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ディスコフィル・フランセへの全録音の他、戦前の録音も網羅した17枚組。1枚目。メイエの全録音中、疑ひなく一等を占めるのがこのシャブリエ作品集だ。主要作品は録音されてをり資料的な価値も高い。作曲家プーランクとの連弾による3つのロマンティックなワルツの洒脱さは今日では想像の出来ない程のエスプリに満たされてゐる。明るく豊かな色彩感に陶然となる。10曲から成る絵画的小曲集も小粋だ。この作品集は絵画藝術にも精通してゐたシャブリエの良さが最も詰まつてゐるが、メイエの演奏により一層魅力が全開だ。5つの遺作が全て録音されてゐるのも嬉しい。高雅で優美なメイエのシャブリエ録音集は万人に薦めたい名盤で、他の追随を許さない絶対的な境地にある。
2枚目。1枚目に収録しきれなかつたシャブリエ作品2曲は文句なく決定的な名演だ。よく知られた名曲を活き活きと弾いてゐる。シェブリエほどではないが、ラヴェルとも相性が良い。パヴァーヌは淡白な演奏だ。テンポが極めて速く溜めも少ない。山場は最後だけだ。余計な感情を盛り込まないメイエの演奏はラヴェルの意図に近いと感じる。2曲のメヌエット作品は古典的な情趣と近代的な音響への研ぎ澄まされた感覚が融合した極上の名演。これらの曲の最上位に置かれるべきだ。水の戯れは明晰過ぎるので感興が殺がれる。鏡も自在さと妖艶さが欲しい。印象派傾向の作品よりも復古的な作品の方がメイエは巧い。従つてクープランの墓は素晴らしい出来だ。フォルラーヌやメヌエットの美しさは如何ばかりだらう。だが、この曲の最高峰は才気溢れるフランソワの旧録音で決まりだ。
3枚目。メイエによるラヴェルは近代的な色彩感に満ちてゐ乍ら古典的な趣も備へた理想的な演奏である。従つて、ソナティネは最上級に位置する名演である。高雅で感傷的なワルツは2種類あり、1948年と1954年の録音が収録されてゐる。解釈の印象はどちらも変はらないが、録音の少しでも良い再録音の方が表現の幅が豊かに感じられる。再録音の方はこの曲の屈指の名演と云へるだらう。一方、狂気の世界を聴かせて欲しい夜のカスパールでは全体に大人しく、表面的な美しさに止まつた感がある。鏡は全曲録音でも同様だつたが、明晰過ぎて自在さがなく、巧い演奏ではあるが、他に幾つも素晴らしい演奏を挙げることが出来る。
4枚目。近代フランス音楽においてメイエの果たした業績は大きい。ドビュッシーの名曲でも高雅な名演を聴かせる。メイエは技巧に頼り精密な演奏を繰り広げる類ひの奏者ではなく、輪郭を暈し陰影の更なる中間までを繊細に使ひ分け、色彩の滲みを用ゐて独特の音楽を聴かせる。ドビュッシーにおいては究極の表現だと思ふが、却つて朦朧体とも云ふべき曖昧な演奏が続いて減り張りに乏しく、通して聴くと存外印象に残らない。だが、各曲ごとは大変素晴らしい演奏で、神秘的な趣は正しく女神によつて紡がれた啓示のやうだ。前奏曲第2巻が取り分け見事だ。
5枚目。1957年録音の映像第1巻と第2巻は高雅な趣の極上の名演。メイエは初演者ヴィーニェスから教へを受けてをり最も正統的な演奏家と云へる。印象の再現から入つた演奏であり、楽譜の再現を目指した演奏とは一線を画す。得も云はれぬ神秘的な音響からドビュッシーの革新的な作曲技法がひしひしと伝はる。他に1947年の旧録音が丁寧に収録されてゐる。映像第2巻から2曲、前奏曲集第2巻から3曲、映像第1巻からラモー讃歌は1947年録音と1953年の録音も漏らさず収録されてゐる。蒐集家にとつては嬉しい。残りは1953年から1954年にかけて録音されたクープランのクラヴザン曲集から5曲が収録されてゐる。実はメイエは1946年にこれら5曲を含む9曲を録音してをり再録音といふことになる。ラテン古典作品を得意としたメイエの良さが如実に発揮された名演ばかり。簡素なタッチから物悲しい気品が漂ふ。
6枚目。クープランの9曲は1946年に録音されたメイエの傑作で、ピアノで弾かれたものでは最高のひとつだ。溢れ出る幻想的な描写力が素敵で、音楽と絵画が結婚した詩的な情景が聴き手を包み込むだらう。外連は一切なく、品格ある佇まいがえも云はれぬ感興へと誘ふのだ。メイエがレペルトワールの中心としたのがバッハ、スカルラッティ、ラモーである。メイエのバッハは謹厳な様式ではなく、フランス流儀の角が取れた流麗で抒情美が優先する演奏様式だ。パルティータの第1番の力みのない端正な表現は如何ばかりであらう。清らかで停滞のない音楽に心洗はれる。リパッティの名演と共に究極の美しさだ。第3番や第2番でも構築美ではなく、舞曲としての性格が強く、その中から内省的な祈りの音楽が聴こえてくる。幻想曲は劇的かつ求心的な演奏ではなく、詠嘆に傾いたメイエらしい演奏で印象深い。
7枚目。メイエにとつてバッハは中核となるレペルトワールであつたが、有名な半音階的幻想曲とフーガは淡く上品な演奏なので些かも面白くない。灰汁の強い競合盤が犇いてゐるからメイエを聴く価値はない。イタリア協奏曲も締まりがなく、快活さに不足する。ニ短調のトッカータも切れが悪く、ぼやけた演奏で中間色の印象しか残らない。一方で素晴らしいのはインヴェンションとシンフォニアだ。清廉さは生かしつつ色彩の変化を聴かせ、曲ごとの性格を明らかにしていく。技巧の痕を微塵も感じさせず、音楽だけに集中させる手腕。この曲集にはグールドの名盤があつたが、構造を聴かせるグールドに対して色彩を聴かせたメイエ盤は双璧を成す。
8枚目。メイエはバッハを中心的なレペルトワールに据ゑたが、中でも典雅な舞曲を得意とした。イギリス組曲の清楚で気品のある詩情は滅多に聴けない境地に達してゐる。パルティータ第6番も世俗の垢が付いてゐない清明なる演奏で、天女の音楽のやうである。だが、メイエのバッハは手放しで称賛できる訳ではない。3曲のトッカータは清らかな演奏なのだが、減り張りが乏しく、穏やかさが物足りく感じさせる。神秘的な要素が欠けるのだ。幻想曲とフーガも同様で、フーガはだらりとして仕舞ひ求心力がない。
9枚目。メイエは往時数少ないバロック音楽の理解者であつた。残された録音の中で、バッハ、スカルラッティ、ラモーは一家言ある重要な遺産であつたが、前2者には他にも優れた軌跡を残した演奏家がゐた。だが、ラモーに真剣に取り組んだのはメイエくらゐであつた。シャブリエの録音と並ぶメイエの最も重要な録音なのだ。時代考証的にはチェンバロ演奏が優位だが、ピアノによる再現藝術としては別格で余人を寄せ付けない。何と云ふ気品と説得力であらうか。簡素であり、滋味溢れ、含蓄が深い。ピアノの凛とした音色によりチェンバロ演奏を超える世界を提示してゐる。有名なタンブーラン等、琴線に触れる名演の連続だ。収録時間の都合でイ短調の新組曲がCDを跨いで仕舞ふのは致し方ないか。
10枚目。1953年10月29日と30日に一気呵成に纏めて録音された曲集の続きである。フランスの音楽家としてラモーに寄せた親近性を感じずにはゐられない録音である。これ迄弾き込んで来たからこそ録り直しなど必要なかつたのだらう。高雅にして瀟洒な楽曲の魅力を引き出した総決算とも云ふべき決定的名演ばかりだ。他の奏者の録音が必要ないと思はせる仕上がりだ。余白に1946年に名曲だけ抜粋して録音された11曲分の旧録音が漏れなく収録されてゐる。これらの曲全てが1953年に再録音されてゐる。
11枚目。メイエの録音でスカルラッティは質・量ともに重要な位置を占める。往時これ程の至藝を聴かせた奏者は見当たらない。既にランドフスカによるチェンバロでの録音があつた時代、メイエはピアノによる演奏で別格の気品を示した。殊に1954年から1955年にかけて制作された計32曲から成るアルバムは集大成とも云へる極上の決定的名盤だ。サファイヤのやうな高貴な音色を紡ぐタッチで雅な観想へと誘ふ。調性を意識した曲の配列も含蓄がある。単発でスカルラッティの見事な演奏をした奏者は多いが、メイエの業績は足場の深さが一味違ふ。
12枚目。1954年から1955年にかけて制作された計32曲から成るアルバムの続きはメイエの最良の遺産である。特に短調作品における寂寥感はピアノによる演奏の優位性を示した好例である。気品と詩情において尊い高みにあるのだ。アルバムA30で括られる1948年から1949年の録音14曲とアルバムA15で括られる1946年の録音から6曲は、旧録音で演目も殆ど重複する。だが、K.8には再録音がなく、K.29とK.466は旧盤にはなかつた。
13枚目。スカルラッティはアルバムA15で括られる1946年の録音で、7曲分収録されてゐる。全ての曲で再録音があるが演奏は無論最高である。さて、モーツァルトの録音なのだが、だうも良くない。メイエはラモー、クープラン、スカルラッティ、そしてバッハで清楚さと古雅を織り交ぜた稀有な名演を残したが、根底は官能的な寂寥感にあつたと感じる。処がモーツァルトの演奏では情感に足を取られ、音楽の輪郭が滲んでゐる。細部は美しいが音楽が逃げて仕舞つたやうに感じる。輝きの少ないモーツァルトなのだ。
14枚目。メイエの数少ない協奏曲録音だ。玲瓏としたサファイアのやうなタッチで高雅な趣を崩さない孤高の名演である。古典音楽とフランス近代音楽で聴かせた手法による純度が高い一種特別なモーツァルトだ。カデンツァも魅惑的。面白いのが、かのカペー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンであり指揮者に転向したエウィットが自前の交響楽団で伴奏をしてゐることだ。個性的な解釈をした箇所も散見されて意欲的だが、管弦楽の技量が万全とは行かず、メイエとの釣り合ひが取れてゐない。総合点では完成度が低く、フランス流の風変はりな演奏といふ評価に止まる。
15枚目。近代フランス音楽と古典楽派以前の音楽を二大柱としたメイエのレペルトワールでロッシーニとシューベルトは添へ物扱ひされ易いが、高雅で含蓄ある演奏は唸らせるものがあり、メイエの絶大な評価を裏付ける。ロッシーニは第8集「館のアルバム」から第5番「大袈裟な前奏曲」と第3番「悲嘆と希望」、第9集第3番「愛しきサヴォア」、第5集「幼い子供たちの為のアルバム」より第11番「ソテー」と第10番「おや、小さな豌豆よ」の5曲だ。どれも絶品である。シューベルトも即興曲やソナタではなく、レントラーやドイツ舞曲集ばかりを録音してゐるのがメイエの賢明さを物語る。追憶であつたり昔語りであつたり、側々と紡がれる音楽に癒される。D969とD779は得意とし1953年に再録音してゐる。他は全て1940年代の記録だ。
16枚目。バッハ、スカルラッティ、ラモーを弾くメイエからはストラヴィンスキーを斯様に録音することは想像し難いが、フランス6人組に愛されたメイエならではの同時代の息吹を感じる1枚だ。ペトリューシュカは腕の立つ奏者がやる技巧の切れで聴かせる演奏ではなく、場面ごとの語り口の巧さで魅せる。とは云へ、幾分歯痒い演奏だ。ラグ音楽は興が乗つてゐる演奏ではなく寧ろ気怠い趣なのが面白い。セレナードやソナタも鋭角的な要素は薄く、フランス流儀のエスプリを効かせた演奏でプーランク作品のやうにも聴こえる。エスプラは西イスパボックスへの録音で、作曲者自身の指揮による自作自演だ。南のソナタといふ題だが実質的なピアノ協奏曲で、スペイン南部の音楽を表す。ドビュッシーとファリャを結ぶ作風だ。競合盤が見当たらない決定盤だ。 |
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