低成長により国力が著しく低下する日本において
結婚制度を廃止することで少子高齢化社会対策に
有用となりうる方法についての穏健な提案



 以上が少子高齢化問題を根本的に解決する提案であるが、誰しもがこれを正気の沙汰とは思へない空想だと感じてゐるだらう。
 まず、第一の真つ当な反論として、この育児と教育の制度、高齢者施設の制度を支へる財源がないではないかといふ指摘に答へねばなるまい。この現実的問題が解決されないと机上の空論でしかないのは承知してゐる。
 この制度下で、まだ説明をしてゐない非常に重要な点があつた。年金制度が不要になるのだ。超高齢化社会到来で履行困難と予測されてきた年金制度を撤廃する。制度の開始と共に移行期間に入り、30数年後には年金制度を完全に停止する。
 高齢者施設の運営に必要な経費は年金とは比べものにならぬほど少額で済む筈である。支給された年金の使い道は効率的とは言ひ難く、高齢者施設の運営に回した方がはるかに良いのだ。また、高齢者の医療費に関して言へば、すでに後期高齢者保険制度があるので、国家負担は実現可能である。
 多くの方が感じてゐるのは高齢者施設や病院のことではなく、育児と教育の出費が各家庭から国家に一本化され移行するとなると莫大な予算が必要となり、成立しないのではないかといふことだらう。正しく財源が足りない部分であり、増税が不可欠だ。この時点でわが提案を葬つてしまふのはお待ちいただきたい。これまで、出産、育児、教育に各家庭が途方もない出費をしてきたのだ。それが全くかからなくなるのだから、その分を国家が徴収するだけだ。また、ここで想像してみてほしい。貧乏子沢山のやうな事態は、家計のことを考慮せず子作りをした結果が招いたものである。子供がゐる以上、出費は増える。一方で、子供がゐない男女は自由に使へる金を自分のために贅沢に費やせた。さういふものだと考へるのは少子化に無関心過ぎる。出生率に貢献してゐるのに貧乏を強いられるのは社会の歪みである。しかも、貧困家庭を形成することで子供の成長も阻害され、社会に適合できないやうな人物を作り上げてしまふのでは、負の連鎖と言はず何と言ほう。視点を変へれば、子育てがどれだけ経済において人々を圧迫してきたかは容易に理解できると思ふ。
 新制度では税収は所得に比例させ、子供を作つたかだうかに関係なく、富める者が多く税金を納め、貧しい者の納税額を減らす。これまで子供を持つ者だけが齷齪と捻出してゐた出費を均等化し、年収が200万を超える者より収入に比例して納税することで、実はこれまで以上に安定した財源となるのだ。少子化が改善される一方で、格差が改善されるのだから、これほど優れた提案はないと断言できる。税率だが、所得の2割から3割が妥当ではないかと考へてゐるが、これは国家が担ふ育児・教育にかかる予算と学者の意見が揃つてから設定するのがよいだらう。ここでは提案だけにとどめてをきたい。
 育児にしても教育にしても子供らの差を均して多様性を減らしてから行ふので、供給する側のコストがこれまでと比べて低く抑へられる。集団の中で異分子を抜き出し、性状の近いもので分類化していくので、例外者への対処にかかつていたコストや時間を削減することができる。特殊な才能を伸ばすための必要な設備も一箇所に集約できる。専門的な教員のもとに集められた子供たちは効率的に、最小のコストで最大の成果を得られるやうになる。身体の不自由な者を受け入れるために必要だつた設備費も、専用の施設だけでよくなる。逆説的にこの提案によつて、様々な要因でこれまで阻害されてきた多様性のある社会を実現するのにも貢献すると思はれる。
 この制度下では新しい産業が勃興することも期待できる一方で衰退する産業もあることは事前に認識してをかねばなるまい。この提案によつて打撃を受ける人々や業界があることは確かである。それを丁寧に見ていかふ。
 結婚式がなくなるので、結婚式場の仕事はなくなつてしまふ。業界からは大いに反発があると思はれるが、日本の少子高齢化社会を作り出してゐる結婚のあり方を断たないと変革は進まないので、国家が保証をしつつ産業の解体を進める他ない。
 結婚を成立させるための成婚支援産業も不要となるが、結婚といふ条件から解放されるだけなので、趣向を変へた産業に変貌するだらう。
 産婦人科病院は国家の機関として再編成されることになる。現行の施設を活用しつつ十分な保証をしながら移行をしていく必要があるだらう。
 保育園・幼稚園も国家の機関として再編成されることになる。幼児教育を国家が主導し、生活管理を重点的に行ふ。
 ミルクや離乳食を生産する企業は国家との取引をすることになる。需要は減らずに増える見込みだが、購買意欲をそそるやうな企業間の競争は求められなくなるかもしれない。
 子供服を販売する企業も取引先は国家になる。需要は増えるだらうが、服の種類の展開を工夫することは減るかもしれない。
 幼児のための玩具産業は縮小せざるを得ないであらう。国家が取引相手になるが、幼児が求めるままを国家が汲んで提供するのはきりがないから、妥協点を見つけないといけない。さうなると玩具の発展が停滞する恐れがある。
 ゲーム産業は低年齢層をターゲットにしたものは衰退するだらうが、成人向けのものは影響を受けない。
 テレビ・アニメは日本が誇る文化として国家が推奨し、児童向けのものは学習プログラムとして寧ろ拡大するべきだ。親の思ひ込みで視聴を制限・禁止してきた家庭があつたが、偏りなく全員に対して提供すべきである。
 進学塾は存在しなくなる。経済力で生じてゐた学力の差は解消される。進学塾の講師は新制度に必要な人材であるから、国家が再雇用し活躍を期待する。
 児童向けの施設は吸収統合され、存続するものと、消滅するものとにわかれるだらう。児童図書館は施設に組み込まれるのが望ましい。子供向けの遊園地は必要なものだけ残すことになるだらう。遊園地は遠足イベントでの集団受け入れの需要がある。但し、親子で楽しむような施設は不要になり遺物となるだらう。
 ティーンエイジャーになるに従ひ外出機会も増えるので、この層を対象にした産業は衰退しないと考へられる。
 大学のことは先に述べたが、私立においては運営の見直しが図られねばならない。大学とは専門を極める最高学府であるべきで、教養科目をのんびりと履修させる課程は不要だ。高額な入学費や授業料は不利となる。国立化の申請をすることも可能にするべきだ。奨学金制度を確立させるのも重要だ。運営に資金がかかる医科は国立でないと存続は不可能だらうと思はれる。
 他にも沢山あるのだらうが、子供に対する産業は、実質は親が購買者であつて、押し付けがあつたり、思ひ込みがあつたり、取捨選択があつたり、本当に子供のためであつたかだうかは検証をした方よい。親の経済力の差で与へられるものに差が出たのは悲しいことだ。子供のためにあつた産業はそのものがなくなることはなく、競争力が落ちるなどの課題が新たに生じることに注意されたく、独占や産業の発展が止まるやうなことがないやうにしなければならない。
 更に述べると、産業の衰退の問題よりも社会の構造変革の問題を優先した方がよい。新たに整備しなくてはならない産業がある。  新生児および乳児の養育施設だ。24時間の管理体制が必要となる大規模な機関となる。母乳を提供する乳母制度の確立と設備を整へる必要もある。
 保育施設の開始も大規模な変革だ。国家公務員である保育士の確保が重要となる。各地の施設の建設も急務となる。私設の園による不透明な運営は消滅し、国家による一元管理が行はれる。保育士の過労と低所得は改善されねばならない。親の不当な要求や待機児童問題などはなくなり、安定した産業となり、計画的な発展が見込まれる。
 幼児の時期にとどまることではないが、優れた才能を持つ児童に専門教育を施す機関を設置しなくてはならない。これには一流の選手や芸術家の協力が不可欠になる。日本の未来のためにも各界の尽力を期待したい。
 才能の発掘のためにも全国で教育プログラムを統一化し、機会を平等に与へる必要がある。地域で偏りや施設ごとで格差が出ないやう監査機関も必要となる。体制が整ふまでは定期的に職員の配置換へを実施する必要もあるだらう。
 小学校、中学校、高等学校で行はれてきた教育現場自体は新体制になつても大きく変はることはないが、生活管理が課題として重要視される。都市部に集中傾向があつた学校を地方に移すところから始める必要がある。生活居住空間を併設する必要が出てくるが、これは地方だから可能なプロジェクトだ。学校に必要なのは学科の教師だけではない。生活指導担当教員は極めて重要な役職だ。また、寮生活を行ふにあたつて料理、掃除、洗濯に当たる職員も必要だ。こちらも高学年に成るにつれて生徒各自でも行へるようにする必要があるが、低学年ではまず健康管理に気を配らないといけない。児童の安全を管理する警備も手厚くする必要がある。
 野球チームやスイミングスクールなどの習い事は自治体が主導して行ふだけでなく、民間による休日の校外活動推進が重要となつてくる。地域の特色を出し、児童の成長に繋がるやうな活動を期待したい。山間の学校と海が近い学校、北国の学校と南国の学校では提供できるものに差が出てくるのは仕方ないが、各季節で修学旅行が実施され、児童たちが少しでも多様な経験ができるやうに工夫せねばならない。遠足や修学旅行は教育プログラムにおいて最重要であり、集団での円滑な受け入れを可能にする産業の成立が望まれる。
 ティーンエイジャーになると各自に個室が割り当てられるから、設備には多額の投資が必要だ。
 このやうに解決しないといけない問題を挙げ出すと実現不可能な提案と受け取られるかもしれぬ。
 しかし、最初の問題点に立ち戻つていただきたい。少子高齢化社会を回避するには、結婚を廃止し、育児の義務から解放することが解決策であり、新たな利点としては、教育格差、貧困問題、いじめ問題などを国家が防止できること、障害者やLGBTの問題で苦悩することない社会が作れ、高齢者を介護する人材を徴発できる点がある。出産や育児で立ち遅れた男女の平等が克服できる。親の介護で労働力が奪はれることもない。また、世界に通用する人材を発掘でき、競争に立ち向かへる。不毛な受験戦争の構造もなくなる。大学の改革も進むであらう。かうして世に出た世代は不条理に拉がれることが減り、本当の意味での実力社会かつ多様性のある社会を作り上げることができる。生産者人口の経済力が増し、自身への投資と出費が出来るやうになるのは最も健全な考へ方だ。高度な福祉社会へと移行するため所得に応じた税制を確立させる。だから、多くの意味でわたしの提案は社会の膿を出し切り、変革を促すだらう。
 様々な視点でわが提案の妥当性と優位を述べてきたつもりであるが、それでも悩ましい障壁がいくつかある。それらを検討するとともに、打開できる良案があるのであればご教授いただきたい次第である。
 まず、この提案で構想した制度は日本国民に対して行はれ、日本に在住する外国籍の者に対しては効力を持つことができない。日本では結婚が禁止されてをり、外国籍の男性との間に子供を授かつた日本人女性は、外国籍の男性が如何なる訴へをしても日本においては結婚することはできず、子供は日本国が養育する。外国籍の男性がこの制度を超越するには、日本人女性の国籍を変へさせ、日本以外の地に移住させることであらう。男女が逆の場合はだうだらうか。日本人男性が外国籍の女性を妊娠させた場合は、幾分複雑になる可能性がある。女性が帰国し子供を出産・養育するのを妨げることはできない。日本人男性が外国籍女性との結婚を望むなら、日本国籍を捨てて外国籍を取得することになる。外国籍女性が日本の制度に従つて子供を日本に提供するなら問題はない。だが、外国籍女性が日本での出産や育児を希望した場合は複雑な問題が発生する。この外国籍女性の出産・育児は自ら手配せねばならず不便な思ひをすると思はれる。最後に外国籍同士の者たちの在日期間中における出産・育児を妨げることはできないが、何かと不自由が多いので不満も多いと思はれる。国際的な観点から複雑な問題があり、適切な法律の整備をしないといけないだらう。
 次なる問題を提示しよう。この提案は及ぼす影響が甚大なので体制が固まるまでの移行期間がどうしても必要であり、この制度が確立する前に頓挫しないかが心配である。特に国家予算の破綻が問題になるであらうし、衰退が想定される産業からの猛烈な反対があるだらうから、移行は速やかに峻厳に行はねばならない。
 とはいへ、移行は段階的に行はざるを得ない。最初に結婚の廃止から着手する。以降に生まれた子供から新制度の適用を開始し、小規模で実験的に行ふ。既に生育した乳児に対しても希望があれば受け入れを開始しても良いと考へてゐる。不幸な家庭をなくすためにも、子供を手放す選択をする親を受け入れるべきだ。親権を放棄する親には国家から礼金を出し、子供を国家が引き取る。小さい規模で実験を兼ねながら制度や設備を次第に拡充させていき、これら第一世代を受け入れる体制を築くのだ。そして18年をかけて完成を目指すことになる。
 既に親の元で数年間育つてきた子供をこの制度に途中から強制的に従はせることは破綻の原因になるので、遡つて制度に適用させることは原則行はない。施行前に出生したものは現行の学校に通ふことになる。ただし、新制度が成果を上げて体制も整ひ、施行前の世代との格差が生じそうな場合は旧世代を合併吸収することもよからう。しかし、これは極めて慎重に行ふべきだ。
 税制の改変は制度を開始して5年以内には行ふ必要があるだらう。ただし、既に子供を持つてゐる家庭は免除するようにせねばならない。子供が成人したら免除期間が終了する。納税期間は64歳までとする。低所得者にはこの新税制は適用されないので、無職となつた場合は免除対象である。この制度を導入するにあたつて見かけは増税になるが、育児と教育にかかる出費がなくなつてゐることを念頭に置いてほしい。これまでのやうに子供にかかる突発的な出費がなくなるのと、コストに換算されることがなかつたと思はれる育児の時間が自分の時間として使へるやうになる。寧ろ家計が楽になると想定してゐる。
 次に高齢者施設の建設を開始する。しかし、介護を行う子供らがティーンエイジャーに育つまで最低でも16年は要するので、実施は後発となる。それまでに体制を整へる期間が充分ある。制度が施行されて最初の数年間は身寄りのない生活困窮者のための施設になるであらう。施設への入居者が本格的に増えるのは年金制度が完全に廃止された後だらう。想定したくないことだが、この高齢者施設が完備されると、血の繋がつた子や親族らが老人の介護を拒否して施設への入居を申し込んでくることもあるだらう。この制度が施行されてからは年金制度の新規対象者を停止する。既に納付してゐた者には適用をすべきだが、年金の支給額は年々減少し、やがて完全に終了する。
 移行期には社会的な混乱があるだらう。新法案が施行されても既婚者たちの利権は継続するし、既存の家族が即座に解体される訳ではない。出生率が上昇し社会の中核となるには少なくとも30年はかかるだらう。30年といふと制度施行前に家族を形成した層の子育てが一段落して、定年退職を迎へる頃だ。この30年は新旧の価値観が対立し合ふだらうが、日本が再び強国になれるのであれば克服せねばならない。
 だが、わたしが一番危惧してゐることは別にある。それはこの提案を命がけで反対する人々が多いだらうといふことだ。この提案に血相を変へて反対するのは2つの層である。ひとつは結婚なくして社会は正常に機能しないと主張する人たちだ。特に代々名家として血筋を大切にしてきた人々は、血筋が不明になり、途絶えることに猛烈に反対するだらう。それにより祖先代々の資産を継ぐ者がゐなくなり途絶えるのだから。新制度でも資産の相続は法律で認められてゐる。存命中に最も信頼すべき人物たちに分与すればよいので、血の繋がつた者に拘泥はることなどないのだ。血統を大事にする時代はもう過去のものと考へた方がよい。既に核家族化が進行し、親族の結束は解体しつつある。一族で繁栄を拡大する発想は古臭い。実際、多くの名家は同じやうな相続の問題に直面しつつある。血が繋がつてゐるからといつて、資産を守り通せるとは限らない。寧ろ、不幸な結果になる場合はよくあることだ。法律によつて資産は適切に個人間で引き渡しをしていけばよい。とはいへ、親から譲り受けたものであつても、折角得てゐる利権にしがみ付きたい心理はもつともだ。その資産によつて発言に影響力を持つことが多いので、この提案を全力で潰しにかかつてくるであろう。政界に圧力をかけて法案成立の反対工作を行ふ者は多いに違ひない。少子高齢化で日本が衰へていくことよりも自分の保身の方が大事なのだ。
 最後にもつと説得が難しい層のことを述べよう。理屈ではなく感情のことなので、わかつてもらふことは難しい。それは、実は少子高齢化社会で最も辛酸を嘗めてきた女性に多いと思はれる。我が子を自分の手で育てたい母性本能を取り上げることは最も難しく、子供に愛情を注ぎたいといふ女性としての生理的本能、子供のゐる幸せな家庭を夢見る層は多い。子育ての大変さよりも愛ほしさが勝るのだ。その感情を否定することはできない。人類の歴史が始まつて以来、組み込まれ植ゑ付けられてきたとはいへ、手をかけねば死んでしまふ我が子を守り、成長する姿を見ることに無上の幸福を感じるのを取り上げることは心苦しい。だが、感情を抜きに考へれば、不利益を被りながら自分を犠牲にして育児をする現状の社会において、結果的に少子高齢化を助長してゐるだけなのに気付かねばならない。
 以上で大方、提案の全容を述べることができた。形骸化してきた結婚を廃止して家族を解体し、国家が育児と教育をすることで、多大な利点と社会変革が進み、国力の回復になるのだからこの提案をとくと検討してもらひたいものだ。
 成人までの期間を共産主義国家で過ごさねばならないと感じ取る向きもあるだらう。だが、自由主義の発想で少子高齢化問題が解決できるなら少しは改善が見られてゐる筈だ。近代国家として発展を遂げた社会において少子化は必ず起こる現象なのは歴史が証明してゐる。加へて現代日本では格差社会が進行し、様々な社会問題が惹起され、解決を迫られてゐる。格差を遺伝させては社会が歪んだままである。人口を統制するには部分的に共産国家体制を組み込むことが必要なのではないか。福祉国家としても日本は遅れを取りつつある。子供と老人の世話は国家が担ひ、生産労働者世代が活躍できる社会を形成すべきではないか。
 謹んで穏やかに提案をいたします。

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