楽興撰録

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ヴィルヘルム・フルトヴェングラー


ポリドール録音集
[KOCH LEGACY 3-7073-2 K2]

 マーストンによる復刻でNaxos Historicalからも復刻があるが、纏まりが良いKoch盤で取り上げる。「1930年代のフルトヴェングラー」といふ表現があるほど、オーケストラ藝術の頂点を築いた時代がある。第3代目常任指揮者に就任して10年、多くのユダヤ人名奏者を抱へたベルリン・フィルの合奏力はフルトヴェングラーの神秘的で憑依的な音楽性と相乗効果を齎し、トスカニーニとニューヨーク・フィル、メンゲルベルクとアムステルダム・コンセルトヘボウを凌いだ。残念ながらナチス政権の誕生で、ベルリン・フィルの性能は次第に落ち、決死の覚悟で臨んだ戦中の演奏が最後の残照であつた。電気録音初期で音こそ貧しいが、このポリドール録音に聴かれる演奏の素晴らしさは絶対である。2枚組の収録曲はヴェーバー「魔弾の射手」序曲の1935年再録音盤と導入曲、舞踏への勧誘、メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」序曲と「フィンガルの洞窟」、ベルリオーズ「ラコッツィ行進曲」、ヴァーグナー「ローエングリン」第1幕への前奏曲、「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、「ジークフリートの葬送行進曲」、ブラームスのハンガリー舞曲第1番と第3番、J・シュトラウス「こうもり」序曲、R・シュトラウスの「ティル」。この中で古今を通じても絶対的な演奏として、フィンガルの洞窟とハンガリー舞曲第1番を挙げる。誰を持つて来ようとこれ以上はない。次点ではローエングリンで、後年の録音よりも優れてゐる。(2018.10.16)


ベートーヴェン:交響曲第9番
エレナ・ベルガー(S)/ヴァルター・ルードヴィヒ(T)/ルドルフ・ヴァッケ(Bs)
ベルリン・フィル
[ARCHIPEL ARPCD 0441]

 フルトヴェングラーが指揮した第9交響曲の録音は12種類以上あるが、当盤は最も古い1937年5月1日の記録で、ロンドンのクイーンズ・ホールにて英国王ジョージ6世の戴冠記念演奏として行はれた。大戦前夜、緊張を増す英独の国際関係を余所に祝賀的な行事を取り持つたことは興味深い。手兵ベルリン・フィルを率ゐての演奏で―合唱団はブルーノ・キッテル合唱団と推測される―、音の古さを度外視すれば第9交響曲の録音中でも上位を占める名演である。まず、異口同音で語られる1930年代のベルリン・フィルがフルトヴェングラー指揮下で世界最高の音楽を創り上げてゐたといふ神話が真実であることが確認出来る。活きたリズム、無限のデュナーミク、含蓄ある和声進行、繊細なフレージング、そして全霊を捧げた情熱、全てが最高級である。特に甘美で流麗な第3楽章は上質この上ない。輪郭がぼやけた迫力を欠く古い録音ではその半分も凄さが伝はらないのが残念だ。合唱団も素晴らしく"vor Gott!"のフェルマータの長さは真似出来るものではない。独唱陣も完璧で、朗々としたヴァッケとルードヴィヒ、真珠のやうなベルガーが見事なアンサンブルを聴かせる。音は貧しいが丁寧に聴く価値のある演奏だ。(2014.2.18)


フルトヴェングラー:ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲ロ短調
エトヴィン・フィッシャー(p)
ベルリン・フィル
[PILZ History CD 78 004]

 作曲家フルトヴェングラーの代表的な作品である。とは云へ滅多に演奏されることもないが。1937年に初演されたこの曲は、来るべき大戦を予感させる鬱屈とした暗い気分に覆はれた曲だ。当時のドイツの政情やフルトヴェングラーの置かれた立場を考へれば頷けられよう。フルトヴェングラーの作曲姿勢はブルックナーやレーガーの延長上にあるが、徹底した絶望感と連綿たるメランコリーに独自の境地がある。セッション録音が組まれて蒐集家にはよく知られた第2楽章の報はれない回想録が美しい。しかし、32分を要する長大な第1楽章は余りにも晦渋過ぎてうんざりするかも知れぬ。問題は第3楽章で、第1、第2楽章との特段の差異を演出することなく静かに終はる為、全65分間、沈鬱な告白を聴かされたやうに感じて仕舞ふ。1939年1月19日のライヴ録音、音の状態は冴えないが、初演を共にした盟友フィッシャーの頼もしい独奏で残された貴重な記録である。(2011.2.12)


ベートーヴェン:交響曲第9番
エレナ・ベルガー(S)/ヘルゲ・ロスヴェンゲ(T)、他
ベルリン・フィル
[ARCHIPEL 0270]

 1942年4月19日の演奏会記録。巨匠没後50年の目玉として遂に登場した幻の音源である。愛好家にとつてフルトヴェングラーが第9交響曲を振つてゐる映像は掛替へのない重要な記録であつた。しかし、それは衝撃的な映像でもあつた。ハーケンクロイツの垂れ幕が仰々しく飾られた戦時下の舞台、演奏終了後のナチス官僚による盛大な拍手、そしてゲッベルス宣伝大臣とフルトヴェングラーとの握手―その後ハンカチで手を拭ふ。ヒトラーの誕生日前夜祭の忘れ得ぬ記録映像の1コマ。映像は第4楽章の後半のみであつたが、当盤はドイツで秘蔵されてゐた音源から制作された。残念ながら音質は悪く、飽くまで巨匠の崇拝者向けである。演奏は第2楽章から興が昂り、狂つたやうな終楽章の興奮を築く。音の状態が良ければ同年3月の壮絶な名演に匹敵する内容だらう。(2007.9.7)


シベリウス:エン・サガ、ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェン:序曲「コリオラン」
ゲオルグ・クーレンカンプ(vn)
ベルリン・フィル
[Melodiya MEL CD 10 00718]

 愛好家には既知のことだが、戦中ライヴの音質はメロディア盤が最高である。1943年の記録であるクーレンカンプのヴァイオリンがこれほど生々しく録られてゐるのは驚異的だ。10年以上先取りした技術力が確かにあつた。演奏に関しても戦中ライヴはフルトヴェングラー最良の記録であり、20世紀最高の演奏藝術があつた。他の指揮者の演奏が白々しくなるコリオランでの壮絶な悲劇、深遠で雄渾なエン・サガも他の演奏を一切寄せ付けない決定的名演だ。ヴァイオリン協奏曲での巨匠は重苦しく暗い叙情を見事に表現してをり、たゆたふテンポの妙は流石だ。クーレンカンプのヴァイオリンはドイツ後期ロマン派―レーガーなどの音楽に適してをり、べつたりした濃厚な歌ひ回しには違和感がある。しかし、珍しく燃えに燃えてをり聴き手を興奮させて呉れる。(2016.8.22)


シューベルト:グレイト交響曲
ウィーン・フィル
[Tahra FURT 1040]

 1943年、ストックホルムでのライヴ録音。1年前の壮絶なベルリン・フィルとの録音に比べると、ウィーン・フィルの優美な面が明らかだ。それだけに忌憚なく云へば、物足りない演奏である。良し悪しは別として、戦中のフルトヴェングラーは魔神のやうな鬼気迫る演奏が特徴で、誰にも真似出来ない凄みがあつた。当盤は音楽の流れが良く、シューベルトの歌心を引き出してゐる。だが、この曲の名演は1942年のベルリン・フィル盤と1953年のザルツブルクにおけるウィーン・フィル盤のどちらかに尽きると思ふ。当盤は蒐集家にとつては重要で、音質も極上である。(2009.8.6)


ベートーヴェン:交響曲第9番
ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団と合唱団、他
[Tahra TAH 488-489]

 1943年12月8日の演奏。ジャケット写真からも窺へるやうに同年4月のアーベントロート指揮による第9交響曲との組み合はせで、管弦楽団、合唱団、独唱陣が全部同じ顔触れと云ふ好企画CDである。当盤はフルトヴェングラーが振つた第9交響曲の録音の中では出来の芳しくないものと云へるだらう。前年のベルリンにおける悪鬼に魅入られたかのやうな壮絶なる演奏に比べると弱々しい。それは偏に管弦楽団の力量がベルリン・フィルやウィーン・フィルに及ばないからだらう。音に魔力が感じられず、アンサンブルの乱れも目立つ。アーベントロートの演奏でも述べたが、終楽章大詰めで何者かの掛声が数度混入するため両演奏ともに編集の疑惑が残る。(2006.4.7)


ブルックナー:交響曲第8番
ウィーン・フィル
[Tahra FURT 1084/87]

 1944年の演奏記録でこれ迄幾度となく商品化されてきた名演だが、Tahra盤は臨場感に溢れ、この時期の録音としては異例の生々しさを獲得してゐる。フルトヴェングラーによる第8交響曲の録音は4種あり当盤は最も古い記録となる。劇的な感情を漲らせた表現は現代のブルックナー解釈とは懸け離れてゐるが、隅々まで血の通つた演奏は強い説得力を持つ。戦後の演奏よりも崩れが少なく、一気呵成に聴かせる若々しさがあり、巷間実しやかに囁かれるフルトヴェングラー特有の強引なテンポ変動による違和感も当盤には稀薄だ。ウィーン・フィルの奏でる詠嘆の歌が美しく、演奏の傷も殆どないことから、特上の名演として推奨したい。(2007.4.25)


ヴァーグナー:「マイスタージンガー」第1幕への前奏曲
シューマン:ピアノ協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第7番
ヴァルター・ギーゼキング(p)
ベルリン・フィル
[King International KKC5952]

 録音に極度に神経質だつたフルトヴェングラーが絶大な信頼を寄せた戦中マグネトフォン録音―RRG録音―で現存する全ての音源を理想的な音質で復刻したベルリン・フィル自主制作盤22枚組―本邦キング・インターナショナルによる代理販売。持つてをらぬは潜りである。3枚目を聴く。実はお恥ずかしいことにヴァーグナーは音源として未所持であつた。1942年2月26日AEG工場での演奏で、戦意高揚の映像で使用されてゐたが、商業的には出回ることが少なかつた筈だ。音質は優れない部類だが、終盤に向かつての盛り上がりは流石だ。ギーゼキングとのシューマンは音が生々しく優秀で驚いた。有名な演奏なので、内容については割愛するが、管弦楽の浪漫的表情に魂を奪はれる。さて、問題は戦中の演奏で首位を争ふ極上の名演であるベートーヴェンだ。従来1943年、ペッピングの第2交響曲とベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番との組み合はせとされたが、シューマンと同日の1942年と改められた。一応、演奏会記録にはどちらもあるが、調性を考へればシューマンとの組み合はせが良く、ペッピングとの組み合はせは疑はしい。(2020.5.7)


グルック:「アルチェステ」序曲
シューマン:チェロ協奏曲
ティボール・デ=マヒュラ(vc)
ベルリン・フィル
[King International KKC5952]

 録音に極度に神経質だつたフルトヴェングラーが絶大な信頼を寄せた戦中マグネトフォン録音―RRG録音―で現存する全ての音源を理想的な音質で復刻したベルリン・フィル自主制作盤22枚組―本邦キング・インターナショナルによる代理販売。持つてをらぬは潜りである。5枚目を聴く。購入時にとても気になつた音源が含まれてゐる。グルックだ。クレジットによると1942年10月25日から28日にかけてフルトヴェングラーはグルック、シューマン、そして6枚目に収録されてゐるブルックナーの第5交響曲といふプログラムでコンサートを行つたが、録音で残されたのはシューマンとブルックナーだけの筈であつた。グルックが新発見録音かと思ひきや、ある疑惑が浮上する。フルトヴェングラーのアルチェステと云へばテレフンケン・レーベルから発売されてきた1942年10月29日の録音がある。公演直後に組まれたセッションといふ説だ。だが、TELDECから発売されたCDには28日とのクレジットもある。そこで、当盤とTELDEC盤とを比較してみた。演奏時間も同じで、リマスターの違ひで音像が異なり印となる目立つたノイズもなく断定は困難だが同じ録音と思へる。残念であつた。ここで2つの仮説が立つ。単に録音日の混同でテレフンケン録音がここに紛れ込んだか、実はテレフンケンがこの一連のライヴ録音からグルックのみを商品化してゐたのか。後者のやうな気がする。詰まりスタジオ録音ではないのではないか。(2020.11.19)


ヴェーバー:「魔弾の射手」序曲
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第1組曲より2曲&第2組曲
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
ベルリン・フィル
[King International KKC5952]

 録音に極度に神経質だつたフルトヴェングラーが絶大な信頼を寄せた戦中マグネトフォン録音―RRG録音―で現存する全ての音源を理想的な音質で復刻したベルリン・フィル自主制作盤22枚組―本邦キング・インターナショナルによる代理販売。持つてをらぬは潜りである。20枚目を聴く。1944年3月20日と21日の公演記録からの音源だ。さて、このRRG録音集成で最も注目されたのが初出となるラヴェルの第1組曲の出現であつた。これ迄、その存在が取り沙汰されてゐながら、録音は残つてゐないと考へられてきた。それが探索の結果、第2曲目の間奏曲と第3曲目の戦ひの踊りがこの度発掘されたのだ。第1曲目も演奏されたと考へられるが、録音には失敗したのだらう。1月に旧フィルハーモニーが爆撃で破壊されてからは録音に不備が多くなつたのは致し方ないのだ。音質も明らかに抜けが悪くなつた。物々しい雰囲気のラヴェルはフルトヴェングラーらしくて面白い。色彩感よりも情念を聴かせる。この日のプログラムは牧歌的な作品を並べた意図が窺はれる。決定的な名演である闇深いヴェーバー、じめじめと湿つて感情的な表現のベートーヴェン、一期一会の音楽が聴ける。


シューベルト:未完成交響曲
ブラームス:交響曲第1番第4楽章
ベルリン・フィル
[King International KKC5952]

 録音に極度に神経質だつたフルトヴェングラーが絶大な信頼を寄せた戦中マグネトフォン録音―RRG録音―で現存する全ての音源を理想的な音質で復刻したベルリン・フィル自主制作盤22枚組―本邦キング・インターナショナルによる代理販売。持つてをらぬは潜りである。22枚目を聴く。大戦末期の録音は戦況の影響で欠落が甚だしい。シューベルトは1944年12月12日の記録で、これ迄第1楽章のみが商品化されてをり、第2楽章は存在こそ確認されてゐたが、遂に日の目を見た。久々の巨匠の初出音源に、愛好家は興奮を抑へられぬだらう。音質も演奏内容も特段冴えないが、有り難く拝聴しよう。1945年1月22日もしくは23日の記録で、ベルリン・フィルとの戦時中最後の演奏記録であるブラームスの第1交響曲は第4楽章しか録音が残つてゐない。重要な録音で、復刻は数種あつた。余白にはシュナップ技師がフルトヴェングラーを語るインタヴューが収録されてゐる。(2019.7.16)


ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、同第5番
ベルリン・フィル
[audite 21.403]

 ドイツ占領下に発足した連合国軍管制下の放送局RIASに保管されてゐたフルトヴェングラーのベルリンにおける全ライヴ録音を原テープからリマスタリングした12枚の箱物より。1枚目は1947年5月25日の余りにも有名な復帰ライヴ。フルトヴェングラーは戦犯容疑の為に活動停止を命じられてゐたが、晴れて放免され、戦後初の演奏会となつたのがこれだ。ここだけは譲れないベートーヴェンだけのプログラムで臨む。田園交響曲は造型の乱れがあり良くない。鈍重な第1楽章は調子が上がらず感興が乗らない。楽章を重ねるにつれて次第にフルトヴェングラーの劇的な本領が発揮されるが、全体として好評価は出来ない演奏だ。第5番が良い。2日後の演奏が更に良く最高の名演なのだが、当盤の演奏も感動的だ。完成度が高い27日の演奏と比べると、この25日の演奏は細部が荒々しく、響きも粗野だ。しかし、凄まじい熱気で聴く者を感動の渦へと引き摺り込む魔力を持つてゐる。音楽を聴く待望感を具現したやうな一期一会の名演とも云へようか。音が生々しく戦後間もない録音とは思へない。愛好家ならずとも必携の箱物である。(2011.6.17)


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
ウィーン・フィル
[Tahra FURT 1027]

 戦後セッション録音の嚆矢となつた1947年の「エロイカ」である。フルトヴェングラーは1952年にも、同じくHMVレーベルにウィーン・フィルを振つて「エロイカ」を吹き込んでをり、これは天下遍く知れ渡る名盤としてよく聴かれるものだ。その為この1947年盤は余り顧みられることがない。しかし、原因はそればかりではない。この演奏に魅力が乏しいことも一因なのだ。フルトヴェングラーはライヴがよく、スタジオでの録音はその藝術を幾分も伝へてゐないと云はれるのはこのやうな録音がある為かもしれない。第1楽章が些とも燃え上がらず、スフォルツァンドは穏健で、ヘミオラのリズムに衝撃がないのが致命的だ。第2楽章も淡々と流れる。第4楽章は格調高さを失はない音楽が立派だが特別感銘の深いものではない。総じて抜け殻のやうな演奏である。録音も冴えず、ピッチも不安定であるが、復刻は上出来だ。(2005.8.23)


ブラームス:交響曲第1番、ハイドンの主題による変奏曲
ウィーン・フィル
[TESTAMENT SBT 1142]

 交響曲はフルトヴェングラーの残した10種の全曲録音中で唯一のセッション録音となる。伝説的な1947年の復帰演奏会後、フルトヴェングラーはHMVと契約し、ウィーン・フィルと録音を開始した。その手始めとなつたのが、エロイカとこのブラームスの第1番である。フルトヴェングラー藝術の神髄は実演にあるとされ、スタジオでの録音を褒める人は少ない。確かに1947年のエロイカや1954年のベートーヴェンの第5番などは生気に乏しいが、このブラームスの第1番は復刻状態もよくライヴより却つて上等に思へる。徒に激情に奔ることなく風格ある分厚さを保持し、幽玄たるロマンの発露に幻想がたゆたふ妙。変奏曲は1952年の実況録音で、7種ある録音の中では幾分腰が弱く感銘が劣る演奏である。(2005.1.14)


バッハ:組曲第3番
ヴェーバー:「魔弾の射手」序曲
ヴァーグナー:ヴァルキューレの騎行
シュトラウス:ドン・ファン
ベルリン・フィル/ウィーン・フィル
[Tahra FURT 1026]

 落ち穂拾ひの感がある1枚だが、蒐集家にとつては重要であらう。バッハの組曲は1948年10月24日の演奏記録で、同日には名演の誉れが高いブラームスの第4番が演奏された―EMIより繰り返し発売されてゐる。組曲第3番は2種類の録音が残されてゐるが、もう1種は2日前の記録であり内容は殆ど同じだ―DGよりCD化されてゐる。神韻としたエアの浪漫的な崇高さは感慨深い。ヴェーバーは1952年12月7日の演奏記録で、同日にはエロイカ交響曲の名演が残された。巨人のやうな荘厳さを醸し出すベルリン・フィルの凄みが出た名演だ。シュトラウスは1954年4月27日の演奏記録で、同日の演目はブラッヒャーを除いてDGより発売された―ブラームスの第3交響曲が極上の名演であつた。ヴァルキューレの騎行のみウィーン・フィルとのHMV録音で稀少価値はない。(2009.2.27)


シューベルト:未完成交響曲
ブラームス:交響曲第4番
ベルリン・フィル
[audite 21.403]

 ドイツ占領下に発足した連合国軍管制下の放送局RIASに保管されてゐたフルトヴェングラーのベルリンにおける全ライヴ録音を原テープからリマスタリングした12枚の箱物より。3枚目は1948年10月24日の演目で、プログラムの最初にバッハの管弦楽組曲第3番が演奏された―2枚目に収録されてゐる。未完成交響曲は商品化されたことが少ない録音で貴重だが、録音状態がやや悪く残念だ。演奏は魔力に欠けるが、躊躇ひ勝ちな表情が仄暗く美しい。特に第2楽章第2主題の神韻とした弱音にはぞくりとする。ブラームスはEMIから繰り返し発売されてきた最も有名な演奏だ。すすり泣くやうに始まる冒頭から慟哭に至る終結まで壮絶な感情をぶちまけたこの第1楽章を超える演奏を知らない。崇高な第2楽章の美しさも比類がない。常軌を逸してゐるが、これがブラームスの偽りのない正体だ。常人の及ばぬ絶対的名演。(2015.5.5)


ベートーヴェン:交響曲第8番、同第7番
ストックホルム・フィル
[WEITBLICK SSS0235/0238-2]

 ストックホルム・フィルとの共演全録音4枚組。2枚目。第8交響曲はEMIの全集に収録されてきたことでよく知られた音源だ。フルトヴェングラーは正規録音で7演目しか残さず、第2番と第8番はライヴ録音で埋め合はせた。この演奏はEMIが版権を獲得して広く出回つた訳だが、評価はさつぱりであつた。さて、同日に第7交響曲も演奏されたのだが、こちらは殆ど話題にもならず、忘れられてゐた音源である。他に良い演奏があるので飽く迄蒐集家だけが関心を寄せる演奏には変はりない。尚、同日に「レオノーレ」序曲第3番が演奏されたが、それは4枚目に収録されてゐる。


シュトラウス:4つの最後の歌
ヴァーグナー:「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲と愛の死
「神々の黄昏」よりラインへの旅とブリュンヒルデの自己犠牲
キルステン・フラグスタート(S)
フィルハーモニア管弦楽団
[TESTAMENT SBT 1410]

 1950年5月22日の記録。シュトラウスは初演時の記録として高名である。初演では現行版と異なり、第1曲目と第3曲目の演奏順番が入れ換へられてゐる。英TESTAMENTによると、これ迄聴かれてきた音源はリハーサル時の録音で、当盤は本番の録音だといふことなのだが、全く同じである―第1曲目「眠りにつくとき」の独奏ヴァイオリンのしくじりが全く同じだからだ。更に、音質が改善されてゐるといふ触れ込みだつたが、ノイズ除去を甚だしくかけただけで、聴き比べるとノルウェーSIMAX盤の方が音に実体感がある。当盤の目玉は実はヴァーグナーの方である。この日は「マイスタージンガー」の前奏曲、ジークフリート牧歌が演奏された後、当盤に収録された演目が演奏された。プログラム前半の録音は消失されて残らないさうだが、「トリスタンとイゾルデ」と「神々の黄昏」は当盤が初出となる発掘音源なのだ。しかも、シュトラウスよりも音質が優れてゐる。演奏は雄渾極まりなく、ティンパニの壮絶な轟きはフルトヴェングラーの神髄だ。フラグスタートの絶唱も感銘深い。音質は決して良いとは云へないが、後のセッション録音を上回る名演である。(2012.2.16)


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
グルック:「アルチェステ」序曲
ヘンデル:合奏協奏曲第5番
ベルリン・フィル
[audite 21.403]

 ドイツ占領下に発足した連合国軍管制下の放送局RIASに保管されてゐたフルトヴェングラーのベルリンにおける全ライヴ録音を原テープからリマスタリングした12枚の箱物より。7枚目は1950年6月20日のベートーヴェン―6枚目と組み合はせて1日の演目となる、1950年9月5日の極めて貴重なグルック、1954年4月27日のヘンデル―11枚目の内容と組み合はせて1日の演目となる―から成る。グルックとヘンデルはDGからも出てゐたが、より生々しい音で鑑賞出来る。重厚なフルトヴェングラーの個性が出た高貴な名演だが、余りにも様式を逸脱してをり一般的とは云へない。ベートーヴェンはTahraからも出てゐた。音質は甲乙付け難いが、当盤の方が実際の音に近いのだらう。演奏はフルトヴェングラーによるエロイカの中でも頓に評判の高いものだ。ベルリン・フィルとのエロイカだと1952年12月7日の演奏が最も素晴らしいと思ふが、この1950年がそれに次ぐだらう。完成度の高い名演だ。(2012.10.28)


ベートーヴェン:交響曲第4番、他
ウィーン・フィル
[Tahra FURT 1084/87]

 目玉は1950年に録音されたベートーヴェンの第4交響曲で、2年後に同じウィーン・フィルとの再録音がある為看過されてきた録音である。以前本邦では東芝が発売したが、入手困難な状況であつた。重厚で鈍重な1952年盤に比べ、僅かに流麗で曲想との齟齬が少ない。演奏の内容は当盤に軍配を上げたい。抱合はせのメンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」、モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、シュトラウス「皇帝円舞曲」は本家EMIから幾度も発売されてゐる音源であるが、Tahraならでは臨場感ある復刻を楽しみたい。何れも名演だが、メンデルスゾーンとモーツァルトは戦前にベルリン・フィルと吹き込んだポリドール録音の方が数倍素晴らしい。(2007.5.23)


ベートーヴェン:交響曲第7番、他
ウィーン・フィル
[Tahra FURT 1084/87]

 収録曲はベートーヴェンの第7交響曲とレオノーレ序曲第3番、スメタナの「モルダウ」であり、全て繰り返し発売されてきた音源ばかりである。しかし、交響曲の復刻はSPから行はれてをり、特別な価値がある。それと云ふのも、本家EMIから商品化されてゐるものは編集の際に女性の声が混入されて仕舞つたマスターテープを使用してゐるからだ。かつて本邦の新星堂が女性の声のないSP盤から復刻を行つてゐたが、全世界に向けてTahraが最良の復刻をしたことに当盤の価値がある。愛好家以外には瑣末事だらう。(2007.7.3)


1950年録音(ヴァーグナー/ヴェーバー/シューベルト/チャイコフスキー/シュトラウス/モーツァルト)
ヴィルマ・リップ(S)
ウィーン・フィル

[Warner Classics 9029523240]

 HMV/エレクトローラ/パーロフォンのEMI系だけでなく、ポリドール/DGやDECCAへの商業用録音の全てを集成した渾身の55枚組。24枚目。収録曲はヴァーグナー「葬送行進曲」と「マイスタージンガー」第3幕前奏曲、ヴェーバー「オベロン」序曲、シューベルト「ロザムンデ」より間奏曲第3番とバレエ音楽第2番、チャイコフスキーの弦楽セレナードから2曲、シュトラウス「ピッツィカート・ポルカ」が2種、リップとのモーツァルト「魔笛」の夜の女王アリア2曲で、1950年1月31日から2月3日に集中的に録音された。HMVはやうやくテープ録音への切り替へを始め、これらの録音は実験的な場とされた節があり、54枚目で初出となつたテスト録音が多く残されてゐたことがそれを証明する。ヴェーバーに謎の雑音が混入したこと、ピッツィカート・ポルカがグロッケン入りと無しの2種の録音があり、雰囲気も違ふので疑惑付きであること、長らく未発表であつたモーツァルトなどミステリー満載だ。演奏はどれも極上だ。特に情感豊かな「マイスタージンガー」第3幕前奏曲、気品ある憂ひが絶品のチャイコフスキーのワルツは特級品である。リップが絶好調のモーツァルトは単体としては最上級の名唱だ。(2021.11.30)


シューベルト:未完成交響曲
初出音源集(シュトラウス/ヴァーグナー/シューベルト/チャイコフスキー)
ウィーン・フィル
[Warner Classics 9029523240]

 HMV/エレクトローラ/パーロフォンのEMI系だけでなく、ポリドール/DGやDECCAへの商業用録音の全てを集成した渾身の55枚組。音質も過去最上級であり、持つてをらぬは潜りである。さて、愛好家が最も関心を寄せるのは疑ひなく54枚目の初出音源集だ。コペンハーゲンでのウィーン・フィルとの未完成交響曲はライヴ録音なのだが、この度発掘されたといふことで特別に収録されてゐる。1950年10月1日の記録だ。音質や演奏内容で特記すべき点はないが、蒐集家のカタログとして非常に重要だ。さて、1950年の1月から2月にかけてフルトヴェングラーは大量の録音を行つたのだが、杜撰な管理・編集の為、多くの謎を作つた曰く付きの録音ばかりなのだ。今回、その中からテスト録音やお蔵入り別テイクが幾つも初出となつたのも頷ける。シュトラウス「皇帝円舞曲」、ヴァーグナー「葬送行進曲」、そしてシューベルト「ロザムンデ」間奏曲は2種ある。更に初演目となるチャイコフスキーの弦楽セレナードの第3楽章といふ掘り出し物まで飛び出した。まだまだ、新規音源が出て来るものだ。フルトヴェングラーは同時に第2楽章と第4楽章を録音してをり、もう少しで一揃ひになつたのに惜しい。憂鬱な美しさが印象的だが、商品化には至らなかつたやうだ。この他、余白に開始ブザー音を含めた録音風景断片を接続した記録が収録されてゐる。(2021.10.30)


ベートーヴェン:交響曲第9番
シュヴァルツコップ(S)、他
バイロイト祝祭管弦楽団
[東芝EMI CE43-5509]

 50回目の命日に何を聴いてここに記すか―バイロイトの第9かウラニアのエロイカか。選んだのは、私にとつてフルトヴェングラーとの出会ひとなつた第9。余りにも有名な名盤であるが、第9の演奏としては特異なものだと云ふことが意外と語られてゐないと思ふ。世評通り第3楽章が特別な意味を持つ空前絶後の演奏なのだが、フルトヴェングラーがベルリン・フィルやウィーン・フィルその他を指揮した第3楽章にはもつと甘美で生々しい歌があつた。このバイロイト盤は深く暗く沈み込み、渋く幻想的な詠嘆がある。また、終楽章の劇性の描き分けが徹底してゐるのもバイロイト盤の栄誉である。これはヴァグネリアンの第9だ。だが、この曲の受容史を考へれば単なる名演の域を超えた意義がある。ヴァーグナーもブルックナーも第9の影響なしには語れない。ベートーヴェンより始まるロマン派音楽の正統なる後継者を、フルトヴェングラーは自分の中に認めてゐたであらう。今日の学究的で実証的なベートーヴェン演奏とは世界が違ふ。(2004.11.30)


ベートーヴェン:交響曲第9番
シュヴァルツコップ(S)、他
バイロイト祝祭管弦楽団
[ORFEO C 754 081 B]

 物議を醸した1枚。絶対的な名盤、かの有名な「バイロイトの第9」は識者によつてテープの継ぎ目が指摘され、HMVの敏腕プロデューサーであるウォルター・レッグの「(本番の演奏は)今迄以上に素晴らしい演奏とは云へなかつた」といふ証言からも本番そのものを商品化したものではないと囁かれてゐた。そして遂にそれが真実であることが証明された。バイエルン放送局に残されてゐた本番の実況録音である秘蔵音源―「放送に使用するべからず」と警告まであつたといふ―が日の目を見た。確かにレッグの言葉通り、感銘が著しく落ちる―主に第4楽章で。この「バイエルン放送局の第9」とEMI盤の詳細な違ひは愛好家らによつて研究されてゐるので譲る。要は天下のEMI盤はレッグによつてリハーサルから回されてゐたテープを主に使用し、第2楽章のほぼ全てや第3楽章の部分など本番の方が良かつた箇所を適宜継ぎ接ぎした編集盤であつたといふことだ。更に"vor Gott!"のフェルマータではレッグが故意にボリュームを上げ、クレッシェンドを演出したともされる。だが、このことはEMI盤の価値を穢すものではない。「バイロイトの第9」が一期一会のライヴでないことは少々残念だが、本番を利用したセッションであつたと捉へればよいではないか。「バイロイトの第9」は不滅の名盤、「バイエルン放送局の第9」は貴重な記録として鑑賞すべし。(2012.4.12)


ヴァーグナー:「さまよえるオランダ人」序曲、ジークフリート牧歌、他
[WARNER FONIT 5050466-2965-2-8]

 ヴァーグナー作品の指揮においてフルトヴェングラーは最も偉大な指揮者のひとりであつた。楽劇全曲の録音には幾分遜色があるが、巨匠の残した序曲や前奏曲の録音は賭け値なしに最高であり、神聖な純血と高貴な官能美が魔力を帯びてゐる。戦後、巨匠はイタリアで盛んにヴァーグナーを振つてゐるが、政治的な柵がドイツでの演奏を妨げたのだらう。このチェトラ盤は音質の改善が図られてゐるやうだが、音の鮮明度は今ひとつだ。「さまよえるオランダ人」序曲とジークフリート牧歌は、HMVへのセッション録音の他にこのライヴ録音が存在するのみである。しかし、音質・演奏共にHMV録音には及ばない。「ラインへの旅」は珍妙なカットがある不可解な演奏。(2004.11.10)


ブルックナー:交響曲第7番
ベルリン・フィル
[MYTO 00183]

 1951年5月1日、ローマでの公演記録。2枚組の1枚目を聴く。フルトヴェングラーとベルリン・フィルはブルックナーの第7交響曲を提げて演奏旅行敢行中で、約1週間前にカイロでのライヴ録音も残り、それはDGから発売されてきた。ローマでの録音は仏Tahraからも発売されてをり、端的に申せばTahra盤を聴くべきだ。このMYTO盤は原テープからの復刻とあるが、状態の悪いアセテート盤からの復刻に過ぎない。ヒスノイズや歪みが酷く、何より音の分離が悪いので、Tahra盤と比べると同じ録音を聴いてゐるとは思へないほど表情が平坦に聴こえる。しかし、ローマでの演目を全て聴けるのはこのMYTO盤の強みである。一応MYTO盤で記事にするが、演奏評はTahra盤に拠る。実演ならではの激烈で濃厚な官能が押し寄せる名演だ。ベルリン・フィルの弦楽器が歌ひに歌ひ込む。第2楽章は次元が異なる狂ほしい音楽で、人間の嘆きの全てが凝縮されているやうだ。尚、カイロでの演奏との差異は僅かだ。(2020.1.3)


ドビュッシー:夜想曲より雲と祭
シュトラウス:ドン・ファン
ヴァーグナー:「タンホイザー」序曲
ベルリン・フィル
[MYTO 00183]

 1951年5月1日、ローマでの公演記録。2枚組の2枚目を聴く。フルトヴェングラーのドビュッシーは珍品だ。雲は威圧的な音色なのだが、ベルリン・フィルの弦楽器が全霊を込めて奏でる合奏に思はず呑み込まれる。祭でも重厚さは気になるが演奏は大変素晴らしい。得意のシュトラウスは本領発揮の名演だが、このローマ公演は音質が著しく悪く、価値が減じる。ヴァーグナーにも同じことが云へるが、終盤の盛り上がりが凄まじく、聴衆の興奮が止まない。音が悪いのが悔やまれる。この日の演目、ブルックナーの第7交響曲、ドン・ファン、タンホイザーの序曲は何もホ長調といふ極めて意欲的なプログラムであり、濃厚な愛欲の音が溢れる。余白に「ヴァルキューレ」第3幕抜粋が収録されてゐる。これはKoch Schwannが発売したウィーン国立歌劇場ライヴ第20巻に収録されてゐた1936年録音である。(2020.4.12)


プフィッツナー:交響曲ハ長調
ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲
ブラームス:交響曲第4番
ウィーン・フィル
[Orfeo C 409 048 L]

 ザルツブルク音楽祭における演奏会の録音を集成した8枚組の1枚。フルトヴェングラーの音楽性に合致したプフィッツナーが好演で、聴けば聴くほど感銘を受ける。この演奏が余り脚光を浴びないのは単に知名度によると思はれる。ストラヴィンスキーはフルトヴェングラーの記録の中で、最も不名誉なもののひとつであらう。生前から不評だつた前衛音楽への錯誤が見られる。ブラームスは1948年のベルリン・フィル盤には及ばないものの、実に感動的な演奏である。特に暗く沈着した時に見せる底なしの瞑想は胸に応へる。第4楽章後半の壮絶な指揮振りには、こと新しく凄みを感じる。(2005.5.19)


バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番
メンデルスゾーン:フィンガルの洞窟
マーラー:さすらふ若人の歌
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
ウィーン・フィル
[Orfeo C 409 048 L]

 ザルツブルク音楽祭における演奏会の録音を集成した8枚組の1枚。メンデルスゾーンとマーラーはブルックナーの第5交響曲と共に演奏された1951年の記録で、マーラーは以前Cetraから出てゐたが、メンデルスゾーンは極めて珍しく、Orfeo箱物の目玉音源だ。フルトヴェングラーが残した「フィンガルの洞窟」には1930年のポリドール録音といふ神品があるので、当盤は残念ながら統率力を欠く雑然とした演奏に聴こえて仕舞ふが、暗い詩情がたゆたふ趣は流石である。「さすらふ若人の歌」は、マーラーに理解を示さなかつたフルトヴェングラーをディースカウの名唱が開眼させたと云ふ伝説的な演奏である。これが1952年の奇跡的なHMV録音に繋がつた。併せて聴きたい。バッハはEMIで既出の音源。重厚な演奏で時代様式の錯誤甚だしいが、巨匠がピアノを弾いてゐると云ふことで無上の価値がある録音。第1楽章の深淵に臨むやうな仄暗いカデンツァは空前絶後の凄みがあり、巨匠の音楽性が直に伝はる貴重な記録と云へる。(2006.2.11)


ブルックナー:交響曲第5番
ウィーン・フィル
[Orfeo C 409 048 L]

 ザルツブルク音楽祭における演奏会の録音を集成した8枚組の1枚。当盤はEMIで既出の音源。フルトヴェングラーが指揮したブルックナーは概して世評が芳しくない。響きが濁つてゐるのと、テンポの煽りが強いからだ。劇的過ぎることは否定出来ない特徴で、神々しさがないとブルックナー崇拝者には忌み嫌はれてきた。だが、余り解釈とやらに凝り固まるのは反対だ。フルトヴェングラーのブルックナーには、音響を構築するばかりの指揮者からは決して聴かれることのない美しい瞬間がある。第2楽章の痛切な調べに耳を傾けよう。戦時中の精力的にして壮絶なるベルリン・フィル盤と比較すると、当盤は柔和で壮麗なウィーン・フィルの持ち味が出てをり崩れも少ない。(2004.12.24)


ハイドン:交響曲第88番
ラヴェル:スペイン狂詩曲
ウィーン・フィル
[THE TOP OF HELICON THCD 2-1000]

 最初に苦言を呈す。当盤のジャケットデザインは余りにも酷い。オンラインで注文して届いた商品を見た時は絶句した。店頭なら決して購入することはなかつただらう。しかし、当盤を無下にすることが出来ない2つの理由がある。ひとつは1951年10月22日にシュトゥットガルトで行はれた演奏会演目3曲を纏めてあること―各曲別々でならDGより発売されてゐる―、もうひとつは恐らくシュトゥットガルトにある元テープを使用したと思はれる音質の良さだ。DG盤も極めて音質が良いが、更に生々しさのある当盤を愛好家は看過してはならない。ハイドンの交響曲は素晴らしい内容だが、鈍重な演奏が軽妙な楽想と齟齬をきたしてゐることは素直に認めなくてはならない。巨匠によるラヴェル作品の録音は意表外に多い。響きは暗く重苦しいが情動過多な表現は異色で面白い。(2008.3.11)


ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティシェ」
ウィーン・フィル
[THE TOP OF HELICON THCD 2-1000]

 もう一度苦言を呈す。当盤はジャケットデザインが酷い。だが、それを補つて余りあるのが当盤の音質で、勿論録音年代相応ではあるが、会場の空気まで伝へるやうな臨場感のある音には驚きを禁じ得ない。フルトヴェングラーのライヴ録音でこれだけの音が聴けるのは極僅かしかない。肝心の演奏だが、ホルン奏者が明らかに不調で、失望すること請け合ひの冒頭のしくじりだけでなく、全楽章で失敗が多い。改訂版を使用してゐることも五月蝿い聴き手からは敬遠されよう。だが、この演奏の抗し難い魅力は一体何故であらう。荒れ狂ふやうな推進力と劇的な響き。世の範となるやうなブルックナー演奏ではない。しかし、音符が要求する生命の乾きを満たして行くフルトヴェングラーの指揮は、聴く者を催眠に掛ける「魔法の棒」なのだ。断ち難い執心を掻き立てる名演。(2008.4.9)


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番、交響曲第3番「英雄」
ピエトロ・スカルピーニ(p)
RAIローマ交響楽団
[MYTO HISTORICAL LINE 00202]

 MYTOはフルトヴェングラーのイタリア客演時の録音を元テープに遡り、これまでにない高音質で商品化して呉れた。但し元々の音質が劣悪だから大して期待してはならない。当盤は1952年1月19日、ローマにおける公演を収録した2枚組である。エロイカは客演の記録だからベルリン・フィルやウィーン・フィルとの名演とは比較にならないばかりでなく、管弦楽団の質が余りにも劣悪過ぎて、巨匠の名誉とはならない演奏だ。終演後、聴衆は沸き立つてゐるが、特記すべきことのない演奏である。スカルピーニとの協奏曲は巨匠の数少ない協奏曲録音といふことで注目される。しかし、管弦楽は凡庸で、肝心のスカルピーニもミス・タッチが目立ち、精度が良くない。何よりフルトヴェングラーには戦中ベルリンにおけるハンゼンとの奇蹟的な名演があるので全く及ばない。余白に1950年ザルツブルクにおけるエロイカが収録されてゐるが、EMIやOrfeoから発売されてをり無意味で迷惑だ。(2013.2.1)


ベートーヴェン:交響曲第9番
ギューデン(S)/アンダイ(Ms)/パツァーク(T)/ペル(Bs)
ウィーン・フィル、他
[Tahra FURT 1075]

 1952年2月3日の実況録音。フルトヴェングラーによる第9交響曲の全曲録音は少なくとも10種を数へ、その中ウィーン・フィルとの演奏は3種もあり、当盤の位置付けを特殊なものとするには些か個性が弱い。しかし、演奏内容は大変素晴らしく、聴くほどに味はひが深まる。第2楽章の次第に熱くなる感興の瑞々しさは流石である。第3楽章はやや甘過ぎるきらいはあるが、ウィーン・フィルのヴァイオリンの美しさには思はず嘆息する。終楽章もウィーンが誇る独唱・合唱を揃へて壮麗極まりない。仏Tahraによる優秀な音質も価値が高い。(2005.6.14)


ハイドン:交響曲第88番
ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番
ラヴェル:スペイン狂詩曲
シュトラウス:死と変容
トリノRAI交響楽団
[MYTO HISTORICAL LINE 00208]

 MYTOはフルトヴェングラーのイタリア客演時の録音を元テープに遡り、これまでにない高音質で商品化して呉れた。但し元々の音質が劣悪だから大して期待してはならない。1952年3月3日、トリノにおける公演を収録した1枚だが、ベートーヴェンはこれまでの商品同様、誤つて混入されたアムステルダム・コンセルトヘボウとの演奏である―近年この日の真性の音源が発見されたやうだ。ハイドンは他にDGへのセッション録音とウィーン・フィルとのライヴがあり、当盤は殆ど注目されない。演奏は尻上がりに調子が出て悪くはない。ラヴェルは他にウィーン・フィルとのライヴがあるが、巨匠によるフランス音楽はそれだけで珍しいの重宝する。所詮色物であるが、蒐集家には重要なのだ。シュトラウスはHMVにセッション録音した絶対的な名盤があるので―もう1種ハンブルクでのライヴもある―、当盤は分が悪いが、情念の入つたなかなかの好演である。要は蒐集家以外には必要のない1枚だが、音質はこれまでで一番良いといふことだ。(2012.12.6)


シューベルト:「ロザムンデ」序曲、未完成交響曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ヴァーグナー:「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲と愛の死
ジョコンダ・デ=ヴィート(vn)
トリノRAI放送交響楽団
[MYTO HISTORICAL LINE 00215]

 1952年3月11日の放送録音で、3月7日のブラームスに続くデ=ヴィートとの共演で知られる公演の記録だ。部分的には仏Tahraからも発売されたが、矢張り全演目を順番に聴ける価値が大きい2枚組だ。元テープからのリマスタリングと謳つてゐるが、音質を期待し過ぎてはいけない。序曲の演奏は雑な印象で殆ど価値はない。未完成交響曲が素晴らしい出来だ。自然体で、ドイツ・ロマンティシズムを感じさせる深淵な表情も聴ける名演だ。巨匠の残したこの曲の録音でも上位に位置するだらう。協奏曲ではデ=ヴィートが個性的な名演を聴かせる。冒頭から船酔ひしさうなほど旋律に抑揚を付け、全曲に亘つて歌が満ち溢れてゐる。思はず濃厚な表情に呑み込まれ、奔放な第3楽章は宛らヴァルキューレのやうだ。残念乍ら木管楽器の凡庸な失敗があり演奏を台無しにしてゐるのが痛恨だ。この日の最高傑作はヴァーグナーだ。情念渦巻く名演でイタリア客演時の最良の記録だらう。余白に1942年の高名なベルリン・フィルとのグレイト交響曲を収録。(2015.1.20)


ベートーヴェン:交響曲第5番、同第6番「田園」
RAIローマ交響楽団
[MYTO 00197]

 1952年10月1日、ローマにおけるライヴ録音。元テープからのリマスタリングと謳つてゐるが、音質を期待し過ぎてはいけない。しかし、素直で聴き易く、現時点では最も優れたCDだと云へさうだ。客演で下手なイタリアの楽団を振つた当盤の演奏にはこれといつた価値のないことは明らかであり、蒐集家以外には不要だらう。特に第5番はフルトヴェングラーの同曲の全録音の中で、最も不出来な演奏に違ひない。丁寧に聴けば良い箇所もあるが、オーケストラの能力の稚拙さが致命的だ。ところが、田園交響曲はオーケストラの技量や薄さといふ問題点は同じなのだが、よく歌つた流れの美しい演奏で捨て難い。フルトヴェングラーが指揮する田園交響曲は重く暗いのが常なのだが、当盤はイタリアの楽団らしい明るい音色で、細部には拘泥はらない歌謡溢れる演奏が楽想に良く合つてゐる。何故か余白に1947年のメニューインとのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の録音が収録されてゐるが蛇足だ。わざわざ2枚組にした理由がわからない。(2011.9.2)


ベートーヴェン:交響曲第1番
マーラー:さすらふ若人の歌
アルフレッド・ペル(Br)
ウィーン・フィル
[Tahra FURT 1076-1077]

 1952年11月30日の実況録音。第1交響曲は巨大な威容を感じさせる悠然としたテンポによる演奏で、偉大な9つの交響曲のひとつとして第1番を表現してゐるのが如実に解る。しかし、同年に行はれた見事なセッション録音があるので価値は殆どない。フルトヴェングラーが一旦はレパートリーから外したマーラー作品をディースカウとの共演によつて再認識したことは余りにも有名だが、マーラーの録音は「さすらふ若人の歌」が3種あるのが全てだ。即ち当盤とディースカウとの2種である。ペルは大きな揺れを伴ふ感情の起伏が激しい歌唱を聴かせるが、ヴェリズモ・オペラを聴いてゐるやうな大仰な泣き節にはげんなりする。詩人肌のディースカウの名唱とは大違ひだ。ウィーン・フィルの煽情的な演奏は聴き応へがある。(2007.9.24)


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
ウィーン・フィル
[Tahra FURT 1076-1077]

 1952年11月30日の実況録音。余り注目されることのない演奏だが、大層感銘を受けた。それもその筈、この演奏会の数日前に名盤として誉高いセッション録音がウィーン・フィルと行はれてゐるのだ―同日に演奏されたベートーヴェンの第1交響曲とマーラーの「さすらふ若人の歌」も同年の素晴らしいセッション録音がある。揺るぎない構築と細部の彫琢の美しさに、演奏会本番ならではの感興と昂揚が加はつた 葬送行進曲のフガート以降の重厚さには目頭が熱くなる。終楽章の起伏豊かな造型は殊の外見事。屈指の名演として推奨したい。(2007.10.23)


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
シューベルト:「ロザムンデ」序曲
ブラッハー:管弦楽の為の協奏的音楽
ベルリン・フィル
[audite 21.403]

 ドイツ占領下に発足した連合国軍管制下の放送局RIASに保管されてゐたフルトヴェングラーのベルリンにおける全ライヴ録音を原テープからリマスタリングした12枚の箱物より。8枚目は1952年12月8日のベートーヴェン―7枚目と組み合はせて1日の演目となる、1953年9月15日のシューベルト―9枚目と組み合はせて1日の演目となる、1954年4月27日のブラッハー―11枚目と組み合はせて1日の演目となる―から成る。エロイカはTahraからも出てゐたが、素晴らしい音質だ。演奏も良いが細部の瑕が気になる。それに前日7日の演奏が余りにも見事なので、だうしても遜色がある。ロザムンデはDGからも出てゐた。荘重な名演だが、幾分もたれ気味だ。ブラッハーは余り商品化されることのない音源で面白からう。演奏は理想的とは云ひ難いが、気の利いた手際の良い作品で楽しめる。(2013.2.23)


フルトヴェングラー:交響曲第2番
ウィーン・フィル
[ORFEO C 375 941 B]

 1953年2月22日の演奏会記録。フルトヴェングラーは晩年に渾身の大作である第2交響曲を頻繁に演奏した。録音も驚く程残つてをり、何と6種を数へる。巨匠はベルリン・フィルを指揮してDGに正規録音を行つてゐるが、出来は当盤が最上であると断言したい。ウィーン・フィルはブルックナー、レーガー、プフィッツナーの流れを汲む熟爛のドイツ・ロマンティシズムに立脚した楽想を耽美的に奏で、特に第1楽章の目眩く詠嘆の歌は胸が苦しくなる程美しい。闘争的な第3楽章と英雄的なフィナーレからは激動の時代を生きた教養人の悲劇を聴くことが出来るだらう。諦観と憧憬が交錯する重厚な名曲であり、大指揮者の余技として正当に評価されてゐないのは残念でならない。当盤のメランコリーに塗り込まれた美しさに耳を傾けて欲しい。(2007.1.25)


ベートーヴェン:交響曲第7番、同8番
ベルリン・フィル
[DG POCG-2355]

 1953年4月14日の実況録音。フルトヴェングラーは初演同様この両曲を組んで演奏することを好んだ。1年後のウィーン・フィルとのライヴ録音も残つてゐるが、矢張りフルトヴェングラーの追求した音が聴こえてくるのは手兵ベルリン・フィルとの演奏からだ。低音の鳴り方が神髄で、コントラバスやティンパニが支える響きの偉大さは古めかしい録音からも伝はる。内声部も情熱的な雑踏を繰り広げ、旋律は高貴で悲劇的な音調を奏でる。第7番は1943年のライヴ録音を超える出来ではないが、第4楽章のコーダでチェロとコントラバスが腹の底から唸り、トランペットとティンパニが加速を増し狂気乱舞して行く様は興奮を禁じ得ない。第2楽章は葬送行進曲のやうに沈鬱だが、心を奪ふ音を紡ぎ出すのはフルトヴェングラーにしか出来ない藝術だ。第8番は3種類残る録音中最も出来がよい。浪漫的な演奏の為に歯切れの悪い箇所もあるが、第1楽章展開部の昂揚や第4楽章の短調に転じた箇所の深刻な瞑想に巨匠の凄みが出てゐる。(2006.9.25)


ストラヴィンスキー:妖精の口づけ
ブラームス:交響曲第1番
ベルリン・フィル
[Tahra FURT 1019]

 1953年5月18日の実況録音で、この2曲の間にはシュナイダーハンを独奏者に迎へてベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が演奏された―DGよりCD化されてゐる。当盤はエリーザベト夫人の計らひでマスターテープからCD化されてをり、音質が極上である。意外にもフルトヴェングラーはストラヴィンスキーの作品を意欲的に取り上げた。しかし、裏腹に評判は散々であつたやうだ。とは云へ、妖精の口づけは楽曲が平易で抒情的だからだらう、演奏は上出来の部類に属する。繊細な和声の表現が美しい。ブラームスは巨匠による同曲最後の記録である。他の録音と比べると特徴は薄いが、崩れがなくベルリン・フィルの底光りする重厚な響きが聴ける。1947年のセッション録音や1952年のベルリン・フィルとのライヴ録音と並ぶ名演だ。(2008.4.25)


ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
シューマン:交響曲第4番
イェフディ・メニューイン(vn)
ルツェルン祝祭管弦楽団
[Tahra FURT 1088-1089]

 シューマンは存在を知られながらも市販されることのなかつたライヴ録音で、音質と演奏の傷の為にあの奇蹟的なDG録音には劣るものの、巨匠十八番の演目故に掛け替へがない逸品。ルツェルン管はベルリン・フィルのやうな高貴さと柔軟性を持たないが、情熱的な音楽を放出させてをり、聴き手を興奮と陶酔へと誘ふ。DG盤がなければこれを最上とするところだ。フルトヴェングラー盤を聴かずしてこの曲を聴いたと云ふことなかれ。ブラームスはEMIより繰り返し発売されてゐるHMV録音。Tahraの復刻は申し分ない。翳りのある響きで内省的な美しさを引き出したフルトヴェングラーの棒はここでも奥義を発揮してゐる。メニューインは内燃する情熱を聴かせて手堅いが、催眠術的な魔力には乏しく、時に緊張の糸が切れる瞬間がある。この曲には名演が揃ひ踏みしてをり、この程度の演奏では王座は奪へまい。(2005.4.1)


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、同第7番第2楽章リハーサル、他
ルツェルン祝祭管弦楽団
[Tahra FURT 1088-1089]

 フルトヴェングラーが残した「エロイカ」の録音は11種にも上り、「ウラニア」盤を筆頭にレコード藝術の最高峰とも云へる名盤が揃つてゐる。Tahraの生々しい復刻の御蔭で鑑賞に差し支へはないものの、1953年の録音としては音質が混濁気味で、管弦楽の力量の差もあり、このルツェルン盤に遜色があるのは止むを得ない。しかし、流石はフルトヴェングラーで、第1楽章展開部における白熱、第2楽章フガートからの格調高い悲劇には聴き惚れて仕舞ふ。余白に収められた第7番のリハーサルは東芝EMI盤以来の復刻となる。フルトヴェングラーの稽古風景の記録は殆ど通し演奏のやうなものが多いのだが、この記録は何度も演奏を中断して細かく指示を出してゐる。足を踏み鳴らしつつ気焔を吐くといつた相当熱の入つた稽古となつてをり、練習好きで何時も時間内に終はらなかつたといふ片鱗が窺はれ興味が尽きない。愛好家なら是非とも蒐集しておきたい。(2005.4.24)


ベートーヴェン:交響曲第4番、同第5番
ウィーン・フィル
[Tahra FURT 1090/1093]

 フルトヴェングラーの遺産を最も熱心に発掘し続ける仏Tahraが、巨匠没後50年の2004年に発売した真打ちとも云へる記念ディスク。4枚組の1枚目を聴く。第4番は1953年9月4日のミュンヘンでの実況録音、第5番は1950年10月1日のコペンハーゲンでの実況録音で、共にこれ迄余り商品化される機会の少なかつた録音だ。特にミュンヘンでの録音は押し並べて音質が優れないのだが、流石はTahraで、生々しい臨場感のある音質に仕上がつてゐる。第4交響曲では戦時中である1943年の2種の録音が劇的で凄まじいが、巨匠最後の記録も深々とした瞑想が聴ける名演である。特に序奏や第2楽章におけるドイツの森を彷徨ふやうな神秘的な情感は忘れ難い。第5交響曲は目立つた特徴こそないが、フルトヴェングラー一流の見事な演奏である。崩れが少ないのが良く、寂寥感と闘争心が均衡した名演だ。(2008.10.13)


ベートーヴェン:「エグモント」序曲、「レオノーレ」序曲第2番
ヴァーグナー:「ローエングリン」より第1幕前奏曲&はるかな國へ、「ブリュンヒルデの自己犠牲」
フランツ・フェルカー(T)/キルステン・フラグスタート(S)、他
[Tahra FURT 1090/1093]

 フルトヴェングラーの遺産を最も熱心に発掘し続ける仏Tahraが、巨匠没後50年の2004年に発売した真打ちとも云へる記念ディスク。4枚組の2枚目を聴く。極めて貴重な音源が選ばれてをり、蒐集家には有難い内容だ。「エグモント」は1953年9月4日のウィーン・フィルとのライヴ録音。同日に交響曲第4番が演奏されてをり、1枚目に収録されてゐる。エロイカ交響曲も演奏されたが、録音は残らないらしい。「レオノーレ」序曲第2番は1947年6月9日のハンブルク・フィルとの演奏。同日にはシュトラウス「死と変容」が演奏されてゐるが、当盤には収録されてゐない。「ローエングリン」からの2曲は1936年7月19日のバイロイトにおける記録。第3幕の抜粋録音が知られてゐたが、第1幕への前奏曲の録音も残つてゐたとは驚きだ。フェルカーによる「はるかな國へ」は名唱だ。音質も良い。「ブリュンヒルデの自己犠牲」は1952年5月31日のローマでの記録だが、第3幕の録音から抜き出しての収録なので価値がない。(2008.11.30)


シューベルト:未完成交響曲、グレイト交響曲
ベルリン・フィル
[Tahra FURT 1017]

 1953年9月15日の実況録音。当日は他に「ロザムンデ」序曲が演奏されてゐるが、DGよりCD化済みだ。フルトヴェングラーが残した未完成交響曲の録音―断片での録音を除く―では7種ある中の6番目、グレイト交響曲は5種ある中の最後の録音記録である。晩年の演奏の特徴である重厚な響きと弾まないリズムが顕著で、細部の仕上げにも不備が感じられ、当盤は必ずしも最良の記録とは云へない。特にグレイト交響曲は巨匠の十八番とされるだけあつて名盤が他に揃つてをり、この最晩年の記録は分が悪い。未完成交響曲は第1楽章展開部における地の底から湧き出るやうなヴァイオリンの苦悶が尋常ではなく、暗く死を突き詰めた感情を漂はせてゐる。第2楽章展開部の赤裸々な告白はフルトヴェングラーだけが為し得る感動的な歌だ。(2006.3.14)


ブラームス:交響曲第2番
フランク:交響曲
ロンドン・フィル
ウィーン・フィル
[DECCA 476 273-3]

 この形でのCD化を待望してゐた。別段稀少価値のある録音ではなく、これまでに幾度も発売されてきた音源なのだが、この2曲の組み合はせは初めての筈だ。ここには2つの重要な意味がある。1つはこの2曲がフルトヴェングラーのDeccaへの全録音と云ふこと。両曲とも唯一のセッション録音となる。もう1つはこの2曲こそ大戦末期にフルトヴェングラーがスイスへ亡命をする直前にウィーン・フィルとの演奏会で取り上げた曲で、録音に残された巨匠戦中最後の曲目なのである。あの荒れ狂つたライヴ録音を知る者にとつてこれは不気味な符合だ。当盤の演奏は別人のやうに穏健に聴こえるものだが、2曲とも高貴な浪漫を漂はせた名演で、愁ひを帯びた弱音の美しさにフルトヴェングラー藝術の偉大さが潜む。定評あるフランクはドイツ・ロマンティシズムの沈思する趣を湛へた名演だが、暗く淀んだ停滞感を覚える瞬間もあり手放しで絶賛は出来ない。寧ろ内省的なブラームスが感慨深い。(2005.10.6)


フルトヴェングラー:交響曲第2番
ベートーヴェン:交響曲第1番
シュトゥットガルト放送交響楽団
[MEDIAPHON JA-75.100]

 シュトゥットガルト放送交響楽団創設50周年記念シリーズの1枚だが、現在は独ヘンスラーから発売されてをり入手可能だ。1954年3月30日、シュトゥットガルト放送交響楽団との唯一の共演記録である。また、フルトヴェングラー自作自演の最後の録音記録でもある。フルトヴェングラーは自作の第2交響曲と組む演目をグルックの序曲かベートーヴェンの第1交響曲にするのが良いと考へてゐたが、1953年頃からはベートーヴェンとプログラムを組むことが定着した。生涯最後の演奏会もこのプログラムだつた―自作の録音は消去されたやうで残つてゐない。シュトゥットガルト放送交響楽団に客演した当盤だが、非常に熱気のある渾身の演奏で圧倒される。特に第3楽章から第4楽章にかけては尻上がりに良くなり感動的な演奏だ。自作自演では丁寧で慎重過ぎたDGへの正規セッション録音よりも流麗なウィーン・フィルとの演奏が良かつたが、当盤はそれに次ぐ名演だ。フルトヴェングラーの第2交響曲はブルックナーの延長線上にあり乍ら、第4楽章の情動の壮大さで新境地を拓いた傑作である。ベートーヴェンの前半は覇気に欠けた演奏で余り面白くないが、第4楽章で調子が上がり雄渾な名演が聴ける。音質だが鮮明さはないものの、放送局音源なので水準以上の録音状態で鑑賞出来る。余白に演奏会前のインタヴューが収録されてゐる。(2013.5.12)


ブルックナー:交響曲第8番
ウィーン・フィル
[Orfeo C 834 118 Y]

 ウィーンにおける演奏会の録音を集成した18枚組。稀少録音を多数含む重要な箱物だが、ゴットフリート・クラウスによるリマスタリングが悪く、玉に瑕だ。1954年4月10日、巨匠が没する年の最後のブルックナー録音で、入手が容易ではなかつたので歓迎したい。まず、興味を引くのはブルックナー協会の会長を務めてゐたフルトヴェングラーはこれ迄の演奏ではハース版を用ゐてきたが、出版前のノヴァーク版の校訂刷りを用ゐて―真偽は定かではないのだが―演奏したとされる唯一の録音なのだ。重要なのはどの版を使用したかの特定ではなく、フルトヴェングラーが常に新しい研究にも反応を示してゐたといふことだ。演奏は最晩年の枯れた様相を呈し、猛烈なアッチェレランドは聴かれない。だから違和感がなく、万人に薦めたい名演だ。低弦の力強い主張は他の演奏からは聴けない威容だ。共演したオーケストラはフルトヴェングラーの特質を「神秘的」と形容したが、的を射てゐる。パウゼが生み出す深淵は比類がない。そこから湧き上がる、ぞくりとする秘匿めいた音像はフルトヴェングラーだけの世界なのだ。(2018.8.6)


ヴェーバー:「オイリアンテ」序曲
ブラームス:交響曲第3番
シュトラウス:ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯
ヴァーグナー:「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲と愛の死
ベルリン・フィル
[MYTO 00184]

 1954年5月14日、トリノでの公演記録。2枚組。巨匠は毎年4月後半から6月前半にかけてはベルリン・フィルを率ゐて演奏旅行を行つた。連日演奏会が開かれたが、実況記録が残された公演が幾つかあり、これはそのひとつである。仏Tahraでも既出の音源だが、当盤はイタリアのレーベルが発奮して掘り出した原テープからのCD化と謳つてゐる。一部テープの歪みがあつたが情報量は多く音が熱い。一方で手を加へてゐない良さはあるが分離は悪く広がりに欠ける。矢張りTahraのリマスタリング盤の方が好ましい。演奏は別格だ。改めて聴いてみて、他の指揮者とは次元の異なる指向性に心打たれた。全身全霊を込めて奏者らが音を出してゐる。フルトヴェングラーとベルリン・フィルの演奏は真剣といふ意味を教へて呉れる。別世界に連れ去られ魔法にかけられたやうな気分になる。余白に1936年2月のウィーン国立歌劇場におけるヴァーグナー「ヴァルキューレ」の断片録音が収録されてゐる。これは墺Kochから出たウィーン国立歌劇場ライヴ集でのみ聴けた大変貴重な録音だ。(2014.10.24)


ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、同第5番
ベルリン・フィル
[audite 21.403]

 ドイツ占領下に発足した連合国軍管制下の放送局RIASに保管されてゐたベルリンにおける全ライヴ録音を原テープからリマスタリングした12枚組。12枚目。1954年5月23日の記録で、巨匠にとつて録音で残された両曲の最後の記録である。仏Tahraからも発売されてゐた。しかし、正直に申して特に語るべき点のない演奏である。田園交響曲は悪い点もないが、別段心を奪はれる特徴を備へた演奏でもない。フルトヴェングラーが指揮する田園交響曲は鈍重である反面神秘的な瞑想が美しいのだが、この演奏は無難で常套的な表現だ。数日前のルガーノでの演奏が素晴らしいだけに残念だ。第5交響曲も同様に巨匠にしては特徴が薄い演奏だ。不味い演奏ではないが、巨匠だけが創り出すことの出来る魔術的な感動と興奮が不足してゐる。(2011.10.10)


ベートーヴェン:交響曲第9番(リハーサルと本公演)
ルートヴィヒ・ヴェーバー(Bs)/ヴォルフガング・ヴィントガッセン(T)、他
バイロイト祝祭管弦楽団
[ARCHIPEL ARPCD 0439]

 2枚組。1枚目は1954年8月9日のライヴ録音で、様々なレーベルより発売されてきた巨匠死の年のバイロイト音楽祭における第9交響曲の演奏だ。このCDが発売された少し後、Orfeoより劇的な音質改善が図られた商品が出た。比べると当盤は歪みなども多く、鑑賞には適さない。従つて殆ど当盤の価値はない。あるとすれば2枚目に収録された公演前日8月8日の第3楽章と第4楽章のリハーサル風景だ。ほぼ通し稽古で本公演と大きな差異は感じられない。歌手は力を抜いてゐるので声が遠い。蒐集家以外には不要だ。クレジットにバスがエーデルマンと表記されてゐる。お粗末だ。(2014.6.17)


ベートーヴェン:交響曲第9番
ルートヴィヒ・ヴェーバー(Bs)/ヴォルフガング・ヴィントガッセン(T)、他
バイロイト祝祭管弦楽団
[Orfeo C 851 121 B]

 「バイロイトの第九」と云へば発売以来一度もカタログから消えたことのない不滅の名盤、1951年のバイロイト音楽祭再開記念での録音を指す。だが、フルトヴェングラーにはもうひとつの「バイロイトの第九」がある。1954年8月9日の演奏だ。しかし、この録音は米Music&Artsなどから度々発売されてきたが音質劣悪で知られ、為に問題にされなかつた。この直後にルツェルンで録音された巨匠最後の第9交響曲の録音は、音質が極上であるので余計に際立つて仕舞ふ。さて、Orfeoが最新技術を駆使して徹底的なリマスタリングを施した当盤は、過去最高の音質だと太鼓判を押せる。無論、元々の音質が悪いせいもあり、フルトヴェングラーの録音の中では並程度でしかないのだが。さて、演奏そのものであるが、第1楽章、第2楽章と鈍重で気が乗らない。何度も聴くとフルトヴェングラーならではの深淵さを感じ取れるが、概ね低調だと云へる。だが、第3楽章になると世界が変はる。遅いテンポでヴァイオリンが奏でる第1主題から数多の演奏とは次元が違ふ。遥かな國へと誘はれる悠遠な情趣はフルトヴェングラーだけの真骨頂だ。劇的に開始される第4楽章の起伏も凄い。クライマックスへと向つて聴衆を魔術にかける技は絶対的だ。歌手では威勢の良いヴィントガッセンが抜群で、矢張り第9交響曲はヘルデン・テナーでないと務まらない。ドラマティック・ソプラノのブロウエンスティーンも素晴らしい。(2014.6.10)


シューベルト:グレイト交響曲
ベートーヴェン:交響曲第8番
ウィーン・フィル
[Orfeo C 409 048 L]

 ザルツブルク音楽祭における演奏会の録音を集成した8枚組。1953年のシューベルトはEMIから、1954年のベートーヴェンはOrfeoから既出の音源。フルトヴェングラーの指揮したグレイト交響曲では、手兵ベルリン・フィルを振つた1942年の戦中ライヴと1951年のDGへのセッション録音が名高いが、このウィーン・フィル盤には特別な愛顧を感じる。第2楽章の柔らかく包み込む慰めの歌はウィーン・フィルとシューベルトの相性の良さを示してゐる。最高の聴き処は終楽章コーダのハ音連打に到達するまでの息の長い緊張感の持続であらう。聴く度に知らぬ間の興奮を覚える。希求する音楽を振る時、フルトヴェングラーには鬼神が憑く。ベートーヴェンは巨匠ならではの気概と昂揚があるが、曲想を考えれば緊密さを欠いたぼやけた演奏であり、別段優れたものとは云へない。(2005.3.3)


ベートーヴェン:大フーガ、交響曲第7番
ウィーン・フィル
[Orfeo C 409 048 L]

 ザルツブルク音楽祭における演奏会の録音を集成した8枚組。大フーガはDGより、交響曲はOrfeoより既出の音源。1954年8月30日の演奏で、この他に交響曲第8番も演奏されてゐる。フルトヴェングラー最晩年の遺産で、演奏会の録音記録はこの後に1つしかない。大フーガは仄暗いロマンティシズムが漂ふ玄妙な演奏で、ベルリン・フィルとの威圧的で厳格な演奏とは趣が異なる。何処となく曲の晦渋さも後退してをり、繰り返し聴くことで味はひの出る演奏と云へるが、巨匠の録音の中で特別な位置を占めるものではない。第7交響曲は戦時中のディオニュソス的名演を知る者にとつてはもどかしさが付きまとう内容だ。音楽の掘り下げこそ深いものの、アンサンブルの甘さが目立ち、響きそのものに込められた魔力を感じとることが出来ないのだ。(2005.12.9)


ベートーヴェン:交響曲第9番
エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)/エルンスト・ヘフリガー(T)/オットー・エーデルマン(Bs)、他
ルツェルン祝祭管弦楽団
[audite 92.641]

 巨匠最後の第九の録音として知られる「ルツェルンの第九」はかつて仏Tahraから驚異のリマスタリング盤が出て一躍注目を浴びた。それから約20年が経ち、独auditeが原テープからの復刻を謳ひ新リマスタリング盤を世に問ふた。1954年のライヴ録音としては極上の音質である。問題はTahra盤よりも良いかだうかだが、Tahra盤を捨てようとは思はない。正直申せばかつてTahra盤で感じたあの感動と興奮をこのaudite盤から得ることはなかつた。詰まり大差ないといふことだ。優劣はない。さて、演奏自体だが、覇気が感じられず特段良くはない。オーケストラも巨匠の棒に慣れてゐないからだらう。安全運転の無難な演奏であり、醍醐味である憑依的体験は得られない。枯淡の境地と評する向きもあるが、単に客演の手探りかつ新鮮な演奏であつたに過ぎない。フルトヴェングラー特有の魔神のやうな響きがなく、整つた部類の演奏だが、斯様な演奏なら幾らでもある。掛け替へのない演奏ではないのだ。(2018.1.4)


ベートーヴェン:交響曲第1番
ブラームス:交響曲第4番
ベルリン・フィル
[Tahra FURT 1025]

 ベートーヴェンは1954年9月19日、フルトヴェングラー生涯最後の演奏会記録である。枯れて覇気のない演奏は巨匠の死が近いことを告げるかのやうだ。ベートーヴェンの第1交響曲に続いて自作の第2交響曲が演奏されたが、録音は消去されたらしく所在は不明だ。Tahraは当初自作自演録音の発売を予告してゐただけに残念だ。フルトヴェングラーは晩年このプログラム構成で頻繁に演奏会を行つたが、ベートーヴェンの第1番から始まる偉大な交響曲の歴史を自らの大交響曲が継承してゐるといふ気負ひが窺へる。翌日同じ演目で開かれた演奏会以後巨匠は舞台に立つことなく11月に亡くなつた。ブラームスはこれまで市販されたことのない1948年10月22日の演奏会記録。第4交響曲では2日後のライヴ録音がEMIより繰り返し発売されてをり極上の名演として名高いが、当盤の演奏は魔神のやうな集中力こそないものの壮絶な美しさを湛へた同次元の名演である。(2006.7.11)



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