BACK

楽興撰録

声楽のCD評


歌劇 | 管弦楽 | ピアノ | ヴァイオリン | 室内楽その他


取り上げてゐる歌手一覧

アルダ(2) | ボリ(1) | カラス(1) | カルーゾ(3) | シャリアピン(2) | クルプ(1) | ダヴラツ(2) | デラ=カーザ(1) | デスティン(2) | イームス(2) | ファーラー(2) | フェリアー(8) | フラグスタート(13) | ガーデン(1) | ギンスター(2) | ゲルハルト(1) | ジーリ(11) | グルック(2) | ギューデン(1) | アーン(2) | ヒュッシュ(3) | イヴォーギュン(2) | ヤドローカー(2) | ジョアシャン(1) | ジュールネ(2) | コルユス(1) | コズロフスキー(2) | ロッテ・レーマン(5) | ライダー(3) | ロス=アンヘルス(1) | デ=ルーカ(1) | マルティネッリ(3) | モウレル(1) | メルバ(3) | モッフォ(2) | ムツィオ(2) | パンゼラ(2) | パッティ(1) | パツァーク(3) | プランソン(3) | ポンス(1) | ポンセル(4) | プランタン(1) | レートベルク(2) | ロージング(1) | ルッフォ(4) | スキーパ(4) | シュルスヌス(6) | シューマン(2) | シューマン=ハインク(2) | シュヴァルツ(1) | シュヴァルツコップ(2) | センブリッヒ(4) | シュトライヒ(8) | スペルヴィア(9) | タリアヴィーニ(3) | タマーニョ(2) | テトラツィーニ(5) | テイト(3) | ティベット(2) | ウルルス(2) | ヴァラン(4) | ヴンダーリヒ(7)




フランセス・アルダ(S)
ヴィクター録音全集(1909〜15年)
エンリーコ・カルーゾ(T)/マルセル・ジュールネ(Bs)、他
[Romophone 81034-2]

 今日ではアルダの名は忘れられたに等しい。カルーゾやエルマンと共演したソプラノとして知られてゐる程度だらう。ニュージーランド出身だが、マティルデ・マルケージの薫陶を受け、20世紀初頭にMetで君臨した大物歌手のひとりである。リリックな役柄を得意とし、彫りの深い神秘的な面立ちで人気は絶大であつた。2枚組の1枚目には1909年から1912年まで名唱が収録されてゐる。アルダは技巧も声量も抜群で、抒情的な声質には含蓄があり、カルーゾとの共演でも全く引けを取つてゐない。カルーゾとの「トロヴァトーレ」の出来映えは圧巻だ。「オテロ」のデズデモーナの表情豊かな歌唱はアルダの力量を示す。フランスのオペラやメロディーでも繊細な歌唱を聴かせてをり心憎い。最も重要なのはカルーゾ、ジュールネとのフロトー「マルタ」の長大な四重唱だ。黄金時代の歌合戦に惚れ惚れする。特にアルダの抒情的かつ溌剌とした歌が光つてゐる。(2011.5.17)


フランセス・アルダ(S)
ヴィクター録音全集(1909〜15年)
ミッシャ・エルマン(vn)、他
[Romophone 81034-2]

 2枚組の2枚目。アルダの名はヴァイオリン愛好家からはエルマンが助奏を付けた4曲の録音で知られてゐるかも知れぬ。英Biddulphからも復刻があつた。人懐つこいエルマンの音色に暫し安らぐ。特にグノー「アヴェ・マリア」は重要な録音だ。オペラの楽曲だとプッチーニが多く、「ボエーム」2曲、「蝶々夫人」2曲、「トスカ」1曲が収録されてゐる。抒情的な持ち味が良く出た名唱ばかりだ。2曲ある「カルメン」のミカエラ役では清楚であり乍ら芯の強い歌唱を聴かせてをり大変見事だ。ヴォルフ=フェラーリ「スザンナの秘密」、ハーバート「マドレーヌ」、カールマン「サリ」といつた通俗的な楽曲の流麗で軽妙な歌唱も良い。ハーバートは作曲者が伴奏指揮をしてゐる。歌曲も巧く、行くとして可ならざるは無し。シュトラウス「朝」の秘めやかな詩情が美しい。ルビンシテイン「ヘ調のメロディー」をバラライカ伴奏で編曲したのも面白からう。(2011.7.23)


ルクレツィア・ボリ(S)/エディソン録音(1910年&1913年)
エミー・デスティン(S)/エディソン録音(1911年)
[Marston LAGNIAPPE]

 これは非売品である。入手するには米Marstonの会員となることが必須だ。贔屓にしてゐるソプラノ、ボリは1914年以降ヴィクター専属の歌手として録音を行つた。特に電気録音は最も美しいリリコの至藝が聴ける宝物である。何時かディスコグラフィーを完成させたい。ボリはヴィクター・レーベルの前に、エディソンに吹き込んでゐる。これらは幻とも云へる貴重な録音で蒐集家マーストンに感謝したい。1910年のシリンダー録音では「マノン・レスコー」「ボエーム」、1913年ダイヤモンド・ディスクへの録音では、「夢遊病の女」が2テイク、「フィガロの結婚」「ドン・パスクァーレ」「トラヴィアータ」「ロメオとジュリエット」の他、スペイン歌曲3曲、計11曲が復刻されてゐる。ボリに価値のない録音などないのだが、特に軽やかな「ドン・パスクァーレ」は絶品で、理想的な歌唱だ。余白にはチェコの大歌手デスティンのエディソン録音が収録されてゐる。「ジョコンダ」「蝶々夫人」「トスカ」がそれぞれ2テイク収められてゐる。輝かしい清明感のある声から、芯の強い劇的な歌唱が聴こえてくる。絶頂期の偉大な歌唱に圧倒されるだらう。(2010.9.7)


ヴェルディ:アリア集第1巻(マクベス、ナブッコ、エルナーニ、ドン・カルロ)
フィルハーモニア管弦楽団/ニコラ・レッシーニョ(cond.)
マリア・カラス(S)
[Warner Classics 0825646340156]

 愛好家必携のオリジナル・ジャケットによるスタジオ録音リマスター・エディション69枚組。1958年11月の録音で、マクベスより3曲、ナブッコ、エルナーニ、ドン・カルロよりそれぞれ1曲だ。主要な歌劇全曲録音を終へ、アリア集の録音を手掛け始めた時期の録音だ。盛期を過ぎてはゐるが声は健在だ。威圧的な伸びは聴かれないが、ムラのない彫琢の痕跡が如実に現れ、安心して聴ける。相性の良いレッシーニョの伴奏が申し分なく、フィルハーモニア管弦楽団の上質な演奏で極上の仕上がりである。「マクベス」全曲はサバタとの究極のライヴ録音があつたが、音が悪かつたので補完する役割を担ふ。カラスの歌ふレディーは別格で畏怖さえ覚える。「ナブッコ」にも同様のことが云へ、グイとの全曲ライヴ録音は猛烈に音が悪く、この録音は有難い。見事なアビガイッレで古今無双だ。「エルナーニ」は他に録音がないので、名曲シェーナとカヴァティーナ「一緒に逃げて」が聴けるのは嬉しい。素晴らしい歌唱である。注目は全曲録音のない「ドン・カルロ」だ。エリザベッタのアリア「世の虚しさを知る神」の美しさは当盤の白眉である。(2018.8.24)


エンリーコ・カルーゾ(T)
録音全集第1巻/G&T録音(1902年ミラノ)/ゾノフォン録音(1903年)
サルヴァトーレ・コットーネ(p)/ウンベルト・ジョルダーノ(p)/フランチェスコ・チレア(p)
[RCA 82876-60396-2/Naxos Historical 8.110703]

 レコード史上最初の輝ける星カルーゾの録音全集1枚目。原盤からのRCA復刻とマーストンの究極のリマスタリングによるNaxos Historical盤で聴く。収録曲は同じで、音質はどちらも申し分ない。カルーゾ伝説の始まりであるミラノのグランドホテルにおけるG&T録音10曲から偉大さが伝はる。当時の多くの歌手の歌唱は平板で表現が様式化されてゐたが、カルーゾを聴いてまず感じるのは発声の安定を犠牲にしても敢行される激しい感情表現である。最初期の録音は特に、声がかすれたり、歌ではなく叫びに近かつたり、音程が下がつたりと、一般的には宜しくない失態があるのだが、シゲティに通ずる表現優先への藝術が世界に衝撃を与へたのは事実だ。そして、程なくカルーゾは王となつた。ヴェリズモ作品は全部良い。迫真の歌唱が聴ける。声音の変化が感情と連動してゐるを聴くがよい。ジョルダーノ、チレアが自作の伴奏をした録音は恐ろしく価値がある。(2020.6.12)


エンリーコ・カルーゾ(T)
録音全集第2巻/パテ録音(1903年ミラノ)/G&T録音(1904年ミラノ)/ヴィクター録音(1904年〜1906年)
ルッジェーロ・レオンカヴァッロ(p)、他
[RCA 82876-60396-2/Naxos Historical 8.110704]

 レコード史上最初の輝ける星カルーゾの録音全集2枚目。原盤からのRCA復刻とマーストンの究極のリマスタリングによるNaxos Historical盤で聴く。なお、収録曲は後者の方が1曲多めに詰め込まれてゐる。1903年Angro-Italian Commerce Company録音でパテが公刊した3曲の録音があり、1904年にG&Tに2曲の録音を残した他は、専属となり赤盤の名で有名なヴィクターの看板歌手となつた録音だ。さて、ヴィクターへの録音になつて荒々しさが影を潜め、朗々たる美声歌手への変貌が諒解出来る。時には柔和さを演出する為に造つた声で品を作つた歌唱もあるが、本当に良いのは威勢の良いベル・カント歌唱でカルーゾらしさを求めたい。ドニゼッティが良く「愛の妙薬」「ドン・パスクァーレ」「ファヴォリータ」と名唱ばかりだ。次いで感銘深いのはプッチーニ、レオンカヴァッロ、マスカーニといつたヴェリズモ作品である。作曲家自身のピアノ伴奏で吹き込んだレオンカヴァッロ「朝の歌」は大変重要だ。ヴェルディも悪くはないが「トロヴァトーレ」などは拍子抜けするほど面白くない。フランス・オペラは総じて畑違ひで本領ではない。唯一「カルメン」だけは流石に巧い。(2021.5.18)


エンリーコ・カルーゾ(T)
録音全集第3巻/ヴィクター録音(1906年〜1908年)
ネリー・メルバ(S)/ジェラルディン・ファーラー(S)/マルセラ・センブリッヒ(S)/ルイーゼ・ホーマー(Ms)/マルセル・ジュールネ(Bs)、他
[RCA 82876-60396-2/Naxos Historical 8.110708]

 レコード史上最初の輝ける星カルーゾの録音全集3枚目。原盤からのRCA復刻とマーストンの究極のリマスタリングによるNaxos Historical盤で聴く。ヴィクターの専属になり綺羅星のやうな名歌手らとの共演がぐんと増える。しかしだ、カルーゾの圧倒的な存在感が光る。この時期は正しく絶頂期で唯一匹敵する歌唱を聴かせるのがファーラーくらゐだ。演目はイタリアのベル・カントからヴェリズモ作品ばかりで、他はマイアベーアとビゼーがあるだけだ。「ボエーム」「蝶々夫人」とプッチーニが良く、「アンドレア・シェニエ」も見事だ。バルテルミの2つの歌曲も良からう。ドニゼッティ「ドン・セバスティアン」の未発表テイクが貴重だ。(2023.3.9)


フョードル・シャリアピン(Bs)
録音全集第5巻(1921〜23年)
ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフ、ボロディン、ヴェルディ、ロッシーニ、シューマン他
[ARBITER 142]

 米Arbiterのシャリアピン・エディション第5巻は、アメリカとイギリスでのヴィクター録音と云ふ割とよく知られた録音が並ぶが、Nadsonの詩の朗読と、1922年録音のヴェルディの「ドン・カルロス」第4幕は初復刻となる。特に朗読の劇的な味はひはシャリアピン歌唱の秘密を覘かせるものだ。当盤でも「ボリス・ゴドゥノフ」の録音が多数を占め、帝政ロシア時代の酒臭い豪放さは鳴りを潜めたが、朗々とした声量は圧倒的で余人の及ぶところではない。その他、ボルガの舟歌、ロッシーニ「セビリャの理髪師」、ボロディン「イーゴリ公」の生命力が物凄い。音質はArbiter独特のものだが、貴重な写真を満載したジャケットが豪華で続巻が待たれる。(2005.3.9)


ボーイト:メフィストーフェレ
グノー:ファウスト
ムソルグスキー:ボリス・ゴドゥノフ
リスムキー=コルサコフ:モーツァルトとサリエリ
コヴェント・ガーデン管弦楽団と合唱団、他
フョードル・シャリアピン(Bs)
[PREISER RECORDS 89965]

 シャリアピンのロンドンにおける電気録音のうち歌劇作品を編んだ1枚。電気録音が開始され、ライヴ録音が実験的に行はれたが、その劈頭を飾つたのがこのシャリアピンの記録だ。絶頂期の歌唱としてコヴェンド・ガーデンでの録音は語り継がれてきた。バス歌手は数多ゐるが、矢張りシャリアピンは別格だ。存在感が違ふ。圧倒的な歌唱に比較をする気も起きない。ボーイトはベレッツァ指揮で1926年5月31日の記録、グノーはグーセンス指揮で1928年6月22日の記録、有名なムソルグスキーはベレッツァ指揮で1928年7月4日の記録だ。リムスキー=コルサコフは1927年10月11日、コーツ指揮ロンドン交響楽団とのロイヤル・アルバート・ホールでの録音。絶対的な歌唱の連続である。(2016.1.31)


シューベルト:美しき水車小屋の娘
シューマン:女の愛と生涯
フランツ・ナヴァル(T)、他
ユリア・クルプ(A)
[SYMPOSIUM 1367]

 クルプは最も愛するアルト歌手である。フェリアーもアンダーソンも良いが、クルプの聡明さが何時迄も心に残つてゐた。しかし、主な復刻は英Romophoneのヴィクター録音全集及びエレクトローラ録音全集の2枚組しかなく、それ以前のオデオン録音を纏めて聴ける機会がない。クルプはドイツ・リート歌ひとして一際評価が高かつた人で、歌劇では「サムソンとデリラ」の録音が目に付くくらゐだ。英仏の歌曲でも素晴らしい歌唱を聴かせたが、矢張りドイツ・リートは格別で、最後のエレクトローラ録音こそは至宝であつた。さて、1910年にオデオンに吹き込んだ大曲録音であるシューマンがやうやく聴けたことは実に喜ばしい。ピアノ伴奏はオットー・バケである。だが、録音が貧しいためもあるだらう、期待したほど感銘は受けなかつた。クルプは劇的な表現や女性の色気で聴かせる人ではないので、この歌曲集の理想的な歌ひ手ではないのかもしれぬ。抱き合はせはナヴァルによるシューベルトだ。1909年頃の録音でこの歌曲集の世界初録音とされる。美声であるが、強引に歌ひ上げる歌唱は古めかしく煩はしい。(2013.4.9)


カントルーブ:オーヴェルニュの歌
ピエール・ドゥ・ラ・ロシュ(cond.)、他
ネタニア・ダヴラツ(S)
[VANGUARD CLASSICS 08 8002 72]

 オーヴェルニュの歌の全曲録音において、不動の名盤として語り継がれるダヴラツ盤である。全5集と「新オーヴェルニュの歌」を収録した2枚組の1枚目、第1集から第4集迄を聴く。ダヴラツ盤の素晴らしさは何処にあるのかと云へば、心底楽しんで歌ふ伸びやかで自然な発声に尽きるだらう。ベル・カント歌唱の軛を脱した透明感ある清涼な歌声は聴く者の心を慰める。冒頭の一声から高原の澄み切つた空気に包み込まれるやうに別世界へと誘はれる。殊に「バイレロ」の幻想的な美しさには抗し難い。ダヴラツよりも達者な歌手は数多あらうが、詩情を託した可憐な歌こそオーヴェルニュの歌に相応しい。(2006.9.12)


カントルーブ:オーヴェルニュの歌
ピエール・ドゥ・ラ・ロシュ(cond.)/ガーション・キングスレイ(cond.)、他
ネタニア・ダヴラツ(S
[VANGUARD CLASSICS 08 8002 72]

 オーヴェルニュの歌の全曲録音2枚組の2枚目、第5集と「新オーヴェルニュの歌」を聴く。ダヴラツはロシア出身のソプラノであるが、実に良くフランス語の美しさを引き出してゐる。メソッドに捕はれない発声から生まれる人間の素朴な感情表現は、陽気な田舎の雰囲気まで伝へてくれる。特に、飾り気のないえも云はれぬ抒情美は現代が失つた自然讃歌の結晶であり、懐かしさに溢れた究極の癒しである。これらの曲集には他にも名盤があるが、人間性豊かな古き良き時代の香りを聴き取りたいならダヴラツ盤に尽きる。(2006.10.16)


シュトラウス:4つの最後の歌、アラベラ(3曲)、ナクソス島のアリアドネ(1曲)、カプリッチョ(5曲)
ウィーン・フィル/カール・ベーム(cond.)、他
リーザ・デラ・カーザ(S)
[DECCA 467 118-2]

 アラベラ歌ひデラ=カーザの全盛期に行はれた極上の録音集。1953年に初演から3年後の4つの最後の歌をシュトラウスを自家薬籠中としたベームの伴奏で、モラルトの伴奏で「アラベラ」から2曲、ギューデンとペルとの二重唱といふアルバム。これに1954年のホルライザーの伴奏で「アラベラ」のシェフラーとの二重唱、「ナクソス島のアリアドネ」のモノローグ、「カプリッチョ」から月光の音楽と最終場を抱き合はせてゐる。全てウィーン・フィルの伴奏で、陶然とするやうな至福のひとときに溺れることが出来る。モノーラル録音だが、デッカの優秀録音もあり後の全ての録音を圧倒する決定的名盤として太鼓判を押さう。4つの最後の歌だが、曲順がフルトヴェングラー盤と同じ、「眠りにつく時」「九月」「春」「夕映えの中で」となつてゐる。これは作曲者が意図してゐた曲順とも考へられてをり、デラ=カーザとベームといふシュトラウスの伝道師の無視出来ない記録とも云へるのだ。白銀のデラ=カーザの声にボスコフスキーの独奏も相まり至高の名盤が堪能出来る。十八番「アラベラ」は無論最高である。ギューデンが聴けるのも嬉しい。ホルライザーとの録音も最高である。(2021.4.27)


エミー・デスティン(S)
ヴィクター録音全集(1914〜21年)
エンリーコ・カルーゾ(T)、他
[Romophone 81002-2]

 レコード黎明期に活躍した大歌手のひとりデスティンのヴィクター録音集成。プラハに生まれたボヘミアのドラマティック・ソプラノは、第1次世界大戦期には祖国独立運動に投じ、パデレフスキと好一対を成す女傑であつた。独伊仏英の幅広いレパートリーを誇り、行くとして可ならざるはなしの感がある。カルーゾを筆頭に大物たちとの共演も華々しかつた。2枚組の1枚目。ヴェルディ、プッチーニ、チャイコフスキーなど重量級のドラマティコから可憐なコロラチューラまで歌ふ。清明な発声と変幻自在な表現は圧倒的で、「トスカ」「蝶々夫人」「アイーダ」は比類のない名唱だ。絶唱と云へるのがドヴォジャーク「ルサルカ」で、忘れ難い郷愁を聴かせて呉れる。貴重なのは母国語であるチェコ語の歌唱で、民謡が中心だが、琴線に触れる名唱ばかりだ。(2008.8.19)


エミー・デスティン(S)
ヴィクター録音全集(1914〜21年)
ジョヴァンニ・マルティネッリ(T)、他
[Romophone 81002-2]

 2枚組の2枚目。歌劇のアリアではヴェルディ「トロヴァトーレ」から2曲と「仮面舞踏会」が収録されてゐる。ヴェルディはデスティンの歌唱法に最も合致してをり、決して絶叫することなく、声に余裕を持たせ乍ら劇的な緊張感を孕む名唱ばかりだ。スメタナ「口づけ」も決定的な名唱だ。その他は全て歌曲である。グノーやモーツァルトの作品では幾分情熱的過ぎる嫌ひがあるが、トスティやリストの作品などでは見事な技巧と幅の広い表現に舌を巻く。第一次世界大戦直後に録音されたデスティンの母国語であるチェコ語による歌曲や民謡など10曲は、独立を勝ち得た民族意識昂揚の発露とも云ふべき絶対的な歌唱ばかりだ。デスティン自作の4曲は珍品と云へるが、曲・歌唱ともに最も優れてゐる。お薦めしたい。(2008.10.2)


エマ・イームス(S)
ヴィクター録音全集(1905〜11年)
[Romophone 81001-2]

 過去の名歌手―特にヴィクター赤盤の復刻を網羅的に敢行した英Romophoneが最初のリリースに選んだのが、アメリカのソプラノ、エマ・イームスである。実のところこの歌手について多くを知る訳ではない。20代でグノーの歌劇「ロメオとジュリエット」で当たりをとり、作曲者に激賞されたと云ふ。イームスの声は20世紀初頭に主流であつた頭声による発声法の典型とも云へるもので、感情表出の抑制された端正な歌唱である。2枚組の1枚目。矢張りグノー作品の名唱が光る。ジュリエットのヴァルス、マルガリータと有名なアヴェ・マリアなど何れも繊細で情味に品格がある。マスネのエレジー、マスカーニやトスティの作品も第一級の名唱である。(2005.2.20)


エマ・イームス(S)
ヴィクター録音全集(1905〜11年)
[Romophone 81001-2]

 2枚組の2枚目。イームスは伝説的な名教師マティルデ・マルケージの薫陶を受けた一人で、同門にはメルバやカルヴェなどが名を連ねた。マルケージよりベル・カント唱法の神髄を叩き込まれたイームスの歌声は、頭声による発声法のお手本とも云へ、知的で貴族的に抑制された含蓄のある声で、決して絶叫はしない。官能性は薄いが、劇的な表現は具へてをり、頂点で張つたときの美しく威厳ある声が持ち味だ。フランス・オペラで特に妙味を出してをり、グノー、ドリーブがよい。その他、英国の歌曲でも情味と気品が一体となつた名唱を聴かせる。シューベルト「糸を紡ぐグレートヒェン」の暗き抒情も感銘深い。聡明な歌手だ。(2005.3.26)


ジェラルディン・ファーラー(S)
ベルリンG&T録音全集(1904〜06年)
[Marston 52040-2]

 20世紀初頭、絶大な人気を誇つた絶世の美形ソプラノであるファーラー最初期の輝ける記録である。カイザーこと、かのドイツ皇帝に愛されたファーラーのベルリン時代の声は、100年前の録音ながら実によく録れてゐる。歌唱法には幾分古めかしさを感じるが、確かな技巧と豊かな表現力には舌を巻く。人気実力ともに一世を風靡した紛ふことなき証がここにはある。2枚組の1枚目。曲目はヴェルディ、グノー、マスネの他、伊仏英の歌曲が大半を占めるが、レオンカヴァッロの歌劇"RONALD VON BERLIN"といふ滅多に聴くことの出来ない録音なども含まれてをり興味深い。アメリカ人のファーラーだからディクションの正確さには遜色があるが、コケティッシュな歌声は聴くものの官能に訴へかける魔力がある。不出来なものはなく、情熱的な焔と艶やかな科が美しい器量と重なり、一種特別な陶酔へ誘ふ。(2005.4.3)


ジェラルディン・ファーラー(S)
1927年ヴィクター電気録音全集
1932年ベル・テレフォン・ラボラトリーズへの録音
1934年放送音源
1935年MET幕間の語り
[Marston 52040-2]

 2枚組の2枚目。当盤はファーラーの最初期と最後期の録音を網羅したといふ通を唸らせる好企画である。20世紀初頭、聴衆を悩殺したファーラーも、1920年代前半には舞台を引退し、映画の世界で新境地を拓いた。歌手の生命は短い。特に女性歌手が乙女の若々しい声を維持することは並大抵のことではない。1927年のヴィクター録音に往時の妖艶さはなく、声は渋みを帯びた。だが、ファーラーが全く魅力を失つて仕舞つたわけではない。トスティの歌曲における表情豊かな歌唱のむず痒い官能には陶然とさせられる。貴重な復刻としては、1935年METの実況放送で、ポンセルのヴィオレッタ、パニッツァの指揮による「トラヴィアータ」の幕間にファーラーが語り手として登場してゐるもので、自らのピアノ伴奏で歌唱も披露してゐる。(2005.4.26)


メアリー・ガーデン(S)
パテ録音(1904年or1905年)
G&T録音(1904年)
エジソン・シリンダー録音(1905年)
コロムビア録音(1911年〜1912年)
ヴィクター録音(1926年〜1929年)
[Malibran CDRG 196]

 近年新譜が殆どなかつた仏Malibranから愛好家感涙の復刻がひょっこり出てゐた。ドビュッシーに抜擢され「ペレアスとメリザンド」の伝説的な初演を担つたディーヴァ、ガーデンの復刻だ。美声ではないが、聡明な演技派歌手として一世を風靡した。英Romophoneから出たヴィクター録音全集以外は目立つたものがなく、待望の復刻だ。当盤にもヴィクター録音から6曲が収録されてゐるが割愛する。また、大変高名なドビュッシーのピアノ伴奏によるG&T録音4曲は米Marstonからも復刻されてゐたので割愛しよう。パテ録音は出身地であるスコットランド民謡2曲で深い味はひだ。シリンダー録音3曲は大変貴重で、マスネ「シェリュバン」「タイース」、ベンベルクのメロディーを吹き込んでゐる。重要なのはコロムビア録音11曲だ。デヴュー曲「ルイーズ」は最高の名唱で再録音よりも優れてゐる。親交厚く権威であつたマスネの「タイース」「ノートルダムの曲藝師」「エロディアード」は究極の名唱だ。「ラ・トラヴィアータ」の2曲でもガーデンの表情的な技巧を聴ける。5曲のスコットランドやアイルランド民謡も絶品。余白にインタビューと歌の披露があり、宝物のやうな1枚だ。(2016.1.29)


エレナ・ゲルハルト(Ms)
シューベルト:歌曲集(全24曲)
パウラ・ヘーグナー(p)/コンラート・ファン・ボス(p)
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9727]

 あらえびすの名著『名曲決定盤』は戦前の歌手を好む者にとつて聖典のやうなものだが、この中でゲルハルトが別格の扱ひを受け、激賞されてゐる様は唯事ではない。分けてもあらえびすが絶賛するシューベルトの歌唱ともなれば、何にも換えて聴かねばなるまい。どの曲を聴いても、あらえびすが惚れ込んだ理由が刻印されてをり、就中「冬の旅」における滋味豊かで、含蓄があり、殊勝な歌声を聴けば、傅かずにはゐられないだらう。女性歌手によるシューベルトのリートでは他に冠絶し、シューマンやレーマンもゲルハルトの前では霞んで仕舞ふ。清明な声に何時しか高い藝術境へと誘はれ、静かな想ひに精神は慰めを見出すだらう。「冬の旅」からは8曲、「白鳥の歌」からは3曲採られてゐる。(2005.5.13)


リア・ギンスター(S)
フリース/シューベルト/ブラームス/レーガー/シューマン/モーツァルト/ドビュッシー
[PREISER RECORDS 89227]

 戦前のドイツ・リート歌ひとして絶大な人気を博したギンスターであるが、昨今は忘却の一途を辿つてをり、メンゲルベルクと共演した記録が残されてゐることで僅かに記憶されてゐるかも知れぬ。あらゑびすも女学生めくと評してゐるが、可憐で愛くるしい声とおつとりとした表情が特徴である。イヴォーギュン、シューマン、シュトライヒの系列に連なる歌手と云へよう。ギンスターは歌劇でも活躍したが、評価が高く主戦場としたのはドイツ・リートであつた。墺プライザーが復刻した歌曲集2枚組の1枚目。1932年から1937年にかけてのHMVへの録音だ。冒頭3曲も子守歌が続くが、全31曲中5曲も子守歌を吹き込んでゐるのだ。実は子守歌にこそギンスター最良の歌唱があり、かつてはモーツァルトの作とされてゐたフリース、シューベルトの2曲、ブラームス、レーガーは「マリアの子守歌」で聴ける清純な歌声は理想的だ。しかも、ギンスターは単に声質で魅せるのではなく、実に繊細な声音の変化を伴ふ表現の奥義を駆使してをり心憎い。選曲も自身の強みを生かした賢明なものばかり。4曲のドビュッシーも違和感なく見事だ。(2021.1.31)


リア・ギンスター(S)
シューマン:女の愛と生涯
シューベルト/シューマン/ブラームス/シェック
[PREISER RECORDS 89227]

 2枚組の2枚目。1943年と1944年のHMVへの録音集。シューマン「女の愛と生涯」といふ大物録音が聴ける。可憐なだけでなく情愛の深さを込めた名唱だ。密やかな想ひの中に瞬間的に感情が溢れ出てをり、含蓄豊かだ。この曲の隠れた名盤で、愛好家には一聴をお薦めしたい。シューベルト「岩の上の羊飼ひ」が絶品だ。ギンスター絶頂期の録音であり、技巧と表現が一体となつた麗しき名唱である。ヴィオラの助奏を伴ふブラームス「2つの歌Op.91」はアルトの為の曲だが、ソプラノが歌ふのは興味深い。清らかな美しさがあり、作品から新しい一面を引き出した名唱だ。(2021.12.27)


アルマ・グルック(S)
ヴィクター録音集(1911〜18年)/オペラ・アリア録音篇
エンリコ・カルーゾ(T)、他
[Marston 52001-2]

 商業的には成功の見込めないやうな驚嘆すべき復刻で地歩を占めた米Marstonは、名復刻技術者ウォード・マーストンが自ら設立したレーベルである。そのMarstonのリリース第1号が、ルーマニア出身で、メトロポリタン歌劇場で大当たりを取り、ヴィクター赤盤のドル箱となつたグルックの復刻である。2枚組の1枚目。歌劇のアリアから編まれてをり、ヘンデル、フンパーディンク、リムスキー=コルサコフを中心に、独伊仏露からの多様な選曲となつてゐる。発声が時に不明瞭なことがあり、声質や技巧に取り立てる点もないが、知的に設計された劇的な歌の情操こそがグルックの持ち味であり、聴き手を呪縛する魔力に溢れてゐる。暗い情動を滾らせたベッリーニ「夢遊病の女」やレオンカヴァッロ「道化師」は狂ほしい程の名唱だ。リムスキー=コルサコフ「皇帝の花嫁」の悲愴感も胸に迫る。(2006.3.18)


アルマ・グルック(S)
ヴィクター録音集(1911〜18年)/歌曲録音篇
エフレム・ジンバリスト(vn)、他
[Marston 52001-2]

 2枚組の2枚目。今日グルックの名を知る者は殆どゐないだらうが、もしかするとアウアー門下四天王の兄貴分とされたジンバリストの奥方としての方が通りがよいかもしれぬ。ジンバリストも半ば忘れられた人だが、レコード黎明期に黄金期を謳歌し、その後はカーティス音楽院院長として政治的手腕を発揮し、安泰な余生を送つた。当盤にはグルックの歌にジンバリストが8曲助奏を付けてゐる。密度の濃い渋みのある音色からは妖気すら漂ひ、ジンバリストの輝かしき時代を今に伝へるよき記録と云へる。グルックはオペラ・アリアとは異なり、因習に捕はれない自由な感情を迸らせてをり、不出来なものがない。大作曲家の作品も幾つかあるのだが、大半は知名度が低い歌が多く、民謡が7曲もあるのは特徴的だ。グルックが想ひのたけを吐露出来る歌ばかりなのだらう。選曲や歌唱様式に五月蝿いものを求めなければ、深い感動をもたらす1枚だ。(2006.4.24)


ヒルデ・ギューデン(S)
初期録音集(1942年〜1951年)
ヴェーバー/モーツァルト/プッチーニ/シュトルツ/ドスタル/グローテ/レハール
[PREISER RECORDS 90176]

 ギューデンの繊細な声は録音では捉へきれないとされ、本当の素晴らしさを伝へる録音は僅かだとも云はれる。そんなギューデンの真価を存分に堪能出来る1枚だ。1942年録音のヴェーバー「魔弾の射手」のアリアの清廉の美しさは空気を変へる力がある。これは絶対的な歌唱である。1948年から1949年にかけて得意のモーツァルトを歌つたのはどれも極上だ。ダ=ポンテ三部作「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」をそれぞれ2曲披露してゐる。クリップスの伴奏がこれまた絶品である。同じくプッチーニも録音され、「ラ・ボエーム」から3曲―ミミもムゼッタも歌つてゐる―と「ジャンニ・スキッキ」を吹き込んだ。これ程迄、純粋な歌声は滅多に聴けないだらう。本領発揮のオペレッタが素晴らしい。シュトルツ「お気に入りの家来」、ドストル「クリヴィア」、グローテ「スウェーデンのナイチンゲール」、レハール「パガニーニ」「ロシアの皇太子」「ジュデッタ」「デュバリー」「微笑みの國」、全てが決定的名唱で、酔ひ痴れることが出来る。至高の1枚だ。(2020.4.9)


レイナルド・アーン(T&p)
歌手としての録音全集(1909〜1937年)
[Romophone 82015-2]

 作曲家の自作自演録音は数多あれど、殆どが指揮かピアノ演奏であり、歌手として録音を残したのはアーンくらゐではないか。3枚組の1枚目。1909年から1919年までの録音で、何とピアノ伴奏は1曲を除いて自身による弾き歌ひといふ藝当を聴かせて呉れる。戦前のフランスのテノールは鼻母音nasalを美しく聴かせる名歌手が幾人もゐたが、アーンもそのひとりだ。声量はなく、技術も特別ではないが、甘い抒情を振りまく。とは云へ、クレーマンのやうな高雅な藝術性はない。伴奏を自分で付けてゐるからだらう、自在な歌唱が素晴らしい。自作が6曲分、他にグノーが5曲、シャブリエが3曲、ビゼーが3曲、オッフェンバックが2曲、リュリ、レイエ、モーツァルト、思想家ルソーなどの作品で、自作のヴェネツィア、田園の墓、レイエ「ヴォルフラム親方」、ビゼー「真珠採り」は絶品だ。最も美しいのはグノー「アテネの聖母」で、神韻たる詩情に声楽家アーンの真価がある。(2009.8.29)


レイナルド・アーン(T&p&cond.)
歌手としての全録音集(1909〜1937年)
ニノン・ヴァラン(S)、他
[Romophone 82015-2]

 3枚組の2枚目と3枚目。アーンが歌つた録音は1枚目に殆ど収録されてをり、それ以外は1930年と1932年のコロムビア録音4曲だけで打ち止めだ―1曲重唱に参加してゐる録音もあるが。残りはアーンが指揮をして伴奏を付けた録音や、アーンがピアノで伴奏を付けた録音である。従つて自作自演とは云へ、興味は薄れる。様々な歌手の伴奏をしてゐるが、大物は矢張りヴァランで、オデオン録音9曲である。官能的な歌唱は聴く者を痺れさす。アーンの名曲の大半が揃つてゐるのも嬉しい。次いで、バリトンのGuy Ferrantの歌唱が多い。テノールArthur Endrèzeが歌ふ「恍惚の時」が絶唱で、アーン歌曲における最高の歌唱と云へるだらう。余白にアーンの企画で、オーケストラの楽器紹介をしてゐる。ヴァイオリンから始まり、木管楽器、金管楽器、打楽器、ハープまでを紹介する。それぞれの楽器の有名なさはりを聴かせて呉れる。ヴァイオリンを弾いてゐるのはアンリ・メルケルである。バソンの音やフレンチ・ホルンの音も楽しめる。(2010.1.8)


ゲルハルト・ヒュッシュ(Br)
ユルヨ・キルピネン歌曲集
マルガレータ・キルピネン(p)、他
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9741]

 英ダットン・レーベルからヒュッシュがKilpinenを歌ふと云ふCDが発売されて、興味を持つた。作曲家キルピネンのことはこれまで全く知らず、調べた結果、700曲以上の歌曲を作曲したフィンランドの歌曲王であると云ふことだ。このCDでは25曲の歌曲が聴ける。その内6曲はハンス・ウド=ミュラーの指揮による管弦楽伴奏で、残り19曲が何とキルピネン夫人のピアノ伴奏であり、代表作「死の歌」作品62全6曲の録音が重要だ。作風はヴォルフに似てゐるが、勿論シベリウスとの関係も無視出来ない。ヒュッシュは「冬の旅」での名唱で名高いが、ここでも高貴な歌声を披露してゐる。滋味豊かで含蓄のある歌唱に心奪はれる。多くの人に推奨したい知られざる名盤。(2004.10.10)


ゲルハルト・ヒュッシュ(Br)
シューベルト:白鳥の歌
バッハ:カンタータ第56番「われは喜びて十字架を負はん」
マンフレート・グルリット(p&cond.)
[BMG BVCC-37442-43]

 1952年7月、ヒュッシュ来日時の録音を完全復刻した2枚組の1枚目。ヒュッシュによるシューベルトの三大歌曲集が揃ふことは愛好家にとつて念願であつた。あらえびすの感化でドイツ・リートに特別な関心を持つた日本人が、唯一欠けてゐた「白鳥の歌」の録音をヒュッシュに懇願したことは意外ではない。50歳を過ぎて往年の潤ひを失つたヒュッシュの歌唱が、全盛期と比較して枯れた印象を与へることは否めないが、厳格なディクションによる清廉な藝風は更に深化してをり、諦観滲む「白鳥の歌」の録音には幸ひした。「春の憧れ」「住処」「アトラス」「ドッペルゲンガー」には強い感銘を受けた。グルリットの伴奏は本業でないからだらう、魅力に乏しい。バッハは大変貴重な記録であるが、管弦楽の響きが曖昧で興が殺がれる。ヒュッシュの歌唱が大変立派であるだけに残念だ。(2007.9.26)


ゲルハルト・ヒュッシュ(Br)/エルナ・ベルガー(S)
日本録音集(1952年)
マンフレート・グルリット(p)
[BMG BVCC-37442-43]

 ヒュッシュ来日時の録音を完全復刻した2枚組の2枚目。小品12曲で、内訳はシューベルトが2曲、ヴォルフが6曲、シュトラウスが4曲である。シューベルト「音楽に寄す」、ヴォルフ「隠棲」、シュトラウス「献呈」が胸に迫る名唱だ。余白には、1952年の11月から12月にかけて来日したドイツの名コロラチューラ、ベルガーによる日本録音全12曲が収録されてゐる。内訳はメンデルスゾーン4曲、シューマン3曲、ヴォルフ3曲、シュトラウス2曲である。年齢の為か戦前の可憐な趣は減退してゐるが、ディクションの正確さ、発声の美しさは健在である。メンデルスゾーンが何れも良く、「歌の翼に」の淡く清楚な抒情は比類がない。次いでシューマンが素晴らしい。ヴォルフとシュトラウスも美しいがベルガーの良さが充分に出てゐるとは云ひ難い。(2007.10.21)


マリア・イヴォーギュン(S)
オデオン全録音(1916〜1919年)
[PREISER RECORDS 89237]

 1910年代から20年代にかけて花形ソプラノとして活躍したイヴォーギュンだが、今日では忘れられた感がある。通ならベルガーやシュヴァルツコップを育成した名教師として名を知つてゐるかもしれぬ。可憐で清楚な歌唱が特徴的で、コロラチューラとしての技巧は幾分頼りないところがあるが、頭声歌唱に偏り過ぎない極めて表情的な発声を重視した。未発売を含むオデオン全録音を復刻した墺プライザーの復刻は、音質も最高で実に良い仕事をしてゐる。2枚組の1枚目。モーツァルト3曲、ドニゼッティ4曲、ヴェルディ7曲を中心にコロラチューラの名アリアで構成されてゐる。「魔笛」も「ルチア」も「トラヴィアータ」も品の良い仕上がりで、含蓄のある美しい声を聴かせる。シュトラウスのワルツを編曲したものやアクア「ヴィラネル」の瀟洒な風情は殊に素晴らしい。(2007.12.5)


マリア・イヴォーギュン(S)
オデオン全録音(1916〜1919年)
カール・エルプ(T)、他
[PREISER RECORDS 89237]

 2枚組の2枚目。声量に限界があるのか最高音を延ばさないのは奇異な感じを受けるが、華麗な技巧と美しい発声法で勝負をするイタリアのコロラチューラとは異なり、イヴォーギュンは清らかな乙女のやうな可憐さと知的な奥床しさを感じさせる抒情美が魅力で、一種特別な良さがある。モーツァルトは特に素晴らしく、「後宮への逃走」は全て名唱だ。トスティが編曲したショパンのノクターンにおける清楚な美しさもイヴォーギュンの美質を伝へる。白眉は数年後に伴侶となるエルプとの二重唱で、全6曲は高次元の名唱ばかりである。特に高貴な美声を聴かせるエルプの素晴らしさが心に残る。声質の相性も良く、清廉な二重唱には陶然とさせられる。ところで、イヴォーギュンはその後ドイツ・リートの守護神ラウハイゼンと再婚してゐる。恋多きミューズ也。(2008.1.16)


ヘルマン・ヤドローカー(T)
オデオン、ヴィクター、グラモフォン、ポリドール録音集(1908〜27年)
[Marston 52017-2]

 ヤドローカーの名を知る者は今日ではまずないだらう。あらえびすの著作にも辛うじて名前だけが載つてゐるに過ぎず、Marstonの復刻がなければ永遠に知らずにゐたに違ひない。ドラマティック・コロラチューラ・テノールと銘打たれた2枚組には歴史の彼方に葬り去るには惜しい名唱の数々が収録されてゐる。高音の張りが輝かしく雑作がない。声の制御が見事で円やかな美声が絶えることがない。一世代後のロスヴェンゲをも顔色なからしめる技巧家でありながら、声質は劇的で芯が強い燃焼的な歌唱である。2枚組の1枚目。収録曲はモーツァルト、オーベール、グノー、マイアベーアなど。ドイツのテノールだから当然モーツァルトやニコライに良さがあるのだが、華麗な技巧を要求されるグランド・オペラの作品がそれ以上に見事だ。グノー「ロミオとジュリエット」とマイアベーア「ユグノー教徒」が特に素晴らしい。(2005.11.16)


ヘルマン・ヤドローカー(T)
ヴィクター、グラモフォン、ポリドール録音集(1908〜27年)
[Marston 52017-2]

 2枚組の2枚目。歌劇より9曲と、歌曲15曲が収められてゐる。アリアの最大の聴きものはNapravnikの"DUBROVSKY"とゴルトマルクの「サバの女王」である。ファルセットによる高音の妙技はカウンター・テナー並の驚異的なもので、真にコロラチューラ・テナーの呼び名に相応しい。声質がドラマティコなだけにフィオリトゥーラも強靭極まりなく、表現の幅が恐ろしく大きい。歌曲はシュトラウス、チャイコフスキー、グレチャニノフ、ブラームスを多く吹き込んでゐる。矢張りシュトラウスやブラームスが気宇壮大で素晴らしく、ドイツ・ロマンティシズムの陶然的な趣を今に伝へる名唱ばかりだ。殊にブラームスの「永遠の愛について」が万感胸に迫る絶唱だ。(2005.12.28)


イレーヌ・ジョアシャン(S)
シューベルト/ブラームス/フォレ/ドビュッシー/ベルク/プーランク/サティ/オーリック/ケックラン、他
ジャーヌ・バトリ(p)、他
[INA IMV038]

 高雅なソプラノ、ジョアシャンは音楽史に偉大な足跡を残したヨーゼフ・ヨアヒムの孫である。ドイツ・リートとフランス歌曲による1959年のリサイタルと、バトリのピアノ伴奏による1951年のフランス歌曲のリサイタルと、同じくバトリの伴奏で1951年のケックランを讃へるリサイタルから成る当盤はジョアシャンの最上の1枚として万人にお薦めしたい。冒頭のシューベルト「連祷」から高踏的な趣に誘はれる。沈深とした歌唱は含蓄がある。得意としたヴェーバー「小さいフリッツが若き友に」は颯爽とした名唱だ。重要なのはベルク「四つの歌」で、晦渋な作品への慧眼に充ちた取り組みが素晴らしい。それ以上にフランス歌曲の良さに陶然となる。フォレ「スプリーン」「秘密」「月の光」、ドビュッシー「ビリティスの3つの歌」、プーランク「動物詩集」の透徹したフランス語の発声は極上である。バトリの伴奏で歌ふサティ、ラヴェル、ドラージュ、オーリック、ケックランの繊細な藝術はフランス歌曲の頂だ。(2010.5.13)


マルセル・ジュールネ(Bs)
グラモフォンへの独唱録音全集(1909〜33年)
[Marston 52009-2]

 かのシャリアピンが席巻する前はフランスがバス歌手の大物を輩出してゐた。ポル・プランソンとマルセル・ジュールネだ。しかし、シャリアピンのやうな魔力を持たないので今日では忘却の憂き目にあつてゐる。だが、ジュールネの耽美的な美声と品格ある嗜みは、失はれて仕舞つたパリ・コンセールヴァトワールの美しき伝統の貴重な記録である。ジュールネは名歌手と重唱を沢山残してゐるが、当盤は独唱のみを集成した有難い復刻だ。2枚組の1枚目。モーツァルト、ドニゼッティ、ベリルオーズ、グノー、ビゼーなどの名アリアで、全てフランス語による歌唱である。朗々とした歌声はディミュヌエンドを伴ふ絶妙な泣き節と一体となり耽美的な趣を特徴とする。最も感銘深いのは意外にもヴァーグナーで、「ヴォータンの告別」は絶唱と云ひたい。ヴァーグナーもフランス語による歌唱だが、発声や節回しの違和感を超え琴線に触れる。「ローエングリン」や「マイスタージンガー」も名唱だ。(2008.5.6)


マルセル・ジュールネ(Bs)
グラモフォンへの独唱録音全集(1909〜33年)
[Marston 52009-2]

 2枚組の2枚目。オペラでは「カルメン」、「タイース」より4曲、「ファウスト」より2曲が重要だ。フランス楽壇の重鎮による歌唱は気品と威厳が違ふ。特に録音が少ない「タイース」は価値が高い。しかし、それ以上に「マイスタージンガー」と「ヴァルキューレ」が素晴らしいのだ。フランス語歌唱による異様な録音だが、五月蝿いことは云ふまい。格調高い趣の神々しさは絶品である。その他、6曲の歌曲も充実してゐる。ディミュヌエンドとリタルダンドを伴ふ朗々たる泣き節で耽美的な哀感を醸すのは一種特別な藝術だ。何よりもフランス語の美しい鼻母音が高朗と発せられる歌唱には陶然となる。(2008.6.8)


ミリツァ・コルユス(S)
録音集(1934〜36年)
モーツァルト/ドリーブ/マイアベーア/オッフェンバック/シュトラウス、他
ブルーノ・ザイドラー=ヴィンクラー(cond.)、他
[hänssler CLASSIC CD 94.509]

 ヘンスラー・レーベルによるリヴィング・ヴォイシス・シリーズの1枚。ベルリンで活躍したコロラチューラ・ソプラノだが、ハリウッド映画にも出演して人気を博した美形ソプラノである。ヴェーバー「舞踏への勧誘」を編曲して歌ふなど幾分低俗な嫌ひがあるものの、コケティッシュな声の魅力と高音のアジリタでの輝きには抗し難い。ヴェルディ「シチリアの晩鐘」のボレロが絶品で、溌剌とした生命力溢れる歌唱は最高だ。次いでドリーブ「ラクメ」の妖艶さが素晴らしい。色気のある声質の為だらう、独墺系の作品よりも伊仏の楽曲に適性を示す。ドニゼッティ「ルチア」やアダン「闘牛士」におけるコン・フルートの見事な羽ばたきはガリ=クルチに比肩する。マイアベーアの「ディノラ」良し、ロッシーニの「踊り」良し、アルディーティの「口づけ」良し、デンツァの「フニクラ・フニクラ」良し。美声と技巧と表現力を兼ね備へた歴代屈指の名コロラチューラだ。(2006.11.12)


イヴァン・コズロフスキー(T)
ロシア歌劇とロシア歌曲
[Pearl GEM 0221]

 スターリン時代ソヴィエトのボリショイ歌劇場に君臨した立役者コズロフスキーのロシア音楽を集成した愛好家垂涎の1枚。1947年から1953年にかけての録音で歌劇全曲録音からの抜粋も含む。コズロフスキーはスターリンのお気に入りでもあつた。スターリンの死の直後、絶頂期に謎の引退をした。ソヴィエト・テノール界はレメシェフと人気を二分し、派閥を生んだといふ。容姿も声も柔弱なレメシェフと対照的に、精悍な容姿と技巧を尽くした色気のある声で聴き手を籠絡したコズロフスキーはレパートリーも広大で、実質的に王者であつた。矢張りロシア音楽で他の追随を許さない価値を持つ。収録曲は歌劇で「ルスランとリュドミラ」、「イーゴリ公」、「ボリス・ゴドゥノフ」2曲、「エヴゲニー・オネーギン」2曲、リムスキー=コルサコフで「五月の夜」「雪娘」「サトコ」、ルビンシテイン「悪魔」、ダルゴムイシスキー「ルサルカ」、チェコの指揮者で作曲家ナープラヴニーク「ドゥブロフスキー」、ラフマニノフの歌曲「歌ふな、美しき乙女よ、我が前で」の13演目だ。全曲、手練手管を用ゐた甘い歌で聴き手を虜にして離さない。個性も際立つ。今日までコズロフスキーを超えたロシアのテノールはゐない。(2019.6.12)


フランス・オペラ名唱集
グルック/グノー/オッフェンバック/ドリーブ/マスネ/プランケット
イヴァン・コズロフスキー(T)
[MYTO 1 MCD 925.68]

 スターリン時代ソヴィエトのボリショイ歌劇場に君臨した立役者コズロフスキーのフランス・オペラの歌唱を編んだ1枚。1940年代から1960年代にかけての録音で日時が不明なのが残念だ。音質が極上で稀代の藝術に圧倒される。全てロシア語での歌唱で、発声に違和感があるが、歌の魔力の前にだうでもよくなる。戦前の本場のフランス人らは程度の差はあれ品の良さを保ちコズロフスキーのやうに大胆には歌はない。自信に溢れた歌唱で、甘いソット・ヴォーチェから官能的なアクートまで古今を通じても最上級の歌が聴ける。詳細が分からぬので全曲盤からの抜粋なのかが判別しかねるが、全曲盤を揃へたい名唱の連続だ。収録曲は、グルック「オルフェオとエウリディーチェ」、グノー「ファウスト」11場面、「ロメオとジュリエット」2場面、オッフェンバック「ホフマン物語」、ドリーブ「ラクメ」2場面、マスネ「マノン」2場面、「ウェルテル」3場面、プランケット「コルヌヴィルの鐘」だ。「ファウスト」ではアレクサンドル・ピロゴフ、「ラクメ」ではマリア・ズヴェゾリーナとの共演。指揮者はサスモード、オルロフ、ブロンで好演を繰り広げる。どれも高次元の名演で往時ソヴィエトの実力の高さに驚かされる。(2021.2.21)


ロッテ・レーマン(S)
初期録音集(1914〜25年)/パテ、グラモフォン、オデオンへの録音
[PREISER RECORDS 89302]

 高名なドイツのソプラノ、レーマンの若き日の録音集で、3枚組の1枚目では、パテに録音した1914年の「ローエングリン」からの2トラックが特に重宝される。収録曲はヴァーグナーが最も多く、「タンホイザー」2曲、「ローエングリン」3曲、「マイスタージンガー」2曲、「ヴァルキューレ」2曲である。全てが情愛を振り絞るやうな絶唱で、時に気恥ずかしくなる程の乙女のエロスを感じさせる。ヴァーグナー以外の収録曲ではヴェーバー「魔弾の射手」2曲、グノー「ファウスト」3曲、ダルベーア「死せる眼」、シュトラウスの歌曲2曲といふ内訳で、得意としたヴェーバーやシュトラウスが絶品なのは云ふ迄もないが、グノーの感極まつた歌は当時主流だつた頭声法とは対極にある情念的な歌唱法で傾聴に値する。ダルベーアの秘曲も実に美しい。(2005.12.4)


ロッテ・レーマン(S)
初期録音集(1914〜25年)/グラモフォン、オデオンへの録音
[PREISER RECORDS 89302]

 再びレーマンを聴く。3枚組の2枚目。1917年から25年にかけての録音。全てアリアで、得意のヴェーバー、シュトラウス、コルンゴルトの他、モーツァルト、ロルツィング、ゲッツ、ヴェルディ、アレヴィ、ビゼー、オッフェンバック、マスネ、チャイコフスキーなどレーマンの幅広い演目を楽しめる。何と云つてもシュトラウス「ばらの騎士」とコルンゴルト「死の都」が極上の名唱で、世紀末藝術の骨頂を聴かせてくれる。次いでヴェーバー「魔弾の射手」「オベロン」が素晴らしく、ロルツィング「ウンディーネ」は聴く者の心を誘惑するやうな美しさに充ちてゐる。チャイコフスキーとヴェルディは好調だが、フランス・オペラは居心地が悪い。特にビゼー「カルメン」のミカエラやマスネ「マノン」では、情愛が濃密過ぎてエスプリからは程遠く興醒めだ。(2006.1.13)


ロッテ・レーマン(S)
初期録音集(1914〜25年)/グラモフォン、オデオンへの録音
ハインリヒ・シュルスヌス(Br)
[PREISER RECORDS 89302]

 再びレーマンを聴く。3枚組の3枚目。1917年から24年にかけての録音。意表をついて最も多いのがプッチーニのアリア7曲で、絶頂期の華やかな一面を窺へて興味深い。イタリアの歌手とは異なり、言葉や歌の昂揚に依らず音符そのものに感情の発露を見出す歌唱で、様式の差異が刺激的だ。宛らヴァーグナーを聴くやうな暗く重厚な歌唱であるが、感情移入が凄まじく、妖艶たる声の虜となるであらう。モーツァルトの三大オペラとトーマ「ミニョン」はシュルスヌスとの二重唱で、息の合つた名唱を聴かせる。その他では、情念と技巧が見事に融合したニコライと耽美的なヒルダッハの名唱が感銘を残す。(2006.3.10)


シューマン:「女の愛と生涯」
シューベルト:歌曲集(4曲)、ブラームス:歌曲集(4曲)、聖歌(6曲)
マンフレート・グルリット(p)/フリーダー・ヴァイスマン(cond.)/パウル・マニア(Org)
ロッテ・レーマン(S)
[hänssler CLASSIC CD 94.508]

 ヘンスラー・レーベルによるリヴィング・ヴォイシス・シリーズの1枚で、あらえびすがレーマンの最高傑作と絶賛した「女の愛と生涯」が聴ける。この名曲の録音は不遇で、ゲルハルト、E・シューマン、シュヴァルツコップなどの名歌手が如何なる訳か全盛期に録音を残さず、円熟を過ぎた引退間近の録音ばかりしかない。だから、乙女の情愛を噴流の如く歌ひあげたレーマンの最盛期の記録である当盤を躊躇ふことなく第1に推す。室内楽伴奏による邪道な演奏と云ふなかれ。女のエロスを感じさせる絶唱に斯様な瑣末事は問題ではない。寧ろ聴くものを優しく包み込むやうな弦の調べには癒される。シューベルトとブラームスの歌曲も煽情的で、「楽に寄す」「死と乙女」と「五月の夜」「永遠の愛について」が殊更感銘深い。荘厳なオルガン伴奏による聖歌も心情を余すところなく吐露した感動的なものばかりだ。(2005.9.26)


ロッテ・レーマン(S)
オペラ・アリア集
[EMI CDH 7 61042 2]

 ヴァイマール期のドイツにおいて最高のソプラノと目されたロッテ・レーマンのアリア集である。ナチス政権を避けて渡米した頃がレーマンの最盛期で、アメリカでの録音が専らリートであつたのがそれを示してゐる。このCDに収められた1927年から1933年のアリア集こそ、最良のレーマンを伝へるもので、得意としたベートーヴェン、ウェーバー、ヴァーグナー、シュトラウスとゐつたドイツの作曲家だけで組まれてゐるのも申し分ない。何れも身を焦がすやうな絶唱で、情熱的な色気に誘惑される。特にコルンゴルトにおける熟爛の美には目眩がする。注目は録音だけのレパートリーであるイゾルデで、恐ろしくなるほど情愛の吐息が聴こえてくる歌唱である。(2004.8.18)


フリーダ・ライダー(S)
グラモフォン録音全集(1921〜26年)
[PREISER RECORDS 89301]

 ライダーはガドスキーの衣鉢を継ぐヴァーグナー歌手であり、ヴェルディもよく歌つた。レーマンやレートベルクが歌はなかつたイゾルデやブリュンヒルデで見事な歌唱を聴かせた、フラグスタート出現以前の最も偉大なヴァーグナー歌ひであつた。3枚組の1枚目。最初期の1921年から22年の録音が聴ける。モーツァルト、ベートーヴェン、ヴェルディもそれぞれ立派だが、やはりヴァーグナーに止めを刺す。エリーザベトやイゾルデでの揺るがぬ格調高さ。ヴェーゼンドンク歌曲集からの名唱も深い感銘を残す。(2004.11.12)


フリーダ・ライダー(S)
グラモフォン録音全集(1921〜26年)
ラウリッツ・メルヒオール(T)/ハインリヒ・シュルスヌス(Br)、他
[PREISER RECORDS 89301]

 3枚組の2枚目。1922〜26年の録音。声の力強さと清明さを併せ持つた女丈夫で、曲を小さくすることがない名ソプラノである。収録内訳ではヴェルディが7曲と最も多く、「トロヴァトーレ」の二重唱や三重唱などは、湧き上がる生命力において滅多に聴くことに出来ない名唱と云へる。殊更シュルスヌスの朗々たる声には惚れ惚れする。だが、最高の聴きものはメルヒオールとの「ヴァルキューレ」第1幕からで、それはもう至宝と云へやう。メルヒオール最初期の録音となるジークムントからは、高貴で彫りの深い陰影と瑞々しい柔軟さを具へたヘルデン・テナーの神髄を聴くことが出来る。正直、ライダーが霞んでしまうほど格が桁違ひな名唱。(2004.12.21)


フリーダ・ライダー(S)
グラモフォン録音全集(1921〜26年)
フリッツ・ゾート(T)、他
[PREISER RECORDS 89301]

 3枚組の3枚目。1922〜26年の録音。1枚全てが自家薬籠中としたヴァーグナーのみで編まれてをり、その殆どが1925年にフリッツ・ゾートと吹き込んだ「トリスタンとイゾルデ」と「指環」である。ライダーの歌ふイゾルデとブリュンヒルデは情味と色気があり、神々しきフラグスタートの中性的な魅力とは違ふ良さがある。格調高さではガドスキーに幾分劣るが、表情の豊かさと艶やかな声でヴァーグナーの理想的な歌唱と云へる。しかし、共演者ゾートのひ弱なジークフリートが面白くない。ライダーはイゾルデやブリュンヒルデを、メルヒオールと録音してゐるから当盤を敢て聴く必要はない。(2005.1.16)


ヴィクトリア・デ・ロス=アンヘルス(S)
ベルリオーズ:夏の夜
ドビュッシー:選ばれし乙女
ボストン交響楽団/シャルル・ミュンシュ(cond.)
[TESTAMENT SBT 3203]

 歌劇「マノン」全曲の余白に収められたロス=アンヘルスによる歌曲2曲。モントゥーの指揮による「マノン」がEMI録音であり、ミュンシュの指揮によるベルリオーズとドビュッシーがRCA録音である。英TESTAMENTにして可能な抱合はせである。ベルリオーズはミュンシュの録音集成でお馴染みの音源でこの曲の代表的な録音だ。名花アンヘルスの可憐でコケティッシュな歌声は陰影の変化が絶妙で、エロスと死を喚起し曲の核心を突く。一方、神韻たるドビュッシーの楽曲にはロス=アンヘルスの歌唱は情味が深くて色気があり過ぎる。ミュンシュの指揮も繊細さを欠き、ベルリオーズと比較して遜色がある。(2006.2.16)


ジュゼッペ・デ=ルーカ(Br)
録音全集第1巻
G&T録音(1902年&1903年)/フォノティピア録音(1905年&1907年)
[Pearl GEMM CDS 9159]

 往年のイタリア人バリトンでこよなく愛されたのはデ=ルーカであつた。巧みで柔軟、合はせ上手で邪魔はしない。大歌手との共演にこの人ありで、長い藝歴を第一線で謳歌した。カヴァリエ・バリトンとして気品ある佇まいを武器とし乍ら性格的歌手として様々な役を器用にこなした。全集録音第1巻3枚組。1枚目は何と黎明期1902年から始まる。カルーゾと同じくガイスバーグの手による伝説の録音だ。最初の録音は何と作曲者チレアのピアノ伴奏で「アドリアーナ・ルクヴルール」を歌つてゐる。ロッシーニ、ドニゼッティ、ヴェルディは無論、モーツァルト、マイアベーア、トーマ、マスネなども巧い。変はり種としてはベルリオーズ「ファウストの劫罰」からの3曲がある。新作であつたジョルダーノ「シベリア」からの3曲は貴重な記録と云へる。どれも巧いがドニゼッティが一番だらう。特に「ドン・パスクァーレ」は絶品だ。(2022.12.6)


ジョヴァンニ・マルティネッリ(T)
アコースティック録音全集(1912〜24年)
[Romophone 82012-2]

 電気録音以前即ちアコースティック録音期のテノールでは云ふまでもなくカルーゾが横綱である。カルーゾが盛期を過ぎた頃に次期横綱と目されたのはマルティネッリだらう。しかし、カルーゾ亡き後、横綱は曲者ジーリに奪はれて仕舞つた。カルーゾの衣鉢を継ぐマルティネッリの歌唱が二番煎じと映り、勝ち目が出なかつた訳だ。しかし、旧吹込み時代のマルティネッリは威勢がよく、向ふところ敵なしと云つた風情だ。3枚組の1枚目。1912年のエディソン録音と1913年から15年までのヴィクター録音の復刻。演目の殆どがヴェルディとプッチーニといふ王道で、逃げも隠れもしない。マルティネッリの特徴はマッコーマックが評したやうに「炎と興奮」である。燃焼的で辛口な歌唱は劇的集中力が強く、歌に溺れない姿勢が好ましい。(2005.4.12)


ジョヴァンニ・マルティネッリ(T)
アコースティック録音全集(1912〜24年)
ジェラルディン・ファーラー(S)、他
[Romophone 82012-2]

 3枚組の2枚目。1915年から18年迄のヴィクター録音を収録。最大の聴きものは、妖しくも美しい科で魅せるファーラーと1915年に吹き込んだ「カルメン」からの5曲であり、二重唱の名場面を網羅してゐる。マルティネッリのホセは一途な情熱を傾ける芯の強さが特徴で、フランス系テノールが歌ふホセとは気丈が違ふ。取り分け「花の歌」の崇高な美しさは琴線に触れる。マルティネッリ最良の歌唱のひとつだ。その他ではマスカーニの"O Lola"、ビゼーの"Ouvre ton coeur"、レオンカヴァッロの"Mattinata"が燃焼的な絶唱で印象に残る。美声でありながら侠気がある歌ひ振りには、引き締まつた輝きがある。(2005.5.4)


ジョヴァンニ・マルティネッリ(T)
アコースティック録音全集(1912〜24年)
フランセス・アルダ(S)/ローザ・ポンセル(S)、他
[Romophone 82012-2]

 3枚組の3枚目。1918年から24年迄のヴィクター録音を収録。最大の聴きものは1924年にポンセルと吹き込んだ「アイーダ」第3幕と第4幕の二重唱名場面全5曲である。劇的な歌唱を持ち味とする取り合はせだけに、ヴェルディの神髄に迫る名唱となつてゐる。この他では、ガステルドの「ジョヴィネッツァ(ファシスト讃歌)」が燃え滾つてをり、血潮が疼くやうな名唱だ。情熱的な男のロマンを聴かせるマルティネッリだが、容姿は柔和な優男で、カルーゾ、スキーパ、ジーリらとは声質と容貌が好対照であり面白い。(2005.5.30)


ヴィクトル・モウレル(Br)
録音全集/G&T録音集(1903年)/フォノティピア録音集(1904年&1907年)
[Marston 52011-2] 画像はジャケット裏です

 アデリーナ・パッティ録音全集との抱き合はせである。モウレルは「オテロ」におけるイアーゴ役を創唱し、「ファルスタッフ」の表題役を創唱をした音楽史に燦然と名前を刻む大家である。タマーニョのオテロ、モウレルのイアーゴによる初演を思ふと身震ひがする。世紀の変り目に君臨した演技派歌手は1848年に生まれ1923年に没した。この全録音は盛期を少し過ぎた頃のもので衰へのない立派な歌唱ばかりだ。モウレルの声質は渋い光沢を放ち、含蓄のある磨き抜かれた美声で、フランス人らしく声を荒げて張り叫ぶことは一切しない。ファルセットのソット・ヴォーチェへの移行が絶妙である高音も美しいが、モウレルの真の素晴らしさは中低音の落ち着いた朗読調歌唱にあり、貴族的な品格は比類する者がゐない至藝である。トスティ"Marechiare"の泰然とした語り口には惚れ惚れとする。「オテロ」「ファルスタッフ」の録音は無論拝礼したくなるやうな格式高い出来だが、全ての歌唱が神々しい。藝術における貴族性を感得したいならモウレル閣下の録音を聴くがよい。(2006.7.23)


ネリー・メルバ(S)
グラモフォン録音全集第2集(1904年〜1906年)
[Naxos Historical 8.110738]

 Naxos Historicalは伝説の歌姫メルバの全録音を復刻した。復刻技術者がマーストンで、音質は特上であり決定的な全集と云へる。当盤に収録されてゐるのはグラモフォン・アンド・タイプライター即ちG&Tへの録音で、メルバの初期の録音である。とは云へ既に40歳を越しての歌唱であり、全盛期の記録と見做して良いだらう。当時の主流であつた頭声に偏重した歌唱法だが、メルバの歌は比較的古めかしさを感じさせない。それは滋味豊かな含蓄ある声質が為だらう。特にフランスの歌劇と英語による民謡調の歌曲は絶品だ。グノー良し、ラロ良し、フォスター良し、ビショップ良し。否、プッチーニやトスティやバンベールも素晴らしい。名実ともにメルバは最高の歌手だ。スコット「おやすみ」を崩して歌つてゐるのに、この気品は如何ばかりであらう。(2007.8.10)


ネリー・メルバ(S)
グラモフォン録音全集第3集(1908年〜1913年)
ジョン・マッコーマック(T)/ヤン・クベリーク(vn)、他
[Naxos Historical 8.110743]

 メルバ50歳前後の記録で最も充実した歌唱を聴かせて呉れる。メルバの声は肉感的な要素が薄く、神秘的なヴェールを通したやうな含みのある独特の歌声が特徴だ。特に中声部で聴かせる抒情的で知性漂ふ雰囲気は、清らかな乙女の若々しさを失はない魔法の発声である。フランス・オペラが最も良く、グノー「ファウスト」の三重唱は極上で、澄み渡るメルバの高音には陶然となる。マッコーマックとの相性も抜群だ。マスネ「バザンのドン=セザール」の見事なアジリタや、「ル・シッド」の詩情溢れる語り口も絶品だ。ショーソン「リラの花咲く頃」の高雅な情感も素晴らしい。ヴェルディやプッチーニも良く、英國の歌曲も良い。ヴァーグナー「ローエングリン」の「エルザの夢」は稀少価値のあるレペルトワールで、気品ある佇まひが何とも美しい。メルバの歌唱は嫌味がなく、全てが滋味豊かな詩情に包まれてゐる。愛しのディーヴァ。(2008.4.2)


ネリー・メルバ(S)
グラモフォン録音全集第4集(1921年、1926年)
1926年6月7日コヴェント・ガーデンにおける告別公演
[Naxos Historical 8.110780]

 Naxos HistoricalよりG&Tやグラモフォンへの録音が復刻されて、メルバの録音が全て揃ふやうになつたことを歓迎したい。特に、伝説的な告別公演の全模様が収められた当盤の価値は高く、全集としての箔を付けてゐる。流石に往時の麗らかさは失はれてゐるが貫禄は十分である。凡そデズデモーナとミミと云ふ大役は引退公演には辛い筈であるが、崩れを一切見せることなく寧ろ聴く者を感服させる。最後にメルバ自身による聴衆への別れの言葉も収録されてゐる。1921年及び告別公演の半年後に行はれた1926年のグラモフォンへの録音では、緩やかな民謡が殆どで含蓄ある賢女の声を堪能出来る。取り分けSzulc「月の光」が神々しい歌唱で、メルバが如何に偉大な歌手であつたかを教えてくれる。上記の復刻を担当したのは全てマーストンで、音質はこれ以上望めないほど優秀だ。(2005.1.27)


アンナ・モッフォ(S)
シュトラウス:「こうもり」ハイライト
ウィーン国立歌劇場管弦楽団/オスカー・ダノン(cond.)
リチャード・ルイス(T)、他
[RCA 88875032232]

 美形ソプラノ、モッフォのRCA録音よりオペラ全曲録音以外のリサイタル・アルバム全てを収録した12枚組。「こうもり」のハイライト盤だ。これはもともとLP両面に収まるやうに企画された抜粋録音で、約半分のナンバーが演奏されてゐる。もう1点問題があつて、英語歌唱なのだ。恐らく人気絶頂のモッフォのロザリンデ目当ての録音だらう。本格的な内容を求める方には邪道録音に違ひないが、演奏自体は大変素晴らしく捨て難い。モッフォのロザリンデも素晴らしいが、ルイスのアイゼンシュタインも良い。ファルケに大物ジョージ・ロンドン、オルロフスキーはリーゼ・スティーヴンスが歌つてゐる。その他ではアデーレのジャネッテ・スコヴォッティが華があつて素晴らしい。そして、何よりもダノンと本場ウィーン国立歌劇場管弦楽団の伴奏が滅法良い。序曲から生命力の塊で、最上級の名演を繰り広げて呉れる。実はこの録音の数日前に、ダノンは同じウィーン国立歌劇場管弦楽団を指揮してRCAに全曲録音を仕上げてをり、極上の名盤として知られる。ロンドンとスティーヴンスは同じ配役で出演してゐる。この英語ハイライト盤はついでの仕事の感はあるが、大変充実してゐる。(2017.3.18)


アンナ・モッフォ(S)
カントルーブ:オーヴェルニュの歌より7曲
ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第5番
ラフマニノフ:ヴォカリーズ
アメリカ交響楽団/レオポルド・ストコフスキー(cond.)
[RCA 88875032232]

 美形ソプラノ、モッフォのRCA録音よりオペラ全曲録音以外のリサイタル・アルバム全てを収録した12枚組。本邦においては最も有名な録音かも知れぬ。1980年代のラジオ番組「夜の停車駅」で使用されてゐたラフマニノフ「ヴォカリーズ」の音源がこのモッフォ盤であり、聴き手に強い印象を与へて来たからだ。この曲でこれ以上感銘深い録音は一寸考へられない。他の録音と違つて、夜霧にくすんで郷愁をかき立てるやうに聴こえるのには、実は理由がある。モッフォは調を半音下げてしっとりと7分かけて歌つてゐるのだ。絶美の極み。このヴォカリーズを知らぬは人生の大いなる損失と云つても過言ではない。代表的な曲を選び抜いたカントルーブも色彩的なヴィラ=ロボスも素晴らしい。神秘的な声が我らを別世界へと誘ふ。ストコフスキーの蟲惑的な伴奏がモッフォを引き立ててゐる。1964年に録音されたモッフォ絶頂期の名盤だ。(2015.7.31)


クラウディア・ムツィオ(S)
パテ全録音(1917〜18年)
[Romophone 81010-2]

 ムツィオは特別に愛顧を感じるソプラノである。短い期間に優れた録音を相当数残しながら、全盛期かそれを過ぎたかの頃に若くして亡くなつた。従つてムツィオの録音には不出来なものがない。パテへの録音はムツィオ20代の歌唱だが何れも充実してゐる。ムツィオは頂点を張らない。到達する直前からデュミュヌエンドをかけ、多くの歌手が声を張り上げるところを甘味なヴィブラートで抜くやうに歌ふ。しかし、声質も歌唱法もドラマティコのそれであり、リリコではない。ムツィオはヴィブラート歌唱の極致を示した、侘び寂びを心得た得難い歌手である。2枚組の1枚目。ヴェルディ、プッチーニ、マスカーニ、レオンカヴァッロの王道を行く選曲で真価を発揮する。「トロヴァトーレ」「アイーダ」「オテロ」「蝶々夫人」「トスカ」「カヴァレリア・ルスティカーナ」「パリアッチ」何れも良く、カタラーニの「ワリー」やヴォルフ=フェラーリの「スザンナの秘密」に至るとムツィオを超えるものなど想像もつかない。(2005.8.6)


クラウディア・ムツィオ(S)
パテ全録音(1917〜18年)
[Romophone 81010-2]

 2枚組の2枚目。間断なくヴィブラートをかけた情熱的な歌唱はエスプレッシーヴォの極みであるが、絶叫することなく絶入るやうなディミュヌエンドで陰影を色濃く付けた得難いソプラノである。劇的な楽曲ほど旨味を発揮し、分けてもヴェルディは独自の境地を示してをり、「トロヴァトーレ」「仮面舞踏会」「シチリアの晩鐘」「エルナニ」何れも至藝と呼ぶに相応しい。「ボエーム」のムゼッタも絶唱だ。一方、「カルメン」のミカエラや「ルイーズ」などは情緒連綿過ぎるきらひがあり感興が薄い。通俗的な歌曲で聴かせる哀愁は聴く者の胸に忘れ難い感銘を残す。当盤にはエディソン・レーベルに吹き込んだ未発表録音4曲が含まれてをり、特にスポールディングがオブリガードを弾くMasceroni"For All Eternity"は貴重な名唱だ。(2005.9.11)


シャルル・パンゼラ(Br)
フォレ:ひそかに、墓地にて、歌曲集「優しい歌」、同「幻想の水平線」
デュパルク:歌曲集(5曲)
シューマン:詩人の恋
アルフレッド・コルトー(p)/マドレーヌ・パンゼラ=バイヨ(p)
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9726]

 1933年から1939年にかけての録音。温かく包み込むような歌声は気品に充ち、甘く囁くソット・ヴォーチェは決して感傷的な安さがない。「詩人の恋」は、名代のシューマン弾きコルトーの伴奏と云ふことでパンゼラの録音中最もよく知られたものである。ドイツの歌手とは異なり、高貴なエスプリが傷付き易い心情を慰め、知的に抑制された名唱となつてゐる。それ以上に素晴らしいのはコルトーだ。語るやうに歌ふタッチと知性に裏付けされた解釈が詩情を紡ぎ、終曲の独奏は殊の外胸に迫る。御家藝であるフォーレとデュパルクは天下御免の名唱ばかりで、フォレ「ひそかに」とデュパルク「旅への誘ひ」は至藝の域に達してゐる。当盤はフォレの歌曲集作品61と作品118の全曲が揃つてゐることでも価値が高い。(2006.2.13)


シャルル・パンゼラ(Br)
デュパルク:歌曲集(7曲)
フォレ:歌曲集(16曲)
マドレーヌ・パンゼラ=バイヨ(p)
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9749]

 英ダットンによる復刻集第2巻。1927年から1937年にかけての録音。パンゼラの代表的録音として繰り返し発売されてゐるものだ。朗々たる歌唱の気品、フランス語の美しさ、ディクションの正確さにおいてパンゼラを超えるバリトンはさうはゐまい。ソット・ヴォーチェも美しさもさることながら、朗々と張つた時の貴族的な威厳がパンゼラの美質である。デュパルクの「悲しき歌」「波と鐘」「ロズモンドの館」、フォレの「夢のあとに」「ある1日の詩」「ゆりかご」が琴線に触れる名唱である。(2005.7.24)


アデリーナ・パッティ(S)
G&T全録音(1905年&1906年)
[Marston 52011-2]

 パッティは「歌の女王」と讃へられ、世紀末の文藝作品の中にまでその名を残す伝説のソプラノである。1843年の生まれだから、残された全録音は60歳前半頃の記録だ。あらえびすが著書で「蓄音機音楽は余りに若く、パッティは余りに老いた」と記してゐるやうに、早く凋落を迎へたパッティは伝説の片鱗をも残すこと相成らなかつた。「ノルマ」の"Casta diva"などは音程が下がり、息継ぎも苦しさうで声が震へて仕舞つてをり、無惨な老女の歌である。しかし、パッティは非常に聡明な歌手で、晩年は"Home,sweet home"のやうな民謡を主に歌ひ、聴衆を魅了し続けたと云ふ。残された録音でも平易な曲の味はひは流石で、郷愁に誘ふスコットランド民謡の数々、滋味豊かなビショップ「埴生の宿」、含蓄深いトスティ「セレナータ」は聴き応へがある。自由奔放なYradier"La Calesera"も面白く聴ける。特に素晴らしいのがバイロンの詩による自作"On parting"で、琴線に触れる感動的な歌唱である。(2006.8.28)


ユリウス・パツァーク(T)
グラモフォン録音(1929年〜1938年)
[PREISER RECORDS 89233]

 パツァークの最初期録音集。墺プライザーの驚異的な復刻技術で生々しい声が聴ける。パツァークは今日の耳だけでなく当時も奇異な存在であつたと思ふ。こんな奇天烈な声の歌手は他にゐない。抜けの悪い鼻詰まりのやうな声、時に音程が振らつく技術のなさに驚く。だが、個性的な歌唱は存在感抜群で、退廃的なウィーン流儀が一旦嵌ると印象が強すぎて他の歌手が霞むといふ困つたテノールなのだ。2枚組の1枚目。1929年から1931年にかけての録音で、マンフレート・グルリット、ヘルマン・ヴァイゲルト、アロイス・メリヒャルの指揮によるオーケストラ伴奏だ。収録曲は「ラ・トラヴィアータ」2曲、「仮面舞踏会」2曲、「マノン」2曲、「ホフマン物語」2曲、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」2曲、「コジ・ファン・トゥッテ」「魔笛」「カルメン」「アイーダ」「ラ・ボエーム」「蝶々夫人」「西部の娘」「カヴァレリア・ルスティカーナ」「マルタ」「売られた花嫁」「エヴゲニー・オネーギン」からそれぞれ1曲だ。全てドイツ語による歌唱で、「魔笛」や「マイスタージンガー」は安心して聴ける。最古録音の「ラ・トラヴィアータ」を聴き始めて拒絶反応を起こしてゐけない。下手物として聴き進めるのだ。「ホフマン物語」のクラインザックの伝説では虜になつてゐるだらう。ヴェルディもプッチーニもヴェーヌスベルクで歌はれる。ヴァーグナーは官能の極みだ。(2018.11.13)


ユリウス・パツァーク(T)
グラモフォン録音(1929年〜1938年)
[PREISER RECORDS 89233]

 2枚組の2枚目。一世一代と云つてよい個性的な歌唱が堪能出来る。演目はアリアが、珍しい曲でキーンツル「福音の人」の他、「愛の妙薬」「マルタ」「ミニョン」「ウインザーの陽気な女房たち」と、「ドン・ジョヴァンニ」から2曲、「後宮への逃走」から2曲、「リゴレット」から2曲、「ウェルテル」から2曲、「トスカ」から2曲、ゲルトルート・リューゲルとの二重唱で「トロヴァトーレ」から2曲、エレナ・ベルガーとの二重唱で「リゴレット」と「トラヴィアータ」、更にバッハ「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」からのアリアも聴ける。パツァークの力強い高音は鼻から抜けるやうな発声法に変はる為、張つてゐるにも拘はらず、不真面目な脱力感を伴ふ。その一種特別な頽廃感が持ち味だ。(2019.5.6)


シュトラウス:商人の鑑
ザルムホーファー:明るい標本
ヴァルター・クリーン(p)/フランツ・ザルムホーファー(p)
ユリウス・パツァーク(T)
[PREISER RECORDS 90014]

 墺プライザーならではの稀少価値のある1枚だ。ウィーンを代表するテノールでシュトラウス歌ひとして一種特別な存在感を示したパツァークの連作歌曲集の録音だ。シュトラウスにとつて交響詩と楽劇に次いで歌曲は重要な分野であつた。作品66「商人の鑑」は曰く付きの作品だ。当時衝突してゐた出版社への皮肉を込めた12曲から成る作品で、ブライトコップフ社やショット社などを隠喩で当て擦つた諷刺作品なのだ。ピアノ伴奏が非常に雄弁な作品でシュトラウスの作品からの引用も多数ある。クリーンの伴奏も巧い。1955年の録音で、斜に構へたパツァークの声が嵌り過ぎだ。もう1曲はヴァッゲールの詩集「明るい標本」をザルムホーフォーが歌曲にした作品で、作曲者自身のピアノ伴奏で歌つたAMADEOレーベルへの初録音は決定的名盤である。(2021.12.9)


ポル・プランソン(Bs)
G&T録音集(1902〜1903年)
ゾノフォン録音全集(1903年)
[Marston LAGNIAPPE]

 これは非売品である。入手するには米Marstonの会員となることが必須だ。レコード産業黎明期に最も優れた録音を行つたプランソンに対するマーストンの敬意は並々ならぬものがある。自身のレーベルにおける特典盤の第1弾にプランソンを選出してゐることからも窺ひ知れよう。マーストンは英Romophoneにヴィクター全録音の復刻を行つてをり、当盤と合はせるとプランソンのほぼ全録音が揃ふことになる―シリンダー録音が幾つかあるらしい。グラモフォン&タイプライター社への20曲―別テイクも収録してゐるので14演目だが―とゾノフォン録音への6曲で、重要なのはヴィクターに録音を残してゐないビゼー「カルメン」、マイアベーア「ユグノー教徒」、シャミナード「蒼き地にて」、シューマン「旅へのあこがれ」の4曲だ。特にビゼーとマイアベーアは極上の逸品である。(2009.5.21)


ポル・プランソン(Bs)
ヴィクター録音全集(1903〜1908年)
[Romophone 82001-2]

 古の名歌手の復刻で忘れ難い業績を残した英Romophoneによる男性歌手復刻の劈頭を飾つたのは、復刻者マーストンの思ひ入れもあるのだらう、フランスの大物バスとして君臨したプランソンだ。1851年に生まれ1914年に没したから、晩年の録音といふことになるが、辺りを払ふ威厳に圧倒されて仕舞ふ。2枚組の1枚目。1903年から1905年の吹込みだ。全てピアノ伴奏で、殆どがフランス語による歌唱である。同じ頃にロシアから台頭して来たシャリアピンの豪快で野卑な歌とは異なり、繊細さと気品を損なはない高雅な歌唱で、表現の幅が大きく、懐の深さには甚く感心して仕舞ふ。トーマ"LE CAID"、ベルリオーズ「ファウストの刧罰」、グノー「ファウスト」からの3曲、フランス語歌唱によるシューマン「二人の擲弾兵」は特に絶唱だ。プランソンのヴィクター録音はカルーゾの録音と共にレコード黎明期の最も重要で最も偉大な歌唱藝術の記録である。(2009.1.6)


ポル・プランソン(Bs)
ヴィクター全録音集(1903〜1908年)
エマ・イームス(S)、他
[Romophone 82001-2]

 2枚組の2枚目。1905年から1908年迄の録音で、矢張り殆どがフランス語歌唱である。収録曲は1枚目と重複するものが多く、トーマ"LE CAID"、ベルリオーズ「ファウストの刧罰」、グノー「ファウスト」の素晴らしさについては繰り返しになるから止すが、プソンソンにとつて唯一のアンサンブル録音となる「ファウスト」の三重唱は最も重要な記録であらう。プランソンの偉大さを端的に教へて呉れるのはマイアベーア「ディノラ」「北極星」「悪魔のロベール」で、グランドオペラの壮麗さを歌ひ上げた極上の名唱ばかりである。ヴェルディ「ドン=カルロ」の感極まつた絶唱も圧巻だ。大変珍しいイタリア語歌唱であるが、「魔笛」における辺りを払ふ威厳は見事だ。フランス・メロディーでも慈愛が深く、高貴な感情が蕩々と溢れる様には額突くしかない。100年以上前の記録だが、驚くほど声が良く録れてゐる。プランソンはシャリアピンと並ぶバス歌手の泰斗である。(2009.3.4)


リリー・ポンス(S)
モーツァルト/ロッシーニ/ドニゼッティ/ヴェルディ/ドリーブ/グノー/オッフェンバック/サン=サーンス/プロッホ/ビショップ/デラックァ/シュトラウス
[Pearl GEMM CD 9415]

 1928年から1939年にかけてのパーロフォン、ヴィクター、HMVへの録音。ポンスはフランス出身でMetで活躍したコロラチューラ・ソプラノで、ガリ=クルチの衣鉢を継いで地位を確立し、パピの指揮で「連隊の娘」や「リゴレット」の忘れ難い決定的な名唱を残した。収録曲はモーツァルト「魔笛」、ロッシーニ「セビーリャの理髪師」から2曲、ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」、ヴェルディ「リゴレット」から4曲、ドリーブ「ラクメ」、グノー「ミレイユ」、オッフェンバック「ホフマン物語」、サン=サーンス「夜啼き鶯と薔薇」、プロッホ「エアと変奏曲」、ビショップ「見よ、優しき雲雀を」、デラックァ「ヴェラネル」、シュトラウス「美しき青きドナウ」だ。当たり役であつた「リゴレット」のジルダは文句なしの出来だ。共演者ではデ=ルカの巧さに魅せられるが、テノールのエンリーコ・ディ・マッツェイは非道い。ヴェルディ以上にロッシーニやドニゼッティに惹かれる。アジリタの見事さは折り紙付きだ。ロッシーニでのデ=ルカとの二重唱は極上である。矢張りフランス音楽が絶品で美声が輝きを放つ。モーツァルトは珍しいフランス語での歌唱。シュトラウスのドナウをフランス語の歌詞を付けて歌つたものは通俗的な甘さとコロラチューラの華やかさが一体となつた珠玉の逸品である。(2021.4.18)


ローザ・ポンセル(S)
ヴィクター録音集(1923〜25年)
ジョヴァンニ・マルティネッリ(T)
[Romophone 81006-2]

 アメリカを代表する名ソプラノ、ポンセルの初期録音集。声が若やいでをり、後年の録音よりも好ましい。異論はあるだらうが、ポンセルの最盛期の記録と云へる。2枚組の1枚目。十八番としたヴェルディ作品が殆どで、何と全18トラック中15曲がヴェルディである。曲の重複も多いが、別テイクを丹念に復刻した英Romophoneならではの仕事と評価したい。「アイーダ」が半数以上の8曲を占め、この役を自家薬籠中とした絶対的な歌唱を聴かせてくれる。暗く劇的な声で芯の強い気丈夫なアイーダ像を打ち出してをり圧倒的だ。ポンセルは技巧や表現を年齢と共に深めたが、声質に関しては早く衰へて色気がなくなり低く重くなつて仕舞つた。「エルナーニ」「運命の力」「オテロ」もこの時期の歌唱が最高で、悲劇的な情感を見事な技巧で熱く迸らせてゐる。(2006.6.1)


ローザ・ポンセル(S)
ヴィクター録音集(1923〜25年)
[Romophone 81006-2]

 2枚組の2枚目。未発表別テイクを多数含む愛好家垂涎の復刻だ。歌劇のアリアはポンキルエリ「ジョコンダ」とマイアベーア「アフリカ女」のみだが、ドラマティック・コロラチューラの妙技を堪能出来る。他はトスティやフォスターなどの歌曲である。英語の曲が多く、アメリカで育つたポンセルにとつては得意の演目となる。しかし、ポンセルの持ち味は劇的なヴェルディ作品などでこそ発揮され、このやうな歌曲では窮屈そうだ。技巧や表現の巧みな反面、もともと美声の持ち主ではない為、抜けの悪い発声法が裏目に出て、曲の素朴さを失つてゐる。中ではディ・カプア"Maria,Mari!”の連綿とした情感、Di Chiara"La Spagnola"の妖艶な情熱が素晴らしい。(2006.6.29)


ローザ・ポンセル(S)
ヴィクター録音集(1926〜29年)
ジョヴァンニ・マルティネッリ(T)、他
[Romophone 81007-2]

 ヴィクター録音全集第2巻。2枚組の1枚目。ポンセルはマリア・カラスの先駆者である。声質、歌唱法、表現の幅広さ、何れに於いても類似点が多い。スポンティーニの「ヴェスタの巫女」に聴かれるやうに、預言的で神々しい声は正しく巫女の声と云へる。声質はドラマティコの中でも、暗く重い方に属する。かういふ声は苦手なのだが、声を制御する技術が見事で、説得力がある。スポンティーニの他ではヴェルディの「エルナニ」「アイーダ」が素晴らしい歌唱である。しかし、簡素なリートやメロディーは畑違ひで声質が馴染まず、歌ひ過ぎる為に感銘が薄い。(2004.8.29)


ローザ・ポンセル(S)
ヴィクター録音集(1926〜29年)
ジョヴァンニ・マルティネッリ(T)/エツィオ・ピンツァ(Bs)、他
[Romophone 81007-2]

 2枚組の2枚目。ポンセル最良の歌唱を聴くことが出来る。収められた曲は大半がヴェルディで、劇的な声と表情で弥が上にも緊張が高められる。ポンセルは悲劇的な声質と強く歌ふといふヴェルディ歌唱に不可欠な要素を備へてゐる。技巧も絶頂期の冴えを見せてをり、クレッシェンドからスビト・ピアノへの安定した声の変化は見事と云ふ他ない。「運命の力」と「アイーダ」が取り分け優れてゐる。また、ベッリーニ「ノルマ」はカラス以前の名唱として逸することの出来ないものだ。(2004.9.28)


イヴォンヌ・プランタン(vo)
名唱集(1929年〜1940年)
ウィルメッツ/メサジェ/オッフェンバック/アーン/オーリック/プーランク/マルティーニ/ポーター、他
[Pearl GEMM CD 9158]

 プーランクの傑作「愛の小径」の創唱者で名を知られるプランタンの復刻盤。プランタンは歌手といふ前に、何よりもまず女優であつた。舞台に映画に大活躍し一世を風靡したベル・エポックの花である。だが、女優の余技と侮るなかれ、甘いヴィブラートたつぷりの美声で聴く者を陶然とさせて呉れる。繊細な表情と多彩な声音を駆使する技巧も持ち合はせてをり、歌手としても第一級だ。声量はないのかも知れぬが録音で聴く分には不都合はない。収録された曲は舞台や映画作品の一場面で歌ふ挿入歌が殆どだ。アーン「モーツァルト」からの2曲は重要だ。作詞はプランタンの夫ギトリが担つた作品も多い。一方で、オッフェンバック「ジェロルスタン大公妃殿下」なども歌つてゐる。また、バリトンのジャック・ジャンセンとの二重唱録音などもある。どれも雰囲気満点で古き良き時代のパリに誘つて呉れる歌唱ばかりだが、強く胸に残るのは矢張りプーランク「愛の小径」を筆頭に、オーリック「プランタン」、マルティーニ「愛の喜び」、ポーター"Goodbye,Little Dream,Goodbye"あたりだらうか。(2017.11.9)


エリーザベト・レートベルク(S)
ブランズヴィック録音全集(1924〜29年)
[Romophone 81012-2]

 レートベルクは特に贔屓にしてゐるソプラノである。大戦間の最も偉大なドイツの歌手で1930年代に黄金時代のMetで独自の地位を築くことに成功した。それはリリコ・ドラマティコの声質を生かすことによつてであり、ヴェルディにおけるアイーダ、アメーリア、デズデモーナ、ヴァーグナーにおけるエルザ、エリーザベトを守備範囲とした。美声ではないが、抒情的で含蓄のある声で、高音は叫ばず、低音ははつきりしてゐる。2枚組の1枚目。高次元の歌唱ばかりだが、取り分けアイーダ"Ritorna vincitor"におけるディクションの見事さは滅多に聴くことが出来ない名唱と云へる。(2004.7.8)


エリーザベト・レートベルク(S)
ブランズヴィック全録音(1924〜29年)
[Romophone 81012-2]

 2枚組の2枚目。麗しきエルザが聴ける。ブリュンヒルデなどを歌ふ重量級の歌手がエルザを歌ふと威圧的過ぎて困るのだが、滋味豊かでひたむきなレートベルクの歌声で聴くと、可憐でロマンティッシュこの上ない。デズデモーナの「アヴェ・マリア」では、感動的な祈りの歌が惻々と胸に迫り、何時しか引き込まれてしまう。歌曲でも底光のする声で、劇的過ぎず、抒情美が程よく融合されてをり、実に巧い。派手なものより賢明なものを好む人には、レートベルクは得難い歌手である。このCDは特に入手が困難だつただけに重宝してゐる。(2004.8.6)


オーダ・スロボドスカヤ(S)/Decca録音(1938年)&HMV録音(1931年)
ヴラディミール・ロージング(T)/パーロフォン録音(1933年〜1937年)
[Pearl GEMM CD 9021]

 スロボドスカヤもロージングも今日では全く忘れ去られた歌手だ。当盤を入手した理由はロージングだ。その名を知る者は例外なくあらゑびす『名曲決定盤』で激賞された紹介文を読んだ者だらう。復刻はこのPearl盤以外は見当たらない。特にエオリアン・ヴォカリオンへの録音は幻である。だが、状態の良いパーロフォンへの録音を有り難く拝聴しやう。15曲収録されてゐる。ムソルグスキーが3曲、チャイコフスキーが2曲、リムスキー=コルサコフが2曲、ラフマニノフが4曲と、キュイ、ブリッジ、古きワルツ、英國民謡だ。ロージングの声は暗い。絶望的な暗さだ。ソット・ヴォーチェは諧謔的で人生への皮肉のやうに聴こえる。これぞ帝政ロシアの憂愁を伝へる歌唱だと讃へたい。絶唱は高名なムソルグスキー「蚤の歌」で、狂気そのもの、シャリアピンの名唱も問題にならない。キュイの「飢饉」の救ひの無さも凄惨だ。古きワルツは苦しみを酒と歌で塗り込めたかのやうな陰惨さ。民謡”my father has some very fine sheep”の七変化する声音や擬声には呆気に取られた。類例のない空前絶後の歌手だ。スロボドスカヤの復刻もまた15曲ある。HMV録音3曲とDecca録音12曲分で、演目はタネーエフが4曲、チャイコフスキーが4曲、ラフマニノフが3曲と、チェレプニン、キュイ、ルビンシテイン、ムソルグスキーの曲だ。発声は時代を感じさせる。重く渋い含蓄のある声質で、ロシア歌曲には打つて付けだ。ラフマニノフ「リラの花」が印象深い。1931年録音の3曲の方が艶があつて良く、Decca録音では衰へが聴かれる。(2016.11.23)


ティッタ・ルッフォ(Br)
録音全集第1巻(1905年〜1907年)
レオンカヴァッロ/トーマ/ロッシーニ/ドニゼッティ/ジョルダーノ/ヴェルディ/グノー/マイアベーア/プッチーニ、他
[Pearl GEMM CDS 9212]

 20世紀初頭に活躍した大物バリトン、ルッフォの録音集成第1巻。2枚組の1枚目。ルッフォは兎にも角にも強大な声量で名が知られ、大声大会に為ることを忌避してネルバやカルーゾら大物歌手らが共演NGを出した歌手である。最初の録音は1905年5月から6月にかけてパリで行はれたパテ録音15曲だ。実はこの最初の録音が余り芳しくない。「セビーリャの理髪師」のアリアは珍妙で、「トロヴァトーレ」「トラヴィアータ」の無遠慮で情趣の欠片もない歌唱に名声を疑ふ。がさつな「ボエーム」の二重唱も戴けない。「ドン・カルロ」など素晴らしい歌唱もあるが、歌といふより喚いたやうな録音が多い。とは云へ、デ=ルカやバッティスティーニなどの朗々として貴族的なバリトンが主流だつた時代に劇的な感情表現を持ち込んだルッフォは現代の先駆者と評価しても良い。1906年10月のミラノにおけるG&T録音は10曲で指揮者サバイーノのオーケストラ伴奏による。ヴェルディの曲が大半を占め、再録音曲もあるが出来が断然良い。悠然とし声が伸びやかになつてゐる。1907年5月から6月に行はれたエットーレ・ティッタの「マレーナ」といふ曲を作曲者自身の指揮で歌つた2曲は珍品で詳細は不明だ。(2020.11.9)


ティッタ・ルッフォ(Br)
録音全集第1巻(1907年〜1908年)
トーマ/ヴェルディ/ベッリーニ/モーツァルト/ロッシーニ/レオンカヴァッロ/ビゼー/ポンキエッリ、他
[Pearl GEMM CDS 9212]

 2枚組の2枚目。声量が甚大であつたことで知られるルッフォの初期録音は咆哮した感が強いが、次第に表現力を加へて貫禄が出てきた。些末時に拘泥はらないどしりとした力強さは他の如何なるバリトンとも一線を画す特徴だ。さて、当たり役であり、需要があつたのか、トーマ「ハムレット」を6曲も吹き込んでゐる。イタリア語歌唱であり、雰囲気を含めて今日の観点からすると出来は微妙と云はざるを得ない。ルッフォの凄みを確認出来るのは兎にも角にもヴェルディである。「トロヴァローレ」2曲のルーナの熱血、「ドン・カルロ」のロドリーゴの懐の広さ、「リゴレット」は3曲あり、迫真の悲壮感に胸打たれる。レオンカヴァッロ「道化師」のプロローグも深い。ポンキエッリ「ジョコンダ」の壮麗さも良い。「カルメン」で闘牛士の歌を披露してゐるが漢気が滾つてをり聴かせる。「ドン・ジョヴァンニ」や「セビーリャの理髪師」など相性の悪い歌唱もあるが、総じて熱力の高さで貴族的な類ひのバリトンからは聴かれない一種特別な表現が楽しめる。イタリア歌曲も4曲録音してをり朗々として良い。(2021.5.6)


ティッタ・ルッフォ(Br)
録音全集第2巻(1912年〜14年)
レオンカヴァッロ/ロッシーニ/ヴェルディ/ドニゼッティ/モーツァルト/マスネ/マイアベーア、他
エンリーコ・カルーゾ(T)、他
[Pearl GEMM CDS 9213]

 20世紀初頭に活躍した大物バリトン、ルッフォの録音集成第2巻。2枚組の1枚目。この時期がルッフォの全盛期だらう。10年前のがなり立てる歌唱から強靭さはそのままで恰幅が良くなり、英雄的な昂揚感を帯びるやうになつた。「道化師」プロローグの生々しさは絶品で悲劇感に胸打たれる。同じくレオンカヴァッロの「ザザ」が良い。2曲吹き込んでをり感情移入が見事だ。さて、最高傑作はカルーゾとの「オテロ」だらう。当時最高の大物による共演で偉大さに圧倒される絶唱なのだ。イタリア歌曲も押し出し良く歌つてをり良い。風変はりな録音としてはシェイクスピア「ハムレット」を朗読した2トラックがある。劇的な演技力を聴かせたかつたのだらうが、一般的な興味は薄い。(2022.11.12)


ティッタ・ルッフォ(Br)
録音全集第2巻(1914年〜20年)
ヴェルディ/フランケッティ/シューマン/グノー/プッチーニ/マイアベーア/モーツァルト/ロッシーニ/トーマ/ジョルダーノ、他
[Pearl GEMM CDS 9213]

 20世紀初頭に活躍した大物バリトン、ルッフォの録音集成第2巻。2枚組の2枚目。12曲分が絶頂期1915年までの録音で、残りの11曲分は戦後の1920年の録音だ。ヴェルディでは「オテロ」から2曲、「ナブッコ」「運命の力」「仮面舞踏会」「リゴレット」を吹き込んでゐる。呪詛のやうな「オテロ」、切々と歌ひ上げた「仮面舞踏会」が取り分け絶品だ。フランス物では「ファウスト」「アフリカの女」を2曲ずつと「ハムレット」を吹き込んでゐるが領分ではない。歌曲ではシューマン「二人の擲弾兵」が最高だ。雄々しい武人振りはルッフォだけの持ち味で底力に圧倒される。1920年の録音は幾分覇気が落ち説得力の強引さはなくなつた。ルッフォは朗々と歌ふより豪快な方が光る。(2023.8.3)


ティート・スキーパ(T)
グラモフォン録音全集(1913年)
パテ録音全集(1916年)
[Marston 52008-2]

 スキーパの最初期の録音をマーストンによる極上の復刻で堪能出来る。リリコ・レッジェーロの声質を持つスキーパは、古今を通じても個性が際立つてゐる。2枚組の1枚目。ミラノでのグラモフォンへの全録音12曲とパテへの録音8曲が収録がされてゐる。全て歌劇のアリアや二重唱で、ヴェルディ4曲、プッチーニ5曲、マスカーニとレオンカヴァッロがそれぞれ2曲あるが、実のところスキーパの本当の良さはそれらにはない。無論、他の歌手からは得られない軽やかで華奢な優男振りは楽しめるが、軟弱過ぎるのも困る。ドニゼッティ、ポンキルエッリ、チレア、ロッシーニの作品に示した適性を聴くがよい。ファルセットなどに頼らずに紡がれる甘い美声の陶酔的な囁きは無二の境地に達してゐる。マスネやグノーのふんわりと柔らかい歌唱も美しい。(2007.12.19)


ティート・スキーパ(T)
パテ録音全集(1919年&1921年)
[Marston 52008-2]

 2枚組の2枚目。ミラノとニューヨークで行はれたパテへの録音の全てをマーストンの極上の復刻で堪能出来る。歌劇からはヴェルディ、プッチーニ、マスカーニの名アリアを吹き込んでゐるが、軽量級のスキーパの歌唱では幾分物足りないと感じるのが偽らざる気持ちだ。高らかに張り輝かしいが、甘くふんわりと浮遊する声質を変ずることはなく、一種特別な歌唱である。一方で資質にあつたベッリーニとドニゼッティは極め付けの名唱である。Padilla"LA CORTE DEL AMOR"の夢幻的な陶酔も美しい。民謡や歌曲が沢山収録されてをり、スキーパを聴く醍醐味が詰まつてゐる。Barthélemy作品2曲の天衣無縫たる軽やかなリズムは最高だ。得意とした「アイ・アイ・アイ」「サンタ・ルチア」も絶品で、自作の「アヴェ・マリア」も印象深い。(2008.1.27)


ティート・スキーパ(T)
ヴィクター全録音集(1922〜25年)
アメーリタ・ガリ=クルチ(S)
[Romophone 82014-2]

 リリコ・レッジェーロといふ男性歌手には決して多くはない声質を持つスキーパは、現在でも特別視される名テノールである。特に現代の画一的な発声法に慣らされた耳には新鮮な感動を与へてくれるだらう。世のテノールがファルセットを用ひて表現する処をスキーパはソット・ヴォーチェで慈しむやうに歌ふことが出来た。況してやスキーパのファルセットは夢のやうに美しい。その甘く軽い声の浮遊感は重い役柄には当然合はず、レパートリーは専らドニゼッティやベッリーニやフランスのオペラなどであるが、それ以上にナポリ民謡や軽い通俗的な歌に適性を示した。だから清教徒的な聴き手にスキーパは一段低く見られ勝ちである。2枚組の1枚目。下らない曲の録音があることは否めないが、Marvasi;Barthélemyの"Chi se nne scorda 'cchiù"の陽気で軽快な歌に、何時迄も心を閉ざしてゐることなど可能だらうか。(2005.6.20)


ティート・スキーパ(T)
ヴィクター全録音集(1922〜25年)
アメーリタ・ガリ=クルチ(S)/ルクレティア・ボリ(S)
[Romophone 82014-2]

 2枚組の2枚目。スキーパは経歴の最初を作曲家から始めた。天性の歌声で一代のテノールとして名を成したが、少なからず作品を残してゐる。自作の「アヴェ・マリア」や「キューバ」は見事な歌唱と相まつてスキーパ藝術の最右翼と云へる。それ以上にリストの「愛の夢」を自ら編曲したものが絶唱と云ふに相応しく、原典主義の堅物と謂へどもその陶酔的な美声には抗し難い感興を受ける筈だ。編曲が原曲以上の感銘を与へることも出来るといふ好例である。その他、ファリャのホタ、有名な"O sole mio"などが印象深い。本格的なオペラ作品だと甘く流れ勝ちで、スキーパといふ歌手の限界を感じさせないでもないが、フロトー「マルタ」やドニゼッティ「愛の妙薬」のアリアにおけるソット・ヴォーチェの美しさは格別で、個性の高らかな勝利を刻印してゐる。(2005.7.15)


ハインリヒ・シュルスヌス(Br)
初期録音全集(1917年〜1919年)
ヴェルディ/ヴァーグナー/ロルツィング/マルシュナー/ロッシーニ/グノー/レオンカヴァッロ/トーマ/シュトラウス
リヒャルト・シュトラウス(p)、他
[UraCant 982]

 ドイツの誇る名バリトン、シュルスヌスが残したアコースティック録音時代の初期録音集。1910年代の全録音を網羅してゐるのが有難い。歌劇のアリアを歌つた15曲には大凡再録音があるから、管弦楽伴奏の貧しい録音による当盤を特別には推薦しない。とは云へ、張りのある若々しい声で陶酔的な歌唱を繰り広げる様に何時しか魅せられて仕舞ふ。特にヴェルディ「リゴレット」とヴァーグナー「タンホイザー」は格別だ。ロルツィング「ウンディーネ」だけは確か唯一の録音だから重宝されよう。当盤の価値はシュトラウスの歌曲を作曲家のピアノ伴奏で録音した6曲にある。シュトラウス本人より「女ならシューマン、男ならシュルスヌス」と自作の理想的な歌ひ手として認められてゐただけに意味のある録音だ。耽美的な声音を存分に披露した極めつけの歌唱ばかりだ。(2010.3.18)


ハインリヒ・シュルスヌス(Br)
グラモフォン録音集(1927〜34年)/アリアとシェーナ篇
レオ・ブレッヒ(cond.)、他
[PREISER RECORDS 89212]

 シュルスヌスは一世を風靡したドイツのバリトンで、リートに定評があり絶大な人気を誇つた。グラモフォンに大量に残した歌曲は墺PREISERより3巻6枚で復刻されてゐるが、当盤は歌劇のアリアを編んだものだ。己の美声に惚れ感涙しながら歌つたとまで逸話が残る陶酔的な歌唱は、歌曲よりもオペラで真価を発揮してゐる。朗々たるベル・カント唱法はシュルスヌスがドイツ人歌手といふことを忘れて仕舞ふほどだ。泣き節が強くシュヴァルツのやうな格調高さに比べると甘さが癇に障る向きもあらうが、抗し難い美声の前には降参せざるを得ない。2枚組の1枚目。ヴェルディが11曲と圧倒的に多く名唱が揃つてゐる。殊に「リゴレット」「トラヴィアータ」などの陶酔的な美声には知らず恍惚となる。ヴェルディ以外でも「セビリャの理髪師」の快活明朗な歌唱、「カルメン」の伊達男振り、「イゴーリ公」の崇高な昂揚、グンベルト「ラインの緑の岸」の陶然たる味はひなど名唱の連続だ。(2006.5.15)


ハインリヒ・シュルスヌス(Br)
グラモフォン録音集(1935〜43年)/アリアとシェーナ篇
レオ・ブレッヒ(cond.)/クレメンス・クラウス(cond.)、他
[PREISER RECORDS 89212]

 2枚組の2枚目。シュルスヌス全盛期の録音で耽美的な美声には行くとして可ならざるはなしの趣がある。演目はモーツァルト2曲、ヴァーグナー4曲、ヴェルディ7曲を中心に、ロッシーニ、レオンカヴァッロ、グノー、オッフェンバック、ロルツィングなどバリトンの名曲が揃ふ。クラウスの指揮によるモーツァルトやヴァーグナーは極めて重要な録音だが、出来ならブレッヒ指揮による9曲が極上で、取り分けネスラー"DER TROMPETER VON SÄCKINGEN"における黄昏のロマンティシズムを聴くと感涙にむせんで仕舞ふ。「仮面舞踏会」の詠嘆や「道化師」の情念には魔術のやうな説得力ある。「タンホイザー」からの4曲も官能的な陶酔に誘ふ名唱で、現代では聴くことの出来ないエロスが漂ふ。再録音となるヴェルディのアリアも美の洪水である。シュルスヌスの録音はCDにして18枚くらいあるらしいが、これは最良の1枚だ。(2006.6.20)


ハインリヒ・シュルスヌス(Br)
モーツァルト/ヴァーグナー/ベートーヴェン/シュトラウス、他
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9732]

 シュルスヌスの復刻は墺プライザーが大半を網羅してゐたが、この英DUTTON盤はその落ち穂拾ひを担ふ1枚だ。プライザーになかつた音源は、1930年にヴァイゲルトの指揮で録音された、アプト"Waldandacht"、クロイツェル"SCHAFERS SONNTAGLIED"、ジルヒャー「ローレライ」、ペータース"Stromy Herbei,ihr Volkerscharen"の4曲と、最晩年の1951年にヘーガーの指揮で録音されたモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」の2曲のアリアである。矢張りモーツァルトの巧さが格別で、ドイツ語による歌唱だが、甘く陶酔的な歌は色男の魅力を存分に伝へる。シュルスヌスによる全曲録音を実現して欲しかつた。残りは全てプライザーより復刻がある。「ドン・ジョヴァンニ」の二重唱、マルシュナーとネスラー作品のアリア、ヴァーグナー「タンホイザー」より、ベートーヴェン「遥かなる恋人に寄す」、シューベルトの歌曲2曲、リストの歌曲2曲、シュトラウスの歌曲4曲で、シュトラウスは絶対的な名唱だ。(2015.12.1)


ハインリヒ・シュルスヌス(Br)
ロルツィング/チャイコフスキー/マーラー/ヴォルフ/シュトラウス、他
[DUTTON LABORATORIES CDBP 9791]

 シュルスヌスの復刻は墺プライザーが大半を網羅してゐたが、この英DUTTON盤はその落ち穂拾ひを担ふ1枚だ。プライザーになかつた音源は、1927年録音のハイデンライヒ指揮でのロルツィング「ウンディーネ」、1928年にフランツ・ルップのピアノ伴奏で吹き込んだヴォルフ「秘めた愛」「春だ」、シュトラウス「献呈」「君を愛す」、1929年にルップの伴奏によるラデッケ「若き日の歌」、1930年にヴァイゲルトの指揮でのプレッセル「ヴェーザー川で」、そして最も重要なのは1950年にツィリッヒの指揮でDGに録音にされたマーラー「さすらふ若人の歌」全曲だ。実は、同時期に録音されたフィッシャー=ディースカウとフルトヴェングラーによる名盤が君臨した為に不遇を託つたが、シュルスヌスの厭世的な美声によつて現実逃避出来る特別な録音なのだ。これを聴かずして、この歌曲を語ることは出来ない名唱だと断言しやう。他では、ヴォルフ「秘めた愛」での陶酔的な表現が究極の美で、かのスレツァークを凌ぐ。(2016.7.18)


ハインリヒ・シュルスヌス(Br)
ジュネーヴ録音(1948年7月)
セバスティアン・ペシュコー(p)
[PREISER RECORDS 90401]

 シュルスヌスの戦後最初の録音で、英Deccaにより22曲の歌曲がスイスのジュネーヴで収録された。これらは市場に殆ど出回らず幻の録音とされたが、シュルスヌスの復刻を熱心に行ふ墺プライザーにより完全な形でCD化された。喜ばしい。1930年代に人気を博した名バリトンの声は健在で、耽美的で朗々たる歌唱を堪能出来る。寧ろ、熟成され尽くした風格ある美声が豊かに広がり、リート藝術の仙郷へと導かれる思ひがする絶唱の連続なのだ。楽曲はシューベルトが16曲と大半を占め、残りはシューマン2曲、ヴォルフ2曲、アイセンとトウベルト1曲である。シューベルトが兎に角素晴らしい。声音を微細に変化させる「春に」、ソット・ヴォーチェの至藝が聴ける「竪琴に寄す」、特に感銘深いのが陰影の深い「くちづけを贈らう」で、危ふく暗い詩情には陶然となる。更に重要なのは「冬の旅」から代表曲4曲、「白鳥の歌」からは5曲が歌はれてゐることだ。「おやすみ」「菩提樹」「アトラス」の見事な歌唱を聴くと、ドイツのバリトンによるリート藝術の伝統の重みをひしと感じる。余白にはインタヴューが収録されてをり、リートを愛する者には是非とも手にして欲しい1枚だ。(2008.12.7)


エリーザベト・シューマン(S)
メンデルスゾーン/シューマン/ブラームス
[Romophone 81018-2]

 1930年から1938年までのHMV録音集。シューマンとブラームスの復刻は本家EMIのReferencesシリーズで出てゐたが、メンデルスゾーンは含まれてゐなかつた。「歌の翼に」1曲のみであるが、可憐な声で憧憬へと誘ふ極上の名唱である。シューマンの9曲はEMI盤と同一であるが、EMI盤には戦後録音の「女の愛と生涯」が収録されてゐた。ブラームスの歌曲は21曲収録されてゐるが、EMI盤にはない1937年録音の「子守歌」再録音と「私のまどろみはいよいよ浅く」が貴重で、メンデルスゾーンと共に当盤の価値を高めてゐる。シューマンはその可憐な容姿と歌声でヴァイマール期のドイツを風靡したソプラノである。シューマンの盛期は1920年代で、幾分色を失つたものの、乙女のやうなコケティッシュな歌唱は生涯変はらず、リートに良く、オペラ―モーツァルトとシュトラウスを除いて―には距離を措いた。内に秘めた女の情熱と恥じらひが混じり合ふ天性の美声は媚薬のやうだ。(2006.7.12)


エリーザベト・シューマン(S)
1950年ニューヨーク・リサイタル
1951年南アフリカでのリサイタル
ブルーノ・ヴァルター(p)/フーバート・グリーンスレイド(p)
[SYMPOSIUM 1339]

 敬愛するソプラノ、シューマンが最晩年に残した2種のリサイタル。初出音源を多数含んでをり貴重だ。1950年2月4日、ニューヨークのタウン・ホールで催されたリサイタルではピアノ伴奏が大指揮者ヴァルターであるのが注目される。ヴァルターはシューマンと並び称されたロッテ・レーマンの伴奏を頻繁に務めたが、シューマンともエディンバラ音楽祭でシューベルト・リサイタルを行つた仲だ。当盤のリサイタルはゲーテの詩に基づくリートを集めた極めて高尚な趣向で構成されてゐる。モーツァルト「すみれ」から始まり、ベートーヴェン2曲、シューベルト8曲、メンデルスゾーン、シューマン、シュトラウス、ヴォルフはアンコール曲を含めて5曲が歌はれてゐる。声は老いたが、表情豊かな陰影と平明なディクションの良さは衰へてゐない。1951年、南アフリカでのリサイタルはほぼ最後の録音記録だらう。ブラームス2曲、メンデルスゾーン3曲、シューベルト3曲、ヴォルフ3曲、モーツァルト1曲を歌つてゐる。すこぶる調子が良く、往時の面影を垣間見せる。振り絞るやうに想ひを込めたメンデルスゾーン「歌の翼に」の歌唱には感動を禁じ得ない。(2013.6.10)


エルネスティーネ・シューマン=ハインク(A)
録音全集第2巻(1911〜20年)
[Romophone 81030-2]

 シューマン=ハインクの全録音復刻を目指した英Romophoneであつたが、第2巻まで出て頓挫して仕舞つた。真に残念なことである。シューマン=ハインクはヴァーグナー歌ひとして名を挙げ、バイロイトにおいてマーラーの指揮で指環を歌ひ、シュトラウスの「エレクトラ」でクリュタイメストラを創唱し、ブラームスからはアルト・ラプソディーの歌ひ手としてお墨付きを貰ふといふ、戦前のアルト歌手の大御所であつた。しかし、ここに収められたのは50歳を越してからの録音なので、民謡が多くて聴き映えがしない。何よりも発声法の古めかしさが如何ともし難く全体的に感銘は薄い。2枚組の1枚目。シューベルトの「魔王」「ます」、グルーバーの「きよしこの夜」、バッハのカンタータなどが良い。(2005.6.8)


エルネスティーネ・シューマン=ハインク(A)
録音全集第2巻(1911〜20年)
[Romophone 81030-2]

 2枚組の2枚目。シューマン=ハインクの発声法は、音の跳躍時に下から探るやうにずり上げる旧式のものだ。技巧的には不安定だが、感情の起伏が大きく、第一人者と見なされただけはある。クララ・バットもさうだが戦前のアルト歌手は感覚が古めかしい。現在でも感動を与へる偉大なアルト歌手となると、高貴なユリア・クルプを別格として、清廉なマリアン・アンダーソン、ディクションに問題はあるものの深みのある声が神々しいキャスリーン・フェリアーの登場まで待たねばなるまい。とは云へ、懐かしい感情を呼び起こすシューマン=ハインクの温かい歌には良さを感じる。「ダニーボーイ」、Esenweinの"Taps"などが名唱だ。(2005.7.4)


ヨーゼフ・シュヴァルツ(Br)
録音集(1916〜18年)
レオンカヴァッロ/ヴェルディ/マイアベーア/ヴァーグナー/オッフェンバック
ブルーノ・ザイドラー=ヴィンクラー(cond.)、他
[hänssler CLASSIC CD 94.507]

 ヘンスラー・レーベルによるリヴィング・ヴォイシス・シリーズの1枚。あらえびすが絶賛したシュヴァルツのCDはこれまで墺Preiserから1枚出てゐたくらいなので最も価値のある復刻だ。独墺系のバリトンでは一世代後のシュルスヌスとヒュッシュが代表格であるが、朗々たる美声と風格においてシュヴァルツの足元にも及ばない。当盤の演目はヴェルディが最も多く、「リゴレット」4曲、「トロヴァトーレ」2曲、「仮面舞踏会」2曲、「トラヴィアータ」「運命の力」「オテロ」で、他にレオンカヴァッロ「パリアッチ」「ザザ」、マイアベーア「アフリカ女」2曲、ヴァーグナー「タンホイザー」2曲、オッフェンバック「ホフマン物語」である。全歌唱素晴らしいが、殊更ヴェルディで聴かせるベル・カント唱法の精髄は気品と情熱が一体となつた至藝であり、高朗と張つた声の美しさと格調高さには頭が下がる。正鵠を得たディクションと夢幻的なソット・ヴォーチェの見事さも特筆に価する。往年の歌手の中でも特に深い感動を与へてくれる大物だ。(2006.1.28)


モーツァルト:「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「イドメネオ」「後宮からの誘拐」「魔笛」
ジョン・プリッチャード(cond.)、他
エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)
[EMI CDH 7 63708 2]

 シュヴァルツコップ全盛期の録音。美貌も花咲き誇つてゐた時期だ。プリッチャードの指揮、フィルハーモニアの伴奏による9曲のアリアが中心である。「フィガロの結婚」より5曲、「ドン・ジョヴァンニ」から3曲、「イドメネオ」1曲で、役柄は様々だが、若くして老巧な歌唱を聴かせる。往時の歌手らに比べ、声が抜けず、声質そのものの魅力に乏しいのは事実だが、妖艶さと清廉さが混在した含蓄ある表情と解釈には貫禄がある。ディクションの正確さも特筆したい。本当に素晴らしいのは1946年にウィーン・フィルの伴奏で録音された「後宮からの誘拐」の2曲で、ひとつはクリップスの指揮、もうひとつはカラヤンの指揮で、特にカラヤンの巧さには改めて感服する。「魔笛」はブレイスウェイトの指揮で大したことはない。(2013.1.21)


エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)
1954年トリノでのリサイタル
ベートーヴェン(3曲)/シューベルト(8曲)/ブラームス(11曲)
エトヴィン・フィッシャー(p)
[Tahra TAH 617]

 シュヴァルツコップとフィッシャーがHMVにシューベルトの歌曲を録音したことは良く知られてゐる。フィッシャーにとつては唯一の歌曲の伴奏として重要視されてきた録音でもあり、若きシュヴァルツコップの知性溢れる歌唱が忘れ難い名盤でもあつた。そのふたりの組み合はせが聴ける1954年のトリノRAIへの放送録音の発掘は愛好家を喜ばせた。シューベルトの8曲はHMV録音と全て重複するが、より感情が強く出てをり改めて感銘を受けた。それ以上に録音のないベートーヴェンとブラームスの方に関心が向くのは当然だ。ベートーヴェンの快活な名唱も素晴らしいが、ブラームスが特上の出来である。フィッシャーの重厚かつ温かいピアノに支へられて、荘重な歌唱が聴ける。最高傑作は「永遠の愛について」で、ピアノ共々劇的な昂揚にまで達した名唱である。「野にひとりでゐて」「死はすがすがしい夜」の沈思するやうな趣、「僕の恋は新緑」での燃え上がる情熱、「甲斐なきセレナード」での沸立つリズムも実に素晴らしい。(2010.1.20)


マルセラ・センブリッヒ(S)
ヴィクター録音集(1904〜1908年)
[Romophone 81016-2]

 センブリッヒの名は今日全く忘れられて仕舞つたが、ヴィクター赤盤の代表的な歌手として一世を風靡した名ソプラノである。幼少よりピアノとヴァイオリンを習ひ、リストやヴェニャフスキに一目置かれた才能の持ち主で、ソプラノとしてはブラームス、ヴェルディ、プッチーニに認められた大物歌手である。頭声歌唱による洗練された歌声と確かな技巧、何よりも表現力の豊かさでメルバに匹敵する魅力を持つてゐる。2枚組の1枚目。モーツァルト、ドニゼッティ、ベッリーニ、グノー、ヴェルディの名アリアで華麗なアジリタとフィオリトゥーラを聴かせる。声に輝きと力強さがあり、劇的な躍動感が素晴らしく、ベル・カント作品に最も適性を聴かせた。並び称されたパッティが比べ物にならない位、優れた録音を残した伝説の歌手である。(2007.5.13)


マルセラ・センブリッヒ(S)
ヴィクター録音集(1904〜1908年)
[Romophone 81016-2]

 2枚組の2枚目。白眉はリストの薫陶を受けたほどのピアノの腕前を持つセンブリッヒの弾き語りである。作品は祖国ポーランドが誇るショパンの「乙女の願ひ」とマズルカを編曲した2曲で、ポーランド語での歌唱である。瑞々しいピアノと情愛豊かな歌声は甚く胸に迫る。録音時既に50近いといふのに安定した技巧と燃え盛る情熱を保つセンブリッヒの歌唱はベル・カント作品に良く、ロッシーニ「セビリャの理髪師」、ベッリーニ「ノルマ」「清教徒」は大層聴き応へがあり、特にポーランドの作曲家モニューシュコ「ハルカ」の鮮烈な歌唱に至つては畏敬の念すら覚える。他にもアルビエフ「夜啼き鶯」など名唱が揃つてゐる。(2007.6.13)


マルセラ・センブリッヒ(S)
ヴィクター録音集(1908〜1919年)
エンリーコ・カルーゾ(T)、他
[Romophone 81027-2]

 ポーランド出身の大歌手センブリッヒの録音を集成した第2巻。2枚組の1枚目。幾分盛期を過ぎた頃だが、メルバやテトラツィーニと並ぶ大物としての貫禄を示してゐる。ヴェルディが多く、「エルナーニ」「リゴレット」「トラヴィアータ」「シチリアの晩鐘」のアジリタでは劇的な情感を込めてをり、理想的な歌唱と云へる。強靭な躍動を聴かせる「リゴレット」が抜群に素晴らしい。一方で、ロッシーニ「セミラーミデ」やドニゼッティ「シャモニーのリンダ」では軽快なコロラトゥーラを披露する。レハール「メリー・ウィドウ」の思はせ振りな表情も良い。その他では、闊達なバルビエーリ「ラヴァピエスの理髪師」が見事だ。美声を振り撒くカルーゾらとの「リゴレット」の4重唱、「ルチア」の6重唱も壮観だ。(2009.7.13)


マルセラ・センブリッヒ(S)
ヴィクター録音集(1908〜1919年)
[Romophone 81027-2]

 2枚組の2枚目。1919年のヴィクター録音で全て未発表録音である。事実上センブリッヒの商業録音は1912年で終はつてをり、これら1919年の録音は私的な記録と考へて良い。別テイクも完全に復刻してゐる。全て平易な歌曲ばかりで、引退期の歌手の賢明さが窺へる。マスネの曲とパデレフスキの曲を除くと全て英國歌曲だ。声の輝きこそないが立派な歌唱ばかりである。余白には1900年のベッティーニ・シリンダー録音より「春の声」、1900年から1903年にかけてのメープルソン・シリンダー録音から「春の声」、「魔笛」の夜の女王のアリア、「トラヴィアータ」、「連隊の娘」から2曲、「エルナニ」から2テイク、アルディーティ「語れよ」、1903年のコロムビア録音から「エルナニ」「春の声」「トラヴィアータ」がそれぞれ2テイク収録されてゐる。これぞ全盛期の声で、貧しい音からプリマ・ドンナの威光が聴こえてくる。(2009.10.27)


リタ・シュトライヒ(S)
モーツァルト:コンサート・アリア集(8曲)、他
ヴェーバー:「魔弾の射手」よりアリア(2曲)
サー・チャールズ・マッケラス(cond.)、他
[DG 474 738-2]

 ウィーンのナイチンゲールと称されたシュトライヒの名唱を集成した箱物8枚組。2枚目。モーツァルトのコンサート・アリアが纏まつてゐる。収録されてゐるのはK.294、K.316、K.383、K.416、K.418、K.419、K.538、K.583の8曲だ。その他、「フィガロの結婚」と「羊飼いの王様」のアリアが聴ける。シュトライヒの可憐で外連がなく幾分女学生めいた歌声はエリーザベト・シューマンの後継とも云へ、モーツァルトとの相性が良い。技巧の冴えはないのだが、折り目正しいコンサート・アリアは全て規範と云へる名唱ばかりだ。素朴で愛らしい曲ほど巧く、特にK.383はシュトライヒだけの至藝である。エンヒェン役を歌つたヴェーバーのアリアは乙女の無邪気さを見事に表現してをり当り役と云へよう。(2009.5.7)


リタ・シュトライヒ(S)
ロッシーニ(2曲)/ドニゼッティ(5曲)/ヴェルディ(5曲)
フェルディナント・ライトナー(cond.)、他
[DG 474 738-2]

 3枚目。イタリアのベル・カント・オペラのアリア、ロッシーニ「セヴィーリャの理髪師」「セミラーミデ」、ドニゼッティ「ドン・パスクァーレ」2曲、「連隊の娘」、「ルチア」2曲、ヴェルディ「リゴレット」2曲、「仮面舞踏会」2曲、「シリチアの晩鐘」が収録されてゐる。モーツァルトの歌劇やドイツ・リートを得意としたシュトライヒだから畑違ひになるが、小回りが利かないコロラトゥーラは技巧に溺れない清楚かつ抒情的な歌唱を聴かせてくれ、新鮮ではある。「セミラーミデ」、「ルチア」、「仮面舞踏会」が可憐で美しい。ドイツの指揮者とオーケストラによる伴奏は交響的で立派に鳴り、劇的感興には乏しい。(2009.6.25)


リタ・シュトライヒ(S)
グルック/プフィッツナー/ロルツィング/ニコライ/オッフェンバック/ビゼー/マスネ/ドリーブ/リムスキー=コルサコフ/マイアベーア/トーマ
ロベルト・ヘーガー(cond.)、他
[DG 474 738-2]

 4枚目。ドイツ・オペラ珠玉の名曲とフランス・オペラからの名曲集が収録されてゐる。ドイツ・オペラがどれも素晴らしい。グルック「オルフェオとエウリディーチェ」の愛らしさ、ロルツィング「密猟者」やニコライ「ウィンザーの陽気な女房たち」における可憐な情緒と様式美は極上だ。特にプフィッツナー「パレストリーナ」の壮麗な美しさには感銘を受けるだらう。フランス・オペラでは色気が足りないのとフランス語のディクションが未熟で明らかに畑違ひだ。シュトライヒの処女めいた清廉な歌唱を純粋に楽しもう。意外にもリムスキー=コルサコフ「サトコ」「金鶏」に一種特別な神秘的を帯びた良さがある。(2014.1.28)


リタ・シュトライヒ(S)
ベッリーニ/プッチーニ/ドニゼッティ/ヴェルディ/J・シュトラウス/R・シュトラウス
カール・ベーム(cond.)/ギュンター・ヴァイッセンボルン(p)、他
[DG 474 738-2]

 5枚目。イタリア・オペラの名アリア集と両シュトラウスの作品集である。イタリア・オペラではプッチーニが良い。「ボエーム」〜ムゼッタのワルツ、「ジャンニ・スキッキ」〜私のお父さん、「トゥーランドット」〜お聞き下さい、王子様、何れも可憐でひたむきな感情が込められてをり素晴らしい。ベッリーニ、ドニゼッティのベル・カント作品も美しいのだが、矢張りシュトライヒの本領はシュトラウスの作品に出てゐる。ヨハン・シュトラウスでは「ウィーンの森の物語」の編曲、「こうもり」からアデーレ役の2曲が歌はれてゐる。声質の適性から云つても最高であらう。リヒァルト・シュトラウスは1958年録音のベーム指揮による「ばらの騎士」全曲録音からの抜粋と歌曲6曲である。「ばらの騎士」は抜粋なので割愛する。歌曲は往年のエリーザベト・シューマンを思はせる名唱だ。シューマンに比べるとやや女学生めいて色気が足りない点で及ばない。(2011.10.7)


リタ・シュトライヒ(S)
モーツァルト:歌曲集(18曲)
ブラームス:歌曲集(10曲)
ヴォルフ:歌曲集(4曲)、他
エリック・ヴェルバ(p)/ギュンター・ヴァイッセンボルン(p)
[DG 474 738-2]

 6枚目。ドイツ・リートを中心に構成されてゐる。何と云つても得意としたモーツァルトの歌曲集が素晴らしい。1956年の録音されたアルバムで、主要な歌曲を網羅した18曲から成る。可憐で愛らしく、処女めいた恥じらいのある声は、素朴でひたむきなモーツァルトのリートに理想的だ。軽やかな技巧もモーツァルトに相応しく、最高の録音と云つても過言ではない。ブラームスは有名な「セレナード」「子守唄」を筆頭に10曲を収録した1961年のアルバムより―他にシューマンとシュトラウスとの抱き合はせ、ヴォルフはスペイン歌曲集の4曲で1960年のアルバムより編集されてゐる。モーツァルトに比して、晦渋なこれらの作品ではシュトライヒの良さは余り感じ取れない。余白に「世界の民謡と子守唄」といふアルバムから2曲、スイス民謡「ああ、愛する天使」と本邦の「さくらさくら」が収録されてゐる。後者が興味深い。侘びた表情を付けてをり、可憐さが引き立つてゐる。(2012.3.23)


リタ・シュトライヒ(S)
シューベルト:歌曲集(17曲)
シューマン:歌曲集(6曲)
ヴォルフ:歌曲集(8曲)
ハインリッヒ・ゴイザー(cl)/エリック・ヴェルバ(p)/ギュンター・ヴァイッセンボルン(p)
[DG 474 738-2]

 7枚目。重要な1枚で、シューベルトの歌曲集を中心に編集されてゐる。1959年に録音された17曲のリートはシュトライヒの魅力を満喫出来る最高の録音である。エリーザベト・シューマンの衣鉢を継ぐ可憐な歌唱であるが、より純朴で澄んでをり、シューマンの録音ですら俗っぽく聴こえて仕舞ふ。色気を極力殺ぎ、処女の憧憬を託したやうな穢れなき天上の歌に心洗はれぬ者はゐないだらう。全てが名唱であるが、1曲選ぶとしたら名手ゴイザーの助奏で歌つた「岩の上の羊飼ひ」だ。シューベルト最後の作品のひとつがこれほど胸苦しく切々と歌はれたのを知らない。「ミルテの花」「リーダークライス」からのシューマンの6曲は1961年の録音で―ブラームスとシュトラウスと抱き合はせたアルバムより―、透明さと軽快さがあり美しい。ヴォルフは1960年録音のアルバムからイタリア歌曲集の10曲が収録されてゐる。ここでも美声を堪能出来る。極上の1枚だ。(2013.5.4)


リタ・シュトライヒ(S)
ヴォルフ:歌曲集(11曲)
シューベルト:歌曲集(4曲)
シュトラウス:歌曲集(3曲)、他
エリック・ヴェルバ(p)
[DG 474 738-2]

 8枚目。2つのアルバムから構成されてをり、前半のヴォルフ11曲は7枚目に収録されてゐたイタリア歌曲集との抱き合はせで、ゲーテ歌曲集やメーリケ歌曲集から採られてゐる。1961年の録音。シュトライヒの歌声は晦渋なヴォルフだと青さばかりが目立つて仕舞ひ、適性があるとは云へない。後半のアルバムが美しい。1957年のモノーラル録音だが、子守歌など優しく純粋な曲を集めてをりシュトライヒの魅力が存分に出てゐる。シューベルトの「ます」や「野ばら」など愛らしい歌は殊に絶品だ。ヴォルフの子守歌など4曲も美しい。シュトラウスの5つの小さな歌Op.69からの3曲、ニコライの子守歌、ミヨー「ロンサールの4つの歌」も素晴らしい。最後に5曲の民謡が収録されてゐる。斯様な曲は独擅場で可憐な情緒は実に得難い。(2014.9.28)


リタ・シュトライヒ(S)
ワルツとアリア集
ベルリン放送交響楽団/ベルリンRIAS交響楽団/クルト・ゲーベル(cond.)、他
[DG 457 729-2]

 シュトライヒが最も得意としたのは美しく清らかな歌だ。激情的なのは良くない。エロスを感じさせる曲も良くない。無垢な処女の想ひを歌ふのや、天使を想起させる曲こそシュトライヒの独擅場である。清楚で透明感のある声は最大の武器で、簡単に真似の出来ないものだからこそ強みがある。当盤は1958年と1955年に録音された2つのアルバムから成る。指揮はどちらもゲーベルだ。1958年の方は、シュトラウス「春の声」、サン=サーンス「鶯と薔薇」、ヴェルディ「小さな煙突掃除夫」、アルディーティ「パルラ・ワルツ」があるが、オペラのアリアも多い。「ジョスラン」「ボッカッチョ」「ルサルカ」「ディノーラ」から叙情的な楽曲ばかり選んでをり特徴的だ。ドヴォジャークは特に感銘深い。1955年の方は全て歌曲で、アリャビエフ「夜鶯」、ドリーブ「カディスの娘」、デラックァ「ヴィラネル」、フロトー「夏の名残りの薔薇」は比類のない名唱だ。シュトラウスのワルツを編曲した2曲は然して面白くない。(2016.9.19)


フェルッチョ・タリアヴィーニ(T)
チェトラ録音集(1939年〜1954年)
ウーゴ・タンジーニ(cond.)、他
[WARNER FONIT 5050446-3295-2-3]

 タリアヴィーニはチェトラに大量の録音を残したが、当盤は歌劇全曲盤からの抜粋を含まない単独の録音を集成した3枚組だ。3枚組の1枚目。戦中のSP録音で、ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、プッチーニ、マスカーニ、チレア、ヴォルフ=フェラーリといふ得意の演目ばかりである。タリアヴィーニはジーリほど強靭さや多彩さを持たず、スキーパほどレッジェーロに徹してゐないが、甘いソット・ヴォーチェの美しさは無類の境地に達してゐる。ヴェルディやプッチーニでは軟弱な甘さばかりが目立つが、マスカーニ「友人フリッツ」、ドニゼッティ「愛の妙薬」、ベッリーニ「夢遊病の女」での煽情的な泣き節と陶酔的な囁きには悶絶しさうになる。テノール・リリコの至藝に浸れる極上の逸品。(2007.3.31)


フェルッチョ・タリアヴィーニ(T)
チェトラ録音集(1939年〜1954年)
ピア・タッシナーリ(S)/マリオ・ロッシ(cond.)/アルトゥーロ・バジル(cond.)、他
[WARNER FONIT 5050446-3295-2-3]

 3枚組の2枚目。戦中の録音から戦後間もなくの録音で、甘く柔らかい美声による歌劇のアリアや二重唱を堪能出来る。矢張りドニゼッティに最良の適性を示し、「ドン・パスクァーレ」「愛の妙薬」は絶品だ。それ以上にビゼー「真珠採り」で聴かせるファルセットが夢のやうに美しく、かのジーリの名唱に比肩するだらう。マスネ「マノン」「ウェルテル」における慈しむやうなソット・ヴォーチェも忘れ難い。プッチーニ「西部の娘」でもビロードのやうな美声に陶然とさせられる。ヴェルディ「ルイザ・ミラー」「ラ・トラヴィアータ」では声の軽さこそ否めないが、甘い囁きは魔力を持つて聴き手を絡めとる。(2007.5.4)


フェルッチョ・タリアヴィーニ(T)
チェトラ録音集(1939年〜1954年)
セザーレ・ガッリーノ(cond.)、他
[WARNER FONIT 5050446-3295-2-3]

 3枚組の3枚目。この組物はタリアヴィーニのSP録音の全てを収録してゐることでも価値が高い。歌曲を中心に編まれてをり、甘いファルセットと美しいソット・ヴォーチェによるタリアヴィーニの神髄を堪能出来る。陽気なダンツィなどの歌よりもセレナード調の楽想が良く、カッチーニ「麗しのアマリッリ」、マスネ「エレジー」、 アーン「いみじき時」は絶品中の絶品だ。斯様な歌を囁かれたら一溜まりもなく参つて仕舞ふ。そして、サデロ「アムーリ、アムーリ」がこんなに美しく歌はれた例を知らない。歌劇からは3作品のみで、グルック「パリーデとエレーナ」が殊に美しい。他にLP録音も2曲収録。(2007.6.2)


フランチェスコ・タマーニョ(T)
録音全集(1903年〜1904年)
[OPAL CD 9846]

 1903年から1904年にかけて録音された伝説的なテノール、タマーニョの全録音である。オテロ役の創唱者であり、録音も「オテロ」からが多い。復刻も最上で生々しく、とても100年以上前の吹き込みとは思へない。実は、聴くまで思ひ違ひをしてゐたことがあり、タマーニョの声は、後輩のカルーゾの声に近く、しかも晩年の録音だから、声域が下がり、鈍重で生気のない歌ひ方だらうと想像していた。実際聴くと、若々しく、甲高く、情熱的で、一種特別な魅力―中性的と云つては語弊があるかもしれないが―を持ってゐた。歌唱法は古いが、今日聴くことの出来ない声であり、何よりも感情に訴へかける歌であれば古いも新しいもない。云ふまでもなく資料的な価値は無上に高い。(2004.9.15)


フランチェスコ・タマーニョ(T)
録音全集(1903年〜1904年)
[SYMPOSIUM 1186&1187]

 伝説のテノール、タマーニョの全商業録音はOPALレーベルからも復刻されてゐたが、このSYMPOSIUM盤はあらん限りのSP盤からの復刻がなされてをり、「オテロ」の"Esultate"だけでも4テイク収録されてゐる。特に重要なのはOPAL盤にはなかつたド・ララ"MESSALINE"の私家盤が復刻されてゐることだ。従つて総トラック数がOPAL盤より13も多く、これこそ完全なるタマーニョの全記録といふ訳だ。音質も100年以上前の録音とは思へないほど生々しい。否、これはタマーニョの歌唱が現代にまで訴へ掛ける生命力に充ちてゐるからだ。剥き出しにされた熱い激情にはたぢろいで仕舞ふ。全てが絶唱だが、分けても伝説の初演を担つたオテロは空前絶後だ。後のあらゆるオテロ歌ひも比較にならないと断言しよう。英雄的な雄叫びも悔恨の溜息も真に迫る。この2枚組には余白にアントニオ・コトーニの録音と信じられる2つの録音が収められてゐる。(2007.8.23)


マギー・テイト(S)
ベルリオーズ/ショーソン/デュパルク/ラヴェル
ジェラルド・ムーア(p)、他 [EMI CHS 7243 5 65198 2 4]

 テイトのフランス・メロディー録音を集成した2枚組の1枚目。管弦楽伴奏を主とした1940年から1948年にかけての録音集。テイトはイギリスの歌手であるが、最も得意としたのはフランスのメロディーである。収録曲はベルリオーズ「夏の夜」から2曲、ショーソン「7つのメロディー」から2曲、「愛と海の詩」、「果てしなき歌」、デュパルク「旅への誘ひ」「フィディレ」「悲しき歌」「恍惚」、ラヴェル「クレマン・マロの2つのエピグラム」、「博物誌」より1曲、「シェヘラザード」全曲と、メロディーの名曲が詰まつてをり精髄と云へる。テイトの歌唱は妖艶なヴァランと高踏的なバトリの中間で、上品さと甘さが融合した理想的な歌を聴かせて呉れる。特にショーソンとデュパルクはテイト向きで素晴らしい。管弦楽伴奏が下手で困るが、ムーアのピアノ伴奏曲は実に美しい。流石だ。(2017.4.17)


マギー・テイト(S)
マスネ/フォレ/ドビュッシー/アーン
ジェラルド・ムーア(p)
[EMI CHS 7243 5 65198 2 4]

 2枚組の2枚目。1940年から1948年にかけての録音で、全てムーアのピアノ伴奏による。演目はマスネ「悲歌」、フォレ「修道院の廃墟にて」「リディア」「ゐなくなつた人」「夢のあとに」「この世」「ネル」「秘密」「イスパファンの薔薇」「月の光」「夕暮れ」と「優れた歌」から3番、5番、9番、ドビュッシー「グリーン」「ロマンス」「美しき夕べ」「噴水」「夢」「花」「夕暮れ」、アーン「我が詩に翼があれば」「恍惚の時」「捧げ物」「ひそやかに」「ラテン礼賛第4番」だ。テイトの知的に抑制された含蓄のある歌唱はメロディーの理想的なあり方であり、淡く繊細な趣は絶品だ。ディクションも申し分なく、可憐な声質は天性の美しさが備はつてゐる。全て名唱だが、より近代的な作品ほど素晴らしく、ドビュッシーとアーンは最高だ。ムーアの伴奏が美しく比類がない。(2018.2.3)


マギー・テイト(S)
1948年1月15日リサイタル
1935年プライヴェート録音
フォレ/ドビュッシー/ブリテン/シュトラウス、他
[VAI VAIA 1063]

 知的で高雅な歌唱を聴かせるテイトは英國のソプラノでありながら、フランスの楽曲で名を成した。1948年のリサイタルの記録ではフォーレ「イヴの歌」から3曲、ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」から5曲、アーン「わが詩に翼あらば」などが歌はれてゐるが、当盤の白眉はランボーの詩によるブリテン「イリュミナシオン」であらう。ピアーズの功労によつてテノールの為の曲とされるが、元来ソプラノの為に書かれた作品であり、テイトの名唱こそ女性歌手による最高の歌唱であらう。アンコールで歌はれた「グリーンスリーヴス」の寂寥感も素晴らしい。1935年のプライヴェート録音では珍しくシュトラウス「ザロメ」から4曲と「子守歌」を歌つてゐる。(2010.8.16)


ローレンス・ティベット(Br)
ヴィクター録音集(1926年〜1939年)
レオンカヴァッロ/ビゼー/プッチーニ/ヴェルディ/ロッシーニ/グノー/ヴァーグナー
[Nimbus Records NI 7825]

 米國が生んだ20世紀前半最高のバリトン歌手ティベットのヴィクター録音からオペラの名唱を編んだ1枚。ティベットの声は天鵞絨のやうに滑らかで黄金の輝きを放つ。非常に器用な歌手で、様々な歌ひ分けを可能にした技巧の持ち主である。欧州の大歌手らが戦火を逃れて渡米した際も、Metでその地位を守り通した。電気録音初期1926年録音の「道化師」プロローグから魅力が全開で、完成の域にある。ティベットの巧さを最も感じるのは「セビーリャの理髪師」で自由闊達、古今最高ではないか。珍しいところではヴァーグナーが2曲、「タンホイザー」「ヴァルキューレ」があり、「ヴォータンの告別」では何とストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団が伴奏をしてゐる。矢張りヴェルディで止めを刺す。「仮面舞踏会」「リゴレット」「オテロ」「シモン・ボッカネグラ」全て最高である。「オテロ」の夢の歌では、毒を一滴垂らして全身に沁み渡らせる妖しい凄みがある。恐るべしティベット。「シモン・ボッカネグラ」では全曲録音で共演したマルティネッリとウォーレンの声も聴ける。(2016.8.23)


ローレンス・ティベット(Br)
ヴィクター録音集(1927年〜1936年)
ガーシュウィン/グリューエンバーグ/ハンソン/グレイ&ストサート、他
[Nimbus Records NI 7881]

 米國が生んだ20世紀前半最高のバリトン歌手ティベットのヴィクター録音からミュージカルと映画音楽の名唱を編んだ1枚。人気絶頂期のティベットは優れた演技力が評価されハリウッドでミュージカル映画に多数出演、アカデミー賞主演男優賞にもノミネートされる活躍振りだつた。当盤は多彩なティベットの才能が駆使された他を寄せ付けない絶対的な歌唱を楽しめる1枚だ。最も有名なガーシュウィン「ポーギーとベス」からの8曲は幾度も復刻されてきた名盤である。ソプラノのヘレン・イェプソンとの共演で、作曲者が監修に参画した肝入りの録音である。グリューエンバーグ「皇帝ジョーンズ」、最初のアメリカ・オペラと称されるハンソン「メリー・マウント」の録音も重要だ。映画音楽ではクリフォード・グレイとハーバート・ストサートによる「悪漢の唄」からの4曲がティベットの代表作として名高い。その他、「南方の放浪者」からも2曲が聴ける。また、フォスター「オールド・ブラック・ジョー」やドヴォジャークの新世界交響曲第2楽章を編曲した「家路」も感銘深い。どの録音も壮大な声量、朗々たる美声に圧倒されるが、表情的なsotto voceには男性的な色気があり、無抵抗で口説かれて仕舞ふ魔力を秘めてゐる。(2017.6.30)


ジャック・ウルルス(T)
エディソン録音全集(1913年〜17年)
[Marston 52031-2]

 メルヒオールが登場する前、選ばれしヘルデン・テナーとして君臨したのはスレツァークとウルルスである。両者の歌唱法には共通点が多い。唸るやうな発声の低音は重心が確と定まり威厳がある。高音は甘い愛撫のやうであるが張りの強さは失はない。何よりも中声部のまろやかな広がりが素晴らしい。ファルセットを多用するスレツァークとは異なりウルルスは威風堂々たる様が特徴だ。ことヴァーグナーに関しては第一人者と云へ、当盤もヴァーグナーの楽曲が圧倒的な分量を占める。2枚組の1枚目。ローエングリン4曲、マイスタージンガー2曲、リエンツィとヴァルキューレが1曲収録されてをり、何れも格調高く見事だ。リエンツィのこれ程素晴らしい名唱は滅多にないだらう。他にアレヴィ"LA JUIVE"の絶唱が心に残る。(2007.1.4)


ジャック・ウルルス(T)
エディソン録音全集(1913年〜17年)
マリー・ラッポルト(S)、他
[Marston 52031-2]

 2枚組の2枚目。堂々たる体躯のウルルスが発する底から湧き上がるやうな深々とした声音は、全音域に亘りビロードの肌触りのやうな美声を獲得してをり驚嘆に値する。矢張りヴァーグナーの歌唱が素晴らしく、リエンツィ、オランダ人、タンホイザー、ローエングリン、 ヴァルキューレ、ジークフリートと聴き応へがある。特にリエンツィとヴァルキューレがヘルデン・テナーの骨頂を伝へる名唱だ。しかし、ジークフリートでは甘い美しさに偏り勝ちで重量感に欠ける。他には高朗たる調子で歌ひ上げたフランク「天使の糧」やロッシーニ「スターバト・マーテル」が格調高き名唱だ。シュトラウス「黄昏の夢」での包み込まれるやうな声の広がりには陶然となる。旧吹込み時代の名歌手の中で、ウルルスの録音は逸してはならない。(2007.2.1)


ニノン・ヴァラン(S)
歌曲録音集(1929年〜1935年)
ファリャ/ラパラ/ニン/ダルクール/シューマン/シュトラウス
[VAI VAIA1127]

 戦前最高のフランスのソプラノ、ヴァランの復刻は体系化されてをらず散漫な侭だ。このVAIの復刻は歌曲録音に限定してゐるのが良い。まずは1930年オデオン録音からファリャ「恋は魔術師」より3曲と「7つのスペイン民謡」からの3曲が素敵だ。しかし、これは他にも復刻があつた。同じくオデオン録音でラパラ「ホタ」も雰囲気満点で最高だ。1931年のオデオンとコロムビアへの録音からニンの歌曲7曲が素晴らしい。現在では聴けない妖艶な歌唱で虜にさせられる。さて、当盤で重要なのは1935年のコロムビア録音でマルグリート・ベクラール・ダルクールの「ペルー民謡集」9曲である。何と名手ルネ・ル=ロワのフルートとピエール・ジャネットのハープの伴奏である。異国情緒豊かで艶やかなヴァランの歌声が沁み渡る。後半は異色のドイツ・リートだ。大曲シューマンの「女の愛と生涯」がフランス歌唱で吹き込まれてゐる。1929年のパテ録音で復刻は他にもあつた。表情も色気が多過ぎ居心地が悪いが、レーマンの録音同様、全盛期の歌手による録音には捨て難い魅力がある。「異郷にて」も美しい。更に貴重なのはシュトラウス「セレナード」「黄昏の夢」だ。異端だが、シュトラウスの芳醇なる世界に入り込んでゐる。(2020.11.24)


ニノン・ヴァラン(S)
メロディーとシャンソン(26曲)
[MALIBRAN RECORDS MR 553]

 仏Malibranはフランスの生んだ最高のソプラノの一人であるヴァランの貴重な録音をCD-Rで商品化してゐる。当盤の音源はオデオン、パテ、コロムビアと多岐に亘るが、極めつけの名唱ばかりである。バトリやクロワザの奥床しい歌唱も良いが、ヴァランの官能的な誘惑は魔術に充ちてゐる。全盛期のヴァランの妖艶な色気にあたれば幻惑されること必定だ。これらの歌唱のひとつでも貶すなら何を良しとすれば良いのだらう。最高はアーンの2曲だ。これに匹敵するのはクレーマンの高貴な歌くらゐであらう。ゴダール、ベルリオーズ、フォーレ、デュパルクの名曲、何れも絶対的な美しさだ。有名なルノー「さくらんぼの実る頃」も最高である。ショパンのエチュードやブラームスのハンガリー舞曲を編曲したシャンソンは低俗かもしれぬが、これだけ情愛深い歌で聴ければ野暮なことは云へまい。歌が生きてゐる。これが藝術だ。(2007.7.12)


ニノン・ヴァラン(S)
ラヴェル:「シェヘラザード」
ファリャ:7つのスペイン民謡
ドビュッシー:ヴィヨンの3つのバラード
1947年リサイタル(7曲)、他
[MALIBRAN RECORDS MR 504]

 仏Malibranはフランスの生んだ最高のソプラノの一人であるヴァランの貴重な録音をCD-Rで商品化してゐる。当盤にはパテ録音の「7つのスペイン民謡」とオデオン録音の「恋は魔術師」から3曲といふファリャ作品の極上の名唱が収録されてゐるが、復刻は他にもあるので割愛する。貴重なのは1947年のラヴェル「シェヘラザード」、アンセルメの指揮による1945年のドビュッシー「フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード」、モンテヴェルディやスカルラッティなどの珍しい作品を7曲歌つた1947年のジュネーヴにおけるリサイタルの録音だ。ラヴェルとドビュッシーが素晴らしいのは云ふに及ばず、簡素なイタリア古典歌曲で聴かせる情愛の深さには幻惑させられる。その歌声はウェヌスの如き艶かしき色気で聴く者の魂を奪ふ。(2007.3.13)


ニノン・ヴァラン(S)
1951年リサイタル(12曲)
ベルリオーズ:「ファウストの劫罰」より2曲
1959年のインタヴュー
[MALIBRAN RECORDS MR 509]

 仏Malibranはフランスの生んだ最高のソプラノの一人であるヴァランの貴重な録音をCD-Rで商品化してゐる。入手は困難とは云へ、メロディーを愛する人には比類ない価値を持つ。1951年のリサイタルは往時のむず痒い迄の妖艶な声は後退してゐるとは云へ、現代では聴くことの出来ないエロスの発露とフランス語の美しさを堪能出来る。賢明なる哉ヴァラン、シューベルトを除けば演目はハーン3曲、フォーレ、グノー、ビゼー、Obradors2曲、Pedrell、Carabello、ニン、と得意のフランスのメロディーとスペイン歌曲で構成し、聴く者を魅了する。全てが感極まつた特上の歌ばかりで、万人にお薦めしたい1枚である。ベルリオーズも女の色気が溢れてをり、至福のひとときを与へてくれる。歌唱を伴ふ長大なインタヴューは愛好家が感涙する貴重な記録だ。(2006.12.10)


フリッツ・ヴンダーリヒ(T)
オペラ・アリア集(1956年〜1959年)
[ARTS ARCHIVES 43009-2]

 戦後最高のリリック・テノールであるヴンダーリヒの名唱集。甘く若々しい美声は分別臭さを一切感じさせない抒情的な妙味がある。演目はモーツァルト「魔笛」「ツィアーデ」、コルネリウス「バグダッドの理髪師」、ロルツィング「ウンディーネ」「刀鍛冶」、キーンツル「クーライゲン」、シューベルト「フィエラブラス」、ベートーヴェン「フィデリオ」。「魔笛」の指揮はシューリヒトである。全ての歌唱が聴く者を桃源郷へと導いて呉れる。最高の名唱は「クーライゲン」で、内に秘めた祈りの想ひを昇華させる楽想を感動的に歌ひ上げる。合唱・管弦楽の歌も極上で、胸の高鳴りを抑へ難い不世出の出来映えだ。心の宝になる掛け替へのない音楽となるであらう、万人に薦めたい。次いで、「ウンディーネ」の優しく包み込むやうな愛撫が堪へられない。「魔笛」のタミーノはヴンダーリヒが最高であらう、憧憬する情感には暫しうっとりとして仕舞ふ。「鍛冶屋」2曲における軽快で詩情豊かな歌唱も絶品だ。(2008.2.1)


シューベルト:美しき水車小屋の娘
フーベルト・ギーゼン(p)
フリッツ・ヴンダーリヒ(T)
[hänssler SWR music CD.93.180]

 1964年2月5日の放送用と思しきスタジオ録音の未発表音源。モノーラル録音だが音質は上等で鑑賞に不都合はない。それにしてもヴンダーリヒの歌ふ「詩人の恋」と「美しき水車小屋の娘」は特別だ。他の歌手がどんなに趣向を凝らしてもヴンダーリヒが到達した境地には追ひ付けない。名盤として名高いDGへの正規セッション録音が1966年に行はれたが、ウンダーリヒの歌唱そのもので云へばこの2年前の録音の方が優れてゐる。冒頭の第一声から屈託なく情感が溢れてをり、美声が伸びやかで表現は魔法のやうに変化する。何曲かでウンダーリヒは節にカットを施し短縮して歌つてをり、全曲で55分弱と短い。そのためか冗長さは回避されてをり一長一短だ。ギーゼンの伴奏は水準程度だが、ウンダーリヒとの格差があり過ぎて格好が付かない。残念だ。(2017.12.4)


シューマン:詩人の恋
ベートーヴェン:歌曲(4曲)
シューベルト:歌曲(9曲)
フーベルト・ギーゼン(p)
フリッツ・ヴンダーリヒ(T)
[DG 449 747-2]

 贔屓にしてゐるテノール、ヴンダーリヒの代表的名盤。これらの曲は度々リサイタルで取り上げられてをり、多数録音が残る。感興の違ひで当盤よりも出来が良い演目を挙げることは可能だが、音質が万全で歌唱に傷がない正規録音の価値は全く異なる。シューマンの「詩人の恋」はヴンダーリヒが最高だ。ザルツブルク音楽祭でのリサイタルの方が詠嘆が強く感動的だが、このセッション録音の価値は減じない。切々とした抒情に陶然とさせられる不滅の名盤だ。ベートーヴェンの4曲「君を愛す」「アデライーデ」「あきらめ」「くちづけ」、何れも極上の逸品で、かのシュルスヌスの名唱と共に最高のひとつだ。シューベルトも全て良く、ヴンダーリヒの美声を堪能出来る。特に「セレナード」の甘い諦観は忘れ難い。(2010.6.28)


シューベルト:美しき水車小屋の娘、ます、春の想ひ、野ばら
フーベルト・ギーゼン(p)
フリッツ・ヴンダーリヒ(T)
[DG 447 452-2]

 贔屓にしてゐるテノール、ヴンダーリヒの代表的名盤。シューベルトの歌曲集は主にドイツのバリトンらによつて伝道されて来た。ヒュッシュ、ホッター、ディースカウなどが「冬の旅」の名唱で境地を切り拓いて来た。しかし、彼らの声は「美しき水車小屋の娘」には重厚過ぎる。若々しく傷付き易い青年の声といふことならヴンダーリヒに勝る歌手を探すのは困難だ。陰陽の対比が陶酔的で、繊細な表情の変化には詩的な感興がある。だが、何よりも生来の声の美しさだけでこの録音が特別であることをはっきりと述べてをかう。作品の世界に何の齟齬もなく引き入れて呉れる天稟の声がある。「詩人の恋」同様、ギーゼンのピアノ伴奏に難癖を付けることは可能だが、まずは第一に推したい名盤である。余白に収録された3曲の歌曲も美しい。(2010.10.3)


フリッツ・ヴンダーリヒ(T)
私的録音集
ベートーヴェン/シュトラウス/ブラームス/ヴォルフ/シューベルト/ハイドン/ヘンデル
[DG 476 5244]

 貴重な音源で蒐集家は見逃せない1枚だ。”Privat”と銘打たれたヴンダーリヒの私的録音集である。演目はベートーヴェン「君を愛す」、シュトラウス「私は愛を抱ひてゐる」「セレナード」、ブラームス「日曜日」「窓辺にて」「あるソネット」「五月の夜」、ヴォルフ「コウノトリの使ひ」、シューベルト「別れ」、ハイドンのスコットランド民謡集から5曲だ。更に3曲の練習風景も収録。シュトラウス「チェリーリエ」、ベートーヴェン「君を愛す」、ヘンデル「セルセ」の「地獄の残酷な女神め」だ。1962年から1966年にかけての記録で音質は様々だが、どれも聴きやすい。気負ひなく美声を確かめるやうに歌ひ、リリコ・テノールの精髄を聴くことが出来る。珍しいハイドンが取り分け美しい。(2022.3.12)


シューマン:詩人の恋
ベートーヴェン:アデライーデ、諦め、くちづけ
シューベルト:歌曲(6曲)
フーベルト・ギーゼン(p)
フリッツ・ヴンダーリヒ(T)
[hänssler SWR music CD.93.701]

 シュヴェツィンゲン音楽祭エディションの1枚。1965年5月19日の記録だ。ヴンダーリヒが得意とした演目で、同年夏のザルツブルク音楽祭でもこれら全ての曲を含めたリートの夕べを開いてゐるし、翌年の最後のリサイタルになつたエディンバラ音楽祭でもほぼ同じだ。ヴンダーリヒの絶対的な演目である詩人の恋では、安定した歌声を聴かせて呉れる。正規録音や他のライヴと比べても優劣付け難いのだが、やや保守的な嫌ひがあるかも知れぬ。問題なのはギーゼンの伴奏で、調子が良いとは云へない内容だ。特に終曲の魅力のなさは致命的だ。ベートーヴェンが良い。取り分け「アデライーデ」は屈指の名唱だらう。シューベルトでも美声が堪能出来るが、特別な出来だと感じるほどではなかつた。(2017.1.9)


フリッツ・ヴンダーリヒ(T)
最後のリサイタル(1966年9月4日)
ベートーヴェン:歌曲(5曲)
シューベルト:歌曲(6曲)
シューマン:詩人の恋
アンコール曲4曲
フーベルト・ギーゼン(p)
[DG 9806790]

 1966年、不慮の事故で35歳といふ若さで亡くなつたヴンダーリヒの生涯最後のリサイタルで、英國でのエディンバラ音楽祭に参加した際の記録だ。DGより正規発売されたのを歓迎したい。早過ぎた死によりヴンダーリヒの大成した姿は想像の領域にしかないが、たとへ通過点であつたにしても、このラスト・リサイタルで示された境地は一際高いものであつたと確信する。伴奏者ギーゼンの出来には大いに不満があるが、ヴンダーリヒは絶好調で、安定した美声には惚れ惚れする。「詩人の恋」の出来はザルツブルク音楽祭のリサイタルと甲乙付け難いが、他の演目は手放しで最高と賞讃したい。アンコールではシュトラウス「私は恋を抱いて」を歌つてをり貴重だ。3曲もアンコールを歌つて、最後にシューベルト「音楽に寄す」を歌ふ前に「これで最後にします」と聴衆に語りかけ笑ひを誘つてゐるが、本当に最後になるとは誰が知り得たであらうか。だが、余計な感傷は必要としない。絶対的な名唱を約束しよう。(2011.1.31)



歌劇 | 管弦楽 | ピアノ | ヴァイオリン | 室内楽その他


BACK