楽興撰録

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ライオネル・ターティス


ヴォカリオン録音全集
モーツァルト:ピアノ三重奏曲ホ長調K.542、同ト長調K.564、クラリネット三重奏曲/シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番/ドヴォジャーク:バガテル、他
アルバート・サモンズ(vn)、他
[Biddulph 80219-2]

 英Biddulphがターティスのコロムビア録音を集成した時はその快挙に喝采したが、まさかヴォカリオン録音の全集が用意されてゐるとは思ひもよらなかつた。初めて全貌が明らかになつた1919年から1924年に亘るアコースティック録音の徹底した音源蒐集に感服する。これは英Biddulphの最良の仕事である。愛好家は絶対に所持してをきたい。4枚組の1枚目。ピアノとヴァイオリンとの三重奏の録音集だ。ヴァイオリンは全て盟友サモンズが、ピアノはホブディとセント=レジェが担当してゐる。モーツァルトの2曲とシューベルトのピアノ三重奏の原曲はチェロであり、ターティスがヴィオラで代役をしてゐる。面白くはあるし、室内楽に対するターティスの愛情が伝はつてくるが、録音の古さや再生時間の都合で大幅なカットがあり、正直申して価値は低い。クラリネット三重奏ではクラリネット・パートをサモンズがヴァイオリンで弾いてゐる。元来ヴィオラの活躍する曲なので楽しめる。2つのヴィオラとチェロとピアノといふ編成が原曲である珍しいドヴォジャークのバカテルからの4曲は演奏が素晴らしく、競合盤が少ないので重要だ。ダンヒルの幻想三重奏曲も音源として貴重だが、曲は大したことなく面白みはない。


ヴォカリオン録音全集
ヘンデル:パッサカリア/グリーグ:ソナタ第3番/ブラームス:ヴィオラ・ソナタ第1番、他
アルバート・サモンズ(vn)/ゾイア・ロゾフスキー(S)、他
[Biddulph 80219-2]

 4枚組の2枚目。収録曲は盟友サモンズとのヘンデル/ハルヴォルセン編曲のパッサカリア、フックスの二重奏曲、ゴダールの小二重奏曲、ヘンデルのソナタ第8番、ホブディのピアノ伴奏によるグリーグのヴァイオリン・ソナタ第3番をヴィオラで弾いたもの、ブラームスのヴィオラ・ソナタ第1番、ロゾフスキーの歌に助奏を付けたチャイコフスキー、デュパルク、ルルーの歌曲だ。この中で最も充実した名演はグリーグである。所詮楽器が異なる珍演と侮るなかれ、激しい情熱が沸騰する恐るべき名演なのだ。ヴィオラであるといふ制約も一切感じさせず、野太い音でターティスの真価を味合はせて呉れる極上の名演だ。ブラームスのソナタも素晴らしいが、再録音があるので価値が減じる。ヘンデルのパッサカリアにも同じことが云へる。サモンズとの二重奏は全て傑作だ。丁々発止が聴かれるフックス、情感豊かなゴダール、格調高いヘンデル、何れも素晴らしい。歌曲にオブリガードを付けた3曲は大変貴重だ。


ヴォカリオン録音全集
クライスラー/メンデルスゾーン/シューマン/チャイコフスキー、他
エセル・ホブディ(p)、他
[Biddulph 80219-2]

 4枚組の3枚目。アコースティック録音期は当然小品の録音が主となる。往年の名手らは小品で鎬を削つた。ヴィオラでターティスの語り口に敵ふ奏者はゐない。野太い音はヴィオラの魅力を存分に伝へる。1919年から1922年の録音で、21曲もの小品が楽しめるが、全て編曲作品なのは致し方ない。それに電気録音期に再録音してゐる曲も多く、幾分価値が劣るのも止むを得まい。最も多いのはクライスラーの作品で6曲を占め、次いでメンデルスゾーンの4曲、チャイコフスキーの3曲と続く。唯一の音源で印象深いのは、マレ「バスク」、シューベルト「アヴェ・マリア」、シューマン「子守歌」、チャコフスキー「舟歌」、グリーグ「君を愛す」だ。


ヴォカリオン録音全集
フォレ/ダムブロジオ/ウォルステンホルム/ターティス、他
エセル・ホブディ(p)、他
[Biddulph 80219-2]

 4枚組の4枚目。正確な把握が困難な小品でもデータを完備した英Biddulphの徹底した良質の仕事に感謝したい。ターティスは近代ヴィオラの父と呼ばれた大御所であるが、その魅力は現在でも全く減じてゐない。野太い豊かな音色こそがターティスのヴィオラの魅力なのだが、その理由は楽器そのものにもあつた。ターティスは特大級のヴィオラを構へた。その為、一時腕を故障したほどだ。その後も改良を重ね、ターティス特有の重厚なC線の響きを獲得したのだ。小品の深い歌における良さはターティスからしか味はへまい。サン=サーンス「子守歌」、フォレ「悲歌」、ウォルステンホルム「問ひ」「答へ」「アレグレット」、トッド=ボイド「サモアの子守歌」、グレインジャー「浜辺のモリー」、ロンドンデリーの歌が特級品だ。


コロムビア録音全集
バッハ:シャコンヌ/ドホナーニ:ソナタ嬰ハ短調、他
ウィリアム・マードック(p)、他
[Biddulph 80216-2]

 英國のヴィオラ奏者ターティスのコロムビア録音全集は、全世界の蒐集家から音源を取り寄せて制作された初の完璧な全集であり、Biddulph最良の仕事と云へる。ターティスはヴィオラにおけるカサルスの役目を果たした人物である。4枚組の1枚目。1924年の録音から始まり小品が多い。大曲ではバッハのシャコンヌがあり、ヴァイオリンであつても難曲なのに実に闊達な名演である。ドホナーニのヴァイオリン・ソナタの編曲版は意欲作で、ブラームスのソナタを想起させる晦渋な楽想を豊かな歌で聴かせる名演である。シューベルトのソナティネ第3番からの2曲も温かい情緒に充ちた奥行が深い名演だ。その他、小品ではシューベルト「夜と夢」、ズルツァー「サラバンド」、アレンスキー「子守歌」、ギロー「メロドラム」、民謡の「古いアイルランドの歌」が感銘深い。


コロムビア録音全集
バックス:ヴィオラ・ソナタ/ターティス:3つのスケッチ、他
サー・アーノルド・バックス(p)、他
[Biddulph 80216-2]

 4枚組の2枚目。白眉はバックスのソナタで伴奏が作曲者自身である。この曲の録音には快刀乱麻を断つが如くの技巧で聴かせるプリムローズの名演があるが、深い情感で楽器をぎしぎし唸らせるターティスの覇気に軍配を上げたい。次いで、ターティスの自作自演となる3つのスケッチが充実してをり、ヴィオラの魅力を堪能出来る。他の小品は既にヴァイオリンやチェロによる編曲があるものばかりだが、多くがターティス自身の編曲により新たな生命を授けられてゐる。特に、ベートーヴェン「魔笛変奏曲」、ルビンシテイン「ヘ調のメロディー」、チャイコフスキー「嘆願」「無言歌」、民謡の「ロンドンデリーの歌」が名演だ。ヘンデルやモーツァルトのソナタは残念ながら編曲の意義を感じない。


コロムビア録音全集
ブラームス:ヴィオラ・ソナタ第1番/ディーリアス:ソナタ第2番、他
ハリエット・コーエン(p)、他
[Biddulph 80216-2]

 4枚組の3枚目。最も重要な録音はブラームスのソナタ第1番だ。浪漫的な詠嘆がまろやかな音色で紡がれ、傑出した出来映えを聴かせる。この曲の屈指の名盤だ。ディーリアスのヴァイオリン・ソナタ第2番を編曲したものは価値はあるが、演奏自体は大したことはない。ターティスが編曲した4曲のメンデルスゾーンの無言歌―甘き思ひ出、浮雲、ゴンドラの歌、デュエット―は何れも絶品だ。ヴィオラといふ楽器の深みのある渋みが溢れ出てゐる。ロンドンデリーの歌を筆頭に3曲の民謡は郷愁豊かな名演である。その他、クライスラー「前奏曲とアレグロ」、リスト「愛の夢」、ドヴォジャーク「我が母の教へ給ひし歌」などが感銘深い。


コロムビア録音全集
メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第2番/モーツァルト:協奏交響曲、他
アルバート・サモンズ(vn)、他
[Biddulph 80216-2]

 4枚組の4枚目。サモンズとの共演で構成されたこの1枚だけは同じ内容でBiddulphからLAB-023の品番で出てゐたので、再発売といふことになる。マードックのピアノとサモンズのヴァイオリンにターティスのヴィオラを加へたメンデルスゾーンとピアノ三重奏曲第2番とモーツァルトのK.542は貴重な録音だが、所詮はチェロの代用で演奏された邪道な録音であり、然して感銘深い演奏でもない。聴き応へがあるのはヘンデルのパッサカリアとモーツァルトの協奏交響曲だ。ヘンデルはハイフェッツとプリムローズの豪奢な録音も素晴らしいが、滋味豊かな当盤の演奏の方に良さを感じる方は多いだらう。モーツァルトの協奏交響曲は随一の名演で、何よりも情動的なターティスの演奏が素晴らしく、カデンツァの圧倒的な表現は比類がない。ヴィオラの演奏でこれを超えるものはなからう。侘びたサモンズの音色も琴線に触れる。



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