ヨセフ


 ヨセフは再び静かに言葉を継いだ。
「マリアは私に対してだけは本当に慎ましく、清らかであつた。私の愛をマリアは優しく受け入れてくれた。何故私にだけはかくも可憐であつたのか。それは私にもわからない。私の純粋な想ひをマリアが尊く思つてくれたのかも知れない。或いは私のやうな純朴な人間に対してはさう接するより他なかつたのかも知れない。もしかすると、君が云つたやうに、私は愚弄されてゐただけなのかも知れない。では、何故私と婚約したのかと不思議に思ふだらう。それは君がよく解釈してくれた。詰まり、私のやうな疑ひを知らぬ男で、禁欲にも堪へられる男ならば、目を盗んでどんな行なひでも出来ると考へたからなのだ。同じ家に住んでゐても、私はマリアの尊厳を侵すことなど出来ない筈だとね。いや、実にその通りなのだ。私はマリアと結婚してからも臥所を共にすることが出来ずにゐる。そればかりか大きいお腹を見られたくないと云ふので、マリアの姿を見ないで終はる日もあるくらゐだ。しかし、私はそれでも構はないのだ。マリアのお腹を見たら、私の苦しみは増すばかりだからね。私を意気地なしと思つて貰つて構はない。しかし、これは私に課せられた試練だと思つてゐる。私は二重の苦しみに堪へているのだ。マリアが不義密通を犯したのなら、私は世に云ふ寝取られ亭主、愚弄された亭主で、救ひやうのないお人好しと云ふことになる。もうすぐ赤子も誕生する。さうしたら、私以外の男の様相が次第に刻印されて育つ子供を愛する振りをしなくてはならない。私を騙し遂せたと思ひ込むマリアへの憎しみも消えることはないだらう。私の苦しみは私の詰まらない優しさに起因するのだ。だが、怒りに塗れた惨たらしい罰で人を苦しめてまで、自分が救はれようとは思はない。人の苦しむ姿や、赦しを請ふ姿を見たら、逆に自責の念に苦しめられ、一層救はれないに違ひない。しかし、この苦しみももうひとつの苦しみに比べれば、ものの比ではないのだ。それは、私の恐ろしい懐疑に潜む不信心といふ悪魔だ。もし、マリアの言葉が全て本当のことだとしたら、私は主の御業を疑つたということになる。聖処女の言葉を疑ひ、主の奇蹟を疑つた私は最早天国から閉出された男だ。決して主は私を御赦しにはなるまい。君に告白したからと云ふのではない。私は受胎告知を聞いてから絶えることなく懐疑してきたのだ。私の信仰心まで試されたガブリエル様の話は実に見事だつたよ。あなたの新しいヨブにどうして私を選び給ふたのかと、主に御恨みを何度も申し立てたくらゐだ。私は悪魔が仕掛けた罠にうまうまと落ち込んだのだ。あらうことか、愛するマリアの言葉を疑ひ、偉大な御方の奇蹟を疑ひ、嫉妬や中傷に塗れた人々の言葉を信じたとは、我ながら正気の沙汰とは思へないよ。私は無心に信じようとした。しかし、その時点で空しい抵抗だつたのだ。何度も私は己が懐疑の矛先を掏り替えへようとした。私の懐疑は、いと高き御方の奇蹟を否認することとは同一ではないとね。だが、その都度、己の欺瞞に嫌悪を催したものだ。私が婚約を破棄せず、身重のマリアと婚礼を挙げたのにはさういふ理由もあるのだ。私がマリアとの婚約を解消し、マリアを捨て去るやうなことをすれば、主の奇蹟を疑つたことを表明することになるからね。しかし、それも甲斐なきことだ。疑ひを抱いたその時から私の罪は確定してゐるのだ。いや、君がどう庇つてくれてももう駄目なのだ。真実から目を逸らすなと云つたね。その通りなのだよ。マリアを疑ふことは主を疑ふことと同じなのだ。私の罪過はこの上なく大きいのだ。気休めはいらないよ。私に与へられる劫罰のことは覚悟してゐるのだ。私の懐疑は何の救ひも齎さなかつた。懐疑に落ち込んだ私は信仰まで失つたのだ。けれども、私は君の言葉を信じるよ。今より少しでも良く生きることが我々に出来る最上の生き方だと云ふ言葉をね。人の罪を断じることで簡単に満足してしまふ人間ではありたくない。さういふ人間は自分の罪悪感も持ち続けることは出来ないだらう。常に苦しむ人間こそが良く生きる方法を見付けて行く筈だ。苦しみから逃げては堕落する。私は永遠に地獄の炎に焼かれながら心に忍び寄る悪魔と対峙し続けるのだ」
 ヨセフは言葉を結んだ。そして調子を変へて、ヤコブに別れを告げた。
「さあ、ナザレの街の灯が見えてきたよ。私の家は街の外れだからここからは道が別々になるよ。君も知つてゐるだらうが、ローマ総督殿が人口調査を行ふと云ふ御触れを出したね。私は身重のマリアを連れてベツレヘムまで行かねばならない。早くしないとマリアの出産が始まつてしまふから、今の仕事の片が付き次第すぐに出発する積りだ。一週間後にはもうナザレにはゐないと思ふ。だから、君と会ふのもこれが最後かも知れない。君の友情は決して忘れないよ。君のやうに私の本心を理解し、言葉にならなかつた私の懐疑の奥底を引き出してくれたのだから。私の勇気のなさと逡巡するだけで固まらなかつた覚悟を君の御蔭で捉まへることが出来たよ。私は捨て去ることのない懐疑と共に苦しみながら、主が与へ給ふた試練を粛々と受ける積りだ。マリアと生まれてくる子の為にこれまで以上に仕事に打ち込む積りだ。不自由な思ひをさせたくないからね。君も両親のことは労つてあげるんだよ。君が今かうして立派な人物になつたのも両親の御蔭だからね。君ならビザンティウムに行つて偉い法律家になつてくれることだらう。さあ、マリアが待つてゐるから、私はもうこれで行くよ。君は私の一番の親友だよ。さやうなら」
 さう云つてヨセフは夕闇に紛れて行つた。ヤコブはその時自分が何と云つて別れの言葉を口にしたかを覚えてゐなかつた。ヨセフの姿が見えなくなる迄、ヤコブはその場に佇んでゐた。どれだけの時間が経過したのだらう。闇の中でヤコブはひとり嘆じた。
「あゝ、義なる人ヨセフよ。私は自分の無力を感じる。私は自分の独善と偏狭を恥じた。しかし、君の底なしの懐疑が君に新たな道を示したやうに、今、私の胸中に感じる動揺は私を奮ひ立たせる。君が云ふやうに、人が人を断罪することでは罪を軽減することは出来ないし、増してや罪を帳消しにすることなど出来やしない。その点では、我らユダヤの律法もローマの法も無力である。罪が消えないのなら罰に何の意味があらう。それは愚かな人間たちが考へ付いた復讐の形でしかなかつたのではないか。自分たちの安寧を守る為の強者の偽善でしかなかつたのではないか。君は私を支へて来た信念を揺るがした。しかし、人間は弱い生き物である。一生涯罪を背負ひ、償ひの勤行を続けられる人間は果たしてゐるのだらうか。覚醒したまま、己を過ちから遠く隔て、余人に対しては怒りを抱かないやうな全き人などどれだけゐるのだらうか。モーセは愚民の過ちを制御出来ないことを知りながら戒めを定めた。それは、解り易い形を採ることで永劫に続く罪の意識から衆人を遠ざけ、絶え間ない覚醒の苦しみから解放してやる云はば偽善であつたのかもしれない。怠惰な衆人をひとりでも多く救ふ為には、理由も教へずに掟を守ることだけを諭して、民から厳しい真実を隠し、騙してやることも必要だといふのか? 私は動揺してゐる。私の信念は、真実をありのままに見ることであつた。真実を覆ふ虚偽の幕を取り去ることであつた。だが、真実を知り人間が得るものは絶望だけである。智慧の果実は楽園からの追放しか齎さなかつた。真実とは何と残酷なのだらう。人間は地上の王国を築き、文明の力で神々をも恐れぬ所行を成してきたが、太古の昔からどれだけ仕合はせになれたといふのだらうか。私が打ち立てようとしてゐる理想の王国もまた偽善に充ちてゐるのだらうか。私にはわからない。だが、私は後には引けないのだ。私の持つてゐるのは僅かばかりの義侠心と不屈の忍耐力、そして、絶望を希望に掏り替へる小賢しい智慧だけだ。パリサイ派の形式主義とは袂を分かち、ローマの法典を学び、私は世界に通用する立派な人物にならうと決心したのだ。私は己の信念を貫くしかない。懐疑に陥り、先に進むことを止めてしまつたら何が残るのだらう。ヨセフ、私は君のやうに人間の法を超えた境地に達することは出来ないかもしれない。だが、より良く生きる為に私もまた内なる偽善と闘ひ続ける。ヨセフ、君のやうな強い人間はこの世から隔絶してゐるのだ。君は謙遜して凡庸な人間だと称した。しかし、君の人知れぬ闘ひの御蔭で我らの子孫はマリアの奇蹟を誉め称へることになるだらう。我らの時代のヨブよ、マリアではなく君こそ主に選ばれし人であつたのだ。君の悲劇的な敗北は偉大な勝利の礎となるであらう。君がゐなければマリアの奇蹟は成就されなかつたのだ。あゝ、義なる人ヨセフよ」

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