楽興撰録

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ゲオルグ・クーレンカンプ


ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ベルリン・フィル/ヨゼフ・カイルベルト(cond.)/ハンス・シュミット=イッセルシュテット(cond.)
[TELDEC 9031-76443-2]

 名手クーレンカンプの代表的録音。病身の為、戦後は殆ど活動が出来なかつたのが痛恨の極みだ。技巧的な箇所では幾分頼りないが、ブルッフの第2楽章やベートーヴェンの第2楽章での素朴な旋律における訥々としたカンティレーナの美しさは、余人には生み出せない神妙さを漂はせてゐる。速度の遅い表情的なヴィブラートとボウイングは、ハイフェッツらが煽つたスピード競争とは無縁であり、侘びた静慮が聴く者の心に染み渡る。ブルッフは屈指の名演、ベートーヴェンもかのヴォルフシュタールの衣鉢を継ぐ名盤として絶賛したい。ベートーヴェンではイッセルシュテットの伴奏が大変素晴らしく、低音が堂々と鳴る立派さは格別である。


ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
シュポア:ヴァイオリン協奏曲第8番
グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲、他
ベルリン・フィル、他
[ALTA NOVA CD AN1]

 スウェーデンのALTA NOVAが商品化したクーレンカンプの2枚は市場に多く出回らなかつた幻の逸品である。ブルッフは本家TELDECから出た録音と同一なので割愛するが、シュポアとライヴ録音のグラズノフが重要だ。「劇唱の形式で」と題されたシュポアの協奏曲にはハイフェッツとスポールディングの名盤が存在するが、ドイツの高貴なロマンティシズムを気高く聴かせるクーレンカンプ盤は特別な価値を持つ。青白い音色と訥々とした語り口は絶品で、緩やかなポルタメントは一種特別な甘味さだ。グラズノフはスラヴ系の名手らによる野性的な演奏とは正反対で、有名なフィナーレはもたついた畑違ひの演奏だが、抒情的な味はひには思はず引き込まれる。第1楽章や第2楽章の濃密な歌には抗し難い。技巧の切れのなさが武器になるとは、何とも不可思議な奏者である。さて、当盤の白眉はシューマンの「夕べの歌」だ。全ての音が玄妙で魂を抜かれるやうだ。これぞドイツ・ロマンティシズムの権化と形容したい神々しい名演である。


グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第3番
フランク:ヴァイオリン・ソナタ、他
ジークフリート・シュルツェ(p)/フランツ・ルップ(p)
[ALTA NOVA CD AN2]

 スウェーデンのALTA NOVAが商品化したクーレンカンプの2枚は市場に多く出回らなかつた幻の逸品である。シュルツェのピアノによるグリーグとフランクは1941年のテレフンケン録音で、ブッシュ去りし後、ドイツ楽壇の第一人者として八面六臂の活躍をしたクーレンカンプの極めて珍しい演目だ。2曲とも古雅な趣のカンティレーナでしみじみと寂寥感や淡い詩情を漂はせる異色の演奏。グリーグはアウアー派の奏者らが聴かせる情熱的な節回しが一切なく、フランクはフランコ=ベルジュ派らが聴かせるエスプリの欠片も無い。徹頭徹尾ドイツ・ロマンティシズムに沈むクーレンカンプの個性が聴けるが、居心地が悪い。だが、余白に収録された小品が全部素晴らしいのだ。1933年と1935年にルップの伴奏で録音され、しかもソナタより復刻状態が格段に良い。おつとりと気品あるモーツァルトのドイツ舞曲第1番、雅な愉悦が楽しいゴセックのタンブーランでは殊の外クーレンカンプの美質を味はへる。クライスラー「中国の太鼓」、アルベニス「タンゴ」、デプラーヌ「イントラーダ」、パラディス「シシリエンヌ」、何れも格調高い貴族的なヴァイオリンの音色を堪能出来る極上の名演だ。


フルーリー:ヴァイオリン協奏曲第3番
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第7番(偽作)、アダージョK.261
[Podium POL-1014-2]

 独Podiumがクーレンカンプの復刻を始めたことは朗報である。第1巻。20世紀ドイツの作曲家リヒャルト・フルーリーの協奏曲は珍品だが、聴き応へは充分だ。終止ヴァイオリン独奏が晦渋な詠嘆を奏でる後期ロマン派の曲想で、シュトラウス、レーガー、プフィッツナーに通ずるが、英雄的な挽歌は寧ろクーレンカンプの代表盤であるシューマンの協奏曲を想起させる。これはクーレンカンプを語る上で逸することの出来ない名演だ。モーツァルトの偽作協奏曲は戦中の録音で、テープの状態が悪く雑音や歪みがあるのが残念だが、演奏は気品があり素晴らしい。しかし、この曲には若きメニューインの熱演があり分が悪い。アダージョK.261はSP復刻で、訥々とした歌はクーレンカンプ最良の味はひが出てをり、侘びた情感は胸に沁みる。


タルティーニ:捨てられたディド
パガニーニ:カプリース、他
ヴィリー・ギルスベルガー(p)
[Podium POL-1019-2]

 第2巻。1946年のベルンにおける録音集だ。重要な演目はタルティーニのヴァイオリン・ソナタ「捨てられたディド」だ。訥々と侘びたカンティレーナを奏でるクーレンカンプの独自の境地。深い瞑想へと誘はれる名演だ。ドイツ・ロマンティシズムを具現したかのやうなクーレンカンプだが、当盤の演目は意外な曲ばかりだ。ピツェッティ「アリア」、イベール「遊戯」、ドビュッシー「夜想曲」、フバイ「そよ風」、イザイ「子供の夢」、サラサーテ「序奏とタランテラ」、そして驚くべきはパガニーニのカプリース第13番、第20番、第24番を弾いてゐることだ。小回りの利かない凡そ似つかわしくない異色の演奏で、全く別の曲に聴こえる。下手物と云へよう。技巧曲のフバイとサラサーテにも同様のことが云へる。一方、イベール、ドビュッシーとイザイが幻想的な詩情に充ちてをり大変美しい。もう1曲、大曲としてベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」が収録されてゐるが、何故か第1楽章が録音されてゐなく、これでは価値がない。


小品集
フェルディナンド・ライトナー(cond.)/フランツ・ルップ(p)、他
[Podium POL-1020-2]

 第3巻。小品集の第2巻目となる。録音年代は1930年代だ。往年の名手の弾く小品が如何に素晴らしかつたかを否応無く伝へる極上の1枚だ。クーレンカンプはドイツのティボーだ。か弱き繊細さ、恥じらいのある品はヴァイオリンをすすり泣かす。決して叫ばせない。ティボーと違ふのは華だらう。クーレンカンプは色気を振りまく伊達男ではない。青白い夢想と真摯な告白がある。詩人たらんと欲す書生とでも云へようか。デプラーヌ「イントラーダ」、パラディス「シシリエンヌ」、ポルディーニ「踊る人形」、アルベニス「タンゴ」にはティボーの決定的な名演があるが、訥々と憧れと諦めを行きつ戻りつ語るクーレンカンプの良さも格別だ。絶品は端正な躍動で魅了するゴセック「タンブーラン」と哀切こもつたリュリ「ガボット」だ。モーツァルト「ドイツ舞曲」のおっとりとしたロマンティシズムは一種特別だ。スヴェンセン「ロマンス」のもどかしく後ろ髪を引かれるやうな憧憬は絶品だ。チャイコフスキー「ナポリの踊り」の温もりのある陽気さが素敵だ。ドヴォジャーク「ユモレスク」の哀愁も胸に迫る。リース「カプリチョーザ」の乱舞も良い。ラヴェル「メヌエット」やイベール「ソナティネ」はフランスの奏者とは全く異なる曇り空のやうな音色が面白い。湿つぽいコレッリ「ラ・フォリア」はクーレンカンプの個性が出切つてゐる。幽玄なる藝術境に誘はれる特選の1枚だ。


小品集
フランツ・ルップ(p)、他
[Podium POL-1021-2]

 第4巻。小品集の第3巻目となる。1920年代から1930年代にかけての録音だ。ドイツの作曲家の名品を主軸に極上の名演に耽溺出来る1枚だ。クーレンカンプはヴィブラートもボウイングもポルタメントも実にゆっくりと行ふ。技巧の競争には無関心で、独自の藝術境を開拓してゐる。全ての演奏が得難い美しさを醸してゐるが、優れたものから述べよう。ベートーヴェンのロマンス第1番と第2番は録音史上で最上位に置かれる名演だらう。おっとりとした情趣から囁き掛けるセレナードとなり、涙に濡れた告白となる。高貴なロマンティシズムを湛へた名演。シューマン「夕べの歌」は別項でも述べたが、クーレンカンプ随一の名演である。バッハ「エア」とシューベルト「アヴェ・マリア」における玄妙なカンティレーナも絶品だ。モーツァルト「アダージョ」とグルック「メロディ」の喪失感を帯びた歌も極上だ。グルーバー「清しこの夜」は甘くなり過ぎず、霊妙な趣があり傑作だ。ドヴォジャーク「ユモレスク」の描き分けも素晴らしく、クライスラーやプシホダと並ぶ名演と云へる。アダン「クリスマスの讃美歌」「おお聖夜」の蠱惑的な美しさには魂を奪はれる。


シューマン:ヴァイオリン協奏曲
バッハ:無伴奏パルティータ第3番よりガボット
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ベルリン・フィル/ハンス・シュミット=イッセルシュテット(cond.)
[Podium POL-1022-2]

 第5巻。テレフンケンへの高名な録音であるシューマンは初演者クーレンカンプの代名詞とも云へる決定的名盤。メニューインら他の録音もあるが、矢張りクーレンカンプを最上位に置きたい。この曲には青白い病的さや、夢想する詩的観想が相応しい。情熱的な歌や官能的な誘惑は邪魔だ。クーレンカンプの特異性が絶妙に嵌つた畢生の名演だ。メンデルスゾーンも同傾向の名演で、一種特別な霊感に導かれた個性的な演奏だ。但し、終楽章が閃きに欠け良くない。協奏曲2曲は本家TELDECから決定的復刻があり、Podium盤は音質では足元にも及ばない。バッハが素晴らしい。かうも上品で貴族的な演奏は滅多に聴けない。逸品である。


ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
シュポア:ヴァイオリン協奏曲第8番
グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲
ベルリン・フィル、他
[Podium POL-1023-2]

 第6巻。内容はかつて発売されてゐたスウェーデンのALTA NOVAレーベルとほぼ同じであるが、入手困難だつたので重宝されよう。ブルッフはカイルベルト指揮、ベルリン・フィルとの1942年の録音。今日の耳からすると冒頭のカデンツァなど暗く地味で内省的過ぎ、異色の演奏の聴こえるだらう。技巧的な頼りなさも珍しい。しかし、第1楽章第2主題のカンティレーナの美しさは唯一無二で、アウアー派奏者らの濃厚な歌ひ込みとは真逆である。シュポアはイッセルシュテット指揮、ベルリン・フィルとの1935年の録音。これぞドイツ・ロマンティシズムの精髄で、この曲の屈指の名盤である。グラズノフはトール・マン指揮、スウェーデン放送交響楽団との1948年録音のライヴ録音。スラヴ風の演奏とは一線を画す後期ロマン派のとろけるやうな爛熟の演奏は中毒性を秘めてゐる。


レーガー:ヴァイオリン協奏曲、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番より第3楽章、組曲より前奏曲
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団/ウィレム・ヴァン・オッテルロー(cond.)、他
[Podium POL-1024-2]

 第7巻。レーガー作品を集成した1枚。大変珍しいイ長調協奏曲作品101は戦中の1944年のオランダにおけるライヴ録音。全3楽章で演奏時間が50分を超える長大な作品で、連綿と続く濃厚な情念が延々と徘徊し、楽章間の差異すら表すことが難しい。憚らずに申せば二流の曲である。とは云へ、この軟体生物のやうな曲を我が物のやうに弾くクーレンカンプの妙なる音色には感服する。後期ドイツ・ロマン派の権化のやうな音楽を神韻と奏で続け何時しか忘我の境地に至る。この音楽の表現としては最高の適任者であらう。1936年録音のイ短調無伴奏曲作品91-1の第3楽章アンダンテ・ソステヌートはクーレンカンプの代表的な名演だ。訥々した告白は霊的な趣を帯びてゐる。1926年録音のヴァイオリンとピアノの為の組曲イ短調作品103aの前奏曲も同様の名演である。


グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第3番/フランク:ヴァイオリン・ソナタ
ステファン:ヴァイオリンと管弦楽の為の音楽
ジークフリート・シュルツェ(p)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団/エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム(cond.)
[Podium POL-1025-2]

 第8巻。グリーグとフランクはスウェーデンのALTA NOVAから復刻があり、既に別項で述べたので演奏内容については割愛するが、入手困難であつただけにPodiumでの商品化は嬉しい。余白には大変珍しいルディ・ステファンのヴァイオリンと管弦楽の為の音楽が収録されてゐる。1940年1月4日のライヴ録音である。ヒンデミットに近い近代的な作風だが、根底は後期ロマン主義の音楽である。ヴァイオリンは濃厚な浪漫を奏で、クーレンカンプに打つて付けの楽想だ。メンゲルベルクに訓練されたコンセルトヘボウの近代音楽に対する理解の深さも秀逸だ。


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
モーツァルト:アダージョ
バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番より第2楽章
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番より第2楽章
ベルリン・フィル/ハンス・シュミット=イッセルシュテット(cond.)、他
[Podium POL-1034-2]

 第13巻。テレフンケン録音のベートーヴェンの協奏曲は本家TELDECから素晴らしい復刻があるし、前述したので割愛する。さて、余白に収録された演奏が悉く魅力的だ。ベートーヴェンと同日の1936年6月25日に録音されたモーツァルトは何故か音質が篭るが、演奏は輪を掛けて美しい。甘く切ないポルタメントが憧憬へと誘ふ名演だ。白眉はバッハで、1932年クレツキ指揮ベルリン・フィルとの録音。クーレンカンプには全曲録音がないので貴重だ。受難曲を聴くやうな詠嘆に彩られた演奏に身震ひする。浪漫的な様式だが、迫真の解釈だ。ブルッフは1932年ケンペン指揮ベルリン・フィルとの録音。後にカイルベルトとの全曲録音があるが、これも捨て難い。幽玄なカンティレーナにクーレンカンプの美質が存分に出てゐる。最高だ。


ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番、同第2番、同第3番
サー・ゲオルグ・ショルティ(p)
[Podium POL-1045-2]

 第14巻。1947年と1948年にDECCAに録音されたクーレンカンプ晩年の代表的録音。豪ELOQUENCEからも復刻がある。ピアノは後に大指揮者として名を轟かすショルティだ。相当な腕前であつたが一奏者では飽き足らず、着実に指揮者としての修行を積み、遂には「指環」世界初録音の栄誉まで勝ち取るのだ。さて、ショルティのピアノも良いが、円熟味を増したクーレンカンプの語り口が絶妙な名演だ。訥弁で小回りが利かない舌足らずな独特の癖があり、幽玄なロマンティシズムへと誘つて呉れる。舐めるやうなボウイング、練り込むやうなヴィブラート、溜息のやうにゆつくりと掛けられるポルタメント、それでゐながら厭らしさがなく、高貴な美しさを醸し出すのは一種特別な藝術境と絶賛したい。全ての曲に云へることだが、一寸した経過句に織り交ぜられた歌ひ回しは他の奏者からは絶対に聴かれない唯一無二の表現がある。


ブラームス:二重協奏曲
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
スイス・ロマンド管弦楽団/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
カール・シューリヒト(cond.)
エンリーコ・マイナルディ(vc)
[phono-museum PMCD-7]

 クーレンカンプは戦後Decca専属となり録音を開始したが、元来病弱で程なく早逝して仕舞つた。これは最晩年の1947年の記録だ。矢張りDeccaに移籍したシューリヒトによる伴奏で大変面白く聴ける。ブラームスはトリオを組んだ盟友マイナルディとの共演。両者おつとりした滋味豊かな演奏で、外連味は一切ない。シューリヒトの伴奏も両者に合はせて押し出しを控へ、連綿とした歌を基調とする。時に大胆な崩しを用ゐるのはシューリヒトならではの妙技と云へる。ブルッフはテレフンケンにカイルベルトの指揮で録音があつた。この再録音でも解釈に変はりはなく神秘的な美しさを湛へたカンティレーナは唯一無二の境地にある。高潔なシューリヒトの伴奏が絶品だ。



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