楽興撰録

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レオポルト・ゴドフスキー


録音全集第1巻
コロムビア録音(1913年〜1916年)
[Marston 52046-2]

 マーストンがゴドフスキーの全録音を復刻した。快挙である。大半は英APRからも復刻されてゐたが、機械吹き込みの復刻は限られてゐた。遂に「ピアニストの中のピアニスト」と称された大物の全貌が明らかになつたことを歓迎したい。音質は勿論最上で、4枚分のAPR盤の価値は完全になくなつた。第1巻2枚組の1枚目。1913年から1916年に行はれたコロムビア・グラモフォン社への録音が収録されてをり、未発表録音1つを含む。演目はショパン11曲、リスト5曲、ヘンゼルト3曲、メンデルスゾーンとルビンシテイン2曲などである。貧しい録音だが丁寧に聴くと、ゴドフスキーの偉大さを理解出来る。ゴドフスキーの名声が技巧に依拠するからと云つて、大向かふを唸らせる豪快かつ圧倒的な速弾きをすると勘違ひしてはならない。ゴドフスキーは1音も疎かにせず、美しい音を奏でることに全神経を腐心させた美音家である。確かにピアノからこれほど美しい音を引き出した奏者はゐまい。同時期の他の奏者の録音と比べると瞭然とする。だが、惜しむべき哉、太古の録音では本来の姿は決して味はふことは出来ない。


録音全集第1巻
ブランズヴィック録音(1920年〜1922年)
[Marston 52046-2]

 第1巻2枚組の2枚目。1920年から1922年のブランズヴィックへの録音で12曲もの未発表テイクを含む。機械吹込み後期の録音だから比較的音質が良い。ゴドフスキーは名声の割に録音への評価は低いが、収録された演奏は精巧極まりなく完璧主義者の片鱗を聴くことが出来る。音符1音とも忽せにしない執着こそゴドフスキーの凄みで、わけても左手の安定感は素晴らしい。澄み切つた混濁のない美しいピアノの音が古い録音からでも解る。シンディング「春の囁き」、マクドウェル「魔女の踊り」、シューベルト「軍隊行進曲」、ショパン「幻想即興曲」、シャミナード「媚び諂ふ女」、ラフマニノフ「前奏曲」、リスト「愛の夢」、ルビンシテイン「天使の夢」などに独特の良さがある。ゴドフスキー編曲の「星条旗を永遠なれ」と「埴生の宿」は伴奏声部を極限まで装飾的に肥大させた趣向と水際立つた技巧が聴ける逸品だ。自作自演3曲も無論見事である。


録音全集第2巻
ブランズヴィック録音(1922年〜1925年)
[Marston 52051-2]

 第2巻2枚組の1枚目。録音におけるゴドフスキーの全盛期は正しくこのブランズヴィック録音にあり、録音技術の向上により、技巧の素晴らしさは当然だが、感情の起伏も良く吹き込まれてをり、伝説の名手の記録を堪能出来る。9曲の未発表録音を含み、収録曲はショパンが12曲、リストが5曲、ラフマニノフ、ドホナーニ、ヘンゼルト、シュットが各1曲だ。ショパンは堅牢な演奏で、詩情や幻想には乏しいが、左手のパッセージを1音たりとも揺るがせにしない執拗な拘泥はりが凄い。取り分けスケルツォ第2番と英雄ポロネーズが名演だ。リストでは「ヴェネツィアとナポリ」「リゴレット・パラフレーズ」が傑作で、輝かしい打鍵が見事だ。ラフマニノフ「嬰ハ短調前奏曲」の深き底より溢れ出る悲劇的情感、ドホナーニ「カプリッチョ」の快刀乱麻を断つやうな技巧の切れ味、シュット「最愛の人に」の熱気、ヘンゼルト「子守歌」の美しいタッチもゴドフスキーの良さを伝へる名演だ。


録音全集第2巻
ブランズヴィック録音(1922年〜1925年)
[Marston 52051-2]

 第2巻2枚組の2枚目。多数の未発表録音を含む貴重な復刻だ。ゴドフスキーの録音上における最善の演奏が収録された1枚。極上の名演はルビンシテイン「天使の夢」とシューベルト「軍隊行進曲」で、前者の繊細な語り口、後者の揺るぎのないピアニズムには強い感銘を受ける。リスト「愛の夢」も万全の名演だ。リャードフ「音楽の玉手箱」の輝く水晶のやうなタッチはゴドフスキーの真価を伝へる。途中でギコギコとぜんまいを巻く音を加へた愉快な録音だ。その他、シンディング「春の囁き」、シャミナード「諂ふ女」、マクドウェル「魔女の踊り」の技巧と情熱が融合した演奏にこそゴドフスキーの良さがある。ドビュッシー作品が4曲も収録されてゐるが、相性が悪い。堅実ではあるが、窮屈な演奏で面白くないのだ。ショパン作品は6曲収録されてをり、覇気漲るポロネーズ2曲と燦然たる幻想即興曲が良い。他方、エチュードやワルツは感興が乏しく大したことはない。


録音全集第3巻
ブランズヴィック録音(1925年〜1926年)
コロムビア録音(1928年〜1930年)
[Marston 53008-2]

 第3巻3枚組の1枚目。アコースティック録音であるブランズヴィックへの復刻と、電気録音になつてからコロムビアへ吹き込んだシューマンの「謝肉祭」全曲が収録されてゐる。傑作はシューベルト「軍隊行進曲」、ラフマニノフの嬰ハ短調前奏曲、シンディング「春のささやき」、ルビンシテイン「メロディー」、チャイコフスキー「舟歌」、ゴドフスキーがシューベルトの歌曲集から編曲した「朝の挨拶」「おやすみ」だ。特にチャイコフスキーと自作2曲には寂寥感があり、深い感銘を残す。しかし、ショパンの英雄ポロネーズやエチュードなど完全に形骸化した演奏も多く、ゴドフスキーの評価を難しくしてゐる。シューマン「謝肉祭」は切れ味の良い技巧を楽しめるが、競合盤となるコルトー盤の語り口と比較されると分が悪い。


録音全集第3巻
コロムビア録音(1928年〜1930年)
[Marston 53008-2]

 第3巻3枚組の2枚目。英コロムビア録音のショパンのノクターン12曲とピアノ・ソナタ第2番が収録されてゐる。ゴドフスキーの録音は名声に比して良くないと云はれてきた。ゴドフスキーの弾くノクターンには詩情も夢想もなく、浪漫もなく悲哀もない。多くのピアニストが感情を投入するのにだ。葬送ソナタも同様で、劇的な情感も興奮もなく、音楽的な昂揚が足りない。一般的にも特別な愛好家にもゴドフスキーの弾くショパンを薦めることは出来ない。だが、ひとつだけ云はせてもらへば、これは確かに伝説的な大ピアニストの真価を記録した録音である。音の美しさは恐らく古今最高であらう。電気録音が実用化されて間もない頃で、ピアノの録音には限界があつたのだが、同時期に行はれた録音と比較すればゴドフスキーの偉大さがわかるだらう。「ピアニストの中のピアニスト」と呼ばれたゴドフスキーほど美しい音色を創れた者はゐない。古い録音でこれほど美しいのは驚異的だ。


録音全集第3巻
コロムビア録音(1928年〜1930年)
[Marston 53008-2]

 第3巻目3枚組の3枚目。英コロムビア録音のグリーグのバラード、ベートーヴェンの告別ソナタ、ショパンのスケルツォ第4番が収録されてゐる。ショパンのスケルツォは未発表録音で英APRの復刻にも含まれてゐなかつた。珍しく感情表現が強く出た演奏で興味深い。グリーグはゴドフスキーの代表的な名演として知られる。酷評されてばかりのゴドフスキーの録音の中で、録音、演奏内容、共に満足出来る逸品だ。ベートーヴェンも悪くはないが、凡庸であることは否めない。更に1935年頃の録音とされるプライヴェート録音で自作の「ジャワ組曲」から「ボイテンゾルグの植物園」が収録されてゐる。流石世界に冠たる蒐集家マーストン、完璧な全集である。余白には別テイク録音3曲分、更にはゴドフスキーが編曲した作品をサパートン、バックハウス、チェルカスキー、ギレリスらが演奏した音源が収録されてゐる。演奏困難で知られるショパンのエチュードの編曲が聴けるのが嬉しい。



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