。ヴィオレッタやミミよりもデズデモーナの声質に合つてゐる。第3幕から第4幕にかけての痛切な歌唱は真に迫り、絶命の場面の演技力は随一だらう。ブッシュの指揮が素晴らしく、悲劇性を高める起伏のある棒は流石だ。Metの管弦楽と合唱は万全だが、同じMetを怒濤のやうに煽つたパニッツァ盤が忘れ難い。歌手ではパニッツァ盤が最高だが音が古い。総合的な完成度ではトスカニーニ盤だが、深刻な心理劇を抉つたブッシュ盤の素晴らしさを讃へよう。(2009.9.8)


ヴァーグナー:「さまよへるオランダ人」
ハンス・ホッター(Bs-Br)/アスリッド・ヴァルナイ(S)/セット・スヴァンホルム(T)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/フリッツ・ライナー(cond.)
[Naxos Historical 8.110189-90]

 1950年のMetにおける一期一会の「オランダ人」。稀代のヴァーグナー歌手が顔を揃へたと云ふ理由ばかりではない。オランダ人役ホッターはこれがMetデビューであり、ゼンダ役ヴァルナイとエリック役スヴァンホルムはそれぞれの役に初挑戦であつたから馴れ合ひの仕事などではない。各人が一種異様な昂揚を内に秘め、思ひのたけをぶつけてゐる。役者は揃つた。悪からうはずがない。弛緩がなく、緊張感が漲つてゐるが、これはライナーの剛直な棒に因るところが大きい。この歌劇は荒ぶれた演奏の方が栄える。合唱団も立派で「オランダ人」の屈指の名演と云へる。しかし、余裕がなくて嫌ひだ、と云ふ方もゐるだらう。(2004.6.27)


ヴァーグナー:「トリスタンとイゾルデ」
ラウリッツ・メルヒオール(T)/キルステン・フラグスタート(S)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/アルトゥール・ボダンツキー(cond.)
[Sony Classical 88765427172]

 Met歴史的公演集25枚組より。今回、正規盤初発売となつた1938年4月16日の公演で、この箱物の最大の目玉である。結論から申せば、録音の古さは如何ともし難いが、タイトルロール2名に関しては決定的で、これ以上は1936年のコヴェントガーデンでの両者の共演盤のみが比較されるだけだ。何といつてもメルヒオールのトリスタンが素晴らしく、柔らかく広大で英雄的な声量と慈しむやうな甘い声音を縦横に駆使し、他の歌手を大きく突き放す。フラグスタートのイゾルデは勿論決定的で、後年のフルトヴェングラー盤が問題にならないくらゐ素晴らしい。そして、この両者の歌唱を著しく高めてゐるのがボダンツキーの動的な棒だ。フルトヴェングラーの神韻縹渺とした世界とは全く方向性を異として、躍動的で情念的で起伏が大きい。基本のテンポは速く、煽るやうな時もあるが、歌手の呼吸を汲み取り、緩急の差が見事だ。雄渾なヴァーグナーを聴かせた巨匠の至藝に圧倒される。コヴェントガーデンでのライナーも比ではない。その他の歌手も粒揃ひで全体としては最上級の名演である。唯ひとつ、音質が古く万人に薦められないのが玉に瑕だ。(2019.4.30)


ヴァーグナー:「トリスタンとイゾルデ」
ルートヴィヒ・ズートハウス(T)/キルステン・フラグスタート(S)/ヨーゼフ・グラインドル(Bs)/ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)、他
フィルハーモニア管弦楽団/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
[EMI 0777 7 47322 8 4]

 語り尽くされた究極の名盤。フルトヴェングラーが自身の録音活動において最高傑作と自負したレコード史に燦然と輝く偉業である。オペラともなると完全無欠な録音は難しいのだが、「トリスタンとイゾルデ」では未だにフルトヴェングラー盤は超えられてゐない。勿論、他盤の方が部分的には優れてゐる点もある。例へば、肝心のトリスタン役のズートハウスは確かにメルヒオールの偉大さには足元にも及ばないかも知れぬ。フラグスタートは決まつてゐるが、若き日の絶頂期の歌唱と比べると老ひは明らかだ。英國のフィルハーモニア管弦楽団が申し分ない演奏をしてゐるとは云へ、巨匠の手兵ベルリン・フィルを起用出来てゐたら、より幽玄な音が聴けたに違ひないなどと高望みが始まる。フルトヴェングラーこそ最高なのだが、セッション録音としての彫琢があり、商品としては見事だが、巨匠ならではのデモーニッシュな憑依が恋しくなる。だが、これだけは確と云へる。他盤を聴くと騒がしかつたり、暑苦しかつたり、薄つぺらだつたり、情念の欠片がなかつたり、とフルトヴェングラー盤にあるものがない。神秘的で秘匿な禁断の情感、古色蒼然として前近代的な響き、これこそフルトヴェングラーがこの録音に刻印したもので、第2幕の愛の二重唱では取り分け次元の異なる世界観を聴かせて呉れる。これが肝で、矢張りこれに尽きる。(2018.12.17)


ヴァーグナー:「トリスタンとイゾルデ」
ルネ・コロ(T)/マーガレット・プライス(S)/クルト・モル(Bs)/ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)、他
シュターツカペレ・ドレスデン/カルロス・クライバー(cond.)
[DG 00289 483 5498]

 クライバーのDG録音全集12枚組オリジナル・ジャケット仕様の愛蔵盤。幕ごとが各1枚に収まり3枚で聴けるのは音楽的にも嬉しい。それだけ、耽溺することなく見通しの良い演奏であることがわかる。クライバーの存在感が大きく、細部まで仕上げた手腕が随所に確認出来る。前奏曲の中盤から次第に熱気を帯び、聴き手を飲み込むやうな昂揚が特徴だ。全体は灰汁がなく、さらりとして冷静なヴァーグナーであり、時折、動的な情熱が燃え盛り起伏を付ける。最大の特徴は引き摺るやうな沈着がないことだ。シュターツカペレ・ドレスデンの派手過ぎない響きがクライバーの要求に見事に応へてゐる。歌手ではプライスのイゾルデが非常に個性的で特筆される。猛烈さがない為、一種特別な凛としたイゾルデであり、清涼剤となり得る。コロのトリスタンはだうも格好が悪い。甘い部分はそれなりに良いのだが。クルヴェナール役のフィッシャー=ディースカウは流石に上手いが、若き日のフルトヴェングラー盤での出来栄えを超えられたかと問はれると厳しい。ブランゲーネ役のブリギッデ・ファスヴェンダーが大変素晴らしい。詰まり女性陣は見事だが、男性陣に不満が残る。総合で見ると、小手先の上手さがあり、洗練された名盤だが、結局フルトヴェングラー盤を超えてはゐない。(2019.1.6)


ヴァーグナー:「ラインの黄金」
フェルディナンド・フランツ(Bs)/エリザベート・ヘンゲン(S)、他
ミラノ・スカラ座管弦楽団/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
[Gebhardt JGCD 0018-12]

 1950年3月の伝説的な「指環」上演記録。特筆すべきは独GebhardtによるCD化で、時代相応とは云へ、音質で当盤を凌ぐものはなくスカラ座の「指環」の決定盤である。フルトヴェングラーが戦後に残した2種の「指環」の録音はイタリアでの記録だが、伝統あるスカラ座の演奏は申し分なく、ゲルマン神話の深淵を見事に奏でてゐる。何と云つてもフルトヴェングラーの魔神のやうな指揮が唯一無二で、劇的なうねりは特別な世界だ。特に「ラインの黄金」は抜きん出た内容で、悠久たる音楽が官能的に膨らんで行く冒頭から呑込まれて仕舞ふ。巨人族の登場場面の荒ぶれた重厚感は唯事ではない。「ラインの黄金」だけなら当盤を最上としたいのだ。歌手は玉石混淆だが、総じて素晴らしい。フランツのヴォータンも見事だが、ペルネルシュトルファーによるアルベルヒの暗い情熱が印象深い。(2007.11.24)


ヴァーグナー:「ヴァルキューレ」第1幕、ジークフリートの葬送行進曲
セット・スヴァンホルム(T)/キルステン・フラグスタート(S)/アールノド・ヴァン・ミル(Bs)
ウィーン・フィル/ハンス・クナッパーツブッシュ(cond.)
[Decca 466 678-2]

 クナッパーツブッシュの代表的名盤であり、役者が揃つた稀有な録音だ。何よりもクナッパーツブッシュの古色蒼然として荘厳な指揮が無上に素晴らしい。ウィーン・フィルも常日頃の優美な音色に頼ることなく、渋みのある響きで詠嘆に沈み込む趣が見事だ。歌手も豪華な布陣だ。難癖を付ければスヴァンホルムとフラグスタートはジークムントとジークリンデには威厳があり過ぎ、役柄としてはジークフリートとブリュンヒルデが似つかわしい。特にフラグスタートは最晩年の録音で、声質が重くなり若やぎに欠ける。情熱的なヴァルターの指揮、官能的なレーマン、絶対的なメルヒオールによる古いSP録音の方を僅かだが上位におきたい。(2006.12.7)


ヴァーグナー:「ジークフリート」
キルステン・フラグスタート(S)/ラウリッツ・メルヒオール(T)、他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/アルトゥール・ボダンツキー(cond.)
[Music&Arts CD-696]

 1937年1月30日、Metにおける伝説的な公演。史上最高のジークフリート歌ひメルヒオールによる圧倒的な歌唱は破格だ。第1幕の鍛冶の歌の壮絶な声量を1度聴いたら、他の歌手はもう聴けまい。第3幕までメルヒオールは疲れなど知らず、野生児ジークフリートの化身となり聴く者を痺れさす。当盤は「ジークフリート」の決定的な名演であると太鼓判を押さう。理由はメルヒオールだけではない。ブリュンヒルデを全盛期のフラグスタートが歌ひ、さすらひ人をフリードリヒ・ショルが歌ひ、ファーフナーをエマニュエル・リストが歌ふ。これだけ役者が揃つた上演はないだらう。ミーメ役のラウフケッターも最高だ。何よりもMetの重鎮ボダンツキーが畳み掛けるやうな気魄で全体を牽引し、荒ぶれた楽劇を豪快に演出してゐるのが素晴らしい。第2幕や第3幕の冒頭は怒濤のやうだ。唯一の難点はボダンツキーが慣例で用ゐたカットが多岐にあることで、五月蝿い聴き手からは文句が出よう。しかし、冗長なと誹りを受け易い楽劇だけに、各3幕がそれぞれ1枚のCDに収まるのは有難いと考へる向きもあらう。寧ろ「ジークフリート」を最も楽しめる演奏であると云ひたい。音のバランスが良いとされるM&A盤を運良く入手出来たが、NaxosやGuildからも同じ内容で廉価で発売されてをり、正直大差はない筈だ。(2009.2.25)


ヴァーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
パウル・シェフラー(Bs)/エーリヒ・クンツ(Br)/ルードヴィヒ・ズートハウス(T)、他
バイロイト祝祭管弦楽団と合唱団/ヘルマン・アーベントロート(cond.)
[PREISER RECORDS 90174]

 1943年7月16日の上演記録。この年バイロイトはマイスタージンガー一色に染まつた。大戦中の財政難で演目を絞らざるを得ない事情があつたが、世界に冠たるドイツ音楽藝術を称揚するナチスの思惑と合致し、兵士を慰労すると云ふ名目上で大々的な肝煎が行はれた。指揮を担当したのはナチスに非協力的であつたフルトヴェングラーとアーベントロートであるのが興味深い。両者共に録音が残るが、上演の大半を指揮したアーベントロートの録音は欠落なしの完全な記録であるのが有難い。ザックスにシェフラー、ヴァルターにズートハウス、ベックメッサーにクンツを揃へた得難い配役で、質実剛健たるアーベントロートの指揮もこの上もなく見事だ。確信に充ちたアゴーギクの凄みも特筆したい。マイスタージンガーの録音で最右翼を占める極上の名盤で、古き良きドイツの音楽を伝へてくれる。(2007.1.15)


ヴァーグナー:「パルジファル」
ヴォルフガング・ヴィントガッセン(T)/ヘルマン・ウーデ(Br)/マルタ・メードル(S)/ジョージ・ロンドン(Br)/アルノルト・ヴァン・ミル(Bs)/ルードヴィヒ・ヴェーバー(Bs)、他
バイロイト祝祭管弦楽団と合唱団/ハンス・クナッパーツブッシュ(cond.)
[TELDEC 9031-76047-2]

 1951年は敗戦の為に中断されてゐたバイロイト音楽祭が再開された年で、祝賀記念として演奏されたフルトヴェングラー指揮による第9交響曲の録音は余りにも有名である。楽劇上演ではバイロイト初登場となつたクナッパーツブッシュとカラヤンが指揮を担つた。ナチス嫌ひを公言して憚らなかつた為だらう、ヴァグネリアンの末裔たるクナッパーツブッシュの出演は遅きに過ぎた位だ。以後、力尽きる1964年まで毎年―諍ひが元で出演を拒否した1953年を除く―「パルジファル」の上演を担当した。それは儀式と呼ぶに相応しい。クナッパーツブッシュによる「パルジファル」の録音は10種類発売されてをり、聴き手の好みにもよるが、Deccaの優秀な録音による1951年盤は価値が高い。演奏自体は生気が乏しいと世評は芳しくないが、主役格の歌手が充実してをり、ヴィントガッセン、ウーデ、メードルらが素晴らしい歌唱を聴かせる。1951年盤の復刻は沢山出てゐるが、豪華なブックレットが付く本家TELDEC盤を密かに重宝してゐる。(2006.9.24)



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