楽興撰録

声楽 | 歌劇 | 管弦楽 | ピアノ | ヴァイオリン | 室内楽その他



ヘルマン・アーベントロート


ベートーヴェン:交響曲第9番
ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団と合唱団、他
[Tahra TAH 488-489]

 1943年4月7日の演奏。これまで商品化されることのなかつた初出録音である。ジャケット写真からも窺へるやうに同年12月のフルトヴェングラー指揮による第9交響曲との組み合はせで、管弦楽団、合唱団、独唱陣が全部同じ顔触れと云ふ好企画2枚組である。しかし、ここで大きな疑惑が浮上した。終楽章の大詰め879小節からアーベントロート盤とフルトヴェングラー盤の全く同じ箇所に、演奏を叱咤鼓舞するやうな極めて印象的な男の掛声が幾度も混入するのだ。少なくとも終結部のみは同一音源である。どちらかの録音は終楽章の途中から欠落してをり―恐らくアーベントロートの方だ―、もう一方の録音で欠落部を埋め合はせてゐるのだ。仏Tahra社のブックレットにこのことが何も記載されてゐないのは良心に反する。しかし、第1楽章から第4楽章の前半までは完全に異なる演奏である。第1楽章が覇気の漲つた雄渾な指揮振りでアーベントロートの良さが出てをり聴き応へがある。


ヘンデル:合奏協奏曲第6番、「エジプトのジュリアス・シーザー」よりアリア
グルック:「オルフェオとエウリディーチェ」より3曲
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番
マルガレーテ・クローゼ(A)/エーリヒ・レーン(vn)
ベルリン・フィル
[Tahra TAH 192-193]

 2枚組1枚目。1944年9月20日と21日の演奏。アーベントロートは戦中期といふ混乱の時代に名門を率ゐることが出来た大将としてベルリン・フィルとも絆を強め、戦時中のベルリン・フィルのみが奏でることの出来た崇高な悲愴感を引き出してゐる。他の追随を許さなかつたと云はれるヘンデルのト短調コンチェルト・グロッソの演奏は高貴な気位と悲劇的な情操が充溢した別格の名演である。グルックでは「復讐の三女神の舞曲」が凄まじい名演で、疾風怒濤の荒れ狂ふ焦燥感で聴き手の魂を攫ふ。往時、古典派楽曲を指揮してアーベントロートを超える人物は見当たらない。クローゼが歌ふ2曲のアリアは切々とした感情を湛へた名演で、伴奏の格調高さも特筆したい。モーツァルトは明るく溌剌としたレーンの独奏による好もしい演奏であるが、贔屓にするほどの価値はない。


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
エリー・ナイ(p)/ゲルハルト・タシュナー(vn)
ベルリン・フィル
[Tahra TAH 192-193]

 2枚組2枚目。1944年10月と12月の演奏。ベートーヴェンは冒頭から壮絶な気魄が漲つた劇的な演奏となつてゐる。骨太な音を荒々しく放つナイはベートーヴェンとブラームスで一家を成した大姉御であり、男が恐れをなす演奏を繰り広げる。第1楽章展開部はアーベントロートも激しく燃え上がつてをり豪快極まりない。しかし、ナイのピアニズムは微妙な色合ひに乏しく、第2楽章や第3楽章などは一本調子な嫌ひがある。ブルッフは表現主義的なタシュナーの独奏が個性的だ。通常粘り気のあるテヌートで弾かれる箇所を短く断ち切る鋭さが特徴だ。第1楽章の昂揚は異常な興奮に充たされ大変聴き応へがある。一転し、第2楽章は濃密な浪漫を聴かせ、切々としたヴィブラートが胸に迫る。終楽章は咆哮するホルンをはじめベルリン・フィルが熱い音楽を奏でてをり、独奏と一体となつた見事な名演である。


バッハ:2つのヴァイオリンの為の協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第8番、同第9番第4楽章
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、他
[Tahra TAH 382/385]

 ドイツ帝国放送―RRG録音4枚組。1枚目はアーベントロートの名演集だ。録音年不詳のバッハは当盤でしか聴けない音源だ。演奏は大したことないが、古き良きドイツの荘重で情感豊かな音楽に浸れる。1944年12月27日録音のベートーヴェンの第8交響曲は不思議な魅力のある玄人好みの名演だ。切れ味は全くなく、響きの洗練さもない。楽器の鳴りは悪く模糊としてゐるが、Tuttiでは絶妙に配合され、質実剛健、雄渾、ドイツの伝統的なベートーヴェンを現出させる。今日では却つて真似の出来ない得難い演奏をしてゐる。魂が燃焼する演奏はこの曲の本質を突いてをり良い。1939年大晦日の第9交響曲は終楽章だけしか録音がないが、手兵ゲヴァントハウス管弦楽団との演奏なので大変重要だ。グラインドルの恰幅が良いのと、神秘的で美しい合唱は特筆して置きたい名演だ。


バッハ:管弦楽組曲第3番よりエア
ベートーヴェン:交響曲第1番、同第4番
ベルリン放送交響楽団/ライプツィヒ放送交響楽団
[Tahra TAH 495-496]

 アーベントロートの復刻を丁寧に行ふ仏Tahraの良い仕事だ。2枚組1枚目。アーベントロートにとつて唯一の録音であるベートーヴェンの第1交響曲が重要だ。ライプツィヒ放送交響楽団とのセッション録音だが、録音日時のデータが一切不明である。演奏はドイツの楽長による大らかで田舎びた手作りの風情が味はへる。終楽章コーダの軽やかな前進は素敵だ。第4番もライプツィヒ放送交響楽団との1949年12月4日のセッション録音。雄渾で弛緩のない音楽運びと抒情的で品格のあるフレーズは見事だ。2曲とも特別な出来といふ程ではないが、往年の風格ある指揮者が醸す音楽の拍動が聴かれる名演だ。バッハはベルリン放送交響楽団との1949年8月25日の録音。原盤の状態が悪いのだらう、雑音が多く演奏ものっぺりとしてをり聴く価値はない。


ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番
ヴァーグナー:ヴォータンの告別
レーガー:ベックリンによる4つの音詩、他
ライプツィヒ放送交響楽団、他
[Tahra TAH 495-496]

 2枚組2枚目。白眉はアーベントロートが決め技として度々取り上げてきたレーガーの組曲だ。当盤は1950年の録音で音質が大変良好だ。ベックリン「死の島」に霊感を受けた名曲で、後期ロマン派特有の耽美的な詩情に彩られた厭世観と官能的な幻想が重厚な響きの中から聴こえてくる。冒頭の静謐さを聴いただけで唯ならぬ名演であることが諒解出来るだらう。アーベントロートによるヴァーグナーの録音は多くないが、「ヴォータンの告別」はシャーンドル・スヴェートの朗々とした歌唱も素晴らしく、価値が高い名演だ。余白にはブルックナーの第4交響曲のリハーサル風景が収録されてゐる。細部の彫琢と全体の流れとの調和を重んじた理想的な稽古が窺へる。


ベートーヴェン:交響曲第8番
ブラームス:交響曲第2番
ブルックナー:交響曲第8番
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団/ブレスラウ放送大管弦楽団/ライプツィヒ放送交響楽団
[Music&Arts CD-1099(2)]

 放送録音2枚組。ブラームスのみ当盤でしか聴けない貴重な音源。アーベントロートが最も得意としたブラームスは悪からう筈がない。ブレスラウ放送大管弦楽団との1939年4月15日の演奏で、燻し銀のロマンティシズムが美しい。構へは大きくなく、鈍重さとは無縁で、古典的な佇まいと淡い詩情が漂ふ名演だ。但し、録音が古く、一般的には鑑賞用ではなく蒐集家の為の音源だ。1944年12月27日録音のベートーヴェンの第8交響曲と、1949年9月28日のブルックナーの第8交響曲は仏Tahraからも発売されてをり、残念ながらこの米M&A盤の音質はかなり劣る。仏Tahra盤が良過ぎるのだ。当盤の価値は全くない。演奏内容は別項で述べたので割愛する。


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
ヴァーグナー:「ファウスト」序曲
ライプツィヒ放送交響楽団/ベルリン・フィル
[Music&Arts CD-1065]

 放送録音を選りすぐつた4枚組。1枚目。ベートーヴェンが1949年、ヴァーグナーが1944年の録音。アーベントロートが振るエロイカは尋常ならざる熱気が漲つてをり、聴いてゐて実に興奮させられる。しかし、フルトヴェングラーのやうな格超高い趣よりも劇的な嗜虐性が勝つてをり、好みは分かれるだらう。まず、最初の2つの和音に異常な覇気が込められてをる。展開部の昂揚する箇所も煽情的な盛り上げである。個性的なのは第4楽章で、フガート前のフェルマータを通常の2倍ほど延ばす箇所は何とも面白い。コーダが痛快で、猛烈な加速が掛かり破れかぶれの態で締めくくられるのだ。細部の綻びはあるが、オーケストラはアーベントロートの要求には良く応へてゐる。戦中にベルリン・フィルを指揮したヴァーグナーが名演だ。鬱屈とした曲想を浪漫豊かに聴かせる。


ベートーヴェン:交響曲第9番
カール・パウル(Bs)
ライプツィヒ放送交響楽団と合唱団、他
[Music&Arts CD-1065]

 放送録音を選りすぐつた4枚組。2枚目。1950年6月11日の放送録音だ。クレジットではライプツィヒ交響楽団と表記されてゐるが、ライプツィヒ放送交響楽団のことだらう。第9交響曲はアーベントロートの十八番で、録音は少なくとも8種を数へることが出来る。楽曲の全てを手中に治めた貫禄のある演奏だ。闘争心を剥き出しにした第1楽章、尋常ならざる熱気を帯びた第2楽章、濃厚な浪漫で塗り込めた第3楽章、フルトヴェングラーと伍する名演が続く。部分的にアーベントロートの方が熱があり攻撃的で常軌を逸してゐるのが特徴だと云へる。第4楽章の独唱陣が非道いのが残念だ。バスのカール・パウルはどこか頼りないし、テノールのベルント・アルデンホフはかなり出鱈目だ。それを補つて余りあるのが合唱の素晴さだ。実は合唱指揮をヘルベルト・ケーゲルが担当してゐる。当時ケーゲルはアーベントロートの手下として活動し、殊に合唱団の育成で高い評価を得てゐたのだ。合唱の正確なディクションは今日の耳からしても驚異的で、指導統率が細部迄及んでゐることが明らかだ。一丸となつた合唱の荘重さに圧倒される。


シューマン:交響曲第4番
ブラームス:交響曲第4番
ライプツィヒ放送交響楽団
[Music&Arts CD-1065]

 放送録音を選りすぐつた4枚組。3枚目。シューマンが1950年5月28日、ブラームスが1950年2月15日の放送録音だ。シューマンが素晴らしく、焦燥感に溢れるテンポの維持が活きてゐる。情熱的な興奮と陶酔的な憧憬の対比が見事で、アゴーギグの頻繁な使用が絶妙だ。フルトヴェングラーと並ぶ名演で、雄渾な音楽はドイツの名指揮者の中でも際立つた特徴だ。最も得意としたブラームスは実演における瑕こそ散見されるが、晩年ならではの自信に充ちた解釈が堂に入つてをり、ずしりとした聴き応へがある。特に渋味のある情操豊かな歌が美しい第2楽章は名演で、後ろ髪を引かれるやうなディミュヌエンドの効果が素晴らしい。第3楽章コーダ前でテンポを上げるのも創意に充ちてゐる。但し、第1楽章や第4楽章の頂点でヴァイオリンの16分音符の刻みを8分音符にして響き易くするのはいただけない。


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番、交響曲第9番より第4楽章
ヴィルヘルム・ケンプ(p)
ヨーゼフ・グラインドル(Bs)
ブレスラウ放送管弦楽団/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と合唱団、他
[Music&Arts CD-1065]

 放送録音を選りすぐつた4枚組。4枚目。ケンプとのピアノ協奏曲は1939年4月15日の実演記録だ。音が古く状態も悪いので鑑賞には難があるが、ケンプの素晴らしさは聴き取れる。抒情的で美しい音色に何時しか聞き惚れて仕舞ふ。音楽の流れも良く技巧も万全だ。最大の聴き所はケンプによるカデンツァで、神秘的なパッセージが織り込まれた極上の出来映えなのだ。アーベントロートは燻し銀の伴奏に徹してをり見事に引き立てる。音質さえ良ければこの曲屈指の名演に挙げたい。余白に1939年大晦日の第9交響曲の終楽章だけが収録されてゐる。これは仏Tahraからも発売されてゐるので割愛する。


ブルックナー:交響曲第9番
ライプツィヒ放送交響楽団
[BERLIN Classics BC 2050-2]

 1951年10月29日の放送録音。フルトヴェングラー盤と並ぶ往年の浪漫的志向の名演だ。楽器の鳴りは悪いが、金管楽器は五月蝿くなく、渾然となつた荘重さを聴かせる。第1楽章の冒頭から頂点に向けて自然なアッチェレランドがあり気魄が素晴らしい。第2主題の見せ場では感極まつた表現に胸打たれる。緩急を大胆に付けた極上の名演なのだ。第2楽章は急いたテンポで響きが悪く雑然と聴こえるが、軽さはなく、恐怖との戦ひのやうな音楽を呈示した。偉大である。第3楽章にはドイツの指揮者だけが奏でられる夢幻的で彼岸の響きがある。緩急を大きく取つた、祈りのやうな寂寞感は一朝一夕には出せない妙味だ。アーベントロートのブルックナーはどれも美しいが、この第9番は取り分け深みのある名演である。


シューベルト:未完成交響曲、グレイト交響曲
ライプツィヒ放送交響楽団
[BERLIN Classics BC2051-2]

 往年のドイツに巨匠は沢山ゐたが、シューベルトの未完成交響曲やグレイト交響曲で聴き手を虜に出来たのは、フルトヴェングラー、ヴァルター、クライバーとアーベントロートくらゐだらう。特にアーベントロートのロマンティシズムは情熱と憧憬が込められてをり、シューベルトの本懐に近い。取り分け未完成交響曲は第1楽章の仄暗い熱情、儚い諦観が素晴らしい。第2主題の後ろ髪を引かれるやうな表情、長く引き摺る終結音など古き良き解釈が見事に結晶する。第2楽章のいじらしい憧れの想ひは滅多に聴けない表情だ。比較して幾分感銘が劣るが、グレイト交響曲でも木目細かくアゴーギクを使用して絶妙な表現をする。グレイト交響曲は一本調子の演奏が多い中で、アーベントロートの多様な表情付けに理解の深さを感じるだらう。


チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
ライプツィヒ放送交響楽団
[BERLIN Classics BC 2054-2]

 アーベントロートの録音の中でも最も優れた演奏であり、これを聴かずに悲愴交響曲は語れない。第1楽章から表情豊かで沈鬱さと諦観が見事に体現されてゐる。第2楽章中間部の憂鬱な趣も良い。だが、何と云つても第3楽章だ。アーベントロートの演奏を聴いて仕舞ふと他の演奏が物足りなくなるほどの困つた名演なのだ。前半は何の変哲もない演奏で、ティンパニの活躍が目立つ程度だ。処がコーダ前の絶望的な短調に転じてからのアゴーギクが腰が抜けるほど凄い。主調に戻る時にリタルダンドが始まり、一回り遅いテンポで主題が再現される。ティンパニの行進は鉄槌のやうだ。更にテンポが重量級に遅くなりコーダに至ると、一転、猛烈なアッチェレランドで焦燥的に勝利の行進を足早に強制される。異常な説得力。劇薬の演奏。泥を吐くやうな第4楽章の慟哭も振り切れてゐる。


ベートーヴェン:交響曲第9番
ルートヴィヒ・ズートハウス(T)/カール・パウル(Bs)
ライプツィヒ放送交響楽団と合唱団、他
[BERLIN Classics 0183502BC]

 1951年6月29日の録音。ロシア語やチェコ語での珍品録音を含め8種類以上もあるアーベントロートの第九交響曲の中では最も広く聴かれてゐる録音だらう。代表的な名盤だ。否、不思議な演奏だ。細部は混濁して雑然としてゐる。楽器の鳴りは悪く、古色蒼然とした響きだ。だが、これが良いのだ。各々が目立たず一丸となり、ほどよく混合され幽玄な趣に昇華された演奏は、ドイツの古き良き楽長だけが引き出せる音楽だ。洗練された読みの深い演奏からは得られない、伝統の為せる藝術が立ち上る。歌手らは気焔を吐いてをり、激しい歌合戦を披露する。ラクウスとオイストラティの女性陣の張り合ひは異常。アーベントロートが手綱を握り、時に紅蓮の炎を上げる。とは云へ、大変優れた演奏であることを認めつつ、アーベントロートの中では音質も最上である1950年12月31日録音の仏Tahra盤を第一に推さう。


ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティシェ」
ライプツィヒ放送交響楽団
[BERLIN Classics 0092772BC]

 アーベントロートはブルックナーを積極的に取り上げ得意としてゐた。録音も第4番、第5番、第7番、第8番、第9番が残る。アーベントロートのブルックナーは非常に特徴的で一種特別な趣があり、今日的な感覚とは違ふが名演ばかりだ。一言で申せば後期ロマン派としてのブルックナー演奏であり、フルトヴェングラーの流儀に近い。楽器のせいだらうかオーケストラの鳴りは悪く、くぐもつた響きだ。細部に生命を与へるよりも全体を鷲掴みにして、一気呵成に聴かせる。テンポの変動は随所に見られるが強引さは余り感じさせず、ブルックナー休止を活かして、場面ごとでテンポ設定を変へてゐる。これが非常に適切で、神韻縹渺とした美しい弱音はドイツの指揮者ならではの霊感溢れる瞬間だ。逆に派手に金管が鳴る強音ではテンポを煽り、勇壮かつ劇的な効果を上げるが、フルトヴェングラーほど暴れることはなく、自然なのも良い。部分を論つて旧時代の下手な演奏と一蹴することなかれ、全体像においては類ひ稀な名演と心得よ。


ハイドン:交響曲第88番、同第97番
ライプツィヒ放送交響楽団/ベルリン放送交響楽団
[BERLIN Classics 0092862BC]

 アーベントロートの最高の名演のひとつ。古典的な様式美を逸脱することなく、浪漫的な感情を注入することが出来た稀有な存在であつた。ハイドンの交響曲は他にも録音があつて何も極上の名演であり、外れがない。中でもこの第88番は決定的名盤として定評がある。アーベントロート以外でもそこそこ良い演奏はあるが、この演奏を超えたものはない。特に第4楽章の突撃にはしてやられた感があり、問答無用で喝采を贈りたい。第97番は幾分感銘は劣るが、比類がない決定的名盤である。第2楽章に若干カットがあるのが残念だが、第3楽章トリオの侘びた美しさは絶妙だ。


モーツァルト:交響曲第35番、同第33番、同第38番
ベルリン放送交響楽団/ライプツィヒ放送交響楽団
[BERLIN Classics 0092712BC]

 モーツァルト録音集2枚組。1枚目。1955年から1956年にかけての録音。ベルリン放送交響楽団とのハフナー交響曲は冒頭から大変威勢が良く祝祭的だ。第2楽章と第3楽章は往年のロココ風演奏で、華美で小粋で雰囲気満点だ。ライプツィヒ放送交響楽団との第33番は全体的に雑な仕上がりで、大味な演奏に聴こえ良くない。熱量が多く雑踏のやうな演奏になつて仕舞ひ、優美さがなく成功してゐない。プラハ交響曲はベルリン放送交響楽団との演奏で、大変優れた名演だ。第1楽章主部に入つてからの只管前進疾駆する音楽は天晴。細部では転調でのアゴーギクがさりげなくあり、色合ひが変化するごとにアーベントロートの藝の奥行きを感じる。第2楽章は全ての音に血を通はせた極上の名演で、明暗が交錯する。モーツァルトの新境地を理解したからこその名解釈なのだ。


モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」、ディヴェルティメント第7番、セレナード第8番「ノットゥルノ」
ライプツィヒ放送交響楽団/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団/ベルリン放送交響楽団
[BERLIN Classics 0092712BC]

 モーツァルト録音集2枚組。2枚目。ジュピター交響曲は古き良き時代のドイツの楽長による名演である。戦後に聴かれるやうになつた洗練された透明感のある響きではなく、渾然としてゐるのだが、人肌の温もりが感じられる響きが特徴だ。特別なことは何もしてゐないやうで、伝統に裏打ちされた音楽的な処理が常に行はれてゐる。アーベントロートのモーツァルトは動的な良さがあり、第3楽章の軽やかな舞は天晴れだ。当盤の白眉はディヴェルティメントだ。5楽章から成る第7番ニ長調は全集録音でもないと聴く機会がない目立たない曲だが、アーベントロートの演奏で聴くととても魅力的な曲に様変はる。冒頭のラルゴのしつとりと泣き濡れたやうな美しい響きに心奪はれる。第3楽章アダージョも同様だ。フィナーレの軽快さも小気味良い。古巣ゲヴァントハウス管弦楽団を振つた最上級の演奏による決定的名盤である。4群のオーケストラに分かれて演奏されるノットゥルノと呼称されるセレナードは、ベルリン放送交響楽団による演奏で、曲、演奏ともに感銘が落ちる。


バッハ:管弦楽組曲第3番
ヘンデル:二重協奏曲第3番HWV.334
ハイドン:交響曲第88番、同第97番
ライプツィヒ放送交響楽団/ベルリン放送交響楽団
[BERLIN Classics 0302789BC]

 エテルナ・オリジナル・マスター・シリーズ。以前に出たシリーズではバッハとヘンデルが漏れてをり、新登場を歓迎したい。バッハは華やか過ぎず、重過ぎず、浪漫的過ぎず、絶妙な活気を持つた驚嘆すべき名演。ヘンデルは往時並ぶ者なきアーベントロートの切り札であつた。この珍しい協奏曲の典雅な晴れやかさは如何許りだらう。決まつてゐる。ハイドンは既発売で別項に述べたので割愛する。


ベートーヴェン:交響曲第9番
ティラ・ブリーム(S)/ルートヴィヒ・ズートハウス(T)
ベルリン放送交響楽団、他
[Tahra TAH 230]

 アーベントロートが指揮した録音で最も重要な曲目は、ベートーヴェンの交響曲第9番とブラームスの交響曲第1番である。残された録音の数では、この2曲が突出して多い。それだけ自家薬籠中としてゐたのであり、それぞれが立派な演奏である。1950年12月31日、即ちジルヴェスター・コンサートの記録は、アーベントロートの第9番では最も傑出した出来で、仏Tahraによるリマスタリンの良さもあつて音質が極上なこともあり、第一に挙げるべき名演だ。第1楽章再現部でティンパニが漸次強弱を付けるところは、この時代の指揮者の誰しもが行ふ手法だが、トランペットをそれ以上に際立たせてゐるのが痛快だ。第4楽章でもトランペットが猛烈に主張してをり特徴的だ。瑕も散見されるが、アーベントロートが振つた第9交響曲の中で最も熱血の演奏はこれだ。


ブラームス:「ドイツ・レクィエム」
リズベート・シュミット=グレンゼル(S)/ハインツ・フリードリヒ(Br)
ベルリン放送交響楽団と合唱団
[Tahra TAH 278]

 アーベントロートはブラームスを最も得意とし、当曲においても屈指の名演に数へられて然るべきものだが、一般的には認知度は低いと思はれる。歌手が小粒であるのが原因だらう。表現はメンゲルベルクほど崩れてをらず、アーベントロートが導き出す響きはいぶし銀の味はひがあり、仄暗いロマンが漂ふ。任侠気質による雄渾な音楽の運びで、派手さがない為、曲想との齟齬がない。特筆すべきは神秘的で荘厳な歌唱を聴かせる合唱団で、アーティキュレーションの指示も行き届いてゐる。これに比べて独唱が弱いのが玉に瑕。録音状態は流石は仏Tahraで優れてゐる。


ブラームス:交響曲第3番、同第4番
プラハ放送交響楽団/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
[Tahra TAH 378/380]

 1951年から1952年にかけて行はれたチェコ・スプラフォンへの録音を集成した3枚組。2枚目。1951年にプラハ放送交響楽団を振つた第3番が収録されてゐる。全曲に亘つて推進力の漲つた快速調の演奏で間合ひも少なく一気呵成に運んでゐる。雄渾かつ情熱的な演奏でブラームス演奏の大家として面目躍如の名演だ。さて、アーベントロートは第4番のみスプラフォンに録音を残してゐない。代はりにゲヴァントハウスを振つた戦中1942年の録音が収録されてゐる。アーベントロートは1934年から終戦の1945年迄ゲヴァントハウスのカペルマイスターであり絶頂期と目される時代を築いたが、何分録音が少ないのが残念であつた。しかし、この録音は大変貴重なのだが、録音状態が芳しくなく音質が細くて頼りない。表現も大人しく後年の演奏の方が断然良い。資料として以外殆ど価値のない録音だ。


ベートーヴェン:交響曲第9番
アニー・シュレム(S)/カール・パウル(Bs)
ライプツィヒ放送交響楽団と合唱団、他
[Tahra TAH 378/380]

 1951年から1952年にかけて行はれたチェコ・スプラフォンへの録音を集成した3枚組。3枚目。アーベントロートが残した数少ない正規録音だ。アーベントロートによる第9交響曲の録音は8種以上が残り、何れも男気溢れる情熱的な演奏ばかりだが、1952年1月18日に録音された当盤は上位に置かれる完成度の高い演奏だ。スタジオ録音だけに最も瑕が少なく安定感があるが、何故か音の鮮明度は然程良くない。一方でライヴ録音で聴かせた狂つたやうな暴れつぷりがなく物足りないとも云へる。だが、古色蒼然とした雄渾な音楽は第9交響曲の理想郷だ。第4楽章のトルコ行進曲風の箇所で加速を掛けるのは印象的で面目躍如だ。独唱と合唱も特徴は薄いが健闘してゐる。


ブラームス:交響曲第1番、同第3番
ベルリン放送交響楽団
[Tahra TAH 145-146]

 2枚組1枚目。当盤が初出となる貴重な音源。アーベントロートが最も得意としたブラームスの交響曲なだけに録音が数種残る。第1番は恐らく7種、第3番は3種、存在が確認されてゐる。録音年は第1番が1955年、第3番が1956年といふことでアーベントロート最晩年の演奏記録だ。雄渾で情熱的な響きと熟覧の浪漫が漂ふ節回しでブラームスの懐に深く入り込んだ名演を聴かせて呉れる。第1番は翌年のバイエルン国立管弦楽団との録音の方がアーベントロートの意志が強く出た過激な演奏で、当盤の魅力が減じて仕舞ふことは致し方ない。暗い情熱が爆発した第3番が素晴らしい。全曲に亘つて緩急の対比が見事なのだが、自然な流れを失はないのは流石だ。終楽章コーダの円熟した音楽は夕映えのやうな美しさに包まれてをり感銘深い。


ブラームス:二重協奏曲、ヴァイオリン協奏曲
ダヴィド・オイストラフ(vn)、他
[Tahra TAH 145-146]

 2枚組2枚目。アーベントロートの演目の核を成すのはブラームスであり、当盤は協奏曲の伴奏とは云へ興味をそそられる。二重協奏曲は独奏者が小粒で冒頭から何とも頼りなく先行きが不安になるが、次第に熱を帯び、楽章が進むごとに惹き込まれる。細部に拘泥しない雄渾な音楽を奏でるアーベントロートの覇気が伝播したのだらう、辛気さを感じさせない好演だ。ヴァイオリン協奏曲は大家オイストラフの全盛期の記録で充実した名演だ。特別贔屓にする程ではないが、プラチナのやうな音色が底光りしてをり、風格あるアーティキュレーションは流石だ。


ベートーヴェン:交響曲第9番
チェコ・フィル、他
[Tahra TAH 129-131]

 ベートーヴェン名演集3枚組1枚目。1951年6月9日の演奏記録。アーベントロートはチェコ・フィルを頻繁に振つてゐるが、残された録音は少ない。アーベントロートが最も情熱を捧げて指揮した第9交響曲の演奏は何れも素晴らしいが、このチェコ・フィルとの記録も見事な出来だ。当盤の最大の特徴は第4楽章がチェコ語による歌唱であるといふことだ。独唱陣・合唱団ともにチェコ勢で固められ、自信に溢れた格調高い歌が繰り広げられ胸打たれる。下手物と侮るなかれ、尋常ならざる熱気を孕んだ歓喜の歌は滅多に聴けない感動的な歌唱だ。この終楽章は賭け値なしに突出した名演と褒め讃へられよう。名門オーケストラも古老指揮者の熾烈な音楽に甚く共鳴し、第1楽章や第2楽章の雄渾で情熱的な昂揚は凄まじい限りだ。第3楽章のロマンティックな情感も味はひ深く、心に沁み入る。


ベートーヴェン:ロマンス第1番、ヴァイオリン協奏曲、序曲「コリオラン」
ダヴィド・オイストラフ(vn)
ベルリン放送交響楽団、他
[Tahra TAH 129-131]

 ベートーヴェン名演集3枚組2枚目。オイストラフとの共演は1952年の記録で、絶頂期の艶やかなヴァイオリンの音を堪能出来る。高名になり全世界で活動するやうになつてからのオイストラフの円満な藝風とは異なり、哀愁を帯びた音色と抒情的な音楽造りが聴かれる。コンヴィチュニーと共演したブラームスの録音同様オイストラフの最良の演奏がある。しかし、短調の箇所や弱音における詩情は充分とは思へず、数多ある名演には及ばない。アーベントロートの伴奏が素晴らしく、堂々たる総奏や曲想の描き分けの巧みさはドイツの名楽長の成せる業である。コリオランのみライプツィヒ放送交響楽団との1949年の記録だが、特徴の少ない平凡な演奏に聴こえた。


ベートーヴェン:「エグモント」序曲、交響曲第3番「英雄」
ベルリン放送交響楽団
[Tahra TAH 129-131]

 ベートーヴェン名演集3枚組3枚目。1954年2月13日の演奏記録。往年のドイツの巨匠のみが奏でることの出来る重厚な音楽と熱情の焔がある。アーベントロートが振つたベートーヴェンでは第9番に次いでこの第3番が傑出してゐる。第1楽章は冒頭から異様な熱気を叩き付けてをり、弥が上にも聴き手を煽る。スフォルツァンドへの入魂や楽譜にはないクレッシェンド効果などがベートーヴェンの精髄を抉り出す。第3楽章トリオの豪快なホルンの咆哮には度肝を抜かれる。終楽章はフーガ前の変奏曲のフェルマータでヴァイオリンのみが残り続ける箇所と、激烈なテンポ設定のコーダで限界までアッチェレランドして狂つたやうに終はつて仕舞ふ箇所に、アーベントロートだけの珍解釈があり忘れ難い印象を残す。「エグモント」も低弦の厚い響き、金管やティンパニーの渾身の一撃、炎のやうな全奏から男アーベントロートの刻印を聴き取れる名演だ。


ブルックナー:交響曲第8番
ライプツィヒ放送交響楽団
[Tahra TAH 114-115]

 2枚組1枚目。1949年9月28日の演奏記録。アーベントロートは極めて意志の強い演奏をする指揮者だが、ハイドンにおける純朴な解釈や、このブルックナーにおける真摯な取り組みは、作曲家の懐に入り込んだ音楽家の誠実な姿を示してくれる。雄大な気宇と連綿たる情緒で奏でられる音楽は驚くほど自然体で、使用楽譜の問題や劇的な表現などは些細なこととして気にならない。特に第3楽章の霊妙たる響きはドイツの指揮者にしか為し得ないロマンティシズムの結晶であり、残照の美しさに彩られた感動的な瞬間の数々が忘れ難い。


ブルックナー:交響曲第7番
ベルリン放送交響楽団
[Tahra TAH 114-115]

 2枚組2枚目。1956年2月16日或は17日の演奏記録。アーベントロート最晩年の演奏で、音質も大変状態が良い。深いドイツの森へ誘はれるやうな響きが懐に染み渡る名演で、ブルックナーを得意とした名指揮者の代表的な記録である。動的な呼吸で全体を雄大に構築した硬派の演奏でありながら、徒に豪快になることなく燻し銀のやうな音楽を聴かせる。細部の彫刻云々よりも夕映えのやうな詠嘆を漂はせた情感が美しく、存外飛び抜けた名演が少ない第7交響曲の中でも屈指の演奏として特筆したい。


シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」、「死と変容」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」
ライプツィヒ放送交響楽団
[Tahra TAH 138]

 アーベントロートが指揮した演奏は何れも、雄渾で、浪漫的で、情熱の血潮が滾るといふ、古き良き楽長の音楽である。アーベントロートが指揮したシュトラウスの演奏は、今日の水準から見れば、技術的に不満が残る。特にフルトヴェングラーやメンゲルベルクの見事な録音があるだけに分が悪い。だが、アーベントロートは独自の音色を持つてをり、古色蒼然としたドイツの地方気質を聴かせてくれた。ライプツィヒやドレスデンのオーケストラの音を好む人には、この演奏は喜ばれるだらう。


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
[Tahra TAH 763-764]

 アーベントロートの音源発掘を精力的に行つてきた仏Tahraがまたもや快挙を成し遂げた。ポーランド放送局からの蔵出し初出音源で、1953年と1954年にアーベントロートがワルシャワ国立フィルに客演した記録である。2枚組1枚目。得意としたエロイカは、1953年11月22日の演奏記録だ。ノイズが多めで音質が優れず、オーケストラも一流とは云ひ難いが、演奏から聴かれる熱気は如何ばかりだらう。第1楽章冒頭から闘魂が注入された合奏で最後の和音まで沸騰が止まない。第2楽章の大袈裟な感情移入、進撃する第3楽章主部、大見得を切るトリオ、フィナーレではアーベントロートが常套的に行ふ長いフェルマータやコーダでの無茶苦茶なアッチェレランドがやり過ぎに演出される。学究的な聴き手からは一時代前の悪しき演奏の見本だらう。だが、詰まらないエロイカは願ひ下げだ。音楽はかうでなければならぬ。天晴。


モーツァルト:交響曲第40番
ベートーヴェン:交響曲第7番
ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
[Tahra TAH 763-764]

 2枚組2枚目。蒐集家驚愕の大発見録音で、録音演目として欠けてゐたモーツァルトの第40番とベートーヴェンの第7番といふ有名曲が登場した。1954年5月16日の記録であり、音質は申し分ない。アーベントロートは古典音楽を非常に得意とし、端正な造形で和声の進行を重視した正統的な演奏を聴かせる。ロマン派音楽で聴かれる激情に音楽の流れを委ねることはない。モーツァルトは木目細かく表情を織り込み、陰影と強弱は示唆に富む。カデンツの聴かせ方も見事だ。客演といふこともあり細部は雑な箇所もあるが、端麗な名演である。ベートーヴェンも引き締まつた古典的様式の範囲内で、ベートーヴェンが起こした革命を情熱で再現する。楽器を突出させず響きを融合させ、雑踏のやうな音楽乍ら核心を残した名演が聴ける。


ブルックナー:交響曲第7番
ベルリン放送交響楽団
[Tahra TAH 604-605]

 アーベントロート没後50年を記念して発売された未発表音源集。愛好家感涙の2枚組だ。1枚目。ブルックナーの第7交響曲で、1956年2月19日の演奏記録だ。さて、アーベントロートの同曲の録音には、数日前の2月16日もしくは17日とされる記録があり、矢張り仏Tahraから商品化されてゐた。別音源として認定されて、この度商品化された訳である。演奏内容は当然だが大差ない。最晩年の円熟した名演で、木目細かいテンポの変動が、往年のドイツが誇るブルックナー指揮者の貫禄を示す。華々しさは皆無で第2楽章の頂点で聴かせる地鳴りのやうな渋さも沁みる。美しいディミヌエンドの絶妙な表現は取り分け特筆したい。


チャイコフスキー:組曲第3番より主題と変奏曲、交響曲第6番「悲愴」
ライプツィヒ放送交響楽団/ベルリン放送交響楽団
[Tahra TAH 604-605]

 アーベントロート没後50年を記念して発売された未発表音源集。愛好家感涙の2枚組だ。2枚目はチャイコフスキーで、初演目となる主題と変奏が重要だ。1951年3月20日の放送録音で、ライプツィヒ放送交響楽団との演奏だ。ポロネーズでの熱量には圧倒される。全体的には雑然とした印象だが、重厚かつ密度の濃い名演と云へる。注目はアーベントロートが代表的名演を残した悲愴交響曲に2種類目の録音が加はつたことだ。これ迄聴かれてきたのは1952年1月28日のライプツィヒ放送交響楽団との録音で、新登場盤は1950年11月28日、ベルリン放送交響楽団とのライヴ録音である。実演であり、オーケストラの違ひもあつて印象はかなり異なる。まず、第1楽章の迫力と表現力が凄まじく、従来盤を凌ぐ。展開部の慟哭は噴流のやうだ。突撃するやうに前のめるかと思ふと全力で手綱を引いて後退りする。何といふ激しい感情表現であらうか。感傷的な歌でも木目細かくルバートをかけて情感を込める。壮大は悲劇を演出した男泣きの名演だ。残りの楽章も実演ならではの壮絶な演奏だが、従来盤ほど完成度が高くなく、かの第3楽章も解釈は同じだが仕上がりが劣る。



声楽 | 歌劇 | 管弦楽 | ピアノ | ヴァイオリン | 室内楽その他


BACK