マーク=トウェイン

(Mark Twain、Samuel Langhorne Clemens、1835〜1910)

 本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズ。 マーク=トウェインとは、「船が川底につかない安全な深さ」といふ水先案内人用語。ミズーリ州の小さな村に生まれるが、程なくミシシッピ河畔のハンニバルに移つた。後の作品における霊感の泉は、ハンニバルでの少年時代であつた。父の死後、13歳で植字工見習ひとして働き出した。南北戦争後、一躍作家としての名声を高め、代表作を次々と世に送り出した。50歳代半から相継いで不幸―母の死、出版社の破産による巨額の負債、長女の急死、妻の病気と死―に見舞はれ、作風が極度のペシミズムを示すやうになつた。晩年は悪夢や預言などに関心を持ち、白い服しか身に付けないなどの奇行が目立つた。


『その名も高きキャラヴェーラス郡の跳び蛙』 "THE NOTORIOUS JUMPING FROG OF CALAVERAS COUNTY"

 トウェインの出生作となつた最初期の短篇。人生何事も賭け事といふスマイリーの綺譚。度が過ぎて荒唐無稽な描写が痛快だ。[☆]

『悪たれ小僧物語』 "THE STORY OF THE BAD LITTLE BOY"

 トウェインの語り口の妙味が発揮された佳作。悪たれ小僧を描くに、道徳的な期待を込めた記述の後に、真逆であつた実像を並べるといふ手法で積み重ねて行く。悪徳の栄えが一流の諧謔で辛辣さを増す。[☆☆]

『人喰ひ列車』 "CANNIBALISM IN THE CARS"

 雪山で立ち往生した列車。1週間が経ち、餓えた乗客たちの中から誰を食すかで動議し、議会の形式で犠牲者を決議して行く。おぞましい状況下を滑稽な描写で意地悪く描く。餓ゑと寒さの為に狂つた男の誇大妄想といふのは常套的なオチだが、恐ろしい主題をどぎつい明暗の対比を付けて物語るトウェインの才能に平伏した。[☆☆☆]

『テネシーのジャーナリズム』 "JOURNALISM IN TENNESSEE"

 過激な罵詈雑言を撒き散らす編集長を狙ふ襲撃者たちのとばっちりを受ける主人公の姿は抱腹絶倒。漫画だ。野蛮なジャーナリズムを皮肉るトウェインの諧謔が痛快。アメリカン・ジョークの精髄のやうな作品だ。[☆☆]

『不思議な夢―処世訓まじりの』 "A CURIOUS DREAM-CONTAINING A MORAL"

 放置された墓場の惨状を骸骨らから愚痴られるといふ不気味な夢の物語。西部開拓時代の入植生活による墓地の荒廃を描いた作品だ。[☆]

『大牛肉契約の真相』 "THE FACTS IN THE GREAT BEEF CONTRACT"

 南北戦争時に国家より発注された軍用牛肉が数奇な運命を経て、その代金支払ひが国家によつて反故にされる話。複雑な官僚機構によつて事実関係が歪められる様はカフカの作品を想起させる。[☆☆☆]

『ぼくが農業紙の論説委員を辞めた話』 "HOW I EDITED AN AGRICULTURAL PAPER"

 門外漢が農業記事を書いて世間を混乱させ糾弾される話。どの世界でも論説や批評を書くのは盆暗ばかり、無責任なことを書き散らしてゐることを喝破した名作。[☆☆]

『ぼくの時計―聞いてためになる小咄』 "MY WATCH-AN INSTRUCTIVE LITTLE TALE"

 正確だつた時計は御節介な修理屋たちによつて滅茶苦茶にされて仕舞ふ。主義主張を押し付け、何もかもぶち壊しにして仕舞ふ人間らを諷刺した傑作。[☆☆]

『模範少年物語』 "THE STORY OF THE GOOD LITTLE BOY"

 『悪たれ小僧物語』を反転させた珠玉。模範少年の善き魂は報はれないどころか、辛苦を嘗め尽くし果ては爆死ときたもんだ。後年、全貌を現すトウェインの毒が注ぎ込まれた作品だ。[☆☆☆]

『バック・ファンショーの葬式』 "BUCK FANSHAW'S FUNERAL"

 稀代の亡き悪党の肖像をごろつきが牧師に語り聞かせるのだが、言葉が噛み合はない。俗語をこれでもかと注ぎ込んで滑稽な寸劇に仕立て上げてゐる。作品集"ROUGHING IT"に収録。[☆]

『頭突き羊の物語』 "THE STORY OF THE OLD RAM"

 次から次へと話題が飛び、元の話が何だかわからなくなつて仕舞ふ狂言。作品自体が罠になつてゐる。作品集"ROUGHING IT"に収録。[☆]

『トム・クォーツ』 "TOM QUARTZ"

 鉱脈を探し当てる猫トム・クォーツの話。皆がクォーツ工法を真似ると当の猫はへそを曲げて仕舞つたと云ふ。これも作品自体が狂言なのだ。作品集"ROUGHING IT"に収録。[☆]

『ある裁判』 "A TRIAL"

 部下を殺された船長が犯人を処刑しようとすると、周囲が裁判を型通り行へと五月蝿い。結果が同じなのに、面倒な手続きをさせようとする人々に痺れを切らす船長。民主主義の愚鈍さを皮肉る傑作。作品集"ROUGHING IT"に収録。[☆☆☆]

『ほんとうのはなし―聞いたままを口移し風に』 "THE TRUE STORY-REPEATED WORD FOR WORD AS I HEARD IT"

 南北戦争時代の黒人奴隷の女が語る数奇な人生。生き別れや再会の話は目新しくないし、別段起伏に富んだ話でもない。しかし、必ずや心の琴線に触れるだらう。黒人奴隷の女の言葉遣ひを用ゐた純朴で力強い語りが、読者の人生に対する懐疑を解きほぐし感動へと導くのだ。初期短篇の最高傑作であらう。[☆☆☆]

『王子と乞食』 "THE PRINCE AND THE PAUPER"

 トウェインが書いた最も美しい傑作で、最早古典的な名作と位置付けを与へても良からう。偶然にも瓜二つの容貌を持つ身分の掛け離れた少年らが、運命の悪戯で入れ替はり、得難い体験をする物語は決して新奇ではないし、展開も常套的だ。トウェインは貴賤や生まれの違ひが人間の価値を決めるものではないことを繰り返し描く。入れ替はつた二人を色眼鏡でしか見れない人々は見破ることが出来ない。富貴な人間や権勢のある人間が作つた法律や慣習は保身の為にあり、さうでない人々を抑圧するものである。自由と平等を犯す社会の悪に、少年らはそれぞれの立場で立ち向かひ、曇りなき心の目で見ることの尊さを描く。実験的な作品を送り出してきたトウェインだが、王道的な作品でも実力を示した。結末で読者にもたらす静かな感動は真に美しい。[☆☆☆☆]

『ハックルベリ・フィンの冒険』 "ADVENTURES OF HUCKLEBERRY FINN"

 冒頭に発せられた警告が衝撃的だ。「この物語に主題を見つけようとする者は、告訴されるだらう。教訓を見つけようとする者は、追放されるであらう。陰謀を見つけようとする者は射殺されるだらう」とある。南北戦争前を舞台に、黒人奴隷解放に挑んだ精神こそが『ハック』に込められた陰謀である。やくざ者の父の虐待から逃れた宿無しハックは、逃亡奴隷ジムと共に自由な生活を求めて川下りをする。二重の脱出劇だ。ジムが捕へられた時、ハックは神に祈ることを試す。それを翻して友愛を育んだジムを救出することを決意し、「よし、それなら、オレは地獄へ行かう」と云ふ件に表出された反骨精神に感動を禁じ得ない。野生児ハックの粗野な言葉や、Niggerの頻繁な使用、犯罪者らとの道連れ、教会批判、数々の語るべき点は多いが、人間が自身で作り出した社会の不条理に敢然と反抗したトウェインの代表作であり、奥底深い偉大な作品である。[☆☆☆]

『人間とは何か』 "WHAT IS MAN?"

 唯物論者の老人と、異論を唱へる青年。対話篇といふ伝統的な思想書の形式を取る。「人間は外的な作用によつてのみ作動する機械に過ぎない」「自由意志、創造的な思考などはない」「人間を行動に促す動機は、心の充足・平安を得たいといふ衝動のみである」等々、反ヒューマニズムを徹底して掘り下げる。些細な点を除けば、現代でも痛烈な衝撃を与へる作品だ。アメリカの国民的作家が辿り着いたペシミズムを正視しよう。トウェインは何といふ深淵まで踏み込んでしまつたことだらう。[☆☆]

『不思議な少年44号』 "NO.44,THE MYSTERIOUS STRANGER"

 問題作だ。推敲の行程を得なかつた遺稿で、随所に破綻があることを認めねばなるまい。謎ばかりの作品で、改竄された偽作が出回つた背景も頷ける。しかし、偽作とは結句以外似通つたところがない。謎の少年の名前が「第44号、ニュー・シリーズ864962」といふことからも奇抜で、その意味すら未だに解明されてゐない。突如現れた少年が引き起こす人智を超えた出来事を、初稿を元にした偽作では「サタン」の仕業とすることで解釈を容易にしてゐたが、それはトウェインが最も意図しないことであつた。結句で神も悪魔も否定し、「何ひとつ実在するものはないのだ。すべては夢さ。神も、人間も、世界もさうだ。」と云ひ放つ。作品の後半で意識ある自分と、無意識の夢の存在、そして肉体から解き放たれた不滅の魂といふ3つの分裂を往来したり、時空を転倒させたりと、読者の常套的な世界観を切り崩して行く。難解な件だが、強烈な独我論へと導く為にある破壊行為である。晦渋で不出来な箇所も多いが、最晩年のトウェインの思想に迫る第一級の資料だ。[☆☆☆]


『不思議な少年』(偽作) "THE MYSTERIOUS STRANGER"

 トウェインの遺稿を元に捏造された偽作である。この『不思議な少年』は、途中で放棄された初稿ともいふべき『若きサタンの年代記』と、最終稿と見なせる『不思議な少年44号』の結句を結合させてゐる。偽作ではあるが、価値が下がる訳ではない。『若きサタンの年代記』は繰り返しトウェインが描いてきた反ヒューマニズムを結晶させた精髄だが、作品の暗さを無邪気さと幻想性で救つてゐる秀作でもある。人智を超えた存在としてのサタンを登場させ、トウェインは人間世界を矮小化する。友の死期を教へられた主人公の苦悩を描く件から、作品は呵責なき厭世観を露にする。未来を知ることは人間には耐えられまい。サタンは、大量殺戮兵器で殺し合ふ人類の未来や、声の大きいひと握りの人間に動員されることや、正気の人間に幸福などなく完全な幸福は狂人しか持てないことを見せる。これらが歴史の真実となつた現代、ペシミズムでこの作品を片付けるなど生温い。だから、巨大な虚偽を吹き飛ばす「笑ひ」こそ人間に残された唯一の救済だと述べられた件を重んじよう。作品は最後に虚無主義のアポリアと化して読者を置き去りにする。「存在するのはただ君ひとりだけ。しかも、その君といふのが、ただ一片の思惟、そして、これまた根なし草のやうなはかない思惟、空しい永遠の中をただひとり永劫にさまよひ歩く流浪の思惟にすぎないんだよ」。[☆☆☆]


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