ヨセフの言葉は堰き切るやうに溢れ出てきた。
「さうだ。云はう。君の語つたこと全てを私は既に通つてきたのだ。全てを疑つた。一度ではない。毎日毎時間毎秒だ。君は私の本心の全てを話してくれた。あゞ、マリアが初めて私に話し掛けてくれた祭りの日のえも云はれぬ心地は忘れられない。私はマリアのやうな美しい人の傍にゐたのも初めてだし、口を利いたのも初めてだつた。私は貧しい大工だ。マリアが贅沢をして暮らしてゐるのは知つてゐた。だから、私はマリアのことを娶ろうなんて露ほども考へたことがなかつた。私はマリアの前では阿呆のやうに舞ひ上がつてしまひ、実に頓珍漢な受け答へをしたものだ。さぞかし卑屈な笑みを浮かべてゐたことだらう。一体全体、私のどこをマリアが気に入つたのかとんと見当が付かなかつた。祭りの後も往来で会ふ度にマリアは親しさうに私に話し掛けてくれた。晩餐にも呼んでくれた。私は気詰まりではあつたが、マリアに会ひたい、いやマリアの姿を見たいといふ、唯それだけの罪のない想ひで通つたものだ。だが、そんな私の思惑とは裏腹に、マリアは日に日に私の心を抜き去つていつたのだ。マリアは私の詰まらない話を所望し、私の手を握り、私の肩に身を寄せた。かうなつてはどうしてマリアを諦めることが出来ようか。私はマリアのことを考へずに過ごすことなど出来なくなつてしまつた。しかし、そのくせマリアと会つてゐる時は云ひやうの知れぬ不安に襲はれるのだ。その時既に私はマリアの愛を疑つてゐたのかも知れない。しかし、貧しく学もなく気の利かない私のやうな男が身近にゐる美しい女を手放そうなんて決して思はないものだよ。女の云ふことなら、たとへそれが気紛れであつても従つてしまふのが性なのだよ。君の云ふ通り私も男なのだ。マリアは毎日会つてくれた。晩餐は殆ど毎日共にした。しかし、二人切りで逢ふことは滅多になかつた。それでも私はとても仕合はせだつた。部屋の片隅で語り合ふ時ほど私を甘く融かす時間はなかつたらう。しかし、私はマリアの本心を知ることは決してなかつたのだと思ふ。私はマリアの前では見苦しい従僕でしかなかつた。マリアは私に何を命じた訳でもないし、私を虐げなどしなかつた。しかし、私は常にマリアに支配されてゐた。私自身がそれ以外の関係を持てる筈がないと決め込んでゐたのだ。もしかすると、愛する者通しは対等の立場を築けるのかも知れないが、私には不可能であつた。マリアが私のことを気に掛けてくれなかつたら、私は側にゐることすら適はなかつただらう。全てがマリアの意思で決められていつたとはいへ、私はマリアに感謝しなくてはならないのだ。君はこんなことを考へたことがあるかね? 無償の愛なんて継続しないと。見返りのない愛の瞬間はあるだらうさ。しかし、それは一時だけだ。愛は常に見返りを求めるものだと私は思ふのだよ。私がマリアに絶対服従の愛を捧げる返礼に、マリアは私のことを支配するのだ。もし、私がマリアに感謝の念を抱かずに不遜な態度を取れば、マリアは忽ち私を捨てるだらう。支配する喜びを与へ続けるのが私の愛の形なのだ。だから、二人きりになつた時、握つてくれた手を強く掴み返して接吻を求めても、優しくマリアが嗜めたら、私は大人しく従ふしかないのだつた。接吻はマリアからしか与へられないものだつたのだ。それでも、私は天国にも昇る心地になるご褒美を得たいが為に、その掟を享受した。さういふ訳だから察しが付くと思ふが、私はマリアと一夜を共にしたことがこれ迄一度もないのだ。婚約する前は勿論、婚約後も我々は清い身であつた。晩餐が終はると私は他の客と共に家路に着いた。律法に従ふ当然の行為であつたから、私には募る恋情を抑へることは然程難しいことではなかつた。しかし、私がマリアに熱を上げてゐることはすぐさまナザレ中に知れ渡つた。それ迄女の気が全くなかつた私だから、一層世間が好奇の目を向けたことも容易に想像が付く。私を恋敵と睨み、いろいろと不穏な入れ知恵をする輩は後を絶たなかつた。曰く、俺は幾度もマリアと臥所を共にしたことがある。曰く、マリアは毎晩のやうに男と夜を楽しんでゐる。曰く、ヨセフ、君の番は何時かね? その時の私は、悪質な中傷に彼らの嫉妬と、下劣極まりないマリアへの愛の形を見て取り、彼らを密かに蔑んだ。だから、私はマリアを哀れに思ひ、マリアを疑ふことなぞ終ぞ出来なかつたのだ。しかし、今にして見れば、マリアが淫売のやうな生活を送つてゐたことも冷静に考へれば頷けるやうに思へるのだ。庇護者のゐないマリアがあのやうな贅沢な暮らしを続けることは説明の付かないことだし、彼女の両親が莫大な遺産を残したといふ話も聞いたことがない。他にも私のことを好漢と見てくれてゐた老女たちが、女の魔性に陥らないようにと不愉快な忠告をくれることもうんざりするほどあつた。それらも矢張りマリアについての良くない行状を仄めかすものばかりであつた。しかし、その時分確かに私は盲にされてゐたのだ。私の知るマリアは貞節そのものであつたし、私とは清い関係を保ち続けたのだから。それに私はマリアを私ひとりのものにしようなどと思ひ上がつた考へも抱いてゐなかつたから、嫉妬を感じることもなかつた。君にわかつて貰へるだらうか? 私の細やかな愛を。私はマリアの美しい姿を眺め、香しい匂ひに包まれ、優しい言葉を掛けられるだけで充分だつたのだ。それ以上を求めることは分を越えた慢心だと思つた。ところが或る日、私は初めてマリアに願ひを云つた。そして、それがマリアとの婚約に繋がつたのだ。それは突然のことだつた。マリアが親戚のエリザベツの家に三ヶ月ほど滞在すると云ふことを聞かされたのだ。私はそれ迄捕まへてゐた仕合はせが全てなくなつてしまふかといふ不安に襲はれひどく狼狽へた。私は気が動顛してそれ迄発したことのない欲求を口走つてしまつたのだ。そんなに長い間他所へ行かないでおくれ、出来ることなら私も連れて行つておくれ、と。まるで子供の願ひを嗜めるやうにマリアは私の頭を撫でながらかう云つたのだ。
――まあ、わからずやさんね。いい、付いて来てはだめよ。私は親戚の家でお手伝ひをする為に行くのですから、あなたを連れて行くことは出来ないわ。従姉妹のエリザベツはもうかなりの年なのだけれど、今迄子供を授からなかつたのよ。それが今年になつて奇蹟が起き、妊つたと云ふのよ。私は産婆の腕は持つてゐないから出産の時は役に立たないけれど、それならばと身重のエリザベツの身の回りの世話を暫くの間してあげることにしたの。初めてのお産だからエリザベツもとっても不安だと思ふのよ。いい、さういふ訳だからあなたを連れて行くことはどうしても出来ないのよ。
私はさう云ひ聞かされて黙るしかなかつた。目が涙で一杯になり、項垂れて力を落としてゐる私を見て、マリアは私の頭を抱き、暖かい胸元に寄せてくれた。百合の花のやうな芳香に私は我を忘れてしまつた。私は呻くやうに呟いた。マリア、君の側を離れるなんて辛過ぎる、と。マリアの吹き掛ける温かい吐息が私の髪をそよがせた。
――いいわ。ヨセフ、そんなに私のことを強く思つて下さるなら、私の側にずっと一緒にゐて頂戴。私の夫になつて戴けるわね。一年経つたら婚礼を挙げませう。それ迄立派なお祝ひが出来るやうに働かなくてはだめよ。
私は震へながらゆっくりと起き上がり、マリアの前でほろほろ涙を流しながら、何度も頷いた。なあ、君、私が物心付いてから涙を流したのはこの時が最初で最後なのだよ。私の生涯でこの時が一番仕合はせであつたかも知れない。いや、確かにさうだ。マリアは再び私を包み込みながらかう声を掛けてくれた。
――今日からあなたは私の婚約者になつたのですよ。そして、あなたの将来の花嫁はこのマリアになつたのですよ。主が私たちを祝福して下さるに違ひないわ。私は三ヶ月したらまたナザレに戻つて来ますよ。さうしたら、またかうして毎日会ひに来て下さるわね。
私は子供のやうにマリアの前で頷くだけであつた。それから数日してマリアは親戚の許に旅立つたが、私は丁度仕事でベツレヘムに行つてをり、マリアの旅立ちを見送ることが出来なかつたし、肝心の受胎告知のことを知ることが出来なかつたのだ。私はそれ迄以上に仕事に精を入れた。三ヶ月は私にはとても長く感じられた。その間のマリアの消息だが、私には一切わからなかつた。三月経つてもマリアはすぐには帰つて来なかつた。不安になりだした頃、ふいにマリアはナザレに戻つて来て、その足で私の許を訪れた。それは明け方のことで、不意の来訪に寝起きの私は頭がぼうっとしてゐた。マリアは朝日に包まれ天使のやうに眩しかつた。そして次のやうに告げ、呆気にとられてゐる私を残して悠然と立ち去つた。
――愛する人ヨセフよ。どうか恐れないでわたくしの身に起こつた主が御業の成就を聞いて下さい。あれは丁度わたくしがナザレを発つ日のことでした。眩い光に包まれた天使様が御姿を現はし、わたくしの前に跪くではありませんか。わたくしは恐ろしさの余り失神する思ひでした。天使様は御名をガブリエルとおっしゃいました。そして、このやうに告げたのです。
“おめでたう、恵まれた人よ、主があなたと御一緒だ”
わたくしは天使様のおっしゃる御言葉の意味がわからず恐怖を募らせました。するとかう御告げを下されたのです。
“マリアよ、恐れることはない。神から御恵みを戴いたのだから。見よ、あなたは子を授かり、男の子が生まれる。その名をイエスとつけよ。その子は大いなる者となり、いと高き御方の子と呼ばれる。神なる主は先祖ダヴィデの王位を彼に与へ、彼は永遠にヤコブの家の王となり、その国は果てしなく続くであらう”
驚いて、わたくしは問ひました。
“まだ夫を知らぬわたくしにどうしてそんなことがありませうか”
すると天使様はかう御諭しになりました。
“聖霊があなたの上に臨み、いと高き御方の力があなたを掩ひ隠すでせう。それ故あなたから生まれるものは聖であり、神の子と呼ばれる。神には何一つ出来ないことはないのだから”
わたくしの内に計り難い奇蹟が起こつたことを感じました。
“かしこまりました。わたしくしは主の召使ひ、御言葉の通りになりますように”
わたくしがこのやうに応へますと、天使様はわたくしを祝福されて、御姿を御隠しになりました」
ここ迄語り終へるとヨセフは深く息を吸い、ゆっくりと押し出すやうに吐いた。そして、暫くは逡巡するやうに言葉を躊躇つてゐた。ヤコブは固唾を呑んでヨセフの様子を見守つた。やがてヨセフは決然と語り始めた。
「ヤコブ、君の云ふ通り、私はマリアの言葉を疑つたよ。唯のひとつだつて信じたくても信じられなかつた。最初、マリアは私をからかつてゐるのかとさへ思つたし、見た目には妊娠してゐるかはわからなかつたのだ。しかし、次第に大きく成り出したお腹が最早そのやうな気休めを受け入れる余地を奪ふのだつた。私は何を信じればよいのかを当て処もなく探した。人間の女が主の御子を身籠るといふことが私には一番信じ難いことだつた。私は主の御業を疑つてゐる罪深い男だ。しかし、人智を越えた出来事を目の当りにして、人間は無力なのだ。人間は自分の理解出来る範囲でしか物事を考へられない。君が話してくれたローマの神々と云ふのは人間と同じ姿をしてゐるさうぢゃないか。それと同じで、人間は何でも自分の領域に引き摺り降ろして、わからない言葉も馴染みのある言葉で置き換へてしまひ、何とか方便を付けるのだ。さうでなければ、我々人間は何も知り得ることが出来ないだらう。私だつて子供がどうやつて出来るかくらゐは知つてゐる。神の仕業なら生まれてくる子供は人間ではないのではないか。神の子は人間の胎内にも宿ることが出来るのだらうか。考へれば考へるだけ、荒唐無稽な思弁を繰り返すことに嫌気が差してきた。結局同じ処をぐるぐる回るだけで、言葉を変へてわかりかけたものも、最初の考へから一歩も動いていないことを空しく証すだけにしか役立たなかつた。私は小賢しい常套的な考へを捨て、無心にマリアの言葉を信じようとした。しかし、その度、もうひとつの内なる声が私に襲ひ掛かるのだ。マリアはナザレを離れてゐた間に男を持つたのだと。さう考へるのが私にとつて最も無理のない当たり前の帰結であつた。マリアは美しい。何処に行つても云ひ寄る男が後を断たない筈だ。故郷を離れ知る者がゐなくなつた解放感と、誰もマリアの行状を気にする者がなく近所の監視がなくなつた安堵からマリアは男と関係を持つたのかも知れない。云ひ寄られたのか、マリアが誑し込んだのか、それはわからない。君が推測したやうに予め計画があり、愛人と共にナザレを離れ逸楽の蜜月を楽しんできただけかも知れない。もしかしたら、エインカレムには旦那がゐたかも知れない。かの地に呼ばれて夜伽をしてゐたのかも知れない。さう、私はそんなことまで考へてゐたのだ。思へば、マリアにはよくない噂が沢山あつた。それを私の麻痺した感情が封印してしまつてゐたのだ。噂を信じるなら、晩餐が終はり、私がマリアの家を後にしてからの時間、マリアは様々な男を連れ込んでゐたやうだ。身寄りがなく、親の遺産があつたとも思へないマリアが立派な商家に引けを取らない家に住み、奇麗な衣装を幾つも持ち、沢山の客人を招いた晩餐を催し、贅沢な暮らしを営むことがどうやつて出来たのだらう。私がマリアに溺れてゐた様を見て忠告をくれた婦人のひとりは、マリアを娼婦だとはっきりと云つた。私は聞く耳を持たず、おまけに反論もしなかつたよ。そんなことをすれば、清らかなマリアの徳性が貶められると思つたからで、その時は意地の悪い中傷だと密かに人々の悪意を歎いたものだ。しかし、今になつてみれば疑はれる節は山ほどある。寧ろマリアが高級娼婦をしてゐたことを疑ふことの方が難しいくらゐだ。マリアは生きる為に娼婦になつたのかもしれない。だが、何故マリアが娼婦になる選択をしたのかは、今の私にとつて重要なことではない。マリアがどこかの男と関係を持ち妊娠した。この事実だけが私の上に重く伸し掛かつた。マリアを不義姦通の罪で世間に公表し、石打ちの刑を課すことも私には出来た。私たちは婚約してゐたのだから、真実がはっきりわからなくともマリアの罪は瞭然としてゐる。君の云ふ通り私が不義姦通の咎を公表しないことにマリアは賭けたのかも知れない。身寄りのないマリアと残された赤子を世間はどのやうな目で見るだらう。自分を孕ませた男に捨てられたマリアに残された道は、私を騙すといふ選択しかなかつたのだ。そこまでわかつてゐながら、私はマリアを辱めることなど決して出来なかつた。私は侮辱や裏切りによる一時の憤りで相手を害し、復讐による代償で満足を得る男ではないと云つたら嘘になる。だが、私には意気地がなかつたのだ。何よりも私の糾弾であの美しいマリアを痛め付けてしまふことへの恐ろしを感じ、永遠にマリアを失ふだけでなく、マリアを傷付けた後悔の念に生涯苦しめられることを思ふと、私の怒りも萎えてしまふのだ。私にはそれが一番辛かつたのだ。断罪することは人間の思ひ上がつた行為ではないのか。罪は永遠に消え去らないのだ。人間が人間を断じることは、犯された罪の解消を暗に意味することになるのではないか。刑罰を行使することで人は赦し、刑罰を受けた人はそれで罪が消えたと考へてしまふ。それは間違ひだ。罪は永遠になくなりはしない。代価で償へるものではない。罪の意識を消失することで罪がなくなるのだらうか。そうではない。罪は償へるものではなく、生涯背負ひ続けるものだ。そうでなければ人間に徳性は生まれない。改悛の念こそ徳を生み、永遠に罪の意識を抱き続けることこそ、再び罪過に陥らない唯一の道である筈だ。だから、私はマリアを責めなかつた。真相を追究しなかつた。さうしたとてどうなるものだらう。仮にマリアが罪を認めたとしたら、私の歎きは決定的なものになる。本心を欺いてマリアを赦しても、マリアの罪は厳然と残るのだ。だから、私は真実を暴こうとはしなかつた。何故ならば、さうしてもしなくても私はマリアを決して赦すことはないだらうから。徳の最上位に置かれるものとして寛恕を唱へる人たちがゐる。しかし、それは誤摩化しでしかない。他人が罪の償ひを手伝ふことは出来ないのだから、余計なことなのだよ。己の永続する改悛のみが人生を救ふ唯一の道なのだ。目を逸らしたり、別のもので誤摩化したりしてはいけないのだ。私はマリアを罰さなかつた。けれども、一時はマリアとの婚約を解消しようと思つた。私はマリアとこのまま結婚することが良いこととは矢張り思へなかつたのだ。マリアの過ちを咎めないことが出来ても、次第に大きくなるかも知れない怨みを恐れたのだ。主の御前で結婚を誓ふ前のことだから、正当な行なひの筈だと心に云ひ聞かせた。マリアの罪を毎日正視し、私の猜疑心が大きくなつて行くのを感じながら生きることは私には堪へられないと考へた。逃げ出したら忘れられるかも知れないとまで考へた。しかし、私はそれすらも出来なかつた。私は美しいマリアを前にして婚約解消を告げることが結局出来なかつた。私はそれほどマリアを愛してしまつてゐたのだ。一層の事マリアが私を捨ててくれればよかつたのにと何度考へたことだらう。やがてマリアのお腹が大きくなり始めて、このままの状況を続けて行くことは出来ないことを私は悟り出した。婚礼を挙げる前にマリアは出産をしてしまふ。世間が取り沙汰する前に私がマリアを庇つてやらねばならないと考へ、私はマリアにすぐに婚礼を挙げようと提案した。その時のマリアの嬉しさうな表情は私の救ひであつた。マリアは私を永遠の夫として選んでくれたのだ。私は自分の選択が正しかつたとは思つてゐない。しかし、間違つてもゐない。私には他にどうすることが出来たのだらう。私には定められた宿命を全うするしかなかつたのだ」
ヨセフはここ迄語り終へると再び黙し、深い感慨に沈んだ。ヤコブはヨセフの表情の変化に気付き、驚嘆の念を抑へられなかつた。先程までの陰鬱な弱々しさは霧散し、運命を享受する毅然たる猛々しさすら感じさせる形相をしてゐるやうに見えた。背丈の低いヨセフが今は大きく感じられた。
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