楽興撰録

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エーリヒ・クライバー


モーツァルト:「イドメネオ」序曲、交響曲第38番、同第39番、7つのドイツ舞曲
ベルリン・フィル/ウィーン・フィル/ベルリン国立歌劇場管弦楽団
[VENIAS VN-026]

 クライバーの管弦楽録音をほぼ網羅した34枚組。34枚目。1927年から1929年にかけて録音されたクライバー最初期の記録で、入手困難な音源ばかりなので蒐集家にとつては有難い。往時、モーツァルト指揮者としてヴァルターやブッシュと並んでクライバーは権威であつた。輪郭がはつきりしてをり、減り張りが効いてゐる。今聴いても様式美が通用するのだから恐れ入る。だが、流石に音が古く鑑賞用としては不向きだ。とは云へ、ドイツ舞曲は唯一の演目もあり重要だ。K.509から1曲。K.571から2曲、K.600から3曲、K.605から2曲が演奏されてゐる。イドメネオの序曲だけを吹き込んだのも珍しからう。ウィーン・フィルとのプラハ交響曲は墺プライザーなどで復刻があつたが、第39番は稀少価値がある。後期ロマン主義から脱却した、律儀で渋い古典美の追求は天晴。


戦前録音集(1927〜1936年)
シューベルト:未完成交響曲
モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
シュトラウス/リスト/スメタナ/ドヴォジャーク
ベルリン・フィル/チェコ・フィル
[PREISER RECORDS 90229]

 クライバーの代表的な録音ばかりで、数社から度々復刻されてきた音源だ。素晴らしいのはベルリン・フィルとのテレフンケン録音で、シューベルトの未完成交響曲、モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク、シュトラウス「ジプシー男爵」序曲の3曲だ。シューベルトとシュトラウスは本家TELDECから極上の復刻があつた。決定的名盤のひとつだ。モーツァルトの第3楽章トリオの耽美的なヴァイオリンの歌は上品かつ優美で最高だ。この曲最上の録音と絶讃したい。チェコ・フィルとのリスト「前奏曲」も名演だが聴き劣りがする。グラモフォン録音のベルリン国立歌劇場管弦楽団とのスメタナ「モルダウ」とドヴォジャーク「スラヴ舞曲第1番」は録音がやや古いこともあり感銘が落ちる。


戦前録音集(1928〜1936年)
ベートーヴェン/ヴェーバー/ニコライ/メンデルスゾーン/リスト/ビゼー/ドヴォジャーク
[PREISER RECORDS 90287]

 ベルリンを拠点に旺盛な活動を展開してゐた頃の録音集で、グラモフォン、オデオン、ウルトラフォン、テレフンケンなど様々なレーベルに、得意とした初期ロマン派の傑作を吹き込んでゐる。矢張り相性が良いのはベートーヴェン「ドイツ舞曲第12番」、ヴェーバー「舞踏への誘ひ」、ニコライ「ウィンザーの陽気な女房たち」などで、引き締まつた間合ひと骨太な響きが素晴らしい。全盛期のベルリン・フィルが持つ高貴な音楽性を見方に付けた瑞々しい名演ばかりだ。次いで素晴らしいのが、リスト「タランテラ、ヴェネツィアとナポリ」とドヴォジャーク「婚礼舞曲」で、クライバーの美質である雄渾さが表出された極上の名演である。チェコ・フィルを指揮した「カルメン」からの4曲は珍品と思ひきや気魄溢れる名演揃ひである。「真夏の夜の夢」より3曲は重要な録音であるが感銘は薄い。


戦前録音集(1928〜1932年)
シュトラウス/レズニチェク/ストラヴィンスキー/ヤナーチェク/シェーンベルク
ベルリン・フィル/ベルリン国立歌劇場管弦楽団
[PREISER RECORDS 90311]

 録音当時現代音楽であつた作品を集成した1枚。大クライバーの最大の業績に「ヴォツェック」初演が挙げられる。厳しい練習を課すクライバーは現代音楽の旗手として一目置かれる存在だつたのだ。収録曲はシュトラウス「ティル」と「ばらの騎士」のワルツ、レズニチェク「ドンナ・ディアナ」序曲、ストラヴィンスキー「花火」と「火の鳥」組曲、ヤナーチェク「ラシュ舞曲集」、シェーンベルクによるバッハ「前奏曲とフーガ変ホ長調BWV.552」の管弦楽編曲だ。得意としたシュトラウスで聴かせた完成度は驚嘆すべきだ。ストラヴンスキーも優れてゐる。更に聴き応へがあるのが、レズニチェク、ヤナーチェク、シェーンベルクだ。途切れない緊張感と引き締まつたリズムで沸き立つやうな生命力を発散させるレズニチェクの明朗快活な音楽、卑近な旋律が交錯するヤナーチェクの乱雑な舞曲で聴かせる狂ほしい情熱、色彩豊かに立体的な楽曲を構築するシェーンベルクの名作での堂々とした仕上がり、何れもクライバーの真価が発揮された名演だ。


シュトラウス一家:ワルツ&序曲
ホイベルガー:「オペラ舞踏会」序曲
スッペ:「軽騎兵」序曲
ベルリン・フィル
[PREISER RECORDS 90395]

 クライバーはシュトラウスのワルツを大変得意とした。四角張つた指揮でワルツを振る映像も残つてゐる。当盤は全てベルリン・フィルとの演奏で、1931年から1933年にかけての録音であり、本家テレフンケンからも繰り返し復刻されてゐる。真面目な表情で生気に溢れた音楽を詰め込んだ演奏が意外にも嵌つてをり、どの曲も極上の仕上がりだ。「皇帝円舞曲」「美しき青きドナウ」「加速度」「酒、女、歌」「千夜一夜物語」「オーストリアの村つばめ」全て良い。それ以上に見事なのが序曲で、「ジプシー男爵」は当盤の白眉だ。ホイベルガー「オペラ舞踏会」の多彩な表情も忘れ難い。


シューベルト:未完成交響曲
ベートーヴェン:交響曲第2番
ベルリン・フィル/ベルギー国立管弦楽団
[TELDEC 9031-76436-2]

 シューベルトは1935年1月28日、ベルリン・フィルとの代表的名盤で音質も極上だ。フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルが持つ重厚な響きを堪能出来る。クライバーの硬質な音楽造りが前面で出た演奏で、同時期に録音されたヴァルターとウィーン・フィルによる後ろ髪を引かれるやうな耽美的な名盤とは対を為す。悲劇性を強く打ち出し、推進力に溢れた第1楽章は傾聴に値する。誠実な第2楽章も美しい。夥しくある未完成交響曲の録音の中でも上位に置かれる名演だ。ベートーヴェンは1938年1月31日、ベルギー国立管弦楽団を振つた録音で、オーケストラの魅力が格段に落ちる。また、ホールのせいもあるのだらう、録音状態も並程度だ。演奏は録音当時としたら優れた部類に属し、聴き応へはあるのだが、今となつては格段特色を見出せる演奏ではない。


ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス
エマニュエル・リスト(Bs)、他
テアトロ・コロン管弦楽団と合唱団
[VENIAS VN-026]

 クライバーの管弦楽録音をほぼ網羅した34枚組。1946年のライヴ録音。ナチス政権を嫌つたクライバーは活動拠点を逸早く南米ブエノスアイレスのテアトロ・コロンに移した。貴重な記録のひとつであるが、音源がエア・チェックなのか単純に音質が悪いだけではなく、歪みで音程が狂つたり、通信音の混入があつたりと全く鑑賞用ではない。さて、肝心の演奏内容だが、形容し難いほど非道ひのだ。テアトロ・コロンは歌劇を専門とし、荘厳弥撒曲を上手に演奏できる訳がない。歌手たちも歌劇のやうに生々しく歌ふので全く怪しからん演奏なのだ。と、一刀両断にしたいのだが、憤慨せずに面白がつて聴くと発見がある。わざわざ畑違ひとわかつてゐ乍ら取り上げたクライバーの思惑である。間合ひを一切取らず、煽りに煽る棒で、合唱と管弦楽が灼熱し退屈など一切しない。75分弱といふ演奏時間には恐れ入る。珍演だが、クライバーの凄みを聴くには良い。


ヘンデル:「ベレニーチェ」序曲
シューベルト:交響曲第3番
チャイコフスキー:交響曲第4番
NBC交響楽団
[Tahra TAH 450]

 ヘンデルとシューベルトが1946年3月、チャイコフスキーが1948年1月の演奏会の記録である。凄まじいアゴーギグを聴かせるチャイコフスキーについては別項で書いたので割愛する。ヘンデルとシューベルトも大変素晴らしい。ヴィルティオーゾ集団NBC交響楽団が絢爛たる合奏でヘンデルを全力で演奏してゐる。往時にのみ聴かれた様式の演奏だが、音が生きてゐるので説得力は強い。シューベルトには北西ドイツ交響楽団との質実剛健な演奏があり、雰囲気はそちらの方が良い。当盤では素朴な第2楽章や第3楽章のトリオなどは精力があり過ぎて明らかに失敗なのだが、疾駆する第4楽章の魅力には抗し難い。しかも、指定の箇所では繰り返しをしてゐないのに、独自にコーダの繰り返しをしてゐる。執拗な反復がグレイト交響曲を彷彿とさせる見事な解釈に敬服した。


1947年12月20日の放送録音
ボロディン:交響曲第2番
ヴェーバー:コンツェルトシュトゥック
ファリャ:「はかなき人生」よりスペイン舞曲
クラウディオ・アラウ(p)
NBC交響楽団
[Music&Arts CD-1112]

 NBC交響楽団との4公演を収録した4枚組。1枚目。カルロス・クライバーの数少ないレパートリーにボロディンの第2番が含まれたことを訝し気に思ふ方もゐるだらう。カルロスは大クライバーの書き込みがあるスコアを拠り所にしてゐた筈だ。ベートーヴェンの第7番第2楽章終結のピッツィカート奏法が好例であり、クライバー親子のつながりをレパートリーと解釈から眺めるのは大変興味深い。エーリヒの指揮したボロディンは面白く聴けるものの、曲特有の持ち味からは遠い。NBC交響楽団の色が強く出たトスカニーニ張りの直線的な演奏で、含みに乏しく抒情に欠ける。名演はアラウの実直な独奏が素晴らしいヴェーバーだ。クライバーはヴェーバーを得意とし、歌劇や交響曲に優れた録音がある。コンツェルトシュトックでも御家藝と云ふべき慧眼を示す。ファリャは珍品と思ひきや中々の好演。角張つた粗笨なリズムが雄渾だ。


1947年12月27日の放送録音
コレッリ:合奏協奏曲「クリスマス」
シューベルト:交響曲第5番
シュトラウス:「ウィーンの森の物語」、「ジプシー男爵」序曲
NBC交響楽団
[Music&Arts CD-1112]

 NBC交響楽団との4公演を収録した4枚組。2枚目。シュトラウスの2曲が大変素晴らしい。1930年頃のベルリン・フィルを指揮して録音したものもさうであつたが、クライバーのシュトラウスは哀愁漂ふウィーン情緒や優雅に崩したウィンナ・ワルツのリズムとは異なり、1音たりとも蔑ろにしない集中力の漲りと角張つた厳ついリズムが個性的である。クライバーが「青く美しきドナウ」を振つた映像を視たことがあるが、鋭角的な棒捌きが印象的だつた。曲想との不調和を懸念する心配はない。見事に決まつた名演で、生命力溢れる音楽に五月蝿いニューヨークの聴衆も大喝采である。コレッリは異色のレパートリーで、NBC交響楽団の強者どもが時代錯誤甚だしく浪漫的に曲を征服してゐる。シューベルトはクライバーが得意とする曲だが、もう少し歌に柔らかさがあり転調に陰があればと不満が残る。


1948年1月3日の放送録音
ドヴォジャーク:「謝肉祭」、婚礼の踊り
チャイコフスキー:交響曲第4番
NBC交響楽団
[Music&Arts CD-1112]

 NBC交響楽団との4公演を収録した4枚組。3枚目。チャイコフスキーが物凄い。これほど外連たつぷりに表情を付けた演奏は他になく、かのメンゲルベルクも顔負けだ。第4交響曲の第1楽章は強拍と弱拍の交錯が目紛しく、斯様なテンポ変化を要求することは至難であるのだが、実に大胆極まりなく音を引き延ばし、突如突進をするかと思へば、立ち止まり大見得を切る。第2主題後の加速も凄まじいが、コーダの芝居がかつた演出には度肝を抜かれる。客演であることを加味すれば恐ろしき演奏である。寸詰まりの録音ながら、NBC交響楽団の濃密な音楽とクライバーの気違ひじみた熱情を堪能出来る。ドヴォジャークの2曲も同様の名演だが、幾分個性が薄い。


1948年1月10日の放送録音
ベートーヴェン:「エグモント」序曲、交響曲第3番「英雄」
NBC交響楽団
[Music&Arts CD-1112]

 NBC交響楽団との4公演を収録した4枚組。4枚目。クライバーとNBC交響楽の演奏における頂点を為す録音。クライバーもベートーヴェンを重んじレパートリーの中心に据ゑた大指揮者だが、締め上げた窮屈な仕上げが多く、ドイツの指揮者としては珍しくトスカニーニと同じ傾向を持つ。しかし、トスカニーニの圧倒的な主観と比較すればクライバーの音楽は及ぶべくもない。だが、クライバーの「エロイカ」だけはいつも特別だ。数種ある録音全てが逸品である。漲る熱と力、緊張感と高貴な熱情が途切れることなく、格調高い音楽が展開する。何よりもトスカニーニが持ち得なかつた音楽の拡がりがある。変ホ長調交響曲が英雄交響曲として高らかに凱歌をあげてゐる。「エグモント」も同種の名演だ。


ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、同第2番
ロンドン・フィル/ベルリン歌劇場管弦楽団
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9716]

 クライバーは田園交響曲を好んで録音し、戦後に2度も英Deccaに吹き込んでゐる。1948年2月のロンドン・フィル盤と1953年9月のアムステルダム・コンセルトヘボウ盤で、両方ともDECCAから復刻されてゐる。英Duttonが復刻した当盤は前者に当たる。しかし、ここで一つの問題が浮上した。Duttonの録音データによると第3楽章の後半と第4楽章の前半は1948年の3月に録音したテイクを使用してをり、マトリクス番号も独自のものである。演奏時間を比較してもDECCA盤とDutton盤は微妙に異なり、完全な同一演奏とは云へないやうだ。しかし、こんなことは蒐集家以外には無用な詮索だ。演奏は隙のない堅固なものであるが、間合ひや余白の美が少なく、詩情に乏しい。第2番は戦前の代表的な録音であるが、特記すべきところのない平凡なものだ。


ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス、交響曲第5番
ビルギット・ニルソン(S)
ストックホルム・フィルと合唱団/ケルン放送交響楽団、他
[Music&Arts CD-1188]

 ミサ・ソレムニスは1948年3月、ストックホルムにおけるライヴ録音で、ソプラノにニルソンを据ゑた熱演である。コントラルトにリザ・トゥンネル、テノールにイェスタ・ベックリン、バスにジークルド・ビョルリンクを起用、即ち独唱者は全員スウェーデン人歌手で揃へてゐる。冒頭からオルガンの荘厳な響きに誘はれ、壮麗な音楽が流れる。細部まで神経の行き届いた極上の名演だ。しかし、厳めしい演奏ではなく、宗教的な崇高さを滲ませた気品ある演奏なのだ。その点、トスカニーニやクレンペラーの名演とは趣を異にする。取り分け合唱の精度が高く厚みも素晴らしい。主役を担つてをり理想的な仕上がりと云へる。クライバーの呼吸も絶妙で歌に溢れてゐる。惜しむらくはニルソン以外の独唱が小粒で魅力に欠けることだ。第5交響曲は1955年4月4日のライヴ録音で、同日に田園交響曲も演奏され、商品化もされてゐる。演奏は天晴痛快見事この上ない。理想的な演奏で流石はクライバーである。晩年の総決算とも云ふべき仕上がりだ。


ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
シューベルト:「ロザムンデ」より第3幕間奏曲とバレエ音楽第2番
北西ドイツ放送交響楽団
[Tahra TAH 561-562]

 クライバーが北西ドイツ放送交響楽団を指揮したハンブルクにおけるライヴ録音2枚組。1枚目。1953年1月29日演奏の田園交響曲と、1954年4月23日演奏のロザムンデ―同日にシューベルトの交響曲第3番とグレイト交響曲が演奏された―が収録されてゐる。北西ドイツ放送交響楽団はクライバーとの相性が抜群で、硬めの音で緊密な音楽を構築して行く。クライバーの指揮する田園交響曲は常に素晴らしい。弛緩することのない音楽の運び、立体的で交響的な響きはクライバーの真骨頂である。この曲にはコンセルトヘボウとの特上の名盤があるので、当盤の価値が下がるとは云へ、無下に出来ない名演である。シューベルトも見事だ。幾分無骨な音楽から、侘しい情感が滲み出す。


シューベルト:交響曲第3番、グレイト交響曲
北西ドイツ放送交響楽団
[Tahra TAH 561-562]

 2枚組。2枚目。1954年4月23日のライヴ録音で、同日には「ロザムンデ」から2曲が演奏されてゐる。クライバーはシューベルトを得意にした。第3交響曲は息子カルロスも録音したレパートリーである。雄渾な気魄に充ちた名演で、第1楽章主部に入つてからの熱気は他の演奏を圧倒するだらう。朴訥な第2楽章、無骨な第3楽章もシューベルトの懐に迫つた名演。終楽章の一途な疾走も天晴。クライバーはNBC交響楽団ともライヴ録音を残してゐるが、音色に渋みのある当盤を上位に置きたい。この曲の最も優れた演奏のひとつだ。グレイト交響曲も北ドイツ風の重厚かつ手堅い演奏で、音楽が弛緩することは一切ない。クライバーにはもう1種ケルン放送交響楽団との名盤が残るが、当盤は甲乙付け難い名演である。


モーツァルト:交響曲第36番より第1楽章と第2楽章
ベートーヴェン:交響曲第4番
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、他
[Tahra TAH 581-583]

 3枚組。1枚目。クライバーは20世紀を代表するベートーヴェン演奏の大家であつたが、第8番だけ録音が残らず、交響曲全曲が揃はない。第4交響曲も当盤が唯一の記録となるので大変重要な録音だ。1950年のライヴ録音だが、音の状態も良い。しかも、第5交響曲と田園交響曲でDECCAに名盤を残した名器アムステルダム・コンセルトヘボウとの演奏であり、申し分ない。木目細かいアンサンブルを聴かせるオーケストラは極上で、潤ひのある弦楽器、可憐な木管楽器が殊更美しい。クライバーは覇気を漲らせながらも、小気味良い推進力のある音楽を聴かせる。この曲の名演のひとつとして推奨したい。北西ドイツ放送交響楽団を指揮したモーツァルトのリンツ交響曲は、残念ながら前半2楽章しか録音が残されてゐない。同年に全曲のライヴ録音があるので、当盤の価値はない。余白には稽古前と思はれるクライバーの演説が収録されてゐる。


ベートーヴェン:交響曲第5番、同第6番「田園」
北西ドイツ放送交響楽団/ケルン放送交響楽団
[Tahra TAH 581-583]

 3枚組。2枚目。北西ドイツ交響楽団を指揮した第5番は覇気が漲り凝縮された緊張感が凄まじい。フェルマータでも間合ひを殆ど取らず、畳み掛けるやうに音楽を前進させる。フォルテでは荒ぶれた激しい情熱を叩き付ける。オーケストラの技量は水準程度でアンサンブルも粗笨だが、感情が昂つた演奏に思はず引き込まれる。第5交響曲の演奏はかくあらねばならぬ。クライバーの十八番である田園交響曲は更に素晴らしい。転調での音色の変化、カデンツの妙、特に第2楽章における連綿たる情緒は最高だ。ケルン放送交響楽団はクライバーの要望に見事に応へてをり、弱音の美しさは殊更見事だ。但し、コンセルトヘボウとの名盤と解釈は殆ど変はらないので、価値はやや下がるが、極上の名演であることに違ひはない。


ドヴォジャーク:チェロ協奏曲
リスト:前奏曲
ケルン放送交響楽団/チェコ・フィル
アントニオ・ヤニグロ(vc)
[Tahra TAH 581-583]

 3枚組。3枚目。クライバーの数少ない協奏曲録音は、1955年のライヴ録音で音質も良好だ。独奏は細身だが、芯の強い気魄のこもつた演奏で好感が持てる。しかし、チェロ協奏曲の雄だけあり、名手による名演が犇めいてゐるので、特別な価値を見出すことは出来ない。クライバーの指揮は常乍ら間合ひを置かない覇気漲る音楽を奏でるが、ヤニグロを煽つてゐると感じる箇所も散見される。とは云へ、前進する音楽は好ましく、途絶えない集中力を評価したい。管弦楽の技量は水準程度だ。リストはチェコ・フィルとの1936年のテレフンケン録音。流石Tahraで、復刻の素晴らしさに感心する。演奏は雑然とした印象を受ける。


シュウトラウス:「天体の音楽」、「ジブシー男爵」序曲
ドヴォジャーク:謝肉祭
チャイコフスキー:交響曲第4番
ロンドン・フィル/パリ音楽院管弦楽団
[Decca 475 6080]

 DECCA録音全集15枚組。クライバーのデッカ録音復刻は度々行はれたが、ロンドン・フィルとの3曲‐シュトラウスの2曲とドヴォジャークは初登場だと思ふ。謝肉祭はNaxos Historicalで復刻があつた。夢見るやうに優美な「天体の音楽」からクライバーの棒に魅せられる。SP時代でも名盤を残した「ジプシー男爵」も圧倒的な名演だ。細部まで血の通つたドヴォジャークはライナー、アンチェル、セルらの名演と比肩する屈指の名演。これらはクライバーの才気を実感出来る極上の記録なのだ。チャイコフスキーは楽曲を手中に収めた感のある自信に溢れた名演で、珍しいコンセールヴァトワールとの取り合はせだが、渾身の演奏を繰り広げる。クライバーにはNBC交響楽団との壮絶なライヴ録音があり、激しいアゴーギクは空前絶後であつた。比べると当盤は大胆さが薄れ、物足りなく感じる。とは云へ、隙のない音楽運びと持続する緊張感は素晴らしく、屈指の名演であることに違ひはない。


ヘンデル:「ベレニーチェ」序曲
モーツァルト:交響曲第40番
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
ロンドン・フィル
[Decca 475 6080]

 DECCA録音全集15枚組。クライバーのデッカ録音復刻は度々行はれたが、このヘンデルは初登場だと思ふ。有難い。実演でも取り上げたお気に入りの曲で、気品があり素晴らしい。クライバーは敬愛するモーツァルトの生誕200年の正にその当日物故したといふ因縁を持つ。交響曲第40番は四角張つたリズムが特徴の男気ある名演で、ヴァルターの優美な演奏とは対極にある。衒ひのない実直なフレージングと、北ドイツを想起させる仄暗い響きも見事だ。クライバーが最も得意とした田園交響曲はデッカへの正規録音だが、5年後にコンセルトヘボウとの再録音があり、当盤は音質及び演奏内容において敵し得ず、大した価値はない。


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、同第7番
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[DECCA 485 1582]

 DECCA録音全集15枚組。クライバーとコンセルトヘボウの組み合はせは幸福な結果を生んだ。クライバーは傑物となることを嘱目された男だが、意に反して出世をしなかつた。クライバーが生涯密接な活動を共にするオーケストラを持たなかつたのは時の運もあらうが、余りにも過酷な練習を施す為オーケストラから嫌はれたからかも知れぬ。メンゲルベルクの執拗な訓練に慣れたコンセルトヘボウだからこそ、クライバーの一徹な音楽に感応したのだ。不出来な録音はひとつとしてなく、特にエロイカは田園交響曲と並ぶ名演として瞠目に値する。畳み掛けるやうな気魄、熾烈なスフォルツァンドは極上で、終楽章の格調高さが殊更素晴らしい。第7番は間合ひのない窮屈な演奏だが、隙のないクライバーの音楽造りを堪能出来る。それだけに終楽章コーダ冒頭の粘りは印象的だ。息子カルロスも採用してゐる第2楽章のピッツィカート終結を当盤でも聴ける。


ベートーヴェン:交響曲第9番
ヒルデ・ギューデン(S)/ジークリンデ・ヴァーグナー(A)/アントン・デルモータ(T)/ルートヴィヒ・ヴェーバー(Bs)
ウィーン・フィルと合唱団
[Decca 475 6080]

 DECCA録音全集15枚組。クライバーの代表的名盤のひとつ。剛直なクライバーの棒と格調高いウィーン・フィルの合奏が見事に融合し、壮麗な音楽を奏でてゐる。曖昧なフレージングやリズムを排し、隙のない音楽を展開するクライバーの統率力は天晴だ。厳めしいトスカニーニや遠大なフルトヴェングラーのやうに特徴がある訳ではないが、誠実な音楽はクライバーの美質である。第1楽章展開部において第2ヴァイオリンが3連符の火花を散らすなど細部の抉りも痛快だ。独唱陣の素晴らしさも特筆すべきで、当時のウィーン楽団の重鎮を揃へてをり聴き応へがある。


ベートーヴェン:交響曲第5番、同第6番「田園」
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
[DECCA 485 1582]

 DECCA録音全集15枚組。クライバーは田園交響曲を終生好んで取り上げた。2種の正規録音の他にライヴ録音が多数残るが、このコンセルトヘボウ盤こそはクライバー随一のと云つてよい極上の名演である。楽曲に捧げた愛情をコンセルトヘボウが感じ取つたのであらう、メンゲルベルク退任後も色濃く残る弦楽器の耽美的な合奏で確と応へる。全楽章が朝露の滴り落ちるやうな抒情美に彩られてゐるが、白眉は第2楽章で、感傷的なディミュヌエンドの囁きは桃源郷斯くやと思はせる絶世の音楽だ。数ある「田園」の名盤ではこの感動的な演奏を第一に挙げたいと思ふ。第5交響曲は畳み掛けるやうな気魄を漲らせ、強固な意志が貫徹された硬派の演奏である。ゆとりのない嫌ひはあるが、隙のない音楽はクライバーの特色が良く出てゐる。無味乾燥にならず激情を噴き上がらせたコンセルトヘボウの力量に依るところも大きい。


チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
パリ音楽院管弦楽団
[DECCA 485 1582]

 DECCA録音全集15枚組。クライバーはチャイコフスキーの交響曲を好んで取り上げ、ライヴ録音も残る。DECCAにはコンセールヴァトワールと第4番に続いて第6番を録音した。悲愴交響曲は堅牢なドイツ風の解釈で面白みがある。クライバーの常で間合ひを取らず、畳み掛けるやうに音楽を推進する。甘さを排した標題に拘束されない姿勢は評価すべきで、この曲が交響曲として立派な体裁を持つてゐることを示して呉れる。


モーツァルト:4つのドイツ舞曲、交響曲第39番
シューベルト:グレイト交響曲
ケルン放送交響楽団
[DECCA 485 1582]

 DECCA録音全集15枚組。モーツァルトのドイツ舞曲はヴァルターのSP録音が問題にならないくらゐ生気に充ちてをり、無骨なドイツの野趣を楽しめる。特に畳み掛けるやうなK.605の第3番の気魄は最高だ。交響曲も覇気が漲つてをり、硬いリズムが精悍な音楽を奏でる。この曲の代表的名演として推奨したい。クライバーが得意としたシューベルトもウィーンの流儀とは異なる豪快な演奏であり、強靭な意志に心打たれる。怒濤のやうな生命力を発散させた名演の連続である。


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
ヴェーバー:交響曲第1番
ウィーン・フィル/ケルン放送交響楽団
[DECCA 485 1582]

 DECCA録音全集15枚組。クライバーの振るエロイカは常に極上である。ウィーン・フィルを指揮した当盤も録音史上に燦然と輝く名盤である。爽快なテンポ、厳しいアクセント、燃え立つやうなトッティの響きは古びることのない躍動を聴かせる。ウィーン・フィルの淑やかな音色が全体に上品さを加味してゐる。コンセルトヘボウ盤とは甲乙付け難く、どちらも永く愛顧したい。珍しいヴェーバーの交響曲も劣らずの名演だ。クライバーはヴェーバーの楽曲を得意とし、相当数の作品を取り上げてゐる。作風はシューベルトに似た素朴な交響曲だが、クライバーの雄渾な棒により覇気溢れる情熱的な名曲へと昇華され、聴き応へがある。無骨なドイツ舞曲や行進曲の楽想に胸躍ること請け合ひだ。


ヴェーバー:「オイリアンテ」序曲
モーツァルト:交響曲第33番
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
ケルン放送交響楽団
[medici arts MM003-2]

 大クライバーが晩年にケルン放送交響楽団を指揮した貴重な記録。一見、演奏会丸ごとを収録したやうな感じだが、全て演奏日時が異なる。得意とした作曲家の作品が並ぶが、ヴェーバーとモーツァルトは唯一の録音で、チャイコフスキーのみDECCA録音が存在する。従つて前2者が重要で、畳み掛けるやうな気魄で聴かせるヴェーバー、朴訥として滋味豊かなモーツァルト、期待に違はぬ名演だ。但し、ヴェーバーは幻想豊かなフルトヴェングラー、モーツァルトは峻厳なムラヴィンスキーの演奏に比べると少々分が悪いことも述べておかう。悲愴交響曲はセッション録音同様、標題に拘泥はらず交響的な様式を重んじてゐる。野暮つたいドイツ風の演奏で、正直面白くはない。


モーツァルト:交響曲第39番、オーボエ協奏曲、4つのドイツ舞曲、交響曲第36番
ローター・ファーバー(ob)
ケルン放送交響楽団/シュトゥットガルト放送交響楽団
[medici arts MM011-2]

 リンツ交響曲のみシュトゥットガルト放送交響楽団との1955年12月31日の演奏記録で、残りは全てモーツァルト生誕200年記念演奏会として行はれたケルンにおける1956年1月20日の演奏記録だ。このうち交響曲第39番と4つのドイツ舞曲はDECCAから商品化されて広く聴かれるやうになつた。別項でも述べたので割愛するが、この2曲は非常にクライバーらしい硬質で緊張感のある名演で、特にドイツ舞曲の尋常ならざる気魄には圧倒される。オーボエ協奏曲は初めて正規発売された音源だ。ファーバーの独奏は技巧は堅実だが、華がなく特別面白い演奏ではない。伴奏も自然と精気がない。当盤の目玉は初出となるリンツ交響曲だが、第39番と比べると精度が著しく落ちる。クライバーの特徴である引き締まつた音楽が聴かれず、角がなく鈍い凡庸な演奏だ。余白に交響曲第39番第4楽章冒頭のリハーサル風景が収録されてゐる。細かく厳しい稽古であることが窺はれた。



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