楽興撰録

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レジナルド・ケル


ヴェーバー:コンチェルティーノ/ブラームス:クラリネット三重奏曲/ホルブルック:クラリネット五重奏曲
ワルター・ゲール(cond.)/ウィロウビィ弦楽四重奏団、他
[TESTAMENT SBT 1002]

 最初期の英TESTAMENTは名手ケルの復刻を集中的に行つてゐた。1939年から1941年にかけての戦前録音集だ。ブラームスは後に米デッカに再録音をしたが、ヴェーバーとホルブルックは唯一の記録で重要だ。ゲールの指揮によるヴェーバーでは闊達なケルの妙技を堪能出来る極上の名盤。入りの表情豊かなヴィブラートからして聴き手を独特な世界に引き摺り込む。技巧は天衣無縫の境地で、一種特別な浮遊感は絶品である。ルイス・ケントナーのピアノ、アンソニー・ピーニのチェロと組んだブラームスも素晴らしいが、米デッカへの新盤の方が全ての点で勝つてゐた。ホルブルックは20世紀中葉まで存命した作曲家だが、作風は極めて古風だ。3楽章から成る五重奏曲ト長調の第1楽章はシューベルトの弦楽四重奏曲第15番を想起させる仄暗い抒情を漂はせた名作だ。第2楽章以降はエルガーの影響が強く見られ、温厚な歌が充溢してゐる。ウィロウビィSQの演奏も雰囲気が良く、曲の面白みを引き出してゐる。


モーツァルト:クラリネット協奏曲、クラリネット五重奏曲、クラリネット三重奏曲
サー・マルコム・サージェント(cond.)/フィルハーモニア弦楽四重奏団、他
[TESTAMENT SBT 1007]

 英TESTAMENTは最初期にケルの復刻を熱心に行つた。戦前のモーツァルト録音集だ。協奏曲は1940年のHMV録音、サージェント指揮によるロンドン・フィルの伴奏。五重奏曲は1945年のコロムビア録音、フィルハーモニアSQとの共演。三重奏曲は1941年のコロムビア録音、ルイス・ケントナーのピアノ、フレデレック・リドルのヴィオラとの共演だ。何れもレッグの企画による録音である。後にケルは全て米デッカに再録音をしてをり、録音状態も演奏内容も当盤より優れてゐる。従つて当盤の価値は殆どなく、蒐集家の為の音源でしかないが、再録音はケルの個性が強く出てゐるので、嫌ふ人もゐるだらう。当盤は表情こそ大人しめだが、天衣無縫と形容したい技巧は旧録音でも天晴だ。


モーツァルト:クラリネット協奏曲、クラリネット五重奏曲、セレナード第12番
ジンブラー・シンフォニエッタ/ファイン・アーツ四重奏団/ケル・チェンバー・プレイヤーズ
[DG 477 5280]

 米デッカ録音全集6枚組。クラリネットの名手数多ありきとも、個性で一際抜きん出た奏者はケルである。ノン・ヴィブラートが主流のクラリネットといふ楽器において、ケルはヴィブラート・トーンを駆使し、起伏のあるエスプレッシーヴォを聴かせるヴィルティオーゾだ。手練手管を凝らしたフレージングは独特で、音の重心を聴かせる奏者は管楽器奏者では稀有である。1枚目。モーツァルトの作品では色気があり過ぎ、素朴な情感が欲しくなると云つたら贅沢な難癖であらう。モーツァルトの歌が華麗な技巧で浮き彫りにされてゐる。協奏曲は総勢17名の最小編成によるジンブラー・シンフォニエッタを吹き振りしての演奏で、不純物のない透徹した名演だ。五重奏曲では巧者が揃つたファイン・アーツ四重奏団も素晴らしく、看過出来ない名盤である。セレナードはケルが音頭をとつての演奏で、見事なアンサンブルを聴かせて呉れる。


モーツァルト:セレナード第11番、クラリネット三重奏曲「ケーゲルシュタット」
ベートーヴェン:クラリネット三重奏曲「街の歌」/シューマン:幻想小曲集
ミエチスラフ・ホルショフスキ(p)、他
[DG 477 5280]

 米デッカ録音全集6枚組。2枚目。クラリネット三重奏曲の2曲が白眉だ。特にホルショフスキのピアノ、リリアン・フックスのヴィオラによるモーツァルト「ケーゲルシュタット」トリオが陰影に富むこの曲屈指の名演なのだ。何よりも名手フックスの繊細な表情が極上で、絶対的な高みにある。第3楽章の短調の旋律が格調高く美しい。ケルも見事で、第3楽章冒頭で聴かせる豊かな広がりは流石だ。ホルショフスキのピアノとフランク・ミラーのチェロによるベートーヴェン「街の歌」トリオは、快活で清々しい名演だ。伸びやかな歌と心弾む爽快なリズムを聴かせるミラーが素晴らしい。弦楽器同様の表情豊かなフレーズを描くケルの妙技も見事だ。生命力に溢れた第3楽章は殊の外楽しい。ケルが指揮をしたモーツァルトのセレナードも見事な出来栄え。シューマンはケルの明るい音色の為か、高音では特に憂ひが足りないやうに聴こえる。


ヴェーバー:デュオ・コンチェルタンテ
ブラームス:クラリネット五重奏曲、クラリネット三重奏曲
ジョエル・ローゼン(p)/ファイン・アーツ四重奏団/フランク・ミラー(vc)、他
[DG 477 5280]

 米デッカ録音全集6枚組。3枚目。ヴェーバーが絶品で、圧倒的な表現力の前には他の奏者の録音が霞んで仕舞ふ。燦然たる技巧とフレーズの融通無碍な自在感には舌を巻く。管楽器奏者で音高、音量、音価の支配を乗り越えたアゴーギクを駆使出来るのはケルくらゐだらう。ブラームスでは三重奏曲が良い。情熱的なミラーのチェロが素晴らしく、ブラームスの懐に入り込んでゐる。ケルの音は明るく渋みには欠けるが、ジプシー調の歌ひ回しに味がある。ケルは五重奏曲の録音をブッシュSQとHMVへのセッションとアメリカでのライヴで2種類残してゐる―ライヴ盤の方が良い。ブッシュSQに比べてファイン・アーツSQの魅力が劣るのは止むを得ない。しかし、ブッシュSQ盤は活気が過ぎる嫌ひもあり、ケルが天衣無縫に歌ひ捲り音楽を牽引する当盤の方が音楽の運びが自然で、同様に評価したい。


ブラームス:クラリネット・ソナタ第1番、同第2番
サン=サーンス:クラリネット・ソナタ/テンプルトン:ポケットサイズ・ソナタ第1番/ザロロフスキ:ソナティネ
ジョエル・ローゼン(p)/ブルックス・スミス(p)
[DG 477 5280]

 米デッカ録音全集6枚組。4枚目。クラリネットのヴィルティオーゾであるケルは当初ヴァイオリン学習者であつた。その影響だらうか、表情的なヴィブラートを駆使したデュナーミクの幅の大きいフレーズが特徴である。フレーズの頂点をテヌートで引つ張り抑揚を重視するのは弦楽器奏者宛らで、安定したブレスを旨とする管楽器奏者では異色を放つ。ブラームスのソナタはウラッハらのソノーラスな演奏とは対照的で、ジプシー風のラプソディを聴かせる。ヴィオラで弾かれる演奏に近く、慧眼に充ちてゐる。クラリネットの美しさを存分に引き出した名曲サン=サーンスのソナタが秀逸だ。表情豊かなケルの演奏が流麗な旋律美の真価を伝へる。この曲の決定的名演である、余白には貴重な現代曲が2曲収録されてゐる。両者とも大変聴き易く、クラリネットの魅力を味はへる。ブルースの手法によるテンプルトンの作品が特に素晴らしい。グッドマンを教へたケルだけに何を吹かせても巧い。


ドビュッシー:第1狂詩曲/ヒンデミット:クラリネット・ソナタ/ストラヴィンスキー:3つの小品/バルトーク:コントラスト、他
ジョエル・ローゼン(p)、他
[DG 477 5280]

 米デッカ録音全集6枚組。5枚目。注目はバルトークのコントラストで、如何なる難所もけろりと吹き熟すケルのクラリネットは天晴痛快だ。しかし、ヴァイオリンのリッターの技量不足が目立ち台無しだ。この曲にはシゲティとバルトークによる伝説的な名演があり、クラリネットはグッドマンだつたが、一時期グッドマンの師であつたケルと組んでゐたら更に素晴らしかつたであらうと想像して仕舞ふ。ヒンデミットのソナタは重要な名盤で、楽曲も演奏も極上だ。無伴奏によるストラヴィンスキーの小品も技巧が冴えてゐる。ドビュッシーが全て素晴らしい。第1狂詩曲の夢見るやうなたゆたひは絶品だ。弦楽の伴奏で編曲した「レントより遅く」「亜麻色の髪の乙女」「夢」「小さな羊飼ひ」は雰囲気満点だ。ムード音楽のやうな趣に清教徒的な聴き手は辟易するかも知れぬが、これらが一番楽しめた。余白には古き良きアメリカの情緒を伝へるモーラントの3曲とブラウンの粋な作品を収録。


ミヨー:組曲/ヴォーン=ウィリアムズ:イギリス民謡による6つの練習曲/ヘンデル/クライスラー、他
[DG 477 5280]

 米デッカ録音全集6枚組。6枚目。大曲ならまだしも小品ともなると、この全集でしか聴けないから重要だ。クラリネットの為の曲であるミヨーとヴォーン=ウィリアムズが聴き応へがある。多彩な音色と表現は不世出の奏者の実力を如実に立証して呉れる。それ以上にケル自身による編曲の数々が奇蹟的な名演だ。ヘンデルのリコーダーやヴァイオリンやオーボエの為のソナタを何といふ歌心で吹くのだらう。クライスラーの名曲がヴァイオリンのやうな表現を獲得してゐる。管楽器奏者では異色と云へる弧を描くやうなフレージングは、ヴァイオリン学習者だつたケルだけの神業なのだ。取り分け、ゴダール「ジョスランの子守唄」における哀感漂ふ音色と歌ひ回しは最高だ。


モーラント/フォスター/クライスラー/ドビュッシー、他
[Clarinet Classics CC0049]

 愛好家必携。ポピュラー音楽奏者としてのケルを楽しめる1枚で、スウィング奏法も聴ける―ケルはベニー・グッドマンに個人レッスンを付けた人だ。収録曲は全24曲、どれも甘い雰囲気の管弦楽伴奏が付けられてゐる。このうち、レコード番号DL4077に収録されてゐたクライスラー5曲、DL7550に収録されてゐたドビュッシー4曲とモーラント2曲は米デッカ録音全集6枚組にも収められてゐた。貴重なのは1942年にBBCで放送されアセテート盤に記録された、レイボールド"The Wistful Shepherd"、クラッサム"Ma Curly Headed Babby"の2曲で、珍品だ。後者は何とオーボエのレオン・グーセンスとの共演である。また、ブランズヴィック録音2曲も貴重で、モーラント「エクスタシー」とポーター=ブラウン「3人のオールドミスの踊り」が収録されてゐる―後者の楽しさは格別。その他はデッカ録音で、歌付きのモーラント"Swing Low Sweet Clarinet"は古き良きアメリカの雰囲気を味はへる。「悲し過ぎし日も」やフォスター「優しかつたアニー」は楽器を忘れて楽しめる。ケルのやうに歌へた奏者はひとりもゐない。



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