楽興撰録

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ベニャミーノ・ジーリ


ヴィクター全録音第1集(1921〜25年)
[Romophone 82003-2]

 ジーリを好む。どうかすると一番好きなテノールかもしれない。甘い声が美酒のやうに心地いい。甘い声の歌手は数多ゐるが、大概は歌ひ過ぎてしまい食傷気味になる。ジーリにはそれがない。曲の全体が把握出来てをり、決め所を知つてゐる。ジーリは技巧家だ。癖のある「泣き」も決して嫌らしくない。表情は凝つてゐるくせに、凭れないと云ふ曲者である。ドリゴの"I MILLIONI D'ARLECCHINO"よりNotturno d'amoreなど聴いてゐて陶然となる。最初期の録音だからリリコの曲が巧い。RomophoneのCDは入手困難であるが、Naxos Historicalからも同じものが出てゐる。


ヴィクター全録音第1集(1921〜25年)
ルクレツィア・ボリ(S)
[Romophone 82003-2]

 再びジーリを聴く。2枚組の2枚目。カルーゾの亡霊に怯えることもなくなつた頃である1923年から25年にかけての録音で、横綱を取つたジーリの風格ある歌唱ばかりだ。ジーリの上り調子は続き、1920年代末から1930年代前半の黄金期を迎へることになる。Denza「フニクラ・フニクラ」の陽気さ、De Curtis「さらばマリィ」の哀愁と夢見るような美しさ。曲想の描き分けは勿論のこと、1音に至るまで表情の陰影が深い。美声、技巧、解釈の何れにおいても驚嘆すべき境地を示してゐる。取り分けファルセットの甘いソット・ヴォーチェは媚薬のやうに作用する。


HMV録音集(1936〜38年)
[Romophone 82020-2]

 大戦勃発前夜、ジーリがアメリカを離れ故国イタリアで君臨してゐた頃の録音で、最も脂が乗つて、だうかすると盛期を過ぎ始めた時期かも知れぬ。かつて、リリコの声質で手練手管を弄し、夢幻的なファルセットで聴くものを陶然とさせたジーリは、スピントからドラマティコまでをこなす重量感を備へて、行くところ可ならざる王者となつた。ここに収められた曲目には歌劇のアリアは僅かで、トスティなどのイタリア歌曲が多い。また、グノー「アヴェ・マリア」に聴かれるやうに大衆受けをする編曲を施したものが多く、余り感心出来ない。だが、うるさいことは云ふまい。何と抗し難い声の魅力だらう。


HMV録音集(1938〜40年)
[Romophone 82023-2]

 名復刻技師マーク・オバート=ソーンによる英Romophone社のジーリ復刻全集は経営不振の為、当盤迄で打ち切りになつて仕舞つた。有難いことにNaxos Historicalがこれ迄の復刻を出し直し継続し、間もなく完結が見えてゐる。これを期にNaxos Historicalで買ひ揃へようと思ふ。ジーリの絶好調は尚も続き、泣き節を伴ふ甘い美声に磨きがかかつてをり、夢幻的なファルセットには抗せない。シューベルト「セレナード」やブラームス「子守歌」を我流で仕上げるのは鼻持ちならないが、「ドン・ジョヴァンニ」をこれ程甘美に歌つた者はゐまい。イタリアの楽曲ならジーリを差し置いて語ることは不見識だ。「トロヴァトーレ」「マノン・レスコー」やBixioの歌曲の素晴らしさは多言を要しまい。「ラ・トラヴィアータ」も極上なのだが、ヴィオレッタ役のカニーリアが非道過ぎる。


HMV録音集(1938〜40年)
マリア・カリーニャ(S)、他
[Naxos Historical 8.110271]

 Naxos Historicalによるセッション録音の復刻第10巻。英Romophoneの復刻がここで途絶えて仕舞ひ、Naxos Historicalが継承し完結させた。ジーリの歌声は絶頂期にあるが、米ヴィクター時代に主要曲を吹き込んで仕舞つたからか、畑違ひのシューベルトやブラームスの歌曲を人気があるからといふ理由で吹き込んだのは感心しない。ナポリ民謡を陽気に、そして翳りをもつて歌ふのは勿論絶品で、安つぽい管弦楽伴奏も雰囲気満点だ。だが、矢張り歌劇のアリアやデュオにこそジーリを真価を聴くことが出来る。「トロヴァトーレ」は声質からも嵌まり役で全曲録音がないのが痛恨事だ。「フェドーラ」や「マノン・レスコー」の歌唱も絶品である。


HMV&Electrola録音集(1941〜43年)
リーナ・ジーリ(S)、他
[Naxos Historical 8.110272]

 Naxos Historicalによるセッション録音の復刻第11巻。戦中の困難な時期の録音集だ。ベルリンでのElectrola録音2曲を含む。この時期にも「アンドレア・シェニエ」の全曲録音も行つてゐる。収録曲は歌劇が12トラック分で、チレア「アルルの女」、プッチーニ「マノン・レスコー」、大変珍しいマスカーニ「ロンデッタ」「イザボー」、ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」、ヴェルディ「運命の力」、レオンカヴァッロ「道化師」、ミレッカー「従軍牧師」、ビゼー「カルメン」。ビゼーは娘リーナとの共演で、後の全曲録音の布石となる。その他は他の追随を許さないイタリア歌曲、ナポリ民謡が10曲聴ける。ジーリほど晩年まで衰へを感じさせなかつた歌手はをらず、プリモ・ウォーモの地位を堅守した。声質は次第に重くなつてきたが、スピントのレパートリーを拡大し、新しい魅力を聴かせる。泣き節に磨きがかかり、唯一無二の境地に達してゐる。


HMV録音集(1946〜47年)
[Naxos Historical 8.111101]

 Naxos Historicalによるセッション録音の復刻第12巻。ここから戦後録音で、ロンドンでのアビー・ロード・スタジオやキングズウェイ・ホールでの録音である。基本的には戦前に吹き込んだ曲の再録音ばかりである。歌劇の録音では「ユダヤの女」「イースの王様」「マノン」「ウェルテル」「カヴァレリア・ルスティカーナ」があり、どれも抗し難い魔力がある。特にマスネの2曲の柔和な表情は流石だ。他はトスティなどの絶対的なイタリア歌曲の名唱があり、ジーリの魅力が全開だ。シューベルト「アヴェ・マリア」やショパンの「別れの曲」を編曲したものも、ジーリ特有の節回しによつて一種特別な味はひを楽しめる。


HMV録音集(1947〜49年)
[Naxos Historical 8.111102]

 Naxos Historicalによるセッション録音の復刻第13巻。晩年の歌唱とは思へないほど生彩に溢れた歌唱ばかりだ。選曲が古いイタリアの楽曲を中心に行はれてゐることも理由だらう。モンテヴェルディ「アリアンア」、A・スカルラッティ「ポンペオ」「愛のまこと」、チェスティ「オロンテア」、ヘンデル「アタランタ」と柔和で典雅が歌唱が続く。sotto voceの魔法は究極だ。情感豊かで泣き節の効いたイタリア歌曲はどれも最高だ。当盤の白眉はマスカーニ「友人フリッツ」で実に決まつてゐる。得意としたジョルダーニの「カロ・ミオ・ベン」やゴダール「ジョスランの子守歌」でこれ以上を求めるのは難しい。モーツァルトの「菫」をイタリア語で歌つてゐるが、原曲の印象がわからなくなるほど突き抜けたジーリ節が聴ける。


HMV録音集(1949年&1951年)
RCAヴィクター録音(1951年)
リーナ・ジーリ(S)、他
[Naxos Historical 8.111103]

 Naxos Historicalによるセッション録音の復刻第14巻。1949年、ロンドンにおける録音9曲は全てイタリアのオペラや歌曲である。注目は「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」で、声質の違ひを超えて琴線に触れる歌唱を聴くことが出来る。晩年のジーリは何を歌つても巧い。ジョルダーノ「マルセラ」やドニゼッティ「愛の妙薬」に至つては十八番で間然する所がない。歌曲における最高傑作はデンツァ「フニクラ・フニクラ」で、陽気にくだけた歌ひ振りが天晴痛快。更にカルダーラ、マルチェロ、カリッシミ、バッサーニなど古いイタリアの作曲家の作品で聴かせるソット・ヴォーチェやファルセットの至藝に陶然となる。ジーリの泣き節は実に抗し難い。1951年、ミランにおける録音5曲は愛娘リーナとの二重唱である。「愛の妙薬」、マスカーニ「友人フリッツ」、ボーイト「メフィストーフェレ」、ビゼー「真珠採り」、全てジーリが切り札としてきた作品ばかりなので全てが絶品だが、目玉は何と云つても「オテロ」第1幕幕切れの愛の二重唱が歌はれてゐることだ。貴重な記録であり、感動的な歌唱に胸打たれる。リオ・ディ・ジャネイロでのRCAヴィクター録音4曲は全て歌曲で、甘く感傷的な歌には何れも惚れ惚れする。余白に「カヴァレリア・ルスティカーナ」幕切れの未発表テイクが収録されてゐる。


1955年カーネギー・ホール告別リサイタル
ディーノ・フェドリ(p)
[Naxos Historical 8.111104]

 Naxos Historicalによる復刻第15巻。最終巻となる15枚目はセッション録音ではなく、1955年4月に催されたカーネギー・ホールでの引退コンサート時の録音である。1日のリサイタルを丸ごと収録した記録ではなく、3日分の公演から22曲が適宜採用されて構成し直されてゐる。ジーリが亡くなる2年前の記録だ。全盛期の声ではない。ブレスも多く、高音は硬くなり、艶が失せてゐる。ベルベットのやうな温かく柔らかい声音は最早聴かれない。衰へは隠しやうもないが、表情豊かな歌唱、囁くやうなmezza-voceの妙味は健在だ。十八番プッチーニ「トスカ」の星は光りぬでは前奏が始まるや嵐のやうな拍手に迎へ入れられる。「オ・ソレ・ミオ」でも同様だ。生涯プリマ・ウォーモの地位に君臨し続けた男に対する敬意に満ち溢れた公演の記録で感慨深い。


1954年ベルリン・リサイタル
RIAS交響楽団/ゾルターン・フェケテ(cond.)/エンリーコ・シヴィエーリ(p)
[MYTO 00146]

 我が最愛のテノール、ジーリが引退直前に残したベルリンでのリサイタルの記録。聴き逃す訳にはゐかぬ。ジーリは1955年に引退した。その前年の歌唱だ。得意の曲だけでプログラムを組む。流石に全盛期と比べると柔らかさが落ちて自在さが影を潜めたが、全盛期が凄すぎたのだ。まだまだ歌へる。65歳頃の歌声とは思へない。そこらの歌手が足元にも及ばないほど上手い。プリマ・ウォーモの貫禄で、多少のお巫山戯もあり、聴衆も茶目つ気を喜んでゐる。盛大な拍手が続く。当然であらう。演目はアリアでは「アフリカーナ」「セルセ」「ドン・ジョヴァンニ」「カルメン」「アイーダ」「リゴレット」「マノン」「ボエーム」「トスカ」「道化師」、楽器編成の都合でピアノ伴奏での演奏もある。歌曲ではブラームス「子守歌」、ガスタルドン「禁じられた音楽」、メリヒャル「ヴェネツィアの月夜」、グノー「アヴェ・マリア」、チェッコーニ「わずかな言葉」、カルディッロ「つれない心」、レオンカヴァッロ「マッティナータ」、クレッセンツォ「悲しき五月」、カプア「マリア・マリ」。どれもこれも絶品だ。



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