楽興撰録

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ウィリアム・カペル


ショパン:マズルカ集(全29曲)
[BMG 09026-68990-2]

 RCA録音全集9枚組。1枚目。29曲収録された中で短調作品が19曲を占める。マズルカの悲哀に焦点を当てた当盤は、カペルがどの様なピアニストであつたかを如実に物語つて呉れる。これらの録音には興味深い逸話が残る。カペルはマズルカを常日頃から気分の趣く侭に諳で奏でてゐたといふ。カペルにとつてマズルカはレパートリー以上の意味を持ち、自己を形成する血肉と化した音楽であつたのだ。セッション録音に臨んでは霊感に委ねて自由に選曲し、殆どが録り直しなしの1テイクで済まされた。当盤には商業録音の気配がない。カペルといふピアニストの私情が綴られた云はば日記のやうな1枚。


ショパン:ピアノ・ソナタ第3番、第2番「葬送」、他
[BMG 09026-68991-2]

 RCA録音全集9枚組。2枚目。数多くロ短調ソナタの録音は残されてきたが、会心の出来と云へる名盤には恵まれない曲だ。第1楽章と第4楽章で高度な技巧を要求される一方、抒情的な哀感を表出しなくてはならず、両面を融合させた演奏を求められるからだ。コルトー、ローゼンタール、リパッティに詩情豊かな名演があるが、技巧に凄みのあるカペル盤は輪を掛けて美しい。優美な右手の陰で聴かせる左手の悪魔的で雄弁な語り掛けはカペルだけの藝当で、この曲の多彩な浪漫を満遍なく表現してゐる。カペル並みに技巧を誇示したピアニストの録音もあるが、大抵は空疎な演奏で、カペルの凛然とした演奏とは比べられない。カペルは1953年に行はれたオーストラリア演奏旅行の帰途に航空機事故で夭折した。オーストラリアで残された一連のライヴ録音の中で、葬送ソナタこそが正真正銘最後の演奏記録なのだ。自らの弔ひ曲を奏でて世を去つたとは何といふ運命の持ち主だらう。命、幸ひと並びぬるはいと難きなりとはこのことを云ふ。


ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲、ピアノ協奏曲第2番、前奏曲嬰ハ短調
ショスタコーヴィチ:前奏曲(3曲)
フリッツ・ライナー(cond.)/ウィリアム・スタインバーグ(cond.)
[BMG 09026-68992-2]

 RCA録音全集9枚組。3枚目。カペルはハチャトゥリアンを筆頭にロシア・ソヴィエトの作曲家による協奏曲で大向かふを唸らせた若武者で、ラフマニノフも代表的な名演である。楽曲に拘泥することなく華麗な技巧で颯爽たる演奏を展開してゐる。狂詩曲はライナーの剛直な棒との丁々発止の掛け合ひが素晴らしく、繊細な抒情にも欠ける処のない心憎い名演で、自作自演盤に肉迫する出来だ。協奏曲は健康的過ぎる嫌ひはあるが、楽曲の美しさを純粋に引き出した名演だ。泥臭い演奏に辟易してゐる方にはお薦めしたい。余白に収録されたショスタコーヴィチが極上の名演だ。5番、10番、24番の3曲で、モダニズムの簡素な抒情美を乾いた音で醸し出してをり、そこはかとない哀しみが漂ふ。


プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番
ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲
ショスタコーヴィチ:前奏曲(3曲)
アンタル・ドラティ(cond.)/セルゲイ・クーセヴィツキー(cond.)
[BMG 09026-68993-2]

 RCA録音全集9枚組。4枚目。カペルの興行師はラフマニノフ、ホフマン、ホロヴィッツの前例からアメリカの聴衆の心を掴むにはロシア・ソヴィエトの豪快な協奏曲を切り札に持たねばならぬと考へ、ハチャトゥリアンの新作をカペルの名刺代はりとして持たせた。読みは見事に的中しカペルは一躍新進気鋭の国民的ピアニストに伸し上がつた。他にも優れたライヴ録音が残るが正規録音として当盤の価値は高い。特にクーセヴィツキーとボストン交響楽団による好サポートが光る。プロコフィエフの協奏曲はその上を行き、放電するやうな峻烈さが痛快だ。容赦なく低音を打ち鳴らし前衛的な響きを聴かせるカペル随一の名演であり、端正な自作自演盤や瀟洒なフランソワ盤をも圧倒する。地鳴りのやうな低音の轟きを繰り出すドラティの雄渾な伴奏も満点だ。


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番
シューベルト(11曲)/シューマン/ブラームス/リスト(3曲)
ウラディミル・ゴルシュマン(cond.)、他
[BMG 09026-68994-2]

 RCA録音全集9枚組。5枚目。カペルの資質を余す処なく伝へる1枚。技巧を売りにした豪腕ピアニストの道を潔しとしなかつたカペルはシュナーベルに教へを請ふた。その結実が当盤のベートーヴェンとシューベルトである。第2協奏曲の録音を聴いたシュナーベルは自分の録音だと取り違へた程で、凛とした音色とカデンツを重視したフレーズの見事な歌ひ方が真に素晴らしい。何よりも躍動的なタッチの生命感が抜群で、シュナーベルの再録音と並ぶこの曲の最高の名演である。ワルツ、レントラー、ドイツ舞曲などの趣味の良い選曲が心憎いシューベルト作品の侘びた美しさには頭が下がる。ドイツの巨匠らに伍する第一級の名演の連続だ。一転してリストのメフィスト・ワルツにおける燦然たる技巧の閃きには讃嘆の念を禁じ得ない。しかも、単なる技巧の誇示にならぬ処にカペルの賢哲振りが窺ひ知れる。


バッハ:パルティータ第4番、組曲イ短調
ドビュッシー:子供の領分、他
[BMG 09026-68995-2]

 RCA録音全集9枚組。6枚目。バッハの2作品はカペルが残した最高の遺産のひとつである。バッハのパルティータは匂ひ立つばかりの美しい抒情がそよぐ名演で、リパッティによる第1番と並びピアノで弾かれた録音の珠玉と云へよう。同じく組曲も凛とした詩情で格調高い名演だ。ドビュッシー「子供の領分」は生真面目過ぎて面白くない。コルトーが奏でたやうな夢が欲しい。他は全て小品作品の録音だ。スカルラッティのソナタホ長調は幾分厳めしいが実直な演奏だ。モーツァルトの変ロ長調ソナタのアダージョは内省的な美しさが印象的である。アルベニスは珍しいレパートリーだが、流石はカペルで楽曲の雰囲気を我が物にしてゐる。チェイシンスの作品はブラームスやバルトークをパロディにした愉快な冗談音楽だ。パーマーの作品はプロコフィエフ張りのトッカータで、演奏はカペルの技巧が存分に発揮された名演である。


ラフマニノフ:チェロ・ソナタ
ブラームス:ヴィオラ・ソナタ第1番、ヴァイオリン・ソナタ第3番
エドモンド・クルツ(vc)/ウィリアム・プリムローズ(va)/ヤッシャ・ハイフェッツ(vn)
[BMG 09026-68996-2]

 RCA録音全集9枚組。7枚目。カペルが伴奏を務めた録音を集めた1枚。プリムローズとのヘ短調ソナタは別項で書いたので割愛する。ハイフェッツとのニ短調ソナタは他にも復刻があつた。ハイフェッツの二重奏はピアニストとの均衡が取れてゐないものが多いが、モイセイヴィッチとのクロイツェル・ソナタとカペルとのブラームスは例外だ。激しく熱情をぶつけた両者の演奏は最高のひとつで、ミルシテインとホロヴィッツの録音など問題にならない。最も注目したいのはクルツのチェロに合はせたラフマニノフだ。録音は然程多くないが名曲である。憂ひを帯びた旋律と調性の妙。大ピアニストであつたラフマニノフだけにピアノ・パートの雄弁さが聴き所となる。カペルの繊細かつ逞しいピアニズムが光る当盤は第一に挙げたい名盤である。情感豊かにヴィブラートを駆使するクルツも大変素晴らしい。


1953年3月1日フリック・コレクション美術館リサイタル
コープランド/ショパン/ムソルグスキー、他
[BMG 09026-68997-2]

 RCA録音全集9枚組。8枚目。1953年3月1日にフリック・コレクション美術館にて行はれたリサイタルの記録。鑑賞に差し障りない音質なのが有難い。コープランドのピアノ・ソナタは大変重要な記録だ。点描主義を思はせる前衛的な作品で、カペルの冴えた技巧とモダニズムが発揮されてゐる。ショパンでは、ノクターン第16番、マズルカOp.33-3、幻想ポロネーズが取り上げられてゐる。何れも深い抒情と憂愁を要求される曲で、カペルの繊細な一面を聴かせて呉れる。ムソルグスキー「展覧会の絵」はカペルが得意とし、ライヴ録音が2種残るが、セッション録音の機会を得なかつた演目だ。大変好調で聴き応へのある名演である。アンコールにはシューマン「子供の情景」の第1曲目とスカルラッティのソナタL.23がさり気なく演奏される。誠に心憎いプログラミングで、カペルが知性、詩情、技巧の何れにおいても得難いピアニストであつたことがわかる。不慮の死は痛恨事であつた。


断片録音/別テイク/インタヴュー
バッハ/モーツァルト/ショパン/ブラームス/メンデルスゾーン
[BMG 09026-68998-2]

 RCA録音全集9枚組。9枚目。最後の1枚は、断片録音や別テイクを収録した落ち穂拾ひで、蒐集家以外には不要だ。バッハのパルティータ第4番のアルマンド、ショパンのピアノ・ソナタ第3番の第1楽章と第3楽章、及びマズルカ作品17-3、ハイフェッツとのブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番の第2楽章には、完全な録音があるので興味は湧かないが、モーツァルトのピアノ・ソナタ第10番K.330の第1楽章の冒頭部分、メンデルスゾーン「紡ぎの歌」は唯一の音源となるので重要だ。ハチャトゥリアンなどの豪快な曲で名を轟かせたカペルだが、真価は古典作品を弾いた時にこそ発揮された。美しいピアニズムに息を呑む。余白には20分以上のインタヴューが収録されてゐる。蒐集家には喜ばれよう。


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
シューベルト:歌曲(6曲)、他
マリア・シュターダー(S)
[Pearl GEMM CD 9194]

 全て当盤が初出となる音源ばかりで、宝物のやうな1枚だ。ベートーヴェンの伴奏はRCA盤と全く同じで、ゴルシュマン指揮、NBC交響楽団だ。これはセッション録音の前日に先立つて行はれたライヴ録音なのだ。従つて印象は殆ど変はらない。録音状態と細部の綻びからセッション録音を超えるものではないが、優れた名演である。純粋な音の粒立ちが美しい。この曲ではシュナーベルとカペルが双璧だ。1940年の録音とされる2曲のショパン―英雄ポロネーズとプレリュード第5番―は猛烈に音が悪いが、唯一の演目となるので貴重だ。ラフマニノフの狂詩曲はロジンスキー指揮によるニューヨーク・フィルの伴奏で1945年のライヴ録音。RCAにライナーの伴奏による名盤もあつたが、当盤も抜群に素晴らしい。若々しい腕力で技巧的なパッセージを剛毅に鳴らす一方、第18変奏では弱音の美しさに思はず引き込まれる。青春の感傷が零れ落ちさうな様に嘆息する。当盤の最大の目玉は、シュターダーの伴奏を務めたシューベルトのリートで、カペルが事故死をする年の記録だ。カペルは音楽を深める為に室内楽に参加したり、伴奏奏者を買つて出ては研鑽を積み、同時に古典のレパートリーを増やしていつた。シュターダーは宗教曲の歌ひ手であり、リート畑の歌手ではないが、一種特別な良さがある。シュターダーもカペルも清廉な美しさを紡いでをり、献身的な姿勢に胸打たれる。


ショスタコーヴィッチ:ピアノ協奏曲第1番
ムソルグスキー:展覧会の絵、他
レオン・バージン(cond.)
[ARBITER 108]

 将来を嘱目されたアメリカ人カペルは、不慮の飛行機事故で夭逝した。ロシア・ソ連の作曲家の作品で唸らせた人だが、豪腕が売りのヴィルティオーゾと見なされることを潔しとせず、古典の楽曲も誠実に探求したと云ふ得難い藝術家だつた。事実、当盤の余白に収録されたベートーヴェンのハ短調協奏曲の断片と、バッハの「来れ、異教徒の救い主よ」が清楚で格調高い名演なのだ。ショスタコーヴィッチはカペルにとつて重要なレパートリーであつたが、録音自体が少ない人だから有難い記録だ。鮮やかな技巧と持続する緊張感が見事で、興が乗つてくると形振り構はず驀進する。拙い伴奏は煽られながら必死にしがみつく態。ムソルグスキーも佳演だが、鬼才ホロヴィッツの域には達してゐない。


ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番
ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲
サー・エルネスト・マクミラン(cond.)/フランク・ブラック(cond.)、他
[VAI VAIA/IPA 1027]

 若くして事故死したカペルの貴重なライヴ録音。音質は非常に貧しいが、マーストンによるCD化だからこれ以上は望めまい。ラフマニノフは1948年4月13日、マクミラン指揮のトロント交響楽団との演奏で、ハチャトゥリアンは1945年3月20日、ブラック指揮のNBC交響楽団との演奏である。なお、ラフマニノフにはもう1種類のライヴ録音があり、ハチャトゥリアンにはセッション録音の他に2種のライヴ録音がある―オーマンディとの共演しか聴いたことがない。ラフマニノフの冒頭では遅いテンポによる内気な演奏かと思ひきや、次第に熱気を帯び狂乱めいた頂点を築く。その様はホロヴィッツ以上で、この曲の忘れ難い名演のひとつと賞讃したい。カペルの看板曲ハチャトゥリアンは勿論見事だが、状態の良いセッション録音か、絶好調のオーマンディ盤の方を採る。


モーツァルト:ピアノ・ソナタ第16番
ドビュッシー:子供の領分
リスト:ハンガリー狂詩曲第6番、同第11番
ムソルグスキー:展覧会の絵、他
[VAI VAIA/IPA 1048]

 一見すると、RCAから発売された全集盤に収録されてゐる音源かと早合点して仕舞ふが、それらとは異なる稀少ライヴ録音集。音源は様々で録音状態が水準以下のものばかりだが、リマスタリングがマーストンなので音質はこれ以上を望んではいけない。バッハのパルティータ第4番からの2曲はRCAに優れたセッション録音があるから、蒐集家以外には価値のないものだ。重要なのはモーツァルトのソナタだ。第2楽章アダージョだけの録音なら2種残されてゐるのだが、全曲は当盤のみだ。しかも、音の状態が良く、演奏も古典作品を真摯に取り組んだカペルの結実とも云ふべき名演で、出来映えはシュナーベルに比す。ドビュッシーとムソルグスキーは欠落があり、他の音源で一部補つてをり、音の状態も悪く、鑑賞には適さない。同じく音の状態は良くないが、リストの2曲は悪魔的な技巧の凄みが聴かれる名演で、思はず手に汗握る。


ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番
ニューヨーク・フィル/ディミトリ・ミトロプーロス(cond.)/レオポルド・ストコフスキー(cond.)
[Music&Arts CD-990]

 夭折したカペルの大変貴重なライヴ録音。ミトロプーロスとのブラームスが1953年、ストコフスキーとのプロコフィエフが1949年の演奏だ。ブラームスはセッション録音がないので特に重要だ。ミトロプーロスの指揮は冒頭から怒号のやうな地鳴りを上げてをり期待が高まる。豪腕を武器にオーケストラと対等に渡り合ふカペルの覇気も凄まじく、かのホロヴィッツに匹敵する。分厚い抒情美もブラームスの核心に迫つてをり、絶讃を惜しまない。ライヴだけにアンサンブルの乱れが散見されるが、音楽が燃え滾つてゐるから寧ろ醍醐味に聴こえる。真剣での勝負で綺麗事を述べるものではない。プロコフィエフはドラティ伴奏による見事なセッション録音があるので、価値は殆どない。カペルのピアノは素晴らしいものの、録音状態が優れず、管弦楽伴奏も貧弱で良さが感じとれない。


1947年3月21日リサイタル/1945年2月28日リサイタル
シュトラウス:ブルレスケ
ピッツバーグ交響楽団/フリッツ・ライナー(cond.)
[Marston 53021-2]

 Marstonからの宝物である。初出音源を多数含む放送録音集3枚組。1枚目。1947年3月21日のリサイタルの演目はバッハの組曲イ短調BWV.818、モーツァルトのピアノ・ソナタ第10番、ショパンのマズルカヘ短調Op.63-2、ブラームスの間奏曲変イ長調Op.76-3だ。バッハとショパンにはセッション録音もあつたが、当盤の演奏も上質だ。モーツァルトのソナタの純度の高い美しさには惚れ惚れとする。大変貴重な音源だ。ブラームスも初演目となる。秘めやかな告白が素晴らしい。1945年2月28日のリサイタルはショパンのノクターン第1番、シューマンのロマンス第2番、ドビュッシーのグラナダの夕暮れ、ショスタコーヴィチの前奏曲より3曲、ナポレターノ「猫」、パルマー「トッカータ・オスティナータ」だ。ショパンとパルマーはRCA盤でも採用され聴けたが、他は初出だ。シューマンとショスタコーヴィチにはセッション録音があつた。貴重なのはスペイン情緒溢れるドビュッシーと軽妙なナポレターナで、カペルの多彩振りを味はへる。シュトラウス「ブルレスケ」がライナーとの共演で聴ける。1948年2月1日の記録だ。技巧が抜群で、実に演奏の幅が広い。惜しい天才を失つたものだ。


1952年6月9日&6月15日放送用録音
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
フィラデルディア管弦楽団/ユージン・オーマンディ(cond.)
[Marston 53021-2]

 初出音源を多数含む放送録音集3枚組。2枚目。全て初出である。WQXRスタジオでの1952年6月9日の放送用録音では、モーツァルトのピアノ・ソナタ変ロ長調、グラナドス「嘆き、またはマハと夜鶯」、シューベルトのレントラー第7番と第12番、チェイシンズ「トリッキー・トランペット」、ショパンのピアノ・ソナタ第3番のラルゴを演奏してゐる。モーツァルト、シューベルト、ショパンは他に録音があるので、大して価値はないが、申し分のない出来栄えだ。グラナドスの詩情とチェイシンズの快活さが掘り出し物で、カペルの実力を再認識出来る名品だ。6月15日の録音ではドビュッシー「子供の領分」とリストのハンガリー狂詩曲第11番を演奏してゐる。これらにも別録音があり、目新しさはないが、リストの切れ味は流石だ。1944年10月28日のライヴ録音で、オーマンディとのラフマニノフが聴ける。3種類目となる録音で、管弦楽の伴奏も見事な名演であるが、音が古く冴えないので残念だ。8分半にも及ぶカペルへのインタヴューも収録されてをり貴重だ。


1951年10月17日リサイタル/1947年放送録音
バッハ:4台のチェンバロの為の協奏曲
シューマン:ピアノ五重奏曲
ファイン・アーツ弦楽四重奏団、他
[Marston 53021-2]

 初出音源を多数含む放送録音集3枚組。3枚目。全て初出だ。1951年のリサイタルの演目は、バッハ/ブゾーニ編曲「来たれ、異教徒の救ひ主よ」、ドビュッシーのベルガマスク組曲、リストのハンガリー狂詩曲第11番、ショパンのマズルカ嬰ハ短調、ファリャの粉屋の踊りだ。初演目となるファリャが重要だ。演奏は得意のレパートリーばかりなので、全て申し分ない。1947年放送録音では、モーツァルトのピアノ・ソナタ第10番終楽章とメンデルスゾーンの無言歌「失はれた幻影」が聴ける。メンデルスゾーンが哀愁を帯びた名演である。1950年5月20日の放送録音であるバッハのイ短調協奏曲が豪華極まりない。ロザリン・トゥーレック、ユージン・リスト、ジョゼフ・バッティスタとの共演で溜息が漏れる。演奏自体は飽和状態で特段優れてはゐないが、記録としては恐ろしく貴重だ。もう1曲愛好家感涙の音源が登場だ。1951年11月21日のライヴ録音でシューマンだ。室内楽においてもカペルの卓越した音楽性が感じられる演奏だ。カペルが見事に主導してゐる。ファイン・アーツSQの誠実な演奏も良い。


ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番
バッハ:組曲イ短調BWV.818
ムソルグスキー:展覧会の絵
サー・バーナード・ハインズ(cond.)、他
[RCA 82876685602]

 カペルはオーストラリアへの演奏旅行の帰途に航空機事故で早世した。当盤は1953年7月と10月におけるオーストラリアでの放送録音―正しく最後の演奏記録を集成した初出音源を大量に含む愛好家感涙の2枚組だ。1枚目。ハインズ指揮ヴィクトリア交響楽団の伴奏によるラフマニノフのみが10月の記録で、この後にショパンの葬送ソナタの録音があるだけとなり、協奏曲では最後の記録となる。音質は良くないが、ピアノの音は確と捉へられてゐる。尚、第3楽章に欠落があり、マクミラン共演盤から補はれてゐる。演奏は立派だが、マクミラン共演盤ほどの狂乱がなく然して面白くない。清廉で格調高いバッハが素晴らしい。録音記録はクーラント、サラバンド、ジーグのみで、アルマンドはRCAへのセッション録音で補はれてゐる。ムソルグスキーはVAIからも発売されてゐた。終曲に欠落があり、VAI盤同様フリック美術館でのライヴ録音で補われてゐる。何れも音質が良いとは云へず、鑑賞には適さないが、蒐集家には重要だ。


モーツァルト:ピアノ・ソナタ第16番
ドビュッシー:ベルガマスク組曲
ショパン:舟歌、夜想曲第16番、スケルツォ第1番
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番、他
[RCA 82876685602]

 オーストラリアでの放送録音2枚組。2枚目。殆どが初出音源で、蒐集家を驚愕させた。全て1953年7月の放送録音で、エア・チェックかつアセテート盤からの復刻なので音質は悪いが―人声の混入音もある、モーツァルトのソナタとショパンのノクターン以外は唯一の音源であり、価値は計り知れない。冒頭にイギリス国歌の演奏が収録されてゐる。好んで弾いたモーツァルトの変ロ長調ソナタは古典への造詣を深めてゐつたカペルの神髄が聴き取れる。ドビュッシーも良い。特に前奏曲の壮麗さは天晴だ。だが、カペルの本領はショパンとプロコフィエフに凝縮されてゐる。若きカペルが舟歌で示した境地は、同じく夭折したリパッティの録音に比せられよう。夜想曲の研ぎ澄まされた美しさも良い。そしてスケルツォが凄まじい。これはホロヴィッツの切り札のやうな曲であつたが、カペルの演奏はホロヴィッツへの挑戦状と云へよう。コーダの鬼気迫る稲光に電撃を受けぬ聴き手はをるまい。更にホロヴィッツが範を示してゐたプロコフィエフの戦争ソナタを取り上げるカペルの不敵さは如何ばかりだらう。終楽章の圧倒的な雄弁さに息が詰まる想ひがする。彗星の如く輝いて世を去つたカペル。早世は甚大な損失であつた。



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