楽興撰録

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ブルーノ・ヴァルター


ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、「レオノーレ」序曲第3番、他
ウィーン・フィル、他
[Naxos Historical 8.110032]

 ベルリンやウィーンで絶大な人気を謳歌した頃のヴァルターの代表的な名盤をオバート=ソンによる極上の復刻で堪能する。1930年代のヴァルターは優美な気品と情熱的な覇気を調和させた自身の藝術を開花させてをり、渡米後に失つて仕舞つた風雅な趣を聴くことが出来る。1936年にウィーン・フィルと吹き込んだ田園交響曲と「レオノーレ」序曲が取り分け素晴らしく、潤ひのある歌と凛とした情感の絶妙な融合はヴァルター藝術の結晶だ。後年の録音に散見される音楽の弛緩も一切なく、屈指の名盤として推挙したい。得意とした「フィデリオ」序曲はBBC交響楽団との録音だが、ウィーン・フィルと比べても遜色ない演奏だ。ブリティッシュ交響楽団との「プロメテウスの創造物」序曲も生命力溢れる名演だ。ロンドン交響楽団との「コリオラン」序曲も優れてゐるが、特色のある演奏ではない。


ベートーヴェン:交響曲第9番
キャスリーン・フェリアー(A)
ロンドン・フィルと合唱団、他
[Music&Arts CD-12343]

 1947年11月13日、ヴァルターが英國に客演した際の貴重な記録だ。この年の9月、ヴァルターは記念すべき第1回エディンバラ音楽祭でウィーン・フィルを指揮してマーラーの大地の歌を演奏した。その時の独唱者はピアーズとフェリアーであつた。ヴァルターは前年フェリアーと巡り会ひ、以後フェリアーの玉の緒が燃え尽きる迄の6年間を緊密に過ごした。音楽祭の2ヶ月後、ロンドン公演に登場したヴァルターは第9交響曲でもフェリアーを起用した。フェリアーにとつては唯一の記録だ。演奏は第1楽章が大変素晴らしい。情熱的で激しいアクセントを伴つたトスカニーニ流儀の名演で間然する所が無い。第2楽章も劇的で良いが、やや一本調子だ。第3楽章が美しい。耽美的な歌が聴ける極上の名演だ。第4楽章の出来は並程度で残念だ。フェリアー以外の独唱陣はベイリー、ナッシュ、パーソンズで栄えない。合唱は健闘してゐる。


マーラー:大地の歌
キャスリーン・フェリアー(A)/セット・スヴァンホルム(T)
ニューヨーク・フィル
[Naxos Historical 8.110029]

 1948年1月18日、カーネギー・ホールにおけるライヴ録音。ヴァルターとフェリアーの共演による大地の歌は、当盤、ウィーン・フィルとパツァークとの高名なDecca録音、その直後に同じ組み合はせで行はれたライヴ録音の3種がある―但し断片録音を除く。アセテート盤からの復刻で、残念乍ら音質は年代としては水準以下なのだが、演奏は大変素晴らしい。大地の歌は矢張り初演者ヴァルターの指揮に限る。耽美的なヴァイオリンの陶酔的な詠嘆は甘く儚い。一定の楽器が突出することなく、絶妙の色合ひを作つてゐる。ニューヨーク・フィルが極上の音を奏でてゐる。表現の幅が大きく、部分的にはウィーン・フィル盤を凌ぐ。フェリアーの含蓄のある歌唱が感動的だ。琴線に触れる深い声は一方で若々しさを失つてゐない。問題はスヴァンホルムだ。ヘルデン・テナーとして声質は申し分ないが、表現は皮相で奥行きが感じられない。管弦楽と比べると浮いてゐるのがわかる。


マーラー:大地の歌
ユリウス・パツァーク(T)/キャスリーン・フェリアー(A)
ウィーン・フィル
[Tahra TAH 482]

 1952年5月17日の演奏会記録とされるものだが、18日説もあるやうだ。かつてアンダンテなるレーベルがDecca録音を加工した紛ひ物を発売し物議を醸したことは記憶に新しいが、当盤は正真正銘のライヴである。5月15日から16日にかけて同じ顔触れでDeccaにセッション録音された名盤のことは万人よく知る処であり、当盤との比較は大変意義深い。Decca盤は第一にパツァークが素晴らしく、第二にウィーン・フィルが素晴らしかつた。否、現在に至る迄最高である。ところが当演奏会ではパツァークが不調で失敗も明らかだ。ウィーン・フィルにもライヴに付き物の傷がある。この演奏会ではフェリアーが輝いてゐる。深い含蓄のある声は不可思議な神々しさを放ち、彼岸からの啓示のやうだ。諦観と陶酔を漂はせたヴァルターの棒は、この曲と共に生きてきた初演者だけの慈愛に充ちてゐる。総合としてDecca盤には及ばないが、フェリアーの絶唱には魂を奪はれる。


モーツァルト:交響曲第40番
マーラー:大地の歌
ユリウス・パツァーク(T)/キャスリーン・フェリアー(A)
ウィーン・フィル
[Tahra TALT-033/4]

 AltusレーベルがTahraの名盤を再販する好企画盤。1952年5月17日の公演のライヴ録音が遂に纏めて聴けるやうになつた。マーラーはかの高名なDeccaへのセッション録音直後の公演記録で、仏Tahraが発掘して初発売した貴重な音源だ。その初出盤のことはそちらで述べるので割愛する。さて、この2枚組には前半プログラムであつたモーツァルトが収録されてゐる。実際に聴く迄は、この曲の決定的名演であるCBSソニーから発売されてゐたライヴ録音と同じだと思つてゐた。だが、間違ひなくCBSソニー盤とは別演奏だ。CBSソニー盤が5月18日とクレジットされてをり1日違ひの演奏であることがわかる。印象は大差ないが17日の当盤の方が精力的で細部が雑な箇所がある一方で訴へかける力がある。18日の方が細部まで完成度が高く素晴らしいが、部分的には17日の演奏も捨て難く、愛好家は両方揃へてをきたい。となると、疑惑が残る。マーラーにも18日の録音が存在するのではないかと。


モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」
ヴァーグナー:ジークフリート牧歌
ブラームス:交響曲第2番
フランス国立管弦楽団
[Tahra TAH 587-589]

 ヴァルターは1955年にパリに客演して、十八番の演目で臨み特上の名演を残した。仏Tahraが集成した3枚組の1枚目と2枚目より、1955年5月5日の演奏会の記録を聴く。3曲ともヴァルターの最も得意とする曲で、録音も数種取り揃ふ。プラハ交響曲は豊麗な歌心に溢れた名演で、耽美的なたゆたひにヴァルターの個性が出てゐる。時に音楽の流れが制御される箇所もあり、全体的な設計に難を感じるが、細部の美しさに心奪はれる演奏だ。往時の巨匠が奏でる芳しきモーツァルト。ジークフリート牧歌も惑溺するやうな名演。ブラームスが絶品だ。力強い歌が漲つてをり、実演ならではの感興がある。ニューヨーク・フィルとの名盤を超えることはないが、熱気のある名演で忘れ難い。ヴァルターの嗜好する耽美的な音楽に共鳴するフランス国立管弦楽団の力量も素晴らしい。余白にヴァルターがフランス語で語るインタヴューの模様が収録されてゐる。


ハイドン:交響曲第96番
シュトラウス:ドン・ファン
マーラー:交響曲第4番
マリア・シュターダー(S)
[Tahra TAH 587-589]

 ヴァルターは1955年にパリに客演して、十八番の演目で臨み特上の名演を残した。仏Tahraが集成した3枚組の2枚目と3枚目より、1955年5月12日の演奏会の記録を聴く。ハイドンが活力に溢れてをり素晴らしい。ヴァルターは戦前にウィーン・フィルと、渡米後にニューヨーク・フィルと第96番をセッション録音をしてをり、大のお気に入りなのだ。しなやかで麗しい歌を奏で乍ら、リズムが凛として弾んでゐるのは流石だ。往時のハイドン演奏の鑑である。シュトラウスはやや特徴に乏しいが、香り立つ色気がある。沢山録音が残るマーラーの4番が矢張り素晴らしい。解釈の難しい第2楽章での熟れた指揮にヴァルターの貫禄が聴き取れる。あざとい表現を避け、温かい歌で包み込んで行く第3楽章はヴァルターの神髄だらう。清らかなシュターダーの独唱も素晴らしい。実演の傷も散見されるが、フランス国立管弦楽団の瑞々しい弦楽器の歌が美しい。


モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」
マーラー:交響曲第4番
ヒルデ・ギューデン(S)
ウィーン・フィル
[DG 435 334-2]

 1955年11月6日のライヴ録音。相性が良いウィーン・フィルに客演した記録だ。2曲ともヴァルターが得意とした演目で、至福の1枚なのだ。プラハ交響曲は第1楽章主部に入つてからの躍動が絶品だ。美しく歌ふ第2楽章も良く、風格と優美さが融合した第3楽章も良い。繰り返しはせず、一気呵成に聴ける。ウィーン・フィルの合奏が見事で、極上の逸品である。ヴァルターにとつて最も多く録音が残るマーラーの第4交響曲だが、一長一短とは云へ当盤の演奏が一番良いと思ふ。テンポが颯爽としてをり、全体に小振り乍らウィーン・フィルの音色の美しさが引き立つてゐる。殊更第2楽章の悪戯つぽい純真さが際立つ。何より第4楽章に関して申せば、あらゆる演奏の中でも当盤が最高ではなからうか。ギューデンの歌唱が絶妙で楽曲に相応しいのだ。清明で濁りがなく、しかも表情豊かな歌声は理想的だ。無垢を意識して幼い歌になるのは困るのだ。


モーツァルト:交響曲第25番、レクィエム
デラ=カーザ(S)/マラニウク(Ms)/デルモータ(T)/シエピ(Bs)
ウィーン・フィルと合唱団
[Orfeo C 430 961 B]

 1956年7月26日、モーツァルト生誕200年のザルツブルク音楽祭に巨匠ヴァルターが登場した貴重な記録だ。この日の演目を続けて鑑賞出来るので価値が高い。ト短調交響曲ではヴァルターが燃えてゐる。激しいテンポの変動はセッション録音とは比較にならない。狂つたやうに加速するかと思ふと、異常な粘りで踏ん張る。その為、細部の完成度は低く全体設計も恣意的だが、この曲の最も印象深い特別な名演である。ヴァルターはウィーン・フィルとは約1ヶ月前にも学友協会でレクィエムを演奏したが、豪奢過ぎる演奏だつた。当盤の方が真摯で曲想により近い。独唱陣に名歌手を揃へての渾身の演奏で、取り分けコンフターティスでの激情は天晴だ。しかし、全体を通じて集中力が持続せず交響曲ほどの感銘はない。


シューベルト:未完成交響曲
マーラー:交響曲第4番、他
エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)
ウィーン・フィル
[Altus ALT267/8]

 1960年5月29日の実況録音。ヴァルターの極め付け、未完成交響曲はウィーン・フィルの美しい部分を存分に引き出してをり流石の名演である。だが、酷な指摘をすれば、SP時代に吹き込んだ正規録音の方が、飄々として青白く、儚いロマンティシズムが表出されてゐた。このライヴ録音は生々しく、重厚さがあり、停滞感がある。難癖だが、この演奏が最高といふ訳ではない。次いでシュヴァルツコップに伴奏をしたマーラーの歌曲で、「子供の不思議な角笛」から「美しいトランペットが鳴り響くところ」と「リュッケルト歌曲集」より「私は仄かな香りを吸ひ込んだ」が演奏される。形而上学的な趣をシュヴァルツコップが見事に表現する。第4交響曲はヴァルターが残した記録の中で最も耽溺した美しい演奏である。その反面、音楽が流れない空疎な箇所やアンサンブルが締まらない箇所も散見され一概に良いとは云へない内容だ。特に第1楽章は調子が上がらず、部分的には美しい箇所もあるが戴けない。第2楽章も弦楽器が耽美的な陶酔を奏でた後半になつてやうやく本調子になる。そして、第3楽章で頂点を迎へ極上の美が聴ける。第4楽章でのシュヴァルツコップの歌は賢しらで理知的な様子が鼻につき、素朴さがないので共感出来ない。全楽章を通じてチェロが雄弁で、蕩けるやうな甘い音色で魅惑する。これ程美しい歌は他では聴けない。


ベートーヴェン:交響曲第1番、同第2番、序曲「コリオラン」
コロムビア交響楽団
[Sony Classical 88765489522]

 渡米後のセッション録音集39枚組。ヴァルターが残したベートーヴェンの録音に往年の威光はない。このステレオ録音による全集は王道を踏み外すことのない風格ある演奏とも云へるが、悪い事の出来ない真面目な性格の詰まらない演奏とも云へる。ヴァルターの持つ色合ひが温かみのある響きなのも原因だらう。第1交響曲は余りにも刺激がなさ過ぎて退屈極まりない演奏だ。第2交響曲はこのヴァルター盤を決定盤とする向きもある。確かに全楽章を通じて理想的な仕上がりだが、額付きたくなるやうな魅力を感じるほどでもない。鷹揚に歌つた第2楽章も温かいが穏当だ。コリオランは無難で面白くない。


ベートーヴェン:交響曲第4番、同第6番「田園」
コロムビア交響楽団
[Sony Classical 88765489522]

 渡米後のセッション録音集39枚組。ヴァルターのベートーヴェンは偶数番号が良いとされる。正に当盤はそのことを実感出来る組み合はせだ。薄手のオーケストラで輪郭をくつきり示した響きと、ひとりひとりの奏者から表情豊な歌を導き出した演奏は、爽やかで共感豊かな音楽を奏でる。第4交響曲は前半2楽章が理想的な名演で、青春の美しいひとときを回顧させる。だが、後半2楽章は立派だが安定志向でやや感銘が落ちる。田園交響曲は発売以来、決定的名演として語り継がれてきた名盤である。第1楽章や第3楽章は今もつて最高だらう。他の楽章も申し分ないがヴァルター盤よりも優れた演奏も多い。総合点で最上位にすることはないが、ヴァルターのベートーヴェンで最も素晴らしいのは矢張り田園交響曲だ。


ブラームス:交響曲第1番、ハイドンの主題による変奏曲、大学祝典序曲
コロムビア交響楽団
[Sony Classical 88765489522]

 渡米後のセッション録音集39枚組。ステレオ録音によるコロムビア交響楽団との全集録音だ。ヴァルターのブラームス交響曲全集はモノーラル録音とは云へ覇気漲るニューヨーク・フィルとの旧録音の方が定評がある。だが、昨今古楽器演奏が主流となつて室内楽的な編成による演奏に耳が慣れたせいか、この編成の小さい薄手のオーケストラによる再録音の良さがわかるやうになつた。明るい響きで芳醇な歌が溢れる演奏。貴腐ワインのやうな口当たり。これはこれで良いではないか。ハイドン変奏曲は今ひとつ特色に欠ける。音楽的な処理は為されてゐるが、色彩の幅に乏しい。大学祝典序曲が最も良い。コロムビア交響楽団の明るく軽い響きが曲想に合つてゐる。熱気と推進力もあり、ヴァルターの豊麗な歌心と気品あるフレージングで理想的な名演となつた。他の指揮者の録音は大概五月蝿い。


ハイドン:交響曲第88番、同第100番、同第102番
コロムビア交響楽団/ニューヨーク・フィル
[Sony Classical 88765489522]

 渡米後のセッション録音集39枚組。ヴァルターが振るハイドンは、リズム処理が極めて正確で、アーティキュレーションに通はせた神経は随一である。デュナミークも楽譜にはない深い読みがあり、新しい気付きを与へて呉れる。モーツァルトの演奏で示した歌心が溢れてをり、優美で気品があり流麗でなのも良い。唯一の弱みはテンポが穏健で刺激に欠けることだらうか。とは云へ、屈指の名演ばかりでヴァルター盤を最上位に置いても贔屓ではなからう。第88番はきびきびして品格のある序奏から素晴らしい。第3楽章のアウフタクトの装飾音に対する拘泥はりは類例がない。軍隊交響曲はウィーン・フィルとの個性的な名盤もあつたが、堅実な当盤も名演だ。最も素晴らしいのは第102番だ。クレンペラー盤と並ぶこの曲最高の名盤である。この曲はニューヨーク・フィルとの演奏であり合奏に厚みがある。第1楽章主部の生命力は抜群だ。深々とした第2楽章の歌も流石だ。第4楽章も躍動してゐる。


ブルックナー:テ・デウム
モーツァルト:レクィエム
イルムガルト・ゼーフリート(S)/レオポルド・シモノー(T)
ウェストミンスター合唱団/ニューヨーク・フィル、他
[Sony Classical 88765489522]

 渡米後のセッション録音集39枚組。2曲ともニューヨーク・フィルとの演奏なので充実してをり、ヴァルターの意図が充分に伝はる名演と成つた。レクィエムはモーツァルト生誕200年の1956年3月の録音―この年に2種類のライヴ録音も残してゐる。安定感と完成度でこのセッション録音を最も好む。管弦楽、合唱団、独唱陣、全てがヴァルターの棒に結集してゐる。冒頭曲のオルガンの響きから荘重な趣がある。怒りの日の燃焼も見事だ。ラクリモーサの真摯さ、オスティアスの敬虔さなど理想的だ。他のライヴ録音は感情こそ出てゐるが、反面卑俗な音がする。ヴァルターならこの高貴なセッション録音が一番良い。1953年録音のブルックナーが名演だ。熱気が溢れてをり一気呵成に聴ける。独唱陣はイーンド、リプトン、ロイド、ハレルだが粒が揃つてをり申し分ない。この曲の代表的な名盤だらう。


シューベルト:グレイト交響曲、劇音楽「ロザムンデ」より序曲・バレエ音楽・間奏曲
コロムビア交響楽団
[Sony Classical 88765489522]

 渡米後のセッション録音集39枚組。ヴァルターはウィーン音楽を得意とし、取り分けシューベルトには定評があつた。未完成交響曲や交響曲第5番ではヴァルターの演奏が忘れられない。グレイト交響曲も名盤で、古来よりフルトヴェングラー盤と並び称された。柔和で美しい歌心に溢れてゐるのが特徴だ。一方できびきびしたリズム処理もあり、ヴァルターの音楽性と作品が合致した得難い演奏なのだ。だが、惜しい哉、小編成のコロムビア交響楽団の響きが時に薄く、楽器のバランスが悪い箇所も散見され感興を殺がれる。手放しでは賞賛出来ないのが残念だ。寧ろロザムンデの3曲の方を推奨したい。美しい歌があり、細部の表情にまで息遣ひがある。理想的な演奏であり、決定的名演だらう。


シュトラウス:ワルツ(4曲)、「ジプシー男爵」序曲、「こうもり」序曲、ブラームス:ハンガリー舞曲(4曲)、スメタナ:モルダウ
コロムビア交響楽団/ニューヨーク・フィル
[Sony Classical 88765489522]

 渡米後のセッション録音集39枚組。大曲の録音も良いが、ヴァルターの愛した小品の巧さが光る1枚だ。シュトラウスの録音を聴くとヴァルターがウィーンを離れたことが返す返すも不運であつたと悔やまれる。ワルツは名曲4曲で「美しく青きドナウ」「ウィーンの森の物語」「皇帝円舞曲」「ウィーン気質」だ。音の処理が見事で、色気のある節回しやリズムの崩しなど実に決まつてをり、クラウスの録音が不要と思はれるほど正気に充ちてゐる。これらの有名曲の決定的名演と云つても過言ではない。2つの序曲も素晴らしいが、ワルツに比べると散漫に感じる箇所もある。コロムビア交響楽団はヴァルターの要求に良く応へてゐる。ブラームスのハンガリー舞曲が素晴らしい。情熱的に煽り、妖しく翳る。ニューヨーク・フィルの厚みも素晴らしい。1番、3番、10番、17番の4曲で、どれも最高の演奏だ。スメタナも良いが、特徴は弱い。


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲、真夏の夜の夢よりスケルツォ
ヨーゼフ・シゲティ(vn)
ナタン・ミルシテイン(vn)
ニューヨーク・フィル
[Sony Classical 190759232422]

 コロムビア録音全集77枚組。シゲティとのベートーヴェンの協奏曲は1947年の録音。別項で述べたのでここでは割愛する。メンデルスゾーンは1945年の録音。協奏曲はミルシテインが絶好調で、快速のテンポの中で濃厚な味付けがあり、色気が素晴らしい。強気のハイフェッツのやうな行き過ぎがなく、爽快な抒情を奏で乍らも物足りなさなどなく、その絶妙さを絶讃したい。ヴァルターの伴奏も天晴れだ。同日に録音された真夏の夜の夢は取り立てて述べるやうな演奏ではない。


マーラー:交響曲第4番
デジ・ハルバン(S)
ニューヨーク・フィル
[Sony Classical 190759232422]

 コロムビア録音全集77枚組。マーラーの弟子でありながら一部の曲を偏愛したヴァルターは殊の外第4交響曲を取り上げ、録音も多く残るが、これは唯一のセッション録音だ。ヴァルターはマーラーの録音にはニューヨーク・フィルとの共演を所望したさうで、オーケストラの機能美と壮大さも手伝つて見事な演奏だ。但し、他のライヴ録音と比べて感興が乏しく、記憶には残らない。寧ろ大きな問題点があり、終楽章のハルバンの独唱がだうも良くないのだ。固苦しく強張つて、ざらついた声で天上の生活を歌ふには相応しくない。暗く抜けの悪い歌唱で起用が理解出来ない。残念だ。


マーラー:交響曲第5番、若き日の歌(8曲)
デジ・ハルバン(S)
[Sony Classical 190759232422]

 コロムビア録音全集77枚組。交響曲第5番はこの曲の全曲初録音だ。とは云へ、ヴァルターは第5番を頻繁には取り上げず、これが唯一の録音であつたりする。演奏は非常に口当たりが良く、前衛的な要素は皆無、最早古典になつたのかと錯覚するやうな穏健さだ。しかし、温いのではなく、悪戯に刺激的に陥らないだけだ。特に第3楽章はウィーン情緒溢れた優美さが見事で、規範となる名演だ。アダージェットもメンゲルベルクと同様に速めで、作曲者の意図に近い。第4交響曲でも共演したハルバンとの若き日の歌は全14曲中8曲を録音してゐる。ハルバンの歌声はここでも生硬で抜けが悪い。これはヴァルターのピアノを聴くべき録音だらう。輪郭をはつきり作り、色彩豊かで交響的な広がりがあり、可憐な表情との差も見事だ。


ベートーヴェン:交響曲第7番、同第8番
ニューヨーク・フィル
[Sony Classical 88765489522]

 コロムビア録音全集77枚組。ヴァルターはニューヨーク・フィルとモノーラル録音でベートーヴェンの交響曲全曲録音を成し遂げてゐるのだが、然程話題にならない。理由は明瞭で、演奏が大して良くないからだ。第7番は1951年の録音で、ニューヨーク・フィルの厚みのある合奏は再録音にはない魅力的なものの、大味で精度が落ちる。管楽器のピッチも不安定だ。細部の表情も抜かりが多い。第8番は1942年の録音で音質も古さを感じさせる。演奏の傾向は第7番と同じだ。ヴァルターならではの特別な表現があれば精度の低さも気にならないが、至つて凡庸で単に上手くない演奏といふ印象だ。


モーツァルト:交響曲第40番、同第35番
ニューヨーク・フィル
[Sony Classical 88765489522]

 コロムビア録音全集77枚組。1953年の上質なモノーラル録音。後のステレオ録音と比較しても音質面で歴然たる差があるとは感じない。寧ろヴァルターの精気や、何よりもニューヨーク・フィルの力量の差で、この旧盤の方が圧倒的に良いと感じる。モーツァルトにしては威圧的かも知れぬし、浪漫的過ぎるかも知れぬ。だが、歌心溢れ、推進力があり、優美さをも兼ね備へた演奏には桁違ひの説得力がある。特に壮麗なハフナー交響曲は屈指の名演だ。


モーツァルト:交響曲第25番、同第28番、同第29番
コロムビア交響楽団
ブルーノ・ヴァルター(cond.)
[Sony Classical 88765489522]

 コロムビア録音全集77枚組。1954年のモノーラル録音。コロムビア交響楽団とクレジッットされてゐるが、ニューヨークでの録音なので実体はニューヨーク・フィルだと思はれる。これら3曲はステレオでの再録音がなく貴重だ。ト短調交響曲はウィーン・フィルとの狂乱のライヴ録音があり、比べると大人しい善人の演奏と云へる。とは云へ、第1楽章の緩急を伴つた解釈は他の指揮者からは聴けない内なる炎である。後半楽章が温く退屈なのが残念だ。第28番が珍しい演目で注目だ。上品で風格のある演奏はこの曲の決定盤である。第29番もこの曲の第一等に挙げられる名演だ。特に第2楽章の秘めやかな歌の美しさはヴァルターの至藝である。快活で颯爽とした両端楽章も軽さが良い。(2023.9.21)


モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク、メヌエット(2曲)、3つのドイツ舞曲、フリーメイソンの為の葬送音楽、序曲集(4曲)
コロムビア交響楽団
[Sony Classical 190759232422]

 コロムビア録音全集77枚組。「ミラベルの庭園にて」と題されたアルバムで、1954年12月に録音されたヴァルター屈指の名盤だ。後に舞曲を抜いて残りは同じ曲をステレオで再録音したアルバムがあるが、全てこのモノーラルの方が優れてゐる。後年の録音にはない覇気と艶があるからだ。他の指揮者の録音が不要と思はれる決定的名演が2つある。フリーメイソンの為の葬送音楽と「劇場支配人」序曲だ。葬送音楽は冒頭から虚無感を漂はせた見事な響きを作つてをり引き込まれる。悲劇的な畳み掛けと救済の包み込むやうな温かさが交錯した感動的な演奏である。「劇場支配人」序曲は全声部が鳴り切り、かつ爽快極まりない。特に展開部の疾走はヴァルター最良の姿だ。メヌエットK.599の第5番とK.568の第1番も恰幅が良く聴き応へがある。3つのドイツ舞曲は堂々とした佳演だが、SP録音の方に良さを感じる。アイネ・クライネ・ナハトムジークと「フィガロ」「コジ」「魔笛」の序曲は素晴らしいが、取り立てるやうな特別さはない。


ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
コロムビア交響楽団
[Sony Classical 190759232422]

 コロムビア録音全集77枚組。ヴァルターが振つたエロイカでは「トスカニーニ追悼演奏会」におけるmassiveな演奏が高名で、内容も群を抜いて良かつた。その他の録音は力強さで引けを取り、特段感銘を残すやうな演奏はない。このステレオ録音の記録も相当良い演奏で、風格もあり、悪いところはないのだが、さりとて特記すべき良いところがある訳でもない。穏当で中庸を行く演奏、それ以上ではない。


ベートーヴェン:交響曲第7番、同第8番
コロムビア交響楽団
[Sony Classical 190759232422]

 コロムビア録音全集77枚組。1958年から1959年にかけてステレオで再録音されたベートーヴェン交響曲全集。第7交響曲は明るく壮麗な演奏だ。酔つ払ひの要素はなく、健全で陽気な舞踏なのだ。詰まり優等生の演奏であり、力不足、役不足を感じる。一方、第8交響曲は不足のない名演で成功してゐる。明るく抜けの良い響き、情感溢れる歌と品格を失はないリズム処理、ヴァルターの美質が全開だ。但し、ひとつ難癖を付ければ、クレッシェンドを開始する際に一旦音量を落としてから始める処理は薄手のオーケストラには有効とは云へ、曲の醍醐味からは遠ざかる。ヴァルターは他の曲でも同様の処理を採用してゐるからひとつの様式美ではあるのだが。


ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティシェ」
コロムビア交響楽団
[Sony Classical 190759232422]

 コロムビア録音全集77枚組。かつてはヴァルターのブルックナー、特にロマンティシェは屈指の名盤として推す人が多かつた。昨今ではヴァルターのブルックナーは見向きもされないといふのが実情だらう。ブルックナー演奏は進化を遂げ、黎明期に名盤として君臨したヴァルター盤は、現在聴くと確かに方向性が異なり、隔世の感がある。だが、一周して却つて新鮮な喜びを与へて呉れる良き演奏だといふことを述べたい。最小編成に近い薄手のオーケストラでの演奏は、重厚な演奏の反動として歓迎される。最大の特徴は音色が明るいことだ。これはヴァルター盤の際立つた特徴で、他では聴けない幸福感が溢れてゐる。そして、歌謡力が素晴らしく、特にチェロの歌心は琴線に触れる。第2楽章の上品で鬱屈のない歌は極上だ。ヴァルターの棒は流麗で見通しが良く、ロマンティックでわかりやすい演奏に仕上がつてゐる。ブルックナーらしさは薄いが、名盤とされた理由は確かにある。飲みやすいワインのやうで一気に飲み干せる。


ブルックナー:交響曲第9番
コロムビア交響楽団
[Sony Classical 88765489522]

 コロムビア録音全集77枚組。薄手の編成による演奏で、響きの厚みには欠け、混じり合ふよりも各楽器が鮮明に明るく聴こえる。室内楽的なブルックナーといふ新鮮さがあるが、この深刻な楽曲に人肌の温かみと明るい楽器の音色が相応しいかは意見が別れるところだらう。第1楽章第2主題はヴァルターならではの歌が聴ける。振り絞るやうな情感を込めた様は非常に感動的だ。だが、コーダなどでは馬力が不足し物足りない。第3楽章は小編成ならではの透明な響きを獲得してをり、彼岸の音楽を印象付ける。取り分け第2主題の美しさは絶品である。しかし、一番最後、悠久たるホルンのロングトーンを無遠慮に盛り上げてから放つのは戴けない。感興が殺がれる。


モーツァルト:交響曲第36番、同第39番
コロムビア交響楽団
[Sony Classical 190759232422]

 コロムビア録音全集77枚組。1959年から1960年にかけてステレオで再録音された後期6大交響曲だ。毀誉褒貶様々あるが名盤であることに違ひはない。ステレオ初期の麗しき録音でヴァルターの演奏が聴ける価値は代へ難い。温かく手作りの感触が感じられる音楽と立体的な響きは実に素晴らしい。薄手の小編成オーケストラはモーツァルトの場合は好都合だ。歌が主導するヴァルターの音楽感が存分に発揮されてゐる。詰まり、申し分のない録音なのだが、正直に申すと5年位前に入れたモノーラル録音のニューヨーク・フィルとの録音の方が断然良かつた。分厚い響きだが、音楽の燃焼度が違つた。勢ひと艶があつた。この西海岸のコロムビア交響楽団との録音は丁寧さと円満さと重視した面白みに欠ける演奏であることは否めない。機能美を追求した演奏に食傷気味な時に聴きたくなる演奏と云へよう。


モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク、序曲集(4曲)、フリーメイソンの為の葬送音楽
コロムビア交響楽団
[Sony Classical 88765489522]

 コロムビア録音全集77枚組。ヴァルターはこれらの曲全てをモノーラルでも録音していたが、ステレオ再録音の方である。ヴァルターが愛して止まないモーツァルトの真髄を優秀なステレオで聴けるのは有難い限りだ。しかし、音楽の内容はと云ふと、この最晩年の記録よりも、モノーラルの方が潤ひと弾力があつて、だうしても感銘が落ちることは正直に述べてをかう。重厚で恰幅の良いアイネ・クライネ・ナハトムジークにしても、生硬であることは否めない。他の曲も同傾向だ。「劇場支配人」と葬送音楽は名演であるが、旧盤が飛び抜けた名演だつたので比較すると物足りない。


ブルックナー:交響曲第7番
コロムビア交響楽団
[Sony Classical 190759232422]

 コロムビア録音全集77枚組。かつて名盤と謳はれた録音で、ヴァルター最晩年の記録である。小編成の薄手の演奏ではあるが、不思議と物足りなさは感じさせず、透明感のある室内楽的な響きと良く調和されたアンサンブルで至高の名演を奏でる。ベッケンも鳴らず、金管楽器も五月蝿くなく、終始慈愛に満ち溢れた音楽に包まれ、仕合はせなひと時に浸れる。冒頭から旋律が伸びやかに広がり、ヴァルターの歌の魔法に魅せられる。これは相当な稽古があり、細かい抑揚まで指示を実践したことの証である。第1楽章と第2楽章は楽想がヴァルター向きで最高の名演のひとつである。瞠目すべきは第3楽章の中間部で、斯様にゆつたりとしたテンポの演奏は空前絶後である。歌心が充溢してをり他の演奏では満足出来なくなる白眉だ。第4楽章も立派に収める。これは一周して再認識したい屈指の名演だ。



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