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大物の共演記録である。ノイエ・ザッハリヒカイトの旗手ギーゼキングと後期ロマン主義の遺影を伝承するメンゲルベルクの共演は多く、他にもフランクの交響的変奏曲やマックス・トラップの協奏曲の録音が残る。全く音楽性の異なる両者が気心合つた演奏をしてゐるのが痛快だ。しかも演目が憂鬱症なラフマニノフと両者の中心レパートリーからは外れてゐるのも面白い。ただ、両者は現代音楽の良き理解者であり初演魔であつたといふ共通点があるのだ。第2協奏曲は男のロマンを高らかに歌ひ上げた異色の名演で、精力的なギーゼキングの独奏と熱情的なメンゲルベルクの伴奏が融合してゐる。第3楽章の大詰めで旋律を力強く歌ふ箇所でメンゲルベルクが大見得を切る。余人の真似出来るものではない。第3協奏曲も刺激的だ。第2楽章の溶解しさうなポルタメントの渦は尋常ではない。激しいテンポの緩急も予定調和の如く見事決まつてゐる。
不滅の名盤モーツァルト・ピアノ独奏曲全集8枚組。ピアノ・ソナタ全集の名盤は数多あれど、モーツァルトのピアノ作品集成となると、ギーゼキングから押さへるのが常套だらう。とは云へ正直申してギーゼキングは苦手なピアニストである。即物主義的な演奏をするからではなく、レパートリーに節操がなく、片端から全集録音を遣つ付ける態度の為である。この全集も2年間で仕上げたのだから狂気の沙汰だ。しかし、演奏は規範とも云へる立派なものだ。表現は淡白で、単調であるとすら云へるが、余計なものがないだけに胸に迫る瞬間があるのも事実だ。1枚目。神童時代の作品で、K.1のメヌエットから初期のソナタまで素朴な魅力を満喫出来る。
2枚目。ギーゼキングの簡素なタッチから生まれる珠玉の名演集。装飾を排した新即物主義を旨とする姿勢が輪をかけて単純さを助長する。勿体振つた表情で明暗を付けるピアニストよりも転調の効果が絶妙で心憎いばかりだ。モーツァルトのソナタは手練手管を弄したタッチよりも、均一で透明感のあるギーゼキングの演奏の方が栄える。長調の曲は特にさうだ。反面、断章ながら短調の曲であることから重要なK.312の録音が、詩情に乏しく面白くない。モーツァルトのデモーニッシュな短調はギーゼキングには不向きらしい。
3枚目。ギーゼキングによるモーツァルトの傑作ソナタ群の録音。第9番が名演で、芯の強い男性的なタッチを貫きながらレッジェーロの表情を常に失はないといふ至藝を聴かせてくれる。短調への転調が殊の外美しい。名曲第8番を過度の感傷や劇的な誇張を排して淡々と弾くのはノイエ・ザッハリヒカイトの泰斗であるギーゼキングらしいが、気高くも哀しいリパッティの名演と比べると魅力には乏しいと云はざるを得ない。第10番は素朴過ぎて面白みに欠ける。この曲ならハスキルの演奏が忘れ難い。その他では「キラキラ星変奏曲」が表情豊かな佳演で、軽やかに浮き立つリズムが見事だ。次いでカプリッチョが良い出来だ。
4枚目。ギーゼキングの弾くモーツァルトは余計な装飾や表情付けを排した古典的な簡素さが特徴だ。作品の美しさが粒の揃つたタッチから伝はる反面、型に収まつた演奏様式で聴き手に強い印象を与へることは少ない。形骸化したトルコ行進曲の演奏は特に無惨で、クラウスの名演が恋しくなる。K.332とK.333のソナタも同様で、緩徐楽章には連綿と溺れる哀しさが欲しく、フィナーレにははしゃいだリズムが欲しい。2つの変奏曲こそ新即物主義の真価を発揮した名演で、楽曲の美しさそのものを引き出してをり、聴き応へがある。
5枚目。ソナタを含まない1枚だが、滅多に聴けない隠れた名曲に出会へる。真珠のやうに粒の揃つたタッチが典雅な美しさを紡ぎ、別段作為をしてゐないのに音楽の性格が変化する様は見事。哀しくなるくらい美しいピアニッシモのタッチはギーゼキングだけの至藝である。だが、幻想曲やフーガなどの短調作品の演奏は退屈と云へるほど感興が薄い。20世紀前半迄、これらの短調作品はベートーヴェンに近い解釈でデモーニッシュに弾く奏者が凌ぎを削つてゐただけに、新古典主義の鑑のやうなギーゼキングの冷めた演奏では物足りない。そこに虚飾を排した美しさを見出せるとは云へ、音楽は心で聴くものだ。
6枚目。ギーゼキングの良さは均質な音の粒である。誤摩化しの利かないモーツァルト作品においては僅かな音の歪みが癇に触れることもある。その点ではギーゼキング以上に美しく弾いた奏者は見当たらないと云つても過言ではない。しかし感興に乏しいので、往々にして詰まらない演奏が多い。古来よりデモーニッシュな作品として多くの奏者が愛奏してきたハ短調のソナタと幻想曲は飽きれる程面白くない。その反面、次々と表情や調性が変化する変奏曲は大変素晴らしい出来だ。特に8つの変奏曲K.460が大変素晴らしい。ロンドK.485も特上の出来だ。K.498aは極めて珍しい録音で重宝する。
7枚目。音の少ないモーツァルトの後期作品におけるギーゼキングの簡素な演奏は理想的とも云へる。ドイツ舞曲とへ長調のロンドが表情豊かな名演で当盤の白眉であらう。次いでヘ長調ソナタK.547aが名演で、作為のない解釈に好感が持てる。ヘ長調ソナタK.533はシュナーベルのたゆたふやうな歌には及ばないが、粒の揃つたタッチが美しい。しかし、イ短調ロンドやロ短調のアダージョでは情感が足りず物足りない。ハ長調ソナタK.545は淡白で躍動感がなく面白くない。
8枚目。モーツァルトの後期作品は極限まで余分なものを削ぎ落とし簡潔で澄み切つた音楽を聴かせる。ギーゼキングの演奏は邪念がなく、単純なるが故の偉大さをそれとなく感じさせる。2曲のソナタも素晴らしいが、変奏曲2曲が極上だ。透明な美しさを聴かせるのは簡単なことではない。これでギーゼキングのモーツァルト独奏録音全集を全て聴いた訳だが、総評としては、短調の曲での淡白な感情表現に一抹の詰まらなさはあるとして、指標となる名盤であることに疑ひはない。変奏曲は全て名演と云つてよい。殊に均一なタッチの凄みは正当に評価されるべきである。和音奏法の絶妙な感覚は天分の才で転調の美しさは神々しい。ギーゼキングは完璧な技巧家とされたが、その結晶が小兒でも弾けるモーツァルト作品の演奏に隠されてゐる。
ギーゼキング全集48枚組。1953年の録音。ギーゼキングは同時期にモーツァルト独奏曲全集といふ偉業を進行してをり精力的であつた。第1楽章は若きカラヤンの熱気ある音楽に対して、無駄な成分を排除した透徹したピアニズムで格上を見せ付ける。なのに音楽の中身は非常に劇的、極め付きは創作カデンツァで、天晴見事。一転して第2楽章は慈しむやうなゆつたりしたテンポで情感豊かに紡ぐ。再現部は一段と声を潜め、宝石のやうな光沢のあるタッチで幻想的だ。大して話題にならないが、これは孤高の名演として重視したい。シューマンも上出来だ。ギーゼキングはフルトヴェングラーとの怒涛の名演があり、当盤は別人のやうに大人しいが、作品の美しさを良く引き出してゐる。カラヤンは5年前にリパッティとの録音があつたが、この再録音の方がフィルハーモニア管弦楽団の指導が行き届いてをり万全だ。特別な要素はないが、名匠二人による絶妙な名演なのだ。 |
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