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ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番、同第2番、「エリーゼのために」 ベートーヴェンの権威シュナーベルの代表的名演。第1番は再録音を果たせず、この1932年の録音が唯一のもの。第1楽章の長大なカデンツァの雄弁さ、第3楽章の一番最後でピアノだけが残る印象的なパッセージでの繊細なタッチは、余人の及び付かない美しさで、この曲最高の演奏のひとつである。第2番は、戦後に行なはれた再録音の方が全てにおいて優れてゐるやうだ。驚くべきは「エリーゼのために」の可憐さで、疑ひもなく、至高の名演だと断言出来る。愛用したベヒシュタインの芳しい木質の音、陰影を伴ふ強弱の自在な変化、ルバートの妙で寂寥感がそこはかとなく伝はる。シュナーベルの全録音中、特に優れた演奏である。 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番、同第4番、ロンドハ長調 ベートーヴェンの権威シュナーベルの代表的名演。第3協奏曲には他にセルとのライヴ録音と戦後のセッション録音が、第4協奏曲にはストックとのRCA録音とドブロウェンとの戦後のセッション録音がある。これら最初の録音は録音状態が古く、サージェントの指揮も大したことはないので、基本的には後の録音を採りたいのだが、第3番は覇気が充満してをり、自由闊達な演奏が素晴らしい。カデンツを重視し、画一的な表情付けとは次元を異にする演奏は後代に訓を垂れる規範と云へる。第4番は全体的に低調で、再録音の方が良いだらう。第3番の余白に収録されてゐたロンド作品51-1が絶品。洒脱で可憐なタッチはシュナーベルの神髄である。 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番、チェロ・ソナタ第2番 ベートーヴェンの権威シュナーベルの代表的名演。皇帝協奏曲の録音は3種中最も古いもので、全盛期の溌剌たるピアニズムが素晴らしい。しかし、サージュントの伴奏に不備を感じる箇所もあり、音質を含めて総合では後年の録音を採りたい。ピアティゴルスキーとのソナタが特上の名演で、他の曲の録音がないのが悔やまれる。ナチス台頭前、ベルリン楽壇の重鎮であつた両者の合奏からはヴァイマール時代の栄光が聴こえてくる。シュナーベルのカデンツを重視した音楽造りは絶品で、木目細かくアゴーギクを駆使する。ロンドの冒頭における躍動感溢れる表現は如何ばかりであらう。決して記譜されることのない音のたゆたひはシュナーベルの凄みである。 ベートーヴェン:7つのバガテル、創作主題による6つの変奏曲、エロイカ変奏曲、幻想曲、他 史上初のベートーヴェン・ピアノ・ソナタ録音全集を協会レコード方式で完成させたシュナーベルは、変奏曲などのピアノ作品の録音を引き続き手掛けた。ソナタ全集の復刻は数種のレーベルより行はれてゐたが、ソナタ以外も含めた完全な復刻はなかつた。Naxosの徹底した方針に諸手を挙げて賛辞を送りたい。復刻担当がオバート=ソンで、音質はこれ以上望めない素晴らしい仕上がりだ。演奏は何れも決定的な名演ばかりだが、特に7つのバカテルOp.33が絶品で、短調の箇所における瞑想や終曲の諧謔は殊の外素晴らしい。勿論、エロイカ変奏曲や幻想曲の豊かな表情も見事だ。他に、ロンドイ長調WoO.49やメヌエット変ホ長調WoO.82といつた秘曲も聴けるのが嬉しい。「エリーゼのために」は旧録音の方が繊細で儚く美しかつた。 ベートーヴェン:ディアベッリ変奏曲、6つのバガテル、失はれた小銭の怒り シュナーベルは史上初のピアノ・ソナタ全集録音に続き、ベートーヴェン晩年の大作でありながら、演奏時間が1時間近くかかる33の冗漫な変奏曲とまともに顧みられなかつたディアベッリ変奏曲の初録音を果敢にも断行した。現在では何種も聴くことが出来るが、シュナーベルの語り口の巧さに敵ふ演奏はなかつたと云つても過言ではない。全曲を飽かずに聴かせるには各変奏の性格を有機的に関連付けて演奏しなければならない。楽曲の読みでシュナーベルの域に達した人は皆無だ。それ以上に名演なのがバガテルOp.126だ。後期作品の傑作であり、名立たるベートーヴェン弾きの録音が残るが、シュナーベルの軽妙さと深遠さが融合した表現は絶品である。2曲目や4曲目の玄妙なる諧謔は桁違ひに素晴らしい。滅法楽しいロンドOp.129の生命力も見事だ。 シューベルト:ピアノ五重奏曲「ます」、歌曲集(7曲)、3つの軍隊行進曲 シューベルト録音集成5枚組。4枚目。これまで中途半端な復刻はあつたが、奥方テレーゼが歌ふ歌曲への伴奏や、息子カール=ウルリッヒとの連弾が完全に収録されてをり、しかも復刻担当がオバート=ソーンといふ決定盤だ。テレーゼの歌は然して巧くないが、シュナーベルのピアノは極上だ。「魔王」の雄弁さ、「都会」の霊妙さを聴くがよい。迫真の感情表現にたぢろぐであらう。息子との連弾による軍隊行進曲は愉悦と哀愁が交々するもののあはれを知つた名演である。「ます」はプロ・アルテ四重奏団との名盤。室内楽において唯我独尊とも云へる演奏をしたシュナーベルを非難する向きもあるやうだが、カデンツを重視した造型美は凡百の奏者とは一線を画す。 シューベルト:ハンガリー風ディヴェルティメントD.818、大行進曲D.819-2&3、アンダンティーノと変奏曲D.823-2&3、アレグロ「人生の嵐」D.947、ロンドD.951 シューベルト録音集成5枚組。5枚目。これまで中途半端な復刻集成はあつたが、息子カール=ウルリッヒとの連弾を完全に収録した復刻盤はなかつた筈で、鶴首してゐた1枚だ。オバート=ソーンによる最上の復刻であるのも嬉しい。実は4手用の作品はシューベルトの作品群の一角を占める重要な分野である。ドイチュ番号1は4手用作品から始まり、最晩年まで多くの作品が生み出された。家庭での演奏を目的とした為か、音楽的には確かに散漫な印象を与へるが、楽しげな二重奏曲は殆どなく、物悲しく侘しい旋律美に特徴があるシューベルトの素が出た作品ばかりなのだ。演奏は全てそこはかとない寂寥感を漂はせた絶品である。 シューマン:ピアノ五重奏曲 シュナーベルの室内楽録音は重要な位置を占めるのだが、評価は芳しくない。プロ・アルテSQとのモーツァルト、シューベルト、シューマン、ドヴォジャーク、何れも名演だが、絶讃するやうな内容ではないのは確かだ。世評ではシュナーベルが独善的に音楽を進め過ぎる嫌ひがあると云ふのだが、的外れだらう。シュナーベルの楽曲の読みは実に深く、木目細かく表情を揺らすのは音符の方向性を示してゐるからだ。イン・テンポで揃へたのでは学藝会の域を出ない。一丸となつてアンサンブルを形成するのが藝術家である。プロ・アルテSQは知的な団体で、シュナーベルに気に入られただけはあり、意図をよく反映してゐるが、底力に差があり過ぎる。聴き苦しいしくじりが散見されるのは戴けない。所詮はシュナーベルのピアノを聴く為の録音である。玄妙なたゆたひは至藝だ。 モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番、ピアノ・ソナタ第8番、2台のピアノの為の協奏曲 モーツァルト作品のセッション録音全集と幾つかのライヴ録音を組み合はせた5枚組。1枚目。本家EMIが復刻したCD3枚組にはピアノ・ソナタ第8番が欠けてゐたので有難い。シュナーベル特有のカデンツを重視した演奏で、悲哀に充ちた調性の感情の揺れ動きを表現することに腐心してをり、焦燥と躊躇ひを繰り返してテンポは一定しない。斯様な解釈を聴かせた奏者は皆無で、楽譜の読みには頭を垂れる。しかし、余りにも作為が感じられて仕舞ふ。聴いてゐて船酔ひしさうな演奏だが、音楽を真剣に学習する者なら目から鱗が落ちること請け合ひの名演だ。ヴァルターが伴奏をしたK.482と、息子ウルリッヒとの共演であるK.365のことは割愛するが、何れもモーツァルトの神髄に迫る名演である。特にK.482の第2楽章コーダの神韻とした哀感と、シュナーベル自作のカデンツァが素晴らしい。 モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、ピアノ・ソナタ第13番、ピアノ協奏曲第19番 モーツァルト作品のセッション録音全集と幾つかのライヴ録音を組み合はせた5枚組。3枚目。2曲の協奏曲はHMVへの正規セッション録音で、本家EMIからも発売されてきた音源だ。演奏は全盛期のシュナーベルだけが成し得る妙技の連続だ。音形や調性に従つてたゆたふやうな強弱やテンポの揺れが味付けされる。残念なことに管弦楽の伴奏がいただけない。シュナーベルの音楽性との差が歴然として仕舞ひ感興が殺がれる。K.466ならセルとのライヴ録音の方が断然素晴らしい。大戦末期のライヴ録音とされるソナタが貴重だ。意外にも音の状態が良く、鑑賞には充分なくらゐだ。予定調和的なモーツァルトの楽曲を退屈な音楽にさせない演奏こそシュナーベルの凄みだ。音が少なければ少ないほど音が語り出す。音楽家の鑑である。 モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、同第17番よりアンダンテ、ピアノ・ソナタ第18番 渡米後のシュナーベルの貴重なライヴ録音。ニ短調協奏曲における音色自体に悲哀を漂はせながら、耽溺することなく疾走するピアノには改めて敬服する。セルの劇的で真摯な指揮が曲に生命を与へてゐる。シュナーベルとセルは音価を重視し、木目細かくフレーズを作る。これを聴いてロマンティックに傾斜し過ぎると感じるのは早計だ。現代では絶へて聴くことのない至高の音楽家が奏でる名演。協奏曲第17番も同様の名演だが、残念なことに途中で録音が切れて仕舞ふ。フリック美術館でのピアノ・ソナタの録音は音質が優れないのが残念だが、演奏は神韻縹渺たる絶品だ。転調で音色やテンポの表情が変はる妙味はシュナーベルの骨頂である。シュナーベルの名言「モーツァルトは子供には易し、大人には難し」ここに極まれり。 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集、他 ベートーヴェンの権威シュナーベルによる世界初のピアノ協奏曲全集録音はこれ迄にも繰り返し発売されてきて、現在ではオバート=ソン復刻によるNaxos Historical盤が入手し易く音質も良いのでお薦めしたいが、ピアノ録音の復刻では定評のあるアラン・エヴァンズによるこの英Pearl盤も甲乙付け難く同等に推薦出来る。サージェント伴奏による協奏曲全集のことは別項で述べたので割愛するが、この3枚組は愛好家にとつては大変貴重な価値がある。流石は蒐集家エヴァンズ、未発売であつた1947年11月17日のライヴ録音でソロモン指揮コロンバス・フィルハーモニー管弦楽団の伴奏による第4協奏曲が収録してあるのだ。これでシュナーベルによる第4協奏曲は4種目となる。ラッカー盤にプライヴェート録音されたもので、周期的なノイズがあつたりするが、演奏の流れが良く感興も豊かでRCA盤と並ぶ名演だ。管弦楽の伴奏も良い。更に1944年の未発売録音であるバガテル作品126の4曲目―セッション録音でも世紀の名演奏であつた―を収録してゐる。ベヒシュタインを愛奏したシュナーベルがスタンウェイを弾いた珍しい記録でもある。 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番、同第5番、ピアノ・ソナタ第30番、同第32番 戦火を逃れて渡米したシュナーベルには少なくないライヴ録音での名演が残された。一方、正規セッション録音は1942年の6月と7月に、RCAヴィクターへ数曲の録音を残しただけである。ベートーヴェンの復刻は全てArtistes Repertoiresシリーズで入手出来たが、当盤では初出となるシューベルトの即興曲が追加された。これ迄ディスコグラフィーにも載つてゐなかつたのだから驚天動地の音源の登場だ。シュナーベルは戦後にHMVへ即興曲全8曲を録音した。それはエトヴィン・フィッシャーの録音と双璧を成す決定的名盤であつた。それよりも前の戦中録音があつた訳で、有り難く拝聴しよう。正直な感想を述べれば、後の録音と然程印象は変はらない。少しでも録音の良いHMV盤を上位に置こう。ベートーヴェンのソナタ2曲は贔屓目に見ても心技体充実した1930年代の全集録音を超えるものではない。協奏曲2曲だが、皇帝協奏曲は3回目となる戦後の録音が一番良い。第4協奏曲は戦前と戦後の録音の両方とも如何なる訳かしつくりこない。当盤の演奏が最も完成度の高い演奏として推薦出来る。 |
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