楽興撰録

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ヨーゼフ・シゲティ


ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第1番、同第2番、同第3番、同第4番、同第5番「春」
クラウディオ・アラウ(p)
[VANGUARD CLASSICS OVC 8060/63]

 1944年初頭にワシントン国会図書館で3日に分けて行はれたソナタ全曲演奏会の実況録音4枚組。1枚目と2枚目。会場の為か録音状態は優れないが、潔いアーティキュレーションと激しい集中力で弾かれた屈指の名演揃ひだ。第1番は第1楽章展開部での昂揚や、第2楽章変奏曲で短調に転じた際の悲劇的な情感が殊更見事な名演だ。曲想がロココ風な第2番は第2楽章での内面探求が美しいが、全体的に不調で興が乗らない。第3番が素晴らしく、第1楽章展開部ではアラウ共々鬼気迫る浪漫の発露を聴かせてくれる。第3楽章の荒々しい生命力はシゲティの面目躍如で当演奏会の白眉だ。第4番も悲劇的な焦燥感に溢れ、闘争と諦めが交錯した楽曲の核心に迫る格調高い名演だ。曲想を意識したのか第5番は遅めのテンポを採用した柔和な演奏であるが、シゲティ特有の鋭利な発音は随所に表れてゐる。この曲には数年後に霊感豊かなシュナーベルとの演奏が残されてをり、アラウとの演奏は価値が下がる。


ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第6番、同第7番、同第8番、同第9番「クロイツェル」、同第10番
クラウディオ・アラウ(p)
[VANGUARD CLASSICS OVC 8060/63]

 1944年初頭にワシントン国会図書館で3日に分けて行はれたソナタ全曲演奏会の実況録音4枚組。3枚目と4枚目。闘争と瞑想が結合した後期のソナタにおいてシゲティの藝術は真価を発揮する。優美に弾かれて仕舞ひ勝ちな第6番をシゲティは深く真摯な情感で掘り下げる。特に第2楽章の悲愴感は偉大で、これを凌駕するのはフーベルマンの稀少録音くらゐだ。第7番は真剣勝負を挑んだシゲティの独擅場とも云へる名演だ。推し潰した音色は激しい闘争心を厭が上にも高め、声を顰めた弱音は暗い内省へ誘ふ。アラウも壮絶な火花を散らし、第1楽章や第4楽章は宛ら修羅場のやうだ。第8番も曲想を超えた劇的な趣を湛へてをり、躍動する第3楽章が聴きものだが、古いコロムビア録音の方が更に凄かつた。「クロイツェル」は鬼気迫る名演として当ツィクルスの頂点を為す。一般にバルトークとの共演盤が巷間名高いが、情熱的な当演奏に軍配が上がる。何よりもアラウの荒ぶれ様が凄まじく、かのフリードマンの牙城に迫る当曲屈指の名演を成し遂げた。第10番は如何した訳か全体に低調で感銘が薄い。


メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ニューヨーク・フィル/ブルーノ・ヴァルター(cond.)/ディミトリ・ミトロプーロス(cond.)
[Music&Arts CD-1197]

 メンデルスゾーンが1941年2月2日、ブラームスが1948年10月24日の演奏記録。シゲティには全盛期に両曲とも英國でセッション録音を行つてゐる。電気録音初期に協奏曲の大曲録音を次々と成し遂げたシゲティの名声と実力が計りしれよう。渡米後はブッシュ同様荒れ目で、神々しいセッション録音の出来とは比べ物にならない。メンデルスゾーンは冒頭から音が掠れ気味でいただけない。ブラームスも全体的に細くて弱々しい。シゲティは早く衰へた人だ。元々美音家ではないが、このライヴ録音などは汚い音と評しても誹謗にはなるまい。とは云へ、何度か丁寧に聴くとシゲティだけにしかない深く張詰めた真摯な音が胸に迫つて来るから流石である。マーストンによるリマスタリングで、1940年代の記録としてはこれ以上を望んではいけない聴き易い音質である。


ブロッホ:ヴァイオリン協奏曲、「バール・シェム」よりニグン
マルタン:ヴァイオリン協奏曲
ヴィレム・メンゲルベルク(cond.)/ディミトリ・ミトロプーロス(cond.)、他
[Music&Arts CD-720]

 ライヴ録音集4枚組。1枚目。シゲティはバッハ、ベートーヴェン、ブラームスの名演で一家を成したが、20世紀の作品を使命感を持つて紹介した現代音楽の旗手としての面を本領とした。特に同じユダヤ系の音楽家と云ふこともあり、ブロッホへの思ひ入れの強さは唯事ではない。協奏曲はシゲティの為に書かれた作品で、無論初演の栄誉を担つてゐる。コロムビアにミュンシュの指揮で録音してゐるが、感情の幅の広さと管弦楽の扇情的な響きで、このメンゲルベルクとのライヴの方により強い感銘を受ける。「ニグン」はシゲティが切札とした作品で、数種の録音が残されてゐるが何れも至高の名演揃ひであり、ユダヤの旋律が英雄的な憂ひを帯びる様は圧巻である。このアブラヴァネル盤も濃密な情感で聴き手を深い感動に誘ふ。スイスの作曲家マルタンの前衛過ぎず保守とも見なされない中庸を得た作品でも、感情を枯らすことなく真摯で悲劇的な音楽を奏でるシゲティの音は偉大である。


コレッリ:ラ・フォリア/タルティーニ:ヴァイオリン協奏曲/モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番/ブゾーニ:ヴァイオリン協奏曲、他
[Music&Arts CD-720]

 2枚目。コレッリはクレンペラー、タルティーニはモントゥー、モーツァルトはヴァルター、ブゾーニはプレヴィターリ指揮による伴奏。巨匠指揮者の名が並ぶ様は壮観だ。最大の聴きものはシゲティが生涯変はらぬ敬愛を抱き続けた盟友ブゾーニの協奏曲だ。この曲には全盛期のブッシュによる名演があるとは云へ、シゲティ盤を看過することなど以ての外だ。熱い信念が一種特別な感動をもたらす。コレッリは管弦楽の伴奏による珍しい演奏である。シゲティは求心力の強い音で、この変奏曲を悲劇的な音楽にまで昇華させてゐる。タルティーニはシゲティの切り札であり、1937年の米コロムビア録音は絶対的な高みにあつた。このライヴは幾分遜色のあるものの余人には為し得ない名演と云へる。モーツァルトは凹凸の目立つフレージングと重いリズムによる異形の演奏で、第2楽章にシゲティならでは深い精神性の発露があるが、一般的な聴き手は気分を害するかも知れぬ。


ブゾーニ:ヴァイオリン・ソナタ第2番
ブロッホ:ヴァイオリン・ソナタ第1番
クララ・ハスキル(p)/カルロ・ブゾッティ(p)
[Music&Arts CD-720]

 3枚目。シゲティの数多い録音の中で、最高傑作はハスキルと組んだブゾーニのソナタであると断言したい。シゲティとブゾーニとの出会ひはバッハに帰りバッハより出る道を共に歩んだ20世紀の神話である。ソナタの第1楽章は後期ロマン派の暗く甘い連綿たる情緒で聴かせ、第2楽章は闘争的なブルレスケとなるが、この曲の要は長大な第3楽章の変奏曲にある。最高潮を向へたその時、暗転しバッハのコラールが厳かに始まる箇所は目頭が熱くなる。シゲティの巧言令色を排した求道的な音は悲劇そのものであり、高貴な美しさを湛へてゐる。この演奏の価値を高めてゐるのが霊感豊かなハスキルのピアノで、イザイらに愛された室内楽の名手の真価を伝へる。ブロッホのソナタはユダヤ旋律が前面に出た濃密な曲で、形振り構はぬシゲティの荒ぶれ方が戦慄を誘ふ。


モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタイ長調K.305、同変ホ長調K.380、同ト長調K.301、同ヘ長調K.377、同イ長調K.526
アンドール・フォルデス(p)
[Music&Arts CD-720]

 4枚目。シゲティの弾くモーツァルトは優美さや愛らしさとは無縁だ。これほどモーツァルトらしくない演奏は稀で、しかも奏者の個性が強く出てゐる為、初めて聴く者の肝を冷やすこと必定だ。圧力の加はつた遅いボウイングと濃密なヴィブラートを基調とするシゲティのモーツァルトは鈍重で暗い。軽いスタッカートの箇所を弓をぶつけるやうなスピッカート奏法で弾くのは特に異様だ。しかし、シゲティの音には霊感と魔力がある。お高くとまつた上品なだけのモーツァルトとは世界が違ふ演奏で、人間の生々しい声が聴こえてくる。緩徐楽章での深い内面追求には息を呑む。シゲティは後年これらの曲をVANGUARDに録音したが、技巧の衰へのない当盤の演奏に軍配を上げる。


プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ第1番、同第2番
ストラヴィンスキー:デュオ・コンチェルタンテ、他
イーゴル・ストラヴィンスキー(p)、他
[Biddulph 80204-2]

 シゲティは特異なヴァイオリニストである。音に魔力がある。美音ではないと云はれるが、的を射た表現ではない。プロコフィエフ作品からこれほど聴く者の感情を掻き乱す物々しい音を出した人はゐない。これらの曲では、オイストラフが豊麗な音で抒情美滲み出る名演を残してゐるのだが、シゲティの録音とは全く違う種類のものだ。シゲティはその精神性を語られることが多いが、エネスクやブッシュに比べると不自然さがあり大人げない。シゲティが十八番としたプロコフィエフとストラヴィンスキーの曲でも不格好で頼りないところがあるが、誰しもこの演奏が偉大であることは認めるだらう。シゲティが追求した美しい音、曲想の把握、演奏効果は独自の信念に貫かれてゐる。本質だけを目指したシゲティの音楽は悲劇的だ。シゲティが神格化されるのはそれ故なのだ。


バッハ:無伴奏ソナタ第3番、協奏曲ト短調BWV.1056/ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番/タルティーニ:ヴァイオリン・ソナタト長調、ヴァイオリン協奏曲
カルロ・ブゾッティ(p)/ジョージ・セル(cond.)、他
[Biddulph 80217-2]

 シゲティが弾く古典作品は額突きたくなるほど神々しい。一種特別な求道精神と巧言令色を排した演奏は聴く者の姿勢すら正す。シゲティがヴァンガードにバッハの無伴奏曲全曲を録音した時は既に盛期を過ぎてゐた。ソナタの第1番と第2番だけは全盛期に吹き込んだ英コロムビア盤があつたが、残る第3番は後れて米コロムビアに録音された。従つて絶頂期の記録ではないのだが、極上の名演となつてゐる。チェンバロ協奏曲ヘ短調をト短調に移調して演奏した録音は自体が貴重である。シゲティはニ短調協奏曲もヴァイオリンで演奏してをり、原曲を考証すれば大変意義のあることだ。何よりも演奏が素晴らしく説得力が半端ではない。ヘンデルのソナタは英コロムビアへの名盤があるが、当盤は深く掘り下げた表現が見事だ。即物的過ぎる旧盤よりも好ましい。タルティーニのソナタは唯一の録音。厳めしい異色の奏法だが、真摯な取り組みに胸打たれる。協奏曲は甲乙付け難いのだが、古雅な旧盤の方に軍配を上げたい。


ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番、ピアノ四重奏曲第3番
ミエチスラフ・ホルショフスキ(p)/マイラ・ヘス(p)/ポール・トルトゥリエ(vc)、他
[Biddulph 80212-2]

 シゲティはバッハ、ベートーヴェン、ブラームスを演目の支柱としたが、求道的なバッハや闘争心を燃やしたベートーヴェンの硬派な演奏と異なり、ブラームスは浪漫たゆたふ解釈で意表外だ。熟れ過ぎた果実を思はせるやうな特異な演奏で、耽美的と形容するだけでは生温い。シゲティは強いアクセントを特徴とするのが常だが、ブラームスでは全ての音に振幅の大きいヴィブラートを緩やかに練り込むやうにかけた軟派の演奏に徹してゐる。テンポも後ろ向きで、音も酔つたやうに膨らみ揺れる。年代は異なるがシゲティはブラームスのソナタを全部録音した。曲想からしても第1番は最も成功してゐるが、万人に薦められる演奏ではない。四重奏は様々な個性が競合した名演で、渋みのある浪漫が素晴らしい。この曲でもシゲティの個性が際立つてをり、全体の色を支配してゐる。終楽章の愁歎は取り分け心に深い感銘を残す。落日の美学。


ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第10番/シューベルト:二重奏曲/ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番
ミエチスラフ・ホルショフスキ(p)/マイラ・ヘス(p)
[Biddulph 80228-2]

 往年の弦楽器奏者の復刻で愛好家に絶対的に支持されてきた英Biddulphだが、当盤が最後のリリースであつたと思ふ。肝心のSONYがブッシュやシゲティのCBS録音復刻に本腰を入れないので、Biddulphの健在は頼もしかつたが、それも潰へて仕舞つた。シゲティは不思議な奏者だ。強いアタックの後の弱音ではボウイングに震へや掠れがある。フォルテで弾くスピッカートの発音の乱雑さも異様だ。音が汚いと云はれるのは尤もだ。だが、知らぬうちに音楽に引き込まれる。魂が持つて行かれるのだ。玄妙なベートーヴェンのソナタ第10番は存外名演が少なく散漫な演奏が多いが、巧言令色鮮矣仁を実践したシゲティ盤は最上位に置かれるべきで、第2楽章の深みは特に見事だ。ブラームスがソナタ第3番第1楽章の求心力も唯事でなく、晩秋のやうな趣の第2楽章も幽玄だ。そして、底知れぬ寂寥感を垣間見せるシューベルトのデュオ。この侘びた情感は滅多に聴けるものではない。ヘス女史との息の合つた応答も絶品で、第一等に挙げたい名盤だ。


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリン・ソナタ第5番
ニューヨーク・フィル/ブルーノ・ヴァルター(cond.)/ミエチスラフ・ホルショフスキ(p)
[SONY Classical MPK 52536]

 協奏曲は1947年の録音。シゲティは1932年にもヴァルターと最初の録音をしてをり、伴奏はブリティッシュ交響楽団であつた。当然であるがニューヨーク・フィルとでは格が違ふ。録音の鮮明さもあり、伴奏の素晴らしさではこの新盤が圧勝だ。ヴァルターの指揮だが、旧盤では緩急を大胆に付けた浪漫的な解釈が今となつては面白くもあるが、紋切り型とも云へる。新盤は小細工を排して堂々とした音楽を基調としてゐるが、矢張り繊細な歌が魅力である。ヴァルターの指揮はこの曲の理想郷のひとつだ。肝心のシゲティは旧盤の方が音に潤ひがあり技巧の確かさがある。新盤は衰へを気魄で補つてをり、強いアタックは個性として好意的に受け取ることも出来る。だが、それなら敢へて最後のドラティ共演盤の突き抜けた境地を推さう。スプリング・ソナタの正規セッション録音は重く暗い異色の演奏だ。悲劇的なシゲティの個性が存分に出てゐるが、音楽が流れず良くない。ホルショフスキも迎合し過ぎだ。幾つかある録音の中で本当に素晴らしいのは、シュナーベルとのライヴ録音だ。


ブゾーニ:ヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリン・ソナタ第2番
リトル・オーケストラ・ソサイエティ/トーマス・シェルマン(cond.)
ミエチスラフ・ホルショフスキ(p)
[SONY Classical 19075940352]

 やうやう集成されたコロムビア録音全集17枚組。ブゾーニの薫陶を受けたシゲティの真の音楽的な師に対する想ひは特別だ。ブゾーニ作品は今日でも人気があるとは云へないが、シゲティの演奏は別格である。協奏曲が重要だ。形振り構はぬシゲティの奏法に圧倒される。常になく雄弁で表現力の幅が大きい。歌ふ時の濃厚な音色は次元が異なる。この協奏曲にはブッシュとヴァルターによる弩級のライヴ録音があり、唯一の競合盤になる。伴奏の管弦楽に若干の不満が残るが、録音状態も考へるとシゲティ盤の方が総じて有利だらう。決定的名盤だ。ソナタ第2番は大変な名曲だ。長大な第3楽章でバッハ風のコラールが奏でられる箇所は感動的だ。シゲティはハスキルともライヴ録音を残してゐる。その演奏はシゲティの最高の名演であり、ハスキルの最高の演奏であつた。絶対に聴くべき録音なのだ。比べるとこの正規セッション録音は聴き劣りがする。何よりホルショフスキのピアノが詰まらない。霊感豊かなハスキルには遥かに及ばない。だが、当盤の演奏は決して悪いわけではない。


シューベルト:ソナティネ第1番、華麗なるロンド、幻想曲
アンドール・フォルデス(p)/カルロ・ブゾッティ(p)/ジョゼフ・レヴィン(p)
[SONY Classical MPK 52538]

 シューベルト録音集。ソナティネはフォルデスとの1942年の録音。スタッカート奏法は鋼のようなモノクロームの音色だが、決してシューベルトの音楽を壊さない。特筆すべきは第2楽章で、美しいカンティレーナが始まるとがらりと世界が変はる。何といふ寂寥感。フレーズの見事な終始を聴かせる運弓の絶妙さ。これぞシゲティの究極の至藝で、何人も及ばない。華麗なるロンドはブゾッティとの1942年の録音。渋い演奏で愉悦や情熱は感じず、諧謔すらを聴かせる個性的な演奏だ。この曲は生命力を爆発させた少年メニューインの演奏が抜群であつた。幻想曲はレヴィンとの1949年の録音。伴奏者のレヴィンは邦訳表記だと同姓同名になるが、かの大ピアニストとは綴りも異なる。冒頭主題の玄妙な歌はシゲティの妙技だが、後半は感銘が持続しない。この曲は偉大なるブッシュとフーベルマンの秘匿の名演が不動の存在だ。


バッハ:三重協奏曲BWV.1044、協奏曲BWV.1052、ブランデンブルク協奏曲第5番
ジョン・ウンマー(fl)/アレクサンダー・シュナイダー(vn)/ミエチスラフ・ホルショフスキ(p)/ユージン・イストミン(p)
プラド音楽祭管弦楽団/パブロ・カサルス(cond.)
[SONY Classical 19075940352]

 やうやう集成された米コロムビア録音全集17枚組。1950年の5月から6月にかけてプラド音楽祭時に行はれた録音である。1点注意が必要だ。フルート、ヴァイオリン、ピアノによる三重協奏曲にはシゲティは参加してをらず、シュナイダーが弾いてゐる。演奏は物々しく時代を感じる。独奏者たちも熟れてをらず、求心力が弱い。その点、シゲティが弾くBWV.1052は凄まじい気魄で聴き手を虜にする。シゲティは10年前にも同曲を録音してゐる。全体的には旧録音の方が素晴らしい。この新盤の何が不味いのかといふと、カサルスの指揮である。編成は大きくないのに3曲とも大言壮語甚だしく、うんざりして仕舞ふ。修行僧の如く音を切り削いで行くシゲティの音楽とは心持ちが異なるのだ。ブランデンブルク協奏曲も巧言令色を排したシゲティだけが別格だ。


モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタホ短調K.304、同ニ長調K.306、同ヘ長調K.376、同ヘ長調K.377
ミエチスラフ・ホルショフスキ(p)
[VANGUARD CLASSICS 08 8039 74]

 晩年のシゲティが残した個性的な15曲のソナタ集4枚組。1枚目。K.304にはマガロフの伴奏で英コロムビアにSP録音した新古典主義を代表する名演があり、技巧も安定してゐた。この再録音は枯れて侘びた特異な音楽を奏でてをり、興味深いが一般的ではない。K.306は第1楽章冒頭のスタッカートによる分散和音などにシゲティ特有の奏法が際立つ。刃を突き立てるやうな発音はロココ趣味を吹き飛ばし、野性的な音楽を沸騰させる。第3楽章でも駒寄りで弾いた金属的な音で異様な感興を醸す。K.376も独特のスピッカート奏法にモーツァルトらしからぬどぎつさがあるが、総じて生命力溢れる名演と云へる。K.377は第2楽章の深い内面追求が真に迫り、最終変奏の悔悟に濡れた告白は胸に迫る。様式を超えたシゲティの藝術が極まつた名演である。


モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調K.378、同ト長調K.379、同変ホ長調K.380
ミエチスラフ・ホルショフスキ(p)
[VANGUARD CLASSICS 08 8039 74]

 2枚目。一般的ではないが、味はひの深い名演が揃つてゐるので看過出来ない。特にK.379は当撰集随一の出来と云へる名演だ。冒頭の序奏から悲劇的な予感を漂はせる音楽が流れてをり、主部の劇的な闘争に至るとシゲティの真骨頂で、手に汗握る焦燥感は流石だ。第2楽章の変奏曲でも短調に転じた時の翳りが尋常ではなく、胸に惻々と迫る様にシゲティの偉大な藝術を思ひ知る。名曲K.378では落ち着いたテンポと深く重厚なボウイングで一種特別なモーツァルト像を打ち立ててゐるが、心地良いだけの空虚な演奏とは一線を画す最左翼の演奏だ。K.380は快活な雰囲気を威勢の良いアーティキュレーションと鋭い音色で表現した異色の演奏だ。情感豊かな緩徐楽章が奥深い。


モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタト長調K.301、同ハ長調K.303、同イ長調K.305、同変ホ長調K.302、同ハ長調K.296
ミエチスラフ・ホルショフスキ(p)
[VANGUARD CLASSICS 08 8039 74]

 3枚目。溌剌とした明るいモーツァルトを期待してはならない。音色自体が侘びて暗く、情念が忍び寄るやうなヴィブラートが特異だ。跳ねるやうな軽快さを求めてはならない。弓をぶつけたやうな金属的な発音で通念を打ち破る。しかし、モーツァルトらしくないと片付けるのは早計だ。常套的なモーツァルト演奏は掃いて捨てるほどあるが、普段は気付かないこれらの作品の美しさをシゲティは教へてくれる。全て長調の作品だが、短調に転じた時の深みは衝撃的だ。演奏における精神性とは何かをシゲティは語りかける。


モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調K.454、同変ホ長調K.481、同イ長調K.526
ジョージ・セル(p)/ミエチスラフ・ホルショフスキ(p)
[VANGUARD CLASSICS 08 8039 74]

 4枚目。K.454とK.481が名指揮者セルのピアノ伴奏で、一連の録音における白眉と云へる。セルのピアノは曖昧さを排除した透明感のあるタッチと粒立ちの揃つた硬質のリズムが特徴で、隙がなく禁欲的で輪を掛けた廉直な音楽はその指揮振りと寸分違はない。セルはモーツァルトのピアニズムを理想的に具現出来たひとりとして記憶に留めてをきたい―他にもブダペストSQとの録音を筆頭に数多くの名演がある。K.481はシュナーベルとの霊感に導かれた名演があるので甲乙付け難いが、K.454は合奏の見事さも相まり特上の名演である。


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ロンドン交響楽団/アンタル・ドラティ(cond.)
[PHILIPS 32CD-3039]

 最晩年にシゲティがマーキュリー・レーベルに吹き込んだ渾身のベートーヴェン。何故かマーキュリーからのCD復刻が未だなく、本邦のフィリップスから発売された初期盤で聴く。1961年の録音で技巧は衰へ、弱々しく線も細い。音に終始ふらつきがあり、シゲティの偉大さを知らない聴き手には決して満足出来ない演奏だらう。正直最晩年には良くない録音が多いが、このベートーヴェンだけは別だ。過去の録音を凌ぐ最も深く素晴らしい演奏だと感じる。掠れ気味で色気の抜けた音色から全体が悲劇的な趣を帯びてくる。朗らかで雄大な曲であるのに、か弱く倒れさうになり乍ら克己心に貫かれたシゲティの演奏は、受難者の様相すら漂はせ、じわりと感動が襲ふ。誠心誠意演奏してゐるからだ。美しく艶やかに奏でられた楽天的な演奏にはない闘魂がある。この録音でシゲティは師ブゾーニによる途中で弦楽やティンパニが参入する大変珍しいカデンツァを用ゐてをり希少価値がある。同郷ハンガリー出身のドラティによる伴奏も壮大で申し分ない。



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