世界文学渉猟

ゾラ

(Émile Edouard Charles Antoine Zola、1840〜1902)


"THÉRÈSE RAQUIN"

『テレーズ・ラカン』

 自然主義の狼煙を上げたゾラ初期の傑作で、作者自身が述べてゐるやうに「性格ではなく体質を研究した」科学的な手法が徹底してをり、「精力的な男と欲求不満な女」の接触から凄惨な帰結に至るまで、唯のひとつも虚構は書かれてゐないと云はしめるだけの力がある。題材は卑俗である。描写は陰惨極まりない。しかし、迫真の地獄絵図に目を逸らすことなど出来はしまい。ゾラは選り好みして醜悪な物語に仕立てたのではない。出会つた以上は破滅するより他なかつた男女―ローランとテレーズを設定しただけだ。陳腐な小市民の生活を満喫する他の人物の叙述も悍ましい限りである。[☆☆☆]


"L'ASSOMMOIR"

『居酒屋』

 ルーゴン=マッカール叢書の第7巻で、発表当時大騒動となり一躍ゾラと叢書の名を知らしめた最大の問題作。マッカールの血統が落ち行く起点となる重要な作品でもある。その衝撃は一読すれば忽ち諒解出来る筈だ。この作品を社会主義リアリズム小説の先駆と読むことは興味深い試みだが、下層労働者の凄惨な境遇を描き社会変革を訴へることはゾラの意図ではない。産業革命が進行した第二帝政時代に生きる人々の混迷を具に描いた『居酒屋』は現代でも古びることのない名作だ。何故と云へば、近代人の宿命であるエゴイスムがもたらす価値観の崩壊、分裂し無秩序と化す人間性の危機を突付けてゐるからだ。ジェルヴェーズこそは生の目的を持つことなく怠慢な性癖で人生を消耗する大衆の典型で、往々にして判断力を欠く最も危険なプチ-ブルジョアの実像である。金銭欲と情欲の悍ましき軛に捉へられた登場人物らがジェルヴェーズを蝕んで行くが、幸も不幸も彼女を救ふ因とならないところにゾラの徹底した本意がある。[☆☆☆]


"NANA"

『ナナ』

 ルーゴン=マッカール叢書の第9巻で名高い傑作。『居酒屋』の主人公ジェルヴェーズの娘として生を受け、悲惨な少女時代を経て成長したナナがエロスの力を得てパリ社交界を席巻する。歌も芝居も大根のナナが全裸で舞台に登場し観客の度肝を抜き、瞬く間に美貌と淫蕩な魔力で周囲を魅了する。産業革命の浸透はジェルヴェーズたちを貧困の墓場へ葬つたが、歪みつつある道徳観念と際限を失つた欲望で破滅する富裕層を描くことで、ゾラは逆説的なもうひとつの世界との環を結ぶ。高級娼婦ナナは常に金銭への侮蔑を口にし、浪費を使命の如くに振る舞ふ。ナナの生涯は愛情への不信感から空虚であつたと雖も、虚栄に充たされた社会を唾棄し、原初的な性の力で富と名誉の自由を奪ふことにより、身を呈して壮大な復讐を果たすのだ。[☆☆☆]


"GERMINAL"

『ジェルミナール』

 ルーゴン=マッカール叢書の第13巻。地獄絵図を描いたゾラの執念には畏怖を覚える。何がゾラをしてここまで書かせたのだらう。ジェルヴェーズの子エティエンヌは貧苦の末、炭坑の生活に飛び込んだ。そこで出会つた無知と貧困から諦めの感情しか持たない炭坑の労働者たち。希望がないから未来を描かない人々は、一時の快楽に溺れて破滅を早めるだけだ。反抗心を糧とするエティエンヌは人々に団結と闘争の考へを植ゑ付け、遂に抑圧に耐えかねた労働者たちは一抹の活路を見出すべくストライキに身を投じる。熟さぬ社会主義の思想と絶望的な叛旗の末路が容赦なく描かれる。終盤、マユ一家を襲ふ目を背けたくなるやうな悲劇の連続には戦慄を禁じ得まい。『ジェルミナール』とは革命暦の「芽月」のことだ。この作品は単なる社会主義教化の小説ではなく、凄惨な敗北の後に不屈の闘志が残るところにゾラの真意がある。蒔かれた種こそがこの作品の凄みである。労働者の日本の若い貧困層は『蟹工船』を読んで共感するといふ。『ジェルミナール』の深刻さはその比ではない。叢書の頂点であり、読者は最後まで固唾を呑んで手放すことが出来まい。[☆☆☆☆]


"LA BÊTE HUMAINE"

『獣人』

 ルーゴン=マッカール叢書の第17巻。叢書中最も嗜虐性に満ちた犯罪小説で、通俗的な姦通と嫉妬が物語を牽引する。低俗だが人間の性を赤裸々に描いてをり、興味を惹き付けて止まず一気呵成に読ませる力がある。陰惨で残虐なので毀誉褒貶あるだらうが、叢書中でも屈指の作品だと云ほう。冒頭暫くはルーポーとセヴリーヌ夫妻の結婚を巡る因果から起こつた殺人と犯人検挙を巡る探偵小説のやうな趣だが、唯一の目撃者ジャックと共犯関係を結ぶことで『獣人』の主題が次第に提示される。猟奇的な異常性癖に悩むジャックですら殺人が連続する『獣人』の中では一変態に過ぎない。圧巻はフロールによる列車転覆事故とその顛末で、凄惨さに仰天させられる。『獣人』は本能剥き出しで殺人を連鎖する人間どもと対比して、鉄道といふ近代文明の根幹である利権を舞台にしたことが重要だ。規則正しさが最重視され、敷かれたレールに逆らへない鉄道に人間どもは奴隷となり抵抗せず窒息していく。鉄道文明の恩恵を描くも、その実は支配されてゐるのだ。血と鉄が交錯し、ジャックを失つた列車が暴走したまま終はる幕切れにゾラの悪意が凝縮されてゐる。[☆☆☆☆]


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