ブロニスラフ・フーベルマン ディスコグラフィー  / Bronislaw Huberman Discography


ディスコグラフィー | 寸評 | 推挙




 初めてブロニスラフ・フーベルマンを聴いた時の驚愕と興奮は今に忘れない。それはチャイコフスキーの協奏曲のライヴ録音であつたが、冒頭から自由奔放で妖艶な節回しに呪縛された。硬い粗暴な音を出し度肝を抜く一方、濃密な歌ひ口は妲己の如く私を虜にした。手に汗握つて音楽を聴いたのは、他にフルトヴェングラーの戦中ライヴくらゐである。それまでは正直申してチャイコフスキーの協奏曲には共感が持てなかつたのだが、この録音を聴くに及んで、我が不明を恥じた。
 次いでブラームスの協奏曲を聴いた。晦渋で深く理解出来なかつたこの曲を、最も敬愛するヴァイオリン曲にまで変へてくれたのは、フーベルマンの御蔭である。そして、この演奏の持つ強さ、深さ、美しさが、ブラームスとの分ち難い絆から由来することを間もなく知つた。神童時代にブラームスの面前で協奏曲を披露する機会を得たフーベルマンは、老作曲家を甚く感激させた。終演後ブラームスが楽屋を訪れると、フーベルマンはカデンツァの後に沸き起こつた無理解な拍手の為、動揺してしまひ、カンティレーナを上手く弾けなかつたことを悔やみ詫びたといふ。ブラームスは少年を抱きしめ、あんなに美しく弾くからゐけないのさと慰めたといふ。この時ブラームスはフーベルマンの為に「幻想曲」を作曲することを約束したが、作曲家の死によつて永遠に果たされることはなかつた。フーベルマンにとってブラームスは特別な存在であり続けた。

 その後、フーベルマンの全録音を聴いてきたが、これほど求心的で創意に充ちた器楽奏者に出会つたことはなかつた。しかし、我が強く、外連味過剰のフーベルマンの演奏が低俗と見なされてきたのは事実であり、私の周囲でも失笑を買ふことの方が多かつた。この見解の相違には、音楽の奥深さを実感させられる。




 フーベルマンの演奏は当時から毀誉褒貶をもつて迎へられた。最も激しく糾弾したのが堅物のカール・フレッシュ教授で、度し難い個人主義的奏法の頭領として退けた。その一方、魅了される者は後を断たなかつた。プロコフィエフの野性的な協奏曲はフーベルマンを想定して書かれたし、コルンゴルトの大河的な協奏曲も同様であつたが、フーベルマンは興味を示さなかつた。19世紀の音楽観を脱却出来なかつたことはフーベルマンの限界であつたと云へる。レパートリーは19世紀ロマン派が中核を占め、就中清教徒的な聴き手からは蔑視される超絶技巧の曲を好んで取り上げた。その一方でバッハ、ベートーヴェン、ブラームスの作品で一家を成した。評して「聖者とジプシーの二つの顔を持つ」とは慧眼と云ふ他ない。古典的な曲に臨む時は巧言令色少なく真摯そのもの、浪漫的な曲に対しては音符の望む侭大胆不敵で自由奔放。清濁併せ呑む巨匠であつた。

 フーベルマンの音は大方の予想を裏切り、小さかつたさうである。ライヴの協奏曲録音を聴く限り、小さい音ではないが、強大な音量で圧倒するものでもない。フーベルマンの音色は、スタッカートとレガートの対比をはつきりとるシゲティやブッシュと共通点がある。スタッカートでは早く硬いボウイングで、ヴィブラートは殆どかけない。一方レガートではじつくりとしたボウイングで、ヴィブラートは幅をゆつくり広くとつて練り込むやうにかける。
 フーベルマンの大変貴重なサイレントの映像記録がある。室内を歩き回りながら趣く侭自在に弾いてゐる感があり、奏法が型に嵌つてゐない点に着目したい。ボウイングの速度やヴィブラートの速度が変幻自在で、肘の高さも一様ではない。手首の柔らかさは特筆すべきで、運弓の返しが美しい。弓の持ち方も浮かせたり沈ませたりと常に変へてゐる。魔術的なフラウタンドの奥義が映像でも確認出来る。左手ピッツィカートの豪快さも見物だ。無音であるのが惜しまれる。

 フーベルマンの奏法も表現も19世紀的伝統に立脚してをり、時代遅れの旧派とされた。フーベルマンはプシホダやハイフェッツに比肩する技巧家として名を知られたが、基より今日的な意味での完璧な―云ふなれば誤摩化しをしない―演奏をしたわけではない。欠点を挙げれば、弓のアタックが強く音を潰すことがしばしばであつたし、弱音では撫でるやうなフラウタンドで弾くのでときに音が揺れ、何よりもスピッカート奏法で弓を飛ばし過ぎるので、楽器の鳴りが悪かつた。しかし、楽器のソノリティの為に表現を矯めたりしないところがフーベルマンの魅力なのである。
 それにしてもその表現は個性的過ぎる。例へば、西欧の音楽では御法度とされる音の後押し―ラロ「スペイン交響曲」第1楽章の第1主題が代表的な例―を臆面もなくやつてのける。下品だと云へばそれまでだが、一種特別な効果を挙げてゐる。意欲的なスピッカート奏法は最大の奥義で、弓の飛ぶこと激にして、クレッシェンドをかけるに至つては鬼神の仕業で肝を潰す―チャイコフスキーの協奏曲第1楽章提示部最後のトゥッティに入る直前で聴くことが出来る。また、ピアニッシモでは弓を浮かしたフラウタンド奏法による霞のやうな音色で聴衆に魔法をかけた。師匠と呼べる間柄はなく、高名な弟子にタシュナーがゐるが、フーベルマンの芸術は系譜から完全に孤立してをり、一世一代限りの覇王であつた。




Biography

 1882年12月19日、ポーランド南部チェストホワに生まれ、幼少より天賦の才をもつてきこえた。若き頃、各流派の秘技を併呑するべく、ヨアヒム、ヘールマン、マルシック、グレゴロヴィッチ、ミハイロヴィッチ、ロットーの道場の門を矢継ぎ早に叩くが、全て短期間で手前勝手に卒業した。1895年、歌の女王パッティに寵愛され、楽旅に伴ふ。1896年、ブラームスの協奏曲を作曲家臨席のもと演奏するが、神童などに無関心だつた老作曲家を忽ち虜にした。終演後ブラームスは、フーベルマンの為に「幻想曲」を作曲することを申し出たといふ。これはブラームスの死によつて実現されなかつたが、この御前演奏の成功で名声を確固たるものとした。1920年代にはベルリンを拠点として第一級の人気を誇るが、1933年のナチス政権成立に抗議してドイツを後にした。同時に迫害を受けたユダヤ人への助力を惜しまず、1936年には主唱発起して亡命ユダヤ人音楽家によるパレスティナ交響楽団(現イスラエル・フィル)を創設した。1937年、ジャワへの楽旅で航空機事故に遭ひ、再起不能と噂されたが、奇跡的に復帰を果たした。戦時中はアメリカで活躍し、聴衆から喝采を浴びた。1947年6月16日スイスのジュネーヴ近郊にて没。



Discography

Special Thank to Mr.Patrick Harris

1 1899/?/? Berliner Chopin Nocturne Es-dur,Op.9-2 (arr.Sarasate) 1 with piano accompaniment
2 1899/?/? Berliner Schubert Moment Musical f-moll,D780-3 (arr.Auer) 1 with piano accompaniment
3 1921/10/18 Brunswick Chopin Nocturne Es-dur,Op.9-2 (arr.Sarasate) 2 with Paul Frenkel (p)
4 1921/10/18 Brunswick Elgar La Capricieuse,Op.17 1 with Paul Frenkel (p)
5 1921/11/30 Brunswick J.S.Bach Air on the G-String (arr.Wilhelmj) 1 with Paul Frenkel (p)
6 1922/1/28 Brunswick Tchaikovsky Melodie Es-dur,Op.42-3 1 with Paul Frenkel (p)
7 1922/1/28 Brunswick Brahms Hungarian Dance No.1 g-moll 1 with Paul Frenkel (p)
8 1922/1/28 Brunswick Bazzini Dance of the Goblins,Op.25   with Paul Frenkel (p)
9 1922/1/31 Brunswick Wieniawski Mazurka D-dur,Op.19-2"Dudziarz"   with Paul Frenkel (p)
10 1922/11/10 Brunswick Vieuxtemps Ballade and Polonaise   with Paul Frenkel (p)
11 1922/11/23 Brunswick Bruch Kol Nidre,Op.47 1 with Paul Frenkel (p)
12 1922/11/23 Brunswick Zarzycki Mazurka G-dur 1 with Paul Frenkel (p)
13 1923/1/1 Brunswick Tchaikovsky Canzonetta from Concert for Violin D-dur,Op.35   with Paul Frenkel (p)
14 1923/1/11 Brunswick Wieniawski Capriccio Valse e-moll,Op.7   with Paul Frenkel (p)
15 1923/1/11 Brunswick Paganini La Campanella form Concert for Violin No.2 h-moll,Op.7   with Paul Frenkel (p)
16 1923/2/21 Brunswick Wieniawski Romance from Concert for Violin d-moll,Op.22   with Paul Frenkel (p)
17 1923/2/26 Brunswick Lalo Andante and Ronde from Symphonie Espagnole D-dur,Op.21   with Paul Frenkel (p)
18 1923/3/5 Brunswick Brahms Hungarian Dance No.7 A-dur   with Paul Frenkel (p)
19 1923/3/5 Brunswick Gluck Mélodie from"ORFEO ED EURIDICE" (arr.Wilhelmj)   with Paul Frenkel (p)
20 1924/?/? Brunswick Mendelssohn Andante and Allegro molto vivace from Concert for Violin e-moll,Op.64   with Paul Frenkel (p)
21 1924/?/? Brunswick Sarasate Romanza Andaluza,Op.22-1 1 with Siegfried Schulze (p)
22 1924/?/? Brunswick Sarasate Jota Navarra   with Siegfried Schulze (p)
23 1925/?/? Brunswick Sarasate "CARMEN"Fantasy,Op.25   with Siegfried Schulze (p)
24 1925/?/? Brunswick Beethoven Sonata for Violon and Piano No.9 A-dur,0p.47"Kreutzer" 1 with Siegfried Schulze (p)
25 1928/12/28-30 Columbia Tchaikovsky Concert for Violin D-dur,Op.35 1 with Staatskapelle Berlin / Hans Wilhelm Steinberg (cond.)
26 1929/?/? Columbia Tchaikovsky Melodie Es-dur,Op.42-3 2 with Siegfried Schulze (p)
27 1929/?/? Columbia Chopin Waltz cis-moll,Op.64-2 (arr.Huberman) 1 with Siegfried Schulze (p)
28 1929/?/? Columbia Sarasate Romanza Andaluza,Op.22-1 2 with Siegfried Schulze (p)
29 1929/?/? Columbia J.S.Bach Air on the G-String (arr.Wilhelmj) 2 with Siegfried Schulze (p)
30 1929/?/? Columbia Zarzycki Mazurka G-dur 2 with Siegfried Schulze (p)
31 1929/?/? Columbia Brahms Waltz As-dur,Op.39-15 (arr.Hochstein)   with Siegfried Schulze (p)
32 1930/9/11-12 Columbia Beethoven Sonata for Violon and Piano No.9 A-dur,0p.47"Kreutzer"
(2TAKE:1move)
2 with Ignaz Friedman (p)
33 1930/?/? Columbia Bruch Kol Nidre,Op.47 2 with Siegfried Schulze (p)
34 1930/?/? Columbia Schubert Ave Maria,D.839(arr.Wilhelmj)   with Siegfried Schulze (p)
35 1930/?/? Columbia Elgar La Capricieuse,Op.17 2 with Siegfried Schulze (p)
36 1932/?/? Columbia Brahms Hungarian Dance No.1 g-moll 2 with Siegfried Schulze (p)
37 1933/?/? Columbia Chopin Waltz cis-moll,Op.64-2 (arr.Huberman) 2 with Siegfried Schulze (p)
38 1934/6/13 Columbia J.S.Bach Concert for Violin No.1 a-moll,BWV.1041   with Wiener Philharmoniker / Issay Dobrowen (cond.)
39 1934/6/13 Columbia J.S.Bach Concert for Violin No.2 E-dur,BWV.1042   with Wiener Philharmoniker / Issay Dobrowen (cond.)
40 1934/6/14 Columbia Mozart Concert for Violin No.3 G-dur,K.216   with Wiener Philharmoniker / Issay Dobrowen (cond.)
41 1934/6/16-17 Columbia Lalo Symphonie Espagnole D-dur,Op.21   with Wiener Philharmoniker / George Szell (cond.)
42 1934/6/18-20 Columbia Beethoven Concert for Violin D-dur,Op.61 1 with Wiener Philharmoniker / George Szell (cond.)
43 1934/6/26 Columbia J.S.Bach Sarabande form Partita for Solo Violin No.1 h-moll,BWV.1002    
44 1934/6/26 Columbia J.S.Bach Andante from Sonata for Solo Violin No.2 a-moll,BWV.1003    
45 1935/5/2 Columbia Chopin Nocturne Es-dur,Op.9-2 (arr.Sarasate) 3 with Siegfried Schulze (p)
46 1935/5/2 Columbia Chopin Waltz Ges-dur,Op.70-1 (arr.Huberman)   with Siegfried Schulze (p)
47 1935/5/2 Columbia Schubert Moment Musical f-moll,D.780-3 (arr.Auer) 2 with Siegfried Schulze (p)
48 1935/5/14 Columbia J.S.Bach Chorale Prelude"Nun komm,Der heiden heiland"BWV.659 (arr.Huberman) 1 with Siegfried Schulze (p)
49 1936/4/19   Sarasate Romanza Andaluza,Op.22-1 3

with Siegfried Schulze [possibly](p)

50 1942/10/18 Live in New York Smetana From my Homeland   with Boris Roubakine (p)
51 1942/10/18 J.S.Bach Chorale Prelude"Nun komm,Der heiden heiland"BWV.659 (arr.Huberman) 2 with Boris Roubakine (p)[final bars missing]
52 1942/12/6 Live in New York J.S.Bach Partita for Solo Violin No.2 d-moll,BWV.1004    
53 1943/4/25 Live in New York Brahms Sonata for Violin and Piano No.1 G-dur,Op.78   with Boris Roubakine (p)
54 1943/7?/? Live in New York Beethoven Adagio from Sonata for Violin and Piano No.6 A-dur,Op.30-1   with Boris Roubakine (p)
55 1944/1/16 Live in New York Schubert Phantasia C-dur,D.934   with Boris Roubakine (p)
56 1944/1/23 Live in New York Brahms Concert for Violin D-dur,Op.77  

with the Philharmonic-Symphony Orchestra / Artur Rodzinski (cond.)

57 1944/12/17 Live in New York Beethoven Concert for Violin D-dur,Op.61 2 with The National Orchestral Association / Leon Barzin (cond.)
58 1945/12/16?
Live in New York Mozart Concert for Violin No.4 D-dur,K.218  

with the Philharmonic-Symphony Orchestra / Bruno Walter (cond.)

59 1946/3/? Live in Philadelphia Tchaikovsky Concert for Violin D-dur,Op.35 2 with Philadelphia Orchestra / Eugene Ormandy (cond.)

※54 ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第6番よりアダージョに関する詳細はPatrick Harris氏のサイト、Huberman.infoをご覧頂きたい。Downloadすることで実際に演奏を聴くことが出来る。紛ふことなきフーベルマンの音である。この録音は2006年春にOPUS蔵よりCD化された。
※LPにはバルビローリ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの伴奏によるブラームスの協奏曲があるらしいが、未CD化で未聴である。しかし、これは誤記で、ロジンスキー指揮の録音と同一であるといふ疑惑があるやうだ。
※32 「クロイツェル・ソナタ」には第1楽章と第3楽章の別テイクが残されてをり、米ArbiterがCD化してゐる。
※58 モーツァルトの協奏曲は、日キング盤及び米Music&Arts盤では1945年12月の演奏とあり、米Arbiter盤では1946年3月26日のフーベルマン最後の公開演奏とされてゐるが、同一の演奏である。米Arbiter盤の日付は放送日といふのが真相のやうである。しかも、第1楽章のカデンツァ部分に欠落があり音の状態も優れない。

 フーベルマンのディスコグラフィーは5つに分類が出来る。第一が1899年のベルリナー録音、第二が旧吹込みになるブランズヴィッグ録音、第三が電気吹込みになるコロムビア録音よりピアノ伴奏のもの、第四が同じくコロムビアへの協奏曲録音、第五が渡米後のライヴ録音となる。

 まず、最初のベルリナー録音の2曲は盛大な針音を覚悟しなくてはならぬ。尤も19世紀の録音ともなれば蒐集家以外には用のないものだらう。シューベルトは後年の録音に引けを取らない暴れ回つた異端児の怪演。

 最初の録音から次のブランズヴィッグへの録音まで20年もの隔たりがあるが、第一次大戦の混乱故、ユダヤ系ポーランド人への冷遇故だらうか、解せない謎である。この時代の録音の特徴は、卓越した技術が前面に出され、表現は生硬で単調さを感じ、19世紀的後期ロマン主義の典型的な音楽観である人工的な官能美が強い。特に印象的な録音についてのみふれよう。ショパンのノクターンは不健康で妖しき美に彩られてをり、新録とは別の魅力がある。チャイコフスキーのメロディーはラプソディックな歌ひ回しとクライマックスの築き上げが見事な所が天下一だ。バッツィーニは表題さながら悪鬼の仕業であり、サルタンドや左手ピッツィカートなどを疾風の如く繰り出し、息つく間もなく暗い焦燥感をぶつけてゐる。ヴュータンは曲との相性が抜群で、腰の強いリズムで圧倒するポロネーズでは音色が千変万化する。ヴェニャフスキの3作品は祖国を同じくするだけに思ひ入れも格別だ。白眉は協奏曲のロマンスで、管弦楽伴奏による全曲録音を果たさなかつたことが悔やまれる。パガニーニは妖気漂ひ奇術的で暗いが、唯一の記録として価値は高い。ブラームスのハンガリー舞曲第7番は小節を跨ぐ時の後押し奏法が醍醐味の佳演。グルッグは浪漫的に傾斜し過ぎ妖艶極まりないが、悲劇性を巧みに漂はせてをり高次元の演奏となつてゐる。メンデルスゾーンは唯一の録音となるので大変重要。第2楽章は露骨なポルタメントが気になる向きもあると思ふが、決して下品にはなつてゐない。それどころか、骨太な情感があり、甘い感傷とは無縁のアルカイックな演奏だ。終楽章は水際立つた技が仇となつたのか、曲想が求める軽やかな飛翔に欠け、暗く重い。サラサーテの3曲は天下無双の名演。スピッカート奏法の妙技が冴えるホタ・ナヴァラと、崩しに崩したカルメン幻想曲、両曲ともコーダの煽りに上気せぬ者がゐるだらうか。クロイツェル・ソナタはフリードマンとの入れ直しがある為、価値を低く見られ勝ちだが、大変な集中力ももつて弾かれてをり自ずと興奮させられる。和音を後押しして止め、休符に異常な緊迫感を生む手法はここでも絶大な効果を上げてゐる。第1楽章は獅子奮迅の勢ひがあり見事。

 フーベルマンは1920年代後半に至つて表現主義的手法を我がものとし、弓のぶれや掠れなどには頓着せず、意とするところを表現するやうになつた。強音はより粗暴に、弱音はより繊細になり、大胆な休止や暴走で度肝を抜くやうになつた。移籍したコロムビアへの電気初録音の錦を飾つたのが、当時から決定的な演奏と絶賛されたチャイコフスキーの協奏曲である。暗い情熱が滾り、熱に浮かされたやうなフレージング、鋭い名刀の一振りは乾坤一擲。晩年のライヴのやうな自在さはないが、弓の乱れがなく完璧である。第1楽章コーダの煽りは壮絶。続く目玉はフリードマンとのクロイツェル・ソナタだ。尋常ならざる名演であり、特に第1楽章は全ての演奏に冠絶する。緊張感が犇めき出し、闘争心を剥き出しにして音楽が沸騰する。両者のアンサンブルは意を合はせることに粉骨し、軋みをものともしない。それはまるで天神と雷神の図のやうだ。第3楽章も両者の独創的な霊感が火花を散らしてをり、特に中間で見せるHigh sul-Gのアタックは悪魔的な凄みがある。

 コロムビアへの小品で特に優れた録音について列挙しよう。サラサーテは最高傑作と呼ぶに相応しく、冒頭のエキゾチックな歌ひ回しから誘惑され、中間部の強大なダブル・ストップに至つては魂を抜かれるやうだ。妖艶にして哀愁極まりない不世出の名演。バッハのエアでは濃厚なポルタメントに辟易する向きもあらうが、真摯に音楽と対峙してをり胸に迫る。クレッシェンドには情念があり、突如として声を潜めたピアニッシモからは表現主義の手法を如実に聴くことが出来る。シューベルトのアヴェ・マリアは心打ち震へるヴィブラートと玄妙なピアニッシモが美しく肝を冷やす。甘美とは一線を画す、死の匂ひまで感じさせる倒錯的名演。ブラームスのハンガリー舞曲は冒頭から酒の臭ひが漂ひ、一カ所たりともテンポが定まることがない。中間部は破れかぶれ、コーダの激情は異常である。ザジツキはリズムが躍動し生命力の塊である。ブルッフは細部まで強靭な意志が貫通してをり、悲劇と浪漫が昇華され英雄的な音楽になつてゐる。バッハの無伴奏はシゲティやブッシュと並ぶ気丈で厳格な解釈による名演である。バッハのコラールは訥々としたボウイングが真摯この上ない。ショパンの諸作品へは思ひ入れを感じるが、手練手管が過ぎるきらひがある。

 バッハの協奏曲は大言壮語を排した極めて端正で格調高い演奏となつてをり、フーベルマンが唯の古臭ひ恣意的な奏者でないことを証明する。モーツァルトは快速テンポで片付けてをり優美とは無縁。カデンツァなど新奇な面白さはあるが、異端の演奏だ。ラロは代表的な名演として逸することが出来ない。第1楽章の潔さは今もつて最高である。アクの強い後押しで跳ね、まるでスリップしてゐるやうな主題の弾き方には開いた口が塞がらない。次いで第3楽章が絶品。スペイン情緒とは程遠いのだが妙にしつくりくる。ベートーヴェンは辛口のモノクロームな音、引き締まったテンポによる硬派の演奏で、面目躍如と云ひたいところだが、詩情が乏しいことで成功には至つてゐない。

 これ以後は全てライヴ録音となる。バッハのパルティータは求心的な演奏である。シャコンヌの難所ではサルタンド奏法が炸裂するなど斬新な表現が散見されるが、決して邪ではない。フーベルマンがバッハ演奏の大家であつたことを示す偉大な解釈。ブラームスのソナタは最近発掘された音源なので認知度は低いが、録音史を覆す弩級の演奏なのだ。激情、寂寥感、諦観などが溢れて止まず、作曲家の懐に迄入り込んでゐる。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第6番の第2楽章からは、晩年のフーベルマンのみが到達し得た玄妙なる世界が聴こえてくる。この曲から深遠な表現を引き出したのはフーベルマン唯ひとりである。シューベルトの幻想曲は表現主義的な手法で危ふい感情を表出してをり、死を間近に控へた作曲家の深層心理を抉つた演奏と云つても過言ではないだらう。ブラームスの協奏曲はジンバリスト、クライスラーの名演を抑へて第一に推す。作品に対峙する姿勢は真摯そのもので、他の作曲家の作品と異なること明白である。過ぎし日の伝説が蘇る作曲家へのオマージュ。この演奏には全楽章に対して盛大な拍手が送られてゐるが、故なきことではない。ベートーヴェンの協奏曲は自然な運びで、窮屈なセッション録音よりも格段に良い。一聴を薦める。モーツァルトのニ長調協奏曲は愛好家以外には薦められない。チャイコフスキーの協奏曲は旧録よりも感情の振幅が大きく、闊達で自在である。何よりもオーマンディの伴奏が巧い。第3楽章の第2主題では驚くことにホルンがフーベルマンの後押しを真似てゐる。その他にも丁々発止の応酬がある。協奏曲の醍醐味此処に極まれり。ハイフェッツやオイストラフが如何に巧くてもフーベルマンには及ばない。第2楽章の寂寥感を聴き比べれば自ずと明らかにならう。



 フーベルマンの残した録音は全て強烈な個性が脈打ち、ひとつとして詰まらぬものはない。特級品は何と云つてもライヴで残されたチャイコフスキーとブラームスの協奏曲だ。小品ではアンダルシアのロマンス。この3点で感応するところなきはフーベルマン芸術とは無縁と諦めて他を当たるがよい。次いで、フリードマンとのクロイツェル・ソナタ、スペイン交響曲、バッハのパルティータ、ブラームスのソナタ、シューベルトのファンタジーが薦められる。小品ならサラサーテのカルメン・ファンタジーとホタ・ナヴァラ、ブラームスのハンガリー舞曲、バッハのエア、シューベルトのアヴェ・マリアなどが面白からう。しかし、繰り返して云ふが、好まざる者にとつては楽譜を曲解した我流の演奏で、鼻持ちならないものに違ひない。




 フーベルマンのコロムビアへの協奏曲録音およびクロイツェル・ソナタは本家EMIの他、Pearl、Preiser、APR、Naxos Historical、OPUS蔵などから繰り返し発売されてゐるので、入手も容易である。コロムビアへの小品録音、最初期のベルリナーやブランズヴィッグへの全録音は愛好家なら逸することの出来ないものだが、Biddulph盤でしか聴くことが出来ない上、現在では入手困難である。渡米後に残された晩年のライヴ録音はMusic&ArtsArbiterから発売されてをり、特に後者には新発見音源を含む重要なものがあり、演奏内容も充実してゐる。但し、これも入手困難になりつつある。



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