楽興撰録

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イヴォンヌ・ルフェビュール


バッハ:前奏曲とフーガ、幻想曲とフーガ
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、他
ベルリン・フィル/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(cond.)
[EMI 0946 351878 2 3] 画像はジャケット裏です

 "LES RARISSIMES"シリーズ2枚組。1枚目。ルフェビュールの名を知らしめてゐるのは、疑ひもなくこのフルトヴェングラーとのライヴ録音である。デモーニッシュと形容されニ短調協奏曲を語る上で欠かせない名演とされてきた。しかし、正直申してこれがルフェビュールの最上の演奏ではないし、女史の持つてゐる本来の音楽性で奏でた記録とは云ひ難い。矢張りこれはフルトヴェングラー主導の音楽であり、それに呼応することの出来た稀有なピアニストの才を聴くべき録音である。劇的な危ふさを指揮者共々煽る様は凄まじい。しかし、難聴が進行してゐるのか巨匠の棒が独奏に付いてゐない。崩壊状態の箇所も散見され、この演奏を過大評価することは戒めなければならない。1955年にセッション録音されたバッハ作品が極上の名演だ。厳粛かつ硬派な演奏で威風辺りを払ふ。前奏曲とフーガの屹立とした厳しさは偉大だ。トランスクリプションの録音では幻想的な焔を燃やしたグレインジャーの演奏と並ぶ最上の演奏であらう。


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番、同第31番、ディアベッリ変奏曲
[EMI 0946 351878 2 3] 画像はジャケット裏です

 "LES RARISSIMES"シリーズ。2枚目。女傑ルフェビュールによる全盛期のベートーヴェン。モノラル録音だが、後年の再録音にはない潤ひと力感が感じられ、価値を少しも減じてゐない。フランス人でありながらドイツの音楽を得意にし、洒脱なタッチなど薬にもしたく無いとばかり峻厳な打鍵を聴かせる。音楽の形を彫琢し、音を築き上げることから生じる荘厳さを聴かせたルフェビュールの姿勢は、ナットと好一対を成す。ソナタは抒情的な演奏とは異なり、厳粛かつ真摯な取り組みで、聴き応へがある。ディアベッリ変奏曲は短縮版なのが残念だが、再録音でも短縮版を用ゐてゐる為、独自の考へがあつてのことだらう。緊張感を貫いた名演と云へる。


バッハ:幻想曲とフーガ
モーツァルト:幻想曲K.396、同K.475、ピアノ・ソナタ第14番、「ああ、ママに云ふわ」による変奏曲
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第1番、バガテルOp.119より7曲
[SOLSTICE SOCD 133/5]

 未発表録音集第1巻3枚組。1966年と1970年の録音だ。1枚目。重厚なドイツ音楽を聴かせたルフェビュールの面目躍如たる名演が揃ふ。バッハは気魄が凄まじく圧倒される。壮麗な1955年のEMI盤に匹敵する名演だ。モーツァルトはハ短調曲による選曲、即ち2つの幻想曲とソナタで、モーツァルトに媚びないベートーヴェン風の厳しい演奏が映える。これらの短調作品はモーツァルト弾き以外も好んで演奏したから競合盤が多いのだが、ルフェビュール盤は劇的な要素を抑へた厳格な取り組みで頭一つ抜きん出る。一方、変奏曲は真摯な演奏だが、特段贔屓にする内容ではない。ベートーヴェンのソナタが素晴らしい。次第に調子を上げて来て終楽章の峻厳さには度肝を抜かれる。バガテルは11曲中から7曲を自由に順番を変へて演奏してゐる。これも極上の名演だ。


ショパン:マズルカ(5曲)、舟歌、スケルツォ第2番、バラード第4番
シューマン:蝶々、幻想曲
[SOLSTICE SOCD 133/5]

 未発表録音集第1巻3枚組。2枚目。ルフェビュールにとつては貴重なレペルトワールが満載だ。ショパンはそれだけで珍しい。しかし、何れも含蓄のある深みを帯びた名演ばかりで驚きだ。恐らく選曲がルフェビュールに打つて付けなのだらう。理知的な面を窺はせる。マズルカは5曲、イ短調Op.41-2、イ短調Op.17-4、ハ長調Op.7-5、ハ長調Op.56-2、ヘ短調Op.7-3だ。寂寥感と焦燥感が交錯する見事な名演の連続だ。彷徨ふやうな侘しさのある舟歌、暗い情熱を秘めたスケルツォ、情欲に抗ふやうなバラード、一般的なショパン弾きとは一風異なる真面目で悲劇的な演奏が聴ける。シューマンは録音は多くないがドイツ・ロマンティシズムを体現する名演を残してゐる。蝶々は壮麗で圧倒される。見事だが御伽噺のやうなメルヒェンには欠ける。男勝り過ぎるのだ。幻想曲が極上だ。堅牢な技巧と重厚な響きによる演奏はこの大曲を手中に収めた感がある。3楽章制の幻想ソナタとしての構築感覚が素晴らしく、ずしりと手応へのある名演だ。


ラモー:ガヴォットと6つの変奏曲
バルトーク:ブルガリアのリズムによる6つの舞曲
シューベルト:ピアノ・ソナタ第19番より第2楽章と第3楽章
ハイドン:変奏曲
ブラームス:間奏曲作品119-1、同作品118-6
リスト:バラード、悲しみのゴンドラ、紡ぎ歌
[SOLSTICE SOCD 959]

 未発表録音集第2巻。これらは全て大全集24枚組に含まれたが、初出盤で記事にする。全てINA音源の1971年録音である。どの演目もルフェビュールにとつては唯一の音源で、尚且つシューベルト以外の作曲家は当盤に収録された以外には録音がなく、非常に希少価値のある1枚なのだ。ラモーやハイドンにおける格調高い音楽作りはルフェビュールが得意としたバッハの延長としての位置付けが出来るだらう。真摯な名演である。バルトークは意外な演目だが、生真面目な演奏乍ら面白く聴ける。ブラームスは重厚で良いが、幻想的な面が欠けるのか特別な感銘は受けなかつた。リストも珍しい。極めてドイツ的なタッチの荘重なリストだが、情熱も感じられ素晴らしい。特に気宇壮大なバラードが絶品だ。さまよへるオランダ人からの紡ぎ歌も壮麗だ。


ドビュッシー:玩具箱
バッハ:前奏曲とフーガ嬰ハ短調BWV.848、ピアノ協奏曲第1番
ピエール・ベルタン(語り)/フェルナン・ウーブラドゥ(cond.)
[SOLSTICE SOCD 258]

 愛好家必携の1枚だ。何と云つてもマルセル・メイエの殿方でもある名優ベルタンの語り付きの玩具箱は他では味はへないエスプリの結晶である。1957年の仏ポリドールへの録音でルフェビュール全盛期の水も滴る名演が聴ける。玩具箱はバレエ音楽であるが、ベルタンの創意による語りで一種特別な鑑賞が楽しめる。とても息の合つたセッションで、唯一無二の名演と云へよう。バッハのニ短調協奏曲はこれまた貴重な取り合はせ、ウーブラドゥと率ゐる室内管弦楽団の伴奏である。1957年のライヴ録音で、後年の演奏よりもタッチが柔らかく流麗さが特徴だ。だが、忌憚なく申せば、ウーブラドゥの指揮は音楽的ではあつても様式美は捉へてをらず、ルフェビュールも厳しさのある晩年の厳しい演奏の方がバッハでは真実を突いてゐた。前奏曲とフーガのみ1971年の録音である。心洗はれる極上の名演である。


クープラン:クラヴザン曲集より2曲
ドビュッシー:前奏曲集第1巻、練習曲から2曲
ルーセル:3つの小品
[SOLSTICE SOCD 239]

 これらは全て大全集24枚組に含まれたが、初出盤で記事にする。放送用スタジオ録音だ。目玉は何と云つてもドビュッシーの前奏曲集第1巻だ。荘厳で神秘的な演奏で、印象主義的な解釈とは一線を画す。古代風の原初的な力強い響きがする名演なのだ。ルーセルの奇怪な小品でも硬質な輝きが楽しめる。クープランのクラヴザン曲集を弾いてゐるのは興味深い。典雅さは薄く、近代的な語り口の生々しさが面白い。


ラヴェル:クープランの墓、水の戯れ、マ・メール・ロワ、高雅で感傷的なワルツ
ジェルザンド・ド・サブラン(p)
[FY FYCD 018]

 1975年1月の録音。晩年に残した名盤のひとつ。最高傑作はクープランの墓だ。明晰で透明感あるピアニズムからは類ひ稀な知性が窺はれる。剛毅なタッチから凛然とした佇まひが聴こえて来る。香水は効かせ過ぎると品がなくなる。媚や色気を排したルフェビュールのラヴェルは誠に格調高い。難曲とされる終曲での気魄も見事。次いで良いのが高雅で感傷的なワルツで、洒脱さとは無縁の硬派の演奏である。水の戯れも同様の趣向だが、幾分表情が硬く厳し過ぎる。マ・メール・ロワはド・サブランとの4手演奏である。美しい部分も多いが、感興の発露に乏しく余り面白くない。


ベートーヴェン:ディアベッリ変奏曲、6つのバガテル
シューベルト:15のワルツとレントラー、即興曲変イ長調
[FY FYCD 022]

 ディアベッリ変奏曲は再録音だが、旧盤同様、演奏時間が30分ほどの短縮版での演奏だ。原典至上主義からは問題視されるだらうが、冗長さはなくなり、凝縮された演奏を集中して楽しめる。巧言令色を排した音楽運びはベートーヴェンの核心に迫つてゐる。バガテルも大変な名演だ。シュナーベルのやうな霊妙さはないが、後期作品の諧謔と瞑想を見事に表現してゐる。ベートーヴェン以上にシューベルトが良い。15曲のワルツ、舞曲、レントラーからルフェビュールが編んだ9分ほどの組曲は侘しい寂寥感が素晴らしい名品だ。明滅しては余韻を残して接続されて行く曲の配列が絶品で、ルフェビュールの残した録音の中でも最上のひとつに数へたい。シューベルトの物悲しい抒情をこれほどまでに表現したピアニストも少なく、それは有名な即興曲の演奏でも確認出来る。


バッハ:パルティータ第6番
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番、同第31番、同第32番
[FY FYCD 051]

 バッハが兎に角素晴らしい。1984年、ルフェビュール最後期の録音だ。冒頭のトッカータから辺りを払ふ神々しい威厳が備はつてゐる。俗世の垢を振り落とした高貴な音色に思はず居住まひを正す。1955年に録音された2曲のフーガ作品と並ぶ名演で、ルフェビュールの残した全録音の中でも最上の出来だ。ベートーヴェンの後期3大ソナタは1977年の録音。第30番と第31番は1950年代にも録音があり、再録音となる。当盤は晩年の演奏で当然技巧的な輝きはない。だが、若干の綻びはあつてもベートーヴェンの精神に迫る激しい気魄に圧倒される。女傑ルフェビュールの巧言令色を排した演奏はベートーヴェンの神髄に触れてゐる。3曲の中では第31番が最も峻厳で、曲想にも合致してをり良い出来だ。第30番も素晴らしいが、旧盤の方が流麗さがあつて好ましい。第32番は見事だが特色のある演奏ではない。


フォレ:主題と変奏曲、夜想曲(第1番、第6番、第7番、第12番、第13番)、即興曲(第2番、第5番)
デュカ:変奏曲・間奏曲と終曲、悲歌風前奏曲
[FY FYCD 55]

 極めて男性的で厳つい演奏を聴かせたルフェビュールは、バッハやベートーヴェンなどのドイツの作曲家の作品を多く演奏したが、フランス近代の名作も格調高く奏でた。柔和な繊細さでエスプリを聴かせるのではなく、硬質のタッチで神々しい荘厳さを表出した。フォレはティッサン=ヴァランタンのやうな微細に分け入つた表情には乏しいが、感情の振幅が大きく昂揚感が素晴らしい。特に変奏曲は名演だ。重要なのは録音の少ないデュカの作品で―デュカのピアノ作品は4つしかない―、「ラモーの主題による変奏曲・間奏曲と終曲」「ハイドンの名による悲歌的前奏曲」が聴ける。前者は大曲で高度な技巧を要求されるが、堂々とした妙技を聴ける。凛とした風格が見事で、代表的名盤として推奨出来る。


シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番
シューマン:ダヴィド同盟舞曲集、交響的練習曲の遺作変奏曲、他
[FY FYCD 078]

 シューベルトの最後のソナタは余情を排した男性的な演奏で、ベートーヴェンのソナタを聴いてゐるやうだ。思はせ振りな表情は一切なく、剛直なタッチでぐいぐい音楽を進めるルフェビュールには外連がない。第1楽章の暗い低音のトリルによる呟きが旋律を断絶させる箇所で間を取らない解釈は類例がない。それでゐながらフレーズ内での歌ひ崩しを存分に聴かせてをり侮れない。遅いテンポで抒情に嵌り込む演奏が多い中、ルフェビュールの精悍な演奏には胸がすく。シューマンのダヴィド同盟舞曲集も悪戯に物語性に陥ることない骨太の名演。遺作だけを弾いた交響的練習曲も辛口の詩情が美しい。


ドビュッシー:映像第1集、同第2集、仮面、喜びの島
エマニュエル:ソナティネ第4番、同第3番、同第6番
[FY FYCD 109]

 ドビュッシーとその親友モーリス・エマニュエルの作品といふ恰好な取り合はせだ。重要なのはエマニュエルの録音である。エマニュエルは長くパリのコンセールヴァトワールで教鞭を執り、ルフェビュールはその教へを受けた生徒なのだ。師に捧げるオマージュとして大変価値のある録音。エマニュエルの代表作6つのソナティネから3曲が録音されてゐる。インド風の第4番、ブルゴーニュ風の第3番など素敵な作品ばかりだ。印象主義の先駆者の蘊奥を聴かせる極上の名盤だ。女傑ルフェビュールが弾くドビュッシーは頽廃的な色気などとは無縁で、スタンウェイの輝かしい響きで全音階のアルカイックな音楽を堂々と奏でる。豪快な仮面が取り分け素晴らしい。


シューマン:ピアノ協奏曲、子供の情景
ラヴェル:ピアノ協奏曲
フランス国立管弦楽団/ポール・パレー(cond.)
[SOLSTICE SOCD 55]

 協奏曲は1970年3月のセッション録音。ルフェビュールの協奏曲録音と云へばフルトヴェングラーとのモーツァルトがあるくらゐで、晩年の録音とは云へ。かうして協奏曲が聴けるのは大変有難い。しかも、名曲シューマンとラヴェルを豪傑パレーの伴奏で聴けるのだからこれ以上何を望もう。70歳を超えた独奏者と80歳を超えた指揮者が繰り広げる演奏は、老いの片鱗など寸分も聴かせず、驚嘆すべき瑞々しさを滴らせてゐる。両者の音楽は極めて等質で、硬派で豪快、かつ乾いた詩情を漂はせる伊達な心意気が瀟酒だ。両者共々シューマンの協奏曲では軟弱な陶酔を毅然と避けた辛口の演奏に徹してをり、ダンディスムの粋を感じる。この曲屈指の名演だ。両者が得意としたラヴェルも力強い演奏で、ベル・エポックを偲ぶやうな重みすら感じる。子供の情景は1977年11月の録音。甘さを排した硬質のタッチによる透徹した美しさが印象的だが、コルトーが奏でたやうな幻想が足りない。


バッハ:トッカータBWV.912、半音階的幻想曲とフーガ、パルティータ第1番、他
[SOLSTICE SOCD 65]

 1978年から1984年にかけて録音されたルフェビュール最晩年のバッハ。女史は大変バッハを得意とし、1955年の録音は極上の名演であつた。当盤とは4曲中、前奏曲とフーガBWV.543、コラール「われ汝に呼ばはる、主イエス・キリストよ」、コラール「主よ、人の望みの喜びよ」の3曲が重複してをり、出来は旧盤に譲りたい。重要なのはトッカータBWV.912、半音階的幻想曲とフーガ、前奏曲とフーガ第8番、コラール「汝にこそわが喜びあり」、パルティータ第1番、シシリエンヌだ。余計な雑念を払ひ落とした清廉高潔なバッハ演奏で、ルフェビュール特有の硬めのタッチが引き締まつた音楽を創り上げてをり素晴らしい。強い意志を感じさせるグールドの演奏とは異なり、無心に音楽に向き合つたルフェビュールのバッハもまた美しい。


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番
ドビュッシー:映像第1巻
バッハ
ラヴェル:夜のガスパール
アニュエル・ブンダヴォエ(p)
[Spectrum Sound CDSMBA017]

 フランス国立視聴研究所からの発掘音源で、ブンダヴォエとルフェビュールの録音を収録した2枚組。2枚目。ブンダヴォエによる「夜のガスパール」と、ルフェビュール最後の独奏リサイタル、1973年6月28日の録音だ。ブンダヴォエのラヴェルが素晴らしい。まず、1959年の放送録音で、確かな技巧から底光りする妖気が感じられる名演だ。さて、何よりもルフェビュール最後の録音が重要だ。演目はバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻より第8番変ホ短調、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番、ドビュッシーの映像第1巻、バッハのオルガン協奏曲ニ短調BWV.596、アンコールに前奏曲とフーガイ短調BWV543からフーガだ。ベートーヴェンは全盛期の録音があり、比べるとフーガでは年齢による衰へを感じるが、嘆きの歌のしみじみとした味はひを聴くべきであらう。ドビュッシーも同様のことが云へ、技巧に解れがあるが色彩の妙に年輪を感じる。バッハは全て幻想的で霊感豊かな演奏ばかりだ。生涯をかけて弾き続けてきて血となり肉となつたバッハ演奏がある。感情を揺さぶる最高級のバッハだ。



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