楽興撰録

歌劇のCD評

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ベートーヴェン:「フィデリオ」/キルステン・フラグスタート(S)/アレクサンダー・キプニス(Bs)/メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/ブルーノ・ヴァルター(cond.)、他 [Naxos Historical 8.110054-55]
1941年2月22日の伝説的な放送音源。「フィデリオ」の名盤と云へば、フルトヴェングラーやトスカニーニによる録音を挙げることも出来るが、些か録音状態の優れないヴァルターのMet公演を最上にしたい。全ての部分といふ訳にはいかないが、少なくとも第1幕で当盤を凌ぐ演奏はない。冒頭の序曲から唯事ではない気魄が漲つてをり、ヴァルターの激情が最高潮に達してゐることを窺はせる。続く二重唱も畳み掛けるやうなテンポで生気に満ち溢れてゐる。フィデリオを当り役としたフラグスタートとロッコを歌ふキプニスの存在感は圧倒的で、これ以上を望むべくもない。惜しむらくは、第2幕前半―地下牢の場面の感銘が劣ることだ。これはフロレスタン役ルネ・メゾンの力量不足に因る。暫し緊張感が途切れるが、挿入された「レオノーレ」序曲第3番でヴァルターが渾身の音楽を聴かせ、再び燃え上がる。その勢ひは沸騰寸前の熱いフィナーレへと感動的に続く。第2幕後半でもヴァルター盤を凌ぐ演奏を聴いたことがない。(2008.3.13)

ベートーヴェン:「フィデリオ」/デラ=カーサ(S)/パツァーク(T)/ショック(T)/フランツ(Br)/エーデルマン(Bs)/ウィーン・フィル/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)、他 [Tahra FURT 1047-1048]
1948年8月3日のザルツブルク音楽祭における上演記録で、残念ながら第1幕の第5曲目から第8曲目に欠落があるが、音質は水準以上である。フルトヴェングラーの指揮した「フィデリオ」は正規録音の他に4種のライヴが残り、当盤は最も古い記録である。シュリュターが歌ふレオノーレが幾分役不足の感を否めないが、他の歌手は大物が揃つてをり、特に第1幕は聴き応へがある。パツァークが歌ふフロレスタン、フランツが歌ふドン・ピツァロは取り分け見事だ。第1曲目から猛然とストレッタをかけるフルトヴェングラーの指揮もデモーニッシュこの上ない。レオノーレ序曲第3番も一際抜きん出た名演だ。(2006.12.23)

ベートーヴェン:「フィデリオ」/マルタ・メードル(S)/ヴォルフガング・ヴィントガッセン(T)/オットー・エーデルマン(Bs)/ウィーン・フィルと合唱団/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)、他 [EMI CHS 7 64496 2]
フルトヴェングラーがセッションで残したオペラ全曲録音は3つだけである。伝説的な「トリスタンとイゾルデ」と巨匠最後の録音活動となつた「ヴァルキューレ」、そしてこの「フィデリオ」だ。自家薬籠中としたフィデリオの録音はライヴでも4種類を数へ、この1953年のセッション録音を始める前日のライヴ―当盤と同じ布陣で―もあるが、現在復刻盤はないやうだ。最初の序曲から決定的名盤を作らうといふ巨匠の意気込みがひしひしと伝はつて来る。ユリナッチのマルツェリーネが可憐で素晴らしい。フリックが歌ふロッコも名唱だ。第1幕は非常に充実してをり主席に置いても良いだらう。しかしだ、レオノーレ役のメードルは実に良く歌つているが、フラグスタートと比べて仕舞ふと遜色がある。更に好き嫌ひはあるだらうが、フロレスタンはヴィントガッセンよりもパツァークの方が嵌つてゐる。つまり、1950年のライヴ盤を超える演奏ではない。特に第2幕の求心力の欠如は歌手の力によると思はれる。管弦楽の高貴さは比類なく、フルトヴェングラーの魔力が随所に感じられるが、残念ながら主役2名の歌唱は次第点程度であり、画竜点睛を欠く録音と云へる。(2013.1.4)

ビゼー:「カルメン」/ベルリン・グラモフォン管弦楽団/エミー・デスティン(S)/カール・イェルン(T)/ヘルマン・バッハマン(Br)/ブルーノ・ザイドラー=ヴィンクラー(cond.)、他 [Supraphon 11 213-2 600]
ボヘミアの生んだプリマ・ドンナ、デスティンの全録音をチェコ・ウルトラフォン・レーベルが使命感をもつて復刻した12枚組の箱物。流通はスプラフォンが代行してゐるものと思はれる。7枚目と8枚目はデスティンが標題役を歌つた「カルメン」である。デスティンの名はこの録音によつて今日に伝はると云つても過言ではない。これは録音史上最初の「カルメン」だからだ。G&Tレーベルへ1908年に録音された太古の記録だが、かなり本格的な企画で驚嘆を禁じ得ない。録音技術上、大きな困難を伴つた管弦楽だけの前奏部や後奏部などは悉くカットが施されてゐるとは云へ、ギロー版即ちグランド・オペラ版でほぼ全曲を曲り形にも吹き込んだ労作なのだ。但し、ひとつ問題がある。ドイツ語歌唱なのだ。最初の「カルメン」がフランス語ではなく、ドイツ語の録音であつたといふのは第一次世界大戦前の情勢を鑑みれば何とも皮肉に映る。歌手では主役のデスティンが光彩を放つ。デスティンはソプラノであり必ずしも適役ではないのだが―実際2曲ばかり代役が歌つてゐる―歌唱力、表現の点において傑出してをり、第2幕終曲での奔放な振る舞ひは天晴だ。だが、その他の歌手は凡庸だ。デスティン以上に労ひたいのが指揮者のザイドラー=ヴィンクラーだ。今日においては最早、この「カルメン」は最初の録音といふ記録的な意味しかないのだが、レコード黎明期に金字塔を打ち立てた手際の良さには賞讃を惜しまない。(2011.8.1)

ビゼー:「カルメン」/ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/ベニャミーノ・ジーリ(T)/エベ・スティニャーニ(S)/リーナ・ジーリ(S)/ジーノ・ベッキ(Br)/ヴェンチェンツォ・ベレッツァ(cond.)、他 [OPERA D'ORO OPD-1278]
我が最愛のテノール、ジーリは大量の歌劇全曲録音を残して呉れた。セッション録音ではプッチーニが3曲、ヴェルディが2曲、ヴェリズモ作品が3曲、そして「カルメン」である。「カルメン」を除いてNaxos Historicalから優れた復刻があつた。当盤はイタリア語歌唱といふこともあり、また、全てのジーリの録音に云へることだが、ジーリだけが突出してをり、殆ど独り舞台の様を呈してゐることから、今日では殆ど価値を見出せない録音だといふことは否めない。だがしかし、ジーリの歌ふドン・ホセの魅力には抗し難い。特有の泣き節が随所に聴かれるジーリ独自の世界が築かれてをり、嗚咽のやうな泣きで幕切れを締めくくるのは好みが分かれるだらうが、「花の歌」の切ない歌唱は魔法のやうに心に溶け込んでくる。当盤は丁寧に聴くと、他にも面白みが幾つかある。スティニャーニのカルメンは申し分無く充実してをり、ベッキのエスカミーリョも立派だ。注目はミカエラを歌ふジーリの愛娘リーナで、燃え尽きて仕舞ひさうな情熱的な歌唱を披露する。雄弁な父娘の二重唱は微笑ましき共演を超えた、聴き手に迫る見事な歌唱なのだ。(2011.8.24)

ビゼー:「カルメン」/オペラ・コミーク国民劇場管弦楽団と合唱団/ミシェル(Ms)/アンジェリカ(S)/ジョバン(T)/ダンス(Br)/アンドレ・クリュイタンス(cond.)、他 [EMI CMS 5 65318 2]
夥しい「カルメン」全曲の録音の中で度々推挙されて来た名盤である。それは当盤が初演の版、即ちオペラ・コミーク版での数少ない録音だからだ―原典重視の昨今、レチタティーヴォを排した台詞入りでの上演が主流となつたが、実際は折衷版が多い。そればかりではない、正に初演と同じオペラ・コミーク劇場の人員による演奏で、純然たるフランス人歌手を揃へ、ベルギー出身だがフランス人以上にフランス音楽を得意としたクリュイタンスの指揮で本場の伝統藝を味はへることはそれだけで価値のあることだ。演奏は風雅かつ小粋で、殊にフランス語の発声の美しさといふ点で当盤を超えるものはひとつもない。しかし、当盤をもつて決定盤とするには躊躇ひがある。最大の問題点はカルメン役ミシェルの役作りが弱いといふことだ。歌唱は見事なのだが、如何せん小粒で綺麗に纏め過ぎたといふ嫌ひがある。魔性の女カルメンの魅惑こそがこのオペラの生命線であるから、致命的なことなのだ。他の歌手にも同様のことが云へるが差して難癖を付ける謂れはない。もうひとつは肝心のオペラ・コミーク管弦楽団と合唱団の技量が並程度で、薄手な感じを否めない。クリュイタンスの華やかな指揮が素晴らしいだけに画竜点睛を欠く。彼方を立てれば此方が立たず。(2011.6.29)

ビゼー:「カルメン」/パリ国立歌劇場管弦楽団/ルネ・デュクロ合唱団/ジョルジュ・プレートル(cond.)/ニコライ・ゲッダ(T)/マリア・カラス(S)、他 [EMI 3 95918 2]
20世紀において最も高名なディーヴァであつたカラスの全スタジオ録音を集成した69枚の箱物より。カラスは舞台でカルメンを歌つたことは一度もなかつた。カルメンはメッゾ・ソプラノの役であり、カラスが歌はなかつたのは当然と云へば当然なのだが。しかし、カラスのカルメンは驚くほど見事な嵌り役である。奔放で阿婆擦れな魔性の女として、カラスほど大胆な表情を付けた歌手はゐない。威嚇するやうな声質もカルメンに打つてつけである。カラスは既に全盛期を過ぎてゐた筈だが、衰へを全く感じさせない。数々のフランス・オペラで名唱を残したゲッダのホセも素晴らしい。その他の配役は幾分小粒とは云へ不足はない。アンドレア・ギオーの可憐なミカエラはカラスのカルメンと絶好の対比を作つてゐる。カラスと並んでプレートルの指揮が極上だ。冒頭の前奏曲から音楽が吹つ切れてをり天晴だ。眩い色彩感と鮮烈なリズム感を備へつつ、歌と一体となつた呼吸が自然で間然するところがない。優秀なステレオ録音で、カラスの録音の中では特上である。夥しく録音があるカルメンだが、ギロー版即ちグランド・オペラ版のカルメンではこのカラス盤が最高だらう。(2011.4.20)

シャルパンティエ:「ルイーズ」/ニノン・ヴァラン(S)/ジョルジュ・ティル(T)/ウージェーヌ・ビゴー(cond.)、他 [Naxos Historical 8.110675]
シャルパンティエはこの「ルイーズ」以外の作品は殆ど顧みられることのない作曲家である。この歌劇の中でルイーズが歌ふアリア"Depuis le jour"は往年の名歌手が挙つて吹き込んだ名曲であり、特にボリとガーデンの名唱が忘れ難い。勿論、ヴァランの歌唱もそれに劣らぬ優れたもので、フランス語のイントネーションと云ふことなら最高位に置かれるものだ。唯、少々色気があり過ぎて、この田園情緒爽やかな作品にはむず痒い。ティルの恰幅のよいジュリアンは理想的な名唱。当盤は録音に当たり作曲家自らが改訂を施した短縮版であり、単なる抜粋ではない。全曲版ではないことを据へ置きにしなくとも、ヴァランとティルと云ふ当時最高の歌手を取り揃へたこの録音を凌駕したものはこれまでない。さう断言出来る不滅の名盤である。(2004.11.7)

ドニゼッティ:「連隊の娘」/リリー・ポンス(S)/サルヴァトーレ・バッカローニ(Br)/メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/ジェンナーロ・パピ(cond.)、他 [Naxos Historical 8.110018-19]
1940年12月28日の放送音源。ボダンツキーやパニッツァと共に黄金期のメットを支へたパピは、軽快なイタリア・オペラで本分を発揮し、ドニゼッティとの相性は格別だつた。冒頭の序曲から勢ひに溢れた前のめりの音楽が展開し、胸がわくわくする。合唱に対しても煽るだけ煽り、音楽が沈滞することなど一切ない。弾けるやうなリズムは天下一品だ。オペラ・コミークで上演するべくフランス語で書かれたこの歌劇は、後にイタリア語版も作られたが、当盤はフランス語による上演だ。歌手も巧者を取り揃へてゐるが、何と云つても主役マリー役を歌ふポンスが素晴らしい。典型的なベル・カント風の超絶技巧がふんだんに盛り込まれたアリアの華麗さは圧倒的だ。筋は軽妙で抱腹絶倒、羽目を外した御巫山戯も飛び交ひ、聴衆の爆笑も聴かれる。最後は「ラ・マイセイエーズ」が高らかに奏され熱狂の内に幕を降ろす。(2008.7.7) 

ドニゼッティ:「ランメルモールのルチア」/マリア・カラス(S)/ジュゼッペ・ディ・ステファノ(T)/ティト・ゴッビ(Br)/フィレンツェ五月祭管弦楽団と合唱団/トゥリオ・セラフィン(cond.)、他 [EMI CMS 7 69980 2]
「ルチア」の決定的名盤として君臨する1953年に行はれた伝説の録音。カラスの業績はベル・カント・オペラを伝統的なコロラチューラの軽やかで装飾的な歌唱法から解き放ち、ドラマティコによる劇的な音楽の再創造を敢行したことである。情念の昂揚と技巧的な高音の要求を同時に満たしたカラスの表現力は驚異的であつた。だからこそ狂乱の場における迫真の歌唱が胸を打つのだ。カラスは僅か6年後に再録音を残してゐるが、布陣の見事さで当盤が一頭抜きん出てゐる。何よりも役者ゴッビが歌ふエンリーコが別格だ。熱血漢ステファノはカラスとの相性が抜群で理想的なエドガルドを演じてゐる。更に緊張感漲るセラフィンの棒が卓越してをり、後年の録音よりも良い。アリアや有名な六重唱などは他にも優れた録音を挙げることが出来るが、全体として当盤を凌ぐ「ルチア」はないだらう。(2008.1.4)

ジョルダーノ:「アンドレア・シェニエ」/ベニャミーノ・ジーリ(T)/マリア・カリーニャ(S)/ジーノ・ベッキ(Br)/ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/オリヴィエーロ・デ=ファブリティース(cond.)、他 [Naxos Historical 8.110275-76]
我が最愛のテノール、ジーリが残したオペラ全曲録音で最高傑作と云へるのが「アンドレア・シェニエ」だ。この歌劇はプリモ・ウォーモ・オペラと称されるほどシェニエ役のテノールが活躍する。4幕全てにアリアがあり、特に第1幕と第4幕の長大なアリアは絶好の見せ場だ。祖国の詩人といふシェニエの役柄はリリコ・スピントのジーリに打つてつけだ。「ある日、青空を眺めて」の情熱的な昂揚の快感、「五月の晴れた日のやうに」の甘く柔らかいソット・ヴォーチェの美しさは他の如何なるテノールが束にならうが足下にも及ばない。特有の泣き節も決まつてをり、これぞ最高のシェニエと断言出来る。マッダレーナ役のカリーニャも、ジェラール役のベッキも健闘してをり、ミラノ・スカラ座管弦楽団は流石の安定感で、総合的にも名盤と云へるだらう。1941年といふ録音年の古さだけが引け目だ。余白に様々な歌手によるアリアを収録してゐるが、クラウディア・ムツィオの録音だけが別格の出来だ。(2015.8.5)

ジョルダーノ:「アンドレア・シェニエ」/ローマ聖チェリーリア国立音楽院管弦楽団/ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ(cond.)/エットーレ・バスティアニーニ(Br)/レナータ・テバルディ(S)/マリオ・デル・モナコ(T)、他 [DECCA 4781535]
テバルディ・デッカ録音全集66枚組。1957年の優秀なステレオ録音で古さを感じない「アンドレア・シェニエ」の最右翼に位置する名盤だ。主役であるシェニエにデル・モナコ、マッダレーナにテバルディ、ジェラールにかのバスティアニーニを配し、最も理想的な歌手を揃へた完璧な録音だと云へる。デル・モナコは力強さは勿論、柔らかさも兼ね備へた歌唱で申し分のないシェニエを聴かせてて呉れる。毅然としたテバルディのマッダレーナが一際優れてゐる。当たり役と云へよう。芯では高邁な理想主義者ジェラールを歌はせてバスティアニーニの右に出る者はなからう。端役たちも充実してゐる。指揮も管弦楽も万全だ。シェニエ役に関してはジーリを最上としたいが、総合点で云へば弱点がない当盤が疑ひなく最高だ。(2015.8.27)

フンパーディンク:「ヘンゼルとグレーテル」/ギーゼラ・リッツ(Ms)/リタ・シュトライヒ(S)/ミュンヘン・フィル/フリッツ・レーマン(cond.)、他 [DG 435 461-2]
当盤の一押しは何と云つてもシュトライヒが歌ふグレーテルだ。斯様に愛くるしいグレーテルは余所では聴けない。上手な歌手たちの録音は幾つもあるが、どれもこれも幼きグレーテルにしては老巧だと云はざるを得ない。シュトライヒ以上に嵌り役の歌手を見付けようとするのは無益なことだ。リッツのヘンゼルも見事に唱和してをり、主役ふたりに関して云へば最高の録音だらう。レス・フィッシャーの歌ふ魔女も雰囲気満点で理想的だ。次いで香り高いレーマンの指揮とミュンヘン・フィルの素晴らしさを述べよう。この録音の数年後に急逝して仕舞つたが、レーマンはかの偉大なロッテ・レーマンの弟であり、宗教音楽では一家言を持つた人物であつた。派手さはなく実直で謹厳な姿勢が好ましく、歌手に献身的な奉仕をしてゐる。そして、後期ドイツ・ロマン派音楽の演奏では由緒あるミュンヘン・フィルが奏でる森の囁きが美しく、哀感湛へた黄昏の響きがメルヒェン・オペラの神髄を伝へる。声高に語られることはないが、レーマン盤こそ最右翼に位置する名盤だ。(2013.10.31)

フンパーディンク:「ヘンゼルとグレーテル」/バーバラ・シェルラー(Ms)/ギーゼラ・ポール(S)/北ドイツ放送交響楽団/カール・シューリヒト(cond.)、他 [ARCHIPEL ARPCD 0538]
1956年12月の放送用録音で、シューリヒトにとつて唯一のオペラ全曲録音である。シューリヒトはオペラ・アリアの録音も極端に少なく、劇場での経験が乏しかつたとは云へ、オペラとの関はりが薄かつたことは特徴的だ。もう1点付加価値がある。シューリヒトは若き時分に作曲をフンパーディンクに学んだ。正統的解釈の演奏と考へて良いし、師の作品を録音したことは云ふなれば恩返しの意味合ひを帯びる。前奏曲から凛とした抒情が美しく、辛口のフレージングなのに淡いロマンティシズムが漂ふのはシューリヒトならではの至藝だ。間奏部分も同様に美しく、管弦楽演奏に関しては古今最高の神品と評したい。最後の少年少女合唱団も効果的だ。だが、肝心要の独唱陣が物足りない。ヘンゼル役のシェルラーと魔女役のリリアン・ベニグセンは良いのだが、グレーテル役のポールは水準程度だらう。父親役のマルセル・コルデスが品がなく歌ひ崩しも嫌らしい。余白に1929年、ヘルマン・ヴァイゲルト指揮ベルリン国立管弦楽団の短縮録音が収録されてをり、歌手はこちらの方が優れてゐるのだが、詰め込み過ぎで主役のシューリヒトの録音が幕間でなく曲の途中でCDの入れ替へをする編集になつてゐるのは迷惑千万だ。(2013.11.27)

フンパーディンク:「ヘンゼルとグレーテル」/イルムガルト・ゼーフリート(S)/アンネリーゼ・ローテンベルガー(S)/エリーザベト・ヘンゲン(A)/ヴァルター・ベリー(Br)/ウィーン・フィル/アンドレ・クリュイタンス(cond.)、他 [EMI 7243 5 65661 2 5]
1964年のセッション録音。ヘンゼルにゼーフリート、グレーテルにローテンベルガー、魔女にヘンゲン、父親にベリーと豪華配役、更にはクリュイタンスにウィーン・フィルと全く穴のない布陣で非の打ち所の無い名盤と云へる。細部迄美しく、メルヒェン・オペラの醍醐味を存分に楽しめる。しかし、クリュイタンス盤をもつて最高とするのには躊躇する。まず、最も重要な要素、幼きヘンゼルとグレーテルの歌唱が大人びて聴こえないかだが、レーマン盤のシュトライヒと比較すると苦しいと云はざるを得ない。だが、ヘンゲンの魔女とベリーの父親は文句無く素晴らしく最上位に置いてよい。管弦楽は艶かしく万全だが、閃きに充ちたシューリヒト盤のやうな感銘には乏しい。とは云へ、これは難癖だらう。こんなにも素敵な宝石のやうな演奏は稀だ。竃が大爆発する箇所は大砲を使つてをり愉快だ。(2013.12.5)

レオンカヴァッロ:「道化師」/フランコ・パターネ(cond.)/ベニャミーノ・ジーリ(T)、他 [BONGIOVANNI HOC 062/63]
贔屓にしてゐるテノール、ジーリに晩年のライヴ録音があることを知り、直ちに入手した。ジーリには1934年に企画されたセッション録音があり―ジーリにとつて最初のオペラ全曲録音だ―、全盛期の美声が聴けるが、当盤は引退期の1952年のライヴといふことで多少の不安があつた。しかし、衰へを知らない大変精力的な絶唱で感銘を受けた。但し、録音状態が水準以下で、歪みが大きくピッチが狂つてゐる箇所が多々有る。愛好家以外には不要であらう。それにしてもジーリへの崇拝が極まつた物凄い記録だ。ナポリでの公演記録だが、「衣装をつけろ」を歌ひ終るや否や、嵐のやうな拍手。それが止まない。それどころか何やら大声で喚き続ける聴衆たちによつて管弦楽は後奏の演奏を断念、騒ぎが静まると「衣装をつけろ」がアンコールされるのだ。ジーリは更なる名唱で応へ、フェルマータも長く長く引き延ばす。いと物凄し。今度は拍手を制する静けさの中で後奏が感動的に演奏され、ジーリが勝鬨をあげ乍ら退場する。英雄の舞台に興奮し感動してゐる聴衆の空気が伝はる。全体的には管弦楽の乱れが気になるが、歌手らは良く、全員が熱演だ。(2012.7.30)

レオンカヴァッロ:「道化師」/ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/トゥリオ・セラフィン(cond.)/ティート・ゴッビ(Br)/マリア・カラス(S)/ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)、他 [EMI 3 95918 2]
20世紀において最も高名なディーヴァであつたカラスの全スタジオ録音を集成した69枚の箱物より。ヴェリズモ・オペラの最高峰「道化師」の名盤のひとつ。何よりもイタリア・オペラの神様セラフィンの統率力が素晴らしい。指折りの難曲を細部まで丁寧に仕上げつつも、躍動的な生命を注入してゐる。悲劇的な面から安つぽい面まで自在に表現する幅が見事だ。間奏曲の劇的な情念も素晴らしい。歌手ではトニオ役のゴッビが頭一つ抜きん出てゐる。屈折した性格をも見事に表現してをり、千両役者の歌唱だ。プロローグは録音史上最高と云つて良い。次いでネッダ役のカラスが素晴らしい。カラスは「道化師」をレパートリーとはせず、舞台では一度も歌つてゐない。なのに狂ほしく欲望を剥き出しにした迫真の歌唱を展開してゐる。主役のディ=ステファノも劣らず名唱を聴かせるが、カニオにしては凄みに欠ける嫌ひがある。しかし、カラスらとの相性でディ=ステファノ以上を歌手はゐないのだから難癖にならう。(2012.6.14)

マスカーニ:「カヴァレリア・ルスティカーナ」/リーナ・ブルーナ・ラーザ(S)/オランダ・イタリア・オペラ管弦楽団と合唱団/ピエトロ・マスカーニ(cond.)、他 [Guild Historical GHCD 2241]
1938年11月7日、ハーグのオランダ王立歌劇場における実況録音。ヴェリズモ・オペラの金字塔を作曲家自身の指揮で聴ける貴重な録音だ。マスカーニの自作自演と云へばミラノ・スカラ座を振つた1940年のセッション録音が有名だ。自作自演といふ理由もあるがトゥリッドゥを天下の伊達男ジーリが歌つてゐるからで、この役柄に関しては今もつてジーリが最高だと太鼓判を押したい。当盤のトゥリッドゥを歌ふのはアントニオ・メランドリで、格が違ひ過ぎるのは仕方ない。だが、何とも鈍重な声で感興を殺がれる。また、手前勝手に歌ひ崩すので良くない。アルフィオを歌ふアフロ・ポーリも同様で全く冴えない。合唱も薄つぺらく、管弦楽も散漫で、指揮も統率が甘く、要はひとつも良いところがないのだ。何よりも興醒めなのは、プロンプターの声が盛大に入つてゐることだ。曲が手中に入つてをらず、練習不足の感が否めない。そんな中で、セッション録音でもサントゥッツァを歌つてゐたブルーナ・ラーザだけが輝いてゐる。激情の趣く侭、没我的な歌唱を聴かせる。迫真の絶唱だ。(2012.8.18)

マスカーニ:「カヴァレリア・ルスティカーナ」/ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/トゥリオ・セラフィン(cond.)/ローランド・パネライ(Br)/マリア・カラス(S)/ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)、他 [EMI 3 95918 2]
20世紀において最も高名なディーヴァであつたカラスの全スタジオ録音を集成した69枚の箱物より。カラスの初期録音のひとつ。激情的なサントゥッツァが聴ける。絶大な声量と表現力で他を圧倒し、独擅場の感がある。しかし、些か情念過多で曲の抒情を破壊してゐる箇所がある。飽くまでカラスの個人技を聴く積りでゐた方が良い。ディ=ステファノのトゥリッドゥ役は嵌り役かと思ひきや、意表外に魅惑に欠け、存外印象に残らない。最も好演してゐるのはアルフィオ役のパネライだらう。さて、決まり文句のやうにセラフィンとスカラ座が素晴らしいと云ひたいところだが、カラスと同様、時に感興が昂揚し過ぎたのだらうか、嗜虐的に傾き曲想との食ひ違ひが多く感じられる。(2012.7.15)

マスネ:「マノン」/ヴィクトリア・デ・ロス=アンヘルス(S)/アンリ・ルゲイ(T)/パリ・オペラ・コミーク管弦楽団と合唱団/ピエール・モントゥー(cond.)、他 [TESTAMENT SBT 3203]
名曲「マノン」の録音において最右翼と目される名盤であり、モントゥーの残した数少ない歌劇録音のうち最良の出来栄えを誇る。マノンに名花ロス=アンヘルスを、デ=グリューには絶頂期のルゲイを揃へ、フランス・オペラの精髄を聴かせてくれる。ロス=アンヘルスの可憐な声は蠱惑的な小悪魔マノンに相応しく申し分ない。それ以上に、一途な青年の恋心を迸らせるルゲイのデ=グリューが素晴らしく、品格あるリリック・テノールの愁ひを帯びた声が貴いことこの上ない。また、合唱団が特に充実してをり、ディクションの豊かさは特筆すべきだ。モントゥーの棒は堂々たる音楽を築いてをり、響きが実にシンフォニックだ。反面、全曲に亘り健全過ぎて、妙なる恋の神秘を語るには妖しくもか弱き様を綾なす陰影が不足するきらひがあるが、巨匠の示したかくも格調高き音楽の推進力と包括力には心底敬服する。(2005.9.8)

マスネ:「ウェルテル」/ジョルジュ・ティル(T)/ニノン・ヴァラン(S)/エリー・コーエン(cond.)、他 [Naxos Historical 8.110061-62]
ベル・エポックと呼ばれる時代の香気を放つ録音。クレーマンを別格とすれば、ウェルテルを歌ふジョルジュ・ティルこそフランス最高のテノールと云ふに相応しい。憂ひを帯びた声で、情熱に欠けることもなく伊達だ。シャルロッテを歌ふニノン・ヴァランもまた戦前のフランスにおける最高のソプラノであり、貴婦人の色気が香水のやうに芳しく婀娜だ。この2人の共演による録音は少なからずあるが、このマスネが一番良いと思ふ。何よりもフランス語の美しさに惚れ惚れする。現在では聴くことの出来ない歌唱である。指揮と管弦楽も切々と音楽を紡いでをり、申し分ない。そして、この歌劇の素晴らしさにおいては何をか況んや。ゲーテの情熱とエスプリとが結合し、至福のひとときを与へてくれる。(2004.7.13)

マスネ:「サンドリヨン」/フレデリカ・フォン・シュターデ(Ms)/ニコライ・ゲッダ(T)/フィルハーモニア管弦楽団/ユリウス・ルーデル(cond.)、他 [CBS M2K 79323]
マスネはフランス・オペラで最も重要な作曲家であり、生前は人気があつたが、21世紀の現在凋落してゐる。「ウェルテル」と「マノン」が二大傑作で、次いで「タイース」と「ドン・キショット」が有名だらう。しかし、それ以外となると「ル・シッド」「エクスラルモンド」「エロディアード」などが候補だらうが最早珍曲に等しい。ペローの童話を元に台本が作られた「サンドリヨン」の知名度もこの辺りだらうか。1978年に録音された当盤はこのオペラの世界初録音であり、カットなしの完全全曲版として現在に至るまで決定的名盤として君臨してゐる。最高の栄誉は標題役のシュターデに与へられる。舞踏会へ向ふシンデレラの幸福感に溢れた第1幕後半の長大なアリアは全曲の白眉で胸躍る。盛期は過ぎてゐるが、王子役のゲッダが文句無く素晴らしい。第2幕のアリア、第3幕でのシュターデとの二重唱は最高だ。全ての歌手が粒揃ひで、ルーデルの指揮も巧く、当分当盤を凌駕する録音は出現しさうにない。(2015.1.4)

モーツァルト:「バスティアンとバスティエンヌ」、アリア集(9曲)/クリストフ・ステップ(cond.)/リヒャルト・ホルム(T)/トニ・ブランケンハイム(Bs)/リタ・シュトライヒ(S)、他 [DG 474 738-2]
ウィーンのナイチンゲールと称されたシュトライヒの名唱を集成した箱物。8枚組の1枚目には少年モーツァルトが書いた1幕7場のジングシュピール「バスティアンとバスティエンヌ」全曲の名盤が収録されてゐる。意外にもこれが初CD化であつた。可憐なシュトライヒのバスティエンヌに心奪はれぬ者があらうか。ホルムのバスティアン、ブランケンハイムのコラも名唱だ。ステップが指揮するミュンヘン室内管弦楽団の瑞々しい合奏も満点だ。この隠れた傑作の録音で当盤を超える録音があるのだらうか。余白にはモーツァルトの歌劇よりアリアが全部で9曲収められてゐる。「ツァイーデ」「イドメネオ」「コジ・ファン・トゥッテ」から1曲、「後宮からの逃走」「魔笛」「ドン・ジョヴァンニ」からそれぞれ2曲だ。ツァイーデと「後宮への逃走」のブロンデは当り役だ。夜の女王やツェルリーナも素晴らしいのだが、幾分女学生めく。(2010.11.11)

モーツァルト:「フィガロの結婚」/グライドボーン音楽祭管弦楽団と合唱団/フリッツ・ブッシュ(cond.)、他 [Naxos Historical 8.110286-87]
1934年から35年にかけてセッション録音された最古の「フィガロの結婚」全曲だ。「ゴジ・ファン・トゥッテ」と同期して録音されてゐる。但し、セッコは全て省略されてをり、番号の付いてゐる楽曲のみの録音で―しかも何曲かカットされてゐる―、CD2枚内で収まつて仕舞ふ。だが、録音で聴くのならこの形式でも良いかも知れぬ。歌手は小粒で、有名曲のアリアは物足りないとは云へ、非常に良く訓練されてをり、重唱の見事さは特筆したい。何よりもオーケストラが古典的な簡素さで音楽を牽引してゐる。往時、鈍重なモーツァルト演奏から逸早く脱却し、斯様に軽快な演奏を聴かせることに成功し、ダ・ポンテ三部作を録音するといふ大業績を成し遂げたブッシュの栄誉を称へたい。(2009.11.29)

モーツァルト:「フィガロの結婚」/エーリヒ・クンツ(Br)/イルマ・バイルケ(S)/ハンス・ホッター(Br)/ヘレナ・ブラウン(S)/ウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場合唱団/クレメンス・クラウス(cond.)、他 [PREISER RECORDS 90203]
1942年8月、ザルツブルク音楽祭での上演記録。戦中の困難な時期の録音であるが、最新鋭のマグネトフォンで記録された為、音質が驚くほど良く生々しい。クラウスは前年からナチスによりザルツブルク音楽祭の総監督に任命されてゐた。モーツァルトとの相性が良いクラウスだけに「フィガロの結婚」も軽やかで優美な演奏が期待出来る。結論から述べればドイツ語による上演といふ僅かな減点はあるものの実に素晴らしい名演である。クラウスにしては雑な仕上がりだが、中弛みし勝ちな後半の幕でも音楽の流れが良く、途切れることのない生命力に良さがある。歌手では矢張りクンツのフィガロが光つてゐる。屈託の無い陽気さと喜劇的性格の描写は真の当たり役と云へる。また、ホッターを筆頭に名歌手が揃つてをり、まずは穴のない布陣と云へるだらう。セッコも省略なしで臨場感のある舞台が繰り広げられてゐる。だが、件に述べたやうにこの録音の聴き所はクラウスとウィーン・フィルにある。序曲は驚くべき速さだ。発火するやうな音の立ち上がりからも唯ならぬ意気込みが感じられる。第2幕や第4幕のフィナーレで持続する推進力は古今を通じても最高だらう。特に最後の大団円での昂揚は天晴。(2013.7.3)

モーツァルト:「フィガロの結婚」/エツィオ・ピンツァ(Bs)/ビドゥ・サヤン(S)/メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/ブルーノ・ヴァルター(cond.)、他 [West Hill Radio WHRA 6045]
1944年の実況録音。フィガロ歌ひとしても高名なピンツァを軸に可憐なサヤンのスザンナ、グライドボーンで「ドン・ジョヴァンニ」を歌つてゐたジョン・ブラウンリーが伯爵、サルヴァトーレ・バッカローニがバルトロを受け持つといふ充実した布陣だ。殊にエリナー・スティーバーの伯爵夫人が魅惑的だ。しかし、演奏全体は散漫で粗雑な印象を受ける。ヴァルターの指揮に求心力が感じられない。Metでは1942年の「ドン・ジョヴァンニ」、1956年の「魔笛」の名演があつたが、この「フィガロの結婚」は感銘が随分劣る。線が細く、乾いた響きが残念だ。ヴァルターには1937年のザルツブルク音楽祭におけるウィーン・フィルとの芳醇な演奏があるから、そちらを採るべきだらう。(2013.8.27)

モーツァルト:「フィガロの結婚」/クンツ(Br)/シュヴァルツコップ(S)/ゼーフリート(S)/ギューデン(S)/シェフラー(Bs)/ウィーン・フィルと合唱団/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)、他 [EMI 7243 5 66080 2 3]
ザルツブルク音楽祭における1953年8月7日の公演記録。フルトヴェングラーは戦後のザルツブルク音楽祭の中心人物として八面六臂の活躍をし、ほぼ毎年モーツァルトの歌劇を上演してきた。お気に入りは「魔笛」と「ドン・ジョヴァンニ」であつたが、1953年に「フィガロの結婚」を取り上げた。「ドン・ジョヴァンニ」ではイタリア語上演に拘泥はつたのに対し、「フィガロの結婚」はドイツ語歌唱である。フルトヴェングラーの音楽はリズムの軽快さがなく、弾力の無い発音を特徴とする故にモーツァルト作品とは相性が悪い。節々で鈍重な響きが出現し感興を損なつてゐるのは事実だが、テンポは歌手のものであり、全体としては違和感は少ない。豪華な歌手を揃へ相当気合ひの入つた演奏となつた。特にゼーフリートのスザンナが絶品だ。勿論クンツのフィガロも素晴らしい。シュヴァルツコップの伯爵夫人やギューデンのケルビーノも良いが、特記するほどではないだらう。寧ろ伯爵役のシェフラーが心憎い巧さだ。(2013.9.19)

モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」/グライドボーン音楽祭管弦楽団と合唱団/フリッツ・ブッシュ(cond.)、他 [Naxos Historical 8.110135-37]
1936年にセッション録音された最古の「ドン・ジョヴァンニ」全曲だ。ブッシュによるダ・ポンテ三部作の録音は「フィガロの結婚」と「コジ・ファン・トゥッテ」が先んじて行はれ、この「ドン・ジョヴァンニ」だけが後発であつた。その結果、録音に関して大きな変化が見られる。セッコも全て収録した省略なしの演奏で、大変価値のある録音となつた―残念乍ら「フィガロの結婚」ではセッコが全て省略されてゐた。また、軽快さやユーモアが自然と求められる2作と違ひ、「ドン・ジョヴァンニ」は地獄落ちを軸にしたデモーニッシュな解釈が横行してゐたのだが、ブッシュは古典的な様式で演奏をしてをり、当時から新風を吹き込んだと評価が高かつた。現在の耳でも颯爽とした音楽は魅力的で全く古びてゐない。歌手は小粒とは云へ健闘してをり、ブラウンリーの標題役、バッカローニのレポレッロは申し分ない。何よりもブッシュの因習に捕はれない含蓄のある指揮が素晴らしい。余白に往年の名歌手らの録音が収録されてゐるが、シャリアピンの「カタログの歌」は別格で世界が違ふことだけは特記してをきたい。(2013.2.5)

モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」/エツィオ・ピンツァ(Bs)/ビドゥ・サヤン(S)/アレグザンダー・キプニス(Bs)/メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/ブルーノ・ヴァルター(cond.)、他 [West Hill Radio WHRA 6045]
以前Naxos Historicalからも発売されてゐた至高の名演がマーストンによる新リマスタリングで登場した。1942年Metにおける実況録音。「ドン・ジョヴァンニ」の録音は数多あるが、これが最上であらう。ヴァルターのオペラ録音は少ないが、歌劇場で真価を発揮した名指揮者の実力を思ひ知らされる。序曲から起伏が激しく、沸立つリズム、渾身のルフト・パウゼに気魄が漲つてゐる。管弦楽も威力があり、地獄落ちの壮絶さはフルトヴェングラー盤を優に凌ぐ。モーツァルトを得意としたヴァルターだけに、躍動感あるテンポは活力に充ち、優美さとの対比が絶品だ。標題役はシエピと共に最高のドン・ジョヴァンニ役と讃へられたピンツァが貫禄ある歌唱を聴かせる。貴族的な色気はシエピに及ばないが、威厳が備はつてをり風格が素晴らしい。最も評価したいのがレポレッロ役のキプニスだ。歌も勿論だが、観客の笑ひを独り占めする演出が最高だ。giocosoとしての性格を具現して呉れた数少ない「ドン・ジョヴァンニ」上演の立役者なのだ。最高のレポレッロはこのキプニスであると断言したい。全ての配役が充実してゐるが、ツェルリーナ役のサヤンは流石だ。当盤を超える「ドン・ジョヴァンニ」はない。(2013.1.28)

モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」/ゴッビ(Br)/シュヴァルツコップ(S)/ヴェリッチ(S)/デルモータ(T)/ゼーフリート(S)/クンツ(Br)/グラインドル(Bs)/ウィーン・フィルと合唱団/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)、他 [EMI 7243 5 66567 2 7]
ザルツブルク音楽祭における1950年7月27日の公演記録。フルトヴェングラーによる「ドン・ジョヴァンニ」は都合4種類あるが、当盤が最も古い録音だ。他の3種で標題役を歌つてゐたのはシエピであつたが、当盤ではゴッビを据ゑてゐるのが特徴である。ゴッビ以外は全てドイツ系の歌手で、シュヴァルツコップやデルモータなどは後の録音でも起用されてゐるが、当盤ではレポレッロを当たり役としたクンツが光つてゐる。さて、名ドン・ジョヴァンニ役としてシエピばかりが語られる為、当盤が脚光を浴びることは殆どない。だが、ゴッビの歌唱では悪党振りが増幅してをり、実に刺激的なのだ。気品のある色好みの貴族といふよりは、スカルピアの如く淫靡さが漂ふ。特にツェルリーナとの二重唱におけるsotto voceの危険な香りは絶品で、ゴッビの恐ろしさを思ひ知るだらう。(2012.12.15)

モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」/シエピ(Bs)/シュヴァルツコップ(S)/グリュンマー(S)/デルモータ(T)/ベルガー(S)/ベリー(Br)/エーデルマン(Bs)/ウィーン・フィルと合唱団/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)、他 [Orfeo C 624 043 D]
名演の誉れ高い1953年7月27日の公演記録。フルトヴェングラーはザルツブルク音楽祭で積極的に「ドン・ジョヴァンニ」を上演した。1950年、1953年、1954年、全てに録音が残り、1954年は映像での収録も行はれて計4種類を数へるが、当盤こそは最高の出来とされる渾身の演奏だ。当盤の凄さは何と云つても豪華な歌手陣にある。色好みの貴族ドン・ジョヴァンニを具現したシエピは風貌、気品、表情の全てが申し分ない当たり役で、数々の名盤を残したが、当盤での存在感も圧倒的だ。ドンナ・エルヴィーラを才気を振りまいた若き日のシュヴァルツコップ、ドンナ・アンナを名花グリュンマー、そして、ツェルリーナを稀代のコロラチューラであるベルガーが歌ひ、死角がない。男性陣もエーデルマン、デルモータ、ベリーと隙がない。当盤を決定盤としたいところだが、ヴァルターのMetライヴの方を上位に置きたい。フルトヴェングラーの指揮は地獄落ちに焦点を置いた深刻な音楽を展開してをり素晴らしいのだが、ブッファとしての要素がない。リズムの弾力性がなく、全体的に沈鬱でしっとりした音楽になつてゐるのだ。もう1点、歌手陣はドイツ人ばかりで、イタリア語の発声とは異なる暗く厳つい歌唱であることは否めない。悲劇を前面に打ち出した湿つぽいセリアのやうで、悲喜入り交じるヴァルター盤の方がモーツァルトの音楽に近い。(2011.1.5)

モーツァルト:「コジ・ファン・トゥッテ」/グライドボーン音楽祭管弦楽団と合唱団/フリッツ・ブッシュ(cond.)、他 [Naxos Historical 8.110280-81]
1934年から35年にかけてセッション録音された最古の「コジ・ファン・トゥッテ」全曲―慣習的なカットはあるが―で、ダ・ポンテ三部作を録音するといふ金字塔を打ち立てたブッシュの代表的な名演だ。ブッシュはこの歌劇を偏愛してをり、非常に録音の少ない指揮者なのに他に2種のライヴ盤が残る。一番勝負にこのオペラを上演してきた証である。戦前の指揮者によるモーツァルトの解釈は出鱈目なロココ趣味で歪曲されたものばかりであつたが、新即物主義の旗手としてフルトヴェングラーの真のライヴァルと目されたブッシュによるモーツァルトは現代の耳にも新鮮だ。不見識にも独唱陣は名も知らぬ歌手ばかりだが、決して歌が弱い訳ではない。それどころか、因習に依存して手前勝手に振る舞ふ名歌手なぞより、聡明な名指揮者の下で一丸となつた当盤の歌ひ手の方が上等だ。独唱、合唱、管弦楽の何れにおいても規範と云へる録音で、アンサンブルの見事さでは今日迄凌駕する録音が見当たらない名盤なのだ。(2006.4.29)

モーツァルト:「コジ・ファン・トゥッテ」(抜粋)/1950年のグライドボーン音楽祭より/セーナ・ユリナッチ(S)/リチャード・ルイス(T)/エーリヒ・クンツ(T)/フリッツ・ブッシュ(cond.)、他 [TESTAMENT SBT 1040]
巨匠と認知されながらブッシュは極端に録音の少ない指揮者である。グライドボーン音楽祭管弦楽団と築いた幸福な関係は長く続かなかつたが、1930年代中葉に行はれたモーツァルトのダ・ポンテ三部作の録音はレコード史上に燦然と輝く偉業である。特に「コジ・ファン・トゥッテ」は最も成功したものとして今尚語り継がれる名盤である。戦後、再建されたグライドボーン音楽祭にブッシュは得意の演目で再び登場してゐる。全曲の録音は残らず、当盤のやうな抜粋であるが、貴重この上ない。歌手陣が充実してをり、特にユリナッチの可憐さが印象に残る。ブッシュは翌年にも同曲を指揮してゐる。そちらも録音が残つてをり、Guild HistoricalがCD化済だ。(2005.8.11)

モーツァルト:「コジ・ファン・トゥッテ」/セーナ・ユリナッチ(S)/リチャード・ルイス(T)/グライドボーン音楽祭合唱団/ロイヤル・フィル/フリッツ・ブッシュ(cond.)、他 [Guild Historical GHCD 2303/4]
ブッシュが指揮した「コジ・ファン・トゥッテ」は、1930年代中葉のHMVへの正規録音と、1950年のグライドボーン音楽祭における実況録音の一部―Testamentから発売されてゐる―が知られてゐたが、当盤は1951年7月5日の実況録音で初出音源である。録音の少ないブッシュに3種もの比較が出来る演目が揃つたことになる。完成度は無論正規録音で、実は音質も一番良い。1950年盤は全曲ではないので価値が劣る。当盤は音質が優れないが、歌手の魅力では抜群だ。歌手は1950年盤と多少共通してをり、当盤でもフィオルディリージを歌ふユリナッチが素晴らしい。(2008.11.4)

モーツァルト:「魔笛」/ロスヴェンゲ(T)/ベルガー(S)/ヒュッシュ(Br)/ベルリン・フィル/ビーチャム(cond.)、他 [Naxos Historical 8.110127-28]
敏腕プロデューサーのレッグが企てた「魔笛」の史上初全曲―但し台詞は省かれてゐる―録音である。ジングシュピールと云ふドイツ語の台詞が不可欠な作品故、かつては演奏機会が少なかつたと聞く。この録音は指揮者を除いて全てドイツ勢で固めた理想的なもの。ビーチャムの才気走る棒にフルトヴェングラー時代のベルリン・フィルが見事に応へてゐる。リートで不動の名声を誇つたヒュッシュが生真面目なパパゲーノを歌つてゐるのも興味深い。そして、何よりも素晴らしいのが夜の女王を歌ふベルガーで、これ以上魅力的な夜の女王を私は知らない。コロラチューラのパッセージも巧いには違ひないが、きらびやかで可憐な声に心を捧げたくなる。(2004.8.21)

モーツァルト:「魔笛」/ヴィルマ・リップ(S)/ヨーゼフ・グラインドル(Bs)/イルムガルト・ゼーフリート(S)/ウィーン・フィル/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)、他 [Tahra FURT 1049-1051]
1949年7月27日、ザルツブルク音楽祭での上演記録で、省略なしの記録としては最も古い録音のひとつだ。序曲はフルトヴェングラー流儀による手探りの音楽造りで鈍重な印象を受け、一抹の不安を覚えるが、劇が進むにつれ彫りの深い音楽が展開する様は流石だ。巨匠の棒は何時しか仄暗いメルヒェンへと誘つてくれる。幾分タミーノ役に弱さを感じるが、端役まで名歌手を揃へた布陣は申し分なく、中でもパパゲーノ、ザラストロ、夜の女王は出色だ。特にシュミット=ヴァルターが歌ふ藝達者なパパゲーノの巧みな台詞と表現の豊かさは痛快である。リップが歌ふ夜の女王のアリアは劇的な巨匠の指揮も相まり迫真の出来だ。グラインドルが歌ふザラストロの威厳は大したもので類例を見ない。ゼーフリートが歌ふ真摯なパミーナも理想的だ。(2007.3.23)

モーツァルト:「魔笛」/ヴィルマ・リップ(S)/ヨーゼフ・グラインドル(Bs)/アントン・デルモータ(T)/イルムガルト・ゼーフリート(S)/エーリヒ・クンツ(Bs)/ウィーン・フィル/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)、他 [EMI 7243 5 65356 2 6]
1951年8月6日、ザルツブルク音楽祭での上演記録。フルトヴェングラーは1949年、1950年、1951年と3年連続で魔笛を上演した。残念ながら1950年の録音は第2幕の断片しか存在せず、蒐集家以外には殆ど知られてゐない。従つて2種の全曲録音での比較が可能だが、1949年盤の方が劇的で流れが良い。当盤は巨匠ならではの鈍重さが支配的で感心出来ない。但し、全体的に神秘劇のやうな荘重さに貫かれた仄暗い趣には一種特別な美しさを見出せる。1949年盤に比べるとゼーフリートが更に良くなつてゐる。タミーノをデルモータが歌ひ申し分ない。当盤ではパパゲーノをクンツが歌つてゐるが、やや生真面目過ぎて詰まらない。第1侍女をゴルツが歌つてゐるのは豪華だ。(2016.1.12)

モーツァルト:「魔笛」/ベルリンRIAS交響楽団/ヘフリガー(T)/シュターダー(S)/F=ディースカウ(Br)/グラインドル(Bs)/シュトライヒ(S)/フェレンツ・フリッチャイ(cond.)、他 [DG 00289 479 4641]
フリッチャイのDG録音全集第2巻37枚組。一際優れた名盤だ。特にフリッチャイの指揮が天晴で、理想的なモーツァルトの響きがする。ライヴ録音で聴けるフルトヴェングラーやヴァルターの演奏は、数年前後するだけなのだが隔世の感がある。フリッチャイが如何にモーツァルトを愛し理解してゐたかが了解出来る。管弦楽に関して評せば決定的名演だが、歌手に関しては留保せざるを得ない。まず、フィッシャー=ディースカウのパパゲーノが技巧的で理知的とも云へる繊細な表情が煩はしく、野生児パパゲーノにしては甘く巧過ぎる。可憐なシュトライヒの夜の女王は女学生めいて物足りない。フルトヴェングラー盤で威厳を聴かせたグラインドルのザラストロは当盤では妙に大人しい。ヴァンティンのモノスタトスが良くない。アリアを囁くやうに歌ふのは如何なものだらう。一方、素晴らしいのはヘフリガーのタミーノとシュターダーのパミーナ。誠実で品がある主役2名が光つてゐる。尚、台詞は役者による別録音で歌手らとの声質の差があり違和感がある。残念だ。(2016.1.21)

モーツァルト:「魔笛」/メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/ブルーノ・ヴァルター(cond.)、他 [West Hill Radio WHRA 6007]
1956年3月3日、Metにおける公演記録。ヴァルターは歌劇場から身を立てた人で、モーツァルトを得意とし、「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」の名演を残した。この「魔笛」は愛好家には良く知られた名演であるが、常にある大きな問題が付き纏つて来た。ドイツ語ではなく、英語での上演であることだ。その為かアンサンブルに難がある。このヴァルター盤を強く推す識者も多いが、矢張り英語上演であることの減点は甚大だ。弁者役のジョージ・ロンドンを除けば歌手は小粒で、取り立てて良いとは思へない。当盤は何と云つてもヴァルターが格別だ。序曲から生命を吹き込んでをり、鮮烈極まりない。全曲を通じて管弦楽の雄弁さなら随一だ。表情が豊かで喜怒哀楽をこれほど巧みに表現した演奏はない。それだけに歌手らには不満が募る。しかし、「魔笛」には癖のあるキャストを全て揃へた理想的な名盤がなく、ヴァルター盤の魅力は健在だ。(2015.12.11)

ペルゴレージ:「リヴィエッタとトラコッロ」、「奥様女中」/ラ・プティット・バンド/シギスヴァルト・クイケン(cond.)、他 [ACCENT ACC 10123]
珍しく古楽を聴く。1996年11月にライヴ録音されたペルゴレージの代表作の名演だ。「奥様女中」ではセルピーナをパトリチア・ビッチーレが、ウベルトをドナート・ディ=スティファノが歌ひ、「リヴィエッタとトラコッロ」ではリヴェエッタをナンシー・アージェンタが、トラコッロをヴェルナー・ファン・メヒェレンが歌ひ、クイケンがコンサートマスターとして、ラ・プティット・バンドを率いてゐる。「奥様女中」は「誇り高き囚人」の、「リヴィエッタとトラコッロ」は「シリアのアドリアーノ」の幕間劇として上演されたが、2曲とも本歌劇より人気を勝ち得たブッファ作品である。演奏は精緻を極めた理想的なもので、ライヴとは思へない完成度だ。歌手も万全で申し分ない。反面、踏み外しがなく無難な演奏に終始した感は否めない。抜きん出た名演とは云ひ難いが、有名な割に録音の少ないこれらの曲の代表的な演奏であることに違ひはなく、堅実な1枚と云へる。(2014.3.30)

ポンキエッリ:「ラ・ジョコンダ」/メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/エットーレ・パニッツァ(cond.)/ジョヴァンニ・マルティネッリ(T)/ジンカ・ミラノフ(S)、他 [MYTO 042.H085]
1939年12月30日、Metにおける公演の記録。往時ジョコンダを当り役としたのはカラスとミラノフである。トスカニーニの薫陶を受けたミラノフの「ジョコンダ」は当盤の他に何と3種も確認出来る。全ての点においてカラスの旧盤に匹敵する見事なジョコンダを聴かせてくれる。特に第1幕の中盤でロザリオの動機を振り絞るやうに歌つた後に感極まつた聴衆の拍手がふつふつと湧き上がる様は感動的である。当盤の魅力はミラノフだけではない。エンツォを歌ふ熱き男マルティネッリの昂揚感溢れる歌唱の情熱は最高のひとつで、第1幕や第2幕における一途さは他の名歌手らの録音を圧倒する。カスターニャの歌ふラウラ、モレッリの歌ふバルナバ、モスコーナの歌ふアルヴィーゼ、あらゆる役に大物が揃ふ。そして、当盤の最高の立役者はMetを熱く燃え立たせるパニッツァの指揮である。特に合唱曲における尋常ならざる煽りは音楽を火だるまにしてをり、各幕各場のフィナーレが壮絶な様相を呈す。有名な「時の踊り」のコーダも異常な興奮だ。長大なオペラを弛緩することなく一気呵成に聴かせ、生命力を爆発させたパニッツァの棒には畏怖すら覚える。役者が揃ひ、かつ一丸となつた名演で、カラス盤が色を失ふ「ジョコンダ」の決定的名盤である。(2010.7.10)

ポンキエッリ:「ラ・ジョコンダ」/RAIトリノ管弦楽団と合唱団/アントニーノ・ヴォットー(cond.)/ジアーニ・ポッジ(T)/マリア・カラス(S)、他 [EMI 3 95918 2]
20世紀において最も高名なディーヴァであつたカラスの全スタジオ録音を集成した69枚の箱物より。世紀の歌姫にとつて記念すべき最初の歌劇全曲のセッション録音は、1952年に行はれたチェトラ・レーベルへの「ジョコンダ」であつた。EMIへの録音は繰り返し商品化されてきたが、最初期のチェトラ録音は稀少価値があり歓迎されよう。これにより全スタジオ録音集成といふ箔が付いた訳だ。カラスは「ジョコンダ」への強い思ひ入れがあつたやうで、7年後に同じくヴォットーの指揮で再録音を行つてゐる。往時、ジョコンダを持ち役としたのはカラスとミラノフくらゐである。カラスの切り札であつた、ノルマ、トスカ、メディア、ルチア以上にこのジョコンダの歌唱は圧倒的だ。特にこれから名実共にプリマ・ドンナにならうとする時期の声は底が見えないほどの力を持つて聴き手に迫る。カラスの歌声はこの旧盤の方が凄まじく、それに呼応する如く他の歌手や管弦楽も渾身の音楽をぶつけてくる。あらゆる点で新盤を凌いでおり、第一に挙げたい名盤だ。(2010.4.23)

ポンキエッリ:「ラ・ジョコンダ」/ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/アントニーノ・ヴォットー(cond.)/フィオレンツァ・コッソット(Ms)/ピエロ・カプッチッリ(Br)/マリア・カラス(S)、他 [EMI 3 95918 2]
20世紀において最も高名なディーヴァであつたカラスの全スタジオ録音を集成した69枚の箱物より。この「ジョコンダ」はEMIへの1959年再録音の方だ。カラスがセッション録音で再録音を残したのは「ノルマ」「トスカ」「ルチア」とこの「ジョコンダ」だけだから、如何にジョコンダが嵌り役だつたかを示す。7年前の旧盤と同じヴォットーの指揮だが、管弦楽と合唱に名門スカラ座を起用してゐるのが違ひで、脇を固める歌手にコッソットやカプッチッリなどの大物が揃つてゐるのも重要な違ひだ。カラスの歌唱はまだ衰へを見せない立派なものだが、旧盤の圧倒的な魔力はない。結論から云ふと旧盤の方が魅力的で、新盤は精緻で完成度こそ高いが、生命力の点で減退が感じられる。荒削りでも音楽が怒濤のやうに迫り来るチェトラ盤を上位に置きたい。管弦楽は上質だが、当盤は自然な流れが弱く、ヴォットーの指揮も弾力に欠ける。「ジョコンダ」の代表的な名盤ではあるが、当盤を最高とはしない。(2010.8.24)

プーランク:「ティレジアスの乳房」、「仮面舞踏会」/オペラ・コミーク国民劇場管弦楽団と合唱団/パリ音楽院管弦楽団/ジョルジュ・プレートル(cond.)/アンドレ・クリュイタンス(cond.)、他 [EMI CDM 7 63154 2]
プーランクの傑作オペラ「ティレジアスの乳房」の不朽の名盤クリュイタンス盤である。お話は荒唐無稽、滅茶苦茶で何とも云へないが、古代ギリシアの預言者テイレシアスのパロディーと考へると奥が深い。筋は受け流すしかないが、音楽は魅力的で、プーランクの美質が全開だ。瀟酒なエスプリ、下卑た騒々しさ、甘い軽薄さ、神妙な思はせ振りが混在し融合してゐる。ドゥニーズ・デュヴァルやジャン・ジロドーらの名唱も雰囲気満点だ。何と云つても名匠クリュイタンスと洒脱なオペラ・コミーク国民劇場管弦楽団の演奏が抜群に良い。当盤を聴かずして「ティレジアスの乳房」は語れない名盤中の名盤だ。抱き合はせは、プレートル指揮、パリ音楽院管弦楽団の奏者らによる世俗カンタータ「仮面舞踏会」で、バリトン独唱はジャン=クリストフ・ブノワだ。大変闊達な名演だが、ベルナックとプーランクによる天衣無縫な自作自演盤には遥かに及ばない。(2013.3.25)

プッチーニ:「ラ・ボエーム」/ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/ウンベルト・ベレットーニ(cond.)/リチア・アルバネーゼ(S)/ベニャミーノ・ジーリ(T)、他 [Naxos Historical 8.110072-73]
ジーリが好きだ。惚れ込んでゐると云つても過言ではない。Naxos Historicalはジーリの正規独唱録音全集を復刻して呉れた。有難い。オペラ全曲録音もほぼ揃ふ―「カルメン」だけがCD化されてゐない。ジーリの声質はヴェルディ2曲、プッチーニ3曲、ヴェリズモ作品3曲の中では、矢張り「ボエーム」のロドルフォが嵌り役だ。ミミはトスカニーニ盤で抜擢されたアルバネーゼだ。その為か、だうしてもトスカニーニ盤と比較をして仕舞ふ。当盤のベレットーニが悪い訳ではないが、世紀のマエストロの記念碑的名盤と並べるなど恐れ多くて出来ない。アルバネーゼも当盤では愛くるしさを欠き、抜けの悪い声がミミに相応しくない。ムゼッタ役のメノッティも役不足だ。しかし、当盤は男性歌手のアンサンブルが素晴らしく、総じて優れた録音と云へる。余白にアルバネーゼの独唱録音10曲が収録されてゐる。それらを聴くとアルバネーゼがドラマティコのソプラノであることがわかる。「トゥーランドット」などが素晴らしい。(2009.3.28)

プッチーニ:「外套」/ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/ヴェンチェンツォ・ベレッツァ(cond.)/ジャチント・プランデッリ(T)/マルガレット・マス(S)/ティート・ゴッビ(Br)、他 [EMI 7 64165 2]
1950年代後半、EMIレーベルにゴッビとロス=アンヘルスを軸として録音されたプッチーニの三部作を纏めた3枚組。中でも「外套」は三部作3曲の中でも極めて重要な録音だ。この作品の主人公は勿論ミケーレだが、前半から圧倒的な存在感を示すものの歌の出番は殆どなく、終盤に設けられた迫真のアリアが聴かせ処となる。だから「外套」の総合的に優れた録音となると、中盤の出番が多いルイージ役のテノールとジョルジェッタ役のソプラノを揃へる必要がある。当盤でも見事な歌唱が聴けるが、それでは最高なのかと問はれると詰まる。だが、先に述べたやうに最も重要なミケーレ役に関しては当盤が最高なのだ。ゴッビの絶唱を聴くための録音であり、これ以上は望めない。幕切れの身につまされるやうなやり切れない情念は唯事ではない。管弦楽も立派で、端役も万全だ。「外套」で何はともあれ聴いてをくべき極上の1枚。(2011.11.7)

プッチーニ:「外套」/フィレンツェ五月祭管弦楽団と合唱団/ランベルト・ガルデッリ(cond.)/マリオ・デル・モナコ(T)/レナータ・テバルディ(S)/ロバート・メリル(Br)、他 [DECCA 411 665-2]
1961年から1962年にかけて行はれたDECCAレーベルによるプッチーニの三部作の録音は、テバルディを軸とした極め付けの名盤とされてゐる。3作品ともガルデッリ指揮、フィレンツェ五月祭管弦楽団と合唱団の演奏で統一されてゐるのも良い。「外套」ではジョルジェッタをテバルディが、ルイージをデル・モナコが、ミケーレをメリルが歌ふといふ豪華な布陣である。トスカニーニの薫陶を受けたメリルは見事な歌唱を聴かせるが、千両役者ゴッビの性格的な名唱と比べてしまふと型に嵌つた歌に溺れてゐるやうに感じる。難癖だが、ゴッビが余りにも素晴らし過ぎるといふことを云ひたいのだ。だが、中盤のテバルディとデル・モナコの二重唱は圧倒的で、これ以上は望めない。行き場のない遣る瀬なさを情感豊かに歌ひ上げてゐる。ガルデッリの指揮は色彩鮮やかで天晴だが、時に派手過ぎ、幕切れの響きは少々いただけない。とは云へ、総合的に鑑みて最上位に置かれるべき名盤である。特にデル・モナコが文句なしに最高だ。余白にミケーレのアリアの別稿が収録してあり、資料としても価値が高い。(2011.12.10)

リムスキー=コルサコフ:「サトコ」/ネレップ(T)/シュムスカヤ(S)/ボリショイ劇場管弦楽団と合唱団/ニコライ・ゴロヴァノフ(cond.)、他 [PREISER RECORDS 90655]
1950年の録音。7つのtableaux―タブロー―からなるリムスキー=コルサコフの代表的な傑作歌劇。ノブゴロド出身の美声の持ち主サトコが大海原で遭遇する雄大かつ幻想的な冒険譚で、宛ら絵巻物と譬へたい趣を持つ。アリア「インドの歌」は殊に有名だ―単独の録音ならジーリ盤が最高だ。「シェヘラザード」同様、東洋的な音調が随所の用ゐられてをり、冒頭の前奏曲「青海原」から悠久の海に漕ぎ出したかのやうな情景が広がる。ロシア語の力強い歌唱がオリエント風の雰囲気を助長する。曲者ゴロヴァノフの雄渾な指揮は、尋常ならざる気魄で全曲を覆ひ尽くす。デュナーミクの幅が凄まじく、終止圧倒される。正規録音で、音質も良く、復刻も素晴らしい。歌手、合唱、管弦楽ともにこれ以上はなく、濃厚な音楽を展開するゴロヴァノフの思ふ壷にはまること必定の決定的な名盤。(2008.7.28)

シュトラウス:「こうもり」/アニー・シュレム(S)/ペーター・アンデルス(T)/リタ・シュトライヒ(S)/RIAS交響楽団とRIAS室内合唱団/フェレンツ・フリッチャイ(cond.)、他 [audite 23.411]
1949年に録音された「こうもり」の名盤。放送局が秘蔵するテープを使用してゐるので、驚異的な音質で聴ける。台詞付き、更にアドリブを豊富に取り入れた充実の録音で、舞台を彷彿とさせる臨場感がある。第3幕冒頭では収監されたアルフレートが「リゴレット」の「女心の歌」を延々と歌つてゐるのが乙だ。当盤の良さは音楽を牽引するフリッチャイの生気溢れる棒にある。クラウスのウィーン情緒たっぷりの録音と比較すると、野性味のある覇気があり、少々荒い。弦楽器に潤ひが不足してゐるのが残念だが、ハンガリー音楽の要素を色濃く持つてゐるシュトラウスの一面を引き出してをり、フリッチャイの面目躍如たる演奏である。舞踏会での挿入曲は「美しく青きドナウ」が演奏されてゐるが、強いアクセントで聴かせる野趣からも傾向が明らかだ。歌手ではアイゼンシュタイン役のアンデルスとアデーレ役のシュトライヒが光つてゐる。威勢の良いアンデルスがフリッチャイの要求に良く応へてゐる。愛くるしいシュトライヒが最高で、声質も表情も、これ以上のアデーレは望めまい。(2011.12.16)

シュトラウス:「こうもり」/ヒルデ・ギューデン(S)/ユリウス・パツァーク(T)/ヴィルマ・リップ(S)/ウィーン・フィルと合唱団/クレメンス・クラウス(cond.)、他 [PREISER RECORDS 90491]
1950年の高名なDecca録音。台詞やアドリブを全て省略した音楽部分のみの録音なのだが、鑑賞には寧ろ有難い。録音以来、特別な扱ひを受けて来た名盤である。その訳は名匠クラウスとウィーン・フィルによる音作りを聴けば諒解出来るだらう。どの部分を取つても生粋のウィーンの音が聴こえて来る。軽快で柔和な表情は代へ難く、躊躇ひ勝ちに寄り添ふ伴奏や侘びた音色でエスプレッシーヴォを奏でる情緒は他の録音からは絶対に聴くことの出来ないものだ。歌手もクラウスの薫陶を受けた豪華な布陣である。アルフレートにデルモータ、ファルケにペル、オルロフスキーにヴァーグナーと贅沢この上ない。だが、当盤の素晴らしさはアイゼンシュタインのパツァーク、アデーレのリップ、ロザリンデのギューデンに尽きるだらう。パツァークの軟弱さを問題視する向きもあるが、役柄に見事に嵌つた名唱だと思ふ。癖のある鼻声は実に個性的だ。それ以上にリップとギューデンが素晴らしい。可憐なリップはシュトライヒと双璧で、愛らしい表情は絶品だ。最高はギューデンのロザリンデだ。華やかで色気のある歌唱に惚れ惚れする。当盤はウィーン訛りが強く、締まりの悪い演奏かも知れぬが、管弦楽とソプラノふたりの美しさで語り継ぎたい特別な名盤である。舞踏会での挿入曲は「春の声」が演奏されてゐる。復刻はいくつも出てゐるが、墺プライザー盤で聴く。(2011.11.25)

シュトラウス:「ザロメ」/クリステル・ゴルツ(S)/ユリウス・パツァーク(T)/ウィーン・フィル/クレメンス・クラウス(cond.)、他 [Decca 475 6087]
クラウスはDeccaにシュトラウスの主要な管弦楽曲を録音してをり、それらは全て英Testamentから4CDで発売されたが、「ザロメ」全曲は本家Deccaからの登場だ。シュトラウスの楽劇こそはクラウスの真骨頂と云へる演目で録音も多数残るが、何れもライヴ音源であり、正規のセッション録音はこの「ザロメ」のみとなる。ザロメ歌ひとしてヴェーリッチと並び称されるゴルツの名唱に注目するのが当然であるが、ザロメの声としてはやや渋く官能に欠ける。素晴らしいのはヘロデス王を歌ふパツァークで、独特の鼻にかかつたやうな発声が頽廃の極みであり、世紀末藝術の頂点ともされる楽劇の核心を貫く。クラウスの耽美的な指揮は云ふまでもなく絶品で、7つのヴェールの踊りだけでなく全曲に振り撒かれた妖しきエロスの美しさは最高であらう。(2007.6.30)

ストラヴィンスキー:歌劇「夜鳴うぐいす」、ドラージュ:4つのインドの歌、オットセイの子守唄/フランス国立管弦楽団/アンドレ・クリュイタンス(cond.)、他 [TESTAMENT SBT 1135]
他の録音を聴いたことがないのだが、これは文句のない名盤だと太鼓判を押したい。オリジナル・テクストはロシア語なのだが、当盤はフランス語による歌唱である。クリュイタンスの歌劇の録音ではお馴染みのキャストが名を連ね、フランスの光栄ある純血を楽しめる。現在では得難い歌唱だ。尚、クリュイタンスはこの録音の2ヶ月後にライヴ録音を残してをり、Disques Montaigneより出てゐたやうだが未聴。ストラヴィンスキーの声楽作品は、プリミティブな要素とモダニズムの要素が渾然一体となつた一種特別なもので、異教的な響きが魅力である。アンジェリチのソプラノによるドラージュの歌曲は、異国の雰囲気が濃密な佳作。 (2004.11.24)

ヴェルディ:「マクベス」/マリア・カラス(S)/エンツォ・マスケリーニ(Br)/イタロ・ターヨ(Bs)/ミラノ・スカラ座歌劇場管弦楽団と合唱団/ヴィクトル・デ=サバタ(cond.)、他 [EMI 7243 5 66447 2 4]
カラスと「トスカ」で不滅の名盤を残したデ=サバタは、病弱の為に程なく引退して仕舞つた。この両者による共演はもうひとつ「マクベス」が残された。貴重な遺産である。1952年のライヴ録音で、商業用に記録された訳ではないので音質は相当悪い。魔女たちのアンサンブルも出鱈目だし、マクベスら男性歌手陣には大物がをらず、平凡である。しかし、カラスのマクベス夫人こそは比類のない歌唱であり、トスカやノルマなどと並ぶ当り役なのだ。カラスが満を持して登場すると、音楽が俄に血の気を帯びる。魔女の予言でぐらつくマクベスを叱咤鼓舞して恐るべき暗殺へと駆り立てる呪はれたレディーを、カラスは鬼気迫る表現をもつて聴衆を騒然とさせる。狂ほしい夢遊病の場面まで、この上演はカラスの独擅場と化してゐる。録音が籠り気味なのが残念だが、管弦楽と合唱団も見事で、劇的な音楽を終止牽引するデ=サバタの指揮が素晴らしい。不吉なシェイクスピアの原作を真摯な崇拝の念で再構築した初期ヴェルディの傑作は、レディーの役割を肥大させてをり、天下の悪女を歌ひ熟せる歌手を必要とする。傷も多いが、この点で当盤は語り継がれるべき名演なのだ。(2008.8.30)

ヴェルディ:「リゴレット」/ローレンス・ティベット(Br)/リリー・ポンス(S)/フレデリック・ヤーゲル(T)/メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/エットーレ・パニッツァ(cond.)、他 [Naxos Historical 8.110020-21]
1935年12月28日の公演記録。主役リゴレット役を歌ふのはMetの最も偉大なバリトン、ティベットである。リゴレットの歌唱においてティベットに匹敵するのはゴッビのみだらう。温かい慈愛と厳しい憤怒を織り交ぜた息の長いフレーズには感嘆する。全盛期の圧倒的な名唱で、第2幕の歌唱は鬼気迫る。重要なジルダ役は華奢で幼女のやうな声を出すポンスで、見事な当り役だ。ポンスも最盛期の頃で申し分ない。比べて公爵役のヤーゲルはやや劣るだらう。指揮はトスカニーニの片腕として活躍し、イタリア・オペラで空前絶後の名演を数多残したMetの重鎮パニッツァだ。第3幕、嵐の場面は常軌を逸した凄まじさだ。ライヴ録音黎明期の記録で音質は当然乏しいのだが、この録音は一際状態が悪い。第1幕第2場は傷みが激しいので1939年録音のジェンナーロ・パピ指揮の音源に差し替へとなつてゐる。幸ひ公爵役がヤン・キープラになる以外はパニッツァ盤と同じ配役である。当盤はティベットのリゴレットとパニッツァの指揮を楽しむ玄人好みの1枚で、鑑賞用には適さないことをお断りしてをく。(2011.2.16)

ヴェルディ:「リゴレット」/ベルリン国立歌劇場管弦楽団と合唱団/ロベルト・ヘーガー(cond.)/ヘルゲ・ロスヴェンゲ(T)/エレナ・ベルガー(S)/ハインリヒ・シュルスヌス(Br)、他 [BERLIN Classics 0033002BC]
ドイツ語歌唱による「リゴレット」である。実はフリッチャイ盤などドイツ語歌唱での名盤が多い。複雑な心理を歌ふリゴレット役のバリトンと可憐で純真なジルダを歌ふソプラノは、紋切り型のイタリアの歌手よりもドイツ・リートの名手の方が巧みに表現出来るからではなからうか。当盤の価値の大半はリゴレットを歌ふシュルスヌスとジルダを歌ふベルガーにある。シュルスヌスのオペラ全曲録音は他に「タンホイザー」と「シチリアの晩鐘」だけの筈で、堂に入つた名唱が聴ける。惚れ惚れする美声の連続で、朗々たる歌の魔力に逆らへない。ベルガーは理想的なジルダだ。ガリ=クルチの全曲録音が望めないのだから、ベルガーのやうな清廉なコロラチューラの歌唱は掛け替へが無い。ロスヴェンゲが歌ふ公爵はやや暗く重い声だが、気品があり立派だ。スパラフチーレにグラインドル、マッダレーナにクローゼ、モンテローネにハンと大物を揃へてゐるのも豪華だ。ヘーガーはドイツ系の指揮者らしく幾分湿つぽいが、情緒豊かで繊細なアンサンブルを聴かせ見事だ。ドイツ語歌唱といふ根本的な問題を除けば最上位に置かれてよい名盤だ。(2010.9.15)

ヴェルディ:「リゴレット」/レナード・ウォーレン(Br)/ビドゥ・サヤン(S)/ユッシ・ビョルリンク(T)/メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/チェーザレ・ソデーロ(cond.)、他 [Naxos Historical 8.110051-52]
1945年12月29日の公演記録。「リゴレット」全曲の録音記録は夥しくあるが、実は決定的な演奏は見当たらない。古来、名曲故にアリアから重唱まで素晴らしい歌手たちの録音が揃ひ踏みしてゐることも原因だらう。全曲となつたときにそれらを超える歌手が居並ぶことは滅多にない。また、合唱を用ゐた爆発力がないのも演奏上の難しさである。ゴッビとセラフィンによる録音は最も優れたものだが、ヒステリックなカラスのジルダがいただけない。当盤はウォーレンのリゴレット、ビョルリンクの公爵、名花サヤンのジルダと過不足がない。但し、何れも最高とは云へないのだが。中では矢張り威勢の良いビョルリンクが輝いてゐる。ノーマン・コルドンのスパラフチーレが最高の出来映えだ。全体としては良い演奏だが、当盤もまた特別な価値のある録音ではないのだ。(2011.3.4)

ヴェルディ:「リゴレット」/ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/トゥリオ・セラフィン(cond.)/ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)/マリア・カラス(S)/ティート・ゴッビ(Br)、他 [EMI 3 95918 2]
20世紀において最も高名なディーヴァであつたカラスの全スタジオ録音を集成した69枚の箱物より。「リゴレット」屈指の名盤だ。作品の規模の都合だらう、SP録音初期から夥しい全曲録音が行はれたが、意外と決定的な録音が見当たらない。その中で筆頭に位置するのがこのセラフィン盤である。この演奏の素晴らしさを語るに、主役リゴレットを歌ふゴッビから始めなくては礼を失する。悲しき道化の性格を余すところなく表現した役者ゴッビの凄み。様々に声と表情を変へる深い読みと確かな技巧は、他のリゴレット歌手を大きく引き離してゐる。千両役者とはゴッビのことだ。次いでセラフィンとスカラ座の万全な管弦楽伴奏を誉め讃へよう。伝統あるイタリア歌劇の精髄を聴かせて呉れる。ディ=ステファノが歌ふ公爵の享楽的な持ち味も役柄に見事嵌つてゐる。実は唯一の不満はジルダ役のカラスにある。健気なおぼこ娘ジルダにしてはカラスの声は重たく劇的な性質を帯び過ぎてゐる。勿論、カラスは軽やかなコロラチューラに徹して無垢な乙女の演出を試みてゐるのだが、声質の違ひを乗り越えることは出来ていない。だが、全体で見れば当盤以上の「リゴレット」全曲を探すのは困難だらう。(2010.6.21)

ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」/ローザ・ポンセル(S)/フレデリック・ヤーゲル(T)/ローレンス・ティベット(Bs)/メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/エットーレ・パニッツァ(cond.)、他 [Sony Classical 88883721202]
Met歴史的公演集20枚組より。高名な1935年1月5日Metライヴ―実況での歌劇全曲録音では最初期の記録である。繰り返し商品化されてきた録音で―Naxos Historical盤は放送時のジェラルディン・ファーラーによる休憩中の解説も聴けるといふ豪華盤であつたが当盤は公演の録音のみだ―、音質を度外視すれば古今最高の「トラヴィアータ」の録音と評しても過言ではない。ジェルモン役ティベットが究極で、「プロヴァンスの海と大地を」はこれ以上ない名唱だ。20世紀最高のソプラノのひとりと称されるポンセルによるヴィオレッタも桁違ひに素晴らしい。表情や声音の繊細な変化はカラスと並ぶ。ポンセルとティベットの二重唱は歌劇藝術のゼニスであり、至福のひとときを与へて呉れる。アルフレード役ヤーゲルも良いが比べると見劣りがする。重鎮パニッツァの熱気溢れる指揮も毎度乍ら最高だ。リズムが生き、歌に翼が付いて飛翔する。ヴェルディ振りとしてパニッツァ以上の指揮者はゐない。第3幕前奏曲の迫真の嘆きは取り分け琴線に触れる。(2014.8.15)

ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」〜ドレス・リハーサル/アルバネーゼ(S)/ピアース(T)/メリル(Br)/NBC交響楽団/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.) [Music&Arts CD-4271(2)]
トスカニーニが完璧主義者であつたことは名高く、それ故に思ひ入れのある作品の録音となると慎重になり、厳格な態度で望んだが、RCAヴィクターに残した「トラヴィアータ」全曲録音ではそれが裏目に出て仕舞ひ、トスカニーニの代表的名盤とは成り得なかつた。当盤は正規録音に先達て行はれたドレス・リハーサル―英米ではゲネラルプローベに当たる通し稽古を衣装合はせ練習から転じて斯様に呼ぶ―として愛好家に特別視されてきたものである。リハーサルとは云へ、通し稽古の為、支障なく全曲演奏が楽しめる。緊張で硬くなつてしまつた本番とは違ひ、噴流のやうな感情が自然に溢れ出した演奏で、これぞトスカニーニの本領発揮と云へる逸品である。何よりも稽古中に発つせられるトスカニーニの声が緊張感を煽り立てる。基本的には「レガート」「クレッシェンド」と云つた簡単な指示だが、叱咤するやうな掛声で檄を飛ばしたり、うち震える濁声でカンタービレを要求したりする場面が盛り沢山で、特にジェルモンが登場する第2幕への打ち込みやうは唯事ではない。指揮者、管弦楽、歌手が完全燃焼する様には畏敬の念を禁じ得ない。(2005.4.10)

ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」/リチア・アルバネーゼ(S)/ジャン・ピアース(T)/ロバート・メリル(Bs)/NBC交響楽団と合唱団/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.)、他 [RCA 88697916312]
トスカニーニRCA録音全集84枚組。トスカニーニ渾身の演奏として高名な一方、構へ過ぎで硬いと低く評価をされる録音でもある。まず感じるのは大変トスカニーニらしい特徴の出た演奏で好ましいといふことだ。テンポは快速調だが、リズムはやや生硬な印象を受ける。これはトスカニーニの晩年に共通した特徴でもある。一方、「花から花へ」ではトスカニーニの唸り声とも云へる歌声が混入してをり、興が乗つてゐることがわかる。歌手も健闘してをり、マエストロの要求に見事に応へてゐる。上等なのはメリルだが、アルバネーゼも劣らず素晴らしい。次に、カットが意表外に多いことを述べておきたい。当時は常套的であつたかも知れぬが原典重視とされるトスカニーニにしては多めで、第2幕のカバレッタを悉くカットしてゐる他、随所に変更がある。接続の為に追加された箇所もあり、トスカニーニの楽譜に対する姿勢が窺へて興味深い。実はトスカニーニはベル・カントの最終形であるヴェルディの中期三部作をあまり取り上げて来なかつたとも云はれる。トスカニーニの本領はヴェルディ後期の作品で発揮され、特に最後の「オテロ」「ファルスタッフ」で成功した。強靭で熱いカンタービレを「トラヴィアータ」では持て余してゐるのと、結局は歌手主導のベル・カント・オペラで締め付けをし過ぎたのが主な敗因だらう。(2014.7.27)

ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」/ベラス・アルテス歌劇場管弦楽団と合唱団/オリヴィエーロ・デ=ファブリティース(cond.)/ジュゼッペ・タッデイ(Br)/チェーザレ・ヴァレッティ(T)/マリア・カラス(S)、他 [MYTO HISTORICAL LINE 00134]
カラスによる「トラヴィアータ」全曲録音はライヴ録音でも6種類残る。当盤は最も古い1951年7月17日、メキシコにおける録音だ。残念だが音質は水準以下、劣悪と云つてよい。歪みも多く、音像の遠近が揺れるのは辛い。それでもこのMYTO盤は最も丁寧にリマスタリングされてゐる方だ。減量前のカラスの歌唱は文句なく素晴らしい。翌年の録音の方が吹つ切れてゐるが、当盤の方が美しさを保つてをり好ましく聴けた。ただ、熟れてゐないと感じる場面もあり一長一短だ。ヴァレッティのアルフレードが傑出してゐる。若くて情熱的かつ甘くて陶酔的で、最高の当り役だと云へる。ジェルモン役タッデイは見事だが余り存在感を示せてゐない。指揮者ファブリティースは躍動するリズムと活力あるテンポが流石で、入魂の歌唱が繰り広げられると見事に反応し、素晴らしい伴奏を付けてゐる。しかし、問題はメキシコの管弦楽と合唱だ。管弦楽の技量は水準以下で、何でもない合奏箇所での崩れが目立つがまだ許容範囲だ。一番の害悪は合唱だらう。管弦楽に乗らず出鱈目に喚くから邪魔だ。蒐集家以外には無用な1枚だ。(2014.8.23)

ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」/ベラス・アルテス歌劇場管弦楽団と合唱団/ウンベルト・ムニャーイ(cond.)/ピエロ・カンポロンギ(Br)/ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)/マリア・カラス(S)、他 [MYTO HISTORICAL LINE 00218]
1952年6月3日のライヴ録音。約1年前と同じメキシコ・シティでの公演だ。まず前年の公演との比較をせねばなるまい。僅か1年の違ひであるが、音質が格段に良い。後年の諸録音よりも優れてゐると感じる箇所すらある。カラスの歌唱は間違ひなく当盤が最高だらう。前年の録音や翌年のチェトラ盤の方が声そのものは美しいが、山猫と形容されたカラスの凄みが最も凝縮されてゐるのは当盤だ。これに比べると後年の歌唱は衰へを感じて仕舞ふ。各幕での性格の描き分けも完璧で、忌憚なく申せば古今最高のヴィオレッタだ。ディ=ステファノのアルフレードは奔放過ぎる嫌ひはあるが申し分ない。カンポロンギのジェルモンは勿体振つてをり良くない。音楽が停滞してゐる。前年同様メキシコの管弦楽と合唱は水準を大きく下回り酷い。ムニャーイの指揮が良くない。前年のファブリティースとの格の差は一目瞭然だ。1点大きな問題がある。プロンプターの声を煩はしいほどマイクが拾つてをり、鑑賞に支障があるほどだ。致命傷である。しかし、カラスの歌唱を聴く為に当盤を広く薦めたい。(2014.8.28)

ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」/RAIトリノ管弦楽団/ガブリエーレ・サンティーニ(cond.)/マリア・カラス(S)、他 [EMI 3 95918 2]
20世紀において最も高名なディーヴァであつたカラスの全スタジオ録音を集成した69枚の箱物より。カラスにとつて唯一の「トラヴィアータ」セッション正規録音である。カラスの当たり役はノルマ、トスカ、ルチアの他に幾つのベル・カント・オペラの役があつたが、認知度で云へばヴィオレッタ役を真つ先に挙げねばなるまい。ヴィオレッタは難役である。理想的に歌へたのは全盛期のカラスだけと云つても過言ではない。しかし、歌劇録音の難しさで、全ての配役や管弦楽が万全な録音はない。敢へて云へば当盤ほど悪名高い録音もないだらう。カラスは1953年にこの伊チェトラ・レーベルの「トラヴィアータ」録音に参加した為、契約上他社での再録音の機会を阻まれた。盛期を過ぎたカラスはスタジオでの再録音をしないままヴィオレッタを歌はなくなつた。カラスに関して述べれば大変素晴らしい。圧倒的な歌唱だ。しかし、他の歌手が小粒の三流歌手ばかりでカラスの独擅場だ。余りにもバランスが悪い。サンティーニの指揮は悪くないが面白みはない。セッション録音なので音質は当然良いのだが、音の悪いライヴ録音の方がカラスの凄さが出てゐるといふ意見にも賛成だ。カラスにとつては運の悪い、足枷のやうな録音であつた。しかし、繰り返して云ふが、カラスの歌唱は圧巻である。(2014.6.5)

ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」/エットーレ・バスティアニーニ(Br)/ジュゼッペ・ディ=ステファノ(T)/マリア・カラス(S)/ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/カルロ・マリア・ジュリーニ(cond.)、他 [EMI CMS 7 63628 2]
余りにも有名な1955年5月28日の伝説的な公演の記録。ヴィオレッタ役として絶対的な高みにあつたカラスの絶唱が聴ける。第1幕、第2幕、第3幕と全く異なる表現で演じ切れたのはカラスだけである。一面的に見ればカラス以上の上手な歌手は沢山ゐるが、この難役を手中に収めてゐるのはカラスの他にはゐない。ところでカラスは何種類もの録音を残してをり、正直申せばこの公演が最高の歌唱であつたとは云へないのだが、総合点で矢張りこのジュリーニ盤は外せない。アルフレード役に相性の良いディ=ステファノ、ジェルモン役に偉大なるバスティアニーニを配してをり、「トラヴィアータ」でこれ以上の布陣はないからだ。しかし、一方で不満も多い。まずジュリーニの指揮は切れが悪く次第点程度だ。合唱は調子外れで、入りは滅茶苦茶。最悪である。録音は水準以下で歪みも大きい。聴衆の質も悪く音楽を妨害するやうな時もある。但し、録音とは関係のないことだが、演出をルキノ・ヴィスコンティが担ひ、カラスの容姿も一番輝いてゐた時期で、この公演が特別に語り種となつたのは故なきことではない。瑕は諸々と多いのだが、重要な3人の主役が揃つた点では当盤を超えるものはない。(2014.4.24)

ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」/リスボン・サン・カルロ歌劇場管弦楽団と合唱団/フランコ・ギオーネ(cond.)/マリオ・セレーニ(Br)/アルフレード・クラウス(T)/マリア・カラス(S)、他 [MYTO HISTORICAL LINE 00147]
1958年3月27日のリスボンにおけるライヴ録音。EMIからも発売された音源だが、原テープからの復刻を謳ふ当盤はかなり音が鮮明だ。また、冒頭には放送用に収録されたカラスからのメッセージも入つてをり貴重だ。1950年後半になると酷使されたカラスの声は急激に不安定になつたが、ヴィオレッタでは流石に追随を許さない名唱を聴かせて呉れる。絶頂期の神々しさはないが、この公演では2幕以降の表現が深みを増してをり、高い評価を受けてゐるのも故なきことではない。若きクラウスの威勢の良い歌唱も素晴らしいが、やや直線的で硬く手放しでは称賛出来ない。ジェルモンのセレーニも健闘してゐる。ギオーネの指揮も管弦楽も水準が高く、総合的にも欠点が少なく、コヴェント・ガーデン盤と並んで一般に広く推奨出来る名演だ。(2016.2.11)

ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」/ロザンナ・カルテッリ(S)/チェーザレ・ヴァレッティ(T)/レナード・ウォーレン(Bs)/ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/ピエール・モントゥー(cond.)、他 [TESTAMENT SBT2 1369]
1956年のRCA録音。モントゥーの数少ない歌劇録音なのだが、レペルトワールにヴェルディはなかつた筈で、このセッションに起用された経緯もよくわからない。しかし、結果は大変素晴らしい録音となつた。無論、イタリア・オペラの常套的な作法と異なる箇所もあり、総じて丁寧な指揮で物足りない箇所があるのは事実だ。管弦楽曲を振る時と同様、強弱の差は少なく堂々と立派に響かせることに砕心されてをり、テンポも穏健だ。だが、充実した仕上がりに感心させられて仕舞ふ。常套的なカットがあるが、概ね楽譜を遵守した演奏で誠実さが伝はる。何よりも歌手が歌ひ易いやうに献身的な伴奏が付けられてゐる。伴奏が良いからか歌手が活き活きと歌つてをり、夥しくある録音の中でも最も満足出来る歌唱の連続だ。大物ウォーレンのジェルモンが素晴らしいのは云ふ迄もないが、ヴァレッティのアルフレードが印象深い。万人を唸らせるのが難しい役だが、理想的な歌唱だと賞讃したい。勿論カルテッリも申し分ない名唱を聴かせて呉れる。初めて聴いた時は乗りの悪い演奏に感じるが、その実奥深い演奏だ。余白にウォーレンによる「トロヴァトーレ」「シモン・ボッカネグラ」「運命の力」のアリアが収録されてゐる。名唱だが蛇足だ。(2014.8.7)

ヴェルディ:「ラ・トラヴィアータ」/アンナ・モッフォ(S)/リチャード・タッカー(T)/ロバート・メリル(Bs)/ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/フェルナンド・プレヴィターリ(cond.)、他 [RCA LIVING STEREO 88697720602]
RCAリヴィング・ステレオ60枚組より。1960年の録音。当盤で最も高く評価したいのがプレヴィターリの指揮だ。上品かつ透明感のある響きで悲しみが惻々と胸に迫り理想的だ。精緻なアンサンブルも良い。テンポも妥当で、表情を様々に変へるリズム処理は名人藝だ。繊細な伴奏は完璧だと絶讃したい。だが、トラヴィアータの成否は主役歌手3人に懸かつてゐる。トスカニーニ盤でも名唱を聴かせたメリルのジェルモンは当盤でも素晴らしく最高級だ。モッフォとタッカーは演技力の観点から聴けば理想的だ。特に第3幕におけるモッフォの手紙を読む場面の巧さは別格で、第3幕のヴィオレッタに関して云へば最上のひとつだ。しかし、第1幕と第2幕で要求される声質を充たしてゐるとは云へない。録音のせいなのか全体的に声が細く小さいのも問題だ―分離の良いステレオ録音に拘泥はつた弊害か。総じて美しく整つた上品なトラヴィアータだが、歌としての魔力には欠ける録音なのだ。だが、忘れてはならない。モッフォのヴィオレッタと云へば、歌劇の進行そのままに映画として撮つた1968年製作の映像作品を指す。映画女優としても活躍した美貌で今もつて最も美しいヴィオレッタの記録を永遠に残して呉れた。モッフォにしか成し得なかつた傑作だ。(2014.8.18)

ヴェルディ:「シモン・ボッカネグラ」/メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/エットーレ・パニッツァ(cond.)/ティベット(Br)/レートベルク(S)/マルティネッリ(T)/ピンツァ(Bs)/ウォーレン(Br)、他 [MYTO 981.H006]
1939年1月29日、Metにおける公演の記録。偉大なるローレンス・ティベットのシモンが聴ける。実はティベットは己の為に録音を積極的に行つてをり、かうして記録が有難くも残つた訳だ。自在な表現と存在感ある歌唱は申し分ない。さて、ティベットも素晴らしいが、これだけ完璧な配役はまずあるまい。Met黄金期だけが成せる奇蹟的な布陣だ。フィエスコにエツィオ・ピンツァ、アメーリアにエリザーベト・レートベルク、ガブリエーレにジョヴァンニ・マルティネッリ、パオロにこの日がMet初登場だつたレナード・ウォーレンが名を連ねてゐる。マルティネッリが絶好調で、これ以上のガブリエーレは聴けまい。若武者ウォーレンが光つてをり、ティベットはかつてデヴューで主役アントニオ・スコッティを食つて一時代を築いたのを思ひ出し、世代交代の波をウォーレンに感じて、以後共演を避けたといふ。パニッツァの指揮は考へられる最上で、曲の息遣ひを具現化してゐる。出来に関して云へば絶対的な名演だ。だが、音が悪い。同時期の記録と比べても水準以下で一般には推薦出来ない。秘匿の1枚だ。余白に1935年のMetの記録でティベット、レートベルク、マルティネッリ、パニッツァはそのままで、第1幕フィナーレの録音が収録されてゐる。録音が更に劣るが内容は非常に良い。特にパニッツァの統率力が圧巻だ。(2016.7.24)

ヴェルディ:「シモン・ボッカネグラ」/メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/ウォーレン(Br)/ヴァルナイ(S)/タッカー(T)/ヴァルデンゴ(Br)/フリッツ・シュティードリー(cond.)、他 [Sony Classical 88883721202]
1950年1月28日、Metにおける公演の記録。ティベットが事実上引退して、1940年代後半から1960年に舞台上で急死するまでウォーレンの時代となつた。Metの初舞台を鮮烈なパオロ役で踏んだウォーレンが、遂にシモンで錦を飾つた。朗々たる美声で聴かせるが、表情付けに幾分外連があり、構へ過ぎた嫌ひがある。素晴らしい歌唱だが、最上ではない。アメーリア役はヴァーグナー歌ひのアストリッド・ヴァルナイで、他の歌手を圧倒する強靭な歌唱を聴かせる。当盤の真の主役と云へる。リチャード・タッカーのガブリエーレも見事だが、かのマルティネッリの名唱には遠く及ばない。ファルスタッフ役で名を残したジュゼッペ・ヴァルデンゴのパオロはいま一つ存在感がない。ドイツ音楽を振ることが多かつたシュティードリーが、この公演で初めてヴェルディを振つた。無難な棒で面白みはない。Metのシモン・ボッカネグラは音こそ古いがティベットとパニッツァによる録音に尽きる。(2016.8.12)

ヴェルディ:「シモン・ボッカネグラ」/ティート・ゴッビ(Br)/ヴィクトリア・ロス=アンヘルス(S)/ボリス・クリストフ(Bs)/ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団/ガブリエーレ・サンティーニ(cond.)、他 [EMI CMS 7 63513 2]
稀代のバリトン、ゴッビが拘泥はつた役柄はシモン・ボッカネグラであつたさうだ。録音も複数残るが、これは条件の揃つたセッション録音で、必聴盤と云へる。役者ゴッビの名人藝が随所に聴け、声音を千変万化させる技量には陶然となる。取り分け悩ましげなsotto voceの老巧さは古今最高だ。しかし、だからと云つて当盤が決定盤かと問はれると、否と答へざるを得ない。豪華な配役にも関はらず、当たり役かだうか微妙な歌手ばかりで疑問が残る。まずは義兄弟での共演となつたクリストフによるフィエスコなのだが、メフィストやボリス・ゴドゥノフのやうに聴こえて仕舞ひ、時にはゴッビを食つて支配的になり困る。アメーリア役のロス=アンヘルスも清楚で美しいが、役柄の強さを欠いてゐる。サンティーニ指揮ローマ歌劇場管弦楽団と合唱団は水準以上でよく纏まつてゐるが面白さはない。当盤はゴッビのシモンに酔ふ為にある。(2016.7.9)

ヴェルディ:「シモン・ボッカネグラ」/ティート・ゴッビ(Br)/ローランド・パネライ(Br)/ジョルジョ・トッツィ(Bs)/ウィーン・フィルと合唱団/ジャナンドレア・ガッヴァツェーニ(cond.)、他 [Gala GL 100.508]
シモン・ボッカネグラに強く拘泥はつたゴッビには幾つか上演記録が残る。当盤は1961年のザルツブルク音楽祭での実況録音だ。ゴッビに関して云へば、セッション録音盤と同等、万全の歌唱を聴かせて呉れる。そして、総合的にはこのライヴ盤の方が断然感銘深い。理由はふたつある。第一にウィーン・フィルが素晴らしく、弦楽器主体の表情豊かな音楽は劇的さと美しさを両立させた極上の伴奏と云ひたい。第二は共演者が粒揃ひで、悪目立ちする歌手がなく主役ゴッビを引き立ててゐることだ。特に見事なのはフィエスコ役のジョルジョ・トッツィとパオロ役のローランド・パネライだ。アメーリア役のレイラ・ジェンチェルも嵌まり役で理想的な歌唱を聴かせて呉れる。もう少し声自体に魅力があれば申し分なかつただらう。ガブリエーレ役のジュゼッペ・ザンピエッリは健闘してゐるが魅力には乏しい。ガッヴァツェーニの指揮は満点だが、これはウィーン・フィルが主導した結果だと聴いた。屈指の名演だ。余白に1957年、カラヤン指揮の「ファルスタッフ」の一部が収録されてゐる。(2016.8.25)

ヴェルディ:「ドン・カルロ」/エットーレ・バスティアニーニ(Br)/ボリス・クリストフ(Bs)/アントニエッタ・ステッラ(S)/フィオレンツァ・コッソット(Ms)/ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団/ガブリエーレ・サンティーニ(cond.)、他 [DG 437 730-2]
後期作品中でも充実した深みのある作品なのだが、ヴェルディが改訂を重ねた為にフランス語初演版、イタリア語改訂版、5幕版、4幕版、多様な選択肢があり、決定的なものがないことで不遇をかこつてきた作品だ。更に上演時間が長大で、重要な配役が多く理想的な上演が難しいことも挙げられよう。残された録音も版が様々で単純な比較が難しく、決定盤を選出するのが不可能だ。そんな中で1961年に録音された当盤は歌手が揃つてをり最上位に置かれてよい名盤である―イタリア語による5幕版だ。「ドン・カルロ」の最も重要な配役は標題役よりもポーサ侯爵ロドリーゴであり、フィリッポ2世であり、楽曲の魅力においてエボリ公女にある。ロドリーゴ役はヴェルディ作品で次々と金字塔を打ち立てた比類なきバスティアニーニで、これ以上の格調高いロドリーゴは望めまい。当盤の立役者だ。クリストフのフィリッポも風格満点で特にアリアは絶唱だ。コッソットのエボリが素晴らしい。嗜虐的にならない歌唱は品位があり理想的だ。イヴォ・ヴィンコの大審問官も見事。エリザベッタを歌ふステッラも良く、ドン・カルロ役のフラヴィアーノ・ラボーも健闘してゐる。これだけ嵌り役を揃へ不足の少ない録音はない。サンティーニの指揮は特色が薄く面白みはないが、歌合戦の献身的な演出に徹してをり寧ろ理想的と云へる―サンティーニには7年前にも録音がある。ミラノ・スカラ座管弦楽団の引き摺らない絶妙な音響はヴェルディの神髄で流石だ。(2013.8.24)

ヴェルディ:「オテロ」/ジュゼッペ・ヴァルデンゴ(Br)/ヘルヴァ・ネッリ(S)/ラモン・ヴィナイ(T)/NBC交響楽団/アルトゥーロ・トスカニーニ(cond.) 、他 [Guild Historical GHCD 2275/7]
「オテロ」の決定的名盤としてRCAより繰り返し発売されて来た余りにも有名な録音と全く同一の演奏である。このGuild盤と本家RCA盤との違ひは2つある。この録音はSPからLPへの過渡期に行はれた為、マスターテープ作製時に試行錯誤があつた。結果として市販されたLPは度重なるマスター複製の為に音質が劣化してゐたさうだ。それと云ふのも、実は先行してSPによるテスト・プレスがあり、そちらは極上の音であつたからだ。当盤はそのSPからの復刻で、音質が改善されてゐる。放送用のアナウンスと聴衆の拍手も完全収録されてをり、臨場感溢れる決定的な復刻と云へる。もうひとつの違ひは公開演奏の前日と前々日のリハーサル―第3幕―がCD1枚分に亘つて収録されてゐることだ。演奏の素晴らしさは述べるまでもない。オテロ歌ひとして一世を風靡したヴィナイの堂々たる名唱、千両役者ヴァルデンゴの名唱、そしてマエストロ・トスカニーニの精巧かつ圧倒的な統率力。全てが最高だ。(2009.7.5)

ヴェルディ:「オテロ」/ローレンス・ティベット(Br)/エリーザベト・レートベルク(S)/ジョヴァンニ・マルティネッリ(T)/エットーレ・パニッツァ(cond.)、他 [Naxos Historical 8.111018-19]
1938年2月12日のメトロポリタン歌劇場の上演記録。溜息が出るやうな豪華な布陣。Metが誇るドラマティコ、マルティネッリはこの記録の前々年、満を持してオテロを歌ひ絶賛を浴びた。冒頭から漲る雄々しい情感。斯様に輝けるオテロの歌唱を聴くことは滅多になく、タマーニョ以来と云つてよい。SP盤で絶対的な名唱を残したレートベルクのデズデモーナを聴くことは愛好家の念願である。含蓄ある歌唱には頭が下がる。役者ティベットのイアーゴも老巧で見事だ。特に素晴らしいのはパニッツァの指揮だ。トスカニーニの薫陶を受けたMetの重鎮が畳み掛けるやうな推進力で聴く者を圧倒する。合唱における噴流のやうな荒々しい生命力は極上だ。当盤は数多いオテロの録音の中で役者が揃つた最も感銘深い録音である。録音状態を度外視すれば、トスカニーニ盤を凌駕する決定的演奏だ。(2007.8.30)

ヴェルディ:「オテロ」/レナード・ウォーレン(Br)/リチア・アルバネーゼ(S)/ラモン・ヴィナイ(T)/メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/フリッツ・ブッシュ(cond.)、他 [PREISER RECORDS 90377]
トスカニーニとフルトヴェングラーの両巨匠の指揮でオテロを歌つた大物ヴィナイには、名指揮者ブッシュとの1948年の上演記録もある―他にビーチャムとの記録もあるさうだ。フルトヴェングラーとの録音は他の歌手が小粒で全く面白くない。矢張りトスカニーニとの記念碑的な演奏が別格だ。さて、ブッシュ盤だがトスカニーニ盤に肉迫する一期一会の名演なのだ。ヴィナイの歌唱は甲乙付け難い。ウォーレンのイアーゴは見事だが、ヴァルデンゴの方がより性格描写の深みがあつた。素晴らしいのはトスカニーニから贔屓にされたアルバネーゼだ。ヴィオレッタやミミよりもデズデモーナの声質に合つてゐる。第3幕から第4幕にかけての痛切な歌唱は真に迫り、絶命の場面の演技力は随一だらう。ブッシュの指揮が素晴らしく、悲劇性を高める起伏のある棒は流石だ。Metの管弦楽と合唱は万全だが、同じMetを怒濤のやうに煽つたパニッツァ盤が忘れ難い。歌手ではパニッツァ盤が最高だが音が古い。総合的な完成度ではトスカニーニ盤だが、深刻な心理劇を抉つたブッシュ盤の素晴らしさを讃へよう。(2009.9.8)

ヴァーグナー:「さまよへるオランダ人」/ハンス・ホッター(Bs-Br)/アスリッド・ヴァルナイ(S)/セット・スヴァンホルム(T)/メトロポリタン歌劇場管弦楽団と合唱団/フリッツ・ライナー(cond.) [Naxos Historical 8.110189-90]
1950年のMetにおける一期一会の「オランダ人」。稀代のヴァーグナー歌手が顔を揃へたと云ふ理由ばかりではない。オランダ人役ホッターはこれがMetデビューであり、ゼンダ役ヴァルナイとエリック役スヴァンホルムはそれぞれの役に初挑戦であつたから馴れ合ひの仕事などではない。各人が一種異様な昂揚を内に秘め、思ひのたけをぶつけてゐる。役者は揃つた。悪からうはずがない。弛緩がなく、緊張感が漲つてゐるが、これはライナーの剛直な棒に因るところが大きい。この歌劇は荒ぶれた演奏の方が栄える。合唱団も立派で「オランダ人」の屈指の名演と云へる。しかし、余裕がなくて嫌ひだ、と云ふ方もゐるだらう。(2004.6.27)

ヴァーグナー:「ラインの黄金」/フェルディナンド・フランツ(Bs)/エリザベート・ヘンゲン(S)/ミラノ・スカラ座管弦楽団/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)、他 [Gebhardt JGCD 0018-12]
1950年3月の伝説的な「指環」上演記録。特筆すべきは独GebhardtによるCD化で、時代相応とは云へ、音質で当盤を凌ぐものはなくスカラ座の「指環」の決定盤である。フルトヴェングラーが戦後に残した2種の「指環」の録音はイタリアでの記録だが、伝統あるスカラ座の演奏は申し分なく、ゲルマン神話の深淵を見事に奏でてゐる。何と云つてもフルトヴェングラーの魔神のやうな指揮が唯一無二で、劇的なうねりは特別な世界だ。特に「ラインの黄金」は抜きん出た内容で、悠久たる音楽が官能的に膨らんで行く冒頭から呑込まれて仕舞ふ。巨人族の登場場面の荒ぶれた重厚感は唯事ではない。「ラインの黄金」だけなら当盤を最上としたいのだ。歌手は玉石混淆だが、総じて素晴らしい。フランツのヴォータンも見事だが、ペルネルシュトルファーによるアルベルヒの暗い情熱が印象深い。(2007.11.24)

ヴァーグナー:「ヴァルキューレ」第1幕、ジークフリートの葬送行進曲/ウィーン・フィル/セット・スヴァンホルム(T)/キルステン・フラグスタート(S)/アールノド・ヴァン・ミル(Bs)/ハンス・クナッパーツブッシュ(cond.) [Decca 466 678-2]
クナッパーツブッシュの代表的名盤であり、役者が揃つた稀有な録音だ。何よりもクナッパーツブッシュの古色蒼然として荘厳な指揮が無上に素晴らしい。ウィーン・フィルも常日頃の優美な音色に頼ることなく、渋みのある響きで詠嘆に沈み込む趣が見事だ。歌手も豪華な布陣だ。難癖を付ければスヴァンホルムとフラグスタートはジークムントとジークリンデには威厳があり過ぎ、役柄としてはジークフリートとブリュンヒルデが似つかわしい。特にフラグスタートは最晩年の録音で、声質が重くなり若やぎに欠ける。情熱的なヴァルターの指揮、官能的なレーマン、絶対的なメルヒオールによる古いSP録音の方を僅かだが上位におきたい。(2006.12.7)

ヴァーグナー:「ジークフリート」/アルトゥール・ボダンツキー(cond.)/キルステン・フラグスタート(S)/ラウリッツ・メルヒオール(T)、他 [Music&Arts CD-696]
1937年1月30日、Metにおける伝説的な公演。史上最高のジークフリート歌ひメルヒオールによる圧倒的な歌唱は破格だ。第1幕の鍛冶の歌の壮絶な声量を1度聴いたら、他の歌手はもう聴けまい。第3幕までメルヒオールは疲れなど知らず、野生児ジークフリートの化身となり聴く者を痺れさす。当盤は「ジークフリート」の決定的な名演であると太鼓判を押さう。理由はメルヒオールだけではない。ブリュンヒルデを全盛期のフラグスタートが歌ひ、さすらひ人をフリードリヒ・ショルが歌ひ、ファーフナーをエマニュエル・リストが歌ふ。これだけ役者が揃つた上演はないだらう。ミーメ役のラウフケッターも最高だ。何よりもMetの重鎮ボダンツキーが畳み掛けるやうな気魄で全体を牽引し、荒ぶれた楽劇を豪快に演出してゐるのが素晴らしい。第2幕や第3幕の冒頭は怒濤のやうだ。唯一の難点はボダンツキーが慣例で用ゐたカットが多岐にあることで、五月蝿い聴き手からは文句が出よう。しかし、冗長なと誹りを受け易い楽劇だけに、各3幕がそれぞれ1枚のCDに収まるのは有難いと考へる向きもあらう。寧ろ「ジークフリート」を最も楽しめる演奏であると云ひたい。音のバランスが良いとされるM&A盤を運良く入手出来たが、NaxosやGuildからも同じ内容で廉価で発売されてをり、正直大差はない筈だ。(2009.2.25)

ヴァーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」/シェフター(Bs)/クンツ(Br)/ズートハウス(T)/バイロイト祝祭管弦楽団と合唱団/ヘルマン・アーベントロート(cond.)、他 [PREISER RECORDS 90174]
1943年7月16日の上演記録。この年バイロイトはマイスタージンガー一色に染まつた。大戦中の財政難で演目を絞らざるを得ない事情があつたが、世界に冠たるドイツ音楽藝術を称揚するナチスの思惑と合致し、兵士を慰労すると云ふ名目上で大々的な肝煎が行はれた。指揮を担当したのはナチスに非協力的であつたフルトヴェングラーとアーベントロートであるのが興味深い。両者共に録音が残るが、上演の大半を指揮したアーベントロートの録音は欠落なしの完全な記録であるのが有難い。ザックスにシェフター、ヴァルターにズートハウス、ベックメッサーにクンツを揃へた得難い配役で、質実剛健たるアーベントロートの指揮もこの上もなく見事だ。確信に充ちたアゴーギクの凄みも特筆したい。マイスタージンガーの録音で最右翼を占める極上の名盤で、古き良きドイツの音楽を伝へてくれる。(2007.1.15)

ヴァーグナー:「パルジファル」/ヴィントガッセン、ウーデ、メードル、ロンドン、ヴァン・ミル、ヴェーバー/バイロイト祝祭管弦楽団と合唱団/ハンス・クナッパーツブッシュ(cond.)、他 [TELDEC 9031-76047-2]
1951年は敗戦の為に中断されてゐたバイロイト音楽祭が再開された年で、祝賀記念として演奏されたフルトヴェングラー指揮による第9交響曲の録音は余りにも有名である。楽劇上演ではバイロイト初登場となつたクナッパーツブッシュとカラヤンが指揮を担つた。ナチス嫌ひを公言して憚らなかつた為だらう、ヴァグネリアンの末裔たるクナッパーツブッシュの出演は遅きに過ぎた位だ。以後、力尽きる1964年まで毎年―諍ひが元で出演を拒否した1953年を除く―「パルジファル」の上演を担当した。それは儀式と呼ぶに相応しい。クナッパーツブッシュによる「パルジファル」の録音は10種類発売されてをり、聴き手の好みにもよるが、Deccaの優秀な録音による1951年盤は価値が高い。演奏自体は生気が乏しいと世評は芳しくないが、主役格の歌手が充実してをり、ヴィントガッセン、ウーデ、メードルらが素晴らしい歌唱を聴かせる。1951年盤の復刻は沢山出てゐるが、豪華なブックレットが付く本家TELDEC盤を密かに重宝してゐる。(2006.9.24)


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