ピュグマリオーンとオルペウス

第一章


 木村良一は都内の予備校に勤務し一般事務をしている。とはいえ今年四十歳で管理職にあり、事務というよりは総務に近かった。部下が持ち込んで来る案件への決定を下し、上司への報告をすることに明け暮れている。上からの覚えもめでたく、下からの信頼も厚い。仕事はそれなりに忙しいが要領がよいので大方こなしており、毎日が平穏無事に流れている。
 六年前に結婚をしたが子供はいない。大手事務機器メーカーの経理部で働く妻は三十四になり、そろそろ向き合ってもよい頃であったが、二人とも現状に満足しており目を背けていたことは述べておこう。子供が出来た時の生活の変化と捨てなくてはいけない多くのものにためらいがあるのだ。休日は一緒に買い物を楽しんだり、美術館を巡るのがお決まりで、年に一度は一週間かけて旅行にも行く。
 木村には十年来の趣味がある。油彩だ。小学生の時も図工が大好きだったし、中学高校でも好みは美術に偏っていた。巨匠を取り上げたテレビ番組ほど好きなものはなかったし、高校生の時分には美術館巡礼を始めていた。しかし、美術の授業で木村の制作物が特別注目を浴びることはなく、国語や歴史が得意だったから進学は文系で考えており、美大へ行くなんて考えたこともなかった。大学は地方だったので、美術館に行く機会が減ってしまったが、絵画への想いが薄くなった訳ではなかった。都内で就職を決めると再び美術館巡りを再開した。順調に仕事振りが認められ、役職に付いて軌道に乗り、少し生活に余裕ができた。美術館は行けるだけ行ったが、それだけでは満足できなくなった。絵画を眺めていても、構図が良いとか、配色が良いとかは言えるが、技法の素晴らしさについては解説の受け売りにならざるを得なかった。名画を悉く鑑賞し尽くしてしまうと、空論をかざすのが嫌になってきた。もっと絵画のことをわかりたいという思いが増し、とうとう絵画教室に通うことを決意した。実は学生時代に一度問い合わせをしたことがあったが、機が熟していなかったのか、その時はあっさりと断念した。時間は豊富にあったが、画材等の出費を考えると学生の手習いには向いていなかったことも一因だった。今なら経済的に問題はない。職場の近くで自分に合っているところを探した。第一条件としたのが遅くまで教室が開いていることだった。予備校は夜遅くまで営業しているのが普通で、退社時間が夜の十時や十一時になることはざらだ。ところが絵画教室は一般的に八時に終了、つまり六時には入室しないといけないところがほとんどだ。これでは有閑マダムを対象にした絵画教室と言わざるを得ない。バブル崩壊後の日本で六時から油絵を描いている会社員の姿を想像するのは難しいとはいえ、このような教室は選定から除外した。カルチャースクールは短期間で終了してしまう。継続して学びたい木村には物足りない。だが、便利なインターネット検索のおかげでそれほど迷うことなく決めることができた。
 そこは会社にも近く、何と夜十時まで通え、曜日も自由に選ぶことができ、価格も良心的な教室だった。もちろん比較の段階でマイナスとなる要素もあった。人物モデルのコースがないのと、これといったカリキュラムが明示されてなく、方針が見えてこないところだった。だが、木村の選定基準は無理なく通えることであったし、ホームページで先生の描いた作品も観ることができて、センスの良さを感じたので見学を申し込んだ。教室に足を踏み入れると油独特の匂いがした。生徒らがキャンバスにむかって熱心に筆を動かしている。先生が出迎えてくれ、パンフレットをもとに詳しく説明をしてくれた。そこで初めて理解したのが、明確に決まったコースはなく、各自の学びたいことを教えてくれるとのことだった。デッサンから時間をかけてしっかり学ぶこともできるし、いきなり油彩に挑戦しても構わなかった。先生が言うには絵画の好みは人それぞれ、一様な教え方では決して誰も満足させることができない。そして絵を描くときに一番重要なのは何をどう描きたいかで、主体性がなければ決して上達はしないと。木村はそりゃそうだろうと流して聞いていたが、やがて本当の意味を知ることになった。
 先生は人がよさそうだし、生徒らは集中して銘々の制作に没頭していた。自由な雰囲気は見学だけでも感じ取れた。直感的に自分に合っていると思い入会を決めた。翌週の同じ時間、水曜八時に予約を入れて教室を出た。初夏の頃だった。
 高校の美術の時間以来、絵を描いたことがなかったので、何冊かデッサンと油彩の入門書を買って読むことにした。いよいよ初レッスンの日となり、期待に胸を膨らませ教室に行った。他に二名の生徒が油彩に取り組んでいたが、その日は付きっきりで先生が指導してくれた。初回は通常デッサンをやりますがよろしいですか、と聞かれて当然異存はなかった。課題はテーブルの上に並んでいる白い立方体と円柱だった。想像していた通りのデッサンの指導が始まり、俄然やる気が出て来た。忠実に写し取ってやろうと意気込んだが、これが結構難しい。すると先生はデッサンの極意を教えてくれた。真っ白な物体を描いているが、画面全体が白いままでは絵で表現するということにはならない。黒と白だけで表現するのがデッサンだからして、一番明るい所のみが白で、それ以外は白よりも暗くしなくてはならない。光が当たっている一部のみを残して全てに鉛筆の黒を描き込み、濃淡を付けていくのだ。先生はもっと黒くするようにと指導する。目には真っ白に映る物体を黒く描くことに抵抗を感じつつ、なるほどこれが絵画というものかと新しい発見をすることができた。手は鉛筆の鉛で真っ黒になった。二時間かけて仕上がることができた。最初の一枚を丁寧に先生が包んでくれたので記念に持ち帰った。それから一週間は参考書を見ながら勉強をした。翌週の課題は完全な球体だった。白で残す箇所は一点のみでグラデーションの精妙さを求められた。美大生になったような気分で夢中で取り組んだ。次の週は色の付いた花瓶、次は果物、次は水の入ったコップなど約二ヶ月間はデッサンに明け暮れた。二ヶ月が経つと、先生は初めて選択肢を投げかけてきた。一通りデッサンの初歩はやってみたので、次は油絵に移ってもよいし、このままデッサンを深く追求してもよいが、どうするかと問われたので迷わず油絵を望んだ。本来の目的であったからだ。紙と鉛筆で家でもできるデッサンとは違い、油彩は画材を色々揃えなければならないし、道具の手ほどきが必要でひとりでは始められない。次回から遂に油絵を習うことが出来るのだ!
 教室で用意された基本画材を購入した。八本の絵筆、十二色の油絵具、パレット、ナイフなどが入った箱だ。小さなキャンバスが与えられ、目の前のりんごが課題とされた。最初は鉛筆で下書きをするように指導され、構図に注意するようにとだけ言われた。並べられた二つのりんごをざらついたキャンバスに写し取った。りんごの配置が効果的になるように余計なものを書き込まず、りんごが主役になるようにした。先生はそれを見て頷いてから、油絵の手ほどきを始めた。まず絵具は混ぜ易いように全色をパレットに出しておくように指示した。油壺に油を入れ、筆をとく。最初はイエローオーカーを使って下書きの線をなぞるように教えられた。ガイドとなる鉛筆の線が見えなくなってしまうと下書きの意味がなくなるからだそうだ。それが終ると自由に色を付けてよいと言われた。木村は印象派以降の画家よりも古いバロックやルネサンスの画家の方を好んでいた。だから本能的に絵具を塗るときは薄く伸ばしムラのないようにしたので、なかなか色が乗ってこなかった。しかし、慎重に浮かんでくるのを期待した。油絵具は上から塗り直しが可能だという特色は知っている。それでもやり直しが少なくなるように塗っては色を確かめ、着実に進めていった。筆を重ねる回数を多くしたことで奥行きと深みが自然と得られた。好きな絵画の趣向から誰からも教えられずに獲得したやり方だった。りんごを見つめて緑や茶色が感じられたら微かに使う。翌週乾いた後で再び赤や黄色で重ねて薄める。すると背後に緑や茶色が確かに存在するのだ。まだ油絵具に慣れていないこともあり、色がキャンバス上で不用意に混ざってしまい濁ってしまうことがある。その際は先生が教えてくれたようにすぐに布で拭き取ってしまえば痛手はほとんどなかった。少しずつ色を変化させながらりんごを画布上で再現しようとした。密かにこだわったのは食べたくなるように描くことだった。楽しくて夢中になった。また、背景となる壁を見たままの薄汚れた白ではなく効果的な褐色にすることにした。これには先生も賛同を示し、テーブルクロスの白との変化も出て良いと褒めた。技法は追い付かなかったが、油絵一枚目の作品が迫真の出来になったことに先生は筋がいいなと感じた。
 小さなキャンバスを二ヶ月かけて仕上げた。晩秋の頃である。すると先生がある提案を持ちかけてきた。教室では毎年秋に生徒の作品を展示する絵画展を開催しているのだが、りんごの絵を出品してみますかと言うのだ。木村は入会時の説明を記憶に留めておらず不意打ちを受けたが、多くの作品に混じって自分の作品が展示されるのは悪い気がしないし、折角描いたのだから額装して飾ってもらいたいと思った。二つ返事で承諾し、額装代を含めた出品費用を払った。その翌週から絵画展が教室近くのギャラリーを借り切って開かれた。会場に行って初めて気付いたことは、自分のように油彩を始めたばかりの人、それも最初の第一作目を出品している人間などおらず、三年目とか四年目にして初出品が普通だということがわかった。他の出品者の題材はそれぞれ個性があり絵画としての楽しみがあった。木村の作品は所詮りんごだ。まんまとはめられたと思った。技法に関しても細部の筆致の点で稚拙といわざるを得なかったが、木村の作品は予想外の注目を浴びた。出品者の誰もが最初の油彩をこのりんごから始めていたからで、懐かしさを込めて、またかつての失敗を思い出して話題の種を蒔くことになった。「そうそう、このりんごから始めたよね」「今描いたらどうなるかな」と絵の前で幾人もの人が話し込む姿があった。嬉しい言葉も漏れ聞こえてきた。「最初からこんな風には描けなかったなあ」「背景の色がいいね」といった賞讃は自尊心をくすぐった。会場を見回すと自分よりも経験があるはずなのに、絵具が濁っていたり、平板な色遣いの作品も多く見受けられた。「最初でここまで描ける人はなかなかいませんよ」と先生が言ってくれたのが一番嬉しかった。教室に通って本当に良かったと思った。そして毎年作品を出品して実力を問おうと決心した。
 早速次の作品に取りかかった。先生は透明な花瓶を指して、これはどうですかとすすめてきたので喜んで従った。りんごや布は絵筆で表現するのに向いていた。透明な瓶や水の表現はどうすればいいのか困惑した。花の茎の細さも厄介だった。花びらの影も複雑で途方に暮れることもしばしばだった。その都度先生は的確なアドヴァイスを与えてくれ、特に絵筆の毛を立てて繊細な線を生み出す技を伝授してくれた。最初は上手くできなかったが、次第に細かい線が描けるようになった。彩色は才能が備わっているのか欲しい色を作り出す能力に長けていた。色と色の調合の分量を間違えることはなかったし、キャンバス上で重ねていくとどんな発色をするのかを第一作目で既に理解していた。それは理論的というよりは直感的な色彩感であった。花は造花だったので枯れることはなく、ほぼ一年をかけて満足行くまで仕上げた。花の質感は香りを放つようだった。背景は黒にしてテーブルの白い布との対比を出した。二十七種の黒を使い分けたというフランス・ハルスを意識して幾つもの黒を作ったつもりだ。黒はムラが目立ち易いので慎重に筆致を残さないようにした。気品ある黒は一番自信があった。また、テーブルに微かに反射された花瓶の水の光は今回の見せ所だった。先生は木村のこだわりを喜ばしく思うとともに驚きを禁じ得なかった。古い絵画に精通していることにも一因があると考えたが、非常に筋がよいと改めて思った。秋になって絵画展の時期が再びやってきた。木村の作品は口々に絶讃された。
 次は何を描こうかと思案していた。静物画も好きだが、本音を言えば人物を描きたかった。そのことを先生に相談すると模写を勧められた。教室に通う生徒たちも模写に取り組んでいる者が多かった。しかし、木村は自由がない模写には余り興味を持てなかった。模写は本物を超えることは決してなく、また贋作で通用するほどの精度を出すことは自分には不可能だと考えていたからだ。だが、この教室にはモデルは来ない。人物を描くなら模写で学ぶほかなかった。最初に模写をする作品選びの条件として、人物がひとりであること、構図が単純で背景も複雑でないものを探すことにした。ルーベンスのように画面いっぱいに人物が折り重なりよじれて犇めき合っているのは論外だった。名画集をめくっていて然程迷うことなく木村の心は決まった。ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」だ。肌を描くのにこれほど勉強になる絵はない。うっとりするようなプロポーション、透き通るような白い肌、エロスを発散させつつも詩情をたたえたポーズと表情がいやらしくなく、穢れなき美を具現していた。ヴィーナスと連動するように描かれた背景はティツィアーノの筆と言われるが、人体の曲線を象徴的に広げており見事な全体を生み出している。上品なシーツの表現も今後手掛けるであろう衣装を描く際の入門に相応しかった。キャンバスは思い切って大きいものにした。構図を写し取るのも、一通り色を乗せるのにも相当時間がかかった。模写は終点が決まっているから妥協が許されない。お手本から離れるほど質が下がる。デフォルメや色彩を変更するという暴挙が許されない。模写の目的は巨匠の技法、手順を学ぶことだと考えていたが、実際に取り組んでみてそれ以上の発見をした。名画には名画の秘密がある。構図であったり配色であったり、絵として美しく見える工夫が隠されていた。これまで自分の目で感じたままを生々しく写し取ってきたつもりだったが、そっくりである以上に絵として美しいかどうかの視点と技があることに気付いた。肌はもちろん、空も雲も木々も草々にも美の黄金律を感じながら写した。そっくりに描けるとそれだけで美が保証された。先生に教えを乞うて、当時の技法に則って描こうとした。しかし、絵具は現在改良されて使い易くなっているのでこだわらないようにと指導された。技法で一番興味深かったのが、肌を最初はテールベルトを用いて緑の下地を作ることだった。静脈の色を深くに残し、少しずつ肌の白さを薄く重ねていく。光が当たっている部分は白を強めにして塗り、赤みのある部分はバーミリオンを僅かに増やして重ねて行く。真緑の物体に生命を与えていくような作業がこの上もなく楽しかった。最も苦労したのは勿論顔だった。特に目元口元は僅かな線の狂いで全体の印象をも変えてしまった。ジョルジョーネはヴェネツィア派の始祖とも位置付けられる画家だ。フィレンツェのボッティチェリとは異なり輪郭線がなく、色と色の境目もぼかしが効いている。木村はスフマートの技法を用いて肌の繊細な変化を表現することも試した。また、絵具を付けていない筆でぼかしをかけ、着実に偉大なジョルジョーネの原画に近付いていくことができた。上品に結ばれているようでもあり、微笑しているようでもある口元を再現できたときは感無量であった。完成が近付くと額も似合ったものでないといけないと考えるようになった。これまで額装は出品費内で先生に一任していたが、自分で探すべきだと考えた。偶然にも勤務先の近くに個人経営の額装屋があった。非常に親身になって初めての額選びを手伝ってくれた。作製途中の作品を持って行くと讃嘆の声をあげてくれた。美しく官能的な色合いの金の額を宛てた時、木村も店主も意見が一致した。量産品ではない額は出費を要したが迷わず購入を決め、作品の価値を格段に上げた。こうして一年をかけて模写が完成した。観覧者は残らず圧倒され、疑いなく第一等を与えていた。木村にとっては模写の重要性を認識したのが最大の収穫であった。これまでの作品に比べても今回の絵は完成度が違った。それは木村とジョルジョーネの視点の差であった。研鑽を積むべくしばらくは模写に明け暮れようと思った。
 それから七年間、愛好し尊敬する名画を模写し続けた。それも美しい女性像を中心に。ラファエロ、グイド・レーニ、ティツィアーノ、ゴヤ、アングル、カバネル、ヤン・ファン・エイク。木村の模写は常に賞讃の栄光に包まれた。一方で「オリジナルの作品は描かないのか」という質問を投げかけられることも増えてきたが、その都度、模写が上達の近道であることを説明してきた。教室内でも腕前は別格となった。プロの画家との決定的な違いは、木村はたっぷり時間をかけているので精巧に描けているが、短期間で描くとなるとこの質を獲得することができないということだけだった。

 

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