楽興撰録

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ヴィルヘルム・バックハウス


ショパン:12の練習曲集Op.10、同Op.25、子守歌、華麗なる大円舞曲、幻想即興曲
リスト:森のささやき、他
[Pearl GEMM CD 9902]

 24曲の練習曲は電気録音導入直後の1927年に吹き込まれた金字塔とも云へる名盤で、詩情豊かなコルトー盤が登場しても、燦然たる技巧で有無を云はせぬバックハウス盤の地位は揺るがなかつた。鍵盤の獅子王の異名をとつた若き頃の録音は、後年植ゑ付けられたバックハウス像が偏つたものであることを物語る。シュナーベルがショパンの練習曲を毛嫌ひし痛罵したのを何処吹く風と、次々と難曲を事も無げに制圧して余裕すら感じさせる。単に技巧が優れてゐるだけでなく、音楽に崩れがない引き締まつた硬派の演奏である。遊びの少ない整然としたショパンに反感もあるだらうが、融通無碍な演奏は純粋な音楽の輝きを放つ。端正なタッチから滲み出る玲瓏なる美しさは特筆したい。録音の貧しさを度外視すれば、現代においても普遍的な価値を持つ名演だ。幻想即興曲も同様の名演。


ショパン:ピアノ・ソナタ第2番、練習曲(13曲)、マズルカ(3曲)、バラード第1番、ワルツ第2番
[DECCA 483 4952]

 遂に登場したDECCA録音全集38枚組。バックハウスはベートーヴェン弾きとして名高いが、知る人ぞ知る、SP時代にはシュナーベルの蔭に隠れベートーヴェンの録音が満足に行へず、寧ろブラームスで一家を成し、更には技巧に物を云はせてショパンの練習曲全曲を吹き込み、コルトー盤と共に決定盤扱ひを受け、バックハウスは立派なショパン弾きとして認知されてゐた。壮年期は玲瓏とした音色で渋みのあるロマンを紡いだが、DECCAに移籍した晩年はタッチが無骨になり厳つく冷然とした音楽を奏でるやうになつた。これが孤高の楽聖ベートーヴェンの曲では妙味となり、ドイツ・ピアニズムの権化として神格化された。この時期に録音されたショパンは大方の想像通り、アルペッジョに繊細な夢がなく、タッチも画一的で石のやうであり、異色の面白みはあるが、一般的には推薦しかねる。


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番、同第3番
ウィーン・フィル
クレメンス・クラウス(cond.)/カール・ベーム(cond.)
[DECCA 483 4952]

 遂に登場したDECCA録音全集38枚組。バックハウスはベートーヴェンのピアノ協奏曲を繰り返し録音してゐるのだが、一般的に聴かれてゐるのはシュミット=イッセルシュテットとのステレオ録音による全集盤だらう。しかし、ソナタ同様、技巧に余裕があるモノーラル旧録音の方がバックハウスのピアノに生気があり表情が多彩だ。第2番は音楽が弾み、自然な呼吸が見事だ。クラウスの伴奏は緩いが、絶妙で味はひ深い。だが、総じてシュナーベルの再録音には及ばない。第3番はこの時期のバックハウスだけが成し得た極上の名演である。殊に凄まじいのが第1楽章のカデンツァで、重厚感のある劇的な昂揚を支へる覇気ある技巧は比類がない。盟友ベームの伴奏も万全で、この曲の決定的な名盤と太鼓判を押したい。


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第1番、同第2番、同第3番、同第4番
[DECCA 483 4952]

 遂に登場したDECCA録音全集38枚組。1950年から1954年にかけてモノーラルで録音されたソナタ全集は心技充実した名盤であるにも拘はらず、ステレオ方式での再録音がある為に看過されて来た。丁寧にバックハウスを聴いてゐる方なら、再録音よりも優れた演奏を幾つも発見出来る筈だ。第1番は簡素な佇まいで凛とした美しさを湛へた佳演だが、この曲にはシュナーベルの情緒的な名演があるので分が悪い。素晴らしいのが第2番の第1楽章で、揺るぎの無い技巧により白熱して行く展開部に如何なる音符をも蔑ろにしないバックハウスの良さが出てゐる。同様に第3番第1楽章の昂揚も見事だ。第4番は終楽章の中間部に劇的な凄みがある。しかし、それ以外の楽章ではバックハウスは旋律よりも音の構築を優先する傾向があり、自然な流れを失ふ箇所があるのも事実であり、感興が殺がれる箇所も散見される。


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第5番、同第6番、同第7番、同第8番「悲愴」、同第9番
[DECCA 483 4952]

 玲瓏たるタッチで哀感を漂はせる第5番が名演だ。揺るぎのない造型と粒の揃つた厳しくも美しい音色が素晴らしい。得意とした第6番も堅実で格調高い名演だ。終楽章の躍動は殊の外見事だ。初期作品群の傑作第7番はシュナーベルやフィッシャーの名演があり、バックハウスの淡白な表現は分が悪い。特に深い詠嘆を聴かせる第2楽章が皮相で荒削りなのは致命的であり、バックハウスの弱点が出て仕舞つた。名曲「悲愴ソナタ」は如何なる訳だらう、熟れない感じが付き纏ひもどかしい。名演が犇めくだけに記憶には残り難い演奏だ。簡素で軽妙な第9番は爽快なテンポによる名演だ。


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第10番、同第11番、同第12番、同第13番
[DECCA 483 4952]

 次第にロマンティックな音楽へと変貌を遂げて行くベートーヴェンの作風に、バックハウスの硬質な音色と澄み切つた佇まひが合致し、手応へのある演奏が聴ける。第10番や第11番は部分的には散漫な箇所があるが、総じて構成美の取れた名演である。第12番の葬送行進曲における外連のない実直な演奏は素晴らしい。終楽章の壮麗な昂揚も見事。最高傑作は幻想曲風ソナタの第13番だ。色気を出して楽曲を貶めることなく厳然とした気骨で男気のある演奏を繰り広げる。特に終楽章の闘争的な昂揚は技巧家バックハウスの最良の姿を伝へてゐる。


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」、同第15番「田園」、同第16番、同第17番「テンペスト」
[DECCA 483 4952]

 月光ソナタは甘さのない重厚且つ厳しい演奏で好ましい。第1楽章はステレオ盤の方が一層虚飾を排した孤高の名演だと思ふが、第3楽章は圧倒的な技巧で聴かせた焦燥感溢れるモノラル盤に軍配を上げる。当全集録音の中でも屈指の名演だ。田園ソナタの演奏は音色やリズムが単調で面白くない。粒立ちの揃つたタッチで快活な曲想を見事に表現した第16番は軽くなり過ぎることがなく、ベートーヴェンの劇的な面を良く捉へた名演だ。「テンペスト」は実直過ぎて幻想が足りず面白くない。含みの少ないバックハウスの弱点が出た演奏と云へる。


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第18番、同第19番、同第20番、同第21番「ヴァルトシュタイン」、同第22番
[DECCA 483 4952]

 バックハウスの良さは中期の傑作群に聴くことが出来る。即ち第21番と第22番のソナタが壮麗な名演で充実してゐる。特に第22番は特上で、第2楽章の猛然たる沸騰振りは比類がなく、アパッショナータと並びバックハウスの旧全集における白眉と云へる。ケンプのやうにコーダに見せ場を造るのではなく、最初から最後まで惜しみなく技巧を駆使して白熱した音楽を持続させる様は圧巻だ。ヴァルトシュタイン・ソナタは第1楽章が申し分なく見事なのだが、終楽章が如何なる訳か穏当な演奏で肩透かしを喰らふ。残念なことだ。軽妙な趣のある残りの3曲は特に印象に残る出来ではない。


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番「熱情」、同第24番、同第25番、同第26番「告別」
[DECCA 483 4952]

 アパッショナータはバックハウスのモノーラル録音全集における白眉であり、生気に溢れた音の流れは晩年のステレオによる再録音など比ではない。第1楽章の展開部や第3楽章のコーダにおける確かな技巧に裏打ちされた燦然たる昂揚はバックハウス壮年期の金字塔となつた。大理石のやうなピアニズムが神々しい品位を保つてをり、ドイツの厳格な様式による名演である。第25番がこれに次ぐ名演で、バックハウスが陥り勝ちなタッチの単調さがなく、明暗の描き分けが絶妙でリズムも沸き立つてゐる。この曲の代表的な名演として推したい。第24番はやや一本調子で詩情にも欠ける。「告別」もバックハウスの素つ気なさがよそよそしく感銘が落ちる。霊感豊かなシュナーベルの慈愛に溢れた名演には遥かに及ばない。


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第27番、同第28番、同第29番「ハンマークラヴィーア」
[DECCA 483 4952]

 バックハウスの硬質で冷たいピアニズムは峻厳で無骨な音楽を紡ぎ出す。バックハウスのタッチは幻想には欠けるものの、質実剛健としたベートーヴェンの後期作品に孤高の趣を与へてゐる。第27番は玲瓏たるタッチが美しく、清廉とした趣が儚い浪漫を伴ひ、悲しみが滲む名演である。第28番は技巧こそ切れるが、単調で機械的な面が目立つ。音楽は上滑りして空虚だ。旧盤の演奏はバックハウスの悪い面が出て仕舞つた。第29番はステレオ再録音が唯一なく、バックハウスによる正真正銘のソナタ全集録音はこのモノーラル録音旧盤のみとなる。終楽章が巨大な威容を誇る堅牢さと昂揚する感情の揺らめきが共存する壮麗な音楽を展開した名演だ。しかし、他の楽章ではソロモンが到達した神々しい瞑想やシュナーベルが散らした神聖な火花には僅かに及ばない。


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番、同第31番、同第32番
[DECCA 483 4952]

 これらの3つのソナタがピアニストの試金石であることは間違ひなく、演奏家の感性を端的に示す。バックハウスは求道師の如く一徹に音楽を奏でるが、精力的過ぎる印象を受ける。バックハウスによる最後の3つのソナタの旧盤は正直なところ余り感心の出来ない。詩情と霊感と瞑想が不足してをり、単調で面白くないのだ。これら3つのソナタで最も神性な火花を散らしたのはシュナーベルとナットである。比べればバックハウスなぞ青二才だ。


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第6番、同第12番、同第14番
ブラームス:ピアノ五重奏曲
アマデウス弦楽四重奏団
[melo CLASSIC MC 1007]

 愛好家を驚愕させたmelo CLASSIC。バックハウスは生涯を演奏活動に捧げたが、それにしてはライヴ録音が多くは残らないし、演目も変はり映えしない。ベートーヴェンのソナタ3曲は1953年5月19日の記録で、パリのサル・ガヴォーでの公演だ。得意とした3曲だけに他にもライヴ録音が残り、この日の演奏が格別優れてゐるとは云へない。1953年8月14日の記録であるブラームスの五重奏が大変貴重だ。バックハウスの室内楽は極めて少なく、シューベルト「ます」とフルニエとのブラームスのソナタしかなかつた筈だ。さて、内容は散漫で然して良くない。残念なことだ。アマデウスSQとの相性もあるが、バックハウスが面白くないのもあるだらう。


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番、ピアノ・ソナタ第5番、同第8番「悲愴」、同第25番
ニューヨーク・フィル
グィード・カンテッリ(cond.)
[Profil PH10006]

 独Profilによるバックハウスのカーネギー・ホールでのライヴ録音集2枚組。1枚目を聴く。協奏曲は1956年3月18日の記録。カンテッリはこの年の11月に飛行機事故で急逝して仕舞ふ。録音が幾分冴えないが、演奏は素晴らしい。この曲を得意としたバックハウスは融通無碍に曲を手中に収めてゐる感がある。取り分け自在な自作カデンツァが聴き応へがある。それ以上にカンテッリの伴奏が見事だ。呼吸が素晴らしく音楽に精彩がある。ソナタ第5番は1956年4月11日の記録。先に独ProfilからPH07006として発売されたCDには含まれてゐなかつた演目だ―残りの曲は月光ソナタ、ハンマークラヴィーア・ソナタ、アンコール集だつた。これでこの日の演目が揃つたことになる。録音も鮮明、演奏も抜群に素晴らしい。セッション録音でもこの曲は名演であつた。残りは1954年3月30日の記録だ。重厚な悲愴ソナタも申し分ないが、清楚な美しさが魅力の第25番が名演だ。


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」、同第26番「告別」、同第32番
シューベルト/シューマン/リスト/ブラームス
[Profil PH10006]

 独Profilによるバックハウスのカーネギー・ホールでのライヴ録音集2枚組。2枚目を聴く。1954年3月30日のライヴ録音だ。この日のプログラムはベートーヴェンのソナタ5曲で、当盤に収録された演目の他に1枚目に収録されてゐた第8番「悲愴」と第25番で全体を成す。さて、演奏はテンペストが最も素晴らしい。厳つく重厚で神秘的な演奏はバックハウスの妙味が発揮された名演で感銘深い。比べると告別ソナタは並の演奏で、特段印象に残らない。第32番も同様で、立派な演奏なのだが、特別な価値を見出すことほどの点はない。寧ろアンコールが絶品だ。シューベルトの即興曲変イ長調、シューマンの「何故に」、リストの「ウィーンの夜会第6番」、ブラームスの間奏曲作品119-3の4曲。バックハウスの常で演奏前に音出しをする。探るやうに幾つかの和音を鳴らす。次に何を弾くかを霊感で決めるやうに、気分次第、趣く侭に辿り着いた調性の曲を弾いたやうに聴かせる。至福のひととき。


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」、同第29番「ハンマークラヴィーア」
シューベルト/ショパン/シューマン/モーツァルト
[Profil PH07006]

 1956年4月11日、カーネギー・ホールにおけるライヴ録音。ソナタ全集録音を仕上げ、ベートーヴェン弾きとして名実ともに巨匠となつたバックハウスの最も輝いてゐた時期の記録である。ハンマークラヴィーア・ソナタの実演はピアニストにとつての試金石であるが、傷が殆どなく疲れも感じさせない。バックハウスの安定感は驚異的だ。このソナタにはステレオでの再録音がないから、貴重な記録であることも特筆してをきたい。月光ソナタも厳格な名演。アンコールとして、シューベルト「即興曲変ロ長調」、ショパンのエチュード第14番、シューマン「預言の鳥」、モーツァルト「トルコ行進曲」が演奏されてゐるが、何れも指慣らしをして分散和音の余韻を残してから演奏が始まる。これぞバックハウスの演奏会を聴く醍醐味。会場を予感で満たして、音を紡いで行く。極上のアンコール演奏だ。


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ピアノ・ソナタ第21番「ヴァルトシュタイン」
ショパン:エチュード(7曲)
ケルン放送交響楽団
サー・ゲオルグ・ショルティ(cond.)
[medici MASTERS MM006-2]

 協奏曲は1956年6月25日、ケルンにおける放送録音。バックハウスが残した皇帝協奏曲には3種のセッション録音の他にもシューリヒトやクナッパーツブッシュとのライヴ録音があつたが、これに少壮ショルティとの爽快な共演が加はつた。円熟期のバックハウスの燦然たる素晴らしさは云ふ迄もないのだが、頭角をめきめき顕したショルティの生気のある伴奏が良い。魔性の魅惑を備へた演奏ではないが、王道を行く名演のひとつだ。ヴァルトシュタイン・ソナタは1959年9月24日、ボンにおけるライヴ録音。堅牢な構築美と風格ある技巧で強い感銘を与へる名演だ。ショパンは1953年6月11日、ルガーノでのライヴ録音。演目は作品25から第1番、第2番、第3番、第6番、第8番、第9番と作品10の第5番だ。ショパンのエチュードはSP時代に決定的名盤を残したバックハウスの切り札なのだが、実演ではこれが唯一の記録だらう。演奏は取り立てて誉めるほどのものではないが、曲間で指慣らしの和音を挿入して、次の曲の調性へ誘ふバックハウスならではの余興があるのが乙だ。


シューベルト:即興曲変ロ長調
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第6番、同第29番「ハンマークラヴィーア」
[ica CLASSICS ICAC 5055]

 1959年9月24日、ボンのベートーヴェン・ホールでの実況録音―この他にヴァルトシュタイン・ソナタも演奏されてゐる。ケルン放送局にあつた原テープからのCD化で驚くほど音が良く、バックハウスの至藝が堪能出来る。シューベルトは有名なロザムンデの主題による即興曲で玄妙な名演だ。バックハウスはベートーヴェンの第6ソナタを好んで弾いてをり、他にもライヴ録音がある。この円熟期の演奏は特に完成度が高く、決定的演奏と云つても過言ではない。さて、ハンマークラヴィーア・ソナタだが、ステレオ録音全集で唯一再録音しなかつた曲としてバックハウスには音源が1種類しかないとされた曲であつた。それが続々とライヴ録音が発掘され現在は驚く事なかれ4種にも増えた。当盤の演奏は頑健で巨大、実演でこの曲を斯様に仕上げるのは並大抵ではなく、圧倒的な名演だ。


モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
ウィーン・フィル
カール・ベーム(cond.)
[Orfeo C 796 091 B]

 ザルツブルク音楽祭における実況録音。バックハウスは膨大な録音を残したが、ライヴ録音の割合は少ないので歓迎される。モーツァルトが1960年8月2日、ブラームスが1968年8月18日の記録だ。2曲ともDECCAへのセッション録音がある。当盤と全く同じ盟友ベームとウィーン・フィルによる伴奏で、比較は避けられない。DECCA盤は決定盤とも云へる存在で、モーツァルトはカーゾン盤が唯一比肩するのみ、ブラームスは凌駕する演奏は一寸簡単には思ひ当たらない。従つて当盤は絶対的に不利な立場であるが、モーツァルトは生気がある点ではセッション録音よりも素晴らしく、甲乙付け難い名演である。特に優美で情感豊かなウィーン・フィルが好調だ。繊細極まりないセッション録音の王座こそ揺るぎないが、このライヴ盤が肉迫する出来であることは述べてをきたい。ブラームスはバックハウス最晩年の演奏であるが充実した演奏だ。しかし、仕上がりはセッション録音に遠く及ばず、伴奏にも実演ならではの瑕が散見される。こちらは記録としての価値のみに止まる。



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