楽興撰録

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エフゲニー・ムラヴィンスキー


ショスタコーヴィチ:交響曲第5番
ヴァーグナー:ヴァルキューレの騎行
レニングラード・フィル/モスクワ放送交響楽団
[BMG BVCX-8020-23]

 本邦のBMGジャパン・レーベルが1998年に発売した未発表録音集は現在でも希少価値があり蒐集家必携だ。第1巻4枚組。1枚目。1938年暮れから1939年初頭に録音された第5交響曲はムラヴィンスキーの第2回目録音である。初演から半年も経たぬ1938年春に世界初録音が行はれた後、1年も経たぬのに再録音が為された。どちらもムラヴィンスキー最初期の録音として重要だ。丁寧な復刻で水準以上の音質での鑑賞が可能だが、最強音はマイクに入り切つてゐない。演奏は熱気があり勢いがある。テンポの動きも多く後年のムラヴィンスキーの解釈との差が面白い。真摯な第3楽章は感動的だ。各奏者やアンサンブルの精度は未熟であるが、一丸とさせた統率力は聴き取れる。1939年録音のヴァーグナーもマイクに収まらない程の情念が溢れ出た演奏だ。最初期のムラヴィンスキーは浪漫的な感情の発露が大きく、冷徹さはまだ影を潜めてゐる。


ベートーヴェン:交響曲第2番
ヴァーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
スクリャービン:交響曲第4番「法悦の詩」
ソヴィエト放送交響楽団/モスクワ・フィル
[BMG BVCX-8020-23]

 未発表録音集第1巻4枚組。2枚目。ベートーヴェンは1940年、ヴァーグナーは1941年、スクリャービンは1945年の録音で、手兵であるレニングラード・フィルとの演奏がひとつもないのが面白い。ベートーヴェンは猛烈に音が悪いが、ムラヴィンスキー唯一の演目で、最古のベートーヴェン録音でもあり大変貴重なのだ―結局第8番と第9番の録音がない。演奏はこれといつた美点がないが、金管が強いロシアのオーケストラの響きによる野蛮な強奏が特徴的だ。第2楽章の青臭い憧憬が美しいが、これはムラヴィンスキーの録音中でも名誉にならない部類のものだ。ヴァーグナーが素晴らしい。颯爽として品格がある。白眉はスクリャービンだ。トランペット独奏をレオニード・ユリエフが担つてゐるが、ムラヴィンスキーが絶賛した弩級の才能の持ち主だ。ムラヴィンスキーは後に2種類再録音をしたが、異教的で官能の度合ひが激しい当盤が最も強烈なエクスタシーを放つ。ユリエフの色気のあるヴィブラートにロシアの音を見出せる決定的名演。


モーツァルト:交響曲第39番、フルートとハープの為の協奏曲
ヴァーグナー:葬送行進曲
グラズノフ:交響曲第4番より第2楽章
レニングラード・フィル/ソヴィエト国立交響楽団、他
[BMG BVCX-8020-23]

 未発表録音集第1巻4枚組。3枚目。ムラヴィンスキーが最も得意としたモーツァルトの交響曲第39番は4種類以上の録音が確認出来るが、これは最も古い1947年録音で唯一のセッション録音だ。1965年のモスクワ音楽院ライヴが至高の名演として知られ、この古い録音は露メロディアの復刻から漏れてきた。だが、内容は大変優れてをり、細身で凛とした表情は完成されてゐる。瞬発力と力強さも抜群だ。第2楽章の寂寥感、疾駆する第4楽章の鮮烈さは他の指揮者の録音を一切寄せ付けない凄みがある。トリズノとシニツィーナの独奏による協奏曲は意外な演目で無論唯一の録音。ロココ趣味は排除され、現代的な研ぎ澄まされた感覚で演奏されてゐる。輪郭のくつきりした細身の美人といつた風情で好感が持てる。涼しい眼差しが美しい名演なのだ。ヴァーグナーは1947年のセッション録音で重厚な金管楽器が洪水のやうに押し寄せるロシア風の演奏。ムラヴィンスキーにしては情感が強く出た演奏だ。グラズノフはソヴィエト国立交響楽団との1950年の録音。狩の情景によるスケルツォ楽章だけだが、これ以上は考へられない決まつた名演だ。


チャイコフスキー:交響曲第5番、ピアノ協奏曲第1番
パーヴェル・セレブリャコフ(p)
ソヴィエト国立交響楽団/レニングラード・フィル
[BMG BVCX-8020-23]

 未発表録音集第1巻4枚組。4枚目。交響曲は当盤が世界初発売となる1949年1月19日、ソヴィエト国立交響楽団とのライヴ録音だ。手兵との演奏ではなく、響きが散漫でいただけない。金管楽器が音を盛大に外すのでひやりとする。終楽章のテヌート奏法も皮相だ。蒐集家以外には不要だらう。協奏曲は1953年1月6日の録音で、ムラヴィンスキーは後にリヒテルとの有名な共演があり、ギレリスとも録音を残してゐる。これは最も古い記録なのだが、セレブリャコフはレニングラード音楽院の院長を務めた大物で、演奏は非の打ち所がない見事な出来栄えだ。確かな技巧と表現、硬質の黒光りするタッチ、華こそないが真摯な取り組みで聴き応へ充分だ。そして、流石はレニングラード・フィル、繊細なアンサンブルで一本に纏まつた響きが心地良い。深淵から湧き上がるやうな弱音の凄みは取り分け美しい。


モーツァルト:交響曲第39番
ショスタコーヴィチ:交響曲第12番
レニングラード・フィル
[PROFIL PH15000]

 独PROFILが敢行するムラヴィンスキー・エディション第1巻6枚組。4枚目。看過して仕舞ひさうだが、このモーツァルトとショスタコーヴィチは1961年10月16日のライヴ録音で、他で商品化された形跡のない初出音源かと思はれるのだが、その記述は何処にもない。不思議だ。さて、ムラヴィンスキーがモーツァルトで偏愛した第39番だが、5種類目となる録音で、1947年のセッション録音と1965年のライヴ録音の間を埋める記録だ。しかし、マイクのせいもあるが、ムラヴィンスキーにしては繊細さの乏しい演奏で、強音の雑な響きと強引なアンサンブルがらしくない。注目は無論ショスタコーヴィチだ。10月1日にムラヴィンスキーによつて初演されたばかりで―初演録音はVENEZIA盤で発売済―その半月後の演奏記録なのだ。音質は良くないが、あまりの熱気に圧倒される。特に第1楽章は尋常ではない。第12番に関してはムラヴィンスキーは特別で、説得力が段違ひだ。同じ10月にムラヴィンスキーはこの曲のセッション録音を行ひ、その後一切のスタジオ録音を行つてゐない。ムラヴィンスキーの生涯最後に残されたライヴ録音の記録もこの曲であつた。完璧主義者の拘泥りなのか。


ベルリオーズ:幻想交響曲
ビゼー:「カルメン」3つの間奏曲、「アルルの女」よりファランドール
レニングラード・フィル
[PROFIL PH16026]

 独PROFILが敢行するムラヴィンスキー・エディション第2巻6枚組。2枚目。珍しいフランス音楽で、ベルリオーズは1960年のライヴ録音、ビゼーは1946年のセッション録音、ムラヴィンスキー唯一の音源だ―実は幻想交響曲第2楽章のワルツのみ1949年にセッション録音があるのだが。ベルリオーズは全体的に抑制された張り詰めた雰囲気が特徴だ。弦楽器が奏でる弱音の冷んやりとした緊張感ある音は何かしら喪失感すら漂はせ、ムラヴィンスキーの藝術性の高さを覚える。一転、第4楽章ではロシアの金管楽器が遠慮を知らずに緩急付けて追ひ詰める。一般的には色彩的で情熱的な演奏が多い中、厳しく冷たい質感を崩さず強面で微細な変化を聴かせ、制御され統率された合奏は個性的だ。異端ではあるが面白みはある。ビゼーもムラヴィンスキーの個性を刻印する。カルメンでは第3幕間奏曲の清涼と昇天して行く様が美しさの極みである。そして、かねてより有名なファランドールの高速軍用機のやうな名演で止めを刺す。「ルスランとリュドミラ」の演奏に比すべき圧倒的感銘を残すだらう。


ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、同第7番
レニングラード・フィル
[PROFIL PH18045]

 最終巻となる独PROFILのムラヴィンスキー・エディション第4巻10枚組は初出音源満載で愛好家必携だ。3枚目。田園交響曲は1962年3月20日のライヴ録音。ムラヴィンスキーのベートーヴェンでは第4番に次いで田園が素晴らしい。第1楽章から第2楽章にかけての抒情的な繊細さは聴く者に慰めを与へる。崇高な美しさと云ふべきか。他の指揮者からは感じられない神々しさがあるのだ。ムラヴィンスキーは晩年に更なる名演を残してゐるが、この絶頂期の演奏は細部まで表現が吟味されてをり捨て難い。第7交響曲は1958年のセッション録音。こちらは特徴が薄く感銘も落ちる。だが、細部の楽譜の読みが鋭く、因習に拠らず独力で到達した解釈が随所で聴ける。


サルマノフ:交響曲第2番
ハチャトゥリアン:交響曲第3番「交響詩曲」、他
レニングラード・フィル、他
[BRILLIANT 8593/4]

 統一感のない音源による廉価盤10枚組だが、希少価値のある録音も多数含む。10枚組の4枚目には最大の目玉であるハチャトゥリアンが収録されてゐる。これは近年SCORAといふレーベルから初出となつた1947年12月の初演直後のライヴ録音で、管弦楽はソヴィエト国立交響楽団とされる―レニングラード・フィルとクレジットされてゐるが誤記だらう。15本のトランペットのファンファーレから始まる異常な曲で、野球の外野スタンド応援歌のやうな喧噪さに腰を抜かす。次いで技巧的なオルガン独奏が妖し気な世界を醸し、ヴァイオリンのsul-Gによる旋律に至つては異教の極みで、正気の沙汰とは思へない。ムラヴィンスキーに斯様な曲の録音が残るとは意外だ。曲も凄いが演奏も凄い。これは黙示録の音楽だ。他に1983年11月3日のライヴ録音であるサルマノフの第2交響曲とリャードフ「バーバ・ヤーガ」とムソルグスキー「モスクワ河の夜明け」が収録されてゐる。ムラヴィンスキーにはサルマノフの交響曲全曲録音が残るほど自家薬籠中としてゐた。森を描写した名曲第2番の決定的名演だ。


チャイコフスキー:フランチェスカ・ダ・リミニ、弦楽セレナード、イタリア奇想曲
レニングラード・フィル
[MELODIYA MEL CD 10 00805]

 本家メロディアによる真打ちとも云へるディスク。フランチェスカ・ダ・リミニは1972年の録音。1972年ライヴ録音集は英SCRIBENDUMからも出てをり、これは同一音源である。演奏は究極であり、終演後の聴衆の感嘆も頷ける。弦楽セレナードは1947年の録音、イタリア奇想曲は1949年のセッション録音でムラヴィンスキー唯一の音源であり価値は高い。弦楽セレナードはこの曲の最も重要な録音であり、最上位に置いても良い名演である。何よりも統率されたレニングラード・フィルの冷んやりとした合奏力に頭を垂れるのだ。それにしても個性的な演奏だ。楽譜の指定を全く無視し、ムラヴィンスキー独自の観想で曲を再構成してゐる。デュナーミクは丸で違ひ、突如として訪れる冷たき最弱音に魂を掠はれる。レガート奏法を多用し、明るいイタリア風の趣は陰を潜め、鬱々としたロシアの溜息が聴こえてくる。常に方法論が異なるムラヴィンスキーの藝術は一種特別な妙味があるのだ。イタリア奇想曲も切れ味があり爽快無比で、騒々しくないのが良い。代表的名演である。(2021.7.6)


ブルックナー:交響曲第8番
レニングラード・フィル
[MELODIYA MEL CD 10 00803]

 ムラヴィンスキーにはマーラーの録音は残らないが、ブルックナーの交響曲は有難いことに第7番、第8番、第9番と名曲が残る。第8交響曲は1959年のモノーラル録音で条件としては決して良いとは云へないが、音質は水準以上で鑑賞に差し支へはない。ムラヴィンスキーならではの辛口の峻厳な演奏、74分弱、全体的に即物的な凄みを備へた演奏である。勿論、ドイツの指揮者とは取り組みが異なり、幽玄なロマンティシズムは皆無で、第3楽章冒頭の竹を割つたやうな解釈は少なからず驚く。異様さを感じるのは第1楽章で、頂点での絶望的な阿鼻叫喚は恐ろしい限りだ。だが、これが名演かだうかは甚だ疑問だ。特に金管楽器の音色が無遠慮で弦楽器との溶け合ひがなく、第3楽章では辟易する。また、しくじりも散見され、雰囲気不足は否めない。下手物の部類だが、ムラヴィンスキーの特色は出てゐる。


チャイコフスキー:交響曲第4番、同第5番、同第6番「悲愴」
レニングラード・フィル
クルト・ザンデルリンク(cond.)[第4番のみ]
[DG 447 423-2]

 全てレニングラード・フィルの演奏であるが、第4番のみザンデルリンクの指揮で、第5番と第6番はムラヴィンスキーの指揮である。ムラヴィンスキーは1960年にDGにステレオ録音で金字塔とも云ふべきチャイコフスキー後期三大交響曲の録音を残した。それらは特異な個性が表出されたムラヴィンスキーの全録音の頂点―特に第4番―である。当盤は僅か4年前である1956年のモノーラル録音でその分価値が劣る。演奏は熱気に溢れてゐるが、即物的なステレオ盤に比べて個性が弱く、仕上げが温い。蒐集家以外は敢て求めなくともよいだらう。ザンデルリンクの第4番は極めて正攻法な名演で、ムラヴィンスキーのオーケストラから重厚かつ厳粛な音を引き出してゐる。とは云へ―比べるべきではないが、矢張りムラヴィンスキー盤には遠く及ばない。


チャイコフスキー:交響曲第4番、同第5番、同第6番「悲愴」
レニングラード・フィル
[DG 00289 477 5911]

 絶讃するのも烏滸がましい究極の名盤である。最高の指揮者のひとりであるムラヴィンスキーの最も優れたレコードはこれだ。当盤は録音技術と収録曲が良く、最も条件が揃つたムラヴィンスキーの名盤であることを強調したい。それといふのも、この直後にソヴィエトでショスタコーヴィチの交響曲第12番を録音したのが最後のセッション録音になり、以後20年間以上、収録状況が芳しくないライヴ録音しか残してゐないからだ。もう1点、この録音を頂点にムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの演奏は研ぎ澄まされた緊張感を次第に失ひ、徐々に情動的な演奏に変貌して行く。この3大交響曲の録音は、完璧主義者ムラヴィンスキーの個性が異常な迄に透徹された類を見ない記録なのだ。第4番と第5番の終楽章、悲愴交響曲第3楽章の鉄壁の合奏を前にしては額突くしかない。特に音楽を支へる低弦楽器の屈強さは尋常ではない。弱音の静謐さも唯事ではなく、即物的な弦楽器の合奏が痛々しい透明さに昇華され、一種特別な藝術を聴かせる。これらの曲の絶対的な名盤であるが、特に第4番は比類ない。


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
スクリャービン:交響曲第4番「法悦の詩」
レニングラード・フィル/ソヴィエト国立交響楽団
[SCORA CLASSICS scoracd014]

 SCORA CLASSICSなるレーベルが発売したムラヴィンスキー・エディション全4巻計8枚より。愛好家必携の稀少音源ばかりだ。時の移り変はりとは恐ろしいもので、決してレパートリーとは云へなかつたムラヴィンスキーのエロイカが3種類も存在する時代となつた。1961年4月6日のライヴ録音で、ムラヴィンスキーでは最も古いエロイカだ。快速調で切れ味鋭いスフォルツァンドによる峻厳な演奏であるのが最大の特徴だが、当盤は弦楽器の歌ひ込みが妖艶で、第2楽章の尋常ならざるespressivoは意表外の趣だ。また、強弱の差が甚大で楽譜の指定を遵守した畏怖すべき演奏である。訓練され制御されたレニングラード・フィルだからこそ実現出来る至藝なのだ。一聴すると即物的な解釈にも思はれるが、途轍もなく表現主義的な激烈調の名演であることが諒解出来るであらう。異端であることは否めないが、凡百の演奏を足蹴にする天才の偉業である。スクリャービンは1959年の記録で、ソヴィエト国立交響楽団との演奏なので精度において遜色がある。手兵との優れた録音があるので、取り立てて価値を見出せない。


モーツァルト:「フィガロの結婚」序曲
プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」第2組曲
チャイコフスキー:交響曲第5番
レニングラード・フィル
[Altus ALT 314]

 1961年5月29日、ノルウェーのベルゲン音楽祭でのライヴ録音。ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの絶頂期の記録で、当日の演目が丸ごと収録されてをり貴重だ。モーツァルトは1965年のライヴ録音がよく知られてゐるが、当盤は更に速く硬い演奏で凄まじい。妥当な演奏とは云へないがムラヴィンスキーの個性はよく出てゐる。一番素晴らしいのはプロコフィエフだらう。冒頭の冷んやりとした無機質な弱音の効果、続く主題の低音の唸りなど最高だ。これはムラヴィンスキーの同曲の録音でも首位を占める出来だ。チャイコフスキーには周知のやうに比較盤が10種類以上存在し、その中でこのベルゲン盤に特別な趣向を見い出すことは出来なかつた。また、録音自体が余り良くなく、サーフェースノイズのやうな摩擦音が持続するのが気になつたのも減点要因となる。


1965年ライヴ録音集
グリンカ:「ルスランとリュドミラ」序曲
ショスタコーヴィッチ:交響曲第6番
ムソルグスキー、リャードフ、グラズノフ、ヴァーグナー
レニングラード・フィル
[SCRIBENDUM SC031]

 1965年2月21日あるいは同26日に行はれた、余りにも有名な伝説的名演の記録。奇蹟と云ふ言葉を用ゐる機会は滅多にないが、この時の演奏にはさう云はせる力がある。ムラヴィンスキーの何と云ふ統率力、レニングラード・フィルの何と云ふ合奏力であらうか。グリンカ「ルスランとリュドミラ」序曲のこれ以上凄まじい演奏を知らない。いや、存在しないのであらう。ショスタコーヴィチは無論最高だが、この1965年盤が断然良い。リャードフやグラズノフの凡庸な曲も見違へるほど高級な仕上がりだ。ヴァーグナー「ローエングリン」第3幕前奏曲ではトランペットが峻烈。しかし、何れも騒々しい演奏ではない。寧ろ静謐と云ひたいくらいだ。真に恐ろしい指揮者である。


1965年ライヴ録音集
モーツァルト:「フィガロの結婚」序曲、交響曲第39番
シベリウス:トゥオネラの白鳥、交響曲第7番
ヴァーグナー
レニングラード・フィル
[SCRIBENDUM SC031]

 1965年2月23日に行はれたモーツァルトとシベリウス作品で組まれた演奏会。全盛期のムラヴィンスキーに対して、作曲家との相性の良し悪しを詮索することなど野暮である。轟音を立てて驀進する「フィガロの結婚」序曲、冷たい静謐につまされる「トゥオネラの白鳥」、無慈悲なまでの威厳を誇る叙事詩のやうなシベリウスの交響曲第7番。何れも高次元の名演だが、モーツァルトの交響曲第39番こそ骨頂であらう。研ぎ澄まされた響きは超俗の境地で、特に第2楽章の深淵を覗き込んだやうなうら悲しさには寒気がする。第3楽章のトリオも然り。一気呵成に運んだ終楽章は驚くべき細部の繊細さを併せ持つ。何ぞこれより優れた演奏などがあらうか。


1965年ライヴ録音集
ヒンデミット:世界の調和
ストラヴィンスキー:ミューズを率ゐるアポロ
レニングラード・フィル
[SCRIBENDUM SC031]

 1965年2月26日のライヴ録音で、ヒンデミットの交響曲「世界の調和」とストラヴィンスキーのバレエ「ミューズを率ゐるアポロ」といふ20世紀の作品だけで構成されてゐる。当時これらの曲がこれほどの完成度で演奏されることはなかつたと想像される。冷たい音色が背筋を凍らせる演奏で、特に弦楽器だけで弾かれた弱奏は恐ろしささへ感じる。全体にムラヴィンスキーの特徴である即物的な姿勢が強く、作品との相性も良いのだが、曲も演奏も深刻で余裕がないから素直に楽しめないといふのが真情。


1965年ライヴ録音集
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
バルトーク:弦楽器・打楽器・チェレスタの為の音楽
オネゲル:交響曲第3番「典礼風」
レニングラード・フィル
[SCRIBENDUM SC031]

 1965年2月28日のライヴ録音。ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」は、緩やかなテンポで微細に分け入りつつ、気怠さを表出してゐるが、ムラヴィンスキーにしては生彩を欠いた演奏だ。バルトーク「弦楽器、打楽器、チェレスタの為の音楽」が世評名高い名演で、ライナー盤の牙城に迫る演奏。研ぎ澄まされた透明で冷たい音色には凄みがあり、鉄壁のアンサンブルには兜を脱がざるを得ない。終曲のコーダで珍しく大見得を切るのは意外な面白みだ。「典礼風」と題されたオネゲルの交響曲第3番では、金管群の想像を絶する咆哮に畏敬の念すら覚へる。凝縮された推進力は原始的な生命の塊となつて聴くものを圧倒する。これもムラヴィンスキーの代表的な名演だ。


1972年ライヴ録音集
チャイコフスキー:「フランチェスカ・ダ・リミニ」、交響曲第5番
ヴァーグナー:ジークフリートの葬送行進曲、ヴァルキューレの騎行
レニングラード・フィル
[SCRIBENDUM SC034]

 1972年1月26日から30日にかけての録音。「フランチェスカ・ダ・リミニ」が圧倒的な名演。ダンテの描いた地獄の劫火が現世のものとなつたかのやうな壮絶な音楽運びに戦慄すら覚える。弱音から奏でられる愛の主題の美しさは、死よりも強い崇高な力を暗示し、全てを捧げたくなるほど感動的だ。この曲においてムラヴィンスキーを凌駕する演奏はないと断言出来る。ムラヴィンスキーが残した第5交響曲は7種か8種あり、有名なDG録音を最も個性的な名演として評価したいが、当盤により魅力を感じる方もゐるだらう。厳しい統制力は緩んでゐるものの、素つ気なさが減退し、響きと感情表出が豊かになつてゐる。ヴァーグナーは剛直な響きによる余情を排した名演で、研ぎ澄まされた感覚が素晴らしい。独自の解釈だが、ムラヴィンスキーのヴァーグナーは常に次元が高い。


1972年ライヴ録音集
ヴァーグナー:タンホンザーよりバッカナール
ブラームス:交響曲第3番
ショスタコーヴィッチ:交響曲第6番
レニングラード・フィル
[SCRIBENDUM SC034]

 1972年1月27日の実況録音。何れもムラヴィンスキー藝術の骨頂を示すもので、録音状態の良さからしても万人に薦めたい。矢張りショスタコーヴィッチが無二の名演で、余人の及ぶところではない。同じく英SCRIBENDUMから出てゐる旧盤との比較も興味深い。1960年頃を頂点に、冷たく透徹した厳しさで身を削るやうに孤高の演奏を行つたムラヴィンスキーだが、1970年代になると統率力に緩みが生じ威厳が落ちたものの、感情を表に出すやうになり素つ気ない音楽で殻に閉じ籠ることがなくなつた。その傾向を反映して第1楽章は当盤の方が良く、その他は完璧無比な1965年の演奏が恋しい。ブラームスが個性と情熱の点で同曲の夥しい録音中最も優れた演奏と断言出来る。取り分けピアニッシモでの孤独感が藝格の違ひを示す。両端楽章での情念の爆発も壮絶で息苦しいほどの音楽に仕上がつてゐる。ヴァーグナーも凶暴さと官能が入り乱れた名演。


1972年ライヴ録音集
ベートーヴェン:交響曲第4番、同第5番
ヴァーグナー:ジークフリートのラインへの旅
レニングラード・フィル
[SCRIBENDUM SC034]

 1972年1月26日の実況録音。ムラヴィンスキーの指揮するベートーヴェンは速めのテンポと贅肉を削ぎ落とした響きで謹厳かつ孤高の趣を漂はせてゐる。何処迄も凝縮され、透徹した冷たさすら感じさせる。しかし、音楽は力強く、時に威圧感あるトゥッティで聴く者を震撼させる。ムラヴィンスキーは第4交響曲を最も得意とした。第1楽章の躍動するリズムと清廉な抒情美が一体となつた音楽は、この曲の魅力を余すことなく伝へる極上の名演であり、殊に弱音への移行は神秘的な美しさに充ちてをり、ムラヴィンスキー藝術の骨頂を示す。第5番も第1楽章が素晴らしく、古典的悲劇を具現したかのやうな格調高く厳しい名演である。ヴァーグナーは壮麗にして剛毅なる神々しい名演。これ以上の演奏を聴くことは滅多に出来ないだらう。


モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」序曲
ブルックナー:交響曲第7番
レニングラード・フィル
[EMI 7243 5 75953 2 2]

 GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURYシリーズの1つ。モーツァルトが1968年11月29日、ブルックナーが1967年2月25日のライヴ録音。「フィガロの結婚」の序曲も凄かつたが「ドン・ジョヴァンニ」序曲も凄い。超速かつ重厚に荒ぶれた演奏で、ムラヴィンスキーの個性が全開だ。模範的ではないが、衝撃的な印象を与へる忘れ難い演奏と云へる。ブルックナーは確か本家MELODIYAからは発売されたことがない音源だ。ムラヴィンスキーには後期三大交響曲の録音が残り、何れも峻厳な演奏で個性的だが、この第7番も同様だ。金管が強く出過ぎて、音を割り盛大に外す箇所もあり、興醒めの場面もあるが、弦楽器の厳粛な合奏は美しく、特に第2楽章の荘厳な趣は琴線に触れる。痛切な響きが楽想と見事に沿ふことも多いが、ロシアの攻撃的な音色が散見されるので、矢張り一般的には畑違ひの演奏の位置付けだらう。


ハイドン:交響曲第88番
チャイコフスキー:フランチェスカ・ダ・リミニ
グラズノフ:交響曲第5番
レニングラード・フィル
[EMI 7243 5 75953 2 2]

 GREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURYシリーズの1つ。2枚目を聴く。ハイドンは1968年11月のライヴ録音。透明感のあるアンサンブルは極度に磨き抜かれてをり驚嘆に値する。清楚で古典的な佇まいはモーツァルトの交響曲第33番や第39番での演奏と共通する。第1楽章第2主題のレガート処理、アンダンテに近いラルゴ楽章の推進力などムラヴィンスキーならでは独自の解釈が随所に聴かれ、感心して仕舞ふ。魅力満載、屈指の名演だ。チャイコフスキーは最晩年1983年3月のライヴ録音で、かつて日ビクターから、次いでERATOから発売された名演だ。瑕も多いが、壮絶なる表現に打ちのめされる究極の演奏なのだ。グラズノフはかつてロシアン・ディスクで発売されたことのある音源で、1968年9月のライヴ録音だ。ムラヴィンスキーはグラズノフでは第5番を好んでをり、来日ライヴも残る。当盤の演奏は非常に完成度が高く、音質も安定してゐる。爆発的な強音と繊細で表情豊かな弱音の落差は余人には真似出来ない至藝である。ロシアの郷愁溢れる旋律を気品良く仕上げたムラヴィンスキーは流石だ。第2楽章と第4楽章は絶品である。豪快なゴロヴァノフ盤と並ぶ決定的名演である。


ベートーヴェン:交響曲第4番
ブラームス:交響曲第2番
レニングラード・フィル
[MELODIYA MEL CD 10 00801]

 本家メロディアによる真打ちとも云へるディスク。ベートーヴェンは1973年4月29日のライヴ録音で、この1ヶ月後に初来日して東京での公演でも取り上げた演目である。印象はほぼ変はらない。激烈な快速テンポを採用し乍ら軽さはなく重量感が溢れる。一方で叙情的な弱音は静謐の極み、かつ最強音との差は尋常ではない。官能的な第2楽章は特に絶品で、矢張りこの曲はムラヴィンスキーの演奏が最高であるといふ思ひを強くした。ブラームスは1978年4月29日のライヴ録音。この1ヶ月半後にウィーンでの有名な公演でも取り上げた演目である。だが、ウィーン盤の録音状態が優れない為、圧倒的に当盤の方が感銘深い。ムラヴィンスキーの真摯な音楽への取り組みがそのまま音になつた演奏で、内省的で秘めやかな寂寥感が漂ふ音色、弱音の美しさは淫靡さすらも感じさせる。強奏箇所は引き締まつてをり鋭利だ。浪漫や幻想は一切ないが、現世的な苦悩と欲望を詰め込んだ個性的なブラームス。ムラヴィンスキーの天才が光る。


ブラームス:交響曲第3番、同第4番
レニングラード・フィル
[MELODIYA MEL CD 10 00802]

 本家メロディアによる真打ちとも云へるディスクで、迫真の音質でムラヴィンスキーの至藝を鑑賞出来ることに感謝したい。第3番が1978年4月29日、第4番が1973年4月28日のライヴ録音でムラヴィンスキー円熟期の記録だ。云ふまでもなくムラヴィンスキーの真骨頂はチャイコフスキーやショスタコーヴィチにあり、ベートーヴェンやブラームスの演奏は違和感といふか独自の個性を楽しむ向きが強いのだが、この2曲は高次元の名演と云へよう。特に第3番が素晴らしい。第3楽章の感傷的な旋律も寂寥感が勝る。中間部のクレッシェンドから一転、寒気を感じるほどのディミュヌエンドで不気味なピアニッシモを聴かせる箇所は印象的だ。両端楽章の鋭い響きによる引き締まつた合奏は実に見事だ。第4番は強迫的な憂鬱に苛まれるやうな演奏で、澄んだ静寂と痛切な絶叫が交錯する。浪漫の欠片もない即物的なブラームス解釈が植ゑ付ける絶妙な異化効果に唸らされる。


ブルックナー:交響曲第9番
レニングラード・フィル
[MELODIYA MEL CD 10 00804]

 本家メロディアによる真打ちとも云へるディスク。ムラヴィンスキーにはブルックナーの後期三大交響曲を演奏した記録があるが、それぞれ1種しかない。この第9番のみ晩年の1980年の録音でステレオ録音といふ好条件である。結果もこの第9番が最も良い。常乍ら楽譜の読みが独立不覊で、よくぞ自力でブルックナーの本懐に到達したと感心する。ムラヴィンスキーの峻厳さとこの第9番の相性は良い。特に静謐な弦楽器の響きにはぞくりとする。木管楽器の寂寥感も素晴らしい。だがしかしである。金管楽器がだうにも五月蝿い。ムラヴィンスキー晩年の演奏は金管楽器への制御を欠いてをり品がない。金管楽器が加はると瞬時に興醒めする。詰まり、ほぼ全体を通じて矢鱈と癇に障る演奏であり、結局のところムラヴィンスキーのブルックナーは所詮どれもこれも下手物なのだ。(2021.9.15)


ヴァーグナー:マイスタージンガー、ローエングリン、タンホイザー、トリスタンとイゾルデ、神々の黄昏、ヴァルキューレ
レニングラード・フィル
[MELODIYA MEL CD 10 00758]

 本家メロディアによる真打ちとも云へるディスク。ムラヴィンスキーはヴァーグナーを好んで取り上げたが、ヴァーグナーだけの演奏会は行はなかつたと思はれる。その為、ディスクは寄せ集めとなり、他盤と重複するが、マイスタージンガーだけは当盤だけで聴ける音源かと思ふ。収録されてゐるのは、1965年録音の「ローエングリン」第3幕への前奏曲とヴァルキューレの騎行、1978年録音の「ローエングリン」第1幕への前奏曲、「タンホイザー」序曲、「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲と愛の死、ジークフリートの葬送行進曲、1982年録音の「マイスタージンガー」第1幕への前奏曲だ。外面は禁欲的な演奏だが、内面から滲み出るリビドーが凄まじく、禁断のヴァーグナーと云へる。深淵を臨くやうな弱音の冷たさにはぞつとする。


シューベルト:未完成交響曲
シベリウス:トゥオネラの白鳥、交響曲第7番
レニングラード・フィル
[MELODIYA MEL CD 10 00760]

 本家メロディアによる真打ちとも云へるディスク。シベリウスは1965年2月23日の伝説的な公演の記録で、プログラム前半はモーツァルト作品であつた。詳細は別項で述べたが、異常な厳格さに圧倒される。重要なレパートリーであつたシューベルトは1978年4月30日のライヴ録音。1ヶ月半後にもウィーンでの名演があつたが、当盤はウィーン盤の上を行く極めつけの演奏だ。弱音が神経質過ぎず、最強音も節度がある。とても自然体な演奏で完成度が高い。何種類も録音があるが、ムラヴィンスキーによる未完成交響曲では当盤を第一にしたい。


ベートーヴェン:交響曲第4番
リャードフ:「バーバ・ヤーガ」
グラズノフ:「ライモンダ」より第3幕への間奏曲
レニングラード・フィル
[Altus 001]

 アルトゥス・レーベルの旗揚げとなつた記念碑的名盤。1973年5月26日のムラヴィンスキー初来日の伝説的なライヴ録音をNHKが秘蔵したゐたマスターテープよりCD化した愛好家感涙の1枚。日本の聴衆に衝撃を与へた演奏会が驚くほど鮮明な音で蘇つた。ムラヴィンスキーが最も好んだベートーヴェンの作品である第4番は、緊張感を孕んだ弱音から峻厳な強音までの幅が尋常ではなく、恐るべき指導力には脱帽する。随所に独創的なフレージングやデュナーミクを用ゐて新鮮な息吹を吹き込んでをり、繊細極まりないこの交響曲の最左翼に属する名演の中の名演だ。アンコールとして演奏されたリャードフとグラズノフの作品は三流の曲だが、ムラヴィンスキーにより極上の逸品に昇華されてゐる。


ショスタコーヴィチ:交響曲第5番
レニングラード・フィル
[Altus 002]

 アルトゥス・レーベルの旗揚げとなつた記念碑的名盤。1973年5月26日のムラヴィンスキー初来日の伝説的なライヴ録音をNHKが秘蔵したゐたマスターテープよりCD化した愛好家感涙の1枚。ベートーヴェンの交響曲第4番に続くプログラム後半は、ムラヴィンスキーの代名詞ショスタコーヴィチの5番である。「証言」以来ムラヴィンスキーの解釈を王道としない向きもあるが、何と偏狭な見解だらう。完全に自分の血となり肉となつた曲の演奏で、他の指揮者が付入る隙などありはしない。ムラヴィンスキーの別録音との比較だが、当盤は集中力が持続してをり完成度が高い。音質も良い方で、総合的には第一等に挙げても良いだらう。


モーツァルト:交響曲第39番
チャイコフスキー:交響曲第5番
レニングラード・フィル
[Altus 058]

 ムラヴィンスキーは1973年に初来日した後、2年おきに来朝して神通力を見せつけた。当盤は1975年の演奏会の記録で、モーツァルトが6月7日、チャイコフスキーが5月13日の演奏記録だ。まず、音質が一連の来日ライヴ録音集では最も冴えない。といふのも、1973年の初来日時こそ幸ひにもホールのマイクから録音されたが、1975年以降は所謂隠し録りだからだ。回数を経るごとに隠し録りの音質も良くなるとは云へ、条件が悪いことを諒解して聴かねばならない。音が遠かつたり揺れたりするが、分離が悪い響きは却つて自然でムラヴィンスキーの妙味が理解出来る。もどかしい音でも演奏の凄みは良く伝はる。モーツァルトは1965年のモスクワ音楽院ライヴを超す出来ではないが、洗練された極上の名演。チャイコフスキーは更に音質に難があり、細部に瑕もあるが、演奏自体は大変素晴らしい。蒐集家以外にはお薦め出来ないが、音楽は突き抜けてゐる。


ヴァーグナー:「ローエングリン」第1幕前奏曲、「タンホイザー」序曲
ヴェーバー:「オベロン」序曲
シューベルト:未完成交響曲
レニングラード・フィル
[Altus 053]

 ムラヴィンスキーは1973年に初来日した後、2年おきに来朝して神通力を見せつけた。当盤は1977年の演奏会の記録で、ヴァーグナーは9月27日の記録―プログラム後半はブラームスの交響曲第2番、ヴェーバーとシューベルトは10月12日の記録―プログラム後半はチャイコフスキーの胡桃割り人形を演奏してゐる。録音状態は1973年時のものと比べると劣るが、充分な水準である。ムラヴィンスキーの指揮するヴァーグナーは常に素晴らしい。禁欲的で透徹した音響世界は一種特別で、ゴシック風な浪漫からヴァーグナーを解き放ち、浄化の音楽と化す。ヴェーバーは静謐な序奏から一転、重量感ある驀進を繰り広げる主部となる。しかし、金管が強く、音の立ち上がりも鋭く激しいのでロマンティックな曲想との齟齬がある。コーダでのホルンの咆哮は圧巻で、ムラヴィンスキーらしい演奏だ。真骨頂である未完成交響曲が悪からう筈がない。とは云へ、当盤の録音は強奏時の音がきつく、他盤に比べると価値が劣る。


ヴェーバー:「オベロン」序曲
シューベルト:未完成交響曲
チャイコフスキー:「胡桃割り人形」抜粋(6曲)
レニングラード・フィル
[Altus 286]

 来日時の録音。1977年10月8日、大阪での公演記録だ。音質良好でムラヴィンスキーの録音の中でも最上位と云つてよい。演奏も極上で万人に薦めたい1枚だ。最初のヴェーバーから高次元の名演だ。虚空から鳴り響くホルン、繊細な序奏に続いて驀進する主部の快活さ。コーダでのホルンの強奏まで完成度が高い。未完成交響曲も尋常ならざる名演で、恐ろしい寂寥感だ。ディミヌエンドの美しさにはぞくりとする。ムラヴィンスキーの録音中でも特に藝術的に深い名演だ。チャイコフスキーが素晴らしい。組曲以外で構成され、第1幕の後半4曲と第2幕の後半2曲を演奏してゐる。メルヒェンを意識した響きではなく、透徹した寂寥感を聴かせる。特にパ・ド・ドゥは狂ほしい名演だ。個性的だが感銘深く、物悲しいロマンスとして魅了されて仕舞ふ大人の演奏だ。


シューベルト:未完成交響曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番
レニングラード・フィル
[Altus 289]

 これはムラヴィンスキーの録音でもよく知られたものだ。1978年6月にレニングラード・フィルを率ゐて演奏旅行を行ひ、ウィーン楽友協会大ホールで伝説的な名演を残した。6月12日にチャイコフスキーとショスタコーヴィチの第5交響曲を、6月13日にヴェーバーの「オベロン」序曲、シューベルトの未完成交響曲、ブラームスの第2交響曲を演奏した。ムラヴィンスキーの十八番ばかりだ。収録時間の関係で当盤にはシューベルトとショスタコーヴィチが収められてゐる。繰り返し発売されてきたが、1978年といふ録音年を考へると残念としか云へない音質であつた。ぼやけて不鮮明でなのだ。当盤はムラヴィンスキー未亡人が所有する秘蔵の音源からのリマスタリングで、幾分増しになつてゐる。しかし、正直申して一枚ヴェールの掛かつたやうな遠い音像の為、何種もあるムラヴィンスキーの録音の中で最上ではない。演奏が素晴らしいだけにもどかしい。


ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
ヴァーグナー:「トリスタンとイゾルデ」第1幕前奏曲と愛の死、森のささやき、ヴァルキューレの騎行
レニングラード・フィル
[Altus 063]

 ムラヴィンスキーは1973年に初来日した後、2年おきに来朝して神通力を見せつけた。当盤は1979年5月21日、東京文化会館における演奏会の記録である。1979年が最後の来日となつた。当盤も正規の録音ではないが、この最後の年の録音は極めて上質だ。最強音では音が割れたり、再弱音での神秘的な凄みは捕へられてゐないが、水準以下の録音しか残されてゐないムラヴィンスキーの演奏記録では上等の部類に属する。得意とした田園交響曲は最上の出来ではないが、澄んだ牧歌が美しい。第1楽章と第2楽章には穏やかで朗らかな詩情が漂ひ、峻厳な嵐を経て、珍しく感情を露にした第5楽章の昂揚が素晴らしい。ヴァーグナーが絶品だ。「トリスタンとイゾルデ」「森のささやき」の静謐さは痛々しい皮膚感まで伝へる。そして頂点で啓示のやうに注す神々しい後光に圧倒される。最高は地鳴りをあげて轟く「ヴァルキューレの騎行」だ。諸手を挙げて降参する他あるまい。


ショスタコーヴィチ:交響曲第8番
レニングラード・フィル
[Altus ALT312]

 1982年3月28日の実況録音。この曲の決定的名演として、かつてPhilipsより発売されてゐた音源である。だが、Philips盤はピッチが高めであつたさうだ。その後、Regisといふレーベルより修正盤が出た。このAltus盤はRegis盤と比べ格段に音質が生々しく、決定盤の登場と云へる。第8番において初演者ムラヴィンスキーの演奏は絶対であり、足許に及ぶものすらひとつとしてない。醸し出す峻厳さは尋常ならざるものがあり、肺腑を抉るやうな痛切な音楽が展開される。処でムラヴィンスキーには英國における1960年のライヴ録音があり、統率力において当盤を凌ぐ。特に第3楽章の威圧的な進撃の様は圧巻であつた。一方、最晩年の演奏である当盤は音楽の深みが増してをり、第1楽章や第4楽章の悲劇的な情感が素晴らしい。愛好家なら必ず両方を揃へて聴き潰すべきだ。


ヴァーグナー:ジークフリートの葬送行進曲、「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、ヴァルキューレの騎行、「タンホイザー」序曲、「ローエングリン」第1幕への前奏曲
レニングラード・フィル
[ビクター VDC-25029]

 本邦のビクターが発売した一連のムラヴィンスキーの音源はERATO盤もあるが、この頁ではビクター盤で記事にする。ムラヴィンスキーはヴァーグナーを好んで取り上げ、録音記録も複数残るが、研ぎ澄まされた感触はあるものの極めて官能的で、抑圧されたリビドーを感じさせる一種特別な趣がある。レニングラード・フィルの渾身の演奏も常軌を逸した凄まじさだ。当盤は1973年から1982年にかけての録音で、1960年代の即物的な凄みが後退し、情感を重視した演奏になつてゐる。悪く云へば、金管楽器に好き勝手に吹かせてゐる感もなくはない。どれも高次元の名演ばかりだが、ムラヴィンスキーで味はふ醍醐味は弱い。テンポも穏当で印象には残りにくいだらう。


ベートーヴェン:交響曲第1番
モーツァルト:交響曲第33番
レニングラード・フィル
[ビクター VDC-25022]

 本邦のビクターが発売した一連のムラヴィンスキーの音源はERATO盤もあるが、この頁ではビクター盤で記事にする。ベートーヴェンは1982年1月28日、モーツァルトは1983年12月24日の演奏記録。ベートーヴェンは唯一の音源だ。部分的にデュナーミクの効果的な変更があるのがムラヴィンスキーらしい。また、フォルテとフォルティッシモの差が巨大であるのも特徴だ。凛とした演奏は常乍らで、これだけ厳めしく微笑みかけない第1交響曲の演奏は類例がない。しかし、大変な名演で、トスカニーニやメンゲルベルクらの名演に次ぐだらう。モーツァルトの交響曲第33番は第39番と並んでムラヴィンスキーが好んで演奏した曲だ。どちらも水明際立つ凛然とした音楽で、ムラヴィンスキーの藝術と相和合する。純粋透明な合奏が実に格調高い。極上の名演であるが、黄金期である1960年のロンドンにおけるライヴの方が峻厳かつ快速で次元が高い。


モーツァルト:交響曲第39番
グラズノフ:「ライモンダ」組曲
ヴァーグナー:「ローエングリン」第3幕への前奏曲
レニングラード・フィル
[ビクター VDC-25031]

 本邦のビクターが発売した一連のムラヴィンスキーの音源はERATO盤もあるが、この頁ではビクター盤で記事にする。モーツァルトは1972年の演奏記録。ムラヴィンスキーが最も得意としたモーツァルト作品であり、恐ろしく澄み切つた孤高の演奏が展開される。他の指揮者を寄せ付けない極上の名演であるが、1965年の演奏は更に徹底して凄かつた。グラズノフが別格の決定的名演だ。バレエ音楽から8曲で構成される組曲としての演奏だ。矢張りロシア音楽でのムラヴィンスキーの切れ味は尋常ではない。特に序曲の壮麗たる演奏は最高だ。1973年の演奏記録であるヴァーグナーもムラヴィンスキーの十八番曲だ。当盤の演奏も素晴らしいのだが、1965年の猛烈な演奏と比べると遜色がある。


ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
レニングラード・フィル
[ビクター VDC-25023]

 1982年10月17日の演奏記録。ムラヴィンスキー最晩年の録音のひとつである。メロディアへの古い録音もあるが比較にならない。この演奏の素晴らしさは如何ばかりであらう。特に、第1楽章と第2楽章に漂ふ静謐感は、自然に慰めの場所を求めたベートーヴェンの心情に接近したかのやうで、その美しさには胸打たれる。鋼のやうな意志を貫くムラヴィンスキーは標題に惑はされることなく、音に込められた抒情を丁寧に再現する。純粋で透明な響きは聴く者を深い観想へと導いて呉れる。この曲の屈指の名演だ。明るいクラリネットと温かいファゴットの表現が秀逸。


チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
レニングラード・フィル
[ビクター VDC-25025]

 1982年10月17日の実況録音。ムラヴィンスキーの数少ないデシタル録音で、孤高の指揮者の藝術が細部までよく聴こえる。凍て付くやうなピアニッシモや、地が裂けるやうな最強音には知らずと鳥肌が立つ。虚飾を排した音楽の透徹さは聴く者を絶望へと追ひ遣る。メンゲルベルクの甘美な幻想、フルトヴェングラーの沈鬱な深刻、アーベントロートの男泣き、それらの指揮者による標題的な解釈はムラヴィンスキーにはない。僅かにロシアの憂愁が漂ふだけである。ムラヴィンスキーの個性が最もよく顕はれてゐた録音は、即物的で透明な弦楽合奏に痛切さすら感じさせた1960年のDG盤だ。比べるとムラヴィンスキー最後の悲愴交響曲の録音は、感情の振幅が大きく金管とティンパニが立てる轟音には破滅的な凄みがあるが、ムラヴィンスキーらしさは後退してをり、評価は分かれるだらう。


チャイコフスキー:交響曲第5番
レニングラード・フィル
[ビクター VDC-25024]

 1983年3月19日、レニングラード・フィル創立100周年特別記念として行はれた演奏会の記録。ムラヴィンスキーはチャイコフスキーとショスタコーヴィチの第5交響曲を最も得意とした。録音も夥しくあるが、恐らくこの曲の録音では最後の記録であらう。ムラヴィンスキーの解釈は初期の録音から全くと云つてよいほど変はつてゐない。違ひはレニングラード・フィルの精度とムラヴィンスキーの統率力だけである。当盤からは全盛期の異常な峻厳さを聴くことは出来ない。その為、個性の観点では特別な価値を認めるやうな演奏ではないが、全体に上等な演奏で文句の付けやうがなく、傷がないのは流石だ。録音状態が良いだけに、ムラヴィンスキーの名演のひとつとして推奨したい。



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