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楽興撰録

ピアノのCD評


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イサーク・アルベニス(p)
エンリク・グラナドス(p)
ホアキン・マラツ(p)
フランク・マーシャル(p)
ホセ・イトゥルビ(p)
ギジェム・カセス(p)
[la mà de guido HISTORICAL LMG 3060]

 当盤はスペインのレーベルによるスペインのピアニストの歴史的録音を復刻した稀少なる1枚である。1903年にシリンダー録音されたアルベニスによる即興演奏は大変貴重だ。アルベニスの演奏記録はこの3曲の即興演奏のみで、自作自演といふ枠には属さないが、想像力豊かな演奏振りを楽しめる。1912年録音のグラナドスによる自作自演3曲とスカルラッティのソナタ1曲も重要だ。スペインの生んだ大ピアニスト、マラツの1903年のシリンダー録音は特に重要だ。驚くべきピアニズムで、リスト「ハンガリー狂詩曲第13番」の炎のやうな興奮が与へる衝撃は唯事ではない。官能的な情熱を聴かせる「イゾルデの愛の死」、生命力噴き上がるショパンのワルツ、そして断片であるのが残念な自作自演「スペインのセレナータ」の熱き歌。噎せ返るやうな哀愁を奏でる「スペインのセレナータ」はマラツが生んだ至高の名曲であり、この自作自演はその原点である。マーシャルは1907年のシリンダー録音1曲のみが収録されてをり、グリーグを演奏してゐる。イトゥルビは1934年の最初期録音で、グラナドスとアルベニスの名曲を情感豊かに演奏してゐる。カセスの録音からはグラナドスのスペイン舞曲4曲が収録されてゐる。(2010.7.1)


オイゲン・ダルベーア(p&cond.)
録音集(1912年〜1930年)
ダルベーア/ベートーヴェン/シューベルト/ショパン/ヴェーバー/リスト/ブラームス/モーツァルト
[SYMPOSIUM 1146]

 今日では歌劇「低地」の作曲家として僅かに知られるに過ぎないダルベーアだが、19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツを代表する大ピアニストとして君臨し、一番弟子にバックハウスを率ゐるといふ大物であつた。技巧が確かで現在の耳で聴いても鮮やかだ。聴きものは1930年の実況録音であるベートーヴェンの「皇帝」の第1楽章だ。主題ごとのテンポの緩急が甚だしく良くも悪くも巨匠の演奏だが、音色の変化が絶妙で、技巧の切れは抜群である。特に展開部後半のオクターブユニゾンで猛然と煽り立てる箇所は鬼気迫る。3曲収められた自作演奏の見事さは云ふ迄もなく、ベートーヴェン「エコセーズ」、ヴェーバー「舞踏への勧誘」、シューベルト「即興曲」「軍隊行進曲」、ブラームス「カプリッチョ」が素晴らしい出来だ。特にシューベルトが陰影の深い第一級の名演である。当盤にはダルベーアが自作「低地」を指揮した2トラックが併録されてゐる。浪漫的で感動的な演奏であり、これを聴くだけでも価値のある1枚だ。(2005.10.13)


オイゲン・ダルベーア(p)
商業録音全集
オデオン録音(1910〜12年)
グラモフォン録音(1918〜22年)
[ARBITER 147]

 米Arbiterが作曲家でありピアニストとしても高名なダルベーアの全録音復刻といふ実に良い仕事をした。他には英SYMPOSIUMが発掘したベートーヴェンの皇帝協奏曲第1楽章のみのライヴ録音があるだけの筈であり、これでダルベーアの全貌が知れた訳だ。最初期のオデオン録音はベヒシュタインを弾いての演奏で、以降はスタンウェイを使用してゐる。ダルベーアの奏法は非常に簡潔で古典的な趣を守つてゐる。従つてショパンの作品などは面白くないが、ドイツ・ロマン派の名品を弾く時の侘しさと奥床しさは格調高さを感じさせる。特にベートーヴェンの作品が素晴らしく、バガテルOp.129を筆頭に、エコセーズ、アンダンテ・ファヴォリそしてソナタと極上の名演ばかりだ。シューベルト、ヴェーバー、ブラームスの演奏も素晴らしい。 その反面、グーセンス「万華鏡」をふざけて弾くのはお茶目で滅法愉快だ。(2007.7.9)


オイゲン・ダルベーア(p&cond.)
商業録音全集
グラモフォン録音(1916〜22年)
ヴォックス録音(1923年)
オデオン録音(1923年)
パーロフォン録音(1928年)
[ARBITER 147]

 再びダルベーアを聴く。2枚組の2枚目。自作自演では「死せる眼」が憧憬に満ち溢れた名品である。組曲Op.1のガヴォットとメヌエット、スケルツォ嬰ヘ長調で聴かせる古典的な格調高さも見事。次いでシューベルトの2つの即興曲が良い。侘しい詩情を漂はせた心憎い名演だ。一方、ショパン作品は無骨で鈍重な印象が拭へず凡庸な演奏が多い。ヴァイスベルガーのヴァイオリンに伴奏を付けたモーツァルトとベートーヴェンのソナタも格段興味を惹く内容ではない。何と云つても当盤の白眉はダルベーアの指揮のよる自作の歌劇「低地」からの2曲だらう。特に間奏曲の幽玄たる趣は一度聴いたら忘れられない。琴線に触れる名曲の名演だ。(2007.8.4)


ラヴェル:ソナティネ
ショパン:ピアノ・ソナタ第3番、エチュードOp.25-1、同Op.25-11
ドビュッシー:前奏曲集より「帆」「ミンストレル」「オンディーヌ」
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」、同第8番「悲愴」
アリーヌ・ヴァン・バレンツェン(p)
[melo CLASSIC MC 1021]

 愛好家を驚愕させたmelo CLASSIC。バレンツェンは知られざる女流奏者と云へよう。フランクフルトやミュンヘンで放送用として1950年代中葉に残されたこれらの録音は極めて状態が良く、秘宝と形容したい。バレンツェンのピアニズムは神秘的で俗気がなく、宝石のやうな輝きがある。真髄であるフランス音楽の醸造された味はひは如何許りだらう。ラヴェルの玲瓏たる気品、ドビュッシーの呪術的な音響世界、絶品である。ショパンにおける高貴な詩情は硬質のタッチから生み出される。ソナタは冒頭から空気が一変する屈指の名演だ。木枯らしのエチュードの颯爽たる趣も良い。実はベートーヴェンが掘り出し物である。バレンツェンはレシェティツキにも師事した歴としたベートーヴェン弾きなのだ。含蓄のある月光ソナタの第1楽章、佇まいが立派な第3楽章、悲愴ソナタの第2楽章の清廉な歌、これら手垢の付いた名曲が新鮮さを取り戻す。最上位に置きたいほどの名演なのだ。(2023.3.21)


ド=セヴラック:セルダーニャ、日向で水浴びする女たち、ラングドックにて
ジャン=ジョエル・バルビエ(p)
[ACCORD 465 814-2]

 知られざる作曲家の代表格セヴラックのピアノ作品で決定的の評価を与へられてゐるバルビエ盤だ。特にセヴラックの代表作である5つの絵画的習作「セルダーニャ」が全5曲の録音であり、大変価値がある。眩い光を放つ色彩豊かなキャンバスを目の前にしたやうな作品群から、バルビエが引き出したのは馥郁たる香りが立ちこめる芳しい雰囲気だ。フランス近代音楽を得意とする奏者にのみ可能なベル・エポックの香気があり、最初の1音から鮮やかな情景が展開する様に心奪はれるに違ひない。「日向で水浴びする女たち」は情感豊かなセルヴァの録音が名演として知られてゐたが、瀟酒なバルビエ盤も素晴らしい。何よりも録音状態が鮮烈で光彩に充ちてゐる。「ラングドックにて」は第1曲「祭りの日の畑屋敷をさして」と第4曲「春の墓地の片隅」のみが弾かれてゐる。何れも名演だ。全曲で聴きたかつた。(2010.11.15)


ベーラ・バルトーク(p)
ヴェルテ=ミニョン・ピアノ・ロール録音(1920年)/HMV録音(1929年)/PATRIA録音(1936年)
バルトーク/スカルラッティ/リスト
[HUNGAROTON HCD 12326-28]

 6枚組。1枚目。バルトークはピアノが達者であり、若き日のバックハウスとコンクールで覇を争つたこともある腕前であつた。バルトークの演奏には単なる自作自演といふ以上の価値があることはこれらの見事な録音を聴けば諒解出来るだらう。バルトークの演奏は強いアクセントを特徴とし、フレーズの要に楔を打ち込むやうなタッチが個性的である。強音が無機的に陥らないのは技巧が確かな証で、暗い音色で悲劇的な音楽を奏でるに至つては頭が下がる思ひだ。当盤にはスカルラッティのソナタ4曲やリストの小品が収められてをり、ピアニストとしてのバルトークの魅力を確認出来る。しかし、大方の興味は自作の解釈となるだらう。最大の聴きものは「アレグロ・バルバロ」で、焦燥感溢れる情念の渦巻きを封じ込めた逸品である。「ルーマニア民俗舞曲」を物悲しい侘び寂びで聴かせる解釈は原点とも云ふべき貴い演奏である。(2005.9.20)


ベーラ・バルトーク(p)
シリンダー録音(1910年〜1915年)/HMV録音(1929年)/放送録音(1932年〜1935年)/バビッツ夫人&マカイのプライヴェート録音(1936年〜1939年)
[HUNGAROTON HCD 12334-37]

 洪フンガロトン・レーベルが使命感をもつて集大成したバルトーク自身の演奏記録、2巻目4枚組。この第2巻は商業的価値を持たない断片録音ばかりで、補遺的役割をする記録としての意味合ひしかない。その殆どが渡米前にブダペストで記録され、バビッツ夫人とマカイによつて保管されたプラヴェート録音である。1枚目。シリンダー録音、放送録音、HMV録音の別テイクなどの初発売を含んでをり大変貴重だ。とは云へ、当たり前だがシリンダー録音などは非常に音が悪く観賞用ではない。「ルーマニア民俗舞曲」の録音では、近所でジプシー楽団の演奏が始まつたのかバルトークの録音がかき消されて仕舞ふといふ珍事までが記録されてゐる。断片とはいへ、自作自演の数々、盟友コダーイの作品の演奏は重みがある。また、バッハのパルティータや協奏曲、モーツァルト「コンサート・ロンド」、リスト「バッハの主題による変奏曲」といふ演目もあり興味深い。蒐集家には面白からう。(2012.10.22)


ハロルド・バウアー(p)
ヴィクター録音(1924年〜1928年)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」、同第23番「熱情」、他
[Biddulph LHW 007]

 このディスクを入手するのにどれだけ苦労したことよ。誰にでも巡り合はせの悪い盤といふのがあるものだ。しかし、辛抱強く探すことだ。必ず入手出来る。贔屓のピアニスト、バウアーに関しては何れディスコグラフィーを作製して詳しく語りたい。バウアーはペダリングの最高の名手と謳はれ、映像では神業に近い妙技を披露して呉れた。しかし、当盤は機械吹き込み末期から電気録音初期の復刻で、音の貧しさから愛好家以外には感銘を与へることが難しいだらうことを認めざるを得ない。まして、ペダリングの奥義を聴き取ることなど出来ない。だが、演奏は玄人好みの絶妙な演奏ばかりだ。月光ソナタの終楽章の激情、熱情ソナタの暗い焦燥感と幻想は琴線に触れる。その他、バッハ、グルック、ショパン、リスト、ルビンシテイン、バウアー自作など格調高い名演の連続だ。語りかけるやうな歌のフレージングの巧さは比類がない。(2008.10.11)


ハロルド・バウアー(p)
ヴィクター録音(1929年)
シャーマー録音(1939年)
ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番、他
[Biddulph LHW 009]

 バウアーは相当玄人好みのピアニストである。録音が少ない為と、渋くて地味だからだ。バウアーのピアノは柔らかなフレージングが特徴だ。成程ヴァイオリンから転向しただけあつて、息の長い歌が聴ける。ブラームスのピアノ・ソナタ第3番に於ける幻想と晦渋が気高く調和した演奏は絶品で、特に神聖な火花を散らした第1楽章や第5楽章は極上である。他は全て小品だが、バッハ、スカルラッティ、シューマン、ショパン、グリーグなど、全てが賢者の演奏で些かの躊躇もなく奨励出来るピアニストである。取り分けヘンデル「調子の良い鍛冶屋」、クープラン「キタイロンの鐘」、メンデルスゾーン「性格的な小品」は心を洗はれるやうな名演だ。尚、このCDにはドビュッシーの「夢」がクレジットされてゐるものの、入つてゐない。真相を求む[その後、2009年に英APRから発売されたバウアー独奏録音全集には無事収録されてゐた。これで英Biddulphのお粗末な失態が判明した]。(2004.8.31)


ハロルド・バウアー(p)
HMV録音(1935年)
ヴィクター録音集(1942年)
シューマン:幻想小曲集
リスト/グリーグ
[Biddulph LHW 011]

 バウアー晩年の名演集。小手先の上手下手を超えたところで音楽を奏でるピアニストで、若くして老成し、老いて尚瑞々しいピアノを聴かせた。当盤の曲目はバウアーの真骨頂を伝へるものばかりである。シューマンの幻想小曲集は、淡い抒情で聴かせる極上の名演である。この曲の録音としては至宝のひとつに挙げられる。リストの演奏が絶対的な高みにある。「ため息」の親密感溢れる告白は如何ばかりだらう。「森のささやき」は飛翔する精神の昂揚が爽やか。10曲のグリーグ作品も、暖かく優しい歌で包み込み、至福のひとときを与へてくれる名演揃ひ。それにしても何と聴く者の懐奥深くに語りかけるピアニストだらう。ピアノと云ふ楽器から歌声を引き出したのはコルトーとバウアーくらゐである。(2004.11.26)


ハロルド・バウアー(p)
独奏録音全集(ヴィクター録音、シャーマー録音、HMV録音)
[APR 7302]

 英Biddulphから出てゐた3枚のCDを纏めた商品だ。復刻は同じマーストンだが更にリマスタリングをした模様で一段と聴き易い音になつてゐる。既にこれらの録音に関しては述べてあるが、BiddulphのLHW009でクレジットされてゐたもののCDに未収録であつたドビュッシー「夢」が晴れて収められてをり、目出度く全録音が揃つた。但し、この商品は録音全集と銘打つてゐるが正しくは独奏録音全集であり、他にオシップ・ガブリロヴィッチと連弾したアレンスキー「ワルツ」―2種類ある―とショイット「ロココ・メヌエット」、フロンザリーSQとのブラームスのピアノ五重奏曲がある。また、ジンバリストとのベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」第2楽章の映像もあり、折角なら完璧な全集を目指して欲しかつた。とは云へ、賢人ピアニストの録音が入手し易くなつたことを大いに歓迎したい。悪い演奏などひとつもなく、聴けば聴くほど発見のある奏者だ。同業者らも絶讃したペダリングの妙技を是非確かめて欲しい。(2014.5.12)


マーラー:少年の不思議な角笛
クリスタ・ルードヴィヒ(Ms)/ヴァルター・ベリー(Br)
レナード・バーンスタイン(p)
[SONY CLASSICAL 515303 2]

 マーラー指揮者として不動の名声を誇るバーンスタインが、ピアノでマーラーの歌曲を伴奏した録音の全てを集成した興味深い2枚組。バーンスタインはピアノ協奏曲の弾き振りをした程ピアノが達者であつたから演奏は本職のピアニスト顔負けの腕前である。更に、マーラーへの共感度と理解度が桁違ひだから、忌憚なく云へば、これ以上のピアノ演奏はない。バーンスタインの演奏は極めて交響的で、単旋律のうら悲しい抒情的な歌はせ方、勇壮な箇所での爆発的な打撃、交錯する音楽を見事に表現してゐる。1枚目。1968年4月24日のウィーンにおけるライヴ録音。通常の12曲に「原光」を加へた13曲による演奏であることも価値を高めてゐる。歌手も万全でマーラーの世界を巧みに表現してゐる。特に神秘的な「原光」の神々しさは特筆すべきだ。曲順は効果を考へ自由に配列されてをり、曲集として演奏を堪能出来る。(2012.1.8)


マーラー:リュッケルトによる5つの歌曲(4曲)、若き日の歌(11曲)、さすらふ若人の歌
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
レナード・バーンスタイン(p)
[SONY CLASSICAL 515303 2]

 マーラー指揮者として不動の名声を誇るバーンスタインが、ピアノでマーラーの歌曲を伴奏した録音の全てを集成した興味深い2枚組。2枚目。20世紀最高のマーラー歌ひであつたディースカウの究極の名唱が聴ける。リュケッルト・リーダーが無上に素晴らしい。マーラーによつてオーケストラ伴奏に編曲された4曲のみが録音されてゐる。指揮者バーンスタインの意向であらうか。曲順も管弦楽版に従つてゐる。第1曲目から神秘的なメルヒェンへと誘ふ。第3曲目「私はこの世に忘れられ」の虚無感、厭世的な趣は別格だ。虚空で止りさうになるバーンスタインのピアノは深淵を覗き込むやうだ。若き日の歌からは全14曲中11曲が選曲されてゐる。これも競合盤を探すことが不要と思はれるほど見事な名唱の連続である。さすらふ若人の歌はディースカウの為にある曲である。かのフルトヴェングラーを感激させ、決定的な録音を残したことは余りにも有名だ。このバーンスタインとの録音はピアノ伴奏での最高の録音だらう。青春の苦い思ひが溢れる様は真に迫つてをり、数多の歌手とは次元が違ふ。(2012.3.6)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番
ラヴェル:ピアノ協奏曲
ウィーン・フィル
レナード・バーンスタイン(p&cond.)
[DG 4798418]

 DG録音全集121枚組。弾き振りの達人バーンスタインの妙技が聴ける1枚だ。どちらもウィーン・フィルとの共演で、モーツァルトが1981年、ラヴェルが1971年のライヴ録音だ。モーツァルトは映像でも記録が残されてゐる。ウィーン・フィルの美質を引き出して自然な音楽を作り乍ら、ピアノ独奏の転調における絶妙な表情の変化は古典様式に則つたお手本と云へる素晴らしさだ。バーンスタインの解釈は浪漫的であるが、様式を逸脱することはなく可憐さを演出してゐる。この曲屈指の名演だ。ラヴェルが異常の極みだ。第一この曲を弾き振りするなど正気の沙汰ではない。そんな曲芸をやつてのけ、ピアノ演奏は形振り構はぬ爆走で乗りに乗つてゐる。バーンスタインの桁外れの音楽性に圧倒される。ウィーン・フィルにとつても刺激的な体験であつたらう。ただ、勢ひに任せて破れかぶれな面もあり、ラヴェル弾きらの残した完成度の高い名盤と比べると雑な一面は否めない。同列に扱ふのは酷だ。(2016.11.15)


アレクサンダー・ブライロフスキー(p)
初期録音(1928年〜1934年)
スカルラッティ/ヴェーバー/シューベルト/メンデルスゾーン/ショパン/シューマン/リスト/ドビュッシー/スクリャービン
[Pearl GEMM CD 9132]

 電気録音初期、ポリドールやグラモフォンへの録音の復刻。副題に「レシェティツキの伝統」とあるが、正にレシェティツキの教へを受け継いだひとりであることが如実に伝はる1枚だ。何よりも収録された演目が物語る。タウヒジ編曲スカルラッティ「パストラーレとカプリッチョ」、ヴェーバーのピアノ・ソナタより「無窮動」、シューベルト「軍隊行進曲」、メンデルスゾーン「スケルツォ」は門下一同が得意とした演目だ。端正で底光りするピアニズム、和声に含蓄を持たせるタッチ、上品さを失はないルバート、実に素晴らしい。ただ、キエフ出身のブライロフスキーとオデッサ出身のモイセイヴィッチは藝風が被る。演目でもリスト編曲ヴァーグナー「タンホイザー」序曲は食ひ合つてゐる。ショパンの演奏では特性の違ひが出る。装飾過多なサロン風で、深刻にならない洒脱さを指向したブライロフスキーはモイセイヴィッチよりも一層繊細でsnobbismが強い。若い頃にパリで絶大な人気を誇つたブライロフスキーが渡米して名声を保てなかつたのは活動の場を間違へたからだ。この初期録音はレシェティツキ門下の優等生が刻んだ輝かしき記録だ。(2017.10.15)


アレクサンダー・ブライロフスキー(p)
HMV録音(1938年)
ヴィヴァルディ/スカルラッティ/ベートーヴェン/ショパン
[APR 5501]

 ヨーロッパで絶大な人気を博したブライロフスキーが1938年にロンドンで行なつた録音の復刻だ。このうち何点かはRCAからも発売された。レシェティツキ門下の逸材として実力を発揮した名演の連続である。バッハ編曲のヴィヴァルディのニ短調協奏曲は、前年にコルトーが録音をしてをり、対抗録音かと思はれる。様子が全く違ふ。豪奢な色気で弾き抜いたコルトーに対し、暗い詩情で享楽的な音楽を避けたブライロフスキー。ラルゴの主題の歌ひ出だしだけでもかうも違ふものか。十八番のスカルラッティは絶品。ベートーヴェンの「失はれた小銭への怒り」も洒脱で素晴らしい出来だ。ショパンのエコセーズの屈託のない表情も見事。内気な子守唄や剛毅なワルツ第1番も面目躍如だ。RCAからも発売された肝心の大曲ピアノ・ソナタ第3番は何故か覇気が持続せず今一つだ。ブライロフスキー音楽は繊細で小品向きなのだ。(2021.3.9)


ハイドン、モーツァルト、ショパン、デュティーユ、他
モニク・ド・ラ・ブルショルリ(p)
[INA IMV063]

 鮮烈な技巧を誇るフランスの女流奏者ブルショルリの貴重な蔵出し音源で、特に1962年のシャンゼリゼ劇場におけるライヴ録音は愛好家感涙の逸品。白眉は冒頭に収録されたハイドンのソナタ第48番ハ長調で、独特の乾いたタッチによるお転婆振りは天馬空を行くが如しで、霹靂に打たれたやうな衝撃を受けた。こんなおきゃんなピアノは類がない。多彩な表情が跋扈する驚愕の名演で、他の演奏など聴けなくなる。ハイドンに比べるとモーツァルトの幻想曲は常套的な演奏で栄えないから不思議だ。ショパン作品は健康的で躍動感溢れる演奏が多く、切れ味のある技巧に独自の魅力がある。デュディーユのピアノ・ソナタが素晴らしい。難解な現代作品だが、確かな打鍵による生命の通つた演奏を聴かせる。決定盤であらう。余白にはSP録音の復刻が収録されてゐる。十八番としたサン=サーンス「トッカータ」が物凄い。燦然たる技巧と常軌を逸したギャロップは鬼神のやうで、ブルショルリの最良の記録と云へる。(2007.12.9)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番
ベルンハルト・パウムガルトナー(cond.)/ヤーノシュ・フェレンチク(cond.)、他
モニク・ド・ラ・ブルショルリ(p)
[DOREMI DHR-7842/3]

 事故で全盛期に引退を余儀なくされ、幻の奏者の感があるブルショルリの貴重な復刻集2枚組。1枚目。パウムガルトナー指揮で1963年にオイロディスクに録音されたモーツァルトのニ短調協奏曲と、引退直前の1966年にフェレンチク指揮ブタペスト国立管弦楽団の伴奏によるベートーヴェンのハ短調協奏曲のライヴ録音だ。音源としてはベートーヴェンが珍しい。技巧家として激賞されたブルショルリの凄みを聴くならベートーヴェンで、強靭な打鍵と疾駆する速弾きの猛烈さに圧倒される。しかし、ライヴに付き物のミスタッチがかなり致命的な傷を伴つてをり残念だ。また、伴奏のオーケストラの反応が鈍く、総じて良くない。モーツァルトは無難な演奏であるが、ブルショルリだけといふ特色には乏しく、詰まらない演奏だ。(2010.2.11)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
フランク:交響的変奏曲
スカルラッティ、ハイドン
ベルンハルト・パウムガルトナー(cond.)/ヨネル・ペルレア(cond.)、他
モニク・ド・ラ・ブルショルリ(p)
[DOREMI DHR-7842/3]

 2枚組。2枚目。モーツァルトのイ長調協奏曲は第20番と同様1963年にオイロディスクに録音され、同じく印象は無難な演奏で面白くない。不味い点がないだけに惜しい。当盤は良さは全盛期の1956年にVOXに録音されたラフマニノフとフランクに尽きるだらう。強靭なピアニズムに圧倒される。両曲とも幾分単調な嫌ひはあるが、豪快な打鍵と鮮烈な指回りは賞讃に価する。ペルレア指揮のコンセール・コロンヌの伴奏も乙で総じて名演だ。特にフランクはコルトーに次ぐ名盤として推奨出来る。余白にはニクサに録音されたスカルラッティのソナタ2曲と、HMVに録音されたハイドンのソナタ第34番ホ短調が収録されてゐる。スカルラッティは絢爛たる演奏だが、品格と情味が乏しく良くない。ハイドンは妙味があるが取り立てて面白い演奏ではない。(2010.5.15)


チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
ウィーン・プロ・ムジカ管弦楽団
ルドルフ・モラルト(cond.)/ロルフ・ラインハルト(cond.)
モニク・ド・ラ・ブルショルリ(p)
[DOREMI DHR-7857/8]

 DOREMIによる名女流奏者ブルショルリ復刻第2弾2枚組。1枚目。VOXへの録音でブルショルリの代表的録音である。チャイコフスキーもブラームスも豪腕が唸つてをり、女流で斯様に切れ味抜群かつ重厚壮大なピアノを叩いたのはブルショルリひとりだらう。チャイコフスキーが天晴痛快、溌剌としてをり、実に健康的な好演だ。冒頭から壮麗極まりなく、主部に入つてからも筋肉質な音楽を奏でる。弱音の美しさも精巧だ。第2楽章の難所もさらりと制圧し、第3楽章も躍動してゐる。疾風のやうな演奏は鍵盤上のヴァルキューレと讃へたい。伴奏も健闘してをり、屈指の名盤として賞讃したい。比べると幾分感銘が劣るが、ブラームスも大変見事だ。重厚な浪漫が充満してゐる。恰幅が大きいだけでなく、繊細な瞑想も丁寧に聴かせる。だが、何処か渋みが足りず画竜点睛を欠く。全体に弾き過ぎであるのも一因だらう。(2013.4.15)


サン=サーンス:ピアノ協奏曲第5番、トッカータ
シマノフスキ:主題と変奏曲
ショパン、ブラームス、ハイドン
ルクセンブルク放送管弦楽団/ルイ・ド・フロマン(cond.)
モニク・ド・ラ・ブルショルリ(p)
[DOREMI DHR-7857/8]

 2枚組。2枚目。目玉は1963年のライヴ録音、サン=サーンスの協奏曲だ。ブルショルリの明るく輝かしい技巧を存分に味はへる。特に第3楽章の飛び跳ねるやうなピアニズムは大変聴き応へがある。次第に熱を帯び、まるで鍵盤が鋼の如く鍛へられて行く様には興奮を禁じ得ない。第1楽章の清々しい昂揚も絶品だ。香り高いタリアフェロの名盤には僅かに及ばないが、ダルレ盤と共に三傑を成す名演だ。余白は1951年と1956年にミュンヘンで行はれた放送録音で、サン=サーンスのトッカータ、ショパンのアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ、舟歌、シマノフスキの主題と変奏、ブラームスのワルツより2曲、ハイドンのソナタ第34番ホ短調だ。重要な録音はシマノフスキの秘曲、作品3の変奏曲だ。ブラームスの模倣的作品だがブルショルリの重厚な演奏が素晴らしい。その他、感銘深いのはショパンのグランドポロネーズで壮麗極まりない名演だ。得意としたサン=サーンスのトッカータも良い。(2013.10.1)


フランス・デッカ全録音
リスト:スペイン狂詩曲、泉のほとりで、忘れられたワルツ第1番、小人の踊り、パガニーニによる大練習曲(第4番、第5番、第6番)、メフィスト・ワルツ第1番
ブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ
アニュエル・ブンダヴォエ(p)
[Decca 484 1507]

 演奏家としての経歴を十分に楽しめなかつた幻の名手ブンダヴォエのフランス・デッカへの録音LP3枚分を復刻した2枚組。即ち1955年録音のリスト、1956年のブラームス、1957年のシューマンから成る。1枚目にはリストの全部とブラームスの大曲が収録されてゐる。リストが全て素晴らしい。絢爛たるスペイン狂詩曲も良いが、パガニーニ大練習曲が驚異的な名演で、技巧の切れに惚れ惚れする。泉のほとりでの研ぎ澄まされた美しい音色も素敵だ。ブラームスにも抹香臭さがなく、華麗に映える演奏がブンダヴォエの特徴だ。(2022.2.15)


フランス・デッカ全録音
ブラームス:ラプソディーロ短調作品79-1、同ト短調作品79-2、同変ホ長調作品119-4
シューマン:6つの間奏曲、トッカータ、幻想小曲集
アニュエル・ブンダヴォエ(p)
[Decca 484 1507]

 演奏家としての経歴を十分に楽しめなかつた幻の名手ブンダヴォエのフランス・デッカへの録音LP3枚分を復刻した2枚組。即ち1955年録音のリスト、1956年のブラームス、1957年のシューマンから成る。2枚目はブラームスの3曲のラプソディー、作品79-1と2、作品119-4、シューマンの6つの間奏曲、トッカータ、幻想小曲集だ。ブラームスは見事なピアニズムだが、後期作品特有の幻想と渋みが感じられず凡庸だ。シューマンが鮮やかで良い。作品4の間奏曲集は音源としても珍しく、価値ある録音だ。幻想小曲集は幾分詩情に欠ける。(2023.1.12)


バッハ:ピアノ協奏曲第1番
ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲
ドビュッシー:映像第1巻
フランス国立放送管弦楽団/ヤーノシュ・コミヴェシュ(cond.)
アニュエル・ブンダヴォエ(p&cond.)
[Spectrum Sound CDSMBA017]

 フランス国立視聴研究所からの発掘音源で、ブンダヴォエとルフェビュールの録音を収録した2枚組。愛好家は看過してはならない。1枚目はブンダヴォエだ。バッハのニ短調協奏曲はブンダヴォエの最も有名な録音であるブゾーニ編曲バッハのシャコンヌに通ずる激情的な名演だ。真摯で悲劇的な昂揚は素晴らしい。古典的ではないが甘くならず峻厳さで聴かせる。ピアノは古今を見渡しても最上級の演奏だが、鈍重な管弦楽伴奏が良くない。ソロとも全然合つてゐない、と思つたら弾き振りであつた。従つて総合的な感銘はかなり落ち、一般には推奨出来ない。残念だ。ハチャトゥリアンはビゴー伴奏の録音もあり、得意とした演目なのだらう。技巧は抜群で熱気に溢れてゐる。だが、この曲の代名詞であるカペルの名演を超える感銘は受けなかつた。一転、ドビュッシーは感情を抑制し、音画の世界に徹底してゐる。細密画のやうでもあり、静的な時間が訪れる個性的名演。(2017.7.21)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第15番、同第17番、ピアノ・ソナタ第12番
クリーヴランド管弦楽団/ジョージ・セル(cond.)
ロベール・カサドゥシュ(p)
[SONY Classical 88697808372]

 カサドゥシュが取り分け得意としたモーツァルトの協奏曲録音を集成した5枚組。4枚目は演奏回数が限られる第15番と第17番で、カサドゥシュ拘泥はりの曲と云へよう。伴奏は最も相性が良かつたセルとで、純度が高いモーツァルトが聴ける。水晶の如く透明感のあるピアノとオーケストラの響きは驚異的で、雑味を一切排除した天上的な演奏だ。この取り合はせは奇蹟的である。特に管楽器各々が極めて粒揃ひで、これ以上を望むのは欲張りだらう。競合盤も少なく、2曲とも躊躇ひなく決定的名盤と断言出来る。ただ、色彩が透明に限りなく近い為、色気が薄く、感情的な振幅は乏しい嫌ひがあるといふのは難癖か。ソナタも非常に美しい演奏で、カサドゥシュが天性のモーツァルト弾きであることを立証する名演だ。(2016.10.26)


ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
グリーグ:ピアノ協奏曲
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団/ロンドン交響楽団/エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム(cond.)/アナトール・フィストラーリ(cond.)
クリフォード・カーゾン(p)
[DECCA 478 4389]

 名手カーゾンのデッカ録音全集23枚組。12枚目。ブラームスは2度目の録音で1953年のモノーラル録音だ。カーゾンの残した第1協奏曲ではセルが伴奏したステレオ録音が随一とされるが、ベイヌムとの共演盤も甲乙付け難い。カーゾンのピアノに脂が乗つてをり、独奏においては寧ろ当盤の方が優れてゐるかも知れぬ。しかし、カーゾンは晩年になつて尋常ならざる深みを増したので一概には優劣を付けられない。ベイヌムの指揮は特色が薄いものの立派な演奏だ。面白みはないが悪い箇所はひとつもない。グリーグは1951年録音で、後の1959年にもフィエルスタートとの再録音がある。オーケストラはどちらもロンドン交響楽団なので大きな差は認められない。フィストラーリとの当盤はより華麗で情熱的に音楽が動く。一方、フィエルスタートとの新盤は北欧の抒情を聴かせることに成功してゐる。僅差で新盤に軍配を上げる。(2015.9.21)


ブラームス:ピアノ協奏曲第1番、愛の歌(全18曲)、新しい愛の歌より(1曲)
ゼーフリート(S)/フェリアー(A)/パツァーク(T)/ガルピアーノ(p)、他
ロンドン交響楽団/ジョージ・セル(cond.)
クリフォード・カーゾン(p)
[DECCA 478 4389]

 名手カーゾンのデッカ録音全集23枚組。17枚目。カーゾンは録音嫌ひとして知られるが、ブラームスの録音は多く、特にニ短調協奏曲は3種類も残る。これは最後の1962年録音で音質も申し分ない。また、これ迄ホルダとベイヌムの指揮で共演してきたが、巨匠セルによる伴奏は一味違ひ一分の隙もない完璧な仕上がりだ。管弦楽について云へばライナーと双璧を成すだらう。カーゾンのピアノはトリルの演奏などで幾分強靭さを欠き、第2楽章での色気も弱いが、渋く含蓄のある音色で重厚な音楽を紡いでをり素晴らしい。この曲屈指の名演として推奨出来る。余白はエディンバラ音楽祭でのライヴ録音で、ガルピアーノと共に歌手らの伴奏をした録音を収録。これらはフェリアーの録音について触れる時に述べたいと思ふので割愛する。(2015.2.9)


ショパン:練習曲(8曲)、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ
サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番、他
アンドレ・クリュイタンス(cond.)/ポール・パレー(cond.)、他
ジャンヌ=マリー・ダルレ(p)
[VAI AUDIO VAIA/IPA 1065-2]

 フランスの名女流ダルレの最初期の録音を編んだ2枚組。名技師マーストンによる優れた音質で楽しめる。1枚目。最も古い音源は1922年の英ヴォカリオンへの録音、次いで1931年のポリドールやHMVへの録音、そして大半を占めるのが1946年から47年にかけて行はれたパテへの録音で、得意としたショパンとサン=サーンスが収録されてをり、大変聴き応へがある。ショパンの練習曲は輝かしい技巧と繊細なタッチが融合した得難い名演ばかりだ。ポロネーズはクリュイタンスとコンセールヴァトワールとの共演でEMIからもCD化されてゐた。絢爛たる名演で、伴奏が殊の外美しい。協奏曲全曲録音のあるサン=サーンスはダルレの自家薬籠中であるが、これはパレーとコンセール・コロンヌ管弦楽団との大変貴重な録音で、豪快な伴奏に乗つて情熱的な演奏を繰り広げて呉れる。第一に推したい名演だ。シュトラウス「ジプシー男爵」をドホナーニが編曲したワルツはサロン趣味の勝つた曲で、華麗な装飾にダルレは艶やかな表情を聴かせる。(2009.11.15)


バッハ/ヴェーバー/シューマン/メンデルスゾーン/リスト/フィリップ/ラフマニノフ/Jaray-Janetschek
ジャンヌ=マリー・ダルレ(p)
[VAI AUDIO VAIA/IPA 1065-2]

 2枚組。2枚目。様々な作曲家の作品でダルレの藝術を堪能出来る。ダルレの逞しい打鍵による鮮烈な技巧を味はふなら、バッハの無伴奏パルティータ第3番の前奏曲やヴェーバーのピアノ・ソナタ第1番の終楽章だ。猛烈な速弾きで華麗さと剛健さを聴かせて呉れる逸品だ。得意としたリストが矢張り見事だ。パガニーニ練習曲「ラ・カンパネッラ」では1838年版と1851年版の2種が収録されてゐるのも嬉しい。特に後者が高次元の名演だ。その他、2曲の超絶技巧練習曲、ポロネーズ第2番、愛の夢第3番など全てが名演だ。燦然たる技巧も素晴らしいが、哀感の交じつた詩情も欠いてゐない。一方、ラフマニノフの前奏曲2曲は余り面白くない。イシドール・フィリップの奇想曲やJaray-Janetschekのトッカータなどの珍曲は音源として貴重だ。(2010.3.16)


サン=サーンス:ピアノ協奏曲第1番、同第2番、同第3番
フランス国立放送局管弦楽団/ルイ・フレスティエ(cond.)
ジャンヌ=マリー・ダルレ(p)
[EMI 7243 5 69470 2 3]

 フランスEMIによるピアニスト復刻集は大概"LES RARISSIMES"シリーズで再発売されたが、ダルレは漏れて仕舞つた。だが、このサン=サーンスの協奏曲全集は作曲家直伝とされる別格の決定盤なのだ。1枚目。ダルレの演奏は何処を取つても音に精彩があり、自身の血肉となつて自由自在、即興風の境地に達してゐる。フレスティエの指揮が良く付けてをり万全だ。サン=サーンスの5つの協奏曲は性格が各々全く異なる。極めて偉大な創造力に溢れてゐる。第1番ニ長調はフォンテーヌブローの森に着想を得た作品で、ホルンが奏す狩の主題が颯爽としてをり痛快だ。宝石のやうなピアノとの対話もサン=サーンスの醍醐味だ。ドイツ風の古典的な構成でヴェーバーを思はせる。フランス初の協奏曲作品と称される所以だ。第2番ト短調は全5曲で最も有名な作品。最も独創的だからだ。冒頭は長大かつ厳粛なバッハ風のピアノ独奏から始まり、僅かな管弦楽伴奏を伴ふだけの第1楽章。続く第2楽章は軽妙なショパン風のスケルツォ、第3楽章は悪魔的なタランテラのロンドで、序破急の構成を採る類例のない斬新な曲だ。第3番変ホ長調は管弦楽が主題を奏する中、ピアノは暫く分散和音のみを担当し交響的な試みがある。主題の変奏も凝つてをり、和声法と管弦楽法が大胆で協奏曲としての厚みが増した。作曲技法はドヴォジャークを思はせる。演奏機会の少ない第1番と第3番はダルレの録音で真価を知るであらう。(2017.7.12)


サン=サーンス:ピアノ協奏曲第4番、同第5番、七重奏曲
フランス国立放送局管弦楽団/ルイ・フレスティエ(cond.)
パスカル四重奏団、他
ジャンヌ=マリー・ダルレ(p)
[EMI 7243 5 69470 2 3]

 2枚組。2枚目。第4番ハ短調はサン=サーンスの個性を刻印した名曲で、第2番と並ぶ傑作とされる。構成が特徴的で全2楽章だが、それぞれが2部に分かれ実質4楽章制なのだ。即ち有名なオルガン交響曲と同じで、実験的な先駆作品と云へる―調性が同じであるのは面白い符合だ。また、循環形式を試みてゐる点でも共通する。演奏は万全で代表的な名演だ。コルトーの名演と比しても硬派の名演として引けを取らない。「エジプト風」の愛称で親しまれる第5番へ長調のみが晩年の作品だ。だが、非常に実験精神旺盛な作品で描写的もしくは絵画的な作品だ。主に和声の面で東洋的な要素が取り入れられてをり、異国情緒が満載なのだ。演奏は第3楽章の技巧が見事で素晴らしいが、第2楽章は幾分物足りない。タリアフェロが聴かせた恍惚たるエロスはなく、描写の面白みも薄い。七重奏曲は第4番と第5番の中間に作曲された作品で、ピアノ、トランペット、弦5部といふ類例のない編成の曲だ。洒脱でフランスのエスプリを感じる佳作。演奏はパスカルSQが妙味を出してゐるが、肝心のデルモットのトランペットが物足りない。(2017.12.12)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番
ハイドン:変奏曲ヘ短調
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」
シュトラウス(ドホナーニ編):ワルツ(2曲)
ブダペシュト・フィルハーモニー管弦楽団
エルンスト・フォン・ドホナーニ(p&cond.)
[Dante HPC040]

 作曲家ドホナーニはピアノも達者で、自作のみならずドイツの古典派から初期ロマン派の作品では本職顔負けの演奏をした。特にモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどを好んだ。モーツァルトの協奏曲はフィッシャーの名盤に先立つて1935年に吹き込まれた初録音だつた。弾き振りをしたブダペシュト・フィルは三流で音程の怪しい箇所が散見される。伴奏に関しては録音も古くて酷く、ドホナーニのピアノを聴くべき録音だ。実に味はひのあるピアノで、慈しむやうに奏でられる。冒頭の入りで、すぐにテンポを落として聴く者を惹き付ける語り口は見事で、全体としても寂寥感を漂はせる妙技が素晴らしい。ハイドンでは水晶のやうな音色が美しく、和声とフレーズに対する木目細かい表情付けは作曲家ならではの慧眼と云へる。当盤の白眉だらう。ベートーヴェンは技巧が追ひ付いてゐない箇所もあるが、暗い幻想が感じられる演奏で好感が持てる。シュトラウスは「ジプシー男爵」と「こうもり」からの粋な編曲。素敵だ。(2016.6.24)


エルンスト・フォン・ドホナーニ(p)
自作自演独奏録音全集(1929年〜1956年)
[APR 7038]

 ハンガリー出身の作曲家ドホナーニはピアニストとしても大した腕前で、モーツァルトのピアノ協奏曲第17番他かなりの量のSP録音を残してゐる程だ。玄人向けの復刻を地道に行ふ英APRは自作自演全録音をCD化するといふ快挙に出た。一般の興味からは縁遠いドホナーニだが、斯様な自作自演盤の登場は未知の作品に出会ふ契機となり歓迎したい。2枚組。1枚目。1929年のブダペストでの録音や1931年のロンドンでの録音はドリーブやシュトラウスのワルツの編曲ばかりで気が利いた内容とは云へ有り難みはない。だが、戦後の録音は大変聴き応へがある。冬の輪舞〜10のバガテルOp.13、ハンガリー民謡による変奏曲Op.29、6つの小品Op.41はシューマンやブラームスやグリーグの作品に比べても遜色を感じない。ドホナーニは和声における音価の配分を入念なタッチで描き分けてをり、聴けば聴く程その美しさに心奪はれる。(2007.2.5)


エルンスト・フォン・ドホナーニ(p)
自作自演独奏録音全集(1929年〜1956年)
[APR 7038]

 2枚組。2枚目。1956年のロンドンでの録音で、一部はステレオ方式での録音だ。パストラールと6つの小品Op.41は再録音となる。古風な様式による組曲Op.24は楽想こそ古典的だが、ブラームスを想起させる重厚で晦渋な大曲で技巧が凝らされてゐる。16世紀のパヴァーヌと変奏Op.17-3における愛らしさと上品な嗜みは聴く者を虜にするだらう。風変わりな小品Op.44からの2曲も洒落てゐる。何れも作品も大変素晴らしく、作曲家の知名度で看過するべきではない。簡素なペダリングと硬質のタッチによる演奏も満点で、清廉にして透徹した音楽を奏でる。多くの愛好家に薦めたい。(2007.3.9)


サムイル・フェインベルク(p)
初期録音集(1929〜48年)
バッハ/ベートーヴェン/スクリャービン、他
[ARBITER 118]

 ロシア革命を逃れて大家たちが消え去つたソヴィエトにも聴くべき才能はある。バッハの伝説的な弾き手として名を残したフェインベルクの戦前の録音集は極めて刺激的な演奏ばかりだ。最初期のベルリンにおける1929年の録音は、バッハのコラールと協奏曲、自作の組曲、ストラヴィンスキーとスクリャービンで、殊にバッハのBWV.593の協奏曲が情熱的で凄まじい。1930年代後半とされるモスクワ録音は貧しい音質だが、何れも瞠目に値する名演だ。特にベートーヴェンの熱情ソナタにおける大胆なアゴーギクには驚いた。極限まで音の劇的昂揚を追求し、聴き手の感情を煽り立てた演奏ならばフェインベルク以上はない。堅牢なバックハウスの旧盤とともに最上位に置きたい。シューマン「森の情景」からの2曲やリスト「慰め」からの2曲での幻想的かつ独創的な切り口も素晴らしい。戦後の録音が更に素晴らしい。バッハ「半音階幻想曲とフーガ」の自在さ、リャードフ「牧歌」の夢見るやうな情感は絶品である。看過してはならない大物のひとりだ。(2009.10.12)


サムイル・フェインベルク(p)
バッハ/ショパン/リスト/ラフマニノフ/スクリャービン
[ARBITER 146]

 フェインベルクの認知度は低いが、バッハの大家である。当盤の大半を占める5曲のバッハ作品は弩級の名演である。1961年と1962年にステレオで録音された3曲は特に素晴らしい。これらは未発表録音といふことでARBITERの発掘に喝采を送りたい。幻想曲とフーガBVW.904の高貴な悲愴感、前奏曲とフーガBWV.548―クレジットにはBWV.533とあるが誤り―の荘厳な昂揚、トッカータBWV.912の晴れやかな愉悦、ロマンティックな様式による感情豊かな演奏では最高の位にある。他にモノーラル録音だが、幻想曲とフーガBVW.542とシンフォニアBWV.798も極上の演奏だ。次に重要なのは1948年のライヴ録音であるスクリャービンのピアノ・ソナタ第5番である。刹那に燃え上がる幻想を鬼気迫る趣で表現してをり圧巻だ。他は1950年代のセッション録音で、ラフマニノフの前奏曲から4曲と音の絵から1曲、リストのコンソレーションの第1番と第2番、ショパンのバラード第4番が収録されてゐる。水際立つた技巧で聴かせる絢爛たるラフマニノフが見事だ。透明感溢れるリストの敬虔な詩情も極上である。しかし、ショパンは雑然とした演奏で良くない。(2012.1.18)


バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻
サムイル・フェインベルク(p)
[RCD 16231]

 ソヴィエトで活躍したバッハの大家フェインベルクの知る人ぞ知る破格の名盤。平均律クラヴィーア曲集第1巻と第2巻の4枚組で、1枚目と2枚目が第1巻24曲だ。魁となつたエトヴィン・フィッシャーの録音の後、ピアノによる演奏では双璧とされるのがフェインベルク盤だ。この曲集の演奏では、理知が勝る学究的な行き方もあるが、抒情的で感情を込めた行き方もある。ピアノでの演奏の場合は後者の方に分が有るやうだ。フィッシャーの温かく人間味のある演奏を陽とすれば、禁欲的で敬虔なフェインベルクの演奏は陰と云へ、硬く澄んだ打鍵で甘さは皆無だ。しかし、機械的ではない。フェインベルクの演奏は神秘的な幻想に沈み込み、魔術にかけられたやうな荘厳さを帯びてゐる。調による出来不出来が少なく、長調作品でも高貴な悲哀を漂はせる名演揃ひ。バッハの偉大さを痛感させて呉れる極上の録音だ。(2015.8.14)


バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻
サムイル・フェインベルク(p)
[RCD 16231]

 平均律クラヴィーア曲集第1巻と第2巻の4枚組で、3枚目と4枚目が第2巻24曲だ。修練を目的とする向きが大きかつた第1巻よりも、「24の前奏曲とフーガ」として自在さを得て音楽的な深みを追求した第2巻で、フェインベルクの持ち味はより開花してゐる。寂寥感をずしりと聴かせるのは並大抵の技ではない。晴れやかさ、厳しさ、悲しみなど様々な表情を万華鏡の如く変化させるのは驚異的だ。最上の音楽を最高の演奏で聴く楽しみがここにある。大家フェインベルクの復刻は進んでをらず、纏めて聴ける日が来ることを祈る。(2016.2.20)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第4番、同第11番、同第30番
サムエル・フェインベルク(p)
[Classical Records CR-076]

 露Classical Recordsはフェインベルクの復刻を行ふ頼もしいレーベルだ。第2巻はベートーヴェンのソナタ集だ。フェインベルクのベートーヴェンは因習に捕らはれない非常に個性的な演奏である。丁度指揮界におけるムラヴィンスキーと好一対だ。ドイツ的な堅苦しさや生真面目さはなく、泥臭ひ様子もない。清明といふのとはまた違ふ、達観した演奏が面白い。バッハを得意としたフェインベルクならではの高尚で形而上学的なベートーヴェンである。選曲も実に渋い。高齢故に技術は時に頼りないこともあるが、一風変はつた節回しで乗り切る。フェインベルクが妙味を発揮するのは緩徐楽章で、奇しくもcon gran espressioneとかcon molta espressione、或いはespressivoと表記された楽章の深淵さは一寸次元が異なり、含蓄がある。フェインベルクの選曲の所以は此処にあつたのだらうか。(2018.4.9)


バッハ:半音階的幻想曲とフーガ、コラール前奏曲、前奏曲とフーガ、幻想曲とフーガ、他
サムエル・フェインベルク(p)
[Classical Records CR-088]

 露Classical Recordsはフェインベルクの復刻を行ふ頼もしいレーベルだ。第3巻はバッハのトランスクリプション集で、フェインベルクの全録音でも絶対に語り落としてはいけない真骨頂なのだ―米Arbiterからも幾つか復刻があつた。フェインベルクが弾くバッハと云へば、平均律クラヴィーア曲集第1巻と第2巻が高名で―Classical Recordsからも復刻済―、ピアノで弾いた録音ではフィッシャー盤と並び最高峰であつた。そして、忌憚なく申せば、このトランスクリプションの数々は平均律クラヴィーア曲集をも凌駕する感銘を与へて呉れる至高の名演ばかりなのだ。演目はオルガン・ソナタBWV529からラルゴ、トッカータBWV912、半音階的幻想曲とフーガBWV903、コラール前奏曲を4曲―「いと高きにある神にのみ栄光あれ」BWV662とBWV663とBWV711、「ただ神の摂理に任す者」BWV647―、前奏曲とフーガBWV548、イタリア風アリアと変奏曲BWV989、幻想曲とフーガBWV904の計10曲。有名曲もあれば、拘泥はりの作品もある。フェインベルクによる編曲で思ひ入れの丈が違ふ。俗気のない崇高で献身的なバッハ。滅多に聴けない音楽がある。(2019.5.3)


シューマン:子供の為のアルバム(23曲)、森の情景
サムエル・フェインベルク(p)
[Classical Records CR-169]

 露Classical Recordsはフェインベルクの復刻を行ふ頼もしいレーベルだ。第4巻はシューマン録音集だが、流石はフェインベルクで在り来たりでない中期作品の選曲と香り立つやうなロマンティシズムを振り撒き余人の到達し得ない見事な演奏を披露する。子供の為のアルバムから約半数の23曲を番号順に自由に抜き出し行く。物語るやうにルバートを掛け、文学的な取り組みで、タッチも様々に変化する。この曲集にはゼッキの名盤があつたがフェインベルクは一枚上手の名演と云へる。森の情景は全9曲を収録。底なしの詩情で聴く者を虜にする名演の連続で、この曲の代表的な録音だらう。名残惜しい秘めやかな音色が琴線に触れる。(2020.8.12)


シューマン:フモレスケ、アレグロ、ショパン:前奏曲(7曲)、バラード第4番、リスト:コンソレーション(5曲)、メフィスト・ワルツ第1番
サムエル・フェインベルク(p)
[Classical Records CR-174]

 露Classical Recordsはフェインベルクの復刻を行ふ頼もしいレーベルだ。第5巻は第4巻に続いてシューマンの録音でこれで全部が揃ふ。選曲も実に渋い。フモレスケ作品20から狂ほしい浪漫を奏で、分裂しながらも淡い期待、一途な情熱、刹那の嘆きを見事に紡ぐ。屈指の名演として記憶してをきたい。若き日の暗き情熱に貫かれたアレグロ作品8は特に聴く機会の少ない演目だけに有難い。慧眼に充ちた名演で決定的な録音と云へよう。これらは1952年から1953年にかけての録音で音質も申し分ない。ショパンは全く良くない。前奏曲集より、1番、3番、5番、8番、10番、11番、12番を演奏しているが、音が悪く内容も抜粋だし、フェインベルクでなければと云ふものではない。バラードは少しましな内容だが、これも特別なものではない。リストが絶品だ。6曲のコンソレーションから最も有名な第3番のみが録音がないのがフェインベルクたる所以と云へよう。物静かな観想に沈み含蓄深い囁きで慰めを与へて呉れる名演ばかりだ。対照的に鮮烈なメフィスト・ワルツも素晴らしい。悪魔的な嘲笑と誘惑が共存する名演だ。(2021.1.24)


バッハ:コラール前奏曲集、他
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第4番、同ニ長調K.576、幻想曲とフーガ、12の変奏曲
サムエル・フェインベルク(p)
[BMG/MELODIYA 74321 25175 2]

 ロシアン・ピアノ・スクール・シリーズの1枚で第3巻目である。BMGが盛んにメロディア音源を復刻してゐた頃の商品だ。バッハは露Classical Recordからも復刻があつた音源ばかりだが、1つだけ、BWV.662だけは1952年録音と1962年録音の新旧2種が収録されてゐる。見落としてゐる方も多いだらう。演奏はどれもフェインベルクの骨頂で神品だ。モーツァルトは当盤に収録された音源で全てであらう。フェインベルクが弾くモーツァルトはどれも繊細かつ青白い華奢なロココ風の演奏である。音色も宝石のやうに輝き粒立ちに執心する。聴き慣れたソナタもフェインベルクが弾くと無邪気さはなく、神経質な人工的な美しさが特徴だ。演奏機会の少ない幻想曲とフーガと変奏曲は拘泥はりの逸品だ。特に変奏曲の秘めやかな美しさは一種特別な良さがある。(2021.11.18)


ラヴェル:左手の為のピアノ協奏曲
ドビュッシー:幻想曲
ミヨー:ブラジルの郷愁、春
フランス国立放送管弦楽団/ジョルジュ・ツィピーヌ(cond.)
ジャック・フェヴリエ(p)
[EMI 7243 5 694464 2 2]

 フランスEMIによる名手フェヴリエの名演集2枚組。1枚目。フェヴリエはラヴェルの権威であつた。左手の為の協奏曲はヴィトゲンシュタインの委嘱によつて作曲されたが、初演をめぐつて作曲者との関係性が険悪となつた為、ラヴェルは初演やり直しの白羽の矢をフェヴリエに託した。かうして正統派の演奏が聴けるのは値千金で、ツィピーヌの洒脱な棒も素敵な名盤だ。とは云へ、フランソワの狂ほしいエロスと比べると物足りなく感じる。ドビュッシーも素晴らしい。高踏的な雰囲気、ツィピーヌの色彩的な伴奏が瀟洒で理想的な名演だ。ミヨーの「ブラジルの郷愁」全12曲と「春」第1集と第2集併せて計6曲が聴けるのは嬉しい。諧謔や生命力は薄めだが、薫り高きエスプリが満載で色とりどりのパレットから調合された美しき名演だ。(2020.7.12)


プーランク:ナゼルの夜会、5つの即興曲、主題と変奏、ナポリ、2台のピアノの為の協奏曲
パリ音楽院管弦楽団/ジョルジュ・プレートル(cond.)
フランシス・プーランク(p)
ジャック・フェヴリエ(p)
[EMI 7243 5 694464 2 2]

 フランスEMIによる名手フェヴリエの名演集2枚組。2枚目。盟友であつたプーランク作品で、決定的名演が揃ひ踏みする。選曲も実に良い。フェヴリエは理知的で都会的な感覚のピアニズムを聴かせる。明瞭な打鍵による玲瓏たる音色は近代フランスの軽妙な作品や淫靡な作品に絶妙に合ふ。特にプーランクの涙を湛へた感傷的な旋律の美しさにフェヴリエ以上の寄り添ひ方が出来る者はなからう。感情を込め過ぎてもいけないのだ。さて、どれも絶品だが、最大の興味を惹くのは協奏曲に違ひない。1932年の初演と同じ、作曲者との共演である。そして、プーランク作品の権威プレートルの棒が花を添へ、決定的名盤として語り継がれてきた録音である。部分的には難がない訳ではないが、精神においてこれを超える録音はなからう。(2020.3.21)


ヘンデル:シャコンヌ、組曲第3番より
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、第23番「熱情」、第31番
エトヴィン・フィッシャー(p)
[APR 5502]

 スイス出の独墺系ピアニストにしてSP期におけるバッハ演奏の権威であつたフィッシャー最初期の録音である。解説によると最初の録音は1928年のヘンデルのシャコンヌであるらしいが、未発表なのださうで、当盤は31年録音のものである。フィッシャーのバッハは浪漫的であるにも拘らず今聴いても深い感銘を覚えるが、ヘンデルもバッハの延長上にある演奏で、抹香臭さはあるが格調高い偉大な演奏である。フィッシャーはベートーヴェン弾きとしても名高い人だが録音は多くない。「悲愴」と「熱情」は感情の表出が散漫で感銘が薄いが、第31番はこの曲の最も優れた演奏のひとつである。バッハ弾きフィッシャーがフーガで妙味を発揮するのは当然と云へる。(2004.10.4)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番、ピアノ協奏曲第24番、ピアノ・ソナタ第11番、幻想曲K.396
ローレンス・コリングウッド(cond.)、他
エトヴィン・フィッシャー(p&cond.)
[APR 5524]

 戦前の優れたモーツァルト弾きとしてフィッシャーの名を逸することは出来ない。情に傾いたモーツァルトであり、込上げる涙や寂寥感が藝術的だ。情感ある温かいタッチの音であるが、気品ある貴族的な風格を失はず、転調時の翳りと微笑みが霊感に充ちてゐる。過度な劇的誇張はないが第24番が大変素晴らしく、この曲の代表的な名演と挙げることに躊躇ひはない。カデンツァはフィッシャー自身によるもので、悲劇的な色調に彩られた極上のものであり、これを聴くだけでも蒐集する価値がある。弾き振りによる第17番も愛らしい愉悦が可憐だ。そこはかとなく愁ひが忍び込む様はモーツァルト演奏の神髄であり、この曲の最高の演奏と云つても過言ではない。協奏曲に比べるとソナタと幻想曲は幾分平凡な演奏だ。(2005.7.28)


シューベルト:即興曲(全8曲)、さすらひ人幻想曲
エトヴィン・フィッシャー(p)
[APR 5515]

 フィッシャーのドイツ・ロマン派作品の録音を集成した3枚組。3枚目。8曲の即興曲はドイツ・ロマンティシズムに根付いた仄暗い孤独感が痛々しく、憧憬と諦観が心の襞にまで分け入る名演だ。他にも優れた演奏は数多あるが、「冬の旅」の世界に接近してゐるのは、全曲ではフィッシャーとシュナーベル、それから2曲だけだがリパッティの録音が思ひ浮かぶくらゐである。幻想曲は技巧で聴かせる系統とは異なり、リートを前提とした嫋やかな演奏で物悲しい歌が印象的だ。(2005.3.14)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、交響曲第40番、2台のピアノの為の協奏曲
ストラスブール市立管弦楽団
ハリー・ダティナー(p)
エトヴィン・フィッシャー(p&cond.)
[Tahra TAH 534]

 1953年6月12日、ストラスブールにおける演奏会記録。ニ短調協奏曲と交響曲は米Music&Artsの6枚組箱物にも収録されてゐたが、K.365は当盤が初出となる音源で、1日の演奏会の全てを収めてゐるのが嬉しい。しかし、音質が優れず蒐集家以外には不要だらう。K.466は自作のカデンツァに妙味があるものの、フィッシャーには素晴らしいセッション録音もあり、傷の多い当盤に価値はない。弾き振りの達人フィッシャーが本格的な指揮で演奏した交響曲の出来だが、所詮面白くはない。そもそも二流の楽団の演奏なので、凡庸極まりない。ダティナーとの協奏曲第10番が野暮つたい演奏だが、最も生気と力感があり面白いだらう。(2012.2.22)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番、同第22番、ロンドニ長調
デンマーク王立管弦楽団
エトヴィン・フィッシャー(p&cond.)
[Music&Arts CD-872]

 1954年11月9日のトリノでのライヴ録音。フィッシャーはここでも弾き振りで名人藝を披露してゐる。ハ短調協奏曲K.491には戦前の疾走する極上のセッション録音があり、穏やかで生温い当盤には殆ど価値はないが、変ホ長調協奏曲K.482にはザルツブルク音楽祭での弾き振りライヴ録音があるだけなので、俄然比較対象になる。ウィーン・フィル盤は弦の艶がある合奏が魅力的だつたが、全体的に粗く乱れもあり音楽も乗つてこない。贔屓目に評しても良くない演奏であつた。このデンマーク王立管弦楽団盤はオーケストラに華こそないが、良く揃つてをり、フィッシャーのピアノも闊達で楽しさうだ。総合点では当盤の演奏が優れてゐる。ニ長調ロンドK.382にもセッション録音があつた。印象はほぼ変はらないが、旧盤の方がピアノのタッチが美しい。(2015.11.24)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、同第25番
フェルスター:アリエッテ・ヴァリエ
フィルハーモニア管弦楽団/ヨーゼフ・クリップス(cond.)
エトヴィン・フィッシャー(p&cond.)
[TESTAMENT SBT 1218]

 フィッシャーによるモーツァルトのピアノ協奏曲の復刻はEMIや英APRが行つてゐるが、この英TESTAMENT盤は戦後の録音、即ち1954年録音のK.466と1947年録音のK.503で編まれてゐる。K.503はEMI盤やAPR盤にも収録されてゐたが、K.466はどちらも1933年録音の旧録音が採用されてをり、再録音の1954年盤はこのTESTAMENT盤でしか聴けないから重要だ。当然、この新盤の方が音質が良く、ピアノの音色が美しく録れてゐる。旧録音よりも情感があり、弾き振りの管弦楽伴奏も立派だ。あらゆる点で優れてゐる。フィッシャーによる独自のカデンツァも聴き応へがある。この曲の屈指の名演だ。K.503も良い。古典派作曲家エマニュエル・フェルスターの愛くるしい小品も当盤でしか聴けない。(2016.9.9)


78回転録音集(1945年&1947年)
ショパン・リサイタル(1952年)
サンソン・フランソワ(p)
[ERATO 9029526186]

 没後50年記念54枚組。3度目となる大全集で遂にオリジナル・アルバムによる決定的復刻となつた。1枚目。78回転録音集は最初の全集で特典盤として初出となつた音源だ。1945年7月5日の録音でショパンのバラード第1番、エチュード2曲、プレリュード2曲、1947年9月24日の録音でラヴェル「スカルボ」だ。初録音でのショパンは生硬で、技巧も洗練されてゐなく、特に聴くべき価値は見出せない。処がラヴェルではフランソワならではの才気が発散してをり魅せられる。さて、1952年6月に録音された最初のLPアルバム、ショパン・リサイタル9曲が面目躍如の仕上がりなのだ。何と云つてもアルバムの最後をプレリュードの第1番ハ長調でさらりと締めるのが鬼才フランソワたる所以である。僅か1分の曲。これから始まる予感をさせる曲を最後に持つてくるとは斜に構へてゐる。このアルバムはフランソワの得意中の得意を集めてをり悪からう筈はない。特に感銘深いのはバラード第4番、スケルツォ第3番、そして、ノクターン第2番とワルツ第1番だ。(2020.11.22)


シャラン:田園協奏曲
フランソワ:ピアノ協奏曲
パリ音楽院管弦楽団
ジョルジュ・ツィピーヌ(cond.)
サンソン・フランソワ(p)
[ERATO 9029526186]

 没後50年記念54枚組。3度目となる大全集で遂にオリジナル・アルバムによる決定的復刻となつた。2枚目。ショパン・アルバムに続くフランソワの本格的なレコードでは、ルネ・シャランの3楽章から成る田園協奏曲と、単一楽章で演奏時間25分の自作協奏曲を吹き込むといふ、極めて攻めた取り組みであつた。1953年9月に録音され、ツィピーヌとコンセール・ヴァトワールによる豪華な伴奏を得て、新進気鋭の天才ピアニストの才気迸る名演が楽しめる。フランソワの登場は自作や前衛的な現代音楽を披露したりと才能が先走つた感が強かつたが、ご存知の通り酒に溺れた為か、10年後には保守的なレペルトワールをデカダンに弾くピアニストに落魄れた。しかし、断言しよう。この初期録音はフランソワが一流の藝術家であることを示す。ジャズの要素を漂はせた2曲を抜群の技巧と感興でお洒落に決める。天下無類だ。(2021.7.9)


プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番、トッカータ(2種)、束の間の幻影(6曲)
シューマン:トッカータ
パリ音楽院管弦楽団
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
サンソン・フランソワ(p)
[ERATO 9029526186]

 没後50年記念54枚組。3度目となる大全集で遂にオリジナル・アルバムによる決定的復刻となつた。3枚目。新進気鋭の鬼才として登場した1953年の録音。協奏曲はクリュイタンスとコンセール・ヴァトワールとの共演で華やかさを加へた高名な名盤だ。ロシア・アヴァンギャルドの要素ではなく、パリの頽廃的な色彩を聴かせる個性的な演奏として唯一無二の存在だ。束の間の幻影は6曲を抜き出して弾いたもので瀟洒だ。一際強い感銘を残すのがトッカータだ。単なる技巧的な見世物ではなく、狂気を感じさせるのはフランソワだけの凄みだ。さて、トッカータは2種収録されてをり、僅か1年違ひ1953年と1954年の録音がある。演奏内容はほぼ同じだが、後者はシューマンのトッカータとの比較鑑賞をする乙な企画の録音だ。このシューマンが万華鏡のやうな絶品なのだ。再録音もないので重要だ。(2022.1.24)


リスト:ハンガリー狂詩曲(第1番〜第8番)
サンソン・フランソワ(p)
[ERATO 9029526186]

 没後50年記念54枚組。3度目となる大全集で遂にオリジナル・アルバムによる決定的復刻となつた。4枚目。フランソワは稀代のショパン弾きと認知されてをり、その通りではある。だが、フランソワの真価はショパンではなく、ラヴェル、リスト、プロコフィエフにあると感じてゐる。さうだ、閃光のやうな外連味たつぷりのピアニズムと妖気漂ふ節回しを要求される作品ほど映えるのだ。協奏曲と共にこのハンガリー狂詩曲15曲の録音はフランソワ最良の名演のひとつと絶讃したいのだが、数年後にリスト弾きシフラの録音が登場するからか声高に語られることはない。しかし、何といふ妖艶たる音色、崩したリズムの絶妙さだらう。シフラにはないデカダンスに酔ひ痴れることが出来る秘宝なのだ。(2022.7.18)


リスト:ハンガリー狂詩曲(第9番〜第15番)
サンソン・フランソワ(p)
[ERATO 9029526186]

 没後50年記念54枚組。3度目となる大全集で遂にオリジナル・アルバムによる決定的復刻となつた。5枚目。フランソワが残した最も重要な録音であるが看過され勝ちだ。燦然たる技巧と妖艶な節回しに引き摺り回される。確かに直球勝負の演奏ではなく、媚態を振り撒いた曲球が多いが、それが魅力だ。才気溢れてゐた時期の記念碑的録音。(2023.1.3)


ショパン:ピアノ協奏曲ホ短調
リスト:ピアノ協奏曲第1番
パリ音楽院管弦楽団/ジョルジュ・ツィピーヌ
(cond.)
サンソン・フランソワ(p)
[ERATO 9029526186]

 没後50年記念54枚組。3度目となる大全集で遂にオリジナル・アルバムによる決定的復刻となつた。6枚目。1954年録音。どちらの曲にもステレオでの再録音があるが、ピアニズムの観点からすると、このモノーラルの旧盤の魅力は捨て難い。特にショパンは新盤の出来が芳しくなく断然この旧盤を聴くべきだ。他の奏者が流す装飾的な音符を露悪的に強調してみせ、新感覚の語り口で驚かす。奇才の面目躍如だ。リストも素晴らしいが、ツィピーヌの棒が洒脱過ぎて軽い為、全体が締まらない。リストは新盤を採りたい。(2023.3.6)


シューマン:ピアノ協奏曲
リスト:ピアノ協奏曲第1番、同第2番
パウル・クレツキ(cond.)/コンスタンティン・シルヴェストリ(cond.)、他
サンソン・フランソワ(p)
[EMI CZS 7 62951 2]

 リストの2曲の協奏曲が特別な名演であり、当盤の価値が一般的に必ずしも認知されてゐないのが不可思議極まる。フランソワはショパン弾きとして不動の名声を持つが、細部のタッチに拘泥しながら全声部を鳴らし過ぎるピアニズムは、詩情が音と化したショパンよりも、ピアノといふ楽器の美しさを引き出したリスト、ラヴェル、プロコフィエフの作品でこそ真価を発揮した。華麗で表出力の強い音から繊細で幻想的な音までの振幅が作品に奥行きを与へ、聴き手を興奮と陶酔へ誘ふ。音色が輝きを放ち変化して行く様はフランソワの独擅場である。シルヴェストリの情念が噴出する伴奏も作品の核心を抉り出してゐる。絢爛たる第1協奏曲の出来が取り分け良い。シューマンは良くも悪くもフランソワの流儀で、第2楽章の素朴で愛くるしい旋律をコケティッシュに崩して弾くのは、面白くもあり厭らしくもある。(2005.8.31)


ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番、スケルツォ、ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ、間奏曲嬰ハ短調、同変ホ短調
エテルカ・フロイント(p)
[Pearl GEMM CDS 9193]

 英Pearlが2枚組で商品化したフロイントの録音は希少価値も相まつて特別視されてゐる。フロイントは1950年代に僅かな録音を残したきりの幻のピアニストである。2枚組。1枚目。最晩年のブラームスと親交があり、直伝とされる演奏が残されてゐることに感謝をしたい。ソナタと間奏曲嬰ハ短調は1953年9月に行はれたレミントン録音。その他は未発売録音で1950年から1952年にかけての記録だ。70歳を超えてからの録音であるが、技巧上の綻びは殆ど感じない。音楽も瑞々しく老女の演奏とは想像だに出来ない。ソナタが素晴らしい。この曲にはバウアー、ケンプ、カーゾンなど名演が揃つてゐるが、フロイント盤には一種特別な美しさがある。特に第2楽章の絶え入るやうなピアニッシモの翳りと囁くやうな告白の神聖な火花は如何ばかりであらう。クララへの秘めた想ひを聴いた気がする。この曲からこんな霊感を受けた演奏はなかつた。2つの間奏曲に聴く渋い諦観も素晴らしい。スケルツォが名演だ。強靭な意志を感じさせる演奏で重厚な情熱が伝はる。変奏曲も大変見事な演奏であるが、この曲はナットの決定的な名演があり水を空けられてゐる。(2013.6.26)


エテルカ・フロイント(p)
バッハ/メンデルスゾーン/ブラームス/リスト/コダーイ/バルトーク
[Pearl GEMM CDS 9193]

 2枚組。2枚目。全てが神品と云へる名演揃ひだ。バッハ「平均率クラヴィーア曲集第1巻」よりハ短調の前奏曲とフーガ、変ホ短調の前奏曲、ニ短調のフーガの計4曲は荘厳極まりなく、深い瞑想へと誘つて呉れる弩級の名演だ。メンデルスゾーンの「スコットランド・ソナタ」の別称でも知られる幻想曲が取り分け感銘深い。謹厳で仄暗い浪漫を表出したこの曲の決定的名演だ。ブラームス「奇想曲作品76-1」「間奏曲作品116-2」が素晴らしいのは論を俟たないが、当盤の最大の真価はリストにある。大曲「葬送曲」「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」は破格の名演で、暗い情熱と荘重で宗教的な趣は聴く者全てに深い感動を齎すに違ひない。「忘れられたワルツ第1番」「即興曲(夜想曲)」も硬派の名演だ。親交深かつたバルトーク作品の演奏は作曲家直伝の重みがある究極の名演ばかりだ。「子供の為に」第1巻より8曲、「バガテル」「スケッチ集」「10の易しい小品」からそれぞれ1曲を弾いてゐる。侘びた音色が郷愁を誘ふ。バルトークの懐に踏み込んだ特別な演奏。コダーイ「9つの小品」からの2曲も比類のない素晴らしさだ。入手困難だが万金を積む価値のある1枚だ。(2013.12.22)


1953年ゾディアック録音集
シューマン:子供の情景、交響的練習曲
ブラームス:スケルツォ、間奏曲、他
カール・フリードベルク(p)
[Marston 52015-2]

 フリードベルクの名は今日忘れ去られた観があるが、ブラームスとクララ・シューマンの薫陶を受けたドイツ・ロマン派音楽の正統な解釈者として逸することの出来ない大物ピアニストである。1953年4月から5月に行はれたゾディアック録音を蘇らせたマーストンの慧眼に感謝したい。2枚組。1枚目。フリードベルクのピアニズムは無骨で融通が利かず、古色蒼然としたものだが、繰り返し聴くことで滋味溢れる瞑想に心打たれるやうになる。晩年の記録故に傷が多いが、シューマンとブラームスの楽曲において音楽の核心に迫つた真摯さは唯事ではない。ブラームスのスケルツォ変ホ短調が絶品で、粗笨なタッチから重厚なロマンティシズムが湧き上がる。2曲の間奏曲も同様に素晴らしい。比べて、シューマンは流麗さに欠け幻想味に乏しい為に遜色があるが、巧言令色を排した語り口にそこはかとない詩情を漂はせる玄人好みの演奏だ。(2006.1.20)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第10番
ブラームス:間奏曲、バラード
ショパン:即興曲、ノクターン、ワルツ、バラード
フリードベルク:3つの即興曲、他
カール・フリードベルク(p)
[Marston 52015-2]

 2枚組。2枚目。1953年のゾディアック録音であるベートーヴェンのソナタとフリードベルク自作自演となる3つの即興曲が確かな手応へだ。滋味溢れるベートーヴェンの熟成された味はひが見事だ。その他はジュリアード音楽院でのリサイタルの記録やプライヴェート録音である。素晴らしいのは矢張りブラームスで、虚飾を排した厳格な語り口に思はず居住まひを正したくなる。ショパンは陰鬱な幻想に沈み込む北ドイツの流儀による個性的な演奏で、ノクターン第10番変イ長調が取り分け心に残る名演。モーツァルトのソナタ第4番のアダージョのしんみりした渋みも印象に残る。技巧、録音状態ともに万全のものではないが、ドイツ・ロマンティシズムの正統的な音を伝へる貴重な記録である。(2006.2.23)


アルトゥール・フリードハイム(p)/全録音(1911年〜1918年)
アレクサンドル・ジロティ(p)/録音選集
エミール・フォン・ザウアー(p)/録音選集
[Pearl GEMM CD 9993]

 リストの高弟フリードハイムの全録音である。英SYMPOSIUMからも復刻盤は出てゐたが全集ではなかつた。演目はヴェーバーの無窮動、ベートーヴェンの月光ソナタより第1楽章と第3楽章、ショパンの葬送行進曲が2種とスケルツォ第2番、リストのラ・カンパネッラ、ハンガリー狂詩曲第2番と第6番、鬼火だ。フリードハイムはリストの弟子の中でも技巧に安定感があり、貧しい録音からも巨匠の片鱗を窺はせる。リスト作品での重量感ある壮大さは特筆したい。余白は同門であつたジロティとザウアーの録音から数曲が収録されてゐる。ザウアーの復刻は米Marstonから商業録音全集3枚組が出てゐたので当盤に大した価値はないが、同じリストの弟子でもタッチの違ひが如実に聴かれ興味深い。ラフマニノフの第2協奏曲の初演を担つたジロティの録音は貴重だ。音の悪い断片録音だが、リストの高弟であることを証明する記録だ。(2016.3.31)


イグナツ・フリードマン(p)
録音全集第4巻
メンデルスゾーン/ベートーヴェン/リスト
ブロニスラフ・フーベルマン(vn)
[Naxos Historical 8.110736]

 Naxos Historicalによるフリードマンの全集。マーストンの復刻で音質は最高級だ。さて、このNaxos Historical盤は蒐集家にとり重要なことがある。この第4巻に収録されたフーベルマンとの高名なベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」で、第1楽章の別テイクを含んでゐることだ。但し、冒頭の序奏から4分程度の片面分だけが異なるだけだ。蒐集家以外には詰まらぬことだ。演奏に関することはフリードマン・ディスコグラフィーをご覧いただきたい。弩級の大ピアニストである。


イグナツ・フリードマン(p)
録音全集第5巻
ショパン/ゲルトナー/ヴェーバー/モシュコフスキ/ドヴォジャーク/パレデフスキ/ルビンシテイン/シューベルト/シールド
[Naxos Historical 8.111114]

 Naxos Historicalによるフリードマンの全集。マーストンの復刻で音質は最高級だ。この第5巻には、かつて英APR盤でのみ聴けた未発表録音4曲が収録されてゐる。ショパンのマズルカ2曲とワルツ1曲、シールドの「古いイギリスのメヌエット」である。また、パデレフスキについて語つたインタヴューが第5巻に収録されてゐるのは有難い―第3巻にはフリードマンがショパンについて語つたインタヴューが収録されてゐた。演奏に関することはフリードマン・ディスコグラフィーをご覧いただきたい。弩級の大ピアニストである。


イグナツ・フリードマン(p)
メンデルスゾーン/ショパン/リスト/スーク
[ARBITER 158]

 “Masters of Chopin”と題された4枚組。目玉は1枚目のフリードマンで未発表音源2つが含まれる。米Arbiterの快挙だ。それ以外の音源は、かつては英Pearlから昨今ではNaxos Historicalから復刻があつた。新発見音源については既にフリードマン・ディスコグラフィーには反映し、記述を済ませてあるのだが、ディスクの紹介といふ役目だけでもよからう。新発見音源は1933年録音のショパンの英雄ポロネーズだ。2回目の録音なのだが、物凄い演奏である。特に中間部で一旦大胆にテンポを落とし大見得を切つてからの左手による息の長い長大なクレッシェンドが鬼気迫る。こんな壮大な盛り上げは聴いたことがない。リスト「ラ・カンパネッラ」は1924年録音で逆に1回目の録音が発見されたことになる。再録音よりも切れがあり、妖気が漂ふ名演だ。(2020.3.9)


オシップ・ガブリロヴィッチ(p)
録音集(1924年〜1929年)
フロンザリーSQ/ハロルド・バウアー(p)
[VAI/IPA 1018]

 ペテルブルク出身でレシェティツキ門下の逸材ガブリロヴィッチの録音集成。ヴィクターへの録音は恐慌の煽りで1929年で途絶え、1936年には夭逝して仕舞つた為、恐らくこの他にはフロンザリーSQとのシューマンのピアノ五重奏曲の電気録音による再吹き込みがあるだけかと思はれる。復刻担当はマーストンで音質は申し分ない。ガブリロヴィッチの名はバウアーとの連弾で知つたのだが、気品溢れる詩情に忽ち惚れ込んだ。趣味の良い選曲、玄妙たる霊感が漂ふ音色は天性の藝術家であることを窺はせる。最も有名な録音はバウアーとの連弾によるアレンスキーのワルツであらう。未発表の旧録音も収録されてをり蒐集家には重要だ。洒落た哀愁は儚くも美しい。バッハやグルックの古典的佇まひ、全ての音が詩と化したシューマン、端正なドリーブ、感傷的な抒情を奏でる自作の2曲。何といふ格調高い音楽家だらう。詩人の名を冠したいピアニストである。シューマンのピアノ五重奏曲の旧吹き込みはフレーズの繰り返しを省略した短縮版で価値は殆どない。(2008.2.13)


オシップ・ガブリロヴィッチ(p&cond.)
全録音(1923年〜1929年)
フロンザリーSQ/ハロルド・バウアー(p)
デロトイト交響楽団
[Dante HPC051/52]

 ガブリロヴィッチはアントン・ルビンシテインの卓越した弟子であり、リャードフ、グラズノフ、メットネルに学んだ作曲家でもある。名教師レシェティツキにも師事し、同門バウアーとは気の合ふ共演者であつた。マーク・トウェインの娘クララ・クレメンズと結婚をし、アメリカを拠点に活躍した。指揮者としても有能で、デトロイト交響楽団の音楽監督を1918年から亡くなる1936年まで務めた。これはデトロイト交響楽団にとつて最長記録である。ピアノ、室内楽、指揮の全録音を収めた仏Dante盤2枚組は愛好家必携だ。1枚目はVAIレーベルの復刻盤と内容が重複する。ピアノ独奏及びバウアーとの連弾は網羅されてゐるし、フロンザリーSQとのシューマンのピアノ五重奏曲の短縮版アコースティック録音も含まれる。既に記事にしたので割愛する。2枚目には英Biddulph盤のフロンザリーSQの復刻盤で聴けたシューマンの完全版電気録音が収録されてゐるが、何と云つてもこのDante盤の強みはデトロイト交響楽団を振つた指揮者としての録音である。全て1928年の録音で、演目はブラームスの大学祝典序曲とセレナード第1番からメヌエット、アルトシュラーのロシア兵士の歌、チャイコフスキーの組曲第1番から小行進曲と弦楽セレナードからワルツ、グルックの精霊の踊り、シャブリエのスペインだ。演奏は水際立つた名演揃ひである。アンサンブルも上等で絶妙なルバートも決まつてをり、当時最高水準の演奏をしてゐたことに驚きを禁じ得ない。特にシャブリエの光彩は見事。とは云へ、電気録音初期の記録で音は貧しく、蒐集家以外の興味を引くことはなからう。(2017.11.13)


ガーシュウィン自作自演:ラプソディー・イン・ブルー、他
フレッド&アデール・アステア(vo)/ポール・ホワイトマン(cond.)、他
ジョージ・ガーシュウィン(p)
[Pearl GEMM CDS 9483]

 ガーシュウィンの自作自演盤は何種か復刻されてゐるが、当盤が最も充実してゐる。2枚組。1枚目。何と云つても2種のラプソディー・イン・ブルーが目玉だ。一般的なグローフェによる管弦楽版ではなく、委嘱者ホワイトマンのジャズ・バンド編成で聴く醍醐味は格別だ。初演の半年後に行はれた1924年の機械吹き込みと、1927年の電気録音の2種があり、当然後者の方が音が良く演奏の仕上がりも上出来なのだが、最初の録音の方に敢えて惹かれる。クラリネットやトランペットのスイングは旧盤の方がより大胆奔放なのだ。そして、疾駆するガーシュウィンのピアノが鮮烈極まりない。新盤は編成を拡大した1926年改訂版による演奏で、色彩豊富だが、ジャズ・バンドの持ち味が幾分減退してゐる。ともあれ、禁酒法時代のジャズ・バンド・オーケストラの雰囲気を色濃く聴かせる自作自演盤を聴かずして、ラプソディー・イン・ブルーを語ることは出来ない。12曲のピアノ独奏も痛快でラグライムの骨頂が聴ける。フレッドとアデールのアステア姉弟の歌を伴奏した4曲も最高だ。ステップの音まで生々しく録音されてをり、ミュージカルの黄金時代を髣髴とさせる。(2008.9.11)


ガーシュウィン自作自演:パリのアメリカ人、ポーギーとベス(抜粋)、ピアノ協奏曲より第3楽章、他
ローレンス・ティベット(Br)、他
ジョージ・ガーシュウィン(p)
[Pearl GEMM CDS 9483]

 2枚組。2枚目。目玉はガーシュウィンがピアノとチェレスタを担当したパリのアメリカ人だ。これほど雰囲気豊かに狂乱の20年代を具現したやうな演奏を知らない。第2主題を奏すトランペットの甘いずり上げやスイングは絶妙で、他の演奏を聴く気がしなくなる。ポーギーとベスからの8曲はガーシュウィンが録音を監修した決定的な名盤である。特にアメリカ最高のバリトンであるティベットの美声が轟き亘る名唱の数々は圧巻だ。放送録音のピアノ協奏曲とガーシュウィン名曲メドレーは音の状態が芳しくないのが残念だが、闊達な技巧を聴ける貴重な記録だ。(2008.10.27)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第2番、同第3番、選帝侯ソナタ第1番、同第2番
エミール・ギレリス(p)
[DG 4794651]

 DG録音全集24枚組。最晩年はDGでベートーヴェンのソナタ全集録音を完成させる積りだつたが、急逝により僅か5曲を残して痛恨の未完成となり、いきなり傑作第1番が欠けてゐるのが悔やまれる。交響的な第2番と第3番のソナタを聴いて感じるは、若き頃「鋼鉄のピアニスト」と形容された面影はなく、叙情派ピアニストと云つてもよい変貌を遂げてゐるといふことだ。硬質のピアニズムはそのままで技巧に余裕があり、表現の幅を広げる為に繊細なタッチを追求した結果、一種特別な境地に到達したのがギレリスのベートーヴェンだ。弱音の可憐なリリシズムの美しさが際立ち、頂点での劇的な興奮も抑制される。透明感のある粒立ちの良い音が凛とした趣を助長する。品格のある極上の逸品だ。若書きの選帝侯ソナタは競合盤を根絶やしにする名演である。しかし、これも第3番がなく画竜点睛を欠く。(2020.5.22)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第4番、同第8番「悲愴」、同第10番
エミール・ギレリス(p)
[DG 4794651]

 DG録音全集24枚組。第4番は非常に丁寧な演奏で、弱音の含蓄ある美しさは格別である。技巧は完璧だが、ひけらかすやうな浅ましさはなく、滋味豊かに音楽を掘り下げり。惜しむらくは終楽章の盛り上げが弱く、広がりに欠けて丁寧なだけの演奏になつて仕舞つたことだ。折角の技巧を存分に発揮し、ベートーヴェンの野心を再現して欲しかつた。弾き込んできた悲愴ソナタは屈指の名演であらう。特に第1楽章の壮絶な悲劇的演出は圧巻で、大理石彫刻の如くひやりとした厳しさが素晴らしい。技巧の切れも天晴れだ。第2楽章は硬質のタッチで無骨。多少ロマンティックな甘さが欲しくなる。第10番はおつとりとした牧歌的な佳演だ。脂分が抜け、朴訥とした清らかさが出たギレリス晩年の演奏様式の結実である。(2021.3.24)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第5番、同第6番、同第7番
エミール・ギレリス(p)
[DG 4794651]

 DG録音全集24枚組。作品10の3曲を纏めたアルバムだ。第5番はギレリスの全録音の中でも取り分け優れた名演として特筆したい。ハ短調といふベートーヴェンの最も重要な調性作品で、悲劇の厳しさ、暗い情熱、 闘争する気魄、それらを全て備へた演奏は少なく、軽すぎるか内容が空疎なことが多い。峻厳なギレリスの演奏ほど説得力のある演奏は滅多にないだらう。軽快な第6番は細部が丁寧過ぎて、洒脱さが殺がれて仕舞つたが、第2楽章は純度が高くとても美しい。傑作第7番では第1楽章の技巧が冴えわたり聴き応へ抜群である。肝心の第2楽章が途切れがちで期待したほど深遠ではないのが残念だが、総じて充実した演奏と云へる。(2021.11.12)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第11番、同第12番、エロイカの主題による変奏曲
エミール・ギレリス(p)
[DG 4794651]

 DG録音全集24枚組。ベートーヴェンが最も苦しい時期にあつた時に書かれた作品群をギレリスは滋味豊かに紡ぐ。軽快な楽想も丁寧に抑制され、宝石のようなタッチの美しさが際立つ。第11番終楽章の清楚な心象は類例がない。声を落として語り掛けるやうな弱音で奏でられる和声は神秘的な凄みがある。第12番第1楽章の荘厳さには惹き込まれる。終楽章の交響的な広がりも見事だ。この2曲に関しては最上位に置かれるべき名演であると太鼓判を押す。エロイカ変奏曲は技巧を前面に出した演奏でギレリスの強みが出てゐる一方、詩情が後退して皮相な演奏になつて仕舞つた感がある。(2022.5.15)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第13番、同第14番、同第15番
エミール・ギレリス(p)
[DG 4794651]

 DG録音全集24枚組。作品27の2つの幻想曲風ソナタはベートーヴェンの革新性を刻印した傑作である。2曲とも冒頭の幻想的で神秘的な音響はロマン派音楽を先取りしてゐる。ギレリスの演奏はこの深淵を見事に表現してをり、荘重かつ高貴な趣が素晴らしい。だが、終楽章へ向けての昂揚が弱く、全体的な感銘は薄い。残念だ。田園の愛称で知られる第15番だが、ギレリスの演奏は愉悦と温か味が足りず魅力に欠ける。(2022.12.15)


ブラームス:ピアノ協奏曲第1番、同第2番、7つの幻想曲
ベルリン・フィル/オイゲン・ヨッフム(cond.)
エミール・ギレリス(p)
[DG 447 446-2]

 DG録音全集24枚組。協奏曲2曲は最高の名演との誉れも高い。全ての条件が整つてゐる点を鑑みれば異論はない。ギレリスの鋼のやうな技巧が貫禄と抒情的な趣を帯び始めた頃の演奏で、皮相な面は一切なくブラームスの重厚かつ壮大な音響世界を表現し尽くした極上のピアニズムが聴ける。硬く黒光りするやうな弱音は管弦楽の合奏の中に消されることはなく憂ひを帯びた表情を覗かせる。それ以上に凄いのはオーケストラのtuttiが最強音に達する際にギレリスの音量も数倍以上に増すことだ。何と表現力の幅の大きいことだらう。真似出来るものではない。ギレリスとの共演でヨッフムとベルリン・フィル以上の組み合はせは一寸想像出来ない。隙のない立派な音楽と激しい感情表現が両立してをり文句の付けようがない。ピアノ共々北ドイツ風の重厚さを前面に出してゐる。出来は第2番の方が良い。唯一バックハウスとベームの名盤に及ばない点は余裕が足りないことで、悠然とした気高さで一歩譲ることだ。第1番は名盤が犇めいてゐることもあり、ギレリス盤を上位にすることは出来ない。特に第1楽章は熟れてゐない感じがし、遅めのテンポも時に音楽を停滞させる一因だ。但し、凛とした弱音の詩情は素晴らしく、細部では非常に美しい演奏と云へる。総じて2曲とも激情に駆られて流される場面が無くて物足りないが、寂寥感を漂はせた美しさに凄みがある。作品116ではより思慮深い表情を聴かせる。ギレリスにはブラームス後期作品集をもつと多く録音して欲しかつたと思はせる名演だ。(2014.8.3)


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番
バッハ:ピアノ協奏曲第1番
コロムビア交響楽団/レナード・バーンスタイン(cond.)
グレン・グールド(p)
[SONY 88697130942]

 オリジナル・ジャケット・シリーズの先駆けとなつたグールド全集80枚組。1957年に録音されたコロムビアレーベルの若手看板アーティストの共演である。まず、ベートーヴェンが素晴らしい。グールドも良いが、バーンスタインの溌剌とした音楽が圧倒的だ。冒頭の和音から決まつてゐる。野心的なベートーヴェンの思ひを再現したかのやうな前奏の見事さに心打たれる。グールドもこれに乗つて快活な音楽を奏でる。一方で可憐さも対比させて心憎い。この曲屈指の名盤であり、最上位に置かれるべき名演と太鼓判を押したい。さて、それ以上の期待が寄せられるバッハだが、実は大したことない。バーンスタインの厚みが邪魔であるし、グールドも踏み込みが弱い。後にグールドはゴルシュマンとバッハの協奏曲を幾つも録音し、バーンスタインとはこのニ短調協奏曲BWV.1052だけしか残さなかつた。(2021.4.9)


パーシー・グレインジャー(p)/SP独奏録音全集
グラモフォン録音(1908年)/HMV録音(1914年)/米コロムビア録音(1917〜1924年)
グリーグ/リスト/スタンフォード/グレインジャー/ドビュッシー/ヘンデル/グルック/ショパン/シューマン
[APR 7501]

 奇才グレインジャーのSP時代独奏録音全集5枚組。1枚目。アコースティック録音集で、特に戦前のグラモフォンやHMVへの録音6曲はこれ迄聴くことが出来なかつたので蒐集家にはお宝である。演目は親交厚かつたグリーグの協奏曲や自作自演などで、貧しい音なのに爆発するやうな生命力を感じさせる。戦後グレインジャーは米コロムビア専属となり旺盛に録音をした。これら機械吹き込み時代の復刻は殆どなかつたので大変貴重だ。ショパンを5曲分録音してゐるが、グリーグやドビュッシーを弾くグレインジャーとは同一人物とは思へぬほど気が抜け技巧も散漫で全く良くない。一転してリストのハンガリー狂詩曲やポロネーズで聴かせるムラッ気にこそ本領が発揮されてゐる。(2022.10.27)


シューマン:ピアノ・ソナタ第2番、交響的練習曲
ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番
パーシー・グレインジャー(p)
[Biddulph LHW 008]

 昨今ではグレインジャーの名は作曲家として僅かばかり知られるやうになつた。だが、グレインジャーがブゾーニ門下のピアニストであつた事実は一向に顧みられる気配がない。彼は異常性癖の持ち主だつたやうで、演奏にもそれが反映してゐると云えなくもない。全体に散漫で、気違ひのやうに弾き乱すかと思へば、抜け殻のやうに詰らない演奏もした。シューマンは性に合つてゐるやうで、音楽が高揚して来ると、憑かれたやうに激情を晒す。ソナタ良し、エチュード良し。シューマンのフロレスタンとオイゼビウスが見事に表出されてゐる。ブラームスのソナタも同様の名演で、無骨でラプソディックな音楽が常に語り出して来る。(2004.9.9)


バッハ:前奏曲とフーガイ短調、トッカータとフーガニ短調、幻想曲とフーガト短調
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番、同第3番、他
パーシー・グレインジャー(p)
[Biddulph LHW 010]

 ピアニストとしてのグレインジャーを評価することが難しいことを如実に語る1枚だ。デモーニッシュな霊感で疾風のやうに弾き乱し、聴き手を異常な感動に誘ふバッハのトランスクリプションがあるかと思へば、詩も感興もない形骸だけの無気力なショパンがある。リストとグレインジャー自身の編曲による3曲のバッハは一代限りの自在な解釈で、師ブゾーニのあり方とは縁も縁もない。前奏曲の弾き出しから妖気が漂ひ、音楽が頂点を目指し始めると狂つたやうな速弾きで発奮する。トッカータにおける悪魔的な低音の響きや、幻想曲の捩れるやうな官能性など全てが異端だが、禁断の果実を味はふ快楽が勝る。それだけにショパン作品の平板な演奏との落差は信じ難い。作品が持つ感情を爆発させた演奏が可能であるにも拘らず、無感動を装つた抜け殻のやうな演奏となつてゐる。(2005.11.21)


バッハ:オルガン曲の編曲(3曲)
シューマン:ピアノ・ソナタ第2番
ショパン/グリーグ/ドビュッシー/グレインジャー
パーシー・グレインジャー(p)
[Pearl GEMM CD 9957]

 グレインジャーの名演が詰まつた1枚。全てが独創的な演奏で興味が尽きない。バッハのトッカータとフーガ、前奏曲とフーガ、幻想曲とフーガ、シューマンのソナタ、ショパンの練習曲2曲の復刻はBiddulphからも出てゐたので割愛する。知遇を得たグリーグの「トロルドハウゲンの婚礼の日」と粋な自作自演の「浜辺のモリー」が収録されてゐるのが嬉しい。特にグリーグでの羽目を外した弾き乱しは度を超えてをり抱腹絶倒出来る。貴重なのは1948年の未発表ライヴ録音であるバッハのコラール「我汝に呼ばはる」とドビュッシー「版画」のパゴダで、神妙で幻想的な雰囲気を醸し出す手腕は唯事ではない。パゴダについて講演したグレインジャーの声も聴ける。(2007.8.28)


ショパン:ピアノ・ソナタ第2番、同第3番
シューマン:交響的練習曲、ロマンス第2番
バード/スタンフォード
パーシー・グレインジャー(p)
[Pearl GEMM CD 9013]

 英Pearlのグレインジャー復刻第2集。先般、英APRよりグレインジャーの78回転独奏録音全集5枚組が復刻され、このPearl盤やBiddulph盤などそれ迄の商品はほぼ無価値になつた。だが、Pearl盤の第1巻も第2巻も非常に貴重な未発売ライヴ録音が含まれてをり、蒐集家には手放せない。当盤では1分に亘るグレインジャーによるウィリアム・バードに関する解説があり、グレインジャーが編曲したバード「馬車屋の口笛」の演奏が聴ける。僅か4分に充たない録音だが、表情豊かな演奏には頭を垂れる思ひだ。1948年4月24日のライヴ録音で、セッション録音では残してゐないから大変貴重だ。グレインジャーの最古の録音のひとつスタンフォード「アイルランドの踊り」はAPRの復刻に含まれてゐる。(2014.5.28)


グリーグ:ピアノ協奏曲
グレインジャー:浜辺のモリー、かいつまんで云ふと
シューマン:ロマンス第2番、交響的練習曲
レオポルト・ストコフスキー(cond.)、他
パーシー・グレインジャー(p)
[Music&Arts CD-1002]

 グレインジャーの十八番であるグリーグの協奏曲はBiddulphからも商品化されてゐる1945年7月15日のライヴ録音で、代表的な名演のひとつ。ストコフスキーが指揮するハリウッド・ボウル管弦楽団の華麗な伴奏が良い。グレインジャーには最晩年にデンマークで残した破天荒なライヴ録音があり、比較すると当盤は大人しくて崩れもなく面白みはないが、猛然と弾き乱す様は同じで、他の奏者とは心持ちが全く違ふ演奏だ。グレインジャーの自作自演は、ストコフスキーの色彩豊かな管弦楽伴奏が魅力的だ。陽気な酔狂が滅法楽しい。シューマンは1928年のコロムビア録音で、他からも復刻があるので割愛する。(2008.11.2)


グリーグ:ピアノ協奏曲
グレインジャー:カントリー・ガーデン、愛の散歩、4つのデンマーク民謡による組曲
オーフス市立管弦楽団/Per Drier(cond.)
パーシー・グレインジャー(p)
[VANGUARD CLASSICS OVC 8205]

 1957年2月25日デンマークのオーフス市における実況録音。グレインジャーの十八番であるグリーグの協奏曲が物凄い。冒頭の独奏部分から何事が始まつたのかと肝を冷やす異常な演奏で、恐怖すら感じる。音符が込み入り音楽が熱気を持つてくると、グレインジャーの感情が狂つたやうに沸騰し、制することが不可能なやうに弾き乱す。指がもつれミス・タッチを盛大に仕出かしながらも、怒濤の如く驀進するので呆気に取られて仕舞ふ。失敗など気にならない演奏で、取るに足らないことに思へてくるから不思議だ。誇張して述べてゐるのではない。ホロヴィッツやホフマンが残した熱演が霞んで仕舞ふ、常軌を逸した狂人の演奏なのだ。この抒情的な協奏曲に相応しいかは別として、聴き手の冷静さを失はしめる破滅型の演奏だ。グレインジャーの自作自演では砕けた調子の「カントリー・ガーデン」が聴衆から歓迎されてゐる様子が微笑ましい。「愛の散歩」は「ばらの騎士」の主題による美しい小品。「4つのデンマーク民謡による組曲」はピアノやオルガンを伴ふ管弦楽曲で、多彩な表情を聴かせる親しみ易い曲だ。(2005.4.16)


アルテュール・デ=グレーフ(p)/録音集成
アコースティック独奏録音
ランドン・ロナルド(cond.)、他
[APR 7401]

 リストの高弟でベルギーの至宝級ピアニスト、デ=グレーフの録音集成4枚組。完全全集でないのが玉に瑕だが、これほどデ=グレーフの録音が纏まつたことはなく愛好家は必携だらう。ローゼンタール、ザウアーと並ぶ破格の奏者であり、グリーグやサン=サーンスからも一目置かれてた存在であつた。1枚目。これまで復刻が殆どなかつた1917年から1923年にかけての機械吹き込みの独奏録音の全てを収録してをり非常に重要だ。全15曲で、グレトリー/グレーフ編曲の「村人の踊り」第3番と第5番、シューマン「アラベスク」と「ウィーンの謝肉祭の道化」の終曲、ショパンのノクターン第5番、リストのハンガリー狂詩曲第12番、ルビンシテインのヘ調のメロディー、グリーグ「アルバムの綴り」「小人の行進」「メヌエットのテンポで」「パック」、モシュコフスキ「セレナータ」とエチュードト長調、アルベニス「セギディーリャ」、ロナルド「ポン・ムジカーレ」だ。気品と威厳があり、古い録音乍ら芯の強い音楽が伝はる。取り分けグリーグとリストは絶品だ。更に1922年の録音で、ロナルドの指揮によるフランクの交響的変奏曲も収録されてゐる。同郷の作曲家への敬意に満ちた極上の名演だが、流石に音が貧しいので鑑賞用としては適さない。(2018.5.22)


リスト:ピアノ協奏曲第1番、同第2番、ハンガリー民謡旋律による幻想曲、ポロネーズ第2番、ハンガリー狂詩曲第12番
ランドン・ロナルド(cond.)、他
アルテュール・デ=グレーフ(p)
[APR 7401]

 リストの高弟でベルギーの至宝級ピアニスト、デ=グレーフの録音集成4枚組。2枚目。師のリスト作品で編まれてゐる。無論、2つの協奏曲が重要な意味を持つ録音である。他に弟子では高名なザウアーが録音を残してをり、録音が良いのとヴァインガルトナーによる伴奏が立派であり、その点でデ=グレーフ盤は分が悪い。特に第1番はアコースティック録音なので音の貧しさは如何ともしがたい。だが、優美で上品さを貫くザウアーとは異なり、覇気と壮大さでリストの音楽に近いのはデ=グレーフだ。輝かしく硬質なタッチが見事で、演奏の素晴らしさは確と伝はる。第2番は1930年の電気録音なので条件が格段に良い。瞑想と闘争を融合させた名演で、ザウアー盤を凌ぐ名演だ。1927年録音の幻想曲も破格の名演だ。特に後半の昂揚は見事で、技巧の切れも抜群。尚、デ=グレーフはアコースティック録音でも幻想曲を録音してゐるが、旧録音は残念なことに割愛されてをり完全な録音全集ではないのだ。協奏作品は全てロナルドの堅実な伴奏で素晴らしい仕上がりだ。独奏曲2曲、ポロネーズは燦然たる名演、狂詩曲も規範となる名演。低音の重量感あるタッチと輪郭のくつきりしたフレージングは別格で、デ=グレーフはピアニズムの泰斗なのだ。(2018.10.21)


シューベルト:ウィーンの夜会第6番、ショパン:ピアノ・ソナタ第2番、ノクターン第5番、ワルツ(4曲)、ラフ:糸を紡ぐ女、モシュコフスキ:セレナータ、エチュード、ワルツ
アルテュール・デ=グレーフ(p)
[APR 7401]

 リストの高弟でベルギーの至宝級ピアニスト、デ=グレーフの録音集成4枚組。3枚目。電気録音の独奏曲だ。大曲ではショパンの葬送ソナタが聴ける。デ=グレーフは骨太の音楽で輪郭を重視した雄渾な演奏をする。往時、葬送行進曲を感傷的にならず厳粛に弾いたのはデ=グレーフとバックハウスくらゐだらう。再録音となるノクターンは甘さを抑へ凛とした表情の名演。ワルツが大変素晴らしい。第1番、第5番、第11番、第6番の4曲で、サロン風に弾かれることの多かつた時代に骨太で芯の強い演奏をしてをり見事だ。リスト編曲シューベルト「ウィーンの夜会第6番」はスケールの大きな華麗なる演奏。極上の逸品だ。ラフは確かな技巧で聴かせる。モシュコフスキも素晴らしい。グランドマナーによる壮麗な名演が楽しめる。セレナータとエチュードは再録音である。(2019.6.6)


サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番
グリーグ:ピアノ協奏曲、他
ランドン・ロナルド(cond.)、他
アルテュール・デ=グレーフ(p)
[APR 7401]

 リストの高弟でベルギーの至宝級ピアニスト、デ=グレーフの録音集成4枚組。4枚目。1928年録音のサン=サーンスと1927年録音のグリーグの協奏曲といふ大曲が聴ける。ロナルド指揮の管弦楽団の演奏が拙いが、渋い光沢を放つデ=グレ=フの独奏は最上級だ。骨太で英雄的なピアニズムに惚れ惚れする。余白には小品で、グリーグが6曲「アリエッタ」「春に寄す」「アルバムの綴り」「蝶々」「ノルウェーの婚礼行列」「トロルドハウゲンの婚礼の日」、プロコフィエフ「ガヴォット」、グレトリー「村人の踊り第3番」が収録されてゐる。グリーグが極上の名演の連続だ。さて、この4枚組は残念なことにデ=グレーフの録音全集ではない。機械録音時代のリストのハンガリー幻想曲、サン=サーンスの第2協奏曲の短縮録音、グリーグの協奏曲の短縮録音の3つが割愛されてゐる。電気録音での再録音があるので実際は不要だが、蒐集家としては無念である。更に、イゾルデ・メンゲスとのシューベルトのソナティネ第3番とベートーヴェンのクロイツェル・ソナタも含まれてゐない。5枚組にしてもよかつたのではないか。(2019.7.21)


アルフレッド・グリュンフェルト(p)
録音集(1899年〜1914年)
バッハ/シューベルト/ショパン/シューマン/ブラームス/モシュコフスキ/グリーグ/コルンゴルト/ゴルトマルク/グリュンフェルト、他
[OPAL CD 9850]

 レコード黎明期に多くの録音を残したグリュンフェルトは1852年にハンガリーに生まれ1924年に没した伝説的なピアニストである。何と19世紀の録音も含まれるが、復刻技術者にマーストンを起用してゐる為大変聴き易い音質だ。グリュンフェルトのタッチは硬質で、清明さの中に優美な趣が漂ひ、ドイツの学匠バッハ、シューベルト、シューマン、ブラームスからは簡素で高貴な美しさを引き出してゐる。ショパンは不健康な耽美に陥ることなく雅な哀愁を紡ぎ、良くも悪くもサロン風だ。その点グリーグは音楽性の等質さを示す名演ばかりだ。コルンゴルト「お伽噺の絵」やリスト編曲の「イゾルデの愛の死」が激しい夢想を燃え滾らせてをり感銘深い。グリュンフェルトが編曲したシュトラウスのパラフレーズは、当時持て持て囃されたサロン趣味が窺へて興味深い。(2006.3.22)


ショパン:マズルカ(11曲)、ノクターン(5曲)
ヨウラ・ギュラー(p)
[DORON music DRC 4012]

 1956年、アンドレ・シャルラン技師によつて仏ディクレテ=トムソン・レーベルに録音されたギュラーの最も重要な録音。CDはかつて仏Danteから出てゐたが、入手困難な状況が続いてゐたので、当盤の登場で渇を癒された。このショパンの録音はギュラーのセッション録音で最も古いが、それでも60歳頃の録音である。ギュラーは1910年代に天才美少女ピアニストとして持て囃されたが、その後、精神と肉体を病み、またユダヤ系であつた為に迫害を受けたり、戦争の影響で演奏活動は休止状態にあつた。ギュラーの全盛期が何時であつたかはわからないが、録音における頂点は技巧にも艶が残るこのディクレテ=トムソン録音だと云つてよい。後のエラート録音とニンバス録音にも共通する悲哀と厭世的な寂寥感がひしひしと感じられ、一種の凄みとなつてゐる。選曲が良い。特にマズルカは名曲を選りすぐつてをり絶品だ。短調作品が11曲中7曲と多めなのも印象深い。ノクターンも物悲しい情趣が儚く漂ふ名品ばかりだ。(2012.6.20)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
ピエール・コロムボ(cond.)/ヴィクトル・デザルツェンス(cond.)、他
ヨウラ・ギュラー(p)
[DORON music DRC 4014]

 ギュラーのデュクレテ=トムソンへのショパン録音を復刻したDORONレーベルが蔵出し録音を発売して呉れた。モーツァルトは1964年7月25日の録音で、コロムボ指揮スイス・ロマンド管弦楽団との共演である。大変貴重な記録だが、演奏は凡庸でギュラーでなくてはといふ特徴は薄い。これは気の抜けたオーケストラ伴奏の影響もあるだらう。そんな中でも第1楽章のニキタ・マガロフによるカデンツァは大層聴き応へがあり、第2楽章の詠嘆も美しい。さて、1964年11月24日のライヴ録音であるベートーヴェンは仏Tahraのディスコグラフィーにもなかつた未確認音源である。デザルツェンス指揮ローザンヌ室内管弦楽団の伴奏である。ギュラーによる同曲は何と3種類目になつた。瑕が散見され、既出音源の方が出来は良い。当盤は蒐集家の為の1枚で、一般にはお薦めしかねる。(2021.8.9)


ショパン:ピアノ協奏曲へ短調、舟歌、マズルカ(3曲)、ノクターン(2曲)
スイス・ロマンド管弦楽団/エドモン・アッピア(cond.)
ヨウラ・ギュラー(p)
[Tahra TAH 630]

 少女時代に絶大な人気を誇つたギュラーだが、美貌が災ひしたのか、活動は芳しくなく、1956年にデュクレテ=トムソンにショパンのマズルカとノクターンを録音する迄は無名に等しい演奏家であつた。しかし、その後もエラートへのベートーヴェンとニンバスへの最後の録音しかなく、幻のピアニストといふに相応しかつた。だから、仏Tahraがスイス・ロマンド放送局から発掘した未発表音源は愛好家を狂喜乱舞させた―初の協奏曲の音源となれば熱も上がらう。協奏曲は感情の趣く侭に哀憐を奏でた名演で、ぐいと心に突き刺さる。頽廃的な幻想と妖気漂ふ情念を聴かせたギュラーの魔性を前に、細部の傷など大した問題ではなくなる。舟歌も崩れが目立つが、自在な歌心に引込まれる。3曲のマズルカでは作品24の4だけセッション録音をしてをらず大変貴重で、演奏も最高だ。ノクターンは第4番と第7番の2曲でセッション録音と重複する。だが、この録音はニンバス録音の直後、即ちギュラー最後の記録なのだ。辞世の句は諦観に彩られた深き淵からの絶唱で感動的だ。余白にインタヴューが収録されてゐるのも嬉しい。(2009.5.9)


シューマン:交響的練習曲
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
アルベニス:トゥリアーナ
スイス・ロマンド管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(cond.)
ヨウラ・ギュラー(p)
[Tahra TAHRA 650]

 仏Tahraはスイス・ロマンド放送局よりギュラーの未発表音源を発掘し、愛好家に驚天動地の衝撃を与へたが、第2弾が続くとは予期せぬことであつた。当盤にはギュラーのディスコグラフィーが付いてをり、幻のピアノ・ロールを含んだ録音の全貌が明らかになつた。特に1957年から1964年迄の放送録音がこんなにあるとは誰もが想像だにしなかつただらう。Tahraの商品化はその一角に過ぎないのだ。当盤の全曲が初レペルトワールとなり大変貴重だ。1962年録音のシューマンはフロレスタン的情熱が勝る技巧曲では破綻があるが、オイゼビウス的情緒に支配される瞑想曲では暗い情念を聴かせ素晴らしい。1958年録音のベートーヴェンが名演だ。ギュラーは第4協奏曲を好んでゐたやうで他にも録音が残るさうだ。エラートへの後期ソナタ録音に通じる抒情が聴かれる絶品。アンセルメの伴奏が情緒豊かで価値を高めてゐる。1961年のアルベニスは技巧に危ふい箇所があるが色彩的で妖艶だ。(2015.4.18)


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
ショパン:ピアノ協奏曲へ短調
フランス国立管弦楽団/デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(cond.)
ヨウラ・ギュラー(p)
[Tahra TAHRA 719]

 仏Tahraによるギュラー未発表音源も第3弾となり、協奏曲録音がひとつもないとされたギュラーに協奏曲の演目が指揮者違ひで複数種聴ける時代が来るとは誰が想像出来たであらう。しかも、録音の少ない名匠アンゲルブレシュトの伴奏となれば弥が上にも希少価値が倍増する。仏Tahraの偉業と讃へたい。ベートーヴェンは1958年、ショパンは1959年の録音だが、それぞれ同年にベートーヴェンにはアンセルメ共演盤、ショパンにはアッピア共演盤が存在し、比較が可能だ。ベートーヴェンは断然アンセルメ盤の方が良い。当盤はギュラーの調子がいまひとつであり、ミスタッチも多く、表情も単調だ。一方でショパンは僅差でアンゲルブレシュト盤を採らう。アッピア盤は細部こそ美しいが停滞感が気になる。(2016.3.10)


ヨウラ・ギュラー(p)
1975年ニンバス録音
バッハ/ショパン/グラナドス、他
[Nimbus Records NI 5030]

 拙サイトをご覧頂いた方からギュラーといふピアニストのことを教はつた。当盤に塗り込められた仄暗い抒情美には絶句した。ギュラーは少女時代に世界屈指のピアニストとして礼賛された。しかし、絶世の美貌が祟つてか幸福な生涯を送ることが出来なかつた。録音は極端に少なく、恐らく最後の録音とされるこのニンバス録音も残されたこと自体が奇蹟に近い。冒頭、バッハのフーガ2曲から哀感漂ひ、連綿たる祈りのやうだ。アルベニスのソナタで聴かせる弱音の翳りの凄み。クープラン、ラモー、ダカン、バルバストレの作品では典雅な曲想から一転して哀愁を帯びた溜息を聴かせる。それは夜露となつて大地に零れる涙のやうだ。ショパンのエチュードの絶入るやうな弱音の美しさは如何ばかりだらう。バラード第4番では高齢故の技巧の崩れがあるが、切ない告白が胸を締め付ける。最も美しいのはグラナドスだ。あゝ何たる美しさ! 「アンダルーサ」の物悲しい表現はギュラーだけの世界だ。そして誰にも知られずひつそりと咲いて散り行く一輪の花のやうな「オリエンタル」に涙した。儚い生に別れを告げるやうな音楽。美は滅びてこそ美となる。斯様な観想に誘ふギュラーとは一体何物なのか。(2007.11.20)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第14番、同第20番
ニューヨーク・フィル/ブルーノ・ヴァルター(cond.)
マイラ・ヘス(p)
[Music&Arts CD-275]

 よく知られたヘスとヴァルターの共演。第14番が1954年1月17日、第20番が1956年3月4日の放送録音である。第14番変ホ長調は全集でもないと聴く機会が滅多にない曲で、このヘス盤は予てより決定的名演として語られてきた。冒頭からヴァルターとニューヨーク・フィルによる優美な音楽に魅せられる。ヘスのピアノは情感豊かで歌心に溢れてをり、ヴァルターとの相性は抜群だ。何よりも気品のある語り口に陶然となる。特に第2楽章の含蓄の深さは絶品である。録音状態も悪くなく、この曲では第一に挙げるべき決定盤だ。第20番ニ短調も名演だ。ヴァルターは弾き振り録音も残したほどこの名曲を得意としてをり、手中に収めた感がある。動的なヴァルターに対し、ヘスはしみじみと寂寥感を編み上げる。ベートーヴェン作のロマン漂ふカデンツァを使用し、奥深い世界を展開する。録音状態が幾分悪いのが残念だが、忘れ難い名演のひとつである。(2020.12.27)


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
ショパン、メンデルスゾーン、ラフマニノフ、プロコフィエフ、リャードフ
ユージン・オーマンディ(cond.)、他
ヨーゼフ・ホフマン(p)
[Marston 52044-2]

 ホフマンの全録音CD化を使命感をもつて遂行するマーストンの偉業。第8巻2枚組。1枚目。ベートーヴェンの第4協奏曲は当盤で3種目となり、ホフマンの協奏曲録音では最多である。粒が揃ひ宝石のやうな輝きを放つタッチが絶品で、速いスケールのパッセージがこれほど澄み渡り、且つリズムが躍動して聴こえた例はない。オーマンディの伴奏も万全でこの曲の重要な名演として推奨したい。余白はベル・テレフォン・アワーの放送録音から構成される。ショパンの諸作品は面白く聴けるがホフマンの奏法は少々個性的過ぎるだらう。メンデルスゾーンが何れも素晴らしい。特に完璧な技巧で颯爽と演奏されたロンド・カプリチオーソが極上の名演だ。鋼のやうに硬く、水晶のやうに輝くタッチで弾かれたラフマニノフ、プロコフィエフ、リャードフの作品も絶対的な高みにある。(2006.12.26)


ルビンシテイン:ピアノ協奏曲第3番、同第4番
アルトゥール・ロジンスキー(cond.)/カール・クリューガー(cond.)、他
ヨーゼフ・ホフマン(p)
[Marston 52044-2]

 ホフマンの全録音CD化を使命感をもつて遂行するマーストンの偉業。第8巻2枚組。2枚目。ホフマンの師であるルビンシテインの協奏曲は切り札とも云へる絶対的な名演ばかりである。第3番の雄大な構へ、憂愁を帯びた抒情、燦然たる技巧は圧倒的な高みに達してゐる。強奏時の威圧感も凄いが、硬く乾いたタッチとペダリングで奏でられた弱音の美しさはホフマンだけの妙味だ。第4番はゴールデンジュビリー・コンサートでの録音もあるが、ライナーの整然とした指揮共々小綺麗に纏まり過ぎた観があつた。当盤こそはホフマンの神髄が極められた弩級の名演で、荒ぶれた管弦楽の伴奏と豪快なピアニズムの轟きはいと物凄し。チャイコフスキーの第1協奏曲を凌ぐ名曲の域まで高めた演奏と云つても過言ではない。余白には貴重なベル・テレフォン・アワーの録音より第4協奏曲の第1楽章と第3楽章が収められてゐる。これらも豪放磊落な名演だ。(2006.11.18)


全集第9巻(補遺録音集&ホフマン関連インタヴュー集)
ヨーゼフ・ホフマン(p)
[Marston 52058-2]

 鶴首してゐたマーストンによるホフマン全集録音の完結となる第9巻が遂に発売された。第8巻の記事の書いたのが2006年で、その頃には発売予告もあつたと記憶するから10年近く待つたことになる。最初に申し上げてをくが、第9巻2枚組は蒐集家の為にあり、一般的な聴き手には不要だ。内容だが、まずユリウス・ブロック博士が1895年から1896年頃にモスクワで機材を持ち込んで行つたシリンダー録音4曲が収録されてゐる。ブロック博士のシリンダー録音集は3枚組でマーストンより発売されてをり、そこに含まれていたホフマンの録音だけが抜き出されたといふ訳だ。次にVAIから第3巻と第4巻として復刻されてゐた1911年のコロムビア録音が2曲、1923年のブランズヴィック録音が2曲が収録されてゐるのだが、これらは別テイク録音であり一応別録音と云へる。次に1936年のキャディラック・アワーの放送録音がアナウンス付きで収録されてゐる。これは第6巻に収録されてゐた内容と同じだが、より状態の良い音源が見付かつたといふことで再収録されたとのことだ。最後に1945年7月30日のベル・テレフォン・アワーの映画サウンドトラックとして録音された音源で、ラフマニノフの前奏曲嬰ハ短調とベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第3楽章ロンドが収録されてゐる。さて、ホフマンの演奏録音は以上で、約60分程度。演奏自体は驚異的かつ最高だが、所詮補遺録音ばかり。残り90分はホフマンに関する発言集で、ボレットやグールドなどが登場するが、聞くこともないだらう。(2017.11.19)


ホセ・イトゥルビ(p&cond.)
モーツァルト/スカルラッティ/アルベニス/グラナドス、他
ロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団/アンパーロ・イトゥルビ(p)
[Pearl GEMM CD 9103]

 イトゥルビの戦前録音を復刻した1枚。イトゥルビは器用過ぎて何でも卒なく水準以上の結果を残す。それが禍してか軽率な印象を受け、損をしてゐる。収録曲を古い順に記すと、1933年のHMV録音より、パラディス「トッカータ」、ベートーヴェン「アンダンテ・ファヴォリ」、アルベニス「セビーリャ」、グラナドス「嘆き、またはマハと夜鶯」、1933年のヴィクター録音より、スカルラッティのソナタK.27とK159、ナヴァロ「スペイン舞曲」、1938年のヴィクター録音より、モーツァルトのピアノ・ソナタ第12番、アルベニス「コルドバ」、ラザール「葬送行進曲」が聴ける。だが、これら全てが先般、英APRより復刻されたので、詳細は他日に譲ろう。唯一、この英Pearl盤で聴けるのが、1941年のヴィクター録音で、妹アンパーロと組んでのモーツァルトの2台のピアノの為の協奏曲(第10番)だ。しかも、イトゥルビが常任指揮者として手塩にかけてきたロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団を弾き振りしての録音だ。手前味噌を遥かに超えた本格的な名演で、才気煥発が感じられて大変楽しめる。(2018.9.13)


グラナドス:演奏会用アレグロ、スペイン舞曲(3曲)
アルベニス:スペイン組曲(3曲)、タンゴ、コルドバ
ファリャ:スペインの夜の庭
アムパロ・イトゥルビ(p)、他
ホセ・イトゥルビ(p&cond.)
[EMI 0946 351804 2 3] 画像はジャケット裏です

 "LES RARISSIMES"シリーズの1枚。イトゥルビの本業はピアニストだが、作曲者、指揮者としても活躍し、ロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を長く務めた。また、広く知られるのはジーン・ケリー、フランク・シナトラらと共演した映画俳優としての顔で、人気を博した。しかし、多藝は無藝と意地の悪い偏見で、実力に見合はない低い評価をされ勝ちであつた。2枚組。1枚目。御國物のスペイン音楽集で、真価を伝へる最良の録音だ。イトゥルビの演奏は明快で健康的だ。生の享楽的な喜びが溢れてをり、くっきりとしたタッチで伸び伸びと歌ふ。思はせ振りな雰囲気で哀愁を醸したりせずに、からりと晴れた太陽のやうに眩く、影も濃い。グラナドスの演奏会用アレグロの若々しい技巧は爽やかだ。スペイン舞曲からは有名な第5番、第10番、第12番を演奏してゐる。アルベニスが良い。スペイン組曲からアストゥリアス、セヴィーリャ、カディスを演奏してゐる。アストゥリアスでのどぎつい音色の対比が見事だ。有名なタンゴ、印象的なコルドバも色彩豊かで絶品だ。ファリャの名曲だが、ピアノ独奏はホセの妹アムパロで、ホセは指揮者を務めてゐる。正直申せばホセのピアノで聴きたかつた。とは云へ、名演である。管弦楽は最高と云つてよい。情熱的な激流がある。神秘的な印が暗示され、官能的な情念も漂ふ。ピアノとも息が合つてをり、この曲の名盤のひとつだ。(2012.7.17)


ショパン:マズルカ(3曲)、ワルツ(4曲)、即興曲第1番、軍隊ポロネーズ
ドビュッシー:花火、喜びの島、子供の領分
ラヴェル:水の戯れ、ソナティネ、亡き王女の為のパヴァーヌ
ホセ・イトゥルビ(p)
[EMI 0946 351804 2 3] 画像はジャケット裏です

 "LES RARISSIMES"シリーズの1枚。2枚組。2枚目。イトゥルビはパリのサル・ワグラムで仏コロムビアに3枚分のアルバムを録音した。即ちCD1枚目に収録されてゐた「スペインの音楽〜グラナドスとアルベニス」と、この2枚目に収録されてゐる「ショパン・リサイタル」「ドビュッシー&ラヴェル」だ。ショパンは明るく健康的なタッチが特徴で、音色が明朗できらきらと輝いてゐる。享楽的なピアニズムは青白いショパンの解釈とは無縁で、憂ひを帯びた旋律も甘く感傷的な色付けがされ実に心憎い。苦悩のないラテン系のショパンで、サロン音楽の性格を前面に出した演奏なのだ。瀟酒なワルツ、即興曲やポロネーズの軽妙かつ華やかな演奏は素敵だ。色彩的なドビュッシーとラヴェルがより素晴らしい。白眉は前奏曲集第2巻の「花火」だ。幅広い音域が鮮烈な光彩を放つて聴き手に迫る。魔術的な響きを堪能出来る極上の名演だ。喜びの島や水の戯れの眩い煌めきには磨き抜かれた美しさがある。子供の情景、ソナティネとパヴァーヌは華美が過ぎる嫌ひがあり幾分感銘が落ちるが、宝石の束のやうなピアニズムを堪能出来る。(2012.9.10)


ガーシュウィン:ラプソディー・イン・ブルー
グローフェ:組曲「グランド・キャニオン」より3曲
ユーゴ・ウィンターハルター(cond.)、他
バイロン・ジャニス(p)
[RCA 88725484402]

 RCA録音全集。オリジナル・ジャケット仕様で愛好家は必携だ。この1枚はウィンターハルター指揮とヒズ・オーケストラのアメリカ音楽アルバムといふ一面が強いが、矢張りジャニスの鮮烈さに興味を惹かれる。肝心の演奏内容だが、だうにも座りが悪い。ジャニスのピアニズムはロシア音楽と相性が良く、強靭な重さと輝かしさに特徴がある。ガーシュウィンの軽やかに疾走する音楽には体躯が良く迫力があり過ぎるのだ。オーケストラは無闇矢鱈に派手だが、この位が良いのだらう。グローフェは3曲だけの中途半端な抜粋の演奏だ。色彩豊かだが、構成が散漫で印象が弱い。(2021.12.24)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番、同第30番
バイロン・ジャニス(p)
[RCA 88725484402]

 RCA録音全集。ジャニスのレパートリーで最も刮目すべきはラフマニノフだらうが、ベートーヴェンでも見事な録音を残してゐる。ヴァルトシュタイン・ソナタは唖然とする巧さである。充分過ぎる技巧で表現の限りを尽くしてゐる。突発的なクレッシェンド、スビトピアノ、撫でるやうな音色から尖つた粒立ちの良い音色まで千変万化する。雄弁な第1楽章は勿論、語りかけるやうな第2楽章の懐の深さも良い。特筆すべきは気品をも兼ね備へた第3楽章で、入りから包み込まれる温かさに溢れてゐる。作品109も滋味豊かな名演で、ジャニスが技巧だけの人でないことを示す。寂寥感を漂はせた第1楽章が殊更素晴らしい。看過して仕舞ふのは勿体無い演奏なのだ。(2020.12.3)


シュトラウス:美しき青きドナウ
ブラームス:ワルツ集
ショパン/リスト
バイロン・ジャニス(p)
[RCA 88725484402]

 RCA録音全集。オリジナル・ジャケット仕様で愛好家は必携だ。ワルツ音楽集はこの箱物の中でも取り分け評判高いアルバムで、LP番号はLK-2098だ。収録曲はシュトラウスの美しき青きドナウをアンドレイ・シュルツ=エヴラーが編曲した珍品、ブラームスのワルツ集を独奏で4曲(第15番、第1番、第2番、第6番)、ショパンのワルツ第3番イ短調と第14番ホ短調、バラード第1番、エチュードOp.10-8、リスト「愛の夢」第3番、ハンガリー狂詩曲第6番だ。驚くべき名演の連続で、ホロヴィッツの後継者として将来を嘱目された期待の名手の栄光がぎつしり詰まつてゐる。シュトラウスのサロン的味はひは絶妙で、技巧の華麗さに圧倒される。ブラームスの豪華さも見事だ。ショパンとリストも全て素晴らしいが、難癖を付けるならば、毒気がなく印象が薄口なので、折角の技巧が活かされてゐない点か。(2018.10.10)


ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番
シュトラウス:ブルレスケ
シカゴ交響楽団/フリッツ・ライナー(cond.)
バイロン・ジャニス(p)
[RCA 88725484402]

 RCA録音全集。ジャニスにとつて最も重要なレパートリーは疑ひなくラフマニノフであり、残された録音は何れも名盤の太鼓判を押せる。特に米マーキュリー録音した第2番と第3番は極上の仕上がりであつた。この第1番も燦然たる出来栄えだ。録音状態も無上で、ライナーとシカゴ交響楽団といふ最強の伴奏を得てをり、この録音の後に当盤を超えた演奏はなからう。これを超えるのはラフマニノフの自作自演とモイセイヴィッチの演奏で、ジャニスは熱さと憂ひで敵はない。ジャニスが薄いのではない。前2者が濃厚なのだ。シュトラウスのブルレスケは決定盤のひとつだ。ジャニスも素晴らしいが、シュトラウスの演奏で一際高次元の演奏を展開したライナーの威力を褒め称へたい。(2020.6.9)


ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番
ボストン交響楽団/シャルル・ミュンシュ(cond.)
バイロン・ジャニス(p)
[RCA 88725484402]

 RCA録音全集。オリジナル・ジャケット仕様で愛好家は必携だ。1957年に録音された至高の名盤。演奏、録音ともに申し分ない。ホロヴィッツの薫陶を受けたジャニスは師の十八番であつたラフマニノフの第3協奏曲を弾かせては並ぶ者がない存在だつた。私見ではホロヴィッツよりも作曲家の本懐に近い。と云ふのも、超人的なラフマニノフ本人の演奏に食らひ付いてゐるのがジャニスだけなのだ。猿真似と云ふなかれ、ラフマニノフの音楽を再現することは至難であり、出発点に立てぬ奏者がごまんとゐるのだから。ジャニスは見事反芻し、唯一無二の演奏を成し遂げた。ミュンシュの華麗な伴奏も絶妙で非の打ち所がない。とは云ふものの、ジャニスは僅か4年後にマーキュリーへもドラティと組んで録音を残してをり、新録音の方がより個性が強く、当盤はだうも中途半端に位置付けになつて仕舞つた。(2019.6.26)


ムソルグスキー:展覧会の絵
リスト:リゴレット・パラフレーズ
バイロン・ジャニス(p)
[RCA 88725484402]

 RCA録音全集。師匠のホロヴィッツが切り札とした展覧会の絵が注目だ。1958年に録音され、リリース予定まであつたが何故か未発売となつた幻の音源なのだ。演奏は燦然たる技巧で聴く者全ての口を封じる圧倒的な名演だ。冒頭から打鍵の魔術に惹き込まれる。技巧的な曲では淀みのない音楽を聴かせる。キエフの大門の大詰めではホロヴィッツ流儀の編曲で盛り上げる。リヴィング・ステレオの威力で臨場感も圧巻だ。屈指の名盤だが、師ホロヴィッツの魔術的な個性と比べると猿真似の感は否めない。しかし、音質のことも含めるとホロヴィッツ盤と併せて推薦したい。1957年録音のリゴレット・パラフレーズは往年の名手らが好んで吹き込んだ曲で、4声の絡みを見事に聴かせる。しかし、技巧に頼り過ぎで、歌心が欠けてをり一寸も感銘を受けない演奏だ。(2020.2.28)


シューマン:ピアノ協奏曲
リスト:死の舞踏
シカゴ交響楽団/フリッツ・ライナー(cond.)
バイロン・ジャニス(p)
[RCA 88725484402]

 RCA録音全集。シューマンはリストと共に1959年に録音されたが、リストだけがラフマニノフの第1協奏曲との抱き合はせで先行発売され、シューマンはなかなか日の目を見なかつた。ライナーは1960年に勢ひに乗るクライバーンと同曲を録音する羽目になり、このジャニス盤の存在が邪魔になつたからだろう。演奏は幾分夢想する詩情に欠ける嫌ひはあるが、繊細さと熱気が融合した推進力のある名演だ。リストは決定的名盤として君臨する。ライナーの雷光のやうな伴奏が絶品だ。(2022.9.30)


ショパン:マズルカ(13曲)、ノクターン第19番、同第20番、ワルツ第11番、同第13番、ポロネーズ第9番
マリラ・ジョナス(p)
[SONY 88985391782]

 ジョナスの全録音4枚組。幻のピアニストであつたジョナスのコロムビア録音が全集復刻された。これまで英Pearlの復刻でしか聴けなかつたので、予期せぬ宝物の登場だ。ジョナスは知る人ぞ知るポーランドの女流ピアニストだ。ナチス・ドイツのポーランド侵攻で強制収容所に送られるも、奇蹟的な脱出劇で南米に逃れ、ルービンシュタインの庇護で再起を果たした。1枚目。1946年と1947年の78回転録音で、それぞれLPに纏められML2004とML2036として発売されたショパンだ。最初の録音であるML2004にはマズルカ4曲、ノクターン2曲、ワルツ2曲、ポロネーズが収められてゐるが、この1枚には悲しみの深淵があり、聴く者をたぢろがせる。ジョナスの名を永遠に刻んだ1枚なのだ。マズルカの澄み切つた音色に心奪はれる。物悲しい哀愁が漂ひ一種時別な色調があり別格の名演だ。ノクターンはジョナスの残した決定的な遺産であり、あまりにも深刻なので精神の正常さを保てなくなる恐ろしい演奏だ。自在に弾いたワルツも絶品。寂寥感漂ふポロネーズも良い。ML2036はマズルカだけ9曲で構成される。先の4曲に比べると幾分純度が落ちるが、斯様に侘び寂びを追求した演奏は他にない。(2020.8.3)


ショパン:マズルカ(9曲)、ノクターン(5曲)
マリラ・ジョナス(p)
[SONY 88985391782]

 ジョナスの全録音4枚組。2枚目。マズルカ9曲は1949年9月の78回転録音で、LPに纏められML2101として発売。ノクターン5曲は1950年2月の録音で、ML2143として発売された。演奏は更なる深みを増し、ピアノ録音史上でも類を見ないほど美しい。マズルカは7曲が短調で明らかに悲歌に焦点を当てた解釈である。舞曲の側面は極力排し、涙に濡れた独白のやうな音楽が続く。カペルの録音と並ぶマズルカの最も美しい演奏と激賞したい。ノクターンはそれ以上に素晴らしい。マズルカでは舞曲の要素を削ぎ落としたことで作為的な印象を感じる時があつたが、ノクターンは極限まで結晶された名演ばかりだ。演目は第1番、第2番、第6番、第9番、第15番で、取り分け第1番の美しさは恐ろしさを感じさせるほど深淵を覗き込んだ凄みがある。ショパンを斯様に物悲しく演奏出来る奏者は、他にリパッティくらゐしか思ひ当たらぬ。(2021.5.24)


ショパン:ポロネーズ第1番、エチュードOp.10-6、同Op.25-2、ワルツ第7番、同第10番、子守歌、即興曲第1番
マリラ・ジョナス(p)
[SONY 88985391782]

 ジョナスの全録音4枚組。3枚目。1951年6月に録音されML4476といふ番号で発売されたショパン・アルバムは、ジョナス最後の録音となつて仕舞つた。それと云ふのも、ジョナスは1月に体調を崩してから活動が実質休止になつて仕舞ひ、程なくして48歳で亡くなつた。心成しかこれ迄の録音に比べると生気が乏しいと感じるのは気の所為だらうか。演目は被らず唯一の曲目ばかりだ。どの演奏も外連は全くなく、内面を凝視めるような演奏ばかりだ。個性的なポロネーズや子守歌は独自の雰囲気があり魅せられる。(2022.9.3)


シューマン:子供の情景
シューベルト:即興曲第4番、独創的舞曲と感傷的なワルツより7曲、セレナード
ヘンデル/ドゥセック/W.F.バッハ/モーツァルト/トムソン/メンデルスゾーン/ニコラウス/カゼッラ/ロッシ/ラモー
マリラ・ジョナス(p)
[SONY 88985391782]

 ジョナスの全録音4枚組。4枚目。ショパン以外の録音を纏めた1枚だ。録音時期は最初の1946年から最後の1951年までかかつてゐる。古典作品ではヘンデル「パッサカリア」の凛とした厳粛さ、フリーデマン・バッハ「カプリッチョ」の技巧的な諧謔さ、ロッシ「アンダンティーノ」の気品ある佇まひ、ラモーの2曲のメヌエットの侘び寂びが印象深い。浪漫作品では仄暗きシューベルトが絶品だ。即興曲D889-4の儚き詩情、リスト編曲のセレナードの溜息に陶然となる。それ以上に36の独創的舞曲と34の感傷的なワルツから自在に7曲編んだ演奏が傑作だ。メンデルスゾーンの無言歌から2曲も美しい感傷に導かれる名演だ。ジョナス唯一の大曲録音シューマン「子供の情景」は素晴らしい出来だが、構成美に乏しいからか感銘は薄い。近代作品では、ニコラウス「オルゴール」の趣向的な表現力、カゼッラ「ボレロとギャロップ」でのリズムの躍動に魅せられる。ジョナスの真価を見出し名を広めた評論家にして作曲家のヴァージル・トムソンの作品も録音してをり微笑ましい。残された数少ない録音に不出来な演奏がひとつもなく、絶望的な美しさを秘めてゐる、それがジョナスだ。(2022.3.3)


アイリーン・ジョイス(p)
パーロフォン録音
バッハ/パラディエス/モーツァルト/シューベルト/ショパン/シューマン
クラランス・レイボールド(cond.)、他
[DECCA 482 6291]

 オーストラリア出身の才色兼備ジョイスの5つのレーベルに跨る録音を集成した豪エロクアンスによる渾身のセッション録音全集。1枚目。パーロフォン録音は先に英APRが復刻をしてをり、当盤は英APRリマスターを借用してゐる。収録曲は古典から初期ロマン派の作品集で、珠玉のやうなタッチを味はへる。バッハの幻想曲とフーガBWV.944はグレインジャーの演奏を髣髴とさせる浪漫的な名演だ。モーツァルトは可憐な演奏で美しいが特徴は薄い。ロンドK.386はレイボールドの伴奏が非道くて残念だ。シューベルトが抒情的で見事だ。仄暗いアンダンテの含蓄、翳りのある2曲の即興曲、何も名演だ。ショパンはノクターン2曲、幻想即興曲、子守歌で佳演揃ひだ。シューマンはノヴェレッテ2曲と色とりどりの小品からといふ通好みの選曲で演奏も抜群だ。(2022.4.3)


ラウル・フォン・コチャルスキ(p)
ポリドール録音(1924年〜1925年、アコースティック録音全集)
ショパン/バッハ/リスト/シューマン/コチャルスキ
[Marston 52063-2]

 Marstonによる録音全集第1巻2枚組。1枚目。機械録音とは云へマーストンの見事な復刻で鑑賞を楽しめる。演目はほぼショパンで占められる。コチャルスキは生前脚光を浴びることは然程なく、一部の玄人に支持される程度であつた。それもさうだ、同時代にコルトーやローゼンタールやフリードマンがをり、先んじてパッハマン、パデレフスキ、後にホロヴィッツ、ルービンシュタインら灰汁の強いショパン弾きが正統派コチャルスキの出る幕を阻んだ。コチャルスキは決して技巧の切れがある訳ではなく、華々しさを欠いた。控へ目な詩情で語り掛けるのがコチャルスキのショパンの特徴であり、後ろ髪を引かれるやうなルバートと強打しないタッチで実に品が良い。これはショパンその人の演奏様式に最も近いと思はれる。魔力はないが、どれも格調高き名演だ。ショパン以外は、バッハ「イギリス組曲」より1曲、リスト編曲のシューベルト「菩提樹」、リスト「愛の夢」第3番、シューマン「森の情景」「アルバムの綴り」より1曲、自作自演「前奏曲」「ワルツ」「印象」で、何も玄妙たる名演だ。取り分けバッハが美しい。(2020.4.15)


ラウル・フォン・コチャルスキ(p)
1928年ポリドール録音
ショパン/リスト/パデレフスキ
[Marston 52063-2]

 Marstonによる録音全集第1巻2枚組。2枚目。電気録音で1928年のポリドールへの録音集だ。収録曲は29曲中27曲がショパンで、他はアコースティック録音でも録音してゐたリスト編曲のシューベルト「菩提樹」と同郷の偉人パデレフスキ「夕べに」があるだけだ。コチャルスキはミクリの弟子で、ショパン直系の孫弟子だ。ミクリはショパンの遺志を継ぐ人物としてコチャルスキを徹底的に扱き伝へたといふ。徒らに大衆受けのする表現はせず、鍵盤上で詩を紡ぐことに腐心してゐる。軍隊ポロネーズで再現部に入る時に印象的なディミヌエンドをかけるのが好例で、美しきショパンを目指してゐるのが諒解出来るだらう。選曲は散漫で、ポロネーズ1曲、マズルカ2曲、プレリュード7曲、ワルツ6曲、エチュード8曲、ノクターン2曲、子守歌で纏まりはない。仄暗い表情を挟むプレリュード、エチュード、ノクターンが一種特別な美しさを醸す。ショパン以外では愛奏してゐたのだらう「菩提樹」が深い感銘を受ける名演である。(2020.7.18)


フレデリック・ラモンド(p)
リスト録音全集成(1919〜1936年HMV&ELECTROLA録音)
[APR 7310]

 英APRによるリストの高弟ラモンドの復刻選集3枚組。1枚目。このリスト録音全集はAPRで5504として発売されてゐたものと同じ内容である。リストの高弟であつたラモンドによる系譜の重みを伝へる貴重な録音だ。しかし、ラモンドは甚だ評判の悪いピアニストだ。識者には生前から貶されてゐた。大家たちは自重して録音を避け、また貧しい技術故に、録音ではなくロールへの記録を選ぶ中、ラモンドは電気録音以前から精力的に録音を残してくれた。だが、録音技術の発達に伴ひ多くのピアニストの録音が揃ふと、ラモンドは見向きもされなくなつた。ラモンドは技巧が達者な訳でないのに加へ、タッチが無骨で詩情に乏しく、全体が粗雑な印象を与へる。当盤でも得意のリストとは云へ、感興は乏しい。しかし、ラモンドからは飾らない実直さと良心を感じる。「ため息」や「愛の夢」は外連がないだけに聴くほどに良さが出る。(2005.8.9)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番、同第12番、同第14番、同第17番、同第23番
フレデリック・ラモンド(p)
[APR 7310]

 英APRによるリストの高弟ラモンドの復刻選集3枚組。2枚目。これはかつて英Biddulphから復刻された音源の再発売である。ラモンドはベートーヴェン弾きとして高名であつたが、現在では見向きもされぬ。電気録音最初期の1926年から1927年にかけて精力的に行はれた録音なので、音が貧しいのも不利だ。ラモンドが顧みられない主な理由は、技巧が粗く、音を飛ばしたり、難所でテンポが落ちたり、リズムを崩したりと、細部を聴くとラモンドの演奏に価値を見出す人はまずゐまい。だが、ラモンドのベートーヴェンには捨て難い魅力もある。全体を鷲掴みにし、楽曲の空気を伝へることにかけては実に成功してゐるのだ。無骨で上辺の取り繕ひを軽蔑するやうな雰囲気はベートーヴェンのそのものだ。ラモンドの風貌もベートーヴェンのやうだ。巧いだけの優等生の演奏とは異なる情熱家の音楽が聴ける。とは云へ、部分的には良い箇所もあるが、一般的にはお薦めは出来ない。(2021.4.24)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番、同第31番、同第6番第2楽章、同第18番第2楽章と第3楽章、ロンド
リスト:ため息、小人の踊り
ブラームス/ショパン/ルビンシテイン/グリンカ
フレデリック・ラモンド(p)
[APR 7310]

 英APRによるリストの高弟ラモンドの復刻選集3枚組。3枚目。ヴァルトシュタイン・ソナタと作品110のソナタはかつて英Biddulphから発売されてゐた音源である。ラモンドは貶されることが多いが、第31番では特に技巧が破綻してをり、商業用録音としては通用しない代物である。さて、Biddulph盤には収録されてゐなかつた第6番や第18番の楽章断片やロンドOp.51-2が聴けるのは嬉しい。また、ブラームスのカプリッチョOp.76-2、ショパンのノクターン第10番、ルビンシテインの舟歌第3番、バラキレフ編曲のグリンカ「雲雀」が収録されてゐる。抒情的なグリンカが物悲しく美しい。この3枚組の音源がラモンドの電気録音の全てであり、演目は殆どリストとベートーヴェンであることが解る。さて、最後に晩年の1941年、DECCAに2曲のリストを吹き込んでゐた。ため息と小人の踊りである。このAPR盤はラモンドのリスト録音全部を完全に纏めたものとして重要だ。(2022.2.21)


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番、ピアノ・ソナタ第14番、同第6番より第2楽章と第3楽章
リスト:ピアノ協奏曲第2番、小人の踊り
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団/エドゥアルト・ファン・ベイヌム
フレデリック・ラモンド(p)
[Marston 52071-2]

 2枚組1枚目。リストの高弟ラモンドに放送録音があるとは驚いた。1939年と1937年の記録で、初となる協奏曲、ラモンドの両輪とも云へるベートーヴェンとリストが聴けるのだ。2曲とも伴奏はベイヌムとコンセルトヘボウと豪華この上ない。ベートーヴェンは技巧がもたつく箇所こそあるが、弱音の美しさと朴訥とした語り口はベートーヴェンの本質を探り当ててゐる。クララ・シューマン作のカデンツァを採用。一聴の価値ありだ。リストは剛毅で思はせ振りな様子は一切ない。野暮なリストは妙に聴き手を掴んで離さず一気呵成に聴かせる。玄人好みの名演なのだ。アンコールで演奏された小人の踊りの語り口も絶品。余白には1920年代初頭のアコースティック録音によるベートーヴェンのソナタ第6番の断片と第14番が収録されてゐる。英APRが復刻した電気録音による再録音があるので、これらの旧盤には大した価値はないとは云へ、蒐集家にはお宝だ。流石はマーストン。(2022.10.12)


ミッシャ・レヴィツキ(p)
録音全集第2巻(1927年〜1933年)
シューマン:ピアノ・ソナタ第2番
リスト:ピアノ協奏曲第1番、ハンガリー狂詩曲(3曲)、他
[Naxos Historical 8.110769]

 生前絶大な人気を保持したレヴィツキだが、今日では忘れられた感がある。レヴィツキの名声は偏にリスト弾きとしてであり、当盤はその代表的な名演が詰まつた至宝と云へる。リストでは協奏曲の第1番、ハンガリー狂詩曲の第6番及び第12番と第13番、ため息、ラ・カンパネッラが2種収録されてゐるが、全て第一級の出来である。これらは現在でも規範と云へる名演で、輝かしい音色は録音の古さといふ減点をもつてしても驚嘆すべき光彩を放つ。特に同音連打の澱みのない打鍵は圧倒的だ。リストの音楽が持つ生命力を斯様に発散させた演奏は滅多になく、ハンガリー狂詩曲第6番は取り分け極上だ。この曲にはホロヴィッツの壮絶な演奏もあるが、レヴィツキ盤は同格の王座を占める。流石に協奏曲は管弦楽の音に物足りなさを覚えるが、独奏は天下一品だ。シューマンのソナタは確かな技巧による揺るぎのない名演である。詩情に欠けることを指摘することも出来ようが、これだけ見事な演奏に難癖を付けるのは憚られる。余白のモシュコフスキと自作も絶品である。(2008.2.21)


ミッシャ・レヴィツキ(p)
録音全集第3巻(1927年〜1938年)
ショパン/ルビンシテイン/ラフマニノフ/サン=サーンス/レヴィツキ
[Naxos Historical 8.110774]

 42歳といふ若さで亡くなりCD3枚分の録音しか残さなかつたレヴィツキは忘却の憂き目にあつてゐるが、ルビンシテインのエチュードを聴けば生前の名声が諒解出来るはずだ。マーストンによる全録音の復刻も最終巻となるが、1935年の放送録音も収録されてをり全集に箔を付けてゐる。サン=サーンスの協奏曲の断片録音は音質に難があるが、輝かしい打鍵の鮮やかさが極上だ。感傷的な自作のワルツ2曲も貴重な名演だ。ショパン作品の電気録音集成の中ではバラード第3番がレヴィツキの真価を伝へてくれる。各声部が燦然と鳴る様に喝采を送りたい。前奏曲、夜想曲、ワルツの演奏も良いが、幻想的な詩情で聴かせる訳ではないので物足りなさはある。しかし、聴くべきはフォルテでもピアノでも濁りのない光を放つ宝石のやうな美音の凄みで、ゴドフスキに比すべきタッチへの執拗な砕心には敬服する。(2007.2.9)


ヴィクトル・スタウ(p)
ラザール・レヴィ(p)
スタジオ録音全集
[APR 6028]

 APRが進行する「フレンチ・ピアノ・スクール」シリーズ第2巻。コンセールヴァトワールの名教師ディエメの弟子であつたスタウとレヴィの復刻2枚組だ。主役は無論、高名な名教師レヴィの1枚半に及ぶセッション録音全集だが、1枚目の半分はペルー人スタウの録音が収録されてゐる。初めて耳にする演奏家であり、恐らくライヴ録音もないかと思はれるので、ここで聞ける全15曲が全録音だらう。1927年と1929年のオデオンへの録音で、演目はシューマンの幻想小曲集からの3曲が意欲作で、ドビュッシーの前奏曲集やショパンのワルツなどフランス流派の見事な演奏が聴ける。他にもダカン、メンデルスゾーン、モシュコフスキ、シンディング、ラヴェルとあるが、ルネ=バトン「カランテク付近の糸紡ぎの女たち」と自作自演「木陰で」は貴重な音源である。スタウは品格ある小粋な奏者である。さて、レヴィの戦前HMV録音がやうやく全部復刻されたことは実に喜ばしい。シャブリエ2曲、ドビュッシー、デュカはTahraやarbiterで復刻があつたが、このAPR盤の登場で終止符を打てた。自作自演で前奏曲第1番、第2番、第5番、ルーセル「シチリエンヌ」の高踏的な趣は流石であるが、モーツァルトの幻想曲ハ短調の凛とした佇まいこそ、後のソナタの名盤を彷彿とさせる名演であつた。(2021.1.3)


ラザール・レヴィ(p)
スタジオ録音全集
[APR 6028]

 APRが進行する「フレンチ・ピアノ・スクール」シリーズ第2巻。2枚目。レヴィの正規録音は本当に少ない。1枚目に収録されてゐた戦前のHMVへの録音9曲、この2枚目に収録された1950年の日本ヴィクターへの録音8曲、1951年テル=アヴィヴでのクラウン録音3曲、1952年のデュクレテ=トムソンへのモーツァルトのソナタ第10番と第11番、1955年のパテ録音で「パリのモーツァルト」アルバムの中のひとつとして録音されたモーツァルトのソナタ第8番だけなのだ。日本録音は本邦でも復刻があつた。他も殆ど仏Tahraなどから復刻されてゐたが、テル=アヴィヴでの録音が珍しからう。これは発掘された「シエナのピアノ」といふ名器で弾いた大変貴重な録音でもある。クープラン「葦」、ダカン「郭公」、ドビュッシー「沈める寺」を弾いてゐるが、何とも典雅な響きが広がり包まれるといふ特別な体験が出来る録音なのだ。モーツァルトのソナタ3曲は絶対的な名盤。硬質の宝石のやうなタッチが比類ない。(2021.11.27)


ラザール・レヴィ(p)/1950年日本ヴィクター録音
ジュヌヴィエーヴ・ジョワ(P)/1952年日本ヴィクター録音
アルフレッド・コルトー(P)/1952年日本ヴィクター録音
[Green Door GDCS-0034]

 戦後来日したフランスの大ピアニストたちが幸運にも日本ヴィクターに録音を残していつた。大変重要な録音乍ら世界的には秘蔵録音だと云へる。名教師レヴィが残した演目はクープラン「百合ひらく」「葦」、自作「ワルツ集」、ショパンのマズルカ嬰ハ短調Op.6-2と変イ長調Op.50-2、シューマン「夕べに」「夢のもつれ」、シューベルトの即興曲変イ長調だ。絶品はクープランと自作自演のワルツ、それにシューマンだらう。クープランは仏Tahraからも復興があつた。高雅な趣は流石だ。ジョワの録音は貴重だ。演目はドビュッシー「喜びの島」「ミンストレル」、安川加寿子との連弾でミヨー「スカラムーシュ」だ。色彩豊かなピアニズムで官能的な演奏だ。衒学的なレヴィの演奏よりも強い感銘を受けた。有名なコルトーの日本録音は全録音が復刻されてゐるし、別項でも述べたので割愛する。(2016.4.12)


ラザール・レヴィ(p)
クープラン/モーツァルト/ベートーヴェン/ショパン/シャブリエ/ドビュッシー/シューマン/デュカ
[Tahra TAH 556-558]

 半ば神格化されてゐる名教師レヴィの録音集。発売後程なくして入手困難になつた幻のCDだ。3枚組の1枚目と2枚目の半分迄がレヴィの録音で、残りは弟子格たちの録音で構成される。殆どが晩年の録音で、綻びはあるし整つた演奏ではない。しかし、他の奏者からは聴くことの出来ないレヴィだけのピアニズムがある。よく真珠のやうなタッチといふ形容があるが、レヴィのタッチは宛らサファイアのやうなと形容したい。硬質の音色は神々しく輝き、発音だけでリズムに躍動を吹き込む。レヴィの演奏は一見無造作で、転調による音色の変化を然して強調しない。なのに極めて色彩的で眩しいのだ。最高は伝説的な名盤として名高いデュクレテ=トムソン録音のモーツァルトのピアノ・ソナタ第10番と第11番だ。些細な傷はあるが、明るく純粋な演奏は何人も真似出来まい。瑣末事を超越したジュピターのやうな演奏。モーツァルトと並ぶ傑作は、ワルシャワにおけるライヴ録音のシャブリエ「絵画的小曲集」の3曲とドビュッシー「版画」よりグラナダの夕暮れだ。近代フランスの楽曲を弾くレヴィは鮮烈なリズムと温かい色彩で魅了する。実演ならではの感興もあり、極上の出来だ。ショパンも素晴らしい。マズルカ4曲とノクターン第13番で、燃えるやうな狂ほしい情熱を秘め乍らも寂寥感で塗り込めた哀切が絶品だ。ベートーヴェンはピアノ・ソナタ第7番と第10番の緩徐楽章といふ賢哲の選曲。沈静なる瞑想に誘はれる。プライヴェート録音であるシューマン「クライスレリアーナ」が途中で切れて仕舞ふのは残念でならない。ピアノ学習者にとつても啓示の多い録音ばかりだらう。レヴィが絶対視される理由が当盤には詰まつてゐる。(2012.3.28)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番、他
クララ・ハスキル(p)/ソロモン・カットナー(p)/モニク・アース(p)、他
[Tahra TAH 556-558]

 名教師レヴィの録音集3枚組の2枚目後半と3枚目に収録された弟子格たちの録音を聴く。ハスキルは得意としたモーツァルトを弾いてゐる。伴奏はアッカーマン指揮のケルン放送交響楽団だ。ハスキルによる同曲の録音は他に種々あり、当盤の演奏はそれらを凌ぐ出来であるとは感じなかつた。アースはバルトークで、ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団の伴奏である。1951年の演奏だから初演から5年程度の録音であるが、鮮烈な名演が聴ける。但し管弦楽は粗雑でもたついた感があり頂けない。3者の中ではソロモンの演奏に一日の長がある。ヨッフムが天下のベルリン・フィルを振つたブラームスの協奏曲も大変素晴らしい名演だが、1946年と1948年にアビー・ロード・スタジオで録音された小品集が絶品なのだ。ソロモンといふとベートーヴェンやブラームスの大家といふ印象があるが、当盤に収録されたラテンの古典曲と近代フランス音楽での趣味の良さはソロモンの別の一面を教へて呉れる。品格溢れるクープラン、スカルラッティ、ダカンの演奏、荘厳なドビュッシーの沈める寺、全て極上だが、セヴラック「古いオルゴールが聴こえるとき」の美しさは魔法をかけられたと形容しても大袈裟ではあるまい。(2012.9.18)


ヨーゼフ・レヴィーン(p)
全録音/パテ録音(1920年〜1921年)/ヴィクター録音(1928年〜1939年)
ロジーナ・レヴィーン(p)
[Marston 53023-2]

 米Marstonからまたも驚愕のリリースが届いた。完璧なるピアニストにしてジュリアード音楽院の重鎮レヴィーンの録音はCD1枚分が全てであつた。復刻はマーストンがNaxos Historicalで行なつてゐた。それが一気に3枚分に増えたのだから腰を抜かす。さて、3枚組の1枚目はNaxos Historical盤と同じ収録曲である。米パテへのアコースティック録音4曲は貧しい音ながら非の打ち所のない極上の演奏ばかりだ。1928年のヴィクター録音であるシュトラウス「美しき青きドナウ」は予てよりレヴィーンの最高傑作とされるもので伝説的な名演である。久々に聴いたが惚れ惚れして仕舞つた。1930年代のシューマンやショパンの録音も嘆息するやうな絶品ばかりだ。愛妻ロジーナとの連弾によるドビュッシー「祭り」は管弦楽と紛ふ交響的な演奏。さて、モーツァルトの2台のピアノの為のソナタだが、2枚目にも収録されてゐる。実はそちらがNaxos Historical盤と同じもので、この1枚目の方は初めて聴くことが出来た別録音なのだ。1枚目は1935年の旧録音と1939年の別テイクとで構成されてゐる。流石マーストンである。内容は若さがあるからかこの旧盤の方が良い。(2021.1.15)


モーツァルト:2台のピアノの為のソナタ、ピアノ協奏曲第7番(2台ピアノ用に編曲)
ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番
ペロール弦楽四重奏団
ニューヨーク・フィル/サー・ジョン・バルビローリ(cond.)
ロジーナ・レヴィーン(p)
ヨーゼフ・レヴィーン(p)
[Marston 53023-2]

 初出音源満載の大全集3枚組。2枚目。ロジーナとのモーツァルトの2台のピアノの為のソナタは1939年のセッション録音で、Naxos Historical盤でも復刻された音源である。御手本と云へる見事な演奏である。さて、ここからが初出音源の紹介だ。協奏曲音源の登場で、第7番とされる3台のピアノの為の協奏曲ヘ長調K.242を2台用に編曲しての演奏といふ珍品だ。1939年10月29日の放送録音で、伴奏は何とニューヨーク・フィルで、指揮者は当時のシェフ、バルビローリである。音質も然程優れず-第2楽章で欠落がある、演奏自体も特筆するやうな良さはないのだが、大変貴重な音源だ。感銘深いのは1942年12月30日の放送録音で、リリアン・フックスがヴィオラを担当するペロールSQとのブラームスだ。実に濃厚な演奏を繰り広げてをり、ヴァイオリンのジョゼフ・コールマンも粗いが熱い。ジプシー臭を漂はせた往年の様式による名演でレヴィーンの技巧も冴えてゐる。(2021.9.9)


チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(2種)
ショパン:プレリュード第16番、同第17番、エチュードOp.25-6、同Op.25-11、ポロネーズ第6番「英雄」
ヨーゼフ・レヴィーン(p)、他
[Marston 53023-2]

 初出音源満載の大全集3枚組。3枚目。全て初出となるお宝音源ばかりだ。レヴィーンの協奏曲録音、それもチャイコフスキーの第1番といふ愛好家感涙の演目、しかも2種類も一挙に収録されてゐるのだ。しかし、これまで公刊されなかつた理由もある。1つ目は1933年のNBC放送で第2楽章と第3楽章が放送されたもののエア・チェックで、第1楽章は最初から存在しない。音質は年代相応で良くはない。しかし、演奏は大変素晴らしく、第3楽章コーダで一瞬綻びがある以外は鮮烈極まりない技巧を披露してゐる。2つ目が問題だ。1936年のライヴ録音で、これまた第1楽章の序奏部が丸ごと欠けてゐる。問題は音質だ。所謂隠し撮りで、場所もホルンの近くなのか、矢鱈とホルンが強大に聴こえる。鑑賞に耐へられない代物であり、記録といふ価値しかない。但し、レヴィーンの演奏は大変素晴らしい。さて、本当に良いのは音質の問題が少ないショパンで、演奏はどれも極上なのだ。木枯らしのエチュードに漲る覇気には深い感銘を受けるだらう。英雄ポロネーズの風格と力強さも素晴らしい。(2022.4.18)


ディヌ・リパッティ(p)
1947年&1948年コロムビア録音全集/1947年チューリッヒ録音
アントニオ・ヤニグロ(vc)、他
[APR 6032]

 愛好家必携の復刻が登場した。流石APRである。2枚組で、1枚目は5509の番号でAPRより発売された1947年コロムビア録音全集と全く同じ内容である。2枚目が重要で、1948年のコロムビア録音全集が追加された。カラヤンとのシューマン、ショパンの舟歌、そして究極の名演ラヴェルの道化師の朝の歌だ。リパッティの商業的な録音はこれらと死の年1950年のジュネーヴでの一連の録音、バッハ、モーツァルト、ショパンがあるだけで、非常に少ないことに改めて驚かされる。さて、当盤の価値はこれらの既出音源では勿論ない。ヤニグロと共演した1947年3月24日のチューリッヒでのテスト録音5曲全部が遂にCD化されたことにある。このうち3曲はarchiphonから商品化されたが、mp3での配信でしか聴くことの出来なかつた2曲、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番の第1楽章とバッハのアンダンテBWV.528aがやつと商品化されたのだ。リパッティ唯一となるベートーヴェンが特上の名演である。快挙であり、歓迎したい。詳細はリパッティ・ディスコグラフィーをご覧いただきたい。(2020.10.3)


ディヌ・リパッティ(p)
録音全集(1936年〜1950年)
[Profil PH17011]

 2017年、リパッティの生誕100年を記念して独Profilが録音全集を12枚組で発売した。1936年録音のブラームスの間奏曲Op.118-6の断片はCDでは初出の筈で、archiphon盤にも収録されてゐなかつた音源だ。この他、これ迄に商品化された音源は全て収録されてゐる。詳しくはリパッティ・ディスコグラフィーをご覧いただきたい。さて、この商品について述べて行かう。まず、入手困難な音源も全部収録されてゐるので、蒐集漏れのあつた方は迷はず入手されたい。これ迄はEMI以外にルーマニア録音や、APRとarchiphonの復刻を丁寧に揃へる必要があつた。特にブーランジェとのブラームスの「愛の歌のワルツ」は久々に入手可能になつたので歓迎したい。12枚が録音年代順に編集されてゐるのが良い。また、感心したいのがブーランジェとのブラームスの四手のワルツで、曲順が番号順ではなく録音時の配列になつてゐることだ。EMIでの復刻では番号順であつたが、本当は6-15-2-1-14-10-5-6といふ配列で第6番が2種類あるのだ―この配列で復刻してゐたのは仏CASCAVELLEくらゐだつた。それと、エネスクのピアノ・ソナタ第3番を正しいピッチで初めて復刻したと謳つてゐる―これ迄の復刻は半音高いさうだ。このやうにお薦め出来る点が沢山あるのだが、一方で痛恨の編集がある。ショパンの14のワルツが番号順なのだ。配列に拘泥はつたリパッティの意図を無視してゐる―確信犯だらうが極めて残念だ。愛好家の購入意欲を相殺するほどの悪質な編集である。音質だが、恐らく既出音源からのデジタル・コピーで、良くも悪くもないと云へよう。EMI盤は捨てずに所持してをくと良いだらう。(2017.5.12)


ディヌ・リパッティ(p)
ブザンソンでの最後のリサイタル
バッハ/モーツァルト/シューベルト/ショパン
[SOLSTICE SOCD 358]

 愛好家驚愕のリリースがあつた。1950年9月16日、伝説的なブザンソンにおける生涯最後のリサイタルのマスター・テープがINAのライブラリーから新しく発見されたといふのだ。既出盤との大きな違ひは3点挙げられる。まず、音質が生々しく臨場感があり、音の粒がはつきりわかる。比べると既出盤は幾分靄がかかつたやうで、高音や強音の伸びや広がりに欠けてゐた。当盤は著しく迫真さが増してゐる。次に、テープの編集がなく、録り放しの良さがあり、アナウンスが収録されてゐること、拍手も全部収録されてゐること、指慣らしの後の間があること―既出盤ではこれらが適宜編集されてゐた。同時に演奏のミス・タッチも気になつた。最後に、テープに起因するヒスやノイズがそのままで、再生装置が良いほど気になるかも知れぬ。一長一短だが、既出盤はそれなりに編集の手が加はつてゐたことがわかつた。演奏に関してはリパッティ・ディスコグラフィーをご覧戴きたい。貴重な写真が満載のブックレットも有難い―初めて見た写真もあつた。持つてをらぬは潜りである。絶対に所有するべきだ。(2019.2.25)


フォレ:バラード、即興曲、夜想曲、舟歌、ピアノ四重奏曲第2番、他
フィリップ・ゴーベール(cond.)、他
ニノン・ヴァラン(S)
マルグリット・ロン(p)
[CASCAVELLE Vel3067]

 4枚組。1枚目。コンクールによつて名を知られるばかりのロンであるが、録音自体が少なく、復刻も殆どない状態が続いてゐた。昨年暮やうやうCASCAVELLEから4枚組が発売されたが、戦前に残した録音の大部分を収めたと云ふ重要なものである。1枚目はフォレ作品で、これだけは以前Biddulphで出てゐたものと同一内容である。フォレと云ふ作曲家を思ふに、慎ましさと淡い詩情こそが相応しい。この点、ロンが弾くフォレは理解と愛情が深い。中でも一番心に残るのは、ヴァランの歌にあはせた「ゆりかご」で、懐に染み渡る感動的なものだ。(2004.7.24)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番
ショパン:幻想曲、舟歌、スケルツォ第2番他
ドビュッシー:レントより遅く、「版画」より「雨の庭」、2つのアラベスク
フィリップ・ゴーベール(cond.)、他
マルグリット・ロン(p)
[CASCAVELLE Vel3067]

 4枚組。2枚目。ロンの弾くショパンは名品揃ひだ。何れも優美で甘い詩情が漂ふ。上品で愁ひを帯びた音色や諦観へ向ふタッチの妙は繊細極まりなく、弱音での美しさには身震ひがする。中でも幻想曲はコルトーと謂へども及ばないほどの名演だ。次にスケルツォの仄暗い趣が印象的だ。尚、この4枚組セットには残念なことにゴーベールの指揮で吹き込んだヘ短調協奏曲が含まれてゐない。その他、未発表の子守歌や幻想即興曲があるとのことだが、是非復刻をして欲しいものだ。ロンのドビュッシーが悪かろうはずがない。アンニュイなパリの雰囲気を伝へる傑作ばかりで、「雨の庭」が殊更美しい。この他に録音がないのが口惜しい限り。モーツァルトの協奏曲も代表的な名演のひとつとして推奨出来る。典雅で快活さを具へたタッチが麗しい。(2005.2.25)


ダンディ:フランス山人の歌による交響曲
ラヴェル:ピアノ協奏曲
ミヨー:ピアノ協奏曲
アルフテル:ポルトガル狂詩曲、他
ポール・パレー(cond.)/ペドロ・フレイタス=ブランコ(cond.)/ダリウス・ミヨー(cond.)/ミュンシュ(cond.)、他
マルグリット・ロン(p)
[CASCAVELLE Vel3067]

 4枚組。3枚目。ロン選抜きの名演集。パレーの剛毅な指揮によるダンディはこの曲最高の演奏と云へる。モントゥーの活力に充ちた演奏にも惹かれるが、管弦楽の統率力の見事さで軍配はパレーにある。何よりもロンのピアノが色彩豊かで詩情に溢れてゐる。ロンが初演したラヴェルの協奏曲は、永らく作曲者自身の指揮とクレジットされてきた曰く付きのもの。当CDで漸く指揮者ブランコ、監修者ラヴェルと明かされた。何故かこの復刻のみ音が不鮮明だ。下手な管弦楽から味を聴くことも可能だが、矢張り戦後の再録音を採りたい。ミヨーの協奏曲は作曲者指揮による優れたもので、瀟洒なロンのピアノも心憎く、随一の名品に数へられる。小品2曲の演奏は尚よい。アルフテルの珍曲は相当聴き応へのある大曲で、劇的な起伏と多彩な響きが楽しめる。(2005.3.28)


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番、同第5番「皇帝」
フェリックス・ヴァインガルトナー(cond.)/シャルル・ミュンシュ(cond.)、他
マルグリット・ロン(p)
[CASCAVELLE Vel3067]

 4枚組。4枚目。数少ないロンの録音の中では、大曲と云ふことで割と知られたもの。ロンのレペルトワールではショパン、フォレ、ラヴェル、ミヨーなどが光彩を放つてをり、モーツァルトやベートーヴェンはやや異色の感を免れない。ベートーヴェンは力瘤の入つた演奏ではない。悠然とした淡く柔らかいタッチが印象的で、「皇帝」の第2楽章における凛とした気品が取り分け見事。これらの曲に食傷気味の方は清涼剤として聴いてみるのも一興だらう。しかしその程度のものだ。「皇帝」はミュンシュの情熱的な指揮で心地よく聴けるが、第3番を伴奏するヴァインガルトナーは閃きが乏しく無惨だ。(2005.1.18)


フォレ:ピアノ四重奏曲第1番、同第2番、バラード(2種)、舟歌、即興曲、ノクターン、他
ダンディ:フランス山人の歌による交響曲
マルグリット・ロン(p)、他
[APR 6038]

 APRが進行する「フレンチ・ピアノ・スクール」シリーズに本命ロンが登場した。その第1巻2枚組はフォレとダンディで編まれてゐる。これらの音源の中、戦前録音の復刻は英Biddulph盤や仏CASCAVELLE盤で出てゐたので目新しさはない。戦後の録音は本家EMIの復刻盤で幾つか聴けた。パスキエ・トリオとのハ短調四重奏曲、クリュイタンスとのバラードは聴けたのだが、1957年録音の舟歌第2番、同第6番、即興曲第2番は復刻がなかつたと思ふ。有難い。長年弾き込んだ熟成の味はひに舌鼓を打ちたい。(2022.10.9)


ショパン:ピアノ協奏曲ヘ短調、幻想曲、舟歌、子守歌、幻想即興曲、スケルツォ第2番、他
ドビュッシー:2つのアラベスク、雨の庭、レントより遅く
ラヴェル:ピアノ協奏曲(2種)
ミヨー:ピアノ協奏曲第1番、他
マルグリット・ロン(p)、他
[APR 6039]

 APRが進行する「フレンチ・ピアノ・スクール」シリーズに本命ロンが登場した。その第2巻2枚組はショパン、ドビュッシー、ラヴェル、ミヨーで編まれてゐる。戦前録音の復刻は仏CASCAVELLE盤4枚組が最も充実してをり、仏EMIの戦後録音の復刻と併せるとほぼ全録音が揃つた。2枚目のドビュッシー、ラヴェル、ミヨーは既出盤でも聴けた。1枚目のショパンが重要だ。仏CASCAVELLE盤にはゴーベールの指揮で1929年に録音されたショパンのヘ短調協奏曲が未収録で、復刻がない状態が続いてゐた。遂に当盤の登場で渇きを癒すこととなつた。また、1937年録音の子守歌と幻想即興曲もこれ迄良い復刻がなく、蒐集家は看過出来ない。ロンの弾くショパンは外連がなく優美で琴線に触れる。(2023.1.27)


ショパン:ピアノ協奏曲ヘ短調
フォレ:バラード
ラヴェル:ピアノ協奏曲
ミヨー/モーツァルト/ベートーヴェン
パリ音楽院管弦楽団/アンドレ・クリュイタンス(cond.)/ジョルジュ・ツィピーヌ(cond.)、他
マルグリット・ロン(p)
[EMI 7243 5 72245 2 9]

 フランスEMIによるピアニスト復刻集は大概"LES RARISSIMES"シリーズで再発売されたが、ロンは漏れて仕舞つた。戦前の録音はCASCAVELLE盤で聴けたので割愛する。即ち作曲者指揮によるミヨー、ゴーベールとのモーツァルト、ミュンシュとのベートーヴェンだ。重要なのは戦後の録音であるクリュイタンス指揮のショパンとフォレ、ツィピーヌ指揮のラヴェルだ。ラヴェルではツィピーヌの伴奏がブランコとの旧盤とは比べ物にならないくらゐ洗練されてをり瀟酒この上ない。ロンの独奏は初演者の貫禄を示すが、旧盤の方が推進力はあつた。フォレはゴーベールとの旧盤も良かつたが、音が良い当盤を採るべきだ。ショパンが決定盤とも云ふべき特別な録音だ。クリュイタンスが管弦楽伴奏を大胆に改変してゐる。単にオーケストレーションを変へただけではない、間奏部では音形も変更するなど丸で違ふ箇所もある。原典主義者からは問題視されようが輝かしい勝利だ。何よりも華やかな伴奏に乗るロンの独奏が余りにも見事なので瑣末事と感じる。特に第2楽章の美しさは絶品で、正しくこの世にふたつとない最高の演奏。この曲では第一に推す。(2015.11.23)


ショパン:ワルツ集(14曲)、24の前奏曲
ロベール・ロルタ(p)
[DOREMI DHR-7994/5]

 ロルタは忘却された奏者であるが、フランス流派の粋とも云へる香り高き名手である。ディエメ門下の逸材であつたが、第一次世界大戦に従軍した際に毒ガスを浴びて健康を害し長生き出来なかつた人である。1928年と1931年にフランス・コロムビアへの録音されたショパンを復刻した2枚組。1枚目。ロルタが目立たぬ原因は他でもない、コルトーの存在だ。あのエロスを漂はせた聴く者を籠絡する演奏の前では分が悪い。同時期に同じ曲を録音したのなら尚更だ。しかし、ロルタにはロルタの良さがある。技巧は達者とは云へないが、音楽は流麗で抒情的な詩情を常に湛へてゐる。大言壮語はなくピアノを実に美しく奏でる。ロルタの最大の特徴は弧を描くやうな歌である。力点のある音を強く長く引つ張るリズムの崩しを随所で確認することが出来る。ワルツ第3番イ短調はその好例だ。フランス訛りの洒脱なピアニズムを強く感じさせる奏者なのだ。典雅で物憂ひワルツ、瀟洒で気分屋なプレリュード、どちらも極上の逸品である。(2021.2.12)


ショパン:12のエチュード作品10、同作品25、3つの新エチュード、ピアノ・ソナタ第2番「葬送」
ロベール・ロルタ(p)
[DOREMI DHR-7994/5]

 2枚組。2枚目。エチュード計27曲は1931年、ソナタは1928年、フランス・コロムビアへの録音だ。エチュードは正直を申して芳しくない。まず技巧に不満を感じる。当時既にバックハウスの名盤が登場してゐたのだからロルタ盤は極めて不利な立場にある。だが、それよりも覇気が不足してをり音楽が面白くないのだ。勿論、ロルタの強みである抒情美を聴かせる箇所に価値はあるが、部分的に止まる。ワルツやプレリュードが素晴らしかつただけに選曲を誤つた感は否めない。ノクターンを吹き込むべきではなかつたか。ソナタは激情的で全楽章煽りに煽る。焦燥感に突き動かされた暗き焔を燃やす名演である。これはコルトー盤に比肩する名盤だ。(2021.12.12)


グスタフ・マーラー(p-r)
ピアノ・ロール全録音(1905年)
[PREISER RECORDS PR 90781]

 2010年、マーラー生誕150年記念盤として発売されたピアノ・ロールへの記録全4曲。これらは1905年にヴェルテ・ミニョン社のロールに記録された。このロールを再生した録音はこれ迄幾度も商品化されてきた。大作曲家の自作自演だといふ理由は勿論だが、聴く者に強い霊感を与へる神品といふ理由がさうさせて来たのだ。記録されたのは交響曲第5番の第1楽章、「さすらふ若人の歌」の第2楽章「朝に野辺を歩けば」、「若き日の歌」より「緑の森を楽しく歩いた」、交響曲第4番の第4楽章の4曲だ。第5交響曲は実に14分強、充実した記録である。複雑な楽曲を交響的に鳴らしてをり、1台のピアノが大交響曲を奏でてゐる様は圧巻で、ピアノの腕前も然る事乍ら、作曲家マーラーの発散する神々しさに恍然となる。他3曲は声楽パートも弾いてをり、マーラーの意図したフレージングや情趣がよく分かる。さて、このプライザー盤はロール再生の決定盤である。理由は、再生にあたつてマーラーが使用してゐた愛器ブリュートナーで再生させてゐること、豊かな残響のある会場での録音でロール再生の無機質さが緩和されてゐる2点からだ。鑑賞に何の不都合もない。啓示の多い1枚だ。(2012.4.7)


メシアン:世の終はりの為の四重奏曲
ジャン・パスキエ(vn)/アンドレ・ヴァセリエ(cl)/エティエンヌ・パスキエ(vc)
オリヴィエ・メシアン(p)
[ACCORD 461 744-2]

 1941年、ドイツの強制収容所8Aに居たメシアンは、そこで出会つた3名の音楽家の為にこの特殊な編成の四重奏曲を書いた。極限状態で行はれた初演の状況は想像を絶する。実はこの曲はヨハネ黙示録に基づいた曲であるのだが、作品が書かれた状況と作品名、そして切迫した緊張感に貫かれた楽想から、絶望的な心境を暗示して止まない。1956年に録音された当盤は特別な1枚である。ピアノが作曲者自身、チェロのパスキエは初演を共にした戦友である。そしてヴァイオリンがパスキエ兄弟で固められてゐる。これ迄沢山の優れた録音がなされてきた。だが、心持ちにおいてこの演奏を超える演奏はない。(2009.11.4)


シャブリエ:3つのロマンティックなワルツ、絵画的小曲集、5つの遺作、ハバネラ、即興曲、バレエの歌
フランシス・プーランク(p)
マルセル・メイエ(p)
[EMI 0946 384699 2 6]

 ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。1枚目。メイエの全録音中、疑ひなく一等を占めるのがこのシャブリエ作品集だ。主要作品は録音されてをり資料的な価値も高い。作曲家プーランクとの連弾による3つのロマンティックなワルツの洒脱さは今日では想像の出来ない程のエスプリに満たされてゐる。明るく豊かな色彩感に陶然となる。10曲から成る絵画的小曲集も小粋だ。この作品集は絵画藝術にも精通してゐたシャブリエの良さが最も詰まつてゐるが、メイエの演奏により一層魅力が全開だ。5つの遺作が全て録音されてゐるのも嬉しい。高雅で優美なメイエのシャブリエ録音集は万人に薦めたい名盤で、他の追随を許さない絶対的な境地にある。(2015.6.13)


シャブリエ:気紛れなブーレ、楽しい行進曲
ラヴェル:亡き王女の為のパヴァーヌ、古風なメヌエット、ハイドンの名によるメヌエット、水の戯れ、鏡、クープランの墓
マルセル・メイエ(p)
[EMI 0946 384699 2 6]

 ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。2枚目。1枚目に収録しきれなかつたシャブリエ作品2曲は文句なく決定的な名演だ。よく知られた名曲を活き活きと弾いてゐる。シェブリエほどではないが、ラヴェルとも相性が良い。パヴァーヌは淡白な演奏だ。テンポが極めて速く溜めも少ない。山場は最後だけだ。余計な感情を盛り込まないメイエの演奏はラヴェルの意図に近いと感じる。2曲のメヌエット作品は古典的な情趣と近代的な音響への研ぎ澄まされた感覚が融合した極上の名演。これらの曲の最上位に置かれるべきだ。水の戯れは明晰過ぎるので感興が殺がれる。鏡も自在さと妖艶さが欲しい。印象派傾向の作品よりも復古的な作品の方がメイエは巧い。従つてクープランの墓は素晴らしい出来だ。フォルラーヌやメヌエットの美しさは如何ばかりだらう。だが、この曲の最高峰は才気溢れるフランソワの旧録音で決まりだ。(2015.8.29)


ラヴェル:ソナティネ、高雅で感傷的なワルツ(2種)、夜のガスパール、鏡より3曲
マルセル・メイエ(p)
[EMI 0946 384699 2 6]

 ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。3枚目。メイエによるラヴェルは近代的な色彩感に満ちてゐ乍ら古典的な趣も備へた理想的な演奏である。従つて、ソナティネは最上級に位置する名演である。高雅で感傷的なワルツは2種類あり、1948年と1954年の録音が収録されてゐる。解釈の印象はどちらも変はらないが、録音の少しでも良い再録音の方が表現の幅が豊かに感じられる。再録音の方はこの曲の屈指の名演と云へるだらう。一方、狂気の世界を聴かせて欲しい夜のカスパールでは全体に大人しく、表面的な美しさに止まつた感がある。鏡は全曲録音でも同様だつたが、明晰過ぎて自在さがなく、巧い演奏ではあるが、他に幾つも素晴らしい演奏を挙げることが出来る。(2016.10.8)


ドビュッシー:喜びの島、前奏曲集第1巻、同第2巻
マルセル・メイエ(p)
[EMI 0946 384699 2 6]

 ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。4枚目。近代フランス音楽においてメイエの果たした業績は大きい。ドビュッシーの名曲でも高雅な名演を聴かせる。メイエは技巧に頼り精密な演奏を繰り広げる類ひの奏者ではなく、輪郭を暈し陰影の更なる中間までを繊細に使ひ分け、色彩の滲みを用ゐて独特の音楽を聴かせる。ドビュッシーにおいては究極の表現だと思ふが、却つて朦朧体とも云ふべき曖昧な演奏が続いて減り張りに乏しく、通して聴くと存外印象に残らない。だが、各曲ごとは大変素晴らしい演奏で、神秘的な趣は正しく女神によつて紡がれた啓示のやうだ。前奏曲第2巻が取り分け見事だ。(2017.12.20)


ドビュッシー:映像第1巻、同第2巻、仮面
クープラン:クラヴザン曲集(5曲)、他
マルセル・メイエ(p)
[EMI 0946 384699 2 6]

 ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。5枚目。1957年録音の映像第1巻と第2巻は高雅な趣の極上の名演。メイエは初演者ヴィーニェスから教へを受けてをり最も正統的な演奏家と云へる。印象の再現から入つた演奏であり、楽譜の再現を目指した演奏とは一線を画す。得も云はれぬ神秘的な音響からドビュッシーの革新的な作曲技法がひしひしと伝はる。他に1947年の旧録音が丁寧に収録されてゐる。映像第2巻から2曲、前奏曲集第2巻から3曲、映像第1巻からラモー讃歌は1947年録音と1953年の録音も漏らさず収録されてゐる。蒐集家にとつては嬉しい。残りは1953年から1954年にかけて録音されたクープランのクラヴザン曲集から5曲が収録されてゐる。実はメイエは1946年にこれら5曲を含む9曲を録音してをり再録音といふことになる。ラテン古典作品を得意としたメイエの良さが如実に発揮された名演ばかり。簡素なタッチから物悲しい気品が漂ふ。(2017.6.15)


クープラン:クラヴザン曲集(9曲)
バッハ:パルティータ第1番、同第3番、同第2番、幻想曲ハ短調BWV.906
マルセル・メイエ(p)
[EMI 0946 384699 2 6]

 ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。6枚目。クープランの9曲は1946年に録音されたメイエの傑作で、ピアノで弾かれたものでは最高のひとつだ。溢れ出る幻想的な描写力が素敵で、音楽と絵画が結婚した詩的な情景が聴き手を包み込むだらう。外連は一切なく、品格ある佇まいがえも云はれぬ感興へと誘ふのだ。メイエがレペルトワールの中心としたのがバッハ、スカルラッティ、ラモーである。メイエのバッハは謹厳な様式ではなく、フランス流儀の角が取れた流麗で抒情美が優先する演奏様式だ。パルティータの第1番の力みのない端正な表現は如何ばかりであらう。清らかで停滞のない音楽に心洗はれる。リパッティの名演と共に究極の美しさだ。第3番や第2番でも構築美ではなく、舞曲としての性格が強く、その中から内省的な祈りの音楽が聴こえてくる。幻想曲は劇的かつ求心的な演奏ではなく、詠嘆に傾いたメイエらしい演奏で印象深い。(2018.7.12)


バッハ:半音階的幻想曲とフーガ、トッカータニ短調BWV.913、イタリア協奏曲、2声のインヴェンションと3声のシンフォニア
マルセル・メイエ(p)
[EMI 0946 384699 2 6]

 ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。7枚目。メイエにとつてバッハは中核となるレペルトワールであつたが、有名な半音階的幻想曲とフーガは淡く上品な演奏なので些かも面白くない。灰汁の強い競合盤が犇いてゐるからメイエを聴く価値はない。イタリア協奏曲も締まりがなく、快活さに不足する。ニ短調のトッカータも切れが悪く、ぼやけた演奏で中間色の印象しか残らない。一方で素晴らしいのはインヴェンションとシンフォニアだ。清廉さは生かしつつ色彩の変化を聴かせ、曲ごとの性格を明らかにしていく。技巧の痕を微塵も感じさせず、音楽だけに集中させる手腕。この曲集にはグールドの名盤があつたが、構造を聴かせるグールドに対して色彩を聴かせたメイエ盤は双璧を成す。(2019.9.17)


バッハ:イギリス組曲第4番、トッカータ嬰へ短調BWV.910、同ハ短調BWV.911、同ニ長調BWV.912、幻想曲とフーガBWV.904、パルティータ第6番
マルセル・メイエ(p)
[EMI 0946 384699 2 6]

 ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。8枚目。メイエはバッハを中心的なレペルトワールに据ゑたが、中でも典雅な舞曲を得意とした。イギリス組曲の清楚で気品のある詩情は滅多に聴けない境地に達してゐる。パルティータ第6番も世俗の垢が付いてゐない清明なる演奏で、天女の音楽のやうである。だが、メイエのバッハは手放しで称賛できる訳ではない。3曲のトッカータは清らかな演奏なのだが、減り張りが乏しく、穏やかさが物足りく感じさせる。神秘的な要素が欠けるのだ。幻想曲とフーガも同様で、フーガはだらりとして仕舞ひ求心力がない。(2020.6.3)


ラモー:クラヴザン曲集第1巻、メヌエットとロンド、組曲ホ短調、組曲ニ長調、クラヴザン曲集新組曲イ短調より
マルセル・メイエ(p)
[EMI 0946 384699 2 6]

 ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。9枚目。メイエは往時数少ないバロック音楽の理解者であつた。残された録音の中で、バッハ、スカルラッティ、ラモーは一家言ある重要な遺産であつたが、前2者には他にも優れた軌跡を残した演奏家がゐた。だが、ラモーに真剣に取り組んだのはメイエくらゐであつた。シャブリエの録音と並ぶメイエの最も重要な録音なのだ。時代考証的にはチェンバロ演奏が優位だが、ピアノによる再現藝術としては別格で余人を寄せ付けない。何と云ふ気品と説得力であらうか。簡素であり、滋味溢れ、含蓄が深い。ピアノの凛とした音色によりチェンバロ演奏を超える世界を提示してゐる。有名なタンブーラン等、琴線に触れる名演の連続だ。収録時間の都合でイ短調の新組曲がCDを跨いで仕舞ふのは致し方ないか。(2020.12.12)


ラモー:クラヴザン曲集新組曲イ短調(続き)、組曲ト長調、演奏会用小品集、他
マルセル・メイエ(p)
[EMI 0946 384699 2 6]

 ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。10枚目。1953年10月29日と30日に一気呵成に纏めて録音された曲集の続きである。フランスの音楽家としてラモーに寄せた親近性を感じずにはゐられない録音である。これ迄弾き込んで来たからこそ録り直しなど必要なかつたのだらう。高雅にして瀟洒な楽曲の魅力を引き出した総決算とも云ふべき決定的名演ばかりだ。他の奏者の録音が必要ないと思はせる仕上がりだ。余白に1946年に名曲だけ抜粋して録音された11曲分の旧録音が漏れなく収録されてゐる。これらの曲全てが1953年に再録音されてゐる。(2021.7.21)


スカルラッティ:ソナタ集(K.478、K.492、K.380、K.27、K.245、K.87、K.64、K.432、K.450、K.69、K.114、K.9、K.119、K.32、K.175、K.279、K.96、K.430、K.427、K.13、K.519、K.17)
マルセル・メイエ(p)
[EMI 0946 384699 2 6]

 ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。11枚目。メイエの録音でスカルラッティは質・量ともに重要な位置を占める。往時これ程の至藝を聴かせた奏者は見当たらない。既にランドフスカによるチェンバロでの録音があつた時代、メイエはピアノによる演奏で別格の気品を示した。殊に1954年から1955年にかけて制作された計32曲から成るアルバムは集大成とも云へる極上の決定的名盤だ。サファイヤのやうな高貴な音色を紡ぐタッチで雅な観想へと誘ふ。調性を意識した曲の配列も含蓄がある。単発でスカルラッティの見事な演奏をした奏者は多いが、メイエの業績は足場の深さが一味違ふ。(2022.5.21)


スカルラッティ:ソナタ集(K.202、K.30、K.29、K.377、K.523、K.446、K.159、K.474、K.125、K.533 / K.9、K.119、K.432、K.427、K.474、K.377、K.96、K.69、K.17、K.8、K.13、K.450、K.245、K.478 / K.32、K.175、K.27、K.125、K.30、K.87)
マルセル・メイエ(p)
[EMI 0946 384699 2 6]

 ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。12枚目。1954年から1955年にかけて制作された計32曲から成るアルバムの続きはメイエの最良の遺産である。特に短調作品における寂寥感はピアノによる演奏の優位性を示した好例である。気品と詩情において尊い高みにあるのだ。アルバムA30で括られる1948年から1949年の録音14曲とアルバムA15で括られる1946年の録音から6曲は、旧録音で演目も殆ど重複する。だが、K.8には再録音がなく、K.29とK.466は旧盤にはなかつた。(2022.12.9)


ジョゼ・ヴィアナ・ダ=モッタ(p)
アルトゥール・フリードハイム(p)
[SYMPOSIUM 1343]

 リスト最晩年の高弟となつたダ=モッタとフリードハイムの録音集。ポルトガルの作曲家としても重要視されるダ=モッタのピアノの腕前は最上級で録音でも確認出来る。1928年パリでの録音で名器ガボーを使用してゐる。自作自演の3曲は非常に趣味が良く楽しめる。ショパンの英雄ポロネーズ、シューベルトのソナタ第18番のメヌエット、リスト編曲の美しき水車小屋の娘など非常に感銘深い名演ばかりだ。特にグリーンスリーヴスを使用したブゾーニ「トゥーランドットの居間」とカステッロ・ロペスとのモーツァルトのピアノ協奏曲第19番終楽章の連弾編曲は印象深い。フリードハイムは弩級のヴィルティオーゾとして名を轟かせた。1911年から1913年の録音集なので、音が古く感銘は落ちるが、完璧な技巧と壮大な解釈は存分に伝はる。ヴェーバーの無窮動、ベートーヴェンの月光ソナタ、ショパンのスケルツォ第2番、リストの鬼火、ラ・カンパネッラ、ハンガリー狂詩曲第6番など大変聴き応へがある。(2015.4.28)


ジョゼ・ヴィアナ・ダ=モッタ(p)
録音全集
ポルトガル国立交響楽団/ペドロ・フレイタス=ブランコ(cond.)
カステッロ・ロペス(p)
[Marston LAGNIAPPE]

 これは非売品である。入手するには米Marstonの会員となることが必須だ。ダ=モッタはポルトガルを代表する作曲家であるが、リスト最晩年の高弟としても名を轟かした。1928年のパテ録音9曲の全復刻は英SYMPOSIUMが行つてゐたが、流石はマーストン、更にリスト「死の舞踏」のライヴ録音が収録されてゐる。これでこそ完璧な全録音だ。演奏日は1945年1月19日で、ダ=モッタは1948年に没したから最晩年の記録となる。管弦楽伴奏なのも貴重だが、リストの作品が聴けるのは大変意義のあることだ―パテ録音には編曲が1曲あるだけだつた。音質は水準以下で管弦楽も粗いが、ダ=モッタは凄まじい気魄で、技巧は鬼神の如し。壮大な名演だ。パテ録音9曲のことは別で述べたので割愛する。(2015.12.5)


エルヴィン・ニレジハージ(p)
ライヴ録音集(1972年〜1982年)
リスト/ブラームス/スクリャービン/グリーグ
[Music&Arts CD-1202]

 ニレジハージの数奇な人生に興味を覚えない人などゐまい。演奏も破天荒で、聴いてゐて精神が崩壊しさうになる。「もしも」は虚しいが、ニレジハージがキャリアを順調に積めば、ホロヴィッツが霞んで仕舞つただらう。2枚組。1枚目。ニレジハージの演奏ではリストが絶対だ。他の作曲家には出来不出来があるが、故国を同じくすることもありニレジハージはリストの化身と申しても過言ではない。最も凄いのは再発見の契機ともなつた1973年5月6日に演奏された「2つの伝説」だ。こんなに美しい神秘的なピアノの音は聴いたことがないし、こんなに凶暴な荒れ狂ふ打鍵を聴いたことはない。常人の出せる最強音はニレジハージにとつては4割程度であり、そこから頂点までが長い。誇張ではなく、オーケストラよりもピアノ1台での表現力が超えた、それがニレジハージであり、リストの化身と云つた所以である。この「2つの伝説」はニレジハージの頂点でもある。その他の曲、「聖エリーザベトの物語」「森のざわめき」「ペトラルカ・ソネット第123番」「エステ荘の糸杉に寄せて」「ヴァレンシュタット湖畔で」もそれぞれ良い。リスト以外はブラームスの間奏曲Op.118-6、スクリャービンのピアノ・ソナタ第4番、グリーグの夜想曲で、全て感銘深い演奏だ。葛藤、憑依、慰め、とてつもない表現が聴ける。(2017.10.31)


エルヴィン・ニレジハージ(p)
ライヴ録音集(1972年〜1982年)
チャイコフスキー/ドビュッシー/ショパン/ラフマニノフ/シューベルト、他
[Music&Arts CD-1202]

 2枚組。2枚目。ニレジハージ研究家のゲヴィン・バザーナが選り抜いた名演集である。ショパンの前奏曲1曲とマズルカ3曲は、1972年のセンチュリー・クラブでの演奏記録で、先般、当盤よりも状態の良い復刻が日の目を見たので、詳細はそちらに譲らう。ショパンのノクターン第15番は1973年オールド・ファースト教会での記録で、青白く病的な演奏が印象深い。1973年のフォレスト・ヒルでの演奏記録では、チャイコフスキーのワルツ作品40-8とドビュッシー「パゴタ」「レントより遅く」が聴ける。恐ろしく透き通る突き抜けたタッチはニレジハージだけの神業で天使と悪魔の表現を併せ持つのが凄みだ。最晩年には本邦で歓迎され、来日演奏記録が残る。チャイコフスキーのロマンス、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第2楽章を独奏用に編曲したもの、シューベルト「さすらひ人」「野ばら」の編曲だ。諦観がずしりと伝はるラフマニノフが強く感銘に残る。どれもリストの演奏に比べると遜色はあるが、ニレジハージの類例のないピアニズムには衝撃を受けるに違ひない。余白に1936年に録音された連邦音楽事業を音源とするサウンド・トラックで、マフファーソン「見捨てられた庭」から「夜明け前」が収録されてゐる。これは生計を立てる為に引き受けた仕事の記録であり、何とも物悲しい気分に誘はれる記録なのだ。(2018.3.24)


エルヴィン・ニレジハージ(p)
1972年12月17日センチュリー・クラブでの演奏会
ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番
リスト/ショパン/ドビュッシー
[Sonetto Classics SONCLA002]

 本邦の愛好家がニレジハージの再評価を問ふ復活ライヴ音源の発売に乗り出した。全3巻が予定されてゐるさうで続巻が待たれる。第1巻2枚組は1972年12月17日に開催されたカリフォルニアのセンチュリー・クラブでの演奏会だ。演目はブラームスの第3ソナタから始まるが、破壊的な最強音の打鍵は地鳴りがするやうだ。全曲に45分以上かけてゐるが、破綻せずに重厚な音楽にしてゐるのには驚く。とは云へ、テンポが異様に遅い下手物だといふことは否定できまい。ニレジハージは矢張り生来のリスト弾きで、巡礼の年から「エステ荘の糸杉に寄せてT:哀歌」「エステ荘の噴水」「牧歌」「タランテラ」「ヴァレンシュタットの湖で」と5曲が披露されるが、何れも目覚ましい名演で澄み渡る美音の洪水だ。「メフィスト・ワルツ第1番」は流石に高齢故の技巧的な綻びがあるが豪放な名演である。ショパンは異常な演奏ばかりで面食らふ。プレリュード1曲とマズルカ3曲で、有り得ないほど遅いテンポの為に違ふ曲に聴こえる。プレリュードは特にリズムが変妙であつた。ドビュッシー「塔」が神秘的な美しさで琴線に触れる。ブラームスの間奏曲も玄妙で良い。アンコールはリスト「森の囁き」で聴衆を魅了する。(2020.9.18)


エルヴィン・ニレジハージ(p)
オペラ・パラフレーズ
[VAI VAIA/IPA 1003]

 数少ない正規セッション録音で、晩年の1978年3月にサンフランシスコで行はれた。音質的にもニレジハージの録音では最良で、マーストンによる極上のリマスタリングで個性的なピアニズムを鑑賞出来る。さて、この録音は全くと云つてよいほど注目されてゐない。再発見された老ニレジハージが飽きられてきた時期の録音でもあり、演目も得意としたリストではなく自由に編曲されたオペラ・パラフレーズで、一般的な興味を惹かなかつたのだらう。だが、大変興味深い録音だ。ニレジハージは奏者としてよりも作曲家としての才能があり、生涯で数へ切れぬ楽想を残したが、出版に至つたものは殆どなく認知されてゐない。このオペラ編曲はさうした創作活動の片鱗を窺はせる記録として聴ける。ヴァーグナーの「リエンツィ」と「ローエングリン」を綯交ぜにした編曲は見事だ。神秘的な弱音の演奏も美しい。ヴェルディからは3曲あり、「仮面舞踏会」は2つのアリアで緩急を描き分け、「オテロ」ではイヤーゴのアリアから途中「パリアッチ」の楽想を混ぜるなど大胆だ。「トロヴァトーレ」はミゼレーレからの編曲だが、禁断のノン・ペダルと強大な打鍵から生まれる音響は唯一無二だ。チャイコフスキー「オネーギン」はレンスキーのアリアで組み立てる。レオンカヴァッロ「パリアッチ」も表情豊かだ。単なる編曲ではなく異なる楽想を混入させた交響的なピアニズムの演奏にニレジハージならではの個性がある。(2021.2.27)


ウラディミル・ド・パッハマン(p)
ショパン/メンデルスゾーン/シューマン/リスト
[ARBITER 141]

 神秘的なピアニストとして現在でも崇拝者の絶へないパッハマンであるが、復刻には恵まれてゐない―そもそも電気以前の録音が殆どなので、物理的に音が貧しいことを覚悟する必要がある。名声に惹かれて不用意に聴くと幻滅するかもしれない。米Arbiterのパッハマン復刻はこれが2枚目であるが、ノイズを残した独自のものであり、好嫌ひが別れるだらう。しかし、当盤にはあらえびすが名文をもつて絶賛した「葬送行進曲」の貴重な復刻が含まれてをり、愛好者は蒐集しておくべきだ。中間部の儚い旋律が繰り返される都度、霊感に誘はれて深淵なディミュヌエンドとリタルダンドがかかり、最後は最早この世のものではない神秘の世界となる。ノクターンの不健康なピアニッシモ、儚いプレリュードの余情、哀愁塗り込められたマズルカなどがパッハマン伝説を実証する。5曲の未発表録音を含むことでも貴重な1枚。(2005.7.19)


ウラディミル・ド・パッハマン(p)
録音全集
ショパン/ラフ/メンデルスゾーン/リスト/ゴドフスキー
[Marston 54003-2]

 奇人パッハマンの待望された録音全集4枚組。1枚目。まずは復刻が少なかつたG&T録音、1907年の9曲と1909年6月の4曲が重要だ。ショパン”minute waltz”の自由な装飾はパッハマンだけの魔術である。ノクターンの青白い詩情、儚いプレリュードの残り香など、浮遊するタッチの絶妙な軽やかさに驚かされる。殆どの曲で楽譜にはない何かしらの音が加はつてをり―時には終結音の後に入れることもある―自由奔放、泰然自若の極みだ。後半は1911年から1912年にかけてキャムデン/ヴィクター録音から14曲分が収録されてゐる。最も気になるのはゴドフスキーが左手用に編曲した革命のエチュードで、同時代のピアニストが残した記録としても面白い。あらゑびすが絶讃した有名な葬送行進曲の神がかつた美しさは絶品である。プレリュード第24番の最後を力なく終はるのもパッハマンだけだらう。マズルカ、即興曲、エチュード、どれも独創的な感覚で弾かれ、予測出来ないところにパッハマンの良さがある。太古の録音だがマーストンの復刻で鑑賞にも耐へ得る。(2020.3.30)


ウラディミル・ド・パッハマン(p)
録音全集
ショパン/リスト/メンデルスゾーン/シューマン/ラフ
[Marston 54003-2]

 奇人パッハマンの待望された録音全集4枚組。2枚目。1911年から1912年にかけて録音されたキャムデンでのヴィクター録音だが、ショパン作品全8曲が未発表録音-何故かバラード第3番の後半のみ発売された-といふ貴重盤である。パッハマンのレパートリーは極端に狭く、ショパン以外の作品はほぼ同じ曲を繰り返し録音してゐる。リスト「マズルカ・ブリランテ」「リゴレット・パラフレーズ」、メンデルスゾーンの無言歌より「ヴェネツィアの舟歌第2」「紡ぎ歌」「春の歌」、シューマン「預言の鳥」、ラフ「糸を紡ぐ女」で、完熟しきつた名演揃ひだ。戦中の1915年と1916年に英國コロムビアへの録音は非常に感興が乗つてをり、ヴィクター録音よりも出来が良い。(2020.9.6)


ウラディミル・ド・パッハマン(p)
録音全集
ショパン/シューマン/リスト/ブラームス/ラフ/メンデルスゾーン
[Marston 54003-2]

 奇人パッハマンの待望された録音全集4枚組。3枚目。前半が1915年から1916年の英國コロムビア録音、後半が戦後の1923年から1924年のヴィクター録音だ。演目はショパン以外では、シューマン「気紛れ」「ノヴェレッテ第1番」「預言の鳥」、リスト「愛の夢第3番」「ポロネーズ第2番」「リゴレット・パラフレーズ」、ラフ「糸を紡ぐ女」、メンデルスゾーン「春の歌」、そして唯一の演目となるブラームスのカプリッチョOp.76-5は大変珍しい。未発売だつた「雨だれ」のプレリュードやシューマンのノヴェレッテの別テイクも丁寧に収録してゐる。ショパンではソナタ第3番第2楽章やエコセーズは重複がないので重要だ。どの演奏も自由気儘に弾くので、唯一無二の美しい瞬間もあるし、型崩れが気になる瞬間もある。それがパッハマンだ。(2022.1.3)


ウラディミル・ド・パッハマン(p)
録音全集
ショパン/メンデルスゾーン
[Marston 54003-2]

 奇人パッハマンの待望された録音全集4枚組。4枚目。パッパマン最後の録音群となるグラモフォンへの録音である。1925年から1927年の初期電気録音で、飛躍的に実在感のある音で伝説のピアニストを鑑賞することが出来る。演目は何とショパン以外は1曲のみ、メンデルスゾーンの前奏曲ホ短調作品35-1だけだ。さて、これらの録音の復刻は豊富にあつた。何と云つても演奏中にお喋りして仕舞ふといふので大変有名だからだ。”minute waltz”は同日に2テイクあるが、全く違つた前口上と解釈で弾くといふ藝当を聴かせる。手前勝手に装飾や後奏を付けるなど普通の演奏はひとつもなく、自由奔放さに磨きが掛かりパッハマンを聴く醍醐味が極まつてゐる。「黒鍵」のエチュードなどは編曲と云つてよい。余白にヴェルテ=ミニョンのロール再生が2曲収録されてゐる。ヘンゼルト「ゴンドラ」の編曲と「バダジェフスカの乙女の祈りによる即興演奏」で、特に後者が奇才振りを楽しめる逸品である。(2022.8.27)


イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(p)
ヨーロッパ録音全集(1911〜12年)
[APR 6006]

 英APRは多くの未発表録音を発掘し、愛好家を驚喜させてきたが、パデレフスキの最初期録音の復刻ほど有難いものはない。これを聴いたことのない人はパデレフスキを知らないと云つてよい。第一次世界大戦前のピアニストと云へばパデレフスキが第一等であつた。断然としてである。しかし、録音で聴くパデレフスキには疑問符が付きまとつてきた。否、一般的に聴かれるのはポーランド首相を経て音楽界に復帰した後の録音であり、伝説は既に過去となつてゐたことを知つておく必要がある。パデレフスキは1911年7月にスイスで、1912年2月にパリで、1912年6月と7月にロンドンで録音を残してゐる。これらは幻の音源として語られてゐたもので、当盤にはそれら全てが復刻されてゐる。しかも、お蔵入りになつた初出音源も多数含んでゐるのだから、狂喜乱舞せずにをれようか。伝説は本物であつた。忌憚なく云へば、斯くも情熱的な音楽をピアノから発した奏者はゐない。独特の熱つぽい雰囲気を発散してをり、聴く者を魔術にかける。感情に訴へかける音楽が最上だとしたら、パデレフスキこそ世界第一のピアニストである。2枚組の1枚目は大半が未発売もしくは初出音源で、ショパンが10曲、自作が3曲、メンデルスゾーンが2曲、リストが2曲、ストヨフスキ、シューマン、ドビュッシーが1曲収録されてゐる。爆発するリズム、神秘的な和音、官能的な溜め、洒落たルバート、英雄的なクレッシェンド、土俗的な踊り、愛の告白、表現は無限で技巧は全霊を込めて注がれてゐる。偉大なりパデレフスキ。世界を惚れさせた伝説がここに隠されてゐた。(2011.9.18)


イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(p)
ヨーロッパ録音全集(1912年)
[APR 6006]

 2枚組。2枚目。未発表及び初出音源は1曲だけだが、これまで聴く機会の少なかつた伝説的な録音ばかりであるのに違ひはない。特に再録音のある演目は復刻されることがなかつただらうから貴重だ。ショパンが9曲、リストが4曲、シューマンが3曲、ストヨフスキ、メンデルスゾーン、ルビンシテイン、自作が1曲である。最高傑作はシューマン「幻想小曲集」からの3曲で、特に2曲目「飛翔」は絶対的な名演だ。激しいタッチから情熱が爆発し、絶妙なリズムの崩しは取り憑かれたやうな焦燥感を醸す。パデレフスキ以上の演奏は断じてない。ショパンのエチュードが全て素晴らしい。革命のエチュードがこれほど情熱的に演奏されたことは稀だ。細部の誤摩化しを指摘するのは何と心ない耳だらう。当然だが自作自演はどれも見事である。メヌエットばかりが有名だが、幻想的クラコヴィアクの壮大な音響世界は感銘深い。繰り返して云ふが、パデレフスキのアコースティック録音はなべてのピアノ録音に冠たるものだ。弾き出すと独特の神秘的な空気感が立ち籠める。音楽に命を吹き込んだその息吹とでも云ほうか。比べれば他のピアニストの演奏など精巧な造花に過ぎないのだ。(2011.10.30)


イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(p)
ヴィクター録音全集(1914〜22年)
[APR 7505]

 米國でのヴィクター録音全集5枚組。APRは遂にパデレフスキの録音を悉く復刻して仕舞つた。快挙である。これらヴィクター録音こそはパデレフスキの最も流布され聴かれてきた録音である。1枚目。当代随一の実力と人気を誇つたパデレフスキは1913年より米國に居を構へ、ヴィクター赤盤アーティストとしてドル箱に成る予定であつた。しかし、折しも第一次世界大戦が勃発し運命が狂つた。1914年に僅か3曲だけ、クープラン「戯けた女」「シテールの鐘」とシューマン「何故に」を残して1917年まで録音がない。1917年にショパン5曲と自作自演2曲を残したが、戦前の欧州録音とは比べものにならない凡庸な演奏であつた。そして、周知の如く、知名度と愛国心でポーランド首相兼外相として祖国の為に八面六臂の活躍を果たし、1922年にやつと政界を引退した。その年の録音からショパン3曲、自作自演1曲、リストのハンガリー狂詩曲2曲が収録されてゐる。これらは喝采をもつて向かひ入れられたが、戦前録音の奇蹟のやうな魔法が解けて仕舞つたのも事実なのだ。(2020.10.12)


イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(p)
ヴィクター録音全集(1922〜1924年)
[APR 7505]

 米國でのヴィクター録音全集5枚組。2枚目。1922年から1924年までのアコースティック録音である。ショパンが多く、エチュードとマズルカを様々吹き込んでゐる。マズルカがどれも情緒豊かで素晴らしいが、エチュードはどれも閃きがなく大したことはない。残念乍らパデレフスキの全盛期はとうに過ぎてをり、難度の高い技巧を伴ふ曲では平板な表現しか行へてゐない。かつては聴き手を翻弄するほどの魔力があつたのに無残である。葬送行進曲や乙女の願ひなども特別な面白みはない。他では自作自演が多く、幻想的クラコヴィアクが2種、メロディー、メヌエットと楽しめる。リストではさまよへるオランダ人の紡ぎ歌が往時の覇気を感じさせる名演だ。2種類あるメンデルスゾーンの紡ぎ歌も良い。最も印象的なのはドビュッシーの水の反映で、全盛期で聴けた空気感を醸し出してをり、ぐいと引き込まれる。(2021.7.3)


イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(p)
ヴィクター録音全集(1926〜1927年)
[APR 7505]

 米國でのヴィクター録音全集5枚組。3枚目。ここから電気録音になりパデレフスキの藝術が鮮明に聴き取れるやうになる。演奏家として復帰後すぐは低調であつたが、この頃には演奏内容も本調子を取り戻してをり魅力的だ。神秘的な雰囲気たつぷりのシェリング「ラグゼの夜想曲」は名品と云へよう。自作のメヌエットも情熱的でこれ迄の録音の中で最も良い。ストヨフスキ「愛の歌」「小川のほとりにて」も情愛深く聴かせる。他は名曲集で、ショパン「雨だれ」「別れの曲」、リスト「ラ・カンパネッラ」、ベートーヴェン「月光ソナタ」第1楽章などだが、パデレフスキでなくてもといつた程度だ。ドビュッシー「水の反映」は本流の演奏ではないが、醸し出す雰囲気に惹き込まれる。流石だ。(2022.5.3)


イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(p)
ヴィクター録音全集(1927〜1930年)
[APR 7505]

 米國でのヴィクター録音全集5枚組。4枚目。恐慌前の録音はルビンシテイン「ヴァルツ・カプリース」とシューマンの夜想曲Op.23-4を除いて全てショパンで、「別れの曲」「雨だれ」「革命」「葬送行進曲」などを吹き込んでゐる。この頃から技巧の衰へが感じられ、タッチが粗暴になりつつあるが、パデレフスキだけの予感めいた雰囲気の表出は健在で、神秘的で思はせ振りな音楽は無二だ。恐慌後の1930年の録音ではドビュッシーが重要だ。本流の演奏ではないが、独自の印象主義的な空気感に引き込まれる。ラフマニノフの嬰ハ短調と嬰ト短調の前奏曲が畳み掛けるやうな情熱的な演奏で見事。狂ほしい「トリスタンとイゾルデ」第1幕前奏曲も魅せる。(2022.11.18)


イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(p)
HMV録音(1937〜38年)
[APR 5636]

 英APRはパデレフスキの最初期ヨーロッパ録音を復刻して愛好家を歓喜させた。一方、これはパデレフスキの最期の録音、1937年と1938年に行はれたHMV録音を集成した1枚だ。パデレフスキの主要な録音はアメリカで行はれたヴィクター録音にあり、このHMV録音は全く問題にされない。仕方あるまい、この時パデレフスキは78歳、演奏家としては現役ではない。演目はベートーヴェン「月光ソナタ」の他、ハイドンの変奏曲、モーツァルトのロンド、シューベルトの楽興の時、ショパンのノクターン2曲、ワルツ、マズルカ、ポロネーズ、リスト編曲ヴァーグナー「イゾルデの愛の死」、自作自演でメヌエットとメロディーだ。自作のメヌエットに良さがあるが、他はタッチも弱々しく、弾き間違ひも多い。何よりも覇気がなく、どんな音楽を弾いてゐるのかもよくわからない。英雄ポロネーズは無惨この上ない。かつての伝説を知る者として寂しい限りだ。だが、よいのだ。これは偉大なピアニストの形見である。翌年ポーランドがナチスに侵攻され大戦が勃発、祖国救済の為に立ち上がり舞台に復帰、途上の1941年に鍵盤の英雄は大往生した。偉人であつた。(2013.3.17)


エメ=マリー・ロジェ=ミクロス(p)
マリー・パンテ(p)
ヨウラ・ギュラー(p)
[Tahra TAH 653-654]

 仏Tahraが復刻したフランス女流ピアニスト録音集2枚組。1枚目にはロジェ=ミクロス、パンテ、ギュラーの録音が収録されてゐる。ロジェ=ミクロスは1905年頃のフォノティピア録音8曲が復刻されてゐる。録音は貧しいが、流石はTahraで復刻は大変上質である。演奏は軽快で輪郭がはっきりしてをり、随所に趣味の良いカデンツを聴かせて呉れる。優れた技巧の持ち主であることは、メンデルスゾーン「スケルツォ」での宝石のやうに硬質に輝くタッチの美しさから窺へる。何よりも跳ねるリズムの活きの良さが特徴で、ホフマンを思ひ出させる。ゴダールのマズルカやショパンのワルツ2曲も名演だ。パンテが素晴らしい。1934年と1936年のコロムビア録音4曲で、極上の名演はショパンのノクターン第20番嬰ハ短調だ。感傷を注ぎ込んだ浪漫的な演奏で、涙を誘ふ魔力を秘めてゐる。偽作扱ひのモーツァルト「田園変奏曲」の華麗な演奏も魅力的だ。ギュラーはデュクレテ=トムソン録音よりショパンのマズルカ11曲が収録されてゐる。後にTahraからノクターン5曲も復刻されたが、一緒に復刻すべきであつた。DORONレーベルが纏めて復刻して呉れたので、2枚に跨がるTahra盤は箔を失つた。演奏については別項で述べたので割愛する。(2012.8.21)


戦前の録音集成第3巻(1929〜42年)
シューベルト(タウジヒ編曲):アンダンテと変奏曲、ショパン:24の前奏曲、フランク:前奏曲、コラールとフーガ
エゴン・ペトリ(p)
[APR 7027]

 ブゾーニの高弟ペトリは虚飾を排し理知的で散文的な演奏をするピアニストである。その為か、詩的で装飾的なショパン作品の録音が少ない人だが、前奏曲だけは当盤の他にライヴでも録音も残してゐるから、重要な演目であつたと思はれる。しかし、予想通り夢も幻想もなく興醒めだ。乾いたタッチは個性的だが、コルトーの情緒豊かな演奏に手向かへるやうなものではない。フランクはバッハを得意としたペトリならではの格調高い演奏であるが、コルトー盤やフランソワ盤を超える程ではない。シューベルトが深い詠嘆をさり気なく紡いだ名演である。(2005.6.4)


戦前の録音集成第3巻(1929〜42年)
グルック:メロディー、バッハ(ブゾーニ編):コラール・プレリュード(4曲)、ブゾーニ:ファンタジア、ソナティナ第3番、同第6番、エレジー第2番、他
エゴン・ペトリ(p)
[APR 7027]

 ブゾーニの高弟ペトリの真価を伝へる神聖な1枚。ブゾーニの最大の功績はピアノ・トランスクリプションで、バッハへの回帰による新たなる藝術創造―新古典主義―の一翼を担つたことだ。しかし、他の作曲家が形だけの模倣に終始したのに対し、ブゾーニは信仰心にも似た内面探求を行つた。神々しいバッハの録音を残したブゾーニの衣鉢を継ぎ、ペトリのバッハもまた偉大な記録である。清明なタッチ、禁欲的なペダリング、暗く沈思する趣は、フィッシャーやリパッティの演奏と並び称されよう。当盤に収録された8曲のブゾーニの作品でペトリ以上の演奏を望むことは不遜な考へだ。ブゾーニの作品はバッハ、モーツァルト、ビゼーなどの引用からなる作品が多いのが特徴だが、敬虔なバッハのコラールが殊勝なファンタジアと、華麗な技巧が鮮やかな「カルメン」からなるソナティナが極上の名演だ。(2005.6.28)


ショパン:24の前奏曲
ブゾーニ:インディアン日誌、イタリアに!、常動曲、対位法的幻想曲
カルロ・ブゾッティ(p)
エゴン・ペトリ(p)
[Music&Arts CD-772]

 4枚組。1枚目。ブゾーニの高弟ペトリの録音は名声に比べて少なく、この4枚のライヴ録音集は量と質において逸してはならないものだ。特に1959年に残されたブゾーニの4曲は神品と云へよう。「インディアン日誌」の冒頭から余人には到達出来ない貫禄が漂ひ、溢れる敬愛の念に胸打たれる。「イタリアに!」も陽気な生命に充ちた名演。正規録音がない「常動曲」は技巧が充実した逸品。大曲「対位法的幻想曲」はブゾッティとの共演による2台のピアノ版での演奏で、後半はバッハ音形による大フーガとなり壮大な大伽藍となる。尋常ならざる熱の入つた演奏で、これに心動かぬ者は音楽とは無縁と諦めるがよい。付録にブゾーニについて語つた肉声も収録されてゐる。1957年の記録であるショパンの前奏曲集はどういふ訳か第21番と第22番が欠落してゐる。ペトリには正規全曲録音があるが、当盤の演奏と印象は然程違はない。幻想の閃きには乏しいが、明暗の描き分けが見事である。(2006.3.31)


メットネル:妖精物語
シューマン:幻想小曲集
バッハ:コラール
ショパン/モーツァルト/リスト、他
エゴン・ペトリ(p)
[Music&Arts CD-772]

 4枚組。2枚目。1957年から1960年にかけての演奏会記録を集めたもの。最も感銘深いのがブゾーニやペトリ自身が編曲した4曲のバッハで、温かい人間味のある歌が紡がれるコラールには音楽の喜びが詰まつてゐる。メットネルの3曲は情熱的で重厚なロマンティシズムが素晴らしく、ペトリの特に優れた名演として推奨出来る。シューマンはひ弱な感傷をきっぱりと避けた健全で精力的な好もしい演奏だが、正統な解釈とは異なるので愛好家以外には価値はないだらう。ブゾーニが独奏用に編曲したモーツァルトのジュノーム協奏曲のアンダンテには一種特別な真摯さがあり、バッハを聴くやうな大変厳格な演奏で深い哀しみが胸を打つ。リスト編曲のシューベルト「ます」が生気に満ち溢れ間然する所がない名演だ。ショパンのノクターンは淡々としてをり面白くない。(2006.5.8)


ハイドン:変奏曲
グルック:精霊の踊り、ガヴォット
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第27番
シューベルト:アンダンテと変奏曲
ショパン:ピアノ・ソナタ第3番、他
エゴン・ペトリ(p)
[Music&Arts CD-772]

 4枚組。3枚目。趣味の良い選曲はペトリの音楽性の高さをそれとなく示してくれる。ハイドンの小ディヴェルティメント風ソナタである変奏曲が絶品で、物哀しい情趣と気品ある昂揚にペトリの偉大さを感得する。グルックの「精霊の踊り」は音そのものが哀しく、ピアノで弾かれた演奏では極上だらう。ガヴォットもフリードマンの名演に次ぐ佳演と云へる。ベートーヴェン作品には意外にも余り良い演奏のないペトリだが、この第27番は出色の出来だ。全体が渋い諦観に包まれ、ディミュヌエンドの儚い妙味が美しい。しかし、芯の強いベートーヴェンを好む方には骨のない演奏に聴こえるだらう。シューベルトにはセッション録音があり出来は甲乙付け難いが、何れも悲哀を連綿と紡ぐ名演だ。ショパンのソナタは高貴なタッチと清廉なペダリングによる美しい名演だが、特別な位置を占める魔力を備へた演奏ではない。(2006.7.5)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番、同第31番、同第32番
リスト:ヴェネツィアとナポリ
ショパン:ポロネーズ第6番
エゴン・ペトリ(p)
[Music&Arts CD-772]

 4枚組。4枚目。ペトリが弾くベートーヴェンは往々にして力瘤のある演奏ではなく、昂揚に欠け、何処か散漫な印象を否めない。だが、後期3大ソナタでは神韻縹渺とした表情がそこはかとないロマンティシズムを滲ませ、一種独特な名演を成し遂げてゐる。声高にがなり立てず、深刻振つた瞑想にも陥らない。時に音楽が弛緩することもあるが、抒情的な美しさが補つてゐる。霊感に導かれたシュナーベル盤には及ばないが、繊細な詩情がペトリの藝格の高さを示す。第30番が特に素晴らしい。第31番のフーガの清廉な美しさ―バッハのやうな―も特筆したい。リストは極上の名演で、ペトリの遺産の中でも特上品に属する。作品が楽器の性能を追求したものであればあるほどペトリは巧さを発揮する。多くの奏者は技巧に溺れて音楽を見失ふが、ペトリは作品から驚くべき美しさと情熱を引き出し、高貴な感情を湛へた音楽として聴かせる。ショパンは凡庸な演奏だ。(2006.8.13)


サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ第1番、チェロ・ソナタ第1番、同第2番より第2楽章と第3楽章
フィリップ:黒い白鳥
アンドレ・パスカル(vn)
ポール・バズレール(vc)
イシドール・フィリップ(p)
[Pearl GEMM CD 9174]

 風変はりなディスクだ。ピアニストのフィリップに焦点を当てた1枚だが、楽曲はヴァイオリン及びチェロの為のソナタであり、主役ではない。だが、録音を聴けばすぐにピアノを聴くべきディスクだといふことに気付くだらう。特にニ短調ヴァイオリン・ソナタでは顕著で、パスカルは健闘してゐるが求心力がない。大ピアニストのサン=サーンスだけにピアノ・パートの充実振りが生半可ではない。こんなにも魅力的な音楽だつたのかと驚く。それにしてもフィリップが目立ち過ぎてゐる。この曲の決定盤はハイフェッツの旧録音で何人も超えられないが、ハイフェッツ盤ではピアノ・パートの面白さは聴こえてこなかつたので、当盤にも価値を見出せよう。チェロ・ソナタは2曲とも余り聴かれない秘曲だ。第1番ハ短調は情熱的な名作で、バスレールが見事な演奏をしてをり名盤だらう。より名曲である第2番へ長調が残念なことに第2楽章と第3楽章だけ―4楽章制である―の抜粋録音だ。第3楽章のロマンツァが美しいだけに惜しい。演奏は実に素晴らしい。余白に自作自演となる黒い白鳥が収録されてゐる。瀟酒な逸品だ。(2015.8.24)


フランシス・プランテ(p)
録音全集(1928年)
[Marston LAGNIAPPE]

 これは非売品である。入手するには米Marstonの会員となることが必須だ。プランテの復刻は他にもあり、近年では米Arbiterからも発売されたが、矢張りSP蒐集家マーストン氏による復刻は一味違ふ。音の芯が確りしてをり、聴き比べれば他盤との差は歴然である。プランテはショパン存命中の1839年に生まれ、幼少から天賦の才を発揮した伝説上のピアニストであり、正しく歴史の生き証人である。プランテは20世紀初頭には既に引退してゐたが、録音は電気録音導入後の1928年に奇蹟的に残された。音質は申し分ない。90歳頃の録音だが、何といふ矍鑠たる演奏だらう。流石に老齢故、叩き付けるやうなタッチや豪快な弾き間違ひがあるのはご愛嬌だ。ボッケリーニのメヌエット、メンデルスゾーンのスケルツォや4曲の無言歌、7曲のショパンのエチュードで聴かれる一種特別な解釈は麻薬のやうに聴き手を痺れさす。特にシューマンにおける熱に浮かされたやうな激情は唯事ではない。老人の我が儘で羽茶滅茶な演奏には度肝を抜かれるが、火を噴くやうな激しい生命力が宿つてをり圧倒される。拍節に楔のやうに打ち込まれる打鍵は尋常ではなく、特に左手の単純な伴奏で発揮される豪快な鳴らし振りは天晴だ。(2008.5.19)


フランシス・プランテ(p)
カミーユ・サン=サーンス(p)
ルイ・ディエメ(p)
イシドール・フィリップ(p)&マルセル・エルンシュミト(p)
ラザール・レヴィ(p)
リカルド・ヴィーニェス(p)
[ARBITER 150]

 米Arbiterによる巨匠プランテの全復刻と伝説的なフランスのピアニストたちのanthology。プランテの全録音についてはMarstonによる決定的な復刻盤の記事で述べた。復刻の素晴らしさではMarston盤の圧勝であるが、商品として入手出来るのはArbiter盤しかないので重宝されるだらう。当盤の価値は余白に収録された伝説の巨人たちの記録にある。とは云へ、サン=サーンス、ディエメ、非売品だがヴィーニェスの全復刻がMarstonより出てをり、厳密にはフィリップによる連弾1曲とレヴィの3曲だけが重要といふことになる。特にフィリップによるサン=サーンス「スケルツォ」が諧謔に富んだ名演だ。レヴィではシャブリエの2曲が秀逸。(2008.7.30)


プーランク:牝鹿(2曲)、ノヴェレット(2曲)、オーバード、カプリース、夜想曲(3曲)、歌の調べ(4曲)、3つの無窮動、三重奏曲、即興曲(4曲)、動物詩集(6曲)
フランシス・プーランク(p)
[Pearl GEMM CD 9311]

 プーランクの自作自演集で、全てコロムビアへの録音。技巧は達者だが、腕前を本業のピアニストと比較しては意地が悪い。プーランクが奏でるピアノには味がある。感傷のない殆ど御巫山戯のやうな音楽には、洒脱で軽妙な自作自演のやうに、まるで酩酊状態にある脱力感こそがしっくりくるのだ。最高の名演はコンセール・ストララムをストララムが指揮したオーバードだ。戦前のフランスが誇る最高の名楽団であり、各奏者の技量の高さには驚かされる。クロアザの歌を伴奏した「動物詩集」は極めつけの名盤。ペイニョの歌を伴奏した「歌の調べ」も瀟酒だ。オーボエとバソンとの三重奏はエスプリの利いた名曲で、聴き応へがある。独奏では有名な「牝鹿」「無窮動」が底抜けに愉快だ。プーランクの能天気さに呆れ、憂さが晴れること必定だ。(2008.6.16)


プーランク:仮面舞踏会、エレジー、フルート・ソナタ、三重奏曲
ピエール・ベルナック(Br)/リュシアン・テヴェ(Cor)/ジャン=ピエール・ランパル(Fl)/ピエール・ピエルロ(Ob)/モーリス・アラール(Bn)
フランシス・プーランク(p)
[ACCORD 465 799-2]

 プーランクのピアノの腕前は大したもので、自作自演録音は決定的とも云へる域に達してゐる。当盤はプーランクが弾くピアノを中心に1957年から1959年にかけて録音された極上の名演集である。ピアノを伴ふカンタータ「仮面舞踏会」は盟友ベルナックとの共演。指揮はルイ・フレモーだ。6曲よりなる軽妙洒脱な作品。終曲の最後、裏声による狂気と紙一重のお巫山戯など滅法楽しい。名手デニス・ブレインの訃報を契機に書かれたエレジーでは、フレンチ・ホルン―コルの絶対的な奏者テヴェの神業が聴ける。ヴィブラート奏法の奥義ここに極まれり。若き日のランパルによるソナタも絶品だ。官能的な愉悦に充ちた第3楽章は特に見事。ピアノ、オーボエ、バソンの三重奏曲はプーランクにとつて2度目の録音になるが、オーボエがフランスの巨匠ピエルロ、バソンが第一人者アラールと、これ以上はない取り合はせだ。プーランクのピアノが無上に愉快で、音楽が活気づいてゐる。全曲、決定的名演といふ宝物のやうな1枚だ。(2011.2.24)


サティ:ピアノ作品集
ピエール・ベルタン(語り)
ジャック・フェヴリエ(p)
フランシス・プーランク(p)
[ACCORD 462 301-2]

 サティを精神的な支柱としたフランス六人組のひとりに数へられる作曲家プーランクはピアノが達者であり、自作自演の録音も沢山残した。そのプーランクが弾いたサティは極上の名盤として知られてゐる。脱力した奏法―nonchalantとも云へよう―から漂ふ軽妙洒脱な雰囲気は正しくベル・エポックの香りである。プーランクは自己の持つ感傷的な音楽と楽観的な音楽をサティに投影してゐる。表情や印象を重視し、自由気侭に弾くことで、サティの核心に迫る。収録曲は「天国の英雄的な門」への前奏曲、ジムノペディ第1番、サラバンド第2番、グノシェンヌ第3番、最後から2番目の思想、自動記述法、太つた木製人形のスケッチとからかひ、遺作の前奏曲、盟友フェヴリエとの4手演奏で風変はりな美女、馬の装具で、不愉快な概要、梨の形の3つの小品だ。愛好家なら絶対に聴いておきたい名演ばかり。余白にベルタンの語りでサティのテキスト、警句、毒舌の録音が収録されてゐる。(2010.3.23)


プーランク:3つの小品、セレナード、オーバード
シューマン:幻想小曲集
ドビュッシー:チェロ・ソナタ
ストラヴィンスキー:イタリア組曲
ピエール・フルニエ(vc)、他
フランシス・プーランク(p)
[TWILIGHT MUSIC TWI CD AS 06 30]

 1953年3月、イタリア放送RAIに残された放送録音で、トリノでのフルニエとプーランクの共演録音と、ナポリでのプーランク自作自演の2種類に大別出来る。フルニエとプーランクの録音ではドビュッシーとストラヴィンスキーが仏Tahraからも出てをり、そちらで述べたので割愛するが、瀟洒なドビュッシーは決定的名演である。さて、Tahra盤には収録されてゐなかつたシューマンとプーランク作品が貴重だ。全盛期のフルニエが奏でるシューマンの詩情は病的なまでに美しく、余人を寄せ付けない高次元の名演だ。これも決定的名演と太鼓判を押さう。プーランクのセレナードも勿論素晴らしい。プーランクの独奏で自作自演「3つの小品」は資料的価値も高いが、感興豊かな極上の名演である。カラッチオーロの指揮の下、プーランクがピアノで参加したオーバードも洒脱な名演。愛好家必携の充実した1枚だ。(2016.6.2)


セルゲイ・プロコフィエフ(p)
1937年1月16日ニューヨークでのリサイタル録音、他
[St-Laurent Studio YS782401-2]

 初出音源を含むプロコフィエフ自作自演集2枚組。蒐集家は見逃せない。1枚目は高名な西欧での録音で、1932年、ロンドンにおけるHMV録音、コッポラ指揮のピアノ協奏曲第3番と、1935年、パリにおけるディスク・グラモフォン録音で小品集だ。これらは古くは英Pearl、近年ではNaxos Historicalからあつた復刻と全く同じである。当盤の復刻は針音が無駄に大きく、そのくせ音の実像に劇的な改善が見られない為、これまでのオバート=ソンによる名復刻を上回るものではない。従つて、重要なのは2枚目だ。1938年の「ロメオとジュリエット」第2組曲を指揮した録音は、仏Danteから復刻があつたが、入手困難だつたので歓迎されよう。さて、世界初出となる1937年のニューヨーク・ライヴが最重要だ。演目は1935年のパリ録音にもあつたピアノ・ソナタ第4番のアンダンテ、練習曲Op.52-3、「悪魔的暗示」、「束の間の幻影」から8曲―第7番のみセッション録音にはなかつた初演目―だが、プロコフィエフの語りの後に演奏される「子供の音楽」から第10番・第11番・第12番は完全に初演目で貴重だ。出来栄えだが、ライヴ録音での感興はあるものの、セッション録音での確固たる仕上がりの方を採る。(2019.3.8)


ラウル・プーニョ(p)
公刊録音全集(1903年)
マリア・ゲイ(S)
[OPAL CD 9836]

 1903年に行はれたと思はれるプーニョの録音は、レコード黎明期に成された最も偉大なピアノの録音である。丁寧な復刻で針音も適度だから聴き易い方だが、録音の拙さは相当覚悟しなくてはならない。音の歪みが凄まじく残響音が異常であり、喩へるならピアノなのにヴィブラートがかかつてゐると云へばお分かり頂けるだらう。処が録音状態に耳が慣れる前に演奏の余りの素晴らしさに魂を抜かれて仕舞ふ。幻想的なルバートの藝格、青白いピアニッシモの深淵さ、火花散るリズムの生彩、鮮やかな技巧。斯様なピアニストが存在し、録音を残してゐたことに感謝の念を押さへ切れない。一部で別格扱ひされるパッハマンが問題にならないくらいプーニョの演奏は神々しい。ルバートとディミュヌエンドが一体となつた弱音の美しさは玩具のやうな録音からでも聴き取れる。全ての録音が感銘深いが、ヘンデルのガヴォットと変奏曲、ショパンの夜想曲、即興曲、葬送行進曲、メンデルスゾーンのスケルツォあたりが絶品だ。当時カルメン歌ひとして名を馳せたゲイの伴奏を行つた3曲も収録。(2005.4.8)


クロード・ドビュッシー(p)/全録音(4曲)
ラウル・プーニョ(p)/全録音(18曲)
ルイ・ディエメ(p)/独奏全録音(7曲)
メアリー・ガーデン(S)、他
[Marston 52054-2]

 マーストン復刻による録音産業の黎明期に為されたピアノ録音復刻2枚組。2枚目。ドビュッシー、プーニョ、ディエメの演奏が聴ける。ドビュッシーの自作自演は誠に貴重だ。「ペレアスとメリザンド」が成功した直後の録音であり、立役者ガーデンの伴奏を務めてゐる。曲目は「ペレアスとメリザンド」から1曲、「忘れられたアリエッタ」から3曲―グリーンは特に名唱―だ。20世紀初頭最大のピアニストであつたプーニョの全録音の復刻はOPALからも出てゐた。当時の録音技術では瞬発的に鳴り減退して仕舞ふピアノの録音は難しく、沢山音を拾ほうとしてマイクを近づけると打撃音が強過ぎ音像が歪んで仕舞ふ。プーニョの録音は歪みが非道いのだが、マーストンの復刻は芯を残し揺れを抑へた職人藝だ。これは状態の良いSP盤の蒐集と補正技術の妙によるマーストンの真価が最大限発揮された愛好家必携のCDなのだ。コンセールヴァトワールの重鎮ディエメの独奏録音全集は待望の復刻だ。メンデルスゾーン「紡ぎ歌」、ショパン「ノクターン」、ゴダール「半音階的ワルツ」と自作自演2曲―2曲とも再録音をしてゐる―の計7トラックだ。気宇壮大なピアニズムが楽しめるが、情緒に欠ける嫌ひがあり、名声を確かめるには心許ない。(2010.4.7)


セルゲイ・ラフマニノフ(p-r)
アムピコ社ピアノ・ロール再生
[TELARC CD-80489]

 ロシア革命を逃れて渡米した作曲家ラフマニノフは糊口を凌ぐ為、コンサート・ピアニストを副業とした。自作以外のレパートリーを詰め込み活動を始めるや、驚異的な才能に同業者らも平伏す事態となつた。要望を受けて録音も行つたが、電気録音による技術革新がある迄は否定的な立場であり、1929年迄はピアノ・ロールへの記録を平行して行つた。数社あるロールの中でラフマニノフはアムピコ社の再生技術を激賞し、録音よりも上位に置いてゐたのだ。当盤は1996年にTELARCが最新技術によつてラフマニノフのロールを最上の状態で再生するといふ企画で非常に話題になつた1枚である。演目は自作自演の他、ラフマニノフによる編曲作品で構成されてゐる。何と自作自演ではエレジー作品3-1、音の絵作品39-4の2曲は録音では残されてゐなく、このロールへの記録しかない。編曲では好評を博した「星条旗よ永遠なれ」がロールのみで聴ける。鮮明な音でラフマニノフの演奏を体験出来る名盤だ。(2021.8.24)


セルゲイ・ラフマニノフ(p-r)
アムピコ社ピアノ・ロール再生
[TELARC CD-80491]

 1999年に発売されたTELARCによるラフマニノフのピアノ・ロール再生の第2弾で、自作自演以外を集成した愛好家必携の1枚だ。ベーゼンドルファー290SEを使用した再生と、優秀録音でラフマニノフの演奏が鮮明に再現されるのだ。得意としたロシア音楽や、作曲家の余技としての編曲作品などで充実した演奏を楽しめる。殊更技巧をひけらかすことなく、大いなるスノビズムをもつてフレーズを崩した悠然たる姿勢も興味深い。16曲が収録されてゐるが、録音では残されなかつた演目が3つもある。ルビンシテインの舟歌第5番、ショパンのノクターン第4番とスケルツォ第2番だ。中でも名作スケルツォ第2番は値千金、演奏も素晴らしく、改めてラフマニノフの凄みを感じることが出来るだらう。(2022.7.12)


ラフマニノフ:交響的舞曲
ニューヨーク・フィル
ディミトリ・ミトロプーロス(cond.)
セルゲイ・ラフマニノフ(p)
[Marston 53022-2]

 またまた米Mastonから驚天動地のリリースがあつた。ラフマニノフ自身による交響的舞曲を試奏した私的録音の登場だ。交響的舞曲はラフマニノフ最後の作品である。亡命後は作曲家としての活動は捗々しくなく、僅か6作品しか生み出してゐない。1940年、突如として創作の霊感に捉はれ、交響的舞曲は誕生した。まずは2台のピアノでスケッチが完成し、作曲者とホロヴィッツによつて私的に演奏された。次いでオーケストレーションが完成。共演機会も多く信頼絶大であつたオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団に初演を依頼。1941年1月に初演されたが、この録音は直前の1940年12月20日に行はれ、オーマンディ宅のライブラリーに残つてゐたものだ。初演に先立ち、オーマンディに演奏解釈の示唆を与へた資料に違ひない。ラフマニノフが適宜指示を語り乍ら演奏してゐる。3枚組の1枚目は試奏の重複を取り除いて曲になるやうに編集しなおしたもので、断片ではあるが27分も聴ける。ラフマニノフの演奏記録が登場しただけでも興奮に値する。抱き合はせは管弦楽による演奏で、初出となる1942年12月20日のミトロプーロスとニューヨーク・フィルによる実況録音。噎せ返るやうな第1楽章の妖艶な弦楽器の歌、第3楽章の終盤の激しい追ひ込み、ミトロプーロスの真価が発揮された極上の名演だ。(2018.11.6)


ラフマニノフ:死の島、交響曲第3番、3つのロシア民謡、他
ユージン・オーマンディ(cond.)/ディミトリ・ミトロプーロス(cond.)/レオポルド・ストコフスキー(cond.)、他
セルゲイ・ラフマニノフ(p)
[Marston 53022-2]

 ラフマニノフ歴史的音源集3枚組。2枚目。ラフマニノフの演奏は1926年にナジェジュダ・プレヴィツカヤの伴奏をした歌曲"Belilisti rumyanisti,vy moi [Powder and Paint] "のみで、他は当時の米國を代表する指揮者らの録音だ。まず、1943年4月2日、ラフマニノフの死後5日にオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団による「死の島」が聴ける。オーマンディの弔辞アナウンス付きだ。波打つようなロマンティシズムと厳しく深い抉りが素晴らしい。交響曲は1941年、ミトロプーロスとニューヨーク・フィルによる鮮烈な名演。穏健な作曲者自作自演とは異なり、強い対比が効いた極彩色の演奏だ。それだけに甘い旋律が慰めるやうに沁みる。1966年にストコフスキーがアメリカ交響楽団を振つた3つのロシア民謡が収録されてゐる。この作品の3曲目が、ラフマニノフが録音した歌曲を主題にしてゐるのだ。演奏は豪華絢爛で素晴らしい。この3枚組は数少ない渡米後の作品番号41、43、44、45が聴けるといふ好企画盤なのだ。(2020.5.10)


ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲、交響的舞曲、他
BBC交響楽団/サー・エイドリアン・ボールト(cond.)、他
ベンノ・モイセイヴィッチ(p)
セルゲイ・ラフマニノフ(p)
[Marston 53022-2]

 ラフマニノフ歴史的音源集3枚組。3枚目。1枚目にも収録されてゐたラフマニノフ自身による交響的舞曲の試奏を編集なしの状態で聴ける。1枚目は曲になるやう並び変へて繋ぎ合はせた編集版だが、この3枚目はラフマニノフが弾いたままの無修正版だ。全く同じ音源だが、1枚目は未使用部分があつて27分なのに対し、3枚目は32分と長いが観賞向きではない。他にも、猛烈に音が悪いが、大変貴重な初出音源が収録されてゐる。ラフマニノフのライヴ録音は全く残されてゐないと考へられてゐたが、1931年のベル・テレフォンに残されたフィラデルフィアでの演奏記録が発掘された。ブラームスのバラードとリストのバラード第2番がほんの数分だけ聴ける。また、死の前年の1942年、自宅でと思しき私的録音で、妻ナターリヤとの連弾で「イタリアのポルカ」―1938年の録音とは別物―とロシア民謡ブブリチキを友人たちが歌ひ、ラフマニノフがピアノで伴奏したものも聴ける。これらは資料的な価値しかないが貴重この上ないのだ。従つて、最も聴き応へがあるのが、モイセイヴィッチによる狂詩曲だ。1946年の放送録音でボールトの伴奏も良い。モイセイヴィッチの3種目となる録音だが、感興が乗つてをり自在な表現が聴ける。特に第18変奏の入りの気取つた崩しは清楚な演奏が殆どの中で強烈な個性を放つ。(2019.11.5)


エドゥアルト・リスラー(p)
パテ録音(1917年)
[Marston LAGNIAPPE]

 これは非売品である。入手するには米Marstonの会員となることが必須だ。リスラーの復刻は英シンポジウムからも出てゐた。ディエメとダルベーアの薫陶を受けたリスラーはベートーヴェンもショパンも弾く達人であつた。コルトーと並ぶ大物でありながら、電気録音が始まつた頃に死んで仕舞つたので、貧しい録音しか残らない伝説的なピアニストである。マーストンの極上の復刻でその真価を鑑賞出来ることに感謝したい。残された遺産はラモーが2曲、ダカン、クープラン、ベートーヴェンが3曲、ヴェーバー、メンデルスゾーン、ショパンが4曲、リスト、ゴダール、シャブリエ、サン=サーンス、グラナドスと、実に手広い。全てが気品のある格式高い演奏ばかりで、高貴なタッチと玄妙なペダリングから生まれる音楽は詩的衝動と生命力に溢れてゐる。古典音楽での凛然とした佇まい、ドイツ・ロマン派音楽での馥郁たる香りを漂はせた詩情と慧眼に充ちたカデンツの作用、硬派なショパン、恰幅の大きいリスト、近代フランス音楽での華麗な音色とエスプリ、何れも心憎い。中でもベートーヴェンに感銘を受けた。ソナタでの湧き上がる情熱も素晴らしいが、管弦楽パートも編曲して弾いた第4協奏曲第2楽章は深い思索と儚い憧憬が聴こえてくる絶品である。(2010.9.26)


ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
シカゴ交響楽団/フリッツ・ライナー(cond.)
アルトゥール・ルービンシュタイン(p)
[RCA 88697911362]

 コンプリート・アルバム・コレクション142枚組。ルービンシュタインは一般的には第一にショパン弾きだと認知されてゐるだらう。だが、私見では最も重要なレパートリーは男性的な重厚さが反映されたブラームスであると思ふ。録音の分量もショパンに匹敵する。特にこのニ短調協奏曲はルービンシュタインの全録音の中でも至高のひとつだ。ライナーとシカゴ交響楽団による全力の伴奏が凄い。冒頭から保持される低音の鳴りに圧倒される。リヴィング・ステレオの輝かしい勝利だ。ピアノが入る迄の前奏部分でこれを超える演奏は一寸考へられない。最後まで独奏と管弦楽が一歩も引かず迫力ある応酬をする。同時に色気のあるロマンが重厚に流れ、作曲家の想ひに迫つてゐる。内容ではバックハウスの最古の録音が最高だと信じてゐるが、録音状態を考へると当盤を第一にしたい。(2015.1.12)


ショパン:ピアノ協奏曲ホ短調、同ヘ短調
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(cond.)/アルフレッド・ウォーレンスタイン(cond.)、他
アルトゥール・ルービンシュタイン(p)
[RCA LIVING STEREO 88697720602]

 RCAリヴィング・ステレオ60枚組より。名うてのショパン弾きルービンシュタインの代表的名盤。ホ短調協奏曲はスクロヴァチェフスキ指揮、ロンドン新交響楽団の伴奏で、管弦楽の演奏が素晴らしいので有名な録音だ。勿論ルービンシュタインも良く、音色の美しさには頭が下がる。ただ、ポーランド人同士の共感溢れる演奏であることには違ひないが、全体として無難な演奏に終始してをり面白くない。万人に薦められる演奏かも知れぬが、感動は保証出来ない。ウォーレンスタイン指揮、シンフォニー・オブ・ジ・エアの伴奏によるヘ短調協奏曲も同様で、記憶に刻まれるやうな演奏ではない。ルービンシュタインのショパンは華麗で美しいのだが、大味で命を賭して伝へたいといつた気魄は感じられない。それが弱みだ。(2015.3.6)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番
シューベルト:即興曲変ト長調、同変イ長調
RCAヴィクター交響楽団/アルフレッド・ウォーレンスタイン(cond.)
アルトゥール・ルービンシュタイン(p)
[RCA 88697911362]

 コンプリート・アルバム・コレクション142枚組。モーツァルトはルービンシュタインのレパートリーとは云へなかつたが、ピアノ協奏曲は幾つか録音をしてゐる。第20番、第21番、第23番、第24番と有名曲がある中で、第17番を選曲したことは注目だ。甘く角の取れたタッチによるロマンティックで脂味のある大味な演奏なのだが、ルービンシュタインの愛情が感じられる。安定感と自信があり流れも良い。ウォーレンスタインの指揮もモーツァルトを殊更意識することなく流麗に歌はせる。総じて旧派の保守的な解釈と云へるが、予定調和で安心して聴ける。深みはないが、仕上がりは良く、名盤である。余白にシューベルトの即興曲D899の3曲目と4曲目が収録されてゐる。ロマンティックな演奏で悪くはないが、特別な価値はない。(2016.9.23)


ヴァルター・ルンメル(p)
バッハ/リスト/ブラームス/ショパン/ルンメル
レジーナ・マッコーネル(S)/チャールズ・ティンベル(p)
[Dante HPC027]

 1928年から1943年の録音選集である。ルンメルはドイツのピアニストだがドビュッシー作品の初演に関はるなどフランスでの活動が目立つた。タッチが色彩豊かで、抒情的な作品で良さを発揮した。バッハの編曲が2曲聴けるが、清楚なピアニズムに心打たれるであらう。平均律第1巻からのロ短調曲も詫びた名演だ。リストの愛の夢第3番も色気を聴かせるのではなく、抒情的な美しさが印象的だ。当盤の白眉はリスト「アルカデルトのアヴェ・マリア」とブラームスのワルツ第15番である。余韻嫋々たる耽美的な演奏にルンメルの最上の魅力が詰まつてゐる。一転、ショパンのワルツ5曲とマズルカ2曲は全く良くない。ぎこちない演奏で舞曲の醍醐味が失はれてゐる。美しいタッチに拘泥はる余りに間合ひの悪い演奏になつて仕舞つた。さて、余白にルンメルが作曲した歌曲7曲の世界初録音が収録されてゐる。1995年の録音でマッコーネルとティンベルによる演奏だが、一般的な興味からは遠い。他にもルンメルの録音はあるのでそれらを収録して欲しかつた。(2021.5.3)


エドヴァルド・グリーグ(p)/全録音(9曲)
カミーユ・サン=サーンス(p)/全録音(16曲)
ジュール・マスネ(p)/全録音(1曲)
[Marston 52054-2]

 録音産業の黎明期、大作曲家たちがピアノで自作自演の記録を残した。価値は計り知れない。名復刻技師マーストンによる伝説的なピアノ録音の復刻は、録音の古さを超え、単なる記録ではなく鑑賞も出来る音質になつてゐる。2枚組の1枚目。グリーグ、サン=サーンス、マスネの演奏が聴ける。グリーグの録音は1903年にG&Tへ残された9曲で、ピアノ・ソナタからの2楽章を含む。淡い詩情を漂はせた演奏ばかりで、グリーグ作品の原風景を現代に伝へる貴重な記録だ。サン=サーンスの録音が重要だ。1904年にG&Tに録音された5曲の独奏と、メゾ・ソプラノのHéglonの伴奏をした4曲、及び1919年と20年にグラモフォンに録音された4曲の独奏と、Willaumeのヴァイオリンに伴奏を付けた3曲―「ノアの洪水」やハバネラが聴ける―である。偉大なオルガニストであり随一のピアニストであつたサン=サーンスの力量は確かで、協奏曲第2番の一部、オーヴェルニュ狂詩曲、幻想曲「アフリカ」、フランス軍隊行進曲における絢爛たる技巧には驚愕の念を禁じ得ない。強靭で輝かしい演奏の感銘は桁違ひだ。これらの曲の最高の演奏であることを断言しよう。1903年のG&T録音であるマスネの自作自演は相当貴重だ。ソプラノのルブランが歌ふ「サッフォー」に伴奏を付けてゐる。(2010.1.29)


ヴァシリー・サペルニコフ(p)/全録音(1924年〜1927年)
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、他
[APR 6016]

 ピアニストの復刻では他の追随を許さない英APRならではの稀少価値のある2枚組。サペルニコフの全録音―英エオリアン・ヴォカリオンへの吹き込みで、チャイコフスキーの協奏曲の世界初録音といふ重要大曲録音もある。サペルニコフはチャイコフスキーの愛人であり、欧州楽旅を共にし、ピアノ協奏曲を披露して回つた。作曲者の指揮でお墨付きを得た男の録音が聴けるのだから値千金だ。とは云へ、電気録音初期の記録で音質に限界があり、スタンリー・チャップル指揮エオリアン管弦楽団の拙い伴奏で感興が殺がれ、グランド・マナーで悠然と弾くサペルニコフの録音は記録といふ価値しかない。チャイコフスキーでは他に「ユモレスク」が聴ける。これが感銘深い名演で、語り口が見事だ。ロシア音楽は同様に憂ひを帯びた旋律美の表現が巧みで聴き応へがある。演目はグリンカ「ひばり」、バラキレフのマズルカ第4番、ルビンシテイン「スタッカート練習曲」、リャードフ「音楽の玉手箱」だ。サペルニコフが大ピアニストであることはドイツ音楽の演奏を聴くと諒解出来る。演目はヴェーバー「舞踏への勧誘」、メンデルスゾーンのスケルツォ、シューマン「夢のもつれ」「春の夜」、ヴァーグナー「紡ぎ歌」「入場行進曲」、ブラームス「ハンガリー舞曲第6番」で、同時代に残された録音と比しても貫禄の点で抜きん出てをり、覇気のある技巧、推進力のあるリズム感、気品を失はない凜としたタッチが素晴らしい。(2018.6.30)


ヴァシリー・サペルニコフ(p)/全録音(1924年〜1927年)
クサヴァー・シャルヴェンカ/全録音(1910年〜1913年)
[APR 6016]

 ピアニストの復刻では他の追随を許さない英APRならではの稀少価値のある2枚組。2枚目。サペルニコフの英ヴォカリオンへの録音全集の続きと、シャルヴェンカの米コロムビアへの録音全集だ。サペルニコフの収録曲はショパンのワルツ第1番、子守歌、エチュード2曲、リスト編曲アリャビエフ「夜鳴き鶯」、リストの即興ワルツ、森のささやき、小人の踊り、ハンガリー狂詩曲の第12番と第13番、自作自演のワルツOp.1、ガヴォットOp.4-2、ポルカ=メヌエットOp.6-2だ。演奏は確かな技巧と優美な表情が特徴で、グランド・マナーを伝へる非常に卓越したピアニズムが聴ける。激することはなく音を犠牲にするやうな演奏ではない。ロシアの憂愁が美しい詩情となり格調高い音楽を奏でる一方で、生命力と推進力は失はない。絶妙な気品漂うリストはどれも絶品だ。自作自演が極めて重要で、曲良し、演奏良しだ。ポーランドの大物ピアニストであるシェルヴェンカの全7曲は気宇壮大な名演の連続だ。男性的な覇気が漲り、細部に拘泥せず技巧が唸り、嵐を呼ぶやうな演奏だ。演目はヴェーバー「舞踏への勧誘」、メンデルスゾーンのロンド・カプリチオーソ、ショパンのワルツ第2番と幻想即興曲、リストの愛の夢第3番、自作自演「スペインのセレナードOp.63-1」「ポーランドの踊りOp.3-1」だ。どの曲も繊細さや情感の豊かさは薄いが、溢れ返る情熱が圧倒的なのだ。パデレフスキにも比せられよう。自作自演も見事。コンポーザー=ピアニストの伝統を確認出来る愛好家垂涎の1枚だ。(2018.12.4)


イレーヌ・シャーラー(p)
HMV録音(1925年〜1929年)
コロムビア録音(1929年〜1933年)
[APR 6010]

 英APRによる英國の名教師トバイアス・マッセイ門下のピアニスト復刻シリーズ。シャーラーの電気録音全集と機械録音からの選集2枚組。シャーラーは録音が少ないのだが、通ならばマッセイ門下ではシャーラーこそが別格であることを認知してゐるだらう。レパートリーは極めて保守的で凡庸、技巧も特筆すべきことはない。だが、一聴すれば解る、独特の魅惑的な空気を持つてゐる。パデレフスキにも共通する生まれ持つた音楽家としての天分であらう。1枚目。収録曲はパーセル3曲、パラディス「トッカータ」、スカルラッティのソナタ3曲、バッハ「主よ人の望みの喜びよ」、ボイス「ガヴォット」、モーツァルトのソナタ第5番、メンデルスゾーンの紡ぎの歌とアンダンテとロンド・カプリチオーソ、ショパンのエチュード3曲、ワルツ、即興曲第1番、幻想即興曲が2種類、リストのハンガリー狂詩曲第12番とリゴレット・パラフレーズ、シンディング「春の囁き」、ドビュッシーのアラベスク第2番だ。パーセル、スカルラッティ、バッハなどの清楚な美しさ、ロココ調のモーツァルト、爽やかな詩情が美しいメンデルスゾーン、サロン風を貫いたショパン、華麗さを追求したリスト、香り立つやうなシンディングやドビュッシー、非の打ち所のない名演の連続だ。特にメンデルスゾーンとリストは素晴らしい。(2016.7.7)


イレーヌ・シャーラー(p)
コロムビア録音(1930年〜1933年)
HMV録音(1912年〜1924年)
[APR 6010]

 英APRによる英國の名教師トバイアス・マッセイ門下のピアニスト復刻シリーズ。シャーラーの電気録音全集と機械録音からの選集2枚組。2枚目。コロムビア録音の続きで、ショパンのエチュード作品25から5曲と、3つの新エチュードより第1番と第2番、スケルツォ第2番、電気録音で唯一の管弦楽伴奏録音であるリトルフの交響的協奏曲第4番のスケルツォである―ヘンリー・ウッド指揮ロンドン交響楽団の伴奏。エチュードが極上の名演の連続。特に「木枯らし」と「大洋」は壮大な感情が波打つ絶品。残りはアコースティック録音からの選集で、完全な全集でないのが残念だ。注目はランドン・ロナルド指揮の管弦楽伴奏でリスト「ハンガリー民謡の主題による幻想曲」とサン=サーンスのピアノ協奏曲第2番の短縮録音が聴けることだ。情熱的で鮮烈な演奏は取り澄ました他の女流奏者とは一線を画す。品格あるスカルラッティやバッハ、情感豊かなショパンとシューマン、爽やかなドビュッシー、洒脱なスコットやゴッドハルトの小品など、幅広いピアニズムを堪能出来る。尚、ブックレットの巻末には収録されなかつたアコースティック録音19曲が掲載してある。1曲を除いて全て再録音があり、演目としては不足はないさうだ。ただ、1曲のみ、リスト「愛の夢第3番」が復刻不能で幻の演目となつて仕舞つたことが記載されてゐる。(2017.3.13)


ブランシュ・セルヴァ(p)
全録音(1929年〜1930年)
バッハ/ベートーヴェン/フランク/ド=セヴラック/ガレーダ
ホワン・マッシア(vn)
[SOLSTICE SOCD 351/2]

 ひょっくりとお宝が復刻された。セルヴァの全録音だ。これ迄は仏Malibranが出した1枚が愛好家垂涎の逸品であつたが、フランクのヴァイオリン・ソナタとガレーダ「サルダーニャ」が含まれてをらず、2枚組の全集でなかつたことが惜しまれたものだ。それがやうやく仏SOLSTICEから理想的な状態で発売されたのだ。持つてをらぬは潜りであると心得よ。セルヴァはダンディの弟子で近代フランスやスペインの音楽の発展に多大な貢献をした。特にド=セヴラックの紹介は重要である。残念なことに1930年に故障によつて演奏活動が不能となり、残された録音はこれが全てなのだ。演目はバッハ「パルティータ第1番」、フランク「前奏曲・コラールとフーガ」、ド=セヴラックの4曲、ガレーダ、2枚目がデュオを組んだマッシアとのバッハのBWV.1023から第2楽章、ベートーヴェン「スプリング・ソナタ」とフランクのソナタである。セルヴァのピアノは純度が高く高貴で世俗の垢がない。バッハ、ベートーヴェン、フランクといふ選曲からも求道者振りが窺へる。演奏はどれも神品。ド=セヴラックの録音は特別な意味を持つ。マッシアも今日では絶滅した一種特別な奏者で、なよなよして繊細、デュボアやクーレンカンプに通じる高雅な音楽で聴かせるが、小粒であることは否めない。(2019.3.17)


ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番、同第2番、3つの幻想的な舞曲、24の前奏曲とフーガより5曲
フランス国立管弦楽団
アンドレ・クリュイタンス(cond.)
ドミトリー・ショスタコーヴィチ(p)
[EMI 7243 5 62648 2 3]

 不滅の名盤とも云ふべき録音。ショスタコーヴィチの自作自演の中でも最も条件が揃つたもので、協奏曲は最高の名演のひとつだ。ソヴィエトでの録音もあつたが録音状態が悪く、何よりも管弦楽の拙さが致命的であつた。当盤は作曲者のピアノこそ幾分大人しいとは云え、管弦楽の伴奏が極上でこれ以上を求めべくもない。第1番の難所がこれ程美しく鳴つたことはなく、トランペット独奏も見事。第2番第1楽章がかくも昂揚しながら汚くならないのは驚異的ですらある。クリュイタンスは作曲者の信任篤く、これらの録音と同じ月に作曲家立ち会ひの下で交響曲第11番を録音してゐるくらゐだ。余白に収められた独奏曲も素晴らしく、前奏曲とフーガ第24番ニ短調の深い思索は唯事ではない。古典から前衛までの様式を詰め込んだピアノ作品は弦楽四重奏曲以上にショスタコーヴィチの内面を聴かせる。(2007.7.2)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第1番、同第3番、同第32番
ソロモン・カットナー(p)
[TESTAMENT SBT 1188]

 全集録音を完成させることは相成らなかつたが、ソロモンのベートーヴェン・ピアノ・ソナタ録音は最高のひとつだ。特に素晴らしい名演が揃つてゐるのがこの1枚だ。第1番はシュナーベルと共に決定的な名演だ。簡素な出だしにピアニストの真価が試される。最初の番号を与へられた曲は野心的なヘ短調で書かれてゐる。焦燥感溢れる曲想を掘り下げたのはシュナーベル以外にはソロモンだけだ。全楽章を通じて疾走する情熱が見事で、録音状態を鑑みれば第一に推したい。明朗かつ交響的な広がりを持つ第3番も楽曲を把握する知性と確かな技巧が結晶した極上の名演で、昂揚においてもバックハウスの旧録音を凌ぐ。最後のソナタは威厳のある演奏で、第2楽章は幾分堅苦しいが実に深い。この曲にはシュナーベルを始めとする名演が沢山あるのでソロモンを贔屓にはしないが、屈指の名演であることを述べたい。(2009.12.3)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第7番、同第8番「悲愴」、同第13番、同第14番「月光」
ソロモン・カットナー(p)
[TESTAMENT SBT 1189]

 全集録音でないのが痛恨だが、ソロモンによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ集を決して見落としてはいけない。ソロモンは恐らく最も遅いテンポで深く神秘的な月光ソナタの第1楽章を奏でた。この楽章を聴くだけでも価値がある。全体としては、細部での外連味がないのに気宇壮大な盛り上げがあるのがソロモンの特徴で、真性のベートーヴェン弾きなのだ。月光ソナタと共に幻想曲風ソナタとして作曲された変ホ長調ソナタも荘厳な演奏で、この曲の屈指の名演だ。初期ソナタ群の最高傑作、第7番は通常の軽やかな演奏とは異なり、大理石のやうな音色で格調高く演奏されてゐる。重要な第2楽章の諦観にソロモンの凄みが出るのは当然だが、泣き節が足りないので感銘が然程ないのに恨みがある。悲愴ソナタは劇的な要素に力点が置かれてないので面白みに欠ける。(2010.10.30)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番、同第18番、同第21番、同第22番
ソロモン・カットナー(p)
[TESTAMENT SBT 1190]

 ソロモンが残したベートーヴェンのソナタ集は全集録音とはならなかつたが、屈指の名演が揃つてゐる。ソロモンのピアノは荘厳で神秘的な響きを奏でる。従つて軽妙な楽曲の第18番では座りが悪い。「テンペスト」の冒頭における神韻とした表現は感動的だが、第3楽章の浪漫的な曲想では何処か物足りないのも事実だ。バックハウスに比肩する確かな技巧を持つていたソロモンによる中期ソナタ群は何れも素晴らしい出来だ。しかし、劇的な盛り上げが足りないので、崩れがあつても寧ろシュナーベルやケンプの録音に良さを覚える。当盤に収録された4曲はソロモンの最上の演奏ではないが、極めて高い水準の名演であることに違ひはない。(2008.4.7)


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番「熱情」、同第28番、同第30番、同第31番
ソロモン・カットナー(p)
[TESTAMENT SBT 1192]

 ソロモンはベートーヴェンのピアノ・ソナタの全曲録音を果たせなかつた。こんな些細なことで著名度が下がるなら、とても残念なことだ。ソロモンの特徴は、確かな技巧と音色の神秘的な美しさにある。浪漫的な感情の発露には乏しく、生真面目で格調高い演奏をする。だから、ベートーヴェンの作品―特に深刻な曲では大層立派な演奏をした。「熱情ソナタ」で満足が得られる演奏は多くないと思ふが、このソロモンの演奏は知情意の均衡がとれた優れたものだ。それ以上に、第31番の「嘆きの歌」が印象深い名演だ。(2004.7.31)


プーランク:オーバード、ピアノ協奏曲、2台のピアノの為の協奏曲
ジョルジュ・プレートル(cond.)、他
ベルナール・ランジュサン(p)
ガブリエル・タッキーノ(p)
[EMI CLASSICS 0945 336145 2 9]

 プーランク弾きの達人タッキーノの名盤。私淑するマエストロの推薦があり手にした。オーバードとピアノ協奏曲が極上の名演だ。オーバードにおける躍動的なピアノは比類がない。精鋭揃ひの管楽器も見事で至福のひと時を約束してくれる。協奏曲の演奏は第1楽章が幾分特色が薄いが、第2楽章の中間部から景気付いて憂ひのない陽気な音楽が爆発する。何よりもエスプリの神髄を極めたプレートルの伴奏が最高だ。第3楽章で聴かせる洒脱な躊躇ひも素晴らしい。名曲2台のピアノの為の協奏曲は残念ながら感興が劣る。堅実な演奏だが、面白みに欠ける。羽目を外した酔狂さが欲しい。(2007.4.16)


ラヴェル:クープランの墓、水の戯れ
フォレ:夜想曲第4番、即興曲第2番
モーツァルト:幻想曲二短調、ピアノ・ソナタ第17番、他
マドレーヌ・ド・ヴァルマレット(p)
[ARBITER 144]

 名教師として知られ100歳といふ長寿を全うしたヴァルマレットの至宝級の1枚。録音は3種類に分類される。1928年のポリドールへのSP録音、1961年の初出となるフォレの夜想曲第4番と即興曲第2番、最晩年で同じく初出となる1992年のモーツァルトの幻想曲とソナタ第17番の録音だ。SP録音では世界初録音であつたクープランの墓が大変有名だ。音は貧しいが水際立つた感性と技巧が聴ける。鬼気迫るフランソワの旧盤があるとは云へ、香り立つヴァルマレットの古典的な名盤は永く語り継ぎたい。その他では、可憐で哀愁が美しいリスト編曲のアリャービエフ「夜鳴き鶯」が印象深い。リストのハンガリー狂詩曲第11番、ドビュッシー「花火」、ファリャ「火祭りの踊り」なども素敵だが、音の古さを超えてまで推奨するほどの内容ではない。音質に問題のないフォレが絶品だ。繊細で枯れた味はひが美しく、寂寥感が唯事ではない。それ以上にモーツァルトの清明さは如何ばかりだらう。老境に達したヴァルマレットは賢明にも技巧の簡素なモーツァルト作品で音楽の核だけを聴かせて呉れる。若々しい流暢な演奏ではない。つい置き去りにしがちな音楽に隠された宝玉を拾ひ出して示して呉れる神々しい演奏だ。ヴァルマレットの高貴な音楽性は古典的な作品において比類のない高みに達してゐる。(2012.11.15)


マドレーヌ・ド・ヴァルマレット(p)
アニュエル・ブンダヴォエ(p)
[Tahra TAH 653-654]

 仏Tahraが復刻したフランス女流ピアニスト録音集2枚組。2枚目にはヴァルマレットとブンダヴォエが収録されてゐる。これが素晴らしい。ヴァルマレットは教育者として高名だが録音が少ない。有名なのは「クープランの墓」などの近代フランス音楽の録音だが、本当に素晴らしいのは当盤に収録されたラテン古典音楽の演奏だ。全て録音年不詳だが、デュフリのクラヴザン曲集より1曲、スカルラッティのソナタ3曲、クープランのクラヴザン曲集より6曲を演奏してゐる。格調高い典雅なタッチで、ピアノからかくも高貴な音色を響かせたのはリパッティなど僅かの奏者だけだ。デュフリとクープランは神品と絶讃したく、時にたゆたふテンポも素敵だ。スカルラッティは技巧的で壮麗な趣だ。しかし、印象が派手になり過ぎないやうに細心の注意が払はれてをり品格がある。ブンダヴォエの録音が弩級だ。全て1950年代中葉の録音だ。ブゾーニ編曲のバッハ「シャコンヌ」は絶対的な名盤として語られてきたが、太鼓判を押さう。感情の起伏が壮大で、劇的なピアニズムに感銘を受けぬ者はゐないだらう。技巧、迫力も凄いが、音楽の頂点までまっしぐらに突進する感性の虜となるのだ。次いでリストのスペイン狂詩曲が良い。白熱の名演だ。メフィスト・ワルツ第1番は幾分印象が劣るがこれも名演だ。ふと見せる官能美が良い。シューマン「幻想小曲集」からの2曲も情感が漲つてゐる。(2012.10.13)


リカルド・ヴィーニェス(p)
全録音(1930年〜1936年)
アルベニス/ファリャ/トゥリーナ/ドビュッシー/他
[TRITO TD 0048]

 ヴィーニェスはカタルーニャ出身のピアニストで、ラヴェルと親交が厚く数々の初演を担つた。その他、ドビュッシー、アルベニス、ファリャの作品の初演を多く手掛け、錚々たる名曲の数々を献呈されたスペイン最大のピアニストであつた。弟子にはメイエやプーランクが名を連ねる。当盤はヴィーニェスの全商業録音を集成した愛好家感涙の1枚である。米Marstonからも会員向けの頒布CDがあつたが、一般には入手出来ないので、このスペイン盤は重宝されるだらう。スカルラッティのソナタやグルックのガヴォットなど古典曲では雑な印象があるが、アルベニス、トゥリーナ、ファリャなどの近代スペインの楽曲は絶品である。ヴィーニェスはペダリングの名手とされ色彩的な演奏に特色がある。テンポは無造作でアゴーギクには無関心だが、古い録音からも麝香を匂はすやうな妖艶な趣が聴き取れる。ファリャ「恋は魔術師」の沸立つ躍動は特に素晴らしい。ドビュッシー作品の録音には伝説的な価値が宿る。初演をした「版画」よりグラナダの夕暮れ、献呈を受けた「映像」の金色の魚、どちらも唯ならぬ空気が漂ふ。ブランカフォルト、アリェンデ、ブチャルド、トロイアーニといつた今日では顧みられないラテン系作曲家の秘曲を味はふことが出来るのも興味深い。本当に残念なのは何故か盟友ラヴェルの録音がないことだ。余白にドビュッシーを語つた肉声が収録されてゐる。(2012.3.13)


リカルド・ヴィーニェス(p)
全録音(1929年〜1936年)
アルベニス/ファリャ/トゥリーナ/ドビュッシー/他
[Marston LAGNIAPPE]

 これは非売品である。入手するには米Marstonの会員となることが必須だ。ヴィーニェスの全商業録音復刻はスペインのTRITOからも出てゐた。だが、流石はマーストン、未発表の断片録音2つを収録してゐる。これでこそ完全なる全録音と云へる。しかも、ドビュッシー作品と価値が高い。録音日などは不明だが、風雅な演奏は格別である。映像第1巻からラモー讃歌と練習曲第10番の2曲だ―映像はヴィーニェスが初演した曲だ。残念ながら2曲とも数分間の不完全録音で、何らかの理由で放棄されたものと思はれる。痛恨事だ。その他の演目はTRITO盤で述べたので割愛する。(2015.12.29)


カルロ・ゼッキ(p)
チェトラ録音集(1937年〜1943年)
ジョコンダ・デ=ヴィート(vn)、他
[WARNER FONIT 5050466-3306-2-8]

 ゼッキは伝説的なピアニストであつた。戦後は主にマイナルディの伴奏者としてピアノの腕前を披露する程度で、寧ろ指揮者として活躍をした。忌憚なく云へば、名声を落としたに過ぎない。ゼッキが偉大であつたことの証明はこのチェトラに残した古い録音にこそ確かに刻まれてゐる。趣味の良い選曲と清明で抒情的な演奏に心が洗はれる思ひがする。宝玉を転がすやうなタッチで叩き付けるやうな打鍵は一切ない。貧しい録音から美しい音色が香ばしく立ち上る。2枚組の1枚目。白眉はレスピーギのガリアルダとシチリアーナだ。古雅な佇まいに品格がある。ティッチアーティのトッカータも素晴らしい。スカルラッティのソナタ4曲も優美極まりない。ヴィヴァルディの作品を編曲したバッハのト長調協奏曲BVW.973も格調高い。ショパン、リスト、シューベルトの作品も奥床しい演奏で美しい。とは云へ、これらのロマンティックな作品でゼッキを贔屓にする必要は全くないだらう。当盤には珍しい音源が含まれてゐる。デ=ヴィートのヴァイオリン、タッシナーリのフルート、プレヴィターリの指揮によるバッハのブランデンブルク協奏曲第5番だ。デ=ヴィートの最も古い録音で珍重される。ゼッキによるカデンツァも天晴だ。(2011.4.6)


カルロ・ゼッキ(p&cond.)
チェトラ録音集(1937年〜1943年)
[WARNER FONIT 5050466-3306-2-8]

 2枚組。2枚目。数少ないピアノ独奏録音が聴けるのだが、実に残念なことに指揮の録音が増えてきてゐる。ジェミニアーニとコレッリのコンチェルト・グロッソはイタリアの栄光を謳つた大変格調高き名演であるが、古楽器隆盛の現代においては特別な価値を付与することは難しいだらう。ピアノ独奏は神品が揃ふ。バッハのコラール「われ汝に呼ばはる、主イエス・キリストよ」の気高き瞑想は他にリパッティの録音が比肩するだけだ。前奏曲とフーガ第13番の透徹した美しさも絶品だ。ショパンのマズルカ3曲と舟歌の物悲しい哀愁は一種特別な抒情がある。ゼッキが奏でたショパンはリリシズムの何たるかを教へて呉れる。シューマン「子供の情景」は大曲録音として重要だが、幾分薄味の演奏で余り面白くない。ドビュッシー「金色の魚」の高踏的な趣も心憎い。(2011.6.12)


カルロ・ゼッキ(p)
チェトラへの独奏全録音(1937年〜1942年)
ウルトラフォン録音(1934年)
マストラスト録音(1930年)
[APR 6024]

 ゼッキの伊チェトラへの録音は本家より2枚組の復刻があつた。本家の復刻は指揮者ゼッキの録音も多数含まれてゐたが、英APR2枚組の復刻ではピアノ独奏録音だけに特化してゐる。独奏録音に関しては全く同じ内容であるが、チェトラ盤が入手困難なので歓迎されよう。ジョコンダ・デ=ヴィートとのバッハのブランデンブルク協奏曲第5番の録音も含まれる。さて、重要なのは、チェトラ録音以前、1930年代前半に録音されたゼッキ最初期の録音が収録されてゐることだ。パリでのウルトラフォン録音からはスカルラッティのソナタイ長調、ショパンのエチュード作品10の5と8、華麗なる大ポロネーズ、ラヴェル「道化師の朝の歌」、モスクワでのマストラスト録音からはリスト「軽やかさ」、ショパンのバラード第1番だ。ゼッキは当時並ぶ者なき絶頂期にあり、録音の全てが神品である。選曲も高雅で、玲瓏たるタッチが冴え渡る。これを聴かずしてピアノ演奏は語れぬほどだ。程なく、この水準が保てぬと判断してか、ゼッキは室内楽と指揮活動へと転じ、独奏は滅多に聴けなくなつた。(2019.4.7)


シューマン:子供の為のアルバム(28曲抜粋)、子供の情景
カルロ・ゼッキ(p)
[ERMITAGE ERM 190-2]

 幻のピアニスト、ゼッキの貴重な独奏録音。ゼッキのピアニストとしての経歴は戦前迄で、戦後はマイナルディの伴奏をするのが関の山であり、主に指揮者として活動をした。それだけに1967年に録音された子供の為のアルバムの抜粋録音は非常に貴重な記録なのだ。戦前のチェトラへの録音とは比較にならない鮮明な音質でゼッキの音色を鑑賞出来る。子供の為のアルバムから28曲が選曲され、ほぼ順番通りに演奏されてゐる。各曲を演奏する前にゼッキが曲名をイタリア語で述べてから演奏してをり微笑ましい。作品は極めて簡素に書かれてゐるから、ゼッキの聡明で含蓄のあるピアノの凄みが如実に諒解出来る。ピアノ学習者は多くを学ぶだらう。更には詩情とは何かを教えて呉れる名盤と云ひたい。子供の情景は1942年のチェトラ録音であり、別項で述べたので割愛する。(2016.9.13)


"Landmarks of Recorded Pianism"
未発表録音集
リパッティ、ラボール、エリンソン、ローゼンタール、デイヴィス、フンメル、プイシュノフ、コルトー、ニレジハージ
[Marston 52073-2]

 米Marstonからとんでもないリリースがあつた。"Landmarks of Recorded Pianism"といふ2枚組のアルバムで、未発表、新発見の音源ばかりで構成されてゐるのだ。その中でも1枚目が凄い。リパッティのプライヴェート録音が5曲も、うち初演目が3曲! コルトーがストラヴィンスキーのペトリューシュカを弾いた録音が! 興奮を禁じ得ない。本物なのか? と疑つて仕舞ふほどの衝撃だ。リパッティの録音は1945年から1946年の録音とされる。スカルラッティが3曲、ブラームスが2曲、詳しくはリパッティ・ディスコグラフィーで記したが、音も良く演奏は神品。コルトーの録音は1927年のグラモフォン録音とのことだ。ローゼンタールの新発見録音もある。APR5枚組の録音集成にも含まれてゐない最晩年の1939年録音で、ショパンのワルツ第14番だ。優美にグランドマナーを聴かせ流石だ。ニレジハージが何とシェーンベルクの3つのピアノ小品の第2番を弾いてゐる。何といふ美しいピアノの音だらう。大曲では英國で絶大な支持を得たレフ・プイシュノフがボールト指揮ロンドン交響楽団の伴奏でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を弾いた録音がある。ロシア人としての憂愁と英國好みの高貴な演奏様式が融合した感銘深い名演。掘り出し物だ。盲目のピアニストでヴィトゲンシュタインの師でもあつたヨーゼフ・ラボールがベートーヴェンのピアノ・ソナタ第7番第2楽章を自由気儘に弾いた1921年の録音は相当稀少だ。録音が少ないイソ・エリンソンの弾くショパンのマズルカOp.33-1及びエチュードOp.25-6は1932年のコロムビア録音だ。米國のイヴァン・デイヴィスがシエナのピアノフォルテで弾くリスト「ラ・カンパネッラ」はテレビ放送で、残響なしの環境で指の技巧だけで魅せる。レヴィーンの弟子スタンリー・フンメルが弾くグリンカ/バラキレフ編曲の「ひばり」は切ない感情を表出した特上の名演。(2018.5.12)


"Landmarks of Recorded Pianism"
未発表録音集
チェイシンズ、ホロヴィッツ、ノヴァエス
[Marston 52073-2]

 "Landmarks of Recorded Pianism"2枚組の2枚目。チェイシンズの演奏で1931年にグラモフォンに録音したメンデルスゾーン「厳格な変奏曲」が聴ける。初めて聴く奏者だが、確かな技巧と繊細な表現で良い演奏である。ベル・テレフォンが実験的にライヴ録音したホロヴィッツの記録がある。1932年、ライナー指揮フィラデルフィア管弦楽団の伴奏でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を弾いてゐるのだ。ただ、演奏は素晴らしいが、第1楽章の前半と第3楽章の後半の録音が欠落してをり、飽くまで蒐集家向けの録音と云へよう。更に断片録音でベートーヴェンのソナタやメンデルスゾーンの小品が収録されてゐる。ホロヴィッツの冗談めいた語りも聴ける。ノヴァエスが弾くモーツァルトのピアノ協奏曲第9番―ジュノームは1950年の録音、トーマス・シェルマン指揮リトル・オーケストラ・ソサイエティの伴奏だ。ノヴァエスの血気盛んなピアノに対し、伴奏はもたついてをり感興が殺がれる。名演が犇めく曲なので、月並みな録音と云はざるを得ない。Voxへの最後の録音風景も収録されてゐる。ショパンの子守歌の録音なのだが、エンジニアかプロデューサーと揉めてゐるのか、終始口論をしてをり、五月蝿くて聴くのが苦痛だ。(2019.1.29)


"Landmarks of Recorded Pianism"
未発表録音集第2巻
ローゼンタール、グレインジャー、モンポウ、フリードマン
[Marston 52075-2]

 愛好家を驚愕させた米Marstonのリリースから興奮冷めやらぬ間に第2弾が届いた。2枚組の1枚目。まず、リストの高弟ローゼンタールによる2種のハンガリー狂詩曲第2番が聴ける。1929年と1930年の録音で前者が初出となる未発表録音だ。この新登場音源が凄まじい。編曲の度合ひも大きく、昂揚した時の荒い打鍵はらしからぬ演奏だ。もしかすると自省して録り直しをしたのが後者なのかも知れぬ。グレインジャーは1953年カンザス大学での演奏記録で、バッハ「トッカータとフーガ」と自作自演で「ストラススペイとリール舞曲」「デリー地方のアイルランド民謡」が聴ける。グレインジャーの本領発揮の演目で出来栄えも極上だ。モンポウの自作自演では「歌と踊り」第1番、第2番、第3番、第4番、第6番、「秘密」「風景」、ショパンのワルツを自在に編曲した曲で、どれも雰囲気を楽しめる。さて、当盤最大の新登場音源はフリードマンの来日時の録音だ。我が国でも未確認の筈だ。1933年東京における放送録音で、混濁して猛烈に音が悪く観賞用ではないが、記録としての価値が重大だ。しかも、メンデルスゾーン「紡ぎの歌」は初演目となる。放送アナウンス付き。詳細はフリードマン・ディスコグラフィーに掲載した。(2020.4.28)


"Landmarks of Recorded Pianism"
未発表録音集第2巻
ラ=フォルジュ、レナルド、サドフスキ、ハンブルク、ドルメッチ、フロイント、カスタニェッタ
[Marston 52075-2]

 愛好家を驚愕させた米Marstonのリリースから興奮冷めやらぬ間に第2弾が届いた。2枚組の2枚目。往年の名歌手の伴奏を多く務めたフランク・ラ=フォルジュが弾くゴットシャルク「風刺」は1912年の録音で貴重だが、然程興味を覚えない。女流ロジータ・レナルドのブランズヴィッグへの録音、モンテヴェルディ「マドリガル」とドビュッシー「花火」が収録されてをり、清楚な古典と色彩的な閃光の両面が聴ける。名奏者の貴重な記録だ。初めて聴く奏者、レア・サドフスキなのだが、この1枚の中では一番出来が良く感銘を受けた。演目はリャプノフ「レズギンカ」で技巧と詩情が融合した名演である。さて、最も高名なマーク・ハンブルクの1955年、ロンドンでのライヴでチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の全曲が収録されてゐるが、評価が難しい。まだピアノを弾いてゐたのかと驚かされ、勢ひだけの気魄に圧倒される一方、余りにも雑な演奏に閉口する。間違ひが多過ぎて寛容な聴き手でないと耐へ難いだらう。処で、伴奏を務めるサージェントが本当に素晴らしい。古楽の先駆者ドルメッチがフォルテピアノでベートーヴェンの月光ソナタの第1楽章を録音してゐるが、演目がロマンティック過ぎて表現が平板で違和感しかない。ここが本懐ではない。1951年の放送録音でエテルカ・フロイントのアパッショナータ全曲も聴ける。しかし、低調で出来は芳しくなかつた。グレイス・カスターニャによるカスタニェッタ「4つの音符による即興曲」は「ツィゴイネルワイゼン」のパロディーのやうで面白い。(2020.10.27)



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