楽興撰録

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アルフレッド・コルトー


ヴィクター録音(1925年〜1926年)
ショパン、リスト、ヴェーバー、シューベルト、ブラームス、ヘンデル、アルベニス
[Naxos Historical 8.111261]

 2012年冬に本家EMIよりコルトーの録音を集大成した40枚組の箱物が遂に発売された。これ迄斯様にコルトーの録音が纏められたことはなく、やうやく全貌が見えた。録音年順に編纂されてゐるのも有難い。コルトーは同じ曲を繰り返し録音したので、復刻の際は重複を避ける為、漏れた録音が多々あり蒐集は根気を要した。コルトー愛好家たる者EMI40枚組を所持してゐないとは怪しからぬことで赦されざることだ。さて、それ迄のEMI、Biddulph、APRそしてNaxos Historicalの諸盤は最早不要となつた訳だが、実は40枚組に含めれてゐない録音があつた。それが当盤に収録された1925年3月21日録音片面4分のショパンのバラード第1番後半断片である。1926年12月27日にコルトーはバラード1番を両面8分で完全録音をしてゐる。断片は完全版と同じものといふ見解が流布し錯綜したが、真相は別録音なのだ。40枚組の方も誤認識の為、断片録音が漏れてゐる。蒐集家以外には詰まらぬことだが、このNaxos Historical盤は捨てぬ方が良い。


ショパン:24のプレリュード、プレリュード第25番、子守歌、4つの即興曲、タランテラ
[Naxos Historical 8.111023]

 Naxos Historicalによるコルトーのショパン録音の復刻は蒐集家にとつて極めて重要だ。コルトーは限られたレペルトワールを執拗に再録音したことで有名である。その為なのだが、復刻は定評のある録音だけが繰り返し使用され、別録音が入手しづらいといふ状態が続いた。コルトーは僅か数年違ひの再録音でも全く異なる表情で演奏を聴かせる。巷間よく聴かれる色気たつぷりの1930年代の録音ばかりがコルトーではない。知的で凛とした1920年代迄、枯れたが深みを増した1940年代以降とコルトーの魅力は語り尽くせない。Naxos Historicalのショパン復刻は本家EMIの6枚組の箱物に含まれない音源を中心に編まれてをり心憎い。しかも、オバート=ソンの復刻で音質が万全なのも嬉しい。24のプレリュードで最もよく聴かれるのが1933/34年録音だが、当盤は愛好家には高評価の1926年盤が採用されてゐる。前者の明暗の対比を付けた浪漫的な演奏の方を好むが、1926年盤の技巧の切れと若々しい音楽の運びは確かに魅力的だ。最大の問題は電気録音初期で音質に限界があることで、さうでなければ最上位に置かれる名盤だ。即興曲はよく聴かれる1933年の全集録音。貴重なのは1931年録音のタランテラだ。全部で6種あり、EMI盤に収録されてゐたのは1933年盤なので、実に痒い処に手が届いた復刻だ。その他の収録曲は晩年の録音で貴重なのだが、既に英APRから復刻があつた。


ショパン:4つのバラード、ノクターン集(6曲)
[Naxos Historical 8.111245]

 コルトーはショパンのバラード全4曲を2回録音してゐるが、これは1929年に録音された第1回目の方だ。第2回目録音が僅か4年後の1933年だから、コルトーにどのやうな意図があつたかが気になる。比較して聴くと、劇的表現の勝る再録音が圧倒的に素晴らしい。不滅の名盤だ。従つて、蒐集家以外には1929年盤は不要である。ノクターンは有名な1929年録音の第2番以外は戦後の録音で、繰り返し復刻されてきた音源だ。即ち1949年の第2番の再録音、第4番、第5番、第7番、第15番、第16番だ。何れもコルトーの至藝とも云へる息の長い歌が聴ける。第2番の旧録音、第7番、第15番はあらゆる演奏に冠たる絶品である。ノクターンはコルトーのやうな奏者にとつて打つてつけの楽曲なのだが、全集録音は作られなかつた。これは愛好家にとつて一大痛恨事であつた。


ヴェーバー:舞踏への誘ひ、ピアノ・ソナタ第2番、メンデルスゾーン:厳格な変奏曲、無言歌、ピアノ三重奏曲第1番/ジャック・ティボー(vn)/パブロ・カサルス(vc)/アルフレッド・コルトー(p) [Biddulph LHW 002]

 全盛期のコルトーによる名盤。コルトーのレペルトワールでは第1にシューマンとショパン、第2にドビュッシーとフランクを挙げねばなるまい。一体同じ作品を何度録音したことだらう。それ以外の作曲家だとリスト、ラヴェル、サン=サーンス、アルベニス、シューベルトが目に付く程度だが、メンデルスゾーンとヴェーバーも劣らず重要である。メンデルスゾーンの厳格な変奏曲は当盤の演奏が最高だ。決定的名演と云つて良い。三重奏のことは別頁で絶讃したので割愛する。技巧に切れがあつた1920年代まではヴェーバー「舞踏への誘ひ」をよく弾いてゐた。弾力のあるリズム、艶かしい音色と歌心、絶品だ。大変珍しいソナタはコルトー以外で鑑賞したいとは思はぬ。(2009.6.17)

シューマン:蝶々、ダヴィッド同盟舞曲集、ピアノ協奏曲/ロンドン交響楽団/ランドン・ロナルド(cond.)/アルフレッド・コルトー(p) [Biddulph LHW 003]

 驚くべきことにコルトーはピアノ協奏曲を1923年、1927年、1934年と、約10年の間に3回も録音してゐる。制限が多い当時の録音事情を鑑みると、コルトーの弾くシューマンへの期待が如何に大きいかが解る。当盤は1927年の録音で、コルトーに関する限り最も魅力がある演奏ではないだらうか。覇気と浪漫が融合したピアノは古今を通じても最高だ。残念なことにロナルドとロンドン交響楽団の伴奏が、雰囲気に乏しくシューマンへの理解が浅い。蝶々とダヴィッド同盟舞曲集には再録音がない為、躊躇なく決定的名盤として推奨出来る。蝶々では馥郁たる薫りすら感じさせる可憐な情緒に陶然となる。それ以上にダヴィッド同盟舞曲集が比類のない名盤。特に第17曲目の詠嘆はこの世ならぬ美しさで、ピアノがかくも哀切極まりない音を奏でたことはないと云ひたい。(2008.6.26)

シューマン:謝肉祭、交響的練習曲、ピアノ三重奏曲/ジャック・ティボー(vn)/パブロ・カサルス(vc)/アルフレッド・コルトー(p) [Biddulph LHW 004]

 コルトーの神髄はシューマンにある。余人は後塵を拝するのみだ。謝肉祭は1928年の録音、交響的練習曲は1929年の録音で、両曲とも戦後の1953年に再録音があり、演奏も素晴らしいので甲乙付け難いが、技巧に輝きがあり、幻想的な表情が自在に飛翔する当盤の価値は減じてゐない。音そのものは貧しいのだが、全盛期のコルトーが発散する色気は充分伝はる。ナットやケンプの演奏も素晴しいが、音楽を詩に昇華し、聴き手を夢幻の彼方に誘ふのはコルトーだけだ。ピアノ三重奏曲のことはカサルス・トリオの頁で述べたので割愛する。(2009.9.28)

シューマン:子供の情景、クライスレリアーナ、夕べに、詩人の恋/シャルル・パンゼラ(Br)/アルフレッド・コルトー(p) [Biddulph LHW 005]

 1930年代に録音されたコルトーによるシューマン作品集。コルトーの最も脂の乗つた時期で、色気のある音色、思はせ振りな語り口が独自の境地に達してゐる。シューマンの演奏でコルトーを凌ぐピアニストはゐない。斑気がないのだ。熱に浮かされたやうな衝動と、幻想的な逃避が足りないのだ。十八番の子供の情景こそはコルトーの神髄で、終曲の切ない響きは絶後である。この曲には戦後にも録音があり、音質も演奏も更に優れてゐる。クライスレリアーナは技巧の崩れが目立つが、オイゼビウスの性格を帯びた楽曲の表現の深みは尋常ではない。パンゼラに合はせた歌曲も素敵だ。終曲における挽歌は最高である。(2009.2.15)

フランク:前奏曲・コラールとフーガ、前奏曲・アリアと終曲、ヴァイオリン・ソナタ、交響的変奏曲/ジャック・ティボー(vn)/ランドン・ロナルド(cond.)/アルフレッド・コルトー(p)他 [Biddulph LHW 027]

 コルトーを超えるフランク弾きを探すのは空しい努力だらう。しかし、コルトーは蒐集家にとつては非常に厄介なピアニストである。大半の曲目を複数回録音してをり、数年の隔たりと雖も趣向に新機軸を打ち出してゐる故だ。当盤は最も脂の乗つた1930年前後の録音。貴重なのは旧録音に当たる交響的変奏曲で、コルトーならではのエロスが漂ふ幻想味豊かな逸品である。深い詠嘆を込めた前奏曲・コラールとフーガは屈指の名演であるが、より劇的な曲想で肌に合ふ前奏曲・アリアと終曲こそが他の追随を許さない至高の名演だ。(2005.1.30)

ショパン:ワルツ集(14曲)、幻想曲/アルフレッド・コルトー(p) [Naxos Historical 8.111035]

 コルトーはショパンのワルツ全14曲を2回録音してゐるが、これはよく聴かれる第1回目の方で、1934年、コルトーの絶頂期に録音された名盤中の名盤である。思はせ振りな溜めや、華美で官能的な曲線を描くフレーズ感覚、そこはかとない哀愁を漂はせた音色、サロン風ショパン演奏の最右翼に位置する特上の演奏なのだ。ショパンのワルツ集にはコルトーの弟子でもあつたリパッティの不滅の名盤がある。全14曲を一連の哀歌としたリパッティ盤の優位を揺るがせはしないが、このコルトー盤の価値は減じない。これにフランソワ盤を加へた3者の録音があれば他はいらないと断言しよう。当盤には1929年に録音された第7番、1931年の第9番、1949年の第6番と第9番と第11番の録音も拾つてゐる。実に有難い。幻想曲も充実の名演だ。(2010.4.28)

アルフレッド・コルトー(p)/後期録音第2集(1947年〜1949年)/フランク:前奏曲・アリアと終曲、ドビュッシー:前奏曲集第1巻、他 [APR 5572]

 膨大な録音を残したコルトーだが、同じ曲を繰り返し吹き込んだ為、復刻は全盛期の一部の録音に限られてをり、特に戦後の録音は顧みられる機会を逸してゐた。流石はAPRで、丁寧に戦後録音を網羅する企画を進めてゐる。その成果は未発表録音であつたフランクに顕はれてゐる。コルトーが大変得意としたフランクの「前奏曲・アリアと終曲」には再録音がないといふのが通念であつただけに愛好家には歓迎される。演奏は盛期の艶かしさと技巧の切れを欠いてゐるが、滋味豊かな語り口で聴かせる。ドビュッシーの演奏にも同じことが云へる。コルトーは僅か数年隔たりの録り直しでも表情を一変させる曲者で、他の奏者とは再録音の意味合ひが全く違ふのだ。晩年の縹渺とした朗唱は独自の境地に達してをり、得意の小品は至藝といふに相応しい。バッハ「アリア」とシューベルト「連祷」は特に比類がない。(2007.9.30)

アルフレッド・コルトー(p)/後期録音第3集(1949年〜1951年)/メンデルスゾーン:厳格な変奏曲、ショパン:3つの新しい練習曲、他 [APR 5573]

 英APRによるコルトーの戦後録音を体系的に復刻する企画は大変有難い。当盤に収録された演目は蒐集家なら一通り所持してゐるかもしれぬが、同じ曲を繰り返し録音してゐる為、相当の注意が必要だ。コルトーは戦前に前奏曲、エチュード及びワルツなどの全曲録音をしてゐるので、単独で録音されたものが顧みられないことが多々ある。増して技巧の著しく衰へた戦後の録音は分が悪い。当盤に収録された音源も大半がLPで発売されたきり忘却された幻の録音ばかりなのだ。ショパン作品では晩年ならではの枯れて脂粉が取れた演奏を聴かせる。エチュードは良くないが、ノクターンやワルツの侘しさが美しい。得意としたメンデルスゾーンでは儚い詩情が流石だが、技巧の崩れも多い。ブックレットのディスコグラフィーも重宝する。続巻を待望したい。(2009.5.3)

1947年〜1948年録音
バッハ、パーセル、シューマン、シューベルト、ブラームス、ショパン
[EMI 50999 704907 2 5]

 コルトーのセッション全録音が本家EMIより遂に集成された。全40枚だ。戦前の録音に関しては復刻は充実してゐた。問題は戦後の録音である。近年、英APRの復刻シリーズにより、次第に全貌が明らかになりつつあつたが頓挫して仕舞つた。1948年にコルトーはアンコール・アルバムを作製した。当盤の21枚目に収録されてをり、バッハのアリア、パーセルのメヌエット、シューマン「預言の鳥」、シューベルト「連祷」、ブラームス「子守歌」、そしてショパンのノクターン第5番だ。実はこのうち4月19日に録音されたバッハ、パーセル、シューマンは78回転SP盤で発売されたテイクと、テープで録られ後にLPで発売されたテイクが異なるのだ。当盤でもAPR盤でも2種収録されてゐた。しかし、当盤では4月20日に録音されたショパンにも2種類のテイクが存在するとされるが、APR盤にはなかつた。その代はり、APRの第4巻に1954年録音とされるノクターン第5番が収録されてゐるが、当盤にはない。これらは同じ録音だと思はれる。どちらかのデータに誤りがあるのだらう。蒐集家以外には詰まらぬことだ。演奏はコルトーの全録音の中でも一際高い藝術境にあり、神品と云つても過言ではない。


1950年〜1951年録音
ショパン:前奏曲、マズルカ(2曲)、舟歌、エチュード(3曲)、ノクターン(2曲)、ワルツ(3曲)
メンデルスゾーン:厳格な変奏曲
シューベルト:レントラー
[EMI 50999 704907 2 5]

 40枚組。23枚目。この1枚には大変貴重な録音が収録されてゐる。1950年、英國にて録音されたといふ詳細不明のショパンのマズルカ2曲である。以前にマイナー・レーベルより幻の録音と喧伝され商品化されたこともあるが、謎が多く、コルトーの演奏ではないと偽物説も根強かつた。それが本家EMIの全集録音へ収録されたことに瞠目したい。但し、録音月日、場所、マトリックス番号は不明なままだ。演奏はコルトーの個性が全開である。作品6-2と作品63-3の2曲で、どちらも嬰ハ短調であることは大変粋だ。物悲しい詠嘆にたつぷりと浸つた演奏で舞曲の要素は微塵も無い。曖昧なリズム処理で連綿と溜息が続く特異な演奏だ。その他の収録曲のことは英APRより復刻があつたので割愛する。


1952年12月日本録音全集
[BMG BVCC-37439-40]

 コルトーは日本では半ば神格化されたピアニストだが、1952年にやうやう初来日を果たし、各地で演奏活動を行つた後、築地の日本ビクター・スタジオで商業録音を残した。復刻盤は新星堂から出てゐたが完全なものではなかつた。遂に2005年、日本BMGにより全録音の復刻が成された。可能な限りマスターテープに遡り、これ以上はない最上の音質で貴重な記録を聴けたことは愛好家を感涙させた。2枚組の1枚目は全てショパンの作品で、ソナタ第2番など得意とした演目ばかりである。最晩年の演奏故、ミスタッチも盛大で、色気が減退し枯れた印象は拭へないが、語り口の巧さは流石だ。演奏の質だけなら古いSP録音の方が断然良いとは云へ、当盤は記録として重要で、日本での録音を日本のレーベルが後世に伝へる文化遺産として復活させた姿勢に敬意を払ひたい。


1952年12月日本録音全集
[BMG BVCC-37439-40]

 日本録音2枚組の2枚目。唯一の録音となるショパンのスケルツォ第2番と第3番が貴重―但し未発表録音が別に残るといふことなので厳密には唯一ではない―で、劇的な面よりたゆたふやうな幻想が勝つた名演だ。とは云へ、技巧的な箇所では老齢になり著しくなつたミスタッチの為に感興が殺がれる。得意としたメンデルスゾーン「厳格な変奏曲」やリストのハンガリー狂詩曲にも同様のことが云へる。他方、簡素な曲での語り口には玄妙な味があり、コルトーだけの至藝を堪能出来る。人間の声を聴くやうな情味のある歌が聴けるシューベルト「連祷」とブラームス「子守歌」は逸品だ。


1952年東京録音/1953年ロンドン録音
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番
リスト:ハンガリー狂詩曲第11番
シューベルト:連祷
[EMI 50999 704907 2 5]

 40枚組。24枚目と25枚目。来日時における東京築地の日本ビクター・スタジオでの録音で、本邦のBMGから復刻済だが、海外では幻の録音であつただらう。尚、BMG盤は別テイクも全て含んでゐるので捨てぬ方が良い。25枚目の後半からは1953年にロンドンで行はれた録音が収録されてゐる。ショパンのピアノ・ソナタ第2番は日本でも録音した曲だが、出鱈目な態度の日本録音とは違ひ、晩年の境地が示された枯淡の演奏だ。技巧や覇気は捨て、侘び寂びを聴かせる。何とリストのハンガリー狂詩曲第11番を録音してゐる。晩年までコルトーはリスト弾きであつたのだ。得意としたシューベルトの連祷は更なる神仙境に至つてゐる。


1953年ロンドン録音
ドビュッシー:子供の領分
シューマン:交響的練習曲、謝肉祭
[EMI 50999 704907 2 5]

 40枚組。26枚目。1953年ロンドンでの録音集で、何と交響的練習曲は未発売録音で初出音源となる。ドビュッシーは1947年にも3度目となる録音をしたが、当盤の方が侘びた詩情が美しく、コルトー最良の演奏となつた。即ちこの曲の最高の演奏である。特に「雪は踊つてゐる」の神韻とした境地は別格だ。何人も及ばない。シューマンは色気が抜けた一方、表現の幅は増してゐる。しかし、技巧の切れが悪く打鍵が暴れてゐる箇所も散見される。謝肉祭は1928年録音盤の方が洒脱で断然良い。交響的練習曲も1929年録音盤の方が精度こそ良いが、深い詠嘆の表情では当盤に一日の長を認める。甲乙付け難い。


1953年〜1954年ロンドン録音
シューマン:子供の情景、クライスレリアーナ
ショパン:子守歌、エチュード(3曲)、ピアノ・ソナタ第3番より第3楽章、タランテラ、ワルツ(3曲)
シューベルト:楽興の時第3番
[EMI 50999 704907 2 5]

 40枚組。27枚目。子供の情景は1953年録音。コルトーは直近で1947年にも録音も残している。従つて比較が重要になるが、1947年の方が覇気と色気があり、当盤は淡白だ。ドビュッシーとは逆で、旧盤の方に軍配を上げたい。1954年録音のクライスレリアーナは何と未発表で、初出となる重要な音源。だが、結論から申すと、この録音が日の目を見ずお蔵入りになつた理由も浮かび上がつた。この曲を弾くにはコルトーは老い過ぎ、盛大なミスタッチばかりでなく、指が回らず音楽のフォルムも維持出来ずに崩壊してをり、単に下手な演奏であつた。勿論、侘びて美しい箇所もあるのだが。さて、余白に収録された1954年のアンコール集が絶品だ。鍵盤で歌へたのはコルトーが第一等で、弧を描くやうな抑揚は秘技である。特にピアノ・ソナタ第3番の第3楽章ラルゴだけを録音したものは詠嘆と告白が止揚した神品である。子守歌も絶対的な名演だ。3曲のエチュードは表情豊かだ。矢張りワルツが素敵だ。第6番、第7番、第9番、第11番の4曲で深い息を吐くやうな溜めが絶品であり、真珠が転がすやうな高音のタッチが絶妙だ。そして、シューベルトが神仙の境地に達した名演。辞世の句のやうで涙なしには聴けない。


1957年ロンドン録音
ショパン:24の前奏曲集、バラード(全4曲)
[EMI 50999 704907 2 5]

 40枚組。28枚目。1957年、最晩年の記録で、未発表の初出音源だ。だうも英HMVは老コルトーに気儘に録音をさせ、商品にならぬと判断したら廃棄をしてゐた節がある。調子が良いものだけ発売をしたのだ。コルトーも完璧な造形品を残そうといふ積りもなく、一発録りでテンペラメントを信条とした藝術家の面目を貫いた。得意のショパン、1920年代にも真つ先に録音した前奏曲とバラードだ。音楽が深みを増す一方で、技巧の衰へが著しく無残だ。前奏曲は平易な曲での美しさはコルトーだけが到達した境地が聴けるが、技術的に難易度が高い曲はひやりとする。だが、概ね許容出来る演奏と云へるだらう。しかし、バラードは擁護派にも苦しい演奏だ。完全に破綻してをり、音楽になつてゐない。お蔵入りになつたのは当然だ。商業用セッション録音はこれが最後となつた。


クープラン:コンセール第8番ト長調
バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全6曲)
ジャック・ティボー(vn)
パリ・エコール・ノルマル管弦楽団、他
アルフレッド・コルトー(cond.&p)
[EMI 50999 704907 2 5]

 40枚組。35枚目と36枚目。コルトーが指揮を披露した数少ない録音だ。ブランデンブルク協奏曲全集は驚くほど非道い演奏だ。第1番はホルンの音がひつくり返るなど、音程が終始揺れてゐる。正しい音の方が少ないくらいだ。第2番のトランペットは水準程度。第4番は終曲での聴かせ所となるヴァイオリン・ソロによる32分音符の刻みを、16音符でさぼつて弾いてゐる。おまけに重音の音程が滅茶苦茶だ。弦楽合奏による第3番と第6番は増しな方だが、同時期に録音が行はれたブッシュ盤と比較すると話にならない仕上がりだ。そんな中で第5番だけはソロイストに、垢抜けたティボーと浪漫的なカデンツァを聴かせるコルトーを揃へて、水際立つた名演となつてゐる。クープランのコンセールはCD復刻は初めての筈だ。これも巧い演奏ではないが、エコール・ノルマル管弦楽団のフランス流儀による華やかさが功を奏してバッハよりも面白く聴ける。


シューマン:詩人の恋
ドビュッシー:歌曲集(全14曲)
シャルル・パンゼラ(Br)/マギー・テイト(S)
[EMI 50999 704907 2 5]

 40枚組。37枚目。コルトーは独奏以外でも妙技を聴かせたが、歌曲伴奏でも格が違ふ名人藝を披露する。シューマンの雄弁なロマンティシズムは凡百の伴奏ピアニストたちに見倣つて欲しい。特に終曲の詠嘆はこの曲を締め括るに相応しい。否、かうでなければならぬ。但し、パンゼラが畑違ひの歌唱で、声域の都合で音も変更してゐる。良くない。テイトとのドビュッシーが絶品だ。演目は「艶なる宴」第1集全3曲、同第2集全3曲、「3つのビリティスの歌」、「恋人二人の散歩道」全3曲、「抒情的散文」より「砂浜」、「フランソワ・ヴィヨンの3つの頌歌」より「パリの女のバラード」だ。テイトの声には品を作つたやうな妖艶な誘惑があり、低音部での情感に訴へる仄暗さが絶妙だ。どれも決定的名唱であると太鼓判を押さう。コルトーの伴奏で贅沢極まりない。


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番
ラヴェル:ピアノ三重奏曲
リスト:2つの伝説
ヴィクトル・デゼルツァンツ(cond.)/ジャンヌ・ゴーティエ(vn)/アンドレ・レヴィ(vc)、ヴラド・ペルルミュテール(p)、他
[TAHRA TAH 610]

 仏Tahraは時折度肝を抜くような新発見音源を世に送り出したが、このコルトーのベートーヴェンの協奏曲はその最たるものだらう。シューマンやショパンではないのだ。ベートーヴェンの録音があるとは不意打ちだ。1947年4月13日、デゼルツァンツ指揮ローザンヌ室内管弦楽団とのライヴ録音で、音質は流石はTahraで申し分ない。演奏は崩れこそないが、覇気や色気は弱く、コルトーならではの異常な演奏は聴けなかつた。だが、ふとした折に聴かせるたゆたふやうなルバートは世紀のロマンティストの紛れもない刻印である。蒐集家は必携だ。実は内容としてはその弟子ペルルミュテールの録音の方が断然感銘深い。ラヴェルの三重奏はその高弟ペルルミュテールだけでない、名だたるラヴェル弾きゴーティエやレヴィとの取り合はせはこれ以上ない無敵の布陣だ。1954年の記録で、演奏は極上だ。高踏的な趣は香り立ち、ベル・エポックの詩情を伝へる。決定的名演だ。リストは1939年のセッション録音で、ペルルミュテールの硬質で澄んだタッチが冴えた名演である。


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